北原白秋年譜
1885年(明治18年)1月 熊本県玉名郡関外目村に生まれる。北原家は江戸時代以来栄えた商家であった。
1897年(明治30年) 県立伝習館中学に進む。
1899年(明治32年) 詩歌に熱中し、成績下落のため落第。
1901年(明治34年) 北原家の酒蔵が全焼。以後家業は傾く。
1904年(明治37年) 長詩『林下の黙想』が絶賛を浴びる。白秋は中学を退学し、早稲田大学英文科予科に入学。
1905年(明治38年) 『全都覚醒賦』が入選。新進詩人として注目されるようになる。
1906年(明治39年) 新詩社に参加。与謝野鉄幹、与謝野晶子、木下杢太郎、石川啄木らと知り合う。雑誌「明星」に投稿し頭角を現す。
1907年(明治40年) 森鷗外、斎藤茂吉らアララギ派歌人とも面識を得る。この頃から南蛮趣味に目覚める。
1908年(明治41年)『謀叛』を発表。象徴主義、耽美主義的詩風に傾倒する。
1909年(明治42年) 『スバル』創刊に参加。処女詩集『邪宗門』上梓。唯美的な作風が話題となる。
1910年(明治43年) 詩『おかる勘平』が風俗紊乱にあたるとされ、発禁処分を受ける。原宿で隣家の主婦、松下俊子と不倫。
1911年(明治44年) 第二詩集『思ひ出』刊行。故郷柳川と破産した実家に捧げられる。
1913年(大正2年) 歌集『桐の花』を刊行。俊子と結婚。
1914年(大正3年) 肺結核に罹患した俊子と離婚に至る。
1916年(大正5年) 詩人の江口章子と結婚。章子もまもなく胸を病み、家計はきわめて困窮。
1918年(大正7年) 『赤い鳥』の童謡に取り組み、優れた童謡作品を次々と発表。
1921年(大正10年) 章子と離婚。佐藤菊子と結婚。
1922年(大正11年) 山田耕筰と共に『詩と音楽』を創刊。
1929年(昭和4年) 『白秋全集』の刊行開始。
1937年(昭和12年) 糖尿病、眼底出血で入院。視力はほとんど失われる。
1938年(昭和13年) 「万歳ヒットラー・ユーゲント」を作詞する。
1942年(昭和17年)11月 糖尿病と腎臓病のため、阿佐ヶ谷の自宅にて死亡。57歳。