鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2015年01月

(講演〉 転形問題論争をめぐって    櫻井毅 (武蔵大学名誉教授)

やや、とりとめない講話だが、感じはよくつかめる

1.「転形」という言葉

「転形」というのはドイツ語で“Verwandlung”、マルクスの『資本論』の中における「価値から生産価格への転形」という意味である。

ドイツ語から訳した『資本論』の日本語訳では、ほとんど「転化」、あるいは「価値から生産価格への転化」と訳されている

“Transformation problem”(転形)は“Verwandlung”の英訳である。論争が主として英語圏で行われているために、「転形問題」と言われるようになった。

2.議論の対象

『資本論』の1巻と3巻のあつかう論点に関する議論である。マル経、近経を問わずいろんな人が議論に参加している。

問題が多岐にわたっているために結論めいたもの、決着というようなものがまだできてない。

3.なぜ議論になるのか

く簡単にいえば、マルクスの『資本論jの中では、価値から生産価格への転形についての説明に不十分なところが残っているということ、そのためにいろいろ問題が出てくるということ。

4.議論の始まり

1942年にポール・スウイージーが「資本主義発展の理論」を発表した。スウィージーはハーバード大学の出身で、シュンペーターの弟子筋にあたるが、やがてマルクス主義に移った人。

この本の中でボルトキエヴィチという人の論文が取り上げられた。ボルトキエヴイチは20世紀初頭のドイツの統計学者で、新リカード主義者。「マルクスの価値から生産価格への転形の方法というのはおかしい」と述べ、連立方程式を使ってその誤りを正している。

スウイージーはこの批判を発見し、マルクス経済学がこれを正当にあつかうべきと主張した。

5.日本における議論の状況

日本では意外にこのボルトキエヴイチの論文というのはみんな読んでいた。それに関する日本の研究というのはけっこうあった。戦前のそういう研究はマルクス批判家たちがやっていたから、戦後は全然相手にされなかった。

6.エンゲルスの問題提起

転形問題は、資本論の第一巻と第三巻の矛盾である。それはエンゲルスが『資本論』の第二巻刊行の折に読者に予告した。

まもなく第三巻を出すが、そこでマルクスは画期的な問題を提起して、見事に解決してみせる。

これは

A.商品が投下労働量によってその価値 を決定されるということ、B.資本家が利潤率均等化を前提とする価格 で商品を売買するということ

この二つがどう関係するかということだ。

価値と価格は矛盾するように見える。その矛盾するものをどうやって理論的に解決していくか、これについてマルクスはみごとに解決している。

というのがエンゲルスの見立てだ。

7.ベーム=パヴェルクの批判とヒルファーディングの反批判

ベームは第三巻は第一巻とは完全に矛盾してると批判した。その後のマルクス『資本論』批判のプロトタイプになる。

ベームの批判に対して、オーストロ・マルクス主義者のヒルファーデイングが反批判する。しかしヒルファーディングの反批判は弱点の多いものだった。

価値による商品交換は資本主義以前で、生産価格による交換は資本主義が成立してからだというもの。(それ自体は正しいと思うが、答えになってはいない)

8.転形問題はある意味では些末な問題

ボルトキエヴィチの最初の問題提起は

価値から生産価格へ転形する場合に、実際には全部の商品が生産価格で売られるのだから、生産のために購入する費用だけ価値で計算するというのはおかしい。

大体、価値で売っていないのだから価値で買えるはずがない。買うときはやっぱり生産価格で買うんじゃないか。

ということ

だから価値:x と、価格:y に関する連立方程式を立てなければならないということになる。

もう一つ、数字の計算の単位をどう決めるかで問題が出てくる。抽象的な“労働量”では同じでなければならないのに、具体的な“価格”で表示すると、総価値と総生産価格がイコールにならない場合がある。これは金の価格が変動するからである。

9.転形問題 最近の議論

最近の議論はもうそういう問題から離れてしまって、マルクス経済学とはいったい何なのか、マルクス経済学の課題は何なのか、近代経済学との関係はどうなるか、そんな議論になってきている。

ピエロ・スラッファ: イタリア人でケインズの友人で、リカードの全集の編集者。近経の需給均衡論ではなく、古典派的な利潤率の均等化を媒介にして生産の均衡を解く。

その影響は現代のかなりのマルクス経済学者に及んでいる。労働価値説は不要だと考えるマルクス経済学者も増えている。

それでは労働価値説はどうなるのか。マルクス経済学とはそれでは一体何なのかという問題が出てくる。

なかなかブハーリンに入れない。周りが気になってしまう。

村岡到さんという人が紹介しているバウアーのボリシェビキ批判が面白い。

バウアーというのはオーストリア社会民主党の活動家で、第一次大戦の後、社会民主党に委員長に就任。蜂起に失敗して国外に亡命するまでずっとその職にあった人物だ。

彼はボリシェヴィキを一貫して批判してきたが、スターリ ンによる「粛清」が伝えられた後の1937年にもなおバウアーは「われわれは、ソ連邦における社会主義を信ずる。現にあるソ連邦ではなく、未来のソ連邦を信ずる」と語ったそうだ。

村岡さんは民族問題におけるバウアーの理論的業績を中心に語っているが、私の議論の本筋ではないので省略する。

1919年に小冊子『社会主義への道―社会化の実践』を発表した。これはオーストリア社会民主党の目指す革命の道筋を語ることによって、間接的にボリシェビキの暴力革命路線を批判したものだった。

バウアーは。「社会革命は建設的組織的な労働の事業」であるとし、「政治革命」と「社会革命」を峻別した。そして工場を基礎とする「労働者委員会」を組織し、大工業及び工業全体を社会化することを任務とした。
さらに農民経営の社会化、住宅用地と家政の社会化、銀行の社会化などが打ち出される。

1920年に『ボリシェヴィズムか社会民主主義か』を著わした。このなかでレーニンとボリシェヴィキを「専制的社会主義」として仮借なく批判した。

われわれは、一握りの少数者による全人民の支配を意味する官僚的社会主義を欲しない。われわれは、民主的な社会主義を、言い換えれば全人民の経済的自治を欲する。

26年に『社会民主主義的農業政策』を著した。これは当時ソ連で進行中だった農業集団化路線を批判したものだった。この中で彼は「農民の収奪を考えるのは愚か者だけだ」と述べている。

同じ26年、バウアーが指導する社会民主党は、リンツ大会で新綱領を採択した。この綱領は一言で言えば「民主政に依拠して則法的に政権を獲得する路線」を打ち出したものだった。

社会主義が破局的なカタストローフの結果としてではなく、目標を意識した労働者の収穫として到来するように、われわれは残らず働 こう!



村岡さんの議論はややサンディカリズムに傾く。

おそらくバウアーは政治革命のプライオリティーを前提とした上で、「それだけでは社会革命は実現できないよ」ということなのだろうと思う。

政治権力の把握は革命のイロハなのだが、もし政治権力を握ったとしてもそれは社会革命の手綱を握っただけの話で、「革命というのは最後は現場での闘いなんだよ」ということではないか。

そういう現場というのは、20世紀のはじめにおいては労働現場でしかなかった。逆に言うと、そこで勝っていくしかなかった。農業の現場では状況は絶望的で、主体形成さえ困難だった。

そこでの失点を最小限に抑え、都市と工場とでそれを取り返すしかない。それもふくめての社会革命なのだ。

そのためには我々が政治的ヘゲモニーを握り続けなければならないわけだし、政治戦線の強化は、ますます必須の課題となっていくのだ。


ASEANの成立事情について詳しく書かれた論文を見つけたので、これに基づいて年表を増補します。

アジア冷戦とASEANの対応 ZOPFANをてがかりに」 黒柳米司
反共・親米のタイ、フィリピンと、反共・非同盟のインドネシアの間を取り持ちながら、マレーシアがまとめ役になって進んできたというのが経過のようです。
当初、フィリピン、タイはASEANに対して冷ややかでしたが、ベトナムのカンボジア侵入、中越戦争を挟んでASEANの重みを評価するようになったようです。
その後、フィリピンのマルコス政権打倒、インドシナ三国のASEAN加盟などを通じて影響力を広げてきました。
ASEANは経済共同体としての顔と、安全保障共同体としての顔を持っています。どちらもシステムとしては未成熟なものですが、ネゴシエーションの蓄積とノウハウについては学ぶべきものがあるでしょう。それがASEANを実態以上に大きく見せている秘密なのでしょう。

これはレーニンが繰り返し語った言葉だ。
レーニンにとって身に染み付いた言葉であろうと思う。
しかし、やはり「目には目を」的な発想が潜んでいると思う。
違和感が拭えない理由はいくつかある。
ひとつは、独裁に対置されるべきは民主であるからである。
独裁政権を打倒し、その政権を維持するには、独裁者とそれに追随した者たちがまたぞろ独裁政治の再現を狙おうとするのを押さえつけなければならない。しかしそれはもうひとつの独裁の課題ではなく、民主主義の課題である。
それを独裁というのは、言葉の綾としてはいいとしても、不正確で誤った発想である。
もうひとつは、ブルジョア独裁という言葉が、プロレタリア独裁を合理化するエクスキューズとして使われているにすぎないのではないかという疑念である。
ブルジョア支配の体制は、今日の日本も含めてだが、階級的本質から見ればブルジョア独裁と呼んで差し支えない。得票率から見れば1/4政党にすぎない自民党が国会の多数を握り、思いのままの政治を展開しているさまはまさにブルジョア独裁としか言いようがない。
しかしそれは統治の階級的性格について言っているのであって、具体的な方法についてではない。独裁というのは政治手法の一つであり、民意の無視ときわめて抑圧的な体制を意味しているのである。
革命前のロシアがまさにそうだった。それはロマノフ王朝によるきわめて専制的な国家だった。
それが2月革命によりケレンスキー政権が成立し、民主化への一歩を辿ろうとしていた。
そこに封印列車で戻ってきたレーニンが「プロレタリア独裁」を呼号し勢力を拡大、最後には「戦争を内乱に」というスローガンで反乱を起こし、ケレンスキー政権を放擲することに成功したのである。
この大転換の局面で、ブルジョア民主主義者と称している連中が、ツァーリ独裁の亜流にしかすぎず、その政治がブルジョア独裁であることを指摘するのはきわめて正しかったし、それにプロレタリア独裁を対置するのも適切だったと思う。
だがこれは社会科学的な概念と「闘いのスローガン」の、なかば意図的な混同である。これを世界における革命の共通のスローガンとするのはとんでもない間違いだ。
ロシア革命はフランス革命と並んで民衆が政治に参画し政治を変えた偉大な出来事だ。しかしそれは決して「マルクス主義の偉大な勝利」ではないことを念頭に置くべきだろう。

ホモ・ハビリス余話

この世界はリーキーさんという人が仕切っているみたいで、リーキーさんがヒト属といえばヒト属なのである。

何か一頃の日本の旧石器研究を思わせるところがあり、ホモ・ハビリスについては要注意である。

発見の経過

1959年、東部アフリカ,タンザニア北部のオルドバイ峡谷の湖床層の第2層下部からヒト科の骨格遺残が発見された。更新世(約180万年前)の地表に相当する。

このとき原始的な礫(れき)石器が伴出した。類学者ルイス・S.B.リーキーらは、これをジンジャントロプス・ボイセイと命名した。

1960年にオルドバイ峡谷のやや古い層から、別種のヒト科の骨格遺残が発見された。

1964年、.リーキーが従来の説を訂正。①ボイセイはもう一つのヒト科に滅ぼされた、②石器は彼らによって造られ用いられた、③もう一つのヒト科は、猿人(アウストラロピクテス)よりも原人に近い、とする。

リイキーは、それをホモ・ハビリスと命名した。これは「器用なヒト」という意味。

その後各地に同様の特徴を持つ骨片が見つかり、存在が確定された。

身長は約130センチ。脳容積は猿人より大きい。現代人の約半分。歯は小臼歯と大臼歯が小さい。

約250万年前にアウストラロピクテスより分かれ、150万年前くらいまで生息していたと推定されている。

そのなかでケニアから発見された比較的大型のものを別種(ホモ・ルドルフェンシス)とする意見もある。

ホモ・ハビリスをめぐる混乱

リーキーは発見者としての欲目もあって、これをオーストラロピクテスとは次元の違うヒト属に分類した。

「日本大百科全書」では「頭骨は薄く、進歩的である。下肢骨は直立二足歩行に適し、手の骨から力強い把握能力が示唆される」となっている。

おそらくリーキーの著書からの引用を含んでいると思われ、必ずしも価値中立的でない表現がなされている。

しかし、「知恵蔵」の記載では、「腕が長く脚が短い点は猿人よりも原始的であり、謎の多い種である」とされている。

一方で、下記のように原人に入れてしまう表現もある。

山川出版社の『詳説世界史B』では、2012年までの旧版では、ホモ=ハビリスを猿人として紹介していたが、2013年の最新版ではホモ=ハビリスはホ モ=エレクトゥスと同じく原人に属すると記述を変更した。その結果、原人の出現時期は旧版の180万年間から250万年前へとさかのぼらせている。

ちょっとやり過ぎだと思うが、どうだろうか。

アウストラロピクテスより古い猿人

アウストラロピクテスより古い猿人探しはいわばレースのようになっている。

中でも話題になったのがサヘラントロプスという化石で、チャドからあまりにも完全な頭蓋骨標本が見つかっている。

Sahelanthropus tchadensis - TM 266-01-060-1.jpg

600万年 - 700万年前のものであることは間違いない。大後頭孔が頭蓋下方に位置しており、直立歩行していた可能性がある。

ほかにラミダス猿人、オロリンやアルディピテクス・カダバといった化石も発見されているようだが、それらの異同については、現時点では不完全な仮説にとどまる。

ということで、ALPSには実施上のさまざまな問題があって汚染水処理がうまく行っていないということは分かった。

しかしALPSは本質的に役に立たないという学者もいるようだ。

東洋経済オンラインの2013年10月22日の記事

東電・東芝の「ALPS」は、役に立たない

東工大・冨安名誉教授に汚染水処理の対案を聞く

というものだ。冨安さんは、東工大で原子炉工学研究所教授を務めた専門家。

汚染水というのは正確に言うと処理対象水(RO濃縮塩水)というのだそうだ。

この中にはストロンチウム90が1リットルあたり1600万ベクレルふくまれている。他の各種に比し圧倒的な比率だ。

ALPSの欠陥

東電は現状の技術では除去が困難なトリチウムを除く62の放射性核種を、ALPSを用いて規制値以下に減らすとしている。

しかし、富安さんによればALPSによる処理はコスト的に無駄であるだけでなく、危険だ。

なぜ無駄か?

ストロンチウムと比べて相対的に微量で、危険性の少ない核種も高いコストと手間ひまをかけて基準値以下に減らそうとしている。そのためにALPSは設備が大がかりになった一方で、最も重要なストロンチウム除去のための工程が合理的に設計されていない。

なぜそのようなことをしたのか。東電はALPS処理済み水の海洋投棄を想定しているからだ。

なぜ危険か?

ストロンチウムの吸着タワーは、チタン酸塩を吸着材としている。チタン酸塩は過度にストロンチウムを吸着した場合、放射線化学反応を起こす。

このときベータ線が水に照射して水素を発生し、これによる水素爆発のおそれがある。

発想が間違っている

第一に考えるべきは、海洋投棄を前提とせず、できるだけリスクが少ない形で汚染水を溜め続ける方法に切り替えることだ。

この後、富安さん独自の処理法が展開されているが、コメントできる立場にはない。

いずれにせよ、前の記事で私の感じた素朴な疑問が裏打ちされたような気がする。

肝心なのはストラテジーで、これは4段階に分ける必要がある。

一次除染: セシウムの除去をふくむ前処理

二次除染: ストロンチウムの除去

三次除染: ストロンチウム以外の61種の核種の除去

四次除染: トリチウムの除去

ALPSは二次と三次を一度にすまそうということだが、そのために技術的困難が生じている。

これはある意味で簡単なことで、「四次除染を行わない限り、海上投棄は認めない」という態度を示せば済む話である。

トリチウムが十分に比重が重ければ、やがて海底深く沈殿することになるだろうから、海洋投棄はありえない話ではない。

しかし沈まずに漂い続けるのなら、てんでアウトだ。善悪・可否の判断以前に漂着地である米国の世論が黙ってはいないだろう。

アメリカがダメと言って、それを日本は押しきれるだろうか? ありえない話である。

土曜日の赤旗一面トップは、かなり恐ろしげな見出しである。

「汚染水コントロール不能」

ただ縦見出しは「東電、年度内処理を断念」とあって、両者を総合すると、“未だにコントロールが未達成”だということのようだ。

中核となる事実は、東電の社長が次のような事態を公式に明らかにしたことだ。すなわち、

1.東電は安部首相に対し、放射能汚染水を3月末までに全量処理すると約束した。(2013年3月)

2.目標達成は不可能であり、断念する。

ということだ。ただし汚染水処理そのものは進んでおり、予定量の半分程度は処理済みである。

ということで、見出しは、ややセンセーショナルに過ぎる感もある。

福島原発の廃炉にとって最大の課題が汚染水処理だ。いまそれが最大の難関を通過しているということなのかもしれない。東電に好意的に見れば。

そこでネットから情報を集めてみた。


ALPSとはなにか

汚染水処理はどのようになされるのか。その中核となるのがALPS(多核種除去設備)という装置らしい。

そしてALPSの不具合が多々あって、それが処理の遅れに繋がっているらしい。東電側はそう説明している。

そこでALPSだが、ちょっとだけ記事を深読みしてみた というブログの

2013-09-14 福島原発 ALPS トリチウム

で要領よく説明してくれているので紹介する。

まずALPSの名前は、Advanced(高度な)Liquid(液体の)Processing(処理)System(装置)の頭文字なのだそうだ。

f:id:news0109:20130914140308j:image

この図のごとく、16個のタワーが立って、その中を通過していくあいだに62種類の放射性物質が除去されるというもの。

処理能力は1日500トンとされているので、結構なものだ。まぁ1年もあれば処理は完了する計算だ。

この後、このブログではトリチウムの危険が訴えられているが、それはうまく行ってから発生する話。

そもそもALPSが回っていないところに問題がある。

なぜALPSが回らないのか

以下は IWJ Independent Web Journal というサイト

2015/01/26 予定していた年度内の汚染水全量処理は断念、新たな目標日程は検討中~東電定例記者会見

という記事からの引用。

ALPSの稼働率が想定通りに上がらない。特にストロンチウムを除去する吸着剤の性能低下が当初想定より早い。

また前処理が悪く、処理前の水にカルシウムや不純物が多く含まれている。このため、頻繁に運転を止め、クロスフローフィルターの逆洗洗浄を行う必要がある。

ということで、除去装置はすでに第一、第二、第三世代と投入されているが、能書き通りの稼働には至っていない、ということのようである。

私は考えるのだが、ストロンチウム除去プロセスがLimitting Step になっているのなら、新型施設の設計時にどうしてそこを強化しなかったのかがわからない。場合によってはストロンチウム単独の処理施設を作ったほうが安上がりではないだろうか。

遅れている理由は他にもある

今月に入って、作業者の死亡事故が続いて起きた。このため21日以降、全ての工事作業が中断されている。

総点検の結果、相当安全設備の不備がひどいこと分かった。このため操業停止期間はさらに長引く可能性がある。

問題は汚染水処理だけではない。海水配管トレンチの充填止水工事、凍土遮水壁もとまっている。


と、とりあえずこんなところか。

変な話だが、致命的なコントロール不能=失速・きりもみ状態に入っているわけではないことが確認できて、ひと安心した。

しかし、どこか一段落しないことには、原発再稼働はムリだろうね。

こういう状況が世界に知られたら、安部首相は大嘘をついたということで、オリンピックを返上しなければならなくなるかも知れない。

澎湖人というのが発見されたそうだ。台湾の澎湖水道の海底から採取されたそうだ。下顎骨の形態的検討で、原人に属することが分かった。ジャワ原人、北京原人、フローレス原人に次ぐ第4の原人ということになる。

これだけだと「あっ、そう」ということになるが、問題は生きていた年代で、おそらく20万年前を遡らないだろうということだ。しかも形態的にはジャワ原人、北京原人よりさらに原始的な特徴を備えているそうだ。ということはより猿人に近い原人ということだ。

20万年といえば、原人の時代はとうに終わり、旧人(デニソワ人)の全盛時代だ。もっとも、フローレス原人も2万年前まで生きていたようだが、これはジャワ原人から派生したものらしい。

進化の方向が逆向きに進むことはないから、彼らの祖先はジャワ原人、北京原人より以前から東アジアの地に住み着き、それらが絶滅した後も生き延びたということになる。

澎湖人にかぎらず原人の発見されるのは大陸のヘリに多い。日本人も辺縁側にA型血液が多く残っているのには理由があるのだろう。

もう一つはホモサピエンスが北方、バイカル湖方面から南下したとみられるのに対し、エレクトゥスは南方経由の印象がある。この辺ももう少し勉強してみないと。


言葉がわからないと困るので、表にして整理しておく

1億年前

霊長類

原猿類(ネズミの親戚)

7千万年前

霊長目

原猿類から分離

4千万年前

類人亜目

普通のサル

3千万年前

ヒト 上科

尾のないサル

2千万年前

ヒト 科

類人猿

500万年前

ヒト 亜科(猿人)

アウストラロピクテス

200万年前

ヒト 属

ホモ・ハビリス

150万年前

原人

アジアの4種類

50万年前

旧人類

ネアンデルタール人

10万年前

新人類

ホモ・サピエンス

*原猿類はネズミの親戚みたいなもの、現生種としてはツパイなど。

*尾のないサルの代表はテナガザル。

*アウストラロピクテスは常時二本足歩行だった。これ以降が猿人となる。しかしヒト属ではない。

*ホモ・ハビリス:道具(石器)を使った最初の種であることから名付けられた。ヒト属だが猿人に属する。原人にはつながらない孤立種のようだ。

*原人はホモ・エレクトゥスと呼ばれる。アウストラロピクテスより進化したとされる。アフリカを出てアジアまで到達した。

*ハイデルベルク人は原人とされるが、それより一歩進んでいるという旧人説もある。また、その一部が新人類に直接つながっているという説もある。

*ネアンデルタール人は中東から西、アジアの旧人はデニソワ人と呼ばれる。新人類と混交し、DNAの一部は新人類に引き継がれている。

ついでに国立科学博物館の図も拝借。

わかりやすいだけに議論を呼ぶ図でもある。(ハイデルベルゲンシス派のでっち上げ?)


下記の記事もご参照ください

推進派の言い分のなかで、気になる点が一つあった。
既得権益に守られた「岩盤規制」の見直しは、成長戦略の柱となる
金融情報サイト > 金融経済用語集 > 日本経済用語集 > 岩盤規制の項にある。グーグルで二番目に出てくるサイトである。
前の記事でも書いたように、規制の変更はシステムの実態、あるいは将来予測に合わないところを調整し、システムが力を発揮できるようにすることに意味がある。これをしたから成長できるという仕掛けのものではない。
システムの駆動・展開が第一義の命題であり、規制方法の調整はそれに合わせて行うものである。
むかし病院にOAを導入するとき、管理部のメンバーはみんなこういったものだ。
「それでどのくらいスピードアップするの」、「どのくらい労力の節約になるの」、「どのくらい経営効果があるの」
コンピュータ会社の人はそのたびにこう答えたものだ。
「みなさんが期待するほどにスピードアップはしませんし、労力の節約にもなりませんし、コスト改善にもつながりません」
「これは将来のための投資なんです」
それを成長戦略の柱にしてはいけない。それは成長する時のためのものなのだ。
揚げ足取りをするわけではないが、かなりベーシックな問題だ。こういう連中の言うことはまともに聞かないほうがいい。

岩盤規制 言葉を厳密に使わないと議論にならない

1.岩盤規制は下品な言葉だ

「岩盤規制」という言葉が突然流行り始めた。メディアがいっせいに流し始めているようだ。

これまでも進めてきた規制緩和をさらに進めようという狙いのようだ。

だったら、「異次元の規制緩和」と呼べばいいのだが、これを「岩盤規制の打破」と表現するところに、今までにない一種の「敵愾心」とか「憎悪感」を感じるのは私だけではないだろう。「規制緩和に反対するものは敵だ」という心理が、そこにはある。

それは一種の罵り言葉であり、一言で言って下品だ。

2.冷静に議論しよう

ここでは「岩盤規制の撤廃が国民に何をもたらすか」などの話は一切捨象して、「そもそも論」に集中する。

そもそも「規制」というのはシステムの維持のための装置だ。

これはまず確認しよう。

いわば、スポーツやゲームのルールだ。ルールがなくてはゲームは成り立たない。社会もそうだ。犯罪は法に基づいて罰せられる。

もう一つ確認しておきたいこと、ルールは基本的に善なのだ。

色々なルールを作ることによって、人間社会は発展してきた。そして人間社会が発展するにつれて新たなルールが必要になってくる。

ソクラテスは「悪法も法である」と毒を仰いだ。それは法がその根底において「善」であるという信念からである。

3.ルールを変更することはありうる

スポーツの世界でもルールのマイナーチェンジはしばしば行われている。国の政策においても規制改革は必要だ。それは否定しない。

規制を改革する必要は、以下の三つの場合に合わせて主張されうる。

A.規制を隠れ蓑にした特権の横行が目に余る場合、B.システムに照らし合わせて規制が不合理になった場合、C.システムそのものを改編する場合、

今回の場合、そのどれに属するのかを明らかにすべきだろう。

その際、言っておきたいが、B. を除けば、規制改革は目標に照らしてあまり有効な手段とはならないだろう。悪徳役人を懲らしめるために規制緩和がどう役に立つのか…

4.対案なき提案は建設的ではない

今の規制のやりかたが悪いと批判するのはひとつの見識だろう。決して行儀が良いとはいえないが。

しかし「どこがどう悪い」というのなら、そこを「どう直す」かが問われるはずだ。みんな今までこのやり方でやってきたのだから。

しかし彼らには対案がない。ただ壊して取っ払うだけだ。それで良くなるという保障はなにもない。

むかし小学校のホームルームでこういう発言をすると、「もっと建設的に発言しなさい」と叱られたものだ。

5.「規制」は法律だ

「規制撤廃!」というのはスローガンであって、具体的作業としては法律の改正である。

「規制」は法律として裏打ちされている。「規制」の体系は法律の体系なのだ。

法律というのは規制するものなのだ。

「規制一般が悪だといえば、それは法律一般が悪だ」というに等しい。これは無政府主義だ。

6.岩盤は岩盤だ

最後はちょっと左翼的な言い方になるが、「岩盤」は「岩盤」だろうと思う。

既得権層がうるさいからとか、役人が抵抗するから「岩盤」だというが、ルールの中には、たしかに「岩盤」的ルールがある。既得権層が主張しようとしまいと、それは「岩盤」だ。

サッカーで手を使ってはいけないとか、相撲で相手を殴ってはいけないとか、そういうルールは「岩盤」だ。

そういう意味での「岩盤」ではなく、たまたまうるさい人がいるから「岩盤」になってしまっているだけだというのなら、それを証明する責任はあなたがたにある。


そもそも何だということだ。

思い起こすと、中山智香子さんという人が赤旗に登場して、なかなか面白いことを言っていた。それでその人がポラニーというハンガリーの革命家上がりの理論家を取り上げて「面白い」というので、まずはその周辺から調べようということでハンガリー革命から、赤いウィーンへと見聞を広めていった。

そうすると、ポラニーが「社会主義計算論争」の一方の当事者だったということと、他方の当事者がハイエクだったということがわかり、「これは勉強してみないとアカンな」と勉強をはじめたが、これがえらく難しい。

ありていに言えば、途中で挫折した。

わからないのに偉そうなことを言うのもなんだが、この論争は突き詰めていくと「ワルラス均衡」という需要と均衡のバランスが市場なしに成立しうるのか、ということである。それはボリシェビキが主張した「計画経済」というものが成り立ちうるのかという現実社会の問題を下敷きにしていた。だから理論的対立であるのと同時に、優れてイデオロギー的な問題であった。

そこで頭の訓練として自転車の理論を持ちだして、平衡とは何かについてあれこれ考えてみた。

結論としては、平衡自身が目的ではないということだ。それが動的平衡であり、それは常に平衡を破りながら新たな平衡を実現していく過程であるということが分かった。そしてより根本的には、平衡を取りながらどこへ進んでいくのかということなのだ。

そこには意志が働く。かつて人類が長い歴史の中で自然を克服したように、社会の無政府性を克服しようという意志だ。まさに「フォイエルバッハに関するテーゼ」だ。

というわけで、「均衡」の基本的理解はできた。それができたからといって「ワルラス均衡」が分かるわけではない。

この議論は最終的にはランゲという人がサイバネティクスの論理を持ち出すことによって、「理論的には市場なしにワルラス平衡を実現しうる」ということで落ち着いたらしい。なおランゲはポーランド出身でイギリスで活動した経済学者らしい。

しかしその勝利は虚しいものだった。ボリシェビズムはスターリンにより汚染され奇形化されていた。逆にハイエクの議論はよりイデオロギッシュに収斂されていった。

それでは少しさかのぼって、レーニン=ブハーリンのネップはどうなのだろうか。というのが関心の一つ。もちろん、その過程で一種の「異端」として提出されたポラニーの社会主義論も引き続き関心の一つではあった。

というわけで、いっときは疲れてやめてしまったのだが、ウィーンの魅力は人を引きつけて離さない。また1900年代初頭のウィーンに舞い戻ってしまった。ブラームス、ブルックナー、ヨハン・シュトラウスがいなくなってしまったあとのウィーンである。

言うまでもなくNEPはレーニンの構想になるものであるが、その実施過程ではブハーリンが深く関わった。

NEPがボルシェビズムの本質として理解されていたかというと、どうもそうではないようだ。すくなくとも1920年代後半からはボリシェビズム=スターリニズムとして理解されている。

どうもこのへんの関係が分からないので、ロシア革命以前の状況に立ち戻る必要がありそうだ。これだけですでに十分状況は複雑だ。

多分、大本は1894年の資本論第三部発行にあるだろう。資本論はドイツ語で書かれているから、当然ドイツ語圏の人にプライオリティーがある。

中でも編集にあたったエンゲルスに解釈権があるのだが、外部からの批判についてはフリーハンドだ。そこでベーム・パヴェルクが噛み付いた。

この人は理論的には大したことはないのだが、批判は的をついていた。第一巻の論理との不整合性だ。エンゲルスが解釈を独占するのを快く思わない人々は、ここぞとばかりに論争に介入した。

これに対しエンゲルスは対応しきれない。家元たる後継者カウツキーには才覚はない、ということでまだ一介の学生に過ぎなかったヒルファーディングが論争を買って出た。彼は第三部の構想を発展させ、銀行資本が生産システム全般を支配する世界がやってくると主張した。

これはいまから考えると変なのだ。大谷さんの研究によれば、第三部は草稿に過ぎず、第一部が書かれた後に第一部の論理に相応するように書きなおすべきところを含んでいる。

現にマルクスは第三部を書いている途中に第二部に戻り、大幅に加筆補充している。第二部でさえ、第1部との関係では不十分なものを含んでいるのだ。

第三部の記述で不整合があれば、それは第一部(とくにフランス語版)の立場から再吟味しなければならない。これが基本的立場だ。

話は長くなったが、つまり資本論第3巻を読みこなしたというただそれだけで、20世紀初頭において、ヒルファーディングはマルクス主義陣営における最高の理論家だったということだ(しかもたかだか一介の少壮学者だ)。そのことを頭においておく必要がある。

ということで、ウィーンは若き社会民主主義者(マルクス主義者)のメッカとなった。やがてエンゲルスが亡くなると、若者はカウツキーの下に行くかヒルファーディングのもとに馳せ参じるかという二者選択になる。

ブハーリン、トロツキー、コロンタイはウィーンに赴き、レーニンはそれをスイスから眺めていた。

という構図を読み取れるのではないか、と思っている。

コンビニの凋落をどう読むか。
これがリーマン・ショック後の売り上げ推移である。
konbini
あまり実感はないのだが、いまから4年前にコンビニは急成長した。しかしそれはたった1年のこと、後はジリ貧で、スーパーと肩を並べてしまった。
一つは過剰出店から整理期に入っているのかな、という感じ。そういえばタバコの自販機がなくなったのもこの頃だったかな。
もう一つは、主要な顧客層である若者の購買力低下も考えられる。電池と漫画と缶酎ハイを買って、ついでにおつまみも買っていたのが、やめたという感じ。業態そのものに賞味期限が来た可能性もある。
百貨店はいまや富裕層の店だ。富裕層がますます富裕になったから、百貨店は景気が良い。私など何年と百貨店には行ったことがない。ジジイには無用のところだ。
そういえば、このあいだ、駅ビルの屋上展望台にコンサートを聞きに行ったら、65歳以上は1割引きと言われた。一瞬迷ったが、「ハイ」と言ってしまった。情けない、根性なし。
ということで、このグラフから若者の貧困化と、富裕層の富裕化が見て取れそうな気もする。

The Economist explains
Jan 4th 2015
Where Islamic State gets its money

という記事があった。下記がその全文である。


残忍な聖戦主義者、イスラム国家(IS)を打ち負かすのは容易ではない。アメリカに率いられた連合軍がそうしようとしているが。

ISは、世界のbest-financedされたテロリスト組織の1つである。国家に後援されたものを除いては。

この秘密グループの正味の財産については信用できる見積りがない。しかし、2014年10月に、アメリカの当局者は「かなり大きい札束」で富をためていると見ている。

イスラム国は月400ドルくらい戦士に給料を支払う。そして、それはシリアの反乱グループやイラク政府の給料より多い。彼らはトラブルなく武器類を購入している。買い入れ先は闇市場に顔を出す堕落した当局者、あるいは民兵である。

彼らは支配地域の政務をこなしている(常に成功しているとは限らないが)。学校教師に給料を払い、貧者や寡婦を養っている。

そこでだ。彼らはどこでそのカネを手に入れるのだ?

この富なしで、ISはそんなに速く広がることができなかった。

彼らは2013年3月に現在の形態での存在を宣言したばかりだ。それは彼らがイラクからシリアに進出した時だ。その後彼らはアルカイーダとたもとを分かった。

それから彼らは二つの国にまたがる帯状の地域を闘い取った。2013年6月までに、シリアの都市Raqqaを占領した。そして、2014年6月に、それはイラク第二の都市モスルを占拠した。そして600~800万人の住む地域を制圧した。そして6月の末に「カリフ国」を宣言した。

戦士は、グループに加わるために群がった。

2014年9月までに、3万人の男性、婦人警官隊の中の一部の女性がいた。そして、そこには1万5千人の外国人戦士を含んだ。

al-Qaedaを含む他のテロリストのグループと違って、ISは金持ちの支持者によってではなく、主に自らの力で資金を確保する。(アメリカ、イランまたはイスラエルがグループに資金を出しているとの情報も飛び交うが)

ISは湾岸諸国の支援者から寄付を受けているけれども、それらは財源の比較的微々たる要素である。

ISの資金の中心は、外部からの支援ではなく、西イラクと東部シリアの支配区から算出する石油の収益である。

アメリカの当局は、空襲の開始前、石油からの収入は1日あたり200万ドルと見積もっている。現地の情報ではそれ以上だと言われている。当局者は空爆により石油収益はかなり落ちたとしている。

(これは変な話で、石油施設くらい破壊しやすいものはない。その気になれば1日で壊滅させることができるはずだ)

それだけの土地を支配することは、ISが徴発と徴税によって資金を獲得することを可能にする。

それは、他のjihadistグループのように、誘拐が有益だということを学んだ。

ISは、去年1年で少なくとも2千万ドルの身代金を獲得した。フランスとスペインのジャーナリスト数人を含む人質であげた収入である。

このグループは、その資金源を切り離すことなしに破ることはできない。

だから連合国は、グループの軍備強化の抑制と同時に、収入源への攻撃を目標にしているという。アメリカとその同盟国は、シリアでISに支配された精油所に対する空襲を実行した。

アメリカと英国は身代金を人質の代金として払うことに対して厳しい政策を持つ。ヨーロッパの国に、身代金の支払いをやめるように圧力をかけている。

いくつかの国は、ISリーダーに対する制裁とおなじように、募金に応じる人々への制裁も適用している。

しかし、当局は長い戦いであると強調する。

今のところ、ISはまだ、必要とするもののすべての代金を払うことができるようである。


この記事を読んでも資金源は明らかでない。石油の売り上げ、“徴税”、身代金というのが収入の三本柱で、これに国外からの援助がくわわる、ということらしい。このうち石油の売り上げを除けば、他のテロリストもやっていることだ。

身代金の収入が年間2千万ドルというが、そんなもの石油の10日分にしかならない。だいいち誘拐にはそれなりのリスクが伴う。成功例の10倍は失敗例(カネが取れないというのもふくめ)があると考えたほうが良い。

資金源が石油だということはわかっている。問題はどのようにして石油が資金源になるのかということだ。石油と引き換えに金を渡している奴は誰なのか、トルコの仲買人だとしたら、その仲買人にカネを渡している奴は誰か、その石油を買って消費しているのは誰か。ここが明らかにされないと、記事の題名は誇大宣伝ということになる。

いずれにしても石油を何とかしなくてはならないのだ。しかも、そのやり方はきわめて簡単なのだ。生産を止めるには生産設備を破壊すればよい。1時間もあれば済んでしまう。販売を止めるには購入を禁止すればよい。石油には“色”がついているから、調べればどこでとれた石油かはすぐに分かる。

こんなことがどうしてできないのか、それが不思議だが、そのことについて答えた文章がない。これも不思議な話だ。

「転形問題」の安直な勉強

例によって、ウィキペディアですまそうという魂胆。

転形問題(Transformation problem)というのは、価値の規定と価格の規定の間には矛盾が存在するという主張とこれに対する批判。

価値規定と平均利潤の間には「外形上の矛盾」がある。この矛盾は「多くの中間項」を経て解決される。(資本論第一部)

エンゲルスはこの記述に関して何度か言及した。

平均利潤は価値法則に基づいて形成される。それは価値法則を損なうものではない。(資本論第3巻への補遺)

これにベーム・バヴェルクが噛み付いた。どう噛み付いたのかは、ウィキペディアでは言及されていないが、「価値と価格の同時的な成立」を主張したらしい。つまり価格の価値からの独立性ということだろうか。

ベーム・バヴェルクに対してはヒルファーディングが反批判を加えた。これも内容は不分明であるが、この価値と価格の乖離を認めた上で、資本主義の発展過程での「歴史的な変容」によってアジャストされるみたいなことを言ったようだ。

素人考えだと、「長い目で見りゃ、価値が価格を決定するんだよ」と言っているのだろうか。エンゲルスはこうも言ってるようだ。

(価値と価格の関係は)純粋な論理的過程のみではなく、歴史的に生じた過程を論理的に抽象したものである。

しかしこれだけでは「逃げ口上」と受け取られかねない。そこで「純粋に論理的」に説明しようとする人も多く現れたようだ。

とりあえず名前だけ列挙しておくと量的転化説、反復計算論、単純な価値形成過程説、転化不要説、標準体系転化説などである。

ウィキペディアによると、転形論争はむしろ第二次大戦後の出来事で、現在も様々な議論が展開されているようだが、さっぱり分からない。

私としては、櫻井毅の言う如く、

価値は価格としてしか現れ得ない以上、両者に矛盾はないはずだ

というのが一番説得力がある。

ただし、「価値=労働価値などというものはそもそも存在しないのだ」という考えに対しては説得力はない。


ということで、そもそも歴史的(ロング・スパン)に解決しなければならないと、言っているのに、論理的な解があると言って引っ掻き回す人がいるために「論争」になってしまったきらいがあるようだ。

なお桜井さんがこの問題で行った講演録があって、なんとなく取っ付きやすそうだ。いずれ読んで皆さんにも紹介したい。

不勉強で知らなかったが、社会主義計算論争の前に「転形問題論争」というもう一つの論争があったらしい。この論争は主としてベーム・バヴェルクとヒルファーディングの間で行われたらしい。

ヒルファーディングはベーム・バヴェルクに対抗して社会主義革命の必然性を擁護しつつ、カウツキーらドイツ社会民主党も批判したようだ。トロツキーもブハーリンもこの論争に関わっている可能性がある。さらにスイスのレーニンはその論争を引き継ぎつつ、「帝国主義論」を完成させていく、という構図のようだ。

私は前から思っているのだが、マルクスは経済学批判要綱から資本論へと論を進めていくにあたって、「消費=欲望の再生産」の過程を意識的に捨象しているのではないか。

資本に焦点を当てて分析するとき、たしかにこの観点を引きずったままだと、とてつもなく重いものになってしまうから。とりあえず労働力商品と単純化してしまったのではないか。

商品の生産過程と資本の増殖過程を描いていくには、人間は労働力商品として単純化してしまうほうが楽だし、そうやっても大きな間違いは出てこない。

しかし資本論は人間と社会の運動過程の一面である。マルクス自身が総論的には何度も強調しているように、富の生産は富の消費とそれによる欲望の再生産と合わさって一つの全体をなすのである。

富は欲望の裏付けを持って(欲望に措定されて)初めて富となるのであり、欲望の拡大再生産をもって初めて拡大再生産が可能となるのである。

「限界効用」論というのは不勉強で良く分からないが、“マルクスが意図的に切り落とした部分が、より現実的な場面では無視し得ないものである”ことを指摘しているという側面もあるのではないか。

生産の拡大に照応して欲望が拡大していく過程をスケッチ的にでも説明している記述はないものだろうか。

とりあえず年表形式で経過を追ってみる。


オーストリア学派とオーストリア社会民主党の関連年表

1871年 カール・メンガー、『国民経済学原理』を発表。(生存権を提起したアントン・メンガーは弟)

価格だけで均衡を実現するのではなく、不完全な市場に関心をもち、価格だけでなく商品の“売れやすさ”に着目した。貨幣は最大の“売れ安さ”を持つ商品とされた。

1879年 カール・メンガー、ウィーン大学の教授に就任。

1883年 カール・メンガー、『社会科学、とくに経済学の方法に関する研究』を発表。新歴史学派との「方法論争」が始まる。オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルクやフリードリヒ・フォン・ヴィーザーが陣営に加わる。

1884年 ベーム=バヴェルク、『資本および資本利子』の第1巻「資本利子論の歴史と批判」を発表。ついで89年には第2巻として「資本の積極理論」を発表。

労働価値説にもとづく搾取利子説に反論。資本家は収入の中から十分に、前もって所得を労働者に提供する、と主張。第2巻「資本の積極理論」において「利子の3原因」を説く。

1890年代 ウィーン大学の社会主義学生グループが学習サークルを形成。カール・レンナーが指導し、マックス・アドラー、ルドルフ・ヒルファーディング、遅れてバウアーらが参加。オーストリア・マルクス主義の拠点となる。

1894年 資本論第3巻が発行される。

1895年 ベーム=バヴェルク、オーストリア政府の大蔵大臣に就任。金本位制(財政均衡論)と近代的所得税システムを導入。その後三度にわたり大蔵大臣を務める。

1896年 ベーム=バヴェルク、『マルクス体系の終結』を発表。『資本論』には価値と生産価格の論理的矛盾があると指摘。労働価値説は成立し得ない、主観的価値論(限界効用)からのみ説明可能と主張。

1903年 メンガーが経済学教授を辞任(その後ウィーン大学学長となる)。後任教授にヴィーザーが就任。

1904年 ベーム=バヴェルク、ウィーン大学の教授に就任。限界効用理論の立場からマルクスの労働価値説を批判する。ベーム=バヴェルクの講義にはヒルファーディングも参加したと言われる。

1904年 ヒルファーディング、「ベェーム=バヴェルクのマルクス批判」を発表。労働価値説は資本主義社会の運動法則を発見するための武器と主張。限界効用学派との折衷をはかるベルンシュタイン派に対しても批判を加える。

1907年 バウアーらの編集により月刊の『闘争』(Der Kampf)が発行を開始。オーストリア社会民主党の理論機関誌となる。

1910年 ヒルファーディング、「金融資本論」を発表。

金融資本論の柱
1.資本の集中過程である独占資本と金融資本の形成という二つの現象形態を分析。金融資本の支配が資本集中の最高度の形態とする。
2.金融資本は生産の社会統制、経済の中央集権化・組織化・計画化をもたらす。3.そのことによって、「組織」の面で社会主義を準備する。
4.それは最終的に社会主義革命の必然性、および社会主義への平和的移行の可能性をもたらす。

1910年 ベーム・バヴェルクとヒルファーディングの間で「転形問題論争」が始まる。

ヒルファーディングの主張
1.帝国主義化は資本主義の発展の新局面である。カウツキーら「マルクス護教派」は、帝国主義を単なる過渡的混乱とみなすが、これは誤りだ。
2.しかしそれは資本主義の発展能力の証明ではなく、延命にすぎない。
3.資本主義の崩壊からプロレタリア革命へという道筋は依然として正しい。
4.議会を通じて漸進的改良を主張するベルンシュタインの修正主義は過ちである。

1914年 ヴィーザー、『社会経済の理論』を公刊。帰属価格の厚生経済学的意味を明らかにし、先駆的な社会主義経済理論を展開する。

1920年 社会主義計算論争が始まる。ベーム・パヴェルク派の論客ミーゼス、「社会主義コモンウェルスにおける経済的計算」を発表。「社会主義」理論への攻撃を開始する。社会主義者はワルラス的連立方程式を用いれは、価格形成は可能と反論。

 

いまや自分で外堀を埋めつつある。
「10月、キューバ」だ。
キューバはどうしようもなくすごい国だ。「優しさを国是に掲げる国」なのだ。
「そんな国ってあるの、それってまやかしでしょう」と言われるだろうが、あるのから仕方がない。
今度の旅は「キューバ、優しさ」をテーマにしたい。
私がキューバに行ったのは1995年、もう20年も前のことになる。今度は最後の旅になるだろう。
前回の旅で、アントニオ・マセオの闘いは大体見た。フィデルの闘いも見えた。
今回、もう一度確認しておくべきことがいくつかある。
しかし優しさを確認すべきポイントをいくつか付け加えなければならないだろう。
キューバは人を優しくする,人を強くする、そして人をアクティブにする。
皆さん、「10月、キューバ」ですよ。20人で締め切りますよ。



本日AALAの学習会でASEANについての講義があった。日本AALAの出したテキストを使っていろいろ説明がなされたが、かえって混迷を深めたようだ。
肝心なところは、ASEANの提唱したTACなどの平和枠組み構想にあるのであって、ASEANそのものにあるのではない。そこのところをわかってもらうとみんなスッキリしたようだ。
ASEANはあくまでも共同市場の枠組み構想なのだ。「コンセンサス方式で、一国でも反対があれば強制しない」というと、みんな「それは素晴らしい」というが、それは事柄が経済的な問題だからで、ビジネスの論理は基本的にそうなのだというと、目から鱗が落ちたように納得する。
こんな状況、前にも見たことがある。そうだコスタリカだ。
一時期、早乙女勝元さんというその筋では有名な物書きの影響で、コスタリカが民主主義の「天国」でもあるかのようにもてはやされたことがある。長年ラテンアメリカに携わってきた人間にとっては、かなり不愉快な経験だった。
正直のところコスタリカはどうでも良い。殆どの人はそんな国があることさえ知らないのだから、おとぎの世界だ。
しかしコスタリカを持ち上げる論理には危険がある。だから我々は警鐘を鳴らしたのだ。
ASEANについてはそうは行かない。変な幻想を持たれると実害が発生する。ましてそれを理想化して、日中韓三国がASEANのようになればいいなどと考えられると、正直困る。
とにかくレベルが違う。ASEANは全部足して1になるかどうかのレベルだ。日中韓は独立した大国関係なのだ。
我々はASEANやTACを大いに参考にすべきだと思う。しかしそんな生やさしい話ではないことも覚悟しておく必要がある。

をご参照ください

総選挙を総括する共産党の三中総が開かれた。
躍進の意義は二つにまとめられている。
一つは長きにわたる反共戦略と反共攻撃を打ち破った貴重な勝利だということである。これには気持ちがこもっている。
報告は、これまでに三回の勝利があったが、今回の勝利の意義はもっとも重要だとしている。色々意見もあろうとは思うが…
二つ目は、本格的な自共対決が始まったということである。

21世紀の行方と、共産党躍進の意義

ずいぶんと振りかぶったものだが、共産党の三中総を読んで、ふと気になった。

三中総報告は基本的には躍進バンザイ論に貫かれている。それは当然のことと思う。反共攻撃の長い歴史を突き破り、自共対決の本格的幕開けをもたらしたという点には躊躇なく賛成する。

ただ、なんとなく1950年前夜の「共産党35議席に躍進」という出来事を思い出してしまうのである。

だから、どこがどう違うのかということを、一生懸命分析しなければならないだろうと思う。

共産党にとって、「50年問題」は忌まわしい過去の体験である。これまでさんざん議論されてきたし、一定の総括も明らかになっている。

しかしそれはあくまでも党内の問題であって、世界史的に見た50年問題というのは、主体的には明らかになっていないのではないだろうか。

1950年とはどういう時代だったのか

第二次大戦の直後には進歩勢力の大きな前進があった。それは一種のバブルであったのかもしれない。

旧支配勢力は米ソを除けば弱体化し、存続の危機に立たされていた。だから進歩勢力の提起を受け入れざるを得なかった。それはとくに敗戦国・日本において顕著であった。

進歩勢力の主張は大きく2つに分かれる。一つは政治的民主主義の要求であり、もうひとつは労働運動と結びついた福祉・厚生の要求である。さらに国際関係では、開かれた公正な経済秩序への要求である。

私の印象としては、平和への要求は国際的には少し遅れて登場しているような気がする。これは戦勝国では戦争を指導した勢力が引き続き政権を担当したからである。

日本は例外的に平和への要求が当初から強かった。これは日本が敗戦国であることから、軍国主義勢力が断罪されたためだ。明治以来の軍国主義への嫌悪感もあっただろう。

民族自決への要求、社会保障、人権(市民的権利)への要求はさらに遅れて登場し、国際的に承認されるようになるのは60年代以降のことになる。

要するに人類・社会の進歩は意外に遅いのだ。戦後の変化は共和制の拡大、婦人参政権をふくむユニバーサルな選挙制度、労働法制の整備くらいではないか。

貴族制度は廃止されたのではなく、二度の大戦で貴族が没落し自然消滅した。貴族制度により支えられていた王制は廃止されるか名目化するかして共和制に移行した。

むしろ民主主義は冷戦期と「雪解け期」のなかで進行した。

だから、1950年前後は朝鮮戦争とレッドパージに象徴される「戦後民主主義バブルの崩壊」としてとらえられると同時に、民主主義のための苦闘の時代の起点として捉えておく必要があるのだろうと思う。

まったく異なる形態の闘争が求められ、団結と創意が要求された。その蓄積が60年代後半に始まる市民運動の時代に結びついていくのである。



パコ・イバニェスを紹介しておく。
パコはスペインのフォークシンガーで、多分私と同年代。フランコ体制に反抗した揚げ句に国を離れパリに移り住む。そこで68年の学生闘争にぶつかり、歌手として頭角を現す。
それからの十年、彼の歌はスペイン民主化闘争のシンボルとなった。
タバコの吸い過ぎなのか、最近の声はユパンキに同情されるほどひどい。もっとも若い頃は美声だったかというとそうでもない。歌手としては、よく言えば「味のある」という褒め言葉になる。
シンガーソングライターというと、普通は詩を書いて節をつけて演奏するのだが、彼自身は詩を書かず、他人の詩にメロディーをつけるのを専門にしている。したがって決め所ではかなりメロディーラインを動かす。したがって言葉がわからない他国人にはけっこう魅力的である。
カタロニア人らしいが、曲はかなりアンダルーシアの情緒にあふれている。ロルカやエルナンデスなどアンダルーシアの詩人の詩を好んで取り上げているからだろう。
代表作は下に記した通り。
EL LAGARTO ESTÁ LLORANDO_Lorca
PALABRAS PARA JULIA
A TI TE OCURRE ALGO
Canción del Jinete
Andaluces de Jaén
Mi niña se fue a la mar
SATURNO
こんなところか
当然、カヴァー曲が欲しくなるが、みんながカヴァーするのはPALABRAS PARA JULIAとAndaluces de Jaénくらい。
まぁとにかく聞いてみてください。YouTubeの穴にコピペすれば演奏が出てきます。



たまにラテンアメリカ音楽の紹介。
ドミニカにフアン・ルイス・ゲーラJuan Luis Guerra という歌手がいる。あまり日本では知られていないが、ラテンアメリカでは超有名歌手だ。クアトロ・クアレンタというバンドと組んでいるが、これは放送局の周波数が440キロヘルツという意味らしい。
バンド名のごとく、ノーテンキな曲を歌っている。椰子の葉陰でポール・アンカかニール・セダカを聞いているようだ。しかしアレンジは相当凝っている(ライブ盤ではわからない)。
ドミニカの昔のリズムであるバチャータを復活させてスタンダードにしてしまった。もちろん、メレンゲもやる。
まずはBachata en Fukuoka という曲を聞いて欲しい。大方、日本で巡業して福岡にも立ち寄ったのだろう。これがバチャータだ。ゲーラのバチャータの代表作は、Bachata Rosa(バラのバチャータ)、Frío, Frío(寒い寒い)、Ojala Que Llueva Cafe (コーヒー畑に雨が降る)、 Tus Besos (君の瞳)など。
車の運転中に聴くには良い。イライラ解消になる。

ベートーヴェンのチェロ・ソナタを聞くともなく聞いていたが、あまりにつまらないので「ねんやねん、これ」と、画面と見ると、ロストロポービッチとリヒテルの演奏だ。ソナタというのはピアノがつまらないと、ほんとうにつまらなくなる。
ずいぶんとリヒテルを聞いてきた上で、あえて言う。「ほんとうにリヒテルはつまらない」
しかたがないのでビルスマを聞いたが、これもピアノフォルテの伴奏で、少しも綺麗でない。ヨーヨーマとアックスの演奏も聞いたが、結局これは原曲がつまらないのかもしれない、と思うに至った。
そこで今度はバイオリンソナタに移る。
デュメイとピレシュの演奏が良い。ピレシュはそれほどの人とは思わないが、デュメイと組むと精彩を発揮する。やはりデュメイがいいのだ。デュメイという人は関西フィルの指揮者で、たまたまバイオリンを弾いて飯森繁次郎がオケ伴をやったのをテレビで見た。いかつい男でバイオリンが子供用に見えるほどだ。
しかし、ツィガーヌからショーソンの詩曲と進むに従って、思わず耳が引っ張られた。「こいつ、只者ではないな」という感じだ。
それで名前は覚えていたのだが、まさかベートーヴェンでこんな演奏をするとは思わなかった。
YouTubeではこの演奏が最高だ。あとはクレーメルとアルゲリッチ、メニューヒン、グリュミオー、オイストラフなどたくさんあるが、この演奏にかなうものはない。とにかく1番から通しで聞いて飽きないのはこれくらいだ。
ただしデュメイもかなわない演奏がひとつある。それはギレリスとコーガンの演奏だ。ただし「春」だけ。
クロイツェルは実況録音で音はかなりひどい(しかし中身はいい。だんだん聴衆が乗って来るのが分かる)。
これはバイオリン伴奏付きのピアノソナタだ。コーガンがギレリスの義理の弟だから当然といえば当然だが、役者が一枚違う。「ワルトシュタインの聴き比べ」でも書いたが、ギレリスは天下一品のベートーヴェン弾きである。誰かが「鋼鉄」と評していたが、ギレリスは鋼鉄ではない。男性的ではあるがやさしい。構成力はあるが、細部にもソノリティーにも気を使ってる。合わせもうまい。
この人の演奏はセル・クリーヴランドとのブラームス、アマデウスとの「鱒」などみんな良い。かと思うとグリークの抒情小曲集なども他人の追随を許さない。
ギレリスのサポートを受けてコーガンの演奏ものびのびとしている。おそらくこの曲の最高の演奏であろう。もう少しこのコンビの演奏を探してみるとするか。
ところで、ギレリスはオデッサの出身でオデッサの音楽院を出て、すでに一家をなしてからモスクワに出たのだそうだ。そこでネイガウスにつくがまったくスタイルがあわず、口もきかないほどの仲だったそうだ。要するにモスクワの主流派とはかなりスタイルが違ったのだろう。
ギレリスの流れをくむのがグレゴリ・ソコロフなんだそうだ。さもありなんと思う。音楽に対する考えが違うのだろうと思うし、それはモスクワだとかウクライナだとかという問題ではないと思う。

オックスファムの発表だ。世界の長者番付の1位から80位までの80人が、下位50%人が持つ富と同額の富を有しているという。
これはちょっとややこしい言い方だ。あまりいじりすぎるとかえって分かりにくい。
もう一つの数字がある。1%の富裕層の資産が世界の富の48%に相当するという。そして来年には50%を越えるだろうという。
ただ、こういう数字は確かに多くの人々の怒りを呼ぶだろうが、それが直接に絶対的貧困を生み出すのでない限り、世の中の緊張をもたらすことはないだろう。
戦前(第二次大戦)の貧富の格差は、いまとは比較にならないくらいひどいものだった。大多数の絶対的貧困と飢餓の上に富裕層の権力が君臨していた。そこには身分差別も加乗していた。
問題はそれが慢性的に需要の減退と過剰生産を生み出し、市場の争奪戦を生み出し、ついには二度にわたる世界大戦へとつながっていったことだ。
一番の問題は貧富の格差の拡大がどういう状況のもとで起きるかということにある。上向線上での貧富の差の拡大はさほど大きな問題とはならない。例えば中国がそうである。
しかし下向きになった時の格差の拡大は差別を伴う貧困化の進行だから、大きな社会的矛盾と敵対心を生み出さずには置かないだろう。
それがまさに日本ではないか。


長くなりすぎたので、稿を改める。


この要望書の一番のミソは、「民間賃貸住宅よりも低額な県営住宅を家賃滞納で退去させられた入居者の多くは、ホームレス状態にならざるを得ない」ということである。

つまりそこには一般社会の日常論理とは異なる“非常時の論理”が求められるのだ。つまり震災で家を失った人への対応と同じ論理だ。これは考えて見れば当たり前の話なのだ。

住宅課の人は、追い出したら追い出された人がどうなるのか、まったく想像しなかった。そこに状況への対応力の欠如がうかがわれてしまう。

多分、この人たちも普通の人たちなのだろうが、「そうは言っても、しょうがないんじゃないの。うちも慈善事業じゃないんだから…」と市井の論理で流して、どこで “人の痛みの感覚” を喪失してしまったのだろうか。

この論理、“非常時の論理” は、国交省や県の建設・土木部などの日常の業務からは生まれてこない。むしろそこに要求されるのは施設としての安全、コスト、効率であろう。当然である。

そういう世界では、おそらく「県営住宅の管理などは厄介者で、それを行う連中は日陰者」とみられるかもしれない。そんなところで予算を無駄遣いしていれば、“本業” に差し障りが出てくる。だから「厳正な運用」などという発想が出てくるのだろう。


好むと好まざるとにかかわらず、客観的に見て、公共住宅は貧困対策の一環としてセーフティ・ネットの重要な柱となっている。当然その運営に携わる人にとっては福祉部門との連携が必須である。

しかし今回の事件を見て分かったのは、両者の間にまったく連携がないということだ。何故か。住宅課の方にその気がないからだ。減免措置について書かれた住宅課のページを見ても、「減免措置なんてとれっこありませんよ」と言わんばかりの表現だ。担当者は住宅課に回された途端、「俺の出世の道は終わったな」と思っているかもしれない。しかしその「後は大過なく…」という態度が「大過」を呼ぶのだ。


おそらく、公営住宅の運営を土木・建設部門に託すのは基本的に間違いだと思う。そう言われるのが怖いから、国交省は慌てて通達を出したのだろうが、「厳正な措置」通達については口をつぐんでいる。

たしかに福祉との連携は必要だし、今後強化する必要があると思うが、より根本的には「やる気のない」人々に運営を委ねるのをやめることではないか。


すみません。知らなかった。

昨年9月24日に千葉県銚子で起きた、女性の子殺し事件。いまさらながら少し経過を調べておく。かなりの情報はすでに消えてしまっているとは思うが、システムのエアポケットを明らかにしておく必要はあると思う。

まずは2014年10月26日の東京新聞記事。

県営住宅退去で母娘心中未遂

「家失えば生きていけない」

家賃滞納続き 明け渡し当日

と3本見出しが並ぶ

記事は「心は青春」というブログにそのままコピーされているのでそちらを参照のこと。

次に26日の千葉日報の伊藤記者の署名記事。市側の対応について丁寧に取材している。

困窮情報共有できず 千葉県、市 縦割り弊害?支援逃す 銚子の長女殺害

24日に母親(43)が中学2年生の長女(13)の首を絞めて殺害した。

この母親は銚子市の県営住宅に住んでいたが、家賃滞納で立ち退きを迫られ、24日が強制執行日だった

行政は、母子2人の困窮した生活状況について情報を把握していた。しかし千葉県と市、部署間で十分な情報共有がなかった。この状況が見殺しをもたらした。

就学援助と生活保護

母親は長女が小学校に入学した時から毎年度、市の就学援助を受けていた。

市の就学援助制度は、低収入世帯や児童扶養手当の受給世帯などが学用品費や修学旅行費の補助を受けることができるもの。

生活保護世帯であれば、市教委は社会福祉課と情報を共有する。しかし就学援助だけ受けている場合は、社会福祉課には情報は行かない。

生活保護の相談はあった

母親は事件の1年余前に、「生活保護の制度を知りたい」と社会福祉課を訪れている。

この時は、ケースワーカー2人から説明を受け資料をもらって帰った。その後の申請はなかった。

対応に落ち度がなかったかどうかではなく、この時点で救済する可能性はなかったのかという観点から見なおしてみたい。

(取材に対し)同課は当時の対応に「母親の生活が逼迫している認識はなかった」としている。

(同時に)今回の事件を受け「初めて生活保護の相談に来た時の面接を重視し、深く話を聞くようにしたい。より丁寧な生活状況の把握を徹底していく」という。

たしかにそのとおりだが、向こうが「ただ話を聞きに来ただけ」という場合、「より丁寧な生活状況の把握」までどの程度踏み込めるか、個人情報なだけにケースワーカーの裁量だけでは難しいだろう。

県の追い立て

母親は2012年7月から家賃(月額1万2800円)を滞納していた。県は裁判を経て県営住宅から退去を求めていた。

ここがどう見ても常識外の行動だ。基本的に公営住宅は低所得者が優先して入居することになっており、そもそも貧困対策の一環だ。家賃滞納のほとんどは生活困窮のためと予測される。それを裁判に訴えてまで追い出すという態度は想像を絶する。
判事も何を見ていたのか。司法の大目的は市民生活を守ることにあるのではないか。

この件について県から市への連絡はなかった。社会福祉課、市議会、市教委はいずれも県の対応に不満の意を表明している。

ただこの記事は県への取材を行っていないので、当事者である県側の言い分は不明である。これでは記事としては周辺的事実に留まってしまう。


次が共産党の丸山真一県議のブログ。

グーグルで2番めにヒットする。中身が濃いからだろう。

9月30日付で「銚子市内の県営住宅での母子無理心中事件の聞き取りをしました」と題されている

千葉日報と重複する情報は省略する。

事件に至る経過

その日は、強制的に追い出すために執行官が県営住宅を訪れた日で、発見したのは執行官たちでした。

ということで義憤を感じた丸山さんは、県営住宅を管理している県住宅課と生活保護を所管している健康福祉指導課から経過を聞いた。

強制執行に至る経過

2007年に二人は県営住宅に入居した。2012年ころから滞納が始まり、嘱託職員が訪問して、小額づつ支払いを受けていた。

2013年3月に明け渡し請求を送付、31日に入居許可が取り消された。これ以降は不法入居ということになる。

7月に明け渡し訴訟が提訴され、10月に判決が出された。

今年になって、5月に県は現地調査を行った上、強制執行の事前通知。

8月には千葉地裁八日市場支部が強制執行の催告を行い、24日の強制執行に至った。

犯行はその直前に行われ、部屋の明け渡しを求めるために訪れた千葉地裁八日市場支部の執行官が見つけ110番通報した。

というのが経過。

主犯は県の住宅課のようだ

母親の収入は働いて得た月額7万円と、児童扶養手当が月に約5万円しかありません。

これに市の就学援助制度が加わるが、内容を見ても分かるように、生活費の足しになるようなものではない。

県営住宅の家賃は国が決めているようだ。これは4段階制になっており、最低クラスが月額1万2800円となっている

しかし、

千葉県は、国が決めている4段階の家賃にたいして最低額の家賃でもまだ高いので、独自の家賃減免制度を作っています。

それは、所得に応じて家賃の2割から8割を減免するものですが、この家庭の場合、母親の収入が少ないので、申請していれば確実に8割減免を受けられていました。

受けていれば、家賃は月に2560円で済んでいたはずです。

ということで、県の担当者はこの制度を知らなかったのか、知っていて無視したのかが大問題にる。もし後者であれば、この担当者はほぼ業務上過失致死と認定される。
強制執行に関する知識がこれだけ豊富であることを考えると、あるいは未必の故意も考えられる。

県は、少ない収入だとわかっているのに家賃を取り立て、減免の制度があることさえまともに知らせようとしない。こんなひどい話はありません。

次がその千葉県県土整備部都市整備局住宅課 県営住宅管理班 のホームページ「県営住宅についてのご案内」が掲載されている。平成26(2014)年12月5日に更新されていて、それ以前の案内は閲覧できない。

少し下の方には「県営住宅の家賃について」という項目がある

家賃を納入していくうえで、失業等のため収入が著しく少なくなったり、病気やケガによる長期療養、災害により多額の出費を必要とする場合等の理由で、家賃の支払いが困難となったときは、期間を定めて家賃の減額・免除をする制度があります。

これが丸山真一県議の言っていた減免制度だ。リンク先を辿って、減免制度の項目に移動する。

千葉県では、県営住宅の入居者の世帯収入が著しく低い場合や、…などの理由で、家賃の支払いが困難と認められる場合に、期間を定めて家賃を減額する制度を設けています。

ということで、下記がその基準。

収入月額

減額率

50,001円~67,000円

20%

37,001円~50,000円

40%

25,001円~37,000円

60%

0円~25,000円

80%

ひどい基準である。最高ランクの月収6万7千円ですら生保基準を大幅に下回っている。月収2万5千以下というランクに至っては、存在自体がそもそも信じられない。しかもこのランクの人からさえ家賃を取るのである。もし滞納すれば追い出すのだろうか。

「それは福祉の方の仕事ですから」と澄ましているのだろうか。

法的には瑕疵はないが、「血も涙もない」というのはこういうことを言うのだろう。こうすればどうなるのかという想像力はまったく欠如している。


とは言うものの、丸山県議の言うところとこの表は食い違っている。どちらが正しいのだろうか。

丸山県議はもうひとつ記事を書いている。

このなかで月収の算定の仕方について触れている。

すなわち「政令月収」という概念があって、これは「実際の収入から各種控除を差し引いて算出したもので家賃額算定のもとになるのだそうです。

この家庭の政令月収は計算上0円になるのだそうだ。

なんとなくモヤモヤしているが、市、県と来て次は国の責任。

本日付の東京新聞、「公営住宅滞納家賃 困窮者減免徹底を 国交省が通知」という記事が掲載された。

家賃滞納で強制退去となった母親が無理心中を図り長女を殺害した事件を受け、国土交通省が、都道府県に通知を出した。

内容は以下のとおり、

1.困窮のため家賃を支払えない状況にある入居者については、収入などの事情を十分に把握するよう要請。
2.著しく所得が低かったり、病気で多額の支出が必要だったりして やむを得ない場合は家賃減免を適用するなどの負担軽減措置を講じる。
3.同時に、市町村と連携し、生活保護申請の助言も行うよう求めている。

背景について、記事は

国民健康保険料も滞納するほど困窮し、千葉県の家賃減額制度を活用できた可能性が高かったが、県は母親に制度について直接説明していなかった。

と記載している。

記事の文末にはさりげなく、次の段落が付け加えられている。

同省は1989年にも通知を出していたが、家賃滞納には「厳正な措置」もあわせて要請していた。

要するに、住宅課は国交省の指示に従って「厳正な措置」を行った可能性があるということだ。


政令月収額の算定方法を説明したサイトが幾つもある。いかに分かりにくいかということの証明でもある。

政令月収額は基準収入とも言い、公営住宅等の入居資格に関連する。

単純に言えば世帯の所得から各種控除を差し引いたものなのだが、これが複雑な上に自治体によっても運用が違う。

この家の場合、本人が寡婦控除(27万円)、娘が扶養控除(38万円)の対象となる。

月収7万で年額84万、これから控除を引くと19万円。これを12で割れば15,800円となる。

これだと80%減額の対象にはならない。もう少し細工が必要なようだ。


最後に全生連が中心となった現地調査団の千葉県と銚子市あての要望書をコピーしておく。



県営住宅での強制退去に伴う母子心中事件の対応についての要望書

    千葉県銚子市の県営住宅追い出し母子心中事件の現地調査団


自由法曹団/全国生活と健康を守る会連合会/中央社会保障推進協議会/住まいの貧困に取り組むネットワーク

 2014年9月、千葉県銚子市内に所在する千葉県営住宅の入居者(母子世帯)が、家賃滞納を理由に明渡訴訟を提起され、その判決に基づき強制退去を求められた日に、中学生の娘を殺害し自分も死のうとする痛ましい事件(無理心中未遂事件)が起こりました。
 この事件の経緯について千葉県、および銚子市の対応は、後記のように問題があると考えられるので、緊急に以下の対応をおこなうよう要望します。

1.県は、県営住宅の入居者に対し、家賃の減額制度があることを、十分に周知させること。

2. 県は、家賃の滞納者に対し、入居者の置かれた状況を確認し、家賃の減額制度や他の社会福祉制度が利用できる場合には、その制度を丁寧に滞納者に対して説明 すること。また、この説明は手紙や文書だけでなく、民生委員などと協力してできるだけ訪問することより、対面で説明を行うこと。

3.県は、民間賃貸住宅よりも低額な県営住宅を家賃滞納で退去させられた入居者の多くは、ホームレス状態にならざるを得ない ことを認識し、退去後の生活ができることを十分に確認するべきであり、明渡訴訟は最後の手段とし、安易にこれを提訴しないこと。

4. 市は、保険証を失効する、水道料金を長期間滞納するなど生活困窮の様子が見られる市民に対し、利用できる社会福祉制度を丁寧に説明し、申請意思があるかど うかを確認すること。仮に申請意思が認められない場合でも、長期間の家賃の滞納や保険証の失効など職権保護が妥当と判断される場合には本人からの申請がな くとも生活保護を利用させること。なお、誤った説明により、生活保護が利用できないと思わせる言動は間違っても行わないこと。
5.県と市は、県営住宅の入居者が生活に困窮していることを認識した場合、互いに情報を伝え、市からも県営住宅の家賃の減額制度の説明をしたり、県からも利用できる社会福祉制度を説明をすること。

6.県と市は、今回の事件の事実経過を明らかにし、再発防止のためにいかなる措置を採るべきか検討し、その防止策を県民、市民に公表すること。

 2015年1月19日

グラフがとんでいました。全部埋めたつもりでしたが、まだ残っていました。本日埋めました。
“数字で嘘をつく”マジックの典型であり、分母を適当に選択することでいかようにでも数字は作れることが分かります。
とにかくできるだけマクロに、一次資料(絶対値)を基本に見ていくことがだいじだ、ということが分かります。

欧州が租税回避の新たな対抗措置を打ち出した。
赤旗は島崎特派員の報告をかなり詳しく報じている。
欧州委員会(EUの行政機関)が、16日にルクセンブルグ政府の優遇税制措置を、「違法な国家補助」に当たるとの判断を下した。
此処から先はけっこう面倒なので、噛み砕いて、私注も加えながら説明する。
1.判断対象は「アマゾン」社
今回具体的に問題になったのはインターネット販売の「アマゾン」社。
アマゾンの租税回避の手口は、スターバックスとほぼ同様で、欧州全域で得た利益をルクセンブルクの子会社に計上するというもの。
会社は各国では利益をあげているものの、その利益を経費としてルクセンブルクに移転。帳簿上は利益ゼロとすることにより課税を免れる。ルクセンブルクでは課税率が低いので各国で納税するのに比べ、大幅な節税ができるという仕掛けだ。
2.ルクセンブルクの優遇税制
ルクセンブルクはかねてから多国籍企業への税を安くして、事実上の脱税を手助けしている国として有名である。なぜそのようなことをするかというと、もともとコストゼロの金だから、どんなに税金が安くても、国としてはまるまる儲けになる。その上オフィスの運用にともなって、いくばくかの雇用も創出される、というわけだ。
オランダなどはさらに御親切にも、バハマやカイマンなどのいわゆるタックスヘイヴンに利益を転送する手伝いまでしている。
3.「違法な国家補助」
以上を念頭に置いて、欧州委員会の判断を見る。
欧州委員会はルクセンブルクの優遇税制は「違法な国家補助」に当たると判断した。
「違法な国家補助」とはEU法に定められた違法行為の一つ。この法律では特定企業への補助金や優遇税制そのものを違法としているわけではないが、それが「市場の競争を歪めたり、域内の貿易に悪影響を及ぼしてはならない」、としている。
逆に言えば、欧州委員会はアマゾンのケースについて、「市場の競争を歪めたり、域内の貿易に悪影響を及ぼして」いると判断したことになる。
4.優遇税制そのものも追及
違法と判断された場合、補助の受給者はその分を返還することになる。これは相当厳しい処分だ。
欧州委員会はさらに踏み込んでいる。報道によれば、同税制そのものの「EU域内市場の整合性についても疑問視している」と発言している。こうなると事態は全面戦争の様相を帯びてくる。
現在、欧州委員会は、ルクセンブルク政府と伊フィアット社、アイルランド政府とアップル、オランダ政府とスターバックス社による取り決めにも調査を進めているそうだ。
こうなると、案件は個別であっても、この手の優遇措置全部に投網がかけられるようなものだ。
5.「違法」判断の行方
この判断がすんなり実施される可能性は低い。
傑作なのは欧州委員会のバローゾ委員長は、前職がルクセンブルクの首相で、この優遇税制の実施にあたった人物だということだ。
これまでずいぶん、投機資本の取り締まりとかずいぶんアドバルーンが挙げられてきたが、実施まで至ったものは殆どないし、あったとしても当初とはにても似つかぬ骨抜き法だ。
それでも次々にこのような報道がなされるのは、それだけ欧州各国民の不満が強くなっていることの現れだろう。

日本のメディアは極めで健全な反応を示していると思う。模範的と言って良い。
おそらく口に出しては言わないが、嫌韓右翼による在日コリアンへのヘイト・スピーチを念頭においているのは間違いない。
私が喚起しておきたいのは、ヘイト・スピーチに対する京都地裁の判決だ。
この問題は民法でやれる。
フランスがどうなっているかは知らないが、言論の自由がらみの問題に対して刑法で対応するのには限界がある。基本的にはこれらは私事なのだ。
日本は公害訴訟など、民法の世界で対応してきた歴史と伝統がある。庶民がメディアという一種の権力に立ち向かうには、民法しかないのだ。
もちろんこれには逆の行き過ぎも生じるだろうが、その辺はけっこう判決も行き来するから、落ち着くところに落ち着くのではないか。
今回の問題などイスラムの側が「恐れながら」と申し立てれば、十中八九は勝てるはずだ。
こういう訴訟が5つ6つ並べば、メディアの側もさすがにやりたい放題はできなくなる。


不破さんが新綱領決定を機に、公職を降りたのには理由があるのだろう。
スターリン批判は身を切る作業だ。野坂参三の除名はその端的な例だ。
野坂は決してトカゲの尻尾ではない。ある意味で共産党の象徴だった。
毛沢東はあわや除名されかかった。ホーチミンだって何らかの影は引きずっているだろう。至る所に野坂がいて、エジョフがいた。
不破さんはスターリンの過ち、それによる幾多の犠牲を、ある意味で「他人ごとのように」書き進めている。思わず「他人ごとではないでしょう」と言いたくなるが、しかしそのようにしか書きようがないのである。
不破さんこそ、何度もスターリン主義の被害を受けてきた人である。そのことは半ば周知の事実である。だから自分の目の黒いうちに、この問題にけりをつけることを「天命」と心得ているのではないか。
世界では未だに共産党は「時代遅れの消滅しつつある運動」のままである。
これを再生させるべきか、別の党名に変えて、社会民主主義政党として再出発すべきかが問われている。その際根本的な分水嶺は、マルクスに始まり、資本主義との闘争を通じて発展してきた科学的社会主義を党の指導原理として掲げるか否かであろう。

だから不破さんは、路線問題と組織問題を決して切り離さない。「下からのスターリニズム」を克服するために、このことは決定的である。
その考えが典型的に示されたのが、今回のコミンテルン第7回大会と反ファシズム統一戦線の評価だ。これまでは反ファシズム統一戦線はスターリンの戦略から孤立して、浮き上がっていた。
それは「スターリンはひどい男だが、反ファシズム統一戦線を提唱した点においては優れていた」というこれまでの定説をひっくり返そうというものだ。
不破さんの結論を一言で言えば、「反ファシズム統一戦線はすでに出来ていた。スターリンはそれを利用して、大テロルをカモフラージュしようとしたに過ぎない」というものだ。
だからベルリンの国会放火事件で有名になったディミトロフの名声を利用して舞台効果を狙ったのだということだ。
コミンテルン第7回大会の決定は、それにもかかわらず世界各国で予想以上の反響をもたらした。ここが歴史の面白いところかもしれない。
ここをいま掘り返してみて、白日のもとに晒した時、スターリンの恣意的なオポチュニスティックな情勢判断が大テロルを招き、ソ連共産党そのものを死に追いやったのだということを、我々は確認しなければならない。
「スターリンは情勢判断は正しかったが、組織論で間違っていた」のではなく、彼が情勢判断で過ちを犯し、路線を踏み外したからこそ、「反ファシズム統一戦線」の思想を弄んだり、大テロルを実行したりしたのである。
不破さんの基本的視点は確固としているのだ。

不破さんの一連の論文はきわめて微妙なところに差し掛かっていると思う。
すなわち、我々は「共産党」という名前を放棄すべきかもしれないということだ。
この党名にはあまりにも強くスターリン主義のイメージが刷り込まれている。
我々がスターリン主義でないという時、共産主義イコールスターリン主義だった時代をどう総括するかが問われる。それはあまりにも長く、あまりにも強烈である。それは1927年のコミンテルンテーゼに始まり、57年のフルシチョフによるスターリン批判まで続いた。
スターリン批判のあとそれが払拭されたかというと、それも怪しい。
フルシチョフが一生懸命スターリン批判を行ったにもかかわらず、中国はそれに追随しなかった。「スターリンにも良い所はあった」式の議論が続いてきた。本家のソ連ですら、フルシチョフが失脚しブレジネフが登場するに及んでスターリン批判は尻すぼみとなった。
私が入党した昭和42年には、「共産主義読本」が発行され、初級教育の教科書となった。これは当時から見てもひどいもので、スターリンの「弁証法的唯物論と史的唯物論」というパンフレットの引き写しだった。それに毛沢東の「矛盾論」が乗せられていた。
もちろん、実践的にははるかに進んでいたが、教育学習部にはコチコチのスターリン主義者が鎮座していたのだ。
その後も折々を通じて日本共産党はスターリニスト党としての面影を露わにすることがあった。この20年ほどはさすがにない。
「真の共産党」と「スターリニスト党」との分岐はどこにあったのかを探るのは難しい。各国の共産党はコミンテルンの支部(ビューロー)として結成されている。いうなればソ連共産党のコピーである。
トロツキストはトロツキーの失脚まではまともな共産党だったと答えるだろう。しかしその根源を突き詰めていけばボルシェビキという組織のあり方まで遡らなければならないのかもしれない。
とすれば、社会民主党という党名にまで我々は遡らなければならないのか。
あるいは、さらにマルクスが「共産党宣言」を発した時代にさかのぼって、「共産党」としての再生を宣言すべきなのかもしれない。だとすると、スターリン主義にもとづいて活動してきた時期の共産党は共産党として認めないのか、現在も世界各国で活動している共産党は共産党として認めないのか、という厄介な問題が浮上してくる。

欧州不況が長引き、深刻化しつつある。
問題はますますはっきりしている。
「ユーロ諸国民はドイツ首相を選べない」ということだ。
経済はユーロによってますます単一化しつつあるというのに、政治は旧態依然のままだ。メルケルは基本的にはドイツ国民の首相であり、いくらユーロ圏を重視しようとしても、ドイツ国民の意向に従わざるをえない。
ドイツはユーロ圏諸国から儲けをあげて、ドイツ国民だけで分配することになる。
3年前のソブリン危機の時は、周辺国の財政規律、景気の後退局面、リーマンショックの残務整理などの側面もあった。それらに対しては相応する対策が立てられた。
しかしその後3年間、景気はまったく浮上しない。
ということは、問題が一過性のものではなく、高度に構造的なものだということだ。
ドイツが根本的に思考を変えない限り、ユーロ圏は崩壊せざるをえないだろう。ドイツ以外の国にとって、ユーロ圏にとどまることの犠牲はあまりにも大きくなりすぎた。
ユーロ圏の崩壊は、いずれドイツの没落を招くだろう。そしてふたたびヨーロッパの混乱を招くだろう。
ドイツがやれることはただひとつ、ユーロ圏を守るという強い意思表示を行うこと、経済主権の根幹をEUに預けるということだ。
欧州債、投機資本への規制、ユーロ券発行の一元化など、部分的・段階的にやれることはたくさんある。これらの積み重ねが主権の移動をもたらすことになる。ただそこには、確固とした見通しと固い意志が必要だ。

普段は紅白なんて見たこともないくせに、たまたまテレビの前を通りかかったら、桑田佳祐の曲がかかっていた。

この人の歌は日本語の発音が「二世風」で、何を言っているのかわからないのだが、今回はしっかりと字幕が出て、何を言っているのかがよく分かった。

歌詞は全体として当たり障りのないものだが、中に1,2ヶ所「そこまで言うか」と踏み込んでいるところもあった。とはいっても、忌野清史郎に比べれば「冷泉」程度のホットさだが…

あとで聞くとこれがNHK会長の逆鱗に触れたらしい。

たしかに歌というのはインパクトが強い。歌詞を活字にして並べても大したことはないが、それがパフォーマンスとして一定の時間幅をもって曝露されると。一種のマインドコントロール的な状況をもたらす。ボブ・マーリのレゲエなんかがその典型だ。

数字が苦手な人でも、語呂合わせで憶えた年号は死ぬまで忘れない。ましてそれに節までついたら忘れようとしても忘れられない。

「脱脱脱脱、脱原発」のたぐいだ。

それにしても、権力側のうろたえぶりを見ると、あらためて「時代はここまで来ているか」と思う。民衆の怒りは着火点寸前まで来ているということ、権力を握る人の殆どはそれを強圧策で抑えきれると思っていること…

ここにきわめてやばい状況が出現しつつある。

 

大テロルをやっているうちに、ブハーリンの経歴が気になった。彼はロシア革命の指導者の中で最高の知識人だ。知的エリートと言って良いだろう。

Nikolai Bukharin 1929.jpg

ウィキペディアからかんたんに経歴を拾っておく。

1888年モスクワに生まれる。両親は教員で、父はモスクワ大学で学んだ数学者だった。知的な雰囲気の家庭で育ったブハーリンは、少年時代は、父親の影響で蝶や鳥類に熱中した。

中学校在学中に革命運動に関係し、1905年ロシア社会民主労働党に入党し、党の分裂の際は、ボリシェヴィキに参加する。1907年モスクワ大学法学部に入学する。

活動の結果、大学を放校処分となり、3年間流刑となるが、脱走し、モスクワ経由でドイツに亡命した。

1912年秋にウィーンに移る。ウィーン大学で経済学を学ぶ。1914年まで経済学と社会学を学び、新聞・雑誌に寄稿する中で亡命していたボリシェヴィキの中で理論家として一頭地を現すようになる。

1915年「帝国主義と世界経済」、1916年「帝国主義国家の理論によせて」の両論文をそれぞれ発表し、レーニンの帝国主義論と国家観に影響を与えている。

その後、オーストリアを追われたブハーリンはスイスに亡命し、ローザンヌに住んだ。1915年に北欧、アメリカ・ニューヨークに移る。この時期は、レーニンと理論や革命戦術をめぐり対立していた

十月革命後、祖国に戻り『プラウダ』の編集長となる。

1918年ブレスト・リトフスク条約調印をめぐり、ブハーリンは、「左翼共産主義者」グループを率いて、対独講和を主張するレーニンに反対した。

ブハーリンは、ドイツ革命を目論見てドイツを訪問。スパルタクス団に影響を与えるが、国外追放処分を受ける。ドイツ革命には失敗したものの、ブハーリンは内戦中、理論家として赫々たる成果を上げる。

1920年「過渡期の経済学」、1921年「史的唯物論」を次々に著し、レーニンから激賞された。

共産党内の闘争の結果、スターリン派から「右翼」として批判されたブハーリンは、党、政治局員、プラウダ編集長、コミンテルン議長を解任された。

一度は失脚したもののブハーリンは、ファシズムの台頭を危惧し、自己批判してスターリン支持を表明した。1934年には、党中央委員候補、『イズベスチヤ』誌編集長として復帰し、1935年の新憲法(いわゆる「スターリン憲法」)起草にも参加する。

「かんたんに」と言いながらかなり長い紹介になってしまったが、どう考えても、ブハーリンこそがレーニンを継ぐべき人だったということをわかってもらうためだ。

学生時代には、独習指定文献に「ふたたびトロツキーとブハーリンの誤りについて」というレーニンの論文が入っていて、トロツキーとブハーリンが串刺しにされていた。

……てなことが刷り込まれていて、ブハーリンというと通俗経済学の影響を受けた人物のような印象を受けていた。

それが大テロルの記事を調べているうちに、「ひょっとすると、こいつはレーニンより一段上の人物かもしれない」と思うようになった。

周知のごとく、レーニンの帝国主義論はヒルファーディングの金融資本論とホブソンの帝国主義論のアマルガムである。

ヒルファーディングの育ったのはウィーン学派であり、ウィーン学派はイギリスの経済学を批判することから出発している。その意味で問題意識はマルクスと通底している。いわば繁栄するイギリス主義を別な窓から羨望の目でみつめている。

ウィーン学派はそもそもは反動ではない。いわばマルクスの好敵手としての「反マルクス主義」であり、「もうひとつの発展モデル」の提唱者として、ドイツ・オーストリアの社会民主党のライヴァルであった。

ウィーン学派と対決し、あるいはそこから批判的に学ぶ中から、ヒルファーディングやカール・ポラニーが育っている。

モスクワ大学(卒業はしていないが)のエリートであるブハーリンが、ポラニーに先立つこと10年、1905年革命のキャリアを引っさげて、ウィーンで反マルクス主義者と丁丁発止とやりあって、というのは、想像するだけでもまばゆいほどの光景である。

いつもPIPPOさんには勉強させてもらっている。今回は山村暮鳥の詩だ。

冒頭の「おうい雲よ」というのはむかし教科書で見た覚えがあるが、山村暮鳥については何も知らなかった。

苦学して牧師になった人のようだ。

幾つかの詩が紹介されているが、圧巻は「自分は光をにぎっている」というもの。

短いのでそのまま転載する。

自分は光をにぎってゐる  山村暮鳥

 自分は光をにぎってゐる

 いまも いまとて にぎってゐる

 而(しか)も をりをりは 考える

 此の掌(てのひら)を あけてみたら

 からっぽでは あるまいか

 からっぽで あったら どうしよう

 けれど 自分は にぎってゐる

 いよいよ しっかり 握るのだ

 あんな 烈(はげ)しい 暴雨(あらし)の中で

 掴(つか)んだ ひかりだ

 はなすものか

 どんなことが あっても

 おお石になれ、 拳

 此の生きの くるしみ

 くるしければ くるしいほど

 自分は ひかりを にぎりしめる

詩集「梢の巣にて」 1921年より

ネットで調べると、ずいぶんと愛好者は多いようで、いくつかの文章が上がってくる。

PIPPO さんは「はなすものか  どんなことがあっても」というところが気に入ったようで、見出しにもしているが、歌の文句なら「おゝ石になれ、拳」というのがサビになるだろう。

面白い頁があって、中国人らしきブログ主が中国語に訳している。

「自分は光をにぎっている」は「我手握光明」で、ちょっとそっけない。

握るのではなく、握っているでなくてはいけない。最後の締めでは、同じ「自分は光をにぎっている」は「我愈是将光明紧握在手中」と変えられている。かなりの意訳になり、表現が過剰になっている。

ということで、あまりいただきかねる訳だが、中国人にも感動を与えたということは分かる。

「謝罪」について
一応は謝っておいて欲しい。形だけでも、お座なりでもけっこうだが、謝る形だけは示して欲しい。
それ以上は何も要求はしていない。
たしかに祖父、祖母が日本軍に殺され、日本軍に支配され、屈従を強いられた。食料や財産が強制的に取り上げられ、飢えを強いられた。
だが昔のことだ。忘れよう、許そう。しかし、そのことは憶えておいて欲しい。せめて頭の片隅には置いておいて欲しい。
「慰安婦などなかった」には、いささか頭にくる
軍隊が来れば売春宿は出来る。現地の人もカネ欲しさに体を売る。よくある話だ。だが不愉快だ。強姦事件も発生する。これらは全て悪いことなのだ。そもそもここは他所様の国だ。まずそういう自覚を持って欲しい。
戦争なのだからあたりまえだと思っているようだが、私たちは日本と戦争したわけではない。あなた方が勝手に一方的に入り込んできただけだ。だから「戦争だから」という言い方はやめて欲しい。
ここが基本だ。軍隊が運営する売春宿というのは別問題で、人道的に見れば常識外のシステムだ。「強制連行はなかった」などというのは、この常識外のシステムを常識外と思わないと公言していることになる。忠告しておくが、大変恥ずかししい振る舞いだから、やめたほうが良い。
戦後の日本が良かったから、私たちは寛容になれたのだ
日本の進出で我々は豊かになった。それはありがたい話だ。しかしそれが日本でなくても、むかしからの宗主国であっても、資本を投下してくれればだれでも歓迎だ。
日本が進出してくれて一番良いのは、我々を支配しようとしなかったことだ。イギリスも、フランスも、オランダも資本は投下したが、我々を支配した。反抗すれば武力で押さえつけた。
金で押さえつけられるのは、銃で押さえつけられるよりはるかに気持ちがいい。
アフリカを見てごらん、ラテンアメリカを見てごらん。果てしない内戦、軍事独裁のオンパレードだ。アジアが発展してきたのは日本が進出してきたおかげだ。
日本の平和がアジアの平和の源だ
ちょっと、もって回った言い方になるが、「アジアが発展してきたのは日本が進出してきたおかげ」なのであって、「日本のおかげだ」というわけではない。日本も他の先進国同様、ずいぶんとエグいことをやってきた。しかし腕力に訴えたことは一度もない。
戦後70年間、日本は戦争放棄を国是としてきたし、それを破ったことはなかった。だからビジネスが純粋にビジネスとして行われてきた。それが我々が発展できた最大の要因だ。
ビジネスも経済も社会も平和のもとで発展する。今タイでは支配層が未だに武力にしがみついているが、それ以外の国では法治国家に移行しつつある。単純な話だ。そのほうが能率がいいのだ。
日本の武力化は中国の武力派を刺激する
いまアジアの人々は、日本が平和主義を捨て、「日本型ファシズム」に移行するのではないかと大変に恐れている。
日本がふたたび軍国主義路線に移行し、アジアに攻めこむというシナリオはそう簡単に実現はしないだろう。しかし今や世界第二の大国となった中国が、対日強硬路線を掲げて武力拡充を進めるなら、それは大きな脅威と緊張を招くことになる。
中国の政治システムは、その経済システムからすれば、恐ろしいまでに未成熟である。南沙諸島をめぐる経過を見ても、しばしば軍部は暴走し、そうなった場合政府の押さえは容易ではない。
戦後、日本がアジアに広げた平和的発展の動きを止めることなく、さらに推し進めることがアジア発展の鍵を握っている。

大テロルという言葉自体あまり聞いたことがなかったが、ロシアでは大粛清とは呼ばず大テロル(英語ではGreat Terror)と呼ぶのが一般的なのだそうで、たしかに党の粛清のレベルをはるかに超えているので、そちらのほうが適当だと思う。

弾圧にあたった直接の責任者がニコライ・エジョフであったことから、「エジョフ時代」とも呼ばれているようだ。本質的ではないがわかりやすい命名だ。

  スターリンの右の小男がエジョフ

「大テロル」の全貌については加藤哲郎さんなどが一生懸命調査されており、私ごときの出る幕ではない。

ただ、コミンテルン第7回大会におけるディミトロフが、大テロルにおけるエジョフと並んで、スターリン戦略の一つの駒であったとする見解については、すこし経過のなかで確認してみたいと思う。

ソ連共産党はトロツキーの排除、ウクライナなどでの農民の強制移住、大テロルを通じて「共産党」ではなくなっていた。

そのソ連共産党の指導を受け、活動してきた日本共産党は、ある意味で共産党ではなかったということになる。

その自己批判は、スターリン批判の徹底を通じて以外には不可能である。犠牲者のような顔をして済ますのは無責任であろう。スターリン批判を徹底することが自己批判であり自己点検となる。

革マルではないが、「反スタなくして反帝なし」なのである。

ただしスターリンの罪業については、事実関係の確認なしには点検が進まない。不破さんが引用しているいくつかの文献についても、一昔前なら「権力者によるためにするデマ情報」として一蹴されていたかもしれない。

したがって、年表については、各事項について情報の出どころ、確度の評価が必要になってくる。それはとても私の手に負えるものではない。

まぁあまりしゃっちょこばらずに、やれる範囲からやっていくことにしよう。


「大テロル」は、「農業集団化」という民衆大虐殺の最後の仕上げである。連中は殺し慣れていたのである。

大テロルの「犠牲者」の多くは、それに加担したか、目をつぶったか、いずれにしても同じ穴の狢である。

1934年

1月 ソ連共産党の第17回大会。第一次5か年計画の達成を確認。トロツキー派との党内闘争が終結したことから「勝利者たちの大会」と称される。復党を許されたカーメネフがスターリン崇拝の演説を行うなど、スターリンの独裁体制が完成。大会代議員1965名のうち1180名が、その後数年のうちに粛清される(フルシチョフ「秘密報告」で示された数字)。

7月 NKVD(長官はゲンリフ・ヤゴーダ)、秘密警察の地位を与えられ、一連の粛清の指揮を執る。

NKVDNarodnyi komissariat vnutrennikh del)は、文字通りには「内務省」のこと。34年の組織改編で、秘密警察と強制収容所を統合し、人民弾圧機能を強化した。

12月 レニングラードの党幹部セルゲイ・キーロフが暗殺される。スターリンは、キーロフ暗殺の背後に巨大な陰謀があるとし、容疑者に対する即決裁判を指示。

「キーロフは、共産党の中央委員で人気があった。多くの人がスターリンの後継者と見なしていた」とされる。しかしその本性はジノビエフ派の拠点レニングラードで粛清に辣腕を振るったスターリンの走狗でしかないようだ。


 キーロフの肖像画

12月 スターリンがキーロフ暗殺事件について公式声明。犯行はトロツキー一派の仕業と断じる。その後、レニングラードで“一味”の逮捕が相次ぐ。

フルシチョフの秘密報告では、スターリンの指示を受けたヤゴーダが仕組んだものとされる。しかしこれには有力な反論もあり、暗殺は単独犯行で、事件を知ったスターリンが最大限に利用したというもの。

1935年

レニングラードで共産党活動家5千人が逮捕される。

5月 ジノヴィエフとカーメネフが逮捕される。

この年世界では、
3月 ヒトラー、ヴェルサイユ条約を破棄し、再軍備を宣言。その後国際連盟からも脱退。
7月 フランス人民戦線が結成される。

7月 コミンテルン第7回大会が開かれる。

1936年

8月 第一次モスクワ裁判。カーメネフとジノヴィエフらが「合同本部陰謀事件」を企んだとされ銃殺刑となる。両者は32年に党指導部に対するテロを計画したとされる。またキーロフ暗殺の責任者とされた。

第一次モスクワ裁判のあと、逮捕されていたレニングラードの共産党活動家5千人も全員が銃殺刑となる。

9月 NKVDのヤゴーダ長官(内務人民委員)が、粛清の不徹底により解任される。後任にニコライ・エジョフ。ヤゴーダは後に逮捕され銃殺。

ブハーリンのエジョフ評価 私の長い生涯のあいだに、エジョフ以上に嫌悪感を起こさせる人間には会ったことがない。私は彼を見るたびに、ある光景を連想せずにはいられない。それは、 ラステラヴェヤ通りの公園にいる悪ガキどもだ。彼らのお気に入りの遊びは、パラフィン油に浸した紙を浮浪者の肛門に挿入し、それに火をつけることだ。 彼らは、恐怖に陥ったおじさんが、火から逃れようと必死に(しかし、無駄に)周囲をコロリコロリと転がる様子を見て喜ぶのである。私は、エジョフが子供の 頃にこんなふうに楽しんでいたであろうこと、そして今も、形は違えど、同じことをし続けて楽しんでいることを、いささかも疑わない

12月 スターリン憲法が制定される。草案はブハーリンとラデックが起草。

この年、世界では、
2.26事件。

3月 ドイツ軍がラインラント進駐。
日独防共協定が締結。ソ連を東西から挟む枢軸連合が形成される。
7月 スペイン人民戦線政府の成立。内戦が始まる。英仏米は独伊の干渉を黙認。

8月 ベルリン・オリンピックの開催

西安事件が発生。第二次国共合作が成立。

1937年

1月 第二次モスクワ裁判。ピャタコフ、ラデックらが「並行本部陰謀事件」で多くが銃殺刑。死刑を免れたものも全て獄死。

2月 「右翼トロツキスト陰謀事件」が発生。ブハーリン、ルイコフ、ヤゴーダが逮捕される。

3月 共産党中央委員会総会。スターリンはキーロフ事件を根拠に階級闘争激化論を定式化。大テロルを合理化する。

階級闘争激化論: 階級闘争が前進するほどに、打ち破られた搾取者階級の残党たちの怒りはますます大きくなり、彼らはますますはげしい闘争形態にうつり、ソビエト国家にたいしてますます低劣な行動をとり、命運つきた者の最後の手段として死物狂いの闘争手段にますますかじりつくであろう。

3月 中央委員会総会を受け、NKVDの体制の刷新。逮捕の範囲が一気に拡大する。

4月 NKVDの手により地方党組織の大物が次々に粛清される。

この地方粛清のなかでヴィーンヌィツャ(Vinnytsia)の大虐殺が起きた。ヴィーンヌィツャはウクライナ中西部の町。NKVDは約1万人とされる住民を大虐殺した。後にヴィーンヌィツャを占領したドイツ軍は、死体埋葬地を発掘し、反ソ連宣伝に利用した。

6月 ミハイル・トハチェフスキー元帥を始めとする軍幹部が「ナチスドイツのスパイ」として銃殺される。その後元帥5人のうち3人が粛清されるなど赤軍大粛清が始まる。

9月 ハルビンからの帰国者5万人が「日本スパイ」の疑いで逮捕され、うち3万人が銃殺される。

11月 山本懸蔵が逮捕される。この他10名ほどの日本人活動家が粛清された。山本逮捕は野坂の密告によるもの。しかし加藤によれば山本も多くの同志を売っていた。

この年世界では、
ローマ法王、ナチスによる教会弾圧とユダヤ人差別を批判(3月)。その一方でスペインのフランコ政権を承認。
4月 ドイツ空軍がゲルニカを無差別爆撃。

盧溝橋事件(7月)第二次上海事変(8月)が開始される。南京虐殺事件の発生(11月)。
イタリアが防共協定に加わる

1938年

第三次モスクワ裁判。「右翼トロツキスト陰謀事件」に関与したブハーリン、ルイコフ、ヤゴーダが死刑の判決を受ける。

12月 モロトフとスターリンがエジョフとNKVDを批判。エジョフは内務人民委員を辞任する。

この年、世界では、
国民政府が重慶に移り徹底抗戦の体制に入る。日本軍が重慶爆撃。
3月 ドイツがオーストリア併合。

4月 日本、国家総動員法公布

9月 ミュンヘン宥和会議。ズデーデンの割譲を承認。
11月 水晶の夜。

1939年

8月 独ソ不可侵条約。

9月 ナチス・ドイツがポーランド侵攻。第二次世界大戦の開始。ついでソ連もポーランド侵攻。カティンの森事件が発生。

この年、世界では、
3月 ドイツがチェコ、リトアニアのメーメルを併合
3月 マドリード陥落。スペイン内戦の終結。
4月 イギリス、徴兵制を施行。
4月 ドイツがポーランドとの不可侵条約破棄を宣言
6月 日本国民の男子の長髪及び女子のパーマが禁止される
7月 ノモンハン事件が発生。

1940年

1月 ソ連がフィンランド各都市を空爆。「冬戦争」と呼ばれる。1ヶ月で終結。

2月 NKVDのエジョフ長官が銃殺される。後任にはベリヤが就任。

6月 ソ連がバルト3国を占領。

40年 トロツキー、亡命先のメキシコで暗殺される。

この年、世界では、
2月 「風と共に去りぬ」がアカデミー賞を受賞。これを見たら日本人は米国と戦争しなかったろう。
4月 ドイツ軍がデンマーク、ノルウエイに侵攻。
5月 ドイツ軍がベネルクス、フランスに侵攻。
5月 チェンバレン内閣が総辞職。チャーチルの挙国一致内閣が成立。
6月 ドイツ軍がパリ入城。
12月 ヒトラー、バルバロッサ作戦(ソ連侵攻)の準備を命令。

不破哲三「スターリン秘史  巨悪の成立と展開」についての座談会

という記事が出て、どうもあまり食欲はわかないのだが、国際的な革命運動の歴史を知るためにも避けて通れない課題なので、一応目を通してみた。

要点というか新たな知見のみさっとあげておく。

1.ディミトロフ日記

ディミトロフ日記というのが発見されて、これを見ながら背景を考えていくというのが、この本の主題のようだ。

ディミトロフは、スターリンのすぐ近くにいて、忠実な部下として奉仕した。そのため、日記の中にはスターリンの肉声がかなり入っていて、貴重な資料だということだ。

2.コミンテルン第7回大会(35年)の前後の裏事情

このへんの話はまるっきり初めての話ばかりで、相応面食らう。かいつまんで言うと以下のようになろうか。

*ドイツの国会放火事件(33年3月)で逮捕されたディミトロフが釈放されたとき、スターリンは彼を使ってコミンテルンの改革を行おうとした。

*ディミトロフはコミンテルンのなかで主導権を握ろうと頑張った。彼の路線は反ファシズム統一戦線だったが、コミンテルン内はスターリンの提唱した社会ファシズム論が優勢だった。

*しかしスターリンは自分の主張をひっくりかえすことになるにもかかわらずディミトロフを支援した。(これにはコミンテルンがナチスの増強に対して無関心で、そのことにスターリンが彼なりの危機感を抱いた側面もある)

*ディミトロフは論争に勝利し、反ファシズム統一戦線が公式方針となった。そのとき、組織的には書記長制度が導入され、コミンテルンがスターリンの上意を下達する機関となってしまった。

*これらの経過は、スターリンが路線よりも自らの権力強化、“自らのソ連”の防衛を最大眼目としていたことを示す。

3.コミンテルン7大会の後に大テロル(35年)が起きた理由

*「大テロル」に関しては記事の範囲では従来のものとさほどの違いはないのだが、今回の肝心な指摘は、弾圧は各種弾圧機関が独走したのではなく、かなりの細部に至るまでスターリンが直接指揮していたことである。(その根拠として、ゴルバチョフ時代に発表されたソ連共産党の政治局特別委員会調査報告(89年)が新たにあげられている)

*大テロルを開始した意図は、ドイツの脅威にあった。それは「ドイツの指図によるソ連へのテロ」と表現される。しかし独ソ同盟に動くようになって、大テロルは無意味になった。

*38年に大テロルは中止され、テロの執行役だった人物は逆に粛清された。こうして真相は闇に葬られた。

*これらの大テロルの上で、反ファシズム人民戦線運動は、それらを覆い隠す役割を果たした。少なくともスターリンの頭のなかで、大テロルとコミンテルンだ7回大会はひとつのセットだった。


…にも関わらず、というのが我々の口癖であった。

…にも関わらず、スターリンは反ファシズムの闘いで偉大な功績をあげた。

…にも関わらず、ソ連の果たした進歩的な役割は大きかった。

…にも関わらず、反ファシズム統一戦線の果たした役割は偉大であった。

…にも関わらず、…

これらの議論にも、ようやく底が見えてきたのかもしれない。

反ファシズム統一戦線はスターリンがドイツと張り合うための一過性の戦術でしかなかった。コミンテルンはスターリンの操り人形でしかなかった。

スターリンも、コミンテルンも、独ソ同盟を結ぶに及んで、この戦術を放棄した。にもかかわらず世界の人民はこの戦術を放棄しなかった。

こういうことになるのかな。

昨日朝、件のDACがエクスパイアーした。休日でもあるし、一仕事終えて机に向かってパソコンを立ち上げた。BGMのつもりで音楽の再生を始めたが、どうも音が変だ。まるっきり音がくぐもって、10年前の音源のような音だ。
一体どうしたことかといじっているうちに、突然音が聞こえなくなった。「あれっ」と思って、DACを見ると赤の点灯ボタンが消えている。
電源を入れ直し、ドライバーを入れ直して…と、ひと通りやってみたが、ウンともスンとも言わない。
しかたがないので、捨てずにとっておいたONKYのSE-U55 を引っ張り出してきた。
あらためて聞いてみると存外いい音がする。なんというか「停電になってろうそくの光が、何故か懐かしい」とまでは行かないが、何がしか懐かしいのである。
たまにNHK第一放送の音楽番組を聞いて、「なんて綺麗なんだろう」と感激するようなものだ。多分高音ちょん切れの低音モヤモヤのダイナミックレンジがゼロの音が、老人の耳にはやさしいのであろう。あるいは真空管アンプの魅力に近いのかもしれない。
今は Evgeni Koroliov という人の弾いたバッハのインヴェンションを聞いている。これがいいのだ。もろにバッハだ。ロシアにはこの手のピアノ弾きが無尽蔵に居るらしい。まさに「資源大国」だ。

しかし今はそうも言っていられない。それではあのDACを買った金はどこに行ったのだ。DACを買って以来これまでの苦労はまるっきりのムダだったのか?
引かれ者の小唄かもしれないが、やはりそうではないと思う。少なくともメモリーを増設してRAMディスクを立ち上げて、そこにfoobar を置いたぶんは間違いなく音はクリアになった。メモリーが増えたぶんバッファーが増やせて音飛びもなくなった。今はPPHS、SOXにつぐ第三のリサンプラーMulti Resamplerを入れているが、気持ち、音が厚くなって柔らかくなった気がする。

ヨドバシにDACを持ち込んだ。「マイナーな会社ですから、1ヶ月は見ておいてください」と言われた。きっと点灯ランプだけは点くように細工するのだろう。
いま考えると、結局問題はドライバーに帰着するだろうと思う。USB3.0にすれば解決するかと思ったが、そもそもNU ForceはUSB3.0には対応していない。
ドライバーとfoobarが喧嘩をする。互いにおっつけあったプログラムが解決されることなく電線の中をぐるぐる周りする。それが積もり積もって挙句の果てにCPUの容量を超える。そして緊急指令として列車を止める。線路が復旧しても問題は残されたままだから、いずれまたクラッシュする。そうなるとパソコンそのものを再起動する以外になくなる。
そしてまた同じことの繰り返しである。これを解決するにはDACの側のドライバーでぐるぐる周りにになるような要求を出さないようにするしかない。
専門家の眼からすればそのようなバグを見つけるのは容易であり、ドライバー・ソフトを修正すればよいのである。しかしNU Forceはそれをやらずに製品を販売中止にしてしまった。そこに「飛んで火に入る夏の虫」よろしく飛び込んだのが、私のようなカモであったという経過になる。

そのまま帰るのもシャクなので、SDカードを買ってきた。128ギガのSDが1万8千円で買える。そういう時代になったのだ。そこに音楽のファイルを突っ込んだ。全部は入らないが大部分は入った。
現在はメモリー上においたfoobarからSD上の音楽ファイルにアクセスして再生するという仕掛けになっている。“回り物”はまったく介在していない。
音はなかなかよろしいようです。












倉田稔さんの「小林多喜二の東京時代」(小樽商大「商学研究」(2001), 52(2/3): 3-37)を読み終えた。
必要なことはすべて書き込まれている。
ハウスキーパー問題についても、歴史的限界も踏まえた客観的な評価が下されている。
この論文が描き上げられたのが、2000年頃と思われる。私が小樽にいたのが96~97年だから、同時代に書かれたことになる。小樽で繁華街の店じまいに拍車がかかり始めた頃の話だ。
伊藤ふじ子についても、また違った側面から描き上げられており、彼女の魅力を一層に引き立てている。

多喜二のラブレターの話は傑作だ。
古本屋の活動家とその仲間が多喜二から手紙を託された。盗み読みした上に写真まで撮るのも、ふてぇ連中だが、死も拷問もおそれない闘士であろう二人が、人の恋文を舌なめずりしながら読んでいるさまが眼前に浮かんでくるようで、思わず笑ってしまう。

笑いついでにラブレターを紹介しておく。澤地久枝 『続昭和史の女』 文芸春秋1986年版からの転載のようだ。
「しばらく君と御無沙汰しているのはわけがあるんだ」。多喜二が警察に捕まって、7カ月勾留されていたことが書かれていた。
「その時いっしょに捕まったかわいそうな老人がいたので、それを抱いて寝てやった。そのためにカイセンをうつされた。それを治療するためにこの温泉に来ている」
「このことは親しい人にも誰にも言っていない。君が誰かに話すとは思わないが、ぼくはそれをちょいと試してみたくなった。それでこの手紙を書く」とあり、最後に「帰ったら、また逢いたいものだ」とあって、便箋に二枚だった。
これを受け取ったふじ子は、「あら、そう」みたいな感じでさっと受け取って、何事もなかったように去っていく。このイメージと、通夜の席で人目も憚らずに遺体を掻き抱き接吻した狂乱の場面はイメージがあわない。あわないところが、いかにもいとおしくリアルだ。
きっと、間違いなく、ふじ子は角を曲がってから後ろを振り向いて、小走りになって、人が見ていないところまで走って、それから道端にしゃがみこんで、ラブレターを何度も読み返したに相違ない。


年末に各社が2014年十大ニュースを特集している。

この内読売は

エボラ、「セウォル」号沈没、マララさんのノーベル賞、ウクライナ(これは4位にマレーシア機撃墜、5位にクリミア編入が入っているから、合わせれば1位となるかもしれない)、以下イスラム国、米中間選挙、マレーシア機失踪、香港デモ、スコットランドと続く。

さらに番外としてパキスタンの学童虐殺、キューバ国交正常化へ、北朝鮮のサイバー攻撃が入る。

この時点ではロシア経済危機や原油暴落はまだ入ってこない。慰安婦は国内に行っているかもしれない。ガザへの認識は薄い。アフリカ(サブサハラ)は視野に入っていない。

ル・モンド日本語版の見出しを見ると、

ロシアのウクライナ侵略と西側との対決、チュニジア・リビア・エジプトの混乱、安倍政権の本質、租税回避などがあげられている。

ニューズウィークでは

南シナ海問題、アフガン撤退後問題、イラン核協議、第2ラウンドに入った中南米革新政権も取り上げられているが、一つの事件とするにはスパンが長過ぎるかも知れない。

いくつかのカテゴリーにくくってみると、

中東問題:

もっとも問題が山積している。イスラエルはガザで虐殺を行い入植地を拡大しつつある。シリア内戦、リビアの混乱はまだ収拾がついていない。アフガンのめども立っていない。そのなかで米国の庇護を受けた超封建的システムがのうのうと生き続けている。

イスラム国はそこから生まれたあぶくのようなものだ。

私は、80年代はじめからの経過のなかで、政治原理としてのイスラミズムの無力さが証明されたのだろうと思う。やはり諸国家が民族自決を確立するところから出発する以外にないと思っている。

その上で、諸国家が連帯してイスラエルを外交的に包囲していく以外にないだろう。すなわち国家原理としてのイスラミズムの放棄だ。

ロシア問題:

今世紀に入ってからのロシアの好況は原油と天然ガスによるものだった。OPECの寡占体制に楔を打ち込むことによって、アウトサイダーとしての優位性を利用してシェアを拡大した。

天然資源に頼る経済発展は、国内産業構造を著しく脆弱にする。農業は競争力を失い、第二次産業も基幹部分は外国資本に握られるようになる。それが資源に頼る経済構造のツケだ。

おそらくその焦りが無理な膨張政策となって暴発したのだろうが、それはかなり高いツケを払わされることになるだろう。

これまで外貨をしっかり溜め込んでいたから、しばらくは持つかもしれないが、原油安とルーブル安が続けば、いずれは困難に直面することになる。悪夢の1998年が再現しない保障はない。

EU経済:

ツィプラスの言うごとく、ユーロ圏は貧しい南部と豊かな北部の対抗という図式から、ドイツ対それ以外すべての国の対立という構図に変わりつつある。

2年前にはユーロ圏からの脱退の脅しで抑えこみに成功したが、状況は改善するどころか、ますます悪化しつつある。今度はユーロシステムそのものの危機となるであろう。

12年にはフランスがドイツと妥協する形で事態が収拾されたが、もはやフランスにそのような選択肢は残されていないだろう。ドイツにもそこまで面倒見る余力はない。

経済の悪化の直接の影響は青年層を直撃している。これが極右やテロリストなど社会不安となり、いまや時限爆弾と化しつつある。

2年前にスティグリッツが提起した欧州債などのプランが、今度は本気で検討されなければならなくなるだろう。

さらに、事実上金融市場を支配するユーロダラーとの真正面からの対決も視野に入れなければならなくなるだろう。

ツィプラスの最近の演説がハフィントンポストで読める。

このブログはハフポストギリシャ版に掲載されたものを翻訳しました。

ということで大変ありがたい話だ。

要約して紹介する。小見出しは私がつけたもの。


急進左派連合はヨーロッパの理性の声だ

ヨーロッパは政策転換なくしてユーロ危機から抜け出すことはできない。

SYRIZA(急進左派連合)は鬼ではない。ヨーロッパにとっての大きな脅威でもない。理性の声である。

SYRIZAは2012年の時のように大きな脅威としては扱われない。変革への挑戦と受け止められている。

急進左派連合の再建計画

サマラス首相は失敗した「メモランダム」(ドイツなどとの合意に基づく超緊縮政策)を続ける以外の政策を打ち出していない。

SYRIZAは財政安定化のための政策「テッサロニキ・プログラム」を打ち出した。それは具体的で費用対効果のバランスが取れたものだ。

私たちの目的は2009年(ギリシャ財政危機発生の年)に戻ることではない、すべてを変えることだ。

それは経済の再出発、過去最悪の失業率を改善するための対策、国家経済を成長へと転換させるという計画だ。そのために国と公共機関・公共事業のあり方を大胆に改革する。

縁故主義、国民を敵に回す国家、脱税と税金回避、ブラックマネー、燃料や煙草の密輸。これらは何年もの間国を支配してきた勢力図の一面でしかない。この体系がギリシャを失望させてきた。

急進左派連合はユーロ圏を救う

SYRIZAは崩壊を望んでいるのではない。ユーロ圏を救おうというのだ。債務の問題はギリシャに限ったことではなく、ヨーロッパも同じだ。

我々は次のような返済条件を求めている。

残された資源を成長に向けて使えるようにする。そのために大部分の公債の額面価格は処理(割引)されるべきだ、返済(期限)の猶予があるべきだ、残りの借金を返済するためには成長が必要だ。そのための成長項目を導入すべきだ。

急進左派連合は欧州中銀に賛成する

今、ヨーロッパの将来について2つの正反対の戦略がある。一つは、ドイツのショイブレ財務相が言うように、これまで行われてきた法律や規則 を、それが上手く行くかどうかには関わらず、実行し続けること。

もう一つはユーロを守るために「何でもする」戦略だ。これはもともと、我々ではなく欧州中央銀行のリーダーが唱えたものだ。

私は様々な理由から、後者の戦略が勝ると考えている。


最後の見出しは少し勇み足かもしれません。ただドイツの孤立はますます明らかになっており、その裂け目を広げようというのがツィプラスの戦略であろうかと感じられます

急進左派連合とツィプラスについては、下記の記事もご参照ください。

欧州議会選挙をどうみるか 2014-05-30 10:47:21

欧州危機 金融危機からソブリン危機へ 2014-05-29 23:48:49

ギリシャ人いじめは間違っている 2014-05-29 22:33:42

ギリシャの若者の失業問題 2014-04-25 15:10:14

破壊的緊縮政策 2013-06-12 12:25:23

ユーロ圏失業率が12%を突破 2013-06-03 12:16:53

ギリシャ報道の明らかな誤り 2012-06-25 16:13:30

ギリシャ危機と青年 4 2012-06-19 13:41:44

ギリシャ危機と青年 3 2012-06-19 13:41:02

ギリシャ危機と青年 2 2012-06-19 13:40:06

ギリシャ危機と青年 1 2012-06-19 13:39:06

ギリシャ新民主党の「勝利」の意味 2012-06-18 23:27:09

ツィプラスとドイツ左翼党の共同声明 2012-06-04 17:22:10

フィナンシャル・タイムズがツィプラスを評価 2012-05-31 14:00:27

欧州でもっとも危険な男 ツィプラス語録 2012-05-31 12:58:47

ギリシャの離脱はありえない 2012-05-21 10:44:25

ギリシャ危機年表 2012-05-16 16:41:53

ギリシャの債務削減 2012-05-10 10:53:20

EU危機は破滅的危機ではない 2012-05-08 11:06:28

ギリシャ、何が“緊縮”されるのか 2012-02-22 16:22:01

ギリシャ危機が銀行に波及 2011-09-27 11:00:00

「ギリシャ支援」と言わないで欲しい 2011-07-26 14:07:52

「労働者階級の指導性」などもはや死語かと思ったが、「死亡宣告」がくだされたかどうかは、案外定かでない。
今思えば、あの頃の労働者階級の指導性というのはほとんど戯画であった。
党のトップに君臨するのは紛れもなく知識人であった。あの難しいマルクスの理論を曲がりなりにも理解できるのは、相当の素養のある知識人でなくてはならない。だから党がマルクス主義を標榜する限り、それは知識人によって指導されなければならなかったのである。
しかしそれだけでは党は知識人グループの域を出ない。国民大衆と結びつかなくてはならないのである。弾圧厳しき折にあっては自覚的大衆とは労働運動の活動家であった。
それにマルクス自身が労働者を資本主義の墓掘り人として位置づけていたから、それと結びついて「労働者階級の歴史的使命」という言葉が唱えられるようになった。労働者の方も労働争議だけ繰り返していても、世の中は変わらないことに気づいていたから、労働運動と政治闘争の結合には積極的に呼応した。
こうして共産党は知識人と労働者のいわば統一戦線として発展してきた。
こうして党の現場の指導部は労働者が多くを占めるようになった。注意すべきは党が全体として「労働者階級の歴史的使命」という理論を受け入れたのであって、党の様々な活動において労働者出身党員の指導性を受け入れたのではないということだ。
党は国政の革新を目指す以上、国民の党であり、そこで幹部として指導するのは、個人として優れた資質を持つ人物である。人物本位、能力本位でなくてはならない。その限りでは普通の民間の会社や組織と変わるところはない。
ところがあの頃の党はどうもそうではなかったように思える。最初は学生だから信頼されていなかったのかと思った。たしかに、まったく物を考えていなかった学生が4年間の間に赤くなり、卒業して社会に出れば、また関係ない一市民に戻るという状況が横行していた。
しかし、党大会に出ると資格審査委員会が「出席者のうち労働者何%、農民何%、勤労市民何%、…」とやっていく。これは学生を特別扱いしているというより、知識人を動揺分子として見ているのだなということが分かった。
考えて見れば分かることだが、共産党というのは労働者を中核とする地域活動家と知識人の統一戦線なのだ。
それが科学的社会主義という理論を介在させることによって、渾然一体となって運動するところに特色があるのだ。
ところで問題は、これらの、おそらくは軍国主義的発想とスターリン・毛沢東による干渉の影響を受け継いだ「遺風」が、現在は克服されているかどうかという問題だ。
私は基本的には克服されていると思う。
基本的には克服されているという認識は、以下の点に基づいている。
1.スターリン主義、毛沢東主義の拒否、レーニン主義の克服
2.非平和的移行(非議会的移行)の可能性と、武力革命路線の峻別
3.知識人の集団化と労働者概念の拡大・拡散
4.社会的ルールの普遍化
とくに4番目の問題が大きいと思うが、この点についての吟味はこれから行っていかなければならない。
主体的にきちっとした総括のもとに「遺風」が克服されているかというと、いささか心もとないところもある。「もうそんなことが出来るご時世ではなくなった」からやめたということではなく、党の基本的理念から見て、「労働者優位論」が過ちであることを、激しく言えば「許しべからざる過ち」であることを確認していく必要があると思う。
ただし、それらの議論は今国民の間に広がりつつある変革への要求を励ますために行われるべきであり、足を引っ張るために行われるべきではない。これは武谷批判への反批判の際にも強調したことである。


麻生「守銭奴」暴言の内容

「またやったか」という感じなのだろう。メディアは手抜きしている。各紙は共同通信の配信をそのまま流しただけ。わずかに東京新聞だけが独自取材。この「暴言」への財界の反応はほとんど触れられていない。

というわけで共同、時事、東京新聞の情報を総合してみると、

1.「まだお金をためたいなんて、単なる守銭奴に過ぎない」(東京新聞)

2.「内部留保は昨年9月までの1年で304兆円から328兆円に増えた。毎月2兆円ずつたまった計算だ」(東京新聞)

3.「ある程度カネを持ったら、そのカネを使って何をするかを考えるのが当たり前。今の企業は間違いなくおかしい」(時事通信)

これに比べ共同通信の記事は、かなりニュアンスを薄めてある。

麻生「暴言」は、この間、消費税引き上げを迫リ続けた財界への反発だ。そして引き上げ保留を争点にした、今回の選挙での勝利を強気の背景にしている。

安倍政権に対し、財界はそれほど深く食い込んでいるわけではない。むしろ榊原新会長を始め、民主党政権に関わってきた顔ぶれが多い。米倉前会長はアベノミクスに対して「無鉄砲」との暴言を吐いた過去がある。(それはそれとして正しいのだが)

だからこれは消費税引き上げを前提として法人税減税を迫る大企業、民主党政権で我が物顔に政治を動かしてきた経団連への面当てでもある。

いま、これまでになく政・財の関係は政界有利になっている。二大政党制が崩壊したことから、選挙は自民党に一方的である。

財界資金が喉から手が出るほど欲しかった、かつての状況とは異なる。政党助成金だけでお釣りが来るほどだ。

したがって、今回の「暴言」はこれまでの“軽はずみ”ではなく、かなり計画的な「暴言」であった可能性がある。

年末の記事で、「音飛び解消!」と書いたが、実は相変わらずクラッシュしている。
正確に言うと、音飛びは解消したが、クラッシュ=突然の接続アウトは続いている。
なお、foobarのadvanced設定は、その後クラッシュした。「悪いプログラムが入っている」とダメ出しされた。
メモリーを増設して、仮想RAMを設定してそこにfoobarのフォルダーを移設することで、デフォールトの状態でも音飛びはなくなったので、advanced設定は止めている。
音源ファイルを外付けHDにおいていたのを、本体に移したが、これもダメ。さればと仮想RAM上に移植したが、それでもだめ。つまりパソコン内部でやれることは全てやったがダメだということである。
こうなるとパソコンとDACの接続スピードをあげるしかない。
それにはどうするか。USB2.0規格をUSB3.0規格にあげるしかない。
私のパソコンLenovoのY560にはUSB3.0の穴はない。
調べてみると、express card というのがあって、そこにアタッチメントを差し込むと、そこがUSB3.0の穴になるんだそうだ。
no title
こんなもので、値段は6千円くらい。
むかし、USB2.0をつけるのにも、こういう差し込みを使っていたことを思い出す。あの頃はPCカードと言って名刺大だったが…
今度はこれを買いに行かなければならない。
express cardには34と54という2つの型があるそうだが、両形式に対応しているらしい。
それにしても変なDACを買ったためにずいぶん頭もお金も使わされたものだ。

これまでも書いてきたが、小選挙区制と二大政党制はセットのものだ。これに政党助成金を合わせた三本柱が日本における政党政治制度の骨格をなしている。まるで盆栽だ。
もし二大政党体制が壊れれば、たちまちそれは一党独裁に移行する。
一党独裁と言ってもそれなりに民意を反映していればよいが、それが民意と逆の方向に動き始めれば、国民との間に深刻な矛盾を産み、議会制度があろうとなかろうと政治は不安定なものになる。
戦いの場は議会ではなく街頭になる。それは容易に流血を伴うものになるだろうし、権力はますます極右的・専制的になる。間違いないのは政治の安定性が失われるということだ。
支配する側から見た本質
志井さんの新年挨拶では「2003年以来の「二大政党づくり」の動き、それが破綻した後の「第三極」論…」と語られている。
つまりはっきりしているのは、前回選挙で二大政党制が破綻した後、権力の側はこれに代わるものとして「第三極」論を掲げたが、「そんなものオルタナティブにはならないよ」と国民から一蹴されてしまった。ここに今回の総選挙の本質があるということである。
これは考えて見れば当たり前の話で、小選挙区制度というのは本質的に「第3極」の存在を許さないシステムなのである。選択はAかBかなのであって、Cは原則的にはありえない。それはせいぜい「仲間割れ」の結果としてたまたま生じる現象に過ぎないのである。
ところがここで政党助成金が加わる。これは莫大な財源であり、これを党本部が掌握するわけだ。下っ端の国会議員は到底党本部に逆らうことはできない。与党には派閥も、意見対立も起きなくなってしまう。政治は与党対野党の関係でも独裁的になるし、党内においても専制的になっていく。
もし小選挙区制を続けるとすれば、政党Bをもう一度作りなおすしかない。そうでないと、国民に不満がたまった時にガス抜きができない。ベントがないのだから、国民の不満が貯まればそれは水素爆発を起こす他ないのである。
これは政治装置としてはきわめて不完全な装置である。
国民目線から見た本質
水素爆発の予兆はすでに起きつつある。数から言えば圧倒的に少ないとはいえ、共産党が躍進したことである。今のところは微小なクラックのレベルだが、そこに押し当たる世論の圧力は予想を超えて強い。共産党をふくむ真の野党勢力が一気に裂け目を押し広げて、政党Bにのし上がる可能性は十分にある。
これが今回の総選挙のもう一つの特徴だろう。
支配勢力は「革命」を準備しつつある
その時支配勢力はこれに対応できるのだろうか。現有の自民・公明の枠組みを越えた対応ツールを準備できるのだろうか。
レーニンの昔から、権力は自動的には崩壊しないと言われていたが、同時に、権力側に支配する手立てがなくなったとき革命は起きるとも言われてきた。両者ともに真理である。それは弁証法的に理解する他ない。
今日これを考えるとき、ある意味で支配勢力は「革命」を準備しつつあるといえるかもしれない。それは議会を通じた「革命的な」政権交代である。かつてマルクスは資本主義はその墓掘り人を生み出しつつあると喝破したが、今日の支配層は、前進的な変化の道を塞いでいくことによって、沖縄型の激変を全国レベルで巻き起こす道をひた走っている、という見方もできるのではないか。
肝心なことは「深部の力」、民主党政権実現へと雪崩を打った「深部の力」が、今もなお脈々と息づいていることを信じることである。

世の中小保方さんのSTAP細胞で大揺れしたが、じつはそういうレベルをはるかに超えた、どでかいスキャンダルがある。

それは東北大学の総長を務める井上氏の研究に関わる疑惑である。

いまこれを懸命に追及しているのが東北大学の共産党組織である。トップが日野秀逸さんで事務局長に大村泉さんという最高布陣である。傍から見ると相当むき出しでゴリゴリやっているようだが、逆に言うと相当学内の支持を得ているからとも言える。

マスコミではまったく報道されないが、これは政府・財界筋が懸命に隠そうとしているからであろう。

闘いは裁判の形で行われているが、裁判所は及び腰だ。何故かと言うと告発側の論理が相当しっかりしていて、まともにやればどう見ても勝利するからだ。

真っ黒と断定できなければ白という形でことを納めようとする。

ただ民事というのはある意味で刑事以上にシビアーで、負ければ訴えたほうが悪いということになるから、裁判費用から何から負担しなければならなくなる。おまけに誣告罪で逆襲されれば、裁判所は悪に味方し善を罰し、正当な告発を抑圧したことになる。それは裁判所にとって自殺行為になりかねない。

ウィキペディアによると、井上氏は海外での評価も高く、ノーベル賞さえ噂されているようだ。

だから、東北大学は、もし疑惑が発覚すれば、「第二の理研」として万座の前で恥をかくことになる。これが東北大学人の危機意識を突き動かしている、というおかしな関係になってる。

ここまで書いておいて言うのもなんだが、脳みそがそろそろ限界になりつつあるので、これから先の仕事は明日に回すことにする。

そもそも国から税制面の優遇や補助金が出ても良いと思うのだが、あまり見当たらない。「エネポ」で見ると、いま生きている制度は次のものくらいだ。

H26  戦略的中心市街地エネルギー有効利用事業費補助金

福井市の商店街が「戦略的中心市街地」に該当するとはとても思えない。

税制はさっぱり分からないが、小額なら修繕費で落とせるが、それ以上になると減価償却の前倒しで対応するくらいで、手間を考えればかなりアホらしい。

グリーン税制というもっともらしい制度があるが、どちらかと言うと省エネに関する研究・開発への援助ということで、隠れ大企業支援策の一環のようだ。

結局地方自治体に期待する他ないが、実際に対応している自治体は数えるほど。

どうもここ、国の姿勢が一番の隘路ではないか。つまり「エネルギーが大変だ」というのは省エネを促すためではなく、原発再開のための脅しでしかなかったのではないか。

省エネの直接の結果はGDPの減少である。電力会社と経団連=大企業は、本当は省エネを歓迎していないのではないか。目先の価格に引きずられて、ひたすら安いエネルギーをふんだんに使うことに命をかけているのではないか。

本日の赤旗「家庭面」
話は、福井市の商店街がアーケードの照明をLEDに切り替えたということだが、その資金を融資したのが「福井市民共同節電所」という組織で、これは市民が出資して作ったファンドというのがミソ。

sikumi
福井新聞より

ここまでは、いかにもありそうな話だが、その額がすごい。下の表を見てほしい。
節電所

これまでは水銀灯108個で照らしていた。これをLEDに切り替えただけでなんと7割の削減につながった。
しかし、減ったのは使用量だけではない。消費量が減ると基本料金のランクも下がるそうで、効果はそれ以上という話だ。
多分、水銀灯に比べ寿命も伸びているから、もっとすごい。それで、肝心の見栄えだが、下記のごとし(朝日新聞より
LED
これが実施前
LED後
これがLED後
主催者が撮影した写真だから、痩せ薬の「使用前・使用後」みたいかもしれないが、水銀灯に比べ赤みがかった柔らかい光になったことは間違いなさそうだ。


ちょっとしたそろばん
これだけ効果がはっきりしているのに、いままで着手しなかったのは初期投資の額がかなりの高額だからということのようだが、その額は書かれていない。
朝日新聞にもう少し詳しく載っている。
昨年、1口15万円で42口分の出資者を集めた。それを元に今年2月、福井駅近くの商店街「ガレリア・モトマチ」と福井市内の6店舗がLED照明を導入した。
ということで、15x42=630万円だ。6店舗で130万として、残り500万くらいが投資されたことになる。
もう一つの疑問は、これだけ効果がはっきりしているのに金融機関が資金を提供しなかったのはなぜかということだが、これも記事からはわからない。
まぁとにかくそういうことで、市民ファンドが支援に乗り出した。契約では、事業者は負担ゼロで機器を導入し、下がった電気代(との差額)から3~5年かけて返済する。当然、利子もつくわけで、「分配金」と呼ばれる利子は年間1.5%となっている。
おそらく、考えるに、1.5%という金利がかなり安いのではないだろうか。今どき商店街の行く先など風前の灯だ。向こう5年の間に何件の店が潰れ、何件の店が生き残るだろう。潰れた店の分担金を生き残った店が肩代わりするのだろうか。ましてや、LEDへの交換のための500万円をためらうほどの貧乏商店街だ。
…などといろいろ考えると、金融機関筋は相当たじろぐだろうし、金利も5%は取りたいし、償還期限も3年位に圧縮したいところだ。
ただ、1.5%というのは出資者への配当であり、ファンド本体としてはリスクテイクの分を上乗せしなければならないから、借り手が支払う利子はその倍くらいになっているのかもしれない。

やはり家庭欄の記者の取材だから、ツメが甘いのかもしれない。

ライブドアーの悪口を書いていて思ったのだが、インターネットの世界は自由だと思っているが、決してそうではないということだ。ただ私の力があまりにも微小だから、目こぼしされているだけなのだ。
もちろん、最初の頃から見ればインターネットは巨大な世界になっているし、誰かが統制しようとしてできるものではなくなっている。
ただそれでも、一定のポイントを抑えておけば、力に物言わせることはできるのだ。インターネットは公共化しているが、それを快適に運用できるようにしているのは巨大サーバーのおかげであり、そこからパージされれば一瞬にして世界の孤児となるのだ。
とくに悪意を持つメールやアプリケーションが跋扈してくると、ネットの世界をそれらから守るのは巨大サーバーに頼るしかない。警察は決して我々の味方ではないが、彼らなしに社会が成り立たないということも、悲しいかな現実である。
だから彼らの力に依拠せざるを得ない側面があることは認めざるをえないが、我々は巨大サーバーの「権力」と横暴に対しても自衛する準備をしなくてはならないし、状況によっては反撃する手段も身につけていかなければならないのだと思う。
真の敵はネトウヨではなく、彼らの背後にいる権力だ。その権力がますますインターネットの世界の権力をも掌握しつつある。ただ、いまのところそれは予感の域にとどまっており、少し勉強してみなければならないと思う。

1.

以前、

このなかで、ロシアのマイナー作曲家に近づくきっかけとなったCDを紹介した。

ウラジミール・トロップという人の演奏した3枚組みのロシア・ピアノ小品集というCDである。

曲名一覧を見れば分かるように、トロップの努力は圧倒的にキュイに集中している。

他の作曲家が万遍なく3,4曲づつ取り上げられているにに比べ、キュイだけが12曲も突っ込まれているのである。

だから私の関心も、当面はキュイに向かっていった。

それが、

2.

キュイをYouTubeで漁っているうちに目についたのがアレンスキーという作曲家だった。キュイとの共通する特徴はあまりロシアっぽくないということである。

どういうわけか、トロップはアレンスキーをただの一曲も取り上げていない。なにかふくむところがあるのかもしれない。

3.

さらにネットで調べていくうちに「日本アレンスキー協会」という団体があるのを知った。なんと札幌に籍を置く団体のようである。世間は狭いものだ。

このサイトのアレンスキーの生涯というページに伝記が詳しい。やや主観が入っているが、ウィキペディアのような突き放した感じはない。

とりあえず、YouTubeからダウンロードしたアレンスキーの曲の一覧を上げておく。かなり音質の悪いものも入っている。

4.

Sergey Koudriakov というロシアのピアニストが、かなり精力的に紹介してくれている。腕は相当のもので、録音も佳良だ。

うp主はakanemadeleine2012 という人で、コメントには下記のごとく書かれている。

his first piano works CD "Arensky/ Piano Works"(recorded by AKANE.INC)

つまり、察するに、アカネマドレーヌさんという人がコウドリアコフという若手のピアニストを見つけてきて、アレンスキーの選集を録音させて、アカネ社というところから発売した。そのプロモーションとして一部をYouTubeにアップした、ということだろうか。

アカネマドレーヌさんのページに行くと、コウドリアコフとまろ・篠崎の演奏がずらっと並んでいる。中には共演もある。

あまり詮索しても始まらないが、とにかくこの人のサイトでアレンスキーのピアノ曲のめぼしいものは手に入る。ありがたいお人だ。

作品1 6つのカノン風小品 1曲めの「同情」は佳曲である。2曲めの「矛盾」も良い。その後はだんだん落ちて、最後の方はどうでも良くなる。

作品2 ピアノ協奏曲はつまらない。作品4の交響曲第1番もつまらない。この辺りは若書きの習作なのだろう。

作品15の組曲第一番は、第一曲「ロマンス」が有名でオーケストラ曲にも編曲されている。Genova & Dimitrov の演奏が良い。ブリュメンソールは味も素っ気もない。BrukとTaimanovがいいが低音質。

作品23の組曲第二番は「シルエット」と題されている。第1曲「学者」はバッハのカノンそのまま。第二曲は“ぶりっ子”のワルツ。ピアノドゥオの面白味を引き出した楽しい曲集だ。

作品25の4つの小品は、3番「中国の主題による練習曲」のみが聞けるのだが、中間部に「あれっ?」と思うヨナ抜き旋律が飛び出す。

作品28、「忘れられたリズムによる試み」は意欲的な試みで、さまざまな変拍子の、おそらくは南欧系のリズムを取り入れている。第4曲「サリ」は印象的である。

作品30のバイオリン小品集は2曲めのセレナーデが聞ける。ワルツのリズムで伴奏との掛け合いが大変心地よい曲である。

ロシアの作曲家にはチャイコフスキーの「偉大な作曲家の思い出」以来ピアノトリオの伝統があるのだが、アレンスキーもそれと比肩するほどの三重奏曲を2曲書いている。

中では作品32の第1番ニ短調が有名だ。コウドリアコフとマロの演奏も悪くはないが、やはり本家ボーザール・トリオには及ばない。

作品35の弦楽四重奏はバイオリンが1丁で、代わりにチェロが二つはいるという変わった編成。第二楽章がチャイコフスキーの主題による変奏で、弦楽合奏で演奏されることもある。

悪いがそれほどのものではない。いかにもの型どおりだ。この人は大規模な編成になるとだめになるみたいだ。

作品36は「24の性格的小品」という変わった題がつけられていて、実験的手法がなされているが、成功とはいえない。

7曲目のワルツはカルメンのハバネラのもじりである。

もうアルコールが回ってきた


ということで、途中で挫折した文章。翌日書こうと思っているうちにそのままになってしまった。

もったいないので、載せておく。続きはいつか必ず…

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