鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2016年02月

最近のYoutubeはすごいもので、アントン・ルビンステインのピアノ小曲だけでこれだけ聞ける。
anton
一応全部聞いたが、つまらないものばかりだ。結局ヘ長調の「メロディー」一発の人だ。
この人は交響曲を6曲、ほかにコンチェルトやソナタなど大曲をずいぶん書いているようだ。そちらは遠慮しておく。
編曲すると隠れたよさが引き出されるのか、「天使の夢」 はオーケストラやバイオリン独奏版のほうが定番。

「ハッピーバースデー・トゥー・ユー」といえば誕生日の定番曲だ。ところがこれに著作権があって、歌うたびに払わなければならないらしい。

赤旗の記事ではベタのトピックス扱いだが、TPP問題と絡めると、これはかなり深刻だ。

まずはウィキペディアで「ハッピーバースデー・トゥー・ユー」の項目

ただしウィキペディアの説明は要領を得ないところがあり、下記の記事で補っている

ギガジン 2015年9月24日

 

「ハッピーバースデー・トゥー・ユー」の発祥

世界で一番歌われている歌としてギネス・ワールド・レコーズに載っている。また「世界で最も金を稼ぐ歌」としても知られる。理由は著作権があるからだ。

アメリカ人のミルドレッド・ヒルとパティ・ヒル(以下ヒル姉妹)が作詞・作曲した「Good Morning to All」のメロディを原曲としている。これの替え歌が「ハッピーバースデー・トゥー・ユー」になったのだそうだ。

原曲が作曲されたのは1893年。明治で言えば26年。日清戦争の始まる前の年になる。替え歌のほうは1920年頃だそうだ。

Good Morning to All を含むソングブックが出たのが1924年、ぎりぎりまだ大正だ。

この曲の替え歌が広がって、1931年にはブロードウエイのミュージカルでも歌われるようになった。

この後は、Wired の記事から

「ハッピー・バースデー」の歌詞は、1911年にメソジスト監督教会発行の歌集の中で掲載されている。その歌集には、この歌の所有者や著作権に関する記述はなかった。
また、それより前の1901年には、インディアナ州のある教師が、「ハッピーバースデー・トゥーユー」という歌詞の曲を子供たちが歌ったという記述を残している

1912年まで、さまざまな企業が未許可で楽譜の出版を始めており、その中にはハッピーバースデー(トゥーユー)として今日知られている歌も含まれていた

ヒル姉妹の著作権の訴え

ここでヒル姉妹が登場する。このミュージカルが無断使用に当たるとして訴訟を起こしたのだ。このときは著作権が成立していなかったため、請求は棄却された。

この頃アメリカ国内では登録していない曲の著作権は認められていなかった。

そこで改めてヒル姉妹は曲に対する著作権を登録した。

ここで変なのは、ヒル姉妹が登録したのは曲であって歌詞は登録しなかったのです。ところがエージェントのほうでは Good Morning to All の歌詞も登録しているようです。

さらに変なのは、こちらの出所はウィキではなくギガジンの記事ですが、

原曲よりも人気になった替え歌「Happy Birthday to You」の著作権は、1935年にクレイトン・サミーらによる共有名義で正式に著作権登録がされています。

さらにCNNニュースでは、クレイトン・サミーが姉妹から著作権を託されたとある。

曲の著作権、Good Morning to All の歌詞、Happy Birthday to Youの歌詞の三つの異同がどうもはっきりしない。これが分からないと後の訴訟問題が分からない。困っている。

ここまでが著作権の成立に関する経過。

著作権法の変遷(ミッキーマウス保護法)

国際的な著作権に対する取り決めには「ベルヌ条約」というのがあって、加盟国には著作者の没年後少なくとも 50年間保護する義務が課せられている。

この保護期間は長くても良いので、実際にヨーロッパでは70年間に設定されている国が多い。

したがってベルヌ条約によれば、後に死んだ妹が1946年没なので、少なくとも1996年までは保護されることになる。

アメリカにはベルヌ条約とは別に独自の著作権法がある。1909年の第一次著作権法では登録後最大で 56年間保護されることになっていた。

76年の第二次著作権法、93年の著作権延長法が成立した。これにより登録後95年間は著作権が保護されることになった。

ギガジンによると、この二度にわたる著作権の延長は、下記の事情によるようである。

アメリカでは、ミッキーマウスの著作権の効力が切れそうになるとディズニーの強力なロビー活動を展開。これにより著作権法の有効期限が延長されるのが常でした。過去何度も繰り返されてきた一連の著作権の延長措置は「ミッキーマウス保護法」と揶揄されています。

つまり現状でもアメリカ国内では2030年まで著作権が成立し続けるのである。

GMTY vs ワーナー

ウィキペディアには

今回問題となったのは、「タイム・ワーナー」が著作権を主張したことである。

と書いてあるが、これはダブル間違いのようである。以下はギガジンから。

まず事件の発端

ニューヨークの映像制作会社「グッドモーニング・トゥ・ユープロダクション」(以下GMTY)が、2013年に「Happy Birthday to You」というタイトルのドキュメンタリー映画を制作。映画の中にこの曲を挿入した。

これに対して著作権を管理する音楽出版会社「ワーナー・チャペル・ミュージック」(以下ワーナー社)が使用料の支払いを求めた。

映画製作会社は料金支払いを拒否し、「ワーナーは歌そのものの著作権を保持していない」として提訴した。

話がややこしいのだが、

1.ワーナーというのは楽譜出版社であって、映画会社の「ワーナー」ではない。(ただしワーナー・ミュージック・グループの傘下にあり、ワーナー映画と結びついているかも知れない)

2.支払いを請求したのはワーナーだが、裁判所に提訴したのは、つまり原告は映画制作会社である。

ワーナー社は、1998年にヒル姉妹のエージェントだったサミーの会社を買収。歌の著作権もワーナーに帰属することになった。

訴訟のてん末

GMTYの女社長ジェニファー・ネルソンは相当戦闘的な人。「サミー社が(ヒル姉妹から)譲り受けたHappy Birthday to Youの著作権は、歌そのものではなくピアノを使った編曲に限られる。そのためワーナーがサミー社を買収することで承継したのはピアノの編曲部分に限られ る」と主張した。

何か「ベニスの商人」みたいなせりふだが、肝心なことは、作者を保護すべき著作権が作者のあずかり知らないところでビジネスの道具になって、芸術を圧迫することへの怒りであろう。

Happy Birthday to Youの歌詞が含まれる1924年に発行された書物「Harvest Hymns」を手に、ワーナーが保有するというHappy Birthday to Youの著作権の効力に疑問を投げかけるネルソン氏。 (ギガジンより)

そして2015年9月22日、カリフォルニア州連邦地裁の判決が下った。

1.著作権継承の事実は認定

2.ピアノを使った特定の編曲にのみ著作権を限定

3.裁判官の個人的意見として、「1935年の著作権登録作者とされるパティ・ヒルがこの曲を作曲したかどうかは疑問が残ると指摘する。

ということで、原告側の言い分が認められた。しかし判決内容はCNNニュースでは異なっている。

「サミー社はハッピー・バースデーの歌詞についての権利は取得しなかった。従ってサミー社の権利を引き継いだ被告には、ハッピー・バースデーの歌詞に対する有効な著作権はない」とされている。

今回、話題になったのは

今回、またこれが話題になったのは、下記のニュース(2016年2月15日)

「ハッピーバースデー・トゥーユー」の著作権使用料を徴収してきた音楽出版社のワーナー/チャペルが、これまでに使用料を支払った人たちに1,400万ドル(18億円)を払い戻す和解案に合意した。

この報道に続いて、多少の解説が加えられている。

ワーナー/チャペルは1998年以降、ハッピーバースデー・トゥーユーの使用許諾料で、毎年200万ドル(2億4千万円)以上を売り上げている。総額でおよそ5000万ドルを手に入れた。さらに著作権保護期間の終了する2030年までの間に、さらに1650万ドルが入る見通しだった。

無断使用には15万ドル(200万円)の制裁金が課せられる。考えればあこぎな会社である。

もうひとつ訴訟には内容があった。それは使用許諾料を支払ったすべての人たちに代金を返せという内容だ。これにワーナー側が同意したのが今回の和解の内容だ。

今後「Happy Birthday to You」はパブリック・ドメインとして扱われる

めでたしめでたしか?

ワーナーが和解に応じたのは、

このまま裁判に負ければ、これまで取り立ててきた著作権使用料をも返還しなければならない可能性が出てきました。ワーナー・チャペルは裁判を和解に持ち込むことで、すでに得た利益を守るほうが得策と判断したといえそうです。

とされている。(

つまり、まだそれでもワーナーの側には儲けが残るのである。いわば「やり得」だ。

考えてみると、この件では著作権をめぐる強引な拡大解釈がある。曲(メロディー)に関して著作権を主張するのは当然だが、作曲年が1893年の作品が百数十年を越えて有効という解釈には無理がある。

第二に替え歌であるハッピーバースデーの歌詞に著作権を主張するのはまったく筋違いだ。もし著作権があるならそれは替え歌を作った人に帰すべきだ。

もっともその人はメロディーを盗用していたことになるから、メロディーの使用料をヒル姉妹に払わなければならないことになる。

 

ゲノム解析 とりあえずのまとめ

分からないことを調べていくと、さらに分からないことが出てくる。あり地獄にはまり込んだようだ。

とりあえず、おさらばする前に一応まとめておこう。

1.遺伝子というが遺伝学ではない

一番の勘所はここだ。だからわざわざ遺伝子解析と呼ばず、ゲノム解析と言いなおしているのだ。

遺伝子の日常的作業はタンパクを作る上でのイニシエーターとなることだ。そして一生の間に数回だけ、形質を子孫に伝えるための役割を担う。

そして日常作業としてのタンパク合成は、遺伝子だけでなくほかのさまざまな因子との協同によって遂行されている。だから遺伝子だけではなくほかの因子をも含めた総合的な分析が必要なのである。

そのために、46個の染色体に分包されたDNAの鎖の塩基配列をまず明らかにしようというのがゲノム・プロジェクトであった。(そういう意味ではゲノムという言葉を使ったのは間違いで、DNA解析と呼ぶべきであった)

遺伝子の意味、まして遺伝学的な意味はここでは問わない。染色体という存在の意味は問わない。そういう思いをこめてゲノムという言葉を使っているのだ。遺伝学者がゲノムの講義をするときは、必ずこのことを念頭において話してほしい。

2.ゲノム解析の二つの目的

人間のDNAに乗っている遺伝子の数は意外に少ない。植物のDNAよりはるかに少ない。なぜか。

それは塩基配列の中で、遺伝子の分画以外の場所に、重要な情報が隠されているからである。それによって数少ない遺伝子を使い回ししていることになる。(ほかに複数遺伝子の組み合わせによる作用発現、えぴジェネティクスによる二次修飾もあるが、ここでは省略)

そのために、塩基配列の中から遺伝子分画を発見して分析するだけでなく、それ以外の分画の構造も明らかにしなければならない。

これが第一の目的である。

第二の目的は、まだその働きが不明な遺伝子もふくめて、遺伝子がいくつあるかを確定し、そこからその働きを解析していくことである。

今までは何か遺伝子異常による不具合が発生し、その原因を探り、原因となっている遺伝子をその存在も含め探し出すという作業であった。遺伝子の一本釣りである。

ゲノム・プロジェクトはこの発想を逆転させることになる。トロール網で魚を一網打尽にし、その後で識別・分類を行おうというのである。いわば博物学である。

このライブラリーが以下に応用が利くか、それは生物の系統発生学で旧来の常識がまったく通じなくなったことに典型的に示されている。

3.ゲノム解析のための技術開発

この部分はいまだに良く分からない。

まずは2本鎖を1本鎖にして、これを適当な長さに切断する。これを電気泳動にかけて長いものから短いものまで並べる。

その左端にマーカーをつけて、塩基配列を決定していく。塩基配列が決まったら、そのパターンを比較しながら1本のDNAに再構築していく、という作業のようだ。

このために幾多の新技術が開発・応用されている。主なものがヌクレアーゼ、パルス型電気泳動、プライマーやプローブの開発である。

後は大型コンピュータによる膨大な情報の処理である。

4.遺伝子、制御因子の意義

すでに意味論の研究が始まっている。はっきりしてきたのは単一遺伝子による支配というのはむしろ少なく、その多くが複数遺伝子の総合作用により、生物学的特質が発現するということである。

たとえば今話題のIPS細胞も、先祖帰りのために少なくとも4つの遺伝子の作用が必要だ。その作用順序も関係しているようだ。

これらの情報はライブラリーとして保管され、自由に閲覧できるようだ。もっとも私どもが見ても分かるものではないだろうが。

ミャスコフスキーという作曲家がいる。プロコフィエフと同年代、交響曲をなんと27曲も作曲したという実にロシア的な作曲家である。
スターリン時代を代表する作曲家で、いかにもそれっぽい曲もあるが、「おやっ」と思わせる佳曲もある。御用作曲家ではあるが、ジダーノフ批判の対象にもなったことがある。まぁ、そういう辺に位置する人である。
この人を紹介した記事に面白いものがあった。
19世紀末にミャスコフスキーはペテルブルク音楽院に入学している。プロコフィエフとは同期のようだ。当時の指導教官がリャードフ、これがミャスコフスキーには気に入らなかったらしい。ぐーたら教官と刻苦勉励型の生徒では馬が合わないのは当然だろう。しかしプロコフィエフはぶーたらをいいながらもリャードフの管弦楽法をしっかりと吸収している。
そしてプロコフィエフと反リャードフで意気投合したのだそうだ。それ以来二人は無二の親友になったという。かなりあいまいな記憶で書いているのだが、当時のペテルブルクの雰囲気がうかがわれて、楽しいエピソードではある。
ミャスコフスキーの交響曲のかなりがYoutubeにアップロードされている。しかしほとんど聞いていない。せめて10曲くらいにしておいてほしかった。ほんのちょっと聞いた範囲でのお勧め曲を挙げておく。
弦楽四重奏曲 第7番 「コーカサスの主題による」 タネーエフ四重奏団
ピアノソナタ 第7番 演奏者不明(Hegedus という人の演奏がNaxos から出ているので、それかもしれない)
とにかく、屈託なく、さらさらと音が流れていくのがよい。

修理に出したパソコンの見積もりが出た。
なんと10万円。DVDドライバーの交換をすればさらに5万円。これは購入価格と変わらない。
ようするに修理なんかするな、新品を買えということだ。
たしかに買ったときからCPU周りが異常に熱かった。初期不良だったのかもしれない。
Core i7 の出始めで、ラップトップとしては最初の機種だったかもしれない。
以前なら、技術革新が日進月歩だったから、4,5年で買い替えだったが、いまどき5年でお釈迦はちょっと早すぎる。それにThink Pad ではなく Idea Pad というLenovo の独自開発商品だから、基本的なところでチャチな可能性もある。
「自力でフアン交換を」とも考えたが、ネットの解説ページを見て断念。ファンは一番奥にあって、完全解体修理をするつもりでやらないとならないようだ。それにマザーボードやキーボードもすでに影響を受けているようで、もはや素人が手を出せるような状況ではない。
どうもCore i7がはかばかしい普及を見せないのも、この辺に原因があるのかもしれない。
とにかく嫁さんにパソコンを借りっぱなしになっていて、そろそろ目つきが厳しくなってきたので、もう決断するしかない。
ということで、東芝のダイナブックに決めた。アマゾンで16万円、ハードディスクではなくSSD内蔵というのが売りのようで、ただし容量は少ないから外付けハードディスクが必須だ。
まぁ、そのうちSSDの価格も下がるだろうから、いずれは差し替えもあるかと思う。

ビキニデーを前に、赤旗が意欲的な連載を組んでいる。

去年の今頃は、紙智子議員が「被害を受けた漁船の総数は実に1423隻に及んだ」ことを明らかにさせた。

その時に、私も年表を始めとしていくつかの記事を上げた。

感想ではいくつかのポイントを上げておいた。

1.ビキニの水爆による被爆は「被曝」と書くべきではない。まさにそれは被爆そのものであった。

2.少なくとも結果論としては、米軍は水素爆弾により久保山さんを殺したことになる。

3.第五福竜丸を偶発的な事故のように見せかけつつ、その後さらに5発の水爆を爆発させた。この行為は悪意(殺意)としか言いようがない。

今回はまず、去年の年表に増補し、改訂版として掲載しょうと思う。その後どうなるかは成り行き次第。

 

赤旗文化面のコラム「朝の風」に、すなおにうなづけない二つの歌が掲載されていた。
福島泰樹という人の歌集「焼跡ノ歌」からのものらしい。

あおい炎を ふきだしている 弟のそばに 立っている 電信柱
泥の川に朝日を浴びてよこたわる白い便器のような妹

非常に過激な歌で、その過激さを突き出すことで、戦争の悲惨さを訴えようとする思いは分かるが、どことなく納得出来ない。
その過激さが浮遊しているような気がしてならない。

東北大震災を目の当たりにして、3歳で体験した東京大空襲の場面が蘇ったという。いわばフラッシュバックしたイメージだ。

二つ考えられる。ひとつは70年を経て、諸々の情景に絡まっていた恐怖や悲しみや不安などの心的情景がそこにはさっぱり消えてしまった可能性だ。
もう一つは、その時まさに失感情状態に陥っていたという心的情景が、「昆虫の目をしていた私」の記憶が、写真的情景とセットになって畳み込まれていた可能性だ。

焼跡の情景はダリの絵のシュールリアリズムと似ているかもしれない。しかし本当はシュールどころではないはずだ。もしそれがシュールであれば、それはそこまで追い込まれた人間のシュールな感覚、無感覚の感覚というべき心的状況なのではないか。

これだけ外的情景と心的情景が乖離しているのなら、これらの歌は対となる心的情景の叙景が、いわば返歌として歌われなければならない。でなければ、沈黙を守るほうが良かったかもしれない。

ここを書き込まないと、歌作りは疎外を取り戻す営為とはならないはずだ。そこを書き込まないと、歌人は心をいまだ取り戻せていないことになる。

核酸の分析技術

というページがあって、DNAの壊し方から塩基配列のもとめ方、DNAの再建とIn Situでの観察まで要領よく書いてくれている。

1.核酸分解酵素 ヌクレアーゼ

核酸はヌクレアーゼという酵素で切断していく。

図のように二つの切り方がある。

2.電気泳動による核酸の分離と精製

核酸はタンパク質と結合しているので除タンパクする。これは核酸の水溶液を作り、フェノールと混ぜ振動を加える。ドライクリーニングの要領だ。

除蛋白した後にエタノールを加えると核酸が沈殿する。これに核酸分解酵素を加えるとDNAはバラバラになる。

これを精製するのには遠沈法と電気泳動法があるが、前者は省略。

上図が普通のアガロース・ゲル電気泳動で、溝に臭化エチジウムで染めた試料を入れて電気をかけると、ゲルの中を滲み出していく。この時、短い断片ほど速く移動する。しかしDNAは長すぎて動けない。

そこでパルス電場(PEG)電気泳動という装置で電極をパルス状に反転させながら泳動すると、かなりの大きさのDNA断片まで分離が可能となる。

3.プロッティング

ゲルの縞模様を、ニトロセルロース膜に写し取ること。むかしやった「写し絵」の要領です。

言葉で書くと難しいが、絵で見ると、なんとも原始的な方法。

この写し絵のやり方に次の3つがある。基本的には標識(マーカー)に何を使うかの違いである。

(a) サザン(Southern)ブロッティング:  標識したmRNAcDNADNA断片を検出する方法

(b) ノザン(Northern)ブロッティング:  標識したcDNAdmRNAを検出する方法

(c) ウェスタン(Western)ブロッティング:  標識した抗体タンパク質を検出する方法

このうち基本となるのは、サザンだ。ノザンは、DNAではなくmRNAを検出するための方法。これにより特定のmRNAの(i) 鎖長の解析、(ii) 組織分布、(iii)発現の有無や量が分かる。ウェスタンは昔ながらのデータ保存方法であるが、核酸の検出法としては一種の邪道だ。

4.ハイブリダイゼーション

ここからが話が難しくなる。こちらの脳みそも焼け付きつつある。

ハイブリダイゼーション(hybridization)というのは、標識したcDNAやmRNAと対象の核酸が「2本鎖」を形成するかどうかを調べる方法である。

ここまで面倒なので省略してきたが、DNAはあらかじめ1本鎖にしてある。これはヌクレアーゼによる切断とは違い、熱やアルカリではしご部分を切り離している。

これと標識したDNAを混ぜて置いておくと、ハイブリッド(混血)の2本鎖が出来上がる。これが下の図である。もちろん元のDNA同士がくっつく場合もあるし、結婚できずに独身のままのDNAも混在することになる。

5.一次構造の決定

此処から先はまったく五里霧中。

ジデオキシ法(Sanger法, 鎖終結法)

大腸菌DNAポリメラーゼの一部を用い、配列を決めたい1本鎖DNAの相補的コピーをつくる。この時に特殊な薬液(DNA阻害剤)を加えておくと、ターミネイターのところでDNA合成が停止してしまう。

この停止はランダムに起きるので、鎖の長さの異なる様々な断片が得られる。これを電気泳動にかけて並べてみると、DNAの配列が浮かび上がってくる(のだそうだ)

現在ではこのサンガー法が普及している。なお最近では放射性同位元素の代わりに蛍光物質でプライマーを光らせている。波長の異なる4種の蛍光発色団が同時に用いられることで、大幅なスピードアップにつながっている。

6.転写制御因子の検出

DNAの解析では、遺伝子解析とともに特定のタンパクと結びついて機能を発揮する部位の同定も重要になってくる。

そのひとつが転写制御因子(それ自体はタンパク)との結合部位である。この同定に用いられるのがDNase I (デオキシリボヌクレアーゼⅠ)である。

これはDNA分解酵素の一種であるが、タンパク質と結合したDNAは分解しないという性質を持っている。

当然その部位は大きなサイズの断片になるので、泳動に応じない。このためサンガー法でスペクトログラムを作成すると、その部分が「足跡」のように欠落してくる。

このことから、そこに転写制御因子との結合部位があることが分かる。

7.全体像の形成へ

断片を継ぎ合せることによってより大きなDNA断片の塩基配列が同定されていくことになるが、目的地に達するのに次々とDNA断片を乗り換えて行く方法がある。

目的遺伝子の近傍のDNAから出発して、重なり合うクローンを次々にクローン化(歩行)して目的遺伝子にたどり着く手法であり、巨大な遺伝子の全領域のクローン化には無くてはならない方法

とされている。

これを遺伝子歩行(Gene Walking)という。

中身はさっぱりわからないが、絵柄としては感じは出ている。テレビ番組で「全国路線バスの旅」というのがあって、3人組で路線バスだけを使って目的地にたどりつこうというのだ。いろいろ乗り継ぐのだが、最後になると欠落部分(たいていは峠)を歩いて越えることになる。まさにウォーキングである。

と、だいたいこんな所。

分かったとはとても言えないが、どことなく感じはつかめた。

一つの言葉を知ろうとして調べると、そこには未知の言葉が3つ4つ出てくる、という具合で、いい加減くたびれてきた。

しかしここで挫折しては元も子もない。もう少し頑張ってみよう。

所詮テクノロジーの世界である。アプローチの基本戦略(ショットガン)が分かれば論理過程はそう難しくはないはずだ。…というのが唯一の希望である。

DNAマーカー 定義

まずウィキペディアの定義。と言ってもここではDNAマーカーではなく、「遺伝子マーカー」の定義となっている。「遺伝マーカー、DNAマーカーなどとも呼ばれる」と書いているが、我々一般人の常識からすれば、DNAマーカーと遺伝子マーカーでは明らかに意味合いが違ってくる。しかし、ここでは目をつぶろう。

生物個体の遺伝的性質(遺伝型)、もしくは系統(個人の特定、親子・親族関係、血統あるいは品種など)の目印となる、つまりある性質をもつ個体に特有の、DNA配列をいう。

ほとんど法律用語だ。遺伝屋さんの世界にはこういう人達がいるのだ。

要点を言えば、DNA上のランドマークとなる「特有の塩基配列」ということだろう。先が思いやられる。

DNAマーカーの種類

遺伝子マーカーは、容易に検出でき、その座位が特定されてものである必要がある。逆に言えばその条件さえ満たしていれば何でも良いことになる。

短いものでは1~数塩基の一塩基多型(SNP)や制限断片長多型(RFLP)から、長いものではマイクロサテライトまで、様々な種類がある。

DNA型鑑定にはマイクロサテライトなどがマーカーとして用いられる。

この後、遺伝に関するさまざまな知見が述べられるが、テクノロジーに関しては言及なし。肩透かしの解説だ。

DNAマーカーを利用したDNA操作

我々が知りたいのはゲノム解析であり、そのためのDNA操作だ。その際にDNAマーカーをどう利用するのかが知りたいところである。

農林省のサイトの「ゲノム情報の品種改良への利用-DNAマーカー育種-」はその点に若干触れている。

生命は遺伝子によって支配されています。この遺伝子のゲノム上の存在位置の目印となるDNA配列が『DNAマーカー』です。そして、その目印を利用した育種を『DNAマーカー育種』と呼んでいます。

重要な遺伝子の近くにあるDNA マーカーを見つければ、これを目印に重要な遺伝子の存在を確認することが可能となります。

DNA マーカーには、おおよその場所を特定するDNA マーカーと遺伝子そのものを特定するDNA マーカー があります。(最初のウィキペディアの説明で受けた違和感はこれで解消する。つまり前者をDNAマーカー、後者を遺伝子マーカーと呼び分ければよいのだ)
どちらにしても、それが品種(系統)特異的であればあるほど、汎用性のあるマーカーになります。

ということで、各施設がマーカーの開発にしのぎを削っていることが分かる。

それが分かれば当面はそれで良し。


ついでにDNAマーカーを使った品種改良の仕掛け。
ある作物を品種改良して病気にかかりにくくする。このために、優良品種にすごく劣った品種なのだが、その病気にだけはかかりにくい品種を掛け合わせる。
後はこのf1を元の優良品種と何代にもわたって掛けあわせ、病気にかかりにくい性質だけを引き継ぐ、というのがこれまでのやり方だった。
この取捨選択は手間ひまの掛かる仕事だ。これを苗のうちにやってしまおうということになる。そうするとDNAマーカーを利用して遺伝子を分析し、劣等作物の遺伝子が混じっているものを間引きしていけば、遥かにスピードと精度が上がる。
踏み台にされる劣等品種の立場に立つと、根絶やしにされる能率が良くなるだけで、なんとも辛い話だが…

年表で1980年の記載に以下の文章がある。

80年 DNAマーカーを利用した遺伝子マッピング法が開発される。さらに核酸プローブを利用して遺伝子を染色体上に正確に同定することも可能になる。

三つ分からない言葉が出てくる。DNAマーカー、遺伝子マッピング、核酸プローブである。

知識として分からないのももちろんだが、理屈として分からないのが、「遺伝子を染色体上に正確に同定すること」って、それって遺伝子マッピングじゃないの? ということだ。

ということは、「遺伝子マッピング」という言葉の定義が分かれば、全体が大づかみにできるのかな? と思っていろいろ説明を読んでみた。というより読もうとしてみた。

どれもこれも、ひどい悪文で、ますます混迷を深めるばかりだ。

まずは論理として整理してみよう。

マップというのは地図だ。おそらく道路地図みたいなものだろう。平面上に線があって点があって、その線上に遺伝子が乗っかっている地図だ。これでどんな遺伝子がどこにあるのかが分かるし、その順番も分かる。

この地図を作るのがマッピングという作業だろう。したがってそれは測量法と同義になる。三角点と望遠鏡と磁石があればそれは出来上がるはずだ。後は伊能忠敬並みのガッツだ。

とすれば、DNAマーカーが三角点、望遠鏡が核酸プローブではないかとうすうす見当はつく。

たぶんここまでは与野党とも違いはないのだが、ここから先が違う。ショットガン戦略で考えるマッピングは、遺伝や突然変異をこつこつとやっている人(遺伝屋さん)とぜんぜん発想が違うのである。

遺伝屋さんは突然変異を見つけ出して、その責任遺伝子座をトライアンドエラーで探っていくのだが、ゲノム解析のほうは正常と異常とを問わずブルドーザーで根こそぎ解析してしまおうというのだから、そもそも発想が違う。

そういう点では、このページがゲノム・プロジェクトにおけるマッピングの論理をより反映しているのだろうと思う。

ただしちんぷんかんぷんなのはこちらも同じである。


ちんぷんかんぷんなりに、箇条書きにしていく。

1.マッピングの定義

DNA上の特定遺伝子の位置を決定すること。これまでは既知のマーカー遺伝子との連鎖を測定して位置を割り出していた。近年では核酸自体を解析する物理的手法が用いられるようになっている。

2.まずは切断とグループ化が必要

特定遺伝子の正確な位置を知るには、それをはさむ領域のDNAクローンを作成しなければならない。

そのためには実際の塩基配列の長さに基づいた物理地図をつくり、遺伝地図とを対応させることで、存在場所を限定する。

物理地図作りに使われるのがrare-cutter制限酵素(たとえばNotI)で、これでDNAを切断していく。さらにパルスフィールドゲル電気泳動で、DNA断片をその鎖長に応じて分画する。

3.断片の再統合

ゲノムDNAのNotI切断物を、今度はNotIリンキングクローンで断片を検出する。リンキングクローンとは、二つの隣接するDNA断片の境界にまたがるDNA断片のことである。

これによって絵合わせの要領で、制限酵素断片をつなぎ合わせた制限酵素地図が作成できることになる。これが成功したかどうかはFISH(fluorescence in situ hybridization)法を行うことにより確認できる。

たぶん「誤訳」がいっぱいあると思うが、雰囲気はつかめたと思う。

染色体の研究が遅れているのではないかとバカにしたが、馬鹿なのはこちらで、実はそれなりに進化しているのだ。しかし教科書にはこの話はまったく載ってこない。

クロモリサーチ社のサイトに「分かりやすい」説明があるので紹介する。

染色体とは

すべての生命体は、DNA/タンパク質分子で構成されますが、その遺伝情報は「染色体」に収納されています。

遺伝子発現を制御するためには「染色体」という形態の構築が必須です。

とくに、だいじな領域は

(1)染色体DNAの複製を開始させる、「複製起点」

(2)細胞分裂期における染色体の均等分配に重要である、「セントロメア」

(3)染色体の末端構造の維持に必要な、「テロメア」

の3つです。

人工染色体について

この3つを組み込んだ人工染色体が作られています。最初は出芽酵母で行われましたが、現在はヒト人工染色体(HAC)が用いられています。

これは、ヒト染色体から細胞内での染色体の維持や分裂に不要な遺伝子領域を削除することにより開発されたものです。

上の絵を見れば分かるように、グレーの部分を全部取っ払ってしまったものです。ヒト人工染色体 HAC ベクター構築方法

株式会社chromocenter のサイトより

HACは宿主細胞中で宿主細胞染色体に取り込まれることなく独立に存在し、宿主細胞染色体と同調して倍化・分裂し、次世代細胞に安定に受け継がれてゆきます。

とかなり恐ろしいことが書かれている。

これはウィルスそのものではないか。つまり染色体というのはDNAウィルスの筐体の機能を果たしているのではないかということだ。パソコンの筐体のように電源の差込口やCDスロット、光ソケット、USBなど、たしかにこれがないとDNA情報は通信できないのかもしれない。

言葉が分かったところで、今度はゲノム研究の歴史。

中身はちんぷんかんぷんだが、例によって年表形式で

1920年 ドイツの植物学者ハンス・ウィンクラーがゲノムなる言葉を造語する。これはGene(遺伝子)とChromosome(染色体)をあわせたもので、ヒトゲノム・プロジェクトにおける「ゲノム」とは意味が異なるもの。

1953年 ワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の解明

1977年 DNA塩基配列を決定する法が確立する。

80年 DNAマーカーを利用した遺伝子マッピング法が開発される。さらに核酸プローブを利用して遺伝子を染色体上に正確に同定することも可能になる。(この辺はまだ遺伝子工学のレベル)

81年 ヒトミトコンドリアの全ゲノム配列(17,000塩基)が決定される。

84年 パルスフィールド電気泳動が導入される。大きなゲノム断片を分離することが可能になる。

85年 PCR法の応用が始まる。DNAの大量複製によりDNAの同定、鑑別が可能になる。

1986年 がんウイルスの研究者レナート・ダルベッコ,「個々の遺伝子をばらばらに研究するのではなく,ヒトのゲノム全体を研究することが必要だ。そのためにヒトゲノムの配列を全部決定するのが早道」と提唱。

87年 酵母人工染色体(YAC)が開発される。これを用いてゲノム断片をクローニングすることが可能になる。

88年 アメリカでヒトゲノムプロジェクトが正式に発足。この時点で約400種の遺伝子の位置が判明していた。

89年 ヒトゲノム計画の国際連携を図るため、日米欧の研究者によりヒトゲノム国際機構(HUGO)が設立される。

89年 マイクロサテライトマーカーが発見される。これによりゲノムマッピングのためのDNAマーカーが容易に入手可能となる。

91年 遺伝子データベースのコンピュータによる運用が開始される。この頃多くの疾患関連遺伝子が同定される。

94年 フランスのヒト多型研究所、完全なヒトゲノムマップを作成したと報告する。ヒトゲノムの全体を網羅する「物理地図」がほぼ完成,文字配列の解読が詰めの段階に入る。

95年 あらゆる生物で初めて,インフルエンザ菌の全ゲノム配列が発表される。その後大腸菌や枯草菌など10種類以上の細菌でも解明される。

95年 核酸プローブの高密度アレイを利用するDNAチップが登場。膨大な遺伝子を同時かつ系統的に解析することが可能になる。

96年4月,単細胞の出芽酵母のゲノム配列が決定される。

97年 ユネスコ,「ヒトゲノムおよび人権に関する世界宣言」を採択。ゲノム研究で得られた知識の扱いについて倫理的な問題が浮上する。

1998年4月 米国のクレグ・ベンター,ヒトのゲノムの塩基配列が進行しており,2003年頃には全塩基配列が決定されるだろうと予報。

6月 結核菌の全ゲノム配列が決定される。遺伝子の総数は約4000個で,その8割以上についての機能も予測される。

98年 多細胞生物として初めて線虫の全ゲノム配列が発表される。単細胞から多細胞への進化の謎にアプローチ可能となる。また受精卵から個体へという動物の個体発生についても手がかりとなる。

99年 ヒトの第22番染色体のゲノムが解明された。翌年には第21番染色体のゲノムも解明。

2003年 全ヒトゲノムの解読が完了。完成版が公開される。

2003年 大腸菌のDNA合成機構を利用して、ウイルスのDNA断片をつなぎ合わせ完全なゲノムを合成することに成功。

2007年 酵母菌を利用してDNAの断片をつなぎ合わせて、マイコプラズマ・ジェニタリウムという細菌のゲノムを構築することに成功。

2015年 中国で「ゲノム編集ツール」を使ってヒト胚のDNAを改変する研究が行われる。ネイチャー誌は「非倫理的研究だ」として厳しく警告。

ゲノム編集: これはDNAの二本鎖切断(DSBs)と、その修復という二つの過程よりなる。
標的へのターゲティングとDNA切断にはCRISPR-Cas あるいはTALENが用いられる。
修復には二つのパスがあり、相同性組換え(HR)あるいは非相同性末端結合(NHEJ)と呼ばれる。 非相同性末端結合においては、いやおうなく欠損が生じるため、対象となった不良遺伝子はノックアウトされる。

 

染色体屋さんの出遅れ

混乱の最大の原因は、染色体屋さんの出遅れにあると思う。

DNA・ゲノム研究が進めば進むほど、旧態依然たる染色体研究との格差が広がっていくように見える。

DNA・ゲノム屋さんは染色体のことなど馬鹿にして、一言も言わない。染色体屋さんはゲノムは自分の縄張りだと主張するが、説得力はますます失われつつある。

DNA・ゲノム屋さんが染色体屋さんに聞きたいことは、いったいなぜDNAは染色体に分かれるのだろうと言うことだ。さらに言うと、46都道府県に分かれるのはなぜかと言うことだ。道州制ではどうしてだめなのか。

もうひとつ、DNAが染色体と言う形で区分され、ひとつの自治体を形成するには、それなりの利害得失があり、その枠組みにはそれなりの大義名分があるはずだが、それは何なのか。

つぎに、分裂期とそうでないときに顕微鏡的には明らかに形態が違うが、それは染色体のありようの違いを示しているはずだ。それは何なのか。

後はちょっと副次的になってしまうが、染色体はペアーになってはいるが、良く見ればかなり違う。形態でなく、その働きから見てどこが同じで、どこが違うのか。塩基配列上はどうなのか。発生的に見て同じものがだんだん変わってきたのか、それともペアリングした後だんだん似てきたものなのか。

これらの疑問に染色体屋さんはほとんど答えてくれないし、そもそも疑問さえ持っていないのではないかとさえ思ってしまう。

これではいつまでたっても、「染色体屋さんは学生を悩ますために存在し続ける」ことになりかねない。あの高校生の悩みは解決してくれないだろう。

ゲノムの正確な定義

お手軽解説にこんなことを書いては、お手軽どころか、混乱に拍車をかけるだけなので、あえて省いた。

1.ゲノムは遺伝情報の総体だ

まず正確に言っておく。

ゲノムはDNAの表面に塩基配列という言葉を使って書かれた遺伝情報の総体を指す。

この一連の言葉の中で、「遺伝子」を表す部分はそれほど多くはない。それ以外の部分はかつては無駄な部分と考えられていた。しかしその部分も含めてすべての塩基配列が何らかの形で遺伝に関与している。

だから、ゲノムという言い方は不正確であり、塩基配列のすべてを「遺伝情報群」あるいは「遺伝情報セット」として考える必要がある。もちろんその中でも遺伝子の情報が決定的に重要なことは言うまでもない。

これについては下記のページでうまく説明されている。

カーネーションのゲノムは、2013年に、約4万3千個ある遺伝子の並び方がすべて解読されました。

カーネーションンの遺伝子は、約4万3千個。一方、ヒトの遺伝子は、約2万2千個です。

ヒトの遺伝子の数はカーネーションより少ないのですが、ゲノム全体の情報量はカーネーションの5倍もあります。
というのは、ヒトゲノムには、「遺伝子ではない」けれど「遺伝子のはたらき方を調節する部分」がたくさんあるからです。
その結果、いろいろな複雑な調節ができるのです。(NHK高校講座

なお遺伝情報についてはエピジェネティクスも関与するが、ここでは省略する。

2.ゲノムの話は染色体と一切かかわりない

現在使われているゲノムという言葉は、前にも述べたように「ジーン」と「-オーム」(群れ)をくっつけて作られた言葉である。

しかし、この言葉はかつては別な意味で用いられていた。ジーンは同じだが後ろの「-オーム」は染色体(クロモソーム)の「-オーム」である。

なぜか、その頃はまだDNAが知られていなかったからである。

だから木原 均は「すべての生物の歴史は染色体にきざまれている」(1946)と言ったのである。

しかしるる説明したように、現在のゲノムは染色体とはいっさい関係ない。そんなものを持ち出さなくても、完璧に説明がつくのである。染色体は小分けにして梱包されたDNAであり、「マルクス全集」の一分冊に過ぎない。

顕微鏡で見える染色体は分裂期にタンパク質で肥え太ったDNAがとる一時的な姿態に過ぎない。

にもかかわらず、ゲノムというと染色体の話を持ち出すやからが相変わらずいる。彼らこそが人々を混乱させ、困惑させている元凶である。

3.「お前、あほか」と叫びたくなる悪文

進研ゼミのサイトで、高校生からこんな質問があった。「ゲノムってそもそもなんですか?解説をなんども読んだのですが、ゲノムとはなんなのか、つかめません」

それで件の高校生が悩んだ問題。

【問題】
遺伝情報と遺伝子の発現について,次の文章中の空欄に適当な語句を記せ。

ヒトのからだは,1個の受精卵が( ①      )を繰り返してできた多数の細胞が,多種多様に( ②    )して形づくられている。

中略

遺伝情報は,染色体のDNAに含まれており,ヒトでは( ⑥    )本で1組の染色体のDNAが含む遺伝情報を( ⑦     )と呼ぶ。

つまり,ヒトの体細胞は( ⑦ )を( ⑧    )組もっていることになる。

①はなんだろう、「分割」かな?②は「特化」かな? 正解は「細胞分裂」と「分化」だそうだ。これは国語の問題か?

後ろの段はもっとひどい。質問の仕方が悪すぎる。そもそも「遺伝情報は,染色体のDNAに含まれて」いるというのが、ほとんど間違いだ。「その遺伝情報は第23支店のDNAに含まれています」と言うことでしかない。

それに、何を言いたいのか分からない文章だ。染色体を1本、2本と数える数え方も業界用語に過ぎず、なじめない。そのこととDNAがもつ遺伝情報を総称してゲノムということにはまったくかかわりない。

だいたい話が逆だ。1本のDNAが46個の染色体に分割されるのであって。染色体のDNAがひとつに合体するわけではない。

この問題が理解できずに悩んだ高校生はまことに気の毒である。

出題者の書いた解説というのが付け加えられている。

これを読むと、出題者が完全に勘違いをしていることが分かる。冗長なことこの上ないが、全文を転載する。

真核生物の体細胞は,通常,相同染色体を2本ずつもっている。ヒトの場合,父親と母親それぞれから生殖細胞を介して23本の染色体を受けとるので合計46本の染色体が核内に存在する。この生殖細胞がもつ1組(ヒトでは23本)の染色体のDNAに含まれるすべての遺伝情報がゲノムである。つまり,ヒトは父親由来のゲノムと母親由来のゲノムの2組のゲノムをもつことになる。

体細胞分裂では,細胞がもつゲノムは変化しないので,1個の受精卵からつくられる一人のヒトの体細胞は,基本的に同一のゲノムをもつ。一方,多細胞生物のからだは多種多様な細胞で構成されているが,細胞は,同じゲノムをもっていても,どの遺伝子がはたらくかを変えることで,多種多様に分化するのである。

そもそも何を言いたいのかが分からない。ほとんど統合失調の世界だ。生殖の話ならゲノムなど不要だ。ゲノムの話なら、生殖など不要だ。

DNAはタンパク合成のための設計図であり、生殖とか細胞分裂のためにあるのではない。人間は毎日毎日セックスのことばかり考えて暮らしているわけではない。もちろんその時はその時の対応はするが、日々のタンパク合成の営みとはカテゴリーが違う。

うっすらと想像できるのは、この出題者がゲノムという言葉は「染色体遺伝子群」を示しており、ゲノム論は染色体抜きに成立し得ないと信じ込んでいるらしいということだ。染色体のメガネを通してしかDNAを見れないほどに、脳みそがミイラ化している。私が校長なら、暫時休職を勧める。

これについてはウィキペディアの「ゲノム」の項目に詳しい説明がある。ことの性格上、かなりしちめんどうくさい議論となっているので、興味のある方は直接当たってください)

注意!: もし、ゲノムの説明の中に3倍体とか4倍体とか、染色体とか木原均だとか出てきたら、それは昔のゲノムの話なので無視してください。そういう文章は混乱するばかりなので一切読まないようにしてください。

 

トロップのロシアピアノ小曲選にレビコフという作曲家の作品が三つも含まれている。まったくの初耳の人だ。

ワルツがとてもよい。

とりあえずウィキペディアから

1866年5月31日 クラスノヤルスク — 1920年10月1日 ヤルタ ということでリャードフらと完全にかぶる。モスクワ大学哲学科を卒業。モスクワ音楽院にも学んだ、というからロシア・アマチュアリズムの人。

初期作品はチャイコフスキーの影響を示している。抒情的なピアノ小品集(組曲、連作、アルバム)のほか、児童向けの合唱曲や童謡を手懸けた。後年では、新しい進歩的な和声法を利用した。

ウィキペディアには辛らつなレビコフ評も載せられている。

ようつべで検索するとかなりの曲が聞ける。cubusdk という人が自演でアップしてくれているようだ。演奏は悪くない。ただしエレクトリック・ピアノのようでエコーも人工的だ。(Sound from ROLAND RD-700GXとのコメントがある)しかし聞く分には一向に差し支えない。

以下にリンクを張っておく。

情緒のある風景/ Stimmungsskizzen  Op.10  1 Ländliche Scene (Pastoral scene) 2 Volkslied (Folk song) 3 Lustige Stimmung (In cheerful mood) 4 Trost (Depre

Vladimir REBIKOV: Valse Miniature, Op. 10, No. 10

Vladimir REBIKOV: Waltz in B minor, Op. 10, No. 8

夢, 5つの音楽風刺劇/ Les Rêves, 5 mélomimiques  Op.15

Vladimir Rebikov : Naïade , Op. 15 No. 1

クリスマスツリー, 組曲/ Christbaum, suite  Op.21  [1 piano 4 hands]

Vladimir REBIKOV: Op. 21, Valse (Yolka)

 Vladimir Rebikov - Waltz, from "The Christmas Tree" (PIANO SOLO VERSION) Yevgeny Yakovlev

黄昏時に/ A la Brune  Op.23  [1900年]

Vladimir REBIKOV: Chant d'hiver Op. 23, No. 2(Winter Song)

Vladimir REBIKOV: Persuasion (Op. 23, No. 3)

Vladimir REBIKOV: Espérance (Op. 23, No. 4)

Vladimir REBIKOV: Souvenir (Op. 23, No. 5)

Vladimir REBIKOV: Il était une fois.... (Op. 23, No. 8)

田園生活の情景/ Scènes bucoliques  Op.28

Vladimir Rebikov: 2 Dances from op.28 Jouni Somero, piano

Vladimir Rebikov - Scenes bucoliques Anthony Goldstone

Fleurs d'Automne f-moll (1 Moderato 2 Andante 3 Moderato)作品29

Vladimir REBIKOV: Fleurs d'automne I

Vladimir REBIKOV: Fleurs d'automne II(秋の葉 おそらく第2曲アンダンテ)

同じ曲で管弦楽作品もあった。

Misha Rachlevsky - A Russian Mosaic - Chamber Orchestra Kremlin: Vladimir Rebikov (「秋の葉」の3曲全曲が聞ける)

Vladimir REBIKOV: Valse Mélancolique B minor

Vladimir REBIKOV: Waltz in F# minor

ほかのサイトでもいくつかが聞ける

Vladimir Rebikov - Small Bell Dance in E Flat Major Anatoly Sheludyakov

こちらは合唱曲

Russian Orthodox Music - Have Mercy On Us, Vladimir Rebikov / Children's & Youth Choir "Sophia"

まずはお手軽に「ワンポイント解説」から。

これは独立行政法人製品評価技術基盤機構(NITE)のホームページから拾ったもの。

1.ゲノムとは

ゲノム(genome)とは遺伝子の英語ジーン(gene)と集合をあらわす"-ome"を組み合わせた言葉です。

うーむ、「オーム」というのはシンドロームの「オーム」か。ということは「遺伝子群」ということになる。つまりセットとして把握された遺伝子集団のことだな。

その実体は生物の細胞内にあるDNA分子であり、遺伝子や遺伝子の発現を制御する情報などが含まれています。

そうか。1個のDNAに乗っているすべての遺伝子のセットのことだな。ただ注意しなければならないのは、「や遺伝子の発現を制御する情報など」もふくまれることだ。ここには明らかに言葉の拡大解釈がある。これについては項を改めて説明する。

細菌などの原核生物の場合,DNAはリング状で、そこに代謝や分裂などの生命活動に必要な数千個の遺伝子が含まれてい る。真核生物の場合には,DNAは染色体に分かれて存在している。人間の場合なら常染色体の23本と,XとYの性染色体2本に分かれ1セットのゲノムが含まれる。


2.ゲノム解析とは

ゲノム解析といっても二つの段階がある。

A) 塩基配列の解析

DNAというのは蝿取りリボンのようなもので、ぐるぐると垂れ下がった紙リボンの片側に糊がついている。この糊にあたるのがA、G、C、Uの4つの塩基である。

これ以上の説明は省略するが、塩基には並び順があって、それがリボンの端から端までずっと続いている。

この並び順を完全に明らかにしようというのが塩基配列の解析で、実はこれは2000年頃にすでに完了している。

B) 塩基配列の解読

ゲノム解析では端から順番にDNAの塩基配列を調べていって、「遺伝子の発現を制御する情報」、要するに開きカッコ(「)と閉じカッコ(」)を見つければ、その間が遺伝子ということになる。

A) はゲノム解析ではない。DNA上の塩基配列の解析に過ぎない。B) はその区画化とグルーピングに過ぎない。両方とも厳密な意味でのゲノム(遺伝子群)解析とは言えず、むしろ勝負はこれからということになる。

3.ゲノム解析の手法

A) 塩基配列の解析方法

これはいかにもアメリカ的な手法で、ショットガン(散弾銃)作戦と呼ばれる。とにかく取り出したDNAをみじん切りにして、片っ端からクローン培養する。

DNAの断片が大量にできあがったところで、その塩基配列を解析する。無数の塩基配列情報が出来上がるので、これをコンピューターにかけて「絵合わせ」をしていく。そうすると下記のごとくDNAの全体像が浮かび上がってくるというしだいだ。

アセンブルの操作

「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」ということだ。昔の日本人なら「何とかもう少し要領よくやる方法はないものだろうか」と考えると思うが、最近は安部首相みたいなノータリンばかりだ。

B) 遺伝子領域の推定

先に述べた開きカッコと閉じカッコは、開始コドンと終止コドンと呼ばれる。開始がATGで終止がTGAだからつじつまは合っている。

その間が推定遺伝子領域と呼ばれる。英語で言うとOpen Reading Frame:ORFとなる。

読んで字のごとく遺伝子だろうと推定されるに過ぎない。本当にそれが遺伝子なのかどうかは、いろいろやってみて、機能を推定するほかない。

この「意味づけ」作業が、英語で言うとアノテーションとなる。

アノテーションの結果はNITEに集積されていて、いつでも研究者が利用できるようになっている。ということで、最後はNITEのPRで終わり。

ゲノム情報データベース
DOGAN

生物の系統発生学でゲノム解析の技術が導入されて以来、これまでの常識が次々と覆されている。とくに昆虫の世界では既存の系統図がほとんど役に立たないほどの有様となっているようだ。また人類の起源においても次々に新説が飛び出してくる。

困ったのは、それがどのくらいの信憑性があるかというのが、判断しかねることだ。どれが正しい技法による解析なのか、どれが不正確なものなのかが分からない。

なかには、科学的な装いを凝らした大法螺もあるだろう。現在の学会はどこもプライオリティーでしのぎを削っているから、スタップ細胞みたいなスキャンダルが生まれかねない。

ゲノム解析の前に、我々はミトコンドリアDNA、Y染色体など類似の手法に親しんできた。それらを組み合わせながら従来の説を補強してきた。

これらに比べるとゲノム解析の情報量ははるかに多いので精度は格段に上がる。逆に資料の問題、コスト問題などから検査対象となる個体数は多くはない。

したがって統計的手法がとりにくい。したがって対象生物の個体差が干渉する余地が大きい。

こういう二面性を踏まえておくべきであろう。

とにかく、ゲノム解析の方法、その限界について最低限の知識を持っておくべきだろう。

ということで、勉強を始めたのだが、何せ新しい学問だから聞きなれない言葉のオンパレード。まるで外国語文献を読んでいるようだ。

とはいえ、私も医者の端くれ。「知らない」では済まされない。これまでの蓄積もある。まずそことの端をつなぐことから始めなければならない。

この手の学問は、何かとてつもない技術的なブレイクスルーがあって一気に発展するものだ。そしてこの技術を用いて次々と新発見が繰り返され、その中で新たなコンセプトやカテゴリーが構築され、それらに名前がつけられていく。

こうしてあっという間に知識の一大ビルが立ち上がってしまうのである。かつてそういう前線の一翼を担ったものにとっては、そういう体系的な認識はなく、後から来た人たちがそれを「学問体系」として把握しているのを見て、「はぁあ、そういうものだったのかねぇ」とひとりごちてしまう。

いつまで戸口の前で、しゃべっているのだ。まずは言葉の理解から。

もういい加減やめにしたいのだが、最後っ屁で、リャードフとリャプノフの関連年表。

 

リャードフ

リャプノフ

1855

サンクト・ペテルブルクに生まれる

 

1859

 

ヤロスラヴリで生まれる。まもなくニジニ・ノヴゴロドに移る。

1870

ペテルブルク音楽院に入学。R・コルサコフに学ぶ。

 

1878

ペ音楽院で教職につく。門下にプロコフィエフ、ミャスコフスキーなど

モスクワ音楽院に入学。

1885

 

バラキレフを慕いペテルブルクに移る。帝国地理協会の民謡収集部に所属する。

1886

ロ短調の前奏曲(作品11の1)を発表

 

1893

「音楽の玉手箱」を発表

 

1897

 

超絶技巧練習曲の作曲を開始。完成は1905年

1905

「ババ・ヤガー」を発表。以後、管弦楽曲に集中。09年には「キキモラ}

 

1910

ディアギレフの新曲依頼をキャンセル。代わりに提供されたストラビンスキーの「火の鳥」が大ヒット。

 

1911

 

ペ音楽院教授に就任。

1913

 

プラタナスの歌を含む小曲集(作品57)を発表

1914

死亡

 

1924

 

革命を逃れパリに移るがまもなく死亡。

 二人が旺盛に作曲活動を展開した時期はほぼ重なり合っている。

まず最初は1880年代後半から1890年代前半にかけてであり、ともにピアノ小曲を中心にコツコツと積み上げている。

この時期においては、リャプノフのほうが大規模曲も手がけたりして一歩先を行っているようだ。ただリャードフのロ短調の前奏曲や「音楽の玉手箱」に匹敵するような有名曲は、リャプノフにはない。

例の93年の民謡収集旅行の後、リャプノフは超絶技巧練習曲の作曲にとりかかり8年の歳月をかけて完成させる。この間リャードフはピアノ小曲をポツポツと作りつつ、管弦楽法の習得をすすめる。

リャプノフは超絶技巧練習曲の後もピアノ・ソナタなど活動を展開するが、形式的にはリストのレベルに留まり、ロシア民謡の吸収も未消化に終わっている。

もともとメロディーで勝負する人ではないが、後半になるとますますメロディーが枯渇してくる印象だ。

いっぽう、リャードフは1905年の「ババ・ヤガー」で管弦楽曲作家として華麗なデビューを果たし、ピアノ小品でもいくつかの佳品を作曲している。

リャプノフは作品57の小曲集などいくつかの佳品を残すが、結局、超絶技巧練習曲の作家として終わってしまう。

リャードフは、大掛かりな管弦楽曲は作れるようになったが、長い構成的作品は作れないままに終わった。しかしそのモダンな手法はストラビンスキーやプロコフィエフに受け継がれている。

というところか。

上野先生に頂いた森熊たけし著「漫画100年、見て聞いて」を、明後日の多喜二忌を前に、遅まきながら読んだ。
A4版で120ページというからかなりの大部ではあるが、絵や写真が満載なので読むのにさほど時間はかからない。
ふじ子の俳句をまとめた「寒椿」という句集がそのまま掲載されている。加藤楸邨に師事したということで、かなり技巧的にも洗練されたものだ。
表紙がいいので、そのまま転載する。多喜二が舞い上がった理由も、セキが好まなかった理由も、森熊がすべてを恕し続けた理由も、すべてこの写真で説明できる。
寒椿

句集の題名は彼女がつけたものではなく、夫、森熊猛によるものだ。由来は彼女が投稿していた句誌「寒椿」によるものだから、それほど深い意味はない。
ただし森熊によると、東京都知事選に美濃部さんが当選したとき、作った句に寒椿が出てくるので、それもあって「寒椿」としたのだそうだ。それがこの句である
枯芝に 紅こぼしけり 寒椿
紅は紅の旗を指すのであろう。さすれば寒椿は風雪に耐える民衆の力の象徴ということになる。
次の句は多喜二に関するもので、有名なものだ。
アンダンテ カンタビレ聞く 多喜二忌

多喜二忌や 麻布二の橋 三の橋
これは句誌に投稿したものではなく、ノートに書き残されていたものを森熊が見つけ出したものだ。
蛇足で申し訳ないが、アンダンテ・カンタービレはチャイコフスキーの弦楽四重奏曲第一番の第二楽章。甘美な曲だ。バイオリン独奏用の編曲もある。
多喜二はバイオリンが大好きだったから、二人だけの隠れ家でレコードをかけて、音が漏れないように覆って、ふじ子を傍らに聞き入ったのであろう。ふじ子は体中を耳にして、多喜二の息遣いまで一緒に、その情景を心の奥底に綴じ込んだ。そのアンダンテ・カンタビレを、多喜二の何回目かの命日に、一人で密かに聞いているのだ。
“麻布二の橋、三の橋”は、二人が特高の目を逃れるために麻布界隈の間借りを転々としていたことを指す。それが走馬灯となって甦る。畢生の名文句だ。そこにあるのは、覚悟した、まことに濃密な愛の空間である。
これを読んだ時の森熊の胸中も、察するにあまりあるものがある。

つぎに「遺稿」の中から「自己紹介」という文章が紹介される。
わたしは悪女です。それも余り頭の良くない悪女です。人が信じようが、信じまいが、本人が言っているのですから間違いありません。
来世は史上最後の美女に生れます。世界の人類を魅了して夭折します。 以上
「以上」というのが、あっけらかんと潔い。彼女なりに、こっそりと懸命に「悪女」を生き抜いたのかもしれない。
たしかに「美女」とは言えないかもしれないが、それだけで十分に魅力的だよ。

さて句集だが、ひねりを利かせた叙景の中にかすかに叙情を込める技巧はさすがのものだ…と言いつつ眺めているうちに、大変なものを見つけてしまった。
句集の中に、やや場違いに、「恋の猫」の句が二つほど投げ込まれている。飛び飛びで、悟られぬよう密かに紛れ込ませたようにみえる。
恋猫の 一途 人影 眼に入れず

ボロボロの 身を投げ出しぬ 恋の猫
技巧もへったくれもない。まさにあの日あの時の情景だ。
分かるのは、ふじ子が多喜二の傍らでは「恋する猫」であったこと、多喜二がむごい死を迎えたその日、ふじ子もボロボロだったこと。ボロボロだったから、原泉に「私は多喜二の妻です」と叫び、人目もなく多喜二(の遺骸)に向かって身を投げ出したこと。
思えば2月のあの日、馬橋から阿佐谷の駅への道すがら、寒椿も紅色に咲いていたことであろう。

北海道における中国人の強制労働

まず、数字から明らかにしていかなければならないだろう。日中友好協会北海道連合会の資料から引用する。

1.中国人38,939名が日本に連行され各地の事業所で奴隷労働を強いられた。

2.強制連行は1943年4月から1945年5月にかけて行われ、強制労働は終戦まで行われた。強制連行が5月で終了したのは海上輸送が困難になったためである。

3.中国人の強制労働を行ったのは全国135の事業所であった。北海道では58事業所に16,282名の労働者が配置された。これは全体の42%にあたる。

4.その労働が如何に過酷であったかは死亡率を見れば一目瞭然である。全国では6,821名が死亡した。死亡率は17.5%に達する。このうち北海道では3,047名が死亡、死亡率は18.7%となる。

死亡率20%以上の事業所を上げておく。2015年3月15日 中国人殉難者全道慰霊祭で発表された数字のようである。慰霊祭には道知事はじめ各地の首長が賛同していることから、公式な数字と見て良いだろう。

事業場 連行人数 死亡者数 死亡率
1 北炭・空知天塩 300 136 45.3
7 伊藤・置戸 499 104 20.8
12 地崎・東川 338 88 26
13 三井・芦別 684 245 35.8
14 川口・芦別 600 278 46.3
15 鉄工・美唄 415 91 21.9
17 三井・美唄 597 163 27.3
20 川口・上砂川 299 86 28.8
25 鉄工・神威 391 115 29.4
26 川口・豊里 200 52 26
39 三菱・大夕張 292 84 28.8
40 地崎・大夕張 388 148 38.1
41 鉄工・室蘭 439 127 28.9
42 川口・室蘭 969 309 31.9
43 港運・室蘭第一 147 31 21.1
44 港運・室蘭第二 99 29 29.3
45 港運・室蘭第三 202 67 33.2
47 北炭・平和角田 294 76 25.9

総  計 20,430
実数
16,282
3,047 18.7

かなり死亡率にばらつきはあるので、会社のトップだけの責任ではなく、現場の指揮者も積極的に関わったうえでの数字だと思う。「鬼畜米英」と叫んでいた連中こそが、まさに「鬼畜」であった。
この表につけられたコメントを転載しておく。

太平洋戦争開始後約1年たった1942年11月27日、時の東条内閣は日本国内の重労働に従事する労働力の不足を補うために、中国人を強制連行することを きめました。この方針によって、中国の河北、河南、山東、山西など十数省から一般住民および軍事俘虜が日本に連行され、苛酷な強制労働に従事させられまし た。
 その数は、少なくとも、41,762名と考えられ、このうち乗船した数は38,939名です。
 北海道には、16,282名が、58の事業場に連行され、その配置総数は20,430名です。その内死亡者は3,047名で死亡率は18.7%にも達し ています。これは当時の日本人の死亡率1.631%にくらべると、恐るべき数字であることが分かります。しかもこれは、わずか1年ほどの間のことですか ら、もし戦争が長引いていたら、連行された中国人はおそらく全滅したと思われます。

これは「労働」の名に値しない。「皆殺しの苦役」だ。

巷間、慰安婦問題のみがかまびすしいが、率直に言えば、そちらのほうを大声を上げることによって、これら強制連行と強制労働、事実上の大量虐殺についての事実を覆い隠そうとしているのではないかとさえ思ってしまう。

それは契約に基づく「自由労働」ではなかった。「労働者」は使い捨てのおしめであった。日本の会社側に「労働者」のことを思いやる心は皆無だったことを覚えておこう。


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