鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2019年09月

2004年10月3日(日)「しんぶん赤旗」
ここが知りたい特集 バンドン精神
来年50周年 注目される今日的意義
「バンドン精神」とは
宮崎清明記者

非同盟諸国会議(百十六カ国が加盟)の外相会議は、「バンドン精神」十原則の今日的意義を強調している。

1954年、ネール・インド首相と周恩来・中国首相との共同声明で平和五原則((1)領土、主権の尊重(2)不侵略(3)内政不干渉(4)平等・互恵(5)平和共存)が確認された。それは「バンドン会議」に受け継がれた。

バンドン十原則は、平和共存の諸原則を含んでいる。バンドン会議には米国の干渉もあったが、中国の周首相は、「バンドンに来たのは共通の基盤を探るためで、相違をつくり出すためではない」と一致点追求の重要性を説いた。


バンドン十原則のうち、非同盟主義の組織原則に関わると思われるポイント

1.国連憲章に明記された諸原則

2.国家主権の尊重と内政不干渉

3.「集団的防衛機構」は大国のためではない。他国に圧力をかけない。

4.国際紛争は、関係国が選択する平和的手段で解決する。

1.と2.は平和共存五原則の内容を引き継いでいる。

一方、非同盟主義には運動としての側面もあり、その原則も書き込まれている。

1.人種、諸国民の平等

2.相互協力の増進

3.正義と国際的義務の尊重

これらは「責務条項」であるとともに、運動としての非同盟主義の原則である。

これらの課題については、本来はAAPSOのような連帯組織が担い、発展させるべきものであったが、必ずしも成功しているとは言えない。

バンドン

2006年5月30日(火)「しんぶん赤旗」
先制攻撃論を批判
マレーシア首相 非同盟閣僚会議で演説
【ハノイ=鈴木勝比古】

議長国マレーシアのアブドラ首相の行った基調演説。

諸大国がテロとのたたかいでとっている行動は明らかに国際法と文明社会の行動規範に違反している。

人道介入、防衛責任、先制攻撃戦争などの考えを含む新しい概念と教義がわれわれに押し付けられている。

これらすべては、国連憲章に明記された伝統的、普遍的に受け入れられた概念に対する挑戦である。

今日、国際関係で単独行動に訴える傾向がある。これは国連安保理の承認が得られない時に国連の枠外で行動するものである。

われわれはこうした傾向に反対し、国連憲章に明記された諸原則を擁護する。

ということで、ここでは以下のような状況が非同盟運動の理念に反するものと考えられている。

1.諸大国による人道介入の正当化、防衛責任の拡大解釈、先制攻撃の条件附容認などの考え。

2.国連憲章への挑戦と単独行動主義。

これは明らかに大量破壊兵器を口実としたイラク攻撃を念頭に置いたものである。

大西広さんの「香港での暴力デモは運動の破壊者、真の敵は香港財界」という文章がとても良いので、営業妨害にならない程度に紹介する。
「季論21」に近く掲載されるというので、いわば予告編になる。

1.香港の運動は安保闘争だ

安保では外交問題を闘争課題とし、学生が主体となった。暴力学生の妄動も同じだ。

しかし日本では、その後の経過を経て暴力反対が原則となった。それが立憲主義の根拠となった。

日本の運動が獲得したもう一つの原則は、「内政不干渉」という基準である。それは「相手のため」の善意のものであっても介入は認められないという原則である。

2.2つの原則から香港デモを評価する

① 暴力反対の原則からの視点

「民主派」は現在、穏健派、自決派、それに本土派と3分列している。

本土派というのは、本土人の排外と独立を主張する強硬派である。
この強硬派と暴力を伴う過激派学生集団とは重なり合っている。

このあと大西さんは2度にわたる現地調査なども踏まえ、事実に即した評価を行っている。これについては原著を参照されたい。

本土派の理論ではなく、彼らの暴徒・破壊者との性格について許してはならない。それは内政干渉ではなく、暴力反対という連帯の原則に基づいての判断である。

② 内政干渉を認めない視点

これは国際右翼組織との関連を問う問題である。「自決派」の指導者と目されている人物の中に、明らかに国際右翼組織の支援を受けているものがいる。

それは全米民主主義基金(NED)と呼ばれる組織である。NEDは世界各国での政権転覆運動を支援している組織で、アメリカ政府の予算で賄われている。

自決派の多くは平和的活動家であるが、指導層にはかなり怪しい人物がいると見るべきである。

3.いい奴も悪い奴もともに手を携えて

「ぐるみ闘争」になったのは理由がある。不正蓄財や汚職など後ろめたい活動をしている多くの財界人が、引き渡し条例に反対したからである。

彼らは行政長官が「条例改正案は死んだ」と発言すると、手を引いた。

運動が退潮局面に入るとき、暴力的様相を呈するのは日本でも見られた現象であり、店仕舞に入りつつある。

4.中国経済は深く静かに浸透しつつある

香港のGDPは20年前には本土の18%あったが、現在は2.7%に縮小している。

「香港経済」は本土経済との一体化で大きな利益を得た。香港の富裕層は巨利を得たが、庶民の生活は悪化している。

以下、香港の富裕層の驚くばかりの反庶民姿勢が具体的に明らかにされているが、本文を参照されたい。

庶民の生活を苦しめているのは、じつは香港の富裕層なので、それを「敵は中国本土だ」というのは敵から目をそらす結果にもなりかねない。



綿密な現地調査に基づく実証的考察はまことに説得力がある。

私が感心したのは、もうひとつある。それは、各地の民衆闘争を連帯運動の立場から見るときに、「二つの原則」がもとめられるという提起にある。

私はこの提起に大賛成である。これらについては大いに議論してよいのではないだろうか。暴力も裏金も下品という点で同じであり、さらにフェークとかデマとかカルトとかヘイトとかも付け加えられるかも知れない。

もう一つは、ある運動に対して歴史的・客観的評価をする場合の視点とは異なることも認識しておくべきかも知れない。

鈴木章さんの研究

せっかく北大の先生がノーベル賞をとったというのに、その中身を知らないでいたら失礼だとは思っていたが、化学賞と聞いてたじろいでいた。

たまたま、ブックオフで北大出版会の発行したパンフレットを見つけたので、買ってきた。100円の値札をつけたままさらされるのも忍びない思いがして衝動買い。かなり気が重いが読み始めることにする。

2010年のノーベル化学賞は「パラジウムを触媒とするクロスカップリング反応」の開発ということであった。

受賞者は鈴木章さんの他にヘック、根岸英一というお二方。

話は、まずそのクロスカップリングというのがどんなものなのかという話、つぎにその開発がいかに大きな貢献を果たしたかという話、そして鈴木、根岸、ヘックの研究の相互関係、という流れになるだろう。

1.ベンゼン環のカップリングとはなにか

すごくわかりやすく書いてくれているのはありがたいが、かなりの省略もあって、突っ込んでいくとわからなくなる箇所がいろいろある。

まずはこの絵から
ベンゼン環
左上がいわゆるベンゼン環、右上はこれを精密に表したもの。

右下が右側の水素基を他の物質に置換したもの。これを精密に表すと左下の絵になる。

それで以ってやりたいことが、ふたつのベンゼン環の結合(カップリング)なのだ。わかりやすく言えば手品の「マジックリング」、“コンコンスーッ”をやりたいのだ。

これができるとチェーンがどんどん伸びていって、すごい分子量の有機物が作れることになる。

錬金術がさまざまな物質を組み合わせて金を作ることにあるとすれば、カップリングは生命を作り出す可能性を秘めた、とても魅力的な技術なのだ。


2.クロスカップリングの仕掛け

これを可能にしたのが、スズキ・メソッドだ。正式には「鈴木ー宮浦クロスカップリング」と言うらしい。宮浦さんは鈴木さんの同僚で、後任教授となった方らしい。

錬金術の種明かしは3つある。

① 置換する物質を2種類の異なる物質とすること

具体的にはホウ素化合物とハロゲン化合物の組み合わせが一番良いらしい。
異種化合物の組み合わせなのでクロスカップリングという。

② パラジウムを触媒(切断役)とすること

パラジウムは3つの働きがあるようだ。まず最初はホウ素化合物とベンゼン環の結合を切り、ハロゲン化合物とベンゼン環の結合を切る。
次に相互の切断面に付着して両者を結合させる。
その後、ベンゼン環同士が固く結びくと、パラジウムが結合部から離れていくと、双方のベンゼン環は直接結合することになる。

③ ホウ素化合物とベンゼン環のj結合を切る仕掛け

化合物とベンゼン環との結合はパラジウムが切断するのだが、特にホウ素化合物とベンゼン環の結合は強いので、なかなか切れない。

そこでこの化合物を予め塩基液につけておく。これにより結合が陰性荷電され、結合が切れやすくなるのだそうだ。洗濯の前にお湯につけてウルかすみたいなものか。


3.スズキ・メソッドの “売り”

スズキ・メソッドが発表されたのは1979年のことだったが、当時すでにクロスカップリングは「今さらの感があった」と言われる。

そこで鈴木さんたちは、さらに工夫を加える中で「鈴木ー宮浦クロスカップリング」をトップの位置に引き上げていった。

工夫の第一は、ただベンゼン環が結合するだけでなく環と環が直接結合するようにしたことだ。
これはビアリール化合物と呼ばれ、非常に応用性の高いものらしい。

工夫の第二は、これはすでに種明かしの ①として書いたことだが二種類の違ったっ化合物を使うことでビアリールのタイプが複数でなく純正になるらしい。その理由については詳しくは触れられていない。

三つ目は、ワンポット合成ができるということだ。ワンポット合成というのは、一連の化学反応を一つの容器内で次々と起こして、一気に最終目標の物質を作り出してしまうことだ。

四つめ、これは鈴木さん自身の工夫ではないが、水酸化カリの代わりに水酸化タリウムを使うとより分離が良くなるとか、パラジウム触媒の組成を工夫することでより効率を良くしたりの改善が行われているようだ。

最後に、この発明は特許をとっていない。誰でもただで使える。だから四つめのような工夫が生まれてくる。本人は「今後は取らなきゃだめ」と思っているようだが、共同研究者の宮浦さんは「取らない方向」に信念を持っているようだ。

4.鈴木、根岸、ヘックの研究の相互関係

これについては、よくわからなかった。興味のある方は他論文をあたってほしい。

北海道大学CoSTEP 「鈴木章 ノーベル化学賞への道」(北海道大学出版会 2011年)
の読後感想文である。誤りがあるかも知れない、お気づきの節はご叱正を賜りたい。


藤原仲麻呂 一代記

706年 生まれる。父は藤原不比等の長男で、藤原南家の祖である藤原武智麻呂(むちまろ)。

707年 文武天皇が没し阿閇皇女が即位。元明天皇を名乗る。

708年 越後国に出羽郡を建つ。新羅との朝貢関係が確定。兵力の奥羽地方への進出が本格化する。

712年 太安麻呂『古事記』を編纂。引き続き諸国の『風土記』編集が始まる。

720年 隼人、大隅国守殺害。陸奥蝦夷が按察使を殺害。

720年 「日本書紀」が完成。

724年 元正譲位、首皇子即位。聖武を名乗る。

725年 内舎人(うどねり)として仕官。

729年
2月 長屋王の変。左大臣長屋王が謀反を計画したとされ自殺。光明子立后をめざす藤原四兄弟がしくんだ事件と言われる。

8月 藤原光明子、臣籍でありながら皇后となる。旧長屋王邸が光明の宮になる。天平と改元される。

734年(28歳) 従五位下に叙され、政治キャリアを開始。

735年 藤原四兄弟はこれまでの軍縮路線を排し、新羅に軍事的圧力をかける外交方針に転換。

737年
9月 天然痘の流行。光明皇后の後ろ盾として政権を担っていた武智麻呂が病死。藤原四兄弟が相次いで病死し、藤原南家の勢力は大きく後退する。

737年 藤原南家に代わり、聖武天皇の意向を受けた橘諸兄が政権を握る。唐から帰国した吉備真備と玄昉が重用される。この年の租・負稲を免ず。

738年
2月 阿倍内親王が立太子する。橘奈良麻呂は次の皇位継承の見通しを立てるため、別の天皇を求める動きを示す。

738年 藤原式家の藤原広嗣、大宰府に任命される。対新羅強硬論者だった広嗣を中央から遠ざける狙いとされる。

739年 橘諸兄、新羅との緊張緩和と軍事力の縮小政策を復活。諸国の兵士徴集を停止、郡司数を減らす。

740年
9月 新羅に派遣した使節が追い返される。大宰府の藤原広嗣は挙兵を呼びかける。

9月 聖武天皇は大野東人を大将軍とし、1万7,000人を動員する。広嗣は九州の兵5,000人を率いて応戦。

11月 潜伏していた藤原広嗣の一族が捕らえられ処刑される。

740年 仲麻呂、「藤原広嗣の乱」の後、政界へ進出する。

744年 第二皇子安積親王が難波宮に行啓。途上、脚気になり急死。藤原仲麻呂に毒殺されたという説がある。

745年 聖武天皇、流転の末、都を平城京に戻す。大宰府も復置される。

746年 仲麻呂は従三位となり、官吏の選叙と考課を握る式部卿に就任。この後、仲麻呂は人事異動を行うことで自派勢力を拡大。左大臣橘諸兄の勢力をしのぐようになる。

747年 大養徳国を大倭国に改称。

749年 聖武天皇が譲位。仲麻呂の従兄弟に当たる孝謙天皇が即位する(光明皇后は叔母に当たる)。仲麻呂は紫微中台(皇后宮)の長官となり、光明皇后と孝謙天皇の信任を背景に事実上の「光明=仲麻呂体制」が確立される。

752年 大仏開眼供養会。会の後、孝謙天皇は仲麻呂の私邸を暫時御在所とする。

753年 遣唐使の藤原清河、唐朝で新羅と席次を争う。

755年 橘諸兄が朝廷を誹謗したとの密告。諸兄は左大臣を辞す。

756年
5月 長年、諸兄を引き立ててきた聖武天皇が崩御。

756年 大宝律令にかわって養老律令が施行される。唐制の徹底した模倣を図る。開基勝宝・太平元宝・万年通宝を新鋳。

757年
3月 孝謙天皇、聖武上皇の指名した皇太子の道祖王を廃位に追い込み、舎人親王の子大炊王を新たな皇太子とする。

5月 橘諸兄の子の奈良麻呂、天武天皇の孫を擁立して反乱を企てるが発覚。443人が処罰される大事件となる。

758年
2月 藤原仲麻呂の意向により問民苦使(もみくし)制度が発足。「民の苦しみを問う」ことを理由とし、動揺する地方情勢の鎮静化を図る。

8月 孝謙天皇が譲位して淳仁天皇が即位。仲麻呂の一家は姓に恵美の二字を付け加えられ、仲麻呂は押勝の名を賜与される。

759年 仲麻呂、新羅が日本の使節に無礼をはたらいたとして、新羅征伐の準備をはじめる。軍船394隻、兵士4万700人を動員する本格的な遠征計画を立案。諸国に常平倉を設置する。

11月 保良宮(ほらのみや)の造営が決まる。平城京の陪都として大津石山に造営を企図。唐の5京や天武天皇以来の複都主義にもとづく構想。新羅出兵に伴い軍事的な備えとしての遷居と言われる。

760年
1月 中麻呂、人臣として史上初の太師(太政大臣)に昇格。

6月 光明皇太后が崩御。後楯を失った仲麻呂にとって打撃となる。

761年
10月 保良宮が完成し、孝謙上皇らが移御する。平城京に対して北京とも呼ばれる。

762年
初め 孝謙上皇は、看病に当たった弓削氏の僧・道鏡を寵愛するようになる。

5月 淳仁天皇は平城宮に戻ったが、孝謙は平城京に入らず法華寺に住む。孝謙上皇は淳仁天皇が不孝であることをもって仏門に入って別居することを表明。

6月 「国家の大事と賞罰は自分が行う」と宣言。道鏡への寵愛を深め、淳仁と押勝に対立するようになる。

763年 孝謙上皇、道鏡を少僧都とする。孝謙上皇・道鏡と淳仁天皇・仲麻呂との対立が深まる。

764年
9月初め 仲麻呂、都に兵力を集めて軍事力で政権を奪取しようと図る。

9月11日 孝謙上皇、皇権の発動に必要な鈴印(御璽と駅鈴)を回収。仲麻呂は鈴印の回収を図るが、孝謙方に先手を打たれ敗退。

9月11日 仲麻呂は一族を率いて平城京を脱出、地盤となっていた近江国の国衙を目指す。吉備真備の率いる討伐隊が追い、越前方面を制圧。

9月15日 愛発関の突破をはかる中麻呂軍と守備隊が激突。中麻呂軍は敗れ、近江国高島郡三尾まで後退。

9月18日 三尾の城が落ちる。仲麻呂は妻子と琵琶湖に舟をだして逃れようとするが、勝野の鬼江で捕らえられて斬首される。(59歳)

10月9日 淳仁は廃位され淡路国に流された。代わって孝謙が重祚する(称徳天皇)。

766年 道鏡が法王となる。

770年 称徳天皇が没。道鏡は下野国に左遷される。

wikiの仲麻呂の記事を中心に、時代背景を書き込んだ。

事実の重み付けはなかなかできないが、今の時代と重ね合わすと、まさにミニ覇権主義の復活と思われる事態が進行していたようだ。

対外政策としては天智政治の復活と言える。つまり中国とは戦わず、新羅に対して臣従を求めるという態度だ。

ただし天智政府は、それを半ば中国から押し付けられた形で選択したのだが、仲麻呂政府はそういう理由とは思えない。むしろナイーブな中国賛美と、朝鮮を統一しすでに日本を上回るような強国となった新羅に対する由緒のない優越感、さらに半島への再侵攻さえも夢見るような攻撃性が見て取れる。

おそらく天武政権以来の権力の集中が強固となり、東北地方への進出がかなりの力の蓄積となったことが、自信になっているのだろう。しかし、8世紀なかばの東アジアの力関係の中で、中国との力関係も不確実な状況の中で、これはあまりにも安易な判断だ。

しかし壬申の乱を包んだ、あの痛いほどの緊迫感はそこにはない。天武の成し遂げたあの大胆な路線転換、すなわちとうと対決してでも日本の独立は守る。そのために仇敵新羅との連盟もいとわない、という決意とは似て非なる夜郎自大である。

それが大方の不信を買った。だからこそ思いもよらぬみじめな自滅に追い込まれたのではないだろうか。


「生きていたんだよな」 
という曲があって、アイミョンという若手のシンガーが歌っている。
おそらくその歌詞は、今後詩人としてのアイミョンを縛り付けていく歌になるだろう。
ユーチューブでいくつか彼女の曲を聞いたが、おそらく彼女は曲作りの能力に長けた人であり、そちらで一流になっていく可能性はあると思う。
ただし超一流かと言われるとそれほどではないかも知れない。
「生きていたんだよな」 という歌は彼女のヒット曲だが、これ以上売れないことを望む。若し売れると、この曲が彼女の首を占めることに繋がりかねない。
この子は世間の見る目の浅はかさを非難しているが、その非難がすごく浅いのだ。自分を投影していないから、切れ味は鋭いが浅いのだ。少女がカミソリで何筋も手首を傷つけるように、鋭く、浅いのだ。だから世間に向けた非難がブーメランになって返って来かねない。そんな危うさを感じてしまうのだ。
青年の状況ははるかに厳しい

これは2012年の歌だ。青年の厳しさ、貧しさはもっと塩辛い。
2012年11月08日  さよなら バグ・チルドレン より

いつだって こころと言葉を結ぶのが 下手だね どうしても固結び
世界ばかりが輝いてゐて この傷が痛いのかどうかすら わからない
たぶん 親の収入超せない僕たちが ペットボトルを補充していく
鳥を放つ。 ぼくらは星を知らざりし犬として 見るだろう 夜空を
打ち切りの漫画のやうに 前向きな言葉を交はし 終電に乗る
地下鉄に轟いたのち すぐ消えた叫びが ずっと気になってゐた
いつも遺書みたいな喋り方をする友人が 遺書を残さず死んだ
雑居ビル同士のすきま 身を潜め 影が溶け合う時刻を待った

西宮から出てきた良家の子女が、北千住に住んでその町を歌うというのもありきたりだ。
北千住はもう少し陰影の濃い街だ。色んなものが吹き溜まっている。中央線の高円寺や荻窪駅を歌うのとちょっと違う。
たしかに有能なシンガーソングライターだし、魅力的な起ち居振る舞いの女性だ。若者世代の良質な部分として、だいじに見守っていこう。

いろいろ調べているうちに、すごい話を聞くことができた。
みなさん是非見てほしい。
「日朝ピョンヤン宣言17周年集会」
カン・ヘジョンさん(韓国ゲスト)の話「日韓関係の現状から考える朝鮮半島の平和と日本」
一言一言がズシンと来るし、なにか嬉しくてうるうるとしてしまう。
ネット主が、「特に後半36:28からの「不買運動」「暴行事件」に関する韓国世論の話は必見です」とわざわざ書いているが、それだけのことはある。

本当に思うのだが、私も随分朝鮮の現代史を勉強してきたが、「大事なのはそこだよね」、といつもそう思ってしまうのだ。
とくに日本人のヒューマン派の人に言いたい。「日本人がこんなに悪いことをしてきたんだ」と知らせることは大事だが、それを両国人民の連帯の踏み絵にするようなことはしてはいけないと思う。それで近づく人も1人か2人いるが、7人か8人は遠ざかっていってしまうし、その半分は嫌韓になってしまうと思う。本人のヒューマンな思いはあるとしても、それでは安倍の援軍になってしまう。
それが東アジアの平和構想にとって役立つとは思えない。好きになればこそ、そのような過去も素直に受け入れられるようになるのだ。




当面する日韓摩擦に関する私の見解は、すでに以下に述べた。





これらの態度を取る前提として、私は古賀茂明さんの見解・認識を基本的に受け入れたい。



そのうえで、私はさまざまな見解の相違をいったん保留した上で、

声明「韓国は『敵』なのか」(7月25日)に結集するよう訴える。

全文はここにある。
平和外交研究所 > オピニオン > 「声明」 韓国は「敵」なのか


その要旨を掲載しておく。

はじめに

韓国に対する輸出規制は即時撤回すべきだ。
それは
①敵対的な行為であり、
②韓国経済に致命的な打撃をあたえかねない危険な行為である。
③「徴用工」問題をめぐる報復行為である。(経過より見て明らかだ)

1、韓国は「敵」なのか

両国関係は特別慎重な配慮が必要だ。植民地支配を受けた韓国では、日本の圧力に「屈した」と見られれば、いかなる政権もアウトだ。

日本にとって得るものはまったくない。①今回の措置は自由貿易の原則に反する。②日本経済にも大きなマイナスになる。③「東京オリンピック・パラリンピック」を前にゴタゴタするのはマイナスだ。

今回のような連鎖反応が起きれば、間違いなく泥沼だ。今回の措置で、両国関係はこじれるだけだ。

まるで韓国を「敵」のように扱っている、とんでもない誤りだ。韓国は、自由と民主主義を基調とする大切な隣人だ。

2、日韓は未来志向のパートナー

日韓友好は98年10月の金大中大統領の訪日を期としている。

金大中大統領は、「日本が議会制民主主義と平和主義を守ってきた」と評価し、ともに未来に向けて歩もうと呼びかけた。

金大中大統領は、なお韓国の国民には日本に対する疑念と不信が強いことを直視しつつ、未来志向で、禁じられていた日本の大衆文化の開放に踏み切った。

この相互の敬意が「日韓パートナーシップ宣言」の基礎となった。

3、「日韓条約と請求権協定」で問題は解決していない

日韓基本条約・日韓請求権協定は両国関係の基礎であり尊重されるべきだ。

日韓基本条約の第2条は、韓国の独立を認め、1910年の韓国併合条約の無効を宣言している。

しかし、①日本は併合は両国の合意だったと主張しており、植民地支配に対する反省も、謝罪もしていない。②元徴用工問題も解決していない。

したがって「国際法、国際約束に違反している」という日本政府の主張は正しくない。

この問題について、双方が議論し、双方が納得する妥協点を見出すことは可能だ。

おわりに

1998年の「日韓パートナーシップ宣言」がひらいた日韓の文化交流、市民交流は両国関係の基本となるものだ。

安倍首相は、日本国民と韓国国民の仲を裂き、両国民を対立反目させるようなことはやめなさい。意見が違えば、手を握ったまま、討論をつづければいいのだ。



要旨だけ読んで批判するのもいけないし、そもそも積極的な意義は大いに評価しなければならないが、率直に言ってやや不満も残る

一番の不満は無駄に長過ぎることだ。しかも長い理由がかなり執筆者の思いに由来していることだ。

その結果、共同声明らしからぬ個人的趣味が、至る処に目につく。仲裁委員会の扱い、慰安婦問題の経過など、明らかに書きすぎだ。

「2、日韓は未来志向のパートナー」は金大中賛美に終止している。赤旗が全文省略しているのはゆえなしとしない。事の正否と関係なしに、原文作成者の節度の欠如に強い違和感を覚える。

もう一つは共通の敵、不和を煽る犯人への反撃のために大同につこうというのが前提のはずだが、そこがどうも曖昧なのだ。敵が見えない。だから大同 につく意味がわからない。
要するに “饒舌な割に腰が引けている” 感じが否めない。


日韓摩擦は早く解決しないといけない。とにかく日本側の “上から目線” がとても気になる。
日本は落ち目なのだ。川上のほうが優位だなどと考えているなら、それはとんでもない間違いだ。
技術開発とシェア争いの激しい分野では、事実はその逆だ。

それをスマホの勉強をしていく中で痛感した。
以下の記述は、まったくお恥ずかしい限りで、若者には当たり前なのだ。
私が知らないだけなのだ。

いまスマホの世界では二大メーカーの寡占市場が成立しつつある。
それがサムソン(ギャラクシー)とファーウェイだ。安いからではない、優秀だからだ。

衝撃的な事実、ファーウェイの3レンズ方式のスマホは、すでにニコンの一眼レフを上回っているということだ。
当然、カメラの性能は世界一で、サムスンを上回っている。しかしCPUの性能やその他のスペックで総合的にはサムソンがかろうじて優位に立っている。
…とのことだが、私にはよくわからない。

すでにアイフォンは過去の遺物で、かろうじてグーグルが追い上げを図っているが、所詮は負け犬のようだ。日本ではソニーのエクスペリアが孤軍奮闘しているが、もはやよほどの愛国主義者であっても選択の対象ではないらしい。

とにかくスマートフォンの関連記事を読んでいると、浦島太郎が玉手箱を開けたような気分に襲われる。
パソコンですべてをカバーできると考えていると、とんでもない考え違いだ。うちに来ているヘルパーさんは2年に一度は買い替えているそうだ。そうしないと時代の進歩に追いつけないらしい。20年前のパソコンの世界だ。

根本的には、スマホを “携帯電話” だと考えているのが間違いなのだ。スマホは通信手段ではなくカメラであり、財布であり、手帳である。そしてこれらの機能はガラケーでは代替不可能なのだ。
これまでパソコンでやってきたすべてのことをスマホに移し替えなければならない。パソコンはスマホ情報の貯蔵器なのだ。

ということで、明日はドコモに行こう。


を増補しました。ネタは主として「世界的金融危機の構図」(井村喜代子)です。2009年6月までの事項しかないので、さほど内容的には増補になっていません。
もっと本格的な年表がどこかにあったと思いますが…

ニューヨーク・タイムズの記事をリンクしておきます。この記事は手続きなしに読めます(いまのところ)。
Sept. 16, 2019 Who Was Behind the Saudi Oil Attack? What the Evidence Shows


アラムコ爆撃の背後にいたのは誰? 
証拠写真の分析

当局は、イランの関与の証拠として衛星写真を発表した。そして無人偵察機と巡航ミサイルの組み合わせによる攻撃だとし、イエメンのフーシによる犯行声明を否定した。

しかし衛星写真以外の証拠は提供されていない。これでは攻撃がどこから来たのか、誰がそれらを発射したのかは証明できない。

分析家によれば、
①攻撃の巧妙さはこれまでのレベルをはるかに超える。フーシはドローン技術を急速に向上させているが、これだけの水準にはたっしていない。
②射入孔の建造物との関連、大きさの類似性から見て、その精度レベルは誘導ミサイルによるものであると予想させる。
③発表された衛星写真だけでは、爆撃の方向を特定できない。民間から独自に入手した衛星画像も同様所見で、貯蔵タンクは一貫したパターンで同じ方向から攻撃されている。

爆撃の発射元は未だ不明だ
saudi-460

当局は、イエメンからではなく北または北西からの攻撃だと述べている。しかし公開された衛星写真の一部は、施設の西側に損傷を示しているように見える。
direction-600
赤矢印が発射元方向で西北西に当たる。4時方向がイエメン、10時~11時方向がイラク・イラン

ただしそれは証拠にならない。巡航ミサイルは、発射方向と反対側の壁に衝突するようにプログラムすることもできるからだ。

爆撃精度は誘導ミサイルと一致する

アナリストは、「貯蔵タンクへの損傷の精度と一貫性は、ミサイルなどのある種の誘導弾薬と一致している」と述べている。

サウジのソーシャルメディアに投稿されたミサイルの残骸と思われるものの写真がある。アナリストはこれがQuds 1と一致していると推定している。
wreckage1-2000
これが弾頭であれば、フーシの犯行は否定される。Quds 1ミサイルの射程はイエメンから到達するには短すぎる。


以下は、この記事につけられたコメントの中から抜粋したもの。

コメント

① 写真は興味深いものです。ドローンが数百マイル離れた場所から発射され、4つの建造物の同一のポイントに的中したことです。米国のレーザー誘導ドローンでさえ、これほど正確であるとは思えません。
フーシーが数百マイル離れたところから打ち出す粗野なドローンが、これだけの水準の精度を実現できるという主張は信用できません。

② 私達は15年前、「大量破壊兵器」に一度だまされました。再びだまされることはありません。
イラクは飛行機をツインタワーに飛ばしませんでしたが、しかし彼らは“報復”爆撃されました。

③ 打ち上げ場所の方向を示す地図は、イスラエルを示唆しているように見えます。もちろん、記事に書かれているように、方向は偽装されたかもしれませんが。

④ もしミサイルがイランから来たのなら、ペルシャ湾で警戒している空母やイージス艦は何を見ていたのでしょうか。私たちの空母や艦船は、なぜ、これらのミサイルやドローンに関する情報を収集できなかったのでしょうか?  イランのミサイルは、彼らの頭上を通過したのではないのでしょうか?

⑤ 北か北西か? それとも地中海沿岸に、洗練された軍事能力を持っている国はないでしょうか? その国は米国の補助金によって保護されていることで知られている小さな国です。
その国は、攻撃された施設のやや北西にありませんか? そして、その小さな国はイランに対して熱狂的な反感を持っていませんか?

⑥ 衛星写真からの実際の損傷を実際に見ると、報道されているほど甚大な被害には見えません。損傷は非常に特徴的で、広範囲でもないように見えます。
施設は数日で操業体制に戻るでしょう。フル稼働までおそらく1週間か2週間。

⑦ 事件をでっち上げて、それをイランの挑発活動のように見せることは、イスラエルとサウジアラビアの間の秘密の共同作戦でしょう。米国をイランに対する直接作戦におびきだすためのフィッシング行動だと思います。

後略

この記事に関して著作権を争いません。

ボルトン解任とアラムコ攻撃は一連だろう

ボルトン解任についての続報がほとんどないまま、早くも忘却の彼方に沈もうとしている。
そんなときにアラムコ施設への攻撃が起きた。これも世界を震撼させるほどの大ニュースだが、テレビはほぼ完全に無視、新聞も爆撃の軍事的・政治的意味をスルーして、「石油減産の影響」を論評するばかりだ。
“やれやれ”と思っていたら、ニューヨークタイムスのスッパ抜き。「ミサイルは西から飛んできた」というのだ。西といえばイスラエルだ。

そこで6月のホルムズ海峡での日本タンカーへの攻撃が生々しく思い出される。

あのときも今度も、アメリカは「イランのせいだ」と大宣伝を行った。しかし日本タンカーへの攻撃がイランのせいだと思っている人は誰もいない。

そして今度は、世界経済を揺るがしかねないほどの、けた違いに深刻な情報が飛び出してきた。

これらの事件をツラツラ鑑みると、ことは「米国政府がフェイクニュースを流したのではないか」という疑惑に達する。それが国防省筋なのか国務省筋か、それともCIA筋なのか、まずは発信元の検討から始めなければならない。

とりあえずの時刻表

少し事実経過を洗っておこう。
abukaiku
    米政府発表の衛星写真(これはこれですごいものです)
9月14日(現地時間午前) アブカイクとクライスの石油処理施設がミサイル攻撃を受ける。イエメンの反政府武装組織「フーシ」が犯行声明。

フーシ派は今年に入ってからサウジアラビアへの多数の攻撃でドローンを使用している。以前の攻撃では市販の標準的なホビー向けドローンだったが、最近の攻撃ではより高性能なモデルを使用し、飛行距離は約1500キロメートルを超える(国連報告)

9月14日 サウジのサルマン・エネルギー相、アラムコの施設2か所で生産が一部停止したと発表。ナセルCEOは負傷者は出なかったと語る。

この施設はサウジ最大で、日量570万バレルを精製する。これは世界の石油供給量の約5%に相当する。

9月14日 ホワイトハウスの報道官、トランプがサルマン皇太子と電話で会談し支援を申し出たと発表。

9月14日 ポンペオ国務長官、「攻撃はフーシ派のものではなく、イランが関与している」と述べる。さらに「イランは、ロウハニ大統領とザリフ外相に外交をしているふりをさせ、サウジに対する100回近くの攻撃を裏で操っている」と非難する。

9月14日 ザリフ外相はポンペオ発言について、「イランを非難しても、イエメンでの大惨事は終わらないだろう」と述べる。

9月15日 ブレント原油先物が1バレル11.73ドル(19%)上昇し、71.95ドルとなる。

9月15日 トランプ米大統領、必要ならアメリカの備蓄放出を認めるとツイート。「石油はたっぷり!」と大文字で書く。

9月16日 ロイターによれば、米政府高官は「攻撃は南からではなく、イランに近い西北西から実施された。巡航ミサイルが使われた可能性がある」と語る。

9月16日 サウジアラビア主導の連合軍、攻撃に使われた武器はイラン製だったと発表。

9月16日 米政府、15日に撮影された石油施設の衛星画像を発表。「衛星画像では攻撃が北あるいは北西の方向から実施されたことが示されている」とする。

9月16日 ニューヨーク・タイムズ、「すべて西側の方角から攻撃された跡が確認できる」と報道。

9月16日 コンウェー大統領顧問、「トランプ大統領は依然、ロウハニ大統領との会談を望んでいる」と語る。

9月16日 トランプ大統領、「誰が犯人か知っている。検証の結果次第では臨戦態勢を取る。サウジアラビア側から連絡が来るのを待っている」とツイート。

9月16日 22:37 JST サウジ外務省、攻撃に使われた武器はイラン製だったと発表。また原油生産が半減したと発表。

9月16日 英石油アナリストによれば、「現況は鎮火からは程遠い。供給混乱は数週間ないし数カ月続くとされる。

9月16日 ロシアは「すべての国に対し、状況を悪化させ得る早まった手段や結論を避けるよう」要請。欧州連合(EU)も当事者すべてが「最大の自制」を示すべきだと強調した。


極右・反イランのトライアングル

我々が念頭に置いて置かなければならないのは、この事件がボルトンが解任されるという事態に続いていることだ。前回もアメリカの忠実な番犬だったはずの安倍首相がイランを訪問し、イランの国際舞台への復帰に手を差し伸べたその矢先に起きている。

もう一つは、ボルトン解任直後の報道で解任理由がアフガン問題だとされている点だ。しかしこれは煙幕の可能性が強いと私は読んだ。本丸はイランだろう。

トランプが何を考えたかは知らないが、主要な問題は反イランのトライアングルにある。すなわちイスラエル、サウジ、そしてネオコンだ。

しかしこの三角同盟は徐々にメッキが剥がれつつある。とくにイエメン問題を頂点として、サウジの相次ぐ失政と軍事能力の低さが暴露されて以来、アメリカの中東管理の劣化はほころび程度のものではなくなっている。

誰かが戦争に引きずり込もうとしている

あまりメディアの注目は集めなかったが、8月にはコーツ国家情報長官も解任されている。このポストは中央情報局(CIA)や国家安全保障局(NSA)など、情報・諜報関係の全17機関を統括する要職だ。

一般報道では「イランや北朝鮮問題などの外交方針で大統領と対立した」としか書いてない。しかし前後の状況から見れば、明らかに6月20日の無人偵察機撃墜への報復作戦の発動と中止に関わっているだろう。

トランプのツイッターにはこう書かれている。(以下BBCニュースからの引用)
イランは無人ドローンを撃墜した。こちらは3つの別々の地点に報復しようとした。僕が何人死ぬんだと質問した。150人ですと将軍が答えた。そこで攻撃10分前に僕がやめさせた。無人ドローンの撃墜に対して相応じゃないからだ。

ニューヨーク・タイムズに対して匿名の政府高官は、「軍用機は離陸し、軍艦はそれぞれの位置についていた。中止命令が届いたとき、ミサイルはまだ発射されていなかった」と語った。
いままさに、アメリカの中東戦略の再構築を考えるグループと、そうはさせじと抵抗する極右派の抗争が頂点に達しているのではないだろうか。

確実なこと

私はこれだけ遠隔地にピンポイントに爆弾を打ち込める技術はフーシ派にはないと思う。しかしその可能性は否定はしない。

イランにはサウジ経済の心臓部をミサイル攻撃する理由がない。サウジとの全面戦争は、アメリカとの全面戦争を意味する。
彼らはトランプとの対話と制裁解除、核合意の再実現と実施を心から願っていると思う。しかしサウジ攻撃の論理的可能性を否定はしない。
abukaiku satellite
   この写真を拡大していくと、上の写真にたどり着く、結構怖い
確実なのはただひとつ、アメリカ軍とポンペオがどこからドローンがやってきたのかについて明らかに嘘をついて、イランに罪をなすりつけようとしたことである。

ヘーゲル 法の哲学 抜書 1

序文


…自然については、哲学はそれをあるがままに認識しなければならない。賢者の石は、自然そのものの中のどこかに隠されている。
それはすなわち、自然がそれ自身において“理性的”であるということである。
だから、知は自然のうちに存在するこの現実的な理性を捉えなければならない。

…哲学とは、理性的なものの根本を見分けることである。そしてそこにある現在的で現実的なものを把握することである。そこに彼岸的なものを打ち立てることではない。

…これに対して倫理的世界たる国家・社会は、理性を内在せず、一つの恣意の世界として偶然に委ねられており、神に見捨てられている。

…法の認識が自然の認識と違うのは、法に対しては考察・批判の精神が勃興してくることだ。もろもろの異なる法律があるということが、それらの法律は絶対的ではないということを示す。

…人間は外的な権威の必然性と力に屈することがありうるが、けっしてそれは自然の必然性に服するのと同じではない。人間は、該当する法が真実かそうでないかを検証する手段を、自分のうちに見出す。

…むかしは既存の法律への尊敬と畏怖が存在していた。しかし今はむきだしの思想が一切の法の頂点に立っている。もろもろの対抗理論がそれに対置され、おのれを“正しくて必然的”なものと見せようとする。

…浅薄な連中は、「学」を思想と概念の展開により規定する代わりに感覚的な印象と偶然の思いつきの上に立てようとする。彼らは国家という建築物を分析するのでなく、「心情、友情、感激」という粥みたいなものに一緒に溶かしてしまおうとする。

…本稿では、国家を哲学として扱う。ということは国家をそれ自身のうちで理性的なものとして概念において把握しようとする。そして、国家という倫理的宇宙がいかに認識されるべきかを考察する。


緒論

第1章

…哲学の対象は理念であって「概念」ではない。いわゆる「概念」は、抽象的な悟性の規定でしかない。
哲学は「概念」という思い込みが、一面的で非真理であることを明らかにする。真の概念は現実性を持ち、哲学に対して現実性を付与する。

…哲学は円環をなしている。最初の哲学は直接的で無媒介である。それはともかく開始されなければならない。それはまだ証明されておらず、成果となっていない。

…法は実定的である。なぜなら法は一つの国家に妥当するという形式を持つからだ。実定的というのは有限で人為的であり、要するに歴史的なものだということである。

…自然法は法と対立し抗争していると考えるのは誤りである。法は自然法の展開されたものである。その展開は一つの国民と一つの時代の性格に依存して行われる。

第4章

…法の地盤は精神的なものである。その開始点は意志である。意志は自由なもの(誰かにとって)であるから、(誰かの)自由が法の実体をなす。(誰かというのは私の挿入)

…法の体系は「実現された自由」の王国である。だから、法は意志という精神が生み出した精神の世界であり、第二の自然と呼ばれる世界である。

…精神はまず第一に知性である。知性は感情から表象を経て思惟へと進んでいく。その際に通過する知性の諸段階は、精神がおのれを意志として生み出す道すじである。実践的な精神にとって、意志は知性の直後に続く真理である。

追加(第4章への)

本筋とは関係なく意志に関係する哲学的叙述が長々と続く。しかしとても示唆に富んでいる。

…自由とは意志の根本規定である。それは重さが物体の根本規定であるのと同様である。
意志は自由なしには空語であり、自由もまた意志として主体として初めて現実的なものとなる。(同様に意志も自由も、誰の意志か、誰にとっての自由かを問わなければならない)

…思惟と意志との区別は理論的態度と実践的態度の区別にほかならない。意志は思惟の特殊なあり方である。意志は思惟が自己を現存在のうちに投企する思惟である。そして自己に意味を付与しようとする衝動としての思惟である。
すなわち理論的思惟にとどまらない、能動的な実践的な思惟なのである。

…表象化は一種の普遍化である。普遍化は思惟なしにありえない。自我は普遍的であり、そこでは個別性や特殊性は無視されている。自我は空虚で無内容である。しかしこの空虚さにおいて活動的である。

以下略(いつもながらヘーゲルの口下手と多弁には辟易とする)


第5章

…意志は純粋な無規定として、すなわち衝動として現れることもある。自由が情熱にまで高められ、内容を持たないときは否定的・破壊的な意志となる。(今で言う原理主義)

追加(第5章への)

…このように「意志」を規定すると、人間の究極的自由が、極めて抽象的にも語りうるということが明らかになる。たとえば人間は、おのれの命を放棄する自由も持っているし行使することもできる。

…この否定的な自由は悟性の自由であり一面的である。悟性には欠陥がある。ある一面的な規定を唯一の至高の規定にまで高めてしまうことである。

…この否定的な自由は、政治的あるいは宗教的活動の狂信者にもっとも具体的に現象する。例えばフランス革命の恐怖政治時代がそうだ。
狂信は一つの抽象的なものを欲する。それは無規定であるがゆえに反区別主義である。どんな分裂も特殊も許さない。


第11章

もろもろの衝動、欲求は即自的に自由な意志である。しかしそれは直接的、自然的な意志である。

衝動、欲求は動物にもあるが、動物は何ら意志を持たない。しかし人間は衝動を自分のものとして、自我のうちに定立している。

したがって、それは意志の理性的本能から来るのだが、まだ理性的な形式の下に置かれているのではない。

第12章

意志は決定という行為によって個別化する。すなわち現実的な意志となる。思惟する理性は意志として意を決し、有限となる。
人間はただ決定することによってのみ現実の中に踏み入る。

何一つ決定しない意志は現実的な意志ではない。それは優柔不断な意志であり、死んだ意志である。

知性はその対象が普遍的であるだけでなく、知的活動自身が普遍的な活動である。

しかし意志においては普遍的な意志が、同時に個別的なものとなる。意志そのものは普遍的だが、“私の意志”として個別的である。

第15章

意志の自由は恣意であるとも言える。世間では、自由とは何でもやりたいことができることだと言われている。しかしそう言う恣意こそ、彼が動物的必然から自由でないことの証明なのである。

ボクシングというのは極めてストイックなスポーツで、大きなグラブをつけたコブシしか使わせない。戦闘訓練には向いていないスポーツである。

剣道にも似たところがある。ルールで厳しく絞られているから、何でもありの武術の中では実際の戦闘にはあまり役立たない業かも知れない。

ただボクシングと比べると剣道の場合は兇器を持っての対決だから、一撃の致傷力は高い。勝負は一瞬でつく。だからかなり運が左右する。拳闘は倒れるまで殴り合うから、実力だけが物を言う世界だ。

すこしボクシングの技術について勉強しておきたい。もちろん格闘技だから、防御やフットワークやスタミナ配分もあろうが、やはりまずパンチから勉強してみたいと思う。

基本のパンチ

ジャブ 相手との距離感を測るため、細かく軽打するパンチ。リードブロートも呼ばれる。一発の威力はないが、守備や組み合わせ攻撃など技術としての重要度は高い。開発当初は「卑怯者の戦法」と呼ばれた。

コツ 威力を犠牲にしてでもスピードとパンチ頻度を極限まで高めることがもとめられる。

ストレート 

基本の構えから後ろ(利き腕側)の拳を相手に向かって鋭く打つパンチ。ジャブと同じ構えから打つ左ストレートもある。

コツ 体や肩の回転を利用し、肩から腕が真っ直ぐになるように打つ。

フック 

腕を横から回し顎やコメカミを打ち抜くパンチ。どちらの腕でも打つ。真っ直ぐに打つように見せかけて打つことが多い。

コツ 打つ瞬間に肩を後ろに引き、打ち込むのではなく当てるように打つ。反動で腰が入るので、その力を有効に使う。

アッパー 

肘を曲げたまま、拳を下から上に突き上げるパンチ。どちらの腕でも打つ。どこを打つかは関係ないが、顎を狙うことが多い。アッパー・カットともいうが、特に使い分けはない

コツ 腕の振りだけでは威力が足りない。打つ直前に上体を軽く屈めて、その反動を利用する。

注意 非常にリスクが高いパンチ。膝を屈めたときに、しっかり顔面をディフェンスする。空振りに終わったときは覚悟すること。


ボディブロー 

相手の腹部を打つパンチ。フックでもアッパーでも構わない。相手の体力を奪うことを目的とする。

コツ 打つ側の足を相手の側面に踏み出し、懐に入ってパンチを叩き込む。


応用のパンチ

ワンツー

ジャブの後にもう片方の腕でストレートを続けるパンチ。ジャブを打ち終わると同時に、ストレートを相手に打ち込む。

コツ まずステップで思い切って踏み込む。ワンツーのステップはステップの基本となる。


カウンター

相手の攻撃のときに生まれる、瞬時の隙を狙うパンチ。相手の癖や、ちょっとした変化を読み取ることでチャンスが生まれる。

コツ 後出しではなく先制に近い同時攻撃。


おまけ

クロスカウンターは 相手の左パンチに対して右腕でカウンタ-を打つ方法。両者の腕どうしがクロスするのでそう言う。
が鮮やかだ。こちらは相手のフックに対してストレートのカウンターを放っている。「あしたのジョー」とは逆だ。「あしたのジョー」は、どう見てもやられた方だ。

現代金融危機とマルクス理論
―マルクスの危機分析は現代に通用するか―

萩原 伸次郎  
『社会システム研究』2009年3月


はじめに(問題意識)

リーマンショックを機に、
マルクスの恐慌論、とりわけ金融恐慌論に論及する。

その際、マルクスの議論から直ちに今日の金融危機分析をおこなうことはできないので、そのための3つの段階的議論を提起する。

 Ⅰ 金融危機分析のために『資本論』から何を抽出するか
(全体に見出し数が少なく、論点が見えにくいので適宜小見出しを入れていく)

A.信用制度の意義

まず第一の論拠は、第3巻第5篇第27章「資本主義的生産における信用の役割」である。ここでの論点をいくつか上げておく。

1.信用制度の3つの意義

信用制度は商業信用を基礎とし、銀行信用に発展する。この過程で①貨幣を節約し、②流通速度を著しく速め、③金貨幣を必要としないシステムをつくりだす。

なお、この後「貨幣などは空虚な観念的な価値に過ぎなくなる」と書き足すが、これは書き過ぎだろう。

2.貨幣の節約がもたらすもの

信用制度は、購買行為と販売行為とを分離することにより貨幣への変態をスルーさせる事が可能になる。その結果、生産・流通の安定をもたらす。

マルクスは猛烈に気分が乗っているから、また余分なことを書く。

「信用は,購買行為と販売行為とを比較的長期間にわたって分離することを許し,それゆえ投機の土台として役立つ」

文章の論建てとしては余分なことだが、これは非常に重要なアイデアである。これについては後で触れることになる。

3.株式制度の登場と投機的性格

マルクスは商業信用→銀行信用の発展の先に株式制度を位置づける。

信用は、個々の資本家に他人の資本を提供する。そこには他人の労働の処分権もふくまれる。

この場合、所有は株式の形態で存在するので、所有の移転は、たんなる取引所投機の結果となる。

4.信用制度の2つの側面

信用制度は、その弾力性によって、過剰生産や過度の投機を受け入れる。再生産過程は信用制度によって極限まで押し広げられる.

こうして信用制度は,生産諸力の物質的発展および世界市場の創出を促進する。

それと同時に,信用は矛盾の暴力的爆発,すなわち恐慌を促進し古い生産様式(すなわち資本主義)の解体を促進する。


B.<架空資本>の形成メカニズム

1.架空資本の意味

信用,とりわけ株式制度は、どのようにして社会を過度な投機活動へと追いやるのだろうか.

その謎を解き明かすのが「架空資本」のカラクリである。

その前に「架空資本」についての用語解説

「架空資本」というのはマルクス主義独特の言い方で、世間では擬制資本(フェイク・キャピタル)という。2つ前の第25章は「信用と架空資本」という表題がつけられている。これは本当は25~35章(第五草稿)全体に付けられた表題ではないかと言われる。

2.架空資本のにないて

貨幣資本の発展につれて,利子生み証券,国債証券,株式などの総量が増加する.

貨幣市場で主役を演じる証券取引業者たちの、貨幣資
本にたいする需要も増加する。その需要に応えるのは商業銀行である.

銀行業者たちは証券取引業の連中に公衆の貨幣資本を大量に用立てるの。こうして賭博一味が増大する。

3.柔軟な信用制度と強硬な通貨制度

1844年恐慌は、銀行が完全兌換制となったのが発端だった。このため市況が活発化し生産が増えると、貨幣に対し相対的過剰となる。

兌換制の下では急速な金融逼迫と金利の上昇をもたらす。信用制度は崩壊し生産・流通業者が甚大な損害を被ることになる。

支払の順番に応じて、各国が次々と金流出を引き起こす。そして経済恐慌へと突入する。

世界経済恐慌は,イギリスを発生源として世界各国へ次々と波及していくのである.

4.恐慌と金融の優位性確立

一方で貸金業者は大成功し富を集中していくことになった。

恐慌はこの寄生階級に,単に産業資本家たちを大量に周期的に破滅させるだけでなく,危険きわまる方法で現実の生産にも干渉する力を与えた。

以後はポスト・マルクス、とりわけケインズの話になっていくので略す。

弥生時代年表

2003年に国立歴史民俗博物館の「衝撃と困惑」の研究発表があり、弥生時代の始まりが500 年ほど古くなった。どうでもいいといえばどうでもいいのだが、かなり書き換えが必要となる。
率直に言って、弥生の幕開けがBC1000年とか、板付Ⅱ式や吉野ヶ里がBC700年と言われても相当抵抗がある。さらに新旧の記載が混在するので、入門者は相当困惑するだろう。

Cf: キーリ 「AMS による縄文・弥生時代の年代観」


弥生分類

絶対年

考古学的イベント

歴史

縄文晩期

BC1200年ころ~

黒川式


弥生早期

BC1000年ころ~

水稲作が伝来。
最古の水田(板付遺跡

 

早期前半




早期中葉




早期後半

糸島市曲り田遺跡(縄文晩期)
唐津市
菜畑遺跡、福岡市板付遺跡の夜臼式土器

弥生前期
(Ⅰ期)
前半

BC700年頃

国が出来、環濠集落が造られる
支石墓・甕棺墓
板付II式、遠賀川系土器文化

弥生前期
(Ⅰ期)
中葉


吉野ヶ里遺跡のはじまり

弥生前期
(Ⅰ期)
後半





BC300年頃

燕が東方進出。中原の鉄器文明が拡散する。

弥生中期

BC300年頃

九州北部に細形銅剣と銅矛が伝わる。鉄斧も出現。

 

II~III期・前半 

 

須久Ⅰ、Ⅱ式。
北九州では甕棺墓が流行。

 


BC195


衛満が衛氏朝鮮 を始める
II~III期・中葉
磯城郡田原本町の唐古・鍵遺跡


BC108


衛氏朝鮮が滅ぶ。楽浪・臨屯・玄 菟・真番の4郡を設置
IV期・後半 BC100~

倭に100以上の小国が存在する(漢書-地理志)

 

BC52 和泉市の池上・曽根遺跡が年輪年代法で確定
弥生後期

AD50~



V期前半 西日本から関東にも環濠集落。瀬戸内各地に高地性集落

57
 
 

 

V期中葉

AD100~



 

107
 

 

 

146 - 189
 

 

V期後半

AD200~



 

239
 

 

卑弥呼が朝貢。親魏倭王の称号と金印を授かる

 

247
 

 

邪馬台国狗奴国王卑弥弓呼と戦争。魏は倭に遣使し檄を与える

 

248

 

卑弥呼の死。男王が即位するが国内は混乱。台与が女王となる 

古墳時代

250~

弥生時代終わり、古墳時代へ



250ころ

奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡環濠を持たない。掘立柱住居。

 

266年

 

倭の女王、晋に遣使する

 

300年


 

 



弥生時代後期の青銅祭器の分布から分かること

引き続き「野洲川下流域の弥生遺跡」のページからの紹介である。

弥生後期の図に移ろう。
kouki-symbol
弥生後期も祭器分布の基本構図は変わらない。北部九州の銅矛対近畿東海の銅鐸である。

これに対し出雲から吉備にかけての模様が著しく変化する。

第一に、銅剣文化が消失していることである。出雲の中細形銅剣も吉備の平形銅剣も出土しなくなる。

第二に、銅剣を捨てた銅剣人が、墳墓という独自の文化を作り始めたということである。
中細形銅剣を作った出雲の銅剣人は、四隅突出型墳丘墓を作り始めた。平形銅剣を作った吉備の銅剣人は双方中円墳を作り始めた。

第三に、銅剣人とかぶっていた銅鐸人は姿を消し、東方に後退していることである。まさに妻木晩田遺跡であり、青谷上寺地遺跡である。
この地域においては銅剣人が銅鐸人と争い、それを支配下に収めたのであろう。

第四に、四隅突出型墳丘墓は高句麗など北方由来の墓型であり、これが吉備に入って土盛りの双方中円墳に発展したと見られることである。
これは吉備地方で大規模土木・灌がい工事が始まり余剰土砂が大量に算出されるようになったことを示す。そしてこの双方中円墳が前方後円墳へ発展していくのではないだろうか。

私は3世紀中頃に巻向に出現した天孫族は、この吉備の分家筋の銅剣人ではないかと推測する。

本家筋の銅剣人は日本海岸に東進し越前・越後へと達する。さらに一部は若狭から近江・美濃・尾張へと進出し、一部は信州から上毛へと進出していく。

なお、銅鐸については弥生中期に一旦消滅した後、後期の初めに大型の「見る銅鐸」として復活したという説があり、もしそうなら、中期の銅鐸と後期の銅鐸は同じ流れの存在とは言えなくなる。この問題は今回は保留する。

銅矛についても弥生時代後期の北部九州の信仰のシンボルと言ってよいかは疑問が残る。

少なくとも北部九州においては弥生後期にはすでに完全な鉄器の時代に入っている。だから強さのシンボルであるならそれは鉄剣でなくてはならなかったのではないだろうか。

いずれにしても、基礎知識の不足を痛感する。すこし銅鐸、銅矛について勉強した上でまた発言していきたい。

弥生時代中期の青銅祭器の分布から分かること

まことに驚きました。寝耳に水、まさかこんな線があるとは思いませんでした。

これまで私の書いてきた情勢分析は一体何だったのでしょうか。茫然自失とはこのこと、しばらく自信喪失です。

「日米同盟を重視する知日派としても知られており、安倍政権とも太いパイプを持つ」(毎日)とされ、安倍首相にはかなりの衝撃だろうと思います。一連のファッショ的路線は、トランプを取り込んだボルトン+ネオコンを本筋と読んでの判断だったと思います。

一番気になるのは、トランプの「彼の提案の多くに私は強く反対してきた。他の政権メンバーも同意しなかった」というセリフです。

いちど、ボルトンが安保担当補佐官に就任して以来の変更事項を総ざらえしてみなければなりません。

イラン核合意、中距離ミサイル(INF)に関してのサイドの変更があるのか。イスラエル政策や対中政策、中南米政策に変更があるのか。



本日早朝5:36の入電(現地は10日の夕方)
日本経済新聞ワシントン支局永沢毅記者の第一報だ。

ツイッターを通じて解任するのはこれまでと同じだが、言い方ははるかにきつい

昨夜、ボルトン氏にホワイトハウスにはもう要らないと伝えた。…だから私は辞任を促した。

ポンペオ米国務長官が直後に記者会見した。彼は「トランプ大統領とボルトン氏は多くの点で意見の違いがあった」と語った。ポンペオにまでそう言われるんだから、ボルトンの暴走ぶりはすごかったようだ。

ニューヨークタイムズ紙によると、トランプ政権の安全保障チームは、もともと大統領を抑制する任務を負っていた。しかし後にはトランプ自身がボルトンを抑制するようになっていた。

10:36 のCNNニュースではこう書かれている。
ある政権高官の話によると、トランプ氏はイランやベネズエラ、アフガニスタン情勢などをめぐるボルトン氏の発言に対し、いら立ちを募らせてきた。

解任の直接の背景は、米軍が長期駐留するアフガンへの対応だと書いている。最近のアフガンがらみの政権内協議に、ボルトンは出席していないという。

済まないが最近のアフガン議論は記憶にない。何かそんなに揉めていたっけ?

産経の黒瀬記者の第一報(01:33)には、
トランプはタリバンを大統領山荘キャップデービッドに招くつもりだった。ボルトンはこれに強力に反対した。
となっている。これは先程のCNNニュースでも確認されている。

しかし後知恵になるが、わたしはイラン爆撃をいったん承認し取りやめた事件が一番ではないかと思う。

高橋浩祐の公式サイト

イランが6月20日にアメリカの無人偵察機を撃墜した際、ボルトンはその報復としてイラン攻撃を主導した。しかしトランプが「FOXニュース」のキャスターの助言により攻撃を回避した。
トランプはその後、ボルトン氏を「タカ派」と呼ぶようになった。

BBCの記事で、トランプは「ジョンには気に入らない戦争なんかないんだ」と冗談を言ったことがある。
borutonn
とここまでがニュース。

次は同じく日経新聞の本日15:46のニュース

ツイッター発表から90分後のポンペオ会見の詳報で、おそらくワシントンの最終初だろう。無署名だが永沢毅記者のものだろう。かなり重要なニュースだ

解任は驚きではない。ボルトン氏と私の意見の相違は多かった。

会見にはムニューシン財務長官も同席しポンペオ見解を補強した。

イラン制裁では制裁をさらに強化する一方、9月下旬の国連総会でトランプ・ロウハニ会談を“無条件”に実現することに前向きな姿勢を示した。

これは13:30のBBCニュース。事実とすればかなりのスクープだ。

トランプ政権の元高官は匿名を条件に語った。

本来なら大統領に政策助言を行う国家安全保障会議(NSC)が、ボルトン補佐官の指揮の下、ホワイトハウス内で独立した存在へと変化していった。

「ボルトンは、ホワイトハウス内のほかの人から独立した状態で仕事をして」おり、会議には出席せず、自らの戦略にこだわっていた。
…ボルトンは大統領に『あなたの優先事項は何ですか』とは尋ねなかった。ボルトンの優先事項を大統領のものとしている」
ボルトン氏は、「自分のやり方が気に入らなければ結構」というスタンスで、大統領を含む、政権内の多くの人を激怒させた。

BBCニュースの内幕暴露はさらに続く。

トランプはロウハニ大統領との会談に前向きだったが、ボルトン氏はこの提案に反対していた。

北朝鮮との2回目の会談が物別れに終わった際には、政権内からボルトン氏を非難する声が上がった。

トランプはキャンプデイヴィッドで予定していたタリバンとの「秘密会談」を取り止めた。これはボルトンが強硬に反対したためだった。

トランプ氏は今春、ヴェネズエラをめぐる外交政策が失敗に終わった際に腹を立てた。マドゥロ大統領を退陣させることは簡単だとボルトンが説明したが、そのことで、トランプ氏は判断を誤ったと愚痴をこぼした。

「論座」というネットマガジンがある。この9月5日号に大変有用な記事があった。

イエメン分裂、UAEの政策転換と孤立するサウジ」という題名で筆者は川上泰徳さん。中東ジャーナリストという肩書きになっている。古いことまで大変詳しい方だ。

とりあえず面白いところだけ紹介しておく。

8月にアデンで内戦があった。暫定評議会の部隊により政府軍が一時放逐された。
月末には一応奪還に成功したのだが、「暫定評議会」というのが何を隠そう、あの南イエメン人民共和国の生き残りなのだ。

前に書いた南イエメンの歴史は、最後は1994年だった。北イエメンが南に侵攻し、南イエメン人民共和国を滅ぼしたところまでである。

ところがそれが地下でずっと生き続けていて、現在の暫定評議会へとつながっているらしい。

94年の南北内戦で敗北した旧南イエメン勢力は、07年に南部運動(ヒラーク)を結成した。

指導部は旧南イエメン社会党のメンバーで、ビード書記長をトップとしている。このヒラークの軍事部門が南部暫定評議会、その議長がアイダルス・アル・ズバイディということになるらしい。

以前の報道で、南部で武装勢力といえばオマーンに近い一帯を根城とするアルカイーダだと教えられてきた。社会党のシャの字も聞いたことはない。

ヒラークのインターネットサイトがあり、そこで彼らの大義が主張されている。

川上さんによると、

組織の目的は、94年に「暴力的な抑圧」によって占領された祖国の「解放と独立」である。
その目的は「平和的な対話によって独立を達成する」と描かれている。

とにかくそういう組織を立ち上げ、13年ぶりに運動を再開した。しかしその後あまり目立った活動はなかったようだ。

それがイエメン内戦を受けてふたたび浮かび上がった。2016年サウジの支援を受けたハディ大統領は、アデンに入りイエメン政府を「再建」した。しかし手兵がいない。見回したところ目についたのが旧南イエメンの残党だ。そこで残党集団のリーダーだったズバイディをアデン知事に任命した。
さらに南部戦線を担うUAEは、ズバイディに民兵組織の結成を委託した。こうしてUAEの指導と援助で結成されたのが「治安ベルト部隊」だった。

私が考えたら、これはイスラムの代わりにマルクスを選ぶことであり、最悪の選択である。それならフーシ派に権力を明け渡したほうがはるかにマシだ。

1年でハディ大統領とズハイディ知事の仲は決裂した。ハディ大統領はズハイディをアデン知事から罷免した。

しかしUAEは武力勢力の指導者の地位を保全した。すでにUAE軍は多くの犠牲者を生んでいる。フーシ派と戦う上でズハイディ部隊の存在は、死活的重要性を握っていた。

こうなれば事態は圧倒的にズハイディ優位である。南イエメンから見れば北出身の「大統領」であろうと、その背後のサウジであろうと、少なくとも心の底では敵である。
UAEも同類みたいなものだが、武器援助してくれる限りではありがたい味方である。

こうしてズハイディは南部の分離独立を求める南部評議会を設立した。委員長のズバイディ氏を含め、5人の南部地域の知事が指導部に名前を連ねている。

つまり大統領とは対決構図になったが、UAEの手前、一応大統領の顔を立てるということだ。

それで1年ちょっとやってきて、それが突然、なぜ武力衝突になったのか。

それは19年の7月になって、UAEがイエメン南部に駐留した部隊5000人の大部分を撤退させたことにある。どうもUEAは戦争に嫌気が差したらしい。世界からこれだけ非難されれば当たり前だろう。

さらにホルムズ海峡が緊張してくると、尻に火がついてしまって他人の国どころではなくなってきた。

こうしてアデンに権力の空白が生まれた。誰がその空白を埋めるのか。ズバイディはいち早く仕掛けた。UAEのプレゼンスが期待できるうちが花だ。それがなくなればサウジとの直接対決になってしまう。そうなれば勝ち目はない。

結局そうなってしまった。

とりあえずはそういうことらしい。これに2幕目があるのかどうかははっきりしない。

イングランド銀行カーニー総裁の講演 詳報

8月26日のブルームバーグ報道で、「ドル支配終わらせるデジタル基軸通貨体制を提唱
Carney Urges Libra-Like Reserve Currency to End Dollar Dominance
と題されている。

リードは下記の通り

カーニー総裁はドルを基軸通貨とする世界的金融システムの抜本的改革を求めた。
そして極めて大胆な提言を行った。
最終的には「リブラ」のような仮想通貨が準備通貨としてドルに代わることになるとの考えだ。

以下本文

最初に現状認識

経済政策を巡る不確実性が高まっている。
あからさまな保護主義がはびこり、政策余地は限定的となり、今後は悪影響を打ち消せなくなるかも知れないとの懸念が広がっている。
これらの悲観的観測が組み合わされ、世界経済のディスインフレ傾向を悪化させている

「現状維持」思想は誤り

各国・地域の中銀が短期的にはこうした事態に対応することは必要だ。しかし現状維持の思想は誤りだ。最終的には劇的な措置が必要になる。

「通貨覇権の入れ替え」であってはならない

基軸通貨がドルから中国人民元に代わっても問題は解決しない。「長期的に見て、われわれはゲームを変更する必要がある」

合成覇権通貨(SHC)の構想

世界の準備通貨としてのドルの地位が終わったあと、グローバルなデジタル通貨が登場するだろう。

それはリブラのようなものとなるかも知れない。リブラは各中銀の直接的な管理から外れたものと構想されているが、SHCは各国中銀の「デジタル通貨ネットワーク」を通じて公的セクターによって提供されることになるだろう。

カーニー総裁の結語

このアイデアの初期バージョンは試行錯誤を繰り返すことになるだろう。
しかしいくつかの欠陥が立証されたとしても、SHCのコンセプトは魅力的だ。
それは世界貿易における米ドルの支配的影響力を弱めるかもしれない。

結局、現下の経済不安の主因は、トランプの存在そのものだ。
議会も民意もない。彼がツイッターに書き込めば、それが世界を動かしていく。これは民主主義の対極だ。

そういうトランプ現象を生み出したものが2つある。
一つはアメリカの草の根に潜む漠然とした不条理であり、それはいかなる時も40%の不正義への支持を叩き出す。
もう一つはドル基軸通貨体制である。これがあるために、世界の国々はますます米国に逆らえなくなっているし、そのためにトランプの顔を伺うようになっている。

この「構造欠陥」はリーマンショックとその後の欧州金融危機のときにも話題になった。その後大規模な量的緩和の中で話題から外れた形になったが、米中経済摩擦が激化する中で再び深刻な問題として浮上しつつある。

赤旗(金子記者)によると、今回はイングランド銀行のカーニー総裁が口火を切ったらしい。
米ドルという一つの国の通貨が、世界の通貨金融システムの中で優越的地位をしめている。
今やリスクは積み上がり、それらは構造的だ。
多極的な世界経済システムに、単一の通貨体制はふさわしくない。
赤旗もいうように、シティーの主がそう語ったとしても、にわかに信用できるものではない。しかし“シティーでさえも”、という言い方もできる。

今や世界の最大リスクはトランプであり、世界はこの一人の変人の奇行をまったくコントロールできない。
ヒトラーに対してはもう一つの極が形成されたが。しかしトランプに対しては、21世紀の世界は、未だにもう一つの極を形成し得ないでいる。なぜなら単一通貨制だからだ。

ここが問題だ。

下記の記事をご参照ください

2011年10月25日  中国の国際通貨論



野洲川下流域の弥生遺跡 というページに大変面白い図があったので、紹介させてもらう。


この図が弥生時代中期の青銅祭器の分布である。

tyuuki-symbol

弥生時代中期の実年代については、

中期前半の須玖Ⅰ式が前325~前230年,中期後半の須玖Ⅱ式古が前230~前45年という年代幅をもつ

ということなので、BC300~BC50くらい、と想定しておく。特にBC102年の衛氏朝鮮の崩壊と漢の占領、楽浪郡の設置という大事件を間に挟んでいることに注目しなければならない。
とにかくBC50くらいには天孫族の支配がすでに始まり、「倭国、分かれて百余国」の状態に至っていたということだ。

1.3つの青銅文化圏

この図では、興味あることに日本が3つの青銅文化圏に分かれている。

すなわち九州 を中心とする銅矛圏、近畿を中心とする銅鐸圏、そしてその中間の境界部に挿入された銅剣圏だ。それは弥生中期の日本に銅矛人、銅剣人、銅鐸人が併存したことを意味する。

これまで和辻哲郎以降、銅剣vs銅鐸と考えてきたのとはだいぶ話が変わってくる。“重複部”をたんなる境界部として考えるのか、独自の銅剣圏として考えるのかが、問われることになる。


2.銅矛文化は銅鐸文化を押しやる形で侵入した(はずだ)

世間には九州からも銅鐸が見つかったことで、2つの文化圏を分けるのは無意味だと主張する人がいる。私はそれこそナンセンスだと思う。

銅鐸文明が九州にあるのは当然だ。そもそもそれは朝鮮から九州 を経由して西日本へと拡散していたのだから、むしろ九州 にないと困るくらいだ。

むしろ問題は逆に、どうして九州に銅鐸がなくなってしまったのかということだ。それは銅矛を祭器とする人々が後から入ってきて、彼らが銅鐸文化を排除したからだと考えるしかない。

だからこの分布図から、私たちは時間経過を勘定に入れて考えることになる。つまり銅矛人が弥生中期の初めに渡来して、銅鐸文化はそのために東にシフトせざるを得なくなったということだ。

注意すべきは、それが、銅鐸人(長江人)そのものが排斥されたということではなく、銅矛人が支配者になって万世一系思想を流布し、銅鐸文化を排斥したことを意味するということだ。

それは朝鮮半島南部で、高天原の天孫族がイザナミの豊葦原中国・大八洲を制圧し、垂直型信仰に習合したのと同じ方式だ。


3.重複部であるとともに独自の銅剣圏

それともう一つ、2つの文化圏の中間に出現した銅剣文化は、どちらの文化とも異なる「第3の文化」の可能性がある。

この分布図に従うと、島根-高知線で銅矛圏と銅鐸圏はかなりクリアーに分かれている。これは銅矛が進出すればその分銅鐸が退くという関係にあったことを示している。そして大阪湾に銅矛圏が飛び地的に進出している。

それはそれで良いのだが、そういう関係の中に突如、銅剣文化が刺さりこんだ形になっている。これが紀元前後の日本の特徴なのである。

この銅剣地帯は2つに分かれている。出雲を中心とする中細形銅剣と、瀬戸内中部の南北両岸の平形銅剣地帯である。平形銅剣は中細形の発展・派生型と思われる。

この南北2つの銅剣地帯は、とりわけ銅矛地帯を両断する形になっている。

4.銅剣と銅矛はまったく異なる

いろいろあるが、強調しておきたいことは、「銅剣と銅矛とは違うものだ」ということだ。先日国立博物館に行ってみてきたのだが、研究者は銅剣と銅矛を同一視していることがわかった。しかし銅矛のパッションはまったく違う。これは武器ではない。これでは絶対人は殺せない。

まずは一度、銅矛の思想というものを受け止めないとこの話は進まない気がする。



これが弥生時代中期に起きたことなのだ。この時代には大変なことが起きたのだ。

弥生後期の分布図とそれについての感想は、長くなったので新たに稿を起こすことにする。

以前からヤマトに神話はなく、出雲神話からの借り物ではないかと思っていたが、「古代出雲を歩く」(平野芳英 岩波新書)を読んで、ふと感じた。
少し長めに引用させてもらう。
国土として引き寄せてきた最初の土地は、去豆の折絶から西の、支豆支の御埼、すなわち出雲大社のある島根半島の西端の山並である。八穂尓は「八百丹よし」で、たくさんの丹(赤土を杵で突きかためて築くという意味から、築きの枕詞…
 こうして引き寄せてきた支豆支の御埼を、命は出雲の国と石見の国の境にある佐比売山(現、三瓶山)に、引き綱を固定してかためたのである。
ということで、出雲国風土記の現代語訳だが、訳されてもなおかつわからない。

著者の解説によると、去豆の折絶から西の、「支豆支の御崎」は“きずきのみさき”と読む。島根半島西端の「日御碕」(ひのみさき)を指すのだが、風土記では岬の先端だけでなく半島の脊梁山地の西3分の1を含んでいるらしい。

「去豆の折絶」は“こずのおりたえ”と読む。これは「支豆支の御崎」山塊とそれより東部の山塊とを距てる谷筋を指すもののようである。

この手の本はいつも、本筋と関係ないこのような情報に悩まされる。かと言って読み飛ばしていくと、後で本筋も見えなくなってしまうから厄介だ。

本題に戻ろう。

つまり「日御碕」と「支豆支の御崎」とでは、ちょっと範囲が違うのである。いわば「日御碕」は岬であり、一つのポイントなのだ。しかし「支豆支の御崎」は岬を含んだ一つの塊なのだ。
鼻高山
 おそらく鼻高山が「支豆支の御崎」でその東の低地が「去豆の折絶」ではないか

これが国引き神話との関係では重要になる。

「支豆支」は万葉仮名で字そのものに意味はない。“築き” に音を当てただけだそうだ。つまりこの御崎は自然のものではなくて築いたものだということになる。

もちろんそれは神話であって、新羅の御崎を引っ張ってくるなどということはありえない。しかし、とりあえずそれについては争わない。

一番肝心なことは“築く”という所作に該当する枕詞があって、それが「八百丹よし」ということなのだ。

それが、“支豆支の御碕” に一体化していく。いわば島根半島西部の山塊全体の枕詞となっていたtのではないか。


「青丹よし」という言葉の解説にはいろいろなことが書いてあるが、一つ根本的な疑問をスルーしているように思えてならない。水が青いように、丹というのは赤いのである。青い丹があるたかのように言うのは、あまりにも強引ではないか。

ということで私には、「青丹よし」という奈良の都にかかる枕詞は、出雲の国引き神話の「八百丹よし」がなまったものというのが、もっとも自然な解釈ではないかと考えられるのである。

それは、古事記や日本書紀の神話部分の源流が出雲系の渡来人にある、という説を補強するものとなるであろう。つまり近畿地方はまず新羅系天孫族に占領・支配され、その後神武により征服されたものの出雲人が支配する国家という枠組みはそのまま存続したのではないか。


日韓GSOMIAの消滅で一番困るのは日本だ

というわけで、タイムテーブルをつらつら眺めていると、意外な事実が浮かび上がってくる。

それは、「日韓GSOMIAの消滅で一番困るのは日本だ」ということである。

1.GSOMIAとはなにか

まずGSOMIAについて基礎知識。

軍事情報包括保護協定: General Security of Military Information Agreement というのが正式名称だ。

GSOMIAとは国家間で共有される秘密の軍事情報が、第三国に漏れないよう保護するための協定である。
日本はアメリカと2007年に最初のGSOMIAを締結して以降、欧州主要国5カ国とも協定を結んでいる。

ちなみに韓国は33カ国と結んでいる。

日韓GSOMIAは2016年11月に締結された。締結にあたっては韓国側には相当抵抗があったらしい。

とりわけ重要なのが、北朝鮮のミサイル発射に関する情報共有である。締結以来少なくとも25回の発動があったという。

日韓の間には安保同盟はない。アメリカをハブとする間接関係でしかない。その意味で日韓GSOMIAは「日米韓3国の疑似同盟の象徴」(香田)にもなっている。

2.「やめて損するのは韓国側」はウソ

香田氏はGSOMIAを破棄することで被害が大きいのは韓国側だと言っている。これはどう考えてもウソだ。ここ数年間、核実験やミサイル発射の第一報は明らかに韓国発だ。近いのだから当たり前である。

第二に、イージスで軌道を計算したりして対応を考えるのは日本だからできるのである。
1994年の核開発危機のときも明らかになったのだが、北朝鮮から見て韓国をやっつけるのに別にミサイルはいらない。超ローテクで十分だ。

国境線に並べた長距離砲が一斉に火を吹けば、ソウルや仁川などあっという間に「火の海」となる。
だから金日成が脅しをかけたときに、米軍関係者は密かにソウルから逃げ出したのである。

第三に、ミサイル発射という情報がチョクで日本に伝えられれば計算はできる。しかしその情報はアメリカ大陸での迎撃には役に立つかも知れないが、日本で間に合うかというとそうでもなさそうだ。

結局、イージスのシステムは米国に役に立つだけかも知れない。

ところが、金正恩が米朝交渉の手みやげに長距離ミサイルの開発を中止すると確約すれば、米国はイージスなどいらなくなる。短距離ミサイルで韓国が消滅し、中距離ミサイルで日本が消滅しても、「ご愁傷さま」で終わりだ。

今回の一連の経過でも、あのボルトンでさえ口先介入にとどまっているのが、米国がこの問題でさほど真剣ではないことの証拠だ。

ということで、もっとも深刻な影響を受けるのは日本だということになる。

3.日本の最終目標は核武装か

北朝鮮が核兵器とミサイルとを確実に保持したとき、しかも長距離ミサイルの放棄という形で米国と妥協が成立したとき、これまでの対中脅威論では対応できない問題が生じる。

つまり、日米軍事同盟とアメリカの核の傘と、GSOMIA+イージスを核とする対北朝鮮防衛システムでは、確実な抑止力とはなり得なくなっているのである。

ここから日本軍国主義のファッショ的自立という可能性が浮かび上がってくる。米国の核の傘戦略から大量報復機能の確保、核抑止力の保持戦略への移行である。

大本では、米国のもつ軍事力の威力の下での従属的関係を続ける。
しかし米国の軍事的支配力の低下によって生まれる権力の空白は、自らが覇権を主張することによって埋めていく…これがファッショ的自立の総路線である。

もはや、よくも悪しくも日本を世界支配戦略につなぎとめるアーミテージ=ナイ路線は消失した。
安倍政権というより、日本の右翼的支配階級は、このような代替路線を想定しているのではないか。




米日韓 三国関係の動向:GSOMIAを中心に

7月

4日 3種類の半導体材料について、「包括輸出許可制度」の対象から韓国を除外。輸出審査を厳格化する。事実上の報復措置。

この問題は経済産業省の管轄だったが、首相官邸が引き継ぎ、韓国に譲歩を迫る武器に仕立てられた。

4日 菅官房長官は、輸出規制に関して発言。「韓国がG20首脳会議までに、徴用工問題について解決策を示さなかった」と非難する。

5日 安倍首相、「韓国は国と国との約束を守らないことが明確になった。貿易管理において、守れないと思うのは当然ではないか」と語る。

10日 韓国、150件を超える不正輸出があったと公表。

18日 韓国大統領府、日韓の「軍事情報包括保護協定」(GSOMIA)の見直しもあり得ると示唆。

18日 米国務省報道官、「GSOMIAは、北朝鮮の最終的非核化(FFVD)を達成し、地域の安定を維持するための重要な手段」だと強調。

19日 外交問題評議会(CFR)上級スタッフ、「GSOMIAを政治的に利用することは、同盟の精神に反する。それは韓国に致命的な結果をもたらす」と語る。

21日 朝日新聞、「米政府内では日韓の対立が激化すれば、米国の国益にも影響を与えかねないという強い懸念がある」と報道。

22日 ボルトン米大統領補佐官が来日。首相官邸で谷内正太郎国家安全保障局長と会談。米軍駐留費、ホルムズ海峡の有志連合構想、韓国問題について協議。

23日 日本に続き韓国を訪問する。米軍駐留費用の負担を求める。韓国はGSOMIAの破棄を示唆。

31日 民間世論調査。64.4%が日本製品の不買運動に参加。GSOMIAの破棄に賛成する人も47.0%に達する。

8月

2日 日本政府、韓国を「ホワイト国」から除外することを閣議決定。3品目以外にも軍事転用の恐れが高い部材について個別の許可が必要となる。

2日 文大統領、「2度と日本に負けない」と宣言。

2日 バンコクで韓米日外相会談。GSOMIAは韓米日の安保協力において非常に重要であることを確認。韓国は「あらゆる事をテーブルに上げて考慮する」と主張。

2日 国家安保室幹部、「日本は韓米の平和構築プロセスにおいて障害を作った」と発言。

3日 エスパー米国防長官、「地上発射型中距離ミサイルのアジア配備を検討している」と発言。韓国や日本に配備される可能性を示唆。

5日 韓国政府、日本への輸入依存を減らすため、研究開発に640億ドルを投じると発表。

6日 ボルトン米国家安保補佐官、「中距離ミサイル配備先として韓国や日本などを想定している」と発言。

9日 トランプ米大統領、日韓摩擦は「米国を苦しい立場に追い込んでいる」とし、早期の関係改善を要求。仲介には消極的な姿勢を示す。

9日 ソウルで米韓国防相会議。エスパー長官は「米韓同盟は対北朝鮮防衛の要だ」と強調。

12日 韓国政府も「ホワイト国」の対象から、日本を除外する。

14日 韓国が「国防中期計画」を改定。「F-35Bを搭載する軽空母を国内建造する」意向を明示。

15日 ボルトン米大統領補佐官、インタビューで「北朝鮮の核保有が長期化すれば、日本が独自の核を保有する動機は強くなる」と語る。

21日 朝日新聞、「空母に改修された護衛艦いずも 、米軍機が先行使用」と報道。米軍レンタル目的であることが明らかに。さらにもう一隻の護衛艦「かが」も空母化予定。

22日 韓国、GSOMIAを破棄すると発表。

24日 韓国陸軍、自衛隊の幹部候補生との交流行事を中止すると発表。

27日 韓国の李洛淵首相、輸出管理強化措置を撤回すれば、GSOMIAの破棄を再検討すると発言。日本政府は「全く次元の異なる問題だ」と拒否。

27日 韓国が、竹島周辺で軍事訓練を断行。アメリカが「生産的ではない」と批判。

28日 大統領府、「自国の主権と安全を守るための行為」だとし、アメリカに反論。

31日 菅官房長官、海外メディアが米国が日韓両国に対し和解をもとめたと報道したことに対し、これを否定。

9月

3日 安倍晋三首相、「根幹にある元徴用工問題の解決が最優先だ」とのべ、韓国との和解を拒否。

5日 菅官房長官、「日韓関係悪化の原因はもっぱら韓国政府にある」と語る。

23日 ニューヨークで、9回目の米韓首脳会談。日韓GSOMIAについての言及はなし。

24日 海上自衛隊の観艦式に、日本政府が韓国海軍を招待しないことを決定。米国、英国、カナダ、シンガポール、豪州、中国、インドの友好7カ国が参加の予定。

25日 日米首脳会談。トランプが日韓関係に懸念を表明。

25日 米下院、日本と韓国に関係改善を促す決議を採択。

26日 ニューヨークで日韓外相会談。今後も外交当局間で意思疎通を続けることを確認。

27日 ナッパー米国務次官補代理(韓国・日本担当)、「米韓日は民主主義や人権などの価値観を共有する。韓国が破棄決定を再考し戻ってくることを望む」と述べる。

27日  今年の防衛白書が発表される。韓国の紹介順は前年の2番目から4番目に「降格」。


11月23日 GSOMIAの失効予定日。





1.日韓摩擦 安倍政権の狙いは「ファッショ的自立」

ファッショ的自立というのは、安保の枠内にとどまりながら、地域覇権を求め、そのために国内政治を軍国主義的に再編するという戦略路線。かつて1970年前後に「日本帝国主義自立論」と関連して萌芽的に語られた概念である。社会科学総合辞典には「日本型ファシズム」として記載されている。

日韓摩擦議論は、あたかも慰安婦・徴用工問題に起源があり、韓国側が言いがかりをつけてきたかのような装いが凝らされている。

これらの問題は過去の戦争の道義的清算の課題として避けて通れないものであり、世代を越えて議論し続けなければならないものであろう。また補償問題は当事者が次々と亡くなっていく今、緊急の対応が必要な問題でもある。

しかし、日韓摩擦が今大変緊急かつ重大な課題となっているのは、そのことではない。

むしろそれらの問題を逆手に取って安倍政権が繰り広げているキャンペーンが、何を目論んでいるかを明らかにすることである。

すなわちそれは九条改憲と日本の「ファッショ的自立」である。「日本軍国主義のファッショ的自立」というのは40年ほど前に一時使われた言葉だが、平ったくいうと「アニマル・ファーム」化である。


2.日経新聞の世論調査が示すもの

彼らの策動の成果は最近行われた、ある世論調査に如実に示されている。

それが日本経済新聞社とテレビ東京による8月30日~9月1日の世論調査だ。
韓国に対する輸出規制強化を「支持する」という回答が67%にのぼり、7月末の調査に比べ9%増えた。
韓国との関係に関する質問では、関係改善を急ぐ必要はないという回答が67%に達した。
安倍内閣の支持率は58%と前回7月の調査から6ポイント上昇した。不支持率は5ポイント下がり33%だった。憲法改正に向けて各党が国会で具体的な議論をすべきかどうかを聞いたところ「議論すべきだ」は77%、「議論する必要はない」は16%だった。

数字はともかく、質問の流れには政財界主流の意図が透けて見える。これほどあからさまに、日韓摩擦と憲法改正を結びつけた世論調査はない。彼らは世論調査という形で日本のファッショ化を煽り立てているのである。

問題はここにあるのであり、しかもそれがすでに重大な局面に進んでしまっているということを明示している。

したがって私たちは、まず何よりも日韓摩擦を利用した日本のファッショ化をなんとしても阻止することに傾注しなければならない。

しかも日韓摩擦がらみでメディアの側にすでに囚われてしまった人をもふくめて、団結して危機を乗り越えなければならない。個別の論点に機械的に対応している暇はないのだ。


3.罵り合いはたくさんだ。争点のシフトが必要だ

争点のシフトが必要なのである。

私たちが作り出さなければならない争点は、日韓領国人民は決して争ってはならないということである。もっと正確に言えば「争わされてはならない」ということだ。

ファッショ化は相互不信と敵視の応酬、憎しみと恐怖の感情がもたらす。私たちには相互理解と優しさ、分かり合おうとする努力がもとめられる。

それと同時に、日韓摩擦を利用して安倍政権が作り出そうとしている、私事権の極小化、白か黒かの貧弱な価値体系、憎しみの体系としての国家づくり、恐怖の均衡によって成立する国家関係… これらすべてを拒否する運動が必要だと訴えなければならない。

慰安婦も徴用工も口を閉ざしたままでいられる問題ではない。しかし今はその10倍の量で両国の平和と友情について語らなければならない。


4.ホワイト国条項も、GSOMIAも、もともとは冷戦条項だ

ホワイト国条項も、GSOMIAも、もともとは冷戦アイテムであり、朝鮮戦争を遂行するための仕掛けであるから本来ないほうが望ましいものである。

しかしそこだけいじっても、物事がうまくいくとは限らない。全体の構造を包括的に変更していくような多国間の枠組みが必要である。一歩間違えば大きな混乱を招かないとも限らないものだから、政争の具にすることなく慎重に対処すべきものであろうと思う。




2019/8/26付 日本経済新聞の「経済教室 コラム」という記事に、「アフリカ開発会議の課題」という記事が載った。大塚啓二郎さんという人の書いたものである。
副題は「工業化成功、カイゼンが鍵」となっているがこちらは省略する。

要するにアフリカの問題は次のような点にある。と、ある意味バッサリ切り捨てているのだが、一応それなりに説得力はあるので紹介はしておく。

サブサハラの21世紀の発展は2つの期に分けることができる。
①2010年まで
この間GDPは+5%をキープした。しかし人口が+3%のため、一人あたり成長は+3%にとどまった。
②2010年以後
GDP成長率は徐々に低下。最近ではマイナス成長となっている。

経済停滞の原因は工業化の失敗にある。製造業の比率は10%を前後して停滞している。
農業は雇用の受け皿とならず、農村は過剰人口を生み出す。
その結果農村を押し出された若者は、都市での低劣なサービス産業に入るしかない。

先進国の支援はインフラ整備に集中しているが、まったく役に立たず、壮大なゴミと化している。
開発経済学は間違っている。それは起業家の不足と経営の非効率性を無視あるいは軽視したことである。

後はカイゼンの我田引水的宣伝が延々と続く。


違うでしょう。
「先進国の支援はインフラ整備に集中」したというが、それは間違いではなくて、それ自体が目的だったんでしょう。

「対外援助」を食い物にする重厚長大産業と、経産マフィアがつるんでやってきたことでしょう。
だから「カイゼン」なんかでそれを改善しようというのは筋違いも甚だしい。

「ヒモ付きでなく真水の支援を重視し、支援の現場の声を優先し、経産省の干渉を排除する政策を取っていれば、いまごろ日本は援助大国になれたはずだ! 」と、連帯運動家としては思う。



流石に日経の記事はいただけないなと思っていた所、
2019.08.29 朝日新聞Globe に
という記事があった。著者は白戸圭一さんという人だ

数年前から目立ち始めた新しい「アフリカの伝え方」がある。それは、アフリカにおける中間層の増大を強調し、消費市場としての明るい未来を訴える論調である。

その根拠はアフリカ開発銀行(AfDB)が2011年に刊行した報告書である。

しかしこの報告は「1日当たり消費額」という胡散臭い数字に基づいている。
①貧困層 2ドル未満
②流動層 2~4ドル未満
③下位中間層 4~10ドル未満
④上位中間層 10~20ドル未満
⑤富裕層 20ドル以上
というのが分類で、これだけでもウッとくるが、さらに②流動層もふくめて「中間層」と定義する。
そうすると「アフリカには2010年時点で約3億2600万人の中間層が存在する」という結論が導き出される。総人口の実に3割以上である。

物価水準の違いがあるにせよ、これは「悪い冗談」に近い。

世界銀行は、1人1日当たり消費額1.9ドル未満の人々を、「衣食住や健康面で限界に直面している極度貧困層」と定義している。

白戸さんがILOのデータを使って分析した所、中間層の絶対数こそ増加したものの、貧困層が圧倒的多数を占める階層構成に変化はみられない、という結論であった。

最後に、白戸さんは現地にスタートアップ企業を立ち上げた長谷川将士さんの意見を引用している。

「経済指標を用いる場合は適切に、尚且つ適用する国の社会背景まで理解して用いなければ、誤解するリスクは跳ね上がるだろう」

ようするに現状ではまだまだ、珠盤づくでやれるような貿易は期待できない。しかしその国の発展を真剣に考えれば。支援だけではないビジネス的な展開もありうる、ということだろう。

↑このページのトップヘ