今日、シンポジウムに参加した北海道の4人で感想会をやったのだが、議論している最中に、「どうもインドネシアのアルムタキさんの発言(とくに前半部分)は、インドネシアにおける“ASEAN神話”なのではないかという話になった。
一見きわめて理路整然としていて、もっともらしい「反省」も付け加えられていて、真実味を増しているが、どうも時系列的に見るとそのようには進んでこなかったのではないかと思えてくる。
具体的に言えば、ASEANがインドシナ諸国を迎え入れて、大きくその存在感を発揮し始めた時期と、インドネシアが東チモールを武力制圧していた時期は完全に一致するのである。
アルムタキさんの発言には、マレーシアとの歴史的紛争は出てくるが、そこにはスカルノの名前も、スハルトの名前も出てこない。なぜかオブラートに包まれているのである。
当然のことながら、9.30のクーデターも、共産党員100万人の大虐殺も出てこない。だからASEANをバンドン宣言と結びつけるのは難しいのである。
アルムタキさんはお見受けしたところ若い研究者である。おそらく9.30の時は生まれていないだろう。知っていて隠し立てしているのではなく、知らないのではないかと思う。
だからアルムタキさんのASEAN認識には、スカルノ時代のリアルな把握はふくまれていない、その代わりにスハルト時代に編み出された「神話」が刷り込まれているのではないかと想像する。
バンドン宣言も、スカルノも、その神話の中のフィギュアとして織り込まれているにすぎないのではないか。
そして100万のインドネシア共産党とアイジット議長の名は封印され、歴史の闇の中に閉じ込められているのではないだろうか。
ベトナムのグエン・バン・フィンさんは、控えめな態度に徹しつつも、そこのところの継承性を強調することで、間接的ながらアルムタキさんのASEAN神話を否定している。
つまり「スハルトというのは極悪非道の男だが、インドネシア解放闘争を闘ったものの一人として、曲がりなりにもバンドン精神だけは持ち続けた」という評価になるのではないだろうか。
残念ながら、「9.30事件」についてはまとめて語るべきほどのものを持ち合わせていない。
とりあえず、ウィキペディアを参照のこと。