鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2020年01月

古書「伊藤書房」
何もこれと行った協力はできないが、せめてこのブログで一言宣伝させていただくことにする。
場所はわかりやすいとは言えない。
羊ヶ丘通を北広島方向に向かうと、札幌ドームを越えて下がり始めたあたり、右手反対車線に面して2階建ての建物が見えて、伊藤書房の看板が立っている。
ちょっとけばけばしい看板がかえって周辺の場末的雰囲気に溶け込んで、「なぜこんな看板を見逃すの」というくらい見事に見逃す。
私は三回店の前を通り過ぎた。

店の裏側に結構広い駐車場がある。私のような年寄でも余裕で停まれる。その駐車場に接してこれぞ昭和という喫茶店がある。名前は忘れたが、多分趣味でやっている店だろう。小さなアップライトピアノもある。地域の同好の士のたまり場になっているようだ。

実は、この古本屋さん、アマゾンで見つけた。
桑原千代子の「わがマンロー伝」を探していたら、この店が出てきたのだ。アマゾンで買うのは癪だから直接店頭で買いたい、そう思って足を運んだという次第だ。

入ってみて、古本屋好きにはピッピとくる。店舗を持つだけでも偉いのだ。
とにかく「最後のご奉公だ」という雰囲気に満ち満ちているのだ。

本の扱いがきわめてしっかりしている。売っていると言うより飾っている感じだ。
神田に行けばそんな本屋はたくさんあるが、値付けが全然違う。これだけの手間かけてこんな値段で売っていたんじゃとても成り立たない。

だから結局ただで配っているようなものだ。このまま行けばごみになって消えていく資産を、ただでもいいから誰か読んで欲しい、というのが「営業」のポリシーなのだろう。そう思う。

今回買ったのは次の3冊

1.桑原千代子の「わがマンロー伝」
多分2300円くらい

2.小林廣 「母の語る小林多喜二」
なんと500円

3.内山完造 「花甲録」
多分2000円くらい
ほんの写真

とくに3.は信じられない書物だ。これを半年ぐらいしゃぶりながら、上海年表に落としていこうかと思っている。

全国の皆さん、札幌にお立ち寄りの節はぜひ足をはこんでください。

Tel 011-883-0663
札幌市清田区清田3条3丁目6-1

0 は偶数か?

ということで、解説したページがたくさんある。

私が参考にしたのは「Excel VBA 数学教室」というページ。


一番わかり易いのは「0は偶数として定義されているから」という理由だ。

偶数というのは小数点以下がつかなくて、2で割り切れる数だ。すなわち整数として答えが求められる数だ。

0÷2 は0だから割り切れる。あとは0を整数と判断するかどうかだ。整数だと判断するなら、それは偶数だ。

もう一つは、ゼロを他の数字で置き換えて考えて見る方法だ。

そもそも数直線は0のところでややこしくなる。これをわかりやすくするには、物差しを当てて0をずらしてみるのが良い。

例えば-4のところにもう1本の物差しを当てて、そこを0とする。
そうすると、-1が3、0が4、1が5になる。つまり、ゼロも数直線上の一つの数字に過ぎないこと、その数字は一つおきに奇数、偶数、奇数…とつながっていくということがわかる。

偶数は ax2 、奇数は ax2 +1 で示される。つまり割って余りが出るか出ないかという考えだ。

-4を 0にした場合は。
偶数は (a+4)x2 、奇数は (a+4)x2 +1
ということになる。
a は0だからどうということはない。
答えは8と9だ。立派なもんだ。 

この記事の下の方に、「0÷0=0」と同じような冗談が載っている。
ある中学校では「 0 は偶数でも奇数でもない」と教えたうえに、生徒さんがテストで 0 は偶数 と書くと × にされてしまうそうです。正しい答えを書いたのに一方的に間違っていると断定されたのです。
だから数学嫌いになったというのはたんなる責任転嫁ですが、私は正しいとか間違っていると言う以前に、「取説教師」としての無能ぶりを非難したいと思います。
理数系が得意な学生の中には、理数系が得意というよりは国語能力がきわめて低い連中が混じっているのだろうと思います。

1.忽然と消滅した四突墓人

というわけで、「虎は死して皮を残す」と言うが、彼らは皮しか残さなかった。

もし彼らが朝鮮半島から来たのだとすれば、上陸後の経路は異様である。彼らは天孫族が九州に上陸したのと同じく、紀元前2世紀ころに島根県浜田近辺の海岸に上陸(漂着?)した。

天孫族が先住民と戦いそれを支配下におさめたのとは異なり、彼らは何かを恐れるかのように一目散に山に入って行った。そして安芸の山中で山賊のような暮らしを始めた。

そもそも文化生活にあまりなじまなかった集団であったのかも知れない。それが島根の山中で砂鉄を見つけ鉄器を装備したのかも知れない。こうして彼らは150年の眠りから覚め、ムキバンダでもう一つの四突墓文化を開かせた。

2.四突墓文化の一貫説には無理がある

当初は三次→むきばんだ集団移住説を考えてみたが、多分無理だろう。
紀元前150年ころに三次で開花した草創期の四突墓文化と、紀元50年ころからむきばんだで始まった四突墓との間に連続性はあるのかと言われると、あまりに長過ぎる。
そこには200年もの時差があり、むしろ第一波はそれで絶滅し、第二波として渡来した人々がむきばんだに拠点を形成したのではないかという気がする。
三次とむきばんだを連続事象とし、突然の強大化を説明するためには、出雲山中でのたたら製鉄の展開が前提とならなければならないが、考古学的にはそれは6世紀のこととされている、そのような可能性は低いようだ。

3.最大の足跡は青銅器文明の破壊

荒神山にはあらゆる銅製品が埋められ、放棄されている。私はこれは四突墓人集団によるしわざと見ている。

彼らは鉄器文明のもとで育ったまったくの異文化人だったから、青銅器は祭祀道具にしか見えなかった。だから彼らは青銅器信仰を拒否し、実用性ゼロの青銅器を惜しげもなく捨てた。それが銅鐸であろうと、銅剣であろうと、銅鉾であろうと、それはどうでも良かった。

4.スサノオ一族との時間的関係

私はこれまで、銅製品を埋めたのはスサノオ一族、すなわち天孫系出雲族と考えていた。実は彼らは3世紀はじめに大和に入ったとき、銅鐸を廃棄しているのである。

ただご承知のように銅鐸信仰と銅剣・銅矛信仰とは同一ではない。銅剣・銅矛信仰はむしろ天孫族の信仰であった可能性もある。

スサノオ一族はたしかに長江系の渡来人やそれと縄文が混血した弥生人とは異なる。しかし天孫系はそれなりに青銅器文明を受け入れていた形跡がある。
九州では銅鐸の普及はないが銅剣・銅矛はそれなりに普及していた。少なくとも天孫系はそれを排除していなかった。

四突墓を特徴とする征服者集団、銅鐸であろうと銅剣であろうと、要するに青銅器を媒介する信仰へのあからさまな敵意、青銅宗教を抹殺する強い意志があったと見られる征服者集団は、天孫族・出雲系とは異なると見なければならない。

もう一つは、伝承の範囲内でしかないのだが、天孫族・出雲系は高天原系に国を譲ったのであり、山から飛び出してきた異形の衆に滅ぼされたわけではないということだ。
すると、この2つのエピソードの間には時差がある。しかも国譲りが先行しているという関係になる。

5.九州の倭王朝支配が復活

武器の優位性のみを背景にして、青谷上寺地の人々を皆殺しにした殺し屋集団は、鉄器の普及が進むと優位性を失い、紀元250年を最後にして忽然と姿を消した。

墓地を除けばなんの跡形も残さなかった。それに代わるように九州の倭王朝がまた戻ってきて、何事もなかったように統治を続けた。もともとここは九州王朝の支配地だった。彼らは出雲族を駆逐し九州から山陰までを支配下に収めたのだ。


4.天皇家という旧出雲族の支配が復活

そして、100年後に、出雲は東からやってきた大和軍に破れ、服従するようになった。

出雲の征服は日本書紀では崇神天皇の時代だが、古事記では景行天皇の時代に「倭建命」が出雲建を殺したという記述と重複している。いずれにしても4世紀中頃のことと推量される。

注目されるのは、当時出雲を仕切っていた出雲振根は筑紫王朝に臣従する人物であるということだ。しかもこの頃、出雲において大和が九州の力は拮抗し、徐々に大和優位に傾きつつあったということになる。

これはなんとも不思議な因縁で、大和軍は神武の末裔と言いながら、実体は大物主の流れをくむ旧出雲系であった。それが旧出雲系を駆逐した倭王朝系の勢力を屈服させたことになる。例えば物部という氏族は、元は浜田の物部神社あたりの豪族であったのだろう。


さて、ということで
いよいよ四隅突出型墳丘墓だ。面倒なので四突墓と略す。

1.四突墓とは何なのか

ウィキの定義から始めよう

弥生時代中期以降、吉備・山陰・北陸の各地方で行われた墓制である。日本海側を中心に約90基が確認されている。
四突墓歴史
            左クリックで拡大します

弥生中期後半 広島県の三次盆地の四突墓が最も古い例とされる。

前方後円墳に先行し、弥生後期後葉には美作・備後の北部地域に拡大した。少し遅れ能登半島などで造られている。

同じ四突墓でも山陰と福井~富山では様式に違いがあり、渡来した種族や時期に多少の異同があったかも知れない。

吉備の楯築墳丘墓はほぼ同時期に存在したと想定される。埋葬施設も楯築墳丘墓と同じような構造の木槨墓となっている。
四突墓の分布2
             四突墓の分布
副葬の土器は吉備、山陰東部や北陸南部のものが大量に混入している。特徴的なのは、弥生時代に吉備で作られた特殊器台が多くを占めることだ。

2.誰が建てたのか

ヤマト王権以前に成立した王権(出雲王権)を想定する説もある。

四隅突出型墳丘墓の原型は高句麗にあるとの見解が主流である。高句麗に押し出された朝鮮半島東岸(北方系)の人々が半島伝いに南下し、出雲に到来した可能性が強い。

弥生後期には出雲の西と東に大きな四突墓が集中しており、そこに大きな政治勢力があったと推定されている。

西谷墳墓群を中心とする四突墓は、古墳時代に入ると止まり、これに代わり東部安來の方墳が発達する。

安来市には大型の方墳が集中しているが、これは四突墓の延長線上の様式とされている。


3.弥生時代の区分と四突墓


BC100-AD50頃 Ⅳ期(弥生中期後半) 広島の三次盆地を中心に初期の四突墓が出現し始める。

AD50-180頃 Ⅴ期1,2(後期前半) 伯耆・因幡に建設地が移動する。

妻木晩田の洞の原遺跡が出現(2号墓)。伯耆地方に拡大
規模も少しずつ大きなものが造られるようになり、突出部も急速に発達していった。

AD180-AD250頃 Ⅴ期3~4(後期後半)
分布の中心は出雲に移る。北陸地方などにも広がる。
墳丘の一層の大型化。
西谷3号墓では、吉備や北近畿の土器も大量に備えられる。

このあとⅥ期に入ると北陸にも広がる。
さらに古墳前期には東北にも四突墓が造営される。
しかし山陰では、四隅突出型墳丘墓は、まったく造られなくなる。



藤ノ木古墳の不思議

とにかく不思議だ。2つの不思議が重なっている。大和の権力がなぜ突然にこのような富を手に入れたか、そしてもう一つは考古学者や歴史学者がなぜこの不思議にメスを入れようとしないのかということだ。

ふつう常識的に考えれば、このような究極の富の退蔵はしない。子孫が有効活用の道を考えるかあるいは血なまぐさい分捕り合いになるはずだ。

私は、これは海賊の船長が人知れず金銀財宝を隠しおおすお話に比較するしかないと思う。つまりこれらの財宝はどこかで誰からか強奪したとしか考えられないのである。

とすれば、これだけの財宝を持つ王国がどこかに存在して、それがある時期に崩壊して、略奪のままにさらされたということである。

それはいつのことだろうか。藤ノ木古墳の建造は6世紀後半とされる。その根拠は少し勉強しないとならないが、とりあえずはそのまま受け入れよう。

6世紀後半といえば、年数では550年から600年である。この間に任那が滅び、倭王朝も完全に姿を失った。そして歴史的には空白の50年が始まる。

しかし日本はこの50年でガラッと姿を変える。舞台が暗転していきなり次の場へと姿を変える、というより日本がその姿を表すのだ。

この時代の日本(大和)は荒々しい。文字もなく歴史もない。あるのは有り余るほどの富だけである。いわば略奪バブルだ。

黄金や碧玉はそれ自体が富である。しかし象徴としての富でもある。未開人にとってはたんに美しいと言うだけの存在だ。だからそのまま埋めてしまってもなんにも惜しくはないのだ。

継体天皇から安閑天皇、宣化天皇、欽明天皇と訳の分からない天皇が相次ぐ。そして飛鳥時代に入り一気に文化の時代に移っていくのである。それが暗黒の中の富の移動と並行して進んでいく。

この時代の主役は間違いなく蘇我一族なのだが、この連中の出自がさっぱり分からない。

はっきりしているのは、九州王朝の余りある富を大和に持ち込んだのが蘇我であるということだ。
どうやって? 強奪して? 火事場泥棒で? それとも蘇我そのものが九州王朝の末裔なのか。

とにかく九州王朝の遺産がごっそりと大和に移った。その分け前をめぐり、蘇我・斑鳩という勝ち組と物部・大伴らの既成勢力との間に闘いがあった。

それは蘇我・斑鳩の圧勝に終わった。蘇我はそもそも飛鳥の馬の骨だったが、九州王朝の威光も背後につけ斑鳩とつるむことで圧倒的な政治力を手に入れた。

これが5世紀後半の政治状況だったのではないだろうか。

宗像大社

宗像神社、厳島神社などの総本社である。
伊勢神宮、出雲大社と並び、貴の称号を持つ。

沖ノ島からは縄文時代からの遺物が発見されている。

1.海北道中の守護

釜山・宗像間の海路は「海北道中」と呼ばれ、これを守護するのが神社の最大の勤めであった。
そもそも「海北道中」はどのようにして形成されたのか。
時期的に見ればそれは天孫族の手によるものではない。天孫族が朝鮮半島南部に進出するのは、早くとも紀元前500年、衛氏朝鮮の時代である。
紀元前3世紀になると、衛氏朝鮮が漢により滅ぼされ、残党がさらに南に逃げ込むことで、百済ができ、馬韓など三韓地方北部に華北系民族が進出してきた。

このころすでに渡来系民族は大量に海をわたり、北九州に米作文明を伝えている。その渡来民によって「海北道中」は開拓されたのだ。沖ノ島から縄文時代からの遺物が発見されるのはそのためだ。

2.海北道中は天孫族に奪われた。

天照大神と素戔嗚尊の誓約の際、天照大神が素戔嗚の剣を噛み砕き、プッと吹き出した破片から生まれたのが宗像三女神である。

そもそもなぜ誓約を交わしたか。それはスサノオのイザナギに対する裏切りの密約である。

この説話は何を意味しているか。渡来民の開拓した「海北道中」は天孫族により武力で奪われた。渡来民は天孫族に武力で支配されるようになった。そのことを意味するのだ。

高天原に陣取る天孫族が北方系の由来であるのに対し、イザナギ系は縄文晩期人で海洋系である。彼らは朝鮮海峡を挟んで両岸の地域「大八洲」を建設した。

同じ頃、長江領域からやってきた米作民は朝鮮半島南岸に定着し、米作を始めた。彼らの国は「豊葦原中国」と呼ばれた。北方から来た騎馬民族には「豊葦原」など悪夢でしかない。

3.スサノオはイザナギを裏切った

スサノオはイザナギの息子であるというのが素性である。

高天原のアマテラスとの血縁は怪しい。

スサノオは日本への海路「海北道中」を防衛する役を担っていたが、スサノオはイザナギに逆らい、イザナギはスサノオを追放した。スサノオは高天原に逃げ込んだ。

山川・大地は大いに震動し、アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たと疑った。しかしスサノオは、アマテラスに手を組もう、九州をイザナギの支配から脱却させ天孫族の支配下に置こうと持ちかけた。

スサノオの邪心を疑った天照は、その本心を確かめるために“ウケイ”する。結構怪しげな儀式で、スサノオの剣を口で噛み砕くという鬼のような仕業だ。

そうしてその破片に命を与えて3人の女神にした。娘を人質に差し出させたということかも知れない。3人には天孫が下るに際して3つの島で守護せよと命じた。

途中経過はブラックボックスだからわからないけど、スサノオに監視をつけたのだと思うと話は結びつく。

彼は「海北道中」を天孫族に売り渡し、その論功行賞で高天原への仲間入りを許された。しかし色々難癖をつけられて、最後には失楽園の憂き目にあった。

4.スサノオは出雲に第二の葦原中津国を建設した

高天原の天孫族は朝鮮半島の支配権と「海北道中」の制海権を獲得した。

スサノオにはあまりいいことはなかった。裏切り者の末路をたどったスサノオは高天原を追放され、新羅から日本へと落ち延びていく。

スサノオ一族は未開拓だった出雲に植民し、第二の葦原中津国の建設を図った。


5.天孫降臨と宗像神社の新たな役割

宗像は出雲との間で前線基地となった。天照大神の命で降臨したニニギノミコトを奉じ助けるというのが宗像神社の新たな使命となった。

「古事記」によれば、この三柱の神は、元来は宗像氏(胸形氏)ら筑紫(九州北部)の海人族が古代より集団で祀る神であった(ウィキペディア)

三宮の位置

これが天孫族の守り神になったのは後付けであろう。その際肝心なことはスサノオの剣を砕いて宗像に神を祀ったということにある。


昨日国立博物館に行き、「出雲と大和」特別展を見てきた。
新型肺炎で中国人は少ないし、今日は一日中雨で夕方から雪になるというので、客は少ないだろうと思っていったが、「期待」とは異なっていた。

開館と同時くらいの入場だったので、さすがに最初はゆったりとしていたが、途中からどんどん増えてきた。

見ごたえは十分すぎるほどで、最後は足がくたくたになり一階の休憩室でぐったりとしていた。


私のテーマは2つあって、一つは従来からの疑問。銅鐸系弥生人と天孫系弥生人との関係だ。いわゆる国譲り神話と重なる。

もう一つは四隅突出型墳墓を作った、もう一つの渡来人の運命だ。この人々は遺跡としてしっかりとその足跡を残しているのだが、なぜか日本書紀にはまったく姿を表さない。

最大の謎は青銅器製品を埋めたのは誰かということだ。これまではスサノオを祖とする新羅系の天孫族が襲来し、青銅器文化を全否定するためにこれらを山に捨てたのだろうと思っていた。

それはどうも違うのではないか。第一波から第X波までの数次の渡来人があって、それらを受け止めつつ日本人が形成されていくのではないか、と思えるようになった。

3.

これまで墳墓の亜型の一つと思っていた四隅突出型墳墓が、一つの種族、一つの王朝の象徴として捉えなければならないこと、それもかなり明確に時代付けられた期間の存在であることを知ったのは、この展覧会からである。

展覧会と言うよりも、それを紹介する雑誌「時空旅人」の二〇二〇年1月号(発売は去年の11月末)からである。

これで出雲の時間関係は、相対的には次のような7期に細分されることが明らかになった。

①縄文人の世界
BC200頃?
②渡来人(長江人+晩期縄文人)の九州からの進出
紀元前後
③スサノオ(天孫系新羅流)の出雲進出
AD100頃
④国譲りと天孫系百済流による国土統一
AD150頃
⑤「四隅突出」人の出雲進出と支配
AD250頃
⑥「四隅突出」人の消滅と、天孫系百済流による支配の復活
AD350年ころ
⑦崇神王朝による出雲の征服。関門海峡以東の大和王国支配

これに考古学上のイベントを重ね合わせ、絶対年代に紐付けしなくてはならない。

4.

②期の始まりは、水田耕作の跡とか弥生式土器の出現などでかなりクリアーに同定できると思う。

③期は、より厳密に考えられなければならない。スサノオ、さらにその祖となるイザナギが果たして高天原系なのかが簡単には決められないからである。

アマテラスが高天原系であるとすれば、イザナギからの流れは大八州系とも考えられる。

この大八洲は前にも書いたように出雲でも九州でもなく朝鮮半島南岸であり、そこに住んでいたのは海洋民族としての晩期縄文人と中国から流れ着いた長江人の混合体だと考えている。

スサノオの性格だが、これは土着化した天孫族の家系ではないかと思っている。しかしこれはなんの根拠もない。

しかし、百済系の天孫族と異なり渡来人とは親和性があり、北九州の、とくに那の国より東方の日本海岸沿いに出雲まで広がっていったのではないだろうか。

④の時期は決められないが、少なくとも⑤とは異なり、⑤より前の出来事であったと考えられる。

⑥は、はっきりとは決められないが、そのあと九州王朝の支配が復活したことは間違いない。なぜなら、崇神王朝が出雲後を奪い取ったことは間違いないし、その時の出雲支配者が九州王朝からの派遣であったことも日本書紀に明示されているからだ。

CPM.Library というサイトに 「メディア・バイアスのランク表」があった。
BiasChart
              左クリックで拡大
説明は以下の通り。
「評価バイアス」は怪しさを伴います。私達がニュースをもとめる際は、既存のバイアスを強化する方向で情報源を選択する傾向があります。
私たち自身の信念は保守的なものだったり、リベラルなものだったりします。
ゆえに私たちは、保守的なニュースだけ、またはリベラルなニュースだけを見がちになるということです。

この視点から評価していくと、中道派の情報源さえも、中道ではなく左右に傾いていると考えるようになります。これが「評価バイアス」です。

これを回避して、より全体的な情報を獲得するためにどうすればよいか。そのためにはあなたの「評価バイアス」にチャレンジするような情報源を選ぶ必要があります。

そのために偏見のスペクトルとして、「情報バイアス」表を提示します。参考にしてください。
ということだが、私は右半盲のウルトラ・バイアス人なので、左半分だけ見るとこうなる。  

 

リベラル

中道

報道

 PBS

AP Reuters BBC  Bloomberg ABC CBC 

論評

BuzFeed WashintonPost NewYorker theguarudian THE_HUFFINTON_POST
TRUTHOUT CurrentAffairs Jacobin

 NYTimes Time Forbs Fortune CNN


WashintonPost がリベラルとは、この記事も相当のバイアスぶりだ。この他に極左として
Patribotics BipartisanReport Wonkette   Jacobinなどが掲載されているが、聞いたことがない。
一度あたってみることにする。

 

*Patribotics は個人ブログに毛が生えた程度のもので、この半年間は更新が止まっている。
*Wonkette も投稿者が多いツイッターで、あえて訪れるほどのものではない。
*Jacobin はサンダーズ陣営の準機関誌みたいなサイト。ニュースと言うよりも社会評論が中心


0÷0は、ブラーマグプタはゼロと定義した。なぜそうなのか、なぜそれが間違いなのか。

やねうらおブログに「0÷0がよくわからない件」という記事があったので勉強した。


ある小学校のエピソード

小学校の算数の教師が試験問題で「0÷0=」というのを出した。その教師は「0」という答えを期待したらしい。

問題を持ち帰った子供の親が、高校の数学教師だった。「こんなの不定に決まってるだろ」と猛烈に抗議をしたらしいが、話が通じない。

最後は校長のところまで話が行って、決着がついたということだ。

なぜ小学校教師は「0÷0=0」と考えたのか

やねうらおさんはこう考えた。

小学校では割り算を掛け算の逆操作として定義している。

掛け算で 2x3=6 
だから 6÷3は2なのだ、という答えを導く、のだそうだ。

それだと答えはゼロにはならない

この定義によると、
△ × 0 = 0 (△は何でも良い)
つまりななんでもとにかく0をかければ、答えはゼロだ。

これを割り算にすると、
0÷0 = △ ということになる。
つまり答えは「何でもあり」ということになる。

しかし小学校の先生はこう考えたのだろう

0を何で割っても所詮は0だ。
つまり、0÷△=0だ
だから0で割っても0だと考えたのだろう。
実に素直だ。
だからゼロの発見者とされる古代インドのブラーマグプタもそう考えたのだろう。

これから先はとても難しくてついていけない、が…

ただ、わかるのは、わり算の世界と掛け算の世界は、似てはいるけど違う世界なのだということだ。この2つの世界ではゼロの扱いがまったく異なってくる。

だから「割り算は掛け算の逆操作だ」と理解するのは、実はとても難しい話なのだ。小学生にそのような教え方をしてはならない。

1で割る(割らない)論理と0で割る論理

割り算におけるゼロの特殊性は、次の2つになる。

「割らない」というのは「1で割る」のと同じ意味だ。それ以外のすべての数は「割る」ことを意味する。だから1というのは「論理的な分岐点」なのだ。
「1」という、この上なくしっかりした数で割っているのに、なぜそれは割らないのと同じ結果になるのか。これは一般的な常識から言うととてもややこしい。

そこを小数点以下に向かっていくと今度はどんどん増えていく。そして+0のところで無限大に達する。ところがゼロを越して-0になると今度はいきなりマイナス無限大になる。なおかつ、そこを越す瞬間は、+無限大からー無限大までの間のどこに居てもいいのである(ただし相対的な順はある)。

割り算の論理は弁証法である

この現象は弁証法で言う「量から質」への転換を表しているのだろう。気体と液体、液体と固体との間の「相面」の変化を考えればよい。摂氏0度のとき、水は固体でも液体でもどうでもいいのだ。

どう考えも思考操作としての割り算は、掛け算とは違う。量子的な論理的前提が必要なのだ。掛け算にタブーはないが、割り算においては0はタブーなのだ。

天文学でビッグバン以前のことを考えていはいけないのと同じであり、ブラックホールの向こう側を考えてはいけないのと同じだ。

割り算用の九九を作るべきだ

割り算の論理は一筋縄では行かない。+0< では第1象限の双曲線、<-0 では第3象限の双曲線となる。だから最初は覚え込むしかない。

だから本来なら、割り算用の九九を作って覚え込ませるべきなのではないか。
例えば「8÷3は2の2」みたいなやつだ。

その上で、割り算にはなぜかタブーがあるということ、ゼロという数字にはいろいろな意味があること、掛け算と割り算の関係は1対1ではないことに思いを致すべきではないのか。


Ⅰ.非同盟首脳会議の概要

第18回非同盟首脳会議が10 月 22 から1週間にわたり開かれた。今回の開催地はアゼルバイジャンの首都バクーであった。慣例により首脳会議の開催国は、次の首脳会議までの間議長国を勤めることになる。

アゼルバイジャンは北海道ほどの面積に人口千万人弱。1991 年崩壊したソ連から独立し、2011 年に非同盟運動に正式加盟した。

今回の首脳会議は、バンドン原則 65 周年(2020 年)と 非同盟運動設立 60 周年(2021 年)にあたり、意義深いものとなった。

会議には120の加盟国と17のオブザー国・組織が参加した。主な首脳としてベネズエラのマドゥーロ大統領、アゼルバイジャンのアリエフ大統領、イランのロウハニ大統領、キューバのディアスカネイロ大統領、マレーシアのマハティール首相など。

今回の会議のテーマは「バンドン原則を擁護し、現代世界の課題へ一致し適切な対応を確保するために」だった。

各国の代表は、貧困と格差の拡大、地球環境の破壊で世界は大きな挑戦に直面していると強調した。

とりわけトランプ米政権が国際法を無視した一国主義を推し進めていることが、非同盟運動をかつてない困難に直面させているとと指摘した。


Ⅱ.日本AALAの参加にあたっての立場

日本AALAは、この会議にアジア・アフリカ人連帯機構(AAPSO)の代表団の一員として参加した。
そして首脳会議に以下のような要望と提案をおこなった。

A.いかなる干渉にも反対し、主権を守り、人民と連帯する
①トランプ政権による「制裁」は、人民にたいする「集団制裁」であり、国際法、人道法に違反する。
②トランプ政権は各国へ「制裁」への参加を強制している。これに反対し、協同して被害国を支援すべきだ。
③干渉を正当化する理論を認めず、自決権を厳格に遵守するようもとめる。
④多国間協議により平和的に解決する立場を徹底して欲しい。

B.核兵器の廃絶にむけて

核兵器廃絶にむけ、とりわけ核兵器禁止条約の早期発効を目指す。

採択には反核の国際世論とともに非同盟諸国が大きな役割を果たした。賛成122カ国のうち、 105 カ国が非同盟国である。

朝鮮共和国が非核化に動き出している。非核化の枠組みとなるさまざまな合意を支持するよう提案する

C.発達した諸国の人民運動への支援

発達した諸国においても国民の多くは苦しんでいる。日本では日米軍事同盟を強化し、沖縄米軍基地を増強している。

日本AALAは、日本が軍事同盟を脱して非同盟運動に参加するというビジョンをもってたたかっている。
非同盟運動が日本など発達した諸国の人民運動にたいする理解と支援を表明することは意義がある。


3.大会決議(バクー宣言)のあらまし

A.国連重視

国連中心主義と多国間主義を貫き、とりわけ国連総会の活性
化に力を注ぐ。
国連安全保障理事会の開かれた民主的な組織への改革。

B.平和な国際関係

政治的主権、政治的な独立を尊重し、「合法的に構築された政府」に対する不安定化策動を行ってはならない。
相互不可侵と武力不行使の原則を守る。

C.対テロ活動の原則

テロリズムはいかなる宗教、国籍、文明、民族集団とも関連してはいない。そうあってはならないことを、非同盟運動は強調する。

D.核兵器のない世界のために

大量破壊兵器、特に核兵器の存在が人類最大の脅威となっている。非同盟運動は核兵器のない世界を実現するために努力することを決意する。

E.貧困の根絶

極度の貧困を含むすべての形態と次元で貧困を根絶することは、なお重要な要素の 1 つである。

開発途上国には開発の権利があり、それは尊重されなければならない。

先進国における保護主義の高まりは、特に発展途上国の輸出にマイナスの影響を与える。

F.先進国による経済制裁

一方的な強制措置の適用に対する強い非難を表明する。それらの措置は国連憲章および国際法、特に国家の非干渉、自決および独立の原則に違反する。
それらは人々の生存権に影響を与え、完全な経済的および社
会的発展を妨げる。


4.マハティールの重要な指摘

マハティールはマレーシアの首相。なんと92歳という高齢だが、非同盟運動の進むべき方向を鮮やかに示している。

それが今回の会議のテーマにもなっている「バンドン原則に立ち帰れ」という呼びかけだ。

彼は、2003年イラク戦争のさなかに非同盟会議の議長を務め、アメリカの覇権主義を厳しく批判した経験があり、非同盟運動の象徴とも言うべき人だ。

すこし演説の内容を引用する。

イラク戦争のとき、米国は各国に「敵か味方か」を迫ってイラクを破壊した。それがまた特定の国を敵視し、国連の承認なしに、「民主主義」の輸出と政権の転覆を企てている。
…世界はは依然として恐怖の中に生きているにもかかわらず、非同盟側では内部対立が激化して、かつての団結が失われてしまった。

いまやバンドン原則にたちかえり、対話と平和的手段による紛争の解決に徹して、大国の横暴や覇権主義に対抗しよう。


5.不破さんの重要な指摘

非同盟運動に関して、最近行われた共産党大会で不破さんが大変重要な発言を行っているので紹介したい。

A.20世紀論の核心は民族自決にある

20世紀論の核心は植民地国家の独立にあった。民族自決の原則が世界の根本となった。

21世紀のさまざまな出来事は、この歴史認識の正しさを見事に実証した。


B.20世紀の構造変化が核兵器禁止条約を生み出した

この間の平和と社会進歩の最大の変化は、核兵器禁止条約の成立である。

それをもたらした最大の力はアジア・アフリカ・ラテンアメリカの国々だ。


C.世界政治の主役は交代した

発達した資本主義国の政府は、世界平和を目指す人類的な意思に背を向けている。恥ずかしながら被爆国日本もその一員だ。

発達した資本主義国が政治的反動に向けて歩んでいるという事実は、世界政治の主役が交代したことをはっきりと示している。

D.社会主義への道はさまざまだ
社会主義を目指す動きもさまざまな国で、さまざまな形で起こっている。
そうした運動状況の中で、日本共産党が「発達した資本主義国での社会変革」の運動の最前線に立っているのは間違いない。
しかしそれは世界史的には未だ実現されておらず、開拓者としての使命が課せられている課題である。
我々にとって「大道」は、まず何よりも日本における多数者革命の実践である。この大道を確信を持って前進しよう。



1月22日 大鷹外務報道官会見記録
またまた新藤情報の受け売りです。

冒頭発言 
「ミャンマー政府によるラカイン州情勢に関する独立調査団の最終報告書概要の発表について」

1月21日,ミャンマー政府は,ラカイン州北部における人権侵害疑惑につきひとつの発表を行いました。
それは政府が設立した「独立調査団」による最終報告書の概要です。

本報告書は,計13か所の1千人以上の住民の証言を収集しています。そして大量殺害,財産の破壊,略奪等に関する具体的な情報を分析しています。また、ミャンマー政府・国軍に対する勧告が含まれています。

この発表を受けたミャンマー政府は,この勧告を踏まえ,犯罪行為に対する捜査,訴追を進めるとの立場を明らかにしました。

我が国はミャンマーに対し,人権侵害疑惑について透明性と信頼性のある方法で調査を実施するよう訴えてきました。そして調査結果に従い適切な措置を取るよう働きかけてきました。

今回の独立調査団による最終報告書の提出は、ミャンマー自身による責任追及に向けた重要な進展です。

今後ミャンマー政府・国軍の双方が,勧告を踏まえて法的措置を速やかにとることを望みます。さらに同様な事件の再発を防止するよう期待します。

我が国は、引き続き平和と和解の促進及び避難民帰還のためのミャンマー自身の取組を後押ししていきます。そして同国の民主的な国造りを全面的に支援していきます。

冒頭発言は以上。
丸山駐ミャンマー大使が引き続きラカイン情勢につき発言。

以下、質疑応答

【テレビ朝日】
国際司法裁で、ミャンマー政府の責任を問う裁判が行われており、23日に結論が出ることになっている。
これに関連して、駐ミャンマー丸山大使が地元メディアに「仮保全措置が出されないように祈る」と語りました。
これが日本政府としての見解なのか、考えをお聞かせください。

【大鷹外務報道官】
ミャンマーがジェノサイド条約に違反したとの提訴が行われています。これは第三国の行動ですので、日本として直接コメントする立場にありません。
もちろんミャンマーにおけるジェノサイドの有無についても,日本政府として判断する立場にありません。

日本政府としては,ミャンマー政府・国軍が,この独立調査団の報告書に基づいて,必要な法的措置をとることが不可欠であると考えています。
これを継続的に働きかけて行きたいと思います。

丸山大使の発言については、いろんな相手のある中での発言であり、それを取り上げて報じられているのかと思っています。
いずれにせよ、日本政府の立場は以上申し上げたとおりです。

1月19日の日経日曜版のトップは米国債の動向についての海説。後藤達也記者の署名記事だ。私の所感を交えつつ記事を紹介する。

1.米政府の債務が途方も無い水準になっている

世界経済で最大の問題は米中摩擦だが、金融に絞ってみると一番の懸念はアメリカの財政赤字だ。

赤字額は単年度で1兆ドルを超えた。債務残高(累積赤字)は年間GDPの額と同じだ。これは第二次世界大戦の直後以来の数字だ。

借金が増えれば当然利子もかさむ。利払いは年間4千億ドルに膨らんだ。

2.トランプ減税と赤字

財政赤字の原因ははっきりしている。大型減税だ。就任後3年、そのための歳入欠陥により財政赤字は5割増えた。

医療費なども歳出を押し上げている。これは医療・薬品・保険業界の法外な要求を丸呑みしているからだ。

3.債務は国債で相殺されている

債務が国債の発行でカバーされるのは当たり前の話だが、他の国では当たり前ではない。

日本のように国債が国内で消化されるのなら、それで回らないこともない。しかし多くの国では対外債務となる。アメリカも例外ではない。

しかし返済能力に不安が生じれば、国債は見向きもされなくなる。外貨は逃避し、通貨は暴落し、悪性インフレが襲来し、あっという間にデフォールトを起こす。

4.しかし米国債は絶好調だ

米国が財政危機にあるのだから、米国債も危機にあるはずだ。外国の資金が逃げ出しても不思議ない。なのにますます米国債は買われるようになっている。

それでも1%以上の金利が付けばマイナス金利の独仏に比べ御の字である。日本などは買おうと思っても、そもそも市場に国債がない。

株高にも関わらず国債も売れる。10年物の利回りは1年前より0.1%低下した。すなわち買付価格は上昇した。
株との間に奇妙なウィン・ウィン関係が成立し、国債高が株高を支えている。

5.誰が米国債を買っているのか

数字があまり系統的に掲載されていないので、よくわからないが財政赤字が年間1兆ドルとすると、その多くが国債残高の増加分となる。

その中で、外国人が持つ国債の増加分は4700億ドルとされる。単純化すると、新規発行分の半分は外国人が買ったことになる。ちなみに一昨年は600億ドル程度だったようで、8倍の激増だ。

国別に見ると、日本が1200億ドルを占めダントツである。中国は逆に400億ドルを減らしている。欧州はまとめても日本をかろうじて上回る程度だ。

つまり、日本(とアジア新興国)が米国の財政赤字、財政危機を支えている構図となる。

6.この道は「持続不可能な道」

この奇妙な蜜月関係は、しかし最初から絶望に終わる運命を担っている。

利払い費は20年に4600億ドルに達する。そして25年には7200億ドルに達すると見られる。これは現在の国防費7000億ドルを上回る。

チャールストン大学のバンデンバーグ教授は「米財政は持続不可能な道を進んでいる」と指摘する。

これは自然死への道をたどったとしての仮定であるが、おそらくその前にさまざまな形での資金ショートがやってくるだろう。

いずれにしても「最後の日」は遠くない。そのときまっさきに火だるまになるのが日本であろう。

引き続き所得格差に関する記事

1.国連「所得格差に関する報告」

国連が21日に報告した「所得格差に関する報告」の要旨を紹介する。

「過去4半世紀の各国の所得水準の推移」に関する統計が示されている。報告は、「世界の3分の2の国で格差が広がり、社会の不平等が進行している」と指摘している。

そのうえで、報告書は各国政府に対して、国際協力を通じたデジタル格差の解消や、社会環境の変化に対応した職業訓練への投資の拡充、それに誰もが受けられる社会保障制度の構築に取り組むべきだと勧告している。

2.世界食糧計画(WFP)の報告書

21日には国連の世界食糧計画(WFP)の報告書「今年、危機的な飢餓状況に陥ると推測される地域」も発表されている。こちらは危機感満載の報告だ。

アフリカ大陸では今後数カ月で何百万もの人々が食糧危機に陥る可能性がある。
アフガニスタンで干ばつと相なって治安が悪化しており、1100万人(人口の3分の1以上)が深刻な食料不安にさらされている。
イエメンでの支援活動は成功したが、イラクやレバノンで社会不安やマクロ経済の危機が食料不安を拡大させている。
ハイチの370万人(人口の約3分の1)が食料支援を必要としている。

3.ユニセフの「教育危機に関する報告」

ユニセフも「世界教育フォーラム」(ロンドン)とダボスの経済フォーラムに合わせ、『教育危機:最貧困層の子どもたちのための教育資金調達の緊急の必要性』を発表した。

報告では「世界の最貧困層の10代の少女の約3人に1人が学校に1度も行ったことがない」と指摘している。

その学校も、最貧困層を対象とした教育資金が不足しているために、生徒に対し質の高い教育を提供できていない。

低所得国の子どもの半数以上は、小学校を卒業するまでに、簡単な物語すら理解できない。

教育機会を失うことは、貧困の永続を招き、世界的な教育危機の主な原因となる。

本日のニュースでロヒンギャ問題の調査結果が出た。

ミャンマー政府が立ち上げた独立調査委員会は、「ミャンマー国軍に虐殺の意図は無かった」という報告書を提出した。

というもの。

赤旗は非常に優れた記事を掲載している。ラテンアメリカについてもこうあってほしいと望む。

まず事件の経過が客観的に描かれる。

事件の発端は「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)が軍・警察設備30ヶ所を襲撃したことにある。その後2週間近くにわたり約60ヶ所で衝突が発生した。
(ロヒンギャというのは地名ではなく、バングラから海岸沿いにラカイン州に進出してきたイスラム教徒集団を指す)

この武力衝突によりロヒンギャ住民70万人がバングラデシュに脱出した。
この過程で軍による残虐行為が重なり、それが大量亡命につながった可能性がある。

独立調査委員会は略称をICOEとする。政府が組織したものではあるが、委員の選出は独立性が保証されたものとなっている。

委員長はフィリピンのロサリア・マナロ(元外務副大臣)
委員に日本の大島賢三(元国連大使)
ミャンマーの元憲法裁判所長官
ミャンマー人で、元国連児童基金職員
という4人で編成された。

ヒューマン・ライツ・ウォッチが揶揄するような「政府委員会」ではない。
2018年7月に設立され、ラカイン州で関係者1500名の証言を集め検証した。

ネットではJIJI.COMの記事が読める。ただしバンコク発の情報なので、バイアスはかかっているかも知れない。

これは国際司法裁で「軍幹部にジェノサイドの疑いがある」として審理されているのとは、明らかに異色の見解だ。

以下報告の一部が掲載されている。
1.人権侵害はあった。
報告書は戦争犯罪や深刻な人権侵害、違法行為があったと認定。「一部の治安部隊要員が武力を過剰に行使し、住民殺害や住宅破壊に関わった」と指摘しながらも、「引き金になったのは武装集団による警察署などへの攻撃だ」と断じた。

2.ジェノサイドは認められない
すなわち、治安部隊の行為が特定集団の壊滅を目的としていたことを示す証拠はない。
だから、「ジェノサイドの意図があったと合理的に結論付けられない」という論理である。
どうもわからないが、これが当然なのか、意外なのかも判断がつかない。

次が「ミャンマーニュース」というサイトの記事

独立調査委員会の報告書は、20日のFacebookに掲載されているそうだ。

一部が抜粋されている。
入手可能な情報に基づいて、戦争犯罪、重大な人権侵害、および国内法違反が2017年8月25日から9月5日に発生した…
これらの重大な罪と違反は複数の者によって犯されたが、ミャンマーの治安部隊のメンバーが関与したと信じる合理的な根拠がある。
メディアは赤旗も含めて沈黙を守っている。グーグル検索をしても出てくるのは国際人権団体の非難声明ばかりだ。

とにかく事件は起きた。起きてしまった。最大の問題はこれを解決することであり、解決の糸口を見つけることである。ミャンマーを非難し追い詰めることではない。
もう一つは、ミャンマー国民も受け入れられる形で真実を追及していくことだ。ジェノサイドやエスニック・クレンジングという言葉を使うのは慎重であるべきだ。

国連や人権団体のやり方がそれにふさわしいものかどうかには疑問が残る。彼らはセンセーショナリズムの対極に自らを位置づけなくてはならない。中村先生を見習いなさい。
というのは、このところ国連諸機関の言動の「軽さ」が気になっているからだ。ロビイストに振り回されていないか、独自の裏取りをしているのか、公正な情報収集を行っているのか、独断・独善になっていないか、予算獲得のため自らセンセーショナリズムを煽るようなことはしていないのか、など気になる点もあるので、ちょっと懸念を口にしてみた次第である。

付録

根本 敬さんの「ロヒンギャ問題の歴史的背景」 という、学習資料があり、その中の表
ロヒンギャ問題の重層性
これだけの歴史的な根を持った問題であり、一朝一夕には行かない話だ。
なにかの折につけて「ポグロム」発作が再発することは大いにあるのだ。
ともに忌まわしい出来事ではあるものの、「ポグロム」と民族浄化は明確に分けて論じなければならない。
だから頼むから、強姦だの子供の虐殺だと言う話で対立を煽ろうというやり方は避けて欲しい。憎悪による団結は決して生産的なものではない。最悪の場合、「対抗ポグロム」にも繋がりかねない。
このようなアオリ宣伝からは、私には「文明人の」見下した態度しか印象に残らない。

オックスファム 年次報告書(2020年版)

例年のごとく、米経済誌フォーブスとスイス金融大手クレディ・スイス・グループのデータを元にしてる。
ただし計算法については異論もある。

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1.超富裕グループ

世界ではわずか62人の富豪が、世界人口の下位半分35億人分と同じだけの富を所有している。(ニューズウィークの独自計算)

62人の昨年の資産残高は1兆7600億ドル。これは下位50%が所有する資産を超える。

2010年には人口の半分と同じ富を保有していたのは、上位388人だった。

もはやこれは所得「階層」とは言えない、ただのグループだ。

2.さらに増大する富裕層の富

ビリオネアはこの10年で倍増し、そのの富は44%も増大した。それはカナダのGDPとほぼ同じ額だ。

それらの富の多くは租税回避地に隠された。その額は推定7兆6000億ドル(800兆円)と言われる。

3.「一生懸命働けば報われる」はもはや虚偽

経済は再び回復しはじめたが、その成果は富裕層にのみ還元されている。

オックスファムは、「このまま進めば世界の富裕層1%の富が残り99%の富を上回ってしまう」と予測している。

4.所得格差が広がる仕掛け

この10年間で、アメリカのCEOたちの報酬は54.3%上昇した。一方で賃金は頭打ちだった。

CEOたちの稼ぎは報酬だけではない。副収入を合わせると、30年前と比べて10倍になった。


5.所得再分配メカニズムが崩壊しつつある

超富裕層は税率の引き下げと租税回避により、支払うべき税の3割を逃れている。

最も裕福な1%の人たち0.5%追加課税するだけで、教育、医療、介護などで1億2千万人の雇用を創設できる。

1月20日にILOの報告(2020版)が発表され、各社が報道している。

ILO駐日事務所のページにその抄録が掲載されている。


1.労働需給のミスマッチ

世界の失業者数は1億8,800万人、失業率は5.4%。
失業者数はこの9年間ほぼ横ばいであったが、今年(2020年)には約250万人増えると予測されている。

不完全就業者が1億6,500万人。労働市場に加わる意思を失っている人が1億2,000万人。
合計で4億7,000万人の労働力が十分に活用されていない。

2.所得格差とその傾向

労働者が受け取る所得の割合(労働分配率)は、この間世界全体で大きく低下した。2004年には54%だったのが、2017年には51%に減少した。

働く貧困層(購買力平価建ての日収が3.20ドル以下)は6億3,000万人である。これは世界の就労人口の5人に1人に当たる。この傾向は途上国でより著明である。

3.青年の失業

多くの一般の人たちにとって、仕事を通して豊かな生活を築くことはより一層難しくなってきている。

とりわけ、青年(15~24歳)の失業問題は深刻である。世界で2億6,700万人(22%)の青年がニート状態(就業も就学も訓練受講もしていない)にある。

それに加えて、多くの若者が低劣な労働条件を耐え忍んでいる。アフリカでは、非正規雇用の比率は95%に達している。

4.保護主義の高まり

保護主義や貿易制限の強化は、雇用に悪い影響を与えている。

経済成長率の低下は、低所得国における労働条件の改善を遅らせ、貧困削減に向けた努力を妨げている。


多分、これは不破哲三の遺言だろうと思って受けとめる。
発言の冒頭に、日本共産党が成し遂げた最大の理論的貢献をこうまとめた。

1.20世紀論の核心は民族自決にある

20世紀論の核心は植民地国家の独立にあった。民族自決の原則が“世界の構造”の根本となった。

21世紀のさまざまな出来事は、この歴史認識の正しさを見事に実証した。

2.20世紀の構造変化が核兵器禁止条約を生み出した

この間の平和と社会進歩の最大の変化は、核兵器禁止条約の成立である。

それを生み出したのは“世界の構造”の変化であり、具体的にはアジア・アフリカ・ラテンアメリカの国々の独立と自決だ。

3.世界政治の主役は交代した

発達した資本主義国の政府は、世界平和を目指す人類的な意思に背を向けている。恥ずかしながら被爆国日本もその一員だ。

発達した資本主義国が政治的反動に向けて歩んでいるという事実は、世界政治の主役が交代したことをはっきりと示している。そしてこれも、“世界の構造”の変化がもたらしたものなのだ。

(中国問題への言及は省略)

4.発達した資本主義国の役割

では発達した資本主義国には反動的役割しかないのか。そうではない。

世界史的に見れば、遅れた資本主義から社会主義を目指す流れが続いてきた。ますます世界は単一の富裕層グループの支配下に入りつつある。
だから、その矛盾がとりわけ厳しくしわ寄せされる途上国において、今後も社会変革の道へ踏み出す国は、当然ありうる。

しかし旧ソ連や中国の苦闘の経験は、遅れた国からの社会変革の道もまた厳しいものであることを示した。

5.社会主義への道はさまざまだ

資本主義の危機が進行するなかで、資本主義に代わる次の体制として社会主義を目指す動きもさまざまな国で、さまざまな形で起こっている。

そうした運動状況の中で、日本共産党が「発達した資本主義国での社会変革」の運動の最前線に立っているのは間違いない。

6.「大道」の具体的内容

我々にとって「大道」とは、社会変革をめざし、社会発展の段階的任務を確実に成し遂げることである。それはまず何よりも日本における多数者革命の実践である。この大道を確信をもって前進しよう。



7.社会主義への道は当面の課題ではないが不可欠な議論だ

日本の当面する課題は、社会の変革と段階的発展を内容とする多数者革命だ。“社会主義への道”は今日ただいまの当面の課題として追求するものではない。

社会主義への道は日本共産党の独自課題だ。しかし多数者を結集する上でも、日本共産党が目指す社会について多くの人々の理解を得ることは大変重要である。

感想
私は、「冷戦終結論」のスコラ論争に不破さんが終止符を打ったときのことが忘れられない。不破さんは冷戦の本質がアメリカの反共戦略にあったことを指摘し、その本質は変わっていないという点を強調することで、「終結」論者も納得させた。不破さんの言う意味での「冷戦体制」は、まさに今も続いていることを私達は確認しなければならない。

その後このスコラ論争ははいつのまにか表舞台から消えた。

今回も不破さんは、「我々にとって大道だ」という形でまとめようとしている。同時に「道は多様である」ことを確認する。そして「実践的な大道は多数者革命の実現だ」という点を強調している。
「大道」論はこのようにして理解する必要がある。これが「科学的社会主義」というものだ。何も無理やりに「割り切る」必要はないだろうと思う。

下記もご参照ください
日本共産党綱領改定案(不破議長の報告レジメ) 

ネット社会とデマ

日経の日曜版に滝順一さんの書いた「フェイクの時代…私達にできること」という記事が載った。
主に技術的な側面から昨今のフェイクニュースの動向を書いている。

へぇっと驚くトピックもあるが、やや情報詰め込み過ぎで、うっとうしいところもある。

これからのフェイク対策に触れられているが、結論から言うと、いずれ対策は立てられるようになるだろうということだ。

国立情報学研究所の山岸教授は「改ざん画像を検知するソフトがブラウザに組み込まれる日が来る」と楽観的だ。

要は迷惑メールへの対処と同じで、フェイク検知もネット社会の日常作法になるということだ。

しばらくは矛と盾との競争時代が続くが、世の中が理性をもとめる以上、技術はそういう方向に動いていくだろうというのである。

おそらくその現場技術者の経験に基づく判断は正しいのだろうと思う。

フェイクニュースの歴史

滝さんはそれを歴史的にあとづけている。

19世紀末、米国ではイエロー・ペーパーの煽情的なフェイクニュース合戦が展開され、それが米西戦争を招いた。

付け加えるなら、テレビが出始めの頃から70年ころまで、我々はテレビのニュースを信用しなかった。新聞や総合誌が世論を形成した。新聞は2,3紙とるのが当たり前だった。リベラルな家には赤旗も入っていたものだった。

テレビやラジオは肩のこらない話題からはみ出ることはなかった。週刊誌はヘアヌードとスキャンダルが売りの劣情誌だった。

滝さんは書いている。
このように、フェイクニュースが氾濫するのは、新しいメディアの勃興期につきものの現象なのかも知れない。
かつてのイエローペーパーの社主ピュリッツァーの名は、いまや権力に立ち向かい真実を報道した人々に贈られる賞の名前として知られるようになった。

ネットもいずれ整理され、公序良俗を求めて、アングラとの境界が厳しく制定されていくことになるだろう。

それにしてもロイター、BBC、朝日、赤旗がベネズエラについてフェイクニュースを書きまくり、IMFはおろかUNHCRまで、怪しげな情報を垂れ流すのはどういうわけか。


「価値は主観、価格は客観」か? 岩井さんの天動説

昨日の話の続きだが、この番組はNHKが制作したものだが、柱となっているのは岩井さんの所論だ。ここを分けて議論しなければならないから話は複雑だ。

岩井さんの貨幣論は、結局「価値は主観、価格は客観」という主張に集約される。これはケネーからスミス、マルクスに至る古典経済学を全面否定するものだ。

立論は完全に逆立ちする。価格の集合概念として価値というものが想起しうる。それは集団主観であり、一種のマインドとして扱わなければならない、という結論に至る。

私はこれは天動説への立ち帰りと考える。

「価値」というのが主観だとすると、貨幣の価値は価格の集合を通じて社会心理学的に決まってくることになる。

こうして価値は投下労働量によって決まるというテーゼから完全に決別する。

貨幣論の歴史

アリストテレスの経済についての考えは「政治学」に示されている。
そこでは自由をもたらすものとして、貨幣が称讃されている。

近世に入り、貨幣は可能性の象徴として考えられるようになった。貨幣を媒介にして自由な世界が出現し、欲望は果てしなく広がり、人間は才能を開花させる

このような貨幣についての思想が、はじめての近代思想、重金主義である。

スミスは貨幣の物神化を批判した

貨幣は交換手段に過ぎず、貨幣に富の見せかけを与えているのは社会関係なのだ。

岩井さんはこのあと使い古されたマルクス批判、価格実現の問題を繰り返すが、ここでは省略する。

ただ、売買そのものが二面性を持つことを抑えて置かなければならない。ものが市場で売られるときは、売り手の側からすれば「命がけの跳躍」を迫られるが、買い手の側はそうではない。

購買は生活手段の獲得に過ぎない。しかしその使用が新たな欲望を生み出す。だから、欲望の水準は一義的には消費の水準に規定される。
別に「命がけの跳躍」をするわけではない。それは生産者の勝手である。


貨幣と欲望

貨幣は欲望の対象となる。致富欲が貨幣へと集中するのは、それが不安に基づく欲望だからである。

一方で、貨幣というのは流通してこそ意義を持つ。可能性としての貨幣は全面的な流動性を志向する。

これは議論が振り出しに戻っただけのことだ。貨幣というのは価値の標章であり、価値の裏づけがあるからこそ交換手段としての意義を持つのだ。


すみません。曖昧な記憶を元にした記事のため、誤解等あるかもしれません。特に後半はアルコールが回っています。いずれ岩井さんの文章に目を通した上で、訂正すべきは訂正したいと思います。

年末にNHKで放送された経済番組で「貨幣」を主題とした番組を見た。

NHKの自社制作でそれなりに力が入った番組だ。岩井克人さんという経済学者の論調を柱に構成されて行く。

これがいかにもNHKらしくいいとこ取りしながら、結局何を言いたいのかわからない話で、イライラしながら最後まで見てしまった。

仮想通貨の実験が明らかにしたこと

番組の前1/3はビットコインの話。
これまでの経過は
ホスキンソンが最初に仮想通貨を提唱した。これは貨幣の交換手段としての機能よりも価値の蓄蔵手段としての働きに注目したものだ。
蓄蔵手段であれば、交換はバーチュアルな交換でも良い。その代わり人に盗まれないように保護する機能が重要になる。このため仮想通貨という資産形態は「暗号資産」とも呼ばれる。
② 実際の交換場面で最大の難問は「二重支払い問題」であった。これを克服したのがSatoshi Nakamoto 理論であった。これにより仮想通貨が実用化する可能性が生まれた。(この項、さっぱりわからず)
③ 仮想通貨の位置づけを明瞭にするために、ハイエクの「通貨自由化論」が援用された。
ここでは「仮想通貨は貨幣ではない」という特徴付けが行われた。交換手段でもなく蓄蔵手段ですらもなく、純粋な「資産価値の表象」だとされた。

私が考えるには…
それは結局、蓄蔵ではなく退蔵のための手段だということに行き着く。極度のリバタリアニズムに裏づけされた、闇の中をうごめく蓄蔵貨幣の表象だということになる。
そういう地下金脈を経済の撹乱要因として取り締まるのではなく、事実上容認していくという点では、完璧に退廃的な概念である。
④ 仮想通貨に対する批判はフランスの経済学者ジャン・ティロールが代弁している。
ティロールによれば仮想通貨の欠点は、2つに集約される。
一つは通貨として役に立たないということであり、社会から切り離された存在であるということである。それはカジノのコインのようなものである。形は似ていてもそもそも本質が違う。
これはホスキンソンの提案からも明らかである。
一つは銀行券の役割を破壊する。貨幣が流通手段であり得るのは、致富や蓄蔵の手段でもあるからだ。貨幣が交換のみの手段であればそれはクーポンや、食堂の食券みたいなものになってしまう。
また中銀は貨幣を発行し流通させることで発行益をとり、これにより金融運営を行っているが、貨幣の役割が限定されると経営基盤が脅かされることになる。(ここはなるほど!と唸らせる)

ということで、ここまでは仮想通貨を巡る議論で、それなりにNHKらしく要領よくまとまっている。(的を得ているかどうかは別として)

労働価値説を比定する貨幣論

しかしこの後、延々と岩井克人さんによるマルクス批判が続くのである。それはスミスまで巻き込んで労働価値説の批判に行き着く。

しかも批判はいいとして、「それでお前、何を言いたいんだよ」というのがさっぱり見えてこない。アリストテレスからカントまで巻き込んで講釈を垂れるが、これはウソを付くときの常套手段だ。長年大学教授をやっていると、こういうテクニックばかり上手になる。

とにかく話が長くなるので、ここで一旦記事は切る。

「出雲王朝」の秘密

驚いた。出雲にもう一つ王朝があったのだ。

それがあると、妻木晩田も青谷上寺地も銅剣や銅鐸の山もすべて説明できるのだ。

目下頭は混乱しており、自分の頭の中に構築してきた古代史像をどうひっくり返して、どう整理していったらいいのか、分からなくなっている。猛吹雪の中で方向感を失っているような感じだ。そのめまい感は何故かこころよい。

四隅突出型墳丘墓を象徴とする王国

話は花谷浩さんの「出雲王が君臨した時代」というものだ。

リードがかっこいい。
弥生時代後期の出雲には特異な墳墓が現れる。四隅突出型墳丘墓と呼ばれるそれは、わずか100年弱で消えた王朝の存在を示唆する。
宍道湖の西岸に西谷丘陵という小高い丘があり、そこに4つの四隅突出型墳丘墓が発見された。

四隅突出型といえば妻木晩田(むきばんだ)でおなじみの朝鮮北部由来の墳墓だ。これは明らかに縄文とも弥生とも、さらにスサノオ系とも異なる異人種系のものだ。

2016年12月05日  「むきばんだ」の人々
2016年12月06日  古代出雲のトロイ戦争か
を参照されたい。

出雲地方の古代史の経過

一応の筋書きを書くとこうなる、

まず紀元前1世紀ころ、スサノオが新羅経由で出雲にやってきて、葦原中津国を作り、それはオオクニヌシの頃に最盛期を迎えた。

これは、先住する銅鐸人(長江系渡来民と縄文晩期人の混合)そのものであったか、あるいは高天原系の征服王朝であったか不明である。

ついで紀元前後に、高天原の本隊が九州北部に上陸し、糸島(日向)に降臨した。彼らは宗像を支配下におさめ、出雲に進攻した。

オオクニヌシは出雲を明け渡し、何処へか消えた。その一族のオオモノヌシはおそらくキビを経由して難波方面へと移動した。

その後、出雲はいったん歴史から姿を消す。そして紀元100年ころに青谷上寺地と、おそらくこれを滅ぼした人々のクニ、妻木晩田とが登場する。


四隅突出型墳丘の特異性

4つの四隅突出型墳丘が並んでいるところは、エジプトのピラミッドを想起させるが、同時に阿部3代が眠る平泉中尊寺とも通じるところがある。

建造年代はかなりはっきりしているらしく、紀元150年から270年ころの建造とのことだ。卑弥呼とばっちり重なる時代である。魏志倭人伝で言及されないのはなぜだろう。

おそらく出雲王は妻木晩田の社会に直接つながるものであろう。朝鮮半島東岸、おそらく新羅よりさらに北からやってきたバイキングであろうと思う。

さらに想像をたくましくすれば、1019年に九州北岸に侵攻(入寇)した「刀伊」(とい)と同じ流れではなかろうか。

2018年06月27日 「刀伊」人の九州侵入 を参照されたい。
四隅突出簿の分布
妻木晩田の住民も3世紀の末ころには姿を消す。その後四隅突出型は姿を消すから、おそらく日本からいなくなったのであろう。

振根の戦いとの関連は疑問

後に崇神朝時代に出雲の支配者・振根は大和に敗れ、その属国となる。花谷さんはこのエピソードを出雲王国滅亡に比定するのだが、それは間違いだろう。

それは卑弥呼より100年もあとの話だ。「崇神天皇の在位は3世紀ころとも推定される」というセリフは歴史学者としての常識を疑わせる。


もし出雲王朝が滅亡したとすれば、滅ぼしたのは九州王朝

もう一つ、日本書紀によれば振根は、王と言うよりも九州王朝に忠誠を誓う地方豪族とみたほうがよい。出雲王朝の消失後、出雲に影響力を及ぼしたのは九州王朝であったと見られる。

出雲に北方民が襲来して王国を建てたとするなら、それは出雲を国譲りで自らの領土とした九州王朝にとっては侵略行為だ。当然戦うだろう。

「倭国大いに乱れて…」というのはその戦いだったのか。
つまり出雲王国は倭国により滅ぼされたか、あるいは何らかの理由により自己崩壊したと見るべきかも知れない。

出雲王国は4代限りの「バイキング王国」であった

出雲王国の話は、かつてのイングランドにデーン人などが襲来し支配したのと同じように、日本にもバイキングの時代があったのだと想像させる。

想像をたくましくすると、荒神山などの銅剣や銅鐸は、彼らが先住民から奪って埋蔵したとも考えられる。もし彼らが鉄器で武装していたとすれば、青銅製の武器など祭祀以外になんのユーティリティもない。


大化の改新の謎(天武の謎)

1.なぜ改新であってはいけないのか

私の高校時代、645年の大化の改新というのは日本史の最大のヤマだった。

それがいつの間にか「大化の改新」という呼び方はしなくなった。その代わりに「乙巳の変」と呼ばれるようになっている。

変えた人たちの思いは、それはただのクーデターで、蘇我蝦夷の暗殺事件であって、ちっとも変わってはいないというニュアンスを強調したいのだろうと思う。

しかしその後の経過を見ると、645年を発端とする数十年の変化はたんなるクーデターとしての枠には到底当てはまらないと思う。

革命という言葉を支配階級の変更と捉えるなら、それは革命に当たらないかも知れない。しかし我々はもはや19世紀的な枠組みで革命という言葉を閉じ込める必要はないのではないだろうか。

2.大化の改新を三段階で考える

反唐軍事体制の構築→白村江の敗北と唐軍の進駐→壬申の乱と自決体制、という三段階で捉える必要があるのではないか。

そこに一貫して流れているのは、日本の独立維持という強い意志であり、「反唐ナショナリズム」の思想である。

だから、「乙巳の変」に押し込もうとする考えは、どうも気に食わないのだ。

3.最大の難問は、前半において天武の顔が見えぬこと

2.の考えが成り立つためには、天武(大海人皇子)が大化の改新に最初から関わっていたことが証明されなければならない。

ところが困ったことに、肝心のそのことがさっぱり良くわからないのである。

そもそも日本書紀というのは天武が作らせた史書であり、彼の功績に対する賞賛が芯になって展開されなければならないはずだ。

であれば「乙巳の変」から始まって、百済支援、唐や新羅との対応など彼が中心に座る形でストーリーが展開しなければならないはずだ。

ところが壬申の乱に至るまで、天武は一向に歴史の表舞台に登場しない。まるで表立つのを嫌がっているようにさえ見える。

ここがわからないと、その後の持統や藤原不比等の話もさっぱり見えてこないのである。


4.一応年譜で拾ってみた

生年 不明だが631年説が有力。舒明天皇と皇極天皇(斉明天皇)の子。中大兄皇子と両親を同じくする弟。

645年6月 20歳で乙巳の変。このとき中大兄皇子は20歳。大海人は年少のため、行動には加わっていない可能性がある。

653年 中大兄皇子が孝徳天皇と袂を分かち倭(やまと)に移る。このとき大海人も行動をともにした(日本書紀)
その後、中大兄皇子の娘を次々に4人まで妻とした。

654年 大海人、胸形君徳善の女、尼子娘との間に最初の子、高市皇子をもうける。

661年 朝鮮半島出兵で、斉明天皇と中大兄皇子が筑紫(九州)に宮を移したときには、大海人皇子も妻を連れて従った。大海人は中大兄皇子と那の大津の宮にいたはずである。

664年 大海人皇子、中大兄皇子の命により、冠位二十六階制を宣下。この頃は皇位継承者とみなされていたらしい。

668年 天智の即位に合わせ皇太子となる(出典不祥)。

668年 激した大海人皇子が長槍で床板を貫き、怒った天智天皇が皇子を殺そうとした。藤原鎌足が取りなした(藤氏家伝)。三者が微妙な関係に入ったことがうかがわれる。

669年 五月条では大皇弟であるが、十月条では東宮太皇弟となる。

671年1月 天智天皇は第一皇子の大友皇子を太政大臣に任命。大海人は完全に継承者コースを外れる。懐風藻では666年とされる。

671年10月 病臥生活に入った天智天皇は、大海人皇子を病床に呼び寄せ後事を託した。大海人はその日のうちに剃髪し、吉野に下った。そのまま、大友皇子が朝廷を主宰した。

671年6月 壬申の乱が始まる。 

673年3月 即位 道教に関心を寄せ、神道を整備し、仏教を保護して国家仏教を推進した。

673 大海人は天智天皇の皇女の大江皇女を妃にする。

2019年11月24日 「マンロー医師 年譜 (増補版)」

またまた増補しました。

2008年に北海道大学で行われた慶應義塾大学准教授 岡本孝之氏の講演「マンローの考古学研究 ~横浜時代を中心に~」がPDFファイルで読めます。

非常に素晴らしい内容で、とくに桑原本を読んで釈然としなかったところがかなりスッキリしました。
なんとかマンロー像から谷崎文学的な匂いを一掃したいのですが…

ツチグモとクズ

むかしツチグモという人々がいて、短身長躯というから明らかな異人種で、おそらくは先住民。森に住んでいて渡来民とは交わらなかった。

景行天皇が九州 を親征した際に、朝廷軍に絶滅させられたことになっている。

大林太良さんという方の文章からの引用。

クニという言葉は、人間の文化的営為によって馴服された土地を指す。これに対し周囲の野性的世界はツチと呼ばれる。

クニに恭順する先住民は国栖、国巣と呼ばれ保護される。クニに恭順せぬ先住民はツチグモと呼ばれ討伐される。

それが討伐されたのは意外に遅く、九州では景行天皇の時代、おそらく4世紀の中頃に相当する。


ということで、

ツチグモ・クズと呼ばれた人々が縄文人の末裔であることは間違いない。


原弥生人は朝鮮半島で形成された?

そこで問題だが、

いわゆる弥生人というのは長江系の渡来人と縄文人がほぼハーフ&ハーフで混血したものである。この比率はミトコンドリアDNAでも維持されており、両者は征服・被征服の関係にあるのではない。

これは次のことを示唆しないだろうか。すなわち長江系と縄文系は、渡来する前にすでに混住混血を重ねていたのではないかということだ。

それが私の大八洲=金海説だ。紀元前20世紀ころ、喜界カルデラ噴火を生き延びた後期縄文人が、九州から渡海して朝鮮半島の南岸に植民した。

一方そこに山東半島を追われた長江人も合流し、稲作文明を開花させた。そのときに両者は出会い「原弥生人」が形成された

それが紀元前10世紀ころから逆植民が始まり、ほぼ弥生人と共通遺伝子を持つ人々が九州 の北岸に展開するようになった。

もちろん在来の縄文晩期人も大いに交わり、弥生人は縄文色を強くしたが、基本的骨格は変わらなかった。

純縄文人との棲み分け

しかし食料確保の手段、方法などにこだわる既存の縄文人は混住せずに棲み分けした。彼らは森や海岸での採集生活を続けた。

魏志倭人伝の「黥面文身」の異形の人々は、彼らの姿であろう。魏からやってきた人々は、朝鮮半島南部の人々を見て珍奇には思わず、むしろ秦の時代の亡命者と見て共感を抱くほどである。それが九州 に来て、弥生人を見て奇異の念を抱くとは思えない。

逆に言うと、純粋な縄文の暮らしや習慣は、当時でさえも辺縁的な存在になっていたことを示しているのではないか。

高天原の天孫系の来襲とツチグモの駆逐

そこにおそらく紀元前1世紀ころ、朝鮮北部から高天原の天孫族系がやってきた。彼らは半島南岸の弥生人コロニーを征服した後、海を渡り、日本の支配権をも要求するようになった。

彼らは弥生人社会を支配したが、当初は縄文人社会は無視した。しかし人口爆発が起き農地が必要になるに連れ、彼らの土地も収奪の対象となった。

天孫族に従ったものは、土地を割譲するのと引き換えに生業の維持を許された。そうでないものは抹殺された。

おそらくこれが日本人の形成過程の概略であろう。

新春対談「21世紀の世界を変える非同盟運動」を読む

日本AALAの機関紙の新年号に上記の対談が掲載された。話者は西谷修さんとAALA代表理事の吉田万三さん。以下はこの対談を読んでの感想である。


非同盟運動はなぜ「運動」なのか

① 非同盟運動は戦後一斉に独立を勝ち取った新興国が始めた運動である

② 新興国は国連中心主義を掲げ、それによって平和と発展を期待した。

③ しかし、国連軍として参戦した朝鮮戦争が大規模化し、新興国まで巻き込まれた。

④ 新興国は国連にだけ頼っていては安全は守れないことに気づき、平和共存のシステムづくりに乗り出した。

⑤ さらに国連憲章の集団安全保障の理念が大国主導にならないよう、改善を求めた

⑥ さらに軍事同盟そのものが世界の平和の妨げだと考え、同盟をなくすよう主張するようになった。

⑦ さらに現代軍事同盟の中核に核の支配があると考え、核廃絶を運動の中心課題にすえた。

⑧ さらに国際外交を大国主導でなく、個別の取引でなく、集団で交渉するべきという多国間主義を訴えている。

これらはいずれも大変重要で、今日的な課題であり、これらの提起を実践的に担ってきた非同盟運動の役割は大変大きい。

注③ 3年間にわたる朝鮮戦争で両軍合わせ300万人が参戦、うち80万が戦死した。国連憲章の集団自衛権に基づき多くの新興国も参戦している。例えばフォリピン、トルコ、コロンビアなどは数千名を派兵した。朝鮮半島のすべてが戦場となり、民間人150万人が犠牲となった。とくに後半戦は実質的な「米中戦争」で、核兵器以外のすべてが使用された。

注④ 1954年の周恩来・ネルーによる平和5原則(領土、主権の尊重 不侵略 内政不干渉 平等・互恵 平和共存) 当時中国は中共と呼ばれ国連への加盟を認められなかった。

注⑤ 平和共存実現のため、国連憲章の集団的自衛権のしがらみをどう振りほどくかが、バンドン会議の最大の焦点となった。バンドン声明は10項目あるが、そのうちの (5)国連憲章に従い諸国民が個別的、集団的に自国を防衛する権利の尊重 (6)集団的防衛機構を大国の特定の利益に用いず、他国に圧力をかけない (7)領土保全、政治的独立への侵略、脅迫、力の行使をしない (8)国際紛争は国連憲章に従い、関係国が選択する平和的手段で解決 の4項目が、平和共存の内容となっている。
これは非同盟運動が国連中心主義を貫きつつ、どうやって非戦と平和を維持していくのか、どうやって各国の自決と尊厳を守っていくのかという問題に関わる運動であることを意味している。

つまり非同盟運動というのは軍事同盟に入るか入らないかではなく、軍事同盟に反対し軍事同盟をなくしていく運動なのだ。
しかしこれはあくまでも原理的な視点なのであって、実際上は資本主義と社会主義のどちらの世界にも入らないという「第三世界論」が支配的であったことは認める。


社会主義体制の崩壊により非同盟運動が反軍事同盟の原則に立ち帰った

90年のベルリンの壁崩壊により、東西対立という関係は基本的には消失した。これに伴い「第三世界」という概念も根拠を失った。しかし非同盟運動は存続し続けた。

これを当時支えたのは東南アジア諸国のイニシアチブであった。

1992年にジャカルタで開かれた非同盟諸国首脳会議では、改めてバンドン宣言の意義が問い直され、非同盟運動の原点としての国連中心主義と反軍事同盟路線を確認した。90年以降の非同盟運動のスローガンとして押し出されたのが多国間主義である。これは国連中心主義と反軍事同盟路線がもたらす必然的な実践的な帰結である。

多国間主義は東南アジアにおいて反軍事同盟路線と平和共存、さらに共助・共栄のセットとして打ち出され、ASEANとして結実した。それを国際的には国連中心主義として踏み固める方向が打ち出された。その際にバンドン宣言の精神が大いに生かされている。

この多国間主義に示された反軍事同盟路線は、いわば東南アジアに地域を限った「限定版のお試しセット」として打ち出されたために反米色はほとんど感じられない。むしろ注意深く避けられていると言える。「色々事情もあるだろうから軍事同盟は否定しないが、私たちはそういうのには関係なくやってみたいです」という感じだろう。


中立から非同盟へ 国家のあり方としてのスローガン

非同盟という概念は、ラテンアメリカ諸国のように直接アメリカが軍事同盟の網の目を形成している地域では、のんきな話ではない。非同盟を掲げることはアメリカとの関係にイチャモンを付けることになる。

たとえ経済面だけに絞ったメルコスールでも、アメリカは容赦しない。経済的自立を図ったブラジルの労働党政権やアルゼンチンの正義党政権は、ベネズエラと同じような難癖をつけられ潰された。

そういうわけで非同盟運動はなかなか難しい運動である。しかしある意味で言えばむずかしいからこそ「運動」なのであって、たんなる非同盟諸国のなかよし会ではないのである。


非同盟運動はきわめて広い思想をふくんでいる

非同盟運動の核心の一つである「国連中心主義」という考えは、世界のあり方を枠づける究極のユニバーサリズムであると思う。それは超富裕層が提起するグローバリズムの考えに対置される。肝心なことは独立、平和、共存ということであり、思想、文化、宗教の何如を問わない。国際間のルールが国連機関やさまざまな国際法を通じて遵守されるような世界を作ることである。

例えば宗教であるが、進歩勢力は国内レベルでは、非宗教的で理性的な政治をもとめて戦う。しかし国際レベルでは敵対的態度を取らない限り、協調し対話をもとめる。なぜならさまざまな歪んだ形の民衆政治(ポピュリズム)は、つまるところ歪んだ世界への不寛容の表明だからである。私たちは歪んだ世界を正していくことでは協調できると思う。

人権という原理で世界の民衆の運動を裁断するのは、少なくとも今生きているこの社会では賢明な方法ではないと思う。

世界を支配する米国こそ最強の原理主義国だ。「アメリカ第一主義」という原理を押し付けており、その下で先進諸国がグローバリズムという原理を押し付けているから、歪んだ世界が作り出されているである。


非同盟運動は「世界に対する責任」のあり方を示している

アメリカ第一主義ということは、「アメリカは世界に対して権利は持つが、責任は持たない」という宣言である。世界の諸国が仲良く付き合っていこうという際に、こういう国が存在するのはまことに困ったことである。米国は「ない方が良い国」になりつつある。とくに所得の再分配という機能が国際的に働かなるということでは、世界の将来は大変暗いものになる。

そういうことになると、「世界に対する責任をどうやってみんなで分け合っていこうか」と考えたり、議論したり、実行したりできるのは非同盟運動にくわわる国だけになってしまう。同盟国はアメリカと同盟を結んだ瞬間に思考停止に陥ってしまうからだ。日本やEU諸国を見ていると、どんどん従属的になってきているのが分かる。

「世界に対する責任」というのは、これからますます大事になってくる考えだと思う。

吉田万三さんは「世界の新しいあり方として非同盟運動が大事な役割を果たしていく」といっているが、まさにここが一つのポイントになるだろうと思う。


またまた新藤情報です。何かせっつかれているようです。この記事は赤旗より早く届きました。

二人の国会議長選出の真相」(朝日新聞6日夕刊 )
ということですが、北海道は記事が東京より遅れるので赤旗の掲載は今朝のことです。

皆さんお読みになったことを前提にして、違うソースの報道を紹介します。

基本的には赤旗も朝日新聞も同じ観点からの報道で、「独裁者マドゥーロが、憲法、民主主義を踏みにじり、民主主義の復活を推進するグアイドーを弾圧した」ということです。

しかし現地の新聞は次のように書いています。予めお断りしますが、「現地の新聞」とは、一つは中道保守系のグロボビシオン、もう一つが中道のウルティマス・ノティシアスです。

1月5日、議長などの人事を決める国会が開かれました。
御承知の通り、国家の多数派は野党が占めており、いわゆるねじれ状態が続いています。そのことを念頭に置いてください。
国会議員は総数が 167 人です。定足数は 3 分の 2と定められていますが、151人が出席したので立派に成立しています。
しかしなぜかグアイドー議長は欠席しました。
選挙が行われ正副議長、正副書記長が選出されました。その全員が野党所属です。
選挙を終えた国会は前議長であるグアイドーの出席を待ちました。

このとき、突然米国務省のマイケル・コザック西半球局次官補代行が、「国会は、定足数不足で偽物だ」とツイートしました。

この発言を受けたグアイドーは、みんなが待っている国会の正門から入らず、鉄柵を乗り越えて議会に入ろうとしました。ほとんど意味不明の猿芝居です。
guaido_fence
        フェンスをよじ登るパフォーマンス
そうして警備員と揉み合う場面を通信社のカメラマンに披露すると、今度は国会外の建物で「もう一つの国会」を開催したのです。

この「もう一つの国会」は100名が出席しました。多分二股かけた議員がいるのでしょう。しかし100名という数も怪しげですが、それでは定足数に足りていません。

おまけに自ら大統領を宣言した人間が、大統領のままふたたび国会議長に就任するというのも、まことに立憲主義にそぐわないものです。

後ほど明らかになったことだが、国会では出席者数151人のうちパルラ81票、グアイドー70票だった。「もう一つの国会」では出席議員は70人。残りの30人は補欠などでした。

今回の事件は、結局グアイドーが野党の中でも孤立深めていること、それと比例するかのように、ますます彼がアメリカ言うなりの操り人形と化しつつあることを示しています。

ところで正規派の国会議長に就任した野党議員パルラはこう語っています。
Luis-Parra
             ルイス・パラ新議長
我々はベネズエラ政府と対決する野党であることを確認しつつ、国家の制度を復活させ、立憲主義に立つ、自主独立の国会を復活させる。

これがまっとうな人間の言うことでしょう。


例によって新藤さんの記事のメガホンです。
これは19.12.16の 日経新聞の紹介です。

ベネズエラ、「物価高騰」勢い弱まる 物不足が改善
というのが見出しです。
サンパウロ特派員の外山記者の記事ですが、写真などを見ても、どうやら現地に行って取材してきたようです。何処かの記者にも見習ってほしいです。

1.ハイパーインフレが終熄しつつある

11月の物価上昇率はなお年率で1万%台だが、200万%超に達した年初からは縮小した。
理由は、政府がドルの国内流通を容認したからである。これは自国通貨とドルの公定レートを廃止したことと連動している。

これはある意味で、ベネズエラ政府が敗北を宣言したということだ。そのきっかけはアメリカの取引銀行がドル決済を凍結したことにある。その前は民間にカネがなくても政府にはうなるほどあった。石油を売れば自動的にドルが転がり込んでくるからだ。

ところがその窓口が閉められてしまったから、ドルの残高はあってもブルーバックはないという仕掛けになった。これでベネズエラ政府は干上がったから、屈服せざるを得なくなった。

ベネズエラのやせ我慢を前提に成り立っていた、1千万%という交換レートは一気に瓦解した。これは20世紀末のいわゆる「ドラリゼーション」である。多分大損した連中もいるだろうと思う。


2.IMFの予言は嘘だった

もちろん外山記者がそう言っているわけではありませんが、中身はそういうことです。

2018年10月、IMFはベネズエラのインフレ率が1000万%に及ぶと予測した。しかし現実にはインフレ率は200分の1に縮小した。

こういうのを「最悪の口先介入」というのではではないでしょうか。IMFが蹴っ飛ばして、格付会社がそれを奈落の底に突き落とすというタッグは最悪です。彼らは「失われた10年」の悪の主役でした。


3.物資は溢れている

外山記者は「商店の棚が空っぽで、店の前に長蛇の列」というのは過去のものだといっています。見てきたものの強みです。

スーパーに食料品や飲料が並び、ドラッグストアには欧米メーカーの商品が陳列されていた。現地在住者は「この数年で、今が一番物がそろっている」と口をそろえた。12月中旬にはカラカスのショッピングモールで年末商戦が始まった。

おそらくこのような光景は赤旗記者には信じられないでしょう。なぜなら彼はロイターやBBCのニュースを信じ切っていたからです。

4.固定相場制は悪の温床になっていた

これはきわめて厳しい指摘ですが、まさしくそのとおりです。市場原理を全面否定したその先には、前近代的「非経済的」力関係が復活する他ありません。

しかしながら、この関係を「市場原理主義」として固定的に考えるのは間違いです。我々は自転車を漕ぎなら進歩への坂道を登っています。その時は右足、左足と交互に力を入れながら前にすすむのです。

固定相場制は自国の経済発展を揺るぎないものとするために非常に魅力的なオプションに見えますが、経済は大抵が有利と不利の2つの側面を持っているので、必ず裏を取っていかなければなりません。

肝心なことは進むことであって、そのためには左右に体を振りながら力を込めていくしかないのです。

マドゥロ政権はハイパーインフレによる社会不安を抑え込もうと、18年12月から公定レートと実勢レートの差を近づける方針に転換した。

と書いてあるのは、正しくそういうことを示しているのでしょう。


5.とにかく独立した経済を運営していくのは大変なことなのだ


ベネズエラのシンクタンク、エコアナリティカはインフレの沈静化をこう説明しています

インフレの沈静化は所得減少に伴う一時的な需要縮小という側面も大きい。

原因はどうであれ、ハイパーインフレは極端な物不足の表現です。ここまで民衆の生活を下支えしようと頑張ってきた政府が、もはや万策尽きてその役割を放棄した。
そのゆえに物価は沈静化したのです。経済のブラックホール化です。

外山記者はこう書いています

ベネズエラ国民はBsを受け取った後、競うように闇市場でドルに替え、必要に応じてBsに再び替えていた。日常的にドルを受け取り、支払いにもそのままドルを使う人が増え、経済取引が安定するようになり、国内の物価高騰を抑える効果をもたらした。

それにしても、このような状況を押し付けたアメリカ帝国主義に、どうして怒りが向かわないのでしょうか。


1.イスラエルから見ないと話の筋は分からない


なにか中東で訳の分からない事件が起きるとき、だいたいそれはイスラエルの作戦だ。

推理小説では犯行動機として「受益」の可能性が問われることがよくある。しかし中東ではこの問題がいつもうやむやのまま推移していく。なぜだろう。

それがイスラエルという国の「死活的利益」を軸に見ていくと実に良く分かるのである。むずかしい幾何学の問題が補助線を一本引くことによって、ガラスがダイヤで切れるように鮮やかな切断面を見せるのである。

イスラエルの死活的利益を探るのは容易いことではない。なぜならそれは間違っていて歪んでいて、短期的で衝動的だからである。ただ、これまでの積み重ねの中から、「こうなったら連中はこう考え、高行動するだろうな」というのは薄々分かるのである。

2.トランプは弱みを握られている

自分の地位が安定していれば、トランプはこのような冒険をしない。彼はディーラーだからだ。ノーベル賞が欲しいからかも知れない(悪い冗談だが)

彼の岩盤的地盤は中西部の「錆びたベルト地帯」の労働者である。ティーパーティーや南部保守層ではもはや選挙には勝てないから、共和党もトランプに依存するしかない。

しかしトランプはセクハラ、パワハラなど不正の百貨店みたいな人で、中央政界には人もコネもない。ほおっとけば明日にでも倒壊しかねない弱体政権だ。

とりあえずなんとかして、二期目の当選を果たすしか眼中にはない。そのまえになんとかしてこれ以上のスキャンダルが発覚するのを抑えるしかない。

ところがそのスキャンダルの種を一手に握っているのが、情報力と強制力を持つ国家機構だ。だからトランプはこいつらに頭が上がらない仕掛けになっている。

3.トランプも一時は頑張った

「トランプも一時は頑張った」と言ってよい。

相次ぐ閣僚スキャンダルと更迭により政権はガタガタになった、打つ手に窮したトランプは、軍産複合体のエージェントであるボルトンとポンペイオを受け入れざるを得なかった。
ポンペイオとはなんとかうまくやれたが、ボルトンはトランプなどなきがごとくに政府を引きずりまわ始めた。

しかし習近平を相手に引き起こした米中摩擦が「ディール」として成功すると、トランプは強気になった。
日本のタンカーがホルムズ海峡で爆撃を受けると、国防総省が発令した報復行動を寸前で止めた。そして作戦を勝手に進めたナマズヒゲのボルトンを馘にした。


4.軍産複合体の操り人形となったトランプ

ところが、弾劾裁判が開始され新たな疑惑が浮上するに及んで、ふたたびトランプは軍産複合体の意のままに動くようになっている。

思えば、米朝会談で当日になってちゃぶ台返しをしたのもボルトンだった。つまり軍産複合体だ。
彼らの最大の圧力は議会証言にあった。おそらくFBI、CIA、NSAなどが情報を握り、それを小出しにして真綿で首を絞めるようにトランプを脅迫しているのだろう。彼らにしてみればなんのエスタブリッシュメントも背景に持たないトランプなど赤子の手をひねるようなものだ。

だからと言って、トランプ政権が倒れてしまわれても困る。その辺の手綱さばきが難しいのだろうと思う。


5.イスラエルの思惑

イスラエルはとにかくイランをやっつけたい。核兵器の生産はなんとしても阻止したい。そのためにユダヤロビーを最大限に働かせ、さまざまな策略をねっている。それがタンカー爆撃事件、無人飛行機によるサウジの石油施設爆撃、そして今回の事件だ。

イスラエルのやり口はきわめて謀略的である。思い出せば、シリアの民主化運動が内戦へと発展したとき、イスラエルはアサド政権を支持し、ヒズボラにフリーハンドを与えた。その結果、アサド政権は崩壊の危機を辛くも切り抜けることが出来たのだ。

その後ロシアがしゃしゃり出てくると、情勢はアサド優位に傾いた。そのときイスラエルは後景に却いた。シリアに民主派政権ができて、それがエジプトの政権とつながってふたたびアラブの大義を掲げるようになること、それは中東戦争の悪夢の再来だ。それだけは防がなければならない。

反イスラエル派の台頭を抑えてしまえば、あとはアラブ諸国が相争い潰し合う状況が永続してくれればそれで満足だ。肝心なことはアラブ・イスラム諸国の何れであっても核武装させないことだ。

そしてイスラエルはふたたびイランやヒズボラと事を構えるようになった。それにアメリカの軍産複合体もガッチリ組み込まれている。昨今のレバノンの「市民デモ」は、誰がやっているかは不明だが、どうせただの芝居なのではないか。

6.もろとも葬り去る他ない

このような悪のトリオはお互い持たれあい、支え合って、世界を軍事的に支配している。この邪悪なトライアングルを突き崩すには、内部矛盾に期待しても始まらない。もろともに葬る他ない。

それには大統領選挙にすべてを流し込むような他力本願を止めて、今すぐあらゆる場面であるゆる勢力が立ち上がって、彼らを全体として追い込んでいくことが唯一の解決策だ。




イシカワ大使が紹介されました

田舎者には縁がない新聞ですが、朝日新聞の東京都内版の12月20日号にイシカワ大使の記事がのりました。
イシカワ大使の紹介というより、麻布十番の創作手拭いの店の紹介なのですが、大使の経歴もかなり詳しく書き込まれています。

いつものとおり、新藤さんの教えてくれた情報です。
イシカワ大使紹介

うまくコピーできませんでした。画面の上を左クリックするとちょっと読みやすくなります。

田中靖宏さん(日本AALA連帯員会代表理事)の報告 「核兵器のない平和な世界への展望を示す、第18回非同盟首脳会議に参加して」が発表されました。
何分にも長い文章ですので、感想部分のさわりだけ紹介させてもらいます。私の「抄訳:非同盟首脳会議のバクー宣言」も合わせてお読みください。

と言いつつなかなか端折れなくて、このままでは原文そのままです。このあと各論に入っていきます。ここからは滞在中の感想とかエピソードは全部飛ばします。何時か原文が出ると思うのでそちらを読んでください。


10.制裁措置に反対する

バクー宣言は具体的な政策について31項目にわたって述べています。

国連の重視: 国連、とくに安保理への基本的な立場を明らかにしています。いまの安保理は5大国の拒否権など世界の現実を反映しない非民主的な側面をもっています。しかしそれにも拘らず、安保理の諸決議は国際法として順守する義務がある、たとえ短期的には不利益でも、法を守ってこそ国連中心の国際秩序を構築できるのです。大国の横暴な論理に立ち向かうにはそれしかないのです。

11.経済制裁措置は平和的で積極的か?

バクー宣言は米国の一方的強制措置を国連憲章に違反すると強く非難しています。国連安保理は現在いくつかの国に制裁決議を採択して、加盟国に実施をもとめています。これまで30近い制裁決議が発動されています。

しかし今とりあげられている「一方的な強制措置」は、安保理の承認を得ないで各国が独自に実施しているものです。それは米国やEUなどがイランや北朝鮮、キューバ、ベネズエラ、ニカラグアなどの非同盟諸国に実施している「制裁」のことです。

「経済制裁」は、武力行使にかわる非暴力的な強制措置として積極的な意味に使われました。しかしいまでは、多くの一般市民の生活に甚大な悪影響を及ぼす「集団懲罰」であり、武力行使とかわらない「戦争」行為と考えられるようになっています。キューバにたいする「制裁」は国際法に違反する措置です。第3国にまで「制裁」を及ぼすのは二重三重の国際法違反です。

ベネズエラ「制裁」は金融取引を停止させ、主要輸出品の石油などの貿易を禁止しました。それはベネズエラ国民へのゆえなき懲罰をもたらし、「4万人以上の死者の増加につながった」と推計されます。

12.首脳会議の白眉…マハティール演説

マレーシアのマハティール首相が、とても説得力ある演説をしました。マハティールは94歳とは思えないしっかりとした口調で諄々と説き、会場は静まりかえりました。

16年前にイラク戦争がありました。ブッシュ米大統領は「米国の味方につくのか敵になるのか」と各国の指導者に選択を迫りました。最後に多国籍軍が侵攻してイラクは破壊されました。しかし大量破壊兵器は見つからなかった。しかし、まともな反省も破壊を修復する努力もないまま、イラクの国富は略奪され分け取りされました。
イジメに反対する国は叩かれ、ズタズタにされました。いまはどうか。世界を「敵か味方か」にわける戦闘状態がまだ続いているのではないか。世界はいまだに恐怖のなかにあるのではないか。
私たちは「民主主義の輸出」を口実にした国家攻撃がいかに国家と文明を消耗させ、崩壊させているかを目のあたりにしています。これに直面し耐えている国もあるが、他の国も将来同じ運命に苦しむかもしれません。そんなことは絶対にあってはならないことです。
大国が並外れた影響力をつかって貿易戦争をしかけています。交易条件をえさに、ブロックをつくって非同盟諸国を分断しようとしています。残念ながらこうした圧力に屈する国があります。このため非同盟運動はかつてのような団結がそこなわれています。みなさん団結しましょう。

13.核問題

ここでは省略せせてもらいます。

14.人権問題

バクー宣言は「人権の問題」の項を起こして、基本的な立場を次のように説明しています。

第一に、すべての人権を守り促進する決意を確認する。それは普遍的で不可分、相互に関連しあった国際的な誓約と国内法にしたがっておこなう。また建設的で強力的な対話と能力構築、技術支援や成果の認定を通じておこなうと述べています。
第二に、開発・発展の権利について述べ、それらが人権の重要な一部だと強調しています。それは平和と持続的な発展を達成するにあたって必要な資産であり、人権を保障するものだからです。
まず食うこと、食えることが平和の出発点、それはアフガンの中村先生の活動を見れば明らかです。

そのうえで「人権は、普遍性、透明性、公平性の基本原則の遵守によって強化されるべきである」と強調しています。特定の政治的な意図をもって取り上げたりするのはダメだ、二重基準は許されないという立場です。

さらに採択された最終文書では、非憲法的手段で政府が権力を握った国での憲法上の合法性回復を呼びかけています。そして非同盟諸国に、運動の創設原則にそって民主主義の理想を掲げ続けるよう奨励しています。


15.日本AALA創立50周年における不破演説

2005年は日本AALA創立とバンドン会議50周年に当たります。このとき日本共産党の不破哲三議長が「アジア・アフリカ・ラテンアメリカ~いまこの世界をどうみるか」と題した記念講演を行っています。
不破講演は、AALA諸国人民との連帯活動の意義と展望に確信をあたえてくれるものでした。

不破さんは、AALA諸国がそれぞれに困難にぶつかりながらも自立的な発展に努力していると述べ、21世紀の世界を動かす展望をもった地域になると強調しました。そして世界でもっとも活力のあるこれらの地域と、平和憲法をもつ日本が合流していくことに大きな未来があると語られました。その際不破さんが大切だと言ったのは、「自分たちの地域で生まれた政治制度や民主主義を、権利の絶対的な基準としない」ことでした。
いまの世界には、自国の基準にあわないことがあると、「あれは独裁国だ」とか「遅れた国だ」とかいって片づけてしまう傾向が強くあります。

アメリカやヨーロッパの国ぐにが、自分たちの地域で生まれた政治制度や民主主義の制度的なあり方を、権利の絶対的な基準として、その他の地域に持ち込み、その地域の国ぐにの状況をそれによってはかる、そしてその基準にあわないことがあると、「あれは独裁国だ」とか「遅れた国だ」とかいって片づけてしまう。あるいは「前進の仕方が遅い」とか「モデルが違う」などと攻撃するという傾向が、かなり強くあります。

不破哲三『アジア・アフリカ・ラテンアメリカ-いまこの世界をどう見るか―』(新日本出版社、2005年)

田中靖宏さん(日本AALA連帯員会代表理事)の報告 「核兵器のない平和な世界への展望を示す、第18回非同盟首脳会議に参加して」が発表されました。
何分にも長い文章ですので、感想部分のさわりだけ紹介させてもらいます。私の「抄訳:非同盟首脳会議のバクー宣言」も合わせてお読みください。

1.バクーの非同盟サミット会議

第18回非同盟首脳会議が10月、アゼルバイジャンの首都バクーで開かれました。会議には120の加盟国と17のオブザーバ国・組織の首脳らが参加しました。日本AALAは今回は私と清水学さんがAAPSO団員、大村哲、浅尾剛の2人が随員として参加しました。

2.迫力のある首脳たちの討論

会場となったのは大きな会議場でした。なにしろ150カ国ほどの国の代表団が参加するので、広すぎて向こう側の首脳の顔は肉眼では確認できないほどです。しかし、それぞれの首脳たちの肉声はとても力強く、訴えの真剣さはひしひしと迫ってきました。

会議の成果は、採択されたバクー宣言に集約されています。

核兵器のない平和な世界の実現は可能だ、それにむけて力を合わせて頑張ろうという内容です。オブザーバーの中国やブラジルを含めると、世界人口の8割、国の数でいえば7割が反核・平和の課題で一致して声明を発したのです。
残念ながら日本の一般マスコミは、「赤旗」を除いてすべて無視しましたが、非同盟諸国のメディアは一斉にその成果と内容を報じました。

3.会場の模様

首脳会議に先立つ24、25の両日が閣僚会議でした。オバザーバーの席は後部で、AAPSOの席は最後列で全体が見渡せる場所にありました。私たちのすぐ前が中国で、右がプエルトリコ独立党、左がアルゼンチンといった配置でした。日本政府はいつもゲスト国として参加しているので、会場に席はありませんでした。

論議されていたのは閣僚会議に先立って開かれた準備会議がまとめた249ページ1172項目にわたる最終文書案です。

南米での事態をめぐる議論: 直前のボリビアの選挙でエボ・モラレス大統領が当選しました。これを祝福するとの表現にチリが反対をのべ、これにキューバが反論するなど議論がありました。

南シナ海の覇権問題: 中国の覇権主義的な行動に懸念を表明した項目はいわくつきのものでした。3年前にベネズエラで行われた首脳会議で、議長国のベネズエラが中国に配慮して表現をやわらげました。これにASEANを代表したラオスが抗議をして、採択では「留保」を表明しました。
今回の最終文書も前回の表現が引き継がれたため、タイ(ASEAN議長国)が「保留」を表明しました。議長をつとめたアゼルバイジャンの外相の采配はたいしたもので、合意点を提案し、不一致点は首脳会議に委ねることで承認されました。

4. やや低調だが、主役が交代

首脳会議といっても、首脳自身が参加したのは十数カ国しかありませんでした。とくに運動の推進役となってきたインドやインドネシア、エジプトなどが首脳の参加を見送ったことは、運動自体の影響力の現状を反映しているのかも知れません。

その代り、新しい諸国が運動を担う意気込みが感じられました。その象徴が開会総会ではその隣にイラン、ベネズエラ、マレーシアやバングラデシュ、キューバといった首脳が並びました。これらの国の多くは、米政権から敵視されて、さまざまな圧力や干渉をうけています。
それらの国がバンドン精神という国際的な大義をかかげ、世界の秩序と平和を守る姿をアピールしました。その姿勢が色濃く反映された会議だったと言えるでしょう。

5.議長国アゼルバイジャンの面目躍如

そうしたなかで首脳会議の象徴となったのが今回の議長国になったアゼルバイジャンです。非同盟運動に2011年に加盟したばかりです。
この国は旧ソ連の一国でした。北海道ほどの面積に人口1千万弱の小さな国です。90%がイスラム教ですが、第一次大戦後に世俗の民主共和国として独立しました。しかし独立は2年しか続かず、ソ連に組み入れられました。ソ連が崩壊した1991年に独立を回復しました。その後も隣国との争いが絶えず、ナゴルノ・カラバフの民族紛争とその後のアルメニアとの戦争で百万人もの国内難民が出ました。(私の「アルメニア民主化の話」を読んでください)

その国がなぜ非同盟を選んだのか。私が得た印象は、国民がヨーロッパの一員でありながら、東西文明の接点として架け橋になることをとても誇りにしていることでした。

たしかにこの国は十字路の上に位置しています。北のロシアと南のイラン、西のアルメニアとジョージア、さらにその先はトルコにつながっています。それだけにこの地域は古くから文化の融合と対立を繰り返してきました。国内にも民族間の矛盾、宗教間の対立をふくんでいます。

アリエフ大統領は開会の演説のなかで、独立後、国内の民族紛争の克服に努力する一方で、すべての国との友好を促進してきたと述べました。文明間の対話をうながす「バクー・イニシアチブ」を主催し、ロシアと米国・NATOの対話の架け橋になってきたと説明しました。それらの路線は非同盟運動の目標と役割に完全に一致するとし、今回の議長国として承認されたことに感謝しました。

6.会議に押し寄せる電子化の波

いちばん驚いたのは、会議の運営や資料のやり取りがすべて電子メールでおこなわれることでした。一時代前はいつも大きなプレスセンターができて、事務局や各国政府の担当がきて資料を配布し、ブリーフィングしてくれました。記者はその資料をうけとって記事にしていました。

ところがいまは、すべて電子メールで行われるのです。記者や関係者はIDをもらってスマホでアクセスし、そこでダウンロードして資料を入手するのです。スマホの操作に精通していないと話になりません。旧世代のわたしは途方にくれることが一度や二度ではありませんでした。

会場にはいれない随員たちは、控え室や会場の隣にしつらえられた映画館のような大ホールで大きな画面をみながら会議をウオッチするのです。一般メディアの取材陣は車で30分もかかる別のホテルに設けられたメディアセンターでの取材でした。記者たちの間からは制約の多い取材環境に不満がでていましたが、会議の運営という観点からは、国際会議や外交を重視するアゼルバイジャンの面目躍如たるものを感じました。

7.多国間主義と主権の擁護

今度の会議のテーマは「バンドン原則を擁護し、現代世界の課題への一致した適切な対応を確保するために」でした。この「現代世界の課題」は、各国の首脳からいろいろなかたちで言及されました。それらは最終文書の「前書き」に端的にまとめられています。

かいつまんでいうと、
* リーマンショックに象徴される世界経済・金融危機のもとで、世界的に貧困と格差が拡大し、地球環境が破壊され、新しい軍拡競争が始まっている。
* そのしわ寄せを勤労者とりわけ発展途上国の人民が被っている。
* そういう状況の下で、トランプ米政権のような自国優先の単独行動主義が広がり、力を背景に途上国にたいして不平等な交易条件や特定の発展モデルを押し付け、従わない諸国には制裁と称して「一方的な強制措置」がとられている。
* 非同盟諸国はこういう傾向に団結して対応しなければならないというものでした。

8.トランプとユニラテラリズム

とりわけ首脳たちが一様に強調したのが、ユニラテラリズムの動きです。ユニラテラルというのは、一方的なという意味です。ユニラテラリズムというのは単独主義とか一国行動主義という意味になります。

かつては軍備の削減や撤廃を、相手と関係なく自主的にやる意味(例えば一方的停戦とか一方的軍縮)でしたが、今は自分の思い通りに振舞う独善的な行動という否定的な意味で使われています。

端的に言えば、それはトランプ政権による一連の政策と行動です。

米国はもともと、「死活的な利害がかかわる場合には単独で独自に行動する」と宣言してきました。それでいて他の加盟国には国連安保理決議違反を厳しく追及し、場合によっては制裁を課し、武力行使さえ行ってきました。ユーゴースラビア空爆やリビア攻撃、さらにイラク侵攻など、すべて国連安保理決議なしでおこなわれました。つまり単独行動主義は米政権の一貫した政策です。

トランプ政権はそれにとどまらず、「アメリカ・ファースト」を掲げ、パリ協定やTPPからの離脱、核軍備管理協定の破棄、一方的な関税上乗せなどむき出しの自国優先主義をとっています。自国が結んだ国際条約や安保理決議さえも一方的に破棄する点で、一歩も二歩も進んでいます。

懸念されるのは、ミニ・トランプともいえる指導者が各地に現れて米国の一国主義に追随し、国内の引き締めを強化し国際的緊張を煽っていることです。関連しますが、首脳会議の会場で私の隣にすわっていた難民救援の国際団体の係官と話した際に、「日本と韓国の対立もありますね」といわれたのにはハッとさせられました。世界は日韓対立を同じようなナショナリズムや一国主義の広がりという角度でみているわけです。

9.国家の主権とマルチラテラリズム(多国間主義)の堅持

そのうえで首脳たちが強調したのが「マルチラテラリズムの堅持」という表現でした。それは国連を中心とする多国間の国際システムと、それを尊重する国際協調主義の考えを指しています。

マルチラテラリズムは日本国憲法の精神でもあります。憲法の前文にも「われらは、いずれの国家も自国のみのことに専念してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」と書かれていますが、まさにこれこそがマルチラテラリズの核心なのです。

こうした認識にたって首脳たちが採択したバクー宣言は、前文で国連憲章の目的、原則、規定をしっかりと守るとの決意を示したあと、最初の項で次のように述べています。

世界には違った経済、政治、社会、文化の体制をもつ国があり、国連はそういう違った国の存在を前提に成り立っているのだから、それらはお互いに尊重し、受け入れなければならない。

ここはとても大事なところだと思います。かつて日本共産党の不破哲三議長は、2005年の日本AALA創立50周年の記念講演のなかで、おなじことを強調しています

私たちはAALA諸国が歩んでいる道や状況を、その国がたどった歴史的経過を尊重してみる必要があります。その国が我々と同じ水準の代議制民主主義を実現していないからといって、安易に批判したり干渉したりしてはなりません。

バクー宣言はまずなによりも、各国の主権が尊重されるべきことを強調します。そしてこの各国の独立にたいする武力行使やその威嚇は許されないと訴えます。

そのうえで、
1.非同盟運動は、植民地主義と新植民地主義、人種差別、あらゆる形態の外国の介入、侵略、外国による占領、支配または覇権にたいするたたかいを貫いてきた。
2.非同盟運動は、これらのたたかいを通じて、大国中心の軍事同盟の一員ではなく国際関係のバランス要因になることを目指してきた。
と述べ、それを貫いてきたことが、非同盟運動の有効性と歴史的な発展を特徴づけていると宣言しています。

後編に続く

記事の目的は、1880年代、バチェラーとマンローがイギリスを飛び出した頃のイギリスの雰囲気を知って置かなければならないと思ったからである。とくに博物学、考古学、生物学、民俗学への熱中は、何によってもたらされたのか、を雰囲気としてつかんでおきたい。
そのために、その輪の中心にいたダーウィンの側から世の中を振り返ってみたい。


ダーウィン:  1809年 - 1882年

ダーウィンは、中部イングランドのウェールズよりの地方に生まれた。父は医師、母は陶器で有名なウェッジウッド家の出身である。ダーウィン家は急進的リベラル派に属していた。国教会を受け入れていたが本来はユニテリアンで、ダーウィンも幼少時にはユニテリアンの教会に通った。

1825(16歳) エディンバラ大学で医学を学ぶ。プリニー協会に所属し、海洋生物の調査に参加。ラマルクの進化論に接する。

1827 医師となることを断念し、大学を去る。その後は牧師となることを目指しケンブリッジ大学の神学部(クライスト・カレッジ)に再入学。一層地質学や博物学への情熱が強まる。

1831 卒業後、ビーグル号での航海。ビーグル号はイギリス海軍の測量船。ダーウィンは艦長の会話相手のための客人として乗船。航海は5年にわたる。

1835年 ビーグル号がガラパゴス諸島に到着。ゾウガメなどの多様性が進化論のヒントとなった。滞在は意外に短く1ヶ月あまりにとどまる。

1836 イギリスに帰港。ヘンズローが手紙をパンフレットにして配布していたため、すでに関係者の間では有名になっていた。

航海中にチャールズ・ライエルの「地質学原理」を読み、地質の形成が同一の原理によるものだという「斉一説」に共感。動植物でもわずかな変化が蓄積され、質的変化をもたらしたと考えるようになる。

1837 学者との交流の中で、「種が他の種に変わる」可能性を考えるようになる。ラマルクの進化論を捨て、生命を一つの進化樹から分岐したものと見る。

1838 マルサスの人口論を読んで、生物は適応し、より優秀な個体が生き残るという自然選択説を着想する。

1839 ビーグル号航海記を出版。人気作家となる。

1844 私信で、進化論の構想スケッチを「殺人を告白するようなものですが」と書き送る。

1850年  世界航海から帰国したトマス・ハクスリーと知り合う。

1857年 ダーウィン、私信の形で『自然選択』の要約を明らかにする。

1858 ウォレスが「変異」説を提示。ダーウィンはウォレスと所論を共有。進化論の立場を共同発表。同時に先主権を主張する。

1859 単独著となる「種の起源」を発表。

自然の多様性の説明を主眼とした点で、明らかに自然淘汰論より一歩進んでいる。自然淘汰は種のやせ細りを結果するが、自然選択の実現には生物の多様性が不可欠だからだ。

人間がサルから進化したという「示唆」は、各方面の反発を招く。ハクスレー、フッカーが擁護に回る。

1860 オックスフォード大学で、ハクスリー、フッカーら支持者とウィルバーフォース大司教ら反対者による討論会が行われ、双方の論拠が出揃う。

1863 戦闘的唯物論者ハクスリー、『自然における人間の位置』を発表。解剖学的に人類は類人猿であることを示した。

1871 ダーウィン、『人間の由来』を発表。人間と動物の精神的、肉体的連続性を示し、ヒトは動物であると論じる(性選択性は略)

1872 ダーウィン、『人と動物の感情の表現』を発表。人間の心理の進化と動物行動との連続性を論じる。

1882年 ダーウィンが心臓病にて死亡。国葬に付されウェストミンスター寺院に埋葬された。

1883 ダーウィンのいとこゴルトン、「優生学」を主張。「生まれつき能力がある人」の中で近親婚を推奨する。この理論に基づき多くの国で断種法が強制される。

1890 最も反ダーウィン的な人々の間で、弱肉強食を合理化する「社会ダーウィニズム」の用語が用い始められる。

新藤さんのベネズエラ情報から

12 月 4 日 ベネズエラで一つの世論調査が発表された。保守系の世論調査会社メガアナリシスによるものだ。
その結果は、28日の グロボビシオン紙に掲載された。

質問の一つは、次のようなものだった。

グアイドー議長を支持するか?

グアイドーは、大統領を僭称する国会議長である。アメリカを始めとする西側諸国とラテンアメリカのうち親米諸国が承認している。

この質問に対する回答は以下の通り。

① 最早支持しない 68.5%

② 一度も支持したことはない 12.9%

③ 今でも支持している 10.3%

④ わからない 8.2%


という結果だ。
他にも質問項目はあったが省略する。

はっきりしたのは、①と②をあわせた不支持の合計が 85.3% に達するということだ。
この調査会社が保守的傾向の持ち主というのは、「一度も支持したことはない」層、すなわち頑固な与党派が 12.9% にすぎないことからも伺われる。

グロボシオン紙がグアイドーをクソミソに

この世論調査に関するグロボシオン紙の報道は、かくのごとく結ばれている。
グアイドーが招集するデモは、すでに結集力はなくなっている。グアイドー人気の低迷と、ベネズエラ過激派のなみいるお偉方の雪崩をうつ腐敗を強調する事以外には、もはや国際メディアの表紙を飾ることはないだろう。
グアイドーは、最初は、市民の人気を得ていると信じた。無条件に国際的な支援を受けていると信じ、陶酔した。彼はベネズエラ政府に逮捕されることを恐れなかった。しかし今では、その人気は本当のものでなく、その仕事は死産であったことを認めざるを得なくなっている。
新藤さんの作成した世論調査一覧表
yorontyousa

ベネズエラの実情にそぐわない国際対応


御承知のように、日本外務省は公然とグアイドーを支持しているので、グアイドーが要望すれば大使館の接収とイシカワ大使の放逐は時間の問題だと考えられている。現にいくつかの国でそのような措置が実現している。

「赤旗」はマチャドを独裁者として激しく非難する一方、国民の声を代表するものとして、グアイドーに強い親近感を示している。

しかしこれらの見解が、ベネズエラ国民にとって共感しうるものなのだろうか。これらの見解に基づいて取られるであろういくつかの措置は、国民の意志に反する内政干渉とならないだろうか…

私としては深刻な危惧を抱かざるを得ない。

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