鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2015年07月

マルクスはヘーゲル弁証法の乗り越えに失敗したのかもしれない。酒が入ってのほら話なので、どうかご容赦を。

「ヘーゲルの弁証法は正しい。しかしそれを用いて築き上げたヘーゲル哲学は間違っている」というのはどう考えてもおかしい。

「天地がひっくり返っているのだから、それをもう一度ひっくり返せば良い」というのは、およそ哲学者の吐くセリフではない。しかしどうも終生マルクスはそう信じていたようだ。

資本論の中にマルクス弁証法があるという人がいるが、それはカテゴリー構築の方法としての弁証法だ。

我々がもとめているのは、実在としての世界とその運動、人間の認識する世界との関係である。

実在の世界といっても大小2つあるので、小さい方は感性的実在の世界。大きい方は感性的には把握できないが、論理的には存在するであろう「モノ自体」(カント)の世界である。

ところがカントの生きた時代から比べるとヘーゲル時代の知識ははるかに広がった。そうすると「モノ自体」と考えられてきたものが、感性的実在に変わっていく。

カントとヘーゲルのあいだにはフィヒテとシェリングがいるので、話はかんたんではないが、人間の持つ能動性を計算に入れないと、「モノ自体」問題は解決できないことが明らかになった。

そこで「否定の否定」という形で、歴史的な観点を導入したのがヘーゲルということになる。彼は大変に博識で、ということは新しいもの好きで、しかも要領の良い人物だったから、うまいこと旧体制派の気に入るような形にヘーゲル哲学を仕上げてしまった。

プロテストソングのスターだったはずが、いつの間にか商業ベースに乗ってニューミュージック系の大御所になってしまったのである。

面倒になるのでフランス大革命からナポレオン帝政への歪曲、そしてメッテルニッヒ反動へという苦い時代背景は、この際省くことにする。

当然、若い人々はヘーゲルの変節を詰り、その予定調和的な観念論を批判する。これは当然だ。同時にヘーゲルがいかにして変節していったのかを探る動きも出てくる。

その中にエンゲルスという変な男がいて、ヘーゲル弁証法を使ってイギリスの経済や労働者の状況を批判する文章を発表した。

これが俄然マルクスを刺激した。マルクスはそれまでフォイエルバッハの信仰者として、ヘーゲルの観念論を批判していたが、観念論対唯物論の対立ではなく、弁証法を用いてヘーゲルを批判するというアイデアを思いついた。

ところが「疎外された労働」などの概念を用いて議論を展開するうちに、にっちもさっちも行かなくなった。

そこでヘーゲル弁証法の原点である精神現象学に立ち返って、本当に弁証法が使える方法論であるか否かを吟味してみようということになったのが、この文章であろうと思う。

わたしの『やめて』

今日の赤旗2面に載った文章です。京大有志の会のサイトからです。
この声明書はいうまでもなく著作権フリーです。ご自由にご転載ください。とあるので私も「拡散」に協力させていただく。
声明書がいろいろな国の言葉に訳されていて、いかは子供語訳とされている。
「訳者」の山岡信幸さんのツイッターもどうぞ。

くにと くにの けんかを せんそうと いいます

せんそうは 「ぼくが ころされないように さきに ころすんだ」
という だれかの いいわけで はじまります
せんそうは ひとごろしの どうぐを うる おみせを もうけさせます
せんそうは はじまると だれにも とめられません

せんそうは はじめるのは かんたんだけど おわるのは むずかしい
せんそうは へいたいさんも おとしよりも こどもも くるしめます
せんそうは てや あしを ちぎり こころも ひきさきます

わたしの こころは わたしのもの
だれかに あやつられたくない
わたしの いのちは わたしのもの
だれかの どうぐに なりたくない

うみが ひろいのは ひとをころす きちを つくるためじゃない
そらが たかいのは ひとをころす ひこうきが とぶためじゃない

げんこつで ひとを きずつけて えらそうに いばっているよりも
こころを はたらかせて きずつけられた ひとを はげましたい

がっこうで まなぶのは ひとごろしの どうぐを つくるためじゃない
がっこうで まなぶのは おかねもうけの ためじゃない
がっこうで まなぶのは だれかの いいなりに なるためじゃない

じぶんや みんなの いのちを だいじにして
いつも すきなことを かんがえたり おはなししたり したい
でも せんそうは それを じゃまするんだ

だから
せんそうを はじめようとする ひとたちに
わたしは おおきなこえで 「やめて」 というんだ

じゆうと へいわの ための きょうだい ゆうしの かい

2日間の休みをかけてわずか10ページ、

経哲手稿の「ヘーゲル弁証法および哲学一般の批判」の読解が進まない。他の人達がスイスイと読み解いていくのが信じられない。

少し箸休め代わりに、先達のご意見を拝聴しておこう。

まずはアルント先生の講演ノート。「マルクスとヘーゲルの弁証法 ─絶対的にあらゆる哲学の最後の言葉─」と題されている。[PDF]マルクスとヘーゲルの弁証法から入ることができる。

アルント先生はベルリン・フンボルト大学・神学部教授で、国際ヘーゲル学会 会長でもある。2012年に来日して講演しているそうだ。

以下は抜き書きというかコピペ。

この弁証法は、“絶対的にあらゆる哲学の最後の言葉”です。だからヘーゲル的な外見から弁証法を解放することが,ますます必要なのです (ラ・サールへの手紙1858年)

演題はここからとられている。他に二つの手紙も紹介している。

もしいつかまたそんな仕事をする暇でもできたら,「弁証法」における合理的なものを,普通の人間の頭の人にわかるようにしてやりたいものです。ヘーゲルが発見はしたが,同時に神秘化してしまったからです(エンゲルスへの手紙 同じ年)

もし私が経済的な重荷を首尾よくおろせたら,『弁証法』の本を書くつもりです(1868年)

ということで、経哲手稿の時代、グリュンドリッセの時代、資本論第一部を世に問うた時代に、マルクスは弁証法に大きな関心を払ったようだ。

その中でも経哲手稿の時代には特別な思いがあるようだ

ヘーゲル弁証法が神秘化する側面を,私は30年ほど前に,それがまだ流行していた時代に批判した

アルント先生はこういう。

マルクスは繰りかえして、ヘーゲルは弁証法を「神秘化」したと主張する。ではどこをどう神秘化したのか。マルクスはどのように「脱神秘化」したのか。それが問題だ。

そうなんだよね。だからみんな苦労して経哲手稿を読むんだ。

アルント先生は、資本論刊行後の1872年にマルクスの書いた第二版へのあとがきから引用している。

ドイツの批評家たちは,(資本論が)ヘーゲル的な詭弁だという非難の声をあげている。

マルクスはそう言われることをかなり予想していたようで、そう言われることを期待さえしている。

弁証法がヘーゲルの手のなかで受けた神秘化は,彼が弁証法の一般的な諸運動形態 をはじめて包括的で意識的 な仕方で述べたと言うことを,けっして妨げるものではない。弁証法はヘーゲルにあっては頭で立っている。神秘的な外皮のなかに合理的な核心を発見するためには,それをひっくり返さなければならない。

これがとっときの反論である。

 

日本地図センター地図研究所長の田代博さんが赤旗に素晴らしい地図を提供してくれている。
田代さんはこう語っている。
ある作家が沖縄の普天間基地に関してとんでもない発言をし、批判を浴びました。基地は誰もいない田んぼの上に出来たというのです。これがいかに誤っているかは言うまでもありません。
ということで掲載されたのが下の図。

hutenmatizu









佐々木則夫の名言 格言

というページがある(未だに)。

東京出身。早稲田大学理工学部機械工学科卒業後、東京芝浦電気(のちの東芝)に入社。主に原子力発電事業に従事し、原子力事業を東芝の主力事業に押し上げた人物。

というプロフィールの後、「名言」が載せられている。

*打ち合わせや会議は1日20件前後です。1件にかかる時間は長くても30分で、5分で終わる場合も少なくありません。

*どうして即断即決ができるのかという と、自分の中に公式のようなものができているからでしょう。マネジメントというのは工学に通じるものがあり、答えがだいたい決まっています。

*副社長のころまでは自分で資料を作成することも多かったのですが、トップは決断して指示を出すことが仕事の中心ですから携帯電話で十分です。

*電話は感情を伝えるのに効果的な手段ですが、ファクト(事実)を誤解なく伝えるという点ではメールに軍配が上がります。また、メールなら指示内容や回答がすべて残ります。

*私は1年間に1000通以上のメールを書くほどのメール魔です。メールで日常の注意点から具体的な仕事の内容にも言及すると、自分の思ったことに対する情報も集まり、自分の思いも直接伝わります。メールは単なる情報伝達以上の活用が可能なのです。

佐々木氏の秘密は下記にあるようだ

マネジメントというのは…答えがだいたい決まっています。

メール魔で…具体的な仕事の内容にも言及する

すなわち傲慢さと専制的手法だ。ゲームに参加するために不可欠な、ネガティブ・フィードバックのメカが取り外されている。

ちなみに私のメール観は以下の記事

この人はいずれ刑事被告人になる人だから、氏など付けたくないが、一応の礼儀として。
この人は三悪人の中でもとびきりの悪だ。
原発部門出身で原子力事業部長を務めた佐々木氏は、2006年ウェスチングハウスの買収の先頭に立ち、莫大な資金を投資した。そこで福島原発事故が起こり、結局稼働原発ゼロの事態に追い込まれた。
これは日本全体から見れば別に犯罪でもなんでもなく、たんなる一企業の経営上の失敗にすぎない。しかしもちろん経営者・佐々木則夫にしてみれば十分、致命傷だ。
このままいけば東芝もろとも海の藻屑と化す。
そこで粉飾決算をしまくりつつ、経団連に潜り込み、ひたすら原発再稼働に向けて策動を繰り返すことになる。
赤旗には以下のごとく記載されている。
安倍政権のもとで再開された経済財政諮問会議。この会議の民間議員に佐々木氏(当時社長)が任命されました。
会議のなかで佐々木氏は、原発の「利便性」について繰り返し発言していました。
例えば「いま、いろいろな意味で原子力に対する期待があり、…再稼働は非常に重要である」といった具合です。
記事は次のように結ばれている。
不正に手を染めることも厭わず、世論に挑戦し、再稼働を迫り続けた東芝のトップ。
原発利権の蜜の味は、人としての正常な感覚を狂わせるほどのものだったのでしょうか。

26日に調布飛行場を離陸した直後に飛行機が墜落した。この事故は都市型小規模飛行場の運用について色々考えさせられた。
共産党都議団は自己原因の徹底究明と再発予防にとどまらず、以下の5項目提案を行っている。
1.当分のあいだ自家用機の離着陸制限
2.飛行場祭りの自粛
3.レジャー、操縦訓練、慣熟飛行の禁止
4.国の責任で、飛行管理体制、機体の保守管理対策の強化など
5.将来的には調布飛行場の閉鎖。その際に伊豆諸島便の飛行場確保
実は私の家も丘珠飛行場のすぐ近くで、飛行場に着陸する定期便が窓から眺められる。
丘珠も調布と同じでむかしは畑のど真ん中だった。後からそれを承知で家を建てた方にも多少の責任はあるかも知れない。しかし丘珠の話はいずれ考えよう。話は自衛隊やジェット化などはるかに複雑だ。
調布の飛行場は、近未来的な問題をはらんでいる。すなわち空の交通の大衆化だ。モータリゼーションなならぬエアリゼーションへの対応だ。
その点では無人機問題と同じ性格を持っている。
1.個人的な目的での空の利用がどこまで許されるのか。
2.市民は自分の生活空間の安全性、快適性に関する権利をどこまで主張できるのか
3.市民は事故のリスクをどこまで受忍しなければならないのか
4.地権、居住権は地下あるいは空中という垂直方向にどこまで及ぶのか

「なかなか難しいですね」と澄ましておくわけにも行かないのだから、共産党の提案は当然であろう。
しかしレジャー飛行、訓練の中止は良いとして、飛行場閉鎖とまで言われると、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」みたいに聞こえてしまう。そこまで踏み込む理由は何であろうか。

ウィキペディアの最後の段にこう書かれていた。
住宅地に隣接しているため、近隣住民に配慮し年間の離着陸回数に上限を設けているほか、遊覧目的の利用は認められていない。
また機体の更新を認めないという東京都独自の規制の結果、調布飛行場を利用する機体が老朽機ばかりとなっている。
つまりもともと東京都としては、調布飛行場はいづれ安楽死させる腹づもりだったようだ。共産党提案でレジャー飛行の禁止となっているが、そもそも遊覧飛行は認められていない。「慣熟飛行」の名でモグリ営業が行われていた可能性はある。
コミュータ空港といえば気軽さが売りであるが、気軽に利用するには、調布はあまりにリスキーなロケーションということになろうか。

脳の発達を見ていく上では、ポール・マクリーンの脳の三層構造仮説を捨て去らなければならない。さまざまな批判は行われているが、さりとてこれに替わるテーゼが確立されていないために、いまだにマクリーンの亡霊があちこちを彷徨っている。

かんたんに発生史を振り返っておこう。

7億年前、多細胞動物の第一段階として、原生動物(アメーバー)やカイメンが誕生した。彼らには神経細胞はなかった。その後ヒドラ、クラゲなどが誕生した。彼らが神経組織を持つ最初の動物だ。この時点では神経は随所に散在しているに過ぎず、体系を成していなかった。

やがて動物の一部が陸上に上がり、昆虫(節足動物)が爆発的に発達した。彼らは現在の脊椎動物の脳とつながる神経系の基本構造を形成した。神経系は脳神経節と食道下神経節とに分割され、前者が抑制的,後者が促進的に作用することで生命のバランスを維持した。

ここから2つのことを学ぶことができる。生態は二つの神経系(中枢神経系と自律神経系)から成立すること、そして中枢神経系は基本的には抑制的に働くことである。

5億年前 水中の動物からギボシムシ(半索動物)が誕生した。これらの半索動物では「口盲管」の周囲に神経細胞が増殖(襟部神経)し、管状に伸びていくのが観察されている。

続いて原索動物が登場する。その一つであるホヤの幼生(尾索動物)に、「神経管」が形成される。神経管は長さ2mm、直径0.2mmほどのチューブで、その内側に神経細胞がつくられていく。同じ原索動物(頭索動物)であるナメクジウオでは、神経管の先端に脳胞が形成される。

この「脳胞」こそ脳の原基であろう。これは脊椎動物の間脳(情動系)に相当。また視床下部・脳下垂体類似の構造も確認されている。

そしてその後に脊椎動物が登場する。まず発達したのは魚類であった。

魚類の脳は脳幹、小脳、大脳(終脳)に分節するが、脳幹(間脳、中脳、延髄)が大部分を占める。

魚類においては小脳は小さな膨らみにすぎない。終脳を形成するのはいわゆる「大脳辺縁系」である。発生学的には「間脳辺縁系」であろう。その一部に外套と呼ばれる部位があり、これが新皮質の原基となっていく。

やがて一部が陸上に上がり両生類となる。やがて爬虫類が発達。大脳と小脳が発達する一方、腰部など身体各所にも大きな神経節が発達するようになる。

そして鳥類や哺乳類が登場。大脳の新皮質が発達し、「感覚野」「運動野」といった新しい機能を持つようになる。

最後に霊長類が登場。新皮質内に「連合野」が出現し、より高度な認知や行動ができるようになる。

間脳が脳の出発点

以下は私の仮説にすぎないが、間脳は神経系のジェネレーターであり、間脳が誕生したことで神経系はたんなる電線の集まりではなくなったのだろう。

動物は神経系を通しても動くが内分泌系を通しても動く。ここで動物の神経系と内分泌系が接合し、内分泌系が神経系にその“意義”を与えたのだろうと思う。そして内分泌系と結びつくことにより、元来は抑制系であった神経系が賦活性の要素を与えられたのであろう。

雑駁な例えで申し訳ないが、政治システムのことを考えてみよう。

中脳と延髄は官僚機構で日常行政を担当する。間脳は政治機構として行政機構に“意志”を与える。その間脳に対し、内分泌系は末梢の状況を伝え“意義”を与える。そして全体として間脳と行政機構は一つの統治機構として君臨することになる。

この基本構造の上に、間脳の働きを支援(レビュー)するものとして大脳が発達し、中脳の働きを支援(レビュー)するものとして小脳が発達していく。

雑駁ついでに、今度は経済システムと対比してみよう。

内分泌系というのは体の代謝を司るのだが、独自の連絡系統を持たない。物品の運送用である血管系を通して、いわば間借り状態で働いている。持ち場、持ち場が郵便を発送するように血液内に情報を発出し、これを受け取った内分泌器官が血中にホルモンを発送する。

このような実体経済のシステムに、新たな情報手段として神経系を使おうというのは画期的な方法である。情報系があまりに発達すると、すっかりそれに依存するようになり、あたかも人体は神経系で動いているようにみえるようにさえなる。しかし実体経済と市場原理は、究極的には経済システムを貫徹しているのである。

これらの例えは、「説明されるべきもの」で「説明すべきもの」を説明してしまうという致命的な欠陥を持っている。しかしなんとなく、気持ちとしては分かるでしょう。

過去記事の一覧表はhttp://www10.plala.or.jp/shosuzki/blogtable001.htm
と書いてあったが、そこの中身は更新されないままで、相当古かった。
カテゴリー分けもしてなかったので、ほとんど役に立たない一覧表だった。
なにせ記事の数が3300にも達している。ベタで3300並べても何の役にも立たない。
やっと一段落しました。(といっても、歴史、自然科学、理論、雑感は未掲載)
一度ご覧になってください。
といっても、部分的にはすでにブログにアップ済みのものですが。

マヌエラ・カルミナに関するAFPの報道はあまりにひどい。読み返してみたが、読むに耐えない。

他の情報も加えつつ整理する。

まず、どうやってマドリード市長に当選したかの経緯がさっぱりわからない。

選挙の経緯はこうだ。

マドリードの市長は間接選挙であり、議員選挙で選出される。

それで、その議会選挙だが、すでに5月に終わっている。

その選挙の結果だが、国政与党の国民党(AFP記事ではPopular Party)が第1党となった。

2位につけたのが、ポデモスの支持を受けた革新派グループ「アオラ・マドリ」、3位が第一野党の社会労働党だった。そこで2,3位連合の協議が始まり、6月にマヌエラ・カルメナ(71歳)を市長とすることで合意した。

カルメナはエリートの出身で、マドリード大学法学部を卒業。その後、フランコ独裁政権のもとで、共産党員弁護士として労働運動、人権運動の支援を続けてきた。民主化以降は、判事となり最高裁判事まで務めた。

カルメナ

目玉公約をいくつか挙げておくと、

1.家を差し押さえられた人及び立ち退きさせられた人のための代替住宅を確保する。ほかに水道・電気代の支援、保健サービスへのアクセスの保証など。

2.公共サービスの民営化の停止、公有財産の売却停止。公的債務の公開監査を実施。

3.国民党の策定した都市開発計画の停止。長期失業者及び若者の雇用のための緊急計画。

4.市長報酬を現在の半額以下の550万円に。

ただしその出発点は厳しい。長く続いた国民党の市政は6千億円の借金とデタラメ都市計画を残した。

なお、マドリードのライバル都市バルセロナでも、独立左派の活動家アダ・コラウ(女性)が、ポデモスの支持を得て市長に就任している。こちらは41歳のパキパキのミリタントで、住宅強制退去に反対する直接行動で数十回警察に拘束されているという強者。

第3の都市バレンシアでも、24年君臨した市長を追い出し、革新市長が誕生した。国民党は、この他セビージャ、サラゴサ、トレド、コルドバ、カディスで政権を失った。


森喜朗が激怒したそうだ。

東京五輪・パラリンピックの関連会合で、下村博文文部科学相が官邸での新国立競技場に関する関係閣僚会議に出席するため途中退席した。

下村氏が退席を申し出てると森氏が不快感を示し、下村氏が何度も頭を下げた。森氏は「呼びかけた下村文科相が直ちに退出するというのは極めて非礼だ」と指摘。

以下省略。

これは産経新聞の記事だ。産経はさらに森氏の方を持つ文章を書き連ねている。

つまり、今回の事件の主犯である森に対し、産経は明らかに擁護する姿勢だということになる。

いったい右翼の権力構造はどうなっているんだ、いつのまに森は右翼の元締めになったんだ、という話だ。

それは右翼という構造が、腐敗臭をまき散らしながら。権力の奥深くまで染み込んでいるということの現れだ。

権力がこれほどまでにガバナンスを失い、ヤクザや暴力団に侵食されているとは、正直思わなかった。

すでに我々は、通産省が電力会社の原発再開の尖兵となり、東芝が粉飾決算を恥じず、それらにメディアがお追従する場面を見続けさせられている。

この国から気骨というものが失われつつある。この国は本当に危ない。

7月13日に発表されたユーロ圏首脳会議は、ツィプラス政権の屈服という形で幕を閉じた。
「屈服したとはいえ、なんかの成果はあったのだろう」と、うすうす思っていたが、赤旗の記事を見るとどうもそのような気配はなく、一方的な敗北のようだ。(それなりに裏はあるのだろうが)
赤旗は次のような仏トリビューン紙の評価を転記している。
ユーロはたんなる通貨ではない。…ユーロは加盟国のすべての希望を考慮に入れる政治的プロジェクトではなく、峡谷が弱小国を支配する道具だ。
そのことを欧州の人々は知ることになった。
EU提案の受け入れに反対して財務相を辞任した、バルファキス氏の作った表が切れ味鋭い。ちょっと長いが転載しとく。
バルファキス1
バルファキス2

「あとは大幅会期延長で自然成立」というメディアの大宣伝があり、こちらもそう思い込んでいた。
しかし、赤旗の報道で「どうもそうではないぞ」ということがわかってきた。
本日の一面、志位委員長の共同通信社での講演。
そのまま転載する。
一部メディアは、「60日ルール」を強調し、「安保法案は成立へ」と書いている。
しかし法案は予算案や条約と異なり、「自然成立」はない。
政府・与党が戦争法案を成立させるには、参院での強行採決か、衆院での強行再議決しかない。
ということだが良くわからない。
そうすると、二面に解説記事がある。
自民党が主張する「60日ルール」は下記の根拠に基づいている。
憲法59条1項: (法案は)両議院で可決したとき法律となる。
憲法59条2項: 衆院で可決した法案を参院が否決した場合は、衆院でふたたび3分の2以上の多数で再可決すれば法律となる。
ここまでは周知の事実。ついで参院が可決も否決もしない場合についての説明。
憲法59条4項: 衆院で可決され参院に送られた法案が、60日以内に参院で議決されない場合、衆院はその法案が否決されたものとみなすことができる。ただし、そのためには衆院での「否決とみなす」議決が必要となる。
ということで、「60日ルール」のシナリオは次のようになる。
議案を参院に送る→60日間審議をさせる(その保証はないが)→60日たったら衆院を開き、「否決とみなす」議決を行う。これはおそらく過半数だろう→ついで戦争法案の再議決を強行する。これには2/3の賛成が必要だ。
ということで、いずれにしても自然成立ということはありえない。
我々には、後60日間戦い続けて、世論を動かし議会の力関係を変えていく可能性が残されていることになる。

アメリカ軍の占領史に関する研究の第一人者であった、竹前栄治さんがなくなった。ネットでは10年ほど前に東京経済大学で行った最終講義がアップされている。
読んでいるうちに面白い記述に出会った。さわりだけコピーさせていただく。

以前、在日外国人の指紋押捺事件というものがありました。
外国人だけ指紋押捺させられ、外国人登録証を常時携行しなければならないことに、外国人が反発した事件です。
この法的根拠は外国人登録法ですが、この法は日米政府の合作でした。
そのことが、ロバート・リケット教授らの研究で明らかになりました。
さらにこの外国人登録法の基礎になったのが憲法です。
実は憲法で、「外国人も日本人と同じように平等に法的保護を受ける」という憲法草案が、GHQによってつくられていました。
それにもかかわらず、そこの部分が日本の司法官僚によって削除されてしまったのです。
この事実は古川純教授によって明らかにされました。

Manuela Carmina, leftist ex-judge now Madrid mayor

AFP By Anna Cuenca June 13, 2015

という記事から紹介。

正直「これが記事?」と疑うほど、まとまりのない記載が、前後の脈絡なく続く。本当はもう一度整理しなければならないのだが、とりあえずそのまま掲載する。


カルミナは共産主義者で青春時代に人権活動家だった。そしてその後裁判官となった。そのカルミナがマドリードの市長になった。そして24年にわたり続いた首都の保守党による支配を終わらせた。

この71歳の女性は、2011年の金融危機で貶められた貧しい人々を擁護すると約束した。そして、この国を席巻した「怒りの運動」(Indignados)の呼びかけに応え、腐敗と経費削減と追い立てに向かう政府を攻撃した。

無名の候補だったカルミナは、左翼的な綱領「こんにちは、マドリード」(Ahora Madrid)を提示し、主要野党の社会党と同盟を結んだ。それは与党の国民党が地方選で惨敗を喫した2週間後の事だった。

「我々は、マドリード市民の奉仕者だ。我々は市民の訴えを聞いて市政を運営したい」

カルミナは市議会にこう訴えた。そして議会の過半数が彼女への支持を公にした。

彼女はスペインにおける貧困に焦点を当てる。

そこでは多くの生命が危険にさらされている。最悪の危機は過ぎたのに。

カルメナは、言った。「私はジュリア(63才の女性)のような人々のために戦いたい」

カルメナはジュリアとプエルタ・デル・ソルの広場で出会った。ジュリアは1ヶ月300ユーロ(4万円)で生活していた。

市長の座を争ったのはエスペランサ・アギレ(63)だった。

選挙戦が白熱しても、金髪のカルメナは微笑を忘れず、冷静さを決して失わなかった。

彼女はある女性を非難した。その女性は2003年から2012年までのマドリード市長であった。そして市政の腐敗について見て見ぬふりを続けた。

その時さえもカルメナは冷静だった。

選挙中の討論会で、カルメナはこう発言した。

「エスペランサさん、私にはわからない。あなたはひどい危害を与え続けてきた。それなのにまだ市政を司ろうとする。それはなぜなのか」

スペインの首都の選挙は5月24日に行われ、アギレ派は21議席を獲得した。「インディグナドス抗議運動」をふくむカルメナ綱領派は20議席だった。しかし社会党がカルメナ支持に回ったことで、逆転が起きた。

カルメナは議会の信任を受けて正式に市長に選ばれた。議場に急に喝采が響き始めた。

 

前裁判官カルメナは独裁者フランシスコ・フランコの下で法的なスキルを習得した。彼女の司法技術は労働者の権利を守るためのものあった。それは初めから地位を築きあげるためのものではなかった。

しかし、「私の友人は私に話した。我々は、経験をつんだ多くの知恵を持つ人が必要だ。より良い世界のために戦うことが必要だ。がんばれと」

「任意拘留に関する国連専門調査委員会」のメンバーを務めた後、カルメナは、1981年に裁判官になった。その頃スペインはまだ強い「女嫌い」(misogynistic)の時代だったが、彼女は徐々にランクを昇って、最高裁判所判事にまでなった。

カルメナは、腐敗を根絶すると約束した。公共輸送機関を充実させると約束した。貧しい家族のための助成金を増加すると約束した。そして、市長の給料を45,000ユーロ(600万円)に半減すると約束した。

彼女の活動手段は自転車と公共輸送機関である。彼女はインディグナードス運動の呼びかけに応えようとしている。その運動は4年前、新しい政治的なモデルを求めてスペインの広場を占領した。

インディグナードス運動はこう叫んでいる。「政治家たちは我々の期待を裏切った。社会はもっともっと直接の民主主義をもとめる」。カルメナは言った。「それは新しいテクノロジーによって可能になるかもしれない」

カルメナは1944年2月9日、マドリードの実業家の家に生まれた。カルメナは、子供の頃から「より良い世界のために戦うこと」を誓った。

彼女はマドリードでの法律を学びながら、「フランコとの戦い」に加わり、1960年代に共産党に加入した。

彼女は、卒業後、労働法を専門とする法律事務所の弁護士になった。

1977年、フランコが死んで2年後に、事務所は極右の攻撃を受けた。この事件で同僚の何人かが殺された。

抗議政党ポデモスはカルメナの綱領「アオラ・マドリード」の選挙戦を支援したが、彼女は、極左翼のグループを批評することをしりごみしなかった

たとえば、ベネズエラ左翼政権が反対派の意見を抑圧し、もの言えぬ体制を作っていることである。

カルメナは自立している。そしてライバルを納得させると約束する。「変化」に対する有権者の渇望こそがマドリードに必要なのだと。

彼女は言う。「変化は、素晴らしいものになるだろう」と、

 

 

三浦つとむはエンゲルスを根拠にしてレーニンの誤りを批判しているようです。それが「真理と誤謬」論です。

エンゲルスは『反デューリング論』の中で次のような記述をしています。読みやすくするために、かなり文章を細切れにしています。

真理と誤謬とは、ごく限られた領域に対してだけしか、絶対的な妥当性を持たない。それは全ての思考規定と同様である。

「限られた領域」とは、(真理と誤謬とが)両極的対立において運動するところである。

両極対立というものは(限られたものであって)十全なものでない。これは弁証法の初歩である。

真理と誤謬との対立を、(両極対立の)領域以外に適用することもできる。ただしその際、この対立は相対的なものになってしまう。

大抵の場合、物事の認識には正しいところもあれば間違っているところもあるということでしょう。

(状況が変われば)対立の両極はそれぞれの反対物に転化し、真理は誤謬となり誤謬は真理となる。従って精確な科学的表現法としては役に立たなくなる。

(第一篇 哲学 第九章 道徳と法・永遠の真理 国民文庫Ⅰ p157)

平ったく言えば、「真理も誇張すれば過ちとなる」ということです。

ただ、むしろエンゲルスが言いたいのは、誇張したために誤りとなったとしても、誇張しなければ真理であることが大事なのだということでしょう。それは「本当の真理ではない、従って何ら真理ではない、従ってそれは誤謬である」ということになっては困るのです。つまり真理というのはTPOを持っていて、その条件内では、ますます真実になるということです。

もう一つは、ちょっと難しいのですが、TPOの枠が歴史的には変わりうるとも言っています。「定められた限界内においても、将来の研究によってそれがなおもっと狭く限界づけられたり、それの解釈が変化したりする可能性」があると、エンゲルスは言っています。


ただ、ここで真理と誤謬という言葉で議論するのは、なんとなく違和感を感じてしまいます。誤謬という言葉に対置するのなら、ふつう日本語なら、「正解」というべきではないでしょうか。

この用語上の問題は結構重要です。つまりここでエンゲルスが「真理」と称しているものは、認識の正しさに関わる問題であって、どこかに鎮座ましましているような「客体」ではないということです。

率直にいって、エンゲルスは「真理は存在するか」という問いへの答えをはぐらかしているように見えます。「真理の認識可能性」の問題は、存在論ではなく認識論です。

エンゲルスはときどきこういうことをやります。「自由は必然性への洞察にある」なんていうのは、その典型ですね。

三浦さんが論争を仕掛けた時代には、まだ人口に膾炙していなかったのかもしれませんが、やはり経哲手稿(第3手稿)あたりから入るべきではないでしょうか。

三浦つとむの言語論は独特で、なかなか面倒だが、亀井秀雄さんという方が総括的に説明してくれている。


亀井秀雄 Author's Preface to the English Translation

という文章から

三浦が、『日本語はどういう言語か』で展開した研究の要点は、観念的な自己分裂という概念と、規範という概念にある。

1.観念的な自己分裂

例えば私が鏡に自分を映してみる場合、 現象的には確かに私が見ているわけだが、意識のなかではこれから自分が出かけて行く会合や、これから合う人を思い浮かべ、その人たちから自分がどう見られ るかを予想しながら、髪を整えたり、着て行く衣服を選んだりする。

つまり私は、現実の私の眼で自分の鏡像を見ると共に、これから合う他人の側に立って、他人の眼の位置に自分を置いて自分自身を眺めるわけである。

このように私たちが観念内では自分の眼を二重化している。

それがかれのいう観念的な自己分裂なのである。

と、出だしからえらく面倒くさいシチュエーションを想起しています。もう一つの例示はそれに輪をかけています。

また私が目の前の風景を写真に撮った場合、その写真のなかに自分の姿が写っているわけではないが、どの視点位置から撮ったかは写真の構図に反映している。

このように写真のなかにはそれを撮った人の視点位置が映されてしまう。

このような現象から、映された・表現された対象は鏡としての性質を持つと考えられる。

三つ目の例。

私が誰かに自分の家を位置を教えるために、鳥瞰図的な地図を書いて見せる場合、書いている現実の私は地上に立っているのだが、観念的にはずっと高い位置から見下ろす形で、私の家の位置を地図に書いていることになる。

この地図は、 三浦の理論に即して言えば、観念的に分裂した、もう一人の私の視点を反映する鏡でもあるわけである。

これらは亀井さんの文章からの引用なので、三浦つとむが果たしてそのように語ったのかどうかは定かでありません。
ただ、私の印象としては、きわめて映画的な例示のような気がします。というのも、三浦は戦前・戦中を映画評論を中心に活動していたようなのです。映画を見ながら、あるいはその台本を見ながら、あるいはあるシーンを頭に思い描きながら、例にしているのではないかと想像します。
一般的には即自的自己と対自的自己と言ってしまえばすむことですが…

私たちが話し相手によって「私」「俺」 「僕」などに使い分けるのは、話し手が場面や聞き手との関係を反映させているからなのである。

時枝は日本語を、概念化を経た語と、主体を直接に表出した語とに大別した。三浦は概念化を行うことを客体的表現、主体の視点や立場を辞で現わすことを主体的表現と呼んだ。

2.規範

三浦つとむの理論のもう一つの重要な要点は「規範」という概念である。かれはヘーゲルの『法の哲学』をベースに、意志の対象化されたもの として規範論を展開している。

個別規範: 例えば私が医者から「酒や煙草はやめたほうがいい」と忠告されたとしよう。もし健康を維持するために私が従うことにしたら、この規律は自分の意志で選んだものでありながら、あたかも外部から自分を拘束する命令であるかのような働きをする。この規律は虚構性を含んでおり、単なる意志とは区別されなければならない。

特殊規範: 私が他人と結んだ約束や契約は、一方的に破棄することはできない。約束や契約はお互いの「共通の利益」を実現するために作る「共通の意志」だからである。この特殊規範は「観念的な人格」を担っている。「観念的な人格」の代行を法や、法の執行者た る国家権力に求めることもできる。

普遍規範: 「個別規範」や「特殊規範」はそれを作った当事者だけを拘束する。これに対して、「普遍規範」たる法は共同体のメンバー全員に適応され、個々人の意志を超えた全体意志として作られ、強制力を与えられている。

階級社会にお ける「共同」の利害とはじつは支配階級の「特殊利害」であるが、支配階級によってあたかも「共同」の利害であるかのように偽装され合理化されている。しかし「普遍規範」として成立した法は、個々の資本家や企業の意志と対立し、拘束することがある。

言語の規定をするのに、なぜ、長々とこのような講釈をたれるのか分かりません。スポンサーの吉本隆明へのヨイショかもしれません。ここからやっと本論です。

3.言語規範 

言語規範は人間の長い歴史のなかで自然成長的に育ってきた規範である。それは一まとまりの有節音と概念との結びつきに関する社会的な約束である。自然成長的な規範は、具体的な現象形態を抽象して見出されるものなのである。

現象形態と規範とは区別されな ければならない。私たちが日常的に交換する具体的な発話は言語であり、ソシュールのいう「言語」は言語規範を指すことになる。

ここで、亀井さんは三浦つとむの時枝との分岐を指摘しています。時枝誠記は、ソシュールの言語が観念的な抽象物でしかないと批判したが、三浦は「それもありじゃないか」という意見みたいです。ただそれは言語そのものというよりは、「言語に関する約束事」ととらえたほうがいいんじゃないかということのようです。ただ結局その論争の枠からは抜け出せていないようです。
必要なのは、「猿が人間になるについての労働の役割」と同じように、「ヒトが人間になるについての言語の役割」みたいな歴史的・発生学的観点でしょう。

ということで、三浦つとむは言語規範論の展開に入っていきます。つまりソシュールの言語とは、かなり守備範囲がだぶることになります。

言語規範には音声的な側面と、概念の側面がある。音声的な側面は感性的・物質的であり、概念の側面は超感性的・非物質的である。

言語規範の持つこの二面性は、「人間が精神的な交通のために実践的に生み出した非敵対的な矛盾の一形態」なのだそうですが、この辺りから、独特の匂いがちょっと鼻につくようになります。そろそろ潮時でしょうか。


ということで、三浦か亀井かどちらの責任かは知りませんが、「言語とは何か」という問題設定に対しては、盛大に的を外している印象です。

「戦争法案必ず廃案へ」という見出しのもとに、各界の「有識者」の意見が寄せられている。この中で目に止まったのが、早大法学部の浅倉むつ子さんの談話。

安倍首相は「憲法が国家権力を縛るものという考え方は、絶対王政の時代のものだ」と言いました。とんでもない間違いです。

阿部さんがなぜ国家権力を行使できるのか、その根拠こそ憲法であって、憲法の範囲内でのみ権力が行使できる。それが立憲主義です。

安倍首相のやり方は、権力者自ら、その根拠を否定するものです。

ということで、「えっ、安倍首相、ほんとうに、こんなひどいことを言ったの?」と一瞬思った。ひょっとして間違いではないかと思ったのだ。

学校の先生ならこんな答案は問答無用でペケだ。「顔洗って出直して来い」ということになる。

だがそうではない。

この発言には下敷きがあるのだ。

それこそ、「賛成の憲法学者もたくさんいる」と菅官房長官に名指しされた3人の精鋭の一人、百地章先生だ。

要約を紹介する

産経ニュース 2013年7月6日

【中高生のための国民の憲法講座】 第1講 百地章先生 「国家権力を縛る」だけのものか

「憲法」にもさまざまな意味があります。まず「固有の意味の憲法」。これは古今東西を問わず、国家であれば必ず持っている統治のルールのことです。

近代国家が誕生すると「立憲的意味の憲法」が登場します。これは絶対王制でみられた権力者の横暴を抑制するために生まれました。「憲法が国家権力を縛る」というのはこのことです。

同時に憲法は国家権力の行使について根拠を定めています。こうした憲法の役割を「授権規範」といいます。

ここまでは快調だ。次の段落がいきなり次のようになる。

そこで「憲法とは国家権力を縛るもの」という言い方ですが、これは一面を強調しただけで決して正しくないことがわかります。

一瞬ページを飛ばしたかと思ったが、そうではない。どうも、百地先生の頭がぶっ飛んでいるようだ。

彼は、憲法のもう一つの側面として、

憲法は…国民にさまざまな義務を課したり、時に権利を制限する場面もあるのです。

主語が違うんじゃないか。その場合は「国家」というべきだろう。しかもそれは百地先生の言い方を借りるなら、「古今東西を問わず、国家であれば必ず持っている」国家の性格の話だろう。

現に次の段落では自らそう語っている。

現代は社会国家の時代ですから、国民の福祉の実現のため、…また快適な環境を維持するため、さまざまな規制を加えるのも国の役割です。

此処から先、さらにとんでもないことになる。

とすれば「憲法とは国家権力を縛るものだ」と決めつけるのは、古い考え方であり…

もう頭は宇宙遊泳状態だ。この先生には「主語」という概念がないらしい。

一方的に国家=悪、国民=善だと思い込んでいないか。注意深く考えてみる必要があります。

百地先生の忠告に従って、注意深く考えてみよう。すると素晴らしい考えが湧いてくるのだ。国家=善、国民=悪ということもありうるのだ。

普通はこういう考えをアリストクラシー(貴族政治)という。前近代国家に特有の政治形態だ。


ついでながら、安倍首相がこの中学生向けの作文を下敷きにしたとすれば、とんでもない読み間違いを犯したことになる。

流石の百地先生も「憲法が国家権力を縛るものという考え方は、絶対王政の時代のものだ」とは言っていない。浅倉さんの言う通り、とんでもない間違いです。

私なら、あまりの恥ずかしさに身悶えしてしまう。

むかしはこういう輩をノータリンと言った。あまりにアホで、恥を感じることさえできないのだ。

兎にも角にも、コヤツを政権の座から引きずり降ろそう。そうでないと私はこんな国に生きることが恥ずかしさで身悶えしてしまう


1960年5月19日を思い起こそう

その日、衆議院日米安全保障条約等特別委員会で新条約案が強行採決された。翌日には衆議院本会議を通過した。あとは6月19日の自然成立を待つばかりとなった。

これで終わったと、少なくとも岸信介は思っただろう。しかし怒涛の抗議行動はそこから始まった。

もちろん、安保条約改訂反対の運動はその前からずっとあった。砂川事件で伊達判決がだされ、全学連は国会に突入していたし、労組はゼネストで抗議していた。60年1月に日米交渉が妥結すると、さらに運動は盛り上がった。

しかし医学生や組織労働者を除けば、国民の大多数はそのような闘争とは無関係に生活していた。今よりはるかに保守寄りだった。私もそうだった。

5月19日以降、明らかに闘争は姿を変えた。ことは安保ではなく、民主主義の問題となった。国民の多くが反対する法案を与党が数に任せて強行して良いのか。これは民主主義の破壊であり、その先にはあの戦前の専制政治の再現が待っているのではないか。そこに東條内閣の閣僚として戦争を推進したA級戦犯としての岸のイメージが二重写しになる。

当時の20歳を超える人達の殆どは戦争の惨禍を身を持って味わった人たちだった。戦後の辛苦をなめてきたし、いまだに立ち直れない人も多くいた。

これが60年安保闘争が爆発的に盛り上がった理由だろう。

現在の状況は、目に見える範囲では60年ほどに高揚もしていないし、激烈でもない。しかし民主主義に対する危機感ははるかに後半に浸透している。それは世論調査を見れば明らかだし、地方新聞の論調は当時と正反対だ。つまり草の根保守派が総掛かりで反対に回っている。

もう一つは、政府の側の過剰な暴力性だ。全学連ばかりが問題にされるが、現場では政府側の暴力性が際立っている。委員会採決では、自民党は座り込みをする社会党議員を排除するため、警官隊の導入も辞さなかった。それどころか右翼青年を公設秘書として動員し、警官隊と共に暴力を振るった。

続く衆院本会議は最初から喧嘩腰だった。清瀬議長は、深夜に警官隊を国会内に入れ、座り込んでいた社会党議員を排除した。本会議は50日間の会期延長を議決した。これで後は自然成立を待つのみとなった。岸信介はいかにも戦犯らしく、反対派を国賊と思っていたに違いない。本当の国賊はあんたなんだよ。

「民主主義を守れ」の呼びかけはまたたく間に全国に広がった。5月26日の国会請願デモには約17万5000人が参加、6月の4日には460万人が参加するゼネストが行われた。国会議事堂の周囲をデモ隊が連日取り囲んだ。東久邇宮稔彦王ら元首相3人が岸に退陣を勧告した。

中央紙も政府の横暴について非を鳴らした。すべてのメディアがそろって「岸退陣」を迫った。6月17日に強い圧力のもとで「デモ隊の暴力を批判」する共同声明を発表するまでは、民主主義擁護の立場に立った。

この時岸信介が放った言葉が有名な「声なき声」である。「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。新聞だけが世論ではない。私には『声なき声』が聞こえる」と開き直ったのだ。そしてますます暴力性を露わにする。それが6月15日の最大規模のデモを引き起こした。この日、国会前でのデモ活動に参加した人は主催者発表で計33万人、警視庁発表でも約13万人である。

6月15日の事態を少し明らかにしておきたい。この日は全国でストライキが行われ、580万人が参加した。東京では11万人が国会議事堂を包囲した。こういう先鋭化した状況のもとで“事態”が出現したのである。

事態の主要な側面は全学連デモ隊(約7千人)の国会突入にあるのではない。そのような衝突はすでに数回にわたり繰り返されていた。6月15日の事態は機動隊のデモ隊への突入が本質である。全学連と関係ない国会請願のデモ隊にまで一斉に危害が加えられている。さらにこの攻撃部隊の中には暴力団と右翼団体が加わっている。

問題は、それが当局の一部による行き過ぎではなく、岸信介かそれにきわめて近い筋からの指示であったことである。

6月15日、岸信介は防衛庁長官赤城宗徳に対して陸上自衛隊の治安出動を要請している。これに応じ東京近辺の各駐屯地では出動準備態勢が敷かれた。国家公安委員会委員長石原幹市郎が反対し、赤城も出動要請を拒否したため、「自衛隊初の治安維持出動」は回避されたが、岸がかつての軍部並みにやる気満々であったことは間違いない。

6月19日に新安保条約は自然成立、国会周囲は33万人のデモ隊が取り巻く。

アイゼンハワーの訪日は中止された。岸信介とその内閣は6月23日に総辞職した。デモは驚くほどのスピードで収縮する。いくつかの選挙で、地方に政治の風はほとんど吹いていなかったことが明らかになる。

この60年5月からの1ヶ月と、いまこれからの1ヶ月をどう比べ、そこからどう教訓を引き出すか、思案するのもだいじかもしれない。

強行採決で一気に情勢は変わるだろう。
問題は二つあった。安保問題・日米同盟問題がまずあって、それなりに意見は分かれていた。憲法問題でも改憲派はそれなりの力を持っていて、メディアの影響もあって勢いがあった。
それが改憲の意図を押し隠し、集団自衛権は合憲というスタンスをとることにより、論理矛盾が露呈された。
そして強行採決という道筋をとることで、政府の合法性が疑われる事態に追い込まれてしまった。
事態はまさに、民主主義への真っ向たる挑戦を許すか否かというところに入ってきた。
戦争法案ですら85%が反対というところに持ってきて、それを無視して時の政府が突き進むことを良しとするか否かが、今や問われている。おそらく世論調査をすれば90%以上の国民が安倍内閣の方針に反対と答えるだろう。
こんな危うい政権を担がなければならないというところに、権力の弱点が露呈している。
しかも強行採決の先に見通しがない。彼らは日本国民に対し、何らの見通しも見返りも示せないのだ。
我々のもっとも強い問いかけは、「その先に何があるのだ」という言葉だ。
彼らは「こうだからこうするしかない」という。それだけだ。「こうだからこうしなければならない」といって「そうしたらこうなるのだ」とは言わない。言えないのである。

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