鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2015年03月

少し調べていくうちに以下の様なことが分かってきた。

1.フーシ派というのは一言で言えば山賊集団である

北部の山岳地帯の部族で、あまり政府の言うことを聞かない集団だった。それで10年ほど前に政府軍の攻撃を受けたが、それを跳ね返してしまった。

そのときに中心になったのがフーシという人物で、彼を中心にシーア派の教えを掲げて武装集団を結成した。

それが「アラブの春」で政権が弱体化すると、機に乗じて中央進出を計った。

去年の9月に首都サヌア入りし、街の治安を勝手に取り仕切るようになった。

2.軍隊は元大統領派と現大統領派に分かれて無力化していた

「アラブの春」で失脚したサレハ独裁政権だが、軍のサレハへの忠誠心は高かった。

なぜなら軍幹部は徹底した地縁・血縁で結ばれていたからである。彼らの利害関係はサレハのそれと一致しており、ハディ政権によって人事が刷新されることを何よりも恐れていた。

だから旧来の敵であるフーシ派がサヌアで勝手なことをしても、見て見ぬふりをしていた。さらに、その一部はフーシ派と結びついてハディ政権の転覆を計った。

3.なぜハディ政権は倒されたのか

ここの情報は殆どない。

したがって想像する他ないが、フーシ派にさほどの理由があったとは思えない。田舎出の失業青年たちに政権担当能力があるとは思えない。むしろ弱体な現政権のもとで自由を満喫していたほうが良いはずだ。

だから、政権とフーシ派が衝突するような原因は、政権側にある可能性が高いと思う。

多分、サウジの意をくんだハディ大統領が自派勢力の増強に乗り出したのではないか。

もともとキタとミナミは犬猿の仲である。フーシ派も国軍のサレハ派も北部の出身だ。これに対しハディの出身地は南部、アルカイダと重なり合っている。

そこにサウジなどから潤沢な資金が入り込んだらどうだろう。フーシ派は相当の脅威を感じるのではないか。

そこでフーシ派はハディ追い出しにかかった。かなり稚拙な戦術だと思う。シーア派がこの国で権力を取っていいことなど一つもない。そのくらいだれでも分かる。

4.サウジの思惑

これから先は絵に描いたような筋書きだ。

サウジは湾岸諸国と組んでイエメン攻撃を発表した。そしてこれがスンニ対シーア派の争いであるとし、その背後にイランがいると決めつけた。イランにしてみれば「ふーん、そんなところにシーア派が居たの」くらいの話ではないか。

20日のサヌアでの同時多発テロは誰がやったかわかったものではない。これがアルカイダならさもありなんと思うが、ISISにそれ程の力があるだろうか。

サウジの国王は元国防相で、その頃からGCCの軍事同盟化への思惑があった可能性がある。原油安不況への対応としても考えられた可能性がある。

それ以上に、米国の弱体化を見て危機感を抱いた可能性がある。フーシ派の愚挙を奇貨として、自ら同盟軍の盟主となり、その力で中東の安定を図ろうと考えたのではないか。

ただ、この種の戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるのは容易ではない。どのように収拾していくかが腕の見せどころだろう。

作戦のその行方を固唾を呑んで見守っているのがイスラエルだろう。


イエメンに関しては下記のページもご参照ください

赤旗にまとまったイエメン情勢の報道(小泉特派員)が載った。

これまでイエメンといえば、旧南イエメンと北イエメンとの摩擦であり、アルカイダの拠点であり、挫折したアラブの春であり、無人機攻撃の対象であり、と断片的ながらそれなりに国際面を賑わせてきた。

今度はちょっとレベルが違う。政府が打倒され、大統領が逃げ出し、それが追い詰められているという事態だ。

しかもその主役は市民でもアルカイダでもなく、シーア派だというからびっくりだ。

一言で言えば、イエメン情勢は急展開し悪化し、「国際戦争」化しているといえる。

もともとイエメンは、「統治不能な国家」だとみなされてきた。オスマン帝国や大英帝国も悪戦苦闘した。ナセル元エジプト大統領は、1960年代のイエメン内戦で面目を失った。その後国は南北に別れ対立を続けてきた。

例によって時系列で整理する。


1986年 南イエメンで内戦となる(アデン内戦)。アリー・ナーセル前大統領派(民族派)がYSP政権(社会主義派)に対し反乱を起こすが敗退。マンスール・ハディらが北イエメンに亡命。

1990年 南北イメエンは統合を発表し、イエメン共和国が成立。北のアリー・アブドッラー・サーレハが大統領、南のアリー・サーレム・ベイド(YSP書記長)が副大統領となる。統合当時の人口は北が約900万人、南が約250万人程度。

1993年 第1回総選挙。サーレハ大統領与党が勝利。YSPは56議席で第三党に転落し、北部の部族勢力と南部のウラマー層を基盤とする改革党(イスラーハ)が第2党となる。

1993年8月 イスラーハによるYSPへの攻撃が強まる。アルベイド副大統領は職務放棄してアデンに引きこもる。

1994年5月 イエメン内戦。アデンのアルベイドが「南イエメン国」の独立を宣言するが、まもなく陥落。サーレハは南部出身で親北派のハーディーを後任副大統領に指名した。

イエメン

2004年9月 イエメン北部のシーア派武装勢力「アンサルラ」(Ansarullah)が政府軍と戦闘。以後6年間に6度闘い政府軍を跳ね返す。政府軍は指導者フシが死亡したと発表。

シーア派の中ではザイド派を呼ばれ、イランの「12イマーム派」とは異なる。元々は信仰復興運動だったが、アブドルマレク・フーシが率いるなかで、最も実力のある武装勢力の1つに変身した。

2009年11月 フシ派がサウジ領内に侵入。サウジ軍がフシを捕らえたとの報道。12月では空爆で死亡と発表。

2011年

1月 アラブの春でサレハ退陣をもとめる運動が高まりを見せる。

11月 サレハ、GCCイニシアチブを受け入れる。(ハディーへの権限移譲、挙国一致内閣、サーレハへの訴追免除など)

2011年 「アラブの春」による混乱に乗じ、フーシ派武装勢力が北部サーダ周辺の山岳地帯の支配を固める。

2012年2月 大統領選挙でハディ政権が誕生。サレハ独裁体制が終わる。ハディは「国民対話」を開始。

ハディはサレハ政権の副大統領で、さしたる国内基盤を持たず、サウジの後援のみが頼みの綱。
南部のスンニ分離独立派と北部のシーア派系「フーシ」は投票をボイコットした。

2014年

1月 包括的国民対話会議は合意文書を発表し、憲法制定と議会選挙、大統領選挙を1年以内に実施することとした。

2月 武装組織「 フシ 」が首都サヌアの北西約50キロのアムランに進出。政府軍との戦闘が始まる。

9月15日 フシがサヌア北部に進出。激しい戦闘が続く。

9.20 国連が仲介し、「全政治勢力による集中協議の末」に挙国一致内閣の樹立で合意。

9.21 フシ派部隊、首都サヌアの政府庁舎を占拠し、首相退任を迫る。政府はこれに屈服。サヌアの治安は、フーシ主導の連合部隊に置き換えられる。サレハ元大統領に忠実な軍部隊もフーシ派に協力。

2015年

1月 「アラビア半島のアルカイダ」(AQAP)を名乗るグループがパリの新聞社を襲撃する。AQAPはイエメン中部および南東部を拠点とする、南部分離派の分派とみられる。

1.22 フーシ、新憲法の内容を巡り政府と対立。大統領官邸や国営放送局を占拠する。ハディは辞意を表明。

2.06 フーシ派武装勢力が政権掌握を宣言し、議会を強制的に解散。フシを首班とする革命委員会が、暫定統治の開始を宣言。国軍はハディ派とサレハ派に分裂し動けず。

イエメン軍は、62年以来、一貫してアムラン、サナア、ダンマール出身(要するに北部のザイイディ派)の将校により支配されてきた。
サレハの私兵の如く動いてきた彼らは、ハディ政権のもとで既得権を奪われるのを恐れた。

2.21 ハーディーは辞意を撤回。クーデターを承認しないよう国際社会に求める。

3.10 サウジなどGCC5カ国が、イエメンへの空爆作戦を決定。ヨルダン、モロッコ、スーダンが戦闘機を派遣、エジプトとパキスタンが戦艦の配備を表明。イランはこれに強く反発。

3.20 サヌアでのフーシ派の集会にISISが自爆テロ。137人が死亡。

3.22 フーシ派、イエメン第3の都市タイズを制圧。ラハジ州の米軍基地の要員が撤退。

3.22 フーシ派スポークスマン、ハディ大統領がAQAPに武器を渡しており、イエメン南部がAQAPの支配下に入る恐れがあると語る。

3.25 フーシ派、アデン北方60キロのアナド空軍基地を制圧。アデンの大統領宮殿を空爆。

3.25 フーシ派がアデンを攻略。ハディ大統領はリャドに逃れる。無人機攻撃を指揮する米軍特殊部隊も退去。

3.26 GCC軍が[決意の嵐]作戦を実行。首都サヌア空港や一連の軍事施設を空爆。サウジ100機、湾岸4カ国70機、ヨルダンなどから15機が参加する大規模なもの。子供6人を含む民間人25人が死亡する。

3.26 ハディ大統領派の部隊が、南部のアナド空軍基地やアデン国際空港を奪還。サウジは地上部隊による攻撃も排除しないと述べる。

3.26 GCC5カ国が空爆の正当性を訴える共同声明。

3.26 アラブ連盟が外相会議を開催。「フーシ派への空爆はハディ大統領の要請に基づくものであり、主権に対する攻撃ではない」とし、空爆支持を表明。イラクは異論を唱え、平和的解決を主張。

3.26 イランのザリフ外相、「イエメンに対する外部からの軍事攻撃は領土保全への侵害であり、国民のさらなる流血と死をもたらす。外部からの干渉なしの緊急対話が必要だ」と語る。

3.28 アデンで終日激しい市街戦。フーシ派はアビヤン、シャブワなど南部諸州への攻撃を強める。

3.28 サウジ国防省、3日間で作戦の第1段階は目標を達成したと発表。航空機は総て破壊され、通信網も破断されたとする。

3.28 アラブ連盟首脳会議が開かれる。イエメンのハディ大統領も出席し、イランを激しく非難。空爆継続をもとめる。エジプトのシシ大統領は「アラブ合同軍」の創設を提案する。

3.30 GCC軍、北部の難民キャンプを空襲。45人が死亡(国際移住機関による)。サウジは空襲の事実を認める。


イエメンに関しては下記のページもご参照ください

2012年09月08日 

この年表は1986年までのものですが、現在のイエメンと比べる時、あまりの落差に愕然とします。まるでSFの世界です。あの英雄的プロレタリアートたちはどこに行ってしまったのでしょう。


ということで、概略を観察した後、最初の疑問に戻る。

「ラファエロに対するヴェネツィア派からの挑戦」というのが何を意味するかだ。

結局のところ良くわからない。

ルネサンスというのは美術だけで見れば、幅広くとっても1480年から1530年までの50年間だ。

このあいだにダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロという三羽烏が踵を接して登場する。ボッティチェルリというのはそれよりちょっと前の人だが、生前はそれほどの人気はなかったらしい。

なぜミラノ、フィレンツェ、ローマといった町が文化の華を開かせたのかは良くわからない。全体としては一方で東ローマが滅びでオスマントルコがヒタヒタと押し寄せていた時代だ。さほどのんきな時代ではない。

一方ではスペインがレコンキスタを完成し、キリスト教原理主義ともいうべき立場を強めた。これはオスマントルコへの危機感と重なっているだろう。

スペインは新大陸を発見し、莫大な富を背景に神聖ローマ帝国を動かし、カトリックの復権を目指した。

こういう大状況のもとで、先ほどの三都市にヴェネツィア、ジェノバを加えた諸都市が、つばぜり合いを繰り返しながらも、自治を維持していく機転がわからない。そういえばマキャベリもこの頃の人だ。

維持するどころか、空前の富をかき集め、画工を手元に置き巨大な壁画を描かせるなど贅を尽くしている。これはどうも腑に落ちない。

それで三本柱だが、もっとも若いラファエロがいろんな画家のイイトコどりをして、ルネサンス絵画を集大成したようだ。

彼は大勢の画工を雇って大量の絵をばらまいたようだ。いわば「ルネサンス絵画工場」が出来上がり、スタイルが確立されたといえる。

それで、ヴェネツィア派の話だが、その中心人物であるティツィアーノは、このフィレンツェ、ローマの栄華が終わりを迎えた頃に活動を開始している。 いわばラファエロが集大成し確立したフィレンツェ・ローマのスタイルに抵抗することなしに、自らの立場を押し出すことはできなかった。

これが「ラファエロに対するヴェネツィア派からの挑戦」ということらしい。

ティツィアーノというページ にはこう書いてある。

16世紀、ヴェネツィア派、最大の画家。イタリアのフィレンツェ・ローマとヴェネツィアの対立はそのまま、「ミケランジェロ、ラファエロの素描」と「ティツィアーノの色彩」という対立であった。

ティツィアーノは相当長生きをした人らしく、それから50年位活動している。

私の好きなカラバッジョが出てくるのは、さらに先のことになる

フェルメールの「天文学者」の写真も掲載されている。初めてお目にかかる絵だ。

ちょっと気になったのか以下の記載。ティツィアーノの絵を紹介したあと、

構図の調和、髪や肌、衣服の描写は、ルネサンス芸術の雄、ラファエロに対するヴェネツィア派からの挑戦であるかのような完成度だ。

考えてみると、私はルネサンスの歴史をあまり知らないことに気づいた。

さらに子供の頃からルネッサンスと言ってきたが、最近は跳ねないでルネサンスということが分かった。

待てよ、ルネサンスはフランス語なのだそうだ。たしかにいやらしい綴りだ。でもなぜフランス語で呼ぶのだろう。本家イタリアではどう呼んでいるのだろう、と疑問が膨らむと、やはり一度勉強しておこう

ということになる。


まずウィキペディア

ルネサンス(Renaissance)は「再生」「復活」を意味するフランス語である。古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動で、14世紀にイタリアで始まり、西欧各国に広まった。

通俗的に「復興」「再生」を指す言葉として用いられている場合、ルネッサンスと表記されることが多い。

ということで、第一の疑問は解決。次がなぜフランス語かということだが、

19世紀のフランスの歴史家ミシュレが『フランス史』第7巻(1855年)に‘Renaissance’という標題を付け、初めて学問的に使用した。

続くスイスのヤーコプ・ブルクハルトによる『イタリア・ルネサンスの文化』Die Kultur der Renaissance in Italien(1860年)によって、決定的に認知されるようになった。

とされている。比較的最近のことだ。

それでイタリア人がどう呼んでいるかだが、リナシメントということになっている。ひょっとするとフランス語からの輸入かもしれない。

歴史についてはウィキペディアは詳しくない。


再生運動の提唱者 ペトラルカ

再生運動の提唱者はペトラルカ(1304年生)のようだ。

ペトラルカは古典古代が理想の時代で、中世は暗黒時代だと考えた。そして修道院の古代文献を収集し、詩作・著述を行った

1350年頃から20年間にわたり、ヨーロッパでペストが猖獗を極める。ボッカッチョが『デカメロン』を完成させる。

1400年頃 中部・北部イタリアの諸都市の中からフィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノ、ジェノヴァが頭角を現す。逆に教皇ははローマ、アヴィニョン、ピサに分裂し弱体化。

東ローマ帝国からの亡命者

1453年に東ローマ帝国が滅亡すると、多数の知識人がイタリアへ亡命してきた。その書物や知識は古代文化の研究を活発化させた。

1455年頃、ヨハネス・グーテンベルクによる活版印刷の聖書刊行。

1470年頃 オスマントルコがギリシャ半島東岸に進出。ヴェネツィアはギリシャから撤退。

1470年頃 フェラーラのエステ家が興隆。フランドルからハインリヒ・イザーク、ジョスカン・デ・プレなど。多数の音楽家を招聘。

1480年 オスマントルコがイタリア南部に上陸するが、まもなく内紛のために撤退。

1482年、ミラノ公国がレオナルド・ダ・ヴィンチを招聘。ダヴィンチは99年までミラノに滞在。

フィレンツェ、ミラノの最盛期

1485年頃 ボッティチェリの「春」、「ヴィーナスの誕生」が描かれる。その後400年にわたり忘れられていたが、19世紀末にふたたび注目される。

1492年 ロレンツォ・デ・メディチが死去。フィレンツェの全盛期が終わる。

1494年 コロンブスの新大陸発見。

1498年 ヴァスコ・ダ・ガマ艦隊、インドのカリカットに到着。東方貿易を独占していたイタリア諸都市は緩やかに没落し始める。

ローマ、ベネツィアへの主役交代

1500年ころ ミケランジェロ、「ピエタ」、「ダヴィデ像」などを制作。その後ヴァチカンに移りシスティーナ礼拝堂天井画を描く。

1510年頃 ラファエロがフィレンツェからローマに移る。グループを形成して制作にあたる。

1513年、マキャベリが「君主論」を著す。

1517年 マルティン・ルターによる宗教改革が始まる。

1517年 ベネツィアのティツィアーノが「聖母被昇天」を制作。

1519年 ダ・ヴィンチが死去。

1520年 ラファエロが死去。ラファエロの死とともにヴェネツィアを除くイタリア美術は盛期ルネサンス様式からマニエリスム様式に漸次移行。

ローマ、フィレンツェの没落

1527年 神聖ローマ帝国軍の攻撃でローマが壊滅。この知らせを受けフィレンツェでも反メディチ派が蜂起し、メディチ家を追放。ルネサンスの終わり。

 

皆さん、どうでしょうか。

毎日の暮らし何か欲求に基づいて行動していると思いますか。わたしは違います。わたしは基本的には惰性に基づいて行動しています。

「欲求」に基づいて行動しようとすれば、相当の決意を必要とします。

たしかに給料のために生活していると言われればそのとおりですが、日常的には働くために生活しているのであって、その結果なにがしかの給料を頂戴するという感じです。

大過なく生活すること、強いて言えば、毎日働くことが一種の要求ということになります。非常にネガティブな労働環境であれば転職を考えるでしょうが…

本気で欲求実現のために行動するとなれば、ものすごい精神的エネルギーを必要とするでしょう。

高校時代、通学コースで知った女性に片想いして、もう姿を見ただけでアドレナリン全開。寝ようと思って電気を消すと、目の前に彼女の姿がドアップで広がって、でも、目鼻立ちの細かいところはまったく浮かばず。

でも結局、卒業までに一言も口も聞けないで、それっきり終わってしまった記憶ってありませんか。

いまでも、その思い出を抱きしめたくなって、ちびちびとやっています。オヤ、もうそろそろ寝なくっちゃ。

脳科学の観点から見れば、欲求は二つのカテゴリーに別れるのではなく、生物の発展にしたがって重層性をもって発展している。

最近の知見によれば、欲求の階層構成は、意外なほどに、人間固有ではなく動物すべてに共通している。

動物は自家栄養装置を放棄することで移動装置を獲得した。動物は生物の中の特殊系であり、多くの植物の存在を前提とする生命形態だ。肉食動物はその動物を食うことで生命を維持するのだから、さらに特殊な生命の存在様式だ。

動物の本態的な3点セットは捕まえること、逃げること、移動することだ。群れることも特徴だが、その意味合いは必ずしも単一ではないようだ。

これらの行動を行うために、動物は見て聞いて、判断して、動くのである。この「判断する」というのが大事で、「考える」といってもいいくらいの判断をしている。実に「一寸の虫にも五分の魂」なのである。

というわけで、動物というのは脳を持つ生物なのである。

で、脳というのはかなり初期の段階から二つの役割を果たしている。感覚を統合して判断をして運動器に伝える役割がひとつ、そしてもうひとつは生命を駆動するモーターとしての役割である。

状況に対してただ受動的に反応するだけでは動物になった意味がない。それだったら植物でもそれなりにやっている。

状況に対して立ち向かい、移動することを通じて状況を変更し、要するに能動性が動物の持ち味である。その能動性というのは、立場上というか、脳に委ねられることになる。

おそらくはその能動性というものが、欲求の原基形態なのではないだろうか。


この仕事、とてつもなく疲れる仕事で、30分と続かない。

今日はとりあえずやめておく。

この後、下位ジェネレーターとしての神経内分泌系、とりわけエンドルフィン系の話、上位ジェネレーターとしての脳内アミン系とつなげていくつもり。お楽しみに…

言葉としての「欲求」

最初に言葉の問題から言うと、欲求というのを動詞としてとらえるか名詞としてとらえるかがややこしい。

動詞としてとらえるなら、それはかなり低次の問題となる。文字通り“欲しいなと思って求める”行動である。犬でも猫でも欲求する。

もうちょっと高級になると、それらの行動の積み重ねの中から生まれてくる感情なり意識を指すことになる。

すぐ求めて行動に移るわけではないが、「ほしいな」と思う気持ちが「願望」として心の中に持続することを意味する。ただ、これだって犬や猫にもないわけじゃない。

さらに進めば、そういう心持ちを客観化して自発的な欲望として育てていこうとする意識も生まれてくる。欲望をソフィストケートして持続的・主体的な意志、たとえば「希望」へとつなげていく機転である。

このように欲求は、高次化すればするほど、具体的な動作を離れて「名詞化」されていくことになる。

「自然的欲求」と「必要な欲求」

人間の欲求には二通りある。生物としての人間が生きていくための欲求と、それに付け加えられた人間らしい社会的・文化的欲求である。

ヘラーは、この分類と特徴付けがマルクスにあっては揺れていると指摘する。

最初に引用するのが資本論の一節。

食物、衣服、暖房、住居などのような自然的欲求それ自体は、土地の気候やその他の自然的特質に応じてそれぞれに異なる。

他方、“いわゆる必要な欲求”の範囲は、その充足のさせ方と同様、それ自体が歴史的産物であるから、ほとんど土地の文化段階に左右される。

“いわゆる必要な欲求”は、とりわけまた、“自由な労働者階級”がいかなる条件のもとに形成されたかに左右される。したがって、彼らがいかなる主観や生活欲求をもって形成されてきたかに本質的に左右される。

これは労働力商品のコストを論じるところで、その必要に応じて言及されたものだ。必ずしも本質的な規定ではない。しかし有名だからという理由で、ヘラーはここから出発する。

最初から嫌な予感だ。

この文章から分かるのは、マルクスが欲求についての弁証法的理解に至っていないということである。資本論に至ってもなお弁証法的理解に至っていないとすれば、彼は生涯、欲求というものを理解していなかったかのようにも見える。

しかし彼は明らかに資本論執筆の段階で、哲学を捨象している。それは57年草稿との違いを見れば明らかだ。

だから、資本論のみで彼の欲求に対する理解を判定するのは間違いだろうと思う。

ヘラーの最初の問題意識は、欲求の体系というのは「非経済学的」なカテゴリーではないかというものである。

なるほど経済学は「需要」をあつかうが、需要というものは欲求そのものだろうか、それはある意味で「欠乏」にもとづく欲望であり、充足されれば消えてしまうものである。

資本の側は意図的に欠乏感を創りださなければならない。この“創りだされた欠乏に基づく欲求”は真の欲求だのだろうか。

疎外された欲求

ヘラーはこれを「疎外された欲求」と呼ぶ。そしていくつかのサブカテゴリーに分ける。

1.資本主義を一方において成り立たせている資本の価値増殖欲

2.分業によって生じ、分業によって押し付けられる欲求体系

3.交換の場としての市場における欲求(いわゆる需要)

4.欲求の制限と生活必需品への限定(庶民の欲求の矮小化)

5.メディアなどを通じた欲求の操作

これに対し、「マルクスは疎外されない本来の欲求のあり方とその体系を提示している」とヘラーは述べ、さまざまな部分の引用を行っている。

こういう問題意識に基づいてヘラーは議論を始動するのだが、かなりの悪戦苦闘であり、それに付き合う読者も相当しんどい思いをさせられることになる。

アグネス・ヘラーがハンナ・アーレントを批判

彼女のポストからすると、かなり言いにくいことのはずだが、言ってしまうんですね。

『人権について オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ』に収録されているアグネス・ヘラーの講義録「自然法の限界と邪悪のパラドックス」より

抜粋(HODGE’S PARROT)からの抜粋

1.邪悪は悪とは質が違う

「邪悪」は「悪」(道徳的に悪いこと)とは質的に異なるのです。

その質的な違いが際立ってきたのは現代になってからです。

悪人は不正義を忍ぶよりも、不正義をおかすことを選びます。彼は自分だけを例外とするのです。

とはいえ悪事を“正しい”といいくるめる原理を発明するわけではありません。悪人は妬みなどの情念に屈し、臆病な態度でふるまいます。

それでも彼は良心の呵責を感じることはできますし、すっかり取り乱して悔恨の情に身を委ねることもあるでしょう。

邪悪は、もっと高度な悪です。

それは精巧で一貫した「自己正当化の体系」(イデオロギー)によって成り立っています。

邪悪は、もっと高度な社会にだけ存在する悪です。人々に行動規範を選択する自由があるときにだけ、邪悪が存在するのです。それがないところでは悪行はありえますが邪悪は存在しえません。(ヘラーはカントの「格率」という用語を用いているが、分かりにくいので「行動規範」と置き換えている)

邪悪はみずから間違ったことをするわけではありません。それは邪悪を正しいといいくるめて他人を悪事に誘い込むのです。

プラトンの著作に登場するトラシュマコスやカリクレスが悪魔的なのは、彼らが悪人だからではありません。人間の善悪を区別する能力を台無しにするような行動規範を唱えるからです。彼らは間違った行動規範を正しいと見せかける強力な主張を持っています。

カントが指摘したように、邪悪は悪ではありません。邪悪は個々の人物のもつ願望や弱さに宿るのではなく、邪悪な行動規範のうちに宿るのです

2.現代における邪悪

伝統的な道徳が衰退した現代では、邪悪な行動規範はたやすく優位を占めます。

とくに全体主義は邪悪な行動規範に道徳的基礎をおきます。全体主義体制においては、「どこにでもいる人」を引き込んでいく言説が創造されますが、その基礎は、こうした邪悪な行動規範がかたちづくっているのです。

その結果、全体主義の言語を市民が話すようになり、一年前ならまず受け入れなかった行為が当然と思われるようになります。

こうした言説が、人々の「まったくその人らしからぬもの」への支持を取り付け、自分の内に取り込むのです。

このような過程を経ないとすれば、誰が自分の親を警察に密告したり、絶対に身に覚えのない罪を自白したりする義務があると思うようになるのでしょうか。

3.生来の邪悪と追随者の邪悪

全体主義が崩壊した今は、生来邪悪な者と二次感染によって邪悪になった者とを区別するのはさほどむずかしいことではなくなっています。

「生来邪悪な者」は、邪悪の行動規範を創造して、ほかの多くの人々に自分たちの原理を押しつけ、彼らの良心を磨耗させます。

「生来邪悪な者」は誤ちを認めません。みずからの原理の破綻や失敗を追随者の弱さのせいにしてしまうからです。

一方、「二次感染によって邪悪になった者」たちは、困惑し、自分の過去を書き換えようとします。彼らは、自分が手を染めた邪悪な行為を忘れてしまいます。そして、こうむった邪悪の数々だけを覚えています。

4.ハンナ・アーレントの誤ち

とにかく、こうやって、至極あっさりと、追随者たちは全体主義的自己の殻を脱ぎ捨てることができるのです。

ハンナ・アーレントにとって、邪悪が陳腐なもののように映るのは、こういう事情があるからです。

しかし、邪悪は陳腐なものとはいえません。

邪悪な者たちは、その権力基盤が崩壊してしまえば陳腐になるかもしれません。たとえそうであったとしても、流行病が去ったからといって、魂はそれだけでは癒されません。

絶望的なほど陳腐な魂は、罪の意識を感じることすらないのです。

彼らは負け馬に賭けてしまったことを悔いるだけで、良心の痛みや悔恨のために苦しむことはほとんどありません。

邪悪の行動規範は今も身近にあります。選ぶべき行動規範があり、行動規範を選ぶ自由があるうちは、邪悪の行動規範もつねに存在するのです。


「人間は考える葦である」という言葉をついおもいだしてしまいます。

デカルトが「我おもう、ゆえに我あり」というデカルトの宣言に対して、「そうばっかりじゃないよ」と批判した言葉らしいのですが、ネガティブにもポジティブにも二面に捉えられます。

たしかに人間は考えるけど「考える葦」にすぎないというふうにも取れますし、「葦」に過ぎないけど考えるし、それなりに抗うんだ、というようにも取れます。

願わくは、勁草(強き草)とならんことを…

アーレントについては下記をご参照ください。

 

アグネス・ヘラーがまだ生きていることが分かった。それどころか若者のように元気で、せっかちである。

Agnes Heller - On the Danger of Totalitarianism

というビデオがYouTubeで閲覧できる。「カクシャク」などというような生やさしいものではないド迫力だ。

彼女の名は正式にはヘッレル・アーグネシュというらしい。

ときどきタバコのみのような咳をしながら、噛み付くような早口で訛りの強い英語をしゃべっている。話の中身は残念ながらよく分からない。

ただ下記のページに話しの背景が要約されているので、おぼろげながら推察は出来る。

一橋大学大学院社会学研究科 大河内泰樹 「ハンガリー政府による学術への政治介入と哲学者への攻撃について」 2011年2月

簡単に紹介すると、

ハンガリーでは2010年4月の総選挙で右派が勝利した。彼らは半年の間に10回以上の憲法改正を繰り返し、独裁傾向を強めている。

その影響は哲学者にも及んでおり、ハンガリー科学アカデミーの哲学部門の長が解任され、さらに23人のメンバーが排除された。その中にはアグネス・ヘラーもふくまれている。

ドイツでは、ドイツ哲学会会長のニダ=リュメリンとハーバーマスが連名で、この状況についての憂慮を示す声明を発表した。

という経過らしい。

「マルクスの欲求理論」を書いた頃は、ソ連のチェコ侵略を批判して政府に睨まれ、オーストラリアに事実上の亡命をしていた。

東欧の「民主化」の後祖国に戻ったようだ。


堀川哲さんの「ニューヨークで暮らすということ」という新書版の本があって、一部がグーグルブックスで読める。

この本に「ニューヨークのヘラー先生」という章があって、このヘラー先生というのがまさにアグネス・ヘラーである。

2000年(この本の書かれた)の時点で、彼女はニューヨークのニュースクールで教鞭をとっていた。

ニュースクールというのは正式にはニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ。彼女はそこのハンナ・アーレント記念講座の教授である(またアーレントに巡りあった)

著者によると、彼女は1973年にハンガリーから国外追放された。その後オーストラリアのシドニー大学に職を求め、ついで80年代のはじめにニューヨークに移ったようだ。


すみません。引用というには少々長すぎるのですが、面白い文章があったので転載させていただきます。

研究ノート

洪世和著 米津篤八訳 『コレアン・ドライバーは、パリで眠らない』

猪股 正贋

という文章の中の一節です。

『私はパリのタクシー運転 手』 ã

をクリックすると出てきます。


ある時、祖父がわたしに話した。

書堂の先生が三兄弟を教えていた。ある日先生は三兄弟に将来の希望を順に言わせた。

長兄が大きくなったら大臣になりたいと言うと、先生は満足した表情で、それはよいと賛成した。

次兄は大きくなったら将軍になりたいと言った。先生はやはり満足した表情で、それはよい、男は大志を持たねばならんと言った。

末っ子に聞くと、ちょっと考えてから、将来の希望はさておき、大の糞が三つあったらよいのにと答えた。

表情を曇らせた先生が、なぜかと尋ねると、末っ子が言うには、自分より本を読むのが嫌いな長兄が大臣になりたいなどと大口をたたくので、大の糞を1つ食わせてやりたい、

また自分より臆病な次兄が将軍になるといって大口をたたくので、犬の糞を1つ食わせてやりたい…

そこまで言った末っ子が口ごもると、先生が顔を歪ませながら、声を張りあげた。では、最後の一つは、と。

ここまで話した祖父は、わたしに、その末っ子が何と言ったと思うかと尋ねる。

「そりゃ、先生に食べろと言ったんでしょ」

「なぜだ」

「そりゃ一番上の兄さんと二番目の兄さんのでたらめな話しを聞いて喜んだからでしょ」

「そうだ。お前の言うとおりだ。お話はそこで終わりだ。どころで、お前がその末っ子だったとすれば、書堂の先生にそのように言えるかな」

幼い私はそのとき、言える、と大声で言った。するとハラボジは、こう言った。「世和や。お前がこれから、いま言ったとおりにできなくなったら、三つ目の大の糞はお前が食わなければならないということを、忘れてはならんぞ」

私は成長していくうちに、三つ目の大の糞を私が食わなければならないということを、しばしば認めなければならなかった。

洪世和


洪世和に関しては

2014年03月17日  

2012年01月09日

をご参照ください。

石井久子「アメリカにおける労働者派遣の拡大:その実態と展望」(高崎経済大学論集という論文が、ネットで読める。

その最初の部分が面白い。


1990年代のアメリカ経済には、今までとは異なる傾向が出現した。これらは一括して「ニューエコノミー」と呼ばれる。
この時期に、グローバル化とIT(情報技術)化が急速に進行し、これが経済を牽引した。
グローバル化とIT化は企業をとりまく経営環境を激変させた。経済変化や新技術の導入の影響は、労働市場にも及んだ。
その変化は主に次の二点に要約できる。

第一に、国際競争の激化が挙げられる。

情報技術や輸送技術の進歩が、マーケットの規模拡大を可能にする。これまで保護されていたマーケットに、市場原理の波が押し寄せた。
一物一価の原則が、今までの距離を超えてグローバルに浸透し始めた。企業は組織を再編成して、フラット化したり、スリム化する。
さらに雇用ポートフォリオの見直しを行い、正社員・非正社員の組み合わせを考えて、グローバルに雇用ポートフォリオの最適化を図る。

第二に、IT革命が挙げられる。

情報技術の発達は、スピードの経済的価値をもたらす。変化する消費者のニーズを迅速にとらえ、スピーディな生産方式を選択する。
この変化に迅速に対応するため、企業は雇用ポートフォリオを容易に組み替えできるような戦略を構築する。
ITの普及はスキルの二極化をもたらす。
コンピュータ・ソフトの普及は、スキルを標準化し、特殊なスキルの必要度を低下させる。一方で、より高度なスキルが必要となる場合もある。
スキルの基準がより一般的になれば、その外部化(アウトソーシング)が可能となる。このスキルの外部化に対して、労働需要が派生する。


と、ここまでが「ニューエコノミー」が労働環境の変化をもたらしたメカニズムの説明だ。

簡潔で要を得ているように思える。

しかし企業側の都合だけが強調され、負の面の分析がやや不足しているようにも思える。

最大の問題は、グローバルな規模での雇用の空洞化だ。

「これまで保護されていたマーケット」と呼ばれる途上国、中進国では雇用のみならず産業の空洞化が生まれる。他方で「グローバルな雇用ポートフォリオの最適化」により先進国でも雇用が失われる。

さらに「一物一価の原則」は当然“労働力の価格である賃金にも、需給バランスを通じて貫徹される。したがって、おしなべて賃金の全般的低下をもたらす。

このグローバル化がもたらす負の影響に、IT化が拍車をかける構造になっている。

IT化は事務・技能労働の従来型スキルを陳旧化させる。その過程において多くの失業者が生まれる。

またIT化は事務・技能労働の単純肉体労働化をもたらす。これにより多くの事務・技能労働が代替可能となり、「労働力流動化」への抵抗力を失わせる。

これにより正規労働者の大幅な減少と、それに比べればはるかに安上がりな非正規労働者のいくぶんかの増加がもたらされた。


この正と負の両面から見るならば、かなりこの分析は本質を捉えていると言えるのではないだろうか。

すなわち、グローバリズムと情報化革命が、労働者(なかんずくホワイトカラー)の貧困化・不安定化をもたらし、一方において富裕層にさらなる富の恩恵をもたらしている という分析である。

本日の赤旗5面に「残業代ゼロ制度」に関する日弁連集会の記事が載っていた。

米国の実態が報告されたというので注目して読んだが、例えば図表が1999年のもので、イマイチの感がある。

そこで少しネットで調べることにした。

まずは「ホワイトカラー」というサイト。ただしこの解説では不足するため、注釈を挿入した。

位置づけ

最初に呼称問題に触れている。

厚生労働省労働政策審議会では、ホワイトカラー・エグゼンプションという呼び名で審議されていますが、アメリカに於いてこういう呼び方は、一般的ではありません。

そもそもアメリカではホワイトカラー労働者とブルーカラー労働者を差別してはいけないと言う、暗黙の了解があり、ホワイトカラーとは言わないことになっています。

Exemption とは、免除あるいは適用除外という意味で、労働基準法(FLSA)の適用を除外されることを示す。
 
公正労働基準法(FLSA)は、労働基準法ではなく、企業間競争の公正(Fairness)を確保する目的の法律である。(小川英郎さん)

一般的にはエグゼンプト労働者とノン・エグゼンプト労働者と読んでいます。

ノン・エグゼンプト労働者は1週間に40時間を越える労働をした場合には、残業手当として時間あたり50%増しの対価が得られます。エグゼンプト労働者とは1週間に40時間以上の労働をしても、残業手当が付きません。

適用範囲

適用範囲は3つの職種に分類されています。「管理職」「基幹事務職」「専門職」です。
 

これも不正確。米政府によるとホワイトカラーの88%が「残業料ゼロ」となっている(週刊東洋経済)
例えば、バーガーキングの副店長など、専門職・管理職といえない人たちが、割増賃金の支払い対象から合法的に除かれている。(小川さん)
管理職として除外された人は、管理業務は1%ほどで、残りの99%は商品棚の前での作業など、管理的な業務とは無関係の仕事をしています。(三浦直子弁護士)

週給455ドル以上がホワイトカラー・エグゼンプションの対象になっています。年収でみると280万円です。

週給455ドルという金額は、国際調査局が定める4人家族の貧困ライン以下の金額だ(三浦直子弁護士)

このへんから説明は怪しくなってくる。

実際にはその様な低賃金でのホワイトカラー・エグゼンプション対象者はわずかです。
 

これも不十分な記述である。1999年の統計では、全労働者の21%がエグゼンプトとされている。適用除外規定の詳細は労働長官が作成する規則に委ねられれている。(ドイツでは、適用除外の対象労働者は2%にすぎない)

別なところでは、「エグゼンプト労働者はおおむね年収が高く、最低でも500万円以上の年収があります」と書いてあるが、数字で示されているわけではない。


ネットで記事を探していると、結構イライラしてくる。

知ったかぶりのアメリカ生活者が、生活習慣や労働慣行の違いをことさらに取り上げて、ご高説を垂れるような記事ばかりだ。

だいじな数字は年収280万円以上で対象になってしまうということ。全労働者の21%が残業代ゼロを強制されているということ。ホワイトカラーの88%が「残業料ゼロ」となっていること。

聞きたいのは米国の伝統でも、ウエイ・オブ・ライフでも、ましてやあなたの感性でない。

もっと統計で、それも都合のいい数字でなく、文句のないマクロの数字で物を言って欲しい。そうでないとあなた方、アメリカでは生き抜けないのではないですか?

そのうえで、どうしてアメリカがこんなひどい状況になってしまったのか、その分析に踏み込むべきでしょう。

アグネス・ヘラーは著書「マルクスの欲求理論」の冒頭にこう書いている。

マルクスは彼の経済学研究における独創性を3つ挙げている。

1.労働者は資本家に労働ではなく労働力を売っている

2.剰余価値が本質で、利潤・利子・地代はその現象形態にすぎない

3.価値・交換価値の根底にある使用価値。価値の「意味」の発見。

彼女がこの言葉をどこから引っ張ってきたかは書かれていない。ひょっとすると彼女の創作かもしれない。

しかし、それはそれとして十分検討に値するものだ。

1.と2.は古典経済学から彼が引き継ぎ、発展させたものである。しかしそれらは3.の発見がなければ生み出されなかったものだ。

使用価値の価値たる所以は、「その特性によってな何らかの種類の人間の欲求を満足させる」ことにある。

経済学は人間の欲求をもとにしているが、「なぜ人間は欲求するのか、どう人間は欲求するのか」というのは、およそ経済学(エコノミクス)にふさわしくない哲学的・倫理学的概念である。

それを金銭づくの世界にヌッとつきだして、この得体の知れないものを含んだ広い意味での経済学を構築しようというのが、マルクスの構想だ。

人間には、自らの身を労働力として売ってまでも手に入れたい欲望というものがあるのである。

それによって資本主義経済が回っていくのである。

おそらくヘラーはそういう視点の突き出し方をしたかったのではないか。


ヘラーはルカーチの弟子で、ブタペスト大学で彼の助手を勤めた人である。

私は最近、マルクス価値転形論に対するウィーン学派の批判、さらに社会主義計算論争という二つの議論が第一次世界大戦前後のウィーンで起きていて、それにハンガリーの活動家が少なからず関わり、その双璧がポランニーとルカーチだという構図を考えている。

その中で限界効用を考えるにしても価値の実現を考えるにしても、人間の欲望という問題を抜きにしては論じられないと思う。

そもそもマルクスはそこから出発したのではないか。


率直にいって、ヘラーの本はそのような期待にこたえるほどの中身にはなっていない。ただ問題意識があちこちに振りまかれている。

もう何十年も放り投げてあった本を取り出して、読みだしているが、年寄りにはなかなかつらい作業である。

1915年パリ生まれ。10代からアルフレット・コルトー、イーヴ・ナット、ラザール・レヴィに師事。1936年にエドヴィン・フィッシャーに認められ、後にルツェルンで師事。第2次大戦以前はヨーロッパ各地で演奏活動。

その間エネスコとヴァイオリン・ソナタを共演。エコール・ノルマル、パリ音楽院で教鞭をとる傍ら演奏、録音に活動。

若くして後進の育成に精力を傾け、数少ない録音もステレオ初期までにとどまる。1979年没。

日本語ではここまで。英語まで行く気は今のところない。こないだので疲れた。

ご希望の方はReine Gianoli (Piano)

を参照のこと(長くはない)

そこでレイヌ・ジャノリのYoutubography だが

Reine Gianoli - Schumann 6 Intermezzi Op. 4

Schumann - Albumblätter, Op. 124 (Reine Gianoli)

Schumann - 3 Sonatas for the Young, Op. 118 (Reine Gianoli

Reine Gianoli plays Schumann Novellette Op. 21 No. 8

Schumann - sonata 1 op. 11, Reine Gianoli 

Schumann : Mignon, op.68

がおすすめ。 ほかはウェストミンスターのユーティリティ・プレーヤー的性格が強い。

Chopin - 19 Waltzes (Reine Gianoli)

Debussy - Preludes I & II (Reine Gianoli)

Reine Gianoli - Bach English Suite No. 2 in A minor

Ravel / Reine Gianoli, 1956: Valses Nobles Et Sentimentales

Reine Gianoli plays Ravel Sonatine

はお暇があったら程度。ただしこれらはLP初期時代には結構人気のあったディスクのようだ。ウェストミンスターだから若干安かったのかもしれない。

モーツァルトのソナタ全曲も録音しているらしい

Reine Gianoli plays Mozart Sonata in C major K.279

Reine Gianoli plays Mozart Variations in F major K. 613

これは「いまさら」盤

ロスバウト指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団とのメンデルスゾーン:ピアノ協奏曲はヒットしない。消された可能性有り。

この演奏はピアニストより指揮者ロスバウト(Hans Rosbaud)の方の印象が強烈だった。

探している内に「とんでも演奏」が見つかった。

ロスバウト指揮南西ドイツ放送の1955年の演奏でシベリウスの第2番。

Sibelius: Symphony No. 2 -Südwestfunk-Orchester/Rosbaud (1955)

小脳のメカニズムに関する簡単なレビューがあったので要約紹介する。

象を撫ぜた群盲の印象を羅列したウィキペディアよりは、はるかに分かりやすい。


平成26年10月6日 東京都医学総合研究所

小脳から大脳への出力形成メカニズム


1 大脳小脳連関とはなにか

小脳は重量では脳全体の10%にすぎませんが、1000億の神経細胞があり、大脳は約140億を大きく上回っています。近年では認知や感情などの高次脳機能にも重要な貢献をしていることが知られるようになり、極めて高度な情報処理が行われていると考えられます。

目の前のコップを掴もうとする時、腕を動かすために必要な運動指令が最初に大脳運動野とくに一次運動野で作られ、脊髄に送られると同時に、運動指令のコピーが小脳へと送られます。

小脳はその運動指令に基づいて次の瞬間の身体の状態を予想し、小脳核を通してその予想結果を大脳へと送り返します。

大脳はその予測情報を元に、更に次の瞬間の運動指令を生成します。大脳と小脳がこの様な情報のやり取りを繰り返すことにより、スムーズな運動が実現できます。

2 大脳小脳連関のメカニズム

A 大脳運動野からの入力は苔状線維によって、最初に小脳皮質の顆粒細胞に入力されます。

B 次いで顆粒細胞から、プルキンエ細胞へと信号が伝わります。プルキンエ細胞は大きな神経細胞で、非常に大きな樹状突起を通じて約20万もの平行線維入力を受け、それらの信号を統合した結果を小脳核の細胞に伝達します。

C 最後に小脳核の神経細胞で信号が統合されて大脳へ送り返されます。歯状核、中位核、室頂核がありますが、歯状核のみが極端に発達しています。

プルキンエ細胞は抑制性の細胞で、小脳核細胞の興奮性を抑えます。

ところが、運動を行うときに大脳からの入力が増加すると、プルキンエ細胞が興奮するにも関わらず、小脳核細胞は運動時に活動を大幅に増加させています。

これを細かく時系列で見ると、プルキンエ細胞は運動の直前に活動が減少し、その結果、小脳核細胞の活動が増加するという関係になっています。

これを「脱抑制」と呼びます。プルキンエ細胞は小脳核細胞に持続的に強いブレーキを掛けており、プルキンエ細胞の活動が減少すると、抑制から解放された反動で小脳核細胞が興奮するのです。

では何がプルキンエ細胞を抑制するのか。

それは小脳皮質の抑制性介在細胞であろうと考えられています。つまり小脳においては、抑制性介在細胞こそが情報処理の主役なのです。


運動指令が最初に大脳運動野とくに一次運動野で作られ、脊髄に送られると同時に、運動指令のコピーが小脳へと送られます。

というところが、小脳の本質を示している。

ようするに、アクセサリーなのだ。ある意味で“評論家”である。大脳から脊髄へとつながる命令・実行系統を脇から眺めて、あれこれ評論する。

ところが、大脳はその評論を非常に重視していて、そのフィードバックを受入て次の行動を決定するほどになっている。

脊髄とそれにつながる筋肉からすれば、あまり面白くない話だが、世の中そうなってしまったんだからしかたがない。

本来は天皇陛下の大御心に従って行動しているはずなのだが、現実には参謀本部の言うままに動かされているのが現状なのだ。

それに、そもそもが「見て、その瞬間に動く」という本来の動物的行動は、網膜→外側膝状体→脊髄という経路で機能する。それを視覚処理して、体部感覚と統合して行動に移すというまどろっこしい経路に置き換えているのが大脳だ。

つまり、そもそも大脳という存在そのものがややこしい介在者なのだ。

「この期」とは「どの期」だ

翁長知事が、およそ考えられる最強硬な手段に打って出た。

1.防衛局による海底ボーリング調査を中断せよ

2.指示に従わなければ岩礁破砕許可を取り消す

というものだ。

これに対し菅官房長官は

「この期に及んではなはだ遺憾だ」

と述べた。

ここで「この期」というのが、どういうものなのか、整理しておく必要がある。


昨年8月末、仲井真前知事が突如、海水面埋め立てのためのボーリング調査を認め、そのためにボーリング調査海域の岩礁破砕許可を出した。

hasaikyoka


その直後、沖縄防衛局が臨時制限水域(ボーリング調査実施海域)の境界を示すブイやフロートを設置した。そしてブイを固定するためのアンカーを海底に設置した。その数は約250個、1個あたりの重さは百数十キロである。

ところが、昨年10月の台風で、これらのアンカーのうち半数が、波に流され消失した。アンカーが海底を傷つけた痕跡も多数見つかった。

今年の1月、防衛局は新たにコンクリートブロックを大量に投下した。これは流されたアンカーに替わるもので、数十トンの巨大なもの。

アンカーについては説明が必要だ。境界線上にブイやフロートを設置することは違法ではない。それが違法ではないということは、ブイやフロートを固定するためにアンカーをつけることも違法ではないということだ(海底を大きく傷つける危険がないことが条件だが)。
政府側はこの点を主張している。
しかしそれらの多くは台風で流されてしまった。そこで流されないように「巨大なアンカー」をドカンドカンと投入したわけだ。問題はこれを「アンカー」と呼べるかどうかということと、海底を傷つける危険性が受容可能なレベルかどうかということになる。

その直後から、コンクリートブロックが、サンゴ礁を破壊している状況が多数観察・報告された。ブロックによって海底面が削られている場所も見つかった。いずれも岩石の掘削や土砂採取など、岩礁破砕に関する県の許可の区域外だった。

この情報を受けた沖縄県当局は独自の情報収集に乗り出した。

2月末、沖縄県は海中に投入した大型のコンクリート製ブロックが、サンゴ礁を傷つけているのを潜水調査で確認したと明らかにした。

潜水調査

2月26日、辺野古沿岸部の潜水調査を行う県の職員ら(手前)

翁長知事は「許可区域外に、無許可でコンクリートブロックが設置され、岩礁破砕行為がなされた蓋然性が高い」と認定した。そして米軍に対し立ち入り調査を要請した。

しかし米軍は、調査対象海域が臨時制限水域であり、「運用上の妨げになる」という理由で、沖縄県による調査を拒否した。沖縄防衛局は、「ブロック投入は岩礁破砕に当たらないため問題ない」と主張した。

その直後、沖縄防衛局は、台風以来中止されていたボーリング調査を再開した。

今回、翁長知事の「許可取り消し」というのは、昨年8月に仲井真前知事が出した「岩礁破砕許可」の取り消しということである。

許可取り消しの法的根拠となるのは、沖縄県の「漁業調整規則」である。これは漁業法や水産資源保護法などに裏付けられている。

この規則では「公益上の事由により県知事が指示した場合は、その指示に従う」ことが求められている。

第39条 漁業権の設定されている漁場内において岩礁を破砕し、又は土砂若しくは岩石を採取しようとする者は、知事の許可を受けなければならない。

2 前項の規定により許可を受けようとする者は、第9号様式による申請書に、当該漁場に係る漁業権を有する者の同意書を添え、知事に提出しなければならない。
3 知事は、第1項の規定により許可するに当たり、制限又は条件をつけることがある。
国がこれに対抗するとすれば、不服審査請求などを申し立てなければならなくなり、その間は工事の続行は不可能となる。(政府がこの道をとるか否かは不明だが)

つまり「この期に及んで」と言われるべきは政府の側なのだ。

すみません。
コメントには返事は書かないようにしているのですが、これだけまじめに詰め寄られると謝るほかありません。
こんばんは。非常に悪意に満ちた、貴殿のこの記事の表現に驚いて訪問させていただきました。
と申しますのは、私のシステムではバグヘッド・エンペラーによる再生音が非常に良い音だからです。

何かをお間違いになられておられるように感じております。
是非もう一度設定から見直して、再度お聴きになられますようお願い致します。
じつは、この記事には以前にもクレームがついています。その後改めてコメントをくださった方の意見に従い、ASIOで聞き直したところずいぶんいい音だということがわかり、もう一度別の記事を書いています。
Bug head emperor+ASIO は悪くない
ということで、私はけっして「非常に悪意に満ちた」人間ではありません。ただいまだにfoobarの時間分解能にしがみついているだけです。
ただその文章を消してしまうと、意図が変に受け止められかねないので、最初の記事はそのまま残しておくことにした次第です。
「S/PDIF信号・同軸で2台のフル・デジタル・アンプに送り込んでバイ・アンプで鳴らして」いらっしゃるそうで、私にはそのようなことはさっぱりわかりません。
こんな門外漢のブログ記事が世情をお騒がせしたことは、まことに申し訳なく思っております。
なお、これに関連して我ながら気になっているのは、
という記事で、素人の感想が世の中を左右することになっては困ると思っています。
私は安倍晋三ではありません。「反省だけなら猿でもできる」と言われますが、猿のレベルは維持しているつもりです。
今後ともいろいろご教示賜ればと思います.


 

前の記事で「だったら上げなさい」と書いた。私達としても関電が潰れて社員が路頭に迷うようなことがあってはいけないと思う。


ところで、気になって給料を調べてみた。いまでは便利なことに日本最大級の年収ポータルサイト「平均年収.jp」というサイトがあって、簡単に調べられる。

そこの、関西電力の年収に興味がある方のための基礎知識」というページから紹介する。

関西電力の年収は?

平成22年度版の従業員一人あたり平均年収は約945万円という噂があります(ゆかしメディア調べ)
総人件費と従業員数から算出した数字となっており、完全ではありませんがこのような上記年収となっています。

平均年収は40歳前半の800万~810万ぐらい。50代の管理職クラスになると、技術関連で1100万。経営企画で1230万となってます。
ボーナスは197万8900円程度で、「雑給」という用途不明の項目もあるようです。

秋山喜久会長は2006年に退職しましたが、退職慰労金の額はナント推定10億円でした。
関西電力は2年前、 美浜原発の事故で11人の死傷者を出した。在任中にそんな大事故を起こしていながら、『規定通り10億円もらいます』とは、呆れた話です(当時の記事から)
役員クラスでない従業員も退職金は3000~5000万ぐらいと言われます。よって、関西電力の生涯年収の総額は4億3000万程度と考えられます。

いいんですか、赤字企業がこんなにもらって。しかも赤字を出した社長は責任を取るどころか堂々と10億のゲンナマを取っていった。これって電気料金ですよね。

前の記事で

いま電力各社は、原発再稼働を進めるにあたり、何もその理由を語らない。語るべき理由がないからだ。

と書いた。その証拠をお見せする。

ちょっと古い報道だが、2014年12月24日の電事連会長の記者会見についての報道があった。

電力会社がいま、何を口実に原発再稼働を進めようとしているのかが分かる。

電事連会長は関西電力の八木会長であり、質問では関電の経営状況の話題から始まっている。

1.原発再稼働
原発再稼働が大きく遅延し、火力燃料費をすべて吸収するのは限界。4期連続赤字で、このままでは企業存続が危ぶまれる。

(だったら上げなさい)

2.MOX使用計画

高浜では再稼働時にMOXを使う予定。地元(高浜町と福井県)の理解をいただきたい。

(どさくさMOXだ。なぜMOXかの説明なし)

3.廃炉について

このまま早期廃炉になると、一括で多額の費用計上となる。(だから反対だ、と匂わせている)

4.固定価格買取制度

再エネの導入拡大と国民負担の抑制を両立するには、制度の抜本的改正が必要だ。(要はやめちまえということだ)

5.発送電分離

安定供給の確保の面でいまだ課題や懸念が残っている。エネルギー間の公平な競争環境の整備が必要。(反対。ずっと“先送り”せよ)

5.原油安の影響

燃料費調整制度で収支には中立(これはウソ)。円安も影響しており、トータルとして注視していく。(“注視”するのみ。還元するつもりはない)

6.2015年への抱負

電力小売り自由化に備えて、スピード感を持って競争基盤を構築する。原発再稼働を何としても成し遂げる。(もはや国民のためとか、国家のためとは一言も言わない。全ては自分のため)

東洋経済オンラインより


原発、もうひとつのウソ

原発は安全神話のもとに進められた。福島のあと、この安全神話を信じる日本人はいなくなった。少なくとも表向きは…

それではなぜ原発を再稼働するのか、それは「原発なしには生きていけない」神話のためである。

それは3つの柱からなっている。

一つは「資源小国である日本は原発なしには生きていけない」、という神話であり、一つは「日本を支える企業が電力料金のために破産する」という神話であり、もうひとつは「電力会社が経営的に成り立たない」という神話であった。

それらはそれなりに説得力があった。経営の側からイロイロ算盤を弾いて数字を出されると、こちらもたじろぐ場面があった。

しかし、それらの話は全てウソであった。

日本は生きている。たしかに苦しいが、それは原発を止めたせいではなく、経済政策の失敗によるものだ。

企業は、とくに大企業は空前の利益をあげている。破産どころの話ではない。大企業は国民に向かって大ウソをついたのだ。それを反省する様子も見えない。

電力会社は経営的に成り立っている。そもそも電力会社が成り立たないわけがないのだ。赤字が出れば、すべて電力料金に転嫁すればいいだけだからだ。

電力料金はたしかに上がった。なぜか、原発に回していたカネ(国費)を一般火発に回していないからだ。「原発より火発のほうがコストが高い」と主張していたのはウソだったのだ。

差し引きすれば、火発のほうが安いことは明らかだ。

「原発なしには生きていけない」神話は、もはや完璧に破産した。

いま電力各社は、原発再稼働を進めるにあたり、何もその理由を語らない。語るべき理由がないからだ。

しかし「語れない理由」はある。それは原発維持がアメリカ軍産複合体の要求だからだ。そして原発稼働によって生み出されるプルトニウムが喉から出が出るほど欲しいからだ。

「大伴金村」を名乗らされた人物がいる。「日本書紀」の作者がそうしたのだ。

倭王武は上表文の年からすれば、500年前後まで生きていたと思われる。

その後は誰かが倭王朝を仕切ったはずだ。それが「金村B」だ。彼は512年に百済からの任那4県の割譲要求があり、これを承認している。

同じ頃、金村Aは当面の敵である平群一族をやっつけ、506年に皇統が絶えた後は自らが事実上の支配者となっている。

とは言っても難波朝の支配者に過ぎず、大和盆地の勢力とは並立状態ないし内戦状態にあった。

生駒の物部と組んで継体を担ぎ、河内VS大和の内戦に勝利し、大和磐余に入るのはそれから20年もたった526年のことである。

ただしこの526年はあまりあてにはならない。

あてになるのは528年の磐井の君の反乱である。日本書紀が出処だが筑紫の国風土記での裏付けもある。

何よりも「真実は細部に宿る」というか、磐井の乱が何月というレベルまで詳細に記述されていることが大きなポイントだ。

これは大和王朝の記録によるものではない。百済本紀からの転写として間違いないだろう。

百済本紀を正確とすれば、我々は倭王武の上表文から512年の任那割譲、そして528年の倭国大乱へと敷石伝いに歴史をたどることが出来る。

倭国大乱には続きがある。すなわち近江毛野の渡海と戦闘、そして対馬での敗死である。

私はさらにこれに537年の狭手彦の任那侵攻をかぶせたいと思う。537年から540年の「金村B」解任までの記述を10年遡らせることである。

そうすると、近江毛野はじつは「毛野B」であり、金村Bの息子である狭手彦のことになる。であれば、同じく金村Bの息子である磐は筑紫の君磐井その人であったとしても不思議はない。

つまりこういう関係になる。

金村Bは任那を百済に部分割譲して、新羅との対抗を図った。そして九州勢を動員して任那の確保を図った。

そのために毛野B=狭手彦と磐=筑紫の君磐井を軍事、内務の要として配置した。しかし磐井は対新羅動員を渋った。

そこで狭手彦に命じて磐井を討った。

狭手彦は磐井を討った後、倭軍を動員して任那に進出し、百済・新羅との共存を図ったが失敗し、戦闘に敗れ対馬で客死してしまった。

となると、これら一連の経過を指示し、作戦失敗の責任をとって540年に辞任したのが「大伴金村B」ということになる。

ではこの金村Bは誰なのか、どこにいたのか? ということになる。

おそらく任那にきわめて近いところにいたに違いない。ひょっとすると任那にいた可能性もある。ただ磐井の反乱を鎮圧するのに任那にいたんではちょっと遠すぎる。

ということでは、壱岐から最も近いところ、唐津か呼子、つまり松浦ではないかと思う。そして彼こそが倭王武の衣鉢を継ぐ倭・任那王朝の王ではなかったかと考える。そして彼の退陣により九州王朝は求心力を失って行ったのではないかと考える。

反復練習のことを学問的には「運動スキル学習」というのだそうだ。

橋本圭子「運動スキル学習に関する考察 -脳内経路の変化と記憶の固定をめぐって-」(新潟工科大学紀要 平成 19 年)というPDFファイルを見つけたので、紹介しておく。

論文の趣旨は記憶の固定、とくに睡眠の効果にあるようだが、そこは割愛させて頂いて、序論部分だけお借りする。


1.記憶の種類

記憶は手続き記憶宣言的記憶に区別できる。

宣言的記憶とは「ことばやイメージで表現することのできる,事実に関する記憶」である。(言語的記憶といったほうが分かりやすいかな)

手続き記憶とは「一定の認知活動や行動に組み込まれている記憶」である。(とすれば、こちらは非言語的記憶だ)

運動スキル学習は手続き記憶に分類される.

手続き記憶は,ことばで表現しにくいが行為として記憶され,行為として表現される記憶、すなわち技能(スキル)の記憶である。

宣言的記憶には内側側頭葉,特に海馬が関与する。いっぽう手続き記憶は海馬に依存しない。(どこに記憶されるのかは述べられていない)

したがってそれぞれ独立に記憶障害が起こり得る。(ということは前頭・側頭葉型認知症になっても体は動くということだ)

手続き記憶はさらに,認知的なもの(認知スキル)と運動に基づくもの(運動スキル)に分類される。

認知スキルが障害されれば、読み書きや計算などが困難となる。(認知スキルの障害はゲルストマンと関係しており興味をそそるが、ここではそれ以上の説明はない)

運動スキルが落ちれば自転車の乗り方,泳ぎ方,機器操作など身体運動を伴うスキルが困難となる。


2.運動スキルの学習に伴う変容

運動スキルは,我々の日常生活における様々な場面に存在する.

運動スキル学習には幾つかの特性がある.

とくに重要なのは、熟練したスキルでは、実行しているときの神経系の経路がそれ以前とは変わってくることである。

スキル学習においては,習熟前と習熟後で行為を支える神経ネットワークが異なる。点字使用者や弦楽器の演奏家ではスキルに関わる指の体性感覚皮質が広いことが知られている。動物実験においてもトレーニングによって身体部分の感覚運動投射野が拡大する。

ホムンクルス地図: 指が大きくなる(指の感覚野が広がる)

これらについては、PETあるいはf MRI を用いた検討が行われている。

それによると、

小脳は課題実行中に活性化する。特に未習熟のスキルを実行するときに活発となる。前頭前野前運動野外側部は新課題の学習中にのみ活性化する。逆に補足運動野一次運動野は習熟したスキルの実行時に活性化する.被殻対側運動皮質などはいずれの場合にも血流が増加する。

3.短期学習と長期学習

スキル習得には短期と長期の二層の学習がある。鏡映文字の読みの訓練を行うと、開始後間もなく,右頭頂の上部(視覚的・空間的処理に関わる領域)が活性化する。

習熟後には頭頂葉の活性化は減退し、これに代わり左下側頭領域(オブジェクト認知に関わる領域)が活性化する。

スキル習熟前は「鏡映文字を空間的に変換しながら読む」という努力を要する作業であったものが,習熟後は左右反転文字を文字として想起するようになったものと考えられる。


アニュエル・ブンダヴォエ(Agnelle Bundervoet)というえらく呼びにくい名前のピアニストが居る。

1922年まれのフランスの女流ピアニストで、50年代から60年代前半にかけて活躍したようだ。

LPを3,4枚出しただけだが、そのLPが1枚10万円というとんでもない値段に取引されているようだ。

幸いなことに、その幾つかがYouTubeでただで聞ける。添付された写真を見ると相当腕力が強そうだ。

演奏もそのとおりで、ブラームスの3曲のラプソディーを聞くと、ピアノがズシンズシンと鳴っている。指もよく回っている。

buntavoe

ただ私の好みで言うと、こういうブラームスはあまり好きではない。ラプソディーがそもそもそういう曲なんだからしようがないが、そういう曲を選んだというのも、この人の判断だろう。

ラベル「夜のガスパール」については、正直のところよく分からない。シューマンの演奏は全て削除されてしまっている。

著作権の関係なのだそうだが、まだ本人が生きているのだろうか。1960年前後の録音に著作権を主張するのもどうかと思うが。

バッハについては、「ほう、そうかね」という程度。バッハというよりはブゾーニを聞いている気分。

どんな人かねと思って小伝を翻訳し始めたら意外に長い。休日の半分を費やしてしまった。何か損した気分。

フォーレのレクイエムが最愛の曲と書いてあった。一方でコンテンポラリーにも積極的にかかわったらしい。

ちょっとブラームスやシューマンとは違う人なんだろうと思う。

アニュエル・ブンダヴォエ(Agnelle Bundervoet)

Born: 1922

フランスのピアニスト。フランス中部 Puy de Dome, Ambert で生まれる。

父はベルギー系。軍人。

4歳の時、母についてピアノを学び始めた。7才で Conservatoire National de Marseilles に入り、3年後にGrand Prix を獲得した。

母は特別教育の必要を感じパリの偉大な教師Lazare-Levy に依頼した。10才のAgnelleは、直ちにパリ・コンセルバトワールの音楽理論クラスに入ることを許された。同時に、より高いピアノ・クラスに入るため、レヴィから無料の個人的な授業を受けることとなった。

彼女は13歳でパリ・コンセルバトワールのピアノ・クラスに入学を許された。しかしレヴィのクラスに空きはなかった。彼女は1年待つことにした。Marguerite Long が自分のクラスに入るよう勧めたが、彼女は断った。

彼女は、1936年についにリーヴィのクラスに入った。

彼女は後で思い出す。「私は彼の演奏を見ながら、自分自身のテクニックを磨いた。彼は技術的な問題に興味がなかったから。彼の主要な関心は音楽だった」

彼女はレヴィの助手 Lelia Gousseau とうまく行かなかったが、素晴らしい生徒であった。

1940年にヴィシー政府はレヴィをコンセルバトワールから解雇した。彼女はレヴィの助手 Madame Giraud-Latarse のもとで研鑽を続けた。

1942年6月に、彼女は Premier Prix を獲得した。彼女の最初のパリ・リサイタルのために、レヴィは Themes et Variationsを捧げた。同じリサイタルで彼女はJacques de la Presle とMarc Pincherle の曲も初演した。

批評家は驚いた。「名声高いアーティストだけが持つトップクラスの国際的なトーンに耳を疑うだろう。占領下でユダヤ人の作曲家の仕事を演奏するとは、すごい勇気だ」

戦争の最後の年は、とりわけBundervoetの家族にとって悲劇的だった。

彼女が1944年6月に結婚した直後、彼女の父は死んだ。捕虜としてドイツで長い監禁され健康を害し、回復できなかった。兄アンリ(彼もまた、立派な音楽家だった)の乗った飛行機は、イギリス海峡の上で消息を絶った。

戦争が終わった。彼女は1948年まで勉学を続けた。コンセルバトワールでの長い時間は、ゆたかで多彩な指導を受けるためだった。和声法、対位法、ピアノ、そしてMaurice Hewitt の室内楽の授業を受けた。この時の同僚にSamson Francois がいた。

また彼女はMarcel Dupreから個人教授を受けた。オルガンだけではなく歌のレッスンも受けた(彼女は coloratura だった)。18歳の時、彼女は聖歌隊指揮者となりガブリエル・フォーレのレクイエムをリハーサルした。

これらの幅広い音楽の基礎は、彼女のスコアに対する深い理解の根源となっている。また古典的なロマンチックなレパートリーと同じように現代音楽を演奏できる根源となっている。

彼女は分析的精神、全体的な構造の把握、燃え立つ表現力、そしてオーケストラのレベルを超越するようなピアノ・テクニックが際立っている。

コンセルバトワールを去る頃までに、彼女は6つのPrix Premierを獲得した。今や彼女は結婚し子供をもうけていた。彼女は生計を立てて、経歴に乗り出す時間であると決めた。

それは、50年代前半を通してすみやかに展開された。

彼女は、Elsa Barraine のPiano Concerto 初演者に選ばれた。それはRoland-Manuelが主催する1954年の国際音楽祭であった。共演は Manuel Rosenthal 指揮のパリ音楽院管弦楽団だった。

Barraineがいまのように高い評価を受ける前であったが、彼女は賞賛され、とくに指揮者Roger Desormiere から注目された。この重要なイベントは、フランスでAgnelleを最高のピアニストのうちの1人として確立した。

作曲家トーマス・スタッブズも、彼女にはっきりした借りがある。彼のピアノとトランペットのための小協奏曲、‘Danses a Travers les Ages’の初演を彼女は熱心にプロモートした。

J.S.バッハから最も難しい現代の仕事まで、彼女には同じように華麗に演奏する能力があった。それは批評家の賞賛だけでなく Yvonne Lefebure のような高名なピアニストの賞賛も勝ち得た。

彼女はPaul Paray, Eugene Bigot, Pierre-Michel Le Conte, Charles Bruckらと共演している。

すべてのコンサートが勝利であった。

あるコンサートの後、今まで悪口しか言ったことのないある批評家が彼女については口をつぐんだ。そして彼女との会見をもとめた。彼は自身をDucretet-Thomson の責任者と紹介した後、深い賞賛の念を表した。彼女は尋ねた。「それで、どうして私のことを記事にしないのですか?」

Ducretet-Thomson のカタログに不足していたという単純な理由のために、バッハ・リサイタルがレコード発売された。

彼女は自ら曲を選択した。Bach-Busoni transcription of Wachet Auf、Chacconeと2つのToccatasとFuguesが選ばれた。

異例なことに、そして正当なことに、初回レコードで彼女は‘Grand Prix du Disqueを与えられた。彼女の演奏は特別な音楽の成熟を示していた。しかしその後、彼女はDucretet-Thomsonのためにレコーディングに招かれることはなかった。

1950年代半ばから、彼女はリウマチを病み始めた。それは彼女により短い曲の演奏を強いた。あるいは超有名曲に限られた。

更なる妨げは1956年に来た。彼女は夫と離婚して、3人の子供たちを養育しなければならなかった。結果として、彼女は彼女の時間のより多くを教育に捧げることに決めた。

Monique Haasなどをふくむ100人以上の申込者という難関を突破して、Jeanne-Marie Darre の審問を経て、彼女はうまくベルサイユの国立音楽院に入ることができた。そこで、彼女は次の30年の間ピアノを教え続けた。

皮肉にも彼女がコンサート・プラットホームから遠ざかることによって、より多くの人々が彼女の演奏を聞けるようになった。

彼女は、ラジオ放送ならプログラムの間に休止をとることができることが分かった。そして録音なら、長い曲の楽章のあいだを休めることも分かった。ラジオは、消耗または苦痛なしで彼女により偉大な聴衆を与えた。

さらに彼女は融通性の範囲が広かった。そして、それは彼女のより多くの専門家仲間の多くより有利だった。バッハ、ベートーベン、ブラームス、ラヴェル、ドビュッシー、ショスタコービッチの作品に同じ確実な信念と強度をもつピアニストはいなかった。

1958年から1960年にかけて、彼女はフランス・デッカのために3枚のLPを製作した。

1枚目はブラームス・リサイタル、彼女はVariations on a Theme by Handel に力を集中した。それはピアニストがカンニングをすることができない真実のエベレストだ。

彼女の演奏は強力で全ての障害を克服する。創意をもって燃え立っていて、通常でないフレーズが浮かび上がり、低音のラインも細部までくっきりと表現されている。

フランスの楽壇で、ブラームスの理解において彼女に比肩しうるのは Yves Nat だけである。

2枚目は濃い、暗いロバート・シューマン・リサイタルである。 Fantasiestucke の苦しみの詩を、彼女は情熱と厳しさへの想像から始める。そこにセンチメンタリズムの跡は見られない。Toccataの演奏は、機械的な運動を越えて紙ランタンの列のように火がともされる。

このLPにはIntermezzi op. 4の世界初録音もふくまれる。彼女が気取らない開拓者であることがふたたび証明される。

3枚目のデッカ録音はフランツ・リスト・リサイタルであった。Yvonne Lefebure に続いて再び1つの驚異があらわれた。どこから、そのような小さい女性はそのような強さを引き出すことができるか?

我々は体のバランスが重要であるということを知っている。そして、肩の活発な役割が重要であることも知っている。彼女はもう一つの秘密を持っていた。彼女が全ての学生に推薦するスポーツはピンポンである。

信じられないことに、これらは今日までのところ、彼女の最後のレコードとなってしまった。

1950年代後期に、彼女は生涯の愛人Maurice Braunと出会った。彼は大戦中の偉大なるレジスタンスの英雄であり、有名なエジプト学者である。

一緒に、彼らは国際的な旅行の喜びを共有した、そして、Agnelleはエジプトの美しさを発見した。

60年代と70代を通して彼女はベルサイユ・コンセルバトワールで教え続けた。そして、彼女の学生すべてに捧げられた。

彼女はまた、ピアノと室内アンサンブルのために創作した。メロディーを聞き分ける素晴らしい力を表示した。それは時に彼女の最愛のガブリエル・フォーレの影響を裏切ることがあった。

事実、彼女が道徳上で宗教の信念をたった一つ選ぶなら、それはフォーレのレクイエムだろう。

さらに非常に活発に、20世紀で最も偉大なフランス人ピアニストの一人である彼女は、庭造り、個人的な若干の授業と孫の相手に費やしている。


http://www.bach-cantatas.com/Bio/Bundervoet-Agnelle.htm

より訳出したものです。

Source: Coup d'Archet Website (© Jean-Marc Harari/Glenn Armstrong 2003)
Contributed by
Teddy Kaufman (May 2007)

もう12年も前のものなので、もう亡くなっているかもしれません。

元々がフランス語で書かれたもののようで、ちょっとおかしな英語です。(もちろん最大の問題は私の英語力の低さにありますが…)


反復練習と脳機能を考えているうちに、小脳って一体何なんだというのがわからなくなった。
ウィキペディアで「小脳」を見ると頭が混乱する。解剖学があまりにも複雑だ。めまいがしてくる。
機能も多彩で、なんでもあるが、それは一応大脳にもすべて揃っている。決定的なものはないような気もする。
むかしお相撲で「ワザのデパート」という力士がいた。でも小結どまりだったような気がする。「器用貧乏」という言葉もある。
うちのカミさんが脊髄小脳変性症だ。たしかに小脳がやられると大変なことになる。それは分かるのだが、なにか決定的なものと言われると、平衡失調・空間失調・構音障害などがあるが、大脳基底核の障害に比べればオール・オア・ナッシングというものではない。歩けないのはむしろ脊髄障害の徴候のようだ。
解剖学的にも変な臓器だ。裏表がひっくり返っている。まったく違う形態のものが一塊になっている。
発生学的に見ても主流ではない。主流でないのにどんどん発達している。草が成長して花を咲かせ実をつける、というのが発達だとするならば、大脳が花であり実なのだが、小脳は徒花というか変なところに盛り上がったコブのようにも見える。
ウィキペディアには、この「なぜ」という問いに対する答えがない。
とりあえずいま考えているのは、非常電源というか、大脳がやられた時のスペアーなのではないかということである。あるいは大脳に対するフィードバック装置なのかもしれない。

まだ私の勉強は言語のところまで入っていないので、断言はできないが、大脳は視覚と聴覚を主体として感覚臓器の情報の集結点であり、それらを基礎に行動する。もちろん体感覚も上り下り対で行っているから、小脳なしでも行動は可能である。
一方、小脳には視覚は行っていないから(多分)、基本的には体感覚を頼りに判断し指示出しをしていることになっているのだろうと思う。
そうなると、忘年会の余興でやる二人羽織みたいな関係が生じる。顔を出している上の人が「はい次は右手を上げて」というと、下の人が右手を上げる、という具合だ。
nininbaori

だとすれば、なんで大脳が直接筋肉に命令を出さないのか、そのほうがよほどかんたんなはずなのに、と思う。
そういえば、学生時代に大脳と小脳の接続回路を切断するとどうなるか、みたいなことを習った記憶があるが、その内容が思い出せない。
これ以上書く前に、少し勉強だ。


反復練習について、一応これまでのまとめをしておきたいと思います。

反復練習とは一連の動作を一塊にして頭頂葉と小脳に刷り込むための過程です。したがって技能の習得には必須の過程です。

だいじなのは成功の繰り返しであって、失敗の繰り返しではありません。ただし、試行錯誤としての失敗は成功に向けてのアプローチであり、大事な過程です。

無意味な失敗を繰り返すことはためになりません。

成功にはコツとか秘訣というものがあり、それを獲得するのは頭頂葉の役割です。ただし小脳の力量を超えてしまえば、成功はそもそも不可能です。

頭頂葉は成功のコツをイメージ力によって実現します。これは視覚と体感覚と時間感覚を統合し、運動の一連のシリーズとして小脳に伝える力です。

このイメージは頭頂葉ないしその近接部位にイメージ記憶として刷り込まれます。言語化された記憶ではないので、海馬には貯蔵されません。

頭頂葉の記憶装置は相当強力なものです。泳ぎとか自転車乗りなどは一度覚えたら一生忘れません。これに対し小脳にはあまり強力な記憶装置はないようです。だから細かい運動の調整は練習しなければすぐに衰えます。

基礎練習は常に反復しなければなりません。錦織選手が反復演習を徹底的に行ったのにはそういう理由があったのでしょう。

頭頂葉は脳のあらゆる部分の影響をうけるのに対し、小脳というのはかなり隔絶した独自の世界です。したがって、ここを鍛えておけば、周囲の状況に影響されず、「体が勝手に動いてくれる」状態が出現します。そのことで本来の力を発揮できるのでしょう。

とりあえずこんなところかな。

前の文章で、反復練習が「上がり」の克服に役立つ可能性とそのメカニズムについて考えた。

ただもう少し局所的に、反復練習による技能獲得そのもののメカニズムについて考察する必要があるだろう。

ネットで関連文献を探したところ、

反復練習のメカニズム」という文章があった。

ベース弾きこでら君 のそば日記、ピアノ日記

の一部で、ちょっと独特の雰囲気で語っている。

小学生のソフトボールを指導することになった、にわかコーチのための部屋。…あたしは野球やったことないけど。

と書いてあるから、まったくの素人の学習ノート。こちらもお気楽に付きあわせていただく。

体に投球を覚えさせるということは、次の2つの内容なのだそうだ。

 A)大脳に正解パターンを刻み込む。
 B)小脳に身体モデルを構築する。

つまり投げるのは大脳であって、小脳はそのための身体モデルを形成する装置というわけだ。

ここで言う大脳は、「べし中枢」ではなくて、おそらくは頭頂葉の連合野(視覚と体感覚の)だろう。

「べし」の命令を出す大脳前頭葉ではなく、運動を視覚から体感覚に変換するセンターであり、先ほどのトリアードから言うと実行センターの一部を形成することになる。

したがって、練習は

 1)正解パターンを繰り返し、大脳に正解パターンを刻み込む。
 2)更に繰り返すことで、小脳に身体のモデルを構築する。

ということになるのだそうだ。パターンというのは平面的(あるいは立体的な)な絵柄ではなく、時系列的な絵柄の連続であろう。昔の大相撲のテレビでやっていた分解写真みたいなものだ。

うーむ、これだけではさすがに説明が足らないな。


次は マンドリンプレイヤー 石橋敬三 さんのページから

「上達の心理術③ ~反復練習の罠~」 という文章

 練習の過程で、ある部分のフレーズを繰り返し練習することがあります。なぜでしょう。

①指に動きを完全に覚え込ませるため

②苦手なフレーズを繰り返し練習して自信をつけるため

などが理由です。

 しかし繰り返し練習しているにも関わらず、ミスの確率が減らない人もいます。なぜこんな事が起こるのでしょうか。

それは反復練習の目的が間違っているからです。

反復練習で得たいものは繰り返しミスをすることでしょうか?

いや、違います。繰り返し成功することです。
逆に練習におけるミスの連続は、自信を失う事になりかねません。こんな状態に陥ったら、一刻も早く練習をやめるべきです。


これは、“小寺くん”の言う「正解パターンを繰り返し、大脳に正解パターンを刻み込む」に相当する。

つまり反復訓練は、まずもって頭頂葉を鍛えることにあるということだ。そして正解(成功)パターンを繰り返し刷り込むことだと分かる。

もっと率直に反復訓練に警鐘を鳴らしている文章があった。

LCMACというリハ関係のサイトの文章で「がむしゃらにする反復練習はおすすめしません」という題名。

正直、これはお説教調で、エヴィデンスに乏しい。行動パターンを刷り込むには一定の反復が必要だという、根本のところを忘れている。「がむしゃらにする反復練習」という架空の敵を作って、それを攻撃している感が否めない。

端的に言って、プレーヤーと比べて本気じゃないんですね。

次は snowboard.com に載っていた「反復練習の怖さ」という文章で、変な癖を身につけてしまった時にどう矯正して行ったら良いかが語られている。

まず、できる限り、普段から多くのスノーボード・ビデオを見るようにしたらいい。

自分がカッコ良いと思うスノーボーディングや、世界でトップと言われている存在の映像作品をたくさん見ること。

すると、何がカッコ良いのか、というセンスを補うことができる。スノーボーダーとしての目を肥やすのだ。

体育会系の人の言うことは、根拠は曖昧だが迫力はある。これは頭頂葉の正解イメージ訓練がかなり視覚に依存していることを示す。技というのは視覚(動態視覚)と密接に関係していることが示唆される。


以上のような事柄は、多分脳科学上も解析されているのではないかと思われる。いずれそちらの文献もあたってみることにしよう。


「上がり」の話に戻るが、「テニス上達グッズ専門店 テニサポのブログ」から

錦織選手の活躍を引き出した反復練習の効果とは?という記事。

錦織選手が大活躍をした要因の一つは、マイケル・チャンコーチが行った反復練習にあります。

錦織選手は、彼から多くの技術的なアドバイスを受けたのですが、
それを身に付けるために球出しによる反復演習を徹底的におこないました。

というから、これは巨人の星の世界。

勝負を決めるような大切なポイントでは、思考の罠 にかかる前に体が動くことがもとめられます。それには基本の反復練習が効果的です。基本となる動作を何回も繰り返すことで、自然と体が動くようになります。

同じ場所に出されたボールを 繰り返し、同じフォームで打ち続けようとする練習です。 

これは外野席からの一批評にすぎないので、判断しづらいが、新たな技術の習得ばかりではなく、基本パターンの強化が常に必要だということなのだということだろうと思う。

修羅場になって生きる技術は、むしろこちらの方だという提起なのだろう。ただ思考の罠 (なかなか魅力的な言葉だ) というのが、前頭葉がらみの話か、頭頂葉レベルなのかがはっきりしない。

基本練習というのはあまり視覚が関係していないようだから、小脳に特化した訓練なのかもしれない

人の前でしゃべるときは、「何をしゃべろうか」ではなく、「どうしゃべろうか」に集中する。すなわち、顔を上にあげて、聴衆の目を見て、しっかり口を開いて、ゆっくりとしゃべることを徹底すべきだということかもしれない。

 

Dynamic Draw という作図ソフトをダウンロードした。
その易しさ、わかりやすさは画期的である。なにか私にも使えそうな気がする。
これまで文系人間である私の文章は、平文で図式を表現するようなところがあって、読解困難と言われた。
基本的には論旨明快な人間だと思うのだが、グラフで表現できればな、といつも考えていた。
しかし、適当なアプリケーション・ソフトがなく断念していた。
とりあえず作ってみたのが前の記事の三角関係の図だ。
記事の構造がかなり一目瞭然になって、見晴らしが良くなったと、自分では思っている。
そこで今度は老健における入所者の流れを図にしてみた。
一度できた図をダメにしてしまって、二回作った。2回めは初回の4分の1の時間で作ることができた。
これは反復練習の効果の顕著な例であろう。
反復練習の意味は、即座に繰り返すと、効果が倍増するということだ。とくに成功体験の確認には有効だと思う。

ということで、できあがったのが下の図
老健流れ図
これは我が老健「はるにれ」を中心としてみた高齢者の流れだ。
老健が半健康高齢者のプールとなっていることが良く分かる。

老健施設は、できた頃は病院から在宅への中間施設として位置づけられ、いまもたてまえとしてはそのままである。しかし現実としては「看取りをやらない特養」となっている。
「看取り」をやらないという点では中間施設であるが、それは在宅復帰に向けての中間施設ではなく、御臨終に至るまでの中間施設である。上り坂ではなく、下り坂の中間施設なのだ。
それはまた病院でもなく高齢者施設でもない、いわば「鵺的な」中間の施設という意味でも「中間施設」である。
ところが最近は医療の側に引き寄せようとする動きが目立つようになった。
一番の問題はカネはまったく出さずに、病院並みの管理を強制しようとするお上の攻撃である。かつての療養型病床に要求される水準が、老健にもとめられるようになった。しかも報酬の裏付けなしにだ。
一方で療養型病床が減らされるから、本来療養型に行かなければならない人が滞留するようになった。病気が悪化して急性期病院に送った人は、以前はかなり療養型に回されていたのだが、このパイプが目詰まりを起こしている。最近はほぼ100%戻されるようになった。ICUから一般病棟に戻す感覚である。
送った方の責任もあるし、向こうの事情(在院日数のしばり)もよくわかるから、口に出しては何も言えずに引き取る。

こうなると、先々の問題として一番心配なのがナースの疲弊である。老健ナースの給与は一般病院に比べれば2,3割は低い。それでも何とか集まるのは楽だからだ。そして彼女たちの側になにがしかの事情があるからだ。
それが楽でなくなれば、辞めていく。辞めたナースは病院には戻らない。もはや能力的についていけないし、彼女たちは家事や育児、年寄りの世話と多忙だからだ。

イロイロ考えると、前途暗澹たるものがある。


「上がり症なので」というのはよくある話。私も満座の前で話せば、アドレナリンがどくどくと出てきて、しまいには前が見えなくなるほどの過呼吸状態に陥る。

しかしたしかに練習を繰り返してあると、上がったままでも、それなりに力は発揮できる。準備がいい加減だと、立ち往生するほどの醜態をさらけ出す。

これはどういうことか、おそらく大脳の感情を司る部分の支配が切り離されるのだろう。では感情を司る部分はどこで、実際にタスクを実行する部分はどこなのか。それはなぜどのようにつながり、どのように切り離し可能となるのか。なぜそれが反復練習により可能となるのか。

これらの問題が沸き上がってくる。

多分、恐怖感とか羞恥心とかは割と低位の脳機能だろうと思う。それが適度に関与することで「やる気」が生まれるのだろう。この辺は発生学的にも理解していかなければならない。

そしてもう一つの、「やらなければならない。やるべきだ」という断固たる姿勢は上位の脳中枢から下ってくるのであろう。さらに「大したことじゃないんだよ」と感情中枢を抑えて、過剰反応を抑制するのも上位中枢の役目かもしれない。

renshuu

こういう上位中枢・タスク実行中枢・情動中枢のトリアード関係の中に、物事を実行するという行為が位置づけられていて、反復練習というのはたんなるタスク実行中枢の鍛錬ではなく、このトリアード関係の良好な形での確立を促すものと位置づけられなければならないだろう。

これら総体が「慣れ」として実現する。「場慣れ」することだ。

そしてこのように、自分を感情・動物的本性に縛り付けられた状態から解放していくことは、「学習」の本質的一部として、人間の発達の本質にも関わっている可能性がある。

「日本再興戦略」改訂2014の概要という資料がある。 1枚のペラに概要を表示したものだ。一度ご覧になっていただきたい。唖然とすること うけ合いだ。
これは「戦略」ではない。なぜなら戦略目標がないからだ。 なぜ戦略目標がないか。これは大企業の自己利益増大のための戦略を、国家のた めの戦略であるかのように装って書いただけのものだからだ。
言葉遣いが下品なだけでなく、内容そのものも下品極まりない。

まず「基本的考え方」、これは3点があげられる。
1. この1年間、「3本の矢」によってもたらされた変化を一過性のものに終わらせず 、経済の好循環を引き続き回転させていく。
2. そのため、日本の「稼ぐ力=収益力」を強化。同時に、「日本再興戦略」で残され た課題(働き方、医療、農業等)にも対応。
3. デフレ状況から脱却しつつある今こそがラストチャンス。企業経営者や国民一人 一人に、具体的な行動を促していく。
つまり、「日本再興」の鍵は収益力アップにあるということだ。いいか、「日本の収益力 アップ」だぞ。つまり輸出の振興と貿易黒字の拡大ということだぞ。 それが正しいかどうかではなく、あんたたちの言っていることはそういうことだぞ、とい うことだ。
つぎに、そのための「10の挑戦」というのがあげられる。
「10の挑戦」といっても、3つ のプラン群に分けられていて、本質的な部分は 1.日本の「稼ぐ力」を取り戻す  という プラン群に絞り込まれる。
1.日本の「稼ぐ力」を取り戻す
の構成は
A 「企業が変わる」~「稼ぐ力」の強化
B 「国を変える」
となっており、ここの挑戦に成功すれば「日本再興」が成就されるという仕掛けだ。
実はこれだけではダメで、雇用の量と質の改善、中小企業をふくめた経済のボトムアッ プが不可欠なのだが、それについてはとりあえず置いておく。
中身に入る前に、まず作業仮説として考えてみよう。
輸出の振興と貿易黒字の拡大を実現するために、日本の産業構成をどう変化させなければならないか。
答えは小学生でも分かることだ。輸出型産業・企業の振興だ。
そこには、既存企業の 中で輸出プロパーへの支援を行うこともふくまれるだろう。

と前振りをしたところで、彼らの戦略の5つの柱を紹介する。
1.コーポレートガバナンスの強化
  コーポレートガバナンス・コードの策定
2.公的・準公的資金の運用の在り方の見直し
  GPIFの基本ポートフォリオ、ガバナンス体制の見直し
3.産業の新陳代謝とベンチャーの加速、成長資金の供給促進
  大企業を巻き込んだ支援、政府調達への参入促進、エクイティ等の供給
4.成長志向型の法人税改革
 数年で法人実効税率を20%台まで引き下げることを目指す
5.イノベーションの推進とロボット革命
 革新的な技術からビジネスを生み出すナショナルシステム、 ロボットによる社会的課題の解決と新たな産業革命
 正邪を云々する以前の問題だ。とにかく「輸出の振興と貿易黒字の拡大を実現するために、日本の産業構成をどう変化させなければならないか」という自らの問いに対する答えになっていない。
その知的退廃ぶりに は思わず目を覆ってしまう。
若干の注釈をしておくと、
1.コーポレートガバナンスというのは経営の透明性のことであるが、実際には日本型 経営を捨てて株主重視のアメリカ型経営へ移行せよという主張である。
2.GPIF はこのあいだも書いたが、年金運用機構のことで、ポートフォリオというのは 資金配分。つまり、もっと株式市場に資金を入れろ、運用係に自由度を与えろということだ。
3.エクイティというのは銀行から融資してもらうのではなく、株式を発行して資金を調 達するようにしろという主張だ。1.とつながる主張である。
 4.説明不要
5.バカバカしい夢物語

要するに、小学生でも分かるような解答はまったく準備されていない、ということだ。 皆さん、泣けてきませんか? これが日本の“叡智”を集めて出した結論なんです。

最近どうもよくわからないのだが、大企業減税による成長戦略というのが、どうして「日本再興」につながるのか、その理屈はどうなっているのだろうかということがひとつ。
もう一つは、政策立案者なり実行主体なりがその「理屈」を本当に信じているのかということだ。
さらに言うなら、「トヨタ栄えて国滅ぶ」という結末にならないのか、説得力をもって説明できていないし、する気もないことも気がかりだ。
本日の赤旗には、去年6月に出された「日本再興戦略」が紹介されている。これは安倍政権がアベノミクスの第3の矢として打ち出したものだ。
前から、この第3の矢は方向が逆だと思っていたが、それが消費税増税でモロに出たことはご承知の通り。
というのも、第1の矢である大胆な金融緩和と、第二の矢である赤字国債による公共投資の拡大はある意味で古典的な景気刺激策であり、その方向で成長を実現し内需を喚起し、もって財政の改善を図るというものだ。
ことの是非や実現可能性はともかくとして、理屈そのものはよく分かる。
しかしこの第3の矢は第1,第2の矢の方向と真っ向から対立してしまうのではないか。企業減税はいいとしても、その財源を大衆収奪の強化にもとめるのでは、成長どころか水かけになってしまう。政策的な一貫性がないのである。
学校の試験でこのような答えを書いたら、落第まちがいなしではないか。

とくに財務省の考えが見えない。そもそも財務省は財政再建を至上命題としてやってきたはずだ。そのためには景気後退が長引こうとも引き締め政策を堅持しようと突き進んできたはずだ。
しかし政策主導で金融緩和と大型公共投資が行われ、そのやり方は頓挫した。であれば根本の考えは保留するとしても、とりあえず積極財政にふさわしい財政のあり方にかじを切るべきではないか。ブレーキとアクセルを両方とも力いっぱい踏み込んでいたのではエンジンがぶっ壊れてしまう。
この辺りをどう考えるのか、さっぱり見えてこないのである。

一番肝心なこと、国民はもう我慢できないところまで追い詰められてきていること、それを見ているのか、見えているのか、そのあたりが全く見えてこないところに、最大の危機感を感じてしまうのである。

16日のロシア国営テレビがプーチンとのインタビューを報道した。
このインタビューの中身をめぐって若干の混乱があるようだ。
共同通信ウラジオの通信員の記事が配信されている。そこではこうなっている。

1.クリミアはロシアの歴史的な領土で、そこに居住しているロシア人が危険にさらされていた。彼らを見捨てることはできなかった。

2.昨年2月にヤヌコビッチ政権が崩壊した際、ロシアは核戦力を戦闘態勢におく準備を行った。状況がどのように展開しても相応の対応ができるよう指示した。

3.クリミア編入に際し、ロシア軍2万人以上を動員し、大量の地対空ミサイルなどで半島を要塞化した

一方赤旗に掲載されたモスクワ発の時事通信では、
1.プーチンはクリミア軍事介入の際に核戦力を使用できる臨戦態勢に入る用意もあった。
2.ただ、軍事専門家は核臨戦体制を主張したが、プーチンはこれを却下した。
となっており、ずいぶん様子が違う。おそらくは時事通信のほうが聞き違いではないかと思う。プーチンが言う核戦力は、欧米諸国が干渉してきた時に対抗する戦略核のことであろう。
クリミアで実際に戦術核を使うということではないだろう。
毎日新聞の田中特派員も、「クリミアを一方的に編入した際、核兵器の使用を準備していた」と書いている。
赤旗は時事通信の配信を使って「核使用を準備」と横見出し、縦に「クリミア介入時」と並べた。
時事がそう書いたのだから仕方ないといえば仕方ないのだが、勇み足といえば勇み足。
さらにリード記事で
プーチンはクリミアを併合する際、核兵器を使用する準備をしていたことを自ら明らかにしました。
とまで踏み込むと、さすがに実態とはかけ離れてくるようだ。
もちろん、プーチンの発想は冷戦思考剥き出しのとんでもないもので、糾弾に値する。しかし記事はちょっと跳ねすぎのようだ。
この見出しなら本来は一面トップだろう。しかし欧米通信社は意外に冷静のようである。


そろそろ出てくるだろうと思ったが、案の定出てきた。
公明党・創価学会の謀略ビラだ。
bouryaku
今のところは「内部資料」だが、終盤になれば全戸配布でもやるだろう。
「無責任、嘘つき、ひとりよがり」の3点セットは健在だが、
共産党に「安倍暴走ストップ」はできない は思わず吹き出してしまう。
もうひとつ、
共産党に「身を切る議会改革」はできない
は、ちょっと気になる。
このあいだのサンデーモーニングでも、大企業の刺客たる寺島氏が定数削減を声高に叫んでいた。
ひょっとすると、彼らは「争点化」するつもりかもしれない。
身を切りたいなら、政党助成金を返上すれば良い。明日からでもできる。
残念ながら、公明党・創価学会の言う通り、共産党は「身を切る改革」はできない。
なぜなら最初から政党助成金などもらっていないからだ。
と言ってしまえば話は終わりになるのだが、それでは斬り込み不足だ。
もう一つ、定数削減するのが小選挙区ではなく比例区だということを強調すべきだろう。
小選挙区制施行後の議会の劣化が叫ばれるいま、比例区削減は議会の自殺行為だ。
共産党は議会から閉めだされる。
それでいいんですか? 安倍暴走は誰がストップするのですか?
ということだろうね。

壬申の乱に関する重大な訂正

1.天武こそ天智の正統な継承者

672年 大海人皇子が挙兵(壬申の乱)。近江朝廷軍は惨敗し崩壊。政治・軍事の時代の終焉。 

大和王朝の世界史への登場(7世紀の日本)年表で、上記のごとく書きましたが、その後いろいろ調べると、事実は逆のようです。

時代が変化したのは、朝鮮半島をめぐる事態が変化したのが主要な理由で、天智天皇(中大兄皇子)と天武(大海人皇子)とのあいだには、少なくとも外交路線をめぐる断裂はなく、むしろ同じ路線を続けたことに意義があるように思えます。

もともと二人は乙巳(イッシ)の変を成し遂げた同志です。大化の改新というのは645年に一気に仕上げられたのではなく、その後671年に天智天皇がなくなるまでに進められた一連の改革なのです。それらの改革を推進したのはこの二人なのです。

兄弟で改革を進めるのはよくあることで、たちどころにケネディ兄弟、カストロ兄弟などがたちどころに挙げられます。

ただ天智天皇は25年も政権のトップにいたわけですから、当然天智プロパー集団が形成されていきます。ここで大海人皇子が突っ張ると、政権内部には「世代交代論」とかいろいろ支障が出てくるわけで、とりあえず一度引いたのだろうと思います。

これが平時であれば、それでめでたしめでたしということになったのでしょうが、世の中そうは行きません。

2.対唐・対半島路線の継承

中国から皇帝の特使が来て新羅参戦を迫る中、新政権がそれに対応できないと、大海人皇子政権待望論が出てくるのは必定です。

唐の皇帝特使が近江朝から何らかの言質をとって帰途についたのが5月で、大海人が兵を起こしたのが6月です。「何らかの言質」の内容は明らかにされていません。

近江政権がどういう対応をとったのかは不明ですが、朝廷内の百済マフィアは盛んに主戦論を煽ったのではないでしょうか。

壬申の乱と天武の即位は、天智天皇路線の否定ではなく、むしろ乙巳の変とその後の改革路線の再確認と踏襲ではなかったのでしょうか。

それは、外交路線で言えば「新羅と敵対する路線はとりません」ということでしょう。もっとも賢明な選択です。

もちろん唐とことを構えるつもりはないが、唐とつるんで新羅をやっつけるつもりはない。なぜなら新羅がやられれば、その次は日本だからです。

3.親百済派の抑え

内部的には新羅との対決を望む旧百済勢力との対応が一番の問題だったでしょう。当時の政権内部には多くの百済人亡命者がいたでしょうし、北九州には任那復活を目指す勢力も屯していたでしょう。

これを乗り切り、国家的決断するには大海人皇子しかいないという状況があったのではないか。結局のところ、彼の判断は「百済・任那マフィア切り」ということではなかったのかと思います。

付け加えておきますと、国家的危機においては外交というのは戦略・軍略と同一化します。

大化の改新は土地制度に焦点を合わせて論じられますが、それは富国強兵策であり、朝廷軍の強化のための改革なのだということを強調しなければなりません。土地の管理リストをつくるということは、徴兵対象者のリストをつくるのと同じです。

大化の改新にかかわった大海人皇子が、その徴兵リストを確保していたとすれば、戦いの帰趨は最初から明らかではなかったでしょうか。

7世紀の年表(3月5日 改訂)をご参照ください

同じく赤旗の読書欄。外山滋比古「知的生活習慣」(ちくま新書)が紹介されている。

語り口の面白さで定評のある売れっ子評論家だが、次の一文が面白い。

日記の実用性は極めて乏しい。

日記の効用は備忘ではなく、日々の生活で頭のなかに溜まっていた余計なことを忘れて、頭を整理することだ。

「文字で書いた言葉は忘れやすい」、という人間の性質を利用して、日記を書いて頭のゴミ出しをすれば気分は爽快となる。

そういう性質がほんとうに人間にあるかどうかは別にして、まあ確かにあたっている。

ブログだと誰かに読んでもらえるから、「しゃべっている気分」にもなれるし、なおさら良い。

ただ、忘れるというより「圧縮している」という気分のほうが強い。綺麗に圧縮できた時は、結構しっかり頭にイメージとして残る。圧縮が不十分だと、書いたという事実までふくめてそっくり抜け落ちる。そのくせいつまでも気にかかる。

あんまりいい記事なので、そのまま貼り付けちゃいます。著作権等で問題あったらすぐ取り下げますので勘弁して下さい。
doramanotane

多分、虚実ないまぜの話だろうが、「いいアリバイだ!」のセリフは決まっている。鶴橋さん、どの役者をイメージしているのかな。

「アート鑑賞、超入門! 7つの視点」(集英社)を書いた藤田令伊さんという人のインタビューだ。

題名だけ見ると、ちょっと退いてしまう。新聞の書評というのはだいじだなと思う。

囲み記事だから、中身というよりも雰囲気。

創作するより、見る人のほうが圧倒的に多い。自分の考えで作品と向き合うこともアートだと思うんです。

ウム、なかなか冴えている。

変だと感じたら「異論」を発すること、それを認められる社会にすることが大切だと思います。
鑑賞で培った批判精神は社会の健全さを保つ力にもなるのではないでしょうか。

ここね、「異論」好きである私には結構落ちるところがある。

あまり藤田さんはここを追究しないで、社会問題に流し込んでしまうのだが、作品と向き合えば、良い作品は語りかけてくるはずで、それが世間的に見て「異論」だとすればもって瞑すべしである。

異を立てることに目的があるのではなく、結果として“異”であったとしてもそれに素直に従うべしということなので、へそ曲がりではなく、素直なのである。

変だと感じないのに異を唱える奴がいるが、これは非本質的なただのイチャモンにすぎないから、相手にする必要はない。

そこいらへんをもう少し突っ込んだ上で、「それを認められる社会にすることが大切」と踏み込んでいくと、議論はもう少し深みのあるものになったろうと思う。


酒が入っているから話はとりとめない。

なんで内部留保が積み上がるのか。不安感がそうさせるのか、

私は「人間、貯めるのが好きだから」というのがあると思う。

人間というが、人間ばかりじゃない。犬だって下駄とかボールだとかなにか訳のわからないものを床下に集めるものだ。そういえば、猫はあまり貯めないかな。

私も子供の頃から考えると、ずいぶんの収集マニアだ。まずはお定まりの野球選手のブロマイド。集めたブロマイドをグループ分けしたりしたものだ。欲しければ人のものまでくすねた。それがバレてボコボコにされたこともある。

次が切手、これはさすがに金券だからそうは集まらない。親戚の土蔵に忍び込んで、昔の手紙から切手を剥がしたこともある。これもおやじからしこたま殴られた。

記念切手の販売日は郵便局の前に並んだ。どういうわけか買ってから10分位走り続けると、学校に間に合った。あれは「ご成婚記念」だったかな。たまに遅れることもあるから、先生からげんこつを頂戴することになるが、「知ってるぞ、あんたも切手マニアだろう」と腹の中でつぶやいていた。たしかにいつものげんこつよりちょっとソフトだった。

月と雁もあった。ビードロは2枚もあった。切手のカタログ本を見て、何時間も過ごした。子供ができたのでくれてやろうと思って、実家の本棚や机を引っ掻き回したが出てこない。時価何万円かなぁと思うが結局パァだ。

これは実に教訓的だ。やっているうちに、集めることが自己目的になるのだ。そこから先がない。

お金も収集対象としては実に魅力的だ。実際コインも集めたことがある。しかしこれは趣味としてはちょっと卑しいところがあり、あまりのめり込むところまでは行かなかった。

貯金通帳に貯まるお金が趣味という事にはならなかった。ただ収集家というのは基本的にはけちであるから、それを使うことには身を切られるような痛みを感じる。


それでもって、内部留保の話に戻るのだが、こういう貯めこみ根性は企業家精神とは著しく背馳するのである。

経営というのはゲームみたいなものだから、お金は回していかなければならないのである。もちろん倹約精神も大事だが、それは家政の問題だ。旺盛な企業精神とは別の世界である。

麻雀だってトランプだって、引いたら捨てなければならない。誰か一人が貯めこんだら、ゲームが成り立たなくなる.

人間社会というのも、ゲゼルシャフトリッヒに見れば、ゲームの世界みたいなもので、二つの掟があるのだ。ひとつはカードは回っていなければならなということであり、ひとつは一人勝ちになってはいけないということだ。

いまはこのゲームが回らなくなってきている。完全に回らなくなった時、ゲームは終了し、この世は暗転するのではないだろうか。

それを防ぐには、みんなが収集癖を自制しなければダメだろう。ましてや収集癖が高じて社会的理性を失うようになってはいけない。

そこを、もう一度考えてみる必要があるのではないだろうか。

昨日の夜は、無事につながって、メデタシメデタシとなった。
一夜明けると今度は別の難関が出現した。
つながるにはつながったのだが、相手のファイル一覧が出てこない。
また解説書を読み始めたが、一見親切そうで、必ず勘どころを外してくる。
とにかくもともとつながっていたものが繋がらなくなるのだから、どう考えてもファイアウォールかウィルス対策ソフトの問題だ。
自慢じゃないが、私は「備えなくても憂いなし」の人で東京電力も真っ青の人だ。まったく入れないとパソコンのほうでウダウダ言ってくるので、マイクロソフトの只のウィルスソフトだけ入れている。
アマゾンも使わないし、ツィッターとかもやっていない。もちろんウィニーのようなものは手を出していない。会社のデータも触っていない。
なんだかやっているうちに突然下の絵が出てきた。
ffftp
全部許可して、「アクセスを許可する」をクリックした。
それから再立ち上げして、接続してみた。それでもつながらない。
そこで表示→「最新の情報に更新」を押してみた。これで出た。
一応、接続→設定変更→「ホストの設定」で下記を設定しておいた。
1.基本タブ: 「最後にアクセスした…」にチェック
2.拡張タブ: 「PASVモードを使う」にチェック
3.高度タブ: 「LISTコマンドでファイル一覧…」にチェック
これでFFFTPを再立ち上げした。どうやらおとなしく言うことを聞くようになったようだ。
ときどきでなくなるので、その時は表示→「最新の情報に更新」を繰り返すしかない。

問題は、上の図がどうやって出てきたのかがわからないことだ。
多分、「PASVモードを使う」や「LISTコマンドでファイル一覧…」をつけたり外したりしているうちに、
ファイアウォールが「こいつは可哀想だ」と思ったんじゃないだろうか。

以前FFFTPがウィルスにやられた時に、対応策がいろいろとられて、それ以来扱いが難しくなったようだ。
パスワードも毎回毎回聞いてくる。けっこううっとうしい。しかしいまさら他のソフトに切り替えるのはもっと面倒だ。なんとかなるうちはこれでやっていこう。

しばらく使わないうちにFFFTPが動かなくなってしまった。
ブログばかりいじっているから、最初の設定など忘れてしまった。
そこで解説書を見ながらやってみたのだが、まったく動かない。
どうでもいいことはずいぶんたくさん書いてあるのだが、
どうやれば接続できるのか、肝心なことを見事に外してある。
まずは「ホストに接続できません」の壁が突破できない。
「パッシブモードに切り替えろ」と書いてあるが、
どこにその切替があるのかは書かない。
素人が困っているのを楽しんでいる様子さえ伺える。
ここは、こう書けばよいのだ。
私のホームページは
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/
となっているが、
ここから“http://”と最後の“/shosuzki/”を消したものがホスト名だ。
つまり“www10.plala.or.jp”だ。
これで「ホストに接続できません」の掲示は消える。
ちなみに、パッシブモードの切り替えは、接続→ホストの設定→設定変更で「ホストの設定」画面を開き、「拡張」タブをクリックすると出てくる。ただしデフォールトで「PASVモードを使う」ことになっているから、関係ない。さらなる混乱を招くだけの余計なお世話だ。

「ホストに接続できません」の掲示は消えたが、その代わりに「ログインできません」の掲示が出てくる。
パスワードが間違っているのだ。ぷららからもらったパスワードとか、メール用のパスワードとかいろいろ入れてもうんともすんとも言わない。
それで解説書を見ると、「会社に聞け」としか書いてない。
しかしそれは変だ。たしかこれは会社からもらったパスワードではなくて、自分で作ったパスワードのはずだ。
そう思っていろいろやっているうちに、
ffftp
というのを見つけた。
これで接続→設定→「マスターパスワードの変更」と進んで、
出てきた画面で「マスターパスワード」を入れなおせば良い。
それでやったらついにアクセスできた。やったぜベイビーだ。
しかし、いつ、どうして、パスワードが私の知らないパスワードに入れ替わっていたのだろう?
なかなか気持ちの悪い話ではある。

とにかくFFFTPでお悩みの方、どうかご覧あれ。

ところで、なんでこんなに苦労しているかというと、「キューバ革命の歴史」があまりにも長過ぎるので、簡略版を作ろうということなのである。
11月の旅行前に、プロモーションとオリエンテーションを兼ねてパンフを作ろうということになったのだが、いまのままでは旅行が終わってもまだ読みきれない、ということになりかねない。
少し短くして写真を増やして、サラサラっと読めるものにしなければならないだろう。

辺野古基地建設が危機に陥った

辺野古現地で頑張っている人たちの力と、沖縄県民の団結、県知事の毅然たる姿勢の前に、辺野古基地建設は危機に陥っている。

ここ数日で、2つのアキレス腱が露呈された。

1.法的瑕疵の問題

この発言自体にどれほどの重みがあるかは別だが、菅長官が12日の記者会見で言った言葉

瑕疵があれば別だが、なければ粛々と進める

これについて赤旗(竹下記者)は、

瑕疵を認定されれば工事を止めざるをえないと認めた発言です

と切り返している。

紛糾すれば「食言」として対応せざるをえないだろうが、心理的にはそこまで追い詰められているという証拠だろう。

菅長官が「瑕疵はない」と強弁するのは、仲井真知事が埋め立て承認を出したということに尽きる。しかしこれだけの県民一致した反対を押し切るのに、前知事の出した古証文を振りかざすだけでは、たとえ瑕疵はなくても無体である。

もう一つは、証文そのものに瑕疵があるかも知れないということだ。

翁長知事と県側は、岩礁破壊の許可書はサンゴ礁の破壊は認めていないとし、サンゴ礁の破壊があれば岩礁破壊の許可を取り消すと主張している。

「ベニスの商人」の理屈と同じで「肉1ポンドは与えるが、血の一滴も奪うことは許さない」という、ちょっと屁理屈っぽい話になる。

この場合の「瑕疵」は、県の第三者委員会が判断することになっている。ここがみそだ。

古証文の瑕疵を判断する主体は県側にある。なぜならそれを出したのは県知事だからだ。菅長官にあるのではない。「瑕疵があれば」云々はいかにもまずかった。

2.米軍の調査拒否

これは一発アウトだろう。決定的にまずい。日本政府の頭越しをやってしまった。

県はサンゴ礁の状況を確認するため、米軍が管理する立入禁止海域内での潜水調査を求めたが、米軍は「運用の妨げになる」との理由で拒否した。

というのが経過だ。

そもそも認可の条件がサンゴ礁の保護にある以上、認可を出した県側の調査を拒否するいわれはない。日本の法に従えば、控えめに見ても公務執行妨害である。

アメリカの法に基づいて拒否したのなら、アメリカの法に訴えればよい。どこかの連邦地裁に提訴すれば、黒白ははっきりする。

「残念ながら日本政府との安保条約に基づいて行動している以上、政府からの直接要請でない限りご要望にお応えできない」と言うべきだったのだ。

そもそもアメリカ軍が日本の地方行政府と直接対立してはならないのだ。それは日米安保条約の本分にもとることになる。安保条約がなければ、アメリカ軍はヤクザ集団と選ぶところはない。


まずは再度、再々度、調査の申し入れをすることだろう。調査ができないこと自体が「検証不能性」という「瑕疵」となってのしかかるのは米軍の方だ。

翁長さんは何度でもお願いすればよい。「運用の妨げになるようなことはしませんから」といえばよいのだ。なんなら、アメリカ軍の司令部の前で土下座してお願いしてもよい。

そうすれば、何が「運用の妨げ」になるのかが明らかになる。なぜ「お願い」しなければならないのかも明らかになる。


が出なくなってしまった。

から行こうとしたのだが、「その7」だけが出てこない。

No404だ。

グーグルから行こうとしたが、これもダメ。

 の項目は出てくるので、その右の逆三角をポッチする。

出てくる。

上の方にコメントがついていて、

これは Google に保存されている http://shosuzki.blog.jp/archives/5011619.html のキャッシュです。 このページは 2014年12月17日 23:43:04 GMT に取得されたものです。 そのため、このページの最新版でない場合があります。

今度はマイページから「記事一覧」で探してみる。記事そのモノはあった。ただしURLは変わっている。

現在のURLはhttp://shosuzki.blog.jp/archives/4316701.html

ということだから、この4ヶ月以内にURLが変えられたようだ。自分で変えた覚えはないのだが…


どうも良く分からない。

最良の対処法は記事のURLをもとに戻すことなのだが、それは不可能のようで、5011619から4316701に転送させる方法があるらしいが、どうもうまくいかない。

あっ、行った。転送先と転送元を逆にしたらハマった。

tensou

一応メモしておく。

マイページ→ブログ設定→ブログURL→ブログ内URL転送

この画面で一番右下に転送設定を追加するというボタンがあるので、そこをクリックする。

こんな画面が出てくるので

404が出てくる方のURLを転送先に入れる。生きている方のURLを転送元に入れる。

http://shosuzki.blog.jp/の部分はカットする。

これで転送されます。うまく行かなかったら入れ替えてみてください。

8日の赤旗の一面トップ記事。
トヨタの研究開発減税が1201億円(2013年度)だった。
これは赤旗記者が有価証券報告書の「財務諸表」と「税効果会計」から計算したものだという。
14年5月にトヨタの社長が「日本においても税金を収めることができるようになった」と述べて、衝撃を与えた事件を裏打ちした調査報道となっている。
ただしあくまでも推定である。
08年にリーマン・ショックのあと、トヨタの経営が一気に赤字に転落したのは記憶に新しいが、その年から5年間、トヨタは法人税を1円も払っていなかった。
それが13年度に過去最高となる2兆3千億の営業利益をあげた。その年に1201億円の減税を受けていたことになる。
話はそれだけだ。記事はそれにいろいろと尾ひれをつけているが、細かいところはなかなかあやふやだ。
まぁそのうちもう少し確度の高い情報が出てくるだろうから、それまで評価は待つことにしよう。

元銀行マン、つまりは老健の事務局長なのだが、と話していると、ある種のペシミズムとニヒリズムが根底にあることがはっきりする。これはなかなか打ち破るのが難しい。

「異次元の金融緩和」でジャブジャブにして、そのカネで国債を買いまくり、年金機構に国債から株式証券へのシフトを促す。これによって株価を維持して企業と金融が安定すれば、その内に景気の循環局面が好転するだろう、という筋書きだが、その先に未来はない。

それどころか、その先には奈落の底が待ち構えている、といえば反論はしない。「しかしいまの日本にはそれしかないのだ」ということになる。

通貨をどんどん発行すれば、インフレが現象するはずだが、企業がすべて内部留保に回しているから物価騰貴としては出てこない。しかし国民の総資産に対して通貨量が爆発的に増えているわけだから,庶民の所得は間違いなく減価している。

それが需要の減退から経済の縮小再生産へと至ることは自明であるが、これも「しかしいまの日本にはそれしかないのだ」ということになる。

その先に窮乏化革命論をくっつければ話は簡単なのだが、さらにその先には未来はない。

やはり「計画経済」とか「経済の社会化」という議論を積み上げていかないと本当の前進的議論はできないのではないかと思う。

ただ「計画経済」という言葉にはあまりにもスターリニズムの汚濁が染み付いてしまっている。

だから旺盛にスターリン批判を転回している不破さんも、なかなかそこには踏み込まない。

だから「計画経済か市場経済か」という不毛の議論が、ソ連崩壊後の一世を風靡し、民医連の幹部さえとくとくと語り、はては「計画でも市場でもない第三の道」として非営利・共同の路線が堂々と打ち出されたのである。


私は、「計画経済」とか「経済の社会化」というのは、究極的には、資本主義という経済システムを飼い慣らすこと、家畜化することを目指す議論なのだろうと思う。

そしてそのことによって「ジャングルの掟」から抜け出すことを目指しているのだと思う。

もちろんそのすべてを家畜化するのは不可能だろうし、経済はそのような試みに手荒く立ち向かってくるだろうと思う。

ただ人間は自然に翻弄されるだけの状態から始まって、ある程度自然をコントロールし、上手に利用する方法を身につけたのだから、経済という社会現象もやがてはコントロールできるようになるに違いないと思う。

それが、段階として、あるいはアプローチの方法してさまざまな形態をとるにせよ、なんとかこの荒馬を飼いならして乗りこなすという目的に沿った努力だろうと思う。

例えば投機資本に対する規制だったり、租税回避への規制だったりするし、より積極的には生産・事業の計画化だったりするわけだ。

そして根本的にはユニバーサルな経済秩序の形成に行き着く。それは強力な金融的裏付けを持つ、決済機能にとどまらない、国際通貨の創設がひとつのメルクマールとなるのではないか。

所有形態の問題はたしかに重要だが、グローバルな観点から見れば、それは決してメインではない。生産と分配を社会的な合意の下に行うようになれば、生産と分配に関する組織は自ずから社会化され、解決していくだろう。

共産主義は、産を共にするという意味ではなく、共に産み出すという意味だ。

ただし移行期(全体の流れに逆らおうとするものとの闘争の時期)においては、それは一国内の個別の形態においては、激しい論争のもとに置かれるだろう。


ペシミストという点ではピケティも同じだ。

彼はマルクスの貧困化理論を過去200年の銀行統計を使って立証した。そして世界大戦後の貧富の差の縮小を一過性のものと見ている。そしてそれが可能となった原因をさまざまに検索している。

だが果たしてそうであろうか。それは純粋に経済的な事象であったのか。

私は、戦後のITCを中核的概念とする革新的システムこそが現実に世界を変えたし、経済成長とともに格差の縮小をもたらすという“奇跡”をもたらしたのだと思う。

それは一方におけるアメリカ帝国主義の横暴、一方におけるスターリニズムの跋扈という政治的事情により歪められ、大量生産・大量消費という奇形的成長により挫折した。

しかしそれに変わって登場した新自由主義は、わずか40年足らずでその無能ぶりを暴露している。

一過性なのは戦後体制ではなく、新自由主義なのではないか。


2011/10/17  通貨問題は貿易問題だ バンコールと国際貿易機関ITO

2011/10/20 – ITO国際貿易機構)の遺したもの その1 
2011/10/27 – ITO国際貿易機構)の遺したもの その2 

いろいろ考えたが、やはり一人で囲っておくのは惜しい。
この涙腺刺激メール、相手の迷惑にならないよう細工して、載せることにした。

U 先生へ
北大で一緒だった鈴木頌です。
いま、ブルックナーの8番を聞いていて、突然思い出しました。
レコード借りっぱなしです。
と言っても、もうどこかに行ってしまったけど
たしかショルティのロンドン盤でした。
そのほかにワルキューレも聞かせてもらいましたが、
当時の私には歯が立ちませんでした。
ネットで探したら、ホームページでお顔を拝見しました。
40年過ぎるとこういう顔になるかと、自分の顔を鏡で見直しました。
私も民医連を退職して
今では老健施設でお世話になっています。
いまさらお礼もお詫びもできませんが、
一言ご挨拶させていただきます。
お元気でお暮らしください。
このメール、着くと良いのですが…

鈴木さまへ
 メールを感謝いたします。まるで、一気に青春時代の真っただ中にいた時代に舞い戻ったようです。あの頃は、学生運動のために休講が多く、その時間を私は音楽鑑賞などに当てていました。その際、鈴木君にレコードをお貸ししたのでしょう。あの演奏では第二楽章のトリオ部分に於いて天使が歌っているように感じたことをよく覚えています。
 …相変わらず音楽は聴いており、勿論、ブルックナーもよく聴きます。そして、ワルキュウレも時には聴きます。
 …安倍首相という第二の東条のような売国奴が闊歩するような日本は、到底許せるものではありませんが、多勢に無勢、耐えるしかないでしょう。鈴木君の正義への闘争の姿が今でも鮮烈に浮かんできます。
 まことに貴重なメール、有難う存じます。

このところ赤旗を読むヒマがない。読み始めると必ず引っかかってしまうからだ。

昨日は西尾勝さんだったが、今日は、北岡伸一さんの発言が気になって止まらなくなった。

記事は一段で、二面の右下にひっそりと載っているのだが、北岡さんがいよいよ安倍政権との対立を露わにし始めたという点ではかなり注目だ。

まずは記事の紹介。

北岡さんは国際大学の学長だが、安倍首相の諮問機関「戦後70年談話に関する有識者会議」の座長代理という、いわば最強の安倍ブレーンだ。

この北岡さんがシンポジウムで下記のごとく発言した。

侵略して悪い戦争をして、たくさんの中国人を殺してまことに申し訳ないということは、日本の歴史研究者に聞けば99%そう言う。

私は安倍さんに“日本は侵略した”と言ってほしい。

戦後70年経って、“謝罪のほうが談話の中心に来るかどうかがキーだ”というメディアには私は違和感を覚える。

記事はこれだけだ。

私もこれにほぼ同感だ。ひとつは謝罪ということではなく、侵略の事実を認めることがだいじだということだ。何が申し訳ないのかを明らかにした上で謝罪すべきだということだ。

悪いことをした会社が記者会見をやって、土下座して謝ったりしているが、そういうことではないのだ。謝るべきは「世間をお騒がせした」ことではない。形ではなく中身だ。

そのうえで大事なことは、戦後70年、日本が平和に徹してきたことだ。誇りを持っていい。そこをもっと強調すべきと思う。

その上でこれからも平和の思想を貫いていくことを明確にすること、これが最重要ポイントだ。これが今の日本人の大多数の心持ちではないか。

北岡さんはそういうことを言っているのだろう。勘ぐれば、「観測気球」かもしれないが、この際詮索はしないでおこう。

集団自衛権論者でもある北岡氏は、過ぐる戦争を侵略と規定することにより、今後の中国の膨張主義に対し、日本が「民族の自衛権」を発動する根拠が成立すると考えているようだ。

*2013年07月23日

もご参照ください。

聴き比べるといってもそれほど聞けるわけじゃないから、まず20番のハ短調のソナタから。旧番号(WUE)だと33番になる。
まずアンドラーシュ・シフとリヒテルはほぼそのままパス。要するに嫌いだ。シフはお経だ。お通夜だけでたくさんだ。リヒテルは汚い。不快だ。
次がギレリス。立派だ。ベートーベンだ。これを初めて聞いたら納得するだろう。ハイドンもたしかに大音響が好きな人だったが、彼のピアノフォルテにはそれだけの機能はなかったはずだから、その範囲で頑張ったのだろうと思う。だからギレリスの方向はちょっと違うのではないかと思う。
ギレリスをちょっと下品にするとソコロフになる。
ラーンキの2009年ライブというのがアップされていて、これはもっとすごい。リズムの揺れが大きい。ペダル踏みっぱなし。とてもハイドンを聞いている気になれない。Naxos の大立者ジェノ・ジャンドも同じような傾向だ。
次がワルター・クリーン。これはモーツァルト風だ。安心する。いい音だ。おしゃれだ。やはりハイドンはこういうほうがいいね。趣味の問題だろうけど。
フィルクスニーの音源もある。音は意外に悪くない。良く言えばギャラント風なのだろう。さっそうと弾きまくる。風速20メートル。快感と呼ぶにはちょっとモーレツすぎ。
意外と良いのがツァハリス。しっかりとハイドンしている。「美の壺」を抑えているね。
曲は違うが34番(旧53番)ホ短調をフェルドマンが弾いている。NHKの朝のリサイタルの映像が、本人によってアップされていて、たしかにすごくいい。ただ音だけで聞いてみると、一生懸命抑制はしているけど本質的に“弾きたがり”。中田翔がネクタイ締めていい子ぶっている感じ。クズネツォフ、右に同じ。
面白いもので、グールドやポゴレリッチが弾くとバッハ風になるし、ブレンデルが弾くとシューベルトみたいに聞こえる。正直リヒテルもハイドンは悪くはない。
結局好みになるのだろうが、私としてはやっぱりワルター・クリーンにとどめを刺すほかない。ペライアは弾かないのかな?

http://www.cao.go.jp/bunken-suishin/closeup/closeup01-3/closeup03.html

内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  地方分権改革  >  分権クローズアップコーナー  >  分権クローズアップ[有識者へのインタビュー]  >  第1回 西尾勝氏インタビュー


西尾勝さんによるこの20年間の地方分権の議論のまとめである。戦後改革との関連で見れば言いたいことはたくさんあるが、それなりに政府部内での議論の経過はよくまとめられており、説得力もある。地方選挙を間近に控えたいま、学ぶべきことは多い。


地方分権改革の総括

地方分権改革は、1993年の国会による地方分権推進決議から始まった。

それは1980年代以降の行政改革の流れと、1989年のリクルート事件に端を発した政治改革の流れとが合流したものだった。

それ以降の地方分権改革は行政改革の流れに便乗して進められてきた。そこでは政治改革の流れは忘れられがちになった。

地方自治の拡充を目的にした地方分権改革と、行政の減量・効率化を目的にした行政改革とは本来は一致しないものだ。ときには対立し合う側面も持っている。

道州制構想の問題は、地方分権改革と行政改革との矛盾が、衝突する可能性のあるテーマではないか。

地方制度改革の歴史と「所掌事務拡張路線」

戦後の地方制度改革はシャープ勧告・神戸勧告に始まった。その後、

1.国・都道府県・市町村の間の事務配分及び税財源配分の見直し

2.事務移譲の「受け皿」を再編成すべく、町村の合併あるいは特別市制の実現などが図られた。

3.その延長線上に、道州制の実現が繰り返し論じられ続けた。

総じていえば地方公共団体が所掌する事務を拡張していこうとする「所掌事務拡張路線」が一貫していた。

いわゆる「第一次分権改革」

93年に地方分権推進委員会が最初に設置された。

この委員会では、自由度拡充路線に属する改革を基調とし、事務の配分はそれほど大きく変えないで、裁量の余地、自由度をできるだけ広げようとした。

その結果、住民自治の側面の拡充よりは団体自治の側面の拡充に偏り、所掌事務拡張路線よりは自由度拡充路線に偏る結果となった。多くの課題が未完のままに残された。

「第一次分権改革」で将来に残された課題

地方分権推進委員会は2001年に最終報告を出して解散した。ここで上げられた課題は以下の6項目である。

1.地方税財源の充実確保。

2.法令等よる義務付け・枠付けの緩和。

3.事務権限の移譲。

4.地方自治制度の再編成。

5.住民自治の拡充

(6.は書かれていない)

このうちの1と2は、「自由度拡充路線」に属するものであり、3と4は「所掌事務拡張路線」に属するものである。

いわゆる「三位一体の改革」

「第一次分権改革」のあと、、いわゆる「三位一体の改革」が始まった。これは小泉内閣が政治主導で進めたものだった。それは自由度拡充路線の実現を目指すものだった。

2006年に地方分権改革推進委員会が設置された。それは地方分権推進委員会の最終報告の「1.地方税財源の充実確保」を念頭に置きつつ、「2.法令等よる義務付け・枠付けの緩和」に進もうとした。

しかし、残念ながら、所期の意図に反する結果になって挫折したと言わざるを得ません。

「歳出歳入一体改革」から道州制論へ

この「三位一体の改革」はまもなく挫折した。その後、小泉内閣の末期の経済財政諮問会議が「歳出歳入一体改革」を掲げ、その方策として国の出先機関の原則廃止という方針を打ち出した。

続く第1次安倍内閣では、道州制ビジョン懇談会が打ち出された。

要するに、国の側も地方公共団体の側も、急速に所掌事務拡張路線に舵を切り始めた。

(議論が荒廃し始めた。地方税財源の充実確保、あるいは住民自治の拡充という共通のプラットフォームは失われた)

全国知事会は、国から都道府県に、または広域連合なりへ事務移譲を進めるよう強く要請し始めた。指定都市市長会は、指定都市を都道府県から独立させる「特別自治市構想」の実現を要請するようになった。

「所掌事務拡張路線」への批判

所掌事務拡張路線は、国と地方公共団体の間の激しい意見対立を生まざるを得ない。さらに地方公共団体の間でも、都道府県と市区町村の間の意見対立が先鋭化せざるを得ない性質を持っている。

それだけに、所掌事務に関する議論は殊更に慎重かつ綿密な検討が求められる。

全国知事会は「出先機関の原則廃止」や「丸ごと移管」を唱えるが、いささか議論が乱暴になっており、もう少しきめ細かい詰めが必要ではないか。

特別市構想や都制構想、道州制構想は戦前から繰り返し浮上しては消えてきた。それは素朴な着想の域を出ていない。

あらゆる懸案事項を一挙に解決できるといった万能薬のような制度改革構想など存在しない。そのことをまず確認すべきではないか。

地方税財源の充実確保こそが最優先課題

依然として、「残された課題」のうちの最優先課題は、地方税財源の充実確保である。

財政再建の過程で、いかにしてこれを実現していくのかは大変難しい問題だ。にもかかわらず、最重要課題であることもまちがいない。

消費税の増税という過程で行うことは既にもう無理になっていると思う。将来どのように変えるべきかを、今から双方が検討しておくべきだろう。

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