鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2017年05月

石油・天然ガス資源情報」というサイトに地味に面白い記事が載っている。

マスコミの国際情報というのは、普通は必要な情報は載らず、むしろ本質を覆い隠すような情報のみが載せられることになっている。

このページは半ば情報誌とも呼べるものだが、意外に本当の情報が載っている。

中でも面白かったのが「アラブの春から4年…混迷する中東・北アフリカ諸国」という連載だ。全6回から構成され、執筆者がそれぞれ異なる。

ネットでは2~6回が読める。順次紹介しておく。


第2回 アラブの政変とイスラエル 中島 勇

はじめに

「中東については予想をしてはいけない」という格言がある。現状は、この格言のとおりである。

そこには多様な要素が複合的に絡んでおり、分析や評価の視点も当然ながら多数ある。

その中で、イスラエルの「アラブの春」評価は特異だがリアルでもあり、注目に値する。

①アラブの政変をイスラエルは全く予測していなかった。

②イスラエルとの和平を維持してきた独裁者が追放されたことに驚き、未知の政治勢力が出現することを警戒している。

③イスラエルは、戦略的資産と見なすエジプト・ヨルダンとの和平を順守することを最大の目標にしている。

1.エジプト政変の意味

政変が起きた国の民衆は、独裁政権に怒りの声を上げたが、イスラエル非難の声はほとんどなかった。イスラエルという国やその社会には関心がないのかもしれない。

エジプト政変で、イスラエルの過去30年の努力は無に帰した。エジプトとの和平は、イスラエルの安全保障戦略上の最も重要な基盤であった。

イスラエルが昔も今もそして今後も、最も警戒する相手はエジプトである。エジプトはイスラエルと25年間の間に4回も戦った。

第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)では、シナイ半島で本格的な近代戦に突入し、激しい消耗戦を行った。劣勢に立ったイスラエルは機甲部隊によるスエズ運河の逆渡河作戦を強行、エジプト軍の補給路を絶つことでようやく挽回した。

1979年の和平条約で、イスラエルはシナイ半島をエジプトに返還した。反対する入植者らをイスラエル軍は力ずくで排除した。こうして獲得したのがエジプトとの和平である。

第4次中東戦争の後、現在まで約40年間戦争はない。両国間には1件の和平協定違反もない。スエズ運河が戦争のために閉鎖されることはなくなった。

米国はエジプトとイスラエルの和平を維持するために、外国援助総額の半分近くの支援を両国に対して行った。「米国は和平を金で買った」と言われた。

ムバーラク体制が崩壊した時、イスラエルはその冷たい和平が破綻するかもしれないと恐れた。

2013年7月の第二革命でムルスィー大統領が、エジプト軍によって解任された。2014年1月に新憲法が国民投票で承認された。そして国防相・参謀総長のシーシーが大統領に選出された。

シーシー政権はガザのハマースを国内のムスリム同胞団と同じと見なし、厳しい対応を開始した。エジプトとガザの間にある密輸用の地下トンネルのほとんどが封鎖された。

シナイ半島では、エジプト治安部隊と武装勢力(密輸貿易の担い手)との衝突が増加した。イスラエルは、エジプト軍が治安作戦で戦車や装甲車を使用することを認可した。

この結果、ガザへの物資の約95%が停止している。ガザ経済は、今や過去最大の危機に瀕している。

2.イスラエル国内体制の変化

テルアビブでも若者の占拠運動が行われた。そのデモは11年9月には約40万人規模に拡大した。

デモ隊は、少数の財閥が国民経済の30%を支配している状況に抗議し、より平等な富の分配や社会的正義の実現などを要求した。

デモ参加者らは貧困層ではなく、学生や若者、教師や技術職など専門職の中間層が主体だった。左派も右派も抗議行動に合流した。

イスラエルは建国以来、「社会主義」的な経済形態を取っていた。しかし1980年代末から民営化を進めた。

軍需企業が蓄積した知識と経験が、民営化によって市場に出た。その結果、イスラエルはハイテク国家に変貌した。

毎年約5%の経済成長を維持した。国民1人あたりの収入は、1990年の約1万5,000ドルから2009年には2万8,100ドルとなり、ほぼ倍増した。

しかし、国内の貧富の格差も同じテンポで拡大した。それに対する不満が表面化したのである。

3.イスラエルとパレスチナ問題

1993年、イスラエルはパレスチナと政治交渉を決断した。パレスチナの反占領運動は戦車に石で立ち向かった。パレスチナの若者に対してイスラエル軍は銃撃を加えた。その映像は世界中で報道された。

イスラエルは国際的な非難にさらされた。米国のユダヤ人社会でさえ厳しく批判した。イスラエルは、パレスチナ人の反占領運動を力で鎮圧できないことを明確に知った。

1994年に成立したパレスチナ自治政府はすでに実体を整えた。イスラエルは、パレスチナ国家が新たな脅威となることを警戒している。その一方、PAを解体して、パレスチナ人を再び統治する意図もない。

イスラエル人の多くが政治に無関心になった。その結果、組織票を持つ宗教政党の得票の相対的な比率が上昇した。それにつれイスラエル社会の宗教化・右翼化・内向き志向が増大した。

「民主国家イスラエル」が、非西欧的な宗教国家に変質する危険性が高まっている。イスラエルを批判するイスラエル人やユダヤ人は「自虐的イスラエル人、ユダヤ人」として非難されるようになった。

4.国政に変化の兆し

民衆の不満は2013年の国会選挙で鮮明となった。中道派政党の新党イェーシュ・アティド(未来がある党)が、初めての選挙で19議席を獲得して第2党になった。

これは世俗派の中産階級の有権者の投票が増加したためとされる。

これは安全保障コストへの無言の問いかけとなっている。東エルサレムやヨルダン川西岸を維持するために、国民生活の安定を犠牲にして、国家の予算を使うべきかという問いである。

ネタニヤフ首相は、決定を先延ばししている。

最近、韓国の政治動向をフォローしていなかったので、今回の大統領選挙の結果を聞いて、「韓国左翼が変わったな」と実感した。
1.社会労働党の躍進と没落
とにかく韓国の世論は右へ、左へと激しく揺れるので、底流を見据えながら個々の動きを評価するのは大変だ。
国民的与望を担って登場したノムヒョン政権だったはずなのが、大した失政を繰り返したのでもなくどんどん支持率を落として、最後には議会に弾劾されるまでに至る。
ところがノムヒョンの応援団がウリ党を起て、総選挙をやったら圧勝する。それなのに半年もしたら、支持率が30%を切る。それが美容整形で二重まぶたにした途端に50%にまで回復する。
そんな中で、民主労働党は一時期は議会第三党にまで上り詰めたが、一心会(親北派)をめぐるスキャンダルであっという間に崩壊していく。
2.主体思想の清算
「親北派」キャンペーンは権力による一大攻撃ではあるが、金日成カルトともいうべき集団が存在したことも間違いない。韓国民主運動はさまざまな困難を抱えているが、「主体思想」との関係を清算し、南北統一へのロードマップを再構築することは中でも最大かつ緊急の課題であった。
思えば2006年以後、今日まで10年間の道のりはそのために費やされたと言っても過言ではない。
そのなかで、もっとも原則的かつ果敢に「自主派」とのたたかいを進めてきたのが、進歩新党であった。私はそう思っている。
3.進歩新党のもつ意味
進歩新党の闘いには二つの側面がある。
第一には親北派との呵責なき戦いである。親北派と対立してきた「平等派」の古参活動家は動揺を繰り返した。一つは自分をより高く売り込むための取引であり、一つは民主労働党のパトロンである民主労総の動向である。もちろん、底流には、民主化運動以来ともに闘ってきた「主体派」の仲間への絶ち難い信頼と友情の関係もあっただろう。
しかし、いまは直近の動向ではなく、真の未来を目指さなければならないのだ。そこには揺らぐことのない一貫性が必要だ。
第二には、資本からの真の独立である。進歩勢力と言ってもさまざまなスペクトラムがあるが、資本からの真の独立と科学的社会主義の視点の確立がなければ、原則と現実的妥協との境目が見えなくなってしまう。
政党である以上、選挙での勝利はもっとも重要なイシューであることは間違いない。とくに韓国では選挙で一定の数を獲得しないと政党要件が消失してしまうという厳しい状況を抱えている。しかし階級政党の意義と任務はそれに尽きるものではない。綱領的立場が選挙戦術に矮小化されてはならないのである。
3.統合進歩党から正義党へ
この二つの立場をもっとも原則に守ったのが進歩新党だった。
そしてその立場を貫けずに民主労働党とのなし崩しの再統一、「統合進歩党」の結成に向かっていったのがシム・サンジョン(沈相奵)らだった。(シムが尊敬すべき人物であることは疑いないが、彼女の方向が金大中2世であることは冷静に見ておくべきだと思う。求められているのは「揺るぎない党」である)
統合進歩党は民主労総の強力なイニシアチブのもとで創設された。さまざまな政治潮流が「統合」されないままにくっついた。「多様性こそが新党の特徴」と公然と述べる国民参与党まで入ってきた。
こういう雑然さこそ民主労働党主流派(親北派)の意図するところであった。党の骨格人事は彼らがガッチリと握っていたからである。
それから半年もしないうちに、統合進歩党の実体は暴露された。親北派は表立っては一言も喋ることなく、実力で議席やポストを抑えてしまったのだ。
激怒したシム・サンジョンらはふたたび党を飛び出して、「正義党」を結成することになる。このドタバタ劇の最大の成果は、民主労働党に代えて自らを民主労総のお抱え政党とすることに成功したことである。
逆に民主労総の後ろ盾を失った民主労働党→統合進歩党は坂道を転げ落ちるように転落していく。機を見るに敏な連中は次々と正義党に鞍替えした。残された親北派は体制の立て直しを図るが、2013年8月に2回めの情報院の攻撃を受け瓦解していく。こうして民主運動の全戦線において親北派は市民権を失うに至った。
4.進歩新党の苦闘
進歩新党も、何度も滅亡の危機に陥った。
最初は社会党との合併で自力強化を図った。しかしこの「社会党」は言っている言葉の割にはへなちょこで、どこか強い力との連合で自分を売り込もうというオポチュニスト集団だったようだ。つぎは環境主義者との連合を図ったが、こんなもの最初からうまくいくわけがない。正義党が結成されると、かつて同じ思いを共有した政党であるがゆえに、かなりのメンバーがそちらに移っていく。
そのなかで進歩新党は未組織労働者の中にかなりの拠点を形成したようだ。彼らはいま労働党と名を変え活動を継続している。弱小とはいえ、活動を継続していけるだけの確かな力を蓄えたようだ。
5.金世均の予言
最後に2008年1月にソウル大の金世均教授が書いた文章を引用しておく。私は韓国政治の基本をついた文章としていまだに正確だと思う。

民主労働党は究極的な政治的目標を持たないまま、議会主義と合法主義、代理主義と官僚主義の道に堕ちた。民主労働党は、民族主義と社民主義の不幸な結婚が誕生させた政党であり、社会的関係の根本的な変革を望む多くのヒラ党員の社会主義的あるいは社会主義指向的な熱望を、民族主義的、社民主義的、議会主義的展望の中に閉じ込める政党だった。
党に未来がないだけではなく、既成の派閥のいずれにも未来はない。NL派は、民族問題を、階級問題や反帝・反戦問題などすべての問題に優先する左派民族主義勢力である。これに対しPD派は、当初は社会主義的な指向を持つ単一の勢力だったが、その後、体制内的改革を追求する社民主義勢力との寄り合い状態となり拡散した。
新しい進歩政党は民主労働党の内部革新や第二の創党運動の中にはない。「資本主義の克服を公に明言し、その克服のために闘う社会主義的労働者階級政党」が展望されなければならない。民主労働党内のすべての階級的左派勢力が、組織的な所属と路線の違いを越え、進歩政党運動の全面的な再構成のために、共に力を合わせていくべきだ。

それから10年の後、いま金世均さんがどう言っているのかを知りたいところである。

科学ニュースの森」というブログに下記の記事があった。

2012年03月14日の発信で、「生物の発生‐RNAワールド仮説は間違いか?」と題されている。

Early Evolution of Life: Study of Ribosome Evolution Challenges 'RNA World' Hypothesis

という記事の抄出のようだ。この記事はScience Daily という生物学情報サイトに掲載されたもので、原著となっているのは下記のもの。

Ajith Harish, Gustavo Caetano-Anollés. Ribosomal History Reveals Origins of Modern Protein Synthesis. PLoS ONE, 2012; 7 (3):

原著には下記の写真が掲載されている。渾身の1枚であろう。

リボゾームの進化

リボゾームのRNAと蛋白コンポーネントを進化の順に色分けしたもの。古いコンポーネントを赤、より新しいものを青で示している。
「二つの行程は深く共進(congruence)していることがわかる。これはリボゾーム蛋白がrRNAとともに進化したことを示唆する」とのコメントが添えられている。(画面の体裁上90度回転した)

以下が記事の紹介。

サマリー

イリノイ大学のGustavo Caetano-Anollesら、核酸のみからなるRNAワールドは、タンパク質の存在なしにはありえなかったと主張。リボソームの発生は、タンパク質とRNAが同時に進化することで起こったとする。

議論

RNAワールドをめぐる議論の中心は、リボゾームの成立過程にある。

RNAワールド論者は、

1) タンパク質を合成するリボソームの核心はペプチジルトランスフェラーゼ中心(PTC)である。

2) PTCの活性部位はrRNAからなっている。

3) したがってリボゾームの核心はRNAワールドの内部にある。

と主張している。

カエタノ・アノジェスらは、リボゾームの発展・進化の過程を時系列的に分析してみた。その結果、とりわけ2)のポイントについて、RNAワールド論者とは異なる結論に達した。

すなわち、

1) リボソームの基本構造はrRNAが入り込む前に形成されていた。

2) rRNAはタンパク質合成に関わる前には他の役割があった。

3) タンパク合成の萌芽期においては、まずリボソームやRNAを必要としない、リボソーム非依存性の「ペプチド合成酵素」があった。

4) RNAは、まずペプチド合成の補酵素として働くようになり、その後リボソームの機能に組み込まれた。


“Congruence”という言葉に、著者の気持ちが込められているように思える。その気持ちは共感されるべきものと思う。


RNAワールドは難しい。読んでもほとんど分からない。ということが分かった。

並列的に並べられた多くの学説をレビューしていくと、この学問が進歩のただ中にあるということが分かる。

前の記事に書いた私の感想はそのまま置き去りにされている。もう1,2年経ってから読み返すのが利口なようだ。

一応感想だけ書いておく。

とにかく生命というのはものすごく複雑なもので、いくつもの関門を経てDNAワールドが誕生する。しかしそれだけではだめで、きわめて複雑なエネルギー生成・蓄積・解糖経路、高度に集積されたアミノ酸の統合体・触媒系としてのタンパク質、これらの過程を設計図・工程表として記憶する巨大な核酸統合体としてのDNA、これらが揃わなければ生命の発生は準備されないということだ。しかもここにはまだ生体膜の構造問題が抜けている。

RNAワールド仮説はそのための一つの糸口を提供しているに過ぎない。

鍵となる概念は三つある。

一つは、量が質を規定することであり、量的増加(多様化)がどこかでブレイクスルーを成し遂げ、量から質への転化がなされることだ。逆に言えば、質的変化の背後には無数の進化の試みがあり、それが「多様化」として示されていることだ。ヌクレオチド→ポリヌクレオチド→RNAという流れも、アミノ酸→ポリペプタイド→蛋白という流れも、そのような進化の階段のどこかに位置づけなければならない。

一つは、生命が欲するのはなによりもタンパクなのだと言うことだ。タンパクが他の方法で作れるのなら、核酸などなくてもよいのである。だからアミノ酸はペプチドを作りポリペプチドを作り、おそらくは低級なタンパクも作ったと考えるべきだろう。RNAが自らを触媒とし得たようにタンパクも、自己を複製する機序を初歩的には獲得した可能性がある。しかし生命が必要とするようなタンパクを構築するにはRNAの助けを借りるしかなかったのだろう。「天は自らを助くものを助く」のである。

もう一つは、地球の発生直後の過酷な環境やジャイアントインパクト、後期重爆撃期という環境激変の只中に生命を誕生させた地球の持つエネルギーの凄まじさである。なんというか「時代がそうさせたのだ」という感じだ。生命というのは形ではなくほとばしるエネルギーである。地球の持つ熱力学的エネルギーが、相対的なエントロピーの低下をもとめる中で「生命エネルギー」という形で生命を生み出した。これが地球の誕生後、相対的には短期間のあいだに生命が生まれた理由ではないだろうか。

生命は何度も危機に晒されたし、初期の頃は皆殺し的な場面もしばしばあったのだろうと思う。荒れ狂う修羅の如きエネルギーが、相対的に安定した定在的エネルギーとして、生命の存在を許すようになったのはカンブリア紀に入ってからのことであろうと思う。

生命を地球エネルギーの定在(構造化)として把握するならば、それは地球の命の終わる日まで「構造的発展」を遂げることになるであろう。その範囲内において我々は安んじて「進化と発展」という言葉を使い続けてよいのだろうと思う。そして、その頃までに我々は宇宙的エネルギーの体現者としての様相を整えることになるだろう。

昨日酔っ払って書いた核酸→RNA→DNAというのが、実は大変な問題らしい。

老人が間違えてアクセルを踏んでしまって、えれぇところに突っ込んでしまったようだ。

どこがどうしてえれぇところかというと、「RNAワールド」と言って「かつて原始地球上にRNAで出来た世界が存在していて、それが生命世界へと発展していった」という仮説がある。

これはこれで良いのだが、これに対して「プロテイン・ワールド」という仮説があって、核酸よりも蛋白のほうが生命にとって本質的なのだという。

目下この二つが大論争の最中らしい。当然のことながら、両者の論争はきわめて専門的であり、最新の情報を駆使したものであり、かつ根本のところではきわめて党派的なのだ。

「核酸党」と「蛋白党」の対決を少し眺めることにしたい。

RNAワールド

我々が学校で習ったのは、DNA→RNA→蛋白であり、DNAが基本である。これを「セントラル・ドグマ」という。

ただ発生学的に考えれば、RNAが最初にできて、DNAは“種の保存に特化したRNA”として出来てきたのではないかとも考えられる。

これは昨日、私が酔った頭で考えだした“思いつき的ドグマ”である。

しかし、シラフでしっかり考えて、必要な実験もやった人がいて、それが「RNAワールド」仮説として流布されているらしい。ただ「RNAワールド」論者の主張はRNA→DNAにとどまらない。

プロテインワールド

「セントラル・ドグマ」は現実に行われているタンパク合成の機序を示したものにすぎない。しかし「RNA ワールド」は、そもそも核酸がまずあり核酸がタンパクを作り出したとする、

それは核酸主義だ。生命にとって蛋白よりも核酸のほうが本質的だという観点を内包している。「RNAワールド」はDNAワールドをイデオロギーにしてしまった。「神々による天地の創造」の誕生だ

これに対して昔からの蛋白党が装いを新たに登場し、公然と異議を唱えた。

たしかに蛋白は生活の現場を動かしている。起源がどちらかは別にして生命活動においては蛋白のほうがはるかに本質的である。RNAなどなくても低級のポリペプチドならいくらでもできる。

いっぽう核酸の方は奥の院であれこれと人を動かしているだけだ。たかがお神輿ではないか。再利用するとしても、燐という資源に拘束されている。

RNAワールド論への疑問

RNAワールド論の弱点はいろいろ指摘されているが、私には「なぜRNA・DNAは蛋白を作り出さなければならなかったのか」という疑問が決定的なように思える。そこには必然的な理由がないのだ。人間は必要だからコンピュータを作リ出した。おなじようにコンピュータは人間を作ることを必要とするのか。

ある日、RNAが「あぁ、核酸ばかりじゃ何も出来やしない。蛋白みたいなものがあったら便利だなぁ」と思いついて作り始めた。これは「ドラえもん」に出てくるのび太のセリフである。

核酸を介さない蛋白の合成、アミノ酸の重合というものがまずあって、それを交通整理するために核酸が介入するようになった。あるいはさらに、生命活動を営むにふさわしい高級蛋白を作るためにRNAの情報管理能力がもとめられた。

とするのが素直な考え方ではないか、と思われてしまうのである。


何れにせよ勉強だ。

ブログというのは便利なもので、ふと思いついたことをサラサラと書き留めておくと、いつの間にかインスピレーションになったりする。大抵は風呂の中で放った屁みたいなもので、臭いだけだ。
今時分、いい加減アルコールが回った頃に浮かんでくるのだが、次の日にシラフで読み返すとがっくり来ることがほとんどだ。
といいつつ、本日の思いつき。

誰かさんが「生命の本質」として5点か6点あげていた。それは多分正しいだろう。それは時系列的に並んでいるのだろうと思う。
そこには「半生命」的な段階があるのだろうと思う。
屁のあぶくみたいなものが何回も出現して、それがひとつながりになり、回り始めたときが生命の誕生だろう。
それは種としての持続性なのではないだろうか。つまり個体を越えた生命の維持である。しかも拡大的な維持である。
ということで、想像するにRNAからDNAへの転化、すなわち再生・増殖能力の持続的維持こそが生命の誕生の瞬間なのではないか。
現在、この世界にはRNAウィルスというものが存在する。これは生涯のほとんどを「物質」として暮らす。「生涯」というものがあればの話だが。RNAにもなっていないプリオンみたいなものもある。
これらはDNAに取り付く一種の寄生虫で、DNAに取り付いてその一部を修飾し、自分を複製させる。その時だけはあたかも生物であるかのように存在し活動する。しかし自分に見合うDNAが自分を取り込んでくれない限りは塵や埃の一部でしかない。
こういうパートタイマー的生命が、生命の最初を形成したとのではないか。
いまのRNAウィルスのほとんどはもともとRNAだったのではなく、DNAに寄生する中で余分なコンポーネントを削ぎ落とし、RNAに「進化」した存在である。これを我々の祖先とすることは出来ない。
しかし太古の昔には「自立したRNA」が存在したのではないか。
この「自立したRNA」は、m,t,mRNA的なものやdsRNA的なものなど幾つかの形で発展し、ある日DNAとなって自律的な増殖能力を獲得したのではないだろうか。
パートタイマー的生命がより持続的な臨時社員的な生命に発展し、さらに世代を超えて自らの種を持続・増殖させるようになったときが「生命」の始まりと見てよいのだろう。

エンゲルスが「生命とはタンパク質の存在の仕方である」というのは正しい。そのテーゼはここまで展開できるのである。
マルクスが資本主義的生産を、単純な生産→単純な再生産→拡大再生産という3つの段階を見据えながら論じているのは示唆的である。まさしく、「生命」は拡大再生産の可能性を手に入れたことによって本格的な生命となるのである。



Oscar Schémel  “It Takes a Lot More Than Votes to Govern 

venezuelanalysis.com April14, 2017 より

最近の世論調査によると、76%のベネズエラ人は、マドゥロ大統領を辞任させるために国際的介入を認めていない。わが国への国際的な軍事介入には87%が反対している。

一方、9割が暴力行為を拒否し、グアリンバ(反政府集団の道路封鎖)を拒否している。

同様に、3人のうち2人は、アメリカ国家機構(OAS)の動きに対して否定的意見を持っている。

この調査は、84%のベネズエラ人が、政府と野党間の対話を促進する国際調停に同意していることを明らかにしている。

ベネズエラ人の83%が対話を支持している。そして67%は対話の優先順位が経済問題を解決することだと考えている。

確かに、今日、ベネズエラは平和、安定と進歩を望んでいる。大多数のベネズエラ人は妥協、均衡、合意、和解​​の気風を望んでいる。

疑いなく野党は「出口」政策を主張している。これはマドゥロに辞任を要求して、公然と反旗を翻す路線である。

国会では、国際機関や他の国が内政に介入し、我が国に対して制裁を課すようもとめている。

立憲制度の崩壊を推進し、街頭を抗議の暴動で燃え上がらせ、軍事的な蜂起を誘発し、政府の経済政策を妨害し、なすべき対話を押しつぶし、よってもって政府の破滅の条件を作り出そうとしている。

この国は解答と解決策をもとめている。その前で、野党は「今すぐマドゥロを取り除く」以外の提案を提示していない。それは彼らがチャベスに行った行為と変わらない。それが無力であるのは試され済みである。

国内外の極右勢力は、政権との併存も政権の交代も提案していない。コンセンサスなど念頭にない。

彼らがもくろんでいるのは、カオスを作り出し、ベネズエラ社会の中にノイローゼをもたらし、チャベス主義を根底から破壊することなのだ。そして国家と民衆の文化を作り直し、人々に絶望を課すことなのだ。

過激な反政府派は、国際社会や国際報道でボリバル政府を弱体化させ、侵食し、評価を下げることには成功するかもしれない。

しかし、そのことで良好なガバナンスと安定のために必要な条件を構築することはできないのだ。彼らにはそれが理解できないでいる。


Oscar Schémel はベネズエラの独立系世論調査会社の社長。このインタビューは暴力的な抗議デモで7人が死んだ日に行われている。

政府への批判はいろいろあるが、野党の抗議デモにはまったく、政権退陣以外の主張が見られないこと、外国の干渉を促していること、道路封鎖など行動に倫理性が見られないことについて、多くの国民が反感を抱いていることが分かる。

話を聞いていると、ますますタイでのタクシン親子政権への、無道な抗議行動が思い浮かぶ。それはまっすぐ軍事クーデターへと結びついていった。

最近のベネズエラの動き(BBCニュースとWkikiをもとに作成。ただしWikiは明確に野党側の立場)

2012年

10月 大統領選挙。チャベスが4選を果たす。投票率81%、チャベスの得票率は54%

2013年

3月 チャベスがガンで死亡。58歳。

4月 大統領選挙。チャベスの後継者マドゥーロ(Nicolas Maduro)が大統領に就任。選挙は僅差であり、野党は不正選挙と糾弾。

9月 大規模な停電。カラカスをふくめ全土の70%が影響を受ける。マドゥーロは「右翼のサボタージュによるもの」と非難。

11月 年間50%にのぼる物価上昇。国会はマドゥーロに1年間の非常大権を与える。マドゥーロは企業の利益率の制限を図る。

12月 地方選挙。与党勢力が10%の差で勝利。政府の経済政策への期待を表す。

2014年

2月~3月 ベネズエラ西部で治安の悪化(poor security)に抗議するデモ。これに呼応して、カラカスでも野党の支援する反政府デモが始まる。警察との衝突で28人が死亡。

11月 政府、石油価格補償を4年間の期限付きで削減すると発表。(これについては記事を参照のこと)

12月 ベネズエラ検事総長(chief prosecutor)、野党指導者マリア・コリーナ・マチャドがマドゥーロ大統領の暗殺計画に関わったと非難。

2015年

2月 政府、カラカス市長レデスマ(野党)が米国の支持するクーデター計画に関わったと非難。レデスマは否定。

12月 国会議員選挙。野党連合が議席の2/3を超える圧勝。最高裁が野党の3議員の当選を無効としたため、マドゥーロの提出する法案を拒否するための議席は割り込む。

2016年

2月 マドゥーロ、経済危機対策を発表。通貨の引き下げ、ガソリン価格の値上げ(20年ぶり)を柱とする。

5月 野党勢力、マドゥーロのリコールをもとめる署名180万筆を集めたと発表。以後、中央選挙委員会への「要請デモ」が繰り返される。

6月 スクレ州でガソリン値上げに抗議する暴動・略奪事件が発生。

9月 野党が数十万人をカラカスの抗議行動に動員。経済危機対策に失敗したとしてマドゥーロの退陣を求める。

10月 中央選挙委員会、署名180万筆は不正の疑いが強いため、国民投票の実施は当面見送ると発表。

10月 国会、「現状はマドゥーロによる事実上のクーデター状態である」と宣言。

10月 野党が提起したマドゥーロ退陣を求める全国行動。主催者発表で120万人が参加。同時に行われた全国ゼネストは低調に留まる。

11月 野党が呼びかけた大統領官邸へのデモは、2002年4月の再現が予想される中で、中止される。

12月 バチカンの調停による政府と野党との対話が決裂する。野党はマドゥーロが立憲体制と民主秩序を侵犯し、人権を侵害し、経済社会的基礎を台無しにしたとし、退陣を要求。

2017年

1月 野党指導者数人が政府転覆を呼びかけたとして逮捕される。与党・野党間の対話の窓口は消失する。

3月 ベネズエラ最高裁(TSJ)、国会議員の不逮捕特権を剥奪すると決定。野党側の言う「憲法危機」が始まる。

4月4日 野党のデモに対し、親政府派の「コレクティボ」が対抗し衝突。警察の他に国家警備隊(GN)が動員される。

4月8日 野党のデモ隊が裁判所を襲撃。野党デモが暴力的となる。

4月12日 ベネズエラのカトリック教会が、警察側の自重を呼びかける。(ベネズエラのカトリックは野党側の政治的拠点)

4月19日 野党勢力、全国動員でカラカス大集会を呼びかける。警察と警備隊は市街からのアクセスを遮断、市内各所で衝突が発生。少なくとも12人が死亡。集会そのものは成立せず。各種報道は数十万ないし6百万人が抗議に参加したと報道。

5月1日 マドゥーロ、制憲議会の設置を提案。全社会セクターの結集をもとめる。

5月 デモ隊と警察との衝突がますます暴力的になり、連日のように死者が発生。

心不全の新治療基準」への補足

NT-proBNPについて

bnp

見てもらえば分かるように、NT-ProBNPはBNPの前駆体からBNPを抜き出した搾りかすの方だ。

したがってBNPを測れば、それに加えてNT-ProBNPを測る必要はない。では何故NT-ProBNPもはかるのか? これについての説明はない。

日本心不全学会のページに「留意点」が載っている。

とにかく失敬なほどに、何も書いてない「留意点」だ。

日経メディカルに「NT-proBNPは心不全検査として有用」という記事がある。2006年の記事で相当古い。

ポスターセッションで、デンマークFrederiksberg 大病院のJens Rosenberg が発表したもの、とされている。

これはNT-ProBNPと心エコーの左心機能との関連を見たもので、LVEF40% をカットオフ・レベルとして上か下かと分けるという、相当荒っぽい調査。

結果としては、感度100%でOKということになった。つまりNT-ProBNPが127ng/L以下ならEF40%以下の心不全はないということだ。

これをコストから考えると、心エコー検査が150ユーロ、NT-proBNP検査が22.50ユーロで、患者1人当たりの診断費用を21ユーロ減らせる。

ということで、別にBNPと比べて優れているとかいう報告ではない。

よくある検査のご質問 というページがあって、「ANPとBNPの使い分けを教えてください。また新しい検査NT-proBNPとの違いは?」という質問に対する答え。

端的に言えば

NT-ProBNPの長所は診断における特異性ではなく、血清で測れることや凍結保存が不要なことなどである。

まぁ、そういうことのようだ。

多分両方調べたら間違いなく査定されるだろう。NT-ProBNPなどという言葉、忘れたほうがいい。脳みそがもったいない。

トロポニンと高感度トロポニンについて

私の循環器専門医としての歴史は10年ほど前に終わっている。その頃の最先端がトロポニンTだった。MB・CPKより早いと言われた。

10年後の今もあまり変わっていないようだ。ただ心筋梗塞だけではなく心不全でもそのときに心筋が傷めば、トロポニンは出てくるだろう、ということは予想できる。実際にMB・CPKはケースによっては著増する。

CHFの予後を見る上でたしかに心筋がどれだけ壊れたかを見ておくことは大事だというのは分かる。多分そのへんはデータが蓄積しているのだろうと思う。

ただ、心不全ではそれ以外にも重要な予後規定因子はたくさんあるから、そのうちの一つということになる。とくに心不全の発症あるいは遷延に心筋の炎症(とくに自己免疫)が絡んでいるかどうかは大事な話だ。

その点で、高感度トロポニンは注目される指標となるかもしれない。であれば、高感度CRPも大事になるかもしれないし、場合によっては何か適当な抗心筋抗体も見つけられるかもしれない。

またACE、ARB、β遮断剤などの効果(あるいは不応例)を見る指標としても使える可能性がある。

心筋線維化指標について

これがどの程度役立つのかは、私には分からない。この10年の間に進歩しているのかも分からない。

ここで挙げられているのは可溶性ST2受容体、ガレクチン_3である。

まず「可溶性ST2受容体」だが、これが説明を読んでもさっぱりわからない。

まず言葉通りの「可溶性ST2受容体」という用語は検索に引っかかっては来ない。

あるのは「可溶性ST2」だ。これは可溶性タイプの「ST2」という意味で、「ST2」というのは「インターロイキンⅠ」に対する受容体のライブラリーの中の一つということらしい。

といってもなんだか分からない、という事情には変わりはない。免疫屋さんの世界だ。

「ガレクチン3」というのも似たようなものらしい。

新語シャワーをバイパスして、結論だけ読みたい人はここがいい。「大日本住友製薬」の「医療関係者さまサイト」に下記のアブストラクトがある。

長期心不全リスクの層別化を目的とした2つの心筋線維化バイオマーカーの直接比較…ST2 対 ガレクチン-3

面倒なことは一切飛ばして結論だけいうと、

ST2 は心不全の予後判定に関して独立した因子となりうる。一方、ガレクチンはまったく役立たない。

ST2は心筋線維化およびリモデリングの有望なバイオマーカーとなっているが、それが多変量解析で立証されたということであろう。

先ほど、「何か適当な抗心筋抗体も見つけられるかもしれない」と書いたのがこれにあたるようだ。

女子医大で研修していた頃、心筋炎のチームと多少関わっていたので、「すべての病気は炎症だ」という気風にいくらか染まっているかもしれない。

「胃炎も炎症だ」と、胃が痛い人にロキソニンを処方して、薬局のひんしゅくを買っている。自験では二日酔いの特効薬はロキソニンである。

ARNIについて

久しぶりの新薬である。薬屋さんはワクワクであろう。

アメリカでも承認されてまだ2年も経っていない。日本ではフェイズⅢの段階だ。

我が国ではARBが圧倒的だが、これは薬屋のキャンペーンのおかげで、老健ではすべて自動的にACE(エナラプリル)に切り替えていた。それでなんの痛痒も感じなかった。

多分、薬価差だけでスタッフ2人分くらいの差額は稼げたのではないかと思う。

今度の薬は「標準治療薬であるエナラプリルをついに超えた薬剤」と宣伝されている。

47カ国985施設が参加した国際共同臨床試験 で、「エナラプリル群に比べてLCZ696群で20%有意に低下」との成績を叩き出した。

しかし内容をよく見ると、率直に言って革命的な薬ではない。悪く言えば、副作用のために発売中止になった薬をARBと抱き合わせて売り出したに過ぎない。つまりは副作用の出ない範囲に減らしただけであって、長期に使えば副作用が出ないとは限らないのだ。

副作用で中止になった薬というのがネプリライシン阻害薬omapatrilatという薬だ。副作用というのはアダラートやα遮断薬に似ていて、血管浮腫や顔面紅潮、起立性低血圧などだ。

これは素人考えでいうと、ARBやβ、アルダクトンを満度に使ってもうまくいかない人にアムロジンをちょっと足してみたらというオプションではないかと思う。

普通アムロジンは1日5ミリまでだが、これを10ミリ、15ミリまで増やしたらなんとかなるかもしれないという選択である。あるいはカルデナリンを5ミリとか10ミリに増やして、とにかく後負荷(アフターロード)を下げてみましょうということだ。

私はこの先に未来はないと思う。

イバプラジンについて

心不全の薬となっているが、紛れもなく抗不整脈薬(Ⅰf ブロッカー)である。しかもフランス発の薬である。

フランスと言えばリスモダンである。これはⅠaだが、使いはじめて40年、いまも日常的に頻用されている。

余談だが女子医大心研の広沢元所長はキニジン大好き人間で、私もその薫陶を受けてかずいぶんキニジンを使った。キニジンとジギを併用して頻脈発作を止めるという、かなり恐ろしいこともやった。

慣れるとキニジンほど強力で安全な薬はない。VTにもばっちりである。難は在庫がないことである。そして薬剤師が怖がることである。

それはさておき、イバプラジンはいまや心不全の標準薬として世界に承認されつつある。

おそらく陰性変時作用に往々にしてつきまとう陰性変力作用がないのであろう。しかしそういう人間が平気でベータを使うのが不思議でならない。

こういうのを事大主義者という。何故ジギではだめなのかの説明はない。もちろんキニジンについても説明はない。

だから私はこの薬は使わないだろう。使うなとは言わないが…


シアノバクテリアと葉緑体の関係

1.わからず屋の教師たち

前にも染色体とDNAとの関係について書いたのだけど、生物学屋さんというのはどうしてこうも分からず屋が多いのか不思議だ。

染色体イコールDNAと書いて平気でいる。生徒が悩んで聞いても質問には答えないでけむにまく。

染色体というのはただの入れ物にすぎないのだ。しかも細胞分裂をするときにだけ現れる引越し屋の梱包のようなものだ。

普段はDNAはぞろぞろと二本鎖のまま核内に折りたたまれている。

その昔、木原さんという遺伝学の大家がいて「染色体こそ遺伝の本質だ」と言った。DNAの存在すら知られていなかったその頃は、それで正しかったのだが、いまは過去の遺物だ。

DNAは生殖の場面での遺伝情報の伝達に留まるものではない。むしろ本態は、蛋白の生成のための情報センターと言うところにある。

旧来の「遺伝子、ジーン、ゲノム」という言葉は使っているが、いまや遺伝とは関係のない話なのだ。遺伝屋さんや染色体屋さんが出張ってくる幕はないのだ。

2.生徒は本当に悩んでいる、教師は本当に分かっていない

シアノ 質問

YAHOO知恵袋に寄せられた質問の一覧である。

検索結果をもっと見る

をクリックするとさらにぞろぞろと出てくる。
要するに、まともに分かるような教え方をしていないということだ。それで回答者も同じような連中だから、質問の意味がわかっていない。


3.問題の本質は何故シアノバクテリアが光合成できるようになったかだ

ここをしっかり説明すれば、他の問題はささいな、どうでも良い話になる。

じつは、シアノバクテリアは光合成を行う唯一の細菌ではないし、最初の細菌でもない。

シアノバクテリア型光合成の前に幾つかの試行例があった。名前は覚えなくてもいいが、緑色無硫黄細菌、緑色硫黄細菌、ヘリオバクテリア、紅色光合成細菌などがある。

それらの能力はいずれも弱く、酸素を発生することもなかった。なぜかというと、光合成の二つの段階(Ⅰ型複合体とⅡ型複合体)のうちどちらかひとつづつしか持っていなかったのである。

シアノバクターはこの二つをⅡ段式ロケットにして一気にエネルギー発生効率を高めたのである。同時に凄まじい量の酸素を発生し始めた。

その革新的なプラントが、シアノバクターの細胞の中に詰め込まれている。いま葉緑体の中に詰まっている諸要素でもある。

4.シアノバクターはこのプラントを自分一人で作ったのだろうか

生徒たちは、こう考えるに違いない。真核生物がシアノバクターを細胞内に住まわせたように、シアノバクターも葉緑体(クロロブラスト)を食ったに違いないと。

実はそういう説もあるのである。

たとえば、緑色硫黄細菌はⅠ型複合体のみをもっている。紅色光合成細菌はⅡ型複合体のみを持っている。

これが合体したらどうなるだろう、とおたがいに思ったとしても不思議はない。

ただ原核生物同士の合体なので、垂直統合とかM&Aとは違って、DNAの問題が絡んでくる。みずほ銀行のようになっては困るのだ。

「運転手は君だ、車掌は僕だ、後の2人は電車のお客」と折り合いをつけなければならない。

まったくの与太話なのだが、何度も失敗した末に「奇跡の大逆転」が起きて、シアノバクターが誕生し、このハイブリッドがプリウスも真っ青の大成功を収めたのでは? と想像するだけでも楽しい。

5.ドジョウが出てきてこんにちは

実証はされていないが、理論的には40億年ほど前に海底の熱水噴出孔に原始生命が誕生したと考えられている。

原始生命にとっては、この暗黒、高圧、灼熱と極低温の世界がエデンの園であったわけだ。

地表の環境が徐々に変わってくると、ソロリソロリと出エデンを図るものも出てくる。

彼らにとってはエネルギーの確保がすべてである。メタンや硫黄などをもとめてさすらう。その中で「どうせここまで来たんだ。太陽光も使おうじゃないか」という連中が現れて、光合成もやるようになる。

これが真性細菌と呼ばれるようになる。海底に残った連中は古細菌(アーキア)と呼ばれる。

地表近くでシアノバクターが大成功をおさめると、古細菌の中からも「ちょっとあちらも覗いてみようか」という連中も出てくる。それがシアノバクターの方からすれば、「ドジョウが出てきてこんにちは」の場面となる。

ドジョウはシアノバクターと遊ぶふりをして、食べてしまう。食べられたシアノバクターは「あなたのために一生懸命働きますから、どうか堪忍してください」ということで、生殺与奪の権を譲り渡して奴隷生活をおくることになる。

というのが筋書きだ。

もっとも古細菌の方から頭を下げて、婿養子に入ってもらった可能性もあるが、そんなことはどうでもいい。

6.共同生活のルール

共同生活は難しい。嫁さんと50年も暮せば身にしみて分かる。心を通わせるとか慈しみ合うなんてぇのは嘘っぱちで、かろうじて折り合いをつけながら、相手を空気のように考えられるようになるのが究極の目標だ。

殺し合わないこと(免疫学的寛容)、助け合うこと、歩調を合わせること、共通の敵に立ち向かうこと、などが思い浮かぶ。

とくに歩調を合わせることが重要だ。成長・増殖の際には1対1の対応が厳密に求められる。そうでないとシアノなしの空細胞や、シアノだらけの過密状況が生まれることになる。

だからシアノバクターは自らのDNAの中から、増殖の扉を開ける鍵(遺伝子)を真核細胞に預けることになる。増殖するための遺伝子は持っているから、真核の方から増殖を開始せよといえば増殖できるが、自分の判断で増殖することは出来ないのである。

 

ミトコンドリアと親細胞の力関係について

真核生物の記載を見ると、古細胞がシアノバクテリアを取り込んで自分のいいように使っているという感じが浮かび上がってくる。

だが果たしてそうなのだろうか。実はシアノバクテリアが古細胞の体に入り込んで、古細胞をいいように使っているという可能性はないのだろうか。

私たちのからだは古細胞を起源とする真核細胞からなっている、と、私達はそう思っている、というか思い込んでいる。

だが私は実は真核生物ではなくてミトコンドリアなのではないか、と思い始めると寝付けなくなった。


そう思い始めたのは、ウィキのミトコンドリアの説明を読んだからだ。

そこにはこう書いてある。

(ミトコンドリアは)酸素呼吸(好気呼吸)の場として知られている。

全身で体重の10%を占めている。

肝臓、腎臓、筋肉、脳などの代謝の活発な細胞には数百、数千個のミトコンドリアが存在し、細胞質の約40%を占めている。

つまり人間の体を動かしているのはミトコンドリアであり、重量からいってもほとんど主役なのである。


一つの企業がある。工場の敷地やインフラは親細胞のものだ。ミトコンドリアはそこで働く労働者にすぎない。

しかし社会主義者はそうは考えない。

工場はそこで富を作り出す労働者のものだ。親細胞は月に一度家賃を取り立てに来る大家みたいなものだ。

そういう考えも成り立たないわけではない。むしろそちらのほうが世の常識に合致している。

たしかに土地は大家のものだ。細胞核という邸宅に住み、土地の登記書はしっかり握っている。自分が死ねばその登記書はその子に渡される。しかし労働者は定年になったらそれで終わりだ。

それで俺はどっちなんだ。あんたはどっちなんだ。

2016年12月20日 を作成。2017年02月03日 に1回増補している。

今回、2回めの増補を行うことにする。

柴正博「はじめての古生物学」(東海大学出版部 2016)とポール・デーヴィス「生命の起源」(明石書店)、ピーター・ウィード他「生物はなぜ誕生したのか」(河出書房新社 2016)を読んだことが理由である。ただし3冊目はまだ読みかけで、読み終わればさらに追補が必要となるかもしれない。

それにしても、この1,2年でずいぶん本が出ているということで、おそらくかなり急速に知見が集まりつつあるのではないか。そのために一種の星雲状況となっているようだ。

前回も書いたのだが、「アミノ酸から始まって生命に至る過程と、LUCAのあいだになお深い断絶がある」

この断絶感は新知見が集まるほど逆に強まってくる。

話の焦点は核酸の形成とRNAからDNAへの情報機能の積み上げにある。しかし、これについて触れた文献はほぼゼロだ。

いろいろな書物からつまみ食いしたせいで、相互に矛盾する記載もあり、何が何やらわからなくなっている。いずれ何かの本で一本化した上で、矛盾するものについては「異説」として掲載する方向で考えている。

ただ所詮、絶対年代の時間軸を作成すること自体が不可能なので、やはり字句で書き連ねるしかないのかもしれない。

ポール・デーヴィスは「生命の起源」の中で生物の本質機能を次の6点にまとめている。

1.代謝機能 ATPを頂点とする合成と消費の三角形

2.「複雑さ」の組織 そう難しく言わんくても生体構造の構築くらいでも良いんじゃないか

3.複製 普通に言えば生殖機能でしょう

4.発達 個体レベルでの進化

5.進化 種のレベルでの進化

6.自律 「自己」の保持ということでしょうか

そして生命とはこれらの機能を付与された「特殊な化学物質」だとしている。

いささか衒学的かつ還元主義的な嫌いはあるが、内容としてはこんなものかもしれない。

ただ、「生物を物質としてみれば」の話であって、これだけでは生物をAIに見立てた「生物機械論」の世界だ。

一方で、生物を「エネルギーの持続的存在のあり方」として見る観点も可能であり、むしろそのほうが本質をついているのではないかとも思う。



1.ベネズエラを日本の国政システムに当てはめてはいけない

たしかにベネズエラ問題は難しい。問題そのものが難しいというより問題の枠組みが難しいのだ。

大統領を頭にいただく共和政治というのがピンと来ないことが最大の難所である。

とくに大統領の権力が強大な国の政治は、我々にはわかりにくい。

アメリカ然り、韓国然りである。そしてラテンアメリカのすべての国も基本的にはこのタイプである。

いっぽうヨーロッパの多くの国は大統領は置くものの、儀礼的なものであり、実質的には議院内閣制である。

したがって、三権分立とはいうものの、実体としての最高権力は議会にある。

日本もほぼこれに近い政体であるといえる。

なぜそうなったかというと、大本は戦後の天皇制廃止に伴う元首の位置づけにあるのだが、これはこれで大問題なので、とりあえずおいておく。

ところが地方自治体においてはアメリカ型のシステムが直輸入されているから、どことなくぎこちない。

2.ベネズエラを東京都政と比較する

とにかくベネズエラの政治システムを考える場合は、日本の国政を考えるよりは例えば東京都政を考えたほうがわかりやすい。

この間、東京都知事は石原から、猪瀬、舛添、小池と目まぐるしく動いてきた。

しかし、いずれも保守系の知事であるから都議会との軋轢はそれほどのものではなかった。小池都知事になってからいろいろスッタモンダがあるが、本質的なものではない。

しかしこれが例えば美濃部さんのような革新都政だと状況はガラッと変わる。

美濃部さんが出す施政方針はことごとく都議会の反対にあった。では美濃部さんは都議会が反対して法案が成立しなかったら、辞職すべきだったのか。あるいは議会を解散し選挙に打って出るべきだったのか。

美濃部さんはそうは考えなかった。彼は辞任もせず、都議会も解散しなかった。そして都議会の反対にも関わらず次々と革新的な施策を打ち出し、それを都知事の権限をもって実現していった。そうなると、都議会というのは存在意義を失ってしまう。

そこでいろいろとイチャモンをつけて、あわよくば辞任あるいは弾劾にまで持って行こうとする。

こういう行政と議会とのせめぎ合いになったとき、最後に決めるのは都民の世論である。

いずれにしても都政の進め方について、議会と知事はイーブンの関係にあるのだ。

3.ベネズエラをオバマと比較する

オバマは米国の政治史上もっとも進歩的な大統領だった。そう私は思う。やったことがトータルとしてもっとも進歩的だったとはいえないかもしれない。

核廃絶の思いも、医療保障への思いも、中東和平も、所得格差の是正も、キューバとの国交回復もすべて中途半端のままで終わらざるを得なかった。

ものの考え方はとても進歩的だった。しかし8年間の任期中、オバマはずっと議会内少数与党として行動する以外になかった。

議会、とくに下院は一貫してオバマを拒否し続けた。ではオバマは下院の支持が得られなかったら辞職すべきだったのか?

辞職せずに8年間も大統領の座に居座りつづけたことは、民主主義の破棄行為だったのか。

そうじゃないでしょう。逆でしょう。少なくとも米国の世論はそう考えた。「議会こそ最低」という世論が多数を占めた。だからオバマは8年間も大統領を務め続けることが出来たたのではないか。

ベネズエラのマドゥーロだって、議会で選ばれたのではない。国民の直接投票で選ばれたのです。議会に攻撃されたからといって辞める必要はないのです。

議会から攻撃されても、市民デモで攻撃されても、それが破廉恥な罪によるものでない限り、あらゆる手練手管を使って生き延びる権利もあるし、選んでくれた国民への義務もあるのです。

ここをまず押さえる必要があるのではないでしょうか。

4.議会と行政が対立したときの司法権の重要性

強い大統領制を敷く国においては、議会と行政との対立・ねじれはしばしば起こります。

下手をすれば、大統領の任期中ねじれ現象は続くことになります。

しかし行政を中断することは出来ません。だから世論を二分するような施策は別にして日常の行政は継続されなければならないし、場合によっては事実上の法改正となるような一定の判断もくださなければなりません。これは行政命令の形でくだされます。

こういうときが司法の出番となります。まず行政命令の適法性の判断です。これはさほど難しい話ではありません。過去の判例が事実上の法律となるケースは、日本でもよくあります。もっと大きな変更を加える場合は、既存法体系から言えば厳密な意味で適法ではなくなってしまいます。

その際は合憲性が問われることになります。

もう一つは、大統領が立候補にあたって掲げた公約です。これはある意味で国民の支持を受けた政策提案ということになるので、憲法判断において妥当であれば尊重されることになります。

これらの場合においては、「厳密に言えば適法ではないが、憲法の精神に照らして合法である」という判断がくだされれば、行政はその措置を実行することができるわけです。これはネガティブな意味での立憲主義といえるかもしれません。

それがもっとも極端な形で現れているのが、ベネズエラの状況です。

議会は、少なくとも多数派は、政府提案を一切承認するつもりはありません。ただひたすらに政権打倒に向けて動いています。こういう状況のもとでは議会は実質的に無意味なものになってしまいます。その際は、国の政治は政府が提案し、司法が承認し、これを受けて政府が動くという形にならざるをえないのです。

三権分立というのは議会が寝転べば、他の二権でやりくりするという内容もふくんでいることになります。

このような法原理を踏まえた上で、ベネズエラの政治情勢を見ていくことが必要かと思います。

心不全の治療・管理法が変わるようで、Medical Tribune にその概要が載っている。
簡略に過ぎて実態がよく分からないが、バイオマーカーの統一が図られているようだ。
バイオマーカーとしては従来のBNPの他にNT-proBNPの導入が推薦されている。(いろいろ調べると、NT-ProBNPはBNPの代替にすぎないようで、無視して構わないようだ)
また急性期にはこれに加えて心筋壊死の指標である心筋トロポニンの測定が勧められている。
さらに長期化した際には予後判定に心筋線維化を示すバイオマーカーの測定が推薦されているが、これについてはとくにマーカーの指定は行われていない。(候補として可溶性ST2受容体、ガレクチン_3、高感度トロポニンが挙げられている)
治療の方では以下の点が追加されている。
1.低拍出量型心不全の治療の標準としてβ遮断薬が推薦されている。一部の症例では、抗アルドステロン薬の併用も勧められている。またレニン・アンジオテンシン系が賦活された状況ではACE阻害薬あるいはARBの併用も勧められている。…これは今までと大きな違いはない。
2.ARNI が治療戦略へ追加された。中等症の慢性心不全でACEあるいはARBにトレラントとなったケースで、ANRIへの切り替えが推薦されている。
3.イバプラジンも新たに追加された。低拍出量(LVEF<35%)の心不全で洞頻拍を示すケースでは、積極的使用が勧められている。これはおそらく、「もうジギタリスは使うな」ということであろう。
4.心不全の患者の積極的高圧が勧められている。目標としては<130/80 に設定されている。降圧自体はこれまでも勧められているので、数値目標が目新しいといえば目新しいと言えなくもない。
新聞に載ったのはここまで

ウィキのポイヤウンペの説明は、どうも正直のところ、ぱっとしない。何か他にないかと探していて見つけたのが下記の文献。

中世日本の北方社会とラッコ皮交易 : アイヌ民族との関わりで (改訂版) 関口明(2013)

いつもお世話になるHUSCAPのデジタル書籍である。この中の第三章がポイヤウンペを取り扱っている。

3.ラッコとユーカラ「虎杖丸の曲」…アイヌ民族の成立との関わりで

A. ユーカラの位置づけ

知里真志保はアイヌの物語文学を下図のように分類した(知里

1973a)。

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普通ユーカラという場合,「人間のユーカラ」に当たる。これをアイヌ史研究の資料として本格的に位置づけたのが知里である。

知里は1973年、ヤウンクルを擦文人、レプンクルをオホーツク人に見立て、ユーカラは民族的な戦争の物語と解釈した。

榎森進は知里の見解を受け継ぎ、ヤウンクルは,人名の語葉表現上の特質から,一筋の河川を中心に形成された河川共同体のひとびとであるとした。

B. 「虎杖丸の曲」が標準

研究のための一次資料は、平取の鍋沢ワカルパ翁から採録した「虎杖丸の曲…変怪の憑依、恐怖の憑依」である。虎杖と書いてイタドリと読む。山野にはびこる猛々しい雑草である。

これは金田一京助が大正2年に採録したものである。

「虎杖丸の曲」は全9段からなり、ヤウンクル同士の戦い,ヤウンクルとレプンクルの戦いなど様々な戦いが語られている。そのうち5段までがラッコの争奪を主因とした戦いである。

主人公(われ)はポイヤウンペである。

C. 「虎杖丸の曲」の構成

第1段 浜益の「シヌタプカ」の山城に生まれ、兄と姉に育てられた。

第2段 石狩の河口に黄金のラッコが出没する。石狩彦(石狩のボス)は捕獲者を募った。褒美には妹を差し出すとした。他の人は失敗し、最後にポイヤウンベが成功する。しかしポイヤウンペは捕らえたラッコを、石狩彦に渡さずに浜益に持ち帰ってしまう。

これを知った兄はこう予言する。

こうなっては自分たちの郷も無事ではすむまい,さらに昔起こったことと同じようなことが新たに起ころう。必ず戦乱が起こるであろう。

第3段 石狩彦の妹,石狩媛はポイヤウンペに嫁ごうと思ったが、ポイヤウンペは無視した。顔に泥を塗られた石狩彦は、シスタプカ(浜益)に戦いを仕掛けた。「黄金ラッコ戦争」が始まった。

闘いは殺戮戦となった。ポイヤウンペは攻めてきたチュプカ人、レプンシリ人、ポンモシリ人を撃退した。

さらにレプンクル・モシリ(樺太)の味方を得たポイヤウンペは石狩に乗り込み、石狩援やチュプカ媛を斬り殺した。

その後ポイヤウンベは苦難を潜り披け,ついにシヌタプカの山城に生還し,手創を負って寝ていた養兄・養姉・カムイオトプシなどと勝鬨をあげた。

第4段 シヌタプカではポイヤウンペを迎えて祝勝会が開かれた。岩鎧のシララベツン人,金鎧のカネペツ人が奇襲をかけた。シヌタプカの諸々が倒されたが,最後にポイヤウンベがその仇を討つ。ここで初めて虎杖丸と呼ばれる怪刀がその威力を発揮する。

第5段以降は石狩とのラッコ騒動をめぐる話とは別になるということで省略されている。

D. ラッコが石狩に来ることはありえない

関口さんはラッコは寒流系の動物であり、石狩に来ることはありえないとしている。

つまり,ラッコが登場するそれなりの必然性があった。すなわち、どこからかもってきて放たれたということになる。

ポイヤウンペはそれを捕獲し、シヌタプカに持ち帰り、毛皮とした上で飾ったということになる。手っ取り早く言えば、かっぱらったということだ。

以上


なお最後に関口さんはレプンクル・モシリ(樺太)をウィルタ系と解している。しかしこれはいくつもの推論を重ねて出された仮説であり、そのまま受け取ることは出来ない。

まず、ポイヤウンペの時代が絶対年代としてはあまりに漠然としている。阿倍比羅夫が粛慎を退治した頃の話なのか、北海道からオホーツク人が駆逐されていく8~9世紀の話なのか、樺太からアムール河口まで進出していく時代なのかによって、話は変わってくる。

それから、浜益の人には申し訳ないが、ポイヤウンペの闘いをモヨロ民族とアイヌ民族の戦争だと書いた浜益村史の記述には、かなりの疑問符が突きつけられたことになりそうだ。


その後の検索で、英雄叙事詩の比較研究論— 荻原 眞子

という文書を見つけた。「虎杖丸の曲」のほぼ全文が紹介されている。

もう疲れたので内容の紹介早めるが、是非目を通しておいていただきたい。


次が龍学というサイトの「日本の龍神譚…オヤウカムイ」というページ。

アイヌは相争うこともあった。ポイヤウンペが洞爺湖の竜神オヤウカムイを襲う話は両者に確執があったこと、どちらかと言えば日本海側の勢力が攻撃的であったことを示唆している。

ポイヤウンペが洞爺湖に来ると、オヤウカムイという羽の生えた毒蛇がポイヤウンペを苦しめる。ポイヤウンペは滝の神様にかくまってもらうが、オヤウカムイは羽のある蛇六十匹、ただの蛇六十匹をかり集めて攻める。
滝の神は攻め殺され、ポイヤウンペも全身焼けただれて石狩におもむき、トミサンペッ・コンカニヤマ・カニチセ(トミサンペッの黄金山の金の家)に難を逃れた。(龍学より重複引用)

これは日本海アイヌが胆振のアイヌを攻めた話だ。結局撃退され、ポイヤウンペはほうほうの体で浜益に逃げ帰っている。

注意すべきは胆振アイヌが化け物扱いされていることだ。戦う相手を人間扱いしないのは侵略者に共通する心理機転であり、相手がウィルタであろうと同じアイヌであろうと関係ない。

日高でもオヤウカムイに関する言い伝えがあるらしい。

日高から西部の湖に怪物がいた。全身淡黒色で目の縁と口のまわりが赤く、ひどい悪臭があって、これの棲んでいる近くに行っても、またその通った跡を歩いてもその悪臭のために、皮膚がはれたり全身の毛が脱けおちてしまう。うっかり近寄ると焼け死んでしまう。

のだそうだ。したがって、彼らは退治されて当然ということになる。おそらくオヤウカムイの一族は結局は滅ぼされた。滅ぼしたのはオキクルミということになっている。

アイヌの黎明の英雄神オキクルミは、天上の神々に祈り、大みぞれを降らせ、寒さで動けなくなったオヤウカムイを斬った。

オヤウカムイのために、僅かに次のような挿話が残されている。

アプタ(虻田)の酋長の妻が病み、尋常の加持祈祷では験がなく、蛇神を憑神に持つ特別な巫女に頼んだ所、オヤウカムイが神懸かり、託宣を始めた。

ユーカラの語り口は明らかに侵略者の視点に立っている。このユーカラがアイヌ全体の物語となっているということは、胆振~日高の先住アイヌ人が最終的に征服され、その文化を圧殺されたことを意味しているのではないか。

本日は久しぶりの快晴、上着がいらないくらいの暖かさ。気候に誘われてポイヤウンペの故郷、浜益まで出かけてきた。

以前から気になっていたとことで、スリバチ山の現地を見てみたいと思っていた。

行く前にネットで博物館か、せめて資料館みたいなものがないか調べたのだが、現地には皆無。地元の関心の薄さがうかがえた。

山を崩してしまった明治時代の切通というところを通ったが、切通というレベルではなく、山の3分2をアイスクリームをスプーンでそぎ取ったように、見事に削られている。

切り通したというより、残土を何処かにもっていったのではないかと思わせる。

もう一つ意外だったのは、この浜益の川沿いに平野と行ってよいほどの広々とした田園が広がっていることである。これだけの後背地があれば、一つの国ができる。

それにしても浜益町舎の立派なのには驚き呆れた。4階建てで一部は5階まで達している。今は町ではなく、石狩市の支所にすぎない。


本日前項のブログを再見した。いい写真があったので転載させてもらう。

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平野に突き出した三角の山がスリバチ山の名残。雪の積もった割れ目が切り通し。切通しというよりは土砂採取だったのだろうと思える。

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これが海側から見たスリバチ山。いずれにしても山砦としては絶好のロケーションだ。

 

もう一度ポイヤウンペについておさらいしておこう。と言うより、以前の記事を書いた後、ネット文献もかなり充実してきており、書き直しが必要になった。

以前の記事とは、この2つである。

そこに書かれていたのはごく簡単な紹介で、ユーカラの英雄の一人ポイヤウンベが浜益を拠点としていたということだった。

それだけならそれで済んだのだが、キタムコさんのページで、浜益には巨大が砦があって、それがポイヤウンペの城だったということ、その城が明治時代の開発で跡形なく壊されてしまった、ということを知るにおよんで俄然興味が湧いたのである。

キタムコさんによると、

この山は明治30年まではシヌタプカと呼ばれ、高さは200メートル。頂上は平地となっており、その広さは200x150メートルにおよんだそうだ。

覇者たるに相応しい城ではないか。


ということで、あらためてユーカラとポイヤウンベのお勉強。

まずはウィキペディア

ユーカラに登場する英雄。表記は、ポンヤウンペ、ポンヤンペとも記される。意味は、「小さい・本土の者」。

ポイヤウンペ伝説には2つの系統がある。一つは超能力を持つ神の一人で、分身の術を使って一度に6人の首を切り落としたと言われる。

もう一つの系統が、我々の聞きたい話しである。

① トミサンベツのシヌタプカの大きな城(チャシ)で生まれた。父は樺太方面に交易に出かけ、そこで亡くなった。このため兄と姉に育てられた。

② 「黄金のラッコ」がいて、皆が欲しがった。石狩・川尻のイシカリ彦は「退治したものには自分の妹と宝を与える」と勇者を募った。

③ 東方の人・ポンチュプカ彦、礼文島の人・レブンシチ彦、小島の人・ポンモシリ彦などがこがねのラッコに挑むがいずれもやられてしまった。

④ ポイヤウンペは苦戦の末、名刀「クツネシリカ」の力を借りて「黄金のラッコ」の退治に成功する。

⑤ 彼はそのままラッコの首をつかみ、天空へと去り、真っ直ぐにシヌタプカの城へと逃げ込んだ。

⑥ このことが原因となって大戦となり、それは繰り返された。ポイヤウンペは何度も危機に見舞われたが、そのたびにさまざまな憑神に守られて勝利した。

⑦ 最後は敵方の女性呪術者がポイヤウンペと結ばれて平和が実現する。

⑧ ポイヤウンペに味方したものは「ヤ・ウン・クル」(丘の人)と総称され、敵側の総称は「レプン・クル」(沖の人)といわれた。(戦闘メカ ザブングルとは関係ないようだ)

ただこれは一つの読解であり、ユーカラの記述そのものではないようだ。

カンナカムイとポイヤウンペの闘い

を読むと、2つのことが分かる

まずポイヤウンペは英雄ではあるが殺人鬼だ。オタサムという村の争奪戦では、敵対国に乗り込んで村人を狂人のように切って切って切りまくっている。

ポイヤウンペは神を恐れず、神と闘い、神を打ちのめしている。すなわち既存の権威を打ち壊している。彼は兄がとりなしに入るまでそれをやめようとしない。

彼はレブンクルが支配する体制の破壊者であったのだろう。だからその凶暴性はヤウンクルからは許されたのである。

第二に、彼の英雄譚は浜益を越えて日高の人にまで語り継がれたということである。日高の人と浜益の人の縦帯を共通の英雄譚として結びつけるとすれば、それはアイヌ民族のオホーツク民族に対する反抗心の表象であったのかもしれない。

ただ、それはオホーツク人に対する逆恨みであるかもしれず、オホーツク人を殺し駆逐する行為を合理化するためのイデオロギーであったのかもしれない。

知里真志保「ユーカラの人々とその生活」では次のように語られている。

この戦争の相手である異民族を一括してユーカラではレプンクル(沖の人)と云うのでありますが,それはつまり「海の彼方の連中」ということ
で, その連中の中には「サンタ」と称していわゆる山丹人が出て来るし, その山丹人の仲間には「ツイマ・サンタ」(Tuyma-Santa)すなわち「遠い・山丹人」と称する中国人も出て来ます。

アイヌ物語 というページがネット上では出色である。ページそのものはリンク切れになっているが、グーグル・キャッシュで読むことができる。

ユーカラにはポイヤウンペ、アイヌラックル、オキクルミ・サマイユンクルなどの英雄が出てくる。いずれもアイヌたちの生活や文化を拓いたものだ。この英雄神たちは半神半人であったり、神であったりさまざまである。

1.ポイヤウンペ

ポイヤウンペは両親がおらず、両親以外の人に育てられている。このような生い立ちは英雄たちに共通する。

彼はある日、自分の憑神に両親のかたきの事を知らされ、かたき討に出陣します。

敵討に行く途中に敵であるものとも、敵でないものとも戦いますが、兄や姉の協力を仰ぎ倒していきます。

敵の首領の妹は巫女であり、未来を読んで主人公の味方になります。その後主人公は勝利し、そのまま首領の妹と結婚し、物語は終わりとなります。

ポイヤウンペが使う刀はクトゥネシリカと呼ばれる名刀で、刀に彫りこまれた夏狐の化神、雷神の雌神・雄神、狼神などが憑き神となっており、それらの神獣が現れ持ち主を救います。

とされており、ウィキペディアの説明とはだいぶ異なる。「ファイナル・ファンタジー」の感覚そのままだ。

ただ、深読みにすぎるが、男どもを皆殺しにし、女どもを妻とするという構図は、アイヌ人のY染色体が縄文の色を強く残し、ミトコンドリアDNAがウィルタやカムチャッカの少数民族と共通するという事実と一致しているようにも見える。

2.アイヌラックル

ポイヤウンペはその弱点もふくめ、一番人間臭い英雄であるが、アイヌラックルはもう少し超人的である。

アイヌラックルという名前がそもそも「人間くさい神・人間と変わらぬ神」という意味らしい。

雷神であるカンナカムイとハルニレの木の精霊でもあるチサニキ姫との間の子で、燃えさかる火の中から誕生したという。

彼は神の子でありながら、地上で人間同様に暮した。人間を襲う鹿を退治したり、魔女ウエソヨマを始めとする魔神や悪魔たちを倒し、雷神の力を持った宝剣で暗黒の国を焼き滅ぼした。

しかし晩年は人間たちに嫌気がさし、どこかへと行ってしまった。

これは乃木大将が軍神に祭り上げられた経過と同じではないか。いずれにしても血生臭さがウリの英雄である。世の中が落ち着いてくると居場所がなくなって何処かに引きこもってしまうというのも、そぞろあわれではある。

いずれにしても、アイヌ人には血を血で争うような過去があり、その闘いの中からアイヌ人という民族が誕生したのだということだ。大和・出雲神話とはまったく異なる世界である。

3.オキクルミ・サマイユンクル兄弟

オキクルミは道央~道南、サマイユンクルはサハリン(樺太)南部~道北・道東にかけて活躍した英雄神です。天から降り、人々に農耕や狩猟などの生活の知恵を授けて回りました。

彼らは兄弟とされており、信仰されているところでどちらかが優位に立ち、どちらかが損な役割になっています。

オキクルミは多くの英雄譚と習合していて、オリジナルのキャラが見えにくいようだ。

この神様たちはかなり和人の匂いがする。

なおこのページには、ほかにヌプリコロカムイ、チロンヌプカムイ、コタンコロカムイ、カムイフチ、カンナカムイ、ウバシチロンヌプカムイなどの名前がリンクされているがたどることは出来ない。

ベネズエラ情勢がかなり緊迫しているようだ。
いまは「…ようだ」としか書けない。情報が不足している。
ただし、過去の経験から言って、ポイントは二つある。
1.ベネズエラの闘いは単純な政治戦ではない。これは階級戦だ。
2.駐在員情報はデマ以外の何物でもない。
ベネズエラは中南米の中でも特殊な国で、中間階級というものはまったく存在しない。駐在員は抑圧階級の中に身を置くしかない。もし中立的な情報を得たければバリオ(スラム)に拠点を構えなければならない。しかしそれではビジネスは成り立たない。
かつて2002年のクーデターのとき、日本では「駐在員の妻」が系統的にデマ情報を流し続けた。多分悪気はなかったと思うが、彼女の流した情報は徹底して反民衆的なものであった。
赤旗の特派員が現地に行ってやっと間違いに気づき、論調を改めた。それまでチャベス擁護の旗を振っていたのは、日本では私だけだった。
APもロイターも白人地区に住んで情報を集めている。駐在員も同じだ。
もっとひどいのがハイチで、このときはJornadaさえも反アリスティードの大合唱に加わった。
ハイチ政府擁護の立場に立ったのは日本では私だけだった。
いま考えれば、59年にカストロが農地革命を決意したとき、「人民裁判」を利用して反カストロのキャンペーンを張ったのも同じ手口だ。
赤旗の特派員はわざわざカラカスまで行く必要はない。ピストレーロが怖いからと言って、カラカスの高級ホテルに泊まって、在留邦人から情報をもらって垂れ流すのなら、赤旗ではなく白旗だ。行かないほうが良い。メキシコでJornadaを読んでいれば十分だ。もし行くならせめてカラカスの西部に宿を取り、スラムの住民と対話せよ。政府関係者や“まともな共産党活動家”から情報をとれ。

「キューバの教育」を主題として大使が講演するというので、にわか仕立ての勉強を始めたが、早くも捕まってしまった。
以前からこの人の文章が気になるのだが、以前は有機農業の分野だったから、「まあそれはそれとして積極的な受け止めなのだから」と見ていたが、最近では医療や教育の分野にまで手を広げて、「キューバこそ理想郷」みたいな話になってきているようで、早い話が、いっときの早乙女勝元さんの「コスタリカ讃歌」みたいな様相になっている。
かなりの人達が、この人の理論に心酔している。私が話すと、そういう結論にはなかなかなりにくいわけで、皆さん何か不満そうである。
とくに統計的な数字をいいとこ取りして、それを寄せ集めていくと実態とはかなりかけ離れたイメージが出来上がってしまう。これは注意しなければならないところだ。
私はこの間、逆の攻撃と相対してきた。
悪い数字だけを積み上げて、たとえばエクアドルはもうだめだとか、ベネズエラは破滅的状態にあるとかいうキャンペーンだ。
わたしは、「共通のマクロ指標で勝負しよう、世銀の数字で勝負しよう」と主張してきた。そして彼らがしばしば労働諸指標、雇用諸指標、貧困諸指標を分析の視野から欠落させることを、発展の持続性の観点から批判してきた。
経済の発展は生産の発展、消費の発展、欲望の発展の三者が揃って初めて持続的発展に至る。途上国の場合は収奪にとどまらない資本蓄積の発展がこれに加わる。

教育の問題は経済よりはるかに難しい。そこには振り出しからイデオロギーが介在するし、産業の発展段階や発展方向に規定されて教育の重点が異なってくるために、教育をどう見るかという国民的・時代的風土の違いがある。そして経済、政治、文化という3つの裾野を持つ複合的分野であるからだ。
できれば、教育学者・教育行政学者のコンセンサスとして、「教育マクロ」ともいうべきガイドラインを設定していただきたい。

キューバに関して私の感想を言うとすれば、小国として、貧困国としては、実によくやっているということだ。
いくつかの指標においては間違いなく先進国と比肩する水準にあるし、凌駕するものさえある。それはいくつかの国際機関によっても確認されている。日本の文部省のホームページでさえ認めている。
だが、それはやせ我慢してのつっぱり=米百俵の精神であることも間違いない。私はむしろそこにキューバの偉さを感じるのであるが、やはりいろいろ無理をしていることも間違いのないところで、教育を実体的にも国家目標としても支える経済的土台を作り上げていくことが、本当の改善につながるのだろうと思う。

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