鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2016年12月

北海道立図書館の中にある北方資料室がホームページを立ち上げており、その中に樺太観光交通鳥瞰図 [1935年] / 樺太庁, 1935 という写真が載せられている。
もちろん、そこに行って見てもらえば一番いいのだが、とりあえず紹介ということで転載させてもらう。
わずか40年だけ存在して、なくなってしまった地方。なくなってからもう70年も経ってしまっているのだが、そこにあった「日本」を思い浮かべるのは何かしらワクワクさせられる体験である。
樺太鳥瞰図01
ここが樺太の南端である。最上徳内や間宮林蔵たちはみな、稚内から小舟に乗って白主(しらぬし)に上陸した。そこからおそらくは小舟をあやつりながら北へ、北へと向かったのである。
樺太鳥瞰図02
やがて船が大きくなると、ただ近いというだけで何もない白主ではなく、大泊に本格的な基地を建設するようになった。夏の間だけの漁やアイヌとの取引の対象ではなく、通年居住するようになったのは明治に入ってからである。その時すでにロシアも大泊(コルサコフ)に進出していた。
最初の数年間の間にいくつかの施設が作られたが、千島・樺太交換条約によって日本人は引き揚げる。この時同時に樺太に先住していたアイヌも強制的に北海道に移住させられる。私の勤務先である江別に移住したアイヌ人の多くが慣れぬ生活に体を壊し、亡くなったと伝えられている
日露戦争後は一気に日本人移住者が増えた。稚内と大泊を結ぶ稚泊航路が開かれた。この鳥瞰図にも関西空港みたいな立派な出島が作られたようだ。稚内港の埠頭は今でも観光名所となっている。
樺太鳥瞰図03
樺太は行政的には色々変遷しており、この見取り図の頃は北海道と同様に県並みの扱いとなっていたようだ。その県庁所在地は大泊から少し内陸に入った豊原に増設された。おそらくは艦隊からの直接攻撃を避けるためではないかと思うが、真相は知らない。
札幌ほどではないが計画的に作られた町で、廳舎を中心に碁盤目の街路が形成され、背後の旭岳山麓には樺太神社が造営された。
戦後樺太を接収したソ連はこの街をユジノサハリンスクと名付け、在来施設をそのまま使用した。「濡れ手に粟のボロ儲け」だが、こういう不労所得は結局は役には立たないものである。
樺太鳥瞰図04
西海岸は山が迫って街を作るほどの土地はないのだが、対馬海流が流れるため比較的温暖で冬も凍らない港があリ、多少のスペースさえあれば街が発達した。本斗には稚内からの定期航路が走り、そこから北に鉄道が延びていった。中でも最大の街が眞岡で、最大時の人口は1万9千人を数えた。
行啓記念碑とあるのは大正年間に昭和天皇が摂政として訪れたことを意味する。札幌にも行啓通というのがあるから一連のものであろう。
映画「氷雪の門」(底意の感じられる後味の悪い映画)で有名になった電話交換手の集団自決事件はこの街を舞台としている。
樺太鳥瞰図05
豊原から北国境線までを鳥瞰したものである。向こう側の半島のくびれたところまで行って、間宮はこの先見通しないと判断して戻った。そして西海岸に出て間宮海峡へと向かった。いま思えば賢明な判断であった。
向こう岸の左端にあるのが敷香(しくか、しすか)の街である。人口は3万を越え軍事施設の他に王子製紙の工場もあった。この街を越えれば後は原野の北に国境線がある。昭和13年の正月、岡田嘉子と杉本良吉が国境線を越えたのもこの街を経由してからであった。(と思われる)
樺太鳥瞰図06
西海岸には最北端の街恵須取があった。エストルというと何かロシア語っぽいがアイヌ語である。ここにも王子製紙の工場があったほか炭鉱もあったことから人口は3万1千人に達し、敷香とならぶ大きな街であった。
しかし樺太西線はまだ到達しておらず、陸の孤島に近い状態であった。
もう少し資料を足していくつもりだが、とりあえず一旦これでアップロードすることにする。

2015年09月16日

2015年09月15日

九州の前方後円墳について書かれた論文を見つけました。実証的な研究で説得力があるのですが、残念ながら絶対年代について触れられていません。

様式的に10期くらいに分けて相対年代が提示されています。おそらくこれは近畿の古墳の時期分類だろうと思われ、間接的に紀元250年(箸塚古墳)から500年位の時期を想定しているものと思われます。

前方後円墳史観は近畿中心史観であり、邪馬台国畿内説と符節をあわせていると思われ、飲み込みにくいのですが、そこにふくまれている基礎的事実は受け入れざるを得ません。

「古墳様式だけが時代のメルクマールではないぞ」とつぶやきつつ、とりあえず受け止めておきたいと思います。


   九州地方における前方後円墳の分布

一墳丘の規模と内部構造・副葬品の時期別分布を中心にー

         出田和久

1。はじめに

古墳時代には日本列島の主要部にほぼ統一的に政治的影響力を有する大和王権が成立する。

そしてその影響力の及ぶ地域には前方後円墳という独特の形式を有する墳墓が多数造営された。

前方後円墳は墳墓の1形態であるが、この独特の形態を有する墳墓がほぼ本州から九州にまで広く認められることは、その背後に政治秩序の一元化が表されている。

と書いた上で、「石室(石槨)等の構造や棺の形態や材質、さらには副葬品等に地域の伝統や特色が反映されている」とみて地域別の特殊性を考察しようとする。

2。九州の古墳文化と地域性

 2-1.九州の古墳文化

 近年九州の各地域における発掘調査の進展により、各地域の特色をある程度明らかにすることが可能となった。

たとえば筑後川中流部には石室奥壁を中心に彩色の同心円文を描く古墳が多くみられ、菊池||中流域では彩色・彫刻ともに豊かな装飾古墳が集中し、八代海沿岸では彫刻による装飾が多く見られる。

このような地域にも密度に差はあるものの、畿内の政治勢力の浸透にともなって、前方後円墳が九州においても造営された。

豊前の周防灘沿岸から筑前の玄界灘沿岸にかけて古いものがみられる。その内部構造についてはそれぞれ箱式石棺、竪穴式石槨、粘土槨と様々である。

箱式石棺は九州の弥生時代以来の伝統的な葬法の影響を強く受けたものであり、竪穴式石掛や粘土槨は畿内型の古墳文化の影響が強いとされる。

3。九州における前方後円墳の時期別分布

 3-1.時期別分布と墳丘の規模

九州地方における前方後円墳lを時期別・規模別に見ると、1期の古墳は周防灘から玄界灘の九州北部沿岸か沿岸に程近いところに多くが分布する。

被葬者は周防灘沿岸の豊前地方に上陸し、大和王権の橋頭堡を築いた人物ではないかと考えられている。

前方後円墳の分布が拡大し、壱岐・対馬の島嶼部をはじめ九州北部では遠賀川流域や有明海南部の宇土半島基部及び島原半島、さらに南部の宮崎平野中部の西都原古墳群等におよぶ。

終期には前方後円墳の数が減少するとともに100mを超えるものが3基と少なくなる。

そして筑後の岩戸山古噴(墳長138m)が掉尾を飾る事となる。

 3-2.内部構造と内部主体

 3-3.副葬品

②馬具類と武器類  馬具類は50基から出土しており、北部九州に偏在している

国別に見ると筑前21基、肥前8基、肥後9基がおおい。大部分が後期古墳からの出土である。鉄剣、鉄刀には顕著な傾向は見られない。

4。おわりに

 前方後円墳の規模についてみると、中期にかけての大型化が認められ、その後規模の両極分化の傾向が現れ、最後には小規模化が顕著になる。このような動向は九州と近畿地方でほぼ並行している。

注より

広瀬和雄は「領域と軍事権と外交権とイデオロギー的共通性をもち、大和政権に運営された首長層の利益共同体を前方後円墳国家」と呼んでいる

以前(2014年12月09日)

という記事を書いている。以下抜粋すると

以前、大和・河内の古墳について調べたことがあって、300メートル以上というのが7つある。30傑の一番下がちょうど2割、200メートルだ。

それで、横罫に土地、縦罫に年代という風にして表を作ってみた。

奈良盆地北部

奈良盆地南部

河内・摂津

3,4世紀

★★★★★

★★★★★★

★★

5世紀

★★★★★★★

★★★

★★★★★★★★

6世紀


表を作ってみて気づくのは、箸墓以降古墳の中心だった奈良盆地南部(桜井近辺)が、紀元400年を境に凋落していることである。

これに代わるものとして河内が興隆する。墳墓の地をそう簡単には変えないという前提に建てば、纏向に続く盆地南部王朝は没落したと見る他ない。

もう一つは、西暦500年を境にして巨大古墳の築造がピタッと止まることである。奈良盆地の南北、河内のすべてが全滅するのである。(引用ここまで)


大和盆地の南西に蘇我氏とともに「飛鳥王朝」が成立するのはおよそ550年以降のことである。そこには断絶があるのである。

だから記紀的観点から言えば、前方後円墳など大和朝廷からすれば「関係ない」のだ。飛鳥王朝の前身となる継体天皇は、その頃はまだ淀川近辺をさまよっていたのである。

歴史書を見ると大規模な前方後円墳を作った勢力こそが全国制覇を成し遂げ、朝鮮半島南部まで進出し、大和朝廷へと成長していったみたいに書いてある。

時代区分も弥生時代→古墳時代→奈良時代となっていてあたかも連続しているかのように語られているが、考古学的事実から見ればそれは明らかな誤りではないか。

とすれば、我々は「銅鐸人」を想定したように「前方後円墳人」を想定して、その盛衰史を描き出さなくてはならないのではないだろうか。




これだけの文章をいちいちまとめていくのは大変なので、例によって年表形式を利用して、事項を整理していく。

2004年2月 最高裁、グレーゾーン金利が有効と認められる例外について「厳格に解釈すべきだ」との判断を示す。

金利の上限については、利息制限法(15〜20%)と出資法(29.2%)の2種類がある。貸金業法では20%以下だが、債務者が任意に支払うなら29%までの利息が可能であった。これがグレーゾーンである。

06年1月 最高裁、「明らかな強制だけでなく、事実上の強制があった場合も、上限を超えた分の利息の支払いは無効だ」とする判断。さらに過払い利息は過去10年に遡り返還請求が可能とする。

06年 新司法試験が導入。弁護士の合格者が大幅に増加し、失業弁護士が大量に出現。多くが過払い金案件に群がる。

この頃ホームロイヤーズ(現:弁護士法人MIRAIO)が登場。自己破産1件28万円という低価格を売りに,債務整理の「市場」に参入。事務職員を何十人も雇って、大量の事件処理を行わせるビジネスモデルを開発。

08年 日本貸金業協会、全国の業者が返還した過払い金は約1兆円に達したと発表。報酬金を20%とすると法曹界は2千億円を獲得したことになる。

09年7月 日弁連、債務整理事件の受任にあたっては、依頼者と直接面談することを義務化する指針を定める。

この他にも例えば、「過払い金のつまみ食い」などが現れた。依頼者の他の借金は無視して過払い金返還請求だけを行うやり口。

10年9月 業界大手の武富士が会社更生法の適用を申請。過払金の返還請求の急増で多くのサラ金の業績が悪化。

東京地裁では不当利得返還請求訴訟(過払金返還請求)が通常訴訟全体の半数を占める。

11年2月 日弁連、「債務整理事件処理の規律を定める規定」を制定。法曹界の自粛を促す。「つまみ食い」の禁止、個別面談義務、報酬の上限20%など。

12年11月 アディーレ法律事務所、過払い金回収案件が15万4219件、804億1781万円に達したとホームページ上で公表。報酬金を20%とすると160億円強の収入となる。

2016年 最高裁判決後10年を経て、過払い金返還請求バブルが終りを迎える。(筈ですが)

と、一通り経過を書きました。


まぁよくある話で、「悪徳」ではあるが、すれすれ違法とは言い切れないあたりで荒稼ぎしているようです。

一昔前は、医療でも儲け主義としか言いようのない、眉をひそめるような病院がゴロゴロしていましたから、弁護士だけを悪しざまに言うのも気が引けます。

ある記事では弁護士事務所を街場系とビジネス系に分けていましたが、いずれにしても本来の目的は債務者の救済にあるわけなので、過払い金返還にあるわけではありません。

その観点から見ると、債務者救済に親身になってくれる街場系の法律事務所にお願いするのが一番ではないでしょうか。

毎日通勤の車でラジオを流している。ほとんどが無駄話だが、その分、運転が疎かになることもないのでやめられない。

しかし、最近の法律事務所のCMには辟易する。ある種の貧困ビジネスなのだろうが、一体なぜこんなに流行るのか気になる。

いくつもの事務所がこれだけの宣伝コストを掛けて、かつ儲かっているのだからかなり割のいいビジネスなのだろう。しかし債務者=貧困者を相手にこれだけ儲けるということに、どうも胡散臭さを感ぜずにはいられない。

そこで「法律事務所 債務整理 ビジネス」のキーワードでグーグル検索してみた。山のように法律事務所のサイトが引っかかってくるが、それに混じって法律事務所に対する疑問を呈するページもかなりの量に達する。

一応挙げてみると

有名弁護士事務所まで非弁提携で市民を食い物に! | ビジネスジャーナル

債務整理事件の「市場」で起きていること - 黒猫のつぶやき

1億円以上の年収を得た弁護士が続出した、過払い金返還バブルをまとめ ...

過払い金のつまみ食いって何? - 教えて!債務整理

自己破産ビジネスの横行 “法の庭”徒然草 頼れる弁護士 白川勝彦の 白川 ...

よくある質問|依頼した弁護士・司法書士とのトラブル・セカンドオピニオン ...

債務整理のお話し(3)~弁護士とコマーシャル 法律事務所にテレビCMは ...

「債務整理ビジネスで増加する“違法弁護士”の実態(後編) 」 - livedoor Blog

という具合。少し小当りしてみるか。

その前に、幸いなことに債務で悩んだことがないので、債務整理という概念がさっぱりわからない。

そこで下記のページでお勉強。

北海道合同法律事務所(札幌) || 任意整理Q&A

11項目のQ&Aが載せられているが、まあ、「読めば分かる」と言えば分かるし、分からないといえば分からない。

Q0: 任意整理とはなんですか

答え 任意整理は、利息制限法を上回る金利で借りた人が、過払い利息を元本に組み入れて債務額を減らす手続です。

要は借金(違法金利分)の減額ですね。

Q1: 任意整理を弁護士に依頼する場合には、何に注意したらいいですか。

答え 全ての借金について正直に話すことが大切です。

そうでしょうね。

Q3: 任意整理の対象とならない債務もあるのでしょうか。

任意整理の対象となるのは、銀行やクレジット会社、サラ金、商工ローン等からの借り入れです。住宅ローンや自動車ローンは任意整理の対象とはなりません。

基本的には「住宅や自動車は売れ」ということでしょうね。

Q4: ヤミ金から借り入れてしまいましたが、その場合も相談に乗ってもらえますか。

答え 出資法に違反する高金利で貸付をするいわゆる「ヤミ金」から借り入れてしまった場合、弁護士が介入すれば早期解決につながります。 この場合にも正直にお話しください。

相談には乗るが、それは「任意整理」(利息制限法)とは別の話(出資法違反)ということになる。

Q7: 弁護士に任意整理を依頼した後も、債権者(貸主)に返済を続けなくてはいけないのですか。

答え 弁護士に任意整理を依頼した後は、債権者に返済する必要はありません。弁護士が債権者に「受任通知」を送ると、債権者は直接請求をすることができなくなります。

それだけでも有り難いことです。

Q9:    銀行のカードローンなどは、任意整理をしても意味がないのでしょうか。

答え 金利が利息制限法の範囲内であれば、債務額があまり減らず、任意整理のメリットが十分にない場合もあります。残債務額によっては、「個人再生」を利用した方が適している場合もあります。

個人再生というのは良く分からないが、いわゆる「自己破産」のことか。

合同法律事務所のサイトには「任意整理」、「個人再生」、「自己破産」の3つが並べられている。良く分からないが「個人再生」というのは“隠れ自己破産”みたいな感じらしい。

Q10:   任意整理で、「逆にお金が返ってきた」という話は本当でしょうか。

取引期間が長い場合には、制限利息と過払い利息の差が元本を超える場合もありえます。この超えた部分が「過払い金」と呼ばれるものです。

過払い金があったとき、弁護士は債権者(貸主)と交渉をして返還を請求します。回収した過払い金は、他の債務や弁護士費用の支払いに充てますが、それでも余りが出た場合には、依頼者の方にお返しします。

これがCMでおなじみの「逆にお金が返ってきた」という宣伝だが、この説明を聞くと、宝くじ並みの確率のようだ。

ということで、まずは仕組みについてあらあら分かった。次に、それで法律事務所が儲かる仕組み。前掲の記事にあたっていくことにする。

先日の新潟県知事選挙についての関係者鼎談は、きわめて面白いものであったが、紙面の性格上あまり舞台裏に触れたものではなかった。

運動層が泉田から米山へと流れたのか、それとも新たな支持層が開拓されたのか

原発を最大の争点として掲げるという判断がどうして決められたのか(米山候補は元来は反原発派ではなかった)

泉田擁立断念から米山担ぎ出しの動き、その仕掛け人は誰だったのか


POST というサイト(元”SEALDs POST”)に

という記事があった。「新潟に新しいリーダーを作る会」の共同代表である磯貝じゅんこさんによるコラムである。


磯貝さんは初めて関わる参院選挙で街宣カーの上に乗り、時には候補者の代わりとなって演説する。時には政党間の接着剤の役目を果たした。

参院選後、現職の泉田知事を応援すべく磯貝さんら市民が「おむすびの会」を立ち上げた。ところが泉田知事が撤退すると発表したことに衝撃を受けた。

県知事選挙の「対立候補」(泉田後継候補)擁立へ直接関わった政党は、7月の参院選にて共闘した政党のうち、社民・共産・せいかつ(自由)の3党と、新社会・みどり・市民でした。

民進や連合についてはそれぞれの事情もあるものと考え、悪いイメージを持つことなく、いつでも受け入れる構えでした。

いろんな人の名前が出ては消えた中、民進党を離党して米山隆一さんが立候補への覚悟を決めてくださいました。

私たちは、選挙戦へとのぞむこととなりました。まず「泉田知事の路線を継承する」という政策を掲げました。

市民運動サイドは、「新潟に新しいリーダーを誕生させる会」を選挙母体とし、市民の会が勝手連となって動くことになりました。

原発再稼働の争点が(急激に)明らかになっていきました。そのなかで、生活に関する政策を訴えることの重要性も感じていきました。「米山県政には明るい希望がある」ということを個々に広げていきました。

「新潟柏崎刈羽原発の再稼働問題」、そして「泉田知事の県政を継承する」というかたちで、争点が明確になりました。

今までの泉田県政を支持していた県民は不安を感じていましたが、(その不安は)一気に希望とへ変わりました。

立地企業を抱えながらも、経済と自分の故郷を天秤にかけた時に何を優先したいのか。立地県である新潟であるからこその結果であったと思います。

ということで、市民の側の論理は「反原発まずありき」ではなかったということが分かる。
そこには「泉田県政の継承」という論理がはさまれている。
ここに注目しなければならない。
おそらく市民運動家の目には、泉田前知事が不条理な形で降ろされたことへの怒りがまずある。なぜ降ろされたか、それは明らかに原発推進勢力の陰謀だ。
だから再稼働反対は、金権で政治を動かそうとするものとの対決のスローガンでもあり、東京の支配に対する地方の自治のスローガンでもあった。
だから、おそらく他の県ではとかく浮き勝ちな「再稼働反対」のスローガンが、新潟では県民の心にすっと入っていたのだろう。沖縄で「米軍基地撤去」のスローガンがオール沖縄の声になるのと同じだ。
同時にこのスローガンで闘うことは、新潟県知事選挙を全国区にしてしまう効果も持つ。だから、連合新潟の思惑を押し切る形で民進党の中央幹部が乗り込んだし、米山派に追い風が吹いたのであろう。
すなわち、「泉田県政の継承」ではなく「再稼働反対」のスローガンを押し出したことが情勢にジャストフィットしたのである。同時にそれが「泉田県政の継承」であるが故に、「原発だけではない」攻撃を有効に切り替えしたのでろう。逆に自公・東電・連合側には泉田県政を乗り越えるだけの政策がないから、「原発だけではない」攻撃は結局、「原発だけ」を狙いとする彼らの本音が明らかになるだけの結果となったと思われる。
「原発反対」と嘘をつき、あげくに最終盤の「県庁赤旗」攻撃の法定ビラは、彼らの無残な政策的・思想的崩壊を天下に晒す結果となった。

なお阿修羅では、悔しさいっぱいの新潟日報の記事が心ゆくまで見れます。新潟日報のサイトではひた隠しにされているお宝記事です。

心がなごむことこの上なしの文章です。


本日の赤旗一面はあまりニュースがなかったのか、「政治考 安倍政権4年」という解説記事。
見出しは「自公・補完勢力追い詰める 野党と市民の協力」というもの。中身は市民連合が1周年を機に開催したシンポジウムの紹介だ。
この中で鹿野文永さんという方の談話が紹介されていて、大変興味深い。鹿野さんは元宮城県町村会長という肩書だから、本籍は保守系の方だろうと思う。
この1年、市民革命的な動きの中で、3つの革命が進んでいる。
一つは、市民の側が政党を動かす180度の転換という意味での政治革命
さらに、「共産党嫌い」の風潮が少なくなり、共産党への親近感が生まれる思想革命
そして選挙も従来の政党組織、後援会、労組中心から自発的な市民の動きが進む、組織革命も始まった。
この流れは大きく逆戻りすることはない
とくに第二のポイントについては、「なるほど、そういう見方もできるのか」と感心しました。まぁ過去の経験から言えば、それほど簡単なものではないとも思うが…

今はもう10時。そろそろまとめに入ろう。

46億年前、太陽とともに地球ができた。最初は火の玉で、とても生命が存在する余地はない。

しかし意外と生命が誕生するのは早い。40億年前には生命の3条件を満たす最初の生命体が誕生した可能性がある。

最初はほとんど酸素がなく、嫌気性代謝を営んでいた。

「共通の祖先」が古細胞と真性細菌に分かれたのは比較的早期とされる。いずれも嫌気性代謝である。

時代を画するものとしてシアノバクテリアが登場した。シアノバクテリアは原核生物でありながら葉緑体(チラコイド)を内包することに成功し、糖(炭化水素)を合成する光合成を営んだ。


 シアノバクテリアが葉緑体そのものだという意見があるが、目下のところ承服し難い。葉緑体そのものが明反応装置(を持つ生命体)と暗反応装置(を持つ生命体)との合体であるとされ、さらなる検討が必要であろう。そして現在の生物と共通するエムデン・マイヤーホフ型の解糖経路でエネルギーを産生した。

その起源は、化石の吟味次第で動揺するが、遅くとも30億年前には活発な活動を開始していた。

彼らは大陸の渚を取り巻くように生育し、地球の酸素量を一気に増やし炭酸ガスを減らした。それは他の生物を酸素毒により死に追いやり、地表の温度を低下させ、オゾンの生成により紫外線量を減らした。

さらに悪いことに、生成される酸素の受け手となっていた地上の還元鉄がほぼ完全に酸化され、酸素の受け手がなくなってしまった。

このままではシアノバクテリアを含めた地球上の生命が死滅するかと思われたとき、真核生物が登場した。20億年前のことである。

真核生物の最大の意義は細胞内のコンパートメント化である。これにより細胞内での他生命との共生が可能となり、みずからをサイボーグ化することに成功した。

最小限確実な異種生命はミトコンドリアと葉緑体であり、ほかについてはさらなる検討が必要であろう。

もっとも重要なことはミトコンドリアの導入であり、これにより極めて効率の良い内燃機関を手に入れたことである。ミトコンドリアの原基はα-プロテオバクテリアという細菌だとされている。

真核生物はシアノバクテリアの作り出す酸素を利用しエネルギーを産生し、炭酸ガスを排出するようになった。

この結果地球上における酸素と炭酸ガスの動的平衡が保たれるようになり、安定した生物環境が創出された。


 真核生物は古細胞から分化発展したとされる。これはRNA解析によるものであり、説得力のある見解ではあるが、他の研究方法によって追認・確立されたとは言い切れない。


その後真核生物のあるもの(植物)はみずから葉緑体のコンパートメント化に成功し、みずから光合成を行うようになった。

そうすると再び酸素の過負荷状態が出現することになるが、そのときにひたすら酸素を消費し炭酸ガスを排出するだけの存在、動物が一気に繁殖することになる。

最近の環境論者の意見に引きずられて、つい酸素=善、炭酸ガス=悪との見解を抱きがちであるが、生命史的にはむしろ逆の見方のほうが適切かもしれない。

動物は酸素を減少させ、炭酸ガスを生成する点において善である。しかも栄養的には植物に対して従属的であるから、動的バランスを越えて増えることはありえない。(はずである)

しかも自ら作った食物連鎖において個体数を自己調節している。実に可愛い存在である。

しかしこの自己調節過程は、人間という特殊な動物の出現によって崩れ始めている。

時々、世界大戦とか民族浄化とかいうナンセンスな集団的自殺行為を繰り返すことによって人口を調節してはいるが、それでも有史以来の人口の増加は凄まじい。

さらに動的バランスを越えた炭酸ガスの異常産生は、もはや植物やシアノバクテリアの酸素産生能力をもってしても追いつかないほどのレベルに達している。

ただし、炭酸ガス産生の増加に比して炭酸ガス分圧の上昇が著名でないこと、酸素が明確な減少傾向にないことは、植物や地衣類の光合成も高まっていることを示唆している可能性がある。

以前、中国の農業問題を勉強したとき感じたのであるが、農業の生産性は生産刺激さえあれば幾何級数的に上昇する可能性があるのだ。そしてその可能性こそが農村の貧困をもたらしているのだ。

農村が苦慮しているのは干ばつよりも雑草であり、漁民が苦慮しているのは乱獲ではなく海水の富栄養化である。

藍藻なくして動物なし


前の記事で、(真核化とミトコンドリア取り込みの順は逆かもしれない)と書いたが、よく考えてみると逆だろう。

真核細胞したからこそ、安んじてミトコンドリアも葉緑体も迎え入れることができたのだろう。

そうでなければ、これらは異物として排撃されるか消化されるかしてしまっただろう。

生化学で見ればたしかにいろいろな代謝経路はあるだろうが、マクロに見れば細胞というのは外部のものを取り込み、消化し、異化していくことで生命を保っているのだから、免疫もへったくれもない。

さびれた田舎の村が観光で村おこしして賑わいを取り戻そうとすれば、まずはそれなりの受け入れ体制を作らなければならない。

それにはまずインフラだ。宿泊施設を作って、街の人が不愉快な思いをしないように安全な居場所を確保しなくてはいけない。

それにはリゾチームが襲わないような居住地区を確保する。同時に細胞質内に浮遊していた原核を核膜で包んで、変な外人テロリストに襲われないようにしなければならない。

庇を貸して母屋を取られては元も子もない。日本の田舎の人はみんな気がいいから、東京資本に全部乗っ取られてしまった。


それではシアノバクテリアの場合、細胞内小器官のような隔壁なしにいかにして葉緑体との合体が可能だったのか、いろいろな説があるようだが、一言で言えば奇跡としか言いようがないのだ。

40億年の間にただ一度の奇跡が起こったのだ、としておこう。

それに比べれば、真核生物の場合、葉緑体の受け入れは法則的だ。おそらくはミトコンドリアを受け入れたのと同じ方法で葉緑体を受け入れたのであろう。とすればこの2つの他にもいろいろな機能を持つ生命体を受け容れた可能性はある。

進化した生命体の細胞には実にさまざまな細胞内小器官がある。それらの多くがフリーエージェントで入団してきたとしても不思議ではない。

そういう発展の仕方もあるのである。

やっていてふと思いついたのだが、ミトコンドリアの導入に基づくTCA回路の獲得は、古細菌のシアノバクテリアへの逆襲ではないかということだ。
その昔、35億年くらい前のこと、真正細菌と古細菌は覇権を争っていた。
ところがある日、真正細菌は光合成装置を獲得した。
光によって炭酸ガスから炭水化物の合成に成功し、これを解糖することでエネルギーを獲得するという代謝経路が出来上がった。炭酸ガスは当時地球に溢れかえっていたから、増殖の資源は無尽蔵だ。これで一気に生物界の覇権を握る。
これに対し、メタン菌などの嫌気性代謝を営む古細菌は数の上で劣勢に追い込まれる。さらに酸素を嫌う古細菌は増え続ける酸素の中でバッタバッタと討ち死にしていった。(酸素が毒だというのは経験上からも分かる。むかし植物状態で人工呼吸していたヒトの病理解剖を行ったとき、脳がどろどろに溶けていた)
もはやこれまでかと思われたとき、思いもかけぬ救いの手が差し伸べられる。それがミトコンドリアだ。酸素利用型燃焼装置はエムデン・マイヤーホフ型装置に比べ10倍以上の効率を持っている。
燃料となる酸素はシアノバクテリアがバンバン作ってくれる。かつて古細菌にとって毒ガスだった酸素が救いの神になる。
古細菌と真正細菌とのこの新たな関係は、ある意味でウィン・ウィンのところがある。シアノバクテリアはエネルギーの獲得にあたって酸素を消費し炭酸ガスを産生する。しかし代謝にあたっては嫌気性代謝(ピルビン酸生成の直前に多少の酸素を消費する)のままである。好気性代謝を営む古細菌の登場は、炭酸ガス→酸素という一方通行に陥っていた真正細菌にとっても歓迎するところであった。
かくして酸素対二酸化炭素の動的バランスが成立し、ミトコンドリアを獲得した古細菌は真核生物へとモデルチェンジし、動植物界の祖先となっていく。(真核化とミトコンドリア取り込みの順は逆かもしれない)
という筋書きは成り立たないだろうか。
ただし、その後真核生物の一部は光合成装置を体内に取り込み、みずから光合成を営むようになった。この結果、真性細菌は生物界の主役を奪われ、辺縁的・寄生的存在に貶められていくことになる。

本日はシアノバクテリア三昧

何かだんだん浮世離れしてくるなぁ

最初はKen Kanazawa さんの「アメリカ大自然」というページ。シアノバクテリアの本質をものすごく的確にとらえていて、短いけれども大変わかりやすい説明である。

シアノバクテリアの生態

シアノバクテリアは、藍藻の仲間で国立公園に数多く存在する。プランクトンとして、バイオマットをつくって、比較的身近に見られる生物。

スライム状になって砂の表面に付き、バイオマットを形成する。水流で簡単に吹き飛ばせますがすぐ元の位置に現れる。

藍藻というから藍色かと思うが、見かけは赤茶色である。

植物プランクトンで、窒素、光、リンが栄養源ですが、鉄イオンが多いと大繁殖する。

シアノバクテリアのえらいところ

シアノバクテリアは細胞核を持たない植物で、地球の歴史上、光合成による酸素を生産した最初の生物である。

真核細胞の出現までの15~20億年間、酸素を生み出し、地球表層を酸化し、現在も生きているのです。シアノバクテリアが居なかったら、今の我々人類は存在して居ない。

シアノバクテリアとストロマトライト

シアノバクテリアが作るバイオマットに細粒の石灰質の粒子がとらえられ、マットの部分が層状に積み重なってできたのがストロマトライトです。

約35億年前の地層に初めてあらわれ、その後さまざまな時代の地層から見つかっています。

生物の化石では無いが、生物がつくった構造という点で、化石の一種(生痕化石)として扱われます。

というわけで、ついでに写真も拝借する。ユタ州の砂漠で見つけたものらしい。サボテンの周りのモコモコとしたのがシアノバクテリア。全体としての印象は茶褐色だが、よく見るとわずかに緑がかっているみたいだ。


次は千葉大理学部の竹内教室のサイト。雪氷生物の研究に特化した奇特なグループだ。その中の「シアノバクテリア」というページ。

シアノバクテリアは,昔は「藍藻」とよばれ,藍色をした藻のなかまです.普通に池や水たまりなどにみられる微生物です.どこにでもいるこのシアノバクテリア,しかしその正体はとても不思議な生物です.

シアノバクテリアは藻類の仲間といわれてきましたが,今では真核生物の他の藻類とは違うということがわかりました。

シアノバクテリアの本態は細胞内に核がない原核生物、すなわち細菌(バクテリア)です.

バクテリアの仲間といっても,他のバクテリアとちがって葉緑素(クロロフィル)をもち光合成をすることができます.

シアノバクテリアは,数十億年前から浅瀬に珊瑚礁のようなコロニーをつくり,大繁殖していました.それがストロマトライトとよばれる化石によって確かめられています.

シアノバクテリアは光合成によって少しずつ酸素を大気に排出し,現在の大気を作り上げました.

これもわかりやすく中身の詰まった名文だ。

次の文章も面白い。

以前、火星から飛んできた隕石の中にシアノバクテリアの化石のような構造がみつかりました.残念ながら,現在はそれはシアノバクテリアではなく物理的作用でできたものとと考えられています.

ということで、これも古生物スキャンダルの一幕。


次はYahoo知恵袋から

「海水水槽のシノアバクテリアについて」の質問に対するuvcoralさんの回答。

シアノバクテリアはとても原始的な生物で、細かな種類は違えど、どんな水槽にも必ずいます。

シアノが大繁殖するスイッチですが、一番よくあるパターンは、水槽のリン酸カルシウムが急に増えた場合です。

リン酸はカルシウムと結合しやすく、水中のカルシウムと結合し底砂や濾材の奥に沈みます。

リン酸カルシウムの細かい粒子で、底砂や濾材の奥が詰まってきますと、嫌気性バクテリアが活動を始めます。

嫌気性バクテリアはリン酸カルシウムを分解して再びリン酸に戻すので、リン酸量が急増してしまい、シアノの大増殖に繋がります。

私の場合ですが、水流を強く当てたり、オキシドールで落としたりの対応をしていたのですが…オキシドールで落としても、数日で復活するしぶとさでした。

そこで、ZEObakというバクテリア剤を入れてみたところ、効きました(笑) 環境の改善が一番先で、それでも治まらない時に薬品やバクテリア剤…です。

ということで、かなりしぶといようである。そうでなければ30億年も生きのぶることはできないだろう。

本日は道立図書館に顔を出してきた。

むかしは図書館といえば高校生に占領されていて、自習室みたいな雰囲気だったが、最近は様相が異なっていて、濡れ落ち葉族のたまりみたいになっている。

午後からは客層が変わってくるのかもせいれないが、開館から数時間はジジイの天下だ。

開架の本棚はブックオフと代り映えしないような本が並んでいる。

それで今回の目的は古細菌とか共通祖先の話辺りだったが、得られた知識は多くない。

しかし、古生物研究の舞台裏はかなりわかった。

古細菌にせよ共通祖先にせよ、結局化石を見つけなければ実証はできない。

化石を見つけてそれが40億年前の生物だというためには、2つの条件がある。

まずそれが生物化石であることの証明だ。これがけっこうウソだったりする。ちょっと前に横行した旧石器遺物みたいなものだ。

そうすると「権威」だったり押しが強かったりする人間が横行することになる。「世紀のスキャンダル」みたいな事件が往々にして発生する。

そのたびに最初の生命の出現時期が数億年のレベルでさかのぼったり、繰り下がったりするのである。

もう一つの条件は、その「化石」が発見された地層が30億年とか40億年前の地層であることが確認されることである。

しかし45億年前に地球ができて、地殻が形成されるまでには5億年かかったと言われているから、その頃の地層などはおおかた溶け去るか侵食されるかして消滅している。

話によると、西オーストラリア、グリーンランドにかろうじて発見できるらしい。だから研究者は皆そこいらへんで石を叩いて古生物の痕跡を探し求めているのである。

したがって、結論はこういうことである。

研究者の仮説はそれなりに忖度した上で受け入れていくことになるが、ガチガチの生命はシアノバクテリアで十分であり、その起源も30億年を遡って議論する必要はないということだ。

もちろんメタン菌として、あるいは深海に現生する古細菌の素材は確認されており、それがシアノバクテリアよりはるか昔に細菌類と分岐していることは間違いないのだから、理論的にはそれより以前に共通祖先がいたことも確実と見て良いだろう。

しかし、我々が我々につながる生命の系統を探ろうという場合、実体的にはシアノバクテリア辺りから出発すれば十分なのである。

だから我々としてはシアノバクテリアとそのライバルたちをよく勉強し、そこで原始生命がこのレベルでいかなる水準に達していたかを確認できれば十分なのである。

ワタシが以前書いた記事で

がだいぶ読まれているようだ。
実は大した記事ではない。誰かのレポートをまとめただけのものだ。ただこの記事以外にも10本くらい記事を書いているので、書いた順にまとめて読んでいただけるとありがたい。最初の方とあとの方では認識レベルが違っているので、あとの記事のほうが正確だ。
言いたいのはFATCAとかCRSの具体的内容なのではなく、租税回避(BEPS)が諸国家の破壊行為であり、このまま進めば世界が崩壊しかねない危険な動きなのだということの認識だ。
そしてそれと対決していく決定的な方途としてはFATCAとかCRSの方向しかないということだ。FATCAは結局は米国本位のシステムであり、場合によっては悪用される危険すらある。しかしFATCAがCRSを産んだということは押さえておかなければならない。
一方でそのような経過も踏まえ、他方で依然として死んだわけではない「金融取引税」(トービン税)も踏まえつつ、グローバル社会の生き残りを目指すこの動きを重視していかなければならないと思う。
しかるに、日本国内では(少なくともネット社会レベルでは)、この動きを世界経済の重要な動きとして捉えようという動きはほとんど見られない。
英語でFATCAとかCRSを取り扱う文献が山ほど出現していることと考え合わせると、日本におけるこの無関心ぶりには唖然とする。
私ごとき素人が偉そうなことを言える立場にはないことは重々承知しているが、グーグル検索で私の書いた記事が上位に登場するような事態はできるだけ早く解消していただきたいものである。

なぜこんな原始生命体のところまで迷い込んだかというと、勢いというか、事のついでである。

シアノバクテリア(藍藻)を勉強した時点で、基本的に目標は達していた。

生物論をはじめたときに、最初から大独断をぶち上げた。

植物なくして動物なし

という「テーゼ」である。

つまりまずは自立栄養でやれる集団がたくさん発生して、そこから従属栄養の動物が発生してくるという発想である。

従属栄養生物である動物は、植物をもとめて移動しなければならないという宿命を背負って登場してくる。

だから動物は発生の当初から神経系と運動系の器官を持っていた。そして特定の器官というわけではないが、主体性というか自己責任をもとめられた。

ついで、動物の中にも食物連鎖が発生する。おそらくそれは縄張り争いが起源で、それが縦関係に変化発展したのだろうと思う。

いずれにしても弱肉強食関係が出現したわけで、そこを生き抜くために動物は第二段階の能力を身に着けなければならない。

それは自分より弱い相手を捕まえ食べる能力と、自分より強い相手から逃れる能力である。

かくして神経系と運動系は感覚系・反射系も具備する形で強化される。

ただこれらの個別的努力だけでは、所詮身を守ることはできない。ここで第三段階の能力が発現する。

これを一つのものにまとめることは難しいが、大型化、多産化、そして集団化である。大型化には多細胞化もふくまれるかもしれない。

これらの獲得された能力が動物の特定の種の発展や衰退を条件付けている。

こういう大枠の中で神経系の発達も捕らえていかなければならない。これが「植物なくして動物なし」というドグマの発展形である。

ずいぶん前書きが長くなってしまったが、そもそも植物の繁栄が動物の繁栄を準備したという歴史的事実がなければ、以上の話はただの大風呂敷である。

はたして生物界の歴史にそのような事実があったのかというと確たる証拠はない。

とすれば単細胞生物・細菌の世界までさかのぼってそのような事実は確認できないだろうかというのが、古生代前の勉強を始めたきっかけであった。

そしてそれはシアノバクテリアの発見で一つの落とし所となったと思える。

2つの事実がある。

一つは単細胞の細菌とはいえ、光合成装置を備え、「植物」的な働きをする生物だということである。

もう一つは30億年前以降、大繁殖を遂げて、地球上の酸素を一気に増やすほどの活躍を行ったことである。

だから「植物なくして動物なし」はこう言い換えたほうが良いのかもしれない。

藍藻なくして動物なし

共通祖先というのは、概念的には全生物の祖先ということであるが、実際には古細菌と真正細菌の共通祖先のことである。

最終普遍共通祖先(Last Universal Common Ancestor)と呼ばれることもある。日本ではコモノートと呼ぶグループもある。

古細菌が遺伝学的にジャンルとして確立したことから、「どこかでその根っこがつながっているだろう」というのは誰でも考えることであるが、方法が未確立であることから今のところは推論に止まっている。

ウィキによれば、共通祖先の特徴として研究者の間でコンセンサスとなっているのが以下の諸点である。

    好熱菌である

    ゲノムサイズは小さい

    遺伝子数は少ない

まぁ、雲をつかむような話である。

えらくあっさりとした結末になったが、共通祖先の話は終わり。

すみません。うろ覚えでやっているとボロが出そうなので、共通祖先に行く前に一度解糖系のおさらいをしておきます。

1.解糖系の定義

解糖系(Glycolysis): グルコースをピルビン酸(有機酸)に分解する過程。

ピルビン酸がATPになっていく過程(TCA回路)は、解糖系にはふくまれない。反応の場も異なっており、解糖が細胞質内で行われるのに対し、TCA回路はミトコンドリア内で営まれる。

ほとんど全ての生物が解糖系を持っており、もっとも原始的な代謝系とされている。TCA回路に比べATP産生効率は低いが、産生速度は100倍に達する。

このため激しい運動時にはTCA回路の処理能力を越えてピルビン酸が産生され、順番待ちになる。このピルビン酸は乳酸(還元型)として保存されることになる。

2.解糖系の経路

ほとんどがエムデン-マイヤーホフ(EM)経路であり、他は覚えなくてもよい。古細菌では不完全形が見られる。

10種類の酵素による10段階の化学変化の連鎖となっている。最終産物はピルビン酸となる。

この過程でグルコース1分子から4分子のATPが産生されるが、ADP2分子が消費されるため、差し引き2分子が獲得される。

古細菌でもほぼ同様の経路をとるが、一部バイパスされるらしい。

3.解糖の過程

A 準備期

10段階のうち最初の5段階が相当する。

グルコースはATP2分子の働きを受け、グリセルアルデヒド 3-リン酸へと変化する。

B 報酬期

後半の5段階ではグリセルアルデヒド 3-リン酸がピルビン酸へと変化していく過程であり、その中で4分子のATPが放出される。

NADの話は面倒なのでパス。(TCA回路では必須)

C 発酵

発生学的にはもともと嫌気性解糖であり、発酵と同じ原理である。

産生されたピルビン酸は乳酸デヒドロゲナーゼ(LDH)により乳酸となり、アルコールデヒドロゲナーゼによりアルコールとなる。

シアノバクテリアから一気に原始生命体へと行ったのは、ゲノム話のややこしいところをバイパスできたという意味では良かったが、結局は共通祖先と原始生命体という2つの概念の絡み合いについて混迷を深めるという点では同じだ。

ここで、原始生命体の概念を一度保留した上で、古細菌と共通祖先の話に戻らなければならない。

まずは古細菌(archaea)から

名前について

ウィキの図を転載させてもらう。

膜につつまれた細胞小器官は存在せず、内容物は混ざっている。細胞質を細胞膜がつつみ、その外側を細胞壁が覆う。

見たところは細菌だが、rRNAの進化的な特徴は細菌とはまったく異なるのだそうだ。そこで最近では古細菌とは呼ばずに原語を音読みしたアーキアと呼ぶようになっているそうだ。

遺伝的には細菌よりは我々真核生物の方に近いということが分かる。意外である。人を見た目で判断してはならないという好例であろう。

名前のいわれであるが、アーキアというのは彫刻の世界で言われる「アーカイック・スマイル」と同じで、古いという意味のギリシャ語である。Archaebacteria(古細菌)の前だけをとったものだ。

アーカイックというと今はもう絶滅した種族のように聞こえるが、今も立派に生物界の一角を占めている。

ドブの中からメタンガスがぷくぷくと湧いてくるのはメタン菌のためだが、このメタン菌も古細菌に属する。「おなら」も腸内古細菌が産生している。(メタノブレヴィ・バクテル)

海洋においては、微生物の約20%を古細菌が占めるという。

他の生物の住まないような過酷な環境に生きていることが多いが、追いやられてそこに行ったのか、地球の過酷な始原環境の中で生まれ、そこに残ったのかは分からない。

遺伝子解析について

ヒトY染色体をねちっこく勉強してきたワタシにとって、rRNAの塩基配列を唯一の基準とする系統図は割りと馴染み深い。

いまではrRNAのみならず全ゲノムの解読も行われている。ウィキによれば

代謝系の遺伝子は真正細菌にやや類似、転写・複製・翻訳に関連する遺伝子は真核生物に類似するが、半分以上の遺伝子はどちらにも見つからない新規の遺伝子であった。

代謝経路について

一言で言えば、不完全なエムデン・マイヤーホフ型の解糖過程を取るものが多い。

正直のところ、ウィキペディアの記事はかなり読みにくく、とりあえずこのくらいにしておく。(このくらい真面目に読む素人もあまりいないだろう)

それにしてもオパーリンとは懐かしい名前だ。北大薬学部の石本真さんが翻訳したのだ。石本さんの講義をひたすらありがたく聞いた覚えはあるが、「コアセルベート」という言葉を除いて中身はさっぱり覚えていない。

あの頃は、「社会主義」の優越性を示す科学が大々的に宣伝されていた。医学部にも「ソ医研」というサークルがあって、西洋医学とは異なる医学のあり方が語られていた。

朝鮮人民民主主義共和国のキムボンハン先生の血管系、神経系に次ぐ第三の「経絡系」説も、「これがツボだ」という不鮮明な光顕写真を見ながら、かしこまって拝聴したものだ。

武谷・坂田の三段階論、パブロフ・ミチューリン・ルイセンコの心理学…それらが毛沢東の矛盾論とごたまぜになって語られた。そういう時代があった。一体あれは何だったのだろう。

 

1.原始生命体(Protobiont)の規定

最初の生命は原始生命体(Protobiont)と呼ばれる。遺伝子的さかのぼると古細菌および真正細菌の共通祖先が最初の生命となるが、それ以前にも生命体が存在した可能性があり、これをふくめて原始生命体の名で一括する。

生命体の基準は、①代謝系を有する。②細胞という形状を有する。③自己複製が可能である。という三条件である。

ただしこれは「完全な生命体」の三条件であり、3つを満たさない「不完全な生命体」も存在しうる。(例えばウィルス)

そうすると①代謝系を有する。というのが不完全であろうと生きている最低限の証かもしれない。

人間で言えば「息をしている」ことが、生きていることの最低の証であるようなものであろう。

2.原始生命体(Protobiont)の代謝

代謝系は古い順に次のような順序で積み重なっていると考えられる。

①発酵: 解糖系を含めた最もコンパクトな代謝系、成立年代も早いと考えられる

②嫌気呼吸: 酸素呼吸の祖先型であるとされている

③酸素呼吸: 光合成よりも古い時代に成立(35億年前に成立していたと考えられる)

④光合成: 約27億年前に成立

ということで、当然ながら原始生命体における代謝の基本は解糖である。解糖の基本はエムデン・マイヤーホフ回路で、ATPの産生であるが、これには異型もあるようである。

3.原始生命体(Protobiont)の栄養

おそらく「生命とは隊白質の存在のあり方だ」というエンゲルスのドグマの一番の弱点はここにある。

たしかに解糖系のキーロールを握っているのは酵素でありまさに蛋白という形で生命は存在している。

しかしこの酵素を回してやるには外からエネルギーを取り込んでそれを酵素が働きやすい形で解糖経路に突っ込んでやらなければならない。

蒸気機関には釜炊きが必要なのである。そしてこの釜炊きこそが生命なのである。

この釜炊きプロメテウスは、おそらくは海底に噴出する熱水からエネルギーをもってくる。そしてリン酸化回路に火をくべるのである。

初期の酵素は相当熱効率が悪かったろうから、数百度の熱水のエネルギーなしでは回らなかったろう。

命をかけた釜炊きプロメテウスの行動があって初めて生命の維持が可能だったのではないか。

オパーリンは、おそらくはエンゲルスの影響を受けて、蛋白始原説に立っていたと思われる。彼は「最初の生命は原始海洋中に既に存在していた有機物を代謝する従属栄養を営んでいた」とする。

原始海洋中に既にアミノ酸をふくむ有機物が存在していたことは事実である。だから構造的観点からはオパーリンの仮説は成立しうる。

しかし肝心なことは「構造」ではなくそれを動かす動力である。

年表を作っていて、どうもシアノバクテリアに関する記載がまちまちなのに困ってしまう。

とりあえず太古代の年表は置いておいて、シアノバクテリアの勉強に移る。

1.なぜ、細菌が藻なのか

シアノバクテリアでグーグル検索すると、「藍藻」が引っかかってくる。

藍藻(blue-green algae)は、藍色細菌(cyanobacteria)の旧名である。

と出てくる。のっけからややこしい。

ふつう「藻」と言えば目に見える草みたいなものだ。目に見えるから色の名前で呼ばれるわけで、細菌ではない。

こちらは細菌としてのシアノバクテリアを調べたいのだがどうなっているのだろう。説明を見ると、細菌は細菌なのだが、少数細胞の集団を作るもの、糸状に細胞が並んだ構造を持つものなどがあって、それが藻のように見えるらしい。

したがって藍藻と言っても藻ではないということになる。

2.どんな細菌なのか

どんな細菌と一口に言えない。地球とほぼ同じ寿命を持つ生物であるから、さまざまな変種がある。

発生学的に見ると、まずは単細胞から出発し、後から糸状体としてつながるようになったらしい。

一番原始的なものでは細胞内にチラコイド(葉緑体)が存在しない。もう少し進化したものでは、窒素固定を行うようになり、さらに多糖類を分泌するものも現れる。

多糖類が増えてくれば糸状体を形成するようになる。さらに糸状体の中で任務分担も生じるようになる。

地上で暮らす種類もあるようで、乾燥耐性が強く、何十年も乾燥状態で休眠できる。

温泉には、70度でも増殖できる好熱性の種が生息している。これが先祖なのだろうか。

3.たった一度の合体体験

地球の歴史の中で細胞と葉緑体が合体したのは、シアノバクテリアでの体験がたった一度きりだということだ。そしてたった一度合体したシアノバクテリアがすべての植物の先祖となったということだ。

この合体の仕方であるが、完成した葉緑体と完成した細菌が正常位で合体したわけではないようだ。

ウィキによると

藍色細菌の2種の光化学系は、2種類の酸素非発生型光合成細菌の融合(もしくは遺伝子の水平移動)によって生じた

とされる。

どういうことかというと、シアノバクテリアの祖先の光合成装置に二種類あって、ひとつは「光化学系Ⅰ」に似た構造をしていて、もう一つは「光化学系Ⅱ」に似た構造をしていて、これが合体したということだ。

葉緑体の構造については以前勉強したことがあって、うっすらと憶えている。

「光化学系Ⅰ」というのは光を感受してそれを電位に変える「明反応」装置で、「光化学系Ⅱ」というのはその活動電位で加水分解して酸素とATPを生成する「暗反応」装置みたいな感じだったかな。

それで、明反応系の方は「鉄硫黄クラスター型」と言い、暗反応系の方は「キノン型」と言う。

紅色光合成細菌は、発生史的にシアノバクテリアに先行していたとみられる。光合成を行っているのに酸素を発生しないのは、電子獲得の材料に水を使わないからである。 (2015年05月16日 より)

肝心なのは「鉄硫黄クラスター型」細菌と「キノン型」細菌はそもそも別系統のものだということだ。

だから葉緑体の合体には二つの偶然が関わっていることになる。まず二つのタイプの細菌が合体する。次いで二つの装置が合体して葉緑体を作るという経過だ。

シモネタ話になるが、男と女が「合体」する。正常位かどうかはどうでも良い。そうして射精すると、精子が泳いで行って卵子と合体する。と考えると分かりやすい(かな?)。

だから説明は(もしくは)ではなく、(そして、遺伝子の水平移動)と書くべきだろうと思う。

4.シアノバクテリアはいつ発生したのか

上の話は大変良くできた話だが、しばらくすると「あれれ?」と思わせるところがたくさん出てくる。

プレ・シアノの細菌は基本的にはシアノと同じで、葉緑体があるかどうかの違いだけだ。葉緑体がなくても「鉄硫黄クラスター型」装置や「キノン型」装置でそれなりのなりわいを立てている。

だから酸素発生はしないが光合成を行う菌や、何をエネルギーにしているかは分からないが酸素とATPを産生する機能を持つ菌がいるということだ。

その辺をどう分別するのかがよく分からない。

それがシアノバクテリアの発生時期をめぐり記載が混乱している原因だろう。

ウィキではこう書いている。

しばらく前には、35億年前の化石とされるものが藍色細菌に似ていることから最古の光合成生物といわれたこともあったが、現在ではこれは認められていない。

これは当たり前の話で、葉緑体をもっているかどうかを別にすれば、そもそも同じ細菌なのだ。「妊婦は人にあらず」と言うに同じだ。

シアノバクテリアの存在を実証するには、その頃の化石を調べる以外にない。その化石がストロマトライトというものだ。西オーストラリアなどに露頭していると言う。

そこでの確かなシアノバクテリアの化石は27億年前のものだそうだ。だからこれからは27億年で統一していくことにする。

あとの面倒な話は省略する。

葉緑体については以下をご参照ください

2015年05月16日

2016年12月20日 を作成。2017年02月03日 に1回増補している。

今回、2回めの増補を行うことにする。

柴正博「はじめての古生物学」(東海大学出版部 2016)とポール・デーヴィス「生命の起源」(明石書店)、ピーター・ウィード他「生物はなぜ誕生したのか」(河出書房新社 2016)を読んだことが理由である。ただし3冊目はまだ読みかけで、読み終わればさらに追補が必要となるかもしれない。

いろいろな書物からつまみ食いしたせいで、相互に矛盾する記載もあり、何が何やらわからなくなっている。いずれ何かの本で一本化した上で、矛盾するものについては「異説」として掲載する方向で考えている。
2017年9月10日、杉谷健一郎「オーストラリアの荒野によみがえる原始生命」(共立出版 2016)を読んだ。題名の印象とは異なり、かなり原始生命全般の解説も展開されており、しかも非常に読みやすい。「論争」の絶えない分野ではあるが、節度のあるレビューとなっていて共感できる。ただし学術論文でないせいもあり、年代表記は必ずしも厳密ではない。こういう文章が年表作者を一番困らせる。

面倒なのと、画面がごちゃごちゃすることから「…億年前」の表記を省くことにする。45と書いてあれば45億年前のこととする。
地球と生命の時代区分にはさまざまなものがあり、しかもかなり変遷している。別記事を参照のこと。
地学的情報は最小限にとどめ、生物の進化を中心に展開する。年代は文献により異同がある。年表に書き込んだあと否定された事実もある。疑えばすべてが疑わしくなる世界だ。適当にあしらっている。


杉谷さんの本では、全体の流れは下記のようになっている。(クリックで拡大)
杉谷

 

138 ビッグバン。宇宙の誕生。
冥王代(46~40)

46 太陽系の形成が開始。星間物質が再結集し太陽系の誕生、
45 小惑星の集合(衝突)により原始地球が誕生。以後数億年は無生命の時代が続く。これを冥王代と称する。

表面から千kmの深さまでは溶けた状態で、マグマ・オーシャンを形成、重い金属は地球の中心部に沈み核を形成する。
原始大気の気圧は100気圧に達した。二酸化炭素や窒素,水蒸気を主成分とし、微量成分として一酸化炭素や水素などを含んでいた。酸素は反応性が高いため,分子状の酸素はほとんど存在しなかった。

44.6 原始地球ができて4000万年後に「ジャイアント・インパクト」が発生。火星並みの惑星が衝突し、地球と月が分離する。その他にも頻回に天体衝突。

43 地殻構造が安定する(地殻-マントル-外核-内核)。
41 後期重爆撃が始まる。38億年ころまで続いたとされる。地球外生命説の根拠になっている。

41 大気温の低下により多量の降雨がもたらされる。原始海洋が形成され、地球のほぼ全表面を覆う。海洋の拡大に伴い地表が出現する。

原始海洋: 原始大気に含まれていた水蒸気が温度低下によって凝結したもの。初期は亜硫酸や塩酸のため酸性、陸地の金属イオンが雨とともに流れ込んで中和される。
「月による潮の満ち干の中で元素が混合され、生命の素材となるタンパク質や核酸が生まれた」という“見てきたような”講釈があるが、とりあえず保留。


太古代(40~27) 

ここが諸説紛々として、一番書きにくいところである。いちおう原理的に説明する。

 1.生命が存在する場所は地面に接している。当時の大気中では生命は維持できなかったから、それは海底であったに違いない。

2.海底の地面の上であれば、それは層状に堆積するに違いない。
3.したがって、その後の熱や圧力による変性を受けずに残っている堆積岩があれば、その中に生命体の痕跡がのこている可能性がある。
ということで、そういう堆積岩探しがまずは最初の仕事となる。
つぎに、そういう堆積岩から生命活動の痕跡をどう探し求めるかという話になる。
それが炭素同位体をもちいた「同位体化石」の発見である。これについて説明する。
1.生命の基本は代謝である。何をエネルギー源とするかは別にして、代謝の結果、無機炭素から炭素化合物(有機物)が合成される。
2.その際、生物は普通の炭素(13C)より軽い同位元素(12C)を選択的に取り込むのだそうだ。なぜかということはこの際省略。
3.したがって、それらしき試料を持ってきて遠沈すれば 12C/13C比がもとめられるから、それがただの石ころか生命体の痕跡なのかが分かる。
という寸法だ。
もしそれが「同位体化石」であると証明しようと思えば、まずそれが発見されたのがコンディション良好な堆積岩の中であったことを証明し、その上で同位元素組成の分析方法と結果を明示しなければならない。

38 3億年続いた後期重爆撃期(Late Heavy Bombardment: LHB)が終了。これに伴い安定した海洋が出現。これ以前の堆積岩は存在しないとされるため、生命活動の証明手段はない。

 杉谷さんの本では、40億年前に現存する最古の堆石岩(カナダのアカスタ)が形成されたという。地球上のすべての岩石が後期重爆撃による変性を受けていると思われるが、それを免れたものもあったということか。

38 最古の生命の痕跡(同位体化石)が形成される。グリーンランドで発見されたものが最古とされる。これを画期とし、それ以前を冥王代、以後を始生代と称する。

 これに前後するものとして20件余りの報告があるが、グリーンランドのものをふくめ確実なものはない。まぁ、このへんだろうというところ。

38 真正細菌(バクテリア)と古細菌(アーキア)の出現。両者は異なるものであり、共通祖先(LUCA)が想定されている。

 この記述は素性不明。これは下記の記述と関連する。
40億年前、原始生命が誕生。深海底の熱水噴出孔に好高温性のメタン資化菌やイオウ資化菌が登場する。独自の解糖系は持たず、超高熱を触媒を用いてATPに転換。真正細菌と古細菌の共通祖先となる。
サンドウィッチの真ん中は正しいが、40億年前という記載と、これが共通祖先だという記載は眉唾。「量が質を規定する」という言葉通り、生命の安定維持にはもっと普遍的な同時多発性が必要だと思う。

37 グリーンランドで確認しうる最古の生命痕跡(濃縮12C)が発見されている。(Rosing 1999)

35 地表温度が 57 ℃以下まで低下。

35.4 西オーストラリアで最古のストロマトライトが形成される。

 ストロマトライトは光合成細菌などが浅海域に層状に積み重なって形成された化石とされる。メタン生成代謝によりエネルギーを発生した痕跡があり、古細菌の一種メタン生成細菌によるものと推定されている。硫酸還元菌の存在も推定されている。これらは熱水噴出孔の周辺で生息していたものとされている。

34.6 最古のシアノバクテリアからなるストロマトライトがオーストラリア西部で形成される。

34.2 南アフリカで酸素非発生型の光合成を行う微生物のマット状構造が確認される。真正細菌の一種Chloroflexus の仲間と想定される。

32.4 大型球状微化石が形成される。確実に現生生物と比較できる糸状構造をもつ微化石。

 シアノバクテリアはその後発展を続ける。数珠状の群体形成(糸状体)、粘質による鞘形成、運動能力の獲得、窒素同定とアンモニア形成能の獲得、休眠胞子の形成、死滅細胞からの炭酸カルシウムの摂取による骨質形成など。多方向への発達と多様化。

32 光合成生物が発生。光合成をする最初の生物。シアノバクテリアとは別種と考えられている(水を使わず硫化水素等を用いるため酸素は発生しない)
28 地球に強い磁場が出来る。太陽風のバリアとなり、有害な粒子をさえぎるようになる

原生代 (27~7)

27 火成活動が活発化し大陸が形成される。

27 好気性細菌が登場。酸素の持つ高エネルギーを活用した肉食性バクテリアの起源となる。

25 最初の氷河期が到来。

この出来事をOxygen Catastropheと呼ぶ。

25 海中の鉄が三価鉄化を完了し、鉄イオンの酸化のために消耗される酸素が減る。このため海中および大気中に酸素が増加する。酸素は紫外線と反応しオゾン層を形成。

23 藍藻(シアノバクテリア)が大量発生する。酸素発生型光合成を行い、海中および大気中に酸素を供給する。

  酸素カタストロフィ: 酸素は大部分の嫌気性微生物にとって有毒であった。このため多くが絶滅する。生き残ったものは大気に触れない環境で暮らすようになった。

22 マクガニン氷河時代。全球が凍結。全球凍結は、この他に7億年前、6億年前の少なくとも3回生じている。この頃の酸素濃度は現代の1%程度。

21 最古の多細胞化石が形成される。

20 細胞核を持つ真核生物が出現。ただし確実な試料としては12億年まで下る。元の細胞は好熱菌(小細胞)で、原核は核膜内に収納され、細胞質は他細胞に公開される。ミトコンドリアを持つ好気性菌、葉緑体を持つシアノバテリアが細胞質内共生。

19 激しい火山活動により、最初の超大陸(ヌーナ大陸)が出現する。その後、大陸は数億年程度の周期で離散集合を繰り返す。

12 真核生物が多様な形態で発展。とくに真核藻類がシアノバクテリアと並び繁殖。このころ海中の酸素濃度が現代の水準に近づく。

8 最古の多細胞動物オクビア(カイメンの一種)が登場する。襟鞭毛虫(原生動物)が多細胞化したものとされる。原口の形成により強力な捕食能を獲得。藻類の産生するバイオマットを食料とする。

7 2回め(7億年前)と3回目(6億年前)の全球凍結

6 地球の気候的環境が大変化。地上が現在と同程度の酸素濃度になる。オゾン層が形成され、有害な紫外線が遮断される。超大陸が分裂して新しい海洋が形成される。

ここまでが、生物の「前史」。先カンブリア紀と一括されることもある。

顕生代ー古生代

5.7 顕微鏡的生命体が形成される。エディアカラ生物群と呼ばれる。①軟体性である。②捕食性がない。③眼がない、などの特徴を持つ。

5.4 生命体化石が一気に増加し、大型多細胞生物(クラゲ、イソギンチャク)が出現する。骨格を持つ生物も現れる。「カンブリア爆発」と呼ばれる。カンブリア爆発前を「先カンブリア紀」、爆発後を「顕生代」と称する。顕生代は古生代→中生代→新生代に細分される。

「新潟の共闘」を語る座談会が赤旗に掲載された。

現場の当事者によるきわめて貴重な経験なので、真剣に学ぶ価値がある。

座談会の出席者は参院選で統一候補として勝利し、県知事選でも大いに奮闘した森ゆうこさん。市民連合@新潟の佐々木さん、共産党県委員長の樋渡さんの3人だ。司会を樋渡さんが務めている。

まず参院選についての教訓を森さんが語る。

1.統一候補擁立の重要性

市民連合が働きかけ、共産党が柔軟に対応した。これが統一候補を実現した。

ということで、真の意味の「統一」候補を擁立できたことが重要な勝因だ。これを森さんは

まずだいじな中間の 目標を、みんなで共有 できた

と表現する。

ポイントは、それが中間目標にすぎないということだ。大義名分選挙に終始してきた共産党は、ともすれば統一候補を擁立しただけで有頂天になる。「統一候補で勝つ!」というところまで見通さなければいけない。

そしてそのためには形だけの「統一」ではなく、「勝つぞ」という気持ちを共有することが、中間ポイントとしての獲得目標なのだ。

統一するために統一するのではなく、「勝つ」ために統一する。統一したからには「勝つ」ということだ。

ついで県知事選の話に移る。そこでサラッと言っている言葉がかなりズシっとくる。

知事選でも市民と野党の共闘を確認し合い、米山候補が立候補表明したのは、告示のわずか6日前だった。

ということで「わずか」という言葉は、そこまで出遅れてしまったということではなく、ギリギリまで討議を尽くしたという意味のようだ。そして最大の確認点は、この共闘が野党間の共闘ではなく、市民と野党の共闘 だということだ。

森さんは意外な言葉を語る。

前知事が立候補を断念してから1ヶ月あったので、いろんな準備をする中で、さらに絆と信頼が深まった。

つまり、候補者選びに四苦八苦したのではなく、どう団結するかを徹底的に話し合い、細部に至るまで盤石の体制を作った。その上で担ぐお神輿を決めたということだったのだ。


そこでは勝つための戦略を意思統一することが重要だったし、「それをやれば勝てる」という確信を共有 することが重要だった。

それができたから、

あそこまで一体感のある選挙ができることはめったにないですね

という感慨が引き出せたのだ。


2.初動段階での市民連合の役割は決定的

森さんの後、市民連合の佐々木さんが語る。

彼も最大の勝因として、目標の共有を上げる。

そして共産党の樋渡さんの発言。

一応各勢力の各勢力の役割を述べて敬意を評しているが、言いたいことはこの一点につきる。

勝利の要因は、まず森さんが定数1の選挙で勝つ方法を知っていたことです

相当の衝撃だったようだ。正直に、自分たちはこれまで、定数1の選挙で勝つ方法を知らなかったと告白している。

これでは勝てない。勝てないと分かっている選挙には、よほど奇特な人でないと乗ってこない。ヘタをするとこちらの身内まで持っていかれる。

ただ

共産党としては草の根で頑張らせていただきました。

と言うのは謙遜がすぎる。理論闘争や思想対決など空中戦では、グラムシの言う「集団的知識人」たる共産党は、他者の追随を許さない圧倒的な力を持っているからだ。


3.野党共闘の3つの段階

この後の話はかなり具体的・個別的になってくるので、要点をつかむのは難しいが、いくつか拾っておく。

おそらく第一段階が共闘のあり方で、これは市民連合の佐々木さんがかなり活躍した。

参院選時に全野党と連合も入った連絡調整会議をもうけた。これが共闘が発展する上での大きな組織的支えになった。これは全国的に発信しても良いと思う。

ということで、初動段階での市民連合の役割、とくに民進党・連合まで包み込んでいく上での役割は非常に大きいということが分かった。

第二段階が、候補者選びの段階で、ここが一番厳しい。とくに共産党外しの傾向が民進党・連合から絶えず持ち込まれてくる。このときに連絡調整会議というラウンドテーブル方式を支えに市民連合と民主党・社民党がかなりつっぱらないと、持って行かれるか逃げられるかする。最悪の場合は持ち逃げされる。

ここでは共産党は出る幕がなく、「ここいらが落とし所」と見れば妥協する他ない。

森さんはこう語る。

候補者が決まるまでの産みの苦しみをともに味わったからこそ、絆が深まった。時には言い合うこともあったけれど、仏の樋渡さんが抑えに回っていました。

「産みの苦しみ」を味わったのは市民連合と民主党・社民党であろう。「絆が深まった」のは、市民連合・民主党・社民党と共産党のあいだであろう。(民主党内の野党共闘派もふくむ)

「仏の樋渡さん」は、個人の資質もさることながら、基本的には仏にならざるを得なかったからである。

そして第三段階が、選挙で勝つための行動計画ということになる。ここはそれこそ各団体が、それぞれに持てる力を発揮することになるが、肝心なことは勝つという気構えと、これで勝てるという確信である。これは森さんの最初の言葉だ。

前の記事の地球史年表は地球の歴史を博物学的に俯瞰するには便利な年表であるが、生物の発生と進化を見るには不充分であることがわかった。

古生代と一括された時代には、実は冥王代、始生代が先行しており、まとめて先カンブリア時代と呼ぶ。

さらに始生代が4つの小区分に分かれ、それに続く原生代も古原生代、中原生代、新原生代に分かたれることがわかった。

1.冥王代(Hadean eon

仕方ないので、まず冥王代から始めることにする。

冥王代というのは天文学的に推定された想像上の世界である。地質時代の一つとして位置づけられるが、化石どころが岩石すらも特定できない。

地球の岩石をウラン・鉛年代測定法で調査して45億年から46億年という数値が出ている。

しかしこの時代の最後に、早くも最初の生命が誕生している。

2.始生代(Archean eon)

つぎに始生代である。これは原核生物から真核単細胞生物が現れるまでの時代ということで、生物学的な時代区分と言える。

なぜ生物学的な時代区分になったかというと、地質学的には明確なものが残っていないため、生物学的スケールを借りたものらしい。

地質学的な事項は省略するとして、この間における生物の進歩はかなり本質的である。

始生代は40億年前に始まる。このとき全生物の共通祖先が現れる。それは現在生きている生物の遺伝子配列の共通因子を持っている。

地球生命の祖先は高温適性を有した細菌であった。それは熱水活動が活発で温度の高い中央海嶺であった。

この共通祖先は、始生代に多様化が進む。そして古細菌と真正細菌の門の多くがこの時期に出そろう。

まさしく生命にとってシュトルム・ウント・ドランクの時代だ。そこには生命機構のあらゆるエレメントが一気に出揃っていく。

3.始生代は4つの生代に区分される。

原始生代 (Eoarchean)    始生代初期。40億年前(または38億年前)から36億年前。

古始生代 (Paleoarchean)    始生代前期。36億年前から32億年前。

中始生代 (Mesoarchean)    始生代中期。32億年前から28億年前。

新始生代 (Neoarchean)    始生代後期。28億年前から25億年前。

ウィキの記載はここまでだ。バスに乗ったら、無人の野原で「ここが終点だ」と降ろされてしまった気分だ。

どうも地層学に邪魔されて、生物発生から発展開始までの道のりが見えてこない。

とりあえず、ウィキペディアの地球史年表を、生物の発生に焦点を当てて自分なりに整理してみた。


と書いてみたが、原生代はとても古生代と一緒に書き込むような性格のものではなさそうだ。

原生代以前の経過については、別の年表にまとめることにする。


古生代(約5億7000万 - 約2億5000万年前)

5億4千万年前 カンブリア爆発が発生。約1000万年の間に突如として生物が多様化。今日見られる動物界のほとんどの門が出そろった。

5億3000万年前 三葉虫が出現。

4億2000年万前 植物の上陸

4億年前 節足動物の上陸

4億年前 アンモナイトが現れる

3億6000万年前 温暖期に入る。氷河が消滅し大森林が形成される。樹木を分解する菌類が存在せず、石炭の原料が地表に積もる。

3億6000万年前 脊椎動物(両生類)の上陸

3億年前 酸素濃度が最高の35%となる。二酸化炭素濃度は現代の程度まで低下する。樹木の分解菌類が増殖し、酸素濃度は徐々に減少する。

3億年前 昆虫が増大する。

3億年前 爬虫類の出現

2億5000万年前 諸大陸の衝突によってパンゲア大陸が誕生する。

2億5000万年前 ベルム期の大量絶滅。生物種の90% - 95%が絶滅した。メタンハイドレートが気化し、酸素濃度が低下したことが原因とされる。

我が家のテレビのハードディスクは嫁さんの韓流ドラマで満杯だが、ときどき変な番組が録画されている。

金曜の夜、嫁さんが寝た後、それを消していくのが「儀礼」なのだが、今回は思わず見入ってしまった。

終わらない人 宮崎駿

という番組。

アルコールも効いてきて、ところどころ居眠りしては見るという有様だったが、後半に来て俄然眼が覚めた。

あらすじを語ることは到底できないので、「番組紹介」から引用することにする。

3年前、突然引退を宣言したアニメーション映画監督・宮崎駿さん。世捨て人のような隠居生活を送り、「もう終わった」と誰もが思っていました。でも実は終わっていなかったのです。手描きを貫いてきた宮崎さんが、75歳にしてCGで短編映画に初挑戦。それは長年夢見た幻の企画でした。新たなアニメーションとの格闘を繰り返すなかで、下した大きな人生の決断!「残された時間をどう生きるのか」。独占密着!知られざる700日

というのがあらすじだが、どうも私の感じたのは「老い」とか「残された人生」というのではない。

それはもっと激しいものだ。

CGという表現手段を相手に一種の「異種格闘技」をいどみ、その中でCGの「真の限界」を知り、さらにその根底にある「CGイズム」を峻拒しつつ、自ら歩んできた道の正しさを確認していく作業である。

そのうえで、宮崎さんは新しい長編づくりへの挑戦を宣言するのであるが、それはおそらく主要な問題ではないだろう。その決意に到達するまでの意識の高まりの過程こそがもっとも重要だ。

だからある意味ではこのドキュメンタリーそのものが、宮崎の作品でもあると思う。

1.CGは作品に命を吹き込めない

正確には、「これまでのCGでは」言ったほうが良いのだろう。多分、そのことは宮崎さん自身もそう感じていたから、手書きにこだわってきたのだろう。

ただ、CGはあくまでも技法であり、原理的にはCGだから命を吹き込めないことはない。あくまでも作者の側の問題であるはずだ。

宮崎さんは、この論理と実感の間隙を埋めたくてCGづくりに取りかかったのだろうと思う。「この宿題を解決して置かなければ死ねない」みたいな感じだろうか。

ドキュメンタリーの前半ではこの過程がかなり長々と描かれていく。結局、絵そのものへの介入はすべて失敗に終わる。

それはある意味ではこれまでの作家人生を通じての実感の再確認であったのかもしれない。

それがある日突然ブレイクスルーがやってくる。「そうだ、魚を描こう」

魚が泳ぎ回る世界がまずあって、そこに主人公が登場することで世界はまさに「水を得た魚」のようにいきいきと動き出す。これがひとつ。

もう一つは、その環境に対応する眼差しや体の動きが意味を持つようになる。自然になるというのは、演技でも仕草でもない。そうさせているものとの関係において自然なのだ。

CG(CGイズムというべきかもしれない)は自らの枠の中にすべてを押し込もうとする。自然さえもだ。

しかしその瞬間に生命というものは消えてしまうのではないか。

2.「生きとし生けるもの」としてのいのち

いのちを絵の形であろうと言葉の形であろうと、絡め取りたい、すくい上げたいというのは人間の欲望である。

私は紀貫之の言葉を想起する。「花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」

古今和歌集の序文である。

この場合の「生きとし生けるもの」は作家としてのいのちである。それは主体であるとともに、花鳥風月に刺激を受ける受動態としてのワタシである。

そして花鳥風月を描くことによって、それらに生き生きとした能動性を与えるのもワタシだ。そこにはいのちの交流がある。

それと同じように、鶯や蛙も周囲の自然とのいのちの交流の中で輝いている。この二重の交流を画像の中に込めなければならない。

おそらく宮崎さんはCGという苦難の道に踏み込むことで、そのことを別な表現、「魚を描き込むことで主人公に命を吹き込む」というかたちで、難関を突破したのであろう。

3.CGイズムとの闘い

CGというのは表現技術の一つである。しかしほとんど無限の可能性を秘めた表現技術である。

あまりにも急速に革新されているために、技術の高度化がある程度自己目的化されるのもやむを得ない。技術にはそういうところがある。そういう時期なのだ。

だがCGの発展が集団の中で自己目的化されると、そこには独自の哲学が生まれてくる。「CGイズムとCGそのものは分けて考えなければならない」と言っても、実際にCGに携わっている人が共通してそういう言語体系をもってしまえば、一般社会との垣根はますます高くなっていく。

宮崎さんのCGへの取り組みは、CG屋さんの持つそういうイデオロギーとの闘いを抜きに実現し得ない。

CG屋さんは子供の頃宮崎さんのアニメを見て育ったはずだ。宮崎さんは尊敬の対象だ。にも関わらず彼らの言語体系は揺るがない。それとこれとは別なのだ。

これは一見動かしがたい矛盾のように見える。

しかし、宮崎さんはそこに風穴を開けたように一瞬思えた。

それが「いのちと交わり、いのちを紡ぎ出すこと」ということなのだろうと思う。

番組の終盤、彼がグロテスクで・クソリアルな動画を見て激怒したのは、作品そのものというより、つかみかけたCGの将来イメージに真っ向から泥を投げつけられたからに違いない。

その動画は、たしかに画面は動いているが、思考法としては止まっているのである。そこに吹き込まれているのがいのちではなく「死」だからである。いのちとの交わりではなく、いのちのあまりにも無造作なモノ化だからである。

CGはリアルになればなるほどシュール・リアリズムになる。もちろんそれ自体が悪いと言っているのではない。技法の追求は絶対必要だと思う。ただシュール・リアリズムは行き止まりであって、出発点にはならない。

そこからはいかなる物語も紡ぎ出せない。宮崎さんが欲しているのはいのちが紡ぎ出す物語であり、CG屋さんにも、かくあれと欲しているのである。

ところで、宮崎さんがふと鼻歌で歌った「民族独立行動隊の歌」が耳に残る。60年安保の世代なのであろう。

 


こちらのページには別の人が書いた番組紹介がある。

こちらを見たら宮崎さんはもっと憤激するかもしれない。

クールジャパンの基幹コンテンツと期待されながら、国際的にはピクサー、ディズニーらのCGアニメに圧倒されている日本のアニメーション。宮﨑が世に放つ短編は、日本アニメの未来を変える一手となるのか。

こちらはCGオタクではなく、脳ミソがソロバンになっているエコノミック・アニマルだ。

「国沢 福岡 タクシー」でグーグルしてみると、もう一つの記事がある。

ほかならぬ国沢さんのブログで、2016年12月5日の発信。事故の翌日である。

題名は「福岡で高齢運転手のタクシーが暴走?(4日)」というもの。

急いで書いたものらしく、あまりまとまりはないが、それだけに率直な感想が伺える。

書き出しは

ニュース見てると何が本当で、何が間違いで、何がワザと危機感をアオっているのか解りにくい。

ということで、「わざと危機感をアオッている“何か”」をひしひしと感じているようだ。

もう一つがプリウス(の過去)にかこつけて、

また「プリウスなので暴走した」と根拠無いデマを流す輩も少なくない。

とプリウスを擁護する。

国沢さんによれば、「初期型プリウスのトラブルはブレーキ抜け」なのだそうだ。

「ブレーキ抜け」については国沢さんが別の記事で説明している。正直のところよく分からない。ただ対処法は分かっている。
「もしプリウスですっぽ抜けに遭遇したなら、そのままブレーキを踏み込むこと。瞬時に油圧は立ち上がります」ということだ。

そのうえで、国沢さんは事故原因を次のように想定している。

疑われるのは踏み間違えか、フロアマットにアクセル挟まったのか解らないけれど、機械的にアクセル全開になったということである。

つまり初動段階では国沢さんは踏み間違い説に立っていると考えられる。

いずれにしろ車載のEDR(イベントデータレコーダ)にエアバッグ展開した手前の状況が残されており、そいつを解析するだけで判明するだろう。

ここまでは自動車評論家として無難な記事だが、この後警察批判が始まる。

こういったデータ、警察が全て握りつぶしちゃってるあたりに問題ある。

そして、その典型例として「札幌で燃えたPHVの情報」を持ち出す。恥ずかしながら、札幌に住みながらこの事件は知らなかった。たしか他の三菱車炎上事件は記事にした覚えがあるが…。

三菱自動車に聞いてみたら「警察や消防から何の問い合わせも無く、こちらとしては調べようがなく困ってます」。200Vの普通充電中に燃えたことだけ伝わっているため、充電を必要とするクルマに乗ってる人はみんな不安。記者クラブに入ってないメディアは取材すら出来ないし。

と続く。

この最後の「記者クラブに入ってないメディアは取材すら出来ないし」というのがどうやらこの記事のキモのようだ。

このあたりが伏線になって、馴れ合い記者クラブのはしゃぎぶりに「頂門の一針」となったわけだ。

たしかに福岡県警の記者クラブは爪剥がし事件でも、警察の片棒担いでバッシングしたもんな。

三菱自動車の発火事件は以下の記事を

そこに一石を投じたのが 自動車評論家の国沢光宏さんが書いた「福岡の暴走事故、フロアマット2枚だけが原因ではない」である。12/10(土) 21:14の投稿となっているから、一通り報道が出回ったすぐ後に書かれたものと思われる。
国沢さんが真っ先に指摘するのは、「福岡県警に思い込みがあるのではないか」ということである。
そう言われると、北九州の病院での「爪剥ぎ事件」で、看護婦さんを1ヶ月も拘置所に閉じ込めて無理やり有罪に仕立てたのも福岡県警の「思い込み」だったね。
この後の話はかなり専門的になる。
1.ブレーキ・オーバーライド
プリウスには、「アクセルとブレーキを同時に踏んだらブレーキを優先させましょう」という仕組みが導入されている。 これが「ブレーキ・オーバーライド」と呼ばれるシステムだ。
だからアクセルペダルにマットがかぶさっていたとしても、ブレーキを踏めば止まるはずだ。
2.アクセルがマットに引っかかる確率は低い
アクセルを目一杯踏み込まない限りアクセルペダルがマットの下に挟み込まれることはない。事件の発端、すなわち公園で暴走が始まったときの状況からは、このような事態はきわめて考えにくい。
3.負圧に頼らない強力なブレーキシステム
プリウスには、負圧(アクセル戻した時にブレーキ力を高める装置)に頼らない強力なブレーキシステムが装備されている。マニュアル車におけるエンジンブレーキのことのようだ。
だから、どのような状況のもとでもブレーキを強く踏めば必ず止まる。「プリウスはそのくらい優れた車なのだ!」
ということで、国沢さんは警察のおかしな挙動にも触れている。
そもそも暴走事故の99%はアクセルとブレーキの踏み間違いか、フロアマットの引っかかりに起因する。自動車関係者ならどんなシロウトだってこの二つを疑う。なのに警察がフロアマットが2枚だったことを公表したのは本日。そしてブレーキ・オーバーライドの機能については未だ考慮に入れていない。
報道各社の動きは国沢さんの記事の後ばったりと止まってしまう。国沢さんの記事は正論だが、妖刀村正のようで、どちらにどう切れるのかが見て取れない。読みようによっては「プリウス、褒め殺し」ともなりかねない。だから途方にくれているのではないだろうか。
国沢さんは
いつまでも自動車ユーザーの不安を煽る情報ばかり流していないで、正しい事故原因の公表をお願いしたい。
と、警察にきついお灸をすえた上で、今後の原因解明に向けて以下の提言を行っている。
とにかくEDR(イベントデータレコーダー)の情報を開示すること。エアバッグが開いた事故は、必ずEDRに記録されている。
その中で重要な情報は
1)衝突時の速度。
2)アクセルの操作状況。
3)ブレーキの操作状況。
4)加速していたのか減速していたのか

という4種類の情報だ。
たしかに新聞でも「県警はEDRの解析を急いでいる」と書かれている。しかし、もし急ぐなら上記のデータはすぐにでも開示できるはずだ。あんたがたシロウトに「解析」しろとは頼んでいない。生データをそのまま公開しろということだ。それならすぐできる。
遅くなればなるほど、「何かを隠そうとしているのではないか」と勘ぐられることになる。福岡県警のためにも、それは好ましい事態ではないだろう。
*これとは別のデータもあるはずだ。
車両のセンサーが故障を 検知した際に車両の状態を記録する「フリーズフレームデータ」が 車内のコンピューターに残っている可能性もある。(毎日新聞 12/10(土) 3:00配信 )
ということだ。こちらはあくまで可能性だが…

あまりにも大きな「誤報」の可能性があるだけに、もう少し状況を見聞したい。

グーグルで「福岡 タクシー 二重マット」で検索してみる。

産経以外の報道はないかと調べてみると、日経新聞が同日に同内容の報道を行っている。

運転席の床に備え付けてあるマットの上に、市販のマットを重ねて置いていたことが10日、県警への取材で分かった。

運転席の足元には純正品のマットの上に市販のマットが重ねてあったという。

朝日新聞は同日に「病院突入のタクシー、マットずれペダル操作に影響か」という記事を掲載している。

運転手が「(運転席の)マットの上に、市販のマットを敷いていた」と供述していることが分かった。「上のマットは買った」と説明。固定されていない状態で、事故前にずれた可能性があるという。

と具体的である。

毎日もほぼ同様の記事を掲載していることがわかった。

【平川昌範、佐野格】 の署名入り記事で、12月11日 07時00分にアップされている。産経の報道から1日遅れの後追いである。

タクシーと同型車にはアクセルとブレーキを同時に踏むとブレーキが優先されるシステムが導入されている。

とも書き加えられている。

ということで、産経の勇み足ではないことが分かった。産経の記事を元にしたコメントが圧倒的に多いのは、ネットの世界で一番利用しやすいのが産経だからというのにすぎないようだ。

記事そのものは朝日のほうがはるかに具体的である。


ということで10日の時点で、二枚重ね説が圧倒的になった。とくに背景としてアメリカでの「暴走」問題で二枚重ねが原因の多くを占めていたことが、その印象を強めた。

コメントの中には明らかにトヨタ側に立って、トヨタ無罪説へと流し込むような記述もかなり目立つ。



いずれにせよ、この記事は少し自力で調べてみないと、確たることは言えない。

グーグルで “プリウス 福岡 タクシー” で検索してみたらものすごい数のヒット数だ。探偵気分で事故原因を追究する記事もてんこ盛りだ。どう手を付けたら良いのかわからないくらいだ。

目下、原因をめぐってはマット派と反マット派に二分されている。赤旗の記事はマット問題に触れていないが、触れていないということ自体が反マット派であることを意味するとみてよい。

ということで、マット説をまず調べてみよう。

マット説が浮上したのは12月9日。これは「捜査関係者のリーク」という形で明らかにされた。

報道(産経新聞)によると、

タクシーの運転席の足下には、備え付けのマットの上に別のマットが重ねて敷かれていた。2枚はメーカーの純正品と市販の社外品で、上に敷かれたマットは特に固定されていなかった

ただしこれは正式な発表ではない。しかも事故発生(3日)の6日後ということで、十分に怪しい。

その前の報道は車両の不具合が濃厚という方向で足を揃えていた。

それが、どうもこの記事以来、沈黙しているような気がする。

これだけ全国報道されたのだから、はたしてそれが事実なのか福岡県警に問い合わせるべきだろう。イエスかノーか、それともノーコメントか。その結果くらいは報道すべきではないか。

ただ、事実として他社はこの報道に追随していないようだ。

10日の朝日新聞

事故後に県警が運転席を調べたところ、ペダルを踏む支障になるような物は見つからなかった。

これが本当だとすると、なぜか6日後にマットが出現したことになる。

同じく10日の毎日新聞

アクセルとブレーキの踏み間違え事故を研究する立命館大の土田宣明教授は「踏み間違えは誰にでも起こりえる。しかし今回が踏み間違えだとしたら、300メートルも判断を切り替えずにアクセルを踏み続けたことになり不思議だ」と話す。

ここでもマットの話には触れられていない。

なお途中から車が加速したのは、ドライバーがエンジンブレーキをかけようとしてシフトダウンしたのが原因のようだ。

このほかNHK読売新聞と調べたが、二重マットについての言及はゼロ。面と向かっては否定しないが、完全に無視している。

ひょっとすると、この産経新聞の報道は“ガセネタ”の可能性もありそうだ。

プリウスがやばい

12月3日にプリウスのタクシーが病院に突っ込んだ事件。

「ブレーキとアクセルの踏み間違い」と考え、最近頻発する高齢ドライバー問題と同じだと思っていた。

しかしそれに疑問を呈する記事が赤旗に掲載された。遠藤記者の調査報道だ。

1.ペダルの踏み間違いが考えにくいわけ

まず、記者はヒューマン・ファクターが考えにくい理由を列挙する。

A) 運転手は64歳で高齢とはいえない。健康状態は問題なく、アルコールも検出されていない。個人タクシーで過労状態でもない。

B) 94年に個人タクシーの営業許可をとって22年、熟練ドライバーということができる。運転の技倆・経験ともに申し分ないといえる。

C) 車は「ブレーキが利かない」状態で、350メートルを暴走している。この間、および事故直後においても運転手の意識状態には明らかな異常はなく、体調の変化もない。

これらの点から、記者はきわめて慎重な言い方ながら、「プリウスの側に何らかの問題があったのではないか」と強く示唆している。

2.プリウスの側に問題があった可能性

そこで、記者はプリウスの側に問題があった可能性について調べている。

A) 関係者の証言

自動車業界関係者(匿名)は「運転技術があるタクシーの運転手が、20~30メートルならまだしも、300メートルも暴走して、その間何も手を打てなかったのは奇妙だ」と話します。

B) 国交省の「不具合情報」

国交省は01年以降、ユーザーの苦情を「自動車のリコール・不具合情報」で開示している。

「プリウス」で検索すると、「ブレーキの不具合」が128件あった。また「エンジンの急加速(吹け上がり)」が17件あった。

もちろんこれらすべてが製品の不具合に起因するものではないだろうが、実際にあるのだ。

3.緊急時の対処法がない

ここが一番の問題になる。今回の事件は、緊急時対応法が事実上なかった可能性を示唆している。プリウスのような高度に自動化された製品においては、フェールセーフ機構のあるなしは致命的なものとなる。

A) トヨタ側の説明

取説に「車両を緊急に停止するには」という項目が書かれている。

①ブレーキペダルを両足でしっかりと踏み続ける

②シフトをN(ニュートラル)にする

③パワースイッチを3秒以上押し続けて、ハイブリッドシステムを停止する

ただハイブリッドシステムが停止すると、パワーブレーキ、パワーステアリングなどが効かなくなるらしい。

「ブレーキの利きが悪くなり、ハンドルが重くなるため、車のコントロールがしにくくなり危険です」と警告されている。

B) トヨタのおすすめ

記者は取説を踏まえた上で、トヨタ自動車東京本社に問い合わせた。

答えは以下の通り。

(取説)は予期せぬ事態が起きたときに備えて、それに対処するために記載しているだけだ

お薦めしているわけではないということだ。

通常は暴走などの具体的な不具合は想定していない。

「なぜならプリウスは絶対安全だから」ということなのか。原発と同じ論理で、「安全神話」の上に「想定外」の言い訳が乗っかる構造だ。

フェールセイフの発想はそもそも存在しないのだ、ということになる。

4.私のささやかな経験 自動装置は壊れるものだ

20年前、エプソンのラップトップを使用中に突然ピンク色の煙が上がった。煙は5秒ほどの間猛烈に吹き上げた後自然鎮火した。もちろんエプソンはお陀仏となった。

15年前、ブラックアイスバーン状態でカペラを運転していた。スリップした途端にエンジンは切れ、ハンドルは固定され、車はそのまま進んだ。赤信号で停車中の車に追突して止まった。そもそも20キロ程度のノロノロだったから、幸いなことに先方は無傷だった。

半年前、レノボのパソコンが高熱を発しお釈迦になった。16万円の当時最新機だったが、修理に出したらCPI周りが溶けていて、修理不能と言われた。

1週間前、我が家の電気冷蔵庫が突然止まった。冷凍食品は全て解けてだめになった。日立のサービスマンが来て天板を開けてプリント基板をちょいといじったら元通りになった。

「最近は自動調整機能が極めて多いので、リレーが混線してしまう」という話だった。「よくあるのか」と聞くと返事を濁していたが、少なくはないようだ。

そういえば、20年近く前、近くの北広島の養護施設に自衛隊のジェット機から180発の機銃弾が撃ち込まれる事件があった。

あれも、パイロットが操縦桿を右旋回したら、自動発射装置が誤作動してしまったのが原因だった。

機械は壊れるものだ。しかも壊れたら対応不能だ。

装置の心臓部はブラックボックス化し、いざという時に手に負えなくなっている。


早くもネットの世界ではオスプレイの「不時着」に関して話題が花盛りだ。

NHKの最初のニュースは

米軍オスプレイが沖縄県名護市沖に不時着 12月13日 23時38分

というもの。

13日午後9時半ごろ、沖縄県名護市の東およそ1キロの海上で、アメリカ軍の輸送機オスプレイ1機が不時着した。…アメリカ軍のHH60ヘリコプター2機が5人全員を14日午前0時までに救助した

これは防衛省の発表をそのまま伝えたもの。いわば大本営発表だ。この時点では肝心の米軍側の発表がない。

防衛省はアメリカ軍に連絡をとって当時の詳しい状況などを確認しています。

と書いてある。つまり詳しい情報がない中で、防衛省が「不時着」と判断したようだ。

このニュースでは、沖縄県の謝花知事公室長の談話も報道されている。

14日午前0時前、NHKの取材に対して、「沖縄防衛局を通じて一報が入り…」となっている。

つまり、この時点では肝心のアメリカ軍、とくに当事者である沖縄の海兵隊からの発表が皆無だということだ。

これが最大の問題だ。

ではアメリカ軍はいつ、どのように情報を発信しているのか。


発表されたばかりの朝日新聞報道(2016年12月14日11時22分)によれば

13日午後9時50分ごろ、米軍の垂直離着陸機オスプレイが不時着水した、と米軍嘉手納(かでな)基地から第11管区海上保安本部(那覇市)に連絡があった。

その後の連絡については不明である。もちろんプレス・リリースはない。自衛隊にいつ連絡が入ったのかも明らかではない。まさか海上保安庁からの連絡ということはないだろうが。

14日に入ってようやく海兵隊が発表に動く。

琉球新報が海兵隊のリリースを報道している。

在沖米海兵隊報道部は14日午前1時ごろ、リリースを発表。キャンプ・シュワブ沿岸部の浅瀬に「着水」(元の英語は?)した。


在日米軍を統括する司令部からの発表はない。

14日未明、稲田朋美防衛相は「コントロールを失った状況ではなく、パイロットの意思で着水したと聞いている」と話した。

この報道はおそらく下記の行動の後に発せられたものである。

2016年 12月 14日 10:30 ロイター 稲田朋美防衛相は14日午前2時過ぎ、在日米軍のマルティネス司令官に電話で遺憾の意を伝達。その後、記者団に対し、「安全性が確認されるまで、飛行停止を要請した」と語った。

朝日の記者は何を聞いていたのだろう?

琉球新報のカメラマンは2時半ころに現場に到着し、写真を撮影している。

オスプレイ残骸2

名護市安部のリーフに墜落した米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ=14日午前2時43分

その後、国防総省からの発表があった。AFPの報道で、2016年12月14日 04:14 発信地:ワシントンD.C./米国 となっている。

在日米海兵隊の垂直離着陸輸送機オスプレイ1機が「事故」を起こして浅瀬に着陸し、乗員5人が負傷した。…報道官は、事故についての詳細や、同機が墜落したのか否かについては明らかにしなかった。

読売新聞の「着水」は米軍側発表から来てるんですね。たしかに「不時着」に比べれば筋は通っている。「本人がそう言っているんだから、しょうがないでしょう」ということだ。

その立場から見ると、防衛省の「不時着」呼称も不正確だ。報道担当者が流石に「着水」と呼ぶのはためらったということかもしれない。

問題は、実情に合わせて呼称を変更することだ。実情を見れば、米軍(とくに現地の海兵隊)がどう呼んでいるかは関係なくなる。

琉球新報も当初は防衛省にあわせ「不時着」と表現している。

2016年12月13日 23:50 オスプレイ、沖縄近海に不時着

それが現場を見て、写真を取って「墜落」に変更したのである。


結論はこういうことだ。

オスプレイは間違いなく墜落したのだ。

ただ、当初は防衛省の発表に合わせて「不時着」と呼んだ。

午前1時の沖縄海兵隊のリリースは「着水」と呼んだ。(ひでぇ話だが)

琉球新報は当初「不時着」と報道したが、記者が現地に行って「墜落」であることを確認し、呼称を変更した。

そこには思想性とか政治的立場とかは関係ない。

しかし、琉球新報が「墜落」として写真付きで報道した後は、その限りではない。

いまだに「不時着」や「着水」の表現にこだわるのなら、それは意図的報道と言わざるをえない。

外国の報道もクラッシュで統一されている。一番むかつくのは、日本のメディアが英語版ではクラッシュ・ダウンと表記していることである。海兵隊自らもそう言っている。クラッシュ・ダウンというのはどう考えても墜落であり、不時着とか、ましてや着水などという意味はない。

Marine Osprey crashes near Okinawa, crew members rescued https://www.marinecorpstimes.com

Osprey crash in Okinawa bound to affect Japan's U.S. military policy ... mainichi.jp/english/

U.S. to ground Osprey after crash injures two in Okinawa:The Asahi ... www.asahi.com/

2ちゃんにこんな投稿があった

日本語だけじゃなく英語まで不自由だったか
壊れればなんでもクラッシュだよ

もしこの「英語の達人」が、入社試験で “Marine Osprey crashes” を「オスプレイが壊れた」と訳せば、ペケではなくても採用はされないと思う。グーグル翻訳を使っていたほうがはるかに良い。


オスプレイ どこが不時着だ。
朝のバタバタ時に時計代わりにテレビを見たら、オスプレイが不時着したそうだ。
全員無事でふたりが怪我で収容された、たらしい。
「ついにやったか」と思って画面を見ていると、「不時着」の現場の映像が流れた。
どこかの海岸近くの海の上だ。
機体は二つに割れて、海中に散乱している。
「墜落じゃん!」
よく全員無事(といってもけが人は出ているが)で助かったと思う。
アナウンサーのセリフが白々しい。
いかにも「ちょっとした手違い」風の言い方だ。
だいたい、ヘリコプターに「不時着」なんて概念が存在するのか。
飛行機ならエンジンが片方止まって片肺着陸とか、足が出なくて胴体着陸とかあるが、ヘリコプターは「アカンとなったら、てんでアカン」でしょう。
これが、NHK会長の言った「政府がシロというものをクロという訳にはいかない」というセリフの中身だろう。
政府がシロといえば、それが間違いでも白と言いはる、それが象徴的に現れた。
これは、NHKが「二度とやりません」と誓った大本営発表の受け売りとおなじだ。
「我が方の損害軽微」と、どこが違うのか。
ただそれがシロでもクロでもなく、「真っ赤なウソ」だと分かるほど鮮明な映像を同時に流したことは、NHKの抵抗と見ることができるのかもしれない。
これを見た国民には、不時着ではなく墜落だということ、それを米軍・政府が不時着だと強弁したこと、それをNHKに押し付けたことが疑問の余地なく明らかとなった。
「米軍・政府はうそをつく」ということが誰の目にも焼き付けられた。
そういう意味では良い報道だった。

数日経ってからあらためて考えると、浦野さんの論説は、総説の形を取ってはいるが、いろいろな意味でかなりバイアスの掛かったクセのある主張ではないかと思い始めている。

海綿の特定の部位の細胞(ニューロイド細胞)を指して、モノアミン(神経伝達物質)の顆粒があるから神経細胞の芽だという主張だが、それは内分泌細胞の芽というべきではないか。

例えば神経細胞のクライテリアを考えてみる。先に触れたようにいくつかの基準がある。それと同様に内分泌細胞のクライテリアを考えてみる。

そうすると、神経細胞とは到底言えないが、内分泌細胞の基準にはかなり当てはまるところがある。

ここから言えることは、内分泌細胞と神経細胞が共通の祖型から分化したというよりは、内分泌細胞、とくにモノアミンを産生する内分泌細胞が先に存在して、その特殊系として神経細胞が分化・発達したと考えるほうが素直なような気がする。

この先後関係は、とりあえずはどうでも良い話であるが、ただ活動電位という形に一度エネルギー転換することを神経細胞の決定的基準だとすれば、やはり「海綿には神経はない」というべきではないかと思う。

もちろん活動電位を生じる細胞はあまたあるわけで、循環器専門医として心臓の電気生理や心筋のダイナミックスを勉強してきた私にとっては、ある意味おなじみの世界である。

内分泌系と神経系をひっくるめて動物の情報伝達系とするならば、その中で神経系は活動電位を介在するお陰で飛躍的な多様性を獲得した内分泌細胞として捉えるべきではないか。

さらにいうならば、動物は神経系という特殊な内分泌系の形態を獲得したことによって、初めて真の動物足り得たのではないかと思う。

そして他の内分泌細胞とは形を変え、樹状突起という受け口と軸索という長い延長コードを獲得し得たのではないか。

ただそれはあくまでも内分泌細胞であって、液性の刺激により情報を受け取り、液性の神経伝達物質の分泌という形で情報を発信するのである。

もう一つ神経系の発達をめぐる議論の中で明らかにしておかなければならない点がある。

それは海綿動物→刺胞動物というかたちで動物が発達してきたとは必ずしも言えないことである。そこにはかなり「退化的進化」が入り込んでいると思う。

苦労しなくても食料が手に入るとなれば、誰でもぐーたらになる。歩かなくてもいいなら足は退化し、口を開けていれば食い物が飛び込んでくるなら手も退化する。

だから一つの機能に着目して「どちらがより進化している」という言い方には、慎重であるべきだろう。

最近はゲノム解析が発達しているので、意外なやつが実は偉かったりする。そのへんもふくめて、長い目で見ていくこともだいじだろう。

最近、メールボックスにトゥイッターやらフェースブックやらのかけらがやたらと飛び込んでくる。

日によっては到着メールの半分くらいがその手のメールになっている。

正直いってあまり触りたいツールではない。

ネットというのは不特定多数に対して発信するものであるから、紙媒体に近い存在である。

私はホームページの時代から実名でやっている。実名ブロガーは少数派であるが、記事のクオリティーに対する責任の証と考えている。

紙媒体と比べると、あとでこっそりと訂正して知らんぷりすることができる分、便利ではある。ただ私は後から補充することはあっても、抹消訂正はしない。訂正は元の文を残した上で「すみません、間違えていましたので、下記のごとく訂正いたします」と書くようにしている。

だから、バグヘッド・エンペラーの使用感想に対するクレームはいまだに来るが、それで良しとしている。

そのせいか、かなりきわどい記事を書いてもネトウヨの集中砲火は浴びずにすんでいる。もちろん時々は来るし、いくつかはコメントを拒否した。いつかは集中攻撃を浴びるだろうと覚悟はしているが。

こういう人間にはどうもツイッターは性に合わない。

だからこの手のアプリをなんというのかが、未だによく分からない。

ウィキペディアで調べると、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)と総称されるらしい。

主なSNSとして下記が挙げられている。何かどこかで聞いた名前がたくさんある。

Ameba
Facebook
Google+
GREE
Instagram
LINE
LinkedIn
mixi
Miiverse
Mobage
Myspace
Pinterest
Sina Weibo
Skype
Tumblr
Vine
WeChat
Twitter

今のところは縁なき衆生だ。

まず論文の出処を示す。

Web TOKAI というサイトに、「細胞社会のコミュニケーション」(全12回)という連載シリーズがあって、その中の7本目の論文ということになる。

題名が「ニューロンの祖先と神経分泌」で、著者は浦野明央さんという方。北海道大学名誉教授である。

題名からも分かるように、多細胞生物の情報システムを全体として扱い、そのための情報伝達ツールの一つとして神経系を位置づけている。これは神経系を総括的に扱う上で非常に大切な視点だろうと思う。

そしてこの論文で、浦野さんは神経系と内分泌系の同根性を明らかにしている。これは「シナプス」というものを理解する上でだいじな指摘だと思う。

シナプス間で生じるタイムラグが「記憶」の根源ではないか、というアイデアもあわせて考えていきたい。

パラニューロンあるいは神経分泌細胞

一般的なコミュニケーションの進化は生体制御系の出現を促す。

生体制御系は,環境変動を検出し,個体として調和の取れた反応をするための重要なシステムである。

その起源はパラニューロン(神経内分泌細胞)である。分泌機能を持つパラニューロン型の細胞は、最も原始的な海綿動物をふくめすべての多細胞動物に存在している。

パラニューロンは神経系と内分泌細胞の共通の祖先

純粋なニューロンがより高次な動物に出現するのと同様、純粋な内分泌組織も高等な左右相称動物にならないと見られない。

内分泌細胞から神経細胞が分化するのではなく、両者が共通の祖先=パラニューロンから進化するということになる。

多くの専門書ではパラニューロンはニューロンの祖先として認知されていない。そこには活動電位が存在していないからである。

しかし、刺激を感受して化学的な情報分子を放出する双方向性が神経の本質であとするならば、活動電位が介在するか否かは、その後の分化・発展過程の問題でしかないのではないか。

と浦野さんは主張する。おおいに同感するところである。

神経系、ニューロンの三段階

これを私なりに敷衍すると、

1.双方向性の獲得: 刺激を感受し、それを化学的情報として出力する段階。これを順序を逆にすれば、まさにシナプスの原理である。

2.活動電位の利用: 感受部と出力部を活動電位の流れとしてつなぐ。これにより伝導速度は大幅にアップするので、長い軸索を伸ばすことも可能になる。

3.ネットワークの形成: 軸索が伸びることで遠位の細胞との情報のやり取りが可能になり、ネットワークが作られるようになる。

ということで、まずはシナプスありき。シナプスと、シナプスによる細胞間のペアリングこそが神経の始原的本質なのである。

海綿動物のプロトニューロン

ケツボカイメンの中膠内には紡錘型の双極細胞および多極細胞が散在する。そこにはアセチルコリンエステラーゼ、モノアミンオキシダーゼ、モノアミン類の神経分泌物質が局在する。鍍銀法や電顕像でも、分泌細胞に特徴的なゴルジ装置と分泌顆粒が存在する。

これらの形態学的な所見は、それらがパラニューロンであることを示唆する。

と浦野さんは指摘するが、私にはなんとも言えない。図を見ていただくしかない。

paraneuron

ここからあとは第8回の一部です。

プロトニューロンに欠けているもの

前回、海綿においてニューロンのタネとも呼ぶべき「プロトニューロン」が存在していることを示した。

しかしそこには「真正ニューロン」と呼ぶべき決定的な条件が欠けていることも間違いない。

なぜなら、①刺激によって活動電位を生じることが確認できず,②シナプスの存在が確認できず、③それを介した情報伝達が確認できないからである。

ただし、もっとねちっこく電顕像を検討すれば、「シナプスもどき」の構造はあるはずだし、モノアミンのやり取りの現場も発見できるはずだと、わたしは思う。したがって②と③については「今のところ観察できていない」というにとどまるのではないか。

クラゲがニューロンの最初の持ち主

シナプスの存在とそれを介した活動電位の発生が確認されているのはクラゲ(刺胞動物)よりあとの動物である。

刺胞動物の神経系は,散在するニューロンが網状の構造を作っている。このことから網状神経系と呼ばれる。

このあとはかなり専門的な話になるので省略する。

大隅さんのノーベル賞受賞のニュースで、初めて『オートファジー』という言葉を知った。

自動的にファジー(Fuzzy)になるということで、カメラの効果のことかと思ったが、マクロファージのファージということで、「それならオートファージと言ってくれよ」と思う。

しかしこの研究、どうも今までの知識と整合していない。

私が研修医になりたての頃、世は免疫学だらけだった。そして免疫反応の出発点をなすのがファーゴサイト

体に異物が入ってくるとまず貪食細胞というのが対応して、その異物を食ってしまうのだ。白血球も食細胞ではあるが、大抵はマクロファージというもう少し大型の細胞を指す。

この細胞にはライソゾームという顆粒があってそこで異物を消化し解毒する。

ところがこの食細胞は異物を食ったからと言って殺せるとは限らない。そうすると食細胞は細胞膜に旗を立てて、「俺を撃て」と宣言する。

そうすると細胞性免疫が出動して、この食細胞を殺そうとする。

この過程は液性免疫の応答と違って、ゆっくり進むが、しつこくていつまでも終わらない。それどころか食細胞という自分の細胞を攻撃するので、自己免疫疾患に移行することもある。

というのが私の理解だ。多分いろいろ間違っていると思うが…

もう一つは細胞が老化すると、自殺遺伝子が働いて、活動をやめて蛋白やアミノ酸に分解されていくという過程がある。

不勉強のため、知識は40年位前で止まってしまっている(しかもほとんど忘れている)が、だいたいこれで細胞死と分解については説明できたつもりでいた。

だから「オートファジー」と呼ばれても、これまでの話との接穂が見つからないのである。

おそらくそれは老廃物の清掃とリサイクルという出来事を、免疫学という色眼鏡を通して見ていたからであろう。

考えてみれば老廃物の除去というのも生命にとって本質的な営みであり、体を異物から防衛するという免疫の働きとは別のものである。

多分免疫は華々しく闘うのに忙しい軍人さんだから、清掃などいうのは二の次で、屑屋か汚穢屋なみに見下していたに違いない。

しかしどちらが生命にとってより本質的かといえば、排泄のほうだ。老人施設で働くスタッフの一人としては、「食う・寝る・出す」が生活の三要素だ。免疫はそれを軍事用に転用しているにすぎないのだ。

オートファジーには病的意味はなく、我が家の毎日のお掃除みたいなものだろうと思う。リサイクルなどというのは派生的なものだ。そういう洒落たことを言う前にこのゴミ屋敷なんとかしろよ。断捨離、断捨離、


今後の課題(私の)だが、医学用語ではなく生物学の文脈の中で、系統発生的に理解し直さなくてはならないのではないか。

ということまでは理解できたが、各論はいずれまた

 

ということで、おそらくは体液を介した内分泌系の情報伝達から、神経伝導系が分化発展したのではないかという推理が成り立ちうる。
そうすると、それを学問的に裏打ちできるかどうかという話に進む。それには系統発生学の世界に飛び込むしかない。
その前に、論理として整理して置かなければならないことがある。
1.内分泌系と神経系に前後の時間差があるかどうか
2.有線化によって得られるメリットは何か。内分泌系と神経系の本質的差異はネットワークの形成にあるのだろうが。
3.それは動物の進化にとってどんな意味があったのか、神経系の発達は動物系をいかに進歩させたか
4.神経系に一本化されずに、古い内分泌系も残って、共存関係になった理由は
5.シナプスという前時代的な装置が残されたのはなぜか。コンデンサー(蓄電体→記憶体)としての役割?
6.化学的エネルギーから電気的エネルギー(活動電位)への転換というエネルギー形態の転化(物理的転換)はいかにもたらされたか
とりあえず以上のような事項が念頭に浮かんでくる。

なかでも最大の哲学的課題は3.にある。
A 生命の始まり(エンゲルスとヘーゲルのテーゼ)
生命とは蛋白体の存在の仕方である。そして、この存在の仕方で本質的に重要なところは、この蛋白体の化学成分が絶えず自己更新を行なっている、ということである
有名なエンゲルスのテーゼだが、この人は他人の考えをスルッと小奇麗にあしらう名人だから、きっと何か元ネタがあるのだろうと思う。
ただ、このテーゼの後段で「代謝過程が本質だ」というのは一面的である。
正確に言うのなら「生命は二重の過程の複合である」と言うべきだろう。生命を実体として捉えるのなら、たしかに代謝過程そのものだ。しかし何よりもそれはヘーゲルの言う「対自有」なのだ。自然の一部ではあるが、自然一般に解消されない「おのれ」というものがそこにはある。
自然において疎外されていた個体(ヘーゲルの言う「理念」)は、その展開において、「その直接性と外面性を脱して、自らの内へと帰り、まず生きたものとして現われる」
この独自性を紡ぎ出し、自然に対して独立性を主張し、自然の流れに抗うことに生命の本質がある(ここを指摘しないから、ヘーゲルは逆立ち人間になるのだ)。代謝過程はそのための必須のアイテムなのだ。この観点は、しばしばエンゲルスから抜け落ちることがあるので要注意だ。

B 単細胞生物から動物と植物への分化

以前、生物は植物と動物から構成されると書いたが、訂正する。生物は微生物(単細胞生物)と植物、動物から構成される。
ウィルスは「生命と無生命のあいだ」に位置するが、これは無生命から生命が生まれる過程に存在するのではなく、微生物が「退化的進化」を遂げたものであり、グータラの極みだ。
初期の単細胞はまったく風まかせの生活を送っており、日々絶滅の危機に晒されつつ、それを旺盛な繁殖力で補っている。中には「タンパク質の存在の仕方」を中断して、代謝過程もストップして、死んだふりをして生き続ける強者もいる。
そのうちに葉緑体を細胞内に取り込んで、光合成を行い、栄養を自賄いする単細胞生物が現れる。(厳密に言うと代謝はエネルギー源としての炭水化物の摂取と、体成分としての窒素化合物の摂取からなるが、後者は省略する) これが多細胞化し植物の先祖になっていく。厳密に言うと葉緑体に寄生する生物ということになるのかもしれない。
植物系の生物が増えてくると、これを食することによって栄養を賄おうという生き物が出てくる。これが多細胞化することによって動物が生まれてくる。
植物は光と水のあるところどこでも原理的には生存可能である。しかし動物は植物なしでは生きていけない。従属栄養生物である。
然るがゆえに、動物は絶えず植物をもとめてさまよう。これが動物の「本質的な存在の仕方」である。
初期の動物である海綿やサンゴには神経はない。だから、海底の何処かに根を張って「お客さんいらっしゃい」とっ口を開けて待っているのみである。プランクトンも(多くはもっと高等な動物の幼生であるが)水中を漂いながら偶然に口に入る栄養を獲得するのみである。
ところが生物界がさらに発展すると、植物ばかりでなく動物も多種多様に発展する。そうすると植物より遥かに効率の良い肉食に転化する動物も現れるようになる。それはやがて、食物連鎖と呼ばれる弱肉強食の世界を形成することになる。

C 食物連鎖を生きるためのアイテム

食物連鎖の世界を生き抜くということは、まず捕まえることであり逃げることである。これから派生する能力は餌を求めて移動することであり、ライバルとの競争に打ち勝つことである。
これらすべてのことには瞬発力、集中力、判断力が必要だ。「人間は考える葦だ」と言うが、動物はみんな考えている。言葉にしないだけだ。「本能だけで動いている」というが、それは過去の考えの蓄積がDNA化(?)されただけの話だろう。運動神経がだめな人間は、過去の祖先が学習しなかったからだ。祖先を恨め。
とにかく、この世界に生き抜くためには本格的な神経回路が必要になる。そして本格的な神経回路の条件とは瞬発力、集中力、判断力、持続力だ。
餌をもとめるさすらいの旅、餌を待ち伏せる我慢が長期にわたることもある。その際は上の4つに加えて記憶力が求められる。持続力も判断力も記憶力に裏打ちされてのものだから、それらの代わりに記憶力を加えた方が適当かもしれない。

3.の説明が長くなったが、とにかく神経系に関する6つの論点をあげてみた。
さてそれでは系統発生学の世界に飛び込むとするか。

*ついでに、肉食動物と草食動物について
肉食動物と書いたが、いま世間で言う肉食系、草食系の意味ではない。
この世に存在する高等動物(少なくとも脊椎動物以上)はすべて雑食系と見るべきであろう。
野生のライオンは草食動物の肉しか食わない。しかしそれは適応であろう。その土地の食物連鎖の中のどこに自らを位置づけるかという選択があり、それに付随した身体的変化が起きただけだろうと思う。
猫も犬もいまやペットとして缶詰付けになっているが、その昔は家族の食べ残し(いわゆる猫まんま)で暮らしていた。さらにその昔は山猫なり狼なりとしてブイブイいわせていたに相違ない。


シナプスの勉強が完全にストップしている。

もともと赤旗の家庭欄に載った「ストレス→ステロイド過剰が脳を壊す」という福井大学の女医さんの発言が「ちょっと待てよ」ということになって、

うつ病とは何かということになって、私は脳の「やる気中枢」の異常だと考えた。海馬がやられたり、前頭葉がやられたりというのは二次的な結果にすぎないと考えた。

したがって、病気の首座は視床+視床下部にあり、病態生理学的には神経伝達物質の枯渇、あるいはシナプスでの情報の受け渡しが失調に陥ることが本態であると考えた。

うつ病の本態は未だに明らかとはいえない。しかし治療薬はあって、三環系抗うつ剤、セロトニン再取り込み阻害薬(ただしこのお話は“見てきたようなウソ”の可能性あり)が奏功する。逆にレセルピンやβ遮断薬が明らかにうつ病を誘発し増悪因子となる。

だからモノアミン類をシラミ潰しにしていけば見えてくるのかな、うつ病はシナプス病なのかなと思っていた。

しかし神経伝達物質やシナプスでのやり取りを具体的に調べていくと、どうもそんなに話はかんたんではない。

まず刺激を送る側の事情は、シナプス連絡に限って言えば、どうでも良いことがわかった。

神経線維を伝わってきた電気刺激(活動電位)は、末端に達してそこに蓄えられた神経伝達物質を放出させるのであるが、向こうがどう受けるかには関係なくひたすらドバっと放出するのである。

ドバっと出した伝達物質が何にどのくらい使われるのかは、知ったことではない。彼らにとって重要なのは放出した物質をいかに効率よく回収してリサイクルして、次の放出に備えるかである。

シモネタになるが、男はペニスを突っ込んで射精すればそれで終わりだ。どの精子が卵と接合するかは知ったことではない。女性の営みはそこから始まるのである。

もう一つは神経伝達物質と呼ばれるもののいい加減さである。率直に言えば厳密な意味での神経伝達物質と呼ばれるものはない。生体内ホルモンやアミノ酸が代用されるのである。

窒素酸化物さえ伝達物質になるというのだから、もうなんでも良いのである。結局、受け手の神経細胞の膜レセプター(ホルモン受容体 a/o 化学受容体)が反応するかどうかが問題なのだ。


つらつらと考えてみれば、神経伝達物質を介した情報の受け渡しというのは、シナプスという密接な関係を除けば、生体内の標的臓器のレセプターがホルモン受容体を通じて体液を介した情報を受け取るのと全く変わりない行為である。それが電話か手紙かというだけの話だ。原理的には意外と原始的な代物である。


結局シナプスを介して送り手のニューロンと受け手のニューロンの関係はこういうことになる。

選ぶ主体はあくまで受け手の側にある。しかし送り手は手練手管を使って自分以外の情報が送れないようにしている。とすれば受け手の選択は送り手を受け入れるか、それとも拒否するかの選択しかない。

そこで「イヤよイヤよ」という受け手の神経細胞(細胞膜)にステロイドを突っ込んで抵抗力を奪う、という犯罪的手法が登場する。そうなれば最後は自死する他ない。

現実にそういうメカニズムが存在するかどうかは分からないが、検討する必要はありそうである。

田口道昭さんが石川啄木の「地図の上朝鮮国にくろぐろと~」の歌をめぐってという文章を書いている。

関心は、どうして歌人の中で啄木のみがこのような思索に達し得たのかということだ。

この歌は明治43年(1910年)に「創作」という一連の作歌に収録され、「9月の夜の不平」という一連の中の一首とされている。

朝鮮併合が行われたのはその1ヶ月前のことだ。

日露戦争に「君死にたもうことなかれ」を書いた与謝野晶子は、朝鮮併合を次のようにたたえている。

韓国に 綱かけて引く神わざを 今の現に見るが尊さ

幸徳秋水の「帝国主義」やその非戦論も、帝国主義戦争への批判にとどまり、植民地獲得競争への視点、朝鮮固有の問題への認識へと発展していなかった。

それでは啄木は独力でこの境地を生み出したのか。

そこで田口さんは先行者としての木下尚江を押し出している。

朝鮮併合の6年前、明治37年6月に木下尚江は平民新聞に「敬愛なる朝鮮」という論文を発表している。記事そのものは無署名で、後の調査で木下の筆によるものであることが明らかになった。

政治家は曰く、「我らは朝鮮独立のために、かつて日清戦役を敢行し、また日露戦争を開始するに至れり」と。

かくて我らは「政治上より朝鮮救済を実行せん」と誇称しつつあり。

然れども、彼らがいうところの「政治的救済」なるものが、果たして朝鮮の独立を擁護する所以なるか否かは、吾人は容易に了解すること能わず。

まことにこれを朝鮮国民の立場より観察せよ。

これ、一に、日本・支那・ロシア諸国の権力的野心が、朝鮮半島という「空虚」を衝ける競争に過ぎざるにあらずや

明治37年6月(1904年)という日付けに注目していただきたい。日露戦争が始まったのがこの年の2月、まさに戦争の真っ最中なのである。

前月、鴨緑江会戦でロシア軍を撃破、ついで第2軍が大連を攻略し、遼陽に向け進軍を開始しようとするさなかである。

まさに命がけの記事であったことは間違いないと思う。

ただこの記事は「黒々と」の歌の6年も前のものだ。当時啄木は18歳。東京で気鋭の歌人としてデビューしたばかりの頃である。この記事を読んでいたかどうかさえ定かではない。

ついで田口さんが挙げるのが、朝日新聞の連載「恐るべき朝鮮」である。

この記事は明治42年(1909年)に24回連続で掲載された。渋川という記者の現地紀行文である。

この記事は決して思想的なものではなかったが、挿話として日本の横暴の実態が散りばめられていたらしい。当時、朝日新聞で校正の仕事をしていた啄木は、このような朝鮮の状況をドイツをロシアに挟まれ、祖国を失ったポーランドへの同情と重ねていたのではないか、と田口さんは見ている。

そして最大の引き金となったのが、大逆事件である。以前の記事でも書いたが、啄木はこの事件に並々ならぬ関心を抱いていたし、場合によっては主体的に関わろうくらいの気持ちを持っていた。

彼の眼にはこれが一揆主義者の暴発と、それを奇貨とした政府の社会主義者弾圧のためのでっち上げであることは明らかだった。

そしてこの弾圧が目前に迫った朝鮮併合をつつがなく行うための予防措置であると啄木は予感した。


というのが田口さんのあらあらの主張である。

こういうことだろう。

啄木は朝日新聞の校正部に職を得て以降、急速に知識を広げ、社会的自覚を高め、一匹狼から組織的行動へと変身を遂げ、新聞記者ではないが人一倍ジャーナリストとしての身構えを身につけることになった。

感想になるが、

啄木像は、まず1909年3月、朝日新聞就職後の最後の3年を原像として把握すべきではないか。それでも24歳から26歳だ。この年にしちゃあ立派なもんだ。

それ以前の啄木は「プレ啄木」というか、成人啄木に至るまでの修行時代、ビルドゥングスロマンとしてみておくべきではないか。

「見よ、飛行機の高く飛べるを」は、その完成期における詩として、大人の詩としてみておくべきだろう。

2012年12月23日の記事 に現れた、天才少年歌人としてのやや酷薄な啄木像は、すでにそこにはない。

カジノ法がひどいことになっているのだが、反対論の中にアメリカからの圧力を指摘した文章が少ない。
下記は赤旗からの引用だが、だいじな情報と思われるので紹介しておく。
要するにカジノとTPPは同根なのだ。その上にトランプの登場があって、ますます激しく尻尾を振っているわけだ。実に見苦しい。

ふと見つけた講義録が大変面白かったので紹介する。

会計学の根底にあるもの」となっている

田中章義さんという東京経済大学の教授だった方が、2005年に行った最終講義のようだ。当時70歳、いまの私と同じだ。

講義は生い立ちから述べられている。札幌の山鼻の生まれ。結核で2年休学してからの北大入学だから、イールズ世代と安保世代の中間ということになる。

農村セツルメント「どんぐり会」で活動していたと言うが、私の入学する6年も前に卒業しているから面識はない。

ということで、話そのものが面白いのだが、今日取り上げるのはその中で石川啄木の「飛行機」という詩を引用されたところ。大変良い詩なので、そのまま重複引用させてもらう。ただし、多少の異同があるので、元の詩そのものを引用する。

講談社版『日本現代文学全集』39「石川啄木集」(昭和39年2月19日発行)

       飛  行 機     
         
 1911.6.27.TOKYO.

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたつた二人の家にゐて、
ひとりせつせとリイダアの獨學をする眼の疲れ……

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

啄木25歳(死の前年)、明治44年(1911年)6月27日の作です。「はてしなき議論の後」などの詩と一連です(詩集『呼子と口笛』)。

岩城之徳の解説によると、

この詩には、少年が「飛行機」に仮託した夢と、少年の暗い現実が意味する作者の絶望感との両者が並行して提示されている。つまり一編の主題はどちらか一方のみをいうことにはなく、両者の関係をいうことにあったのだろう。すなわちこれは、脱出しようもない人生の暗さを自覚するがゆえに、いっそうそこからの跳躍を願い、また願わなければならないと思う作者の心情を表白した詩である。

引用しておいていうのもなんだが、「あんたの意見を聞きたいんじゃないんだよ」とおもう。こういうのを蛇足と言うんだろう。

それにしてもひでぇ文章だ。「つまり」と「すなわち」を並べ立てるなど愚の骨頂だが、それでも「要するに、結局のところ」ともう一文入れたくなるくらい、まとまっていない。これで原稿料とるとは相当のいい度胸だ。


何も説明の要らない詩だが、強調するとすれば、「はるけき夢と希望」(明治44年における飛行機と、今日の我々にとっての飛行機とはまったく意味合いが違う。なにせ蝋燭の炎の下で果てしない議論を繰り返していた時代だ)と、少年を見つめる作者の眼差しの優しさだ。

それが「されど誰ひとりとしてヴ・ナロードを…」の「はてしなき議論の後」と引き立て合っているかもしれない。なにせ大逆事件の直後だ。そして自らにも死が忍び寄っている。

そういう閉塞感の中の抜けるような蒼空の一瞬だ。悲しいわけではないが、何故か目頭が潤んでくるような光景ではないか。

本日の文化面の「潮流」というコラム。
見出しは「ノーマ・フィールドの指摘」というもの。
ノーマ・フィールドは小林多喜二の紹介者として有名な日本文学研究者。
私も一度講演を聞いたことがある。
記事は、ノーマ・フィールドが中心となって「プロレタリア文学研究」が発行されたことに関するものだ。
それについての説明は省くが、記者が紹介したノーマ・フィールドのリアルタイムの問題意識が面白い。
白人貧困層から後ずさりする白人リベラル
彼女はトランプ現象を前に、「白人リベラルが白人貧困層にかける言葉を持たない 」という問題が浮上したと考えた。記者はこの問題について、「ノーマ氏は鋭い目を向ける」と表現している。
それは「(白人リベラルが)白人貧困層を同じ人間として見なすことができなかったことではないのか
解答は実践にあり
その視点から、プロレタリア文学運動の魅力をあらためて見直してみると、そこには答えがあるという。
プロレタリア文学の何よりもの特徴が参加者の「実践」的姿勢にあったということだ。
ふつうは顧みられない、社会の底辺に暮らす人々をだいじに、立体的に、具体的に 」把握することが出発点である。
そして「軽視された人生に尊厳を吹き込む行為 」として結実させなければならない。
「かけるべき言葉」を失ったリベラル
その営みを通じて、「貧困層を同じ人間としてみなす」ことができるようになるのではないか。
翻ってみればリベラル層はその営みを軽視し、積み上げてこなかったのではないか。
我々の掲げるスローガンが草の根に届かないもどかしさは、日頃感じるところであるが、それは庶民語で話そうとしない我々の側の怠惰に起因しているのではないか。我々の言葉は意味を失って浮遊しているのではないか。
ノーマ・フィールドはそこまで掘り下げた上で、あえて「言葉を失ったリベラル」を叱咤し、「言葉を取り戻せ」と呼びかけているように思える。



「弥生時代」という時代区分の虚しさ

なぜ、「弥生時代」という無意味な命名がかくも長きにわたり学会を支配しているのか分からない。

それは土器の名称に過ぎず、しかも東京本郷の東大の近くの弥生町で最初に発見されたからと言うだけだ。一つの時代を表現するのにこれほどナンセンスな名称はない。

それだけではない。弥生時代という名称にこだわる限り、時代の終わりを特定できないのである。だから概念がまったく異なる古墳の出現という事態をもって、強制終了させるしかないのである。

ところが、この「終わりを画することができない」という事情は、他の多くのパラメーターをもっても解決できない。

例えば稲作文明とか水田文化と言っても、それは現代まで連綿と続いており、終わりを画することはできない。鉄器文化と言ってもその弱点は解決できないのである。

「銅鐸時代」こそが時代を表すキー概念

ところが、銅鐸の流布とその突然の中断こそは時代のはじめと終わりを象徴している。

それは日本における長江人文明の優越の時代と、その終焉を意味しているからである。

鉄を持たない長江人は漢民族に中原を逐われ、逃れた先の朝鮮半島からも北からの民族に逐われ、さらに逃れた先の日本で銅鐸文明を花咲かせたが、それも天孫族に破壊されてしまう。それが弥生時代の本質である。

弥生時代はいかに始まったか

弥生時代を水稲栽培と重ねて、ずいぶん昔まで遡らせる議論がある。前史としての陸稲“栽培”までふくめると、紀元前2千年まで遡らせる意見もある。

しかしそれは晩期縄文時代の存在を否定することになる。陸稲“栽培”は、もしそれが本当だとしても、渡来した長江人によるものではなく、古来から日本に土着した縄文人、によるものである。

Y染色体でいうと、晩期縄文人というのは北からやってきたB系人と朝鮮半島から渡来したC系人(少数派)の混住・混合である。

人口比率から言えば北方系が圧倒的に多いのだが、C系人も西日本を中心に無視し得ない比率を占めている。

この晩期縄文人は朝鮮半島と頻繁に交易し、半島に逃れてきた長江人とも接触した。

そして水田技術を買い、長江人を北九州に招聘した。半島の長江人は北方人の圧迫もある中で多くが九州に移住した。

九州北岸の遺構を見るとそれは紀元前500年ころ(三韓の成立)を一つのエポックとしている。

たしかに弥生時代の始まりにおいて、銅鐸は必ずしも重要な役割を果たしているとは言い難い。

しかしそれも「弥生時代」の本質的特徴をなすのである。


弥生時代前期は長江文明と縄文文化の融合

九州北部への長江人の植民は平和裏に行われ、混住・混血が盛んに行われた。それはおそらく当時の朝鮮半島南部においても同様であったろうと思われる。

なぜそれが可能であったか、それには経済的要因と地政的要因があったと思う。

経済的には長江人の水田耕作と縄文人の採集・漁労生活が住み分け可能で、ウィン・ウィンの関係にあったからだ。地政的には縄文人の側に長江人を受け入れるだけの通交の経験があったからだ。だから受け入れ側の縄文人は長江人を排斥しなかった。

生産性から言えば水田耕作のほうがはるかに高いが、それは労働集約型でもある。食わせる能力から言ってもそのために必要な労働量から言っても、長江人の人口は急速に増加することになる。

かくして、紀元ころには縄文人と長江人の人口は匹敵するようになり、ここに両民族の統合としての“原日本人”が出来上がることになる。

シンボル宗教としての銅鐸信仰

長江人は縄文人の伝統や社会の枠組みを尊重しつつ徐々にその数を増していく。そして平野部では人口の多数派となっていく。その象徴となったのが銅鐸を寄るべとする信仰だった。

銅鐸はもともとカウベルのようなものだったらしい。長江流域の原長江文明において、すでにその存在が確認されている。朝鮮半島でも、彼らが生息していたであろう地域から小型銅鐸が出土している。

縄文人といかに混交しようと数千年の歴史を持つ銅鐸信仰を捨てることはできない。だから長江人(農耕民)が各地で多数派となるにつれ銅鐸信仰は復活し、隆盛していく。

ここからある意味では「真の弥生時代」が始まるのである。

銅鐸文明の発生と興隆の経過については、私の前の記事を参照されたい。

銅鐸の広がりは、水稲栽培と長江人の支配の広がりを意味する。銅鐸は東に行くほど、時代が下るほど大きくなり、聞くものから見るもの変化していく。劇場型宗教への転化と言える。

シャーマニズム集団の侵入

縄文人の信仰は森羅万象への八百万的なアニミズムである。これに対し、銅鐸の音を聞きながら参加者が土地の恵みへの思いを同じくするというユニバーサルな信仰スタイルは、究極的なアニミズムであり、十分にシンボル的である。

同時にシンボル宗教は柔軟であり、原始的なアニミズムとの共存が十分に可能である。

しかし世の中が剣呑になってくると、民衆は抽象的なシンボルに飽き足らず、教祖をもとめるようになる。

それが外来者集団として侵入した場合、情勢は激変することになる。それが「天孫族」集団だ。

彼らはたんなる海賊集団ではなく「十字軍」のいでたちで攻め込んでくる。彼らの使命は邪教撲滅と異教徒の抹殺だ。だから容赦がない。

彼らは九州・出雲を征服した。そして銅鐸を片っ端からぶち壊した。銅鐸文明を破壊した。

これにより弥生時代は終焉を迎え、シャーマニズムの時代としての「古墳時代」が始まっていくのである。

天孫族の2つの系統

青谷上寺地遺跡からはっきりしたのは、紀元150年から200年にかけての「倭国大乱」の時代に出雲で起きた現象が天孫族による銅鐸人(長江人を中核とする弥生人)の駆逐だったということだ。

前後関係から見れば、これを実行したのは同じ天孫系でも九州のアマテラス系(百済起源)とは異なるスサノオ系(新羅起源)だったということになる。

彼らは、その後の数十年の間にアマテラス系に出雲を譲り、越前から大和に入り纏向政権を樹立したことになる。かなり忙しい話だ。妻木晩田を出雲政権とする説とも矛盾する。

この辺については、今後とも銅鐸を手がかりにしながら、現場にあたっていこうと思う。

むきばんだ東方に集団虐殺の跡

教育委員会のサイトには「むきばんだの時代」というページもあって、興味深い記事が見られる。

鳥取県気高郡青谷町の青谷上寺地遺跡で、大量の人骨(約90体以上)が発見されました。
これらの人骨は溝の中に折り重なるように散乱していた。

鋭い武器で刺されたり切られたりした傷跡の残る人骨、女性や10歳ぐらいの子供も含まれていた。

ウィキでは下記のごとく記載されている。

遺跡の東側の溝では弥生時代後期の100人分を超える約5,300点の人骨が見つかったが、うち110点に殺傷痕が見られた。

遺跡状況から、これらの人骨が埋められたのは紀元150~200年の間(弥生時代後期後半)と見られる。

どういう殺され方だったのかの記載はない。

鳥取大学の井上教授によれば、

外傷は背中や左半身に多く、矢じりが突き刺さった骨もあった。このため処刑されたというよりは闘いによるものと推定される。

人骨は溝に捨てられたりしたのでなく、戦闘の後に一カ所に集めて埋葬された後、人為的に掘り起こされた可能性が高い。

ということで、とりあえず妻木晩田は置いておいて、青谷上寺地遺跡に移る。

「あおや かみじち いせき」と読む。2008年に国の史跡に指定されている。

aoya

鳥取と言っても倉吉との中間、「長尾鼻」と書いてあるところの西側である。


鳥取県教育委員会のサイトには、「あおやかみじち」の紹介ページもある。

青谷町は因州和紙の里として知られている風光明媚な地で、お酒などの醸造業も盛んです。

と言うから、そそられる。

遺跡は青谷平野のほぼ中央に位置し、JR青谷駅南側の住宅・工場地や水田の地下に埋もれています。

aoyagaiyo

大変わかりやすい図で、古代には砂州で仕切られた潟湖があり、そこに張り出した沖積地が遺跡の中心だ。何か見たことがある地形だと思ったら、山口の仙崎港と同じ構図だ。

港湾集落だった可能性もあり、古代中国や朝鮮半島製の金属器や、西日本を中心とした国内各地の土器が発見されている。地形の高かったところでは無数の土坑群やピット群が検出、周辺の低湿地部一部水田域が残されている。

ただし、発掘範囲内には住居跡や墓は見つかっておらず、画面下側の小高い地点がそれかもしれない。

いづれにしても典型的な低地型の弥生遺跡で、むきばんだとは対照的である。


むきばんだと青谷との関係を表にすると

妻木晩田と青谷上寺地を重ねて年表化すると、下記の如くなる

紀元前200年ころ(弥生時代前期末) 青谷上寺地の集落形成が始まる。

紀元0年ころ(弥生時代中期後葉) 青谷上寺地の集落が拡大し、大規模な護岸施設が作られ、出土品の量も増える。

紀元0~50年(弥生時代中期末) 妻木晩田遺跡に人々が住みはじめる。

紀元50年ころ(後期初頭) むきばんだの西側丘陵に環壕が形成。東側丘陵に四隅突出型墳墓群が形成される。住居群はそれより東の別の丘陵に形成される(そのほとんどが山の頂や尾根沿いに作られる)。

紀元150~200年(後期後葉) むきばんだ遺跡が最盛期を迎える。住まいの範囲は遺跡全体に広がる。それぞれの部落は3~5棟を1単位とする集団(クラン)を成す。

紀元200年(古墳時代前期初め) 青谷上寺地の集落が「突如として姿を消した」(ウィキ)。実にドラマチックな遺跡である。

紀元200年 この時期をさかいに、妻木晩田のムラは少しずつ衰えていき、古墳時代の初め頃には住まいがほとんど見られなくなる。

という経過だ。


県教育委員会の記述で最も重要なのは、青谷人が銅鐸人であったということだ。

青谷上寺地遺跡から見つかった「祭りのカネ」銅鐸は、小さな破片ですがその特徴から古い形のものと新しい形のものの、二者があることが分かりました。古い形のものは実際に打ち鳴らされた「聞く銅鐸」です。新しい形のものは、1メートルを超えるほど大型化し、にぎやかに飾り立てられた「見る銅鐸」です。

青谷と妻木晩田を素直に考え合わせれば、むきばんだの山城にこもった部族が、青谷の農耕民集落を攻撃し、破壊し、住民を集団虐殺したとも考えられる。あるいは共同の敵に敗れ、妻木晩田の方は落人集落を形成したのかもしれない。そのいづれなのかは、妻木晩田に銅鐸が見つかるかどうかで決まる。

むきばんだは生存競争を生きながらえ、発展し、やがて平地に移り住むようになる。それに伴い元の集落は自然消滅する。

青谷の民は抵抗の末に絶滅するか、逃げ延びて東を目指すか、むきばんだの連中の支配のもとに下ることになる。

こんな経過ではなかろうか。


あたかも古代日本のトロイ戦争が、勝者の側と敗者の側から浮かび上がってきたようだ。

ただし今のところ、これを弥生人(銅鐸人)対天孫族(新羅渡来のスサノオ系)、あるいは九州由来のアマテラス系という文脈に載せるだけの裏付けはない。


今朝の赤旗で「むきばんだ」という遺跡があることを初めて知った。

妻木晩田と書いて「むきばんだ」と読む。巨大な弥生集落跡だそうだ。

まずはウィキから。しかし工事中で、まだ記載は乏しい。

鳥取県西伯郡大山町富岡・妻木・長田から米子市淀江町福岡に所在する国内最大級の弥生集落遺跡。
遺跡の面積は156ヘクタールにもなり、吉野ヶ里遺跡の5倍にもおよぶ。

こんなに大規模な集落なのに、私が名前も知らなかったのは、私の浅学のためでもあるが、発見が新しいためらしい。

この時期の弥生遺跡というと、どうしても邪馬台国との関連ということになる。それ以上に私にとって興味深いのは、それが銅鐸文明なのか天孫系なのかということだ。

もし天孫系とすれば、それは出雲(スサノオ)系なのか、出雲系を追い出した九州王朝(アマテラス)系なのかということも気になる。

どこにあるのか

グーグル地図ではこの辺だ。米子の東郊外、大山の山麓ということになる。

むきばんだ

鳥取県の教育委員会のサイトに妻木晩田遺跡のページがある。ここの紹介から読み始める。

拡大図

晩田というのは遺跡のある丘陵地帯を地元で「晩田山」と呼び習わしているところからつけられた名前で、谷で区画される6つの丘陵で構成されている。妻木というのは、その中の一つの地区の名称のようだ。遺跡は妻木地区を越えて広がっており、晩田遺跡といったほうが適当ではないかと思うが…

この地図の洞ノ原地区西側丘陵から西方を眺めたのが下の写真で、美保湾越しに米子の市街地と弓ヶ浜半島が遠望される。

Mukibanda_remains_western_hill_at_Donohara_area

発見から遺跡指定に関わる記述は、ここでは省略する。

遺跡の概要

標高100メートルの集落で、環濠をめぐらしていることから、吉野ヶ里と同様に平和的な集落とは言い難い。

ただウィキでは倭国大乱と関係と書いているが、かなり長期にわたり生活が営まれていたので、むしろ弥生後期の集落の一般的特徴といえるのかもしれない。

遺物としては土器、石器、鉄器、破鏡が出土している。大陸性のものも確認されている。

ということだが、これだけではなんとも言えない。

教育委員会のサイトではかなり細部が書き込まれているが、その分、こちらも慎重に読んでいかなければならない。

最近の発掘動向

妻木晩田の最近の状況が下記のニュースで分かる。

2016/7/26 のニュースだ。

見出しは「吉野ケ里の3倍の巨大集落 突然の消滅と「弥生」の謎」というもの。

内容はかなり盛り沢山で、頑張って書いた記事だ。

以下、箇条書きにしていく。

1.大規模な墳丘墓が発見された。仙谷8号墓と仙谷9号墓で、古墳時代前期初頭の築造とみられる。

2.集落はこの墳墓ができた後間もなく、突然消滅した。戦闘があったという証拠は見られない(西暦250年前後と見られる)

この後、古墳屋さんのうんちくが長々と続くがあまり興味はない。

3.すべての集落に「鉄器」が豊富に普及していた

4.鉄器と併存して多くの「有溝石錘」が発見され、この集団が操船技術を持っていたと推定された

以上のことから、妻木晩田の住民は北方→朝鮮半島由来の集団と想定される。私の言う天孫族である。

集落の発生が西暦0年ころまで遡ることから、新羅から渡来したスサノオ系天孫族ではないかと考える。

(銅鐸は絶対に出土しないと確信する)

遺跡の生きていた時代

時期的には弥生時代中期末(西暦1世紀前半)~古墳時代前期(3世紀前半)とされている。大まかに見て、西暦50年から250年の間と想定される。

50年というのは志賀島の金印が発見された頃であり、那国(奴国)を中心とする北九州連合が確立した頃だ。250年というのは魏志倭人伝で、卑弥呼の邪馬台国が魏と通交した年だ。

その間に倭国大乱があり、「出雲の国譲り」があり、銅鐸文明が破壊された。

そして、その20年後くらいに大和盆地に纏向政権が成立している。

西暦50年から250年の間に集落はその姿を変えており、それは考古学的にかなり細かく区分できるようだ。

西暦1世紀前半(弥生時代中期末) 妻木晩田遺跡に人々が住みはじめる。

西暦1世紀中頃(後期初頭) 洞ノ原西側丘陵に環壕形成。洞ノ原東側丘陵に四隅突出型墳墓群が形成される。要するに要塞が形成される。住居群はそれより東の別の丘陵に形成される(そのほとんどが山の頂や尾根沿いに作られる)。

西暦2世紀後半(後期後葉) 遺跡が最盛期を迎える。住まいの範囲は遺跡全体に広がる。それぞれの部落は3~5棟を1単位とする集団(クラン)を成す。

この時期をさかいに、妻木晩田のムラは少しずつ衰えていき、古墳時代の初め頃には住まいがほとんど見られなくなる。

つまり、敵がいなくなってこんな不便なところに暮らす必要がなくなり、平地に降りていったのか、それとも敵に追いやられて逃げていったのか、ということだが、おそらくは前者であろうと想像される。

いずれにしてもこの集落の住民たちは、150年以上にわたって周辺の人々と厳しい対峙を続けたことになる。

「ピアノの詩人」といえばショパンの代名詞。世界中どこに行っても通用する。ところが誰がいつからショパンを「ピアノの詩人」と呼ぶようになったのかが判然としない。
それはいつかまた詮索するとして、「ロシアのショパンたち」を書いていて「なるほど」と思ったことがある。
ショパンは別格として、「ピアノの詩人」と言われておかしくない人はたくさんいる。どちらかと言えば小品にさえを見せる人たちだ。
意地悪く言えば、あまり大河小説のような大作は書けない人、小物作曲家というイメージもある。今では死語になったが「女性的」という言い方もできる。
ところで、ロシアの「世紀末」作曲家たちを聞いていると、そういうちょっとネガティブな枠組みと違う「ピアノの詩人」概念が存在するのではないかと思うようになった。
逆説的だが、ピアノで詩を作り歌う才能がない人というのが世の中にいるのではないかという考えである。
ラフマニノフの場合
最初に気がついたのはラフマニノフだ。
ラフマニノフについては以前、1901年の前奏曲(作品23)の途中でプッツンしたのではないかと書いたことがある。
ラフマニノフといえばチャイコフスキーも目をかけたモスクワ音楽院の俊秀で、大谷ではないがピアノと作曲の両方でトップをとった。前途洋々の人だったはずだが、途中で作曲の方はあきらめている。多くの解説では彼の持病であるメランコリーが関係しているのではないかと言われている。
私もそれを念頭に置いて「プッツン説」を唱えたのだが、あらためて聞いてみて、もっと問題は本質的ではないかと考えたのである。
彼の作品一覧を見て気づいたのだが、彼はそもそも最初からピアノ曲をあまり書いていない。作品番号がつかない初期作品を除くと、作品3の「幻想的小品集」が92年、2台のピアノのための「幻想的絵画」を挟んで、4年後の「楽興の時」が作品16、それから5年をおいて作品23の「前奏曲集」が出たのが1901年である。
この前奏曲集は前にも書いたとおり、途中からカスの集まりになっている。本来なら24曲書くのが筋なのに、10曲でやめてしまった。
それから9年もあとにもう一度、残り13曲を発表するのだが、私の耳からすればカスばかりだ。その後の曲もほぼ同断だ。
なぜか
それはラフマニノフがピアノの名人ではあっても作曲の名人であっても、「ピアノの詩人」ではないということではないか。
彼のピアノ独奏の名曲はほとんどが、“ゆびぢから”でピアノを目一杯鳴らすものばかりだ。「詩人というよりは「プロレスラー」だ。たしかに彼は名ピアニストで名作曲家であるかもしれないが、それは大谷風の二刀流であって、そこに渾然一体となった「詩人」がいるわけではない。
カトワールの場合
カトワールはなかなか良い室内楽を残している。ピアノトリオからカルテット、クインテット、弦楽四重奏曲と一通り取り揃えている。
さぞピアノ独奏でも良いものがあるのではないかと思ったが存外少ない。彼の曲を聞いていると、歌うのは弦楽器、ピアノはそれを支えるのが役割という分担があるように聞こえる。
だから「ピアノで歌いなさいといわれると、ちょっと困っちゃうんだなぁ」という感じがする。もちろん作曲をする時はすべてのパートをピアノで音作りしていくのだろうが、そのときピアノは「音出し装置」、作曲ツールとしか位置づけられていないのではないか。
どうも「ピアノで歌う」というのは、バイオリンとか他の楽器で歌うのとは次元の異なる感性を必要とするのではないかと思う。ピアノというのは本質的にリズム楽器みたいなところがあって、音はポクポクとぶつ切りでしか出てこない。「歌」が音の連続性・持続性を要求するものだとするなら、ピアノは歌とは本質的になじまないのである。
そういう本質的な限界を持った楽器で、それにもかかわらず歌を歌うとするなら、間隙を埋める装飾音符とかいろいろアヤを付けなければならない。
しかしアヤを付けすぎるといかにも野暮ったい演歌になってしまいかねない。その辺の兼ね合いがピアノ曲の制作や演奏には問われるのであろう。そのセンスが「詩人の魂」となるのであろう。

「カストロ 十話―知られざる逸話」

1.サメの泳ぐ海を泳いで逃げた

カストロが国立ハバナ大学に入学したのは第二次大戦の終わった年です。

カストロはやる気満々でオリエンテ(東部)の田舎から出てきました。

一説によれば、カストロはヒトラーの「我が闘争」を愛読,ムソリーニの演説フィルムを見ては,鏡の前で演説の練習をしたそうです.

当時の学生運動は軍隊帰りもいて、多少の暴力はいとわない血気盛んな時代で、3つの集団が覇権を争っていました。

カストロもそのひとつに近づくのですが、自分こそが指導者だと思っていますから、組織の論理で動くことはありませんでした。

当時の真正党政権は比較的進歩的でしたが、汚職・腐敗はひどいものでした。これを正そうという正統党を担いで学生を組織していきます。

このとき、隣の島ドミニカの独裁者トルヒーヨを倒そうという運動が持ち上がります。半分は暴力学生の矛先を外に向けようという支配層の思惑でもありました。これにカストロも乗ります。

カストロら参加者1200名が沖合の小島に集められ軍事訓練を開始しました。ところが直前になって、陰謀はアメリカの知るところとなり、米政府はキューバ政府に弾圧を求めました。

小島に取り残された参加者は一網打尽となるのですが、カストロはゴムボートで脱走.最後にはサメのいる海を泳いで対岸にたどり着き脱走に成功します。

カストロの偉いのはその日のうちにハバナにたどり着きただちに行動を開始したことです.カストロが政府非難の集会に顔を見せるや満場の拍手で歓迎されました.このような土壇場でのクソ力が何度カストロの命を救ったことでしょうか.

これが最初の武勇伝。

2.ボゴタ事件に遭遇

カストロと対立する暴力集団の幹部が暗殺されました。その場に居合わせた人物がフィデルを犯人だと名指ししたためカストロは逮捕されてしまいます.

これが偽証だったことが分かり警察からは釈放されますが、暴力集団はそれで許してくれるわけではありません。

当時法学部の自治会委員長だったカストロは、第1回LA学生会議がコロンビアで開かれるのを知り、これに飛びつきました。

コロンビアの首都ボゴタに到着したカストロは、学生代表として進歩派の代表ガイタンと会見の約束を取り付けます。ガイタンは自由党の大統領候補者として国民のカリスマ的人気を集めていました。

ところが会見の直前、ガイタンが街頭で暗殺されてしまったのです。これをきっかけに憤激した群衆が暴動を起こしました。「ボゴタソ」と呼ばれる事件です。

反乱のあいだフィデルはどうしたかということですが,この血の気の多い青年がじっとしているわけがありません.どさくさ紛れにいつのまにか学生の一団を率いることになります.

しかし、この手の暴動が長続きするわけがありません。やがて政府軍が進出し、暴動派の形勢は不利になりました。

カストロは近くの山に逃げ込み一夜を明かしました。そのあげくキューバ大使館に命からがら逃げ込みます.キューバ大使館はこの厄介者を密かにハバナ行きの家畜輸送機に潜り込ませます.

なおこのボゴタソはコロンビア全土に波及し、農民の抵抗の中からFALCが生まれていきます。今回の停戦に至る間、キューバがさまざまな交渉努力をしたのもそういう因縁でしょう。

3.ジャイアンツから指名されたカストロ投手

パターソンの本におもしろいエピソードが載っています.48年11月ボゴタソから半年後のことです.キューバ転戦中のメジャーリーグ選抜チームがハバナ大学と対戦します.

ハバナ大学の主戦投手はなんとフィデル.それがメジャーリーグを3安打無得点に抑えてしまったというのですからどうも開いた口がふさがりません.あまりにもハリウッド映画の世界です.

その年のストーブリーグではニューヨーク・ジャイアンツが彼を指名し年棒5千ドルを提示しました.しかしフィデルは熟慮の末この誘いを断り弁護士への道を選んだのだそうです.

このエピソードでもうひとつおもしろいのが,フィデルはあの立派な体形にもかかわらず豪速球投手ではなかったということです.逆にカーブを主体とした技巧派の投手だったそうです.

後年の彼の言動を検討しているとついこの話が思い浮かばれて微苦笑を禁じえません.

カストロは激しい学生運動を指導しながらも、野球もやり、恋もしました。バチスタとも遠縁にあたる名門令嬢と結婚し,バチスタからは過分のご祝儀をいただいたそうです。新婚旅行ではマイアミで高級車を乗り回して豪遊したそうです。

こっらの逸話はパターソンの本からのものですが、キューバではほとんど知られていません。7,8年後にハバナの地下で闘っていたコシオ元大使も知りませんでした。

革命前のキューバ

ちょっと数字を並べさせていただきます。53年度の国勢調査報告です.

国民一人当たり所得はラテンアメリカ諸国中5位と高位を占めます.自家用車普及率は第3位,テレビ普及率ではなんと1位です.53年に日本にテレビなどあったかしら?

 暗の部分がこれまたすごい.報告によれば「都市と農村をふくめて,キューバ全体で水道があるのは住宅戸数のわずか35%,屋内便所があるのは28%にすぎない.また農村の住居の3/4は掘ったて小屋(ボイオ)に住み,54%がトイレなしで小屋掛けカワヤも持っていない」状況でした.

 報告は衣・食にも言及します.これによると97%が冷蔵庫なし,水道なしが85%,電気なしが91%.牛肉を常食するのは4%,魚は1%,卵は2%,パンは3%,ミルクは11%,生鮮野菜は1%以下という具合です.一体何を食っていたのでしょう.

 次は保健・衛生です.報告は「医師は2千人に1人しかおらず,農村の大衆は医療を受けられないことが度々ある.多数の子どもが寄生虫に感染し,ひどく苦しみ,苦痛のうちに死んでいく」と告発しています.

 それから教育.学齢期児童の就学率は56%,地方では39%にとどまります.オリエンテの砂糖地帯ではさらにひどく,わずか27%です.国民の1/4が文盲とされ,都市部以外では42%にのぼりました.

 報告はさらに続きます.「農地のうち8割が遊休地であり,なんら利用されぬまま放置されている.一方で基礎食料のほとんどを輸入に頼っている.労働可能な人口の4人に一人は常時失業している」つまりばく大な富が再生産や投資に回されないで,死蔵されたり浪費されたりしているということです.

 報告は米国に従属した産業構造にも触れます.「電力の9割以上が米国の会社によって供給されている.電話はすべて米国の会社のものである.鉄道の多くもそうである.製糖工場の4割は米国のもので,とくに優れた性能のものはそうである」

 バチスタ政権下でどうしてこのような国勢調査報告が発表されたのかよく分かりませんが,これを読めば誰でも今日から革命家になってしまいます.

4.モンカダ兵営の襲撃

モンカダとシェラマエストラの戦いについては、すでに書きつくされているので飛ばそうかとも思いましたが、知らない人も増えているでしょう。簡単に書いておこうと思います。

大学を卒業したカストロは人権派弁護士として活動を開始します。とは言ってもゆくゆくは代議士になり大統領を目指すというつもりだったでしょう。

ところがまもなくバチスタ(元軍人で元大統領)がクーデターを起こし独裁政治を始めます。民主的な方法で政治の実権を握る可能性は消えました。

そこでカストロは武装蜂起を決意します。彼は仲間を募り、53年夏にキューバ第二の都市サンチアゴ・デ・クーバのモンカダ兵営を襲撃しました。

百人余りの手勢で奇襲をかけるのですが、さまざまな手違いで失敗。近くの山に逃げ込みます。逃げ遅れたものは逮捕され、そのうち70人ほどが拷問の末虐殺されます。

結局、カストロも住民の密告で逮捕され警察に連行されました。この警察というところがミソで、捜査隊長のサリアという人物はハバナ大学の同期生でした。彼は軍に手渡せば即刻射殺されることを知っていましたから、軍への引き渡し命令を巧妙に避け、フィデルをサンチアゴ市警察に引き渡すことに成功します。

こうしてかろうじて命をつないだカストロですが、決してへこたれもしないし、転んでもただでは起きません。

公判闘争では弁護士がつかない中で、自らの力で弁論を行います。その文章が「歴史は私に無罪を宣告するだろう」という論文です。この論文はニューヨークで印刷され密かに国内に持ち込まれました.そして地下活動により広範に流布していきます.

こうして、カストロは「テロリスト」から「キューバ人の希望の星」へと大転換を遂げていくことになります。

5.カストロのニューヨーク騒動

これも語り尽くされた話題ではありますが、カストロの行動パターンを見る上ではだいじなエピソードを含んでいるので紹介しておきます。

カストロは国連総会出席のため、60年9月18日から10日間にわたりニューヨークを訪れています。

以下は私のキューバ革命史からの転載です

ニューヨークに到着したフィデルらは数千の民衆の出迎えを受けました.代表団は国連ビルに近いシェルボーン・ホテルに入りますが,ここで早くも大騒動が持ち上がります.亡命者らによる騒動を懸念したホテルは代表団に対し「もしもの際の保証金」を要求しました.代表団はこの「不当かつ受理不可能な金銭的要求」に激怒します.ホテルを飛び出した代表団はなんと国連本部前の芝生にテントを張ってしまうのです.結局深夜になって支援団体の紹介を受けた代表団はハーレムのホテル・テレサに移動します.ひげ面の若者たちによるこのパフォーマンスには,さすがのニューヨークっ子も度肝を抜かれました.

続いての騒動は翌日早朝にフルシチョフがホテルテレサを訪問したことです.米国と並ぶ大国の指導者が突然ウラ寂れた下町に入ったのですから大変です.そのあともホテルテレサにはナセル大統領,ネルー首相など各国首脳がきびすを接するように訪れます.いうまでもなく黒人も大喜びです.ラングストン・ヒューズやマルコムXなど黒人運動の指導者があいついで訪問します.もう大変なお祭り騒ぎとなります.

第三のハプニングは22日に起きました.アイクはLA各国首脳を招き昼食会を開きます.キューバだけが招待されませんでした.露骨な当てこすりというか子どものいじめに近い幼稚さです.カストロの奇想天外ぶりが発揮されたのはこの時です.彼はみずから昼食会を開きます.招待されたのはなんとホテル・テレサの従業員でした.もう市民はヤンヤの喝采です.

ハプニングはこれで終わったわけではありません.27日代表団が帰国の途につこうとしたとき,米国はイチャモンをつけてキューバ航空機を差し押さえてしまいます.またもや一騒動?と思ったときソ連がさっと飛行機を提供します.代表団はこれに乗り意気揚々とニューヨークをあとにするのです.

という具合で、カストロは窮地に陥ったとき奇想天外な手段を編み出して、それを果敢に実行するのです。劇場型政治家の典型です。


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