鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2018年05月


日大がヤクザとズブズブなことより、小指に衝撃 とのコメント

メディアはいまや日大の本丸に押し入ろうとしているが、ここに来てコメンテーターの口がにわかに重くなってきた。
内田監督が本業は日大常任理事で人事権を掌握し、事実上日大No.2だと言われている。ということは内田監督の不祥事に対しけじめをつけるのは日大のトップしかいない。平理事の「学長」が出てきても始まらないのである。
では日大のトップである田中理事長とはどんな人物なのか、どうして前面に出ようとしないのか?

その理由は下記の経過を見れば分かる。

田中英壽の履歴書

1946年12月 青森県五所川原市に生まれる。

1965年、日本大学経済学部に入学。

1968年 学生横綱となる。

1969年、日本大学経済学部経済学科を卒業し、日本大学農獣医学部体育助手兼相撲部コーチに就任。

1969年 アマチュア横綱となる。その後70年、74年にもアマチュア横綱となる。

1980年 現役引退。同年、朝日スポーツ賞受賞。

1983年 日本大学相撲部監督に就任、久島海、舞の海らを育てる。

1999年学校法人日本大学理事に就任。

2000年日本大学保健体育事務局長に昇格。

2001年日本大学校友会本部事務局長に昇格。

2002年学校法人日本大学常務理事に昇格。

2005年日本大学校友会会長に就任。

2005年 田中常務理事と特定業者とのバックリベート問題が浮上。第三者委員会は「謝礼を受け取ったという極めて濃厚な疑いが残る」という中間報告書を提出。理事長と総長が任期満了となったため、曖昧なまま決着。

2008年 学校法人日本大学理事長に選出される。

1994年 JOC理事に就任。後に副会長に昇格。

2012年2月 会員制月刊誌の「ファクタ」が、「日大田中理事長と裏社会」という連載を開始。

2013年2月 読売新聞、「理事長就任後の6年間で約500万円を受注業者から受け取った」との疑惑を報道する。

田中理事長は大学施設の工事を受注している建設会社から、1回あたり10万円前後で50回以上受け取っていた。この会社の受注件数は同期間に約150件、受注総額は20数億円に上っていた。


9月 山口組六代目組長司忍とのツーショット写真が流出。ブルームバーグなど海外メディアに掲載される。国内メディアは「写真の真偽と流出の背景が不明」だとし、公表を控える。

2014年2月 アメリカ大手ニュースサイトが「東京五輪はヤクザオリンピック」と報道。日刊ゲンダイがこれを紹介。(後出)

9月 日大批判の急先鋒だった右翼系の「敬天新聞」社が襲撃される。事件後、各メディアに「六代目の写真と理事長の写真を掲載したら、敬天と同じ目に遭わす」との脅迫。

2015年4月 維新の牧義夫議員が国会でツーショット写真につき質問。文科省は「日大とJOCからそうした関係はないとの報告を受けている」と答弁。また「文科省は(キックバック疑惑について)事実確認をしたのか」との質問に、スポーツ青年局長は、「第三者委員会の調査の結果、工事発注に伴う謝礼ではないということだった」と答弁する。
文科省は「田中続投はありえない」と考えていたが、竹田JOC会長が「偽写真かもしれない」と異議を唱えたため、続投となった(ファクタ)。
2016年4月 危機管理学部が新設。同時に「スポーツ科学部」も新設。亀井静香元議員(元警視総監)の肝いりで、警察官僚の天下り先として作られたと言う。
危機管理学部の教授陣には、元四国管区警察局長や元埼玉県警本部長などが名を連ねる。警察官採用ランキングでは日大が長年トップを続けている。「司直の手」に委ねた途端、この事件は終わりだ。
4月 祝賀パーティーで森喜朗が来賓挨拶。裏事情を明かす。
田中理事長から亀ちゃんに学部を作るにはどうしたらいいかと相談があり、亀ちゃんから「私や国松さんも協力してよ」と言ってきた。多分前半は半ば嘘で、亀井から持ちかけた話であろう。
2016年6月 日大がファクタ出版を名誉毀損で提訴。勝訴する。請求額2億に対し判決は140万円。読売新聞は名誉棄損で訴えられて、継続記事を断念。

2017年9月 田中英壽理事長が4選される。石井進氏(77)を除く全ての常務理事が交代、内田正人(62、人事)ら4氏が常務理事に昇格する。


つまり記者会見には出られないのだ。もしいま記者会見をすれば、かならず上記の写真について質問される。今の雰囲気なら絶対誰かがやる。国際的にもさらされている写真だ。本人は「偽造写真」と言っているようだが、今日の画像技術からは真贋の区別は容易だ。

例の広報部長がすぐ制止に入るだろうが、記者がかざした写真は白日のもとにさらされる。もはや亀井静香も庇い立ては難しかろう。

これはモラトリアムというサイトからの転載だが、元ネタが「日刊ゲンダイ」の 2014年2月13日号 とのことなので、そのつもりで読んでいただきたい。(画面上クリックで拡大)
田中と森
ということで、田中理事長が引責を求められれば、話はJOCにも及ぶ。悪質タックルで始まった話が東京オリンピックまで波及するということ、例によって日本最大の悪役森喜朗が絡んでくるということになりそうな雲行きだ。


には、下記のような情報が書き込まれている。とりあえず流石にそのまま信用する気にはならないが、いずれ取材が激しくなれば、大手メディアでも取り上げるようになるかもしれない。
酒が入ると彼の口癖は「勉強なんて東大に任せておけばいいんだよ。こっちはな、数と喧嘩だったら誰にも負けねえんだ」。
田中は青森県北津軽郡金木町の出身。太宰治と同じところだが、田中の尊敬する人物は、同じ町出身の吉幾三だそうだ。
「山口組の若頭の高山清司親分とは兄弟の盃を交わしている」と堂々と自慢していたこともあるという。

マックス・プランクの小伝

1858年 プランク、北部の港町キールに生まれる。正式名は Max Karl Ernst Ludwig Planck。当時キールはホルシュタイン公国に属していた。

1859年 キルヒホッフ、黒体放射の熱平衡分布は温度のみに依存すると発表。輻射エネルギーの分布を振動数 νの関数として求める研究が進む。

1874年 プランク、ミュンヘン大学に入学。専攻分野は数学であったが、次第に熱力学に傾倒していった。

1879年 プランク、熱力学の研究のためベルリン大学に転学し、キルヒホフのもとで学位を取得。

1884年 レイリー、マックスウェルの功績を引き継ぎ、電磁気学の単位(アンペア、ボルト、オーム)の標準を定める。レイリーは男爵の爵位名(3rd Baron Rayleigh)。本名は John William Strutt。

1886年 ヴィーン、金属刃端による光の回折を研究。回析のパターンが金属の材質により異なることを示す。ヴィーンの正式名は寿限無のごとし(Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien)。当時22歳でベルリン大学学生。

1890年 ヴィーン、大学卒業後農場経営を継ぐが失敗。やむを得ず大学に戻った(ウィキ)。ベルリン工科大学に籍を置き、ヘルムホルツのもとで研究。

1892年 プランク、ミュンヘンとキールの大学を歴任したあと、ベルリン大学教授に就任。

1896年 ヴィーンが「ヴィーンの変位則」や「ヴィーンの放射法則」を発見。これを応用して「温度と熱平衡分布に関する公式」を発表。

ヴィーンの変位則: 黒体からの輻射のピークの波長(λmax)は温度に反比例し、b/T で示される。比例定数 b は0.29 cm·K とされる。
ヴィーンの放射法則: ヴィーンの公式、ヴィーンの分布式とも呼ばれる。熱輻射における電磁波のスペクトルを与える理論式で、短波長領域における近似式である。

1899年 プランク、光の最小単位に関する定数を提言。プランク定数と名づけられる。
  
とし、ウィーンの公式に代入した。k は ボルツマン定数で、通常はkβをh(プランク定数)として表す。
プランク定数: 光子はエネルギーと振動数の比例関係の上に成り立つ。プランク定数はこの比例関係(ε=hν) をあらわす定数で、h=6.626070040(81)×10−34 Jsで示される。
RJ_Wien_Planck
ミクロの世界より転載

1900年
00年 黒体放射に関するレイリーの式が導出される。
レイリーは物理学会のエジソン。空が青くなる理由を示す(レイリー散乱)、地震の表面波(レイリー波)の発見、アルゴン元素の発見も手がける。寺田寅彦による評伝「レーリー卿」をみよ。
10月 プランク、レイリーの式とヴィーンの公式を検討。2つの公式をつなぐ内挿的公式を考案。ヴィーンの公式は高周波数領域においては実験データと良く一致したが、低周波数ではずれがあった

12月 プランクが「エネルギー量子仮説」を発表。のちに「プランクの法則」と呼ばれる。発表の場はベルリン物理学会のクリスマス講演だった。
物質中の荷電振動子のモードが飛々の値しかとらないことを発見。電子軌道の存在を推定し、軌道内ではε=hν、異なる軌道ではその整数倍となる。
1904年 レイリー、アルゴンの発見により、ノーベル物理学賞を受賞。共同研究者ラムゼーは化学賞を受賞する。

1905年 レイリーの式にもとづく定数が求められる。(ジェームズ・ジーンズによってその誤りが訂正されたのでレイリー・ジーンズの式と呼ばれる)
レイリーは量子論や相対論を嫌悪し、最後まで熱放射を古典物理学で説明する望みを捨てなかった(ウィキ)。
1911年 ヴィーンがノーベル物理学賞を受賞。

1913年 プランク、ベルリン大学総長となる。

1914年
10月 プランク、「世界文明への宣言」に署名する。ドイツの戦争を支援するもの。

1918年 プランク、量子論によってノーベル物理学賞を受賞する。

1930年 プランク、カイザー・ヴィルヘルム研究所の所長に就任。

1932年 プランク、科学哲学書 『科学はどこへ行くのか』 を発表。理性だけではない直接的な認識の重要性を強調した。

1933年
5月 プランク、ナチのユダヤ人迫害に対し、ヒトラーに直接抗議を行う。第二次世界大戦中もドイツにとどまるが不遇の生活。

1944年 次男のエルヴィン・プランクがヒトラー暗殺計画に加担。敗戦直前に処刑される。(長男は第一次大戦で戦死)

1945年 プランク、カイザー・ヴィルヘルム研究所の名誉総裁に就任。復興に尽力する。

1946年 カイザー・ヴィルヘルム研究所がマックス・プランク研究所と改名される。

1947年 プランク、ゲッティンゲンにて死去。

何気なく富良野まで行ってきた。
出掛けたのがすでに10時近かったから「大丈夫かな」と思いつつ出掛けたのだが、わずか2時間あまりで行けるということに驚いた。
高速で三笠まで行って、そこから桂沢湖経由で行くのだが、本当の難所は幾春別を過ぎてから芦別市に入るまでと、富芦トンネル付近だけだ。基本的に信号はゼロ、道路工事は常時2,3箇所でやっているがそれだけだ。ほとんどが速度制限なし、追い越しも可能だ。
帰りは、芦別経由で滝川から高速に乗ろうと思ったが、滝川に行くのと岩見沢に出るのと距離・時間ともに変わらないことがわかり帰路も同じ道を選んだ。ただ三笠から岩見沢に抜ける道はすでに家が立ち並ぶ生活道路になっており、信号待ちもかなりある。やはり三笠から高速に乗るのが正解なようだ。
札幌から行って一番のとっつき、38号線の右側に北の峰スキー場に登っていく道がある。その角の喫茶店は感じの良い店だ。ここで無料地図がもらえるので、それを見ながら市内観光に出掛けた。
スキー場からの展望は素晴らしい。富良野盆地を隔てて眼の前に富良野岳、その奥がかすかに噴煙を上げる十勝岳。さらにその奥には雪をかぶる大雪連邦だ。
スキー場付近はもったいないくらい閑散としている。店の半分位は暖簾を掲げているが、あたりには人っ子一人いない。すでに閉店状態となっているところもたくさんある。
ここには外国人観光客は来ていないのだろうか。千歳からのアクセスはニセコより優れていて、西武プリンスもまだ諦めているわけではなさそうなので、これから大化けするかもしれない。
山麓の道路を南に進むと山の中腹に堂々たる高層建築が見えてくる。これが西武プリンスだ。山道を登っていくと今まで見えなかったもう一つの山がホテルの背中に見えてくる。これが芦別岳だ。これも立派な山だ。
コーヒーでも飲んでいこうと思ったが、意外に混んでいる。駐車場は車でいっぱいだ。月曜というのにすごい集客力だなと思ったら、なにかイベントがあったらしい。それで中には入らずにそのまま下ってきた。
途中にチーズ館というのがあったが、正直チーズは買ってまで食べたいと思ったことはない。冷蔵庫の場所塞ぎをしている。
その脇に看板があって道を入っていくと写真の展覧会場があった。
東京から移住して住み着いたという写真家の個人ギャラリーだ。相当のお金持ちらしく、建物の作りは立派なもので、展示された写真も一見に値する。
なんでも高齢のためあと数ヶ月で店終いするそうで、希望すれば展示物も分けてもらえるらしい。何れにせよお早めに。
ドライブのとき、いつも昼めしには苦労する。
どの街でもそうだが、観光地はそれなりでも、旧市街の荒廃ぶりは凄まじい。今回も街の中心部をぐるぐる回ったが、どうもこれはと思える店がない。まあ滝川に行って探すかと離れかけたとき、国道沿いの生鮮卸市場のなかに海鮮丼の店が見つかった。看板を見ると海鮮丼900円とある。ついその値段に釣られて入ってしまった。
値段からはとても信じられない充実ぶりだった。いつまで続くかわからないが、当面は「孤独のグルメ」並みのおすすめだ。
ご多分に漏れず富良野も限界集落だ。しかしもともとが農家のセンターだから、落ちるスピードは比較的遅い。悲惨さがないから気持ち的には落ち着く。
外国人観光が根付くと以外に息を吹き返すかもしれない。札幌からのアクセスの良さを考えれば穴場的存在かもしれない。
帰札後、テレビの夕方のニュースが富良野の話題を2つも流していた。一つはプリンスホテルに倉本聰の企画した高級エストランが店開きしたという話だ。ホテルの駐車場が混んでいたのはこのせいだったのだ。縁なき話である。
もう一つは市内の住宅で殺人事件。83歳の旦那が80歳の妻を刺し殺したという話。妻は車椅子で旦那が介護していたというが、別にそれが原因で殺ってしまったというわけでもないらしい。こちらが年取ったせいもあるが、83という年は、特にいなかでは、高齢者というほどのものではない。
普段仲の良い夫婦だったが「カッとなってやった」ということだ。夫婦喧嘩の決着としては尋常ではない。妻からかなり言い込められたのであろう。しかし台所から包丁を持ってきて車椅子の妻に襲いかかるという図は想像しにくい。知人・友人からは計り知れないDVの積み重ねがあったのだろうか。
ちょっと一筋縄ではいかない事件のようだ。

去年の暮、北朝鮮問題が深刻化したときに下記の文章をブログに掲載しました。
ここでは北朝鮮問題を3つの枠組みに分けて考える必要があると主張しました。
1.日朝両国関係の枠組み
2.非核・平和・安全保障の国際・地域的枠組み
3.東アジア地域の共存・共栄の枠組み
そして、これらの枠組み協議のいずれにおいてもアメリカは部外者なのに、現実には最大の当事者となっている。この矛盾こそが当面する問題なのだと主張しました。
もう一つ道筋問題では、安全→平和→統一を段階を追って前進すること、統一の課題では経済統合→文化統合→政治統合という三段階が重要と主張しました。

2018年04月25日 「米朝関係の新展開について 覚書」という文章、および 「トランプ就任後の米朝関係」という経過表を北海道AALA機関紙に投稿し、あわせてブログにも掲載しました。
また併せて1990年以降の米朝関係を年表化したものを三部に分けて掲載しました(我ながら相当膨大です)。
それが昨日、トランプによる会談中止声明という形で思わぬ展開を見せました。世はアメフト一色、不意を衝かれた感じです。
とりあえずこの1ヶ月の経過を大急ぎでまとめてみました。結論としては前回記事とそれほどの変わりはありません。
4月に敷かれた基本線には変化がないのですが、とくにアメリカ国内で受け止めを巡って様々な思惑が出てきたのが特徴だろうと思います。

以下、この1ヶ月の経過をフォローします。

4月 大統領補佐官に就任したボルトン、北朝鮮を非核化する上で「リビア方式」が有効と主張。

4.27 南北首脳会談

5.01 文正仁(ムン・ジョンイン)大統領統一外交安保特別補佐官、米外交誌に寄稿。平和協定が結ばれた場合、在韓米軍の駐留は不要となると提言。

5.03 ニューヨーク・タイムズ、トランプが在韓米軍の規模削減を検討するよう指示したと報道。

5.04 ボルトン、NYタイムズ記事を否定。

5.04 トランプ、「現時点では在韓米軍の規模削減は検討していない」と表明。また韓国に駐留費の全額負担をもとめる方針も示唆。

5.04 谷内正太郎国家安全保障局長がボルトン補佐官とホワイトハウスで会談。核兵器と弾道ミサイルの完全で恒久的な廃棄を実現する目標を確認。

5.04 ボルトン、韓国の鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長と約2時間会談。朝鮮半島で米韓が確固たる同盟を維持していくことを確認する。

5.06 北朝鮮外務省の報道官、米国が「圧力と軍事的な威嚇」を続けていると非難。

5.09 ポンペオ国務長官が二度目の訪朝。北朝鮮政府は拘束していた米国人3人を解放する。

5.10 トランプ米大統領、首脳会談の日時・場所をツイッターで発表。「世界平和にとって非常に特別な時間になるよう、我々2人とも努力する!」と書く。

5.10 ボルトンがワシントンポストに寄稿。「トランプ政権内では、誰も一切、北への幻想を抱いていない」と述べ、核放棄要求で妥協することはないとする。

5.10 ペンス副大統領、共和党の集会で演説。北朝鮮の「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」を要求。

5.11 米政府、北朝鮮のエネルギー供給と経済再建支援を検討すると明らかにする。

5.11 米韓合同軍事演習。北朝鮮は激しく反発。南北閣僚級会談を中止する。

5.13 ポンペオ米国務長官、非核化を条件として米民間企業による北朝鮮投資を認める可能性を示唆。

5.15 サンダース報道官、ボルトン補佐官の「リビア方式」に言及。「我々の方式だとは認識していない」と述べた。

5.16 金桂寛(キム・ゲグァン)第1外務次官、「一方的核放棄」を迫るボルトン補佐官を「えせ憂国の志士」と罵倒。

5.17 トランプ、北朝鮮非核化は「リビア方式」をとらないと言明。

5.21 ペンス副大統領、FOXニュースとのインタビューで発言。「トランプを手玉に取るべきでない」と北朝鮮を非難。これに関連して「北朝鮮はリビアのように終わるかもしれない」など発言。

5.22 文在寅(ムンジェイン)大統領が訪米。トランプ大統領と会談。南北首脳会談の内容について説明。

5.22 トランプ、米朝関係と米リビア関係は違うと主張。「(米朝が)合意すれば、金正恩は、とてもとても幸せになるだろう」と語る。
「少し失望しているんだが、金正恩は中国の習主席と2度目の会談の後、態度が変わってしまったんだ。それが気に入らない」とも発言。

5.24 北朝鮮が豊渓里(プンゲリ)の地下核実験場を爆破。

5.24 崔善姫(チェ・ソンヒ)外務次官、ペンス米副大統領を非難。「あのような無知で愚かな発言が米副大統領の口から噴出したことに、驚きを抑えられない」と発言。

5.24 トランプによる金正恩あての書簡が発表される。これにより6月12日予定の米朝首脳会談が中止される。核実験場の爆破直後のことであった。

5.24 ホワイトハウス当局、「(交渉に向けた)裏口はまだ開いている。ただ最低限でもレトリックの変更は必要だ」と述べ、崔善姫発言の修正をもとめる。

5.25 金桂寛次官、(会談中止は)「極めて遺憾だ。われわれはいつでも、いかなる方法でも問題を解決する用意がある」との談話を発表。さらにトランプ氏の「勇断」を「ずっと内心で高く評価してきた」と語る。

5.25 マティス国防長官が記者会見。米朝首脳会談が「外交努力で再設定されるかもしれない。私は楽観的だ」と述べる。

以上、経過を見てもらえばわかるように、かなりせこいケンカです。これで首脳会議つぶしてしまったんではあまりにもったいない。
基本的には北朝鮮側の隠忍自重をもとめるべきでしょう。ボルトンがそもそもどのような意図で「リビア方式」を語っているのかも必ずしもはっきりしていません。
ただ用語としての「リビア方式」は北朝鮮がこれだけ嫌がっているのだから、使わないようにすべきでしょう。これは交渉をする上での最低限の礼儀です。

ついで光電効果

これも歴史的に見ていく必要がありそう。光電効果そのものより、それが量子論にどう結びついていったかが問題だ。

例によってウィキから始める。

光電効果(photoelectric effect)は光起電力効果とも呼ばれる。
光電効果には外部光電効果と内部光電効果があるが、普通は外部光電効果を指す。

ということで、面倒なので外部光電効果にジャンプする。

物質に光を照射したとき、物質が電子を放出する現象。
この現象は物質に一定の振動数以上の光を照射した時のみ発生する。その限界値は物質の種類によって決まっている。入射光の強度にはよらない。

つまり、熱効果ではないということである。短波長効果、俗に言えば「紫外線効果」ということになる。

1839年、ベクレルの実験: 薄い塩化銀で覆われた白金の2つの電極を電解液に浸し、片方に光を照射した。
この結果電極間に光電流が生じた。これは「ベクレル効果」と呼ばれ、光起電力効果に関する最初の報告となった。

そのあと、あまり注目されることなく経過したようで、50年後にやっと本来の短波長光線の光電効果に関する発見が報告される。

1887年、ヘルツが亜鉛の板に紫外線を当てると電気を帯びる現象を発見。
1888年、ハルヴァックスという人が、金属に紫外線を照射すると、電子が表面から飛び出す現象を報告した。

これがベクレル効果の本態だと理解されると、短波長光のもたらすベクレル効果に注目が集まった。

その中でレーナルト(熱心なナチストで反ユダヤ主義)の研究が優れている。
1.電子を放出させる光は短波長でなければならず、そこには限界値がある。
2.波長をさらに短くすると、飛び出す電子の数は変わらずに、運動エネルギーが増える。
3.強い光を当てると、飛び出す電子の数が増えるが、電子1個あたりの運動エネルギーは不変である。

これらの現象は従来の物理学では説明できなかった。

1905年、アインシュタインが光量子仮説を提示した。光はエネルギーhνを持った粒の集団であり、光子が吸収されるときのエネルギーは

hν= P1+P2+eV

で表される。

ここでP1 は電子を原子から引き離すエネルギー(イオン化エネルギー)、P2 は物体表面から電子を飛び出させる仕事、eV は解放された光電子の運動エネルギーである。

金属では多くの電子が原子から離れて、金属内を自由に運動しているので、 P1 = 0 と考えることができる。したがって

hν> P2 

ならば電子は金属表面から飛び出すことができる。

1912年 ミリカンは電圧を発生させるνの限界値の傾き
h/e
をもとめ、得られた h が黒体輻射の実験から求めたプランク定数 h と一致することを確認した。これによりアインシュタインの仮説は証明された。



熱の原因が赤外線(熱線)にあり、それは量子として定式化されるということで一件落着となった。
しかしそれ以前は「熱素」の存在は常識であったようだ。

ウィキで調べてみた。

カロリック説(caloric theory)

物体の温度変化をカロリック(熱素)という物質の移動により説明する学説。

物体の温度が変わるのは熱の出入りによるのであろうとする考えは古くからあった。

古代において、熱は光や火と同一視されていた。火は4大元素の一つであり、物質であると捉えられていた。

17世紀 熱の本質についての議論が盛んになる。大きく分けて、熱物質説と熱運動説に分けられる。

1620年 フランシス・ベーコンが最初に熱運動説を唱えた。同じ頃、ガリレオは「火の粒子」が運動することによって熱が発生すると考えた。同様にホイヘンスは「熱の粒子」の運動を仮定した。

1697年 シュタール、燃焼を燃素(フロギストン)という物質で説明する。燃焼の結果として熱も生じるため、熱物質説が拡散する。

18世紀初頭、カロリック(熱素)仮説が提示された。目に見えず重さのない熱の流体があり、これが流れ込んだ物体は温度が上がり、流れ出して減れば冷えるというものであった。

1760頃 スコットランドの化学者ブラックが、ワットの蒸気機関の発明を受けて、熱の概念を検討。

彼は熱の量(熱量)と熱の強さ(温度)との区別を明確にし、物質の持つ力学的属性(質量)のほかに、熱的属性としての熱容量(比熱)の概念を導入した。これらの考えは熱物質説を補強した。

1777年 ラヴォアジエの熱理論が発表される。フロギストン説を否定し酸素の中心的役割を主張。酸素の中に「火の物質」がふくまれているとされる。

1783年 ラヴォアジェとラプラス、熱量保存則を発見。熱力学第一法則の確立を導く。

1789年 ラヴォアジェ、「化学原論」を発刊。それまで同一視されてきた光、火、熱を分離し、光は光素、火は酸素、そして熱は熱素によるものだと捉えた。

ラヴォアジェによれば、熱素は質量を持たず、物質粒子と化学的に結びつくと知覚もされなくなる。熱が加わる(すなわち熱素が増える)と、その反発力により物体の斥力が増し、物体は液体さらに気体となる。

1800年 ハーシェル、太陽光をプリズムで分け、波長ごとの熱作用の力を調べる。

赤色の波長を越えたあたりに最大の熱量があることが明らかになる。これにより放射熱と光の類似性が確認される。

1824年 カルノーが『火の動力』を著す。

カルノーの定理: 熱の動力は、熱素が最終的に移行しあう二つの物体の温度だけで決まる。これは熱素説が否定された今も、そのまま有効である。

1824年 ヤング、ハーシェルの実験を光の波動説から説明。さらに熱放射の事実から熱素を否定し熱線の波動説を主張。

1843年 フォン・マイヤー、運動のエネルギーと熱とが、互換性を持つことを証明。熱力学第一法則(エネルギー保存の法則)が確立される。これにより熱素仮説は不要なものとなる。


というのが、ウィキの解説。
結局熱イコール放射熱となり、熱線イコール光線(赤外線)イコール波動ということで、シャンシャンとまとめられただけみたいな印象だ。
まず熱というのが熱エネルギーの移動過程の熱力学的表現だとすれば、なにも放射熱と伝導熱を一緒に考える必要はないと思う。
第二に熱放射を波動から説明するなら、光電効果が説明つかなくなる。そもそも熱の定義が相当苦し紛れのものだから、ほころびが出るのが当然のようにも思う。
第三に、この熱素というのは量子のことではないかと考えてしまう。しかしそれを考え抜くほどの素養がないから、悶々としている。

「熱」の概念
分かっているようで曖昧なのが「熱」の概念。
思いつくままにあげると
1.物体の状態の一つで、温度で示される。人体には熱いか冷たいかという感覚を通じて認識される。
2.物体の活動性が上がり、分子の自由度が高まれば温度は上がる。物体の活動性が下がり、分子の安定性が高まれば温度は下がる。
3.熱は熱線の作用によるものであり、赤外線の振幅の増大によリもたらされる。
4.赤外線をもたらすのは、分子からの電子の遊離である。電子の遊離は分子の結合によりもたらされ、分子の分離は熱を奪う。
ということで、結局、よくわからない原因は「熱」が物質ではないこと、物質のひとつの姿であり「形容詞」であること、その姿を現象させているのは熱(光)エネルギーであること、ひっくり返して言うと、熱エネルギーが自らを表現する過程であること、などなどである。
したがって、「熱」については、たんなる感覚ではなく、作業のための定義と単位が必要だ。
もう一つ、これらの定義によっては光電効果を説明できないことだ。これが量子論へのブレイクスルーなのだろうと、薄々見当がついてきた。

これ以上考えていても、話は進んでいかないので、とりあえずウィキの「熱」の項目。「熱過程」というのは私の造語。

「熱」の定義
1.慣用的には、肌で触れてわかる熱さや冷たさといった感覚である温度の元となる概念である。それはエネルギーの一つ、熱エネルギーだろうと考えられる。
2.物理学的には、熱は“過程”として理解される。それは異種物体間のエネルギー伝達である。
3.温度差のある系の間で内発的に伝達されるエネルギーを熱と呼ぶ。
熱過程は雑駁に言えば“物体A→エネルギー→物体B”という過程であり、「熱力学的過程」と言ってもよい。
それは物体が熱平衡状態に近づく、期間限定の不可逆過程であり、熱平衡が実現すれば消滅する。
熱過程がエネルギー伝達過程であるならば、そこにはエネルギーの伝達体が想定される。かつて“熱素”の存在が想定されたが、現在では否定されている。
熱過程は熱伝導を基本とする。対流や放射は熱エネルギーの移動形態ではなく、別個のメカニズムによるエネルギー移動形態であり、別の法則で挙動する。


熱過程はあくまでも“物体間のエネルギー伝達過程”であり、エネルギーの生成過程はふくまれない。これについては後述。

シューマンの蝶々は名曲とは言えないかもしれないが、謝肉祭と並んでわかりやすくて景気のいい曲だ。
あまりYou Tubeに音源が多いわけではないが、そこそこ聞ける。
今回聞いたのはエゴロフ、アラウ、リフテル、レイヌ・ジャノリの4種類。いずれも良い演奏だ。結局好き嫌いの話になるから、その時々の心理状況にも影響される。腕前から言えばリフテルが圧倒的で、しかもこれはコンサート・ライブだが音質テストのサンプルにしてもいいくらいのすごい音質だ。ただ、「そこまで攻め込まなきゃなんないほどの曲なの?」という感じが残る。フィナーレは明らかにやりすぎだ。
エゴロフもだいたい似たような攻め方をしていて、もっとシャープだ。レイヌ・ジャノリは私のお気に入りだから、これはもうしょうがない。
というわけで最後に、期待もせずアラウの演奏を聞き始めた。これが意外にすごい。とくにリズムのとり方が独特で、「これがシューマンの演奏じゃないの?」という感じで説得される。
Silent Tone Record/シューマン・ピアノ作品集/クラウディオ・アラウ/欧PHILIPS:6768 084/クラシックLP専門店サイレント・トーン・レコード
というページでとりあえず聞くことができる。盤起こしなのだろうか、通常のCDを越えたすごい音がする。ただし3分で切れる。
意外な取り合わせの一つかもしれない。わたしは同じような「意外な取り合わせ」としてルビンステインのシューベルトを聞いたことがある。
人間何ごともやってみなければわからないものだ。

量子論: 私は何がどのようにわからないのか、それは何が原因なのか? それを知るためにはどこまで遡らなくればならないのか?

一つ分かったことがある。19世紀の急速な科学技術の進歩で、古典的な物理学の議論では説明できない事象が次々と発見されるようになった。

この場合、古典物理学というのはニュートン力学、マクスウェルらの電磁気学、熱力学を三大分野としていた。(天文学や地学はとりあえず別分野として)
熱力学は化学との境界領域であるが、熱放射時の光スペクトル分析、あるいは光電効果と言った物理学的分野が拡大しつつあった。

この光と熱の相関に絡む技術分野の発達が光子、量子という概念上の存在を生み出した。

また20世紀の初頭になると電子が発見され、それが原子構造へと結びついていった。

電子は実在的存在であるが、電子・光子・量子という三姉妹が量子論の幕開けとなっている。

もう一つわかったことがある。これは痛切な感想であるが、私の頭は19世紀半ばの水準で止まっているということである。ニュートン力学そのものの到達点に達していないから、量子論がわからない。

19世紀の物理学の進歩を確認しないと前に進めない。まずマックスウェルの電磁波理論、熱力学の理論、そして光の性質に関する理論がもう少し知っkリト理解されなければならない。
そしてそれらの理論の19世紀前半までの到達、19世紀後半の飛躍的発達、そして、黒体放射の観察と光電効果の発見がもたらした謎、すなわち光エネルギーの強さが振幅に規定されず振動数に規定されるという現象が光屋さんと熱屋さんの双方からもたらされたこと…
これらをじっくり紐解いていかなければならない。

理数系の人は急ぎすぎる。私らはいまだにアキレスと亀のお話にハマっているのだ。

これから先は、佐藤勝彦さんの「量子論を楽しむ本」(PHP文庫)を読みながら、少しづつ“つぶしていく”ことにしようかと思う。

謝罪をしない保守主義
体育会系思想の特徴

暴行学生の記者会見を見て思った。
第一に、「体育会系思想」というのは切り離されたものではなく、右翼思想と密接に結びついていることである。
一つ一つのマナーやエチケットだけでなく、コンプライアンスの捉え方、全人教育への無関心などすべてが保守・右翼の思想に根ざしている。
しかも世界で唯一つ、戦争と弾圧政治の責任を負わずに逃げ通した保守主義、すなわち「日本型保守主義」の酷薄かつ卑劣な伝統を守り抜く特殊な思想である。
相撲協会のときにも強調したが、このひとかたまりの体育会系思想というものに、面と向かって向き合う時が来たのではないか。

体育会系思想の外形的特徴
体育会系思想の最大の外形的特徴は、謝罪をしないことにある。それを可能にしてきたものは、異議申し立て権の否定、外界とを隔てる情報隔壁の構築と強制である。
この特徴の因って来る理由は、日本型保守主義の歴史的特徴にある。
①日本の旧支配層によって形作られた日本型保守主義は、明治維新後の70年、常に日本を戦争と侵略の道へと駆り立てた。
②この70年間を通じて、生命や人権や民衆の暮らしを軽視する思想が日本型保守主義の中核に据えられた。
③戦後のGHQの占領・支配により、この日本型保守主義は政治の表舞台からは排除された。しかしそれをになった人々は罪を問われず罰せられず、生き残った。
④彼らが謝罪もなく、のうのうと生き残り、バブルの時期に戦無派と結びついて勢いを増してきたのを私たちは見てきた。
④今、各界の先頭に立ち始めた戦無派保守主義が日本型保守主義から引き継いだのは、「謝罪をしない」という作風である。「謝罪をしない」ことこそが保守主義の真髄でもあるかのように考えている。

体育会系思想と向き合う今日的意味
いま、体育会系の世界は、日本の社会諸組織にの中で最も遅れた、最も緊急に改革が求められる分野となっている。
体育会系思想と向き合うということは、たんにその思想を批判することではない。なぜなら、彼らの多くは謝罪することを恥と考えており、批判を受け入れるトレランスを持っていないからである。
必要なのは、戦後改革の初めに行ったように、体育会系思想の人的・組織的基盤を剔除することである。
すべての体育会系組織を憲法的枠組み、適法性、基本的人権の基準で再点検し、ガバナンスの改善を求め、応じなければ社会的団体としての承認を取り消し、非社会的団体に指定することである。(フットボール協会にも率直な自己点検がもとめられると思う)
さらに組織幹部の点検を行い、体育・スポーツの精神にふさわしくない人物には反省を求め、従わないものは更迭されなければならない。
スポーツの世界への行政介入は決して好ましいものではない。しかし肉体的接触や危険を伴うような競技団体などでは、最低限の基準を作って適正性を第三者的に評価する作業が行われなければならない。
これはかつての医療においても存在しており、情報公開の流れは自分自身が身をもって体験してきた。その中で二つの核心的事項が確認されている。それが異議申し立て権の無条件の尊重であり、徹底した情報公開の原則である。これがないと、医療への参加とか経営参加などは絵に描いた餅であり、恥部を隠すいちじくの葉でしかない。

日本から最終的に「真空地帯」をなくすこと
我々は子供時代に映画「真空地帯」を見て育った。軍隊とは「むり偏にげんこつ」であり、市井の人々が暴力と脅迫により非人間化していく場所であった。
学生になってからは、「人間の条件」や「軍旗はためくもとに」や「海と毒薬」などで、より徹底して反軍思想を叩き込まれた。我々の反戦・平和思想というのは何よりも反軍思想だったのである。
そしてこの帝国軍隊の思想の残滓が体育会系思想なのである。
これは積み残された戦後改革の一環であり、鬼軍曹と腐敗上官を摘発し、日本型保守主義を廃絶する行いとなるであろう。

「さとうきび畑の唄」という映画を見た。
明石家さんま が主役ということであまり期待しなかったが、想像以上に素晴らしい映画であった。黒木瞳が(幾分ミスキャスト気味だが)きれいで、仲間由紀恵がしゃっきりしていて白蓮的で、女学校の生徒がとても感じが良かった。学徒兵が素敵でだれかと思ったら、なんとオダギリジョーだった。
見終わったらなんと午前1時、とんでもない夜更かしだ。ふだんなら10時過ぎには眼が開かなくなる嫁さんが目を見開いて見続けた。それどころか泣き続けて、それがよだれになってティッシューで拭きどおしだった。次男が「本当は写真館継ぎたかった」というのは、伏線効果もあって涙腺爆発です。
ウィキによると、これは2003年にTBSが制作した全3時間のテレビドラマだそうだ。女学生役は上戸彩という人らしい。同配役で映画も作られていて、こちらは100分ちょっとという短いもの。どう編集したのか、You Tubeで見られるのはテレビドラマ版のみ。
何気なく見終わったが、あとで気づいたのが、長男の嫁(仲間由紀恵)が長男の大学の後輩という話で、一般的にはありえない。旧制の大学が沖縄にあったかどうかも不詳。大学出の女性が小学校の教師というのもおかしい。このへんはあとで調べてみよう。
良家の子女で駆落ちというのも、ちょっと腑に落ちない。見合い写真撮るのに一人で来るだろうか、駆落ちは良いとして、籍は最後はどうにかしないとならないはずだ。長男が大学に入るには何らかの援助があったはずだと思う。沖縄県出身者が内地の大学に入るのは一定のウラが必要だろうと思う。


 
で“さあを”が気になって調べた。
けっこういっとき流行った言葉らしい。

“さあを”だが、万葉集以来いいくつかの用例があるようだ。
ネットで調べたところでは次のように記載されている。

デジタル大辞泉
さお〔さを〕【さ▽青】
[名・形動]《「さあお(さ青)」の音変化。「さ」は接頭語》青。まっさお。
「人魂 (ひとだま) の―なる君がただひとり逢へりし雨夜 (あまよ) のはひさし思ほゆ」
〈万葉集・三八八九〉

大辞林 第三版
さお【さ青】
〔「さあを」の略。「さ」は接頭語〕
あお。 「色は雪はづかしく白うて、-に額つき」(源氏 末摘花)

さ青の使われ方」 という用例集があって、大正から昭和の初期にいろんな作家が使ったみたいだ。
だいたいこの手の言葉は、しばらく使われると手垢がついてきて賞味期限が切れることが多い。

梶井基次郎「桜の樹の下には」より 
。 この溪間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯《うぐいす》や四十雀《しじゅうから》も、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。....
薄田泣菫「泣菫詩抄」より 
》きゆららに、 今宵し六日のかたわれ月、 (さはあえかなる病女《びやうによ》の 夕眺めするなよびや、)さ青のまなじり伏目がちに。 吾世すがれの悲み、―― 吐息もするやと惑はしむる。 あなせつなさの今宵や、....
梶井基次郎「桜の樹の下には」より 
た。 この渓間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯《うぐひす》や四十雀《しじふから》も、白い日光をさ青に煙らせてゐる木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。....
太宰治「雀こ」より 
になればし、雪こ溶け、ふろいふろい雪の原のあちこちゆ、ふろ野の黄はだの色の芝生こさ青い新芽の萌えいで来るはで、おらの国のわらわ、黄はだの色の古し芝生こさ火をつけ....
原口統三「初期詩篇」より
眠る あふれる香髪《においがみ》のみだれ巻いて溺れるあたり とおく水平線の波間にさ青の太陽は溶けこむ。 そうして はるばると潮の流れる耳もとちかく かれは一つの....

と、いかにも風の作家が並ぶ。ただこれらの用例は機械検索で捉まったものらしく、大宰の「さ青」は少々怪しい。

ずっと使ってきたサンダーバードが動かなくなった。
ウィンドウズ10のアップデートがきっかけみたいだ。
あたらしいキーワードを入れろとか言ってくるが、それを入れるのに有料ソフトが必要だと言う。無視して受信しようとするが、今度は受信箱がなくなっている。
最後は8ケタ数字くらいのエラーコードが出てきて動かなくなる。
ウィンドウズを復元しようと思うが、GW明けぐらいにアップデートしたまえのバージョンは消えてなくなっている。
ファイアフォックスのときもそうだったが、メールソフトが悪いのかマイクロソフトの嫌がらせなのか判然としない。
いずれにしてもメールが送受信できないのは致命的なので、別のソフトを探すことにする。
無料ソフトでサンダーバードの次にランクされているのがSylpheed というソフトだった。なんでも有名なシェアーソフトの無料版みたいな触れ込みらしい。
ダウンロードして使ってみたところとりあえず普通の使い方の範囲では違和感ない。ただ添付ソフト(ワードとかPDF)の開け方がよく分からない。少し勉強が必要なようだ。
このレノボThinkPadも使い始めてすでに7年、よく動いてくれているが、さすがにそろそろ替えどきか。


映画は大した映画じゃない。ありきたりの月並みの映画なんだけど、女優さんがすごい。
映画の名前は「陽だまりの彼女」で、女優の名前は上野樹理。とにかくその存在感が半端じゃない。映画の筋書きの通り「化け猫」を演じきっている。
女優さんは顔はまったくの10人並みで、別に映画俳優になるような美人じゃない。ところが映画を見ているとグイグイと引きずり込まれていく。強いていうとヘップバーンだね。日本で言うと、出始めの頃の田中裕子かな? 大竹しのぶかな? 沢尻エリカかな?
あたり一面に印象を撒き散らしながら走りすぎていく。走りすぎた後どんな顔だったっけと言われると、とんと思い出せない。キラキラとした飛跡だけが残っている。

ひどい話で、キルヒホフの熱化学反応のはなしを理解するのに、結局反応熱の概念まで遡らなければならないことが分かった。いかに高校・大学と物理・化学を知らずに過ごしてきたかが分かる。

反応熱(heat of reaction)

反応熱とは化学反応に伴い、発生もしくは吸収される熱である。

物質は分子が化学結合することにより形成されている。
化学結合は固有のエネルギーを持っている。
そのエネルギーは分子から受け渡されたものである。

したがって、分子の結合が切断されれば結合エネルギーは消滅し、分子の内部エネルギーが増加することで蓄えられる。
ふたたび分子が結合すれば内部エネルギーは減少し、結合エネルギーとなる。

結合のために用いられる内部エネルギーが多いほど、結合は強固なものとなり安定する。

分子周囲空間の温度変化

分子周囲空間の温度は化学物質の化学反応によりどのように変化するか。(分子外の空間の温度とは、単位容積あたりの熱容量である)

化学結合の切断は内部エネルギーの蓄積をもたらし、内部へのエネルギーの流入は熱の流入をもたらす。それは分子外空間の温度低下(エンタルピーの低下)をもたらす。
逆に化学結合の形成は内部エネルギーの流出をもたらし、分子外の発熱・温度上昇をもたらす。

これを分子(内部)の側から見ると、切断→エネルギーの流入→吸熱反応となる。結合の場合は発熱反応をとる。

通常の化学反応系内では結合の切断と生成の両方が同時進行する。このため、吸熱・発熱は化学物質内の切断と生成の総計として観測される。

熱化学方程式

反応式と生成熱とを組み合わせた化学反応式を熱化学方程式と呼ぶ。

窒素と水素からアンモニアが生成される方程式、

N2 (g) + 3H2 (g) = 2NH3 (g) + 91.80 kJ

では、2分子のアンモニアが生成されるのに91.80 kJが追加されなければならないことを示す。

なおこれらの事実を示すのにエンタルピーの概念は必要ない。

共産党の東区民報に宮川じゅん道議が「かけある記」というコラムを書いている。
今回の記事の題名は、「ひとり親家庭生活実態調査」。内容は北海道がまとめた「2017年度ひとり親家庭生活実態調査」の紹介。
だいじな数字なので、ここにメモしておく。
まず世帯収入
54%が200万円以下、83%が300万円以下。
雇用形態は
55%が派遣・契約社員、嘱託、臨時・パートなど。
生活上の困難として次のような数字が挙げられている。
1.医療へのアクセス
過去1年間に、病院や歯医者に行きたいのに行けないことがあった。  49%
2.家計の状況
赤字で貯金を取崩した。または、借金をした。  35%
3.食料の状況
家族が必要とする食料を買えなかったことがよくあった。または時々あった。  22%
4.居住の状況
冬に暖房が使えなくなったことがよくあった。または時々あった。  12%
5.食事の状況
子供と一緒に朝食をとることがほとんどない。  33%
6.育児の状況
子どものことで悩みを相談する相手がだれもいない。  8%

なおこの記事では省略したが、父子家庭の状況もあげられている。特徴的なのは父子家庭の雇用形態が非正規比率が低いこと、相談相手が欠如していることだ。

すみません。原文にあたったわけではないので、
これ以上の質問は宮川じゅんさんへ直接お願いします。matasete.g@gmail.com<

すみません。原文が見つかったのでリンクしておきます。

ひとり親家庭生活実態調査報告書【概要版】

2018年5月10日付で、「自立支援グループ」の作成したものです。

自立支援グループというのは、道庁の「保健福祉部子ども未来推進局子ども子育て支援課」に設置された5つのグループの一つのようです。

北大大学院教育学研究院に委託して実施したもので、調査期間は昨年8月となっています。

中身は今見ているところです。それほど難しくもなく、長いものでもなく、変に要約するより原文に直接あたってもらったほうが良さそうです。
北海道新聞その他で報告書を紹介・報道しています。基本的には宮川さんと同じ場所に注目しています。父子家庭でところどころちょっと変わった数字が出ていますが、無理な解釈はしないほうが良さそうです。

過年度の 関連資料が閲覧できます。「北海道子どもの生活実態調査 結果報告書」というもので、平成29年6月の発行となっているので調査は2016年に行われたものと思われます。(もう元号はやめてほしい)

発行者は北海道保健福祉部と 北海道大学大学院教育学研究院 となっています。「ひとり親家庭」調査と同様、教育学部内に組織された「子どもの生活実態調査」研究班が、道の委託を受けて実際の作業にあたったのではないかと思われます。

育児・教育に的を絞ったものですが、一読に値します。とくに巻末のナマ回答例は参考になります。


1.キルヒホフについて
キルヒホフ(Gustav Robert Kirchhoff)はプロイセンの物理学者。
ケーニヒスベルク大学で学び、1949年にキルヒホフの法則を提唱した。このときまだ25歳である。これは電気回路の理論で、オームの法則を展開したものである。この内容は黒体放射と直接の関係はないので省略する。
30歳でハイデルベルク大学教授に就任。その後は分光学の研究に専心した。

分光器を使っているキルヒホフ
  分光器を使っているキルヒホフ(wikipedia より)
58年には、「熱化学におけるキルヒホッフの法則」を提唱した。これも黒体放射との直接の関係はないが、理論の基礎の一つとなっているので、なんとか食いついてみたい。

2.熱化学におけるキルヒホフの法則
これは、ウィキペディアによれば、反応熱の温度係数が反応前後の熱容量の差に等しいという法則である。
A という物質とB という物質が化合物C を形成する。これが化学反応である。化学物質は固有の熱容量を持っている。これは普通“比熱”という。
化合物の熱容量は化合する前の物質A、物質Bの熱容量を足したものであるが、化合の過程でその一部を放出する可能性がある。(<QA+QB)また化合に際して物質A、Bの熱容量だけでは不足し外部からの熱補給を必要とする場合もある。(>QA+QB)
それが正、負のいずれとなるかは別として、化学反応が熱(反応熱)の出し入れを伴うこと、「反応熱が反応前後の熱容量の差に等しい」というのはよく分かる。
多分これはキルヒホフ以前の結論だろう。

3.反応前後の熱容量の差が「反応熱の温度係数」に等しいとはどう意味か
問題は反応熱そのものではなく、「反応熱の温度係数」に等しいというのがどう意味かということだ。
そこで「温度係数」だが、辞書を見ると、これがなかなか難しい。「絶対温度が1度上がるたびに物体の性質が変化する割合」となっているが、これでは何のことかわからない。
別の辞典によると、温度係数はある物質変化を「温度差の一次関数として表すときの係数」であると書いている。温度と直線関係にあるものならなんでも良いのだ。
例えば温めると柔らかくなるというのなら、柔らかさの絶対温度1度ごとの差分を「柔らかさ vs 温度」係数といえばいいだけの話だ。
そして熱化学の場合は「熱発生量 vs 温度」ということになる。「熱発生量は温度が上がれば増える」のだが、その増加率(直線の傾き)が、化合の種類によって規定されるということだ。
熱発生量というのは「天使の分け前」みたいなもので、AとBが化合させてもらったお礼だと思えばよい。
物質の熱容量は比熱と重さ(分子量)をかけたものだが、比熱は物質に固有のものだ。しかし“天使の分け前”としての熱発生量は比熱と関係なく絶対温度によるものだという事実が、ここから導き出される。
なお、ここまでは煩雑を避けるため一次関数として考えたが、これが指数関数だったり対数だったりする可能性はある。むしろその方がありうる。
例えば抵抗温度係数は下記のごとく示されている。
抵抗温度係数1抵抗温度係数2
            ウィキペディアから
AとBの化合過程で化合物の比熱は増加あるいは低下を止め平衡状態に入る、すなわち温度係数がゼロになる、そういう場所があるはずだ。それは実際にあることが確かめられている。

ところでAとBが合体するというのはモデルに過ぎない。実際には、ある物質にはA、B、C、…などさまざまな比熱の物質が含まれている。ということは、一つの物質が化学反応を起こす場合に、熱放射をするものもあれば熱吸収をするものもあるということだ。
ただこれがある程度の高温になると、熱放射と熱吸収が平衡状態を形成する。

ここまでが「熱化学におけるキルヒホフの法則」の原理に関する、数式を使わない説明だ。
おそらく実験観察に基づいた仮説なのだろう。ここではそう覚えるしかない。





その成果が黒体放射に関わる独創的な研究である。
黒体放射の研究は1859年、35歳のことであるが、その前後の数年間に、分光学を用いて次々と重要な発見をしている。
これは後で説明する。
60年に太陽光スペクトルの暗線がナトリウム由来であることを示し、さらにブンゼンとの共同研究でセシウムとルビジウム元素を同定した。

(まだ作りかけです)
化学にとって量子論の出現は深刻だったらしい。量子論は基本的には物理学の学問であるが、化学の根っこを、全面否定と言っても過言でないくらい猛烈に揺るがせた。
ここから化学は自らの根拠を立て直していくわけだが、やはり物理学の分野における量子論の定着と、化学の世界における量子的な物質観の受容は、歴史的に見ていくしかないだろう。


1859 黒体放射のスペクトル:キルヒホフが黒体(black body)を熱し放射線のスペクトルを分析。スペクトルの相が温度のみに依存することを発見。これは今までの光線スペクトルの常識では説明できない。

鉄のかたまりを 熱すると, 温度が低いときは 黒く,1000 ℃ くらいになると赤くなり, 1500 ℃になると白く まぶしく輝く。これをスペクトル分析すると、総エネルギー量の増加とピーク振動数の増加が見られる。

1864 マクスウェル、電磁波理論を提唱。電場と磁場が振動しながら空間を伝わっていくと主張。電磁波の速度が光の速度と同じであることから、両者を同一のものとする。

1877 統計力学の理論: ボルツマンがエントロピーを考察。円ダイアグラム表現を提示。

1887 光電効果の発見: ヘルツは電磁波の発生実験のあいだに、帯電した物体に紫外線を照射すると電荷が失われることを発見した。これは光が電気を生んだからである。のちにアインスタインが光の量子効果によるものであることを証明。

1888 電磁波の実在証明: ヘルツがマックスウェルの電磁波理論を実験的に追認。光が電磁波の一種であることが明らかになる。

電磁波の発見は無線通信への道を拓き、マルコーニによって無線通信技術が確立された。

1895 X線・放射線の発見: レントゲンがプラズマ中の電子ビームの実験中にX線を発見。翌年ベクレルが追試中に放射線を発見。

1896 ゼーマン効果: オランダの物理学者ピーター・ゼーマンは、ナトリウム原子を加熱して発光させ、磁界をかけた。このとき1本だった光スペクトル線が数本に分かれることを発見した。これが「ゼーマン効果」と名付けられた。

1897 電子の発見: J.J.トムソンが原子よりはるかに小さい電子を発見。これにより“原子”が原子核と電子という構造を持つことが明らかになった。

1899 ラザフォード、放射線に二つの種類があることを発見。アルファ線とベータ線と呼ぶ。

1900 量子仮説: プランクが黒体放射のスペクトル強度を測定。プランク定数を用いて数式化した。これを量子仮説と称する。

プランクは黒体放射において、黒体に含まれる振動子のエネルギーが量子化されており、プランク分布を示すと主張。この際振動子が持つエネルギー E は振動子の振動数v の整数倍n に比例する。それは E=nhv と規定され、.比例定数hはプランク定数と呼ばれるようになった。

1902 原子核崩壊の発見: ラザフォード、トリウムが原子核崩壊によりラジウムと気体に変換することを発見。その後ラザフォードは「原子物理学の父」と呼ばれる。

1902 レーナルトの光電効果に関する実験: 1.効果は即時である、2.振動数の大きな光ほど飛び出す電子が増え、3.ある振動数以下の光では電子が飛び出さない、という粒子論を支持する所見。

1905 この年アインシュタインは1.特殊相対性理論、2.光量子理論、3.質量とエネルギーの等価性、4.ブラゥン運動の説明を次々と発表。「奇跡の年」と呼ばれる。

1905 光量子仮説: アインシュタイン、量子仮説に基づき
光電効果を光量子で説明。光子 1 個が持つエネルギーε はプランク定数h と光の振動数の積νに等しい。

1905 ブラウン運動の解明: アインシュタインが量子仮説に基づき説明。

1905 質量とエネルギーの等価性: アインシュタインが理論的に等価性を導出した。

1909 アインシュタインが光の粒子と波の二重性を提唱。

1911 原子核の発見: ラザフォードがアルファー線を金箔に照射する実験を行った。このとき透過しないで跳ね返ってくるものを発見。原子核の存在を提唱した。ラザフォードの原子模型と呼ばれる。

1912 ヘスが宇宙線を発見。

1912 ポアンカレがエネルギー量子の本質的性質にかかわる数学的議論を発表

1913 電気素量の決定: ミリカンが油滴実験により、電気素量を測定。基本単位は“e”と名付けられる。

1913 ボーアの原子モデルが提示される。水素のスペクトルについてのリュードベリの公式を説明したもの。原子の定常状態に注目が集まる。

1919 陽子の発見: ラザフォードはα粒子を窒素の原子核に衝突させた。このとき陽子が飛び出してくることを確認。この結果1個の陽子を原子核とする元素、すなわち水素が生成された。

1922 電子の2種の磁気作用の発見: シュテルン・ゲルナッハは磁界中を銀原子が通過するとき、上下の2方向に曲げられることを発見。電子に2通りの磁気作用があることが分かる。

1924 物質波の概念の提唱: ド・ブロイが物質は波と考えることもできると提唱。アインシュタインの光量子仮説と特殊相対論を発展させたもの。

1924 電子のスピンを発見: パウリが2種類のスピンがあることを発見。さらに電子の1つの軌道には同一スピンの電子は1個しか入れないことも発見する(パウリの排他律)

1925 行列力学の開発: ハイゼンベルグ、ボーアの提示した原子の定常状態を行列式で表現することに成功。量子力学の基本方程式となる。

1926 波動力学の開発: シュレディンガーが物質波の考え方を発展させ、波動方程式を発表。量子力学のもうひとつの基本方程式となる。エネルギーに最小値があり、エネルギーが小さいときは飛び飛びの値を取ることを明らかにする。

1927 不確定性関係の理論: ハイゼンベルグにより、粒子の位置と運動量を同時に決定することができないことが示される。同時決定ができなくても、それぞれの物理量の間には不確定性関係が生まれ、それは交換関係によって規定される。

1927 アインシュタイン、不確定性原理に対する不同意を表明。

1928 量子状態を数学的に表現するディラック方程式が明らかにされる。相対性理論と量子論が融合される。

1930 ディラックが中心となり、「量子力学の諸原理」が出版される。ディラックは相対性理論の4次元化により、反粒子の存在を予測。その後、反陽子が確認され量子力学が確立する。

1930 ニュートリノの発見: パウリがベータ崩壊によるニュートリノ放出を提案。(当初はこちらが中性子と呼ばれた)

1931 ルスカが電子顕微鏡を発明。ローレンスがサイクロトロンを発明。

1932 中性子の発見: チャドウィクが電荷を持たない中性子を発見し、原子核のモデルが確立する。中性子の存在はフェルミが予想していた。

1932 アンダーソンが陽電子の存在を実証。(ニュートリノの年表を参照のこと)

1933 フェルミ、チャドウィックの中性子の発見を受けて、パウリの提案した「中性子」を「ニュートリノ」と改名。

1933 核連鎖反応の理論: レオ・シラードが提唱。

1933 ナチが政権を獲得し、ユダヤ人への圧迫を強める。

1935 中間子の存在の予言: 湯川秀樹、原子核の中に陽子を閉じ込める力の存在を提唱する。粒子の大きさを電子の約200倍と推定。パイ中間子と名付けられる。

1936 陽電子を証明したアンダーソンがミュー粒子を発見。

1938 核分裂反応の観察:  ハーンとシュトラスマン、ウランに中性子を衝突させ、バリウムが生じることを発見。

1939 核分裂反応を確認したフリッシュとパイエルス、核兵器の実現可能性を報告。

1940 パウリがフェルミ粒子のスピンを1/2整数とする定理を確認。

1940 第二次世界大戦が始まる。フェルミの活動するコペンハーゲンもドイツに占領される。

1947 くりこみ理論の発表: 朝永振一郎が「場の量子論」における計算方法を確立。クーロン力は質量ゼロのフォトンを交換することによって生ずると説明。

上野武二先生から「大月源二の獄中での絵画制作」という論文を送っていただいた。「美術運動史」という雑誌のNo.166 号で、発行日は4月20日となっている。
先生がますます、多喜二と大月源二の世界に入り込んでいくさまが手をとるようで、畏敬に耐えない。
多分“ナマの事実”の側も、それを書き留める側も、切迫した時間との戦いになっているのであろう。

ところで、この論文の最後に、大月源二の歌三首が紹介されている。めったにお目にかかれるものではないだろうから、この際転載させていただく、
「刑務所内からプロレタリア美術運動の盟友・松山文雄に送った」ものだそうである。大月は1932年6月に治安維持法違反で逮捕されている。多喜二虐殺の33年2月には拘置所にいたことになる。10月にいったん保釈されたあと、34年2月に刑が確定し、甲府刑務所に入所した。そして36年の4月まで服役していた。
ふじ子との出会いは転向・保釈されてまもなくのことである。源二は突如出現したふじ子を、多喜二の“復活”のように受け止めたのではないだろうか。

だから入所時すでに、そこには転向に伴う動揺(クオ・ヴァディス)は越えられていた。そのように思われる。

泣くが如 風空に鳴り 光みち 甲斐の荒野に春きたるらし

鉄窓の 金あみごしにさあをなる 空をななめにおつる鳥かな

山の色 げにあざやかに見ゆるかな 今朝ひょうひょうと 風の音して

いずれも獄舎の小窓を通して、わずかな感覚を手がかりに外界との連帯を歌ったもので、とりわけ第1首は心躍る感慨をみごとに具象化した秀歌である。

“さあを”というのは切り取られたささやかな空の青という意味だろうか。別に空を鳥が落ちるのではなく、小窓で区切られた空間をななめに横切ったに過ぎないのだろうが、この遠近法はシンプルな色彩感覚と相まって絵画に化身されている。「走る男」と同じモチーフなのもしれない。

これに比べると、“山の色”とか“げにあざやか”というのは陳腐だが、“今朝ひょうひょうと”がすべてをすくいあげている。甲府盆地の晩秋というのは、ことに早朝からの寒風は、“秋霜烈日”たるに相応しい。だから山の色の鮮やかさが一層引き立つのである。

大月の獄中生活は三つの要素で成り立っている。早春から晩秋への季節の移り変わり、それを小窓を通じて凝縮された形での受け取り、そしてそれらをポジティブに受け止め、捉え返す静かな確信。

絵については詳しくないのだが、このような心象が入所中の画作にも通底しているのだろうか。

我が家には50インチの堂々たるテレビがある。三菱製で絵は多少落ちるが音がすごい。もともと嫁さんがテレビ人間で、それでこんなすごいのがあるのだが、今は寝たきりで事実上私のものとなっている。
日曜の昼間にカーテンを閉めて、絨毯に座って少し見上げる風に見るとなかなかシアター風である。
連休中に借りたビデオで、「阪急電車」というのが良かった。基本的に女性映画で、男役は刺身のツマ的にしか出てこない。
2011年3月の公開というから東北大震災に完全にかぶっている。これは大方の日本人にはまったく知られない映画ではなかったろうか。めぐり合わせが悪かった映画である。
この映画の舞台となったのは、シックな阪急の中でも宝塚と関西学院、西宮をつなぐ郊外路線で、関西では屈指の洒落たところらしい。20年くらい前、何故か池田で心臓ペーシングのセミナーがあった。帰りに宝塚に寄った記憶がある。私は手塚治虫の記念館を見てきた、連れは宝塚歌劇場を見てきたらしい。
と言うくらいで、あまり馴染みのない場所である。
映画の方だが、宮本信子と南果歩が圧倒的によい。実は最初、ふたりとも誰かわからなかった。口元と喋りと仕草がすごくて、「誰やろう? なにか見た気がしてしょうがないんだけど…」と言ったら嫁さんが指盤で教えてくれた。「目は口ほどにものを言い」と言うが、口元の美しさがえらく目立つ映画であった。
主役の俳優は中谷美紀という人らしいが私はよく知らなかった。ちょっとゴツめの顔立ちであるが、映画ならではのドぎつめなキャラなので、それをリアルに作り上げた実力はそれなりのものなのであろう。衣装と宝飾は間違いなくA級だった。
あと、うまいなと思ったのは田舎出の女子大生を演じた女優さん。谷村美月というらしい。横にいたらちょっと引いてしまいそうな、ちょっと濃すぎる映画向きの美人だ。
その他、これだけ多くの役者がみなうまく化けていて、登場人物をつなげる脚本が良く綾んでいて、エキストラまでふくんで画面の目が詰んでいて、この上なく贅沢な映画だった。ごちそうさま。

結局、英語版ウィキで見る限り、ケミストリーというのは物理化学のことであった。
無機化学、有機化学というのはその応用系であり、皮に過ぎない。
羊頭を掲げて狗肉を売るというたぐいになる。
ただしこのたぐいの話は実によくあるのであって、私の専門である医学などというのも考えてみれば相当に胡散臭いところがある。
むかし文庫クセジュだったかに「人間生物学」(ショシャール)というのがあって、まさに「それって医学じゃん」という感じだった。
もちろん、生物学もそう偉そうなことは言えないわけで、生物を対象とする有機化学の一分野と言えなくもない。


英語版ウィキで物質のことをマターと呼んでいることに新鮮な感じをおぼえた。
言われてみればたしかにマターも物質だが、普通物質といえばサブスタンスという英語が思い浮かぶ。
化学が物質をあつかう科学だとすれば、その対象となるのは化学物質であり、それは通常ケミカル・サブスタンスと呼ばれる。
サブスタンス(物質)と呼べば済むものをマター(事物)と呼ぶのは、化学屋さんの一種の衒いみたいなものではないかと思う。
むしろマター全般をあつかうのが物理学で、その中でサブスタンスに特化したのが化学なのではないかと思ったりもする。
物理学は森羅万象、ありとあらゆる形而下的な事物や現象を扱う。これに対して形而されていないもの、こちら側から言うと、いまだ認識されていないものは、形而上学、哲学の対象世界に入る。


考えてみると「医学者」というのも怪しい商売で、いっそ「人間相手の生物学者です」と名乗ればということになる。もっと露骨に言えば、「医者の免許持っている生物学者です」という話だ。
たまに医者のアルバイトするから、普通の生物学者より実入りは良い。たいていは学位取るまでの「学者」で、その後は博士号のある医者として金を稼ぐことになる。少なくとも普通の生物学者からはそう見られている。
それが素人の前に出ると、とたんに偉そうにふんぞり返る。そして御大層な生物学者のフリをする。
困るのはこういう連中が教授会の主流となるから、「医学は理数系だ」と主張して、生物と人間の見境もつかないような医学者や学生を集め、育てることになる。731部隊は目前である。

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