鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2015年03月

少し調べていくうちに以下の様なことが分かってきた。

1.フーシ派というのは一言で言えば山賊集団である

北部の山岳地帯の部族で、あまり政府の言うことを聞かない集団だった。それで10年ほど前に政府軍の攻撃を受けたが、それを跳ね返してしまった。

そのときに中心になったのがフーシという人物で、彼を中心にシーア派の教えを掲げて武装集団を結成した。

それが「アラブの春」で政権が弱体化すると、機に乗じて中央進出を計った。

去年の9月に首都サヌア入りし、街の治安を勝手に取り仕切るようになった。

2.軍隊は元大統領派と現大統領派に分かれて無力化していた

「アラブの春」で失脚したサレハ独裁政権だが、軍のサレハへの忠誠心は高かった。

なぜなら軍幹部は徹底した地縁・血縁で結ばれていたからである。彼らの利害関係はサレハのそれと一致しており、ハディ政権によって人事が刷新されることを何よりも恐れていた。

だから旧来の敵であるフーシ派がサヌアで勝手なことをしても、見て見ぬふりをしていた。さらに、その一部はフーシ派と結びついてハディ政権の転覆を計った。

3.なぜハディ政権は倒されたのか

ここの情報は殆どない。

したがって想像する他ないが、フーシ派にさほどの理由があったとは思えない。田舎出の失業青年たちに政権担当能力があるとは思えない。むしろ弱体な現政権のもとで自由を満喫していたほうが良いはずだ。

だから、政権とフーシ派が衝突するような原因は、政権側にある可能性が高いと思う。

多分、サウジの意をくんだハディ大統領が自派勢力の増強に乗り出したのではないか。

もともとキタとミナミは犬猿の仲である。フーシ派も国軍のサレハ派も北部の出身だ。これに対しハディの出身地は南部、アルカイダと重なり合っている。

そこにサウジなどから潤沢な資金が入り込んだらどうだろう。フーシ派は相当の脅威を感じるのではないか。

そこでフーシ派はハディ追い出しにかかった。かなり稚拙な戦術だと思う。シーア派がこの国で権力を取っていいことなど一つもない。そのくらいだれでも分かる。

4.サウジの思惑

これから先は絵に描いたような筋書きだ。

サウジは湾岸諸国と組んでイエメン攻撃を発表した。そしてこれがスンニ対シーア派の争いであるとし、その背後にイランがいると決めつけた。イランにしてみれば「ふーん、そんなところにシーア派が居たの」くらいの話ではないか。

20日のサヌアでの同時多発テロは誰がやったかわかったものではない。これがアルカイダならさもありなんと思うが、ISISにそれ程の力があるだろうか。

サウジの国王は元国防相で、その頃からGCCの軍事同盟化への思惑があった可能性がある。原油安不況への対応としても考えられた可能性がある。

それ以上に、米国の弱体化を見て危機感を抱いた可能性がある。フーシ派の愚挙を奇貨として、自ら同盟軍の盟主となり、その力で中東の安定を図ろうと考えたのではないか。

ただ、この種の戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるのは容易ではない。どのように収拾していくかが腕の見せどころだろう。

作戦のその行方を固唾を呑んで見守っているのがイスラエルだろう。


イエメンに関しては下記のページもご参照ください

赤旗にまとまったイエメン情勢の報道(小泉特派員)が載った。

これまでイエメンといえば、旧南イエメンと北イエメンとの摩擦であり、アルカイダの拠点であり、挫折したアラブの春であり、無人機攻撃の対象であり、と断片的ながらそれなりに国際面を賑わせてきた。

今度はちょっとレベルが違う。政府が打倒され、大統領が逃げ出し、それが追い詰められているという事態だ。

しかもその主役は市民でもアルカイダでもなく、シーア派だというからびっくりだ。

一言で言えば、イエメン情勢は急展開し悪化し、「国際戦争」化しているといえる。

もともとイエメンは、「統治不能な国家」だとみなされてきた。オスマン帝国や大英帝国も悪戦苦闘した。ナセル元エジプト大統領は、1960年代のイエメン内戦で面目を失った。その後国は南北に別れ対立を続けてきた。

例によって時系列で整理する。


1986年 南イエメンで内戦となる(アデン内戦)。アリー・ナーセル前大統領派(民族派)がYSP政権(社会主義派)に対し反乱を起こすが敗退。マンスール・ハディらが北イエメンに亡命。

1990年 南北イメエンは統合を発表し、イエメン共和国が成立。北のアリー・アブドッラー・サーレハが大統領、南のアリー・サーレム・ベイド(YSP書記長)が副大統領となる。統合当時の人口は北が約900万人、南が約250万人程度。

1993年 第1回総選挙。サーレハ大統領与党が勝利。YSPは56議席で第三党に転落し、北部の部族勢力と南部のウラマー層を基盤とする改革党(イスラーハ)が第2党となる。

1993年8月 イスラーハによるYSPへの攻撃が強まる。アルベイド副大統領は職務放棄してアデンに引きこもる。

1994年5月 イエメン内戦。アデンのアルベイドが「南イエメン国」の独立を宣言するが、まもなく陥落。サーレハは南部出身で親北派のハーディーを後任副大統領に指名した。

イエメン

2004年9月 イエメン北部のシーア派武装勢力「アンサルラ」(Ansarullah)が政府軍と戦闘。以後6年間に6度闘い政府軍を跳ね返す。政府軍は指導者フシが死亡したと発表。

シーア派の中ではザイド派を呼ばれ、イランの「12イマーム派」とは異なる。元々は信仰復興運動だったが、アブドルマレク・フーシが率いるなかで、最も実力のある武装勢力の1つに変身した。

2009年11月 フシ派がサウジ領内に侵入。サウジ軍がフシを捕らえたとの報道。12月では空爆で死亡と発表。

2011年

1月 アラブの春でサレハ退陣をもとめる運動が高まりを見せる。

11月 サレハ、GCCイニシアチブを受け入れる。(ハディーへの権限移譲、挙国一致内閣、サーレハへの訴追免除など)

2011年 「アラブの春」による混乱に乗じ、フーシ派武装勢力が北部サーダ周辺の山岳地帯の支配を固める。

2012年2月 大統領選挙でハディ政権が誕生。サレハ独裁体制が終わる。ハディは「国民対話」を開始。

ハディはサレハ政権の副大統領で、さしたる国内基盤を持たず、サウジの後援のみが頼みの綱。
南部のスンニ分離独立派と北部のシーア派系「フーシ」は投票をボイコットした。

2014年

1月 包括的国民対話会議は合意文書を発表し、憲法制定と議会選挙、大統領選挙を1年以内に実施することとした。

2月 武装組織「 フシ 」が首都サヌアの北西約50キロのアムランに進出。政府軍との戦闘が始まる。

9月15日 フシがサヌア北部に進出。激しい戦闘が続く。

9.20 国連が仲介し、「全政治勢力による集中協議の末」に挙国一致内閣の樹立で合意。

9.21 フシ派部隊、首都サヌアの政府庁舎を占拠し、首相退任を迫る。政府はこれに屈服。サヌアの治安は、フーシ主導の連合部隊に置き換えられる。サレハ元大統領に忠実な軍部隊もフーシ派に協力。

2015年

1月 「アラビア半島のアルカイダ」(AQAP)を名乗るグループがパリの新聞社を襲撃する。AQAPはイエメン中部および南東部を拠点とする、南部分離派の分派とみられる。

1.22 フーシ、新憲法の内容を巡り政府と対立。大統領官邸や国営放送局を占拠する。ハディは辞意を表明。

2.06 フーシ派武装勢力が政権掌握を宣言し、議会を強制的に解散。フシを首班とする革命委員会が、暫定統治の開始を宣言。国軍はハディ派とサレハ派に分裂し動けず。

イエメン軍は、62年以来、一貫してアムラン、サナア、ダンマール出身(要するに北部のザイイディ派)の将校により支配されてきた。
サレハの私兵の如く動いてきた彼らは、ハディ政権のもとで既得権を奪われるのを恐れた。

2.21 ハーディーは辞意を撤回。クーデターを承認しないよう国際社会に求める。

3.10 サウジなどGCC5カ国が、イエメンへの空爆作戦を決定。ヨルダン、モロッコ、スーダンが戦闘機を派遣、エジプトとパキスタンが戦艦の配備を表明。イランはこれに強く反発。

3.20 サヌアでのフーシ派の集会にISISが自爆テロ。137人が死亡。

3.22 フーシ派、イエメン第3の都市タイズを制圧。ラハジ州の米軍基地の要員が撤退。

3.22 フーシ派スポークスマン、ハディ大統領がAQAPに武器を渡しており、イエメン南部がAQAPの支配下に入る恐れがあると語る。

3.25 フーシ派、アデン北方60キロのアナド空軍基地を制圧。アデンの大統領宮殿を空爆。

3.25 フーシ派がアデンを攻略。ハディ大統領はリャドに逃れる。無人機攻撃を指揮する米軍特殊部隊も退去。

3.26 GCC軍が[決意の嵐]作戦を実行。首都サヌア空港や一連の軍事施設を空爆。サウジ100機、湾岸4カ国70機、ヨルダンなどから15機が参加する大規模なもの。子供6人を含む民間人25人が死亡する。

3.26 ハディ大統領派の部隊が、南部のアナド空軍基地やアデン国際空港を奪還。サウジは地上部隊による攻撃も排除しないと述べる。

3.26 GCC5カ国が空爆の正当性を訴える共同声明。

3.26 アラブ連盟が外相会議を開催。「フーシ派への空爆はハディ大統領の要請に基づくものであり、主権に対する攻撃ではない」とし、空爆支持を表明。イラクは異論を唱え、平和的解決を主張。

3.26 イランのザリフ外相、「イエメンに対する外部からの軍事攻撃は領土保全への侵害であり、国民のさらなる流血と死をもたらす。外部からの干渉なしの緊急対話が必要だ」と語る。

3.28 アデンで終日激しい市街戦。フーシ派はアビヤン、シャブワなど南部諸州への攻撃を強める。

3.28 サウジ国防省、3日間で作戦の第1段階は目標を達成したと発表。航空機は総て破壊され、通信網も破断されたとする。

3.28 アラブ連盟首脳会議が開かれる。イエメンのハディ大統領も出席し、イランを激しく非難。空爆継続をもとめる。エジプトのシシ大統領は「アラブ合同軍」の創設を提案する。

3.30 GCC軍、北部の難民キャンプを空襲。45人が死亡(国際移住機関による)。サウジは空襲の事実を認める。


イエメンに関しては下記のページもご参照ください

2012年09月08日 

この年表は1986年までのものですが、現在のイエメンと比べる時、あまりの落差に愕然とします。まるでSFの世界です。あの英雄的プロレタリアートたちはどこに行ってしまったのでしょう。


ということで、概略を観察した後、最初の疑問に戻る。

「ラファエロに対するヴェネツィア派からの挑戦」というのが何を意味するかだ。

結局のところ良くわからない。

ルネサンスというのは美術だけで見れば、幅広くとっても1480年から1530年までの50年間だ。

このあいだにダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロという三羽烏が踵を接して登場する。ボッティチェルリというのはそれよりちょっと前の人だが、生前はそれほどの人気はなかったらしい。

なぜミラノ、フィレンツェ、ローマといった町が文化の華を開かせたのかは良くわからない。全体としては一方で東ローマが滅びでオスマントルコがヒタヒタと押し寄せていた時代だ。さほどのんきな時代ではない。

一方ではスペインがレコンキスタを完成し、キリスト教原理主義ともいうべき立場を強めた。これはオスマントルコへの危機感と重なっているだろう。

スペインは新大陸を発見し、莫大な富を背景に神聖ローマ帝国を動かし、カトリックの復権を目指した。

こういう大状況のもとで、先ほどの三都市にヴェネツィア、ジェノバを加えた諸都市が、つばぜり合いを繰り返しながらも、自治を維持していく機転がわからない。そういえばマキャベリもこの頃の人だ。

維持するどころか、空前の富をかき集め、画工を手元に置き巨大な壁画を描かせるなど贅を尽くしている。これはどうも腑に落ちない。

それで三本柱だが、もっとも若いラファエロがいろんな画家のイイトコどりをして、ルネサンス絵画を集大成したようだ。

彼は大勢の画工を雇って大量の絵をばらまいたようだ。いわば「ルネサンス絵画工場」が出来上がり、スタイルが確立されたといえる。

それで、ヴェネツィア派の話だが、その中心人物であるティツィアーノは、このフィレンツェ、ローマの栄華が終わりを迎えた頃に活動を開始している。 いわばラファエロが集大成し確立したフィレンツェ・ローマのスタイルに抵抗することなしに、自らの立場を押し出すことはできなかった。

これが「ラファエロに対するヴェネツィア派からの挑戦」ということらしい。

ティツィアーノというページ にはこう書いてある。

16世紀、ヴェネツィア派、最大の画家。イタリアのフィレンツェ・ローマとヴェネツィアの対立はそのまま、「ミケランジェロ、ラファエロの素描」と「ティツィアーノの色彩」という対立であった。

ティツィアーノは相当長生きをした人らしく、それから50年位活動している。

私の好きなカラバッジョが出てくるのは、さらに先のことになる

フェルメールの「天文学者」の写真も掲載されている。初めてお目にかかる絵だ。

ちょっと気になったのか以下の記載。ティツィアーノの絵を紹介したあと、

構図の調和、髪や肌、衣服の描写は、ルネサンス芸術の雄、ラファエロに対するヴェネツィア派からの挑戦であるかのような完成度だ。

考えてみると、私はルネサンスの歴史をあまり知らないことに気づいた。

さらに子供の頃からルネッサンスと言ってきたが、最近は跳ねないでルネサンスということが分かった。

待てよ、ルネサンスはフランス語なのだそうだ。たしかにいやらしい綴りだ。でもなぜフランス語で呼ぶのだろう。本家イタリアではどう呼んでいるのだろう、と疑問が膨らむと、やはり一度勉強しておこう

ということになる。


まずウィキペディア

ルネサンス(Renaissance)は「再生」「復活」を意味するフランス語である。古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動で、14世紀にイタリアで始まり、西欧各国に広まった。

通俗的に「復興」「再生」を指す言葉として用いられている場合、ルネッサンスと表記されることが多い。

ということで、第一の疑問は解決。次がなぜフランス語かということだが、

19世紀のフランスの歴史家ミシュレが『フランス史』第7巻(1855年)に‘Renaissance’という標題を付け、初めて学問的に使用した。

続くスイスのヤーコプ・ブルクハルトによる『イタリア・ルネサンスの文化』Die Kultur der Renaissance in Italien(1860年)によって、決定的に認知されるようになった。

とされている。比較的最近のことだ。

それでイタリア人がどう呼んでいるかだが、リナシメントということになっている。ひょっとするとフランス語からの輸入かもしれない。

歴史についてはウィキペディアは詳しくない。


再生運動の提唱者 ペトラルカ

再生運動の提唱者はペトラルカ(1304年生)のようだ。

ペトラルカは古典古代が理想の時代で、中世は暗黒時代だと考えた。そして修道院の古代文献を収集し、詩作・著述を行った

1350年頃から20年間にわたり、ヨーロッパでペストが猖獗を極める。ボッカッチョが『デカメロン』を完成させる。

1400年頃 中部・北部イタリアの諸都市の中からフィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノ、ジェノヴァが頭角を現す。逆に教皇ははローマ、アヴィニョン、ピサに分裂し弱体化。

東ローマ帝国からの亡命者

1453年に東ローマ帝国が滅亡すると、多数の知識人がイタリアへ亡命してきた。その書物や知識は古代文化の研究を活発化させた。

1455年頃、ヨハネス・グーテンベルクによる活版印刷の聖書刊行。

1470年頃 オスマントルコがギリシャ半島東岸に進出。ヴェネツィアはギリシャから撤退。

1470年頃 フェラーラのエステ家が興隆。フランドルからハインリヒ・イザーク、ジョスカン・デ・プレなど。多数の音楽家を招聘。

1480年 オスマントルコがイタリア南部に上陸するが、まもなく内紛のために撤退。

1482年、ミラノ公国がレオナルド・ダ・ヴィンチを招聘。ダヴィンチは99年までミラノに滞在。

フィレンツェ、ミラノの最盛期

1485年頃 ボッティチェリの「春」、「ヴィーナスの誕生」が描かれる。その後400年にわたり忘れられていたが、19世紀末にふたたび注目される。

1492年 ロレンツォ・デ・メディチが死去。フィレンツェの全盛期が終わる。

1494年 コロンブスの新大陸発見。

1498年 ヴァスコ・ダ・ガマ艦隊、インドのカリカットに到着。東方貿易を独占していたイタリア諸都市は緩やかに没落し始める。

ローマ、ベネツィアへの主役交代

1500年ころ ミケランジェロ、「ピエタ」、「ダヴィデ像」などを制作。その後ヴァチカンに移りシスティーナ礼拝堂天井画を描く。

1510年頃 ラファエロがフィレンツェからローマに移る。グループを形成して制作にあたる。

1513年、マキャベリが「君主論」を著す。

1517年 マルティン・ルターによる宗教改革が始まる。

1517年 ベネツィアのティツィアーノが「聖母被昇天」を制作。

1519年 ダ・ヴィンチが死去。

1520年 ラファエロが死去。ラファエロの死とともにヴェネツィアを除くイタリア美術は盛期ルネサンス様式からマニエリスム様式に漸次移行。

ローマ、フィレンツェの没落

1527年 神聖ローマ帝国軍の攻撃でローマが壊滅。この知らせを受けフィレンツェでも反メディチ派が蜂起し、メディチ家を追放。ルネサンスの終わり。

 

皆さん、どうでしょうか。

毎日の暮らし何か欲求に基づいて行動していると思いますか。わたしは違います。わたしは基本的には惰性に基づいて行動しています。

「欲求」に基づいて行動しようとすれば、相当の決意を必要とします。

たしかに給料のために生活していると言われればそのとおりですが、日常的には働くために生活しているのであって、その結果なにがしかの給料を頂戴するという感じです。

大過なく生活すること、強いて言えば、毎日働くことが一種の要求ということになります。非常にネガティブな労働環境であれば転職を考えるでしょうが…

本気で欲求実現のために行動するとなれば、ものすごい精神的エネルギーを必要とするでしょう。

高校時代、通学コースで知った女性に片想いして、もう姿を見ただけでアドレナリン全開。寝ようと思って電気を消すと、目の前に彼女の姿がドアップで広がって、でも、目鼻立ちの細かいところはまったく浮かばず。

でも結局、卒業までに一言も口も聞けないで、それっきり終わってしまった記憶ってありませんか。

いまでも、その思い出を抱きしめたくなって、ちびちびとやっています。オヤ、もうそろそろ寝なくっちゃ。

脳科学の観点から見れば、欲求は二つのカテゴリーに別れるのではなく、生物の発展にしたがって重層性をもって発展している。

最近の知見によれば、欲求の階層構成は、意外なほどに、人間固有ではなく動物すべてに共通している。

動物は自家栄養装置を放棄することで移動装置を獲得した。動物は生物の中の特殊系であり、多くの植物の存在を前提とする生命形態だ。肉食動物はその動物を食うことで生命を維持するのだから、さらに特殊な生命の存在様式だ。

動物の本態的な3点セットは捕まえること、逃げること、移動することだ。群れることも特徴だが、その意味合いは必ずしも単一ではないようだ。

これらの行動を行うために、動物は見て聞いて、判断して、動くのである。この「判断する」というのが大事で、「考える」といってもいいくらいの判断をしている。実に「一寸の虫にも五分の魂」なのである。

というわけで、動物というのは脳を持つ生物なのである。

で、脳というのはかなり初期の段階から二つの役割を果たしている。感覚を統合して判断をして運動器に伝える役割がひとつ、そしてもうひとつは生命を駆動するモーターとしての役割である。

状況に対してただ受動的に反応するだけでは動物になった意味がない。それだったら植物でもそれなりにやっている。

状況に対して立ち向かい、移動することを通じて状況を変更し、要するに能動性が動物の持ち味である。その能動性というのは、立場上というか、脳に委ねられることになる。

おそらくはその能動性というものが、欲求の原基形態なのではないだろうか。


この仕事、とてつもなく疲れる仕事で、30分と続かない。

今日はとりあえずやめておく。

この後、下位ジェネレーターとしての神経内分泌系、とりわけエンドルフィン系の話、上位ジェネレーターとしての脳内アミン系とつなげていくつもり。お楽しみに…

言葉としての「欲求」

最初に言葉の問題から言うと、欲求というのを動詞としてとらえるか名詞としてとらえるかがややこしい。

動詞としてとらえるなら、それはかなり低次の問題となる。文字通り“欲しいなと思って求める”行動である。犬でも猫でも欲求する。

もうちょっと高級になると、それらの行動の積み重ねの中から生まれてくる感情なり意識を指すことになる。

すぐ求めて行動に移るわけではないが、「ほしいな」と思う気持ちが「願望」として心の中に持続することを意味する。ただ、これだって犬や猫にもないわけじゃない。

さらに進めば、そういう心持ちを客観化して自発的な欲望として育てていこうとする意識も生まれてくる。欲望をソフィストケートして持続的・主体的な意志、たとえば「希望」へとつなげていく機転である。

このように欲求は、高次化すればするほど、具体的な動作を離れて「名詞化」されていくことになる。

「自然的欲求」と「必要な欲求」

人間の欲求には二通りある。生物としての人間が生きていくための欲求と、それに付け加えられた人間らしい社会的・文化的欲求である。

ヘラーは、この分類と特徴付けがマルクスにあっては揺れていると指摘する。

最初に引用するのが資本論の一節。

食物、衣服、暖房、住居などのような自然的欲求それ自体は、土地の気候やその他の自然的特質に応じてそれぞれに異なる。

他方、“いわゆる必要な欲求”の範囲は、その充足のさせ方と同様、それ自体が歴史的産物であるから、ほとんど土地の文化段階に左右される。

“いわゆる必要な欲求”は、とりわけまた、“自由な労働者階級”がいかなる条件のもとに形成されたかに左右される。したがって、彼らがいかなる主観や生活欲求をもって形成されてきたかに本質的に左右される。

これは労働力商品のコストを論じるところで、その必要に応じて言及されたものだ。必ずしも本質的な規定ではない。しかし有名だからという理由で、ヘラーはここから出発する。

最初から嫌な予感だ。

この文章から分かるのは、マルクスが欲求についての弁証法的理解に至っていないということである。資本論に至ってもなお弁証法的理解に至っていないとすれば、彼は生涯、欲求というものを理解していなかったかのようにも見える。

しかし彼は明らかに資本論執筆の段階で、哲学を捨象している。それは57年草稿との違いを見れば明らかだ。

だから、資本論のみで彼の欲求に対する理解を判定するのは間違いだろうと思う。

ヘラーの最初の問題意識は、欲求の体系というのは「非経済学的」なカテゴリーではないかというものである。

なるほど経済学は「需要」をあつかうが、需要というものは欲求そのものだろうか、それはある意味で「欠乏」にもとづく欲望であり、充足されれば消えてしまうものである。

資本の側は意図的に欠乏感を創りださなければならない。この“創りだされた欠乏に基づく欲求”は真の欲求だのだろうか。

疎外された欲求

ヘラーはこれを「疎外された欲求」と呼ぶ。そしていくつかのサブカテゴリーに分ける。

1.資本主義を一方において成り立たせている資本の価値増殖欲

2.分業によって生じ、分業によって押し付けられる欲求体系

3.交換の場としての市場における欲求(いわゆる需要)

4.欲求の制限と生活必需品への限定(庶民の欲求の矮小化)

5.メディアなどを通じた欲求の操作

これに対し、「マルクスは疎外されない本来の欲求のあり方とその体系を提示している」とヘラーは述べ、さまざまな部分の引用を行っている。

こういう問題意識に基づいてヘラーは議論を始動するのだが、かなりの悪戦苦闘であり、それに付き合う読者も相当しんどい思いをさせられることになる。

アグネス・ヘラーがハンナ・アーレントを批判

彼女のポストからすると、かなり言いにくいことのはずだが、言ってしまうんですね。

『人権について オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ』に収録されているアグネス・ヘラーの講義録「自然法の限界と邪悪のパラドックス」より

抜粋(HODGE’S PARROT)からの抜粋

1.邪悪は悪とは質が違う

「邪悪」は「悪」(道徳的に悪いこと)とは質的に異なるのです。

その質的な違いが際立ってきたのは現代になってからです。

悪人は不正義を忍ぶよりも、不正義をおかすことを選びます。彼は自分だけを例外とするのです。

とはいえ悪事を“正しい”といいくるめる原理を発明するわけではありません。悪人は妬みなどの情念に屈し、臆病な態度でふるまいます。

それでも彼は良心の呵責を感じることはできますし、すっかり取り乱して悔恨の情に身を委ねることもあるでしょう。

邪悪は、もっと高度な悪です。

それは精巧で一貫した「自己正当化の体系」(イデオロギー)によって成り立っています。

邪悪は、もっと高度な社会にだけ存在する悪です。人々に行動規範を選択する自由があるときにだけ、邪悪が存在するのです。それがないところでは悪行はありえますが邪悪は存在しえません。(ヘラーはカントの「格率」という用語を用いているが、分かりにくいので「行動規範」と置き換えている)

邪悪はみずから間違ったことをするわけではありません。それは邪悪を正しいといいくるめて他人を悪事に誘い込むのです。

プラトンの著作に登場するトラシュマコスやカリクレスが悪魔的なのは、彼らが悪人だからではありません。人間の善悪を区別する能力を台無しにするような行動規範を唱えるからです。彼らは間違った行動規範を正しいと見せかける強力な主張を持っています。

カントが指摘したように、邪悪は悪ではありません。邪悪は個々の人物のもつ願望や弱さに宿るのではなく、邪悪な行動規範のうちに宿るのです

2.現代における邪悪

伝統的な道徳が衰退した現代では、邪悪な行動規範はたやすく優位を占めます。

とくに全体主義は邪悪な行動規範に道徳的基礎をおきます。全体主義体制においては、「どこにでもいる人」を引き込んでいく言説が創造されますが、その基礎は、こうした邪悪な行動規範がかたちづくっているのです。

その結果、全体主義の言語を市民が話すようになり、一年前ならまず受け入れなかった行為が当然と思われるようになります。

こうした言説が、人々の「まったくその人らしからぬもの」への支持を取り付け、自分の内に取り込むのです。

このような過程を経ないとすれば、誰が自分の親を警察に密告したり、絶対に身に覚えのない罪を自白したりする義務があると思うようになるのでしょうか。

3.生来の邪悪と追随者の邪悪

全体主義が崩壊した今は、生来邪悪な者と二次感染によって邪悪になった者とを区別するのはさほどむずかしいことではなくなっています。

「生来邪悪な者」は、邪悪の行動規範を創造して、ほかの多くの人々に自分たちの原理を押しつけ、彼らの良心を磨耗させます。

「生来邪悪な者」は誤ちを認めません。みずからの原理の破綻や失敗を追随者の弱さのせいにしてしまうからです。

一方、「二次感染によって邪悪になった者」たちは、困惑し、自分の過去を書き換えようとします。彼らは、自分が手を染めた邪悪な行為を忘れてしまいます。そして、こうむった邪悪の数々だけを覚えています。

4.ハンナ・アーレントの誤ち

とにかく、こうやって、至極あっさりと、追随者たちは全体主義的自己の殻を脱ぎ捨てることができるのです。

ハンナ・アーレントにとって、邪悪が陳腐なもののように映るのは、こういう事情があるからです。

しかし、邪悪は陳腐なものとはいえません。

邪悪な者たちは、その権力基盤が崩壊してしまえば陳腐になるかもしれません。たとえそうであったとしても、流行病が去ったからといって、魂はそれだけでは癒されません。

絶望的なほど陳腐な魂は、罪の意識を感じることすらないのです。

彼らは負け馬に賭けてしまったことを悔いるだけで、良心の痛みや悔恨のために苦しむことはほとんどありません。

邪悪の行動規範は今も身近にあります。選ぶべき行動規範があり、行動規範を選ぶ自由があるうちは、邪悪の行動規範もつねに存在するのです。


「人間は考える葦である」という言葉をついおもいだしてしまいます。

デカルトが「我おもう、ゆえに我あり」というデカルトの宣言に対して、「そうばっかりじゃないよ」と批判した言葉らしいのですが、ネガティブにもポジティブにも二面に捉えられます。

たしかに人間は考えるけど「考える葦」にすぎないというふうにも取れますし、「葦」に過ぎないけど考えるし、それなりに抗うんだ、というようにも取れます。

願わくは、勁草(強き草)とならんことを…

アーレントについては下記をご参照ください。

 

アグネス・ヘラーがまだ生きていることが分かった。それどころか若者のように元気で、せっかちである。

Agnes Heller - On the Danger of Totalitarianism

というビデオがYouTubeで閲覧できる。「カクシャク」などというような生やさしいものではないド迫力だ。

彼女の名は正式にはヘッレル・アーグネシュというらしい。

ときどきタバコのみのような咳をしながら、噛み付くような早口で訛りの強い英語をしゃべっている。話の中身は残念ながらよく分からない。

ただ下記のページに話しの背景が要約されているので、おぼろげながら推察は出来る。

一橋大学大学院社会学研究科 大河内泰樹 「ハンガリー政府による学術への政治介入と哲学者への攻撃について」 2011年2月

簡単に紹介すると、

ハンガリーでは2010年4月の総選挙で右派が勝利した。彼らは半年の間に10回以上の憲法改正を繰り返し、独裁傾向を強めている。

その影響は哲学者にも及んでおり、ハンガリー科学アカデミーの哲学部門の長が解任され、さらに23人のメンバーが排除された。その中にはアグネス・ヘラーもふくまれている。

ドイツでは、ドイツ哲学会会長のニダ=リュメリンとハーバーマスが連名で、この状況についての憂慮を示す声明を発表した。

という経過らしい。

「マルクスの欲求理論」を書いた頃は、ソ連のチェコ侵略を批判して政府に睨まれ、オーストラリアに事実上の亡命をしていた。

東欧の「民主化」の後祖国に戻ったようだ。


堀川哲さんの「ニューヨークで暮らすということ」という新書版の本があって、一部がグーグルブックスで読める。

この本に「ニューヨークのヘラー先生」という章があって、このヘラー先生というのがまさにアグネス・ヘラーである。

2000年(この本の書かれた)の時点で、彼女はニューヨークのニュースクールで教鞭をとっていた。

ニュースクールというのは正式にはニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ。彼女はそこのハンナ・アーレント記念講座の教授である(またアーレントに巡りあった)

著者によると、彼女は1973年にハンガリーから国外追放された。その後オーストラリアのシドニー大学に職を求め、ついで80年代のはじめにニューヨークに移ったようだ。


すみません。引用というには少々長すぎるのですが、面白い文章があったので転載させていただきます。

研究ノート

洪世和著 米津篤八訳 『コレアン・ドライバーは、パリで眠らない』

猪股 正贋

という文章の中の一節です。

『私はパリのタクシー運転 手』 ã

をクリックすると出てきます。


ある時、祖父がわたしに話した。

書堂の先生が三兄弟を教えていた。ある日先生は三兄弟に将来の希望を順に言わせた。

長兄が大きくなったら大臣になりたいと言うと、先生は満足した表情で、それはよいと賛成した。

次兄は大きくなったら将軍になりたいと言った。先生はやはり満足した表情で、それはよい、男は大志を持たねばならんと言った。

末っ子に聞くと、ちょっと考えてから、将来の希望はさておき、大の糞が三つあったらよいのにと答えた。

表情を曇らせた先生が、なぜかと尋ねると、末っ子が言うには、自分より本を読むのが嫌いな長兄が大臣になりたいなどと大口をたたくので、大の糞を1つ食わせてやりたい、

また自分より臆病な次兄が将軍になるといって大口をたたくので、犬の糞を1つ食わせてやりたい…

そこまで言った末っ子が口ごもると、先生が顔を歪ませながら、声を張りあげた。では、最後の一つは、と。

ここまで話した祖父は、わたしに、その末っ子が何と言ったと思うかと尋ねる。

「そりゃ、先生に食べろと言ったんでしょ」

「なぜだ」

「そりゃ一番上の兄さんと二番目の兄さんのでたらめな話しを聞いて喜んだからでしょ」

「そうだ。お前の言うとおりだ。お話はそこで終わりだ。どころで、お前がその末っ子だったとすれば、書堂の先生にそのように言えるかな」

幼い私はそのとき、言える、と大声で言った。するとハラボジは、こう言った。「世和や。お前がこれから、いま言ったとおりにできなくなったら、三つ目の大の糞はお前が食わなければならないということを、忘れてはならんぞ」

私は成長していくうちに、三つ目の大の糞を私が食わなければならないということを、しばしば認めなければならなかった。

洪世和


洪世和に関しては

2014年03月17日  

2012年01月09日

をご参照ください。

石井久子「アメリカにおける労働者派遣の拡大:その実態と展望」(高崎経済大学論集という論文が、ネットで読める。

その最初の部分が面白い。


1990年代のアメリカ経済には、今までとは異なる傾向が出現した。これらは一括して「ニューエコノミー」と呼ばれる。
この時期に、グローバル化とIT(情報技術)化が急速に進行し、これが経済を牽引した。
グローバル化とIT化は企業をとりまく経営環境を激変させた。経済変化や新技術の導入の影響は、労働市場にも及んだ。
その変化は主に次の二点に要約できる。

第一に、国際競争の激化が挙げられる。

情報技術や輸送技術の進歩が、マーケットの規模拡大を可能にする。これまで保護されていたマーケットに、市場原理の波が押し寄せた。
一物一価の原則が、今までの距離を超えてグローバルに浸透し始めた。企業は組織を再編成して、フラット化したり、スリム化する。
さらに雇用ポートフォリオの見直しを行い、正社員・非正社員の組み合わせを考えて、グローバルに雇用ポートフォリオの最適化を図る。

第二に、IT革命が挙げられる。

情報技術の発達は、スピードの経済的価値をもたらす。変化する消費者のニーズを迅速にとらえ、スピーディな生産方式を選択する。
この変化に迅速に対応するため、企業は雇用ポートフォリオを容易に組み替えできるような戦略を構築する。
ITの普及はスキルの二極化をもたらす。
コンピュータ・ソフトの普及は、スキルを標準化し、特殊なスキルの必要度を低下させる。一方で、より高度なスキルが必要となる場合もある。
スキルの基準がより一般的になれば、その外部化(アウトソーシング)が可能となる。このスキルの外部化に対して、労働需要が派生する。


と、ここまでが「ニューエコノミー」が労働環境の変化をもたらしたメカニズムの説明だ。

簡潔で要を得ているように思える。

しかし企業側の都合だけが強調され、負の面の分析がやや不足しているようにも思える。

最大の問題は、グローバルな規模での雇用の空洞化だ。

「これまで保護されていたマーケット」と呼ばれる途上国、中進国では雇用のみならず産業の空洞化が生まれる。他方で「グローバルな雇用ポートフォリオの最適化」により先進国でも雇用が失われる。

さらに「一物一価の原則」は当然“労働力の価格である賃金にも、需給バランスを通じて貫徹される。したがって、おしなべて賃金の全般的低下をもたらす。

このグローバル化がもたらす負の影響に、IT化が拍車をかける構造になっている。

IT化は事務・技能労働の従来型スキルを陳旧化させる。その過程において多くの失業者が生まれる。

またIT化は事務・技能労働の単純肉体労働化をもたらす。これにより多くの事務・技能労働が代替可能となり、「労働力流動化」への抵抗力を失わせる。

これにより正規労働者の大幅な減少と、それに比べればはるかに安上がりな非正規労働者のいくぶんかの増加がもたらされた。


この正と負の両面から見るならば、かなりこの分析は本質を捉えていると言えるのではないだろうか。

すなわち、グローバリズムと情報化革命が、労働者(なかんずくホワイトカラー)の貧困化・不安定化をもたらし、一方において富裕層にさらなる富の恩恵をもたらしている という分析である。

本日の赤旗5面に「残業代ゼロ制度」に関する日弁連集会の記事が載っていた。

米国の実態が報告されたというので注目して読んだが、例えば図表が1999年のもので、イマイチの感がある。

そこで少しネットで調べることにした。

まずは「ホワイトカラー」というサイト。ただしこの解説では不足するため、注釈を挿入した。

位置づけ

最初に呼称問題に触れている。

厚生労働省労働政策審議会では、ホワイトカラー・エグゼンプションという呼び名で審議されていますが、アメリカに於いてこういう呼び方は、一般的ではありません。

そもそもアメリカではホワイトカラー労働者とブルーカラー労働者を差別してはいけないと言う、暗黙の了解があり、ホワイトカラーとは言わないことになっています。

Exemption とは、免除あるいは適用除外という意味で、労働基準法(FLSA)の適用を除外されることを示す。
 
公正労働基準法(FLSA)は、労働基準法ではなく、企業間競争の公正(Fairness)を確保する目的の法律である。(小川英郎さん)

一般的にはエグゼンプト労働者とノン・エグゼンプト労働者と読んでいます。

ノン・エグゼンプト労働者は1週間に40時間を越える労働をした場合には、残業手当として時間あたり50%増しの対価が得られます。エグゼンプト労働者とは1週間に40時間以上の労働をしても、残業手当が付きません。

適用範囲

適用範囲は3つの職種に分類されています。「管理職」「基幹事務職」「専門職」です。
 

これも不正確。米政府によるとホワイトカラーの88%が「残業料ゼロ」となっている(週刊東洋経済)
例えば、バーガーキングの副店長など、専門職・管理職といえない人たちが、割増賃金の支払い対象から合法的に除かれている。(小川さん)
管理職として除外された人は、管理業務は1%ほどで、残りの99%は商品棚の前での作業など、管理的な業務とは無関係の仕事をしています。(三浦直子弁護士)

週給455ドル以上がホワイトカラー・エグゼンプションの対象になっています。年収でみると280万円です。

週給455ドルという金額は、国際調査局が定める4人家族の貧困ライン以下の金額だ(三浦直子弁護士)

このへんから説明は怪しくなってくる。

実際にはその様な低賃金でのホワイトカラー・エグゼンプション対象者はわずかです。
 

これも不十分な記述である。1999年の統計では、全労働者の21%がエグゼンプトとされている。適用除外規定の詳細は労働長官が作成する規則に委ねられれている。(ドイツでは、適用除外の対象労働者は2%にすぎない)

別なところでは、「エグゼンプト労働者はおおむね年収が高く、最低でも500万円以上の年収があります」と書いてあるが、数字で示されているわけではない。


ネットで記事を探していると、結構イライラしてくる。

知ったかぶりのアメリカ生活者が、生活習慣や労働慣行の違いをことさらに取り上げて、ご高説を垂れるような記事ばかりだ。

だいじな数字は年収280万円以上で対象になってしまうということ。全労働者の21%が残業代ゼロを強制されているということ。ホワイトカラーの88%が「残業料ゼロ」となっていること。

聞きたいのは米国の伝統でも、ウエイ・オブ・ライフでも、ましてやあなたの感性でない。

もっと統計で、それも都合のいい数字でなく、文句のないマクロの数字で物を言って欲しい。そうでないとあなた方、アメリカでは生き抜けないのではないですか?

そのうえで、どうしてアメリカがこんなひどい状況になってしまったのか、その分析に踏み込むべきでしょう。

アグネス・ヘラーは著書「マルクスの欲求理論」の冒頭にこう書いている。

マルクスは彼の経済学研究における独創性を3つ挙げている。

1.労働者は資本家に労働ではなく労働力を売っている

2.剰余価値が本質で、利潤・利子・地代はその現象形態にすぎない

3.価値・交換価値の根底にある使用価値。価値の「意味」の発見。

彼女がこの言葉をどこから引っ張ってきたかは書かれていない。ひょっとすると彼女の創作かもしれない。

しかし、それはそれとして十分検討に値するものだ。

1.と2.は古典経済学から彼が引き継ぎ、発展させたものである。しかしそれらは3.の発見がなければ生み出されなかったものだ。

使用価値の価値たる所以は、「その特性によってな何らかの種類の人間の欲求を満足させる」ことにある。

経済学は人間の欲求をもとにしているが、「なぜ人間は欲求するのか、どう人間は欲求するのか」というのは、およそ経済学(エコノミクス)にふさわしくない哲学的・倫理学的概念である。

それを金銭づくの世界にヌッとつきだして、この得体の知れないものを含んだ広い意味での経済学を構築しようというのが、マルクスの構想だ。

人間には、自らの身を労働力として売ってまでも手に入れたい欲望というものがあるのである。

それによって資本主義経済が回っていくのである。

おそらくヘラーはそういう視点の突き出し方をしたかったのではないか。


ヘラーはルカーチの弟子で、ブタペスト大学で彼の助手を勤めた人である。

私は最近、マルクス価値転形論に対するウィーン学派の批判、さらに社会主義計算論争という二つの議論が第一次世界大戦前後のウィーンで起きていて、それにハンガリーの活動家が少なからず関わり、その双璧がポランニーとルカーチだという構図を考えている。

その中で限界効用を考えるにしても価値の実現を考えるにしても、人間の欲望という問題を抜きにしては論じられないと思う。

そもそもマルクスはそこから出発したのではないか。


率直にいって、ヘラーの本はそのような期待にこたえるほどの中身にはなっていない。ただ問題意識があちこちに振りまかれている。

もう何十年も放り投げてあった本を取り出して、読みだしているが、年寄りにはなかなかつらい作業である。

1915年パリ生まれ。10代からアルフレット・コルトー、イーヴ・ナット、ラザール・レヴィに師事。1936年にエドヴィン・フィッシャーに認められ、後にルツェルンで師事。第2次大戦以前はヨーロッパ各地で演奏活動。

その間エネスコとヴァイオリン・ソナタを共演。エコール・ノルマル、パリ音楽院で教鞭をとる傍ら演奏、録音に活動。

若くして後進の育成に精力を傾け、数少ない録音もステレオ初期までにとどまる。1979年没。

日本語ではここまで。英語まで行く気は今のところない。こないだので疲れた。

ご希望の方はReine Gianoli (Piano)

を参照のこと(長くはない)

そこでレイヌ・ジャノリのYoutubography だが

Reine Gianoli - Schumann 6 Intermezzi Op. 4

Schumann - Albumblätter, Op. 124 (Reine Gianoli)

Schumann - 3 Sonatas for the Young, Op. 118 (Reine Gianoli

Reine Gianoli plays Schumann Novellette Op. 21 No. 8

Schumann - sonata 1 op. 11, Reine Gianoli 

Schumann : Mignon, op.68

がおすすめ。 ほかはウェストミンスターのユーティリティ・プレーヤー的性格が強い。

Chopin - 19 Waltzes (Reine Gianoli)

Debussy - Preludes I & II (Reine Gianoli)

Reine Gianoli - Bach English Suite No. 2 in A minor

Ravel / Reine Gianoli, 1956: Valses Nobles Et Sentimentales

Reine Gianoli plays Ravel Sonatine

はお暇があったら程度。ただしこれらはLP初期時代には結構人気のあったディスクのようだ。ウェストミンスターだから若干安かったのかもしれない。

モーツァルトのソナタ全曲も録音しているらしい

Reine Gianoli plays Mozart Sonata in C major K.279

Reine Gianoli plays Mozart Variations in F major K. 613

これは「いまさら」盤

ロスバウト指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団とのメンデルスゾーン:ピアノ協奏曲はヒットしない。消された可能性有り。

この演奏はピアニストより指揮者ロスバウト(Hans Rosbaud)の方の印象が強烈だった。

探している内に「とんでも演奏」が見つかった。

ロスバウト指揮南西ドイツ放送の1955年の演奏でシベリウスの第2番。

Sibelius: Symphony No. 2 -Südwestfunk-Orchester/Rosbaud (1955)

小脳のメカニズムに関する簡単なレビューがあったので要約紹介する。

象を撫ぜた群盲の印象を羅列したウィキペディアよりは、はるかに分かりやすい。


平成26年10月6日 東京都医学総合研究所

小脳から大脳への出力形成メカニズム


1 大脳小脳連関とはなにか

小脳は重量では脳全体の10%にすぎませんが、1000億の神経細胞があり、大脳は約140億を大きく上回っています。近年では認知や感情などの高次脳機能にも重要な貢献をしていることが知られるようになり、極めて高度な情報処理が行われていると考えられます。

目の前のコップを掴もうとする時、腕を動かすために必要な運動指令が最初に大脳運動野とくに一次運動野で作られ、脊髄に送られると同時に、運動指令のコピーが小脳へと送られます。

小脳はその運動指令に基づいて次の瞬間の身体の状態を予想し、小脳核を通してその予想結果を大脳へと送り返します。

大脳はその予測情報を元に、更に次の瞬間の運動指令を生成します。大脳と小脳がこの様な情報のやり取りを繰り返すことにより、スムーズな運動が実現できます。

2 大脳小脳連関のメカニズム

A 大脳運動野からの入力は苔状線維によって、最初に小脳皮質の顆粒細胞に入力されます。

B 次いで顆粒細胞から、プルキンエ細胞へと信号が伝わります。プルキンエ細胞は大きな神経細胞で、非常に大きな樹状突起を通じて約20万もの平行線維入力を受け、それらの信号を統合した結果を小脳核の細胞に伝達します。

C 最後に小脳核の神経細胞で信号が統合されて大脳へ送り返されます。歯状核、中位核、室頂核がありますが、歯状核のみが極端に発達しています。

プルキンエ細胞は抑制性の細胞で、小脳核細胞の興奮性を抑えます。

ところが、運動を行うときに大脳からの入力が増加すると、プルキンエ細胞が興奮するにも関わらず、小脳核細胞は運動時に活動を大幅に増加させています。

これを細かく時系列で見ると、プルキンエ細胞は運動の直前に活動が減少し、その結果、小脳核細胞の活動が増加するという関係になっています。

これを「脱抑制」と呼びます。プルキンエ細胞は小脳核細胞に持続的に強いブレーキを掛けており、プルキンエ細胞の活動が減少すると、抑制から解放された反動で小脳核細胞が興奮するのです。

では何がプルキンエ細胞を抑制するのか。

それは小脳皮質の抑制性介在細胞であろうと考えられています。つまり小脳においては、抑制性介在細胞こそが情報処理の主役なのです。


運動指令が最初に大脳運動野とくに一次運動野で作られ、脊髄に送られると同時に、運動指令のコピーが小脳へと送られます。

というところが、小脳の本質を示している。

ようするに、アクセサリーなのだ。ある意味で“評論家”である。大脳から脊髄へとつながる命令・実行系統を脇から眺めて、あれこれ評論する。

ところが、大脳はその評論を非常に重視していて、そのフィードバックを受入て次の行動を決定するほどになっている。

脊髄とそれにつながる筋肉からすれば、あまり面白くない話だが、世の中そうなってしまったんだからしかたがない。

本来は天皇陛下の大御心に従って行動しているはずなのだが、現実には参謀本部の言うままに動かされているのが現状なのだ。

それに、そもそもが「見て、その瞬間に動く」という本来の動物的行動は、網膜→外側膝状体→脊髄という経路で機能する。それを視覚処理して、体部感覚と統合して行動に移すというまどろっこしい経路に置き換えているのが大脳だ。

つまり、そもそも大脳という存在そのものがややこしい介在者なのだ。

「この期」とは「どの期」だ

翁長知事が、およそ考えられる最強硬な手段に打って出た。

1.防衛局による海底ボーリング調査を中断せよ

2.指示に従わなければ岩礁破砕許可を取り消す

というものだ。

これに対し菅官房長官は

「この期に及んではなはだ遺憾だ」

と述べた。

ここで「この期」というのが、どういうものなのか、整理しておく必要がある。


昨年8月末、仲井真前知事が突如、海水面埋め立てのためのボーリング調査を認め、そのためにボーリング調査海域の岩礁破砕許可を出した。

hasaikyoka


その直後、沖縄防衛局が臨時制限水域(ボーリング調査実施海域)の境界を示すブイやフロートを設置した。そしてブイを固定するためのアンカーを海底に設置した。その数は約250個、1個あたりの重さは百数十キロである。

ところが、昨年10月の台風で、これらのアンカーのうち半数が、波に流され消失した。アンカーが海底を傷つけた痕跡も多数見つかった。

今年の1月、防衛局は新たにコンクリートブロックを大量に投下した。これは流されたアンカーに替わるもので、数十トンの巨大なもの。

アンカーについては説明が必要だ。境界線上にブイやフロートを設置することは違法ではない。それが違法ではないということは、ブイやフロートを固定するためにアンカーをつけることも違法ではないということだ(海底を大きく傷つける危険がないことが条件だが)。
政府側はこの点を主張している。
しかしそれらの多くは台風で流されてしまった。そこで流されないように「巨大なアンカー」をドカンドカンと投入したわけだ。問題はこれを「アンカー」と呼べるかどうかということと、海底を傷つける危険性が受容可能なレベルかどうかということになる。

その直後から、コンクリートブロックが、サンゴ礁を破壊している状況が多数観察・報告された。ブロックによって海底面が削られている場所も見つかった。いずれも岩石の掘削や土砂採取など、岩礁破砕に関する県の許可の区域外だった。

この情報を受けた沖縄県当局は独自の情報収集に乗り出した。

2月末、沖縄県は海中に投入した大型のコンクリート製ブロックが、サンゴ礁を傷つけているのを潜水調査で確認したと明らかにした。

潜水調査

2月26日、辺野古沿岸部の潜水調査を行う県の職員ら(手前)

翁長知事は「許可区域外に、無許可でコンクリートブロックが設置され、岩礁破砕行為がなされた蓋然性が高い」と認定した。そして米軍に対し立ち入り調査を要請した。

しかし米軍は、調査対象海域が臨時制限水域であり、「運用上の妨げになる」という理由で、沖縄県による調査を拒否した。沖縄防衛局は、「ブロック投入は岩礁破砕に当たらないため問題ない」と主張した。

その直後、沖縄防衛局は、台風以来中止されていたボーリング調査を再開した。

今回、翁長知事の「許可取り消し」というのは、昨年8月に仲井真前知事が出した「岩礁破砕許可」の取り消しということである。

許可取り消しの法的根拠となるのは、沖縄県の「漁業調整規則」である。これは漁業法や水産資源保護法などに裏付けられている。

この規則では「公益上の事由により県知事が指示した場合は、その指示に従う」ことが求められている。

第39条 漁業権の設定されている漁場内において岩礁を破砕し、又は土砂若しくは岩石を採取しようとする者は、知事の許可を受けなければならない。

2 前項の規定により許可を受けようとする者は、第9号様式による申請書に、当該漁場に係る漁業権を有する者の同意書を添え、知事に提出しなければならない。
3 知事は、第1項の規定により許可するに当たり、制限又は条件をつけることがある。
国がこれに対抗するとすれば、不服審査請求などを申し立てなければならなくなり、その間は工事の続行は不可能となる。(政府がこの道をとるか否かは不明だが)

つまり「この期に及んで」と言われるべきは政府の側なのだ。

すみません。
コメントには返事は書かないようにしているのですが、これだけまじめに詰め寄られると謝るほかありません。
こんばんは。非常に悪意に満ちた、貴殿のこの記事の表現に驚いて訪問させていただきました。
と申しますのは、私のシステムではバグヘッド・エンペラーによる再生音が非常に良い音だからです。

何かをお間違いになられておられるように感じております。
是非もう一度設定から見直して、再度お聴きになられますようお願い致します。
じつは、この記事には以前にもクレームがついています。その後改めてコメントをくださった方の意見に従い、ASIOで聞き直したところずいぶんいい音だということがわかり、もう一度別の記事を書いています。
Bug head emperor+ASIO は悪くない
ということで、私はけっして「非常に悪意に満ちた」人間ではありません。ただいまだにfoobarの時間分解能にしがみついているだけです。
ただその文章を消してしまうと、意図が変に受け止められかねないので、最初の記事はそのまま残しておくことにした次第です。
「S/PDIF信号・同軸で2台のフル・デジタル・アンプに送り込んでバイ・アンプで鳴らして」いらっしゃるそうで、私にはそのようなことはさっぱりわかりません。
こんな門外漢のブログ記事が世情をお騒がせしたことは、まことに申し訳なく思っております。
なお、これに関連して我ながら気になっているのは、
という記事で、素人の感想が世の中を左右することになっては困ると思っています。
私は安倍晋三ではありません。「反省だけなら猿でもできる」と言われますが、猿のレベルは維持しているつもりです。
今後ともいろいろご教示賜ればと思います.


 

前の記事で「だったら上げなさい」と書いた。私達としても関電が潰れて社員が路頭に迷うようなことがあってはいけないと思う。


ところで、気になって給料を調べてみた。いまでは便利なことに日本最大級の年収ポータルサイト「平均年収.jp」というサイトがあって、簡単に調べられる。

そこの、関西電力の年収に興味がある方のための基礎知識」というページから紹介する。

関西電力の年収は?

平成22年度版の従業員一人あたり平均年収は約945万円という噂があります(ゆかしメディア調べ)
総人件費と従業員数から算出した数字となっており、完全ではありませんがこのような上記年収となっています。

平均年収は40歳前半の800万~810万ぐらい。50代の管理職クラスになると、技術関連で1100万。経営企画で1230万となってます。
ボーナスは197万8900円程度で、「雑給」という用途不明の項目もあるようです。

秋山喜久会長は2006年に退職しましたが、退職慰労金の額はナント推定10億円でした。
関西電力は2年前、 美浜原発の事故で11人の死傷者を出した。在任中にそんな大事故を起こしていながら、『規定通り10億円もらいます』とは、呆れた話です(当時の記事から)
役員クラスでない従業員も退職金は3000~5000万ぐらいと言われます。よって、関西電力の生涯年収の総額は4億3000万程度と考えられます。

いいんですか、赤字企業がこんなにもらって。しかも赤字を出した社長は責任を取るどころか堂々と10億のゲンナマを取っていった。これって電気料金ですよね。

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