鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2016年11月

以前、パタゴニアで風力発電をやって、それを水素にして日本に運ぶというプロジェクトを紹介した。

このプロジェクトは軍事産業の代表である三菱重工のものだったから、紹介をためらったが、あまりにも気宇壮大で痛快だったので度肝を抜かれた。

このプロジェクトの発案者が勝呂幸男さんという方で、三菱の社員であるとともに、日本風力エネルギー協会の会長も務めている。元々はタービン屋さんのようだ。

その後、石油もガスも安くなり、電力各社が原発に執念を燃やし続けるため、話題にはなりにくくなった。しかしいつも心の片隅には残っている。

風力が話題に上らなくなったのは外的環境のせいだけではない。日本での風力発電が極めて多くの問題を抱えているためだ。この点についても以前書いた。「日本では風力はお呼びではない」とまで書いた。

そんなとき、勝呂さんの文章が目に止まった。題名は「風車導入拡大へ向けて課題を克服しよう」というもの。

ある意味では、執念の一文だ。

勝呂さんによれば、風力発電の課題は風車の信頼性に尽きる。

まず風車の信頼性に関わる事件がいくつか紹介される。

1.カリフォルニア風車ブームの挫折

かつてPURPA法を適用した風車が所謂カリフォルニア風車ブームを起こした。しかし運転後に多くの故障が発生し評価は失墜した。

故障の原因は、つきるところ風力変化の評価が不十分だったためだ。

2.国際電機会議(IEC)の技術標準

カリフォルニアの総括の中から標準設計基準が提唱され、これがIEC技術標準として固められた。

3.宮古島の風車倒壊

日本では宮古島に立てた風力発電の風車が転倒した事件が衝撃を与えた。

宮古島は80m/secの強風番付一位の実績があり、IEC標準からは到底,標準風車を設置出来ない所である。

なのに建ててしまったという問題がひとつ。そして建てられた風車の最大耐強風設計が60m/secだったということ。

つまり建ててはいけないところに、建ててはいけないものを建ててしまったということである。

4.「日本製だから安全」と言われるように

勝呂さんは、「この話がわが国の風車導入の実際を象徴的に表している」と嘆く。

このような気象条件に対する無理解ばかりではなく、落雷への配慮もなされていない。

そもそもIEC標準の基礎データとなっているのはヨーロッパのもので、後から米国のデータも取り入られたが、日本やアジアのデータは反映されていない。

個別の気象条件に合わせた日本発の建築基準を作り上げることが、今後の課題だ。


とまぁ、こんな具合だ。

厳しい言い方をすれば、これまでの日本の風力発電はなんのデータもなしに、外国仕様の風車を建てているだけだ、ということになる。

つまり、「これからは基準を作ってやっていきましょう」ということだ。会長さんがそう言っているのだから間違いない。

そこには相次ぐ風車事故への深刻な反省は見られない。「とんでもないことをしてしまった。二度とこのような間違いを繰り返さないためにどうしたら良いのだろう」という発想が窺われない。

どうも勝呂さんという人、攻めのタイプのようだ。

勝呂さんの専門であるタービン・ボイラー技術の歴史というのは、安全性構築の歴史と言ってもよい。ものすごい威力はもっているが、そのぶん危険性も高く、それがネックとなって伸び悩んだ時期がある。産業革命の頃だ。それが内燃機関として発展するのは、まさに安全性問題が解決したからだ。ソロバン勘定はその後だ。パタゴニアの風力発電も、足元の安全が確保されなければ夢物語だ。

三菱といえばゼロ戦を作った会社。世界トップの性能を誇ったが、それは防御や安全性、居住性などを一切無視したものでもあった。軍事産業を主軸に成長したこの会社には、伝統的に安全軽視の風潮があるのかもしれない。

いずれにせよ日本では当分、安全性を最重要課題とする技術構築という視点は生まれそうにない。日本の気象条件に合わせた、安全で安定した風力発電は期待できないということだ。

「主体性」は人間の本質ではない

いじめ、過労死、ストレスなどいろいろ並べてくると、人間の主体性という問題がどうしても避けて通れなくなる。そこで「主体性こそ人間の高次脳機能の本質」だという議論が出てくることになる。

しかし生物学的に見て、主体性の形成というのはそんなに高等な作業なのか、というと必ずしもそうではない。

むしろ、動物は大なり小なり主体性を持っている、という方が正確だろう。

そうすると、人間としての人間的な主体性というのは何なのかと、問題を置き換えなければ生産的な議論とはならないのではないか、とふとそう思う。

我々が生き物というとき、それは実際には動物のことである。もし「じゃぁ植物は生き物ではないのか」と問われると、「まぁそれも生き物ではあるな」と答えるが、心の底では「何をアホなこと言っているんだ」と舌打ちすることになる。

しかし食物連鎖を全体として考えてみれば分かるように、動物の例えば1千倍とか1万倍とかのオーダーで植物生命体があるはずだ。理屈から言えば、そういうレベルで生物界のバランスはとれているはずだ。

よく言えば、動物は生命界のエリートであり、悪く言えば寄生虫である。

生化学的に言えば、植物は炭素と水からできている。動物はそれに窒素を加えることでより複雑な構造を作り出している。何よりも大きな違いは、窒素が加わることで能動性が生み出されている。(あくまでも基本的な特徴付けだが)

栄養学的に言えば植物は独立栄養であり、水を分解することで炭水化物を作り、一方でこれをエネルギー源としつつ他方で炭化水素を高級化し体の構成成分ともする。

動物は従属栄養であり、植物の成長に自らの生命を託している。そして動物界の中にも食物連鎖のヒエラルキーを形成する。


動物は生まれながらに2つの世界に身をおくことになる。

一つは植物の世界に従属して、それに寄生しながら自らの生命を維持する世界である。

そしてもう一つは、食物連鎖の中にあってある時は捕らえ食し、ある時は捕食者から逃れ、生きながらえる弱肉強食の世界である。

もちろん、動物も植物も決して優しくはない自然環境の中に暮らすわけだから、全体としては自然の摂理に翻弄されながら一生を送る存在である。

その2つの世界のそれぞれにおいて、その生命体が動物であること、「動く生き物」であることはどのような意味を持つのだろうか。

それはまずもって、「判断」し「行動」することではないか。超短期的に言えば、自分以外のあるものを見たとき逃げるか捕まえるかの判断である。もう少し長期的に見れば、果実をもとめてさまようときに北に行くか南に行くかの判断は自ら下すしかない。ある程度はDNAやエピジェネティックに準備されているにせよ、最後は自己責任という厳しさを伴っている。

動物が群れを作るとき、それはそういう主体性を(部分的に)放棄することを意味する。そのほうが楽だからというのもある。「自由からの闘争」である。しかし今度は社会のしがらみが襲ってくる。ひどい時は「一億玉砕」などと死を強制される。

戦後流行した「主体性論争」はこの経験が下敷きにある。だから「ローン・ウルフ」であれという主張が導き出される。

このような「主体性」は相当屈折した複雑な心理状況を意味するが、それを「人間のみが主体性を持つ」というところまで敷衍してはならない。主体性と社会性(客観性)の関係は、動物がこの世に現れてからのいくつもの弁証法的過程を踏まえて議論しなければならないのである。

動物の生きるしくみ事典

「動物の生きるしくみ事典は、日本比較生理生化学会が進めるプロジェクトです」とあって、基本的には私の関心にピッタリ当てはまるようだ。

神経系の起源と進化

ニューロンの出現

記載にかなり枝葉が多く、話をわかりにくくし、誤解を生む。刈り取って引用する。

系統樹の最初に腔腸動物がいる。体中を網目状の神経網が走り、脳や神経節をもたない散在神経系をもつ。

腔腸動物以前の海綿動物門では、まだ、神経細胞は見られず、個体性も明確でない。

最初の特殊化した細胞、ニューロン(神経細胞)が現れるのは、腔腸動物の刺胞動物門である。


知らない言葉が出てくるので、ウィキで補う。

腔腸動物: クラゲやサンゴ、イソギンチャクを含む刺胞動物と、有櫛動物(クシクラゲ)をまとめたグループ。クシクラゲを除けば、腔腸動物=刺胞動物=クラゲ・サンゴ・イソギンチャクと考えてよい。

海綿動物: 最も原始的な多細胞動物。襟鞭毛虫の群体が起源であるとも考えられている。

多細胞でありながら明瞭な器官の分化が見られない。最初は腔腸動物にふくまれていたが、現在はより原始的な海綿動物として別扱いされている。

襟鞭毛虫: 従属栄養(捕食型)の単細胞生物。最も発達した単細胞生物と言われる。しばしば巨大なコロニーを形成し、コロニー内の細胞形態に分化が見られる。


ということで、多細胞動物には最初から神経がある。ないのは単細胞動物から多細胞動物への移行期だけだ。

つまり、神経は動物の本質(のひとつ)なのだ。

そして神経とは電気刺激、シナプス結合、受け手細胞の活動電位発現の3つの過程の連鎖なのだ。故に、うつ病はシナプス病として解消はできない。もしシナプス病であるとすれば、それはきわめて限られた領域の、きわめて特殊な形態のシナプス病でしかない。


神経系の変貌


次の「神経系の変貌」という段落には、注目すべき記述がある。(それにしても雑然として読みにくい文章だ)

神経細胞をもたない単細胞動物においてもすでに、神経細胞と同様の機能が見られる。
ゾウリムシは物体に衝突して方向変換する。捕食者に襲われれば遊泳速度を速めて逃避する。
これらの行動は、細胞内の生体電位を利用して引き起こされる。
すなわち機械刺激に対する脱分極、体内のCaイオンによる繊毛打の制御などが起きる。
これは神経系の神経細胞・感覚器・効果器と同じ仕組みだ。

ここでは機械刺激とのみ書かれているが、化学刺激に反応してもおかしくはないだろう。


つまり単細胞生物は、それ自体がシナプス後細胞としての条件を備えているわけだ。であれば「なんでもござれ」で多種多様な刺激に反応して活動電位を発生してもなんの不思議もない。

前の記事でも書いたように、神経伝達の本質的能力はシナプス後細胞にあるのであり、前細胞はそれをくすぐるだけなのだ。だから神経伝達物質がなんであっても、相手が悶えてくれさえすればいいのだ。

その点から考えると、シナプスの機能不全を神経伝達物質の枯渇というところから説明するのは的はずれな気もする。むしろレセプターの側の感度低下なり、細胞内カルシウム代謝の異常なりを攻めていくべきではないかとも思う。

日銀ではないが、量的緩和策には自ずから限界があるのである。求められるは後細胞の内需拡大である。

シナプスにおける情報伝達のシークエンス

えらく面倒だが、やはりここが勘所だから頑張ろう。

肝心なのは化学伝達物質が“泳ぐ”しぐさ、向こう岸にたどり着いて上陸する過程、上陸した後ふたたび活動電位に姿を変えて、旅支度を整える過程だ。

トライアスロンの選手が泳ぎを終えて、陸に着くとまず足で歩く。それから自分の自転車を探して乗る。それから今度はペダルを漕いで走り始める。

いわば2つのポイントで区切られた3つの運動形態の変容が、全体として捕まえられなくてはならない。

もう一つはトライアスロンの選手はそれをまったく独力でやるわけではないということだ。泳ぐときにはそれなりのガイドが必要だ。上陸地点には上陸しやすい環境が作られなければならない。着いたところが断崖絶壁では困る。そして濡れた体を拭くタオルも、シューズも揃えられていなければならない。

ということで、シナプス伝達の成否の殆どは受け手の細胞に関わっている わけだ。

ここの部分、教科書では

①情報伝達物質は、シナプス後部で受容体と結合する

②イオン透過型受容体の口を広げて、イオンを通りやすくする。

③イオンが後細胞にどっと入り、細胞内電位を上げる。

④これによってシナプス後部が興奮する

というのが基本コースである。

つまり伝達物質はトライアスロンの選手とは異なり、接岸はするが上陸はしないのである。特殊部隊のごとく城壁(細胞膜)に張り付いて、鍵穴を開けるまでが仕事である。そこから飛び込んだカルシウムやカリウムなどの陸戦部隊が実際の戦闘に当たるのである。


前神経へのフィードバック

城壁の鍵穴を開けて雪崩を打って飛び込んでいくのだから、結構ヤバイ作戦だ。きちっと制御しないと後細胞を破壊してしまう危険もある。

そこで全細胞にどう情報をフィードバックし、伝達物質の放出を調整するかが勘所になる。

この部分の記載はもっと面倒くさい。

シナプス後部ではNitric oxide synthase(NOS; 一酸化窒素合成酵素)がセカンドメッセンジャーである一酸化窒素や2-アラキドノイルグリセロール(2-AG)などをはじめとするエンドカンナビノイドが産生されることで、活動依存的にシナプス前終末の情報伝達物質の放出を調節している。

この文章は文法的にもあやふやで、何がどうしたのかわからない。

うろ覚えだが、NO(一酸化窒素)というのは血管内皮にあって、血管を弛緩する“いいやつ”だったと思う。それを作る酵素だから、多分“いいやつ”だ。

文章を一生懸命読むと、後細胞の中にその酵素があって、イオンの急速流入に反応して活性が高まる、そこでNOが産生されてシナプス間隙に放出され、それが前細胞に「未だだよ」とか「もう良いよ」とか言うんではないだろうか。

 

シナプスの勉強 その1 神経伝達物質

何か巨大迷路に入ったようで、何を勉強しているのか、それが脳の勉強のどの場所に位置するのかわからなくなっている。

最後は一つの哲学にならなければならないのだが、その山の頂が見えない。

ブログのいいところは徹底的に自分勝手に書いていけることだ。読者の皆さんには多少迷惑だろうが、ブログをメモ帳代わりに使わせてもらうことにする。

神経伝達物質の一覧表

モノアミン

人間の神経伝達物質ではドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリン、セロトニン、ヒスタミンが相当する。

言葉の由来はアミノ基(アミン)が一つだけ(モノ)という構造上の特徴のようだ。

これらの物質はドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリンは普通は3つ並べてカテコールアミンという。3兄弟だ。セロトニンとヒスタミンはちょっと毛色が違う親戚筋だ。

定義の問題でこだわっておきたいのは、これはケミカルメディエーター(化学伝達物質)一般ではなく、神経伝達物質としての種類であるということだ。つまり神経細胞が産生し放出するケミカルメディエーターだということだ。副腎や肥満細胞が放出するカテコールアミンやヒスタミンは、定義上ふくまれていない。

モノアミン含有神経細胞の細胞体は脳幹部にあり、ほぼ脳全体に神経軸索を投射する。

アセチルコリン

α運動ニューロン、自律神経節前線維、副交感神経節後線維に分布

骨格筋の運動、副交感神経機能、記憶・学習にかかわる

アルツハイマーと関連

ノルアドレナリン

交感神経節後線維、青斑核に分布

交感神経機能、大脳賦活系の機能、

躁鬱病と関連

ドーパミン

中脳-辺縁系、黒質-線条体系に分布

報酬系調整機能

薬物依存、快感、精神分裂病、パーキンソン病と関連

セロトニン

延髄の縫線核に分布

睡眠調整機能、

鬱病と関連

グルタミン酸

興奮性神経伝達物質

記憶・学習機能、

てんかん、ハンチントン氏舞踏病と関連

GABA(γ-アミノ酪酸)

脳全般に分布、

抑制性神経伝達物質として働く

alcohol中毒、不安、睡眠、麻酔、てんかんと関連


ということで、シッチャカメッチャカの手当たり次第だ。こうなると、神経伝達物質の各論をやるのは骨折り損のようだ。

問題はむしろ、使えるものなら何を使ってでも、神経は何かを伝えようとしているということなのだ。何を伝えようとしているのかを考察するのが先決だろう。

ところが諸論文を見てもそこが見えてこない。これは結局系統発生学をやらないと出てこないのではないか。しかも神経が出来始めた初期の頃の発生学だ。





最近、と言うよりだいぶ前からだが、ソバをズルズルと吸い込んで食べるのが流行りのようだ。
流行りというより、それが「由緒」正しい食べ方のように押し付けられている。
元々田舎じゃ、そうやって食っていたかもしれない。米も食えなかった貧しい人たちの食い物だ。
それが江戸の出稼ぎ労働者に広がって、「江戸っ子」気取りの変な作法になったんじゃないかと思う。
だいたい「江戸っ子」というのが上品だと思うのがいけない。彼らは「下品さ」を開き直って、「貧乏なのが粋なんでぇ、無作法なのが粋なんでぇ」と強情を張っているにすぎない。
鮨だって素手でつまんで一気に頬張るし、鮨屋だって最初っからそのつもりで握っている。

昔だったら話は分かるんだ。そういう場末のこ汚い店に、上品な客が現れて鮨を箸で摘んで食べたりすりゃ、「そんな食い方するもんじゃねえ、鮨ってぇもんはこうやってつまんでポーンと口に放り込むもんだ」と言いたい気持はよく分かる。
しかし、これだけ国中に広がった食い物だ。どう食べたって文句はない。私は箸を使う。いちいちタオルで指を拭くのが面倒だし、第一、タオルがネチョネチョで不愉快だが、タオルを代えてくれる寿司屋にお目にかかったことはない。

落語にあるように、江戸っ子だってソバはたっぷりつゆにつけて食べたかったのだ。ただ江戸っ子の流儀からすれば、「そいつは粋じゃない」からやせ我慢していたに過ぎない。

蕎麦屋の講釈は不愉快なほどに理屈っぽい。そのほうが空気が絡むとか、なんだとか真顔で平気で喋る。理屈っぽいのは信州人の山家の血だ。江戸っ子から見れば、そういうのを「無粋」というのが分からないのか。

私は、断固噛み切る。つゆが絡むというのなら、ソバをズボッとつゆに漬ければ済む話だ。噛み切った残りがまた椀に戻るのが不潔だというが、マイつゆだ。串かつのソース二度漬けとは違う。
昔、小学校には必ずあおっぱな垂らしたやつがいたもんだ。昔はティシューなどという気の利いたものはないから、いい加減垂れてくると、思いっきり鼻を吸うと青い二本の紐がジュルジュルっと鼻の穴におさまる。
あの光景が思い出されてならない。
「おいおい、つゆが飛び散るではないか」

勤務先の江別市で「まんまる新聞」というタウン紙が無料で配られている。紙面の半分以上は広告で、「新聞仕立てにしたチラシ」みたいなものだが、存外市民には人気がある。
その理由は編集者の熱心さにあるようだ。
以下は、この間配られた「まんまる新聞」の一面下、天声人語みたいなコラム。この新聞には「社説」などという気張ったものはないから、けっこう編集者の「ジャーナリスト魂」が顔を覗かせる。

▼あ~あ、当選しちゃったよ。オレ政治やった経験ないし、困っちゃったなあ……
米次期大統領に“仮当選”(12月19日に今回選ばれた選挙人による正式投票で本決定)したドナルド・トランプ氏の心中をこんな思いがよぎったかも知れない。ほとんどのメディア・研究機関が予測していた大本命の前国務長官、ヒラリー・クリントン氏が敗れたアメリカの大統領選挙。この番狂わせの衝撃は世界中を慌てさせた

▼でも、一番慌てたのは当のトランプさんだったなんてことも…。トランプ政権の政策や人事・体制を決める政権移行チームに、長男、長女やその婿、次男など4人ものファミリーが名を連ねるというトンデモぶり。何だかドタバタしている。
旧態依然とした政治勢力とは一線を画して、アメリカを牛耳る支配者層に口出しさせない深謀遠慮なのか、それとも「父ちゃん困った。お前ら来て手伝ってくれ」つて家族を集めたのか。どちらにしても、芸能人めいた家族がぞろぞろ出てくるワイドショー的成り行きに、これが世界一番のアメリカか、とアッケにとられた

▼ヒラリーは、昔は豊かだったのに今は没落してしまった白人中産階級の支持を集めたトランプに敗れたといわれる。1%のスーパーリッチ(超富裕層)が99%の国民を支配しているというアメリカ。ヒラリーも莫大な献金を受けていて、金融会社のひとつ、ゴールドマン・サックス社で「御社からの支援を決して忘れません。どんな時も皆さんの要望を最優先します」などと講演したことが暴露されている。
政治が大資本にカネで買われてしまっている現実。トランプはそれを国民の手に取り戻す、富裕層からの献金も受けていないと言った。政治を買った大資本は人間を軽視し人々への分配を忘れ、利益だけを追って世界中に戦争とテロリズムを引き起こし、貧富の格差を広げた…

▼とはいえ、トランプも成金の大金持ち。白人にはいいが、さまざまに苦しむ人々の味方かと言えば問題が多い。いつ、本性を現すかも知れず、どちらにしても、鬼か蛇か…

なかなかの文章でしょう。
大手メディアの狼狽ぶりや投資家のはしゃぎぶりとはまったく違う、草の根ジャーナリズムの気骨が読み取れるんじゃありませんか。

1888年 ラッサール派のグループとマルクス派のグループが再統合され、オーストリア社会民主労働党(Sozialdemokratische Arbeiterpartei Österreichs)が結成される。結党時の党員数は15,000人とされる。

1893年 社会民主党と協調する自由労働組合連合が結成される。90年代に急速に発展した産業革命と結びついて勢力を拡大。

1890年代 ウィーン大学の社会主義学生グループが学習サークルを形成。カール・レンナーが指導し、マックス・アドラー、ルドルフ・ヒルファーディング、遅れてバウアーらが参加。オーストリア・マルクス主義の拠点となる。

1897年 総選挙。普通選挙が一部導入された結果、議会に14議席を獲得。

1897年6月 社会民主党が改組。5つの民族別(ドイツ系・チェコ系・ポーランド=ウクライナ系・イタリア系・南スラヴ系)に組織された党の連合組織となる。

1907年6月 初の普通平等直接選挙が実施される。社会民主党は87議席を獲得する。

1907年 月刊『闘争』(Der Kampf )が発行を開始。オーストリア社会民主党の理論機関誌となる。バウアーら、次世代の「オーストロ=マルクス主義者」の理論家たちの活動拠点となる。

1911年 社会民主党のチェコ人組織が分離し、チェコ社会民主党として独立する。

1914年 第一次世界大戦が勃発。V・アドラー、レンナーらの主流派は、「祖国防衛戦争」として戦争遂行政策を支持する。これに対しF.アドラーらの左派は反戦活動を展開。

1914年11月 バウアー、戦争に加わりロシア軍に捕らえられる。シベリアで3年間の捕虜生活を送り、17年9月に捕虜交換によりウィーンに戻る。

1918年4月 バウアー、民族自決権を承認しレンナーら主流派と決別。社会民主党左派に移る。

1918年 ボルシェビズムを唱えるオーストリア共産党が創立。その後一貫して弱小勢力にとどまる。

1918年11月 オーストリア帝国が崩壊し、オーストリア共和国が発足。社会民主党とキリスト教社会党の連立政権が国政を担う。社会民主党右派のレンナーが首相に就任。バウアーが外相となる。

1919年3月 レンナーはグラーツ大学教授シュンペーターを財務大臣に招聘。当初は熱心な社会化論者であったが、生産性原理と効率性原理を強調するようになり政権と袂を分かつ。

バウアーはこう評している。「彼は、革命の初期にはボルシェヴィズムに媚を呈し、社会民主党の社会化政策が積極的かつ急進的でないとしてしばしば反対した。しかし、やがて彼は完全に方向転換した」

1919年 バウアー、『社会主義への道―社会化の実践』を発表。政治革命ではなく、産業の社会化=社会革命が未来への道だとする。

1920年 キリスト教社会党との対立が表面化。社会民主党は政権を離脱する。

1920年 バウアー、『ボリシェヴィズムか社会民主主義か』を発表。ボリシェヴィキを「専制的社会主義」と批判。全人民の経済的自治を基盤とする民主的な社会主義を訴える。

1921年 オーストリア社会民主党を中心にウィーン・インターナショナル(第二半インターナショナル)が設立、社会主義者の国際組織の再統一をめざす。

1923年 ウィーン・インターナショナル、第二インターに吸収され消滅。

1923年 党の防衛組織として「防衛同盟」が発足する。

1926年 社会民主党大会、リンツ綱領を採択。「赤いウィーン」での実践をもとに、議会主義戦略を定式化。

*民主制に依拠して則法的に政権を獲得する
*「破局的なカタストローフの結果としてではなく、目標を意識した労働者の収穫として」社会主義の実現を目指そう
ただしブルジョワジーが反革命を起こした場合、国内戦により国家権力を掌握することも確認される。

1927年7月 労働者デモと警官隊の衝突事件。この後の弾圧で社会民主党は後退を余儀なくされる。

1933年1月 ドイツでナチスが政権を握る。間もなく共産党に対する大弾圧が始まる。

1934年2月 社会民主党と防衛同盟が蜂起。「2月反乱」と呼ばれる。ドルフス政権と「護国団」による挑発が引き金となる。

2月 社会民主党に解散処分がくだされる。バウアーら指導部の一部は国外に亡命して活動を続けた。

 2016年10月08日 南スーダン 年表 が思いもよらず膨らんでしまった。

最初はこれを配って学習会の資料としようと思ったのだが、とてもそんなことをしていたのでは間尺に合わない。

そこで年表をつらつら眺めながら思いついたことを、「南スーダンの歴史 10のポイント」としてレジメ化しようということにした。(結局17になってしまった)

さぁ、毎度のことながら、当日までに間に合うかどうか不安だが始めることにしよう。

1.もともとは牧畜民の氏族社会

少数からなる集団が牧畜生活を送っていた。そのような原始的な共同体は今も残されている。

縄張りをめぐる争いも繰り返されて生きた。

2.北から来た奴隷狩り

18世紀になると、アラブ人がナイル川を遡ってきた。彼らはハルツームを拠点とし、周辺の先住民を捕まえては奴隷として送り出した。

やがてスーダン北部はエジプト王国に併合された。ハルツームのアラブ人はエジプト王国に対抗して自分たちの国を作るが、イギリスの支援を受けたエジプト王国に潰される。

3.南から来たイギリス

その後、19世紀の後半になると、今度はナイルの源ビクトリア湖からイギリスの征服者がやってきた。

イギリスは今の南スーダンを征服したが、領土としての魅力に乏しい地域だったため、エジプトの支配に委ねた。

なぜならエジプト王国そのものがイギリスの属領だったからである。

こうして1898年に「英埃(えいあい)領スーダン」(Anglo-Egyptian Sudan)が成立した。これが南スーダンが国家という枠の中に取り込まれた最初である。

南スーダンは誕生の時から北(アラブ人)と南(イギリス人)の二重支配のもとにあったのである。このことは憶えておいて良い。

4.スーダンの地政学的重要性

英埃領スーダンの成立にはフランスとドイツが絡んでいた。フランスは西アフリカから進出しインド洋への出口を欲していた。イギリスにとってはカイロからケープタウンへのラインを確保することは戦略目標であった。

その交差点にスーダンがあったため、イギリスはスーダンを確保する必要に迫られた。

またドイツはタンガニーカを植民地とし、ルワンダ・ブルンジなど内陸への進出を虎視眈々と狙っていた。

これらの事情は第一次世界大戦を経て大きく変化していく。

5.英領東アフリカの辺境としての南スーダン

ドイツがアフリカから立ち去った後、タンガニーカはイギリス領となり東アフリカのほぼ全てがイギリス領となった。

イギリスは南スーダンをエジプト支配から切り離し、東アフリカの勢力圏に置く方針に切り替えた。

アラブ・イスラーム要素を徹底して排除。部族の法や慣習、固有の言語が重視されるとともに、共通言語として英語の使用が奨励される。エリート層は英語やキリスト教を受け入れ、親ヨーロッパ的になる。

しかしかつての大英帝国の力は失われており、南スーダンは低開発状態で放置された。逆に言えば南スーダンには元通りの平和な環境が生まれたのである。

7.北スーダンでのアラブ民族主義の高揚

第二次大戦の終結とともに民族自決をもとめる運動がアフリカ各地で高揚した。

スーダンでもハルツームのアラブ人を中心に独立運動が広がった。イギリスにはもはやこれを抑えるだけの力はなかったから、ケニア以外の国はほとんど流れに任せる展開となった。

しかし北部の民族主義者は南部に対して苛烈であった。南部でもアラビア語が公用語とされ、北部人が進出し政治・経済の権限を得るようになった。

8.第一次内戦の開始

1956年、スーダンが正式独立した。南スーダンもスーダンに統合された。

スーダン政府は連邦制をとるとしたイギリスとの約束を保護にし、単一国家制度をとった。南スーダンは北の直接支配下に置かれることになった。

スーダンが独立して2年後、軍事クーデターが発生し。スーダンは軍事独裁国家へ移行した。軍事政権は南部への軍事的抑圧を強化。その結果多くの政治家がウガンダに亡命した。

1963年、これらの亡命政治家がスーダン・アフリカ民族同盟(SANU)を創設。連邦制に基づく南スーダンの自治権拡大を主張した。SANUは武装組織「アニャニャ」(Anya Nya)を結成しゲリラ闘争を開始した。

SANUは主導権争いで四分五裂するが、現地のアニャニャは民衆の支持を受け独立を目指す。アニャニャを中心に南部の諸勢力が結集し、「南部スーダン解放運動」(SSLM)が形成される。

9.南北和平の実現

紛争が内戦化し泥沼化しつつあった1969年、北スーダン政権内にクーデターが起きた。

権力を握ったヌメイリ大佐はエジプトのナセルに倣い民族主義左派を標榜した。そして南スーダンとの関係改善に乗り出した。

1972年にヌメイリ政権とSSLMとの間に和解が成立、アジスアベバ協定が結ばれた。

南部は自治を許され、独自の議会と行政機関を持つことになった。将来、南部が住民投票で分離独立する可能性も残された。アニャニャ兵士は政府軍に組み込まれることになった。

10.ヌメイリ政権の反動化

この後約10年にわたり南北スーダンは比較的平穏な関係を続けるのであるが、1983年に入ると突然大荒れの状況に入っていく。

この激変をもたらしたのは北スーダン側の事情である。この間アラブ世界ではナセル主義の退潮が起きた。

第三次中東戦争でのアラブ側の惨敗、ナセルの死とサダトの変質、イラン革命とソ連のアフガン侵攻などでアラブ世界は共通目標を見失った。

追い詰められたヌメイリは非常事態宣言を発動し強圧的な政治に転換した。そこにイスラム原理主義が忍び込んできた。

ヌメイリは国政にイスラム法(シャリーア)を導入、スーダンを「ムスリム・アラブ国家」にすると宣言した。

憲法上の権利は停止された。窃盗に対する切断やアルコール所持に対する公開鞭打ちが日常と化した。南部人と他の非イスラム教徒も、これらの罰を受けさせられた。

南部への弾圧にはもう一つの理由があった。南スーダン北部に石油油田が発見されたのである。

南部の石油資源独占を狙うスーダン政府は、アジスアベバ合意をご破産にし、南部の自治権や将来の分離独立の要求を拒否するに至った。

11.立ち上がる南スーダン人

第2回めの反乱は最初から大規模なものだった。なぜならそれは政府軍内の旧アニャニャ派の反乱として始まったからである。

この反乱を指揮したのはジョン・ガラン、当時ハルツームの幕僚大学の学長であった。

南スーダンの解放運動の性格を語る上で、ガランの経歴紹介は避けて通れない。

ガランは1945年、貧農の子として生まれ、幼少時に孤児となる。第一次スーダン内戦に参加した後、勧められてアイオワ州のグリネル大学で経済学 を修めた。その後タンザニアで研修を続ける一方、大学生アフリカ革命戦線のメンバーとして活動。アニャニャに加わり、第一次内戦を戦った。

内戦終結後はスーダン軍で経歴を積み、フォート・ベニングのア メリカ陸軍米州学校で上級歩兵将校コースを修めた。またこの間にアイオワ州立大学で南部スーダンの農業開発に関する論文で農業経済学修士および博士の学位を得た。

12.SPLAの結成

ガランのもとに立ち上がった南スーダン人は「スーダン人民解放軍」 (SPLA) を結成した。形としては「スーダン人民解放運動」(SPLM)の軍事部門ということになる。

ガランが政治・外交面を担ったのに対し、軍事面を担当したのが現大統領のサルバ・キールである。

南スーダンには60以上の種族が混住する。当初、SPLAの中心となったのは最大の種族であるディンカ人であったが、やがてヌエル人など他種族も結集するようになった。

1985年に入ると、SPLAは勢いを増し南部の大半を支配下におさめた。これをリビア、ウガンダ、エチオピアが支援した。

北スーダン政権内では強硬派と妥協派が抗争を繰り返したが、1989年に強硬派のバシルがクーデターで政権を握ると、イスラム原理派と結びついて南への抑圧を強めた。さらに西部のダルフール地方へも攻撃の手を伸ばした。

ダルフール問題については下記を参照のこと。 

ダルフール紛争

13. 両者の妥協と完全独立

90年代に入ると情勢は複雑さを増す。ソ連・東欧の崩壊に伴い、エチオピアでもメンギスツ政権が倒れる。SPLAは後ろ盾を失った。内部分裂が起き、ヌエル人分派によるディンカ人襲撃が相次いだ。マチャルの部隊は単独でハルツームと講和し、北スーダン政府の南部駐留軍司令官に就任する。

いっぽう、イスラム原理主義を強めるバシル政権への国際的な風あたりも強くなった。アメリカはスーダンをテロ支援国家に指定し、97年には経済制裁を開始した。98年にはケニアの米大使館襲撃事件への報復としてスーダンの製薬工場にミサイル攻撃を行った。

こうして2002年にアメリカの調停のもとで、政府とSPLAが和平の枠組みに合意することになる。この合意により、6年後に南部の帰属をめぐる住民投票が約束された。

2005年には南部スーダン自治政府が成立した。初代大統領にガラン、サルバ・キールが副大統領となる。これにより22年間に及ぶ第二次内戦は終結した。

内戦による死者は約250万人、発生した国内避難民は400万人、国外難民は40万人にも上る。

この年、SPLA指導者ガランが就任後わずか半年で、ヘリコプター事故により死亡する。しかし大きな混乱もなくキールがあとを引き継いだ。この時副大統領にマチャルを指名したことが後に禍根を残すことになる。

2010年に行われた大統領選挙では、キールが得票率92.99%という圧倒的大差で再選された。翌年1月、南スーダンで住民投票が行われ、完全独立を望む票が98.8%を占めた。

その年の7月9日、スーダン共和国の南部10州が、アフリカ大陸54番目の国家として分離独立し、「南スーダン共和国」が創設された。

14 北からの干渉

北スーダンは決してこの独立を祝福していたわけではない。それどころか南スーダンの弱体化とあわよくば属国化を狙っていた。

ここからは私の個人的見解になるが、

ひとつは国境地帯の黒人・非イスラムの民衆を駆逐することである。

この地域は元々「ナイル・サハラ語」系の黒人の居住地であった。そこに来たからナイル川沿いにアラブ人が進出したのである。したがって川沿いの都市部にアラブ人、それ以外は黒人先住民という住み分けになっているのであり、東西に線を引いて「ここから北はアラブ・イスラムの国」という訳にはいかない。

スーダン側での紛争は北部SPLAの武装反乱だという報道が一般的だが、事実は逆だと思う。それは紛争の結果何が起きたかを見れば明らかだ。結局は数十万の北側居住者が難民となって南に逃げ込んだという事実だ。

もう一つは国境地帯に集中する石油資源を、ひとつでも多く確保するということでもあろう。

南スーダンは北からどんなに野蛮な干渉を受けても、北と対決することはできない。それは石油の輸送ルートと販路を北に握られているからである。

1年間の石油生産停止は、そのことを明らかにした。生産の減退、物不足、物価の騰貴の上に膨大な戦費、そして大量の北からの難民。この危機を凌ぐには当面は北の意のままに従い、石油生産で外貨を手に入れるしかない。

15 キールの内政改革が内戦を呼んだ

2012年9月、キール大統領は北に頭を下げ、とりあえずの平和を実現した。その後、内政の引き締めにかかった。

今井さん(NGO関係者)の講演から引用する。

SPLA 内部には腐敗もあり、ガランを筆頭に幹部の多数が豪邸に住み、豪勢な生活を営んでいた。キールは幹部の多くと異なり、腐敗とは無縁な人物として知られていた。

これがどの程度の真実性を含んでいるのかは判断できないが、マチャルが最も油断のならない人物であることは疑いないであろう。

解任されたマチャルは2013年12月にクーデターを企てた。政権奪取には失敗したものの、根拠地では一定の支配区を確保した。マチャルに呼応して各地で不満分子が反乱を起こした。

スーダンの干渉による国境紛争、石油生産停止、北からの大量難民。これに加え内戦勃発ということで、南スーダン政府は大きな痛手を受けた。

そのすべてにスーダンの影が浮かび上がってくる。

2014年6月には国連安保理も「南スーダンの食糧危機は世界最悪」と発表した。「世界で最も脆弱な国家ランキング」でも、南スーダンは首位となった。

16 気がかりな国連の対応

今年11月の初め、バンギムン事務総長は国連南スーダン派遣団の司令官を更迭した。7月事態のとき国連職員を保護しなかったというのである。

司令官の出身母体であるケニアはこの措置に抗議し、駐留軍全部を撤退させた。

よく分からない。司令官の統括責任を否定するわけではないが、国連南スーダン派遣団が南スーダンの治安を守るためであれば、そのために一番必要な手段を取るのは司令官の務めであるが、「何を置いても国連職員の安全を守れ」というなら、その目的に特化した部隊を別途編成すべきであろう。

バンギムン事務総長は、11月17日には国連安保理あての状況報告を行っている。

治安状況は悪化しており、混沌とした状態。①大規模な残虐行為が発生する非常に現実的な危険がある。②国連の平和維持部隊は大量殺りくを阻止できない。

というのが骨子である。

まっさきに感じるのは、「なぜ?」がないことだ。「なぜ?」がなければ、解決の方向は見いだせない。

もう一つは、政府への支援についてきわめてニュートラルであることだ。パンギムン報告を受けた安保理では、アメリカから武器禁輸の決議案が提出された。アメリカはさらに、和平実現の「元凶」となっている政府指導者らの資産凍結や渡航制限ももとめたという。

これはもう明らかに反政府側にスタンスを置いた発言である。

これでは、国民の98%の支持を受けて成立した政権が野垂れ死にするまで戦闘を続けることにしかならない。

とにかくまずは、南スーダン政府の主体性を尊重することではないか。そして北からの不当な干渉を監視すること、中長期には原油輸出のための南方ルートを確保して、北への依存を終わらせることではないだろうか。

17 自衛隊派遣について

これはもちろん憲法に係る問題であるから、直ちに撤退するというのが当然の選択である。

それとともに、南スーダンの自立と発展のために何が必要なのか、日本にとって何がもとめられているかをじっくり考えることである。

現在の国連やNGOの活動は基本的には緊急避難的なものである。内政にかかわるべきものではない。明らかにやり過ぎと思われるところも見えないではない。

南スーダンにはケニア、ウガンダ、エチオピアをふくむ南側周辺諸国との連帯が必要である。もっとこれらの国の協力を引き出す方向での国際的な見守りが必要であろう。

エスター・ローズ 62年、日本に尽くして

という記事がある。2013年1125日の福祉新聞Web版に掲載されたもので、おそらくは追悼文と思われる。

人となりがかなり詳しく紹介されているのでご参照いただきたい。

写真だけ転載させて頂く。

rhodes
関西が好きだったミス・ローズ(中央)。妹キャロライン(左)、菊地勝子さん(右)と京都で=1975年

というキャプションがついている。

本日の赤旗家庭面で、「昭和とパンの話」という連載の4回目が気になった。

著者は「昭和のくらし博物館」の小泉和子さんという方。

今回の内容は戦後の食糧援助について。気になったのは

初期の援助は米政府からのガリオア・エロア資金、在米日系人を中心とした救援活動によるララ物資、NGOによるケア物資、ユニセフからの援助など…

ただしララ物資についてはGHQの意向で日系人の関与が秘匿され、外国からの援助物資として配布されました。

この時代は私にとては物心のつく以前のこと、ほとんど記憶はない。ただ本当に静岡の田舎までララ物資の恩恵が行き渡ったのかは、その実感はない。きっと都会の飢えた子どもたちに吸い取られたのではないかと思っている。

それはともかくとして、「日系人の関与が秘匿され」たというのは初耳だ。

少し経過を調べてみることにする。

いくつかの文献があったので、そこから膨らませていくことにする。

昭和20年

http://www.a50.gr.jp/jp/lara.html より

11月 サンフランシスコ在住の日系人浅野七之助、「日本難民救済有志集会」を開催。邦字紙「ロッキー新報」に「故国の食糧危機重大」と題する記事を載せ、「一食を分かち、一日の小遣いを割いても、援助することは、良心的な義務」と運動を呼びかける。

岩崎美智子「ララの記憶」より

10月 東京・上野駅における餓死者は 1 日平均 2.5 人で、11 月の数字では、8 月以降の餓死者は京都 300 人、大阪196 人、名古屋 72 人であった。戦災浮浪児、孤児、非行児など 18 歳未満の要保護児童の数は 40 万人とされる。

餓死者続出の情報が海外でも知られるようになり、次期大統領を狙うマッカーサーは焦ったと言われる。

昭和21年

1月22日 浅野七之助が中心となって「日本難民救済会」が設立される。大統領直轄の救済統制委員会に「日本難民救済会」を公認団体とするように陳情。

当時、各種宗教団体を中心とする海外事業篤志団アメリカ協議会(American Counsel of Voluntary Agency for Work Abroad)が対外的な慈善活動を担っていた。しかしその対象地域は欧州のみであり日本は含まれていなかった。

4月 海外事業篤志団の傘下組織(特別委員会)としてLARAが結成される。「日本難民救済会」を母体とする。

正式名称は「アジア救援公認団体」(Licensed Agencies for Relief in Asia)。加盟団体は教会世界奉仕団、アメリカ・フレンズ奉仕団、カソリック戦時救済奉仕団、ルーテル世界救済団、メノナイト中央委員会、カナダ教会会議、アメリカ労働総同盟、産業別組合会議、ブレズレン奉仕委員会、ユニテリアン奉仕委員会、クリスチャン・サイエンス奉仕委員会、アメリカ・ガール・スカウト、救世軍、YMCA、YWCAである。

6月 アメリカ合衆国救済統制委員会、日本向け援助団体の設置を認可。

6月 ララ代表が来日。日本政府およびGHQと、運営についての交渉を開始する。ララは「公平・効果的・迅速」を物資配分の「三大モットー」として主張。

9月30日 三者の交渉が完了。ララはGHQの統制のもとに救援物資を送り、日本政府がGHQの指示の下に「受領及配分」を行うこととなる。

ララの駐日代表部は、マキロップ神父(カソリック戦時救済奉仕団)、ローズ女史(アメリカ・フレンズ奉仕団)、バット博士(教会世界奉仕団)が担当する。
ローズは戦前20年以上にわたる在日経験を持つ。バイニング夫人の後任として皇族の英語教師を務めた

11月 「学校給食実施の普及、奨励について」の次官通達。全国の児童を対象にした学校給食の方針を正式に決定する。

11月30日 第一便 (ハワード・スタンズペリー号) が横浜に到着。ララの支援物資(大型トラック100台分)が届き始める。支援は全458便。27年の講和条約まで続く。

全体の割合は食糧75.3%、衣料19.7%、医薬品0.5%、その他4.4%。推定で1100万ドル=400億円(当時価)に達した。乳牛や2000頭を越える山羊などもふくまれた。救援物資の20%は米、加、伯、亜などの日系人が集めたとされる。

12月24日 東京の永田町小学校で贈呈式を実施。最初の物資は東京都内の486施設5万人に分配される。

昭和22年 

1月 第二回目の救援物資。最も戦災被害が大きかった8都府県に配布される。その後3月、5月に支援物資が届き、全都道府県に物資が入る。

1月20日 永田町小学校でララ物資による給食が開始。その後全国の主要都市の学童 300 万人に週2回の給食。

7月31日 衆議院本会議において感謝決議を全会一致で可決。

昭和23年 東京、大阪、名古屋、京都、横浜、神戸の6大都市の約300ヶ所の保育所でララ物資による給食が開始。

昭和24年 全米23の教会諸団体、7万6千の教会が「ゴール1,000万ドル 難民救済の催し」を実施。「日本の子供たちを救おう」と募金活動。

昭和25年 「ララ物資への感謝と日米の友好親善のために女性親善大使の選出する」ことを目的にミス日本コンテストが行われる。第一回目の受賞者は山本富士子。(このコンテストは第2回をもって廃止)

昭和27年

6月 講和条約発効とともにララ物資も終了となる。1,400万人以上、即ち当時の日本人の6人に1人の割合でその恩恵を受けたと言われる。


GHQが日系人のイニシアチブを隠蔽したという経過は確認できなかった。もちろんGHQの日本統治の手段の一つとしてララが利用されたという側面は否定できない。

ただ、それが主要な側面だったというのは、GHQ内の「民政派」の努力(手練手管)を否定することにもつながりかねず、賛成はしかねる。

とにかく「アジア救援公認団体」の構成メンバーを見れば、マッカーサーならずともひれ伏す以外にない「葵の御紋」である。この「権威」を使ったことが、いかにその後の措置をスピーディかつ円滑に進めたかは想像に難くない。ここが勘所である。


アフリカにおける人種分布

アフリカの国境はいい加減なものであり、ヨーロッパ諸国の勢力争いの結果として形成されたものである。

ほとんどすべての国が多民族国家・多言語国家であり、これらを全体として理解するには19世紀以前からの自然的分布を知ることが必須である。

自然分布を知る方法として有力なものが、言語系統(自然言語)の分布とY染色体(表現型)による分布である。

人種的な差ではないが、基本的生活スタイルとして牧畜なのか農耕なのかも大きな違いを生んでいる。

サブサハラにおいては北から順にサハラ砂漠、ステップ気候(サヘルあるいはサバンナ)、熱帯雨林というスペクトルがあり、とくにサヘルと熱帯雨林の境界が気候変動に伴って南北に変化する。これが絶えず軋轢を生んできた。

近代に入ると、イスラム教の浸透、白人とアラブ人の奴隷狩り、ヨーロッパ列強による植民地化、東西冷戦下での帰属などが加わり、事態は一層の複雑化を招いている。

上の図はウィキペディアの「アフリカの諸言語」からの転載である。

青がアフロ・アジア系言語、黄色がナイル・サハラ系、オレンジがニグロイド系、緑がコイサンである。

コイサンは最古のアフリカ住民とされY染色体はハプロAをしめす。ピグミーは北日本人と同じB、ネグロイド系はE1型を示す。ナイルサハラ系は多種多様だが、チャドではR系が優越しているようだ。


ナイル上流域の人々

私が一番知りたいのは、ナイル川上流で主として牧畜を営む人々の由来だ。ブラックではあるが、熱帯雨林域のネグロイド語族とは明らかに様相を異にしている。

私にとって典型として思い浮かぶのはケニアの牧畜民、マサイ族(Maasai)だ。またルワンダがドイツの植民地だった時代のとんでもないのっぽの国王(ツチ族)の写真は、いまだにまぶたに焼き付いている。

人種的には、北からのアラブ人、コンゴとタンザニアを結ぶ線より南の純粋なネグロイド(バンツー人)との間にもう一つ人種があって、その三つ巴で理解しないと南スーダン問題は理解できないのではないかと、ふと思っている。

というのは、ディンカ人とヌエル人との係争を見ると、マサイ族の生活スタイルときわめて類似しているからである。

ウィキペディアのマサイ族の記事を引用する。

本来は定住せず、伝統的な牛・羊・ヤギ等の家畜の遊牧で生計を立てる遊牧民であった。

主食は牛乳と牛の生血。牛はマサイ族にとって最も重要な財産である。

それぞれの村ごとに長老がいて物事を決定する原始的な長老制をとる。戦士階級であるモランはこの長老の下に属する。

かつては他部族からの略奪もモランの仕事であったが、現在では行われていない。


遊牧民もネグロイドだ

次に、人種的なところに関わっていこう。

ナイル系の遊牧民は人種的な操作の対象となり易く、地中海人種に属するとされたり、黒人とされたりし、ハム族神話 (hamitic) により「黒人より高貴である」等として植民地支配の際に分断の道具にされた。

しかし、都市に暮らすスーツに身を固めたビジネスマンのマーサイ族は他の部族と見分けることはできない。

ということで、ウィキペディアの記述では、遊牧生活に適応したネグロイドという見解に近い。

たしかに南スーダンの指導者たちの写真を見ると、ネグロイドそのものである。

このウィキの見解についてコメントするだけのものは持っていない。

一応、Y染色体ハプロで、ネグロイドにおけるE1の卓越性に相当する特徴がないことをもって差異とする主張はできるかもしれない。あるいはチャドで卓越するR系の基盤の上に南北からの侵入と混血があって、ナイル・サハラ語圏が形成されたと主張できるかもしれない。

とりあえず、この話はこれで打ち切りにしよう。


言語・文化集団としての「ナイル・サハラ語」人

人種の問題はとりあえず置くとして、最初の図の通り、言語的には明らかに「ナイル・サハラ語人」が存在する。それはニジェール川流域からコンゴにかけて分布するネグロイド語系とは系統を異にしており、両者は歴史を遡って分岐していたことも間違いないようだ。そして東アフリカのかなり広い範囲で「ナイル・サハラ語」系領域をカバーしている。

そういう点では「ナイル・サハラ人」というサブクラスを設定することは、必ずしも人種偏見に基づく「伝説」とはいえないのではないか。


「中間層」論を最初に提起したのは、ジェームズ・ミルである。

以前書いた 2016年03月31日 から、『統治論』(An Essay on Government)の紹介の一節を再掲しておく。

 略奪者の抑制が統治の目的: 

欲望の対象の多くが、そして生存の手段でさえ、労働の生産物であるということが考察されるならば、労働を確保する手段がすべての基礎として具備されなければならない。…掠奪を防止しなければならない。その方法は、一定数の人びとが団結し相互に保護し合うことである。必要な権力を少数の人に委任することである。これが政府である。

中間階級の賛美: 

1.中間階級は「文明の被造物」である。それは「生存と品位を安定的に維持でき,しかも大きな富をもつことから生じる悪行と愚行とをしでかすおそれもない」のである。(衣食足りて礼節を知るといったところか)

2.彼らは「自らの時間を自由にすることができ,肉体労働の必要性から解放され,いかなる人の権威にも隷属せず,最も楽しい職業に従事している。

2.その結果「彼らは一つの階級として,人間的享受 の最大量を獲得している。

3.少年と婦人で構成され,町を混乱に陥れる暴徒の無秩序は何を意味するのか。人口のほとんどが富裕な製造業者と貧しい労働者とから構成され、中間階級が極端に少ないからだ。

4.民衆のうち下層部分の意見を形成し,彼等の精神を指導するのは中間階級である。不況下での群衆の無秩序な行動は,むしろその命題の正しさを証明するものだ。

以上の主張から、ミルが「中産階級」をスミスの含意する小ブル「階級」ではなく、中間「階層」として捉えていることが分かる。

「民衆の…精神を指導するのは中間階級である。不況下での群衆の無秩序な行動は,むしろ(逆説的に)その命題の正しさを証明」しているというくだりは、政治感覚として卓越していると思う。

どう謝ったら良いのかわからないが、とにかく謝っておきます。
以前、「バグヘッド・エンペラーなどクズだ」と書いたら、ずいぶんおしかりのコメントをいただきました。
「ASIOで聞いたらそんなに悪くない」と言われて、やってみたところたしかにそれなりの音がしまして、これについては後ほど「バグヘッド・エンペラー+ASIOは悪くない」という別記事をアップしまして、最初の記事にもリンクを張っているのですが、なかなかそっちには行ってくれないようです。
ただ一度言ってしまったことは責任を取るべきだと考えて、あえて最初の記事を消さずにいるわけです。
お願いですから、前後の事情も察してあまり居丈高にならないでください。

と、ここまで言ってから、またケンカを売ることになるのかもしれませんが、目下の考えは(あくまでも目下ですが)、再生ソフトで音をいじるということそのものがいかがなものか、ということです。
それはあくまでもお化粧であって、田舎出のイモ姉ちゃんが「無茶メイク」して化物みたいになって、それでもそれなりに垢抜けてきれいになるのと、本当の美人とは違うでしょう。

同じ目的で開発されたものなのに、豪胆なWASAPI色と艶っぽいASIO色はずいぶん違います。WASAPIそのものも出はじめと今ではずいぶん暖かみが違います。おそらく両者とも音色をいじっているのでしょう。名前は忘れたけど、ASIOっぽさをさらに強調した有料ソフトもあるようです。

これはもう仕方がないので、当分の間は両者で競り合ってもらうしかないのでしょう。そういう選択肢がまずあるとすれば、バグヘッド・エンペラーはASIOをもっと良くするという線上の「上塗り化粧」ソフトということになると思います。

とにかく一番大事なことは、自分のすっぴんの「モニターサウンド」を持つことだと思います。お化粧はその後でよい。なんなら自己責任でAudacityでいじればよい。
そして私のモニターサウンドはファイルを作業用メモリーに移設して、foobarのWASAPI(event)モードでDACにつなげて聞くことです。その分良さげなDAC、プリメイン・アンプ、スピーカーに後を委ねることになります。

これはTPP、とりわけISDS(投資家対国家紛争解決条項)の解釈をめぐっては死活的な課題となる。
この点に関して共産党の山添参院議員が鋭い質問を行っている。
TPP ISDS訴訟・損害賠償の実例  山添拓
11月16日でやり取りが視聴できる。(ただし、このYou Tubeには下記のやり取りはない)
条約だから、国内の司法を越える部分があるのは当然ではあるが、利害が真っ向からガチンコしたときどうなるか。
これが大問題になっているのがエクアドルで起きた出来事。
エクアドルで石油採掘を行っていたシェブロン社が不採算を理由に撤退した。それまでアマゾンのジャングル地帯で原油を垂れ流し続けていた。いまも環境汚染は続いている。これに対しエクアドルの地方裁判所が損害賠償を命じる判決をくだした。
シェブロンはこれを不服として国際仲裁裁判所に提訴した。仲裁裁判所はシェブロンの訴えを認めエクアドルの地裁判決を無効とし、効力の停止を命じた。これが認められると、エクアドル政府はシェブロンの撒き散らした環境汚染の尻拭いをしなければならなくなる。それどころか、シェブロンは不当に訴えられたことに対する高額の賠償金をエクアドル政府に要求している。
なんとも理不尽な話だ。
山添議員は日本において同様の事態が起きた場合、政府としてどうするのかを問いただした。
石原TPP担当相の答弁は明確だ。
条約を遵守する立場から、仲裁判断に従う
ということだ。つまり日本の司法権は国際仲裁裁判所の判断に対して劣位に位置づけられるということだ。これが最高裁の判決であっても原則は変わらない。
金田法務大臣は、異なる見解を、控えめに述べた。
日本政府が仲裁判断に従わず、投資家が強制執行をもとめた場合、国内裁判所が「公序良俗違反」などを理由に仲裁判断を覆すこともありうる。
間に立った岸田外相は次のような見解を述べた。
国際仲裁裁判所の仲裁裁定の趣旨と、国内裁判所の判断の双方を踏まえた代替的な対応を図る。これにより、ISDS手続きを無意味にしないようにする。
一見、中立的な意見のようだが、最後の結論は「ISDS手続きを無意味にしない」ことであり、そのために「代替的な対応を図る」ということだ。つまり石原担当相と基本的な立場は変わらないことになる。

この見解がもたらすのは多国籍企業の乱訴だ。現に世界中で起きている。そのうちのいくつかは彼らの勝利に終わっている。
これに対して国内の司法判断は無視され、国家の独立の柱である司法の独立は否定されることになる。
きわめて重大な発言であり、しかも閣内不一致である。統一見解が必要だ。

奨学金の改善をもとめる若者集会での発言。赤旗からの転載です。
平川さん

すみません。実情を知らなくて、利子がこんなに取られるとは知りませんでした。
どういう計算になるのか。
4年間で総額456万円を借りた。これを20年ローンで返済することになる。
例えば住宅ローンだと、住宅保証機構のサイトのシミュレーションに入れると。
500万円借り入れの20年償却で、均等割で返済すると返済総額は5,518,620円と出てくる。
利子は52万円だ。奨学金の利子の半分ということになる。
三菱UFJの住宅ローンの試算だと、約 5,702,420 円と出てくる。それでも利子は70万円どまり。
貸し倒れリスクが上乗せされているのだろうか。たしかに返済率は相当悪そうだが。
無償給付する本来の奨学金制度がすぐに実現できないのなら、まずは住宅ローン並み(できればその半分くらい)に金利を下げてやることが必要だろう。
そのうえで、「悪質滞納者」については、審査の上で、裁判に出るとか債権を競売にかけるなどの強硬手段も必要かもしれない。
とにかく景気の良かった時代とは違う。仕送りも親のスネもやせ細っている。ホンキで考えないと、この国の明日は真っ暗だ。

11月17日付のWSJに以下のニュースが掲載された。

無言で帰国する兵士 南スーダンで中国が気付いた大国の代償
習主席の野望がもたらす過酷な現実とは

ニュースの中身は南スーダンに派遣された中国軍PKO部隊の兵士が、戦死したというものだ。

事件の発生そのものは相当前のものである。

報道によると、事件が起きたのは7月10日。中国軍部隊の装甲車両が何者かによる携行式ロケット砲の攻撃を受けた。

この砲撃で兵士が負傷。うち一人は2時間後に死亡、もう一人も翌日死亡した。

首都ジュバで政府軍と反乱部隊による激しい戦争が起きた時の話のようだ。

WSJではこう書いている。

自国を世界の強国にするという習近平国家主席の野望がもたらす過酷な現実に、中国は初めて向き合うことになった。

…国営テレビが放送した映像に国民は衝撃を受けた。そこには、ジュバで攻撃を受けた中国人の兵士たちが、血を流している仲間を助けようと必死になっている姿が映っていた。部隊を派遣することのリスクを理解していた国民はほとんどいなかった。

と、中国の人々にはかなりの衝撃だったようだ。

リーさん葬儀
リーさんの葬儀(WSJより)


しかし今のところ、政府は兵士たちの死を受けて政策を変えたようには見えない。

メディアは反戦・厭戦の世論が起こることを警戒し、一斉に戦士を合理化する論調を流し始めた。

世界平和を守るために中国の兵士は最前線に向かっているのであり、流血と戦争の試練に直面する機会がこれから増えていく。これは中国の大国としての責任であり、中国が新たに大国としての地位についたことの代償だ。

WSJはこれらの論調に対して疑問を投げかけている。

中国が世界の大国になる目的は、いったい何なのか

中国を日本に、習近平を安倍晋三に置き換えれば、これらのシーンは明日の日本そのものではないだろうか。

それにしても、このニュース、日本のメディアで取り上げたのかな?


南スーダンについては、以下の記事をご参照ください


たしか前にも書いたが、ギレリスとコーガンは義理の親子で、コーガンはギレリスに心酔していたという話だ。
ギレリスというのは謙遜な人で、ソ連の演奏家としては最初に西欧にエクスポーズしたのだが、「世界一のピアニスト」と賞賛された時にマジに否定したそうだ。
「ソ連には私よりはるかに上手い人がいる」とコメントしたのだが、それがリヒテルだった。
しかし「そうだろうか」と私は思う。テクニックと言うだけならたしかにそうなのかもしれない。しかし聞いて「良いな」と思うのは、私ならギレリスだ。
リヒテルなら、どの曲を演奏しても曲の中にぎりぎりと切り込んでいく、そういう凄さがある。それを傍で感じる時はすごいなと思う(だがいつもそうではない)。
ギレリスの演奏は鍵盤をオーケストラのようにあやつる指揮者のように聞こえる。それがどう違うかというと、多分リズム感と響きなのだろうと思う。
ギレリスの演奏はどっしりと安定して、優しい。ギレリスの演奏は気持ちいいのである。リヒテルは時として不機嫌でそっけなく、人の心を不安定にさせる。音色は綺麗とは言い難い。ベートーベンのソナタで、その違いは顕著だ。
シューマンやドビュッシーはギレリスには合わない。ところがブラームスのピアノ協奏曲第2番はギレリスの不朽の名演だ。グリークの叙情小曲集は珠玉の一枚だ。
いま、アシュケナージやプレトニョフが指揮者として大をなしている。私が思うにはギレリスこそ大指揮者になったのではないかと思う。彼には大谷選手並みの素質があったと思う。惜しいことだ。
そのギレリスが娘婿のレオニード・コーガンと組んでベートーベンのバイオリンソナタを出している。これはこの曲のベストだと思う。学生時代、FONTANAという廉価版シリーズでグリュミオーとハスキルのレコードを買ったが、音のバランスが悪かったせいかもしれないが、この曲へのマイナス・イメージが焼き付けられた。それがこの演奏で払拭できたのである。
たしかにコーガンのバイオリンは線が細く硬質で、オイストラフと比べての話であるが、きまじめだ。しかしそれがギレリスのバックを得て生き生きと踊り始めるようになる。(この話は以前書いたよね)
さて、話がようやく本題に入る。
このギレリスとコーガン親子にロストロポーヴィッチが加わったのがこのトリオである。名前はついていないが、どう考えてもギレリスを中心にしたトリオだ。だからこれから先はギレリス・トリオと読んでおく。
このギレリス・トリオが演奏したのがチャイコフスキーの「偉大な芸術家の思い出に」だ。

このあと、つらつらと書き連ねた文章があっという間に消えた。
もうやめた。
これだけあれば、一応は足りている。
You Tubeでは同じ年の同じ演奏でモーツァルトのピアノトリオ第一番が聞ける。おそらく同じレコードの裏面なのだろう。こちらのほうがピアノの大音量がかぶさらない分聞きやすくなっている。ただしロストロポーヴィッチの出番は殆どない。目立ちたがり屋だから無理やりしゃしゃりこんでくるが、そもそも音符がないのだからどうしょうもない。

それはSAMのおかげである。

当時崩壊寸前のシリア政府軍にとって、制空権が最後の頼みの綱であった。それによって反政府軍の根拠を叩くことで、かろうじて軍事力バランスが維持されていた。

しかしその時、反政府軍は地対空ミサイルを手に入れたのである。これでシリア軍機がバタバタと落ち始めた。私はこれで決まったと思った。

しかしSAMの供給は突然途絶えたのである。

それ以後、反政府軍はやられ放題だ。そして大量の難民が発生しそれが西洋諸国に押し寄せ、今日のごとく各国の右翼の台頭を招いているのだ。

なぜSAMの供給が途絶えたのか。

それはSAMの供給国であるトルコの政治状況が変わったからだ。

トルコの国内政治状況については以下の記事に書いた。




呉への空襲は映画の通り何回も繰り返し行われている。とくに7月末、広島への原爆投下の直前は執拗で、広島の原爆投下作戦へのカモフラージュだった可能性もある。呉市民にとっては、ほとんど「慣れっこ」になっていた。

呉戦災を記録する会 によると、

1945年

3月19日午前7時20分 アメリカ海軍の第58機動部隊約350機が、呉軍港への空襲。3時間半にわたり波状攻撃。この時港内には大和など戦艦3隻、空母5隻などが停泊していたが、多くは小破ないし軽微にとどまった。

GunkanHaichi319

呉の戦災より転載(大和は2月28日には停泊していたが、この日は広島湾に退避していた)

3月27日 対日「飢餓」作戦が開始。沖縄上陸作戦を前に、海上補給と応援部隊の派遣を阻止するため、下関海峡、呉及び佐世保軍港、広島湾にパラシュート機雷を投下。

5月5日 B-29約120機、隣接地域の広地区海軍工作庁(広工廠)を空襲。

6月22日午前9時30分 162機のB-29が呉軍港内の呉海軍工廠の造兵部(兵器工場)に空襲。1時間余の爆撃により造兵部は壊滅するが、造船部はほぼ無傷で残される。
海軍工廠では勤労動員の学生を含む約10万人が働いており、少なくとも400人以上が犠牲になったが、新聞には「死者1名もなし」と報道された。
隣接する宮原・警固屋地区、また安芸郡音戸町にも爆弾が降り注ぐ。映画ですずと晴美が空襲に遭ったのはこの時のこととされる。

7月2日0時 B29約150機による呉市街地の戦略爆撃。2時間で16万発の焼夷弾を投下。約337ヘクタールが焼失し、12万5千もの人が家を失う。

7月24日~28日 ポツダム宣言受諾を迫る「対日集中作戦」の第一陣として、5日間にわたる呉沖海空戦がはじまる。のべ1845機の艦載機が攻撃に参加。

7月24日 土佐沖の空母から飛び立った艦載機約870機が、呉軍港内艦艇を中心に爆撃。沖縄伊江島のアメリカ陸軍航空軍も参加する。

7月25日 B29・B24約110機が、港内艦艇を爆撃。

7月28日 第38機動部隊約950機が来襲。戦艦3隻が沈没、空母5隻が沈没ないし大破するなど、ほぼ全ての艦が航行不能となる。

7月29日 呉市民の犠牲者は2062人、軍関係者の死者数は不明。

8月6日 広島に原爆投下。

8月8日 福山に大空襲。

呉 空襲の記録

本日は この世界の片隅に  という映画を見てきた。

アニメ映画で、なんというジャンルと言って良いのか分からないが、とにかく戦時中に呉を襲った空襲を背景とする広い意味の反戦映画だ。

日常をたんたんと描くことで、そこに突然割り込んでいる凶暴な力が浮き彫りになる。

しかしその日常たるや、本当の日常ではない。男がどんどん連れ出され、モノがどんどんなくなり、飢えが当たり前となる日常だ。

その「非日常」を日常化し、取り込みながら生活を作り上げていく、そういう生活の最終的帰結として、空襲は必然的だった。

登場人物たちにはもちろんそのような自覚はない。

自覚するのはこの映画を見た観客たちだ。

もう一つ、その日常は我々戦後世代が経験した時代より遥かに豊かな時代なのだ。

生活必需品は確かに欠乏していた。しかし建物は遥かに立派だし、文化は遥かに豊かだった。子供時代「良いもの」といえばすべて戦前製のものだった。

我々が「豊かさ」を実感するようになったのは、我が家にテレビや電話や電気洗濯機が入るようになってからだ。

しかしその頃もまだ、家そのものは戦前に遥かに劣るウサギ小屋だった。

私はこの映画を見て、空襲が日本の何を破壊したのかをもっと分析すべきだろうと考える。と言うか、軍国主義によって破壊された国民生活が、最終的に崖から突き落とされた時、そして都市機能の全てが失われた時、その責任分担をもう少し明らかにしておいたほうが良いのではないかと考えている。

それにしてもこの映画、マット絵の美しさを除くとあまり記憶に残らない映画だな。何か微妙なずれがある。我々には戦無派に伝え残すべきものがもっとありそうだな。

それはなんだろう。あからさまに表に出すのでもなく、誰にというのでもないが、一種の「憤り」かな。


共産党大会決議案の感想

サラリと読んだところでの感想を、思いつくままに書き綴ってみる。

「いままではどうだったかな」と思うくらい、今回は素材提供的な性格の強い議案だ。情勢は反核→反戦・平和→政治→経済→暮らしと並べられ、それぞれの分野での主な出来事が並び、評価が述べられる。

評価については、これまでの闘いの中でかなり理論化された部分もあれば、箇条書き的な部分もある。正直に行って未だ思いつきのレベルを出ていないところ(グローバルな課題解決への5つの提案)もある。

大会決議という性格からして、これまで積み残してきたいくつかの理論的課題、長期戦略などの解決が必要であり、これから大会までの間に熱い議論が展開されることを期待したい。

理論的課題について

1.デモクラシーをもっと打ち出すこと

シールズが「デモクラシーってなんだ」「これだ」とやっていたが、デモクラシーはたんなる手続き問題ではない。「デモクラシー」の思想、あるいは「新しい民主主義」の思想をもっと打ち出す必要があると思う。

それはこれからの「下からの運動」を作り上げていく上でキーワードになると思う。

だから「共産党はデモクラシー(新しい民主主義)をこう考える」という打ち出しが強烈に必要だと思う。そうするとデモクラシーの運動をすすめる上で立憲主義の位置づけも鮮明になるのではないかと思う。

その辺を展開した上で、第1章の最後の段落

立憲主義、民主主義、平和主義を貫く新しい政治、すべての国民の「個人の尊厳」を擁護する新しい日本への道を開こう。

立憲主義、平和主義を貫く「新しい民主主義」の政治、すべての国民の「個人の尊厳」を擁護する新しい日本への道を開こう。

に変更してはどうか。

2.不寛容と力の政策に警鐘を鳴らすこと

国際情勢でいまみんなが一番不安に思っていることは、不寛容の気分が広がっていることである。

もちろん不寛容の気分が広がっている原因は明らかであり、経済格差の拡大と民衆の貧困化である。

それをもたらした多国籍企業との闘いがまず必要だ。TPP反対の闘いもその重要な一つとして位置づけられる。

もう一つは力の政策(先制攻撃症候群)を国際対話と国際連帯の力で封じ込めることだ。そのさい、国家主権の尊重を何よりも重視すべきである。

不寛容の気分と力の政策が結びついたとき、それは恐ろしい破壊力を生じる。支配者は不寛容の気分と力の政策を結びつけようと狙っている。

ただ今日生じている不寛容は、必ずしもファシズムと結びつくものではない。我々は「深部の力」に信頼を置かなければならない。この辺は少し書き込む必要がある。

力の政策反対、多国籍企業の横暴反対の行動が不寛容の気分と結びつくとき、それは革命的な力を発揮する可能性がある。

したがって、今一番もとめられていることは力の政策反対、多国籍企業の横暴反対の運動の展望を、より豊かにかつ具体的に指し示すことではないだろうか。

3.「中間層」の考え方を大いに発展させよう

日本の格差問題を、〝富裕層への富の集中〟、〝中間層の疲弊〟、〝貧困層の拡大〟の三つの視点からとらえると、次の特徴が浮き彫りになる。

というくだりが注目される。

中間層という言葉はオバマが使いだしたことから急速に一般化した。所得分布曲線の中央値あたりにいる人々を指すと思われ、まさにマジョリティーを形成する。

中間層という言葉にかつての「動揺するプチブル階級」のイメージはない。古典的な階級概念は、富裕層が1%にまで減少したために有効性(実践的な)を失った。

中間層概念はこれからの運動に有効だと思う。「新しい民主主義」の担い手として、さらなる概念展開がもとめられる。

4.あらゆる非暴力的手段を使って国を守る

自衛隊に関する方針は、じっくり吟味する必要がある。決議案は誤解を受ける表現を含んでいるので、再検討が必要だろう。

急迫不正の主権侵害や大規模災害など、必要に迫られた場合には、自衛隊を活用することも含めて、あらゆる手段を使って国民の命を守る。

「急迫不正の主権侵害」については相当の議論が必要だろう。字面だけ読んでいくと、「あらゆる手段」とは自衛隊の活用、すなわち戦闘行為もふくまれてしまいかねない。

もちろん「急迫不正の主権侵害」の想定はしなければならないが、安倍首相がやったような「安易な想定」は禁物である。

とりあえず、以上

何か、まるで青木ヶ原の樹海に迷い込んだような気分である。

自分の歩んできた道を振り返ってみよう。

最初は福井大学の先生が、「うつ病は脳萎縮を起こす。その原因はストレスから来るステロイドの過剰だ」と書いていたのに俄然疑問を覚えたからである。

電通の若き東大卒女性が過労自殺を遂げたことがきっかけとなって、うつ病の話題が日本中に満ち溢れている。

しかしそこでのうつ病の概念はきわめてあいまいで、本質的でない知見がどんどん積まされて、かえって病気の本態をわかりにくくしている。

いまは亡き諏訪望先生なら、「そんなものうつ病じゃないよ。強いて言えば第二うつ病でしょう」とでもいうであろう。

こういうふうに概念が混乱している“事象”を分析するには、うつ病研究の歴史を学んで、その中から流れをつかむのが一番だろうと考えた。

ところがやってみてびっくりした。うつ病の研究は、本質的なところではまったく進歩していないのである。

だから概念操作ばかりが進行して、それがまたさらに混迷を深めるのである。

うつ病はシナプス病だ

うつ病に関して我々がもっている知見は次の3つである。

1.レセルピンでうつ病が発症したり増悪したりする。

2.イミプラミン(商品名トフラニール)とそのデリバティブがうつ病を改善する。抗セロトニン薬もイミプラミンほど劇的ではないが類似の薬効を持つ。

3.基本的には可逆性である。自殺でもしなければ、いずれ放っといても治る。

この3つの特徴を持つ疾患がうつ病である。

今では抑うつ気分を持つ患者がすべてうつ病になってしまった。最初は「そんなものうつ病じゃない」とはねつけていた医者も、いまではすっかりあきらめてしまった。その代わり「メランコリー」という言葉を作って、そこに古典的なうつ病を格納するようになった。

ただ、そういう「気分疾患」としての広義のうつ病も、シナプスが集中する間脳に何らかの異変が生じていることは間違いないので、「うつ病は間脳病だ」とも言えるのである。

間脳病としてのうつ病についてはいずれまた触れたいと思う。

シナプスに対してもっと根底的な問いを発すべきだ

およそ神経系システムの中でシナプスほど不合理な装置はない。

有髄線維の中を情報は秒速数メートルで伝わっていく。処理すべき情報量からみても生体側の必要から言っても、「矢切の渡し」では到底間尺に合わない。

なぜこんなものができてしまったのか、なぜそれがそのまま残されてしまったのか。それはおそらく系統発生学を学ぶ中でしか答えは出てこないだろう。

これがシナプスをめぐる根底的な問いだ。

これに対する答えはおそらく2つあるだろう。

一つは間脳から先にはもともと何もなかったからだ。それがポリープのように、腫瘍のように後から後から増設されていったからそこはシナプスという渡り廊下でつなぐしかなかった。

間脳から抹消神経への構造は一体化しているが、間脳から上の脳組織とは、その間にソロリソロリと指を入れながら進入していけば、そこはすべて間隙となっていて、用手的に剥離できる構造になっているのである。

もう一つは、大脳の方から考えれば、自己防衛のためでもある。視床下部と視床は体液性の情報と神経性の情報を突き合わせる場所であるが、それは絶えざる葛藤が繰り広げられる場でもあることを意味する。

大脳としてはそのような低次元の争いとは一線を画したいから、「そちらでよく議論して、一番良い方法を決めてください。そうすれば我々としてもしっかり協力させていただきます」と、こうなる寸法だ。

「派閥争いに巻き込まれるのはまっぴらだ、クールにやらせていただきましょう」という自己防衛がシナプス結合の意味には込められている。

シナプスの海をわたるのは大変だ

神経線維を走ってきた情報は目の前に広がる海峡を見て愕然とする。

もちろんそこには定期のフェリーも走っているが、密入国者には縁のない手段である。だから密輸業者に高い金を払って決死の覚悟でわたるか、もっと金のない連中はイカダやゴムボート、浮き輪を使ってでも、藁にすがってでも渡ろうとする。

神経伝達物質が「こんなもの役に立つの?」 と言うくらい多彩に登場するのは、それだけ渡りたい人が殺到しているからであろう。

喉まででかかっている言葉が出てこないとか、そこまで来た人の名前がするっと逃げていく実感は、私にとって日常的な出来事であるが、まさにそこには助け舟が必要なのだ。

神経伝達物質(Neurotransmitter

要約

シナプスで情報伝達を介在する物質のこと。神経伝達物質は局所的に作用し、ホルモンは循環器系を通じ大局的に作用する。

生成から不活化までの経過

一部はシナプス前細胞で合成され、神経末端まで運ばれる。一部は細胞外から吸収され再利用される。

伝達物質は神経終末のシナプス小胞に貯蔵され、活動電位が到達するとシナプス間隙に放出される。

放出された伝達物質は後シナプス細胞の受容体と結びつき、イオンチャンネルを開かせる。これにより後シナプス細胞が脱分極する。

役目を終えた伝達物質は、大部分は酵素によって不活化されるが、一部は全シナプス細胞の終末に再吸収されリサイクルされる。

神経伝達物質の分類

1. アミノ酸: グルタミン酸、γ-アミノ酪酸(GABA)、アスパラギン酸、グリシンなど

2. ペプチド類: バソプレシン、ソマトスタチン、ニューロテンシンなど

3. モノアミン類: ノルアドレナリン、ドパミン、セロトニン

4. アセチルコリン

その他一酸化窒素、一酸化炭素などの気体分子も神経伝達物質様の作用を示す。

というわけで、使えそうなものなら人妻でも未成年でもブスでもオカマでもなんでも来いという具合だ。獣姦すらやりかねない。
ではどんな基準でこれらのものを選んだのだろうか。これらに共通する特徴とは何か、この辺が分からない。

さらにこのなかでモノアミンが正妻として桁違いの重要性を持つ意義も目下のところ不明である。

PlayPcnWin の作者は、このアプリのいいところはWASAPIの排他モードを使っていること、ファイルをメモリにいったん写し取って、それを再生するところにある、と書いている。

しかしWASAPIの排他モードなどいまどき当たり前のことだ。とすると、音質の良さはひたすらメモリ転送→再生ということにある。

しかしそれはfoobarでも可能だ。私も以前はやっていた。しかしそれはあの「糞DAC」で音飛び、中断、落城を繰り返していたときの対応だ。

その時、「たしかに音は良くなるが」と実感したが、それは音飛び対応の副産物だった。

しかしあの記事のほんとうの意味は、音源ファイルのメモリへの転送→再生による音質改善だったのだ。

「よしそれならアドバンス設定でどのくらい音が良くなるのか、PlayPcnWin と同じ音が出るのか」とトライすることにした。


絵入りで説明することにする。

1.プレイバック画面をいじる

立ち上がり画面からファイル→プレファレンスと進んで、プレイバック画面を出した所

PLAYBACK

ここでソース・モードの逆三角を左押しして、NONEにする。プロセッシングの逆三角でNONEを選択する。

2.アウトプット画面をいじる

次に左窓のプレイバックの二つ下、アウトプットを左クリックしてアウトプット画面を出す。

OUTPUT

デバイスの逆三角で、WASAPI(event):DAC を選ぶ。(これは職場のパソコンなのでDACには接続していない)

バッファー・レングスはだいたい1万見当。アウトプット・フォーマットはとりあえずいじらない。

3.アドバンスド画面をいじる

アドバンスド

画面では省略したが、左窓のアドバンスドを左クリックすると右窓の表が出てくる。その中のプレイバックをポッツんして、出てきた表の中からさらにWASAPIをポッツんしたものである。

a) まずいじるのはフル・ファイル・バファリングの項目である。字の上のどこでも左クリックすると、フォーマット窓が出てくるので1000000といれる。「メモリ上に100メガバッファを確保しますよ」という意味だろう。

b) 次がWASAPIの項目である。

この中のハイ・ワーカー・プロセス・プライオリティにチェックを入れる。

c) ついでスレッド・プライオリティの項目

MMCSSを使うにチェックを入れる。その下のMMCSS モードはAudio を“pro audio”に書き直す。

出来上がったのが下の図である。

DEKIAGARI

なお、マニュアルではイベント・モードでのハードウェア・バッファーを500まで上げろと書いてあるが、音飛びがひどくなって、とてもそこまでは上げられない。

プッシュモードだと平気で500まであげられるが、いちおうマニュアル通りイベント・モードで行くことにする。

4.排他モードを確認する

ウィンドウズそのものがデフォールトで排他モードになっているような気がするのだが、念のため確認しておく。

コントロール・パネル→サウンドで再生タブを開くと「規定のデバイス」が出てくるので、画面を右クリックしてプロパティ窓をひらく。

この窓の詳細タブを選択すると「規定の形式」と「排他モード」が出てくる。排他モードの二つの四角にチェックが入っていればOK.

WASAPIのプッシュとイベントの違いがわからない。大抵のページには「どちらでも良い」と書かれている。耳で聞いてもわからないし、「まぁ良いか」ということでプッシュ・モードで聞いていた。

ところが、foobar をいじったときにこの違いが明らかになった。

そこであらためて調べて見だが、スッキリした話はどこにもない。仕方がないので英語まで手を伸ばして次の文章を手に入れた。


Hydrogenaudio Forum

というサイトに次のような発言があった。

https://hydrogenaud.io/index.php/topic,111120.0.html

Reply #2 – 31 January, 2016, 05:17:11 AM


foobar2000において、プッシュとイベントはともに排他モードで操作されている。

唯一の違いは駆動するバッファーの違いにある。あるいはバッファーの処理法の違いにある。

foobarでどちらかの方法を使うにせよ、タイマーの問題は核心ではない。

それはどのくらいのデータがバッファとして必要かにより違う。

イベント・モードではAPIドライバーによるcallback法で、より多くのデータが必要である。callbackは、前もって準備されたバッファが再生されようとする直前に点検される。

プッシュ・モードでは自らのthreadのなかにloopがあって、ドライバーに対し繰り返し新しいバッファの受け入れを尋ねてくる。またその前のバッファーにも関係する。

イベント・モードはlower latencyを期待できる。なぜなら呼び出しアプリは、新しいバッファが入る正確な時間を実現できるからだ。しかしプッシュ・モードは呼び出しアプリをその度に起動するので、デレイが生じる。

タイマー・ベースのプッシュ・モードでは、それぞれのバッファーの持続時間の間に少なくとも2回のチェックが入っていると思う。再生に入る前のチェックと次のバッファーの点検に入るためのチェックだ。なぜならこのモードでは一つのバッファーの再生時間の厳密な判断ができないからだ。


ここまで読んでもなんのことやらよう分からんが、どうやらイベント・モードは一つの曲を時間ごとに細切れにしていって、前処理していくようだ。スケジュールに合わせてどんどんスケジュールが進行していくから、遅れはないがメモリーを食う。

それに対してプッシュモードは曲の流れ具合を見ながら、「はーい、亀さん、出番ですよ」と呼び出して行くスタイルらしい。

イベントモードのほうが後から開発されたようだ。まぁ説明書を見ればイベント・モードを使いたくはなる。


質問が両者のレイテンシー比較にあったので、回答者はこう回答をまとめている.

latencyだけを問題にするなら、50msでも十分でしょう。何か特殊な作業をするのでなければ、例えば録音した音楽の再生であれば、200msecでも十分です。

どうしても減らしたいなら、WASAPIでは20msecが限界です。もしもっと低くしたいのなら、ASIOを使えば2msecまで減らすことはできます。

ことレイテンシーに関してはWASAPIはASIOに到底及ばないようだ。



カルテというのは患者の情報の集約点として位置づけられている。しかし医者にとってはメモ紙でもある。
カルテは余分なことを書くのを許されない。しかし何が余分なことなのか、そもそも余分なことってあるのか。
「この人は生粋の札幌っ子なのに阪神フアンだ」などと書くと「他事記載」として叱責の対象となる。
研修医時代には「うるせえばばぁだ」とドイツ語で書いたのがバレて、院長に大目玉を食らった。
ある患者の治療方針をめぐっては、他の医者とカルテ上で大喧嘩したことがある。
最近では医事訴訟の際にカルテが最大の証拠となるから、さらに記載にはうるさくなった。電子カルテになったのだから自分用のカルテと病院用のカルテを作って、自分用のカルテから必要分をコピペするのもありかと思う。
グループホームに訪問診療に出かけるようになって、認知症の患者のアナムをとるのにハマってしまった。ナースが「回想療法ですか」と言ったが、別にそんな知識はない。偉そうに言えば患者から尊厳を引き出したいのだが、平たい話、スナックの姉ちゃんから生い立ちを根掘り葉掘り聞きただそうというのだ。スナックの姉ちゃんはそんな客の下心などとうにご存知だから、作り話をペラペラ喋る。ところがこちらもプロだから、そういう作り話の中から真実を引きずり出そうとする。
こういう虚々実々の駆け引きがスナック通いの醍醐味なのだ。
アルコールのせいで話が跳ぶ。
私がアナムをとったのはコテコテのアルツハイマーのばあちゃん。しかし攻撃性はない。
「生まれはどこ」
「山形県北村山郡マルマル村字マルマル」
しかしそんな村はない。あとで明治時代の地図を見るとたしかにある。しかし字(あざ)になるとさすがに分からない。
川の河岸段丘の上にあった集落のようだ。下を流れてたのが最上川なのかその支流なのかもわからない。そこの尋常小学校を出たあと奉公に出て結婚したらしい。そのへんからもう記憶は曖昧だ。
ところが、修学旅行の記憶だけは鮮明だ。朝まだ暗いうちから家を出て、随分と歩いて駅まで行った。汽車を乗り継いで仙台に行った。仙台で止まった旅館の布団の暖かかったことは憶えている。
「仙台はどうだった?」と聞いても分からない。
おそらく昭和10年前後のことだ。そのちょっと前、東北は大凶作で「娘売ります」の看板が出ていた頃だ。実家は大奮発して娘を修学旅行に送り出したことだろう。
その後も、訪問のたびに話の続きを聞き出そうと思うのだが、もう出てこない。しかしヘルパーさんの間で修学旅行の話はすっかり有名になって、心なしか彼女を見る目が優しくなったように思える。
私も訪問診療の帰りはるかに手稲山を仰ぎ見る癖がついてしまった。






一応書いてみる。酒飲み話だ。

4月にいまの仕事を辞めてからやってみたいこと、それはもう一度セツルメント活動を再開することだ。

身過ぎ世過ぎでやってきたが、それはもう良い。もう一度、勤医協の歯車になるのもしんどい。

老後の趣味でブログに精を出すのも人生だ。しかしそれで一生を終えるのも癪だ。趣味の世界は趣味の世界だ。やはり世のため人のため、さらには正義のために働きたい。

といっても、そちらの方の才覚はない。

そこで思い出したのが、学生時代のセツルメント活動だ。あれをやれば良いのだ。誰かがマネージメントしてくれれば、むかしの仲間を集めて、貧困層の医療の悩みに手を差し伸べれば良いのだ。

全生連でも民医連でも良いレポートをたくさん出している。しかし残念ながら医学的な面でのフォローが欠けている。医者が関与していないからだ。

理由ははっきりしている。医者が忙しすぎるからだ。しかし忙しさを理由に関わらなくなって、いつの間にかそれが当たり前になってしまったことも反省しなければならない。

昔セツルで論争があって、セツルメント活動は学生でもできることをしてすこしでもお役に立とうという実践優位論と、学生は学ぶことに徹するべきで、そこで得た観点を卒業後の生活に活かしていくべきだとする学習優位論があった。

もちろん原論的には学習優位なのだが、そこには「やむにやまれぬ大和魂」みたいなところがあって、現場の指揮者は威勢のいい実践優位論に傾きがちであった。

いまもしこの歳になってセツルメントをやるのなら、原論的には実践優位になるのだろうが、むしろ今だからこそ学習優位論に立ちたくなる。

気持ちは「勉強させてもらいます」が我々の合言葉になるだろう。しかしまわりからは、「せっかくお医者さんにきてもらったのだから」という期待が高まるに決まっている。だからそれにはそこそこ応えなければならない。

しかしそこはギブアンドテークしかない。というより健康相談と健康調査が否応なしにセットだ。「授業料はお返しします。その分勉強させてください」ということになる。

フィールドは山とある。セツラーはセツル(定着)どころか狩人のように動き回らなければならない。三大学の衛生学教室や公衆衛生学教室の力を借りなければならない

トランプを押し上げたティーパーティー

トランプとティーパーティーの関係を取り上げた記事は意外に少ない。

中では

2016/09/23 米保守派ティーパーティー、トランプ氏支持を表明 - WSJ を紹介する。

ティーパーティー運動の有力団体である「ティーパーティー・パトリオッツ」が、トランプのために、激戦州に資源を投入すると発表した。

団体代表の発言

ヒラリー・クリントンはティーパーティーが象徴する全てのことと対立している。一方、ドナルド・トランプはわれわれが核としている価値観を守るために戦うと約束した。われわれはトランプを選ぶ。

上下院で共和党が多数派を占め、トランプがホワイトハウスに入れば、ティーパーティーの政策が法制化される可能性がはるかに高まる。

ただしWSJは「今年5月までは、ティーパーティー系はトランプを冷ややかに受け止めていた」とあるが、地下ではいくつかのティーパーティー系組織が動いていたとの報道もある。いずれにしても9月の正式見解発表よりはるかに前からトランプ支持で動いていたことは確実である。


ところで、日本ではティーパーティーは既に過去のものという見方が広がっていた。冷泉彰彦 トランプ「大統領選撤退」に見るティーパーティーの凋落

しかしブームとしてのティーパーティーは終わっても、思想としてのティーパーティーはその勢力を拡大させていた。

思想としてのティーパーティー

ウィキによればTEA は「もう税金はたくさんだ」(Taxed Enough Already)の頭文字だそうだ。彼らの旗には「俺を踏みつけるな」と書かれてる。

ペイリンをアイドルとする組織から、今ではさまざまな潮流に分かれ、それぞれが運動を積み上げている。ただそれが地方で草の根で展開されていたために見逃されていただけだ。

中西部の町はどこも日本の地方都市と同じだ。職がない。商店街はシャッター通りだ。

労働者はいまやいない。残るのは公務員ばかりだ。だから公務員に非難の眼差しが注がれる。

教師、看護婦、警官、消防士エトセトラだ。

彼らは税金泥棒だ。給料を下げろ、年金を下げろ、組合も政治活動も禁止しろ、病院も学校も民営化しろ、黒人やヒスパニックに対する援助などまっぴらだ…という具合に話は進んでいく。

火事や泥棒などは自分で自衛する。スラムは放っとけばよい。当然、社会保障や医療保険など問題外ということになる。

これは本来大金持ちのリバタリアンの主張だ。弱者は共同体の中で助け合わなければならないのだ。

こうやって金持ちにうまいこと乗せられて、自分で自分の首を絞めているということがわからない、自分が弱者だということがわからなくなってしまっているのだ。

一通り、ニュースとしては出回った。
抜けているのは、トランプ当選を支えた地方の保守原理主義運動の実態である。この運動がかつて基幹産業で栄えた北部にも拡大し、力関係を逆転させてきたという経過だ。
これからいろいろ評価が出てくるだろう。
全体としてトランプ見直し色が強まるだろう。
庶民の声を反映しているのだという捉え方も、運動の視点としてはだいじだと思う。
そこまで切羽詰まってしまった世の中の矛盾の表現だ、という見方も出るかもしれない。
経済、外交、軍事では、公約そのままでは到底やっていけないから、何らかの手直しはされるだろう。
それを見て「トランプも案外常識人だ」などと考える向きも出てくるかもしれない。
しかしそれで評価を見誤ってはいけないと思う。
だからこれからの新政権を見ていく上で、評価の基準をはっきりと定めて置かなければならない。
① 白人優位主義と異人種排斥→民族浄化の動き
② 医療保険と最低賃金制度への攻撃→新自由主義のさらなる徹底
③ 反対派への逆襲→言論の自由への攻撃
とくに③については、地方でこれまでもティーパーティにより反リベラル・反労働者行動が展開されてきた。これがオハイオやウィスコンシンなどから全国に拡大し、一層強化される危険がある。国際ニュースにはなかなか載らないので、注意深く見守る必要がある。

下記の記事をご参照ください
2011年11月14日

2011年11月11日

2011年11月10日


前期 うつ病に関連する記載は「メランコリー」と名付けられ、ヒポクラテスの時代からある。それは中世の医学にも受け継がれている。メランコリー=黒色胆汁病という病名はうつ病が「症状精神病」だという考えにつながる。

1899年 クレペリン、躁うつ病を提唱。クレペリンはうつ病が精神病だという点ではメランコリーを引き継いだが、内因性(遺伝性)を強調することによりメランコリーとは別の疾患単位に置き換えた。

1956年 イミプラミンがうつ状態の改善に有効であることが発見される。

抗結核薬であるイプロニアジド、統合失調症薬として開発中であったイミプラミンが、クラインやクーンにより抗うつ作用も有することが発見された。その後イプロニアジドからモノアミン酸化酵素 (MAO) 阻害作用、イミプラミンにモノアミン類であるノルアドレナリン・セロトニンの再取り込み阻害作用が発見された。(ウィキ)

1958 抗うつ作用を発見したローランド・クーンは、イミプラミンが有効なうつ状態は「内因性うつ病」であると提唱(操作的診断)。

1960頃 テレンバッハ、ヒポクラテス以来のメランコリー概念を復活しメランコリー親和型性格を提唱。几帳面、良心的、配慮できるといった特徴を持つうつ病の病前性格であり、自分の所属する「社会や集団での役割」に応えようとする中で、不調が生じうつ病を発症する。

1980年 DSM-III、「うつ病性障害」を、症状の重い「大うつ病」 と、軽いうつ状態が長期間にわたって続く「気分変調症)」にわける。「内因性」のカテゴリーを削除。これに代えて、うつ病のサブタイプとして「メランコリー型」を加える。

2004年 樽味伸が「ディスチミア親和型」を提唱。自己愛が先鋭化し回避的な傾向が目立つとされる。

2010年 米国のアキスカルら精神医学者13名が、DSM-5に異論。大うつ病性障害からメランコリーを切り離し、1つの臨床単位として独立させるよう提言。メランコリーとは、食欲と体重が減少し、SSRI系抗うつ薬よりも三環系抗うつ薬によく反応し、内因性うつ病とか典型的なうつ病と呼ばれてきた疾患群。


とここまで書いてきたが、やればやるほど虚しい。イミプラミン(三環系抗うつ剤)の発見以降、うつ病の研究に関する本質的な進歩は何もない。

それなのにうつ病の患者は爆発的に増え、「社会病」の様相を呈している。心気症からグータラ病まで今では立派な「うつ病」だ。

周辺的な研究がどんどん進み(それ自体は悪いことではないが)、疾患概念が曖昧なままに「海馬が萎縮しているじゃん、これぞうつ病の本態だ」みたいな報告が拡散していく。

いまや事態は「ゴミ屋敷状態」だ。

おかげで医者は食うに困らない。薬屋の詐欺の片割れみたいで気分はよろしくないが、「むにゃむにゃ」と言いながらSSRIとツムラの漢方薬を出しておけば日銭は入ってくる




結局、ストレス性疾患、うつ病、双極性疾患(躁うつ病)の三者の疾病概念があいまいなまま話を進めていくと、バベルの塔状況に陥ることがわかった。

これらが違う病気なのか、親戚筋なのか、同じ病気の表現系の違いなのかをはっきりさせなければならない。

それには病理(画像をふくめた)学的検討を先行させるべきであろう。

そんな観点から、すこし研究の歴史を振り返ってみたいと思う。


第1期 モ ノアミン欠乏を主因と考えた時代

三環系抗うつ薬がうつ病に有効なことが発見された。

三環系抗うつ薬の有効性は、神経終末へのモノアミン再取り込み阻害作用によることがわかった。

神経終末でのモノアミンのあり方を検討する中で、うつ病はモ ノアミン欠乏という生化学的異常がもたらすことが明らかになった。

第2期 海馬萎縮を本態と考える時代

MRI の発達によってうつ病患者の画像解析が可能となった。

その結果、海馬の萎縮がうつ病に共通する特徴であることがわかった。また前頭前野など多彩な病変が併存することも明らかになった。

第3期 セロトニン欠乏が関与していると考える時代

モノアミンだけでなく、セロトニンの欠乏も関与していることが明らかになった。

神経細胞における病変の首座も、前シナプスから後シナプスへと広がり、受容体や細胞内情報伝達機能が解明されてきた。

また海馬の萎縮に関してはコルチゾールが関与していることが示された。

ということで、相次ぐ新事実の発見によって問題は解明されるどころか、むしろ混迷を深めているとさえ言える。

参考までに、1975年時点でのうつ病の疾病概念を紹介する。

うつ病概念

少し古いが、2005年の日本医学会シンポジウムにおける山脇成人さんの発表「うつ病の脳科学的研究:最近の話題」から転載させていただいた。

モノアミンに局限されているが、全体の骨格は正しいと思う。

基本的には遺伝性(内因性)疾患であり、病変の首座は間脳にあるということだ。

個人的な意見を付け加えるなら、間脳(視床+視床下部)は脳の駆動力であり、海馬をふくむ辺縁葉は、大脳辺縁系ではなく「間脳辺縁系」として位置づけられる。



突然映画づいてしまって、「エル・クラン」のあとは中井貴一の「グッドモーニングショー」、そして今週は宮沢りえの「湯をわかすほどの熱い愛」だ。
実は最初から「湯をわかすほどの熱い愛」がお目当てだったのだが、題材柄、なかなか男一人では入りにくい映画で、つい隣の映画館に入ってしまう、ということの繰り返しだった。
本日はついに意を決して家を出た。シアターキノという昔ながらの映画館で、ここに入るということはこの映画を見るという選択しかない。

結論は「正解」だったね。
とにかく泣ける。暗い悲しい映画ではなく、明るい前向きの映画なのだが、ひたすら泣けてしまう。特に後半に入ってからはほとんど泣きっぱなしの失禁状態だ。悲しいから、つらいから、くやしいから泣くんじゃない。気がついたらひとりでに涙が出てきてしまっているのだ。
これは絶対に一人で観に行く映画だ。誰かと行ったんじゃ、恥ずかしくてしようがない。女性はすっぴんで行かないとあとで困りますよ。
そして映画が終わったときの何たる清々しさか。
リアルな世界と紙一重のファンタジーだから、あまり生活臭が出すぎても困る、とスタッフは考えたのだろう。もっとリアルさを追求するなら別のキャスティングもあったろう。
そこで宮沢りえとオダギリジョーという二人を持ってきた。そのことでメソメソしない映画ができたのだろうと思う。
ネタバレになるかもしれないが、涙が噴水のように飛び出した場面が2つある。一つは若者を突然抱きしめる場面、もう一つは瞼の母の家を訪ねて、その家の窓に礫を投げつける場面だ。これは宮沢りえ以外の誰にも演じらない。最後に近く、ガンの苦痛に身悶えするシーンもまぶたに焼き付いて離れない。

本当にいい映画だった。もう一回行きたいくらいだ。ありがとう。

ストレス・ホルモンという概念がわからないのでグーグルで検索してみる。

東邦大学のサイトの「ストレスと脳」というページ。素人向けのページで、とっつきやすいが、。

前頭前野の働き

まず前頭前野の働きについての説明

前頭前野には抽象的な思考に関わる神経回路があり、集中力を高めて作業に専念させる役割を果たすとともに、ワーキングメモリー(計算をする場合などに情報を一時的に記憶すること)として働きます。また、精神の制御装置としての役割を担っており、状況にそぐわない思考や行動を抑制しています

ファクトがてんこ盛りだが、まとめると以下の通り。

① 集中力を高めて作業に専念させる役割 ② ワーキングメモリー ③ 精神の制御装置

一読して、この3つの役割については大いに疑問がある。まず①については、大脳そのものにモーター(駆動力)があるような記載だが。原理的にはありえないと思う。

② ワーキングメモリはおよそありとあらゆる演算装置に付設されている。大脳というのがそもそも記憶装置なのだろうと思う。一時的な揮発メモリではなくもっと過去の経験の書庫なのではないだろうか。

③ 「精神の制御装置」というのは、何やらわかったようなわからないような定義だが、基本としては本能の制御装置ではないだろうか。

そして「判断」とは過去の経験とのつき合わせ作業ではないのだろうか。そういう膨大な書庫から情報を引き出し、ゴーサインを与える装置なのだろう。

前頭葉と視床の関係

前頭葉は「先例主義」を旨とする「報告・連絡・相談」の官僚組織なのだ。視床から発せられる本能的欲求を受けて、評価しモデファイし、実行可能な計画にまとめて視床に送り返す。これが脳の構造的土台だ。

評価の結果、差し戻したり破棄したりすることもある。本能の方で「もう一度考えてくれ」ということになれば、脳の中で煩悶が始まることになる。

視床は支配権を放棄していない

ただこれは視床と前頭前野のプリミティブな関係だ。本能的欲求というのは下部からの情報を視床がいったん受け止め、それに反応して行動を起こそうとする構えである。

しかし視床の意向をいちいち評価するという形は実践を重ねるに連れ次第に形骸化する。情報は視床を素通りして大脳に集中しそこで評価されるようになる。視床は「良きにはからえ」という象徴天皇みたいになる。

だから表面的に見ると、視床は一時停車駅に過ぎなくなり、猿の時代の遺物と考えられるようになる。

しかし脳の働きを駆動するモーター、「意欲」は視床・視床下部複合体にしか存在しないのである。だから生き残りをかけた行動が迫られると、にわかに朝廷の力が前面に出てくる。


ストレスと前頭葉

ストレスは大脳皮質前頭前野に影響を及ぼし、高度な精神機能を奪ってしまう。このため理性的抑制が効かなくなり、視床下部などの進化的に古い脳領域が病的に活性化し、①不安感、②衝動を強める。

これが著者の見解である。

これにも反論がある。

どうも独立した2つの感情である不安と衝動が、一くるみのものとして把握できない。不安が衝動を生むのか、衝動が不安を呼ぶのか、ここがよく理解できない。

もう一つ、大脳がやられるから視床下部がおかしくなると書かれているが、これは因果関係が逆ではないか。

液性因子の影響をまず受けるのは視床下部→視床であろう。そのために視床が暴れだして前頭葉による統制が効かなくなってしまう、というのが筋書きではないか。

これは大脳の機能に混乱と重大な支障をもたらす。しかし最終的に大脳は視床の要求に応えざるをえないのである。

肝心なことは視床と前頭葉の間に会話が成立しなくなることであろう。そうなれば、もはや前頭葉は沈黙するほかなくなる。

最後の疑問、「コルチゾール真犯人説」にはおおいに疑問を感じる。いろいろのジグゾー・パズルを組み立ててみたらそうなったというだけの話で、場合によっては「コルチゾールが頑張ったにも関わらず、病像の進展を防ぎ得なかった」という可能性はないだろうか。

臨床的には恐ろしいほどの大量のコルチゾールをかなり長期に使うことがある。生理的分泌量など耳糞みたいなものだ。ムーンフェースになったら「ウム、効いてきたな」くらいの使い方だ。

1950年代に自己免疫疾患の特効薬として登場した頃は、ずいぶん副作用が取り沙汰されたが、いま考えれば薬効の割にはきわめて副作用の少ない薬だと感じている。

無責任なようだが、「もっとコルチゾール増やしてみたら」とさえ思ってしまう。もちろんそれなりのエビデンスもあるのだろうから、勉強したら意見が変わるかもしれないが…




ということで、友田さんの研究を私なりに敷衍すると、

1.虐待ストレスの形態には視覚ストレス、聴覚ストレス、痛み(肉体的苦痛)ストレスがあって、それぞれに対して適応が生じる。

2.しかしそれはあくまで受身的適応にとどまり、脳の全面的発達を犠牲にする形でしか実現できない。

3.それはおそらく神経線維の髄鞘化(ミエリン化)を部分的に中止し、発達プログラム通り実行しないことで実現される。

ということになる。

神経核(灰白質)でなく神経線維(白質)に着目したことは優れたアイデアだろうと思う。

複合的ストレス(例えばネグレクト、飢餓)については三大ストレスの組み合わせで理解されることになるだろう。

友田さんのいう「脳の萎縮」は、これらの効果をネットとして捉えたものであろう。「萎縮」を言葉通りに捉えるなら脱髄過程ということになるが、脱髄はそれ自体が疾患であり、病的適応過程(病的環境に対する生理的反応)ではなく病的過程そのものである。

髄鞘化の概念

脳の神経細胞は生後間もなく出揃う。しかしこれらが十二分に力を発揮するためには通信速度の向上が必須であり、それには十数年にわたる髄鞘化の過程を待たなければならない。

髄鞘化の過程は生体内にロードマップとしてプログラミングされているものであるが、高次脳機能に関してはかなりエピジェネティックな要素が強いのかもしれない。DNA本体ではなくペプチド鎖の末端がアセチル化される過程は、ソリッドではなく強いストレス下では可変ないし可塑的となる可能性がある。

髄鞘化抑制因子

髄鞘化が抑制される原因のひとつとして高度ストレスが存在すると考えられる。

友田さんは、これらの過程の現場プロモーターとしてストレス・ホルモン、具体的にはステロイドを想定している。

これは例えば冬眠誘導物質などを想定すると分かりやすい。

しかし、発達の障害というかなり長期にわたる変化を見るときには、神経内分泌学的ネットワーク全体の中で考えなければならないだろう。カテコールアミン→ステロイドをイニシエータとして、各種ペプチドホルモンの複合作動系の中に、髄鞘化促進因子の発現を抑える何らかの要因が出現するとみるべきであろう。

間脳の作動機序の解明が中核的課題

これらの過程の中枢にあるのは生命活動の核心としての間脳(視床・視床下部複合体)だ。ここでの神経内分泌学的なダイナミックスを解き明かすのが、研究の究極目的となるのではないか。
それは赤旗のインタビューでの、ウツに関するコメントにも共通するターゲットだとおもう。

友田さんの和歌山での公開講演会(2011年)の記録である。この中の「発達過程の子どもの脳の脆弱性」という部分を紹介する。

A イントロ

1.ストレスの衝撃によって脳に癒されない傷がつく

最近(1980年代末以降)ではその「脳の傷」を可視化することができる。

2.大量のストレス・ホルモンが脳の発育を遅らせる

虐待ストレスによって扁桃体の興奮が高まり、ストレス・ホルモンの放出閾値が下がる。

B 虐待の既往のある健常ボランティアを対象とした調査

問診、心理テスト、脳MRを施行した。

性的虐待例(女性)では後頭葉の視覚野の容積減少が見られた。容積減少率は虐待期間の長さと相関していた。

暴言虐待では、聴覚野を構成している領域に異常が見られた。MRIトラクトグラフィにより大脳白質の神経線維の走向を調べたところ、ブローカとウェルニッケ中枢を結ぶ弓状束の軸索数減少が確認された。

体罰では、前頭前野の内側前頭皮質に異常が見られた。ここは行為障害、感情障害と関係する領域とされる。
「テンソル画像解析」による調査の結果、
視床から大脳皮質へと走る疼痛の神経伝導路の描出が著明に低下していた。

傷つく脳
友田さんの「子ども虐待と脳の発達」というページから、「児童虐待により傷つく脳」という図を転載させて頂く。

C 調査の副次結果

以上が主要な調査結果であろうと思う。

かなり大規模な調査なので、副次的にいくつかの結果(傾向)も出てくる。この内、被害時年齢との関連について他研究のレビューもふくめながら言及されている。

1.虐待を受けた年齢と脳障害の関係

海馬では3歳か4歳頃の体験が海馬の低容積化に最も強く影響する。

脳梁では9歳から10歳、前頭前野では14歳から16歳の虐待体験が低容積化に最も強く影響する。


非常に貴重なデータです。熱意がもたらしたアツい研究でもあります。もちろん、解釈は慎重を要するでしょうし、まだまだ技術的・手法的な洗練が求められてくるとは思いますが、なによりもその先駆性と独創性に心打たれます。

赤旗の社会面に地味にシリーズ物が組まれている。「部活って何」という題名で本日で3回目。

普段は眺めるだけで通り過ぎるのだが、本日はカラーの脳画像、その左肩に白衣でバッチリメークの女性の写真が、いや目でも人目を引く。

リードは下記のごとし。

長時間の過酷な練習や暴言・体罰など、部活動をめぐる問題が子どもたちにどんな影響をおよぼすのか。
脳科学から見た問題点を福井大学「子供の心の発達研究センター」の友田明美教授に聞きました。

ということで、友田さんの発言は以下の3つに大別される。

1.ウツ状態の脳画像の特徴

a 脳の血流が全体として低下 b とくに前頭前野の血流が低下

2.うつ状態の生理反応

a 意欲の低下→喪失 b 慢性化すると自律神経失調を併発。この場合、体調不良が長期化することが多い

3.ストレスによる脳萎縮

a 長期の強いストレスに暴露されると、前頭葉で最大19%、前帯状回で17%、前頭前野背外側部が15%ほど“小さくなります” (発育が止まるという意味か?)

b この結果、感情や意欲が低下し、集中力が低下し、学習や記憶力も低下し、本能的な欲求・衝動を抑える力も損なわれる。

c 脳萎縮の原因は大量に分泌されたストレスホルモンが、脳の発達を一時的に止めてしまうためである。

ということで、「うつの脳科学的検討」というテーマは面白いにしても、思い込みの強さが気になって、すなおにはうなづけないところがいくつかある。

なおカラー表示された脳CT画像はたしかに興味ある所見を示している。しかし別の人物のCTを2スライス並べて何かを言おうというのは、あまりにも拙速である。

とにかく、もう少し友田さんのまとまった意見を聞かなければならないだろうと思う。



ウィキペディアで「地質時代」の項目を勉強する。しかし何か言葉にいちいち抵抗があって、すなおに学習する態度になれない。

「地質時代」という概念は引き算による定義らしい。すなわち約46億年前の地球の誕生から有史時代(歴史時代)を引いたものだということだ。

割りと傲慢な定義だと思う。それなら「先史時代」で良いはずだ。

例えば、弥生時代という区分だが、今もなお弥生時代なのか。

古墳時代はかなりはっきりしている。前方後円墳は250年ころから始まり、500年ころには終焉を迎えている。それはそれでいいのだが、その間、弥生式土器はどうなったのか。

日本史では弥生時代の終わりが古墳時代の始まりと一致する。しかし、弥生時代が何時終わったということは記載がない。

「地質時代」というのも同じだ。地質で時代を区分するのなら、有史時代だろうと地質の区分を貫くべきだろう。

そう思って定義を読み直すと、英語表記が二通りある。

Geologic time scale と Geological age だ。前者は「地質時代区分」であるが、後者は”地学でしか理解し得ない時代”というニュアンスがこもっている。いわば文学的表現である。

この記事の作者は、意識的か無意識的か、この2つを混用している事になる。

金の亡者たちが世界を壊していく。
そういう景色が眼前に展開されつつある。
レーガン以来わずか30数年で、世界の景色は一変した。雪が降るように不信が降り積もり、不寛容の風が吹きつのる。世の中、原理主義だらけだ。
貧富の差がこれだけ広がり、世界の一方に富が積み上がる一方で、世界のもう一方に貧困と不満、政治への不信がうず高く積み重なっている。人が人を信頼しなくなり、政治や民主主義を信用しなくなり、野蛮な力への信仰が止めどもなく広がっている。
恐ろしいものが恐ろしく見えなくなってしまう。汚らわしいものが汚らわしく見えなくなってしまう。
過ぐる2つの大戦で1億人が死に、そこから人類は教訓を得たはずなのに、人類は一方における金の亡者、他方における野蛮な暴力主義の台頭を阻止し得ないでいる。
ソドムがナチズムを生む。不徳ものを罰し得ない社会の劣化は必ずその罰をもたらす。

とにかく対話を広げよう、ダメなものはダメとはっきり言おう、恐れてはならない。口角泡を飛ばして議論しよう、
とにかく街頭に出よう、団結の輪の中に入れ。行動をともにしよう、その力が政治を変えていく、それは確かめ済みではないか。
統一しよう、小異を捨てて大同につこう、そして大同につかせよう。冷笑や批判は保留しよう。ヒューマンな心と連帯の精神が何よりももとめられている。
一番苦しんでいる人に救いの手を差し伸べよう。通り過ぎるのはやめよう。立ち止まって声をかけよう。そこにいるのは私なのだ。
現場をだいじにしよう。現場は生きることの価値を教えてくれる。現場の集団は勇気を与えてくれる。
学習しよう。学ばなければ闘いはない。学ぶことは闘うことだ。闘うより学ぶことのほうが大切だ。
人間はもっと美しいもののはずだ。その下心のない美しさに、てらいなく心の底から感動しよう。

もう一度ワニの進化の勉強。例によって年表的に並べていく。

中生代

ペルム紀 双弓綱の1グループとして主竜形類が出現。主竜類の他、原子竜、トリトフォサウルス(いずれも絶滅)の共通祖先。カメ類もふくまれるとされる。

三畳紀前期 主竜形類の1グループとして主竜類が出現。学名のArchosaursは、…ザウルスの主流派の意味。分類では爬虫綱-双弓綱-主竜形類-主竜型下綱となる。

ウィキでは主竜類の特徴の一つとして、四肢が体の横からではなく下から生えていることをあげている。これが正しければ、ワニはふたたび横から生える方式に戻ったことになる。


2億5000万年前 主竜類からクルロタルシ類と鳥頸類とが分岐。

三畳紀中期(2億2800万年前) クルロタルシ類からわかれスフェノスクス亜目(Sphenosuchia)が出現。ワニ類の始祖となる。

スフェノスクス: 殆どが小型で、頭部こそワニだが、四肢は長く小型の恐竜のようであった(ただしこのスフェノスクスに関する記述はウィキ内でも異端であり、他論文では確認できない)

三畳紀末期 生物の大量絶滅が起きる。繁栄の絶頂にあったクルロタルシ類は、そのほとんどが絶滅。スフェノスクス亜目のみが生き残る。主竜類以外の主竜形類はカメを除いて絶滅。

ジュラ紀 鳥頸類の一種である恐竜が繁栄する。絶滅を免れたスフェノスクス亜目も二度目の繁栄を迎える。

白亜紀前期 スフェノスクス亜目のなかからヒラエオカンプサが出現する。現生ワニ類の直接の祖先となる。ヒラエオカンプサの系統は正顎亜目(Eusuchia)と呼ばれる。

白亜紀末(1億6500万年前) 恐竜が絶滅に追い込まれる。スフェノスクス亜目のうち正鰐亜目のみがこの災難を生き延びる(理由は不明)。


ということで、ウィキを探した限りではワニの祖先が直立歩行していたとか、足が体の下側についていたというような話は見えてこない。

さてどうしたものか。またしばらくほとぼりの覚めるのを待つことにするか。


以前ワニについての記事を何本か書いた。

そのときワニの先祖は二本足歩行していたという、北大の先生の話を紹介した。

しかしそのとき、その根拠を示すことはできなかった。

今日その根拠となりそうな記事を見つけたので紹介しておく。

なるほど! DINOSAUR という水上輝夫さんのサイト

記事の題名は「恐竜のようで恐竜でないワニ」

直立2足歩行していた原始的なワニ類(クロコダイル)の化石が発見された。ニューメキシコ州のおよそ2億1000万年前の地層から掘りだされた。

2005年、マーク・ノレルという学者が発表したものだ。発見に関しては色々面白いエピドードがあったようだが、ここでは省略する。

ついた名前はエフィジア・オキーファエ(Effigia okeeffeae)。直立2足歩行で、ヒザはまっすぐ伸びてとてもワニの祖先とは思えない。

ということだそうだ。下が想像された復元図。

一見恐竜そのものだが、81の項目について形質的特徴を見ると、鳥よりもワニに近いという結論になった。とくに四肢の形質がワニに類似しているという。

以下にもう少し記述があるが、読んでもさっぱりわからないので省略。

ところで、この記事には批判もある。しんけいすいじゃく というブログには次のように記載されていた。

この「エフィジア・オキーファエ」と名付けられた生物は全体のどの程度の骨が発見されているかの記述がない。それにこの骨格図を見る限りでは竜盤類のように見える。

発表したのが骨の数を水増しした前科のあるアメリカ自然史博物館というのも怪しい。

とある。

エフィジア・オキーファエ でグーグル検索してみたが、少なくとも日本語で探す限り、この記事に関連する記述のみである

どうもしんけいすいじゃくさんの予想が当たったようだ。

石炭火発 やはり技術的に無理がある。

火力発電の進歩はボイラー・タービンと除染装置の両面から進化してきた。

しかしある程度の進歩に達すると、そこで停滞せざるを得なくなる。

その時ブレイク・スルーの鍵となったのは燃焼素材の転換である。最初は石炭、その後石油、そして天然ガスと素材革命が行われた。

いまさらながら、それらの進歩を振り返ってみれば、化学的には当然の過程とも言えよう。

燃焼というのは気体にまで分離した炭素分子が酸化することである。もちろん固体も液体も酸化はする。しかし鉄が錆びるのは厄介な出来事でしかない。液体が酸化するのもお酢を作る作業を除けばあまりいいことはない。開封して1週間もしたお酒は、飲めないことはないが、味は情けないほどに落ちる。

それは到底燃焼とはいえない。石炭が燃えるのも、その塊がバラバラの炭素になって、それが酸素と結合するからである。

つまりものが燃焼するのは液相・気相という前過程を踏んで初めて実現するのである。

現在の石炭火発は炭塊を微細粉粒化し、あらかじめかなり熱してから燃焼過程に突っ込む仕掛けになっているようだが、いくら微細と言っても固相状態であることに変わりはない。ムラとムダは必然的に生じる。

また除染についても、炭塊にしみこんだ有害物質を燃焼前に除染するのはきわめて困難である。


コストの問題として考えるなら、地球的に見て環境コストを上回るだけの経済コストを生み出すのは困難と言わざるをえない。

ただそこにはタイムラグがある。後の世代につけを回すのであれば、あるいは一時しのぎの便法として用いるのであれば、別の計算が成り立つだろう。しかしそれは正義とはいえない。

つまりコストとして石炭火発を考えるのは邪道だということである。

したがって、長期のベースロード電源として石炭火発を考えるのは正しいとはいえない。

資源の問題として考えるなら、とりあえずは「内部留保」とし、あまり使わないのが最良であろう。石炭中の炭素を液化、気化する技術が開発されれば、ふたたび脚光を浴びる日も来るかもしれない。

南スーダンの状況を見ていると、どうしても1969年の封鎖解除闘争を思い出してしまう。
前の年に東大闘争が盛り上がって、当初は無党派ラジカルの学生が大学改革を要求して運動に立ち上がった。そのうち全共闘が組織され、急速にセクト化し武闘化していく。それは安田講堂でいったん破産に追い込まれるのだが、「朝日ジャーナル」などの商業メディアにもてはやされた「全共闘運動」は急速に全国に波及していく。
その中のもっとも突出した黒ヘル部隊が数十人で入学式に殴り込み、その後大学本部をバリケード封鎖した。各学部の自治会を網羅した北大学連は封鎖解除を要求して大学本部を取り囲んだのだが、投石やゲバ棒による襲撃で多くのけが人を出す結果となった。我が医学部の藤田委員長も、かざした左腕をゲバ棒でへし折られた。
2ヶ月にわたるにらみ合いの末、北大学連は実力で封鎖解除するとの方針を打ち出した。冷静かつ客観的に見てこの方針が正しかったか否かは未だに分からない。結果論から言えば間違っていたというべきかもしれない。
しかしその頃の我々は怒りにうち震えていた。
国際学連の歌にもあるではないか。「力には正義の、力もて叩き出せ。真実の敵、国を売る犬どもを」
かくして工事現場用のヘルメットと角材で武装した数百の学生が本部を取り囲んだ時、パラパラと学生らが間に走り込んできた。そしてその場に座り込んだかと思うと、「暴力反対」のシュプレヒコールを叫び始めた。
仕方がないので実力行使は中止になり、彼らとの「対話」に移ることになった。
「暴力反対」の学生たちはもちろん封鎖には反対である。しかしそのための「暴力」にも反対である。たしかに「理は通っている」のだ。
しかしそれが結果的に暴力学生の容認になることについては口をつぐむ。こうなると完全に水掛け論だ。
たしかに非暴力主義は正しい。しかし「非暴力的に闘う」姿勢を持たない「非暴力論」は、結果として暴力の容認につながる。そして彼らは暴力学生を評論はするが闘おうとはしなかった。
ここからさきが不思議なのだが、彼らの多くはその後の経過の中で暴力学生の仲間入りしていった。そして封鎖は拡大され、理学部と教育学部を除くほとんどの学部が暴力集団の支配するところとなっていった。
あの時、封鎖を実力解除していたとしても、結局これらの事態は防げなかったかもしれないし、かえって火に油を注ぐ結果となったかもしれない。
しかしトータルとして歴史を見れば、あの無期バリストを機に大学の自治は崩壊し、大学から政治的自由は失われ、文部省の意のままの従順な人づくりの場となったのである。
前置きがずいぶん長くなってしまったが、話は南ソマリアである。
国連だとか人権・人道団体の言い分を聞いていると、どうしてもこの「暴力反対」派の学生のことを思い出してしまうのである。
ある人権団体が「南スーダンはソマリア化してしまった」というのを聞くと、心底腹が立つ。「ソマリア化させたのはお前だろう」
民族の自決権、国家のソヴァレインティの尊重はイロハのイである。国家の反逆者を「暴力反対」の美名のもとに実質的に保護して、結果的に「内乱」を焚き付けているのはあんただ。我々はそれをユーゴでいやというほど見てきた。
たしかに人権は国家を超越するが、人権を最終的に保証するのも国家だ。そういう国家を作りたいからこそ、南スーダンは60年にわたって闘い続けてきた。
あれこれの「国家」へのあれこれの批判は自由だ。しかし「国家」への敬意は最低限の礼儀であり、傍若無人の内政干渉はご法度だ。

発電の歴史(火力発電を中心に)

1832年  フランスでピクシーが発電機(直流)を発明

1840 イギリスでアームストロングが水力発電機を発明

1878(明治11年) 日本初の電灯が点灯(3月25日=電気記念日)。これは今日の電球ではなくアーク灯。

1879 アメリカでエジソンが電球を発明

1881 アメリカでエジソンが石炭火力発電所を完成

1887年(明治20年) 日本橋茅場町に25kWの火力発電所が設置される。その他浅草火力発電所200kWや千住火力発電所77.5MWなど。

1892(明治25年) 京都に日本初の水力発電所完成。(東北の三居沢発電所が最初との説あり)

1893年 「日光第二発電所」(東京)が運転開始。

1898年 蒸気タービン発電機が実用化され、ピストン型蒸気機関に取って代わる。高圧高温の蒸気を発生して、蒸気タービンを回転させて電力を発生することから汽力発電と言う。

1912年 水力発電が233MWに達し、火力発電を上回る。

1912 横川~軽井沢で日本初の電気機関車が走行開始。

1918年 GEがガスタービンの本格製造を開始。燃焼排ガスを用いて直接タービン発電機を回転させる。発電効率は蒸気タービンより落ちる。

1939 電力会社が国策会社「日本発送電」に統合される。

1943 配電統制令により全国に9配電会社設立

1950年 電気事業が再編成される。民営の電力会社の「9電力体制」が出来上がる。(後に沖縄を入れて10電力と呼ばれる)

1954  世界初の原子力発電所完成

1955年 三重火力発電所が操業開始。大規模火発のハシリとなる。

1963年 「火主水従」の始まり。火力発電が9750MWに達し、水力発電を上回る。

1966年 原子力発電の最初の商用発電所として、東海発電所125MW(日本原子力発電)が運転を開始する。

1967年 初の超臨界圧の発電機が導入される。

1969年 燃料としてLNGが導入された。

1970年 最初の大規模原発として敦賀発電所が運転開始となる。

1974年 単機容量が1,000MWを超える発電機の導入。ボイラー性能は蒸気温度550℃、圧力24.1MPaに到達。(蒸気温度374.1℃以上、蒸気圧力22.1MPa以上を超臨界圧、593℃以上、24.1MPa以上を超々臨界圧と呼ぶ)

1974年 サンシャイン計画がスタート。オイルショックを機に、石油に代わるエネルギーの研究・開発がすすむ。

1980年代 LNGの安定供給が進んだことから、コンバインドサイクル発電が主流となる。高温の燃焼ガスをガスタービンで用い、ガスタービンから排気される低温ガスを蒸気タービンで利用する。

タービン翼の冷却技術の向上で燃焼ガス温度が1500℃まで可能となる。送電端の発電効率が50%を超える。

1986年 チェルノブイリ原子力発電所で事故発生

1989年 31MPaの超々臨界圧の蒸気圧力をもつプラントが導入される。タービンは1,600℃級が導入され、コンバインド・サイクルでは熱効率60%以上が可能となる。

1995年 電力自由化が始まる。新規参入者(PPS)には高額な送電線使用料やインバランス料金が壁となる。

2000年  大気汚染防止法が制定される。

①電気集塵機、②原油の「水素化脱硫」、排煙脱硫の導入により、環境特性が改善。③脱硝については燃料寄与NOxについて低NOx燃焼器、空気寄与NOxについて選択触媒還元脱硝装置(乾式アンモニア接触還元法)が導入されている。(石炭については入り口脱硫は行われていない?)

2008年 発電量に対する比率は、LNG 34%、石炭 18%、石油10%(オイルショック時75%)となる。

2011年3月11日 福島原発事故。

2016年4月 電気事業法改正。一般家庭等でもIPPから購入可能になる。ただし自由化で先行する英国やドイツでは電気料金が急激に上昇している。

Don’t go back to the 石炭〜石炭火力発電に反対 |石炭発電|石炭火力発電|反原発

というサイトを見つけた。ブログ形式で膨大な資料をアップしている。

その中から「なぜ石炭が問題なの?」というファイルを紹介させてもらう。ちょっと思い入れがある文章だが、事実問題を抜書きしておく。

石炭火発の流れ: 戦後復興期に石炭から石油への移行が進んだが、オイルショックで石炭が見直され、東日本大震災のあとはジワリと増えた。現在は発電の30%を石炭火発が担っている。

石炭火発の長所: ①化石燃料の中では安い。②石炭は埋蔵量が多く、価格も供給も安定。③主要輸入先であるオーストラリアやインドネシアの政治的安定。

ただし価格の面では楽観を許さない。世界各国で石炭火発の増設が相次ぎ、供給面のフアンは予想を超えて広がっているとされる。(具体的な数字は挙げられていない)

また採炭に伴う環境破壊について、現地での反対運動も活発化しつつあるという。

石炭火発の現状: 10電力の運営する石炭火発が45基、その他の事業者による石炭火発が49基、合わせて94基の事業用の大規模石炭火発が運用中。

さらに自家発電設備として石炭火力の自家発電設備を持つ事業者も相当数あるようだ。このサイトでも正確な数はつかめていないようだ。

政府の石炭火発政策: 日本のエネルギー政策は、「3E」原則を基本としている。3Eとは、安定供給(Energy Security)、経済性(Economic Efficiency)、環境適合性(Environment)である。

しかしこれは原発全盛時代の「原則」で、原発は実は環境不適合であることが明らかになった。その後は環境適合性は後回しにされたままである。

石炭火発の技術革新: たしかに最新の「超々臨界圧火力発電」(蒸気温度593℃以上、蒸気圧力24.1MPa以上)は以前の石炭火発に比べ、大気汚染物質(NOx、SOxなど)の約9割を除去できるようになっている。CO2排出もへっている。業界ではこれをもって「クリーン・コール」と呼んでいる。

しかし最新鋭の石炭火発でも、CO2排出量は天然ガスの2倍以上のレベルに留まっている。(LNG1500度の341g-CO2/kWhに対し、810)

石炭ガス化複合発電などの新技術

目下、エネルギー効率向上の切り札とされるのが「石炭ガス化複合発電」(IGCC)である。IGCCでは石炭をそのまま燃焼させるのではなく、いったんガス化させることになる。

ガス化の技術がキモであり、あとは天然ガスによる発電と同じだ。ただしこれはコスト面の課題が大きいと思う。

安定供給を至上命題とするなら(例えば石油封鎖を受けた戦時中のように)、石炭からガソリンを作るというプロジェクトも成立しうるが、いま石炭火発を成立させているのはローコストというだけだ。そんな手間をかけるなら天然ガスの確保に向かうほうがはるかに安上がりになる。


以上3つの記事を上げておく。一つにまとめれば良いのだが、今のところそこまでの気は起きない。ご容赦の程を。
もう一つ、感想にしか過ぎないが、石炭が存在する限り石炭火発の技術は生き延びるだろうと思う。原子力発電と同じ論法で「百害あって一利なし」とは断言できない。もちろん再生可能エネルギーの使用が優先するのではあるが。
仮定の話として、石油並み(9割位)の燃料効率とCO2排出量、環境汚染度が実現できれば、コストと供給の安定性の視点からはゴーサインが出る可能性もある。その分はむしろ電気の乱費をなくすことのほうが能率的かもしれない。
また、途上国が経済的な理由から石炭火発に固執せざるを得ないとするなら、せめて石炭火発の性能をよくしてやれば、それ自体は環境改善につながる。この辺は環境スワップでなんとかならないだろうか。
前門の虎(CO2)、後門の狼(コスト)という状況が続くだろうが、地球の歴史が残してくれた貴重な資源だ。なんとか活用の方法を考えたいものだと思う。

前の記事のポイントは2つだ。

一つは、いかなる新技術をもってしても石炭火発のクリーン度は低い、ということだ。

もう一つは、石炭火発の導入はひたすら電力業界の利益のためであり、日本の利益のためではないということだ。

ただいずれも、前回記事だけでは証明は不充分である。

とくに、ホンネは電力業界のためであるにせよ、それでは国際的に通用するものではない。公にはどういう理屈で石炭火発を合理化しているのかがはっきりしない。

フクシマを経験した国が「原発も推進します、石炭火発も推進します」というのでは、物笑いの種にしかならない。

もう少し他の記事を探すことにする。

JB Press というサイトの「 国際的批判を受ける日本の石炭火力 」という記事。副題は「石炭火力に強まる逆風、しわ寄せを受けるバイオマス発電」となっている。

著者は宇佐美典也さんという人。「パリ協定」成立直前の2015年11月の記事である。

1.石炭火発の新技術

たしかにエネルギー源として利用可能な石炭は、一つの魅力ではある。技術開発で無公害ないし低公害の利用法ができれば、産炭地である北海道の再生の可能性も出てくる。

石炭火発の新技術には大きく言って2つの方式がある。一つは「超々臨界圧方式」と、何やらすごい新技術のようだ。

もう一つが複合発電方式であ。石炭をガス化して、それを石炭燃焼によるエネルギーと混ぜて使うという、何やらインチキ臭い方式だ。

ところが、残念ながらこれらの技術は名前の割にはとんと大したことがないようだ。

 

発電効率(%)

CO2排出量(g/kWh)

現在の石炭火発

40

820

超々臨界圧方式

46

710

複合発電方式

50

650

現在のLNG火発

52

340

というのがあらあらの数字で、いずれにしても現在のところは使いようがない。

2.東日本大震災と発電コスト

発電コストにはランニングコストと環境コストがある。

東日本大震災のあと原発が停止し火力発電がフル稼働した。それは緊急避難的な色合いを持ち、その中に石炭火発もふくまれていた。

火発が全面稼働した結果、CO2排出量は大きく増加しランニングコストも大幅に上昇した。東日本大震災以降、20%以上も電気料金が上昇した。

その中で、発電コストを抑えるために、火発の中でも経済効率の良い石炭火力の新設・稼働という考えが浮上した。人の道から言えば邪道だが、経済学的には一つのオプションである。

ただしそれはあくまでも緊急避難であり、その先にどう石炭火発を削減していくかという展望が必ず語られなければならないであろう。

「CO2地下貯留技術と石炭火力発電を組み合わせる」という手段が語られているようであるが、これは本末転倒というほかない。第一それ自体がコストとなる。まずは削減ありきなのである。

3.小規模石炭火力発電という裏事情

この記事で初めて知ったのだが、電力10社の石炭火発への傾斜には、後発電力会社による小規模石炭火発の増設計画があるようだ。

電力自由化に伴い、電力10社は後発電力との競争を強いられることになった。後発会社が市場に参入しようとすれば、価格面での魅力が必要である。

そこでこれらの会社はコストの安い小規模石炭火発に目をつけた。そこには法の抜け穴があったのである。

これまで石炭火力発電に関しては「エネルギー使用の合理化に関する法律(省エネ法)」による規制・指導が行われてきた。これは大手電気事業者の持つ大型の石炭火力発電のみを対象とするもので年間600万kWh 以下の発電設備についての規制はなかった。

そもそも法律そのものが「省エネ法」であって「CO2 排出規制法」ではないから、基本的にはザルだ。

そこを狙って小規模石炭火力発電の新増設計画が相次いだ。

環境省にせっつかれた経産省は規制の内容を厳格化しようとしている。まさに泥縄だ。

4.「超々臨界圧方式」の意味

経産省は一方で電力10社からも突き上げられる。そこで考えたのが規制の網を小規模石炭火発にも広げること、一つは規制基準を底上げすることである。

とくに後者が問題となる。経産省の目論見は電力10社の保護にあるのであり、石炭火発の削減にあるのではない。

そこで持ち込まれたのが「超々臨界圧方式」である。前の表をもう一度ご覧いただきたい。従来型石炭火発の発電効率が40%、「超々臨界圧方式」が46%だ。

そこで経産省は規制値を41%に設定したわけだ。これで後発電力会社の進出は抑えられる。それと同時に電力8社の石炭火発への道が開かれ、「低コスト・高排出量」型発電へのゴーサインが出ることになる。まさに「超々グッドアイデア」である。

「超々臨界圧方式」はCO2 排出量をたかだか100グラム削減するための技術ではなく、後発電力追い落としのための技術なのだ。

5.「バイオマス混焼」という裏技

だが、これでは新規参入組は枕を並べて討ち死にだ。流石にそれでは「電力自由化」の顔が立たない。

そこでさらに悪知恵の働く者がいて、「バイオマス混焼」という方式を考えだした。これは木材ペレットと石炭を一緒に炊くというものらしい。

木材は成長過程で光合成によりCO2を吸収している。だからCO2排出量は差し引きゼロだという理屈である。これを「カーボンオフセット」というのだそうだ。

例えば木材と石炭を同じ発熱量になるように混ぜれば、その火発のCO2排出量は半分になるという計算だ。

ただこの珍妙な方式は、さらに問題を複雑化するおそれがある。

そもそもがバイオマスをいちじくの葉っぱとする発想が歪んでいる。もし電力10社にもバイオマス混焼が許されるのなら、それは後発会社のメリットにはならない。結局、「超々臨界圧方式」など導入せずにバイオマス混焼で行くほうが安上がりだ。

第二に、バイオマスは質量ともに不安定な資源で、安定した供給が難しい。場合によっては資源価格が暴騰する恐れもある。そうなれば後発会社の死期を早めるだけの結果に終わるかもしれない。

第三に、主としてエコの観点からバイオマス専焼設備を運用する再エネ業者は息の根を止められるだろう。これでは本末転倒である。

というのが主な内容で、かなり話題が広範に扱われ、石炭火発問題の実態が見えてきたような気がする。

さらにもう少し学習を積み重ねたい。

「石炭火発推進」論への素朴な疑問。

石炭火発を増設しようという動きが強まっているようだが、目下のところあまり強い反対は起きていない。もちろん賛成か反対かといえば反対なのだが、原発をどうするかに比べれば二の次にされている。

たしかに原発をなくすことが最大の課題であるから、それに比べれば許容はされるかもしれない。それはそれで判断なのだが、どうも原発もあきらめず火発も推進するというのでは、理屈が立たないのではないかという気がしてならない。

かつて原発の最大の謳い文句だったのが「クリーン・エネルギー」である。だから今も変わらず原発を推進しようとする人が同じ口から「火発推進」を唱えるのは、天にツバをするようなものではないだろうか。

もうクリーンエネルギーなんて言うことをやめるのなら、原発もやめるべきだろう。いまや他に取り柄などないのだから。

と言っているうちに、計画はどんどん進行している。もう少し詳しく勉強しなければならないようだ。

ハーバー・ビジネス・オンラインというサイトの「日本だけ石炭火力発電所を増設」の謎(2016年2月) という記事を読んでみる。

1.石炭火発推進論の時代背景

まずは時代背景から

* 15年末にCOP21(気候変動枠組条約)、通称パリ条約が締結された。温室効果ガス(二酸化炭素)の削減について国際的合意が初めて成立した。

* 二酸化炭素産出の最大の元凶は石炭火発だ。すでに会議の前から火発の閉鎖は相次いでいる。日本においてもそれは同様だった。

* このなかで政府は先進国の中で唯一石炭火力を増設しようとしている。

これが建設計画の概要だ。

火発建設計画

             作成 気候ネットワーク 

2.なぜ政府は石炭火発を推進するのか

言うまでもなく、既存の9電力会社+電力村の強い後押しによるものだ。

では電力村はなぜ石炭火発なのか。ここの説明がこの記事ではちょっと不足している。

電力の小売自由化が進むと、発電事業だけでは利益が薄くても、安い石炭火力の電気を小売事業につなげることで競争に有利になる。

のだそうだ。もう少し他の記事で当たって見る必要がある。

3.「新型」石炭火発はクリーンか

推進側は「新型の発電所は汚染物質の排出が少ない」としている。しかし決して「クリーン」な電源とは言えない。

汚染物質の排出量は旧型に比べれば少ない、しかい天然ガスなど他の燃料に比べれば2倍である。

4.「新型」石炭火発は低コストか

日本では石炭火力によって犠牲になる環境コストが省かれているので、一見安く見えてしまう。これは原発のときと同じ論法である。

こまった。
レビコフのピアノ曲集全曲盤を買ってしまった。
AnatolySheludyakov-VladimirRebikov
見ての通り、シェルデャコフというピアニストがレビコフのピアノ曲全曲をCD3枚に吹き込んでしまったのだ。
やっと名曲百選を作って、レビコフをかなり押し込んだのだが、これから聴き込んでいくととてもそのレベルでは収まらないかもしれない。困ったものだ。

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