鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2020年11月


五木の子守唄の出だしはたしかに子守唄だ。
だがみんなが聞いて、ちょっとでも目頭を熱くするとすれば、それは後半の歌詞からだろう。
しかもそれは前半と状況をまったく異にする。そこには死への打ち消し難い受容がある。言葉遣いにも鄙びではない密やかさとほのかな色気がある。
悪いが、これは五木の山家びとで作れるような歌詞ではない。

地元の高校生が採取した、子守唄のさまざまなバリエーションがネットに上げられている。

この元歌の多くは、後半の歌詞がないか、別のものになっている。

この歌が全国に知られるようになったのは、終戦後に古関裕而が採譜してレコードに吹き込んだからなのだが、古関裕而がそんな山の中まで行ったとは思えない。
おそらく人吉の旅館で芸者が歌うのを聞いて感動したのだろう。この芸者歌には後半部も入っていて、代わりに元歌の前半はかなりカットされていたと思える。

つまり人吉の芸者衆が「子守唄」をアレンジして、強い方言をちょっと和らげて、それに人吉界隈ではやっていた「巡礼歌」をくっつけてドラマチック仕立てにしたのだろうと推測する。

巡礼(へんど)のうた

巡礼と言ってもさっぱりイメージが沸かないが、巡礼の姿をして門付けまがいをしていた者もあったという。

瀬戸内寂聴の「はるかなり巡礼の道」という文章に次のような記述がある。
私の故郷では巡礼と呼ばずに、「へんろ」または「へんど」と2つの呼び方をした。
「へんろ」はおをつけて「お遍路さん」と呼んだが、「へんど」には「お」も「さん」もつけなかった。
お遍路さんは四国の風習だが、同様の巡礼は九州など各地にもあったと思われる。

北原白秋の第二邪宗門に「霊場詣」という詩がある。
春なれば街の乙女が華やぎに
君もまじりて美しう、恋の祈誓の
初旅や笈摺すがた鈴振りて、
大野の南、菜の花の黄金海透く
筑紫みち列もあえかのいろどりに、
御詠歌流し麗うらと練りも続く日、
白秋の暮らしていた時代の柳川には、まだこういう景色があったのだろう。


「おどま」の意味

おどは西郷さんの「おいどん」と同じである。

第一人称単数の「おい」に対する複数「おいども」を表すが、必ずも複数というのではなく「わたしどもでは…」という、へりくだった「ども」である。

だから
おどま、盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんと
は、「わたしどもいつきの娘は、お盆までのご奉公です」いうことになる。そこには大げさにいうと一種の異文化に対する対応というニュアンスが感じられる。


子守唄の2番の特徴

後半と言っても別歌(三浦伝承)では、2番からもう巡礼歌に移行する。
おどまくゎんじんくゎんじん ぐゎんがら打てさるく
ちょかでままたゃて ろにとまる
かんじんは勧進のことで、門付けしながらご奉謝をもとめる巡礼である。おそらく瀬戸内のいうヘンドであろう。

「ぐあんがら」は空き缶、さるくはさ・あるくで、歩き回ることである。
「ちょかでままたゃて」というのはヤカンで飯を炊くこと。「ろ」は堂宇のこと。つまり町外れのお堂に寝泊まりし、放浪する生活を歌っている。

現代版の2番とはまったく異なる、なにかザラッとした辛さが押し寄せる。

なぜ別歌(三浦伝承)を最初に取り上げたかというと、こちらが本歌で現代版が返し歌のような構成になっているように思えるからだ。
おどまくゎんじんくゎんじん あん人たちゃよか衆、
よか衆ゃよかおび よか着物
が自分たちの暮らしと対比して歌われる。夕食の後、焚き火を囲みながらの語らい、それは理不尽な差別への怨嗟と、貧しさをともにする集団(おいども)への仲間意識である。

そこにはふるさと「いつき村」への憧憬は毛ほども感じられない。


突き抜けた孤独感

ついで、3番と4番、5番と6番が、それぞれ本歌と返し歌になっている。それぞれが悲しみや苦しみを突き抜けた死生観となっており、深い感動を呼ぶ。
3.おどんがうちんちゅうて 誰が泣ゃてくりゃか
裏の松やみゃ せみが鳴く

4.せみじゃござらぬ 妹でござる
妹泣くなよ 気にかかる
多分自分の死を一番悲しんでくれるのが妹なんだろう、それくらいしかいないだろうという得心は、死の悲しさ以上に胸にせまる。
それにしても、今は死体となった私が、セミの鳴くように泣いている妹を見つめ、哀れんでいるという情景のシュールさは、なんに例えたら良いのだろう。
5.おどんがうっちんだら おかん端いけろ
人の通る数 花もらう

6.花は何の花 つんつん椿
水は天から もらい水
4番といい6番といい、返し歌に示された鮮やかな技巧は、もはや巡礼のレベルではなく、歌いなれた芸妓による歌詞であると暗示されている。「さんさ時雨」の1番の歌詞だけが突出していることと通じるものを感じる。

現代版では「道ばちゃいけろ」となっているが、三浦版では「おかん端」となっている。
おかんは「往還」で諸国の人が通る街道のことである。そこには、彼女たちの墓碑でもあるかのように、諸所にお地蔵さんが立っている、そういう道のことである。

「ヘンド」は、ただ道を歩くのではなく、街道を行き来する人たち、その人たち相手に商いをする人たちを稼ぎの相手にして生きているのだ。

だから生きるのも死ぬのも往還だ。それなら「埋葬してもらうのも往還沿い」というのが、ふさわしいのかも知れない。物理的にどうかは別にしても、往還に埋めてもらうのは、彼らにとって当然の帰結かも知れない。
 
それを一般の人達は野垂れ死にという。でもそれが「ヘンド」の宿命なら、「ぱっとにぎやかに行きましょう」ということになる。もちろんそんな花などもらえるわけがない、それを承知の強がりだ。


さいごに

いつきの子守娘には盆になったら帰る家があり、家族があった。「ヘンド」はハグレモノの集団で、家も家族もない。ヘンドする仲間と妹がいるだけだ。

彼女たちがどういう運命をたどっていくのか、ここではこれ以上の情報はない。

ただ旅役者や大道芸や瞽女たちは流れ物の芸者だが、「ヘンド」たちは御詠歌を歌うだけしか能がない。彼女たちは、より悲惨な運命に翻弄されて行ったのではないかと危惧する。



第8章 「先史時代の日本」 その2

前回は世界史から見た日本ということで、『序説」の壮大なパースペクティヴを紹介しましたが、今回は日本論に集中します。実はここのところが一番書きづらくて執筆を躊躇していました。

この章では日本に伝来してきた西方文化がどのように日本の先史時代を形成してきたのかについて触れていきます。

といっても先史時代論そのものを展開するわけではありません。マンローの先史時代論がどのような先見性を持っていたのかを明らかにすることが目的です。

マンローには独特の用語があり、それは彼の独特の史観に基づいています。ここでは一般的な用語に置き換えて説明しますが、独特の用語を用いた理由については、必要に応じて説明していきたいと思います。

先史論の基本的な柱は時代区分論と、先史時代をになった人々が誰かという2つの問題に帰すると言えます。

A. 時代区分論

マンローは先史時代を縄文時代と古墳時代とに分けます。これは当時の日本の考古学会の主流だった考えです。

これは天皇制と神話を受け入れざるを得なかった以上仕方がなかったのかもしれません。

そうすると大森貝塚以来、各地で見つかる縄文遺跡はどうも記紀の時代とは結びつかないのです。

そこで縄文時代の文化は一旦絶滅し、その後現代に日本民族の祖先が朝鮮半島から降臨してきたのではないか、という事になっていました。

マンローは古墳時代を鉄器時代ととらえ直すことによりこの分離論に挑みます。そして鉄器時代の前に短いが重要なもう一つの時代、すなわち青銅器の時代があったのではないかと考えたのです。

そして3つの時代は断絶することなく、相互に重なり合って大和王朝の時代へとつながっていったのではないかと考えたのです。

これは当時教科書となっていた、「日本考古学」(八木奘三郎)の水準をはるかに越えたものでした。

現在縄文から有史時代への歴史区分としては弥生時代・古墳時代となっていますが、これをマンロー風に言えば、紀元前7、8世紀から紀元前1世紀くらいの青銅器時代と、その後の鉄器時代になるでしょう。

これは荒いスケッチに過ぎず、とくにヤマト文化との異同は混乱しています。

アバさんはマンローを「伝播主義」と評しています。メソポタミアから青銅器がやってきて鉄器がやってきて、それが波状的に日本に渡来したという考えは、当時は非常にユニークでした。

アバさんはこう書いています。

青銅器の担い手は、鉄器の担い手に先行して列島に進入した。その後に、大陸からの新たな集団の進入によって列島に鉄器が広がった。
鉄器文明の作った古墳からは青銅器は発見されず、多くは土中から発見される。

ここでは青銅器文化が鉄器文化と重なり、鉄器文化の担い手に押しつぶされたことが示唆されています。

B.先史文化の担い手論

マンローの提起は端的に「石器時代の人民はアイヌだった」というものです。

これは日本のアカデミーへの真っ向からの挑戦でした。同時にヨーロッパに広がっていたアイヌ=コーカソイド説にも衝撃を与えるものでした。

もし縄文人がアイヌだとすれば、遺跡分布から見て、アイヌは北海道から沖縄まであまねく広がっていたことになります。

そこに最初は青銅器人、ついで鉄器人が入ってくれば、程度の差こそあれ、それらは混血し、混血しないものは周縁部にし寄せられたという経過が浮かび上がってきます。

ヤマト政権にとって、このような筋書きは悪夢以外の何物でもありません。

ただマンローにははや見え早とちりの癖があり、縄文土器とアイヌ紋様が似ているから、「アイヌこそ縄文人の子孫」だと無茶を言って、これはひんしゅくを買ったようです。

いかし縄文=アイヌの「極論」は、その後の遺伝子学的な方法で確認されました。アイヌ(とくに男性)は縄文人の血統を強く残す種族であることがあらゆる方法で確認されています。

縄文人が生活する日本列島に最初は青銅器人が入ってきて、西日本では縄文人と混血しました。これが日本人の原基となります。

ついで比較的短期の間に鉄器文化を担う人が入ってきて、現日本人を征服する形で諸国家を形成したという経過です。

まことに素晴らしい先見性ではないでしょうか。


最初にタイの経済・社会状況をマクロに抑えておきたい。
タイ王国は、富の約70%を1%の富裕層が保有する世界一の格差社会である。格差が放置されていることから内需の増大は見込めず、中間層が育ちにくい環境が続いている。
格差が大きいということは都市と地方の格差も大きいということであり、貧富の差に加え地方の文化格差も大きい。
したがって地方から都市への人口圧力も大きく、バンコクのスラム街では、約200万人が不衛生かつ狭小な環境での生活を強いられている。そこに住む人は犯罪、流行病、家庭内暴力・性的虐待、麻薬に悩まされていて、識字率も低い。
さらに最近では国際都市バンコクに隣国ミャンマーやラオスからの経済難民も押し寄せている。
バンコクのスラムは、国境を越えて人々が暮らす より)
なお民主派学生・知識人のたたかいは、農村地帯の貧農を支持基盤とするタクシン親子の政権とは性格を異にしており、同一視することはできない。むしろ民主化運動参加者には、タクシン流政治を不潔だとして嫌悪感を持つ人も少なくない。長期的に見てこれは幸せなことではないと、私は思う。
民主派の要求は政治体制の変更である。しかしタクシンの政治は経済の変更である。それは01年の首相就任時に掲げた貧困対策の三本柱、すなわち①農民負債の返済猶予、②低額の健康保険、③庶民銀行の設立だ。
貧困層を味方につけなければ闘いは敗れるだろう。経済政策を掲げなければ、民主化は中途半端に終わるだろうと、私は思う。

以下は今年に入ってからの民主化の動きの経過である。


2020年 タイ民主化運動

1月

2月

民主化運動を担う政党、「新未来党」(FFP)が憲法裁判所により解散命令を受ける。新未来等は昨年の民政移管選挙で躍進し変革の担い手として期待されていた。

3月

末 プラユット首相が非常事態を発令。その後数度にわたり延長される。

4月

は全土を対象に外出禁止令を発動する。

5月

新型コロナウイルスにより非常事態宣言。バンコクはロックダウンされる。

6月 

初め 最大与党・国民国家の力党で派閥抗争が表面化し、執行部の半数が辞表を提出する。

4日 民主活動家ワンチャラーム・サタシット、亡命先のカンボジアで行方不明になる。

市中感染の減少を踏まえ、夜間の外出禁止措置が解除される。非常事態宣言は解除されることなく、繰り返し延長される。

7月 

ロックダウン解除に伴い、学生のデモが再拡大。中高生、女学生を中心のデモとなり、学内えの抗議活動と結合して展開される。

さらに軍事政権の支持派もデモに参加するなどかつてない広がりを見せる。

8月

3日 人権派のアノン弁護士が集会で演説。「タイ社会に寄り添う王室を」と呼びかける。

16日 バンコクの集会に、1万人ないし3万人が結集。クーデター以来、最大規模となる。議会の解散、新憲法制定、批判者に対する弾圧中止の3項目の要求をかかげる。さらに国王ラーマ10世への批判も公然と掲げられる。

9月

5日 バンコクの集会。三本指のピースサインと手首に巻いた白いリボンの高校生が目立つ。

19日 タマサート大学を占拠した学生が、隣接する王宮前広場に進出。5万人以上が参加し、14年以来最大規模となる。リーダーの一人は、国王と王室について糾弾し、王室改革が必要だと訴えた。

20日 続開集会、王室関連予算の透明化や王室への表現の自由などを求めた請願書を警察当局に提出。

10月

13日 バンコクで最大規模の反政府集会。その後連日の集会とデモを開催。

14日 デモ隊の脇を王妃が乗った車が通る。デモ参加者らは3本指を立てて罵声を浴びせる。

15日 プラユット政権は本格的な弾圧に乗り出す。非常事態宣言を発令し、5人以上の集会を禁じる。学生はSNSで直前に複数の開催場所を告知。数カ所に分散して交差点や道路を占拠。

15日 メディア側は規制は「報道の自由を脅かすもの」と反発。

16日 放水によってデモを強制排除。この場面はSNSでライブ中継され批判が集中する。集会はいったん解散。夕方から市内の交差点で集会開催。

16日 プラユット首相が記者会見。「権力を見くびらない方がいい。誰もがいつ死ぬか決まっている。病気か事故か、それともほかのことで。それは今日か、明日かもしれない」と恫喝。

16日 アムネスティ・インターナショナルは「平和的な抗議行動に対する過剰で不当な力の行使で、合法性や必要性を欠いている」との声明。

16日 24時間で20人を越えるデモ指導者らを逮捕。

17日 市内各地に分散してゲリラ集会が開かれ、交通網がまひする。この五月雨集会とデモは、その後も中高生を主体に連日続く。

17日 インラック前首相がSNSでプラユットの退陣を促す。

18日 この日は戦勝記念塔前でメイン集会。約1万人が集まった。

21日 プラユット首相、非常事態宣言を解除すると発表。議会に解決を委ねるよう呼び掛ける一方、辞任の要求は拒否。逮捕者の釈放も拒否。

21日 バンコク中心部で1万人規模のデモ行進。「プラユット首相は退場を」と連呼しながら首相府付近まで進む。

23日 ワチラロンコン国王やスティダー王妃が王室支持者に「あなたはとても勇敢だ。ありがとう」と声をかけた。

24日 タイ議会、憲法改正の判断を先送りする。現行憲法(17年制定)は、250人の上院議員を軍が任命する独裁憲法。

25日 ふたたびバンコク都心部の交差点を占拠し、抗議集会を開催。

11月

16日 国会で憲法改正について議論することが決まる。与野党と反体制派に近い市民グループが計7案を国会に提出。

17日 黄色のシャツの王室支持派がデモ隊と衝突。50人以上が負傷する。デモ隊の一部はバリケードを突破し、国会に向かう。

18日 タイ国会、憲法改正草案を検討する会議の設置を決める。野党がもとめた王室改革などは、改正対象から外れる。


1.何でもウィルス説のおとしあな

日経新聞土曜版の科学面にウィルス学の進歩に関する連載が掲載されている。
先週は、気候変動に及ぼすウィルスの影響が取り上げられていた。

当然ウィルス屋さんに取材して書くわけだから、ほっとけば「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも」みんなウィルスのせいということになる。

そこは取材する側の節度がもとめられることになるのだが、確認しておきたいのはウィルスは生命の起源に位置するものではないということだ。

生命の規定としては内と外、物質代謝、世代交代が必要である。だからそのためのアイテムとしての膜、蛋白・酵素、核酸が必須アイテムとなる。

これらの本質的な生命の要素をウィルスは備えていない。だからウィルスは本質的に寄生的であり、他の生命を前提としている。

したがって、それは何らかの生物から脱落した核酸を主体とする、不完全な「生命」ということになる。

これを前提に話を進めていく。


2.ウィルスの起源

ウィルス論というのは、本質的にウィルスの起源論である。しかし探したら、これが意外とない。ウィキペディアの「ウィルス」の項目では起源問題は触れられていない。
獣医学会のホームページに「人獣共通感染症 連続講座」の一つとして「ウイルスと現代社会」という講義が掲載されている。


この書き出しが面白い
ウイルスがどのようにして生まれたか、その起源については、1940年代にバーネットが3つの仮説を提唱しています。
その後、議論はほとんどなく、1994年にモースがバーネット説について、あらためて詳細な解説を加えています。
ということで、「ウイルスの起源」については50年以上もまともな議論はされてこなかったということにる。今日の日進月歩の科学の発達の中できわめて珍しいことではないだろうか。

そこで3つの仮説だが
① 微生物(たとえば細菌)が退化
② RNAワールドの遺物
③ 細胞の遺伝遺伝子(の一部)が飛び出したもの

ということで、最初は①が有力視されたが、最近はほぼ否定されている。②は面白いが「RNAワールド」そのものが仮説の世界なので、なかなか通説にするにはハードルが高い。消去法で行くと③が有力ということになる。

いずれにしてもすべて仮説であり、結局の所「なにも分かっっちゃいない」ということになる。

これは稿を改める。


3.ウィルス進化説、またはウィルス=ロスチャイルド説

ウイルスが遺伝子を運び、生物を進化させたという仮説がある。これをウィルス進化説という。これを拡大解釈していくと最初に言った「郵便ポストが赤いのも」論になっていくので、他の問題をいろいろ片付けてから「応用問題」として取り組む必要があるだろう。

一応ウィキで概要だけあたっておく。

細胞核ウイルス起源説(viral eukaryogenesis): 2001年にベルにより提唱され、日本でも東京理科大学の武村が主張している。

一言でいうと、DNAウイルスの祖先が古細菌に感染した結果、両者が統合共生するようになり、真核生物の細胞核となったというもの。

だがこの議論はウィルスがなんなのか、どのように発生したのかという、肝心の問題をスルーしているから、いまのところは「お話」である。

なお武村は、「ウイルスだけが生物を進化させたわけでは決してなく、生物が多様な発展を遂げてきた仕組みのごく一部に、ウイルスによる影響があったというにすぎない」と強調している。


4.RNAワールド論についての感想

素人がいうのもなんだが、私はRNAワールド論にはきわめて懐疑的である。

まず第一に核酸が先か蛋白(酵素)が先かというのはタマゴとにわとりの議論であり、少なくとも「タマゴが先」論はありえない。ミラーの実験から見て、「タマゴがなくても子は育つ」ことについては決着済みである。

第二に私は染色体という言葉が嫌いだが、これは有性生殖に伴うシーンなのであって、三種の核酸(RNA)の本来の仕事は、自己複製と蛋白の生成という機能である。DNAはRNA機能のバックアップ媒体であり、DNAによる種の保存というのは核酸に付与された後づけ機能である。
そして自己複製機能の中心はRNAにあるのではなく、リボゾームというカードリーダー付きのアミノ酸チェーン製造機にあるのだ。


ラテンアメリカではこのところ、左翼の復調を思わせる新たな動きが相次いでいます。

1.ボリビアでのMASの勝利

ボリビアでは10月18日の選挙で「社会主義運動」(MAS)が大勝利を収めました。そして11月8日にはエボ・モラレスを支えてきたルイス・アルセが新大統領に就任しました。

この国では、1年前に軍とアメリカの支持を受けた右翼グループがクーデターを起こし、モラレスを追放しました。

彼らはMAS幹部の公職追放と系統的な反MAS宣伝とにより影響力をそごうと試みましたが、国民のMAS支持基盤が非常の強力であったため、権力の維持を断念せざるを得なくなりました。

2.チリ、新憲法制定に圧倒的な支持

チリでは10月25日の国民投票で、ピノチェト時代の憲法の破棄と新憲法の制定が圧倒的に支持されました。

これは軍事独裁時の残滓を最終的に放棄するというだけではなく、選挙の方法をふくめピノチェト時代の復活を二度と許さないという決意の現れです。

国民投票では、市民主導の制憲議会が新憲法を起草することも決まりました。これまでの議会のように軍人に何議席とか上院と下院とか面倒なことはなくきわめて風通しの良いものになります。おそらくこの民主的制憲議会が成立すれば、非民主的な国会は活動を制限されていくでしょう。


3.エクアドル、前大統領派が2月の選挙で圧勝の勢い

コレア前大統領は、2007年に大統領に就任して以来10年間、寡占層と対決しながら国民の権利を守り抜いてきました。

3年前の選挙では副大統領のモレーノに後継を託したのですが、モレーノは国民に背を向け、アメリカ追随とIMF主導の方向に進みました。

これに怒った国民は大規模な反対闘争に立ち上がりました。世論調査でモレーノの支持率は8%前落ち込み、来年2月の選挙を前にすでにレームダック化しています。

裁判所や選管はコレアに様々な罪を押し付け、立候補を禁止し、政治活動を許さず、国外追放しています。

これに対し、コレア派は身代わり候補を立て、中道政党に間借りするなどの対応で登録に成功しました。

4.ブラジル、ルーラ元大統領の出馬を求めるキャンペーン

ブラジルについては山崎先生から貴重な論考を頂いています。AALAニューズの次号から4回連続にわたってご覧いただけることになりました。

ブラジルのトランプ、ボルソナロ大統領の人気はすでに地に落ちています。これに代わり国民の支持を集められる候補として、ルーラ元大統領の人気が高まっています。

ルーラはブラジル史上初めて、左翼勢力の代表として選挙に勝利しました。ルーラの政策は新自由主義に忠実に従ったものでしたが、左翼的な傾向を示し、中南米の団結のためにイニシアチブを発揮しました。

いま、ルーラは汚職の罪を着せられ獄中にあります。国内外に釈放と公民権回復を求める運動が起きています。


5.これらの変化はなにを意味するか

21世紀の最初の10年間、中南米の人々はかつてなく自由で民主的な空気を満喫しました。

それが4年前、トランプの大統領就任とともにアメリカの集中攻撃にさらされるようになりました。

多くの権利が奪われ、ネオリベラリズムの野蛮な掟が復活しました。

そしていまラテンアメリカの人々は、アメリカの手口を見抜き、相次いで反撃の狼煙を上げています。

(日本AALA国際部会での発言原稿)

エクアドル: 勝利に向け最後の直線へ
事実上のクーデターから政権奪還をめざす

コレア大統領の10年間

経済困難とそれによる政治不安が続いていたエクアドルでラアエル・コレアが大統領に就任。この国に政治的安定をもたらし、農民の悲惨な生活の是正に取り組んだ。

コレアは大衆の圧倒的支持のもとに、何回かのクーデターの危機を乗り越え、10年にわたり政権を維持した。

モレノへの政権引き継ぎ

17年5月、コレアは副大統領レニン・モレーノにバトンを渡した。モレーノは自身が車椅子の障害者で、福祉の専門家とみなされてきた。

しかし、モレーノは支持者を裏切り、敵と手を結んだ。メディアが周到に準備された反コレアの一斉キャンペーンを開始した。米副大統領マイク・ペンスがエクアドルを訪問しモレーノの裏切りを称賛した。

エクアドルはキューバ、ベネズエラなどと結んだ米州ボリバル同盟 (ALBA) から脱退し、これと対抗する反共・親米の「太平洋同盟」に加入した。

昨年はじめにはベネズエラの自称大統領グアイドを承認した。キトの大使館は乗っ取られ、追い出された大使らは敵性人として追放された。

モレーノ政権はIMFのパッケージを受け入れた。 40の国家機関のうち13が廃止され、1万人以上の労働者が解雇された。

昨年10月にはモレーノの裏切りと大量解雇に抗議する全国行動が展開された。これに対する弾圧は過酷なものだった。多くの活動家が投獄され、亡命を余儀なくされた。


21年大統領選に向けて

3年間の恥ずべき裏切りと弾圧にも関わらず、コレアへの国民の支持はますます高まった。

21年2月の大統領選に向けコレアは再度の当選を目指し動き始めた。

これに危機感を抱いた国家機関は、コレアの立候補を不可能にするため暴力的手段に打って出た。

政府と検察は、コレアに対し25件に上る犯罪容疑をかけ捜査を開始した。

2020年4月 最高裁はコレアに対し懲役8年の刑を言い渡した。さらに25年間の政治的権利の剥奪も科された。コレアはベルギーに亡命を余儀なくされた。

選挙管理委員会は、コレア個人のみならずコレア派勢力の政治的権利の剥奪にも乗り出した。

当初の届け出団体Fuerza Compromiso Socialは政党登録を抹消され、ついで、選挙のためのキャンペーン組織「希望のための連合」も政治活動を封じられた。

コレア派は休眠政党の民主中道党に宿借りすtるという奇手に出て、候補者登録を狙った。

大統領候補はコレアではなく若い経済学者アンドレス・アラウスをすえ、コレアは副大統領候補に回った。

裁判所は最後に、「いかなる公職であれコレアの立候補を認めない」との決定を下した。

コレア派は、コレアを副大統領で出馬させることを断念。ジャーナリストのラバスコールを副大統領候補として選管に登録申請を行った。
エクアドル大統領候補
       アラウス(左)とラバスカル(右)

コロナでモレーノはレームダックに

4月からエクアドルでコロナが猛威を振るい続けている。感染者の総数は9月中旬までに122,000人に達した。バナナの出荷港グアヤキルでは、街路がコロナで倒れ、放棄された死体で埋まるという前代未聞の事態となった。

8月に行われた世論調査で、モレノの支持率は8%に低下。任期を半年残して事実上のレームダックとなった。

これに対してコレア組が大統領候補のトップに立った。


コレア派勢力の勝利が目前に

南米では10月、春の始まりは政治の始まりでもある。

キトでは、燃料費補助の廃止に抗議するデモが激化した。

政府は抗議行動を避けてグアヤキルに移転した。モレノは「コレア前大統領や、ベネズエラのマドゥロ大統領らが暴動をあおっている」と非難。しかし種をまいて、火をつけたのはあんただろう。

このような戦いの中で、選挙管理委員会はついにアラウスとラバスカルの大統領選出馬を承認した。

今後も反動勢力の巻き返し、謀略など迂余曲折があるだろうが、エクアドルの民衆は着実に勝利へと向かっている。

外環道工事現場の直上で陥没が起きたというニュースは、人類にとって未知のできごとだったのではないか。

多分これまで、鉱山や砕石現場の近くではこれまでも起きていただろうが、それは縦横斜めと掘りまくった上での話だろう。

しばらく前、福岡の駅前通りで道路が陥没したが、あれは地下の浅い部分の崩落だった。

大深度でトンネルを掘る程度の土砂持ち出しが、土砂の陥没を起こすとすれば、それはどういうメカニズムによるのだろうか。

やはり一番気になるのは南アルプスの真下を突っ切るというリニア新幹線のことだ。

少し調べてみる

まずは経過を時系列に並べてみる。(主に日経XTECH記事+東京新聞より作成)

1966年 東京都心から半径約15kmを環状にぐるりとつなぐ東京外環自動車道。東京都内は当初高架道路として建設する予定だったが、住民の反対運動などによって凍結。
外環_日経

2007年 都内部分、地下40mより深い大深度トンネル方式へ変更し工事を開始することとなる。すでに埼玉県と千葉県内の約50kmが完成。現在は東京都内の工事が進んでいる。

2012年 大泉JCT-東名JCT間の6車線16.2kmの工事が始まる。縦て坑を掘りシールド機を入れ、4箇所で掘削開始。総工費は1兆3千億円が見込まれる。
事業概要

2916年 大泉区間の工事費を再評価。1兆7千億円と大幅に膨らむ。

2020年

7月 さらに工事費の値上がり。国土交通省関東地方整備局の試算で2兆4千億と、当初の2倍近くに達する。事業費増大の主な要因は、中央自動車道と接続する中央JCTの地中拡幅部の工事。
当初は馬てい形の断面を想定していたが、円形断面に変更し、施工中の耐力を確保することとなる。
また工事で使う空気の一部が地上に漏出したのを受け、空気不使用の方法に変更した。
この再評価で、投資額に対する経済効果を示す「費用便益比」は1.9から1.01にまで低下。
断面イメージ

9月14日 事故現場直下47メートルをシールドマシンが通過。

東京新聞の取材: 通過前後の10日間、毎朝9時半から夜7時まで10日間揺れが続いた。スマホの震度計アプリで震度2ないし3の揺れ。
現場周辺の計10軒で、外壁のタイルがはがれたり、ブロック塀にひびが入るなど被害が続出。
現場の地下地盤には、礫の割合が高かったため、他工区に比べ振動が大きくなったと考えられる。

10月18日 東京都調布市東つつじケ丘の住宅地で、幅5メートル、長さ3メートル、深さ5メートルにわたって、市道が陥没する事故が発生。
調布の現場

10月26日 東日本高速道路の小畠徹社長が記者会見。「大深度での掘進が地表に影響を与えるとは全く思っていなかった」と述べる。「原因調査に伴うご迷惑」に対して陳謝。

11月2日 東日本高速が付近でボーリング調査を実施。現場から北に約40mの場所で、地下5m付近に空洞の可能性がある事が判明。

11月3日 ボーリング孔から3次元レーザースキャナーやカメラを使って空洞内を調査。

11月4日 地表面から約5mの深さに幅約4m、長さ約30m、高さ約3mの空洞ができていた。空洞内では、深さ1m程度まで地下水がたまっていた。
空洞形成のメカニズムは、蓄積された地盤の体積が振動により縮小したためと考えられる。
空洞の上には、地下2.5~5mの位置に硬い粘土層があり、粘土層の粘着力は十分な地耐力を持つものと判断。

11月5日 東日本高速が有識者委員会を開催。緊急対応は必要ないが、空洞を充填することが望ましいと判断。

11月6日 NEXCO東日本などが調布市内で周辺住民向けの説明会。報道陣には非公開で住民約90人が参加。住民からは「このまま工事を続けるのか現実的な説明はなかった」との声。


原因は一種の液状化

ということで、当初予測した「土砂の持ち出しによる表土の落込み」というメカニズムではなく振動による、「土砂の引き締まり」が一種の「液状化」に類似した副作用をもたらしたということだ。

振動による地盤の体積縮小+地盤中の空気貯留→空洞形成というメカニズムは、それ自体はかなり重大な事故である。

実はこのような事象は、2年前の北海道の大地震でも経験している。札幌市内の新興住宅地で造成された土地が地下の液状化のために陥没した。真下を地下鉄が通る東16丁目通りでも数百メートルにわたって地表が陥没した。

「大深度」信仰の破綻

「大深度での掘進が地表に影響を与えるとは全く思っていなかった」というのが工事監理者の率直な感想、あまりにも率直な感想である。

結論からいえば、地下40メートルというのは「大深度」には当たらないということだ。そのことに対する「想定」がなかったわけだ。

それは、今後の工事のあり方にも関わる深刻な問題である。


超大深度なら安全か?

超大深度で掘削するリニア新幹線では、このメカニズムは地表の陥落のような重大合併症には直接つながらないように思える。分母があまりにも大きいからだ。

しかしリニア新幹線でも間違いなく、この「地塊収縮現象」そのものは発生する。しかもかなり大規模にだ。

長期的に考えると、この空洞形成が間接的に地下水脈に悪影響を与え、水脈のありようを変化させる可能性がある。そしてその帰結が、環境破壊や想像もできない重大事故へと結びつく可能性は否定できない。

なにせ「想定外」なのだから…

ニカラグアのハリケーン被害に緊急の支援を呼びかけます

現地時間で16日の午後10時40分、カテゴリー5(上陸時4)のハリケーン「イオタ」Iotaがニカラグア北東部に上陸した。ニカラグアを襲ったハリケーンとしては、観測史上最も強い勢力だった。

ニカラグアは、2週間前にもカテゴリー4のハリケーン「エータ」が上陸し、甚大な被害を受けている。上陸場所はたった24キロしか離れていない。

ニカラグア政府は、80,000家族がイオタの影響を受けると推定し、直接影響を受けた地域に3,500人の医療従事者、2,350人の警察官、365人の消防士を配置した。

ロザリオ・ムリーリョ副大統領は、生命を守るために必要なすべてのことを行った。全国で4万人が避難したと述べた。

2つのハリケーンは、コロナウイルスのパンデミックで苦しんでいるこの時期にこの地域を襲った。

先住民の漁師であるエンリケ・ロメロは、木枠の家がイータに流されるのを見つめていた。彼は衣服、テレビ、わずかな貯金を失った。

「風、雨はとても強いです。周囲の海の音が聞こえます」と住人のシラ・ダウンズは語った。「これはイータよりも悪くなるでしょう…神が私たちを憐れんでくださることを願っています」

11月25日報道追加分

18日 ムリージョ副大統領、少なくとも16人が死亡したと発表。被災者は40万人を超え、5万人以上が避難中。カリブ海沿岸部は約99.5%が停電に見舞われている。

19日 土砂崩れや洪水による死者は少なくとも18人以上に達した。16万人以上が避難を余儀なくされている。政府の担当者は「少なくとも過去40年で最も強いハリケーンだ」と指摘する。

21日 ニカラグアで21人の死亡が確認された。

25日 ニカラグアのアコスタ財務相は、ニカラグアで44,000近くの家屋が全体的または部分的な被害を受け、7億4300万ドルの経済的損失が発生したと発表。

25日 国連人道問題調整事務所(UNOCHA)、ハリケーンイータで中米7か国の約300万人に影響を与え、最大55億ドルの被害をもたらしたと述べた。

25日 米州開発銀行(IDB)、中央アメリカ全体を襲ったIotaにかんして17億ドルの援助を約束。

支援の相談はAALA事務局へ


11月11日 Today's Debate


Opposing View: But the lesson is not to abandon Medicare for All, Green New Deal, living wages, criminal justice reform and universal child care.

バイデンの勝利は民主主義と科学の勝利

全米の進歩勢力は、ジョー・バイデンを大統領に選出するために多くの努力を費やしました。私はそれをとても誇りに思っています。

ここで明確にしておきたいのは、この選挙が2人の候補者間の通常の競争ではなかったということです。

それは通常よりもはるかに重要な選挙でした。

それは、“私たちの民主主義” を維持し、法の支配する社会を守り、科学の正しさを信じるための選挙でした。

それは、ホワイトハウスの内側にはびこる “病的な嘘” を終わらせるための選挙でした。

そしてアメリカ人は、記録的な投票率で、ドナルド・トランプ大統領を拒否しました。

その人種差別、性差別、同性愛嫌悪、外国人排斥、宗教的偏見、権威主義を投票という行為によって拒否しました。それはとても良いニュースです。


下院と上院での停滞を革新派のせいにする親企業派

それでも、正直なところ、下院と上院での選挙結果は期待外れでした。

ジョー・バイデンが500万票以上を獲得して勝利したのに、民主党は下院でいくつかの議席を失いました。上院でも、これまでのところ1議席しか増やすことができず、過半数は達成できませんでした。

現在、この結果を巡って民主党内で一部の人々が非難を繰り返しています。

企業よりの民主党員は、彼らのいうところの極左グループ、例えば「みんなのメディケア」とか「緑のニューディール」のおかげで、上下議会選挙で負けてしまったと攻撃しています。

下院と上院での選挙敗北のためのメディケア・フォー・オールやグリーン・ニューディールのようないわゆる極左政策を攻撃しています。それはとんでもない間違いです。


実際の中身は革新派の躍進

ここに動かしがたい事実があります:

►今度の選挙には、メディケア・フォー・オールに協賛する112人が立候補しました。そして112人全員が当選しました。

►同じく、グリーン・ニューディールの協賛者98人が今度の選挙に立候補しました。そのうちのたった1人だけが、残念ながら負けました。

パンデミック時に国民皆保険を支援することは、たんに良き公共政策の選択にとどまるものではありません。

気候変動による地球の脅威に直面しているいま、再生可能エネルギーへの大規模な投資を実施することは、公共政策のあれかこれかを選ぶのではありません。

それは総体としての良い政治を選ぶことなのです。


医療・環境・雇用は国民共通の願い

フォックス・ニュース社(社会主義どころか保守の牙城)が投票所で出口調査を行っています。これによると、有権者の72%が「政府が運営する医療計画への変更」を支持していました。

また有権者の70%が「グリーンエネルギーと再生可能エネルギーへの政府支出の増加」を支持しました。

教訓は、「みんなのメディケア」、「グリーンニューディール、生活・賃金・仕事、犯罪に関する司法改革、無差別な育児支援など、国民のための政策を放棄してはならないということです。

そうではなく、いますべての働く人々が感じている経済的困難や絶望について議論し、手を打つことです。

黒人、白人、ラテン系、アジア系、そしてネイティブのアメリカ人。多くの人々は傷つき、助けを求めて叫んでいます。 

私たちはこの声に応じなければなりません。


各州での住民投票について

アメリカ全土で、有権者は進歩的な政策を承認しました。それは何百万もの人々の生活を改善するための方針です。

►フロリダの有権者は、最低賃金を1時間あたり15ドルに引き上げる法案を可決しました。

►コロラド州民は、12週間の有給の家族休暇を提供することに投票しました。

►アリゾナ州は、公教育への資金を増やすために、25万ドル以上を稼ぐ人々への増税に賛成しました。

►アリゾナ、モンタナ、ニュージャージー、サウスダコタの有権者は、「麻薬戦争」からの脱却に投票し、マリファナの合法化を承認しました。

アメリカの人々は億万長者とウォール街がどんどん豊かになるのを見てきました。もううんざりです。

退役軍人が路上で眠り、私たちのインフラが崩壊し、若者は借金が返せずに学校を去っていきます。

彼らは、ほんの一握りの人のためでなくでなく、すべての人のために働く政府を望んでいます。

 それは正しいことであり、道徳的なことです。

それが民主党にとって、選挙に勝つ唯一の方法です。



AALAニューズ向けの話題ではないのですが、選挙の評価をふくめたサンダースのきちっとした発言が、日本語の世界にはまったくないので、ここに紹介しておきます。
過去最多となったバイデン票を押し上げたのは、左派陣営の無私の頑張りだったことがわかります。
いっぽうで上下両院議員選挙で民主党が伸び悩んだのは、国民の声を受け止めきれなかった企業寄りの候補が落選したことを意味します。(サンダースはそこは言葉を濁しているが…)
つまり「エスタブリッシュメントはもはやアメリカで単独支配するのは不可能になった」ということが証明された、ここに今回の選挙の歴史的意義があります。
一方、トランプ善戦の原因は、エスタブリッシュに不満を持つ層を彼らなりの(間違った)方法で掘り起こしたからです。
だからバイデンとエスタブリッシュメント層は選挙に勝ったからといって、「はいご苦労さん」とサンダースたちを投げ捨てるわけには行かないのです。一旦トランプに流れた人々を政権の側に戻すには、右翼ではなく左翼との連携が必要です。このジレンマが今後バイデンを苦しめることになるでしょう。




平成という区切りで日本の金融状況を追ってみましたが、「平成」という区切り方になんの思想性も区切りとしての合理性もないので、なんの意味もありません。
あったのは、規制緩和の名のもとにひたすら格差社会が広がっていただけ、それを誰も見咎めることなく呆然と見守っていただけ、それだけの30年でした。原発村の町会議員のごとく、全員共犯です。

1989年(平成元年)
4月 消費税3%導入
5月 日銀、バブルに対し金融引き締め開始。9年ぶりの公定歩合引き上げ
6月 天安門事件発
11月 独ベルリンの壁崩壊
12月 日経平均株価が3万8915円の史上最高値。
12月 土地基本法公布。金融機関の不動産融資を制限する総量規制を提示。

1990年(平成2年)
1月 株価の暴落。4月までに1万円を越す下げ。並行して円安も進行する。円安・株安・債券安のトリプル安と呼ばれる。地価の高騰だけは止まらず。
3月 大蔵省、不動産関連融資の総量規制を受け入れる。不動産向けの貸し出しを総貸し出しの伸び率以下に抑える。このあと一気に土地バブルが弾ける。
4月 三井銀行と太陽神戸銀行が合併し、太陽神戸三井銀行(後のさくら銀行)発足。
8月 第5次利上げで公定歩合6%に。

1991年(平成3年)
5月 地価税法公布
6月 四大証券による損失補?発覚。野村証券会長が辞任。
7月 景気後退に対応し、公定歩合引き下げ開始。 
4月 富士銀行で総額2570億円の架空預金証書が発覚。その後協和埼玉、東海銀行でも相次いで発覚。
8月 大阪の料亭女将が架空預金証書を担保に3400億円の詐欺。興銀グループからも2400円の融資を受ける。(尾上縫事件)
10月 東邦相互銀行(松山)が経営破綻。伊予銀行の救済合併に際し、預金保険機構が初の資金援助。
11月 宮澤喜一内閣発足
12月 ソビエト連邦消滅
91年 この年はバブル放火による金融スキャンダルが続出。イトマン疑惑で住友銀行会長が辞職。
91年 住専の経営破綻が表面化。住専7社の貸付金は4割が不良債権化。

1992年(平成4年)
1月 地価税実施
3月 東証平均株価2万円割れ。景気減退が止まらず。
3月 地価が公示される。91年の全国平均地価は17年ぶりの下落。この後急速に住宅バブルは崩落する。
3月 大手21行の不良債権は総額8兆円とされる。株価1万円がデッドラインとされ、それを切ると含み益ではカバーできなくなる。
6月 平均株価、1万6千円を割る。
7月 大蔵省の直轄の住宅ローン会社である住専の不良債権が表面化する。
この問題は膨大なので、別掲する。
8月 日銀、金融機関の不良債権が40兆円以上、総貸出残高の7%と試算。公的資金の投入を促す。大蔵省は含み益が尽きるまで公的資金は発動しないとする。
8月 宮沢首相は株価が1万4千を割れば東証一時閉鎖も考える。経団連や日経連は銀行バッシング継続を主張。
8月18日 平均株価が14,300円まで下落。大蔵省は「金融行政の当面の運営方針」を発表。株価対応、融資対応力の確保、不良資産処理の三本柱。公的資金には触れられず。
8月30日 宮沢首相の軽井沢講演。公的資金投入論を主張。「政府は銀行を救済するのではない。国民経済の血液たる金融システムを安定させるのは政府の責務だ」
9月 経済団体は宮沢講演に対して一斉反発。
11月 米大統領選でビル・クリントン勝利

1993年(平成5年)
2月 住専問題が公然化。住専7社の中で日住金の経営が申告となる。農林系金融機関の融資が4割を締めたことから、銀行局長と晨水省経済局長の間で「覚書」が交わされる。
5月 Jリーグ開幕。釜石信金か自主再建断念し、岩手銀行に営業譲渡
6月 皇太子ご成婚
7月 東京サミット開催
8月 非自民8会派による細川護熈内閣発足
9月 記録的冷夏でコメを緊急輸入。
公定歩合史上最低の1.75%に引き下げ

1994年(平成6年)
4月 羽田孜内閣発足
6月 北日本銀行、徳陽シティ・殖産銀行との3行合併を白紙撤
   回。
東京外為市場で1ドル= 100円突破。
自社さ3党連立による村山富市内閣発足
10月 流動性預金金利を自由化(金利自由化完了)
12月 東京協和・安全両信用組合破綻。受け皿銀行設立を発表。
   松下康雄日銀総裁就任

1995年(平成7年)
1月 阪神・淡路大震災
3月 地下鉄サリン事件。東京共同銀行が営業開始
4月 東京外為市場で1ドル= 79.75円と史上最高値。公定歩合
   1.0%に引き下げ
6月 大蔵省、「金融システムの機能回復について」を発表
7月 東京都、コスモ信用組合に業務停止命令
8月 大阪府、木津信用組合に業務停止命令。兵庫銀行破綻処理
9月 大和銀行ニューヨーク支店で巨額損失。公定歩合0.5%に
   引き下げ
11月 米銀行監督局が大和銀行に米国からの撤退命令
12月 住専処理策を決定。一般会計から6850億円支出

1996年(平成8年)
1月 橋本龍太郎内閣発足
3月 太平洋銀行破綻。受け皿にわかしお銀行新設
4月 東京三菱銀行発足
6月 住専処理法、金融三法成立
11月 米大統領選でビル・クリントン再選。橋本首相、「日本版
   ビッグバン」指示。大蔵省、阪和銀行に業務停止命令

1997年(平成9年)
4月 北海道拓殖銀行と北海道銀行が合併で合意。
日債銀「奉加帳」救済決定。
消費税率、5%に引き上げ。
大蔵省、日産生命保険に業務停止命令、戦後初の生保破綻
6月 改正日銀法、金融監督庁設置法成立
7月 タイ通貨パーツ暴落.アジア通貨危機
9月 拓銀と北海道銀行、合併延期を発表
10月 福徳銀行となにわ銀行が合併を発表。
京都共栄銀行か経営破綻し、幸福銀行に営業譲渡へ
11月 三洋証券、東京地裁に会社更生法の適用申請。
北海道拓殖銀行か経営破綻、北洋銀行への営業譲渡を発表。
山一証券か自主廃業、日銀特融発動。
徳陽シティ銀行が破綻、全国で取り付けらしき騒動。
財政構造改革法成立
12月 行政改革会議、1府12省庁への再編を最終報告。
自民党、金融システム安定化のための緊急対策(公的資金)決定

1998年(平成10年)
1月 東京地検か大蔵省金融証券検査官室長らを逮捕。三塚蔵相
   ら辞任
2月 改正預金保険法、金融機能安定化緊急措置法成立。長野オリンピック開催
3月 東京地検、大蔵省証券局総務課課長補佐らを収賄容疑で逮
捕。
金融危機管理審査委員会か大手21行への資本注入を決定。
東京地検、日銀営業局証券課長を収賄容疑で逮捕。松下日銀総裁辞任
4月 速水優総裁の下で改正日銀法施行。
6月 日本長期信用銀行の経営不安表面化。金融監督庁が発足。
   住友信託銀行と日本長期信用銀行が合併交渉入りで合意
7月 参院選で自民党大敗。小渕恵三内閣発足、蔵相に宮澤喜一
元首相
8月 ロシア経済危機、ルーブル切り下げ
9月 与野党が長銀の「特別公的管理」で合意
10月 金融再生法、金融機能早期健全化法等成立。長銀の一時
国有化決定
12月 日債銀の一時国有化決定。金融再生委員会か発足

1999年(平成11年)
1月 欧州単一通貨「ユーロ」導入。三井信託銀行と中央信託銀
   行が合併で合意
2月 日銀、ゼロ金利政策導入決定
3月 金融再生委員会、15行に公的資金注入
4月 整理回収機構発足。国民銀行が経営破綻、幸福銀行も6月
   に破綻
6月 東邦生命保険が自力再建を断念。東京地検が旧長銀経営陣
   3人を逮捕
7月 中央省庁等改革関連法成立。東京地検が旧日債銀経営陣3
   人を逮捕
8月 日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行が経営統合で合意
10月 住友銀行とさくら銀行か対等合併で合意
12月 与党3党がペイオフ解禁延期を決定

2000年(平成12年)
3月 長銀の国有化終了、外資ファンドに売却
4月 小渕首相倒れる。森喜朗内閣発足
5月 第一火災海上保険に業務停止命令
6月 初の南北首脳会談
7月 金融庁発足。そごう破綻、民事再生法適用を申請。沖縄サ
   ミット開催
8月 日銀、ゼロ金利解除。 10年ぶりの利上げ
9月 日債銀国有化終了。みずほホールディングス誕生
10月 新潟中央銀行か経営破綻。
三和銀行、東海銀行、東洋信託銀行が経営統合発表。
千代田生命、更生特例法の適用申請
11月 米大統領選でジョージ・プッシュ勝利

2001年(平成13年)
1月 中央省庁再編、1府12省庁体制に
3月 政府、月例経済報告で初の「デフレ宣言」。
日銀か量的緩和政策の採用を決定
4月 三井住友銀行か誕生。小泉純一郎内閣発足
7月 参院選で自民党圧勝
9月 米同時多発テロ事件
10月 米国がアフガ二スタンに侵攻

2002年(平成14年)
1月 UFJ銀行発足
4月 ペイオフ一部解禁(定期預金)
5月 サッカーワールドカップ日韓大会
9月 小泉首相訪朝。
日銀、銀行保有株の買い取り決定。
内閣改造で金融担当相に竹中平蔵氏
10月 竹中大臣がペイオフ本格解禁の再延期を発表。「金融再生
   プログラム(竹中プラン)」決定

2003年(平成15年)
3月 福井俊彦日銀総裁就任。
イラク戦争開戦
5月 外為市場で大規模介入スタート、日銀の量的緩和拡大。
初の金融危機対応会議、りそな銀行への公的資金注入決定
11月 金融危機対応会議で足利銀行の一時国有化を決定

2004年(平成16年)
1月 陸上自衛隊イラク派遣
3月 円売り・ドル買いの大規模為替介入終7
6月 金融庁、検査忌避などでUFJに業務改善命令
8月 UFJと三菱東京か経営統合で合意
10月 新潟県中越地震
11月 米大統領選でジョージ・ブッシュ再選

2005年(平成17年)
4月 ペイオフ本格解禁。 JR福知山線脱線事故
9月 衆院選(郵政選挙)で自民党圧勝
10月 三菱UFJフィナンシャル・グループ発足


2006年(平成18年)
1月「ライブドア」粉飾決算事件
2月 グリーンスパンFRB議長退任、バーナンキ議長就任
3月 日銀が量的緩和の解除を決定
7月 日銀が短期金利の誘導目標引き上げ。 6年ぶり利上げ
8月 日銀、公定歩合の呼称をF基準割引率および基準貸付利
   率」に変更
9月 安倍晋三内閣発足

2007年(平成19年)
2月 日銀が短期金利を追加引き上げ
6月 米国などで初代iPhone発売
7月 参院選で民主党が勝利し、「ねじれ国会」に
9月 福田康夫内閣発足
10月 郵政民営化による「日本郵政グループ」発足

2008年(平成20年)
3月 FRBが米証券ベア・スターンズ救済。 
日銀総裁空席に。4月に白川方明総裁就任
7月 最高裁が長銀事件で旧経営陣3人に無罪判決
8月 北京オリンピック
9月 リーマン・ブラザーズ破綻で「リーマン・ショック」発生。
FRBが保険最大手AIGを救済。
麻生太郎内閣発足
10月 大和生命保険が経営破掟
11月 米大統領選でバラク・オバマ勝利
12月 FRBがゼロ金利導入、量的緩和第1弾(QE1)
12月 大企業の資金調達が途絶える。CP(コマーシャルペーパー、大企業の振り出す無担保の短期約束手形)の買い手がいないとことから、日本政策投資銀行が買い入れに動く。

2009年(平成21年)
1月 発行企業の信用力を表すスプレッド(国債に対する上乗せ金利)は急拡大し、企業の起債が困難になる。
3月 日経平均株価がバブル後最安値7054円
3月 日銀がCPと社債の買いオペを発動。スプレッドが縮小し、起債が容易となる。
8月 衆院選で民主党圧勝、鳩山由紀夫内閣発足へ
11月 政府が戦後2回目の「デフレ宣言」。中小企業金融円滑化法成立

2010年(平成22年)
1月 日本航空が会社更生法適用申請。欧州債務危機が広がる
3月 日銀による社債買い取りがいったん終了。
6月 鳩山首相退陣、菅直人内閣発足
7月 参院選で民主党が過半数割れ
9月 日本振興銀行が破綻、初のペイオフ発動
10月 日銀「包括緩和」導入。資産買入等基金を創設
11月 FRBが量的緩和策第2弾(QE2)
この年、中国がGDP世界2位、日本3位転落

2011年(平成23年)
2月 日銀、中長期的な物価安定の目途(当面1%)を導入
3月 東日本大震災、福島第一原発事故
8月 東京外為市場でIドル=75円95銭の戦後最高値更新。
東京高裁が日債銀事件で地裁判決を破棄し、3人の逆転無罪が確定
9月 野田佳彦内閣発足
10月 東京外為市場で1ドル=75円32銭の戦後最高値更新

2012年(平成24年)
1月 FRBが年2%をゴールとするインフレ目標を導入
5月 東京スカイツリー開業
8月 3党合意に基づく消費増税法案が成立
9月 FRBが量的緩和第3弾(QE3)
10月 政府・日銀が初の共同文書
n月 米大統領選でバラク・オバマ再選
12月 衆院選で自民党大勝。安倍晋三内閣発足

2013年(平成25年)
1月 2%物価目標を柱とする政府・日銀の共同声明
3月 黒田東彦日銀総裁就任
4月 異次元緩和(量的・質的金融緩和)スタート
7月 参院選で自公圧勝。[ねじれ国会]解消
8月 財務省、国の借金か1000兆円を超えたと発表
12月 訪日外国人が年間1000万人を突破

2014年(平成26年)
4月 消費税率、8%に引き上げ
6月 欧廾[中央銀行がマイナス金利導入
10月 FRB#量的緩和政策終了。 
日銀が量的・質的緩和を拡大
12月 安倍首相が消費税率引き上げの延期を表明。衆院選で自
   公圧勝

2015年(平成27年)
3月 欧州中央銀行か量的緩和導入
7月 東芝の不適切決算処理が発覚
12月 FRBが短期金利を引き上げ

2016年(平成28年)
1月 日銀がマイナス金利付き量的・質的金融緩和を決定
2月 長期金利が史上初のマイナスに
4月 熊本地震
5月 伊勢志摩サミット。安倍首相が消費税率引き上げの再延期
   を表明
6月 英国民投票でEU離脱が多数占める
7月 参院選で自公勝利。
日銀が「総括的検証」。
イールドカーブ・コントロール導入
8月 天皇が「お気持ち」表明、生前退位へ
11月 米大統領選でドナルド・トランプ勝利

2017年(平成29年)
7月 九州北部豪雨で40人超の死者・行方不明者。
北朝鮮が核ミサイル開発を加速
10月 衆院選で自公勝利。 
FRBが資産圧縮を開始

2018年(平成30年)
4月 黒田東彦日銀総裁再任。日銀か展望レポートから2%物価
   目標の達成時期を削除
6月 米朝首脳会談
7月 日銀「強力な金融緩和継続のための枠組み強化」導入
9月 北海道胆振東部地震
11月 東京地検、日産自動車のカルロス・コーン会長を逮捕
12月 欧州中央銀行か量的緩和政策終了

2019年(平成31年)
1月 基幹統計である毎月勤労統計の不正調査か発覚
3月 みずほFGが19年3月期に6800億円の損失計上

2020年10月31日
インド共産党(マルクス主義)中央委員会声明

Ⅰ. Covid-19(以下コロナ)によるパンデミック

コロナは米国、インド、ブラジルの順で多く発生している。いま憂慮すべきは、陽性率、死亡率の両方でのインドの増加である。

インド政府とモディ首相は、パンデミックの封じ込めに向けた責任を事実上放棄している。

 さらに深刻なのは、途方も無い数の人々が、病気と景気後退という二重の災難を被っているという事実である。

3月25日に国の封鎖が宣言されて以来、人々の生活はますます苦しくなった。失業者は急増し、飢餓の危険が近づいている。これに対する救済の対策はまったくなされていない。

Ⅱ. 日米豪印戦略対話(Quadrilateral Security Dialogue)は4国軍事同盟化へのステップ

中央政府は、アメリカ帝国主義主導の軍事同盟(QUAD)に深く関わってきた。この度、4国戦略対話は初めて、マラバル沖で2020合同海軍演習を実施する事になった。これは4国軍事同盟化への重大なステップである。

これは、インドがこれまで長年にわたって続けてきた外交政策の、あからさまな否定である。

我が国は独立以来、アメリカ帝国主義との軍事的または戦略的同盟に参加せず、わが国固有の利益のために独立して行動してきた。


Ⅲ. 景気後退

インド中銀(RBI)は、今年度のGDPが9.5%縮小すると予測している。その後、IMFはさらに踏み込んでマイナス10.3パーセントと予測した。

GDP成長率は4年前が8.3%だったのが、昨年度には4.2%にまで低下してきた。さらにその上に、パンデミックにより一段と低下することになる。 過去5年間、経済は衰退し続けている。

①積み重なる悲惨さ:

経済の衰退はとりわけ失業問題に非常に深刻な影響を及ぼした。

労働参加率は劇的に低下し、15億人近くの人々が生計を失っている。

②深刻となる飢餓:

世界飢餓指数は、107か国中94位にインドをランク​​付けしている。

(同調査で、インドは児童、とくに女子の栄養不良率が世界最悪 訳注)

スリランカ、ネパール、バングラデシュ、ミャンマー、パキスタンのすべての近隣諸国は、インドよりも優っている。これが、このBJP政府の政策の悲惨な実情だ。

このような飢餓の苦痛は受け入れられない。

増大する飢餓とは対照的に、インドの最も裕福な50人は、今年になって14%も裕福になった。


Ⅲ. 労働者階級と勤労市民への暴挙

最近の議会で、4つの労働法典が成立した。これに伴い29の既存の労働法が廃止された。これは労働者の権利をブルドーザーで取り除く、嵐のような光景だった。

労働者の権利、労働者保護に関連するほとんどすべての有益な規定が取り除かれ、雇用主を縛るための規制は無力化され、あるいは完全に削除された。

これらの新法は、勤労者を奴隷に変換しようとするものだ。


Ⅳ. 悲惨な農業法案

政府が提出した経済改革のパッケージは、私たちの経済を私的利益に譲り渡すことに等しい。モディ首相はこれを「自立」の名の下に追求している。

 中央政府は、疑問だらけの野蛮な方法で、議会の権威を無視して、農業憲章を押し通した。

これらの新しい法律は、インドの農業、農産物と市場を国内外のアグリビジネス企業に引き渡した。

そして彼らに多大な利益をもたらし、農民と国民の両方には貧しさを課し、インドの食料安全保障を脅かしている。


Ⅴ. 「ヒンドゥトヴァ」計画の執拗な追求

(Hindutvaはヒンドゥ原理主義を国法とするよう求める運動で邪教政党BJPの背骨思想 訳者)

いまインドはパンデミックとロックアウトや生活規制などにともなう混乱のさなかにある。

BJP中央政府は混乱を悪用して、インドを邪教国家に転換しようとしている。

それが「ヒンドゥトヴァ」計画だ。それは強烈で情け容赦のないファシスト的思想だ。

そこにはダリット、女性、イスラム教徒、知識人、野党指導者に対する暴行の増加が伴っている。

以下行動提起とスローガンは略

が意外な好評を博している。Hoick さんのサイトで書かれている歌詞に対する「居心地の悪さ」が、どうも私を含めたみんなに共通しているようだ。

かわのそばを あるいたら きこえてきた はるのこえが あひるたちは おおよろこび しぶきあげて みずにはいる ホラ はなが ラララララ さいてる とりが ララ・・・

まず、現在もこの曲が掲載されているのかを知らなければならない。
道立図書館に行って音楽教科書そのものを探したが、ここには所蔵されていない。
もう一度インターネットに戻って検索サイトを検索した。

神奈川県立総合教育センターが「小学校音楽 教科書題材データベース」というありがたいサイトを起ち上げてくれている。

ここの検索窓に“ワルトトイフェル”と入れて検索した。

小川

それで出てきたのが、全110件のデータだ。この内、圧倒的に多いのがスケーターズ・ワルツだ。

年度ごとにワルトトイフェルで見ていく。

昭和26年度
この年では、学校図書と、教育出版の両方が三年生用にスケーターワルツ(以下SW)を掲載している。

昭和27年度
SWは学校図書社からは消え、教育出版社の3年用に残る。

昭和28年度
SWをふくめワルトトイフェルの名は教科書から姿を消す

昭和29年度
教育出版社の4年生用に「小川」が登場する。作詞者は川口蕗香。SWが鑑賞目的だったのに対し、こちらは表現目的となっている。
SWは消えたままとなっている。

昭和30年度
ところがこの小川は翌年には消失する。SWも消えたままである。

昭和31年度
この年から、「教育出版」社は撤退し、あらたに「教育芸術」社が加わっていいる。
今度はいきなりワルトトイフェルの花盛りだ。SWが学校図書社と教育芸術社の三年用、学校図書社は6年用にも表現目的でSWをアップした。
さらに学校図書社は“そよ風”という曲を5年生の表現用に掲載した。作詞が深尾須磨子となっているが、どのような曲かわからない。
なお

昭和32年度
今度はすべての曲が両社のリストから消滅した。

昭和33年度
教育芸術社は川口蕗香の「小川」を4年生用教科書に復活させた。
この年から「二葉」社という教科書会社が参入し、音楽教科書は三社の競合となった。
「二葉」社はワルトトイフェルを積極的に取り上げ、SWを5年生の観賞用に、さらに“スケート”という曲を5年生用に掲載した。
これはSWのメロディーに歌詞を載せたものと思われる。作詞は小林純一。
さらに4年生用にワルトトイフェルの“朝風のワルツ”という曲も掲載された。こちらの作詞は正木遠音。

昭和34年度
この年ワルトトイフェルは全滅する

昭和35年度
そしてこの年教科書業界が激変する。
これまで10年間双璧を形成してきた学校図書社と教育芸術社に加え、「音楽教育図書」社と「音楽之友」社が加わる。「二葉」社はもう消滅している。
4社は競い合ってワルトトイフェルを取り上げている。4年生向けのSWは4社揃い踏み。それ以外に「音楽教育図書」社は歌唱曲としても取り上げている。作詞は藤浦孝一。
音楽之友社はさらに積極的で、「楽しいスケート」と題名を変え合奏曲用に編曲している。編曲者?は麻葉みのる。教育芸術社も6年生用教科書に器楽バージョンを掲載してる。
SW以外では、音楽之友社が4年生用に「みどりのけしき」、三年生用に「たのしいワルツ」を掲載している。前者は吉川光男、後者は小林純一が詩をつけているが、内容は不明。「小川」は消滅したまま。

昭和39年度
この年のリストから音楽之友社は抜け、教育出版社が再登場。音楽教育と図書社と教育芸術社を加えた4社の競合となっている。
36年から38年のデータはない。
SWが各種バージョンで用いられていることは変わりないが、教育芸術社の4年生用教科書で「風のワルツ」、教育出版社で「小川」が復活している。「小川」の復活は33年以来6年ぶりである。
そして東京五輪を挟んで翌年には、NHKみんなのうたで放送されて、みんなの脳に刷り込まれたことになる。
このときの4年生は現在65歳だから、それ以上の年齢層には学校で習った記憶はないだろう。

昭和42年度
だいぶ面倒になってきたので、この後は「小川」にしぼる。
この年大事件が起こる。「小川」の第二の歌詞ができたのだ。
教育出版は従来の川口蕗香バージョンを4年生の教科書に載せる。これに対し後発の音楽教育図書は「統合版楽しい音楽 4年」で杉俊三作詞の「小川」を載せたのだ。
この辺が話がややこしくなるきっかけだろう。川口蕗香版はたぶん長年教育図書社が確保してきたものだろう。だから権利とか金銭が裏で動いたのではないか。結果、音楽教育図書は川口蕗香版を諦め、新しい詩をつけたのだろう。
この杉vs川口の激突は45年、48年も続いている。そして51年になってついに音楽教育図書が掲載を断念するまで続く。
だからこの頃の小学生、いま55から65くらいの人は杉派と川口派に分かれているはずだ。

昭和54年度
ここでさらに第三の「小川」が現れる。
音楽教育図書は音楽教科書戦線から撤退したようだ。その代わりに東京書籍社という会社が新たに参戦した。
それが叩きつけた挑戦状が、例の青木爽作詞「春の川で」だ。題名まで変えているからまさか同じ曲とは思わない。
だから50歳以上の人は知らないのが当たり前なのだ。
しかもこの年教育出版は川口蕗香バージョンを出し続けている。
これが“三種の小川”の真相だ。

昭和60年度
この年すでに「春の小川で」も東京書籍もリスト上から消失している。
それどころかSWも一切消滅した。
教育芸術社の「風のワルツ」、教育出版の「小川」が残っているのみだ。

この傾向は、昭和の最後と平成の初めまで続いていく。リストは平成13年の一覧を最後に途切れる。



それにしても、教科書会社の栄枯盛衰はまことに激しいものである。その浮き沈みの歴史のひだに「小川」は挟まっている。というより教育出版の川口蕗香バージョン
以外の作品はその荒波の中で揺られ、やがて沈んでいったのだということがわかる。どこかの合唱団の人が掘り起こしてくれた歌詞は、意地悪くいえば、考古学的には貴重な存在である。

それで、流れはよくわかったものの、歌詞が読めない。どこからか探さなくてはならない。もう一つの謎が「NHKみんなのうた」がどの歌詞を採用したのかということだ。もし青木装版ならば私はその放送を聞いてなかったということになる。なぜならその歌詞をまったく聞き覚えがないだけではなく、うろ覚えの歌詞がそれとはまったく異なるからである。

読者も期待しているようだし、もう少し突っ込んで見るほかあるまい。



とりあえず、You Tubeを丹念にあたってみて気づいたこと。
一つは作曲:ワルトトイフェル  作詞:青木 爽 編曲:小林 秀雄  歌:西六郷少年少女合唱団
という演奏がアップされていることだ。どうもこれは「NHKみんなのうた」のエアチェック物らしい。
これで問題の一つは解決した。
もう一つは、では私はどこでこの曲(おそらく川口版)を聞き憶えたのか? これがよくわからない。川口蕗香をネット上で検索したが正体不明である。しかし全国いたる所の校歌を作詞している。だから文部省筋では名のしれた人なのだろうと思う。
ついでながら、楽しいワルツ 小林純一作詞・ワルトトイフェル作曲というのもYou Tubeにアップされていて、これが聞いてみたらまさに「小川」なのだ。つまり第4の小川」なのだ。
ワルトトイフェルの方はとうに著作権切れだから、各社が勝手に詩をつけ題名をつけたらしい。

皆さん、とりあえずこれが目下の調査報告です。むかし映画で五社協定というのがあって、そのために鞍馬天狗や忠臣蔵や次郎長物は各社で勝手に作っていた。だから嵐寛寿郎だったり、大河内傳次郎だったりする。そういう「仁義なき戦い」の一幕だったようで…
なにか疲れた。もう飲もう。

Nov 9, 2020
BOSTON REVIEW by GIANPAOLO BAIOCCHI, MARCELO K. SILVA


の要約です。

「ボルソナロの知性との戦争」または「ボルソナロによる知性の圧殺」

リード部分

ブラジル大統領は大学に対する攻撃は民主主義を脅かしている。それはあの軍事独裁政権の暗い日々を思い起こさせる。

ボルソナロの大学への介入は就任以来25件に及ぶ。彼は教授たちに圧力をかけ、保守派の候補をゴリ押ししてきた。

そのために大学の予算を削減し、ソーシャルメディアでフェイクニュースを拡散し、敵対的な学者への攻撃を煽り立てた。

ボルソナロの2年間、学者への暴力行為と脅迫が続いた。それは軍事独裁だったあの日を思い起こさせるものがある。


これまでの教育改革

軍事独裁が終わった後、教育改革はブラジルの民主化の中心課題となってきた。

とりわけ2003年から2016年にかけての労働党政権の時代に、それは目覚ましい成果を上げた。

軍政以前に進歩的教育学者として有名だったパウロ・フレイレは、軍政時代は弾圧されていた。しかし民主化後は教育改革のシンボルとなった。彼の思想は教育計画の指針となった。

2003年に労働党政権が誕生すると、高等教育に巨大な投資が行われるようになった。19の新しい大学が創設され、173の市と町(主に国の貧しい北部と北東部)に新しいキャンパスが増設された。

「差別の積極的撤廃」(アファーマティブ・アクション)が施行され、アフロ系学生は公立高等教育の50%を占めるまでになった。


ボルソナロと極右勢力の攻撃

ボルソナロを先頭とする寡占勢力はそれが許せなかった。彼らはボルソナロの大統領就任後、教育分野に集中攻撃をかけてきた。

それはずっと昔から続けられてきた極右による教育攻撃の流れを受け継ぐものである。彼らは長い間、教育部門を文化戦争の重要な前線と見なしてきた。

彼はそれを、「ブラジルの教育の左翼支配」と呼んだ。左翼支配というのはフェミニスト、マルクス主義文化人、「家族の価値観」を否定する急進主義者による支配である。

かれらはずっと「大学の教育の質が低い、学業成績が低い、左翼の養成基地となっている」と、古典的な攻撃を続けてきた。

ボルソナロはさらにこれを煽った。恥知らずなフェイクニュースが撒き散らされた。

例えば、左翼が公立学校で子供たちに同性愛者のライフスタイルを教え込もうとし「ゲイキット」を配布した、学内でマリファナなどの材料を栽培しているなどなど。

そして「政党のない学校づくり」を合言葉に、生徒たちに、教師の発言の隠し撮りとSNSへの投稿を奨励した。

ボルソナロが政権を取ると、取締りの動きはさらに激しくなった。議会で数十の法案が提出された。「ジェンダーイデオロギー」を封殺するため、検閲が認められた。

教科書検定が一層強化され、保守的な教科書以外の採用はできなくなった。

2019年、ブラジルは「思想の自由報告」で、学者の環境の危険度が最悪の国の一つに選ばれた。

最後の拠点・大学への攻撃開始

初等・中等教育への攻撃が集中する中、大学は統治するのがより困難なため後回しになった。最大の障害となったのが大学の自治だった。

69の連邦大学と38の連邦教育機関の総長・学長は評議会で選ばれることになっている。ボルソナロはこれに噛み付いた。彼は上位三者の名簿を提出するよう命じ、その中からボルソナロが選んで任命する方式に切り替えた。

それらの候補者は左派のつながりを事前審査される。

ある大学では、ボルソナロは第三位の候補者を任命した。その候補は評議会の77票のうち3票しか得ていなかった。

大学予算の削減

これらの干渉を正当化し推進するため、ボルソナロは兵糧攻め作戦をとった

2019年に連邦大学の予算は30%削減された。その結果、大学運営システムはほぼ停止状態におちいった。

2020年、政府はさらに進んで、運営予算をさらに40億レアル削減しようとしている。これは大学予算の18%に当たる。

いまや国立大学では暗い廊下、石鹸やトイレットペーパーのない洗面所が当たり前の風景になっている。

予算削減はとくに労働党政権時代に作られた大学に集中している。その典型が、予算の半分以上が削減された南バイア連邦大学だ。バイアは黒人の多い州で、この大学の学長も黒人で女性だ。その学長はインタビューでこう答えている。
支払うべき請求書は山程あります。その中から緊急性を要するものを選び出すのが私の仕事です。大学を運営し続けるためにエアコンはすべてストップしました。

ボルソナロの賭け

大学は軍事独裁政権への抵抗において不可欠な役割を果たした。ボルソナロの大学に対する攻撃は、国の民主主義を脅かしている。

ボルソナロは自らの攻撃力の源を反知性と反左派の感情に頼っている。しかしそれはブーメランのように自分に跳ね返ってくる危険を含んでいる。

思秋期といえば岩崎宏美と思っていたが、You Tubeで中森明菜のカバーがアップされている。
こちらはどうしようもなくすごい。
中森明菜
上手い下手というのでなく、完全に憑依している。
「歌手というのはもうここまでやるしかないのだな」と納得させられてしまう。
まいった、まいった。

いまや社会は多様化し、課題は複雑になった。その間隙をついて「トランプ現象」が湧き出してくる。
民主主義は制度疲労を起こし、その反対物に転化する可能性も現実のものとなっている。
これを新しいシステムに組み替えることは可能だろうか。

これに対する一つの応えが「デジタル直接民主主義」である。
そもそも社会の大規模化に伴い直接民主主義が手続き的に不可能になったところから、間接民主主義が始まったのだが、直接民主主義は、ある意味でデジタルシステムを用いることに可能になってきている。ざっくりいえばビットコインの発想で議論の中立性と正確性を保証しなら、深めて行けないだろうかということになる。

日経新聞の風見鶏に掲載された「デシディム」(Digital-Demmocracyのことか)というプラットフォームを紹介する。
これは一種の「掲示板」だ。しかしたんなる掲示板ではなく、議論の流れや賛否の状況をわかりやすく可視化し、テックで熟議を促す。
と言われてもなんのことやらさっぱりわからない。
だけどすごいらしい。
このプラットフォームを開発したバルセロナは都市再開発の議論には、4万人が参加し、約1500の行動計画が生まれた。
と書いてある。
台湾でもオードリ・タンが関わった「v台湾」というバーチャル議会が開かれた。

このシステムがもう一つ大事なのはこのネットワークが中央集権型ではなく、ブロック・チェーンの技術を用いた分散型ネットワークであることだ。

ここからさきがよくわからない。
国は国民の情報を電子化するが、データは個々人のデバイスの中にある。だからもし公的機関がアクセスしたら、個人はその事実を把握できる。
また個人が公的データを知りたいと行ったときも自由にアクセスできる。ただしアクセスした記録は残る。

行政のデジタル化が課題ととなっているが、根底にはこのような姿勢が必要であろう。

というのが記事の流れだが、私には情報のブロック・チェーンかというのが魅力だ。これでピアー・トゥー・ピアーのレビューが保証され、談論風発のフォーラム型民主主義が実現するのではないか、密かにワクワクする次第である。

ただしこれには報酬がない。インセンティブのないループが果たして回るだろうか、と思う。結局誰かが無償の努力で回していくしかないのだろう。

トランプ時代とはなんだったのだろうか

アメリカ大統領終わろうとしている。
僅差だがバイデンの勝利に終わったようだ。何となく後数年もすれば「あれは悪い冗談の時代だった」ということになるのかもしれない。

今はまだそのように歴史的な出来事とするにはナマナマしすぎるが、そういう視点を持っておくことも必要だろうと思う。

2つの見方がある。一つはきわめて僅差であり、民主対共和という2つの勢力が伯仲していたという考えだ。

もう一つは唯一の超大国である米国で、超大国であるがゆえに生じた現象であり、世界の人々から見れば、歴史的・地理的にきわめて限られた現象だったという見方である。

私は後者の立場に立つ。

その上で、メディアやネット世界でくだされたこの民主対共和の二項対立的な評価を子細に見ていきたい。

というのはその二項対立的評価の世界史的再評価を通じてトランプ現象というものが浮かび上がってくるかもしれないとの思いがあるからである。

下記の評論から学ぶ。



第一の対立 思想的・文化的反動
中絶や同性婚などで、保守対リベラルの対立。ただしこれらは最高裁判決を経て、すでに社会的には容認されている。したがってこれらの主張は、保守主義というよりは反動思想というべきかもしれない。
「保守」はキリスト教原理主義と親和度が高いため、宗教戦争の色彩を帯びる。「宗教の自由」の名のもとに不寛容の雰囲気が支配する。

第二の対立 アメリカ第一主義
ポピュリズムは、従来からの南部プアホワイトと中西部の元産業労働者を基盤とする。白人の負け組集団である。
彼らは2つの攻撃目標を設定する。それは「エリート」と「移民」である。しかし反エリートは口先だけで、反移民は反途上国・反新興国まで広げられ、さらに反有色人種へと拡大した。そして最大の生贄として中国に攻撃が集中された。
攻撃対象が拡大され、攻撃内容が強化されるたびに人々は共感を強めた。

第三の対立 白人至上主義
第二の対立の裏返しとして白人至上主義がある。
この20年の間に、白人有権者の比率は76%から67%へと急激に低下している。フロリダ州とアリゾナ州ではとくに減少が著しい。
白人中間層を基盤とするティーパーティは、白人至上主義を公然と掲げ、社会的分断を促進した。

この3つの対立はいずれも偽りの対立でありトランプの側の主張には根拠がない。

彼らがリベラルとよんで敵視しているものは、法治主義、立憲主義、民主主義そのものである。

彼らがアメリカ第一主義の名のもとに敵視する有色人種とは、アメリカ人以外のすべての国の人々である。

「根拠」とされるものをすべて取り去れば、そこに残るのは憎しみ(ヘイト)だけだ。そこからはなにも生まれない。

中岡さんの議論を聞いていて、

第一の対立 思想的・文化的反動を「思想的・文化的反動」と括ることにいくばくかの違和感を感じざるを得なかった。トランプの思想的後退はもっと根深い、悪魔的なものがあるのではないか?
バイデン自身もここをもっと強調している。
それは科学と科学的真理、まっとうな「良心」に対する挑戦であったと…

今回の学術会議の問題を巡っても、一番の根っこは科学への軽視だ。「科学よりもガバナンスの重要性のほうが上だ」という発想を政府自身がしてしまうのは、とても深刻な問題だ。

とりわけ加藤官房長官の鉄仮面ぶりがとても気になる。彼は自分自身をひどく貶めている。彼は全裸になって股をおっぴろげているみずからに対する自覚がない。佐川の心性に限りなく近づいていくすがたは悲しくさえある。

ピノチェトを埋葬する」という記事の抜粋。10月27日付のNACLA記事で筆者はJoshuaFrensさんというひとです。テキサス大学オースティン校のラテンアメリカ史の助教授という肩書きです。

憲法改正の国民投票に至る経過

去年の今頃、地下鉄運賃値上げ反対の闘争が起きました。それから1年、チリ国民は1980年憲法を書き直すことを国民投票で決めました。

1981年憲法はピノチェト憲法とも言われ、1973年のクーデターと残忍な軍事独裁の最も重要な政治的遺物となっていました。

公式の数字では有権者のほぼ80%が憲法改正の提案を承認しました。

もう一つの投票項目で、新たな市民主導の制憲議会が新憲法を起草することも決まりました。この議会の議員は来年4月の選挙で選出されます。

鈴木: 実はこちらのほうが遥かに重要です。憲法制定議会が招集されるのですが、この議会は従来の議会のように軍人が何議席というような縛りがまったくありません。おそらくこの民主的制憲議会が成立すれば、非民主的な国会は活動を制限されていくでしょう。多くの南米諸国でそういうコースになりました。

その構成は現在の国会とは無関係です。そしてこれは世界で初めてのことですが、議員は男女が同数になるように決められています。

選ばれた議員は約1年をかけて草案を審議します。そして22年に新憲法を提示し、国民投票にかけます。つまり有権者は今回の国民投票の後、議員選挙と憲法を採択するための国民投票と3回の選挙を行うことになります。

憲法改正には軍事独裁への最終的な告別と並んで、もう一つの意味があります。それは軍事独裁のもとで野放しにされた極端なネオリベラリズムを禁止することです。

2019年10月の大闘争

今回の憲法改正に向けての最初の狼煙となったのが、1年前の地下鉄運賃値上げ反対闘争でした。

若者は抗議し、改札口を乗り越え駅に乗り込み、占拠しました。ピニぇイラ大統領(保守派)は戦争状態を宣言し、サンチャゴの街を封鎖しました。

軍隊が街頭に出動しピニェイラは実力行使も辞さないと叫びました。それはかつてのピノチェトを思い出させるものでした。

この脅迫は若者の怒りに火をつけました。若者主導の抗議運動が全国の都市に拡大しました。1~2週の間にチリは“目覚めた”のです。

何千人ものチリ人が毎晩バルコニーや街角に行き、空の鍋やフライパンを叩きました。それは抗議活動に対する政府の軍事的対応に不満を表明するためのものでした。

デモは2020年10月25日に最高潮に達し、100万人以上がサンティアゴの通りに殺到しました。

活動家は市内の「尊厳」広場を占拠し、自らをプリメーラリネア(最前線)と名付けました。重武装の機動隊が何度も襲いかかりますが、彼らは大衆支援のもと踏みとどまります。

年が明けて1月、サンティアゴのリベルタドール通りとオヒギンズ通りの交差点で両者は激突しました。何百人もの抗議者が、催涙ガス容器とゴム弾の標的となりました。

デモ参加者の16歳の若者が「尊厳広場」の脇の橋から突き落とされましたが、それは完全な映像で公開されました。

多くの市民にとって、それは軍政時代を思い起こさせる悪夢です。平和的な抗議者への警察の無差別攻撃は、市民の怒りを呼びました。

多数の人権団体は声明を発表し蛮行を非難しました。治安部隊の蛮行に対し調査せず、説明せず、責任を取らず、取らせずを繰り返す政府への強い怒りが沸き起こりました。

一般市民の決起(Estallido)と参加型民主主義

サンティアゴの小さな近所の広場では、コミュニティの住民が集まり始めました。市民が過去を振り返り、討議しフォーラムを結成しました。それは社会的エスタリドと呼ばれます。(社会的激発という意味)

自分の近所の集会に積極的に参加している歴史家のロミナ・グリーン・リオハによれば、そのような会合は、「新しいチリを建設したい」という願いが「一人ぼっち」ではないことを示しあったのです。

パンデミックの発生は、これらの行動の多くを一時停止させました。それはまた、もともと4月に予定されていた1980年憲法に関する国民投票を遅らせました。

エスタリドは自由で自発的運動なので、リーダーシップを導入するのは困難でした。とくに外部の政治団体や労働団体に属する人にとって組織を動かすことは厄介でした。

学生指導者ノアム・ティテルマンは未経験の、「指導者のない運動」と呼んでいます。

しかしイシューごとにまとまった諸団体が、周りの団体と共感し「多様な運動の単一の要求」として憲法制定運動に収斂していくのは意外に急速でした。

学生運動を先頭とするさまざまな民衆運動

チリの学生運動は世界で最も強力です。彼らは高校生だった2000年から闘い続けてきました。2011年から2年にわたる抗議運動では、教育を市場の論理ではなくではなく、市民権の基本的な社会的権利として体系化するという考えを広めました。

カミーラ・バジェホ、ジョルジオ・ジャクソン、ガブリエル・ボリックなどは国会議員となり活動を続けています。

ミシェル・バチェレの第2政府(2014〜 2018年)の下で重要な教育改革が行われ、初等および高等教育における「営利」機関の歴史的な禁止が実現しました。

その他にも民族グループ、環境グループ、退職者の年金闘争、フェミニスト運動が共同しながら闘いを進めています。

人民連合の運動との比較

チリの歴史家マリオ・ガルセが述べたように、昨年の抗議行動に関係した運動の多様性は、おそらく1970年代初頭に起こったものよりもさらに深遠で民主的だろうとおもわれます。

現代のチリは「社会の動き」そのものが改革を推進しています。伝統的な「社会運動」の概念とはまったく異なるものです。このことから伝統的な政治組織や政党が支持されなくなったことを強調する意見もあります。

アジェンデとUPは、根本的な変化を追求するために、その時代の国内の既存の政治構造の中で働くことを約束しましたが、今日のチリ人は、民主主義が実践される方法と場所を再発明することを念頭に置いています。

これからの見通し

いままで国を導いた市民主導の一連の運動は、間違いなく、昨年の行動を継ぐものであり、新しい社会システムを生み出すものです。

鈴木: このレビューは悪い記事ではないが、意図的に市民運動を持ち上げ、チリ共産党や社会党の運動を軽視していると思う。選挙制度のせいで不当に表舞台から排除されているが、世界で最も活力を持った共産党であることは間違いない。



第7章 「先史時代の日本」 その1

この章と次の章は「先史時代の日本」の紹介です。
この章では主に文化の世界伝播に触れた序説について取り扱い、第8章では日本の先史時代について触れます。
この本の間違いや歴史的限界まで書き始めると大変なことになるので、彼の先見性、埋もれてしまった業績について簡単に述べます。

エジプト・メソポタミア文明

紀元前4千年ころエジプトに生まれた高度な文明は、やがてエチオピア、アッシリア、ペルシャへと拡大しました。

建築・芸術と美学は、何世紀にもわたって高度な完成度に達しました。冶金学、特に青銅、銀、金の技術もかなりの水準に達していました。

中でも青銅器の使用な卓越していたことから青銅器文化と呼ばれます。

メソポタミアでは、チグリス・ユーフラテスの間の可耕地を巡って、南方のセム人と北方の印欧語系民族(シュメール、パルティアなど)が絶えず交錯していました。

印欧語系民族は一般に遊牧系で、年単位の南北移動や、時には大陸をまたいでの東西移動は彼らの本質的な生活スタイルでした。

彼らは馬の家畜化、車輪(すなわち馬車)の発明、乗馬術の考案など戦闘に必要な多くの発明を成し遂げました。

中でもヒッタイトはクリミアから黒海をわたりトルコ北部に拠点を形成しました。現地で製鉄法を知った彼らはこれを大規模化し、鉄の兵器の優位性を活かしメソポタミアをを平らげ、エジプトにまで進出しました。

遊牧民による文化の伝播

メソポタミアと同様、北方遊牧民も多民族が時代を織りなしています。彼らは過去から絶えることなく、中央アジアを起点に大陸内部を東西に移動していまし。

彼らには文化を創設するほどの生産力はなかったが、文明を伝達する力を持っていたし、文明間の格差が極大化した時には、それを利用して支配者となることもありました。

アジアの緯度40度から50度の間は、人口の移動、武装遠征、商品の隊商によって、先史時代から絶えず交通があったと言えます。

中国に文明をもたらした内陸交通

中国の初期の入植者は黄河の沖積谷に肥沃な土地を発見しました。農業の重要性は、運河、灌漑、排水、利水の繰り返しにつきます。

入植者は明らかに牧歌的な遊牧民ではなく、土壌の灌漑と栽培の方法に熟練していました。

この部分は明らかに誤りですが、重要な示唆となっています。後に遼河文明が発掘されそれが黄河文明に先行するもので、この文明をになったのが中央アジアの遊牧民だったことがわかりました。

この文明は衰え、漢民族に占領されました。遊牧民は次の天地をもとめ去っていたのかもしれません。

朝鮮半島の歴史とヤマト

紀元前1000年頃、朝鮮半島の北部には古朝鮮が広がっていました。南部には多くの部族がいて小さな王国が割拠していました。

(半島南部に関する記載)
強力な敵との接触時に脱出した人々は、抵抗が最も少ない方向に向かい、占領が黙認された場所に落ち着きました。

先住民は内部の平原を広範に保有し、粗放な農業あるいは放牧を営むのですが、後発組はこれとは競合しませんでした。かれらは河口に近い沖積平野を比較的に限定的に、集約的に使用する農業のスタイルをとったからです。

漢の時代

紀元前350年ころ漢が朝鮮を併合し、半島南側の諸部族を馬韓、弁韓、辰韓に分割・統合しました。

南部に住んでいる人にとっては、海岸から見える対馬の島が魅力的な展望を形成し、海を越えてたっぷりの土地のある日本に引き寄せられました。

秦の時代に鉄器(兵器)が開発され、漢の時代には朝鮮にも導入されました。


日本におけるヤマト族の受け入れ

ヤマト集団が大陸から進出して権力を掌握するまでは、かなりの時間を費やしました。

ヤマト民族は、中東や東アジアからの農業生産システムを受け取とりました。そして農業のより高い生産目標、安定した社会関係を築き、労働システムを支持し調整することで、進歩をもたらす社会関係を発展させました。

最初は海岸沿いの沖積地の小さな帯路のみが支配域で、背後の山には統権が及ばなかったとも考えられます。

具体的に侵略の形をとったと考える必要はありません。しかし他の侵入者との競合、先住民の抵抗などの形で戦いを強いられた可能性はあります。

ヤマトは北の荒れ地にも進出していきました。彼らの背後では先住民が支配者と交流しヤマトの文化を取り入れていきました。



非常に壮大な記述で、日本に類を見ない提起の仕方となっています。

遊牧民族を通じて小麦の栽培、青銅器、そして鉄器が導入され、これを通じて漢民族が発達しました。

それを用いて漢民族が朝鮮半島に進出し、押し出された半島人が鉄器をもって日本に進出し、ヤマト族となった。

ということになりますが、米栽培の技術をもって渡来した民族と、鉄製兵器+騎馬戦法で攻め込んできた民族とは違うでしょう。

そこにマンローはうすうす気づいていますが、突っ張りきれませんでした。時代の限界ですが、逆に言えばその限界の中でよくそこまで至ったなと感心します。


先程、「2020年 バッタの大発生」を上げたが、どうも納まりがつかない。
最初は勢い込んで書いたが、「すごいぞ、ひどいぞ」の繰り返しでは続かない。
6月のナショナル・ジオグラフィックでは、東アフリカ諸国の約1300万人がすでに「深刻な食料不安」に陥っているという。深刻な食料不安とは、丸1日何も食べられないか、食料ゼロの状況のことなのだそうだ。
であればもっと緊急援助が求められても良さそうなものだが、どうもそれほどのものではなかった可能性がある。

それと、パキスタン・インドに飛んでいった連中は今頃どうなっているのだろう。あまり話を聞かないところを見ると死に絶えてしまったのだろうか。あれだけ大騒ぎしたメディアはそれなりのけじめをつけてほしいものだ。

9月のバッタ分布

最近の動きは「スプートニク」の通信が詳しい。これによると、エチオピアの状況は3月ころに比べ、とうてい収まっているとはいえない。あのころ予想された被害は、いまでは現実のものとなっている。過去数十年の間に例を見ないような大損害となっている。

ただしこれはいったん収まった後の再飛来によるものらしい。当時一番ひどいと言われたケニアではいまやバッタの姿は見られない。


2020年 バッタの大発生

これは1ヶ月ほど前の日経新聞。コロナ禍の状況について書かれた記事の一節である。

18年にアラビア半島南部で発生したサバクトビバッタが海を渡り世代交代を繰り返しながら20カ国以上に広がり続けている。
ケニアでは過去70年で最悪の事態になった。パキスタンは非常事態を宣言した。6月にはインドにも襲来し、ニューデリー郊外まで迫った。
中央アジアや南米でも別の群れが発生した。
国連食糧農業機関(FAO)は、東アフリカだけで2千万人が食糧危機にさらされるだろうと予測する。

ところが、最近は一向にバッタのニュースを聞かない。どうなったのだろうか。

日経の少し前の記事から、順を追ってみよう。

最初は2月4日、カイロの特派員の署名記事。

アフリカ東部で大量のバッタが発生した。1月以降、エチオピアやソマリアで大量発生し、隣接するケニアにも広がった。

現地では農薬を散布しているが、追いついていない。エチオピアでは大群が空を覆い、旅客機が緊急着陸を余儀なくされた。

1月30日、国連食糧農業機関(FAO)は過去70年で最悪の被害となり、1200万人ほどが食糧危機の状態にあると指摘した。

バッタの凄さ:
バッタは自らの体重分の農作物や牧草を毎日消費する。食料確保のため、1億匹ほどの大群が1平方キロにひろがり、約150キロメートルを移動する。
この群れは1日で3万5千人分の食料を食べ尽くす。

大発生の原因:
インド洋西部の海水温度の上昇が、東アフリカの温暖化をもたらし、バッタの大量発生を招いたとされる。
これは「インド洋ダイポールモード現象」と呼ばれる。

農業被害の重大性:
ケニア、エチオピアなど東アフリカの最近の経済成長は3%台が続いてきた。
いずれも農業生産がGDPの3,4割を占める農業国である。農産物は主要な輸出品となっており、減産の影響は各方面に及ぶ可能性がある。

次が3月3日の記事で、こちらはニューデリーの特派員の報告
カイロからの初報よりは格段に詳細である。
見出しは
バッタ大量発生、農作物の被害拡大
アフリカ東部から南西アジアへ波及

まず被害の現状:
ケニアでは1000億~2000億匹のバッタが約2400平方キロメートルの範囲で農作物を襲っている。バッタはタンザニアや南スーダンにも飛来。
東アフリカ全体で約1200万人が食糧危機に陥っている。

インド・パキスタンにおける大発生の予感:
FAOによると、パキスタンとインドの国境に近い地域では2019年8月ごろからバッタの大群が飛来した。そのうち100億匹ほどが現在もとどまり大発生のチャンスをうかがっている。
6月までにバッタの数が500倍に増える恐れがある

大発生の要因:
気象要因としては、東アフリカの温暖化のみならず、砂漠地帯への多雨の影響があるとしている。
これにより繁殖環境が整えられ、繁殖期間が長くなった事が上げられる。

3月13日には、日経と連携するナショナル・ジオグラフィックの科学的解説記事が掲載されている。これは2020年2月25日付のナショナル ジオグラフィック ニュース に載せられた記事の翻訳である。

バッタ大発生の気象学的要因

今年大発生したバッタは、正式にはサバクトビバッタという。乾燥した地域に生息していて、大雨が降って植物が繁茂すると大発生する。

海面温度の上昇は嵐のエネルギーを高め、サイクロンの発生頻度を増やす。

東アフリカとアラビア半島では、過去2年間でサイクロンに複数回見舞われるなど、異常に雨の多い天気が続いた。これが引き金となっているのであろう。

これらの台風の犯人が「インド洋ダイポールモード現象」といわれ、インド洋の東西で海水温の差が生じる現象である。早い話が大平洋におけるエル・ニーニョとラ・ニーニャのインド洋版だと思えばよい。オーストラリア東部の森林火災とも関連する。

バッタ大発生をもたらしたいくつかの偶然

大量発生のきっかけは2018年5月のサイクロン「メクヌ」だった。これがアラビア半島南部のルブアルハリ砂漠に雨を降らせ、砂丘の間に多くの一時的な湖が出現した。ここで最初の大発生が起きた。

サバクトビバッタの寿命は約3カ月で、その間に繁殖する。繁殖の条件がよければ、次の世代のバッタは20倍にも増える。

2018年のサイクロンによって、生息するバッタはざっと8000倍に増えた。

その後アラビアで再砂漠化が進むと、バッタの群れは移動を始めた。2019年の夏までに、それは紅海を飛び越えてエチオピアとソマリアに渡った。

そこにもう一つの不運が重なった。2019年10月に東アフリカの広い範囲で激しい雨が降り、季節外れのサイクロンが上陸したのだ。

またバッタの上陸地点となったイエメンとソマリアでは駆虫剤を散布するだけのお金がなく、バッタの為すがままとなった。

破竹の進撃
図を転載しようと思ったが、著作権を侵害しそうなのでリンク先のみ掲げておく。とても良い図です。


バッタの群れは繁殖を続けながら南に向かった。2020年の1月にはケニアで過去70年で最悪の規模の蝗害が発生した。

ジブチとエリトリアでも蝗害が始まり、2月9日にはウガンダ北東部とタンザニア北部にバッタが到達した。

今後の対策

FAOが国際社会に対し、蝗害に苦しむ5カ国のバッタの駆除と農民・牧畜民の援助のために7600万ドル(約85億円)の緊急支援を呼びかけた。

その後の日経記事はほとんど会員限定記事で読めない。

6月5日にはふたたびナショナル・ジオグラフィックの記事「コロナと同じ深刻さ バッタ禍の第2波が招く食糧危機」

FAOによれば、エチオピア、ケニア、ソマリア、ジブチ、エリトリアの約1300万人がすでに「深刻な食料不安」に陥っているという。深刻な食料不安とは、丸1日何も食べられないか、食料ゼロの状況のことだ。

後はバッタの駆除がいかに難しいかの話。要は高速かつ長距離の移動を行うこと、不安定な風向き次第で常に行先を変えることである。


6月29日はインド発の記事

バッタ大群が、パキスタンと国境を接する西部ラジャスタン州から入り、インド首都郊外にせまる。
地元テレビは、大量のバッタが高層マンションの壁面に張り付き、大群の襲来で空が薄暗くなったと伝えた。

バッタの群れは、27日には首都ニューデリー郊外に到達し、なおも近隣の州へと移動を続けている。


7月6日の「日経ビジネス」

西アフリカのモーリタニアなどでサバクトビバッタの研究を行う国際農林水産業研究センター研究員の前野浩太郎氏へのインタビューとなっている。

冒頭部分だけ読める。

バッタは普段はおとなしい「孤独相」という状態にあります。それが、大量に発生して他の個体とぶつかり合うなどして刺激を受けると、活発に行動する「群生相」という状態に変化し、大群となって各地に農業被害をもたらすのです。

この後記事はピタッと止まる。

9月2日付日経新聞 「世界で害虫被害多発、穀物相場の火種」といかにも日経らしい見出し

国連食糧農業機関(FAO)によれば、4200万人が食糧危機に直面する。南米や中国でも別のバッタが大量発生。中国ではガの被害も懸念される。

その後は読めず。この記事を最後に日経の紙面からバッタの話はバタッと途切れる。

ネットで見つけた最近の記事はなんとスプートニク

10月21日付の記事で「エチオピアで四半世紀ぶりの蝗害 深刻な食糧危機に

エチオピアでは今年1月以降、推定20万ヘクタールの耕地が被害を受けた。この蝗害は過去25年間で最悪のもの。

世界銀行は、バッタの襲来は今年、アフリカ東部やイエメンに85億ドルの損害を与えると予想している。






コロナ大流行 ベネズエラへの恐るべき中傷

最初に口火を切ったのはワシントン・ポスト紙(3月20日)
編集部の見解: ベネズエラでの新型コロナ感染はとくに恐ろしい見通しになっている。
ベネズエラはフロリダから1千マイルの距離にある人口3千万人の国です。
この国はまもなく新型コロナのあらたな震源地となる可能性があります。そしてラテンアメリカの近隣諸国にとって大きな脅威となるでしょう。
5月27日にはジョンズ・ホプキンス大学とヒューマンライツ・ウォッチが、異例の意見表明。
「ベネズエラ政府の発表する新型コロナ関連のデータはばかげた(absurd)数字の羅列だ」

それでこれがその「公式統計」、6月6日現在のもの。感染者が増え始めたのが5月17日、最新データが6月5日となっている。
ベネズエラ コロナ感染データ

それぞれの折れ線の意味は読み取り不能だが、上から順に累積総感染者数、帰国感染者数、回復者数、死者数と思われる。

国内感染者数は少なく、死亡率も低い。これが医学者や人権団体の気に障ったらしい。しかしなぜか?

それは悪意のあるなしにかかわらず、ベネズエラ政府の対応能力に対する侮辱である。

次にベネズエラ政府の対応について示していく。

ベネズエラ政府の対応は迅速であった。3月17日に全面封鎖を開始した。これはラテンアメリカで最初の試みである。

相前後して政府は102万件のPCR検査を実施した。これは人口百万人あたりで3万4千件に相当する。
政府はコロナ禍問題に対する準備ができていたと言えるだろう。


日経新聞の10月26日号トップは、かなり思い切ったオピニョン記事だ。

パクスなき世界、自由のパラドクス」という題で、連載らしいがその1回目。

書き出しを紹介する。

民主主義が衰えている。
約30年前ソ連は崩壊したが、自由と民主主義の旗手だった米国は、その座を自ら降りた。
かつて自由を希求した国々、例えばハンガリーの首相はこういう。
「民主主義は自由主義でなければならないという教義は崩れた」
発言の背景には民主主義への幻滅がある。いまもハンガリーの賃金水準はEU平均の3分の1、人口は民主化後に7%減った。

民主主義を揺らすのは低成長と富の集中だ。世界のGDP成長率は80年代に3%だったのが2%に減った。一方でトップ1%の所得は16%から21%に高まった。

スエーデンの調査機関によれば、世界の民主主義国は87で非民主主義は92で逆転した。

この後記事は続くが、最後は次のような言葉で結ばれる。
法の支配や言論の自由は…誰かが守ってくれるわけではない。未来を守るカギは私たち一人ひとりの手にある。


ということで、それなりに真面目なのだが、肝心のことはスルーしている。
「民主主義を揺らすのは低成長と富の集中」と書いたが、低成長は富の集中の結果だということが明らかにされない。つまり「不平等が経済を窒息させ、民主主義を危機に追い込んでいる」というアタリマエのことがスルーされている。
不平等は民主主義の責任ではない。不平等そのものが罪なのだ。そして資本主義の原罪なのだ。
不平等は富の独占を生じる。
法のもとでの平等は、経済的不平等が進めば進むほど、格差が拡大すればするほど、富の独占が進めば進むほど、毀損されていく。
格差は最初は相対的増大として現れるが、あるところから絶対的増大に転化する。富裕層が貪ることをやめない限り、世界に絶対的貧困、経済的貧困、社会的貧困、文化的貧困が現れる。
貧困状況の遷延と深刻化は、経済の起動力である欲望の減退をもたらす。それは市場の収縮をもたらし、さらなる生産の減退とGDPの減少をもたらす。それはさらに貨幣的富の一方的増大をもたらす。
不況下のバブルこそが資本主義の未来像である。
このサイクルをどこかで絶たなければならない。
それには個々人の社会的人権を最大の目標とした正義の政策体系、すなわち社会主義が必要なのだ。
サンダースの提唱したこの「新しい社会主義」は、いますでにアメリカの若者の心をとらえ始めている。それは資本主義を排除するのではなく、その上に拠って立つ新しい社会経済モデルとして受け入れられなければならない。
これはアタリマエのことなのだ。


デジタル通貨三原則

三原則というとアシモフのロボット三原則を思わせるが、実際はそれほど崇高なものではなく、デジタル人民元とフェースブックに挟み撃ちされた国際金融トラストが「対応の三本柱」をまとめたものに過ぎない。

10月09日、日経新聞より

日米欧の中銀7行+BISがデジタル通貨の発行に関する三原則を確認した。
デジタル通貨三原則

根底には中国のデジタル人民元発行への対応があるが、それだけではなく各国がデジタル通貨への対応を迫られている現状がある。

早い話がビットコインと人民元の挟み撃ちにあっているのであり、その双方が歴史の必然となっているのである。

ここまでがリード

合意書は「モーゼの十戎」のようなもので、あまり役に立つようなものではないが、それだけ安定性はある。

第一原則 CBDC(中銀発デジタル通貨)が、物価や金融システムを撹乱しないこと。

この項目は、危機にあたって各中銀が物価の安定を中心任務とすること、そして金融システムの安定をまもることを記したものだ。

例えば、デジタル通貨が普及している国では、資金移動が容易だから。銀行預金の引き出しが急激に進む。そうすると銀行の経営リスクは高まる。

さらに長期的には、扱いが手軽なデジタル通貨に資金が流れ、銀行預金が減少する可能性がある。それだと、預金を元に貸し出しを行うという銀行のビジネスモデルが崩壊する。

だから既存システムにこれらの問題を生じさせないような制度設計が必要になる。各国中銀は、まずこのような努力を行わなくてはならない。

第二原則 デジタル通貨が既存の決済システムと共存すること

充電式の機械が普及しても、電池の需要がなくならないように、現金に限りなく近いデジタル通貨でも、大規模災害時、遠隔地などでは現金との併用が避けられない。

第三原則 デジタル通貨が決済過程の効率性上昇やイノベーションをもたらすこと

決済は「交換」という複雑な過程の着地点を形成する。そのシステムのイノベーションは一夕一朝には実現しない。(例えば金融面でのドル決済システム)

そこでは国家間、国内諸分野での競争と協力が不可欠だ。

CBDCをめぐる国際的な動き

日銀、欧州中銀(ECB)など6中銀とBISは原則づくりのための協議を重ねてきた。

とくにこれまで距離をおいてきた米連銀(FRB)が途中参加したことで協議の実効性は飛躍的に高まった。

周知のごとく、これらはすべて中国への対抗意識がもたせたものである。

中国の築いたデジタル通貨の仕組みが、貿易相手の新興国にいち早く普及していけば、先進諸国は大きな貿易上の痛手を被る。それだけではなくドルを基軸とする世界金融システムに大きな穴が空くことになる。

その危機感が第二原則に表現されている。

しかし、それは既得権益層の問題意識であって、世界の将来がかかる主要問題は、むしろ国家と「通貨主権」の関係にある。

巨大化した情報産業がデジタル通貨の発行権を握ることによって、世界を支配するようなことはないだろうか。

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