鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2018年04月

「化学」とは何か 英語版Wikipediaより その3

 

「その2」では目次のうち

2.1 物質

                2.1.1 原子

                2.1.2 要素

                2.1.3 化合物

                2.1.4 分子

                2.1.5 物質および化合物

                2.1.6 モルと物質の量

までを訳した。

「その3」では

2.2 フェーズ

2.3 結合

2.4 エネルギー

を訳出する。

 

2.2 位相(フェーズ)

異なる化学分類を区別する特定の化学的性質に加えて、化学物質はいくつかのフェーズで存在することができる。

ほとんどの場合、化学分類はこれらの内部相分類とは独立している。

しかしながら、より外部的な相は、ある種の化学的性質と両立しない。

相は、圧力または温度などの条件の範囲にわたって、同様のバルク構造特性を有する化学系の状態の集合である。

密度および屈折率などの物理的特性は、相の特性値内に収まる傾向がある。

物質の相は相転移によって定義される。相転移は、システムに投入された、またはシステムから取り出されたエネルギーがバルク状態を変更せずに、システムの構造を再編成することです。

このあたり、さっぱりわかりません。「バルク相」はCampbellらが1962年に発表した概念なのだそうですが、界面化学だの結晶学だのという用語がわからないと、その解説もますます謎を深めます。

相転移は不連続な境界を持ちますが、時に連続的であることがあります。この場合、物質は超臨界状態にあると考えられます。

相の最もよく知られた例は、固体、液体、および気体である。多くの物質は複数の固相を示す。

例えば、固体鉄においては温度および圧力に基づいて変化す3つの相が存在する。例えば石炭と黒鉛とダイヤモンドである。

固相間の主な違いは原子の結晶構造または配列である。

一般的に遭遇するもう一つの段階は、液相である。これは、水溶液中に溶解した物質の状態である。

あまりよく知られていない相には、プラズマ、Bose-Einstein凝縮物およびフェルミック凝縮物、ならびに磁性材料の常磁性および強磁性相が含まれる。(まったくわからないが一切飛ばす)

 

2.3 結合(ボンディング)

分子または結晶中に互いに粘着している原子は、互いに結合していると言われている。

化学結合は、核内の正電荷とその周囲を振動する負電荷との間の多重極バランスとして視覚化することができる。

単純な引力と斤力のエ強さと分布は、電子が他の原子に結合する可能性を特徴づけるものです。

化学結合は、共有結合、イオン結合、水素結合またはファンデルワールス力によるものであってもよい。(ファンデルワールスはとりあえずわからなくてもよさそう)

これらの種類の結合はそれぞれ、ある程度のポテンシャルがあり、分子や結晶中に原子を一緒に保持する相互作用を作り出します。

多くの単純な化合物では、原子価結合理論、原子価シェル電子対(でんしつい)反発モデル。

valence shell electron pair repulsion ruleの頭文字をとってVSEPR理論とも呼ばれる。「原子価軌道上の電子は相互に反発し、電子対はその反発が最も小さくなるように配置する」らしい。

また、酸化数の概念を用いて分子の構造と組成を説明することができます。

金属が1つ以上の電子を失うとイオン結合が形成され、正に荷電したカチオンになり、電子は非金属原子によって得られ、負に帯電した陰イオンになる。

反対に荷電した2つのイオンは互いに引き合う。イオン結合は、それらの間の静電気力です。

例えば、金属であるナトリウム(Na)はNa +カチオンになるために1電子を失うが、非金属である塩素(Cl)はこの電子を得てCl-になる。 イオンは、静電引力のために一緒に保持される。

そして、その化合物の塩化ナトリウム(NaCl)または一般的な食塩が形成される。 

共有結合において、原子価電子の1つ以上の対は、2つの原子によって共有される。その結果として得られる電気的に中性の結合原子団は、分子と呼ばれる。 

原子は原子価電子を共有して、各原子の希ガス電子配置(最外殻に8電子)を作り出す。

価電子帯に8個の電子を持つように結合する傾向がある原子は、オクテット規則に従うと言われています。

しかしながら、水素およびリチウムのようないくつかの元素は、この安定な構成を達成するために、最も外側の殻に2つの電子のみを必要とする。

これらの原子はデュエットの規則に従うと言われており、このようにして外側の殻に2つの電子を持つ希ガスヘリウムの電子配置に到達している。

同様に、古典物理からの理論を用いて多くのイオン構造を予測することができる。

金属錯体のようなより複雑な化合物では、原子価結合理論はあまり適用されず、分子軌道理論のような別のアプローチが一般的に用いられる。


エネルギー

化学の範疇においてエネルギーは、物質の原子、分子または化学構造の変化として生じる属性である。

化学変化とエネルギー

化学的変化は、これらの構造のうちの1つまたは複数の変化を伴う。したがって物質のエネルギーの増加または減少を必ず伴う。

ある種のエネルギーは周囲と反応の反応物との間で熱または光の形態で伝達される。

したがって、反応生成物は、反応物(リアクタント)よりも増減したエネルギーを有することになる。

最終状態が初期状態よりもエネルギースケールにおいて低い場合、反応は発エルゴン反応(exogonic)であると言われる。吸エルゴン反応(endergonic)の場合、その状況は逆である。

反応が周囲に熱を放出する場合、反応は発熱性であると言われる。吸熱反応の場合、反応は周囲からの熱を吸収する。

化学反応は、反応物が活性化エネルギーとして知られるエネルギー障壁を超えなければ、常に不可能である。

化学反応の速度(所与の温度Tで)は、ボルツマン因子に関係している。これは、所与の温度Tにおいて、分子がE以上のエネルギーを有する確率である。

此処から先は五里霧中です。まずボルツマン因子ですが、「温度T の熱平衡状態にある系において、特定の状態が発現する相対的な確率を定める重み因子」だそうです。
すごく単純化すると「反応速度を定める係数」みたいなもののようです。これがボルツマン係数(k)と呼ばれるものです。

この反応速度が温度に指数関数的に依存することは、アレニウス方程式として知られている。

アレニウスの式: ボルツマン定数 k と絶対温度 T との関係を表わす式で、Eが活性化に要するエネルギーを示す。  k=A exp (-E/RT)

化学反応が起こるのに必要な活性化エネルギーは、熱、光、電気または機械的な力の形で超音波の形態であり得る。

関連概念である自由エネルギーは、エントロピーも考慮に入れ、熱力学における反応の実現可能性を予測し、化学反応の平衡状態を決定するための非常に有用な手段である。

この反応は、ギブス自由エネルギーの総変化が負である場合にのみ実現可能である。変化がゼロなら化学反応は平衡状態にある。

電子、原子、分子のエネルギー

電子、原子、分子には限られたエネルギー状態しか存在しない。それは、結合されたシステムのエネルギーの量子化を必要とする量子力学の規則によって決定される。

高エネルギー状態の原子/分子は励起されたと言われる。励起エネルギー状態にある物質の分子/原子はしばしばより反応性が高い。 すなわち、化学反応に対してより敏感である。

物質の位相は、必ずそのエネルギーと周囲のエネルギーによって決定されます。

エネルギーとフェーズ

物質の分子間力が周囲のエネルギーがそれらを克服するのに十分でないようなものである場合、それは水(H 2 O)の場合と同様に液体または固体のようなより規則正しい相で生じる。

水の分子は水素結合によって強く結合されているため、室温では液体です。いっぽう硫化水素(H2O)は、その分子がより弱い双極子と双極子によって結合されるので、室温および常圧では気体である。

ある化学物質から別の化学物質へのエネルギー移動は、ある物質から放出されるエネルギー量の大きさに依存します。しかし熱エネルギーはより容易に移行する。

物質中の振動および回転エネルギーにより発生する音子(フォノン)は、電子エネルギー移動が誘発する光子よりもはるかにエネルギーが少ないを有するからである。

したがって、振動エネルギーレベルおよび回転エネルギーレベルは、電子エネルギーレベルよりも密接に離れているので、熱は、光または他の形態の電子エネルギーに対して物質間でより容易に伝達される。

例えば、紫外線電磁放射は、熱的または電気的エネルギーと同様に、ある物質から別の物質に多くの有効性で移動されない。

異なる化学物質の特徴的なエネルギーレベルの存在は、スペクトル線の分析による同定のために有用である。

様々な種類のスペクトルが化学分光法でしばしば使用される。 IR、マイクロ波、NMR、ESRなど

分光法はまた、遠隔の物体(星や遠方の銀河など)の組成を、その放射スペクトルを分析することによって識別するためにも使用されます。

化学エネルギーという用語は、しばしば、化学反応を介して変換を受ける化学物質または他の化学物質を変換する可能性を示すために使用される。


「化学」とは何か 英語版Wikipediaより その4

「その3」では目次のうち

2.2 フェーズ

2.3 結合

2.4 エネルギー

を訳出した。

「その4」では

2.5 反応

2.6 イオンおよび塩

2.7 酸性と塩基性

2.8 酸化と還元

2.9 均衡

を訳出する。

反応(リアクション)

化学物質が他の物質との相互作用またはエネルギーの結果として変換されると、化学反応が起こったと言われる。

したがって、化学反応は物質が他の物質と密接に接触するときの「反応」に関連する概念です。

混合物であろうと溶液であろうと、 何らかの形のエネルギーへの暴露、あるいはその両方が含まれる。

それは、反応の構成要素とシステム環境との間で、なんらかのエネルギー交換をもたらす。

反応は実験室のガラス器具の中で起こるように設計することもできます。

化学反応は、分子の形成または解離をもたらす。これは、分子が2つ以上のより小さな分子を形成するように崩壊する。または分子内または分子間の原子の再配列を伴うこともある。

化学反応は、通常、化学結合の形成または切断を伴う。酸化、還元、解離、酸 - 塩基中和および分子再配列は、一般的な化学反応の代表である。

化学反応は、化学式を用いて象徴的に示すことができる。原子核の変化を伴わない化学反応では、方程式の両辺の原子の数と種類は等しい。

核反応は核粒子、すなわち陽子と中性子に対してのみ当てはまる。

反応とメカニズム

化学反応の過程で化学結合の再編成が起こる。この一連の過程をその機構と呼ぶ。

化学反応は多数のステップで行われる。それぞれが異なる速度を有すると想定される。 従って、反応の過程で可変安定性を有する多くの反応中間体を想定することができる。

反応のメカニズムと中間産物を説明するために多くの反応メカニズムが提案されている。多くの物理化学者は、このようなメカニズムを探求し、提案することに特化しています。

なかでもWoodward-Hoffmannの法則のようないくつかの経験則は、化学反応のメカニズムを解析するのに役立っています。

ウッドワード・ホフマン則 ペリ環状反応の選択性を説明する法則。 その内容から軌道対称性保存則とも呼ばれる。
ということでペリ反応を知らない人には無縁のもの。

IUPACのゴールドブックによれば、化学反応は「化学物質の相互変換をもたらすプロセス」である。したがって、化学反応は、基本反応または段階的反応であってもよい。

IUPAC 国際純正・応用化学連合(International Union of Pure and Applied Chemistry)の略称。ここの命名法が世界で用いられている。ゴールドをふくめ8色の本があるが、化学用語はゴールドに集約されている。

この定義には、配座異性体の相互変換が実験的に観察可能である場合が含まれるという点で、さらに注意が必要である。

そのような検出可能な化学反応は、通常、この定義によって示されるような分子実体のセットを含む。しかし、単一分子の実体を伴う変化にもこの用語を使用することは、しばしば概念的に便利です(すなわち、「顕微鏡的化学事象」)


イオンと塩(ソルト)

イオンは、1つまたは複数の電子を失ったまたは獲得した荷電種、原子または分子である。

原子が電子を失って電子よりも多くのプロトンを有するとき、原子は正に荷電したイオンまたは陽イオンである。原子が電子を得てプロトンよりも多くの電子を有するとき、原子は負に荷電したイオンまたは陰イオンである。

カチオンおよびアニオンは、Na +およびCl-イオンなどの中性塩の結晶格子を形成して塩化ナトリウムまたはNaClを形成することができる。

酸 - 塩基反応中に分裂しない多原子イオンの例は、水酸化物(OH)およびリン酸塩(PO43−)である。

プラズマは、通常は高温によって完全にイオン化された気体状物質からなる。


酸性と塩基性

物質は、しばしば酸または塩基としても分類される。

酸塩基の挙動を説明するいくつかの異なる理論がある。最も単純なのはアレニウス理論である。

「酸は水に溶解するとヒドロニウムイオンを生成する物質であり、塩基は水に溶解すると水酸化物イオンを生成する物質である」というものである。

Brønsted-Lowry酸塩基理論によれば、酸は、化学反応において正の水素イオンを別の物質に供与する物質である。塩基は、水素イオンを受け取る物質である。

第3の理論は最も一般的なもので、新しい化学結合の形成に基づくルイスの酸塩基理論である。

ルイス理論は、酸が、結合形成のプロセス中に別の物質から一対の電子を受容する物質であることを説明している。塩基は、新しい結合を形成するために一対の電子を提供する物質である。

この理論によれば、交換される重要なことは電荷である。

この酸・塩基概念の歴史で明らかなように、物質が酸または塩基として分類される他のいくつかの方法がある。

酸強度は、通常2つの方法によって測定される。アレニウスの酸性度の定義に基づく1つの測定値はpHである。

これは、溶液中のヒドロニウムイオン濃度の測定値であり、負の対数スケールで表される。したがって、低いpHを有する溶液は、高いヒドロニウムイオン濃度を有し、より酸性であると言える。

ブレンステッド - ローリーの定義に基づく他の測定値は、酸解離定数(Ka)である。これは物質が酸として作用する相対的能力を測定します。

すなわち、より高いKaを有する物質は、低いKa値を有する物質よりも化学反応において水素イオンを供与する可能性が高い。


酸化・還元(レドックス)

レドックス(還元酸化)反応には、電子が得られ(還元)、電子が失われる(酸化)原子の酸化状態が変化するすべての化学反応が含まれます。

他の物質を酸化する能力を有する物質は酸化性であると言われ、酸化剤、酸化剤または酸化剤として知られている。酸化剤は、他の物質から電子を除去する。

同様に、他の物質を還元する能力を有する物質は還元性であり、還元剤、還元剤または還元剤として知られている。還元剤は、電子を別の物質に移動させ、それによって酸化される。

電子を「寄付」するので、電子供与体とも呼ばれます。

酸化および還元は、酸化数の変化を適切に意味する。実際の電子の移動は決して起こり得ない。

したがって、酸化は、酸化数の増加、および酸化数の減少としての減少としてよりよく定義される。

 

平衡(イキリブリアム)

平衡の概念は、化学の文脈において科学全体にわたって広く使用されているが、化学組成の多数の異なる状態が可能な場合にいつでも発生する。

例えば、相互に反応することができるいくつかの化合物の混合物、または物質が複数の種類の相に存在することができる場合。

平衡状態の化学物質の系は、たとえ変化しない組成を有するとしても、しばしば静的ではない。

物質の分子は相互に反応し続け、したがって動的平衡を生じる。したがって、このコンセプトは、化学組成などのパラメータが経時的に変化しない状態を記述する。

 

 

 



前から気になっていたが、さすがに一人では入りにくかった。
そこへ釧路から孫(ピカピカの1年生)がやってきて、これ幸いと連れ出して行ってきた。
感想は表題のとおりである。第一に子供が感動する。「僕、泣いちゃった」そうだ。第二に「絵」が実物以上にリアルで感動する。第三にメキシコと人々への素直な愛情が胸を打つ。
正直のところ、あのディズニーがメキシコ人にこれだけ共感と敬意(おめなへ)をもって映画づくりをしようとは思わなかった。メキシコと言えば唐辛子とテンガロンハットとカルテルしか知らない日本人に是非見てもらいたい映画だ。
音楽もよい。馴染みのせいもあって、主題歌の「リメンバー・ミー」よりもところどころに挿入される「サンドゥンガ」(ひょっとして「ジョローナ」?。多分ハリスコあたりの民謡)がとても有効だったと思う。
なお劇中に頻出するフリーダ・カーロは実在した女性画家。
カーロ
女装しているのがもったいないような男装の麗人。「自画像」よりはずっと良い。
父親はハンガリ生まれのユダヤ人でメキシコで写真家として成功した。当然といえば当然、フリーダも生まれつきのアカで、メキシコが最も輝いた1920~1930年代を駆け抜けた。スペイン人民戦争を支援し、トロツキーをかくまった。今日では国民的芸術家として女性運動の先駆者として尊敬されている。


4月24日 「欧州議会有志による動議」
10名の議員の連名で発議されている。

以下は動議のうち行動提起部分のみ

1.ベネズエラ・ボリバリア共和国(以下ベネズエラ)に対する、継続的な外部からの干渉、および政治的、経済的、社会的不安定化工作を強く非難する。

2.ベネズエラの主権を犯す干渉戦略を適用することが、対話と平和のための空間を創造することにいかなる貢献もしていない。このことを強調する。

3.ベネズエラの国民は、発展の道筋について、外部の干渉や圧力をまったく受けることなく、主体的かつ平和的に決定する権利をもつ。このことを再確認する。

4.国際法にもとづく、「内政不干渉」の原則は全面的に尊重されるべきである。このことを表明する。

5.ベネズエラにおける「人道危機の疑惑」は、外部からの干渉を増大させ、政治介入のキャンペーンを強めている。このことを非難する。

6.米国、OAS、EU、その他の国が第三国の内政に干渉することを深く憂慮する。そして、すべての人々が自決権、すなわち政治状況をみずから決定する権利、経済的、社会的、文化的発展をもとめる権利を認め尊重するよう求める。

7.不安定化キャンペーンは非民主的で暴力的な目的を持っている。それは米国の帝国主義的利益を補強している。それはベネズエラの石油資源へのアクセスを確保し、アメリカ・ボリーバル同盟(ALBA)諸国の利益を損なおうとしている。

8.米国はベネズエラに対する制裁を継続することを決定した。それはベネズエラを「米国の国家安全保障と外交政策」にとって「異常で異常な脅威」とみなしている。これを拒絶し即時廃止を要求する。

9.アメリカ南方軍司令官クルト・テッド提督の声明(4月6日)を非難する。これはこれは主権国に対する攻撃を予告するものである。

10.最近の米州機構(OAS)の動向は、組織の民主主義の欠如を示し、中南米の国民の主権に対する一貫した侵害者の役割を果たしている。これを批判する。

11.メルコスール内にはベネズエラが議長国となるのを阻止しようとする動きがある。これを批判する。

12.EUは政治的目的のために人権を見せかけの「道具」として利用しようとする動きがある。とくにベネズエラのケースで著しい。これを非難する。

13.EUはベネズエラと国民に対して制裁その他の措置を適用しようと試みている。これを断固として拒否する。

14.第三世界の国々との対話は、いかなる場合においても、国民の自己決定権を制限するものであってはならない。このことを強調する。

15.多くの国際メディアは、うわさ話を広げ、ニセ情報を流してベネズエラ政府への信頼を傷つけた。そして暴力的な雰囲気を煽った。この役割を指摘する。
報道の自由は人権の根幹をなす。このことを想起する。
そして、責任ある行動と、公正・正確でバランスの取れた表現でイベントをカバーするようもとめる。それは現在もなお、なされていない。

16.現在ベネズエラが深刻な経済危機に直面していることを認める。その原因は以下のごとく考える。
この経済危機は主に国外事情によって引き起こされている。それは経済制裁と石油価格の下落の両方によるものだ。そして野党と経済界の一部が指揮する組織的な経済不安定化戦略がこれに拍車をかけている。
彼らは商品の生産と流通を支配し、特に食品や医薬品の分野では、彼らの策動が商品の不足につながった。
経済界と手を結んだバチャケーロス(bachaqueros)はモノ不足を作り出し、商品を闇市場に横流しして法外な利益をむさぼっている。
この国のインフレを作り出しているのは高額紙幣の隠匿でもある。それらの高額紙幣の多くがコロンビアやパラグアイなどで発見されている。
この厳しい経済攻撃にもかかわらず、ベネズエラは対外債務に関して国際的な信用を維持している。また国家予算の70%を社会開発に配分し続けている。

17.ベネズエラ政府は憲法を遵守した。国会の多数を占める野党は憲法を無視し、違反することを厭わなかった。これは記録すべき事柄である。

18.「ラテンアメリカ・カリブ平和地帯宣言」にふくまれる諸原則は強調されるべきである。
この宣言にはいかなる国とも内政不干渉の原則を守ること、国家主権、国家間の平等、民族の自決権の原則が含まれる。
国際社会はこの宣言を十分尊重すべきである。

19.ベネズエラにおける社会政策の実施を歓迎する。それらは社会的責任と正義、平等、連帯と人権にもとづいており、国民のあいだの不平等を軽減するのに役立っている。
それは社会開発や教育の発展として、たとえば2005年の文盲の根絶や高等教育の学生数の大幅な増加に示されている。

20.ベネズエラはラテンアメリカの人々の協力と統合に大きな役割を果たした。その重要性を想起しなければならない。とくにALBAは健康、教育、文化、相互理解の分野で大きな足跡を残した。これは歓迎されるべきである。

21.ALBA-TCPの加盟国は、人権、司法、平和を促進するためにベネズエラ政府が払った努力を認識している。そのゆえにベネズエラに対する国際的介入が、兄弟国ベネズエラだけではなく、ラテンアメリカ・カリブ全体を不安定化させていることに気づいている。

22.ベネズエラのマドゥーロ大統領は、南米諸国連合(NNASUR)の支援を受け、野党代表との対話を進めている。これを支持する。
この対話にはスペインのサパテロ前首相、ドミニカのフェルナンデス元大統領、パナマのトリホス前大統領も加わっている。また特別代表として法皇フランシス猊下も参加されている。
UNASURの他にも国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(CELAC)やALBAのような組織が、福祉、平和、正義、真実、制度、経済的措置などに大きな役割を果たしている。これを支持する。
また法と民主主義の支配を支持し、国家の尊厳に敬意を払う。

23.ベネズエラの人々と連帯する。そしてベネズエラがこの間に成し遂げた社会的成果を再確認し、これを守るための闘いを支持する。

24.議長はこの決議を以下の部署に送致していただきたい。理事会、委員会、ベネズエラ政府、メルコスール議会、欧州・ラテンアメリカ議員集会、それにUnasur、ALBA、CELACなどの地域機構。
このことを勧告する。

米朝関係の新展開について 覚書
(北海道AALA機関紙への投稿原稿)

あまりにも情報量が多く、とうていまとめきれないが、とりあえず押さえておくべき点を列挙しておきます。

1.米朝会談に至る経過とその評価
タイムテーブル(トランプ就任後の米朝関係)を見てもらえばわかるように、今回の展開はまさに一瀉千里でした。
3月05日に二人の韓国政府特使が北朝鮮を訪問。首脳会談を4月末に開催することで合意しました。
これだけでも大ニュースですが、金正恩は直接、特使と面談し、非核化の意欲を示しました。
二人の特使は帰国後、旅装も解かずにそのままワシントンに向かいました。特使の報告を受けたトランプは、間髪をいれず「5月までに米朝首脳会談を行う」意向を示したのです。
まさか、まさかの展開です。
当初はみな半信半疑でした。
安倍首相に至っては、「ほほ笑み外交に目を奪われ、ぶれてはならない」と、対話を拒否する姿勢を強調します。これはいかに安倍政権がつんぼ桟敷に置かれていたかを鮮やかに示しています。
とくに右翼系メディアを中心に、「こんなやり方は通用しないだろう」とか、「北朝鮮の時間稼ぎに過ぎない」とか否定的な評価が圧倒的でした。
しかし、金正恩が北京を訪れ超国賓級の扱いを受けたあたりから、「これはただごとではないぞ」との見方が広がり、4月に入ってポンペイオCIA長官の極秘訪問が明らかにされると、上を下への大騒ぎとなりました。
日本共産党の動きは電光石火でした。3月8日のトランプ発言の翌日には「米朝首脳会談への動きを歓迎する」との志位談話が発表され、間もなく「各国政府への要請」が発表されます。ここでの最大の主張は「南北首脳会談、米朝首脳会談が持つ世界史的意義について関係国が認識をともにする」ということでした。この政治感覚はすごいと思います(なにか独自の情報源があったのか?)

2.本気の交渉と考える理由
今回の交渉が本気だと考えられるのは、以下の理由があるからです。
①トップとトップの差しの会談であり、合意を破ることはありえない。双方にとって「交渉決裂」だけは絶対に許せない。
②金正恩が特使に直接会い、自らの口で提示したオプションである。「ほほ笑み外交」などというレベルではない。
③会談に至る経過は通常の外交チャンネルではない。駆け引きなしの一発勝負である。中国との対話開始時のキッシンジャー外交に比肩するものであろう。
これについては少し詳しく見ておきましょう。
平昌五輪に金永南が来た時、すでに時刻表はできていたでしょう。予定表を作成したのはポンペイオCIA長官です。
彼は北朝鮮の情勢が猶予ならないものだと認識していました。1月には「北が米国本土に到達する核ミサイルを完成させるまでにあと数ヵ月しかない。それが最大の脅威だ」と語っています。彼の差し迫った問題意識は核ではなくICBMなのです。
彼はこの問題でトランプの一任を取り付けました。国務省には一切関与させずにCIA-韓国国家情報院-北朝鮮の「偵察総局」のチャンネルで進行させました。二人の韓国特使の肩書は国家安保室長と国家情報院長でした。
トランプが米朝首脳会談を打ち出した5日後、ティラーソン国務長官が解任され後任にポンペオが就任します。
以上が、もはや後戻りのできない「本気の交渉」と考える根拠です。
会議の予定がずれ込むことはありうるでしょう。国務省が入らないのでは流石に話は進まないと思います。ただし根っこが座れば枝葉は後でも良いのです。ニクソンが中国に飛んで毛沢東と歴史的な会談を実現しましたが、実は米中の国交回復はそれから5年もあとのことだったのです。だいじなのは実務ではなく政治決着なのです。(今回の動きはキッシンジャーが指南したという噂もある)

3.北朝鮮の非核化へのロードマップ
志位さんの要請文には段階的としか書いてないのですが、まぁ文章の性格からすればそれで良いのですが、勉強するにはもう少し具体的な行程を理解しておく必要があるでしょう。
真面目に書けば長くなるので、ここは駆け足で書いていきます。
①まずICBMの破棄が確約されるだろう。
②非核化については「包括的に合意」されるだろう。
この2点については、押さえておくべきでしょう。つまりポンペイオの線で合意が成立しても、個別日本の危険はまったく軽減されないということです。
③そのために6カ国協議が再開されるだろう
6カ国協議は必須ではなく、できるところから始めることになります。しかしそれは最良の枠組みであり、“一番安定して進む仕掛け”でしょう。
④非核化に対して何らかの見返りオプションが用意されるだろう
⑤核放棄と見返りの「行動」は数年をかけて段階的に行う。
⑥IAEA(国際原子力機関)の査察はその後になるだろう。
94年の合意時には、IAEAが暴走してぶち壊した経過がありました。IAEAの性急な導入は避けるべきでしょう。
段階的なステップと確認
それまでは「6カ国会議」を再開して段階的なステップを踏み、確認しながら進めることになるでしょう。
北朝鮮が持続可能な国となること
究極の目標は北朝鮮が持続可能な体制を実現することで、東アジアに残された最後の不安定要因から外れることが必要です。
というような流れになるでしょう。
肝心なことは、北朝鮮が「傷だらけの野良犬」であることに思いを致すべきということです。そして、死んでもらっては困る我が隣人であるということです。

4.平和で安定した朝鮮半島を実現するための諸課題
上記に書いたのは非核化に限定したロードマップであり、これを安定したものとするためには実に多くの課題が解決を迫られています。
とりあえず、「平和の枠組み」課題を列挙しておきます。
①米朝関係の改善(制裁解除、外交・通商関係改善など)
②朝鮮戦争の休戦協定から平和協定(米朝および南北)へ
③北朝鮮の核の廃棄・ミサイルの廃棄と確証
④朝鮮半島非核化
実際には、北が核放棄すれば半ば自動的に朝鮮半島の非核化になります。ただしアメリカの核持ち込みはいつでも可能になっており、そこに北朝鮮の不安が集中しています。アメリカの「持ち込まず宣言」、韓国の「持ち込ませず宣言」がもとめられます。このことは南北非核宣言、6ヶ国協議で確認されています。
⑤在韓米軍・米韓相互防衛条約の見直し。
将来的には駐韓米軍の撤退ももとめられますが、北朝鮮は当面、撤退には固執していません。敵国でなければ原則不要ですが…
⑥南北和平の推進→平和的統一の道筋
⑦北朝鮮経済の立て直し
これについては5.で詳しく触れます。
⑧日朝国交回復と「賠償」
平和実現後の北朝鮮にとって「賠償」は最大の「援助」となります。

5.北朝鮮の経済建設
上記課題の⑦に相当しますが、きわめて困難な課題であり、特別な言及が必要なものです。
また、これをもって「東亜新秩序」が完成するという、戦後社会のゴール的性格をもつ課題でもあります。
大まかに言って3つのオプションが考えられます。
①韓国への吸収合併(ドイツ型)
②改革・開放路線(中国・ベトナム型)
③現体制を周辺国が下支えしながら、発展を促す(カンボジア型)
①はベルリンの壁崩壊のように国家の崩壊が前提です。また、西ドイツが東ドイツを支えたように韓国が北朝鮮を支えられる保障はありません
②はそもそもうまくいく見通しがありません。もしうまく行ったとしても金正恩体制の崩壊のリスクが避けて通れません。金正恩体制が崩れても良いが、それに伴う混乱は歓迎できません
③は「無害な緩衝国家」としての消極的対応になるが、最もリスクは低いと思います。将来の民主化を想定して周辺国が共通のロードマップを持つ必要があるでしょう。

6.日本の立場について
言っておきたいのですが、この問題は一番最後に考えることです。日朝問題を、核・ミサイルが焦点である北朝鮮問題に混同させるのが間違いのもとです。北朝鮮問題とも米朝関係とも直接の関わりはない世界史的には付随的な問題です。
「ほほ笑み外交に目を奪われ、ぶれてはならない。対話のための対話は意味がない」という安倍首相の当初の立場は間違いでした。
圧力と対話が基本だったにも拘らず、圧力一本槍になってしまったために対話のための戦略が不在となり、このために新状況に対応できなくなってしまいました。
ただしその後の立ち位置はかなり修正されています。日米首脳会談後の発言ではこう述べています。
核・ミサイル、拉致、過去の清算など、諸懸案を包括的に解決して、国交正常化を目指す。
平壌宣言から15年、ようやくスタート台に戻ったというべきでしょう。
日本が覚悟すべき点は、
①日本がつんぼ桟敷に置かれていたという事実を噛みしめるべきことです。
②米朝合意が成立しても、当面する個別日本の核・ミサイルの危険はまったく軽減されないということです。
③拉致問題はトランプにとってはただのリップサービスであり、日本が独自の努力で解決するしかないものです。
結果的に16年間拉致被害者・家族を放置してきた(利用はしたが)安倍晋三個人の責任も問われてくるでしょう。

2017年
1月 トランプが大統領に就任。新政権は朝鮮に対して「最大限の圧力」で厳しく対応する方針を打ち出す。

4月 シリアに対し巡航ミサイルトマホーク59発が発射される。トランプ政権は北朝鮮に対するメッセージでもあると言明。

5月8日 北朝鮮の崔善姫北米局長とアメリカ元政府高官らが非公式の接触。

5月 ポンペオCIA長官が極秘に韓国訪問。北朝鮮工作を協議する。

5月 北朝鮮、CIAと韓国の国家情報院が金正恩朝鮮労働党委員長の暗殺を試みたと主張。

6月2日 国連安保理、対北朝鮮制裁強化決議を全会一致で可決。

6月 日本海に原子力空母を2隻、原子力潜水艦も2隻展開する。戦略爆撃機のB-1が北朝鮮のミサイル発射台に擬した目標の爆撃訓練を繰り返す。

6月 北朝鮮に拘留中のオットー・ワームビアが昏睡状態となり、米国移送後死亡。トランプは北朝鮮を強く非難。

8月5日 国連安保理、石炭や鉄鉱石などを全面禁輸する制裁強化案を全会一致で採択。

8月 北朝鮮、グアム攻撃計画を策定すると発表。トランプは「グアムに何かすれば誰も見たことないことが北朝鮮に起きる」と反撃。

9月 アメリカの圧力を受けたメキシコとペルー、北朝鮮大使を国外追放する。

9月 北朝鮮が6回目の核実験。水爆実験と自称。国連安保理は原油や天然ガスの規制。北朝鮮労働者の就労を禁止する制裁強化決議を全会一致で可決。

9月 トランプと金正恩が罵倒の応酬。

9月 ティラーソン国務長官、米朝が直接接触する経路を持っていることを明らかにする。

11月 大陸間弾道ミサイルの実験。人工衛星「火星15号」を自称する。金正恩は「国家核戦力の完成」を宣言。 

11月 トランプが韓国を訪問。これに呼応し空母3隻を日本海に投入して演習。

11月 アメリカ、北朝鮮を9年ぶりにテロ支援国家に再指定。

11月 ティラーソン国務長官、海上封鎖を呼びかける。北朝鮮は「海上封鎖は戦争行為と看做す」と声明。日本が難色を示したため保留。

12月 アメリカ、北朝鮮をイランとならぶ「ならずもの国家」に指定。

12月 国連安保理、対北朝鮮制裁強化を決議。石油輸出の9割削減、北朝鮮労働者の本国送還を決定。

2018年
1月 金正恩、平昌五輪に向けた南北会談も可能だ」とする新年の辞。トランプは「米朝対話の窓は開かれている」と応じる。

1月 アメリカの呼びかけで、国連軍派遣国+日本・韓国の外相会合。平昌五輪に向けた南北対話が非核化対話に進展することを期待。

1月 ポンペオCIA長官がインタビュー。「北が米国本土に到達する核ミサイルを完成させるまでにあと数ヵ月しかない。それが最大の脅威だ」と語る。

2月 平昌オリンピック開会式。北朝鮮No.2の金永南、金正恩の妹の与正が参加。金委員長の親書を手渡して文大統領の訪朝を要請。要請は国家情報院からCIAに連絡され、ポンペオ長官からトランプ大統領にもたらされた。

2月25日 ホワイトハウス、北朝鮮が米朝対話の意志を表明したとし、「北朝鮮のメッセージが非核化に向けた第一歩なのか確認したい」と語る。

3月05日 南北首脳会談実現のため、二人の特使が北朝鮮を訪問。肩書は国家安保室長と国家情報院長であった。首脳会談を4月末に開催することで合意。金正恩は非核化の意欲を示す。

3月08日 韓国代表団がアメリカを訪問しトランプに経過を報告。トランプは「5月までに米朝首脳会談を行う」意向を示す。ここまで米国務省を通していない可能性。

3月9日 共産党の志位委員長、談話「米朝首脳会談への動きを歓迎する」を発表。

3月 安倍晋三首相、「ほほ笑み外交に目を奪われ、ぶれてはならない」と語り、対話を拒否する姿勢。

3月13日 トランプ、ティラーソン国務長官を解任し後任にポンペオCIA長官を充てると発表。ポンペイオは「核実験とミサイル発射実験の停止に加え、非核化が約束されなければ首脳会談は行わないと発言。

3月16日 ニューヨーク・タイムズ、会談準備はCIAー韓国国家情報院ー北朝鮮の「偵察総局」の間で行われていると報道。

3月22日 マクマスター国家安全保障担当補佐官が解任される。後任には元ネオコンのボルトン元国連大使が指名される。

3月25日 金正恩が北京 を訪問。朝鮮半島の非核化を支持する発言。また米朝対話にも意欲を示す。中国は最大級の歓迎。習近平の報告を受けたトランプは「金正恩が私との会談を楽しみにしていると語った」と伝える。

3月26日 ホワイトハウス、「金正恩の北京訪問は確認できないが、米朝関係が以前より改善しているということは言える」と論評。

3月末 ポンペオCIA長官が極秘訪朝し金正恩と会談。(4月17日、安倍首相訪米中に明らかにされる)

4月9日 トランプが記者会見。金正恩との会談が5月か6月上旬に開催されると表明。
驚くべき発言: 米朝関係は1世紀にわたる戦争や敵対の歴史だった。それとはかなり異なる関係となることを望む。非核化に関する合意を実現し、相互の敬意を示し、友好的な基盤を築くことができるだろう。
4月9日 朝鮮労働党の政治局会議、金正恩が米朝対話の展望を分析。詳細は不明。

4月21日 北朝鮮、核実験と大陸間弾道ミサイルの発射を中止し、核実験施設も廃棄すると発表。既存の核兵器やミサイルのあつかいは明示せず。

4月24日 トランプ、北朝鮮に対し核開発計画の放棄を呼び掛ける。金委員長について「非常にオープン」で「とても立派」だと表現。

これだけ見ても米国と北朝鮮が、したたかにダブル・トラックで関係を探っていることが分かる。
メディア報道の表面に浮かんでくるのはハードラインばかりだが、交渉への糸口も常に探られていた。だから平昌五輪→文大統領の特使派遣→金正恩の非核化発言とトランプン歓迎発言はしっかりした筋道づくりの上に成り立っているのだ。
中国もこの筋道を知らなかった。だから焦って北歓迎の大キャンペーンを張った。安倍首相は完全に周回遅れになってから、置き去りにされたことに気づいた。という経過らしい。

ところで「政策対政策、行動対行動」というのが、どうもイマイチ具体的でないとこぼし続けてきたが、富坂聰さんの記事がある程度ヒントを与えてくれる。
東アジア・クライシス 第8回 米・朝・韓に取り残された安倍外交の敗戦
というものだ。
中国とロシアは米朝が対話の道へと進むことの前提として、米韓が合同軍事演習を当面停止し、対する北朝鮮も核・ミサイル実験を一時的に凍結するダブルフリーズ(双暫停)で合意している
と書かれており、このダブル・フリーズというのが「行動対行動」の核となるものだろう。
これに対して、非核化は政策、あるいは約束に属するものでもう少し信頼を醸成しながらの長期のものになるのだろう。

「一体的・包括的かつ段階的」と聞いても分からないが…

この間の2面を費やした北朝鮮問題でも、いくつかすっきりしない問題があったが、本日の赤旗にテレビのインタビュー記事が掲載されたので、また勉強することにする。

BSフジ プライムニュース
「日米首脳会談・北朝鮮問題…志位委員長大いに語る」

1.日米首脳会談 トランプ発言に注目

非核化と戦争終結・平和体制をセットで考える

南北朝鮮の首脳が朝鮮戦争の終結を議題にしようとしている。自分はそれに賛成だ。大いに支持する。(日米首脳会談での冒頭発言)

この考えは米朝首脳会談でも取り上げられることになるだろう。

2.安倍政権 主体性と能動性の欠如

圧力と対話が基本だったにも拘らず、圧力一本槍になってしまったから、対話のための戦略が不在だ。

このために新状況に対応できない。

3.拉致問題 包括的解決の一環と位置づける

アメリカは真剣にやらないだろう、日本が取り組むしかない。そのためには日朝平壌宣言のところまで戻って仕切り直す以外にない。

核・ミサイル、拉致、過去の清算など諸懸案を包括的に解決して国交正常化を目指す(日米首脳会談後の安倍首相発言)

4.安倍首相の立場 対話による外交的解決が基本

「対話のための対話は意味がない」からの変化

5.非核化 まず北朝鮮の核放棄、ついで朝鮮半島の非核化

実際には、北が核放棄すれば半自動的に朝鮮半島の非核化になる。ただしアメリカの「持ち込まず宣言」がもとめられる。(南北非核宣言、6ヶ国協議で規定されている)

トランプの「朝鮮半島非核化」はアメリカの「持ち込まず宣言」を意味する。
6.6カ国協議 必須ではないが最良の枠組み
枠組みありきではない。できるところから始めることになる。
しかし“一番安定して進む仕掛け”であろう。
7.過去の検証 到達点からの再出発

最大の要因は北朝鮮の協定破り。しかし05年9月の米財務省による金融制裁(マカオ銀行の北朝鮮口座の閉鎖)が引き金になっている。
相互不信が非常に強い状況のもとでは、まず協定遵守、そして検証のステップを踏むことが大事だ。
8.交渉をつづけることが鍵 過去の交渉の教訓
12年にオバマ政権は6カ国協議をやめて、「戦略的忍耐」という交渉否定論に移った。それ以降に核ミサイル開発は一気に進んだ。
したがって事実としては、協議が時間稼ぎになったのではなく、協議の中止が引き金になったというべきだ。
交渉には、相互の内部事情により、進む時期と停滞する時期がある。続けることが大事だ。
9.「約束対約束、行動対行動」の原則
これは05年6カ国合意の中心原則である
「約束対約束、行動対行動で段階的に進む」(05年共同声明の第5項)
約束に約束、行動に行動が伴わなければ交渉は止まってしまう。

というわけで、相変わらず肝心のところの見通しは良くないが、この間に日米首脳会談が行われ、金正恩演説が行われたため、それを踏まえての議論になっており、少しかみ合わせは良くなってきた感がある。
要は05年6カ国合意に立ち帰り、相互確証にもとづいてじっくりやりましょう、ということと、「交渉は継続が大事ですよ」ということに尽きるか。
ただし今回の話で注目するのは、まずアメリカが「持ち込まず」原則を確認するかどうかが成否の決め手だとしていることだろう。これが「約束対約束」の核心になるという視点にはまったく同感する。





あまりに天気が良いので、嫁さんを放り出してドライブに出かけた。
一応目標を留萌に据えた。去年の今頃はポイヤウンベを求めて浜益まででかけたのだが、今回はさらに足を伸ばそうというのである。
一度おぼえた道を走るのはとても楽で、浜益まではなんの疲れも感じることなく進んだ。ただ予想外れは去年立ち寄った浜辺の喫茶店が、今年は臨時休業だったことである。臨時休業という貼札が来年にはそのままに風に吹かれているのが、このあたりの風物詩であるから気がかりだ。
とにかくここまではまったくなんの支障もなく来たので、そのまま進む。
浜益の次が群別でその次が幌、ここからふたたび難所に差し掛かるが、意外になんということなく通り過ぎて、雄冬を過ぎて増毛まで入ってしまった。
「この辺が岩尾温泉だったかな」と思いつつ通り過ぎてしまった。まだ冬季休業中だったのだろう。増毛も街には入らずそのままバイパスしてしまった。
そうして視界の正面、小高い丘の上に留萌の街の建物群が視野を占める。伏古の我が家からここまで2時間弱。年を追うごとに快適になる。もはや通勤圏内と言ってもいいくらいだ。

留萌の建物群は砂丘の上に突然、無防備に、まるで蜃気楼のように現れる。蜃気楼だと思ったら本当なんだ。日本中の街でこんな感じを味わったことなどない。(霧多布も同じように出現するが、だいぶ規模が小さい)
留萌の街は出現の仕方も蜃気楼のようだが、街全体がほとんどウソのような街だ。ここにこんな街がなくてもなんの問題もない。もっというと、こんなところにこんなふうにあってはいけない街なのだ。
北海道というのは悲しい島で、いたるところに昭和遺跡という名の廃墟が建ち並んでいる。
長崎の沖合に「軍艦島」という炭坑跡があって見事なゴーストタウンになっているが、北海道という島はそのすべてが「軍艦島」なのだ。
北海道に住んでいると、そして夕張とか美唄とか留萌とか行くと、もう日本は限界集落を越えつつあると思う。東京だけが生き残るのだろう。かつては東海道ベルト地帯は生き延びると言われたが、今や静岡もしっかり穴凹地帯になっている。
酒が回ってきて話があちこち飛び始めた。
留萌観光は一泊すべきだろう。稚内と同じくらい奥行きがある。歴史を学びながら見ていかないと本当の良さは分からない。
今回は留萌駅の無料駐車場に車をおいて歩くことにした。出発点がわからないとさっぱりわからなくなる。ここからまず港へ歩く。この港はたいそう立派なのだが、今日に至ってはなぜこんなに立派なのかがわからない。無駄に立派なのである。
駅と港とは相当の距離がある。歩く距離ではない。港をさらに岬の方に向かうと市役所がある。港から背後の坂に登っていく途中が商店街で坂を登ったところに走っているのが札幌からの国道である。
人口4万の街がこれだけ複雑だとそれなりなに都会の趣きがある。しかし人口2万を切った街でこれだけの構造はただひたすらに無駄に煩雑だ。
函館の十字街、室蘭の中央通り、小樽の都通り、札幌の屯田通り、釧路の北大通…ゴーストタウンはどこでもそうだ。
とにかく、一日も早く、一日でも多くこれらの街を歩くべきなのだろう。駐車禁止を気にせずにいたるところに車を止めて歩くべきなのだろう。警察も一日も早く一方通行とか駐車禁止とか右折禁止とか止めるべきだろうと思う。それが街の衰退に拍車をかけているのだから。




2001年

1.23 ベルギーと北朝鮮が国交樹立.ベルギー政府は,「金大中大統領からの依頼もあって,朝鮮半島の安定につながるよう国交樹立を決めた」と経緯を説明.

01年3月 ブッシュ・金大中会談

3.06 パウエル新国務長官,議会の聴聞会で証言.クリントン政権の対北朝鮮政策を見直すと声明.

3.07 ブッシュ・金大中首脳会談.ブッシュ大統領は"北朝鮮は信用できない"と発言."厳格な相互主義と徹底した検証"を要求.

3.15 北朝鮮政府,ブッシュ新政権の一連の言動に抗議し,米国との閣僚級会議を無期限に延期.朝鮮中央通信は,「南北対話をかき回そうとする米国のよこしまな政策には,三千倍の復讐が待っている.われわれは対話にも戦争にも十分な備えができている」と強い非難.

4.19 北朝鮮赤十字,大韓赤十字社に尿素肥料20万トンを支援するよう公式要請.韓国政府はこれに応じる構え.

01年5月

5.01 ブッシュ大統領,ミサイル防衛網(MD)計画の推進を宣言.

5.03 金正日,EU代表団と会見.2003年まで引き続きミサイル発射実験を停止すると述べる.一方,「ミサイル技術の輸出は貿易であり,買い手があれば販売する」ことを明らかにする.

5.05 オルブライト前国務長官,『ニューヨーク・タイムズ』へ寄稿.「ブッシュ政権がヨーロッパ同盟国のMD構想支持を願うのなら,まず北朝鮮と合理的な対話を開始する必要がある」と主張.

5.09 アーミテージ国務副長官が訪韓."核とミサイルの脅威には軍事的手段による対抗措置も辞さない"と表明.

5.26 国際原子力機関(IAEA),寧辺(ヨンビョン)の5メガワット原子炉,再処理廃棄物の保存所とされる偽装公園施設(いわゆる500号建物)などに対する査察を要求.

5.27 ケリー国務次官補,韓米日の対北政策調整会議で,"クリントン政権の対北ミサイル交渉は不充分である"と発言.00年10月の「朝米共同コミュニケ」の見直しを示唆.

01年6月 ブッシュの北朝鮮ドクトリン

6.04 『労働新聞』の論評,「ブッシュ政権が査察・検証・通常武器の削減など条件をつけるのは,対話を拒否する立場に他ならない」と批判.平壌放送は「強硬には超強硬で対応する」と絶叫.

6.06 ブッシュ米大統領,①ミサイル開発と輸出の禁止,②軍事境界線付近の通常戦力削減,③核査察受け入れ,④人道支援物資の公正な配布,を条件として,北朝鮮との対話を再開すると発表.「包括的なアプローチの枠組みから議論を進めていく.北朝鮮が前向きに対処すれば,米国は制裁を緩和し,北朝鮮住民を助ける努力を拡大する」と述べる.

6.11 韓国外交通商部長官,「朝鮮半島が統一されたとしても,米軍は地域内の安定を維持するため引き続き駐屯するべきである.アメリカは侵略への抑止力であり,北東アジアの平和と安定の守護神である」と講演.

6.13 ニューヨークでプリチャード朝鮮半島担当大使が北朝鮮国連大使と会談.米朝会議の再開へ向け調整開始.

6.18 北朝鮮外務省スポークスマン,アメリカを一方的・敵対的と非難するいっぽう,「軽水炉の提供遅延に伴う損失補償が緊急問題である」と提案.

6.21 ラムズフェルド国防長官と金東信韓国国防長官が会談.米軍が韓国に引き続き駐屯することで合意.

01年7月 国連人権委員会の勧告

7.06 アーミテージ国務次官,北朝鮮がロケット・エンジンの噴射実験を再開したと発表.

7.12 ケリー東アジア・太平洋問題担当国務次官補,下院で証言.IAEAの特別査察受け入れと,使用済み燃料の国外搬出の具体化が,「枠組み合意」再開の前提となると述べる.

7.19 国防総省,本土ミサイル防衛(NMD)と戦域ミサイル防衛(TMD)の区分を廃止し,一体化された弾道ミサイル防衛(BMD)構想として開発を進めると発表.

7.27 パウエル米国務長官が訪韓.対北交渉においては核・ミサイル査察が交渉の前提となると強調.

7.27 国連人権委員会,北朝鮮の人権が依然として劣悪であるという結論に達し,20項目にわたる具体的人権状況の改善を勧告.主要な内容としては,司法の独立と公正,公開処刑の禁止,刑務所に対する国内外からの査察,強制労働の廃止,旅行証明書発給制度の廃止など.

01年8月

8.04 金正日,ロシアを訪問しプーチンと会談.8項目のモスクワ共同宣言に合意.96年に失効した旧ソ連時代からの友好協力相互援助条約に代わる友好善隣協力条約に署名.

8.08 北朝鮮外務省スポークスマン,「ミサイル問題を前提とする米国の態度が変わらない限り,対話のテーブルにはつかない」と述べる.

01年9月

9.02 江沢民主席が北朝鮮を訪問.92年の中韓国交樹立によって途絶えた中朝間の首脳の相互訪問が、10年ぶりに回復する.中国側は南北の関係改善,日米などとの関係改善を「支持」する姿勢を打ち出す.

9.11 ニューヨークで同時多発テロ.米韓連合軍司令部は,スチュワート司令官名で米韓連合軍に非常警戒令を発動.金大中大統領は,翌日になって韓国軍及び警察に「非常警戒措置」を指示.

9.13 北朝鮮外相,9.11テロを「非常に痛ましい悲劇」と呼び,あらゆる形のテロに反対すると言明.

9.15 ソウルで第5回南北閣僚級会談が開催.南北離散家族の相互訪問,第2回経済協力推進委員会,次回閣僚級会談の開催などが合意される.

9.17 小泉首相が平壤を訪問し、金正日と会談。日朝共同声明を発表。金正日は拉致事件の存在を認め謝罪。4人の生存を認める。

9.17 IAEAのエルパラダイ事務局長,北朝鮮の査察がまったく進んでいない状況に関して警告.北朝鮮は「荒唐無稽で強引な主張であり,言いがかりだ」と反論.

01年10月 ブッシュ、金正日を罵倒

10.08 米のアフガン侵攻.韓国国防部と米韓合同参謀本部が北朝鮮軍の動向を協議.金大中大統領は国家安全保障会議で「非常警戒態勢」の強化を指示.

10.09 「ブルッキングス研究所」のジョエル・ウィット研究員,「北朝鮮の体制を完全に変化させようとする政策は好ましい結果をもたらさない。北朝鮮がノーマルな国家として国際社会に参与できるよう手助けする姿勢が望ましい」と述べる.

10.11 F15E戦闘機を主体とする飛行大隊が,米本土から在韓米軍基地に派遣.

10.12 北朝鮮,「南が非常警戒態勢を強化している状況では,離散家族の相互訪問は不可能」として延期を通告.南は北の一方的な延期通告に抗議し,「非常警戒措置は対テロ戦争の一環として発令されたもので,北を対象としたものではない」ことを強調.

10.16 APEC首脳会議に出席したブッシュ大統領,記者会見で「金正日にメッセージがある.自分の側の約束を実行せよ.会おうといった以上会え.なぜ彼は話し合おうとしないのか.合意の実行すら拒否するこの男はいったい何なのか」と叫ぶ.

10.18 閣僚級会談北側団長名義の韓国政府あて書簡が発表される.「アメリカ本土から空軍戦力を新たに引き入れたのは,明らかに我が方を刺激する敵対行為」と非難.

10.18 アジア太平洋司令部を指揮するブレア提督,『東亜日報』の質問に答え,「アメリカにとっての3大地域はヨーロッパ,西南アジア,東アジアの順だったが,今は東アジアがもっとも優先され,西南アジア(中東と中央アジア),ヨーロッパの順に変わった」と発言.

10.19 上海のAPEC総会で,金大中とブッシュが二度目の首脳会談.金大統領は,「太陽政策は北朝鮮を改革と開放に導くための政策であるから,アメリカ政府も積極的に協力してほしい」と要請.北朝鮮政府は,「金大中発言は南北の体制を相互に尊重することを前提にした6・15共同宣言の精神を著しく損なうもの」と非難.

10.23 「労働新聞」の論評.「…自主権の尊重はテロを防止する最善の道である。地球上で発生するすべての軍事的衝突と戦争はその性格と形態がいかなるものであれ,結局は他の国や民族の自主権と利益を侵害し蹂躙したことが根源となっている。すべての国と民族の自主権を尊重する原則が徹底して遵守されてこそ健全な国家関係と国際秩序が樹立され,すべてのテロと軍事衝突もなくすことができる」

01年11月 ブッシュ、イラクと北朝鮮を名指し非難

11.06 プリチャード朝鮮半島特使,上院外交委員会で証言.「クリントン政権による対北交渉の結果は,すべて無効になったわけではない」と述べる.

11.08 米議会調査局の朝鮮問題専門家,「ブッシュ政権は互恵的な措置をとる用意があることを北朝鮮に示唆すべきである。…通常武器の削減を要求しながら,それに見合うどのような措置を取るかについて明らかにしてこなかったのは失策である」と述べる.

11.14 金剛山で第6回南北閣僚級会談.離散家族再会問題をめぐり完全に決裂.次回日程を決めないまま決裂.南北の政府間折衝がすべて中断.ハンナラ党は「国民の自尊心と国家の利益を度外視した亡国的な対北朝鮮政策を原点から見直すべきだ」と批判.

11.19 生物兵器禁止条約に関する第5回評価会議(ジュネーヴ)が開かれる.ボルトン米国務次官は「イラクと北朝鮮は,生物兵器禁止条約に違反しており,軍事的目的に使用できる十分な量の生物・細菌武器を生産できる」と発言.国際調査を要求したアメリカの提案は採択されず.なお,事務局提案の「生物兵器の開発・生産・保有の実態を確認するための検証議定書」は,アメリカの抵抗によって流産となる.

11.26 ブッシュ大統領が記者会見.イラクと北朝鮮が大量破壊兵器(weapons of mass destruction)に関する査察を受け入れるよう要求.「もし他国をテロの恐怖に陥れるため大量破壊兵器を開発するなら,応分の責任をとらせる」と述べる.

11.28 韓・米・日の対北政策調整グループ(TCOG)会議,北朝鮮に対して「大量破壊兵器の開発を中断し,テロに反対する追加的な措置を取るよう」に要求.

11月 朝銀に2898億円の公的資金が投入される.

01年12月

12.13 ブッシュ政権,ABM条約からの離脱をロシアに通告.

12.22 日本の海上保安庁艦艇,北朝鮮の「不審船」を東シナ海で追跡.不審船は交戦のあと自沈する.

12月 韓国,射程300キロのミサイル110発をロッキード・マーチン社から購入.これを機にミサイル関連技術輸出規制(MTCR)に加盟.

12月 北朝鮮赤十字会,「日本人行方不明者」の調査を中止すると発表.

12月 中朝貿易は7億3900万ドルに急増。99年実績の2倍となる。

 

2002年

02年1月 悪の枢軸

1.08 国防総省,連邦議会へ8年ぶりの「核戦略体制見直し報告」(NPR)を送付.核戦略の目的を,冷戦時の“抑止力”から,テロリストや「ごろつき国家」との戦争で“実際に使用する攻撃力”へと転換することをうたう.

添付機密文書
報告には機密文書が添付されており,ロサンゼルス・タイムス,ニューヨーク・タイムスなどによって暴露される.北朝鮮・イラク,イラン,リビア,シリアのほかロシア,中国まで含め,少なくとも7か国を対象とした核攻撃のシナリオを策定,限定的な核攻撃を想定した小型戦術用核兵器の開発を軍に指示.

1.29 ブッシュ大統領,一般教書演説(State of the Union address)で北朝鮮,イラン,イラクを「悪の枢軸」(axis of evil)だと名指し.

各界の批判
クリントン前大統領 「北朝鮮はイランやイラクとは異なるアプローチが可能な国だ。2000年12月には米朝関係が急進展した.そして北朝鮮との間でミサイル開発計画の放棄に関する合意が取り交わされようとしていた。…私自身は北朝鮮問題に関する限り,後任者に大きな外交的勝利を残したと自負している」
アナン国連事務総長 「世界を善の国と悪の国に分ける二分法的な観点は非現実的である。国連安全保障理事会は,アフガニスタン以外の国を対象とした軍事行動に関して,いかなる決定も下していない」
ドイツのフィッシャー外相 「アメリカが無分別に軍備を拡張すれば,世界はますます不確実で危険なものになる。アメリカの軍事的冒険主義は,同盟国の支持を得られないだろう。我々は同盟国であって,衛星国ではない」
ニューヨーク・タイムズ 「ブッシュ大統領はイラン・イラク・北朝鮮を‘悪の枢軸’と規定した.しかしヨーロッパの人たちは,逆に,ラムスフェルド国防長官・チェイニー副大統領・ライス大統領安保補佐官を悪の枢軸と見なしている」 

1.31 ハバード駐韓大使,「われわれはストレートに話す.北朝鮮の顔を立てる形で交渉に入るのはアメリカのやり方ではない」と述べる.

1月 金正日、二回目の中国訪問。上海を訪れ中国の経済発展を賞賛。

02年2月 We are ready!

2.05 パウエル,上院外交委員会で証言.北朝鮮との対話窓口は無条件で開かれていると述べる.また「平壤は依然ミサイル開発を凍結しており,枠組み合意も守っている」ことを明らかにする.

2.09 ロサンゼルス・タイムスの報道によれば、ブッシュ政権はイラク、北朝鮮など7ヵ国を対象に、非常時の核兵器使用計画策定とピンポイント用の小型核兵器開発を命じた。

2.19 ブッシュ,日本・韓国・中国を歴訪.金大中大統領との会談後,「金正日に対する見方を変えるつもりはない」としつつ,「北朝鮮に対する軍事攻撃の意思はなく,対話による解決を望む」と発言.金大統領は「ブッシュが対北包容政策への積極的な支持と,無条件での対北対話の意志を表明した」と評価.

2.20 北朝鮮,「われわれの最高首脳部を露骨に中傷したブッシュのようなやからは相手にしない」と声明.

2.20 ブッシュ,非武装地帯から100メートルの最前線を視察.「We are ready!」(かかってこい)と演説.

2.21 ブッシュ,烏山の米空軍基地で演説.「朝鮮半島の平和は,確固たる軍事力によって築かれている。我々は朝鮮半島に引き続き米軍を駐屯させるだろう」

2.27 北朝鮮の金剛山で「2002年迎春南北共同のつどい」,韓国政府が「統一連帯」代表の参加を承認しなかったことから流会となる.

02年3月 合同軍事訓練の再開

3.10 米国防総省,「核戦力体制見直し報告」(NPR)を議会に提出.北朝鮮,中国,ロシア,イラン,イラク,リビア,シリアの7カ国を潜在的な核攻撃対象に指定.非核攻撃で破壊しきれない目標物,核・生物・化学兵器攻撃に対する報復,不測の軍事事態では核兵器を使用できるとしている.

3.10 新千年民主党と野党ハンナラ党のスポークスマン,「朝鮮半島だけでなく,いずれの国に対する核兵器使用にも反対する」などと批判する声明.

3.13 ブッシュ米大統領,「イラクのような国家が大量破壊兵器を開発し,我々の将来を脅かす事態を断じて許さない。あらゆる選択肢が用意されている」と言明.非核保有国に対しても核攻撃を排除せずとの立場を明らかにする.さらに核兵器の小型化,高性能化を進め,いつでも使用できるようにすると言明.

3.14 朝鮮中央通信,米国が北朝鮮に対する核使用の可能性について言及したのを受け,「94年のジュネーブ合意など北朝鮮-米国間合意を全面的に見直しせざるを得ない」と声明.同時に,国連本部で北朝鮮特使が米国のプリチャード代表と,対話の再開に向けて二回の会談.

3.19 ブッシュ政権,北朝鮮に対する「米朝枠組み合意」遵守の認証を拒否(北朝鮮が合意を遵守していないとの認識).ただし「アメリカ側の枠組み合意に対する誠意を示すため,特例規定により重油供給は続ける」とする.重油供給の予算執行が不可能となる.

3.21 94年以降縮小され中断されていた米韓連合訓練が再開される.50万人の大規模演習となる.兵力・装備を前方まで展開させる戦時増員訓練,北朝鮮軍の特殊部隊の大規模浸透に備える「イーグル演習」が並行して進められる.

3月 八尾恵(よど号犯人の妻),北朝鮮政府の指示の下に有本恵子さんを拉致したと証言.北朝鮮赤十字会は日本人行方不明者の調査再開を表明.

02年4月

4.03 金大中大統領の特使として林東源(イム・ドンゥオン)大統領府外交安保統一特別補佐官がピョンヤンを訪問.

4.03 北朝鮮外相,プリチャードとの会談を確認.KEDO再開について米国の主張を受け入れる用意があると表明.

4.05 林補佐官,金正日と会見し金大中大統領の親書を伝逹.①6.15共同宣言を再確認し緊張事態の発生防止に努力する.②経済協力推進委員会や離散家族の相互訪問など,南北間の対話と協力事業を積極的に推進,③南北軍事当局間の会談を再開することで合意.

4.18 崔成泓外相,「北朝鮮を対話の場に引き出すには大きなムチが有効であり,ブッシュ政権の断固たる処置が北の態度を変化させた」と述べる.北はこの発言を受け態度を硬化.

4.28 “金剛山ダムの崩壊説”がテレビでいっせいに報道される.米の軍事衛星の写真をもとに「北の金剛山ダムは不実工事のために崩壊する恐れがあり,その影響で南に大規模な水害が発生する」というもの.

4月 日朝赤十字会談と外務省局長級協議が開催され,小泉首相訪朝が決定.

5.08 瀋陽の日本大使館に北朝鮮人5人が駆け込み。

5.21 国務省、北朝鮮をテロ支援国家に指定。

02年6月 黄海上の軍事衝突

6.01 ブッシュ大統領,ウエストポイント陸軍士官学校の卒業式で演説.「テロとの戦争は,守勢に回っては勝てない.われわれは敵の陣内で戦闘を行い,計画を打ち砕き,最悪の脅威が現実化する前に勝負に出なければならない」と先制攻撃論を主張.

6.11 米下院本会議,「中国政府に北朝鮮難民の強制送還中止を求め,国連高等難民弁務官の活動を認めるよう要望する決議」を全会一致で採択.19日には上院も全会一致で採択.

6.25 ブッシュ政権,「米側の懸案事項を提示し,対北政策を説明するため」北朝鮮に特使を派遣するとの案を提示.特使候補にはケリー東アジア・太平洋問題担当国務次官補を指名.

6.29 99年に続く黄海上の軍事衝突事件.北方限界線を越えて南進した北朝鮮警備艇二隻が,韓国軍警備艇に無警告で発砲.韓国軍は死者5人,負傷者19人を出す.北朝鮮側も警備艇一隻が炎上.

6.30 北朝鮮海軍司令部,NLLは「米軍が勝手に引いた幽霊線で,我々は一度も認定していない」と反駁.

6月 CIAの秘密報告.「97年から北朝鮮とパキスタンの往来が頻繁になった。ミサイルの代金を支払えないパキスタンは,見返りとして核開発技術の提供を北朝鮮にもちかけた」とする.

02年7月 白南淳・パウエル非公式会談

7.01 北朝鮮外務省スポークスマン,銃撃戦は韓国の挑発行為であり,北方限界線は恣意的なものであり無効と声明.

7.01 北朝鮮、経済改善措置を実施。公定価格の設定、対ドルレートを70分の1に切り下げ、企業独立採算性などが行われ、市場経済化への移行を目指す。

7.25 北朝鮮政府,韓国政府あてに「黄海上で偶発的に発生した武力衝突事件を遺憾とする」との書簡を送る.さらに金剛山会談の再開を提案.「第7次南北閣僚級会談では,鉄道連結問題,離散家族の再会問題など」を議題とするよう促す.

7.26 ブルネイのASEAN地域フォーラムでは白南淳外相がパウエル国務長官と非公式会談,「ケリー特使の訪朝を歓迎する」と表明.

7月 北朝鮮外務省スポークスマン談話,アメリカの特使を受け入れる用意があるとの意向を表明.

7月 北朝鮮がウラン濃縮施設の建設を始める.

7月 日朝外相会談,拉致問題や過去の清算などを包括的に協議することで合意.

7月 北朝鮮で経済改革が実行される。食料の自由販売が認められ、コメ1キロが900ウォンに高騰する(一般事務職の給与は約2000 ウォン)。

02年8月

8.07 北朝鮮のKEDO合意に基づく軽水炉の起工式.プリチャード国務省特別代表が列席する.プリチャードはIAEA査察の即時・無条件受け入れを促すが,北朝鮮は少なくとも3年間の猶予を求める.

8.16 米国,イエーメンにミサイルを輸出したとして,北朝鮮に新たな制裁.フライシャー報道官は,この制裁により交渉の窓口を閉ざすわけではないと述べる.

8.31 ジョン・ボルトン軍縮・国際安全保障担当国務次官補,平壤のミサイル・核・生物兵器問題を非難しつつも対話の可能性を示唆.北朝鮮は,「ボールは米国側のコートにある」とする声明.

02年9月 日朝首脳会談

9.16 ラムズフェルド米国防長官「北朝鮮は核兵器を保有している」と述べる.

9.17 小泉首相と金正日が会談.平壤宣言を発表.北朝鮮は無期限のミサイル発射実験凍結を発表.また核開発に関し「すべての国際合意を順守する」とし、朝鮮半島における核問題の包括的解決と,国際合意の完全な尊重をうたう.席上,金正日は拉致事件を認め謝罪.

金正日「謝罪」の全文: 70年代,80年代初めまで特殊機関の一部に妄動主義者がいて,英雄主義に走って,こういうことを行って来たと考える。二つの理由があると思う。一つは特殊機関で日本語の学習が出来るようにするため,一つは日本人の身分を利用して南(韓国)に入るためだ。
私が承知するに至り,責任ある人々は処罰された。これからは絶対ない。この場で,遺憾であったことを素直にお詫びしたい。二度と許すことはない.

9.18 韓国と北朝鮮を結ぶ鉄道と道路を連結させる工事が同時に着工式。

9.19 非武装地帯内の地雷除去作業が開始される。

9.20 米政府高官,「当面、北朝鮮を先制攻撃の対象.国としては想定していない」との見解を明らかにする.

9.28 拉致被害者調査で,政府が調査団を派遣.

02年10月 ケリー訪朝と核保持宣言

10.02 日本政府調査団が拉致被害者の調査結果を公表.生存5人は本人と断定.死者8人は特定できず.

10.03 ケリー東アジア・太平洋問題担当国務次官補を団長とする8人の代表団が北朝鮮を訪問.「大量破壊兵器,ミサイル開発プログラム,ミサイル輸出,脅迫的な通常戦力配置,人権抑圧,悲惨な人道的状況」などに言及.これらの問題を包括的に解決するよう要求.「ウラン高度濃縮装置の開発を進めている」証拠を提示する。

10.04 姜錫柱(カン・ソクチュ)第一外務次官、ケリーの提示した証拠を前に,ウラン濃縮計画の存在を認める.さらに「生物兵器も保有している」と表明.北朝鮮側はこれまでウラン濃縮計画を一貫して否定.「米国はないものをあると強弁している」と非難した。

10.07 北朝鮮外務省スポークスマン声明。「ケリーの言動は一方的な要求を押し付けようとする高圧的で傲慢な態度である.…我々は主権を守るために高濃縮ウラン(HEU)計画を推進する権利がありる。さらに核兵器だけではなく,より強力な他の兵器も所有する資格がある」と反論.(枠組み協定はウラン濃縮を禁止してはいない)

10.11 世界食料機構,支援用穀物の不足のため,東海岸諸道への食糧配給を段階的に停止すると発表.5月から援助が停止されている中学生25万のほかに,小学生100万人への1日200グラム,高齢者・障害者など14万人への1日500グラムの穀物配給が停止.11月からは小学生未満の児童100万と,妊婦への食糧援助も打ち切りの予定.

10.15 拉致事件被害者5人が一時帰国.

10.16 ケリー米国務次官補,姜錫柱発言を元に「北朝鮮が核兵器開発のためウラン濃縮計画を推進している」と発表.事実上「枠組み協定」の死文化を宣言.訪朝が不調に終わったのを受けてのもの.

10.17 米国務省はこれを根拠に、世界に向け「北朝鮮がHEU計画を認めた」と宣言した。北朝鮮はそのような事実はないと反論するが、国連代表部筋は、「米国務省の声明は大筋で事実だと認識している」と述べる。

10.16 IAEAのエルバラダイ事務局長,「北朝鮮はIAEAを脱退しているが,NPTには加盟しており,核施設についてIAEAへの報告義務がある」と述べる.

10.18 朝鮮日報,北朝鮮が核開発のためパキスタンから濃縮ウラン製造用の遠心分離器など関連装置を購入し,秘密施設で数年間にわたり濃縮実験を行ったと報道.

10.19 ケリー米国務次官補,北朝鮮が核開発放棄の条件として,①米朝平和条約の締結 ②北朝鮮を先制攻撃の対象としない ③北朝鮮の経済システムの是認,の三つをあげたことを明らかにする.

10.19 韓国と北朝鮮が第8回南北閣僚級会談を開催。「核問題を対話で解決」することで合意。

10.20 パウエル米国務長官,94年の米朝枠組み合意は事実上無効化したと言明.いっぽう,「合意に盛り込まれている経済援助を停止するかどうかは検討中」と述べる.ニューヨークタイムズは「ブッシュ政権が米朝枠組み合意を破棄することを決定した」と報道.

10.23 南北閣僚級会談,北朝鮮の核開発問題は「対話を通じて問題を解決する」ことで合意.韓国側が求めた核開発の断念は盛り込まれず.

10.24 政府,一時帰国した5人を返さず,さらに家族の帰国を求める方針を発表.

10.25 北朝鮮外務省スポークスマン声明,「われわれは米側からの核脅迫に対し,自主権と生存権を守るために,核兵器はもちろん,それ以上のものも持つことになっていると明確にした」と発表.さらに朝鮮半島非核化に関する南北共同宣言は,アメリカが核先制攻撃戦略を採用したことにより死文化したと宣言.

10.26 メキシコのロスカボスで開かれたAPEC首脳会議に出席した日米韓の三首脳,「核問題を含む安全保障上の問題と拉致事件の解決なくして交渉はありえない」と声明.核兵器の検証可能な撤廃をもとめる。

10.28 朝鮮通信が声明を発表。米国特使は「なんの根拠資料もなしに、われわれが核兵器製造を目的に濃縮ウラン計画を推進し、朝米基本合意文を違反していると言いがかりをつけている」との非難声明。

10.29 クアラルンプールで日朝国交正常化交渉.拉致問題がネックとなり進展なし。

02年11月

11.05 北朝鮮,日朝正常化交渉が進展しなければミサイル発射実験の凍結を解除すると発言.

11.09 KEDO日米韓調整グループ,12月以降の北朝鮮への重油提供を停止すると決定.

11.14 KEDO,北朝鮮が高濃縮ウラン計画を廃棄するまで,重油供給を停止すると発表.

11.17 平壤放送、「米朝枠組み合意に違反したのは米国の側である。米帝国主義が核脅威を増大させるなら、それに対抗しわれわれの自主権、生存権を守るためには、核兵器をふくむ強力な軍事的対抗手段を保持しなければならない」と述べる。

11.24 日朝両政府,大連で非公式折衝.北朝鮮側は「平壤宣言はしっかり守っていきたい」と言明.

11.21 CIA、北朝鮮が「プルトニウム爆弾を1、2個保有し、原爆数個分のプルトニウムを保有している」との推定を明らかにする。

11.26 パウエル国務長官、パキスタンのムシヤラフ大統領と会談。北朝鮮との接触は重大な結果を招くと警告。

11.29 IAEA理事会,「北朝鮮はウラン濃縮計画の問題を明らかにしなければならない」と決議.寧辺(Yongbyon)の核施設の特別査察をもとめる。北朝鮮はIAEAは米国の回し者として,決議の受け入れを拒否.

11月 米議会の調査機関,「北朝鮮の原子炉は毎年少なくとも一個分の核兵器を作るだけのプルトニウムを生産できる」と報告.

02年12月 イエーメンにミサイル輸出

12.02 中ロ首脳会談。朝鮮半島非核化と大量破壊兵器不拡散、米朝枠組み合意に基づく米朝関係の正常化支持、南北対話などをうながす共同宣言を発表。北朝鮮を突き放す。

12.04 北朝鮮の白南淳外相、IAEA事務局長に「理事会決議は受け入れられない」との書簡を送る。

12.09 アメリカとスペインの艦船,イエーメンに北朝鮮のセメントを運ぶ北朝鮮船「ソ・サン号」に対し停船命令.威嚇射撃の上特殊部隊員による臨検.セメント袋の下からスカッド・ミサイルとロケット燃料が発見される.フライシャー報道官は,この船がミサイル部品を積んでおり,その最終目的地はイラクだと主張.

12.10 イエメンのサーレハ大統領,ミサイル購入の事実を認めた上,ソサン号の引渡しを要求.アメリカ側の説得に応じず.アメリカはミサイルごとソサン号を解放.

12.11 ブッシュ政権、「大量破壊兵器に対する国家戦略」を発表する。

12.12 北朝鮮政府,核凍結解除を宣言する。枠組み合意で凍結された寧辺の核施設を再稼働させると表明.IAEAあての書簡で「年間50万トンの重油供給を前提にして講じた核凍結を解除し,電力生産に必要な核施設の稼動と建設を即時再開する」と通告.IAEAが設置した封印と監視設備を撤去するよう求める.

12.18 朝鮮日報、北朝鮮が核兵器開発に必要な高性能爆薬を使った起爆実験を続けていると報道。実験の回数は1993年までに70回、94年の枠組み合意以降も、70回以上実施しているとされる。

12.19 太陽政策の継続を掲げる盧武鉉が韓国大統領に当選.

12.21 北朝鮮,核凍結の解除措置を開始。寧辺の原子炉施設に設置されたIAEAの監視カメラを無力化.使用済み核燃料棒,約8000本の収められた核燃料棒製造工場・再処理施設の封印を取り去る.

12.24 北朝鮮,寧辺の施設に新たな燃料棒を運び込む.使用済み燃料棒の貯蔵庫を開けることは保留.

12.26 IAEA,寧辺の原子炉施設(5000キロワット)に約400本の燃料棒が搬入されたことを確認.エルパラダイ事務局長,「北朝鮮が各施設を再稼動させ,プルトニウムを生産する方向で動き出すのは,核の瀬戸際政策に他ならない」と警告.

12.27 IAEA,寧辺の原子炉施設にさらに1000本の燃料棒が搬入され,合計で約2000本の搬入が完了したことを確認.

12.29 北朝鮮政府,IAEAはワシントンの手先にすぎないと非難し,再び査察官を国外追放.

12.30 ニューヨーク・タイムス、北朝鮮の核開発で米が武力行使の可能性を当面排除しているのは北朝鮮の報復から韓国と日本を防衛する有効な手段がないからと報道。

12.31 ブッシュ米大統領、北朝鮮核問題を外交的方法で平和的に解決すると明言。

 

2003年

03年1月  NPTからの脱退

1.07 日米韓が政策調整会(局長級)協議.北アメリカが不可侵の確約を文書化する案を拒否したことで暗礁に乗り上げる。朝鮮が核開発を放棄すれば対話に応じる用意があると声明.

1.10 北朝鮮,核拡散防止条約とIAEAの保障措置(査察)協定からの離脱を発表.パウエル国務長官は,北朝鮮の核問題を安保理に提示する意向を表明.

1.11 北京駐在の崔鎮洙北朝鮮大使,NPT離脱に関して記者会見を開催。長距離ミサイル実験の凍結解除と核兵器の開発を示唆する.

1.11 IAEA担当北朝鮮大使、米国が指摘したウラン濃縮開発計画について「そのような計画はない」と述べる。

1.13 ブッシュ政権,核兵器開発計画の解体を前提として,北朝鮮との「話し合い」に応ずる用意があると声明.書簡の形で北朝鮮へ不可侵を確約すると提案。

1.18 崔鎮洙駐北京大使,アメリカが北朝鮮の自決権を認め、不可侵を確約すれば、核問題は対話で解決するだろうと語る。

1.19 アーミーテージ米国務副長官、北朝鮮への包括提案を検討中と話す。プルトニウム、化学兵器などの大量破壊兵器を放棄する見返りに、不可侵を文書化し、経済支援をおこなうというもの。

1.19 アナン国連事務総長の特使として北朝鮮を訪問したストロング特別顧問,「(米朝)双方の意思の疎通がない.現在の認識がエスカレートすると深刻な状況になる」と懸念を示す.また「北朝鮮は,国の安全のためなら戦争に突入する決意をしている」と強調.

1.20 パウエル国務長官,北朝鮮危機を国際的協力の下で解決する用意があると発言.

1.21 第9回南北閣僚級会談が開催される。北朝鮮代表は「核兵器製造の意思はない」と表明。

1.25 北朝鮮政府,「核問題は朝米の2国間問題であり,いかなる形態の多国間協議にも参加しない」と表明.

1.27 韓国政府の林東源特別補佐官が核問題解決で訪朝、朝鮮最高人民会議の金朴南常任委員長と会談。

1.28 ブッシュ,一般教書演説.北朝鮮問題の「平和的解決を図る」ことを明らかにする.同時に「北朝鮮は核計画によって人々をおののかせ,譲歩を勝ち得ようとしている.しかしアメリカと世界は恐喝には屈しない」と述べる.

1.31 ニューヨーク・タイムズ紙,貯蔵庫からの燃料棒の搬出と見られる動きをアメリカ政府がつかんだと報道.

03年2月 米国、核施設先制攻撃を示唆

2.03 盧武鉉の顧問団が訪米.米政府関係者は,「アメリカが北朝鮮の核施設爆撃を行った時はどうするか?」と質問.顧問団は「両国同盟の終わりを意味する行為だ」と強く反発したという.

2.05 平壤放送、「電力生産のため核施設の稼働を再開した」と報じる。

2.07 ブッシュ米大統領、北朝鮮に対し「あらゆる選択肢がある」と発言。軍事手段もあり得ると警告。

2.07 北朝鮮平和統一委員会「侵略軍隊を増強する米国の動きにストップをかけなければ、朝鮮半島は灰になり、朝鮮人たちは恐ろしい核の災厄をまぬがれないだろう」

2.12 IAEA特別理事会,北朝鮮の核査察拒否問題を国連安保理に付託する決議を採択.中国は決議賛成に回る.ロシアとキューバが棄権.反対はゼロ.

2.13 ラムズフェルド米国防長官、在韓米軍の削減方針を提示する。

2.16 在日米軍にF15戦闘機、U2偵察機などが増派される。北朝鮮有事に備えてのものとされる。

2.18 石破防衛庁長官、北朝鮮が核兵器を保有しても日本は非核三原則を順守し、核兵器を保有しないと言明。

2.19 北朝鮮のジェット戦闘機が、黄海海上で境界線を7マイル越えて侵入。韓国軍は6機の戦闘機を送り、地対空ミサイルを警戒態勢に置く。

2.25 盧武鉉が大統領に就任.「北東アジアの時代が到来している」と強調.「太陽政策」を継承する「平和と繁栄政策」を掲げる.韓国の経済発展は朝鮮半島の「平和定着」にかかっているとし,「四原則」を提示.①対話による解決,②信頼と互恵,③当事者である南北重視の国際協力,④国民の参与と与野党の協力.

2.25 盧武鉉の就任式にあわせ、北朝鮮は短距離対艦ミサイルを海上に向け試射。5年ぶりのミサイル発射となる。

2.26 盧武鉉大統領の就任式に出席したパウエル国務長官は,「全てのシナリオは検討に値する」との立場を表明.

2.27 寧辺の実験用5メガワット原子炉が再稼働を開始.計算上は1年で、核爆弾のための十分な材料を生産することが可能となる。しかしプルトニウムを生産するための再処理施設は稼動せず。

03年3月 イラク戦争開始

3.01 アメリカと韓国,合同で対北軍事演習チームスピリットを実施.

3.02 北朝鮮のジェット戦闘機4機が日本海海上で米偵察機の飛行を妨害。

3.07 朝鮮中央放送,核施設再稼働を認める報道.「切迫した電力の問題を解決するため」とする。

3.10 韓国で「スパイ団事件」が発生。386世代の元学生運動家チャン・ミンホ容疑者(44)は、17年間にわたりスパイ活動を続けたことを明らかにする。

3.12 ケリー米国務次官補,米上院外交委員会の公聴会で証言.「北朝鮮が化学兵器を保有していることを確信する.また濃縮ウラン問題は数年後ではなく,多分数ヶ月後の問題」と言明.具体的な根拠には触れず.

3.20 米・英連合軍のイラク侵攻が始まる.盧大統領は,「大量破壊兵器を速やかに除去するための処置」であると,アメリカへの支持を表明.

3.21 「枠組み合意」の米側首席代表ロバート・ガルーチが東京で講演. 「双方の首都に連絡事務所を開設する約束は実現せず,軽水炉建設も遅れた.北朝鮮側は枠組み合意によって外交的・政治的な利益を得ることができなかった.濃縮ウランによる核開発計画は,米国が北朝鮮の生存を保証しないという事態に備えて,北朝鮮が掛けた保険」であると示唆.

3.29 「週刊ハンギョレ21」が「アメリカの北朝鮮核施設に対する先制攻撃」の是非を問う世論調査.「反対する」が77%に達する.さらに,「もし対北先制攻撃が決定され場合,それを阻止するために‘人間の盾’として参加する意志があるか」との質問に,40%が肯定的な反応を示す.

03年4月 We have nukes!

4.02 韓国議会,イラク派兵決議案可決.大統領は,「韓米関係を強固にすることが,北朝鮮の核問題を平和裏に解決する道である。…国民の安全を守り戦争を防止する責任者として,派兵を決心した」と演説.

4.09 朝鮮中央通信,日本の閣僚や政治家の「北朝鮮脅威論」が相次ぐことを批判.「日本はわれわれの攻撃圏内にあることを認知すべきだ」と”警告”

4.11 「USAツデー」とCNNが朝鮮問題について米国民世論調査.「アメリカは北朝鮮との戦争に突入すべきか」との質問に,反対67%,賛成28%.

4.12 北朝鮮外務省,「アメリカ政府が核問題解決において対朝鮮政策を大胆に転換する用意があるのなら,対話の形式にはこだわらない」と見解を表明.米朝直接協議以外の選択肢も提示.

4.13 ブッシュ大統領,記者会見で「北朝鮮問題に進展が見られる」との肯定的な評価を与える.

4.17 ラムズフェルド国防長官,「北朝鮮に核放棄の代償を提供すべきではない」と三ヵ国協議を批判.「アメリカよりも,北朝鮮と経済的な関係の深い韓国・日本・中国などが交渉のカギを握っている。日韓両国が今後の協議に参加することは,北朝鮮を動かすためにも肝要である」と述べる.

4.18 北朝鮮外務省,ラムズフェルド発言に不快感を表明.「使用済み燃料棒の再処理」を示唆する発言.

4.23 北京で,中国を仲介役とする米朝中の3カ国協議が開催される.冒頭,北朝鮮は「We have nukes」と発言.核兵器保有を認める.使用済み核燃料棒の再処理に入ったことも明らかに.さらに米側の対応次第では核実験に踏み切る可能性を示唆.

4.24 北朝鮮発言を受けた米政府内の強硬派は,国際的な制裁措置の必要性や北朝鮮の武器輸出阻止を提案.

4.25 北朝鮮外務省,米朝中協議後に談話を発表.「朝米双方の憂慮を同時に解消できる新しい寛大な解決方途を打ち出した」と表明.弾道ミサイル発射実験の凍結とミサイル輸出の中止にも応じる方針を示す.

提案の骨子
米政府筋によれば,北朝鮮側は以下の三点を条件提示.  ①米国が敵視政策をやめる,米朝と日朝の国交正常化の即時実現,②核開発計画は放棄・廃棄するが,製造済みの核爆弾は引き続き保有.③核関連施設がある寧辺に限定して核査察官を受け入れる.

4.29 バウチャー国務省報道官,北朝鮮が核兵器保有と核再処理開始の事実を認めたうえで,「条件が満たされれば核計画放棄とミサイル輸出の中止に応じる」と表明したことを明らかにする.条件としては,食糧・エネルギー分野における本格的な経済支援.米国だけでなく,日本からの大規模な資金と援助物資の提供を想定.

4.30 韓国と北朝鮮の第10回南北閣僚級会談が平壌で開催される.北朝鮮の核問題を「対話を通じて平和的に解決するために引き続き協力していく」などとした6項目の合意.

03年5月

5.23 日米首脳会談.日米韓の三国が多国間協議を継続し,連携を強めることで合意.

5.31 日中首脳会談.核問題の平和的解決を目指し,米中朝協議を継続させることで合意.

6.07 盧大統領と小泉首相が共同声明.「北朝鮮の核問題は北東アジアの深刻な脅威であり,平和的・外交的に解決されなければならない」とし,日韓両国が参加する多国間対話への期待を表明する.

6.17 川口外相,ASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会議の非公式夕食会で北朝鮮の許鍾大使と接触.

7.31 北朝鮮政府,6ヶ国協議受け入れを韓国政府に通知.対北朝鮮敵視政策の撤回の公約と,核凍結に伴う米国自身の保障措置を求める.

03年8月 第1回6カ国協議

8.01 韓国、核開発計画をめぐる6か国協議の開催に北朝鮮が合意したと発表。

8.27 北京の釣魚台迎賓館で第一回6カ国協議が開催される.米国は「完全かつ検証可能で不可逆的な廃棄」(CVID:Complete, Verifiable, and Irreversible Dismantlement)を主張.「核放棄まで北朝鮮と取引しない」立場をつらぬく.北朝鮮外務省報道官は「このような百害あって一利なしの会談にこれ以上いかなる興味や期待も持てなくなった」とし,核抑止力を引き続き強化すると威嚇.

8.29 3日間に及ぶ第一回協議は米朝の見解の相違を浮き彫りにしただけで終わる。協議の有用性は確認された。

9月 金正日、国防委員長に再選。

10.02 北朝鮮、約8000本の使用済み核燃料棒の「再処理を終了した」と発表。

11.21 KEDO、対北朝鮮軽水炉事業を12月1日から1年間中断すると決定。

12.09 北朝鮮、米国が敵視政策を放棄すれば核開発計画を「凍結する」と発言。核廃棄の第一段階について同時一括妥結案を提起。同時に、米国がこれに合意しない場合は次回の6か国協議をボイコットすると表明。

 

2004年

04年1月

1.06 米国の核問題専門家5人が訪朝。北朝鮮は寧辺で「プルトニウム」を提示する。

04年2月

2.25 北京で第2回6ヶ国協議.北朝鮮は「会談が続けられても,問題が解決されるという期待を持つのは難しい.我々は必要な措置(核開発)を引き続きいっそう速やかに講じていく」と声明.

4.07 韓米日3カ国協議、北朝鮮における「完全かつ検証可能で、不可逆的な核の廃絶(CVID)」をもとめることを再確認する。

4.19 金正日が中国を三日間にわたり訪問.温家宝との会談で、「中国企業は北朝鮮と多様な形式で協力し、中国政府はそうした企業投資を積極奨励する」ことで合意。

5.12 6カ国協議の作業部会.北朝鮮はカーン告白を引き合いとする米国の核兵器情報に対し,虚偽の情報と断定.

5.22 小泉首相が平壤訪問.金正日と二度目の首脳会談.日朝平壌宣言を再確認する。拉致被害者の家族5人が帰国。

04年6月 第三回6ヶ国協議

6.09 中国の周外務次官,「米国は北朝鮮のウラン濃縮計画について納得いく証拠を提示していない.確たる証拠がないのなら,米国は主張を取り下げるべきだ」と語る.

6.14 バウチャー報道官,「カーン博士の告白などからも,北朝鮮がウラン高濃縮計画を進めているのは明らか」と述べる.しかし北朝鮮に,核兵器を製造できるだけの大量の遠心分離機が存在する証拠を提示できず.

6.23 北京で第三回6ヶ国協議が開かれる.米国は「核放棄まで北朝鮮と取引しない」立場を変え,CVID原則を持ち出さず,初めて北朝鮮核問題の解決に向けた提案.「北朝鮮が非核化措置を取れば、米国をはじめ6カ国協議当事国らが見返り措置を提供する」という「一括妥結」案をめぐり、駆け引き。

6.28 北朝鮮,第三回6ヶ国協議に関する外務省報道官の談話を発表.「米提案は我々を武装解除するための要求事項を段階的に列挙したもの」でしかないとしつつ,「このような提案を示したこと自体は留意すべきことである」と評価.会談が「さまざまな提案と方途を示し…,進展をもたらすことができる一部の共通した要素も見出すことができた」と評価.

6月 ソウルで安全保障フォーラム開催.中国国際問題研究所の郭震遠は,「北朝鮮の核問題は東北アジアの安保問題の核心となっている.この問題が平和的に解決されるなら,北東アジアの安保情勢を根本的に変えることができる」と発言.

04年7月

7.15 ケリー東アジア・太平洋担当国務次官補,上院外交委員会で証言.北朝鮮は寧辺の原子炉を含む国内の施設のほとんどが軍事目的であることを認め,平和利用の核計画の維持を希望したと述べる.また,各国とも6カ国協議の結末には重大な関心を抱いている.現在は核問題に焦点をあてているが,将来はそれが拡大される可能性があると発言.

7.24 北朝鮮、米国が提案したリビア方式の「先核放棄」案は「論議の価値なし」と拒否。

7月 ジャカルタのARF総会会場で,米国と北朝鮮が二年ぶりの外相会談.パウエル国務長官は北朝鮮の「同時行動原則」に理解を示し,「核放棄先決」論を変えたことを確認する.白南淳外相は「対話による平和解決を目指す立場を,米国と共有した」と述べる.

8.18 ブッシュ、金正日を「暴君」と呼ぶ。北朝鮮はブッシュを「ヒトラーをしのぐ暴君で政治的未熟児」と反撃。

9.28 北朝鮮、使用済み核燃料棒8000本の再処理を完了したと発表。

10.04 米上下両院、北朝鮮人権法案を可決する。

12月 北朝鮮貿易に占める中国シェアは44%を越える。

 

2005年

05年1月

1.01 北朝鮮3紙が共同社説、「主攻戦線は農業戦線である」とし、「すべてのことを農業に服従させ、農業部門に必要な労働力と設備、物資を最優先的かつ無条件で供給すべきだ」と訴える。同時に、「国防工業に必要なすべてのものを優先的に供給すべきである」と強調する。

1.18 ライス次期国務長官、北朝鮮はイランやキューバと並ぶ「圧制国家」だと批判。

1.20 ブッシュ、二期目の大統領就任演説。北朝鮮における圧制に終止符を打つのが最終目標と発言。

1月 公共配給所での穀物供給量が1日300グラムから250グラムに減少。

05年2月

2.10 北朝鮮外務省、すでに「自衛のための核兵器」を保有していると公式に宣言。米国が敵視政策を放棄しない場合は6ヶ国協議を無期限にボイコットすると声明。

2.19 中国共産党対外連絡部の王家瑞部長が平壤訪問。金正日は「条件が整えば、6カ国協議に出席の用意がある」と発言。

3.02 北朝鮮外務省、アメリカに対し、敵対政策を平和共存政策に転換するよう要求。

3月 中朝政府が「中朝投資保証協定」を締結した。中国企業の投資環境が強化される。

5.11 北朝鮮、核兵器開発計画の一環として、寧辺の5千キロ原子炉から使用済み燃料棒8000本を抜き取る作業を完了したと発表。

5.31 ブッシュ大統領、演説の中で金正日に「ミスター」の敬称をつける。

05年6月

6.06 ニューヨークで米朝高官の実務接触が行われる。

6.17 金正日、韓国の統一相と会談。米国が北朝鮮を尊重すれば、7月中にも協議の再開に応じることができると述べる。

6.22 米国、北朝鮮向け食糧支援を再開。

6.23 南北閣僚級会談。北朝鮮側は、雰囲気が整えば、6カ国協議に向けた実質的の措置をとると述べる。

05年7月

7.01 ニューヨークで6カ国の非公式会合。

7.09 米朝が、6カ国協議を再開することで合意。

7.12 韓国、核を完全放棄すれば北朝鮮に直接電力を提供すると発表。

7.26 6カ国協議が13ヶ月ぶりに再開。第4回協議が北京で始まる。

8.07 6カ国協議が無期限休会。協議の枠組みそのものが崩壊の危機に陥る。

9.13 第4回6カ国協議の第二次会合が続開される。ロードマップの細部の詰めが行われる。

9.15 米国財務省、マカオの「バンコ・デルタ・アジア」(BDA)を北朝鮮の資金洗浄金融機関に指定。処分の動きを示す。

9.19 6カ国協議、「北朝鮮のすべての核兵器と現存する核開発計画の放棄」など、今後の非核化へ向かう旅程を盛り込んだ6項目の共同声明を採択。北朝鮮は「軽水炉提供」後に核計画を放棄すると言明する。

共同声明: 朝鮮半島の検証可能な非核化を平和的な方法で達成することで合意。これに向け、北朝鮮はすべての核兵器と現存する核開発計画を放棄し、早期に核拡散防止条約(NPT)と国際原子力機関(IAEA)の安全措置に復帰することを公約。米国は核兵器または在来兵器で北朝鮮を攻撃・侵攻する意思がないことを確認。対北朝鮮エネルギー支援の用意を表明する。
これは「行動対行動」原則と呼ばれ、北朝鮮の進める非核化の水準に合わせ、その見返りを提供するという基本概念が確立された。

9.28 マカオ当局、バンコ・デルタ・アジアに北朝鮮が保有する資金を凍結。6カ国協議は凍結される。

9月 北朝鮮、国連人道支援の年内打ち切りをもとめる。背景に国連・NGO職員の「情報収集活動」への警戒。

10.21 国連世界食糧計画(WFP)が北朝鮮の食糧事情に関して報告。配給されている1人1日穀物量は、250グラムから倍増され最大500グラムに達したとする。

10月 胡錦涛主席が平壤を訪問。20億ドルの長期投資プランを発表する。9億ドルの茂山鉄鉱投資が中心となる。

11.09 第5回6カ国協議、「公約対公約」と「行動対行動」の原則にもとづいて共同声明を履行するようもとめる議長声明を採択。

11.09 米国際開発庁(USAID)、北朝鮮に対する食糧支援を停止すると発表。

11.22 ニューヨークでKEDO理事会。軽水炉建設事業を廃止することで合意する。北朝鮮、「ブッシュ政権はわが国に対する軽水炉提供を放棄した」と米国を非難。

12.09 バーシバウ駐韓米国大使、北朝鮮の偽ドル札の製造、資金洗浄問題をとりあげ、北朝鮮を「犯罪政権」と批判する。

12.17 米国務省、北朝鮮のドル洗浄の窓口であるバンコ・デルタ・アジア(マカオ)の対北朝鮮口座を凍結させる。バンコ・デルタ・アジアは取り付け騒ぎを起こし、倒産に至る。

12.20 北朝鮮、「わが国は5万キロワットと20万キロワットの黒鉛減速炉と関連施設により、独自の原子力工業を積極的に発展させる」とし、年間に核兵器50発分のPuを生産できる大型黒鉛炉の建設再開によって、自衛力強化を図る意向を表明。

12.23 米国、世界の金融機関に北朝鮮と取引をしないよう呼びかける。

12月 中朝貿易総額は15億8123万ドルを記録し、前年比14.2%の伸び。北朝鮮の対中依存度がさらに増大。北朝鮮の対世界貿易の63%は中韓両国との貿易が占める。

12月 北朝鮮の穀物生産量が454万トンに達し、89年以来の豊作となる。

 

2006年

06年1月

1.18 米・中・北朝鮮の核問題担当者が北京で会談。6か国協議の再開について一致するが、日程については合意に至らず。

2月5日 北京で日朝協議。拉致問題など懸案事項に関する協議、国交正常化交渉、核問題・ミサイル問題等の安全保障に関する協議の3協議が並行して行われた。

6.01 北朝鮮外務省が米国首席代表の訪朝を招請、米国はこの提案を拒否。

7.05 北朝鮮、長距離ミサイル「テポドン2号」など7発のミサイルを発射。

7.16 国連安保理、北朝鮮を非難する決議1695号を満場一致で採択。北朝鮮側は決議の受け入れを拒否。

9.09 中国をふくむ24カ国の金融機関が北朝鮮との取引を中断する。

06年10月

10.03 北朝鮮、米国が「国家転覆を図っている」と非難。米国が制裁に踏み切れば「核実験を行うことになる」と声明。

10.06 安保理、北朝鮮の核実験声明を非難する議長声明を全会一致で採択する。中・韓は北朝鮮に対し6か国協議への復帰を要請。

10.07 北朝鮮軍兵士5人が軍事境界線を越えて約30メートル南側に侵入。韓国軍は60発の警告射撃を実施する。

10.09 北朝鮮、「4キロトンの放射能漏洩のない核実験」を強行する。各国の計測によれば核爆発の規模は0.8キロトンだった。

10.15 国連安全保障理事会は、国連安保理憲章第7条に基き北朝鮮を制裁する決議第1718号を採択。

10.19 唐家セン中国特使が平壤を訪問。金正日総書記と会談し、胡錦濤国家主席のメッセージを伝達する。

10月 米国は北朝鮮武力制裁決議を安保理に提出。中国・ロシアの反対で可決されず。国防総省は巡航ミサイルで寧辺の再処理施設を破壊する案をブッシュに提出。

12.18 中断されていた第5回6カ国協議の第二次会合が、北京で再開される。

12.20 米国が北朝鮮に核廃棄と相応措置の修正案を提示、北朝鮮はBDA先決原則を固守。

12.22 第5回6カ国協議第2次会合、次回日程未定のまま終了。

 

2007年

07年1月

1.16 金桂寛外務次官とヒル次官補、ベルリンで米朝首席代表会談。米朝は6カ国協議発足後初めて事実上の2者会談を行う。BDA解決策と第1次非核化措置の輪郭が形作られた。

1月 ペリー元国防長官が下院外交委員会で証言。「不測の事態も覚悟したうえで、大型原子炉を空爆破壊することも検討すべき」と述べる。国防総省は在韓米空軍基地と嘉手納にステルス爆撃機を配備する。

2.08 第5回6カ国協議の第3次会合が北京で開催される。2者会談での合意を受け、ロードマップの調整。

2.13 第5回6カ国協議、「共同声明の実施のための初期段階の措置」について合意。北朝鮮は非核化第2段階に該当する寧辺核施設の無能力化を実施する。これに対しアメリカ側は、エネルギー支援(重油に換算し100万トン)と、テロ支援国指定の解除など安保措置を提供する。

2月 北朝鮮、第6回6カ国協議の首席代表会議に不参加の意向を表明。BDA資金凍結を問題視したもの。

3.13 IAEAのエルバラダイ事務総長が平壤を訪問。

3.19 第6回6カ国協議第一次会合が開かれる。ヒル国務次官補と金桂冠外務次官、黒鉛炉の段階的無力化と95万トンの重油供与の交換で合意。金融制裁を解除の方向に向ける。

6.21 アメリカ、BDA資金2500万ドル全額の凍結解除を決断。BDA問題は解決。ヒル次官補が訪朝し説明。(一説では3月19日の会談ですでに合意していたとされる)

6.25 北朝鮮外務省、BDA凍結資金の北朝鮮口座送金を確認。

6.26 IAEA実務団が訪朝、2月の合意に基づく北朝鮮核施設の閉鎖と検証問題など協議。これを受け、北朝鮮は核施設閉鎖に着手する。

7.15 北朝鮮外務省、重油5万トンの到着を確認し、寧辺核施設稼動中断を発表する。

9.01 米朝関係正常化に向けた作業部会の第2回会議がジュネーブで開催。ヒル次官補と金外務次官が会談し、核施設の年内無能力化と核計画全面申告に合意。

9.11 米中ロの北朝鮮核無能力化技術チームが訪朝。

9.18 北朝鮮外務省、シリアとの核協力疑惑を否定。

9.27 第6回6カ国協議第二次会合が開かれる。「共同声明の実施のための第二段階の措置」について合意。

10月 平壌で韓国の盧i武鉱(ノ・ムヒョン)大統領と第2回南北首脳会談。南北平和繁栄宣言を発表。

11.05 寧辺で「無能力化」作業が開始される。

12月 年内に核の無能力化と核計画の申告を行うとした北朝鮮の約束は果たされず。

10.03 第6回6カ国協議の第2次会合。非核化第2段階の施工図面の履行措置に合意。共同声明を発表する。

11.01 米国の北朝鮮核無能力化チームが訪朝、無能力化措置に着手。

11.19 米朝金融実務者会議をニューヨークで開催。

11.27 6カ国協議当局者らの北朝鮮核無能力化実査団が寧辺を訪問。

12.03 ヒル次官補が訪朝。

12.13 電気出力5000キロワットの実験炉で、燃料棒の抜き取りが開始される。

 

2008年

08年1月

1.04 北朝鮮外務省、米国の輸入アルミニウム管利用した軍事施設の視察を認め、核開発計画の申告書を昨年11月に提供したと発表。

2.19 ヒル次官補と金桂寛外務次官が北京で会談、核開発計画の申告を論議。

3.13 ヒル次官補と金桂寛外務次官がジュネーブで会談。ヒル次官補は「同時全面申告」を要求する。同時に、申告形式には柔軟対処の方針を示す。

4.08 ヒル次官補と金桂寛外務次官がシンガポールで会談。米国は第二段階履行に関する技術的困難を認め、ウラン濃縮および核開発とプルトニウム問題を分離することで妥協。

5.08 北朝鮮、訪朝した米国務省のソン・キム朝鮮部長に寧辺原子炉の1万8000ページにおよぶ稼動日誌を伝達。

6.26 北朝鮮は、過去のプルトニウム生産量など記した核開発計画申告書を中国に提出。これまで延べ38.5キロのプルトニウムを生産し、31キロを抽出。このうち2キロを核実験に、26キロを核兵器に使用と説明する。申告書の内容を確認する検証問題が今後の課題となる。

6.27 北朝鮮、寧辺原子炉冷却塔を爆破。米国は対北朝鮮テロ支援国指定解除の手順に着手。

7.10 北京で第6回6カ国首席代表会談。核の無能力化とエネルギー支援を10月末までに完了することで合意。北朝鮮が約束した無能力化措置は全11項目のうち8項目が完了し、廃燃料棒の抜き取り、未使用燃料棒の処理、原子炉制御棒駆動装置の除去の3項目が残るのみとなる。

7.23 6カ国外相の非公式会談がシンガポールで開催される。

9月 金正日、建国60周年記念の労農赤衛隊閲兵式を欠席、重病説広がる

10.11 米国、非核化の検証措置について北朝鮮と合意に達したと発表。北朝鮮に対するテロ支援国家の指定を解除する。

12.08 第6回六ヶ国協議首席代表者会談、非核化の検証方法について合意できず、次回会合日程未定のまま閉会。

 

 2009年

4月 北朝鮮が弾道ミサイル発射

5月 北朝鮮が2度目の核実験

8月 訪朝したクリントン元米大統領と会談

11月 北朝鮮、デノミを実施するも失敗

2010年

3月 黄海で韓国哨戒艦沈没事件

5月 金正日が訪中し、胡錦清国家主席、温蒙宝首相と会談

8月 金正日、再び訪中し、胡主席と会談

9月 労働党代表者会。三男正恩氏が後継者に決定

11月 米専門家にウラン濃縮施設を公開。

11月 北朝鮮、韓国の延坪島を砲撃

2011年

5月 金正日が訪中。湖錦湯主席、温家宝首相と会談

11月 金正日が訪ロ。イルクーツクでメドページェフ大統領と会談。

2012年

  

1997年

97年1月

1.01 『労働新聞』(党機関紙),『朝鮮人民軍』(軍機関紙),『青年前衛』(青年組織機関紙)の3紙共同社説.「苦難の行軍」をしている旨を認める.

1月 北朝鮮政府,台湾の原子力発電所の核廃棄物の貯蔵を引きうけることとなったと発表.

97年2月 黄長燁の亡命

2.03 政府の水害対策委員会,「96年度の穀物生産量は250万トンにすぎず,年間穀物必要量784万トンを大幅に下回った」ことを明らかにする.

北朝鮮における1人1日あたり配給量の変化
 1995年水害以前   1995年末(水害後)   1996年半ば   1997年はじめ
        600g            458g    250~300g   100~150g(350~525kcal)

2.05 北朝鮮,ニューヨークでの四者会談に関する説明会への出席に応ずる見かえりとして,食糧支援の追加を要求.

2.12 北朝鮮の最高幹部の一人で,「主体思想」の提唱者といわれる黄長燁労働党国際担当書記が,北京の韓国大使館に亡命.「主体思想は自分が立案したものとは大きくかけ離れてしまった」と述べる.中国政府は北朝鮮政府の同意を得て,黄をフィリッピンに移送.

2.19 中国の鄧小平が死亡.

2.21 北朝鮮、韓国の「チュンアン」日報に対し何らかの「報復」をほのめかす。「チュンアン」日報は、「金日成は金正日との激しい口論の末発作を起こし死亡した」と報道する。

2月 ソウルで李ハンヨンが二人の殺し屋により射殺される。黄長燁亡命に対する報復と見られる。李は金正日の元妻ソン・ヒェリンの甥で、92年に韓国に亡命していた。

2月 羅津・先鋒で香港のエンペラー・グループが投資するカジノ付きホテル「エンペラー・ホテル」の建設着工。

3月 亡命工作員のアン・ミョンチン、横田めぐみさん(当時13歳)が新潟市で誘拐され、北朝鮮の学校でスパイ・トレーニングのために働いていると証言。

97年4月 軍部の抵抗

4.15 故金日成の誕生日を国民祝日「太陽節」に決定.この年をチュチェ元年とする.

4月 ハンギョレ新聞,北朝鮮の飢饉に対する人道支援のキャンペーンを開始.

4月末 北朝鮮の咸鏡北道穏城郡で大規模な森林火災が発生し豆満江周辺は火の海となる。また火の粉が中国側にも燃え移り大規模な火災が発生した。

4月末 北からの脱北者が増加。翌年まで続く。

5.15 北朝鮮の韓成烈国連大使,「軍部は四者会談を武装解除のための罠ではないかと考えている.軍部に了解させるためには,無条件の食糧支援が必要だ」と語る.

5月 日本政府,行方不明事件のうち「7件10人」を,北朝鮮に拉致されたものと認定.共産党を排除した「北朝鮮拉致日本人救援議員連盟」が結成される.

97年6月

6.11 ニューヨークで二回目の米朝会談.アメリカ側はノドンの発射実験の中止とスカッド・ミサイルの販売停止を求めるが,ものわかれに終わる.

6.21 金正日,論文「革命と建設において主体性および民族性を固守することについて」を発表.現在の困難について「決して帝国主義者の対処法などを期待してはならない.彼らの援助は,一つを与えては10や100を盗っていくための略奪および隷属の罠である」と指摘.

6.24 韓国の「朝鮮日報」紙、「新しい改革を指向する[北朝鮮の]グループに賛成して権力を放棄するよう」、金正日にもとめる。金正日はこの社説を「我々に対する最も刺激的な宣戦布告」と非難。「朝鮮日報が消滅するその日まで、報復する権利を留保する」と脅迫。

6月 「労働新聞」、「民主勢力の独立、民主主義、再統一のための愛国的反ファシズム闘争にとって、金泳三政権を打倒することが緊急の任務となっている」と述べる。

6月 西海岸で北朝鮮の巡視艇三隻が境界線を越えて侵入。韓国巡視艇と銃撃戦を展開。

97年7月 「喪明け」

7.08 金日成逝去三周忌大会.金正日は「喪明け」を表明.金日成誕生の1912年を元年とする「主体年号」を制定.さらに金日成の誕生日(4月15日)を「太陽説」と命名し国家記念日とする.

7.21 朝鮮中央放送,金正日の文明子(親北派の在米韓国人ジャーナリスト)に送った書簡を発表.この中で食糧危機と経済的苦境を認める.

7月 北朝鮮で米軍兵士の遺骨発掘のための共同調査が始まる.4か月にわたり3回の調査が行われ,アメリカは7体を受領.

7月 北朝鮮兵士14人が軍事境界線を越えて約70メートル侵入。23分にわたり韓国軍との間に銃撃戦。

97年8月 原発の建設開始

8.04 金正日書記論文が発表される.「米国を百年の宿敵とは見ていない」と述べる.また対日関係については,「過去を心から反省し,敵視政策を捨て,朝鮮の統一を妨害しなければ,日本と友好的に対処し朝・日関係を改善できる」と指摘.

8.05 ニューヨークで米中・南北朝鮮が第一次予備会談.

8.06 アメリカ,ミサイル増産活動に抗議し,さらに制裁を強化.

8.19 東海岸咸鏡北道の新浦(咸鏡南道の琴湖?)で,韓国電力公社が軽水炉型原発の建設を開始.KEDOのステファン・ボスワース事務局長,「軽水炉の着工は,関係改善の新たなスタート」と声明.ボスワースはその後駐韓米大使となる.

夏 恵山で大規模な列車事故が発生。止めてあった客車のブレーキが外れひとりでに走り出した。徐々に加速度がつき10の駅を通りすぎ100キロ以上も走り抜け、恵山駅には2両が突入、大きな爆発音とともに駅は廃墟と化した。客車内にいた老人や子供、女性は全員死亡。(5年後に「朝鮮日報」が報道するまで明らかにされなかったということがもっと恐ろしい)

97年9月

9.30 軽水炉建設現場で,金正日の写真入「労働新聞」が破り捨てられていたのが発見.北朝鮮はこれに抗議し労動者30人を引き揚げる.KEDO側の謝罪で1週間後に工事再開.

9月 日朝赤十字連絡協議会,日本人配偶者の里帰りで合意.

9月 労働党農業部門の最高責任者である徐寛熙書記が,黄長燁との関係を問われ,平壌市内で公開処刑される.金日成社会主義青年同盟幹部3人も,ともに処刑される.アムネスティーは「北朝鮮は70年以降,少なくとも23人を公開処刑している」と告発.

10.08 金正日,党中央委員会および党中央軍事委員会の推戴により労働党総書記に就任.

97年11月

11.21 クリントン大統領,対北朝鮮政策を「関与政策」に転換すると発表.

11.23 韓国当局、6人からなる「北朝鮮スパイ団」を摘発したと発表。その筆頭としてソウル大学名誉教授コ・ヨンポクが逮捕される。コ・ヨンポクは73年以来北のスパイとして活動。国内では「社会学の創設者」として認められ、「保守的な」立場から韓国政府の顧問を務めてきた。

11月 北朝鮮、韓国国営放送KBSテレビが放映したシリーズ「北朝鮮社会における抑圧と腐敗」に対して激怒。KBSを「ファシズム独裁者の口金」と非難、「破壊」の可能性を示唆。

11月 自社さ3党訪朝団(森喜朗団長)が平壌訪問.北朝鮮側は拉致事件を「行方不明者として調査」することを約束.

97年12月 「崩壊の危機」を自認

12.09 米中と南北朝鮮との「四者会談」第1回会談が開始される.

12.12 ドイツのテレビ放送,「閉ざされた未知の国,北朝鮮」を放映.インタビューを受けた金永南常任委員長が「北朝鮮は崩壊の危機に置かれている」と認める.

12.19 韓国大統領選挙で,金大中が当選.

12.30 労動新聞,「内外的な試練にもかかわらず社会主義を守り通した」と,97年を締めくくる評価.

12月 赤十字協議会.日本側が安否調査リスト(7件10人+有本さん)を手交.

 

1998年

1.28 金大中が韓国大統領に就任.対北「太陽政策」を推進.

2.25 金大中大統領,①北の武力挑発には断固対処,②北を攻撃せず,吸収計画を持たない,③可能な分野から南北和解・協力推進の「対北三原則」(いわゆる太陽政策)を掲げる.

2月 国連人道局,救援食糧が転用されているとして抗議.北朝鮮側は文書で謝罪.

3.03 金大中政権,初代統一部長官にタカ派の康仁徳極東問題研究所長を任命.康仁徳は朴政権時代に中央情報部の北韓局長を勤めた人物.

3.16 ジュネーヴで第二次4カ国会談本会議が開かれる.北朝鮮から供与されたミサイルのコピーとされる。

4.06 パキスタンが射程1500キロの中距離弾道ミサイル「ガウリ」発射実験に成功。北朝鮮は、「イラン・エジプト・シリア・リビアなどに、合計一千発以上のミサイルを輸出した」とされる。

4.17 アメリカ,北朝鮮がパキスタンにミサイル技術を移転したとして,経済制裁を強化.

この年,北朝鮮とパキスタンは,ミサイル製品とウラン濃縮技術の交換に関する秘密合意を締結.北朝鮮は1000台の遠心分離器を入手.原爆を毎年1個から2個のペースで製造できる能力を獲得したとされる.

98年5月 300万人が餓死? 住民は家で静かに死を待っている?

5.10 北への支援を続ける「韓民族相互助け合い仏教運動本部」の法輪執行委員長,飢饉で300万人が死んだという推計結果を発表.

5月 大阪朝銀が経営破たん.大阪朝銀の受け皿となった朝銀近畿に3100億円の公的資金が投入される.

98年6月 ミサイル輸出を認める

6.16 朝鮮中央通信,金融封鎖が解除されない限り,ミサイル技術の輸出を止めることはできないと報道.ミサイル輸出の事実を初めて認める.

6.16 鄭周永現代名誉会長,牛500頭を乗せたトラック50台を引き連れ,板門店から北朝鮮入り.

6.23 91年以来中断されていた在韓国連軍と北朝鮮軍の将官級会談が再開される.

6.22 北朝鮮の小さい潜水艦が、ソクチョ沖合いで魚網に引っかかる。3日後に引き揚げられたとき、9人の集団自殺した遺体が発見される。

6.24 北朝鮮、米国の軍事的脅威に対する抵抗の表示として、ミサイルをテストし配備し続けると通告。

6.27 北朝鮮、潜水艦事件で沈黙を破り南側を非難。潜水艦と遺体の即時返還を要求。金大中大統領は、潜水艦の侵入が休戦協定および92年の和解・交流・協力協定を侵害していると非難。北朝鮮に「責任を認め合理的措置をとる」よう要求。

6月 北朝鮮赤十字,「日本人行方不明者は存在しない」と通告.

98年7月

7.03 潜水艇侵入事件の北朝鮮兵士の遺体9柱が板門店を通じて送還される.

7.15 超党派のラムズフェルド調査団,長距離ミサイルが開発されない限り,北朝鮮やイランのごとき「ならず者国家」は直接の脅威とはならないと報告.ただし本格的に開発に着手すれば5年以内にミサイルを完成させる能力をもつ国もあると警告.

7.22 イラン、北朝鮮の技術供与を受け、中距離ミサイル「シェハブ3」の発射実験に成功。

7.26 8年ぶりに,第10期最高人民会議の選挙が実施される.

98年8月 テポドン打ち上げ

8.17 ニューヨーク・タイムス,「北朝鮮,核兵器の製造工場建設」と題し,金倉里(クムチャンニ)の地下施設について報道.原子炉および再処理施設の疑いがあるとする.「第二の核疑惑」が発生.ロバート・ガルーチ国務次官補は,「もし秘密核施設であれば,枠組み合意は崩壊する」と述べる.

8.31 北朝鮮,テポドン・ロケットを打ち上げ.日本を越え太平洋にまで到達.北朝鮮は多段式運搬ロケット「白頭山1号」による人工衛星「光明星1号」の打ち上げに成功したと発表.「ロシアと米国は実験成功を確認」したそうです。

テポドンは三段式のロケットで,射程1,500-2,000キロ.三段目に固体燃料を使用した技術が,アメリカ情報筋の脅威となる.(その後の正式発表では,射程1300キロのノドンを一段目,スカッドを二段目に利用した,二段式液体燃料方式の弾道ミサイルとされる)

8月 米情報筋、「北朝鮮に巨大に地下複合施設が発見された。これは凍結された核兵器開発計画を復活させる中核となるもの」と報告。北朝鮮は「民間人の経済施設である」と反論。

8月 中国の延辺科学技術大学総長金鎮慶,スパイの疑いで拘留され,国外追放となる.金鎮慶は羅津に科学技術大学を設立するため北朝鮮を訪問中であった。北朝鮮側の発表によれば、金鎮慶は粛清された金正宇対外経済協力推進委員長と関係があったとされる.延辺は旧満州(北朝鮮と国境を接する)地方で,元は間島と呼ばれ,朝鮮系住民が多く住む.金鎮慶も朝鮮系中国人.

8月 国境なき医師団は中朝国境地帯における難民聞き取り調査の結果をまとめ出版。北朝鮮の悲惨な飢餓の様子が書かれていた。

98年9月 趙明禄がナンバーツーに

9.01 オルブライト国務長官,「北朝鮮のミサイル発射はまことに深刻な事態」と声明.日本政府はミサイル発射に抗議し,枠組み合意に対する財政負担への署名を3ヶ月間凍結.国交正常化交渉を凍結し,食糧の人道支援も中断.

9.04 北朝鮮外交部,打ち上げたミサイルは「人工衛星」だとし,「我々が人工衛星保有国になるのは,当然なる自主権の行使だ」と声明.

9.04 額賀防衛庁長官,「北朝鮮のミサイル基地を予防攻撃することも法理的には可能」と突出発言.

9.05 北朝鮮で4年ぶりに最高人民会議(国会)第10期第一次会議開催.72年の社会主義憲法を改正,「金日成憲法」と改称.憲法前文は,金日成を「社会主義朝鮮の始祖・北朝鮮の永遠なる主席」とする.国家主席制度・中央人民委員会を廃止し,国防委員会委員長を国家最高のポストに格上げ.

9.05 新設の最高人民会議常任委員会委員長(形式的な国家元首)には金永南.新首相には洪成南が就任.金永南は,「国防委員長が一切の武力を指揮統率し,政治・経済全般を指導する国家最高の職位である」ことを明らかにしたうえで,金正日総書記を国防委員長に推挙.金正日の子守役を務めた趙明禄人民軍総政治局長が国防委員会第一副委員長に就任,事実上のナンバーツーの地位を占める.

9.07 労動新聞,「人工衛星“光明星1号”は社会主義の強盛大国を建設するための里程標として,北朝鮮の科学・技術者が金正日同志に捧げたものである」

9.09 韓国国防部,「北朝鮮が打ち上げたと主張している人工衛星は,宇宙軌道からは見つけられなかった」と発表.安企部は,「人工衛星をあげたようだが,宇宙軌道への進入には失敗したようだ」と述べる.

9.14 米国務省,「我々は,北朝鮮が非常に小さい衛星の打ち上げにチャレンジしたが,失敗したものと考えている」ことを明らかにする.2日後に韓国政府も同様の公式評価を確認.

9.30 国連開発計画(UNDP)の支援で羅津・先鋒企業学校が開設される.外国進出企業の業務を担当する幹部の育成が目的.金正日,「企業の管理は社会主義原則で,貿易は資本主義国を相手に」と発言.

98年10月

10.01 ニューヨークで第三回の米朝ミサイル協議.アメリカは経済制裁の解除と引き換えにミサイル開発計画の放棄を迫る.北朝鮮は,制裁解除は「枠組み合意」の内容であり,ミサイルと関係なく実施されるべきと主張.

10.03 平壌放送,太陽政策は「我々に統一政策やブルジョア多党制,市場経済などを受け入れさせ,資本主義に引き込もうとする妄想」と非難.

10.16 日本,アメリカからの強い圧力でKEDO関連予算の凍結を解除.

10.19 米議会,北朝鮮への重油供給予算を承認.この条件として,新たに第三者的アドバザーによる対北朝鮮政策見直しと核・ミサイル疑惑の早期解消を,政府に義務付ける.

10月 金正日,平壌を訪れた鄭周永現代グループ名誉会長と会談.南北経済協力に賛意を示す.鄭周永の金剛山観光プロジェクトについても賛同.

10月 北朝鮮労働党の対外連絡部工作員の「元鎮宇」,韓国に潜入.河永沃,沈載春などを抱き込み,民族民主革命党を再建.

98年11月 ハンギョレ新聞の北朝鮮批判

11.09 北朝鮮外務省,金倉里を口実とする米議会の重油供給遅退を非難.「金倉里が核施設でないと判明したときは補償せよ」と要求.

11.16 平壤で,金倉里問題に関する米朝高官協議.カートマン朝鮮半島平和担当特使,「金倉里の核疑惑には証拠がある」と表明.

11.12 クリントン大統領,ペリー前国防長官を北朝鮮政策調整官(Policy Cordinator)に任命.ペリーはただちに各省の北朝鮮政策見直しに着手.日本・韓国との政策すり合わせも進める.

11.18 現代グループによる韓国人の金剛山観光開始.鄭名誉会長も同行.

11月 ハンギョレ新聞,北朝鮮特集を連載.「人民の食糧問題も解決できず,体制を保つために自らの孤立をもたらした自主路線に固執しようとする北朝鮮政権の非道徳性に対し,怒りを覚える」と結ぶ.

11月 北朝鮮の青年、学生が平壤で集会。「ワシントンを火の海にし、ソウルと東京を破壊する」ことを誓う。

98年12月

12.04 ニューヨークで,金倉里の地下核施設疑惑をめぐり第二次米朝協議.北朝鮮は米国の査察要求を原則的に受け入れるが,「適当な補償」の内容で難航.

12.18 全南道の麗水海岸で北朝鮮の潜水艇が発見,撃沈される.捜査の結果,潜入したスパイ「元鎮宇」を帰国させる途中だったことが判明.

12月末 北朝鮮政府,02年までの経済再建計画を公表.既存の基幹産業とインフラを整備し,ついで消費部門の生産を活性化させ,食糧問題を解決するというもの.羅津・先鋒の自由経済貿易区域も再確認される.

 

1999年

99年1月

1.01 労動新聞の「年頭の辞」,この1年で「全党・全軍・全民が強盛大国建設の大きな飛躍を成し遂げた」と評価.「金正日同志はすなわちわが党であり,わが国,わが人民である」とし,すべての分野で金正日の思想を実現するよう呼びかける.

1.08 韓国政府,KEDO軽水炉建設費の調達に電気料金の3%賦課金を充当すると発表.

1.18 ジュネーヴで4者会談第五次本会議が開催される.会議の前後に,金倉里問題に関する第三次米朝高官協議.

1月 寧辺の核施設で、使用済み燃料棒の封印完了。

99年2月 まず事実報道を

2.02 テネットCIA長官,上院軍事委員会で証言.一定の改良が加えられればテポドン1号はアラスカとハワイまで射程に入れることが可能であり,伝えられるテポドン2号はアメリカ全土を射程に入れることになるだろうと述べる.ただし精度はまったく期待できないとする.

2.03 イギリスのタイムス紙,「北朝鮮の飢餓の状況はエチオピアやカンボジアとほぼ同じであり,住民は家で静かに死を待っている」と報道.これは自然災害ではなく「スターリン主義」による人災だと非難.

2.10 韓国の林東源外交安保首席秘書官,北朝鮮体制は失敗したが,早期崩壊はない.さまざまな変化が見られるが,南に対する革命戦略に固執している.これに対しては封鎖政策も不介入政策も適当ではなく,北朝鮮の漸進的・段階的変化を促す「包容政策」を選択する以外にない.

2.16 世銀のウォルフェンソン総裁,「北朝鮮高官を対象にした市場経済に関する教育を行っている」と明らかにする.

2.27 金倉里問題に関する第4次米朝協議.半月にわたるマラソン協議となる.北朝鮮は査察受け入れの見返りとして100万トンの穀物供与を要求.

2.27 アメリカきっての朝鮮通とされるキノネスが,太陽政策を「北朝鮮を変えるための最も合理的かつ現実的な政策であり,韓国の国際的地位と信用を高めた」と評価.同時に金泳三の政策を「北朝鮮の崩壊を前提としており,結局のところ中国軍部の北朝鮮支援を強化し,平壌の軍部をより強硬にしただけ」と批判.

2月 オルブライト国務長官,韓国を訪問.4カ国会談については否定的な見解を示す.

2月 雑誌「マル」,ハンギョレ新聞の北朝鮮批判に対し,「論評よりまず事実報道を優先すべきだ」と批判.

99年3月 ミサイル輸出停止の「見返り要求」

3月 欧米諸国の抗議を受け,外国人登録法改正,指紋押捺制度が全面的に廃止される.

3.16 第4次米朝会談が合意に達する.北朝鮮は金倉里への米専門家視察団の受け入れで同意,アメリカは「世界食糧計画」を通じて食糧50万トンを,さらにNGOを通じて食糧10万トンを援助.政治・経済関係は改善へ.

3.20 林凍源首席補佐官,「米朝合意により核疑惑が完全解消されたわけではない」と述べ,「北朝鮮が核開発をやらなくても自立してゆけるような環境作り」の必要性を強調する.

3.29 平壤で第4回ミサイル協議.北朝鮮はミサイル輸出停止の見返りとして年間10億ドルの補償金を要求.対話は“serious and intensive”なものとなるが,辛うじて議論を続行することのみで合意.

3月 韓国情報局、北朝鮮に拘留されている454人の韓国人の名前を明らかにする。また朝鮮戦争中の捕虜407人が、現在もなお獄中にあると発表。

3月 洪水被害対策委員会,「人口300万人減少は韓国情報機関のデッチアゲ」と反論.

3月 現代グループ,金剛山観光と北朝鮮事業を統括する企業として,「現代牙山」を設立.金潤奎を社長に任命.

3月 北朝鮮スパイ船が能登半島沖で発見される。スパイ船は日本のトロール船に偽装し、領海に侵入。海上保安部や空自の追跡を振り切り清津港に逃げ込む。

99年4月 在韓米軍を容認

4.01 林凍源外交・安保首席秘書官,「アメリカは統一以降も駐屯し,朝鮮半島の安定を担う必要がある.北朝鮮も在韓米軍の撤退を望んでいない」と述べる.

4.06 金大中大統領,「北朝鮮は,在韓米軍が平和軍であれば駐屯してもよいという立場を明らかにした」と述べる.

4.16 康仁徳統一部長官,「支援食料が軍用米に転化される危険を冒しても,なお支援するのが正しい.韓国の同胞が食料を支援していることは民衆の間でも知られている.北朝鮮の民衆が南に対する憎しみを減らせば,北朝鮮の戦闘力はそれだけ落ちる」と語る.

4.23 平壌放送,金正日の弾道ミサイル発射に関する発言を報道.「人工衛星の打ち上げには数億ドルを費やした.人民たちがろくに食べることも出来なくても,国や民族の尊厳を守り,強盛大国に備えるためのやむをえない選択だった」と述べる.韓国当局によれば,打ち上げ費用は北朝鮮全国民の食料費1年分に相当するという.

4.25 米日韓三国,対北朝鮮政策の調整で合意.三国強調・監視グループの結成で合意.

4月 最高人民会議第10期第二次会議が開かれる.「経済の分野におけるいかなる分権化も自由化も認めず,国の中央執権の指導原則を一貫して固守する」とする「人民経済計画法」を制定.

4月 韓国情報筋の報道によれば,95年以来の自然災害で,総人口2392万人(1995)のうち1割を越す250~300万人が餓死や病死,国外流出などにより減少.各国際団体もほぼ同様の推計.

99年5月 南北海軍艦艇の銃撃戦

5.20 アメリカの査察団,北朝鮮に入り金倉里(クムチャンリ)の地下核施設を視察.国務省によれば,枠組み合意に違反するような核開発の証拠は発見されず.ルービン国務省報道官,「金倉里は大規模なトンネルだ」と結論.

5.25 ペリー特使が平壤を訪問.クリントンの金正日あて書簡を手交.経済制裁の解除,国交正常化,何らかの安全保障手段を提示.核とミサイル問題での前進を促す.

6.15 西海五島北側の軍事境界線上で,南北海軍艦艇が銃撃戦.朝鮮戦争以来もっとも大規模な海上衝突となる。北は韓国艦船の近代装備の前に完敗。水雷艇一隻が沈没し、他の5隻も激しく損壊する。

6月 北朝鮮は西海五島の南側に海上境界線を設定し,その北側を海上軍事統制水域にすると宣言.韓国がわが領海内に侵入するならば、さらなる流血は必至である、と述べる。

7.26 ジョンズ・ホプキンズ大学公共衛生学部の調査報告の内容が報道される。北朝鮮から延辺に逃げ込んだ越境者440人から聞き取った内容をまとめたもので、咸鏡北道で1997年までの3年間に人口の10%以上に当たる二十五万人が死亡したとの報告。

7.30 「ハンギョレ21」,国軍情報司令部の関係者の話として,「朝鮮戦争以後に北朝鮮当局に捕まったり行方不明・死亡した北派工作員は,確認されただけで7726名」だと明らかにする.

7月 EU理事会,朝鮮半島に関する決議を採択.北朝鮮との関係正常化に向けた方針で合意.

99年9月 長距離ミサイルの実験を停止

9.12 ベルリンで米朝協議.北朝鮮は協議中は長距離ミサイルの実験を停止すると表明.米国は見返りとして制裁の一部解除に応じる.

9.15 ペリー北朝鮮政策調整官,下院に「見直し報告」を提出.北朝鮮が崩壊する可能性はなく,自殺戦争に踏み出す可能性もないと判断.核・ミサイル問題と制裁解除・国交樹立問題を並行して進める「新たな包括的・統合的アプローチ」を提唱.具体的には「北朝鮮のミサイル全基の買い取り」を提起したといわれる.共和党は「ならず者国家」をつけ上がらせるものと批判.

9.21 アメリカ,「94年枠組み合意」にもとづき,北朝鮮に対する経済制裁を一部解除する.

9.25 白南淳外相が国連総会で演説.「米国を永遠の敵とは見なさない」と述べ,ミサイル発射を当面凍結する方針を示す.

9月 北朝鮮,軽水炉の建設現場で働く北朝鮮労働者の5倍にのぼる賃上げを要求.韓国側がこれを拒否したことから工事は遅延.

99年10月

10.12 ペリー報告書が公表される.

11.19 ベルリン協議,国交樹立に向け北朝鮮高官級の訪米につき調整を図る.

99年12月 村山訪朝団

12.01 超党派国会議員団(村山富市団長)が訪朝.正常化交渉再開で合意.

12.15 KEDO,枠組み合意成立から5年目で,Kumhoの軽水炉型原発建設に関して朝鮮電力会社と契約.

12.28 労動新聞,太陽政策は「北朝鮮を改革・開放へ誘導してどうにかしようとする狡猾な手法」だと非難.

 

2000年

00年1月 イタリアと国交樹立

1.04 北朝鮮とイタリアが国交を樹立.G7国家では初めての国交正常化となる.

1.11 ベルリンで,三週間にわたりアメリカと北朝鮮との高位級会談.

2.09 北朝鮮とロシアが友好善隣協力条約に調印.

00年3月 北京の南北会談

3.04 ニューヨークで米朝会談.

3.09 金大中大統領,ベルリン自由大学で講演.「われわれには北韓を抱きかかえる能力はない.北韓住民は自由に関するいかなる経験もなく,外部の世界をまったく知らない.最も現実的で合理的な政策は,ただちに統一を追求するのではなく,相互脅威を解消し,共存・共栄を追及することである」

3.17 北京で南北が特使級の非公開接触.南北頂上会談で合意.「7.4南北共同声明」の祖国統一3大原則(自主・平和・民族大団結)を出発点とすることを確認.

00年4月

4.06 米国,北朝鮮のChanggwangSinyong社に対し「MTCRの第一カテゴリーに相当するミサイルをイランに販売した」として制裁.第一カテゴリーとは,射程300キロ以上,弾頭500キロ以上のミサイルを指す.

4月 日朝会談が再開される.

4月 金正日総書記の訪中。南北首脳会談の説明を目的とする。江沢民は南北首脳会談を高く評価する。

00年5月 アセアン地域安全保障フォーラムへの加盟

5.08 北朝鮮と豪の外交関係再開.

5.25 アメリカ,金倉里の核施設に対し第二回目の核査察.一年前の第一回査察時に比し変化がないと報告.

5.27 北朝鮮,アセアン地域安全保障フォーラム(ARF)に加入(23番目加盟国)

5.29 金正日,南北会談を前に中国を訪問.江沢民主席は「南北朝鮮の自主的平和統一を支持する」と表明.

00年6月 南北共同宣言

6.13 平壤で初の南北首脳会談.南北共同宣言を発表.核・ミサイル・非武装地帯問題については言及なし.

6.19 米国はローマ会談での合意に基づいて,北朝鮮に対する経済制裁を緩和する措置を発動.

6.20 北朝鮮と米国とのベルリン会談.北朝鮮は「ミサイル打ち上げ実験の凍結」を再確認することで応える.

6.27 平壤で第1次南北赤十字会談.離散家族100名ずつがソウルとピョンヤンを交換訪問すること,韓国に捕らえられている非転向将兵の送還について合議.

6.28 現代グループの鄭名誉会長が訪北.金正日国防委員長と面談.

00年7月 米朝外相会議

7.12 クアラルンプールで第五回米朝協議.ミサイル問題について意見を交換.北朝鮮はミサイル販売停止の見返りに年間10億ドルの補償を求める.アメリカはこの提案を拒否するとともに,「経済関係の正常化」を提案する.

7.12 マニラで,北朝鮮とフィリピンとの外交関係設定に関する共同コミュニケ発表.

7.14 南北連絡事務所が業務を再開.

7.19 プーチンが平壤訪問.金正日はミサイル販売計画の廃棄と引き換えに,「本来の目標である」人工衛星打ち上げへの援助を求める.

7.27 コックス共和党下院議員ら,「北朝鮮へのクリントン・ゴア援助が金正日の百万軍隊を支えている」とする報告書を発表.

7.28 バンコクでアセアン総会.オルブライト国務長官と白外相が“substantively modest”な会談を持つ.

7.31 南北閣僚級会談で共同報道文発表

7月 平壤放送、「朝鮮戦争が北朝鮮の侵攻によって始まった」とする朝鮮日報の報道に抗議。「わが国に対する侮辱を続けるなら本社を爆発させる」と脅迫。

00年8月

8.05 韓国の報道機関の社長46人が北朝鮮を訪問.

8.10 南北会談,板門店の南北連絡事務所を再開することで合意.

8.13 金正日,平壤で韓国メディア代表団と会見.「人工衛星打ち上げに対する援助要請は冗談」と述べる.

8.15 南北の離散家族,平壌とソウルで再会

8.18 朝鮮国立交響楽団,直航路利用してソウル訪問.

8.22 平安北道一帯で米軍将兵の遺骸発掘作業がはじまる.

8.27 在日韓国人の洪昌守(徳山昌守),プロボクシングWBC世界スーパーフライ級王者となる.

8.30 金大中,ワシントンポストとの会見で,「金正日が在韓米軍の継続駐留に同意した」と発言.

00年9月 非転向長期囚の送還

9.02 韓国政府,朝鮮戦争以来50年にわたり拘留されてきた非転向将校,スパイ罪などに問われ,政治的転向を拒んできた「非転向長期囚」など63人を北朝鮮に送還.

9.08 米国務省,金正日の人工衛星提案を「きわめてまじめに考慮している」と述べる.

9.11 特使資格をもつ,労働党中央委員会秘書の一行が訪韓.

9.12 北朝鮮在住の日本人配偶者の一時帰国第3陣が成田空港到着.

9.15 シドニー・オリンピック開会式で南北の合同入場行進 

9.18 韓国で鉄道・京義線の連結,復旧に向けた工事の起工式

9.18 IAEA総会,北朝鮮に対する特別査察をただちに開始するよう求める報告.北朝鮮は「共和国の主権に対する重大な挑戦であり,枠組み合意を破壊しようとするもの」と非難.決議を無視する姿勢.

9.22 韓国の白頭山観光団が訪北.

9.22 朝鮮総連,初の韓国への「故郷訪問団」を組織.

9.25 済州島で初の南北国防相会談,ソウルで南北経済実務者協議が開始される.国防相会談では,北側が韓米合同軍事演習や“北朝鮮主敵”規定を批判.「軍事的な信頼構築の措置として,一日も早く休戦協定を平和協定に」と主張.

9.27 ニューヨークで米朝会談.テロリズムに反対する共同声明を発表.国務省は北朝鮮をテロリスト国家のリストからはずす方向で検討開始.

00年10月 趙明禄の訪米とオルブライトの訪朝

10.10 北朝鮮ナンバー2とされる趙明禄国防委員会第1副委員長が,特別代表としてアメリカを訪問.クリントン米大統領,国務長官,国防長官と相次いで懇談.北朝鮮をテロ支援国家のリストから除外するための具体的措置について討議.

趙明禄: 最高人民会議常任委員会委員長である金永南が政治上のナンバー2であるのに対し、趙明禄は軍事上のナンバー2とされる。金日成の抗日パルチザン部隊に少年兵として参加した革命第一世代で、金正日の生母である金正淑に近かったこともあって金正日に信頼され、後見人として大いに発言権を増した。軍事パレードの時には、いつも金正日総書記の右隣にいるそうだ。

10.12 趙明禄とオルブライト,米朝間の敵対関係を終わらせるとする共同コミュニケを発表.敵対・敵視政策を清算して,「相互尊重の原則の下に,両国の関係を根本的に改善させ発展させる」ことに合意.

合意の具体的内容
北朝鮮は,500km以上のミサイル開発の中断,ミサイル合意に関する検証手段の保障など,ミサイル問題を前進的に解決する決意を表明.
米国は,ミサイル政策変更の見返りとして,食糧・エネルギーの安定供給,オルブライトが平壤を訪れることを約束する.オルブライトは,近い将来にクリントンの訪朝と米朝関係の正常化なども視野に入れていることを明らかにする.

10.24 オルブライト国務長官,北朝鮮を訪問.金正日は「射程500km以上のミサイル(テポドン1号)の発射実験を停止.さらにミサイル合意に関する検証手段も保障する」と提案.見返りとして食糧とエネルギーの安定的な供給をもとめる.クリントン訪朝,国交正常化の道筋についても話合い.

00年11月

11.01 クアラルンプールで第7回米朝協議.ミサイル問題の最終敵な詰めが行われるが,合意に達せず.クリントンの任期内の訪朝は不可能となる.

11.30 南北離散家族の第2回相互訪問が実施される. 

00年12月 金大中がノーベル賞

12.04 韓国『2000年国防白書』が発表される.国防相会議での議論にもかかわらず,“主敵規定”がそのまま存続.

12.10 金大中大統領,ノーベル平和賞受賞.

12.12 北朝鮮とイギリスが国交を樹立.

12.12 第4次南北経済実務者会談が,平壤で開かれる.経済協力関連4分野で,合意書を締結.

 


1991年

1月 日朝交渉が始まる.日本側はIAEAの核査察受け入れを迫る.さらに拉致問題の解明も条件に追加。北朝鮮側がこれを拒否したため会談は事実上決裂.

9月 国際原子力機関(IAEA),北朝鮮の核査察協定調印と「特別査察」を求める。北朝鮮は韓国に配備されている核兵器の撤去が先とし,協定調印を拒否.

9.17 南北朝鮮が,国連に同時加盟.

9.27 ブッシュ大統領,海外に配置された海上および地上戦術核兵器の一方的全面撤退を発表.この時点で韓国内には約100基の核兵器が配備されていた.

91年11月

11.08 盧泰愚大統領,ブッシュ宣言を受け朝鮮半島非核化構想を発表.核兵器の生産・所有・貯蔵・配備・使用の禁止を宣言.さらに再処理施設を持つことも禁止する.

11.25 北朝鮮外務部,「アメリカが核兵器を撤去すれば,IAEAの査察に応じる」と声明.

91年12月 朝鮮半島非核化宣言

12.06 統一教会の文鮮明が北朝鮮を電撃訪問し、金日成と会談。35億ドルの支援を約束する。

12.11 ソウルで南北首相会談が開かれる.「南北基本合意書」に署名.さらに韓国は,南北同時核査察を含む「韓(朝鮮)半島の非核化に関する共同宣言」を提案.

12.18 盧泰愚,いまや韓国内には一発の核兵器も存在しないとの声明を発表.

12.31 「朝鮮半島非核化に関する南北共同宣言」が仮調印される.「核エネルギーを平和的にのみ利用し,核再処理施設とウラン濃縮施設を保有しない」ことで合意.

91年 ソ連は国際価格での取引やハードカレンシーの決済を要求。ソ連貿易は北朝鮮貿易の53%を占めていた。これに代わり中朝貿易が34%まで伸びる。

 

1992年

92年1月 南北基本合意とチーム・スピリットの中止

1.20 南北両首相,「南北基本合意書」に署名.

1.22 ニューヨークで,米朝初の「次官級会談」が開催される.北朝鮮は,在韓米軍が統一後も朝鮮半島へ駐留することを「とりあえず容認する」と発言.

1.30 北朝鮮,IAEAとの保障措置(核査察)協定に調印.通常査察受け入れに合意し核査察対象リストを提出.これには寧辺の二つの核関連施設は含まれず.

1月末 米政府,「チーム・スピリット92」の中止を発表.

92年2月 朝鮮半島非核化共同宣言

2.18 朝鮮半島の非核化に関する共同宣言が発効.

3.06 アメリカ,ミサイル生産関連施設として北朝鮮三企業に制裁.

4月 金正日,人民軍創建60周年のパレードに出席。元帥の称号を受けたことが明らかになる.

4月 楊尚昆国家主席が訪朝。中国が韓国との国交樹立を考慮していることを金日成に伝える。金日成は再考するよう要請。

92年5月

5.04  北朝鮮,核物質に関する最初の報告書をIAEAに提出.7ヶ所の核施設と90グラムのプルトニウムを保持していることを明らかにする.

5.13 北朝鮮,朝鮮戦争時の米兵遺骨15柱を返還.

5.25 ブリクス事務局長を団長とするIAEA調査団,北朝鮮に対する第1回査察を実施.再処理施設「放射化学研究所」を中心に立ち入り調査.以後9ヶ月間に6回の特定査察を実施.

5月 江原道チョルヲンで、韓国軍の軍服を着た北朝鮮工作員が射殺される。

92年6月

6月 金日成,スエーデン労働党幹部との会見で,「東欧社会主義諸国の崩壊の原因は,事大主義と官僚主義にあった.決して社会主義制度そのものに問題があったのではない」と述べる.

7月 アメリカ,韓国を含め海外に配置された戦術核兵器2400基の撤収を完了したと宣言.

8.24 韓国と中国のあいだに国交が樹立される.北朝鮮は一時中国人観光客、朝鮮族の親戚訪問規制を行い抗議の意を表明。

92年9月

9月 IAEA,北朝鮮の初回報告について検討.再処理プルトニウム量などに疑問を呈する.

9月 韓国国家安全企画部,北から潜入した李善美労働党政治局員候補が,地下組織を作ったとし,一斉摘発に乗り出す.62人が逮捕され,300人が指名手配される.李善美はすでに逃走.

92年10月

10.08 米韓両政府,「核相互査察問題で意味ある進展が見られない」とし,チームスピリット再開を検討開始.

10.20 北朝鮮政府,「外国人投資法」「合作法」「外国企業法」を発表する

10月 韓国の国家安全企画部、400人からなる北朝鮮スパイ網が摘発されたと発表。この組織は労働党のリ・ソンシルが指導していたとされる。

11.05 第八次日朝会談.最終的に会談は決裂.北朝鮮は日本政府側に対し,「自らの尊厳と原則を捨ててまで日本と関係改善をしない」と言明.

12 最高人民会議常設会議開催.「外国投資企業および外国人税金法」「外貨管理法」「自由経済貿易地帯法」を採択する。政務院総理,延亨黙から姜成山に再び代わる.国家予算報告では第3次7ヶ年計画について何の報告もなし.

 

1993年

1.26 韓国,政権交代を前に米軍とのチームスピリット再開を発表.北朝鮮はチームスピリット再開決定を非難.

93年2月 北朝鮮「核疑惑」の浮上

2.09 IAEA,6回目の特定査察.平安北道寧辺の二つの核廃棄物の貯蔵施設について疑問が残るとし,北朝鮮政府に対し特別査察を要求.10日以内の回答を求める.北朝鮮は要請を拒否.

2.25 アメリカの軍事衛星が,寧辺の核施設(放射能化学研究所)を察知.35カ国からなるIAEA理事会は,7ヶ所の核施設について,3月25日を回答期限として現地「特別査察」を求める決議を採択.中国は決議を棄権.

2月 クルーゼ・ロシア外務次官は旧ソ連時代からの北朝鮮のロシアに対する累積債務は33億ルーブルに達すると明らかにする。

93年3月 米韓のチームスピリット再開

3.01 米韓合同軍事演習「チームスピリット」が二年ぶりに再開される.

3.08 金正日最高司令官は全国・全民・全軍に準戦時状態を命じる.準戦時体制の発動は83年以来10年ぶり.

3.09 金日成,IAEAがアメリカ情報当局の指揮下にあるとし,特別査察を拒否.

3.12 北朝鮮,NPTからの脱退を宣言する.

3.24 南アのデクラーク政権,過去に原爆6発を所有していたことを認めるとともに,これらがすでに解体されたと発表.

3月 北朝鮮政府、羅津・先鋒自由経済貿易区開発計画を発表。(先鋒の旧称は雄基)

93年4月

4.01 IAEA理事会,北朝鮮が協定を遵守せず,核物質が非平和的目的に使用される可能性を否定できないと言明.

4.06 IAEA,北朝鮮核疑惑問題を国連安保理に委ねる.安保理議長はこの問題の解決に責任を持つとの議長声明.

4.07 金正日、書記・国軍最高司令官に加え,軍統帥権を持つ国防委員会委員長に選出される.10名からなる国防委員会が北朝鮮政府の最高首脳部となる.金正日は人民武力部機構体系改編を断行.呉克烈派として左遷されていた金英春を総参謀長にすえる.

4.14 北朝鮮からの要請を受けた米国務省,米朝会談の開催に応じると発表.

4.19 ロシア連邦大統領,85年協定の前提が崩れたとして,北朝鮮の原子力発電に関する一切の協力を停止.

93年5月

5.11 国連安保理,「北朝鮮に対しNPT脱退を再考し査察協定を履行するよう求める決議案」を採択.すべての国連加盟国に対して問題解決のための努力を求める.反対は0,中国とパキスタンが棄権.

5.29 北朝鮮,日本海へ向け射程1000キロのノドン・ミサイルの発射実験.“多段式ミサイル三発の試射に成功。一発は能登半島沖、二発は3000キロ離れたハワイ沖とグアム沖に着弾”、と発表。

93年6月 米朝高官協議が開始

6.02 ニューヨークの米国連代表部で,米朝高官協議が開始される.国連安保理決議を受けてのもの.米国側はガルーチ国務次官補,北朝鮮側は姜錫柱(カンソクチュ)第一外務次官を首席代表とする.

6.11 ニューヨーク会談がいったん終了.「核兵器の使用・威嚇を行わず,朝鮮半島の非核化・平和と安全を保障し,朝鮮の平和統一を支持する」ことで合意.米国は北朝鮮の内政に干渉せずと言明.北朝鮮はNPTからの脱退を保留.交渉継続に合意.

6.29 武藤外相がソウル訪問.北朝鮮に対し,核不拡散条約(NPT)脱退の「完全な」撤回と,国際原子力機関(IAEA)による査察受け入れなどを強く求めていく立場で一致.

6月下旬 クリントン,韓国を訪問.非武装地帯視察後,「もし北が核兵器を使えば,それは北朝鮮の終焉を意味する」と声明.

93年7月

7.19 米=北朝鮮第二回会談.IAEAの査察全面受け入れ,軽水炉原発への移行を柱とする共同声明を発表.軽水炉二基をアメリカが供与する方向で交渉継続を確認.

8.13 IAEA査察団,北朝鮮の協力体制が依然として不十分と発表.

9.24 北朝鮮、羅津・先鋒自由経済貿易区開発計画にもとづき、羅津市と先鋒市を合併させ中央政府の直轄市である羅津・先鋒市を置く。また恩特郡の元汀里(圏河税関の対岸にあたる)など三つの里がこれに編入される。総面積は746平方キロメートル。

93年10月

10.01 IAEA年次総会,ブリクスは北朝鮮の核施設が平和利用以外の方向に転用される懸念が強まっていると報告.

10.14 アムネスティ・インタナショナル,北朝鮮が過去30年間にわたって政治犯ら数千人を虐待・処刑し,元在日朝鮮人を含む数万人を環境劣悪な収容所に拘束したとする報告書を発表.

10.29 北朝鮮,「核査察問題はアメリカとの直接対話によってのみ解決できる」とし,IAEAの査察を認めないと通告.

93年11月 核査察を求める国連決議

11.01 国連総会,北朝鮮に核査察の完全履行を求める決議を採択.賛成140,反対は北朝鮮一国のみ.

11.02 米国のアスピン国防長官,北朝鮮の核開発疑惑について強い懸念を表明.「米朝協議が最も重要な交渉窓口であり,当面は話し合い解決を追求する」との基本姿勢を示す.CIAとDIAは北朝鮮がすでに約12キロのプルトニウムを保有していると報告.これは数発の核兵器を作るのに十分な量とされる.

11.05 ワシントンポストのコラム,「北朝鮮への語りかけをやめ,経済封鎖に乗り出せ」と主張.

93年11月 金日成の復活

12.08 朝鮮労働党中央委員会第6期21回総会.金日成が,病身を押してふたたび陣頭指揮に立つ.金正日に排斥されていた金英柱(金日成の実弟),金炳植が副主席として復活,いっぽうで金正日側近の金容淳,金達玄らが左遷される.

12.29 北朝鮮,申告ずみ核施設への通常査察再開を認める.

12月 朝鮮労働党中央委員会に引き続き,最高人民会議が開催される.姜成山総理は「第3次7ヶ年計画遂行総括と当面の経済建設方向について」報告.計画の未達成を認める.失敗理由として,社会主義圏崩壊による輸出市場の消滅と,国防費負担増をあげる.会議は「農業第1主義,軽工業第1主義,貿易第1主義」を唱え,第3次7ヶ年計画遂行後の3年間を緩衝期とする決議.これは計画の3年延長を意味する.

12月 北朝鮮のチョウ・カン参謀総長、「軍は90年代に必ず祖国を武力統一するという、重大かつ名誉ある任務を担っている」と演説する。

 

1994年

1月 米政府は,北朝鮮が核開発を中止しなければ核施設を爆撃すると発言.軍事筋は,北朝鮮への先制攻撃計画「作戦計画50-27」など相次いで侵攻計画をマスコミにリーク.
 


作戦計画50-27
在韓米軍と韓国軍の共同作戦計画.偵察衛星などありとあらゆる情報網を駆使し,圧倒的空軍力を背景に短期間で制空権を確保.北朝鮮が動く前に機先を制して平壌を先制的に大規模空爆.その後米韓両軍が突入.平壌制圧と政権転覆を目標とする.

2.15 北朝鮮,7ヶ所の核施設についてIAEAの査察に合意.IAEAは国連安保理への再提訴を保留.

2.18 ニューヨークの実務協議,①チーム・スピリットの実施見合わせ,②北朝鮮・IAEAの2.15合意遵守で合意.

94年3月 「ソウルは火の海になる」

3.01 IAEA査察官が北朝鮮査察に入る.

3.03 北朝鮮当局,寧辺(ニヨンピョン)のプルトニウム再処理施設への立ち入りとサンプル採取を拒否.IAEA理事会は,「合意に基づきただちに全面査察を受け入れるよう」北朝鮮に要求.

3.15 IAEA,北朝鮮からの査察官引き上げを決定.「北による核物質軍事転用の有無を検証できなかった」と声明.

3.16 板門店での南北定期協議,北朝鮮の朴英朱首席代表は,「ソウルはここから遠くない。もし戦争になればソウルは火の海になる.あなた方は生き残れないだろう」と宣言.そのまま席を立つ.韓国政府はチームスピリット94の中止決定を撤回すると発表.

3.21 IAEA特別理事会の付託を受け,国連安保理が北朝鮮非難決議.中国は拒否権を行使せず,棄権に回る.

3.21 クリントン,パトリオット迎撃ミサイルの韓国配備とチームスピリット演習の年内実施を発表.

94年4月 アメリカの戦闘準備開始

4.04 アメリカは米朝高官協議を中止.ペリー国防長官,「われわれは朝鮮半島において,この問題に関しても他のいかなる問題に関しても,戦争を望まないし,戦争を引き起こすこともしない.しかし国連による制裁が,北朝鮮を開戦に向わせるなら,われわれはリスクをとるだろう」と発言.

4.16 金日成,平壤市内で記者会見.「将来にわたって,われわれが核兵器を持つことは決してない.われわれは朝鮮の同族に対し核兵器は使えない」と述べる.

4.18 金日成,NHKの質問に答え「アメリカがトップ級会談に応じれば,問題は解決できる」と述べる.

4月中旬 米韓合同軍事演習「チーム・スピリット」を再開.パトリオット・ミサイルが釜山に揚陸される.アパッチ攻撃ヘリ,重戦車・高性能レーダー装置などが投入され,兵員は枠ぎりぎりの3万7千人にまで増員される.さらに米第七艦隊が海上に待機する.

4月 米政府と米軍,1900項目にのぼる支援要請のリストを作成.日本政府に対し後方支援を要求する.

4月 足利銀行,北朝鮮向けドル建て送金の取り次ぎを停止.円建て送金は引き続き可能.足利銀行は北朝鮮とコルレス契約のある邦銀約20行の内,事実上唯一利用されてきた銀行.

4月 北朝鮮の民主化を求める大阪の市民集会,朝鮮総連活動家に襲撃される.警察は総連大阪府本部の21人を,威力業務妨害の疑いで書類送検.

94年5月 燃料棒抜き取り

5.01 北朝鮮,燃料棒8千本の抜き取り作業を実施すると通告.IAEAは作業への査察官の立会いと,サンプルの引渡しを要求.北朝鮮がサンプル引渡しを拒否したため,査察官の派遣を取りやめる.

5.02 ガルーチ北朝鮮担当無任所大使,「IAEAの立会いなしに燃料棒抜き取りを行えば,一切の交渉努力は不可能になるだろう」と警告.

5.04 在韓米軍総司令官ゲーリー・ラック大将,北朝鮮軍兵力を分析.「北朝鮮は国境地帯に8400の大砲と2400の多連装ロケット発射台をすえており,ソウルに向けて最初の12時間に5千発の砲弾を浴びせる能力がある.もし再び戦争となれば,半年がかりとなり,米軍に10万人の犠牲者が出るだろう」とのべる.

5.08 北朝鮮,警告を無視して燃料棒抜き取り作業を開始.

5.18 ペリー国防長官とシャリカシュビリ統合参謀本部議長,ゲイリー・ラック在韓米軍総司令官が「第二次朝鮮戦争」発生時の被害予想を検討.最初の三ヶ月で,米軍兵士8万ないし10万人と韓国軍50万人が死傷するとの結論.全面戦争が発生すれば死者は100万人,損害総額は1兆ドル,戦費は610億ドル以上,最大に見積もって1兆ドルに達するとされる.

5.19 IAEA,北朝鮮が5メガワットの核実験炉から,国際監視なしで使用済み燃料棒8000本の抜き取りを開始したことを確認.これに含まれるプルトニウムは,5個か6個の原爆を製造できる量に相当する.CIA長官,「核爆弾1発を開発した可能性がある」と発表.

5.25 サム・ナン上院軍事委員長とルーガー上院外交委員長を特使とする使節団,直前になって北朝鮮側に入国を拒否される.

5月 姜成山前首相の娘婿にあたる康明道が韓国亡命.

94年6月 カーター・金日成の瀬戸際合意

6.02 IAEAのブリクス委員長,国連安保理に対し報告.「もはや北朝鮮による核物質軍事転用の有無を検証する手立てがなくなった」と述べる.

6.03 ワシントン・ポストのクラウトハマー,「われわれは戦争を始めるつもりはない.だが金日成はやるかもしれない.われわれはその行為の帰結を明らかにしておかなければならない.すなわち北の壊滅である.停戦はない,38度線もない,板門店に戻ることもない」と戦争をあおる.

6.03 クリントン,北朝鮮との協議を打ち切り,国連安保理における制裁決議実現に全力をあげると宣言.北朝鮮は「制裁は戦争を意味する.戦争に情け容赦はない」と声明.

6.05 米下院,北朝鮮への経済制裁を求める決議を415対1で採択.

6.09 北朝鮮,「日本が経済制裁に合流するなら,宣戦布告とみなす」と声明.

6.09 カーター前大統領,個人の資格で平壤を訪問すると発表.金大中の強い要請を受けたといわれる.

6.10 国際原子力機関(IAEA),北朝鮮が条約義務の不履行を拡大し続けているとし,年間25万ドルの原子力関連の技術協力を停止するとの制裁決議を採択.反対はリビアのみ,中国は棄権,キューバは欠席.

6.11 北朝鮮,IAEA本部からの代表を引き上げ.IAEAの査察には協力しないと発表.NPT脱退については保留.

6.13 北朝鮮,「国連による制裁はただちに宣戦布告を意味するというわれわれの立場を強く再確認する」と声明.

6.15 共和党政権時代の北朝鮮問題担当者,スコウクロフトとカンター,ワシントン・ポストに投稿.「その場しのぎが許される時期は終わった.北朝鮮がIAEAの査察を受け入れないのなら,われわれが北の再処理能力を除去しなければならない」と述べる.

6.15 オルブライト米国連大使,安保理での制裁決議採択に向け動き出す.

6.15 タイム・CNNが米国民の世論調査.47%が北朝鮮の核施設に対する国連の軍事行動に賛成.

6.15 カーター前大統領が平壤に入る.クリステンソン国務省朝鮮課長代理が同行.クリントンからは親書は与えられず.

6.16 クリストファー国防長官,ラック報告に基づきホワイトハウスでブリーフィング.米兵1万人を追加投入する計画を説明.

6.16 ラック在韓米軍司令官とレイニー駐韓大使が秘密会談.本国からの指令を待たず,「在韓米国人8万人の避難計画」を進めることで合意.

『サンデー毎日』2002.2.10号
 金泳三大統領は,韓国政府の了解なしに在韓米国人全員の国外避難をさせようとしたことに「激怒」,「誤った決定で,もし韓半島で戦争が勃発したら,私は国軍の最高司令官として韓国軍人を誰一人として参戦させない」と「捨て台詞」を残してクリントン大統領との電話会談を打ち切る.(本人談話)

6.17 金日成がカーター斡旋を受け入れ.寧辺における再処理の全面凍結と査察官常駐,対米交渉の再開に応じる.カーターは独断でCNNの生中継をセットし米朝合意を確認.

6.17 米政府,カーター・金日成合意を受け入れ.制裁決議推進活動を停止し,米朝高官協議を再開すると発表.

94年7月

7.06 金日成,経済部門責任者会議で演説.第三次七カ年計画の挫折を受け,緩衝期戦略を提起.農業・軽工業・貿易の振興を訴える.

7.08 金日成主席,心臓発作で死去.7月25日に予定された金泳三との首脳会談は流産に終わる.(ウィキペディアによれば、会議で興奮し、止めていたタバコをすった後心臓発作を起こしたとされる。いかにもありそうな噂話の典型ではあるが…)

7.30 国際アムネスティ,ソウル市内で記者会見.平壌から約七十キロのスンホ政治犯収容所に,韓国出身者11人,在日朝鮮人26人,日本人女性ら約六百人が収容されていると報告.

94年8月

8.01 金泳三大統領,アムネスティの報告を受け,政治犯収容所に拘禁されている韓国人の釈放と送還を求める交渉を行うと声明.

8.05 ジュネーヴで米朝高官協議が再開される.北朝鮮は2千メガワットの軽水炉提供を要求.鉱物資源による返済を求める.特別査察については合意に至らず.

8.12 ジュネーヴの米朝協議,「枠組み」で合意.

9.12 ベルリンで専門家会議が開かれる.韓国型軽水炉の導入で合意.ただし韓国型の名称を用いることは北が拒否.

94年10月 枠組み合意

10.22 ジュネーヴの米朝高官協議,「米朝間で合意された枠組み」文書に調印.

「枠組み合意」(Agreed Framework
三段階で北朝鮮の核開発計画を破棄するもの.①北朝鮮が黒鉛減速炉を凍結する.②この見返りに,軽水炉型原発の開発援助を約束.2003年までに「国際コンソーシアム」が韓国型軽水炉2基を建設し,200万キロワットの電力を供給すること.③軽水炉完成までは,アメリカが毎年50万トンの重油を供給し,経済制裁を解除するというもの.
IAEAは寧辺の原子炉に封印を施し,燃料棒をコンクリート製の保管施設に格納.北朝鮮国内で監視活動を続けることとなる.米国・北朝鮮の経済・外交関係の正常化も合意される.アメリカは北朝鮮に対し核兵器による威嚇を行わないことを保障.

11.28 IAEA,Nyongbyonと Taochonの核施設建設が凍結されたことを確認.

94年12月

12.10 韓国統一院,「北韓の第3次7ヶ年計画総合評価書」を発表.計画年度における経済成長率実績は平均-1.7%と推測.

12.17 北朝鮮領空内に侵入した米軍ヘリが北の対空砲火により撃墜される。“独自開発した携帯地対空ミサイル「火昇(ファスン)」が一発で撃墜”したと発表される.乗員一人が死亡,もう一人の乗員ボビー・ホールは暴行を受け拘束される.

12.18 アメリカはハバード国務次官補代理を平壤に送り,二週後にホールは解放される.

12月 韓国軍の統帥権,韓国側に返還される.有事の統帥権は引き続き駐韓米軍司令官が掌握.

 

1995年

1.20 米議会,北朝鮮に対する経済制裁の緩和を承認.共和党の抵抗により緩和幅はわずかなものとなる.

1月 議会の抵抗を恐れるクリントンは,第一回目の重油供給に行政府臨時費を充当.

1月 韓国の三星グループの調査団が羅津・先鋒を訪問。電子製品工場を建設することで北朝鮮と合意。

95年3月 KEDO設立

3.08 米上院,枠組み合意関連の経費を議会の承認を得ずに支出する法案を可決.北朝鮮への重油供給が困難となる.

3.15 枠組み合意に基づき,「朝鮮半島エネルギー開発機構」(KEDO)が設立される.日米韓のほか,ニュージーランド,オーストラリア,カナダが原加盟国となる.事業資金の7割を韓国が支出,日本が25%,米国を含む残りの国が5%を拠出することとなる.

3.30 自社さの連立三与党代表団(団長:渡辺美智雄)が北朝鮮を訪問.朝鮮労働党との間で会談再開の合意書に調印.「対話再開と国交正常化のための会談には,いかなる前提条件をもつけない」ことで合意.

5.25 北朝鮮は日本に対して米援助を要請。有償15万トン、無償15万トンで合意。

5月 北朝鮮の巡視艇が韓国漁船を銃撃し捕獲。乗組員3人を射殺する。

6.13 米朝「枠組み合意」が進行.マレーシアでの米朝準高官級会談で,韓国型軽水炉の導入が実質的合意に達する.

6.21 北京で南北コメ支援協議が合意。韓国が15万トンを無償援助することとなる。

6月 韓国から人道支援物資を積んだ船が北朝鮮に入る。北朝鮮兵は、支援船に対し北朝鮮国旗を掲揚することを強要したという。

7.09 北朝鮮の国家安全保衛部は延吉で韓国人の安承運牧師(純福音教会)を拉致する。中国は北朝鮮によって拉致されたと断定。この事件で北朝鮮人3人と朝鮮族3名を逮捕。2年の懲役刑の上、北朝鮮に追放。

7月 朝鮮中央通信は「安承運牧師は自発的に北朝鮮に亡命した」と報道。のち安牧師は北朝鮮のプロパガンダに利用される。 (この頃から、延辺地区への韓国人の浸透が活発化する)

95年8月 北朝鮮の水害と飢餓

8月 西部工業地帯(平安北・南道)中心に100年来の大洪水.国土の75%が被害を受ける.被災者520万人,被害額は150億ドルに達する.

8.23 朝鮮中央通信、「黄海南道・北道で、ヒョウのため耕地17万ヘクタールが被害.120万トンの食糧が損失した」と報道.さらに「7月31日から8月18日の豪雨で多大な被害を被った」との洪水被害対策委員会の報告を詳細に報道。初めて食糧危機を公表し世界に救援を訴える.

8月 北朝鮮当局、入港中の韓国の人道支援船を拿捕し乗員を逮捕。乗員が船上から写真を撮ったことが理由とされる。

95年9月

9.12 国連人道援助局,各国に対北朝鮮緊急食糧援助を要請.呼びかけに応じ,日本,韓国,中国,タイなどから100万トン(7億7千万ドル相当)の食糧が渡される.

北朝鮮の経済成長率 
 1990年   1991年   1992年   1993年   1994年   1995年   1996年
 +3.7%    -5.2%    -7.6%    -4.3%    -1.7%     -4.5%    -3.7%

10月 アメリカのスタントン・グループが、羅津・先鋒自由経済貿易地帯を訪問・視察する。

10月 北朝鮮の武装工作員が臨津江を渡ろうとして発見される。1人は射殺され,もう一人は逃亡。同じ月、工作員二人が扶余で発見される。1人は射殺されもうひとりは捕らえられる。

11.20 ジョセフ・ナイ国防次官補,「北東アジア10万(うち日本に5万)の米兵力は,北朝鮮の軍事的脅威に対応するため」との見解を明らかにする.また「北朝鮮の現状は悪化しており,冒険主義に走る可能性もある」と強い懸念を表明.極東米軍プレゼンスの根拠を北朝鮮に求める.

95年12月

12.15 軽水炉建設事業の大枠を定めたKEDO=北朝鮮間の協定が締結される.韓国が資金の7割・30億ドルあまりを負担,日本が10億ドルを負担.アメリカは資金提出せず,建設中の重油供給を受け持つ.

12月 韓国国防省,95年度国防白書を発表.朝鮮人民軍を初めて“主敵”と規定.

 

1996年

96年1月 「苦難の行軍」

1.01 「労働新聞」,「朝鮮人民軍」,「労働青年」の三紙が共同社説.「苦難の行軍精神」を強調.

1月 北朝鮮,アメリカの要求するミサイル輸出問題での二国間会議に原則合意.交換条件として経済制裁の緩和を要求.

1月 クリントン政権,国連の緊急アピールに応え,北朝鮮に対し200万ドルの資金を提供すると発表.

2.22 外交部スポークスマン,「新たな平和保障体系樹立」を提案.

96年3月 人民軍のクーデタ事件?

3.19 ロード東アジア・太平洋問題担当国務次官補,下院国際問題小委員会で証言.ミサイル輸出問題で進展があれば,経済制裁の緩和を検討と述べる.

3.29 人民軍第6軍団でクーデタ事件が発生.北朝鮮政府は「休戦条約の無効化」を宣言し,国内引き締めに当たる.人民武力部の金光鎮第一部長,「朝鮮半島の休戦状態は限界点に達している.今や問題は,朝鮮半島で戦争が起きるか否かではなく,その時点がいつかということにある」と危機感をあおる.

3月 貿易当局者が台北を訪問.コメ10万トンの支援を要請.台湾当局は2万トンの援助方針を決定.

96年4月

4.10 北朝鮮政府が国連に覚書を送付.94年危機の際,「もし国連が朝鮮民主主義人民共和国に対して一方的に『制裁』を加え,歴史を繰り返すという道を選んでいたら,第二次朝鮮戦争が勃発していた」と明言.

4.11 米国防総省,北朝鮮の化学兵器や長距離ミサイルの開発が,米国と地域の同盟国の安全に「深刻な脅威となっている」と警告.

4.16 クリントンと金泳三が済州島で首脳会談.南北朝鮮に米国・中国を加えた四者会談の開催を提案.北朝鮮外交部スポークスマンは「4者会談について検討する」とこたえる.中国関係者は「休戦協定に代わる新しい枠組みが必要であり,米,韓国,北朝鮮の三者で十分話し合うことを期待する」とエールを送る.

4.17 日米安保「共同宣言」発表.

4.21 北朝鮮と米国のベルリン会談.米国は北朝鮮にミサイル技術規制計画(MTCR)への加入を促す.

96年5月 「一坪の土地でも穀物を!」

5.21 北朝鮮「労働新聞」,「一坪の土地でもさらに探し出して穀物を植えよう」との論説を掲載.「田と畑の必要のない畔をなくし,山地にやぎを飼い,草を肉に変えよう」と呼びかける.

北朝鮮の農業崩壊の理由
①地力の低下(←コメの密植,トウモロコシの連作,肥料・農薬など投入物の不足),②電力不足や農機具の燃料不足,③水害の発生の頻繁化(←段々畑からの土砂の流失),④農民の労働意欲の減退(←共同農場方式),⑤農業労働力不足と高齢化及び女性化.

5.24 アメリカ,北朝鮮からイランへのミサイル技術移転に抗議し,経済制裁を強化.

5月 洪成南副首相が訪中。中国は,北朝鮮との関係を修復し,金正日体制を全面支援する意向を表明.毎年穀物50万トン,石油120万トン,石炭150万トンを提供することで合意.

5月 西海岸で北朝鮮巡視艇5隻が境界線を越えて侵入。4時間にわたり韓国側とにらみ合いを続けた末、撤退する。6月にも同様のエピソード。

96年6月 「飢饉と経済状態は深刻」

6.25 李成禄対外経済委員会副委員長,台北を訪問.事前の報告を受けた中国政府は,「北朝鮮は“1つの中国”の立場を守るだろうと信ずる」と述べる.

6月 中国赤十字,「北朝鮮の飢饉と経済状態は深刻で,病院は栄養失調の子どもと老人であふれている.工場の9割は操業を中止し,ほとんどの商店は閉鎖している」と言及.

6月 世銀の要請を受けたイギリスの情報分析会社,「金泳三政権の北朝鮮政策は一貫性に欠けており,その対北強硬姿勢はアメリカを困惑させている」と報告.

6月 日本政府,対北1.5万トンの米の無償支援を決定.

7月 「モハメッド・カンス」事件が発生。北朝鮮スパイのチャン・スイル(62歳)はフィリピン人モハメッド・カンスを名乗り、12年間大学教授として務めていた。チャンは「おそらく数百の北朝鮮スパイが南側で活動しているだろう」と自供。

96年8月

8.16 韓国の金泳三大統領,4者会談を提示.あわせて南北経済協力計画も提案.

8月 穀倉地帯(黄海北・南道,江原道)を中心に大洪水.鴨緑江の堤防が8ヶ所にわたり決壊。死者116人を含め被災者327万人,被害総額は17億3280万ドルにおよぶ.

8月 モスクワの現代国際問題研究センター,「北朝鮮経済は現体制のもとでは再び回復できないほど疲弊している.もはや国家経済機能までが完全に麻痺した」と報告.

96年9月 武装スパイ潜入事件

9.18 北朝鮮「武装スパイ潜入事件」おこる.韓国東海岸の江陵で北朝鮮の潜水艇が座礁.武装工作員24名が上陸し,数日間にわたり銃撃戦を展開.韓国側は15人が死亡.遺棄された潜水艇からは,アメリカの民間団体が送った支援食料の缶詰が発見される.(一説では上陸したもの26名、うち11名は内部で処理され、13人が抵抗を続けたあと射殺される。一人が捕らえられ、もう一人は逃亡に成功)

10.16 アメリカ,中距離ミサイルのノドン発射実験に対抗し,偵察船と偵察機を日本に派遣.

10.20 ウラジオストック駐在の韓国外交官チョ・ドクケンが暗殺される。事件の前に「潜水艇事件の報復」をにおわせる脅迫状が届いたという。

11.08 国務省,ノドン発射実験が延期されたと発表.

96年9月

12.29 外交部スポークスマン,平壌放送と朝鮮中央通信を通じ,潜水艦座礁事件に「深い遺憾の意を表し,事件の再発防止のために努力する」とする論評を流す.これを機に,韓国は軽水炉建設事業の再開に動く.

12.30 北朝鮮,4者会談への参加の意思を表明.

 



小泉保「縄文語の発見」(1998年 青土社)という本があって、私は見ていないのだが、その紹介がいくつかある。

「縄文人の言語が発展して日本語が成立した」と言うのがそもそもの趣旨であるとすれば、納得しにくい議論ではある。
ただ実際に小泉さんがそう言っているのかは不明だ。

DNA検証の示すところによれば、朝鮮半島から弥生人が進出し、彼らは稲作とともに弥生語を持ち込んだ。縄文人は弥生人を受け入れ、弥生語を自らの言葉とした。
この大筋は基本的には受け入れられているように見える。

アクセント論を前面に立てるのは妥当

いろいろ問題の多い著作ではあるが、アクセント論を言語比較の基盤に置くのは説得力がある。
前項の「言語島」でも触れたが、先住言語の中でアクセントがいちばん最後まで残る特徴と考えられるからである。

ウィキペディアによれば、小泉さんは

一型アクセントこそが縄文語に由来する古いアクセントであり、京阪式アクセントが弥生語に相当すると考える。
そして東京式アクセントは一型アクセントと弥生語のアクセントの接触により形成されたと考える。

弥生語の受容過程という視点では、僭越ながら、前項での私の推理と大筋一致している。(だから正しいとは限らないが)

ただし私の考えでは弥生語を持ち込んだ渡来人と、上方方言を強いた渡来人は時期が違うので、別に考えるべきではないかと思う。

「弥生語の発見」を考える
簡単に私の考えを書いておく。
1.2万年前に日本にD2人が渡来した。日本での人口分布から考えて、おそらく北方からの進出であろう。
2.彼らはそのまま土着し琉球・先島諸島まで展開した。彼らは最後まで旧石器時代人であったが、同時に縄文人でもあった。
3.縄文人が話していたのはアイヌ語であろう。アイヌ以外の縄文人は縄文語を放棄し、弥生語に同化しているている。
4.紀元前2千年ころに朝鮮半島からC1人が渡来した。「縄文晩期人」というのはC1人を指していると思われる。彼らは日本人の約1割を占めている。彼らは長崎から秋田までの海岸沿いに分布し、一部は瀬戸内海に入り徳島まで進出している。基本的には海洋の民であり、朝鮮海峡を挟んで両側に展開した。
まったく根拠はないのだが、流れから見て彼らの母語はツングース系の古朝鮮語であろう。D2人の語る縄文語とはほとんど無縁だったのではないか。
5.紀元前2千年~1千年ころの西日本は人口希薄で、採取すべき果実の少ない常緑樹地帯であったと思われる。
C1人は初期から陸稲など穀物栽培を試みている。それらは朝鮮半島からの輸入であったろう。
6.紀元前500年ころから、O1b人が朝鮮海峡をわたり北九州に登場する。その源流は長江流域にあり、紀元前8千年ころから水田耕作を基盤とする長江文明を形成した人々である。私は長江人と呼んでいる。
7.彼らは北九州でC1人と共存しながら初期弥生文化を形成した。紀元前200年、漢の楽浪郡支配に関連して朝鮮半島南部に激変が起こり、大量の長江人が日本へ流入した。(この紀元前200年の人口爆発は未確認です)
8.O1b人はC1人を席巻し、たちまちのうちに近畿から東海、北陸へと広がった。D2人の生活域は基本的にはO1b人と競合しなかったので共存が維持された。D2人は沖縄をふくめて弥生語化した。青銅器文化が始まり、銅鐸が集団の象徴となった。これが日本語の第一次受容である。
9.小泉さんが「縄文語」と呼んでいるのは、おそらくこの第1次弥生語であろうと思う。「一型アクセント」を基調とするこの弥生語は、長江語をベースとし、古朝鮮語(ツングース系)を加えているであろう。
10.紀元前後に、最後の渡来人であるO2人が進出してくる。高天原神話によって立つ南満由来の民族だ。高天原は小白山脈のあたりと想像される。金印の倭那国王やその後の難升米が征服者だったのかどうかは分からない。とにかく彼らが紀元150年ころには西日本を支配するようになる。
このO2人が弥生語を持ち込んだ可能性はある。しかし漢人、南満人の系統であるO2人が元々の地で語っていた言葉と、日本語のあいだには著しい違いがある。
11.経過はよくわからないのだが、6世紀の後半には大和政権が確立する。彼らの言葉がやがて上方言葉として全国に広がっていくことになる。そのさい周辺部がこれを受容していく過程にはいろいろなものがあって、これが多彩な方言を生み出していったのだろう。

長い前置き
先日、北大正門前の馴染みの古本屋に立ち寄った。いつものごとく読みもしないのに買い込んでしまう。
新本と違い、古本というのは一期一会であるから見た瞬間に「買わなければならない」という脅迫心理に陥ってしまう。
ということで、むかし馬鹿にして買わなかった本、祖父江孝男の「県民性」という中公新書。
中身を見るとさすがに古い。いまはクラウドなどで相当の情報が手に入るだろうと思う。
その中で方言地図というのがあった。いくつかの言葉に着目した雑駁なものであるが、それだけにクリアカットである。
これはこれで、いろいろのことを予想させてくれて楽しい。例えばミトコンドリア染色体とかゲノム地図とか情報が多すぎるとバックグラウンドノイズばかりが気になって、肝心の情報が隠れてしまうのに、Y染色体だと分布だけでなく流れまで見えてしまう、みたいな感じかもしれない。
そこで、この「古地図」を見て着目した内容が現在の方言地図ではどうなっているかを調べてみようと挑むことになった。
ところがこれがうまくいかない。国立国語研究所の方言地図は多種にわたり膨大で、これ一枚というものがない。
大まかに言って、1.文法、2.語彙、3.イントネーションの三つの基準が必要だ。しかもこれを重ね合わせると、境界線が消えてしまうというのだから、難儀なことだ。
おそらくこの傾向は、今後、日本人の移動(一極集中)とメディアによる支配が進むとともに、ますます進行するだろう。
この方向での検索はとりあえず諦めることにする。

「言語島」を調べる
調べの途中で面白い言葉に出会った。それが「言語島」である。ウィキでは対応する英語の表記もなく、参考文献も大野晋、柴田武編『岩波講座 日本語11方言』のただ一冊である。
記載の中には海外における言語島の例も示されているので、省略されているだけなのかもしれない。
ウィキの説明によれば
言語島(げんごとう)または言語の島(げんごのしま)とは、①長い間周辺部との交流が隔絶されたり、②別言語を話す集団が大量移住してきたりしたために、周囲とは異なる特徴を持つ言語が分布している状態のことである。
番号は私が付けたものだが、②は孤立と言うよりは流動化であり、完成された島とは言い難いように思える。
①の例としてあげられたものは、奥吉野方言、奈良田方言、井川方言、白峰方言、秋山郷方言、大鳥方言・三面方言が挙げられている。
いずれも山間の僻地で、「陸の孤島」である。
奥吉野方言 アクセントにおいて上方弁と区別される。という音は名古屋弁と同様の機序ではないだろうか。
征服された銅鐸人由来の言葉と見る。
奈良田方言、井川方言: 上代東国方言が隔絶された環境の中で残ったものと言われる。一種の「マタギ」言葉ではないか。
なお井川方言の項目には以下の記載があった。
静岡平地部の住民からは「ギラをきかす」といわれ、相当の音声的差異がある
たしかに子供の頃「ギラ使っちゃって」という言葉を耳にしたことがある。「ヤマガ言葉」という感覚はなく、多分、「東京風のキザっぽいアクセント」みたいな使い方していたと思うが。
秋山郷方言 これも同断である。
大鳥方言・三面方言 この方言は分かりにくい。同じく上代東国方言と考えて良いと思うが、場所的には微妙で、一概に取り残されたとは言いにくい設定である。
ウィキ氏は「音声要素の多くは九州方言や琉球方言、高知方言と共通する。アイヌ語に近い縄文時代の言語の特徴ではないか?」 と示唆しているが、とりあえず無視しておこう。
以上見てきたが、あまり日本語の起源に迫るようなビッグな話題ではない。どちらかといえば“孤立した話題”である。

言語島が示唆するいくつかの可能性
ただいくつかのことが示唆される。
1.弥生語→古日本語の形成よりあとの話だ。
2.まず弥生語が北海道・奥羽を除く全土に広がった。これは銅鐸文化の広がりに一致する
3.ついで畿内を征服した天孫系が上方言葉を広げる。
4.上方言葉はまずボキャブラリー、ついで文法を中心として拡散した。イントネーションは最後まで古日本語の特徴が残された。
5.名古屋・岐阜では言葉はほぼ上方化されたが、アクセントが旧来のまま残された。
6.それより東の静岡・山梨・信州をつなぐベルト地帯では、文法も古日本語が残され、語彙の移入にとどまっている。
7.関東の東部・北部では、上代東国方言の無アクセントが広範に見られる。これは古日本語とも異なり、日本語した縄文人の特徴であろう。

西部地域においてはかくの如き整然とした層構造は見られない。これは大和権力の西への進出が東ほど簡単ではなかったためであろう。

前記事で、今ひとつ訴えの中身がピンと来ないでいたが、本日の新聞に志位さん本人のインタビュー記事が掲載された。
ウラオモテ2面をフルに使った、相当詳しい記事である。
早速読み込むこととする。

まず見出しの目次を作って全体の流れを把握する。

質問1 なぜいま、こういう要請を行ったのでしょうか
答 平和的解決へ歴史的チャンス

第1節 「一体的に進める」とは?
答 非核化と地域の平和体制づくり

この節は3つの項からなる。
第1項は「要請文」の基本的視点
第2項は「05年共同説明」の位置づけ
第3項は拉致問題解決の道すじ

第2節 「段階的に進める」とは?
答 相互不信を解消しつつ前進

この節も3つの項からなっている
第1項は基本的なロードマップ
第2項は経済制裁の継続
第3項が「行動対行動」の積み上げ

第3節 過去の教訓を冷静に
という題名で、全面的な総括というわけではない。
とかく議論の的となる二つの問題に絞って評価を加えている。
第1項は「約束を裏切ったのは?」とだいされ、実際にはアメリカが約束を破ったことを明らかにしている。
第2項は「対話は時間稼ぎ?」という題名で、これも事実との乖離を示している。

第4節 要請への各国の反応は?
答 賛同の声が上がる

この後構成が複雑になっているので私のところで整理する。

第1項 安倍首相の反応
第2項 トランプ政権も複眼で
第3項 提案が実れば情勢は一変する
この第3項で「北東アジア平和協力構想」との長期的関連も明らかにされる。

要請文が6日に発表され、10日もたってから解説インタビューが発表されるというのは、おそらく相当急いで要請が行われたのではないだろうか。
要請文もやや分かりにくいところがあり、現場から問い合わせなどもあったかも知れない。

共産党の北朝鮮政策

共産党の北朝鮮政策が発表された。情勢が緊迫かつ昏迷している状況のもとで、我々がいかなる立場を取るべきか、示唆に富む提言がなされている。

最初に、この文書の性格を明らかにしていきたい。

1.メモランダムとしての性格

「政策」と言ってもあまり正式のものではなく、「関係6カ国への要請」という名前で発せられたアピールであり、要点を押さえたメモランダムにちかい。

2.6カ国協議の枠組みを前提とした行動提起

正式名称は「非核化と平和体制構築を一体的、段階的に」というもので、「呼びかけ」としてはやや不鮮明だ。

一体的に関してはまったく異議はない。核・ミサイル問題だけを切り離しては永続的な解決にならないだろう。長い紛争の経過が何よりもそのことを証明している。

ただし「平和体制構築」という言葉がうすぼんやりとしている。何をもって平和体制構築の指標とするのか、明確で絞り込まれた目標設定が必要だろう。

「段階的に」という言葉自体にはあまり意味がないのだが、なにか特別な意味を与えているのだろうか。


4月6日に「要請文」が発表された際の紹介記事には以下のごとく要約されている。


まず、この要請が緊急に提出されたものであることが強調される。

これは「4月27日の南北首脳会談、5月末までの米朝首脳会談という新たな動き」がある以上、当然のことで時宜を得たものと言える。

逆に言えば、とりあえずこの2つの会談への期待というところに的を絞っているので、共産党の政策全体をこれで評価されても困るだろう。

要請の内容は一体的進行と段階的進行である。

一体的というのは非核化と平和体制構築という二つの課題を一体的に取り組むことである。

段階的というのは、非核化と平和体制構築の課題のいずれも現時点で達成するのは困難だから、あまり焦らずに「相互不信を解消し、信頼醸成を図りましょう」ということだ。

ただこれではあまりにもあいまいだから、過去における到達段階である「6カ国協議の05年共同声明」を出発点としてはどうかと提起している。

最後に共産党は、「4月27日の南北首脳会談、5月末までの米朝首脳会談」が持つ世界史的意義について関係国が認識をともにするように訴える。それは次のように述べられる。

戦争は絶対に回避しなければならない。

敵対から和解への転換が図られれば、それは世界の平和にとって巨大な利益になる。


以上のことから、「要請」のキモは次の点に集約される。

1.「6カ国協議の05年共同声明」の意義

2.「6カ国協議の05年共同声明」が保護にされた経過

3.それにもかかわらず、未だに出発点となりうる理由

残念ながら上記に関しての読み込みは、要請文そのものからはかなり困難である。
05年の共同声明は、その具体化の過程で困難に直面し実を結んでいませんが、その原因は「行動対行動」の原則が守られなかったことにあります。
という段落をどう読み込むかが読解の焦点となる。


(1) 対話による平和的解決の展望

北朝鮮の核・ミサイル問題で平和解決の動きがでている。これを歓迎する。

この際、関係国に2点を要望する。

(2) 非核化と北東アジアの平和構築

ということで早速、「一体的・包括的構築」の中身が語られる。

非核化と同時に語られるべき「北東アジアの平和」の柱となるのは、南北、米朝、日朝の緊張緩和・関係改善・正常化である。

そのゴールとなるのは、朝鮮戦争以来の敵対状況の終結、関係国が抱える懸念の解決である。

これが縦糸と横糸となることが「一体的・包括的構築」ということである。

(3)段階的措置による信頼醸成

もう一つの形容詞である「段階的」というのは、05年の6カ国協議共同声明、92年の朝鮮半島非核化に関する共同宣言、02年の日朝平壌宣言、00年と07年の南北共同宣言、00年の米朝共同コミュニケを基礎に、合意の積み上げを図ることである。

この「段階論」は、「当面、経済制裁を継続」という提起であり、非常に重要なポイントである。

この「呼びかけ」では、とりわけ05年の6カ国協議共同声明を重視し、「約束対約束、行動対行動の原則」の視点から経済制裁を合理化している。

05年の共同声明は、その具体化の過程で困難に直面し実を結んでいませんが、その原因は「行動対行動」の原則が守られなかったことにあります。

(4)敵対と不信からの転換をはかる

ここはとくに指摘しておくべき内容はない。

要するに、呼びかけのポイントは二つ。

6カ国協議の枠組みで議論を再開すべきだということ、もう一つは経済制裁は継続せよということだ。

なぜなら、それが6ヶ国合意に示された「行動対行動の原則」に合致するものだからだ。

ということになる。

関係国にも飲み込みやすい、きわめて現実的な解決策ということになろうか。



アイヌ・エミシ歴史年表 補遺分

すこし雑然とした資料が溜まったので、ホームページの年表に整頓することにする。

増補分だけとりあえず並べておく。

1.違星北斗と“アイヌ”

まず、余市生まれの夭折文学者である違星北斗の文章の引用。

「アイヌ! とただ一言が何よりの侮辱となって忿怒に燃ゆ。
…耳朶を破って心臓に高鳴る言葉が“アイヌ”である。言葉どころか“アイヌ”と書かれた文字にさえハッと驚いて見とがめる」 違星北斗文集『コタン』

アイヌという言葉をわたしは躊躇なく使っているが、これは昭和40年ころから、アイヌ人みずからがこの呼称を積極的に用いるようになってからである。それまでアイヌ人の団体はみずからを“ウタリ”と称していた。

その頃のテレビドラマで『コタンの口笛』という番組があった。民族差別を背景にした悲恋の物語だったように記憶している。題名がまさに隠喩で、現在ならなんの躊躇もなく『アイヌの口笛』としていただろう。

“アイヌ”は声を潜めて使う言葉だった。

わたしは学生時代に何年か穂別のアイヌ人集落に地域活動に入ったことがある。
若手農民は『アイヌ、アイヌ』と意識的に言葉を発していたが、多くの住民は寡黙であった。小学生はあんなにも無邪気なのに中学3年になると突然寡黙になる。

若い世代の人がアイヌ文化に係る場合は、そのことは念頭に置いておいたほうが良いだろう。


2.アイヌと農業の問題はよく分からない

基本的には狩猟と漁猟で生計を立てていたとされるが、一方では畑作・定住もかなりすすんでいたとされる。まあ両方とも正しいのだろうが、もう少し定量的な評価が欲しい。時代的・地域的な差も明らかにしないと、言いっぱなしになる。

現在北海道に暮らしている人間として、どうして農業ができなかったのかが不思議である。

たしかに北海道の冬の寒さは格別である。しかし夏の日射しが農業を拒否しているようにはとても思えない。何年かに1回の冷害は覚悟せざるを得ないだろうが、芋や麦などの雑穀を混裁することでかなりリスクはカバーできるはずだ。

アジアでもヨーロッパでもそうやって農業の北限は拡大してきたはずなのだが。


3.アイヌが農業に向かわなかったのは、人口圧がかからなかったからではないか

21世紀は人類の人口増にストップがかかる世紀になるかもしれない。

少子・高齢化と言うが、本質は少子化である。その結果として高齢化がもたらされるが、それは一刻の逆転現象である。やがて全体的な人口減となって終わる。

話を戻す。人口増は食料増を必要とする。土地資源は有限であるから、食料増は土地の生産性増加を除いてありえない。

したがって民族が繁栄するときそれは土地への定着と農耕・牧畜の発展を前提とする。

どうもどちらが原因でどちらが結果かはっきりしないのだが、アイヌ民族はそもそも衰退から滅亡への動きをたどっていたのではないか。

それも和人の冷酷非道な収奪の犠牲と言うよりは、もう少し内発的な原因があるのではないかと思えてくる。

10世紀から11世紀にかけてアイヌは一番勢いがよく、北韓道からオホーツク人を駆逐し、さらに樺太まで進出し、間宮海峡を越えて蒙古=元帝国と干戈を交えた。

それを裏付けるだけの大規模な集落遺跡が北海道宗谷郡猿払村やオホーツク海岸沿いに見つかっている。

それが、何らかの原因で凋落傾向に入った。人口は自然減を繰り返すから農業をやる必然性は失われる。

という図式が描かれるかも知れない。

問題はそれが病気や災害などによる自然減なのか、出稼ぎが故郷に戻るように青森や秋田に移っていったものなのかだ。実はどうもそんな気がする。

これまでのDNAに関する研究成果をまとめると次のように言える。

1.奥羽地方の原日本人は渡来人と縄文人のハーフだ。

2.アイヌ人は縄文人とオホーツク人のハーフだ。ただしこれは特殊なハーフで、基本的には男性が縄文人で女性がオホーツク人だ。奥羽人にはこのような男女差は見当たらない。

1.2.から言えるのは、

1.オホーツク人の住む北海道に縄文人がやってきて征服した。

2.オホーツク人は駆逐されたが、女性の一部は縄文人と結ばれ、残留した。

ユーカラではしばしばヤウンクル(内陸の人)とレブンクル(沖の人)の戦いが描かれる。ヤウンクルはレブンクルに戦いを挑み、勝利の暁には女性を引き連れて凱旋した。

3.やがて縄文人征服者の多くは奥羽に戻り、オホーツク人と結婚し、現地に生活基盤を形成したものが北海道に残った。

ただしこれは江戸時代中期までの話で、コシャマインの戦いあたりを境に、和人がアイヌの生活基盤をメチャクチャにしていく歴史が始まる。

という感じで見ることはできないだろうか。

私は長いことラテンアメリカの歴史を勉強してきたが、先住民が急速に絶滅していく経過を、白人の直接的な虐待・虐殺にもとめる議論は「黒い伝説」と呼ばれ、いまや否定されている。

ヒューマンな立場は歴史を学ぶ上で必須のものであるが、それが非科学的な独断であってはならないこともまた事実である。

712 出羽国が成立。渡島エミシも管轄下におかれる。

801 類聚三代格、出羽狄との毛皮取替を禁じる。

878 日本三代実録で出羽秋田の俘囚大反乱「元慶の乱」

879年1月 渡島の夷首103人が同族3千人を率い渡り来る。

950 岩手郡が設置される。井澤郡以北が奥6郡として一括されエミシの族長である安倍氏が郡長に任命される。これより奥はエミシの地として残される。

800 仙北三郡(雄勝、平鹿、山本)が成立。俘囚主の清原氏に委ねられる。


前九年・後三年の役を通じ、清原・安倍氏の衰退。藤原による奥羽統一。エミシの居住地は津軽北部を除き消滅。


 

fidelizer は止めたほうが良い」という記事にコメントを頂いた。
fidelizerが音に色付けしているのであれば良くないですが、 機能的にはPCの余計な機能を止めることで、ピュアに近づけるものなので 好き嫌いかは置いておいて、本来の音が出ていると思いますよ。 

というご趣旨であり、まことにご尤もな意見と思われます。

実は、フィデライザーというソフトあまり聞いていないのです。
一生懸命ソフトを作っている人の前で偉そうなことを言ってまことに申し訳ございません。

もうずいぶん前の話(2012/11/09)なので、記憶はあまり定かではありませんが、あのころ「音質改善ソフト」というのがずいぶん流行りました。

その中でももっとも流行ったのがバグヘッドエンペラーと言うので、これをくさしたためにずいぶんお叱りを被った記憶があります。
多分2010年ころのことではないでしょうか。いわゆる「リサンプラー」ソフトとかも流行りました。

フィデライザーに関する記事の要点は下記のごとしです。
最初は度肝を抜かれる。いままで聞こえてこなかったような音が聞こえてくる。音が粒だってびっくりするほどきれいだ。一年間拭かなかった窓ガラスを拭いたようだ。このプログラムはおそらく音の立ち上がりに微分計算でエッジをかけ、強調するのだろう。
Firefoxはまちがいなく壊れる。youtube のダウンロード・ソフトは消え、再起動しても戻らない。再インストールが必要になる。ウィルスに近いソフトである。
つまり開発者の意図は別として、私の耳には「エッジ強調」効果をかけているように聞こえたのです。これはASIOについてもWASAPIについても同じです。説明には音色をいじってあるとは書いていませんが、あきらかにASIO色の音やWASAPI色の音が聞こえてくるのです。またWASAPIは最初のヴァージョンとアップしたヴァージョンではまったく音色が代わっていたのを覚えています。

結局、今考えてみて、結局あれはYou TubeとかMP3サイトからダウンロードした貧弱な音源をいかに美しく聞くかという、きわめて貧乏ったらしい話であったように思えます。
したがって、「良い音」というのは基本的には細工をした音でした。

元の音がほんもののCDの音であれば、それ以上の音は出ないのであって、それが聴き比べですごく良いというのであれば、それは「化粧がうまい」ということにほかなりません。

たしかにフィデライザーは「虚飾を排した音作り」というのが売りでしたが、あのころはどのソフトもみんなそう言っていました。たぶんモニターサウンド的なテイストの音作りというふうに考えるべきではないでしょうか。

他の記事でも書いたのですが、目下のところはFoobar の音で満足しています。

ハイエンドのDACを入れたら、そこでやってくれるのでおまかせしています。ただしDACはASIOをリコメンドしてくるのですが、私はWASAPIにこだわっています(オプションは相当いじっていますが)。

かなりひどい目にあった記憶があって(今は多分違うのでしょうが)、また手を出したいとは思いません。悪しからず。

相撲協会は謝罪声明一本で済まそうとしているようなのでますます怒る。人殺しは「不適切な行為」では済まないぞ。これで済ますつもりならこれは謝罪ではない。少なくとも伝統を重んじる人間がなすべき「謝罪」ではない。
春日野巡業部長は「トイレに行っていた」と言い訳をしているようだ。土俵下に座っていたら、行司の繰り返すアナウンスを看過はできないはず、だね。それにしても巡業先の地元市長が土俵で挨拶しているのにトイレに行くとは「伝統」にそぐわない行為だ。もしトイレが嘘だとすれば主犯は春日野親方ということになる。端的に言って一介の行司が単独でそこまで判断できたのだろうかとも思う。
一言で言って、相撲協会は無責任で事態の深刻さを認識していない。これでは残念ながら再発必至だ。救命医療関係団体は相撲協会に対して、きちっとした抗議文なり警告文を発するべきだ。そして一連の事態が「見殺しの強制」であり、犯罪行為そのものであることを明らかにすべきだ。
メディアはその後ずいぶん報道しているが、全てツボを外している。「気持ちはわからないではないが」などと口が裂けても言うべきではない。これは「見殺しの強制」なのだ。もし救急隊がこなければ、「行司」は場内放送では済まさずに女性の実力排除に出た可能性もある。
これは女性が怒るべき問題ではないし、伝統と人権の関係でもない。救急・救命に携わり命に関わる人間が真っ先に怒るべき問題なのだ。
伝統が問題ではない。良識あっての伝統の尊重であって、良識なき伝統は狂気にすぎない。
問題は人命救助の妨害行為なのだ。救助人を後ろから撃っている。しかも協会の権威を傘にきた威力行使を伴っている。しかも妨害は意図的であり、宗教的確信に基づいている。
今回の事態は法的にはどのような犯罪に該当するだろうか
さきに結論から言うと、これは虐待にもっとも近いあつかいとなるだろう。親が宗教的信念にもとづいて子供を虐待する。ネグレクトや放置はその一形態だ。蘇生措置を中断させるよう強制する行いは究極・最悪のネグレクトだ。
工場で火事が起きた。消防車が駆けつけた。それを工場の正門で「伝統だ」といって立ち入り拒否しているようなものなのだ。子供の手術を拒否するエホバの証人とおなじなのだ。

刑事罰に相当しないか、少し調べてみた。
1.救急車の業務妨害
緊急走行中の救急車に道を譲らなかったり、走行を妨害したりしたときについて
シェアしたくなる法律相談所というページから引用
行為そのものに対する罰
道交法40条、120条1項2号により、5万円以下の罰金が科されます。
これが刑事罰
違反点数1点、反則金6,000円
これが行政罰
つぎに実害が生じた場合
因果関係や故意・過失が立証されれば、民事上ないし刑事上の責任を負う。これまでは立証は困難だったが、ドライブレコーダーの普及により事情が変わる可能性あり。
今回の舞鶴のケースは証拠はバッチリ残っているな。これでは隠蔽も改ざんも不可能だ。
2.市民による救急促進と保護
次に公務執行妨害というのがある。今回のケースは公務員の業務ではないから、外形的には「公務」ではない。しかしきわめて公共性の高い「業務」だ。これに関連した判例はないだろうか。
とりあえず見つけたのが以下の文章
自治省消防庁救急救助課「交通事故現場における市民による応急手当促進方策委員会報告書」
イ 救命手当の実施義務
交通事故により被災者が心停止等の状況にある現場に遭遇した時、居合わせた一般市民が、何ら救助の手立てをとることなく、傍観者の立場にあることは、状況によって非難されるべきであるかもしれない。その意味では、少なくとも、道義的には一般市民にとっても、救命手当の義務があるといえる。しかし、現行法にあっては、一般市民に救命手当の法的な義務があるとは言えない。
ということで、市民(とりわけ有資格者)による救急は保護・奨励されている。これは法令ではないが裁判等においては十分勘案すべき事情である。
3.救急活動のネグレクトは指弾される
4月3日の大紀元ニュースでこれは中国の事件。
中国四川省徳陽市中江県で自動車衝突事故が発生した。2台のうちの白い車がその後炎上した。
住民らは通りかかったバスの運転手に消火器を借りようとしたが、拒否された。
その後、白い車は火が燃え広がり、地元の消防隊が駆け付けて来たが、車内にいた2人は死亡した。
その後の経過は不明だが、世論の袋叩きにはあっている。今回は不参加ではなく「やるな!」という呼びかけだから、ただの世論による非難だけでは済まないと思う。
4.最悪の作業妨害
これは少し前の記事。『平和新聞ながさき版』(06年11月05日)による。
米海軍前畑弾薬庫(佐世保弾薬補給所)敷地内で火災が発生し、弾薬の運搬や貯蔵に使う木製の台を保管する木工作業所が全焼しました。
市消防局は協定に基づいて再三再四、計7回にわたる応援出動を申し入たが、基地側が拒否したそうです。
この事件は、その後ウヤムヤになってしまった。このケースは「伝統」の代わりに「軍事」と入れればまったくおなじ論理だ。

5.「エホバの証人」の手術について
過去においてはいろいろな対応があったが、今日では主体的判断ができる成人の場合は本人の意志が尊重されることになっている。しかし私なら受けない。どうせ他に行くのだから解決にはならないが。
問題は患者が子供で、輸血を拒否していない場合だ。
基本的には親は子供の輸血を拒否することは許されず、もし固執するなら親権を剥奪することになっている。

下記はその一部
15歳未満または判断能力がない場合
(2) 親権者が拒否するが,当事者が15歳未満,または医療に関する判断能力がない場合
① 親権者の双方が拒否する場合――医療側は,親権者の理解を得られるように努力し,なるべく無輸血治療を行うが,最終的に輸血が必要になれば,輸血を行う。親権者の同意が全く得られず,むしろ治療行為が阻害されるような状況においては,児童相談所に虐待通告し,児童相談所で一時保護の上,児童相談所から親権喪失を申し立て,あわせて親権者の職務停止の[保全]処分を受け,親権代行者の同意により輸血を行う。
② 親権者の一方が輸血に同意し,他方が拒否する場合――親権者の双方の同意を得るよう努力するが,緊急を要する場合などには,輸血を希望する親権者の同意に基づいて輸血を行う。
問題はこの親権剥奪措置に親が逆らう場合だ。しかしそれについての言及はない。

6.会場を貸した側の責任
もし、市長の身に万一のことがあった場合、相撲協会に会場を提供した側の責任が生じるかもしれない。
最初にも言ったように相撲協会は真剣に反省していない。誤ちの因って来る原因(風土)を剔決しようとの姿勢も感じられない。内部処罰を検討している様子もない。新兵一人に罪を押し付けて済まそうとしている。昔の軍隊と同じだ。だから彼らは累犯の可能性が高い。
相撲協会がこういう組織だということを知っていて貸すのなら、民事上の責任が問われるかもしれない。少なくとも、貸館契約の際は救急救命の際には女性の出動を拒まないという一札を取り付けておかないと、次は共犯の疑いを受けることになるだろう。

常に遠くへ というブログに面白い写真がありました。
説明は
そんな神聖な土俵に…女性はダメでも フェラーリはいいんですか❔
DaFiovRV4AcPkRA


携帯の技術の最大の進歩は、「携帯のせいと言い訳させない技術」なのだそうだ。
なるほどと思うが、「なるほど」と思うのは「携帯のせい」と言い訳した記憶を持つ、そういう世代だ。そもそも携帯という言葉がそろそろ死語になるかも知れない。
ただ私は携帯とあまり関係なく育ってきた世代で、いまだにパソコンで十分間に合っている。
電話に限らず、携帯型というアイテムは電車通勤者のためのものだろう。
田舎に住んで、車で通う人間には無縁のものだ。家に帰ればべつにヘッドフォンを使わずとも音楽が楽しめる人間には無縁のものだ。さらに言えば、田舎の人間にはこんなものを買って使いまくるような金銭的余裕はない。

昔話だ。
私は96年と97年の2年間、小樽の診療所の所長を勤めた。有床診療所の一人所長だ。
着任したときはひどい赤字だった。とにかく入院患者を確保しなければ赤字は解消できない。そのためには外来数を増やすしかない。しかしそんなことが簡単にできるわけはない。当面は往診数を増やすしかない。高齢化社会だから、そして小樽は坂の町だから、往診数を増やすのは、外来数の減少に対応するためにも必要だった。
そうやって往診数を増やすと、外来数も増えたし、入院数も増えた。多分厚労省の在宅重視の政策にも適合しただろうと思う。本当の患者のニーズに適合していたかどうかは別だが…
往診増加は戦略的に取り組んだ。週1回の往診には外来部門の全職員が参加した。月4回の往診はそれぞれ東部(築港・朝里)、市街中心部、北部(手宮・赤岩・高島・忍路)、西部(長橋・オタモイ・塩谷)に分けて行った。5週目は遊んでいたのかな? どっちにしても5時からは夜間診療が始まるので、楽をしていたわけではない。
1.東部コース
この往診の密かな楽しみが、喫茶店での道草であった。3時間で10軒回るのだがその間に10分ほどのティータイムが入る。2年間の間に月1回づつ行くから、結局それぞれのコースで24回行ったことになる。
その立ち回り先は4エリアごとに決まっていた。決まってはいたが、しばしば新たに開拓された。
東部周回コースは、入れ替わりが激しかった。最初に行ったのは国道から奥沢に行く道路で、光満ゴムの工場の一寸先の三叉路にあった喫茶店であった。そこは2、3回行ってすぐに潰れた。その後は、潮陵高校の坂を登っていって朝里に抜ける途中の崖にあった喫茶店で、ここは港の夜景を眺めるアベック向けの喫茶店で値段も普通の倍はした。ここは可愛い看護婦さんが着いて来たときだけ行った。
朝里に往診に行ったときは思い切り山越えで奥沢に出た。途中に(といっても無理やり途中なのだが)終わるワインの工場があって、無料で試飲ができるのだ。けっこうこの無料は高くて、係の人に顔を覚えられて高級なものを出してくる。当たり前だ。ナースは白衣で行くのだから。だから、結局いい値段のものを買わざるを得ない。
この工場は峠の途中で、冬場はゾッとしない。ところが良くしたもので、奥沢の十字街より札幌方向、川沿いに酒造りの工場がある。「男山」というが旭川の男山とは違う。その工場に、その頃お誂え向きに試飲コーナーができてしまった。結局ここでいっぱい引っ掛けてご帰還ということになる。
2.中部コース
中部コースは実は意外に往診先が少ない。まちなかに住む人はあまり勤医協や共産党とは縁がないのと、わざわざ勤医協でなくてもけっこう医療機関はあるからだ。
したがって往診先は山側に偏ることになる。したがって喫茶店も山際の眺めの良い喫茶店が増える。
小樽商大に向かういわゆる地獄坂、その途中の喫茶店、小樽駅ウラの市役所から西に入った喫茶店、は何軒か行った。
一番見晴らしの良い喫茶店は、駅前からきた国道が長橋方面に左折するところを曲がらずまっすぐ山を登ったところにある。下るのはエンジンブレーキだが、フットブレーキを使わないとタコメーターは5千回転まで上がる。私のおすすめの喫茶店だったが、私が小樽を去って間もなく閉じた。
この峠から、さらに山に登っていく道がある。50メートルほどで行き止まるのだが、その前に住んでいるおばあさんのところに往診しなくてはならない。ここは冬場は車は登れない。徒歩で行くしかないのだ。
3.北部コース
第3週の北方面は比較的喫茶店が多いところであった。一番クオリティが高いのは赤岩の坂を登っていく途中、かなり奥の方に菓子屋さんの直営の喫茶店がある。ここは自家焙煎をしていて、それは良いのだが、あの頃のはやりで真っ黒に焦がしていた。コーヒーの苦いのと豆が焦げて苦いのとは違うのだが、分かってない。分かってないのはいいのだが、その勘違いを客に押し付ける。とは言うものの店全体の雰囲気は標準以上だから一応受け入れる。パウンドケーキもうまい。ただし高いから毎度という訳にはいかない。
ここから高島の港まで一気に下がるとき、途中に思わず見とれてしまう高島診療所がある。20年前のあの頃でほとんど世界遺産状態だったが、今はどうなっているだろうか。
そして港につくとそこに2階建てのレストランがあって、1階が地ビールの工場だった。このビール、相当ひどかった。もう今ではやってないだろうと思うが、
ここの2階で日の傾いた高島港から色内の埠頭を見通すのもなかなかの雰囲気だった。北部にはもう一つの穴場がある。ほとんど幽霊ホテル化した祝津のホテルだ。ほぼ宿泊客ゼロのホテルの最上階が回転式のレストランになっていて、ギイコギイコと動いてはときにガタガタときしむ。コーヒーを飲みながら密かにいつご臨終になるのかと指折り数えていたことを思い出す。

4西部コース
これまで色々書いてきたが、西部はほとんど喫茶店の記憶がない。多分なかったのだろう。虎吉沢を下り喜ったあたりに1軒くらいあったのだろうか。私の覚えているのは5号線を下りきったところで塩谷の市街に入り、そこを抜けて海岸に出たところにビーチハウス状の喫茶店があったことである。夏の海水浴のシーズンこそ若者が来ることはあっても、ここで通年営業というのは流石に辛いだろうなと思ったっが、そのとおり翌年には姿を消していた。

本当につくづく思うのだが、もう北海道の田舎は住み続けること自体が難しい。まったく人がいなくなってしまったから、世間というものが存在しなくなった。
店終いしなければならないが、問題は何処まで消滅してくのか、何処までなら維持しうるのかが見当つかなくなっていることだ。
私は思うのだが、これなら道端のどこでも、なにか目印を立てて穴を掘って骨を埋めても見つからないなということだ。もっと露骨に言えば、見つかって一言二言文句を言われても、それで知らんぷりしてしまえばOKだということだ。

話がそれた。私は喫茶店世代の頂点にいて、その衰退を見つめてきた。いったい喫茶店文化とは何だったのだろう。何故か真剣に考えてしまう今日このごろである。

ペンタゴン・ペーパーズ事件そのものは、1~2ヶ月で終わり、その後はウォーター事件に移っていく。
この事件そのものは主として政府とニューヨーク・タイムズ(NYT)の間で争われたのであり、ワシントン・ポスト(WP)に関する経緯はサイドストーリーと言える。
しかし前後の経過から見て、WPがNYTとタッグを組んで政府・権力と対抗したことの意味はきわめて大きい。そういう点でスピルバーグがこのエピソードをあえて取り上げた意味は決して小さくない。
ただそれだからこそ、そういう取り上げ方に留意しつつ、その基本的枠組みを政府権力との言論の自由をめぐる戦いととらえ、NYTの戦いを深く知って思いを致すことを訴えたいと思う。


64年 エルズバーグ、ランド研究所を経て国防総省に移り、国防次官補補佐官となる。核兵器、核戦争計画などを専門に扱う。
ダニエル エルズバーグ: 1931/4/7シカゴ生。ハーバード大学経営学部卒。ケンブリッジ大学に留学後、1954年海兵隊に志願、57年中尉で退役後にハーバード大学に戻る。59年、ランド・コーポレーションの戦略アナリストに就職。
65年 エルズバーグ、サイゴン米大使館に勤務。ゲリラ対策顧問として実戦も経験する。
65年9月 日本テレビ「ベトナム海兵大隊戦記」放送。第二部第三部の放送は中止。
65年 NYTのサイゴン支局にはニール・シーハンなど3人の優秀な記者を配置。シーハンはエルズバーグとも知り合っていた。一方、当時のWPは戦争支持で、反対の姿勢を打ち出したのは69年半ばであった(Newsweek)。
66年ころ 国防総省内でペンタゴン・ペーパースの作成開始(ニッポニカ
マクナマラ国防長官らが戦争に疑問を持ち始め、将来二度と同じ失敗を繰り返さぬ教訓とするため、客観的な分析記録をつくるように命じた。執筆者の多くは政策に携わって失敗を認めた学者グループであった。しかし何度も執筆者がかわり、最後は未完成に終わった。

なおこのマクナマラとペンタゴン・ペーパーズの関係については、エルズバーグが自著『ベトナム戦争報告』で描くもう一つの説がある。
67年初め、エルズバーグはサイゴンに向かうマクナマラに同乗し、みずからの意見を具申した。マクナマラはこの報告を聞いてペンタゴン・ペーパーズの作成を決断した。
というのが大意である。ただ、ニッポニカではすでに66年には、作業が始まっていたとされる。正直の話、この頃の彼にはちょっと、焦りがもたらす大言壮語があるかも知れない。
1967年
1月 エルズバーグ、ポーター次席大使の補佐官として、平定計画を担当する。この頃からベトナム戦争に批判的になったという。
7月 エルズバーグ、ベトナムから戻り、国防総省からランド研究所に復帰する。
7月 ペンタゴン・ペーパーズの作成開始時期についてはニッポニカ説に対し異論がある。隅井孝雄さんによれば「1年半かけて作成された」とあり、逆算すると67年7月となる。これはエルズバーグがランド研究所に戻った時期と一致する。(国家とメディアその1 ベトナム戦争の場合 隅井孝雄
10月30日 TBSの社長ら幹部が自民党に呼ばれる。翌年3月には田英夫キャスターが解任される。
1968年
1月 ケサンの包囲戦、フエ占拠、続いてテト攻勢が始まる。
2月 マクナマラ国防長官がジョンソンと衝突し辞任。後任はクラーク・クリフォード。
2月 CBSテレビの名物キャスター、クロンカイトがベトナムを訪問しレポート。
海兵隊と行動をともにしました。現地の海兵隊やヘリの中に,この戦争の現実を見たのです。血が流れるベトナム戦争はいまや終わりに近づき、袋小路にはまっています。
私はベトナムの真実を私の見たまま率直に語りました。ベトナム戦争から手を引いて,アメリカはベトナムから出て行くべきだと。交渉をはじめることです。怪物や妖怪とではなく、自らの祖国を守ろうとしている尊敬しうる相手との交渉です。
これを聞いたLBJは “I lost Cronkite , I lost the war” と語った。
5月 2年前におこなわれたミライ村虐殺事件がフランスのジャーナリズムにより暴露.米兵が子供を含む非戦闘員567人を殺害.
6.05 ロバート・ケネディ,ロサンゼルスで銃撃される.
1969年
1月15日 7000ページに及ぶペンタゴン・ペーパーズが作成される。レポートは退陣直前のクリフォード国防長官に提出される(提出者はレスリー・ゲルブ)。これにて全作業が終了。
正式名称は「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」国防総省内部で作成された非公開の報告書。3000ページの本文と4000ページの資料47巻からなる。
戦争目的に対する批判はないが、戦争遂行時の判断基準がないままに逐次投入していた経過が明らかにされている。
1月 クリフォードは「米国はもはや戦争を拡大するべきでない」とジョンソンに報告するもジョンソンは対応せず。これを知った作成者の一人エルズバーグは、ペンタゴン・ペーパーズのコピーを上院外交委員会に手渡している。またフルブライト上院外交委員長、マクガバン上院議員、キッシンジャー補佐官とも接触し説得を試みている(これもエルズバーグの自著による)。
1月20日 ニクソンが大統領に就任。我々は“名誉ある平和”を達成する」と演説。
5月 アシャウ渓谷の戦い。米軍は600名の兵の内46人が死亡、400人が負傷した。激戦が人間の肉をミンチにしたことから、ハンバーガーヒルと呼ばれる。10日間の激戦の末に勝利するが、司令部は確保困難と見て放棄。
5月末 NYT、カンボジアにおける秘密爆撃を暴露報道する。ニクソンはFBIにジャーナリストの電話盗聴を命じる。またニュース漏洩の源を知るため、政府幹部職員13人の盗聴も開始。
6月 現平成天皇の教師を勤めたバイニング夫人が逮捕される。ベトナム戦争に反対する彼女は、ワシントンの国会議事堂階段で、ベトナム戦争の戦死者の名前を読み上げていた。
6月 ライフ誌、最近の週にベトナムで戦死した242人の兵士の生前写真を掲載。死者たちの微笑んでいる若い顔は、全アメリカ人へ衝撃的な影響を与える。
8月 ウッドストック音楽祭、少なくとも40万人を動員。
10月 全米で反ベトナム戦争の大デモ展開,2百万人が参加.
12月 セイモア・ハーシュ記者、雑誌『ニューヨーカー』にミライの虐殺の真相を掲載。ピューリッア賞を受賞。
1970年
1月 ベトナム米軍放送局のニュースキャスターをつとめるロバート・ローレンス、検閲の廃止・言論の自由を主張。米軍はローレンスを告発。映画「グッドモーニング・ベトナム」のモデルとなる。
1.10 ニューヨーク・タイムズ紙,韓国軍がベトナムで数百人の民間人を虐殺したと報道。

4.30 ニクソン、カンボジアへの越境攻撃を開始。
5.04 オハイオ州のケント大学でベトナム反戦デモ。学内に侵入した州兵の発砲により、4人が射殺され9人が負傷する。
5.16 クリフォード前米国防長官。ライフ誌上でカンボジア進攻を批判。
70年 エルズバーグ、ランド研究所在籍のまま、マサチューセッツ工科大学の研究員となる。

1971年
1月 最後の大規模作戦となるラオス侵攻作戦が始まる。B52爆撃機400機の支援を受けた米・南兵2万9千人がケサンから越境攻撃。2ヶ月後に壊滅的打撃を受け撤退。
3月8日 反戦活動家がFBI庁舎に潜入。左翼運動に対する秘密調査文書を盗み出し、報道各社にリーク。FBIは情報活動を公式に中止。
3月 WP紙のアンダーソン記者,カンボジアの秘密爆撃を指示した国防総省の秘密文書を暴露.
3月 執筆者の1人であるダニエル・エルズバーグがコピーを作成し、NYTのニール・シーハン記者に手渡す。その後ワシントンポストにも同コピーが持ち込まれる。
タイムズ紙面
5月2日 ワシントンの反戦行動が激化。復員軍人が闘いの先頭に立つ。数日間に1万人以上が逮捕される。
6月1日 ニクソン米大統領が記者会見。「南ベトナムを共産主義者に引渡すようなやり方で戦争を終結させてはならない」と言明。
6月13日(日曜日朝) ニューヨーク・タイムズが連載記事として報道を開始。ワシントン・ポストなど他紙も文書の掲載をもとめ情報源探しに動く。
6月14日月曜日 NYTの長い1日
朝 ニクソン政権は司法長官名で記事差し止めを要求した。以後の司法関連の動きは隅井さんの記事が詳しい。
要請内容: 資料には合衆国の極秘扱の国防情報が含まれている。この情報の掲載は憲法793章、スパイ防止法第18章により禁じられている。今後掲載せず、文書を国防省に返還するよう要請する。
昼 NYT編集長のエイブ・ローゼンタール、印刷中の紙面を一旦止める。ロンドン出張中の社主ザルツバーガーとの協議に入る。
夜9時 NYTの社主と編集長は政府の要望を拒否すると発表した。
NYT声明: この記事はアメリカ国民の利益になる記事である。したがって司法長官の要請は拒否する。裁判になれば争う。しかし最高裁の最終決定が出ればそれに従う。
6月15日 連邦地裁で掲載停止の仮処分(手続上の処置)が出される。NYTは16日水曜日の掲載を見合わせることを決定。
6月16日 WPが株式を公開。資金導入による経営拡大に動く。
6月17日金曜日 WPの長い1日
朝 WPのバグディキアン編集次長がエルズバーグとの接触に成功。ケンブリッジの隠れ家でエルズバーグから報告書のコピーを入手。この時点でNYTの掲載は止まったままであった。
昼 WP、幹部会で18日からの掲載開始を決定。経営幹部からは強い難色が示される。
裁判で政府と争うことになれば公開直後の株式が動揺し、下落の程度によっては株主に違約金を払う必要が出る。また傘下のテレビ局の免許更新が直近に迫っており、政府が更新を認めない危険性もあった。
午後3時 政府はWPの秘密報告掲載の停止を求め、ワシントン連邦地裁に申立てする。
午後8時 ワシントン連邦地裁、1.政府の申立ては却下。2.最高裁決定が出るまでは掲載禁止の仮処分。3.すでに刷りあがっている18日付の紙面は発行を認める、との判断を示す。
ワシントン連邦地裁の踏み込んだ判断: 国の安全は自由主義体制によって守られる。国民の知る権利は報道機関によって守られている。憲法修正一条によって保護されるのは論説委員やコラムニストの意見ばかりではない。国民が政府の活動について十分知らされるようにするための情報収集の自由も含まれる。
6月 アラスカ選出のマイク・グラベル上院議員、徴兵制に反対してフィリバスター(議事妨害)の戦術を取る。このとき演説で「ペンタゴン・ペーパーズ」を読み上げる。
6月22日 米上院、政府に対する拘束力を持たない決議(マンスフィールド議員)を採択。年末までにすべての米兵部隊のベトナムからの撤退をもとめる。下院はこれを否決。
6月26日 NYTとWPを併合した最高裁での審理が始まる。ここまで連邦地裁は政府側の訴えを却下したが、連邦高裁は逆転し差し止めを認定した。
6月28日 エルズバークが、連邦調査局に出頭。記者会見で「裁判で闘う」と宣言する。
6月29日 最高裁は「政府は証明責任を果たしていない」として却下する。
最高裁の判断: いかなる表現の自由もそれを事前に制限することは憲法に反する。制限を正当化する理由を政府は明示しなければならないが政府はその義務を果たしていない。
7月 アーリックマン首席補佐官とチャールズ・コルソンが「鉛管工」部隊を組織。エルズバーグの監視とリーク防止を目的とする。コルソンはさらに反ニクソンの著名人200人を「政敵リスト」に載せ、監視を開始する。
7 NYT紙,SALT交渉に関する情報を暴露.政府の抗議に対し,最高裁は6対3で,「ジャーナリズムが事実を公表する権利を持っている」との判断を示す.
8月15日 ニクソン,国家非常事態宣言.金ドル交換を停止.ドル防衛策をうち出す.
8月 世論調査。大多数のアメリカ人は戦争が「不道徳である」と感じ、61%が全面撤退を支持。
9月 ニクソン政権はエルズバーグに対する信頼性低下に攻撃目標を転換。鉛管工グループのハントとリディー,エルズバーグのかかりつけの精神科医ルイス・フィールディングのオフィスに侵入.
後にこの鉛管工グループがウォーターゲート・ビルへの潜入にも流用された。この差右旋が露見したことがニクソン政権の命取りとなる。

この後、話題の中心はニクソン政権の方に移っていく。これについてはウォーターゲート事件関連年表
、またベトナム戦争全般については、米国年表 その3ベトナム戦争 その1 ベトナム戦争 その2を参照していただきたい。 

無罪判決
                告訴の棄却

1973年 エルズバーグは、「政府による盗聴」が判明したことから、告訴は棄却される。
エルズバーグは窃盗、情報漏洩など12件の重罪に問われ、115年の刑期の可能性も あった
7月 ビーコン・プレス、全文の出版に踏み切る。ユニテリアン協会の非営利小出版社。
72年 ニューヨーク・タイムズの記者デイヴィッド・ハルバースタム、『ベスト&ブライテスト』を発表。マクナマラを中心とした「最良の、最も聡明なはずの人々」が、いかにして政策を過まったかの過程を明らかにする。
ラスク国務長官、マクナマラ国防長官、バンディ兄弟、ロストウ、ガルブレイズ、カッツェンバックらが相当する。
2011年6月13日 「ペンタゴン・ペーパーズ」の機密指定が解除され、全文が閲覧可能となる。

『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』という映画を見てきた。
うーむ、これほどまでに真相は明らかになってきたのかと感動を覚えた。
じつは1990年ころにウォーターゲート事件については勉強したことがあって、その成果がウォータゲート事件関連年表になっている。

帰ってきてから、その年表を読み返してみたが、今日の映画が与えてくれた情報のほとんどは90年ころには明らかになっていなかった。
どちらかといえば鉛管工グループの民主党本部忍び込み事件のほうが本流で、たしかにニクソンを追い込んだのはそちらの方なのだが、この一大スキャンダルの本流はトルーマンからアイク、ケネディ、ジョンソンへと至る、ベトナム干渉の歴史なのだ。

当時なぜ私がウォーターゲート事件にここまで首を突っ込んだかというと、鉛管工グループがそっくりそのままケネディ暗殺グループであり、もっとさかのぼるとキューバ反革命グループであるからだ。

この視点は当時としては斬新であったから、それなりにネット社会での注目を集めたものだ。

しかし本日スピルバーグの映画を見ると、それは「やり口」の卑劣さであって、15年にわたり米国国民に隠し世界の人々を欺いたベトナム侵攻作戦の本質的な汚さに比べれは、枝葉末節のことだったのである。
graham
     ワシントン・ポストの記者を相手に演説するグラハム

スピルバーグの映画は、いつものことだが、掘り下げは浅く技術的な巧みさと制作予算の豪華さだけが浮き上がる。レッドフォードの「大統領の陰謀」のかっこよさには到底及ばない。

そういうわけで見終わった後の感想は正直すごいというほどのものではなかった。

しかしちょっと感想文を書いておこうと思って、自分の年表を開いた途端、それはまったくの間違いだということが分かった。

この映画のエピソードのほとんどは1971年の前半の期間に集中する。それらの話はウォーターゲート事件の始まる前のものと認識されてきた。しかしそれは前奏曲ではなく、第一楽章そのものであった。
私の年表に記載されているのは以下の行である。

1971年
3 ワシントン・ポスト紙のアンダーソン記者,カンボジアの秘密爆撃を指示した国防総省の秘密文書を暴露.国防総省はドナルド・スチュアート首席捜査官を中心に漏洩元の調査に乗り出す.
6.13 ニューヨーク・タイムズ,ランドコーポレーションの職員でキッシンジャーの元同僚ダニエル・エルズバーグの漏洩した,国防総省の秘密調査の内容を暴露した「ペンタゴン・ペーパーズ」の掲載を開始.
7 アーリックマン首席補佐官,エルズバーグに関する特別調査班を編成.責任者としてヤング補佐官とエージル・クローグ補佐官を任命.ヤングとクローグは行政府ビル地下に本部を設営.オフィスのドアに「鉛管工」の看板を掲げる.元CIA諜報員でチャック・コルソン補佐官の部下ハワード・ハントと元FBI捜査官のゴードン・リディーがスタッフとして参加.
7 ニューヨーク・タイムス紙,SALT交渉に関する米国側の譲歩の内容を暴露.情報源はデジタル情報中継センターに勤務する陸軍下士官スティーブン・リンガー.
9 鉛管工グループのハントとリディー,エルズバーグのかかりつけの精神科医ルイス・フィールディングのオフィスに侵入.実行犯はピッグス湾参加者のフェリペ・デ・ディエゴ,CIAの航海士として350回以上もキューバに侵入したエウヘニオ・マルティネス,元CIA職員のバーナード・バーカーの三人組で,いずれもハントのマイアミにおける手下.
というレベルの情報しか流布されていなかった。

このときはまだボブ・ウッドワードもディープスロートもまだ登場していない。

事件はまだウォーターゲート事件ではなく、エルズバーグ事件であったのだ。

とりあえず、もう一回ウォーターゲート事件を勉強する必要がある。それも一連の流れを、権力による盗聴事件として捉えるのではなく、ベトナム戦争の本質暴露事件として把握する必要があるようだ。

メリル・ストリープは名演だ。一人の英雄のエピソードを、一人の女性のエピソードとしても演じきっている。

女性も土俵に上げろと主張した宝塚の女性市長と相通じるものがあるが、それよりはるかに強い。厳しいリスクテイクをしている。周りもしっかりと支えている。

そう簡単に比べる訳にはいかないが、とにかく宝塚市長さんにはぜひこの映画を見て、じっくりと考え込んでほしいと思う。


「女性は土俵から下りてください」の真相
2018年04月11日 「見殺しの強制」は犯罪行為そのもの もご参照ください
とにかくまずは事実収集だ。
昨日4日、京都府舞鶴市で大相撲の巡業が行われた。挨拶に立った多々見良三・舞鶴市長が土俵上で倒れた。

その場に居合わせた有志の人々が土俵上に駆け上って救命措置を行った。その中には女性も含まれていた。これに対しアナウンスを担当する行司が「女性は土俵から下りてください」と退去するよう何回も求めた。さらに市長が運び出された直後、土俵には大量の塩が撒かれた。
BuzzFeed News、では時系列にまとめられている。

  1. 多々見市長が土俵に上がり、挨拶を始めたが呂律が回っていない。
  2. 途中でふらつき、突然倒れる。関係者らしき男性たちが多々見市長に駆け寄る。
  3. 1人の女性が土俵に上がり、男性を押しのけ心臓マッサージを始める。別の女性も直ちに尾き、ペアーで蘇生を始める。続いて別の女性2人も土俵に上がり、多々見市長の駆け寄る。
  4. 「女性の方は土俵から降りてください」とのアナウンスが、繰り返し流れる。
  5. 救急隊員の男性たちが土俵に到着。蘇生作業を引き継ぐ。女性たちは土俵から降りる。
  6. 多々見市長が担架で運ばれる。この後土俵に大量の塩が撒かれる。
ANNニュース(You Tube)にこれらすべてが映像として記録されている。
ということで、こうやって記事を書いているだけでもアドレナリンが吹き出してくる。
これは女性に対する蔑視ではない。「生命の尊厳」に対する蔑視であり、人間の生命に対する蔑視なのだ。
女性差別というのではない。「伝統」の名による恣意的な差別なのだ。たまたま差別の対象が女性であったに過ぎない。同じ論理が例えば部落民だったら、黒人だったら、朝鮮人だったら、共産党だったらどうだったんだろうか。すべて「伝統」の名において許されるのだろうか。
その「伝統」というのは差別の伝統でもあり、「いのちは鴻毛より軽し」の人命使い捨ての伝統でもある。
立川病院の三田村秀雄院長のセリフが良い。
伝統と言っている場面ではない。伝統が命を救うことはありえない。命を救うためにできることは100%やらないといけない。それを邪魔するようなことは決してあってはいけない。
三田村さんの発言は正確で的を得ている。しかし私はそれでは物足りない。これは命の尊厳に対するあからさまな蔑視であり、女性よりもむしろ医療従事者にとって腹立たしい事件だ。
これはイラクやシリアで救急車に発砲するイスラム原理派と同じ行いだ。この行司はどう考えても救命活動を妨害している。不作為の刑事罰に相当する。「伝統」に対する意見の違いではない。強く言えば殺人幇助罪だ。そのまま手錠をはめられて警察に直行だ。

メディアの対応はあまりにも遅くあまりにも生ぬるい。少なくとも、メディアは「行司」の名を公表すべきだ。その瞬間においてこの「行司」に人権はない。最低でも角界に残る資格はない。スポーツの世界からは永久追放だ。相撲がスポーツ以下のクソ社会であるなら話は別だが。

ただしこれだけではあまりにも情報不足だ。相撲協会は当事者として情報を提示すべきだ。もしそれをしないのなら、行事の責任はすべて相撲協会の責任となる。

協会理事長は即刻辞任しなければならないだろうが、それ以前にNHKなどメディアも大相撲関連の報道を即刻中止しなければならない。

客の中から「女性を土俵に乗せるな」とのクレームが付いたために行司が対応したと言うが、この「強いものへのへつらい」も相撲の美しき伝統なのだろうか。それは相撲を国技にしてはならないことの証ではないか。

さらに言えばクレームをつけた「客」も名乗りを上げるべきではある。もし市長が死んでいれば、みずからの主張した「道義」について、「道義」的責任を真っ先に担うべきであるからだ。「相撲道の伝統のために死ね」と煽った以上、あなたは知らんぷりをしてはいけない。
眼の前に死にかけた人がいるのに、みずからは助けようともせずに、行司に「女を土俵に上げるな」と叫ぶ心情のおぞましさ、まさに人間のクズだ。人間の顔をした獣だ。私はそう思う。

「伝統のために死ね」と叫ぶ心は、「お国のために死ね」という心と通じているのではないだろうか。
私たちは「舞鶴」とか「興安丸」という言葉を聞いただけでも、引揚者の名が読み上げられるラジオが耳に響き、なにか胸がキュンとなる。それは、やつらに騙され、無数のいのちが失われ、救われ、平和といのちの大切さを教えてくれた言葉だ。
これを機にもう一度、「舞鶴」が生命の原点となってほしいものだと思う。

TeleSur English Mar 26th 2018

国連人権理事会、ベネズエラに対する制裁措置を非難

「このような措置は、国家の経済社会開発の完全な実現を妨げる」

国連人権理事会(OHCHR)は、非同盟国(NAM)の運動が提案した決議を採択した。

これは、米国、カナダ、欧州連合(EU)とその同盟国によるベネズエラに対する経済制裁を非難するものである。

この文書は、金曜日にスイスのジュネーブで開催されたOHCHR会議に提出された。

決議は、このような一方的な措置を継続することを非難する。大国が政治的または経済的圧力を加えるために、その道具としてこのような方法を取ることは許されない。

決議はすべての国にたいし、 「このような措置は、諸国家の経済社会開発の完全な実現を妨げる」と喚起した。

決議はベネズエラの主張を認めている。それは「経済制裁は、貧しくて最も脆弱な階層に“度外れに”影響し、人権の実現を脅かす」というものだ。

そして、国際法に違反する一方的な強制的な措置を適用するのではなく、「対話と平和的関係を通じて相違を解決するべきだ」と強調している。 

先週、米国はベネズエラに対して新たな制裁を課した。今回は「ペトロ」というベネズエラが発行した仮想通貨である。

制裁措置は、「ベネズエラ政府によって発行されたあらゆるデジタル通貨でのすべての取引」を対象としており、米国人による、または米国内における取引が対象となる」

仮想通貨「ペトロ」はベネズエラ政府がとっている政策である。それは、米国と同盟国が輸入能力を制限するためにベネズエラに課した財政封鎖を迂回するためのものである。

ベネズエラのホルヘ・アレザザ外相は、Twitterを介して決議への共感を示した。

ドイツ、米国、英国、スペインを含む西側諸国は、この決定を拒否した。

一方、人権理事会は、この措置は「国家の主権を脅かす...」と述べた。

なぜならそれらの措置は自国の自由意志、政治・経済・社会的制度についての自決権を否認するものだからである。



 大多鬼丸伝説について

はじめに

福島にこのような伝説があることは、初めて知った。

中路正恒「古代東北と王権」(講談社現代新書 2001)という本にちらっと紹介されている。すこし引用しておこう。

…そしてそうした森のなかに時として洞窟がある。例えば福島県滝根町の「鬼穴」と呼ばれる洞窟。それは大滝根山の山中にあり、かつて国家に抗して闘った人々(大多鬼丸ら)がそれに拠ったとされる、長さ80メートルほどの相当に広い洞窟だが、その入口は高さ80センチほどのもので、中に広い空間があるようには見えない。そしてこの「鬼穴」自体が奥でさらに大滝根洞とつながり、、さらにあぶくま洞にもつながっていて、その全体が総延長2600メートルを超える複雑な経路の束を作っているのである。…アメリカ軍に対してベトコン(南ベトナム解放民族戦線)が掘ったきわめて精巧な地下の洞穴は、それ自体が一種の兵器になっていたが、森のなかの洞窟も、多数の入り口を備え、多数の秘密の道を中継している場合には、戦術上きわめて有効な装置となるであろう。

この行り、あまり本論と関係ないのだが、なにかしら著者の大多鬼丸への思い入れが伝わってくる。ということで、「ひとつ曲がり角間違えて」行ってみることにした。

まず鬼穴について

おきらく・ごくらくCaving というサイトに鬼穴の説明がある。

鬼穴は、大滝根山の中腹に口を開けています。 間口は、120cmと小さめですが、横穴の内部には八畳敷と呼ばれるホールがあり、その先は、 つるべ落としと呼ばれる くねくねと落ちる竪穴で下層のあぶくま洞につながっています。

阿武隈洞の現在の流入口は、鬼穴への道を林道まで下り、そこから藪をこいだ先にある大滝根のドリーネ。 ここに、鉄策で囲われた、大滝根洞の入り口があり、ここを入っていくと、阿武隈洞の探検コースと接続します。

鬼穴

大滝根川を北に向かって下っていくと、鬼五郎、早稲川などの部落が続く。ついでながら、入水鍾乳洞の方はもっとすごいらしい。文字通り入水しながら進むようだ。

大多鬼丸 Who?

次いで「大多鬼丸」についてネットで調べてみた。

率直に言えば、大多鬼丸の戦いにアテルイの闘いほどの真実性はない。たんなるフォルクロアに過ぎないとさえ言える。

おそらくは福島県の中通り地域をさすらう門付け(琵琶法師)がそれぞれに脚色し、地名を織り込んでリアルさをもたらしたのであろう。古くからの言い伝えではあるが、物語であるがゆえに、その内容はさまざまなバリアントをふくめ実にいきいきと語られている。

そして、この大多鬼丸伝承は、謡曲「田村」において芸術の高処にまで昇華されていくのである。

情報はあまりに多く、話がとりとめなく広がる危険もあるが、できるだけ拾い上げながら話を進めていきたい。

大多鬼丸の生いたち

最初に言っておきたいのだが、大多鬼丸が生きたのは、実は田村麻呂より一世代前ではないだろうか。オリジナルな筋立ては、おそらくヤマトタケルの時代から東北地方で繰り返されてきた征服譚の一つであろう。

大和朝廷の北進とエミシの抵抗という全体の流れから言えば、福島が陸奥であった時代、福島で大規模な抵抗があった時代は、田村麻呂の時代より前だと思う。それは田村麻呂のメインの功績であるアテルイとの戦いをさかのぼり、多賀城の闘いをさかのぼるものであったと考えられる。

これについては、後で、詳しく触れる。

大多鬼丸というのは大和朝廷の勢力と対決するようになってからで、それまでは滝根地域のボスという意味で滝根丸と名乗っていたらしい。

滝根地域というのは相当の山間部だが、もともとの出生地は郡山西田町の鬼生田(おにうだ)といわれる。現在も鬼生田という地名は残っている。一説では地獄田(じごくだ)とも言われる。
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郡山にほど近い開けた土地である。大滝根はここよりはるかに東磐越東線を行ったところである

 桓武天皇の時代、地獄田という所で一人の男の子が生まれました。その子は七歳のころになると、五尺もある立派な身体の持ち主となりました。生来凶暴にて、墓を暴いて死人を食ったり暴力を振るうようになりました。そこで親も恐れてその子を殺そうと考えるようになったのです(親もなかなか怖い)。

子どもはそれを察知すると家出をしました。何年か後、その子は大滝根に住んで滝根丸と名乗り、手下を大勢率いては旅人や村を襲っていました。

村人たちは滝根丸のことを「あいつは鬼のように恐ろしい」と噂しました。また滝根丸も自分のことを「俺は鬼だ」と言って益々悪いことをするようになりました。

このように鬼が生まれたということから鬼生田という地名になったのです。

ということで、鬼生田の地元では家出した不良少年の成れの果てという扱い、悪い話ばかりのようだ。しかしそれなら、いっそ名をはばかれば良いものを、と思ってしまう。

じつは田村麻呂が生まれたのも西田町(旧宮田村)となっている。ひょっとして二人の幼少期キャラは伝承の中でかぶっているのかも知れない。

滝根方面に伝わる伝承では、そんな野盗の首領というのではなく、行政の長として手腕をふるっていたように描かれている。

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 こちらはポジティブなイメージ

滝根丸は陸奥国の田村郡七里ヶ沢付近をおさめていた。

七里が沢は現在の小野町に当たる。小野町は田村郡の一部で、磐城へとつながる街道筋に伸びる。磐越東線の沿線でもある。

街の東に山並が迫り、これを大越峠で越えると、大滝根部落に出る。大滝根は大滝根川の源流地帯であり、阿武隈山地最高峰の大滝根山(霧島山)の山麓地帯でもある。

大滝根

小野町のホームページから引用する。

小野郷の地名は倭名抄にある。以前は「七里ヶ沢」とよばれていたことが分かっている。

桓武天皇の御世のこと。征夷大将軍として朝廷の命を受けた坂上田村麻呂の東征後、小野篁が救民撫育使として着任したと言う。ほかに小野六郷という呼称も残っている。

ということで、きわめてイデオロギッシュな地名だということになる。

大多鬼丸の戦い

西暦800年頃に朝廷は臣従と朝貢をもとめた。大多鬼丸はこれを拒否し、朝廷と対立するに至った。大多鬼丸は霧島山(現在の大滝根山)に白金城を構え朝廷と争う姿勢を見せた。

以下は赤津四郎のこもった鬼ヶ城についての記述だが、この赤津というのは大多鬼丸と同一人物であろうかと思われる。(ネットでの検索不能)

この城には鬼穴という大きな岩窟があった。その下に蝦夷窟と呼ばれる十三の岩窟が南向きに開けていた。そのそれぞれが七~八人を収容したという。そこから麓の谷に向けて両側には数個の蝦夷穴が並んで街路のようであった。
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仙台平の大多鬼丸の首塚
朝廷は征夷大将軍であった坂上田村麻呂を送り込み、両者の間に戦闘が展開された。大多鬼丸は洞窟を縦横に用いてゲリラ戦を展開したが、最後に追い詰められ、大越の「鬼穴」(達谷窟)で自害した。近くの仙台平という高地は大多鬼丸の首塚と言われ、立派な塑像がそびえ立っている。

鬼五郎・幡五郎兄弟の戦い

これには後日談があり、大多鬼丸の部下の鬼五郎・幡五郎兄弟が、根拠地たる早稲川で引き続き抵抗を続けたと言う。やがて兄の鬼五郎も戦に倒れるが、幡五郎が遺志を継ぎ、村を守ったと伝えられる。

この地には今も鬼五郎渓谷という地名が残る。あるサイトには以下のように書かれている。

鬼五郎渓谷は阿武隈川の支流である大滝根川の源流部に位置する。田村市大越町早稲川に大越登山口への入口がある。ここから沢側へ続く踏み跡が鬼五郎渓谷である。


説話(フォルクロア)としての大多鬼丸ものがたり

基本的な筋立てはそのままに、異なる視点からの説話が次々と付け加えられ、いつの間にか大多鬼丸と坂上田村麻呂と言う二人の英雄の生い立ち、たがいの言い分まで含めた一大物語になっている。

それらの説話が桐屋号さんのブログに集中的に掲載されている。これが、一種の『神話の誕生』の過程が伺えまことに面白い。以下しばらくは、このブログからの引用を中心に話を組み立てていく。

異説あれこれ

1.大多鬼丸を征伐したのは田村麻呂か?

実は田村麻呂が大多鬼丸と闘ったというのは、史実と比べて少々無理がある。

桓武天皇の延暦二十年、千島大多鬼丸の残党が霧島山(大滝根山)の岩谷にこもり悪行を重ねていたので、田村麻呂将軍が征討にやってきました。

となっているが、これは801年の話だ。

私が以前作成した東北エミシ年表をご参照いただきたいが、

同じ801年2月に坂上田村麻呂が征夷大将軍となり、日高見国攻略作戦を開始した。4万の軍が胆沢のアテルイ軍を破る。アテルイとモレイは度重なる物量作戦により弱体化。

9月 坂上田村麿、「遠く閉伊村を極めて」夷賊を討伏したと報告。

802年1月 田村麻呂、アテルイの本拠地に胆沢城を造築。多賀城から鎮守府を遷す。住民を追放した土地に、関東・甲信越から4000人が胆沢城下に送り込まれ、柵戸(きのへ)として警備にあたる。

4月15日 アテルイとモレ、生命の安全を条件とし、500余人を率いて田村麻呂に降伏。二人は平安京に連行される(日本紀略)。

803年 陸奥国(岩手県北部)に志波城造営。ただしこれにはみずからは出陣していない。

ということで、福島などでじっくりもぐら叩きなどしている暇などないのだ。

2.実は父苅田麻呂ではなかったか?

伝説の中には田村麻呂の父苅田麻呂をあてる説がある。郡山市史によれば、苅田麻呂は蝦夷征伐のため大熊に乗ってこの地にやってきたとされる。

苅田麻呂は川を渡り熊渡に着き、そこを屯田(みやけだ)とした。これが後の世に御代田と改められた。川には大熊川の名が付けられた。これが後にアウクマ川となった。

といういかにも風の牽強付会説話だが、このようにして父・苅田麻呂が福島を征服していなければ、田村麻呂はとてもアテルイと戦えなかったのではないかとも思う。

田村地区ではもっと膨らませた、ほとんど別のストーリーが展開される。

国見山に大武丸という東夷の酋長が反乱を起こしたので、坂上苅田麻呂が直宣を受けて征伐に来ました。

ただこの苅田麻呂に前後して似たような征服譚が併起している。たとえば征夷大将軍の藤原小黒丸がいる。小黒丸は郡山近辺でエミシと戦いかなり苦戦しているが、780年に三穂田の高幡山の宇奈己呂和気神社のご利益で勝利したという説話が残っている。

ところがこれと真っ向から対立する記録もあって、781年に陸奥出羽按察使として藤原小黒麿を下向させたが勝利できなかった。このため782年には大伴家持を按察使兼鎮守府将軍とした。家持も当初はかばかしい戦果が得られず、同じ高旗山に祈願して勝利できたという。


3.田村麻呂は苅田麻呂の御落胤か

間もなく苅田麻呂は大武丸を征伐し、都に帰って行った。この間に現地妻の阿口陀媛が妊娠したのである。阿口陀媛は高野郡(今の田村地域南部と石川郡北部)に住んでいた橋本光忠の娘だという。

阿口陀媛は熊渡の室家山童生寺で、玉のような男の子を生みました。このお寺は宮田村(郡山市西田町宮田)にあったようです。

阿口陀媛は木賊田の産清水で産湯を使わせ、徳定の抱上坂で赤子を抱き上げました。子は鶴子丸と名付けられました。

しかし育児に困った阿口陀媛は、赤子を田の畦に捨ててしまいました。

普通は御落胤というのは地元で大切に育てるものだが、一体どういうことか。

やがてコインロッカーベイビーの鶴子丸は成人し、父苅田麿を頼り都に上った。

苅田麻呂の邸前に着いた時、邸内から外れ矢が飛んできました。鶴子丸は、持っていた自分の矢を投げ返しました。その矢は矢音高く飛び上がり、邸内にいた苅田麻呂の前に突き刺さったのです。

怪しんだ苅田麻呂は表を尋ねさせました。そこにいた小童に訳を聞き、息子だと知りました。それからは、鶴子丸は生地の名にちなんで田村麻呂と名付けられ、父のもとで育ちました。

(桐屋号さんのブログより)

という話がある。

これは田村市の田村地域での伝承のようである。長めに引用したが、このご都合主義のシュールさがいかにも民話としての「真実性」を帯びて輝いている。

4.悪路王は別人?

「悪路王」の話というのが岩手県の方にある。はほとんど大多鬼丸と重なる。やっつけたのが田村麻呂であるのも同じである。時代的にも変わらない。しかし大多鬼丸は福島であり、悪路王は平泉である。

岩手県が洞窟が多いのは有名である。しかしこれはどちらかが正しければどちらかが間違いということになる。ただ大多鬼丸が1世代さかのぼるとすれば、両立は不可能ではない。

印象としては、大多鬼丸がまずあって、悪路王はTPOを変えて誰かが着せ替え人形で創作したのではないか。悪路王は1189年の「吾妻鏡」が初出であり、義経征伐に赴いた頼朝が道中で捕虜から聞いた話として記録されている。

捕虜いわく「ここは田谷の窟といいます。田村麿や利仁らの将軍が帝の命を受けて蝦夷討伐に赴いたとき、賊の主である悪路王や赤頭らが砦を構えていた岩屋です」

ということで、大多鬼丸の説話への摩り寄せが行われている可能性が強いと思う。それだけ大多鬼丸の話は人口に膾炙していたのではないだろうか。

大多鬼丸と謡曲「田村」

そう思うのは、実は謡曲「田村」(古浄瑠璃)が、まさに大多鬼丸と田村麻呂が主人公として登場する作品だからである。

ここでは「日本を覆さんが為 数千の眷属、引き具し」伊勢の鈴鹿山に天下った大竹丸と、坂上田村麻呂の死闘が繰り広げられる。




「化学」 英語版ウィキより

化学の研究にはいくつかの概念が不可欠である。 それらのいくつかを見ていこう。

物質(Matter)

化学において、物質は、静止した質量および体積を有するものとして定義される。(したがってそれはスペースを取る)
物質はパーティクルで構成されている。物質を構成する粒子にも質量がある。
すべての粒子が静止しているわけではありません。例えば光子は常に動いています。、
物質は単独な化学物質(Substance)であってもよいし、物質の混合物であってもよい。

原子

原子は化学の基本単位である。原子は、電子雲の空間に囲まれた原子核と呼ばれる緻密な核で構成されている。

核は正に荷電した陽子と非荷電の中性子で構成される。それらはともに核子と呼ばれる。電子雲は負に荷電した電子で構成され、核を周回する。

中性原子では、負に帯電した電子は、陽子の正の電荷と釣り合っている。

核は密である。 核の質量は電子の質量の約1,836倍であるが、原子の半径はその核の約10,000倍である。

原子はまた、元素の化学的性質を保持する最小の実体でもあり、電気陰性度、イオン化ポテンシャル、好ましい酸化状態、配位数、および好ましい結合タイプ(例えば、金属性、イオン性、共有性)を有する。

元素(Element)

化学元素は純粋な物質である。

それは1つのタイプの原子から構成され、原子核の中のプロトンの数によって特徴付けられる。

プロトンの数は原子番号として知られ、記号Zによって表わされる。質量数は、核内の陽子と中性子の数の和で示される。

1つの元素はすべて同じ原子番号を有するが、原子番号が同じでも、必ずしも同じ質量を有するとは限らない。

異なる質量数を有する元素の原子は、同位体として知られている。例えば、核中に6個のプロトンを有するすべての原子は、化学元素炭素の原子である。

炭素の原子は12または13の質量数を有することができる。

化学元素の標準的な表示は周期表で示される。それは元素を原子番号の順で並べている。

周期表は、列ごとに族、段ごとに周期の形でまとめられる。周期表は元素の傾向を特定するのに役立つ。

化合物(Compound)

化合物は、複数の元素で構成された純粋な化学物質である。化合物の性質は構成元素の性質とほとんど類似していない。

化合物の標準命名法は、国際純正応用化学連合(IUPAC)によって設定されている。有機化合物は、有機命名法に従って命名される。

ある化合物が複数の成分を有する場合、それらは2つのクラスに分けられる。陽性電荷成分と陰性電荷成分である。

ケミカルアブストラクトサービスでは、化学物質の索引付け方法を考案している。このスキームでは、各化学物質はCAS登録番号で識別できる。

分子(Molecule) 

分子は、純粋な化学物質の不可分な最小単位である。

その独特の化学的性質によって、他の物質との一連の化学反応を起こす可能性がある。

しかし、この定義は、多くの物質には当てはまらず、ある特定の分子からなる物質に対してのみ有効である。

分子は、典型的には、共有結合によって一緒に結合された原子のセットである。

その構造は電気的に中性であり、すべての価電子がいずれかの他の電子と対になっている。

したがって、分子はイオンとは異なり、電気的に中性の単位として存在する。

このルールが破られことはある。こうして "分子"に電荷が与えられると、その結果、分子は分子イオンまたは多原子イオンととなる。

  しかしながら、分子概念の分散・分離的性質が必要とするのは、十分に分離した形態での分子イオンの存在である。それは例えば質量分析計内の真空中の指向性ビームのような形である。

固体中に存在する荷電した多原子の収集物(例えば、一般的な硫酸塩または硝酸塩イオン)は、一般に、化学において「分子」とはみなされない。

ある種の分子は不対電子を含み、ラジカルを生成することがある。

ほとんどのラジカルは比較的反応性が強いが、酸化窒素(NO)のようなものは安定している。

「不活性」ガス元素あるいは「希ガス」元素(ヘリウム、ネオン、アルゴン、クリプトン、キセノンおよびラドン)は、最小単位として孤立原子によって構成されている。

しかし、他の孤立した化学元素は、何らかの形で互いに結合し、分子または分子ネットワークで構成されている。

具体的な分子としては、水、空気、およびアルコール、砂糖、ガソリン、および様々な医薬品のような多くの有機化合物などの身近な物質を構成する。

しかしながら、全ての物質または化合物が分子からなるわけではない。

実際に、地球の固体地殻、マントル、コアを構成する固体物質の大部分は、分子構造を持たない化合物である。

これらの他の種類の物質、例えばイオン化化合物および網状構造は、同定可能な分子自体の存在を欠いているように構成されている。

代わりに、これらの物質は、物質内の最小の反復構造として、式単位または単位格子の観点から議論される。

そのような物質の例は、鉱物塩(例えば食塩)、炭素およびダイヤモンドのような固体、金属、ならびに石英および花崗岩のようなよく知られたシリカおよびケイ酸塩鉱物である。

分子の主な特徴の1つは、「構造」と呼ばれる立体構成である。

  二原子、三原子または四原子からなる分子の構成は直線状、多角状、ピラミッド状など一定の形をとる。

多原子分子の構造とくに6角系(ベンゼン環)の分子はその化学的性質によって決定的に重要である。

物質および混合物

化学物質(Substance)は、明確な組成と性質を持つ一種の物質(Matter)である。

物質の集合は混合物と呼ばれる。 混合物の代表は、空気および合金である。


モルと物質量

モルは、物質の量(化学量とも呼ばれる)を示す測定単位である。

モルは、ちょうど炭素-12の12グラム中に存在する原子の数として定義される。

その際炭素-12原子は、非結合状態で、静止状態で、基底状態にあるとみなされる。

1モルあたりの実体の数は、アボガドロ定数として知られており、経験的に約6.022×10の23乗モルの逆数と規定されている。

モル濃度は、溶液1容量あたりの特定の物質の量であり、一般的には moldm−3で報告されている。


福島に伝わる大多鬼丸の反乱の伝説が、実はなかなか面白い。
史実としてはかなり怪しいのであるが、地元に「鬼」である大多鬼丸を支持する言い伝えが根強く残っていて、むしろ大和朝廷側を圧倒しているのである。
東北の征服者としての田村麻呂伝説と言うのは各地に残されていて、ねぶた祭のお御輿も田村麻呂が定番ではあるが、田村麻呂にやられた野蛮人の末裔こそが東北人なのだから、心の底では頷けないものがあるのであろう。
大多鬼丸伝説も田村麻呂に根っこでは収斂できない部分があってそれがいろいろな形で残っているのだろうと思う。
その典型が、実は、謡曲「田村」ではないかと思う。とりあえず書いておく。
田村麻呂に引きずられて時代設定が狂うというのは、実は謡曲「田村」(古浄瑠璃)そのものでもある。ここでは「日本を覆さんが為 数千の眷属、引き具し」伊勢の鈴鹿山に天下った大竹丸と、坂上田村麻呂の死闘が繰り広げられる。ここでは蝦夷の悪路王大竹丸が、異形異類の眷属の長として鈴鹿に登場するのである。だから大多鬼丸が鬼穴で死なずに紀州に逃げたという荒唐無稽も登場するのであろう。
実はこの「田村」といいう謡曲、なかなか面白いのである。
蝦夷の悪路王大竹丸は、「面の色は極めて白く、髪は猩々の血にてもみ朱を染めたる如くにて、牙は銀の鉾を植え並べたるに等しく…」と表現されている。いわば白人系で茶髪なのだ。
大竹丸はなかなか狡猾である。自分が表に立つのではなく、田村麻呂に並ぶと噂される武将惟憲を前面にたて、田村麻呂との闘いを朝廷軍内部の混乱に仕立てようとするのだ。
田村麻呂と大竹丸との対話はじつに意味深長である。田村麻呂が、「愚かなり、愚かなり、人の国へ、理不尽に乱れ入り、悪逆をなす……」と大竹丸を非難するのに対し、大竹丸が返して言うことには、
「人の国とは、心得ず、日本は我々が国なるに」なのに、天照る神が大竹丸らとの誓約を破り、この国に仏法を盛んに広めた。それがゆえに、「国を召し返さん」としておのれの臣下である眷属を都に遣わしたのだと。
その理非もさる事ながら、大和朝廷の総司令官を前に対等に張り合う大竹丸の姿勢がなんとも小気味よく清々しいではないか。あまつさえ「日本は我々が国なるに」というセリフはまさに相手(大和)を売国奴扱いしている。これぞ今まさに経団連と真向対決する福島人の魂ではないか。

「化学」 英語版ウィキより

先日は酔った勢いで、ずいぶん化学(高校化学)の悪口を書いた。
しかし当然ながら、それらの「批判」はもう少し勉強した上で言うべきことである。

とりあえずは英語版のWikipediaを読むことにした。



序論部分
化学は、原子(元素)および分子(原子の組み合わせからなる化合物)に関わる科学分野である。
それはまた、それらの組成、構造、特性、挙動を探求する。そしてそれらが他の化合物と反応して起こす変化を探る。
 化学は、原子と分子が化学結合を介して相互作用し新しい化学化合物を形成する過程を探求する。

化学結合には4つのタイプがある。
1.共有結合
  化合物が1つ以上の電子を共有する
2.イオン結合
ある化合物が1つ以上の電子を別の化合物に供与してイオンを生成する(カチオンおよびアニオン)
3.水素結合
4.Van der Waals force結合(化学用語集を参照のこと)

その守備範囲としては、化学は物理学と生物学の中間の位置を占める。
それは中央(中間)科学と呼ばれることもある。基礎的分野と応用分野の基礎に共通する理解を提供するからである。
たとえば、植物化学(植物学)、火成岩の形成(地質学)、大気オゾンの形成や、環境汚染物質、廃棄物(生態学)、月の土壌の性質(天体物理学)、薬物療法の仕組み(薬理学)、犯行現場でのDNA収集法(法医学)など。

化学の歴史は非常に古い時代からはじまる。そして現在までに及ぶ。 纪元前数千年以来、文明は様々な技術を使用してきた。それは化学の基礎を形成してきた。
 例としては、鉱石から金属を抽出すること、陶器や釉薬を作ること、ビールとワインを発酵させること、植物から薬品や香水を抽出すること、脂肪を石鹸にすること、ガラスを作ること、ブロンズのような合金を作ることなどだ。

錬金術は化学の前身である。これは直感的ではあるが非科学的なアプローチで、物質とその相互作用の構成要素の理解に迫った。錬金術は物質の性質とその変容を説明するには失敗したが、実験を行い結果を記録することによって、現代化学の舞台を準備した。

とここまでが序文。
この後に目次が挿入され、その目次に沿って記述が進んでいく。

目次
1 語源
2 現代の原則
2.1 物質
2.1.1 原子
2.1.2 要素
2.1.3 化合物
2.1.4 分子
2.1.5 物質および化合物
2.1.6 モルと物質の量
2.2 フェーズ
2.3 結合
2.4 エネルギー
2.5 反応
2.6 イオンおよび塩
2.7 酸性と塩基性
2.8 酸化と還元
2.9 均衡
2.10 化学の法則
3 歴史
3.1 定義の
3.2 規律の
4 練習
4.1 小規模分野
4.2 業種
4.3 専門家協会
5 関連項目
6 参考文献
7 参考文献
8 さらに読む
9 外部リンク


「化学」(ケミストリー)という言葉の語源
化学という言葉は錬金術に由来する。
それは初期には化学、冶金、哲学、占星術、天文学、神秘主義および医学の要素をふくむ一連のノウハウを指していた。
錬金術は、今では鉛やその他の原料を金に変える試みと見られているが、古代には、現代化学の多くの問題を取り上げていた。

4世紀初めのギリシア生まれのエジプト人で錬金術師のゾシモス(Zosimos)は、水の組成、運動、成長、体現、消滅などの現象をを物体からの精神の分離と、精神の物体への一体化として捉えた。
錬金術師は日常会話では「化学者」と呼ばれた。後に接尾辞「-ry」が追加されて化学者の技能を「化学」と表現した。

現代の錬金術術は、アラビア語al-kīmīāに由来する。その起源は、ギリシャ語から借りたものだ。
アルキミマは古代エジプト人がみずからを呼んだ名、「ケメット」に由来する可能性がある。
ほかの説として、アルキミマは「埋め込む」を意味するとも言われる。

現代における「化学」の定義

現代における原子構造は量子力学モデルとして理解されている。

伝統的な化学の教科書は、素粒子、原子、分子、物質、金属、結晶および物質集合体の研究から始まる。物質は、固体、液体または気体の状態で、個別にも、あるいは組み合わせても研究されている。

化学において研究される相互作用、反応および変換は、通常、原子間の相互作用の結果である。それは原子を共有する化学結合の再配列をもたらす。このような挙動は化学実験室で研究されている。

化学実験室というと、様々な形態の実験ガラス器具が並んでいるのがお定まりだが、ガラス製品は化学の中心ではない。多くの実験(応用化学や産業化学)はフラスコやビーカーなしで行われている。

化学反応とは、ある種の物質を異なる物質に変換することである。このような化学変換の基礎は、原子間の化学結合における電子の再配列である。その過程は、通常は原子を対象とする化学方程式によって抽象化することができる。

化学変換の式における左右の原子数は等しい。(等しくない場合もある。その時は、その変換は核反応または放射性崩壊と呼ばれる)

物質が受ける化学反応のタイプとそれに付随するエネルギー変化は、化学法則(chemical law)といわれるいくつかの基本規則によって規定される。エネルギーとエントロピーについての考え方は、ほぼすべての化学研究において常に重要である。

化学物質は、その構造、相、および化学組成によって分類される。それらは化学分析のツールを用いて分析される。たとえば分光法およびクロマトグラフィーなどだ。化学研究に従事する科学者は化学者といわれる。ほとんどの化学者は、それぞれのサブ分野に特化している。

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