『長年綾部市において同和行政に取り組まれていた森山栄治氏を企画室主幹に迎え、同和対策のスタートを切ったのである』(高浜町が発行した記念誌)
“過度な指摘”の内容 県の施設で人権大会と呼ばれる大会が開かれ、健康福祉部や県民生活部などの部長が勢揃いして森山さんの前にズラーッと並ぶんです。意に沿わないことがあると激高し、「1時間立たされたまま怒られた職員もいた」(県幹部)その後も部落解放運動を押し付ける“糾弾”を繰り返す(これについての解同中央のコメントなし)。
【濱田倫三町長の議会答弁】給料について助役が高い、町長が安い、ということは別に当たってはおりません。その人の能力に応じて給料は支払われる。
渡辺さんは高浜町で漁師の長男として誕生。中学卒業後、小浜市で旋盤工として働いていた。青年の勉強会で本格的に原発の研究を始め、立候補に至った。
町はカネは個人口座に入ったが、それは漁協に3億7千万円、道路や港の整備に5億4千万円が使われたと説明。関西電力はこのほかにも、森山氏の助役在任中に28億円の寄付金を町に投じている。
渡辺孝 町議
“糾弾”が怖くて表立って『原発反対』とは言えないけれど、内心はそう思っている人が多かった(会の代表の談話)
町政の実質的なボスは森山助役であった。彼は、かつて京都で味をしめた経験を生かし、自分の住んでいる町内の同和地区に組織した「部落解放同盟」を指揮し、誰かれ容赦なく糾弾を繰り返した。町議会までが町長・助役の脅迫に屈し、その親衛隊に成り下がっていた。…自由にものも言えない空気が町を支配していた。町長・助役は、悪事のやり放題であった。
90年代から金品を関西電力の幹部に渡していたことが分かりました。「上納金、盆暮れには必ず、最低100万置いとかないとダメなんです。森山の運転手が集金に来られる。受注額の数%と…」(高浜町の土木業者)
八木は出世を重ね、社長、そして会長へと上り詰める。その後任として豊松、鈴木も同じコースを登っていった。こうして原子力事業本部で、森山氏から金品を受け取っていた人物が、社内の要職を占めようになった。幹部たちが受け取った金品は急激に増加し、17年には年間1億円以上に達した。
ほかの原発立地自治体が、再稼働に向けた地元合意の難しさに直面する中、高浜町ではほとんど反対する声は上がりませんでした。
MBSのインタビュー: 90年代に高浜原発の所長だった人物は、「あの人から1時間説教受けたらよくわかります。骨の髄までいかれます。もう2度と出会いたくない。僕が言われたのは、『家に同和の人間を押し掛けさせる』みたいな話。なんか文句あるんやったら『同和をお前の家に動員かけるで』と脅す」
金沢国税局の税務調査から明らかになったもの。森山は2011年以降、総額3億2千万円の金品を関電幹部らに手渡していた。この金は吉田開発が「手数料」として提供していた。吉田開発は町の公共事業5件を総額約4億5千万円で受注していたが、このうち3億7千万円は電源対策交付金から充当されている。
11月22日 資源エネルギー庁、電源立地交付金の約8割が原発向けだと認める。
11月22日 福井県が「調査報告書」を発表。県職員109人が同県高浜町の元助役から金品を受け取っていた。吉田開発が県から60億円の公共事業を受注していた。