鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2017年09月

両生類の年表を作成してみた。とりあえずこんなところで。
肝心なことは、サカナが陸に上がってどんな感覚・装置を身に着けたか、それが脳の発達とどのように結びついていったかということなので、必要があれば補充するということにしたい。

地質時代区分

約4億2千万年前 古生代シルル紀後期に最古の陸上植物や陸棲節足動物(ユーリプテルス)が発生する。
約3億8000万年前 古生代デボン紀 地上に森林が形成され、昆虫が発生する。肉鰭綱(肺魚類)から進化した総鱗類のユーステノプテロンは、乾燥に強い皮膚を持ち、陸に上がれるようになる。
普通の魚は硬骨魚綱→条鰭類である。これに対しヒレの内部に硬い骨格があり、筋肉が発達しているものを肉鰭類と呼ぶ。
約3億6000万年前 古生代デボン紀後期 両生類が登場。総鰭類の筋肉質の対鰭が両生類の四肢となり、うきぶくろが肺となる。
最初の両生類はアカントステガと呼ばれる。全長約60センチメートル。ときに陸に上がって捕食していた。
Acanthostega
陸上生活への適応は不充分であり、皮膚呼吸に頼るため水辺への依存度が強い。特に幼生は、一般に水中生活をいとなむ。
約3億5,000万年前 古生代デボン紀後期の大量絶滅。海中生物が中心。
約3億4,000万年前 古生代石炭紀前期 シダ類が大森林を形成。両生類が発展。ペデルペスは陸上生活に適応した四肢と頑丈な歯を獲得。
大脳は古皮質のみ、脳神経は10対(爬虫類は12対)
Pederpes
約3億1200年前 石炭紀後期 巨大な肉食両生類が生息。これにより乾燥地帯に追いやられた両生類から、有羊膜類(Amniota)が分岐。有羊膜類は、初期に竜弓類と単弓類の2系統に分化。
約2億7千万年前 古生代ペルム(二畳)紀。カコプスは乾燥気候に耐えられる構造を身につける。発達した視覚と聴覚を持っていたとされる。
現生爬虫類の祖先となる双弓類、哺乳類の祖先に当たる単弓類(エダフォサウルス)も発生。
約2億5千万年前 大量絶滅がおこり、古生代(ペルム紀)が終了。海洋生物のうちの96%。全ての生物種の90%が絶滅する。中生代(三畳紀)に移行。
中生代三畳紀 世界中の淡水系に両生類が繁栄。最大種は3メートルに及ぶ。
中生代三畳紀末 両生類が衰退を迎える。白亜紀前期に多くが絶滅する。これに代わり、トリアドバトラクス(カエルの先祖)が登場。現生種はカエル目、サンショウウオ目、アシナシイモリ目のみ。

大事なことは、爬虫類と哺乳類は親子関係ではなく兄弟関係だということだ。爬虫類の器官を勉強しても、それを人間の原型だとはいえないのだ。
したがって爬虫類に関する知識はアクチュアリティを持たず、博物学的なものにとどまる。それならカエルやイモリの研究をしたほうが腹の足しにはなる。
ところで初期哺乳類ってどんなものなんだろう。

嗅覚を勉強していて、結局、魚類から陸上動物への変化にあたって何がもたらされたのかを知らないと全体像は見えてこないということがわかった。

おそらく嗅脳が大脳の発生母地となったことは間違いないが、そこに視覚や聴覚がどうやって乗り込んできたのかの機転は分からない。

まず考えてみる。陸上動物には肺が必要だ。これは最低必要条件だ。手足はあった方がいいがなくてもかまわない。ただ俊敏性は生き残るための絶対条件だ。空気中では抵抗が少ない分、運動能力は大幅にアップする。それは敵にとっても同じだ。

忘れてならないのは、行動範囲が飛躍的に拡大することだ。このためにオリエンテーション能力がもとめられる。それは記憶媒体の強化を必要とする。

実は、これらの変化はすでに昆虫類が先立って実現していたことである。昆虫は彼らなりの方法で地上生活に適応した。

では、はるかに進化した後に地上に登場した両生類の適応方式はどこが違うのか。

両生類が地上に進出した時、そこは昆虫たちの楽園だったはずだ。両生類はまず昆虫ハンターとして登場したのではないか。

命をかけて地上に進出する意味は、そこにしかないはずだ。

でかい話なので、例によって年表方式でファクトを収集することにする。


連合のご威光はすごいものだ。あらためて見せつけられた。
以前の記事を再掲しておく。

連休中は書かないといったのに、書いてしまう。
2010年の民主党への献金額だ。
赤旗の調査によるもので、全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)と傘下の電力関連労組から民主党の国会、地方議会議員に提供された献金の総額。
多いと見るか少ないと見るかは微妙なところだが、おそらくこれに数倍する地下水脈が流れていると見るのが自然だろう。
この資金源が組合員の会費によるものだとすれば、かなりの負担額になるが、企業献金の迂回路になっている可能性はないのだろうか。
前回、菅総理が突然に一体改革を打ち出したのも唐突だったが、今回の原発再開もきわめて唐突だった。ウラで相当の金が流れたと見るのが普通だろう。
多少の汚職なら、「いつもの話だ」と見逃すことはあるかもしれないが、民主党の掲げた選挙綱領と真っ向から矛盾するような政策が突如として提出されるのは、いかにも陰謀くさい。
米倉会長のほくそ笑む姿が、眼に浮かぶたびに、苛立ちが強まる。とにかく当面は共産党の前進しか道はない。

登場人物は変わったが、おなじ図式が繰り返されている。


という記事を見て少々あせった。
これまでの話がすべてパアになる。
短い説明文なので全文引用する。
魚の顔を正面からジッと見ていると口の上に左右それぞれ一対ずつ小さな穴が開いているのに気付かれると思います。
これが魚の鼻孔であり、前鼻孔、後鼻孔とそれぞれ呼ばれます。前鼻孔はヒトの鼻の穴に当たります。また、この鼻孔はヒトとは違い、呼吸には関与しておらず口腔内とは通じておりません。
前鼻孔と後鼻孔がトンネル状に通じており、ここを水が通る際に臭いを感じます。
ハナヒゲウツボは前鼻孔が花ビラのようになり、トラウツボは後鼻孔が角のように突出しています。
…ヒトが空気中に漂う揮発性の匂い物質を鼻孔で捉えるように、魚は水中に漂う水溶性の匂い物質を感じ取ります。
この能力により餌を捕ったり、生殖活動をしたり、群れで行動したり、海から川へ遡上したりすると考えられています。
前もって、味覚と嗅覚の類似性と違いについて勉強しておいてよかった。
魚類の鼻は一種の相似器官と言えるだろう。
原理的には液性の物質を感受するのは味覚で、気相の物質を感受するのが嗅覚である。液体クロマトグラフィーが味覚で、ガスクロマトグラフィーが嗅覚なのだ。
だから魚の「鼻」は味覚器官なのだ。
魚の鼻
ウツボの“鼻”
それじゃ、魚の口には味覚はないのか?
また一つ問題が発生した。
同じページの別の記事
味覚 グルメな魚達
味を感じる味蕾は口腔、鰓腔、食道、口唇、体表、鰭など様々な部位に分布します。「甘い」「塩っぱい」「苦い」「酸っぱい」の4つの基本味に対する感受性は、淡水魚は全てに反応し、海水魚は甘味に対する応答が認められないようです。
ということで、味覚というのもある。ただしそれは皮膚感覚に近い感覚のようである。エロ小説に出てくる性感帯、「う~ん、そこ感じるの!」に近い。どうせパンパンの営業用語だろうが…

なおこの文章には「鼻」の神経の行き先についての記載はないが、とりあえずは勘弁してください。疲れた。

ともあれ、受賞あいさつ程度では流石にもの足りない。五十嵐啓さんの論文を探したが、日本語の文章はほとんどない。
やっと見つけたのが下記の総説
ライフサイエンス 新着論文レビューというサイトに掲載されている。

連合学習における嗅内皮質と海馬との協調的な神経活動の増強 (2014年6月4日)

要 約
① 記憶,とくに「陳述的な記憶」の機能は嗅内皮質により担われている.
嗅内皮質は脳皮質と海馬とのあいだの神経回路を通じて情報を橋渡ししている。
しかし記憶が形成される過程については不明である。
② 最近,嗅内皮質と海馬の神経回路が、(脳波上の)ガンマ波長帯の振動をともなう神経活動により相互作用していることが示された。
③ 今回の我々の研究は、学習中に嗅内皮質と海馬の「神経振動活動の同期」が増強されていることを発見した。(より細かく言えば、嗅内皮質の外側部と海馬のCA!遠位部)
④ さらにこの「同期の増強」が、個々の細胞のスパイク活動の集合と相関していることを明らかにした.
④ これらの結果は、ラットに「匂い-場所連合学習」を行わせ、嗅内皮質および海馬の局所脳電位を同時記録することにより観察された。
⑤ 以上の結果は、神経振動活動が、海馬と嗅内皮質の神経情報を統合させる機能をもつことを示唆した.

かなりわかりやすく書き直したつもりだが、それでも専門用語のオンパレードだ。
さらに私の意訳したところではこうなる。
まずパソコンを想像してほしい。パソコンがUSBで外付けのハードディスク(記憶装置)と接続している。
パソコンからデータをハードディスクに転送するとする。
このときパソコンの出力波形をモニターし、あわせてハードディスクの入力波形をモニターして、これを同時記録する。
そうするとデータの転送中は両者が同じ波形を描くはずだ。それはデータの送受信に特有の波形を描くであろう。
そう予想して実験をやってみると、まさしくその通りになった。
ということだ。
著者はさらに個別の細胞のスパイク発火も調べて、④の結果を得ているが、これについては実験方法が良くわからないので、「多分そうだろう」というレベルで保留しておく。
記憶という機能については、流通型(実行型)情報と貯蔵型(言語型)情報の置き換え(エンコーディング)の問題も絡んでくるので、もっと奥の議論だ。言い過ぎにならないように注意しなければならない。

と言いつつ、私は素人だから何をしゃべってもかまわない。
この実験で強く示唆されるのは、海馬は嗅脳そのものだということだ。
そして嗅覚というのは、動物が陸に上がってから獲得した最新鋭の感覚器だということだ。
そしてほかの感覚がせいぜい中脳止まりの感覚なのに、これは前脳に集中するという偉そうな感覚なのだ。
しかも前脳にすらない記憶装置(したがって評価・判断装置)まで持っている出過ぎた感覚器なのだ。
しかし前脳や中脳はそのうち自前の記憶装置を持つようになる。とくに言語活動が出現してからは言語化し得ない嗅覚は主役の座を追われることになる。まさに「辺縁化」させられるのである。


面白い記事に当たった。きちっとした論文ではないのだが、雰囲気は伝わる。

日本神経科学学会で奨励賞をもらった五十嵐啓さんの受賞挨拶だ。

題名は「嗅覚から記憶へ」というもの。五十嵐さんはノルウェ-科学技術大学でフェローをつとめているらしい。

以下、要旨を紹介していく。見出しは私のもの。

1.嗅神経の流れ

嗅球の単一の僧帽細胞の軸索を顕微鏡で観察すると、軸索は遠く離れた外側嗅内野まで、細くも延々と続いています。
(前項でも明らかなように、嗅神経はさまざまな方向に枝分かれして伸びて行っている。この中から外側嗅内野への流れを本質的な流れとして選択したことがすごい)

外側嗅内野は海馬へと直接投射するため、嗅覚入力は末梢(嗅上皮)から海馬までわずか3シナプスで到達することになります。

(これは発生学的には、嗅覚中枢からひょろひょろと伸びてきたものであることを示唆する。そこで成長が止まったから先端が球状に膨大したのであろう)

2.海馬・嗅内野での匂い情報処理

海馬(CA1領域)と外側嗅内野の間では、課題学習に伴って、匂いを識別するスパイク活動が増加することが確認されました。

「オシレーション活動の同期」が20-40Hz波長帯で起きています。

「オシレーション活動の同期」は、異なる部位間での情報伝達を促進させ、記憶を形成させていることの証明です。

3.記憶の意味

かつて経験したことのある匂いを嗅いで、そのときの記憶がたちどころに蘇る、ということは、私達の日常生活でよく起こることです。

(ニオイというのは、記憶があって初めて意味を成すものだ。前項でもあったように、ニオイというのは「…のようなニオイ」なのだ。「…のようだ」というのは、記憶上の過去の経験と付き合わせて判断することだ。したがってそもそも嗅覚というのは記憶装置を必要とする感覚なのだ)

4.今後の研究方向

今後、シンプルな嗅覚―海馬回路系を用い、感覚情報から記憶への変換様式を明らかにするつもりです。

そのことで、「匂いの記憶」が嗅覚―海馬回路系を通じてどのように実現されているのかが明らかになるでしょう。

さらに、「嗅覚―海馬」モデルの構築を通じて、システムとしての脳機能のメカニズムが個々の脳部位での機能とどう関わるのか、それらがいかに結合すると高次機能が実現されるのかを検討していきたいと思っています。

(ということでなかなか気宇壮大だ。私の嗅脳→大脳皮質仮説から言えば、それが大脳発生の王道だろうと思う。大いに期待したい)

なかなか嗅脳に関する文献がなく、仕方なく範囲を広げてみた。嗅覚と味覚を検索窓に入れてグ-グルしてみたところ、下記の文献がヒットした。
4 章 味嗅覚 - 電子情報通信学会知識ベース
うんざりするほど宣伝まがいの独断的な文章が多い中で、過不足なく事実を記述してくれている。ありがたい文章だ。以下、その大要を紹介する。

4-1 味 覚
(執筆者:小早川達)[2008 年 8 月 受領]
4-1-1 味覚の受容機構 
「塩味」「甘味」「酸味」「苦味」の四つの味が基本味とされている。
日本で 1998 年に池田らが提唱したグルタミン酸ナトリウムやイノシン酸ナトリウムなどの「うま味」が第 5 の基本味といわれ,現在では世界的にこれが認められている.
部位による味質の感度は従来いわれているような局在化は著しくない。
味覚受容の機序は面倒なので省略。

4-1-2 味覚の伝達機構 
味覚のいい加減なところは、顔面神経,舌咽神経,迷走神経が相互乗り入れをしていることである。もともとほかの働きをしていた神経に同乗させてもらう借り物的なところがある。
とにかくそれらの刺激は延髄の孤束核に集約される。
孤束核はそもそもが迷走神経の一次センターで、消化器系,心臓血管系,呼吸器系からの入力が集中される。要するに内臓感覚情報として一パックにされるのである。
嗅神経の集中点は嗅葉→視床下部であり、延髄とは遠くはなれている。したがって味覚と嗅覚はかなり高次のところで出会うことになる。
一次センター(孤束核)からの伝達方向は、とりあえず運動反射系に反映させる経路に向かい、もう一つは視床の味覚中枢に行く。
霊長類では視床でニューロンを変えて、さらに大脳皮質の味覚野に行く。破壊行動実験や誘発電位法などから,島皮質(前頭弁蓋部と島皮質の移行部)が高位中枢であることが確認されている。
嗅覚と統合されるのはおそらく視床内であろう。大脳に行くのはおそらく「味を評価し楽しむ」ためであろう。猫でも好き嫌いはあるが、もう一つ上の「味わう」というレベルがあるようだ。

4-1-3 味覚の皮質における投射 
いろいろ書いてあるが、素直には信じられない。とりあえずはどうでもよいことだ。

4-2 嗅 覚
(執筆者:小早川達)[2008 年 8 月 受領]
4-2-1 嗅覚の受容機構 
Richard Axel らはニオイの受容体の発見をし,これによって彼らはノーベル生理学・医学賞を受賞した.
受容体において,ニオイ物質と受容体は 1 対 1 の関係ではない。組み合せによってニオイ分子が認識されるために,相当数のニオイ分子の認識が可能になる。

4-2-2 嗅覚の伝達機構
嗅球からは直接,前部梨状葉皮質に投射する.五感のなかで,視床を通らず皮質に直接投射するのは嗅覚のみである.
前部梨状葉皮質からは視床下部,島皮質,眼窩前頭野または扁桃体に投射する.
(大脳皮質から視床下部に情報が上行するのは、形式論理的には奇妙な話である)

4-3 人間と味嗅覚
(執筆者:小早川達)[2008 年 8 月 受領]
4-3-1 誘発応答計測 
省略

4-3-2 味覚と嗅覚の違い 
味覚も嗅覚も、味物質が蛋白質に受容され,受容細胞内での化学プロセスの後,イオンチャネルが開き,電気パルスに変換される。
しかし人間という観点から見ると共通点と相違点がある.共通点は両方が化学受容感覚であるということだ。また「快・不快」がほかの感覚と比較してより直接的に想起されることも共通する。
しかし「言語表現」という観点では違ってくる。嗅覚に関しては、「甘い」「酸っぱい」「苦い」に相当する語彙は存在しない.
たとえば「甘い香り」は、ニオイが甘いのではない。「そのニオイが甘い味を連想させるようなニオイ」ということである.
このようにニオイの評価は人間の印象によって大きく影響を受ける.このために「快不快において中立」な嗅覚刺激をつくることが難しい。

4-3-3 順応
刺激を持続して与えられると感覚強度が時間と共に減衰していく。これを順応という.化学受容感覚の特徴である。
感覚強度の時間による減衰は、受容器における感覚減衰と中枢における減衰とに分けられる。前者を adaptation(順応)と呼び,後者を habituation(馴化)と呼ぶ。
順応は,味物質が嗅細胞のなかの嗅繊毛の受容部位に持続的に結合することによる。
ニオイ刺激に対して「良い印象」を持った場合は強度の低下をもたらし、「悪い印象」をもった場合は順応が起こりにくい。
(施設のワーカーさんたちは順応ではなく馴化しているのですネ、ほんとうにえらい)

4-3-4 快不快
味嗅覚の研究において動物を用いた実験で快不快の研究が数多くあり,それらの結果を基にして人間の「おいしい」「まずい」(もしくは”やみつき”)が語られることが多い.
しかし人間における「おいしい」「まずい」の判断は、もっと複雑な要因の上で判断なされていると考えるべきである.(心より同感します)

「幸せの黄色いハンカチ」の展示を見ていて、ふと説明文に吸い込まれた。

「この映画は典型的なロード・ムービーである」

「あぁそうか」と一応は納得したが、何か喉に引っかかる。単純にそうは言えないのではないか? とも思う。回想シーンが頻繁に挿入されるし、武田鉄矢と桃井かおりの二人の成り行きは、むしろ狂言役による幕間劇ともとれる。

よく考えてみれば、なかなかに複雑な構成なのだ。

ロードムービーってなんだろうと考えているうちに、「母をたずねて三千里」を思い出した。

これぞ、ロードムービーではないか。

もちろん私はアニメ世代ではないから、アニメ版「母をたずねて三千里」の中味は知らない。

多分、子供の頃に絵本でまず接して、大きくなってから「クオレ」を読んで、「あれっ、これって『母をたずねて三千里』そのままじゃん」と気づいたときである。

クオレは子供のときに買ってもらった(と言うか押し付けられた)「世界少年少女文学全集」の一冊である。

当然そんなものは読まない。書棚に並んでいるのを見ただけでゲップが出る。

それがどういう拍子か高校時代にたまたま手にしてしまった。ボロボロ涙を流しながら読んだ覚えがある。

『母をたずねて三千里』もかわいそうな少年の話ではなく、「男はどう生きるべきか」みたいな感じで受け止めた。

だいたいクオレというのは、サルジニア王国を中心にイタリアを統一した直後の話で、「愛国主義美談」の濃厚な本だ。

政治意識が芽生え始めた高校生にとっては、もろに琴線に触れるわけで、自分の思想的と言うか心情的なバックボーンの一部になっているような気がする。


青空文庫でその「母をたずねて三千里」が読める。やはりクオレの一挿話を抄出して一編の童話にしたもののようだ。

ウィキでは、もっぱらアニメについての講釈が展開されるが、長い連載モノにするために相当脚色が加えられているようだ。

多分そのほうがよいだろう。ちょっと原作だけではゴツゴツと『事実』が並べ立てられていて、人物像の膨らませ方が足りないと思う。(それがある意味ではドキュメンタリーっぽさを引き出しているとも言えるが)


三笠の炭鉱について
前回の記事で、三笠には幌内、奔別、幾春別の3つの炭鉱があったと書いたが、少しウィキで調べてみた。
なお三笠という市名だが、明治時代に存在した空知集治監の建物の裏山が奈良の三笠山に見えることから名付けたと言う。最初は三笠山村と言ったらしい。何かがっかりするような話だ。
炭鉱の歴史をざっと見ておく。
1968(明治2)年に幌内で良質な石炭が見つかり、11年後に幌内炭鉱として開業した。さらにその3年後には鉄道が開通した。鉄道は小樽の港までつながり、弁慶号や義経号が走ったのは有名な話である。
86年には幾春別炭鉱も開かれる。昭和5年に住友が奔別で操業を開始した。この炭鉱は明治の時代から小規模炭鉱として開かれていたが、住友が乗り出してきて本格的採掘を始めたもの。

戦後も三笠の鉱山は急拡大を続け、最盛期には人口が6万人を越えた。

もっとも条件の悪かった幾春別炭鉱は、石炭最盛期の昭和32年に早くも廃坑となっている。
65年前後を境にスクラップ化が進み、71年には住友奔別炭鉱が閉山した。
今も残る東洋一の櫓(立坑の深さは735メートルで、櫓の地上高も50メートル)を建ててから、わずか10年後のことだった。
という長い題のページに、内部や近接の写真がアップされている。発表しているのだから許可を貰って中に入ったのだろう。
そこに閉山に至った状況がかんたんに書かれている。何やら想像を絶する大爆発があったようだ。
爆発事故や坑内環境の悪化、そして石炭から石油へというエネルギー転換の波に飲み込まれ、昭和46年に炭鉱は閉山。その後、坑道の密閉作業中にも爆発事故が起こり、5人の尊い命が失われた。

追記
小樽総合デザイン事務局」の記事も見つけました。

下の写真は旧唐松駅に展示されているものだそうです。「奔別」のロゴがついた建物は竪坑櫓というのだそうです。

唐松駅

旧住友奔別炭鉱(そらち炭鉱の記憶アートプロジェクト)

2016.5 奔別炭鉱 2.7k 【空撮】

では動画も見られます。

奔別鉱の経緯については 奔別立坑物語 その一端

が詳しい。

しかし、事故の実態と真相はいまだ不明。

山道を登ったところに奔別の社宅や学校、病院まであったと言うので登ってみたが、その先に人家の有りそうな気配はなかった。
ネットで、そのあたりの景色が映されている。まったくの原野で、所々に人が住んでいたあとがわずかに残されている。結局行かなくて正解だったかもしれない。

当初は炭鉱すべてがだめだというわけではなく、選択的に建設も行われた。筑豊が全部ダメになったあと、坑夫のかなりの部分が北海道へやってきた。「黄色いハンカチ」の主人公もそうやって夕張に流れてきたという設定になっている。
ビルド鉱の一つが最も歴史の古い幌内炭鉱だった。ここでは昭和41年になってから巨大立坑が建てられている。なんと地下1千メートルだ。ここを50人乗りのエレベーターが行き来するのである。(スーパーカミオカンデも地下1千メートル)
その幌内炭鉱も89年に閉山した。すべての炭鉱が姿を消した。


9.28

本日の赤旗で、奔別のホッパーを産業遺産として保存しようという意見が載せられていた。

ちょっと複雑な気分である。

これは一般的な産業遺産ではない。死者を出した大爆発事故の残骸である。

きつい言い方をすれば、爆発リスクを深く考慮せずにヤミクモに掘り進んだ経営者・技術者の失敗の証である。

そして、再建の努力もせず、残骸を棚晒しにしたまま逃げ出した住友の無責任さの証である。

できたときこそ東洋一だったが、間もなく作られた北炭幌内の立坑は、地上高さえ劣るものの深度は上回っている。

肝心なことは、幌内鉱がそれを非勢いかんともし難くなった80年代末まで大過なく運営し、役目をまっとうしたことである。

産業遺産(ヘリテージ)とはそうあるべきものではないだろうか。

人類の愚かさを伝える「負の遺産」として残さなければならないものも世に数多くある。

しかし、奔別鉱の建屋がそれに相当するだろうか。



毎日サンデーの今日このごろですが、本日は好天に誘われて炭鉱町めぐりです。
まずは野幌から夕張鉄道線路の跡地を走る「きらら街道」に入り栗山まで。ここから先が鉄道が見えなくなりますが、栗山を過ぎて南下し由仁の手前、角田というところから左折して山に入っていきます。途中何気なく橋があって、下をいかにも元鉄道らしき細めの道が通っていました。おそらくこれが元夕張鉄道でしょう。ここから先はなかなかの難所で、蒸気機関車がスイッチバックしながら山を登っていったようです。
夕張に行く道路は道道3号線、通称「札夕線」ということで、しっかりと作られています。昔はメインのアクセスだったようですが、今はもっと南側に三川国道という立派な道路ができて夕張川に沿って南夕張につながっています。南夕張からは峠をいくつも越えて日勝峠から道東・十勝平野へと至る大動脈になっています。だから札夕線は夕張へ直接繋がる道路なのに道道のままだということなのでしょうね。
札夕線は富野というところまではダラダラ登りですが、そこからいきなり急坂になります。つづら折りを登り詰めたところにトンネルがあります。まぁ当たり前ですね。
ところが、トンネルを抜けると、そこがいきなり街なのです。なにか異界に飛び込んだようで、これはかなりの衝撃です。
道は間もなくT字路に突き当たります。鹿ノ谷といいます。
鹿ノ谷駅は北海道炭礦汽船の全盛期は、駅周辺の鹿の谷地区は幹部用住居が存在する高級住宅地であり、旧夕張北高校・夕張工業高校に通学する学生で賑わった。
そうです。
夕張の街は夕張川沿いに南北に伸びていてそれを1本の道がつなげています。いわゆる「ふんどし街」です。T字路を左に曲がると、つまり川上に進むと夕張の本町になります。役場や病院(今は診療所)があります。そこからもう少し行くと炭鉱博物館があります。30年位前までは大きな遊園地もあって、けっこう賑わっていました。まぁ今で言えば放漫財政の名残でしょう。
今日はそちらには向かわず右折して南に走りました。
間もなく「黄色いハンカチ」公園の看板があって左折して山に登ります。だらだら坂を登っていく途中に左折すると「黄色いハンカチ」の炭鉱長屋につくのですが、看板を見逃して進んでいきました。
すると大きな日帰り温泉があって、第3セクターの運営のようです。広大な駐車場に車が5,6台。その脇には特養だか老健だかがあって、北海道の田舎ではおなじみの光景です。
ただここが違うのはとんでもない煙突が立っているということ。高さなんと68メートルなんだそうです。この煙突は昭和36年、炭鉱が一番威勢のいいときに建ったそうです。根元の直径が約7メートル、先端も3メートルくらいあるそうです。石炭を精製してコークスを作る工場があったそうですが、いまはそれは影も形もなく、駐車場の片隅にこの煙突だけが残されているのです。元は街のシンボルとして屹立していたものが、今は広場の片隅に巨体を持て余して、「すいませんねぇ」という趣で佇んでいるのがそぞろ哀れを催します。
とにかくこれはすごい産業遺産です。夕張に行ったらとにかくこれだけは見ておいたほうが良いです。
少し道を戻って「黄色いハンカチ」の長屋に向かいました。なかなかいい施設ですが、入場料はちょっとお高い。ただこの施設の維持のために頑張っている人たちの努力を考えると「まぁいいかな」という気もします。
長屋の外見は昔のままですが、一歩中に入るとモダンなギャラリーです。
飾ってあるマツダのファミリアを見ながら、しばし感慨にふけりました。あの映画はけっこう時代をまたいでいるのです。寅さんのような古き良き時代を懐かしみながら作られているのです。あの映画が理想としているのは、映画の時代より10年から20年遡った時代なのです。
昭和52年には、もうすでにバブルの時代に突入していました。ファミリアは買って買えないほどの車ではなかったのです。現にそれから数年後には私の嫁さんがファミリアのXGを買っています。
我が家は嫁さんが貧乏教師の娘なのに贅沢で、私は嫁さんの車の型落ちで乗っていました。結婚したときに嫁さんの親のスバルをもらい、嫁さんがレオーネを買うと私がスバルを運転しました。
「子供を保育所に送り迎えするから」と言っていたのですが、実際に送り迎えしたのは私でした。
スバルが故障ばかりするのでスズキの軽に乗り換え、そのあと中古でダイハツのシャレードに乗っていました。冬の暖房が効かないのには参りました。
つまり車が典型的だったのですが、時代は右肩上がりだったのです。ところが石炭は斜陽だったのです。
いまの若い人はそのへんがわからないから、あれが昭和52年のリアルストーリーだと思ってしまう。そうじゃないんです。あれは戦後30年、人間が少しゆとりを持って人生というものの価値を考え直し始めた時代の精神なんです。
その前には「愛と死をみつめて」のミコとマコの世界がある(なんと吉永小百合のきれいなことか)。「名もなく貧しく美しく」の小林桂樹と高峰秀子の世界があるんです。
たしかにそのように考え直そうとした人間がいた、しかし同じその人間が一方ではけっこうエコノミックアニマルまっしぐらでもあったんです。
まぁそんなことで「黄色いハンカチ」をあとにして国道に戻りました。
第4の見ものが清水沢の飲み屋街です。このあたりには夕張本町とは違う炭鉱がたくさんあったようで、清水沢駅の近くにはたくさんの飲食店があります。三菱大夕張の線路がここに来ていましたから、三菱系の関係者のたまり場だったのかもしれません。
店は全て閉じていて、中には崩れかけたものもありますが、中には「本日定休日」みたいな雰囲気を残す店もあります。まさに廃墟観光の決め技です。かつては夜ともなれば紅灯の巷と化したのでしょうが、今だと夜歩くのにはかなりの度胸が必要かもしれません。
昭和60年頃、私が菊水の病院に勤めていたときには、バスの便が良かったのか清水沢の人が外来に通院していました。その頃はまだ結構鼻息が荒くて、「本町はもう落ち目で、これからは清水沢が夕張の中心だ」みたいなことを言っていましたが、あえなく轟沈したようです。
その清水沢もご覧の有様。いまはもう一つ先の南清水沢が「第二都心」になっています。
それ以上南に行ってもしょうがないので、清水沢から大夕張の方に入りました。夕張には何回か行きましたが、大夕張には行ったことがなくて前から気になっていました。途中、有名な水力発電所跡が見えますが、今回はパスしました。
「時すでに遅し」というのは大夕張もおなじで、北炭系よりさらにひどい。どこもかしこも廃墟と化していました。ただ旧大夕張駅にラッセル車と客車数両が保存展示されているのは嬉しいことでした。誰も監視人などいません。勝手にドアーを開けて乗り込んで、客車の座席に座れるのです。
大夕張の駅からはそびえ立つシュウパロ湖ダムの堰堤が望めます。それを右手に見ながら長ーいシュウパロトンネルを越えると、広々とした人造湖に出ます。湖の向こうは雄大な夕張岳が広がります。
秋雨のシーズンを控えてずいぶん放水したと見えて、かなり干上がっています。湖の中に湖底に沈んだ鉄橋のアーチが半分くらい姿を表しています。あの橋のあたりがかつて殷賑を極めた大夕張の高野炭住が建ち並んでいたあたりでしょう。
あとは湖の西岸を北に進み、三笠に出ました。
三笠と言ってもみんなあまり馴染みがないと思います。結局いくつかの炭鉱町が行政的に束ねられて三笠という名前になっただけで、大きな炭鉱で言うと明治からの幌内炭鉱、住友の奔別炭鉱、それに幾春別炭鉱です。
ここで一番の心残りは奔別炭鉱です。錠がかかった門の向こうには巨大なホッパーと選鉱場、ボタ山などが立ち並んでいます。門の前の地図を見ると正門の脇の道を登っていくと炭住や旧炭鉱病院が軒を連ねる一角があったようですが、今では立入禁止となっています。坂の途中から見下ろすと、建物群の奥行き、巨大さがよくわかります。
いずれここはもう一度訪れてみたいと思います。

神川さんの本で、ひとつ興味ある記載がある。

言語…まずは持って聴覚言語だが、その音響的受容と言語化は利き腕の反対側の側頭葉後半(角回)で行われる。

以下、面倒なので「左脳」と呼ぶ。

これがウェルニッケ(聴覚言語野)だが、「それではその反対側、つまり右脳の側頭葉後半領域は何をしているのか」、ということである。

1.右脳に聴覚言語野は再建できないのか

もちろん耳は両方にあるのだから、それに対応する聴覚野も存在する。これは破壊実験で確認されている。

だからおそらくその先にはウェルニッケとして働ける潜在領域が広がっているはずである。

だから、何かの理由でウェルニッケが機能しなくなったとき、右利きの人が左利きになれば、ウェルニッケ失語は改善するのではないか、というのが素人考えである。

2.右脳の聴覚言語野→は遊んでいるのか

これについては、神川さんがケースを紹介してくれていて、大変面白い。(本人にとっては面白いどころの話ではないのだが)

左脳の角回付近はいろんな機能がかたまっているが、大きく言うと

① 体性感覚(ペンフィールドの絵でおなじみ)

② 聴覚(ウェルニッケ言語野につながる)

③ 視覚(二次情報化された)

の3つだ。

この内特殊なのが視覚で、ここに来る映像は網膜から直接投影されたものではない。これは聴覚との大きな違いだ。

おそらく右脳がダメージを受けても左が健在なら聴覚言語はほとんど影響を受けないだろう。

しかし視覚はそうは行かない。たんに立体視ができなくなるだけではすまないだろう。“Where” 認識が効かなくなるだけではなく、いわゆる動態視力的な認識能力が重大な影響を受けるはずだ。

3.具体的なケース

左の角回がやられると失行・失認が現れる。いわゆるゲルストマン徴候である。

右の角回がやられた場合は、奇妙な失行・失認が現れる。これは半側性空間失認と呼ばれる。

左側だけの失行・失認である。ものを描くと、左半分が空白のまま残される。体の左半分を無視してそれが存在しないように振る舞う。

しかし患者の視野には異常はなく、半盲ではないのである。

これをもって、神川さんは下記の如く結論する。

空間の認識に関しては視路に接した角回に中枢があり、右脳半球が優位と考えると説明がつきます。

そうだろうか?

私は、両方に視覚関連認識の中枢があり、両者の共同で空間認識が存在しているのではないかとおもう。

つまり言語中枢に関しては明らかに優位・劣位はあるが、空間認識については優劣はないのではないかと思われるのである。下の図で言えば、左脳の言語領と書いてある部分は「言語+空間の見当識」領なのだ。

kakkai

もう一つ、頭頂葉で構成される画像はたんなる空間認識ではないということである。それは画像ではなく映像であり、“時空間認識”のためのイメージなのである。

視覚には“What”系視覚と“Where”系視覚がある。この内“What”系視覚には重大な支障は出ない、視神経→膝上体→視放射が直接侵されているわけではないからだ。

しかし“Where”系視覚、とりわけ時間軸を伴う動的視覚には重大な影響が出る。ここに特徴があるのではないか。


フリッツ・リップマンの自伝から
1918 軍医見習いとしてセダンに赴任。多くの戦病兵を看取る。
1919 戦地から戻ったケーニヒスブルクでインフルエンザが大流行。戦死者を上回る死者を出す中で数ヶ月にわたり治療に当たる。
1920 ケーニヒスブルク医科大学を卒業。臨床実習に入る。
21年 アムステルダム大学の薬理学教室で半年間の研修を受ける。この時、生化学の道に進むことを決意。ふたたびケーニヒスブルク大学に戻る。
27年 国家試験に合格。ベルリンのKW研究所のマイヤーホフ研究室に入る。クレアチンリン酸の研究を開始。この間、ノイベルクの研究室にも顔を出す。
29年 研修期間切れとなったリップマン、ハイデルベルクを離れベルリンに戻る。彼女のいるベルリンに戻りたかったのが本音らしい。
30年の6月にアルベルト・フィッシャーの助手ポストを見つけてベルリンに戻った。しかしすでにユダヤ人に対する迫害は始まっており、リップマンも暴行を受けた。
31年 フィッシャーのコペンハーゲンへの異動に伴い米国に渡る。ロックフェラー協会で1年間の研修。
32年9月 アメリカからロンドンに移る。ここでエムデンとの手紙による交流が始まる。エムデンはこの交流をもとに解糖の全経路を書き上げ、これをエムデン・マイヤーホフ経路と名付けた。(earned him rightly the companionship in the names of the Embden-Meyerhof pathway for the glycolytic cycle)
リップマンによれば、この仕事を実質的に行ったのはエムデンの弟子ゲルハルト・シュミットだった。
ゲルハルト・シュミットについては下記の本が出されている。
Out of Nazi German in Time, a Gift to American Science: Gerhard Schmidt, Biochemist
32年末 アルベルト・フィッシャーの居たコペンハーゲンに移る。7年間のコペンハーゲン時代にピルビン酸の酸化に関する業績を上げる。
39.6 迫りくるナチの侵攻を前にアメリカに亡命。2年間の浪人のあとボストンのMGHに職を得る。
スクイグルという奇妙な言葉は、エネルギーに富むリン酸結合(C~P link)のことらしい。
このあとの話は省略。
ということで、注目するのはただ一つ。32年秋に注目すべき実験結果があり、それにより解糖経路のミッシングリングが解決したこと。それを元にいくつかの補足実験を行ったあと、エムデンが解糖経路の最終案として提示したこと、その際にエムデンみずからが「エムデンマイヤーホフ経路」と名付けたこと。
である。
ただしこれはリップマンが自伝の中で語っていることであり、エムデンの原著を確認したわけではない。
33年にエムデンを主著者として発表されたらしい。「白鳥の歌」ということになる。

エムデンの bio を知ると、どうもリップマンの影が漂う。
ここからはまったく私の想像だが、
第一次大戦が終わる頃、キール大学のマイヤーホフが乳酸説を唱えた。それは一世を風靡しノーベル賞が与えられた。それより前から解糖系に取り組んでいたエムデンとしては面白くない。
そこで乳酸説を批判しつつ独自に解糖系のステップ作りに取り組んだ。
マイヤーホフはベルリンに出たあと、29年にフランクフルトに作られた研究所を任される。エムデンはご近所さんになったマイヤーホフとは口も聞かないという態度を取ったそうだ。
マイヤーホフは乳酸説を否定されるという経過を経て、好気性呼吸との接点を探る方向に転換していく。
ところが、細胞呼吸は先輩ワルブルグの専門領域だ。
そこで登場するのがリップマンで、エムデンをはじめ諸方面との調整を図る。意識的にそうしたかは知らないが、結果的にはそうなっている。
1933年になって、ナチが政権を握ると反ユダヤ攻撃が始まる。エムデンが最初の標的となり、授業にユーゲントが殴り込み、エムデンは講義ができなくなった。そして夏には突然死する。
ワルブルグとマイヤーホフはなお国内に留まるが、中堅研究者はアメリカ・イギリスへと逃げていく。
その中でリップマンは、研究者の知的結集を図ったのではないか。
エムデンの解糖系の骨組みを酵素の発見で補充し、乳酸→アルコールのしっぽを外し、これにエムデン・マイヤーホフの名を冠した。
ピルビン酸からクエン酸への反応過程をアセチルCoAで解き明かし、ワルブルグらの呼吸回路とつなげながら、これをワルブルグの弟子クレブスの功績に帰した。
これでエムデン派の顔もワルブルグ派の顔も立つことになる、ローマンはATPでやっていけばよい…
というのが、目下の私の推理である。

The Roots of Modern Biochemistry--Friitz Lipmann's Squiggle and its Consequences
という本がある。
グーグルブックスでかなりの部分が読める。今アタック中だが、過去の経験から言えば多分挫折するだろう。誰かが手を着けてくれないかな、と願っている。

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エムデン・マイヤーホフの「エムデン」て知ってますか。

エムデン・マイヤーホフ経路というのは標準的な解糖経路として誰知らぬものはないほど有名です。

ただ年表好きの私としては、エムデン・マイヤーホフの経路、およびその名称がいつ確定されたのかを知りたくて、何気なしに調べたのですが、まったく見当たりません。

さらにエムデンがどういう人なのかもまったく紹介されていません。

たしかに、そんなことを知らなくても別に不自由はないのでしょうが、「ちょっと教える身としては恥ずかしくないのか?」、などと思ってしまうわけです。

ということで、年表に組み込んでも良いのですが、一項起こしておきたいと思います。

1.英語版ウィキペディア

とりあえず英語版ウィキから。

フルネームは Gustav Georg Embden

1874年、ハンブルグの生まれだ。ついでに書いておくとマイヤーホフは10年後の84年にハノーバーに生まれているから、10歳年上ということになる。

父は法律家で政治家のゲオルク・ハインリッヒ・エムデン。祖母はシャーロット・ハイネといって詩人ハイネの姉妹だ。

各地の大学で生理学を学び、1904年、30歳でフランクフルト・ザクセンハウゼン州立病院の化学検査部長に就任している。

3年後に彼の研究の業績は検査部を生理学研究所へ、1914年には「栄養生理学の大学機関」(University Institute for Vegetative Physiology)へと発展させることになった。

また14年からフランクフルト・アム・マイン大学で教鞭をとるようになっている。

1925年、エムデンはこの大学の学長となった。

というのが立身出世の物語。

次が研究内容の紹介。

彼の主たる活動の場は糖代謝と筋収縮の関係であった。

彼は最初にグリコーゲンから乳酸に至る諸段階を一つの経路として提起した人だった。

1918年にマイヤーホフは糖が乳酸に壊れていく(Breakdown)と提起した。そのあとエムデンは、その仔細な段階を明らかにすべく研究した。
ウィキにはもう一つのエピソードが載っている。

エムデンは12回もノーベル賞にノミネートされたが、結局受賞には至らなかった。

ただしこれは当時の通例だったようで、ワールブルグも31年の受賞まで46回もノミネートされている。

結局、エムデン・マイヤーホフ経路という名称をいつ誰がつけたのかは、英語版でも不明である

2.
フリッツ・リップマンの回想
このあたりの裏事情というのは、フリッツ・リップマンが書いた回想録に書かれている。Wandering of a biochemist(1971)という自叙伝も刊行されているようだ

個人的なEMBDENとMEYERHOFの間の接触は事実上ゼロだった。例えば、私はシュミットやエムデンらと一度も会わなかった。

ところがリップマンがマイヤーホフの下を離れて解糖系の研究を続けていたとき、エムデンがリップマンを取り込んだらしい。リップマンは元同僚のローマンと計って、エムデンを売り出し、エムデン・マイヤーホフ経路なる言葉を作り出したのではなかろうか。

3.
渋めのダージリンはいかが
ようやく日本語文献を見つけました。上記のブログです。かなり年表のネタが混じっています。
1933 エムデンはヒトラー・ユーゲントの乱入で講義を妨害され、自宅に引きこもって失意のうちに病死した。

それからというもの、この細胞内シークエンスはエムデン・マイヤーホフ経路と呼ばれるようになった。

ただし命名の顛末については下記の1行のみ

エムデンとマイヤーホフはまさしくライバルであり、非常に仲が悪かったようです。

このブログでリンクしている下記のページに行ってみました。

Kagaku to Seibutsu 53(11): 792-796 (2015)

に掲載された木村光さんの「オットー・マイヤーホッフのヒトラーとナチスからの逃脱―ピレネー越えの真相」というエッセイです。

文章の主題であるマイヤーホフの劇的なドイツ脱出についてはここでは触れない。

4.マイヤーホフとエムデン

エムデンは乳酸生成が筋収縮にやや遅れて生ずるとして,マイヤーホッフの乳酸学説を批判した。

彼はグルコース(C6化合物)が,2つのC3化合物に開裂する過程を考察した.

エムデンは自分が作った理論モデルを検証することなく亡くなった。その後の5年間にマイヤーホッフ一派により,エムデンのモデルが検証された.

そのため,解糖系は“エムデン・マイヤーホッフ経路”と呼ばれる.

つまり“エムデン・マイヤーホッフ経路”と名づけられたのはエムデンの死後だったんですね。そして名付けたのはマイヤーホフと弟子たちだったんですね。
ただこれでも名称の初出と、最初の提案者が分からない。

ついでに木村さんのページから写真を転載させていただく。1949年に米国で撮影されたものだそうだ。木村さんがマイヤーホッフの長男からもらったものだそうである。

seikagakusha
左から右へ.コーレイ(S. Corey),ナハマンゾーン(D. Nachmansohn,自らマイヤーホッフの息子を名乗る),バーク(D. Burk),セント=ジェルジ(A. Szent-Györgyi,ビタミンC,Pの発見で,1937年ノーベル賞),ワールブルグ(O. Warburg,呼吸酵素で,1931年ノーベル賞),マイヤーホッフ(O. Meyerhof,筋肉の乳酸学説で,1922年ノーベル賞),ノイベルグ(C. Neuberg,メチルグリオキサール説その他で発酵化学に貢献),ウォルド(G. Wald,マイヤーホッフの弟子で,目のビタミンAの研究で,1967年ノーベル賞)

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呼吸と発酵の研究史

神川さんの本は光合成の話から始まる。これは的確な発想だと思う。

しかし残念ながら、この頃光合成の明反応についての研究はあまり進んでいなかった。このために光合成の説明が暗反応に偏っていて、生化学的な電子のやり取りの連鎖になっている。ここからは光合成のダイナミックなエネルギー転換の本態は伝わってこない。

やはり光合成には生物物理学的な説明が必要なのだ。

それに比べると嫌気性代謝とTCAサイクルについては、すでに一応モデルが確定していたので、そのまま勉強になる。

変なもので、最新の知見ばかり集めていると、その元をなす理論の習得が意外とあやふやになっている。そのことに気付かされた。

あらためて、神川さんの本に沿って歴史をまとめてみたいと思う。

ただ神川さんの記述だけでは、細部の欠落がかなり大きい。そこはウィキなどを使って埋めていくことにする。


1876 パスツール、発酵過程を研究。アルコール発酵が酵母の働きによることを確認。「発酵は酸素のない状態での微生物の生活である」との結論に達する。

ただしアルコール発酵はやや特殊で、ピルビン酸から乳酸に向かわず、アセトアルデヒドを経由してエタノールになる。このとき付随的に炭酸ガスが発生する。

19世紀末 クロード・ベルナール、筋肉中にある「乳酸」の起源がグリコーゲンであることを示す

1910 アーチボルド・ヒル、光電管 用いた増幅器により、筋肉の発熱量を測定。

1914 ベルリンにカイザー・ヴィルヘルム生物学研究所が設立される。オットー・ワルブルグは終身研究員となり、細胞呼吸の研究を開始。鉄塩(ヘムタンパク)が細胞呼吸を促進することに気づく。その後の研究により呼吸酵素(チトクロームなど)の存在を予想。
ワルブルグは戦争中に軍歴を重ねていたが、父の友人アインシュタインが研究所に押し込んだといわれる。
1919 キール大学のオットー・マイヤーホフ、筋肉における乳酸代謝の研究を開始する。カエルの筋肉を酸素のない場所で収縮させ、グルコースの消失と乳酸の発生を観察。糖を分解する過程を「解糖」と名づける。

1922 ヒルとマイヤーホフがノーベル賞を受賞。筋収縮のエネルギーが解糖によって賄われていると提唱。「ヒル・マイヤーホフ反応」と呼ばれる。

解糖→エネルギー発生により、その代謝産物としてピルビン酸が発生。これは乳酸に変換され、その大部分はグリコーゲンに再合成される。

1925 ケイリン、好気性生物のヘム蛋白に酸化還元機能があることを発見。チトクロームと命名する。

チトクロームはヘム鉄(ポルフィリン鉄)を持つ複合タンパク質で、ヘム鉄が2価になったり3価になったりすることで電子伝達を行う。

1926 ハンス・クレブス、ベルリン王立生物学研究所に入り、ワルブルグの助手を務める。

1926 ハーバード大学のフィスケがネコの筋肉からクレアチンリン酸を分離。フィスケはさらにATPも発見したが,ローマンより発表が数か月遅れた。

1929 マイヤーホフ、ハイデルベルグのカイザー・ウィルヘルム生理学研究所所長に就任。

1929 デンマークのルンズゴール、マイヤーホフの乳酸ドグマを否定する実験結果を発表。

無酸素下でカエルの筋肉を連続収縮させたところ、70回にわたり収縮を繰り返した。この間乳酸の増加は起きなかった。(ルンズゴールの実験についての神川さんの説明は不正確である

1929 マイヤーホフ門下のローマン、乳酸発酵した筋肉の抽出液にリン酸化合物が存在することに注目、ATPを同定する。

アデノシンというのは、リボースという5単糖がアデニンという塩基に結合したもの。左腕でアデニンとつながり右腕でメチル基を介してリン酸塩とつながる構図だ。

リン酸塩が1つならAMP、2つならADP、3つならATPということになる。

ADP/ATPというのは充電型の乾電池のようなものだ。エネルギーを保存できる、持ち運べる、再利用できるという3つが特徴だ。しかも燃料効率がよい。

なぜこの分子構造なのかは、いづれまた勉強する。

1930 マイヤーホフらによるルンズゴールの追試では、筋収縮が起こらなくなったときにクレアチンリン酸含有量がゼロになった。そして乳酸が増加し始めた。

1930 マイヤーホフはルンズゴールの知見を承認。解糖系のあとに好気性呼吸の過程が続きATPやクレアチンリン酸が生成されるとし、自説を翻す。

1931 ロックフェラー財団の援助を得て細胞生理学研究所が完成。このときカイザー・ヴィルヘルムからマックス・プランク研究所へと改称。所長にワールブルグが就任。

1932 ワールブルグ、フラビン酵素(ビタミンB2)とニコチン酸アミドを相次いで発見。「呼吸鎖」の全容が次第に明らかになる。

ワールブルグは強力な人脈があったようで、ユダヤ人でありながらナチス政権下を敗戦まで生き抜いた。母はプロテスタント父は改宗ユダヤ人のためクォーターとして扱われた。

1933 ナチスが政権を握る。ユダヤ人迫害により多くの研究者が亡命。エムデンはヒトラー・ユーゲントの乱入で講義を妨害され、自宅に引きこもって失意のうちに病死。

1934 ローマン、クレアチンリン酸がATPのバックアップであると推定した。ミオシンにはクレアチンリン酸の受容体はないため、クレアチニンキナーゼの仲立ちによりリン酸をATPに渡し、ATPがミオシンを動かすという仕掛け。

1935頃? マイヤーホフ派の提唱により、解糖経路をエムデン・マイヤーホフ経路と呼ぶことが一般化する。
1937 イギリスに亡命したクレブス、ピルビン酸にオキザロ酢酸を加えるとクエン酸が生成されることを発見。TCA回路を提案。
それまでにコハク酸からオキザロ酢酸への変換、クエン酸からα-ケトグルタル酸への変換は確認されており、最後の橋がかかったことになる。ただしその機序は不明。

1938 マイヤーホフ、ドイツを離れパリに移る。40年にはさらにフランスからピレネー山脈を越えてスペインに逃れ、さらにアメリカに亡命。

1939 アメリカに亡命したリップマン、解糖経路とTCA回路の接続機序を研究。ピルビン酸の取り込みに無機リン酸の存在が必要なことを明らかにした。無機リン酸の存在下でCoAが産生され、これがピルビン酸と反応しアセチルCoAを経てクエン酸に至ることを立証。

1939 ソ連のエンゲルハルト、ミオシンがATPアーゼ作用をもっていることを証明。ミオシンがATPを介してのみ反応する理由が明らかになる。



ということで、エムデン・マイヤーホフの解糖経路もTCA回路も、それ自体は本質的な問題ではなく。生物の呼吸というのが、古細菌の嫌気性解糖経路を前提条件としてはじめて成立するという2階建て構造こそが重要なのだということだ。

まず嫌気的解糖を営む生物の存在があった。大量のピルビン酸が“排泄物”として積み上がった。

一方では藍藻が生み出す大量の酸素が海中に溶け出した。これも一種の排泄物であるが、こちらは細胞毒であるという由々しい問題をはらんでいた。

そこで、必要は発明の母ということで、酸素を用いてピルビン酸からエネルギーを取り出すというスカヴェンジャー生物、すなわちミトコンドリアが登場した。彼の持つ最大の武器がTCA回路だったわけである。

いわばATP産生装置という巨大蓄電池により水と酸化物と酸素の平衡関係を作り出す「大回路」が出来上がったことになる。

作業に実際取りかかると、神川さんの記述だけでは到底足りないことがわかった。ほとんど神川さんのオリジナルは消えている。
それにしても、この時期のドイツの有力な生化学者のほぼすべてがユダヤ人であったという事実には、ただただ驚嘆するほかない。

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神川喜代男 著 「脳をつくりあげた生物の不思議―生命のしくみと進化を探る」

という本を読んだ。ブルーバックス新書で、発行は1995年となっている。いまから20年も前の本だ。

「出会い」というのだろうか、素晴らしい本だ。

実は最初は読む気などしなかった本だ。

「脳をつくりあげた生物の不思議」という題名がどうもピンとこない。なぜ「生命の不思議」ではないのか。

第二に、裏カバーに書かれた著者略歴が、かなりうざったい。

大阪大学医学部卒業なのはよいとして、卒業年次が1953年だ。失礼ながら、今生きているとすれば現役組としても88歳だ。この本を書いたのは66歳ということになる。

脳外科医としてレーザーメスの開発に関わった経歴もある一線の臨床医ではあるが、どうも途中でそちらはリタイアして鍼灸の方に顔を突っ込んできたらしい。

「まあせっかく取り上げたのだから…」と、パラパラとページをめくっていると、これが面白いのである。

95年に書かれた本としては、きわめて内容がアップ・ツー・デートだ。

それにもかかわらず、書きすぎや無理な断定はない。情報を取捨選択する目が大変肥えていると伺わせる。

学生の講義を念頭に書かれているのかもしれないが、あらゆる物事、あらゆる科学的認識を歴史の流れの中で見ているのも、初学者には大変ありがたい。

進化論の立場に立つ以上当然のことであろうが、大脳辺縁系ドグマは事実上否定されている。大脳は脳の進化の最終産物として位置づけられている。

心理学者が乱暴に踏み込んでいる「精神」の領域についても、必要以上の言及は慎重に避け、臨床ケースの検討に絞って論じている。
ちょっと文句もつけておく

ただし、よくまとまっていて、考えを整理するのには役立つが、目新しい事実はないので、そのつもりで。
生化学のところは、やや冗長・散漫に流れ、中味も流石にちょっと古くなった。

ということで、読むべきは第1部「エネルギーから眺めた生物の世界」と第2部「脳から眺めた生物の世界」で、これで約100ページ。

最後の2節は外人がよくやりたがる“博識自慢”だ。まぁご愛嬌であろう。


蛇の第二嗅覚系(ヤコプソン器官)の勉強

「蛇の舌は嗅覚」(星野一三雄さん)を読んで勉強しなければ、と当たってみた。

もちろん私の目的は嗅脳→大脳の発生学的機序を知りたいので、嗅覚そのものにさほどの興味があるわけではない。

さらっと勉強してみた結果、ヤコプソン器官は進化史上のエピソードに過ぎず、さほどの重要性はないことがわかった。

動物にとって必要な感覚は、すでに魚類の段階で一通り出揃っている。そこには嗅覚もふくまれている。

2015年09月26日三脳構造仮説を魚で考える より

3.終脳(従って嗅覚)が良く発達した魚の例としてはウナギやアナゴ、ウツボやマダイ、クロダイがいます。夜行性や暗い海で生活するタラはこの代表例です。魚では嗅覚の役割が大きいようです。


もっとも重要な感覚が視覚であることは魚類の時代から定まっている。
ただ、生活域が多様化するに従い、視覚が駆使できない場面も生まれてくるわけで、従来型の感覚をモディファイしてこれを補っていく必要が出てくる。

こんなことではないだろうか。

だいぶ長い前置きになった。

それでは「ヤコプソン器官」の説明に入る。

1.名称のいわれ

まず「ヤコプソン器官」のいわれだが、これはL.L.Jacobson (1783‐1843)という学者が発見したためである。“b”の音は“ぷ”と発するらしい。デンマーク人の解剖学者らしい。

英語では“Vomeronasal Organ”日本語では鋤鼻(じよび)器官というが、こんな名前は覚えないほうが良い。

2.解剖学的説明

鼻腔の一部が左右にふくらんでできた嚢状の器官である。

嗅覚機能を持ち、嗅球の後部内側の副嗅球からのびた鋤鼻神経に支配される。

ヤコプソン器官は、通常の嗅覚のように吸い込んだ空気に反応するわけではない。ヤコブソン器官に接するのは口の中の空気である。

門歯の裏側の上口蓋に鼻口蓋管という管があり、鼻腔とつながる。ここから入る空気を感受するのである。

上にも述べたとおり、ヤコブソン器官で発生した臭い情報は、鋤鼻神経を経由して副嗅球に至るのであるが、それで嗅神経に合流するかというと、そうでもない。

話をわかりやすくするために、中枢側から流れを追ってみよう。

嗅神経が枝分かれして、在来線は嗅球駅から篩骨というトンネルを通って嗅糸球(鼻の一番奥)に達し、そこから嗅覚受容細胞へと枝分かれする。これに対し嗅神経の支線は副嗅球という駅から鋤鼻神経を通ってヤコプソン器官(鼻中隔)に達するということだ。

川上の方もややこしい。副嗅球から嗅神経に合体するようにみえるが、実は並走しているだけなのだ。ヤコプソン系の嗅覚は扁桃核,分界条を経由して視床下部に達する独自の経路を持っているらしい。

ヒトを含む霊長類では、胎児期に発生したのち退化消失する。鼻口蓋管は骨口蓋の前部にある切歯管としてなごりをとどめている。

3.ヘビのヤコプソン系嗅覚

ヘビは聴覚はほとんどなく鼓膜も欠く。嗅覚は鋭敏でヤコプソン器官が発達している。

ヘビの舌は細長く先が二分されている。これを出し入れしてにおいの微粒子を口内に取り込む。

ひっこめた舌の先端は正しくその開口部にあてがわれ,捕捉した嗅物質を感覚上皮(嗅上皮)に送りこむ

口内に取り込まれた微粒子は鼻口蓋管を経由してヤコプソン器官に接触する。

鋤鼻器は鼻腔と完全に連絡を絶っており、口蓋にのみ開口部を持つ。

舌はまた空気の振動や流れ,温度差などをも感じとるとされる。
蛇の舌
(ニシキヘビには上顎に左右3対の赤外線センサーもあるそうだ。ほんと、いやな奴だね)

4.ヘビ以外の
ヤコプソン系嗅覚

ヘビがすごいことになっているので、ほかの爬虫類も…と思いきや、事情はなかなか複雑である。

トカゲ類・ヘビ類を含む有鱗目では鋤鼻器が非常に発達し、嗅上皮よりも主要な嗅覚器官となっている。

ところが、現生爬虫類を構成する4つの目のうち、カメ目・ワニ目では鋤鼻器はほとんど消失している。ムカシトカゲ目では内鼻孔に開口する盲嚢でしかない。

(爬虫類のうち絶滅群は別掲とされており、恐竜目・翼竜目・魚竜目・鰭竜目・獣形目が設定されている。これらについては後日勉強)

鳥類は、飛行への寄与の少ない嗅覚はほとんど発達せず、鋤鼻器は消失している

ところが、哺乳類ではふたたびヤコプソンが機能し始める。しかしそれはきわめて特殊な儀式的な機能である。

哺乳類の鋤鼻器は一般的な嗅覚を感じるのではなく、フェロモン様物質を受容する器官に特化している。

ほとんどのグループで鋤鼻器が発達し、鼻中隔の前下部に存在する。そして鼻口蓋管と呼ばれる管で口蓋部に開口する。

フェロモン物質を鋤鼻器に取り入れる際、イヌやウマなどの動物ではフレーメンと呼ばれる独特の表情をする。

4.味覚と嗅覚の関係

なぜヘビの時代にこれだけ発達して、その後退化してしまったのか。この辺についての説明は見当たらない。

そこで想像してみる。

感覚は、魚が陸上に上がり両生類→爬虫類と進化する中で意味合いを変えてくる。

外的刺激と感覚器の受容とをつなげる媒体が水から空気に変わったということは、感覚受容体のあり方に根本的な変化を促した。

それはとりわけ嗅覚において顕著だったであろう。

サカナでは基本的に味覚と嗅覚は同一の機序であるはずだ。化学物質の刺激が受容体によって感受され、神経刺激となって脳に送られることに変わりはない。

ただ嗅覚は味覚より遥かに微量の物質に感応しなければならない。したがって味覚の中枢である後脳ではなく、嗅脳という装置を形成し、シナプスを変えて前脳(視床)に至るのである。

5.
ターボ・プロップの発想

その差は陸上に上がると一気に拡大する。味覚は引き続き液体を対象とするのに対し、嗅覚は空気を対象とするようになる。液体クロマトグラフィーと ガスクロマトグラフィーの違いだ。ところが初期のガスクロは液体クロマトの装置を流用しただけで、ひどく性能が悪かった可能性がある。

その懸隔を埋めるために生み出されたのが第二嗅覚系たる「ヤコプソン器官」なのではないか。要するにジェット機の時代にターボジェット・エンジンを作れなかったソ連が、ターボ・プロップでしのいだみたいな話しだ。
(とはいえツポレフは4つの同軸反転プロペラを持ち、最大巡航速度が925km/hという名機であった)

ただそれは生物進化の一時的な寄り道に過ぎなかった。正規の嗅覚がよりいっそう鋭くなり、視覚機能がより高度化する中で、第二嗅覚系の必然性は薄らぎ、やがて退化していく。 

という筋書きを考えたのだが、いかがであろうか。
多分結構いい線をいっていると思うのだが、そうすると次の難題が出てくる。本当に嗅神経の性能は爬虫類→哺乳類のあいだに大幅アップしたのだろうか。もしアップしたとするなら、それはどういう技術革新によるものであろうか。
悩みは尽きない。 


生物の起源を遡って勉強してきたが、その中で感じたことを書き留めておこう。

生物というのは、ただの生命ではない。生命が細胞という形をとった「生命の一種」である。

それはLUCA(共通祖先)までは遡れるが、それより前に細胞という形に至らない「生命活動」があったことは間違いない。「細胞」という存在は、生化学的・生物物理学的に見れば、あまりにも完成されているからである。

ただそのありさまは想像の範囲を出ない。そこには、3つの要素があったであろう。

① 膜の形成と囲い込み、② 代謝、これは2種類に分かれる、a エネルギーの獲得と利用、b 体成分の合成と異化、③ 増殖

である。

そして①→③の道筋をとって生命が進化したことも間違いないと思う。

すなわち膜の形成こそが最大の要素である。そのチャンスは高温高圧下、エネルギーが溢れかえり、分子が次々に衝突し、化学反応が密集する条件のもとでしか実現しないだろう。確率論的な話だが…

(かと言って、深海底の熱水湧出孔が生命の出自だというのではない。地球誕生直後の重爆撃期に、早くも「生命」が登場した理由を説明しているのである)

膜の形成以前に、さまざまな無機的な化学反応があった。マンガンなどの触媒を中心に、化学反応群が継続して発生するクラスターがいたるところに形成される。

それがある日、膜をかぶり他所とのあいだに境を作ることになる。膜内では有効成分の濃縮が起こる、無効成分の排除が起こる。

こうして代謝経路が積み上げられ、完成していくことになる。またアミノ酸や核酸の合成経路も組み込まれることになる。

②bと③については、RNAワールド論争の渦中にある。まだ不明なことが多く、語るに至っていない。

こういう理解は、実はオパーリンのコアセルベート・ドグマそのままである。

日進月歩のこの世界で、1927年に提起されたこのドグマがいまだに真理性を保ち続けているのは、驚異的であると言わざるをえない。

ついでに言っておきたいのは、このような生命の生成から定着へと至る発展過程の論理が、人類社会の発展過程にも適応できないだろうかという着想である。

まぁ、いわばマルクスの史的唯物論の発展型バージョンである。

ヒトは小魚の群のように群れて泳いでいたのが、膜を作ることにより安定し、定着し、密度を上げることにより膜内構造を作り始める。

やがて光合成装置を取り込むことにより、農耕社会へと入っていく。

そこへ荒野の彼方から真核生物がやってきて、人々を村ごと飲み込んでしまう。彼らは細胞内に農耕民を住まわせる一方、核膜の中にみずからを隔離し、王として君臨する。

と言った具合だが、ここから先はダボラ話になるのでやめておく。


流石に有名曲だけあって、You Tubeでもずいぶんとたくさんの演奏が聞ける。
本日聞いたのはブーレーズ、モントゥー、ミュンシュ、レイボヴィッツ、カラヤンの旧盤と新盤、ラトル・BPO、ブラッソンというところ。この倍くらい音源がある。カラヤンの旧盤はツェラーのフルートというのが売りになっているが、You Tubeの音質はかなりの低レベル、新盤は85年のものらしいが、どうしようもなくうざったい。
ラトルの音源は05年の東京ライブらしい。何故か音がくぐもっている。一つひとつの音は素晴らしいのに残念だ。ブーレーズはいつもながら好きでない。嫌なやつだ。
モントゥーの録音は来日直前のものであろう、ステレオだ。デッカのおかげで素晴らしい音がとれている。ミュンシュの録音も引けをとらない。モントゥーはロンドン交響楽団、ミュンシュはボストン交響楽団で最高の技術水準だ。
レイボヴィッツはLPからの盤起こしで、音そのものは良いのだが低調の雑音が気になってしまう。
いろいろ聞いていると、この曲はフルート協奏曲ではなく、かなり指揮者次第で変わってくる曲だということが分かる。ワグナーを聞いているのではないかと錯覚することさえある。それはレイボヴィッツ盤を聴いていると良く分かる。
ということで、ミュンシュには悪いがこの曲向きではない。減点法で行くとモントゥー盤かなということになる。ブラッソンもとてもいいのだが、オケのレベルがちょっと物足りない。
まぁ今日はこんなところで。


EUはどこへ行くか

イギリスの離脱、フランス大統領選での熱い論戦が示すように、EUがどこへ行くのかは重大な問題となっている。

そのEUの最高機関である欧州議会が開かれている。13日にユンケル委員長が施政方針演説を行い、翌日から討議が始まった。

ユンケル演説の骨子は以下の通り。

1.EUはギリシャの債務問題や難民流入、ユーロ懐疑派の台頭という危機を経験した。しかしEUは「打ちのめされ、傷ついた」状態から回復しつつある

2.経済成長が再開した。「欧州に流れが戻った。絶好の機会が訪れている」

3.すべての加盟国に訴える。ユーロ通貨圏や他のEU機関に参加しよう。ユーロはEU全体の通貨となるべきだ。

4.日本とEPAで合意に達した。米国とのFTAも交渉を加速させよう。対中国ではインフラやハイテク製造業、エネルギー分野における欧州企業買収を制限し戦略的利益を守る。

5.常任のEU財務相を置く。欧州安定メカニズム(ESM)を拡充し欧州版国際通貨基金(IMF)の創設を検討する。


討議の中で明らかになったのは、雇用の問題、富の不平等、福祉・貧困対策、労働条件などで問題が山積しているということであり、その根底にあるリーマン・ショック後10年に渡る緊縮政策の是非だ。

この間の緊縮政策は結局、多国籍企業の利益に沿ったものでしかなかった。

欧州では1億2千万人が貧困に陥っている。失業者は2千万を超えている。これは緊縮政策の結果であり、まさに「欧州の失われた10年」となっている。

「労働者は雇用を脅かされ、農家は農産物価格の低迷で市場から締め出され、失業者は放置されている」(欧州統一左翼)

「労働者は労働力柔軟化政策のもとで、長時間労働、劣悪な労働環境、低賃金で働かされている。これが社会的ダンピングとなって、さらに負の連鎖を引き起こしている」(欧州統一左翼)

これらの事態の原因のすべてがEUにあったのか、各国政府が担うべき責任は分からない。(ユンケルはルクセンブルクの首相だった時、アマゾンと租税優遇措置を取り決めた。この件については、現在も欧州議会税制特別委員会が調査を続けている)

しかしはっきりしていることがある。たとえその原因の多くが各国政府の責任であったとしても、それを救うためにEUは作られたはずだ。

少なくとも犠牲を助長するような政策であってはならないはずだ。

これらの点で、EUがその存在意義を問われる状況はこれからも続くことになろう。
EUの存在意義を欧州共同防衛というような内容に変質してはならないはずだ。それは多国籍企業のためのEUに変質するときの隠れ蓑にすぎない。


このあいだ、前原新体制について思いを巡らしたところだが、事態は思わぬ方向へと急展開しつつある。
率直に言えば、総選挙の動きは半ファシスト安倍政権の思惑が暴走したものとしか思えない。
前原構想の目標
前原構想というのは、一言で言えば二大政党制の復活であった。二大政党制は小選挙区制とペアーとなった、日本の政治システムづくりの「目標」であった。小選挙区で自民党が長期低落を続ければ、いずれ独裁か革命かという選択を迫られることになる。どちらにしても政治の不安定化は避けられない。
だから、とくに財界を中心にかなりテコ入れも行い、民進党の政権掌握までこぎつけた。
民進党政権は3つの傾向を生んだ。民進党の右傾化(経団連の御用政党化)、自民党の半ファシスト化、そして共産党をふくむ(排除しない)リベラル勢力の伸長である。
半ファシスト勢力とリベラル勢力の対立という構図の中で、民進党(財界主流)は谷間に落ち込んだ。そこからの復活を目指すにはどうしたらよいか、というのが前原の問題意識であったろう。
「共産党を除く」路線が桎梏となっている
それは「リベラル右派」(というものがあるとして)の悩みでもある。結局「共産党を除く」路線が清算されない限り出口がないのだが、そこには未だ踏ん切りがつかない。( 
だから前原は「共産党とは志を同じくせず」と言いつつ、党利党略的に選挙協力はして(させて)、民進党の生き残りと二大政党制の再建を図ったのだろうと思う。
それは明らかな建前と本音の矛盾であり、経団連・連合は前原を信用はしなかった。しかしトリプル補選までは様子を見ようとしていた。
そこを安倍半ファシスト勢力は容赦なく衝いてきた。
これが大まかな構図ではないだろうか。
安倍政権は本来は異端
押さえておかなければいけないのは、安倍政権は日本の支配層にとって異端だということである。
ひとつは極端な右翼思想をバックボーンとし、反中国・反北朝鮮の推進役である。
もう一つは財政再建、金融引締めのオーソドックスな経済政策に対抗して、赤字国債・量的緩和というヘテロな政策を断行したことである。
アベノミクスが打ち出された時、ときの経団連会長はこれを面罵した。しかし兎にも角にもアベノミクスのもとで円高は是正され、日本企業は息を吹き返し、今や空前の利益を上げている。
いっぽう、正統派が打ち出した消費税増税は惨憺たる結果をもたらした。
今や彼らはアベノミクスの前に拝跪し、みずからのビジョンを失ったまま金儲けに奔走しているのである。
半ファシストとの関係を断て
ヒトラーが登場した時、ドイツ経済界の大勢はナチスにきわめて批判的であった。しかし彼らは最終的にはヒトラーの驥尾に付し、十分に儲け、そして第二次大戦へと突き進んでいった。
いま、そういう時代を迎えようとしているのではないか。
小池・細野ラインでの政界の再編はありえない、もはやそのような余裕はないと、臍を固めるべきではないだろうか。反共リベラルの諸氏よ!
需要創出を中核とする経済政策への切り替えを
そして同じヘテロでもリーマンショックをもたらしたグリーンスパンと、それを(欧州を犠牲としてだが)再建したバーナンキの違いくらいは理解すべきだ。(2013年08月05日 バーナンキの変節
変えられない(短期的には)世の流れというものはある。健全化一辺倒の経済政策の誤ちを総括し、内需拡大を中心とするヘテロ政策を組み込んだ新たな経済ビジョンを構築すべきではないか。
最後に、山崎元さんの「民進党への提言」を再掲しておく。これは財界(連合)への提言でもある。

前原・民進党は何をすべきだろうか。簡単にまとめるなら、以下の7点だ。

(1)安倍首相への批判に争点を絞る

(2)憲法と対共産党の議論は棚上げ

(3)選挙協力は実を取る

(4)「再分配政策」重視を打ち出す

(5)金融緩和継続と消費税率引き上げ延期を確約

(6)フレッシュな顔を前面に出す

(7)仲間割れしない!

もご参照ください

蛇の舌は嗅覚」(星野一三雄さん)だという記事から。
Q.ヘビの舌はなぜ二股に分かれているの?  なぜヘビは舌をチロチロ出し入れしているのか?
A.ヘビは舌で「臭いを嗅いでいる」からです。 私たち人間やイヌなどは「鼻」で臭いを感じ取ります。 しかしヘビは「ヤコプソン器官」という器官で感じています。
ヤコブソン器官は、ヘビ以外の動物では退化してしまっています。 ヤコプソン器官は口の中の上顎の部分にあります。
ヘビは空気中に舌を出すことで、空気中の「臭い物質」を舌で絡め取り、 ヤコプソン器官に運んで臭いを感じ取っています。
ヤコプソン器官は1対ありますから、それに対応して舌も2つに分かれています。 そうすると「立体的に臭いを感知」できることになります。 また時間差を利用して、臭い物質の来る方向を感じることもできます。 

ということで、「ヤコプソン器官」というのを勉強しなければならない。またこれまで舌は味覚に関与する器官だと考えてきたが、考えを改めなければならない。
たしかに舌の神経支配は単純ではない。味覚も甘みと苦味によって感じる部位が違ったりと、いろいろ複雑だが、なぜそうなのかを考えてみたことはなかった。
以前「フロント脳」というアイデアを考えたことがあった。顔面にはさまざまな近くが集中している。
この内視神経と聴神経はそれぞれに中枢がしっかりしているが、嗅覚・味覚・触覚については動物ごとにかなり違ってくる。
その進化の流れの中に大脳の起源が潜んでいるのであろう。

ウィキの解説を元ネタとし、最近の知見を加えてある。

1868 メタンガスが微生物の働きにより発生することが確認される。

1922 高度好塩菌が分離される。

1936 嫌気性培養の技術が発達し、メタン菌が発見される。分離は1947年まで下る。

1962 高度好塩菌の細胞膜が真正細菌とは異なり、エーテル型脂質で構成されていることが分かる。

1970 好熱好酸菌が発見される。細胞壁はS層単独で構成されるが、熱に対して極めて安定。

1970 好熱好酸菌の細胞膜が好塩菌と同じくエーテル型脂質で構成されていることが明らかになる。後に古細菌の特徴として注目され、古細菌の定義となる

1976 カール・ウーズ(Woese)ら、16S rRNA配列を用いて生物の分類を開始。16S rRNAは細胞中に大量に存在するため、PCRが開発されていない当時でも配列の比較が可能だった。

1977 メタン菌、好熱菌(45°C以上で活動)が高度好塩菌と同じエーテル脂質の細胞膜を持つことが確認される(Makulaら)。これら三種は16S rRNA配列も近似していることがわかった。

1977年 ウーズら、三種の細菌を古細菌“Archaebacteria”という概念で括り、原核生物が古細菌および真正細菌からなると提唱する。

それ以前は古細菌の概念はなく、それぞれが真正細菌の特殊系として括られていた。

1982 110℃で増殖する古細菌(超好熱菌)が、海底の熱水噴出口で発見される。(今日では古細菌以外にも超好熱性を示す生物が確認されている)

1984 レイクら、古細菌の1系統であるエオサイト(=クレン古細菌)が真核生物の祖先となったと提唱。エオサイト説と呼ばれる。(Lake の系統樹そのものはかなりポレミックである)

1986 真性細菌、古細菌のいずれにおいても、古いものほど好熱菌が多いことが指摘される。

1989 遺伝子解析により、古細菌が真正細菌よりも真核生物に近いことが報告される。ただし困ったことに、細胞膜は真核生物は真正細菌と同様エステル系細胞膜である。

1990 カール・ウーズら、3ドメイン系統樹を作成。原核生物と真核生物の分岐よりも以前に、古細菌と真正細菌の分岐が起きたとする。

ウーズはLUCAについては否定的で、遺伝的仕組みが成立していない複数の生物が先行したとする。(プロゲノート説)
系統樹
1993 好熱性古細菌も真正細菌と同じ環状DNAを有することが発見される。ここから環状ゲノムを有する共通祖先の存在が提唱される(コモノート説)

1996 超好熱性メタン菌の全ゲノムが解読される。遺伝子の半数以上が古細菌独自のものであった。

1996 古細菌のタンパク合成経路が明らかになる。DNA→リボゾーム機構は、真核生物のそれの祖先型とみられる。

2009 古細菌がTCA回路を持つことが明らかになる。ミトコンドリアではなく細胞膜付近のコンポーネントで行われる。解糖系はEDもしくはEM経路に類似。

2014 古細菌の代謝機能関連遺伝子のいくつかが、細菌からの水平遺伝子獲得によることが明らかになる。

2015 エオサイト仮説を補強するロキ古細菌群が発見される。「ロキ」は北極海の深さ3千メートルの熱水噴出口の名前。遺伝子的には、これまでの候補に比べて真核生物にかなり近いという。

系統樹2

2015 新種の古細菌による脳脊髄炎の集団発生が報告される(Sakiyama)。

2017 ロキよりさらに真核生物に近縁とされるアスガード古細菌群が報告される。古細菌は新種が続々と発見されており、エオサイト候補もさらに更新されていく可能性がある。

* やってみて感じたのだが、LUCAの話は当分問題になりそうもない。LUCAの前の不完全な生命体にとってのゴールでしかない。
ミトコンドリア・イブのようなもので、「きっとそんなのがいたんだろうなぁ」程度の話にしかならない。そのほとんどは古細菌の研究で明らかになってしまうだろう。
古細菌と真核生物を結ぶ線はほぼ見えてきた。これはこれで非常に面白い。
しかしそれよりも肝心なのは、古細菌がすでに持っているDNA、リボゾーム、細胞膜、TCA・解糖系といったコンポーネントがいかに形成されて、いかに一体化していったかという問題であり、それらはLUCA以前の問題である。RNAワールド(真偽はともかく)とLUCAを結ぶ線は限りなく不透明である。

フランスの政治-かんたんな紹介

1.フランスの政治の歴史

フランスでは1789年にフランス大革命が起こりました。革命派の人々はルイ16世の王政を倒し、共和制を宣言しました。

それは「自由・平等・博愛」を宣言しました。これはフランスばかりではなく、現代の民主主義の精神的基礎となっています。

この考えはアメリカにも受け継がれ、日本の憲法もその流れのもとにあります。

自由の女神

ニューヨークの「自由の女神」はアメリカ独立を祝してフランスが送ったもので、アメリカの民主主義のシンボルとなっています

フランスは進歩と文化の中心地となりました。文学・絵画・音楽などの世界で、パリは世界の芸術の首都となりました。

そのフランスも、19世紀の後半にはアフリカ・アジアに植民地を抱える帝国主義の一国となります。例えばベトナムも半世紀にわたりフランスの植民地支配に苦しめられました。

しかし、ドイツでナチが政権を握った時、フランスでは「人民戦線」が政権を掌握し、庶民のための多くの改革が成し遂げられました。

バカンス(夏休み)という制度もこの時のものです。

人民戦線
1940年、フランスはナチス・ドイツに占領されてしまいました。しかしフランス人の心は占領されませんでした。芸術家をふくむ多くの人々がレジスタンス(抵抗)に立ち上がり、命がけで祖国と民主主義を守りました。
レジスタンス
レジスタンスのメンバーであった彼は、ナチスに捕らえられ銃殺される前に微笑んだという。 

第二次大戦後は、国内の経済荒廃に加えベトナムやアルジェリアなどの植民地を失い苦境に立たされますが、依然として高い文化的プレステージを背景に強い影響力を保ち続けています。

政策的にはアメリカ主導のグローバリズムとは一線を画し、ドイツとの共同による国際経済新秩序の形成を目指してきました。

国内的には労働者・農民の発言力が強く、二度にわたり社会党が政権を握るなど左翼色が濃いのが特徴でしたが、リーマン・ショック後の長引く不況の中で企業よりの政策が強まっています。

それに対する批判が左翼の方向には向かわず、極右の排外主義に傾いているところに、目下の危険があるといえるでしょう。
こういう状況の中で2017年の総選挙が行われました。
おおかたの予想では社会党政権の地滑り的大敗北、左翼勢力の後退、極右勢力の躍進、場合によっては「国民戦線」の政権就任というものまでありましたが、その中で左翼のメランションが予想外の健闘、「国民戦線」の挫折という結果となりました。
この中でとりわけ目立ったのが若者の決起でした。その原因は何か、若者の政治回帰はどのようにして実現したのかがとりわけ興味深いところです。
そのあたりが今回のお話で聞きたいところです。


しばらく読みかけにしていた杉谷さんの本を、最後まで読み切った。
読後感はかなり爽快である。
本の後半は化石掘りの体験記である。
最初の、わずか一週間の貧乏オーストラリア発掘旅行で、宝物の大型微化石を見つけてしまったこと、それを世に出すまでのはかりしれぬ苦労。次々に追い越されていく焦り。
宝物探しみたいな研究は本当の学問じゃないとかいう陰口、エトセトラ。
「こんなものを見つけてしまったために、一生を棒に振ってしまった」と言えなくもない人生。
老眼になるほどに顕微鏡を覗き続けて達した現在の境地だということが、実感を持って迫ってくる。
その中で勉強になったのが二つ、
一つは生物化石の確からしさの二つの条件、年代的な確からしさと生物的な確からしさだ。それぞれに何項目もあって厳しく条件付けられている。この「確からしさの条件」は長年の論争の中で積み上げられてきたものだけに、ほかの分野でも十分応用の効くものだと思う。ただ絶望的なまでに煩雑で、とても憶える気にはなれない。一応そういうものがあるということだけは覚えておこう。
二つ目は、そういう過程を経てここ数年のあいだに、それらが生物化石であることがほぼ確定されたということだ。
これは炭素同位元素化石ではなく、しっかりと胞体でもって確認された細胞である。大型微化石として確認されたレンズ型の細胞は、杉谷さんによれば34億年前の南アフリカ、そして30億年前のオーストラリアのものである。その後者に杉谷さんの発見した微化石も関連している。
これで私としても、安んじて年表に書き込むことができる。
もちろん炭素同位元素化石はさらに歴史を遡るであろう。ただしそれは「今はまだ34億年をはるかに遡ること数億年」と言うかたちでしか書けない。

今こそ、第二のストックホルム・アピールが必要だ。

相争う二つの勢力が意地を張り合っている。このような馬鹿げた意地の張り合いなどもうたくさんだ。

一つ間違えば世界を存亡の縁に追い込むような賭けを、世界のすべての人は許す訳にはいかない。

どちらにどのような言い分があるにせよ、世界の人にとっては迷惑千万だ。「撃ってみろや→パーン」は絶対困るのである。

とにかく話し合いのテーブルにつけ。

これがまず一つ、最初の呼びかけだ。

二番目には、とかく東アジアには争いの種が多すぎるということだ。そして東アジア自身も、周囲の非アジア諸国も過剰に反応しすぎていることだ。

北朝鮮問題にも明らかなように、もはや東アジアの問題は東アジアだけでは解決できなくなっている。

まずは関係国すべてが問題を総ざらえして、包括的な解決の方向に向けて歩調を合わせていかなければならない。そうしないと、いつまでたっても東アジア問題は解決しない。それはすべての関係国にとって不利益だ。

懸案問題は、多少時間がかかってもいいから包括的に解決しよう。

これが第二の呼びかけだ。

三番目は、いかなる国も、東アジア非戦の運きに対して妨害となるような行動を起こすなということだ。

あらゆる関係国のあらゆる努力は上の2点に絞って集中されるべきである。

東アジア諸国間には、それ以外にも多くの懸案事項がある。尖閣をふくむ領土問題、慰安婦をふくむ戦後処理問題、人権、拉致問題、関税など数え上げればキリがない。

それらは別途解決されるべき課題ではあるが、国家主権の相互尊重なくしては交渉の土台さえ成立しない。

さまざまな意見の違いは脇において、東アジアにおける多国間の核不使用・平和共存のルール作りを最優先すべきである。このことは、多国間協議の対象国のうち日本と韓国を除く4カ国が核保有国であるという現実を踏まえた時、決定的なポイントである。

各国政府は、以上を踏まえた「東アジアの平和」を目指す相互確認の実現をめざし早急な合意を実現すべきだ。

このような趣旨のアピールが発せられ、大方の支持を得られることが当面差し迫った課題であると思う。

多くの方々の反応を期待する。

前脳は間脳ではない!

ネットで嗅脳の記事をあさっているうちに、次第に腹が立ってきた。

まず「嗅脳は大脳辺縁系である」と決めつける。そして大脳辺縁系の役割をサラサラっと紹介して終わるのである。

大脳辺縁系の説明も偏見に満ちている。「古い、ださい」がひたすら連打される。その分類も、古いのと、超古いのと、それほど古くはないのという具合だ。つまり古いというのは時代遅れで滅びゆく脳だということだ。旅館でいえばトイレもないような旧館で、本館、別館、新館に役割を奪われ、「いずれ建て替えね」とささやかれている建物だ。

私ならこういう。視床と辺縁葉は、1階とロビー階だ。船でいうなら機関室だ。大脳は客室にすぎない。

だいたい間脳という言い方が悪い。いかにも中間管理職と小馬鹿にしている。そこは間脳ではなく前脳だ。脊椎動物が誕生したときから前脳は前脳だ。船長の居場所だ。そこは神経を経由する情報と体液を経由する情報の結節点だ。人間が生きていくための全情報と駆動力がそこに集中する。

大脳は流行りの言葉で言えば“A I”なのであって、衝突を予防したり、慣性飛行を司ったり、囲碁や将棋で無類の力を発揮はするが、それを命じるのは前脳なのだ。
総理大臣と内閣は、官僚機構が充実すれば不要になるだろうか(これはあくまでも脳科学の話であって、哲学や政治の話ではないが)

まぁとりあえずこのくらいでやめておこうか。

とにかく、いまだに「マクリーンの呪い」が世間を呪縛していることには、愕然とする。

これらの機能は聴覚や視覚よりも遅れて発達したのではないかと思う。

なぜなら聴覚も視覚も前脳・中脳・後脳という三脳構造の中にしっかりとハマっているからだ。それに引き換え嗅脳は宙ぶらりんだ。これには魚の時代から三脳構造ができあがっているところに、陸に上がってから急に嗅覚が大事になったので、外付けで嗅覚用の脳をこしらえたという事情があるのだろう。何かを流用した可能性もある。

もうひとつ、聴覚・視覚は感覚だけを脳に伝え、その情報への評価はあくまでも脳が行うが、嗅覚については好きか嫌いかという価値判断を伴って伝えられることだ。

だから良い音楽や良い絵画というのは人によってずいぶん違うが、香水が良い香りで、うなぎの蒲焼きが美味しそうな匂いで、おならが臭いのはすべての人間に共通する。

そこには脳の別館みたいなものがあるのではないか、国内の支店のように現地の生情報を上げても仕方がないので、そこでいったんレポートの形にして上申するということだ。

第三に、終脳を持たない動物にあって、そこにあるのが嗅脳だからだ。前脳の別館として嗅脳ができたのなら、それと同じようにして大脳もできたのではないか、と考えるのはきわめて自然だ。あるいはひょっとして嗅脳そのもの、あるいはその一部が大脳にまで肥大していったのではないか、というのもあながち妄想ではあるまい。
これらは、自説である「三脳説=大脳派生説」の必然的方向である。

ということで、その発生のあたりから調べてみたい。

以前から気になっていた室蘭に行ってきた。
室蘭には出張で何回も行っているのだが、その気で市内を見て回ったことはなかった。
多分、この地図を見てくれれば、誰しも、とっても気になる街だと思う。

室蘭
絵に描いたような良港だ。函館や小樽など比べ物にならない。港であればこうありたいという自然の条件をすべて備えている。広さはお釣りが来るほどで、防波堤など不要だ。後背地も広大だ。
しかし船の時代は終わってしまったから、どうしようもないのだ。
いまは乗換駅だった東室蘭が街の中心になっている。しかし室蘭駅はいまだに室蘭にある。市役所や市立病院やNHK放送局も室蘭にある。
室蘭本線は半島の西側をのたうつように走り室蘭の市街に至る。山裾に線路が敷かれているのだから仕方ないのだが、その海岸沿いは広く埋め立てられて新日鉄や日本製鋼の工場敷地になっているのだから、なんとなく割り切れないところがある。敷地の中を突っ切れば距離は半分で済むだろう。

かつて室蘭は北海道で5番目に大きい街だった。
都市人口推移
北海道が一番威勢が良かった昭和30年、札幌の人口は45万、これに次いで函館が23万、小樽が18万、旭川が14万、室蘭と釧路が11万、夕張が10万、帯広と苫小牧は5万足らずだった。
上の図では2000年までしかないが、2017年の今、状況はさらに惨憺たるものとなっている。

室蘭の地名はアイヌ色が濃厚だ。地図を見ても大黒島と白鳥大橋以外はすべてアイヌ語由来だ。駅名も輪西、御前水、母恋というふうに風情がある。
私は前から山の尾根を走る道路が気になっていた。どうしても一度走ってみたいと思っていた。あるひ、目が覚めて、天気が素晴らしいのに後押しされて、フッと出かけた。
札幌から110キロ、高速を使うと2時間でつく。ただし眠気はかなり強烈だ。100キロで走っていても車が止まっているように感じられる。
インターを降りて、地図でイタンキと書いてあるあたりから山道に入る。予想以上の難コースだ。しかし新日鉄の馬鹿でかい敷地を除けば景色は素晴らしい。日本製鋼を過ぎたあたりから尾根に出る。今度は太平洋が一望される。
地球岬からは噴火湾越しに恵山が目の前だ。これだけ美しい街なのに北海道の観光案内にも載らない理由は、ここがかつて公害の街だったからだ。
新日鉄の煙突から撒き散らされる鉄粉は、室蘭の町を赤茶色に染めた。企業城下町だったからそれを誰もなんとも言わなかった。もう50年も前、学生時代に泊まり込みで公害調査に来たことがある。細かい雪のように鉄粉が街なかを舞っていた。
それがいま高炉の火が消えて初めて美しさを取り戻した。
室蘭は観光の町としてもう一度再起すべきだと思う。
日本人は知らないが、中国人はそのことをよく知っている。地球岬は中国人だらけだ。



2016年12月20日 を作成。2017年02月03日 に1回増補している。その後、つい先日2回めの増補を行ったばかりである。


2017年9月10日、杉谷健一郎「オーストラリアの荒野によみがえる原始生命」(共立出版 2016)を読んだ。題名の印象とは異なり、かなり原始生命全般の解説も展開されており、しかも非常に読みやすい。「論争」の絶えない分野ではあるが、節度のあるレビューとなっていて共感できる。ただし学術論文でないせいもあり、年代表記は必ずしも厳密ではない。こういう文章が年表作者を一番困らせる。


杉谷さんの文章で一番困ったのが、先カンブリア紀の小区分である。

これまで私は仲田崇志さんの分類に従っていた。それが下記の図である。

原始地球

生物の起源~細胞生命の起源~」より転載

ところが、杉谷さんの本では下記のようになっている。(クリックで拡大)
杉谷
片や生物屋さん、片や地質屋さんであるが、それにしてもこれではバベルの塔状態である。

ポイントは二つあって、

①仲田さんの図は//が挿入されているように、不完全な図である。

②仲田さんの図は最終修正が2009年であり、杉谷さんの図は2016年のものである

ということで、どちらを採るかといえば杉谷さんの図を採るしかない。

しかしそれでは、こちらが納得出来ない。

①2009年には仲田さんの図が正しかったのか。

②その後名称が変わったのか

③始生代という言葉は消えたのか

ということで、仲田さんの文章をもう一度チェックしてみた

地質年代表

というページがあって、大変詳しい分類が紹介されている。この図は2017年の更新となっているから、杉谷さんよりさらに新しい。

やや煩雑で、しかも逆順なので、編集して紹介する。

45億6700万年前

地球誕生


冥王時代


40億3000万年前~

太古累代(始生期累代)

原太古代

36億年前

古太古代

32億年前

中太古代

28億年前

新太古代

25億年前 原生累代

古原生代

16億年前

中原生代

10億年前

新原生代

5億4100万年前

カンブリア爆発


顕生累代

古生代

2億5190万年前

中生代

6600万年前

新生代

ということで、旧仲田分類として私が把握していた分類法が間違いで、杉田分類が標準であることがわかった。

始生期という言葉は、いまは主流ではなくなっていることもわかった。英語は Archean で変わっていないから、訳語の問題らしい。おおかた学閥がらみの事情であろうが、太古のほうが適切であろう。


これに基づいて年表を訂正します。たいへんお騒がせしました。

1.「モノから情報へ」は誤り

「モノの時代は終わった。これからは情報の時代だ」と言われる。

身の回りの社会は、たしかに現象的にはそう見える。

しかし、この主張は、それらの情報自体がモノの生産を前提としでいるということを看過している。

というより、利潤率の点で魅力を失ったモノの生産は低賃金従属国に任せて、情報=技術・流通を先進国が独占するという構造を背後に隠している。

(医療・介護をふくめサービス労働を「生産労働」に組み込みたがる論者への素晴らしいプレゼントだ)

2.出産は「女性の生物学的悲劇」

100万年以上もむかしのアフリカのある晴れた日、二本足で立ってみたサルが、両手を使うことを知った。

それから、ヒトの脳とその容れ物は次第に大きくなった。その一方、二本足で立ったがゆえに母親の山道は狭まって、ほかの哺乳動物のように胎内で胎児が十分に育つことは不可能になった。

もしそうすれば、ヒトの母親は難産で死んでしまう。

気の遠くなるような長い生物学的淘汰を経て、未熟のまま子を早産できるような体質を備えたヒト属だけが生き延びられるようになる。

こうして「女性の生物学的悲劇」(ネミーロフ)が始まる。

母親はこの未熟な子を一人前にするのに長い間育児に拘束されるようになる。

以下の本論は若干、時代に制約されて月並みなものになっていくが、この書き出しの2つのエピソードは秀逸で、その筆力も相まっていまも十分に魅力的である。


うかつなことに、「独習指定文献」制度が廃止されたことは知らなかった。いかに不まじめな党員であるかがバレてしまった。

ウィキによると、2004年、「常に変動する政治情勢に対応するため、固定的な独習指定文献制度は時代に合わなくなった」とし、廃止されたのだそうだ。もう13年になる。

廃止直前、2001年ころの独習指定文献は下記のごとし。

初級

『日本共産党第22回大会決定』

『日本共産党綱領』

『日本共産党規約』

『自由と民主主義の宣言』

レーニン『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』

マルクス『賃金、価格および利潤』

エンゲルス『空想から科学への社会主義の発展』

『日本共産党第20回大会での党綱領の一部改定についての提案、報告、結語』

宮本顕治『党建設の基本方向』(新日本出版社)

不破哲三『綱領路線の今日的発展』(新日本出版社)

中・上級

レーニン『カール・マルクス』

エンゲルス『ルードウィヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結』

マルクス『ゴータ綱領批判』

エンゲルス『反デューリング論』

レーニン『唯物論と経験批判論』

マルクス『資本論』

レーニン『資本主義の最高の段階としての帝国主義』

『日本共産党の70年』(新日本出版社)

宮本顕治『党史論』(新日本出版社)

不破哲三『スターリンと大国主義』(新日本新書)

不破哲三『ソ連・中国・北朝鮮――三つの覇権主義』(新日本出版社)

『日本共産党と宗教問題』(新日本文庫)

けっこう読んでない文献が多いなぁ。


私選、独習指定文献

1.ヘーゲル法哲学批判序説

若々しいマルクスの行動宣言で出発点だ。どうしても押さえておきたい。

2.経済学・哲学手稿

「疎外された労働」のところは趣旨としては分かりやすい。「ミル評注」も、ミルの理論も紹介しながら参考程度につけてやるといい。

第三草稿も面白いが、うんと枝葉を落として、うんと背景説明しないとわかりにくい。中・上級に。

3.ドイツ・イデオロギー

人間は食うために生活していること、食うために生活する人間が社会を作ると、どういう社会になるのか、これが良く分かる。

後ろの方の面倒なところはいらない。

4.哲学の貧困

ものすごく読みにくい本だが、プルードン(的なもの)への批判は、この先どうしても押さえて置かなければならない。マルクスは、初めはプルードンとケンカするために経済学を勉強したのだろうと思う。「ドイツ・イデオロギー」の後半部分、「聖家族」をふくめて「偽左翼」経済学への視点を鍛えるべきであろう。
背景説明をふくむ抜粋本があればいいのだが。中・上級に入れる。

5.共産党宣言

これを抜かすなんて信じられない。搾取というのが社会の最大の問題なんだ。

6.賃労働と資本

入門書として読むならこれしかない。これだけ読んでくれれば他は要らないくらいだ。足りないところは必要に応じて補えばいい。

「賃金・価格・利潤」は解説すると余計わかりにくくなるから、やめた方がいい。大事なことはアダム・スミス以来の経済学の決まり事を憶えることだ。

7.フォイエルバッハ論

分かり易いが、たくさんウソが混じっている。それをやり始めると難しくなる。ヘーゲルにはあえて触れないこと。

ほかにエンゲルスの著作、たとえば「家族」、「自然弁証法」、「空想から科学」は副読本扱いにして、指定文献には入れないほうがいい。マンガにすると若い人がとっつきやすいだろう。

8.ザスーリッチへの手紙

「未来社会」論に関して組合主義者が必ず持ち出してくるので、勉強はして置かなければならない。「経済学批判序説」の時代区分はあまりにも雑駁で、「あんなこと言わなきゃよかった」とマルクスは反省していたのだろう。全部読む必要はサラサラないので、抜粋本があると良い。中・上級

9.帝国主義論

レーニンといえばこれしかない。「国家と革命」も「唯物論と経験批判論」も要らない。ただ「何をなすべきか」は、いろいろ問題はあっても「面白いから読め」と勧めたい。

「金融資本を中心とする独占体」という概念は、グローバル化のもとでは大きく変質しているが、不均等発展の理論はいまなおホットだ。

10.極左日和見主義者の中傷と挑発

平和革命をリアリズムに基づいて説得する文書だ。日本共産党が初めて最初から最後まで自分の頭で考えて作った文書で、私には未だに理念的出発点だ。我々は「4.30論文」と言っていたが、東京の人は「4.29論文」と呼んでいる。それがちょっと悔しい。
袴田里見が講演に来て漫画チックな解説をした。岡正芳さんの講義はボソボソとして分かりにくかった。下司さんの発言は見当違い。米原さんが一番スッキリしていた。まぁ自分で読むのが一番だ。

11.現綱領関連文書

不破さんの貴重な置き土産。「冷戦終結論」で一触即発の雰囲気になったときに、不破さんが鮮やかな切り口で事態を収拾したことは忘れられない。とはいえ不破さんの語り口のスマートさに惑わされず、現綱領を自分のものにする必要がある。


マルクス主義というのは、哲学的にはヘーゲルの伝統を継ぐ弁証法論者であると宣言することであり、経済学的にはアダム・スミスとリカードの伝統を継ぐ労働価値説の陣営に立つことである。
運動的には、おそらくはフランス大革命における急進派(百科全書派)の主張を引き継ぐことではないだろうか。サン・シモンやオーウェンはそこからの派生であると思う。
あれこれの「社会主義」的な試みではなく、自由・平等・博愛の三位一体たる「民主主義の精神」の継承者としてみずからを位置づけるべきであろう。
ついでながら
「科学的社会主義」という言葉は心がけとしては正しい。しかし論争の相手が「非科学的」とは限らない。受け取る側に傲慢だと思われる可能性もある。
科学的であろうとすれば唯我独尊ではありえない。内心では確信しつつも、他人との関係では節度を保った使用法が必要である。

何気なく本棚の一冊を手に取った。
有斐閣新書「マルクス…著作と思想」という入門書だ。1982年の初版で私のもっているのは第4刷、85年の発行となっている。非共産党系マルクス主義者の集団著作だ。
おそらく「療養権の考察」を書いていた頃に買った本だ。かなり読み込んだ形跡があるが、「考察」の参考文献一覧には入っていない。独自的意味はないと判断したのだろう。多少「忖度」したかもしれない。
しかし冒頭の望月清司さんの文章はいま読んでもなかなか良いものだ。
考えてみると原光雄さん、三浦つとむさんから始まって、ずいぶん「異端」の文章に影響を受けている。
人間的諸活動を労働過程と享受・発展過程、社会的活動を生産活動と生活過程の統一として考えるのは中野徹三さんの影響だし、受苦と欲望を人間的発展の二つの動因と考えるのはルカーチの影響だ。

当時、私の積み重ねた「学習」の目的は、客観的には「共産主義読本」をいかに合理的に読み解くかということにあった。感想的結論として、「共産主義読本」は度し難い「スターリン的・非レーニン的文書」だと判断した。大きな声では言わなかったが、批判的に読むべきだということを示唆した。

70年代後半から80年代前半にかけては、そういう批判を許容する時代の雰囲気もあった。そのあと理不尽な反動がやって来て、理論課題が組織問題であるかのように攻撃され、かなりの人が「民主的軍国主義者」の犠牲になった。丸山真男が突如攻撃され、古在由重が除名され、「冷戦は終わっていない」と宣言された。
誰かが同志Mの認知症につけ込んだのだろう。

もちろん「異端」を自認する人の多くは「反スタ・スターリニスト」である。かつての北海道AALAの幹部であった中野徹三さんが、いまも進歩的な政治的役割を果たしているとは思えない。しかし本業のところでは傾聴すべきかなりの意見があることも事実であろう。

本日の赤旗2面
ちょと目立たないところに、志位さんの記者会見が紹介されている。
表現は考えられる限りもっとも穏やかなものとなっている。
憲法問題についてはぎりぎり、
「“立憲主義を壊す安倍政権には、そもそも憲法を変える資格がない”という点で野党は結束してきましたが、これからもこの一致点で結束していけると思います」ということで一致点を見出そうとしている。
消費税問題はさすがに同意はできないが、「税制についての考え方は違っても、当面の対応として前向きの合意が得られるようよく話し合っていきたい」と抑えた。
すでに4日の段階で小池書記局長の「共闘推進呼びかけ」が発せられており、トリプル補選を「国政私物化、情報隠蔽のモラルハザード、憲法を踏み破る安倍暴走政治」に対する国民の審判と位置づけた。今回の志位談話はそのための「政策的足かせ」を除くためのものであろう。
おそらく民進党の対応についての関係者議論は、水面下で進行しているに違いない。
その際の暗黙の前提としては、たとえば前項記事の山崎さんの7項目提案が下敷きになるだろう。(ただし第6項はみごとにずっこけたが、第7項はかろうじて維持されている)
念のため該当部を再掲しておく。

(1)安倍首相への批判に争点を絞る
(2)憲法と対共産党の議論は棚上げ
(3)選挙協力は実を取る
(4)「再分配政策」重視を打ち出す
(5)金融緩和継続と消費税率引き上げ延期を確約
(6)フレッシュな顔を前面に出す
(7)仲間割れしない!

これでお互い、とりあえずのトリプル補選での政策的ハードルは乗り越えられる。
あとは「新執行部の方々と、つかさ、つかさでよく話し合っていけば、協力していけるのではないかと期待しています」ということになる。
これは前項記事の松野頼久議員の発言を念頭に置いたものだろう。
いずれにしても、「共産党を除く…」風土の復活を阻止するためには、まさに「耐え難きを耐え、忍びがたきを忍ぶ」方針だ。
例えば枝野が当選して右派議員が軒並み脱走し、連合が絶縁してもぬけの殻になった民進党が来ても、それだけでは日本を動かすことはできない、と見切った上での判断だ。
ただしこれは市民連合のプッシュがあってこその議論になる。野党共闘というのは野党の共闘ではなく、野党と市民との共闘なのだ。市民連合が「耐えてくれ」といえば耐えるしかない。ポジティブにも、ネガティブにも、そこに、今この瞬間の日本の政治状況がさしかかっている。
トリプル補選の行方がとんでもない重みを持つことになりそうだ。

民進党代表選と野党共闘の行方

9月1日に行われた民進党の代表選挙は、野党共闘の今後を占う上で、興味深いものであった。

しかし、一般メディア上ではこの問題に触れたものはほとんどない。わずかな手がかりをたぐりつつ、野党共闘の見通しについて探ってみたい。

例によって時刻表的に経過を追ってみたい。

1.都議選敗北と仙台の勝利

まずは7月都議会選挙の前後から、

7月2日に都議選が闘われ、小池都知事の与党として結成された「都民ファーストの会」が圧勝した。

まぁこれはいっときのブームみたいなもので、次の都議会まで持つかどうかも怪しい。

これを別とすれば、最大の特徴は自民党の大敗である。色々重なって最悪の状況で迎えた選挙だったから仕方ないにしても、公明党の支援を失った自民党がいかに脆いかが暴露された。

第二の特徴は共産党がブームに埋没せずに、既存陣地を守り、わずかながらも前進したことである。これまでは新党ブームが起きるたびに、その煽りをもっとも受けたのが共産党だった。それを考えると今回の選挙は「共産党ミニブーム」選挙だったと言っていいかもしれない。

ただ、僅差での当選がかなりあることから、これからもこのようにうまくいくとは限らない。

第三の特徴は民進党の惨敗である。これは連合の態度が大いに関係している。連合は民進党を脱走した連中をふくめ、小池新党に肩入れした。彼らは民進党の敗北の代わりに野党共闘派執行部の追い落としを狙った。そして見事に成功した。

「やはり連合なしには民進党は生きていけない」と言うことを、骨身に感じさせた。これによって野党共闘の発展にブレーキをかけようとした。

しかし市民はこれとは逆の反応を示した。都議選の直後に行われた仙台市長選挙では野党共闘の候補(民進党員)が現職市長を破ったのである。

2.股裂き状況と蓮坊体制の崩壊

こうして民進党は完全な股裂き状況に陥った。党そのものの明日を考えれば、野党共闘路線を走るしかない。これはまともな党員であれば誰が考えても分かる。

しかし、最大の支持母体である連合は、共産党をふくむ野党共闘は許せない。そのために、あえて民進党を支持せず自公連合やブーム政党に相乗りすることもいとわない。

こういう状況の中で進退窮まった蓮坊体制は崩壊していく。

7月27日、蓮舫が「党代表を辞職する」と発表した。「二重国籍問題」などという言いがかり的なキャンペーンも、やる気を失わせるには十分だったかもしれない。しかし執行部の取り続けた野党共闘推進姿勢が、強引に押しつぶされたと見るのがもっとも真相をついているのではないだろうか。

さらに連合は揺さぶりをかける。8月8日に 細野豪志が党代表代行を辞任、離党した。

共産党抜きの政界再編をめざすという。おそらくは小池新党や、場合によっては維新まで巻き込む野党連合の形成だ。

しかしこのような政界再編は、民進党の運命そのものを危うくする。かつて連合に見捨てられた社民党や自由党が辿った運命をみずからもたどることになる。

3.右派代表の前原が登場

直ちに次期代表を争うレースが開始れた。当初から前原対枝野の対決になることは明らかだった。

8月17日、前原が突如メディアに登場した。その記者会見は衝撃的でさえあった。

民進党から支持者が離れていく最大の原因は共産党との連携にある。共産党をふくむ野党連合の方針は解消する。

そして消費税増税も実現する、憲法改正にも積極的に取り組む…と驚きの内容が連打された。さぞ連合や経団連は喜んだことであろう。

しかしこのような方針が今の政治状況に見合っているとは到底思えない。これでは民進党の自殺行為ではないのか、と誰しも呆れただろうと思う。

多分言っている本人が一番良く分かっているのではないだろうか。

わたしはこれは練りに練られた一撃ではないかと思っている。党の存続をかけて、連合に詫びを入れたのではないだろうか。このような過激な言明は一度きりで、その後は聞かれていない。

党の解党的出直しのためには強いガバナンスを必要とする。そのためには連合にも頭を下げなくてはならない。

これ以上勝手な想像をしていても仕方ないので、次に進む。

4.前原・枝野の出来レース

8月21日、党首選が告示され、前原誠司と枝野幸男の2人が立候補した。今のところこの組み合わせしか考えられない。

両者の公約は1.自己責任型の社会ではなく支え合う社会を目指す。2.社会の多様性の尊重、3.党を基軸に政権交代を目指す,ことで一致。緊縮財政、消費税増税、金融緩和について意見が分かれる。(buzzfeed

比較

両者の理念は意外に似通っている。ウラで通じ合っているとも考えられる。

両者の公約は1.自己責任型の社会ではなく支え合う社会を目指す。2.社会の多様性の尊重、3.党を基軸に政権交代を目指す,ことで一致。緊縮財政、消費税増税、金融緩和について意見が分かれる。(buzzfeed)

しかし連合との関係では水と油である。だから前原は意図的に連合よりの候補であることを押し出したのではないだろうか。

当選後は枝野と二人三脚でやるという暗黙の了解があった可能性もある。

5.小沢一郎の影

こういう剣が峰での立ち回りは前原一人でできるものではない。

前原の推薦人には旧小沢派の2人が名を連ねる。小沢氏は「前原氏が勝利すれば、野党結集を打ち出すと思う」などと発言したという。(ismedia

地方での投票率は公表されていないが、岩手県選出の民進党国会議員は「全員が前原に投票した」と公言している。

報道によれば、小沢は共産党の不破哲三と太いパイプを持ち、野党共闘のフィクサーの役割を果たしている。

新潟県知事選挙での自由党、森議員の差配はみごとなものであった。民進党抜きで見切り発車した上で、事実上の野党共闘にこぎつけた。誰もその功績が一人、森議員のものだとは思わないだろう。

不破哲三は長年の国会議員経験を持ち、創共協定にも関わるなど、局面では博打も必要なことは分かっている。

前原はこれに乗った可能性がある。表の発言とウラでは意味が違うかもしれないと言われている。

前原の真意は党を割らないことであり、連合とのパイプを残しつつ、議席を確保することである。それは枝野も理解している。

どこまで押しても共産党が黙っているかを推し量りつつ、反共路線を押し出すことで右派の引き止めを図る。

これが前原の胸算用ではなかったろうか。

6.選挙の結果をどうみるか

9月1日国会議員の投票が行われ、前日に締め切った党員の投票と合わせて、前原の当選が決まった。

国会議員 前原 83票 枝野51票

公認予定者 前原 84票 枝野42票

合計 前原250pt  枝野144pt

全てを合計した結果、前原氏502pt、枝野氏332pt

ということで、枝野の予想以上の健闘という側面はあったものの、ほぼおさまり型の結果となった。枝野の顔も立った。

メディアの評価では、「枝野氏の予想外の善戦」で共闘路線への支持が根強いことが示される。「左派系議員を切る純化路線が取りにくくなった」とされる。

これはある意味で、狙い目でもある。

しかし、代表就任に当たっての前原の記者会見はそんな平穏なものではなかった。「厳しい党運営になると思ったのは、無効票の多さだ」と語っている。

国会議員8人は前原支持に回らず、あえて無効票を投じた。これは、共産党との共闘などに不満を持ち、すでに党を離れた細野らと気脈を通じる「離党予備軍」とされる。

連合の神津里季生会長は「目指す国家像が全く違う共産党と選挙で手を組むことはあり得ない」とあらためて釘を差した。

前原の右翼丸出しのポーズは、党内右派からかなり見透かされていると見なければならない。

ここに前原の最大の危機感がある。

7.10月22日までの動き

前原に残された時間・ハネムーン・ピリオドはきわめて限られている。連合がとりあえず差し出口を控えるのは10月22日のトリプル補選までであろう。

選挙次第では、連合は民進党から手を引く可能性もある。流石に維新とは行かなくても小池新党に合流する可能性は高い。そうなれば民進党の社民党・自由党化は避けられない。

各紙の世論調査で前原新代表に「期待しない」との回答は51.2パーセント(共同)で、「期待する」の40.3パーセントをかなり上回った。(連坊就任時は56.9%が期待を示す)

同党の政党支持率も毎日の調査で5%と低迷している。

どうしても議席がほしいとなれば、逆説的に野党共闘への傾斜は不可避である。

9月3日、次期国対委員長予定の松野頼久衆院議員は、「与党との一騎打ちに持ち込まなければ勝てない」と述べ、共産党を含めた野党共闘を維持すべきだとの考えを示した。

松野氏は「(野党共闘を)見直すとは言っても、やらないとは言っていない」と強調。

周囲の状況も慌ただしい。

代表選の翌日、小池都知事が側近の若狭勝衆院議員と会談し、「小池新党」を立ち上げる方針を確認した。

小池氏は「しがらみのない政治であるとか、大改革とか遂げられるような状況を国政でも作っていきたい」と意欲を示した。

山尾議員をめぐる報道も連日続いている。山尾は「保育園落ちた。日本死ね」の質問で一躍有名になったが、もともと経歴は芳しくない。

昨年、ガソリン代支出での不適切な処理を指摘され、「ガソリーヌ」というあだ名で呼ばれていた。

今年の仙台市長選では野党共闘候補を応援し、2週間後の横浜市長選では自公候補を推すという無節操ぶりである。

権力の標的とされ、民進党に残っても目がないと見るや、さっと逃げ出す足の速さは一流である。

今回の不倫疑惑は例によって公安と週刊文春の二人三脚であろうが、権力側が民進党の動向を野党共闘の成否の勘所と見て、攻撃に回ったことの証であろう。

いずれにしても10月のトリプル選挙だ。民進党がどうなろうとそれは民進党の問題だ。しかし権力が野党共闘を阻止するために民進党に的を絞ろうとしているなら、この選挙は天下分け目の戦いになるかもしれない。

追補

山崎元さんはわりと好きなエコノミストである。その山崎さんがダイアモンド・オンラインに面白い記事を載せていた。

前原・民進党は何をすべきだろうか。簡単にまとめるなら、以下の7点だ。

(1)安倍首相への批判に争点を絞る

(2)憲法と対共産党の議論は棚上げ

(3)選挙協力は実を取る

(4)「再分配政策」重視を打ち出す

(5)金融緩和継続と消費税率引き上げ延期を確約

(6)フレッシュな顔を前面に出す

(7)仲間割れしない!

リアルで適確だと思う。ただし民進党にとってはよろしいが、国民にとってよいかどうかは別。


レビコフのピアノ曲はリャードフやリャプノフと比べると本当に雑な作りだ。
それなりのピアニストだったら、忌避するか大げさな響きに編曲するだろう。メロディーも月並みなセンチメンタリズムだ。
ただし、中山晋平の「波浮の港」を聞いて「あぁなんていいんだろう」と思う人にはお薦めだ。
そんなメロディーが次々と湧き出てくる。そんなレビコフの真骨頂が作品8のピアノ小曲集「秋の夢」だ。
全部で16曲からなる。まず右手のメロディがあって、左手は控えめに和音を奏でる。小学生でも演奏できそうな曲ばかりだ。
rebikohu
私はアナトリ・シェルデヤコフのピアノ全曲集を買ったのでそれで聞けるが、You Tubeでは全曲という訳にはいかない。というか、ほとんど聞けない。
ソメロというひとのCDも買ったが、金正恩みたいな写真のジャケットはおよそ反芸術的な雰囲気満載だ。
“Rebikov” で検索してみてください。なんとなくハマること請け合いです。

の抜書(コピペ+私感)である。元ネタがお手軽というわけでは決してない。

Ⅰ リカードの「価値論」の意味

リカードは、スミス価値論の継承者である。彼はスミスの労働価値論を受け継ぎながら、そこにふくまれる曖昧さを排し、それをいっそう純化させた。そして、労働価値論を駆使して、「生産物の諸階級への分配に関する法則」を解明した。

リカードのスミス批判の意義は、個人がどんなにあがいても貫徹する経済の客観的法則を提示するという点にある。

スミスの命題には、個人の行動結果から類推して、それを経済全体の結果であるかのように見なすところがある。しかし経済法則を客観的に適用すれば逆の結果になる。

そこをリカードは示したのである。

という岡さんのコメント。スミス研究者から見れば、いささかカチンとくる叙述となっているかも知れない。


Ⅱ リカードはスミスから何を受け継いだのか

リカードがスミスから受け継いだのは『労働価値説』である。

リカードは、「原理」の中でスミスの所説のポイントを引用し、コメントしている。

1.交換価値(価値)と使用価値(効用)

価値が二つの側面を持っていることについて、リカードは完全に同意している。

スミスからの引用

「価値という言葉には、2つの異なる意味がある。それは、ある時はある特定の物の効用を表現し、またある時はこの物の所有がもたらす他の財貨の購買力を表現する。一方を使用価値 、他方を交換価値と呼ぶことができる」

「最大の使用価値をもつ物が、交換価値をほとんど、または全くもたないことがしばしばある。これに反して、最大の交換価値をもつ物が、使用価値をほとんど、または全くもたないことがしばしばある」

後段の引用は「水とダイヤモンド」の挿話へと続くところである。

リカードのコメント

したがって、こう言える。

効用(使用価値)は交換価値を持つための必要条件ではあるが、効用は交換価値の尺度ではない。

ということで、話を労働の交換価値に絞ることを宣言する。

2.労働は交換価値の源となる

交換価値というのは「ある物の所有がもたらす他の財貨の購買力」であるから、その購買力の源は何かということになる。

スミスからの引用(ちょっと長い)

「あらゆる物の真の価格は、それを獲得する際の苦労と手数とである。それを欲する人に真に費やさせる物である。

ではそれをすでに取得していて、それをなにか別の物と交換したいと思っている人にとっては、それの値打ちとはなんだろうか。

それは交換によって節約することができ、他の人々に負わせることができる苦労と手数とである」

「未開の状態での相互交換に際して、物の取得に必要な労働量の多寡は、交換のルールを与える唯一の事情である。

一頭のビーバーを仕止めるのに費やされる労働が、一頭の鹿を仕止めるのに費やされる労働の二倍だとする。

そうすると一頭のビーバーは、当然二頭の鹿と交換されることになる」

この2つとも前回の奥山論文で紹介されているおなじみのところである。

スミスはここで一つの定式を打ち出す。
「商品にふくまれる労働量がその交換価値を規定するのである。

だとすれば、労働量の増加は必ず商品の価値を上昇させる。逆に、労働量の減少は必ずその価値を低下させるにちがいない」

リカードからのコメントはとくにない。ここまでの論理(投下労働=価値)について、リカードは全面的に受け止めたとみられる。

Ⅲ リカードはスミスの何を批判したのか

ところが、このあとスミスは価値標準について違う考えを持ち出す。

物の価値は、「それと交換される労働量」あるいは「それが市場で支配する労働量」によっても決まると言ったのである。

「何が“あるいは”だ。ぜんぜん違うじゃないか」とリカードは噛みついた。

リカードは「支配労働」論を認めなかった。そして「ここにスミスの混乱がある」と指摘したのである。

リカードはスミスの混乱の理由を、投下労働論を「初期未開の状態」に限定したことに求めた。「初期未開の状態」に通じることなら発達した社会にもそれは通じるはずだ、というのである。


1. 労働以外の生産手段の価値

ここからあとは、奥山さんの解説とだいぶ話が違ってくる。とりあえずそのまま紹介する。

私感: 労働以外の生産手段の価値についてはスミスにあっては曖昧であった。それらも「労働している」かのような擬人表現が見られる。生産と労働を混同した「労働」原理主義である。これは大地と日光が農作物を育て価値を生み出すという、重農主義の影響もあったのではないか。

リカードはスミスの「労働」原理主義に込められたすり替えを見逃しはしなかった。

ここにリカードは「時間差」というか「経時的観点」を持ち込んだ。リカードは言う。
労働と並んで使用される材料や器具や機械もまた、財貨の価値に貢献する。

それは、それらの材料や器具や機械の生産において投下された労働の量に応じてである。材料や器具や機械は過去の労働の産物である限りにおいて価値にふくまれる。

こうして、過去の労働を持ち込む形で、材料や器具や機械を労働価値説に取り込むことができたのである。

私感: 生産過程においては原材料は「使用価値」として加わるのであって、価格実現過程の話と混同してはいけないと思う。価格実現の話も、その前にまず剰余価値の配分の話を片付けてから取り掛からないとならないと思う。これらはいずれもう少し勉強した上で語ってみたい

② 地代や企業主の才覚の評価

スミスが主張した「労働原理主義」はリカードにおいても受け入れられたのである。ただし「支配労働」の否定という形をとってであるが。

スミスが“苦し紛れに”考えだした「支配労働」は、生産手段が過去からの労働の蓄積であるという考えをすれば、そんなものまでごたまぜにしておばけみたいな労働形態を考える必要はなくなる。

そうなると、支配労働のもう一つの要素である地代や企業主の才覚の評価が問題になる。

これについては、リカードはもう一つの素晴らしいアイデアを考えついた。それは「差額地代論」という理論である。
肥沃な土地は稀少である。だから肥沃でない土地も耕作せざるを得ない。
肥沃でない土地では、同じ量の穀物を生産するのに、より多くの労働の投入が必要となる。
穀物の価格は、最も劣った土地での投下労働量によって決まる。
なぜなら、穀物の価格がそれよりも低いと、最劣等の土地での農業は赤字になり、生産が続けられなくなるからである。
逆に、優等地の穀物は労働量(すなわち価値)を超える交換価値を市場において獲得することになる。したがって、優等地での生産は超過利潤を生む。

その結果、農業経営者間の競争が優良な土地にプレミアムを生むことになる。これが差額地代となる。
地代は農地の豊かさの証明ではなく、農地の相対的な貧しさの反映なのである。
それはマルクス流にいえば、労働の節約による「相対的剰余価値」の変形となる。
これがリカードの地代理論(差額地代論)である。

それではスミスはどう考えていたかというと、

農業では、自然(地力など)や家畜が人間と並んで労働をしていると考えた。そしてそれらが、人間の労働と同様に価値を生み出すと考えた。

そのゆえに、それらをふくめた“労働”の価値として地代が生じると考えた。

この素朴なアニミズムが「支配労働」説のオリジンであったのかもしれない。
リカードは差額地代論を練り上げることで、「支配労働」説の神話的根拠を突き崩したといえるだろう。

さらにいえば、リカードの差額地代論はケネーの農本主義的再生産表の根拠にも侵食しているといえる。

私感: 「差額地代論」はあまりにも鮮やかな一本背負いであるが、それだけに論理だけに寄り掛かるモロさも内蔵している。
これは一口で言えば、“マイナスの労働価値”である。肥沃な土地は生産物をより少ない労働で獲得することができる。この「労働の節約」分がいわゆる超過利潤となり、地代の源泉となるというのである。
ただしこれは究極のところ肥沃でない土地での労働によりあがなわれるので、労働価値の直接の反映ではない。
またそれは生産・分配過程の外で行われるものであり、別途論じるべきものではないだろうか。
リカードはそのあたりにまで考えが回っていなかった可能性がある。

このようにして、リカードはスミスの論理を使ってスミスの「支配労働」を否定した。

これにより原材料や生産手段が価値論に組み込まれ、同時に地代は価値の構成部分からは排除されたことになる。

Ⅳ 労働価値説に基づいた分配理論

ここから先は、スミスの継承というよりリカードが独自に開拓した理論となっていく。

スミスの論理を投下資本オンリー説で再構築していくと、価値はどのように分配されるか。

リカードはこれを賃金、利潤、地代に分けた。これはスミスの価値分解説を踏襲したものである。

賃金はまずもって生存賃金である。それは労働者の生存と再生産を可能にするために必要な生活物資の価値に等しい。

利潤は生産物の価値から、労働の賃金と他の生産手段の価値とを差し引いた残りである。これが資本家階級の所得となる。


リカードは利潤と賃金がトレード・オフの関係にあると提起している。

そして資本主義が発展すると、利潤率は低下する。

これは以下のようなメカニズムで説明されている。

資本が蓄積され、人口が増えると、穀物需要が増える。

それは耕作限界の拡大をもたらす。つまり、肥沃さの劣った土地が生産に引き入れられる。それは穀物の価値の騰貴をもたらし、それが優等地での地代を生む。穀物価値の上昇は、賃金を上昇させ、利潤を低下させる。

利潤がゼロになったとき、資本蓄積は止まり、人口も定常状態に達する。このとき、利潤はゼロ、賃金は相変わらず生存水準で、地代は最大になっている。これがリカードの描く分配の動学である。

私感: これが本当だったら、人類はとうの昔に破滅していたはずで、どこかに誤りがある。
リカードの差額地代論は、地代を賃金・利潤と同一カテゴリーに置くべきでないことを示唆している。また価値と交換価値のより厳密な使い分けを求めていると思う。

リカードの忠実な使徒だったマルクスはこの問題で悩んだ。

搾取者に弔いの鐘はならなかったし、搾取者が搾取される革命も起きなかった。

この結果を見て、マルクスはリカードを離れ、独自の道を模索するようになった。

これについてはまた別な文献で勉強しなければならない。

多少お神酒が入ったところで、もう一度アダム・スミスを語る。

アダム・スミスは画期的な労働価値説を打ち出しながら、「支配労働」というゴミ箱的概念を持ち込むことで、最終的には月並みな「生産費説」(価格=費用価格+平均利潤)に落ち着いてしまった。

労働価値説は生産費説を飾るちょっとおしゃれな彩りにしか過ぎなくなってしまった。

その背景には、①なんでも労働価値という「原理主義」、②これを背景にした「支配労働」論、③「支配労働」論を背景にした「自然価格」論(労働価値=すべてのコスト)という論理上の三段跳び(というか三段落ち)があった。

ところで「支配労働」は、利潤の源泉を労働に求めつつ、利潤と賃金の矛盾をなんとか説明しようとしたところから生まれたトリッキーな議論ではないか。

なぜなら搾取(人為的)を前提とする「自然」価格などあり得ようがないからである。

もう一つは、比較的小さな問題だが、地代まで労働の産物としてふくんでしまったことである。だれでも「流石にそれはないでしょう」ということになる。

ここでリカードゥが立ちはだかった。支配労働なんてくそくらえだ、と。

地代については「差額地代論」で整理がついた。それは利潤論へもつながる論理であり、支配労働論への痛烈な一撃だった。

それでスミスが覆い隠そうとした利潤と賃金の矛盾が、あからさまになってしまった。利潤というのは資本家が生産→販売という過程に紛れ込ませた「詐取」なのではないか、ということになる。

という展開になるのではないかと思うが、まずは勉強だ。

で、勉強は明日だ。もう頭は回らない。アルコールだけが回る。

奥山忠信 「労働価値論の思想と論理-アダム・スミスの遺産」政策科学学会年報 第4号

前項の宮川論文では、議論の前提となるスミスの理論についてさっぱりわからず、読解に大苦労した。
この論文はマル経のものではないが、その分、マルクスの小難しい表現に悩む必要がないだけ読みやすいだろう、と期待して読むことにする。
見出しは、原文の目次を無視して私が勝手につけたものである。
需要曲線と供給曲線における限界効用理論と限界費用曲線に関する問題を考え直すために、アダム・スミスの考察を中心に、古典派労働価値論の意義を再確認する。
ということなので、「古典派労働価値論の意義」のところを読めば、後半の「需要曲線と供給曲線における限界効用理論と限界費用曲線に関する問題」は読まなくて良いだろうと、ずる賢い発想。

Ⅰ はじめに 労働価値論の見直し
主流派の経済学は、伝統的に需要・供給曲線を書くところから始まる。そして需要曲線の右下がりの理由を「限界効用逓減の法則」に置く。
しかし仮に限界効用の逓減が正しいと仮定しても、これは消費の特定の場面での話であって、生産過程をふくめて経済活動全体を見渡したものではない。

アダム・スミスやマルクスの経済学に登場する資本家の行動はこのような限界理論とは異なる。
古典派経済学では、市場価格は需給関係で変動するが、自然価格は一定である。需要曲線がどのようにシフトしても、生産費によって自然価格は規定される。
資本は、価格が上がったから供給量を増やすのではなく、利潤量や利潤率を基準に供給量を増減したり、他部門に移動したりする。
だから自然価格は供給量や需要量とは無関係に一定である。(まぁ、相対的には影響を受けにくいということでしょう)
労働価値論は、現在の経済学においては異端派である。
しかし、本稿は、今日の経済学の説く価値論に強い疑問を持っている。
実体経済を考慮すると、むしろ、労働価値論や生産費説をベースとした古典派の価値論の方が現実性を持っているのではないか、と考える。
良いですね、この滑り出し。

アダム・スミスの労働価値論は、1776年に刊行された『国富論』に展開されている。
これまでスミス価値論は投下労働と支配労働の関係、価値分解説と価値構成説の関係で混乱しており評価に耐えないとされてきたが、いま、一定の再検討が求められているのではないか。

Ⅱ アダム・スミスの労働価値論 概要
1.重商主義者とスミス 労働価値論の出発点
スミス価値論を理解するためには分業論を知らなくてはならない。スミスはいう。
分業社会では、人々は商人的な性格を帯びる。相互に利己心を刺激つつ、互いに自分の欲するものを獲得する。だから交換は人間の本性に根差しているということができる。
(論旨とは無関係だが、この記載は利己心を人間の本性とする点でほとんどナンセンスだ。利己心は自己防衛本能とはまったく異なる。利他心と同様に歴史的なものだ)
もともと交換には相互需要の不一致という困難がつきまとう。この困難を解決するために、人々に広く受け入れられる商品を手元に保有しておく必要がある。
それが貨幣である。
この場合、手元に置く貨幣は富として蓄えられているわけではない。
それは購買手段として用いるために、一時的に手元で保存された価値なのである。
このあたりちょっと複雑だが、
スミスは重商主義者のように、富(自己目的としての致富)としての価値保存機能を説いているわけではない。
しかし、貨幣が流通手段(交換の道具)として機能するためには、少なくとも一時的には手元に置いておく必要があることを認めている。その限りでは価値保存機能(マインドもふくめて)も残されているといえる。
スミスは貨幣を、商業社会=文明国の普遍的な「商業の道具」と定義する。そこには、貨幣を「富」とする重商主義に対する批判の意味がある。
スミスにとっての富は、貨幣ではなく労働生産物である。
このあと、奥山さんの記載でちょっとわかりにくい一節がある。
スミスはリカードゥから貨幣数量論だとして批判されているが、それは誤解である。貨幣数量論はヒュームの主張したものであり、スミスはこれを批判している。
ヒュームら貨幣数量論者は、中南米から流入する金銀の増加が貨幣量の増加をもたらしたと説くが、スミスは支配労働の下落による貨幣価値の下落が物価を上げた、と説く。
これは何よりも明確な貨幣数量説批判になっている。
貨幣数量論についてはいずれ機会があれば検討することにする。支配労働については後で触れることにして、次に進む。

3.「国富論」第4章での予告的紹介
貨幣を論じた『国富論』第4章は貨幣論であるが、その最後に、第5章以降の価値論がざっと紹介される。
労働生産物の交換には自然のルールがあり、それが商品の相対的価値あるいは交換価値を決定する。こ
の法則の研究が必要だという。
それはマルクスがスミスを乗り越えつつ目指したものでもある。
① スミスの労働価値論における「自然のルール」
スミスは価値を2つの意味に分ける。
第1に使用価値(value in use)であり、第2に交換価値(value in exchange)である。
使用価値とは、使用に際しての有用性(utility)である。
これに対し交換価値というのは、財の所有を譲渡して他の財を購入する力である。
この辺は資本論の最初のところですね。しかし交換価値の規定はなかなか難しい。難しいということは、曖昧さをふくんでいるということにもつながる。
② いわゆる「水とダイヤモンド」問題
水ほど有用なものはないのに交換価値を持たず、ダイヤモンドは使用価値を持たないのに高い交換価値を持つ。
それはなぜか。
ダイヤモンドの美しさが価値を持つのではない。その使用価値が特殊な故に、人々が獲得するための困難を厭わない、ということに裏づけられている。
希少性や審美性は、より多くの労働に裏づけられて、高い価値を持つのである。
宝石は装飾品としてのほかは何の役にも立たない。その「美しさ」と言う値打ちは、その希少性によって、つまり鉱山から取得する時の困難さと費用によって定まる。
この辺はもう少し言い換えてみよう。
希少性について: ダイヤモンドは希少であるが故に価値を持つわけではない。希少であるが故に、より多くの労働に値するから価値を持つ。
審美性について: ダイヤモンドが使用価値を持たない、ということの意味は、衣食住のレベルの人間生活には役に立たない、という意味である。
美しさの持つ使用価値を否定していたわけではない。
この辺は、人間的欲望(の高次化)との関係で語るとより中身が豊富になりそうだ。

4.「国富論」第5章 生産物の価格について
次が第5章の価値論である。ここから少し話が難しくなってくる。
第5章のタイトルは以下の通り
「商品の真の価格と名目価格について、すなわちその労働による価格と貨幣による価格について」
つまり商品の「真の価格」は労働によって決められるが、それが貨幣で示されたのが名目価格ということであろう。
① 労働の量が価格の根本
スミスは生産につぎ込まれた労働の量が価格の根本だと言っているのである。
「世界のすべての富がもともと購買されたのは、金や銀によってではなく、労働によってである。
したがって、労働能力を所有する人が、労働と交換に何か新しいもの(商品)を得ようとする時、彼の労働量は購買できる価値と正確に等しいのである」
スミスはこれで、商品の不変の価値尺度をめぐる論争に確固とした方向性を与えた。
② 労働の多様性をどう処理するか
スミスは労働の多様性についても、時間、強度、難易度などは社会的な平均労働に還元できるとした。それは「市場での交渉や取引」によって、大まかながら調整されるのである。
その根拠となったのが「分業の進展による労働の単純化」である。
ここまではまったくその通りで、すばらしい。
5.投下労働と支配労働
ここから投下労働と支配労働の話が始まる。投下労働についてはまったく問題ないが、支配労働というところからおかしくなってくる。
とにかく読み進もう。
分業の進展により単純化された労働は、商品を生産するのに必要な労働である。これを投下労働という。
「あらゆるものの実質価格は、それを獲得するための労苦である」
俗っぽく言えば、労働の負担(cost)が実質価格(real price)なのである。

スミスの労働にはもう一つのカテゴリーがある。それが支配労働である。
支配労働は、分業と交換の社会において特別な意味を持つという。それは労働に何をもたらすか。
スミスはそれを自分の労働の節約として根拠付ける。なぜなら、労働は苦痛であるばかりではなく、安楽や幸福の放棄でもあるからである。
「彼自身の労働を節約でき、また他人に課すことができる労苦」
とされる。
これはどう考えても不適切なカテゴリーだ。マルクス流にいえば労働ではなく「搾取」だ。
スミスはあらゆるものを「労苦」の成果と考える。ある意味では正しいのだが、言い過ぎだ。
彼は生産手段も原料も地代さえも先人の「労苦」の賜物と考える。だからそれを利用することは他人の労働の成果を「支配」することになるのだ。
ここまで行くと、さすがに常識はずれの「労働」原理主義だ。ただ奥山さんの解説がやや舌足らずになっている可能性もある。
ただ、「労働は苦痛であるばかりではなく、安楽や幸福の放棄でもある」という主張は示唆に富むところがある。おいおい検討しなければならない。
とりあえず、支配労働については保留して先に進む。

6.貨幣がなぜ必要なのか
このようにして購買と販売は、等量労働の交換に帰結する。スミスは労働を「本源的な購買貨幣」と呼ぶ。
それでは、労働という真実尺度があるにもかかわらず、貨幣がなぜ必要なのか。
貨幣という名目尺度が必要となる理由をスミスは次のように説明する。
第1に、「異なる労働の比を尺度するのは困難である」からである。
たしかに労働の交換は理屈では分かるが、社会的平均労働を個別の交換に当てはめるのは難しい。
第2に、商品は労働と交換されるよりは、商品と交換されることが多いこと。
奥山さんは次のようなコメントを加えている。
それに商品や貨幣は手でつかめるわかりやすい対象物であるが、「労働」というのは抽象的概念であり、自然で明白だとは言えないのである。
たしかに常識的には正しいことだ。ただあまりにも常識的というか、皮相な捉え方ではないかとも思える。

Ⅲ 労働価値論と支配労働説
1.価値分解説と価値構成説
いよいよここから価値分解説と価値構成説の問題に入る。
まず、奥山さんによる定義から
価値分解説: 価値分解説とは、商品の価値は労働によって作られ、労働によって作られた価値が、賃金、利潤、地代に分解される、とする見解である。
価値構成説: 価値構成説とは、商品価値は、賃金、利潤、地代の合計によって成り立つ、とする見解である。
見ての通り、基本となるのは価値分解説であり、価値構成説は「逆もまた真なり」という若干安易な論理である。
ただ後の議論では、価値構成ではなく価格構成説となっているので、かなりややこしくなる。

2.「支配労働」概念の挿入
スミスの「国富論」の「第6章 商品の価格の構成部分について」の説明を見てみよう。
まず、初期未開の社会におけるビーバーと鹿の交換事例が例示される。
ビーバーを捕獲するのに鹿を捕獲する際の2倍の労働が費やされるとすれば、1頭のーバーは2頭の鹿と交換される。
この場合、交換に参加した狩人たちの労働は純粋な投下労働である。
次に資本家の登場する世界、すなわち資本主義社会である。
そこでは労働だけが唯一の交換の事情ではなくなる。資本家の監督や指揮が、労働者の労働に付け加えられる。したがって、利潤は労働の量には比例しない。
これに加えて、地代が賃金と利潤に続く第3の構成要素となる。
これが価格構成論である。
価格のさまざまな構成要素のすべての実質的な価値は、それらがおのおの購買あるいは支配することのできる労働量によって測られる
とスミスは述べる。
ここから迷走が始まる。「価値」を構成するのは投下労働ではなく、支配労働だというのである。
支配労働とは何か。
価格の中の労働(投下労働)だけではなく、土地の部分、利潤の部分も労働の結果としてみなければならないということだ。「購買できる労働」というのは設備や原材料のことだ。「支配できる労働」というのは労働者を賃金以上に働かせること、つまり他人の労働の「搾取」だ。
これらの要素も、遡及すれば賃金と利潤と地代に分解されるからだ。

3.スミスのドグマ
これがマルクスの言う「スミスのドグマ」だ。
『資本論』、第2部第3篇第19章第2節「アダム・スミス」にこのことが記載されている。
マルクスは「 v+m のドグマ」と批判している。
(スミスにおいては)生産手段部分が消えて、賃金部分(可変資本 v)と剰余価値(m)だけが商品価格になってしまう
と皮肉っている。(あくまでも皮肉である)
ドグマとは独断ということだが、それなりの根拠を持っているので「原理主義」あるいは「暴走」という方が適当だろう。
スミスはここから支配労働の枠を無限に広げていくわけだが、もともとは、この支配労働と投下労働との差分が利潤になるという理屈を持ち出すための概念だと考えてよいのだろう。
いずれにしてもかなり無理があることは間違いない。
奥山さんは支配労働についてわかりやすく例示している。
例えば、労働者が1日に10時間労働して、10個のパンを作ったとする。この内、労働者は8個のパンを消費すれば1日の生活が成り立つとしよう。
8個のパンの投下労働時間は8時間である。資本家は、8時間労働のパンに相当する賃金で、労働者の10時間の労働を支配したことになる。
10時間から8時間を引いた2時間部分が余剰であり、これが利潤の源泉となる。
このスミス独特の剰余労働論と、その根拠となる支配労働の否定(リカードゥ)のジレンマの中からマルクスの剰余価値論が生まれてきたといえる。

3.価値構成説の問題点
① リカードゥの価値構成説批判
価値構成論の論理の危うさは、リカードゥに厳しく衝かれることになる。それが「賃金・利潤相反説」である。
そもそもリカードゥは支配労働を認めず、労働価値論を投下労働価値説で一貫させた。
その場合、賃金が上がれば、商品の価格が自動的に上がることになる。
価値分解論を正しいとすれば、賃金と利潤と地代のうち地代は不変であるから、賃金が上がれば利潤は減ることになる。
これはつまるところ労働価値論からの乖離ではないか、というのである。
② リカードウの『経済学および課税の原理』
第1章は、「価値について」と題されている。
その第1節のタイトルは、次のようなものである。ずいぶんと長い。
「商品の価値、すなわち、この商品と交換される何か他の商品の分量は、その生産に必要な労働の相対量に依存するのであって、その労働に対して支払われる報酬の多少には依存しない。」
むずかしいが重要な提起である。こういうのが続くと、当方の頭はたちまち豆腐状態になる。
私なりに解説してみる。
報酬というのはスミス風に言えば投下労働であるが、結局これは貨幣化された過去の労働であろう。
報酬の「過去」がどうであっても、この度の生産には関係のない話である。あくまでもこの度の生産に投下された「投下労働」が価値を決めるのだ。
であれば、賃金も利潤も、「労働量によって決定された価値量をどう振り分けるか」という事後の問題でしかない。
賃金や利潤の変化が商品の価値を変えることはないのである。
価格は短期的には別問題だが、長期的には価値法則に従わざるをえないだろう。というのがリカードゥの見解である。
③ マルクスの見解
たしかにこの賃金・利潤相反説は、我々にとって大いなるジレンマである。
マルクスはこれを拡大再生産により切り抜けようとした。
仮に賃金が上がり、商品あたりの利潤率が下がったとしよう。しかしその場合でも、商品の販売量が増えれば利潤量は上がり賃金増をカバーできる。
もちろん販売量が増えなければこの論理は通用しないから、危うさをふくんでいることは間違いない。

Ⅳ 市場価格を規定する自然価格
むずかしい話もいよいよ終わりに近づいた。しかしこれまでの疑問点を足がかりにして理論が積み上げられていくから,ますます話がこんがらがってしまう。
奥山さんはこの章を以下のごとく要約する。
『国富論』の「第7章商品の自然価格と市場価格」の章は、市場価格による商品価格の現実的な動きと、それが収斂する重心としての自然価格が説明されている。
そのあと、いきなりわかりにくい言葉が並ぶ。
スミスは、賃金と利潤と地代のそれぞれに、需給の均衡状態を示す自然率があることを説く。そして、この自然率の合計を商品の自然価格と呼んだ。
しかしスミスの場合、原料や道具などの生産手段の価値は、賃金・利潤・地代に遡及的に解消されるので、この3要素の合計としての自然価格は、費用価格に利潤を加えた生産価格である。
市場価格は、供給量と有効需要の割合によって決まり、日々変動することが説かれる。
まぁ、一つの章を5,6行の文章にまとめること自体がそもそも無理なので、多少のわかりにくさはやむを得ない。「イヤなら原文を読め」と怒られてしまう。
とにかく私なりに読み解いてみよう。
スミスはここに来るまでに、2回危ない橋を渡っている。
最初は労働価値論における「労働原理主義」だ。最初に投下された資本以外はすべて労働の産物だ。だから設備も原材料もすべて労働に算入されてしまう。第二には、それらをひっくるめて「支配労働」という概念に集約してしまう。
その上で、支配労働にくくられた賃金、利潤、地代を今度は分解して、それぞれに価格付け(コスト算定)を行う。その合計が「商品の自然価格」というわけである。
したがって、スミスの言う商品の自然価格は、投下労働を真の労働と考える人にとっては実に奇怪なものとなる。
奥山さんが言うように
この自然価格論は、(結局のところ)いわゆる生産費説であり、ビーバーと鹿の交換事例のような労働価値論とは異なる。
したがって、論理不整合である。
私ならもっと露骨にいう。スミスの自然価格論は労働価値説を騙った、生産コスト=自然価格論でしかない。
せっかく労働価値説を発見しながら、現実の世界に妥協を続けて腰砕けになり、労働価値説の言葉で飾り立てた生産コスト=自然価格論に落ち込んでしまったのだ。


奥山さんの結論

アダム・スミスの労働価値論の思想と論理は、以下のように整理できる。

第1に、スミスにとって最も重要な概念は支配労働にある。
分業と交換の社会では、自分の行った労働そのものではなく、支配労働が価値の尺度になる。

それは、自分が行うべき労働を他人にさせる経済システムである。

第2に、支配労働は、投下労働を前提とした概念である。しかし同時に、投下労働こそが本源的な購買貨幣であり、労働なくして何物も得られないことも自明とされる。

第3に、支配労働は価値の真実の尺度であるが抽象的な概念で、現実の尺度財にはなり得ない。

これに対し貨幣は、それ自身の価値が変動する名目尺度に過ぎないが、多くの人々にとって馴染みやすい自然な尺度である。

第4に、資本の登場によって、資本家は資本量に比例した利潤を求めるようになる。利潤は労働と比例しない要素であるが、価格の構成要素となる。

第5に、こうした社会では、労働は唯一の交換の基準ではなくなる。労働者の付加した価値は、賃金と利潤と地代に分解される。

第6に、スミスにあっては、原料や道具も遡及的に賃金、利潤、地代に分解されるので、自然価格は、いわゆる生産費説(価格=費用価格+平均利潤)

自然価格論は投下労働という意味での労働価値論からの修正(逸脱?)である。

第7に、市場価格は自然価格から乖離するが、需給関係が調整されることによって、市場価格は自然価格に向かって調整される。

私の結論は、目下のところない。難しすぎて、理解も曖昧なので、もうすこし勉強してから。
感想としては、スミスの論理は、少なくとも前半は快調そのもので、非常に勉強になった。
これまでマルクスの独創と思い込んでいたものが、実は(萌芽的にではあるが)スミスによってすべて提示されていることがわかった。
マルクスは古典経済学の創始者としてのアダム・スミスに敬意を払いつつ、その後半の脱線部分を修正し、より首尾一貫としたものにしようと努力した。同時にスミスやリカードゥを投げ捨てたその後の経済学者に対し、その擁護者として立ち向かったということになろうか。

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