鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2015年07月

マルクスはヘーゲル弁証法の乗り越えに失敗したのかもしれない。酒が入ってのほら話なので、どうかご容赦を。

「ヘーゲルの弁証法は正しい。しかしそれを用いて築き上げたヘーゲル哲学は間違っている」というのはどう考えてもおかしい。

「天地がひっくり返っているのだから、それをもう一度ひっくり返せば良い」というのは、およそ哲学者の吐くセリフではない。しかしどうも終生マルクスはそう信じていたようだ。

資本論の中にマルクス弁証法があるという人がいるが、それはカテゴリー構築の方法としての弁証法だ。

我々がもとめているのは、実在としての世界とその運動、人間の認識する世界との関係である。

実在の世界といっても大小2つあるので、小さい方は感性的実在の世界。大きい方は感性的には把握できないが、論理的には存在するであろう「モノ自体」(カント)の世界である。

ところがカントの生きた時代から比べるとヘーゲル時代の知識ははるかに広がった。そうすると「モノ自体」と考えられてきたものが、感性的実在に変わっていく。

カントとヘーゲルのあいだにはフィヒテとシェリングがいるので、話はかんたんではないが、人間の持つ能動性を計算に入れないと、「モノ自体」問題は解決できないことが明らかになった。

そこで「否定の否定」という形で、歴史的な観点を導入したのがヘーゲルということになる。彼は大変に博識で、ということは新しいもの好きで、しかも要領の良い人物だったから、うまいこと旧体制派の気に入るような形にヘーゲル哲学を仕上げてしまった。

プロテストソングのスターだったはずが、いつの間にか商業ベースに乗ってニューミュージック系の大御所になってしまったのである。

面倒になるのでフランス大革命からナポレオン帝政への歪曲、そしてメッテルニッヒ反動へという苦い時代背景は、この際省くことにする。

当然、若い人々はヘーゲルの変節を詰り、その予定調和的な観念論を批判する。これは当然だ。同時にヘーゲルがいかにして変節していったのかを探る動きも出てくる。

その中にエンゲルスという変な男がいて、ヘーゲル弁証法を使ってイギリスの経済や労働者の状況を批判する文章を発表した。

これが俄然マルクスを刺激した。マルクスはそれまでフォイエルバッハの信仰者として、ヘーゲルの観念論を批判していたが、観念論対唯物論の対立ではなく、弁証法を用いてヘーゲルを批判するというアイデアを思いついた。

ところが「疎外された労働」などの概念を用いて議論を展開するうちに、にっちもさっちも行かなくなった。

そこでヘーゲル弁証法の原点である精神現象学に立ち返って、本当に弁証法が使える方法論であるか否かを吟味してみようということになったのが、この文章であろうと思う。

わたしの『やめて』

今日の赤旗2面に載った文章です。京大有志の会のサイトからです。
この声明書はいうまでもなく著作権フリーです。ご自由にご転載ください。とあるので私も「拡散」に協力させていただく。
声明書がいろいろな国の言葉に訳されていて、いかは子供語訳とされている。
「訳者」の山岡信幸さんのツイッターもどうぞ。

くにと くにの けんかを せんそうと いいます

せんそうは 「ぼくが ころされないように さきに ころすんだ」
という だれかの いいわけで はじまります
せんそうは ひとごろしの どうぐを うる おみせを もうけさせます
せんそうは はじまると だれにも とめられません

せんそうは はじめるのは かんたんだけど おわるのは むずかしい
せんそうは へいたいさんも おとしよりも こどもも くるしめます
せんそうは てや あしを ちぎり こころも ひきさきます

わたしの こころは わたしのもの
だれかに あやつられたくない
わたしの いのちは わたしのもの
だれかの どうぐに なりたくない

うみが ひろいのは ひとをころす きちを つくるためじゃない
そらが たかいのは ひとをころす ひこうきが とぶためじゃない

げんこつで ひとを きずつけて えらそうに いばっているよりも
こころを はたらかせて きずつけられた ひとを はげましたい

がっこうで まなぶのは ひとごろしの どうぐを つくるためじゃない
がっこうで まなぶのは おかねもうけの ためじゃない
がっこうで まなぶのは だれかの いいなりに なるためじゃない

じぶんや みんなの いのちを だいじにして
いつも すきなことを かんがえたり おはなししたり したい
でも せんそうは それを じゃまするんだ

だから
せんそうを はじめようとする ひとたちに
わたしは おおきなこえで 「やめて」 というんだ

じゆうと へいわの ための きょうだい ゆうしの かい

2日間の休みをかけてわずか10ページ、

経哲手稿の「ヘーゲル弁証法および哲学一般の批判」の読解が進まない。他の人達がスイスイと読み解いていくのが信じられない。

少し箸休め代わりに、先達のご意見を拝聴しておこう。

まずはアルント先生の講演ノート。「マルクスとヘーゲルの弁証法 ─絶対的にあらゆる哲学の最後の言葉─」と題されている。[PDF]マルクスとヘーゲルの弁証法から入ることができる。

アルント先生はベルリン・フンボルト大学・神学部教授で、国際ヘーゲル学会 会長でもある。2012年に来日して講演しているそうだ。

以下は抜き書きというかコピペ。

この弁証法は、“絶対的にあらゆる哲学の最後の言葉”です。だからヘーゲル的な外見から弁証法を解放することが,ますます必要なのです (ラ・サールへの手紙1858年)

演題はここからとられている。他に二つの手紙も紹介している。

もしいつかまたそんな仕事をする暇でもできたら,「弁証法」における合理的なものを,普通の人間の頭の人にわかるようにしてやりたいものです。ヘーゲルが発見はしたが,同時に神秘化してしまったからです(エンゲルスへの手紙 同じ年)

もし私が経済的な重荷を首尾よくおろせたら,『弁証法』の本を書くつもりです(1868年)

ということで、経哲手稿の時代、グリュンドリッセの時代、資本論第一部を世に問うた時代に、マルクスは弁証法に大きな関心を払ったようだ。

その中でも経哲手稿の時代には特別な思いがあるようだ

ヘーゲル弁証法が神秘化する側面を,私は30年ほど前に,それがまだ流行していた時代に批判した

アルント先生はこういう。

マルクスは繰りかえして、ヘーゲルは弁証法を「神秘化」したと主張する。ではどこをどう神秘化したのか。マルクスはどのように「脱神秘化」したのか。それが問題だ。

そうなんだよね。だからみんな苦労して経哲手稿を読むんだ。

アルント先生は、資本論刊行後の1872年にマルクスの書いた第二版へのあとがきから引用している。

ドイツの批評家たちは,(資本論が)ヘーゲル的な詭弁だという非難の声をあげている。

マルクスはそう言われることをかなり予想していたようで、そう言われることを期待さえしている。

弁証法がヘーゲルの手のなかで受けた神秘化は,彼が弁証法の一般的な諸運動形態 をはじめて包括的で意識的 な仕方で述べたと言うことを,けっして妨げるものではない。弁証法はヘーゲルにあっては頭で立っている。神秘的な外皮のなかに合理的な核心を発見するためには,それをひっくり返さなければならない。

これがとっときの反論である。

 

日本地図センター地図研究所長の田代博さんが赤旗に素晴らしい地図を提供してくれている。
田代さんはこう語っている。
ある作家が沖縄の普天間基地に関してとんでもない発言をし、批判を浴びました。基地は誰もいない田んぼの上に出来たというのです。これがいかに誤っているかは言うまでもありません。
ということで掲載されたのが下の図。

hutenmatizu









佐々木則夫の名言 格言

というページがある(未だに)。

東京出身。早稲田大学理工学部機械工学科卒業後、東京芝浦電気(のちの東芝)に入社。主に原子力発電事業に従事し、原子力事業を東芝の主力事業に押し上げた人物。

というプロフィールの後、「名言」が載せられている。

*打ち合わせや会議は1日20件前後です。1件にかかる時間は長くても30分で、5分で終わる場合も少なくありません。

*どうして即断即決ができるのかという と、自分の中に公式のようなものができているからでしょう。マネジメントというのは工学に通じるものがあり、答えがだいたい決まっています。

*副社長のころまでは自分で資料を作成することも多かったのですが、トップは決断して指示を出すことが仕事の中心ですから携帯電話で十分です。

*電話は感情を伝えるのに効果的な手段ですが、ファクト(事実)を誤解なく伝えるという点ではメールに軍配が上がります。また、メールなら指示内容や回答がすべて残ります。

*私は1年間に1000通以上のメールを書くほどのメール魔です。メールで日常の注意点から具体的な仕事の内容にも言及すると、自分の思ったことに対する情報も集まり、自分の思いも直接伝わります。メールは単なる情報伝達以上の活用が可能なのです。

佐々木氏の秘密は下記にあるようだ

マネジメントというのは…答えがだいたい決まっています。

メール魔で…具体的な仕事の内容にも言及する

すなわち傲慢さと専制的手法だ。ゲームに参加するために不可欠な、ネガティブ・フィードバックのメカが取り外されている。

ちなみに私のメール観は以下の記事

この人はいずれ刑事被告人になる人だから、氏など付けたくないが、一応の礼儀として。
この人は三悪人の中でもとびきりの悪だ。
原発部門出身で原子力事業部長を務めた佐々木氏は、2006年ウェスチングハウスの買収の先頭に立ち、莫大な資金を投資した。そこで福島原発事故が起こり、結局稼働原発ゼロの事態に追い込まれた。
これは日本全体から見れば別に犯罪でもなんでもなく、たんなる一企業の経営上の失敗にすぎない。しかしもちろん経営者・佐々木則夫にしてみれば十分、致命傷だ。
このままいけば東芝もろとも海の藻屑と化す。
そこで粉飾決算をしまくりつつ、経団連に潜り込み、ひたすら原発再稼働に向けて策動を繰り返すことになる。
赤旗には以下のごとく記載されている。
安倍政権のもとで再開された経済財政諮問会議。この会議の民間議員に佐々木氏(当時社長)が任命されました。
会議のなかで佐々木氏は、原発の「利便性」について繰り返し発言していました。
例えば「いま、いろいろな意味で原子力に対する期待があり、…再稼働は非常に重要である」といった具合です。
記事は次のように結ばれている。
不正に手を染めることも厭わず、世論に挑戦し、再稼働を迫り続けた東芝のトップ。
原発利権の蜜の味は、人としての正常な感覚を狂わせるほどのものだったのでしょうか。

26日に調布飛行場を離陸した直後に飛行機が墜落した。この事故は都市型小規模飛行場の運用について色々考えさせられた。
共産党都議団は自己原因の徹底究明と再発予防にとどまらず、以下の5項目提案を行っている。
1.当分のあいだ自家用機の離着陸制限
2.飛行場祭りの自粛
3.レジャー、操縦訓練、慣熟飛行の禁止
4.国の責任で、飛行管理体制、機体の保守管理対策の強化など
5.将来的には調布飛行場の閉鎖。その際に伊豆諸島便の飛行場確保
実は私の家も丘珠飛行場のすぐ近くで、飛行場に着陸する定期便が窓から眺められる。
丘珠も調布と同じでむかしは畑のど真ん中だった。後からそれを承知で家を建てた方にも多少の責任はあるかも知れない。しかし丘珠の話はいずれ考えよう。話は自衛隊やジェット化などはるかに複雑だ。
調布の飛行場は、近未来的な問題をはらんでいる。すなわち空の交通の大衆化だ。モータリゼーションなならぬエアリゼーションへの対応だ。
その点では無人機問題と同じ性格を持っている。
1.個人的な目的での空の利用がどこまで許されるのか。
2.市民は自分の生活空間の安全性、快適性に関する権利をどこまで主張できるのか
3.市民は事故のリスクをどこまで受忍しなければならないのか
4.地権、居住権は地下あるいは空中という垂直方向にどこまで及ぶのか

「なかなか難しいですね」と澄ましておくわけにも行かないのだから、共産党の提案は当然であろう。
しかしレジャー飛行、訓練の中止は良いとして、飛行場閉鎖とまで言われると、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」みたいに聞こえてしまう。そこまで踏み込む理由は何であろうか。

ウィキペディアの最後の段にこう書かれていた。
住宅地に隣接しているため、近隣住民に配慮し年間の離着陸回数に上限を設けているほか、遊覧目的の利用は認められていない。
また機体の更新を認めないという東京都独自の規制の結果、調布飛行場を利用する機体が老朽機ばかりとなっている。
つまりもともと東京都としては、調布飛行場はいづれ安楽死させる腹づもりだったようだ。共産党提案でレジャー飛行の禁止となっているが、そもそも遊覧飛行は認められていない。「慣熟飛行」の名でモグリ営業が行われていた可能性はある。
コミュータ空港といえば気軽さが売りであるが、気軽に利用するには、調布はあまりにリスキーなロケーションということになろうか。

脳の発達を見ていく上では、ポール・マクリーンの脳の三層構造仮説を捨て去らなければならない。さまざまな批判は行われているが、さりとてこれに替わるテーゼが確立されていないために、いまだにマクリーンの亡霊があちこちを彷徨っている。

かんたんに発生史を振り返っておこう。

7億年前、多細胞動物の第一段階として、原生動物(アメーバー)やカイメンが誕生した。彼らには神経細胞はなかった。その後ヒドラ、クラゲなどが誕生した。彼らが神経組織を持つ最初の動物だ。この時点では神経は随所に散在しているに過ぎず、体系を成していなかった。

やがて動物の一部が陸上に上がり、昆虫(節足動物)が爆発的に発達した。彼らは現在の脊椎動物の脳とつながる神経系の基本構造を形成した。神経系は脳神経節と食道下神経節とに分割され、前者が抑制的,後者が促進的に作用することで生命のバランスを維持した。

ここから2つのことを学ぶことができる。生態は二つの神経系(中枢神経系と自律神経系)から成立すること、そして中枢神経系は基本的には抑制的に働くことである。

5億年前 水中の動物からギボシムシ(半索動物)が誕生した。これらの半索動物では「口盲管」の周囲に神経細胞が増殖(襟部神経)し、管状に伸びていくのが観察されている。

続いて原索動物が登場する。その一つであるホヤの幼生(尾索動物)に、「神経管」が形成される。神経管は長さ2mm、直径0.2mmほどのチューブで、その内側に神経細胞がつくられていく。同じ原索動物(頭索動物)であるナメクジウオでは、神経管の先端に脳胞が形成される。

この「脳胞」こそ脳の原基であろう。これは脊椎動物の間脳(情動系)に相当。また視床下部・脳下垂体類似の構造も確認されている。

そしてその後に脊椎動物が登場する。まず発達したのは魚類であった。

魚類の脳は脳幹、小脳、大脳(終脳)に分節するが、脳幹(間脳、中脳、延髄)が大部分を占める。

魚類においては小脳は小さな膨らみにすぎない。終脳を形成するのはいわゆる「大脳辺縁系」である。発生学的には「間脳辺縁系」であろう。その一部に外套と呼ばれる部位があり、これが新皮質の原基となっていく。

やがて一部が陸上に上がり両生類となる。やがて爬虫類が発達。大脳と小脳が発達する一方、腰部など身体各所にも大きな神経節が発達するようになる。

そして鳥類や哺乳類が登場。大脳の新皮質が発達し、「感覚野」「運動野」といった新しい機能を持つようになる。

最後に霊長類が登場。新皮質内に「連合野」が出現し、より高度な認知や行動ができるようになる。

間脳が脳の出発点

以下は私の仮説にすぎないが、間脳は神経系のジェネレーターであり、間脳が誕生したことで神経系はたんなる電線の集まりではなくなったのだろう。

動物は神経系を通しても動くが内分泌系を通しても動く。ここで動物の神経系と内分泌系が接合し、内分泌系が神経系にその“意義”を与えたのだろうと思う。そして内分泌系と結びつくことにより、元来は抑制系であった神経系が賦活性の要素を与えられたのであろう。

雑駁な例えで申し訳ないが、政治システムのことを考えてみよう。

中脳と延髄は官僚機構で日常行政を担当する。間脳は政治機構として行政機構に“意志”を与える。その間脳に対し、内分泌系は末梢の状況を伝え“意義”を与える。そして全体として間脳と行政機構は一つの統治機構として君臨することになる。

この基本構造の上に、間脳の働きを支援(レビュー)するものとして大脳が発達し、中脳の働きを支援(レビュー)するものとして小脳が発達していく。

雑駁ついでに、今度は経済システムと対比してみよう。

内分泌系というのは体の代謝を司るのだが、独自の連絡系統を持たない。物品の運送用である血管系を通して、いわば間借り状態で働いている。持ち場、持ち場が郵便を発送するように血液内に情報を発出し、これを受け取った内分泌器官が血中にホルモンを発送する。

このような実体経済のシステムに、新たな情報手段として神経系を使おうというのは画期的な方法である。情報系があまりに発達すると、すっかりそれに依存するようになり、あたかも人体は神経系で動いているようにみえるようにさえなる。しかし実体経済と市場原理は、究極的には経済システムを貫徹しているのである。

これらの例えは、「説明されるべきもの」で「説明すべきもの」を説明してしまうという致命的な欠陥を持っている。しかしなんとなく、気持ちとしては分かるでしょう。

過去記事の一覧表はhttp://www10.plala.or.jp/shosuzki/blogtable001.htm
と書いてあったが、そこの中身は更新されないままで、相当古かった。
カテゴリー分けもしてなかったので、ほとんど役に立たない一覧表だった。
なにせ記事の数が3300にも達している。ベタで3300並べても何の役にも立たない。
やっと一段落しました。(といっても、歴史、自然科学、理論、雑感は未掲載)
一度ご覧になってください。
といっても、部分的にはすでにブログにアップ済みのものですが。

マヌエラ・カルミナに関するAFPの報道はあまりにひどい。読み返してみたが、読むに耐えない。

他の情報も加えつつ整理する。

まず、どうやってマドリード市長に当選したかの経緯がさっぱりわからない。

選挙の経緯はこうだ。

マドリードの市長は間接選挙であり、議員選挙で選出される。

それで、その議会選挙だが、すでに5月に終わっている。

その選挙の結果だが、国政与党の国民党(AFP記事ではPopular Party)が第1党となった。

2位につけたのが、ポデモスの支持を受けた革新派グループ「アオラ・マドリ」、3位が第一野党の社会労働党だった。そこで2,3位連合の協議が始まり、6月にマヌエラ・カルメナ(71歳)を市長とすることで合意した。

カルメナはエリートの出身で、マドリード大学法学部を卒業。その後、フランコ独裁政権のもとで、共産党員弁護士として労働運動、人権運動の支援を続けてきた。民主化以降は、判事となり最高裁判事まで務めた。

カルメナ

目玉公約をいくつか挙げておくと、

1.家を差し押さえられた人及び立ち退きさせられた人のための代替住宅を確保する。ほかに水道・電気代の支援、保健サービスへのアクセスの保証など。

2.公共サービスの民営化の停止、公有財産の売却停止。公的債務の公開監査を実施。

3.国民党の策定した都市開発計画の停止。長期失業者及び若者の雇用のための緊急計画。

4.市長報酬を現在の半額以下の550万円に。

ただしその出発点は厳しい。長く続いた国民党の市政は6千億円の借金とデタラメ都市計画を残した。

なお、マドリードのライバル都市バルセロナでも、独立左派の活動家アダ・コラウ(女性)が、ポデモスの支持を得て市長に就任している。こちらは41歳のパキパキのミリタントで、住宅強制退去に反対する直接行動で数十回警察に拘束されているという強者。

第3の都市バレンシアでも、24年君臨した市長を追い出し、革新市長が誕生した。国民党は、この他セビージャ、サラゴサ、トレド、コルドバ、カディスで政権を失った。


森喜朗が激怒したそうだ。

東京五輪・パラリンピックの関連会合で、下村博文文部科学相が官邸での新国立競技場に関する関係閣僚会議に出席するため途中退席した。

下村氏が退席を申し出てると森氏が不快感を示し、下村氏が何度も頭を下げた。森氏は「呼びかけた下村文科相が直ちに退出するというのは極めて非礼だ」と指摘。

以下省略。

これは産経新聞の記事だ。産経はさらに森氏の方を持つ文章を書き連ねている。

つまり、今回の事件の主犯である森に対し、産経は明らかに擁護する姿勢だということになる。

いったい右翼の権力構造はどうなっているんだ、いつのまに森は右翼の元締めになったんだ、という話だ。

それは右翼という構造が、腐敗臭をまき散らしながら。権力の奥深くまで染み込んでいるということの現れだ。

権力がこれほどまでにガバナンスを失い、ヤクザや暴力団に侵食されているとは、正直思わなかった。

すでに我々は、通産省が電力会社の原発再開の尖兵となり、東芝が粉飾決算を恥じず、それらにメディアがお追従する場面を見続けさせられている。

この国から気骨というものが失われつつある。この国は本当に危ない。

7月13日に発表されたユーロ圏首脳会議は、ツィプラス政権の屈服という形で幕を閉じた。
「屈服したとはいえ、なんかの成果はあったのだろう」と、うすうす思っていたが、赤旗の記事を見るとどうもそのような気配はなく、一方的な敗北のようだ。(それなりに裏はあるのだろうが)
赤旗は次のような仏トリビューン紙の評価を転記している。
ユーロはたんなる通貨ではない。…ユーロは加盟国のすべての希望を考慮に入れる政治的プロジェクトではなく、峡谷が弱小国を支配する道具だ。
そのことを欧州の人々は知ることになった。
EU提案の受け入れに反対して財務相を辞任した、バルファキス氏の作った表が切れ味鋭い。ちょっと長いが転載しとく。
バルファキス1
バルファキス2

「あとは大幅会期延長で自然成立」というメディアの大宣伝があり、こちらもそう思い込んでいた。
しかし、赤旗の報道で「どうもそうではないぞ」ということがわかってきた。
本日の一面、志位委員長の共同通信社での講演。
そのまま転載する。
一部メディアは、「60日ルール」を強調し、「安保法案は成立へ」と書いている。
しかし法案は予算案や条約と異なり、「自然成立」はない。
政府・与党が戦争法案を成立させるには、参院での強行採決か、衆院での強行再議決しかない。
ということだが良くわからない。
そうすると、二面に解説記事がある。
自民党が主張する「60日ルール」は下記の根拠に基づいている。
憲法59条1項: (法案は)両議院で可決したとき法律となる。
憲法59条2項: 衆院で可決した法案を参院が否決した場合は、衆院でふたたび3分の2以上の多数で再可決すれば法律となる。
ここまでは周知の事実。ついで参院が可決も否決もしない場合についての説明。
憲法59条4項: 衆院で可決され参院に送られた法案が、60日以内に参院で議決されない場合、衆院はその法案が否決されたものとみなすことができる。ただし、そのためには衆院での「否決とみなす」議決が必要となる。
ということで、「60日ルール」のシナリオは次のようになる。
議案を参院に送る→60日間審議をさせる(その保証はないが)→60日たったら衆院を開き、「否決とみなす」議決を行う。これはおそらく過半数だろう→ついで戦争法案の再議決を強行する。これには2/3の賛成が必要だ。
ということで、いずれにしても自然成立ということはありえない。
我々には、後60日間戦い続けて、世論を動かし議会の力関係を変えていく可能性が残されていることになる。

アメリカ軍の占領史に関する研究の第一人者であった、竹前栄治さんがなくなった。ネットでは10年ほど前に東京経済大学で行った最終講義がアップされている。
読んでいるうちに面白い記述に出会った。さわりだけコピーさせていただく。

以前、在日外国人の指紋押捺事件というものがありました。
外国人だけ指紋押捺させられ、外国人登録証を常時携行しなければならないことに、外国人が反発した事件です。
この法的根拠は外国人登録法ですが、この法は日米政府の合作でした。
そのことが、ロバート・リケット教授らの研究で明らかになりました。
さらにこの外国人登録法の基礎になったのが憲法です。
実は憲法で、「外国人も日本人と同じように平等に法的保護を受ける」という憲法草案が、GHQによってつくられていました。
それにもかかわらず、そこの部分が日本の司法官僚によって削除されてしまったのです。
この事実は古川純教授によって明らかにされました。

Manuela Carmina, leftist ex-judge now Madrid mayor

AFP By Anna Cuenca June 13, 2015

という記事から紹介。

正直「これが記事?」と疑うほど、まとまりのない記載が、前後の脈絡なく続く。本当はもう一度整理しなければならないのだが、とりあえずそのまま掲載する。


カルミナは共産主義者で青春時代に人権活動家だった。そしてその後裁判官となった。そのカルミナがマドリードの市長になった。そして24年にわたり続いた首都の保守党による支配を終わらせた。

この71歳の女性は、2011年の金融危機で貶められた貧しい人々を擁護すると約束した。そして、この国を席巻した「怒りの運動」(Indignados)の呼びかけに応え、腐敗と経費削減と追い立てに向かう政府を攻撃した。

無名の候補だったカルミナは、左翼的な綱領「こんにちは、マドリード」(Ahora Madrid)を提示し、主要野党の社会党と同盟を結んだ。それは与党の国民党が地方選で惨敗を喫した2週間後の事だった。

「我々は、マドリード市民の奉仕者だ。我々は市民の訴えを聞いて市政を運営したい」

カルミナは市議会にこう訴えた。そして議会の過半数が彼女への支持を公にした。

彼女はスペインにおける貧困に焦点を当てる。

そこでは多くの生命が危険にさらされている。最悪の危機は過ぎたのに。

カルメナは、言った。「私はジュリア(63才の女性)のような人々のために戦いたい」

カルメナはジュリアとプエルタ・デル・ソルの広場で出会った。ジュリアは1ヶ月300ユーロ(4万円)で生活していた。

市長の座を争ったのはエスペランサ・アギレ(63)だった。

選挙戦が白熱しても、金髪のカルメナは微笑を忘れず、冷静さを決して失わなかった。

彼女はある女性を非難した。その女性は2003年から2012年までのマドリード市長であった。そして市政の腐敗について見て見ぬふりを続けた。

その時さえもカルメナは冷静だった。

選挙中の討論会で、カルメナはこう発言した。

「エスペランサさん、私にはわからない。あなたはひどい危害を与え続けてきた。それなのにまだ市政を司ろうとする。それはなぜなのか」

スペインの首都の選挙は5月24日に行われ、アギレ派は21議席を獲得した。「インディグナドス抗議運動」をふくむカルメナ綱領派は20議席だった。しかし社会党がカルメナ支持に回ったことで、逆転が起きた。

カルメナは議会の信任を受けて正式に市長に選ばれた。議場に急に喝采が響き始めた。

 

前裁判官カルメナは独裁者フランシスコ・フランコの下で法的なスキルを習得した。彼女の司法技術は労働者の権利を守るためのものあった。それは初めから地位を築きあげるためのものではなかった。

しかし、「私の友人は私に話した。我々は、経験をつんだ多くの知恵を持つ人が必要だ。より良い世界のために戦うことが必要だ。がんばれと」

「任意拘留に関する国連専門調査委員会」のメンバーを務めた後、カルメナは、1981年に裁判官になった。その頃スペインはまだ強い「女嫌い」(misogynistic)の時代だったが、彼女は徐々にランクを昇って、最高裁判所判事にまでなった。

カルメナは、腐敗を根絶すると約束した。公共輸送機関を充実させると約束した。貧しい家族のための助成金を増加すると約束した。そして、市長の給料を45,000ユーロ(600万円)に半減すると約束した。

彼女の活動手段は自転車と公共輸送機関である。彼女はインディグナードス運動の呼びかけに応えようとしている。その運動は4年前、新しい政治的なモデルを求めてスペインの広場を占領した。

インディグナードス運動はこう叫んでいる。「政治家たちは我々の期待を裏切った。社会はもっともっと直接の民主主義をもとめる」。カルメナは言った。「それは新しいテクノロジーによって可能になるかもしれない」

カルメナは1944年2月9日、マドリードの実業家の家に生まれた。カルメナは、子供の頃から「より良い世界のために戦うこと」を誓った。

彼女はマドリードでの法律を学びながら、「フランコとの戦い」に加わり、1960年代に共産党に加入した。

彼女は、卒業後、労働法を専門とする法律事務所の弁護士になった。

1977年、フランコが死んで2年後に、事務所は極右の攻撃を受けた。この事件で同僚の何人かが殺された。

抗議政党ポデモスはカルメナの綱領「アオラ・マドリード」の選挙戦を支援したが、彼女は、極左翼のグループを批評することをしりごみしなかった

たとえば、ベネズエラ左翼政権が反対派の意見を抑圧し、もの言えぬ体制を作っていることである。

カルメナは自立している。そしてライバルを納得させると約束する。「変化」に対する有権者の渇望こそがマドリードに必要なのだと。

彼女は言う。「変化は、素晴らしいものになるだろう」と、

 

 

三浦つとむはエンゲルスを根拠にしてレーニンの誤りを批判しているようです。それが「真理と誤謬」論です。

エンゲルスは『反デューリング論』の中で次のような記述をしています。読みやすくするために、かなり文章を細切れにしています。

真理と誤謬とは、ごく限られた領域に対してだけしか、絶対的な妥当性を持たない。それは全ての思考規定と同様である。

「限られた領域」とは、(真理と誤謬とが)両極的対立において運動するところである。

両極対立というものは(限られたものであって)十全なものでない。これは弁証法の初歩である。

真理と誤謬との対立を、(両極対立の)領域以外に適用することもできる。ただしその際、この対立は相対的なものになってしまう。

大抵の場合、物事の認識には正しいところもあれば間違っているところもあるということでしょう。

(状況が変われば)対立の両極はそれぞれの反対物に転化し、真理は誤謬となり誤謬は真理となる。従って精確な科学的表現法としては役に立たなくなる。

(第一篇 哲学 第九章 道徳と法・永遠の真理 国民文庫Ⅰ p157)

平ったく言えば、「真理も誇張すれば過ちとなる」ということです。

ただ、むしろエンゲルスが言いたいのは、誇張したために誤りとなったとしても、誇張しなければ真理であることが大事なのだということでしょう。それは「本当の真理ではない、従って何ら真理ではない、従ってそれは誤謬である」ということになっては困るのです。つまり真理というのはTPOを持っていて、その条件内では、ますます真実になるということです。

もう一つは、ちょっと難しいのですが、TPOの枠が歴史的には変わりうるとも言っています。「定められた限界内においても、将来の研究によってそれがなおもっと狭く限界づけられたり、それの解釈が変化したりする可能性」があると、エンゲルスは言っています。


ただ、ここで真理と誤謬という言葉で議論するのは、なんとなく違和感を感じてしまいます。誤謬という言葉に対置するのなら、ふつう日本語なら、「正解」というべきではないでしょうか。

この用語上の問題は結構重要です。つまりここでエンゲルスが「真理」と称しているものは、認識の正しさに関わる問題であって、どこかに鎮座ましましているような「客体」ではないということです。

率直にいって、エンゲルスは「真理は存在するか」という問いへの答えをはぐらかしているように見えます。「真理の認識可能性」の問題は、存在論ではなく認識論です。

エンゲルスはときどきこういうことをやります。「自由は必然性への洞察にある」なんていうのは、その典型ですね。

三浦さんが論争を仕掛けた時代には、まだ人口に膾炙していなかったのかもしれませんが、やはり経哲手稿(第3手稿)あたりから入るべきではないでしょうか。

三浦つとむの言語論は独特で、なかなか面倒だが、亀井秀雄さんという方が総括的に説明してくれている。


亀井秀雄 Author's Preface to the English Translation

という文章から

三浦が、『日本語はどういう言語か』で展開した研究の要点は、観念的な自己分裂という概念と、規範という概念にある。

1.観念的な自己分裂

例えば私が鏡に自分を映してみる場合、 現象的には確かに私が見ているわけだが、意識のなかではこれから自分が出かけて行く会合や、これから合う人を思い浮かべ、その人たちから自分がどう見られ るかを予想しながら、髪を整えたり、着て行く衣服を選んだりする。

つまり私は、現実の私の眼で自分の鏡像を見ると共に、これから合う他人の側に立って、他人の眼の位置に自分を置いて自分自身を眺めるわけである。

このように私たちが観念内では自分の眼を二重化している。

それがかれのいう観念的な自己分裂なのである。

と、出だしからえらく面倒くさいシチュエーションを想起しています。もう一つの例示はそれに輪をかけています。

また私が目の前の風景を写真に撮った場合、その写真のなかに自分の姿が写っているわけではないが、どの視点位置から撮ったかは写真の構図に反映している。

このように写真のなかにはそれを撮った人の視点位置が映されてしまう。

このような現象から、映された・表現された対象は鏡としての性質を持つと考えられる。

三つ目の例。

私が誰かに自分の家を位置を教えるために、鳥瞰図的な地図を書いて見せる場合、書いている現実の私は地上に立っているのだが、観念的にはずっと高い位置から見下ろす形で、私の家の位置を地図に書いていることになる。

この地図は、 三浦の理論に即して言えば、観念的に分裂した、もう一人の私の視点を反映する鏡でもあるわけである。

これらは亀井さんの文章からの引用なので、三浦つとむが果たしてそのように語ったのかどうかは定かでありません。
ただ、私の印象としては、きわめて映画的な例示のような気がします。というのも、三浦は戦前・戦中を映画評論を中心に活動していたようなのです。映画を見ながら、あるいはその台本を見ながら、あるいはあるシーンを頭に思い描きながら、例にしているのではないかと想像します。
一般的には即自的自己と対自的自己と言ってしまえばすむことですが…

私たちが話し相手によって「私」「俺」 「僕」などに使い分けるのは、話し手が場面や聞き手との関係を反映させているからなのである。

時枝は日本語を、概念化を経た語と、主体を直接に表出した語とに大別した。三浦は概念化を行うことを客体的表現、主体の視点や立場を辞で現わすことを主体的表現と呼んだ。

2.規範

三浦つとむの理論のもう一つの重要な要点は「規範」という概念である。かれはヘーゲルの『法の哲学』をベースに、意志の対象化されたもの として規範論を展開している。

個別規範: 例えば私が医者から「酒や煙草はやめたほうがいい」と忠告されたとしよう。もし健康を維持するために私が従うことにしたら、この規律は自分の意志で選んだものでありながら、あたかも外部から自分を拘束する命令であるかのような働きをする。この規律は虚構性を含んでおり、単なる意志とは区別されなければならない。

特殊規範: 私が他人と結んだ約束や契約は、一方的に破棄することはできない。約束や契約はお互いの「共通の利益」を実現するために作る「共通の意志」だからである。この特殊規範は「観念的な人格」を担っている。「観念的な人格」の代行を法や、法の執行者た る国家権力に求めることもできる。

普遍規範: 「個別規範」や「特殊規範」はそれを作った当事者だけを拘束する。これに対して、「普遍規範」たる法は共同体のメンバー全員に適応され、個々人の意志を超えた全体意志として作られ、強制力を与えられている。

階級社会にお ける「共同」の利害とはじつは支配階級の「特殊利害」であるが、支配階級によってあたかも「共同」の利害であるかのように偽装され合理化されている。しかし「普遍規範」として成立した法は、個々の資本家や企業の意志と対立し、拘束することがある。

言語の規定をするのに、なぜ、長々とこのような講釈をたれるのか分かりません。スポンサーの吉本隆明へのヨイショかもしれません。ここからやっと本論です。

3.言語規範 

言語規範は人間の長い歴史のなかで自然成長的に育ってきた規範である。それは一まとまりの有節音と概念との結びつきに関する社会的な約束である。自然成長的な規範は、具体的な現象形態を抽象して見出されるものなのである。

現象形態と規範とは区別されな ければならない。私たちが日常的に交換する具体的な発話は言語であり、ソシュールのいう「言語」は言語規範を指すことになる。

ここで、亀井さんは三浦つとむの時枝との分岐を指摘しています。時枝誠記は、ソシュールの言語が観念的な抽象物でしかないと批判したが、三浦は「それもありじゃないか」という意見みたいです。ただそれは言語そのものというよりは、「言語に関する約束事」ととらえたほうがいいんじゃないかということのようです。ただ結局その論争の枠からは抜け出せていないようです。
必要なのは、「猿が人間になるについての労働の役割」と同じように、「ヒトが人間になるについての言語の役割」みたいな歴史的・発生学的観点でしょう。

ということで、三浦つとむは言語規範論の展開に入っていきます。つまりソシュールの言語とは、かなり守備範囲がだぶることになります。

言語規範には音声的な側面と、概念の側面がある。音声的な側面は感性的・物質的であり、概念の側面は超感性的・非物質的である。

言語規範の持つこの二面性は、「人間が精神的な交通のために実践的に生み出した非敵対的な矛盾の一形態」なのだそうですが、この辺りから、独特の匂いがちょっと鼻につくようになります。そろそろ潮時でしょうか。


ということで、三浦か亀井かどちらの責任かは知りませんが、「言語とは何か」という問題設定に対しては、盛大に的を外している印象です。

「戦争法案必ず廃案へ」という見出しのもとに、各界の「有識者」の意見が寄せられている。この中で目に止まったのが、早大法学部の浅倉むつ子さんの談話。

安倍首相は「憲法が国家権力を縛るものという考え方は、絶対王政の時代のものだ」と言いました。とんでもない間違いです。

阿部さんがなぜ国家権力を行使できるのか、その根拠こそ憲法であって、憲法の範囲内でのみ権力が行使できる。それが立憲主義です。

安倍首相のやり方は、権力者自ら、その根拠を否定するものです。

ということで、「えっ、安倍首相、ほんとうに、こんなひどいことを言ったの?」と一瞬思った。ひょっとして間違いではないかと思ったのだ。

学校の先生ならこんな答案は問答無用でペケだ。「顔洗って出直して来い」ということになる。

だがそうではない。

この発言には下敷きがあるのだ。

それこそ、「賛成の憲法学者もたくさんいる」と菅官房長官に名指しされた3人の精鋭の一人、百地章先生だ。

要約を紹介する

産経ニュース 2013年7月6日

【中高生のための国民の憲法講座】 第1講 百地章先生 「国家権力を縛る」だけのものか

「憲法」にもさまざまな意味があります。まず「固有の意味の憲法」。これは古今東西を問わず、国家であれば必ず持っている統治のルールのことです。

近代国家が誕生すると「立憲的意味の憲法」が登場します。これは絶対王制でみられた権力者の横暴を抑制するために生まれました。「憲法が国家権力を縛る」というのはこのことです。

同時に憲法は国家権力の行使について根拠を定めています。こうした憲法の役割を「授権規範」といいます。

ここまでは快調だ。次の段落がいきなり次のようになる。

そこで「憲法とは国家権力を縛るもの」という言い方ですが、これは一面を強調しただけで決して正しくないことがわかります。

一瞬ページを飛ばしたかと思ったが、そうではない。どうも、百地先生の頭がぶっ飛んでいるようだ。

彼は、憲法のもう一つの側面として、

憲法は…国民にさまざまな義務を課したり、時に権利を制限する場面もあるのです。

主語が違うんじゃないか。その場合は「国家」というべきだろう。しかもそれは百地先生の言い方を借りるなら、「古今東西を問わず、国家であれば必ず持っている」国家の性格の話だろう。

現に次の段落では自らそう語っている。

現代は社会国家の時代ですから、国民の福祉の実現のため、…また快適な環境を維持するため、さまざまな規制を加えるのも国の役割です。

此処から先、さらにとんでもないことになる。

とすれば「憲法とは国家権力を縛るものだ」と決めつけるのは、古い考え方であり…

もう頭は宇宙遊泳状態だ。この先生には「主語」という概念がないらしい。

一方的に国家=悪、国民=善だと思い込んでいないか。注意深く考えてみる必要があります。

百地先生の忠告に従って、注意深く考えてみよう。すると素晴らしい考えが湧いてくるのだ。国家=善、国民=悪ということもありうるのだ。

普通はこういう考えをアリストクラシー(貴族政治)という。前近代国家に特有の政治形態だ。


ついでながら、安倍首相がこの中学生向けの作文を下敷きにしたとすれば、とんでもない読み間違いを犯したことになる。

流石の百地先生も「憲法が国家権力を縛るものという考え方は、絶対王政の時代のものだ」とは言っていない。浅倉さんの言う通り、とんでもない間違いです。

私なら、あまりの恥ずかしさに身悶えしてしまう。

むかしはこういう輩をノータリンと言った。あまりにアホで、恥を感じることさえできないのだ。

兎にも角にも、コヤツを政権の座から引きずり降ろそう。そうでないと私はこんな国に生きることが恥ずかしさで身悶えしてしまう


1960年5月19日を思い起こそう

その日、衆議院日米安全保障条約等特別委員会で新条約案が強行採決された。翌日には衆議院本会議を通過した。あとは6月19日の自然成立を待つばかりとなった。

これで終わったと、少なくとも岸信介は思っただろう。しかし怒涛の抗議行動はそこから始まった。

もちろん、安保条約改訂反対の運動はその前からずっとあった。砂川事件で伊達判決がだされ、全学連は国会に突入していたし、労組はゼネストで抗議していた。60年1月に日米交渉が妥結すると、さらに運動は盛り上がった。

しかし医学生や組織労働者を除けば、国民の大多数はそのような闘争とは無関係に生活していた。今よりはるかに保守寄りだった。私もそうだった。

5月19日以降、明らかに闘争は姿を変えた。ことは安保ではなく、民主主義の問題となった。国民の多くが反対する法案を与党が数に任せて強行して良いのか。これは民主主義の破壊であり、その先にはあの戦前の専制政治の再現が待っているのではないか。そこに東條内閣の閣僚として戦争を推進したA級戦犯としての岸のイメージが二重写しになる。

当時の20歳を超える人達の殆どは戦争の惨禍を身を持って味わった人たちだった。戦後の辛苦をなめてきたし、いまだに立ち直れない人も多くいた。

これが60年安保闘争が爆発的に盛り上がった理由だろう。

現在の状況は、目に見える範囲では60年ほどに高揚もしていないし、激烈でもない。しかし民主主義に対する危機感ははるかに後半に浸透している。それは世論調査を見れば明らかだし、地方新聞の論調は当時と正反対だ。つまり草の根保守派が総掛かりで反対に回っている。

もう一つは、政府の側の過剰な暴力性だ。全学連ばかりが問題にされるが、現場では政府側の暴力性が際立っている。委員会採決では、自民党は座り込みをする社会党議員を排除するため、警官隊の導入も辞さなかった。それどころか右翼青年を公設秘書として動員し、警官隊と共に暴力を振るった。

続く衆院本会議は最初から喧嘩腰だった。清瀬議長は、深夜に警官隊を国会内に入れ、座り込んでいた社会党議員を排除した。本会議は50日間の会期延長を議決した。これで後は自然成立を待つのみとなった。岸信介はいかにも戦犯らしく、反対派を国賊と思っていたに違いない。本当の国賊はあんたなんだよ。

「民主主義を守れ」の呼びかけはまたたく間に全国に広がった。5月26日の国会請願デモには約17万5000人が参加、6月の4日には460万人が参加するゼネストが行われた。国会議事堂の周囲をデモ隊が連日取り囲んだ。東久邇宮稔彦王ら元首相3人が岸に退陣を勧告した。

中央紙も政府の横暴について非を鳴らした。すべてのメディアがそろって「岸退陣」を迫った。6月17日に強い圧力のもとで「デモ隊の暴力を批判」する共同声明を発表するまでは、民主主義擁護の立場に立った。

この時岸信介が放った言葉が有名な「声なき声」である。「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。新聞だけが世論ではない。私には『声なき声』が聞こえる」と開き直ったのだ。そしてますます暴力性を露わにする。それが6月15日の最大規模のデモを引き起こした。この日、国会前でのデモ活動に参加した人は主催者発表で計33万人、警視庁発表でも約13万人である。

6月15日の事態を少し明らかにしておきたい。この日は全国でストライキが行われ、580万人が参加した。東京では11万人が国会議事堂を包囲した。こういう先鋭化した状況のもとで“事態”が出現したのである。

事態の主要な側面は全学連デモ隊(約7千人)の国会突入にあるのではない。そのような衝突はすでに数回にわたり繰り返されていた。6月15日の事態は機動隊のデモ隊への突入が本質である。全学連と関係ない国会請願のデモ隊にまで一斉に危害が加えられている。さらにこの攻撃部隊の中には暴力団と右翼団体が加わっている。

問題は、それが当局の一部による行き過ぎではなく、岸信介かそれにきわめて近い筋からの指示であったことである。

6月15日、岸信介は防衛庁長官赤城宗徳に対して陸上自衛隊の治安出動を要請している。これに応じ東京近辺の各駐屯地では出動準備態勢が敷かれた。国家公安委員会委員長石原幹市郎が反対し、赤城も出動要請を拒否したため、「自衛隊初の治安維持出動」は回避されたが、岸がかつての軍部並みにやる気満々であったことは間違いない。

6月19日に新安保条約は自然成立、国会周囲は33万人のデモ隊が取り巻く。

アイゼンハワーの訪日は中止された。岸信介とその内閣は6月23日に総辞職した。デモは驚くほどのスピードで収縮する。いくつかの選挙で、地方に政治の風はほとんど吹いていなかったことが明らかになる。

この60年5月からの1ヶ月と、いまこれからの1ヶ月をどう比べ、そこからどう教訓を引き出すか、思案するのもだいじかもしれない。

強行採決で一気に情勢は変わるだろう。
問題は二つあった。安保問題・日米同盟問題がまずあって、それなりに意見は分かれていた。憲法問題でも改憲派はそれなりの力を持っていて、メディアの影響もあって勢いがあった。
それが改憲の意図を押し隠し、集団自衛権は合憲というスタンスをとることにより、論理矛盾が露呈された。
そして強行採決という道筋をとることで、政府の合法性が疑われる事態に追い込まれてしまった。
事態はまさに、民主主義への真っ向たる挑戦を許すか否かというところに入ってきた。
戦争法案ですら85%が反対というところに持ってきて、それを無視して時の政府が突き進むことを良しとするか否かが、今や問われている。おそらく世論調査をすれば90%以上の国民が安倍内閣の方針に反対と答えるだろう。
こんな危うい政権を担がなければならないというところに、権力の弱点が露呈している。
しかも強行採決の先に見通しがない。彼らは日本国民に対し、何らの見通しも見返りも示せないのだ。
我々のもっとも強い問いかけは、「その先に何があるのだ」という言葉だ。
彼らは「こうだからこうするしかない」という。それだけだ。「こうだからこうしなければならない」といって「そうしたらこうなるのだ」とは言わない。言えないのである。

反核運動関連用語集

Terminology and Abbreviations for Anti-Nuclear Movements

16 July 2015     10年経ったのを機に改訂増補しました。 

4 Oct 2004      反核医師の会全国総会(札幌)の前に大急ぎで作成しました.

アルガス作戦

米国による,核爆弾を成層圏で爆発させる一連の計画.放射能の帯を作ることによって、核ミサイルのプルトニウムを変質させ不発弾にするねらい.
1958年、南太平洋のジョンストン島で行われた実験では,夜の地上が昼間のように明るくなり、赤道近くでは見られないはずのオーロラが出現、ハワイでは大規模な停電が発生した。
放射能の残留期間は予測より短く,プルトニウム無力化効果は否定され,計画は最終的に中止された。

イエローケーキ 粗精錬によって,ウラン鉱石に含まれる大部分の不純物を除いた「ウラン精鉱」の通称。黄色い粉末であることから,このように呼ばれる。

イラン核開発疑惑

2003年、未申告のウラン濃縮が発覚。イランは「平和利用」とするが濃縮度はそれをはるかに越える。

インド・パキスタン核実験

1998年5月、インド西部ラージャスタン州ポカラン砂漠で三種類の地下核実験.15日に政府は六番目の核保有国を宣言した.パキスタンはこれに対抗し、5月28日にバルチスタン州で初の核実験を実施、29日には世界七番目の核保有国宣言。
これらの開発には中国および北朝鮮からの技術提供があるとみられている。アメリカ、日本などが経済制裁したが、有効な力とならなかった。
両国の核実験は、核保有五カ国の核保有はそのままにし、その他の国の核開発は厳格に取り締まろうという、NPT=CTBT体制の矛盾をついたもの。
印パの核・ミサイル開発競争
印パの国内世論は核やミサイル実験を強力に支援している.とくに通常戦力でインドに劣るパキスタン側には、核抑止は絶対に必要との危機感が強い。
インドは、94年にアグニ・ミサイルの開発を中止していた.97年、パキスタンがハトフ3型ミサイル開発に成功,これに対抗して、インドはミサイル開発を再開した。2000年4月、インドは「プリトビ」の発射に成功さら,艦船発射型の「ダヌシュ」の開発にも成功した。
両国は軍事的緊張を高めており,偶発的核戦争の危険性を内包している.
ウラン濃縮 天然のウラン中の核分裂しやすいウラン235の割合(約0.7%)を原子炉の燃料として使える割合(3~5%程度)に高めることをいう。遠心分離法が一般的である。これは6弗化ウランのガスを円筒状の機械の中で高速回転させて、重いウラン238と軽いウラン235を分離する方法である。

カーン証言

パキスタンの核開発の中心人物,カーン博士が,イラン・リビア・北朝鮮へ核秘密情報を売却していたことを認める.エルバラダイIAEA事務局長は,この事件は氷山の一角に過ぎないと述べる.

ガイガー・カウンター
放射線による気体の電離作用を利用して、ガンマ線、ベータ線の検出測定に用いられる代表的な放射線検出器。
回収ウラン 使用済燃料から再処理によって分離精製して回収したウラン。天然ウランにはU-235が0.7%程度しか含まれていないが,使用済燃料には約1%のU-235が残っており,この点で使用済燃料はウランを回収して濃縮する価値がある資源であるといえる。
外部被曝 身体の外にある放射性物質から放射線を受けることをいう。一般の人の受ける外部被ばくとしては、宇宙線、大地の中の放射性物質などからの放射線があり、エッ クス線による診断も含まれる。なお原子力災害の場合は、放射性雲などによって大気中を流れてくる放射性物質や地表に落下した放射性物質から出る放射線を受 けて外部被ばくする可能性がある。物質への透過力が強い中性子線やガンマ線が特に問題とされる。
化学兵器禁止条約 開発、生産、保有を含めた化学兵器の全面的禁止及び厳密な検証制度を特徴とする条約。1993年署名開放、97年発効。2003年1月現在の締約国数は148ヶ国(我が国は95年に批准)。

確定的影響

一定の線量以上の放射線を浴びると、どの人にも例外なく吐き気、めまい、脱力感、白血球減少、脱毛などの急性障害が現れる.確定的影響が表れるのは250ミリシーベルト以上といわれる.4シーベルトでは約50%,7シーベルトでは99%が死亡する.

確率的影響

低線量被曝の場合には影響は直ちに表れない.数年以上のちに発ガンするかどうかは放射線が遺伝子に障害を及ぼしたかどうかによる.このような影響を確率的影響と呼ぶ.

核燃料サイクル 1.ウランの濃縮、加工等を経て核燃料として原子炉で利用されるまで。2.使用済燃料からプルトニウム等を取り出し、核燃料として再利用すること。3.各種放射性廃棄物を処理処分すること。このようなウラン資源の有効利用のための技術体系を指す。

核の傘

日本はこれまでアメリカの圧倒的な「核の傘」の中にあり、かつアメリカの戦略の一環を担ってきた。
今後「核の傘の抑止力」をいかにすべきか? それは、わが国の脅威認識と、それに対する「わが国+同盟国」の抑止力への評価にかかっている(外務省ホームページより) 核抑止力も参照のこと。

核の冬

82年,西独のクルッツェンが提起し,その後アメリカのセーガンらが展開した仮説.核爆発時の土粉粒の雲が地球を覆い,極端な低温/放射能汚染/オゾン層破壊により地球上のすべての生物が死ぬと予測.

核廃絶提案

冷戦の終結の前後に、さまざまなグループによる核廃絶提案がなされた。
1995年には、米外交シンクタンク「スチムソン・センター」が、安全保障にとって核兵器の価値は低下し危険は増大しているとして、核の廃絶へと至る四段階の措置を提案した。96年には、オーストラリア政府の呼びかけた「キャンベラ委員会」が、核戦力の警戒態勢解除、核先制不使用合意などを提案した。
核不拡散条約(NPT) かつて核拡散防止条約と呼ばれてきたものと同じ条約.
1968年6月に国連総会で決議され,2年後に発効した.187カ国が加盟する(インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮は非加盟).
この条約は核兵器の保有権で本質的に差別的である.非核兵器国は、核兵器製造禁止義務の遵守の検証のため、国際原子力機関(IAEA)による全面的査察が義務づけられる。他方、核兵器国の側も、核軍縮に「誠実に交渉」することを約束させられた(第六条)。しかし、核保有国は6条の実行にたいして誠実とは言いがたい.

核不拡散条約再検討会議

NPT見なおし会議ともよばれる.核不拡散条約成立25年後の1995年5月に,「究極的な核兵器廃絶」が合意され、「条約の無期限延長」が決定された。これにもとづき5年ごとに実施状況の点検と見なおしのための会議が開かれることになる.2000年の見なおし会議では,保有国による「核兵器廃絶の明確な約束」が行われた.2010年の会議では「核兵器がもたらす破滅的な人道上の結末に深い憂慮」を表明。「核兵器のない世界を達成するための枠組み」が必要との合意。
核分裂生成物
「核のゴミ」を指す。核分裂によってできた核種(核分裂片)、さらにそれらの核種の崩壊によってできた核種をいう。セシウム137、ストロンチウム90などがある。核分裂性物質とは異なる。
核兵器の解体
東西冷戦の終了後、米国と旧ソ連が結んだ戦略兵器削減条約(START-I)等に基づき、核兵器を解体すること。この解体により生じる核物質の処分などの安全確保対策が重要な課題になっている。

核兵器の非人道性に関する共同声明

2010年のNPT再検討会議最終文書を受けて、2012年からスイス・ノルウエイなどが国際会議に提出している決議案。日本は2013年の第4回目提出の際に賛成に回った。この時の賛成国は125カ国。

核兵器廃絶のための緊急行動 2020ビジョン

NPT会議に向け世界平和市長会議が提起した「核兵器廃絶のための緊急行動」プラン。4つの行動ステップからなる。①04年5月の再検討準備委員会.②04年8月のヒロシ マ・ナガサキ・デー.③05年4月のNPT再検討会議.数百の市長,100万人以上の市民をニューヨークに結集させる.④10年の見なおし会議で核廃絶の 時刻表を確定し,2020年までに核兵器を廃絶する.

核保有国/非保有国

核兵器国とは「1967年1月1日前に核兵器その他の核爆発装置を製造しかつ爆発させた国」と定義される(NPT第9条3項)。これに該当するのは、米ソ(ロ)英仏中の五カ国である。インドとパキスタンもNPTに従えば非核兵器国であり、98年6月の安保理決議1172はそのことを宣言している。

核分裂

ウラン235に中性子1個がぶつかって吸収されると、不安定となった原子核が多量なエネルギーを 放出しながら核分裂を起こす。1個の核分裂で2.5個の中性子が生じる.これが他のウラン235にぶ つかり、反応は連鎖的に進む。

核融合
原子核反応の一種.軽い原子核(水素、重水素、トリチウムなど)が核反応の結果、より重い原子核になる現象。核融合反応は発熱反応であるため,さらに高温となって次第に重い元素が生成される.
太陽は4個の陽子からヘリウム1個と陽電子2個とニュートリノ2個を生み出す反応よって、表面温度6000度、中心部1400万度という膨大なエネルギーを生み出している.

核抑止論

もし攻撃を行えば核による反撃がありうることを示すことによって、潜在敵国による攻撃を抑止する考え方.
反撃対象となる攻撃としては、①核兵器による攻撃のみに限る場合(コア抑止という).②大量破壊兵器による攻撃に限る場合.③あらゆる攻撃を発動の対象とする場合の3つの考えがあある.
同盟国をも,保護される対象に含むことがあり,拡大抑止と呼ばれる.核による同盟国への抑止対象の拡大を「核の傘」という。

核抑止論のジレンマ

核抑止が有効に機能するためには、核による反撃の意図と能力を効果的に示す必要があるが、それは核兵器の使用の可能性を高めることにもなりかねない。これを核抑止論のジレンマという。
ガンマ線
放射線の一種で、原子核から放出される電磁波。アルファ線やベータ線よりも物質を通り抜ける力が強く、厚い鉛板やコンクリートでさえぎることができる。原子力施設では厚いコンクリートなどで遮へいしている。

ガンマ崩壊

U238の原子核に低速中性子がぶつかって吸収されてU239へと変換される。このとき、励起されたU239は余分なエネルギーをガンマ線として放出する。ガンマ崩壊では原子番号、質量数の変化はない。

北朝鮮の核疑惑 北朝鮮は1985年12月にNPTに調印し、旧ソ連から研究用小型原子炉2基を供給された.
90年秋ごろから、北朝鮮が核兵器開発に着手しているとの疑惑。
北朝鮮は7ヶ所の核施設を保持していると発表した.93年2月,IAEA核査察の過程で北朝鮮の核兵器開発に対する疑惑が強まった.北朝鮮は準戦時体制を宣布.NPTからの脱退を決定した.北朝鮮の核疑惑問題はIAEAの手を離れ、国連安保理の懸案となった。
キュリー 放射能の単位。370億ベクレルにあたる。1gのラジウムの放射能とほぼ等しい。
グレイ
吸収線量.1グレイは、体重1キロ当たり1ジュールのエネルギーを吸収すること。従来使われたラド(Rad)は1グレイの100分の1.

軍縮会議

国連軍縮委員会とは異なる国連外の組織.59年に設置されたジュネーブ軍縮委員会が発展改組したもの.65ヶ国が参加する.

携行用核爆弾 1997年9月に、ソ連解体後スーツケース大の核爆弾約80個が行方不明になったとの説を公表された。この核爆弾一個でTNT火薬1,000トン相当の破壊力 をもち、10万人を殺傷可能といわれる。この核爆弾は有事に発電所などを破壊するために特殊部隊用に開発されたという。
計量管理と査察 IAEAは,核物質が核兵器に転用さ れていないことを確かめるのに,「計量管理」と「査察」を実施している。「計量管理」は事業者の責務であり,核物質の保有量,使用量を正確に測定・記録し 国やIAEAに報告する。「査察」は計量管理が正しく行われていることを確認する.国やIAEAの査察官が,実際に施設に立ち入って,計量管理記録や核物質量を検査する。
原爆是非論争 原爆投下50周年を迎えて、アメリカ 国内で展開された原爆投下の是非をめぐる論争。発端は、スミソニアン航空宇宙博物館が企画した展覧会だった。最初は原爆投下機「エノラ・ゲイ」に加え、被爆者の遺品も展示される計画だったが、退役軍人団体が「原爆を否定的に描き、アメリカ軍人を侮辱するものだ」と強く反発。この結果、原爆展は中止に追い込まれた。
クリントン大統領は原爆展の中止を支持し、「トルーマン大統領が下した原爆投下の決断は正しかった」と言明した。日本政府は「国民感情として理解できない」とするコメントを出した.
高レベル放射性廃棄物
高レベルの放射性廃液及びその固化体(ガラス固化体)のこと。使用済燃料の再処理によって生じる。冷却のため30~50年程度貯蔵したのち、300メートル以深の安定な地層中に処分される計画である。低レベル放射性廃棄物も参照。
国際原子力機関 1957年7月に国連によって作られた政府間機関。加盟国は128カ国である。原子力の平和利用を推進すると同時に,核が軍事転用されないための保障措置の実施という2つの大きな目的を掲げる。

国際司法裁判決

1996年にハーグの国際司法裁(ICJ)が下した判断。正式には判決ではなく勧告的意見とされる。①核兵器の使用または威嚇は、“一般的に”国際人道法に反する。②核廃絶の交渉を誠実に行い、完結させる義務がある。

国連軍縮委員会 国連総会の補助機関のひとつ。破産した原子力委員会を通常軍備委員会が併合した組織.52年に設立され,毎年4~5月頃にNY(国連本部)で開催される.

国連軍縮特別総会

第1回国連総会での決議「軍縮大憲章」にもとづく総会.78年に非同盟諸国の要請で第一回総会が開かれた.大国主導から脱却した新たな軍縮交渉機構の設置を訴え,軍縮に向けての世論の動員を目指す.第二回総会は82年6月に行われ,ニューヨークで100万人大行進が展開された.

国連原子力委員会

1946年,第1回国連総会で設置が決められた.米ソの対立から3年後に解散.国連軍縮委員会も参照。

国際人道法

正確にはジュネーブ諸条約第一追加議定書。戦争の手段、やり方を包括的に定めたもの。①人道的配慮を行う、②民間人を区別する、③無差別攻撃をしないなどの原則を定める。1977年に定められた。この原則に基づき、地雷禁止条約、クラスター爆弾禁止条約が実現した。

暫定放射線量

1957年暫定線量(T57D)はネバダ核実験のデータにもとづき,広島/長崎の放射線量を推定したもの.1965年暫定線量(T65D) は,日本家屋の特殊性を考慮して,ABCCによって改定されたもの.これを中性子線の発ガン作用に注目して改定したのがDS86.α線被曝(体内被曝)は考慮されていない。

残留放射能 残留放射能には二種類ある.核爆発に伴い放出された中性子線が地上の物質にあたり,原子核反応を誘発しガンマ線を出す。これが誘導放射能である。
また核爆発によって生成した放射性物質が地上に降下してくる.これが放射性降下物(フォールアウト)である.いわゆる「死の灰」である。

シーベルト

線量当量を見よ.

自然放射線
関西の花崗岩の多い地域と、自然界にある放射性元素の含有量の少ない関東ローム層の地域とでは、自然放射線の強さが異なる。また、宇宙線の強さも緯度によって変わり、上空に上がるほど強くなる。
使用済み核燃料
原子炉内で一定期間、核反応を起こさせた後、取り出された核燃料を指す。燃え残りのウランや新しくできたプルトニウムなど核燃料として再利用できるものと、核分裂生成物等とが含まれている。高レベル放射性廃棄物も参照。

終末時計

「原子力科学者会報」(国際雑誌)に発表されるもの。核戦争による人類滅亡を午前0時になぞらえ、それまでの時間を示す。80年代には3分前、冷戦終結後17分前に戻されるが、2012年には5分前に進んでいる。

ジュネーブ軍縮会議

ジュネーブに本拠を置く国連の常設会議。1978年の国連軍縮特別総会で設置が決まった。現在唯一の多数国間軍縮交渉の場である。1996年の包括的核実験禁止条約(CTBT)の成立に貢献した。その後は休会状態に入っている。

生物兵器禁止条約 生物兵器の開発、生産、保有を全面的に禁止する条約。1972年署名開放、75年発効(我が国は82年批准)。2000年1月現在の締約国数は143ヶ国。 
積極的安全保障/消極的安全保障

非核兵器国は「核兵器を放棄した国は、その対価として安全の保障を与えられるべき」と要求した。これに対し核兵器国によって安全の保障が与えられた。
積極的安全保障: 核侵略の犠牲となった非核兵器国に対し、ただちに援助を提供すること。1968年に米英ソ三国の一方的宣言によって約束された。
消極的安全保障: 「非核兵器国に対して核兵器を使用しない」という誓約。1995年4月,核保有国が消極的安全保障を宣言.一定の条件付きながら非保有国への核兵器不使用を約束した.

戦域ミサイル防衛 米国の同盟・友好国を短・中距離の弾道ミサイルの攻撃から防衛する、米国の弾道ミサイル(BMD)構想。陸上配備型及び海上配備型の各々について上下層2段階のシステムがあり、海上配備型上層システムはBMDに係る日米共同技術研究の対象である。
全致死(線)量 2~3週間以内に被曝したすべての人間が死亡する放射線量。約7グレイ(約700ラド)
戦略兵器削減条約 戦略核弾頭、運搬手段の削減等に関する米露二国間条約。93年の第二次交渉(START-Ⅱ)では10年間で戦略核弾頭を 1/3に削減することで合意.しかしアメリカは核弾頭の全面解体を拒否.
戦略兵器制限交渉 70年代に行われた戦略攻撃兵器の制限に関する米ソ二国間交渉。

線量当量(シーベルト)

放射線の生物学的効果の尺度(線量当量)を表わす新しい単位。吸収線量に放射線の種類や分布に関する修正係数を掛けたもの。X線やγ線では1Gy=1Svであるが、中性子線では10Sv,α線では20Svに相当する.かつて使われたレム(rem)は100分の1Svにあたる.

放射線量評価体系1986

厚生省が定めた放射線量評価方式.爆心からの距離を最大の基準とし,2キロ以遠の被爆者はすべて原爆症認定の対象から外された.松谷訴訟後は,被爆時の年齢や被曝線量に応じて計算する「原因確率」を新たな基準とするが,申請切捨ての立場は変わらず.

弾道弾迎撃ミサイル 飛行軌道にある戦略弾道ミサイルを迎撃するためのミサイル。ABMミサイル・システムについても制限しようというのが対弾道ミサイル・システム制限条約(ABM Treaty)で、米国とロシアの間に交わされている。
弾道ミサイル防衛
 
弾道ミサイルを迎撃ミサイル等で破壊する防衛システム。「我が国は、この構想を専守防衛を旨とする我が国防衛政策上の重要課題と認識し、所要の検討を実施。1999年にはBMDに係る日米共同技術研究が開始されている」(外務省)。
地層突入型核爆弾 B61―11 航空機から投下され,地下7―40メートルまで突入して爆発し,地震波で地下目標を破壊する.核兵器としては低威力だが,放射能が地表に噴き出し,深刻な汚染をもたらす.アフガンで使用が検討された.
中距離核戦力条約 87年に締結された,米ソの中距離ミサイル及び巡航ミサイルの廃棄に関する二国間条約。500km~5,500kmの航続距離 を持つ核戦力を全廃することで合意.ヨーロッパの核不安に対応したもの.
超ウラン核種
原子番号92のウランよりも大きな原子番号をもつネプツニウム、プルトニウム、アメリシウム等の元素の核種の総称で、いずれも人工の放射性核種である。
朝鮮半島エネルギー開発機構 米朝間の「合意された枠組み」を踏まえ、日米韓EUにより設立された。北朝鮮に対し、軽水炉プロジェクトと代替エネルギーの供与を行うことを目的とする。
低レベル放射性廃棄物
原子力施設で発生する廃棄物の内、高レベル放射性廃棄物以外の廃棄物。低レベル放射性廃棄物は、セメントなどにより均一に混合し処理した均一・均質固化体とされ、青森県六ヶ所村の低レベル放射性廃棄物埋設センターにおいて処分が行われる。

低線量被曝

国連科学委員会は,γ線、X線では1mGy程度を低線量とする。1mGyは平均して1個の細胞当 たり1個の飛跡が通る程度の放射線量。この程度の被ばくでは、DNAの二本鎖切断が20個の細胞当たり1個引き起こされる。低線量の基準は年々厳しくなっている.

天然被曝

自然の放射能による被曝.1年間で約 1.3mSv.内訳は空から 0.35mSv,地面から0.7mSv,カリウム 0.2mSv,ラドン 0.05mSv.

東南アジア非核兵器地帯 1995年12月のASEAN首脳会議で東南アジア10カ国により署名。97年3月発効。99年7月のASEAN拡大外相会議の際、中国とロシアは条件付きながら附属議定書に署名する意向を示した。
特定通常兵器使用禁止制限条約 非人道的と認められる特定の種類の通常兵器の使用を禁止又は制限する条約。1980年採択、83年発効(我が国は82年受諾)。本体条約と4つの附属議定書から成る。 
トリチウム
原子核が陽子1個、中性子2個からなる水素の放射性同位体をいう。軽水や重水の中性子照射などにより生成される。半減期は12.3年である。
内部被曝
放射性物質を体内に取り入れたときに、身体の内部から放射線を受けることをいう。通常、人は飲食物(カリウム40などの自然の放射性物質を含む)から、年間約0.24ミリシーベルトの内部被ばくを受けている。外部被ばくは、放射線を受けているときだけに限られるが、内部被ばくは放射性物質が体内に存在するかぎり被ばくが続く。
濃縮ウラン 天然ウランにはウラン235が0.7%しか含有されていない。この含有率を0.7%以上にしたのが濃縮ウラン。20%以下が低濃縮ウラン、90%以上が高濃縮ウランと呼ばれる。しかし、厳密には何%と決まりがあるわけではない。
軽水型発電炉は約3%の濃縮ウランを使う。原爆は99.9999%まで濃縮したものを用いる。 天然ウランから濃縮ウランをつくる方法にはガス拡散法、ガス遠心分離法がある。

爆縮レンズ

原子爆弾を起爆するメカニズムの要。燃焼速度の違う火薬を混ぜることによってプルトニウムに均一な圧力を加え、核融合を発生させる起爆装置を指す。基礎理論はフォン・ノイマンの手による。マンハッタン計画によって完成されたが、アメリカの核独占を恐れた科学者によって技術がソ連に流失した.

非核三原則 「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」。1971年に衆議院本会議で議決された、日本の国防戦略の重要原則です。
もともとこれは1968年、当時の佐藤栄作首相が国会で表明したことがきっかけです。ちなみにかれは1974年これを理由にノーベル平和賞をもらっています
非常用炉心冷却装置 原子炉内の水が減少したり、太いパイプが破れて急速に水がなくなった時などに、緊急に炉心を冷却するために設けられている装置。原子炉の中へ水を送り込んだり、燃料棒に直接水をかけて冷やしたりして、熱くなる燃料棒の破損を防止する。
被団協 日本被団協は、47都道府県のそれぞれにある被爆者(広島・長崎で原爆の被害を受けた被害者の生存者、静岡ではビキニ水爆実験被害者をふくむ)の団体の協議会で、被爆者の唯一の全国組織です。内部に中央相談所をもっています。
被曝 身体が放射線にさらされることをいう。身体の外にある放射性物質から放射線を受ける「外部被曝」と、食べたり、呼吸したりして身体の中に取り込み、それから放出される放射線を受ける「内部被ばく」の2種類がある。外部被曝、内部被曝、天然被曝を参照。

被爆者援護法

94年,被爆者の強い要望と一千万を超える請願署名,7割の国会議員の賛同を受け制定.しかし国の戦争責任が回避されるなど不十分な内容.

フォールアウト 放射性降下物を見よ.
部分的核実験禁止条約 1963年8月に署名された条約.大気圏内、宇宙空間、水中における核爆発実験を禁止する。大気圏内での核実験による環境汚染(放射性降下物)の防止には効果があった。核先進国である米英ソ三国は地下において実験を継続できるが、他の国は実質的に核実験ができない。仏中両国は、核の寡占体制 の制度化だとし、加盟していない。なお、米ソ間には、74年7月に地下核実験を150キロトン以下に制限する条約(90年12月発効)が結ばれている。

プラハ演説

2009年にオバマ米大統領がチェコのプラハで行なった演説。「核兵器のない世界を目指す」と述べ核態勢の変更を訴える。この姿勢に対し希望も込めてノーベル平和賞が贈られた。

プルサーマル
プルトニウムを軽水炉の燃料に利用することをいう。高速増殖炉もんじゅは1995年にナトリウム漏れ火災を起こし停止中である。代わりに浮上したPuをウランと混ぜたMOX燃料を燃やす計画もまったく進展していない.
「海外では既にMOX燃料集合体2,000体 以上が軽水炉に装荷され運転されている」と原発サイトには書かれているが,実際は施設閉鎖や建設中止が相次ぎ、計画は放棄されようとしている.
プルトニウム

天然には存在しない人工の放射性元素。ウラン238が中性子を吸収してプルトニウム239になる(途中経過省略)。“この世で最も毒性の強い元素”といわれる。きわめて長い間アルファ線を放出し続け、いったん人体に取り込まれると排せつされにくく、肺に達すると、極めてわずかな量で100%肺癌を発生させる.

兵器用核分裂性物質生産禁止条約 通称:カットオフ条約
1993年9月にクリントン米大統領によって提案された、核兵器用のプルトニウムや高濃縮ウランの生産を禁止する条約。現在軍縮会議(CD)において条約交渉開始の特別委員会の設置が課題となっている。 
ベータ線
放射線の一種で、原子核から飛び出す電子のこと。物質を通り抜ける力はアルファ線より強く、ガンマ線や中性子線より弱い。アルミの板などでさえぎることができる。

ベータ崩壊

原子核中の中性子が陽子に変換する過程で、電子と反(電子)ニュートリノが放出される。したがっ て質量数は変わらないが、原子番号は1だけ増加する。この壊変は軽い元素にも重い元素にも見られる。たとえば、炭素原子には6個の同位体が知られている が、安定なのは炭素12と炭素13であり、他は放射性核種である。炭素14はベータ崩壊 し、安定な窒素14へと変換していく。半減期が5730年なので、この壊変は化石の年代測定に適している。

ベクレル 新しい放射能の単位。一秒間に原子核が自発的に崩壊する数.
包括的核実験禁止条約 96年9月,国連総会で採択された。反対はインド、ブータン、リビアのみ。
あらゆる核兵器の実験的爆発(大気圏内、宇宙空間、水中及び地下)が禁止された.CTBT機構が創設され、国際監視、現地査察などの検証システムを運用する。違反国には特権免除を制限・停止し、集団的措置をとり、および国連に注意喚起する。
背後には、未臨界実験とコンピュータによるシミュレートによって核兵器開発が可能なだけの技術力を手にした米ロの思惑がある。
現在、155カ国が署名、批准は日本、イギリス、フランス、ロシアを含め六〇カ国である。アメリカは上院の反対が強く批准に至っていない。インド、パキスタンは署名すらしていない。
条約の発効にはCD加盟国で原子炉を有している国のすべての批准が必要で、このなかにはインド、パキスタン、北朝鮮が含まれており、発効は容易でない。
放射性雲
(放射性プルーム) 原子力施設から放出された放射性物質が大気と混じって風下に流れる空気の一団のこと。放射性プルームとも呼ぶ。
放射性降下物 核爆発や原子力施設事故等によって空気中に放出された放射性物質は、直接または降雨雪によって地上に降下する。これらを総称して放射性降下物という。

マーブ(多核弾道弾)

複数の核弾頭を搭載したICBM。空中でそれ ぞれの核弾頭を別々の目標に向け発射することができ、迎撃はほぼ不可能とされる。ロシアのSS-18、中国のミサイル「東風 41号」が相当する。

松谷訴訟

98年,原爆症認定却下に対し,松谷秀子さんが不服とし訴訟.02年7月最高裁で原告が全面勝利した.DS86の不当性が認定される.これに前後して被爆者約500人が原爆症認定をもとめ集団申請.さらに認定を却下された73人が集団訴訟.

ミサイル輸出管理レジーム 大量破壊兵器用ミサイルの開発に寄与しうる関連汎用品や技術の輸出を規制する管理レジーム。米、露、EU諸国、ブラジル、南ア等32カ国が参加。 
南太平洋の反核運動 「ムルロア核実験反対委員会」 (ATOM)結成以来、70年代後半から急成長。大国の核戦略と植民地支配が結びついた「核植民地主義」反対運動として発展。85年に南太平洋非核地帯化のラロトンガ条約を締結。95年、フランスの核実験再開で反核運動が再び 高揚。
モックス燃料 原子力発電所で利用するウランとプルトニウムの混合酸化物燃料。プルサーマルを参照。
ラド 電離放射能の吸収線量を表わす。1ラド=0.01グレイ
臨界
ウランなどの核分裂性物質は、中性子が当たると核分裂反応を起こすとともに、2、3個の新たな中性子を放出する。このため、一定量以上の核分裂性物質が集まると、次々と核分裂反応を起こす。これを臨界といい、この核分裂が持続して いる状態を臨界状態という。 原子炉では制御棒の出し入れによって原子炉を臨界状態に保つ。
臨界前核実験  
レム 放射線防護で線量当量を表わす単位。1レム=0.01シーベルト。ラドに生物学的効果の修正を加えたもの
レントゲン 放射線の中で深刻なダメージを与えるガンマ線とエックス線の強さを表わす単位。

            略語

Bq ベクレルを見よ.
CCW 特定通常兵器使用禁止制限条約を見よ.

CD

軍縮会議を見よ

Ci

キュリーを見よ.

CTBT

Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty.包括的核実験禁止条約を見よ.

CWC 化学兵器禁止条約を見よ.

DS86

Dosimetry System 89. 総量評価体系1986を見よ.

Gy

グレイを見よ.
IAEA International Atomic Energy Agency.国際原子力機関を見よ.

INF

Intermediate-Range Nuclear Forces.中距離核戦力条約を見よ.

KEDO

Korean Peninsula Energy Development Organization.朝鮮半島エネルギー開発機構をみよ.

MIRV

マーブを見よ.

NPT

Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons.核不拡散条約を見よ.
PTBT Partial Test Ban Treaty.部分的核実験禁止条約を見よ.

SALT

Strategic Arms Limitation Talks.戦略兵器制限交渉を見よ.

SSD-Ⅰ

国連軍縮特別総会を見よ.

START Strategic Arms Reduction Treaty.戦略兵器削減条約を見よ.

Sv

シーベルト.線量当量を見よ.

T57D/T65D

暫定放射線量を見よ.

以下のサイトから引用/編集しました.

http://nabikos.at.infoseek.co.jp/index.htm

http://www.fujisaki.pos.to/index.shtml

http://www.jnc.go.jp/zningyo/yougo/yougo.html

http://homepage.mac.com/misaon1/hamayuu/

http://www.jnc.go.jp/ztokai/flash.html

http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/pr/yogo/index.html

 

1.「欲望」という言葉を限定する

欲望が物質的過程だというのは、表現としてはこなれていない。ヘラーの本に「欲望には物質的欲望と非物質的欲望がある」と書いてあったのが気になったので、「欲望というのは基本的には物質的欲望だろう」と主張したかったのである。

そもそも「欲望」という言葉が多義的である。我々の常識で言うと、“欲する”ことと“望む”こととの間にはかなりのニュアンスの差がある。それに、やや倫理的・文学的な響きを持っている。“欲する”方にウエイトを置くなら、むしろ「欲求」のほうが近いかもしれない。ただ、この場合も“欲する”というのがどちらかと言えば内面的過程なのに対し、“求める”というのはより具体的、個別的なニュアンスがある。

英語ではWants という表現になるだろうが、これだと欠乏に対する“飢え”みたいなものが前面に出てきてしまい、やや狭すぎるような気もする。

とりあえずは「欲し求めること」という動名詞、一つの心理的行為として、「欲望」という言葉を扱っておきたい。このへんの具体的な語感はだいじにしなければならない。

2.価値はどのようにして生まれるか

欲望の対象は価値である。具体的には使用価値である。

ケネーの経済表は、マルクスをふくむ全ての近代的経済学の出発点であろう。

ただ経済学者が経済表の真価を理解しているとは言いがたい。なぜなら彼らはすぐに再生産諸表のモデル化に行ってしまうからだ。それこそ「ケネーの経済表」の批判するところなのだと思う。

私が思うには、それは「価値」とその源泉、そしてその形成過程に関してどのような哲学書にもまさる解答を与えている。

ケネーの目的は重商主義の批判であったが、実際には「経済表」は重商主義を否定するのではなく、それを乗り越えて、経済学に時間軸を持込み、「発展」=価値の付加・創設という概念を付与したのだ。そこに核心的意義があるのだと思う。それは自然エネルギーの固定化、人間の手による使用価値の付加によって実現される。

3.価値と欲望は鶏と卵の関係

マルクス(とヘーゲル)はそれに2つの哲学的事実を付け加えた。

ひとつは、生産(生産的労働)が価値の再生産過程の一コマであるということ、したがって再生産過程としての「営み」の全体を見ていかなければならないということである。

一つは、生産が消費と一体の関係(鏡像的)にあり、消費の過程は欲望の充足過程であると同時に、欲望の生産過程でもあるということである。

4.価値も欲望も拡大再生産される

この二つから言えることが二つある。

一つは欲望の根源が物質的消費過程にある以上、欲望は根本的に物質的(物質規定的)である。それは共同体により社会化され、言語によりシンボル化されるが、そして一見非物質的に見えることはあるが、物質的であることをやめない。

もう一つ、生産の本質は拡大再生産である。したがってそれは欲望(物質的)の拡大再生産をもたらし、それを前提とする。平たく言えば人間は豊かになるほど貪欲になるのである。

これは脳科学では説明できない。


以下は

鄭 敬娥 「アジア地域主義における「アジア的性格」の考察 ―アジア開発銀行(ADB)の創設過程を中心に―」 『広島平和科学』27 (2005)

の抜き書きと感想です。

独立は達成したが経済は崩壊した

多くのアジア諸国は第二次世界大戦後に独立を果たした。それらは新たな国家目標として、植民地的経済構造からの脱却と、国民経済の構築を設定した。

このために政府が積極的に経済活動に介入するとともに、外国資本の導入を極力制限した。

しかし、資金も技術も経営ノウハウも持たないこれら諸国において、このような初期の政策は無残な結果に終わった。

国内経済は深刻な停滞やインフレに陥った。外貨を獲得するにはモノカルチャー的な生産を強化しなければならないというディレンマが生じた。

このジレンマの説明はきわめて簡単である。植民地経済というのはただたんにむしりとる経済ではない。植民地に対し膨大な資金を投下し、その製品に対して豊かな市場を提供するのである。
植民地への投資はリスクは高いがきわめて魅力的だ。設備投資が少なく、人的経費の率が高いために剰余価値率も高いのだ。植民地側にしてみれば、高い利益率を確保しつつ、製品の販売市場が保障されているという魅力がある。需要予測も容易である。
別に現地労働者を奴隷のようにこき使わなくても、統治で普通の労働慣行を尊重したとしても、十分に元は取れるのだ。
植民地が独立するということは、この資金と市場を同時に失うことになるのだ。
にもかかわらず、「独立ほど尊いものはない」のだ。

旧宗主国から国際トラストへ

50年代半ばには、経済開発計画の多くは国際機関の援助(たとえばコロンボ・プラン)の受け皿として作成されるようになる。

しかしその際も、最終的なゴールは脱植民地化であり、外部資本の受入れはそのための多様な経済政策の一つとして理解されていた。

ナショナリズムと先進国資本の受入れとの間の矛盾は、そのような形でいちおう妥協の道を見出した。

アジア的性格と日本を先頭とする先進国との矛盾は、実はアジア諸国の内包する矛盾の反映であったということになる。であればこの対立は、突き放すようだが、アジア諸国が経済成長を遂げることによって自ら解決するしかない課題なのであろう。

輿望を担って発足したADB

すでに1959年には「米州開発銀行(IDB)」が創設されていたが、64年には「アフリカ開発銀行(AfDB)」が誕生した。

アジア諸国は、自分たちだけが取り残されるという危機感を強めていった。

ベトナム戦争が深刻化し、西側先進諸国の対外援助が減り続けるなか、日本の経済的浮上が地域協力に対するアジア諸国の期待を高めた。

1966年12月、アジア開発銀行(ADB)はアジア域内のほぼすべてを網羅し華々しく登場した。

ボタンの掛け違え

日本はADBを地域協力機構の一環として捉え、域内諸国の開発計画の調整を促すとともに、銀行としての健全運営を図った。

そのために、運営面においても域外先進諸国を積極的に参加させた。

しかし、アジア諸国はADBを途上国に対する経済協力機構として捉えた。そして資金面の協力は受け入れるが、運営における発言権は極力制限しようとした。

それがアジア人によるアジア人の銀行、いわゆるADBの「アジア的性格」の主張となった。

このようにして、ADBの創設は日本が加わったことにより、より複雑な道程を歩むことになった。

イントロを読んだだけでは、「アジア的性格」の主張はかなり分かりにくい。ADBが基本的に貸し手の機関なのか、借り手の機関なのかといえば、貸し手の機関に決まっている。
ただ「途上国のニーズに応え、その発展を援助する」という設立の趣旨から言えば、「主人公は途上国だ」という論理も分からなくもない。
これと似たような議論を昔やったことがある。「医療の主人公は患者だ」という主張である。病院というのはそもそも患者のニーズに応じて作られたものだから、患者の要求に応じて運営しなければならない。
しかし医療従事者から見れば、「それは違うでしょう」ということになる。病気を治そうとすれば、まずは医療の論理に従って動かなくてはならない。
だから次元を揃えた上で、どこかで議論を噛みあわせなくてはならないのである。その主たる責任は誰が負うか。「真面目な先進国」である。銀行の担当者ではない。

AIIBはADB以上の問題を内包している

今アセアンは域内貿易と資金調達により独自の道を歩こうとしている。しかし資金需要はあまりにも旺盛であり、自己調達レベルをはるかに超えている。

そんな時に新たな気前のいい融資先が名乗りを上げたのだから、基本的には大歓迎である。

かつて日本がアジア開銀を通じて強力な融資元として登場した時、日本は厳しいマクロ政策と財政規律を求めた。それは必ずしも悪いことではなかったと思う。

「厳しい兄貴だったが、おかげでグレずに済んだ」という側面もある。IMFの横暴には、それなりに体を張って抵抗してくれた。(それがどの程度のものだったかは別として)

中国が同じように「厳しいがいい兄貴」かどうかは保障の限りではない。とくに南シナ海では軍事的野心、領土的野心をむき出しにしているだけに、警戒心は持たざるをえない。

トラストの胴元としてのガバナンスや安定性にも問題がある。中国から金を借りたつもりが、いつの間にか華僑マネーに変身しないとも限らないのである。

YouTubeで大学時代のピッチングが見られる。
三振の山を築く場面が記録されている。
しかしこのビデオを見ると、これではプロでは通用しないことが分かる。
左打者に対する場面が多い。最近の大学選手はほとんど右投げ左打ちのようだ。
相手チームの打者は外角高めのつり球に、みんな引っかかって空振りしている。
しかしプロの打者は絶対に見逃す。
有原の決め球は内角に食い込むスライダーだ。これは外角高めのつり球があるから生きてくる。
しかし外角高めを全部見極められると、スライダーはカットされる。そして甘く入った球を狙われる。
もう一つの欠点は球がシュート回転していることだ。そうなると150キロの速球でも球が浮き上がっては来ない。
バッターからすれば上下のブレを計算に入れなくていいわけだから、直球狙いでバッチリだ。
有原攻略法はこういうことになる。
1.外角高めは捨てよ。
2.内角のスライダーはカット。
3.内角のストレートが来たら腕をたたんで、レベルスイングで振りぬけ。シュート回転だからファウルにはならずに一塁手の頭の上を越えていく。センター返しのつもりなら三遊間を抜けていく。
逆に言えば、有原の生きる道は、まずシュート回転を是正することだ。
その上で、フォークかチェンジアップを会得して縦の変化、高低の出し入れで勝負することだ。
シュート回転になるのは、体の開きが早過ぎるからだ。それでも、上半身が強いから大学なら通用する。しかしこの投げ方では1,2年で肘がやられる。
ステップ幅をあと2センチ長くしなければならない。そのためには腰と下半身の粘りを作らなければならない。そのためには走らなければならない。
大学時代の残像が残っている限り、有原に未来はないと知るべきだ。

06 文学・芸術・スポーツ (96)

2015_3-30

ルネサンスとティツィアーノ

2015_3-30

ヴェネツィア派のラファエロへの挑戦

2015_3-26

三つ目の犬の糞

2015_3-16

午前3時の羽田空港で

2015_3-16

“異”を唱えるということ

2015_1-16

おお石になれ、 拳

2015_1_09

ラブレター 多喜二からふじ子へ

2014-12_5

これがアルゼンチンサッカー

2014_9-26

ピート・シーガーの「わたしが一番きれいだったとき」

2014_9-25

いくさは遠く根の国へゆけ 白蓮(柳原曄子)の戦後

2014_9-14

アーサー・ピナードの「雨ニモマケズ」の理解

2014_9_8

金子兜太の“怒り”

2014_8-23

童謡における非合理主義の美化

2014_8-23

手塚英孝「小林多喜二 文学とその生涯」

2014_8-22

私がふじ子を知った頃

2014_8-20

小林多喜二の東京時代

2014_8-20

手塚英孝と江口渙は矛盾していない

2014_8-20

伊藤ふじ子の接吻

2014_8-15

山口孤剣のすげえ歌

2014_8_07

茨木のり子が、まぶしいほどにきれいだったとき

2014_8_07

戦争と「丸出だめ夫」

2014_8_5

ジャポニズムとブラックモン

2014_7-29

柳原白蓮の平和行脚と到達

2014_7-19

「種まく人」のうんちく

2014_7-16

中西洋子著「柳原白蓮における歌の変容と到達」の紹介

2014_7-16

いくさは遠く根の国へゆけ

2014_7_8

「我慢する」という自発

2014_7_8

杉山平一 「わからない」

2014_6-10

古田足日と小川未明と原始心性

2014_5-28

ロッサナ・ポデスタとトロイのヘレン

2014_2_5

木島櫻谷という画家

2014_1-27

伊藤ふじ子に惚れ直す

2014_1-24

与謝野晶子の怖い詩

2014_1-24

吉野弘さんがなくなったそうだ

2013-12-13

それは日本人のいいところ

2013-12_7

自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ

2013-11_9

三木清「幸福について」

2013-11_4

三木清「死について」

2013-11_4

三木清という人

2013-10-25

宮本百合子の「三つの権利」

2013-10-24

ハンナ・アーレントと松岡二十世

2013_9_6

有島武郎と農場の“解放” その3

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有島武郎と農場の“解放” その2

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有島武郎と農場の“解放” その1

2013_9_3

小熊秀雄 断章

2013_9_2

原爆忌 見えぬものには影がない

2013_8_4

日本ハムの建て直しのために

2013_7-29

民のために汝(きさま)死ね

2013_7-13

穴隈鉱蔵の弁

2013_6-14

あえて「加藤コミッショナー頑張れ」と言いたい

2013_6-10

札幌のおばあちゃん、水泳“90歳”リレーで世界記録

2013_6_5

女書(ニュウ・シュウ)に思う

2013_5-16

誰がミズノをそうさせたか

2013_5-15

飛ぶボールはやめるべきだ

2013_3-26

点滴三分の一 のこりてとまる

2013_3-25

村上龍が頑張っているんだ

2013_3-13

伊藤左千夫の米倉批判

2013_2_8

「告発文書」の内容をうかがう

2013_2_8

女子柔道、スパルタカスの反乱

2013_2_4

艾青(がいせい)について

2012-12-28

子供は夜を踏みぬく

2012-12-24

宮本百合子の川端康成批判

2012-12-23

誰が破りし恋ぞ、 詠み人にあらで

2012-12-23

「有がたうさん」という不思議な映画

2012-12-23

生命(いのち)さえほめ殺されき

2012-12-22

福原真志さんの「裸婦」です

2012-12-22

高見順を知っていますか

2012-12-21

高見順がチャプリンを罵倒

2012-12-21

笹野一刀彫について

2012-11-13

森鴎外の饅頭茶漬け

2012-11_8

さよなら バグ・チルドレン

2012-10-14

佐藤さんの「業」に戻る

2012-10-14

「業」(ごう)の基礎的理解

2012-10-11

馬淵晴子の良い話

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ヒトラーに抗した女たち

2012_8-21

福原真志さんが亡くなった

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桜井昌司さんの重い言葉

2012_6-17

「美」は厄介だ

2012_6-13

中江有里の児玉清論

2012_5-10

美貌の作家 若杉鳥子

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小熊秀雄こそ真の詩人だ

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今野大力詩集より

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旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事ぞ

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さんさ時雨か萱野の雨か

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藤島武二と「乱れ髪」

2011-11-30

藤島武二の「朝顔」

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落語そのものが邪道なのだ

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昭和31年の人気俳優番付

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「大地の侍」と大友柳太朗

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こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ

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プロ野球創設期の球団経営

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宮間選手のフェアプレーシップ

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「雨の降る品川駅」について

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さようなら 女の李




東芝という会社

東芝という会社の歴史を調べてみた(主としてウィキペディア)。

初代田中久重(1799年 - 1881年)は、からくり人形「弓曳童子」や和時計「万年時計(万年自鳴鐘)」などを開発し、「からくり儀右衛門」として知られる。

その「からくり儀右衛門」が、明治8年に工場を創設する。ホオっという感じだ。出自は町工場みたいだ。

しかし、東芝の「会社概要」を見ると、決して純民間とはいえないことが分かる。

明治6年に田中久重は、工部省(当時の政府機関、産業の近代化を推進)から受注した電信機を開発していましたが、受注拡大に伴い、1875年(明治8年)東京・銀座に工場を創設しました。

この町工場が一気に姿を変えるのは、明治26年のことのようだ。まさに日清戦争たけなわだ。

工場は三井の傘下に入り、芝浦製作所と改称し、重電メーカーの道を歩み始める。

これがひとつの顔だ。

昭和14年、芝浦製作所はもうひとつの顔を持つようになる。それが家庭用電球の製造会社「白熱舎」との合併と東京芝浦電気への改称だ。子供の頃、電球といえばマツダと決まっていたが、それを作っていたのが白熱舎である。

つまり東芝には「からくり儀右衛門」以来の町工場的伝統、三井財閥の基幹企業としての強面の重電メーカーとしての顔、一般消費者を相手の弱電メーカーという三つの顔があることになる。

会社概要ではこう書かれている。

太平洋戦争などが激化する中、国家の要請に応え、軍事物資として無線機や真空管および動力源となる発電機など、急速に生産を伸ばしました。

つまり軍事産業として、戦争中に大儲けし急成長したたわけだ。


それで敗戦となって、財閥解体の波がやってくる。

しかし三井は解体されたが、どうも東芝の本体はこの波をうまくくぐり抜けたようだ。工場が一つ独立しただけで、本体は無傷で残された。

その結果、東芝は電機業界の最大手となり、石坂泰三・土光敏夫の黄金時代を築きあげる。これが昭和24年から昭和51年までの間続き、さらにその後も土光院制が続いた。

浜松町の駅の浜離宮側にどでかいビルが建ったのもこの頃(昭和59年)である。

きわめて間口の大きい経営体となり、高度成長の波にフラッグシップの一つとして乗った。家電部門は省略する。重電部門はあまり知らなかったので、いささか驚いている。

懐かしいところで言うと電気機関車EF58、EH10などが東芝製。

重電の目玉はなんといっても原子炉である。日本のトップメーカーとしてGEの沸騰水型原子炉をライセンス生産している。

ほかに地対空ミサイルを開発製造し、自衛隊の指揮システムの開発にも携わっている。

上位10社
       防衛省ホームページより

このあと、西暦に切り替える。(どうも平成には弱い)


その東芝が10年前、2005年からおかしくなる。つまり西田社長の就任からだ。「事業構造改革」で収益基盤を強化し、成長分野で新たな事業を立ち上げる「事業構造転換」を進めた。

レコード会社(EMI)を売却した。白熱灯の製造を中止し、HD/DVDからも撤退した。

銀座の東芝ビル、本社ビル(引き続きテナントとして入居)、梅田スカイビルを手放した。

携帯電話事業からも撤退し、半導体生産の主力工場も閉鎖した。ただハードディスクの生産は続けているようで、私もヨドバシの安売りで買った2テラの外付けハードディスクを持っている。

いっぽうで、「事業構造転換」の目玉として、世界有数の原発会社ウェスティングハウス社を買収した。


つまり、結果論としては「事業構造改革」と「事業構造転換」がみごとに裏目に出たことになる。その挙句の果てが「粉飾決算」ということになるわけで、それだけ見ていても事の本質はわからないだろう。


ニュース、からみ隊 というブログの東芝は三井財閥の中核企業 という記事が、ちょっと古いが(2011年10月)面白い。

要点だけ紹介しておくと、

東芝は三井財閥の中核企業。トヨタや新日鉄、三井造船やIHIなど、三井グループの中心を占めている。

国鉄がJRに移行した際に、東芝がJR貨物の電気機関車の…大量受注を獲得している。これには政治的配慮が大きく働いているのではないかと思う。それと言うのも、東芝の電気機関車は故障が多いから だ。
…今度は大規模貨物駅で使用される入換用電気式ディーゼル機関車の受注に成功した。 そもそも東芝には大型ディーゼルエンジン部門がない。それなのにJRで採用が決定したのは、どう考えてもおかしい。
郵政民営化でも、郵便物自動読み取り区分機を最も多く納入している。区分機に他社が参入するまでは、独占価格で納入していた。この東芝の区分機は故障が多く、しかも高い。
通信事業の自由化では、アメリカ方式の採用を迫り、実現した。東芝は通信機に弱い。そのためモトローラに参入させたが、ここの製品の性能は低い。(結局東芝は富士通に電話事業を譲り撤退した)

著者は最後にこうまとめている。

やはり最後は政治力ではない。製品を作るメーカーである以上、技術力が決め手になるのだ。

うちのテレビのレグザはそれほど悪くはないが…


ということでいくつかのことが分かった。ひとつは、東芝には表の顔と裏の顔があり、どうもことあるごとに裏の顔(官需タカリ)が透けて見えること。

殿様商売をやっていて、今ではかなり経営が傾いていて、「大胆な経営改革」をやったが、すべて裏目に出ているということ。

にもかかわらず、裏の商売がある以上、政府も潰す訳にはいかないだろうと、たかをくくっていること。

この期に及んで、まだメディアが「粉飾決算」と呼ぶのを回避しているのは、スポンサーとしての権威だけではない、裏の圧力があるのだろうと思う。

しかし、いずれ外圧が来る。それまで処理をもたついていれば、痛烈なしっぺ返しを食らうことは間違いないだろう。

東芝事件、まだ序の口だ

とりあえず経過表を作ってみたが、どうもとんでもない大事件になりそうな予感がする。

問題は企業ガバナンスとかいうレベルではない。日本という国の骨格が、骨格だと思っていたものが、たんなる虚妄に過ぎなかったという衝撃的事実である。

ソニー、松下が潰れても日本の屋台骨は揺るがない。しかし東芝はレベルが違う。経団連の中核であり、軍産複合体や原子力村と深く関わる、ある種の国策会社でもある。

斜陽の電機業界の中で、日立・東芝が好業績を維持していることは、日本の経済政策立案者にとってある種の救いであった。

しかし「勝ち組」だったはずの東芝が、実は「負け組」だったのだ。この事実は、ずっしりと効いてくる。

「大企業立国論」は、アベノミクスの根幹をなしているだけでなく、保守派に共通する信仰となっている。その根拠となる企業の一つが瓦解するとなると、残るはトヨタのみとなる。

さすがに「日本の産業政策はこのままでいいのか」という疑問が、澎湃として沸き起こってくるだろう。

アメリカの言うがまま、大企業の儲け主義、内需の軽視というのが、日本の経済政策の三本柱だった。それが、財界の先頭に立つ推進役の大企業、東芝の無残な転落によって、賞味期限切れを暴露された。

それが今回の事件ではないだろうか。

高齢化と人口減少が否応なしに迫ってきた現在、日本はすべての面でスケールダウンを迫られている。

その際に、大企業だけが抜け駆けをしようという魂胆は間違っている。それは結局、東芝の道を歩むことになる。

道を変更出来るだけの時間的余裕はあまりない。これを機に、根本的な変化を打ち出すことが求められているのではないか。

鍵となるイメージは「平和な中規模国家」ではないだろうか。これまで築き上げた技術力、平和国家の矜持を大事にしながら、ニッチを開拓し内需を中心にした国家づくりをおこなうのが一番だ。それには大企業中心思考を何処かで捨て去らなければならない。それが今だろう。


2009年

3月 東芝、リーマン・ショックで2500億円の営業赤字に転落。

6月 佐々木則夫氏が原子力部門から社長に就任。携帯電話や中小型液晶の不振事業を売却する一方で、原子力発電事業と半導体の2本柱に力を集中。

2011年

3月 東日本大震災と福島原発事故。佐々木社長の出身母体の原子力部門が大きな打撃を受ける。佐々木社長は高水準のコスト削減で経営改善を目指す。

2013年

6月 田中久雄氏が社長に就任。西田会長は佐々木前社長を副会長に棚上げし、自ら会長にとどまる。佐々木前社長は経団連副会長に就任。

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左から西田厚聡相談役、田中久雄社長、佐々木則夫副会長

2014年

6月25日 西田会長が相談役に退く。後任会長には室町正志取締役が昇格し、佐々木副会長はそのまま副会長に留まる。


2015年

1月 証券取引監視委員会(SESC)に、不適切な会計処理の内部通報。

「佐々木前社長時代に、インフラ関連事業で不正な会計処理があった」という内容の電話が、情報提供窓口に掛かってきたとされる。

2月12日 証券取引監視委員会、東芝に対し会計処理の精査・報告を命令。

4月3日 東芝、「不適切会計」の疑いで精査中と発表。「当社の2013年度における一部インフラ関連の工事進行基準に係る会計処理について、調査を必要とする事項が判明いたしました」

4月3日 社内で室町正志会長をトップとする特別調査委員会を設置。日本弁護士連合会のガイドラインに基づく「第三者委員会」の形態は採用せず。

調査対象は『電力システム社』『社会インフラシステム社』『コミュニティ・ソリューション社』の社内カンパニー3社だったが、調査開始後「不適切会計」が湧くように噴出した。

東芝カンパニー

5つの事業グループ、7つの社内カンパニーがある。各カンパニーに総務・人事・経理スタッフが在籍し、経営指標や決算書などを作成、本社に報告している。カンパニーのトップは経営の権限が与えられ、専業・独立企業化が図られている。


2015年5月

5月8日 東芝、3月期連結決算の公表を6月以降に延期すると発表。期末配当は見送りとなる。

東証の規定では、6月末までに有価証券報告書が提出されないと、「監理銘柄」に指定される。7月末まで提出できなければ上場廃止になる。

5月8日 特別調査委員会、インフラ関連事業の工事進行基準案件で、「原価総額が過小に見積もられていた」ことを明らかにする。

5月8日 東芝、特別調査委員会の報告を受け、2015年3月期業績予想を取り下げ、3月期連結決算の発表を延期。あわせて期末無配を発表。

5月11日 東芝株は取引開始直後から売り注文が殺到し、ストップ安となる。(最終的に513円から375円に下落し、東芝が失った株式時価総額は約2700億円に達する)

5月13日 東芝、特別調査委員会の中間結果を発表。社内3社の9件の工事案件で、原価の過少見積が総額500億円強に上っていると明らかにする。

2012年3月期から14年3月期までの3年間にわたる過年度修正(減額)が見込まれる。また不正の原因として「予算達成目標の位置づけが高かった」ことを挙げる。 「週刊東洋経済」2015年6月13日号より

朝日新聞より

9部門
5月15日 田中社長が深夜に緊急記者会見。不適切会計の件数が9件に及んだと公表。財務報告内部統制の訂正報告書を提出する方向を示す。役員報酬の一部返上を表明するが、 「財務報告の内部統制が機能していなかった」と述べ、意図性は認めず。

5月15日 東芝、「第三者委員会…に関するお知らせ」を発表。特別調査委員会は5月中に調査結果を第三者委に報告し、資料などを引き継いで解散することとなる。

5月15日 社内中心の特別調査委員会に代わり、第三者委員会(委員長・上田広一元東京高検検事長)による調査が開始される。(第三者委員会メンバーの中立性については疑問の声あり)

5月22日 東芝、第三者委員会の調査対象を、テレビ・パソコン・半導体などほぼ全事業に拡大すると発表。不正会計審査の期間は2011年3月期からの5年間に拡大する。

5月29日 田中社長の記者会見。金融商品取引法が定める有価証券報告書の提出期限の2カ月延長を関東財務局に申請すると表明。第三者委員会の調査結果を待って、9月に臨時株主総会を開くと発表。

5月30日 財務当局と東証、提出期限の2カ月延長を承認。8月末を新たな期限に設定する。これにより「上場維持」が認められ、株価下落に歯止めが掛かる。

2015年6月

6月1日 東京証券取引所の上場企業で、社外取締役2人以上の選任が義務付けられる。コーポレートガバナンス(企業統治)の透明性と健全性を高める狙い。

6月初め 米有力法律事務所(複数)が、今回の「不適切会計」問題発覚後の株価下落で損害を被った株主に損害賠償訴訟への参加を呼びかける。

6月12日 東芝、特別調査委員会の調査結果(「自主チェック結果、特別調査委員会の調査概要及び第三者委員会への委嘱事項との関係についてのお知らせ」)を発表。これまでの9件に加え、新たに12件(総額36億円)の不正処理が明らかになる。販売促進費などの計上の先送り、在庫の評価減、棚卸資産に関する不適切処理、委託先との取引の不適切処理などがありうるとし、第三者委員会に精査を委託。

週刊東洋経済より

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6月25日 東芝の株主総会。田中久雄社長は証券取引等監視委員会の検査を受けていたことを明らかにする。3月期決算は保留され、期末配当は無配となる。取締役16人の残留、9月の臨時株主総会開催で了解をもとめる。

財務責任者報告で明らかにされた数字: かさ上げ額は合計548億円。インフラ関連工事9件で原価総額を低く見積もることで、営業利益を512億円かさ上げ。広告費や在庫の費用・損失計上の先送りで36億円の利益かさ上げ。

2015年7月

7月4日 第三者委員会の調査で、過大に計上した利益が、1500億円規模に達することが明らかになる。

7月8日 第三者委員会の調査で、営業利益のかさ上げ額が最大2000億円規模に膨らむことが判明。

不適切処理の具体的手口: (1)納入業者への支払いを翌期に付け替えし、利益を先取りする。(2)部品を委託先に一度売って、完成品を買い入れ、完成品 在庫を増やす。これにより一時的に部品を売った利益が上乗せされる。(3)半導体の原価が下落しても、コストに反映させず、利益を過大に計上する。
またテレビの費用計上、半導体の在庫評価、パソコンの部品取引などすべての分野でかさ上げ。損失に備えた引当金の未計上、具体的な裏付けがないコスト削減策のくりこみ、販促費や広告費の経常先送りなど、意図的な会計操作が疑われる。

7月8日 東芝、主要取引銀行に対し最大6千億円の融資枠設定を打診する。

7月9日 第三者委員会、佐々木前社長の指示・関与を認定。佐々木前社長は退任の意向を明らかにする。
佐々木前社長は、予定通りの利益を上げられない部署に、会議の場やメールで「工夫しろ」と指示していた。社員らは、発言を「会計を操作しろ」という趣旨だと受け止めた。

7月9日 東京証券取引所で、東芝株は一時365円80銭まで下げ、年初来安値を更新する。


7月10日 第三者委員会の調査で、田中久雄社長が業績改善を強く促していたことが判明。

田中社長は各事業幹部に対し、早朝に電話をかけて「何で予算を達成できないんだ」と迫ったり、メールで「売上高をもう少し上げろ」「利益を早く上げろ」などと要求した。月々の利益が計画に達していない担当者を強い口調で「工夫しろ」と指示した。


毎日新聞解説記事より「東芝の営業損益の推移と歴代社長」

毎日 東芝

7月11日 東京証券取引所が、東芝を管理体制の改善を求める「特設注意市場銘柄」に指定する見通し(読売新聞)



それで、報道各社の表現だが、

NHK 今日のお昼のニュース: 東芝が、不適切な会計処理の発覚でことし3月期の決算が発表できない異例の事態となっている問題。

えらく持って回った言い方です。

TBS 4日のニュース: 不適切な会計処理問題、営業利益水増し。

日本経済新聞 5月25日づけ: 不適切な会計処理問題、インフラ、半導体、パソコンに加えてテレビ事業でも不適切と懸念される案件。

産経新聞 6月14日: 新たな不適切会計の事案が見つかる。粉飾や会社ぐるみの会計操作の疑惑も。

東洋経済オンライン 6月17日: 東芝は、今回の不適切会計問題を乗り越えられるのか。

ハフィントン・ポスト 6月11日: 証券取引等監視委員会(SESC)への内部通報で発覚したインフラや半導体分野の「不適切な会計処理」…

毎日新聞 6月21日: 不適切な会計処理をめぐって東芝が大きく揺れている。


ネットで情報あさりしていたら、ホリエモンのツイッターにあたった。
誰も粉飾ってワード使わないところが超笑える。日本のマスコミってマスゴミだって言われても仕方ねーな。

まだ不適切会計って言葉を使うところが最高にコミカルですわー。使ってて気持ち悪いって思わんのかね?

たしかにホリエモンには笑う資格がある。彼も証券取引法違反でパクられ、臭い飯を食ってきたからだ。

東芝の「不適切会計」というのが良くわからない。聞いている限りでは損失隠しを行い利益をかさ上げしたとのことだ。

それって、粉飾決算じゃないの。

「粉飾決算」の定義ってよくわからないけど、どう厳密に狭く解釈しても、粉飾決算そのものではないかと思うが。

本日の赤旗は、きわめて控えめな報道に終始している。

見出しは以下のとおり

東芝 不適切会計 倍に ―― 利益かさ上げ2千億円

1.過去に行われた営業利益のかさ上げ額が最大2千億円規模に膨らむ可能性がある。

2.6月には500億円としていたが、見直しで他部門にも問題が発見された。

3.過去5年間での連結営業利益は1兆500億円であり、その2割が水増しだったことになる。

中国株とギリシア問題で経済部はてんてこ舞いなのだろう。ただ重みはケタ違いだ。ギリシアは長い駆け引きの一つの段階にすぎない。中国株はもう少し状況を見極めないとなんとも言えない。

しかしこちらは「犯罪」だ。日本を代表する企業の、信じられないほど巨額の粉飾だ。(とは言っても、たかが国立競技場1個分だが)


とりあえず、赤旗が頼りにならないので、ネットで情報あさりする。

まずは「粉飾決算」の定義(はてなキーワード)。

不正に会計を操作することで、収支を偽装した虚偽の決算報告のこと。定められた法律に抵触した場合、刑事責任、民事責任が問われることも。過去の有名な事件として、オリンパス、ライブドア、山一證券など。

これではちょっと物足りない。

粉飾決算と法律責任

というそのものズバリの論文が見つかった。著者は輪田忠種さんという方。

東京オリンピック前後の高度成長の時代に、過剰な設備投資から粉飾決算を行い、ついには倒産という事態が相次いだ。

このため昭和46年に証券取引法が改正され、会計監査法人の賠償責任が法制化された。昭和49年には商法が改正され、監査役の地位強化が図られた。

賠償責任

商法および証券取引法では損害賠償が規定されているが、会社には無過失責任がある。担当取締役は(過剰配当額を)会社に弁済する責任がある。

商法・証券取引法上の刑事責任

商法489条では違法配当罪が規定され、5年以下の懲役または30万円以下の罰金が課せられる。

違法配当が悪意を持って行われた場合は、特別背任罪が成立する。商法486条に基づき7年以下の懲役または50万円以下の罰金。

さらに株式・社債の募集に虚偽があったので、不実文書行使罪(懲役5年以下)という罪も生じる。証券取引法上も虚偽文書提出罪が成立する。

また、本来公務員に科せられる収賄罪・贈賄罪が適用されることもある。


続きは次の記事で


クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ここのサイトの作者は、私にとってはまさにエヴァンゲリスト(伝道者)のような人です。多分私よりは10歳位若い方のようですが。

その作者が、実はジョージ・セルのフリークなのです。

こんなオード(賛辞)が書かれています。

セルはオーケストラのメンバーが常に他のメンバーの音を聞きあうことを要求しました。それは、特定のスタープレーヤーが突出した響きを聞かせることにはなんの価値も見いだしていなかったからです。
セルが求めたのは響きが完璧に均質化されたオーケストラでした。
それは、一見すると個々のプレーヤーが100点満点の精一杯の演奏をするのではなくて、少しレベルを落としてもいいので全体にバランスを大切にしたように聞こえます。
しかし、現在の再生システムでセルの演奏を聴くと、セルが求めたのはそんな生易しいものでないことが手に取るように分かります。
疑いもなく、個々の楽器は完璧に鳴りきっています。
まさにフルスイングしています。金管楽器だって力の限り吹いています。
誰一人として、まわりの様子を窺いながら「当てに」行っているような雰囲気は微塵も感じません。
それでいながら、オケ全体は極めて高い透明性を保持しています。…

セルの率いるクリーブランド管はどんなときでもフルスピードでコーナーに突っ込んでいきます。
そして、時には危ういラインで何とかクリアしているような場面も珍しくありません。しかし見るものの心を熱くする走りは決して小綺麗な走りではなく、そのような勇気と気迫あふれた走りの方です。 

うまい言い方をするものです。

なんというか、彼ほどの指揮者はいなかったか、いた。彼ほどのトレーナーはいなかったか、いた。しかし両方を兼ね備えた人はいなかった、ということになるのではないでしょうか。

ロンドン交響楽団を振ってもいいし、コンセルトヘボウでもベルリン・フィルでもいいのだが、それは他の誰かでも良い。セルとクリーブランドは一体であり、それは音楽史上の奇跡なのでしょう。

先日、外来に可愛いおばさんが来た。
頭が重い、肩こりがする、宙に浮いているようだというので血圧を測ったら180もある。さぁ、こちらは脳外科に送るかどうか判断しなければならない。
とりあえず、メイロンの点滴で時間を稼ぎながら話を聞いてみる。
彼女が話すことには、近いうち内地に行かなくてはならない。それまでになんとか治したいのだけれど…
どこに行くのかと聞いたら、群馬の館林だという。
「あそこは日本一暑いところなんです」
「そうみたいだね。それで、なんで館林に行かなくちゃならないの」
「じつは、そこが亭主の実家なんです」
と、後は堰を切ったようにしゃべり始める。どうやら私の目に好奇心が浮かんだのを見逃さなかったようだ。
こちらはお盆は旧でやるが、館林では新でやるらしい。
「去年に実家のお父さんとお母さんが次々に死んだんです。それで今度はまとめて三回忌をやるので、どうしても来てくれって言われたんです。『お父さんだけ行ったら』と言おうと思ったんですけど、さすがにそうも言えなくて…」
「うむ、そうだろうね」
「それで、『どこかホテルでもとって、法事の方は顔を出すだけにしましょう』って言ったら、お父さんも、『そうだね』ということになったんです。でも実家の方では、『たまにしかこないのにそういう訳にはいかない』と言いはるんです」
「それで、お父さんが負けてしまった?」
「そうなんです。うちの人は気が弱いんです」
原因はこれだ。
この暑いさなかに、館林まで行かなくてはならない。しかも実家に泊まらなければならない。これだけでも大変なストレスなのに、「気弱な旦那が向こうの言いなりになって、私を二の次にして」というちょっと理不尽な怒りがアドレナリンを噴出させる。
「それで、多分大丈夫だとは思うんだけど、もし血圧が上がったり、具合が悪くなったりしたら、どこかにかかるんだよ。どこか当てはあるのかい」
「えぇ、近くに獨協医大があるから」
ちょっと待てよ、獨協医大といえば栃木ではないか。だいぶ距離があるぞ。
「いえ、近いんです。館林と言っても栃木よりですから」
良く聞くと、館林というのは本人なりにわかりやすく言ったので、本当は佐野市らしい。それって、栃木よりじゃなくって、栃木じゃんか。
「館林から私鉄に乗って、いくつか行くと佐野なんです。佐野の駅からはそう遠くないんです」
たしかに北海道の人にとっては、群馬県だろうが栃木県だろうがどうでもいいことなんだけど。
というような具合で、点滴が終わる頃には血圧も下がって、なんとなしスッキリした表情で帰っていった。
よくテレビで刑事が言うでしょう。「白状しろ、はいたら楽になるぞ」って。

ついでに、こんな記事があった。館林の“ズル林”疑惑
日本一暑い街というのは嘘だ、細工をしている、という疑惑に対して、「そんなことはない。しっかり暑いぞ」という中身。いかにも暑っ苦しい話だ。

ギリシア国民投票でツィプラス政権が圧勝した。(Alexis Tsipras=Τσίπρας だからチプラスとは書きにくい)

マスコミは狼狽している。「一体この圧倒的大差をどう評価したらいいのだろう?」 と。

答えははっきりしている。見方を根本から変えなさいということだ。

サラ金業者の驥尾に付して「借金返せ」の大合唱に加わるのではなく、多重債務者を保護する立場に移りなさいということだ。生活保護の受給者に「お前が悪い」と糾弾するのではなく、とりあえず保護することを優先すべきだ。

いろいろあったとしても、とりあえず、緊急に、それが必要だ。

これまでのマスコミの評価には三つの問題がある。

ひとつはギリシアの国民目線の欠如だ。ギリシアの一般国民にしてみれば、この借金は道楽息子の作り上げた借金で、国民に直接責任はない。息子を捕まえて吐き出させればよいのだ。大体、道楽息子にカネを貸し込んだ方も悪い。これがふつうの常識だろう。

とにかく、7年間、国民は借金を払い続けてきた。いまこれ以上いじめたら死んでしまうくらい国民は困窮し、事態は切迫している。だから国民の大多数はツィプラスを支持したのだ。

マスコミはツィプラスを悪意に満ちた無責任な施政者と断じてはばからない。しかし、それは、ギリシア国民を「愚かで生きるに値しない人々」だと断じているに等しい。

そのことにいい加減に気づけよ、馬鹿者よ。

もうひとつは、「どうすれば事態を解決できるか」という主体者の立場だ。

この7年間に行われた「救済策」はことごとく失敗した。このままではギリシア人は野垂れ死にだ。「どうすればこれを救うことができるのか」、これが緊急の課題だ。この課題から目を背けることこそ、最悪の無責任だ。

「公務員天国」とか「脱税天国」とか、唾を吐きかけるのは良い。しかし彼らはすでに死ぬほどの「罰」を受けた。

いまさらに、死にかけているものを鞭打つことに何の意味があるのか。そしてその先に何があるのか。

そのことにいい加減に気づけよ、馬鹿者よ。

そしてもうひとつは、ギリシア問題をギリシア単独の問題ではなく、ユーロ危機の表現として考えることだ。裏返して言えば、ギリシアを救うことはユーロを救うことなのだ。スペイン、ポルトガル、イタリアひいてはフランスを救うことなのだ。ギリシアを救えなければ、いずれドイツ以外のすべての国は救えないことになるだろう。

ギリシアを切り捨てることは、ユーロがドイツのための通貨、無責任な通貨でしかないということを告白することだ。


最近の経過を通じて、私のブログへのアクセスも高まるかと思ったが、全然及びではない。

世間は冷たく無関心だ。

もう一度、リンクを張っておく。

欧州議会選挙をどうみるか 2014-05-30 10:47:21

欧州危機 金融危機からソブリン危機へ 2014-05-29 23:48:49

ギリシャ人いじめは間違っている 2014-05-29 22:33:42

ギリシャの若者の失業問題 2014-04-25 15:10:14

破壊的緊縮政策 2013-06-12 12:25:23

ユーロ圏失業率が12%を突破 2013-06-03 12:16:53

ギリシャ報道の明らかな誤り 2012-06-25 16:13:30

ギリシャ危機と青年 4 2012-06-19 13:41:44

ギリシャ危機と青年 3 2012-06-19 13:41:02

ギリシャ危機と青年 2 2012-06-19 13:40:06

ギリシャ危機と青年 1 2012-06-19 13:39:06

ギリシャ新民主党の「勝利」の意味 2012-06-18 23:27:09

ツィプラスとドイツ左翼党の共同声明 2012-06-04 17:22:10

フィナンシャル・タイムズがツィプラスを評価 2012-05-31 14:00:27

欧州でもっとも危険な男 ツィプラス語録 2012-05-31 12:58:47

ギリシャの離脱はありえない 2012-05-21 10:44:25

ギリシャ危機年表 2012-05-16 16:41:53

ギリシャの債務削減 2012-05-10 10:53:20

EU危機は破滅的危機ではない 2012-05-08 11:06:28

ギリシャ、何が“緊縮”されるのか 2012-02-22 16:22:01

ギリシャ危機が銀行に波及 2011-09-27 11:00:00

「ギリシャ支援」と言わないで欲しい 2011-07-26 14:07:52


柳美里さんという作家の文章が、赤旗に連載されている。「南相馬 柳美里が出会う」と題されている。

今日の一節、ひょっこり訪れた唐突感が実にうまく描かれている。
柳さんは今年4月から南相馬に住み始めたのだが、そこに…

その2日後のことです。息子を高校に送り出した後、お弁当の残りをおかずにして朝ごはんを食べていると、庭にヘルメットとマスクで顔がほとんど見えない作業員たちが踏み込んできました。わが家の庭には柵がないので、外から自由に出入りできるのです。
そして彼らはいきなり雨樋の写真を撮りはじめました。パジャマ姿の私は、箸を持ったまま彼らを見上げました。…我が家の4匹の猫たちが伸ばした首を固くして、侵入者である彼らを警戒していました。
「雨樋の写真なんか撮るより、猫の写真撮りたいなぁ」と、作業員の一人が笑いました。
「どうぞ」と反射的に言った自分の声がひどく場違いに響きました。
…「除染作業中」「道路除染作業をしています」の看板や、「農地除染」ののぼり旗のある風景は見慣れたものだったのです。
しかしそれを自分の家の中から見るとなると――、体中の体液が凍りつくような緊張を覚えました。(以下略)

さすがに作家だけあって、文章にまったくむだがない。
夏の夜の怪談ではないが、後から背中にぞ~っとくるものがある。ハンカチ落としでタッチされて、「えっ、オレかい?」という感じかな。

ムダのない文章に無駄なものをつけて、まことに相済まないが、これが「アカの除染」だとすると、にわかに差し迫った問題になる。
ある朝、どこかの担当者がやってきて、家の中外を調べていく。「かわいい猫ちゃんですね」とお愛想の一つも言って帰って行くが、家の玄関には「要除染世帯」のレッテルがべったり貼られている。
そして何事もなしに、その日が暮れていく…

なお柳美里さんはやなぎ・みさとではなく、ゆう・みりと読む。おそらく在日の人だろう。




むかし、カラヤンという名指揮者がいた。
とにかく何でもカラヤンだった。
いま、カラヤンて何がいいんだろう。
YouTubeでもいまだにカラヤンの演奏はたくさんある。
しかし、どれを聞いてもいまいちだ。
というより、「この指揮者、ホンマにうまんかなぁ」という感じだ。
ベートーベンの交響曲、ブルックナーの交響曲、メンデルスゾーン、ドヴォルザーク…何を聞いてもつまらない。
ベトーッとした演奏で、おそらく故意にだろうが出だしを外す。
ネットでカラヤンの名盤、というのを探してみた。出てくるのはチャイコフスキーかR・シュトラウス、後はオペレッタみたいな色モノだ。
けっきょく、残っていくのはそういうものばかりということか。かなり淋しい話だ。
かつてはエピック盤のB級指揮者だったジョージ・セルが、リマスターで生き返って、いまや20世紀最高の指揮者の一人となったのとは対照的な凋落ぶりだ。H.S.イッセルシュテットがこれから評価を上げて来るだろう。
ヴァントも無尽蔵と思われるコンサート録音の内容次第ではトップに上り詰める可能性がある。
3人に共通する特徴は何か。それは叩き上げの職人だということだろう。お酒で言うと大吟醸ではなく特別純米だ。だからどうしても玄人好みになってしまう。

進化と多様化をどう区別するか

進化と多様化を区別するのは、大変難しいことです。

人類をトップに据えてそこに至る過程を進化としてとらえる観点は、しばしば形而上学に陥ります。マクリーンの大脳辺縁系セオリーはその良い例でしょう。

しかし、逆にすべてをたんなる多様化と適応で説明するのも、地べたを這いまわるタダモノ論的議論にしかなりません。そこには量的増大とそれを生み出したものへの視点が欠落しているからです。

世の中には進化論的モデルで説明できる事象がたくさんあります。進化論にもとづいて仮説を立て実証する作業は、しばしば有効であり、その事実が進化論モデルの正しさを実証しているといえるでしょう。

地べたを這う実証的科学者も、研究の現場では無意識のうちに進化論を適用しているはずです。

素人の私としては、このくらいまでしか言えませんが。

量が質を規定する

藻類と葉緑体との結合によって光合成が可能となり、生命体が一気に繁殖しました。地球上で太陽エネルギーほど安定した良質のエネルギーはありません。

やがて植物は水中だけではなく地表にも進出し、地球の水と光のある所の大部分を覆うようになりました。

そのあと、植物に栄養を頼る動物が発生し、節足動物の時代が到来しました。さらに水中の節足動物から脊索動物が登場し、一部はプランクトンを食べ、さらにその一部は小魚を食べるというような食物連鎖が形成されました。

脊索動物の一部は陸上に上がり、昆虫も食物としながら別種の食物連鎖を形成していきます。

このような生物世界における食物(エネルギー)連鎖の重層化現象は、「量が質を規定」しているわけで、たんなる多様化ではなく、多層化を伴う生物界の進化といえるでしょう。

その後も地球環境は激変していくので、生命体をふくむ物質のあり方も変遷していきます。中でもとくに温度変化が重要ですが、炭酸ガスや酸素の量、オゾンの量なども影響を及ぼしていきます。

その中で、栄華を誇った動物が新たな環境に適応できずに絶滅に至る経過もあったのだろうと思います。

さまざまな生物は新たな状況に適応し、多様化し、それが成功すれば大発展を遂げることになります。これは小状況であって、生命体がその勢いを維持している時代が終わりを告げたことはありませんでした。

生命は地球エネルギーの存在の仕方

地球環境が相対的に安定するあいだ、エネルギーは運動という形を取ります。この運動は一定のサイクルで繰り返され、それは積み重ねという形で蓄積されていきます。蓄積されたエネルギーは質的変化を伴う有機化(エネルギー組成の熱力学的高度化)をもたらします。これが生命体の進化の本質だろうと思います。

この大状況の安定という条件のもとで、ジグザグとした小状況を貫徹する形で、動物は基本的には進歩してきたと言って良いのではないでしょうか。

それは生命の量の増加という形で示されています。(総細胞数の増加、DNAの増加にまで還元したほうがより明確か)

進化の大筋は多様化と適応の中に貫通している

最近、原始的な脊索生物にも人間の脳と同じ構造があることがわかってきました。そしてその発達をうながす遺伝子はすべての脊索動物で基本的に同じであることも分かって来ました。

そうなると、人間は魚に比べて進化したわけではなく、ただたんに状況に適応したに過ぎない、という見解も成り立ちうるわけです。

確かに哺乳類の最初は、爬虫類に比べさほど進化しているとはいえません。それは進化というよりは爬虫類が絶滅するような環境の激変と、それに対する適応という性格が強いのかもしれません。

脊索動物が繁栄を極めた昆虫からではなく、海中の環形動物という傍系から発生したのと似ているのかもしれません。

ただそれは進化の大枠を外れたわけではありません。生物(有機的自然)の発展という大ベクトルから見れば、一定期間回り道したにすぎないと思います。

生物学的進化は霊長類でプラトーに達した

隕石の落下に伴う気候激変で絶滅した爬虫類に代わり、リリーフ投手として登場した哺乳類が、機能的に爬虫類や,その後継としての鳥類の域に達するのは比較的最近のことではないでしょうか。

それはたかだか霊長類の時代まで遡る程度ではないでしょうか。

哺乳類、爬虫類、鳥類の脳の構造はハード的にはほとんど変わらないものだと思います。それは進化というよりは適応と多様化の範囲のものだと思います。

霊長類は集団的規律を獲得した

霊長類の最大の進化は集団的規律(ディシプリン)の獲得にあると思います。規律は魚が群れるのとは異なります。それは脳の働きです。そして脳はディシプリンの多様化のために、さまざまな形で発達してきました。これも「広い意味での生物学的進化」ですが、個体能力ではなく集団的叡智の増大による発展という意味では、生物学的進化の枠にはまらないものを持っています。

だから「生物学的進化とはいえない」という言い方もできるかもしれません。

そして意思の疎通のためのさまざまな手段を発達させ、そのために脳も巨大化していくようになります。これは進化というより適応・発展というべきかもしれません。集団化しなければ、この巨大な脳はまったく無用の長物です。

道具の使用が「手段」という概念を生み出し、それが自らの身体をも「手段」とする思考を生み出し、さらに音声を通信の手段とする思考を生むようになったのでしょう(道具の使用だけならたいていの鳥がやっています)

その傾向がはっきりとブレイク・スルーしたのが人類(ホモ属)なのだと思います。脳の発達はその結果なのであって、原因ではないと思います。

基本は進化、特殊的にディシプリン

ディシプリンを持っている動物は霊長類ばかりではありません。アリやハチなどは、他の昆虫に比べ生物学的には左程変わらないのに、みごとな社会規律を持っています。

しかしそれは自己完結的な世界に留まっており、彼らにはそれをさらなる発展のバネとするだけの能力はありませんでした。矛盾するようですが、そういう意味では脳の巨大化という積み上げ自体が進化の証であり、発展の礎になっていると言えます。

日航争議団長の山口宏弥さんには申し訳ないが、やはりパンナムは潰れるべくして潰れたと思う。
反論するからには、財務内容の経過とか示さないとダメなのだろうが、そこまでやらなくともパンナムの経営悪化の原因は明らかである。パイロットやスチュワーデスはハリウッド・スターではないのだ。
パンナムを狙い撃ちしたテロは確かにあったし、そのためにパンナムが大きな被害を被ったことも間違いない。しかしそれがなくてもパンナムはダメだっただろう。テロは崖っぷちに立ったパンナムの背中をひと押ししたにすぎない。かつてパンナムに乗った乗客の一人としてそう思う。
航空業界の競争はたしかに熾烈だ。しかしそれは、業界全体としては空前の規模拡大を遂げていることと表裏一体だ。平たく言えば、儲かるからどんどん新規参入があるし、そのために競争が厳しくなるのだ。
パンナムという偉大なノレンがあるのだから、棲み分けして、ニッチ化すれば生きる道はある。帝国ホテルになるかビジネスホテルに徹するかだ。
日航争議団としては、パンナムと串刺しにされて議論されては困るだろう。それは分かる。だからといってパンナムを弁護する必要はない。日航はちゃんと黒字を出し優良経営に転化している。パンナムとは違うのだ。
その辺は、乗っている客にはちゃんと分かるのだ。
ただ住み分けは必ず必要だ。高価格路線を取るなら、それなりの根拠を示さなければならない。有機野菜と同じで、納得すれば乗客は必ず日航を選ぶはずだ。

本日の赤旗に日航争議団長の山口宏弥さんが談話を寄せている。
見出しは「航空機がテロの対象に」というのだが、パンナム破産についての話が面白い。というより、初めて知った。
そのまま引用させてもらう。
米国のパンアメリカン航空(通称・パンナム)はかつて世界の航空界のリーダーとして、世界中に路線網を巡らせていました。
しかし、1991年に運航停止。その後、98年にふたたび経営破綻をして、会社そのものが消滅してしまいました。
米国の象徴として、軍事報復テロの標的となったことが原因の一つです。
82年、パンナム機内で爆弾が爆発する事件がありました。86年にはテログループにハイジャックされ、機内で銃撃戦となり、乗員乗客20人が死亡しました。
88年、イギリスのスコットランド上空でリビアのテロに爆破されて、乗客乗員259人が死亡し、墜落現場の住民11人も巻き添えとなりました。
パンナムは「テロの標的」というイメージが定着しました。利用客が激減し、遺族への補償金支払いなど致命的な打撃を受けました。
(以下略)
まあ、それだけではないのだろうが、少し調べてみるか。

ルネ・レイボヴィッツのベートーベン交響曲全集がいつ日本発売になったかという質問がありました。

日記をつけているわけではないので、はっきりしたことは言えませんが、多分高校1年生の冬だったと思います。したがって昭和37年の末か38年の初めではなかったでしょうか。

数ヶ月くらい前から予約していたので、多分、発売と同時だと思います。実はこの時、全国模試で県で13番の成績をとったのです。それで強引にねだって買ってもらったのです。

そうは言っても、安いから買えたのであって、決してクラスで自慢できるような買い物ではありません。健気な庶民の精一杯の宝物でした。


録音の日時は以下のごとくで間違いないと思います

1961年4~6月
 ロンドン、ウォルサムストウ・タウン・ホール(Walthamstow Town Hall)
 プロデューサー:チャールズ・ゲルハルト(ガーハート)(RCA)
 エンジニア:ケネス・E・ウィルキンスン(DECCA)

には下記のごとく記載されております。

 Without exact release date, but released in the 60s

Recorded and Manufactured Especially for Reader's Digest by the Custom Record Division of the Radio Corporation of America

Other Versions (5 of 8) View All

1. De Negen Symfonieen Van Beethoven (7xLP + Box)         RCA, Reader's Digest, Reader's Digest   M80P, RDM 20    Netherlands     1961    

2. Las 9 Sinfonias De Beethoven (7xLP + Box)      Reader's Digest, RCA    RD4-06  Spain   1962

だそうです。今の常識から言えばずいぶんスローモーな話ですが、

だとすれば、1962年という年は妥当なところでしょう。

当時の出版事情からすれば、プレスは日本で行ったのではないでしょうか。RCAのプロデュースなので、日本ビクターかと思います。

逸匠列伝で引用している以下の行は今でも憶えています。

私たちはこの不朽の名作に対して、「王侯にふさわしい考え方」をしている指揮者に偶然出会ったのである。この九つの交響曲全曲をもう一度まとめて出そうという想念はパリの歩道に面したささやかなカフェーで生まれた。
私はルネ・レイボウィッツと一緒にモーリス・ラヴェルの「ラ・ヴァルス」と「ボレロ」の録音をやっていた。二人はコーヒーを飲みながら音楽について議論を戦わしていた。話はベートーヴェンに移った。
レイボウィッツはこう言った。

「世界で一番演奏回数の多いベートーヴェンの第五の出だしのところで、ここのところの小節が一度も正確に演奏されたことがないということに気がついたことがあるかい? それからここのところと…ここのところ」
そして48時間後には彼はベートーヴェンの交響曲の中で一般に行なわれている約六百ほどの誤りをみつけ出していた。
話し合いや手紙のやりとりを6カ月つづけたのち、私たちが「俳優としての王侯」をみつけ出したことは明らかとなったので、この劇をやらない理由はもうどこにもなかった。


Rene Leibowitz with his Ford Thunderbird in Paris (1961)


Rene Leibowitz with his Ford Thunderbird in Paris (1961)


ポーランド生まれのユダヤ人で、フランスに逃げてきたら、フランスもナチに占領されてしまって、戦争中は息を潜めていた人です。このアルバムで一財産作ったのでしょう。精一杯贅沢して、おしゃれしています。

 良かったですね。

中東非核地帯構想をめぐる議論

核廃絶を目指す戦略としてはおおまかに言って二つある。一つは核廃絶そのものを正面に据えて、期限を切って交渉を開始しようとする路線であり、もうひとつは非核地帯を拡大することで、事実上核大国の手を縛っていこうとするものである。もう一つの路線として核軍縮というものもあるが、これは核廃絶へと向かうベクトルをもっておらず、その意義は数段落ちる。

非核地帯構想は東南アジア非核地帯についで、中央アジアでかなり実効性のある非核地帯条約が締結されたことで現実性を帯びるようになっている。なぜなら「非核地帯」の枠組みはその地域内での核兵器使用禁止条約としての性格を持っているからだ。

しかし残る地域での実現は困難を極める。なぜならそこには核保有国がふくまれているからである。

その中では中東地域がもっとも実現の可能性の高い地域である。なぜならこの地域には公式には核保有国はないからだ。

だからこそ、中東非核地帯構想はたんなる地域問題ではなく、反核運動の歴史の中で最大の山場、胸突八丁となっている。それが激突したのが今回の再検討会議というわけだ。

だから、相手側も必死なので、今回のNPTが前進できなかったのはある意味当然のことなのだ。さほどがっかりする必要はない。

今回の議論で、非核勢力側はかなりアメリカを追い込むことができたといえる。

イスラエルにどこまで忠義立てするのか、イランとの交渉が成功した場合、今の議論はそのまま通用するのか、アメリカ国内世論、イギリス・フランスの出方との関係もあって、今後事態が動く可能性は十分あると思う。

前の記事で
性染色体はオスなのに見た目はメス
というものが20%もいた
というのだが、それは男性仮性半陰陽ではないか? ということが気になって、少し調べてみた。
男性仮性半陰陽の1つの型である精巣性女性化症(せいそうせいじょせいかしょう)では、男性ホルモンの受容体がないので、外生殖器になる組織が男性化しません。典型的な例では、外生殖器は盲端(もうたん)におわる腟(ちつ)があり、子宮はなく、内生殖器は男性型です。二次性徴(にじせいちょう)は女性型(女性化乳房などがみられる)を示しますが、月経(げっけい)はありません。
ということなので、基本的には性ホルモンによって決まる。
そして性ホルモンの発現を決めるのは、Y染色体上のSRYという遺伝子らしい。
つまり、SRY遺伝子が発現しなければ、XY でも女性の外見を呈する可能性はあるということだ。
ただし、生殖能力はない。つまり一代で絶える。
トカゲのXYメスはどうなのだろうか。ここが問題だ。

トカゲでは気温が上がるとメスが増えるのだそうだ。
オーストラリアのグループが「ネイチャー」誌に発表された論文で明らかになった。
順を追って話すと、
対象となったトカゲはオーストラリアに野生する「フトアゴヒゲトカゲ」で、体長50センチというからかなりの大型。
これを片っ端から捕まえて、性染色体を調べた。
すると、性染色体はオスなのに見た目はメス というものが20%もいたというのだ。
報告の内容はそれだけ。
そこで、なぜそうなったのかという考察。
じつはこの現象は、実験室レベルではすでに確認されており、今回の発見は、それが自然界でも起きていることが確認されたという話だ。
それが「温度依存性決定」と呼ばれる現象である。
これは卵が孵化するときに、外気温によって雄になるか雌になるかが決まるという現象で、トカゲをふくむ爬虫類で見られるのだという。
孵化実験では、32度以上になると、性染色体が雄(XY)の場合でも雌になるのだそうだ。
「何故?」という話は分からない。

記事はここから環境問題に移行してしまう。
地球温暖化はオスを減らし、ついには種の存続に影響が出るのではないか、という話だ。

しかしその前に片付けておく話がありそうだ。
温暖化というが、32~36度というのは実は卵にとっては快適な気温ではないか。人間は出生直前までの1年近くを36度に保たれた胎内で暮らしている。
むしろ、快適化が女性化をもたらすと考えるべきかもしれない。安定した環境のもとで男性的なものは必要ない、交配によって変化をもとめる必要もない。
だから、ぎゃくに外気温32度を切ることによって、男性の“男性化”が誘発されると見るべきかもしれない。もちろん、もっと気温が低くなれば孵化は不可能となる。
要するに言いたいのは、両性への分化というのはそれ自体が厳しい生活環境に対応したものではないかということだ。種族全体としての多様性を維持発展させ、種の存続を図る機転として捉えるべきかもしれない。
とすれば女性化はその種にとって幸せなことである可能性がある。

千葉の母子家庭追い立て死事件 で千葉地裁の判決が出た。

求刑14年に対し7年の懲役という判決で、これ自体にさほど異議があるわけではない。

判決を機に、岩井記者の「事件レポート」が掲載された。これまで明らかにされなかった家族内背景が明らかになっている。ただ、記事の内容には少々不満が残る。

県の責任がほとんど追及されていないからだ。

絵に描いたような「剥奪」の経過

その代わり母親のプライバシーに関わる記載が続く。

この親子は、夫が事業に失敗し離婚したようだ。事業を立ち上げるにあたって実家にも不義理を重ね、絶縁状態になっている。

離婚後、元夫から月3万円の送金があったが、基本的にはパートで自活していた。年収は100万ほどだった。

これだけで立派に生保対象だ。

県営住宅への入居は2007年で、家賃滞納のきっかけは、11年2月からヤミ金に手を出したこと。それ以後毎月4万円の返済が始まった。

というのが経過。ほとんど絵に描いたような「剥奪」の経過だ。

記事では詳述されているが、ヤミ金などはあまり本質的ではないので省略する。

中心的事実は市の社会福祉課の対応

記事の中心的事実は以下のようになっている。

① 13年2月、母親が市役所に生活保護の相談。職員はパートの仕事を理由に申請させなかった。

② 4月、母親が市役所に行き、国保の短期証発行の相談をした。

対応した職員は母親に生活保護を勧め、隣接する社会福祉課を紹介しました。ところが、面接した職員は、生活困窮が明らかなのにもかかわらず、生活保護の説明をしただけでした。

つまり、社会福祉課はただたんにプライバシーに踏み込まなかったのではなく、明らかな保護の必要性を認識した上で、市役所窓口職員の勧告を拒否したことになる。これらの経過は、“公判のなかで明らかになった ようだ。

ところで、この事実は、事件直後に千葉日報が取材した時の市の回答とは相当異なる。

生活保護世帯であれば、市教委は社会福祉課と情報を共有する。しかし就学援助だけ受けている場合は、社会福祉課には情報は行かない。

というのが取材時の回答だ。

社会福祉課は明らかに中心的事実を隠していたことになる。嘘をついていたと言ってもいい。とくに②の状況は明らかに意図的である。

この点ではぜひ、千葉日報に追跡取材をしてもらいたいと思う。


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