鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2016年09月

講演レジメ

あるサイトの見出し

来る2025年、高齢者向けの市場規模は100兆円超え!介護産業は15兆円規模に!果たして介護ビジネスに“儲かる”土壌はあるのか!?

という文字が踊る。

この見出しには少し説明が必要だ。

①2025年というのは団塊の世代がすっぽり70歳超えの老人となる年を指す

②高齢者向け市場とは、医療・医薬品産業、介護産業、生活産業の三分野を指す。そのトータルが100兆円ということだ。現在は65兆円程度らしい。もちろん生活産業の比率が最も高く5~6割を占める。

③その3分野の中の介護産業が15兆円となる見通しということになる。15年では10兆円だそうだから10年で1.5倍化する予想だ。

これはみずほコーポレート銀行の調査によるものだそうだ。

高齢者市場というのは当然あって、富裕とまでは行かなくてもいささかの預金もあり、豊かに老後を送りたいという要求があるなら、商売は成り立つ。

しかし介護産業は他の2つの分野とは明らかに異なる。そもそも儲かるわけがない事業だからである。(医療も医薬品を除けば同断だ)

いくら市場規模が大きくても、それは「擬似市場」であり、本来的に儲けが出るような性質のものではない。高齢者介護というのは半ば公的な事業であり、全資源を注ぎ込むべき非営利事業だからだ。

しからば、介護事業を営利対象として見る人々はどこに注目しているのか。少し勉強してみよう。

1.利益率は8.4%

総務省の平成24年度経済センサス「産業分野別の売上高営業利益率」(いわゆる粗利益率)によると、社会福祉・介護事業は8.4%。これは専門技術サービス、不動産、飲食サービス、医療、複合サービスについて高い。建設、製造業が4%台だから倍以上になる。(逆に言えば、この種の統計は実情をまったく反映していないともいえる)

1.介護各分野の利益率

介護事業の収支差率: 全サービス加重平均では8%

サービスの種類別にみると下表の通り

各サービス

2.国と厚労省のやり放題

ただし、これらの数字は厚労省の胸先三寸、さじ加減でどうにでも変わる。下のグラフを見れば一目瞭然である。

事業形態別

引用元文献によれば、

国の施策の方向性と連動して、拡大したい分野の報酬を上げて、減らしたい分野の報酬を下げる。「施設から在宅へ」という流れがあるため、現在の方向は一層強化されるだろう。

また、介護経営実態調査等によって、「財政的に余力がある」と判断された分野は、もぐらたたきに会う。

以下は別資料からの引用

全産業平均のH25年度の年収は414万円となっている(国税庁「平成25年民間給与実態統計調査」)

これに対し福祉施設介護員の年収は「22万円x12プラスボーナス」で306万円程度と推定される(厚生労働省「賃金構造基本統計調査」)

2.周辺産業の発展

最初にも述べたように介護事業は決して営利でやれるものではない。しかしその周辺には利益を生み出す構造はある。

高齢者向けのメニューである宅配、見守りサービス、家事代行などのサービスなどがこれに相当する。

3.ハード面はさらに厳しくなる

下の図は厚労省の「施設・事業所調査の概況」からのグラフである。

事業所数1

事業所数2

事業所数3

このグラフを見れば、全体的傾向ははっきりする。

全体を特徴づけているのは、高齢者の増加による全体的増加傾向ではない。介護療養型医療施設、いわゆる老人病院の激減である。

これは決して自然的傾向ではない。政府・厚生省による狙い撃ちの結果であることは明らかだ。

そこで行き場を失った老人が老健施設・介護福祉施設に押し出されている、というのがこの間の経過だ。

しかも後者は前者を吸収しきれていない。それが在宅にあふれ始めているのが実態だ。

なぜそうなったのか、それは高齢化社会だからではなく、国の責任放棄の結果なのだ。

実は「高齢化社会」はまだ始まっていない。高齢化は始まっているが。まだ「お達者高齢社会」なのだ。

政府は「高齢化社会」を口実に国民から消費税をふんだくり、自己負担を重くし、介護の中身を劣悪化し、それを大企業と大金持ちのために注ぎ込んでいる。それがこの間の実態だろう。

これから「病弱高齢化社会」が進行していけば、この矛盾は耐えられないほどに激化するだろう。

メディアによる国民だましと小選挙区制のからくりがいつまで通用するだろうか。

4.通所介護事業は絶対に持たない

介護報酬改定で小規模の通所事業がほとんど致命的な打撃を受けたことは、前に記事に書いた。

これに代わりチェーン型の通所が増える可能性がある。

しかしこれら通所サービスは、根本的に利用者のニーズに適合していない。

第一に通所サービスは一定の家庭介護の能力を前提にしているが、それが崩れ去りつつあるからだ。

団塊の世代は親に子供を預け共稼ぎをして生活を向上させてきた。親が倒れると、老人病院に入れてでも仕事を続けた。

そういう生き方を見て育った子供が、親たる団塊の世代を世話するとは思えない。そのつもりがあっても、彼らにはそのような余裕はないのである。

だからこれからの利用者ニーズは、半端な通所系よりも入所系サービスに集中するしかないのである。

第二に利用者の貧困化がある。

利用者の自己負担なり一部負担に依拠して経営しようと思っても、そのような金銭的余裕のある利用者などそうざらにはいない。

だから否応なしに介護報酬に頼らざるをえない。まさに政府・厚労省の思惑によって翻弄されざるをえないのだ。

倒産

帝国データバンク「医療機関・老人福祉事業者の倒産動向調査」からの引用である。

やや古い資料だが、肝心なことは介護報酬の改定がもろに倒産へとつながっていることだ。

結論を言おう。老人福祉事業は決して“儲かる”経営ではない。しかも生殺与奪の権利を握る政府・厚労省は何時でも潰す気でいる。投資しようと思っている方には思い直すよう忠告する。もちろん社会貢献であれば大歓迎だが。

「小規模デイサービスは、もういらない」というのが政府・財務相・厚労相の考えだ。

週刊朝日 14年11月

国は潰したい?小規模デイサービス

1.主導は財務省

介護報酬の「現行からの6%程度引き下げ」を主張。6%削ったとしても、「運営に必要な資金は確保できる」とする。

2.株式会社・フランチャイズで乱立

企業は全国800カ所以上でFC展開している。「月に100万円の収入は確実」と宣伝。

FC加盟料300万円、毎月、ロイヤルティーなどの名目で20万円をとる。設置者がリスクを背負う。

競争激化で採算が悪化。人手不足が拍車。

3.行政からの締め付け

人員体制や介護内容などの届け出が義務化された。サービスの質を維持するためのガイドラインも策定した。(これは当たり前だ)

介護分野の昨年の求人倍率は2倍、介護福祉士養成校の入学者も減って、定員80人に対しわずか20人だ。

赤旗 15年3月

介護報酬を4月から大幅に削減

上乗せの「加算」を除けばマイナス4・48%と過去最大規模の削減となる。
特別養護老人ホームで6%弱、小規模のデイサービス(通所介護)では9%以上も減額された。グループホームの基本料も6%弱の切り下げとなっている。
「出る釘は打たれる」結果となった。政府のやることは要するにモグラ叩き、カンナで削るだけの減点方式だ。

特別養護老人ホームは、巨額な内部留保(1施設3億円、全体で2兆円)のため、収益性の高さから注目された小規模デイサービスは、急増したことがあだとなって介護報酬上の抑制措置が取られた。廃業する事業者が続出、介護基盤崩壊の危機となっている。

全国老人福祉施設協議会は今改定で「5割近くの施設が赤字に転落する」と試算。
北海道で89事業所を対象としたアンケート: 77%が報酬改定で「経営は後退せざるを得ない」と回答。対応は「賃金・労働条件の引き下げ」31%、「人員配置数の引き下げ」42%。「事業所廃止」19%。

小規模デイサービスを狙い撃ち

小規模型デイサービスでは要介護者は約9~10%の報酬削減、要支援者は市町村の事業となり、さらに報酬が下げられる(推計25%)。現場の試算では年間200~300万円ほどの減益となる。これでやっていけるところは殆どないだろう。

これで終わらない小規模デイサービス

小規模デイサービスへの風当たりの強さはまだまだ続く。小規模デイサービスは1年の経過措置を経て、地域密着型デイサービスに移行する。定員10名の小規模デイサービスは、もういらないということだ。こんな調子で毎年いじられたのでは、介護事業は到底長期の方針など立てられない。かくしてますますブラック産業化していくのである。

問題は二つある。

まず一つは、小規模デイサービスはいらないのかということだ。

答えは、はっきりしている。必要だ。

ただ、量と質の問題はある。とくにフランチャイズ制で儲けを至上目的とするようなデイは有害かもしれない。

ただそれは、運営基準を厳しくしていけば良いので、それがクリアできるような施設なら大いに奨励されるべきだ。

逆に、そのへんのおじさん、おばさんが預かるような「託老サービス」の形態は、共助の観点からも、介護難民を生じさせないためにも、限界集落の崩壊を防ぐためにも、柔軟に取り組むべきだと思う。

もう一つの問題は、財務省主導で、目先のそろばんだけで動いて良いのかどうかということだ。

結局そこで浮かせた金は、法人税減税とか公共事業とかに回ることになる。それから見れば、どんな欠陥があろうとも、はるかに生きた金の使い方だ。

少なくとも、その金は老人福祉の分野で使うべき金であって、富裕層のための金ではない。

 

ケアマネ・タイムス」というサイトに

介護業界「勝ち組」の法則と課題

というレポートが掲載されている。2012年の記事なので少々古いが、紹介する。

1.大手企業の特殊性

介護事業における厳しい経営状況や従事者の低待遇が問題になっている。

しかし有名大手企業の売上高は軒並み「右肩上がり」となっている。

営業利益率については2006年度に一時的な停滞があったが、10年度には総じてプラスに転化した。

2.利益を上げる2つのポイント

第一に、利用者を囲い込み、介護保険外サービスを提供することで利益を上げる。介護保険サービスはあくまで顧客確保をにらんだ「販売促進」的な位置づけとなる。

第二に、パートタイマーもふくめ臨時雇用者等の比率が高いことだ。

3.大手企業が業界を制圧したらどうなるか

第一に、介護保険サービスのみに頼らざるを得ない低所得者層の利用者は行き場を失う。

第二に、低所得者層も視野に入れつつ、地域のセーフティネットを担おうという事業所は淘汰される。

第三に、「介護を一生の仕事としたい」という労働ニーズは拒絶され、介護という労働分野全体がブラック化する。

4.著者(福祉ジャーナリスト 田中 元さん)のまとめ

介護報酬の大幅な伸びが期待できないまま、上記のような事業所が淘汰され、介護士が駆逐されていった場合、それは「国民の安心」を担う介護事業のあり方として正しい姿なのでしょうか。


2013年07月17日もご参照ください。まったく事情は同じです。 

横浜市が一気に保育所の待機児童をゼロにしたというので安倍首相が「横浜方式」だとはしゃいでいたが、どうも怪しいとは思っていた。

少しづつ数字が出てきている。

まず驚くのが人件費比率。保育所の人件費比率は全国平均で71%となっている。まずまず妥当な数字だ。
これが「横浜市内で株式会社が運営するある保育園」では約40%ということだ。我が目を疑う数字だ。
差額でもとらない限り、収入はどこも大差ないはず。ということは一人あたり給与が40÷71=56%に抑えられていることになる。
申し訳ないが、正直、保育所の保母さんの給料はお世辞にも高いとはいえない。ぎりぎり一人暮らしが可能な程度だ。
その半分ということになると、想像を絶する額だ。まさにブラック保育園だ。

そうやって浮かせた100-56=46%の金を、“利益”として計上することになる。なぜなら株式会社であり、営利企業であるからだ。
横浜市では株式会社の比率が25%に達している。全国平均は2%だから、この間の横浜市での保育所増設分の殆どを株式会社が占めることになる。

人件費比率40%は決して突出した数字ではないことが分かる。

さらに困るのは、このような給与でスタッフを確保するのは無理があるということだ。たぶん保母さんが7人やめたら、この保育園は潰れるだろう。現に2ヶ所がすでに潰れているという。
赤旗ではあるケースが報告されている。

この保育所では保育士7人が一斉退職した。給与は手取りで14万円、賞与は年2回1万円ちょっとだった。
給食も粗末で、から揚げなら子供は1個、保育士は3個だけ、子供も保育士もお腹をすかせていました。

これがブラックでなくて何なのか。

営利企業は逃げ足が早い。
しかしママさんパワーは強い。舐めてはいけない。
「市が認可したのだから市が後始末しなければならない」、ということになる可能性がある。そうなれば、市は結局高いものを掴まされたことになる。

職場でのパソコンは依然としてレノボのThinkPadでやっている。
これが最近すこぶる不調である。2日に1度はハングアップする。調べてみるとメモリーがやたらと使われている。
原因はファイアーフォックスにあるらしい。職場は親サーバーのネットワークの中で動いていて、ウィルスソフトも親サーバーに組み込まれている。このウィルスソフトが調子悪くなっているのも、パソコン不調の原因になっているかもしれない。
しばらくは懐かしのメモリクリーナをダウンロードしてしのいでいたが、作成中のブログ原稿が蒸発してしまうのにはほとほと困り果てた。
ついにメモリ増設に踏み切った。4ギガから8ギガにしたのでなんとか動くようにはなった。しかしファイアフォックスの作動が鈍いのには変わりない。windowsがまだ7のままなのも影響しているかもしれない。
しかたなくブラウザーをグーグル・クロムに切り変えた。
たしかにスピードは早い。しかし慣れていないせいもあるのかえらく使い勝手が悪い。メニューバーというものがないのはおおいに困る。その代わりにブックマークバーが出てくるのだが、私としてはその分画面が狭くなるのが不愉快である。
ルーチンの作業でインターネット画面、HTML作成画面、PDF画面、メモ帳を開きっぱなしにして、画面を行ったり来たりしながらの仕事になるので、とにかく画面に余分なものがでてほしくない。
致命的なのは、You Tubeのヘビーユーザーとしてはダウンロードがほぼ不可能であることだ。東京ローダーという外付けソフトで落とせることになっているが、実際にはほとんど落とせない。
ということで、当分は2つのブラウザーを使い分けるしかないようだ。むかしネットスケープとIEを併用していた頃を思い出す。(ネットスケープは良かった)
職場では作業スピードを上げハングアップを予防するためにクロムを主として使用する。使い勝手は非常に悪いが、なれるほかなさそうだ。
自宅では現在最高性能だと思われる東芝ダイナブックでwindows10環境のもとで、ファイアーフォックスを駆使する。後はファイアーフォックスがバグ修正しサクサクと動く日を待つ。これがユーザー側から見て最善のオプションと思われる。

世界の富豪たち

いつも、行き倒れとか介護疲れとか減免とかしけた話ばかりなので、今回は景気良くドーンとお金持ちの話をしましょう。

最初は金持ちが信長とか秀吉のように見えて、他人ごとながら楽しいのですが、そのうち腹が立ってきます。最後にはこんな世の中変えなきゃいけないと思うようになり、どうしたら金持ちをやっつけられるかと考えるようになってくれればと思います。

Ⅰ.世界の富豪たち

最初にフォーブス誌の今年のランキング。このランキングは個人の資産に加え、公的投資や民間企業への投資、不動産、ヨット、美術品、現金や負債も考慮に入れている。


第1位 ビル・ゲイツ(60)
資産額:750億ドル(8兆5680億円)マイクロソフト/米国

 

第2位 アマンシオ・オルテガ(79)
資産額:670億ドル(7兆6541億円)ZARA/スペイン

 
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第3位 ウォーレン・バフェット(85)
資産額:608億ドル(6兆9458億円)バークシャー・ハサウェイ/米国




第4位 カルロス・スリム・ヘル(76)
資産額:500億ドル(5兆7120億円)アメリカ・モービル(通信事業)/メキシコ

第5位 ジェフ・ベゾス(52)
452億ドル(5兆1636億円)アマゾン/米国

第6位 マーク・ザッカーバーグ(31)
446億ドル(5兆951億円)フェイスブック/米国

第7位 ラリー・エリソン(71)
436億ドル(4兆9808億円)オラクル/米国

第8位 マイケル・ブルームバーグ(74)
400億ドル(4兆5696億円)ブルームバーグ/米国

第9位 チャールズ・コック(80)
396億ドル(4兆5239億円)Koch Industries(複合企業)/米国

第9位 デイビット・コック(75)
396億ドル(4兆5239億円)Koch Industries(複合企業)/米国

ご同慶の至り、と、とりあえずは言っておこう。

Ⅱ.日本の富豪たち

順位名前(漢字)関連資産(億円)
1柳井正ファーストリテイリング(ユニクロ)17,930
2孫正義ソフトバンク16,390
3佐治信忠(一族)サントリー12,870
4滝崎武光キーエンス9,130
5三木谷浩史楽天6,270
6森章森トラスト5,280
7高原慶一朗ユニ・チャーム4,620
8毒島邦雄・秀行三共(SANKYO)4,510
9韓昌祐マルハン4,400
10伊藤雅俊セブン&アイ・ホールディングス4,290

Ⅲ.どれだけ増やしているか

と、ここまでは個人資産なので「ああそうですか」ということにしかならない。羨ましいとは思っても憎たらしいとは思わない。

しかし毎年の収入を見ていくとそうは行かない。オックスファム

このグラフを見ると、なんだかんだと言いつつも2010年まではウィン・ウィンの関係でみんな豊かになっている。それがこの5年間というもの、貧乏人の財産は大幅に目減りする一方、超お金持ちの財産は増え続けている。

つまり62人の連中は貧乏人を食い物にして肥え太っているわけだ。

Ⅳ.日本のお金持ちも同じだ

これは政府御用達、NHKの報道によるものだから間違いない。
資産の増加

アベノミクスの始まる前、2012年の8兆円に対し、15年に14兆円で差し引き6兆円増えたことになる。3年で6兆、毎年平均して2兆円が懐が膨らんだ計算だ。
これは財産(残高)であって収入ではない。収入だと、これに使った分(どのくらい使うんだろう?)がさらに上乗せされる。
これは企業の内部留保じゃありませんよ。まったくの個人資産なんです。 この守銭奴連中から14兆円全額巻き上げたって、日本経済にはなんの影響もないんです。ほっときゃまた溜まってくるんです。

ちなみに2014年に消費税が3%アップされた。これにより消費税収入は5兆円上がった。そして15年度にはさらに2兆円増えた。

合わせて12兆円。その半分が40人の超富裕層のポッポに入ったことになる。
消費税
 

むろん、財務省が耳を揃えて差し出したわけではないが、日本経済全体としてはそういうことになる。日本経済にはそういう「吸い込み構造」があるのだ、というしかない。

あとに残されたのは消費税不況と、デフレと、国民生活の悪化しかない。

財務省の責任ではない、と言われればそれまでだが、それでは国民のお財布のことは誰が考え誰が実行するのであろうか。

民主党の財政幹部で消費税の旗振りをした藤井裕久氏はこう言っていた。

消費税を広く浅く積み上げて、これを社会的弱者のために用いる。そうすれば内需は喚起され、結果として財政再建を成し遂げながら、所得の再配分を実現できることになる。

しかし、社会的弱者のためにそれが用いられることはなかった。藤井氏はそれを非難するが、率直に言ってその保証は何ら取り付けられていなかった。

アベノミクスは逆に経済を金融面から揺り動かすことで景気を回復し、もって弱者に滴り落ちる分配を増やし、内需を拡大しようとした。しかしそれも「吸い込み構造」への対応なく、弱者への再配分の保障なく行われ、結果として膨大な国債と膨大な日銀券を残したのみという結果に陥った。

それがこのグラフに示されている中身だ。
 もご参照ください。

私はガンダム世代ではないのでよく分からないのだが、ガンダムの本態はリュウという若者ではないのだろうか。
それが20メートルほどの高さのあるガンダムというモビル・スーツに騎乗し、それをあたかも一つの人格のごとく動かして敵と闘う話ではないかと想像している。
とすれば、リュウが視床でガンダムというモビル・スーツが大脳に比定される。
この手の「逆マトリューシカ」はSFの世界ではハインライン以来のおなじみである。
私が子供の頃は鉄人28号の世界になる。あの時は主人公は鉄人28号とは一体化せず、恐ろしくちゃちなラジコンで操縦していた。
地球を救うほどの機能と威力を併せ持つ鉄人28号というロボットの操縦ライセンスをなぜこの少年が独占していたのか、今になって考えるとよく分からないが、子供心にも「これは漫画の世界なのだ」と納得させていたように思う。
私にも子供が生まれて、子供と一緒に「ロボコップ」も正・続・新…とひと通り見た。あれがまさにモビル・スーツのイメージであり、それが今やダヴィンチという手術ロボになり、介護の現場にもやがて介護スーツとして登場する見通しになっている。(残念ながら、介護現場における人手不足の代用として充当される可能性が強いが)
しかし、鉄人28号からロボコップ、ガンダムとつながる系譜はおなじだ。
この世代の人なら、大脳は前脳のモビル・スーツだと考えるのはごく自然なことではないだろうか。
大脳はガンダムより遥かに進んでいて、人工知能化している。逆に言えば遥かに狡猾化して視床を手玉に取っている。
東京都を運営するのは都知事であり、都政は都議会の意向も受けつつ都知事が決定する。しかしそれは建前である。実体としては都庁マシーンが自己判断し実行する。その司令中枢はどこにいるのか分からない。強いて言えばもたれ合いの中で前頭葉のあたり、側頭葉のあたり、頭頂葉のあたりで決まっているらしい。
AIというのは頭がいいから尻尾を掴ませない。ただ新宿の都庁舎の中にいることは間違いないから、あそこにジャンボジェット機を突っ込めば全滅は可能である。
しかしそれも無駄であろう。彼らは自らの支配を永続させる仕組みを東京都の全部署に張り巡らしているから、そこから後継者が育ってくるに違いない。
やはり都知事をとって、都議会で安定過半数を握って、都政を抜本的に変えていくほかあるまい。

天北線余話

今日は思い切って紀の国屋まで行って、ズラッと並んだ本を眺めてきた。タバコが吸いたくなって表に出たが、そのような喫茶店は見当たらない。やっと見つけたらスターバックスだった。

家を出たのが10時、帰ってきたらすでに3時半だった。その間ずっと紀伊国屋で立ち読みをしていたことになる。腰と膝にもきたが、眼に来た。最後は字が見えなくなってきた。

結局、重い本には手が出ず、買ってきたのが「北海道の鉄道廃線跡」(本久公洋著 北海道新聞社)という本だった。

ここに天北線の紹介があるので、少し抜書きしておく。ついでに他のネット文献からも拾って拡充しておく。

 

1898年(明治31年) 北海道官設鉄道、旭川から北に伸びる天塩線(初代)の工事に着手。当初の建設計画では音威子府までを天塩線とし、それより北を宗谷線と名付けた。

1899年 天塩線が和寒まで延伸。

1900年 天塩線が士別まで延伸。

1903年(明治36年) 北海道官設鉄道の天塩線が名寄まで開通。

1905年(明治38年) 日露戦争。日本の勝利に終わる。樺太の南半分が日本領となる。日本郵船が小樽と樺太の大泊港を直行で結ぶ定期航路を開設する。

1905年 天塩線が同一線名のまま官営鉄道(逓信省鉄道作業局)に編入される。同時に稚内までを結ぶ鉄道の敷設に拍車がかかる。

1911年 天塩線が恩根内まで延長される。

1912年(大正1年) 天塩線が宗谷線に改称される。

1912年 宗谷線が音威子府まで開通。このとき旭川と名寄間を宗谷線と改称する。

1914年(大正3年) 音威子府と小頓別の間が開通。これに合わせ旭川以北の全線が宗谷線と名づけられた。これにより天塩線の名称は一旦消滅。

1914年 小頓別からは歌登町営簡易軌道が分岐。鉄道開通に合わせ丹波屋旅館が建てられた。

1916年(大正5年) 小頓別と中頓別間が開通。

1918年(大正7年) 中頓別と浜頓別間が開通。

1919年(大正8年) 旭川から浜頓別までの開通分を宗谷本線と一括し改称。(21年に一旦宗谷線に戻るが、22年の全線開通に伴いふたたび宗谷本線に改称)

1920年(大正9年) 鬼志別まで延長開通。

1922年(大正11年) 稚内まで開通し、宗谷本線が完成する。

1922年 音威子府から北に、稚内から南に向けて日本海側を周る鉄道の敷設工事が始まる。ふたたび天塩線の名が用いられる。

1923年(大正12年) 稚内と大泊を結ぶ稚泊航路が就航。

1924年 函館から名寄までの急行列車が運行開始。名寄以北は普通列車として運行。

1924年(大正13年) 稚内から南下する天塩北線が兜沼まで開通。音威子府から日本海側に出て稚内を目指す天塩南線が問寒別まで開通。

1925年(大正14年) 天塩南線が幌延まで開通。

1926年(大正15年) 天塩線の幌延と兜沼間が開通。天塩線として一本化する。浜頓別経由の宗谷本線は総延長149キロで、完成に11年を要した。一方、天塩線は127キロで、完成はわずか5年であった。

1928年 函館と稚内を結ぶ急行列車が運行開始。この急行は浜頓別に向かわず、新設された天塩線を経由した。

1928年 稚内と稚内港間の路線が開業。

1930年(昭和5年) 天塩線が宗谷本線となる。旧宗谷本線は北見線に改称。天塩線という名称の路線は一旦消失。

1935年 宗谷本線の幌延駅から分岐し、遠別まで伸びる路線が開設。天塩線と命名される。

1939年 稚内が南稚内駅、稚内港が稚内駅に名称変更する。さらに稚内駅の先に稚内桟橋駅が設置される。

1958年 天塩線は羽幌線に編入され、天塩線の名称はみたび消失。

1958年 札幌・稚内間に夜行準急「利尻」が新設。

1961年(昭和36年) 北見線が天北線と改称。

1961年 函館と稚内を結ぶ急行「宗谷」が運行開始。札幌と稚内を天北線経由で運行する急行「天北」が運行開始。小頓別駅 - 中頓別駅 - 浜頓別駅 - 鬼志別駅に停車。

1980年 国鉄再建法が施行される。天北線は第二次特定地方交通線に選定される。

1989年(平成1年) 天北線が廃線となる。

 


You Tubeで下記の映像が見られる

【車内放送】昼間のブルートレイン!?急行「天北」(14系座席+寝台 ハイケンス 札幌発車後)

天北線(廃線)を行く 急行「天北」  

天北線

いなか(というよりほとんど僻地)の人にとって、豪華な急行列車はそのまわりに豊かさと札幌の臭いを撒き散らしながら走ってくる。

 

此処から先は酒飲み話。
レイプの社会的背景を探ることは深刻な課題である。
不倫はそれとはまったく異なる。
午後のテレビのワイドショーで、有名タレントの息子のレイプ疑惑と歌舞伎役者の不倫騒動がまったく同じトーンで扱われていた。
メディアはこの2つの違いが見えなくなっているらしい。
不倫は私事であり、メディアが「審判」すべき事例ではない。場合によっては弁護しなければならないことすらある。
なぜなら「倫」そのものが「不倫」であることさえありうるからだ。
とかく口さがない連中に限って、自らの卑しい好奇心を「正義」の名により合理化する。そんな連中の片棒をメディアが担ぐのは「報道の自由」の自殺行為になる。
「自由恋愛」、おおいにおやりなさい。「浮気の自由」を推薦するわけではないが、「自由」は守ります。これが報道に当たるものの矜持ではないか。

「2ちゃんねる」に「元 性犯罪加害者のその後の生活を見守る」というスレッドがある。
むかしは各家庭にゴミ箱というものがあって、そこを開けるととてつもない悪臭がして、気を失いそうになったものだが、まさにそういうスレッドだ。
性犯罪者の心境が赤裸々に語られていて、半分は嘘だろうが、ところどころ真に迫るものがある。
そこには「余りある性欲」というものは感じられない。①劣等感とそれと裏返しの②憎しみと、③虚無感が「性欲」に流し込まれているように思える。
「世間は彼らを遠巻きにして、真綿で首を絞めるようにして抑圧している」と彼らは思っている。
「少女」は世間の弱い部分の代表なのであろう。だからその「世間の裂け目」に向けて「生」がほとばしり出る。これまで自分に加えられた軽蔑とかいじめとかが睾丸に貯めこまれていて、それが“抵抗しない世間”に向けて一気にほとばしり出る。
他所の国では性犯罪者はDNAに刻み込まれた精神病質者であり、生かしておくこと自体がためにならないような議論になっている。
これは一面では正しいかもしれないが(本人たちもそう思っているようだが)、一面では間違っているようだ。
正しいというのは、彼らは生きている限り再犯の可能性があるということであり、間違っているというのは、それがDNAにより規定されているのではないということだ。(例えば大久保清のごとく、DNAで運命づけられた性犯罪者が存在しないと言っているわけではない)
あくまで彼らの主観にそって考えるとすれば、こうなるだろう。
彼らは人間として生きることを否定された(と感じている)存在であるが、非人間的に(獣的に)生きることを許容された存在だ。
レイプとは、人間であることを否定された(と感じている)人間の非人間的な代償行為であり、彼らはレイプすることで世間に復讐し、“生きている”ことの意味を問うている。
宮沢賢治の詩のように「雨ニモ負ケズ、風ニモマケズ」というのが世間の道徳だが、雨にも負けて、寒さにも負けて、なおかつ生きている人間の、自らの在りように対する理不尽な合理化だ。それは根拠の無い「被害者意識」と結びつくことで確固としたものになっていく。
そしてその合理化は生きる実感(復讐)としてのレイプへとつながっていく。
したがって彼らが社会への怒りを感じている限り、それを理不尽に合理化する限り、その理不尽な行為を、真の意味で悔い改めることはないだろう。
彼らの思考や発言はいわゆるネトウヨときわめて近似している。彼らが少女をレイプする代わりに「嫌韓デモ」で旗を振れば、それを喜ぶ人はたくさんいる。「理不尽な合理化」が必ずしも理不尽ではなくなってくる。
なぜ「朝鮮人の馬鹿野郎」と叫べば英雄視され、なぜ小学生をレイプすれば非難されるのか、彼らには分からないのではないか。そこに時代の理不尽さがある。

平成26年の調査で、介護事業各分野の収支比率が出ている文献があったので転載させていただく。

1.介護各分野の利益率

介護事業の収支差率: 全サービス加重平均では8%

サービスの種類別にみると下表の通り

各サービス

通称で呼ばないとわからないでしょう。

特養は介護老人福祉施設で8.7%

老健は介護老人保健施設で哀れにも5.6%

療養型病院が介護療養型医療施設で8.2%

グループホームが認知症対応型共同生活介護で11.2%

デイサービスが通所介護で10.6%

デイケアが通所リハビリテーションで7.6%

ショートステイが短期入所生活介護で7.3%

ということになる。

2.国と厚労省のやり放題

ただし、これらの数字は厚労省の胸先三寸、さじ加減でどうにでも変わる。下のグラフを見れば一目瞭然である。

事業形態別

引用元文献によれば、

国の施策の方向性と連動して、拡大したい分野の報酬を上げて、減らしたい分野の報酬を下げる。「施設から在宅へ」という流れがあるため、現在の方向は一層強化されるだろう。

また、介護経営実態調査等によって、「財政的に余力がある」と判断された分野は、もぐらたたきに会う。なぜか老健は自殺したくなるほどのいじめにあっている。

3.2015年の大改定

実はこの後、大規模な介護報酬の改定があった

特別養護老人ホームで6%弱、小規模のデイサービス(通所介護)では9%以上も減額された。グループホームの基本料も6%弱の切り下げとなっている。

特別養護老人ホームは、巨額な内部留保(1施設3億円、全体で2兆円)のため、収益性の高さから注目された小規模デイサービスは、急増したことがあだとなって介護報酬上の抑制措置が取られた。

上のグラフを見ればわかるように「出る釘は打たれる」結果となった。政府のやることは要するにモグラ叩き、カンナで削るだけの減点方式だ。

こんな調子で毎年いじられたのでは、介護事業は到底長期の方針など立てられない。かくしてますますブラック産業化していくのである。

ケアマネ・タイムス」というサイトに

介護業界「勝ち組」の法則と課題

というレポートが掲載されている。2012年の記事なので少々古いが、紹介する。

1.大手企業の特殊性

介護事業における厳しい経営状況や従事者の低待遇が問題になっている。

しかし有名大手企業の売上高は軒並み「右肩上がり」となっている。

営業利益率については2006年度に一時的な停滞があったが、10年度には総じてプラスに転化した。

2.利益を上げる2つのポイント

第一に、利用者を囲い込み、介護保険外サービスを提供することで利益を上げる。介護保険サービスはあくまで顧客確保をにらんだ「販売促進」的な位置づけとなる。

第二に、パートタイマーもふくめ臨時雇用者等の比率が高いことだ。

3.大手企業が業界を制圧したらどうなるか

第一に、介護保険サービスのみに頼らざるを得ない低所得者層の利用者は行き場を失う。

第二に、低所得者層も視野に入れつつ、地域のセーフティネットを担おうという事業所は淘汰される。

第三に、「介護を一生の仕事としたい」という労働ニーズは拒絶され、介護という労働分野全体がブラック化する。

4.著者(福祉ジャーナリスト 田中 元さん)のまとめ

介護報酬の大幅な伸びが期待できないまま、上記のような事業所が淘汰され、介護士が駆逐されていった場合、それは「国民の安心」を担う介護事業のあり方として正しい姿なのでしょうか。

ところで、第一のポイントというのが気になる。

介護保険サービスはあくまで顧客確保をにらんだ「販売促進」的な位置づけとし、介護保険外サービスを提供することで利益を上げる。

というのはまったく問題ないのだが、引っかかるのは最初の「利用者を囲い込み」という表現だ。

老人は「お世話をしてもらう」のだから、なかなか対等の立場には立てない。それに、そもそも元気なときは自分でやっていたこと、やらなければならないことをやってもらうという負い目がある。

自分で金を払って雇ったお手伝いさんとか家政婦さんなら、こちらは使用者で主人なのだから、それでも遠慮しながらだが、言うべきことはいう。

自分のお金ではなく(一部負担はあるが)、お上の厄介になって世話してもらっているのだから強いことも言えず、大抵のことは我慢する。

こういう状況のもとで「囲い込まれる」というのはかなり危険なことではある。知らない間に色々オプションを付けられて、いらないものまで買わされてみたいなことがないか心配だ。


2013年07月17日もご参照ください。まったく事情は同じです。

あるサイトの見出し

来る2025年、高齢者向けの市場規模は100兆円超え!介護産業は15兆円規模に!果たして介護ビジネスに“儲かる”土壌はあるのか!?

という文字が踊る。

この見出しには少し説明が必要だ。

①2025年というのは団塊の世代がすっぽり70歳超えの老人となる年を指す

②高齢者向け市場とは、医療・医薬品産業、介護産業、生活産業の三分野を指す。そのトータルが100兆円ということだ。現在は65兆円程度らしい。もちろん生活産業の比率が最も高く5~6割を占める。

③その3分野の中の介護産業が15兆円となる見通しということになる。15年では10兆円だそうだから10年で1.5倍化する予想だ。

これはみずほコーポレート銀行の調査によるものだそうだ。

高齢者市場というのは当然あって、富裕とまでは行かなくてもいささかの預金もあり、豊かに老後を送りたいという要求があるなら、商売は成り立つ。

しかし介護産業は他の2つの分野とは明らかに異なる。そもそも儲かるわけがない事業だからである。(医療も医薬品を除けば同断だ)

いくら市場規模が大きくても、それは「擬似市場」であり、本来的に儲けが出るような性質のものではない。高齢者介護というのは半ば公的な事業であり、全資源を注ぎ込むべき非営利事業だからだ。

しからば、介護事業を営利対象として見る人々はどこに注目しているのか。少し勉強してみよう。

1.利益率は8.4%

総務省の平成24年度経済センサス「産業分野別の売上高営業利益率」(いわゆる粗利益率)によると、社会福祉・介護事業は8.4%。これは専門技術サービス、不動産、飲食サービス、医療、複合サービスについて高い。建設、製造業が4%台だから倍以上になる。(逆に言えば、この種の統計は実情をまったく反映していないともいえる)

以下は別資料からの引用

全産業平均のH25年度の年収は414万円となっている(国税庁「平成25年民間給与実態統計調査」)

これに対し福祉施設介護員の年収は「22万円x12プラスボーナス」で306万円程度と推定される(厚生労働省「賃金構造基本統計調査」)

2.周辺産業の発展

最初にも述べたように介護事業は決して営利でやれるものではない。しかしその周辺には利益を生み出す構造はある。

高齢者向けのメニューである宅配、見守りサービス、家事代行などのサービスなどがこれに相当する。

3.ハード面はさらに厳しくなる

下の図は厚労省の「施設・事業所調査の概況」からのグラフである。

事業所数1

事業所数2

事業所数3

このグラフを見れば、全体的傾向ははっきりする。

全体を特徴づけているのは、高齢者の増加による全体的増加傾向ではない。介護療養型医療施設、いわゆる老人病院の激減である。

これは決して自然的傾向ではない。政府・厚生省による狙い撃ちの結果であることは明らかだ。

そこで行き場を失った老人が老健施設・介護福祉施設に押し出されている、というのがこの間の経過だ。

しかも後者は前者を吸収しきれていない。それが在宅にあふれ始めているのが実態だ。

なぜそうなったのか、それは高齢化社会だからではなく、国の責任放棄の結果なのだ。

実は「高齢化社会」はまだ始まっていない。高齢化は始まっているが。まだ「お達者高齢社会」なのだ。

政府は「高齢化社会」を口実に国民から消費税をふんだくり、自己負担を重くし、介護の中身を劣悪化し、それを大企業と大金持ちのために注ぎ込んでいる。それがこの間の実態だろう。

これから「病弱高齢化社会」が進行していけば、この矛盾は耐えられないほどに激化するだろう。

メディアによる国民だましと小選挙区制のからくりがいつまで通用するだろうか。

4.通所介護事業は絶対に持たない

介護報酬改定で小規模の通所事業がほとんど致命的な打撃を受けたことは、前に記事に書いた。

これに代わりチェーン型の通所が増える可能性がある。

しかしこれら通所サービスは、根本的に利用者のニーズに適合していない。

第一に通所サービスは一定の家庭介護の能力を前提にしているが、それが崩れ去りつつあるからだ。

団塊の世代は親に子供を預け共稼ぎをして生活を向上させてきた。親が倒れると、老人病院に入れてでも仕事を続けた。

そういう生き方を見て育った子供が、親たる団塊の世代を世話するとは思えない。そのつもりがあっても、彼らにはそのような余裕はないのである。

だからこれからの利用者ニーズは、半端な通所系よりも入所系サービスに集中するしかないのである。

第二に利用者の貧困化がある。

利用者の自己負担なり一部負担に依拠して経営しようと思っても、そのような金銭的余裕のある利用者などそうざらにはいない。

だから否応なしに介護報酬に頼らざるをえない。まさに政府・厚労省の思惑によって翻弄されざるをえないのだ。

倒産

帝国データバンク「医療機関・老人福祉事業者の倒産動向調査」からの引用である。

やや古い資料だが、肝心なことは介護報酬の改定がもろに倒産へとつながっていることだ。

結論を言おう。老人福祉事業は決して“儲かる”経営ではない。しかも生殺与奪の権利を握る政府・厚労省は何時でも潰す気でいる。投資しようと思っている方には思い直すよう忠告する。もちろん社会貢献であれば大歓迎だが。

 もご参照ください.

  

つまらない話で申し訳ありません。

一人で歩いて行った往診の帰り道、

「園のさゆうり、なぁでしこお垣根のちーぐーさー」と口をついて出た。

これは認知症による独語ではなく、小さい時からの癖である。内側膝状体・海馬性の発語であろう。

外国の歌に日本語の歌詞をつけるとき、昔はかなり強引にやった。

小百合を“さゆうり”と発音する違和感はかなりのものだ。せめて“さあゆり”とはならなかったものだろうかと考えた。

しかしそうやると、“あ”がなんとも気が抜ける。

そもそも小百合でなくて4文字の花はなかったのか。第一、「園の小百合」なんて、宝塚の芸名みたいで、あまりにも月並みだ。

それにしても、この歌のいいのは最後の「さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば」だよな、これは絶対コーラスだろう。

ということで、部屋に戻って早速グーグルしてみた。


まず元歌。

これはドイツ民謡で『最後の夜』(Der letzte Abend)というのだそうだ。

世界の民謡・童謡 というサイトで、全曲歌詞をふくめて詳しく紹介されている。

ドイツ中部フランケン地方の民謡といわれる。作詞・作曲者や作曲された年代などは一切不明で、現在のドイツ国内ではほとんど知られていない。

歌詞を見ると、家庭の事情で好きな女性と結婚できず、彼女と別れた最後の夜を嘆き悲しむ悲恋の歌となっている。特に最後の4番・5番のくだりは死を暗示させる。

というから、「冬の旅」の冒頭の歌「おやすみ」を思わせる。

そこで紹介者は

「民謡」というよりは「歌曲」に近い完成度の楽曲であり、おそらくはシューベルト歌曲のように、しっかりとした作り手による作品だったのだろう。

と想像している。(ウ~ム、そこまで言うか…)

「やはりそうか」と思ったのは、「さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば」のところだけコーラスで歌うようになっていることだ。

[Chor]
Nun ade, ade, ade, nun ade, ade, ade,
Feinsliebchen lebe wohl !

となっている。

ドイツ語はリエゾンしないから、“ヌンアデアデー、ヌンアデアデー、ファインリーヘン、レーベーヴォール”となる。いかにもだ。ヌンは今で、アデはフランス語のアデューだろう。


唱歌としての「故郷を離るる歌」は1913年7月に出版された「新作唱歌 第五集」に掲載された。大正2年というから、親父が生まれる前の年だ。

吉丸一昌という作詞家による「訳詞」ということになっているが、ほとんど作詞だ。

言葉は陳腐なところがあるが、構成はしっかりしている。

最初は縁側に座って間近な庭から垣根へと視線を上げていく。そして

今日は汝(なれ)をながむる 最終(おわり)の日なり

と叙情へ持っていく。

2番は家を出て峠へと向かう道すがらだ。1番に比べると言葉はお座なりだが、

別るる我を 憐れと見よ さらば故郷

はちょっと“刺さる”文句だ。それは“こころざしを果たさん”ための旅立ちではない。“哀れな旅立ち”なのだ。「そこに女がいる」と、「そして何かがあった。それは終わった」と、微かに思わせる。

とすれば叙景がお座なりなのは、意識的にそうしたものかもしれない。

三番の歌詞はついに峠まで来て、振り返り、最後の別れを告げる情景だ。とても良い。ありきたりの叙景ではなく、未練を噛みしめる切ない叙情だ。

此処(ここ)に立ちて さらばと 別れを告げん
山の蔭の故郷 静かに眠れ
夕日は落ちて たそがれたり さらば故郷

ところが、この三番、どうやっても思いだせない。歌った記憶がないのだ。

はたしてこの歌(唱歌)に3番はあったのだろうか。


Youtubeでいくつかの演奏が聞ける。当然合唱がいい。NHK児童合唱団のものが出色だと思う。

ソプラノ独唱がいくつかあるが、うまいとか下手という以前の理解だ。

この歌は斎太郎節と同じでコールアンドリスポンスだ。“さらば故郷…”が聞かせどころで、前の文句はそれとの掛け合いみたいなものだ。“エンヤトット”のリズムを崩してはならない。アクセントをはっきりさせなければならない。

弱起なのだから、“その”に心持ちテヌートをかけて、次の“の”を強調しなければならない。さらば故郷のところは、“ば”にアクセントを置いて、最後のフレーズだけ“ふる”を強くすることになる。

いっそ16拍にしてしまう手もあるが、さすがにせわしい。


崎山輝一郎さんという方の琴月と冷光の時代 というページに、吉丸と唱歌の関係について詳しい経過が載せられている。

まず吉丸の経歴がきわめて要領よくまとめられているので紹介する。

吉丸一昌は大分県北海部郡海添村(現在の臼杵市海添)の出身である。明治6年9月15日に旧臼杵藩士の家に生まれた。

苦学の末に明治34年7月に東京帝大を卒業した。体育会系の人物で成績はすこぶる芳しくなかったようである。この時既に28歳で妻帯していた。

卒業後は東京府立第三中学校(現在の両国高校)に赴任し、同校で6年間、国語と漢文の教諭をつとめた。

そのかたわら、私立の下谷中等夜学校を開設し、苦学生と生活をともにした。

明治40年3月21日の小学校令改正で唱歌が必須科目となった。東京音楽学校は、国定に準じる唱歌教科書をつくる任務を与えられた。

吉丸は東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の教授に抜擢され、尋常小学唱歌や新作唱歌の編纂を委ねられた。明治41年、34歳のことである。

以下、就任前後の経過が続くが、ここでは省略する。(ただし面白いので、ぜひ本文をご参照ください。ウィキペディアもご参照ください)

なお吉丸は我が母校静岡高校の校歌の作詞者でもある。撃剣術の達人らしく、ゴリゴリの軍国主義である。




函館日ロ交流史研究会という組織があって、そのサイトが面白い。

内容がやたらと豊富なので、抜粋しながら紹介する。

最初は2016年3月 7日の記事「―ゴシケヴィッチ生誕200年記念事業、函館開催をふりかえる―」というもの。著者は長谷部一弘さんという方。

と言っても、ゴシケヴィッチという人は1814年生まれだから、一昨年の記念事業を振り返っていることになるらしい。

ゴシケヴィッチは帝政ロシア時代の外交官。函館で初代駐日ロシア領事となった人だそうだ。

経歴を簡単に書いておく。

彼はベラルーシの生まれ。父はロシア正教の司祭だった。ミンスク神学校からサンクトペテルブルクの神学アカデミーに進み、卒業後は北京宣教団に加わり10年間活動した。この時の功績で「聖スタニスラフ勲章」を受章している。つまり半分宣教師のような存在だったようだ。

1858年 から1865年までの約7年間函館に滞在したという。

帰国、引退後は故郷で「日本語の語源」の研究を続けたらしい。

ここから

初代駐日ロシア領事ゴシケーヴィチの時代(1858年-1865年)

が始まる。

1855年に日露和親条約が締結された。領事館を設置することとなり、函館が選ばれた。

ロシアが「函館」に着目した理由はいくつか考えられる。まず、当時のロシアの極東政策で、沿海州のニコラエフスクが拠点となっていたことがある。

対岸の不凍港である函館は、休養・載炭・食糧調達・越冬に不可欠な寄港地と考えられていた。

さらに、サハリンのドゥーエで産出された石炭の貯蔵倉庫を函館に置き外国に売ることも重視された。当時サハリンの帰属は未解決で、外交努力が不可欠であった。

1858(安政5)年11月5日、ゴシケーヴィチ領事は軍艦ジキット号で函館に入港した。外交団は領事家族、書記官、医師夫妻、海軍士官、司祭、下男4人、下女2人の計15名で構成されていた。

函館のロシア領事館は、東京にロシア公使館が開設(1872年)されるまでの間、日本で唯一のロシアの外交窓口だった。

ロシア領事館は、「北の地の文明開化」の推進に寄与した。

ロシア病院ではロシア人のみならず日本人の患者も無料で治療した。また写真術、西洋医学、造船技術など日本人が欲する西 洋の先進的な技術を日本人に伝授した。

キリスト教解禁前だったが、教会関係者はロシア語の普及に努めた。ロシア語教本『ろしやのいろは』が作成され各方面に配られた。

幕末開港期の日本は攘夷運動が激しかった。1859年、横浜でモフェットロシア海軍少尉ら3名が日本人によって殺傷されている。

「大勢の警護隊なしではヨーロッパ人はほとんど外出できなかったが、函館では市外のかなり遠方にまで安心して旅行できる」と言われていた。

後に、ロシアのゴルチャコフ外相は「箱館にロシア領事館が開設されてからの7年間、現地 との関係は最も満足すべき状況にあった」と総括している。

視床の解剖

視床の解剖学の記述はほとんど絶望的に煩雑である。

20も神経核があって、しかも人によって分類が違う。本文の倍くらい但し書きがある。それをそのままずらずらと書き出されると、怒鳴りたくなってくる。

しかし行くしかない。まずはウィキだ。

視床には背側視床と腹側視床があり、このうち背側視床を視床(狭義)と呼ぶそうだ。

外側の核

1.Ventral posterior (VP) complex 体性感覚情報の中枢。

2.Ventral lateral (VL) 小脳核からの入力

3.Ventral anterior (VA) 大脳基底核からの入力

4.Ventral medial (VM) 不明

内側の核

1.Intralaminar nuclei (IL) 不明

2.Mediodorsal nucleus (MD) 痛み刺激の受容

3.Midline nuclei 不明

後部の核

1.後外側核 (LP) 不明

2.視床枕 (Pul) 不明

3.lateral geniculate body これは説明不要(視覚)

4.medial geniculate body これも説明不要(聴覚)

前部の核

AV AM AD LD と一通りある

乳頭体と海馬、帯状回からの情報が入力される。

以上が背側視床。

というところで、名称は一応片付いた。説明は分かったようなわからないような感じで、なにか肝心なことが抜け落ちているような気がする。

次がAkira Magazine というアマチュアの方のページ。

まずは大変わかり易い図があるので拝借する。

間脳のおはなし

視床

まずはじっとこの絵を眺める。気づいたことがいくつかある。

1.視床は間違いなく前脳だ。そこから先にあるのは脳の付属装置だ。だから終脳と呼ぶべきはこの視床だ。これを視床だとか間脳だとか勝手に芸名で呼ぶのは失礼だ。

2.視床下部は明らかに違う原基の組織だろう。むしろ副腎とか甲状腺のような腺組織に近いのではないか。それが接合したものが間脳だ、と理解いするのなら、間脳という呼び名も言い訳が立つ。

3.視床は一見ペアーで存在しているように見える。小型大脳を思わせる。しかしその元が前脳であるとすれば、それは“くびれ”に過ぎない。元々ペアーで発生し、それぞれが発達していった大脳とは違うと思う。

視床には3つの運命づけられた働きがあると思う。

ひとつは三大脳の惣領格として全体を仕切る統括的役割。ふたつ目は体節神経のひとつとして、そこに繋がる末梢神経を受け止める個別的役割、そして三つ目が視床下部から送られるエネルギーにより神経システム全体に動力を配分する動力源の役割だ。

いずれも大変な役割だ。時系列的に並べれば、ふたつ目の役割が最初に来るはずだから、解剖学的にはまずそれがベースに来て、そこに付加体として第一、第三の機能が乗って行く。

統括的役割は重いとは言っても任務分担だ。しかし動力源機能は他にかわるものがいないから死活的なものとなる。

おそらくは視床は徐々に動力調整機能中心に特化していくことになるだろう。そうすると他の機能は現業部門に外注化させていくことになるだろう。

それが嗅脳であり、辺縁葉であり、さらに大脳へと巨大化していく。

こういうストーリーを頭に描きつつ、勉強をすすめることにする。

いまはどうなっているのだろうか、むかしは月曜の朝というと校庭で全校朝礼か決まりだった。
「整列」と号令がかかる。背の低いものから高いものへ並んだところで、今度は「前へならえ」だ。
両手を前にあげて前の生徒の肩に触れるか触れないかのところまで間合いを詰める。
このとき必ず前の生徒を突っついたり、くすぐったりする奴がいるから、前の先生が睨みつける。
しつこくやる奴がいると、先生が飛んできてげんこつをお見舞いする。理不尽なことに両成敗だ。
整列が終わると「気をつけ」、「休め」で、それから校歌斉唱だ。
「東はるかに駿河湾、北には仰ぐ富士の嶺、長田の里に生い立ちて、この幸何かに例うべき」
さすがに戦後のあの時期、君が代はなかった。
それから「気をつけ! 校長先生ご挨拶」となる。
校長が高さ1メートルほどの式台にのぼり、挨拶が始まる。
これが長い。時節の挨拶から始まり、今日がなんの日なのかを説いていく。最後は教訓話になりなんかカンカのご託宣をたれて終わる。この間10分位だろうか。
困るのは「冗談」を入れることで、その「冗談」がいかに面白いかを諄々と説くから、その間にこちらは固まってくる。「頼むから今日は冗談をいれないでくれ」と願うが、そういう時こそ「冗談」のワンツーパンチ。
大体、月曜の朝が元気なわけはない。日曜は目一杯遊んでいるのだから、半分死んだ気分だ。暑い日などはクラクラしてくる。まさに「ムカつく」気分だ。
いま考えると、それは教師にとっても同じだったに違いない。ただなんとなく、月曜の朝はかくあるべきものかと思っていたに過ぎなかったのではないか。そしてそれは校長先生も同じではなかったろうか。
それはまさに「時代の呪縛」であったに違いない。
そしてその「時代の呪縛」に誰よりも忠実であったからこそ、彼は校長になれたのであり、自ら「呪縛」者の先頭に立ったのであろう。
こうしてルーチンに忠実な人間が次々にトップをつなげていくにしたがい、ルーチンはますます陳腐化しこと無かれ化し冗長化していくことになる。
あぁこのいとうべきルーチン主義者共よ。一刻も早く引退せよ。さすれば、君らが何ほどの人間でもないことは直ちに分かる。
安心せよ、君らの後継者はゴテマンといる。絶望的なほどに地にあふれている。

1.視床は途中駅ではない

教科書では視床(前脳)は間脳に一括される。

誰が名付けたか、「間脳」(Diencephalon)とは嫌な言葉である。説明文はもっと嫌な感じである。

左右の大脳半球の間に位置し、大脳半球と脳幹を中継する

解剖学の教科書には途中停車駅なもの扱いしかされていない。これでは新大阪駅だ。大阪の街そのものではない。

大脳皮質が担う機能の全てに視床が深く関わっている

これは逆だろう。そもそも視床の働きにかかわったからこそ大脳が発達したのではないか。

もちろん多岐にわたる問題を処理できるわけはな いので、つかさつかさに委ねるべきは委ね、各種の審議会や学識経験者(歩く記憶装置)からしかるべき答申を受け、そのほとんどについては「めくら判」(すみません、差別用語です)を推すことになる。ほとんど「丸投げ」と「めくら判」の連続だから、一見するとただの中継基地にしか見えない。

しかしそれは違う。この膨大な情報処理システムを起動し駆動させる力=欲望は視床にしか充てられていないのだ。視床こそは脳組織の中でただ一つ、「欲望する脳 」なのだ。「社長は僕」なのだ。

2.視床は動力付き思考回路

むかし、田中角栄のことを「コンピュータ付きブルドーザ」といったことがああった。

やたらと数字に強い一方で、積極果敢な行動力であたりをなぎ倒して突き進んでいく、そんな田中角栄に対して世間は一面では危うさを感じるとともに、一種の魅力を感じたものだった。たぶんそれは高度成長の時代が産んだ、ひとつの英雄像だったのだろう。

脳で言えば視床(前脳の上半分)がそれに当たるのではないか。

脳は全体として一つのコンピュータであるが、それは電源がなければ動かない。その発電所は視床下部にあり、そのスイッチを入れたり切ったりする作業は視床がになっているのである。

他にこのような脳はない。だから視床は最終決断の権限、統帥権を持っているのである。

3.思考の動力は欲望

欲望を直接生み出す機能そのものは視床(視床下部も含めて)にしかない。

本能的欲望による誤った決断がなされないように、大脳には二重三重のセーフティ・ネットが張り巡らされているだろうし、意志の力で欲望を押さえつけることすらできる。

しかしその意志の力も、元は欲望により形成されたものだ。

大脳自身が判断して適切と思われるような行動を指示する、視床はこれを中継して椎体路系に伝える

と書かれているが、それは違うのではないか。

たとえ命令に近いような強い指示といえども、それは形式的には指示ではなく勧告なのではないか。なぜなら、大脳はいかに発達しようと、「前脳にとっての相談役」としての位置づけは変わらないからだ。

江戸幕府は300年にわたり朝廷をないがしろにし、世の中を意のままに仕切ってきたが、身分はあくまでも征夷大将軍という一つの軍官僚機構にすぎない。だからいざとなれば、朝廷の風下に立たざるを得なくなる。

4.大脳は記憶装置のAI 化したもの

視床には大脳のすべての機能が備わっている。その昔は視床だけで勝負したのだろう。大脳(例えば海馬)はそのための、そのかぎりにおいての記憶装置だったのではないだろうか。

ただ記憶装置が大きくなると、そこでは「量から質」への転換が起こる。いわば大脳が「人工知能」(AI)化するのである。

以前なら血液検査を頼むと、項目ごとのデータがずらりと並んだ報告表が帰ってくるだけだったのに、今ではそのデータを解釈して考えられる病名を挙げて、それに対する治療方針までつけてくる、という具合である。

そうなれば、医者の方はもう診断も治療も丸投げだ。医者に必要なのはさまざまなシステムを用いて患者を治そうという意志だけだ。

とはいえ、大脳の機能は視床の機能をいわば反復しているのである。その反復は視床を起点として行われる。(たまに自発放電的な大脳由来の思考-夢想、妄想、せん妄などが見られるが)

視床と大脳は人間とパソコンのようにキャッチボールをしている。しかしピッチャーは視床であり、大脳はキャッチャーだ。 

5.視床中心に考えよう

大脳の仕事を研究するときは、それが前脳(視床)のどの役割をどのように補佐しているのか、という観点から分析しなければならない。

神経解剖学の教科書を見ていると、どことどこがどのように繋がっているかという話ばかりだ。芸能人のゴシップ話みたいなもので、部外者にはさっぱりわからないし興味もない。

わからないのに偉そうに言うのも何だが、「そんな雲をつかむようなことをやっていると、余計分からなくなってしまうよ」と言いたい。政治部記者は政界記者であってはならない。

学校や病院の「緊急時連絡網」という表がある。私の目の前にも貼ってあるが、そんなもの見たって「学校とは何か」とか、「病院とは何か」ということは永遠にわからない。

私はつくづく思う。いまの脳科学には「唯物論」が必要だ。

6.視床から見た海馬

視床の位置づけがすっきりすると、海馬の位置も見えてくる。

前に引用した図をもう一度出す。

Computer_hierarchy

つまり、視床というCPUに対するメインメモリなのだ。

動作時にはこれが一体となって活動する。キャッシュメモリはおそらく視床の内部に存在するのだろうと思う。

メインメモリーはさほど大きくはないから(キャッシュメモリよりははるかに大きいだろうが)、プログラムを閉じるときには、ハードディスクに格納することになる。このハードディスクに相当するのが大脳ということになる。

記憶に関するさまざまの文献を見ると、この関係が明らかにされないまま論を進めているのではないかと思う。海馬は第一義的には視床用の記憶装置であり、大脳用の記憶装置ではない。これを確認したうえで議論を進めないから、系統発生学の立場からは容認し得ないような話が飛び出してくるのである。


「辺縁葉」概念の復元と発生学的理解

ふと気がついた。ウィキペディアにはそもそもこの用語がない。世界は大事なものを見落としているかもしれない。

世界大百科事典には以下の記載がある。

1878年P.ブローカが,室間孔の周囲を環状にとりまいている脳の中心部分に対して “le grand lobe limbique” という名称を与えた。

その後、比較解剖学的研究を基にして辺縁葉“limbic lobe”と名づけられた。

脳の系統発生的に古い皮質部分で,おおよそ広義の嗅脳に相当する。本来,嗅覚(きゆうかく)との関連において発達をとげたとされる。

現在,辺縁葉については納得させうる定義づけができていない。嗅脳との区別も明らかではない。


文章はそのまま使っているが、順序はだいぶ入れ替えた。元の文章は一番最後のセンテンスを強調するための表現になっているからだ。

辺縁葉は元々は嗅脳であったようだ。それは前脳から前上方にせり出し左右一対となった。そこには第三脳室が管となって入り込み、辺縁葉の中軸を形成した。

やがて辺縁葉の外側に大脳がどんどん発達するようになり、これに応じて第三脳室から伸びた髄液管は延長に延長を重ね、ついには側脳室となった。

だから、第三脳室が左右の辺縁葉にT字型に分岐する分岐点(モンロー・ポイント)は大脳の始発駅となった。

市街地が形成されるとそこに鉄道が走るようになるのと同じ理屈だろう。

線路沿いは古い町並みで、始発駅から離れると新市街が広がっていくように、原始皮質、旧(古)皮質、中間皮質、新皮質 と同心円上に広がっていく。

それが固有名詞で言えば海馬・歯状回、嗅脳、鈎・海馬傍回、扁桃体、帯状回という順序になる。さらにその先に独立した島皮質がある。

その際、海馬が嗅脳より発生学的には古い組織だということ、つまり前脳に近い組織だということは念頭に置いていくべきであろう。

Slide Share より(「辺縁葉」を明確に図示したものは日本語サイトにはなかった。まことに変な話である)

limbic lobe

まず、「辺縁葉」というものが実在すると仮定する。そこから論理を組み立てると、上記の表現になる。

すると大事なことに気がつく。辺縁葉は最初の大脳皮質なのだ。だから、大脳皮質とはそもそも何なのか、大脳皮質がなぜ誕生したのか、大脳皮質がなぜ発達したのか、など大脳皮質の発生に関わるすべての謎を解く鍵がそこにふくまれているわけだ。

そして私の三脳原基説も実証されることになる。

もしそう言うエンタイティが成立するなら、「海馬や」さんは木を見て森を見ていないことになるかもしれない。


2016年09月02日  の続きです。


我々は非核戦略を練り直さなければならないかもしれない

今回の日中両党の衝突の最大の問題は、反核運動をめぐる対立の表面化である。

かつての日中両党の対立も、暴力革命の是非とか文化大革命の評価の問題もあったにせよ、もっとも重大な問題はベトナム人民戦争支援のための国際統一戦線をめぐる対立であった。

今回も同じように、国際反核運動の進め方をめぐる対立が基本となっている。我々はまずそこをしっかりと抑えておく必要がある。


中国の核軍事戦略の変化は南シナ海や尖閣紛争に覆い隠されてきたが、いよいよその本態が明らかにされた。

これまで中国は、真意はともあれ反核運動に対立することはなかった。核の先制不使用を宣言し、核廃絶を目指す運動を支持してきた。

東南アジアの非核地帯宣言を支持し、東南アジアで核を用いないことを明らかにしてきた。

今回の中国の態度は、これまでの核をめぐる姿勢に根本的変化が現れていることを象徴している。

これまでもそのような兆しはいくつか見られていた。原水禁世界大会への不参加、広島・長崎の被爆者への冒涜的態度など気がかりな点はあった。

しかしことは「侵略者日本」への反感を口実にした日本の反核運動への敵視だけではなくなった。

今回の出来事は、東アジア諸国の反核への願いを公然と無視する態度に転換したと言わざるをえない。

もはや中国は核廃絶への志向を完全に失った。そして核を通常戦略の中に組み込み、アジア最大の核軍事大国となる道を歩み始めた。

中国が本気で核を使用するとすれば、あるいは核脅迫政策を実行するとすれば、米中同盟のもと、それは明らかにアジア諸国に向けられたものとなる。

プーチンがウクライナで核の使用を考えたのと同じように、中国が南沙諸島に核を持込み、いつでも使用可能な状態に持っていくことがないとはいえない。

あるいは台湾の独立派勢力を懲らしめるために、大陸側に核ミサイルの砲列を並べることがないとはいえない。

それは世界の人民にとってもっとも差し迫った危機となるであろう。

私は2004年9月に北京で開かれた反核医師の会の総会にも参加した。その時、まさかこのような世界が展開されることになろうとは到底予想できなかった。

「クアラルンプール宣言」と日本共産党のとった立場

今朝の赤旗を見て仰天。おっ、善隣会館事件の再現かと見まごう。

日本共産党と中国共産党の事実上の決裂だ。

他のメディアではまったく触れられていないから、とりあえずは赤旗報道を読み込むしかない。

私のような年表オタクには、時刻表的経過があいまいで、率直に言えばきわめて分かりづらい文章だ。「柳条湖」事件ではないがどちらが先に発砲したのかはもう少し続報が出てこないと確定できない。

記事を読みながらジグゾーパズルのように事実を当てはめて行く事になる。総会は2,3,4の三日間行われたので、1日目、2日目、3日目というのと1日づつずれるので注意が必要だ。ここでは1日目、2日目、3日目と記載することにする。


まずは事実経過から

9月2日からクアラルンプールで「アジア政党国際会議」(以下ICAPP)が開かれた。

日本共産党(以下JCP)は以前からこの会議にたいへん力を入れていて、今回も志位委員長が自ら出席し、総会演説を行っている。

そこで会議が総会宣言を発表することになった。


1.総会開始までの経過

総会前から宣言起草委員会が開かれ検討が開始されている。JCPはこの委員会のメンバーではない。委員としては参加していない。ただしこの会議の常連としてこれまで活躍してきた実績がある。

JCP代表団は総会の開始前に、核兵器廃絶、平和の枠組みなど三点について事務局に文書提案していた。この提案は起草委員会に一定の重みを持って受け止められたようだ。

JCP代表団は開会前日(9月1日)の未明、開催地マレーシアの首都クアラルンプールに到着した。たまたまそこしか取れなかったのかもしれないが、異例の到着時刻である。物見遊山ではない。多分ホテルか会場のいずれかに詰めて仕事していたのだろう。

この日の夜、総会参加者を歓迎するレセプションが開かれた。志位委員長らJCP代表団は、ICAPPのホセ・デベネシア、チョ ン・ウィヨン両共同議長らをはじめ、参加者にあいさつし、交流した。

おそらくその席上で、事務局長は「積極的なこの提案に感謝する」と述べた。ここが一つの伏線となる。

想像するに、総会開始の前日までに、起草委員会は第一次草案を完成させた。そこにはJCPの主張する「核兵器禁止条約の国際交渉の開始」(called for a prompt start of negotiations on a nuclear weapons covention) という内容が明記されていた。


2.総会の1日目(9月2日)

ICAPP総会が始まった。会の模様については、「ベトナム・フォトジャーナル」が短く伝えている。

冒頭で、マレーシアのナジブ首相が歓迎のあいさつを行った。

クアン委員長が基調演説を行った。

アジアは安全保障と発展などの面で多くの試練に直面している。各国は、平和、安定、繁栄、領有権紛争の平和的解決、衝突防止、持続的かつ平等な発展のための互恵協力、各国間の発展格差の是正、環境保全、気候変動への対応、各国国民間の友好関係の強化などに対する責任を負う必要がある。

というもので、全体としてはバラ色というより一定の情勢の厳しさをにじませたものであった。

おそらく第一日目の会議開始に前後して、「宣言起草委員会に参加しているある代表団」が、JCP代表団に草案を見せてくれた。

どこの国かは分からないが、それは大したことではない。別に深刻な話ではないから軽い気持ちで見せてくれたのだろう。

ただもちろん非公開の文書を非公然に見せてくれたのだから、証拠はない。あっても証拠能力はない。

ところが、その日、総会参加者に配布された「宣言草案」はそれとはまったく異なるものであった。

表現上の問題としては

1.核問題で、核兵器禁止条約も国連事務総長の提案にもまったく触れていない。

2.領土問題では、領土に関する紛争問題を国際法にしたがって解決するという点がふくまれていない。

という点で不十分なものであった。

さらに聞き捨てならない「非公式情報」として

3.「中国共産党代表団が、日本共産党の提案を採用することに否定的な態度をとっている 」という情報。

4.紛争問題を国際法を基礎として解決することを宣言に書き込むことに、中国共産党代表団が強く反対しているという情報。

が飛び込んできた。

この4点はJCPとして容認出来ないポイントであった。

ただし第3点については、その真意もふくめて、よほどの裏付けが必要な間接情報である。この点については後ほど最大の問題となる。

第4点は、これまでもASEANの会議などで同じような事態があり、コンセンサス会議では一定の妥協も求められるかもしれない。

とりあえずやらなければならないことは明白である。まず文章表現の問題では、1.2.の点について「一次草案」の復活を求めることだ。

これがJCP修正案の提示だ。(内容は重複するので省略)

この修正案はICAPP常任委員会、宣言起草委員会のメンバーになっている各党に手交された。

3.CCPとの2度の会談

最大の問題は言うまでもない。3.の不確かな、しかし深刻な疑念についてCCP側の真意をたしかめることだ。この点においてJCPは果敢に行動したと思う。緒方さんには心から敬意を評したい。

まず緒方さんが修正案を携えてCCP代表団長のところに押しかけた。第一日目の午後の事のようだ。

団長は李軍という人で肩書は中連部の「部長助理」となっている。楊潔篪とサシで話せる人物であることは間違いないだろう。

実は緒方さんは李軍とは面識がある。彼は06年の6月に東京を訪れ緒方さんと「夕食をともにしながら懇談」している。この時の肩書は中連部第二局局長だ。

この頃のCCPはまだとてもよかった。中堅クラスが入れ代わり立ち代わり現れては懇談を積み上げていた。李軍もその一人だったはずだ。

だからか、李軍は完全に逃げ腰た。「過去のことは知らない」、「この問題については議論したくない」と言ったと、緒方さんは書いている。

ここで緒方さんは一旦戻って志位委員長と協議した。そして「問題の重大性を考え、中国共産党に再度の話し合いを提起」した。

李軍はあげくの果ては「あなたは覇権主義だ。自分たちの意見を押し付けている」とまで言い出した。ここまで来ると完全に「泣き」が入っている。

4.1日目夜(9月2日)の宣言起草委員会

事務局長が日本共産党の修正案を議題とした。中国共産党を含めて異論は出ず、全員一致で修正案が受け入れられた。

5.2日目(9月3日)の経過

志位さんの総会演説は2日目の午前に行われた。(私は、今日、本当はその内容を紹介するつもりだったのが、とんでもないことになってしまった)

演説を終えた後、志位委員長は、午後に国営ベルナマ通信の取材を受けた。赤旗報道を読む限り、当り障りのない返答。ベルナマ通信の記者が「包括的な提案で感銘を受けた」と語るのとは対照的だ。

午後に総会参加者に2回目の宣言案(当初案を入れれば3回目)が配布された。この宣言案はJCPの修正案が受け入れられたもので、つまり当初案と同じものであった。

6.3日目(9月4日)の経過

閉会式の前に、3回めの宣言案が新たに配られた。

1.「核兵器禁止条約についての速やかな交渉開始を呼びかけた」の部分が削除。

2.「潘基文国連事務総長が提案しているような、核兵器のない世界」という表現上の換骨奪胎。

閉会式の開始直前、事務局長は「ある国の代表団が強硬に要求してきた。本国の指示だと思う。宣言を採択するためには受け入れるしかなかった」と釈明した。
JCP代表団は以下のように判断した。

1.「核兵器禁止条約のすみやかな交渉開始」は2014年のコロンボ、10年のプノンペンの総会宣言にもふくまれており、「重大な後退」と考えられる。

2.しかも草案からの削除は総会の民主的運営という点から見ても重大な問題をはらむ。(記事では「総会の民主的運営を乱暴に踏みにじるやり方」と最大級の非難を浴びせている)

そこでJCP代表団は、宣言案への「部分的保留」を表明し、その旨の文書を議長団に提出した。同時に「一代表団」=中国共産党代表団への強い抗議を表明した。

7.「保留通告」の意味

JCP代表団は「総会の民主的運営を乱暴に踏みにじ」った事務局への非難は避けている。

その理由は、おそらく事務局のやりかたがコンセンサス方式だからだろう。つまり一党でも反対する党があれば、それは宣言には盛り込まれないということになる。コンセンサスを前提とする限り、事務局は「総会の民主的運営を乱暴に踏みにじ」ったとは言えない。(「宣言」を出さないという選択もあったが)

その代わり、JCP代表団はこの重大な変更が中国共産党(以下CCP)の干渉によるものであることを暴露し、攻撃する。

つまりこの大々的報道の主要な目的は、CCPトップの干渉への非難ということになる。

8.JCP代表団の帰国後の動き

日本共産党の志位和夫委員長ら党代表団は4日午後、成田空港に到着、帰国した。

午後と言っても1時から11時まで幅があるがよく間に合ったものだ。

4日の昼までには会議が終わったらしい。空港までの移動や出国審査などを考えると、それでないと間に合わない。

それから常任幹部会が行われた(はずだ)

それにしても、思いもかけぬ3日間の強行軍、ご苦労さまでした。

9月5日には、記者会見が行われた。志位さんをふくむ代表団員は参加せず、小池書記局長が対応した。

「非常に不当な対応だ。1998年に日中両党間の関係を正常化して以来初めてだ」と強い言葉で中国側を非難した。(ただしこれは時事通信の配信で、赤旗には野党共闘についてのみ言及)

同じ日に志位さんはツィッターに下記のコメントを載せている。

核兵器禁止条約の国際交渉」を盛り込んだ宣言案に対して、総会の民主的運営に反する横暴きわまる方法で削除を強要した中国共産党代表団のふるまいは、まったく道理がなく厳しく批判されねばなりません。

8.日本共産党がケンカする腹を固めた理由

JCP代表団がケンカする腹を固めた理由はCCP代表団が突然態度を変え、強引に草案を書きなおさせるに至った一連の経過であろう。

相手は中国政府や中国軍関係者ではない。CCPそのものである。中連部の意向を代表して参加しているはずのCCP代表団の見解を、一夜にして一変させる権限を持つのは誰か。それは習近平をふくむ党の最高指導部以外にない。

彼らは杭州で20カ国首脳会議を主催しながら、クアラルンプールのかなりマイナーな会議にまで目を光らせ、状況を一気にひっくり返させた。サミット開催中だからこそ、抑えこんだのかもしれない。

なぜこのような会議にまで党のトップがかかわるのか。それはよく分からない。非公式な情報が言うように「JCPの提案を採用」させないことにあるとすれば、かなり容易ならざる事態であることは言うまでもない。

いずれにしても国際連帯に当たる人々にとって、論争のさなかに行われた志位演説の内容を今一度しっかりと把握することが必要だろう。


鳥飼車両基地に関する記事が、突如としてアクセス・ランキングしたので「何事か」とグーグルしてみる。9月2日に大阪地裁の判決が出たという。摂津市側の全面敗訴だ。とりあえず前回記事後の経過を追ってみる。まずは摂津市のホームページ。

経過表が補充されているので、提訴後の経過を追ってみる。

平成27年1月30日 大阪地方裁判所において、JR東海に対する裁判が開始された。第1回口頭弁論では森山市長が意見陳述を行っている。

6月2日 参議院国土交通委員会において、辰巳参議院議員(共産党)が、本件について質問した。(たつみコータローのブログ

7月17日 JR東海の揚水試験に対し抗議文提出、とある。JRは裁判などお構いなしに試験を実施しているようだ。

今年に入って、事態が急展開した。

平成28年1月7日 大阪府がJR東海の工業用水法に基づく井戸の許可申請を認可した。そういう通知が大阪府から摂津市にあったそうだ。

この時点で、行政的には外堀を埋められたことになる。

そして6月には結審し、

9月2日 大阪地方裁判所は、「原告(摂津市)の請求をいずれも棄却する」との判決を下した、という経過だ。


この経過にそって、肉付けしていきたい。

平成26年11月、摂津市の提訴に対応する形でJR東海は一般市民向けの「お知らせ」を発表している。全文がPDFファイルでアップされている。

① 井戸水活用計画は“進めている”。

② 場所は鳥飼車両基地の“茨木市エリア”である。

③ “災害時に上水道が断水した場合”に備えるものである。

④ しかし井戸水は“安定的に活用”する。

前から問題になっていたように、③と④は矛盾する。「非常用」であれば何ら問題はないので、④の意味がはっきりしないのだ。

後の方の文章にもこう書かれている。

当社では日頃から井戸水を安定的に活用することで水を確保し、災害時においても新幹線を運転できるよう…
…なお、井戸が故障した場合に備え、上水道も併用していく考えです。

わかりますか、この文章…

わからない人には次の文章がある。

現在井戸水が毎日相当量汲み上げられている茨木・摂津市域で地盤低下が生じていないことを考えれば、この程度の汲み上げ量が加わっても、周辺で地盤沈下が起きる恐れはない…

語るに落ちるというのはこのことで、恒常的な汲み上げを行うつもりでいることは間違いないのだ。しかも万が一に備え上水道も使うということだから、基本的には必要な水を地下水で賄おうということだ。

「地盤沈下が起きる恐れはない」というのは鉄面皮だ。現に地盤沈下が起きてしまっているから問題にしているのだ。

最後に欄外に但し書きがある。

*この計画は摂津市と結んでいる環境保全協定の適用は受けないと考えています。

たしかに茨木市エリアではあるが、そこは摂津市の真ん中に食い込んだ茨木の飛び地である。それに茨木なら何をやっても構わないというのでは協定の精神に対する侮辱ではないか。(たしかに茨木も茨木だが)


JR東海は掘削禁止を求める裁判が始まった後、掘削を続行した。

去年の11月には掘削を完了。くみ上げた地下水を利用するための手続きを開始した。市側は「係争中の裁判の結論が出るまで待ってほしい」と要望した。

この要請は無視された。そして今年に入ってからは汲み上げを開始した。それがすごい。

1日当たり750トン汲み上げる予定のところ、3倍以上の地下水汲み上げを行いました。この量は、以前摂津市で地盤沈下が起きた時の汲み上げ量をすら上回るものです。

そして「汲んでみたけど地盤沈下は起こらなかった」といって、そのデータを裁判所に提出した。(増永わきさんのブログ

これって、大人のやることだろうか。

むかし一休さんという民話があって、

「この橋通るべからず」と高札があるのに、一休さんが堂々と渡ってしまいました。門番が咎めると「いえ、ハシは通っていません。真ん中通ってきました」と答えたとさ。

これは笑い話だが、JR東海のやることは笑って済ませるようなものではない。

判決とそれをめぐる反応については、もう少し時間を置いてから調べてみたい。

老人は若返り、働き続ける 
高齢者人口が3割超
(毎日新聞の記事)

2042年、団塊ジュニア世代が皆、65歳に突入した直後だ。
このときに日本の高齢者人口はピークを迎えるという。
東京郊外は高齢者の集団住宅と化し、
地方の高齢者も介護者のいる東京へ集まり、
一極集中が続いているかもしれない。

「老人は若返り」というのが怖いですね。
そんな世界を見ないで死ねる幸せ。

「韓国歴史地図」という本がある。
平凡社の出版で、初版が2006年、第3刷が2008年とあるから、多分7,8年前に買ったものだろう。なんと低下3800円。
当時は朝鮮現代史年表の作成に夢中だったから、それに入れるために読んだ記憶はある。
最近になって古代史にハマったからそれとの関連でも使った。
それで本日は、午睡にはいろうかというときに寝返りを打ったら目の前に飛び込んできた。
なんとなく眺めながら眠くなるのを待ったが、それどころではなくなった。
やっぱり変なのである。
この本はそもそも韓国の教科書で、韓国教員大学歴史教育科の教授連の共同執筆になるものである。きわめて権威性の高いものなのだ。
それにしてはあまりに恣意的だ。加羅の代わりに「伽耶」だ。任那の文字は一度も出て来ない。とにかく時系列を無視してチョモン(征服者・圧制者の一人)が飛び出してきて、その次にはなんの脈絡もなく百済建国や新羅の統一がフィーチャーされて、伽耶はひたすらその引き立て役に回っている。
それはそれで良いのだ。歴史を国威・民族意識発揚の道具に使おうとそれは勝手なのだが、都合の悪い事実を無視して議論を構築する限り、それは歴史の捏造なのだ。
それがあからさまであればあるほど、私としては韓国の研究を信用しなくなる。それだけのことだ。
周辺的事実の確認のためには、韓国の歴史研究の成果をおおいに取り込もうと思うが、肝心な事については韓国歴史学者の議論を信用してはならない。残念ながらそれがいまの韓国歴史学に対する評価である。
北朝鮮についてはほとんど信用出来ない。歴史学というのは厳しいところがあって、ひとつでも意識的に嘘をつけば、その人は全否定されてしまう。態度の使い分けがしにくい分野なのである。

��日本のゾウ��

ナショジオのサイトにある富田幸光さんという人のインタビュー記事を読む。富田さんは国立科学博物館の研究部長。

第1回 日本に野生のゾウやサイがいた頃

第2回 実はゾウの楽園だった日本列島

1.ゴンフォテリウムとステゴロフォドン化石が各地で出土している。「多島海」時代の1800万年から1600万年前に生存していたとされる。

ゴンフォテリウム系は約2300万年から2000万年前にアフリカで出現し、ユーラシアとアフリカが接合した後、世界に拡散している。

その後、1千万年間生物化石のない無生物時代が続く。

2.ツダンスキーゾウ(ステゴドン)

アジア大陸に広く存在し、600万年前に日本にも渡来した。ステゴドンの系統に属し、日本で独自の進化を遂げた。(日本が大陸と切り離された可能性がある)

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この間に徐々に小型化していく。初期のミエゾウは肩高が4メートルなのに対し後期のアケボノゾウは2メートルに縮小し、70万年前に絶滅する。

3.ムカシマンモス

110万年前に渡来。(大陸とのルートが再開された)

アケボノゾウと共存するが、70万年前に、ともに絶滅する。

4.トウヨウゾウ

60万年ぐらい前に渡来するが10万年ほどで絶滅。ミエゾウやアケボノゾウと同じステゴドン系だが、大陸でも化石が出るため、新たに渡来したものとされる。

南方系のゾウで、当時は間氷期の中でも特に暖かかったために進出できたとされる。(暖かいということは海進期だということで、そのときに陸続きというのが飲み込めない)

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5.ナウマンゾウ

34万年前に渡来。2万年前に絶滅。

これらの象はいずれも朝鮮半島経由とされる。

この他に樺太経由でマンモスも入ってきている。

ということで、ナウマン以前の流れが簡潔明快にまとめられていてありがたい。話が日本列島形成まで遡るのはスケール壮大だ。「えっ、そこで地学と結びついちゃうの」とびっくりする。

日本列島の形成過程を勉強したのはもう随分前の話だから、忘れてしまったが、冨田さんは大陸の横滑り説をとっているようだ。それもわずか2千万年前、そろそろ霊長類登場の頃だ。

ただし冨田さんは地学者ではない。この説の当否についてはいずれまたチェックしなければならない。

2012年09月27日

 


ナウマンとマンモスとの違いを調べている内に、もっと本質的な問題にぶち当たった。

結局アジアゾウが北進して寒地適応してナウマンになった。生息域はマンモスとかぶっていて、北海道では共生していた可能性もある。

日本列島は寒冷期には間宮海峡ばかりでなく朝鮮半島とも陸続きだった可能性がある。そうでないと南から来たナウマン象が日本に渡来するアクセスが説明できない。

でも、それって半端な寒冷期じゃないでしょう。そんな寒冷期で、日本列島で生物が暮らしていくことなど到底できないはずだ。

寒さだけではない。海面がそこまで後退したなら、氷河期は当然、ものすごい乾燥期だ。陸地のほとんどは砂漠化することになる。

そんなところでマンモスだろうがナウマンだろうが、暮らしていけるわけがない。

どうも古生物学者の言うことって、いまいち信用出来ない。

ナウマン象と縄文人

不勉強で、縄文人の祖先となる旧石器時代人(ハプロD人)はマンモスハンターとして移動するうちに、陸続きだった樺太を経由して日本列島に入ったと決めてかかっていた。

しかし彼らの獲物がナウマン象だったとしたら、必ずしも北からの進入ではなく朝鮮半島から入った可能性もあるのかな、と考えるようになった。

そこで少し調べてみた。

ウィキペディアの「ナウマン象」の項目。

現生のアジアゾウと近縁で、やや小型である。寒冷な気候に適応するため、皮下脂肪が発達し、全身は体毛で覆われていた。

大陸からも発掘例があるが、主たる居住域は日本列島だったらしい。

ということは、シベリアから南下したというよりも、朝鮮半島から渡来した可能性が高い。そしてその過程で寒冷地仕様にモデルチェンジした可能性が高い。

見た目は小型マンモスでも出自は南方系ということになる。

50万年以上前から生息し、2万年前ころから衰退し、1万5千年ころには絶滅したらしい。寒冷気候に過剰適応してしまったために、日本列島の温暖化に耐えられなかったのかもしれない。旧石器時代人がとりつくした可能性もある。

北海道にはマンモスもナウマン象も生息していた。ただし時期にはずれがあって、ナウマン象が10万年前前くらいに先住し、3万年前にはマンモスと置き換わったとされる。

ウィキペディアの記載にはやや不明瞭な部分もあるため、他の文献もあたってみることにする。

 

海馬の発生学を学ぼうと思ったら、結局「大脳辺縁系」を勉強しなければならないようだ。私は「大脳辺縁系」というのは間違いで、本質的(発生学的)には「前脳辺縁系」と呼ぶべきだと思う。もっと言えば、第一次辺縁系であり、第二次辺縁系として大脳があるのだと考えている。

前脳は中脳、後脳と同様にまずもって感覚情報の集中点だ。中脳が視覚のセンターであるのと同様に、前脳は嗅覚とおそらくは感覚ヒゲのセンターだったのではないかと思う。

下記のページに詳しい叙述があるので、抜書きしていく。神戸大学医学部第一解剖学の授業用ノートのようだ。

http://www.med.kobe-u.ac.jp/anato1/education/files_assets/sugi_limbic_2010.pdf



1.辺縁葉と辺縁系

A) Broca(1878)が「辺縁葉」(Limbic lobe)を定義。
広義の脳幹を包み込むように、それを縁どり (limbus) ながらリング状(C字型)に取り巻いている灰白質領域
論文中でブローカは辺縁葉と嗅脳との密接な関係性を強調している。
その後の研究で、辺縁葉は表面側の帯状回や海馬傍回,深部側の海馬や歯状回などに分類されている。
cf: ヒポカンプス(海馬)の弟はペガサス(天馬)、ヒポカンプスの父はポセイドン、母は、かの有名なメデューサである

B) 辺縁系がMaclean(1952)により提起された概念であることは既出のとおり。
最近は次のように主張されている。
マクリーン(1970): 脳は原始爬虫類脳・旧哺乳類脳・新哺乳類脳の3つに分けられる。旧哺乳類脳が辺縁系に相当する。(どうしてこんな「ご託宣」が「学問」として幅を利かせるのか不思議だ)
Douglas ら(1975): 高次脳には新皮質と辺縁系という2つの進化の傾向がある。サルでは新皮質の方が、ウサギでは辺縁系の方が発達する。ヒトは両者がともに進化傾向にあるという特異な経過を示す。(聞いていて恥ずかしくなるほどのダボラ話だ)
小池上(1981): 辺縁系(内臓脳・情動脳)は、視床下部を制御し、本能と関連が深く、また情動行動や記憶にも関連する。脳の基本的構造上、新皮質‐脳脊髄系と対立せしめて考えるべき重要なものである。

つい書きたくなった。主婦は掃除、洗濯、買い物、食事の支度、育児、果ては旦那の相手まで務める。それらが非常に重要だということはわかる。
それで主婦ってなんですか。それで、辺縁系ってなんですか?

C) このノートの作者も、辺縁系理論をそれなりに批判的に見ているようだ。
①辺縁系を“機能的に結びついたひとつのシステムとしてまとめ”ようといるが、辺縁系に属する構造物を解剖学の立場から正確に記載することは困難である。神経解剖学的裏付けのない恣意的なグルーピングだ。
②ブローカが辺縁葉と嗅脳との密接な関係性を強調しているが、マクリーンの機能的概念では嗅覚は排除されている。
③そもそも「辺縁系機能」についての統一した見解がいまだにない。個々勝手な<暗黙の推量> (Brodal, 1981)に過ぎない。

2.辺縁系を構成する構造物

にも関わらず、作者は「辺縁系」の各論に入っていく。ここではJenkins(1978) の提唱した分類が引用されている。
辺縁系は辺縁葉と、これと密接な線維連絡を有する皮質下の構造物(扁桃体・視床下部・視床上部の手綱核・中隔野・視床前核など)
つまり、辺縁葉は大脳の辺縁系であり、間脳はさらにその辺縁葉の辺縁系だという、発生学的にはまったく逆転した思考である。マクリーンにあっては人が神を作るのではなく、神が大脳に宿り、人を作るのである。
しかもマクリーン主義者は辺縁系概念を野放図に拡張していく。
比較解剖学や発生学また神経連絡の緊密性などを理由として、上記以外の構造物も
多く含まれる(下位の中脳や脳幹、逆に新皮質とくに前頭葉)
まさにブローダルの言う如く、個々勝手な<暗黙の推量>である。

3.古い脳と新しい脳

辺縁系に属する構造物は、発生学的に古い脳(脳皮質)である。
それらは古い順に4つにわけられる。
(1) 原始皮質 Archicortex: 海馬体(海馬・歯状回・海馬台)
(2) 旧(古)皮質 Paleocortex: 狭義の嗅脳、鈎、海馬傍回、扁桃体など
(3) 中間皮質 mesocortex : 帯状回(帯状皮質)
(4) 新皮質 neocortex: 皮質特有の6層構造を示すもの
ということで、辺縁系というのは発生学的に見てもめちゃくちゃな概念であることがよく分かる。
このあと、ノートは海馬の話に移っていくので、稿を改めることにする。

記憶の勉強を始めたが、あほらしくなってきた。
いろんな人がいろんなことを言って、いろんな分類を提起する。
これがごちゃごちゃになっているので、時系列で整理しようと思ったが、これらの学説には突き合わせと積み上げがない。みんな言いっぱなしだ。
だから年表にならないのだ。
記憶というのは教育に関わるので、教育心理学者の発言が余計に目立つ。
医学を勉強した人間にとっては、とくに教育心理学者というのはうっとうしい存在だ。教育学者という性格上、押し付けがましい、独善的傾向がある、批判を受け付けない、論議がないから実証されない…
こういう人々が集団乱舞する世界は敬遠するに如くはない。そういえばソシュール言語学の世界が似ていたなぁ。
今後は海馬の発生学的理解のところに集中しようと思う。

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