ただしアソシエーションというのはたんなる仲良しクラブではなくプルードン主義者への毒をふくんでいることに注意が必要だ。
聽濤さんの「共産主義論」を学ぶ その1
ただしアソシエーションというのはたんなる仲良しクラブではなくプルードン主義者への毒をふくんでいることに注意が必要だ。
AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。
都道府県別では岩手県2152個(21.5%)、長野県1140個(11.4%)、山梨県938個(9.4%)となっています。と書かれていた。意外だった。
アブレウの考え: 音楽は最も高度な価値、連帯、調和、相互の思いやりと言ったものをもたらす。それは全共同体を統一させる能力と、崇高な感情を表現する能力を持つ。だから音楽は、社会の発展の要因として認識されなければならない。
現在は国家が支援する財団であり、正式名称は「ベネズエラの児童及び青少年オーケストラの国民的システムのための国家財団」と呼ばれる。
室町幕府の重臣は三管領(かんれい)、四職(ししき)と呼ばれた。三管領(かんれい)は斯波氏、細川氏、畠山氏。四職(ししき)は赤松氏、京極氏、一色氏、山名氏が任命される。 |
韓国および北朝鮮の戦後史年表 0 (戦後史といいながら戦前編です) 韓国および北朝鮮の戦後史年表 1 韓国および北朝鮮の戦後史年表 朝鮮戦争
韓国の朝鮮戦争後史年表(53年以降) 北朝鮮の朝鮮戦争後史年表(53年以降)
発電所では3台の発電機がフル稼働していた。発電量は165万KWであった。これは道内発電量の半分に当たる。 |
北電の持つ水力発電所の設備は強大で、主な発電所だけで12ヵ所あり、その発電能力は全体で165万kWに達する。北電管内の太陽光発電による発電量は132万kW、風力の発電量は38万kWあり、合わせて170万kWに達する。
火力発電所が停止することで電力の需給バランスが崩れると、泊原発から発電された電力は「出口」を失う。普通の火発ならここでブレーキが掛かって緊急停止する。
しかし原発は止まらない。
原子炉内にはやがて蒸気がたまってくる。それを排出し、制御棒を注入して核反応を抑え、炉内を冷やすため冷却水を注入する。
これらの操作にはすべて外部電源が必要だ。(すみません、引用先忘れました)
泊原発1~3号機は運転を停止しており、原子炉内に核燃料は入っていない。非常用発電機は最低でも7日間稼働を続けることが可能だ。
大正三年霜月の 霜降るあした生まれて 父の死を早めたり
間引きそこねてうまれ来しかば 人も呼ぶ 死んでも生きても方代である
常の如く めしひの父母を隣家の人にたのみて 野良にいできつわからなくなれば 夜霧に垂れさがる黒きのれんを 分けて出でゆく父と母 しかといだきて 永久に土をたがやす 吾が運命なり
親子心中の 小さな記事を切りぬいて 今日の日記を埋めておきたり卓袱台の上の土瓶に 心中をうちあけてより 楽になりたり庭土をわずかにそめて ひっそりと雪がやんでおる 死ぬるは易し
息絶えし 胸の上にて 水筒の水が ごぼりと音あげにけりたしかに、こんな歌、いくつも書けないだろう。
狂いたる本間一等兵が タラップの闇に 女房の名をよんでいる
盗み来し茄子 大根もけずり入れて 一人厳かに夕餉を終る昭和40年(1965)51歳の時に、それまでずっと方代を庇護してくれていた姉が亡くなった。彼は天涯孤独となって姉の家を出た。
かくのごと 生きていることを恥じながら もげしボタンをくくり付けたり
今日は今日の 悔を残して眠るべし 眠れば明日があり闘いがある
盲いてゆく 瞼をとじて 遠きひと姉の名を呼ぶ 弟なればしかしこの頃から少しづつ方代の歌は評価されるようになった。とくに吉野秀雄の知己を得てからは、全国誌にも歌が掲載されるようになり、とくに郷里山梨での評価が高まった。
とあるのでさがしてみたが、それらしきサイトは見当たらない。中道町では、平成12年(2000)より、教育委員会が方代のホームページを開設していて方代の四つの歌集である、『方代』、『右左口』、『こおろぎ』、『迦葉』所収のすべての歌を見ることができます。
ばわたりてぞゆく. 吸いすてし煙草の. けむりののぼる. のもわれにくわ. えるものと思う. この. われが山崎方代. であると云うこの. 感情をまずはあ ...... 柿の木に礼をつく. して柿の実を梢. に三粒. 挘. ぎ残し. たり. 柿の. 木の梢に止りほい. ほいと口から種. を吹き出しておる. 黄金色の落葉 ...... 一日に異存はない. よ鍋底を顔の照. るまで磨きあげ. たり. ほいほい. とほめそやされ. て生命さえほめ. 殺されし人があり. たり. なるようになっ.
ジ ャワ島の東方のチモール島、その近くのマルメロ島とやらでアメリカの艦砲射撃で物恐ろしい目つ きになってしまった。
かれには二十も年の違う姉さんがいて、それが横浜で大きな歯科医院を経営し、彼はそこで技工をやっている。
自らを「無用の人」と言い、世間から離れて暮らしていた方代は、生涯独身であり、孤独で寂しい生活の中、ありのままの素直な表現でいくつもの歌を生み出しました。(甲府市ホームページより)
1 ひる前に ランプのほやを磨きあげ いつものように豆を煮つめる |
2 寂しくてひとり笑えば 卓袱台の上の茶碗が 笑い出したり |
5 丘の上を 白いちょうちょうが 何かしら手渡すために越えてゆきたり |
6 うつし世の闇にむかって おおけなく 山崎方代と呼んでみにけり |
11 夜おそく出でたる月が ひっそりと しまい忘れし物を照らしおる |
13 遠方より友来たりけり 目隠しをして 鶏小屋の鶏を選べり |
14 ふるさとの右左口邨は 骨壷の底にゆられて わがかえる村 |
18 雲雀子よ早く孵せよ この麦も 少し早いが刈らねばならぬ |
19 こんなにも湯呑茶碗はあたたかく しどろもどろに 吾はおるなり |
22 私が死んでしまえば わたくしの心の父は どうなるのだろう |
半分に絞ってしまった。ただし、ここには都会生活や戦争の記憶や放浪生活を歌ったものはない。故郷にはアルコール消毒された清らかな作品だけが残されているようだ。これじゃ生き仏だ。
生命(いのち)さえほめ殺されき…もない。
先程も書いたとおり、“自分を側から見て楽しんでしまおう”というのが方代の趣向だ。「ありのままで素直な表現」というのはそのための方便だ。もし素直というのなら“ネジ曲がっているけど素直”なのだ。一茶にも似たところがある。日本的なユーモアだろう。
手の平に 豆腐をのせていそいそと いつもの角を曲りて帰る |
夕日の中を へんな男が歩いていった 俗名山崎方代である |
外灯の下を通って 全身を照らし出されてしもうたようじゃ |
生れは甲州鶯宿峠に立っている なんじゃもんじゃの股からですよ |
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております |
約束があって 生れて来たような気持になって 火を吹き起こす |
一生に一度のチャンスを ずうっとこう背中まるめて 見送っている |
戦争が終わったときに 馬よりも劣っておると 思い知りたり |
かたわらの土瓶も すでに眠りおる 淋しいことにけじめはないよ |
かぎりなき 雨の中なる一本の雨すら 土を輝きて打つ |
1.関東地方の旧石器時代は3万8千年前に始まった。2.これは2万年前までまばらに積み上がっている。3.旧石器時代の遺物は2万年前を過ぎてから密度を増している。
1.3万8千年前に関東にやってきた旧石器人は朝鮮半島由来とおもわれる。2.これに対して2万年前から増えてきたニューカマーは北方由来の可能性がある。
「赤いウィーン」は労働者向けの音楽普及活動に力を入れた。この活動のコーディネータとなったのはD.J.バッハという人で、シェーンベルクやウェーベルンとも親交があった。労働者向けのコンサートに取り組んだのはウィーン交響楽団だった。指揮者の一人としてウェーベルンも参加した。20年代のウィーンではマーラーが流行したが、こういうユダヤ的音楽はナチの力が強くなるにつれて廃れてしまった。
我々がこれまで語ってきた市場の需要・供給曲線というのは商品世界のバランスだった。しかし今我々が目の前にしているのは商品を中心として動く世界ではない。それは利子を駆動力とし貨幣を媒介として形成される需要・供給曲線の世界である。貨幣を媒介とするというのは正確に言うと貨幣の取得権(SDR引き出し権)なのだろう。話がややこしくなるのでとりあえず貨幣にしておくが、金融市場というのは貨幣の取得権の売買が基本となる市場であろうと思う。
チェコスロバキアの共産党はチェコ共産党とスロバキア共産党の2つに分かれていた。一般にはスロバキア共産党は風下に置かれていた。
「わが国では資本主義から社会主義への移行に関するあらゆる主要な課題はすでに解決された。社会主義の道としての人民民主主義は十分にその真価を発揮し」ているとする。
ノボトニーはソ連軍配備を拒否し、西ドイツ接近を図っていたため。ソ連の不興を買っていた。また、ブレジネフがフルシチョフを追放した64年政変について、「解任の経緯が不明瞭で民主的でない」と冷淡な対応をとったとされる。
12月末 中央委員会総会はクリスマスのため一旦休戦。ノヴォトニーは、12月総会から1月総会までの期間に,軍部の力を借りて反対勢力の一掃計画を進めていた。計画は事前に察知され、失敗に終わったという。中央委員会総会の結果、事実上、検閲が廃止された。ノヴォトニーと体制の中核を担っていた党幹部や閣僚に対する批判が高まった。
低迷した経済などの立て直しに向けた改革に乗り出す。市場経済の一部導入など社会主義の枠内で社会・政治制度の民主化を目指す。
「新しい社会主義モデル」を提起し、党への権限の一元的集中の是正、企業責任の拡大や市場機能の導入などの経済改革、言論や芸術活動の自由化をうたう。
右派修正主義の危険性を強調し、国民戦線の枠外における政治組織を「反共活動」とみなす決議。さらに第14回党大会を前倒しして9月に開催することを決定。
…最近、わが国の改革に外国勢力が介入してくるかもしれないという不安が生じている。われわれは武器をもってでも政府を擁護する。この社会主義体制を人間的なものにしようという改革は最後まで押し進めねばならない…
共産党の指導的役割の擁護、検閲の復活によるマスメディアのコントロール、非共産党系政治組織の解散、党内改革派の更迭。
ヴァーツラフ広場では戦車に対し、市民が放送局前にバリケードを築き抵抗。ワルシャワ条約軍がチェコスロバキア全土を占拠。学生ヤン・パラフはこれに死をもって抗議。全国で100人余りの死者が出た。
九州では太陽光発電が普及し、4月29日午後1時には電力消費のう8割以上を太陽光発電がまかなった。九電は太陽光発電による揚水発電などで需給のバランスを調整してきた。これらの調整が難しくなれば「出力制御」する他ない。九電では原発が再稼働し原発4基態勢になった。このため消費の少ない春/秋には電気が余ることになる。
中国電力が再エネ電気を受け入れられなくなった。この後は、再エネ事業者が年間30日を超えた無補償の出力抑制に応じることを前提に、接続を受け入れることとなった。中国電力への接続は2018年7月11日現在387万kW、さらに接続申し込みは273万kWに達している。
このほど閣議決定された「第5次エネルギー基本計画」は再生可能エネルギーが“主力電源”と宣言した。国のエネルギー基本計画では2030年時点での再生可能エネルギー比率が22~24%、その中で太陽光発電には7%となっている。これを克服するためには“コスト競争力”を持つことが必要だ。非化石価値取引市場が創設され、経済化が可能になっている。さらに自家消費を活用することで、系統への負荷を下げることができる。
中部電力の管内は、猛暑で想定を上回る電力需要となっている。しかし、電力は潤沢に供給され、エアコン使用にも耐えている。理由は急速に導入進む太陽光発電のためである。太陽光は晴天時に500万~600万キロワットの出力がある。
7月の3日間の最大電力は2600万キロワットで、想定していた2500万キロワットを上回った。それでも供給余力を示す予備率は7%以上あり、中電は節電を呼び掛けていない。
ヒッグス粒子は通常は真空のなかに潜んでいますが、加速器実験によって高いエネルギーを得た真空に一瞬だけ姿を現します。
最初、宇宙は高温で真空で、「ヒッグス場」によって満たされていました。すべての粒子は質量ゼロで、その真空の中を高速で動き回っていました。
このため粒子がヒッグス粒子と結合し、“重さ”を獲得します。これはすべての粒子について平等に起こるわけではなく、ヒッグス粒子との結合が強い粒子ほど多くの質量を獲得し、その結果重くなります。
ヒッグス粒子はその他の素粒子に質量を与えたあと、みずからも物質を構成する素粒子の一つになります。その素粒子とは、フェルミ粒子グループの一種である「ボトムクォーク」です。ヒッグス粒子はみずから崩壊し、二つの「ボトムクォーク」のペアーとなります。
ボトムクォークなどのフェルミ粒子には、質量の小さい第一世代から、質量の大きい3世代まであります。…一方、力を伝える素粒子のグループもあり、こちらはボース粒子と呼ばれます。
ヒッグス粒子がボトムクォークのペアに崩壊した。ヒッグス粒子とともにW粒子が生成されるが、このW粒子はミュー粒子とニュートリノに崩壊する。
7月18日、気温上昇による需要増から、関西電力は他電力会社から100万kWの緊急融通を受けた。何故か。それは関西電力が原発に固執し買電を拒否してきたからである。その結果どうなったか。電力市場をやり取りする卸電力取引所(JEPX)は、開設以来の最高値100円をつけたのである。
もっとも電力の需要が多かった7月23日午後2~3時において、東京電力管内の最大需要は5653万キロワット
原発8基分にあたる約800万キロワットが太陽光発電で賄われました。供給力のおよそ7分の1を太陽光が支えている計算となります。
MDの吸い出しをやっていたら、昔よく聞いた懐かしい演奏があった。「バイオリン弾きのベーチョ」というので、ウルグアイ出身のフォルクローレ歌手アルフレド・シタローサの作詞作曲である。
やっと覚えたYouTubeアップロードを忘れないためにアップした。
少し調べようと思ったら、曲名が間違っていたようだ。正解は「ベーチョのバイオリン」だった。
「ベーチョのバイオリン」については西村秀人さんの「Cafe de Pachinto blog」に非常に詳しい説明がある。
探すのにちょっと手間なので、こちらに引用させていただく。
この曲の作者はウルグアイの歌手アルフレード・シタローサだ。本人の演奏は容易に入手できる。
「ベーチョのバイオリン」El violín de Bechoは…実在の人物に取材した曲。
シタローサの親しい友人でクラシックの名バイオリニストでもあったベーチョことカルロス・フリオ・エイスメンディの話である。…彼がバイオリンを弾き始めた頃の少年としての苦悩がテーマになっている。
西村さんの訳詞も載せられているが、あまりピンとこない。月田秀子ファド慎楽部に別訳があるのでそちらを
ベーチョは楽団のヴァイオリン弾き
子供っぽい顔も 弾くときには立派にみえる
だがかれは辛いヴァイオリンしか特ち合わせない
ベーチョには辛いのだ
その愛情と同じように 子供っぽいヴァイオリンが
ベーチョのほしいのは
悩みや愛を呼んだりしない大人のヴァイオリン
べーチョは自分のヴァイオリンが好きじゃない
けれども感じる ヴァイオリンの呼び声を
夜になると 後悔して
悲しいひびきにまた惚れこむ
木でできた栗色の蝶々
がっかりしている赤ん坊のヴァイオリンは
弾かれず黙っているときでも
べーチョの胸のうちに鳴りつづける
生と死 ヴァイオリン 父と母
ヴァイオリンは歌い ベーチョは風になる
そしてべーチョはもう楽団の中では弾けない
愛することと歌うこと、 それはあまりにも辛いから
この演奏はむかしNHK-FMでやっていたラテンアメリカ音楽の番組からエアチェックしたもの。ずいぶん元の音質よりは落ちている。
解説をうろ覚えしているのだが、たしかニューヨークで歌っている無名歌手をどなたか日本人が録音して、放送したものではなかったろうか。
実は本家よりこちらのほうが好きなのだ。