この辺の記述は崎田さんの本にはなかったものだ。世界はそれなりのスピードで進化しているらしい。
それらは十分推測できるものであった。とくに多くの人種がイルクーツクからシダレヤナギのように落ちかかってくる図は、展開的に見てありえないということが予想された。
日本人のY染色体ハプログループ構成
とくにD1b系統はほぼ日本限定の存在。このあとDグループの痕跡を求めるが、あまりに煩瑣なDの経路問題は煩わしい。
私の感想
D人がいつどこからやってきたのかが最大の焦点
ここを外してしまったのでは、話の焦点が合わなくなる。
考古学的に見れば、縄文人の祖先となるD人は、2万5千年前(最終氷期)に間宮海峡→樺太→北海道→本州と南下してきたと考えられる。
それより前のことはわからない。その痕跡は大陸側にはまったくないからである。Y-系統樹からはまったく説明がつかないが、黒曜石や細石刃など、考古学的には論証可能である。
C1人はD人以前に先住していた
ただ、そうだとすると説明が難しくなる問題がいくつかある。
最大の問題は、4万年前に信州~関東平野で大型獣を獲物としていた先住者である。私はこれはC1人だろうと考える。彼らはD人が南下してきた頃に絶滅の危機にあった。長いボトルネックの時代を経て日本人のYハプロに何らかの痕跡を留めるほどの割合で生き延びた。
彼らはどこから来たのかわからないが、朝鮮(当時は半島ではなくユーラシアの東端)から渡来したと考える。
ヨーロッパにもC1人がいると言われるが、CとかDは変異の確率が低い。だから出アフリカから極東まで長い期間C1のまま到着したのであろう。であればエデンからヨーロッパまで同じC1のまま移動したとしてもありえなくはない。(争うつもりはないが)
九州南部の縄文文明をになったのがD人なのか、C1人なのかはとりあえずどうでも良い。もちろん確認できればそれに越したことはないが…
留意すべきは朝鮮半島の形成期である1万5千年~1万年ころに、朝鮮半島が無人の野であったことである。