鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2019年05月

不法投棄を奨励する「家電リサイクル法」


ブラウン管テレビが一台、ウィンドウズ98の搭載機が車庫に眠っている。

これを処分しようと思ったが、家電4品目というのがあってとんでもない縛りがかかっている。

子供のいたずらで、右へ行け、左へ行け…とあって、最後に「バーカ!」と書いてあるのと似ている。


テレビは

収集時に支払い、家電リサイクル券を受け取ります。

あるいは

事前に郵便局にある家電リサイクル券に記載し、「リサイクル料金」を振り込んでください。

なお、リサイクル料金については、製造メーカーもしくは家電製品協会家電リサイクル券センターへご確認ください。


ということで、読んだだけで気分が悪くなる。


「収集を依頼する場合」と「直接持ち込む(郵便局での振り込み)場合」では、用紙が違いますので、ご注意ください。


ときたもんだ。


「リサイクル料金」は、家電メーカーがそれぞれ決めていますので、家電メーカーもしくは一般財団法人家電製品協会家電リサイクル券センターのホームページで金額をご確認ください。


とさらに追い打ちがかかる。


古い製品だから家電メーカーのHPに載っているかどうかもわからない。


これでは、不法投棄を奨励しているとしか思えない。


今朝の赤旗の「朝の風」というコラムが、プルードンとマルクスの関係に言及しており、面白い。

朝の風
ただ、過剰なまでのネガティブ・レッテルがいささか興ざめだ。私としては、紋切り型ではなく、もう一つひねりを加えたいところだ。
もう一つ気になるのは、この文章が、マルクスとプルードンがともにヘーゲルの社会観を受け継いでいるということに言及していないことだ。

ヘーゲルはスミスの経済学を学びながら、初めてそれを社会の構造にまで拡大し「市民社会」論にまで膨らませた思想家だ。かれはロックの言う私有財産の神聖をうけとめ、それを公準としながら近代社会が形成されていく過程をイキイキと描き出す。しかし私有財産の神聖が一種のフィクションであることも示唆している。
それにたいして、プルードンは「私有財産は盗みだ」と喝破し、あからさまに私有財産の神聖を否定した。「王様が裸である」ことを暴露したのである。押さえて置かなければならないのは、プルードンはこのテーゼを彼なりのヘーゲル理解の中から生み出したということだ。
これに対して、マルクスは賛意を示した。ただ私有財産制を廃棄するには「ヤイ泥棒め!」といっているだけじゃだめで、「そのからくりを突き止めて首根っこを押さえなければならない」と言っているのではないかと思う。
そのためにまずヘーゲルの「法の哲学」をしっかり読んで、その上でヘーゲルが典拠としたアダム・スミスや父ミルに踏み込んでいくという道を選んだのだろう。

つまり、マルクスVSプルードン論争の謎を解く鍵は、ヘーゲルの「法の哲学」に潜んでいるということだ。

2019年04月19日 『法の哲学』 大目次







2018年12月17日 ヘーゲルの「仕事」論






2019年5月

トランプとアメリカ帝国主義

北海道AALA学習会での講演レジメです。とりあえずそのまま載せますが、そのうち手を入れようかと思います。


帝国主義の変貌 1 ケネディー~ニクソン時代の帝国主義

私の世代では、「帝国主義」といえば、評論員論文「ケネディーとアメリカ帝国主義」と「ニクソンとアメリカ帝国主義」だった。

そこでは「帝国主義」は

1.覇権主義(特に軍事的覇権)

2.新植民地主義(民族主義の抑圧)

3.資本主義体制の盟主としての秩序強制

のセットとして描かれていた



帝国主義の変貌 2 レーニンの時代の帝国主義

私の世代では、「帝国主義論」といえばレーニンだった。

100年前の帝国主義は

1.多くの国が皇帝・王を擁する文字通りの帝国

2.銀行を頂点とする独占資本の寡占支配

3.世界を植民地として分割し非均衡貿易を強いる

という特徴を持っていた。そして帝国間で覇権を覗っていた

アメリカは独立を勝ち取った「自由の国」であり、特殊な「帝国」だった。
それは非帝国的な帝国主義という概念をもたらした。



帝国主義の変貌 3  唯一の超大国としてのアメリカ

ソ連・東欧諸国の崩壊により、アメリカが自動的に唯一の超大国となった。

しかしアメリカ自身も深刻な弱点あり、完全な一極化ではなく1.5極化にとどまる
(0.5としてEU、中国、ロシアなど)


しかしその後アメリカは次のような手段で覇権を強化した。

1.金融工学開発と米ドルの基軸化

2.新興国への新自由主義(為替・資本自由化)の押しつけ

3.国連を軽視する単独行動主義

により唯一の覇権国=「帝国主義国」への道を歩む




帝国主義の変貌 4  「唯一の超大国」が覇権を求める

イラク侵攻時に世界で起きた抗議行動など、アメリカの覇者への道は決して平坦ではなかった。それが一気に全面的な覇者の地位に上り詰める。そのきっかけはリーマン・ショックであった。

アメリカは大規模な量的緩和を繰り返すことによって、世界に対する金融支配力を強化した。対応が遅れたEUは一気に弱体化し、新興国は深刻な債務危機に陥った。

こうして次のような帝国主義の新段階が登場した。

1.ドルが唯一の決済通貨に。ドルによる世界支配

2.ドルを持つ1%の人が世界を支配する体制

3.軍事力と金融力による世界支配

これに情報分野での高い競争力を加えることにより、アメリカの世界支配が完成した。

一方で国内・国外に矛盾と不満・敵意が蓄積し、世界が急速に不安定化しつつある。



帝国主義の変貌は何をもたらすか

これが「トランプとアメリカ帝国主義」という提示に対する私なりの回答になる。

「デマゴーグ政治と軍産複合体の癒着」というのがトランプ政権の特徴であろうと考えている。
なぜそのような政権が登場したのか、その基礎となる社会的状況と歴史的段階を考えてみたい。
それは「アメリカ帝国主義の変貌」という性格を持っていると思う。


1.人類史上最強・最悪の帝国主義の出現(倫理観の欠如)

2.金融不安の増幅(常に金融恐慌の可能性が存在)

3.憎悪の共振がもたらす戦争への不安

しかし国内外の抵抗を前に支配層の不安定性もまた増強する。
国内的には例えばオバマ前政権である。オバマ評価にはいろいろ意見もあろうが、政権の姿勢次第で投資銀行への規制、銀行預金の国際規制、医療保険制度の前進など、政権次第では1%への有効な打撃を加えることもできることを示した。
またかつてのイラク侵攻反対キャンペーンのように、多国間主義(国連中心主義)に基づいてアメリカを包囲していくならば、歴史を前向きに回転させていくことも可能だ。
新興国の発展していくエネルギーはあらゆる困難を押し切って、人類の発展を保証していくものとなるだろう。

そのためにも多くの人々がアメリカ帝国主義に対する見方を一致させ、変革の展望を共有することが望まれる。

本日の「赤旗」にこんな記事がのりました。
sima
50年も北海道に住んでいて、恥ずかしい話、こんな島があるということも知りませんでした。
まずどんな島か確認します。
これが道北地方の地図。猿払村は宗谷岬からオホーツク海岸沿いに南下したところです。
map1
これが猿払村周辺の地図。沖合に二つ島があって、その1つが「エサンベ鼻北小島」です。国道から見えるはずですが、私は見た覚えがありません。
map2
これが最大拡大図です。右下の小さな粒がエサンベ鼻北小島です。港や家屋の大きさと比べても、いかに小さいかはよく分かります。
map3
ただ岸からの距離、国道が高台を走っていることから見て目視は十分可能です。私が見落としただけなのでしょう。
これは海上保安庁の「海底地形図」というものだそうです。堂々とした立派なものです。map4

ウィキペディアによると、
1987年の測量では平均海面から1.4mの高さがあり、この測量に基づき海図や国土地理院の地図に記載された。
2018年に地元住民から「見当たらなくなっている」と通報があり、海上保安本部で調査中ということになっている。(ただしそれより1,2年前にはもはや見えなくなっていたという話もある)

ということで今回の記事へとつながっていくことになるのだが、海上保安本部の歯切れがえらく悪い。
そもそも10月に調べるといっておきながら、半年間も店晒しにするというのがおかしい。
多分万が一の可能性にかけているのだろうが、リプレー検証を何回やっても同じことだ。未練たらしい。
領海は減ることになるが、たかが500メートルだ。後々のことを考えればスッキリ諦めたほうが身のためと思うが、いかがであろうか。


Newsweek.comに 「欧州インサイドReport 木村正人」というシリーズがある。
5月24日付の記事は


と題されており、恐ろしい内容が語られている。

有権者の3分の2は「EUは自分の国にとってプラス」と支持している。
一方でEUの未来に対する悲観論が広がっている。今後10~20年のうちにEUが崩壊すると考えている人はフランスで58%、イタリアやポーランドで57%、経済が好調なドイツでも50%に達している。

驚くべきことだが、18~24歳の世代で次の10年のうちにEUの加盟国同士が戦争になると信じる人はオランダやルーマニアで実に51%、チェコやハンガリーで49%、フランスでも46%にのぼっている。

ということで、かつて「希望の連合」と謳われたEUが空中分解しかねない状況だ。

理由は、世界金融危機が物凄いスピードで域内の「勝ち組」と「負け組」を広げてしまったことにある。
そこに持ってきて、年間100万人を超える難民が流入した。これで持ちこたえている方が不思議なほどだ。

むしろ、それにもかかわらず持ちこたえていること、そういう民主主義の底力を備えていることに注目すべきなのかもしれない。

スターター制については、いろいろあった。いろいろ言われた。
ガンちゃんなどは露骨な監督批判を繰り返していた。
しかし今のプレーを見てみんな納得したと思う。私は納得した。
加藤本人も監督も解説者もみんな納得したのではないか。
人情的には勝利投手の権利問題がある。しかしこれはお互い納得していくしかない。
セットアッパーだってそうやって認められていくことになったのだ。
可哀想とか言っても仕方がない。4回戦ボーイとして生きていくしかないのだ。
しかしそれで立派な成績を上げるなら、必ず彼はみんなの記憶に残る大投手となるだろう。

スターター制がもし定着するなら、そのあとにはセットアッパーではなく、二番手投手という役割が要求するようになる。これも大変な話だが、今までロング・リリーバーと呼ばれていた人がそれを担当することになるのだろう。金子はそれをやりたいふうには見えない。

しかし必要は発明の母である。必要なところに必要な人は必ず出現するだろう。

下記の記事が大変優れているので、その要約を上げておきます。一部私の見解も混じっているので、記事の責任は私にあります。興味のある方は本文をご参照ください。

東洋経済オンライン 2018/09

岩崎 博充 「リーマン破綻から10年で世界は変わったのか…今も続く恐怖と後遺症、次に来るリスク

はじめに

リーマン・ショックから10年、世界は様変わりした。
世界はアメリカを筆頭に景気回復を遂げつつある。
日本は相変わらず日銀による異次元の量的緩和を続けている。

リーマン・ショック以前には存在しなかった極右政権が数多く誕生した。とりわけトランプ大統領の出現は世界の様相を一変させた。彼らは一見、グローバリズム・自由貿易主義とは真逆の政策をとっているように見える。

一方で、リーマン・ショック後に湧き起こった「ウォール街の占拠」運動は、ウォール街の強欲主義を厳しく糾弾し、格差社会を糾弾する運動となった。

リーマン・ショックが人類にもたらしたもの

リーマン・ショックがこの世界に残したものは何だったのか。それを列挙しておきたい。

<金融市場にもたらされた影響>

Ⅰ.作り出された「過剰流動性」

① 流動性の枯渇

リーマン・ショックは、急激な流動性の枯渇が引き金となった。

アメリカでリーマン・ショックが終熄した後も、欧州の通貨危機は長期にわたった。実体経済も足を引っ張られた。

その対策として取られたのが大規模な金融緩和、とりわけ量的緩和政策だった。

② 量的緩和(QE)

米連銀のバーナンキ議長は流動性の枯渇に対応するために、量的緩和政策を導入した。長期国債などを購入することでマネーを大量投入した。

ベース・マネーは、約8720億ドル(2008年8月)から2兆6480億ドル(2012年1月)となった。4年間で3倍となったことになる。

ヘリコプターからお金をばらまくようだということから、「ヘリコプター・ベン」と呼ばれた。

欧州中央銀行や日本銀行なども、これに追随した。異次元の量的緩和によって、世界経済は平常に復した。金融危機は過剰流動性によって避けられたといえる。

③ 過剰流動性のツケ

日本銀行だけがいまも依然として量的緩和を続けているが、FRBやECBは緩和縮小(テーパリング)に入っている。

しかし世界にはマネーがあふれている。過剰流動性は至るところでバブルを引き起こしている。世界は、今後大きなツケを払わなくてはならないかもしれない。

Ⅱ.金融モラルの崩壊

投資銀行などの自己勘定による金融取引はリーマン・ショックの原因の一つとなった。

このためボルカールールが定められ、投資銀行の閉鎖と銀行の市場取引の規制が導入された。

しかしトランプ政権によりボルカー・ルールは骨抜きにされつつある。投資銀行は復活し、CEOなどの責任はほとんど問われなかった。

金融業界にとって何よりも大切なモラルが崩壊し、結局は「やった者勝ち」の世界が生み出されつつある。

<政治、国民生活への影響>

Ⅰ.格差社会の拡大

「ウォール街の占拠」運動は、世界が保有する資産の半分を1%の富裕層が独占している現実を明らかにした。

しかしそれから10年近く、格差社会は一向に縮小せず、ますます拡大している。

Ⅱ.極右勢力の台頭

デマ宣伝を運動形態とする極右の運動が広がっている。その背景には、100年に一度の金融危機があったと考えるのが自然だ。

リーマン・ショックの発生直後にオバマ政権が誕生し、8年間の苦闘の末に金融危機を抑え込んだ。しかしその間に膨らんだ大衆の不満はオバマの目指したものとは逆の方向に向かった。

ヨーロッパでは、長引く不況を背景に移民排斥を唱える人々が勢いを増している。

<リーマン・ショックは終わったのか>

過剰流動性を是正する過程が、大きな矛盾を生み出す可能性がある。

Ⅰ.資金量の減少

まず金融市場から資金が消えていく。

FRBはすでに2520億ドル(28兆円)の保有資産を減らした。FRBやECB、日本銀行の3行を合わせた買い入れ額は、この1年でゼロになる見込みだ。

Ⅱ.ドル金利の引き上げ

資金の減少は金利の上昇と投資の減少を招く。

金利の上昇は
①ドル高(円安)
②株価の下落
③新興国資金の逆流(新興国通貨安)
をもたらす

とくに新興国市場からの資金引き上げは、新興国通貨安をもたらし、ドル債務の増加となる。トルコ、南アフリカ、イラン、ベネズエラの悲劇は、明日のすべての新興国の悲劇となるかもしれない。

一方における貧困の蓄積は、他方における富の蓄積をもたらす。世界的な格差の拡大に拍車が掛かる。
強いドルを背景としたアメリカの金融支配力は格段に強化される。

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1.トランプ減税の意味

トランプ米大統領の政権と与党・共和党は2017年末、法人税を1兆ドル減税する法案を強引に議会で通過させた。

財政赤字は1兆ドルになると米財務省は予測している。これは、景気後退期を除く平時の単年度としては、どの国も経験したことがない巨額の赤字である。

2017年の税制改革パッケージが史上最も逆進的で、時宜を得ない税制法案だったということを理解しつつある。
何百万もの貧困世帯や未来の世代が、億万長者のための減税のツケを払っていくのである。

企業は労働者にスズメの涙ほど還元した後、利益のほとんどを自社株の買い戻しと配当に回してきた。

経済全体の生産性が向上したとの証拠はない。それに対し、社会と個人の脆弱性と格差が拡大したとの証拠はあり余るほどある。

米国の平均寿命は先進国の中で最も短いのに、この税制法案は健康保険の加入者が1300万人減少するように設計されていた。

2.トランプと1%の人々の目指すもの

1%の人たちは、市場経済のルールを書き換えようとしている。
特に金融セクター(ウォール街)は、GDPの2.5%から8%にまで成長し、ルールの書き換えを先導している。

彼らは多数者の費用によって少数者を利し、経済の生産性を阻害しようとしている。それが目先の利益を追い求める短期的思考を生み、経済・人財・技術への投資不足につながり、生産性の向上を鈍化させた。

こうしたルールの書き換えが誤りだった。それをもう一度「もっと平等になるように」書き戻すべきだ。




「母性は女性の集団的属性に過ぎない」と、ふと思いついて、まず書いてみた。
字面は悪くない。一見真実性がこもっているようにも見える。
しかし多分ウソであろう。それがウソだと言い切れない自分がいるし、おそらく「現代社会」がいる。

むかし同期の仲間に私以上にケンカっ早いやつがいて、婦人科医になった。
あの頃は労組の婦人部がさかんに活動していて、「生理休暇」を取りましょうと旗を振っていた。
彼は「生理休暇」に反対していた。「高血圧の人が高血圧休暇を取りますか?」というのだ。

生理になったら具合悪くなる、それはそうなのだが、「それは高血圧の人が血圧が上がったのと同じで、具合が悪くなったら休めばよいのだ」というのだ。
「具合が悪くなれば休んで療養する」というのはすべての労働者の権利なのだ。「その根源性をもっと突き出せ、安易にフェミニズムに頼るな」というのが彼の論理だ。

もともと「母性保護」は軍国主義と結びついた「産めよ増やせよ」の厚生思想の賜であり、女性の権利擁護とは何の関係もない。

残念ながら昨今の風潮は「血圧が上がったら休ませろ」ということさえ否定する「ブラック・モラル」が蔓延している。「生理休暇」という言葉は死語となり、どんなに辛くても働くという「男女同権」が常識となっている。

そして「闘え」とアジった友は、今は帰らぬ人となった。

この間の87歳の元通産省エリートの事故は、“アクセルの踏み間違い”がたんなるヒューマンエラーではないことを明白に物語っている。
私は以前から踏み間違い対策は簡単だと主張してきた。
最も基本的には2つのペダルの間の距離を広げて、踏み間違えないようにすればよいのである。
極端に言えば、ブレーキペダルを左側で踏むようにすれば、踏み間違いは消滅する。

クラッチがあれば暴走はない

もともとマニュアル車では左足の位置が固定されていた。必ずそれはクラッチペダルの上にあったのである。アクセルとブレーキのペダルの位置認識は左足によって確認されていたのである。
そうやって育ってきた高齢者は、左足の感覚を失うことによって右足の位置感覚も失うことになったのである。高齢者の認知能力の低下だけが原因ではない。そこには「技術改革」の負の側面が顔を覗かせているのだと思う。

これは極論だが、高齢者事故ゼロを実現する秘策はクラッチの復活にある。75歳以上の運転免許をマニュアル限定にすればよい。マニュアルに乗れないのなら免許を返納するということだ。ただし僻地で車なしに生きていけない人には地域限定の免許を出す。そのへんは臨機応変にやればよい。

高齢者事故が多発するもう一つの理由は、サイドブレーキの消失である。これによりドライバーは車を緊急停止させるための有力な方法の一つを失ってしまった。
今それはパーキングブレーキとして左足の左側にあるが、かなり扱いづらい形で、「余り使うなよ」みたいに設置されている。
これを昔のクラッチ・ペダルの位置に据えてはどうか。

とにかく昔の車に比べて、フェイルセーフ機構は格段に改善されていることは間違いない。オートマのギアは素晴らしく、燃費のことだけならマニュアルを陵駕するほどである。
しかしフェイルを起こさせないようなメカニズムは明らかに退歩している。その典型が左足ペダルの消失であり、ハンド・ブレーキであり、サイドミラーだ。
何よりも、ブレーキを踏み続けなければ自然と走り出してしまうという原理的欠陥が、オートマにはつきまとうのである。うっかりしているあいだに、すでに車はかなりの程度に加速されている。それがパニックを引き起こすのである。

とりあえず緊急に改良すべき欠陥として急発進問題があるが、これについて対処したという報道を見たことはない。あるのは急発進した車がぶつかりそうになったときに急停止する仕掛けとか、ぶつかってしまったときにその衝撃を和らげる仕掛けとか、要するに対策が泥縄方式なのだ。

メディアにも責任がある。高齢者自動車事故の半分は「自動車会社の安全思想」に関わって生じていると思うのだが、そのことを警告するような記事に出会ったことがない。

これからも声を上げ続けようと思う。


ウィークデーは必死に能力・脳力を振り絞っての戦いが連続するが、土日は官庁も銀行も休みなのでポッカリと穴が開く。ただし穴が空くのは物理的な時間だけで、「やる気中枢」はまったく働かないから、グダグダと過ごす他ない。

天気が良いので、以前から気になっていた「石狩油田」に行ってきた。
我が家からは1時間ほどでたどり着く。とは言っても相当の山の中だ。
道路端に碑が建っているが、それだけで、もはや完全に自然に戻っている。
廃坑跡はさんざん見慣れてきたから、さほど興味もわかない。それに札幌近郊とあって、ネットに探訪記は満載だ。そちらを見てもらったほうが良い。

むしろ関心は、なぜ油田は石狩当別の山にあって、炭鉱は空知なのかという点にある。それは日本ではなぜ石油がとれなかったのかということの説明にもつながるだろう。

少し調べてみたい。


資源の分布は、古期造山帯・新期造山帯・安定陸塊の分布と関係がある。

炭田は古期造山帯: 植物が炭化したのが石炭。その植物は主として古生代に繁殖したもので、その後造山運動に巻き込まれた。造山運動は古いものなので、現在ではなだらかな山脈となっている。(アパラチア、ウラル、オーストラリア東部、南アフリカなど)

油田は新期造山帯の背斜構造部: 生物の遺骸が圧力により液体化したのが石油。その生物は中生代に繁殖したもの。造山運動は新しいものなので、険しい山脈を形成する(アルプス・ヒマラヤ、環太平洋)

ただし、実際の分布を見てみると、とても「新期造山帯の背斜構造部」では説明つかない。
それに造山運動が石炭・石油を作る過程がまったく説明されていない。
おそらく高校の理科の先生には、概念把握力が欠如している人物がいるのだろうと思う。遺伝の仕掛けをDNAでなく「染色体」で説明したり、「化学」の本態を物理学と混同したり、とにかく受験生いじめの達人が溢れている。

もう少し説得力のある説明がほしい。

次が二宮書店のサイト「炭田や油田の分布と造山帯には関連があるのでしょうか」という、ズバリのQ&A記事。

そして答えは「同時代性はあるが、対応関係はありません」とぴしゃり。
1970年代ぐらいまでは造山帯と地下資源は関係があると考えられていたが、プレートテクトニクス理論が確立されてからはもはや過去のものとなっている。
同じサイトで、「油田が形成される過程について」という記事

という記事

これを読むと、たしかに造山運動などどうでも良いことだというのが分かる。

油田ができる3つのステップ
①水生微生物の遺骸が水底にたまる。その一部は分解されず有機泥の層となる。
②有機泥の層は高圧と高熱(100度)で原油へと変化する。
③原油は油母頁岩を離れ地中を上昇し凸型地層の下に貯留する。
記事はさらに丁寧に下記のごとくダメ押しをする。
油田の成因に新期造山帯はそもそも関係がありません。むしろ油田は明らかに新期造山帯に少ないのです。
著者はよほど「造山運動居士」のことを腹に据えかねているのだろう。

ということで明らかになったのは、
石炭が取れるところは、古生代に陸地であり、豊かな森林地帯だったところだということです。
石油が採れるのは、陸地に隣接した浅い海洋地帯で、中生代に海中動物が繁栄したところだということです。
造山運動など何の関係もないのです。

あれこれと考えるのが面倒になってきている。自分が死ぬのと違って人が死ぬことは大変なことだ。

脳みその「やる気ホルモン」が枯渇しているのか、「やる気削ぎ物質」が蓄積しているのかわからないが、そういう実感はすごくある。
アルコールが入るとすこしやる気が出るのだが、そう思った瞬間には眠気が襲ってくる。おそらく眠るためには「やる気ホルモン」が必要なのだろう。だから思考用のやる気を横取りしてしまうのだ。

役所と年金事務所と共済組合にはすっかり馴染みになった。市役所の地下食堂のたぬきうどんが滅茶うまいことも知った。預金通帳のクレジットの引き落としも正体を突き止めた。
どういうわけか知らないが、私と妻に二重に地方税がかかっていたが、一応解消に成功した。
私の住民票と戸籍抄本、妻の除票というゾンビ住民票と戸籍謄本を揃えて年金事務所に行ったが「予約が必要だ」と帰された。

しかし、本日、これは前半戦というか序曲に過ぎないことがわかった。
預金、生命保険の全容把握と分与問題には気の遠くなるような実務が待っているらしい。たぶん人を頼むしかなさそうだ。
今夜はこれから飲みに行こうと思う。飲みに行けば次の日の活力が落ちるのは分かっているが、とにかく誰かとしゃべることだ。

1.ミンスキーは誰を批判し何を批判するか
東谷さんの本を通じて知り得た限りでは、ミンスキーの論理は意外にプリミティブで、ナイーブとさえ言える。
その論理はケインズを支持するというより、新古典・総合派の批判を主眼としている。そこには経済学というものに対する枠組み概念の違いがある。
ミンスキーにあっては、経済学は市民社会の解剖学だ。それに対して新古典派は市場経済の力学を土台として積み上げられた建築工学だ。ミンスキーはその土台が絶対的なものではないと批判する。

2.金融市場をどう評価するか
私は浅学のため貨幣市場と金融市場と信用市場の違いがわからない。そのため議論に不正確な点があることを予め断っておく。
信用市場はアダム・スミスもヘーゲルも知らなかった概念である。古典派の中でマルクスだけはこの市場が登場するのを目前で体験することができた。そしてこの市場の登場が何を意味するのかを考えることができた。

3.ミンスキーの論点
ミンスキーは「ケインズがこう主張した」と言って、自らの議論を展開している。それらは以下のようにまとめることができる。

① 信用市場は商品市場に付着し、商品市場を急成長させるブースターの役割を果たしてきた。しかしこれは市場に乱高下をもたらすきわめて扱いにくい装置である。

② 信用市場が肥大化すれば、商品市場に不確実性を持ち込み、商品市場が本来持っている「見えざる手」の機能を破壊する危険がある。

③ 新古典派と総合は「見えざる手」を不磨の大典とするという理論的弱点を内包している。彼らは需要と供給のバランスという神話にしがみつき、金融市場の動揺がもたらす商品市場への破壊的効果を無視する。(総合の場合は「タイムラグ」という言い訳に逃げ込む)

④ 金融市場には独自の論理がある。ミンスキーはこれを「投資家のマインド」としてとらえる。マインドは経済というよりは社会的・心理的なものである。それは「集団的マインド」の民主的形成によりコントロール可能なものに転化するかもしれない。

⑤ ミンスキーはここから、「優れた金融社会」の形成という行動目標を導き出す。第二次大戦後の世界が全体として平和・平等・民主の方向で発展したのも、戦前の政治・経済体制への共通の反省があったためと言える。

⑥ ミンスキーの所論には歴史的観点が不足している。金融市場は資本主義の前から存在していた。それが資本主義システムの巨大化に伴って、その一つのバージョンとして、「資本主義的信用市場」としてあらためて登場したことである。なぜ再登場したのか、それは従来型の信用市場とどう違うのかを探求しなければならない。

⑦ 金融市場が資本主義経済のブースターであると同時に撹乱者であり、潜在的可能性としては破壊者であること。それが集団心理に規定されるゆえに、人間集団の民主的形成により次の社会へと向かうための助産婦ともなりうること。これらを全体として統一的に把握しなければならないだろう。

⑧ レーニンは「資本主義には自由主義が照応し、独占資本主義には帝国主義が照応する」といった。ヒルファーディングは「独占資本主義は金融資本の支配する資本主義」だと言った。信用市場の拡大は、時期的にはこれらの時期と一致する。(すみません。あまり正確ではありません)

4.ミンスキーと未来社会
ミンスキーは金融市場の問題と独占資本の支配を結びつけて論じてはいない。しかし両者が本質的な結合状態にあるのなら、その未来社会は「優れた金融社会の形成」という課題設定だけでは不十分で、権力の有りようをふくむ政治変革のプログラム規定、平たく言えば「社会主義革命」論が必要になるだろう。

下記もお読みください
ミンスキーの金融論が説得的だ

ミンスキーの金融論

ミンスキー(Hyman Philip Minsky 1919~1996)はサミュエルソンとほぼ同じ時代を生きた。同じようにユダヤ人移民の家庭にうまれ、同じころシカゴ大学で数学と経済学を学び、ケインズの影響を受けた。

サミュエルソンが新古典とケインズを合体させる「新古典総合」というイカサマ的手法で有名になった一方、ミンスキーは「ケインズは新古典にあらず」としてサミュエルソンを攻撃し続けたらしい。

東谷さんの「経済学者の栄光と敗北」(朝日新聞 2013年)を読むと、ミンスキーが資本主義の本質を深く剔っていることが想像される。

ちょっと抜書きしておく。

* 「資本主義は本質的に不確実なものであり、その主要な不安定要素は金融にある」 これがケインズの最大のメッセージだ。

* 「金融が経済を不安定にする」という主張は、ミンスキー・モーメントと呼ばれ、リーマンショック→世界金融危機を解く鍵として注目されている。

* 62年の株価下落を大恐慌と比較・分析して次の特徴を引き出した。民間企業の負債が少なく、動員可能な流動資産ストックが大きかった。とくに政府の財政規模がはるかに大型化していたことが最大の特徴であった。

* アメリカ・ケインジアンは、金融市場と商品市場を同一平面において総所得(交点)を確定する。(ヒックス・ハンセン・モデル)
これでは金融市場は需要の関数でしかなくなる。資産選択の問題や投資要因の独自性は捨象される。また労働市場との関連も引き出せない。

* 新古典派総合(サミュエルソン)はさらにひどい。ケインズ理論の核心は労働市場が総需要の関数だということなのだが、新古典派の実質賃金→労働市場が蒸し返され、肉離れを起こしている。フリードマンのマネタリズムも概念構成としては同類だ。

ここでちょっと項をあらためる。労働市場の問題についてもう少し詳しく、ミンスキーのサミュエルソン批判を取り上げたい。

労働市場論でのサミュエルソン批判

* ケインズの考える需要・雇用論は、総需要が雇用量を決定するということだ。そこでは新古典派の賃金→雇用論は拒否されている。したがって両者の雇用量には差が生じる。
 
* サミュエルソンはこの差を本質的なものではなく、「タイムラグ」だと主張する。これが「短期ではケインズ、長期では新古典派」ということだ。(サミュエルソンは新古典派を意図的に古典派と混同している)

* 「困ったときだけケインズさん」というのは、あまりにもノーテンキではないか。これはとても困った理論だとミンスキーは主張する。

もういちど、ミンスキーの主張に戻る。

* ミンスキーは、この差はタイムラグではなく、もっと概念的に異なる理由により生じていると考える。ミンスキーはそれを「不確実性」の概念と名付けている。

* もう一度書いておくが、ヒックス・ハンセン・モデルは金融市場を事実上、需要の関数として従属させている。しかしミンスキーは資産選択の問題や投資要因に対して、独立したはるかに重要な意義を与えている。

不確実性の概念

* そして、それらを決定する要因が「不確実性の概念」なのだ。端的に言えばマインドの問題だ。それは同時に金融市場の独立性の主張でもある。

* このマインドが介在すると、金融市場は自発的に“不安定化”(不連続化)し、景気刺激の引き金がたとえ政策的な完全雇用であっても、雇用が需要を呼び、需要→雇用の爆発をもたらす。

* なお、巷間もてはやされる「ミンスキー・モーメント」というアイデアは、すでに「信用市場の循環」としてマルクスも指摘していることであり、ミンスキー本人にとってはどうでも良いことである。


妻の死にまつわる3つの不思議

1週間前、妻が死んだ。わざわざブログに書くほどの話ではない。…のだが…
とにかくやっと落ち着いて、気がついてみたら不思議な事がある。書いてもしようがないのだが、書かないと落ち着かなくてしようがない。

どう死んだのか

妻は「多系統萎縮症」(進行性の神経疾患)で、かなり長いこと在宅の寝たきり生活だった。10年前の失行・眼振・低血圧に始まり、構音障害、失声、嚥下困難と順を踏んで進んだ。律儀な病気である。このところ痰の量が増えて気になっていた。

容態を見計らって飯を食いに行って帰ってきたところ、呼吸困難となっていた。

長年医者をやってきたので、「やばい」ということはすぐわかる。病院に電話して、指示に従い救急搬送を依頼した。到着後間もなく心肺停止となった。

急変時の対応はできなかったが、死亡を看取ることはできた。とにかく十年の闘病生活が終わった。

最初の不思議

夫婦二人の生活だったから、すべて自分が対応しなければならない。葬儀屋の対応や身辺整理は友人がやってくれたが、とにかく次から次へと判断が求められる。

最初、一番悩んだのは葬儀会場に飾る遺影の選択である。「これがいい」と前から選んであった写真は、業者から次々はねられる。「これでは原画が悪すぎて、とても額縁写真にはなりません」というのだ。

そして業者が集合写真の一枚に目を留め、「これにしましょう」というのだ。私もあきらめかけて、「まぁそれでいいことにしようか」と言った途端、妻の寝室で「ドカン!」と大音響。

なんと、長年部屋の片隅においてあった小型消火器が爆発したのだ。白い粉末が天井まで飛び散り、薬品臭で部屋中が満たされた。

「怒ったぞ!」

これには業者もシュンとなり、私の選んでおいた、いささかピンぼけの写真を修正して使うことにした。

マボロシの女性との握手

お通夜が終わって、二、三杯のビールを飲んで、そのままバタンと寝た。

こういう寝方は、実は一番良くないのである。しばらくしたら必ず目が覚める。トイレに行ったら最後、夜が白み始めるまで、喪主でなくても眠れないのだ。

このとき、重大なことを思い出してしまったのだ。あの晩、飯を食っていると突然後ろから声をかけられた。振り向くと後輩のお医者さん。今はある病院の病院長をしている。

いろいろと話しかけられて、こちらも妻の容態の話、自分の介護の話など話した。それが「告白」のように聞こえたのであろうか、連れの女性がそっと手を出して私の手を包んでくれた。

こちらも人情もろくなっていたのか、なにげなしに手を握り返した。そうするとその女性はもう片方の手も差し出して、ぬくもりを倍返ししてくれたのである。

ほんの一刻だったが、1分にも2分にも感じられた。その時はただ嬉しく終わったのだが、ひょっとして、あの手の主は世を忍ぶ仮の姿で、実は妻だったのではないか?

時間は合わないでもない。あれから空を飛んで帰ったらピッタリかもしれない。それから、妻は急変したのではないのだろうか。
そう思ったらもう眠れなくなった。

失せ物、あるいは神隠しの予言?

朝が来て告別式の準備が始まった。控え室のテレビではモーニングショーで占いコーナーの放送が流れている。

「おとめ座の皆さん、ごめんなさい。本日は最悪です。失くし物に注意してください」

まさに私はおとめ座で、最悪で、しかも失せ物をしてしまったのだ。スライドショーを終わって、いざ引揚げようというときに、フォト・ファイルを入れたハードディスクがない。

全700ギガ。これまで撮りためたデジタル写真が、あの中にすべて入っている。音楽ファイルもすべて入っている。基本的には一巻の終わりなのだ。

ただ3、4年前に今のハードディスクに乗り換えたので、それ以前のファイルは古い方のハードディスクに残っているはずだが…

まぁ、こちらの方は持ち去るほどのものでもない。いつかは出てくるような気もしているので、あまり絶望はしていない。こういうのを「根拠のない楽観論」という。

ついでに、妻についても一言

つまり、なかなか情念の強い女性であった。そのくらいのことはするかもしれない。それでも、もう、こういうことはないだろう。

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