鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2020年12月

北原白秋年譜

1885年(明治18年)1月 熊本県玉名郡関外目村に生まれる。北原家は江戸時代以来栄えた商家であった。

1897年(明治30年) 県立伝習館中学に進む。

1899年(明治32年) 詩歌に熱中し、成績下落のため落第。

1901年(明治34年) 北原家の酒蔵が全焼。以後家業は傾く。

1904年(明治37年) 長詩『林下の黙想』が絶賛を浴びる。白秋は中学を退学し、早稲田大学英文科予科に入学。

1905年(明治38年) 『全都覚醒賦』が入選。新進詩人として注目されるようになる。

1906年(明治39年) 新詩社に参加。与謝野鉄幹、与謝野晶子、木下杢太郎、石川啄木らと知り合う。雑誌「明星」に投稿し頭角を現す。

1907年(明治40年) 森鷗外、斎藤茂吉らアララギ派歌人とも面識を得る。この頃から南蛮趣味に目覚める。

1908年(明治41年)『謀叛』を発表。象徴主義、耽美主義的詩風に傾倒する。

1909年(明治42年) 『スバル』創刊に参加。処女詩集『邪宗門』上梓。唯美的な作風が話題となる。

1910年(明治43年) 詩『おかる勘平』が風俗紊乱にあたるとされ、発禁処分を受ける。原宿で隣家の主婦、松下俊子と不倫。

1911年(明治44年) 第二詩集『思ひ出』刊行。故郷柳川と破産した実家に捧げられる。

1913年(大正2年) 歌集『桐の花』を刊行。俊子と結婚。

1914年(大正3年) 肺結核に罹患した俊子と離婚に至る。

1916年(大正5年) 詩人の江口章子と結婚。章子もまもなく胸を病み、家計はきわめて困窮。

1918年(大正7年) 『赤い鳥』の童謡に取り組み、優れた童謡作品を次々と発表。

1921年(大正10年) 章子と離婚。佐藤菊子と結婚。

1922年(大正11年) 山田耕筰と共に『詩と音楽』を創刊。

1929年(昭和4年) 『白秋全集』の刊行開始。

1937年(昭和12年) 糖尿病、眼底出血で入院。視力はほとんど失われる。

1938年(昭和13年) 「万歳ヒットラー・ユーゲント」を作詞する。

1942年(昭和17年)11月 糖尿病と腎臓病のため、阿佐ヶ谷の自宅にて死亡。57歳。

このシリーズはとりあえず以下の5本です


「五木の巡礼歌」考 続き
この間「五木の子守唄」が子守唄ではないと論じたが、その後You Tubeを中心にいろいろと詮索してみた。

結論は変わらないのだが、たしかに子守唄系統の歌詞はいくつかある。

私は、それらは巡礼歌が五木に持ち込まれ、様々な歌詞をつけられたものだろうと思う。


1.どれをオリジナルとするか

前の文章でも書いたが、昭和25年に古関裕而は(おそらくは人吉を)訪れている。

まさか五木に足を伸ばしたわけはなかろうし、五木出身の人から採譜したとも思えない。

当時、人吉に流布していたものを採譜したに違いない。基本的にはこのときの歌詞とメロディーがいまでもスタンダードになっている。

最初は鮫島有美子の歌。ビオラとフルートのオブリガートがついているが、ほぼアカペラ。
熊本県民謡、採譜・編曲:古関裕而というクレジットが入っているので、これが古関裕而の採譜したオリジナルであろう。

1 おどま盆ぎり盆ぎり
  盆から先ゃおらんと
  盆が早(はよ)くりゃ早もどる
2 おどまかんじんかんじん
  あん人たちゃよか衆(し)
  よか衆よか帯 よか着物(きもん)
3 おどんがうっ死(ち)んちゅうて
  誰(だい)が泣(に)ゃてくりゅか
  裏の松山蝉が鳴く
4 蝉じゃごんせぬ
  妹(いもと)でござる
  妹泣くなよ 気にかかる
5 おどんがうっ死んだら
  道ばちゃいけろ
  通る人ごち花あぎゅう
6 花はなんの花
  つんつん椿
  水は天からもらい水

これを出発点とするのが妥当であろう。ただしすでに子守唄系と巡礼歌系は混じっているので、別々にオリジンを追究しなければならない。

次が昭和28年に山口淑子の吹き込んだレコードの歌詞で、4番「セミじゃござんせぬ…」がカットされている。


2.ビクター少年民謡会の歌

2つの録音が収録されていて、1つ目が61年のもの。

かなり古関裕而のものと異なり、「おどまぼんぎりぼんぎり」はなく、2番が1番に入り、2番が以下のとおり
良かき帯など欲しくはないが、
せめて母さんいて欲しや
郷に帰っても母はいないことが分かる。これはのちの「妹でござる」への伏線かも知れない。しかしやや凡庸である。

その後は、なぜか「子守唄」の歌詞が始まり3番、4番、5番と続く。聞いたことのない歌詞だ。凡庸でしかも標準語である。

68年のレコードの歌詞は古関の1番が復活し、2番「勧進、勧進…」が抜けて子守唄系「おどまいやいや…」が入る。3番からは古関の歌詞に戻る。

この2枚のレコードからは、歌詞の取捨選択に当たり、かなりの混乱があったことが點せられる。


3.子守唄系は昔からのもの

この歌詞は「五木の子守唄」とは言うものの、一番だけが子守を話題としていて、他はすべて巡礼歌である。

つまり誰かが昔ながらの子守唄を巡礼歌の旋律に合わせて、一種の替え唄として子守唄を作ったと見るべきではないか。

You Tubeに「正調、五木の子守歌」というのがあって、五木村の道の駅で流れている曲を録音したものだ。

かなり聞き取りにくいが「巡礼」につながる歌詞はなささそうだ。つまり五木には子守唄が別にあって、両者が融合したものとも考えられる。

メロディにはどことなく島原地方の子守唄を思わせるものがある。

五木の子守唄には山口俊郎の編曲というのもある。
題名が面白い「流行小唄 五木子守唄」というので、キングレコードの発売。歌手は照菊というから芸者歌手だったのだろう。
歌詞は古関版とほぼ同じ。発売時期は不明だが追っかけ発売であろう。
komoriuta

つまり当時現地には、多少の歌詞の異同はあったにせよかっちりと枠のはまった「五木の子守唄」が完成していたのである。

桃山晴衣/五木の子守唄(古謡)は1番が子守唄系が入り、2番に例の「ガンガラ」が入る。それで終わりだ。3番はない。
細部の異同があるので紹介しておく。
おどま勧進勧進 がんがら打ってさろく
猪口でまま炊あて 堂に泊まる
「猪口」は土壺だと説明されている。


ウィキに見る五木の子守唄

ウィキの記載は、ちょっと決めつけ気味のところが気になるが、かなり勉強になる。

いくつか新しく知ったことをノートしておこう。

1.五木の正調子守唄は西日本の子守唄と共通のルーツ

五木の子守唄は第2次大戦後レコードに吹き込まれてから大流行したが、地元のものとはやや曲節の違ったものになっている。

とし、流行したものをお座敷唄、五木で歌われているものを正調と呼んでいる。

それで正調の代表的なものを掲載している。これを紹介しておく。
おどまいやいや
泣く子の守りにゃ
泣くといわれて憎まれる

ねんねした子の
かわいさむぞさ
起きて泣く子の面憎さ

ねんねいっぺんゆうて
眠らぬ奴は
頭たたいて尻ねずむ

おどんがお父つぁんな
あん山ゃおらす
おらすともえば行こごたる
というもので、「おどまぼんぎりぼんぎり」すらでてこない。日頃膾炙しているものとは全くの別歌である。 

率直にいえば、こちらの方はさしたる興味はない。


2.座敷唄の方は人吉で流布されていた

おそらく古関裕而が採譜したものとほぼ同様のものを、1930年に人吉の小学校教師・田辺隆太郎がはじめて発見し採譜している。

この歌は当時すでに五木村では歌われなくなっており、どのようにして発見されたかは謎とされる。

問題はこれに1番の「おどまぼんぎりぼんぎり…」がついていたかどうかだ。

例えば61年のビクター盤は出だしから「おどま勧進勧進…」である。

このあたりはもう少し根掘り葉掘り引き出したいところだ。


翻訳者は裏切り者

「翻訳者は裏切り者」(traduttore-tradittore)という一種の箴言みたいなものがあって、翻訳業界ではよく口にされるようだ。

英語では “translator is a traitor” ということになるが、これではあまり面白くないので、わざわざイタリア語で表現する。それも翻訳家っぽい。

ネットで見ても様々な専門家の先生が御高説を披露されているが、「それで、あんたはどっちだい」という疑問に答えている人をとんと見ない。

例えば聖パウロなんかはヘブライ語をローマ語に訳した翻訳者でもあり、イエスの教えを伝えた伝導者でもあったし、予言者キリストの言葉を通じて人の道・信仰の道を教えた伝道師でもある。弾圧下のローマから逃げ出そうとした、文字通りの「裏切り者」となりかけてもいる。

それのどこに重点を置くかで翻訳事情はいろいろ変わってくる。それを「裏切り」と讒言されても、ちょっと…

私なんかはシロウトだから、思いっきり裏切っている。わかり易けりゃいいんだといって、難解なところは平気で飛ばす。なぜなら「本人が一番訴えたいことは誰でも分かるように話すはずだ」という信念を持っているからだ。ときには「本人がそこまでは言ってないだろう」という書き加えまでしている。

むかし医学書院から看護の教科書(ナースのための循環器患者教育マニュアル)を翻訳出版した。「よく練った訳文ですね」と褒められたが、聞こえなかったふりをした。おかげで結構売れた。

たしかに私は裏切り者の最たるものだが、「裏切る」とも「裏切らない」とも言わずに「ハイデッガーがどうした」などと講釈を垂れているような人々は、もっと愚劣だなと思う。

翻訳家というのは自分の気配を消して影に徹するのだと言われれば、それまでだが。

2020年11月
「タイ民主化闘争を牽引する女性と学生」
タイ デモ

はじめに
7月に始まったタイの民主化闘争は国内を席巻している。新世代の学生と労働者がその先頭に立っている。
今回はバンコクのチュラロンコン大学の元准教授 GilesJi Ungpakorn に話を聞く。
彼は2006年の軍事クーデターの際に軍部を批判、その後弾圧を逃れるため英国に亡命を余儀なくされている。

Q: この闘争の原因、青年達の要求は?

A: 運動の主体は若者、主に中等学校や大学の学生です。しかし、それは普通の働く人々を引き付け、多くの参加者を得ています。いくつかのデモの参加者は10万人以上でした。

彼らは3つの要求を掲げています。
一つ目はプラユット首相の辞任です。彼は元将軍であり、2014年の軍事クーデターで権力を掌握しました。
第二の要求は、憲法の全面改正です。今の憲法は軍によって起草された非民主的なものです。
第三の要求は君主制の改革です。具体的には新憲法に拠って付加された条項を削除することです。

彼らは特にヴァジラロンコン王の行動に腹を立てています。国王の金銭的欲望には限りがありません。彼はほとんどの時間をドイツにあるハーレムで過ごしています。彼は女性をぞっとするような方法で扱うことで知られています。

若者、とくに若い女性の勇気はとても印象的です。彼らは恐れを知らず、タイを民主化するために戦い抜く決意をしています。
タイ 女性

Q: 民主化闘争とパンデミックの関係は?

A: 新型コロナの症例数と死亡数は多くはありません。しかし主要産業である輸出、サービス、観光業は世界経済に大きく依存しているため、経済は深刻な影響を受けています。

若者たちは希望を失い、将来を心配しています。彼らは軍による政治の支配を軽蔑しています。


Q: タイの支配階級はどのような存在か。それはどのように国民を支配しているのか?

A: タイの支配階級は軍隊です。それは戦前からずっと国の政治において中心的な役割を果たしてきました。
最近では、2005年に選挙で選ばれたタクシン首相に対する攻撃が典型的なものです。

支配階級のもう一つの重要な部分は資本家です。それは他のほとんどの国と同じです。資本家たちは、経済を支配する大規模な複合企業に仕切られています。

最後の部分は君主制です。しかしこれは完全な神話です。「支配するために生まれた人々と支配されるために生まれた人々がいる」という神話を作り上げるのが目的です。
彼は軍のシンボルに過ぎません。軍が彼にそこにいるよう指示しているので、王位に就いているだけです。

今回の運動は君主制に直接戦いを挑んだところに特徴があります。若者たちは君主制、それを守るためのばかげた制度のすべてを無視し、闘争を続けています。


Q: 別の軍事クーデターの可能性は?

A: その可能性は低いと思います。なぜなら彼らは現在権力を握っており、それを潰す必要はないからです。
彼らは、現在の仮装的な民主的統治の幻影こそが、最良の選択肢であると思っています。

しかしその気になればいつでもクーデターを行える力を持っています。


Q: 青年層と労働者階級との関連は?

A: この運動は若者、主に学生、そして特に女性が主導しています。彼らはあらゆる階級・階層から来ています。

もっとも多いのは普通の労働者階級ですが、その中にはホワイトカラー労働者も混じっています。

今回の運動の新たな傾向として、かなりの部分が中流階級の出身だということが上げられます。タイの中産階級は軍と君主制を支持してきました。そういう意味では注目すべき傾向と言えます。

学生たちの運動スタイルは自主的で民主的です。これはとても良いことですが、一面では非戦略的で分散的という弱点に繋がります。

政府が崩壊することを期待して、毎週フラッシュモブを組織し続けることはできません。

社会を揺るがすような闘争に発展するためには労働者との連帯が必要です。そして工場、交通機関、商店などでのストライキとの結合が必要です。

Q:  左派政党の果たす役割は?

A: タイには組織的な左翼はありません。タクシン政権時代にはいくつかのグループがありましたが、クーデター体制の下で崩壊しました。

今日ではふたたび、自分を左翼と見なす人が増えています。それらの人々が集まって政党を組織する必要があります。

Q: 香港での運動の影響は?

香港の活動家との間にはつながりがあり、互いに学んでいます。香港の闘いの最大の教訓、それは「街頭激発行動は危険だ!」ということです。

タイでも10年前に「レッドシャツ」という運動がありました。バンコクの主要なポイントを何日も占領しましたが、タイ軍は彼らを襲って冷酷にも虐殺しました。

運動はその日のうちに消滅し、組織は跡形もなくなくなりました。
現在の運動では、たくさんの人を集め、スピーチをし、そして分散して家に帰ります。
それは賢明な運動ですが、それだけでは世の中を変える力にはなりません。

やはり労働運動とストライキへの結び付きを心がけなければなりません。

Q: この闘争が東南アジア地域や米中両国にあたえる影響は?

A: 米国と中国はタイの現状維持を望んでいます。タイの政権はこの状況を利用しています。

トランプ政権下の米国政府は、タイ国家の打倒に賛成していません。これは香港との最大の違いです。
中国も、香港での闘争がこの地域に広がることを望んでいません。

ベトナム、マレーシア、フィリピンなどの国々は、タイでの出来事を熱心にフォローしています。なぜならもしタイの民主化が成功すれば、その波は必ず近隣諸国にも訪れるからです。

つまりタイを取り巻く周囲の環境は冷ややかな中立であり、民主化を求める人たちにとって必ずしも好意的なものではありません。

以下略


バイデン政権はこのままでは持たない
(フィナンシャル・タイムズ評論員)


1.多様性の尊重とマイノリティーの権利尊重とは異なる

バイデンは組閣に当たり「多様性」を強調してきた。しかし左派がもとめているのは多様性ではなく、多様な人々の権利の尊重だ。

ただし、それは共和党が多数を握る上院では拒否されるだろう。バイデンは共和党との妥協の道を探るほかないし、急進派はそれを渋々受け入れざるを得ない。

それに、左派にとって多様性よりはるかに重要な問題がある。それは富裕層の懐に手を突っ込み、貧困層の人権と未来を保障し、政治的平等の土台を再建することだ。

それなしの目くらましの多様性では、さらに民主党への絶望は深まるだけだ。


2.2・3位連合のもろさ

選挙の結果が示すのはバイデン政権が2・3位連合政権だということだ。

1位はトランプであり、2位がサンダースを先頭とする民主党左派、3位がバイデン派だということだ。

政治力学から見れば、3位の候補が勝者となるのはきわめて不自然である。バイデン=左派連合はきわめて不安定な連合であり、むしろ終わりの始まりとして理解すべきものだ。

議会選挙ではこの傾向が一段と鮮明になっている。

民主党は下院で微減、上院で微増となっている。
しかし、その内容を見ると、バイデンに代表される民主党主流派が惨敗し、左派候補は接戦を勝ち抜いている。これはサンダース自身が指摘したとおりである。

FT紙も言っている。
…つまり、バイデン氏は勝ったが、民主党としては負けたのだ。


3.民主党への絶望

FTは選挙と同時に各州で行われた住民投票をレビューし、次のような結論を引き出している。
国民はマイノリティー問題より国民全体に関わる経済問題に力を入れるよう政治にもとめている。
ということだ。
民主党の大敗の理由は明らかだ。

民主党は白人の労働者階級(高卒)が貧困問題に直面しているのに、彼らを人種差別主義者だと切り捨てたからだ。

民主党は人種差別反対を掲げるだけで、非白人の貧困克服・生活向上の課題に取り組もうとしなかったからだ。

非白人層についてのFT紙の以下の論及はきわめて印象的である。
大量の非白人票がトランプに流れた。ヒスパニックとアジア系では3分の1が、アフリカ系の男性ではほぼ2割がトランプに投票した。
彼が人種差別的な言動を繰り返したのにである。民主党はどこかに問題がある。


3.民主党の再建は可能か

FTは次のように提起する。
重要なのは共和党が非白人層を取り込むより早く、民主党が白人労働者階級の支持をとり戻せるかどうかだ。
新政権と民主党の命運はそこにかかっているだろう。


12月16日 フィナンシャル・タイムズ(21日日経新聞「米新政権、命運にぎる政策」より引用)



2020年 GAFA規制の動き

GAFAと一括するのが便利でついそうしてしまうのだが、一体それは何なのか。
赤旗では「情報技術(IT)巨大企業」と一括している。それはそうなのだが、この4社は、そのなかでもなぜ特別な意味を持っているのかがよくわからない。
たしかにITをプラットフォームにしているけど、アマゾンは通販業者だし、アップルは携帯販売だし。ITそのものを “売り” にしているのはグーグルだけではないか?
ITを前面に出して商売しているマイクロソフトやインテルがなくて、なぜフェイスブックが入るのか…
など、疑問は多々ある。

と言いつつ、今年に入ってからGAFAを対象にした規制の動きが表面化してきているのが気になる。
赤旗(経済四季報)によると下記の通り。

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この中で大きいのは米下院司法委員会が、「4社がそれぞれの分野で競争を阻害している」とする報告書を発表したことである。

これがもっとも包括的で、力のある動きである。これ以外は個別的な規制にとどまり、地域や権限も限定されている。

EUの欧州委員会は、はるかに具体的で現実的な規制案を作成しつつある。

それが12月15日に発表された巨大IT企業規制強化案だ。

これによると、市場競争をゆがめる行為に対し、全世界の売上高の最大10%の制裁金を課す、企業分割を命じるなどの施策を打ち出している。

ただしEUとGAFA、さらに米政府との力関係が現状のままでは、その有効性については疑問符がつく。


格差社会とコロナと民主主義

「回顧」記事が少しづゝ出揃ってきた。
間違いないのは、この10年間続いてきた格差社会と貧困化の進行が、もはや世界の屋台骨をギシギシときしませる程に深刻化してきたことだ。
①トランプ現象や欧州での極右の進出などの警鐘が、今後はコロナ禍を通じて止むことなく乱打されるようになるのではないか。
②「力の信仰」に対抗するための理性の力はどこに赴かなければならないのか。

このふたつの “党派を超えたラディカルな疑問” に対する答えを、我々は探し求めていかなければならない。

1.富裕層の不安

日経新聞の21日(月曜)の一面トップは、これから始まるバイデン政権下での米社会の深刻な問題を描き出した。

取り上げ方そのものは富裕層からの目線であり、「お気楽なものだ」との感想は免れない。しかし、その富裕層の間にすら、社会分断への不安感が広がっているという記述は印象的だ。

記事はまず伝統的なエスタブリッシュメントというものをバイデンらに置く。それは民主と共和を問わず、伝統的な富裕層に階級的基盤を置く20世紀型の支配層だ。

これに対しネオリベラリズムに乗って急成長した新興富裕層は、政治信条としてリバタリアニズム(やり放題自由主義)を打ち出した。

彼らは伝統的エスタブリッシュメントを右から攻撃した(例えばティーパーティー的手法)。それと同時に驚くほどの食欲で世界の富を貪り続けた。


2.コロナの分断社会への影響

しかしそれが伝統的エスタブリッシュメントの衰弱をもたらし、自らがもう一つのエスタブリッシュメントを構築せざるを得なくなった。

しかし彼らにはその能力もなく、そもそも世界を引き受けようという気がない。リバタリアニズムとはそもそも無政府主義なのだからだ。

「政府とか社会とか面倒なものはいらない」と考えてきた新富裕層は、いま社会システムが崩壊の危機に差し掛かったとき、突如として深刻な不安感と恐怖感に苛まされ始めた、というわけだ。

自らの守護神として祭り上げたトランプ政権が、デマとフェイクで暴走し始め、社会的ルールを弊履のごとく投げ捨て、4年間を通して暴走し続けた。

それを無数の中下層白人が盲目的に追従し、ヘイトと暴力を撒き散らす政治が当たり前のものとなって行った。


3.格差社会がもたらしたもの

日経新聞はこう書いている。

20世紀においては、ものの大量生産が社会の発展を支えた。労働者が中間層に成り上がり、平等化が進んだ。
21世紀においてはデータと知識が社会を牽引している。このシステムは中間層を育てず、勝者の「総取り」社会をもたらした。

これにより社会が相互不信を内包するようになり、勝者の社会と敗者の社会に分離し始めた。「大衆は特権階級に、畏怖ではなく憎悪を抱く」(トクヴィル)ようになった。

それは敗者の社会に反エリート主義と大衆迎合主義を横行させ、宗教・人種・世代などの断層を生み、政治を不安定にし、民主主義を危機に追い込む(マディソン)。

ということで、「民主主義の危機に至る社会過程が、格差社会が深刻化していく過程の政治的表現なのだ」という認識を示している。

だからどうしても、緊急に、富裕層の懐に直接手を突っ込むような改革に着手しなければならないのである。それは政治以外の手法では解決できない。政治だけが果たすことのできる役割である。



1.ボルソナロ旋風と左翼の退潮

2018年にジャイール・ボルソナロの巻き起こした極右旋風は、13年間の統治が崩壊した後、左翼に致命傷を与えたように見えた。しかし、モニター心電図はこの度の地方選挙のあとモニター音を発し始めた。

10年ほどまえ、ブラジル左翼は無敵に見えた。労働者党(PT)のカリスマ的な指導者ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバは、活況を呈する経済を統括した。そして世界で最も不平等な国の1つ、ブラジルで貧困を削減した。バラク・オバマはルーラを「地球上で最も人気のある政治家」と呼ぶほどだった。

しかし2016年に早送りすると、状況はひっくり返った。ルラの後継者であるジルマルセフが弾劾され、ルラ自身が巨大な汚職計画を実行した罪で起訴された。

その年、PTは地方選挙で統治していた630都市の半分以上を失った。有権者は2年後もふたたび怒りを爆発させた。それはボルソナロに力強い勝利をもたらした。

2.11月の一斉地方選挙の示したもの

先週の日曜日の選挙は、それ以来最初の選挙だったが、左派の盛り返しはなくむかしの残骸が僅かに残っただけだ。

しかし、ボルソナロにとってもそれは大敗北だった。ボルソナロ派市長相補13人の候補者のうち当選は2人だけだった。
彼が支持した45の市議会議員候補のうち、わずか9人が勝っただけだ。

両者に代わって、有権者は伝統的な中道派と中道右派の政党を選んだ。
国民は、2018年の二極化した急進化から脱却する道を選んだ。


3.左派陣営における主役の交代

一方、選挙はブラジルの進歩主義者に希望のひとかけらを与えた。それは労働党ではなかった。驚くほど強力な結果は、党の枠から外れた新世代の若い左派にもたらされた。

サンパウロでは、ホームレス労働運動(MST)の38歳のリーダーであるギレルメ・ブーロス(Boulos)が、中道右派のブルーノ・コバス市長と対抗して予備選挙に挑戦した。

社会自由党(PSOL)から立候補したブーロスは、ボルソナロ派候補とPT候補の両方を上回り、コバスの得票33%に対して20%を獲得した。

彼の得票数の急成長は、左翼のお祝い騒ぎを引き起こした。しかしそれは労働党(以下PT)のためのお祝いではなかった。サンパウロこそはルーラの最も堅固な要塞であったはずなのに、PTの損失はさらに屈辱的だった。

ブラジリア大学の政治学者であるフラビア・ビローリ氏はこういう。
サンパウロ市長選で決選投票に非PT左翼のブーロスを迎えたことは、本当に象徴的だ。なぜならサンパウロは、PTが全国政党へと上りはじめた場所だからだ。

PSOLは、PTからの逸脱組織として2004年に設立された。2つの市長選挙で勝利し、統治する都市の数は4つに増えた。そして今度の地方選では、サンパウロと他の2つの都市で決選投票に進出した。

南部のポルトアレグレでは、ブラジル共産党(PC do B)の新星政治家マヌエラ・ダビラ(39歳)が決選投票に勝ち残った。彼はここではPTの支援を受けた。

他にも2人の青年左派がいる。東北部レシフェの町で決選投票に進出したのは、二人の若者だった。一人は中道左派のブラジル社会党(PSB)から立候補したジョアン・カンポス、26歳だ。もうひとりはPTのマリリア・アラエス、36歳である。


3.分裂した左派戦線、その理由

ブラジルの政治通の多くは、ブーロスをルーラの後継者と見なしている。ルーラはすでに75歳だ。しかも彼にはさまざまな汚職スキャンダルがまとわりついており、それがイメージをひどく傷つけている。

バルガス財団のクラウディオ・コート教授はこう述べる。
ルラは、ブラジルの政治において依然としてビッグな存在です。
しかし、彼は政治的には落ち目の状態にあり、いっぽう新世代の代表ブーロスは、上昇気流に乗っています。
PSOLは女性の権利、人種平等、LGBTの問題などについて、若い有権者と接点を持っている。この点ではPTよりも優れている。


4.「野党は共闘」しなければならない

しかし、左派が次の大統領選挙でボルソナロを打ち負かしたいのであれば、団結することを学ばなければならない。これは広範なコンセンサスとなっている。

PTを長年にわたって指導してきたEduardo Suplicyは、左派が候補を一本化するための予備選挙を望んでいる。

彼はこう語る。
2022年の大統領選挙に向け、野党が統一候補を立てて闘うことが決定的に重要です。いま、みんながそのことを熟考する必要があります。

ポーラ・ラモン記者による

コンソーシアム・ニュース
2020年9月30日号

As'ad AbuKhalil (カリフォルニア州立大学教授)



はじめに

イスラエルとアラブの正常化の波が衰えることなく続いている。

トランプは外交政策の得点稼ぎに必死であり、アメリカ国民と議会に対してこう訴えている。

イスラエルとのアラブの和解に私が努力した。その結果、イスラエルは今や安全である、と。

メディア専門家と議会の超党派メンバーがこれを支持した。

ペロシ下院議長は二面的態度をとった。正常化の発表を称賛する一方で、イスラエルの安全保障に対する懸念を表明した。

これは西側の民主主義国では珍しいことではない。自由主義政党のみならず社会主義政党(たとえばフランス社会党)もパレスチナの大義を支持する一方、指導者レベルではしっかりと親イスラエルの態度をとっている。

湾岸の専制君主は、米議会下院への最短の道はテルアビブを通ることだと知っている。  

しかしそうだとしても、イスラエルがパレスチナに一切の譲歩を拒否しているのに、UAEとバーレーンがイスラエルとの平和条約に署名するというのは一体どうしたことでしょう。

そこではサルマン皇太子が重要な役割を果たしているが、それはまだ十分に明らかにされていない。

アラブ連盟

1970年にエジプトのナセルが死去した後、アラブ政治のイニシアチブはサウジ政権のものだった。

サウジはイスラエルとの平和に向け、「アラブ連盟」の進路を設定する責任を負っていた。  

1991年以降は、シリアのアサド大統領、エジプトのムバラク大統領、サウジのファハド王がアラブ連盟を支配したトリオだった。

かれらはすべて、中東への米軍の介入を正当化する役割を果たした。

その最初となったは、クウェート「解放」という名目だった。専制政治とテロリズムに反対するといっていたが、結局は米軍容認の理由の後づけだった。

サウジアラビア政府は、2002年の「アラブ和平イニシアチブ」の黒幕だっだ。

それはヨルダン川西岸、ガザ、東エルサレムを領土とする「パレスチナ国家」の承認と引き換えに、イスラエルに完全な平和と平常化を約束するものだった。

イラクでのフセイン政権の崩壊とシリア戦争は、アラブ連盟の指導体制を変えた。盟主の地位はサウジアラビアの手に委ねた。

現ナマ外交政策

サウジアラビアは、現ナマ外交で周辺国の元首や首相を買収した。レバノンの大統領はサウジアラビア政府から500万ドルを受け取り、首相(スンニ派)は2千万ドルを受け取った。

ラマラのパレスチナ自治政府は資金提供の見返りに、米国が組織した「和平プロセス」への果てしない献身を続けている。 

1970年のプロセス開始から何十年が経過し、パレスチナ自治政府は、政治的破産の段階に達した。

9月11日以降、サウジアラビア王国は米国議会の怒りを避けるためにさまざまな妥協を行った。

「宗教の対話」の名のもとにイスラエルとの会談を行うなど、前例のない措置を開始した。

MbSの影響

サルマン皇太子が実権を握るようになって以来、イスラエルとのアラブの「正常化」の波は加速しつつある。

それは権力の全面掌握に向けた最終段階を控え、より鮮明に米国・イスラエル関係の方向を示すことである。

すでに正常化したバーレーンとアラブ首長国連邦、正常化に近づいたスーダンとオマーンは、サウジアラビアの事前の許可なしにその一歩を踏み出すことはない。

言い換えれば、サルマンはすでに実質的にイスラエルと正常化していますが、形式上は、いまだ代理人を通じての正常化にとどまっている。


サウジ、変更された論調

サウジのメディアは、イスラエルとの関係正常化を祝った。そして正常化の利点について書き上げた。

サウジメディアの古い反ユダヤ主義のレトリックは、反パレスチナの論調に取って代わった。また、イスラエルの占領に反対し、武力抵抗を続けるアラブ人への攻撃に置き換えられた。

ウォールストリートジャーナルは、サルマンがメディアに命令し、政府の発表を好意的に扱うように指示したと報じた。

私はサウジアラビアのメディア内の情報源から、「正規化」という言葉をやめて「平和」という言葉に置き換えるよう命令が出ていることを知った。
そして彼らが迅速にその変更指示を実施したことを知った。

ウォール・ストリート・ジャーナル紙はまた、まだいくつかの欧米のメディア上でサルマンの人物像が揺れていることをサルマンが利用していると書いた。

彼はしばしばWSJとブルームバーグを使用して観測気球を掲げる。

サルマンはこの記事で、彼自身が親欧的で平和的な人物で、反イスラエルで保守的な父親とケンカしてまで、イスラエルに接近しようとしているとの印象を与えようとした。


ジャマル・カショギ

サルマンが何よりも望んでいるのは、ジャマル・カショギ殺害について国際的な許しを得ることだ。

欧米のメディアの多くはその犯罪を忘れたようだが、ワシントンポストは元同紙のコラムニストに代わって、相変わらず容赦ないキャンペーンを行っている。

一方で、ポストは、サウジアラビア、イエメンで、あるいは内部の人々に対するサウジ政権の犯罪には興味がないように見える。

サルマンは再びヨーロッパと米国を訪問できるようになりたいと考えている。
彼はイスラエルとの平和実現が、西側政府とメディアの間で称賛されることを十分に承知いる。

イスラエルとの和平が彼の残忍な抑圧をなんとか消し去ったならば、確かにサルマンは平和条約の見返りにカショギ殺害について許しを実現できるだろう。

サルマンは莫大な対価を望んでいる。彼はおそらく王位への昇進について、アメリカの承認をもらおうと思っている。

この取引はサルマンの王位を確定し、トランプの偉大な「成果」を実現する。 

サルマンはバイデンについて少し心配しているかもしれない。しかし彼は、これまですべての民主党大統領が共和党大統領と同じように湾岸専制君主を支持してきたことを知っている。 

トランプは選挙に向けて湾岸の専制君主の支持を獲得した。しかし彼らはバイデンよりも彼を好むかもしれないが、それほど肩入れしているわけではない。 

サルマンは、トランプの義理の息子であるクシュナーが大好きで、通常の外交ルートより彼と取引する方を好む。

しかし、それらの国とイズラエルとの平和条約は、結局、専制君主の支配がどれほど永続きするかという問題でしかない。

エジプトも米国も、現在のイスラエルとアラブとの関係を維持するために、これらの専制君主の支配を維持しなければならない。

キャンプ・デービッド合意の後、米国はエジプトへ投資を続けてきたが、それはエジプト人の生活に悲惨と抑圧をもたらしただけだった。しかしテルアビブには十分な満足をもたらした。

湾岸諸国の人々にとっては、「関係正常化」は、イスラエルの支持と専制政治に対する米国の支持を勝ち取っただっけのことなのかも知れない。

彼らはこうやって金を稼ぐ
Consortium News
2020年12月10日
ハニフ・スフィザダ(Sufizada)
ネブラスカ大学

戦争で傷ついたアフガニスタンが平和を望む理由はたくさんある。国家財政の健全性はその一つだ。

Ⅰ.タリバンの「歳入」は16億ドル

彼らのイスラム原理主義政権は2001年に米軍によって倒された。それからすでに20年が経過している。いま、彼らはその頃よりはるかに豊かで強力になっている。

2019年の会計年度で、タリバンは16億ドルを稼いだ。

タリバーンの指導者故オマールの息子ムラー・ヤクーブは、秘密報告でそれをあきらかにした。

それをNATOが入手した。そして最後に「自由ヨーロッパ放送」の手にわたった。

それに引き換えアフガニスタン政府の同期間の歳入は55.5億ドルだ。

政府は現在、タリバンと和平交渉を行っており、19年間の内戦を終わらせようとしている。

私は「アフガニスタン研究センター」で経済政策アナリストとしてタリバンの財政を研究した。その結果を紹介する。


Ⅱ.タリバンの資金源

ここから彼らのお金が生まれます。

1.ドラッグ: 4億1600万ドル

国連の世界薬物報告書2020によると、アフガニスタンは世界最大のアヘン生産国である。過去5年間で世界のアヘン生産の約84%を占めている。

アヘンのもうけはタリバンに行く。カブールの「アフガニスタン調査・評価ユニット」によると、タリバンは麻薬製造・流通チェーンに10%の税金を課している。

2.鉱業収益: 4億6400万ドル

鉱業鉄鉱石、大理石、銅、金、亜鉛および他の金属とレアメタルは、ますます有利なビジネスとなっている。

小規模な採掘会社も大規模な鉱山会社も、タリバンに冥加金を払っている。さもなければ殺害すると脅迫されています。

タリバンの採石・採鉱委員会は、鉱業からの収益が年間4億ドルになると報告している。それは、2016年にはわずか3500万ドルだった。。

3.恐喝と「税金」: 1億6000万ドル

タリバンは、あたかも政府のように、支配下の人々と産業に課税する。彼らは納税の公式領収書さえ発行している。

「課税」産業には、国際援助によって立ち上げられた鉱業、メディア、電気通信および開発プロジェクトも含まれる。

タリバンが管理する地域では高速道路を使用するドライバーにも課金され、店主はみかじめ料を支払う。

また、「ushr」(農民の10分の1税)と「zakat」(2.5%の富裕税)と呼ばれる伝統的なイスラム形式の税も課せられている。

これら恐喝とも言える税収は、年間約1億6000万ドルをもたらす。

課税対象の一部はケシ栽培者であるため、重複課税されている可能性がある。


4.「寄付」: 2億4000万ドル

タリバンは、世界中の民間ドナーや国際機関から秘密の財政的貢献を受けている。

タリバンからの寄付の多くは、歴史的に共感しているペルシャ湾諸国の慈善団体や民間信託からのものである。

「アフガニスタン研究政策研究センター」によると、これらの寄付は毎年合計で約1億5000万ドルから2億ドルになる。これらの慈善団体は、米国財務省のテロ資金を提供するグループのリストに含まれる。

イスラム諸国の民間人もタリバンへの資金提供を支援し、年間6000万ドルを寄付している。

5.「輸出」: 2億4000万ドル

国連安全保障理事会によると、タリバーンはさまざまな日用品を輸出入している。
これは実際は違法なマネーロンダリングの一部である。
既知の事関連会社には、自動車部品を輸入し、再組み立てされた車両や部品を販売する経営が知られている。

タリバンの輸出による純利益は、年間約2億4000万ドルと考えられている。

6.「不動産」: 8000万ドル

タリバンはアフガニスタン、パキスタンなどに不動産を所有している。これによる年間不動産収入は約8000万ドルと考えられる。

7.いくつかの特定の国からの援助

BBCの報道によると、2008年に分類されたCIAの報告によると、タリバンは外国の情報源、特に湾岸諸国から1億600万ドルを受け取っていた。

ロシア、イラン、パキスタン、サウジアラビアの政府がタリバンを資金援助している。
これらの資金は年間5億ドルにもなる可能性があるが、正確に把握することは困難である。


Ⅲ.タリバンの財政支出

タリバンの莫大な富は、20年近くの間、アフガニスタンの騒乱、破壊、殺害のための資金となってきた。

アフガニスタン政府は、公共サービスも経済発展も犠牲にして、戦争に多額の費用を費やしている。

タリバンとの和平協定は、政府がその乏しい資源を民生に向け直す余裕を与えるだろう。

また、現在タリバンが支配している産業部門からの新しい収入を獲得できるかもしれない。

さらに治安の安定外国投資を引き付けることが期待される。そして米国や欧州連合の寄付や善意への依存を終わらせるかも知れない。



これで中村先生が殺された理由もはっきりします。
やったのはタリバンで、間違いなくトップも絡んでいたでしょう。

ただ、個別の事実や数字は受け止めるにしても、この記事が色付きメガネで見たものであることも押さえておくべきでしょう。イスラムの世界を見るときにはマハティール(元マレーシア首相)の目が必要でしょう。


フィナンシャル・タイムズの意見
The editorial board DECEMBER 7 2020
ベネズエラの人々は十分に苦しんでいる
国民の苦痛を終わらせることはバイデンの優先事項だ

ベネズエラ国会議員選挙について

ベネズエラの国会選挙の結果は疑う余地がない。

マドゥロ大統領とその与党は、これまでのところ、「民主反対派」が選挙をボイコットしたのを受けて、着実に議席を伸ばしている。

国会はこれまで与党の管制下にないただ一つの国家機構だった。


ベネズエラの経済的苦痛

ベネズエラの経済は過去5年間で4分の3に縮小した。
インフレ率は6,500%を超え、通貨「ボリバル」は無価値となっている。

かつてパリからの超音速機コンコルドの定期便が飛んだほど、石油が豊富なこの国は豊かだった。

いまベネズエラは食糧、燃料、電気、水道などすべての資源が慢性的な不足に陥っている。

危機が始まってから500万人以上が国外逃亡し、難民危機を引き起こした。


ベネズエラの政治状況(注:編集部の見解とは異なる)

政権の反対者が何千人も殺されたり投獄されたりした。

マドゥロ氏は、民主的な選挙を行えば敗北するかも知れないと感じ、競争の場を変えた。

最大の野党は裁判所命令により新政府派に乗っ取られ。選挙評議会は政府の任命者のみとなった。

電波は、与党統一社会主義党によって支配されるようになった。投票は、新しい自家製のタッチスクリーン投票機で行われ、記録されている。

EUと米国が監視団の派遣を拒否したため、ロシアが選挙を監視している。


どんな選挙が行われたのか

「偽の野党」は、競争を見せかけるることを目的としていた。

投票率は政府の食料配給によって支援された。政権ナンバー2のカベージョが「投票しない人は食べようと思うな」と脅した。

チャベス派が多数を占めるであろう国会は、目先の勝利にも関わらず、米国とその同盟国との間ににジレンマを生み出すだろう。


グアイドの役割は終わった(ここから読めば良い)

過去2年間、米国とその同盟者は野党党首グアイドをベネズエラの暫定大統領として認めてきた。

その主張は、マドゥロ氏を政権にとどめた2018年の選挙が不正であったという認識に基づいている。

もしそうであれはマドゥロは退陣し、国会議長が暫定大統領となるという根拠に基づいていた。

そしてグアイドは野党が多数を占める国会の議長だったのである。

グアイドの勇気と努力にもかかわらず、彼の「影の政府」はマドゥロ氏を追い払うことに成功していない。

それは、米国の傭兵による今年のクーデター計画の失敗と、昨年の軍の反乱の失敗という、「不幸な事件」によって傷つけられました。 

トランプ政権は、グアイド氏の指導力と「最大圧力」の制裁がマドゥロ政権を転覆させるという筋書きに賭けた。
そのギャンビットは失敗した。


バイデンのなすべきこと

次期大統領ジョー・バイデンは、ベネズエラの人々が切望する政治的自由と経済回復に向けてベネズエラを導く手助けをするチャンスを得た。

トランプ政権の当局者は、マドゥロがさらに別の選挙に当選するようなことがあってはならないと言う。それは正しい。

しかし、この国の危機はすでに長期にわたっている。この危機が交渉なしに解決できるととは思えない。

話し合いが行われるとすれば、そこには、マドゥロと民主反対派だけでなく、おそらくより広範な人が集まらなければならない。

バイデンは外交努力の一環として、ベネズエラの主要な支持者であるキューバ、中国、ロシア、イランも交渉相手に含めなければならない。

ベネズエラの変化へと向かう窓はいまは閉じている。

毎年、政権はより抑圧的になり、より多くの難民が去り、その石油資産は立腐れになるリスクがある。

バイデンの就任に際しては多くの困難な課題がある。

しかしその中でも、ベネズエラは南北アメリカで最大の政治的・人道的危機となっている。

ベネズエラに対する平和的な解決策は最優先事項に値する。


この記事は表から入っても見ることはできません。
バイデンは外交努力の一環として、ベネズエラの主要な支持者であるキューバ、中国、ロシア、イランも交渉相手に含めなければならない。
という提案は、あっといわせるものがあります。
このフィナンシャルタイムズの社説は非常に注目されています。本文の数倍くらいのコメントが投稿されています。多分そういう人が拡散しているのではないかと思います。
日本でもこういう方向で議論が進むといいですね。「赤旗」さん!


2020年12月7日

ポルトガル共産党報道局声明


ベネズエラの国民議会選挙は、国家主権と独立、正義と社会進歩、発展と協同に対する人々の確信を現した。

それは残酷な経済・金融封鎖のもとで行われた選挙である。

それにもかかわらず、ベネズエラの人々は、この道を歩み続けることを確認した。

ポルトガル共産党は世界の帝国主義と国内の最も反動的な勢力を非難する。

彼らは、選挙で敗北したいまも、さまざまな干渉を企んでいる。

彼らは選挙は非合法的で無効だと宣伝している。そして反体制のカイライをふたたび起ち上げ、腐敗を持ち込み暴力に固執している。

ポルトガル共産党は、犯罪的な不安定化工作、制裁措置、経済・金融封鎖を直ちにやめるよう、あらためて要求する。

また、国連憲章と国際諸法規に対する米国の直接侵害を直ちに止めるようもとめる。

また、いわゆるリマグループと欧州連合(EU)に対して、アメリカの攻撃を積極的に支援することを直ちに止めるようもとめる。

ポルトガル共産党は、ポルトガル政府に対し、ポルトガル共和国憲法の原則とポルトガル国民の利益に沿った立場を採用するようもとめる。

それは米国が推進する干渉と侵略の政策から自らを切り離すことである。

それはベネズエラの人々の権利を侵害し、残酷に攻撃している。

そして現在と未来とを問わず、ベネズエラの人々の民族の尊厳と自決権を侵害するものとなっている。

これにはEUも共謀者の役割を演じていることを強調して置く必要がある。

ポルトガル共産党はベネズエラの人々との連帯を再度確認する。

そして革命的、人民的、進歩的勢力がベネズエラの人権と要求を守る運動に連帯する。

そして、22年前にウーゴ・チャベスが始めた、「生活擁護進歩のためのボリーバル革命」がさらに強力に前進していくことをねがう。

反体制派の芸術家を米国の手先と非難
ハバナにて
マーク・フランク
フィナンシャルタイムス
DECEMBER 6 2020
 

抗議運動と対話 一連の経過

独立系の芸術家が表現の自由について当局との対話をもとめた。
11月27日、文化省の外で約300人の若い芸術家、作家、支持者が集まり、対話をもとめた。

このグループは以前から「サン・イシドロ運動」への当局の取締りに抗議し、さまざまなパフォーマンスを行ってきた。その中には当局に対する挑発的な行為も含まれていた。

当局者とグループ代表者との間で4時間の話し合いが行われた。

交渉では ①投獄されたラップ歌手の緊急捜査、②芸術政策でのさまざまな不満・要望を1周以内に開始する、③集会に参加したアーティストが警察から嫌がらせを受けないことを保証する、ことが合意された。

当局は今後の交渉を約束し、集会の解散をもとめた。

政府の対応の変化

数時間後、カネル大統領はツイッターで述べた。
私たちは対話を支持しますが、それを脅迫や取引の手段にすることは認めません。私たちは、米国の援助を受け、キューバに損害を与えようとする人々を認めません。
これが一連の交渉の最終結論となった。

政府声明は米大使ティモシー・ブラウンを「キューバの内政への重大な干渉」を叱責したと非難した。「芸術グループ」の米国との関係が疑われたことによる。

国営テレビはラッパーや他の反体制派アーティストを攻撃する90分間の特別番組を放送した。そして米国の外交官やマイアミの亡命者と一緒に彼らの映像を放送し、両者が一体であるとの印象を植え付けようとした。

国営メディアは、グループの中に米国からの「帰国者」が紛れ込み、陰謀活動の部隊に仕立てようとしていると報じた。


政府の態度変更の背景

最近、米国の制裁強化で深刻な経済危機になったため、これらの運動は活発化した。

キューバ政府は、当初は対話の方向を探っていたが、途中から方針転換し、「米国と連携した政治的扇動者が、若い芸術家のアクセスをとり、対話を改善するための議論をハイジャックした」と述べた。

そして当局はこれらの政治的扇動者が現在勾留されていることも明らかにした。

当局はこう述べた。
私たちは、直接接触し、米国政府とその当局者から資金提供、後方支援、宣伝支援を受けている人々とは会うことはない。すでに文化省はアーティスト・グループから運動メンバーと独立したメディアを分離した。
いまキューバは米国の厳しい制裁措置にさらされている。そんな時代における表現の自由に関する議論は難しい。

これまでも政府の抑圧的な態度に抗議した知識人や芸術家がいたが、結局より広範な政治運動を形成することを断念してきた。

それがソーシャルメディアの普及により、抗議が勢いを増す可能性が出てきた。政府は今や祖国を守りつつ、より幅広い欲求不満の表現に対処しなければならなくなっている。


この「芸術家グループ」のトラブルを、キューバの独裁制を象徴するものとして報道したのは、ロイターのサラ・マーシュ記者。これを報道したのが日本では唯一「赤旗」紙。
これについて少し幅広く書いたのがこの記事。決してキューバ政府寄りではないが、キューバの置かれた厳しい死活的状況にもきちっと目配りしている。
これはフィナンシャル・タイムズの記事だが、マーク・フランク記者はロイターの寄稿者でもあるので、ロイターの後輩記者に釘を差したということなのではないか。

2020年12月9日

国際オブザーバーの報告書より

選挙の結果

12月6日、ベネズエラの議会選挙が行われた。この選挙では、600万人以上の有権者が277人の国会議員を選出した。

中央選挙管理委員会(CNE)の発表によれば、投票率は選挙人名簿の30.5パーセントであった。

与党PSUV党を含む大いなる愛国連合が、有効投票数の69.32パーセントを得て、253人の議員を当選させた。最大の野党ブロック、民主同盟は、18.80パーセントを獲得し、18人の議員を当選させた。

選挙監視団の報告

ラテンアメリカ選挙専門家評議会(CEELA)は、「ベネズエラの国会選挙が正当に行われた」との報告書を発表した。

報告は「選挙プロセスは広範に監査され、そのシステムは効率的だった」と強調した。

CEELAは2か月前から国内での活動を始めた。13ヶ所で選挙前監査に参加し、選挙登録、データ管理、ソフトウェア、投票ノートなどをチェックした。投票の際のバイオセキュリティ・プロトコルも評価された。

米国、EUの反応

米国、EU、その同盟国は選挙を認めず、野党強硬派の支持に回った。

中央選挙管理委員会は「17か国から200人の国際オブザーバーが投票所を訪れ、投票行動を監視したを目撃した」と発表した。

国際視察団にはボリビアのエボ・モラレス前大統領、エクアドルのラファエル・コレア前大統領、スペインのホセ・ルイス・ロドリゲス・ザパテロ元首相も含まれている。

そして一部の国の干渉を非難し、監視行動への参加を拒否した米国、カナダ、および欧州連合が発表した「非承認宣言」を拒否した。

今朝は早起きして衛星放送。
あのタカーチSQがなんと武蔵野ホールでコンサート、
ハイドンの鳥(抜粋)とラズモフスキーの3番なんて許せる?
一般 5,500円 友の会 4,800円
25歳以下 1,000円
て、ほとんど犯罪的。
タカーチ弦楽四重奏団 - 遊びをせんとや生まれけむ - ギリシアの遺跡を訪ねて
鳴り始めて、思わず「ええぞ-!」

第2バイオリンのナオミちゃんがめちゃかわゆい。まるでセンターみたいに、果敢に突っ込んでくる。
「タカーチってこんなんカルテットだったんだ」とうなづきながら聞きすすめる。
武蔵野小ホールの響きも有無を言わさぬものがある。
ハイドンが終わってちょっとしたインタビューが入って、いよいよラズモフスキーが始まる。第1楽章が無難に終わり第2楽章に入り、やがて第2バイオリンのソロというところで、「なんやねん、このひとは」と驚き。思わず耳を疑った。
大枚はたいてコンサート会場まで歩いた人と違って、テレビ桟敷であぐらかいている人は容赦がない。
私としてはアルバン・ベルクなきあと、プラザ-クSQかエルサレムSQかタカーチかと思っているわけだから普通にいいんじゃ困るんだよね。

東京SQもそうだけど、こんなふうに「昔の名前で出ています」じゃ困るんですよね。グレン・ミラーやベンチャーズやこんなのに金払わされるんじゃほとんど詐欺だ。
名を惜しめ!



「伽耶国」の文献的根拠

韓国の文書には必ず「伽耶国」が登場する。

これに対し日本語版ウィキは、伽耶を加羅に置き換えて論じている。逆に韓国史学界は「加羅を伽耶に」置き換えて論じているようだ。

これは学者のやり方ではない。

しかもこれに任那をくっつけて、伽耶=加羅=任那の三位一体説まで進んでしまうので、我々シロウトには甚だ居心地が悪い。

どうもわからないのだが、中国の史書ではどうなっているのか、調べてみなければならない。果たして同一視してよいのか、同一視するならどちらに一本化すべきなのか、よくわからない。

中国史書における「伽耶」

ウィキによれば
唯一、清代に編纂された『全唐文』に於いてのみ伽耶の表記が用いられている
となっている。

ということなので、これは「伽耶」説にとってかなり具合の悪い話だ。ただ最初にも触れたように日本語版ウィキにはかなりバイアスがかかっている可能性もあるので、少し慎重に検討するべきだろう。

この後ウィキは古代朝鮮における「伽耶連盟説」を主張しているが、ここでも韓国史学界がなぜ伽耶の名称を用いるのかの説明を行わない。

また伽耶連盟説の文献的根拠についても説明がない。

教科書的な説明

世界史の窓」という教育者向けの解説サイトに、「新羅と百済に挟まれた半島の南端」についての解説がある。

これも同じく「伽耶=加羅=任那の三位一体説」に立っているが、説明はもう少し親切だ。

少し長く引用する。
『三国史記』ではおもに加耶(かや)として出てくるが、他に伽耶、加良、伽落、駕洛という表記もある。『梁書』には伽羅、『隋書』には迦羅と表記される。
加耶 ka-ya は加羅 ka-ra の r 音が転訛したもので、朝鮮語ではよく見られる。
もしこのとおりだとすれば…

これでかなり経過がはっきりしてきた。正式には加羅なので、科学的な議論の際は加羅と書くべきだ。カヤはカラの訛りなのであって正式な呼称ではない。

たしかに三国史記では伽耶と記載されており、すでに一般名として市民権を得ていることは間違いない。しかしそれは加羅の滅亡から1千年も経ってからの書であり、呼称である。

「加羅を伽耶と呼ぶべきではない」という意見は、本来は韓国の中から湧いてきて然るべきだろうと思う。それが祖先に対する敬意ではないだろうか。

少なくとも「伽耶」という呼称は、国際的な学術交流に際しては避けるべきではないか。まして日本がそれに従う所以はない、と私は思う。

任那の同一視について

同じサイトでの説明は下記の通り。
任那は本来はニンナと呼ばれていたものがなまったもの。広開土王碑には「任那加羅」と書かれており、加羅の中の一国を指す。
さらに続けて、加羅諸国の一つ「金官国」の別称と書かれているが、相当乱暴な説明だ。任那加羅と続け書きされているから「加羅の任那」だというのは到底説得力がない。「任那と加羅」と読んでいけない理由はまったくない。

もし任那がたんなる金官国の別称なら、「金官国」と改めるべきであるが、私にはそうは思えない。

「使持節 都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓国諸軍事 安東大将軍 倭王」との宋書の記載は、安易な解釈を許さない。

韓や唐を「から」と呼んだのは日本人独特の通称であり、本来の意味とは異なる。私は「韓国」や「唐帝国」をカラと呼べと韓国の人に強要するつもりはない。


六朝時代における南北対立

倭の五王の歴史的事実は六朝時代の史書群の中にしかない。その史書群は日本書紀の作者たちも読んでいた。日本書紀の作者たちの情報入手先は、百済に持ち込まれ蓄えられた情報(百済本紀をふくめ)を介してのものである可能性が高い。
いろいろな憶測はできるにしても、五王の情報を跡づけるには六朝時代の史書群を読み込み、この時代の朝鮮半島がどう動いていたのかを探るしかない。
その際の最大のキーポイントは中国本土と朝鮮半島を南北に隔てる深い境界線である。見方を逆にすれば、中国南部と朝鮮半島南部をつなぐ「海上の太い帯」の存在である。
中国大陸北部は五胡十六国の時代であり、目は北や西の内陸地方に向いていた。北部を統一に導いた北魏も西域とつながる鮮卑人の国であった。朝鮮半島北部も南満人国家である高句麗が支配していた。
南朝鮮(倭国も含む)の諸国は、敵国高句麗を通過してまで北魏とつながる関心もなければ利益もなかった。
したがって倭は南朝に対して、南朝鮮の諸国とひとやまいくらの存在として存在していて、その中の盟主(の一つ)的存在であったと言える。

六朝政権の根本的利害

このような南北対立の地政学的構図を念頭に置くなら、六朝側の根本的要求は朝鮮半島での北方勢力の南方進出を阻止することに尽きる。黄海越しに柔らかい脇腹を突っ突かれるのはまっぴら御免被りたいところだ。

その観点からすれば最も重要な同盟者は百済であり、倭国はその強力な支援者として評価されるのだ。おそらく20年ほど前、高句麗の好太王が攻め込んだ時代に、倭が百済と新羅の支援者として出兵したことを六朝政権は忘れていなかったのではないか。



六朝時代と五胡十六国時代の経過

三国時代の呉が滅亡した後、呉の支配域に継起した諸国の総称。

222年 呉が魏より独立。建康(建業)に都をおく。魏、蜀が並び立つ三国時代の開始。

265年 黄河流域の魏が滅亡し、晉の支配が始まる。

280年 晉の攻撃を受け、呉が滅亡。晉が全土を統一。

317年 晉が北方民族に敗れ滅亡。黄河流域では五胡十六国時代の戦乱期に入る。(五胡は匈奴、鮮卑、羯、氐、羌)

317年 晉の残党が長江流域に逃れ、東晋が成立。(それまでの晉は、通常、西晋と呼ばれる)

386年 黄河領域を鮮卑出身の北魏が統一。五胡十六国時代が終わる。統一の完遂は442年まで降る

413年 倭王讃が東晋に遣使。その後477年までに少なくとも9回が確認される。

420年 内紛により東晋が滅亡。宋の時代に入る。これ以降中国は南北朝時代に入る。

449年 北魏軍が宋に侵入。国土は荒廃し、国力は低下。その後内紛が続く。

477年 (宋書))倭国が宋に遣使。

478年 (宋書)順帝は武を「使持節 都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」に除す。武の確実な遣使はこれが最後となる。

479年 宋が滅亡。斉の時代に入る。

479年 (南斉書)太祖高帝、武の将軍号を「鎮東大将軍」に進めた。

502年 斉が滅亡。梁の時代に入る。この後の数十年、南朝は最盛期を迎え、北魏をしばしば打ち破る。

502年 (梁書本紀)武が「征東将軍」に進号された。この後、倭王朝と南朝との関係は途絶える。

534年 北魏が分裂。東魏、西魏となる。

549年 梁で内紛。武帝が死亡し、梁は実質的に崩壊。

557年 梁が滅亡。その後1年にわたり王不在が続く。

558年 最後の王朝、陳が始まる。

577年 西魏の後身北周が、東魏の後身北斉を倒し中国北部を統一。

581年 隋の楊堅が北周を引き継ぎ隋を起こす。

589年 最後の王朝、陳が滅亡。隋が中国全土を統一。六朝文化が終焉を迎える。

2020年12月03日に「電池問題と水素」という題名で記事を上げたところ、コメントを頂いた。
正直のところ2013年くらい辺りから原発問題からはすっかりと足が遠のいてしまった。忸怩たる思いである。

その後、数年間の代替エネルギーをめぐる動きをちょっとさらっておきたいと思う。

その前にまず、以前書いた代替エネルギー関連の文章を改めてリストアップしておく。









2013年03月16日  風力発電は日本ではだめ?



2012年11月21日 沖縄米軍基地を太陽光発電基地に
2012年10月26日 昭和基地の発電セットの詳細


2012年10月25日 液化するだけが水素じゃない






JAKARTA, 15 NOVEMBER 2020
ASEAN事務局の報告
ASEAN hits historic milestone with signing of RCEP
RCEPは Regional Comprehensive Economic Partnership Agreementの略。日本語では「地域的な包括的経済連携協定」の略


ASEAN加盟国、オーストラリア、中国、日本、大韓民国、ニュージーランドの首脳がこの協定の調印式に参加した。

RCEP協定は、ASEANにとって過去最大の自由貿易協定である。

この協定の目的は、この地域に近代的で包括的で高品質で互恵の経済関係を確立することである。そしてそのことによって貿易と投資の拡大を促進し、ひいては世界の経済成長と発展に貢献することである。

この多国間貿易協定は22億人の市場をカバーし、世界のGDPの30%に相当する26.2兆米ドルを取り扱うことになる。

この協定により、商品の65%以上で関税と割当が免除され、市場へのアクセスが改善される。

また共通の原産地明示規則と透明度の高い規制で、ビジネスを予測可能にする。

これにより、企業はサプライチェーンやサービス網の構築などを通じて、この地域への投資を増やすことができるようになる。そしてそれにより、新たな雇用を創出することができる。

協定の柱となるのは20の章、17の付属文書、54の覚書があり、市場アクセス、規則と規律、および経済的および技術的協力に関する規定が書き込まれている。



火力、風力、太陽光いづれでも結局、蓄電技術が物を言う。
蓄電は原発事故以来、エネルギー問題の最大のネックだ。一番構造的にかんたんなのはポンプを回して揚水してこれを夜使うという方式だが、かなりロスが大きいようだ。
NAS電池はどうもだめなようだ。リチウムは資源問題が裏腹の関係になっている。
ということで一時は水素が究極のエネルギー源になるのかと期待された。何らかの形で獲得されたエネルギーで水を電気分解する。水素を液体にしてタンカーで運び、天然ガスのようにして使う。あるいはこれを燃焼させて電気を発生させる、という具合だ。

ところがこれが一向に進展しない。
11月のフィナンシャルタイムズによると、イギリスは国策として水素技術を追究し始めた。EUでもグリーン水素計画として、今後10年間で電解用の水槽を40ギガワット建設すると発表した。
そういう掛け声の割に実業界からは水素の声は聞こえてこない。
水素ガスは天然ガスに比べ発熱量が大幅に低い。水素爆発の危険を克服しきれていない。これらの障壁が重くのしかかっている。これは水素の代わりにアンモニアを使用するときにもおなじである。

今後、蓄電技術の分野では一段のブレイクスルーが必要となるだろう。

日中間の外交関係は、尖閣諸島をはじめ、複雑な懸案を抱えています。
11月末に、「ミスター6ヵ国協議」と呼ばれる王毅外交部長(外相に相当)が訪日し、首相・外相などとの一連の会議が持たれたようです。
日本側は慎重な構えを崩さず、目立った進展はなかったように見えますが、「日中両国が、ともに責任ある大国として、こうした国際社会の諸課題に取り組んで貢献していく」という確認がなされたのは、希望を抱かせるものです。

会談後に発表された「王毅メモ」により、尖閣問題にも解決の糸口が見えてきそうな雰囲気が生まれてきました。そこで編集部で動きをまとめてみました。


Ⅰ.王毅外交部長の訪日の意味

26日、菅義偉首相は訪日中の王毅外交部長の表敬訪問を受けた。日中両国が、ともに責任ある大国として、こうした国際社会の諸課題に取り組んで貢献していくことを確認した。

一連の会談後、王毅外交部長は次のようなメモを発表した。(中国大使館HPより)

「王毅メモ」があげた「六つの具体的成果」のうち関連部分は5項と6項である
5、来月、新たな中日高級事務レベル海洋協議を行い、両国外交主管部門と海上法執行部門間の意思疎通と交流を強化する。
6、年内に両国防衛部門海空連絡メカニズムのホットライン開設を目指し、リスク管理コントロールを一段と強化し、安全保障面の相互信頼を増進する。
上記ニュースに関して、会員の間からいくつかの感想が出されています。

A 尖閣海域での危機管理と漁業問題についても議論がなされたと聞いています。日本のマスコミではほとんど流れてませんが、そこはちゃんとやっているなと思いました。
やはり両国が会わないのではなく、会えばそれだけでも「まし」にはなります。

B たしかに一般報道の論調だと、日本国内の反中国ナショナリズム的な雰囲気と共鳴してしまいそうで、危ないですね。

C 尖閣問題の一連の流れのきっかけは、日中漁業協定を菅直人政権が一方的に放棄したことです。それが、この海域での漁船操業を難しくした側面も無視できません。
そのことは日中友好協会も尖閣問題のブックレットで主張しています。


1.「原状復帰」への道(ブックレットから)

日中漁業協定が97年に調印され、両国の批准を経て2000年に発効している。両国の漁船操業については、この協定が国内法に対し優先する。

この協定では、当該海域は「暫定措置水域」とみなされ、「既存の漁業秩序を守る」ことが約定されている。

これは ①双方が自国の漁船を取り締まる、②相手国漁船に対しては外交ルートで注意喚起する ことを意味する。

尖閣諸島週域の漁船操業問題については、まず日中漁業協定の合意に立ち戻ることが出発点となる。その上で、97年漁業協定の線上に、王毅メモの第5,第6合意の方向での解決が見えてくる。


2.南沙問題解決の方向性

南沙問題は尖閣問題よりはるかに厄介です。

最大の理由は、第一に、利害関係者の間に歴史的経過をふくめて根深い考えの違いが横たわっていることです。第二に、この違いを平和的に解決していこうという気風が、必ずしも生まれているとは言い難いことです。

論理的には国際仲裁法廷の裁定が出発点となるのでしょうが、実際に問題を解決していくための糸口になるか、この点はこれまでの経過から見て少々疑問です。

そこで、日本AALAの国際部員で中国問題専門家の大西広先生は、中国の「共通の庭」提案に注目しています。これは裁定への対応で、「基地化は完了したから、これ以上はやらないよ」という意思表示と考えられます。この原則は王毅外相にも支持されているようです。

「共通の庭」論は2016年8月、中国南海研究院院長の呉士存氏によって提唱されました。肩書きは学者みたいですが、フィリピン大統領特使との会談でこの提案を行った人です。日本でいうと竹中風のヤバい人です。

南シナ海の海域の先住民は「マレー・ポリネシア系住民」です。かれらはボルネオやフィリピンに住むだけでなく、ベトナムや中国にも少数民族として住んでいます。

南シナ海は、このような「マレー・ポリネシア系住民」全体のものであるとすべきだ、というのが「共通の庭」論の骨子のようです。

呉士存はこうした理念に基づき、運命共同体的紐帯のもとに新たな関係を構築していこうと提案しています。そのためには「中国の側も抑制が必要」とまで踏み込んでいます。

複数国の思惑が絡むだけに一筋縄で行く話ではありませんが、ACEAN主導のRCEP成立などを見ると、ASEAN側にも南シナ海問題を踏み絵にはしないという合意が形成されているようです。


9月23日 ちょっとキュースですが…
の記事(テレスール)を紹介します。これはロウハニ大統領の国連総会での発言のうち、パレスチナ問題に関する要約です。

リード部分

「パレスチナ人民連帯の国際デー」の日、イランのハサン・ロウハニ大統領は国連総会で演説した。
彼は「パレスチナの人々が理想を達成するために、イランは強力な支援を続けるだろう」と宣言した。

ロウハニは、最近のイスラエル政権がパレスチナ人に対してとっている行動を非難した。それは拘留中のパレスチナ人の殺害、女性と子供への拷問を特徴とする囚人虐待を非難した。

さらにロウハニはいわゆる「世紀の取引」、ガザ地区の継続的なゲットー化についても強く非難した。

そして彼は、
「イスラエルの侵略を終わらせなければならない。そのための強力な解決策を見つけ出さなくてはならない。そのために、イスラム諸国と国際社会による緊急の行動が必要だ」と強調した。


パレスチナ問題の解決は西アジア諸国の責務だ

ロウハニ大統領はこう述べた。
「イラン・イスラム共和国は、国際社会に訴える。シオニスト政権は子供を殺害し、人々の生きる権利を侵害している。それはこれまで何度も採決された国連決議の規定に違反していると。私達はこれらの非人道的犯行を許さない。国際社会に対してともに立ち向かうよう要請する」

そしてこう強調した。

「平和で安全な西アジアは、長期にわたって続いてきた紛争を確定的に終結させ、公正で永続的な平和のシステムを構築することによってのみもたらされるだろう。だから平和で安全な西アジアは、パレスチナの問題が解決されるまで達成されないだろう。
パレスチナ問題の解決とは、パレスチナ領土の占領・押収行為が停止され、奪われたすべての領土が戻され、パレスチナの人々に自己決定権を与えることだ」


シリア・レバノンの政情不安はイスラエルの策動のため

ロウハニは、イスラエル政権こそが、西アジア地域の平和と安定を危険にさらしている最大の危険だと指摘した。とくにシリアとレバノンで攻撃的な行動と政策を採用していると非難した。

またイスラエルが大量破壊兵器の生産計画を密かに推進していると批判した。


国交正常化は「大義への裏切り」

イラン大統領は、最近、西アジア地域のいくつかの国がイスラエルとの国交正常化で合意したことについて、「到底受け入れがたいこと」として拒否した。

かれは、「テルアビブの政権がパレスチナ人に対する非人道的な行為を強めているというのに、それと妥協する行為はなにを意味するか。それはパレスチナ人の大義への“裏切り”そのものだ」と述べた。

9月、バーレーンとアラブ首長国連邦(UAE)が、イスラエルとの関係を正常化するための協定に署名した。それもホワイトハウスで、ドナルド・トランプ米大統領の監視の下で署名した。これ以上の屈辱があるだろうか。

イスラエルのメディア、アルーツ・シェバによれば、トランプは首長国(UAE)に一段の努力をもとめている。すなわち彼らが政治的影響力を発揮し、他の国々にも同じことをするよう圧力をかけることだ。

この間のスーダンの動きは、そういう意味で象徴的だ。最近、スーダンは湾岸諸国に続きイスラエルと数週間の対話をおこなった。それにはワシントンが重要な役割を果たした。スーダンは結局イスラエルと和解した。

ロウハニは語る。「パレスチナ人の権利を無視することは、占領地の状況を悪化させるだけにとどまるものではない。それはパレスチナ地域だけではなく、西アジア地域と国際的な安全保障に、広範囲にわたる深刻な結果をもたらすだろう」

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