鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2017年03月

ゲノム分析から以下の結論が導き出される

①アイヌ人は寒冷期に東北~渡島に下った縄文人、すなわちエミシが再び北上したものである。
②アイヌ人が南下した後の北海道には、北方のオホーツク人、カムチャッカ人が到来し定着した。
③エミシは沿岸部に侵食し、ついで奥地へと分け入った。先住民たるオホーツク人は駆逐されあるいは制圧され、エミシの支配下におかれた。

これについての解釈は別記事を起こすこととする。

としつつ、光合成に埋没してしまったのだが、書棚に積んであった瀬川拓郎「アイヌと縄紋―もう一つの日本の歴史」(ちくま新書 2016年)を読んでみて、意を強くした。

縄文人の起原については細部に異論がないわけでもないが、縄文人再北上説については学ぶものが多い。

以下、該当部分(82ページ~)を抜き出していく。


西暦0年~ 気候が寒冷化。東北北部での水稲耕作が断絶。ほぼ無人の原野と化す。

300年~ 北海道の続縄文人が東北北部に南下。仙台平野と新潟平野を結ぶ線まで進出。「古墳人」との混住ゾーンが形成される。

この結果、続縄文人は狩猟と獣皮の交易に特化した。北海道には鉄器が大量に流入。

300年~ 続縄文人の南下と同時に、オホーツク人がサハリンから北海道に南下。オホーツク海沿岸に広がるとともに、天売、焼尻、奥尻などの島に進出。

450年~ 「古墳人」が混住ゾーンを越えて北上。東北北部(現在の岩手北部から八戸にかけて)に進出する。

岩手北部の中半入遺跡では農耕、馬の飼育が行われ、前方後円墳も作られている。また皮なめしの工房跡も見つかっている。

500年ころ 岩手北部・八戸で、続縄文人の痕跡が消え、「古墳人」の遺構のみとなる

500年~道北や道東のオホーツク人遺跡にも本州産の鉄器が流入する。

544年 日本書紀の記事に粛慎(あしはせ)が佐渡島に来着し、漁撈を営んだとの記載あり。

600年ころ オホーツク人が奥尻島に拠点建設。夏の間漁撈をおこなったとされる。

650年ころ 唐の史料に、流鬼(オホーツク人?)が黒テンの毛皮を献上したとの記載あり。

658年 越の国主の阿部比羅夫が180艘の船で日本海を北上。齶田・渟代(あぎた・ぬしろ)のエミシと戦う。さらに有間浜に進み渡利嶋のエミシを召し集め饗応する。さらに粛慎と戦い、ヒグマ皮70枚を獲得する。

659年 越の国主の阿部比羅夫が二度目のエミシ征服作戦。このとき粛慎と戦い49人を捕虜とする。

660年 越の国主の阿部比羅夫が200艘の船で日本海を北上。北海道に渡り弊賂弁嶋(へろべのしま)の粛慎を撃つ。

瀬川さんは弊賂弁嶋を奥尻としている。青苗にオホーツク人の遺跡があることから、この説は説得力がある。この際、大河は瀬棚に注ぐ後志利別川に比定される。


ということで、ここまでの記述については私のアイヌ年表の方にも組み込もうと思う。

ただ瀬川さんの記述には、時に筆が走り出す傾向があり、ウラが取れていないところもある。

たとえば、北海道の続縄文人が東北に渡ったという記載は、続縄文文化が東北地方に広がったという考古学的事実に基づいていると思われる。しかし、これについては、東北(さらに関東信越)に古来より在住した縄文人との関係がはっきりしないと、かんたんには首肯できない。

また、続縄文人と共存した東北北部の先住民が「古墳人」だとすると、アテルイやエミシたちは「古墳人」だったことになる。そもそも「古墳人」の概念が弥生人との異同を問われることになる。

私は「古墳」とか「古墳時代」という規定そのものに疑問をもっているので、もう少し厳密な用語が必要ではないかと思う。とりあえず、年表では「和人」の言葉を当てたが、生粋の和人から見れば、北海道の続縄文人と交易する「和人もどきの縄文人」だった可能性もある。

言語学の問題は深入りしないほうがいいと思う。「タミル語起源論」みたいなところに入り込まないよう、目下のところは「お遊び」くらいに突き放しておいたほうがいい。

とはいいつつも、DNA解析を基礎に据えて、これまでの常識にチャレンジしていく瀬川さんの姿勢には、強い共感を覚えるところがあり、さらなる理論の発展を心から期待する。

 かな打ち込みを済ませてスペースキーで変換すると、変換候補を表す窓が出てくるのだが、これが変換対象の字列にかぶさってくる。結局変換できないまま一旦確定して、また打ち込み直す。

特に再変換の際に著しい。これが苛立たしいのだが、なんとかならないだろうか。

① Google 日本語入力の「プロパティ」画面から「入力補助」タブを選択し、「カーソル周辺に入力モードを表示する」のレ点を外せばよいというのが書いてあったが、これはだめだ。

②オプションを開いて、プライバシータブをクリックし「一時的にすべてのサジェスト機能を無効にする」にチェックを入れる

というのもあったので試してみる。

これだとたしかに入力中に候補枠が出ることはない。変換モードにしたときの候補枠も、文字列から離れて表示される。

なぜかぶるかというと、変換の設定というよりは「予測変換」というおせっかいな仕掛けが災いしているらしい。

とにかくこれで、あのうざったい候補窓にいらつくことはなくなりそうだ。

いのっすプログ」さんに感謝します。

もし光合成を工業に例えるならば、そこには4つのノーベル賞級の大発明がある。

1.マンガンを触媒として水から電子を取り出す発明。

2.電子をクロロフィルを使って、励起する発明。

3.電子伝達系を使って電子を陽電子エネルギー(水素イオン)に転換する発明。

4.水素イオンを炭素にくっつけて貯蔵・運搬可能な形態(糖)で保存する発明。

中でももっとも重要な発明はマンガン光触媒の発明である。これがなければ話は進まない。どういうわけか光合成屋さんはここを軽く見る。

さらに言えば、これらを光子の力だけで成し遂げるエネルギー技術も、大発明だ。これらの巨大な工程を繰り返し可能な形で構築するプラント技術もすごいものだと思う。

これらの「発明」は当初から一体のものとして発明されたわけではないだろう。

それぞれが単体としてなにがしかの意味を持って導き出されたものであり、それが後にインテグレートされたものであろう。

それがミトコンドリアであったり、リケッチアであったりして、それがM&Aで一体化するにしても、なぜミトコンドリアやリケッチアがそのような機能を持つに至ったかの説明にはならない。

そこまでセマンティクスを追求して、初めて光合成の意味がわかるのではないだろうか。

私としてはどうしても光合成の問題を一度詰めておきたかったわけがある。
ビッグバンがあって銀河系ができて、太陽系の一員として地球ができて、その地球が火の玉から固まるかか固まらないかのうちに生命体が誕生している。約40億年前のことだ。
その後10億年もしないうちに、生命体は光合成という技を身に着け大発展を遂げてきたことになる。それは主要には酸素と炭酸ガスのバランスで条件付けられてきた。地表温の低下で液相水が増加し、還元鉄が酸化されることで大気中の酸素(特にラジカル)が減った。そのことで、逆に酸素を生み出す代謝形式(生命の存在の仕方)が成立しうるようになった。
どちらがだいじだと決めつけるわけではないが、世上炭酸ガスがあまりにも一方的に悪者扱いされているのに皮肉が言いたくなっているのである。
膨大な生命連鎖の基礎に植物があり、その光合成を支えているのが炭酸ガスである以上、我々はもっと炭酸ガスをだいじにしなくてはならないのではないか。
酸素がいまよりも多かった時代、地球はひどい低温に見舞われ、生命はほとんど絶滅の危機にまで達した。炭酸ガスによる温暖化の効果を、我々現代人は享受しているのだ。
いま地球は温暖化の波及効果としての水分布の変化を経験している。原生林の乱伐により緑は失われ砂漠がすごい勢いで広がっている。
だがそれで地表の酸素が減っているわけではない。なぜか、それは植物が猛烈な勢いで光合成を展開しているからではないか。もし砂漠が緑の大地になったら、海洋中の海草や藻類が大繁殖したら、酸素はさらに満ち溢れ炭酸ガスはさらに減少してしまうことも考えられる。
肝心なことは地表の炭酸ガスと酸素のバランスを至適レベルに保つことだ。地球史のレベルで考えると、鉄の酸化がほぼ完了してからは、大気中の酸素分圧の上昇が最も危険な兆候である。炭酸ガスももし化石燃料を使用していなければ、危険なほどに低下してしまう危険がある。
もちろんそこには気候変化という自然のカウンター・バランスが働くことだろう。それまでの間、人類は自然の摂理に頼りながら、もう少しのあいだわがままさせてもらっても良いのではないかと、密かに思っている。

光合成 最終まとめ

インターネットの良いところは、わからなかったらその文章はパッと捨てて次の人のところに行けることだ。

もし一冊の教科書で勉強していたら、とっくの昔に挫折していたに違いない。

こういう「耳学問」的な勉強ができるのがありがたい。わからなくても恥じることはない。わかるように説明しないほうが悪いのである。


ということで話のあらすじ。

1.光合成は水のイオン化過程から始まる

水のイオン化が行われるのは「酸素発生複合体」である。これにはたくさんの名前があって、人によって言い方が違う。

酸素発生中心(oxygen evolving center)というのもある。マンガンクラスタという人もいる。水デヒドロゲナーゼ(OEC)というもっともらしい名前で呼ぶ人もいる。

しかし、私としてはクロロフィルと同様に、一種の光触媒だと考えるのが自然ではないかと思う。

ここでマンガンに抱かれた水(2分子)は4回にわたって登っては落ち、登っては落ちして、最終的に手持ちの水素をすべて放出して酸素になる。

酸素を手放したマンガンは、再び新たな水を探して抱きつく。

「登る」というのはマンガンがエネルギー準位を上げるということだ。エネルギー準位を上げるために光エネルギー(hv)が利用される。

ジェットコースターがカタカタと言いながら出発点まで登っていくのとそれは似ている。

登りきると、プロトンと電子はマンガンから離れて飛び出す。マンガンは励起状態から基底状態に戻る。これが4サイクル続くことになる。

2.使うのは電子だけ

こうして2分子の水から4H++O2+4e- が生成される。

「酸素発生複合体」というが、本当は「電子発生複合体」というべきだろう。酸素は副産物にすぎない。水素イオンもとりあえずは副産物だが、あとで再生利用される。

この電子は複合体の近くに待機したチロシンを運び屋として、反応中心に持ち込まれる。

3.「反応中心」における反応

反応中心というのは光合成装置のメインジェネレータである。何をジェネレート(加速)するかというと、チロシンから受け取った電子である。

今度はマンガンではなく葉緑素(クロロフィル)が光触媒となる。このクロロフィルは暗黒の世界で還元型のクロロフィルとして存在し、「P680」と名付けられている。

まずP680は電子を抱くことによりイオン化される。イオン化されたP80は光の中に入り、光エネルギーを受けることによりエネルギー準位を高めていく。

光の中と行っても、日差しの中というわけではない。パラボラアンテナのような集光器で集められた光子が色素間を伝達され、反応中心に集められた光エネルギーである。

電子の質量は限りなく小さい。したがってエネルギーのほとんどは、そのスピードによって規定されている。光エネルギーを吸収したP680上の電子はどんどんスピードを上げて外縁軌道へ飛び出していく。これを励起という。

そして最後にはP680から飛び出していく。残されたP680は還元型クロロフィルとして、ふたたび暗闇の世界に戻っていく。

4.その後の光合成の世界

ここまででわかるように光エネルギーは2度使われる。一度目はマンガンとの共同で電子を作るために、そして二度目はP680との共同で電子を励起するために。

励起された電子はクロロフィルを離れて反応中心内を移動し、最終的にはプラストキノンBに付着する。

プラストキノンは十分な電子を得ると光化学系Ⅱから離れ、電子伝達系へと移動する。

つまりプラストキノンは酸素発生複合体におけるチロシンと同じように電子の運び屋の役を果たしていることになる。

実際には、この間にシトクロムなんとか複合体という酸化還元成分を通り、さらに光化学系Ⅰでもう一度励起され、最終的にNADP+という物質に渡される。ほしいのは陽イオンだったのである。

そしてから本当の電子伝達系が始まる。

NADP+は水素イオンを抱いて炭化水素の生成回路に入り、炭酸ガスから酸素を飛ばして水素を押し付ける。

このときもう一つのエネルギー源が登場する。それがATPだ。これは光合成の最初の段階、酸素発生複合体に由来している。

水のイオン化の際にチラコイド内にはおびただしい量のH+が垂れ流された。これにより膜の両側に著しいイオン濃度差が生まれた。

これがプロトンポンプとなりATPを生み出している。ATPはNADP+を炭酸ガスにくっつけて水素イオンを伝達するためのエネルギーとなる。

ただしこの辺の知識は曖昧で、あとで訂正が必要になるかもしれない。

とまぁ、だいたいこんなところだ。

これなら素人にもよく分かるだろう。

ああ、つかれた。

P680と並んで、もう一つの宿題が水分解の駆動力だ。

光合成-2 に水分解の過程が示されている。

h2o3

チラコイド内腔の水の分解は、PSⅡ複合体に結合したマンガン結合たんぱく質マンガンクラスタ-によって触媒される。

「2H2O→4H++O2+4e- 」の反応は段階的に進む(S0→S1→S2→S3→S4)

最終的に遷移状態のS4を経てS0状態に戻る際に、水が酸化されて一挙に酸素を発生させる。

水を分解してできた水素イオンはチラコイド内腔に放出され、酸素は細胞外へ出されて気孔から出て行く。

そして電子がチロシンを運び手としてP680に手渡されるわけだ。

問題はS0→S1→S2→S3→S4と進むための駆動力だが、絵を見るとなにやら上の方からホエホエと茶色の波線が降りてくる。こいつは一体なんだろうか。


光合成(福岡大学のサイトらしい)には同じ過程が別の図で示されている。

ps_oxcom

何ということはない。水分解回路も光エネルギーで回っているのだ。茶色のホエホエは光線だったのだ。

酸素発生複合体(水デヒドロゲナーゼ, OEC)は,Mnイオンを4つもつ,金属タンパク質である。この酵素は光のエネルギーを利用して2分子のH2Oを4電子酸化し,酸素(O2)を生成する。光子8~10個当たり1分子のO2が生じる。

これで一応光合成の第一段階は落着したようだ。

なお付記しておくことがある。

一つは、PSⅡの方でも、同じくクロロフィルの励起が繰り返されること。このときはP680ではなくP700というクロロフィルが用いられるが、似たようなものだ。

つまり光エネルギーは三度用いられることになる。水分解の過程を4回と数えれば全6回ということになる。しかしこういうふうに書いてある教科書はなかった。

もう一つは、この過程でチラコイド内に吐き出された4H+の行方である。プロトンが膜の片側に増えれば著しいpH勾配が生じるが、これを利用してADPとリン酸から1分子のATPが合成される。いわば廃物利用みたいのものか。

これがわかったおかげで、カルビン回路にどこからともなくATPが出現してくる機序が見えてきた。

暗反応の方はやたらと固有名詞が登場するのが面倒だが、理解するのに本質的な苦労はない(と思う)。

P680に取り掛かろう。まずはP680 - 光合成事典 - 日本光合成学会から

 光化学系Ⅱの一次電子供与体クロロフィルaの名称.

光化学系Ⅱタンパク質複合体中のマンガンクラスターにおける水分解反応を可能にするため,約1.1 Vというきわめて高い酸化還元電位をもち,これが他の型の光化学反応中心の一次電子供与体とは著しく異なった特徴をなしている.

P680が光化学系Ⅱタンパク質中のどのクロロフィルに対応するかについては様々な議論がある.

電荷再結合によって生じる励起三重項状態は,二量体クロロフィルとは別のアクセサリークロロフィル上に主に存在することが明らかとなっている.

初期電荷分離ののち,正電荷はP680上に比較的安定に存在し,数十ナノ秒でチロシンZを酸化する.

ということで、さっぱりわからない。

最初の1行からわかるのは葉緑素の形態の一つで、光エネルギーを受けて電子を放出する働きがあるということだ。

「マンガンクラスターにおける水分解反応を可能にする」ということなので、本体の方ではなく「酸素発生中心」の方に関係するクロロフィルのようだ。

P680は最終的にはチロシンZを酸化することでその役割を終了するらしい。酸化するということは電子を付加するということだ。


つぎは光合成系構成要素 - 植物生態学講座から

クロロフィルが吸収したエネルギーは励起エネルギーとして次々に別のクロロフィルに伝達され、最終的に、コアに存在する反応中心P680に伝達されます。このP680が励起エネルギーを受け取ることで電子伝達が始まります。

…コアでは電子伝達が起こります。P680→フェオフィチン(Phe)→QA→QBとなります。フェオフィチンというのは。クロロフィルaからマグネシウムイオンが外れたものです。QA,QBはどちらも結合型のプラストキノンです。

…光エネルギーにより励起され、電子を渡してしまったP680には電子が補充されます。この電子は水を分解することで得られます。

…水はマンガンクラスタで分解され、取り出された電子はチロシンを経てP680に渡されます。

この分解過程はまだよくわかっていないが、酸素が出るまでには、4光量子が必要だそうだ。

…P680が酸化されるたびにマンガンクラスタが電子を渡し、4回電子を渡すごとに水の1分子を分解し、酸素を発生させているのだろうと考えられています。


これは光合成事典の記述と明らかに矛盾する。

というより、光化学系Ⅰのさまざまな記述がいつも矛盾しているところだ。

はたして光合成学会が言うように、「マンガンクラスターにおける水分解反応を可能にする」のがP680の役割なのだろうか。

他の文献を読むとどうもそうは思えない。むしろ水分解装置から電子をもらう側のようにしか思えない。そしてそのエネルギーは水分解のために使われるのではなく、電子伝達系へと流れていくのではないかと思う。

ps2-21

      PSⅡの電子伝達の反応式

光合成事典の記述は、少なくとも、事典としてはふさわしくない相当のアイマイさをふくんでいると言わざるをえないのではないか。

もう一回、光化学系Ⅱからやり直し。

最初は059: 光化学系II (Photosystem II) - 今月の分子 - PDBjというページ

PDBj というのは日本蛋白質構造データバンク(PDBj: Protein Data Bank Japan)の略称らしい。

光化学系II (photosystem II): 

光合成系において最初の入口となる部分である。光化学系IIは光子を捕らえ、そのエネルギーを水分子から電子を取り出すのに使う。

光化学系IIの要は反応中心(reaction center)で、ここでは光エネルギーが励起された電子の運動に変換される。

反応中心に存在するクロロフィルが光を吸収すると、クロロフィルが持つ電子のうちの1つが高エネルギー状態へ移る。

励起された電子はクロロフィルを離れて下に移動し、最終的にはプラストキノンBに付着する。

プラストキノンは十分な電子を得ると光化学系Ⅱから離れ、電子伝達系へと移動する。つまりプラストキノンは電子の運び屋の役を果たす。

残されたクロロフィルは陽性荷電した状態で残される。

これに対し酸素発生中心(oxygen evolving center)は水から電子をひきはがし、それをチロシンを運び屋としてクロロフィルに引き渡す。

電子を獲得したクロロフィルは、ふたたび別の光子を吸収する準備が整う。

RC

光の取り込み

このあと、光エネルギーの取り込みについて書かれているが、アンテナ系と集光性タンパク質(light harvesting protein)についてはこれまでの知識でとりあえず足りそうなので、ここでは省略する。

酸素発生中心(oxygen evolving center)

電子の発生に水は一切関係していない。水が関係するのはクロロフィルの再イオン化である。

再イオン化に必要なイオンは酸素発生中心から補給される。そしてイオンは水を分解することで発生する。

酸素発生中心の構造はマンガンイオン、カルシウムイオン、そして酸素原子でできた集合体(クラスター)である。

酸素発生中心は2分子の水分子を捕獲して4つの電子を除去し、酸素ガスと4つの水素イオンを作る。使うのは水素イオンではなく4つの電子だ。

酸素発生中心

著者は「この魅力的な分子を見る際、苦労することを覚悟して欲しい」と書いている。

極めて面倒な絵だが、大赤玉が酸素原子(実体としては炭酸水素イオン)、紫がマンガンイオン、水色がカルシウムイオンだそうである。小赤玉はイオン化されたチロシンでイオンの運び屋だ


ということで、初めてPSⅡの構造がスッキリとわかった。それと同時に多くの専門家が結構あやふやな知識のまま語っていることもわかった。

「その8」で書いた情報は間違いだった。

ただ、この説明では酸素発生中心を駆動している力が何なのかは示されていない。電子の発生過程に比べれば核心ではないが、問題は問題だ。

またこの文章では触れられていないが、クロロフィルの活性体であるp680についても確認して置かなければならない。

しかしそれにしても、我ながら、長いオディッセイだ。

とりあえず書き出しておく。


藍藻なくして動物なし


分子科学研究所の坂田忠良さんによる「光エネルギーによる水素製造」という解説を見つけた。 

…(前略)

2.植物の光合成と人工光合成 

…これらの反応はすべて水を還元剤としており,水の分解反応が基本になっていることがわかる。

…とくに水の分解によって製造される水素は,未来の水素エネルギーシステムを支えるものと期待される。

3.光触媒の原理

水・炭酸ガス・窒素などは、それ自身では太陽光を吸収しない。したがって、光化学反応を起こすためには仲介者が必要となる。これが光触媒である。

「おいおい、ちょっと待ってよ」という感じだ。いままでの論者はこんなことは一言も言ってなかった。それだけでも信用できなくなる。

植物における光触媒はクロロフィル(色素)である。色素の光励起で電子が生じる。

と書いてあって、その下の図で少しだけ納得が行った。

hikarishokubai

つまり電子供与体=水分子が、触媒である葉緑素の表面に接する。そうすると光エネルギー(hν)の力によってエネルギー準位を上げる。エネルギー準位を上げた水分子は、自己分裂してH+とOH-になる。このH+が電子伝達系の起動力となっていく、という構図である。

これは水の電気分解とはかなり異なる景色である。

それを最初に言ってくれれば、いままでの苦労はしなくて済んだものを。


この論文は、このあと光触媒の開発の話に移っていくので省略するが、正直な話、今のところそれほど大したものは出てきてないようだ。


光を吸収するとは?  というページからの抜書。

1.光の吸収 

光が物質と関わる第一段階は,物質が光を取り込む過程つまり光の吸収です。

物質はというエネルギーの塊である光(光量子)を吸収してエネルギー準位を上げます。質量を持たない光子はエネルギーを渡して消滅します。

「物質」と書いているが、図示されたものでは「電子」となっているから、電子が外側の軌道に移ることを指しているのだろうと思う。

物質がエネルギー的に取りうる状態のうち,エネルギー的に最低の状態を基底状態 ground state,それよりも高い状態を励起状態 excited stateといいます。

光吸収によって基底状態から励起状態に上がるとき,基底状態の電子が1個励起状態に上がります。電子はエネルギー的に不連続な状態間を,いわば川を飛び越えるように飛び上がるのです。これを遷移といいます。

プロトン

以下は「光電効果」の説明が続くが略(さっぱりわからない)

2. プロトンの形成

何か分からないなりに、光エネルギーが水分子を分解し、水素を取り出し、その水素を励起状態に置くという過程は見えてきた。

励起というのは電子軌道を一つ外側に遷移させるということらしい。

この励起された水素原子というのが、プロトン(H+)とどう違うのかがわからない。別にプロトンという言葉を使わなくても良いのだが、「それはプロトンとどう違うのですか」と聞かれると、言葉に詰まってしまう。

ただ、水素分子というのは陽子1個に電子1個の構造だから、励起されたら、もう一つ上の電子軌道などないはずだ。何処かにすっ飛んでいってしまうに違いない。

だから「結果としては水素の励起は裸の陽子(プロトン)の生成につながるのではないか」と、とりあえずは考えておく。

そこでまずはプロトンのお勉強。

ウィキペディアを見るといきなり困ってしまう。

物理学においてはハドロンの一種である陽子のことを指す。

化学においては水素イオン、特に軽水素の陽イオン(陽子に同じ)を指す。

要するに陽イオンのことで、陽子と同じらしいが、ハドロンてなんだ、軽水素ってなんだ? そもそも陽子がなぜ陽イオンなんだ。

ウィキにはこれしか書いてない。

プロトンってなに?-NPO法人プロトン医学研究所

というページが分りやすい。最終的には我が田に水を引く文章なので何処まで信じて良いものやら判断しかねるが、それは後から訂正していけば良い。

水分子が解離したOH-とH+に共通して存在する“ H+ ”の水素原子を「プロトン」とよんでいます。
プロトンは、この世の最初の物質(原子番号1)です。「プロトン」はギリシャ語で最初のものという意味で、あらゆる物質はプロトンを出発点として誕生しています。

ということで、とてもわかり易い。プロトンは物理学的には原子核が陽子1個でできている元素(すなわち水素)だということになるし、化学的には陽性荷電した(電子を失った)水素原子ということになる。

水分子がエネルギー反応によって素粒子化する現象を「解離」と言います。

宇宙誕生の137億年前、水分子はビッグバンのエネルギーを受け継いだ爆鳴気反応によって生成されました。
この時、電子放電を受けた水素原子は、プラスの電荷を持って水素イオン(H+)となり、マイナスの電荷を持った水酸基(OH-)とともに、電子(e-)を伴って放出され液体となりました。
その結果、水素原子は電子雲に囲まれてプロトン&電子(H++e-)となり、溶液中において物質性を失い反応性の高いエネルギー体になったと考えられます。

ということで、爆鳴気反応とか電子雲とか良く分からないが、なにか魅惑的な雰囲気。

水の構造

この絵は右端がよく分からないが、エネルギー次第でOH+Hになったり、O+H+Hになったりするのかもしれない。

水の諸相

この図はもっと分からない。

右側の四角で、水は温度によって個体・液体・気体になるが、エネルギー負荷の多少によって分子相・原子相・イオン相・素粒子相に構造を変えるということか。

以下がその説明。

「特殊な電場」として、高エネルギーを負荷された時空を考えてみましょう。
そこにおける水は、化学的な影響よりも電気化学的な影響を強く受けるようになります。
水素イオンであるプロトン(H+)は、電子雲に囲まれて独特な振る舞い見せるようになります。

これが図1の右端の二つの場合(特に下の場合)なのだろう。


ここからあとは「プロトン水」の宣伝になっていく。

なお、水を溶質と溶媒に分ける考えは、おそらく著者独自のものだろう。


それにしてもまだ分からないところがある。水にエネルギーを与えて酸素と水素に分ける、というのが光合成の第一段階の基本だ。

我々は中学の理科の実験で水の電気分解を習った。相当の電圧だったように覚えている。手を漬ければビリっとするくらいの圧だ。

それと同じ原理で光エネルギーを使って水を分解しようというのだが、光子のエネルギーというのは何ほどのものなのか。

ブクブクと湧いてくる酸素を象のおならとしたら、蚊のおならほどもないのではないかという疑問。

もう一つは、電気分解には必ず触媒が必要なのだが、光エネルギーによる水素の発生には触媒はいらないのか、というのも気になる。

結局、光エネルギーの吸収からH+の発生までの道はほとんど究明が進んでいないことになる。

光を吸収するとは?  というページからの抜書。

1.光の吸収 

光が物質と関わる第一段階は,物質が光を取り込む過程つまり光の吸収です。

物質はというエネルギーの塊である光(光量子)を吸収してエネルギー準位を上げます。質量を持たない光子はエネルギーを渡して消滅します。

「物質」と書いているが、図示されたものでは「電子」となっているから、電子が外側の軌道に移ることを指しているのだろうと思う。

物質がエネルギー的に取りうる状態のうち,エネルギー的に最低の状態を基底状態 ground state,それよりも高い状態を励起状態 excited stateといいます。

光吸収によって基底状態から励起状態に上がるとき,基底状態の電子が1個励起状態に上がります。電子はエネルギー的に不連続な状態間を,いわば川を飛び越えるように飛び上がるのです。これを遷移といいます。

プロトン

以下は「光電効果」の説明が続くが略(さっぱりわからない)

2. プロトンの形成

何か分からないなりに、光エネルギーが水分子を分解し、水素を取り出し、その水素を励起状態に置くという過程は見えてきた。

励起というのは電子軌道を一つ外側に遷移させるということらしい。

この励起された水素原子というのが、プロトンとどう違うのかがわからない。別にプロトンという言葉を使わなくても良いのだが、「それはプロトンとどう違うのですか」と聞かれると、言葉に詰まってしまう。

そこでまずはプロトンのお勉強。

ウィキペディアを見るといきなり困ってしまう。

物理学においてはハドロンの一種である陽子のことを指す。

化学においては水素イオン、特に軽水素の陽イオン(陽子に同じ)を指す。

要するに陽イオンのことで、陽子と同じらしいが、ハドロンてなんだ、軽水素ってなんだ? そもそも陽子がなぜ陽イオンなんだ。

ウィキにはこれしか書いてない。

仕事場のThinkPadをWin7からWin10に無料アップグレードした。

前にも一度やったが、使い勝手が悪くて一旦はWin7に戻していた。

しかしこの間に自宅用のIdeaPasが炎上してDynabookに切り替えた。そこではすでにWin10の世界だった。

だいぶ使いこなしてきたので、もう一度アップグレードしたが、アチラコチラ盛大に壊してくれた。

使えなくなったアプリ、とくにシェアウェア系のソフトの暗証番号が全部ダメになった。8割方は復旧したが、えらい迷惑を被った。

一番困ったのがタッチパッドの無効化で、ネットで書かれている解決策はほぼだめだった。

Synaptics ThinkPad UltraNav ドライバー (Windows 10 32bit, 64bit) - ThinkPad

というページがあって、これをダウンロードしてみた。

最初は戸惑って余分なことをしてしまったが、画面のずっと下のほう

Synaptics ThinkPad UltraNav ドライバー
exe
53.2 MB
Windows 10 (32ビット)
Windows 10 (64ビット)
19.0.17.115
2016/10/28

と書いてある下の矢印を押せばダウンロードできることがわかった。

ダウンロードしてインストールして再起動した。

しかし見たところ変わらない。

「やっぱりだめか。BIOSをいじるしかないのか」と思っていたが、何気なしに赤ぼっちの方を有効にしてみたところ、自動的にタッチパッドのチェックボックスが明るくなって、中のレ点が消えた。

「なるほど、このドライバーは、どちらかを有効にしなければならない仕組みになっているのだな」ということで合点が行った。

であれば、元のドライバーでもできたのかもしれない。

たしかにキーボード上の赤ぼっちはThinkPad独特のもので、いくら他の機種の説明書を見てもわからないはずだ。

チェックボックスのレ点を消すことにばかり頭が行っていたが、赤ぼっちの方のレ点を消すことは考えていなかった。

しかし今となってはわからない。

まァとにかくめでたしめでたしだ。

 

物質の科学・反応と物性 土屋荘次・平川暁子

放送大学の講義録のようである。

この中の第14章 エネルギー変換の化学 4. 光エネルギーの変換

というところで光合成について触れられている。

●光合成

ここで話題を「光→化学エネルギー変換」に切り替え,植物の行っている光合成を化学の目で眺める.とくに,光合成プロセスが太陽光エネルギーをどのような効率で物質の化学エネルギーに変換しているかの理解を目指す.

●光合成の基礎反応

光は,波の性質とともに,粒子の性質(光電効果・コンプトン散乱など)ももつ.

「光化学反応」は,もっぱらエネルギー粒子としての光(光子=フォトン)が引き起こす.

1.クロロフィルによる光吸収

光合成では,太陽光をまずクロロフィルという色素分子が吸収する.

光が吸収されると、1個の光子が消え,1個の電子がエネルギーの高い状態(励起状態)に引き上げられる.

何か、鳩が飛び出すマジックを見せられたようで、説明にもなんにもなっていないが、単純なのが何よりもよい。

2.電子授受の開始

このことから二つの状況が導き出される。

引き上げられた電子は不安定で他の物質に移りやすくなる。電子が抜けたあとの抜け穴も不安定で、他の物質から電子が移りやすくなる。

これにより物質間の電子の授受のサイクルが始まる。

話はこれだけである。

園池さんの話が何故分かりにくいのか。それは初期過程(明反応)の話がほとんどされないまま、暗反応の話が微細に展開されるからである。
素人はまず以て光エネルギーが電子エネルギーに変換される仕組みを知りたいのである。暗反応については、我々に馴染みの深い解糖系(クレブス回路)の逆進行と考えておけば、とりあえず感じはつかめる。
仕方がないので、以前書いた (2015年05月15日)をもう一度引っ張り出すことにする。一部はその前日の記事 から持ってきたものである。どちらも基本的な出処はウィキペディアである。









光合成の仕組み

いよいよ、ということになるのだが、ご本人がおっしゃるとおり、“「さわり」を少しだけ”で、肝心なところはモザイクとボカシがバッチリでなんにも見えない。その割にはビラビラの小物が満載でイライラさせることうけあいである。

光合成の仕組み1:二酸化炭素を糖やデンプン(有機物)に変える

ということで、まず第二段階(炭酸固定反応)の説明から入る。いわゆる「暗反応」だ。

この説明が業界用語のオンパレードで、外国語を聞いているようだ。

1.PGAの作成

炭酸ガスを取り込んだあと、これをPGAという形で固定するのが第一段階のようです。

このPGAというのは、葉緑体が持っているRuBPという「担体」に炭酸ガスが吸着されてできるようだ。

2.トリオースリン酸の作成

PGAは何かしらの過程を経てトリオースリン酸という物質に変化する。これがどんなものかは説明はない。

3.NADPHとATP

それでトリオースリン酸の話は突然終わり、炭酸ガスの炭素についているO2を外してH20に置換する話になる。

炭素1個あたりでは、二酸化炭素から酸素を1個はずして、水素を2個くっつけると炭水化物になることになります。

まぁたしかにそういう計算だ。

この作業を担当するのがNADPHで、NADPHにエネルギーを与えて回転させるのがATPだという話になる。

ただ率直に言わせてもらえば、これはエネルギー伝達系の話で、“二酸化炭素から酸素を1個はずして、水素を2個くっつける”現場の話ではない。

そんなことで二酸化炭素を糖やデンプン(有機物)に変えることなんぞできやしないのである。

ということで、以上の説明は「おさわり」どころか「のぞき」にもなっていない。「入場料返せ!」の世界である。

光合成の仕組み2:光エネルギーの吸収と変換

しかし、まぁそちらはどうでも良い世界である。

光合成の話は光エネルギーを電気エネルギーに変換して、水素の発生という形でエネルギーにするところにあるのだから、そちらがはっきりすれば、あとはどう保存するかという話である。

1.光合成色素による光エネルギーの受け止め

光エネルギーを使うためには、まず光を吸収しなくてはなりません。それを行なうのが、光合成色素です。

その代表が葉緑素(クロロフィル)ということになる。

うん、よしよし、それで…

クロロフィルがたくさん集まってタンパク質に結合し、光を集めるアンテナを形成しています。

うん、そうだ。それで…

アンテナのどれかの色素分子が光を吸収すると、色素は励起されます。励起された色素は隣の色素にエネルギーを渡します。こうして最終的に反応中心 という特別の光合成色素にエネルギーが渡ると、そこで、酸化還元の反応が起こります。

えーと、どっちなの。酸化なの還元なの? まぁとにかく電子伝達系スイッチが入るんだ。

2.2種類の「反応中心」

高等植物では、この反応中心には二種類あり、それぞれ光化学系Ⅰ、光化学系Ⅱと呼ばれています。

前に聞いた話とはちょっと違うけど、とりあえずもう少し話を聞いてみよう。

始まりは、水が酸化されて電子を放出して酸素になる反応です。

ずいぶん荒っぽい言い方だが、二つのH2Oが壊れてO2ができるとき、4つの荷電されたHが生成されることを言うのだろう。

放出された電子は、光化学系Ⅱを通り、次にシトクロムb/f複合体という酸化還元成分を通り、さらに光化学系Ⅰを通って、最終的にNADP+という物質に渡されてNADPHが生成します。

これもずいぶんひどい言い方だ。

とりあえず、それで良いことにして電子の最終受け取り手はNADPHだというところに進もう。

光合成の仕組み3:ATPの合成

つまり、これまでのところせっせと書き込んできたのはNADPHが水素イオンを抱いて炭化水素の生成回路に入り、炭酸ガスから酸素を飛ばして水素を押し付けるということだ。

そしてNADPHが光エネルギーを源とし、ややこしい電子伝達系回路を経由して最終産物となることが、遡って説明される。

このパート3では、このNADPHを炭酸ガスにくっつけて水素イオンを伝達するためのエネルギーがATPと呼ばれ、これも光エネルギーを源としているということだ。


これで「光合成の仕組み」の話はおしまい。光合成の仕組みについてはほとんど書かれておらず、ひたすらカルビン回路の説明ばかりだ。カルビン回路について知りたければもっとまともな説明がたくさんある。電子伝達系の説明も恐ろしく下手くそだ。

私も医者の端くれとして、NADP→NADPHとADP→ATPの共役とか、プロトンポンプの話は一応は聞きかじっているが、これほど的外れの説明は見たことがない。


読んで損したというのが第一印象だ。

「端折って書いたので分かりにくいかもしれないが、もっと詳しく書いたものがあるのでそちらを見て欲しい」と書いているが、絶対に見ないぞ。



その前に、前項のまとめをしておく。

1.光合成の概念

ここではまだ光合成の仕組みはわからない。概念だけ教えてもらった。

それによると、光合成は二つの装置を通じて行われる。それは今のところブラックボックスだ。入っていくものは光エネルギーであり、出てくるものは炭水化物(炭素と水素の結合したもの)だ。

第一の装置はさらに二つの仕掛けからなっている。A段階では光エネルギーが電子エネルギー、すなわち電流に変えられる。B段階ではこの電流により水が電気分解され酸素と水素に変えられる。

酸素は放出され、荷電した水素がエネルギーとして第二装置に送り込まれる。

第二段階では空中から取り込まれた二酸化炭素が原料として用いられる。水素は二酸化炭素から酸素を取り外す還元力として働き、みずから炭素と結合して炭化水素(有機物)を形成する。

2.工学的発想から見た光合成

自然界では炭素は水素よりはるかに酸素との親和性が高いから、酸素があれば水素を離して酸素と結合する。この時引き離された水素からエネルギーが発生する。

いわば炭化水素は水素エネルギーの貯蔵形態の一つだということになる。

この過程については水素発電の原理と同じだから馴染み深い。

つまり光合成はエネルギーを持つ水素を単離したことで、基本的な任務を完了しているのだ。

なんとなれば、その水素を液体化してボンベに詰めて輸送してやれば済むことなのだ。

ただし自然界にはそのような装置はないから、常温・常圧でそのエネルギーを保存する方法を見つける必要がある。そして生物はその方法を見つけたのだ。それが「水素を炭化させる」という方法であり、それを可能にしたのが自然界に大量に存在する炭酸ガスという物質だったのだ。

3.光エネルギーの水素エネルギーへの転化

とすれば、光合成の本質は第1段階にある。第二段階は蓄電装置でしかない。

これについては、太陽光発電などの再生エネルギーと比較しながら検討していくのが分かりやすいだろう。

ということで、次の講義へ進むことにする。

以前、光化学系Ⅰの勉強をしたが、ちんぷんかんぷんだった。
それが何故か、いくらかのアクセスを頂いているので、やはりもう少し本格的に勉強しなければだめだなと思っていた。
なにせ、目の疲れが激しくて一冊の本がまともに読めない。
何かネットで読める文献がないかなと探しているうちに、このサイトに当たった。
早稲田の先生で園池公毅さんという方の浩瀚な文章だ。
それでは「光合成の森」に分け入るとするか。

光合成とは?

小中学校レベル:  光合成とは「植物が光によってデンプンなどを作る働き」である
高校レベル: 光合成とは「植物が光によって水を分解して酸素を発生し、二酸化炭素を有機物に固定する反応」である。
つまり、「光が電気になり水を電気分解する過程」と、「二酸化炭素を還元して炭素を有機物として固定する過程」の二つの過程の複合として理解することになる。
これで話は一気に難しくなる。なぜそうなのかが全く述べられていないからだ。大学受験のときは、仕方がないから「そういうものだ」と割り切って、暗記するしかない。
大学レベル: 光合成とは「光によって環境中の物質から還元力を取り出し、その還元力とエネルギーによって二酸化炭素を有機物に固定する反応」である。
1.高校レベルの理解ができないうちに、話はもう一段飛んでしまう。これで大抵の人は学習障害をきたし、逃げ出してしまうだろう。
肝心なことは、光合成が二つの段階から構成されていることを認識し続けることだ。
問題が東京・名古屋間で起きているのか名古屋・大阪間で起きているのかを把握することだ。
2.新たに出た話は光合成細菌の話で、「硫化水素H2Sを分解して硫黄Sを作ります」というのは東名間の話だ。そして東名間を東海道線ばかりでなく中央本線で行く方法もあるということだ。
3.そして名古屋駅で一旦乗り換えるとき、駅員に渡すのが酸素であったり、硫黄であったりするのだが、残された半券はH2という共通券だ。

「その還元力とエネルギーによって二酸化炭素を有機物に固定する反応」という言い方は不正確だ。
H2と言うのはまずもってエネルギーだ。そのエネルギーで二酸化炭素を還元し、よってもって炭素と水素の化合物を生成することだ。

この説明でよくわからないことがある。それは酸素の出処だ。水を電気分解しても酸素が生じる。さらに二酸化炭素から酸素を追い出し、そこに水素がくっつくときにもフリーの酸素が生成されることになる。
しかるに「高校レベル」の認識では後半の過程についての説明がない。実際には酸素は生じないのだろうか。炭素から切り離された酸素はどこへ行くのだろうか。
大学院レベル: 「光合成とは、光のエネルギーによって環境中から還元力を取り出し、その還元力とエネルギーを用いて行なう代謝系を全て含む反応」である
線路の話を続けるとわかりやすい。
「名古屋から先もいろんな行き方があるよ」ということだ。東海道線、関西本線、近鉄を使ってもよい。さらに言えば行く先は大阪だけではないということになる。
ただしこの定義には抵抗がある。やはり大阪行きだけを光合成と定義すべきではないだろうか。窒素固定などは、大阪から福岡へ行く話として論じるべきだと思う。
定義には実体論的定義と目的論的定義がある。形態的多様性を前提とする定義の場合は、目的論的な一致が定義の中核をなすことになる。
形態もバラバラなら、目的もバラバラというのでは、そもそも「定義」にならず、「開かれたままの定義」になってしまう。これでは論理が崩壊する。

光合成の仕組み
これについては稿を改める。

4月からの生活設計
3月を以て、老健・特養での勤務も満了となる。
あとは悠々自適と行きたいが、「自適」の意味がわからない。かと言って事業を起こすほどの馬力もない。
いろいろ考えているが目下のプランは下記のごとし。
まずオフィスを持つ。
名称は「老人医療問題相談所」くらいにしておく。
売り込みは2枚看板だ。
A)老人医療問題相談事業
1枚目は「老人医療に関わる医学的助言」だ。主に在宅の介護スタッフやソーシャルワーカーを念頭に置いたものだ。
現場ではスタッフが医学的情報の断片化、医療側との意思疎通の困難に頭を抱えている。専門知識を踏まえた統合プランを求めている。
これのお手伝いがなんとかできないだろうか。
もちろん医学的知識だけではなんともならないのだが、それがないと一歩が踏み出せないのである。
そのために具体的にはどうしたら良いのだろうか。
① まずは電話あるいはメールでの相談に応じる。
② 話が複雑な場合(たいてい複雑だから相談するのだが)、依頼者との面接からはじまり、家族や介護役との相談、施設系担当者との連携が必要になる。
③ 場合によってはケアの対象に直接会う、担当医との連絡なども必要になるかもしれない。
④ 最終的にはあらあらのレポートを作成した上で関係者会議を開いて、合意を形成していくことになる。
⑤ このためにはこちらにも専門的知識の引き出しが必要になるから、他団体・専門医の間に人脈を形成しなければならない。
⑥ これらの経験を通じて得た教訓を公にし、ノウハウの積み上げを図り、多くの人々と共有していきたい。
といったあたりが、とりあえず頭に浮かんでくる。
よく考えてみれば、これらの実践はまさしく“Medical Social Work”そのものである。
B)老人医療問題研究会
どちらが手段でどちらが目的かはわからないのだが、どちらかと言えば、こちらのほうがやりたい方。
学生時代にやっていたセツルメントや社医研活動をもう一度やってみたいという思いである。
研究そのものが目的というより、お互いに知恵を持ち寄っての「勉強会」だ。「同好の士よ集まれ」というサークル活動に近い。会議そのものよりも「アフターアワー」を楽しみたいという密かな希望もある。
こちらの方は会員制になるだろう。その場所を提供できればいいなと思っている。
① 事例検討と講義、討論という例会。
② みんなの意見を載せる会報の定期発行。
③ できれば調査活動などのキャンペーンも組みたいが、そこまで馬力があるか。
C) スローガン
運動だからスローガンが必要だ。
思いつくままに上げておく。
①医療に学びを、現場に知恵を
②現場の悩みを受け止め、整理する
③現場の悩みを医療につなげ、展望を与える
④現場の問題を掘り下げ、みんなのものにする
お、まぁこんなところか。後は経営担当者と営業担当者を見つけなければならないな。

この間、札幌近郊の博物館をいくつか訪れた。

江別市郷土資料館

北海道立埋蔵文化財センター

恵庭市郷土資料館

北海道博物館

道立図書館内の北方資料室もふくまれる。

もちろん展示物をサラッと見ただけの印象だが、

道央低地帯の文化は歴史的・地理的に孤立している。

というのが感想である。

北海道の縄文文化の本拠地は内浦湾一帯を含む道南だろうと思う。それは東北の縄文文化と一体となったものだった。これについては以前にも書いた。

それは紀元前2千年から1千年をピークに繁栄を極めた。

そしてその後は徐々に勢いを失い、恵山文化を最後に一旦途絶えてしまうような印象を受ける。

私はそれは日本列島を襲った寒冷化によるものだろうと考えていた。いくら「エコだ、現代に通じる生き方だ」などと言ってみても、その日暮らしの生活では気象の激変にかなうべくもない。

本州でも関東を中心に縄文人の人口が激減したという論文があった。あまり定かな記憶ではないが、浅間山の噴火+寒冷化と説明されていたように覚えている。

ところが道南の縄文式文化が衰えを見せ始めた頃、道央低地帯はそのピークを迎えるのである。

「これはなんだろう」と考えていて、ふと思いついたことがある。それは鮭の遡上である。

今でこそ、鮭漁の大半は沖合の定置網で行われるが、それは主として商品価値の問題である。

とれさえすれば良いのなら、川に上ってくる鮭の頭を殴って手づかみするのが一番手っ取り早い。

だから鮭漁を中心とする生活は海岸よりむしろ内陸部で盛んになったとしても不思議ではない。

第二に鮭は寒流系の魚であるから、むしろ気候の寒冷化が遡上の増加をもたらす可能性がある。

そうなると、寒冷化が始まってから道央の、しかも内陸部の江別や恵庭で集落が発展したと見てもよいのではないか。

これが縄文時代の末期に、他の場所が衰退に向かっているにもかかわらず、道央低地帯に文化が発展した理由である。彼らはある意味で「逃げ遅れた人々」である

にも関わらず、やがて道央低地帯文化が衰退していくのは、それをも凌ぐ寒冷化の進行であったのかもしれない。

こうして縄文人は北海道を撤退し東北から関東・北陸へと進出していくことになる。そしてその間隙を埋めるように北方系のオホーツク人(粛慎人)が進出する。

これが7世紀になると、今度は南からの大和民族に押されふたたび北を目指すことになる(北帰行)。これが擦文文化→アイヌ文化の始まりではないかというのが目下の推量である。

最近日本人のゲノム分析に関する文章に「アイヌ人こそ生粋の縄文人」みたいいな表現が目につく。
Y染色体ハプロはたしかにそれを示しているようにみえる。
しかし、ミトコンドリアDNAだけを見ていれば、到底そのような結論はでてこない。
むしろ「アイヌ人はオホーツク人である」と言うほうが適当かもしれない。
この点について学者の皆さんはニヤッとしたことしかいわない。
しかし、これを歴史の流れの中で見ていけば、次の結論しかでてこないのではないか。
すなわち
①アイヌ人は寒冷期に東北~渡島に下った縄文人、すなわちエミシが再び北上したものである。
②アイヌ人が南下した後の北海道には、北方のオホーツク人、カムチャッカ人が到来し定着した。
③エミシは沿岸部に侵食し、ついで奥地へと分け入った。先住民たるオホーツク人は駆逐されあるいは制圧され、エミシの支配下におかれた。
このような関係においてのみ、Y染色体ハプロにおける縄文系の優越、ミトコンドリアDNAにおけるオホーツク系の優越が説明できる。ともに漁労・採集を事とする生活を営む限り、弥生人(長江人)と縄文人が示したような「異業種間」の共存関係は成立し得なかった。

そう考えたとき、その流れを考古学的に証明できるかどうかが問われてくる。
すなわち
①続縄文時代をになったのは誰か。とくに前期と後期の間の変化をどう捉えるか
②擦文土器の時代を担ったのは誰か。それはアイヌ人の時代との間に文化的断絶があるのかどうか
これらをオホーツク文化の栄枯の流れと読み合わせながら解き明かす必要があるのではないか。

とりあえず、続縄文時代の変遷をメモしておく。
続縄文時代は紀元前5世紀に始まり、紀元6世紀の末まで続く。約千年の期間である。
相対年代としては前半期と後半期に分けられる。
前半 3つの文化が一定の時差をもって出現する。
①恵山文化: 道南から石狩低地帯にかけて展開
②江別太文化: 石狩低地帯文化。恵山文化の後退に伴い出現?。
③道東圏文化: ただしオホーツク文化の影響あり。
後半
江別太文化を基礎に後北文化が出現。東北~北陸地方まで拡大する。

これについての解釈は別記事を起こすこととする。

崇神王朝の後半になると、大和政権は吉備の国を制圧し、さらに出雲に進出する。
最初は貢納の要求から始まったが、ときの支配者であった出雲振根はこれを拒絶した。
この時の経緯が興味深い。
大和政権が使者を送り貢納を要求したとき、振根は九州に行っていて留守だった。そのため振根の弟が対応したのだが、彼は大和政権の圧力に屈してしまう。吉備国を征服した大和政権の力を考えれば当然の対応であったのかもしれない。
しかし九州から戻った振根はこれを聞いて烈火のごとく怒った。そしてその弟を殺してしまう。さすればと大和政権が軍を差し向け、振根を忙殺してしまう。こうして出雲の国も吉備に続いて滅亡することになる。
この「出雲国」はオオクニヌシや大物主が支配していた頃の出雲ではない。彼らから「国を譲られた」側、大御神系の人々の支配する国だった。すなわち九州王朝の属領であったわけだ。
そこに手を出したのだから、大和政権も相当の覚悟であったろうと思う。吉備の国をやっつけるとはわけがちがう。それは出雲の国そのものではなく、その背後にいる九州王朝への反逆であるからだ。
しかし九州王朝は反撃をしなかった。それどころか仲哀の軍が下関まで到達し陣を張っても動かなかった。そして仲哀を九州王朝の都たる博多まで招き入れた。
なぜだろうか。朝鮮半島での高句麗との激しい戦闘に消耗していたのであろうか。




纏向遺跡と箸墓古墳

纏向遺跡が3世紀後半に始まったことについて異論はない。

しかし箸墓古墳が纏向の歴史の初期に作られたものかどうかは、そう話はかんたんではないと思う。

つまりこういうことだ。これまで発掘された範囲ではかなり大規模な、巨大と言ってもいいくらいの遺跡である。かといってそれが都城であったことを示すようなものもない。

印象としては「飯場」なのだ。生活の臭いがない、農業との関わりが感じられない。かといって壮大・美麗な建築物を想像することもできない。

大規模土木工事に駆り出された人々が寝泊まりし、その周囲に工事に必要な物資や、食料が保管されていたという感じが強いのである。

そして3世紀中頃には放棄されてしまう。なぜなら開発すべき対象がなくなってしまったからである。

ただ、そこに都市としての景観が徐々に備わっていくのなら、それはそれとしてわかるのだが、どうもそのような積み上げが感じられない。

箸墓古墳は記紀では倭迹々日百襲姫命の墓所とされている。この姫はシャーマンで、崇神天皇の婆さん筋の人だ。

私は崇神は4世紀前半から半ばくらいの人だと思っているので、もし言い伝えのとおりだとすると、箸墓古墳は西暦300年以降のものでないと都合が悪い。

そしてその古墳は纏向近辺で最後に築かれたものでないと具合がわるいのである。

このあと近辺にめぼしい開拓適地はなくなる。最初は無から有が生み出されるのだから、人口が増えてもそれは賄える。しかし新田開発が止まった途端、人口圧は重圧となって押し寄せてくる。

どこであろうと開拓適地を探して版図を拡大することを迫られることになる。

私は以前は崇神一族は越前からやってきた雇兵集団ではないかと想像していた。

しかし欠史八代が実際にはかなり短い期間のものだったとすれば、神武の率いた武装集団がまだそのまま残っていた可能性もあるのかもしれない。

崇神は若き当主だが、その周囲を叔父や大叔父などが固めていた。彼らは出雲系の中の大物主直系を味方につけ、葛城を中立化させ、河内と山城を制圧した。そこには大和盆地に勝るとも劣らぬ河内湖や小椋の池という開拓適地があった。

ここから崇神王朝の血塗られた征服譚が始まるのであろう。それとともに纏向の開拓基地も忘れられた存在となっていったのであろう。

この時刻表は前に作ったものの増補版となるものです。

2016年05月09日

日本ではパナマ文書の追及もあまりされず、相変わらず「世界一企業に優しい」政治が続いていますが、海外では租税回避への厳しい対応がどんどん進んでいます。

そこで表題を上のように付けなおしたものです。なおFATCAとCRSの成立過程に的を絞ったものとして、以前の経過表はそのまま残しておきます。


2012年

2月8日 米国と欧州5か国(フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、英国)が共同声明。欧州5か国の税務当局が米国人口座の個別情報を取得し、まとめて提供することとなる。

6月 OECD 租税委員会、BEPSプロジェクトを立ち上げ。多国籍企業等の租税回避に対応するため、国際課税ルールの抜本的見直しを開始。

10月 ロイターが喫茶店チェーンのスターバックスの租税回避を暴露。2010年以降、英国に一文も払っていないことが明らかになる。

スターバックスは英国で過去30億ポンド以上の売上があったのに対して、わずか860万ポンドほどの税を納税したのみ。ここ3年間においては12億ポンドの売上に対して税を納付していない。
法人税の安いオランダに所得移転し、差し引き8%の“節税”。イギリスは税収をまるまる失い、オランダは濡れ手に粟のぼろ儲けをした。

11月 英議会がスターバックスを呼び公聴会を開催。

12月 不買運動に直面したスターバックス、法人税の自発的納付で英当局と合意。欧州の本社機能を英国に移し、租税回避をやめる。

11月 英・独の財務大臣が租税回避を非難する共同声明を発表。仏の財務大臣も賛同する。


2013年

2月 OECD、「税源浸食と利益移転(BEPS)への対応に関する報告書」を作成。G20 財務大臣・中央銀行総裁会議(ロシア・モスクワ)に提出。

3月 英国、ドイツ、フランスの3カ国は他のG20諸国に対し、多国籍企業の租税回避を阻止するよう求めた。G20はこれを受け、OECDに租税回避防止に関する研究報告を求めた。

5月 米上院、アップルを呼び租税回避を追及する。

6月 G8首脳会議、課税逃れ対策の支持で合意。

6月 OECD 租税委員会、15 項目からなるBEPS 行動計画を採択。FATCAのモデル1をひな形として、金融口座情報等の「自動的情報交換」を多国間に拡大するもの。

7月 OECD、G20財相会議にBEPS 行動計画を提案。

7月 アメリカの消費者団体(pirg)が米巨大企業の多くが5年間納税ゼロであったと発表。またトップ100社がタックスヘイブンに保有しているお金は、1.2兆ドルに達するとする。

8月 ジェトロ、日本の対外直接投資残高が1兆ドルを超えたと報告。96年に比し4倍となる。ケイマンとオランダへの投資が突出する。

9月 サンクトペテルブルクでG20 サミット。BEPS 行動計画を全面的に支持。次年度末を目途に国内の法整備を進めることで合意。OECDによる国際基準の策定が支持される。

10月1日 OECDの発議した「税務行政執行共助条約」が日本において発効。①締約国における自動的な 情報交換、②租税債権の徴収の支援(徴収共助)、③要請による文書送達(送達共助)を定める。

10月 フランス議会、国内書店の保護を目的とする「反アマゾン法」を可決。

12月 イタリア議会、グーグル法を可決。多国籍企業がネット広告などを掲載する場合、国内事業者を通さなければならないと定める。イタリア政府は税導入を延期する措置。


2014年

1月 OECD租税委員会、自動的情報交換の共通報告基準(CRS)を承認。

2月 OECD、「課税における自動的な情報交換に関する基準」の草案を発表。

3月6日 米国財務省とIRS、最終暫定規則を発表。50以上の修正が加えられる。

4月 アップルのCEOティム・クックが上院で証人喚問を受ける。利益の多くをアイルランドで計上していることについて説明を求められた。

5月 クレディ・スイス、「米国人顧客の脱税を意図的にほう助した」と有罪を認め、米政府などに28 億1,500万ドルの罰金を支払う。

7月1日 FATCAによる規制が日本及び世界で施行される。登録金融機関は世界中で10万以上、日本の金融機関は3,624にのぼる。

日本の金融機関は、米国人対象者を特定し、同意を取得した上で、米国内国歳入庁(IRS)へ直接報告を行う
不同意口座についてはIRSが租税条約に基づく情報交換要請を日本の国税庁にする。国税庁は金融機関から情報を入手し、IRSへ提供する

7月 OECD、CRSのフルバージョンとコメンタリーを公表。金融機関の非居住者口座を政府間で自動交換するためのマニュアルとされる。

この「完全版」は「金融口座の自動情報交換のための新国際基準」(Standard for the Automatic Exchange of Financial Account Information in Tax Matters)と題されている。

9月 G20 財務大臣・中央銀行総裁会議(ケアンズ)で、BEPS報告書第一弾公表。

11月 ブリスベンのG20サミット、CRSを承認。その後97の国・地域が「税に関する自動的情報交換制度」(OECD制度)への参加を表明。日本の参加は遅れる見通し。アメリカは不参加の意向。

全国銀行協会は「OECD の枠組みは、FATCA よりもさらに負荷が大きい。実務面での配慮が必要」とコメント。

12月 この時点で、欧州各国を中心に112の国・地域が米国とIGAを結ぶ。

14年 イギリスが「UK FATCA」制度を導入。「海外領土」と呼ばれるジャージー、英領バージン諸島、ケイマン諸島、バミューダなど10カ国の金融機関に対し、英国居住者の口座情報の提供を義務付けた。これにより税金上のメリットは失われ、場合によってはHMRC(英歳入関税庁)の調査対象となる。

2015年

1月16日 欧州委員会、ルクセンブルグ政府の優遇税制措置を、EU法に定められた「違法な国家補助」に当たるとの判断。

アマゾンが税率の低いルクセンブルクの子会社にウェブサイト運営のための知的財産権を移し、同社の世界全体の売り上げの5分の1を占めるEUでの売り上げを集めていた問題がきっかけとなる。

3月 欧州委員会、「課税の透明性に対する取り組み」を発表。EU加盟国間の税務情報を、自動的に交換する仕組みを導入するよう提案。

3月31日 FATCAに関する国内法が発効。「租税条約等の実施に伴う所得税法、法人税法及び地方税法の特例等に関する法律の一部改正(租税条約実施特例法の一部改正)という長たらしい名前。

4月 イギリス政府、Google税(Diverted Profit Tax)を施行。租税回避された広告料所得などに対しても課税。スペインではグーグル社が徴税に対抗してグーグルニュースのスペイン版を閉鎖。

5月 米上院小委員会がアップル社からヒアリング。アメリカの法人税率は35%であるのに、アップル社は、実質2%以下の税率だったことが明らかになる。

6月 欧州委員会、公正かつ効率的な課税を目指す「法人課税に関する行動計画」を発表。

10月 G20アンタルヤ・サミット、「BEPSプロジェクト」の「最終報告書」を支持することで合意。

15年 イギリスは、企業がタックスヘイブンを利用して逃れた利益に25%の税金を課す制度を導入。

15年 イギリスのタックス・ジャスティス・ネットワーク、タックスヘイブン全体で21~32兆ドルの資産が隠されているとの試算を発表。その半分がメガバンクの保有であるとする。


2016年

1月1日 イギリスやドイツなどの早期適用国(56カ国)で、CRSが実施される。2016年の口座情報が2017年9月に交換されることになる。日本2018年適用国(41カ国)となる。

1月 欧州委員会、多国籍企業の租税回避に対する規制方針をまとめた「租税回避対策パッケージ」を提案。

①効果的な課税: 利益が発生した場所で税を支払う原則
②課税の透明性: 課税を確実にするため、加盟国が情報を共有する。具体的には多国籍企業に関する「国別報告書」(CbCR)の提出を義務化。第三国にも実施を求める。
③二重課税のリスクの回避: EU域内市場を活用する企業が二重課税を受けないように保護。

1月22日 イギリス税務当局、米グーグルとの合意に達し、210億円を追加課税した。グーグルはイギリス国内で170億ポンドも稼ぎながら、バミューダ諸島などに利益を移して5200万ポンドしか納税していなかった。

7月12日 EU理事会、「租税回避対策パッケージ」の核となる「租税回避対策指令」(Anti-Tax Avoidance Directive)を採択。利子損金算入制限、出国課税、一般的租税回避防止、外国子会社合算税制、ハイブリッド・ミスマッチの5つの規定で構成される。

8月 欧州委員会、アップルのアイルランドでの事業に対しEUの定める国家補助(state aid)法違反だと認定。アイルランド政府に対し130億ユーロの追徴税を命じる。

アップルはEU諸国での売り上げすべてを、アイルランドのペーパーカンパニーで申告している。アイルランドの法人税率は12.5%と圧倒的に低く、納税回避目的であることは明白とする。

8月 米財務省、欧州委員会が「超国家税当局」になっていると批判。アップルへの追徴金に対し「深い懸念」を示す。

9月 G20首脳会議(杭州)において、BEPSプロジェクトとCRSの進捗状況が報告される。85の国や地域が、BEPSパッケージの実施に賛同。CRS参加国の追加税収は550億ユーロに達する見込み。100の国・地域が「税務上の自動的情報交換」(AEOI)への参加を表明。

9月 オーストリアのケルン首相が「スタバなどの多国籍企業の納税額は屋台より少ない」と批判

9月 デンマーク、パナマ文書の一部を購入。税逃れをした、数百人のデンマーク人についての脱税調査を行うとする。

16年 イタリア政府はアップルがアイルランドに利益を移して不当に法人税を逃れたとして、3億1800万ユーロ(約398億円)の追加課税をした。

2017年



西暦400年前後というのは、古代史のクロスロードになっている。

1.朝鮮半島における高句麗対4国連合の戦いはその頃最も厳しかった。

4カ国とは百済・新羅・任那・倭国である。この中で倭国をどう性格づけるかが最大の焦点である。

これについては、中国情報が途絶えた時期なだけに、好太王の碑をどう読むかしかないが、

アマテラス系天孫族の出自(高天原))は任那であり、九州はその植民地であったと思う。しかし両者の比重が変わり、すでに魏志倭人伝では別個の国と認識されている。

しかし対馬海峡を挟んで両者の一体意識はずっと後まで残っている。それはノルマンジーに対するイングランドの領土意識と似ている。それが高句麗戦争を招いたのだろうと思う。

2.一方で九州王朝の後背地では畿内を中心に農業革命が起こり、巨大な生産力と急増した人口を背景に大和政権が版図を拡大した。

大和政権は九州王朝の流れを汲む地方政権であったが、やがて本州の西端までその支配下に収めた。その一部は豊後から日向にまで進出する。

大和政権の諸国制圧は、ヤマトタケルの伝説を見ても決して平和的なものではなかった。しかしその農業革命は積極的に受け入れられた可能性がある。

3.崇神系の最後の王であった仲哀はみずから九州王朝の都である博多に乗り込んだ。おそらく彼は臣下の礼を尽くしたと思われるが、朝鮮出兵の要請は拒否した。

その結果仲哀はおそらく暗殺され、その愛妾の神功皇后とその息子を押し立てた九州王朝軍が大和に向かった。

仲哀の息子たちは九州王朝の受け入れを拒否し戦ったが全滅した。征服軍の将軍であった大伴氏が畿内政権の実権を握り、崇神朝のもとで冷や飯を食わされた物部氏と結んで威勢を張った。

御用済みとなった武内宿禰はお払い箱となった。大和盆地に代わって河内湖を囲む一帯が新政権の経済活動の中心となった。そこには九州王朝を通じて鉄器、朝鮮半島の事物が奔流のように流れ込んだ。しかし九州王朝は本格的な植民地経営をする気はない。あくまでも朝鮮戦争のためのロジスティックな後背地の確保だ。だからいずれは破綻するだろうし、実際に破綻した。

これが二つの王朝の出逢いとその顛末だ。

ここまでは確認できるのではないだろうか。

そしてその結果、畿内政権がどのような変貌を遂げるのか。このあたりが見どころだ。これから勉強しなくてはならない。

赤旗のラ・テ欄の片隅の記事。
意外な事実が記されていたので転載する。

永六輔
ファクトとしては
1.永六輔は60年の安保で毎日のようにデモに参加した。
2.安保後の挫折感の中で、反戦歌「上を向いて歩こう」が作られた。
3.しかし坂本九の“ふにゃふにゃ”歌唱は永六輔をがっかりさせた。
4.そのため、永六輔は葛藤の末に引退を宣言した。
初めて聞いた話ばかりだ。
生前は明らかにしにくかったのか?

私にとってはかなりの大ニュースだ。もう少し詳しく知りたいと探してみた。
WOOM-song.clubというサイトに
永六輔の生き方に学べ!『上を向いて歩こう』作詞秘話
という話が載っていた。著者は野口義修さんという方。
ここに経過がかなり詳しく説明されている。
読んでいただければよいのだが、かいつまんで紹介しておく。

1961年7月21日、第三回中村八大リサイタルにおいて「上を向いて歩こう」が発表されました。
このとき永六輔は28歳、中村八大が30歳、そして坂本九は19歳だった。
どうも坂本九というより中村八大の曲に対する不満が先にあったようだ。
自分の思いを込めた歌詞を、メロディーと歌い方で台無しになされた! こんな下手な歌と歌詞に対するメロディーの組み立ても許せない!  と烈火のごとく怒り心頭だったそうです。
なぜそこまで怒ったのかという背景が、60年安保闘争だ。
永さんは、実際に自分もデモに参加した1960年の安保闘争での敗北をテーマに歌詞を書きました。それが、「上を向いて歩こう」です。デモの帰り道、泣きながら夜空を見上げた思い出の歌詞だったのです。
…永さんは、安保デモに出るために、自分が台本を担当していた番組を降板しています。プロデューサーから、「君は、番組をとるかデモをとるか?」と詰問され……「デモをとります」と
これには後日談があって、

いろんな仲間や歌手から、あの歌はヒットするわ! と太鼓判を押されて、素直に「自分が分かっていなかった!」と認めたそうです。

とは言え、いい時代だったのだと思う。1960年代というのが、理由はどうであれ「上を向いて歩く時代」だった。大人はけじめと責任を自覚していた。

青銅器時代(the Bronze Age)
三時代区分法
青銅器時代、鉄器時代は先古代の区分として用いられる名称である。
1836年にデンマークの考古学者トムセンが、「北方古代文化入門」を発表。この中で石器時代・青銅器時代・鉄器時代の「三時代区分法」を提示した。
トムセンは、この区分はスカンジナビアとその周辺地域に適用できるとしたが、その後、世界的にこの指標が持ちいられるようになった。
もちろん国家形成の段階と青銅器の導入は一義的に一致するものではなく、導入の時期も地域により異なるが、ユニバーサルな指標として依然有用である。

青銅とは何か
本来、「青銅」は10%前後の錫を含む銅合金の意味である。しかし天然の状態で錫と共存し、「青銅」として採掘される場合もある。
本来の青銅は光沢ある金属で、錫の量が少なければ純銅に近い赤銅色、中等量であれば黄金色、大量の場合は白銀色となる。
「青銅」の名前は、表面が錆びた状態を指している。表面に緑青が形成されるとサビの浸透が防がれ、劣化しない。
硬度は錫の添加量が多いほど上がるが、同時にもろくもなる。

金石併用時代
人類は石器時代から一気に青銅器時代に移行したわけではない。その間に金石併用時代があった。最も多く使われたのが自然銅であったから銅器時代とも言う。
銅は硬度が不足しており、石器を完全に駆逐することはできなかった。
この時代の後半には冶金技術(銅の溶解温度は約1100度)が発生した。これにより自然鉱物だけでなく金属鉱石を精錬するようになり、対象金属が拡大した。
その一つであるスズは、融点が低く、錫石からの精練が容易であるため、早くから実用化された。
そしてスズと銅の同時溶融法で青銅が開発された。

青銅器は何をもたらしたか
生産技術への貢献、軍事力への貢献については別に考察するが、それとは別に以下の波及効果が挙げられる。
持てるものと持たざる者への差別の拡大。農民に並ぶ新たな社会分業(鉱工業、商業)の出現、したがって都市(非農村としての)の出現。原料・製品の確保、あるいは輸送による交通・交易の拡大。祭祀用具の発達による宗教の変容(偶像崇拝・物神崇拝)。
さらに持てる国家の版図拡大も見られた。モンゴルにおいて青銅器時代にコーカソイドの進出が認められたという(松村ら


青銅が鉄に代わった理由
青銅は銅に比べて硬く、研磨や鋳造・圧延などの加工ができる。しかし硬さと強度で鉄に劣る。
何より鉄に比べて採掘可能な量が少なく資源が偏在しており、コストが高い。
青銅は兵士の実戦武装にも各種の農具にも用いられることはなかった。その変革的役割は鉄よりにはるかに劣る(角田文衛)


青銅器時代年表(完全な形で青銅器時代が全うしたのはメソポタミアのみである)

紀元前3500年 メソポタミア・エジプトで青銅器時代がはじまる。

紀元前3100~2700年 黄河最上流部に馬家窯文化が興隆。青銅器の使用が確認されている。

紀元前3000年 中国で金石併用時代が始まる。実用品を中心に青銅器の流通も始まる。

紀元前2350年 アッカド王サルゴンがメソポタミアを最初に統一。その後、バビロニア、カッシートなどの広域王朝が交代を繰り返す。

紀元前1500年 アナトリア高原にヒッタイト王国が出現。

紀元前1500年 中国で殷・周時代が始まる。この間が中国における青銅器時代とされる。青銅製の武器は春秋戦国時代を通じて主流であった。

紀元前1500年 エジプトでは原料確保が困難だったため、展開不十分のまま鉄器時代へ移行。

紀元前1200年 ヒッタイトが滅亡。製鉄技術がオリエント全域に流出する。これを機に中東での青銅器文化は一気に終焉。

紀元前300年 西方の新興国である秦が、鉄製武器を背景に全国を統一。

紀元前2世紀 本格的に青銅器が日本に流入。鏡・矛・剣・戈の武器、銅鐸、やりがんななど。間もなく鉄器も伝来したため、青銅器は主として祭器として使われ、実用品としての青銅器時代を経過することなく終わる。

長江文明 の流れ
まず長江人がどういう人種なのかを抑えておきたい。
2016年10月22日の一部を再掲しておく

5.O1、O2人とO3人

O3人は現代の漢民族で、他種族を圧倒している。しかし長江文明の担い手はO1、O2人だった。

3つの遺跡から発掘された人骨のY染色体を分析した研究が紹介されている。

龍山文化(黄河文明)

BC2000頃

O3、O3a

長江中流

BC1000頃

O2a、O3

長江下流

BC3000頃

O1a、O2b

年代を見ても、漢民族がO1、O2人を駆逐した様がありありと分かる。


3万年前 ハプログループK2からNOが分岐。南方ルートで東南アジアに進出。

ハプログループOがO1とO2に分かれる。O2はOグループ中最大の人口を持ち、中国北部に特に多い。

(2015年11月にISOGG系統樹が改訂され、旧O1と旧O2は現在はいずれもハプログループO1のaとbとなっており要注意。O2は旧O3)

2万5千年前 ハプログループO1がO1aとO1bに分かれる。O1aは中国南部、台湾先住民に多い。

ということで、長江流域に入り長江文明を作ったのはO1b人だ。O2人(旧分類のO3人)はその間にもっと北へと進んだ。

O1bはやがてO1b1とO1b2に分かれる。

O1b1は東南アジア、中国南部に多い。O1b2が朝鮮半島に渡った長江人と見られ、日本列島、朝鮮半島に多い。

長江文明の衰退に伴い、O1b1および一部のO1b2は南下し、百越と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、日本列島、山東省、朝鮮半島へ渡った(崎谷)という説得力のある主張がある。

O1b2にはa1aとa1bという2つのサブタイプが見られ、a1bは朝鮮半島にも存在するが、 a1aは日本国内のみである。


続いて、ウィキペディアの年表を転載する。

長江文明年表

上記表を基準としながら、経過を説明する。なお中国先史時代年表の絶対年代は、学術文献もふくめて相当誤差があり、盲信しないこと。

60万年 山西省で頭骨の化石が発掘される(1963年)    
40万年 北京原人(1923年発掘)    
5万年 - 紀元前35,000年 石器時代後期

1万4千~1万2千年 湖南省玉蟾岩(ぎょくせんがん)で稲の籾殻が発見。野生種と栽培種の特徴を、またジャポニカ米とインディカ米の特徴のいずれも併せ持つ。
1万2千年 “栽培された稲”が発見(江西省 仙人洞)。焼畑による陸稲栽培とされる。その後、1.9〜2万年前とみられる土器片280点が発見される

以下はすべて紀元前の数字で表記。~年前の表記は用いない。
8千年 湖南省八十垱(だん)に最古級の環濠集落。
7~6千年 湖南省の洞庭湖西側の彭頭山で、土器に付着したイネの穀が発掘される。世界最古の稲作遺跡とされる。最古の水稲栽培(散播農法)が確認される。この頃中国平原は温暖化のピークとなる。
7~5千年 最初の黄河文明となる裴李崗文化(河南省)。アワなどの雑穀を中心とした定住農業が行われていた。
6~5千年 陝西省に老官台文化。粟作などの畑作農業。
6~5.5千年 河北省に磁山文化。粟作などの畑作農業。
6~5.4千年 遼寧省に興隆窪文化。環濠内部が2万平方mもある大集落。
5~4千年 浙江省の河姆渡(かぼと)で大量の稲モミ(ジャポニカ)が発見される。高床式建物も確認される。
5~4千年 長江河口から杭州にかけて馬家浜(まかほう)文化。蘇州近郊の草鞋山遺跡に馬家浜中期の世界最古の水田趾。
5~3千年 黄河中流域(河南省)に仰韶文化。裴李崗文化と老官台文化が融合したものとされる。農村の階層化も始まる。非常に経過の長い文化で後期には4種の文化を取り入れ発展。(別項を要す)
4~3千年 長江中流域(重慶)に大渓文化。灌漑農法が確立され、住居地が平野部へ移動
3.5~2千年 浙江省に良渚(りょうしょ)文化。貯蔵穴や井戸など安定した定住生活
3~2.5千年 長江中流域に屈家嶺(くつかれい)文化が登場。この頃に長江文明は最盛期となり、分業や階層化も進んだ。
3~2千年 山東省に龍山文化。城壁がある集落の跡
2.5~1.8千年 湖北省 石家河(せっかが) に大規模な都城。黄河流域の部族と抗争したと考えられる。
石家河の終焉をもって長江文明は消滅。(黄帝と神農や蚩尤の対立などの伝説は、黄河文明と長江文明の争いを表しているとされる)
2100     夏王朝が建国される。考古学的には二里頭文化と一致。
歴史的には夏が最も古い。それ以前の三皇五帝(伏義、神農、黄帝、堯・舜)は先史時代とされる。
1800 雲南地方でも稲の栽培が広がる。
1700 黄河流域に青銅器が登場。小麦と同じ北方ルートを通じて製造技術が流入した。
1600     夏が滅亡。殷(商)が興る。考古学的には二里岡文化と一致。
1600~1000 四川省に三星堆(さんせいたい)文化。仮面・人像・神樹などの大型青銅器が製造される。(鳥飼行博研究室のサイトを参照のこと
四川の銅鐸
三星堆の銅鐸
四川人頭
三星堆で出土した人面(青銅)

中国まるごと百科事典 > 中国歴史 > 中国各種年表 > 中国先史時代から秦までの年表が内容豊富で素晴らしい。いま読みながら年表に落としているところである。

20170228 離乳と断乳

「古墳は灌漑事業の残土処理にすぎない」というのは、私の「大発見」かと思ったが、調べてみると同じような考えの人がいるということがわかった。

いささかしゅんとしている。

それらの文献を当たってみた。

関東の前期古墳 - 東海大学文学部

著者は北條芳隆(東海大学文学部歴史学科)さん。

まず最初に以下の断りが入る。

私の見解は当面のところほとんど孤立的であり、いわゆる定説とは大きく異なる。

ということで本文へ。

この時代には集団移住や大規模耕地開拓が各地で活発におこなわれた。古墳時代の地域首長は灌漑・農耕技術を携えた開発指導者でもあった。

古市古墳群では古市大溝の掘削年代が5世紀にさかのぼる。遺存条里地割と前方後円墳の主軸方位が一致していることから、古墳群建設には方格地割りにもとづく耕地開発が伴ったことを示す。纏向も同断である。

各地の耕地開拓は、奈良盆地での成功例を基礎に、それを模倣し同形的に拡散させるものでもあった。

考察部分では次の記述が注目される。

弥生時代後期に、各地でどの程度の鉄器が出土するかをみた。一定量の鉄器の出土がある地帯は、確固たる地域社会が成立していたと考えられる。

しかし大型前方後円(方)墳が築かれるのは、むしろ鉄器化の恩恵に浴さず未開発で、「無住の地」が広がっていた場所であった。

倭王権の本拠地である奈良盆地自体、弥生時代までは道具の鉄器化という点でまったくの後進地であった。

このことは、社会経済的な発展段階と古墳の規模との間に照応関係がないことを示唆する。


ということで、私よりはるかに実証的に論じられている。

ほかに随想風の文章が二つある。ちょっと困ったことに内容が酷似しているのだ。

グーグル検索でトップに来るのが 巨大古墳は公共工事の跡!?というブログ記事。越智社長さんの「おちゃめ日記」で2014/07/18 の日付がある。

古墳がいったい何のために作られたのかと言えば、ズバリ「水田開墾のための土木工事のため」だったのではないでしょうか。

昔はダンプカーなんてありませんから、開墾地のすぐ近くに計画的に盛り土することにより廃棄処理をすることになります。その時にちょっとした遊び心が芽生えて、円墳や方墳、八角墳や前方後円墳といったその時の流行に合わせて様々な形状に盛ってみた。これが今の時代まで残り、『古墳』と呼ばれるものになったのではないでしょうか。

…仁徳天皇は広く知られている「竈(かまど)のお話」の天皇というよりも、むしろ「土木天皇」と言ってもいいくらい、民のために広大な土木事業を営んだ天皇、「偉大なプロジェクトリーダー」だったということのようです。

…『古墳』を単純に権力者の墓だとする先入観がそれ以上の思考を停止させているように思います。

次が「ねづさんのひとりごと」というブログの「古墳のお話」という記事(2015年07月10日および2016年03月13日)で細かい所の表現の違いはあるが、骨組みはほぼ同じだ。ねづさんのブログには仁徳天皇陵に関する大切なお話 (2014/10/24) という記事もあり、ほぼ同様の内容となっている。

次に「るいネット」に「“日本の古墳は権力の象徴ではなく、開墾の残土の盛り土であった”は、戦前の常識であった」という記事があるが、これはねづさんの記事のコピペのようだ。

それで4番目に引っかかったのがmixiユーザーさんの「パクリ? 古墳は公共事業である説」という記事で、「一体どちらが元ネタなのか? それともどこかに元ネタがあるのか?」と嘆いている。

私の疑問とそっくり同じ。なまじグーグルで1番と2番で引っかかっちゃうから困るんだよね。

次が「古墳は土石流対策の灌漑施設?」という記事。純丘曜彰 教授博士 大阪芸術大学 哲学教授 という肩書が怪しげだが、ウィキにはしっかり名前が掲載されている。五輪オリンピックのエンブレム問題で「論客」として名を馳せたらしい。

土石流対策への思いはなみなみならぬものがあるが、「だから何さ」という気がしないでもない。肝心なポイントは越智社長さんの言葉に尽くされているようだ。

アイヌ人は北から来たのではなく奥羽地方から進出した毛人ではないか。

なぜ思いついたかというと、ずっと縄文人とアイヌ人のDNAの差について悩んできたからだ。

アイヌ人はY染色体で言うと縄文人と同じD型のハプロをもっていて、その頻度は東北地方以南のどの地域より高い。しかし女系の血統を示すミトコンドリアDNAから見ると、縄文人というよりは明らかに環オホーツク海種族の遺伝子を強く引いている。ニブフなど樺太系ばかりではなく、カムチャッカ系の遺伝子も交えている。

とても縄文人の末裔と呼べるようなものではない。

つまりアイヌ人は縄文人とオホーツク人のハイブリッドということになる。しかも明らかにオホーツク人社会に縄文人が侵入して、有り体に言えば侵略して、男を皆殺しにして、女を娶ってできた人種だということになる。

これまで私は、樺太経由で何波かにわたって北からの移民の集団があり、その最後の集団がアイヌではないかと思っていたが、そのような推測には根拠がないことが分かってきた。

アイヌという「民族」が登場するのはそんなに古いことではない。少なくとも紀元前ではない。しかしD型ハプロタイプは遅くとも紀元前3000年ころまでに、日本(とチベット)を除く地域には存在しなくなっている。

北海道で言う擦文土器文化の時代以降に、あらたにD系の集団が北から入ってくることはありえない。

であれば東北・道南の縄文人が全道に拡散してアイヌ民族を形成したとしか考えられない。

紀元0年を中心として前後1千年ほど、日本列島の気候変化は非常に大きなものがあった。これに伴い縄文人生活圏で著しい人口変化があったと考えられる。とくに限界地域である北海道ではその影響は大きかったと考えられるから、北海道における縄文人はほぼ絶滅した可能性もある。

その間隙を埋めるように樺太や千島からオホーツク人が進出し、寒地に適応した独自の文化を形成したと考える。

これから先は推測になるが、阿部比羅夫が戦った「粛慎」はオホーツク人ではないか。戦闘の場所は石狩川の河口付近ではないかと想像している。

秋田の毛人は海岸沿いに北へ進出し、石狩川河口あたりでオホーツク人と勢力争いをしていた。そこに毛人に加勢する形で阿倍比羅夫軍が乗り込んだというのが事の真相であろう。

出羽の毛人はその後も北方への進出を続け、紀元1千年ころにはほぼ北海道の全体を支配下に収め、さらに樺太から黒竜江流域まで版図を広げようとした。彼らは鉄を持っていた。自分で作ったのではなく、大和勢との交易により入手したものだ。石器時代を生きているような種族との戦闘がどういう帰趨をたどるかは火を見るより明らかである。

そのなかで現地民と集簇して形成されたのがアイヌ人だということになる。だとすれば男性が縄文人系、女性がオホーツク人系という遺伝学的特性が矛盾なく説明できるのではないかと思う。

岡野さんの「最高の戦術は友情」というのが、心に引っかかるのは、憲法前文と9条の関係をどう捉えるかというのがずっと宿題になっているからである。

基本的には9条は前文を前提にして成り立っている条項だろうと思う。そして前文は過ぐる大戦への痛切な反省を前提にして成り立っているのだろうと思う。

過ぐる大戦は我が国にも深刻な傷跡を残した。とはいえ、それ以上の苦痛を近隣国に与えている。それは間違いなく侵略戦争であった。それは近隣国との友好を一方的に破壊し、その結果として無謀な大戦に突入し、みずからにも多くの犠牲を出した。

それは民主主義の破壊を伴って進行し、ものも言えなくなった国民は、盲いたまま戦争に協力した。

こういうことが二度とあってはならないのである。

だからこそ平和を誠実に希求し、その最大の保障となる「主権在民」の立憲国家を建設した。そして国際的には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のである。

そこに語られる「平和」は受け身のものではない。たんに守るものとしての「平和」ではなく、築き上げるべきものとしての平和である。「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」する実践の上の「平和」である。

だから、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」するのであって、そのために「国際紛争を解決する手段として」は「武力による威嚇又は武力の行使」という手段を用いないと決めたのである。

いちばん大事なのはこの「精神」である。国家戦略オプションとしての「非武装」ではない。

現実には、自衛隊という実質的な軍隊が強力な装備を備えている。「交戦権の否認」はほとんど危機に瀕している。さらに日米安保条約というまごうことなき軍事同盟に、がんじがらめに絡め取られている。

しかし肝心なことは、「オプションとしての非武装」が揺らいでいることではない。平和国家としての精神が依然として国民の間に強固に存在し続けていることである。

そして我々が何よりもだいじにしなければならないことは、この平和国家としての精神である。

それが岡野さんの「最高の戦術は友情」というスタンスではないか。

赤旗のスポーツ面に、大住良之さん(サッカー・ジャーナリスト)という方の書いた岡野俊一郎さんへの追悼文が掲載された。
大変格調の高い文章で、印象深いので紹介しておく。
岡野さんは、第二次世界大戦後の日本のサッカーで最大の「知性」でした。
これが書き出し。これだけでも身を乗り出させる。
しばらく経歴紹介があった後、次のエピソードが語られる。
むかし、岡野さんが書いた2枚の色紙、
1枚には「考え、鍛え、そして燃えよう 」という言葉が書いてありました。
岡野さんのイメージそのものです。
もう1枚には「友情こそ最高の戦術 」という言葉が書いてありました。
当時あまりよく理解できませんでしたが、社会人になり、組織の中で働くようになってからです。
岡野さんは常にフェアプレーの大切さを口にしていました。そのベースは、試合相手をふくむ周囲の人々の「友情」にあったに違いありません。(文章は一部編集してあります)
たしかにこの2枚をもらったら、1枚めがわかりやすい分だけ2枚めがわかりにくくなるかもしれない。
2枚めはいわば戦略論だ。「友情」はそれ自体がスポーツの目的・目標であるだけでなく、個別の試合においても力となるものだということだ。勝負は時の運、しかし「良い試合」をメークするのには、「友情こそ最高の戦術」だということか。
しかし私はもう少し生臭く考えたい。試合というのを国際試合、さらに国際紛争というふうに広げて考えれば、ルールの尊重とフェアプレーの精神が必要だ。しかし時にはラフプレーが飛び出すこともある。
そういうときにはルールとかフェアプレー精神をいうだけでなく、その根っこにあるお互いの「友情」をだいじにしていくことが、何よりも重要なことだろうということだ。
いずれにしても、たいへん示唆に富む発言であることは間違いない。岡野さん、大変素晴らしいい遺言をありがとう。

共産党がふたたび長時間労働に関する緊急提案を行っている。
今回の題名は「長時間労働を解消し、過労死を根絶するために」となっている。
特徴としては
前回(ブラック企業規制法案)が、悪質経営者を相手にした取り締まり中心の提案だったのに対し、今回は電通など大企業、「長時間労働を是とする社会風土」をも念頭に置いた、より包括的なものとなっている。
もう一つは過労死という事件を受けて、より労働内容の吟味に踏み込んだものとなっている。
第三には、ホワイトカラー・エグゼンプションへの断固たる拒否という視点を組み入れたものとなっている。

前回のブラック企業政策で打ち出した斬新な提案とキレの良さはそのまま残されており、至る所に「雇用のヨーコ」が顔をのぞかせている。若い人にも読んでもらえる政策となっている。
1.インターバル規制の導入。勤務と勤務の間に最低11時間の連続休息時間を確保する。
2.いちじるしい長時間労働は残業代を5割増しにする
3.違法なサービス残業が摘発されたら10割増しにする。つまり「倍返し」である。

政策はこれらの規制を実のあるものにするために、追加的に二つの政策を打ち出している。
一つは、長時間労働の最大の基盤となっている「職場でのパワハラ」を規制することである。まず長時間労働そのものをパワハラと位置づける。
その根拠は厚生労働省が示している「パワハラの6類型」という指針にあるらしい。志位さんの言葉を借りれば、企業社会は、人々を長時間労働に向けて「追い詰める」のである。
政策はこういう指針があるにも関わらず、現行の労働法制にそれを裏打ちをするものがないとして、立法化を要求している。
これは斬新な視点であるし、今後重要な視点でもある。
もう一つの政策が、労基署の抜本的強化である。これにはスタッフの大幅増など現場力の強化と、労働法令の整備による権限の強化がふくまれている。「悪いことをするとおまわりさんが来るよ」というのと同様に、「悪いことをすると労基署が来るよ」という社会を作らないといけないということだ。
「パワハラの6類型」についてはいずれ勉強して報告したい。

youtubeの世界では、ウラジミル・バックがちょっとしたブームになっているようだ。


一気に大量のファイルがアップロードされている。

圧巻はショパンのバラード第1番だ。亡命前の1988年に録音されたもの。こういうのを完璧というのだろう。ナマの音が一つもない。すべての音が周りと溶け込みながら紡ぎ出される。一つひとつの音にニュアンスがある。

消えないうちにダウンロードして下さい。できるだけ良い装置で音量をギリギリまで上げて、眼をつぶって聞いてください。2つのマズルカ(Op17-4と68-4)のなんと寂しげなことか。消え入るような美しさだ。

サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」は何度聞いても3本めの手があるとしか思えない。リストのハンガリア狂詩曲などシフラも真っ青だ。


そもそも、世にどれほどの音源があるのか。グーグルで“bakk discography” といれてみた。

dicogs というサイトにそれに相当するページがあった。

1) Владимир Бакк* - И. Гайдн* / Ф. Шуберт* / Ф. Лист* / С. Рахманинов* - Соната № 10 / Экспромт / Венгерская Рапсодия № 6 / Соната № 2 ‎(LP)    Мелодия  33 С 10—04837-8        1974            

2) Владимир Бакк*, Д. Cкapлaтти*, В. А. Моцарт*, А. Скрябин*, С. Прокофьев* - Untitled ‎(LP, Album)    Мелодия  С 10—10151-52  1978            

3) J. Brahms, R. Schumann, F. Chopin, A. Scriabin ‎(LP, Album)     Мелодия  C10 28871 001   1989  ブラームス後期小曲から5曲、シューマンのアラベスク、ショパンのバラード第3、スクリャービンのソナタ9番。

bakk1989

4) Frédéric Chopin, Владимир Бакк* - Ballade No. 1 / Fantasia / Sonata No. 2 Мелодия  1989

ということで、LPが4枚。いずれもソ連時代のもので、15年間も暮らした米国での録音は皆無である。

これにモスクワでのテレビ放送のエアチェック、ブエノスアイレスでの惨めな、しかし素晴らしい演奏というのがすべてである。

ロシア語はてんでダメだが、

1)はハイドン、モーツァルト、リスト、ラフマニノフと書いてあるようだ。

2)はスカルラッティ、モーツァルト、スクリアビン、プロコフィエフ、

3)、4)は英語でえす。

ただこのリストにはドビュッシーやフォーレ、サン=サーンスなどフランスものがないので、ひょっとするとそれは米国録音かもしれない。とすれば、この写真だが…

living legend

ここに中古が出品されている。2枚組で80ドルだ。


一つのコンサートのライブ録画がアップされている。

1993年6月12日、ブエノスアイレスのテアトロ・アルヘンティノ・デ・ラプラタでのコンサートの録画だ。名前はすごいが、実際は相当チンケだ。ピアノもフルコンサートではないし、椅子ときたらそのへんの折りたたみ椅子だ。念のいったことには、椅子がフロアーを傷つけないようにボードが敷いてある。

以前の年譜で行くと、ロシアから亡命してイスラエルに行ったあと、現地のユダヤ人コミュニティーの引きでアルゼンチンに渡って演奏活動を始めているから、その最初の頃の演奏であろう。

何とも言えないが、どうも盗み撮りかもしれない。カメラは最初から最後まで1台だ。しかし場所は特等席で、画面も最初は揺れるが、途中からはしっかり固定される。三脚を立てている可能性が高い。

変な言い方だが公認の盗み撮りかもしれない。音質は最低だ。覚悟して欲しい。

おそらく最初の曲目がモーツァルトのきらきら星だ。始まってしばらくしても会場のざわつきは収まらない。その中で第なんとか変奏のところで、突然度肝を抜く腕前が披露される。

多分その後がフランクのコラール前奏曲だ。会場はざわついたままだがバックは集中していく。

スカルラッティのソナタはすごい。

演奏は最初は緊張気味でミスタッチも多い。しかしどんどん演奏が白熱してくる。それとともにざわついていた会場が、水を打ったように静まり返っていく。

バックは数曲のソナタを続けて演奏している。何番と言い当てるほどスカルラッティを聴き込んでいないが、すべて一度は耳にした有名職である。

バックのスカルラッティはまるでベートーヴェンのソナタのようだ。荒っぽいといえばそれまでだが、辛気臭さはどこにもない。

最後がスクリャービンか。鬼神の如き演奏だ。この曲はソ連時代のまともな録音が聴けるのだが、全然迫力が違う。「死んでもいい」くらいの気持ちで弾いている。

この演奏のコメント欄に身内と思しき人が書き込みしている。
Thank you so much for posting his works. I also have the tapes/dvd's of them.

So happy the world can now see.  My heart to you. B

My genius boy.

実はこの身内の人は同じ演奏を楽屋裏の方から撮影していた。そのもう一つの音源はさらにひどい。しかし演奏を終えたあとのバックの深い溜め息がなまなましく伝わってくる。

アンコール曲がシューマンのアラベスク。(ひょっとすると順番違っているかもしれない)


最後に今回探し当てた音源の一覧。前よりは増えていると思う。

bakk01
bakk02
こんな記事がありました。

GUILD FOR INTERNATIONAL PIANO COMPETITIONS

3 piano scholarships awarded

June 27, 2001

The Guild for International Piano Competitions has awarded its first three scholarships. Yoko Sata Kothari of Palm Beach Gardens received the “Kathleen McGowan Thousand Dollar Key.” Carl DiCasoli of Palm Beach Gardens received the “Lillian Abraham Thousand Dollar Key.” Gregg Taylor of Miami received the “Annette Megaro Thousand Dollar Key.”

The three namesakes are members of the guild.

The amount of each grant is decided by guild master pianist-in-residence Vladimir Bakk of West Palm Beach. Each scholarship entitles the recipient to 10 hours of coaching by Bakk.

“The financial value of the grant is $1,000, but its artistic value is priceless and could be life-altering,” guild president John Bryan said.


晩年を知る手がかりかもしれません。

「森友」問題の中間まとめ

ド迫力の小池質問があって、その後も議会での追及が続いている。一連の疑惑をどう呼ぶかで、いろいろな提案があったが、とりあえずは「森友問題」と いうことで落ち着いたようだ。森友というので最初は「森永の友」かとも思ったが、安倍妻の実家が関係しているわけではなさそうだ。

本日の赤旗3面に中間まとめ的な記事が載ったので、まずはお勉強。

「森友」問題 籠池氏ら招致は不可欠  疑惑次々 解明待ったなし

問題は3つの柱からなっている。

1.政治家の関与が強く疑われる 

2.売却手続きに不適正がある

3.首相夫妻の道義的責任は免れられない

ということで順番に説明。

1.政治家の関与が強く疑われる

鴻池文書で籠池側が政治家の関与を強く、かつ具体的に求めていたことが明らかになった。また政治家との交渉において金銭(札束 or 商品券)が介在していることは当事者が認めている。(普通これを賄賂という)

籠池側のシナリオに沿って事態が動いたことから、政治家の関与が間接的ながら強く疑われる。

安倍首相は「政治家の関与は一切ない」と断言したが、いまやその根拠が問われる。

財務省の佐川理財局長は、「政治家についての問い合わせがあったかといわれれば、そういう可能性もある」と答弁している。これは調査の上事実確認することがもとめられる。

2.売却手続きに不適正がある

A) 国有財産の処分は売却が基本だが、本件では賃貸契約となった。理由は森友側が賃借契約を希望したためとされる。しかしそれは例外が許された理由ではない。

B) 契約が完了し、工事が始まった。そして地下にゴミが見つかった。この時点で契約内容が変更になった。変更内容は賃借を取り消し、売却契約とするものだった。このときゴミ撤去費用が値引きされ、販売価格は当初価格の14%まで引き下げられた。

この問題B)については未解明な部分が多くふくまれている。納得の行く説明はなされていない。この因縁絡みの再契約について文書が残されていないというのも不可解である。

3.首相夫妻の道義的責任は免れられない

経過については詳らかにされていないが、まず昭恵夫人が籠池氏と深く関わっていた。第一安倍政権時代だったとすれば、すでに「私人」とはいえない。安倍氏が一旦退陣していた時期であったとすれば「私人」と扱われるのが妥当であろう(国会議員の妻ではあるが)

籠池氏は安倍首相本人に対して「安倍晋三記念小学校」の建設を持ち掛けた。安倍氏はこれを「断った」と国会答弁しているが、寄付金の申込用紙には「安倍晋三記念小学校」と記載されていた。本当に断ったのか、釈然としないままである。

昭恵夫人は「篭池氏の教育に対する熱き思いに感銘」を受け名誉校長に就任している。安倍首相は「強引な要請で断れなかった」と説明するが、昭恵夫人 の行動は能動的に籠池氏の事業に関わっているとしか考えられない。安倍首相自身も昭恵夫人から相談を受け承認しているはずである。

公人中の公人である安倍首相には「強引な要請で断れなかった」との説明は許されない。

4.それ以外の問題

他の野党やメディアの取材を通じて、以下の問題も浮上している。

A) 森友学園が、国の補助金対象の校舎と体育館の建築費で、大阪府と国側に異なる報告をしていた。

B) 愛知県内の中等教育学校と推薦入学枠の提供で合意がないのにあるとした

C) 雇用予定の教員名簿に別の学校で働く教員の名前を無断で掲載していた

これらについても合わせて追及していく。

土曜日の赤旗に、感動的なニュースが載った。

原発の町伊方町で町議選に76歳の遠藤もと子さんが立候補するというのだ。

遠藤さんは隣町の八幡浜市で市会議員を5期務めた現職議員。それが市議を任期途中で辞任して伊方町議会議員に立候補した。

伊方町では昨年8月、町長はじめ全町会議員 が再稼働を容認し、3号機が再稼働された。

「原発に反対する議員が一人もいない議会を変え、町民の声で政治を動かしたい」というのが立候補の動機。

「人生最後の力を振り絞って頑張ります」と立候補の挨拶をした。文字通り人生最後かもしれない。

伊方町には合併前の当時から、共産党の議席がありません。町議選をたたかうことも初めてです。

移住して活動を開始した遠藤さんは、拡声器をつけた軽自動車を自ら運転し、細長い佐田岬半島の隅々の集落を訪ねて訴えています。そして漁港に面して広がる小さな集落の入口などで宣伝を重ねています。町民と対話し、寄せられた意見はノートに書き留めています。

「原発をなくしたら町が寂れてしまう」と心配する男性にはこう応えます。「廃炉に向けた作業で雇用は確保されます。再生可能エネルギーへの転換が本格的になれば、新しい雇用が生まれます」と展望を示しています。

遠藤さんと対話し共感した元公務員の80代の男性は、「遠藤さんを絶対に勝たせないといけない」と入党しました。町で36年ぶりの新入党者です。遠藤さんを紹介する「伊方民報号外」の束を抱え、集落の一軒一軒に配り歩いています。

何か叱咤されているような気持ちになる。76歳ですよ、私より5つも上なんです。

私も今月いっぱいで職場を降りることにしたが、「それで終わりというわけにはいかないな」と感じています。

本日の赤旗「潮流」欄に面白い主張が紹介されていた。

以下引用

トランプ氏の政策は、以前アメリカの政治学者ハンチントンが論じた「文明の衝突」を思い起こさせます。しかし政治学者の河合秀和氏は「文明が衝突するわけがない。無知が衝突するのだ。これが戦争を起こす」と警告します。

なるほどその通りだ。

文明というのは、本質的に衝突を回避する知恵を持っている。ある意味で異文化の許容と交流の中から文明が生まれるともいえる。ただ文明がもたらす知恵は、必然的に知恵の個人差をもたらし、社会の一部に相対的な無知をもたらす。

「無知というのはアプリオリな概念ではなく、知恵の社会的結果としてもたらされる」ともいえる。最近流行りの「情報リテラシー」である。だから文明が発展するためには、絶えず相対的無知の底上げが必要になる。文明というのはそういう尺取虫型の発展をするものなのだろう。

そうはいっても、この無知は時として文明にとって致命的なものとなる危険がある。「文明そのものの衝突」に至ることさえある。我々はさまざまな闘いの場面で、教育の視点を失ってはならないと思う。


余談だが、「空があんなに青いのも、電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなわたしがわるいのよ。そしてあなたのせいなのよ」という落語()のギャグは、みずからの無知を根拠とする不当な言いがかりであるが、えらくしんどいことではあるが、「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも」、みんな理由があるということを説得するというのが教育の視点である。


余談の解説: 郵便ポストが赤いのは郵便制度は、明治時代にイギリスの制度を導入したとき、イギリスのポストが赤かったからだそうだ。ドイツは黄色、アメリカは青色なのだそうだ。(◎雑学 建物の雑学

昭和63年(1988年)10月2日の東京新聞にイギリスのポストが赤い理由がロンドンの郵便博物館館長スタン・ゴーロン氏の話として「近代の郵便制度がスタートしたころは、ポストも緑色だったのです。ところが、郊外では周囲が緑の中に埋もれて、分かりにくい。そこで1854年、目立つようにと赤色に変えたのです。」と記されています。Yahoo知恵袋より

世界の郵便ポストの色

なぜイギリスの郵便制度が採用されたのか。これは目下情報収集中。

さらに余談の余談。消防車がなぜ赤いのか。これも随分たくさんのQ&Aがあるが、どれも紋切り型だ。ひどいのは法律で決まっているからだとして、法律の制定過程や条文を長々と説明している。骨の髄からの「小役人」だ。

NAVERまとめに赤だけじゃない?世界の消防車いろいろというページがあって、たくさんの写真が楽しい。郵便ポストと違って、だいたいどこも赤のようだ。「なんたって火の色でしょう」ということが分かる。



ギガジンというサイトに
HTML5の標準を狙うGoogleの動画フォーマット「WebM」のこれまでまとめ
という記事があった。
2014年04月27日の記事で少々古いが、分かりやすい(それなりに)。
HTML4からHTML5へ
まずHTML5というのだが、これは「次世代のウェブフォーマットである」という。ということは現世代はHTML4ということなんだな。
そのHTML5で、動画基準規格となるのはH.264と言うものだそうだ。まぁ、言葉なんだから覚えていく他ない。このH.264というのは、いまのHTML4でも動画基準規格(MPEG4)となっているらしい。
「それで良いのか」と提起したのがグーグル社。たしかに一理ある。
MPEG4の対抗馬WebM
そこでグーグルが開発したのがWebMという形式だ。また新語が飛び出すので覚悟せよ。WebMはビデオコーデックにVP8/VP9、音声コーデックにVorbis、メディアコンテナにMatroskaを採用している。
いまのYou TubeではFlashやSilverlightなどのプラグインを使わなくてはならない。私が愛用するFirefoxはFlash嫌いで相性が悪いが、HTML5になるとFlashなしで済むらしい。
ところがそれで「めでたしめでたし」という訳にはいかない。プラグインは要らなくなるが、ビデオコーデックというのはやはり必要なのだそうだ。つまり他所の会社のプラグインは入れなくても良くなるが、その代わりに自前のコーデックを内蔵しなければならないそうで、ブラウザーの開発者にはお荷物が一つ増えることになる。
そのお荷物というのは、ぶっちゃけた話ライセンス料のことだ。
狙いはライセンス料をチャラにすること
現行のH.264規格にはソニー・東芝・日立・Samsung・Apple・MicrosoftなどのIT企業が保有する特許が含まれる。したがって使用するときにライセンス料が発生する。そのため、FirefoxやOperaなどウェブブラウザはH.264をサポートしていない。Firefoxがごちゃごちゃするのはこうことだったんだ。
話がずいぶん寄り道してしまったが、WebM開発の最大の目的はこのライセンス料をチャラにしようというところにある。
グーグルはビデオコーデックを開発していたOn2 Technologiesを買収し、そのコーデック“VP8”を無料で公開した。アップル、アマゾンと並ぶ脱税御三家のグーグルにしてはずいぶんとご親切な話である。
グーグルの挑戦
もちろんその目的は慈善事業ではなく、ライセンス料を逆手に取った市場の独占にあるわけだから、MPEG4(H.264)陣営が黙って見過ごすはずはない。
まずはコワモテで高飛車。「“VP8”はH.264の特許技術を含んでおり、特許侵害にあたる」として提訴する構えを見せた。もし訴訟が成立すると、WebMを利用する開発者・サービス提供者は潜在的リスクを侵さなければならない。そこでWebMの普及はいったん頓挫した。
要するに、VP8という画像コーデックで圧縮した映像ファイルとOgg Vorbisという音声コーデックで圧縮した音声ファイルを Matroskaというコンテナーアプリで一体化したのが、動画規格としてのWebMということになる。ただしせっかく購入したVP8コーデックだが、調べてみたらH.264の特許技術が紛れ込んでいて、それで苦戦しているということになる。
そこで次にグーグルがやったのが自社の動画サイトYouTubeの動画をすべてWebMフォーマットで提供したことだ。FirefoxやOperaなどの主要ブラウザもこれを支持した。私もこれで釣られたことになる。
要するに、VP8という画像コーデックで圧縮した映像ファイルとOgg Vorbisという音声コーデックで圧縮した音声ファイルを Matroskaというコンテナーアプリで一体化したのが、動画規格としてのWebMということになる。ただしせっかく購入したVP8コーデックだが、調べてみたらH.264の特許技術が紛れ込んでいて、それで苦戦しているということになる。
ただ本当の勝負はHTML5だ。それに向けてグーグルはすでに“VP9”を準備していると言う。
最後に記者の見通しが語られる。
高画質・高圧縮かつデコードの軽さなどの点でVP9がH.265を圧倒できれば、動画フォーマットがWebM一色になることもあながち夢ではありません。

You Tubeのダウンローダー絡みの話。
Download YouTube Videos as MP4がついにご臨終と書いたが、しぶとく行き帰った。
2月15日にニューバージョンになってからは、元通りサクサクとダウンロードしてくれる。「東京ローダー」は“ちょっと良さげなクレイビング・エクスプローラー” として命脈を保っている。
しかしいずれにしてもYou Tube側のガードが堅くなり、AACdで194KBのファイルは入手不能となってしまった。
そこで登場したのがWebMというファイル形式。
これはYouTube Video and Audio Downloaderという別のダウンロードソフトで落とすことができる。絵の方はどういうことやら分からないが、音はオグ・ボーヴィスで128KBで落とせるようだ。
HDで720KBで落とせるファイルであれば別にありがたみはないが、360KBのノーマルファイルだと、音声はAACで90代のものにしかならない。この辺の10か20かのちがいはけっこうあって、高音のひしゃげや強音の割れ、中音の伸びは聞いていて耳に辛いところがある。
幸いなことにWebMファイルはそのままFoobarで聞くことができる。いまは90KBでしか落とせなかったファイルをWebMで再ダウンして聴き比べている。
もちろんそれでも十分なのだが、できればこれをオグ・ボーヴィスのファイルに変更したいというのが目下の希望である。色々とファイル変換ソフトが紹介されているのだが、試用版だったりして使いにくい。
すこし調べてまた報告する。

あった。
Pazera Free Audio Extractor
という音声変換ソフトだ。基本的にはえこでこツールとおなじ働きをするが、入力形式にWebMが入っている。
やり方も同じで、絵柄は多少面倒だが、憶えればかんたんだ。
それで早速聴き比べてみた。
ニコラエーバの弾くリャードフの2つの前奏曲だ。最初はMPEG4で落としてえこデコで取り出したAACファイル。
可変ビットだが95から100kbのあいだ。元が盤起こしのようで、針音が入るのと膨らみのない音である。これをWebMファイルで聞くと、音に張りと厚みが出てくる。Vorbisの音でビット数は110から120の間を指している。
Vorbisは低ビットレートの音で効果が出るといわれていたが、まさにそれを実感する。
ところが剥ぎ取りソフトのPazeraにかけると、もうどうしようもない音飛びの連続だ。聞くに堪えない。サイズはAACが3600、oggが4200,これに対してwebmは16600にもなる。つまりPazeraがペケということだ。代わりが出てくるまではwebmで凌ぐしかなさそうだ。


リャードフのピアノ曲を聞いていて、モニーク・ダフィル(Monique Duphil)というピアニストに当たった。
作品11の1というポピュラー曲だが、思いっきりリズムを揺らしてロマンチックに弾いている。
他の演奏はないかとYou Tubeを探してみたが、まともな音質の演奏はない。そもそも作品11の1そのものが消えている。ラフマニノフの第二協奏曲のライブと言うか盗み撮りがアップされているが、子供は騒ぐはフラッシュを目の前でバチバチやらかすとか、とにかく拷問に近い状況でのパフォーマンスだ。
ダウンロードしておいてよかったなと思いつつ音源を探してみると、ナクソスで86年に出た「リャードフ名曲集」というCDの中の一曲だとわかった。
ナクソスのディスコグラフィーを見ると、彼女の音源はほぼこれだけ。あとはバイオリンソナタの伴奏が1枚。
絶版になっていなければ購入することとして、とりあえず紹介しておく。
フランス、ボルドーの生まれ。パリ音楽院でマルゲリート・ロンとジャン・ドワイアン、ジョセ・カルヴェに学ぶ。ピアノ部門の首席、室内楽で対象を獲得し卒業。
15歳で音楽院協会(Societe des Concerts du Conservatoire)のコンサートにデビュー。その後相次ぐ成功により、今までに5大陸50カ国で演奏を行っている。

これが若い時の写真。最近のものはあまり見ないほうが良いと思う。
ナクソスの紹介はあまりに簡潔なので、別の資料も紹介しておく。
1980年にアメリカ・デビュー。オーマンディ、シャルル・デュトワなどと共演している。現在では香港に本拠地を置き日本を含むアジア・オセアニアで活発な演奏活動を行っている(と書かれているが日本語の紹介ページはほぼ皆無)
年齢不詳なのだが、室内楽の共演者を見ると主たる活躍期間は1970年前後と思われる。いまは教育者としての活動が主のようで、92年からオハイオ州Oberlin College Conservatory of Musicの教授職にある。


ヤマト王権の成立に至る経過を5期に分けて考える

纏向古墳の発見に伴い、箸墓古墳とプレ箸墓古墳の性格付けが再び議論されるようになっている。

私は、古墳というのは残土処理に副産物くらいに考えている。古墳の大きさは灌漑工事の大きさを示しているにすぎないと思っている。

私には青銅器、鉄器(武器)があれば十分だ。それに灌漑施設の遺構だ。

弥生文明は青銅器時代であり、長江文明の流れをくむ銅鐸文化だ。鉄はない。

それらに先行する縄文人は、元来は青銅器もない。

1.縄文人の時代

大和・河内地方には縄文人(D系)が先住していた。数は少ないとはいえ漁労を中心に集団生活を営んでいた。

晩期縄文時代には半島からの移住者(C系)が入る。彼らは九州北部から瀬戸内海に拡散し、漁労を生業としつつも、海の民として半島と交流しプレ弥生文化を持ち込んだ。

2.弥生人の時代

半島南部に住んでいた長江人は北からの民族に押され九州に移住するようになる。

当初は、晩期縄文人に庇護されながら水稲耕作を拡大する。後には縄文人を数において圧倒するようになる。しかし敵対関係にはなく共生関係を形成した。

ここまではY染色体で説明できる。

文化では縄文文化を圧倒して青銅器文化=銅鐸文化が支配するようになる。

銅鐸文化は発生地である九州から東進するにつれ発達し、大型銅鐸が中国・近畿・東海へと広がった。

3.天孫人の時代

天孫人は満州南部に起源を持つ漢人系の民族である。次第に半島南部へと進出し、晩期縄文人系と長江人系の人々を圧迫し支配するようになった。

彼らはまた、楽浪に進出した漢帝国の軍勢に圧迫され、南方に新天地をもとめるようになった。

この内、小白山付近の「高天原」から一方(アマテラス系)は馬韓経由で九州北部へ進出し、他方(スサノオ系)は辰韓経由で山陰に進出した。

彼らは挙家移民ではなく軍事組織(最初は雇い兵、後に支配者)として日本に渡った。彼らは先住弥生人を排除せず、猟色の対象とした(ヤマトにおける大物主を、あるいは神武を見よ)

これもまたY染色体で説明できる。

4.スサノオ系の大和への進出

紀元前後、アマテラス系(天津神)が九州北部に倭王朝を形成した。そしてスサノオ系への圧力を強めた、スサノオ系(事代主あるいは大物主)は出雲を出て、備前→播磨を経由して、河内・大和→纏向に入った。

備前で大規模新田開発に当たったスサノオ系は、そのノウハウを活かし大和でも灌漑事業にあたった。

それは武力を持って弥生人(銅鐸人)を支配し、使役する形態であった。纏向から銅鐸圏各地の土器が発掘されるのはそのためであろう。

紀元200年から250年にかけて銅鐸が一挙に廃棄されるのも、天孫系信仰の押しつけの表れと見るべきであろう。

これらは考古学的に証明されている。

5.若狭系王朝の成立

纏向に始まり河内・大和を一大王国としたのは事代主を始祖とするスサノオ系であった。葛城と物部の連合といわれるが、纏向には別系統(事代主直系?)の権力があったのかもしれない。

350年ころに纏向王朝は滅び、纏向という「都市」は消滅した。おそらくこれに代わる形で崇神王朝が誕生したと思われる。

崇神王朝の出自が敦賀にあることが各種の史料から推測される。敦賀の勢力の由来は不明であるが、スサノオ系と言うよりは直接新羅からの渡来民であった可能性も否定できない。

敦賀系は尾張、伊勢、近江にも分布しており、崇神王朝最後の仲哀天皇の妻神功皇后も敦賀の出とされる。仲哀の息子も戦いに敗れ敦賀を指して逃走中に大津近くで殺されている。

6世紀に長期の混乱を収めた継体天皇も越前の出身であった。7世紀に東国の民に依拠して天皇家を滅亡させた天武天皇も越前系であった。

補)神武東征

もし実在したとすると、それは纏向王朝が登場する250年から350年の滅亡に至るまでの何処かである。

神武は大和・河内連合王国を征服はしたものの、その説話を除けばなにも形あるものは残していない。天津神系であるにも関わらず、天皇家公認の「古事記」や「日本書紀」は出雲神話の骨格が色濃く残されている。

欠史八代は、妻の出自を見ればわかるように、実体としては葛城政権である。河内の物部は長脛彦の死にも関わらず欠史八代を生き抜いて、最大軍閥に成長する。

要するに大和王朝は、表面だけは倭王朝に恭順しながら、その実はスサノオ系の伝統(隠れ新羅派)を守り抜いているのである。


どうですか、古墳など関係なしにヤマトの古代史は書けるんですよね。この辺は日本古代史の本よりイギリス古代史のほうがよほど参考になります。

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