鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2020年04月

今井佐緒里さんのレポート
がすごい。これだけの報告を書き上げた集中力に心から敬意を表する。

レポートの最初の言葉。
この原稿を書くのに5日間かかった。
一度は困難さに発表をやめようかと思ったが、あまりにも誤解が拡散しているので、不十分でも発表することにした。
一言で言ってヘビーだ。しかしトランプのWHO攻撃と韻を踏んで、ネトウヨどもによって拡散されている現在、この問題から目を背けるわけには行かない。

これを読むとわかるのは
1.ニュースそのものが本当に存在したのか。フェークではないのか

2.モンタニエが、正味のところ何をどう喋ったのかということ

3.モンタニエの理屈がどこが筋が通っていて、どこが「トンデモ」なのか

4.モンタニエがどのくらい怪しげで、どのくらいまともな人物なのかということ。モンタニエの背後にはどういう人達がいるのか。
などということだ。

これは私用の心覚えなので、どうか皆様には本文にあたっていただきたい。

最後に、ついでに本庶先生のこと(こちらはまったくのフェークで、それ自体が犯罪行為)にも触れておく。

1.できごとは本当に実際に存在した

4月16日、フランスの「どうして?ドクター」という番組でのインタビューが始まりだ。

モンタニエはこの中で「新型コロナウイルスは人為的なものであり、武漢の研究所でつくられたのだろう」と述べた。

4月17日、24時間ニュースチャンネルで同様の主張を行った。

とりあえず、核心的な事実はこの二つである。
モンタニエ
この件に関して論文は書いていない。つまり学問的な方法で自説を提示しているわけではない。

2.モンタニエは、正味のところ何をどう喋ったのか

彼の言葉は片言隻句ではない。ひとかたまりの論拠らしきものも付け加えられた主張である。

今井さんの記事から書き出してみよう。

① 「武漢の研究所」が、20年前からコロナウィルスを研究してきたのは周知の事実である。

② 今回の新型コロナウィルスは、人工的に作られたものだ。コウモリのウイルスを組み替えたものだ。
③ 海鮮市場から出たというのは、美しい伝説だが、そのような可能性はきわめて乏しい。
④ 以上から見て最も合理的な仮説は、この新型ウイルスが「武漢の研究所」で作られたものということだ。
⑤ 「誰か」がエイズのワクチンを作りたかった。そのためにコロナウイルスを使った。そのウィルスの一つが、研究所から「逃げた」ということだ。
⑥ 中国政府が知っていたのなら、彼らには責任がある。
このような内容を音声インタビューでもテレビインタビューでも言っている。

3.モンタニエの理屈のどこが「トンデモ」なのか

その前に、今井さんは日本のメディアにしっかりと釘を刺す。この怒りが難しい作業をしとげた原動力になっているのだろう。
すべてのフランスの信頼に足るメディアは、彼の主張に対し検証か批判をつけて記事を流した。しかし日本での報道では、この批判部分をわざわざ削除した上で報道している。
記事の信憑性をチェックする組織は、日本のメディアにはないのだろうか。
ということで、どこが「トンデモ」なのかの分析に入っていく。

① エイズウイルスとの「奇妙な類似性」

新型コロナ・ウィルスが人工的なものであるとする最大の根拠がこれである。
奇妙な類似性
モンタニエはこう語っている。
インドの研究者グループが新型コロナのシーケンス分析を公表した。驚いたのだが、そこには別のウイルスの配列が入っていた。それは自然に混ざったものではない。
彼らは公表しようとしたのだが結局撤回した。しかし科学的真実というのは重い。隠そうとしていても、現れるのだ。
② 「奇妙な類似性」への正統な反論

たんなる偶然か、意味のある類似かの判別は統計的(というより常識的)になされる。

もちろん我々しろうとの常識ではなく、専門家仲間での常識である。

奇特な人もいるもので、ある「科学コミュニティ」ではエイズと新型コロナに共通するシーケンスを他のウィルスと比べてみた。そうするとサツマイモ・ウイルス、ネクタリン・ウイルス、スズメバチ・ウイルスなどが次々とリストアップされた。

とにかく、それに意味をもたせようとするには、指摘されたシーケンスが短すぎる。エイズの配列を挿入しようとすれば、断片ははるかに大きくなるだろう。これが専門家の一致した意見である。

③ 余談: 青森のキリスト渡来伝説

青森の戸来村にはキリスト渡来伝説がある。
「キリストの里伝承館」には村とユダヤのつながりを示す数々の“証拠”が展示されている。
言い伝えではイエスの弟イスキリが身代わりとなって十字架にかかり、本人は戸来で106歳まで生きたのだそうだ。
キリスト記念館

④ シーケンスは作ることができるのか

答えはイエスだ。現代の遺伝子工学では可能である。しかしそれは既存のウイルスの組み合わせという操作にとどまる。

図で示されたようなマイクロ・シーケンスの変更は不可能であり、ましてそれにウィルス的意味をもたせること(遺伝的借用)は不可能である。

以上より、新型コロナ発生への人間の介入は不可能であり、それが人工的なものである可能性はゼロであるといえる。

したがってモンタニエの主張は青森キリスト説に匹敵する「トンデモ」説である。

4.モンタニエはどのくらい怪しげなのか

今井さんは、多分ここまで書いてきてブチギレているのだろう。悪口雑言撒き散らしている。

しばらくはその言うところを拝聴しよう。
モンタニエ氏の評判は全くかんばしくない。「トンデモ学者」「オカルト学者」とすら言われている。
パスツール研究所は彼との縁を切っている。フランス国立医学アカデミーも彼を非難している。彼はその言動により、科学界から批判と嘲笑をたっぷりと受けてきた。
あるとき彼はインタビューでこう述べた。
良い免疫システムをもっていれば、人は数週間でエイズウイルスを追い払うことができる。
彼はホメオパシー療法の伝導師となった。
植物、動物組織、鉱物などを水で100倍薄めて振る作業(活性化)を、10数回から30回程度繰り返して作った水を、砂糖玉に浸み込ませた「レメディー」と呼ばれる治療薬を飲むのだ。
なぜそれが有効なのか。水が、かつて物質が存在したという記憶を持っているためだ。

ホメオパシーについては、日本医師会および日本医学会が公式見解を発表している。

2012年には、約40人のノーベル賞受賞者が、彼を弾劾する共同声明を発表している。
医学は嘲笑され、患者はだまされ、同胞は悪用された。これらの虐待を非難するのに、公的権力と保健機関は、何を待っているのでしょうか?
もはやこれに付け加えることは何一つない。
付け加えるとするならば、怒りを忘れた日本のメディアの無責任ぶりであろう。

5.フェークが意図的に拡散されている

本庶先生の名を語った偽情報が世界中に拡散しているようだ。どうも出どころはインドらしい。新型コロナのシーケンスにエイズ・ウィルスのゲノムを発見したというのもインド人だ。
本庶フェーク
これは素人っぽいフェイクだが、米国ではもう少し怪しげな話があるようだ。

朝日の鵜飼特派員名の記事(20日)でこう書かれている。
米国の世論調査では国民の約3割が「ウイルスは人造」と考えている。
43%がウイルスは「自然発生した」と答えた一方、23%は「意図的に作られた」と答えた。とくに18~29歳の若い世代では、35%が人造説だった。
FOXニュースのキャスターらは「研究所から流出」の説を後押ししており、米メディアによるとトランプ政権の中でも注目されている。
ということで、こちらはかなり深刻な話になっている。とりわけ、若い世代が影響を受けているというところが怖い。世は乱世であり、ひょっとすると末世かもしれない。

我々も、「バカバカしい」と切り捨てるだけではなく、しっかりと根拠を持って反論していかなければならないようだ。

不勉強で、未だにHIVウィルスを発見したのはギャロだと思いこんでいた。

今回突然、「新型コロナは誰か(中国)が作り出した」と主張して話題になった人物がいる。リュック・モンタニエという名前で、HIVウィルスの発見者としてノーベル賞を受賞している。

常識ある人々の間では信じられないガセネタとして相手にされていないが、ネトウヨにはバイブルのように崇め奉られている。(25日日経)

ということで、私の頭の中でまずはギャロ→モンタニエという道すじを辿らなければならない。この話はウィキでは慎重に避けられている。

エイズ、ギャロ、モンタニエのどの項目を見てもウィルスの発見者が誰かを大抵するような表現はない。

ただノーベル賞をもらったのがモンタニエで、ギャロは何ももらっていないこと、しかしギャロは学会を追われたわけではなさそうだということである。

例によって年表だ(新納氏論文より作成)


1981年

6月 米寄生虫病センターのフォード、カリニ肺炎患者が多発していると報告。同じ頃米防疫センターのカラン、男性同性愛者に性器ヘルペスが多発していると報告。

7月 米防疫センターの週報、同性愛者の間でカポジ肉腫が多発、これらの患者にTリ ンパ球の 減少があることが報告される。

1982年

9月 防疫センター、一連の症候をを示す疾患群を後天性免疫不全症候群(Acquired Immune Deficiency Syndrome:AIDS)と命名。

国立がん研究所(NCI)のロバート・ガロがエイズ研究を開始。ガロは日本のT細胞白血病の病原体のレトロウィルスを発見した実績を持つ。

1983年

4月 仏パスツール研究所のリュック・モンタニエ、バレシヌーシ、シャーマンら、エイズ患者のリンパ節からウィルスを発見。

パスツール研はガロにウィルスを送り、確認を依頼する。ガロはエイズ・ウィルスであることを否定。

4月 モンタニエ、ガロに電話し。サイエンス誌への投稿推薦を依頼。その後、「サイエンス」は、要約がついていないことを理由に受け付けを拒否。

5月 モンタニエ、上記研究を別の雑誌で発表。“LAV”(シンパ節症関連ウィルス)と名付ける。

12月 パスツール研究所、“LAV” の検索法に関し、米国での特許権を申請するが無視される。

1984年

5月 ギャロ、「サイエンス」誌に「エイズ患者の末梢血からウイルスを分離した」と発表。“HTLV-Ⅲ” と命名。ガ ロが最初の発見者ということになる。

1985年

12月 ガロ、“HTLV-Ⅲ” の検索法に関する特許権を申請し認められる。

1987年

パスツール研、両者のウィルスの遺伝子構造が98%以上一致することを指摘。確認のためガロのもとに送られたウィルスが盗用されたと主張。

レーガンとシラクが会談し、特許権を両国で二等分することで合意。

1990年

シカ ゴ ・トリビューン紙のク リュー ドソン記者、「ギャロの“HTLV-皿”は、モンタニエらの“LAV-BRU”を盗用したもの」と報道。NIHが調査に乗り出す。

1991年

2月 「ネイチャー」誌、両者のウイルスは全 く違うものであると発表。

5月 ガロ、「ネイチャー」誌に投稿。“HTLV-皿” がパスツール研から送られてきたウィルスだったことを認める。

この間、製薬業者からNIHに、年間600万ドルの特許権料が支払われていた。


25日付け日経新聞の1面にローレンス・サマーズのインタビューが掲載された。
オバマ政権で国家経済会議委員長を務めた人で、米国の典型的なリベラル派の見解を表していると思われる。

1.先進国システムへの試練としてのコロナ危機

グローバリズムの進行した世界では、相互依存関係が強まるため、影響は一国にとどまらない。それは分かってはいたが、前例はなかった。

21世紀の先進国に共通するシステムは、「民主主義と資本主義の複合体」だ。このシステムがこの危機に対応し機能できるのかが試されている。

2.「システム」への不安

「システム」を率いる政府が不適切な方針を出した場合どうなるか、トランプ政権を見ているとそういう不安がある。それはいわばシステムの抱える脆弱性だ。

トランプはコロナに対する経済政策を誤解している。そのために感染者や死者の増大に歯止めがかからなくなっている。いまは医療専門家の意見に従い感染を抑えるための努力に集中すべきだ。


3.「システム」を支える社会保障制度

米国にはお金がないために病院に行けない人が少なくない。オバマ政権は社会保険制度の拡充を主張し続けてきた。コロナがその正しさを証明している。


4.格差の拡大がコロナ危機をもたらした

「システム」の経済的土台である資本主義経済がひずみを強めている。資金が溢れている一方で、実体経済は長期停滞を続けている。

投資機会を失った余剰マネーが金融市場に流れ込み、金融資産を押し上げた。この結果富裕層に集中が集中している。

富裕層はさらに富を求め、役員報酬を引き上げ、多くの株主還元をもとめ、自社株買いに走っている。

政府の支援は労働者やその家族を対象にすべきだ。向こう見ずな行動をとってきた企業を救うべきではない。


サマーズといえば、日本ではむしろ「悪役」として名高い。クリントン政権期に財務長官を務め、金融自由化を遮二無二推し進め、日本に無理難題をふっかけ、アジア通貨危機の引き金を引いた人物である
「たかが金貸し風情が出過ぎたまねをするんじゃないよ」を参照されたい。

そんなやつにお説教されとうはないが、さすがに歴史を俯瞰する眼は持っているようだ。「民主主義と資本主義の複合体」という観点は、民主主義の方に“?”は着くものの、理念型としてはアクチュアルだと思う。


米国はWHOへの資金拠出を停止したが、今度はコロナ薬開発についても共同を拒否した。
理由は同じで、EHOが中国寄りだということだ。
どこまでこの考え方で突っ張るのだろうか。
当然、学会や医療界はこんな考えを支持していないのだが、そのように総スカンを食らってでもトランプは突っ走るのだろうか。共和党と支持者はこのような愚かな考えに追随するのだろうか。

すっきりと一周忌 

1年前の午後8時、痰が詰まって妻は死んだ。思いの強い人だったから、誰かに憑いたり、死んだ後に消火器を爆発させたり、いろいろあった。
預金、生命保険、不動産…と、後始末にはいろいろ苦労させられた。が、それも半年でほぼ片付いた。
そして今日、コロナもあったりして、誰も居ない二人っきりの命日だ。
実はひそかに、午後8時、何かが起きるかと思って期待しながらカウントダウンしたが、何も起きなかった。
遺骨はあっても人の気配はなくて…ただちょっと寂しかっただけ。
何も起こらなかったし、誰も来なかったし、コトリと音も立たなかった。
それで8時半、一人ぼっちのカウントダウンは終わった。
一応これでもう終わりだろう。こんなものだろう。あとは店じまいして、その後は自分の店じまいに取り掛かろう。

コロナショック、それとどう闘うか

1.社会防衛システムの脆弱化との複合

新型コロナはきわめて異例なスタイルでアウトブレイクし、パンデミックに至った。

それ自体はいずれ様々な分析がなされるだろう。

同じコロナウィルスによる感染であったが、武漢を発火点として東アジアに広がった第一次流行は比較的一旦収束の兆しを見せたが、イタリアで始まった第二次流行は凄まじく、あたかも100年前のスペイン風邪を彷彿とさせる拡大ぶりを示した。

“いわゆる文明先進国” に進出した新型コロナウィルスは、毒力・感染力ともに、武漢出発当初とは比較にならないほど強力になったかのように見えた。

しかし統計を詳細に分析してみると、公衆衛生的、社会医学的分析の示したものは、ウィルスの強さではなく、生活習慣の問題でもなく、社会防衛体制の脆弱さだった。それは、この間の緊縮財政による社会保障制度の改悪と医療供給体制の骨抜きがもたらしたものであった。

言い換えれば社会システムの足元が脆弱化していたことが、アウトブレイクの主要な理由であった。かつての欧米先進国は、すでに支配層の手によって「後進国化」していた。そのことがコロナによって暴露されたことになる。

次いで流行の主舞台となった米国においては、とくに貧困層の環境衛生、労働者の無権利状態、無保険状況が砂漠のように広がっており、その必然的な残酷な反映であった。

かくのごとくして、コロナ大流行は、国民の医療を受ける権利、ひいては生きる権利が毀損されている現状こそが最大の問題であることが明確になった。


2.生活インフラが崩壊するという特殊性

人々が社会の一員となって生きていくためには、生産活動と生活(消費)活動が必要である。生産活動のためには水道・電気、土木・建設、交通・運輸、通信などの生産インフラが必須だ。

一方生活インフラとしては、教育・学習、医療・保健、安全・保清、文化・スポーツなどのシステムがあげられる。

生活インフラの多くは、「対人サービス」として提供される。いわば人材集約型インフラである。それは社会が豊かとなり消費が多様化するにつれて、多種多彩となる。

こうして社会の生産力が高まるにつれて、ますます多くの労働人口が生活インフラ(いわゆる第三次産業)に関わるようになる。

このシステムは生きた、労働と消費が同時進行する “生身のシステム” なので、一定期間以上休むことができない。作り置きが利かないのである。

たとえ部分的に補償されたとしても、被害が長引けばそれは腐朽化し干からびて、最後は倒壊することになる。

コロナ危機の特徴は、それが生活インフラ崩壊と需要減退との複合危機だという点にある。だから内包する深刻さはリーマンショックや大恐慌とは異次元のものになる。


3.コロナ・ショックはリーマン後10年の集大成

コロナ・ショックはリーマン・ショック(欧州ソブリン危機をふくめ)以来の10年間の集大成となるだろう。

リーマン・ショック以来の経済・金融政策は金融崩壊の危機から世界を救った。しかし問題を解決したわけではなく先送りしただけだった。

大量に発行された通貨はすべて富裕層の手に落ち、新興国から強引に回収された富も富裕層のものとなった。それは貧富の格差を一層強めた。

同じような傾向はすでにコロナショックでも出現している。欧米では企業補償・支援として給付された資金が株主還元、あるいは自社株買いに回される事例が頻発している。

この間に起きた出来事は、ひとくるみにすればモラルハザードの進行と、金融操作の行き詰まり、ドルをもふくめた通貨の不安定化だ。

民衆は失業と国家からの排除により、国のうちにあってもディアスポラ化し、喪失感と不安定さと過激さを増している。


4.まず必要なのはコロナとたたかう「戦費」の調達

すでに多くの国で開始されているが、医療の維持、補給線の維持、就業支援、休業補償などは籠城戦を目的とする出資だ。生産・雇用維持には高い効率をもたらすが、経済復興の投資枠には括れない。

これは戦線を維持するための費用であり、どんどん消えていく金だ。これで直接景気の改善が見込めるわけではない。戦費に経済効率を云々しても始まらない。経済産業省の役人が出る幕ではない。

このような資金を手当するには「戦時公債」型の資金調達しかない。

韓国では「これは安全保障費の一部なのだから防衛予算の組み換えで原資を捻出せよ」という意見がある。構えとしてはそういうことだ。


5.金融安定化政策

これで戦線後退を避けながら、中期的な経済再建に臨むことになる。その際重要なのは現金(真水)の潤沢な供給で、これは欧州通貨危機でも試され済みだ。

今回は10年前の苦い経験を踏まえ、ECB、FRB、IMFが揃って機動的出動の構えを見せている。

新興国の債務との関係で一番前面に出るのがIMFであるが、伝家の宝刀のSDR引き出し権をどこまで拡大できるかは、米国の出方にも関わってくる。

これは正念場であり、トランプの介入を許さずにG20とFRB、IMFの連携がいかに大胆に進められるかが鍵を握っていると思う。


6.WHOへのトランプの介入を跳ね返す

WHOなしにコロナとたたかうのはレーダーなしに航海するのに等しい。専門機関の助言と国際間の協力がなければコロナ危機の克服は不可能である。ブーメランが繰り返されるのみだ。

このことはとくにアフリカなどの国々において明らかである。南アフリカではコロナ流行の只中に鉱山操業を再開したとのニュースを聞いた。生活が立ち行かなくなったからだという。実に暗然たる気持ちにさせられる。

トランプは知性の欠片も感じられない罵りと、常軌を逸した介入を繰り返している。目障り極まりない。しかしこういう危機にはこういう人物がお定まりのごとく登場するのであり、それもふくめて我々は乗り越えていかなければならない。

繰り返す。WHOを始めとする国際諸機関の活動を断固として支持し、国際協力を深めていかなければならない。そのことを通じてWHO分担金拒否がいかに犯罪的なのかを暴露し、抗議を集中させていかなければならないと思う。


7.共通の敵には共通した闘いを

コロナは国境や人種を超えた人類共通の敵である。短期には各国別の取り組みになるのもやむを得ないが、この闘いはかならず中長期のものになる。

どこの国が悪いとか誰の責任だと言っていても始まらない。対岸の火事と思っていれば必ずしっぺ返しに合う。ののしりやあなどりは自らの「科学的文盲」の証にほかならない。

各国が連帯し協調して取り組まなければならない。国連や国際諸機関(WHOやUNICEF、UNESCO、UNEP)に結集して取り組まなければならない。

その際は、経済原則とは別にもう一つの価値観として、「人間の安全保障」という価値を打ち立てておく必要があるだろう。(日本がその提唱国であることを念頭に置く必要がある)

世界のすべての人が安全にならない限り、私たちは安全に暮らせるようにはならないのだ、ということを肝に銘じておく必要がある。


ちょっと古い記事(20年03月26日)だがニッセイ基礎研究所のレポートでこんな物があった。

欧州の新たな危機-ドイツの大規模財政出動だけではコロナ危機は克服できない」というもので、筆者は経済研究部 研究理事の 伊藤 さゆりさんという方。


要旨の要旨

1.コロナ・ショックはリーマン・ショックを超えるおそれがある。EUの持続可能性が危ぶまれる事態も想定される。

2.ユーロ圏の債務危機でECBの初動には問題があった。流動性の危機への配慮が不十分であった。それは後に修正された。

3.しかしコロナ危機では資金供給という対策では不十分であり限定的である。事態を回避する鍵は危機対応での「連帯」と「協調」にある。

4.債務危機の際の経験は教訓化されているが、不十分だ。「コロナ対策投資イニシアチブ」は少額であり、回収を前提とする「投資」の枠にとどまっている。

5.新規募集する「コロナ債」の可能性は依然として不透明である。
前回も流産に終わった共通債構想は、南北間の対立の構図から抜け出せていない。
国際的にも自国主義の流れが強まるもとで、主要国の協調が難しくなっており、情勢は流動的である。

本日の赤旗にコロナに関する大型特集が掲載されている。相当の調査に基づく気合の入った文章で、説得力が高い(何かネタがありそうな感じもするが…)

23日の欧州連合首脳会議が、波乱要因含みとはいえかなり前向きな合意を実現したことが重要である。

私も詳しくは知らないが、メルケルの強いイニシアチブがドイツやオランダの保守派を押し込んだことが要因と考えられる。

それはまた、リーマンショックに続いた欧州金融危機でドイツ、オランダだけでなくECBやIMFなども南欧危機に背を向けたこと、それが金融危機を長引かせ、経済再建を困難にし、労働問題や難民問題を深刻化させ、それがひいては極右の進出と社会の分裂を招いたことへの、一定の反映も見なければならない。

試行錯誤のすえ、EUはその危機を金融緩和(量的緩和とマイナス金利)と国民大衆の生活切り捨てでしのいだ。しのいだというより表面を糊塗したのだが、じつは問題は構造的にはむしろ深化していたのだ。

富の不均衡は資金分布の不均衡をもたらし、金余りとカネ不足のまだら模様が蓄積している。

ベンチャーという名のペーパー・カンパニーが万円し、その日暮らしで借入金依存の財務体質が広がっている。

それが露呈されたのが今度のコロナ危機ということになる。

コロナ危機は、10年間にわたり蓄積された経済構造の歪みが、大雨で決壊したようなものである。

これからは、二つの経済危機の複合体としてのコロナ危機が拡大していくであろう。

今度はもはや、米連銀頼み、量的緩和一本槍の政策対応では乗り切れない。バケツの底が抜けてしまったのだから、まずそこを修復しないとマネーが持たない。

全世界が団結しないと、世界はトランプと習近平のものとなる。

1.コロナ問題が金融危機に発展する可能性

すでに実態経済の落ち込みは始まっているが、これが金融市場の混乱や金融機関自体の危機に発展するかどうかだ。

焦点は二つある。
一つはクレジットの市場の動向だ。外貨資金調達、米国債、社債がどう反応していくかだ。金融市場が実体経済とのあいだに負のシナジーを起こす危険がある。

もう一つは新興国の動向だ。こちらはコロナそのものの影響がこれから出てくると考えられ、これが債務等にどのように反映されていくかは未知数だ。

2.長期の金融緩和による不均衡

コロナ問題は普通の金融状況のもとで起きているわけではない。

リーマンショック以来の大規模な金融緩和が長期化する中で、資金分布の不均衡が蓄積している。

低金利のもとで借入金依存の財務体質が広がっている。投資家は運用利回りをもとめて規制外のファンドに集中している。

一言で言って金融危機の出現する条件が整いつつある。


3.グローバル化はどうなるか

急速な経済グローバル化は、世界に格差や難民問題、貿易戦争の激化をもたらした。これはすでにコロナの前から深刻な問題となっている。

このような矛盾を前にポピュリズムや極右という扇動政治のスタイルが広がっている。

その背景には、グローバル化の成果を実感できない中間層の「超グローバル化」への拒否反応がある。

このような状況の上にコロナが来たのだから、グローバル化が後退を見せても不思議ではない。


4.国際化の必要はむしろ高まっている

ただ、格差の増大を伴うとはいえ、グローバル化が国際的な生産力向上と結びついているのも確かである。

これが本当に逆回転を始めると、すぐに生活水準の低下がもたらされ、人々はますます不満を募らせることになる。

政治家や政策当局者は、このようなグローバル化の両面の真実を認識する必要がある。そしてその上で、各国の協力関係が後退しないよう努力しなければならない。

これが新しい国際化ということであり、その必要は高まっている。

5.コロナ危機と中央銀行

中央銀行の意義は大変大きい。

第一に、資金流動性の確保による市場機能の維持である。現在主要中銀間でのドル融通の強化とFRBによる資産買い入れが柱となっており、目下のところ有効に機能している。

第二に、コロナ危機という特殊な経済環境においては、産業活動の強力な抑制がもとめられており、金利政策は有害無益だ。
もっぱら通貨供給の維持に力を注ぐべきだ。

資金を投下しても、「流動性の罠」が形成されれば情勢は複雑化する。金融機関の信頼が持続されなければならない。

これらが新次元の国際金融政策の骨格となるだろう。

6.コロナ危機からの経済再建

危機の性格から言えば、資金の潤沢な供給と、手厚い国民生活保障があれば、実体経済の回復と急成長は可能だ。

その際、中銀や金融界はあまり手出しをせず、市場を信頼して臨むことが大事であろう。

白川方明前日銀総裁の談話を元に編集した。


ドイツ連邦共和国大使館 ホームページより


事態は深刻です。社会全体の結束した行動が、ここまで試された試練はありません。

未だ、新型コロナウイルスの治療法もワクチンも開発されていません。

こうした状況において、唯一の指針は、ウイルスの感染拡大速度を遅くし時間を稼ぐことです。

単なる抽象的な統計数値で済む話ではありません。実際の人間が関わってくる話です。そして私たちの社会は一人ひとりの人間のいのちが重みを持つ共同体なのです。

何よりもまず、我が国の医療体制で活動してくださっている皆さんに呼びかけたい。皆さんが果たされる貢献に心より御礼を申し上げます。

喫緊の課題は、ウイルスの感染速度を遅らせることです。そのためには、社会生活を極力縮小するという手段に賭けなければならない。

休業措置は生活や民主主義に対する重大な介入であることを承知しています。かつて経験したことがないような制約です。

次の点はしかしぜひお伝えしたい。それは渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利だということです。それが前提となっていることです。

それを経験してきた私のような人間にとり、絶対的な必要性がなければ正当化し得ないものなのです。生活の制限は、民主主義においては、決して安易に決めてはならないものです。

しかし今は、命を救うためには避けられないことなのです。

大企業・中小を問わず企業各社にとり、また小売店、飲食店、フリーランスの人たちにとり、状況はすでに非常に厳しくなっています。そしてこれからの数週間、状況は一層厳しくなるでしょう。

私は皆さんにお約束します。政府は、経済的影響を緩和し、特に雇用を維持するため、あらゆる手段を尽くします。

(中略)

感染症の拡大は、私たちがいかに脆弱な存在であるかを見せつけています。しかしそれは、結束すれば、互いを守り合うことができるということでもあります。

困難な時期であるからこそ、大切な人の側にいたいと願うものです。思いやりということを、本当に全員が理解しなければなりません。

事態は流動的です。私たちは常に学ぶ姿勢を維持していきます。

例外なく全ての人、私たち一人ひとりが試されているのです。ご静聴ありがとうございました。


大事なことは民主主義を守ること、思いやりを基本とすること、弱者を守ること、学ぶ姿勢を貫くことだ。そこを外さないでいるところが正しい。
半年前、まだ「メルケルの賞味期限は切れていない」と書いたが、その通りだ。さすがだ。

まことに暗然とする記事だ。日経19日付けでニューヨークとロンドンの特派員の共同執筆記事。

基礎事実: 米国はコロナ対策で支援の条件に自社株買いの禁止を盛り込んだ。ドイツは旅行大手のTUI支援に際し、貸付期間中の配当停止をもとめた。フランスは支援の条件として配当と自社株買いの停止をあげ、救済資金を雇用の維持に使うようもとめた。

以下、欧米諸国における自社株買いと配当の状況がるる述べられているが、読めば読むほど酷いものだ。

ひと昔前は「ハゲタカファンド」とか言ったが、いまはファンドはみんなハゲタカかハイエナだ。これが富裕層の論理であり倫理なのだ。

このことは同時に、企業に資金を投入しても、企業に使いみちがないことを示している。もちろん企業に金融面での下支えは必要だが、もっと必要なのが市民・労働者の所得の底上げだということを示している。

このことはコロナ後の世界でますます明瞭になるだろう。

日経新聞19日社説「WHOの機能を低下させるな」

1.課題はあるにせよ、いまは何よりも新型コロナの拡大防止に力を合わせるときだ。WHOの機能を低下させてはならない。

2.WHOは新型コロナの情報を集め、対策を助言している。その役割は他に代えがたい。

3.WHOは他にも積極的な役割を果たしている。治療薬の臨床試験、ワクチン開発の国際プロジェクトを組織している。
途上国への支援、新型コロナ以外の予防治療計画も進めてきた。

4.WHOが機能を低下すれば、途上国などの感染を深刻化させ、改善した国に再びウィルスが持ち込まれる恐れがある。

5.日本や欧州諸国は米国にWHO支援停止の撤回を求めるべきだ。同時にWHOの運営には積極的に関与すべきだ。

* テドロス事務局長に親中国姿勢などの問題があることは確からしい。

* 4の「感染ブーメラン」論が最大のポイントだが、これだけだと「ソロバン勘定」にも聞こえる。やはり「人間の安全保障」の観点まで姿勢を持ち上げるべきだろう。

厚労省の切り替え遅延が大流行を招いた

現場で頑張っている人には申し訳ないが、行政機構におけるクラスター対策からPCR励行策への切り替えの遅れが、大流行をもたらしたと言わざるを得ない。

北海道保険医会

その証拠が北海道保険医会の会員アンケート調査だ。この会は医師会と異なり任意加入組織だが、北海道では開業医の大多数が加入している。

開業医の現場の声を反映していると見てよい。赤旗に調査結果の一部が報道されている。

衝撃の数字

この中で最も衝撃的な数字が、
「医療現場の焦点、医師がPCR検査を必要と判断しても保健所に拒否されたのは111例ありました」という記載。

回答数が284件と比較的少ないので、比率としては判断できないが、回答者の多くが相当腹に据えかねていることは察せられる。

拒否の理由

理由は「海外渡航歴、居住歴がない」「感染者、渡航者との濃厚接触がない」「集中治療の必要がない」を挙げています。

拒否された人の中には「肺炎を発症していた」「撮影から肺炎を疑った」との事例もあったといいます。

「十分な時間があったにもかかわらず、政府の対応は行きあたりばったりで現場は混乱している」

加藤厚相の姿が見えない

コロナの二次拡大が始まり、市中感染としての扱いが必要になったころ、テレビから加藤厚相の姿が消えた。

官邸筋の対策チームの医師は出てくるが、対策を立てるべき本家の姿が見えない。エリート官僚の出身でなかなか優秀な人材と思ったが、一体何があったのだろう。

姜尚中の「在日」(集英社文庫 2008)を読んだ。

彼がそこまで語ったのなら、その上で一言言っておきたい。それは、彼にはまだ語っていない部分があるということである。それで良いと思う。

彼がある意味で饒舌であればあるほど、それは語りたくない部分を語らないで済ますための饒舌さであることが、皮膚感覚として伝わってくる。

自分を語らず、誰かを語ることで自分を語ろうとする。そこが男なのである。

女は違う。例えば辛淑玉は、闘うときに全部脱いでさらけ出してから語り始める。だから彼女は美しいし、彼女の演説は涙なしに聞けない。

それに比べると、姜尚中の話は未練たらしいし、どこか胡散臭いところがあるが、それは男の話だからだ。

「男は黙ってサッポロビール」なのだ。

最近の赤旗の論調とは著しく背反する議論だが、
愛煙家がタバコをやめられないように、昔の人間は「男らしく」がやめられないのである。

竹之下芳也 『エンゲルスの唯物論・自然弁証法は時代遅れだ』
というまことに挑発的な論文があって、正直のところ面白い。

少し、つまみ食いしてみる。

1.序論 自然哲学の歴史

ケプラー、ガリレオ、ニュートンの評価がほとんどされていない。三者を通じた認識の進化を分析した武谷光男の3段階論も視界の外である。

エンゲルスはニュートンの「力」を誤解していた。ニュートンのいう「力:force」は、質量掛ける加速度として定義されたものであって、常識の社会で使う「力」とは異なる。

ニュートンは、運動には根拠・原因があることを示した。物質はそれ自身で運動しているわけではなく、外から力を加えられない限り運動しないことを示した。

現代の唯物論の運動論は、古代ギリシヤそのままで、誠に時代遅れである。

ここまで読んで、もうやめようと思ったが、もう少し続ける。

しかしエンゲルスは、ニュートンのエネルギー論については最大級の評価をしている。

それは良いのだが、エンゲルスのエネルギー論理解には多くの欠点がある(詳細は略)

2.質量転化の法則について

エンゲルスは運動とエネルギーの違いを理解していない。
しかし化学物質についての「量質転化の法則」の議論は今日でも肯定されるべきだ。

この辺では、竹内氏はほとんど「泥酔」状態だ。

3.運動の基本的諸形態

(イ)運動は、物質の内蔵する属性か

ここでは再び「物質はそれ自身で運動しているわけではない」というニュートンの主張が繰り返される。

つまりニュートンからエンゲルスの議論を導き出すことは出来ないと主張しているようだ。それは正しい。なぜならニュートンは不十分だからだ。

(ロ)運動は牽引と反発とからなる

これらの議論は、ニュートンの力学を否定するものである。万有引力は引力のみであって、反発力は定義されていない。
このような議論が、この21世紀の今日まで通用しているとは驚きであるというか恥ずべきことである。
あぁ聞いていて恥ずかしくなる。

もうやめた。
この人はニュートンを金科玉条とし、エンゲルスがこの近代科学に対して忠実でないと怒っているようだが、ニュートン力学が近代・現代科学に対してどういう位置にあるのかを考えていない。

要するにエンゲルスを批判するにあたっての、自らの立ち位置が、とんと不分明なのである。

題名にあげた「エンゲルスの自然弁証法は時代遅れか?」という問題意識だけなら、私も共有したいのだが、このひとの問題意識には現代物理学の知識が欠如していて、まったく説得力がない。
読んでいる私が恥ずかしいくらいだから、撤回するようおすすめする。


エンゲルスが時代遅れだということは誰が考えたって分かる話だ。
おそらくエンゲルスが19世紀末に書き溜めたノオトなのだろうと思う。それが1930年ころに発見されて世界に広がった。つまり書いてから40年後の話だ。時代遅れに決まっている。
肝心なことはそれを承知の上で若き科学者が感動したということにある。エンゲルスの自然弁証法が武谷の三段階論や坂田の理論、さらに益川のクオーク理論まで生み出したことに注目すべきなのである。
それに感動しつつ、エンゲルスの歴史的限界を指摘しようというのが我々の問題意識だ。そこが共感できない人が議論に参加しても、それは場外乱闘を招くに過ぎない。
議論を生産的なものとしようと考えるならば、最低でも、戦前の唯研での客観的唯物論論争は議論の土台にしてほしい。


まさしく危機なのだから、医者や疫学者が危機あおりをするのに別に反対はしませんが、
危機管理プロパーの専門家が、「医療崩壊を防ぐことが最重要課題だ」と強調するのには違和感を感じます。

患者さんの命を守ることこそ最重要課題であり、

そのためにご協力願います、と頭を下げるべきではないのか

というのが、私の率直な感想です。
そうでないと、医療崩壊を防ぐためにPCRをやらない、あるいは軽症者は自宅待機とするという発想に行ってしまうのです。私はそういうのを目的合理主義と言っています。

医療崩壊を防ぐことは最緊急課題であることは間違いありません。しかし最重要目標とは必ずしも言えません。中長期的に見るなら、現代世界がコロナを克服するために最重要な課題は、死亡者をできるだけ少なく抑えることであり、流行の終焉を遅滞なく迎えることです。そして闘いは間違いなく中長期化するのです。

そのためにはとりわけ社会的弱者に疾病の拡大と蔓延を防ぐことです。社会的弱者は一つは高齢者ですが、もう一つは貧困者です。これが最重要な戦略課題です。そのために貧困者に最大限の支援をつぎ込むべきです。

医療崩壊の防止に注力するのは、現下の状況では致し方ないことでしょうが、決して無条件に正しい議論ではなくて、それだけでは「社会防衛思想」に横滑りしかねない側面を持っています。

“致し方のない選択なのだ” という保留は必ずしておくべきだと思います。

もう一つは集団的叡智を寄せ集めるために、医療リテラシーの向上が必須だということです。みんながコロナの専門家になり、PCRの適応や結果の受けとめなどに高いレベルでの社会的合意を実現することです。専門家任せにすることなく、非常事態を主体的に受けとめ、多集団的に対処することが大事だろうと思います。

気になるのですが、我々のスローガンは「医療を支えよう」ではないと思います。「医療」だけではありません。多くの関係部署のスタッフが、危険を顧みず、激務をいとわず奮闘しているのです。

業者やフリーランサーの皆さんは生活を犠牲にして、真っ暗な将来への不安と闘いながらいまを耐えているのです。

近未来を見据えるならば、「みんなで支え合おう。弱者を守り抜こう!」こそが真の呼びかけであろうと思います。

アラン・マクレオド   Venezuelanalysis 


1.米国の政権転覆の動き

米国はベネズエラの政権転覆を長い間計画してきた。これは公然の秘密である。

トランプ大統領は18か月以上にわたって、軍事侵攻をほのめかせてきた。

フロリダでの最近のスピーチでは、「ベネズエラでは社会主義と共産主義の時代が時を刻んでいる。我々は近いうちにカラカスで、人々が何をするかを見ることになるだろう」と述べた。

ペンス副大統領は、マドゥーロ大統領を「独裁者」と罵り、グアイド“大統領”の「自己宣言」にアメリカ国民の「揺るぎない支持」があると述べた。

米国はベネズエラの経済を破壊し、マドゥロを政権の座から追い落とそうと試みてきた。そして何度も違法な制裁を繰り返してきた。

また、ベネズエラを政治的および経済的に孤立させるために、他の国々にも同じことをするようもとめ威嚇してきた。

2.策動は失敗しつつある

しかし、対米盲従的な国際メディアの最強の側面攻撃にもかかわらず、崩壊の瀬戸際にある孤立した国としてベネズエラを描く試みは惨めに失敗した。

現実には、国際社会は米国のファン・グアイドおしつけを拒否している。国連加盟国の約75%はマデューロへの支持を表明している。

メディアは、国連人権理事会が米国の“制裁”を明確に非難する決定を下したことをまったく報道しなかった。

この決定は、米国がベネズエラの最も貧しく最も脆弱な人々を標的としていると指摘している。

国連はすべての加盟国に不法な“制裁”を破るよう求めた。さらに米国がベネズエラに支払うべき賠償についてさえ話し合った。

国連のアメリカ問題特別視察官アルフレッド・デ・サヤスは、“制裁” は中世の包囲に類似していると述べた。そしてアメリカは人道犯罪に当たる可能性があると非難した。

この驚くべきニュースは国際的に広く報道された。しかし主流の西側メディアは、事実上完全に無視した。


3.マドゥーロ政権を倒すさまざまな試み

トランプの政権転覆計画が示したのは、彼の呆れるほどの能力不足にほかならない。

マルコ・ルビオはずっと、ベネズエラ軍に政権離脱とマドゥロ打倒を求めていた。しかしこの戦略は、軍が忠実を保ったため、完全に消えてしまった。

国連と赤十字は「人道援助」の仮装行列への参加を拒否した。“人道” を考慮するための最小要件さえ満たしていないからだ。

一方マドゥーロ政権にはこれらの機関から本物の(genuine)援助が与えられた。

米国はコロンビア国境で「支援物資」を暴力的に送り込もうとした。もしベネズエラ側が抵抗すれば、そこを血の海にするつもりだった。

それは受け取り側の「民主派」活動家が自分たちの支援トラックに発砲するところが発見されたおかげで、失敗に終わった。

その他、億万長者のリチャード・ブランソンによる「ベネズエラ・エイド」と銘打ったライブコンサートがあった。

大スターが看板を飾った大規模なコンサートだった。国境に集まった観衆は数千人だった。

なぜトランプのベネズエラ作戦がうまく行かないのか。それはトランプのグループがオバマ政権のときのような規律と洗練を欠いているからだ。

彼らは相次いでヘマをやらかしている。そして彼らのやろうとしていることが民主主義と人権と無縁であることを白日のもとにさらしているからだ。

エリオット・エイブラムスはラテンアメリカの政権転覆と虐殺における影の指揮者として悪名が高い。

彼が最初に有名になったのは1980年代後半、援助を装ってニカラグアに武器を密輸した作戦を指揮した事件だった。

エイブラムスがトランプ政権に任命されたことは、これから起こりそうなことへの明確なシグナルだった。

トランプのもうひとりの壊し屋、ジョン・ボルトン特別補佐官は隠された箇所を大声で語り、秘密を漏らした。

ベネズエラはアメリカ企業にとって商売のビッグ・チャンスだ。ベネズエラの石油を引き継げば「米国に大きな変化をもたらす。

ボルトンはまた、「マドゥロ大統領をグアンタナモ湾の拷問キャンプに派遣することを検討している」と公言した。

もうひとり、マルコ・ルビオは、リビアのカダフィ大佐の傷ついた死体の写真をツイートして世界に衝撃を与えた。

エリオット・エイブラムスが任命された直後、別のスキャンダルが判明した。

米ニュースサイト「McClatchy DC Bureau」は、アメリカ籍飛行機がマイアミからベネズエラに武器と弾薬を密輸していたことを明らかにした。

飛行機はその年だけで40回以上、ベネズエラに往復していた。 これは米国政府の「善良な意図」を国際社会に納得させるものではない。


4.グアイド擁立の失敗

ワシントンが大統領に選んだ男、グアイドはその血に飢えた社会変質者としての側面をさらけ出した。

彼が大統領就任を宣言したとき、ベネズエラ人の80%以上がその名を知らなかった。

彼は名乗りを上げた去年1月、こう語って国民を驚愕させた。
「衝突の犠牲となった人々の命はコストではなく将来への投資なのだ」

グアイドが国民の上に君臨できなかった主要な理由は、あからさまなクーデターの振る舞いです。

最近の世論調査では、ベネズエラ人の80%以上が米国の制裁に反対していることが示された。そして、もっと多くの人がアメリカの軍事介入に反対している。

国際社会はますます米国を包囲しつつある。

最近の国連安全保障理事会ではベネズエラに関する公聴会が開かれた。席上、米国は南アフリカに非難された。

南ア代表は述べた。
アメリカはベネズエラの法律と憲法上の権利を踏みにじっている。アメリカはベネズエラ国民が自らの将来を決めようとする権利を奪おうとしている。

ボリビアもアメリカを非難した。アメリカが他国への不干渉という国際関係の基本を破り、ベネズエラの国家主権を侵害したと主張した。

ロシアは雰囲気をまとめました。そしてグアイドを詐欺師(Imposter)と呼び、アメリカはベネズエラの立憲的権利を笑い者(Mockery)にしたと述べた。

そして、「アメリカの“人道援助”は世界の他の地域ではテロリズムとして分類されるだろう」と指摘した。


5.ベネズエラ包囲網のほころび

米国にとってさらに悪いことに、リマ・グループの決議すら崩れ始めている。

リマ・グループはトランプ政権によって設立された中南米諸国の組織で、ベネズエラの政権交代を明確な目標を掲げている。

ブラジルのファシスト大統領、ボルソナロは米国との同盟から手を引いた。そして、「いかなる状況においてもブラジルが侵略の一部となることはない」と宣言した。

以前、ボルソナロは「マドゥロを取り除くためならあらゆることをする」と公言していた人物である。

他の主要加盟国であるコロンビア、チリ、ペルーも同様の声明を発表した。

スペインやドイツなど、マドローを批判するヨーロッパの大国も、米国が準備している軍事オプションを断固として(categorically)拒否している。

6.孤立しているのはどちらか

米国がベネズエラを孤立させようとして、逆に孤立してしまったのは、これが初めてではない。

2013年に総選挙(大統領選挙+国会議員選挙)が行われたとき、米国は選挙結果に疑問を投げかけ、再集計を求めた。しかしアメリカは完全に世界から孤立していた。

今度のやり方はそれに輪をかけて酷いものだ。

イングランド銀行がベネズエラの金を10億ドル以上凍結した。この異常な決定は、英国がもはや中立的な仲裁人でなくなったことを世界に示したものとなった。

イタリアはイギリスに保管した金を自国に送還する議論を始めたと伝えられている。イタリアのような同盟国がそうしたなら、中国、インド、ロシアの同類は同じように考えているに違いない。

斜陽の帝国、イギリスが残した数少ない産業の1つは金融であり、この決定は英国の経済に大きな影響を与える可能性がある。

米国は現在、世界でほぼ完全に孤立しているように見える。しかしこれは必ずしも米国の攻撃の終わりを意味するものでは

米国は世界で唯一の超大国であり、いつでも一方的に行動することができる。

目下のところベネスエラとの国際世論を巡る争いには破れたかたちだが、今後もベネズエラの戦いは続いていくだろう。


ジョセフ・スティグリッツ 「大恐慌より困難だーコロナ・ショックの特殊性

1.未曾有x未曾有

アメリカのコロナ感染は未曾有だが、その前に所得格差の程度と労働者の窮状ぶりも未曾有で、災難は未曾有x未曾有になっている。
しかも社会保障制度が欠如しているので、まことに酷いことになっている。

2.コロナ危機は大恐慌よりも大変

大恐慌は深刻とはいえ単なる総需要不足だった。それにニューディールという脱出の道筋が存在した。

ニューディールは需要を創出して経済に刺激を与えるという戦略を設定した。そして実行にあたっての原則と具体策を提示した。

原則というのは財政赤字を過度に心配するなということ、そしてやるときには徹底してやれということだ。

ニューディールは基本的には成功したが、回復したわけではない。計画を徹底できなかったために、第2次大戦まで完全な回復を実現できなかった。

3.コロナ危機はどこが大変か

今回は、事情はもっと複雑だ。

景気の底が抜けて不況になったのではない。総需要が落ち込んで経済が回らなくなったのでもない。

コロナが街を支配し、恐怖を撒き散らし、仕事をできなくさせてしまったのが経済危機の原因だ。

たんに総需要を回復させるという話ではない。たとえ財政出動を存分に行ったとしても、それだけで解決する問題でもない。

4.必要なのは社会的保護だ

社会的支援も必要だし、財政出動も必要だし、景気刺激策も必要だ。

だが肝心なのは、財政出動にあたっての目と構えだ。

今さしあたって必要なのは、景気刺激策ではない。当面する問題が需要不足ではないからだ。むしろ需要過多と言ってもよい。

それ以上に不足しているのは安心と信用だ。だから財政出動の性格は、景気刺激ではなく困窮者への保護を主眼とすべきである。

それには総需要かさ上げに要するほどの資金は必要ない。全体のパイを大きくして、景気回復によるトリクルダウンの再開を待つのでは間に合わない。

必要なのは、罪もなく苦しんでいる人を救済するために再配分を強化することである。それが、結局は経済を回復させる近道となる。

新興国で金融危機の兆し

英「エコノミスト」誌から引用したものらしい。

今年に入ってから、ブラジル・レアル、メキシコ・ペソ、南アフリカ・ランドは対ドル価値が25%近く下落した。

世界の資金は新興国の株式と債券を売って安全資産にシフトしている。
この結果、新興国のあちこちで異常兆候が現れている。

新興国では、コロナにより貿易減少、天然資源価格下落、旅行客訪問中断などが同時に押し寄せている。

そのような中で新興国市場は金融危機と苦闘している。当面の輸入代金とドル建て債券も手当てできない状況だ。

「最後の貸し手」のIMFに支援を要請した国はすでに90カ国を超えた。これは加盟国の半数に当たる。
いまこそ、新興国のためにIMFが行動に出なければならない。

もう一つのドル供給機関 FRB

リーマンショックのとき金融危機からの脱却に大きな役割を果たしたFRBは、今回も一定の動きを示してきた。

最大の行動は通貨スワップだ。基軸通貨国をはじめ、韓国、ブラジル、メキシコ、シンガポールなどの一部新興国と協定を締結した。

締結国はFRBから自国通貨を担保に4千億ドルを借りた。

FRBの発表では、今後さらに、各国の中央銀行が保有する米国債を担保にドルを供給するという臨時の金融計画を明らかにした。

中国や日本は国債を多く保有しているので、これらの国ではより機動的な対応が可能となる。

新興国とFRB

だが新興国では、通貨スワップを結ぶほどの力もなく、米国債保有量も多くないからFRBのチェンネルなどは縁遠い話になる。

それらの国はIMFに頼るほかはないのだ。

しかし無い袖は振れない。IMFにはFRBのような打出の小槌はない。各国の拠出金に依拠する他ないのだ。

その中で打てる手はなんだろう。それは3つある。

第一に、IMF特別引き出し権(SDR)の限度を大幅に増やすことである。
SDRは、ドルという名はついていても中身のない、今どきの言葉で言えば仮想通貨である。拠出国の信任さえあれば、原理的には限度額はない。

第二に、SDRにより新興国へドル流動性を供給することである。
とくにFRBの支援対象にならない新興国にクレジットを与えることが重要である。

第三に、とりわけアフリカの最貧国にたいする救済策をまとめることである。
これらの国はどんな金融上のセーフティ・ネットワークにも該当せず、医療支援・経済支援活動のの死角地帯となっている。

14日からIMFの年次総会(テレビ)が開かれている。
ゲオルギエワ総裁は開会演説で、「いまわれわれは過去になかった危機に直面している。我々の行動が経済回復の速度と強度を決めるだろう」と決意を語った。

しかし今回の危機が長期化する場合にIMFが耐えられる十分な能力があるのか、疑問もあげられている。

*SDR 固定相場制の枠組みの中で国際準備資産として創設された。ブレトンウッズ体制が1973年に崩壊すると、SDRへの依存度は低下しました。
しかし流動性を供給し、外貨準備高を補完する上で一定の役割を持っています。例えば、世界金融危機の際には合計で1,826SDRIMF加盟国に配分されました。

コロナと貧困

Diamond On Line にイチロー・カワチさんのインタビューが掲載されている。河内さんはハーバード大学の社会疫学の教授である。

4月5日の発行なので、ある程度最新状況を踏まえていると思われる。


NYの死者が多いのは格差が大きいから

NYでは死亡者の多くが糖尿病や心臓病、ぜんそくといった基礎疾患を持っていた。

感染症のパンデミックは社会格差をあらわにする。このことは1918年のインフルエンザのパンデミックでも確認されている。

アメリカで感染が深刻な都市として、ニューヨークのほかにニューオーリンズも注目されている。どちらもジニ係数が高いことが共通している。

なぜ貧困と死亡率が相関するのか

貧困者はもとの健康状態が悪いだけでなく、他にもいろいろな弱さを抱えている。

まず、感染の可能性そのものが高い。サービス業や製造業で働く人は在宅勤務が出来ない。働き続けるためには、感染するリスクを取り続けるしかない。

社会保険の喪失

またロックダウンで一番失業者を生んでいるのが、貧困者の受け皿となっているサービス業だ。米国では失業は健康保険の喪失をも意味する。

無保険の人は国民の1割に達している。たとえばNYの人口が1千万とすれば、100万人は無保険ということになる。

医療のセーフティーネットはまったく整備されていないと言ってよい。

一方で米国の多くの家庭では、預金が400ドル(4万円)にも達しない。

つまり無保険で貯金もないという経済的に困難な人たちが、ぎりぎりまで病院に行くのを我慢し、病状を悪化させるという経過をとることになる。

これからはコロナの二次被害への対策

パンデミックの長期的な影響は経済的打撃だ。多くの人が失業し、貧困に陥り、貧しさが人々の健康を害していく。いわゆる災害弱者対策だ。

パンデミックへの備えが必要だということは、ビル・ゲイツを始め多くの学者が主張してきた。しかし、パンデミックと社会格差を結び付けて備える考えは普及してこなかった。

社会格差への対応という点では、健康保険制度や雇用制度といった根本的な部分についての政策議論が必要になる。

肩書きに惹かれて読んでみたが、さほどの中身ではない。下記の記事のほうが良い(ワシントンポストからの引用)
貧困ではなく格差が病気を生むという指摘は、すでにウィルキンソンの説得力のあるプレゼンがあるので、そちらを参照されたい。要するに格差の根っこには社会的分業があって、分業を基礎とする社会の仕組みを変更しなければならないという「資本論」の解説みたいなものです。

前の記事の時刻表内に組み込んだが、あまりに長いので、別記事として再掲する。

ファウチ問題をまとめて掲載する。詳しくは東京新聞
アンソニー・ファウチ博士 Anthony Stephen Fauci (79歳)は免疫学・感染症学の専門医である。イタリア系移民の子孫としてブルックリンの薬屋に生まれた。ギャング映画にありそうなキャラだ。
84年から国立アレルギー感染症研究所長を務め、エイズやエボラ出血熱など多くの感染症対策にあたってきた。レーガン以降の歴代大統領に専門的立場から助言してきた。
2月半ば、ファウチら新型ウイルス対策チームは外出自粛などの措置を提言したが、トランプは受け入れなかった。
3月半ばから対策チームは、連日記者会見を開催、これにトランプも参加するようになった。
このためファウチ博士は、科学者として公の場で「対決」しなければならなくなった。
たとえば、トランプはインフルエンザに比べると死亡者数は少ないと語ったが、ファウチはコロナウイルスの致死率はインフルエンザの10倍と訂正した。
すぐにでもワクチンを開発できると述べたトランプの発言は1年から1年半はかかると否定した。
トランプが検査器具は十分あると発言する一方で、ファウチは議会で外国に比べ十分な検査が行われていないと証言している。
トランプはマラリア治療薬「クロロキン」が新型ウイルスに有効だと発言し、「すぐ利用でき非常に強力だ。状況を一変させるゲームチェンジャーだ」とまで語った。
しかしファウチ博士は、「期待はしている」としながらも「いまのところ有効との証拠はない」と水を指した。*
ファウチとしては、そもそも隔離の原則に反する説に水を指してほしくないのだ。肝心なことは国民の覚悟を促すことだ。
ファウチはトランプを懸命に説得。「対策を怠れば死者は最悪220万人」との予測を示し、「復活祭での経済正常化を」という目論見を抑え込んだ。
それはトランプの選挙戦にも跳ね返る。民主党が大規模な集会を中止したのに、トランプは集会を開催し続けた。ファウチは集会の自粛を強くもとめた。
ファウチへの国民の信頼は保守層の間にも高まった。フォックス・ニュースの新型ウイルス対応に関する世論調査で、トランプの51%に対し、ファウチ支持は77%に達した。遠慮せずに本音を語る姿勢と高い教養に、今や「ファウチドーナツ」などが発売されるほどの人気だ。
こうなるとトランプ陣営も気が気でない。支持者の一人が、演説するトランプの背中にファウチがまわり、頭を押さえつける「写真」をねつ造した。このフェーク写真がネットで拡散されると、「ファウチは反トランプの秘密結社の一員だ」との書き込みが数千回共有され、約百五十万人が閲覧した。
その後の経過はよくわからないが、博士の政治生命が風前の灯だというのはよく分かる。トランプ家の裏庭に、また一つ墓碑が立つことになるであろう。

* これらについては MIT Technology Review に詳しい。


トランプのWHO攻撃の経過

東京新聞トランプ語録
            東京新聞より

1月

1.22 トランプのツイッター、「我々にはウイルス対策の計画があり、中国も順調だと思っている」

1.24 トランプのツイッター、「中国は多大な努力をしている。アメリカは中国の努力と透明性に深く感謝している。すべてうまくいくだろう。習近平主席に感謝したい!」

1.29 ナバロ大統領補佐官(通商担当)、コロナが数百万人もの米国人を襲い、数兆ドルの損失をもたらす危険があると警告。アザール保健福祉長官も懸念を伝えたという(NYタイムズ)

1.30 WHO、コロナ感染を「国際的に懸念される公衆衛生の緊急事態」と宣言する。

2月

2.26 ペンス副大統領が新型コロナウイルスの対策チームの責任者に任命される。
ペンスはインディアナ州知事時代にHIVウイルスの感染を拡大させた過去がある。注射針の交換を提案されたのに、「家に帰って神に祈る」と答えて迅速な対応をしなかった。

2.27 WHOのテドロス事務局長(以下テドロス)、封じ込めるかどうかの「岐路に立たされている」と述べる。

2.27 バチェレ国連人権高等弁務官、「中国や東アジアの人々への偏見を引き起こしており、各国に差別などをなくすように強く求める」と述べた。

3月

3.11 テドロス、新型コロナが「パンデミック」に突入したと宣言。

3.13 トランプ、態度を豹変。国家非常事態を宣言。

3.13 手ドロス、「今や欧州がパンデミックの震源地となった」と語る。

3.16 トランプが態度を豹変。感染拡大を「制御できない」と告白する。

3.16 ホワイトハウスの対策チームは、対策を講じなければ、死者が最大220万人に上ると試算していた。(NYタイムズ)

3.18 WHO上級員のライアン、トランプの「中国ウィルス」論を非難。
ウイルスに国境はなく、地域・民族・肌の色・財産に関係ない。ウイルスを民族と関連づければ後悔することになる。H1N1インフルエンザの大流行は北米で始まったが、誰も北米ウィルスとは呼ばなかった。いまはウイルスと戦わなければいけない時であり、誰かを責める時ではない。

3.19 湖北省で新規感染者がゼロとなる。これまでに6万7800人が感染、3245人がしぼう。

3.19 トランプ、中国の初動の遅れを指摘し、「世界はその代償を払っている」と批判。
新型コロナを「中国ウイルス」と繰り返したことについて
人種差別的では全くない。ウイルスは中国から来たのだから、そう呼んでいる。正確を期したいのだ。

3.20 イタリアの死者数が中国を上回る。この時点で感染者数は中国の半分。

3.20 全米の感染者数は1万人を越える。感染者数は2日間で2.5倍(ニューヨーク州では2日間で5倍超)に膨らむ。

3.23 記者会見。「これは中国で起きたことだ。私は正直、中国(の初動対応)に少し頭にきている」

3.22 中国外務省報道官、「中国は終始公開し、透明です。中国人民はウイルスと戦ってきました。世界のウイルスとの戦いのために時間を稼いだのです」

3.24 トランプが記者会見。3週間後に経済活動を再開させると述べる。またNY州より要請のあった人工呼吸器を400台提供すると発表。

東京新聞によれば発言要旨は以下の通り。
大不況になれば何千人もの人が自殺する。インフルエンザで平均年3万6千人死ぬが、そのために国を閉鎖したことはない。
新型ウイルスよりウィルス対策のほうがより有害だ。こんな外出禁止や営業規制を続けて経済が停滞すれば、もっと大勢が死ぬ。

3.25 クオモ、「3万台必要なのに400台? 死なせる人々を選んでくれ!」と絶叫。法律に基づく増産態勢も取らない姿勢を「全く理解できない。問題の大きさ感を見失っている」と批判した。

3.28 米国の感染者数が10万人の大台を突破(半数がニューヨーク州)。中国を抜き最多、全世界の17%に相当する。

4.01 コロナ死者、米で同時テロ超す3千人(同時テロでは2977人)。世界では感染者84万、死者は4万人突破。

4.01 テドロス、アフリカや中南米などへの打撃を懸念。経済崩壊を回避するため、国際社会に債務の免除を求めた。

4.03 トランプ、疾病対策センター(CDC)が指針を変更しマスク着用を勧奨することとなったと報告。しかし「自分はしない」と宣言。

4.05 米政府のアダムス医務総監、「米国人にとって最も深刻で悲しい1週間が来る」と語る。

4.05 クオモ、「死者数が初めて前日より減った」と述べた。感染者、重症者数は以前増加。「ベッドはあるが、人工呼吸器と医療スタッフが足りない」と訴える。

4.05 全米の感染者数は33万7千人。死者数は9600人。

4.07 トランプ大統領、ツイッターで、WHOが「すごく中国に偏っている」と批判。
WHOは新型ウイルス対策を台無しにした。アメリカが大部分の資金を提供しているのに、その方針は中国中心だ。だから我々は資金拠出を停止する方針だ。(米国は19年度、WHOの年間予算の15%弱に当たる4億ドルを拠出している
4.08 トランプ、「WHOは優先順位を正す必要がある。今後も拠出を継続するかどうか判断するために調査する」と述べる。

4.08 ポンペオ米国務長官、「WHOへの資金拠出を見直している」と発言。

4.08 テドロス、トランプに反論。
時間を無駄にできない。大勢の命が失われている。必要なのは各国が連携することだ。我々はすべての国家と密接な関係にある。我々は肌の色で区別などしない。私自身、過去3カ月間に黒人であることを理由に個人攻撃されてきた。しかし命が失われている時に個人攻撃を気にしている理由はない。
新型コロナと政治を切り離すべきだ。政治に利用しないでほしい。国家レベルでの団結をお願いしたい。世界レベルでの誠実な連帯、そしてアメリカと中国からの誠実なリーダーシップをお願いしたい。
4.08 国連のグテーレス事務総長もトランプを批判。
今は団結する時だ。国際社会が連帯して、新型ウイルスの感染拡大と破壊的な影響を止めるために共に取り組む時だ。対処方針を評価するのは、今後の課題にすべきだ。
4.10 テドロスが台湾から人種差別攻撃を受けたと主張。台湾当局は「中国によるでっちあげ」と反論。蔡総統は「台湾が差別と孤立に直面しながら世界に貢献しようと努力していると知ってほしい」と訴える。

4.11 新型コロナ、世界の死者10万人突破 感染は160万人超。

4.12 新型コロナによる米国の死者は2万人超す。死者数はイタリアを抜き世界最多となる。

4.12 トランプ、「フェークニュースを流した」咎でファウチを解任すべきと主張。
ここでファウチ問題をまとめて掲載する。詳しくは東京新聞
アンソニー・ファウチ博士(79)は免疫学・感染症学の専門医である。84年から国立アレルギー感染症研究所長を務め、エイズやエボラ出血熱など多くの感染症対策にあたってきた。レーガン以降の歴代大統領に専門的立場から助言してきた。
2月半ば、ファウチら新型ウイルス対策チームは外出自粛などの措置を提言したが、トランプは受け入れなかった。
3月半ばから対策チームは、連日記者会見を開催、これにトランプも参加するようになった。
このためファウチ博士は、科学者として公の場で「対決」しなければならなくなった。
たとえばトランプは、インフルエンザに比べると死亡者数は少ないと語ったが、ファウチはコロナウイルスの致死率はインフルエンザの10倍と訂正した。
すぐにでもワクチンを開発できると述べたトランプの発言は1年から1年半はかかると否定した。
トランプが検査器具は十分あると発言する一方で、ファウチは議会で外国に比べ十分な検査が行われていないと証言している。
トランプはマラリア治療薬「クロロキン」が新型ウイルスに有効だと発言し、「すぐ利用でき非常に強力だ。状況を一変させるゲームチェンジャーだ」とまで語った。
しかしファウチ博士は、「期待はしている」としながらも「いまのところ有効との証拠はない」と水を指した。
ファウチとしては、そもそも隔離の原則に反する説に水を指してほしくないのだ。肝心なことは国民の覚悟を促すことだ。
ファウチはトランプを懸命に説得。「対策を怠れば死者は最悪220万人」との予測を示し、「復活祭での経済正常化を」という目論見を抑え込んだ。
それはトランプの選挙戦にも跳ね返る。民主党が大規模な集会を中止したのに、トランプは集会を開催し続けた。ファウチは集会の自粛を強くもとめた。
ファウチへの国民の信頼は保守層の間にも高まった。フォックス・ニュースの新型ウイルス対応に関する世論調査で、トランプの51%に対し、ファウチ支持は77%に達した。
こうなるとトランプ陣営も気が気でない。支持者の一人が、演説するトランプの背中にファウチがまわり、頭を押さえつける「写真」をねつ造した。このフェーク写真がネットで拡散されると、「ファウチは反トランプの秘密結社の一員だ」との書き込みが数千回共有され、約百五十万人が閲覧した。
その後の経過はよくわからないが、博士の政治生命が風前の灯だというのはよく分かる。トランプ家の裏庭に、また一つ墓碑が立つことになるであろう。

4.14 トランプ米大統領、WHOへの資金拠出を停止するよう指示したと表明。(詳細は前記事

4.14 国連のグテレス事務総長、「WHOは新型コロナウイルス感染症との闘いでの勝利を目指す世界の試みにおいて極めて重要なので、支援しなければならない」

4.15 トランプ、改めてWHOを批判。「WHOは中国の道具だった。ウイルスの発生の隠ぺいと管理のミスの調査を待っている。その間WHOへの資金の拠出を保留する」

4.16 習近平、「中国政府は一貫して透明性、責任ある態度に基づきWHOや関係国に情報を報告してきた」と主張。

4.16 テドロス、「WHOへの資金拠出停止は残念。不足分をどう補っていくか各国と相談したい。世界のすべての人が最高水準の健康を享受することがWHOの理念であり共有してほしい」

4.16 ビル・ゲイツはツイッターでこの件について発信している。
世界的な健康危機の最中に世界保健機関への資金を停止するなど、まさに危険そのものだ。…WHOが機能できなくなれば、代わりになる機関はほかにない。世界はかつてないほど、今こそWHOを必要としている。
4.16 米国医師会のハリス会長の声明。「トランプ声明は間違った方向への危険な一歩だ。それは新型コロナ制圧を難しくするものだ」

4.16 世界の感染者が200万人を超え。米は61万人に達する。NY州は感染者が20万人、死者が1万人。1日当たりの死者数は700人台で高止まり。

現在、ニューヨーク州などがロックダウンされており、それがいつまで続くかが焦点になりつつある。

いうまでも都市封鎖をふくむ緊急対策の司令官は各州知事にあり、それは憲法で規定されている。これがトランプには気に入らない。

14日の記者会見で、トランプは都市封鎖(ロックダウン)の解除にも言及している。そして「経済活動を再開させる権限は州知事ではなく自分にある」と述べた。まさに横車押しの介である。

ニューヨーク州のクオモ知事は「トランプはけんかをしたがっている」と斬って捨てた。

じつはWHO非難の理由はこの点にある。

10日にテドロス事務局長は記者会見し、こう語った。
「規制の緩和が早すぎると、ウイルス感染が致命的に復活してしまう。きちんと手はずを整えなければ危険だ」
つまり医学的な妥当性が最優先されるべきだと述べているのだ。

これがトランプには気に食わない。だからWHOとクオモを敵に回してでも、「自分の手でコロナ制圧を宣言した大統領」になりたいのだ。

ことここに及んでもなお、大統領選挙に勝つことがトランプのすべてだ。

またも驚きのニュース

コロナ騒ぎの最中にトランプがWHO拠出金停止を表明した。

赤旗・池田特派員によれば、発言の内容は以下の通り

① WHOの批判: 

WHOは基本的な義務を果たしていない。
新型ウイルス初期拡散について深刻な不手際を行った。
具体的には、中国からの渡航制限に反対した。公衆衛生上の緊急事態宣言を遅らせた。
いくつかの重要な事実を隠ぺいした、非常にに中国寄りで不公平だ。

② 中国での初期対応:

中国は初動を誤り、情報公開が十分ではなかった。

WHOは医療専門家を中国に派遣し、中国の透明性の欠如を指摘すべきだった。

だがWHOは中国の言葉をうのみにし、正確な情報の共有を怠った。

③ WHOへの対応:

WHOが犯した深刻な不手際と隠ぺいについて調査する。
その間、WHOへの資金拠出を停止する。

④ その他(封鎖解除に関して)

これについては次の記事へ

質疑応答

このあと記者との間で質疑応答があった。これについてはForbs日本語版に記載されている。

パンデミック(世界的流行)の最中にWHOへの拠出を差し控えることが正しい決断なのかと尋ねられると、トランプはその発言を撤回したように見えた。「いや、おそらくそうではない」と述べ、「そうするとは言っていないが、その選択肢を考慮する」と付け加えた。

恐るべきことに、この男は思いつきで物を言っていることがわかる

拠出金はいくらなのか?

このForbs日本語版 では、分担金についても解説されてる。
議論のときに揚げ足取られないように数字を上げておく。

WHOへの支払いには、分担金と任意の拠出金の2種類がある。1つ目は、各国がWHOの加盟国として支払う必要があるもので、総額は各国の資産と人口に応じて計算される。2つ目は、その名前が示すように自発的なもので、奨励はされるが強制ではない。

これまでアメリカは分担金の約5790万ドル(約63億円)と奨励金6500万ドルを払ってきたが、トランプはすでに2月に奨励金のストップを提示している。

今回の措置は、分担金の5790万ドルも止めようというものになる。



すみません。トランプのWHO攻撃の記事は、多分不正確だと思います。

トランプは4月に入ってからの記者会見で、二度にわたってWHO攻撃を繰り返しています。

一度目は7日の記者会見です。

このときは、「WHOは中国寄り」 だとし、資金拠出の停止示唆しました。

そして14日の記者会見で、拠出金停止を表明したのです。

赤旗の記事は2度の記者会見における発言をまとめたものの可能性があります。

いずれにしても、この間のトランプ発言の経過をまとめる必要があるので、ちょっとお待ち下さい。

コロナ 一国主義をどう乗り越えるか

“我ら”と”彼ら”の社会史

“我ら”の社会と”彼ら”の社会は先史時代から存在している。

それらの集団は、ほとんどは小さいままだったが、一部が大きくなり連合を形成し、単一王国を形成し、中には大陸をまたがるような巨大な帝国となることもあった。

しかしその大きさとは関係なしに、“我ら”の社会と”彼ら”の社会は隔絶した関係のままであった。”彼ら”は、可能性としては客人かあるいは奴隷であり、ユニバーサルな「人間」の概念はそこには存在しなかった。

近代国家の概念はカントリーという枠組みを超えて、ネーションというもう一つ広い範疇を創出した。

ネーションは民族であり、国家でもある。それは超階級的概念であり、多くの場合、言語・宗教を媒介とした民族的一体感に基づいて成立した。

そして“我ら”と”彼ら”の関係に代わるものとして、概念的には対等な「諸国家」の関係を打ち立てた。

いわば国家概念をめぐる天動説から地動説への移行であり、ウェストファリア条約型の国家関係への移行である。

これらは政治経済上の必要から生まれたものであり、近代国家においては広範な分業と市場のために生まれたものである。

しかし、それらが拠って立つ社会関係の基層には“我ら”と”彼ら”の関係があり、それは往々にして国家対国家、民族対民族の対立として噴出する。

その典型が今回のコロナ騒ぎであろうと思う。とんでもない災難は人々の間に不安を掻き立てる。そこで人々は“我ら”の外にいる”彼ら”を不安の対象として仮託するのだ。

しかし現代に生きる私たちは、それが誤ったイメージであることを知っている。経験と教育と訓練に拠ってリテラシーを獲得しているからだ。

イリュージョンそのものはある程度致し方がないことであるが、同時に人類は、それを国際法上でうまく調整する仕組みも手に入れてきた。

それは人間が本来肉欲の権化であるにも関わらず、それを抑制することにより、社会を潤滑に動かしてきたことと同じである。

私たちは、チンポコをおっ立てて吠え回るトランプというケダモノを世界一の権力者に据えてしまったが、世界の圧倒的多数がそれが間違いなのだと認識していることに確信を持っていいだろう。


大要は以下の通り

皆さん(中南米の教会活動家)へ

コロナとの闘いがひとつの戦争なのだとすれば、皆さんは前線で闘う兵士です。皆さんは連帯と希望と共同体精神だけを武器とする軍団です。

皆さんの粘り強さに、私は大いに教えられています。

1.「家にいろ!」というのは過酷なこと

家にいろというのが、狭いボロ屋暮らしの人々にとって、どんなに厳しいことか! 

皆さんはその現場で彼らと肩を寄せあい、その辛さを和らげようとしています。そんな皆さんを心から祝福します。

いまの危機に取り組むためには、官僚主義的な枠組みでは不十分です。個人や人々が中心に据えられ、癒やし、分かちあい、まとまることが大事です。

皆さんの多くはその日暮らしで、身を守ってくれるものは何もありません。

2.さらに辛い生活が待っている

この嵐は過ぎ去るでしょうが、その深刻な影響はすでに実感されてきています。

そこで私たち全員で考えたいのが、人類全体の発展の計画についてです。

拝金主義に終止符を打ち、人間の生活と尊厳を中心に据えた人間的な社会が来るように願います。

私たちの文明はあまりに競争的で、あまりに個人主義的です。狂乱的に生産し、消費し、ごく一部に富が集中する文明は、このまま続けられてはなりません。減速し、吟味し、改める必要があります。

これは実現できるものです。皆さんが、これまで幾多の危機と困難を乗り越えてきたからです。

父なる神が、希望を私たちに与えてくださるよう願います。

新型コロナと人種差別

1. アジア人と白人

今となっては笑い話みたいな話だが、3月中頃までは欧米の白人たちはアジア人を見下していた。
「アジア人はみなコロナ持ちだ」と思っていた。

典型的なのはトランプの「中国ウィルス」呼ばわりだが、生活の現場でもときにあからさまな差別があった。

ニューヨーク・タイムズは「ダイヤモンド・プリンセスは今や、海に浮かぶ小型版の武漢だ」と断じた。このとき、それが米国の船だということは念頭にない。

中国人と似たアジア人は差別的な扱いを受けた。イタリアの学校では、アジア人に対して医師の診察を受けるまで登校を禁じた学校があった(なんとあの聖チェチリア音楽院)。

感染症は日々、人々が潜在的に持つ差別意識を顕在化させる。これは連帯しようと努力する人々にとって最大の妨げになる。

ところが、これがパンデミックになって話が変わった。

いまや医療崩壊も起きているイタリアを支援するため、中国から医療チームが派遣されている。

中国のネット上にはこんな声も上がっているそうだ(FNN)。
「中国が全力で感染対策している時に他国は批判ばかりしていた。私達は正しいと証明した。彼らは今後、自らの無知の犠牲を払う」

一方で、第二波予防と称して国内在住の黒人への差別も公然化しているという情報もある。


2.内在化した人種差別

コロナは、国籍も人種も階級も関係なく、誰でも平等に襲うと思ったが、そうではなかった。

差別は白人対黄色人種というわかりやすい差別から国内の階級差別へと内在化しつつある。

ミルウォーキーでは人口の黒人比率は26%だが、コロナ死者の約70%に上っている。ルイジアナ州では、黒人は人口の32%だが、死者の70%を占めている。ミシガン州では、黒人は人口比14%だが感染者の33%、死亡者の40%をしめる。シカゴでも死者数の70%近くを黒人が占めている。(ワシントン・ポスト)

それが経済格差だ。黒人は貧しいから保険に加入していない。そもそも黒人地域にはまともな病院がない。

だから高血圧、糖尿病、肺疾患、心臓病などの持病持ちが多く、コロナにかかれば重症化する。

他にも理由は山ほどある。

黒人は低賃金のサービス業で働いているから休めない。集合住宅に住んでいて、公共交通機関で通勤するから、不特定多数の人と接する機会が増える。

アダムス米公衆衛生局長官はこう告白した。
クーリエより
              クーリエより
「私自身、高血圧だし心臓疾患もあります。ぜんそく持ちだし糖尿病予備群でもあります。私はアメリカで貧しく育った黒人を象徴しているのです」

コロナは「人間の安全保障」を問いかけている
 
1.パンデミックが我々に問いかけるもの

韓国のNGO『参与連帯』はこう論評しています。
4/9 徐台教記者による)

新型コロナウイルスのパンデミックは、世界大戦に匹敵する危機となっている。

これに対応して、「ニュー・ノーマル」(新しい社会スタイル)を念頭に置いた全面的な社会の転換が必要になっている。

予算構成の見直しと国防費削減もその一つだ。軍備増強のみではなく、平和的な方法で平和を守り構築するという考えが必要である。

そのためにも全面的な政策転換が必要だ。(防衛予算削減の具体的提言については省略)


2.「人間の安全保障」の考え方

その際の国際的な基準として国連での「人間の安全保障」決議をあげています。
これは非常に参考になる発想だと考えます。

2012年、国連総会において「人間の安全保障」が決議されました。それは次のような基本的視点を謳っています。(MOFAホームページより)

「人間の安全保障」とは、生存・生活・尊厳に関する脅威から人々を守り、諸個人の能力強化を通じて持続可能な社会づくりを促す考え方である。

今日の世界においては、グローバル化により相互依存が深まっている。貧困、環境破壊、感染症などは国境を越え、人々の生命・生活に深刻な影響をもたらしている。

このような課題に対処していくためには、従来の国家中心のアプローチだけでは不十分になってきている。

「人間」に焦点を当て、様々な関係性をより横断的・包括的に捉えることが必要だ。

3.「安全保障」予算の機動的出動を

このような「人間の安全保障」の考えに基づくなら、現下の非常事態においては、限りある資源のもとで、「安全保障」予算の大幅組み換えもふくめた資金創出が考えられてもいいのではないでしょうか。

例えば大規模災害においては自衛隊が出動するのですが、このようなパンデミックでは、人員の出動で事足りる状況ではないと思います。

財政の面での機動的出動がもとめられてもよいのではないでしょうか。

日経の18日紙面にビル・ゲイツの提言が形成されている。非常に示唆に富む発言なので私なりに解釈して紹介したい。

1.新型コロナに国境はない

しかし各国政府は自国の対応に集中してしまっている。

2.低開発国で新型コロナを抑え込まれなければパンデミックは終わらない

世界は武漢発の新型コロナを一旦抑え込んだかに見えた。しかしそれはイタリアへと飛び火し、世界に広がっている。

これが第3次流行、第4次流行と続かない保証はないし、それがさらに強力化する危険も否定できない。

3.もう一つのグローバリゼーションがもとめられる

それは低開発国、感染症に対して脆弱な国で遷延する可能性がある。

なぜなら経済のグローバリゼーションが、世界に著しい格差をもたらしているからである。

だから私たちはもう一つのグローバリゼーション、新型コロナとのグローバルな闘いにいどまなければならない。

4.それは資本の論理とは異なったものでなければならない

最も初歩的な一歩は、医療・衛生資源が必要に応じて、効率的に配分されることだ。お金の有無による配分は有害無益だ。

「私は資本主義を強く信じる。けれども、市場はパンデミック下では機能しない」

どのように配分するかはWHOなどの意見に基づいて行われるべきだ。

そのための資源投下を惜しむべきではない。

5.すべての人々との連帯

目前の非常事態に対応することは緊急かつ重要である。

しかし賢明に考えればわかるように、世界の貧しい人々のために連帯することは、中長期にはもっと重要なのである。

「このパンデミックの下、私たちは全員がつながっている。だからこそ、私たちは一緒に闘わなければならない」



がすばらしい。You Tubeでアップされている。
多分ヤバそうな音源だから早く見ておいたほうが良い。

Dec 2014, Toppan Hall, Tokyo
と書いてある。

これと同じ演奏家の同じ曲が2007年の発売だから、まだ現役だろうと思う。

CDの方の謳い文句は
アルゲリッチが、「彼らの演奏を聴いた人は誰でも必ずまた聴きたくなるでしょう」 と絶賛したフォーレ四重奏団の新録音。

誠にさっそうと、シンフォニックに演奏していて、ながら聞きしているとピアノ協奏曲みたいに聞こえることがある。アルゲリッチはこういうふうに演奏したかっただろうと思う。

ピアノ四重奏曲というのはそれほど多いわけではないので、四重奏曲を専門にやるアンサンブルというのもそう多くはない。むかし名前は忘れたがLP時代に四重奏団があって、やはりピアノ協奏曲っぽい雰囲気で演奏していたように記憶している。

モーツァルトをこのノリでやられるとちょっと引いてしまいそうだが、ブラームスの、とくに若書きの曲だと、これでぴったりという感じだ。(モーツァルトはクリーンとアマデウスSQで決まり)








アップされているのは第1番 ト短調 作品25 のみ.

大変ありがたい話で、最近は日本書紀も今昔物語もネットで読めてしまう。関係者のご努力に心から感謝する次第です。

というわけで、今回は今昔物語集175「陸奥国の安倍頼時、胡国に行きて空しく返りし語というもの。

今は昔、と始まるが、これでは困る。解説では11世紀なかばと書いてあるから、およそ1050年ころの話だ。

前九年の役と安倍頼時

ウィキでこの頃の日本を見てみると、平安時代の中期から末期にあたる。唐はすでに滅び北宋の時代だが、北方の諸国が勢いを増している。

東北では10年にわたる前九年の役が戦われている。ウィキによるとこの頃、安倍氏は陸奥国の奥六郡をおさめ、半独立的な勢力を形成していた。彼らは「東夷」として蛮族視されていた。

これを快く思わない朝廷は安倍氏の懲罰を試みた。1051年、朝廷軍と安倍頼時は玉造郡鬼切部で戦った。闘いは息子貞任の率いる安倍軍が勝利し、朝廷は頼時に大赦を与えた。

このあと陸奥守となった源頼義は、安倍氏を挑発して戦争を起こした。1056年のことである。翌年安倍氏は主君頼時を失うが、子貞任が黄海の戦で頼義軍を撃破した。頼義は供回り6騎で命からがら逃れたという。

1062年に再び兵を起こした源頼義は、出羽の俘囚清原氏を味方につけ、今度は安倍氏を圧倒した。しかし朝廷は源頼義を快く思わず、清原氏に奥州の支配権を与えた。

安倍頼時と今昔物語

それで、安倍頼時の氏素性は分かった。それで頼時がなぜ今昔物語に登場するのかと言うと…

頼時は頼義に襲われ命を落とすのであるが、その前にかなり長い雌伏の期間をおいたらしい。そしてそのときに胡国に一時避難したようなのだ。

これは多分一つの解釈に過ぎないと思うが、とにかく1050年代に起きた長い戦争の間に、頼時は北海道まで逃れたことがあったということになる。



前置きはこのくらいにして

巻第三十一 第十一 「陸奥国の安倍頼時、胡国に行きて空しく返りし語」

今は昔、陸奥国に安倍頼時と云ふ兵(つはもの)ありけり。

その国の奥に夷(えびす)と云ふものありて、…陸奥守をつとめる源頼義を攻めようとしたり…

安倍頼時、その夷と心を同じくしたとの情報ありたり。

源頼義は、安倍頼時を攻めむとしけり。

頼時はこう言った。

「古より今に至るまで、朝廷のせめを蒙る者その数あったが、未だ朝廷に勝ちたる者一人も無し。然れば、我にあやまり無しと思へども、せめを蒙れば、遁るべき方は無い。

しかし、この地の奥の海北の方に、かすかに見渡さるる地があるなり。

其処(そこ)に渡りて、一帯の状況を見て、良さそうな所ならば、渡り住みなむとおもう。

ここにていたづらに命を落とすよりは、我を去りがたく思はむ人をありったけ集めて、かしこに渡り住みなむ」

そこで頼時は

先づ大きなる船一つを調(ととの)えた。それに乗りて行きける人は、 頼時の他に、子の厨河(くりやがは)の二郎貞任(さだたふ)、鳥海(とりうみ)の三郎宗任(むねたふ)、その外の子ども、亦親しく仕へける郎等二十人ばかりなり。

さらに その従者ども、亦食物などする者、取り合はせて五十人ばかり 一つ船に乗りて、暫く食ふべき白米、酒、菓子(このみ)、魚鳥など皆多く入れしたためて、船を出して渡りけり。

その見渡さるる地に行き着きにけり。

遙かに高き巌の岸にて、上は滋(しげ)き山にて登るべき様も無かりけり。
そこで
山の根に付きてさし廻ると、左右遙かなる芦原にてありける。大きなる河の港を見付ける。

河は底(そこひ)も知らず、深き沼のやうなる河なり。
人や見ゆると見けれども、人も見えざり。遙かなる芦原にて道踏みたる跡も無し。


人気(ひとけ)のする所やあると、河を上(のぼり)つ。なほ人の気はひも無く同じ様なりければ、三十日さし上りにけり。

その時に怪しく地の響きたり。芦原のはるかに高きに船をさし隠して、葦のひまより見つ。

ここで胡国の騎者が登場する。

胡の人、うち続き数も知らず出で来にけり。千騎ばかりはあらむとぞ見えける。
河の端に皆うち立ちて、聞きも知らぬ言葉どもなれば、何事を云ふとも聞こえず。

 

歩(かち)なる者どもをば、馬に乗りたる者どもの傍(そば)にひき付けひき付けつつぞ渡りける。


頼時らは考えた


「こんなところまで上るとも、途方も無き所なり。これほど自然(おのづから)事にあひなば極めて益無し。食物の尽きぬ前に、いざ返りなむ」


それよりさし下りて海を渡りて本国に帰りにける。
その後、幾程も経ずして頼時は死にけり。


という物語を、頼時の子の宗任法師が語ったそうだ。

宗任は筑紫に居たそうだから、囚われの身となって流されたのだろう。



どうも流石にそのまま信じる気にもなれない。人跡未踏の果てしなき湿原地帯であれば、到底1千騎の騎馬部隊とその数倍の徒士の集団を養えるはずがない。

北上川は大河であり、これにまさるような河は石狩川しかない。

ありうる想定とすれば、蒙古の大軍が樺太から北海道まで進出し、アイヌと相まみえたということになるが、蒙古側にその文書的情報があるとは聞かない。

緋縅の赤がきわめて鮮烈な名場面である。黒沢明の映画を見るようである。平家物語のように琵琶法師によって歌い継がらたものではないだろうか。

おそらく騎馬部隊の話は宗任法師が子供時代に見た朝廷軍の記憶であろう。北上河畔には広大な湿地帯が広がっていただろう。それは父が殺され、自らも俘囚となる恐ろしい体験だったろう。

ただ宗任は貞任の弟で鬼切部の戦いにも参加したベテランだから、朝廷軍は恐ろしいだけの幼児体験ではない。此のへんはよくわからないところだ。







知人から、用事があるときはここにメールしてくれと手紙が来た。

メール
この “上付きハイフン” がわからない。たぶん半角チルダが文字化けしたのだろうと思うのだが、いろいろな字種を試したがすべてはねられる。

むかしはメールアドレスに使うよう推薦された時代があったのだろうか。いまでは困った存在になっている。

わかったのだが、ウィンドウズ10ではチルダもはねられるようになっている。ただし「アドレスに使うときは波線ではなくチルダとして表記される」とマイクロソフトの担当者は書いている。

しかし、実際にははねられてしまうから、これはウソだろう。

This Message was undeliverable due to the following reason:

Each of the following recipients was rejected by a remote mail server.
The reasons given by the server are included to help you determine why
each recipient was rejected.

    Recipient: xxti-naxxwak.com>
    Reason:    5.3.0 <xxti-naxxwak.com>... User unknown

“%7E”と入れると字面上は%7Eだが、メールで送るときはサーバにチルダとして認識される、などという情報もあるが、これもガセネタだ。他にもそれっぽい情報がネット上に氾濫している。これに真面目に付きっていると1日終わってしまう。

まぁ年寄り同士、はがきでやりとりすることにするか。


志村けんのだいじょうぶだぁ けんと陽子の就寝コント 22

がめちゃくちゃ面白い。ほとんど予言みたいだ。
こういうのを「濃厚接触」というのだろう。
こんな人を持ち上げちゃいけないが、こき下ろすばかりでもいけない。
それにしても、夫婦の力関係ってあの頃はこうだったんだ。
今見ていると、ことばの端々がいちいち気になる。
私自身はしむらけんのセリフの半分以上は飲み込んでいたと思う。
たいていはそんなものだった。だからこれがコントになったのだ。
これ以上言うと、今の世の中ではいろいろと差し障りがあるので…

田中克彦「言語学とはなにか」(岩波新書)を読んで

昨日、酔いに任せて一気に言語学ルサンチマンを撒き散らしたが、あらためて読み直すと結構恥ずかしい。

実はこの本読み切っていない。途中で投げ出したのだ。第2章の終わりから第三章のはじめにかけて頭が朦朧としてきた。それと同時に得体のしれない怒りが頭をもたげてきた。

「またしても騙された!」

言語学の本を読むときに味わうあの一種独特な居心地の悪さを、またしても強烈に感じた。
「言語学」とは学的傲慢さの上に成立する学問である。それを承知で読むのならそれはそれで十分面白い。ところがこういう入門書や啓蒙書は、「言語学」が言葉について研究する学問ではないということを嫌というほどあからさまに主張する。にもかかわらず「言語学」という看板を握って離さないのである。
言ってみれば、他人の家の戸口に勝手に自分の表札を付けて、「ここは俺の家だ。何も知らないくせに、勝手に入ってくるな」と主張するようなものだ。
我々が日頃言葉というものについてあれこれ考え、あれこれ発言するのはよくあることなのだが、言語学者は「そんなものは言語学ではない」と言いはるのだ。こういうのを普通は「盗っ人猛々しい」というのである。

ある有名な言語学者はこう言い放ったといいう。
言語学を一般人向きにすることなど不可能である、そのようなことを試みる必要はない。
別の言語学者はこう言っている。
一般の素人はもちろんのこと、教養のある人々や、言語学と密接な関係にある科学の部門に携わる人々でさえ、概して言語学の知識はゼロである。
本来は彼らが言葉を譲って、自らについては「言語の構造学」とか「言語の社会学」とか言うべきなのだ。

最後は著者の田中さん自身の発言である。
世間では、なにはともあれ、言葉の本質を知るためにはその歴史を知らなければならないとよく言われる。こういう事を言う人が、実は物事の本質についてあまり良くわかっていないということは、話しているうちにすぐに分かってくる。
こういうオームみたいな人の本を読む気がしますか?

「心理学」と同じ発想

これは「心理学」という言葉と同じだ。
以下は私が以前に書いた文章の一節だ。何回も引用しているが、また引用させてもらう。
何度も引用するのだが、三木清が「心理学」を批判したことがある。
以前の心理學は心理批評の學であつた。それは藝術批評などといふ批評の意味における心理批評を目的としてゐた。
人間精神のもろもろの活動、もろもろの側面を評價することによつてこれを秩序附けるといふのが心理學の仕事であつた。この仕事において哲學者は文學者と同じであつた。
…かやうな價値批評としての心理學が自然科學的方法に基く心理學によつて破壞されてしまった。
2013年11月09日 三木清「幸福について」を参照されたい。
ようするに、心理学という言葉の剽窃であり、しかも厚かましくも商標登録してしまったみたいな感じである。
ネズミを迷路に入れて餌と脅しで走らせて、それが心理学なのだ。あるいは患者に催眠術をかけてプライバシーを覗こうとする出歯亀どもが心理学者と奉られている。
世間の人々は「心理学」こそが人間の心の働きを追求していく学問と思い込んでいるが、心理学会に巣食っているのは知ったかぶりの三百代言ばかりだ。
この「心理学者」の群れが最近では、「脳科学」と模様替えしてあちこちで妄言を振りまいている。

つまり言語学者と心理学者・脳科学者、ついでに文化人類学者は、世の中で信じてはいけない三大「科学」者と言えるだろう。もちろん美容整形医学のようなエセ医学でもないし、優生学者のような悪党でもないので、そこは区別しなければならないが。

閑話休題

この本はそういうソシュール批判を結構気にしていて、いろいろわかったような書き出しで始める。しかし読み進むうちにわかってくるのは、彼も囚われ人の一人であり、「言語学オーム」の一員であるということだ。なぜかと言うと、「言語学」という言葉を使うのに、なんのてらいもためらいも感じていないからだ。

「言語学」が、ことばと言語の研究の広大な分野のほんの一部に過ぎない、ということへの反省がないのだ。「反省だけならサルでもできる」というが、それは本当の反省ではない。

私が思うに…

進化論的に見れば「ことば」の意義はきわめてはっきりしている。ことばこそが人間を作ったのだ。ことばこそが人間を人間たらしめている。もっというと人間の「類的本質」は言語活動と関わって存在するのだ。道具の使用とか「労働の役割」なんでのはチンケなものだ。

パスカルは「人間は考える葦である」と言ったが、より正確には「人間は言葉によって考える葦である」というべきであった。

脳の問題ではもっと端的に明確だ。人間の、とくに大脳部分は言語活動のために発達している。サピエンスにおける大脳の進化はほぼ全て、言葉の発達で説明可能である。

「情緒」とか「本能」ですら、現実には言語の統制下にある。より厳密に言えばせめぎ合いのもとに置かれている。

もし脳を文化論的、哲学的に論じるのではなく、実態的に論じるのであれば、言語学は大脳の進化学として説明されるべきである。



ということで、最後は自爆状態

これでは著者にも失礼なので、もう少し書き足しておく。

言語学はその存在理由を説明することの難しい学問である。
というのが書き出しである。

もうここからピリピリしてくる。「そんな訳はない!」のである。
国語だって立派な言語学だ。ただし、それだけならあえて言語学という必要はないかもしれない。

おそらく近代になって、貿易や外交が盛んになって、世界にはいろいろの言語があるのだということがわかった瞬間に、言語学という学問が成立したのであろうと思う。

しかしその萌芽はもっと昔から、集団と集団との間の交流が始まったときから存在したのだろう。そして集団の境界部に居た人々は経験的に「言語学者」になったのだろう。それが学として成立するのはずっと後のことになる。

おそらく、それは個々の外国語に接する過程を通じて、教会や貿易会社をパトロンとして、一種の「博物学」として始まったのだろう。生物学におけるリンネのような存在ではないだろうか。

世界にいくつの言語があるかは知らないが、それをできるだけ多く採集して、さらに近い言葉と遠い言葉、古い言葉と新しい言葉、混じり合った言葉、さらには絶滅してしまったものまで集めるのが最初の仕事だろう。
つぎにそれを分類して大きなグループに大別して、その特徴をまとめる作業。さらにはそれを発達史的に体系化する作業。
これらすべてが「言葉の博物学」だ。「言語学」という学問名はそうした研究にこそ与えられるべきだ。
それは社会集団の最大の寄る辺であり、象徴であるから、たぶん文化人類学や民俗学と近い関係になるだろう。

言語学には、言語発生学という分野が必ずつきまとう。なぜなら言語は母音と子音の組み合わせから生まれたものであり、それは現生生物としてはホモサピエンスにしかない機能だからである。(鳥の囀りについては勉強中)
だから生物学の一分野としての「ヒト学」の重要な柱を構成するだろうと思う。
これは言語学の分野の中ではさほど重要な分野ではないかもしれないが、生物学者にとってはまさしく核心的な研究分野である。
なまじ「言語学者」がしゃしゃり出ないほうがありがたい分野でもある。

いっそ、そんな棲み分けをしたらどうでしょう。

もう疲れたのでロシア旅行の話はやめます。とハイっても旅行の話はほとんど書いていません。
さいごにマリンスキー劇場と「眠れる森の美女」の話だけ書いておきます。後はどうでもいい話ばかりです。

強調しておきたいのは、「これは旅行会社の出血大サービスだ」ということです。

たとえ2線級だとしても、これはとんでもなくすごいことなのです。ツァーのオプションでついていて1万6千円なのです。こんなオプションは絶対にありえません!

例えば楽団だけ日本に来て演奏会やれば、それだけで1万6千円です。それを伴奏にして、豪華バレー団がこれでもかと踊りまくるのです。

これが東京に引っ越し公演すれば軽く4万円です。しかもそれを初演の地ペテルブルクのマリンスキーで見られるなら、6万でも7万でも出すでしょう。

天井桟敷ならそれはそれで相談ですが、1回の平土間席の後ろから5列目、貴賓席の真下です。どうします?

しかも!! コロナ騒ぎで、今日を限りに当分閉鎖ということならこれはプレミア付きです。そとで切符をプレミア付きで売ったら10万出しても買う人がいたでしょう。

もっといいましょう。ではなく、もっと言ってもらいましょう!

というページがあります。

眠れる森の美女は、チャイコフスキーのバレエ音楽の中で最も演奏時間が長く、全曲を通した上演には普及している縮小版でも優に2時間を要します。原型に基づく上演の場合、上演時間は3時間に及び、マリインスキー・バレエだけが上演している本格的な眠れる森の美女の上演時間に至っては4時間にも及びます。

そうなんです。私たちの公演ではこれにいつ果てるとも知らない、長いカーテンコールがあって、11時半になって、さすがにつきあいきれず帰ってきました。

正直言ってバレエというのはわかりません。むかしテレビの出始めの頃「バレエへの招待」という連続番組があって、芦原英了さんが司会をしてパ・ド・ドゥとかなんとか解説していましたがさっぱりわかりませんでした。憶えているのは長門美保さんというプリマが、不気味なほどすごい大根足だったということです。

とにかく長い。幕間には2階の待合に行ってグラスワインを貰ってきました。ただです!

フラフラと館内を回ってきましたが、とにかくすごい。暗さが半端じゃないのです。昭和じゃなくて明治の暗さなのです。

むかし子供の頃白熱電灯だけで照らされた大広間に入ったことがありますが、あの明るさと暗さの対比。灯影はほとんど暗闇なのです。出来た頃はまだ電灯でなくてろうそくだったのかもしれない。

座付きの管弦楽団がまたすごい。3管編成なのでしょうか、とにかく狭い劇場には不釣合な音響です。
バイオリンソロなど、まるで耳もとで弾いているみたいな音量です。

とにかく「もうこれで死んでもいい」くらいの音空間に浸ることが出来ました。極楽、極楽!
(その割にはカネ、カネばかりですね)

リャードフを聴いています

閉じ込められて、大好きなリャードフ(Lyadov)を聴いています。

リャードフほど生粋のペテルブルクっ子作曲家はいないでしょう。
ペテルブルクの音楽院を出て、そのまま学校にダラダラと居残って、リムスキー・コルサコフの叱正を浴びながら、大して曲も書かず、従ってというか大して有名にもならず、そのまま一生を終えた人です。
曲はみなエスプリに満ちていて、こういっちゃなんだけどショパンよりもっと上品です。
晩年になってから全音階音楽に手を染め、大規模な管弦楽作品を残しました。しかし大規模なのは編成だけで、あっという間に終わってしまう曲ばかりです。
ディアギレフからバレエ音楽を書けと言われたけど、結局書けずに終わって、その代作がストラヴィンスキーの「火の鳥」というわけです。私が思うにはあれはリャードフのパクリですね。

ペテルブルクに行ったけど、団体旅行なので、リャードフどころか音楽院も見ることができませんでした。
でも、バレーを見に行ったマリンスキー劇場の向かいの修理中の建物が音楽院だと聞いて、「あぁこの辺をリャードフは歩いていたんだな」と、ふと感慨にひたりました。

私の好きな12曲、いずれもピアノ小品ばかりです。

① Valse op.9 n°1
Prelude Op10_1
Prelude Op. 11 - 1 in B minor
④ In the Glade Op. 23
⑤ Musical Snuff Box, Op 32
⑥ Preludes Op. 36 - No. 2 in B flat minor
⑦ Etude Op. 37 in F
⑧ Mazurka Op. 38 in F
Barcarolle Op. 44 F# major
⑩ Preludes, Op.57 Nº1
⑪ Mazurka in F minor Op. 57 No. 3
⑫ Sarabande in G minor

ほとんどはYouTube で聞けると思います。
PS 一応リンクつけときました
ほとんどの楽譜はIMSLPで手に入ります。

独ソ戦とソ連側犠牲者に関する年表

概要

独ソ戦の犠牲者(戦死、戦病死)は、ソ連兵が1470万人、民間人が1200万人の計2700万人。これに対しドイツ兵が390万人、民間人が300万人と推計される。
ソ連の軍人・民間人の死傷者の総計は、人類史上全ての戦争・紛争の中で最大である。
ソ連兵の戦初期の捕虜500万人はほとんど死亡。またドイツ兵捕虜300万人中、およそ100万人が死亡した。


1941年

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6月

6月22日 ドイツ軍、バルバロッサ作戦を発動。ソ連に奇襲攻撃。

緒戦において赤軍は各戦場で大打撃を被り、敗れ孤立した将兵は百万人単位で捕虜となった。
ドイツ国防軍の捕虜となったソビエト赤軍将兵の約60%、およそ500万名が死亡。この内280万名が開戦後半年以内に死亡。
イギリス軍、アメリカ軍の捕虜の死亡率は3.6%にとどまる。
収容所の多くは収容施設そのものが存在せず、平原を有刺鉄線と監視塔で仕切っただけのものであった、捕虜たちは、穴を掘って凌ぐほかなかった。冬が始まった時、冬が始まった時、捕虜は防寒服などをドイツ軍により奪われたが、これは致命的だった。
その他、ウィキではソ連POWの扱いについて事細かに記載されている。

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  星印のついたユダヤ人の捕虜
6月23日 リトアニア臨時政府成立

6月26日 ドイツ、西ドヴィナ川の橋確保

7月

7月6日 - 第一次スモレンスク攻防戦

7月9日 - ドイツ、旧国境陣地線(スターリン線)突破

7月15日 - ウーマニの戦い

7月21日 ドイツ、モスクワを空襲

7月23日 - キエフ包囲戦開始

7月31日 フィンランド、ソレントの戦闘開始。冬戦争で失ったカレリア地峡の奪還を目指す。

8月

8月 スモレンスク陥落に伴い、中央軍主力を南部に配置する。

8月5日 - オデッサの戦い

8月9日 大西洋会談開催、大西洋憲章の調印

8月23日 - 第一次キエフ攻防戦

8月30日  ウクライナで数十万のソ連赤軍部隊が壊滅。ドイツ軍がネヴァ川に達する。
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ソ連軍捕虜収容所 建物はなく野ざらしだった


9月

9月4日 - ドイツ軍がレニングラード市内、またペレコープ地峡への砲撃開始

9月8日 レニングラード包囲戦の開始

9月12日 - ロストフの戦い
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 シラミ駆除のため裸にされた捕虜たち
9月19日 ドイツ、キエフ入城

9月24日 - セヴァストポリの戦い

9月29日 第1回モスクワ会談開催

9月29日 ドイツ軍、バビ・ヤールにて、一度に最多の犠牲者を出したバビ・ヤール大虐殺開始

9月30日 モスクワ攻略を目指すタイフーン作戦が開始される。

10月

10月1日 - アメリカ・イギリスがソ連に対し武器貸与約束

10月19日 ドイツ軍はクレムリンまであと十数キロのところまで迫る。冬の泥濘と降雪により、ドイツ軍の進攻止まる

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ソ連軍兵士の冬服は剥奪され、多くが凍死した
10月20日 - 第一次ハリコフ攻防戦

11月7日 モスクワ市が陥落の危機を脱する。アメリカはこれを見て、ソ連に対する武器・物資援助を開始。

11月15日 - ドイツ軍がモスクワ攻勢再開(秋季攻勢)

ドイツ軍の損害は投入兵力の35%、100万人におよぶ。戦死者は20万人に達する。

12月5日 ソ連軍の冬季反攻開始。ヒトラーはモスクワ戦線の死守を命令。

12月6日 - イギリス、フィンランドに宣戦

12月8日 日本が真珠湾を攻撃し、アメリカ・イギリスに宣戦布告

1942年

1月

1月8日 赤軍総司令部、北部で反転攻勢命令を発動。ルジェフ方面へ向かって進軍。前線を西へ押し返したが、ルジェフは落ちなかった。

1月18日 ノヴゴロド州の南部ホルムを赤軍主力が包囲。ホルムはレニングラード包囲部隊の唯一の補給基地だった。3か月後に航空支援により包囲が突破される。ナチスはこれを英雄的な闘いとして宣伝。

1月20日 - ドイツにおいて、ヨーロッパのユダヤ人絶滅に関するヴァンゼー会議の開催

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5月2日 バッケ食料次官が東部での食糧収奪計画を立案。スラブ人(ポーランド人とロシア人)3千万が餓死することを前提としていることから「餓死計画」と呼ばれる。

5月12日 第二次ハリコフ攻防戦。ソ連軍がウクライナ東部で反撃。ハリコフ奪回を目指す。

5月 ルーズベルト大統領、「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはできない」と発言。

6月6日 ヒットラーがみずからコミッサール指令を発する。「完全なボリシェヴィキ」と特定された捕虜は即座に処刑。

6月28日 南部戦線でブラウ作戦始まる。ヴォルガ川への到達とコーカサス地方の石油資源獲得を目的とする。

7月  ヒムラーの指示を受けたベルリン大学教授コンラート・マイヤーが東部総合計画(改訂版)を提出。
「餓死計画」をさらに凶暴化。スラブ人3千万から5千万を追放・消滅させると提案。空白地となった東部にドイツ人が移住することになっていた。

東部計画はポーランド東部のザモシチで実験された。ドイツ人10万人が移住、住民は強制労働を強いられ、一部は絶滅収容所に送られた。(ザモシチはローザの故郷)

8月12日 - 第2回モスクワ会談開催

8月22日 ドイツB軍集団、スターリングラードの大部分を確保。

11月19日 ソ連、天王星作戦を展開。スターリングラード西方で補給線を切断し包囲戦に入る。ヒトラーは退却を許可せず、防御陣地を構築して戦うよう命じる。

11月22日 - ドイツ、ドン川及びヴォルガ川より退却

11月25日 ルジェフに対して再度攻撃。ルジェフはかつてのモスクワ包囲網の一部で、ドイツ軍の突出部となっていた。この闘いは時期的にはスターリングラードの戦いと並行して行われ、火星作戦と呼ばれた。ジューコフ大将が総指揮をとった。ソ連軍はドイツ軍の前に大敗北を喫し、兵33万5千人と1600両の戦車を失った(戦死は10万人)。

12月11日 ドイツ軍が、B軍集団の救出作戦を開始(冬の嵐作戦)。ソ連軍はこれを阻止すため、「小土星作戦」を開始

1943年

1月

1月12日 - イスクラ作戦

1月13日 ニコラエフカの戦い

1月30日 ヒトラー、スターリングラードのドイツ軍に玉砕命令。第6軍司令官パウルス元帥はこれを拒否し投降。

典型的な「どっちもどっち」論
下記は、戦記物作者が陥りやすい現場論議である。
ヒトラーは『総統の許可なくして、一歩たりとも退却してはならない』という仮借ない命令をドイツ軍に下しました。
一方でスターリンもソ連軍の主力部隊の背後に、脱走兵を射殺する『阻止部隊』を配置し、前線部隊の退却を許しませんでした。
両軍の兵士たちは、どんなに絶望的な状況に追い込まれようとも徹底抗戦し、戦場はまさに地獄の様相を呈しました。

2月 コーカサス方面に進出したA軍集団は、かろうじて撤退に成功。

2月19日 第三次ハリコフ攻防戦。ソ連軍はドイツB軍集団を攻撃し、ハリコフの奪還を狙う「星作戦」を発動。

3月

3月1日 - ドイツ軍がルジェフから撤退開始(水牛作戦)。市民のうち9,000人は射殺されたり拷問を受けたり収容所で飢えたりして死んだ。人口の6分の1はドイツに送られ強制労働をさせられた。

4月13日 - カティンの森事件の発覚

7月4日 ドイツ軍がクルスクの突出部へ先制攻撃。東部戦線の戦車及び航空機の内6割から7割を動員、兵員90万人を投入した。予備兵力は皆無だった。

8月23日 - 連合国軍がベルリンを重爆撃

11月3日 ポーランドのマイダネク強制収容所でユダヤ人大量殺害を実行。「収穫祭作戦」(囚人は血の水曜日と呼んだ)。収容所にいた8400人と他の収容所や町から連れてこられた1万人の合わせて1万8000人のユダヤ人がこの日に銃殺された。
マイダネクでは36万人以上が死亡した。その内訳は、22万人が飢餓・虐待・過労・病気により、14万人が毒ガス・銃殺により死亡した。

11月6日 ソ連、キエフ奪還

11月22日 - カイロ会談開催

1944年

1月

1月20日 ソ連軍がレニングラード市を解放。

2月1日 ソ連軍によるエストニア攻略作戦が展開。エストニアの抵抗組織がドイツ軍に加わることにより、戦線はナルヴァ川で停滞。

5月9日 セヴァストポリ周辺の枢軸国軍が降伏

6月

6月22日 バルバロッサ作戦開始4周年を期して、ソ連軍のバグラチオン作戦開始。陸空一体の電撃戦を前にドイツ中央軍集団は事実上壊滅。

8月

8月1日 - ワルシャワ蜂起

9月19日 フィンランドがソ連とモスクワ休戦協定締結。


1945年

4月25日 アメリカ軍とソ連軍がエルベ川付近で邂逅(エルベの誓い)

4月30日 ヒトラー自殺

5月7日 ランスにおいて、ドイツ国防軍最高司令部作戦部長アルフレート・ヨードル大将がドイツ軍の降伏文書に署名し、ドイツが降伏



前の記事でエジンバラ大学が「新哲学」としてニュートン理論を導入し、その影響を受けたスチュアートが「経済学言論」を書いたとあった。

どうもこの辺の経緯がよく分からなくて、ネットをあたってみた。

とりあえず西脇 与作さんのブログに「微積分の背後へ」という記事があった。読んでみたが、ちんぷんかんぷん。とりあえずゴシップ記事的にまとめておく。

ことのはじめはニュートンの秘蔵っ子学者マクローリンがエジンバラ大学に赴任したことにある。

マクローリンは大学の改革を試み、その土台にニュートン理論をすえた。そしてこれを「新哲学」と呼んだ。

バークリのニュートン批判

1734年、これにバークリが噛み付いた。それが『解析家-不誠実な数学者へ向けての論説』(The Analyst: or a Discourse Addressed to an Infidel Mathematician)という論文である。

不誠実な数学者と名指されているのはニュートンその人である。

バークリはどこに噛み付いたか。

ニュートンの微分積分学の基礎には「無限小」といいう概念がある。

ニュートンはこの概念を用いてライプニッツ派(大陸派)と微積分のプライオリティを争っていた。

バークリは「無限小」=ゼロは、帰納的には証明できないと主張した。それは存在論的な誤解にもとづく論理的な誤謬なのだとし、彼岸性を主張した。

バークリは形而上学が数学の限界を定め、それが内包する哲学的問題を明らかにすると述べた。微分積分学は論理的に緻密でなく重大な難点がある。

「それを放置しておいて、教会の教えの非合理性ばかりを批判することができるか」という言い分だった。この男がずるいのは、いつもドローに持ち込めれば勝ちという作戦をとることだ。不可知論者の真骨頂だ。

無限小と無とゼロ

無限大・∞という概念があるのだから「無限小」もあってよい。それはゼロと同じだがゼロとは違う。

バークリの批判は、存在論的なものと論理的なものとの二つに分けることができる。

存在を極限あるいは無限小に帰することは正当化できない。それに相当するものは何も存在しない。

論理的な観点からいえば、「無限」の比較が行われていることである。

また、バークリは物体の存在なしに空間を考えることはできないとして、ニュートンの絶対空間の存在を否定した。

マクローリンとエジンバラ大学

18世紀スコットランドは自然科学の黄金時代だった。

1717年、エディンバラ大学の卒業生たちによって伝説的なランケニアン・クラブが結成された。そこではもっぱら哲学的、宗教的問題が議論された。

ランケニアンという名は、クラブの会合が行われた居酒屋の主人の名前からきている。

その後、人々や医学者たちは正式に哲学協会を発足させる。マクローリンはその中心人物であった。

ランケニアン・クラブにはじまるスコットランド哲学の形成は、クラークの自然神学や、これに対するバークリの批判を検討することから始まった。

マクローリンは無限小は証明を簡略化するためにだけ使用されたと主張した。さらにマクローリンは、極限によるニュートンの証明が「アルキメデスの方法」(帰謬法)の一般化だったとする。

後は面倒なので省略。

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