鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2020年08月

南アフリカとコロナ

南アフリカとコロナに関する記事を4本上げました。









基礎知識がないままに手当たりしだいにノートしたので、どうにもまとまりが付きません。

とりあえず、しばらく冷却期間を置くことにしたいと思います。


アフリカ日本協議会 -Africa Japan Forum-   

以下はあるセミナー報告の紹介である。報告そのものがアップロードされているので、興味のある方はそちらにお越しいただきたい。

はじめに

アフリカでのCOVID-19の状況や対策に関する報道は増えている。しかし中には現実を反映していないものもある。

とくに、4月30日のNHK BS1国際報道2020「南アフリカ・学校まで略奪〜新型コロナで社会崩壊寸前」の報道内容に対しては看過し難い誤りがある。

アフリカ日本協議会の有志会員は、「先入観に基づく報道によってつくられた誤解を解くこと」をもとめた。

このような経過により、緊急Zoomセミナー「新型コロナ:南アフリカの皆さんの報告&報道問題を考える」が企画された。

5月6日、このセミナーは日本と南アフリカ共和国をむすんで行われた。

1.南アにおけるコロナ感染の現状

南アフリカでは新型コロナのPCR検査を累計27万9379件行っています。

(これは5月6日現在の数字。同じ日、日本は26万0190件)

最近は1日1万件以上のペースで実施し、感染者の早期発見・早期隔離により、感染拡大のスピードを抑えようとしている。

南アのコロナ感染者は7572人(5月5日現在)でアフリカで最も多い。しかしこれは積極的に検査を実施しているためでもある。


2.先進的な南アフリカのコロナ対策

3月15日、ラマポーザ大統領は世界に先駆けて国家災害宣言を出した。

3月26日、全国ロックダウンに踏み切った。当初予定では3週間だったが4月末まで延長された。

5月1日からは外出制限や経済活動の制限が一部緩和された。しかし国境封鎖は継続した。

飲食店の営業はデリバリーのみ、酒類やたばこの販売は禁止された。

ロックダウン開始後も感染者は増加しているが、増加スピードは抑制されており、オーバーシュートは見られていない。


3.なぜ南アで先進的な取り組みができたのか

南アフリカのロックダウンはまだ死者が1人も出ていない段階で決定されました。貧困層が多い国内事情の下では、感染が急拡大すると対応が困難になると見込まれたためだ。

結果として早期のロックダウン開始が感染拡大のスピードを抑えました。これはWHOからも高く評価されている。

また日本のLINEにあたる「ヘルスアラート」というシステムを用いて、市民への正確な情報提供を行った。これはWHOがそのまま採用している。

このあと演者をふくめたディスカッションに入った。以下はその主な発言。

吉村さん

4/30のNHK国際報道は、アフリカへの偏見に基づいたセンセーショナルで、きわめて無責任な内容だ。

南アフリカ政府は新型コロナについて積極的に検査を行い、しっかりと情報公開も行っている。

ロックダウンについての大統領のスピーチは、人びとから強く支持されている。

市井の人びとのあいだには、この危機を乗り切るための人種を越えた連帯が生まれている。

高達さん

南アフリカの経済格差は世界一。若年層を中心に失業は深刻で、貧困層が多い。

しかし酒屋の強盗の映像を、食べるものに困った人々が食料品店を襲ったかのように切り取り報じるのは問題だ。スーパーマーケットは開いていて、食料品は問題なく買うことができる。

青木さん

ラマポーザ大統領は、まだ国内で死者が一人も出ていない段階でロックダウンを決断した。この決断は人種ゃ党派をこえて支持されている。

地域にはもともと、犯罪発生、停電や断水の情報を共有するためのコミュニティ・グループが存在した。それがいま地域共助のための組織になりつつある。

フロア発言

必ずしも現実の状況を踏まえない報道が散見される。その背景にはメディアの構造的な問題がある。

紛争や暴力といったアフリカのステレオタイプに沿った記事やストーリーのほうがデスクに受け入れられやすいという事情があるのだろう。

最後に

メディアの情報発信担当者は、先入観や偏見に基づいたネガティブな観点を引き継いでいます。その観点からの報道は、すでに日本の視聴者に一方ならぬ誤解を与えています。

現実に基づいた、バイアスの少ない情報を伝えていく努力をすることが大事ですが、それと同時に闘いが必要です。

ネガティブな情報に偏ったり、特定の意図をもって情報を都合よく歪曲するような報道があった場合に、これをただしていくことがとても大事です。

現場にいる人間としては、この観点をゆるがせにしないことが必要です。

今回の座談会では、このことが確認されました。


ということで、天下のNHK相手に「撃ちてし止まん」というのが小気味好い。

なおより詳細に事実関係に触れられている下記の文章も参照されたい。

NHK BS1国際報道(2020年4月30日放送分)への抗議



Astro Arts というサイトに


という記事があった。

何やらさっぱり分からない。
せめてどういう言葉なのかということだけはおぼろげに掴んでおこう。

電子反跳と呼ばれる現象があるのだそうだ。

それだけなら普通にある現象らしいのだが、ダークマターの検出実験中に予想以上に出たということが話題になっている、らしいのだ。

「へえー、そう」というだけなのだが、それをうまく説明しようとすると、アクシオンという未知の素粒子を前提にしなければならない、らしいのだ。

ここまでまったく意味はわからないが、これから始まる説明で、多少は背景がわかるかも知れないようだ。



1.ダークマター(暗黒物質)

まずはダークマターの話から。

ダークマターはふたつの性質を持っている。

一つは物質だから当然、質量を持っている。したがって他者に対して重力を及ぼす。

もう一つは、光(電磁波)を発しないこと。したがって見えない。すなわち光学観測では見つからない。

これだけ聞くとあまりにも分かりやすく、ダークというのは暗黒というより暗闇の中という意味ではないかと思えてしまう。

「暗くて見えないんだったら、電気つけりゃいいじゃん」ということになる。

しかし話はそんなにかんたんなことではなさそうだ。

2.ダークマターは素粒子である

ダークマターは素粒子である。それは私たちの知る物質がすべて究極的には素粒子であるのと同じである。

しかし素粒子物理学の「標準模型」には出てこない。すなわち「未知の素粒子」である。

なぜ未知なのか。なぜなら観測不能だからだ。

なぜ観測不能なのに、分かるのか。何か、論理が堂々めぐりしているようだ。


3.ダークマターはどこにあるのか

説明にはこう書いてある。
ダークマターは原子や電子などの「普通の物質」より5倍も多く存在する。それは宇宙の全エネルギーの約1/4を占める。
我々の知っている宇宙の5倍がダークマターで埋め尽くされているのだ。

下の図を見ると、素粒子のうち目下人類が確認可能なものは5%に過ぎず、残りはダークマターとダークエネルギーが占めているということになる。
アクシオン

4.ダークマターを検出する

世界でダークマターを検出しようとする実験が行われている。

その一つがイタリアのグランサッソ国立研究所で用いられている「XENON1T」だ。
ダークマターは普通の物質とほとんどぶつからずに通り抜けてしまうが、ごくまれにキセノンの原子にダークマター粒子が衝突する。

そうするとキセノン原子は大きなエネルギーを得て、蛍光を発したり、電子を放出したりすると考えられる。

キセノンを収納した容器の周囲に蛍光や遊離電子を捉える装置を置けば、これを捉えることができるはずだ。
というのが実験の趣旨。

なにか聞いたことがある。これはニュートリノの観測と同じ理屈=“待てばうさぎが跳んできて、ころり転がる木の根っこ”という「待ちぼうけ理論」のようだ。

5.電子反跳と原子核反跳

さぁここからがお立ち会い。第二の主役、「電子反跳」のご登場だ。

キセノンの原子にダークマター粒子が衝突するとき、核にぶつかる場合と周囲を回る電子にぶつかる場合がある。これを反跳という。

しかし今のところ原子核反跳は見つかっていない。

それに対して電子反跳は非常に多いのだが、実はそのほとんどは装置自体に含まれる放射性物質やキセノン中の不純物に由来する「雑音」である。

6.キセノン実験で見つかった原因不明の電子反跳

実験チームではこのすべての電子反跳を数えてみた。すると、既知のノイズ源から予想される発生数を上回る電子反跳が観測されていることがわかった。

その過剰エネルギーの発生源としていくつかが考えられている。その中の一つが
「アクシオン」と呼ばれる未知の素粒子がキセノンの電子にぶつかった。
というものである。

つまり、もしこの「アクシオン仮説」が正しければ、そしてこのアクシオンがダークマター由来のものであるとすれば、人類はダークマターの観察に成功したということになるのだ。

ここからが話しのややこしいところなのだが、結論として「過剰エネルギー=ダークマター由来」仮説は否定されたらしい。つまり話はこれでおしまいなのだ。

下世話な話でいうと、話がおしまいということは、実験は失敗に終わり、その意義は否定され、予算は凍結され、計画は廃棄されるということだ。


7.アクシオンとはなにか

そこでチームのスタッフは「転んでもただでは起きないぞ」と懸命に考えた。

話は2段階ある。一つは過剰な電子反跳を生み出したエネルギー=物質がダークマター由来ということだが、これは否定された。しかし過剰なエネルギーを生み出したものは確かにある。それが何かということだ。そこで考え出されたのが「太陽アクシオン」仮説だ。

そもそも「アクシオン仮説」は、クォークの間に働く「強い力」に関する仮説だ。

素粒子の標準模型と、実験結果の間には食い違いがある。

逆にいうと、「予想外に多い電子反跳」を生み出した犯人がいるとすると、話がうまく説明できるのだ。

そのためには、質量が数keVの素粒子が太陽の内部でたえず作られていると考えると、都合が良いらしい。その太陽アクシオンという素粒子がはるばる地球にやってきて、キセノンの電子に衝突したと考えると話の辻褄が合う。

この素粒子がアクシオンである。その大きさは陽子の百万分の1程度と推定される。


と、ここまでがアクシオンとダークマターをめぐる最近のトピックスである。




つまり「さてこそダークマターのご登場!」と意気込んだものの、どうも別物らしいと分かってちょっと落胆気味だった。

しかしダークマターではないにせよ、新たな素粒子が見つかったことには違いないわけで、あらためてアクシオンの研究が進みはじめた。

それが23日の日経新聞に載った「宇宙の謎解明 粒子を発見?」というちょっと情けない見出しの記事。副題も「暗黒物質観測中に謎の信号」というもので、上の解説を読まないと多分誰もわからないだろうと思う。

ただしゼノン計画の紹介記事は、どの報道を見てもなにか胡散臭いのだ。大げさなばかりで、内容がない。肝心なことは「新たな素粒子の発見!」ということなのだから、これまでの素粒子モデルを紹介した上で、どこがノイエスなのかを主張すべきだが、記事のほとんどはダークマターの解説と、「ぜノン計画がいかに素晴らしいか」の宣伝ばかりだ。

記事のテーマは別のプロジェクトの研究中に、新種の素粒子らしきものが見つかったということだ

しかし自然界のトリチウムが干渉した可能性、ニュートリノの未知の性質に由来するものという可能性は否定できない。

そうならばただのコンタミネーションに過ぎない。新たな素粒子の発見というからには、それなりに、しっかりした説得力のある根拠を示すのが筋というものだろう。

9月5日 文章修正

いつもお世話になっている新藤さんのニュースの紹介です。

まず報道内容から

8月15日、米政府は公海を航行中の石油輸送タンカー4隻を拿捕した。
これらのタンカーは約100万バレル、4億円のガソリンを積んでベネズエラに向かっていた。
米政府は、「友 好国の協力を得て」拿捕したと発表したが、詳細は明らかでない。
押収されたガソリンはヒューストンに送られた。

なぜこのような事件が発生したのか。

司法省はベネズエラ向けのガソリンについて禁輸措置をとっている。理由はマドゥーロ政権が独裁的で、非適法的な政府であるからだと説明されている。
しかしタンカーは公海上を国際法上の違反なしに平和に航海しているのだから、上記の理由で拿捕することは、それ自体が戦争行為あるいは海賊行為に等しい。
そこで司法省は7月に、連邦地裁に対してベネズエラ向け貨物の差し押さえ許可をもとめた。それが今回認められてことから拿捕に及んだということだ。
つまり禁輸措置という制裁行動には、第三国への禁輸おしつけもふくまれるということになる。
米司法省によればタンカーはイラン革命防衛隊が運航にあたっていた。イラン革命防衛隊は米国が「外国テロ組織」に指定している。したがってこれは反テロ行動の一環だ、と主張しているようだ。

赤旗はこの事件を以下のように報道している。
米政府はベネズエラの マドゥーロ 反米政権を『正統性がない』 と見なし、
(その結果)同政権を支援するイラ ンとともに石油禁輸を含む制裁を科しています。
そして、それが国際法上から見ても明白な違反であり、ベネズエラ国民に無用な苦しみを与える行動であること、間違った見解に基づく間違った行動であることには言及していない。

この論理で行けば、いずれキューバ制裁も是認するようになるのかも知れない。


以下は、南アフリカで暮らす日本人男性が感じた、NHK “コロナ略奪” 報道への違和感
という記事からの抜粋

これは7月5日付でYahoo News に投稿されたもので、ノンフィクションライターの井上理津子さんによるレポート。ただし抜粋部分は井上さんが現地で観光ガイドをしている高達さんの発言。

4月30日に、NHK BS1で「南アフリカ・学校まで略奪~新型コロナで社会崩壊寸前」というニュースが流れた。

私は未見

南アフリカ・学校まで略奪〜新型コロナで社会崩壊寸前

5週間のロックダウンを続ける南アフリカでは、その期限を30日に迎えるが、感染者が予想以上に増えていて、延長が検討されている。しかし、経済的な打撃は特に貧困層に顕著に表れている。貧しい黒人が暮らす地区では、収入が途絶えた人々による略奪が続き、その対象が商店から学校へと移っている。悪質なことに、証拠を隠滅するために放火され、200近い学校が破壊された。


という番組抜粋がまだ消えずに残っていた。


現地で観光ガイドをしている高達さんは憤る。

その内容がひどかったんです。スーパー併設の酒屋に黒人の男たちが押し入り略奪した。さらに居合わせた人たちも次々と酒を盗んだ。テレビはそう伝えた上で、「それは人々がロックダウンによって食べるものにも困ったからだ」と印象づけた。インチキ報道でした

男たちはギャングです。彼らが酒売り場に押し入ったのは盗んで転売するのためです。ロックダウン以前からそういった “闇商売” は横行している。そこに居合わせた人たちが、鬱憤晴らしに便乗しただけです。むしろロックダウンしてからのほうが犯罪は減っているのというのが事実です。

ちょうど日本で “ロックダウンしないのか” という声が上がっていたころでしょ? このにゅーすは “ロックダウンするとこうなる” と歪曲して伝えた、NHKの日本政府への忖度報道だったのでしょう。

実際には、南ア政府はずいぶん迅速に動きました。第一次コロナの時期から、子どもや高齢者、障害者への社会手当を半年間増額するなどの手を打ちました。さらに、従来は社会手当の対象外だった18歳から59歳の人たちへの手当を導入するなどの手を打ちました。

もちろんうまくいっていない点もあるが、それは他国も同様です。だから国民の間には政府のコロナ政策を支持する向きが多いのです。


同様の疑念は朝日新聞Globeも表明している

という6月18日付の記事

表現は少しおとなしいが、多量の毒をふくませている。筆者は白戸圭一さん。立命館大学の教授である。

「国際報道2020」は、国際報道における「事実」と「現実」の関係を考える貴重なケーススタディーだったように思う。

番組は、南アを取り上げ、ロックダウンによって貧困層が困窮し、略奪が多発していると伝えた。

映像では大勢の住民が商店を略奪する様子を捉えた映像などが流された。

こうした事実を並べることで、ロックダウンへの不満が強いと示し、「経済活動の再開に踏み切らざるを得なかった」南アの「現実」を伝えた。

と書いた上で、もうひとりの南ア居住者の反論を引用している。

それが吉村峰子さんの発言「事実誤認、途上国への蔑視、差別があまりにも露骨」という文章だ。これは放送直後の5月3日に自分のブログに掲載されている。

さらに5月6日には「アフリカ日本協議会」という市民団体がオンラインセミナーを開催し、吉村さんを含む4人が番組への批判を表明した。

共通する批判点はこのようなものだ。
*南ア政府の感染対策は極めて積極的で計画的だ。
*国民の多くは大統領の感染対策を支持している
*番組では南アの対策が破綻した事になっており、事実と背馳する

それは個別の事実の真偽に対する疑念ではなく、事実の組み合わせによって作られた全体的印象に対する違和感である。

6月5日、東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターがオンラインセミナー「コロナ禍とアフリカ」を開催した。

この中の発言から拾うと、

NHKの番組の放映前の4月13~18日のヨハネスブルク大学による世論調査で、ラマポーザ大統領の仕事ぶりに対する国民の支持が73%に達していた。評価しない国民はわずか4%しかいなかった。


これは「国民の不満を前に、大統領の感染対策が瓦解した」という基調で制作されたNHKの番組とは相当趣を異にしている。

5月31日時点で日本の新型コロナ感染者数は1万6851人。これに対し南アは、人口が日本の約半分の5800万人なのに3万967人で、日本より多い。

しかし、同じ時日本のPCR検査数が29万436件だったのに対し、南アは72万5125件だった。南アでは、病院だけでなく、防護服に身を固めた医療チームが車で住宅地を訪問してPCR検査をしていたのである。

これらのことは番組では紹介されなかった。

番組制作者による取捨選択の過程でそぎ落とされた事実は膨大に存在する。

伝えられなかった事実に着目しなければ、制作者が選択した「事実」に基づく「現実」の範囲内でしかアフリカを見ることができなくなってしまうのである。


蛇足になるが、かくいう私もNHKのニュースに影響された一人だ。
 
なにか変だと思いつつも、日本語の情報がなかなか手に入らない状況で気をもんでいた。南アといえば日本AALAの友好国であり、まずはその国が公式に打ち出している情報を正面から受け止めて、そのうえでメディアの投げてくるクセ球をしっかりと受け止めつつ、日本国内の多くの人々に発信していくという姿勢が必要だろう。

我々はメディア組織ではない。メディアでさえも情報の取捨に関しては誠意が必要なのだから、ひど梅諸国との連帯を謳う組織が、いい加減な情報に踊らされてはならないだろう。


多分、知っている人はみな知っているのだろうけど、僕には初めてだった。

ウクライナ出身の女性歌手ナターシャ・グジーだ。顔も声も美しい。それ以上に考えがまっすぐで、話が心に染み入る。

オフィシャル・ページからプロフィールを引用する。

ウクライナ生まれ。
ナターシャ6歳のとき、1986年4月26日未明に父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が発生し、原発からわずか3.5キロで被曝した。
その後、避難生活で各地を転々とし、キエフ市に移住する。
ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校で専門課程に学ぶ。
1996年、救援団体の招きで民族音楽団のメンバーとして来日し、全国で救援公演を行う。

2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始。その美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたバンドゥーラの可憐な響きは、日本で多くの人々を魅了している。

ということで、You Tubeから彼女の歌のいくつかを紹介しておく。



小松菜奈が見たくて、映画「糸」を見に行きました。かなり客は入っていましたが、それでも満員には程遠い状況でした。

そのためか、入場料が1700円に上がっていました。映画の前に行った床屋さんも200円上がっていました。映画はともかく、床屋さんの値上げは賭けみたいなものです。それまでの値段も相当割高だと思っていましたから、年金ぐらしの年寄客は一気に減ると思います。

それはともかく、

映画は、一言で言えば駄作です。小松菜奈ファンからすれば、ずいぶん金をかけていることは分かるのですが、それが小松菜奈を引き立てる方には役立っていない。
出てくる場面は多くても何やら印象がまったく定まりません。怪人二十面相ではないが「結局、どんな人だっけ?」という感じです。展開は安易で場当たり、伏線ゼロで個々のエピソードも紙芝居のように陳腐です。
それに引き換え主人公の男優の年上の妻は、まことに魅力たっぷりです。ネットで調べたところ榮倉奈々さんというらしい。
とはいえ、こちらはサイドストーリーなので、一体なぜ、彼女が主人公を好きになったのかは一切省略されています。

10回ものの連続テレビドラマの「総集編」というと分かってもらえるでしょうか。
ひたすら筋が混み合って、やたらと役者が多くて、泣かせどころはくどくどと引っ張って、要するに脚本がなっていないのです。だから結局のところ何を言いたいのかさっぱり見えてこない。

なにかむかしの東映の正月映画「赤穂浪士」を思い出してしまった。オールスターの顔見せだから、出演者に粗相の無いように、忖度、忖度。ただし赤穂浪士は、筋はみんな知っているからいい加減でもよいが、こういういかにもありがちな筋を雑然と連ねたんでは何も印象に残らない。

小松菜奈のイメージを大事にしまっておきたい人なら、見ないほうがいいのではないでしょうか。男役の俳優が好きな人なら、ぜひ見たら良いでしょう。榮倉さんファンならなおさらです。いま目をつぶったら榮倉さんの顔しか出てきません。

なお、斎藤工がなかなかかっこよかったことも付け加えておきます。死んだカミさんのお気に入りでした。こちらの話をもっと膨らませてもらったほうが、よほどリアリティのある脚本になったのではないでしょうか。


「革命の上海で…ある日本人中国共産党員の記録」という本を読んだ。
著者は西里竜夫。戦後、長く日本共産党熊本県委員長を務めたらしい。
1977年 日中出版からの発行となっている。
西里

多分、西里さんも中西功さん同様に、戦後は微妙なコースを歩んだのではないか。

38歳で終戦を迎え、釈放された。まもなく日本共産党に入り、40歳で熊本に戻る。同時に熊本県委員長となるが、3年後に委員長を降りている。同じ1950年、中西功(当時共産党選出国会議員)は党中央と対立し除名されている。いわゆる50年問題である。西里も関連していた可能性がある。

50歳で熊本安保共闘の副議長に就任しているが、党における肩書きは不詳である。
以後20年間の経歴は空白となっている。しかし衆議院選挙には毎回出馬、毎回落選を続けているので、日和っている様子はない。そしてこの本を執筆した70歳の時点で、県委員会副委員長となってる。

なおこの本を発表した1977年といえば「文化革命」真っ盛りの頃だ。しかしその話はまったく触れられていない。異様といえば異様だ。

彼はその後さらに10年を生き、80歳で息を引き取っている。

ストーリーはすべて一人称で書かれ、ディテールは異様に詳細だ。日記をつけることなど許されるわけはないので、ややいぶかしさを覚える。

ただ研ぎ澄まされた神経の中で生きた十数年であるので、私ども「ぼーっと生きている」人間には想像もつかないような記憶力が働いているのかも知れない。

豊富な史実が散りばめられているが、もはや私にいちいち拾い上げるほどの根性はない。



日経新聞に恐ろしい記事が載った。秋田博之という記者の署名記事で、土曜版一面のトップである。

見出しを並べると
きょう終戦75年
世界迫りくる無秩序の影
戦後民主主義の岐路に
というもので、民主主義の終末に対して警鐘を鳴らすものだ。
日経も変わったものだ、ふむふむと読みだすと、相当ディテールが異なってくる。
「あれあれ、なんかへんだぞ」と考え出す。
そういう意味では色々と考えさせてくれる記事ではある。

* 記事のレトリカルな特徴

「無秩序」の論拠として記事が強調するのは、国連の弱体化とIMF・世銀体制だ。

この2つは並列ではない。政治的上部構造と経済的土台だ。マルクス主義者でなくてもこれはABCだ。

筆者はこれをあえて並列化して、牛若丸のごとく、ここと思えばまたあちら。さまざまな事象を都合よくつまみ食いする。したがって内容は雑然とし、論旨は錯綜する。

経済の話と政治の話を分けた上で、論理を構築してもらわないと、賛成も反対もし兼ねる。

きつい言葉で言えば、これは酒飲み談義で、天下の日経新聞のトップ記事になるようなレベルではない。

1.国連の弱体化

記事が「無秩序」の象徴としてあげているのは、国連、とりわけ安保理の無力化だ。

その根拠は、シリア内戦。国連は何も出来ないというものだ。リットン調査団扱いだが、まぁなにも出来ていないのはそのとおりだ。

それは認める。

それがなぜなのかということになると、俄然話は変わる。「中国とロシアが拒否権を使いまくっているからだ」というのだが、そもそもシリアは喩え話に過ぎない。

問題は国連弱体化の理由が「中国とロシアが拒否権を使いまくっているから」なのかだが、ことはそれほど単純ではない。

戦後国連が発足して以来、ソ連は拒否権を発動し続けてきた。しかし国連はそれでも存在し続け、少しづつその力を蓄えてきた。

今日国際法体系が強固に築き上げられてきたのは、戦後の国際連合の業績である。それは連続拒否権攻撃を乗り越えて形成されてきた。


2.中国のIMF体制への攻撃

ここで秋田記者は突如として国連の話を止めてしまう。仕方がないので、私も従う。
とりわけ気がかりなのは、強大な経済力を使いもう一つの国際システムであるIMF・世銀体制まで切り崩しにかかっている中国の行動だ。
というのが、記者のもう一つの危機感だ。

こちらもかなりおかしい。

まず第一に、「IMF・世銀体制」に国連並みのプレステージがあるかどうかということだ。
IMF・世銀というが、ブレトンウッズはGATTもふくんでのシステムである(本来はILOもふくまれるべきだと思うが)

「IMF・世銀体制」は中国を排除してきたから、これを戦後経済システムといわれても、中国は素直に納得はできない。

当時の事情によるとはいえ、ドルという一国の通貨を国際決済通貨とするフィクションはいずれは解決すべきものである。

ということが、難癖。

第二には、中国がIMF・世銀体制を「切り崩しにかかっている」という事実認識だ。

2011年10月17日の記事で、「SDR基軸通貨構想について」というのを書いた。

デジタル人民元といい、中国はたしかにドル支配体制に風穴を開けることを願っている。それは通貨システムを壊すことではなく、すべての人に開かれたシステムに作り直し、さらに発展させることである。

それは米国以外のすべての国が願っていることであり、国際金融ゲームの一握りの勝者以外のすべての人にとって好ましいことなのだ。

もちろんそれは長期目標ではあるが。

問題は中国が現在のドル支配体制の代わりに、元による支配体制を目指すことで、それには秋田記者とともに反対したいと思う。

3.私から言いたいこと

このあとの文章も個別には触れたいところがあるが、千鳥足に付き合っていたのでは消耗だ。国連についてだけ述べておく。

国連の人権規約は、人権宣言の後15年もかけてコツコツと議論を積み上げたものだ。しかもその間冷戦はつづき、核の危機も続いた。拒否権発動も続いた。

そんな中で、世界の人々の願いに突き動かされて、国際人権規約が成立に至った。そしてさらに15年の後、日本もこの人権規約を批准した。

もっとあげておこう。植民地がなくなった、人種差別がなくなった、男女差別がなくなった、先住民への差別がなくなった…

これらがすべて戦後わずか100年足らずの間に実現したことである。

私たちには危機感もあるが夢もある。たとえばケインズの提案した世界基軸通貨「バンコール」である。

ドルにしがみつく時代はそろそろ終わるべきだ。

世界の経済と金融が、米国のしがらみから自由になったとき、真のグローバリゼーションが始まるのではないか。

義和団事件の真相

事件の経過を知ろうと思いネットを探したが、さっぱり分からない。

私の予備知識としては、むかし映画で見た「北京の55日」くらいだから、そもそもなんの事件か分からない。太平天国の北京版くらいに思っていたが、ある一つの記事にあたってかなり「目からウロコ」の思いである。

その記事が、コトバンクに掲載された「日本大百科全書」(ニッポニカ)の解説


これにネットから拾ったいくつかの周辺的事実を加え、物語的に仕立ててみた。

1.「義和拳」とはなにか

山東省内に1898年に「義和拳」という秘密結社が結成された。

義和拳そのものは清朝の中期から存在する武術で、武器を持たない民衆の自衛手段として生き延びてきた。

義和拳の売りは、これが白蓮教という信仰と結びついていたことである。

2.白蓮教とはなにか

白蓮教は紀元1100年ころ、南宋に始まった仏教の一派。浄土教系の信仰で半僧半俗で妻帯の教団幹部が男女を分けない集会を催した。

一種の終末思想を持ち、国家や既成教団からも異端視されていた。「最後の審判」では、覚醒した信者だけが救済者の手で救われる。

元末には「紅巾の乱」により元を滅亡させ、明朝を成立させたが、明朝により弾圧された。

その後、白蓮教は秘密結社として生き残り、しばしば反乱を起こしたが、叛徒が白蓮教のレッテルを貼られることもあったようだ。

1796年には清朝の圧政に抗議し、全国で白蓮教徒が「弥勒下生」を唱え反乱。戦いは6年に及び、清朝衰退の原因となる。

その後も、白蓮教はさまざまな分派が秘密結社として活動を続けた。中国における秘密結社の大半は白蓮教に関係している。


3.なぜ義和拳が人気を博したか

白蓮教の流れをくむ義和拳の教えは、「呪文を唱えると神通力を得て刀や鉄砲にも傷つかない」という怪しげなものだった。

こういう教えは、不安な世の中に流布する。

朝鮮の支配権をめぐる日清間の戦争(1894~95)は日本の勝利に終わった。

これを見た列強は侵略の牙をむき出して、一斉に襲いかかった。それは中国を分割の危機にさらした。

それは都市部ばかりではなかった。安い商品の流入などで、農村の経済と農民の生活は破壊されていった。

この状況を敏感に感じ取った義和拳の青年達は、キリスト教の布教活動にターゲットを定めて排外主義キャンペーンを広めた。

彼らは教会を焼き、教徒を暗殺した。

それは特権的な立場から固有の文化や信仰を否定し、西洋文明を押し付けるヨーロッパ人への反感を助長し、とりわけ没落農民の人気を獲得した。


4.清朝政府の態度

このような暴力的で非合理的なキャンペーンが何故広がったか、それは清朝政府の態度にも問題があったからだ。

日清戦争の敗北を機に清朝内部での守旧派と洋務派という対立が顕になった。洋務派は95年の日清のあと一時弱体化した。

これに代わり、清朝正統派の勢力が再び力を盛り返した。そのトップに立ったのが西太后である。

彼らは義和拳を弾圧するのが困難とさとり、逆に利用して列強に対抗しようと試みた。

1899年、義和拳は農村の自衛警察である「団練」に組み込まれ、半ば合法化された。

義和拳は義和団と改称し、「扶清滅洋」(清を助け外国を滅ぼす)という時代錯誤のスローガンを掲げ、排外主義を押し出すようになった。ヤクザが合法右翼に成り上がったようなものだ。

これが河北一帯に義和団をのさばらせることになった最大の理由である。


5.義和団、北京へ、そして全国へ

しかしこのような隠蔽工作が長続きするわけはない。義和団はますます跳ね上がりキリスト教会への暴行は目に余るものになる。

各国外交関係者、とくにドイツ外交団は清国政府に強硬にねじ込んでくる。

このような中で、清朝政府は取締りを約さざるを得なくなった。山東省の巡撫が泳がせ政策の責任を取らされる形で更迭され、代わりに李鴻章の子分で洋務派の袁世凱が任命された。

1899年の末に現地入りした袁世凱は大規模な取締りを開始した。そのおかげで山東省の義和団は沈静化したが、彼らは農村に戻ったわけではない。「団練」の職を失った今、故郷に戻っても働き口はないのだ。

失業した青年はまず河北省に流入した。やがて大運河、京漢鉄道沿いに蔓延するようになった。さらに華北全域、満州、蒙古にもあっというまに拡大した。

こんなに山東省の若者がいるわけはないので、全国の失業青年が一斉に市街部に繰り出してきたのだろう。

義和団員は10代の少年が多く、赤や黄色の布を身体に着け隊伍(たいご)を分けた。

全体的な指導部はなく、町ごとに「壇」という隊を分け、義和団の単位とした。宗教的指導者が壇の責任者をつとめた。少女たちも「紅灯照」という組織をつくり、戦いに参加した。


6.清政府の宣戦布告

とにかくこうやって広がった打壊しの波は、最後に北京の街にまで侵入してきた。

暴徒は外国人や教会を襲い、鉄道、電信を壊し、石油ランプ、マッチなどあらゆる外国製品を焼き払った。

これに対し列強は、在留民の生命と資産を保護するため、天津に上陸し北京の軍事制圧を目指した。

義和団の暴走を止めることが出来ず、列強の抗議にも回答できなかった清国政府だが、列強の首都侵攻に我慢することは出来なかった。

そして6月17日、ついに宣戦を布告した。

私は政府の宣戦布告というから、てっきり義和団への宣戦布告だと思った。しかしそうではなくて列強への宣戦布告だった。

理非は別として、彼我の力関係を無視したあまりにも無謀な戦争であり、無知な宮廷内官僚による自殺行為である。


7.「北京の55日」

清政府が宣戦布告すると同時に、列強の代表は各々の公館の中に閉じ込められることとなった。いわゆる「北京の55日」の始まりである。

英、米、独、仏、露、伊、墺、日の8か国は、1万4千名よりなる連合軍を編成。北京の開城に向けて行動を開始した。対決の相手は義和団ではなく清国政府の正規軍であった。

7月、双方の主力が天津で対決するが、清国軍の抵抗は脆弱であった。連合部隊はそのまま北京市内になだれ込み、公使館区域の救出に成功した。西太后と光緒帝は北京を脱出して西安に逃れた。

義和団の若者の多くは残虐にも斬首された。

この事件の後、中国は膨大な賠償金の返済に長く苦しむことになり、植民地化は一層進行した。


8.性格としては「北清事変」というべきだが

事実関係としては、

①清が列強を相手に仕掛けた戦争であり、
②戦争というにはあまりにも短く、
③清国南部はこの戦闘に参加していない

ことから「北清事変」というべきであろう。

「義和団の乱」は北清事変の序章というべきものであるが、義和団「事件」と言うにはかなりの時間経過があり、いくつかの場面の複合でもあるため、「乱」のほうが良いと思う。

また、社会的重要性に焦点を合わせれば、「義和団の乱」として記憶すべきところもあり、入試問題としての憶えやすさも念頭に置けば、「義和団の乱」のままで置くのがベストかと思う。

やはり、この「乱」の主要な側面は、農村の無産青年の思想性と規律性を内包した集団的蜂起だ。



19世紀の末、故郷山東省はドイツの植民地となってしまいました。
キリスト教会が強引な布教活動を行い、
皆、見て見ぬ振りをしていました。
そんなとき、拳法を修行する集団「義和拳」の若者たちが立ち上がったのです。
その中心にいたのが朱紅燈でした。
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朱紅燈は山東省泗水の生まれ。本名を朱逢明、天龍と号していました。ただし生地についてはいくつかの異説もあります。

貧しい家庭に生まれ、長じては「遊民」のような生活を送っていたようです。青年時代には白蓮教の影響を受け布教活動にも参加していました。

故郷が洪水に巻き込まれ、長清県へと移りました。

光緒24年(1898)から医業を始め、併せて拳法の道場も開きました。その拳法は「神拳」、会の名を
「大刀会」と名乗りました。

大刀会の会員は急速に拡大し、会は「山東義和会」を名乗るようになりました。そして朱紅燈は著明な指導者と目されるようになっていきました。

当時、山東省を流れる黄河はしばしば氾濫し、至るところで土砂が畑を覆いました。洪水後は干ばつが襲い、人々は食べて行けず、生活はまことに厳しいものでした。

キリスト教の白人宣教師は、西洋列強の力をカサに来て人々を抑圧しました。こうして民衆とキリスト教会の矛盾はますます激化していきます。

同じ1898年9月、朱紅燈は山東省平原縣に「興清滅洋」(西洋を滅ぼし清を再興しよう!)の大旗を打ち立てます、そして会の名称を「義和拳団」と改称します。

1899年春,朱紅燈は茌平に入り、彼の技を各所で繰り広げ、そこの反キリスト教会運動の指導者となりました。
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彼の指導の下、茌平の義和拳運動は著しい発展を遂げます。そしてその勢いは地域の村々へと連携を強めていきます。そしてキリスト教会への攻撃はどんどん激しさを増していきました。

十月,朱紅燈は隊伍を率いて李莊、起義に入りました。県知事蔣楷の治安部隊を打ち負かし、清国軍に強力なダメージを与えます。

李莊では、人々をせん動し教会を焼き討ちしました。

その後、朱紅燈の率いる義和拳の一行は、長清、禹城、茌平へと転戦しました。そしてこれまで民衆を弾圧してきた教会指導者に懲罰を加えました。

外国の手先となっていた暴力団にも懲罰を加えました。清軍の包囲を破り弾圧をはねのけました。このことが朱紅燈の名をますます高めました。

しかし朱紅燈の進軍は長くは続きませんでした。12月、彼は内紛によって傷を負いました。

彼は山東巡撫により捕らえられ、済南で公開処刑されました。


現在の中国では義和拳の朱紅燈が義和拳運動の創始者のように扱われ、英雄視されているが、どうも正確ではないようだ。

彼自身は明時代の高臣の子孫と称したらしいが、これはかななり怪しい。

朱紅燈の活躍したのは1899年末まで。このときは未だ騒乱は山東省内に限局されていた。彼らの運動は一種の空気抜きとみなされ、省当局は一定の泳がせ背策をとっていた。それどころか地方では一種の私設警察として庇護していた。
しかし最後にはドイツを始めとする列強の関知するところとなり、省長は更迭、泳がせ政策は弾圧政策へと変更された。

実はここまでは義和団運動の前史みたいなもので、それから飛び散った若者が華北一帯に広がり、西洋排斥運動に転化したあたりから、本格的な義和団運動が始まると見たほうが良い。

いづれにせよ、日本(ネット世界)では正確な情報が意外に伝わっていないことがはっきりしたので、この記事もなにかの役に立つかもしれない。

義和団事件の真相
も参照してください。




「経済制裁」の歴史 年表
杉田弘毅 「アメリカの経済制裁」(岩波新書)より作成

経済制裁: 外交・安全保障上の目的を実現するために他国に課す経済的な強制手段。軍事力を使わない戦争。(杉田氏による定義)

年表と言っても全部を記入するのは、多すぎて不可能。

49 対共産圏輸出統制委員会(ココム)による東側への軍事戦略物資の禁輸措置が発効。

50 米国、朝鮮戦争の敵国となった中国に敵国通商法(TWEA)を適用。通称の禁止を命ずる。違反すれば資産凍結、国内での活動禁止、


79 ソ連のアフガン侵攻。米国など有志連合による制裁。

79 テヘランの米大使館占拠事件。米国は単独制裁で兵器輸出の禁止、金融サービスの停止、在米資産の凍結に踏み切る。

84 ヒズボラがレバノンの海兵隊兵舎に特攻攻撃。米国はイラン制裁を復活。

85 アパルトヘイトを続ける南ア政府に対し、国連安保理による制裁。


89 天安門事件。G7が対中制裁で合意。経済的には武器の禁輸、世銀融資の停止を課す。

90 イラクがクエートを占拠。米国は有志連合を組織しイラクを排除。

92 キューバ民主主義法が成立。米企業だけでなく外国の子会社も貿易を禁止。

96 イラン・リビア制裁法。国外企業もふくめ油田開発を禁止。後にリビアの制裁は解除される。

01 アルカイダによる世界貿易センター爆破。このあと、愛国者法が成立。資産凍結、外為取引の禁止、送金業務の禁止を柱とする。財務省の金融制裁が主流となる。

02 国際銀行間通信協会(SWIFT)が、アルカイダのテロを受け、関連する通信情報の提供に踏み切る。

05 マカオのデルタ・アジア銀行(BDA)、北朝鮮の資金保管先だとして米財務省が「主要懸念先」に指定。BDAは直ちにすべての北朝鮮関連講座を停止。

10 包括的イラン制裁法。これまでの制裁法に金融制裁が追加される。

14 ウクライナ自由支援法。ロシアのエネルギー、国防部門に制裁。

16 IS、国際金融協調により石油売却益の現金化が困難となり、急速に衰退。

16 北朝鮮制裁強化法。金融制裁で第三国をふくめて制裁強化。

18 19年度国防権限法。中国の先端5社の政府調達禁止。

ベトナムの外交政策

 By Shindo

  1. はじめに

723日、ポンペオが猛烈な反中国と反共産主義の演説をした。注目を引いたのは、ベトナムが、台湾、日本と同列に親米国として扱われていることだ。

 

  1. 米越関係はどう変わってきているのか

「抗米救国の戦い」を20年にわたり戦ったベトナムが、今や、米国と密接な関係に入っている。

以下の年表を作ってみた。


1995年、ベトナム、アメリカとの国交を正常化

2009年以降、南シナ海を航行する米空母が、ベトナム軍・政府関係者と提起交流を開始。

20108月、次官級の米越国防政策対話の初会合。これに合わせ空母「ジョージ・ワシントン」が共同演習に参加。

20119月、「防衛協力の推進に関する覚書」が締結される

20137月、オバマ大統領、米越包括的パートナーシップを提唱

20157月、ベトナム共産党書記長が訪米。米越共同声明発表

20165月、対越武器禁輸措置が完全撤廃される。

201610月、米艦2隻がカムラン湾に入る。

20178月、リック国防相が訪米し、マティス国防長官と会談。米空母のベトナム寄港で合意

201711月 トランプ大統領がハノイを訪問し、チョン共産党書記長と会談

20183月 空母「カール・ビンソン」がダナンに寄港。

このように米越関係は驚くほど親密である。


  1. 日越関係はどう進んでいるのか

日本との関係も進展している。内容省略。


  1. 東アジアの持続的平和共同体をめざして

新藤さんはベトナムの外交政策を評価したうえで、下記のごとく総括している。

ベトナムは社会主義の道を歩んでいると言い切れるでしょうか。

ベトナムの外交政策には、中国包囲策としてのパートナーシップが見え隠れしています。

最後に新藤さんは、諸外国との原則的関係として以下の点を強調している。

① 実情をリアルに見たうえで、友好と連帯を進める。

② 非同盟運動の原則(平和5原則+バンドン十原則)

③ 貧困・格差の解消、地球環境の保全



この記事は新藤さんの書いた「ベトナムの対米、対日外交政策」を読んだ私の感想文である。

私が思うに、非同盟諸国との付き合いにはいろいろ事情があるということだろう。
その辺も察した上でたがいに礼儀を尽くし、友好を深めるというのが新藤さんの主張だと思うので、私もまったく賛成である。

「小異を残して大同につく」の視点から、コントロヴァーシャルな話題はできれば避けたいし、手のひら返し的な評価や、ジャーナリスト的なほじくり返しもやりたくない。

しかし人権絡みの議論が出る際は、国際的な評価が迫られる場合も出てくる。その際は、とくに人権そのものよりも、人権の基礎となる社会権・生存権の状況を判断することが重要だろうと思う。そうすれば、乏しい情報を元にいたずらに打撃的な評価をする愚は避けられるだろうと思う。

これを新藤さんの3つのポイントに加え、第4のポイントとして提案しておきたい。



「終戦」というのは正しい

1.8月15日の意味

学生時代、「終戦」というのは間違いで、大日本帝国の「敗戦」の日だと教わってきた。

たしかにそれはそのとおりだが、日本だけでなく世界のファシズム体制が最終的に終わりを告げた日という意味では、「終戦」というほうが感じが出るかも知れない。

ついにふたつの大戦まで至ってしまった、大量殺戮と「総力戦」の政治、そういう時代が終わりを告げた記念日、それが8月15日ではないだろうか。

3.時代を画す三つのエピグラフ

過ぐる時代をどう評価するか、来たるべき時代をどう作るか、それをどう次世代に引き継ぐか、それを確認していく作業が8月15日という日なのだろう。

その作業のための三つの礎がある。そこには繰り返し復唱すべきエピグラフがある。

それは第一に国連憲章、第二に世界人権宣言、第三に日本国憲法である。

A. 国連憲章(1945.4)

前文: われら連合国の人民は、一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から、将来の世代を救うことを決意した。

第1条: すべての人権と自由を尊重し、人種、性、言語または宗教による差別をなくす。


B. 世界人権宣言(1948.12)

前文: 人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらした。
人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利である。これを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である

第一条: すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。

C: 日本国憲法

前文: われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。

われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。

3.三つのエピグラフの意味

私なりの解釈だが、

第二次大戦は、人権を守る戦争だった。

ファシズムが究極の悪である理由は、人権の無視・蹂躙にある。同時にその究極の悪を暴力によって世界に押し付けようとしたことにある。

人権を守る戦いは大きな勝利を収めたが、戦いそのものは未完であって、その戦いを進めることが安定した平和ををもたらす。

人権を守る戦いは、つねに次世代のための戦いでもある。それは名誉ある戦いである。

世界は人権の実現に向けて究極的には前進しつつあることを確認しなければならない。

とりあえずネットで集められる限りで、アフリカにおける感染状況とその特徴を探ってみた。南アに関しては南ア政府の英語版サイトから拾っている。



アフリカ大陸のコロナ感染者数


アフリカの新型コロナ感染者は、まもなく100 万人に達する。

2月14日にアフリカ初の感染者がエジプトで確認された。その後、感染者数が10万人を超えるのに100日間、30万人を超えるのにそれから30日間、50万人を超えるのに16日間とすごい勢いで増加している。

まさに感染爆発ともいえる状況だ。

しかし実は、これらの数は当てにならない。アフリカ大陸は13億の人口を抱えるが、人口が約半分のラテンアメリカでは、感染者300万人、単純な感染者数で6倍、人口あたりの感染者数は12倍となる。

誰が見てもそんなはずはないので、アフリカ大陸では人口100万人当たり4200件の検査しか行われていない。同じ時期、アジアでは7650件、欧州では7万4255件のPCR検査が行われた。

つまりアフリカの患者数が少ないのは、感染が少ないのではなく検査が少ないからだ。それはアフリカの貧しさの象徴だ。


「タンザニアのレポート」

タンザニアのマグフリ大統領は、コロナから国が守られるよう、全国的に3日間の祈りを捧げることを呼びかけた。キューブリックの映画を見るようなシュールな世界である。大統領がこんなお手上げをしていてはいけない。

タンザニアは人口5500万人。東アフリカ地域でもっとも大きく、もっとも人口が多く、もっとも医療が遅れた国だ。WHOは、この国の流行状況についてほとんど情報がないと言っている。

お祈りから1カ月も経たないうちに、マグフリ大統領は新型コロナに対する勝利を宣言した。そして自国への観光を再開し外国人観光客の誘致を呼びかけた。多分コロナ感染者以外の観光客は行かないだろうが。

そして5月初めからは全国レベルの患者数・死亡者数を公表することをやめてしまった。


ただこれには同情すべき理由もある。海外から輸入された検査キットは欠陥品であり、ヤギから採取したサンプルでも陽性反応が出たという。

タンザニア以外ではもっと悪い


データの不足はアフリカ諸国の多くに共通する。公式数値だけ見るとアフリカの大半では新型コロナ禍を免れているようだが、もっと悪いのは確実だ。


政府が感染症の拡大を認めたがらない、あるいは崩壊した医療システムが検証にさらされるのを嫌がる場合もある。若年層が多いこともあり、死者は欧米諸国に比べて少ないが、日本の感染者数と同様であてにはならない。

一部の政府は、たとえ資金援助を受ける機会を逸することになろうとも、感染率に関する情報が表面化することを防ごうとしている。

ブルンジではWHO当局者が対コロナ措置の不十分性を指摘したところ、WHOの駐在員3人が説明なしに国外退去処分となった。その後、ンクルンジザ大統領が死亡、大統領夫人はケニヤに救急搬送された。現地では死因はコロナではないかと囁かれている。

赤道ギニアでは政府が、「WHOは感染者数を水増ししている」と非難し、駐在員の更迭をもとめ、感染データの提供を阻んでいる。

また、貧困と紛争によって疲弊し、調査を行う財力がない国もある。検査キットが致命的に不足し、大規模な検査、監視、接触追跡を実施するには、あまりにも医療システムが疲弊している。


アフリカ全土では人口千人あたり病床数が2ベッド未満しかない。住居内に手洗い場を持ち石鹸のある家庭は人口の約3割とされる。

それでもエイズに比べてましなのは、それが銃とレイプによる感染拡大ではないことだ。とはいえ、ブルキナファソ、ニジェール、マリなどではイスラム原理主義武装勢力や民族主義武装勢力が広範囲で活動しており、地方での調査は不可能となっている。


南アフリカの状況

南アフリカはアメリカ、ブラジル、ロシア、インドに続き、5番目に感染者の多い国となっている。アフリカの感染者100万人のうち50万人が南アフリカに集中している。

PCR検査が不十分にしか実施されておらず、感染者数は50万人よりはるかに多いと考えられている。6月初めの時点では、未処理の検体が6万3000件以上も積み残されていた。それでももちろんアフリカにおいては圧倒的な検査能力だ。

3月には世界的にもいち早く都市封鎖を実行したが、急速な経済悪化と失業者増加に耐えられず、6月には都市部の封鎖を緩和した。

その後7月に再び感染者が増え、ロックダウンを再開した。医療従事者は疲弊し、医療システムは崩壊寸前にある。

7月末、WHOで緊急事態対応を統括するマイケル・ライアンは、南アの現状は今後、アフリカ大陸全体に広がる事態の前兆だと語った。


南アを取り巻く南部13カ国が、極端な天気と新型コロナの影響で、危機に陥っている。約4500万人が飢餓の脅威に直面しており、このうち840万人の子どもが深刻な栄養不良にひんしている。

困ったことにアフリカ・飢餓と来てもまったく危機感が沸かなくなっている我々がいる。


経済マクロ

7月はじめ「アフリカ開発銀行」が2020年の経済見通しを発表した。

大陸全体の経済成長率はマイナス1.7%と予測された。

特に南ア(マイナス6.3%)、ナイジェリア(マイナス4.4%)など主要国の落ち込みが顕著である。

南アのドル建て信用スプレッド(5年物)はコロナ以前の2倍近い約3%に高止まりしている。

国民生活への打撃

新型コロナの影響で南アフリカの大部分の学校が休校となっており、約2000万人の子どもが給食を受けられずにいる。このため一部の子どもたちは、栄養を十分に摂取できないでいる。


都市部の低所得者の困難はより深刻だ。正規の仕事がないため屋台や日雇いなどの非正規雇用で生計を立てているが、政府の閉鎖措置のため、賃金を稼いで生活するのが難しくなっている。



ベネズエラ関連情報で、いつものごとく新藤さんによる提供。

赤旗のベネズエラ記事

8月6日、 しんぶん「赤旗」は、大要次の通り論評した。
グアイドーを支持する野党連合の 27 政党は12月予定の国会議員選挙に参加しないと発表した。
『不正選挙には参加しない』との態度を表明した。
さらに『ベネズエラは人道危機にあり、犯罪的、抑圧的な独裁が支配している。自由で透明な国際的な監視団による選挙が必要だ』と強調した。
選挙管理委員会を任命するのは、国会の役割だが、政府の意を受けた最高裁が勝手に任命した。このように最高裁を野党封じ込めに使うのは政府の常套手段だ。
「赤旗」は野党27 党の一方的な声明を詳細に引用する一方、与党側の反論意見は無視している。そして最高裁についても事実上政府の言うままだと批判している。


ベネズエラの現実と真実

現在野党(右派)は、主要4 党と7つの小政党併せて11 党が、選挙反対野党になっている。

主要4党は、それぞれが選挙参加派と不参加に分かれている。6つの小政党は、選挙に参加し言論で闘う姿勢を示している。

これに対し与党(左派)は政権政党である社会主義統一塔を中心とする10の政党の連合であり、「拡大祖国戦線」(FAP)を名乗っている。そこにはベネズエラ共産党もふくまれている。

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           新藤さんの記事より転載

最近の世論調査では、27党合わせた野党の支持率は、与党連合の75%にしか達しない。

選挙ボイコット派は、このことをよく承知しており、敗北を隠すために選挙をボイコットするのである。

野党勢力減退の理由

与野党勢力比が日本での印象とかけ離れているのは、この数年間の騒ぎが決して国民の支持の下にあったのではないことを示している。

これは過去の与野党得票比を見れば分かる。

過去において両者が拮抗した場面はいくつかあった。しかし現在の力関係はチャベス最盛期のそれに近い。


“難民”は、実はコロンビアからの出稼ぎ者

此処から先は鈴木の個人的な考えである。

“難民” は、この間に経済危機で生活の糧を失い、故郷コロンビアに戻った“ベネズエラ人”の数を反映している。

各種統計で数百万と言われる“難民”には、実は帰るところがあった。だから数百万を受け入れる難民キャンプはついに形成されなかったのである。

難民がどこにどうやって流れたのかについての統計はない。コロンビア政府が発表していないからだ。国連人権事務所や人権NGOも、これについて口をつぐんでいる。

難民はベネズエラに来たコロンビア人である。その多くは都市での不安定職業に従事し、上流階級のためのハウスキーピングを生業としてた。

彼らがもっとも強固な野党支持者であったことは納得しうるし、不況下にあってまっさきに職を失い、国を去ったことも容易に想像しうる。

つまりは上流階級による“資本家ゼネスト”のとばっちりをモロに被ったことになる。もちろん彼らを供し続けることができなくなった上流階級の弱体化も反映しているのだろう。

これが与野党支持率のドラスティックな変化を説明する理由である。

ただし、今の所、それ以上の根拠は持ち合わせていない。


選挙ボイコットは米国の指示か?

新藤さんが指摘し、かつ赤旗の記事が触れていない重要な情報がある。

7 月28 日に米国務省のエイブラムス・ベネズエラ問題特別担当特使の意見表明である。

新藤さんによれば内容は以下の通り
2019 年の国会議員選挙は、自由で正当ではなかった。それは2018 年の大統
領選挙より、一層悪いもので操作されていた。
そして今回選挙が行われれば、それが一層不当なものになると示唆し、選挙に反対する意志を示した。

これを受けて主要4政党は、選挙ボイコットを発表したのである。

これがベネズエラ議会選挙をめぐる騒動のてん末である。

“人権は「普遍」なのか” 

人権概念の発展をあとづけた本を読みたくなり、図書館に行った。意外にも、率直に言って期待に答えるような本はあまりなかった。

とくに1948年の世界人権宣言の後の人権概念の発展過程を、「自由と平等」のもとに整理していくような論考は見当たらない。

なかで題名が刺激的なのと、薄くて2,3時間で読めそうなので、下記の本を借りだした。

岩波ブックレットNo.480 
人権は「普遍」なのか
ー世界人権宣言の50年とこれからー

という本で、人権宣言50周年の記念シンポの記録である。50周年というのは1998年のことだから、かなり古い本ではある。

私が人権宣言(+規約)以降の一大発展と考える「人間開発報告」(93年)と「持続可能な開発」(02年)はここには反映されていない。

1.
最初の講義が「人権の境界」(鵜飼哲)というので、死刑と戦争を題材に人権を語る。聞いただけでうんざりするような「倫理的」命題だ。

「近代ヨーロッパの崩壊とその先に立ち現れる全体主義」などという無内容を乗り越えて、現代人権理論は発展しているし、その一粒一粒としての人権も多彩化している。

それを認めない人との間の議論は不毛だ。

それにしても恐ろしく観念的な議論を繰り返している。

言語学をソシュール派が占拠したように、人権哲学のフィールドにはハンナ・アーレント派がはびこり、腐臭を放っている。

これが、1998年の日本における人権概念と人権思想だったのだということがあらためて想起される。

2.
次の講義が「プロセスとしての人権」(増田一夫)というもので、これぞまさしくアーレントの紹介に過ぎない。

結びの言葉だけ引用しておく。
これから(人権の普遍化に向けて)、私たちが発明していかなければならない政治とは、現在とは別様な世界のあり方、より良い共生のあり方を考える自由の技法としての政治なのです。
何たるレトリカルかつ無内容な、かつアーレント的な文章。2日はいた靴下の匂い!

3.
次の「アジアにおける人権」(坪井善明)はまともな講義。

「飢えというのは物理的な空腹ではなく、それをなんともできない無力感だ」というアジアの人々の声を引用している。

これは非常に大事な指摘だろうと思う。「飢えから逃れ、飢えを克服しようと希望する」ことが人権の核になるのだということを指摘している。

いわば「希望権」だ。それが生存権の根源だ。

坪井さんは“人権は「普遍」なのか” というゲームみたいな問いに、ふたつの補助線を用意している。

一つは歴史的に見ることであり、一つは階級的に見ることである。

フランス人権宣言は革命によって、革命勢力の合意として作られた。

その革命勢力の末裔がベトナムを植民地支配した。

そしてフランス人権宣言は、今度は民族解放勢力の旗印となった。

こうして人権は「普遍化」されたのではないか。

植民地が開放された後も、先進国との間には大きな社会的ギャップが残り、拡大している。

世界はそのような不公平を拒否し、苦闘してきた。そうして人権はさらに多様化し。ブラッシュアップされている。

一方で、欧米諸国の中には過去の植民地支配への反省が見られない人がいる。

彼らは、古いままの人権概念を振りかざして、自分たちの考えの普遍性を僭称しているが、その人権概念が自分たちだけにしか通用しなかった事を忘れている。

このように個別的には、非常に正しい、示唆的な意見をたくさん提起してる。

しかし残念ながら、これを人権枠組みの中に整序するところまではいっていない。

他のシンポジストの意見から見れば、これが時代の制約であった可能性は否めない。

他途中の演題は個別課題の人権なので跳ばす。

4.

最後の演題が「人権の普遍性と文化の多元性」という、なにか語呂合わせのような演題。

主催者の樋口陽一さんのまとめ的発言となる。

冷戦時代、人権というのは資本主義側の専売特許みたいなところがあって、社会主義国では使わなかった。

ベルリンの壁崩壊の後、「人権」は世界の共通語となったが、そこには人権宣言の中核概念たる人権と、かつて社会主義国からブルジョア的自由だと批判されていたような自由がゴチャ混ぜになっている。

白人有産階級だけがおう歌する自由は、大多数の人にとっては自由の剥奪であり人権侵害である。

現代ではこう言える。自由権のみを以て人権を論じる人がいれば、その意見は無視すべきである。なぜなら、大多数の人々にとって自由権は社会権の上に成り立つものだからである。

このあと樋口さんは人権をめぐるいくつかの誤解に答えている。
人権は西洋人が考え出した贅沢品ではないか?
人権の強調は西洋による文化帝国主義ではないか?
などは間違いだ。
それは支配者の言い種だ。
人民大衆は、人権をまさにもとめている。

南アフリカの苦しみに、心添わせよう

本日の新聞で南アに関する記事が、写真入りで大きく取り上げられている。

どんな内容なのかは、見出しだけ列挙すれば大方見当がつくだろう。

“残忍取締り” ネットに記録
都市封鎖下 南ア警察・軍に批判
人権団体がサイト設立
殴打されて死亡

これについては何も言うまい。ただ出所が例によってロイターであることだけ付け加えておく。

私はこの場に南ア大統領のメッセージ(要約)を掲載して対抗したい。


  Cyril Ramaphosa 大統領

最初のメッセージは3月18日に全国に向け発信されたものである。

親愛なる友人の皆さん

世界は、未曾有の規模の緊急事態に直面しています。コロナウイルスの蔓延は驚くほど迅速かつ広範囲です。

それは境界を知らず、老若男女を問わず、先進国と発展途上国を問わず蔓延しています。 

私は昨日、国民非常事態を宣言しました。これにより緊急時の迅速で効果的な対応システムを構築しようとしています。

避けられない経済的影響が出るでしょう。輸出入の減少、観光客の減少、失業の増大などです。


1.緊急対策

多くの緊急対策が実施されます。

危険度の高い国からの入国禁止、多人数の集まりは禁止、学校の休校、港の全面閉鎖など

社会的距離の確保、頻繁に手洗い、咳やくしゃみじのエチケットをれいこうします。

これらの措置は懲罰的ではなく、公共の安全を徹底する課題です。

2.私たちの心構え

幸運は努力と準備を好むと言ったのはルイ・パスツールでした。南アフリカは準備されています。私たちの科学者と疫学者は世界クラスです。

現時点で最大の危険の1つは、無知と誤った情報です。

ソーシャルメディアでは、偽の未確認のニュースの拡散をやめるべきです。これはすでに緊張した国民の気分を悪化させるでしょう。

他の国々で見られた偏見の表現に屈服してはなりません。偏見はすべての人々に影響を与えるウイルスです。 

感染者や、帰国者への思いやりの翼を広げましょう。困っている人やもっとも貧しい人たちを助けましょう。

「寛容と敬意」は、私たちを人として定義している徳です。私たちは、その価値に忠実であり続けます。 

私たちは決意と目的を持って、断固として行動します。我々は克服しなければならない。なぜなら私たちは南アフリカ人だからです。


次のメッセージは8月1日、「コロナウイルスの国内対応について」と題した大統領のメッセージである。

1.感染の現状について

今日の時点で、南アフリカはコロナウイルスの50万人以上の確認例を記録しました。342,461人が既に回復しており、現在152,676件が今も治療中です。

過去2か月間で感染が急速に増加しました。その後、東西ケープ州、ハウテン州で安定して来ているようです。

残念ながら症例数は世界で5番目となっています。一方死亡数は8,153人、致死率は1.6%に留まり、世界平均よりも大幅に低くなっています。
(ただし実際の死者数はこの数値を超えていると思われる)


2.我々の払ってきた努力

過去数か月にわたって、私たちは前例のないリソースの動員を行ってきました。

すべての州で病院が再編成され、監視システムが整えられました。医療従事者がトレーニングされ、大量の保護具が用意されました。

しかし感染の広がりはそれをはるかに越えていきました。


3.南アのもつ対応力の効果的再配分

これから1ヶ月の間に、国内で生産された2万台の非侵襲的人工呼吸器を配置します。

スタッフのための感染防御具の不足と物流の不具合を解決します。

もっとも緊急の課題として、労働者の懸念と不満に真剣に対応します。

また法執行機関に、物資の調達における汚職および不正行為に関する調査を優先するよう動きます。


4.個人および集団の不法な行動の予防

目の前の医療システムを維持するために、いくつかの措置が取られなければなりません。私たちは、質の高いケアをおこなう多くの病院を誇りに思うべきです。

気持ちが荒んでいるために、酒を飲んで略奪したり医療施設などを襲撃するケースが頻発しました。

アルコールの販売を停止したことで、これらのケースは大幅に減少しました。これからも破壊行動が起こる可能性はあります。警戒を続けなければなりません。

マスクを正しく着用し、他の人から2メートルの距離を保ち、定期的に手を洗うことを守ってください。

私はすべての南アフリカ人に、これらの最も困難な時代に強くて堅実であり続けることを求めます。


どちらも南アの現実の一面を切り取っているのかも知れないが、現地を経験した人の視点はどうなのか、伺いたいところである。ひょっとしてベネズエラのように、どちらから見るかでまるっきり景色が違うのかも知れない。


コロナ禍の中で、人権の著しい不平等と、場合によっては人権侵害が問題になっている。ただ私の気になるのはいわゆる自由権的人権ではなく、社会権・生存権の方である。

私がこの間、口を酸っぱくして言ってきたのは、世界の人権に対する考えは変わってきているということだ。

グローバル化と人権

これまで自由も平等も国家レベルで考えられてきた。
国家があり、憲法があり、それぞれに医療・教育などの制度があって、それを基準に国民としての人権というものが考え語られてきた。

ところが20世紀末から急速に国家間の垣根が取り払われ、ヒト・モノ・カネ・資本の移動が自由化してきた。世界は単一化しグローバル経済のもとに置かれることになった。

グローバリゼーションは世界の人民が等しくチャンスを与えれるべきものとして構想されたはずだ。

しかし貧富の差はますます拡大し、途上国に貧困と戦争が蓄積しつつある。ひとりひとりの人間の法と人道のもとでの平等は、実現されたとも前進したとも思えない。

このような状況だからこそ、自由と平等をグローバルに構想することが必要だ。グローバルな世界のもとで、不自由で不平等な、絶望的な状態のもとに置かれているのは不条理である。それは人権の名のもとに救済されなければならないと思う。

したがって、国民ではなく「世界市民」としての人権が語られる状況が生まれているかのように見える。



「人権」論の発展の歴史

これまで人権の主要な内容として自由権が語られてきた。しかし現在は、自由権と生存権とが一体のものとして語られなければならなくなっている。

人権が人間の自由に関する権利だということについては、英国の名誉革命、アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言以来変わりはない。

しかし、1948年に国連が世界人権宣言を発し、それ以来国際的な議論を交わす中で、以下のことが明らかになり、世界的な合意となった。

すなわち

自由権の実現を目指す社会的土台、すなわち社会権が、今日の世界における人権の主要な内容だということ。

社会権は、世界のすべての人の法的平等という考えに根ざすこと。

そして基本的生活権(健康で文化的な最低限度の生活)を前提条件とすること。

さらに、社会権が社会開発に伴なって拡大充実することが、真の自由権拡大につながっていくのだという、「発展的人権」の考えが今日の人権の中核をなす考えになっている。

そして今、我々はコロナの時代を迎えた。その結果、人権は生存権に集中して論じられるようになった。世界中のすべての人の人権はコロナの時代を生き抜く権利として提示されている。

それを示す基本文書が4月に発表されたグテーレス国連事務総長の声明である。


コロナと途上国ファースト

考えていただきたい

自由な社会には社会的平等が必要であり、そのためには基本的生活権の確保が必要なのだ。

米国という一つの国家内でも、平等と生存権の重要性は証明されている。「黒人の命も問題なのだ」というスローガンが、今の時点での人権問題の所在を明らかにしている。

新型コロナによる死者の23%は黒人。米国の人口に占める黒人の割合は13.4%なので随分高い。

黒人は低賃金のサービス業で働いているから休めない。集合住宅に住んでいて、公共交通機関で通勤するから、不特定多数の人と接する機会が増える。 

では黒人が病気になったらどうだろう。黒人は貧しいから保険に加入していない。そもそも黒人地域にはまともな病院がない。

このように差別の垣根は何重にも囲われている。黒人の死への道は掃き清められている。これを差し止めるには思い切った社会政策が必要なのだ。「黒人の命も問題なのだ」


国連の提起に真剣に耳を傾けてほしい

途上国でコロナと闘うためには、ためらいなく、惜しげなく資源を投入する必要がある。多くの国では、そのための資源を十分に確保することができない。

公衆衛生能力の格差は、貧しい国をより高いリスクに晒している。

ユニバーサルな生存権を重視するのは、それが今日における人権の主要な側面であるからだ。平等な権利は互助の精神と表裏一体のものだからだ。

4月、このような状況の中で、国連は事務総長報告「新型コロナと人権」を発表した。

少しその勘所を拾っておこう。
ウイルスは差別をしない。貧富を問わず一つの社会全部にとって脅威だ。

新型コロナは、その地域の根本的な差別をあぶり出す。弱者層は一方的に人命を失い、生計の道を絶たれている。

そこでは根の深い不平等があり、それがウイルスの広がりを助長し、さらに不平等を深めている。

それぞれの国でウイルスとたたかうとき、そこに差別があってはならない。いま最も危険に晒されている国々は、それらを排除せず、特別な対策を講じるべきだ。

もしその国がウイルスの拡散を抑えることに失敗すれば、すべての国が危険に晒されることになる。世界は、最も弱い医療システムと同程度にしか強くない。このことを明記すべきだ

コロナ対策は基本的には隔離である。それだけに一層、排除と差別は拙劣なアプローチだ。インクルージョン(包括)は私たち全員を保護する、最も良いアプローチなのだ。
そして、「ためらいなく、惜しげなく」の発想が「お互い様」の精神に裏打ちされていなければなならないと思うからだ。

国境の枠にとらわれる限りこのユニバーサルな視点は隠れ勝ちになる。ともすれば二の次にされかねない、下手をすればバイキン扱いされかねない途上国の人々に手を差し伸べるにはどう考えたらよいか。

自由権は絶対に必要

自由権は近代社会の中核だ。絶対に外すわけには行かない。

ただその前提が欠如した中では自由権は絵空事だ。途上国や新興国では往々にしてそうだ。ときによっては政治的宣伝手段ともなる。そのことを理解した上で、事実に即してことに当たるべきだ。

それが国連の人権枠組みに関するとらえ方の基本だ。

息子がアマゾンのビデオ・チャンネルを登録して行った。クレジット会社の通知を見たら毎月結構なカネが徴収されている。
しょうがないから見ることにした。
最初に見たのが「わたしを離さないで」という連続テレビドラマ。綾瀬はるかの主演だというので見はじめた。

* 恋愛ドラマというには結構きつい

4年くらい前のドラマだが、中身は恋愛ドラマというには結構きつい。よくこんな番組を民放で作ったものだ。
一種のSFで、iPSから作られた人間が生体移植用の材料として使われる、彼らには普通の人間と同じ人格が備わっているが、唯一自分の生死を自分で決められないという問題がある。というより、家畜と同じでいつ臓器を取られても良いし、その結果死ぬことは当然のこととされる。

つまり人格はあるが人権はないということになる

浮世離れした非常に危うい設定だから、話はどんどん観念的かつ悲観的になっていく。最後は、「これは俺たちのことではないだろうか」という気になってくる。そしてみな死んでしまうことになる(のだろう)…

ドラマでは綾瀬はるかの相手役の男優が非常にうまい。あまりうますぎて、時々「この人、気は確かなのだろうか」と思ってしまうくらいだ。眼に一種の狂気が宿る。
三浦一馬と言って、最近自殺してしまったらしい。

ただ陽光学院の先生方がまったく書き込まれていないので、背景がよくわからないまま筋が突っ走っていく、これだけ長丁場のドラマなら、もう少し脇の筋も描かれるとぐんと厚みが増してくるのだろうが、ただでさえ捻りまくった設定が、ますますねじれてわからなくなるかも知れない。 

* イシグロが書いたのだそうだ

うかつにも見逃したのだが、あとでネットで調べたらこのドラマの原作はイギリスの作家イシグロのものなのだそうだ。

イシグロは日系二世で、このドラマの前後にノーベル文学賞をとった。この作品はイギリスでベストセラーになったのだそうだ。

そう言われて、あらためて考え直すと、このドラマはロボット人間の葛藤劇というだけではなく、それを利用する側の人間もふくめた一種のディストピア社会なのだ。

その中で健気に生きる、一群のロボット人間たちによる、ひとつのビルドゥングスロマンなのだ。そう考えると、この設定は決して突拍子もないSFではない。

かつて戦前から戦中の若者は、天皇の名において社会から死を強要された。生まれた瞬間から死が運命づけられていた。その中で若者たちは喜び、悲しみ、成長していった。ある日突然召集令状が来るまでは。

ドラマとの違いは、その運命と、その死がもてはやされるかどうかの違いでしかない。ウソがてんこ盛りにされた社会からそれらを剥ぎ取れば、それはまさに無残な社会だ。

あるいはアフリカの途上国の人々だ。彼らの生や死は、常にスコップ一杯の生や死として扱われる。50万、百万の死をテレビで聞きながら、私たちはそれを露ほどにも受け止めず弁当をひろげ、お茶のペットボトルに口を当てる、

ただイシグロは、その冷厳な現実を突き出すだけでなく、その中にも生きている意味を掴み取ろうと必死にもがきつづける、人間の生の力強さをも描き出そうとする。そこに若者たちの共感を得ようと訴えている。

とにかく一度ご覧になるようおすすめする。アマゾンプレミアというところに申し込むと見ることができる。中身からすれば契約料は決して高くない。設定は面倒っぽいが、若い人ならやってくれるだろう。
相当ヒマな人でないと見れないだろうが…


人権 (とくに生存権)  備忘録

認識は現状から過去に「なぜ、なぜ?」と遡りつつ進むのだけど、認識した結果を自分なりにまとめて書こうとすると川上から書かないと納まりがつかない。

ただしそうやって書くと見栄えはいいが、認識の深まりとは逆方向なので、わかりにくくなる場合が多い。下手をすると読者は途中で挫折しかねない。そのへんは作者の腕の見せ所だ。

ということを前提にしながら、とりあえず川上からの流れ図を(論証抜きに)説明しておく。


1.人権論は米国流の社会契約論を源流とする

A. バージニア権利章典と独立宣言

B. 合衆国憲法(1787)と権利章典(修正第1条-第10条)

 
2.古い不平等と新しい不平等

A. フランス人権宣言

フランス革命のふたつの任務: フランス流社会契約論と「古い不平等」システムの打倒

米国には「古い不平等」(身分制)はなかった。したがって基本文書において平等に関する言及はない。個々人に備わる基本的人権の考えも見られない。

B. 新しい不平等の出現

米国は南北戦争を経験したが、「新しい不平等の出現は遅れた。

C. 憲法の修正条項としては

*修正第13条・奴隷制廃止(1865)
*修正第15条・黒人参政権(1870)
*修正第19条・女性参政権(1920)

にとどまる


3.立法による社会権の付与

A. 第一次大戦後の貧困救済の動きと社会権・生存権

ヨーロッパでは戦勝・戦敗のいかんを問わずインフレ・貧困などが蔓延した

これに対してふたつのアプローチが行われた。

一つは制定限度の生活を権利として認め、国家に義務を追わせるもの(ワイマール型)。
一つは国家の本来的機能・能動的責務として社会福祉を必須とするもの(英米型)である。この場合生存権の思想は無視したままでも話は進む。

B. ニューディーラーの福祉政策

このような自由権偏重の米国社会を打破したのが、ニューディール政策

とくに35年以降、社会保障制度、全国労働関係法が導入され、法体系として実質的に生存権の保障がなされていく。

後半期の政策はケインズ経済学ではなく、福祉経済学の流れを引き継ぐものとして位置づけられる。


C. 四つの自由

40年の年頭教書でルーズベルトが提示したもの。

人権を自由権と認めた上で、思想・信仰の自由に困窮からの自由、戦争からの自由を付け加えた

困窮からの自由は社会権・生存権、戦争からの自由は平和的生存権を指す。
ルーズベルトはこの4つの自由を「第二の権利章典」と呼んだ。これらの内容は日本国憲法の前文にも書き込まれている。(米国内で一般化しているかどうかは不明)

憲法に社会権・生存権を組み込むのは困難なための論理的曲芸である


4.世界人権宣言から国際人権規約へ

A. 世界人権宣言の重要性と限界

ルーズベルト未亡人で国連代表のエレノアがまとめ上げた。4つの自由を世界の宣言に高めた。

しかし、4つの自由の持つ弱点が持ち込まれた結果、社会権は前文等に「散りばめられている」が条文として定式化されていない。

B. 国際人権規約の成立

社会権・生存権をきちっと書き込むことは48年の宣言採択当時からのものであった。

早速この点について人権委員会での議論が始まったが、冷戦のさなかの議論であるため、多くの困難があった。

結局、18年後に国際人権規約が採択された。規約はA規約とB規約に分かれそれぞれ社会権規約、自由権規約と呼ばれた。

これにより社会権(経済的、社会的及び文化的権利)が国際法の最高位となる人権規約で認められ、かつ自由権と同等の重みを持つものとして位置づけられた。


5.社会権の内容が豊富化

人権規約の採択と並行して、個別課題での条約化が次々に成立した。(年表参照

A. 「人間の安全保障」

ここでは社会権・生存権に関連する2つの前進を挙げたい。一つは93年に国連開発計画 (UNDP) が「人間の安全保障」を提唱したことである。

これは国民の生存を国家安全保障の一環と位置づける考え方である。国民を平和のうちに生かし続けることが、国家防衛と並ぶ政府の基本義務だと規定され、国家の本来責務の一環としてビルトインされた。

これは福祉経済の発想に通じるものである。

B. 社会権擁護が社会開発と結び付けられた

もう一つは、国連サミットで「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されたことである。

ここでは生存権そのものが発展する権利として位置づけられ、自由権の基礎をなすものとして位置づけられた。

アジェンダでは17項目の「持続可能な開発目標」が掲げられているが、これはそのまま社会権として位置づけられることも可能である。

ある国の人権状況を総合的に見る際、このような「人権マクロ」に基づいて評価することも必要だ。

C. 人権NGOの活動には注意が必要だ

このように国連レベルでは人権概念が大きく変わりつつある。

しかし多くの人権NGOは冷戦構造を引きずり、「自由権こそ人権の核心である」と主張し、自らのものさしに合わせ、「社会主義国や宗教国家など強権国家には、人権委員会の構成国である資格はない」と拒絶してきた。

自由権は今も究極の人権ではあるが、あまりイデオロギー的に扱ってはいけないと思う。もう少し「人権マクロ」を総合評価する中で人権状況を客観的に発展してくれるように望むものである。

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