鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2017年10月

ネットでとりよせた鷹勇の特別本醸造。
何年ぶりかの鷹勇だったが、一瞬われを疑う。
これは酒じゃないよね、醸造用アルコールだね。だから「特別本醸造」なんだねと納得する。
たしかに鷹勇というのは最初の一口からグッとくる酒ではない。ぐい呑で一杯飲み終わった頃に、「えっ、これってなに」という酒ではある。
それにしても、この愛想の無さはなんだ。見事なまでのドキュメンタリーな乾燥感、口に広がるはずの“かぐわい”がない。上半分がヘラでこそぎ取られたような空虚感、舌に残るのは少々の糠のにおいだけだ。
困ったもんだね。これだけひどいと、ひとにくれてやるわけにもいかない。
だますわけにも行かないから、自決用の手榴弾を渡すように、「鷹勇の最期を確認してください」と言いながら渡すほかないだろう。




このところイライラが募っている。
夜中に咳が続いて、おそらくは左舌区の気管支拡張に、上顎洞感染が重なっているためのものと思われ、これまでもときに悪化・寛解を繰り返してきたが、どうも今回はしつこい。
とりあえず少しタバコを辞めてみて経過を見ようということにした。とはいっても、何度も繰り返された試みであり失敗に終わった試みであるから、半日くらいとタカをくくっていたが、なんと朝から寝るまで吸わずにしまったのである。
そうなると2日目は、禁煙を止めづらくなる。3日目はますますだ。さりとて吸いたい気持ちが軽減したわけではない。そもそも禁煙しようという決意などないのだから、辛いのだけがダラダラ続く。
生活のリズムが3拍子で形成されてきたから、これをどうするのかが戸惑いだ。“食う、飲む、吸う”あるいは“仕事する、飲む、吸う”の3拍子目がない生活というのはどう送るべきなのか、とりあえずは飲む、飲む、飲むでお茶とコーヒーとバターピーナツ
肝心の咳の方だが、たしかに朝の咳込みは多少軽くなったようだが、タバコをやめた努力のわりに見返りは少ない気もする。
明らかな有効性が確認できれば、それで目的は果たせたことになるのだから、その時点で喫煙は再開しようと考えている。ただ後鼻漏の方はいまだに続いており、このままでは週をまたぐことになりそうかな、と覚悟しつつある。
ということで、しばらく根を詰めた作業はしないようにします。
どうでもいいけど
3拍子の名曲をご紹介します。
NELLY OMAR - DESDE EL ALMA

唯物論と経験批判論 あらすじ

序論のかわりに

バークレー批判がまず展開される。おそらくあとから付け加えられたのであろう。率直に言えば不必要に長い。

初めての読者は、飛ばしたほうが良い。とにかくまずマッハから取りかかるべきだ。

エンゲルスの引用

「唯物論にとっては自然が第一次的なもので精神は第二次的なものであるが、観念論者にとってはその逆である」

この両者の間にエンゲルスはヒュームとカントを置き、彼らを不可知論者と呼ぶ。そしてその特徴として、世界の完全な認識の可能性を否定する点をあげる。

その後、ヒュームからの長い引用がある。ハックスレーからの重複引用。バークレイのような悪気はないということを言いたいようだ。

後半はディドロによるバークレー批判を紹介して終わる。

たぶんディドロを発見して「これだ!」と思ってこの序論を書いだのだろう。

第一章 経験批判論と弁証法的唯物論との認識論 その1

第1節 感覚と感覚の複合

この節では経験批判論の代表者と目される人物が紹介される。

まずマッハの所論の紹介と分析から始まる。

中間結論として、マッハは相対主義を唱えるが、相対主義と弁証法の違いを知らないということを示す。

そしてエンゲルスの言葉、「肝臓が胆汁を分泌するのと同じように脳髄は思想を分泌する」という機械的唯物論批判を対置する。

つまり相対主義は機械的唯物論への罰であり、非弁証法的という点においては五十歩百歩だということである。

この指摘は正しいのだが、その後十分に発展されているとは言い難い。

つぎにアベナリウスの批判に移る。

レーニンの当面の論敵であるボグダノフはアベナリウスの影響を受けたらしく、レーニンはこの二人を串刺しにして批判している

マッハ、アベナリウスに続いてイギリスのピアソンとフランスのポアンカレーが紹介される。

第2節 「世界要素の発見」

ついでレーニンはマッハ主義をマルクス主義に持ち込んだ最初の人物としてアドラーをあげる。

ここからレーニンの舌鋒は鋭さを増す。ここから先はもはや党派闘争の世界だ。

アドラー批判は、つまるところ「マッハもアベナリウスもそんなこと言ってないよ」というものだ。

そしてアドラーの「解釈」を受け継いだのがボグダノフだというわけだ。

アドラーの所説は、観念論者ヴントの経験批判論への攻撃にもとづいている。つまりヴントが徹底した観念論の立場から「マッハは唯物論者だ」と非難した言葉を借りてきて、「ほら、マッハは唯物論者だろう」というこずるい論建てをしている。

そこでヴントの所説の検討に入る。

なお、ここでさり気なく触れられている一文は注目に値する。

…しかし、他方、マッハとアベナリウスの当初の観念論が哲学上の文献で一般に認められているのと同じ程度に、経験批判論が後に唯物論の側に方向転換しようとつとめたことも、一般に認められている。

ということで、マッハの最近の著作(「認識と誤謬」1906)を引き合いに出す。そして折衷主義的な記述を引き出す。

第3節 原則的同格と「素朴的実在論」

ここからはアベナリウスの批判に移っていく。

アベナリウスが観念論でありながら折衷的態度を取っているとのべたあと、その後継者でより強硬な観念論者のエヴァルトらに攻撃が向けられる。

この辺は十把一からげだ。

第4節 自然は人間以前に存在したか?

この領域はマッハらにとってとくに苦手な分野である。そこで彼らの「言い訳」を取り上げてネチネチといじめる。

アベナリウスとその弟子のペツォルト、ウィリーが、しばしばカントやフィヒテを引き合いに出すのに応じて、レーニンもこれを批判するが、どちらかと言えば及び腰である。

そしてその後、今度はロシアの社会民主党内のマッハ派を取り上げる。最初がバザロフである。

自党内部の話だけに攻撃の厳しさは一段と増す。

第5節 人間は脳の助けを借りて考えるか?

これも前節とおなじような経験批判論の弱みだ。

これについてはアベナリウスが「イントロイェクツィオン」という詭弁を思いつき、ボグダノフはそれに引っかかった。

しかし、この詭弁は観念論者ヴントによって暴かれた。

ピアソンはこのような詭弁を用いずに、「意識がどこから来るのかなど関係ない」と開き直った。

第6節 マッハとアベナリウスの唯我論について

経験批判論は主観的観念論であり不可知論であり、最後は唯我論に陥る。

これについては「ネイチュア」誌の寄稿論文(ピアソン批判)と物理学者ボルツマンの文章を載せることで批判に替えている。

今日の私達からすれば、なにもバークレーからディドロ、フォイエルバッハを持ち出すまでもなく、これらの批判で十分であろう。

 

第二章 経験批判論と弁証法的唯物論との認識論 その2

マッハ批判はすでに終わったが、これから先は党内論争になる。

きっかけはマルクス主義理論家プレハノフが、カントの「物自体」を認めた発言をし、これに経験批判論の連中が噛み付いたことから始まっているらしい。

「エンゲルスと違うじゃないか」とやり始めたので、カント-エンゲルス-プレハノフという一連の理論の評価をしなくてはならなくなった、というのが経過のようである。

というより、レーニンがやりたくて始めたケンカのようだ。

その前にちょっと弁護して置かなければならないが、このときエンゲルスの「自然弁証法」は未発表である。だからエンゲルスの主張は部分的にしか取り上げられていない。

ということはレーニンもエンゲルスの主張を全面的に知った上で論戦に参加しているわけではない。

それにカントはネオカント派だって本格的に勉強したことはなかったはずだから、かなりボロは出ると思う。

これが党内向け論争でなく他流試合であったら、ここまで書くことはなかったろうと思う。さすがに恥ずかしい。

第1節 「物自体」、エンゲルスへの攻撃

この章はまず、チェルノフという人物が「物自体」に関してプレハノフを攻撃したことから始まる。ところが、チェルノフは勢い余ったか、「物自体」の把握についてエンゲルス攻撃まで始めた。

エンゲルスは、カントによれば不可認識的な「物自体」を、ひっくり返してすべての認識されていないものは物自体であると主張した。

というのがチェルノフの主張である。

そこで、レーニンは誰かの引用ではなく自分の言葉で長い反論を書いている。

しかしどうも売り言葉に買い言葉で、ポジティブな論証にはなっていない。

マルクスのフォイエルバッハ・テーゼの第二が引用されるが、この場合適切ではない。

これらのテーゼは、まずもって、観照の立場にとどまる唯物論者フォイエルバッハへの痛烈な批判である。

第2節 「超越」について エンゲルスの「改作」

エンゲルスはカントの物自体を少しも否定していない。認識の限界もふくめ承認している。その上で我々の認識限界を広げていくことは可能であり、その可能性は無限であると主張する。

「超越」というのはその時々の認識の限界を超えて、物自体の世界に踏み込むことであり、エンゲルスは科学的な仮説を除いて、原則的にはこれを認めない。そして科学的な立証を要求する。

これらについてレーニンは力説している。ただしさほど説得的ではない。

第3節 フォイエルバッハとディーツゲン 「物自体」の見解

まずフォイエルバッハが取り上げられる。彼が「物自体」を「実在性を伴った抽象体」と定義したことを紹介する。

ディーツゲンについても色々書かれているが、あまり興味ないので省略。

この節の結論。

1907年にはエンゲルスを否認し、1908年には不可知論へとエンゲルスを「修正」しようと試みる…これがロシアのマッハ主義者たちの「最新の実証主義」哲学である。

第4節 客観的真理は存在するか

ここまで行くと、「もうやめておいたほうが良いんじゃないの」と思ってしまう。今ではほとんど「禁句」だ。

むかしスターリン主義の哲学教科書には必ず載っていたが、この言葉には強い違和感を抱いた覚えがある。それこそ形而上学そのものだ。

とにかく第二章に入ってからというもの、レーニンは変調をきたしている。

客観的真理の否定は不可知論であり主観主義である。…自然科学は…その主張が真理であることを、疑うことを許さない。それは唯物論的認識論とは完全に調和する。

これは「すべてのものは疑いうる」とするマルクスのモットーと完全にバッティングする。

ところで、レーニンが引用したヘーゲルの言葉が面白い。

経験論は一般に外的なものを真実なものとし、超感覚的なものを認める場合でも、その認識は不可能であって、我々はひたすら感覚に属するものに頼らなければならない、と考える。
この原則が徹底させられるとき、それは後に人々が唯物論と呼んだものを産んだ。(エンツィクロペディ)

ウム、たしかにそうも言えるな。

第5節 絶対的真理と相対的真理 エンゲルスの「折衷主義」

まず「マルクス主義は永遠の真理というような独断論を許さない」というボグダノフの言が俎上に載せられる

エンゲルスの「反デューリング論」から長い引用が続く。

ついで今度はディーツゲンの主張に対する論駁が始まる。ただしディーツゲンは部分的に誤りを犯した唯物論者として位置づけられる。

正直のところ、レーニンの論理は相対主義者の尻尾をつかめないまま堂々巡りをしている。

問題は即自・対自という弁証法的な相対論(ヘーゲル論理学が一つの見本)と、ただの相対主義の違いだ。弁証法は相対的真理群を通底する法則を読み込む。ただの相対主義は確率論的にしか操作できない。そして確率論は、そこにとどまる限りでは限りなく不可知論に近い。

このへんはエンゲルスの「自然弁証法」を知らなかったレーニンの不幸だ。

第6節 認識論における実践の基準

これは以前から気になっていたところである。

レーニンはフォイエルバッハの第2テーゼをふたたび取り上げる。

真理が人間の思惟に達するかどうかを実践から離れて提起するのはスコラ学である。

そしてこれをエンゲルスの下記の言葉と結びつけることで議論を始めようとする。

不可知論に対する最良の論駁は実践である。

マルクスの言わんとする所は、「真理」とか「思惟」という概念がそもそもスコラ的であることだ。

エンゲルスの言葉は科学的事実を確認するにあたっては、やや雑駁にすぎる。やはり有無を言わせぬ技術に支えられた実験が必要である。マッハの衝撃波は、当時最新鋭の技術である写真を巧妙に用いた有無を言わせぬ証明だった。

ここでレーニンはマッハの言説を取り上げ、フォイエルバッハの言葉により批判する。


第三章 経験批判論と弁証法的唯物論との認識論 その3

第1節 物質とはなにか? 経験とはなにか?

第三章はボグダノフらとの党内論争を終え、ふたたびマッハ主義者との論争に戻る。

それぞれの節につけられたタイトルは、ひどく大げさである。正確に表すとすれば、例えば「『物質とはなにか?』についての経験批判論者のおしゃべりとその批判」とすべきであろう。

それにしても、「物質とはなにか?」はデかい。物理学の根本問題だ。一つの節であつかうような話ではない。

ただ、マッハ主義者の「物質」論を蹴っ飛ばすにはこのくらいでも十分なのかもしれない。レーニンはそう思ったのだろう。

まずアベナリウスの物質論から入る。彼は物質論を主張していないということが分かった。

次にマッハ。「物質は要素の連関である」

次にピアソン。物質は一定の感官知覚の群れである。

たしかにこれでは論争のしようがない。

レーニンはマッハがしばしば唯物論の側に脱線しているということに注目している。これについては私も同感である。

第2節 「経験」に関するプレハノフの誤り

「経験」というのはずるい言い逃れである。要するに感覚の集合である。そこから何か特別な概念でもあるかのように議論をこしらえていくのが経験批判論のやり口である。

感覚が経験として記憶されるためには、何らかの整理統合装置と記憶装置が必要である。それは感覚からは作り上げることができない。

ここのところをプレはノフは騙されてしまったらしい。

第3節 自然における因果性と必然性

この問題は端的に言えば「自然の弁証法」に関する議論である。

レーニンは個別の経験批判論者に反論はしているが、一貫した論理は持てないでいる。

彼には武器がない。ある場所では「エンゲルスにはこの問題での言及がない」と泣き言を言っている。エンゲルスの「自然弁証法」は、このとき彼の手元にはなかった。

自然科学的な知識が相当ないと書けない。自然の弁証法は、多くの観察と適切な実験から帰納的に導き出されるものだからである。

たとえばダーウィンについて言及していないことはかなりの欠落であろう。

とくにアベナリウスの弟子のペツォルトには悪戦苦闘している。現象の確率論的な扱いこそ彼らのもっとも得意とする分野だからである。

第4節 思惟経済の原理と世界の統一性

前の記事でも書いたが、マッハの「思惟の経済」はなかなか優れた観点である。知覚として溢れるほどの刺激が脳に飛び込んでくる。巨大コンピュータでなければ到底処理できないほどである。

これを人間は知覚の段階で整理し、諸知覚を統合する過程でさらに切り詰める。そして事物をゲシュタルトとして認識し記憶する。それはもはや感覚ではなく知覚でもなく、いわば「心像」とも呼ぶべき表象である。

このように圧縮し表象化する仕組みをマッハは思惟の経済と読んでいる。内容そのものはきわめて「唯物論的」である。

ただ「経済」はいかにもいただけない。物理学者らしく、語法がガサツなのだ。

これは「今月はちょっとピンチなので経済しました」というのと同じで、倹約の意味だ。語源的にはエコノミーというのは節約という意味であるから、それでも間違いではない。

レーニンも「まったく不器用な、気取って滑稽な言葉」と言っているから、ある程度分かってはいるのだろう。

統一性の問題はペツォルトが提起しているようだが、ペツォルトの真意が不明瞭なのでなんとも評価のしようがない。

第5節 空間と時間

まず、レーニンはフォイエルバッハの言葉を掲げる。

空間と時間はたんなる現象の形式ではなく、存在の本質的条件である。

これは19世紀初頭に打ち出された宣言であるが、いまも妥当である。

ただ極微の世界、宇宙の始まりの世界ではこれらの相互関係はぐちゃぐちゃで、いまだ汲みつくされた認識段階にあるとはいえない。

それらはニュートン力学の世界を相対化しているが、否定しているわけではない。それは宇宙・世界の階層性を示している。

その上でエンゲルスの言葉は説得的である。

時間の概念が問題なのではなく、現実の時間が問題なのである。

現実の時間というのは生命誕生、あるいは地球誕生以降の物質的運動について時間軸に沿った認識を現実的前提としなければならないということである。

感覚が全てというなら感覚の生まれたあとの時間と言ってもよい。

第6節 自由と必然性

エンゲルスの「自由とは必然性への洞察」に関して、認識論上の意義に関連して簡潔に触れられている。

ただしこれは、デューリングとの論争の文脈の中で出てきた言葉であり、「自由」そのものの本質的な規定ではない。


あらすじと言いながら、だいぶ長くなってしまった。第二分冊の方は稿を改める。




今回の選挙で痛感したのは、日本共産党へのためらいが日本国民のあいだに根強いということだ。

選挙の終盤に来て多くのリベラル派の知識人や活動家が続々と共産党の応援に打って出た。

多くの人々が「共産党へのためらい」と口にしながら、「今度だけは」と支持に回った、と明かした。

これには正直のところ驚いた。驚いた私が遅れているのかもしれない。

このためらいは戦前からの持ち越しではない。権力の反共攻撃にのみ課すわけにも行かない。

結局それは我々自身の問題なのだ。

多分問題は二つある。

ひとつは資本主義をどう見るかだ。資本主義を打倒してコミューン主義を作るのではない、かと言って資本主義に修正を加えて済むとも思っていない。さらにそれを発展させて未来社会を作るのだ。

それは政治体制の話ではなく、経済・社会システムの話だ。したがってその幅は広い。あれか、これかの話にはならない。基本を明らかにし発展的に語ることが大事だ。

もう一つ、政治的理念の問題だ。武装蜂起や独裁のみではなく、思想・文化まで唯一体系に統合したボルシェビズムの清算がまだ徹底されているとはいえない。

レーニンの誤りのうち、いくつかは致命的なものだ。歴史上の評価はいろいろあるが、「マルクス・レーニン主義」の全面放棄を宣言し、いかなる形での残渣も残してはならない。

そのことから直接導かれるのであるが、中国・ベトナム・キューバをふくめて社会主義国家という評価を捨てることだ。「左派民族主義政権」(左派と言えるかどうかは別にして)という表現で十分に内容は伝わる。

コミューン主義という経済・社会システムが「国家」を形成しうるのかという根本的な問題がそこにはある。
以上二つの問題を踏まえて、私は以下の点を提起したい。

1.共産党は、「万人平等の民主主義」を相互承認するに至った人類社会の発展過程を踏まえ、歴史的なものとしての資本主義(とりわけ産業資本主義)を支持する。

2.同時に今日の資本主義には細部の修正では解決し得ない致命的な欠陥があり、それが「99%対1%」の矛盾を引き起こしている。人類は社会発展の次の段階、コミューン主義に移行すべき時を迎えていると考える。

3.1917年に始まるボルシェビズム国家群については、その思いは別にして、コミューン主義とは無縁のものと考える。その独自の意義を判断するについては歴史的な考察を必要とする。

4.「科学的社会主義」という言葉は、共産党が「科学性」を専有しているという意味ではない。それはコミューン主義の経済・社会システムに関する科学的探求という態度(節度)を意味し、それ以上のものではない。

選挙後に、応援してくれた多くの人々との対話が始まるであろうが、真の意味で心通う対話を展開するためには、以上の立場をより明確にする必要があろう。

そして多くの良心的な人々が持つ「共産党へのためらい」をじっくりと聞き出し、共産党の路線をより開かれたものにしていくことであろう。

共産党の良さは「みんなで決めてみんなで実行」というところにあるので、それを言葉の問題にせず、内外での対話促進に結びつけてほしいと思う。


いまびっくりしている最中です。
チョ・ソンジン(seong-Jin Cho 趙成珍)というピアニスト。あまりにも素晴らしくて、あっけにとられています。
もともと韓国のピアニストは好きで、独特のグルーブ感はとても日本人の及ぶところではないと思っていましたが、ついにここまで来たかという感じです。
2015年のショパン・コンクールで優勝、ポロネーズ賞も併せて受賞したそうです。
というより、もはや世界のトップランナーとして完成しています。
私はツィマーマンが好きで、いわゆる「世界最高」だと思っていますが、彼がのして来たのはショパンコンクールを受賞してから数年後のことです。
逆にポリーニは受賞のときが一番で、その後は玄人筋の評判は良かったものの、私にとってはピンとこない存在でした。
ダン・タイ・ソンはコンクールで燃え尽きてしまったようです。ユンディ・リーはただの雑技団です。
しかしチョ・ソンジンはそういうレベルをはるかに超えています。ピアノ界の大谷です。
技巧も素晴らしいし、音色も最高ですが、それ以上にずば抜けた芸術的センスに惚れ惚れしてしまいます。
それは英雄ポロネーズとかスケルツォの2番のようなとりとめない「駄作」から物語を紡ぎ出す、センスの絶妙さに現れています。
You Tubeで探すと韓国には芸術的センスに溢れた人たちが山ほどいます。訴えてやまない国民性が芸術に向いているんでしょうね。
「嫌韓」の方にぜひ一度見てもらいたいと思います。きっと考えが変わるでしょう。
ピアノ協奏曲第1番
ピアノソナタ第2番
チョ・ソンジンは第一次予選にノクターンの作品48の1を選びました。この曲はルビンステイン風にエレジーっぽく弾くか、ポリーニみたいに行進曲風に行くかでずいぶん印象が違ってきます。
最初からずいぶん難しい曲を選んだもので、その冒険が必ずしも成功しているとは思えません、


You Tubeにはショパンコンクールで優勝したあとのベルギーでのコンサートもアップされています。正直に言えば弛緩しきっています。このままではダメでしょう。

マッハの良いところ、悪いところ

マッハの良いところは勇敢なことだ。悪いところは乱暴なところだ。

この2つの素質があると、超大作がいくらでも書けてしまう。良くも悪くも分かりやすい。

乱暴だからといってそれほど馬鹿にしたものではない。かなりの点で革新的で、示唆的だ。

惜しむらくは弁証法がない。論理を駆動させるのはマッハで、その対象はみずから動かない。マッハには「もの」をして語らせようという気風がない。


ウィキから言葉を拾っていく。

1.『力学の発達』

ニュートンによる絶対時間、絶対空間などの基本概念には、「形而上学的な要素」が入り込んでいるとして批判した。

「形而上学」というのは彼の決まり文句で、「古臭い、決まりきった既成概念」くらいの意味だ。

彼は時空間には絶対というものはないとし、ニュートン力学の及ばない世界があると主張した。

「マッハの原理」というのは、「物体の慣性力は、全宇宙に存在する他の物質との相互作用によって生じる」とするものである。

これをアインシュタインが、特殊相対性理論の構築への足がかりにしたということで有名になった。ただしヒラメキのためのヒント以上のものではなかったようだ。

要するに「自分が動いていないとすれば宇宙が動いていることになる」ということらしいが、もちろん逆の可能性(地動説)もあるわけで、万事が相対的ではないかという主張らしい。

マッハは「皆さん、はたしてこの世に《絶対》などというのはあるのでしょうか?」と指摘したそうだが、これはマルクスの「すべてのものは疑いうる」というモットーに類似している。

これは至極まっとうな本のようである。松岡さんの紹介によると、第4章第4節の「科学の経済」という一節にこう書いてあるそうだ。

あらゆる科学は、事実を思考の中に模写し、予写することによって、経験とおきかわる、つまり経験を節約するという使命をもつ。

事実を思考の中に模写するとき、私達は決して事実をそのまま模写するようなことはなく、私達にとって重要な側面(ゲシュタルト)だけを模写する。

われわれは模写するときには、いつも抽象しているのだ。

十分すぎるほどに唯物論的(レーニン的な意味で)だし、現代の脳科学の水準から見ても妥当だ。

ただ、ニュートン力学を「力学的物理学」と呼び、それに代えて「現象的物理学」あるいは「物理学的現象学」を構築するべきだと訴えたそうだが、こちらは少々ピント外れだ。

ビッグバン以降、この世はエネルギーで満たされている。それがときどき「現象」として目に見える形で現れる。それだけの話しだ。

彼は「音速の壁」を突破した男として、世の中のあらゆる壁はぶち破れると思い込んだのではないか。

マッハは以上のような論建てのあと、「物理学的現象学」を提起する。それは、物理学から形而上学的カテゴリーを排除し、感性的要素の複合体を対象とするのだそうである。

排除されるカテゴリーには「実体」、「因果」、「絶対運動」(エネルギー)などがふくまれる。(野家啓一

フッサールはマッハの一元論に賛同しつつも、志向性の概念が欠けていることを批判した(両者の間に論争があったらしい)という。

また同様にマッハは、原子論的世界観や「エネルギー保存則」という観念についても批判したそうだ。

思うに「積み上げ方式」の構築的な科学論と対蹠的な位置に立っていたのであろう。

2.認識論への言及

認識論の分野では、『感覚の分析』(1886年)と 『認識と誤謬』(1905年)が代表的著作である。

マッハの認識論の核心は「要素一元論」と呼ばれる。

主-客二元論や物心二元論を捨て、直接的経験へと立ち戻り、そこから再度、知識を構築しなおすべきだというものである。

意識が完全にめざめるやいなや、人間は誰しも、すでに出来あがった世界像を裡に見出します。

それが出来あがったのは当の本人がこれといって意識的に参与するからではありません。

むしろ反対に、人々は自然および文明の賜物として、何かしら直接的に了解されたものとして、出来合いの世界像を受取ります。

これは、「認識の分析」(1894)という解説本の一節らしい。「出来合いの世界像」というのはDNA的、生得的世界像のことか。とすれば、これは正しい。

気持ちとしては意識の形成における「感覚」の役割をもっと大事にしようということであろう。これ自体については大賛成である。人間の高次精神は、元はと言えば感覚的知覚の集合である。

このあとに前記記事の文章が続く。

我々の「世界」は、もともと物的でも心的でもない、中立的な感覚的諸要素(たとえば、色彩、音、感触、等々)から成り立っている。

「物体」や「自我」などというのは本当は何ら「実体」などではない。

因果関係というのも、感覚的諸要素(現象)の関数関係として表現できる。

騎虎の勢いでカントの物自体も吹き飛ばしたことになる。

これを日夜食うか食われるかの生存競争にいそしんでいる生き物はどう受け取るだろうか。天敵の口の中で噛み砕かれる瞬間、「これは感覚の関数関係にすぎないのだ」と納得するのだろうか。

この「感覚」至上の、あえて言えば形而上学的な認識論への突然のジャンプは、流石に世の指弾を浴びたようである。ルートヴィッヒ・ボルツマンやマックス・プランクらがこれを批判したとされる。

3.ウィーン学団への影響

マッハはこのほか心理学、生理学、音楽学などさまざまな分野の研究を行ったそうだ。

各分野に影響を及ぼしたというが、どちらかと言えば学問的というよりカリスマ的な影響力であろう。

そのカリスマとしての最大の「功績」がウィーン学団の結成(1929)であった。

これはウィーン大学のシュリック、ハンス・ハーンを中心とする科学者、哲学者のグループで、論理実証主義を標榜した。

彼らの多くがナチスの台頭に伴い米国に亡命し、以後米国にその考えが広がっていくことになる。

ウィーン学団については「科学的世界把握 ― ウィーン学団」というページが詳しい。詳しいが難解である。


私の感想であるが、

端的に言えばマッハは十分に唯物論的である。少なくともニュートン力学を批判するとき、彼は唯物論者と言ってもいい。

ところが、認識論に足を踏み込んだとき決定的な間違いを犯した。

マッハは、時空の絶対性を前提にしたニュートン力学に本質的な批判を加えたのであるが、それに代えて「感覚」を至上のものとして持ち込んだ。

それは「感覚」という神の復活であり、彼が忌み嫌ったはずの「形而上学」への復帰である。

レーニンが、対立の主要な側面を唯物論VS反唯物論にあると考えたのは正しいのだが、それはマッハが非弁証法的で形而上学的であったからだ。

唯物論の立場というのは、物質の客観的存在を認めるかどうかにとどまるものではない。自然にはエネルギーがあり、運動があり、あえて言えば「発展」があるということを認めるということだ。

一言で言えば「自然の弁証法」を認めることが唯物論の立場である。

マッハは非弁証法的であったがゆえに、すべての存在を「自然の過程」(エネルギーの流れへの抗い)として捉える唯物論の立場に立ちきれず、感覚至上主義へと漂流していってしまったのである。

考えてみると大阪の歴史がよくわかりません。私の念頭には歴史上何回かフアーっと登場して、いつの間にか消えていきます。

難波京、堺と石山本願寺、豊臣秀吉の大阪城、元禄時代の繁栄、幕末・明治初期の沈滞、大正の大大阪時代、戦後の地盤沈下です。これらの歴史的現象はいつも「なぜ」の問題を素通りしていきます。

まず、年表づくりをやりながら、「なぜ」の問題を追求してみたいと思います。

大阪市立図書館の年表が便利なので、これを骨格にしながら膨らませてみたいと思います。

 

 

593(推古元) 厩戸皇子(聖徳太子)が四天王寺を建てる

645(大化元) 都を飛鳥から難波長柄豊崎宮にうつす(前期難波宮)

754(天平勝宝6) 鑑真が難波津に到着する
1467 応仁の乱  細川の拠点となった堺が発展。明との交易も盛んとなる。

1496(明応5) 本願寺8世の蓮如が石山本願寺(実体としては城そのもの)を建立。上町台地に寺内町がつくられる

1532(天文元) 摂河泉で大規模な一向一揆がおきる

1550(天文19) 宣教師ザビエルが堺に上陸する

1580(天正8) 本願寺が織田信長との戦いに敗れ大坂を退去。寺内町は焼失する

1583(天正11) 羽柴秀吉が大坂に入り、本願寺跡地に築城開始。

現在大阪の町になっているところは、上町台地などを別とすれば、戦国時代までは低湿地だったところがほとんどです。秀吉はそこに東横堀川・西横堀川・天満堀川などの水路を掘らせ、水はけをよくするとともに、掘り上げた土で周囲を土盛りさせました。こうして低湿地が、人の住める町にかえられました。平野や久宝寺などから商人らがよびよせられ、現在の大阪の町の原型ができあがっていきました。

1615(元和元) 大坂夏の陣で豊臣氏が亡ぶ。

1619(元和5) 幕府が大坂を直轄領とし、大阪城を再建。城代・町奉行をおく。

江戸時代になると、西のほうの湿地にもたくさんの堀川が掘られ、市街地がさらに広げられていきました。大阪は「水の都」と呼ばれるようになりました。

大阪新田

     江戸時代の新田の開発

1600年台後半 船場、天満地区に三大市場が栄える。
1703(元禄16) 近松門左衛門の曽根崎心中が初演される。「上方文化」の花が咲く。

歌舞伎・浄瑠璃、あるいは落語といった芸能は、最初は京都が盛んでしたが、しだいに大阪に中心が移ってきます。たくさんの町人学者が生まれ私塾が建てられました。

1730(享保15) 堂島の米相場会所が幕府公認となる。現米の受け渡しのない帳簿上の「差金決済取引」が行われる。
堂島の相場が全国の米相場の基準となりました。大阪は「天下の台所」として繁栄するようになりました。多くの大名が中之島などに蔵屋敷をおいて、米や地方の産物を運びこみ、お金にかえていました。

1837(天保8) 元町奉行所与力・大塩平八郎が乱をおこす

大塩は与力をやめて塾をひらき学問を教えていました。天保の大凶作に際し私財をなげうって貧民救済に当たりました。その挙句、「救民(きゅうみん)」を旗じるしに兵をあげました。

1838(天保9) 緒方洪庵が適塾をひらく。官制の学問にとらわれない私塾が発展。

1868年(明治元) 大阪が開港場となり川口居留地ができる、舎密局をひらく。

1869年 廃藩置県に伴い、大阪の繁栄のもとであった蔵屋敷が廃止される。豪商の倒産が相次ぎ、大阪は衰退期を迎える。

明治政府は硬貨や大砲の工場を大阪に設けたので、そこから近代的な工業の知識や技術が、大阪に根づいていきました。

1874(明治7) 大阪~神戸間に鉄道開通、大阪府の江之子島庁舎完成

1876 年 堂島の米相場会所が「堂島米穀取引所」と改称され、先物取引を世界に先駆けて開始。

1885(明治18) 大阪初の私鉄が難波~大和川間に開通
1884(明治21) 東京(都部)の人口135万人

1889(明治22) 市町村制がしかれ大阪市ができる。この時の人口は47万人。面積は15平方キロ。

繊維工業がさかんになると、大阪は工業都市として再生し、人口も増え、市街地が広がっていきました。
1895(明治28年)住友銀行が創業。大阪を本拠地として急速に発展、三井・第一・安田・三菱と並ぶ五大銀行となる。

1897(明治30) 大阪市第1次市域拡張、大阪築港起工式。

安治川口と木津川口から沖に向かって総延長10キロメートルの2本の防波堤をつくり、その内側を9メートルの深さにするもので、人工的に築いた港という意味で、「築港(ちっこう)」と呼ばれました。
築港大桟橋

1903(明治36) 大桟橋が完成。第5回内国勧業博覧会がひらかれる、巡航船・市電・民営乗合自動車が営業。

1918(大正7) 米騒動おこる

1920(大正9) 第1回国勢調査、市人口125万人、府人口258万人
1923年(大正12年) 関東大震災が発生。被災者の一部が大阪市など各地に転居。

1925年(大正14年) 第二次市域拡張。周辺の残余44町村全てを編入して大大阪市が成立。東京府東京市を上回り、世界各国の主要都市でも6番目に人口の多い都市となる。
ニューヨーク(597万人)、ロンドン(455万人)、ベルリン(403万人)、シカゴ(310万人)、パリ(290万人)です。この年東京の人口は214万3200人。
1925年 野村財閥の主軸として野村證券が設立される。

1928(昭和3) 大阪商科大学設立
1929 梅田で阪急百貨店が開業。梅田は元は「埋田」、湿地を埋め立てたところであった。

1930年(昭和5) この年の大大阪人口は245万人。世界大恐慌。線維輸出を主体とする大阪の経済は大きな打撃をうける。

1931年(昭和6) 大阪城天守閣再建、中央卸売市場ができる、大阪大学できる

1932年(昭和7年) 東京市は市域拡張(82町村編入)によって35区へ増加。大東京市(面積551平方キロメートル、人口497万人)が誕生。

1933(昭和8) 梅田~心斎橋間に地下鉄ができる

1937(昭和12) 道幅44メートルの御堂筋が完成。11年を要した。

1939 大阪府と東京府の生産額が逆転。以後その差を拡大した。原因は軍需の成長と民需の減少。
県別生産高推移1県別生産高推移sen
     府県別生産額の推移(縦軸は全国比%)
1939年 堂島米穀取引所、戦時統制の強化により廃止される。

1945(昭和20) 空襲で市内の大部分が焼ける、10月の市人口107万人、府人口280万人

焼夷弾攻撃により約21万戸の家が燃え、1万人以上の人が死に、3万5千人あまりの人がケガをしました。

1970(昭和45)  日本万国博覧会が千里丘陵で開かれる

 人口は各資料ごとに相当違う。
1873_

 1920_
前後の数字を見ると、大阪の首位は統計のトリック(とくに東京区部の扱い)によるものの可能性が高いようだ。


経験批判論(Empiriokritizismus): 19世紀末,ドイツの哲学者 R.アベナリウスによって唱えられた学説。
「経験内容から個的な主観的なるものを除去していけば,万人にとって普遍的ないわゆる純粋経験が得られる」と主張。主観的経験論に一種の帰納論を接ぎ木したようなもの。
論理実証主義に大きな影響を与えた。

とあるが、実際上彼の著作が世間的な影響を与えたことはない。

結局、「経験批判論」の名を大いに広げたのはエルンスト・マッハであり、マッハ主義として理解するのが妥当である。

マッハは1838年生まれなので、当時すでに還暦であった。40歳にして超音速に関する論文を発表。衝撃波の写真撮影に成功して一躍有名となった。
衝撃波_ウィキより
  衝撃波_ウィキより
物理学者としてすでに功成り名遂げた存在であった。
それがアベナリウスの経験批判論を借りて自説を展開したと見るべきであろう。
以下、ウィキペディアの「マッハ」の項目より
50歳で「力学の発達」、「感覚の分析」を発表、以後、60歳で「熱学の諸原理」、70歳で「認識と誤謬」を発表する。死後には「物理工学の諸原理」が発行された。
いわば「物理で世界を読み解く」みたいな感じで書き飛ばし、これに理数系に弱い哲学者はねじ伏せたられのではないか。

マッハは経験批判論を広げた。「力学の発達」は、ニュートン力学の基本概念(時間,空間,質量)を批判し、“形而上学的性格を剔抉”したといわれる。この本は若年のアインシュタインに影響を与え,特殊相対性理論を準備した。
マッハの哲学上の主著は「感覚の分析」および「認識と誤謬」である。(現在であれば脳科学のテーマである)
世界を究極的に形づくるのは、物理的でも心理的でもない中性的な感性的諸要素である。具体的には色,音,熱,圧等々である。
これら諸要素間の関数的相互依属関係を「思考経済の原則」に従って、できるだけ簡潔かつ完全に記述することが科学の任務である。
いま読めば、きわめて粗雑なデッサンで、酔っぱらいのセリフである。「色,音,熱,圧等々」が「物理的でも心理的でもない」要素などとは、当時の常識から言っても問題外であろう。第一、「心理的でない感性的要素」などどこに存在するというのか。

フッサールの現象学もマッハを引き継いでいるといわれる。要するに彼の毒気にウィーン中の哲学者があてられたのであろう。

世紀末のウィーンはきわめて魅力的である。
19世紀初頭から産業資本主義、それにふさわしい立憲体制が広がった、ドイツでいったん頓挫したあと、プロシアの帝国主義的資本主義が勃興し英仏と肩を並べるに至った。
オーストリアだけは依然として王権支配が続いていた。青年たちのフラストレーションは頂点に達していたと思われる。それがさまざまな(非政治的な)形で噴出してくる。
その50年前に、マルクスはドイツについて同じような状況を感じている。そして遅れた国では哲学革命から始まるのだと語った。それはヘーゲル左派の青年たちを指す。彼らは国の後進性に憤り、激しく糾弾するが、実践を伴わないから著しく観念的である。
それが、第一次大戦が終わりオーストリアが共和制になって、「赤いウィーン」が成立する頃になると、彼らは著しく微温的になり、反動的にさえなり、ナチに抵抗もせずに海外に逃れることになる。
それが半世紀も経ってから、ナチスの迫害のお陰でアメリカに広がり、いまや世界の思想・文化を見る上で不可欠な要素となっている。
もう一つの特徴は異常なまでのユダヤ人の活躍である。この理由は今のところよく分からない。とにかく民族差別が少なかったとは言えるだろう。
「世紀末ウィーン」の勉強は少し後回しにして、マッハの情報収集をもう少しやっておきたい。

私が「唯物論と経験批判論」を「やや古めかしい」と言ったのは、「物質が先か意識が先か」という問題設定がもはやほぼ解決済みのものになってしまっているからである。
「物質」というより自然の流れの中から生命が生まれ、生命活動の中から脳の活動が生まれ、脳の進化によって「意識」が生まれてきたことは、もはや疑いなく確かめられている。
残されたのは、「意識がどこまで物質を認識できるか」という問題なのだが、これは問題の設定そのものがきわめて曖昧だ。この問題に取り掛かる前に、意識とは?、物質とは?、認識とは?という3つの問題を片付ける必要がある。しかもこれは明らかに自然科学の課題であって、哲学の課題ではない。実証的にやっていかなければならない。
それにこれはWhat課題ではなくHow課題である。唯物論というよりむしろ弁証法の問題なのだ。

何かないかと探したら、下記の文章があった。
私の意見  「マルクス・レーニン主義から実践的唯物論への転換の困難さ」   島崎 隆
完全に同意するわけではないが、「唯物論と経験批判論」の評価についてはほぼ当たっていると思われるので、要約を紹介する。


1 問題提起

2 レーニン的唯物論の問題構成

レーニンは「哲学の根本問題」を物質と意識の関係と見た。そしてそれを「認識論上の根本問題」と理解する。

そのかぎりでは,「物質が先か意識が先か」を認識論的問題とみなして,観念論を批判した段階にとどまる。

私(島崎)は唯物論一般の議論を,さらに物質が先か意識が先かという哲学の根本問題を,ただちに認識論的問題とは見ない。 

私は、レーニンがマルクスの唯物論をきちんと押さえていず,唯物論一般のレベルを十分に脱却できていず,その結果マルクスを誤読してしまったとみる。

レーニンが「意識が存在を反映する」という場合は、あくまで認識活動としての「反映」である。だからレーニンは,「反映は近似的に正しい写しでありうる」という。

そして「社会的存在を社会的意識が反映する」というマルクスの命題を、上記の「存在を意識が反映する」という命題に直接につなげる。つまり、哲学的命題が社会に「領域内に限定されて,そこに適用された」(島崎)と考える。



島崎さんは少々わかりにくいものの言い方をする。
レーニンが「意識が存在を反映する」という場合は、あくまで認識活動としての「反映」である。
というのは、ある人間がある存在を認識し、それを意識に取り込めば、意識にその存在が反映されるということだ。
そうするとある人間がある存在をいかに認識したかで認識が変わってくるということになる。
最初は「群盲象を撫でる」が如き状態であったのが、次第に情報が共有化され、認識の方法が洗練されるにつれて正確に認識されるようになり、その結果、人々の意識は存在を正確に反映したものとなる、ということだ。
それは決してある物質が水晶体を通じて網膜上に像を結ぶ、という単純な反映ではない。
それは「意識に存在を反映させる」行為の過程全体を包括したものだ。(かえってわかりにくい?)



3 マルクス的唯物論の問題構成

これは,マルクスの「唯物論」とは基本的に異なる。マルクスは,「唯物論一般の立場は世界と人間をとらえるうえで不十分であり,それは観念論と同位対立に陥り,それを超えられない」と主張する。

フォイエルバッハ・テーゼの第一テーゼは、次のような構成になっている。

①従来の唯物論(フォイエルバッハ)の主要欠陥は,現実的対象がただ直観や認識の形式のもとでのみとらえられており,活動的な実践の産物として主体的に把握されていない。

②その活動的側面は,かえって観念論(ヘーゲル)によって展開されたが,しかし抽象的にしか展開されなかった。

その後マルクスは、従来の唯物論を超える新しい唯物論を提起し,それによってヘーゲルらドイツのイデオローグたち全体を克服しようとした。

このあと島崎さんは独特の「実践的唯物論」の展開に至るが、ここでは省略。ただレーニン批判としては、哲学的認識論と社会的構造とはレベルが違うだろうということに帰着する。

ヘーゲルは理念や精神から物質的なものを導き出そうとする。唯物論者であるはずのフォイエルバッハですら,愛というような観念を切り札としてもち出し,そこで観念論へ転倒する。

総じて宗教・道徳・哲学において,現実社会の発生源から切り離されて,何か究極の「真理」がそれ自体で自立して存在しうるかのように考えることは,すべて観念論である。

観念論が蔓延するのはなぜだろうか。マルクスはそこに,複雑な隠蔽関係や理念の「自立化」の現象を発見する。マルクスはまさに宗教を要請せざるをえない人間社会の悲惨さを暴露し,宗教を「阿片」と呼んだ。


4 実践的唯物論の現代性

こうしてマルクスが強調しようとしたのは、(社会的)意識を規定するのは(社会的)存在なのだということである。それは領域の単なる限定ではなく,むしろ根源的なものである。

ひとびとが抱く意識・観念は本人の自覚的意識にかかわらずすべて社会の産物であり,むしろ社会批判のなかで社会現象として説明されなければならない。

では科学的認識の位置づけはどうなるのか。

問題は二つある。

まず、科学の典型たる自然科学とはそもそも何かが問われる。これについては,「産業がなかったら,どうして自然科学などありえようか」とまず発問するのがマルクスである。つまり産業と交易のなかの実践的産物としてそれをとらえることである。

もう一つは、科学的認識とはいかにして可能かという問いである。これについては、認識一般ではなく、科学的・合理的という「意識」が問われなければならない。それが近代でいかにして発生したのかが、まず問われるべきである。

以上のごとく、マルクスの認識論は単純な科学重視の科学論ではない。弁証法を機軸としてヘーゲルを唯物論化した認識批判としてとらえられるべきである。逆に科学の絶対視は「科学主義・科学信仰」として批判されるべきである。


付言1 西欧マルクス主義への批判

現代の西欧マルクス主義は人間中心で主体的な側面をひたすら強調する。しかし人間社会も「自然存在」を大前提としており、自然進化のなかで発生したものである。

人間社会は人間と自然のあいだの質料転換(物質代謝)を必須の生存条件とする。自然弁証法の現代的意義は重視されねばならない。エンゲルス評価の二面性のきちんとした把握もふくめ、「自然の弁証法」の復権がもとめられている。



これには私も大賛成だ。以前シュミットのエンゲルス批判を読んで、「人間の独善化」には到底納得できないと思った。
エンゲルスそのものではないにせよ、自然・少なくとも生物界には弁証法があって、これが弁証法的唯物論の礎なのだと思う。
それは「自然の摂理」に対する「抗い」、ときには「叛乱」を本質としている。もちろん行き過ぎた「擬人化」も危険だが…




付言2 意識は「自然存在」と直結していない

ありのままの自然が意識に反映されるというというのは、没社会的・没歴史的な自然哲学である。

それこそは、フォイエルバッハにたいしてマルクスが批判したものである。たしかに自然は大前提ではあるが、意識にとってはすでに社会による実践的産物へと転化されている。いかなる自然観をもつかは、実は社会的・文化的背景の問題を抜きにしては語れないのである。


付言3 70年代理論活動の思い出

日本でもマルクス主義(弁証法を含む)は,かつて実に多くの知識人・文化人に影響を与え,社会の変革を願う大衆の学習するところともなった。それは社会科学や哲学の領域のみでなく,自然科学はもとより数学,体育などの分野にまで浸透した。だが不幸にして,そこで浸透したマルクス主義とは,上述のマルクス・レーニン主義であった。

1970年代以後,マルクス・レーニン主義(スターリン主義)の批判的検討が進んだ。だがそれは,マルクスに関心をもつ哲学研究者以外にはほとんど浸透せず,そのうち社会主義崩壊のなかでマルクス主義哲学は全般的に関心をもたれなくなった。

真理は発見されたときには,もはや見向かれなくなったというのが現実であった。

マルクス・レーニン主義が第一の誤りであったとすれば,マルクス主義哲学それ自身の放棄は第二の誤りである。


私も拙著「療養権の考察」発表において同じ思いを抱いた。マルクス主義がルネッサンスを迎えたとき、世間的にはマルクス主義の時代は過ぎ去っていた。
みな古文書を眺める目で私の本を見る。







脳解剖学の開拓者たち
川村さんのページから 神経学の歴史19世紀の神経解剖学 を年表化した。
Lawrence C. McHenry, Jr. 著 「神経学 の歴史」の第5章「19世紀の神経解剖学」を翻訳したも のである。豊倉康夫監訳となっているが、とくに断りがな いことから、この章は川村さんの訳になるものだと思わ れる。
Ⅰ 19世紀前半 
19世紀前半における神経解剖学の進歩の多くは脳の 内部構造と肉眼解剖に関するものであ って、Reil, Bell, Mayo, Stilling, Arnold その他の人々によってなされた。

19 世紀の初頭 ドイツの精神医学者で解剖学者のJ.C. ライル、アルコール固定した脳の内部構造を研究。脳 の機能の自律性を組織の興奮性から説明。さらに「生 命力とは身体を構成する物質の化学反応が主体的に 表現されたものである」と主張。
1821 イギリスのC.ベル、第五脳神経(三叉神経)が 感覚・運動の両 者から成立することを証明。“Bell 神経 ”を発見する。
1824 スティリング、ミクロトームを考案。脳研究が飛 躍的に進む。
1824 Dutrochet、神経線維が透明な液体を満たした 管から構成されることを確認。
1829 イタリアのL.ロランド、「大脳半球の構造につい て」を発表。大脳の脳回と脳溝を詳述し、中心前回と中 心後回とを指摘する。
1820頃 ウィーンのF.J.ガルとJ.C.シュプルツハイム、 脳の白質は神経線維によって構成され、大脳皮質の 灰白質は神経活動の器官であることを発表。また延髄 の錐体交叉を発見。
1833 ドイツのエーレンブルク、神経線維を無髄線維 と有髄線維に区別。
1837 チェコのJ.E.プルキンエ、小脳に「フラスコ型をし た神経細胞」を発見。有髄線維と核と樹状突起を有す る神経細胞を図示。
1836 ドイツのR.レマク、末梢神経の軸索が脊 髄の 神経細胞と連続していることを証明。
1838 シュライデンとシュヴァン、顕微鏡による観察か ら細胞説を提唱。
1844 R.レマク、大脳皮質の6層構造を組織学的に確 認。 1850 イギリスのA.V.ウォラー、神経細胞が神経線維 を養っていると推論。

Ⅱ 19世紀後半
Weigert, Gerlach, Marchi, Golgi, Cajal, Remak, その他の 人々の精妙な組織学的方法に よって、脳の顕微鏡的 解剖がなしとげられた。

1856 B.シュティリンク、ミクロトームを用い、アルコー ル固定をほどこした脳から連続切片を製作する。
1858 ドイツのJ.ゲルラッハ、カルミン染色を考案。神 経組織への最初の染色法となる。その後メチレンブル ー、ヘマトキシリンが相次いで導入される。
1871 ゲルラッハ、神経細胞の網状説を提唱。脳の 灰白質は細い樹状突起が融合して形成される精緻なび まん性の神経網から成り立つと主張する。
1873 ゴルジ、鍍銀法を用い神経細胞の全体像を描 き出すことに成功。ゲルラッハの網状説を実証。
1884 C.ヴァイゲルト、髄鞘染色法を導入。
1891 H.W.G.ワルダイヤー、神経細胞とその突起を神 経系の構造単位とし、ニューロンと命名。
1892 スペインのS.R.カハール、ゴルジの鍍銀法を用 い、情報の流れを検索。神経刺激は網状構造ではなく 神経細胞の接触により伝導すると主張。また刺激が樹 状突起により受け止められ、神経細胞を通過し、軸索 により伝達されることを明らかにする。
1906 カハールとゴルジがノーベル医学賞を受賞。受 賞講演でゴルジは網状説を擁護しカハールを攻撃した という。
1909 ブロードマン、大脳皮質の区分図を発表。

「エトスとパトス」への鬼頭さんのコメント

川村さんの文章のあとには名古屋大学の鬼頭純三さんの長ーいコメントが付けられていて、失礼ながら実はこちらのほうが面白い。

少し紹介しておく。

1.「量から質への転化」は単純ではない

まず鬼頭さんは川村さんの「量から質への転化」論をやんわりと批判する。

それは自然現象の法則としてそのとおりだと思いますが、もし機械的、観念的にそれにとらわれると出口のないラビリンスへ迷いこむことにならないでしょうか。

脳における量から質への転換は、ニューロンの数の増加によって自動的にもたらされたものではないでしょう。

それはニューロン相互の関係、回路網形成が生じる生体内環境との相互関係、外部からもたらされる情報(感覚)の受容、それに対する反応などさまざまな要素が織りなすものです。

質的変化はそのなかで止揚されてゆくものでしょう。、まさに「相互関係の中で全体として統一されてゆく事象」なのだと思われます。

ということで、まことにごもっともな意見だ。哲学者としては一枚上という感じだる。(まぁ後出しジャンケンではあるが)

2.鳥の高次神経

ここからはみずからの専門分野の話に移る。ここが一番面白いところである。

鳥類は哺乳動物のような層状構造をもった大脳皮質をもっていません。しかし、ボリュームからみればかなり大きな大脳を有しています。

鳥類の大きな大脳は哺乳動物の大脳基底核を構成する線条体が巨大化したものであります。

ほ乳類は線条体の上に尾状核を持っています。尾状核は新線条体と呼ばれ、線条体とあわせ2階建て構造になっていますが、鳥類はさらにその上に上位線条体を持っていて、3階建てとなっています。

哺乳類の祖先は地べたを這いずっていたために、嗅覚、聴覚、皮膚感覚を発達させました。このため嗅覚の投射中枢である前脳(大脳)が発達しました。

大空に羽ばたいた鳥類では、視覚が重要な情報源となりました。

鳥の視覚の中枢は中脳視蓋(上丘)です。中脳視蓋へ入った視覚情報は nucleus rotundus という大きな核で中継されて上位線条体へ投射されます。

上位線条体へは聴覚や皮膚感覚(羽毛への風圧感覚もふくむと思いますが)も投射します。視覚野はないが、パターン認識という擬似抽象化による情報伝達が行われているようです。言語信号系はありませんが、かわりにさえずり中枢が上位線条体の中に発達しています。

鳥類はこのようにほ乳類とはことなった大脳の発達を遂げました。情動の回路を構成する諸構造も哺乳類とは異なっています。

3.不可知論について

鳥の高次中枢に関する知見は大変貴重なもので、大いに産駒になった。

しかしこれに続く「不可知論」批判は、レーニンの「唯物論と経験批判論」そのままで、批判の方向がおかしい。

もともと「不可知論」は恥ずかしがり屋の唯物論であり、神学者や君主制論者が先験的に持ち出してくるドグマに対して、「王様は裸だ」と叫ぶ代わりに「私には服を着ているようには見えない。私はこの感覚を大事にしたい」と言っているのだろうと思う。

ただこの論理は、自分の気に入らない理論すべてを切り捨てるためにも利用できるので、話がややこしい。

不可知論者と言っても何もかも否定するわけではない。むしろほとんどのものは肯定される。肯定されないものは一つは概念化できないものであり、もう一つは概念操作できないものである。

概念化できないものの典型が神である。ほかに倫理的なものの多くが概念化困難である。

概念操作できないものはもっと多くある。端的に言えば未知の世界だ。それはある意味で無限大だ。

これを有るというか無いというかは、実はどうでも良い問題だ。それをもって唯物論者と観念論者の分水嶺とするのは馬鹿げている。

経験批判論者との対立点はより実践的なものだ。それだけに対立の有り様は鋭さを帯びる。

それは不可知の「物自体」に対するアプローチである。物がモノとして消失したとき、そこには不確定性と運動だけが残る。一種の「無」であるがゆえに概念化はできない

それは概念化はできないが「概念」的操作はできる。概念としては把握不能であるが確率論的には存在証明が可能である。なぜなら運動はエネルギーを持つからである。したがって特殊な方法(量子力学など)での概念操作は可能である。そういうものとしての「概念」化もいずれ可能になるだろう。

これが一つ。

もう一つは、自己を相対化することである。とくに時間軸上でみずからも「一代の過客」であることを認識することである。不可知である「物自体」から見れば我々人類もまた不可知の「物自体」である。そういう出会いをもって世の中が成立していることに思いを馳せるべきであろう。



しばらく、川村さんの文章(エッセイ)を読む日が続きそうだ。

最初は「ロゴスとパトス」という文章。

1.心/精神と脳との関わり

驚いたことに、心を脳から切り離して、脳の関連外のものと考えている頑固な人がいる。自然科学者の中にもそういう人達はいる。

困ったものである。

2.神経・脳の進化

細胞の量の増加、それにともなう質的転換としての細胞分化はこのように生物を進化論的にみたときに観察される。

このあと進化の弁証法が語られるが、やや古めかしい。

3.マウス脳の発生学

脳室の壁を構成する脳室層には神経幹細胞(マトリックス細胞)がある。当初は対称性分裂を繰り返す。

胎生11日以降、幹細胞は非対称性の分裂をするようになる。

その一部は脳室層に神経上皮細胞として残り、他方はニューロンに分化する。

ニューロンは神経核や皮質を作る場所に移動し、そこに定着する。

胎生16-17日以降、ニューロンの産生はピークを迎え、その後はグリアの産生にきりかわる。

4.すべてをDNAが決めるわけではない

ニューロンごとの行く先が決まっているわけではなく液性因子により誘導されるようだ。

5.ロゴスとパトスを扱うための課題

1)言語野の構成と言語による認知/認識の機構

2)扁桃体/海馬/視床下部/前頭前野皮質を含む広範囲にわたる脳の構成と機能と機構

のより広範な知見の集積が必要だ。

6.扁桃体が情動に関わる価値判断システムの中核

① 内臓感覚、味覚、平衡覚など原始的なものを含むあらゆる種類の感覚が脳幹および視床から直接入力する。

扁桃体は大脳辺縁系に属する古い皮質や視床下部と密接に結合し、情動神経回路の中心的な位置にある

魚類、爬虫類の段階では、扁桃体に脳の主座が置かれている。

7.ロゴスの主座は言語野

感覚・情報処理は、認知システムと情動システムという相互に密接に関連した二重の構造のなかで把握される。

言語(ロゴス)中枢や情動(パトス)中枢をを研究するためには、関連物質(遺伝子や蛋白分子)の相互の関わり合いを追求することが大事だ。


率直に言わせてもらうと、ロゴスとパトスとの対立というのはあまりに観念的である。

大体が、「対立物の統一」などというのはスターリン的に歪曲された疑似「弁証法」である。

弁証法は客観的な弁証法と主体的な弁証法に分かれる。車に乗っているヒトの弁証法とそれを見ているヒトの弁証法である。

客観的に見れば、基本となるのは存在と過程の矛盾である。過程は絶対的であり存在は相対的である。しかし過程はエネルギーであり存在(質量)を抜きに語れない。

そしてエネルギーはビッグバン以来拡散する方向にある。いわばエントロピーの拡大方向にある。

しかし主体的存在(生命)にとってはエントロピーは逆方向を向いている。主体が存在し続ける限り、エネルギーの有機化が進み構造が高度化する。

これは「主体」が宇宙全体の動きに逆らうエネルギーを基盤としているからである。

つまり、弁証法を規定する基本矛盾は、

第一にエネルギーのあり方を巡る存在と過程の矛盾である。

第二に宇宙全体の流れに反逆する有機化の流れと、それを押し流そうとする無機化の流れの矛盾である。

第三に、付加的であるが、生命体が同時に、滅亡する存在であり発展する主体であることの矛盾である。


川村光毅さんという解剖学者が書かれた「猿が人間になるに当たっての労働の役割」の解説が非常に面白い。

川村さんの経歴はよく分からないが、1935年?生まれ、千葉大卒、最終職歴は慶応大の解剖学教授、2000年に退官している。

最初は精神科医を志したが、哲学的な解釈に嫌気が差して、神経解剖学の方に進んだようである。

唯物論的な志向の強いひとらしく、パブロフを敬愛していると言う。坂田の三段階論も見え隠れする。

いま私が志向している方向を進まれた先人である。

この文章で川村さんがもっとも関心を集中しているのは、「労働の役割」ということよりも「猿が人間になる」決定的なステップを同定することにある。

精神というのは脳が生み出すものである。それと同時に人間の脳が生み出すものでもある。

脳というのは神経細胞・神経組織の集合であり、脳の活動というのはその繰り出すインパルスの総体である。

神経そのものはヒドラの時代からすでに存在し、脊索動物に至って中枢神経系が確立する。(昆虫を除けば)

それが精神を生み出すまでに至ったのは、いくつかの画期的な段階があり、そのたびに脳が質的変化を遂げてきたからである。

マクロに見ればそれはきわめて明瞭である。しかし個別に見ていけば、その変化の過程にはさまざまな中間型があり、並列関係があり、グレーゾーンがあり、決してクリアカットではない。

そのような事象に埋もれてしまうと、核心的な質的変化を見失ってしまうことになる。

とくに精神とか心の問題で、それは顕著である。ヒトを獣性と神性に裁断するのは愚の骨頂であるが、それを逆手にとってサルとヒトを同一スペクトル視するのも、詭弁に類いする行いである。

進化の連続性と断絶性の問題、エンゲルス風に言えば「量から質への転化」というのは意外に悩ましい。

「労働の役割」も、何も労働でなくても、例えば言語でも、あるいは自然環境でも社会でも良いのである。

これはこれで、影響因子あるいはパラメーターの重み付けの話であり、別個の話題となるであろう。

そしてそれがエンゲルスの著書本来の主眼であろう。

“The Part played by Labour in the Transition from Ape to Man”

というやや控えめな題名がそれを表している。


後脳はどこへ行った

これで一件落着と思ったら、また一つ難題が出てきた。それで3脳→5脳問題は一応決着がついた。「後脳」と言っていたのは、正確には菱脳のことだった。菱脳が上下に分かれて真の「後脳」と髄脳に分かれた。

多分髄脳というのは延髄のことだろう。ところで後脳はどうなったんだ。解剖の教科書には載ってないぞ。

その代わりに中脳と延髄のあいだには「橋」という厄介なものがある。では橋が後脳の成れの果てなのか。

ここまで行くと、「お前、それでも医学部出たのか?」と怒鳴られそうだ。

学生時代から、このへんは苦手だったことだけは覚えている。果てしなく続く脳幹の横断面図、1枚の絵だけで20くらいは固有名詞が出てくる。それが全部でいくつくらいになるのか、それだけで気が遠くなった。

しかしこの際だ。やはり決着はつけておかないと。

まず後脳

後脳という項目は日本語版ウィキにも、脳科学辞典にもない。

グーグルで最初に後脳が見出しに入っているのは

後脳の進化に新たな知見という理研の「科学ニュース」という記事だ。ニュースと言っても2004年のアップだからキュースに近い。

理研の形態進化研究チームが、カワヤツメの後脳由来の神経をラベルして検索した。

その結果、ヤツメウナギの三叉神経と顔面神経の分布は後脳の分節境界をまたいでいることがわかった。

このことから、後脳の神経発生機構と分節化機構が異なるメカニズムのもとにあることが示唆される。

と言うもので、「あぁそうかい」というレベルの話。

その次が2014年のネーチャー誌、

後脳分節化のHox調節ネットワークは脊椎動物系統樹の基部に保存されている

と言うもので、奇しくも10年前の前記ニュースを裏打ちしたものだ。

ということで、後脳ではあまり期待できそうもない。そこで見出し語を菱脳に変えて検索する。

菱脳もウィキ、脳科学辞典ともに該当項目がない。

コトバンクにブリタニカからの引用があった。

…その先端部に肥厚肥大部が現れ,前後方向に3つのくびれが生じてくる。端脳,中脳,菱脳という。

その最後部の菱脳は後脳 (広義) ともいう。

発生が進むと菱脳は2つにくびれて,前方に後脳 (のちに小脳と橋に区分) ,後方に延髄ができてくる。

良かった。後脳と呼ぶのは間違いじゃなかったんですね。

次は世界大百科事典からの引用

菱脳とは、…三つの膨大部(脳胞)の中で,最も後ろの後脳胞をいう。

名前の由来は…えらに関係する神経が出入りして菱形に膨らんでいることから来る

どうも絵がないと話が見えてこない。

菱脳屈曲

この絵で見ると、かなり事情が見えてくる。

つまり後脳、すなわち菱脳はくびれというレベルではなく、ぐんにゃりと折り畳められているということだ。

そしてこの曲がったてっぺんが後脳と髄脳の境目だろうということだ。

菱脳

折れ曲がりがひどくなると、折れ曲がりを挟んだ上下部分が最後にはくっついて、中に空洞ができる。これが第4脳室になる。最後に蓋の役目をすることになるのが小脳だ。

これを背面から見ると、上の図のようになる。

ピエロの口のようだ。この唇に当たる部分は「菱脳唇」という。そのまんまだ。

この唇からさまざまな神経核が生まれて、最後に小脳が生まれる。どこかの神話にありそうな話だ。

…と勝手に話を作ってきたが、これから真偽の程を確かめてみよう。


なお、「小脳は後脳の一部だ」という記述があったが、それは違うだろうと思う。もしその言い方をするなら「大脳は視床(前脳)の一部だ」ということにもなってしまう。

菱脳と後脳の違い

恥ずかしながら、これまで菱脳と後脳の違いを知らなかった。

言い訳になるが、解剖学の授業の頃全共闘がバリケード封鎖していて半年間授業がなかった。

我々は半年間勉強しないで、いわば半年繰り上げ卒業した形になっている。私は学部1年生だったから、解剖、生理、生化学などの知識が欠落している。

神戸学院大学の解剖教科書にはこう書いてある。

1.単一の袋であった脳胞は、前脳胞・中脳胞および菱脳胞の3個の袋が頭尾方向に連なった状態となる。

2.脊髄の頭側に続く菱脳胞は、長軸を頭尾方向に向けた細長い菱形を呈する。これが菱脳という名前の由来である。

3.菱脳は頭側半の後脳(Metencephalon)と尾側半の髄脳(Myelencephalon)に分けられる。

4.こうして胎生第6週の終り頃には、脳の原基は頭側から尾側に向かって、終脳・間脳・中脳・後脳・髄脳の5部が連なった状態となる。

5.発生の早期にはまず菱脳が非常に大きくなり、ついで中脳が発育する。…この時期には前脳、特に終脳の半球胞の発育はなお弱小である。

まことに分かりやすい説明でありがたい限りである。ただし、3.の後脳と髄脳に分かれるのがいかに分かれるのか、なぜ分かれるのか、は不明である。

いづれにせよ、以上のことから、私の唱える「三脳説」の前脳・中脳・後脳の三点セットは前脳・中脳・菱脳と呼ぶか、あるいは終脳・間脳・中脳・後脳・髄脳の5脳セットと改称するかしなければならない。

私はそのいずれもとらず、強引に菱脳を便宜的に後脳と呼ばせてもらうことにする。上がモーニングで下が袴というのは私の美意識に反する。


以下は

中脳蓋-上丘を主として- (tectum mesencephali /superior colliculus)    車田正男、川村光毅

というページの学習ノート。

 

A 】 はじめに

四丘体は中脳の背側の領域を占め、上丘と下丘からなる。

ここでは視覚、聴覚の情報と、顔面、体幹、四肢などからの外来性の感覚情報とが入ってくる。

中脳断面
Spalteholz より転載

(著者は中脳蓋と呼んでいるが、中脳被蓋と紛らわしいので四丘体ということにします)

① 下丘

下等な脊椎動物の中脳には側線中枢というものがあり、それが発達したものと考えられる。(これは他の知覚系脳神経と同じですね)

両生類以上では側線中枢は蝸牛神経の二次中枢となり、やがて下丘を形成する。

② 上丘(視蓋)

上丘は哺乳類に特徴的なもので、他の脊椎動物では視蓋に相当する。視蓋は中脳の背側に位置する層状構造である。

視蓋は視覚の中枢として発達した。視神経線維のほとんど集中する。また脊髄、三叉神経核、側線・聴覚領域からも多くの線維が集まる。

哺乳類以下において、視蓋は視覚をふくめた外来性インパルスの統合中枢といえる。

哺乳類では視覚の最高中枢は皮質視覚領となり、上丘には視覚性反射機能のみが残っている。

③ 視蓋の構造

哺乳類以下の脊椎動物では、6層からなる。これは大脳皮質と同じである。

B 】 形態学

上丘は神経線維と神経細胞により構成される。帯層~視神経層からなる浅層とそれより深部の深層に大別される。

浅層は網膜や大脳皮質視覚領などから入力を受け、外側膝状体や視床後外側核へ線維を出している。

これに対して深層は網膜からの入力を受けず、脊髄から大脳皮質に至るきわめて広範囲の領域から線維を受けている。

深層からは視床膝状体上核などへの上行路のほか、橋、延髄、脊髄への下行性線維がおこる。

1)上丘浅層

浅層はさらに上半部と下半部に細分される。網膜からの線維の多くは浅灰白層の上半域に終り、皮質視覚領からの線維は主に浅灰白層の下半域に終る。

外側膝状体へ投射する神経細胞は主に浅灰白層の上半域に分布する。視床後外側核へ線維を出す細胞はほとんどすべてが浅灰白層の下部1/3域にみられる。

上丘内結合も多く見られる。

1)上丘深層

① 大脳からの入力

深層は大脳皮質の広い領域から線維を受ける。またきわめて多くの皮質下領域からの入力を受ける。

② 下部脳幹からの入力

黒質網様部(GABA作動線維)や三叉神経知覚核からの入力を受ける。

オリーブ核、脊髄、外眼筋支配運動核周囲領域などに出力する。

C】 結論

上丘の機能的役割としては、知覚性視覚系(上行性)と運動性視覚系(下行性)とを第一義的なものとみなしうる。

しかし体性感覚や聴覚など他の感覚様態の機能との関連もある。これについては今後の検討課題である。



私の感想

系統発生的には次のように言えるだろう。

中脳(上丘)はもともと、さまざまな体性感覚の集中点であり、一次処理工場であった。

上丘が視蓋と呼ばれた時代、それは「視覚をふくめた外来性インパルスの統合中枢」であった。

それは上丘の深層に残されている。多彩な神経細胞が下からの入力を受け一次処理をしている。

これらのうち三叉神経からの入力と脳幹網様体からの入力が重要である。ただし脳幹網様体からの入力はいったん黒質での処理を受けており、黒質とのやり取りでかなりの情報が処理され、出力されている可能性がある。

三叉神経についてはほとんど情報がない。今後の研究が待たれる。

聴覚については、その後下丘で一次処理が行われ、内側膝状体に上行するようになり、上丘の意義は薄らいだ。

これら一次処理された情報は視床(外側膝状体)に向けて上行する。

上丘深層と大脳との関係は、目下のところ私にとって関心外である。

おそらく脊椎動物の比較的初期の段階において上丘は視神経の受け皿となった。その結果、上丘浅層が大いに発達した。

中脳の発達した動物において上丘浅層の肥大が確認されれば、これが証明されることになるが、まだ文献を見つけていない。

ここがよくわからないのだが、視神経は視床からろくろっ首のように伸びていったとされているのに、どうして視神経の終末が上丘になるのだろうか。

解剖の本はこういう話は無視する。

それはともかく、系統発生から見れば、まずは視神経からの入力と視床への出力が最初だろう。そのあとに外側膝状体→大脳視覚野への出力と大脳からの入力がメインになっていく経過ではなかろうか。

どうもこれが形態学的検討とスッキリ一致しない。入力と出力がたすきがけなのである。

鑑みるに、大脳との連絡は今まで考えていたより古くからあったのではないか。つまり大脳というのはもっと昔、三脳が完成して間もなくの頃からあったのではないか。

いまのような大脳ではなく、嗅脳とか松果体とかいわゆる「外付け機能」として存在し、そことの連絡とも古くから開けていたのではないか。

というのは、上丘深層の記述にこういう記載があるからだ。

深層は大脳皮質の広い領域から線維を受ける。またきわめて多くの皮質下領域からの入力を受ける。

だとすれば、

網膜からの線維の多くは浅灰白層の上半域に終り、皮質視覚領からの線維は主に浅灰白層の下半域に終る。

という記載も理解できる。


なかなか上丘に関する文献そのものが見つからないから、この点は疑問として残るだろうが、折々気をつけて探していきたいと思う。


大人の発達障害というのが最近注目されているのだそうです。

「いつも空が見えるから」というブログに、「大人の発達障害を見分ける10のチェックポイント」というのが載せられています。

これは、「発達障害のいま」という杉山登志郎さんの著書(講談社新書)からの引用のようです。

すみませんが重複引用させてもらいます。

1.二つのことが一度にできない

例えば、別の用事を始めると前にやっていたことを忘れるという事象です。

ちょっとギクッとなりませんか。

2.予定の変更ができない

例えば、仕事の途中で邪魔されるとパニックになる

うーむ、という感じですね。

3.スケジュール管理ができない

例えば、予定を忘れる。メモを書いてもメモをなくす。予定がバッティングする。

何度、義理を欠いたことか。思い出すだけであぶら汗。

4.整理・整頓ができない

当然、ゴミ屋敷状態。ただ、それでも必要なものは見つけられる人もいる。

「片付けられない」病と、「捨てられない」病に分けられるそうだ。

5.興味の偏りが著しい

つまりオタク系ですね。ただ興味の対象以外にはまったく無関心というところが、病的な意味を持つようです。

6.思い込みに固執する

聞く耳を持たない、ということです。それだけでなく、思いを押し付けるようになると厄介です。

これはどうやらセーフだと思います。

7.人の気持ちが読めない

KYで、そのまんまです。

8.感覚の過敏性

他の人は気にならない音や臭いなどに不快感を感じる。たまにこういう嫌煙論者がいる。

これも大丈夫。しかしこれって別枠ではないの。

9.二次的な精神疾患

二次的な精神疾患によって、ベースにある発達障害に気づかれないことがある。

10.クレーマーになる

発達障害に愛着障害が重なると、最強のクレーマーになります。

無理やり10項目にしたために、後ろの方はかなり無理があるようですが、1,2,3,4、それに7くらいに整理すると、説得力があると思います。

杉山さんは、これらの障害を代償しようとして二次的に現れる障害を併記していますが、やや強引さも感じられます。

総じて、臨床で遭遇するケースを羅列した印象です。ADHDやASDなど苦労されているだけに、Pre Clinical 段階を含め、できるだけ幅広くすくい取ろうという気持ちなのだろうと思います。

いわゆる「幼児性」や、「未熟性」との概念的な区分け、あえて「発達障害」と呼ぶ必然性など、もう少し吟味が必要ではないでしょうか。



小泉英明さんという人の書いた「脳科学の真贋―神経神話を斬る科学の眼 」という本を読んだ。

素人向けの本で私にも読みやすい。2、3時間で読めてしまう。

この人は日立でf-MRIや光トポグラフィーの開発に関わったヒトで、出身系列的には工学者ということになるのだろう。

その後は、「心と脳の科学」という領域に飛び込み、脳研究の組織・コーディネートに関わる一方、けっこう啓蒙書を書き飛ばしているという人だ。

ある意味では「脳科学の大御所」と目される存在である。

世にはびこる似非脳科学には批判的だが、実際にはきわどいところを渡っているという面も持つ。こういう道を選んだのは、養老孟司さんの影響だと言うが、たしかに似たようなところがある。

1.言語には時制観念が不可欠

読後感としてあまり強い印象はないのだが、言語把握の問題で面白い箇所があった。

それは、言語理解としては時制の問題が大きいということだ。時制の概念があるから言語が階層構造を持ちうるのだと言う。

言葉は単語の連なりだ。かんたんな応答ならたしかに単語を並べるだけで用は務まる。

我々が外人と喋るときはほとんどこれである。

しかしきちんと話さなければならないときはやはり述語を持って終止しないとセンテンスにはならない。

ところが、この述語というのは多くが動詞だ。つまりなんらかの動作である。動作でないときはbe動詞、つまり一定のあいだその状態が続いて“ある”ということになる。

これ自体、時制の観念なしには不可能だ。

入れ子構造になる「複文」では、二つの時制を構築しなければならない。

これらはチョムスキーの言語学の原理なのだそうだが、つまり単語を並べるだけなら猿でもできる。哺乳類や鳥類でもやっているかもしれない。

しかし、それが言語として成立するためには、時制の観念が不可欠なのだということである。

2.時制の観念を生み出したものは何か

小泉さんの話は、ここから「未来の概念」という方向に進んでいって、子供の教育の話になっていくのだが、目下のところそれより先に片付けねければならない問題がある。

それは「時制の観念を生み出したものは何か」ということである。

人間には体内時計があるといわれる。これは朝になると目が覚め、体温が上昇し、活動性が上がってくるというような自律神経の日内リズムのことだ。

しかし、言葉における時制はそれほど悠長なものではない一刻一秒の単位での時制だ。

それはやはり視覚の背側路からMTへとつながる、視覚の動画化以外にないのではないだろうか。これによって人間は時間を秒単位で認識できるようになった。

それだけではなく、時間の観念、ひいては過去や未来という「時空間」の概念を獲得したのではないかと思う。

もちろんそれは言語を身につけることを目的として獲得されたのではない、「旅」のため、オリエンテーリングのためだ。

時間感覚は空間感覚とペアーの形で獲得された。そしてこの時間感覚を利用することで、単語という空間感覚が前後の時間感覚の中で整序され、そのことで時制観念が生まれたのではないだろうか。

3.心の問題は今やる必要はない

脳科学者はすぐ「心」の問題に行きたがる。それは小泉さんも同様だ。

だからこういうことができるかもしれない。「脳科学」というのは、脳と心の関係をきわめる学問だ、と。

そうであれば、目下は私の関心領域ではない。私にとってまずだいじなのは、感覚入力の処理法をきわめることだ。

これと並行しながら、人間的認識としてそれらが統合されていく過程も追求されなければならない。しかしそれは知覚情報の処理についてある程度の知見が集積しなければ空語になってしまう危険がある。

人間的認識についての一定のコンセンサスが出来上がれば、この一連の過程を突き動かす駆動力についての議論と、初めて本格的な突き合わせが可能になってくる。

その時、初めて心(前頭葉)の問題が語られるようになるのではないか。

繰り返すが、脳というのは巨大な情報処理装置だ。そしてその情報というのはまずもって「感覚」として入力される。

だから、ざっくり言えば脳は感覚処理装置なのだ。

我々はここから知見を積み上げ、構築していくしかないのだ、と思う。


一応聴覚について基礎的な知識を理解しておこう。

1.耳から神経へ

http://bunseiri.michikusa.jp/ というサイトに分かりやすい説明があるので、ここから拾って他の資料も少し加えていきたい。
ear

外耳は耳介と外耳道だ。鼓膜から奥が中耳になる。ここは基本的にはがらんどうの組織で、3つの耳小骨が鎮座している。デシベルを稼ぐところだ。

耳小骨が付着するのが蝸牛窓。ここから内耳になるが、聴覚に関係するのは蝸牛のみだ。三半規管は内耳に元からいる大家だ。

cochlea

蝸牛の断面で、上と下は共鳴箱。真ん中の蝸牛管が本体だ。ここに充填されたリンパ液が耳小骨からの振動を受けて波を作り出す。これを有毛細胞がそよぐことによって感知し、電流を発生する。リボン型マイクの原理だ。

2.蝸牛神経から蝸牛神経核へ

電気信号に変換された聴覚刺激は神経系を上行し始める。

これが寄せ集められて蝸牛神経となり、脳に送り出される。ここからが七面倒臭い。4回もニューロンを変えるのだ。

choden
1次ニューロン: 蝸牛から蝸牛神経核へ

2次ニューロン: 蝸牛神経核から上オリーブ核へ

3次ニューロン: 上オリーブ核から下丘へ

4次ニューロン: 下丘から内側膝状体へ

5次ニューロン: 内側膝状体から皮質聴覚野(第一聴覚野)へ

なぜそんなことをするのか分からない。多分聴覚刺激が関係各方面に配布されているのであろう。

ということは逆に言えば、聴覚刺激はかなり複雑・多彩なやり方で人体に受容されているのだろうと思う。

3.「内耳神経」について

これまで聴神経と言ってきたが、考えてみると、この言い方はどこから出てきたのか。

学生時代には内耳神経と習ったはずだ。

解剖学にはいくつかの語呂合わせというのがあって、掛け算の九九のように憶えさせられる。

12の脳神経もその一つで、

「嗅いで視て、動く車の三つの外、眼内舌咽、迷う副舌」というのだ。この内の「内」というのが内耳神経(第8脳神経)だ。

だから解剖のときは内耳神経と憶えたはずなのだが。

それに内耳神経を聴神経というのはほとんど間違いなのだ。内耳の二つの働きである蝸牛神経と前庭神経がたまたま同じ船に乗り合わせたに過ぎない。

これを聴神経と呼ばれたのでは、前庭神経の立場がない。

これからは蝸牛神経と呼ぶことにする。内耳神経という言葉にはあまり意味はない。内耳から出てくる神経だというだけの呼び方である。同じ船に乗っていると言うなら、顔面神経もあわせて3本セットで憶えておいたほうが良い。

神経というのは基本的には上下に走っているので、横断面にはあまり意味はない

4.外側毛帯という核付き伝導路

蝸牛神経の終点は蝸牛神経核、その後いったん交差して体側の外側毛帯に行く。いずれも三脳構造から言えば後脳である。交差するのは多分ステレオ効果を作るためであろうが、全部の神経が行くのだろうか。

外側毛帯というのは名前のとおり、帯であり基本的には街道であるが、その中に神経核が散在していて、めいめいが適宜休憩する形をとっている。東海道中で今夜は府中に泊まるか鞠子に泊まるか、宇津ノ谷峠を越えて岡部で頑張るかという具合である。

健康生活情報.comより転載nerve2_600


5.第一次聴覚中枢: 下丘(中脳)

外側毛帯を通り終えると中脳の下丘(中心核)に着く。ここまでは聴覚情報はほとんど生のまま送られるが、ここでかなりの下処理が行われる。

ひとつは、音の周波数弁別,音の高さ,音声言語,聴覚空間の認知など当座の使用には差し支えない形にブラッシュアップされる。

もう一つは、体性感覚,顔面知覚,視覚などほかの感覚入力とのすり合わせである。

下丘へは上行性と下行性,さらに下丘内から局所性に多様な入力があり,これらが統合的に処理されている。(脳科学辞典 ただし、とりあえず委細省略)

進化のある段階までは、下丘が聴覚中枢であったのかもしれない。この辺はより深く追究してみるべきだろう。


6.内側膝状体(前脳)

聴覚の旅はまだ続く。今度は視床の内側膝状体である。外側膝状体といえば視神経の中継地であるが、その内側に位置するということは視覚と聴覚の重要性を示しているのかもしれない。

脳科学辞典では次のように記されている。

大脳皮質聴覚野へ送る聴覚情報の選別が内側膝状体の主な機能であると考えられている。

要するに独自の働きはほとんどわかっていない、ということである。著者もこう言っている。

内側膝状体や聴覚野に至らずとも下丘までで基本的な聴覚情報処理はされている

…現在知られている知見を持って内側膝状体の担う聴覚情報処理機能を断定することは非常に難しい。

そして分かっているのは、大脳(聴覚野)行のフェリーターミナルだと言うだけだと告白している。

3つの亜核があり、腹側亜核がメインである。背側亜核と内側亜核は他の部位から修飾的な情報を得ている。

ということは毛帯→下丘から送られてきた原音にメーキャップを施して“音らしくする”ことに意味があるということになるのか。これは例えば音楽などでは重要な機能になるであろう。

ただし「内側膝状体内の亜領域同士の結合はない」とされているので、作業場というよりは倉庫に近い存在なのかもしれない。

この辺も、進化の目で見直して見る必要があるのではないだろうか。

7.大脳聴覚野

そこで次に川村光毅さんの「音楽する脳のダイナミズム」というページ。

周波数分析は中脳の下丘のレベルで完成します。間脳と大脳皮質のレベルでは、スペクトルの弁別がなされます。

第一聴覚野(コア領域)は各振動数に対応した単純な音をうけとります。この周辺の内側帯部→外側帯部→傍帯部では聴覚処理の内容が高められます。

ヒトの脳では、聴覚連合野の後方に連続して感覚性言語野(ウエルニッケ野)が存在し、聴覚野からたくさんの線維を受けています。
文章の性格上、情動と関係する神経連絡が詳述されているが、ここでは省略する。

なお、この文章に付された図はとても良い。(画面上を左クリックするとはっきり見えます)
視覚と聴覚の情報処理の流れ
とても良いというのは視覚イメージの流れが上手く整理されているからだ。とくに最終イメージとしての「形・動き・視空間」という三位一体はストンと落ちる。

右側の「聴覚仮説」についてはなんとも言えない。多少視覚イメージ構築プロセスからの強引なアナロジーと感じさせるふしもあるが、それ以上言えるだけの根拠がまだ持てていない。

ただ、視覚に勝るとも劣らない複雑な分析・統合システムがあることは間違いなっそうだ。



1961年に設立され、2009年の時点で参加国は118、オブザーバー参加国は16

1954年のネルー・周恩来会談で示された平和五原則を出発点とし、1955年のバンドン会議で平和十原則に発展した。なおこのバンドン会議は正式名称は「アジア・アフリカ会議」と言い、アジア・アフリカの29カ国が参加している。

背景としては、当時民族独立運動が盛んになり、朝鮮やベトナムでは国際戦争に発展。これを共産主義ドミノと見たアメリカが干渉し、核の脅迫を行ったことがある。

こういう状況の中で、1961年9月にベオグラードで第一回非同盟諸国首脳会議が開催された。当初の参加国は25カ国であった。

その後、「非同盟」の考え方や、先進国との距離感をめぐり混乱や紆余曲折があり、ソ連・東欧の崩壊後は一時崩壊の危機にさらされたが、途上国の安全と世界の平和を望む声に押されてふたたび強化されている。

今日では、各国の平等と国家主権、核兵器廃絶を目指す世界最大の組織として、その特徴を発揮している。

広島在住のWebジャーナリスト、哲野イサクさんが「2010年 NPT再検討会議」を記事にしているが、以下の表現が非同盟運動の傾向を象徴的に表している。

今回再検討会議は、非同盟運動諸国とアメリカ、フランスを中心とする核兵器保有国の激突だった.

非同盟運動諸国を中心とする非核兵器保有国の、核兵器に対する感情は「嫌悪感」にまで昇華されている。日本の外務省が宣伝する「日本人の核アレルギー」どころの話ではない。

彼らは核兵器を心底嫌い、憎んでさえいる。それだけに、非同盟運動諸国が「核兵器廃絶」への中心エンジンとなるだろうことは、疑いがない。

もう1ヶ所

今回の再検討会議は、非同盟運動諸国が、強い団結と政治的意志をもって主導したことを示している.

非同盟諸国は、今回の会議を、きわめて危機感をもって臨んだ。アメリカをはじめ核兵器諸国は防戦一方に追われた。

この文章だけをとってみても、非同盟運動に代表される途上国の団結が、核廃絶に向けた流れの最大の駆動力となっていることが分かるでしょう。


北海道反核医師の会総会のための資料(2010年6月)「2010年 NPT再検討会議 これまでの経過と簡単な解説」もご参照ください。

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