鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2015年08月

YouTubeに初めてアップロードした。
初めてとあって、なかなか面倒だ。
まずはウィンドウズのダウンロードから何やらかんやらというソフトのセットをダウンロードした。
その中にムービーメーカーというソフトがあってそれだけ欲しいのだが、そういうわけには行かなくて、余分なものまで全部揃いで落とした。これが結構時間がかかる。
それでムービーメーカーというソフトを立ち上げて、そこにまず適当な写真を入れる。
写真をはめ込むと、次に「音楽をつける」というボタンを押す。そこで何を入れるかという画面が出て、そこに音楽ファイルを入れる。ほとんど手持ちはYouTubeから落として剥ぎとったAACファイルだが、AACは面倒そうなのでMP3に変換していれた。
それだけでもアップできるのだが、デフォールトだと静止画面は30秒ほどで切れてしまう。そこで「音楽の長さに合わせる」を選択すると、音楽がなっているあいだ画面が流れ続ける。これで完成だ。
これを動画ファイルとして保存する。これが結構時間を食う。
つぎに、YouTubeのホームを開くと、右肩に「アップロードする」というボタンがあるのでそこを押すと画面が出てきて、後は指示されたとおりに操作していけば完了だ。
つまり動画ファイルを作るまでがなかなか難しくて、出来上がってしまいさえすれば、後はさほどの苦労はない。
ということで、出来上がったのが「Sibelius Trial」というファイル、URLは以下のとおり。
https://www.youtube.com/watch?v=ND1CiD_Ndmw
時間は14分41秒。何故かと言うと、15分を越すといろいろ面倒な手続きをしなければならないようなので、という簡単な理由。
なぜこれをアップしたかというと、Audacity という“音質改善ソフト”のデモンストレーションである。
以前の記事で、Bughead Emperor について書いた時に「お化粧ソフト」と表現した。たしかに音は綺麗になるが、それは高性能だからではなく、原音にお化粧するのではないかと考えたからである。
このSibelius Trial の原音は以下のものである。
Sibelius - Symphony n°7 - Cleveland / Szell live
Live recording, Helsinki 23.V.1965 とのコメントがある。
必要な音はすべて入っている。しかしモノーラルであり、最強音が飽和している。全体として音がくぐもっている。しかも全体の音量と近接マイクのバランスが何とも不細工だ。
原音がおそらくエアチェックで、時代から考えるとAM放送の音源の可能性もある(AMというのは帯域を広く取れば意外にいい音なのだ。むかしはそういうチューナーがあった)。しかもアップロードの際の音量が大きすぎる。
しかしそれを乗り越えるほどの演奏である。セルとクリーブランドの最盛期のものだ。しかも本場に乗り込んでのライブだから力が入っている。いわば「お宝」音源だ。
そこで、とりあえず聴きやすくしてみようと思い立った。
やったのは以下のことである。
1.ノイズの除去。これで音のくぐもりはとれる。しかし間接音のかなりが失われる。
2.Clip Fix。これで飽和して失われた音が擬似的に回復される。しかしこれで回復されるのはせいぜい半分くらいである。これをやると音が硬くなりキンキンする。
3.ノイズの除去をすると間接音が失われるので、どうしても音はデッドになる。そこでGverbで残響をつける。Gverb の調整についてはいろいろな人が書いているので、それを参考にした。なおAudacity の最新版ではGverb が外されているので、サイトから拾ってくる必要がある。
4.それから疑似ステレオ化を行う。これはステレオトラックを一旦左右に分離して、片方のチャンネルの出だしを少しだけ削って時差を作り出す方法である。人間の耳はいい加減なので、これをステレオと感じてしまう。この効果は抜群なので、これだけでもいいくらいだ。ただしこのファイルはやり過ぎである。(効果を強調するため)
5.最後に圧縮を行って、音量を適正化する。
以上の処理を行ったのが、わたしのアップした“動画”である。
両方を聴き比べてみると、聴きやすさはずいぶんアップしている。しかし、原音にふくまれていた“雰囲気”はずいぶん失われてしまっている。この辺りは素人の限界なのだが、おそらくノイズの除去をどの程度までやるか、どこで我慢するかで変わってくるのだろうと思う。
いずれにしても自分でAudacity をいじってみると、いわゆる「高音質音楽ソフト」は何かをやらかしているに違いないと思う。
むかし、中学時代の同級生の女の子が同窓会で会うと見違えるほどの美人になっていて、びっくりしたおぼえがある。今や眉を剃って墨で描いて、アイシャドウを入れてつけまつ毛をつけるだけで、変身できる時代なのだ。ましてや聴覚など、だますのはいとも簡単だ。
ダマされないように気をつけるか、ダマされる快感をだいじにするか、そこはあなたのお好みしだい…ということになる。ただ、それを「高音質」と呼ぶのは羊頭狗肉のたぐいであろう。高音質というのはブスはブスらしく忠実に再生することのはずである。

ウィキペディアに「帝国国防方針」という項目があって、日本軍の戦略の変遷が要領よく説明されている。

まず「帝国国防方針」とは何かという説明。

陸海軍の国防の基本戦略を記した文書で、軍事機密とされていた。

第1回めの策定は明治40年に天皇により裁可された。その後大正7年、大正12年、昭和11年の3回にわたり策定されている。

山県構想(明治38年 1905年)

策定のきっかけとなったのは1905年8月、日露戦争の直後に日英同盟の改訂が行われたことである。主要な問題意識は、イギリスとロシアが開戦した場合の日本軍の対処であった。

山県案では仮想敵国はロシア・アメリカ・ドイツ・フランスに設定されていた。

第一次国防方針(明治40年 1907年)

山県有朋の構想を元に田中義一(当時中佐)が陸軍草案を作成した。海軍側もこれに対抗して同様の計画を提出した。

国家目標: 開国進取の国是に則って国権の拡張を図り、国利民福の増進に勤める二点。

国家戦略: 満州及び大韓帝国に扶植した利権と、東南アジア・中国に拡張しつつある民力の発展の擁護と拡張。

国防方針: 東アジアにおいて日本の国家戦略を侵害しようとする国に対して攻勢を取る。満州や韓国の利権を扶植。専守防衛路線は明確に否定される。

仮想敵国は、最終的にはロシア・アメリカ・中国に変更された。

政府は統帥権の独立を盾に関与が拒まれた。政府は軍備増強を拒否することで対抗した。

第二次国防方針(大正7年 1918年)

第一次大戦の動向を取り込むための改正。総力戦思想が持ち込まれた。

欧州の疲弊により、仮想敵はアメリカ、中国、ソ連に改められた。ロシア革命後の混乱によりソ連の比重は下げられた。

統帥権は維持したまま、閣議に計画書を提出して同意を求める。

第三次国防方針(大正12年 1923年)

仮想敵はアメリカ、ソ連、イギリス、中国に改められた。総力戦思想に加え、短期決戦の考えが打ち出された。

これは「敵を海外において撃破して速やかに終結する」という戦法である。

第四次国防方針(昭和11年 1936年)

外交で国家の発展を確保し、有事においては先制主義と短期決戦を軍事ドクトリンとする。このため平時における軍事力の準備が強調される。

ということで、前の記事を全面的に変更しなければならない。

1.ソ連主敵論は、日露戦争以後一貫したものだったというのは間違い。1925年ころから、ソ連の国力増強に合わせて打ち出されたもの。

2.一貫した主潮は東アジアへの進出と、武力干渉であり、中国侵略は対ソ戦略の方便ではない。

3.総力戦と短期決戦思想は本来は整合的なものではないが、接ぎ木される形で打ち出されている。これは日露戦争を僥倖ととらえる冷静さが次第に失われていく経過ではないか。

4.軍は統帥権を振りかざして政治の容喙を拒絶する一方、国家目標・国家戦略にまで踏み込んでおり、当初より軍事独裁の傾向を内包していた。

この基本構造の上に、永田・東条の主戦論が乗っかっていくという経過を理解しておく必要がある。ただしこのウィキペディアの記載では第四次国防方針の記載がほとんどないので、確言はできない。


強いられた国家改変としての明治維新

1.明治維新の内包する二面性

明治維新から太平洋戦争へと進んでいく経過は、一面では明治維新の精神の継承でもあり、一面では明治維新の精神からの逸脱でもある。

つまり明治維新にはそういう二面性が内包されていたということになる。

2.明治維新は外圧による国家の進路変更

明治維新は、実体としては開国であった。国際化とその中での生き残りである。それはある意味で強いられたものであった。外圧(黒船)がなければ、それは明治維新という形態では実現しなかったろう。

「生産力と生産関係」論から明治維新の必然性を説く人もいるが、それは違うと思う。それだけではせいぜいが異なる統治形態の実現に導かれるだけであったろう。

3.国内勢力のみによる国家の権力改変

この闘争の稀有な特徴として、支配層がまっぷたつに割れて、正面から力相撲を行って、その片方が勝利したということがある。

相争う二つの勢力がいずれも国内を基盤とし、外国勢力や買弁資本家の関与なしに戦争を遂行した。

なぜそれが可能だったか?

それを遂行するだけの財政基盤が国内に存在したからである。しかしそれだけではない。攘夷の思想が蔓延し、外国人への襲撃や戦闘が相次いだ。

それらは欧米政府にとってカントリー・リスクとなり、干渉をためらわせた可能性がある。

4.明治維新の精神

以上のことから、明治維新の精神は攘夷を内に秘めた開国の思想と結論される。そこには改変を自力で成し遂げた強い誇りと、それを急がせた強い危機感がある。

それはやがて、きわめて軍事色の強い「富国強兵」策となる。しかも、アジア諸邦から抜け出し、列強の仲間入りし、他国を侵略する側に回るという、ひとりよがりな“成り上がり”思想となっていく。

草の根レベルでは、桎梏となっていた幕藩体制から解放されたことで自主的な運動も巻き起こるが、それらは日清・日露と続く戦争の熱狂の中で明治政府に押しつぶされていく。


永田鉄山を勉強するのにネットにあたってみたが、どうもピンぼけの説ばかりだ。
むかし読んだ「失敗の本質」に迫るような分析はない。
ただ「失敗の本質」は軍事戦略の分析だ。外交戦略の分析ではない。
ところが外交戦略となると、松岡洋右や広田弘毅の話に行ってしまう。
外交戦略の本質は、そういうたぐいの話ではない。
中国とどう付き合うか、東アジア全体とどう向き合うのか、そこにどのような世界を形成していくのかというビジョンが鍵を握っている。
その際に、念頭に置かなければならないのは日本の主権の及ぶのは対馬海峡までだということだ。それより以遠には別の民族があり主権がある。それを侵害することには大義がない。ましてや軍事行動などもってのほかだ。それはソ連も同じである。
このような発想は永田はもちろん、軍部の誰も持ち合わせていない。
しかしこのことは、さて置いていこう。
軍事戦略の基本は誰を敵とするかだ。この対抗関係において中間地点の陣取りを決めていくことになる。
どうも色々読んでいくと、陸軍がソ連なのは良いとして、海軍の仮想敵がアメリカと書かれている。ホントかいな。
もしそうだとすると、問題は二つある。ひとつはどうしてこれをすりあわせないのかということだ。これでは最悪の二正面作戦になる。
もう一つは、もし海軍がアメリカを仮想敵としていたなら、それだけでキチガイじみた戦略だということになる。もしそれが脅威であるならば、それを現実の敵にしないことが最大の戦略ではないか。
もっとも、アメリカを仮想敵としていたかどうかは目下のところ定かではないから、これ以上の言及は保留する。
それで、日本軍が全体としてはソ連を仮想敵としていたと仮定しよう。ここからが軍事戦略の本論だ。
中国東北部(旧満州、以下満州と記す)が最前線であることは疑いない。
1.外交もふくめた戦略としてまず挙げなければならないのは、ソ連の政治的包囲だ。ソ連が武力を用いて南下しないように国際環境を整備する必要がある。
それには中国、朝鮮をふくめて東アジアの国々を味方につける必要がある。より軍事的な観点からは戦略上の要衝に硬い楔を打ち込む必要がある。
2.率直にいって当時の現実的状況からは、朝鮮と中国の国境を隔てる鴨緑江、豆満江のラインは生命線と想定されるであろう。さらに攻勢的に戦略を想定するなら、関東州からハルビンに至る満鉄は守るべき権益であろう。ただし後者は「権益」であって領土であってはならない。
列強との協調体制を守るには、それは越えてはならない一線だったはずである。
3.当時のソ連は間違いなく国際的に包囲されていた。したがって、日本は日英同盟を守り、米国との親善を強化する限り、ソ連の脅威など問題にならなかったはずだ。
もちろんソ連はシベリア鉄道を通じての東方進出は国是に近いものがあった。またスターリン以降、東方戦略は飛躍的に強化された。したがって満州の権益をめぐり、さまざまな小競り合いが発生することは容易に予想される。
ただそれは、主要にはソ連対中国の問題として発生するだろうし(日本対中国の問題と同じように)、日本としては蒋介石なり東北軍閥なりを支援すれば良いだけの話である。
したがってソ連脅威論は、机上の空論とまでは行かないが、現実のものではなかったといえる。
であれば、軍のソ連脅威論はむしろためにするための議論ではなかったか、という感じがしてならない。






しかし面白い話だ。「女性自身」の4,5冊に目を通した。
「女性自身」では、平和・護憲が美智子さまの優しきイメージと完全にかぶっている。そして、おいたわしいまでのご心労ぶりが読者の涙をさそうのだ。
いっぽうで、これほどまでに美智子さまをいじめ抜く君側の奸、“さてもにっくき仁木弾正”役は、完全に安倍晋三に振りかぶされている。
たとえ読むのが一人でも、女性には倦まずにしゃべり続ける口がある。
この世界ではひとつの神話が生まれつつあるのだ。
これではお偉方のご夫人は、とてもじゃないが美容院などいけない。隣のチェアのご婦人が「女性自身」を開きながら、ときおり氷のような視線を浴びせる。「あれが仁木弾正の妻よ」と、その目は語っている。
まぁそのような安手の美容院に行くことなどないだろうが…

安倍談話と真逆の天皇談話出れば、国際的には上位の声明となる
これは女性セブンに予告された記事で、結局載らなかった記事の見出しだ。
相当刺激的だ。
安倍晋三は4月28日の「サンフランシスコ講和条約」記念祝典で、万座の中で天皇に恥をかかせた。
天皇が、サンフランシスコ条約で沖縄を売り渡したことにどれだけ苦痛を感じているかは、その後の度重なる沖縄行脚の中で明らかにされている。「もう一勝負」と沖縄決戦を推進したのは父親たる昭和天皇だった。その結果10万を超える無辜の市民が犠牲となった。そして、戦後沖縄を差し出せとアメリカの手に渡したのも昭和天皇だ。
その講和条約を「独立の回復」と手放しで奉祝する集会に出るだけでも苦痛だ。しかも最後に勝手に「天皇陛下、万歳」とやったのはあんただ! 俺は見たぞ!
その安部首相が、戦後70年の首相談話を出すと聞いた時、天皇は身悶えしたと思う。
その結果が「4つの言葉の付加」だ。たしかにこれは戦後70年における「天皇談話」としての意味を持っている。
その重みは首相談話よりはるかに重い。とくに海外ではそうだ。なぜなら天皇は国内ではたんなる象徴にすぎないが、海外では「元首」として扱われているからだ。なぜなら外務省が(憲法を無視して)元首として天皇を押し出しているからだ。
これは議院内閣制をとる共和国における「大統領」に相当する。ドイツで言えばかつてのワイツゼッカー大統領がそうだ。
しかもその発言は間違いなく日本国民の大多数の声を反映している。安部首相の談話が日本国民の声を反映していないのと同じくらいにだ。
臣 安倍晋三としては天皇挨拶との整合性を確保しなくてはならない。辛いだろうね。
だから大手メディアの殆どは、天皇挨拶の扱いに困って、結局無視した。女性週刊誌はしっかりフォローした。我々も見習わなければならないだろう。

女性週刊誌の動向が少し飲み込めてきた。
とにかく、皇室がらみと否とを問わず平和・護憲の立場から記事を連発しているのは「女性自身」だということだ。それに「週刊女性」が追随している。
それで焦った「女性セブン」が平和・護憲路線を後追いしようとしたところ、どこかの圧力でへこたれてしまったという筋書きのようだ。
我がクリニックの待合室には三種類の週刊誌が備えられている。日刊紙は二種類、北海道新聞と道新スポーツで、残念ながら「日刊赤旗」はお呼びでない。私が愛読しているのは道新スポーツの1,2面。ここが北海道日本ハムファイターズの指定席になっている。とくに勝った日の翌日は Must だが、しばしばそういう時ほど先客がいて読めずに終わる。
週刊誌は週刊文春と女性自身、それに事務局長が読み終わった「週刊ダイヤモンド」の3つ。週刊文春はせめて週刊現代くらいにして欲しいが、下品なので嫌われるのか。中身は週刊文春のほうがはるかに下品なのだが…
話を戻そう。
それで「女性自身」のバックナンバーを手にとってチェックしてみた。東京新聞も真っ青、まさに平和・護憲の連打である。しかも週刊誌という性格上、かなり踏み込んで(曖昧な根拠でも)書ける“強み”がある。
なぜ女性週刊誌(というより女性自身」)がこれほどまでに突っ込んで書けるのかということで調べてみた。

まずウィキペディアの「女性週刊誌」の項目。

女性週刊誌とは、女性を主な購買層と想定している週刊誌の総称である。「日本国外には例がない」そうだ。

代表的なのが以下の三誌。

『週刊女性』

主婦と生活社

26万部

『女性自身』

光文社

42万部

『女性セブン』

小学館

42万部

ということで、女性自身と女性セブンがしのぎを削っている状況が分かる。

ただ全体としては斜陽業界で、「ヤングレディ」や「微笑」などはすでに廃刊になっている。

おおむね女性客の多い店舗に置かれ、待合時間の閲覧に供される。

ということで、個人が家庭でとる雑誌ではない。

ついで「女性自身」の項目

1958年創刊。創刊時はアメリカの『Seventeen』と提携したファッション雑誌であった。しかし売り上げが伸びないため、皇室ネタを中心にした女性週刊誌として大幅に方針転換されていった。

しかし

皇室報道において虚偽内容の記事を掲載したとして、宮内庁から複数回に渡って抗議や記事の訂正を求められている

ということで、“週刊誌らしさ”は健在である。

しかし、ウィキペディアの記事を見ても「女性自身」が平和・護憲問題で突っ張る理由は良く分からない。


そこで注目されるのが朝日新聞デジタル の以下の記事

2015年8月10日 「安保法制、女性週刊誌も特集 韓流スター以上の反応」と題されている。

そろそろ消えてしまう可能性があるので、要点を紹介しておく。

女性週刊誌のテーマといえば、芸能ニュースと、健康や家計のやりくりといった生活関連型の話題が中心だろう。ところが、この夏、安保法制の特集記事が立て続けに掲載されている。読者の強い関心に後押しされた結果だという。

というのがリード。以下本文から

自民党の重鎮議員は、日頃読むことのなかった女性週刊誌に、頻繁に目を通すようになった。…党内で『女性週刊誌対策』をしようという声もある。

…安保法制への抗議行動を特集した「寂聴さん『このままでは戦争に…』」(女性自身 7月7・14日合併号)は、読者アンケートの人気ランキング1位に。

もともとは政権に批判的な立場ではなかった「週刊女性」も、読者の要望にこたえ安保特集を始めた。「『戦争法案』とニッポンの行方」と題し、10ページにわたって法案の中身を特集した。

この号は実売率が平均より3~4ポイント上がり、追加注文もあった。寺田文一編集長は「特集を支持する声が多くて驚いた。韓流スターや芸能人のニュース以上に反応が来た」と話す。

ティーン向けの「セブンティーン」、子育て世代の「VERY」も平和・護憲を取り上げるなど、女性誌が政治課題を扱うことは当たり前になりつつある。

この記事は自民とも親しい御厨貴・東大名誉教授のコメントで結ばれる。

政権中枢にいる人からも『安保法制に反対する妻を説得できない』と聞いた。「将来、徴兵制が導入されるのではないかという懸念が特に強く、女性や高齢者、若者の政治への関心は今後も高まる…

大阪の橋下市長に対する住民投票を見ても、「考える女たち、考えない男たち」という構図がはっきり見えてきた。「自助」の男、辛坊治郎というのが「考えない男」の代表だ。
アリストファネスの時代が始まった。シールズで女性の活躍が目立つのもそういうことなのかな。
野球のニュースで清宮と出てくると、“スガノミヤ”と読んでしまう私。

変な話だが、女性セブンを買いに行った本屋で、ついでに新書巡りをしていたら、川田稔「昭和軍閥の軌跡~永田鉄山の構想とその分岐」(中公新書)というのがあって、何気なしに読み始めたら、これがめっぽう面白い。
まだ30ページほどだが、未知の情報だらけで、ほとんど赤線だらけになってしまった。
とりあえず、ここまでの感想をメモしておく。
永田鉄山には二つの目標があった。まずひとつは対ソ戦を基本とする総力戦思想である。日露戦争はうまくやったが、いずれソ連(ロシアは)必ずもう一度仕掛けてくる。本気のソ連ともう一度戦って勝てる保障はない。とにかく満蒙を生命線として確保しなければならない。これがすべてだ。
もう一つは、陸軍を自らの手に集中するだけではなく、政治も軍に従属させなければならない。要するに総力を上げてソ連の南下を阻止するために、政治システムもふくめて日本が一丸となることだ。
しかし、この大戦略の是非については、また別の話になる。
永田はこのために軍の掌握を図った。この小戦略ははるかに具体的で、はるかに難しいのだが、天性の寝業師、永田はそれを成功させてしまう。ただしそのためにいくつかの重大な代償を払う。
永田らは密かに仲間を募り軍の重要中堅ポストを次々に獲得していく。これは比較的たやすく行われた。ただしその中にはオポチュニストも混じってくるので、どうしても思想は薄まる。もう一つは真崎、林、荒木の三将軍を反長州閥の代表として表に立てたことである。これは勝利のためには有効であったが、軍内を長州閥対反長州閥という矮小化された分裂に導いた。第三に、これらの結果として関東軍が独立権力のように振るまい、中国とことを荒立てるのを阻止できなくなってしまった。国内でも革新派の動きに対して有効な対抗措置をとれなくなってしまった。(ただし永田は懲支論者であった)
まぁこれらは軍内の権力移動には不可避の副産物であり、時間とともに整理されていく性格のものであったろうが、永田にはその時間がなかった。そして永田に代わった東条にはそれだけの器はなかった。ということになろうか。
ドイツの枢軸協定を結び、スターリンと不可侵条約を結ぶ頃には、日本の基本戦略はすっかりおかしくなってしまった。関東軍ばかりでなく、有象無象のオポチュニストが勝手にドンパチをやらかすようになって、陸軍そのものに歯止めがなくなってしまった。陸軍に対する歯止め役であるべき政府や議会はむしろそれを煽る役に回っていった。
それもこれも、結局は永田鉄山が蒔いた種ではある。

と、昨日は書いたが、一晩寝てから考えると、どうも違うと思うようになった。

永田の戦略観はかなり希薄である。結局当時の軍内右派の最大公約数的なものでしかないように思える。

しかもその対中国観は右往左往している。対ソ脅威論だけでは大義はない。中国とともに(あるいは“中国を従えて”でもいいのだが)、アジアをどういう世界にしていくのかというビジョンがなければ、そこに大義は生まれない。

もしそういう大義がないのだとしたら、それはタダの権力亡者でしかない。

たしかに彼はネゴの達人であったかもしれないが、それは本当のネゴシエーションではない。仲間を作って、徒党を組んでその力でしゃにむに頂点を目指すという趣である。

本当のネゴの達人というのは大久保利通の如き裂帛の気合を持つ交渉術に秀でた人物であろう。

おそらく日本は一番悪い時期に一番悪い人物に政治を委ねてしまったのだろうと思う。さしたる東アジアビジョンもなしに、何となく対ソ脅威とか対中国脅威論だけで動く今の政治状況を思い起こさせるはなしである。

ただ、結論を出すにはもう少し情報を仕入れてからにしたい。

女性セブンを買ったついでに女性自身も買ってきた。

こちらは美智子さまに焦点を当てているが、書き方は女性セブンよりきつい。

美智子様が狭心症に苦しむのは安倍晋三のせいと決めつけている。

話はこうだ。

美智子さまは最近狭心症に苦しまれているが、原因は高度狭窄のためではなくストレスにあるという。

そこで美智子様の古い友人なる人物が登場して、次のように語る。

今年の春に安部首相が米議会で演説してからです。…安保法案のニュースを聞くたびイヤな気持ちになる。私たちの世代は、ついあの戦争を思い出してしまうのです…

両陛下は東日本大震災による原発事故で被害に会われた人のことを心配されており、「そんな中での鹿児島県の川内原発再稼働。美智子さまもさぞ驚かれたことでしょう

話は「皇統の危機」問題に移る。こちらは皇室担当記者の話。

かつて小泉内閣や民主党政権で審議された女性宮家の創設を、すべて棚上げにしたのは安倍晋三首相。やることなすこと、両陛下のお気持ちとは逆方向です。美智子さまの心臓の痛みは“晋三ストレス”のせいではないか

美智子さまの御歌

平和 ただに祈りきませり 東京の 焦土の中に 立ちまししより

記事の締めはこうなっている

安保法案が9月にも成立しようとしている中、美智子さまのお心が休まることはない。


調べたら、実は頑張っているのは「女性自身」で、「女性セブン」は「女性自身」が売れ行き好調なんを見て便乗しようとしただけのようだ。

光文社は昔懐かしいカッパブックスの発行元。三光作戦や細菌作戦の本を出したりしている骨のある会社だ。こういう雑誌に伸びてもらいたいものである。


天皇陛下のお言葉が静かな反響を呼んでいる。27年間で最も長いおことばだそうだ。以下は朝日新聞から全文。

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。
 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
報道では、首相談話との関係で「深い反省」が注目されたが、私の目には戦後論、とりわけ「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」がとても強烈であった。また「戦後というこの長い期間における国民の尊い歩み」も戦後民主主義の無上の価値を強調したものとして、ずっしりくる。

ネットをあたる。東京新聞が踏み込んで解説している。さすがだ。
昨年のお言葉と比べ、「平和の存続を切望する国民の意識」が強調された。
と解説している。戦争法案と憲法骨抜きを睨んだ、ぎりぎりの表現と捉えるべきだろう。
逆に安倍首相は、歴代首相が盛り込んできたアジアへの加害と反省には触れなかった。戦没者追悼式において前向きな人と後ろ向きな人との対照が鮮やかに示されたといえる。
インタビューに応じた半藤一利さんはこう語っている。
戦後七十年間平和を守るため、必死に努力してきたすべての日本人へ向けた言葉と読むべきだろう。今なら、安全保障法案に反対して声を上げるなど、草の根の人たちも含むと考えられる。
女性セブン2015年9月3日号 「安部首相が気にした「戦後70年天皇談話」に関し浮上した説」は、すごいツッコミを見せている。たいしたものだ。
戦後50年だった1995年以降、おことばは、ほぼ同一のものだった。しかし今年は、初めて「深い反省」に言及するなど、例年より踏み込んだ内容に大きく 変えられていた。今年のおことばには大きく4か所の文言が追加された。「戦争による荒廃からの復興、発展」、「平和の存続を切望する国民の意識」、「戦後 という、この長い期間における国民の尊い歩み」、「先の大戦に対する深い反省」
安倍首相はもともと、安倍談話によって戦後日本の歴史認識を転換させるつもりだったが、結果的には腰砕け談話になった。
方針転換の一因には、最近の両陛下のご動向を安倍首相がしきりに気にしていたことがあります。陛下が戦後70年に際しての“天皇談話”を発表されるという噂が、官邸周辺でまことしやかに流れました。その内容は、戦争の反省と平和を強く訴えるものだと囁かれました。安倍首相はその内容を非常に気にしていました。(官邸関係者)。
と、その背景をあげている。(ほんとかな?)
その他、本号には
    ■ 安倍談話 会見3時間前の「官邸vs宮内庁」緊迫攻防の真相
    ■ SAPIO人気連載・業田良家氏4コマ「例え話国会」
    ■ 安倍談話と真逆の天皇談話出れば国際的には上位の声明となる
    ■ 天皇の終戦記念日のお言葉 首相に対し厳しいものにとご学友
    ■ SAPIO人気連載・業田良家4コママンガ 「70年談話」
と読みどころ満載。まだ売っているかな。
Colorless Green Histories
8月15日の全国戦没者追悼式における天皇陛下のおことばの構造と変遷
も、ご一読をおすすめする。


その前のルイ・ボナパルトの治世ですが、これもボナパルティズムという規定が先走っています。今日の我々としては、初期ブルジョア支配の一亜型、ポピュリスト独裁制の亜型として見るべきでしょう。ラテンアメリカの政治史を見ると、この型の独裁制がずいぶんと出てきます。

私の注目するのは、このようなオポチュニスト政権のもとに資本主義政治における基本潮流が出揃って、横一線で張り合うという稀有の状況が出現した時代だというところにあります。なぜならフランスは当時世界で1,2を争う産業大国であるにもかかわらず、欧州最大の農業国でもあったからです。
そして、さすがにフランス大革命の第一世代は消えたとはいえ、いまだに40年前の7月革命、22年前の2月革命を闘った人々がバリバリの現役だということです。いまの日本を考えて見れば、60年安保はすでに55年前、70年安保・沖縄もすでに45年前です。プルードン、ブランキが未だ健在のところにマルクスとバクーニンが割り込んでくるのですから熾烈なレギュラー争いとなるのも当然でしょう。


宮内さんの論文を私なりにまとめてみます。


1.おおまかな布陣

第二帝政の初期の反政府運動は、少数の反動的な「ブルボン王朝派 」のほか、立憲王政主義の「オルレアン派 」、それより左寄りだが保守的なブルジョア「自由派 」、急進的なブルジョア「共和派 」に区別されていた。自由派は第二帝政を承認し、せいぜい議会の権限強化で満足していた。これにたいして共和派はジャコバン主義の継承者を自認し、「民主主義的で社会的な共和国」の基盤の拡大を志向していた。しかしその運動目標は所有関係の根本的改革をめざすものではなく、運動の進め方も議会中心主義となる。これらの政党は第二共和制下の主要政党であったが、ナポレオン三世のクーデタ前後に国外追放になっていた。これらの人々が恩赦で次々帰国しはじめていた。

2.共和派の分裂

1860年代に入ると、ブルジョア「共和派 」は分裂した。「急進派 」、「ネオ・ジャコバン派 」、「ブランキ派 」が並立状態になる。このうち、「急進派 」は1848年の2月革命で主要な役割を演じたが、第二帝政下においては自由派に接近していた。しかし帝政末期にいたると、急進主義の原点に戻ろうとする、より若い世代が登場してきた。「ネオ・ジャコバン派 」は、共和派のうち、より非妥協的で、大衆運動を重視する傾向のグループである。「政治改革は手段であり、社会改革が目的である」と主張する。メンバーの経歴、信条は多彩であった。裏を返せば、言論を主にする統一性のない人々の集合であった。のちにパリ・コミューン議会の多数派を占める。

3.ブランキ派の台頭

ブランキ派 」は社会主義者であり、革命家のオーギュスト・ブランキを中心にした秘密結社である。彼は1830年代から革命運動に加わっており、生涯の大半を牢獄でおくった。1865年にもはや60歳にもなるこの老人は、脱獄してベルギーへ亡命した。ブランキの周辺に、若い世代の心酔者が集まって、1867年にブランキストの秘密結社が再建された。組織の中核は、少数の学生、知識人で構成され、同調者は、1868年末に800人にのぼった。ブランキ派は、行動を重視する組織集団であり、規律と統制、大衆運動における献身的行動において、最もまとまった集団であった。ブランキ派とネオ・ジャコバン派は、のちに、パリ・コンミューンの議会多数派を構成する。

4.労働者の勢力拡大

これに加えて、1860年頃から労働者の意識が次第に変貌しつつあった。ジャコバンではなくサン・キュロットの伝統を引き継ぐ労働運動が高まってきた。…全国的に賃上げ闘争や労働時間短縮のためのストライキが頻発した。1863年の総選挙のときには、労働者の候補者リストが提出された。…その後もますます労働者による反政府運動の力が増してきた。そして、その政治代表として第一インターナショナル・フランス支部(1865年創立)が登場してきた。この中には純粋プルードン主義者と革命的集産主義者派があり、後者が主導権を握りつつあった。

5.労働運動の分岐

プルードン派 」は労働者を議会へおくりこむのではなく、既存の国家機関である議会から離れて、社会組織のなかの変革を、コンミューン連合として発展させようとした。そして「政治」を消滅させ、有機的な調和をもつ社会を思い描いた。

マロン、ヴァルランらマルクスの影響を受けた「革命的集産主義者派 」は、政治革命を通じて生産手段の共有制にもとづく平等社会の実現をめざした。一方で、プルードンの連合主義の影響を受け継いで、一切の革命独裁と政治権力には反対した。彼らはバクーニンの無政府主義にも強い影響を受けていた。


これが、パリ・コミューン直前の政治布陣です。なかなかに複雑でしょう。このほかにサン・シモン主義者やフーリエ主義者などの集団もありました。

エンゲルスは「空想から社会主義へ」の中で、ことさらにプルードンを無視していますが、根本的な思想は別として、社会主義のイメージの中にはかなりプルードン主義のアイデアが紛れ込んでいると見たほうが良いのではないでしょうか。

そしてマルクス主義の社会主義観はむしろパリ・コミューンの後のバクーニンらとの論争を通じて鍛えられていくと見るべきではないでしょうか。


年をとって、奥歯の根っこが、とくに虫歯というわけでもないのにグラグラし始める。要するに人体組織のいたるところが萎縮し始める。こっちは話が佳 境に入っているのに、まだラストオーダーも頼んでいないのに、店の奥のほうでは仕舞い支度を始めて、お皿のガチャガチャ言う音がイヤに耳につく年頃となり ました。

そういう年頃になって、不意にパリ・コミューンのことが気になって、調べてみると、それはそれで面白いのは面白いのだけど、ずいぶん買いかぶっていたのだなとわかってきました。レーニンはここからロシア革命のモデルを引き出したのだけれど、それはとんでもない間違いだと思い始めています。

事実は初老期に入ったマルクスが一過性に発狂して、若い気を出したということでしょう。パトスとしては良く分かりますが、それだけの話しです。ゲバラを革命のモデルにしてはいけません。むしろこうやってはいけないという見本として記憶に留めるべきでしょう。

赤旗文化面のトップに大々的にオーウェルの「1984年」の紹介が載せられた。
及び腰の賛辞が並べられていて、正直のところきわめて座り心地が悪い。
原因ははっきりしている。我が日本共産党がかつてスターリニズムを奉じていたことへの自己批判がないからである。
もちろん我々は当事者ではないから、オーウェルに向かって「心からのお詫び」を述べる必要はない。
スペイン人民戦争における政治的諸潮流には、そのそれぞれにそれなりの問題もあったし、そのなかで頑張りもした。いまはまず歴史として虚心坦懐に評価していくほかないことである。
「フランスにおける内乱」の諸規定と同じく、それを今日における闘いの指針とするのはナンセンスである。
爺さんがファシストだった、しかし孫は共産党になった、ということはありうるわけで、そのさいに孫が爺さんの悪行について「心からお詫びする」必要はない。
ただ国家・政府というのは否応なしに継続性を持つわけだから、爺さんの代にやったことでも責任は取らなければならない。
政党というのは国家や政府ではないから、なかなか微妙な位置にはある。
ただ創立90年とかいう伝統を誇りにしてそれを全面に打ち出すのなら、かつてスターリニズムを信奉していた事実は公然と認め、はっきりと自己批判すべきだろう。
そうすれば、奥歯に挟まったものがとれて、この文章ははるかに読みやすくなる。率直に言えばこの「1984年」という本にも色々問題点はあるのだ。
まぁ、とりあえず、次の党大会に向けての第一歩というところか。

日本人として弾劾すべき軍の犯罪

日本人として、軍と日本政府がアジアで行った数々の残虐行為、非人道的行為については我々は謝罪しなければならない。このことは言うまでもないことだ。

しかし平均的大衆のあいだには「なぜいつまでも謝らなければならないのだ」という声が根強くある。

それは軍部と天皇制政府への弾劾の姿勢が弱いからだ。アジアの人民が日本政府を批判すると、何か自分が非難されているような気分になってしまう。それは戦前の政府と我々の分離ができていないからだ。なぜなら我々が軍部と天皇制政府を批判し尽くしていないからだ。

我々にとっても戦前の政府と軍部は許せない存在なのだということを、もう少し具体的に整理して明らかにしておく必要がある。

それを、いくつか箇条書きにしておこう。

1.反戦・非戦論の弾圧(まず民主主義を否定した)

2.文民統制の否定(議会をないがしろにし、政府を脅しつけ、天皇すら欺いた)

3.統帥権の否定(誰の許可も得ず、勝手に戦争を始めた。しかも終わらせられなかった)

3.対米開戦の愚挙の責任(愚挙としか言いようがない。違うか?)

4.玉砕作戦を命令した責任(人の命を預かる指揮官としての究極の無責任)

5.沖縄決戦(民間人の生命に対する無責任。軍人の本懐への究極の背馳)

6.満州棄民(最悪の置き去り、逃亡)

7.本土決戦思想(究極の国民皆殺し路線)

これらを我々、日本人は弾劾したのか? 戦犯として裁いたのか?

日本人は自ら弾劾できなかった。東京裁判について云々する前に、まずこのことを恥じなければならない。

そして、戦争反対・憲法守れの運動の根本をなす歴史認識として、これらの事実を突きつけなければならない。


Fostex のHP_A8を買って聞いているうちに、たしかにそうだなと納得させられる。
DACというのはそうでなくちゃいけないと思うようになる。
前のNU_Force は、聞いた途端、「うん音が良くなった」と感じたが、そういう操作をしているから音が良くなるのだろう。つまりD_A変換するときに、ついでに音質もいじるんだろう。それをやり過ぎるとスピードが遅くなっちゃって、最後にハングアップしてしまうのだろう。
youtubeから落としたファイルを、MP3Direct Cutで切るときに波形を見ると、刺だらけだ。ごみがいっぱい付いている。
それをそのまま川下に流すぶんには何の問題もないが、そこにこだわってしまうと始末に負えなくなるだろう。
だから、ファイルをきれいにしてあげるのは再生ソフトの仕事になるだろうと思う。
その時にそれなりのお化粧しても悪くはないだろう。ただそこには趣味の問題が入ってくる。
それを音質改善というべきかどうかはかなり微妙な問題だ。
最近ではもっと露骨に「リライト」というようだが、“とげ抜き”以上のことをするとなると、これは波形編集ソフトの領域に入る。

実は以前、オーダシティーに凝って、古い粗悪な録音を少しでも気持よく聞けるようにと、色々といじったことがある。
一番有効なのは自己流ステレオ化だ。これは元が「ステレオ」であっても有効だ。
左右トラックを分離した上で、片方のトラックの出だしの無音部をほんのちょっとカットする。そしてもう一度くっつけるというえらく単純な手法で、音がすごく柔らかくなって、広がり感が生じる。
もうひとつが雑音の除去というので、バックグラウンドノイズを抑える。注意するのはサンプリングをファイル全体にかけることだ。これで音源はベンジンで洗った如く綺麗になる。なおクリップ・ノイズは取らないほうが良い。
音割れしているときは、非常手段的だがClip Fix で補正すると多少改善する。注意するのはやり過ぎるとメタリックな音になってしまうこと。
音が痩せているときは低音部の強調を軽くかけると聴きやすくなる。デッドな音ならリバーブをかけると反響が入る。
これらすべてが終わってから圧縮をかける。
これで情けない貧弱な音がそれらしく聞こえるようになる。

これは完全にファイルをいじるわけで、それを流せばDACはそれなりに反応してくれるわけだ。
しかしこれを称して高音質化というなら、それは羊頭を掲げて狗肉を売るに等しい。

それはそれとして、Foobar やFostexは、それは川下(かわしも)でやってくれという発想だが、そうとばかりは言えないと思う。川上での処理もありうると思う。肝心なのはそのストラテジーを明確にすることではないか。

「フランスにおける内乱」という文章は、マルクスにしては珍しくスラスラと読める。
なぜなら継起する事態と同時並行で描かれているからだ。彼には国際労働者協会(第一インター)を通じて山のような情報が集まってきていた。それを取捨選択して彼なりに料理して間髪をいれずに発表したわけだ。
しかもそれを「私の本です」というよりは、「第一インターの見解です」みたいな形で出しているわけだから、「資本論」のように考えぬかれた書物ではない。
彼の見解の中で唯一確実なのは、「革命は出来合いの国家機構をそのまま用いることはできない」というものだ。
ただそれも、「国家機構を粉砕せよ」とか「プロレタリアの独裁」というふうに先鋭化することではない。まだ、彼の中では未分化なまま提起しているだけなのだ。うんと一般化すると、「新しい酒には新しい皮袋が必要」ということになる。
人類の生産力が一段とアップする際においては、それに適合するもう一回り大きいガタイが必要なのだ。そのための「脱皮」の作業が革命の意義なのだろう。

第二にこの本は、分析という点では、コミューンよりもむしろそれが打倒したボナパルティズムに精彩を発揮しているということである。資本主義は一方ではブルジョア民主主義を生むが、他方ではその奇形としてのボナパルティスムを生む。現在の政治情勢を見る上でもそれはきわめて有用なツールである。有用なだけに乱用は危険であるが…

もう一つ、コミューンにおいては労働者派が主体ではない。職人や手工業者を基盤とするプルードン主義や、小ブルの陰謀家なども動いたが、少なくとも最初にことを起こしたのは「本土決戦派」だ。ただそれらの威勢のいいだけの連中は、いざ決戦となると縮こまるか逃げ出すかしてしまったから、最後に残った労働者が割りを食ったというのが経過だろう。
3月末のコミューンと4月末のコミューンは明らかにその性格を変えているから、これらをひとっからげにして美化したりクサしたりするのは理屈に合わない。
ただ当事者たるマルクスにとっては、そんなことは言っていられない。とにかく一所懸命肩入れするほかなかったのである。
これらの一連の経過は、私には「光州事件」を思い起こさせる。その瞬間、参加者はみな聖人であったろう。戦い終わった後は、死者に鞭打つことはできないから、純粋な(マキャベリ的な、あるいはクラウゼビッツ的な)政治分析ではありえなかったと思う。
そのことを悪いと言っているのではない。だれだってそうしたろう。しかしだからといって、この文章をその後の世界革命の導きの書とすることはできないだろう。
それはたとえば、ロバート・リードの「世界を揺るがせた10日間」を読んで、革命の真髄を分かったつもりになるのとおなしではないか。
とりとめないが、とりあえず感想まで。

結局コミューンなどどこかに行ってしまった。
本日は、Fostex のHP_A8 を買ってそれでおしまい。
メーカー小売希望は10万円だが、実勢価格は7万円ちょっと。店頭では7万5千円の値がついていたが、インターネットでは7万円になっていたので聞いたところ、「あぁすいません。まだ値札変えてなかった」とのこと。
なかなか油断も隙もない。
早速電線をつないで聞いてみた。どうも冴えない音だ。低音は出るがぼんやりしている。NU_Force より数段落ちる。この値段でこんなもの? と気になる。
申し訳ないがAIMPにはお引取り願ってFoobar に戻した。パッとしないのは同じだ。
率直に言うとブスはブスなりにしっかりとブスになる。それがHigh Fidelity だ。
元の音が悪いと救いようがない。
多分それは正しいのだろう。
DACと再生ソフトの棲み分けというか機能分担がスッキリしてきたのかもしれない。
「お化粧」はソフトでやってくれ、こちらはそれを忠実に反映するから、ということだ。
そうなると再生ソフトの方も、これまでのモニター・ライクなスタイルではやっていけなくなる。再生ソフトのお化粧ソフト化が始まったのかもしれない。
そうするとこれまでのFoobar のコンセプトは、やっていけなくなるかもしれない。むしろバグヘッド・エンペラーとかKorg の厚化粧が好ましく思える時代がやってくるのか。

いま激しい脱力感に襲われている。

突如パソコンがクラッシュしたのである。

何故か

理由ははっきりしている。音楽を聞きながら仕事をしていたところで、DACが暴走したのである。

何故か

いまだにNU Forceを使い続けているからだ。

このDACは使い続けると2,3時間に1回は止まる。パソコンにはいった音楽ファイルを受け付けなくなるのだ。

その度にUSBを挿し直すとまた動く。

これを繰り返していると、1ヶ月に1回はパソコンがクラッシュするのだ。

文章を作成してブログに載せる作業は、WYSIWYGエディタ でやっている。もう10年以上も使い続けているものだ。

これは10分に一度は自動的に上書き保存するように設定してある。

しかし一度もファイル保存していなければ、さすがに消える。

こういう事情が重なると、本日のようなことが起きる。10時間かけてやった作業が一瞬で消え去るのである。

今回は、パリ・コミューンの年表だ。

面倒なのは、国民文庫「フランスにおける内乱」の巻末につけられた年表をタイプしているからだ。

コピペが出来るなら話はかんたんだが(それでも結構な作業だが)、今回は基本的には手打ちである。

いま、とりあえずアップしている年表の3倍にはなるだろう。

年表の編集というのは、増えれば増えるほど大変になる。

既出の記載との整合性、異同を点検しながら新たな事項を追加していかなければならないからである。

もし矛盾が生じれば、第三の資料を探してつけ合わせしなければならない。

第三の資料が見つからなければ、両論を併記しつつ、私の編者としての立場を明らかにしなければならない。

不幸中の幸いといえば、まだ明日もう一日あることである。

もうこの歳になったので、「備えなくして憂いなし」の行き当たりばったり主義は矯正不能である。

それと、同じ文献の二度読みというのは、なかなか味わい深いところもある。

“神のご指示”と達観して、明日の朝からやり直そう。その前に、電気屋に行ってDACを買ってこよう。

1866年 普墺戦争。プロイセンとオーストリアがドイツの主導権をかけて戦う。勝利したプロイセンはライン川流域まで勢力を伸ばし、北ドイツ連邦を主導する。

1868年 スペインの王位にホーエンツォレルン家のレオポルトが推挙される。ホーエンツォレルン家はプロイセン王の親戚に当たるため、フランスが強く反対。

1870年

7.12 インタナショナル・パリ支部、戦争反対の宣言を発表する。

7月14日 エムス偽電報事件 スペイン王位の継承問題についてのフランス大使とプロシア王ウィルヘルムが会談。会談後にエムス(保養地)滞在中の王からの電文を、ビスマルクが改ざんして報道発表した。フランス国民の怒りを誘発し戦争を仕向ける狙いだったとされる。

7月15日 フランス皇帝ナポレオン3世、世論の怒りを背景に動員令を発令。

7月19日 プロイセンに宣戦布告。ドイツ国境に侵攻。戦争は最後の軍事的賭けであった。北ドイツ連邦と南ドイツ諸国(バーデン大公国、ヴュルテンベルク王国、バイエルン王国)は直ちにプロイセン側に立つ。
フランス軍は約40万人の常備兵。バゼーヌ、マクマオン、トロシュらの元帥が率いる。プロイセン、およびその北ドイツ、南ドイツの同盟国は約120万人(ただし常備兵ではない)。モルトケ元帥とプロイセン参謀本部が指揮する。


7月23日 「独仏戦争に関するインタナショナル総評議会の第1の呼びかけ」が発表される。

この戦争は、正義の戦争でも、国民的なものでも、フランスの真の利益に合致するものでもない。それはただラインの両岸に専制主義の勝利をもたらすものにすぎない。君主のための戦争は、労働者の眼からみれば、一個の犯罪的愚劣事であるにすぎない。


8月02日 フランス軍が越境しザールブリュッケンに侵攻。

8月06日 ヴルトの闘い。最初の大規模な戦闘。両軍合わせて10万人を超える兵力が激突する。フランス軍2万人が戦死・戦傷・捕虜となる。

8.07 パリに戒厳令が布告される。

8.08 帝政反対のデモがパリで巻き起こる。

8.09 デモの拡大の中でオリヴィエ内閣が崩壊。バリカオ内閣に交代する。

8.14 ラ・ヴィレット大通でのブランキ派の蜂起作戦。警察署を遅い武器強奪を図るが失敗に終わる。

8.16 トロシェ将軍、ナポレオン三世からパリ総督(パリ軍管区司令官)に任命される。

8月16日 メス要塞で孤立したフランス軍13万人が脱出を図る。マルス・ラ・トゥールでプロイセン軍と激突するも包囲を破れず。

8月18日 メスの西方約10kmのグラヴロットで最大の戦い。モルトケの率いるプロイセン第1軍と第2軍(19万名)が、バゼーヌ元帥率いるライン軍(11万名)陣地を攻撃。フランス軍は甚大な損害を与えた後、メスに退却し立てこもる。

8月末 劣勢を打開するため、ナポレオン三世自らが北東部のセダンに進出、メスとの連絡を目指す。プロシア軍はナポレオン三世軍の背方にまわり、パリ・セダン間の連絡を断つ。

8月30日 ボーモン(Beaumont)の闘い。プロイセン軍がフランス軍を攻撃。フランス軍はセダンに退却し立て篭もる。

9月01日 セダンのフランス軍が血路をもとめて攻撃開始。戦死傷者17,000名、捕虜21,000名を出し戦闘中止。

9月2日 ナポレオン3世が降伏。10万の将兵とともに捕虜となる。

9月4日 「皇帝降伏」の報告を受けたパリ民衆が蜂起。数千の住民が国民議会のある「ブルボン宮」に侵入し、現体制の解散を求める。

9月4日 市庁舎に結集したパリ選出の立法院議員(ブルジョア共和派)は、トロシュ将軍を首班とする共和国臨時政府(国防政府)の樹立を宣言。

9月4日 パリ20区の中央委員会代表はセーヌ県における選挙の実施、警察国家の廃止、全フランス人の武装を要求する。リヨンに公安委員会成立。

9月5日 ヴィクトル・ユゴー、19年の亡命生活を終えパリに戻る。国民的英雄として歓迎される。

9月8日 「臨時政府」が戦争継続を宣言(裏では終戦工作)。ビスマルクは講和に持ち込もうとするが、プロイセン軍と世論はパリ進撃をもとめる。

9月9日 「独仏戦争に関するインタナショナル総評議会の第2の呼びかけ」が発表される。マルクスは早すぎる蜂起への警告を行う。

マルクスは、臨時政府首脳陣の裏切り行為を非難しつつも、ことの緊急性に鑑み新政府を支持する。同時に共和制の自由があたえる便宜を利用して「自分自身の階級を組織する」よう訴える。


9.15 国防政府のジュール・ファーブルがフェリエールでビスマルクと秘密会談。停戦を模索するが、交渉は不調に終わる。

9月19日 モルトケの率いるプロイセン軍30万人がパリを取り囲み砲撃を開始。フランス臨時政府はボルドーに撤退する。
軍事マニアのエンゲルスは、ロンドンからパリに行こうとするが、マルクスにとめられたという。

9.22 パリ20区の代表と国民軍司令部がコミューンの選挙を要求する。

9.28 バクーニンとクリュズレらリヨンで蜂起するが失敗に終わる。

10.05 フルランスに率いられた国民軍諸大隊の武装デモ。武装、真剣な軍事行動、ボナパルト派の粛清を要求する。

10月27日 フランス軍の最後の拠点、メスのバゼーヌ元帥が18万人の将兵とともに降伏。フランス軍の組織的な反攻は終わる。

10.30 ティエール、欧州諸国への調停依頼の巡回を終え帰国。ファーブルと休戦条件をすりあわせ。

10.31 パリの民衆的地区の国民軍が市庁舎を占拠し閣僚を一時拘束。新政府の樹立に至らないまま敗走。

11.01 マルセイユでコミューン結成の動き。翌日には失敗に終わる。

11.03 包囲下のパリで区長、助役を選ぶ直接人民投票が行われる。56万対6万票の大差で国防政府が承認される。同時に行われた区長選挙では、政府派が12人、コミューン派が8人を確保。この結果フェリがパリ市長、クレマン・トマが国民軍司令官となる。

12.02 ロアール地方で抵抗を続けていたロアール軍が重大な敗北を喫する。


1871年

71年1月

1月01日 プロイセンを中核とするドイツ帝国成立

1.05 プロイセン軍、パリ砲撃を開始。

1.07 20区中央委員会、「人民に席を譲れ、コミューンに席を譲れ」の「赤いポスター」宣伝を開始。

1月10日 ルマンの闘い。南部で抵抗を続けていた第二ロアール軍が壊滅。

1月18日 ヴィルヘルム1世、占領中のヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国皇帝に即位。

1月19日 サン・カンタンの戦い。北部軍が壊滅。東部のブルバキ軍もスイスに逃れ武装解除される。

1.21 闘いを敗北に導いたトロシュが罷免される。後任にヴィノア。

1.22 国民軍諸大隊の武装デモ。ヴィノアはこのデモを実力で粉砕する。

1.23 パリ市内の左派への弾圧が開始される。クラブが禁止され、17の新聞が停刊となる。

1月28日 ファーブル新首相がヴェルサイユで降伏文書に調印。暫定休戦に入る。開城と交換に食料補給が認められる。

71年2月


2.01 パリで休戦に抵抗する試み、失敗に終わる。

2.08 休戦協定に決められた「国民議会」の選挙。当選者の大多数は正統王朝派(地方地主)。パリからは43人が選出される。うちティエール、ファーブルらの極右派が6人を占める。

2.12 ボルドーで「国民議会」が開催される。王党派の主導で、ブルジョワ共和派のティエールをフランス共和国行政長官(首相)に指名。

2.15 議会、国民軍への給料支払を停止。

2.24 ヴォクセルで国民軍の代議員大会。2千人が結集する。

2.26 ヴェルサイユでティエール・ファーブルとビスマルクとのあいだに仮講和条約が調印される。50億フランの賠償金、アルザス・ロレーヌ地方のドイツへの割譲で合意。

2.26 パリ市民、ドイツ軍による捕獲を避けるため、大砲を東部・北東部地区に移動。
2月 ティエール政府は「国民軍の大砲は国家の財産である」として、「国民軍」の武装解除を目指す。

71年3月

3月1日 ドイツ軍がパリに入城。これは儀式的なもので、シャンゼリゼ通りを行進した後、東部の外部要塞に退去する。

3月1日 ティエール政府もパリに帰還。政府は「国民軍」の武装解除にとりかかる。

3.03 国民軍第200大隊、代議員会議を開き国民軍共和連盟の規約を採択。執行委員会を任命する。

3.10 ボルドーの国民議会、ヴェルサイユへの移転を決議。

3.10 国民議会、デュフォール法を採択。家賃および手形のモラトリアムが廃止される。

3.11 ヴィノア総司令官、共和派の新聞6紙を発行禁止処分。

3.11 フルランスとブランキに欠席裁判で死刑が宣告される。

3月18日 パリ蜂起


未明 フランス正規軍はモンマルトル丘に配置された「国民軍」の大砲を奪おうとするが、「国民軍」の抵抗にあう。

これに民衆も呼応。モンマルトルの砲台を奪取し、市内各地にバリケードを築く。

正規軍の兵士も民衆に味方したため、政府軍は壊走。民衆と兵士は指揮官の二人を捕らえ銃殺する。
夜 ティエール=ヴィノアの政府・議会・正規軍はベルサイユに逃亡。パリ市内はコミューン派=国民軍左派が制圧する。

3.19 国民軍共和連盟中央委員会、コミューン選挙を告示する。各区の区長は国民軍共和連盟を否認。中央委員会派と区長派の対立に移行。

3月20日 リープクネヒト宛書簡、「パリの連中は負けそうな様子だ。それは彼らの罪だが,実際あまりに入が好すぎることからきた罪だ」と述べ、敗北を予想する。

3月22日 リヨンとマルセイユにコミューン成立。リヨンは3日後に崩壊、マルセイユも4月6日に崩壊。ほかにナルボンヌ、トゥルーズ、サン・テティエンヌ、クルゾにもコミューンが一時成立する。

3.24 国際労働者評議会のパリ連合評議会、コミューン選挙に関する宣言を採択。

3月26日 パリ全区でコミューン選挙。総投票数23万。90名の評議員が選出される。中央委員会派が65名を獲得し区長派19名に圧勝。コミューンは執行と立法を同時に行う直接民主的行政機関となる。
長女のシャルル・ロンゲがパリの評議員となる。娘婿のラファルグがボルドー・コミューンの代表に就任。

3月29日 パリ・コミューンの成立と臨時政府からの自立を宣言。ヴェルサイユへの進軍をためらう国民軍中央委員との摩擦が表面化。
マルクスは「当時完全に無力であったヴェルサイユにただちに進撃し、ティエールとその田舎地主たちの陰謀の息の根をとめる」ようもとめる。

3.29 コミューン内に10の委員会が設立される。戦時中の家賃を免除する政令、質流れ品の売却を禁止する政令などが成立する。

3.30 常備軍を廃止し、国民軍を唯一の武装力とする政令が成立する。

71年4月

4月2日 兵力を再び結集したヴェルサイユ軍が攻撃を開始し、クルブヴォアを奪取。内戦が始まる。

4.02 公務員の給料を大幅に引き下げる政令が成立。ほかに教会を国家から分離する政令などが成立する。

4.03 国民軍、ヴェルサイユに進撃するが撃退される。政府軍は捕虜となったコミューン兵士を殺戮。

4.04 国民軍、さらに敗退を重ねる。

4.04 パリ市民に徴兵令。17歳から31歳までの未婚の全市民が国民軍に編入される。

4.06 ドンブロフスキーがパリ要塞司令官となり戦線を立て直し。

4.08 ファーブル、政府軍建て直しのため捕虜となった兵士の早期送還をプロイセンに要請。

4.12 支払期限に関する政令。一切の債務訴訟が停止される。

4月12日 クーゲルマンあての手紙、「官僚=軍事機構を移すことではなく,それを打ち砕くことが必要だ。ルイ・ボナパルトの皇帝制は国家権力の最もけがれた形態であると同時に,その終局形態である。それに対しコミューンは共和制の積極的形態であり、階級支配の君主制形態ばかりでなく,階級支配そのものをも廃止する」と述べる。

4.16 放棄された作業場を労働者団体の手で再開する。

4月17日 クーゲルマンあての手紙。それまで蜂起に反対していたマルクスは態度を変更「資本家階級とその国家に対する労働者階級の闘争は,パリの闘争によって新しい局面に入った。どのような経過をたどろうとも世界史的に重要なひとつの新しい出発点だ」とする。

4.19 コミューン、フランス人民への宣言を発表。コミューンの綱領を示す。

4.21 コミューン執行権力、9委員会の代表者会議に移行。

4.23 革命的裁判所が設置される。

4.26 ヴェルサイユ軍、イシ・レ・ムリノを占領する。

4.30 地方自治体選挙で共和派が進出する。ルーブル広場で地方共和連合同盟のデモ。

71年5月


5.01 ヴェルサイユ軍、市内への砲撃を開始。

5.04 内通者によりムラン・サケの角面堡が陥落。ヴェルサイユ軍が市内に進出。

5.05 ブルジョア新聞7紙が発行禁止となる。

5.05 ヴェルサイユ軍、クラマールを占領。

5.08 ティエール、商工業代表共和連合の調停を退け、パリ市民に最後通牒を突きつける。

5.09 ヴェルサイユ軍、イシ堡を占領。

5.09 パンの価格がキロあたり50サンチームに固定される。

5月10日 フランス・ドイツ間でフランクフルト講和条約締結。これに基づき、捕虜となっていたフランス軍兵士が一斉解放される。その多くはパリ・コミューンの弾圧に投入された。

5.13 ヴェルサイユ軍、ヴァンヴ堡を占領。

5.15 コミューン少数派、公安委員会に反対する声明を発表。これにもとづき労働組合代表者会議、クラブ連合委員会の会議が開かれる。

5.16 ヴァンドームの円柱が引き倒される。

5.18 公安委員会、新聞6紙を禁止する。

5.19 教育の非宗教化に関する決定。

5.20 ヴェルサイユ軍、ポアン・デュ・ジュール門を突破。

5月21日 ドイツ軍の支持を取り付けた政府軍が、パリ城内への攻撃を開始。第15,16区を制圧する。「血の1週間」が始まる。

5.22 公安委員会はパリ市民に「武器をとれ」と呼びかける。

5.22 ヴェルサイユ軍13万人が市内に入る。シャンゼリゼを占領。

5.23 ヴェルサイユ軍がパティニョルとモンマルトルを占領。コミューン軍司令官ドンブロフスキーが戦死。

5.23 チュイルリー宮殿、パリ市庁舎などが放火され、廃墟となる。

5.24 ヴェルサイユ軍、パリ中心部とカルチェ・ラタンを占領する。捕虜の無差別殺戮を開始。

5.24 コミューンと公安委員会、第11区役所に移転。ダルボア大司教その他の人質を処刑。

5.25 セーヌ左岸を守っていたヴルブレフスキーの部隊が撤収。市の南部がヴェルサイユ軍の手に落ちる。

5.25 シャトー・ドー広場で最後の激戦が展開される。公安委員会のドレクリューズ委員長が戦死。

5.27 ベルヴィルに押し込められたコミューン兵、ペール・ラシェーズ墓地で最後の戦い。立てこもった市民147人は「連盟兵の壁」の前で次々に銃殺される。
パリ国民軍の死者は4000人以上、処刑されたパリ市民は1万7000人。さらに4万3500人以上が逮捕され、強制労働や流刑に処せられた。

5.28 第11,12区の最後のバリケードが破壊される。

5月30日 マルクス、インタナショナル総評議会で「フランスの内乱」を読み上げる。 文章は4月から5月にかけて英文で執筆されていた。

1872年 「共産党宣言」の再版にあたっての序文。マルクスは政治権力の獲得説に代え、国家の破壊説を主張する。


1881年

2月 ニウヴェンフィスあての手紙、①社会主義政府が政権をとるには,そのための前提条件が成熟していなければならない。②コミューンは,「例外的条件のもとでの一都市の反乱でしがなかった。③コミューンの多数の者は,社会主義派でなかった,④かつまた,コミューンが当時なしえたであろう唯一のものは,「有益な妥協」であった



インターネット上では、淡路憲治さんの「パリ・コミューンとマルクス」および、宮内広利さんの「地上の天国に一番近づいたとき~パリ・コミューン考」が参考になりました。



アルハンゲルスキー 略伝

アルハンゲルスキーの生涯を記した記事があまりに少ないので、とりあえず紹介しておく。元ネタは

というサイトの

Alexander Andreyevich Arkhangelsky

という記事。

生年: 1846年10月23日

没年: 1924年11月16日

合唱指揮者 作曲家

有名なアルハンゲルスキー・クワイアの創設者。37年の間、合唱団を率いた。19世紀末のロシア合唱音楽のルネッサンスの先頭に立った。

アルハンゲルスキーは、ロシアのペンザ(Penza)で生まれて、そこの少年歌手となった。そして、セントペテルスベルグで訓練を受けた。

彼は、16歳で指揮活動を始めた。ロシア民族主義の影響を受けた彼は、宗教音楽が過度に「西欧化され」ていると感じた。そして古いロシア音楽のレパートリーを復活させようとした。

教会の権威は彼の改革の試みを受け入れようとしなかった。そのため彼は1880年にアルハンゲルスキー・クワイアをつくって、シベリアからロンドンまで演奏旅行を重ねた。

それはロシアにおける最初のアンサンブルの試みであった。それまで典礼の場では少年合唱が担っていたパートを女声合唱に取り替えた。同様にコンサート会場でも代えられた。

彼の残した曲はすべて合唱のためのものである。レクイエムが1曲(1892)、Vespers(Evening Prayer)

が1曲、ミサ曲が二つ、50あまりの小曲が残されている。もっとも有名なのは「クレド」と「神聖な輝く光」である。

かれはまた、ロシア民謡といくつかの「ロマンス」の編曲も行なっている。

アルハンゲルスキーは、ロシア正教音楽を確立することでチャイコフスキー、グラズノーフ、ラフマニノフらに影響を与えた。しかしソビエト時代の偏狭な非宗教的合唱は、彼の民主的な作曲へのアプローチを不可能にした。

彼はボルシェビキのファンでなかった。1917のロシア革命の後、彼はプラハに移住した、そこで、彼は死んだ。

1990年代、ロシアの教会音楽は復活した。それは数十年にわたって無名状態にあったアルハンゲルスキーの音楽を掘り起こした。

アルハンゲルスキー合唱団の録音(1902年から1916年にかけて)は、すべてリマスターされてCD化されている。そこには彼の作った曲もいくつか収められている。

(bio by: Bobb Edwards)


私のおすすめは以下のとおり

Arkhangelsky - "Blessed are they whom Thou hast chosen"

Arkhangelsky - "I Cried Unto the Lord With My Voice"

Arkhangelsky - "I Ponder Upon the Fearful Day"

Arkhangelsky - "Give ear to my prayer, o God"

Arkhangelsky - "Let us come zealously to the Mother of God"

とりあえずこのくらいにしておく。このくらい聞くと、正直のところ飽きてくる。

ついでに同時代の作曲家キュイの曲も聞いてみてください。

Cui: My Soul magnifies the Lord Op.98 (Song to the Mother of God: for soprano and choir)

César Cui - Everywhere Snow - Op.77 n.2

RADIANT STARS, César Antonovich Cui - LATVIAN VOICES

参考までに東芝のWH社買収に至る経過をおさらいしておく。

2005年6月 BNFL社がWH売却を決める。

7月 「ウエスティングハウスを三菱重工が買収か?」の情報が流される。これはこれとして、素直な流れだ。沸騰水型は三菱重工のオハコだということ もあるが、何よりも三菱重工が日本を代表する軍事産業であり防衛省と一体関係にあるからだ。アメリカが押し付ける相手としては最高だ。

にもかかわらず、BNFL取締役会の直前、奇妙な動きが出てくる。

2006年1月20日 GEが応札すると発表。これに日立製作所も組んで参加の意向を表明した。最終選定が予定されたBNFL取締役会のわずか1週間前である。まぁ率直に言えばジェスチャーだ。

1月22日 ブッシュ米大統領が米企業の支援をブレア英首相に表明した。米商務長官も「ブッシュ政権はGEを支援している」とする書簡を英貿易産業相に送った。

1月23日 イギリスのフィナンシャル・タイムズが「東芝が勝利した」と報道した。買収額は当初予想の2倍以上の50億ドル。どう考えても米・英政府が一体となった「アオリ」行為だ。

1月26日 BNFL取締役会が東芝売却を正式決定した。東芝はWH社の方針には干渉しないと発表した。この間に何があったかは想像に難くない。アメリカは三菱重工の態度を警戒したのだ。そして東芝に売るためにGEとつるんで一芝居うったのだ。

日本の三大重電企業である三菱重工、日立、東芝は米英両国に翻弄され、東芝が高値でジョーカーを掴まされたのだ。

東芝はそれでも「社長の愛人を名義だけ引き取れば余録がある」と踏んだから買ったのだろうが、その結果が今の体たらくである。御三方が頭に来て、べらべらと喋ってくれると有り難いが、そんなことをしたら命がいくつあっても足りないだろう。


あとから気づいたのだが、どうも最後の1週間の経過が変だ。

「どう考えても米・英政府が一体となった“アオリ”行為だ」と書いたのだが、値段を吊り上げるだけのためにそこまでするだろうか?

GEが突如応札の意向を表明し、日立が参加の意向を表明し、ブッシュ大統領が動き、商務長官も動いた。

これだけの駒が動いたら、もうひっくり返ったも同じだ。東芝が逆立ちしたって勝てっこない。

にもかかわらず、その翌日には「東芝が勝利」と報道された。

にもかかわらず、アメリカ政府は何の反応も示さなかった。

一体これはなんだろう。東芝と経産省がなにか重大な一札を入れたのだろうか?

そもそもGEが買えばアメリカにとっては何の問題もない。ところが、そこには独禁法抵触という問題が生じる。

したがって、GEは実質傘下の東芝に買わせようとした。これなら三菱を相手に東芝がしゃしゃり出てきた経過が説明できる。

とすれば、GEは土壇場になってなぜ東芝に回し蹴りを入れたのか? しかも同じ沸騰水型の日立をダシにして…

もう少し調べてみなければならない。

そうすると、すべての謎はこの一点に集約する。

「なぜ東芝はWH社を買ったのか?」


1.ウェスティングハウスとはどんな会社なのか

まずウェスティングハウスとは何なのか少し勉強する。

<旧ウェスティングハウス・エレクトリック>

ウィキペディアによると、

ウェスティングハウス・エレクトリック(Westinghouse Electric 、WEC)は、1886年から1999年まで存在したアメリカ合衆国の総合電機メーカー。

電気、機械関係を中心に軍事用・民生用の双方で多岐に渡る事業を展開。1950年代以降は加圧水型原子炉(PWR)の開発・製造で独占的地位を占めた。

1997年にCBSコーポレーションと名を変え、1999年にバイアコムによって買収され消滅した。最後に残っていた製造部門である原子力部門も、英国核燃料会社 (BNFL)社に売却された。

社歴を見ると、とにかくすごい会社だ。なんでも作っている。しかもその多くが「世界初」だ。東芝など目ではない。20世紀を代表する企業と言っていいだろう。

そのなかで、今問題となっている原子力部門に絞ってみてみると、

一番は1953年に原子力潜水艦「ノーチラス」の原子炉を製造納入したことだ。

ノーチラスが進水するのは55年のことで、当時映画館のニュースで見た覚えがある。酸素補給せずに、潜ったまま世界一周できるという夢の潜水艦だった。戦争映画で、潜水艦乗組員が酸素不足でもがき苦しむシーンを覚えていたから、「それはいいことだ」と素直に喜んだものだ。
しかし原潜が世界戦争の形態を根本から変えてしまったことについては、ついぞ頭が行かなかった。

ついで1960年、原子力空母「エンタープライズ」用の原子炉A2W炉を製造・納入している。

そしてその翌年、商業用初の加圧水型原子炉としてヤンキーロー発電所が運転を開始している。

この辺りを挟んで50年から70年くらいまでがウェスティングハウスの最盛期だった。

「ウェスティングハウスなら大丈夫」"You Can Be Sure If It's Westinghouse"というのがCMの決まり文句だったらしい。

80年代に入ると明らかに下り坂に入り、90年代には身売りを繰り返しながら解体していく。

そして1988年、最後まで残っていた商業用原子力部門が英国核燃料会社(BNFL)に売却されたというのが経過である。

<ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー>(LLC)

で、これから後がややこしい。

まずウィキペディアの説明。

商業用原子力部門は、所有主が英国核燃料会社(BNFL)となったが、本部はアメリカのペンシルバニア州にそのまま残された。

社名も親会社の名がそのまま残された(後ろにカンパニーが付くところだけが違う)。

原子力関連の広範な製品の販売とその関連サービスを行う多国籍原子力関連企業として存続している。

ところが、英国核燃料会社(BNFL)はこの会社を持て余すようになった。そして2005年7月に売りに出した。最大の理由は「商業的リスクが税金で保有される企業としては大きすぎる」ということのようである。(まさにそのとおりだった)

幾つかの企業が関心を示したが、2006年2月6日、東芝が54億ドル(当時換算で4900億円)での購入を確認した。

LLCはその後も拡大を続けている。(なぜなら東芝がカネを流し込み続けているからだ)

とくに、第三世代+原子炉のAP1000型原子炉は、アメリカで6基、中国で4基が建設ないし受注されている。(ウィキペディアによる)

とここまでが基礎知識。

つまりこういうことだ。


2.WH社はただの原子炉製造・販売会社ではない

「WH社はただの原子炉製造・販売会社ではない」ということだ。

それは米国の世界戦略のカギを握る軍需産業である。原子力空母と原子力潜水艦なしに米国の戦略は成り立たない。

つまりWH社の原子力技術は米国の軍事力の心臓部をなしているのである。米国は絶対にこの会社を手放さないし、その核心技術も絶対に譲渡はしない。

戦後の最盛期にはWH社は巨大電機産業であった。だから原子力部門も支えることが出来た。しかしいまや本家は衰退・消滅し、それは原子力に特化した特殊な経営となっている。

つまり単体で支えるのは困難になってきているわけだ。

大げさに言えば、ここに米国資本主義の抱える矛盾が象徴的に表れていることになる。

3.米国はなぜWHを売ったのか


『人民の星』 5702号1面 2012年7月18日付 米日原子力推進体制 原発再稼働の背景 という記事がある。

ここにはこう書かれている。

この買収は通常の買収・子会社化とまったくことなった一面をもっている。東芝は、いわばカネをだしただけで、ウエスチングハウスは買収後も独立した企業のようにふるまっているからである。

東芝は「カネはだすが、経営には口をださない」とはっきりのべている。

アメリカ帝国主義は、ウエスチングハウスが経営破たんしても、そうした技術をもっている原子力部門を残し、最初はイギリスに、そして次には日本にカネをださせて維持してきたのである。

多分、憶測記事だろうが、そういう可能性は一応念頭に置いておく必要があるのではないか。

4.なぜ東芝がWH社を買ったのか? なぜ米国は東芝に売ったのか?

ここまで書いて来ても、未だに真相は良くわからない。「なぜ東芝か?」ということである。

この話は、まず「なぜ日本か?」という問題が片付かないと進まないかもしれない。

この点で、最近の週刊朝日に面白い情報があった。

買収が行われた06年当時、経産省は「原子力立国計画」として原発輸出などを官民一体となって推進する国策をぶち上げ、産業界の利害調整をしたという。

「ウェスチングハウス買収の入札では三菱が有利と目されていました。だが、ふたをあければ、東芝の逆転勝ち。当時の経産省幹部は東芝に買収させたのは自分たちだ、と周囲に豪語していました」(原発業界関係者)

つまり、アメリカの意を汲んでWH社の買い取りに動いたのは経産省だということだ。そのうえで、どの社にするかを決める時、「天の声」の特権をたっぷり享受したわけだ(一体誰だろう、こいつこそA級戦犯だが)。

東芝の側からはその判断の是非は別として(非に決まっているが)、買った理由は分からないではない。

沸騰水と加圧水の両方の原発を手に入れることができれば、日本中の原発を支配下に収めることができるかもしれない。その頃の日本の原発政策を見れば、その先は前途洋洋として見えたかもしれない。

週刊朝日には次のような記載もある。

元東芝原子炉技術者の証言。「(東芝の)事業部は必死でした。国が原発輸出というアドバルーンを上げるとそれに飛びつきました」

だが米国の側はどうだったのだろうか。日本に買わせるつもりだったのは間違いないとして、資産総額の3倍で売れるとなれば飛びつくつもりも分かるが、そういうアコギなことをして、会社がコケた際の対処法は考えられていたのだろうか。

アメリカにとって最悪のシナリオ

今アメリカにとって最悪のシナリオが展開しつつある。もし東芝が1兆円の評価損を抱えたまま沈没することになれば、WH社はどうなるのだろう。もし東芝が救済されないままに、苦し紛れにWH社を投げ売りすれば、それが例えば中国に流れでもしようものなら…

経過から見て、GE+日立は東芝に高値つかみさせるための当てウマだったとも考えられる。結局当初の本命であった三菱重工が引き受けさせられることになるのだろうか。WHの軍事ノウハウの不可侵性は守られるのだろうか。

東芝を押し込んだ日本政府(経産省)も、さぞや頭を抱えているだろう。三菱重工も2006年の件では相当へそを曲げているだろうし、東芝の二の舞いはゴメンだろうから、それ相当の手当をしなければならないが、果たしてそれは可能だろうか。

川内原発の再稼働、海外への原発売り込みとそれなりに必死のようだ。安倍首相がUAEやトルコ、ミャンマーなどを歴訪。原子力協定を結んだ際には、東芝本社や関連会社4社の幹部が同行して原発を売り込んでいる。

が、そんなことではとても足りないだろう。


2015年07月11日

2015年08月12日 

2015年08月12日 

2015年08月12日 

2015年08月12日 

2015年08月13日  

粉飾の可能性は去年の4月から分かっていた。週刊ダイヤモンドの記事を見れば明らかだ。まだこの頃は600億だから可愛い方だが、本質は同じだ。本文を見てもらえば明らかだが、ここでは要旨を紹介しておく。


1.週刊ダイヤモンドの2014年4月23日号 「原発投資で最大600億円規模 東芝を揺るがす減損リスク


東芝の担当者たちと居並ぶ会計士たちとの緊迫したやりとりが、水面下で何度も繰り返されてきた。

会計監査人の新日本監査法人は、「投資回収が可能というなら、新たな出資者が現れるという明確なエビデンスを示せ」と迫った。

東芝は、撤退した東電や追加投資を打ち切った米電力大手に代わる、新たな出資者を連れてこいと突き付けられた。さもなければ減損だ。

減損処理を迫る新日本に対して、東芝は反論材料をかき集めて必死の抵抗を試みていた。

減損となれば、現金の支出こそ伴わないがバランスシートが傷む。他の重電メーカーと比べて財務の健全性に劣る東芝にとっては大問題だ。

東日本大震災以降、国内では“原発ゼロ”の状況が長く続き、原発の定期検査という収益源がなくなったことで、国内部隊は赤字に陥った。一方、海外を主戦場とするウェスチングハウスも最近は苦戦が続いている

その状況にSTPの減損まで重なれば、社内での原子力部門の立場は一気に揺らぐ。

2.週刊ダイヤモンドの2014年5月09日号。「誤算が続く東芝の原子力事業は立ち直れるか 米国の原発新設案件が前進せず損失を計上

決算は好調そのものだ。…前期比47%もの増益は、驚異的な伸びといえるだろう。しかも事前の会社側予想数字2900億円とピタリと一致している。

いま読むと、まさに「ピタリと」一致している。そのはずだ、一致させたのだから。それこそが「粉飾」の動かぬ証拠だ。

一方、原子力事業。同事業だけで約600億円の一時的な評価損失を計上した。

とあるのは前の記事と一致する。つまり新日本監査法人の圧力を受けて、ひそかに600億円を織り込んだのだ。その上で、それを穴埋めするために全分野で粉飾を敢行したのだ。

「NINA社の件がなければ過去最高益だった」と東芝の久保誠副社長は悔しがる。

というくだりには思わず笑ってしまう。知っていたのなら名役者だ。

その「NINA社の件」について、

これはサウス・テキサス・プロジェクトに絡む問題だ。同プロジェクトは日本企業が海外で初めて取り組む原発新設案件。

東芝は2008年に同プロジェクトの主契約者となり、翌年にはプラントの建設を含めたプロジェクト全体を一括受注することに成功した。

だが、2011年3月11日以降、状況は急変した。米原子力規制委員会(NRC)は建設許可を保留。原発建設に出資する肝心の投資家も決まっていない。

東芝の爆弾は「のれん」料とウェスティングハウス

さまざまな記事を見ると、2つのキーワードがあることが分かる。

ひとつは「のれん」料問題であり、もうひとつはウェスティングハウス社(以下WH)問題である。

のれん料問題も元々はWH買収により発生したものだから根は一つということになる。

1.のれん料の問題

まずはのれん料問題から。(毎日新聞 「東芝問題リポート 第三者委報告書が明かさなかった謎」

7月の第三者委員会と社長の共同記者会見で二つの質問が飛び出した。

質問1.社長へ

ウェスチングハウス買収で、東芝の原子力事業の規模は15年に3倍になると言っていた。それが達成できないから、利益水増しを迫ったのではないか。

質問2.第三者委員会へ(youtubeで閲覧可能)

ウェスチングハウスの『のれん』料は、減損の懸念がある。第三者委の調査は、減損処理には関わらないということか。

この質問への第三者委員会の答え

棚卸し資産の評価、固定資産の減損、この中に『のれん』も入ると思うが、繰り延べ税金資産の処理、これらは我々の調査対象外。会社が検討して、監査法人と協議されることだ。

要するに、「損益計算書については調べるが、貸借対照表については知りません」ということだ。

2.貸借対照表の仕掛け

のれん料とか減損処理とか聞きなれない言葉が並ぶ。損益計算書はわかるが、貸借対照表というのはどうも苦手で、今ひとつわかったようなわからないようなところがある。

まずのれん料だが、以下のように説明されている。

『のれん』料: 企業を買収する場合、買収額はその時点の企業価値より高くなる。したがって企業価値だけを資産計上すると、買収額との差額が生じる。会計原則ではこの差額を「のれん」と名付けて、資産計上を認めている。

次に貸借対照表(B/S)について 「東芝の不適切会計問題、貸借対照表(B/S)を見ると理由が分かる?」というブログ記事から勉強させてもらう。

まずがこの表

14年3月期東芝の貸借対照表-min

ブログ主はこの表を見て下記のごとく指摘している。

パッと見て気付くのが「その他資産」の多さ。

総資産6.2兆円の内、約22%に達します。この「その他資産」は環境の変化があれば、一発で資産から消えてしまいます。

その内訳は、「のれん代及びその他無形資産」が1兆円、「長期繰延税金資産」が0.2兆円、「その他」が0.1兆円となっている。

ブログ主はのれん代が1兆円に達した経過をきれいにまとめてくれている。

・2006年3月期      0円
・2007年3月期  7,467億円 (ウェスティングハウスを買収)
・2008年3月期  6,539億円 (ウェスティングハウスの一部株式を売却)
・2009年3月期  6,298億円
・2010年3月期  6,187億円
・2011年3月期  5,592億円
・2012年3月期  7,116億円 (ランディスギア社を買収)
・2013年3月期  9,121億円 (ウェスティングハウス株を買い増し)
・2014年3月期  10,006億円

「のれん代」は、子会社が当初の計画通りの利益を上げられなくなったら減損の必要が生じます。

つまり「見かけだけの資産」であり、むしろ負の資産と考えるほうが正しいということになる。

3.繰延税金資産との連鎖

しかしそれだけなら「消える」だけだが、困るのは後に借金が残ることだ。それが「繰延税金資産」というもので、税金支払分を最初に計上してしまう。利益が出ないと税金支払はなくなるので、この資産は宙に浮いて不良資産化する。

計上している繰延税金資産を守るためには利益計画の達成が必須。利益計画が達成できず→繰延税金資産の取り崩し→債務超過転落→経営破綻、というのが最悪のシナリオです。

ということで、無理してでも利益を出さなければならないという悲惨な状況に追い込まれる。これが今回の粉飾を生んだというのが実相のようだ。

週刊朝日の試算によると最大で9千億円の“損失”になるという。

週刊朝日(7月22日) 「9千億円の“巨額損失”が新たに発生?

この計算は、(のれん代の減損が4千億円)+(繰延税金資産の減額が最大5千億円)=9千億円というもの。

ただ、5千億円というのは11年3月期決算に計上されていた総額で、まるまるということにはならないだろうが。

 

東芝問題で、赤旗の報道が異常に慎重だ。
今日からの連載でようやく「粉飾決算」の表現を取り入れた。
そしてウェスティングハウスの買収が、経営危機の根っこにあることを指摘した。
しかしこれはすでに1年以上も前から広く知られていることであり、第三者委員会報告はそのトバ口でストップしていることは明らかだ。
問題は「2006年の買収劇の際に何があったのか」だ。
とくにウェスティングハウス社の持つコア技術がどのように扱われているのかということだ。コア技術とは言うまでもなく軍事技術である。原潜の原子炉も原子力空母の原子炉もすべてWH社製である。それをアメリカが手放すことなどありえない。とすれば、東芝は買ったのではなく「賜った」のだ。もちろんおまけ付きではあったろうが。


原子力空母・原潜とWH原子炉の関係

軍事オタク情報が飛び交っている。分かる範囲でまとめておくと、以下のようになる。

ウェスティングハウスの記事

1996年、防衛産業部門のウェスティングハウス・エレクトロニック・システムズをノースロップ・グラマンに30億ドルで売却。同部門はノースロップ・グラマン・エレクトロニック・システムとなる。

1998年、最後まで残っていた商業用原子力部門を英国核燃料会社(BNFL)に売却。

ウィキペディアではこうなっており、この記載から言うと軍事用原子力部門はウェスティングハウス・エレクトロニック・システムズに移行したと考えられる。

原子力空母・原潜の記事

航空軍事用語辞典++

空母エンタープライズ: ウェスティングハウス A2W加圧水型原子炉×8基 (出力280,000hp)

空母ニミッツ(級): 1975年就役。同型艦最新艦は2009年就役の「ジョージ・ブッシュ」 ウェスティングハウス A4W加圧水型原子炉×2基 (出力65,000hp/48MW)

空母ジェラルド・フォード: 次世代空母。2015年に竣工・就役の予定。ウェスティングハウス A1B加圧水型原子炉×2基

空母に搭載している原子炉は、出力調整が可能な原子炉です。スロットルのように、「15パーセント臨界」、「50パーセント臨界」などの調整が可能で、必 要な電力量に応じて、出力を自由に変えられるのです。商業用原子炉とは、比較にならないほど、高度なテクノロジーが使われています。

五代富文 宇宙開発と原子力(4) 「原子力潜水艦ノーチラス号と商用原子力発電炉」 からの引用です。

リッコーバーが開発主導した原潜炉は基本的には現在に至るまで使われ、ノーチラス号の加圧水型核反応炉STRマーク2は正式名称をS2Wと改名され 原潜炉の原型となりました。

原潜の原子炉は当初はWHが独占していました。しかし1970年代末に、 GE社の開発した加圧水型動力炉Sシリーズが参入し、徐々に主流を占めるようになります。

そして1990年代に入ると、船体の大型化に対応できなくなったWH社製の原子炉は姿を消していきます。

第6世代の原子炉は、WH社製に代わってGE社製S6Gとなっています。


ということで、原子力空母はWH、原潜はGEという棲み分けになっているようだ。

ただしWHというのはノースロップ・グラマン傘下のウェスティングハウス・エレクトロニック・システムズを指す、ということになる。

もちろん原子炉の生産技術に大きな差があるわけではないから、98年まで同じ会社の同じ部門だったWH社にコアー技術が共有されていることは間違いない。

当然、そこは封印された上で売却されるのであろう。嫁にはやるが、あそこは見ることも触ることも許さぬ、という話だ。




絶対知 要約の要約 は、絶対知 というページに載っている「精神現象学」の「絶対知」の章の(内容要約)という部分を、さらに要約したものである。

「出席者:長谷川、池内、大澤、竹永、加々見、中澤、鈴木、新浪」とされているので、おそらく長谷川訳の本の検討会の記事なのであろう。訳者が自ら主催し、それに参加者がコメントを述べる形の検討会のようだ。

読みやすいとされている長谷川訳だが、それでも歯がたたない。10年も前に買ってそのまま棚晒しになっている。

要するに読みにくさの秘密は、訳の難しさではなく用語の難しさにあるということが分かった。なぜ用語が難しいか、一言で言えばヘーゲルの言葉の使い方がいい加減だからである。とくに絶対知の章でそれが目立つ。それが分かるのは、それだけ長谷川訳が良いからだも言える。

ヘーゲルはなにか思いつくと、それに適当に名前をつける。その定義はしないままに使い続ける。使い続けているうちにその名前のイメージが固まってくるのである。イメージが固まるのは良いとして、そのイメージがその名前の元の意味からはかけ離れたところに行ってしまう。

我々はその用語を元の言葉のイメージで読んでいくからまったく意味が分からなくなる、というのがこんぐらかる理由のようだ。それに大仰な形容詞をつけるから、「これでもか、これでもか」とパンチを食わされて、2ページも行かないうちに脳みそがグロッキーになってしまう。

巷にはヘーゲル用語辞典というのも発売されているようだが、ヘーゲルというのがそういう人なので、たぶんあまり役に立たないのではないかとも思う。同じ言葉でも使い方がどんどん変わっていく可能性がある。「精神現象学」辞典が必要だろうと思う。

逆に言えば、そういう辞典さえあれば、本文など読まなくても良いかもしれない。

そこで「言い換え集」を試作してみようかとおもう。辞典ではなく、勝手な「あだ名つけ」である。もしテキストファイルがあれば、一括置換で全部置き換えちゃうと読みやすくなるのではないかとの期待を込めている。


絶対、純粋、完全: ヘーゲルの大好きな形容詞だが、目障りだから読み飛ばしていこう。

意識: 心象 “イメージ”のほうが意味が広くて良いかもしれない。「潜在意識」、「無意識」などのような心理学的ニュアンスはない。本能と悟性に裏付けられた心象。

対象: 事象 事物そのもの(存在)ではなく、自分の関係する他者であり、しかもその表象だから事象とするのが良いのではないか。

物:モノ 「物はその有用性で考察される。物は本質的に他のための存在なのである」と、きわめてぞんざいに扱われている。カタカナで書くとそういうニュアンスが出てくる。

自己意識: 対象イメージ 自己と言いながら直接には他者についてのことである。他者について自己の中に思い浮かぶイメージが自己意識である。対象イメージが集積すれば、自己の心象を規定するようになる。

自己: 自己イメージ ヘーゲルは徹底した観念論だから。自己をも自己イメージとしてとらえる。だから他者に向き合うときは「自己にとっての意味」が唯一の関心事項である。正直なのかもしれないが嫌なやつだ。

知: 本質 ヘーゲルは、この言葉を多義的に用いているので、前後関係から判断するしかない。知覚の先にあって思考という感じで使うこともあれば、知識とか知恵とかいう意味でも使う。

理性: 社会常識 “理性的な”というと、褒め言葉だがそのようなニュアンスはない。自己意識の集合体くらいの感じか。

良心: 良識。理性の第2段階で、高級な自己意識。個々の事柄を離れて、それらの知(本質)を貫く純粋意志(目的)を把握する自己意識。ふつうはこれが理性だが、先に使っちゃったので、「良識」とあてておく。

精神: 心 「情」でも良いか。「敢闘精神」、「愛国精神」のようなニュアンスはない。精神は良心(世の良識)が個人の知へ投影したものと考えられている。良心(良識)を基盤とするからポジティブなニュアンスはある。いずれにしても理性と並び立つ概念となる。

完全で真の知: 義 漢字で書けば「義理」になるのだが、義理という言葉にはあまりにも手垢がつきすぎている。自分で作り上げてきた常識と、良識が精神の働きで和解する(というより吸収合併される)。「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たいこの世界」である。これが義である。まぁ、どうでもいいことだが…

美しい魂: 信念 義には二種類あって、良識が外在的なものにとどまっている場合と、しっかり消化されて自己確信に至っている場合がある。前者は宗教である。しかし信心は自らの実現に対立する概念であるから、実践過程で破綻する。後者は「実現を獲得した概念」と呼ばれる。そんな経過からすれば、とりあえず「信念」がよろしいかと… この辺り、ヘーゲルは締め切りに追われて縒れている。

契機: 場 結構いろいろな使い方をするが、「きっかけ」とか「要因」というニュアンスはない。最初は因子にしようと思ったが、点というよりもう少し広がりがあるので、とりあえず「場」をあてておく。

概念: 枠組み 構造とかスキームというとがっちりしすぎている。もっとカジュアルにフレームを組み立てるという感じがある。

絶対知: 摂理 告白するが、このへんになるとよくわからない。たしかにそんなに簡単に分かってしまったのでは、有り難みがない。
ここまでの積み上げの中で、ヘーゲルは「場」的範疇と実践範疇を書き分けてきた。前者に属するのが意識・自己意識・理性の系列で、後者が知の系列だ。精神は個人に戻された理性であり、本来は「場」に属するのだが、戻るという行為により能動性を与えられている。したがってそれは知と共に二つの実践的契機となっている。
おそらくは精神と知が合体したものが絶対知だ。それは信念(美しい魂)と違って能動性を持っており、精神の発展型としての性格を負っている。

真理: 絶対知、すなわち精神の確信に対応する「場」的範疇が「真理」ということになる。ヘーゲルは「完全で真の内容」といっているが何のことかわからない。要するにヘーゲルの論理は真理を論証できないのである。したがって他の言葉に書き換えようがない。しかしヘーゲルの「真理」は嘘っぱちである。ヘーゲルははっきり言うべきだったのだ。「真理」などというものは存在しないと。

学:

もうこのくらいにしておこう。これ以上はあまり意味のある作業には思えない。

阪神のマートン選手が、8月6日、一市民として平和記念式典に参列した。それを見つけたひとがスナップショット。

ma-ton

「色々とあったけど、こうやって試合日でも、8/6に原爆ドームにいるマートンを俺は尊敬してる」とコメント。これが拡散されている。

試合の方は、8対2で阪神の勝利。マートンは5打数3安打1打点と大暴れだった。
あるカープフアンは、「でも、あんなに打たんでもエエでしょ?」とぼやいていた。

絶対知 要約の要約

1.対象とはなにか

対象とは第一に物一般である。それは感覚的確信に呼応する直接的存在である。第二に、知覚との関係において(知覚される)対他存在でもあり(知覚されない)自立存在でもある。第三に本質としての対象一般は、分析知の働きに呼応する(対他存在である)。

したがって対象は知覚の働きにより規定され、個別性を与えられたり、逆に分析知の働きにより一般化されたりする。

この過程の中で、意識は対象を自己自身として知ることとなる。ただ、その枠組はまだ対象意識の諸形態のままである。

2.対象を自己自身として知ること

観察理性は、無関心な存在としての対象の中に自己(にとっての意味)を発見する。そして自我の存在は物であるという無限判断に到達する。“意味”という不可視のものを対象としているために、この判断は直接的には無精神であるにもかかわらず、精神に満ちているのである。(たしかに無限に持って回った判断だ)

対象はそれ自身として成り立つのではなく、自我と対象との関係により成立する。(ずるい言い方で、“ない”とは言わず“成り立たない”と逃げる)

物はその有用性で考察される。物は本質的に他のための存在なのである。(これはむき出しのプラグマチズムだ)

普通の自己意識は物の知(本質)を存在の直接性において知るのみである。それを内的なものとして知るのは高級な自己意識(良心)である。この良心(意識)は存在を純粋意志(目的)である知(本質)として知り、その知(本質)を絶対存在として知る。

良心は自己の純粋知(高級な思考)を具体的な場として行動によって身をさらす。その結果、精神はその本来の意識と統合されて和解する。これらの契機の精神的統一が和解の力となるのである。最後の契機(良心)がこの統一自身であり、すべての契機を内的に結びつける。(完全な論理の空回り)

3.精神と「完全で真の知」

(精神は良心=世の良識の個人への投影と考えられているようだ)

精神(心)は存在の場として自己の知以外をもたない。その行うことを義務の確信に基づき行う。

現実(のイメージ)は直接的存在としては自己意識にとって純粋知(単純な知識)以外のものではない。自己(の精神)に対するものは、一方ではこの純粋な個別的自己の知であり、他方では普遍的知の知(世の常識)である。個別の自己において、この二つの知は(精神によって)いまだのこる空虚な対立を破棄する。そして「完全で真の知」(真理)が形成される。

意識の自己意識とのこの和解は二重の側面で実現される。つまり、一方では、宗教的精神(宗教心)において、他方では、意識そのもの自身において。前者は潜在的和解であり、後者は自覚的和解である。このふたつの側面の一致が一連の精神形態を締めくくる。

精神の宗教的(潜在的)現れは示されたが、概念(枠組み)の単純な単一性に欠けている。この概念は、自己意識(良識)の側面では、すでに自己確信の精神形態、「美しい魂」として現れている。この概念(信心)は現実化に対立したままであれば、一面的形態(宗教)として虚空に消える。

しかし積極的外化と現実化により、この無対象な自己意識(漠然とした常識)の自己硬直、自らの実現に対立する概念(信心)の確定性はうちこわされる。自己意識は普遍性の形式を得、自己意識に残るのは、真の概念、実現を獲得した概念である。

以下、しばらく省略

4.絶対知と真理

精神の最後の形態は絶対知(摂理)である、絶対知は完全で真の内容(真理)に同時に自己の形式を与える。絶対知はその概念を現実化し、同じくこの現実化において精神の概念にとどまる。

(この形態において)精神は絶対知である。精神の形態(心)のうちに自己を知る精神、概念把握する知である。

真理は真理の現実存在の中にある。(ここにおいて)真理は潜在的に完全に確信にひとしい。

真理は宗教においては精神の確信にいまだひとしくない内容である。内容が自己の形態(概念)を得たことでひとしくなったのである。本質(良き自己意識)が、現実存在の場、あるいは意識にとって対象性をもつ概念(真理)になったのだ。

この場において意識に現象する精神、もしくは、ここでは同じことだが、この場において意識により生み出される精神は学である。(もういい加減にせぇ。何階建てにすれば気が済むのだ)

5.時間と精神

時間は概念(の一つ)である。この概念は目の前にあるものであり、空虚な直観として意識が表象する。

それゆえ、精神は必然的に時間において現れる。精神がその純粋概念を把握しない限り、すなわち時間を抹消しない限り、精神は時間の中にある。

時間は直観による外的な、自己により把握されていない、ただ直観されただけの概念である。概念が自己自身を把握するとき、概念はその時間形式を破棄する。

時間はそれゆえ運命として、自己のうちに完結していない精神の必然性としてあらわれる。この必然性は、意識における自己意識の関わりをゆたかにする。それは直接自体的なものと意識された実体を運動させ、逆に内的なものとして捉えられた実体を実現し、顕示する。すなわち意識自身の確信へ返還請求する。

精神はそれ自体が「認識」という運動である。潜在から自覚への、実体から主体への、意識の対象から自己意識の対象への、同様に止揚された対象、もしくは概念への転換である。この運動は自己にかえる円環であり、その始まりを前提し、終わりにおいてのみこの始まりに到達する。

6.精神と概念

 現実存在が直接に思考である自己意識の形式において、精神の内容は概念である。精神はかく概念を獲得し、その生命の精気のなかに現実存在と運動を展開し学となる。

 学(特定の諸概念)においては、もはや特定の意識形態として概念の運動が示されるのではない。概念の運動は特定の諸概念の有機的運動として示される。

「精神現象学」では知と真理の差異を明らかにすること、両者の差異を破棄することが各契機なのであるが、それに対し、学においては契機が概念形式を獲得しているゆえ、真理の対象形式と自己知の対象形式は同一である。意識における現れから開放された純粋概念とその運動は概念の純粋規定のみに依拠する。現象する精神形態は、学のそれぞれの抽象的契機に該当する。

学の本質である概念は概念の単一な媒介による契機を砕き、諸概念の内的対立に従って表現される。このような学の純粋形態を意識形態のかたちの中に認識することが学の現実面となる。

この現実面に基づけば学はそれ自身の内に純粋概念を外化(放棄・譲渡)する必然性と意識への移行を含む。

自己自身を知る精神は精神概念の把握により直接に自己自身と同一なのである。直接的なるものの確信であり、感性的意識である。それはわれわれの出発した発端である。

精神のその自己的形式からの解放は、自己についての精神の知の最高の自由であり、最高の安定である。

7.精神が自然を、歴史を生成する(あほか)

だが、この外化はまだ不完全なのである。この外化は対象への精神自身の確信の関係を表しているが、この対象は関係においてあるゆえ、まだ完全な自由を獲得していない。知とは自身を認知するだけでなく、知自身の否定、知の限界をも認知することなのである。

限界を知るとは自己を犠牲にすることを知ることである。この犠牲は精神が精神への生成を限定されない偶然的な出来事というかたちで表現する外化である。精神はそのようにして、その純粋自己を精神の外部に時間として、その存在を空間として直観するのである。

精神のこの後者の生成、自然は、精神が無媒介に生命をもって生成したものである。自然、この外在化した精神はその現実存在において永遠に外化して存続し、主体を確立する運動である。

精神の生成のもう一つの側面は、知的な媒介による歴史の生成である。歴史とは時間において外化した精神である。この外化は外化した知自身の外化である。この生成は絵画の回廊として諸精神の運動と連続を提示する。

8.精神はやがて現実存在を去るが、記憶の中に残る

精神の完成は精神がその実体を完全に知ることである。この知ることとは精神がその現実存在を去り、その形態を記憶にゆだねて、自己の内へ向かうことである。自己の内に向かうことで、精神は自己意識(記憶)の暗夜に沈み込む。精神の現実存在は消滅し暗夜の中に保存されている。

こうして保管された現実存在、つまり、以前のものではあるが知から新たに生まれた現実存在は、新しい世界であり、新たな精神の形態である。精神はこの形態で無心に第一歩から始まらねばならず、この形態から再び自身を育てなければならない。記憶は過去の諸精神を保存しており、実際にはより高次な実体形式なのである。精神が外見上自己のみを出発点として最初からその形成を再び開始するとしても、この精神が始まるのはより高次の段階である。

諸精神の連続である歴史の目標は精神の深さが啓示されることである。この深さとは絶対概念である。「啓示」は絶対概念の深さを破棄し、絶対概念を水平にひろげる。啓示はまた自己内在する自我の否定性であるが、この否定性は概念の外化であり、あるいは概念の実体である。

諸精神の保存は限定されない偶然的現われの側面では歴史であり、概念把握された組織化の側面では現象する知の学である。あわせれば概念化された歴史(歴史観)である。

この両者は、絶対精神の記憶(歴史)とゴルゴダの丘(殉教と復活)であり、玉座にある精神の現実、真理、確信なのである。この玉座を欠けば精神は生命を失い、孤立してしまうであろう。(ヘーゲルの最後っ屁)

 

ヘーゲルが「世界は認識可能だ。なぜなら認識不可能な世界は存在しない(存在し得ない)からだ」という時、ずいぶん傲慢なことを言うなと思ったが、「とりあえずそれでいいじゃん」というニュアンスであれば、「それでもいいか」と思ってしまうところもある。さらにヘーゲルは一歩進めて、「役に立つから世界じゃん」というので、さすがにそれは同意できないが。
我々の知りうる三つの物理学的ゼロがある。
ひとつは重力ゼロ、一つが温度ゼロ(絶対0度)、もう一つが時空間ゼロ(ビッグバン)だ。
重力ゼロはかんたんに体験できる。風呂に入って、鼻をつまんで潜れば、体は浮く。重力ゼロだ。
他の二つはかんたんではない。ただ仕掛けがあれば温度ゼロに限りない状況は作れる。リニア新幹線などで今や実地に応用される可能性すらある。
時空ゼロはきわめて難しいから、大規模な装置で、そのほんの一部を垣間見ることが出来るだけだ。
このように、難しさのレベルではまったく様相をことにするものの、本質で共通していることがある。それは時間軸をいじろうとしていることだ。重力は m/s2 温度の方の単位は良く分からないが、速度の関数であることは間違いない。 我々の住む世界、ヘーゲル風に言えば自己意識の世界は、一つの時空間である。そしてそれは時間軸が一定という前提のもとに成立している。
しかし現代科学は時間軸は歪むし曲がるし途絶することを明らかにしている。そしてそれが相対的なものであるらしいことを示唆している。
ここから2つのことが考えられる。
一つは時間軸をも乗せる第5番目の軸、すなわち5次元の考えが必要になるだろうという予感。x,y,z そして t 軸に加えてもう一つの軸を想定しなければならないということである。
もう一つは、認識の限界あるいは観察の質的限界は間違いなく世界の質的限界を規定しているということである。我々は我々に向かってくるのものしかエネルギーとして感じることができない。ものさしは自分にしかないのだ。しかし去っていくエネルギーもあるはずだ。
かくして、亀は遠ざかるアキレスの背中を見つめるのだ。



体調の悪い人は読まないでほしい。
以前、動物園でゴリラを見ていた。
体調が悪いらしく、ひっきりなしに下痢している。
そのうち下痢便を食い始めた。
幸いなことに、屋外で、かなりの距離があったから、臭いは到達しなかったが、
ゲロテスクの極致である。
食いながら、うつろな目でこちらを睨んでいる。
「安心せぇ、そんなもの横取りはしないから」

実はヘーゲルを勉強しながら、ふと思い出したのである。
この男、言葉や概念を未消化のまま撒き散らす。
それだけならいいのだが、それをまた食う。
それがまた出てくるときは、もう少し消化されている。
それをまた食う。

これがヘーゲル弁証法だ。
正しいか間違っているかは知らないが、
とにかく猛烈に臭いことは間違いない。

1.意識を離れて存在なし

意識から出発し、「否定の否定」によって次々と発展を続けることによって、現象の背後にある物自体を認識することができるという主張。認識された物自体が真理、真理を認識するのが絶対知ということになる。

対象は、意識の対象として対他的な存在であり、また即自的な存在(物自体)でもある。しかし「物自体」も意識と離れては存在することが出来ず、意識のなかでの存在でしかない

したがって意識の拡大が存在の拡大であり、意識の明確化が存在の明確化であり、真理の拡大である。

これが「精神の現象」に関する概念である。

直接には物自体の不可知性(カント)を批判するものである。悪く言えば、半ばはそのためのレトリックでもある。

2.意識の自己意識への発展

次に意識の自己意識への発展過程を見よう。

意識が現象と相対するとき、意識は仮象を形成することを通して、現象を解明する。このように解明された現象は事象(Sache)となる。そしてそれを捉えた意識は「知」となる。

その意味では「認識論」の範疇に属するものだが、一般的な認識が事物の意識への投射とその受容であるのに対して、ヘーゲルの認識は対象世界へ乗り出す実践的認識である。したがってそれは認識論であるとともに実践論でもある。

そのために認識・実践主体の「主語」=私、私たち、人間、人類が必然的に揺らぎ、時に乖離する。(揺らぐのは意図的なすり替えにもよる。陰の主人公は絶対知の高みにいる我々=ヘーゲルである)

もう一つは、認識・実践主体の側にのみ能動性を認め、対象の側の「逆能動性」が(意図的に)捨象されていることである。これは多くの認識論とは真逆の立場である。しかし対象の側の能動性=反作用なしには「否定の否定」は成立しないから、どうしても再止揚の論理立てが苦しくなる。

自己意識はまずもって無意識的な意識が発展したものだ。我々が使う“自意識”とはまったく異なる。それは事物の「意味付け」の体系だ。諸個人がそれぞれの立場で「意味付け」するから、自己意識は一方では事物に縛られ、他方では個人に縛られる。

その前の「意識」というのは「本能」みたいなもので、今風に言えばDNAに規定されたものだ。こののっぺらぼうな「意識」においては、動物的な生きるすべとかそれなりの悪知恵は働いても自分を客観視出来ない。

かくして、ヘーゲルによれば、意識は現実界を媒介(鏡)とし、鏡の背後を透視するというかたちで自己意識の世界を形成していく。

意識が知覚を通じて事物に意味を求め、意味(知)を集積していることが分かる。これは発達心理学でお馴染みの場面だ。この部分は我々の常識から見ても飲み込みやすい図式だ。

3.自己意識から理性へ

自己意識→理性の段階はこれに比べるとややこしい。意識と自己意識の矛盾がこれまでの主要な問題であった。この後は自己意識のもたらす「知」と、対象との不一致が主要な問題となる。対象が自己意識に何度も逆襲するのである。

ウィキペディアにはこう書いてある。

「自己意識」と同質な意識を他者にも認めることによって、他人の「自己意識」をも認識し、単なる自我を超えた普遍的な…「自己」を認識にするに至る。

つまり「自己意識」が「我らの意識」となって、それが理性に集約するというのである。ここでヘーゲルは意識の集団的理解により自我の限界を突破したことになる。(自己意識の“社会意識”へのすり替えとも言える)

人という生物集団は個人として分裂し、認識の作業はいったん自我のレベルに拡散するのだが、それがふたたび諸個人の社会への結合により合一するという過程である。(それは事物の統一性に規定されるからではないか)

「理性」というのも、ヘーゲル独特の用語であって、我々が普通に使うようなポジティブなイメージではない。自己意識の総和、あるいは平均値くらいの位置づけだろうと思う。

「精神」も「時代精神」くらいに受け止めておいたほうが良いと思うが、これについてはヘーゲル自身が結構揺れている。

いずれにしても、ここから絶対知にはまだ長い道のりがある。


つぎは 苫野一徳Blog というページ

ここには精神現象学成立の裏話が載っていて、大変面白い。

本書の当初の計画では1.意識 2.自己意識 3.理性までで、「4.精神」と「5.宗教」の存在はなかった。

それがなぜ組み入れられたかというと、出版社とのいろいろな問題があったかららしい。…

ところが本書執筆中に…契約のページ数に足りないことが分かった。

そこで彼は苦肉の策として、「精神」と「宗教」の章を付けたした。

そういうわけで、実は「精神」と「宗教」の章はある意味蛇足で、そのために本書の内容をいっそう分かりにくくしている原因にもなっている。 

ということで、「3.理性」まで読めば、ヘーゲル認識論は一応卒業だ。

逆に言えば「4.精神」と「5.宗教」は「社会と意識発展の弁証法」という別枠の論理として構えたほうが良いということになる。

4.自己意識の相互承認

苫野さんは「自己意識」が「我らの意識」となる上でのキーワードが「相互承認」だと強調している。

しばらく苫野さんの説明を伺うことにする。

1.単純な相互承認: 運動は端的に両方の自己意識の二重のものである。おのおのがその為すところをなすのは、ただ他方が同じことを為してくれるかぎりにおいてのことでしかない。

2.主と奴の相互承認: 自己意識は、「承認のための生死を賭する戦い」を繰り広げ、その結果、主人と奴隷とに分かれることになる。主人はひたすら自由を「享受」し、奴隷は使役を義務づけられる。

3.奴隷は労働を通して自由になる: 労働(使役)は対象世界を都合のいいように形成する。労働を通して、自己意識は自分の欲望を抑えることを覚える。

この後は「理性」もふくめてかなり俗っぽい話に移っていく。論理の進行にはあまり関係なさそうだ。

5.「事そのもの」と「良心」

ということで、少し飛ばして「事そのもの」に移る。

苫野さんはこう書いている。

この「事そのもの」を自覚することこそが、「理性」のいわば最高境位だ。

以下がヘーゲルからの引用。

「事そのもの」は本質的な実在であり、すべての個体の行為することである。…「事そのもの」は、すべての人々の実在であり精神的な本質である。

さらに「事そのもの」は現実である。これが現実であるのは、意識が自分の個別的な現実であると同時に、すべての人々の現実であるからである。

ということで、「さて、事そのものとは何でしょう」というクイズです。自分自身をふくめて、人々の共通認識ということなのだろう。「社会常識」というとちょっと狭くなってしまうが、そんなところか。

ただこれではその認識の正邪の議論にはならない。

そこで今度は「良心」というものが出てくる。

「良心」の元の言葉はGewissen で、“すべてを知ること”とも訳される。俗っぽく言ってしまえば、「事そのもの」が社会常識であるのに対して「良識」ということになる。

「良識」というものは誰でも持っているわけではなく、「識者」という人々に限られている。

苫野さんは下記のごとく結んでいる。

「良心」、これが精神の最高境位なのだ。それは「事そのもの」を自覚した精神のことである。そしてヘーゲルは、この境位を「絶対知」と呼ぶ。

ということで、ヘーゲルの弁証法が妖刀村正のごとく、ぬらぬらと冴えているのは意識→自己意識のところまでで、後は細部に流石と思われるところがあったとしても、まとめきれずに終わっている感じが否めない。

残された作業としては、自己意識の運動過程をより精細に描き出し、その方向性をより明瞭なものにすることだろう。


6.相互承認と階級関係

承認の問題については草食系院生ブログでも労働と承認の弁証法」という題で触れられている。

まず著者の提示を引用する(この理解には納得出来ない)。

「B.自己意識」の段階では、自と他が切り離され、さらに自己が自己自身を意識の対象とする状態にあります。

そして、自己とそれを観察する自己という二つにわかれた意識が統一されるために「承認」の運動が必要とされているのです。

その最初が「生死をめぐる闘争」だが、かなり観念的なのでとりあえず飛ばしておく。

次が「主と奴」の関係だ。ヘーゲルはこの関係を、現代社会の基本をなす人間関係(支配者と被支配者)と考えている。

るる説明があるが、知りたいことは自己意識 承認 を通じて理性 へと止揚される過程である。

著者は労働の役割に関心があるので、話がそっちにずれていくのだが、結論としては階級社会の発生にともなって、非支配階級の中に「相互承認」が生まれるということだ。

支配階級との間は、そして支配階級内では、相変わらず「生死をめぐる闘争」の関係が続く。しかし被支配階級の諸個人の間では「生死をめぐる闘争」の関係が止揚され、相互承認の過程が働いて、理性が発生するというメカニズムだろう。

以下はヘーゲルの引用の引用。

一見、従属的で非本質的な立場に置かれている奴隷の意識こそが真の独立自存の意識に近い場所にいる 

…一見他律的にしか見えない労働のなかでこそ、意識は、自分の力で自分を再発見するという主体的な力を発揮する。

なぜなら、労働は取得・享受と切り離され、純粋な“働き”として外化するからだ、ということになる。ヘーゲルにとっては「疎外された労働」こそポジティブなものなのだ。ただ労働はこの場面では媒介的なものに過ぎず、本質は支配・被支配という人間関係にあるのではないかと思う。

ところで、長谷川さんは「ヘーゲルはEntäuserung(外化)を使ったが、マルクスは疎外(Entfremdung)と区別しなかった」と指摘しており、マルクスが悪いように書いている。真偽は不明だが頷かせる指摘だ。


7.自己意識と理性の葛藤

目下のところ、肝心の問題は解決していない。自己意識 理性 へと止揚される 過程については説明がないからだ。

今まで聞いた話では、「みんな丸っこくなって、自己意識のすり合わせをして最大公約数をとりましょう。それを理性と呼びましょう」ということにしか聞こえない。

そういうのは、ふつうは止揚とは言わず、慣れ合いと呼ぶ。

もし本気で自己意識を揚棄するなら、自己意識の内的論理によって説明してもらわなければならない。

たしかにその後の「理性論」の展開は、明らかに自己意識と理性の葛藤みたいな様相も呈している。良心についての議論はむしろそうとったほうが分かりやすい。しかしヘーゲルは明示的に展開しているわけではない。

グエン・ドクさん、漢字で書くと 阮德さん。

1981年2月25日の生まれ。下半身がつながった結合双生児だった。兄は故グエン・ベトさん。

出生地が枯葉剤が大量に撒かれた中部高原のコントゥム省であったことから、枯葉剤の催奇形性に基づくものであると疑われている。

ハノイのベトドク病院で療育されたことから、ベト、ドクと名付けられる。ベトドク病院は漢字で書くと越・独(旧東独)友好病院。

85年に兄弟のことが日本でも知られるようになり、大規模な支援活動が行われるようになった。

二人は結合したまま成長するが、1988年10月、ベトさんが急性脳症となったことを契機として、手術で分離した。

この手術はホーチミン市の病院で行われ、日本赤十字からも4人の医師が派遣され執刀に当たった。

ベトさんは長い療養の末、 2007年10月6日に亡くなった。26歳だった。

ドクさんは職業学校でコンピュータプログラミングを学び、病院の事務員となった。2006年にはボランティア活動で知り合った女性と結婚している。

(前回の札幌訪問は、結婚直前の2005年であった)

2009年に男女の双子が生まれている。

ドクちゃん一家

ベトちゃん・ドクちゃん看護秘話

というページに、出産からベトドク病院への入院に至るまでの詳しい経過が記載されている。ここに要約紹介しておく。

二人はコントゥム省サータイで生まれる。上半身2つが1つの下半身でY型に繋がった結合双生児だった。染色体異常によって、胎内で癒合したまま成長したシャム双生児。肛門も性器も1つを共有していた。

父親は戦争中に南部で戦い、終戦4年後の79年に、現地へ開拓移住した。

出産時、生まれた子を見て、助産婦は失神し、母親も気を失ったという。両親は2人をコントゥム病院に預けたまま行方不明となり、2人は生後2週間ちょっとで、陸路1000キロをハノイ市の越独友好病院まで車で移送された。

二人を世話したベトドク病院の看護婦の証言: 

声も出せないほど弱々しかったです。長距離を運ばれてきて、多分体も洗うこともなかったでしょうし、臭くて薄汚れていました。

当時ベトナムはまだまだ貧乏で、たくさん食べさせたかったけど、物が不足していました。ちゃんとした服も着せられませんでした。

食べさせたのは、ミルクとお粥のダシと砂糖でした。4ヵ月経って、ベトちゃんとドクちゃんは本当に健康状態がよくなって、少しふっくらしてきて、可愛くなってきました。

日が経つにつれて、二人はどんどん話し方を教えました。非常に頭がよさそうでした。時々風邪を引いたり、熱が出たり、お腹を壊したくらいで、あの子たちは大きな病気はしませんでした。

体はくっついているけれど、ベトちゃんとドクちゃんは性格が違います。体力がまず違いました。片方はよく遊んでいて、いつもとっても楽しそうでした。片方は、体力はあまりなく、からかわれると怒ったりしました。

その後、戦場から帰ってきた旧軍人と奇形児の関係も分かるようになりました。子供たちが枯れ葉剤被害者であることが証明されました。

多くの人が、罪を犯したように、心がさいなまれていました。神から罰を受けたと思っていたんです。ベトさんドクさんの両親も顔を出しませんでした。仮に来てても、自分がこの子の親だとは言えなかったと思います。

1983年1月、この2人をホーチミンの病院に送って分離手術を受けることを決めました。別れた時、皆泣きました。ベトちゃんとドクちゃんもものすごく泣きました。それまで毎日面倒をみてくれた看護婦全員の名前を呼びました。

全国には、まだ多くの患者さんがいます。。行動を起こすことが大事です。平和を愛する人が団結して、戦争を起こしている国の指導者に、私たちに必要なのは平和だけです、と訴えたいです。  

 第三手稿 「ヘーゲル弁証法および哲学一般の批判」を熟読する

経済学・哲学手稿は日本語では三つの訳があり、藤野の国民文庫は最も古く、最も読みにくい。

手稿の中でマルクスの観念は奔逸している。前後左右どこに飛ぶか分からない。センテンス一つを5つ分けにしないとならないくらい、読者を振り回す。それを読みこなす上では、藤野の訳が一番良いかもしれない。

岩波の訳はこなれているが、こなれすぎている印象がある。国民文庫で慣れてしまっているので、とりあえずこれで始めて、後で岩波版を参照することにする。

探しものは、エンゲルス風でない「真理」に関する記述だ。ただし見つかるかどうか分からないという、はなはだ頼りない航海になりそうである。

悪文・悪訳の中で、どこまでがヘーゲル批判なのか、どこからがマルクスの主張なのかだけは見失わないように、読み解いていこう。


第三手稿 「ヘーゲル弁証法および哲学一般の批判」

(6) ヘーゲル哲学とヘーゲル弁証法

私流に小見出しをつけていく

1) ヘーゲル弁証法を批判しなければならない

弁証法は(ヘーゲルが哲学を展開するための)方法である。

ここでは弁証法を①弁証法一般、②現象学における弁証法、③論理学における弁証法、④ヘーゲル左派と弁証法の関係、について論じていく。(このなかで現象学における弁証法と論理学における弁証法とを分けて論じることがポイントとなる)

ヘーゲル弁証法をどう遇するかということは、我々にとって本質的な問題である。

しかし、これまでのヘーゲル批判は、ヘーゲル哲学の批判ではあっても、ヘーゲル弁証法については“まったく無批判”であった。

(次いで、マルクスはその典型として、ヘーゲル左派の旗頭バウアーを槍玉に挙げる。ここはうっとうしいので省略する。ただし②現象学の弁証法においては、「自己意識」の批判的検討がカギを握ることを示唆していることに注目)

2)フォイエルバッハの三つの業績

(バウアーより前に)フォイエルバッハはヘーゲルの弁証法と哲学を転覆してしまった。(きざし的にではあるが)

フォイエルバッハはヘーゲル弁証法をまじめに批判した唯一の人である。そして弁証法に関する領域で真実の諸発見をした唯一の人である。そしてヘーゲル哲学の真の克服者である。

フォイエルバッハは三つの偉大な事業を成し遂げた。

A ヘーゲル哲学が宗教であることの暴露

フォイエルバッハは、ヘーゲル哲学は思想の中へ持ち込まれて、哲学的な言葉で詳説された宗教にほかならないと断罪する。それは(感性的な)人間的本質を疎外するもう一つの形式にすぎない。

(フォイエルバッハは「疎外」を常にネガティブなニュアンスで語っていることに注意。マルクスも第一手稿の「疎外された労働」ではフォイエルバッハの使用法に従っている)

B 真の唯物論の基礎と、現実的な科学の基礎を築いたこと

フォイエルバッハは、「人間の人間に対する」社会的な関係を(「人間の自然に対する関係」と)同様に、理論の根本原理とした。

それによって、真の唯物論と現実的科学が結び付けられた。(ここで言う「現実的な科学」というのは自然科学、「真の唯物論」というのは、歴史学も含めた広い意味での社会科学を指すと思われる。この頃のマルクスにとって、「真の唯物論」は「史的唯物論」に近かった)

C 「否定の否定」の否定

ヘーゲルは絶対肯定的なものとして「否定の否定」論を主張した。フォイエルバッハはそのような持って回った論理でなく、おのれ自身が、おのれ自身に もとづいて、おのれ自身の上に立ち上げた肯定的なものを対置する。そのことによって、「人間の人間に対する」関係を構築するのである。(「否定の否定」論 は後出)

3)フォイエルバッハのヘーゲル弁証法批判

フィエルバッハは、ヘーゲル弁証法批判を通じて、現実的なものからの出発を基礎づけようとする。その内容をマルクスは以下のように整理する。

(フォイエルバッハが批判するのは③論理学における弁証法であり、あとからマルクスが批判する②現象学における弁証法ではないことに注意)

A ヘーゲルの出発点は疎外態である (疎外態という言葉は岩波版から)

ヘーゲルの「疎外態」(Entfremdung)は論理的に無限定な抽象体(Logisch: Unendlich Abstrakt Allgemeinen)である。それは固定された抽象物である。その点において、宗教と変わるところはない。つまりヘーゲルは「神学」から出発するのである。(ただし、マルクスは「疎外態」という把握には賛成していない)

B ヘーゲルは疎外態(神学)を止揚することにより「現実」を創りだす

無限から有限へ、抽象から具象へと「現実」が形作られる。その点において、神の天地創造と変わるところはない。そして神学も現実をあつかう「哲学」に外化する。

(これはヘーゲル論理学の論理である。現象学においては意識が自己意識となる過程に相当する。両者を混同したままだと読者の頭は乱れた麻のごとくになる)

C ヘーゲルは創りだされた現実を再び止揚し、抽象的一般を立ち直らせる

このような有限で感性的な現実はフォイエルバッハにとっては肯定的なものであるが、ヘーゲルはそれを止揚してしまう。そしてそして「哲学」は止揚され「神学」が再興される。

以上が「否定の否定」に対するフォイエルバッハの整理だ。(とマルクスは読んでいる)

神学の立場からすれば、自己を外化し、外化することで自己を確証し、外化したものを取り込むという形で自己完結するかもしれない。しかし哲学は神学 のためのジャンピング・ボード(契機)にすぎないことになる。それでは浮かばれない、というのが哲学者フォイエルバッハの言い分である。

4)フォイエルバッハの「否定の否定」批判にマルクスが異論

すまん、私の雑感を入れさせてもらう。

フォイエルバッハは疎外態を「固定された抽象物」とし、宗教のようなものだと批判する。フォイエルバッハにとって、「否定の否定」というのは詰まるところ神学の学的過程である。もし「否定の否定」が学的過程にとどまるとすれば、それは一種のトートロジーとなってしまう。
しかしフォイエルバッハが疎外態と言っているものは、「固定された抽象物」ではなく、むしろ、「原初」というか混沌としたカオスのようなエネルギーの塊としてとらえるべきではないか? そうでないと、何が「有限的な具象化された現実」を作り出すのかという駆動力(契機)が見えてこない。
なぜこのような食い違いが生まれたか。それはヘーゲルに責任があると思う。
ヘー ゲルが②現象学における弁証法を③論理学における弁証法に援用し、その過程で主語がめちゃめちゃになってしまった。現象学の弁証法では主語は 「意識」である。意識というのはゲーテの小説の主人公ウィルヘルム・マイスターだ。燃えるような生の欲望しか持たない若者が、社会を遍歴することによって 自己を見つめ、自己を知り、やがて成熟した大人として巣立っていくという教養小説の哲学版と考えれば、きわめて分か りやすい。
ウィルヘルム・マイスターの意識(パトス)は青年たちに共通したものがある。そのパトス をヘーゲルは「意識」あるいは「自己意識」としてすくい取ったわけだ。それをいつの間にか、「抽象物一般」にまで演繹してしまったから、ヘーゲル論理学の 主語がわかりにくくなってしまった。そしてフォイエルバッハに批判されることになる。

以下の一段落は、フォイエルバッハのヘーゲル批判に対する異論である。

フォイエルバッハの言うように、抽象的一般の研究が神学であり、現実世界の研究が哲学であると規定すると、哲学は神学を肯定することにより自己を否定することになる。これは哲学についてのフォイエルバッハの見方が狭いからそうなるので、彼は「否定の否定」を、もっぱら神学と哲学との対立、哲学の自己矛盾としてしか把握していないからだ。

このあと再びフォイエルバッハの主張の紹介に戻る。このあたりオリジナルのヘーゲルの主張、それに対するフォイエルバッハの批判、さらにそれに対するマルクスのコメントが錯綜するので要注意だ。

フォイエルバッハは言う。(以下の段落は、藤野訳では誰の発言か分からず、岩波版でフォイエルバッハの発言と判明する)

ヘーゲルの「否定の否定」は、「肯定」と同じことになる。すなわち自己肯定である。出発点としての抽象的一般は、「否定の否定」という形で自分自身を肯定する。

しかしそこには感性的確信がなく、自己確証を伴っていない。(「我思う,故に我あり」と言ったって、目にも見えず耳にも聞こえないんじゃ「我あり」とはいえない)

これに比べて、感性的に確実な肯定、自分自身に基礎を持つ肯定というのは、(論理的)媒介なしに直接に示しうるではないか。

マルクスは以上のごとくフォイエルバッハの考えを紹介した上で、下記の傍注を付け加えている。

フォイエルバッハはヘーゲルの「否定の否定」を、抽象物(意識)がそのままに直感、自然、現実であろうと欲する思考だと捉えている。

マルクスはフォイエルバッハの論証にかなり不満を持っている。どこが不満かというと、「否定の否定」をもっぱら哲学の自己矛盾としてのみ把握しているからである。

(ところで、マルクスのフォイエルバッハの引用はかなり不正確で勝手読みで、これを読んでもフォイエルバッハの真意はさっぱり伝わってこない。岩波版の訳注286ページに、フォイエルバッハの本文が紹介されているので参照のこと)

5)「否定の否定」は哲学の枠にとどまらない

マルクスの考えるところによれば、ヘーゲルは「否定の否定」こそ、真実かつ唯一の肯定的なものと主張している。また「否定の否定」こそ、「存在」が自己を実証するための唯一の心ある行為だと主張している。

マルクスの考えるには、ヘーゲルは正しい。そのことによって、ヘーゲルは「歴史の運動」の表現を見出した。

ただしそれは二つの制限を含んでいる。一つはそれは抽象的な論理と思弁にもとづく仮説でしかない。またその「歴史」は人間の現実的な歴史ではなく、人間の発生史(産出行為)であるにすぎないということである。

ヘーゲルにおけるこの「歴史の運動」を、批判的な形態において解明することにしよう。あたかもフォイエルバッハが宗教批判において行ったのと同じ批判の手法で…(このセンテンスは藤野訳ではまったく読み取れない)

ヘーゲル現象学に示された弁証法の分析

ここからさきは、マルクス自身のヘーゲル弁証法批判が始まる。

その最大の特徴は、後の論理学や法哲学でなく、初期の精神現象学からヘーゲル弁証法を抽出することである。マルクスは、この方法でヘーゲル哲学の主客転倒のトリックを打破し、これによりヘーゲル弁証法とヘーゲル哲学とのあいだにくさびを打ち込もうとしている。

1) 現象学こそヘーゲル哲学の真の生誕地

ヘーゲルは歴史の運動(感性的)に対して抽象的、思弁的な表現を見出したに過ぎない。ヘーゲルの描く「歴史」は人間の現実的な歴史ではなく、人間の発生史(人間の産出行為)モデルであるにすぎない。

ヘーゲルの体系を見るためにはヘーゲル現象学からはじめなければならない。これこそヘーゲル哲学の真の生誕地だからである。そこには意識と世界のどんでん返しの秘密が隠されている。

まずは「精神現象学」の目次を並べていく。

(A) 自己意識

(B) 精神

(C) 宗教

(D) 絶対知

2) ヘーゲルのエンチクロペディーの概観

ヘーゲルのエンチクロペディーは、論理学(純粋な思弁)からはじまり、絶対知で終わる。その全体系は「哲学的な精神」の展開と客観化にほかならない。

「哲学的な精神」とは、「世界精神」(抽象的な思惟)が自然と触れ合うことで客観化(外化)されたものである。外化されたものが外化される(否定の否定)ということは、「哲学的な精神」が新たな「信念」として固定されることを意味する。

その最終ゴールである「絶対知」(認識された真理)は、超人間的な抽象的な精神である。

A.外化された論理としての抽象思考

論理学とは、一切の「現実」から切り離された純粋な思弁である。

この論理学が外的自然と出会う時、そこに生まれるのは抽象的でありながら客観的な思考(知識と、知識に基づく思考)である。なぜなら論理学は客観的な事物に縛られてしまうからである。

B.精神への回帰

「世界精神」は現実と触れ合うことで客観化(外化)される。その結果生じた「哲学的な精神」は自己自身とはみなされない。それが思考の遍歴を重ねた末に「絶対知」(真理)を見出して、それを自分と一体化させる。そのことにより自分にふさわしい存在の仕方(ただし抽象的)を獲得する。

(私的な感想を言えば、これは「信念」の自己運動である。ある種の信念(思い込み)をもって事にあたる。その時、現実とのあいだにさまざまな齟齬が生じる。現実との格闘の中で、新たな「真理」に辿り着く。その「真理」を受け入れることで新たな「信念」が形成される。ただし「現実との格闘」は哲学的な精神の中で行われるので、主語は信念であり、自己運動(自己陶冶)の過程はすべて抽象的なものである)

3) ヘーゲルにおける二重の誤り

第一の誤り ヘーゲルは自分を現実世界(疎外された世界)の尺度として立てている。しかし彼自身は現実の人間(疎外された人間)の象徴的存在にすぎ ない。ヘーゲルにあっては、哲学という場で、ファントムとしての自身が現実世界のファントムを相手に格闘(エアーバトル)しているにすぎない。この誤りはヘーゲル哲学の誕生地としての現象学において最も明瞭である。

これを現実世界から眺めれば、ヘーゲルが抽象的世界に自らのファントム(自己意識)を作り出し、そこにヴァーチャルな世界を写しだし、抽象的で絶対的な思考を生産しているさまとして捉えられる。

そこに起きているのは、抽象的思考と現実のもたらす感性との対立である。そしてそれはヘーゲルの思惟の世界の中で対立しているのである。ヘーゲルにあってはこの対立がすべてであり、他の対立はただの見かけ上のものでしかない。

ところで人間的本質は、自己を「自らにとってよそよそしいもの」として対象化するわけではない。ヘーゲルの「疎外」というのはそういう意味ではない。「疎外」という対象化は、自己意識の発生という形態の対象化である。(私の記事ではフォイエルバッハ的なニュアンスでの疎外を「疎外」と呼び、ヘーゲルの言う疎外は「外化」ないし「対象化」としている)

第二の誤り? 対象の獲得はただ意識の中でのみ行われる。

人間の諸力が対象化され、それが再び獲得される経過は、ただ意識の中で、純粋な思考として、抽象的に行われるのみの経過だ。感性的対象は直接に我がものとされるのではなく、対象の持つ抽象的本質として獲得される。

感性的な意識は抽象的なものではない。それは人間が持つ現実の意識である。宗教、富などの社会事象は人間の本質的諸力が生み出したものであり、それが(フォイエルバッハ風に)疎外された現実の姿にほかならない。

これにたいしてヘーゲルは、これらの社会事象を(自己意識が生み出した)精神的存在としてとらえる。なぜなら人間の本質は精神だからだ。つまりそれらの社会事象はヘーゲルにとってはたんなる外的な所与(ファントム)なのだ。

ヘーゲル現象学はなかなか鋭い批判を含んでいるが、これらの観念的な弱点が、ヘーゲルが後に堕落していく秘密の源泉となっている。

4) ヘーゲル現象学への賛美

国民文庫215ページの半ば以降は、現象学に対する賛美である。

現象学はいろいろ問題があるとはいえ、現実批判のあらゆる要素が隠されている。それは疎外された形式ではあるが、宗教、国家、市民的生活などの領域への批判を含んでいる。それは後年のヘーゲルをはるかに凌駕している。

現象学の究極の成果は「否定性の弁証法 」である。それは世界を運動させ産出する原理となっている。

第一に、人間の自己産出がひとつの過程として捉えられていることである。対象化は自己の外化(対置化)として捉えられる。そしてこの外化は止揚すべきものとして捉えられる。

抽象的意識から析出され対置化された人間とは、鏡のこちらから見れば現実の人間であり。その故に真なる人間である。

(第二に)人間(自己意識)が類的存在(現実的な存在)であることを実証するためには、現実に持つ諸力を発揮して活動することが必要である。

それは個別の人間ではなく、人類の総活動によってのみ可能である。そしてその積み重ねとしての歴史の成果としてのみ可能である。

現実の人間は人間自身の労働(事物に働きかける活動)の成果である。ゆえに否定性の弁証法はここにおいて労働の本質を把握するのである。

ヘーゲルは労働(仕事)を人間の本質ととらえる。ただし彼にあっては仕事(刻苦勉励)は肯定的なものとされ、労働の否定的側面は無視されていることに注意が必要だ。

人間は労働を通じて対自的存在になる。ヘーゲルの仕事概念においては、それは自己意識(自己を知る人間)の外化とされる。

これまでの哲学者は自然と人間生活との個々の関わりをみて、それを自己意識の諸契機と捉えてきた。それに対しヘーゲルは、自然へのアプローチを哲学的自覚の行為としてとらえた。その歴史的、発生的把握のゆえに彼の労働論は正しいのである。

そして批判が再開される。

ここでは客観的事物は思考上のものとして現われる。そして主体は自己意識(人間の意識)である。したがって事物が現れてきてもそれは意識(抽象的) の姿を変えたものにすぎない。自己意識は事物の形で現れる抽象的意識に働きかけ、絶対値の形で抽象的意識との同一性をかちとるのである。

すなわち自分自身の中だけで行われる「純粋思想の弁証法」がその成果である。

5) 絶対知に示されたヘーゲルの一面性と限界

どうもマルクスにとっては、これまでの部分は前書きのようである。

絶対知。現象学の最後の章。以下はマルクスによる要約である。

A.「対象化された自己意識」の克服

主要点はこうだ。意識の対象は自己意識である。さらに言えば、対象化された自己意識である。

肝心なことは「対象化された自己意識」を「克服」することである。

「対象化された自己意識」は自己意識(人間的本質)に照応していない。なぜならそれは人間的本質を剥ぎ取られ、疎外されているからである。

疎遠な環境のもとで産出された対象を我が物に取り戻すことは、疎外を止揚し、対象性を止揚することだ。そして人間は対象的でない、唯心論的な存在へと回帰する。

B.人間が自己意識に等置される

では意識が「対象化された自己意識」を克服するためにはどうしたら良いか。ヘーゲルは以下のように説明する。

対象は自己意識の中に帰還する。しかしそれだけではない。人間は自己意識に等置されるのである。

ここで「自己」は人間の抽象である。彼の眼や耳が自己であるように、人間そのものも自己性を持つ。彼の持つさまざまな力は自己性を持つ。それは自己意識とは別の自己性である。

この「自己性」は抽象され固定されると、「抽象的なエゴイスト」としての人間を生み出す。それは自己主張がその純粋な形に、そして思考にまで高められたものである。

ところで、自己意識もまたそれらの人間の自然的本性の一つである。人間の自然的本性が自己意識の要素なのではない。(この最後の1行はマルクスのコメントのようだ。だがそれ以上は展開されない)

人間的本質と自己意識

現実の人間にとっての疎外とは、現実的な疎外であり、それが知識や思考に反映されたものである。

しかしヘーゲルにとっては、「現実の人間」とは自己意識である。だから人間的本質が疎外されるということは、自己意識の疎外にほかならない。現実的な実在的な疎外は、自己意識の疎外が現象として現れたものに過ぎない。これがヘーゲル現象学のものの見方である。(この場合の「疎外」は対象化と読め)

そのために、疎外された「対象的な自己意識」を我がものに取り戻す過程は、すべて自己意識への合体として現れる。

ヘーゲルはこう表現する。ここは「精神現象学」の最終章のマルクス流の抜き書きである。

1.意識の対象は、意識にとっては消え失せてゆくものとして現れる。(「意識の対象」というのは実在の世界。意識にとっては虚ろな過ぎ去っていくものであるが、実在の側から見れば意識こそが過ぎ去る旅人だろう)

2.意識の対象に「物性」を措定するのは、自己意識の外化である。(実在世界の諸物は「意識の対象」とされ、「物性」(意味付け)が措定される。その物性は自己を離れて諸物に所属する)

3.自己意識の外化には(意識が離れるという)否定的な意義だけでなく、(対象が自己にとって意味付けられるという)肯定的な意義がある。

4.自己意識の外化は、外化された自己意識自身にも(意味付けという)肯定的な意義を持つ。

5.対象は再び否定され、止揚されるのだが、この過程で自己意識が肯定的意味を持つのは、対象そのものが否定性を持つからである。(対象に付着した自己意識は、対象の点検・矯正を受けるということか)

マルクスはこの第5項にこだわって、さらに書き足す。

対象の(内包する)こうした否定性は、自己意識が自己自身を外化するときに初めて出現する。

この外化のなかで自己意識は、実在的人間の衣装をまとう。そして可視化した自己自身を、対象であり自己自身でもあるもの(対自有)として措定する。

(このへんはかなりヘーゲル的論理マジックだ)

6.自己意識はみずから対象化することで、対象的自己をふたたび自己の中に取り戻す(止揚)。このとき自己は他在(One of them)のかたちをとりながら自己意識のもとにある。

7.以上の全体が意識の運動である。そしてこの運動を貫く主要な契機(駆動力)は意識である。

8.対象は全体として体系を持っている。対象は体系を持つことにより、即自的に精神的なものとなる。意識はさまざまな対象に、それらの体系にそって関係する。それは自己として把握される。そして対象を総体として把握する「精神」が形成される。

以上が精神現象学の骨組みとなる。というより、あえて言えばマルクスのヘーゲル現象学理解の骨組みだ。率直に言ってマルクスはヘーゲルやフォイエルバッハを知るための最悪のガイドだ。()内でヘーゲルの筋立てを独自に説明した。


ここで作業を一旦中止する。ヘーゲル現象学というものが、せめて骨組みだけでもわからないと、マルクスの議論にはついていけない。ところがマルクスの文章を読んでも、ヘーゲルが何を言わんかとしているかが全然見えてこない。()の注釈程度ではとうてい間尺に合わない。


日本の左翼運動にロシア民謡がなかったら、だいぶ様相が変わっていたかもしれない。
とにかくロシア民謡の影響は圧倒的だった。私もその一人だった。
私が大学に入った昭和40年にはもう盛りは過ぎていたと思うが、とにかくあちこちで歌声をやっていた。
とにかく基本的には合唱だった。最初はそれが嫌だった。老健でゲームしたり歌ったりしているのを見ていると、いまだに引いてしまう。
それが否応なしに引きずり込まれたのは、ロシア民謡の威力だったのではないだろうか。
とくに男声合唱でポールシュカポーレ、仕事の歌とかエルベ川とかを聞かされると、すごいなと思わざるをえない。
赤軍合唱団とか、アレキサンドロフ歌と踊りのアンサンブルとかには完全に脱帽だ。
そんなことをすっかり忘れちまってずいぶん久しい。
ところがふとしたことからYouTubeでアルハンゲルスキーの曲を聞いて、「何だ、これか」と思った。
ロシア民謡のズシンと来る合唱も、ルーツはこれだ。
それどころかチャイコフスキーもロシア教会音楽のパクリだ。ロシア民謡からのメロディーがたくさんあるが、もろに民謡を採集したのではなく、一度教会音楽のフィルターを通っているのではないか。そんな気がしてくる。
アルハンゲルスキーはそんな教会コーラスの作曲家だ。彼の活動した時代はおそらくチャイコフスキーと重なってる。ただしアルハンゲルスキーは相当長生きしている。
YouTubeでは楽譜が流されるが、和音はきわめて単純明快、余分な冒険は一切しない。職人技だ。教会堂の中でそれぞれのパートがどう響くかということだけに神経を絞っている。
何曲聞いても同じだから、10曲くらい聞いておけば十分だ。あとはBGMとして掛け流しにしておけば良い。

アルハンゲルスキー(Aleksandr Andrejevich Arkhangel'skij)についてはウィキペディアで。
曲はとりあえずYouTubeのこの曲 Arkhangelsky - Vespers

これは面白い。大宣伝しなければ。
本日の赤旗記事
見出しは自民党県議と市議19人、戦争法反対の市民の会結成
というもの。
書き出しはこうなっている。

広島県庄原市選出の自民党県議の呼びかけで、同市市議20人のうち公明党を除く有志19人が賛同し、戦争法案反対を訴える「ストップ・ザ・安保法制 庄原市民の会」を結成しました。
結成会議では呼びかけ人の小林秀矩県議(自民)、市議会議長の堀井市議を正・副会長に選出。
「市民みんなで声を上げ、安保法案を廃案にしましょう」との呼びかけを確認しました。

すごいものだと思う。自民党員が旗を振って超党派で戦争反対の声を上げたのもすごいが、その市議会でただ一人、「平和の党」と称する公明党議員が、孤立も恐れず、戦争賛成の旗を守ったのだから大したものだ。
公明党はこの事実を大宣伝すべきだろう。聖教新聞も学会員の誉れ、戦士の鑑として大いに称揚すべきだ。

市議会のホームページによると、この市議は横路政之(よころ)氏。写真まで載っている。2013年の市議会選挙では1,410票を獲得し3位で当選している。

中国新聞(7月28日)
広島の自民県議ら安保法案反対組織 庄原の小林氏・市議19人 市民署名集めへ
小林秀矩広島県議(自民党議連、庄原市)と庄原市市議の有志19人が安全保障関連法案の反対を訴える組織「ストップ・ザ安保法制」(仮称)を31日に設立する。
庄原市議会が6月30日、「国際平和支援法案」と「平和安全法制整備法案」制定に反対する意見書を可決したことを受け、考えを同じくする小林県議が堀井秀昭市議会議長を通じ、市議20人全員に呼びかけ、公明党市議を除く19人の市議が賛同した。
準備中の趣意書には、歴代政権が憲法上許されないとしてきた集団的自衛権の行使を一内閣の解釈で覆そうとする行為は立憲主義、民主主義に反し、容認できないこと。後世に責任を持つべき課題であり、政治に関わるものとして政府、国会に地方の思いを伝えることなどを骨子とする。
この意見書の原案は共産党の松浦昇市議の起草になるものである。(中国新聞7月9日)
右翼は庄原は亀井静香の地盤だから、自民党も毛色が変わっているんだと揶揄している。
なお中国新聞には以下の様な過去記事(2014年3月)もある。
庄原市議会(定数20)は24日の本会議で、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の見直しをしないことを国に求める意見書案を可決した。
…15議員が発議し、議長を除く19人のうち17人が賛成した。
議長さんは賛成派だから、この時にはもうひとり反対がいたようだ。

毎日新聞 2015年07月31日 地方版もこのニュースを取り上げている。
「安倍内閣が進める政治の流れは、立憲主義の根本を否定するもので独裁政治そのもの。国民主権、絶対平和主義、基本的人権の保障を否定する強権政治は容認できない」というのが呼びかけ文の趣旨だそうだ。
これには公明党市議のことは書かれていない。

RCC 中国放送 

のニュースでは小林県議への質疑応答が載せられている
(Qなぜ自民党の県議がという声があると思うんですが?)安倍政権に至っては、本当に右傾化をし、国民に背を向けてしまったと、我々が変わったのではない、党本部が変わったと認識しておりまして、そのことは態度で表明していきたい。
ということで、残念ながら、一人戦争の旗を振る横路議員の思いは伝えられていない。
そのうち続報が出てくるだろう。

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