鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

13年4月、ぷらら・Broachより移行しました。 中身が雑多なので、カテゴリー(サイドバー)から入ることをおすめします。 過去記事の一覧表はhttp://www10.plala.or.jp/shosuzki/blogtable001.htm ホームページは http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」です。

2016年07月

結局、前項で紹介した文章は、「自然主義論争」という議論を踏まえないとわからないようだ。

まずは、例によって年表化してみる。題して「自然主義論争史 年表」ということになるか。

1880年 ゾラの『実験小説論』が発表される。生理学者ベルナールの『実験医学序説』をそのまま文学の理論に適用した。

1885年(明治18年) 坪内逍遥が小説神髄を発表。「芸術であるためには、小説は写実的でなければならない。人間とその心理を写実的に描くべき」と主張。

1886年 二葉亭四迷が『小説総論』を発表。翌年には「浮雲」を発表。

1889年(明治22年) 森鴎外、「小説論」にてゾラの自然主義を紹介。その意気込みは評価するも作品そのものは評価せず。その上で坪内逍遙をゾラのそれとは別物の、「ありのまま主義」だと批判。没却理想など意味ありげな概念語を無限定に駆使する逍遥をクソミソにする。

1895年(明治28年) 田岡嶺雲が「下流細民と文士」や「小説と社会の隠微」で硯友社文学を批判。「富む者は彌々富み、貧き者は彌々貧す」社会の中で貧しい人間の苦しみを代弁することによって醜悪な現実を是正することを文学の目的と規定した。

高山樗牛はこれに抗して国民文学論を唱える。「社会生活は多数劣者の幸福を犠牲にするに非ざれば、其進歩の過程を継続する能はざる」という露骨な開き直り。

1900年(明治33年) 鴎外、『審美新説』の中でゾラ以降の自然主義の動向を紹介。運動を二期に分け、前期は客観に偏して枯淡に傾き、後期は逆に主観に傾き、深秘・象徴の趣を呈したとする。(鴎外にしてみれば、抱月など一知半解、笑止千万であったろう)

1901年(明治34年) 田山花袋が「作者の主観」を発表。写実の奥に「大自然の主観」がなければならぬと主張。正宗白鳥との間に「主観・客観論争」が交わされる。

1902年(明治35年) 長谷川天渓、「論理的遊戯を排す」を発表。抱月とともに自然主義擁護の論陣を張る。

木下杢太郎、「太陽記者長谷川天渓氏に問ふ」で、「理想は動力である。故に理想は決して夢幻ではない」と主張。

永井荷風がゾラの『実験小説論』を紹介。森鴎外の客観的紹介とは異なり、人間の動物性の一面にふれて、「暗黒なる幾多の欲情、腕力、暴行等の事実を憚りなく活写せんと欲す」と述べる。

1902年(明治35年) 小杉天外、田山花袋、永井荷風らがゾラの手法をまねた作品を相次いで発表。強い自我意識が独自の芸風を作り上げる。

1904年(明治37年) 田山花袋、「露骨なる描写」を発表。「何事をも隠さない大胆な露骨な描写」を主張。

1906年(明治39年) 洋行から戻った島村抱月、『囚はれたる文芸』を発表。自然主義の理論的指導者となるゾラの文学を智に偏した「囚はれた文芸」と名づける。「フランスの自然主義は知に囚われた文芸」であり、我々の目指すは「正しく日本的文芸の発揮といふことならんか。時は国興り、国民的自覚生ずるの秋なり」という雑然ぶり。

田中王堂が抱月を批判。主体の問題抜きに客観は語れないと批判。「自然主義を弁護し且つ鼓吹するが、自然主義を囚はれたる文芸と見るのか、放たれたる文芸と見るのか」を問う。

1906年(明治39年) 天渓が「幻滅時代の芸術」を発表。現実への判断を排し、ただ傍観的態度で無理想・無解決に客観」すること。これにより「あらゆる幻想・虚飾がはぎとられ、現実が暴露されたとき、真実其の物に基礎を定めた無飾芸術が生まれる」とする。

1906年(明治39年) 島崎藤村の『破戒』が発表される。抱月は「破壊」を自然主義文学の範とし、この作によって日本の自然主義運動を前期と後期とに分かつ。

1907年 田山花袋の『布団』が発表される。『布団』は私小説の出発点ともされる。

1908年(明治41年) 自然主義は社会の秩序を破壊する危険思想として排撃される。抱月は自然主義に観照の立場を持ち込み、傍観的態度に徹するよう提唱。このあと運動としての自然主義は衰退。

私小説を中核とする「純文学」の世界が成立。自然主義派の作者の多くが移動する。


1908年(明治41年)

4月 啄木、北海道での流浪を終え東京に出る。金田一京助に頼り糊口をしのぐ。一方芸者遊びで借金を重ねる。

6月 22日 赤旗事件が発生。大杉栄ら無政府主義の青年グループが革命歌を歌いデモ行進。警官隊との乱闘の末,幹部16人が一網打尽となる。

7月 西園寺内閣、赤旗事件の責任を問われ総辞職。代わった桂内閣は社会主義取り締まりを強化。検挙者のうち10人に重禁錮の実刑が下る。

9月 第三次平民社の開設。獄中の幹部に代わり、高知から再上京した秋水が中心となる。

1909年

5月 幸徳秋水、管野スガらの創刊した『自由思想』が発売禁止処分となる。

1910年(明治43年)

3月 第三次平民社が解散。秋水は湯河原にこもる。

5月25日 「明科事件」で宮下、新村らが逮捕される。

5月31日 検事総長、明科事件が大逆罪に該当すると判断。社会主義者・無政府主義者の逮捕・検挙が始まる。

6月1日 秋水、管野らが湯河原で逮捕される。

6月 啄木、評論「所謂今度の事」を執筆(未発表) この頃から堅気になった啄木は、仕事柄事件を比較的知りうる立場にいた。

8月9日 魚住折蘆、朝日新聞に「自己主張の思想としての自然主義」を寄稿。

8月下旬 啄木、「時代閉塞の現状」を執筆。朝日新聞に掲載予定であったが、未発表に終わる。

8月 朝鮮併合。「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨を塗りつつ秋風を聴く」を書く(未収録)

9月 朝日新聞に「朝日歌壇」が作られ、その選者となる。

11月 米英仏で大逆事件裁判に抗議する運動が起こる。

12月10日 大審院第1回公判(非公開)

12月 啄木、歌集「一握の砂」を発表。

堺利彦、売文社を設立。「冬の時代」の中で社会主義者たちの生活を守り、運動を持続するために経営する代筆屋兼出版社。

1911年(明治44年)

1月18日 大逆事件の判決。死刑24名、有期刑2名。

1月24日 幸徳秋水ら11名が処刑。

1月 啄木、友人で大逆事件の弁護士だった平出修から詳細な経緯を聞く。

2月 秋水救援活動を続けた徳富蘆花、一高内で「謀叛論」を講演。

幸徳君等は時の政府に謀叛人と見做されて殺された。が、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。
 我等は生きねばならぬ。生きる為に謀叛しなければならぬ。

3月 木下杢太郎、森鴎外や永井荷風も作品で風刺する。

1912年(明治45年)

4月13日 石川啄木が病死。

「時代閉塞の現状」を理解するためには、この文章で批評の対象となっている「自己主張の思想としての自然主義」という文章を読まないとならないということがわかった。

このふたつを対にして理解して、なおかつ当時の時代背景を知ることが必要のようだ。

幸いなことに、こちらの文章も忍者ツールズというサイトで読むことができるので、まずはこちらから始めることとする。

魚住折蘆「自己主張の思想としての自然主義」(明治43年8月9日 朝日新聞)

見出しがないので私が勝手につける。

1.「自然主義」は自己主張ではないか

「自然主義」はある種の決定論的傾向を持つ。本来、自己主張とは対極にある。

しかし最近いわれる「自然主義」はむしろ一種の自己主張ともとれなくはない。

2.近代思潮は反抗精神を持っている

すべからく近代思潮は反抗精神を持っている。それは自己拡充の精神の消極的表現と捉えられる。

3.近代思潮における自然主義

自然主義はそもそもは科学的決定論であるが、それが近代思潮の中に位置づけられた時には、2つの方向で表現される。

ある時は自暴的な意気地のない泣き言や愚痴になる。ある時はそういうだらしない自己を居丈高に主張することもある。

(どうもこの辺の論理構築はよく分からない。証明すべきことを前提に議論を組み立てている傾向がある)

4.現実的精神と反抗の精神

超現実的な中世に対して立ち向かったのは「現実的な精神」であった。

現実的な精神は、ふつうは“立ち向かう”などというバカな真似はしないのだが、そのときに限って「反抗的精神」と共同した。

ルネッサンスの精神と宗教改革の勢力は、共同の敵たる教会という権威に挑戦した。相容れざる2つの運動が一時的に連合したのである。

(着想は面白いが、やや雑駁の感を免れ得ない)

5.近代社会における現実的精神と反抗精神

現実的な世界が実現して、予想を超えて進歩してきた。2つの精神も発展し、それにしたがって互いに相容れざる矛盾を生ずるようになっている。

にも関わらず、今日においても、両者は離れることを好まないのである。

6.奇妙な結合体としての自然主義

自然主義は現実的で科学的である。その故に「平凡」を旨とし、運命論的な思想である。

が、それは、意志の力をもつて自己を拡充せんとする自意識の盛んな思想と結合して居る。此の奇なる結合が自然主義と名付けられている。

7.現実的精神と反抗精神が連合する今日的理由

両者が今もなお連合するのは、教会に代わる新たな権威(レヴァイアサン)に対抗するためである。

自己拡充の念に燃えて居る青年に取つて最大なる重荷は、これらの権威である。

(どうもこの人の本意がさっぱり読めない。検閲を前提に自己韜晦しているのかもしれない。石川啄木がこれに対する反論を書いているということは、当時の知識人はこれを読んで論旨がストンと落ちたということであろう)

8.日本における「権威」のありよう

日本人にはも一つ「家族」と云ふ権威がある。それは国家の歴史の権威と結合しており、個人の独立と発展とを妨害して居る。

キリスト教は本来個人主義だが、抑圧に抗するために唯物論たる社会主義と結合したりするのもこのためだ。

9.芸術と個人主義

芸術は其内生活の忌憚なき発現であるから、国家の元気がどうの、東洋の運命がどうのと云つて今更始まらない。

自然主義の自然といふ事は有りふれた平凡なと云ふ意味で、っそれはヒロイズムの対極にある。

淫靡な歌や、絶望的な疲労を描いた小説を生み出した社会は結構な社会でないに違ひない。 

 けれども此の小説によって自己拡充の結果を発表し、或は反撥的にオーソリティに戦ひを挑んで居る青年の血気は自分の深く頼母しとする処である。


要するに何を言いたいかさっぱりわからぬ雑文である。最後のところだけ読むと、「自然主義、大いに結構。若いんだからせいぜいおやんなさい」ということのようだ。

「初期マルクスにおける労働価値論の拒否について」 大澤 健

という面白そうな文献があったので読んでみた。

初期マルクスの労働価値論の形成過程を考察する上で最も大きなトピックスは,当初マルクスがこの理論を拒否していた点にある。

のだそうだ。具体的には、「経済学・哲学手稿」と「ミル評注」で、ここでは労働価値論は拒否されている(あるいは受容されていない)

労働価値論の明確な受容が確認されるのは1847 年の著作である『哲学の貧困』段階である。

すみません。知りませんでした。

大沢さんはいくつかの例証を上げているが、ここでは省略。

ここまでは「周知の事実」らしいが、ここから大沢さんの議論が始まる。

労働価値論の受容を「未精通→精通」として解釈することにはいくつかの問題点が存在している。

というのが大沢さんの言い分。大沢さんは以下の三点を「問題点」として指摘する。

1) マルクスはすでにこの時点で「国民経済学」を評価している

マルクスは国民経済学が「富の主体的本質」としての労働を発見したことを「開明的」であると高く評価している。

にも関わらず、古典派の労働価値論を採用しなかった理由は「未精通→精通」解釈では明確にはならない。

2)受容に至る時期と他の思想変容との相互連関が説明できない

フォイエルバッハの賞賛から批判へ、疎外概念の辺縁化、唯物史観の確立という3つの思想的激変と関連付けることができない。

3)マルクスの労働価値論の独自性が説明できない

「未精通→精通」論では、マルクスが古典派理論をどのように「批判的摂取」したのかが明らかにならず、マルクス労働価値論の独自の意義が明確にならない。

初めて知ったのに偉そうなことは言えないが(といいつつ、言ってしまうのだが)、感じは分かる。

アダム・スミス的な言い方であれは文句無しに受容できるのだが、リカードが変にいじって労働価値を相対的なものにしてしまうことに違和感を感じたのだろう。

この辺については、前の記事で書いたとおりだ。たしかに私も違和感を感じる。

この違和感を、積極的な方向でふくらませていく中でドイツ・イデオロギーが生まれたと解釈することもできる。

そこから生まれた確信は「労働こそすべての価値の源である」という歴史貫通的な原理である。

この確信は、実はリカードには意外とないのだ。だからリカードは価値論をめぐって結構揺れる。例外が出てくるとそれを原理にもとづいて処理するのではなく原理を変えてしまう。

あまり語るとボロが出るので、原文に戻る。

労働価値論の拒否から受容への転回は,古典派への精通の結果として生じた単純な受容なのではなく,マルクス自身の社会把握の方法の発展によって生じていると考えるのが本稿の基本的な立場である。

というのが結論。

ついでもう一つの問題が提示される。疎外論の辺縁化と労働価値論受容の関係である。これが鏡の両面なのか、並行して行われた別作業なのか。両者に因果関係はあるのか、という話題である。

これについては別記事とするほうが良さそうだ。

1662年 ウィリアム・ペティ、『租税貢納論』を発表。「すべての物は、二つの自然的単位名称、すなわち土地および労働によって価値づけられなければならない」とする。労働価値説の走りとされる。

アダム・スミス、『国富論』を発表。

①「労働こそは、すべての物にたいして支払われた最初の代価、本来の購買代金であった」(本源的購買貨幣)とし、労働価値を逆説的に説明。

さらに

②商品の価値は「その商品でかれが購買または支配できる他人の労働の量に等しい」と置き換える。これは支配労働価値説と呼ばれる。

「その商品」というのは貨幣と考えると分かりやすい。

リカードは①の定義を洗練させた。「商品の価値はそれを生産するために投下した労働量で決まる」ということである。

これは投下労働価値説を呼ばれる。

ただスミスが「労働はすべてのものの価値の尺度になる」と言っているのとは微妙な違いがある。

一方でリカードは支配労働価値については否定した。同じお金でどのくらいの労働を買えるかは可変だというのである。

これは変な話で、投下労働価値の逆を言っただけなのだから、イコールにならないのなら、その理由を探すのが筋であろう。(流通過程の生産過程からの相対的独立性、とくに市場が高度に発達した下での独自性であろうと思う)

多分、原理的には労働価値説はこれでよいと思う。ただ価値や価格が変動していく場合は、この等式は成立しなくなる。市場を介して需要と相対するようになると、話はすんなりとは行かなくなる。

スミスは「資本の蓄積と土地の占有にさきだつ初期未開の社会状態」でのみ、この等式は成立すると言っている。

私はこの原則はそのままに生かすべきだろうと思う。リカードが変にいじってこの原則を相対的なものにしてしまったのではないか。

まず言いたいことを定性的に言う。その本質をしっかりと定立する。しかるのちにそれを定量的に解析する。これが論理の手順としては必要だ。1エレのリンネル云々はその後だと思う。

さまざまな変動は、この原理がさまざまな条件によって修飾されただけの話であり、それはそれとして分析すればいいだけの話であろう。

ついでに言えば「限界効用」もそうなので、まず人間の欲求の一般的特性を提示し、それが需要として市場に登場する過程を定性的に描き出すことが必要なのに、いきなり各論に入るからわけがわからなくなる。

労働における労働時間のような物差しがないから、どうしても議論は恣意的な「限界」に対する相対的なものにならざるをえない。

理工系の人がよくやる概念なしのモデル先行手法だ。(悔しいがそれでうまくいくことも多々ある)

ネットを検索していて面白い文章にあたった。

中国領海法制定過程についての再検証 

副題が-「尖閣諸島」明記をめぐる内部対立-

という論文で、著者は西倉一喜さんという人。当時、共同通信の北京特派員として現地で取材し報道した人である。

「龍法 '15」となっているので、おそらく2015年に龍谷大学の学術誌に発表したものであろう。

長い文章なので出だし部分だけ紹介する。小見出しは私のつけたもの。

はじめに

この論文は1992年2月に中国で成立した「中華人民共和国領海および接続水域法」の成立過程を再検証したものである。

事実関係の骨格

中国の外務省と軍部の間で尖閤諸島(釣魚島)の明記をめぐって対立があった。

国務院(日本の内閣に相当)の外務省の草案には尖閤諸島は明記されていなかった。これに対し軍部は島名の明記を要求した。

最終的に軍部の主張が通り、外務省作成の草案が修正された。

また領海法は、領海を侵犯する者に対し、実力行使に訴えても排除する権限を軍当局に与えた。

以上の経過を把握した筆者は記事として発表したが、これが現在も唯一の情報となっている。

取材の経緯

1992年はどういう年だったか

1992年2月25日、全人代常務委員会は領海法を全会一致で採択した。1992年はどういう年だったか。

①天安門事件を契機とする対中制裁包囲網の突破の試み、

②鄧小平の南巡講話による改革・開放路線の再加速への撒、

③冷戦崩壊にともなう共産主義イデオロギーの効果消失とナショナリズムの台頭、

④中ソ(ロ)和解による中国の軍事政策の内陸から海洋への重点移動、

(と、筆者は書いているが、一般的には、これらは未だ兆しに過ぎなかったと考えるべきであろう。時代には文革と天安門後の挫折感、沈滞感が色濃く漂っていた。この中で、上の4つの方向を目指して模索し呻吟していた年だったと私は考える)

黄順興・全人代常務委員の情報

西倉さんは領海法の背景を知るために全人代常務委員の黄順興と接触した。黄は台湾で統一派として活躍した後大陸に移り、台湾を代表する全人代常務委員に選ばれた人物である。

西倉さんは黄から内部文書を提供された。

これは「領海法(草案)に関する中央関係部門と地方の意見」と題されたもので、全人代常務委員会弁公室秘書局が作成したとされる。

作成の日付は92年2月18日となっており、機密扱いに指定されている。

西倉記事の見出し

この文書と黄の説明を元に、西倉さんは記事を作成し、2月27日付で発信した。見出しは下記の通り。

主見出し

尖閣諸島は中国固有の領土、中国政府が領海法に明記、

脇見出し

侵犯には武力行使も辞さず、日本との紛争発生の恐れも

サイド記事見出し

対日政策の運営困難、尖閣で軍と外務省が対立

解説記事見出し

保守、改革派の対立表面化

開放路線への反発か、中国領海法

というものであった。ほとんど見出しだけで言い尽くしている感もある。
これだけ見ても、いかに西島さんと共同通信本社がこの記事を重要視したかが分かる。

内部議論の動向

以下内部文書の細部の検討に入る。

草案2条(台湾の付属諸島)をめぐる議論

草案第2条は台湾の付属諸島を列記した箇所。草案では釣魚島が抜けていた。東沙群島、西沙群島、南沙群島は草案段階でしっかり入っている。

この草案に軍事委員会法制局が噛み付いた。これに総参謀部弁公庁、海軍司令部が同調した。各地方の一部代表も加わった。

法制局は「この問題で少しでも暖昧なところがあってはならない。立法化を通じて問題を明らかにすれば、今後の日本側との談判の中で、われわれは主導権を握ることができる」と主張した。

外務省は、「釣魚島は台湾の付属諸島とみなされる」としつつ、領海法には明記せず、「その他の方法」で釣魚島に対する主権を主張すべきだとした。

その理由として、「われわれは一面で領土主権を防衛するとともに、もう一面で外交上の摩擦をできるだけ減らさなければならない」と主張。

とりあえず日本との矛盾衝突を避け、有利な国際環境の確保に努めるよう提起した。

孤立した外務省

こういう論争で、外務省が勝てるわけがない。外務省はこう言うべきだったのだろう。「尖閣=釣魚島の帰属については日本とのあいだで係争中であり、互いに言い分がある。中国固有の領土と明文化するのは、両国関係から見ても好ましくない」

外務省は孤立し、軍部の要求に全面的に屈した。

以下略


この文章から分かること

1.政務院・外務省と軍は対立の構図にある

2.軍の志向は開放路線にタガを嵌めることにある

3.軍は排外主義のラインで動いている

4.本気でケンカすれば軍の方が強い

ということだ。

ただ、むしろ重要なのはこの「対立」が生まれたのが、91年から92年の初めにかけてだったということであろう。

中国は国のあり方をめぐって重大な分岐点にあった。それは天安門事件により先鋭化し指導部の中にすら亀裂が走った。

それが鄧小平のプラグマティックな路線でいわば糊塗されるのだが、深部の亀裂はそのままに残された。

軍は治安出動により「国を守った」という自負があるのだろうが、それで「中国革命は守られたのか、社会主義は守られたのか?」という深い問いがある。

天安門事件後の経過の中で、軍はますます強権への信仰と排外主義への傾斜を深め、それを社会主義と強弁することにより自らの存在価値を主張してきた。

つまり領土・領海の議論は、軍の“歪んだナショナリズム”の露頭なのである。軍にとってそれは天安門の評価に遡って、原理的に譲れない一線となっている。

党指導部は、軍の規律強化という形で整頓を図っているようだが、それは“歪んだナショナリズム”を一層強化する方向で働く可能性もある。

向こうが「原則」で来るなら、こちらも原則で対抗しなくてはならない。大事なことは、中国共産党が「万国の労働者・被抑圧民族は団結せよ」というプロレタリア国際主義の旗を一層高く掲げ、目指すべき社会主義の実を示すことではないだろうか。(もちろん天安門の評価そのものはいずれ避けて通れないだろうが)


G 貨幣による人間の支配

第21→25パラでは、「活動の相互補完関係」の国民経済的現れが考察される。

交換の発展に応じて、労働は「営利労働」に転化する。

営利労働は人間の社会性が喪失することを意味する。それは私的所有下における社会的力の増大に比例して進行する。

私的所有下においては、生産物の相互補完が交換取引として現象する。これに応じて、活動それ自体の相互補完は、労働の分割(分業)として現れる。すなわち人間の労働の統一性が分割として反対物として現象する。

それは正に「社会的本質存在」がその反対物としてしか定在していないからである。

生産物はますます等価物という意味を持ち、等価物は等価物としての自己の実存を 貨幣という形で獲得し、遂に貨幣が交換の仲介者となる。最後に、この交換の仲介者としての貨幣において、疎外された事物の人間に対する完全な支配が出現する

読 解: このあたり、マルクスは概念が固まっていないために言葉が踊りもがいている。言葉は難しいが、それ自体は別に難しい話ではない。要するに生産物の相 互補完が私的所有の出現にともなって交換取引という行為に形態を変える。交換取引は分業をもたらす。ところで分業というのは活動の相互補完(平ったく言え ば任務分担)ではなく、労働の取引(計り売り)であり労働の商品化である。

H 資本の研究に向けてのスケッチ

第27パラ第一評注の最後のパラフレーズである。ここでは範疇展開に関するスケッチが示されている。

労働の自己自身からの分裂=労働者の資本家からの分裂=労働と資本との分裂。これは同じ現象の3つの側面である。

資本の本源的形態は、土地所有と動産とに分割される。

私的所有の本源的規定は独占である。それ故、私的所有は独占の政治的憲法である。

独占(私的所有)は競争でもある。それは様々な個人の間での、亦同一の 個人の中での生産と消費の分裂、活動と享受との分裂である。それは労働の対象並びに享受としての「労働それ自体」からの、「労働」の分裂を意味している。

これらの分裂(賃金と利潤の分裂)は、自己疎外をして自己疎外の姿態で現象させると共に、相互的疎外の姿態で現象させる。

読解: 下から2番目の段落がやや難しい。「労働それ自体」からの、「労 働」の分裂というのは労働過程論を念頭に置けば分かりやすい。「生きた労働」というのは二重構造である。ひとつは目的意識である。あるものを別のあるもの に作りけることによって、そこから果実が得られる。そのための目的を持つのが「生きた労働」である。もう一つは労働の三要素と言って、労働には労働対象と 労働手段が必要でこれに「労働そのもの」を付け加えることで成り立っている。

だから目的を剥奪され、対象も手段も失った「労働そのもの」は丸裸ののっぺらぼうの労働なのである。

I 大石高久さんによる第一評注の総括

ミルの『経済学綱要』は、生産-分配-交換-消費の篇別構成になっている。生産論で考察されているのは事実上生産一般である。そして分配論で賃金、利潤、地代が論じられる。

従って、その分配論は生産論から内的、必然的に展開されたものではない。

これに対してマルクスは、生産の必然的帰結として分配を展開・説明しなければならないと考えた。

マルクスは「分配は私的所有の力である」と考えた。そのため、「疎外された労働」(労働の対象並びに享受としての労働それ自体からの、労働の分裂)によって「生産と消費の分裂」が生まれること、そこから「分配」問題が生じることを説明しようとした。

つまり、マルクスはミルの生産-分配の篇別構成に対して、資本の生産過程-資本制的分配(=交換)過程という編別構成を考えついたといえる。


F 私的所有が交換を生む

①生産物の相互補完行為 「交換」の本質

私的所有(という行為)は、それは人間の(疎外された)類的活動のひとつである。

現実の運動(交換)は私的所有者の私的所有者に対する関係から出発する。

現代社会は私的所有を、所有者の人格のあり方と看做し、この私的所有者間の関係を、「真に人間的な相互補完関係」と看做している。しかし「私的所有」そのものが、既に人間の外化された類的活動である。

交換は、私的所有の外化であると同時に、人間の外化でもある。交換によって、そのものは私の所有物ではなくなる。従って私の人格の定在ではなくなる。(この場合の外化は部分的な剥奪という意味だろう)

私的所有者がこの外化を自発的に行うのは、「必要、欲求から」である。そして人間が社会的存在であり、生産物を相互に補完する関係にあるからである。

読解: ヘーゲル特有の難解語が散りばめられている。類的活動というのは人類固有の活動ということで、「ものを私のものとする」のが人間の特有の行動であるということだ。

しかしこの「私的に所有する」ということは、結果としては他者を排除することになる。それは共同的存在である人間性の否定という面を持つ。

現実の交換は物々交換から始まるが、それは私的所有があるから成立する。「わたしのものではない」ものを他人に譲渡はできないからだ。つまり交換は人間が「疎外」されることにより発生する。

とマルクスは言いたかったのだが、それは本来の交換ではない。もともと交換は「必要、欲求から」行われていたわけで、それは人間が社会的動物である以上当然である。

後の段落でマルクスは、「私的所有下においては、生産物の相互補完が交換取引として現象する」と言い直している。

おそらくマルクスはあとからそのことに気づいて書き加えたのだが、結果として何を言いたいのかわからなくなっている。ボタンを掛け違えないよう注意が必要だ。

ただ、その上で、「現実の交換は私的所有があるから成立する」という“気づき”はきわめて示唆的である。おそらくそこには意識の転倒があるのだろう。そしてその意識の転倒こそが今の社会を成り立たせているのであろう。

これらのことから次のような哲学的な意味が引き出される。

1.ある事物を欲求するということは、その事物が私の本質に関係していることである。それを私が所有することは、それが私の本質に固有な属性である

2.交換は私的所有の相互的外化である。だから私的所有者間の関係は、外化の相互規定性に基づいている。

3.交換は外化された私的所有であり、他の私的所有一般と対置される。交換によって私的所有は「同等物」、「等価物」となる。こうして、「私的所有」は価値に、直接的には交換価値になっていく。

読解: 1と2は大したことは言っていない。3も、言ってみただけみたい なところがあるが、こういうことだ。交換することで、ものは第三の特性を獲得する。ものは第一に使用価値であり、第二に所有物であるが、もう一つの特性が 加えられる。それが価値(とりあえずは交換価値)である。

ただマルクスは私的所有に引き寄せて語りたいのでこういう表現になるが、話としてこういうことだろう。ものは直接には使用価値として質的規定を与えられるが、交換過程を通して、量的規定を付加されるということだ。だとすれば、それはミルにとってもイロハの問題だろう。


E 共同的存在と、その疎外された形態

第9パラで、マルクスはいったん経済学を離れて原点(人間の哲学)に立ち帰る。そして今の世を人間的本質が疎外された社会だとしたうえで、そこからの克服を「みずからの経済学」の基本任務と定める。

マルクスは言う。

人間の本質は共同的存在である。そのあり方は社会的である。

生産の過程での人間活動も、その生産物の相互交換も類的(共同的)活動である。その現実的なあり方は社会的活動であり、社会的享受である。

②人類の前史(今もなお前史)にあっては、人間が自己を人間として認識しておらず、従って世界を人間的に組織していない。

その間は、共同的存在は、疎外の形態で現れる。何故なら、人間が今もなお自己疎外された存在であるからである。

人間が自己を疎外し、疎外された人間が社会を形成することは、真の人間的生活のカリカチュアである。

読解: ①は正しい。②は突き放して言えば「信仰告白」にすぎない。唯物論的に言えば人間の世界に前史もへったくれもない。すべて本史である。便宜的に前史ということはあるが、それは我々が歴史として認識するだけの材料を持ち合わせていないからだ。

とりあえずは「共同的存在は、疎外の形態で現れる」という言葉について、「原始共同体」(正確に言えばその理念)との対比において受け入れた上で話を進めよう。


C マルクスの考える「貨幣の本質」 その1

マルクスは第2-25パラでミルの「貨幣の本質」規定を批判し、自らの貨幣論を展開するのだが、第2~5パラがその要約に当たる。そして第6パラ以降で詳論に移る。

ここではその「要約」の要約。

貨幣の本質: まず、人間が生産物を相互に補完し合う活動がある。やがてそれらの活動は疎外される。
②こうした状態の下では、人間は「自己を喪失した人間」として活動しているに過きない。そこでは人間は、人間の外に存在する貨幣の属性になっている。
③人間の奴隷状態は頂点に達し、貨幣が現世の神となる。

読解: まずマルクスはミルから離れて、市民社会論と疎外論から入る。これらは「ヘーゲル法哲学批判」で展開した到達点であろう。そして人間が市民社会の中で疎外されていくに際しての回転軸として「貨幣」を当てる。率直に言ってこれはドグマであるが、作業仮説でもある。

D 「貨幣の本質」 その2 私的所有の貨幣態への発展

第6-8パラでは私的所有の貨幣態への、更に信用制度への発展が展開される。

①人間は社会的な存在として交換に入る。私的所有の場合には、交換は価値(の交換)にまで進まざるを得ない。

②したがって価値とは私的所有同士の関係が抽象化されたものである。そしてその関係が現実的な実存となったものが貨幣である。

③貨幣は素材的内容に無関心である。それは使用価値の捨象である。その故に抽象的な価値である。

④貨幣は「市民社会の生産や運動に潜む貨幣魂」が「感性的」に現れたものである。

読解: 人間は交換する生き物である。それが社会的存在ということである。私的所有の場合(今の時代と読んでおく)、人間関係は「価値の交換」(お金の交換と読んでおく)に進む。

その際、お金は交換に向き合う人々の関係の象徴となる。象徴としてのお金はモノのあれこれの有用性とは関係なくなる。そして市民社会の魂となる。

これから先、マルクスはおそらくヘーゲル法哲学批判の論理を重ねあわせることで、国民経済学への批判を一気に展開していく。

マルクスの主張をまとめると:

近代の国民経済学による重金主義批判は不徹底である。所詮は「同じ穴のムジナ」に過ぎない。

金銀財宝を信仰する迷信からは逃れたが、商品の現実の価値はそれの交換価値であり、それは結局貨幣の価値だとする点では進歩していない。

むしろ、近代の国民経済学は完成化された重金主義にすぎない。なぜなら貨幣がより抽象的であるほど、それはより完成した貨幣だからである。

紙製の貨幣および代理物(手形、為替、債券等)は、貨幣としてのより完全な定在であり、貨幣制度の発展をうながす必然的な契機である。

読解: これも字面を読む限りではマルクスのいちゃもんにすぎない。「同じ穴のムジナ」とか「完成化された重金主義」というのは誹謗に近い。

紙幣や代理物を「貨幣制度の発展をうながす必然的な契機」と評価するなら、前言と矛盾することは明らかだ。なぜならそれは重金主義の否定の上に成り立つからだ。

ただ先にも述べたように、マルクスには「うまく言えない思い」がある。国民経済学は原論部分では「剰余価値」を認めている。人間の労働こそが価値を生み出すのだ。それが貨幣としての「金の延べ棒」の価値だ。

にも関わらず、いったん貨幣論に入ると、それはあっさりと「生産費」にくくられてしまう。この矛盾をマルクスは問いたいのだと思う。

もっと価値論(人間的労働)の立場で生産物を評価して、生産物の交換という社会関係の全体を把握して、その関係の「あくまでも表象にすぎない」貨幣を概念化すべきだ、と言いたいのではないか。



B ミルの貨幣法則把握は抽象的だ

ミルの規定: 貨幣量の増減が自由に行われていれば、貨幣量はその金属価値によって規定される。そして貨幣の金属価値は生産費によって規定される。

読解: 貨幣量の増減が自由に行なわれるということは、貨幣、すなわち金の生産が無尽蔵に可能だということだ。実際にはそんなことはありえないが、そう仮定するということだ。

貨幣の素材としての金はそれ自体価値を持っている。金相場で1トロイオンスあたりいくらという値段が付いている。

この価格はいかにして決まるか。もちろん需要と供給の関係で価格は上下するのだが、基本的には生産費によって決まる。競争があるのだからバカ高ければ売れないので、適正利潤の範囲に収まる。

ということで、金資源の相対的有限性の無視を除けば、きわめて当然のことを言っているのだが、マルクスはこれに噛みつく。

マルクスの批判: ミルは抽象的な法則を述べるだけだ。この法則の変動には触れない。生産費は究極において価値を規定するというのは、決して不変の法則ではない。生産費は一要素に過ぎない。
その法則が如何にして私的所有の本質から生じるかを確証しなければ、本質的な把握とはいえない。

読解: これは筋違いの議論でほとんど言いがかりだ。ただこれは自己への問いかけなのであろうと思う。マルクスは身悶えしている。

ミルが生産費というのは剰余価値を含んでいるわけで、金山に眠る金鉱石と商品として完成し市場にかけられたた金の延べ棒の間には明らかに価値の差がある。これはいわゆる生産コストを遥かに上回る。そこに付け加えられたのは、ざっくりまとめて言えば人間の労働である。

ただそれは資本家にとってはすべて合計した「生産費」なので、その限りにおいては別に間違っているわけではない。マルクスの言わんとするのはその次の段階、いわゆる「生産費」とは何かということであろう。

なお、大石さんは
この部分から、マルクスがリカードウ労働価値説を拒否したと考えるのは間違いである。ただ、競争や市場価格をも考慮に入れなければならないと言っているにすぎない。
と言っているが、どうであろうか。



 『ミル第一評註』のお勉強

原著では歯が立ちそうもないので、大石高久さんの紹介文で勉強する。正直、この文章もしっかり難しい。

前に紹介したジェームス・ミル(親父の方)の本「経済学綱要」をマルクスが読んだ時のノートの一部である。

以前勉強した知識によると、ジェームス・ミルは、1823年に書いたこの本で、リカードの経済学の解説を試みている。ただジェームス・ミルはたんなるリカード解説にとどまらず、ジェームス・ミル=リカード学派としての教科書を書きたかったらしく、結構自分の考えを織り込んでいるのだそうだ。

この本は最初の経済学教科書として各国で売れたらしい。多少はジェームス・ミルの懐を潤したかもしれない。

そのフランス語訳を入手したマルクスが、1942年ころから読み始めたらしい。

基本的には学習ノートだから、原著からの抜き書きが多いのだが、感想を集中的に書き留めた箇所があり、「第一評注」及び「第二評注」と呼ばれている。

この内の「第一評注」のところだけかじってみる。

A 「第一評註」の主内容

ジェームズ・ミルの経済学綱要は、生産-分配-交換-消費という章別構成になっている。

このうち、「第三章 交換について」で、 ミルは貨幣と金属価値の相殺関係 を論じている。この箇所に付せられたものが「第一評註」である。

「第一評註」は次の三つの部分から成っている。

第1パラグラフ: ミルにおける法則把握の抽象性を批判している。

第2-25パラ: ミルによる「貨幣の本質」規定を批判している。

第27パラ: 範疇展開に関するスケッチを試みている。(なお第26パラは全文、MEGA編集者による補充)

さて行くぞ!


リャプノフを聴きこんでみた。
とても良い。
以前にもリャプノフについて書いたことがある。あの時はやや突き放した書き方になってしまったが、聴きこんでみるとなみなみならぬ力量に改めて驚く。
作品1の3つの小品(練習曲、間奏曲、ワルツ)がすべて良い。メロディーにあふれていて、音が透き通っている。鮮やかなデビューである。作品3の「昨夜の夢想」もメンデルスゾーンの無言歌のようで、エレガントこの上ない。
作品6の7つの前奏曲のアンダンティーノ・モッソとレントは限りなく美しい。作品8の夜想曲は間違いなくショパンに比肩される。
作品9に始まる8曲のマズルカは、ショパンのレベルを超えて大規模で内容豊かなものとなっている。
そしてリャプノフの代表作である作品11の12曲の超絶技巧練習曲である。全12曲のどれもが聴き応えのあるものであるが、私としては3,5,6,7,9,10をとる。トランンセンダントであるか否かは分からないが、リストの超絶技巧練習曲とはまったく異なり技巧のひけらかしはなく、あくまでトランスペアレント(透明)である。
作品23の即興的ワルツになると多少モッタリ感が出てくるが、相変わらず美しい。作品25のタランテラも最後まで疾走感が途切れない。作品27のピアノソナタは超絶技巧練習曲とならぶリャプノフの代表作である。
ところが作品29の即興的ワルツでは何か曲想が走らず疲れが見える。作品31のマズルカ第7番もどことなく緩みが見える。これが08年の作品だ。
作品36の最後のマズルカ(第8番)では歩みは少々途切れがちになるが、まだ十分に美しい。
これが1910年の作品40の前奏曲集になると、曲の展開力は失われ、つぶやき風の内省的な音楽に変わっていく。主旋律は借り物風のテーマになり、ドビュッシーもどきの短い細切れ風のものとなる。あの光彩陸離たるリャプノフの姿は消え、貸衣装姿のリャプノフが浮かび上がる。
作品41の降誕祭も作品45のスケルツォも少しも面白くない。作品46の舟歌はリャプノフの代表作の一つとされるが、華やかさにはかける。作品49の「ロシアの主題による変奏曲とフーガ」、作品57-2のプランタンの歌はさすがにリャプノフと思わせるが、それにしても一体どうしたんだ。同じ変奏曲でも1915年の作品60のグルジアの主題による変奏曲は無惨ですらある。
この後のリャプノフには良く言えば渋みみたいなものが出てくる。多分もっと聴きこめばそれなりの味わいは出てくるのだろうが、とりあえずは作品36まででよい。我々の聞きたいのはショパン風リャプノフであって、ブラームス風味ではない。
それにしても、ロシアの作曲家が揃いもそろってみんな途中からちょん切れてしまうのはなぜか。これまではそれぞれの作曲家の特性と思ってきたが、これだけ揃うと、それだけではなく時代背景があったのかとも考えてしまう。
はっきりと断言はできないが、1910年を挟む数年間にそれらは集中しているようにも思える。第一次世界大戦が14年からで、ロシア革命が1917年だから、それよりちょっと前だ。
ちょっと思いつくのはフランスにおける印象派音楽の隆盛、ウィーンにおける無調派音楽の登場の影響である。
こういう風潮が風靡すると、曲の善し悪しよりも新しいかどうかが評価の基準になりがちだ。頑迷牢固とか因循姑息とか旧態依然とか言われると、結構みんな参ってしまうのかもしれない。
音楽かというのは芸術家だから世事に疎いかと思いがちだが、人気稼業でもあるから世間の評判は気になるものである。とくにクラシック音楽の場合は「評論家」という存在がランク付けして、それが人気にも収入にも直結する「いやな世界」だから、これで葬り去られてしまうことがしばしば起きた可能性もある。
だって、リャプノフという稀代の作曲家が、いまはすっかり埋もれてしまっているんだから…
ということは、20世紀初頭に活躍していまはすっかり無名になっている作曲家の中には、発掘するに足るタレントがまだまだいるということだ。少なくともその可能性はある。

ベネズエラの政治危機

これまでのかんたんな経過

2002年のクーデターとその失敗、2003年の資本家スト、2005年のリコール投票と相次ぐ資本家の攻撃に耐え、民主主義を達成したチャベス政権は、その後の原油高を背景に中南米変革の旗頭となった。

南米諸国連合(ウナスール)は、各国での度重なるクーデター策動を封じ込め、アメリカを孤立させてきた。

しかしベネズエラ国内では反チャベス派の勢いがおさまらず、政権内の腐敗も発生したことから政権基盤は徐々に脆弱化し、ついに議会では野党が優位を占めるに至った。

チャベスが前立腺癌で死んだ後、副大統領のマドゥーロが後継者となりチャベス路線を継承してきたが、原油安不況の状況は政治環境を激変させた。

これを機にネオリベ派は一気に政府転覆を狙い、一方では生産サボや物資隠匿などの経済闘争、他方では大統領リコール投票の実施要求により政権を追い詰めようとしている。

国外ではアメリカがベネズエラを米州機構から追いだそうと画策し、事務総長はその先頭に立って反政府派と手を結んでいる。

危機の経済的背景

ベネズエラの経済が楽なわけはない。原油はベネズエラの輸出額の96%だ。原油価格が半分になれば、歳入は半分になる。格付けが下がれば為替価格は低下し購買力はさらに落ち込む。

基礎生活物資のほとんどを輸入に頼るこの国では、それはそのまま物価の上昇に繋がる。生産原料の輸入が止まれば生産は減退する。

これに異常な降雨不足が拍車をかけた。水力発電が止まり、厳しい停電を余儀なくされた。

世論調査でマドゥロ政権への支持率は20%、不支持率は67%となっている。不況の中での国民の怒りをマドゥロが一身に背負っている感がある。

マドゥロ政権は必死に活路を見出そうとしているが、通貨ボリーバルが三通りもある為替相場のもとで、ベネズエラ経済は国際的信頼を失っており、長期の維持は不可能となっている。

ただ、ひとつコメントしておきたいのは、悪名高きガソリン補助金の廃止に着手したのは、マドゥロ政権が最初だということである。

厳しい実力闘争

米国の支持を受けた反政府勢力は、ふたたび大統領リコール運動をはじめた。そして大企業による生産サボタージュを強化した。生活必需物資の9割は民間企業が支配しており、物流阻止、物資隠匿などが横行している。

政府は軍を出動し、主要5港を管理下に置いた。倉庫からは大量の食料品や薬品が発見され、供給に回された。

政府はさらに生産を停止させている工場を接収し、産業活動を止めている企業経営者の逮捕を命令した。しかし状況の好転は見られない。

アメリカではベネスエラ中央銀行の支払い用口座(シティバンク)が閉鎖された。「ベネスエラ経済の危機によるリスク増大」としている。

反政府デモは暴力性を強めつつある。指導者カブリーレスは軍に対し「憲法と政府のどちらの味方をするのか」と問いかけた。これはクーデターの呼びかけとも取れる。

米州機構は人権を口実にした攻撃を強め、12月までにリコール投票を実施なければ「米州民主憲章」に基づいて加盟資格を停止すると脅している。

アルマグロ事務総長は「(リコール投票は)12月以前に実施されるべきだ。実施されないと、ベネスエラ人民が意志表示する可能性が出てくる」と発言している。

かつてチャベスの下でラテンアメリカの変革を主導したベネズエラは、今や満身創痍の状態となっている。だが、依然として耐えている。

  

アルゼンチン マクリ政権のやったこと

これまでのかんたんな経過

2002年、アルゼンチンは奈落の底に沈んだ。国家として破産してしまったのだ。人々は食べるものさえなくなり、ネズミまで食べたという。

この時登場したのがキルチネルだ。彼は国際債務の支払を拒否し、最終的には7割の債務軽減に成功した。

それ以来、アルゼンチンは国債を発行せず、自らの努力とメルコスール諸国(とくにブラジル)との関係強化の中で経済を再建してきた。

おりからの資源・農産物価格の上昇の中でアルゼンチンは息を吹き返し、好調な経済を維持してきた。

キルチネルが2期大統領を務めた後、妻のフェルナンデスが引き続き大統領を務めた。キルチネル時代は13年にわたり続いた。

アルゼンチンはこの時の経過から強烈な反米意識を持ち続けてきたが、そのことはアメリカの金融支配層には不愉快なことだった。

ハイエナファンドが紙くずとなった債券をかき集め、額面通りの返済を迫った。これを米連邦裁が支持し、軍の練習船を接収しようとしたり、代理店銀行の口座を閉鎖させるなどの攻撃を行ってきた。

アルゼンチンはこれを中国との関係強化で乗り切ってきたが、経済が回復すればするほど外貨不足が重くのしかかってきた。

リーマン・ショック後の農産物不況と中国経済の減速により、この矛盾が一気に表面化した。

15年12月、不況下で正義党政権は支持を失い、保守派のマクリが勝利した。

マクリのやったこと

マクリというのは一言で言えばアルゼンチンのベルルスコーニ。ボカ・ジュニアーズのオーナーという大金持ちだ。

マクリの行ったことは不正義としか言いようが無い。

マクリは就任早々、為替相場を自由化した。結果は約4割のペソ切り下げとなった。これに伴い電気代を5倍、ガスを3倍化した。

マクリもひどいが閣僚もひどい。エネルギー相(シェルの元重役)は「もしこのレベルの価格で消費者が高いと思うのならば、消費するのをやめたらどうか」と言い放った。文化相は軍事独裁時代に3万人の人が行方不明になったという事実を否定した。

新政府は真っ先にハイエナファンドへの債務返還を約束した。そのために02年入りの国際を発行するという。これに応じて米国企業は計23億ドルの投資を決めた。あの悪夢への道を再開することになる。

最初の数ヶ月で、解雇が16万人にのぼった。政府も公務員3万人の解雇でこの動きを助長した。労働者たちは、警官たちと公証人によって、職場に入ることを阻止された。書類を読み上げることによって、かれらは解雇されたことを知らされた。

毎日のようにレストランが閉店に追い込まれ、大学、劇場、そのほかの場所は麻痺状態となり、無数の零細企業が廃業となっている。

マクリへの反感が広がっている

世論調査では65%の人がこの半年で貧しくなったと感じており、新政権への支持は減少している。

前政権派が多数を占める議会は、これを抑えるために解雇条件を厳しくする緊急法を採択した。しかしこれは大統領の拒否権発動で不発に終わった。

半年を経た現在、新政権の評判は芳しくない。マクリ大統領一族の名がパナマ文書に登場したのである。当時彼はフェルナンデス・キルチネル前大統領の汚職を見つけ出そうと懸命のキャンペーンを張っていたが、釣り上げたのは自分の体だったというお粗末だ。

たしかに中南米の革新政府とそれを支えた勢力は苦境に陥っている。人々はそこからの脱出を求めて、目新しさを訴えるネオリベ派に投票した。

しかしその先に待ち構えているものがなんなのか。アルゼンチンの姿はそれを鮮やかに示している。

ラテンアメリカ人民の闘い ハイライト編

前の記事 2016年07月21日

は、とりあえず記事をざっとめくったが、少しトピックスを絞って深読み。

ブラジル

これまでのザットしたあらすじ

ブラジルが60年代から70年代にかけて軍部独裁下にあったことは、ご承知と思う。

軍事独裁からの民主化を勝ち取る中で労働組合が先進的な役割を果たした。労働者は民主化の後に労働党という政党を結成した。

それが資本家の政党との長い間の角逐を続けた後に、2003年に大統領選挙に勝利した。これがルーラ政権であった。

これは民主勢力にとって大きな前進ではあったが、完全な勝利とは程遠いものだった。アメリカは資本回収の脅しをかけてルーラにIMF路線の踏襲を押し付けた。

当初ルーラ政権にとってできることは限られていた。アメリカの縛りだけではなく、議会においても少数与党としてさまざまな妨害を受けた。

ただその後の世界的な好況の中で、財政にも一定の余裕が生まれ、それを貧困層に振り向けることによって国内需要が生まれ、景気の好循環を実現した。

経済面では南米諸国間との交易を重視し、メルコスールという経済共同体を形成した。その中でブラジルは分別ある兄貴分として振る舞い、南米共同体構想の実現に向けて大きな役割を果たした。

国際的にも「ブラジルの奇跡」は大きな反響を呼び、その中でワールドカップやオリンピックの招聘に成功するなど華々しいパフォーマンスを実現した。

しかし国内においてはその後も少数与党の壁を破ることはできず、資本家政党との連合を余儀なくされてきた。

それらの溜まっていたツケがリーマン・ショックと中国経済の沈滞により、一気に吹き出した。

昨年のGDPはマイナス3.5%に達した。生産、労働、福祉の各方面で矛盾が噴出した。メディアはそれをルセウの失政として攻撃し、大規模な資本家ストを展開した。

しかし民主勢力が「軍事独裁に戻すな、民主主義を守れ」と立ち上がった。ルセウは辛くも大統領選に勝利し二期目の大統領に就任した。

ここまでが今年初めまでの状況である。


ペトロブラスをめぐるスキャンダル

従来ブラジルは石油の取れない輸入国であった。しかし相次いで海底油田が発掘され、現在はほぼ自給状態となっている。

石油事業を一手に引き受けるペトロブラスは国営会社であるが、現在は政府の意向と独立した独自の戦略のもとに運営されている。

急成長を遂げた会社だけに原油安の影響は甚大で、経済の低迷と相まって巨額の赤字を出すに至っている。

贈収賄の生まれるための条件が全て揃っていると言っても良いだろう。

このスキャンダルは単発ではない。与党の絡んだものもあるし、各州政府のたかりもある。

これはこれで解決しなければならない問題だが、それがルセウのところに向かうのは筋違いである。


ルセウの職務停止まで

野党と資本家たちはこれをルセウ弾劾と政府転覆に結びつけようと一気に力を発揮した。

それが3月のサンパウロでの数百万のデモである。有産者を中心に組織されたデモは、タイの軍事クーデター前のデモやベネズエラの野党デモと共通する。

これで政界に脅しをかけた。これで労働党と連立を組むブラジル民主労働党(PMDB)がビビってしまった。そして党がまるごと反大統領に寝返って弾劾裁判の開始に賛成してしまったのである。

5月にはルセウ大統領の職務が停止された。国会における採決はわずか1票差であった。そして副大統領のテメルが職務を代行することとなった。テメルはPMDBの議員であり、裏切りの中心にいた人物である。


ルセウは戦い続ける

ルセウ弾劾の容疑は「予算支出について粉飾があった」と言うものである。ルセウも労働党もこれを認めていない。

上院の調査委員会は「粉飾決算」にルセフが関与した証拠はない、との結論に達した。

本来、大統領弾劾審議は、大統領が直接関与した例外的に重大な過失がある場合に限って認められており、粉飾決算などを弾劾審議開始の理由にするのは違憲である。

「彼女は現在までのところ、一般犯罪との関連で、一つの責任も問われてはいない」(エクアドルのコレア大統領)のである。

ルセウは職務停止を「議会におるクーデター」と呼んでいる。連立与党であったPMDBが財界側に寝返り、ルセウを追い落としたとされる。最近わかったのは、ペトロブラス汚職に絡んだPMDB幹部が自らの訴追を避けるために芝居を打ったということだ。

議会採決の直前、PMDB党首がペトロブラス重役と会い、「捜査を止める唯一の方法は、大統領をルセフからテメルに替えることだ。国軍高官らもルセウ打倒を了解している」と発言。このテープが新聞にすっぱ抜かれている。

首謀者のクーニャ下院議長は、その後汚職によりその座を追われた。共謀者とされるテメル副大統領にも収賄疑惑が浮上している。

ルセウの与党は少数与党であるから、国会が支持しなければ政局運営がにっちもさっちも行かなくなる。

しかしルセウは国会議員に選ばれたのではない。全国民の投票で選出され国民の信託を受けたのであるから、三権分立の建前からすれば職務停止は越権行為である。

「新政権」は選挙の洗礼を受けないまま、社会保障の削減と労働者の権利剥奪に動き始めている。労働組合は全国行動などにより反撃を強めている。ブラジル共産党のフェガリは、「このゲームを変える民衆の能力をみくびっている」と語る。

 

ラテンアメリカ人民の闘い

ラテンアメリカの政治経済

現代ラテンアメリカ情勢 (伊高浩昭さん)

というサイトがあって、新しい情報を提供してくれている。
すこし、今回は日本語でお勉強。

はじめに

エクアドルのコレア大統領は経済不況の原因について、①原油の持続的な価格低迷、②中国経済の減速にともなうマーケットの縮小、③国際制裁に伴うロシア市場の縮小、④一次産品の国際価格低下による輸出額の減少、⑤国際的な投資額の減少に伴う外資導入の縮小を、ラテンアメリカ経済共通の困難として挙げている。

これに各国の特殊性に応じた特殊な困難が加わることになるので、実際上は7重苦、八重苦となる。

この中で、アルゼンチン、ブラジルの両大国が相次いで親米派の手に移り、UNASURは事実上解体状況となっている。これに勢いを得た親米勢力はベネズエラつぶしにすべての力を集中しつつある。

しかしことはさほど簡単なものではない。ブラジルのルセウ大統領を陥れた親米派の策略が暴露されつつある。ルセウの復権もありうる。一方で政権をとった親米政権が何をやるのかということもアルゼンチンで示されつつある。

ラテンアメリカは、まるで一つの国であるかのように情報が素早く広がる。親米派の情報管理の壁が崩れたとき、人民の大きな反撃はありうる。そのことを確信したい。

ボリビア

かつてボリビアは中南米最貧国の一つだった。豊かな地下資源があるが、それは一握りの富裕層に独占され、欧米の多国籍企業の支配のもとにあった。

ボリビアの国民は「宝の山の上の乞食」と呼ばれていた。

それが2006年にエボ・モラレスが政権について風向きが変わってきた。

彼は反米親キューバを唱え、民族衣装で国際会議に臨むなど派手な政治パフォーマンスで話題を呼んだが、それだけではなく10年にわたる内政でも着実に成果を上げている。

それが6月に発表された経済白書である。その内容を少し紹介する。

極貧率の減少: 10年前、この国の極貧率は38%であった。現在では半分以下の17%に減少している。ボリビアにおける極貧率の減少はラテンアメリカのなかでもっとも大きい。

極貧率減少をもたらしたもの: エボ・モラレス政権は天然ガス資源を国有化した。これにより国庫が潤うようになった。

政府は財源を救貧対策に集中した。具体的には

①子供(通学児童)、老人、女性(妊娠・出産後)への社会交付金を増額した。

額は子供で年29ドル、老人で平均300ドル、女性で260ドルだから大したものではない。

②最低賃金の段階的引き上げ。10年間にわたり平均5~10%の引き上げ。累積で2倍化したことになる(単純計算の場合)。

以上のような社会的前進にもかかわらず、モラレス政権は政治的には重大な後退を余儀なくされている。2月の国民投票で再選を可能にする憲法改正を図ったが、48%の賛成しか得られず、野党勢力に敗れたのだ。

モラレスは、この間のラテンアメリカの政治的後退を、経済的理由ではなくエディアとの闘いの不十分さに求めている。

これには理由がある。投票直前にモラレスの愛人問題、とりわけ二人の間に子供が一人いたという情報が流されたのだ。現在ではこれがデマだったことが確認されている。

 

コロンビア

6月23日、ハバナで政府とFARCの和平協定が調印された。その後タイムテールの詰めが進み、9月25日に国民投票が施行される運びとなった。今度こそ恒久的な平和の始まりとなることを祈るばかりである。

そもそもこんなに長引いたのは、元FARC活動家の身の安全を政府が保証できなかったからだ。80年代なかばFARCは和平に合意し、武器を捨て山から出てきた。そして政党を結成し選挙に臨んだのだが、その間に数千の活動家がテロの犠牲となった。

彼らはふたたび山に閉じこもった。それは深いトラウマになっている。だから和平が成功するかどうかの勝負はこれからというところがある。

根本にはコロンビアが農業国であり、オリガルキー(寡占層)が支配する構造が改められていはいないことにある。そしてオリガルキーの手先としてのコロンビア軍の残虐性が反省されていないことにある。

ガルシア・マルケスの小説にもあるように、この国は100年以上も血を血で洗うような戦争が続いてきた。第二次産業が安定的に発展するような経済・社会の変革が不可欠であろう。

 

アルゼンチン

15年12月、不況下でアルゼンチン前政権は支持を失い、保守派のマクリが勝利した。

マクリの行ったことはひどいとしか言いようが無い。

マクリは就任早々、電気代を5倍、ガスを3倍化した。おりからのドル高の中で食料品も値上げされた。

これについてエネルギー相(シェルの元重役)は「もしこのレベルの価格で消費者が高いと思うのならば、消費するのをやめたらどうか」と言い放った。

最初の数ヶ月で、解雇が16万人にのぼった。政府も公務員3万人の解雇でこの動きを助長した。労働者たちは、警官たちと公証人によって、職場に入ることを阻止された。書類を読み上げることによって、かれらは解雇されたことを知らされた。

毎日のようにレストランが閉店に追い込まれ、大学、劇場、そのほかの場所は麻痺状態となり、無数の零細企業が廃業となった。

半年を経た現在、新政権の評判は芳しくない。マクリ大統領一族の名がパナマ文書に登場したのである。当時彼はフェルナンデス・キルチネル前大統領の汚職を見つけ出そうと懸命のキャンペーンを張っていたが、釣り上げたのは自分の体だったというお粗末だ。

ただしキルチネルの不正蓄財額は半端ではない。900万ドルの隠匿金のほか、未申告の600万ドルも摘発されている。

世論調査では65%の人がこの半年で貧しくなったと感じており、新政権への支持は減少している。

前政権派が多数を占める議会は、これを抑えるために解雇条件を厳しくする緊急法を採択した。しかしこれは大統領の拒否権発動で不発に終わった。

さらに文化相は軍事独裁時代に3万人の人が行方不明になったという事実を否定した。

 

ブラジル

5月、予算支出について「粉飾」があったとして、ルセウ大統領の職務が停止された。国会における採決はわずか1票差であった。副大統領のテメルが職務を代行するが、ルセウも労働党もこれを認めていない。

上院の調査委員会は「粉飾決算」にルセフが関与した証拠はない、との結論に達した。

本来、大統領弾劾審議は、大統領が直接関与した例外的に重大な過失がある場合に限って認められており、粉飾決算などを弾劾審議開始の理由にするのは違憲である。

「彼女は現在までのところ、一般犯罪との関連で、一つの責任も問われてはいない」(エクアドルのコレア大統領)のである。

ルセウは職務停止を「議会におるクーデター」と呼んでいる。連立与党であったPMDBが財界側に寝返り、ルセウを追い落としたとされる。最近わかったのは、ペトロブラス汚職に絡んだPMDB幹部が自らの訴追を避けるために芝居を打ったということだ。

議会採決の直前、PMDB党首がペトロブラス重役と会い、「捜査を止める唯一の方法は、大統領をルセフからテメルに替えることだ。国軍高官らもルセウ打倒を了解している」と発言。このテープが新聞にすっぱ抜かれている。

首謀者のクーニャ下院議長は、その後汚職によりその座を追われた。共謀者とされるテメル副大統領にも収賄疑惑が浮上している。

少数与党のために国会が支持しなければ政局運営がにっちもさっちも行かなくなるのは当然だが、ルセウは国会議員に選ばれたのではない。全国民の投票で選出され国民の信託を受けたのであるから、三権分立の建前からすれば職務停止は越権行為である。

「新政権」は選挙の洗礼を受けないまま、社会保障の削減と労働者の権利剥奪に動き始めている。労働組合は全国行動などにより反撃を強めている。ブラジル共産党のフェガリは、「このゲームを変える民衆の能力をみくびっている」と語る。

 

ペルー

6月の大統領選挙でクチンスキーがケイコ・フジモリを僅差で破り勝利した。左翼「拡大戦線」(FP)が選挙最終盤でクチンスキー支持に回ったためだ。

前回の選挙もそうだったが、ケイコ・フジモリの主張はつまるところフジモリ政治をもういちど評価せよというものだ。現に国会の過半数(73/130)はフジモリ派が握っている。国民はフジモリを評価しているじゃないかということだ。

フジモリが弾圧を指示し、その結果多くの人が虐殺されたというのが罪状になっている。しからば、そこは問わないで「その代わりに娘が出てきたら、どうなんだ」と問うている。フジモリ政策の本体の評価だ。

リベラル系の論調にはそれが見いだせない。「独裁時代に戻る」というだけだ。

我々はかつて、それに対する答えとしてジャンタ・ウマラに期待した。しかし彼の行った政策はネオリベそのものだった。そしてクチンスキーは金融資本のテクノクラートであるから、さらに右に向かうであろう。

キューバ

米国との国交は回復したものの、50年間に蓄積されたキューバいじめのさまざまな法体系は、自由化の歩みを遅らせている。オバマは再三キューバ封鎖の解除を議会に要請しているが議会にはこれに応える動きはない。

それどころか、米連邦下院の共和党は経済封鎖強化策を予算に押し込んだ。そこには交流の制限、輸入の制限、送金・融資の制限が盛り込まれている。

経済成長はベネズエラ政情不安を受けて鈍化しており、観光産業の隆盛にもかかわらずGDPの伸びは1~2%に留まると予想されている。

キューバでは引き続き企業活動の自由化が進められている。理髪店からレストランに至るまで開業が相次いでいる。外交関係を再開して以来、ワシントンは私企業の発展を優先させており、今後も注意深い観察が必要である。

最後に6月のカリブ首脳会議でのラウル・カストロの開会演説を引用しておく。

ラテンアメリカにおける帝国主義と寡頭勢力による反転攻勢に無関心であってはならない。

米州諸国機構(OAS)は過去も未来も帝国主義の道具だ。キューバはOASに復帰する意志は毛頭ない。

 

ベネズエラ

ベネズエラの経済が楽なわけはない。原油はベネズエラの輸出額の96%だ。原油価格が半分になれば、歳入は半分になる。格付けが下がれば為替価格は低下し購買力はさらに落ち込む。

基礎生活物資のほとんどを輸入に頼るこの国では、それはそのまま物価の上昇に繋がる。生産原料の輸入が止まれば生産は減退する。

これに異常な降雨不足が拍車をかけた。水力発電が止まり、厳しい停電を余儀なくされた。

世論調査でマドゥロ政権への支持率は20%、不支持率は67%となっている。不況の中での国民の怒りをマドゥロが一身に背負っている感がある。

マドゥロ政権は必死に活路を見出そうとしているが、通貨ボリーバルが三通りもある為替相場のもとで、ベネズエラ経済は国際的信頼を失っており、長期の維持は不可能となっている。

ただ、ひとつコメントしておきたいのは、悪名高きガソリン補助金の廃止に着手したのは、マドゥロ政権が最初だということである。

米国の支持を受けた反政府勢力は、ふたたび大統領リコール運動をはじめた。そして大企業による生産サボタージュを強化した。生活必需物資の9割は民間企業が支配しており、物流阻止、物資隠匿などが横行している。

政府は軍を出動し、主要5港を管理下に置いた。倉庫からは大量の食料品や薬品が発見され、供給に回された。

政府はさらに生産を停止させている工場を接収し、産業活動を止めている企業経営者の逮捕を命令した。しかし状況の好転は見られない。

アメリカではベネスエラ中央銀行の支払い用口座(シティバンク)が閉鎖された。「ベネスエラ経済の危機によるリスク増大」としている。

反政府デモは暴力性を強めつつある。指導者カブリーレスは軍に対し「憲法と政府のどちらの味方をするのか」と問いかけた。これはクーデターの呼びかけとも取れる。

米州機構は人権を口実にした攻撃を強め、12月までにリコール投票を実施なければ「米州民主憲章」に基づいて加盟資格を停止すると脅している。

アルマグロ事務総長は「(リコール投票は)12月以前に実施されるべきだ。実施されないと、ベネスエラ人民が意志表示する可能性が出てくる」と発言している。

かつてチャベスの下でラテンアメリカの変革を主導したベネズエラは、今や満身創痍の状態となっている。だが、依然として耐えている。

 

ニカラグア

資源輸出国ではないことから、国際不況の影響もあまりなく着実な成長を遂げている。

3期目(85年にも一度当選)を目指すオルテガ大統領の人気は依然として高く、世論調査では44%が三選を支持。有力な対抗馬もいない。

別の世論調査では、与党サンディニスタへの支持率は89%にのぼっている。

ただ、ニカラグア大運河構想は香港側の事情でかなり遅れる見込みとなっている。そんなものなどないほうが幸せな気もするが…

 

エルサルバドル

映画「サルバドル」でもおなじみの大量虐殺の国エルサルバドルでも、ようやく虐殺者への追及が始まろうとしている。

和平後の93年にいったん恩赦法が制定されたが、サンチェス大統領がこれに異議を唱えた。これにもとづいて最高裁で審議が行われ、この程、恩赦法を違憲と判断した。

背景には和平後も政治全体に睨みを効かせていた軍部の影響力が減退したこと、FMLN政権の安定化があげられる。

従来、法廷と検察は内戦中の事件が問題になった場合、加害者に有利な姿勢をとっていた。無処罰・免罪の見直しが期待される。

 

 

 

 

 

 

やや古いが、昨年10月の世銀報告ではラテンアメリカ経済の全体傾向が示されている。

これによれば

商品相場の上昇と対中国貿易の伸びを基礎に順調な成長を遂げていたラテンアメリカ経済は、08年のリーマン・ショック、その後の中国経済の原則、原油価格など一次産品の暴落を背景に厳しい局面を迎えている。

一次産品輸出への依存度により各国の影響は様々であるが、全般的にゼロ成長ないしマイナス成長で推移することは間違いない。そして途上国には内需拡大により景気浮揚を図るという選択肢はない。

問題は各国の左翼政権がこの経済調整局面を乗りきれるかどうかである。

左翼的であろうと右翼的だろうと、ポピュリスムが今のラテンアメリカで成り立つ基盤はない。今バラマキをすればハイパーインフレになる。それは「失われた10年」で確かめ済みだ。

あるとすれば“民主的な引き締め”か、ネオリベ的な資産移動しかない。

引き締めにあたって保護すべきものが2つある。一つは生産組織だ。大企業と資本家を保護するのは悔しいが、これが潰れては元も子もない。

もう一つは貧困にあえぐ低所得者層だ。子供、老人、女性の生きる権利は最低限保障しなければならない。そうでなければ国家というものの存在意義が失われる。

そうすれば当然中間層、とくに官公庁に働く労働者にしわ寄せが行くしかない。しかしこの人達こそが左翼運動を支え文化を築き民主主義を守り育ててきた人たちである。

まずはこの人達が退路を断たなくてはならない。そのことによって富裕層を倫理的影響下に置き、貧困者の信頼を引き寄せることができるのである。

これができなければたちまちにして弱肉強食のジャングルが出現する。このことは「失われた10年」と「絶望の10年」を経て、ラテンアメリカ人民の体得した痛切な教訓である。

ベネズエラやエクアドル、ボリビアについてはいろいろな見方があるようだが、一番見なければならないのは10数年の闘いを経て、こういう層がどれだけ分厚く積み上げられてきたかである。


中国の南沙問題、尖閣問題は軍隊まで繰り出しての衝突のためにメディアにも大々的に扱われているが、基本的にはローカルな問題である。

しかし鉄鋼のダンピング輸出は、世界経済を撹乱しかねない由々しい問題となっており、世界各国が批判を繰り返すなど国際問題に発展している。

あまりニュースに取り上げられないので、紹介しておくことにする。

勝又壽良の経済時評 が手頃で読みやすい。

1.米国国際貿易委員会(ITC)は、米国最大の鉄鋼メーカー「USスチール」の提訴を受け入れ、中国製の鉄鋼製品に対する全面的な禁輸措置を執ることができる法的根拠について正式に検討を始めた。

2.米国のルー財務長官は、中国の産業政策について批判。中国の過剰生産能力が、世界の市場を歪め悪影響をもたらしていると指摘した。そして供給過剰の目立っている鉄鋼やアルミニウムなどの生産を削減するよう強く求めた。

3.WTOは中国を「非市場経済国」に指定している。中国が過剰生産を規制しなければ、「非市場経済国」のまま据え置かれる可能性がある。

4.G7志摩サミットは中国の鉄鋼問題で、「市場を歪曲する」政府や支援機関への懸念を表明した。さらに対抗措置の可能性まで示唆した。

5.これを受けたOECDは、、対中包囲網の強化を打ち出そうとしている。

というのが現下の状況で、勝又さんは以下のコメントを添えている。

中国による鉄鋼の過剰生産は、各国にとって死活的な問題になっている。各国は、中国の野放図な経済成長の尻ぬぐいをさせられている

さらに、高い経済成長率を背景にした軍事費拡大で、中国が周辺国を威嚇している構図になっている。

しかし「なぜか?」という疑問には必ずしも答えになっていない。

スクリアビンというのはとんでもない野郎で、とてつもない量のピアノ曲を書き記している。とてもすべてを聞くことなどできない。

と言いつつ、作品48までは来た。

といっても、スカルラッティはもっとたくさん書いている。

K: Ralph Kirkpatrick (1953; sometimes Kk.) で 555曲

L: Alessandro Longo (1906) で 500+21曲

P: Giorgio Pestelli (1967) で 559曲だ。

CD だとK だったり、L だったりしてもうさっぱりわからない。ハイドンの交響曲を全部聞いたという人は時々いるが、スカルラッティを全曲聞いたという人はそうはおるまい。

スクリアビンに戻ろう。以下の表がYou Tubeで聞けるスクリアビンのピアノ曲の一覧。ソナタは抜いてある。

一見して分かるのは、作品8の「12の練習曲」が1984年、作品49の「3つの小品」が1905年。この12年間の間にほとんどの作品が収まっていることである。

そのあと、10年ほどスクリアビンは生きているが、ピアノ曲には、さほどめぼしい作品はない。

だからスクリアビンの作曲家としての生涯は、3つに分けることができる。1904年に猛然と曲を書き始めるまでの時代、猛然と書いた時代、そして書き疲れたか書き飽きた時代の3つである。

Scriabin1

scriabin2

ここまで聞いたうえでの暫定評価だが、まず前奏曲は全て跳ばしてよい。ラフマニノフは結構前奏曲を看板にして一生懸命書いているが、スクリアビンにとっての前奏曲はメモ書きみたいなものだ。

これといった旋律はなく分散和音とムードだけだ。聞くのなら全曲をBGMで流すことになる。

と書いておくと、後の仕事がだいぶやりやすくなる。

順番に行こう。

作品1のワルツと作品番号なしのワルツは同じ頃の作品だ。なぜ嬰ト短調のほうが発表されなかったのかは、聞いてみれば分かる。同じ時期にもう一曲ワルツがあるようだが、こちらはYou Tubeで聞くことはできない。

作品2の第1曲は、スクリアビンの一番有名な曲になっている。私としては韓国の女流 Hyo Jee Kang がお気に入りである。ギレリスも優しさがあって好きだ。

他の2曲は飛ばして構わない。

作品3の10のマズルカはみんな良いのだが1,3,6あたりを入れておく。スクリアビンの曲はぼんやりした曲が多いので、どうメリハリを付けるかで印象が変わってくる。

その後作品7まではめぼしい物はない。

作品8の12の練習曲については以前書いたとおりである。

これまでソコロフとマガロフで聞いてきたのだが、どうも流れが悪くて面白いとは思わなかった。クシュネローバの演奏はリズムがしっかりしていて、テクスチャーが良く見える。よく弾きこなしているのだろう。この人の演奏で初めて、良い曲だということが分かった。

作品9の2曲はいずれも佳曲である。左手のみという制限がついたために嫌でも旋律線を重視するほかなくなったのであろう。シンプル・イズ・ベストである。溢れるようなメロディーはこれを最後に影を潜める。

作品11の前奏曲集もクシュネローバの演奏が聞ける。この曲はズーコフ、プレトニョフ、レトベルクなど多くの全曲演奏がアップされているが、私にはクシュネローバが一番心地よい。

いろんなロシアの作曲家を聞いてきたが、ピアノ独奏というジャンルは厳しいものだと思う。ほとんどの作曲家が30歳ころを境にメロディーの泉が枯れる。

最初の主題はどうでもいい、民謡とかの借り物でも良い。それは神様のものである。それにどういう対旋律を噛ませれば主旋律を浮き立たせることができるか、自分の曲になるかである。

これはセットアッパーと似ている。セットアッパーは一球一球が勝負である。だからストレートとフォークボールしかない。回転のよく効いたストレートで高めをえぐり、低めに落ちるフォークでの三振を狙う。

大抵はそれができないから、そのまま終わってしまうのだが、何人かだけがその後もメロディーを生み出し続ける。

知るかぎり、それはチャイコフスキー、リャードフ、キュイの3人である。後の二人は他に仕事があったりグータラだったりして使い惜しみしたから長持ちしたのである。

これがソナタだといろいろごまかしも効くし、全然関係のないメロディーを第二主題にしてそこまでなんとか繋げば良いのだから、ある意味話は楽だ。

アレンスキーなどはそうやって選手寿命を伸ばした。

そろそろ、アルコールも回ってきて、頭は回らない。とりあえず、スクリアビンの前巻は終了。



エフィナコナゾールは何故滲み込みやすいのか

日薬理誌の145号(2015)に巽さん(科研製薬株式会社 新薬創生センター 薬理部)という人の書いた総説がある。その下の本文PDF [944K] というところにリンクすると文章が読める。

その説明に従ってチェックしていこう。

要約: これまでのトリアゾール系薬剤より強いらしい。しかしそんなことはどうでもよい。

「爪の主成分であるケラチンに対する親和性が既存治療薬よりも低いため、一つ目を良好に透過し、ケラチン存在下でも高い抗真菌活性を保持した」

ここが一番の環だ。

これは以下の形で確認されている。

①インビトロで、有効濃度の薬剤が爪下層および爪床に到達することが示された。

②第Ⅰ相臨床試験で、高い爪中濃度と爪貯留性が確認された。

③第Ⅲ相臨床試験で、17.8%の完全治癒率が得られた。日本人患者では28.8%に達した。これは対照薬と有意差があった。

1.はじめに

これまで欧米ではシクロプロクスやアモロルフィンのネイル・ラッカーが10年以上にわたり用いられてきたが、臨床効果は低く、日本では承認されてこなかった。

外用薬が効かない理由は次のように考えられている。

①白癬菌は爪甲下の爪床に存在するが、薬剤は厚い爪甲を透過できない。

②薬剤は爪の主成分であるケラチンに強く吸着する性質を持っている。このため薬剤は爪表層に滞留してしまう。

そこで科研製薬では、ケラチン親和性が低い抗白癬薬の検索を行った。その結果、エフィナコナゾールを発見した。

この薬は既存の薬と同じトリアゾール系であるが、構造的にはメチレンピペリジン基を持っていることが特徴である。

2.薬理学的特性

In vitro での高真菌活性は高く、スペクトラムも広かったと書かれているが、“そこそこ”と判断しておく。

ケラチン親和性に関する実験

一般に抗真菌薬の多くはケラチンに吸着することで活性が低下する。薬物が効果を発揮するためには遊離型の形で存在する必要がある。

①In vitro の実験でケラチンからの遊離率を測定し、他剤と比較した。既存薬が0.5~1.9% であったのに対し、エフィナコナゾールは14.3%が遊離したままであった。

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②また5回の洗浄操作による累積遊離率は、他剤が1.7~6.9%であったのに対し46%で有意差を認めた。ケラチンでなくヒト爪を用いた実験でも同様の結果を得た。

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③ケラチン添加によるMICの変化を調べたところ、他剤は低下したが、エフィナコナゾールはほとんど影響を受けなかった。

ついで欧米で使用されているラッカー剤との比較検討を行っている。

①ヒト爪を用いて累積透過量と透過速度を測定した。エフィナコナゾールはシクロピロクスと同程度で、アモロルフィンより優れていた。爪透過が定常状態に達するまでの時間はエフィナコナゾールがもっとも優れていた。

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②透過した薬剤の爪甲下(現地)での発育阻止作用を測定した。ラッカー剤では発育阻止作用は認められず、エフィナコナゾールのみが発育阻止作用を示した。

③モルモット実験でも1日1回4週間の爪塗布で生菌数を減少させた。これはラッカー剤に比べ有意であった。

このあと臨床試験の成績も提示されているが、透過性が一番の問題なので、詳細は省略する。

結論として、イトラコナゾール経口剤とほぼ同等の臨床効果を示すとされる。もしそうであれば、経口剤の出番はほぼなくなるものと予想されるが…


見出しを見てここに来た人には申し訳ないが、

結局、何故滲み込みやすいのか、なぜケラチンとの親和性が低いのか、という問題は分からなかった。

「いろいろ掘っていたら、タマタマ当たった」というだけみたいだ。

「滲みるんだからしょうがないじゃん」ということである。多分、これからその機序を巡りいろいろ検討が行われ、同じ発想で新薬が開発されていくだろう。

おそらく メチレンピペリジン基 というのが鍵を握っているのだろうが、これに関しては特許権はないだろう科研製薬はメチレンピペリジン基を発見しただけで、構造に組み込む技術を発明したわけではない。だからエフィナコナゾールの優位はつかの間に終わるかもしれない。

クレナフィンは何故滲み込みやすいのか

水虫の薬はどのようにして効くのか
爪白癬の付け薬 ほんとうに効くのか

旭川皮フ形成外科クリニック の水野寿子先生の記事はもっとわかりやすいです。ご参照ください。

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