鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2018年01月

経済の仕組みとその変化をしっかりと整理している文章がなかなか見当たらない。

というより私がこのところ経済の勉強をサボっているのが一番主要な問題なのだが。

私の勉強がストップしたのは、欧州金融危機の後半のあたり。

スティグリッツらが日本の金融緩和策を支持したあたりから、筋道が見えなくなっている。

そこまでのレベルで一応議論を整理しておくと、

リーマンショックから欧州金融危機への移行というのは、基本的には資金の流動性の低下によるものであった。
1.デレバレッジ(逆テコ)が金融弱者を痛めつけた

これは直接の引き金としてはデレバレッジ(逆テコ)による極度の信用収縮であった。商品経済とは直接の関係がない金融不況だった。

2000年代前半の好況局面を通じて信用が極端に拡大し、通貨供給量を大きく上回る信用が形成された。それは見かけ上膨らまされた金融商品、簿価として計上された含み資産などである。

これら通貨の裏付けのない資金はリーマンの破産後、一気に店じまいをかけたが、通貨への還元力の弱い信用、逃げ足の遅い資金ほど大きな犠牲を受けることになった。

その通貨、決済通貨というのはドルである。とりあえずの金融危機が収束したあと、ドルは各国中央銀行に相対的に集中した。

ドルは札束で持っているのが一番強い。しかしそうはいっても、ハダカでさらすわけにも行かないから、どこかの金庫におさまっていなくてはならない。
2.預金の引き出し権が物を言う

そうすると手持ちの資金量は名目の預金量というよりは、その預金の引き出し権の多寡ということになる。怪しげな銀行の当座預金に100万ドル持っていたとしても、その100万ドルが引き出せないのなら意味がない。

では一番確実な銀行(預金先)はどこか、それは米連邦銀行を置いてほかはない。なぜなら彼らは輪転機を持っているからである。次に確実な銀行はどこか。それは日銀である。米連銀内に大量のドル預金を持っているからである。だから商品経済ではなにも円高になる理由などないのに円高になってしまったのである。

話が脇にそれたが、欧州金融危機は各国財務当局や、中銀の体力コンテストになった。そして弱者が敗者となり、勝者も著しく体力を消耗したのである。
3.量的緩和が決め手

この状況を打開するには、とにかく米連銀の輪転機を回すしかない。失われた信用の何割がドルの裏付けを得て復活すれば、経済がふたたび回り始めるのか、どこに資金を注入すればより効率的な回復が望めるのか、このへんはよく分からない。

とにかくバーナンキはグリーンバックスを刷りまくった。8年の任期のうち6年間、量的緩和QE1~3を続けたのである。

結果的に言えば、これは「流動性の罠」を抜け出すのに有効な方法だった。変な言い方だが、異端であり排斥されてきた方法であるにも関わらず成功したのである。

それは方法的にはサプライサイドの調整策であるが、需要創出という側面からはケインジアン的性格の濃いものである。
4.商品市場とは全く別の論理

私の印象としては、これは商品市場とは全く別の論理で動く、もう一つの市場経済世界である。

どうもこれを一緒にして語ってきたから話が混乱しているのではないだろうか。

我々がこれまで語ってきた市場の需要・供給曲線というのは商品世界のバランスだった。しかし今我々が目の前にしたのは商品を中心として動く世界ではなく、貨幣を中心として形成される需要・供給曲線の世界なのではないか。

このあたりはマルクスが資本論第3部で端緒的に触れたところであるが、彼の時代の信用システムはまだ十分に開花されたものではなかったから、理論も展開されたものではない。

むしろ究極的には商品と貨幣により形成される市場経済に規定されるものだという側面が強調された。

しかし信用制度が発達してくれば貨幣と信用により形成される市場が新たに出来上がり、その経済規模が実体経済の十倍以上に拡大すれば、信用市場を管理するためのノウハウは別個のものとして体系化されなければならないだろう。
5.国際決済通貨(ドル)市場の論理
それに加えてグローバル経済では、信用市場の主役は貨幣一般ではなく「国際決済通貨とその引き出し権」を真の貨幣=供給された決済力として考えていくべきであろう。といっても、どこが違うのか自分には何の答えもないが。
今はそういう時期を迎えているのではないだろうか。



人との待ち合わせのちょっとした隙に本屋に入り、ふらっと買ってしまった本がある。

題名に惹かれての衝動買い。

荻原博子「投資なんかおやめなさい」というものだ。

別に私は株なんかやらないし、どうでも良いみたいなものだが、ふんどしの文句が気になる「銀行・証券・生保 激怒必至」と書いてある。

さほど安い本ではないが、喫茶店でパラパラとめくるには格好のネタかもしれない。

まず「はじめに」から

過激な言葉が並ぶが、ようするに「投資ブーム」が作られたもので、仕掛け人が銀行・証券・生保だということ。こういう儲け話に乗ると大損するからやめときなさい。

ということで、これだけならむかしからのお話。

現代風の味付けはどこにあるかというと、

アベノミクス→金融緩和→金融機関の収益悪化→金融機関の株屋化

ということで、これもさほどの新味はない。

結局、今の「好景気」が金融バブルでありいずれ弾ける。荻原さんは東京オリンピック後にそれが来るだろうと言っている。

その際、「好況局面に入ったにも関わらず、金融緩和を続けているのは日本だけだから、不況になったときに世界のしわ寄せが日本に来るだろう」というのがミソといえばミソ。

それでどうするかというと、荻原さんのご託宣は「タンス預金」だ。

これはどうもいただけない。

年寄りはお金を増やそうとは思っていない。とにかく安全にしたいのだ。ところがいまの世の中安全な方法などというものはないのだ。

まず昔ながらのインフレリスクはある。これだけ金融緩和したのだから、いつ来てもおかしくはない。

もう一つは金融が自由化された以上、為替リスクはいつでもある。

この2つの資産リスクをヘッジしようとすれば、資産を貨幣形態資産と不動産形態資産に分散しなければならない。

もう一つは貨幣資産を邦貨と外貨に分散しなければならない。

この2つのリスク回避は、見た目には投資である。だから投資=資産の形態変化をそのままリスクと考えるのは間違っている。

問題は「儲け気分」をふくらませるかどうかだ。つまリは主観の問題だ。貪らなけければタンス預金よりリスクを回避できる確率は高い。

そういうわけで、20年前なら私は間違いなく荻原さんに全面賛成しただろうが、今は部分賛成にとどまる。

ここまでは結論部分について、その不正確さを指摘したのだが、論立て部分にも相当のあやふやさがある。

とくにインフレとデフレの問題、金融不況と実体経済の不況の問題、通貨問題については混乱状態である。

これらについては、いづれ別に記事を起こして行こうと思う。


『反中国』でジタバタするのはおよしなさい

安倍政権、さらにその背後にいる米日支配層は,反中国の立場から危機意識を燃やして、右傾化、軍国化、対米従属強化に一路突き進んでいるようにみえる。
しかも考えれば考えるほど、日米同盟強化というその方向は、無意味で、不利益で、反国民的なように見えてくる。無意味というよりは反知性的というべきほどに思える。

私はそもそも中国と張り合おうという発想がおかしいのだと思う。張り合って勝てる可能性はほとんどない。そういう時代はもう20年も前に終わっている。
それは中国が強くなっているからではなく、日本がどんどん老衰化しているからである。
反中国派は「中国がどんどん強大化しているから怖い」というが、彼我の関係を冷静に見てみれば怖いのは「日本がどんどん弱小化している」ところにある。
そして、この傾向は、ことここに至ってはもはや防ぎようがないのである。

だから我々が日本の将来を思うとき、肝心なのは中国がどうするかではなく日本がどうなるかである。

人口はどこまで減少するとプラトーに達するのか。その時に総GDPと一人あたりGDPはどのレベルに落ち着くのか、ということは比較的容易に予想できる。

どう予想しても結論は一つ、日本はもはや決して大国ではありえない、ということである。
経済的プレゼンスはもはや台湾、韓国と肩を並べる程度に低下する。
そうなれば政治的結論は唯一つ、東アジアの政治地理学は米中関係を基軸とすることになり、米日・米韓・米台関係は米中関係に規定されて進むしかないということだ。
そうなると、日本の取る道はただ一つ、全方位外交だ。日本の安全はアメリカと中国の双方から保証してもらう他ない。

それを前提とするなら、最小限自衛も日米安保さえも是認しうるかもしれない。少なくとも中国にとっては政策選択の範囲内に入ってくる話であろう。
ただしここまでの話はきわめてマキャベリックな発想を基礎としている。肝心なことは憲法前文にある如く「国際平和のために名誉ある地位を占める」ことであり、そのための積極的なイニシアチブをいとわないことであろう。

日曜美術館という教育テレビの番組を見ていて、五嶋龍というバイオリニストに感心した。
アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」という1枚の絵だけで番組一つ作ってしまうという、かなりのオタク番組である。
それはそれで良いのだが、そこにゲストとして参加した五嶋さんのコメントがなかなかよろしいのだ。
夜の再放送を酒を飲みながらの鑑賞だから、かなりうろ覚えだが、五嶋さんの感想の出発点が良い。
ネットにこの番組の紹介記事があったのでそこからコピーさせてもらう。
(ニューヨークの美術館でワイエスの絵を見て)地味だなと最初は思いました。しかし、数秒後にものすごい力強い絵だと思ったんです。印象がガラッと数秒の間に変わったんですが、…
というのが最初の言葉。
つまりこの絵は、ある意味で罠が仕掛けられているのだ。トリック絵画と言ってもいい。この頃のアメリカの「スーパーリアリズム絵画」にはみな、「絵本の挿絵」といったら良いのか、そういうところがある。
「クリスティーナ」における罠は言うまでもなく異様な手だ。異形と言ってもよい。
これに気づいたとき、鑑賞者は一気に絵の中に引き込まれ、クリスティーナの背中に吸い込まれるわけだ。
そのとき鑑賞者は大波に巻き込まれたみたいに、既視のものとの連関を失い、前後左右・天地がわからなくなる。
これを五嶋さんはこう表現する。
彼の芸術の素晴らしさというのは、見る人によって多分違うメッセージが出てくると思うのです。希望や力強さも感じますが、すごい絶望も感じます。こういう悪夢ってあるじゃないですか、目指すところにたどり着けない。でも、這っていくわけです。
後藤さんの素晴らしさは、最初無難な言葉を探しながら、「こういう悪夢ってあるじゃないですか」という表現に絵の本質を手繰り寄せたところにある。
そして五嶋さんの思いはさらに進んでいく。
アメリカって言うと…がんばれば成功したり裕福な生活を遅れるみたいなイメージがありますが、アメリカでの生活の現実というものをバラ色にせず、そのまま冷たく見せてるなと僕は思ったのです
結局、五嶋さんはこの絵をポジティブな絵だとは見ていない。おそらくこのままでは家までたどり着けないであろうクリスティーナの不安とあせり、それを見つめえぐり出していくワイエスの目の冷たさ…
ただしそうまで言われてしまうと話は身もフタもなくなるから、話題はもうひとりのコメンテーターによる背景説明に移っていく。

ただ、ワイエスの被写体を見るときの冷たさが、彼の心の冷たさなのかと言われるとそうとも言えない。

多くの左翼系・民衆系の作家はまず現実の告発から始まっている。そこには秘められた怒りがある。それがリアリズムという共通土台に乗らなければ共通語とはならないし、叙景の技にはアルチザンとしてのセンスも求められるわけだ。

五嶋さんはこのあたりの作業を次のようにすくい取る。
見えないものを描くにはいろいろなテクニックがあります。…表現したいものを控えめに表現することによって、聞いている側の人がもっと求める。
…音楽というものもそのまま伝えるのではなくて、聞いていただいてそこからまた世界が広がるようにすることが目的です…
ということで、アート的にはワイエスを高く評価するのである。
このあと五嶋さんは文明論、現代論もつまみ食いしていくが、この辺は正直のところピンとこない。
おそらくは長いコメントの中を切り取った言葉なのだろうが、最後の切れ端は余韻を残している。
彼のパワーは一瞬戸惑わせるところがあります。それって今の世代の持つハイペースな感覚の中では必要なのではないかと思います。

正直のところワイエスが20世紀アメリカを代表する画家かどうかについての議論はあると思う(例えばベン・シャーン)。さらに「クリスティーナ」でワイエスを代表すべきか否かについても議論は分かれるのではないだろうか。

しかし、随分勉強させてもらったことは感謝しなければならない。

ドヴォルザークのドゥムキーの演奏をYou Tubeであさっているうちに、何か名前は知らないがえらく生きのいい演奏にあたった。
Queyras,Faust,Melnikov という三人のトリオだ。「3人だからトリオだ、何が悪い」と言われているようで、第一印象はよろしくない。「あんたらハイフェッツかオイストラフのつもりしてるんか」、とタメ口の一つも叩きたい。
名前は多国籍っぽいが例によってユダヤ系か?
しかし演奏は良いんだ。私の好きなのはボーザール・トリオで、録音曲目は限られているけどギレリス・コーガン、ロストロポービッチも良いですね。
トリオというのは音としてまとまっていないと曲としての面白さは出てこないと思う。さりとてたった3人でやるのにあまり人の顔ばかり見ていても仕方ないので、そのへんの兼ね合いなんだろうと思う。
そんでもって、そこはやっぱりピアノ弾きに仕切ってもらわないとうまくいかないでしょう。ピアノはオーケストラの代わりみたいなところがあるのだから…
それでこのトリオも、ピアノが仕切っているみたいに聞こえる。しかし誰が何を演奏しているかもわからなくて、じつに困った団体だ。むかしならレコード会社が有無を言わせず名前つけるのだろうが…

といっているうちに、ドゥムキーが終わって、つぎのファイルが始まった。
Spring Sonata/Isabelle Faust と題されている。画面は静止画面で、バイオリン弾きの女性とピアノ弾きの男性が並んでいる。女性はゲルマン系の美人でこれがファウストでしょう、男はラテンというかひょっとしてアラブ混じり。名前はメルニコフとスラブっぽい。

演奏はバイオリンのオブリガート付きのピアノ・ソナタ。そもそもそういう曲なんだからしょうがない。むかしのグリュミーを起用したハスキルの演奏もそうだった。

これにケイラスというチェロが加わってトリオになったんだね。了解。
これはギレリス・コーガンのコンビにロストロポービッチが加わったのと同じだ。ギレリスが仕切ったのと同じようにメルニコフが仕切っているのでしょう。

連中がどういうかは別にして、私の心づもりとしてはメルニコフ・トリオとして覚えておくことにしよう。



インデペンデント オンライン 1月3日号


これはトランプがベネズエラへの武力侵攻を考えているとの発言に関してのもの

世界各国の政府は、ベネズエラ政府が政権の民主的移行を認めず、基本品目の価格急騰を放置していることを批判しているが、解決策として武力紛争を提起したものはいない。

EUや近隣諸国からいくつかの経済制裁が行われてきたが、マドゥロ氏の統治権力を否定するものはなかった。

しかし、アルゼンチン、ブラジル、コロンビア、パナマの閣僚は、マドロ氏の辞任を促すための「軍事的選択肢」に関するトランプ氏の提案を覚えている。
それは17年9月の米州会議後の首脳夕食会における一場面である。

「レックスは、あなたが『ベネズエラで軍事的な選択をしたくない』と言っていると、私に伝えていますよ」
夕食会の参加者によると、トランプは同席する首脳の一人にそういったそうだ。その時トランプの左にはレックス・ティラーソン国務長官が座っていた。

結局のところそのテーブルに座った人々は、トランプの意見に反して、武力干渉が極端な措置になるとの判断で合意した。その時トランプはこう言ったそうだ。

“Is that right ? Are you sure ?”

「夕食が終わる頃、ラテンアメリカ各国指導者たちはショック状態に陥りました。武力紛争はただの空想の話ではなかったのです。 
覚悟していたとはいえ、米大統領の就任以来の8ヶ月は、彼らの想像の範囲を全く超えていたのです」
こうPolitico紙はレポートしている。

元米国関係者は、「ラテンアメリカの指導者たちは、間違いなく、米国の広範な関与について再確認した。そして就任後8ヶ月であるにせよ、米国の関与に関するトランプの無知に驚いた。そして将来の恐るべき不確実さについて懸念を抱かざるを得なかった」


バーク・オバマ政権時代に国家安全保障理事会の西半球上級代表であったマーク・フェイエスタイン氏は12月の米州協会・米州会議で語った。

 トランプ政権の国家安全保障理事会は、ベネズエラを大統領の3つの優先事項の1つとしている。イランと北朝鮮は他の2つである。

9月の夕食よりわずか1ヶ月前に、国連総会の席上で、トランプ氏は語った。
「ベネズエラのための多くの選択肢があり、そこには軍事的選択肢も含まれる」

マドゥロ氏はこの不安を利用して支援を集め、この地域のアメリカの外交官は不安と緊張を和らげるために奮闘した。

一方で米国はベネズエラ国有石油会社に対し厳しい制裁を課している。

この記事はやや大雑把なところがある。別な記事ではこうなっている。
When President Donald Trump sat down for dinner on September 18 in New York with leaders of four Latin American countries on the sidelines of the annual United Nations General Assembly,

テレスール 23 December 2017

ベネズエラ政府と平和と団結の促進を目的とした野党間の会談は、1月11日と12日にドミニカ共和国で再開する予定です。

ベネズエラの制憲議会(ANC)のデルシー・ロドリゲス議長は、公衆に与えられた右翼の暴力に関する報告書を発表しました。

ロドリゲスは、土曜日に公表された「真実、平和、公共の平穏」委員会が作成したこの報告書では、「このような暴力行為の責任者は、地域社会の仕事に着かせるよう処罰されるべきだ」と勧告しています。

「同委員会は、4カ月を費やして、被告人を捜査し拘留者にインタビューしている。それは正義、被害者の理解、国民の和解に貢献するためだ」と彼女は述べている。

「ベネズエラを不安定化させようとする右派の暴力事件を防ぐために、加害者に被害者を補償させるべきだ」と報告書は述べている。

ロドリゲスは、この勧告をこう締めくくる。
「労働奉仕は平和に到達する道具」である。それは犠牲となった被害者が持つ「尊厳の権利の報酬算定式」を用いて算定される。

政府機関は、右翼暴力を犯した80人以上の人々をこのやり方で釈放するよう勧告している。

「ベネズエラ人の国民としての統一を通してのみ、ボリーバルの遺産を可能にすることができると我々は理解している」
ロドリゲスはこう書いています。 「ベネズエラで平和が構築されれば、それを排除できるものなどない」

この報告書は、現在ニコラス・マドゥロ大統領と司法機関に送られています。

ベネズエラ政府と平和と団結の促進を目的とした野党間の会談は、1月11日と12日にドミニカ共和国で再開する予定です。


「私たちはベネズエラをみどり児イエスに委ね、様々な人々の静かな対話が再開できるようにする」とフランシス法皇は述べた。

フランシスコ法皇は、クリスマスメッセージを使って、ベネズエラ政府と野党の間の継続的な対話の重要性について話した。
そして、永続的な平和を達成し、社会福祉を強化するために、交渉が政治的な裂け目を癒すのが不可欠であると述べた。

「ベネズエラをみどり児イエスに委ね、愛するベネズエラの人々の利益のために様々な社会的構成要素の間の穏やかな対話を再開できるようにする」とフランシスコ法皇は述べた。

会談は、ドミニカ共和国の首都サントドミンゴで1月11日と12日に再開される予定である。
そこでは国の政治的、社会的、経済的課題を解決する仕組みを作り出すことになっている。

アジェンダとしては次の6つのポイントが考慮されている。
すなわち
①真理委員会の設置。
②経済的保証;
③政治的および選挙的保証。
④全国制憲議会の承認
⑤制度的調和を達成する方法、
⑥経済的および社会的ニーズなどが含まれる。

教皇は、バチカン外交団のメンバーへのメッセージの中で、対話を進めるのを手伝う意欲を表明した。
ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は、右翼野党との会談を要請した多くの団体に手を差し伸べた。

関係改善は、地方選挙後、カラカスのミラフローレス宮殿で野党連合(MUD)の市長と面談した2013年に始まった。
しかし、17年4月、野党が暴動を誘発した。
100人以上が死亡した。その中には21歳のオーランド・ホゼ・フィゲイラのように、単に「チャビスタである」という理由で生きながら焼かれた人もいた。
その結果、公的・私的財産に何百万ドルもの損害をもたらした。
burned
   野党デモ隊によって焼かれたチャベス派の青年(その後死亡)
2017年9月には最新の平和協議が行われた。ドミニカ共和国で野党との予備調査会議が開催された。
ドミニカ共和国のダニロ・メディナ大統領とスペインの元首相ホセ・ルイス・サパテロが首脳会談を行い、2回目の協議を進めることになった。
2回目からはメキシコ、チリ、ボリビア、ニカラグアなどの代表団も同席することになっている。


大田講演 感想を三つほど

1.中国との主導権争い

GDP2位の交代、そして政治的には尖閣がきっかけだろうと思うが、明らかに日本の権力は中国を宿命的ライバルとみなすようになったようだ。日本の止めどない右翼化、軍事化はすべてこれで説明がつく。

中国との軍事・政治バランスをいかに保持するか、一切の軍事・政治戦略のキー概念になっているようだ。そのためにはTPPであろうとFTAであろうとなんでも飲む。

安保は明らかに中国を仮想敵国として再編されつつある。ソマリア、南スーダンへの自衛隊派遣は、尖閣防衛義務を米国に飲ませるための交換条件である。

このようにして日本は、日米同盟を攻守同盟化させ核同盟化させつつある。沖縄の海兵隊基地強化は、明らかに日本政府の能動的な姿勢のもとに突き進められている。

唯一の被爆国、憲法で戦力を放棄した国としての、戦後日本のプレステージみたいなものも投げ捨て、なぜそこまで突き進むのか。
それは台頭する中国への危機感以外には考えられない。

だから急速に進む軍国化の動きに反対し、ファシズムの出現を阻止するためにも、我々は従来型の中国観を洗いなおし、対中国関係の基本となるものを構築しなくてはならないのである。

その構想は日米両国の権力が考える対中戦略と噛み合わなくてはならないから、まずは現在進められつつある対中戦略の全体像を掌握しなければならないだろう。

2.対北朝鮮戦略の再構築

米朝関係は比較的かんたんである。息子ブッシュの大統領就任時まで、ネジを巻き戻してもう一度出発すればよいのである。

前の記事でも言ったように、北朝鮮問題のゴールは核放棄と米朝国交回復の同時決着である。このゴールは21世紀の初頭においてすでに半ば達成されていた。

これを壊したのはアメリカ側、とくに共和党筋だから、再出発には共和党をふくめたコンセンサスが必須である。言葉に出す必要はないが態度で示す必要はある。ある意味ではトランプ・共和党政権だからチャンスかもしれない。

米朝合意に基づき、①KEDO合意の再確認、②太陽政策、③6カ国協議、④日朝国交回復の4点セットが同時に進む必要がある。

北朝鮮は核とミサイルは放棄するしかないだろうが、アメリカの朝鮮半島での核の先制不使用は保障されなければならない。これは6カ国協議の枠組みで確認する以外には実現不可能であろう。

米朝合意が実現すれば、あとは日本政府が最大の妨害者になる。安倍政権は北朝鮮問題を対中国強硬路線の推進に利用している。だから米朝合意など成立しないほうが良いと思っている。困ったものだ。

3.米中合意の可能性とすり寄り戦略の破綻

オバマ政権の軸足は明らかに米日より米中にあった。米中を基軸とする戦略は初めてのものだが、今後もそれが続くのではないか。このトレンドをどう評価し、判断するかが問われる。

日本は中国を敵視し米国に擦り寄ることでアジアの勢力バランスを保とうとしているが、アメリカがはたして思惑通りに動いてくれるかどうか保障はない。今のところは日本の側の貢ぎもの次第だ。
中国重視路線と並ぶもう一つのトレンドが内向き思想である。

アメリカが今後ますます「アメリカ・ファースト」になるのは間違いない。アメリカが日本を大事にするか中国を大事にするかはイデオロギーの問題ではない。どちらが得かということでしかない。

ということは「反中国を基軸とする日米同盟」はますます非現実的なものとなるということだ。
先日読んだ丹羽宇一郎さんの本も、結局の趣旨は「日中対決時に米国が参戦する可能性はきわめて低い」ということだ。アメリカはいざという時の保険にはならない。

ということは、沖縄の基地強化、自衛隊の海外派遣、TPPによる中国包囲などの「アメリカにすり寄るための戦略」はますます無意味なものになるということである。
保険をかけるのは良いが、掛け先が間違っているし掛け方も間違っている。国防方針を再検討する以外に道はない。
基本は中国とは覇権を争わないということだ。なぜなら日本は覇道の立場を取らないからだ。ただし自衛権(正当防衛権としての警察・警備権)は持つ。この防衛権が交戦権や反撃権をもふくむかはむずかしい議論になる。(基本的には領土を越えての反撃権は持つべきでないと思うが)

太田昌克さんの講演「日米核同盟と安保法制」の要旨
久しぶりに良い講演を聞かせてもらった。2時間をこす講演 で、さらに30分の質疑応答つき。これがノンストップで続い たから相当応えたが、一気に聞かせてもらった。 レジメを手がかりに、思い出しながら要点をメモしておこうと 思う。
1.核兵器禁止条約と日本政府の対応
 いろいろ内幕が聞けたが、これは省略。要点は「核の傘」の 維持、核同盟としての「日米安保体制」が国策の最大命題だ ということ。
2.日本政府はオバマの「核先制不使用」を潰した
オバマは「核先制不使用」を宣言しようとしたが、これを日本 政府が押さえ込んだ。 トランプの当選直後のはしゃぎ振りを見て、安保の核同盟化 を目論み、見事に実現させた。 これが17年8月の「2+2合意」で確認された。 「米国の核戦力を含むあらゆる種類の能力を通じた、日本 の安全に関する同盟のコミットメントを再確認した」
3.北朝鮮政策: 米外交史上、最大の失敗
講演の三つ目の柱はペリー元国防長官との単独インタビュ ー。 このインタビューで引き出したのが、とくにブッシュ息子によ るクリントン北朝鮮政策の放棄。 これが今日の北朝鮮核問題を起こしたとする。 太田さんは、さらにオバマ政権の無策も責任があると考えて いる。
私の感想
私も、一時はオルブライト訪朝まで達成し、国交正常化も間 近と考えていた。それが突然ストップしたことに違和感を感じ ていたが、多少事情が飲み込めた。
鍵は二つ。一つは今回の選挙と同じで、圧勝と思われたゴア が番狂わせで破れたこと。もう一つはアホのブッシュの影に チェイニーがいてすべてを仕切ったこと。
確かに言われてみるとそうだ。トランプというのは口先右翼 だが、チェイニーは黙ってやりのけた。 それが大量破壊兵器のデマによるイラク攻撃の断行であり、 もう一つが北朝鮮外交の放棄だった。
北朝鮮は一転、悪の枢軸の一翼とされ、韓国の太陽政策も 小泉外交も、中国の6カ国協議も一切切り捨てられた。金正 日は世界中からコケにされたのである。

いくつかのレビューでも明らかにされているように、ベネズエラの目下の経済的苦境はアメリカの経済封鎖、とりわけ金融封鎖によるものであって、政府の失策とか「社会主義の失敗」によるものではない。
ただ、それだけではなく、石油依存国家で実体経済をどう運営していくかという特殊なノウハウの問題も含んでいる。したがって下記の問題を留意しながら、分析を進めなければならない。
2012年08月12日 エコノミストはベネズエラを評価している より一部引用
何度も強調するのだが、この国の経済運営はオーソドックスな手法ではやっていけない。
この国の実体経済の規模をはるかに上回るすごい勢いでドルが行き来している。
しかもこいつは“オイルダラー”と言って、世の中で最も流動性が最も高く、投機性がもっとも強く、たちの悪い資金だ。いざとなれば瞬きするあいだに目の前から消えてなくなる。
この投機資本と国内経済と実体貿易はどこかで遮断しなければならない。収支は短期の資本収支も合わせて評価しなければならない。サウジのように貧困者を徹底して無視し、反抗者を徹底的に押さえつければ経済は安定する。
しかしチャベスのごとく貧困者の生活水準を引き上げれば、インフレは必至であり、放置すれば経済を破壊する。
さりとて、輸入自由化で物価を安定させようとすれば、たちまち巷には失業者があふれることになる。
こういう中で経済運営をした経験は日本人にはない。だから我々は個々の失敗について四の五の言うのではなく、こうした経験から虚心坦懐に学ぶべきであろう。
私は以前から、連帯運動というのは「学ぶ運動」だと考えている。与える運動ではなく、与えられる運動なのである。

困った。思い出せない。
誰か分かる人いますか。
童謡ですよね。かなり有名な…
歌詞が思い出せない。
後ろが「小川さらさら 春の色」なんだけど
前が思い出せない。
出だしがわからないと、さすがのグーグルでも
検索には引っかかってこない

このファイルはVotreValseという人が公開したもの。
題名は
Très jolie - Emile Waldteufel - Valse française となっている、8分40秒ほどのかなり長いワルツだ。
Votre Bal
説明欄には
Magnifique valse française d'Emile Waldteufel : apprenez à danser cette valse avec notre école de danse VOTRE BAL / VOTRE VALSE
としか書いていない。
クルト・レーデル指揮スロバキア国立フィルの演奏でワルトトイフェルの全集が出ていて、その中の1曲らしい。

いろいろ調べていくうちに、この曲の題名はT Valse française ではなく「Tres jolie, Op. 159」だと分かった。

これであらためて検索すると、いくつかの演奏がヒットして、情報がわかってきた。

日本語ウィキでワルトトイフェルの項目を開き、作品番号159で当たると、次の説明が出てきた。

『愛しの彼女』 Très jolie op.159 (1878)
青木爽により「春の川で」という日本語の歌詞が付けられ、NHK「みんなのうた」で広く知られるようになった。

なるほどそういうことだったかい。

そこで、あらためて、青木爽+「春の川で」で検索してみる。

NHKみんなのうたのサイトで「春の川で」がヒットする。残念ながら映像も音源も失われてしまったようだ。

うた西六郷少年少女合唱団
作詞青木爽
作曲ワルトトイフェル
編曲小林秀雄

となっていて、しっかりワルトトイフェルの名がクレジットされている。こちらが知らなかっただけだ。

放映されたのが1965年03月と言うのは驚きだ。私は受験の真っ最中で東京・京都と走り回っていた。
流石にこの頃、家にもテレビはあったが、「みんなのうた」を憶えるほど見ていたとは思えない。

記憶装置にそれだけ余裕があるならもう少し英単語でも憶えていたはずだが、まぁ、だからこんなものなのかもしれない。

しかし歌詞も載っていないのは困るな。

Hoick というサイトに歌詞が載っている。
著作権の関係でなかなか難しいようだが、
私の憶えていたのとは全く違う歌詞だ。
一体これはなんなんだ!
うろ覚えの所に自分で勝手に創作した歌詞を乗せていたのか?

調べていたらarcadiaさんのブログで同じようなことをいていた。方向は逆だったが

 を御覧ください。

初めて聞いた名前の作曲家だが、まず曲名が良い。
ピアノ曲集で「砂丘にある家」という題名。1905年の発表で、作曲家の名前はガブリエル・デュポン、フランス人らしい。全10曲でたいしたメロディーもなく、寄せては返す波のような音の繰り返しだ。40~50分もそれが続くから、真面目に聞いたら飽きる。バックグラウンドで鳴っていればよいのである。
グーグルで「画像」と入れると色んな絵が出てくる。

「La Maison dans les dunes」の画像検索結果
「La Maison dans les dunes」の画像検索結果


関連画像
このデュポンという人の曲で有名なのはマンドリンという歌曲。ほかには「憂鬱な時間」Les heures dolentes というピアノ曲集もあってこちらのほうがそれなりにメロディーもあって聞きやすいが、その分陰にこもって、ひたすら長いのは同じだ。

クロームに乗り換えて半年ほど経つけど、You Tube聞くのにはどうしても必要だから、昔のクレービング・エクスプローラーみたいにして使っていたんだけど、どうも復活したような気がしてきた。
そもそもファイアフォックスがなぜだめになったかというと、メモリーをガンガン食って、最大限まで増設しても止まってしまうほどになったこと、元から相性が悪かったフラッシュプレーヤーとますますうまくいかなくなったこと、You Tube関連その他でアドオンがどんどん使えなくなってきたことだね。
それが盛り返してきたのは、使えなくなっていたアドオンが、そっくりそのままではないが戻ってきたこと、メモリー食いがおさまってスピードもクローム並みに戻ったこと、フラッシュプレーヤーとのトラブルも最近はほとんど経験しない。
この間の色々なトラブルはウィンドウズ10にアップグレードして起きているような気もする。つまりマイクロソフトの陰謀だった可能性もある。ファイアフォックスのようなオープンソースは嫌いなんじゃないだろうか。
グーグル・クロムはシェア独占したと思ったのか、アドオンの改良は手抜き放題で、You Tubeを見るになとても不便なブラウザーとなっている。
とりあえず3台中2台はファイアフォックス化して、もう一台はクロムも残しておくようにして様子を見ようかと思う。

もう一つのベネズエラ
OTRA VE


いろんな記事がブログに散らばるのはうっとうしいものです。自分でもそうだから、見に来る人はいっそう、うっとうしいと思います。

とりあえず、このページに全部放り込むことにしました。といっても実際にはサイト内リンク集です。

実際にはかなりの記事はリンク先に跳んで読んでもらうことになります。

これと同じものが私のホームページ「ラテンアメリカの政治」に載ります。ブログに書いた記事は同時にホームページのリンク集「もう一つのベネズエラ」に掲載されます。探しものがる場合はそちらに言ってください。

よろしくお願いします。


Ⅰ.最近のベネズエラ

ここ2,3年のベネズエラ関連記事です。「もう一つのベネズエラ」の本体部分です。

A.2018年前半

2018年01月18日 ベネズエラ共産党の現状分析

2018年01月11日 2017年、ベネズエラ人民はどう闘ったのか ③

2018年01月10日 2017年、ベネズエラ人民はどう闘ったのか ②

2018年01月10日 2017年、ベネズエラ人民はどう闘ったのか ①

2018年01月05日 ベネズエラ記事の紹介

2018年01月05日  ベネズエラの「ある左翼」

B.2017年後半

①2017年12月25日 ベネズエラ:国連人権専門家の最新報告

②2017年12月25日 大統領選への道は開かれている。

③2017年12月25日 変動相場制が絶対ではない

④2017年12月24日 封鎖されつつあるベネズエラ

2017年12月24日 ベネズエラ ハイパーインフレの原因

2017年12月23日 ベネズエラ側の言い分

2017年12月23日 ベネズエラ経済分析はとりあえず保留 

2017年12月22日 ベネズエラのカトリック教会は恐ろしく下品

2017年12月21日 ニューズウィークのほうがまだマシ

2017年12月21日 ある進歩的な新聞の「反ベネズエラ」報道

C.2017年前半

2017年05月25日 ベネズエラ 野党の行動をどう見るか

2017年05月25日 ベネズエラ 野党の行動記録

2017年05月22日  ベネズエラ野党の大統領辞任要求に道理はない

2017年05月17日 カラカス情報 心得るべきこと

D.2014~2016年

2016年07月21日 ラテンアメリカ人民の闘い: この間の動向

2016年07月20日 ラテンアメリカの方向は人民の戦闘性により規定される

2016年07月23日 ベネズエラの政治危機

2015年12月18日 ベネズエラの選挙結果についての見解 

2015年12月17日 ベネズエラ国会選挙 第二報

2015年12月17日 ベネズエラ国会選挙 第一報

2015年02月04日 原油安 誰が敗者となるか

2014年12月26日 OPEC決定の画期性

2014年11月26日 ラテンアメリカ、最近の動き(2014) その2

2014年11月26日 ラテンアメリカ、最近の動き(2014) その1

2014年06月16日 ラテンアメリカ左翼政権一覧表


Ⅱ.チャベスのベネズエラ

1990年のカラカソ(首都カラカスでの暴動)から、チャベスのクーデター。98年のチャベス当選から、反チャベスのクーデター、ゼネストやリコール作戦の失敗、チャベス改革の開始までがふくまれます。

2013年03月12日 石油生産、いらぬ心配はご無用

2013年03月12日 WSJはチャベス革命の死を願う

2013年03月12日 チャベスの死と資本家の大はしゃぎ

2013年03月10日  チャベス革命の道筋 その3

2013年03月10日 チャベス革命の道筋 その2

2013年03月10日 チャベス革命の道筋 その1

2013年03月07日 チャベスに関する私の過去発言

最近では、チャベス政権を正面から批判できなくなったため、経済運営に対する非難という変化球で攻めてきています。これに対する反論は、ブログの中で随時触れています。


2013年03月06日 チャベス、3つの功績

2013年02月22日 日本はマクロ指標が狂っている

2012年10月06日 ベネズエラ 最終盤の状況

2012年08月18日 チャベス政権の十年: 経済・社会指標の検討

2012年08月15日 ベネズエラ 世論調査の動向

2012年08月13日 赤旗「ベネズエラはいま」を読む

2012年08月13日 チャベスの対抗馬ラドンスキー

2012年08月12日 エコノミストはベネズエラを評価している

2012年08月11日 赤旗の「ベネズエラ特集」について

2012年05月25日 「これが世界だ」2012年版 その6 ラテンアメリカ: リーマンショックからの回復

2011年09月26日 南米を変えたこの十年 その5

2011年09月26日 南米を変えたこの十年 その4

2011年09月23日 ベネズエラ もう少し考えた

2011年09月22日 ベネズエラ経済: 立ち止まって考えた

2011年09月22日  ベネズエラ経済を、ふと考える

2011年05月11日 アメリカとベネズエラ、国民が感じる「幸福感」

Ⅲ.ベネズエラの歴史

ブログを始めたのが東北大震災の直後、2011年5月からなので、それ以前の記事は私のホームページ「ラテンアメリカの政治」にあげています。

チャベスについては下記の4本の記事が基本となっています。

ベネズエラ…何が起きたのか?

2002年 ベネズエラ・ゼネストに学ぶ

2つの闘争に勝利したチャベスの政策については下記をご参照ください。

ボリーバル運動の展開: チャベスの挑戦

ベネズエラにおける憲法改正

ベネズエラではシモン・ボリーバルの南米解放からベネズエラの建国、石油開発、軍事独裁、ゲリラ闘争などが展開されました。そのあらましが年表などに記載されています。

#1 ~2001, 312kb  

#2 2002~ , 209kb 

#2 2004~ , 250kb 

 

ベネズエラ共産党の現状分析

(venezuelanalysis 2018.1.10  Venezuelan Communists Urge Radical Solutions to Current Crisis)

ベネズエラ共産党(以下PCV)はベネズエラにおいて組織労働者内の革新派を基盤とする政党です。教育・医療労働者、公共企業体などに根強い勢力を築いています。チャベス派の政党(PSUV)とは友好関係にあり、現在も政権に閣僚をおくっています。

概況

現在の状況は不確実性、絶望、国民間の憤りによって特徴づけられています。それは国の社会経済状況が悪化したことに基づいています。

インフレ、投機、売り惜しみは、人々の生活の問題になっています。人々はスーパーマーケットで長時間並び、高い値段で買わされています。

政府は、ベネズエラ社会に苦しんでいる一連の問題に対する効果的な措置に直ちに対応しなければなりません。

なぜなら、このような状況の悪化は、激怒、憤慨、絶望の蓄積につながります。そしてこの国は大きな社会爆発の門口にいる可能性があるからです。

いまこの国は深刻な経済的、社会的、政治的問題を抱えており、何か火花があれば、国に火をつけることができます。

 

輸送

カラカス地下鉄には輸送の問題があります。十分な保守システムを持たないためです。エスカレーターが壊れてドアが損傷したりして、路線がその影響を受け遅れたりします。

これは首都圏の人々の交通状況を悪化させます。民間輸送業者のコストが高いからです。

地元の民間バスの供給者も全国の交通の供給者も、銀行振込による融資を受けていません。

銀行は非常に最小限の資金しか出していません。現金にアクセスするのが困難なため、輸送システムを稼働できなくなっています。

交換部品の不足のためにバスが走れなくなっています。また燃料も不足しています。

 

食糧危機

スーパーマーケットでは主要製品の不足が続いており、入手可能な場合も法外な価格でしか見つかりません。

ベネズエラ共産党は、労働者への賞与としての給与を増やすことには反対していませんが、現在の最低賃金にも達しないようなボーナスには反対しています。

ボーナスは歓迎です。彼らはベネズエラの人々に利益をもたらし、私たちは、カーニバルのモモボーナスや復活祭のときのユダのボーナスを希望します。

しかし、これは問題の解決策ではありません。

私たちはバチャケーロを厳しく取り締まる必要性を強調します。そして主要製品の輸入とベネズエラ人への流通を担当するベネズエラ国営企業の設立を訴えます。

政府の「地方生産・供給委員会」(CLAP)の食品パッケージが月に1回以上人々に届かないケースがあります。

ジャラクイ州のエル・ビルヘン村では、村民が3ヶ月間にわたりガスも食品パッケージも受け取ることができませんでした。疲弊した村民が抗議に出むいたとき、政府の示した反応は村民を弾圧することでした。

私達は国家治安部隊による国民に対するこのような行動を拒否します。そして特に言っておきたいのですが、より良い労働条件、尊厳に値する給与、労働組合の団結権に対する攻撃には断固として反対します。 


新しいプント・フィホ条約を拒否する

PCVは、ドミニカ共和国の首都サントドミンゴで結ばれた「政府と野党の間の合意」について、ベネズエラ国民がその詳細を知るべきであると主張してきました。

この合意について、多くの人はすでに「ニューヨーク」協定と呼んでおり、かつてのプント・フィホ協定と同じ結果になるのではないかと危惧しています。

私たちはサントドミンゴ合意という新たなプント・フィホ協定に直面している可能性があります。

(プント・フィホ協定は1958年の立憲革命に参加した諸勢力が偽りの二大政党制を形成し、左派を排除することで合意。これにより資本家と地主による独裁が継続することになる。ベネズエラ年表を参照のこと)


経済

この間のベネズエラ危機において銀行が果たした否定的役割は大きい。それはブルジョアが富を蓄積するための最大の源泉となってきた。それはベネズエラ革命の全経過を通じても不変であった。

我々は、政府が外貨管理を統制下に置き、銀行を国有化することが必要だと主張する。

また我々は、税制を改革し、巨額で益々増え続ける銀行セクターの収益を規制することが必要だと主張する


産業と農業

国の重要な工業領域には修復の必要があります。政府の主要な努力は、生産を増やし、それによって国の経済問題を解決することを目指すことに集中されなければなりません。

食糧の問題に取り組むためには、農業関連産業計画が優先されなければなりません。私たちが消費するものをみずから生産しない限り、私たちは常に他の国に依存することになります。

 

医療問題

我々は、主要医療センターの修復を主張します。そして医薬品の供給が経済力のない人々に行き渡るようもとめます。そして病気になったときや生命の危機を迎えたときに医療が対応可能となるようもとめます。

民間部門の医療を利用した場合、人々はしばしば200万ボーバルもの支払いをもとめられます。これでは受診できないのが当たり前です。

 

労働組合運動

カラカス地下鉄の労働者が解雇されました。交通大臣は、その運動が野党の動きの一部であると非難しました。

しかし彼らは労働者の草の根に基盤を置く労働組合指導者です。彼らは政府寄り労働組合の官僚制に挑戦してきました。

彼らは、労働条件の改善についてはあまり問題にしていません。その代わり、 腐敗した、官僚的で、高給取りの組合幹部とのあいだには妥協はありません。そして彼らと競い合いながら新たな指導部を形成しようと努力してきました。

(文章はここまで)



これほどまでに日本国内で無視されている日本人演奏家も珍しい。
とにかくインターネットで井上奈津子と入れてもまったくヒットしない。
色々やってみて、まあとにかくイタマール・ゴランと入れたら、英語のプロファイルが見つかった。
大阪生まれで、10歳ころからフランスに渡って勉強したらしい。パリ音楽院を優秀な成績で卒業した。そこそこの入賞歴はあるがメジャーなものがないと日本のメディアは取り上げない。
それにしてもこれだけ無視されているのも珍しい。
私はヒマに任せてラベルのピアノ曲をYouTubeであさっているうちに、その名前(Natuko Inoue)を偶然見つけた。
マ・メール・ロアのピアノ連弾は効果が上がる曲なので、結構顔見せに取り上げられる。とくにコンサートで指揮者が元ピアニストだったりすると、コンチェルトのあとのアンコールに取り上げられることになる。
YouTubeではアルゲリッチとバレンボイムの同郷連弾が聞ける。
ということで、肝心の井上さんの演奏はなんとイタマール・ゴランとの共演だ。これはコンサート・ライブで、ユトレヒトで行われたジャニーヌ・ジャンセン室内音楽フェスタの一幕だ。
「これはちょっと身分が違いすぎるのでは?」と気になって調べたのだが、日本語ファイルはゼロ。
あるフェスティバルのサイトに下記のプロファイルが掲載されていた。
natsuko

Natsuko Inoue was born in Osaka, Japan, where she started her musical studies. She left to France at the age of ten, continuing her education and specialization at the National Conservatory of Paris under the supervision of Georges Pludermacher, where she graduated with the prestigious 1st Prize in piano. Natsuko Inoue has been a regular participant of the most important concert venues and music festivals worldwide, such as Internationaal Kamermuziek Festival Utrecht, Festival Pablo Casals at Prades, Dubrovnik Summer Festival. She received numerous awards such as the 1st Prize of Radio France, “Maurice Ravel” Prize, 1st Prize of Steinway competition and special chamber music awards. She is currently working and performing with numerous artists and orchestras in the United States, Europe and Japan. Among them, her husband, the pianist Itamar Golan, with whom she performs together regularly at piano four hands, presenting original projects and unusual, fascinating repertoires.
 
ということで疑問は氷解。
これからもご健闘をお祈りいたします。
イタマール・ゴランは10年位前に衛星放送の朝のリサイタルで初めてみた。誰かバイオリンの伴奏できたのだが、バイオリン弾きのことはとんと覚えていないで、この伴奏者が記憶に焼き付いた。
伴奏のくせにゴシゴシと押し付けてきて、場合によっては食ってしまう勢いだ。「お主、やるな!」というイメージだったが、その後、来ること、来ること。日本に帰化したのではないかと思っていたら、やはりこういうことをしてたのだ。
それにしても、ゴランの記事は山ほどあるが、井上さんについては全く触れられていない。昔の2枚目役者は独身のふりをしていたが、まさかそんなことでもあるまいに…

ところで、演奏の方はとっても良い。リンクしておきます。
Ravel: Pavane pour une infante défunte & Ma mère l'oye, quatre mains
題名には井上さんの名もゴランの名も出てこないから、ヘタをすると見逃す。
映像を見ると、たしかに夫婦でないと弾けないような運指ですね。

丹羽さんの文章はフィリピンからの生還者の証言をめぐり、にわかに厳しさを増す。
フィリピンでは全軍の8割が死没した。もし日本兵が山に逃げ込む前に降伏していれば、ここまで悲惨な目に遭う人は少なかっただろう。
それは戦陣訓のためだ。
戦陣訓は東条英機が士気高揚と軍記維持のために全陸軍に通達した訓諭にすぎない。東条が作って押し付けたものが彼らの精神に刻み込まれ、その行動を縛った。
大本営は現場を知らないままに、いかなる変更も許さなかった。現場を知ろうともしなかった指導部のために、それは悲惨なものとなった。
最後に丹羽さんはこう語りかける。
虜囚となっても生き抜き、今日の日本を築き上げた戦争証言者の人々に、私は敬意と賞賛をおぼえずにはいられない。
これはだいじなポイントで、私達はなくなった犠牲者だけに非戦を誓うのではなく、戦争を生き抜き、戦後70年を生き抜いてきた人々に対し、彼らが築き上げた平和を守り抜くと誓わなくてはならないのだろう。

それにしても、このところ保守リベラルの水脈が噴き上がっている感がある。誰か政治評論家でも哲学者でも、ジャーナリストでもいいから、これらの人たちを一括りにして、包括的な分析を行う必要があるのではないか。これはかなり急ぐ作業だ。なぜなら今後の政治の展開次第では野党共闘というだけでは間に合わなくなるかもしれないからだ。
さらにいうなら、反動右翼と闘うよりもはるかに砂漠の砂のようにアノミー化した青年層を覚醒させる作業が、絶望的に目前に積み上がっているからだ。


しばらく、丹羽さんの本の抜書を行う。

国家経営と企業経営という章は、まずある証言の引用から始まる。

「満州でやめておけばよかったのだ」(シベリア抑留者)

丹羽さんはこの言葉にある点では共感し、ある点では否定する。

理屈上はたしかにそのとおりだし、現に止めようと主張した人もいた。

「しかし本当のところは、もうその時にはやめられなかったのだ」と、丹羽さんは考える。

企業経営で言えば、不採算事業に多額の投資をし、その事業を延命させるために企業本体の経営を危うくしていったといえる。

これが丹羽さんの総括的評価だ。それは自分の経営上の経験に照らして、「実感」として述べられている。

経営的に見れば、犯してはならない誤ちも、政治の世界では「勢い」でやってしまうことがある。

だから施政者(行政)には「勢い」に流されない慎重さがもとめられるし、意思決定の仕組み(立法)には立憲的なフィードバックが求められるのだ。

丹羽宇一郎さんの書いた「戦争の大問題」という本を読んでいる。

私が以前書いた「保守リベラル」水系を代表する意見なのだろうと思う。

巻頭には田中角栄の言葉が飾られている。そういう水系があるのだ。

だから今、私たちはデモクラシーという流れとリベラリズムという流れをインテグレートしなければならないのだと思う。

その鍵は非戦・平和にある。平和を中立ちにして民主と自由が三角を形成する。

それはデモクラシーの意味を豊富にするだけではなく、一定の変容を迫るものでもある。

去年からずっとそのことが念頭にある。

序文で丹羽さんはこういう

世界の情勢が危ない方向へ行こうとしている。その中で、もっとも危惧されるのは日本の世論に強硬論が目立つことである。

熱狂した国民がいとも簡単に戦争を選ぶことは、9.11直後のアメリカを見ても明らかだ。近年の反中、嫌韓の世論を見ていると、日本が当事国になる危険さえ感じる。

ということで、丹羽さんの強烈な問題意識が「熱狂した国民がいとも簡単に戦争を選ぶこと」への危惧にあることは間違いない。この危機意識は我々世代も同じように共有するものだ。
一方において現実の東アジア枠組み観もきわめてリアルに提起する

力で尖閣の取り合いをすれば、日本は中国に勝てない。

では、アメリカが出てきて日本と一緒に戦ってくれるのか。それはありえない。

世界第一の強国と第二の強国が闘うことはありえないし、世界はそれを望まない。

したがって、尖閣を軍事的に守ることは不可能である。したがって、領有権を守るために軍事対応を煽るような世論操作は誤りである。

こんな会話があった。

「野党共闘と言ってもみんな考えは違うだろう」

「違うから共闘なんだ」

ちょっとこの答えは“はぐらかし”だろうと思う。「根っこは同じだ」と信じ合わないと共闘にはならない。
やはりそこには数合わせの共闘だけではなく、「思想の共闘」が必要なのだ。

「思想の共闘」が進んでいるから野党共闘が前進しているのだろうと思う。デモクラートにとって、これは妥協ではない。思想上の前進なのだ。
なぜ思想上の前進が必要か。それは共闘が野党共闘では終わらないからだ。自民党のような保守の人々とも手を組んでいかなければならないからだ。
じつは、北海道の民主勢力は、すでにこの「思想の共闘」を経験している。それが元防衛庁長官の故箕輪登氏とのイラク問題訴訟での連帯だ。
問題はこのような散発的共闘では情勢のテンポには遅れを取らざるをえないということだ。こちらの側から攻勢的に、確信を持って共闘の思想的枠組みを提起していかなければならない。


2014年03月14日 “Download YouTube Videos as MP4” が最後の頼み?
2017年02月01日 「Offliberty」(Better late than never)がおすすめ
2017年08月31日 “1-Click Downloader” に、泣く泣く乗り換え

と遍歴を重ねてきたが、現在のところはFireFox のアド オンの一つが安定しているので皆さんにお知らせしておく。
Easy Youtube Video Downloader Express と言うもの。
これでDownload YouTube Videos as MP4 とほぼ同様の操作性が期待できる。

1017年という年は、年始めにYou Tubeの模様替え でFirefoxのアドオンがかなり使えなくなった。 このときいちどOfflibertyに乗り換えたのだが、その後 Firefoxの方で対応してくれたのか、またDownload YouTube Videos as MP4に戻った。
しかしそれも半年くらいのことで、今度はFirefoxのほ うでこのアドオンを受け付けなくなった。 たぶん、Firefoxがセキュリティー向上のため、各アド オン作者にバージョンアップをもとめたが,この作者が 応じなかったのだろう。
ふたたびソフト探しのオデッセイが始まったが、新たな アドオンがいくつかアップされて、その一つがこのEasy Youtube Video Downloader Express だ。 おそらく作者が“失踪”したDownload YouTube Videos as MP4 のプログラムにちょっと細工しただけだろうと思う。実質的には後継アドオンと考えて良さそうだ。
相変わらず、グーグル・クロームの方はこの手のアドオンが全くだめなので、YOUTUBE用のブラウザーとしてFirefoxは そのまま残すしかないだろうと思う。
さりとて、メインをFirefoxに戻すには、あのメモリー食いが治ったという情報がない。(“治した”という情報はあるが…)

これは1月2日のテレスール(TeleSur 通信)に掲載された文章の要約です。原題は“ベネズエラ大統領マドゥーロの12の勝利ー2017年版(The 12 Victories of Venezuelan President Maduro in 2017)”となっていますが、多少表現を変えました。訳者は記載内容に全面的に同意するものではありません。

14.第4世代の戦争

今もベネズエラは厳しい攻撃のもとにあります。ここではそれを「第4世代の戦争」と呼びます。
(訳者の理解としては、第一世代は1月から3月末の司法と議会との全面対決まで、第2世代は制憲議会設立の提案から7月末の投票までの街頭戦争の世代、第三世代は二つの地方選挙を挟んで12月上旬までの期間、そしてこれからが、反チャベス派の国際戦線が組織的・系統的・全面的な攻撃を始めるという世代の始まりということになるのでしょう)

ここで指摘しておきたいのは、ベネズエラに対する第4世代の戦争宣言にはいくつかの前線が想定されているということです。攻撃は主として次の4つの面から同時かつ連続的に行われるでしょう。

4つの前線とは

1)軍事的戦線

専門家によって設計された軍事的反乱です。破壊、サボタージュ、大衆扇動からなります。

多くの場合は傭兵が使用され、犯罪的な暴動(グァリンバ)の周期的な爆発とテロ攻撃が組み合わされます。

兵舎、軍事目標、および電力網、製油所、配水などのインフラ目標が設定されます。

2)メディア戦争

新聞、ラジオ、テレビ、ソーシャルネットワークは、宣伝の計画的使用を通じて新しい攻撃力に改造されました。それは人々の心をときに傷つけ、ときに誘惑しています。

3)外交戦争

いくつかの国際フォーラム、特にOASでの嫌がらせが目立ちます。

中南米の親米・反共国家群、いわゆる「リマ・グループ」の国々による攻撃を中核とし、米国、カナダ、欧州連合もつねにこの攻撃に加わっています。

4)経済・金融戦争

食糧と薬品の隠匿と演出された「品不足」

通貨の為替レートの操作により誘発されたインフレ、

国内取引銀行の口座封鎖

格付機関による国債リスクの歪み。
これら、軍事・メディア・外交・経済面での攻撃が複合され、もし弱点を見つければ集中的に攻撃を仕掛けることになるでしょう。1918年、大変厳しい闘いが待っていると言わなければなりません。


15.金融戦争の実相はベネズエラへの金融封鎖

これら第4世代戦争のうち、7月30日以降の攻撃の中心となっている経済・金融戦争について少し詳しく見ていきます。

ベネズエラのカントリーリスクに関して語る場合は、次のことを忘れてはなりません、

既に述べたように、 過去4年間に、カラカスは、すべての債務支払い請求を例外なく尊重しました。その総額は7400億ドル以上にのぼります。すべての債務を律儀に支払うため、ベネズエラへの融資にはリスクはないのです。
この行動はベネズエラのカントリーリスクを大幅に削減しています。

しかし、それにもかかわらずカントリーリスクは増加し続けています。JPモルガン銀行によれば、この国のリスクは4,820ポイント、すなわちチリの38倍の高さであります。チリの負債/ GDP比はベネズエラとほぼ同じ高さです。なぜこのように信用リスクが高いのでしょうか。

その理由は政治的なものにしかもとめることはできません。すなわちベネズエラはアメリカに逆らって中南米の自立を唱導しているからです。また社会主義的制度を積極的に採用し、貧富の差を攻撃し、金持ち優位の政治を否定しているからです。そのためにアメリカに嫌われているからです。
ベネズエラは社会主義的な政治制度を、民主的な方法で選んだために高いコストを払わされていることになります。

2017年に於ける国際銀行の金融封鎖に関して述べましょう。

ドナルド・トランプ制裁の発動後、 アメリカ籍企業による契約の一方的な解除は倍増しました。例えば、支払代理業のデラウェア社は、その特約銀行である米国のPNC銀行がPDVSAから資金を受け取ることを拒否したと報告しています。これは7月のことです。
ポルトガルのノボ・バンコ社は、ドルでの業務を実行できないことをベネズエラに通知してきました。米国の仲介銀行が対ベネズエラ金融封鎖に加わったことに起因しています。これが8月のことです。
ベネズエラと契約した中国銀行のフランクフルト支店は、カナダの鉱山会社であるゴールドリザーブに1500万米ドルを支払うことができませんでした。それはベネズエラ側が支払うべきものでした。

11月には、クリスマス休暇に向けられた食糧の23件の購買契約の支払い分がカラカスに戻ってきました。供給元の仲介銀行がベネズエラからの資金を受け入れなかったため購入契約が破棄されたのです。その総額は3900万ドル以上に登ります。
これらはWTOで締結されている国際自由貿易の原則をあからさまに侵害するものです。しかし問題はさらに深刻です。ことは人道問題に絡んできています。
9月上旬、ベネズエラ政府はアメリカの医薬品会社などに総額12億ドル相当の医薬品と食品を発注しました。米国企業の取引銀行はJPモルガン銀行の子会社であるユーロクリアでしたが、この銀行が12億ドルの受け取りを拒否しました。これにより、ベネズエラは患者の治療に必要不可欠な30万回分のインスリンを確保できなくなったのです。

もう一つ、ベネズエラはコロンビアのBSNメディカル(スエーデン)系列の製薬会社にマラリア治療薬であるプリマキンを発注しました。しかしこれも同じような理由で受注を拒否されました。

なぜこのような事態があいついで起きたのでしょうか。その目的は、ベネズエラが国民が必要とする食糧や医薬品を輸入するために外貨を使用するのを妨げることにあります。そうすれば人々が抗議し、医療システムに混乱を生み出すことでしょう。
11月に政府はインドからの重要なインスリン輸入の緊急到着を実現しました。死に至るリスクのある何百人もの患者が救われました。 疑いなく、これはベネズエラ人民の新たな勝利です。
(訳者が考えるには、これはあまりにも非人道的なやり方です。何千人もの患者さんの生命を危険にさらしています。もしそれにより糖尿病やマラリアの患者さんが命を落としたときは、誰が責任を負うのでしょう。たんなる有責ではなく、アメリカ国内法でも完全な有罪、それも人道に対する罪で有罪であると思われます。訴訟をおこすべきではないでしょうか)


16.奇策: デジタル通貨の発行

11月、金融封鎖を破るために、ベネズエラ政府はある計画を発表しました。それがデジタル通貨「ペトロ」の創設です。

この発表は仮想通貨投資家のコミュニティに多くの熱意を呼び起こしました。ベネズエラは技術とグローバル・ファイナンスの最前線に位置づけられ、大きな期待を集めまています。

さらに「ペトロ」の利点は、市場の気まぐれと投機の対象にならず金、ガス、ダイヤモンド、石油などの実質資産の国際価値に関連していることです。
外国の権力はドルの力を背景に資本の受け取りを拒否したりボイコットしたりと勝手なことをしていますが、ベネズエラはそのようなことをさせない革命的な資金調達メカニズムを持つことになります。その意味では「ペトロ」の発行はベネズエラにとって明らかな勝利です。

(流石にこれは訳者にも眉唾ですが)


17.社会福祉インフラへの投資を前進させる

ベネズエラ政府は、2017年にあっても社会福祉インフラへの投資を前進させたことに誇りを持っています。闘いの真っただ中であるにもかかかわらず、石油依存型経済モデルの全体的な不調・故障にもかかわらず、この間ベネズエラ政府は社会主義への関心を失いませんでした。

国民の誰もが学校、仕事、シェルター、医療ケア、所得、食糧へのアクセスを失っていません。そのことが証明されています。革命政府は基本的な公共事業への資金調達を止めず、住宅建設をやめませんでした。2017年には57万戸以上が納入されました。

住宅建設計画を始めすべての社会的ミッションが維持されました。農作物の栽培計画が維持されました。Sovereign Supplyミッションが拡張されました。Sovereign Field fairsが倍増した。
(これらの「計画」や「ミッション」の内容は訳者には不明です)

いくたの嵐のなかで、チャベス主義政府はベネズエラとベネズエラ国民を救うという社会的奇跡を達成しました。野党連合による反乱は福祉と社会主義の進歩を止めることはできませんでした。

社会主義の進歩を語る上で、「供給・生産のための地方委員会」(CLAP)の働きは特筆されなければなりません。それは生産点と都市とを結ぶ直接物流を中央統一化させ、全国的な進化をもたらし続けています。このシステムにより、400万人のベネズエラ人が経済戦争に由来するもの不足から守られました。

2017年、ベネズエラ政府は新しい社会イニシアチブを開始しました。なかでも最も壮大なのは、市民の社会経済的地位を特定するためにQRコードを使用する新しい身分証明書(カルネ・デ・ラ・パトリア)を発足させたことです。これを通じ、必要な家族のために社会福祉計画へのアクセスを提供することができます。

2017年12月末には、総数1650万人の市民がカルネ・デ・ラ・パトリアに登録しました。

大統領はまた、社会扶助の配分のプロセスをスピードアップするために、「ソモス・ベネズエラ」運動の創設を促進しました。「ソモス・ベネズエラ」の20万人のボランティアは、登録された家族のニーズを家ごとに識別します。彼らは実際のニーズに応じて家族に援助を割り当てます。

「ソモス・ベネズエラ」運動のもう一つの重要な目的は、全国の年金受給者の100%を保証することです。
(言葉通りに受け取ればマイナンバー制度ということになるが、土台が違いすぎてその是非は評価できません)

マドゥーロ大統領はまた、「青年非正規労働」計画を提案しました。これは15歳から35歳の若者を対象とした失業対策事業で、雇用分野に彼らを組み込むことを目的としています。

この計画は、特に、無職の大学生、学校に行っていない若者、家族の責任を負っているシングルマザー、そして路上生活の若者を対象としています。この新しい計画は約80万の雇用を生むと推定されています。

18.マドゥーロ政権の最近の成果

政府の最近の成果の一つとして、10月に行われたマドゥーロ大統領の外遊について言及します。

マドゥーロはこの外遊を通じて、金融封鎖の嫌がらせを振り払い、経済戦争に勝利することを目指しました。ベラルーシ、アルジェリア、ロシア、トルコを歴訪し、それぞれで重要な二国間協定の署名に成功しました。
また石油生産国(OPECおよび非OPEC)との不断の交渉により、2017年の原油バレルあたり価格の驚異的な復調(23%上昇)を可能にしました!

11月に始まった石油関係の腐敗に対する大規模な取締まりも、2017年の大きな成果でした。

ベネズエラ石油公社(Pdvsa)と石油販売公社(Citgo)の経営幹部のうち最高幹部を含む数十人の逮捕が発表されました。このような摘発は、百年間のあいだ、ベネズエラ石油産業に起きたことはありませんでした。これは間違いなく、2017年のベネズエラ政権の勝利であります。

19.結論

結論として、ベネズエラに破壊的な作用をもたらした最大の要因は国内外でのメディア攻撃にありました。
大手メディア企業が指揮する世界宣伝キャンペーンの主な目的は、チャベス派政権のイメージの破壊であります。このことは再度指摘する必要があります。

インターネット上の複数のプラットフォーム、たとえば Facebook、Twitter、YouTube、Instagram などのソーシャルネットワークを通じて闘われた、長期にわたる“デジタル戦争”も忘れてはなりません。

これらの大量世論操作の武器はすべて、ベネズエラ革命の姿を貶めようとして使われています。それらはベネズエラの現実を操作し、反政府派の運動に広範な支援を与え、野党の暴力をおおい隠しています。

反政府派の行動目的は、たんなる反マドゥーロというより、もっと構造的なものです。ベネズエラは地球規模でのシステムを変革しようという流れの主要な担い手であります。そのベネズエラを敗北させることは、単にその豊かな財産をふたたび我がものととするためだけではありません。ベネズエラが実現しつつある革命的な社会モデルを消滅させるためにこそ必要なのです。

反帝国主義勢力の先頭に立つベネズエラを敗北させることは、ラテンアメリカの地政学的見地から見ても重要です。

しかし今のところ、ニコラス・マドゥーロを破滅させるすべての計画は失敗しています。

彼自身が言ったように、「帝国主義はわたしたちの首に手をかけたが、私たちを窒息させることはできなかった。チャベス革命はそのどんな分野においても粉砕されなかった」のです。

反対に、ベネズエラ共和国は2017年を通じて強化されました。そして国の平和のための戦略的イニシアチブを再開することができました。大きな国益を守り、誠実さと謙虚さの原則を遵守することに成功しました。

マドゥーロ大統領は、野党に対し交渉の場に座り、尊敬と相互認知に基づいて対話を再開するよう提案しました。マドゥーロの要請を受けてサント・ドミンゴが仲裁国として中立的シナリオを提案しました。
それは、国論が分裂するのはベネズエラが革命のただ中にあるためであり、革命をどうすすめるかを巡っての政治的な立場の違いから生まれるのだと判断しています。
そしてだいじなことは国家の最善の利益を守り、紛争を規制するための民主的な方法を生み出すことだとしています。そしてまず最初の出発点として恒久的な国民対話を復活するようもとめています。

残忍な攻撃と果てしない暴力に耐えたこの英雄的な1年間に、チャベス主義は強さと生存力を発揮しました。それは支持基盤を拡大し、革命に有利な政治的状況とおよび社会的な力を増やすことができました。そしてこれまで以上に強固な確信を抱くに至っています。

2017年におけるベネズエラ革命の勝利と前進はラテンアメリカ全土の救済と希望を意味します。今やベネズエラ革命は決して倒すことのできないものとなっています。






2017年、ベネズエラ人民はどう闘ったのか ②

これは1月2日のテレスール(TeleSur 通信)に掲載された文章の要約です。原題は“ベネズエラ大統領マドゥーロの12の勝利ー2017年版(The 12 Victories of Venezuelan President Maduro in 2017)”となっていますが、多少表現を変えました。訳者は記載内容に全面的に同意するものではありません。


9.制憲議会の提起

世の中はあまりにも多くの恐怖に満ちており、それに抵抗することは容易ではありませんでした。人々は沈黙を守るほか手段がなくなろうとしていました。
しかし政府は公序良俗を回復させる方法を見出したのです。政府は民主的権威、三権の平等、人権の尊重という三つのビジョンを掲げました。それは暴力の迷路から脱出するための立憲的かつ合法的な方法でした。
そもそも野党勢力の言い分は、立法機関と司法機関という二つの正統な機関のあいだの不一致にもとづいたものです。両方の機関の筋を通しながら難局を脱する方法は、行政機関の長たる大統領が仲裁人となり、紛争解決のために行政的な手段を講じるほかありません。

これが三権分立の基本です。

そこで大統領は、憲法第347条、第348条および第349条に基づき、政府および最大仲裁人としての地位を利用して、5月1日に制憲議会の設置を中核とする和解プロセスを提示しました。ちなみにこの憲法は、1999年のチャベス大統領の時代に成立したものです。
このマドゥーロ解決案は、解決方向が三権分立のあり方まで立ち戻らざるを得ないという点で、妥当といえます。もちろんマドゥーロ大統領がいったん辞任するという選択肢もあるとは思いますが、マドゥーロの側から見れば辞める理由がありません。

10.制憲議会選挙の勝利

世界の報道陣から上がる大歓声の中で、野党は制憲議会選挙をボイコットすると宣言しました。そしてその代わりに選挙を実力で妨害することに専念しました。選挙の成立を阻止するため、バリケードを築き、選挙権を行使したいと思っている人たちを脅しました。

しかし彼らは失敗しました。彼らは、暴力と恐怖に負けず民主主義に向かおうとする人々の流れを止めることはできませんでした。
7月30日、制憲議会選挙が実施されました。選挙は過半数の投票率を得て成立し、全員が政府支持派である制憲議会が立ち上げられることになりました。
850万人以上の有権者が投票所に足を運び、市民的、政治的、倫理的、道徳的な義務を果たしました。武装組織や暴力集団に正面から向き合い、彼らにより閉鎖された街路を横切って、あらゆる種類の妨害・障害を乗り越えて人々は投票所におもむき、1票を託したのです。
これにともない、国会は新憲法成立までのあいだ、その存在意義を失うことになりました。野党勢力は絶望的な政治的失敗を確認せざるを得なくなりました。

8月1日、投票日の翌日、「グァリンバス」は散り散りとなり街路から姿を消しました。暴力は消えていました。平和が再び支配するようになりました。

このようにして人民とその政府は「グァリンバス」を倒し、明らかなクーデターの試みを中止したのです。人民は国内外の脅威に対して毅然と立ち向かいました。政府は政策の根拠を揺らぐことなく貫きました。

これは2017年の最も壮大な勝利でした。

11.二つの選挙での勝利

制憲議会とともに「平和の季節」がやってきました。それはベネズエラ革命が反革命主義者に政治的反撃を加えるチャンスを与えました。

その反撃は一斉地方選挙で2つの驚異的な選挙勝利をもたらしたのです。
(ベネズエラの一斉地方選挙は日本と同じで4年に1度行われます。前半と後半の2回に分けて行われ、はじめが州知事と州議会の選挙、次が市町村の長と議員の選挙です。制憲議会選挙と違いこちらの選挙は野党も参加しています)

まず最初が10月15日の地方選挙です。州知事選挙では23人の知事のうち19人が与党PSUVの勝利に終わりました。
そこにはこれまで野党が知事を務めていたミランダ州とララ州も含まれていました。また大きな人口学的重要性を持つ戦略的州であり、石油とガスの重要な資源があるスリア州(マラカイボ湖)でも勝利しました。
ベネズエラ 州
          ウィキペディアより
ついで12月10日の自治体選挙でもチャベス派が圧勝しました。首長選では335の市区町村のうち308で勝利しました。これは市町村の93%を占めています。

大カラカス首都圏は24都市よりなっていますが、チャベス派はこの内22都市を確保しました。いっぽう反政府派は得票数が激減し、21万票を失いました。彼らの行動は多くの国民から非人道的と認知されました。そのことが投票行動によっても確認されたといえます。

ベネズエラは、2017年に3回の全国規模の選挙を組織した中南米で唯一の国です。そしてその国で3勝したのがチャベス派です。


12.対外債務問題

反政府派は今や国内での影響力を大幅に減らし、活動力を失っています。しかし依然として国際的な保護者の支持を保持しています。その中で最も攻撃的なのが、新しい米国大統領ドナルド・トランプです。

トランプ政権はいろいろな問題をでっち上げて、ベネズエラに制裁を課してきました。とりわけ目立つのが、ベネズエラ政府と石油公社(PDVSA)が金融市場にアクセスするのを妨害することです。そうやってベネズエラの決済を妨害し、デフォルト(対外債務不履行)に押しやろうとしています。

米国はベネズエラに信用を提供することを妨げ、それによってベネズエラが外貨を得ることを妨げようとします。じつに下劣な嫌がらせです。

ジョージ・W・ブッシュ大統領下で国務長官をつとめたローレンス・イーグルバーガー氏は、フォックス・ニュースとのインタビューでこう答えています。(この段落は背景が不明です。イーグルバーガーは30年も前の国務長官であり、チャベスよりはるかに前の人ですが、国務省OBとしてベネズエラ転覆策動に関与しているのかもしれません)

ブッシュ政権のもとでも、ベネズエラに対する経済戦争がワシントンで効果的に計画されていた。我々はベネズエラ攻撃のために経済的ツールを使わなければならないと考えていた。

ベネズエラの経済を悪化させ、チャベス主義の影響を国や地域で減退させるようにしている。ベネズエラ経済を困難な状況に沈ませるための方策はうまくいっている。

新たな制裁が「ベネズエラをめちゃくちゃにする」ことになるだろう。

もちろん、ベネズエラ政府はそのような攻撃に対してしっかりと対応しています。

まず強調したいのは、ベネズエラは南米の他のどの国よりも多くの借金を支払っているということです。過去4年間だけで、ベネズエラは約740億米ドルを債務返済のために支払いました。たしかに対外債務の累積はありますが、その再編についても再交渉を目指して「常に明確な戦略を持つ」ています。

国外の反チャベス主義者はベネズエラ革命を財政的に孤立させようとねらっています。彼らは個人投資家に恐れを生じさせたいので、ベネズエラ国債を購入せず、ベネズエラ債務の再交渉にも参加しようとしません。このため新規投資はもはやストップされています。

積極的な貿易、銀行口座、金融への迫害が強められています。ベネズエラが直面するのは本物の「迫害」です。

13.債務スワップ交渉の成功

ベネズエラ政府は11月3日に借り換えを統合する委員会の創設を発表しました。メリカからの金融攻撃を跳ね返すために、対外債務の再編が計画されています。政府は「バランスを取るために外部からの支払いを完全に再フォーマットするつもりだ」とのべました。

数日後、大統領が提案した再交渉と再編への最初のアプローチの一環として、カラカスで債権者との話し合いが招集されました。そこにはアメリカの金融封鎖の目論見に反して、パナマ、英国、ポルトガル、コロンビア、チリ、アルゼンチン、日本、ドイツの債務者グループが集まりました。


(③に続く)

2017年、ベネズエラ人民はどう闘ったのか

これは1月2日のテレスール(TeleSur 通信)に掲載された文章の要約です。原題は“ベネズエラ大統領マドゥーロの12の勝利ー2017年版(The 12 Victories of Venezuelan President Maduro in 2017)”となっていますが、多少表現を変えました。「12の勝利」のすべてがはたしてほんとうに勝利なのかよくわからないのと、ニコラス・マドゥロ大統領個人の功績よりもベネズエラ人民の闘いを引き出す形で紹介したかったからです。
要約とは言え、解説的なフレーズを加えたりすると、かなり長くなりそうです。とりあえず、本日は第一部として掲載します。

1.最初の攻撃: 大統領解任の企て

今のベネズエラ政府ほど、不当に中傷され攻撃を受けた政府はありません。それは「ボリーバル革命」を標榜してベネズエラの政治改革を創始したウーゴ・チャベス(故人)への攻撃をも凌ぐものです。

今、ベネズエラ政府は国内の反体制野党と、国外の親野党勢力の共通の攻撃目標となっており、とりわけ米国のトランプ政府の主要攻撃目標となっています。

1年前、2017年が始まるとすぐに、大統領に対する攻撃が始まりました。最初の攻撃は国会内の野党が仕掛けました。1月9日に野党はマドゥロ大統領が「我が国の大統領としての立場を放棄した」と非難し、大統領を「解任」することを決議しました。

この「国会によるクーデター」というモデルは、2016年にブラジルでディルマ・ルセウ大統領を追い落とすために用いられた手段です。(ブラジルではオリンピック直前に、進歩派の大統領が“職権乱用”という曖昧な理由で弾劾され、財界代表が大統領になりました。これを機に南米の政治状況が一気に悪化しています)

しかしこのやり方はベネズエラでは成功しませんでした。最高裁がこの決議を却下したからです。理由は「憲法の下で、国会は国民によって直接選出された首脳を解任することはできない」という立憲主義的な判断です。

国会の動きに対抗して、1月14日に「不可欠な反帝国主義的行動」と呼ばれる大規模な市民治安訓練が組織されました。ベネズエラ人民は「2002年4月のクーデターの再現は許さない」という決意を示すことによって、国会クーデターの試みに応えようとしました。
「行動」には軍兵士、民兵、社会人など60万人が結集しました。それは軍と市民勢力、ベネズエラ統一社会党(政権与党。以下PSUV)との団結を印象づけるものでした。

これが2017年の最初の攻撃と反撃でした。

2.反政府デモと対抗デモ

1月20日にワシントンで就任したドナルド・トランプはベネズエラの右翼を励ましました。ベネズエラの野党はこれに応え、1月23日にカラカスで大規模な抗議デモをしてマドゥロ政府を脅かそうとしました。

1958年のこの日は、独裁者マルコス・ペレス・ヒメネスの崩壊した日でした。つまり野党はマドゥーロ政権を独裁者に、みずからを民主派に擬したのです。(「1958年革命」については私のベネズエラ年表をご覧ください)

しかし、彼らの試みはみじめに失敗しました。

同じ日、政府は58年革命の英雄たちをあらためて祀り、PSUVは祈りを捧げる集会を組織しました。数十万人のカラカス市民が首都の道を埋めました。そしてチャベス主義が街を支配していることをはっきりと見せつけました。(ベネズエラではボリーバル主義というが、この記事ではチャベス主義に1本化する)

これが2017年の年頭における、二度目の人民の勝利となりました。

3.国会の「任務放棄」という違憲状況

最高裁は、国会が2016年以来「違憲」の状態にあるとの判断を示しました。これは直近の2015年12月6日に行われた国会選挙の際に、アマゾナス州での不正選挙の疑いが認定されたためです。

アマゾナス州では州政府の書記が、野党候補者に投票をうながすために、複数の特定グループに金額を渡していましたが、その合計を提供した記録が証拠採用されたのです。

アマゾナス州には3議席が割り当てられていますが、それは大きな意味を持っています。なぜなら野党が大統領の行動を制限する権限を確保するために、議席の絶対多数を確保できるかどうかを左右するからです。
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  アマソーナス州(ウィキペディア)
全土が熱帯モンスーンの樹林。面積は日本の半分。人口は14万人。うち州都に10万人。気の遠くなるような田舎である。

ところで、議会と最高裁の緊張はすべての先進国の民主主義システムの中で比較的頻繁に起こっています。たとえば欧州では、司法と立法府間で憲法紛争が発生した場合、最高裁判所が議会の権限を引き継ぐのが一般的となってます。

そして米国でも、ドナルド・トランプのような強引な大統領でも、最高裁判所の決定を守らなければなりません。これは最近の報道でもおなじみです。

4.反政府国際キャンペーンと「メディア・リンチ」

しかし野党勢力は議会と最高裁の緊張を利用し、「ベネズエラにおける民主主義の欠如」という国際キャンペーンを再開しました。

米国の新政権もこれと共謀して、反ベネズエラ攻撃を強めました。こうしてベネズエラ政府に対する巨大でグローバルな「メディア・リンチ」が始まりました。

ラテンアメリカとカリブ海諸国の主要メディアだけではなく、ロンドンのBBCやCNN、フォックス・ニュースなどの支配的なメディアも動員されました。

5.米州機構の干渉

ベネズエラの野党勢力は、国内紛争を南北アメリカの協議機関である米州機構(以下OAS)に移管することで、問題を国際化しようと画策しました。

OASの事務局長であるルイス・アルマグロは、その動きを拡大させ、「ベネズエラに対するOAS民主憲章の適用」を引き出そうとする嘆かわしい役割を引き受けました。カラカスは直ちに反撃し、ラテンアメリカとカリブ海諸国の大部分との外交的連帯を確保しました。

アルマグロ事務総長は不当な虚偽の議論を繰り返しましたが、それにもかかわらず、ベネズエラは決して中南米諸国の支持を失うことはありませんでした。

4月にベネズエラ政府は「ベネズエラの主権に対する侵入的行為」と非難しOAS脱退を決めました。しかしそのことによってベネズエラが孤立することはありませんでした。これは1962年にキューバが米州機構を除名されたときとは全く異なる状況です。(キューバ経済封鎖については拙著「キューバ革命史」をご参照ください)
ワシントンを発信地とするベネズエラ革命の敵は、ベネズエラ政府の事実と政治的誠実さに裏付けられた堅実な戦略によって敗退しました。

これが2017年の第3回目の勝利です。

6.裁判所が議会の権限を行使し立法を代行

3月29日、憲法裁判所は「国会の司法への侮辱と政治的無能の状況が続く限り、法の支配を確実にするために憲法裁判所が議会の権限を直接行使する」と宣言しました。これは国会が本来の立法義務を果たさないことへの警告でした。

反チャベス野党はこれを待ち望んでいたかのように大声で叫び始めました。「我々が助けを求めれば、国際的な軍事支援が寄せられるだろう」そして反逆的な計画を推進しました。
こうして長くて悲劇的な「グアリンバの危機」が始まりました。
GUARIMBA-1
guarimba:ベネズエラで10年ほど前から使われ始めた新語。選挙の不正に抗議する手段として野党系若者のあいだで認められている。参加者はグァリンベーロとなる。
7.グアリンバの危機

4月から7月の4か月の間、反革命主義者たちは政府に対する絶望的で残忍な戦闘攻撃を続けました。主として、国際的パワーによってドルを提供された反チャベス勢力である「正義第一」党と、その戦闘部隊である「人民義勇軍」が暴力を振るいました。

これらの右翼組織は同時に「不規則な戦術」を展開しました。彼らは組織犯罪者による準軍事組織、テロリスト、傭兵を使用することを躊躇しませんでした。彼らは神経戦・心理戦・恐怖戦と「民主的な」宣伝を担当するエリート専門家と一緒に組んで行動しました。

これらすべての作戦は、ベネズエラで民主的に選ばれた政権を打倒するという、病的で歪んだ目的を持っています。

暴力で酔いしれた暴動犯は、次々とベネズエラの民主主義を襲いました。病院、保健所、保育園、学校、高等学校、産科病院、食料品店、官公庁、数百の民間企業、地下鉄駅、バス、公共インフラなどが攻撃されました。
彼らが支配したブルジョアの居住区では、いたるところに立入禁止のバリケードが増えていきました。モロトフのカクテルを投げつける暴力グループは、治安警察を標的にしていました。5人の警官が射殺されました。カラカスの西側が高級住宅地です。ここでは市長も警察も反政府派です。

多くの「グアリンベーロス」は、公共の道路にピアノ線を張ってをオートバイを攻撃しました。憎しみと人種的な差別心にあふれた彼らは、若いチャビスタ(チャベス派の活動家)をなぶりものにしました。合計29人がリンチにあい、うち9人が死亡しました。反革命主義者が歓喜のうちに過ごした4ヶ月のあいだに、全体では117人が死亡し数千人が負傷し数百万ドルが失われました。
反政府派は資産を持つ白人です。チャベス派は貧しい有色人です。反政府活動には人種差別的な色彩があります。そこでは日本人は「名誉白人」となっているようです。

グアリンバと並行して、狂気のメディアキャンペーンが国際規模で続けられました。そこでは無実の人を殺し学校を破壊した人々が賞賛されました。病院を焼いた人が「自由の英雄」と持ち上げられました。
July 31, 2017AFP
           2017.7.30 AFP

7月30日の制憲議会の議員選挙が迫ると、野党はますます戦術をアップし過激な行動を提起するようになりました。彼らは軍事基地を攻撃するよう呼びかけました。さらに軍隊を正統な政府に立ち向かわせ、大統領宮を襲撃するよう呼びかけるなど、事実上の政府転覆作戦まで提起するようになりました。

クーデターを意図する極右集団は、内戦を開始し、市民連合を破壊し、ベネズエラの民主主義を破壊するためにすべての可能性を試みました。

それは裏返しの世界、すなわちポスト・トゥルース(事実を否定する真実)とオルタナティブ・トゥルース(事実でない真実)の世界でした。

(続く)

さて、今日から気分を入れ替えて勉強再開しよう。グダグダぐらしにも少々飽きた。
今年はどんな年なのだろうかと、考えてみる。そうだ今年はリーマンから10年なのだ。
たぶん、リーマン・ショックを機に世の中相当変わっていると思う。
一番大きいのは、リーマン・ショックを機に世の中がふるいにかけられ、貧富の差が一段と進行したことだろう。
そしてこの格差がそろそろ究極的な所まで来て、世界中からWin-Winの関係がなくなってしまったことだろう。
世界の経済システムは、1980年のレーガノミクスの出現からネオリベラリズムが席巻し、第二次大戦後の民主的経済システムの崩壊が始まった。それにともなって巨大資本への富の集中が進み、ついに行き着くところまで行き着いた。
次の経済システムへの移行が本格的に求められるようになっている。それを実現するのも実のところ政治システムの変化を通じてしかありえない。
それが経済民主主義ということになるが、その場合、民主主義のあり方が鋭く問われることになってくる。
この間の世界の動きの中で、自由主義と民主主義を二つの柱とする近代政治システムは、二つのチャレンジを受けてきた。一つは権力の側からの「自由」をもとめるネオリベラリズムの動きであり、ひとつは「自由」の基盤の上に立たないポピュリズムの動きである。
これらの動きは、人類史を引き戻そうとする歴史的反動の流れにとって、車の両輪となる危険がある。同時に、これらとの闘いは社会を新たな人類史的段階へと推し進める変革の闘いと直接結びついている。
そういうわけで、今年は以上のような観点から「リーマン後の10年」をあと付け、とりわけ正統リベラリズムの観点から意味づける作業の年にしていきたいと思う。

リーマン・ショック後の10年(主な動き)


経済的出来事

政治的出来事

2008

リーマンショックが発生

オバマが大統領に初当選、変革を唱える。

2009

円高が進行、84円に。

民主党が勝利。鳩山政権が成立する

2010

ギリシャ債務が表面化
アメリカでFATCAが成立(外国口座税務規制)
中国GDPが日本を抜く。

ティーパーティー運動の躍進

2011

東北大震災+原発事故→GDP低下と貿易赤字。円高75円が相殺。

チュニジアから「アラブの春」→シリアで泥沼化
ウォール街占拠運動、2ヶ月にわたる

2012

欧州経済危機がスペイン、イタリアにも波及(PIIGS)、ユーロ95円まで下落

原発稼働ゼロに
英国がスターバックスの租税回避を非難。独・仏も英支援に回る

2013

アベノミクスの実施(異次元緩和)→円安・株高
デトロイト、自動車産業空洞化により財政破綻

習近平が国家主席になり、訪米・会談
米政府機関による盗聴が発覚
中国のPM2.5汚染が日本にも波及

2014

OPEC破綻、バレル100→40ドルへ
アイルランドが「ダブルアイリッシュ」を廃止(20年まで猶予)

消費税が8%となり、ふたたび不況へ

2015

東芝で粉飾決算が発覚
COP21でパリ協定
OECDがFATCAの双方向性を強めたCRSを提示
米財務省、欧州委員会のBEPS対策、とくにアップルへの追徴金課税について非難。
中国が一帯一路やアジアインフラ投資銀行などを打ち出す
日本の貿易収支黒字化

戦争法反対運動+野党共闘
ギリシャ選挙で反緊縮派が勝利。
ポルトガルで社会党を中心とする左派連合が政権に
ヨーロッパで難民問題が顕在化

2016

パナマ文書が暴露される。
ドイツ銀行が住宅ローンで経営危機に

英国民投票でEU離脱を決定
トランプの大統領当選+ポピュリズムの台頭

2017

トランプ、TPPとパリ協定離脱を決定

核兵器禁止条約が採択される。
サンダース・コービン・メランション現象



正月を挟んで、グダグダとした日が続いている。

生活が落ち着かないせいもあって何かをまとめてやろうという気が起きない。

テレビの映画ばかり見ている。

A.「君の名は」

恥ずかしくて見に行けなかった「君の名は」が正月ということでテレビ初登場だ。

良い映画だった。しかしあまり記憶に残らないのはなぜだろう。作者の感じるリアリティと私の感じるリアリティのあいだに、かなりのギャップが出来上がってしまっている。

だからヒロインの苦しさとか悲しさとかがバーチャルなものとしてしてしか感じられない。これは世代問題なのだろうか? どうもそれだけではないように思えるが。

B.湯を沸かすほどの熱い愛

お風呂屋の映画の話は、このあいだしたよね。あの女優さんは良かったね。ビデオで取っておいて、ティッシュを用意して、夜中に一人で観た。

1.かなりカットしている。テレビ初登場というからには「ノーカット」でやってほしかった。2時間足らずの経過を伏線、伏線で積み上げていって、それで見せるのが映画だから、映画館で見た身には思い出がえぐられる思いだ。

2.うちの三菱のテレビは、内蔵ハードに絵を落として見るようになっているのだが、素で見るのとでは随分画質が変わってしまう。あっ、思い出した、宮沢りえちゃんだった! こんなにどぎつい絵でなく、普通に映してほしい。40歳の女性の肌が変にリアルだ。全然可愛くない。

ということで、「見なきゃよかった」篇。

それにもかかわらず、「君の名は」よりは1ランク上の映画だと、改めて思う。

C.「麦秋」

次はなんと言って良いのかわからない作品。晩春も東京物語もすでに見ているか、縁のない映画であった。

この映画は、それよりは遥かに食いつきが良い。外周りがしっかりと書き込まれているから、その分良く分かる。とくに「北鎌倉」という場所が昭和26年にどういう場所だったのかがしみじみと分かる。

もう一つは原節子がとてもきれいにチャーミングに描かれているから、小津映画がどうのこうのは関係なしにポカーンと原節子の顔だけ見ていて時間が過ぎていく。

とにかく登場人物がやたらに多いから、誰が誰とどういう関係なのかがわからないままに映画が終わってしまう。

あとで考えてみると、この映画には二人の謎の人物が登場する。

一人は淡島千景で、原節子の「お友達」として登場するのだが、全く無意味な登場人物なのである。

筋書きとしても全く無意味だのだが、それ以上に映画のキャラとして原節子とタイを張ること自体が無意味なのだ。

淡島千景という人は、銀幕界の歴史を飾るようなとてもきれいな人で、夫婦善哉などの演技は絶品である。

しかし原節子と並ばせたら可哀想だ。とくにこの映画の原節子は驚異的に美しい。これでは淡島千景はサラしものだ。

二人が裸足で鎌倉海岸の波打ち際を走るシーンは、当時としては“劣情を刺激した”に違いない。しかしこの映画の必然性から言えば原節子が一人で走れば良いのであって、淡島千景を一緒に走らせる必要はサラサラない。残酷だ。

ちょっと余談。

昭和26年という世相を知らない人が、彼女たちの暮らしをさも同情できるかのように書いているが、冗談ではない。それは雲の上の、サブ貴族層の、GHQに近い人々の生活であって、想像もできないような暮らしであって、したがって同情などしようもないのである。

私の母親は多分東京大好き人間だった。大正8年生まれだから原節子よりちょっと若いのかな。静岡にも文化はあったが、東京には東京にしかない文化があった。たとえ戦争で荒れ果てたとしても、そうなのだ。

よくリテラシーという言葉を使う。東京にある文化リテラシーは眩しいものだけれども、静岡のような田舎で暮らしていて、東京にはもう一つ上の文化があるというのを知っているだけでも、一つのリテラシーなのだ。ほとんどの人はそんなことなど知らずに一生を終えていた。

母親は私をダシにして東京に出かけた。静岡から鈍行列車で6,7時間だったろうか。私は駅の名前が全部言えた。私は胎内の時から染まった東京グルイだった。

大船の駅で、私の目はきらめいた。そこには湘南電車とは違うクリーム色と青のツートーンカラーの電車が並んでいた。それほど鮮やかではなかったが、そこにはお金とステータスの臭がした。

話が長くなった。

わたしたち田舎者、すなわち99%の日本人にとって小津映画は決して庶民感情を細やかに描き出したものではなかった。「雲上人でも我々と同じような悩みを持っていたりするんだなぁ」とダマしこむためのメディア・ツールでしかなかった。

そう思って小津映画を見たら良い。多少の楽しさも湧こうというものだ。

D.DESTINY 鎌倉ものがたり

本日映画館で見てきた。できたての映画らしい。マップ絵なのかCGなのか知らないが、黄泉の世界の描写は立派なもの。

ただ、「千と千尋」の向こうを張ったもののようだが、レベルが一段違う。映画の筋そのものも「3丁目の夕日」レベルで、インスピレーションには乏しい。

そこそこ楽しめる映画であって、家族揃っての映画見物にはきわめて良いと思う。


はなはだ僭越ながら、お屠蘇で酔った勢いで書いてしまう。
初期ドビュッシーというのはどうも変だ。ピアノ曲を経時的に聞いているとどうも納得がいかない。
そもそも作曲家としてはきわめて出発が遅い。
1880年、18歳のときにメック婦人のお抱えピアニストになり、お屋敷暮らしをした。そのときにメック夫人がドビュッシーの曲をチャイコフスキーに見せたが、「稚拙だと酷評された」とウィキには書いてある。チャイコフスキーとメック夫人との関係はこの頃からちょっと怪しくなってきていて、ドビュッシーに肩入れするメック夫人に、チャイコフスキーは面白くないものを感じていたかもしれない。
とは言え、実際に聞いてみたその曲(L.9 ボヘミア風舞曲)はたしかに稚拙と言われても仕方ないところがある。
ちなみにドビュッシーはピアノ三重奏曲をメック夫人に見せて、メック夫人は「ピアノ・トリオって良いわねえ」くらいのことを、チャイコフスキーあてに書いたらしい。
それでチャイコフスキーは、ニコライ・ルビンシュテインが死んだのを機に「偉大な芸術家の思い出」というトリオを書いたのだそうだ。ウソか本当か知らないが、そう書いてある。
84年にカンタータを書いてローマ大賞をとったというから、学才は間違いなくあるのだろうと思うが、ピアノ曲はチャイコフスキーの「酷評」後10年間発表していない。
それが1990年、いきなりまとめてドカーンと発表する。「二つのアラベスク」にはじまって、マズルカ、夢、スティリー舞曲、スラブ風バラード、ワルツ、ベルガマスクとほぼ連番でピアノ曲が並ぶ。
在庫一掃のクリアランス・セールの如きだ。
おそらく実作の年度はそうとう違うのだろう。まとめて聞いて「ドビュッシーってどんな作曲家?」とわからなくなってしまう。
だが、結局すごいのはベルガマスク、とくに月の光とアラベスクの1番だけだ。他はほぼヒラメキを感じない。さすがに稚拙とは言わないが、陳腐で凡庸だ。
たぶんドビュッシーは、作曲法というより、こういうコード進行を手に入れたのだろう。ジョアン・ジルベルトがボサノバのコード進行を発明したように。
ドビュッシーは印象派と呼ばれるのを好まず、象徴派と呼ばれたがっていたようだが、技法的に言えばスーラの点綴法みたいに分散和音を振りまいて雰囲気を出しているみたいなものだ。表現法(イディオム)なのであって、それほど高踏的な内容ではない。
調性の放棄と全音階への親和性は、論理的必然性というよりはイベリア趣味とか東洋情緒の受け入れの形で現れる。
結局、ドビュッシー的な音の世界は20世紀に入って「喜びの島」まで本格化しないのではないか。
この流れを追っていくと、どうもドビュッシーはロシアの作曲家の後追いをしているのではないかという気がしてくるのである。
端的に言えば、ドビュッシーがコード進行や音階などで新味を打ち出すとき、その数年前にロシアの作曲家が同じようなことをしているのである。
後期のリャードフ、アレンスキー。これに踵を接したラフマニノフとスクリアビンは、まさに「映像」においてドビュッシーが目指してたものではないか、そう思う。
それを、酔った勢いでいうと、記事の見出しの如くなるのである。

最近書いた記事です。

ベネズエラの「ある左翼」

少し前の記事です。

しばらく前の記事です

だいぶ前の記事です

ベネズエラでは野党連合に「左翼勢力」の一部が加わっていることから、さまざまな憶測を呼んでいます。
オーストラリアの左翼活動家が、この点に関して包括的なレポートを発表しています。
ものすごく長くて、とても訳すことはできませんが、最初のところだけちょっと紹介しておきます。


著者は社会主義オルタナティブ・オブ・オーストラリアの活動家と言うことです。

1. ベネズエラにおける実験
商業メディアでベネズエラ政府について何かを読んだことがある人は、気づいているだろうと思います。
そこでは過去17年間、ベネズエラ政府は抑圧的な独裁政治として特徴付けられてきました。
しかし、ボリバル革命の支持者たちは、別な物語を語ります。
彼らは今、急進的な民主化を達成し、貧困を大幅に削減しつつあると主張しています。
この間に展開された生産拠点における労働者の管理への参加、協同組合組織の普及と拡大、地域コミューンの活性化の試みなどは、いまもなおボリーバル革命の重要な礎石であり続けております。
しかし、2000年代の最初の10年を通じて進行した急進的変化は、いま大きな挫折に直面しています。
ボリバル革命は資本主義国家に打撃を与えたかもしれないが、 社会主義の生産方式を確立するには至っていません。逆に深刻な経済的、政治的危機に直面しています。
ボリバル革命の未来への可能性は残っていますが、強力で多様な右翼の野党の台頭も進行しています。
それは民主円卓会議(MUD)として知られています。
さらに米国は「ベネズエラの脅威」を騒ぎ立て、演出しています。
 MUDの目的は明確です。 それはボリバル革命を破壊するための政府を設置することです。それは米国の利益に準拠しています。
今の政府は革命の成果をまもり、革命の基盤を広げ、そのことで危機に対処しようとしています。
7月30日、ベネズエラで新しい制憲議会(ANC)が選出されました。制憲議会を立ち上げるための選挙は、国内外の強い妨害に会いました。野党の支持者が200ヶ所の投票所を攻撃し、10人以上が死亡しました。海外の右翼メディア、特に米国とスペインではマドゥロ政府の暴力を非難して「非民主的で抑圧的だ」と宣伝しました。
ベネズエラのブルジョア・プレスは、恐怖とヒステリーという広範な雰囲気を引き起こし、「新議会がニコラス・マドゥロ大統領に独裁権力を与える」と主張し、選挙の有効性に疑問を呈しました。

2.反政府合唱に加わった「左翼」
このような反政府の合唱に一部の左翼も加わっています。
米国人のマイク・ゴンザレスのようなマルクス主義者です。ゴンサレスはグラスゴー大学の教授で歴史家、文学評論家です。
不確実性と米国の介入という状況の中で、彼らは連帯を促進するかわりに「権威主義と抑圧」という右翼と同じ言葉を使って政府を非難しています。

ゴンサレスらは、「社会主義潮流」(MS)というベネズエラ内の一派閥を無批判に支持しています。MSは与党の「統一社会主義党」(PSUV)から分かれ、右派連合に加わったグループです。
 3月27日に公表された声明の中で、MSは「最も広い統一行動」を求めています。
彼らは右派の抗議者の行動をこうやって擁護しました。
「国家が市民権の行使を侵犯したときに、デモ参加者が正当防衛権を行使することは正当です」
彼らは抗議の性質について嘘をつきました、デモ関連死のほとんどが国家警備隊の手によるものであったと主張しました。
野党がボリーバル革命支持者へのテロとリンチを実行していた時に、MSは「それは人々の抗議の声である」と主張しました。
ボリバル革命支持の集会に出席していた公務員に野党勢力が発砲したとき、MSは「彼らは "偶然"殺されたに過ぎない」と主張しました。
ゴンザレスとその仲間が分析を引き出すのは、これらの反革命家です。彼らは一貫した革命的な路線を持っていないが、政府とボリバル革命を体系的に非難します。

3.「左翼」のふりをした反革命勢力
彼らは「マドゥロが問題である」と述べ、「政府は非民主的であり、トップダウンであり、抑圧的である」と主張します。そして事実上、右翼の野党の主張を繰り返しています。
彼らは、政府が労働者階級によって打ち倒される必要があることを叫びます。
ここで私が強調したいのは、社会主義者には、商業メディアが主張する主張を批判的に分析し評価する責任があるということです。
ゴンサレスらは、「ベネズエラ政府は非民主的かつ抑圧的である」と述べています。そうやって野党や企業メディアの主張を繰り返します。
国家と民族の尊厳が危機に瀕しているときに、そこでは国際連帯の原則が放棄されています。彼らは米国の帝国主義的介入をカバーする役割しか提供していません。
ベネズエラの社会主義の主な敵は政府ではなく、米国の支援を受けているベネズエラのブルジョアジーです。
彼らこそが、ベネズエラにおける貧困の根絶と労働者階級の解放のための、主な障害であるのは彼らです。

まぁ、政府側にもいろいろ誤りはあると思いますが… お互いの話も聞いた上で、これまでの経過も勘案して判断してはいかがでしょうか。

間宮林蔵が樺太北部からアムール下流部にかけて探検したときに作成した絵図が見られます。
場所はここです。
札幌市立中央図書館のサイト

とりあえずコピーの一部を載せます。
R0012216
間宮海峡に至る樺太西岸北部の地名が記載されています。途中からアイヌ地名→ニヴフ地名となっているようです。
画面クリックすると拡大します。
下記もご覧ください。

インダス文明を検討する上で肝心なことは、メソポタミアと並ぶ “The Cradle of Civilization” の名に値するか否かである。これが派生的なものであるとすれば、「4大文明説は崩壊する」というか、かなり条件的なものになる。
インダス文明の発展の構造はかなり跛行的で、植民地的進出の匂いが強い。メソポアミアからの人口圧力を受けての開発の可能性が捨てきれない。
例えば「肥沃な半月」から西方に向かったクレタ・イオニアなどとの類似性が見て取れる。
インダス文明の都市は、試行錯誤の跡がない。高度に洗練された高島平的な人工都市が突如として出現し、軍艦島のように忽然と無人化する。自力で造ったにしては不自然である。(永井俊哉ドットコム)
いっぽう、「ニッポニカ大百科事典」の記述は下記のごとくなっている。
インダス文明がどのように興起したのかは、文明の構造同様、不明な点が多い。かつてはメソポタミアないしはイランからの影響が重視されたこともあったが、なんらかの影響が西方から及んだことは否定できないにせよ、インダス川流域そのものにおいて独自の文明への胎動があったことは確かで…
このあたりの評価が一番の問題となるが、もしインダス文明が自生的な文明とは言えないとすると、発生学的な見地で見る限り、揺籃の地には加えにくくなる。
むしろ、文明の程度は低くても自生という観点を強調するのなら、メゾアメリカとアンデスを加えるべきだということになる。
しかし“大”という言葉にこだわるならば、4大文明という呼称は「旧大陸」という条件付きではあるが、依然として有力であろう。

自生性をきわめて厳密に解釈してインダス文明をオミットするなら、黄河文明もやや複雑な事情を生じる。黄河文明の所以である小麦栽培、青銅器、鉄器はいずれもメソポタミヤ=西域由来と考えられるからである。ただその場合でも、黄河文明は、ほぼ完璧な自生文明である長江文明と西域文明とのハイブリッドということになり、自生性はインダス文明よりは遥かに強い。
このあたりの評価はかなりの議論となるであろう。

そんなあたりも念頭に置くとするなら、「4大文明」説にあまり目くじら立てる必要はないのではないかと思う。もしそこで突っ張るなら、世界史の発祥の地はメソポタミア、メキシコ、ペルーということになってしまうが、そういう定義がはたしてどれほどの役にたつのやら、結局は自己満足に終わるのではないだろうか。

インダス文明 年表
インダス地図
     日本大百科全書(ニッポニカ より
メヘルガル文化
これはインダス文明に先行する小文化圏であるが、文明とは程遠い。
7000 初期食料生産期が始まる。メヘルガルⅠ期とも呼ばれる。土器をともなわない新石器時代である。文字群の解析などから、ドラヴィダ人が文明を担ったとされる。
インダス川流域の西方のバルーチスターン山地で、農耕文化が発掘されている。小麦・大麦の栽培も行う半定住生活、羊・山羊・牛の飼育が行われていた。
5500 領域形成期に移行。メヘルガルII期とも呼ばれる。土器をともなう新石器時代である。
4800 メヘルガルIII期が始まる。石器に併行して銅器が使用される。
3500 メヘルガルⅣ期が始まる。
3500 中東地帯でヒプシサーマル期(相対的温暖)が終焉。北緯35度以南の地域が寒冷化し乾燥化する。人々は大河流域に集中するようになる。この結果メソポタミア文明が出現したとされる。
3500 この頃から、遺跡分布が西部のバルチスタン山地からインダス川西岸に移動し始める。
イラン高原東部のドラヴィダ人がインド北西部に移住したとの意見がある。
ハラッパー文化の始まり

アーリー
             アーリー
3300 パンジャーブ地方のラーヴィー川河岸で初期ハラッパー文化が始まる。
ほぼ同じ時期にラージャスターン地方のガッガル・ハークラー川河岸でカーリバンガン文化が始まる。
3000 西方のバルーチスターン山地で、イラン高地の諸文化の影響が波及。
2800 ハラッパーでラーヴィー期に代わりコト・ディジ文化が始まる。遺跡の南東部などに集落は拡大し、周壁が築かれるようになる。
2600 メヘルガルⅦ期。イラン高地の陸路による交易が衰退。集落が放棄され無人の野となる。
狭義のインダス文明の始まり
マチュア
             マチュア

2600 ハラッパーで領域形成期が終わり、統合期(盛期)に移行。統合期はハラッパーⅢ期とも呼ばれ、A,B,Cの3小期に分かれる。狭義のインダス文明はこの統合期を指す。
2500 海岸沿いのクッリ文化が繁栄。このあとインダス文明と西方文明とは、主として海路を経由して交渉をもつ。
2500 モヘンジョダロが形成される。最大で4万人が居住。
2350 ハラッパーで生成期(ⅢA)を終え、最盛期(ⅢB)に入る。
2350 メソポタミアの文書で、インダス文明との大規模な交易が記録される。
2300 インダス川流域でも寒冷化と乾燥化が進んだという。
1900 ハラッパーⅢ期が終了。ハラッパーの最大時人口は推定8万人。
1800 インダス文明が最盛期を終え、衰退期に入る。インダス川の流路が移動したためとされる。メソポタミアとの交易も途切れる。
1800 モヘンジョダロが急速に衰退。洪水のためと思われる。
1700 ヴェーダ期が始まる。ハラッパー文化の拠点となった都市を墓地とする文化とされる。
1700 カティアワール以南に新たな文化域が登場。後期インダス文明からインド中西部の銅器文明へ文化が継承された。

ポスト
             ポスト
3枚の写真は時期ごとに遺跡をドットしたもの。アフガンの山から降りてきた人々がインダス流域に展開し、やがてパンジャブへと去っていった経過が良く分かる。日本焚火学会のページより転載。
アーリヤ族の侵入(侵攻ではない)
1500 300年にわたりインド・アーリヤ族の侵入が繰り返されたとされる。
都市遺跡の屋外部分から人間の遺体が見つかっていないので、その前に住民自身が都市を見捨てたと判断される。
1000 アーリア人が肥沃なガンジス川流域へ進出し、稲作を開始、定住生活を始めると共に、階層社会を形成した。
1000 インドに鉄器文明が到達。
1000 ヴェーダのあいだに新たな宗教が登場。後のバラモン教やヒンドゥー教の原型となる。
インダス編年表
       日本大百科全書(ニッポニカ より


先程のもう一つ引っかかったところがあって、4大文明というのは世界では通用しないということだった。

そこで調べてみたところ、こちらの方はどうも間違いがなさそうだ。

ではどこが食い違うのか。それはこの図だ。(画面上左クリックで拡大)
Cradle
英語版ウィキの「文明の発祥」という項目に掲載されている。

「肥沃な半月」での文明の発祥が紀元前35世紀(5500年前))、インダスが33世紀、これに対し中国は18世紀まで下る。一方アンデスの文明は32世紀にはすでに生じていることになっている。

著者は「都市化」を文明の指標としているようだが、どうにも飲み込みにくい議論である。

ただ、文章を読み込んでいくと、結局、ヨーロッパ人にとって人類文明の発祥地はただひとつ、「肥沃な三日月」であることが分かる。

もちろんはっきりとは言わないが、「インダス文明も中国文明も結局、メソポタミアのお流れじゃないの」という感じがありありだ。そのオリジナリティには疑問の眼差しが注がれ、「それなら南北アメリカのほうがオリジナリティという意味ではスッキリしている」という話になる。

だから「どうしても中国を入れたいのなら、南北アメリカも入れるということで行きましょう」という話だ。

インダス文明は勉強していないので分からないが、黄河文明は小麦栽培、青銅器、鉄器などはすべて西域からの移入だ。それは確かだ。

それ以前はむしろ長江文明の影響のほうが強い。そういう点では黄河文明にオリジナリティをもとめるのはおかしい。

肝心なのは紀元前10~15世紀に世界のトップランナーに仲間入りし、その後一貫してトップランナーの地位を守り抜いていることだ。


黄河文明を調べていて、変な記事に当たった。

「4大古代文明」は嘘だというのです。

論拠があまりはっきりしないのだが、そもそも4大文明という呼称は20世紀初頭の中国の一革命家が言い出した言葉で、世界では通用しない日本独特の範疇だというのです。

誰がいつから言い始めたのかはどうでも良いのだが、日本においては一つの常識にはなっている。私も何の疑問も感じないで使っていました。

そういうことというのは世の中にはたくさんあります。

そこで、「革命的空文句」が教科書的定義になった根拠、そもそも本当にそうなのか…

調べてみると、たしかに意外とはっきりしないんですね。

それで、4大文明がはたして不適当で時代遅れなのか、ちょっと考えてみました。

「文明」というのが「文化」よりもう少し上で、都市化とか階級化を伴っているのはまぁ常識的に見て、間違っていないでしょう。

それで、考古学的に見て4~3千年前、歴史学的に見て紀元前2~1千年ころで輪切りにしてみると、文字の使用という点ではバッチリ4大文明です。鉄製品の普及・実用という点でもバッチリです。

青銅器の使用、小麦の栽培はもう少し広範に拡大しています。

まぁこの他にもいろいろな指標はあるのでしょうが、誰が言いだしたかの詮索はべつにして、「4大文明論」は結構説得力のあるものではないでしょうか。

少なくとも、それほど目くじら立てるほどのものではないと思います。NHKの肩を持つわけではありませんが、「今ではどこそこも加えて5大文明とか6大文明とか言うべきだ」くらいで済ませておけば済む話でしょう。


夏・商・周に関する年表
これはこれだけ掘っていても大したものは出てこない年表だ。
このあたりの勉強の醍醐味は、一つは黄河文明を史記の世界へつなぐ作業になるだろうし、一つは統一国家を生み出すに至る経済的土台の検討であろう。
日本では縄文と弥生を分ける分水嶺として稲作・水田が重視されている。しかし世界的には石器から青銅器・鉄器への移行が決定的なものとされている。中国は古代黄河文明が連続的に統一国家へと移行していく。しかもその過程で稲作が麦作文明に従属していく。
現在、この分野で「国家的プロジェクト」が組まれ研究が進んでいるという。この成果を学んでいくこと(眉に唾つけつつ)がだいじであろう。
とりあえず「史記」的な意味での歴史を、こういう世界に踏み込む上での「常識」として身につけておくための年表としてあげておく。

BC7000 長江流域に初期稲作が登場。
BC.4000 華北平原および黄河流域に人々が定着。
BC.3000 仰韶文化が起こる。定義は混乱しているが、一応BC4000から2500あたりと見ておく。
BC2300 竜山文化登場。(これも仰韶同様に混乱)
BC.2070? 夏が建国される。陽城に都を構える。二里頭遺跡(推定人口2万人)に一致。
BC.1711 殷(商)が建国される。湯王が諸侯を率いて夏の桀王(酒池肉林)を滅ぼしたとされる。殷は後継王朝の周による呼称。都は亳(商城)に置かれた。考古学的には二里岡に一致。
1400 殷は王位継承の争いにより一時衰退。
1300 盤庚王(第19代)、殷の都を大邑商(殷墟)に遷す。このあと殷は最盛期を迎える。
1071 紂王、妲己を寵愛する
1056 周の文王、殷により幽閉され死没。周の武王、紂王(帝辛)の暴政に対し周を中心とする勢力を結集。
BC.1046 殷周革命。周(西周)が建国される。鎬京(西安)を都とする。
827 宣王が周王朝を復興,中央集権的政策を行う
BC.770 周の幽王が殺される。残党は成周(洛邑)に都を移し東周となる。平王が即位。春秋時代の始まり。諸侯は東周をたてまつり割拠。
707 楚の熊通、王号を冒し、武王と称す
周

679年 管仲を登用した斉の桓公が諸侯と甄で会盟し、覇者を称す。周王より伯(覇者)を賜る。
632年 晋と楚が城濮で戦い、晋が勝つ。文公は覇者となる。
606 北上した楚の荘王、洛陽で周の鼎の軽重を問う。
597 楚の荘王、晋を?に破り、覇者となる
575 晋、楚・鄭を?陵に破る
BC.551 孔子が誕生。老子はその50年ほど前とされる。
546 宋の向戌の提唱で、晋・楚・秦以下13ヵ国間に和平なる。以後、40年間、休戦
535 このころ 孫子(孫武)生まれる
506年 呉軍が楚の首都を陥落させる。
505 越が呉に侵攻。楚は秦軍の救援を得て呉を撃退。
BC.476 韓,魏,趙の三国に敗れた晋が消滅。盟主不在の戦国時代に移行。(一説に453年)

473年 越王勾践が呉王夫差を滅ぼし、覇者となる。
384 秦、殉死を禁止
359 商鞅の変法が実施される。
350 秦が咸陽に遷都,郡県制を施行。農地改革を断行し、度量衡を定める
318 韓,趙,魏,燕,楚の5国が合従し秦を攻めるが、敗れる。
316年 秦が蜀を滅ぼす。
260 秦が趙を長平で破る。白起が趙兵40万を坑殺。
257 秦、趙の都邯鄲を包囲 魏、楚が趙を救う。
230 秦が韓を滅ぼす。以後、趙、魏、楚、燕を相次いで滅ぼす。
BC.221 秦の始皇帝が中国を統一。

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