鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

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2015年01月

(講演〉 転形問題論争をめぐって    櫻井毅 (武蔵大学名誉教授)

やや、とりとめない講話だが、感じはよくつかめる

1.「転形」という言葉

「転形」というのはドイツ語で“Verwandlung”、マルクスの『資本論』の中における「価値から生産価格への転形」という意味である。

ドイツ語から訳した『資本論』の日本語訳では、ほとんど「転化」、あるいは「価値から生産価格への転化」と訳されている

“Transformation problem”(転形)は“Verwandlung”の英訳である。論争が主として英語圏で行われているために、「転形問題」と言われるようになった。

2.議論の対象

『資本論』の1巻と3巻のあつかう論点に関する議論である。マル経、近経を問わずいろんな人が議論に参加している。

問題が多岐にわたっているために結論めいたもの、決着というようなものがまだできてない。

3.なぜ議論になるのか

く簡単にいえば、マルクスの『資本論jの中では、価値から生産価格への転形についての説明に不十分なところが残っているということ、そのためにいろいろ問題が出てくるということ。

4.議論の始まり

1942年にポール・スウイージーが「資本主義発展の理論」を発表した。スウィージーはハーバード大学の出身で、シュンペーターの弟子筋にあたるが、やがてマルクス主義に移った人。

この本の中でボルトキエヴィチという人の論文が取り上げられた。ボルトキエヴイチは20世紀初頭のドイツの統計学者で、新リカード主義者。「マルクスの価値から生産価格への転形の方法というのはおかしい」と述べ、連立方程式を使ってその誤りを正している。

スウイージーはこの批判を発見し、マルクス経済学がこれを正当にあつかうべきと主張した。

5.日本における議論の状況

日本では意外にこのボルトキエヴイチの論文というのはみんな読んでいた。それに関する日本の研究というのはけっこうあった。戦前のそういう研究はマルクス批判家たちがやっていたから、戦後は全然相手にされなかった。

6.エンゲルスの問題提起

転形問題は、資本論の第一巻と第三巻の矛盾である。それはエンゲルスが『資本論』の第二巻刊行の折に読者に予告した。

まもなく第三巻を出すが、そこでマルクスは画期的な問題を提起して、見事に解決してみせる。

これは

A.商品が投下労働量によってその価値 を決定されるということ、B.資本家が利潤率均等化を前提とする価格 で商品を売買するということ

この二つがどう関係するかということだ。

価値と価格は矛盾するように見える。その矛盾するものをどうやって理論的に解決していくか、これについてマルクスはみごとに解決している。

というのがエンゲルスの見立てだ。

7.ベーム=パヴェルクの批判とヒルファーディングの反批判

ベームは第三巻は第一巻とは完全に矛盾してると批判した。その後のマルクス『資本論』批判のプロトタイプになる。

ベームの批判に対して、オーストロ・マルクス主義者のヒルファーデイングが反批判する。しかしヒルファーディングの反批判は弱点の多いものだった。

価値による商品交換は資本主義以前で、生産価格による交換は資本主義が成立してからだというもの。(それ自体は正しいと思うが、答えになってはいない)

8.転形問題はある意味では些末な問題

ボルトキエヴィチの最初の問題提起は

価値から生産価格へ転形する場合に、実際には全部の商品が生産価格で売られるのだから、生産のために購入する費用だけ価値で計算するというのはおかしい。

大体、価値で売っていないのだから価値で買えるはずがない。買うときはやっぱり生産価格で買うんじゃないか。

ということ

だから価値:x と、価格:y に関する連立方程式を立てなければならないということになる。

もう一つ、数字の計算の単位をどう決めるかで問題が出てくる。抽象的な“労働量”では同じでなければならないのに、具体的な“価格”で表示すると、総価値と総生産価格がイコールにならない場合がある。これは金の価格が変動するからである。

9.転形問題 最近の議論

最近の議論はもうそういう問題から離れてしまって、マルクス経済学とはいったい何なのか、マルクス経済学の課題は何なのか、近代経済学との関係はどうなるか、そんな議論になってきている。

ピエロ・スラッファ: イタリア人でケインズの友人で、リカードの全集の編集者。近経の需給均衡論ではなく、古典派的な利潤率の均等化を媒介にして生産の均衡を解く。

その影響は現代のかなりのマルクス経済学者に及んでいる。労働価値説は不要だと考えるマルクス経済学者も増えている。

それでは労働価値説はどうなるのか。マルクス経済学とはそれでは一体何なのかという問題が出てくる。

なかなかブハーリンに入れない。周りが気になってしまう。

村岡到さんという人が紹介しているバウアーのボリシェビキ批判が面白い。

バウアーというのはオーストリア社会民主党の活動家で、第一次大戦の後、社会民主党に委員長に就任。蜂起に失敗して国外に亡命するまでずっとその職にあった人物だ。

彼はボリシェヴィキを一貫して批判してきたが、スターリ ンによる「粛清」が伝えられた後の1937年にもなおバウアーは「われわれは、ソ連邦における社会主義を信ずる。現にあるソ連邦ではなく、未来のソ連邦を信ずる」と語ったそうだ。

村岡さんは民族問題におけるバウアーの理論的業績を中心に語っているが、私の議論の本筋ではないので省略する。

1919年に小冊子『社会主義への道―社会化の実践』を発表した。これはオーストリア社会民主党の目指す革命の道筋を語ることによって、間接的にボリシェビキの暴力革命路線を批判したものだった。

バウアーは。「社会革命は建設的組織的な労働の事業」であるとし、「政治革命」と「社会革命」を峻別した。そして工場を基礎とする「労働者委員会」を組織し、大工業及び工業全体を社会化することを任務とした。
さらに農民経営の社会化、住宅用地と家政の社会化、銀行の社会化などが打ち出される。

1920年に『ボリシェヴィズムか社会民主主義か』を著わした。このなかでレーニンとボリシェヴィキを「専制的社会主義」として仮借なく批判した。

われわれは、一握りの少数者による全人民の支配を意味する官僚的社会主義を欲しない。われわれは、民主的な社会主義を、言い換えれば全人民の経済的自治を欲する。

26年に『社会民主主義的農業政策』を著した。これは当時ソ連で進行中だった農業集団化路線を批判したものだった。この中で彼は「農民の収奪を考えるのは愚か者だけだ」と述べている。

同じ26年、バウアーが指導する社会民主党は、リンツ大会で新綱領を採択した。この綱領は一言で言えば「民主政に依拠して則法的に政権を獲得する路線」を打ち出したものだった。

社会主義が破局的なカタストローフの結果としてではなく、目標を意識した労働者の収穫として到来するように、われわれは残らず働 こう!



村岡さんの議論はややサンディカリズムに傾く。

おそらくバウアーは政治革命のプライオリティーを前提とした上で、「それだけでは社会革命は実現できないよ」ということなのだろうと思う。

政治権力の把握は革命のイロハなのだが、もし政治権力を握ったとしてもそれは社会革命の手綱を握っただけの話で、「革命というのは最後は現場での闘いなんだよ」ということではないか。

そういう現場というのは、20世紀のはじめにおいては労働現場でしかなかった。逆に言うと、そこで勝っていくしかなかった。農業の現場では状況は絶望的で、主体形成さえ困難だった。

そこでの失点を最小限に抑え、都市と工場とでそれを取り返すしかない。それもふくめての社会革命なのだ。

そのためには我々が政治的ヘゲモニーを握り続けなければならないわけだし、政治戦線の強化は、ますます必須の課題となっていくのだ。


ASEANの成立事情について詳しく書かれた論文を見つけたので、これに基づいて年表を増補します。

アジア冷戦とASEANの対応 ZOPFANをてがかりに」 黒柳米司
反共・親米のタイ、フィリピンと、反共・非同盟のインドネシアの間を取り持ちながら、マレーシアがまとめ役になって進んできたというのが経過のようです。
当初、フィリピン、タイはASEANに対して冷ややかでしたが、ベトナムのカンボジア侵入、中越戦争を挟んでASEANの重みを評価するようになったようです。
その後、フィリピンのマルコス政権打倒、インドシナ三国のASEAN加盟などを通じて影響力を広げてきました。
ASEANは経済共同体としての顔と、安全保障共同体としての顔を持っています。どちらもシステムとしては未成熟なものですが、ネゴシエーションの蓄積とノウハウについては学ぶべきものがあるでしょう。それがASEANを実態以上に大きく見せている秘密なのでしょう。

これはレーニンが繰り返し語った言葉だ。
レーニンにとって身に染み付いた言葉であろうと思う。
しかし、やはり「目には目を」的な発想が潜んでいると思う。
違和感が拭えない理由はいくつかある。
ひとつは、独裁に対置されるべきは民主であるからである。
独裁政権を打倒し、その政権を維持するには、独裁者とそれに追随した者たちがまたぞろ独裁政治の再現を狙おうとするのを押さえつけなければならない。しかしそれはもうひとつの独裁の課題ではなく、民主主義の課題である。
それを独裁というのは、言葉の綾としてはいいとしても、不正確で誤った発想である。
もうひとつは、ブルジョア独裁という言葉が、プロレタリア独裁を合理化するエクスキューズとして使われているにすぎないのではないかという疑念である。
ブルジョア支配の体制は、今日の日本も含めてだが、階級的本質から見ればブルジョア独裁と呼んで差し支えない。得票率から見れば1/4政党にすぎない自民党が国会の多数を握り、思いのままの政治を展開しているさまはまさにブルジョア独裁としか言いようがない。
しかしそれは統治の階級的性格について言っているのであって、具体的な方法についてではない。独裁というのは政治手法の一つであり、民意の無視ときわめて抑圧的な体制を意味しているのである。
革命前のロシアがまさにそうだった。それはロマノフ王朝によるきわめて専制的な国家だった。
それが2月革命によりケレンスキー政権が成立し、民主化への一歩を辿ろうとしていた。
そこに封印列車で戻ってきたレーニンが「プロレタリア独裁」を呼号し勢力を拡大、最後には「戦争を内乱に」というスローガンで反乱を起こし、ケレンスキー政権を放擲することに成功したのである。
この大転換の局面で、ブルジョア民主主義者と称している連中が、ツァーリ独裁の亜流にしかすぎず、その政治がブルジョア独裁であることを指摘するのはきわめて正しかったし、それにプロレタリア独裁を対置するのも適切だったと思う。
だがこれは社会科学的な概念と「闘いのスローガン」の、なかば意図的な混同である。これを世界における革命の共通のスローガンとするのはとんでもない間違いだ。
ロシア革命はフランス革命と並んで民衆が政治に参画し政治を変えた偉大な出来事だ。しかしそれは決して「マルクス主義の偉大な勝利」ではないことを念頭に置くべきだろう。

ホモ・ハビリス余話

この世界はリーキーさんという人が仕切っているみたいで、リーキーさんがヒト属といえばヒト属なのである。

何か一頃の日本の旧石器研究を思わせるところがあり、ホモ・ハビリスについては要注意である。

発見の経過

1959年、東部アフリカ,タンザニア北部のオルドバイ峡谷の湖床層の第2層下部からヒト科の骨格遺残が発見された。更新世(約180万年前)の地表に相当する。

このとき原始的な礫(れき)石器が伴出した。類学者ルイス・S.B.リーキーらは、これをジンジャントロプス・ボイセイと命名した。

1960年にオルドバイ峡谷のやや古い層から、別種のヒト科の骨格遺残が発見された。

1964年、.リーキーが従来の説を訂正。①ボイセイはもう一つのヒト科に滅ぼされた、②石器は彼らによって造られ用いられた、③もう一つのヒト科は、猿人(アウストラロピクテス)よりも原人に近い、とする。

リイキーは、それをホモ・ハビリスと命名した。これは「器用なヒト」という意味。

その後各地に同様の特徴を持つ骨片が見つかり、存在が確定された。

身長は約130センチ。脳容積は猿人より大きい。現代人の約半分。歯は小臼歯と大臼歯が小さい。

約250万年前にアウストラロピクテスより分かれ、150万年前くらいまで生息していたと推定されている。

そのなかでケニアから発見された比較的大型のものを別種(ホモ・ルドルフェンシス)とする意見もある。

ホモ・ハビリスをめぐる混乱

リーキーは発見者としての欲目もあって、これをオーストラロピクテスとは次元の違うヒト属に分類した。

「日本大百科全書」では「頭骨は薄く、進歩的である。下肢骨は直立二足歩行に適し、手の骨から力強い把握能力が示唆される」となっている。

おそらくリーキーの著書からの引用を含んでいると思われ、必ずしも価値中立的でない表現がなされている。

しかし、「知恵蔵」の記載では、「腕が長く脚が短い点は猿人よりも原始的であり、謎の多い種である」とされている。

一方で、下記のように原人に入れてしまう表現もある。

山川出版社の『詳説世界史B』では、2012年までの旧版では、ホモ=ハビリスを猿人として紹介していたが、2013年の最新版ではホモ=ハビリスはホ モ=エレクトゥスと同じく原人に属すると記述を変更した。その結果、原人の出現時期は旧版の180万年間から250万年前へとさかのぼらせている。

ちょっとやり過ぎだと思うが、どうだろうか。

アウストラロピクテスより古い猿人

アウストラロピクテスより古い猿人探しはいわばレースのようになっている。

中でも話題になったのがサヘラントロプスという化石で、チャドからあまりにも完全な頭蓋骨標本が見つかっている。

Sahelanthropus tchadensis - TM 266-01-060-1.jpg

600万年 - 700万年前のものであることは間違いない。大後頭孔が頭蓋下方に位置しており、直立歩行していた可能性がある。

ほかにラミダス猿人、オロリンやアルディピテクス・カダバといった化石も発見されているようだが、それらの異同については、現時点では不完全な仮説にとどまる。

ということで、ALPSには実施上のさまざまな問題があって汚染水処理がうまく行っていないということは分かった。

しかしALPSは本質的に役に立たないという学者もいるようだ。

東洋経済オンラインの2013年10月22日の記事

東電・東芝の「ALPS」は、役に立たない

東工大・冨安名誉教授に汚染水処理の対案を聞く

というものだ。冨安さんは、東工大で原子炉工学研究所教授を務めた専門家。

汚染水というのは正確に言うと処理対象水(RO濃縮塩水)というのだそうだ。

この中にはストロンチウム90が1リットルあたり1600万ベクレルふくまれている。他の各種に比し圧倒的な比率だ。

ALPSの欠陥

東電は現状の技術では除去が困難なトリチウムを除く62の放射性核種を、ALPSを用いて規制値以下に減らすとしている。

しかし、富安さんによればALPSによる処理はコスト的に無駄であるだけでなく、危険だ。

なぜ無駄か?

ストロンチウムと比べて相対的に微量で、危険性の少ない核種も高いコストと手間ひまをかけて基準値以下に減らそうとしている。そのためにALPSは設備が大がかりになった一方で、最も重要なストロンチウム除去のための工程が合理的に設計されていない。

なぜそのようなことをしたのか。東電はALPS処理済み水の海洋投棄を想定しているからだ。

なぜ危険か?

ストロンチウムの吸着タワーは、チタン酸塩を吸着材としている。チタン酸塩は過度にストロンチウムを吸着した場合、放射線化学反応を起こす。

このときベータ線が水に照射して水素を発生し、これによる水素爆発のおそれがある。

発想が間違っている

第一に考えるべきは、海洋投棄を前提とせず、できるだけリスクが少ない形で汚染水を溜め続ける方法に切り替えることだ。

この後、富安さん独自の処理法が展開されているが、コメントできる立場にはない。

いずれにせよ、前の記事で私の感じた素朴な疑問が裏打ちされたような気がする。

肝心なのはストラテジーで、これは4段階に分ける必要がある。

一次除染: セシウムの除去をふくむ前処理

二次除染: ストロンチウムの除去

三次除染: ストロンチウム以外の61種の核種の除去

四次除染: トリチウムの除去

ALPSは二次と三次を一度にすまそうということだが、そのために技術的困難が生じている。

これはある意味で簡単なことで、「四次除染を行わない限り、海上投棄は認めない」という態度を示せば済む話である。

トリチウムが十分に比重が重ければ、やがて海底深く沈殿することになるだろうから、海洋投棄はありえない話ではない。

しかし沈まずに漂い続けるのなら、てんでアウトだ。善悪・可否の判断以前に漂着地である米国の世論が黙ってはいないだろう。

アメリカがダメと言って、それを日本は押しきれるだろうか? ありえない話である。

土曜日の赤旗一面トップは、かなり恐ろしげな見出しである。

「汚染水コントロール不能」

ただ縦見出しは「東電、年度内処理を断念」とあって、両者を総合すると、“未だにコントロールが未達成”だということのようだ。

中核となる事実は、東電の社長が次のような事態を公式に明らかにしたことだ。すなわち、

1.東電は安部首相に対し、放射能汚染水を3月末までに全量処理すると約束した。(2013年3月)

2.目標達成は不可能であり、断念する。

ということだ。ただし汚染水処理そのものは進んでおり、予定量の半分程度は処理済みである。

ということで、見出しは、ややセンセーショナルに過ぎる感もある。

福島原発の廃炉にとって最大の課題が汚染水処理だ。いまそれが最大の難関を通過しているということなのかもしれない。東電に好意的に見れば。

そこでネットから情報を集めてみた。


ALPSとはなにか

汚染水処理はどのようになされるのか。その中核となるのがALPS(多核種除去設備)という装置らしい。

そしてALPSの不具合が多々あって、それが処理の遅れに繋がっているらしい。東電側はそう説明している。

そこでALPSだが、ちょっとだけ記事を深読みしてみた というブログの

2013-09-14 福島原発 ALPS トリチウム

で要領よく説明してくれているので紹介する。

まずALPSの名前は、Advanced(高度な)Liquid(液体の)Processing(処理)System(装置)の頭文字なのだそうだ。

f:id:news0109:20130914140308j:image

この図のごとく、16個のタワーが立って、その中を通過していくあいだに62種類の放射性物質が除去されるというもの。

処理能力は1日500トンとされているので、結構なものだ。まぁ1年もあれば処理は完了する計算だ。

この後、このブログではトリチウムの危険が訴えられているが、それはうまく行ってから発生する話。

そもそもALPSが回っていないところに問題がある。

なぜALPSが回らないのか

以下は IWJ Independent Web Journal というサイト

2015/01/26 予定していた年度内の汚染水全量処理は断念、新たな目標日程は検討中~東電定例記者会見

という記事からの引用。

ALPSの稼働率が想定通りに上がらない。特にストロンチウムを除去する吸着剤の性能低下が当初想定より早い。

また前処理が悪く、処理前の水にカルシウムや不純物が多く含まれている。このため、頻繁に運転を止め、クロスフローフィルターの逆洗洗浄を行う必要がある。

ということで、除去装置はすでに第一、第二、第三世代と投入されているが、能書き通りの稼働には至っていない、ということのようである。

私は考えるのだが、ストロンチウム除去プロセスがLimitting Step になっているのなら、新型施設の設計時にどうしてそこを強化しなかったのかがわからない。場合によってはストロンチウム単独の処理施設を作ったほうが安上がりではないだろうか。

遅れている理由は他にもある

今月に入って、作業者の死亡事故が続いて起きた。このため21日以降、全ての工事作業が中断されている。

総点検の結果、相当安全設備の不備がひどいこと分かった。このため操業停止期間はさらに長引く可能性がある。

問題は汚染水処理だけではない。海水配管トレンチの充填止水工事、凍土遮水壁もとまっている。


と、とりあえずこんなところか。

変な話だが、致命的なコントロール不能=失速・きりもみ状態に入っているわけではないことが確認できて、ひと安心した。

しかし、どこか一段落しないことには、原発再稼働はムリだろうね。

こういう状況が世界に知られたら、安部首相は大嘘をついたということで、オリンピックを返上しなければならなくなるかも知れない。

澎湖人というのが発見されたそうだ。台湾の澎湖水道の海底から採取されたそうだ。下顎骨の形態的検討で、原人に属することが分かった。ジャワ原人、北京原人、フローレス原人に次ぐ第4の原人ということになる。

これだけだと「あっ、そう」ということになるが、問題は生きていた年代で、おそらく20万年前を遡らないだろうということだ。しかも形態的にはジャワ原人、北京原人よりさらに原始的な特徴を備えているそうだ。ということはより猿人に近い原人ということだ。

20万年といえば、原人の時代はとうに終わり、旧人(デニソワ人)の全盛時代だ。もっとも、フローレス原人も2万年前まで生きていたようだが、これはジャワ原人から派生したものらしい。

進化の方向が逆向きに進むことはないから、彼らの祖先はジャワ原人、北京原人より以前から東アジアの地に住み着き、それらが絶滅した後も生き延びたということになる。

澎湖人にかぎらず原人の発見されるのは大陸のヘリに多い。日本人も辺縁側にA型血液が多く残っているのには理由があるのだろう。

もう一つはホモサピエンスが北方、バイカル湖方面から南下したとみられるのに対し、エレクトゥスは南方経由の印象がある。この辺ももう少し勉強してみないと。


言葉がわからないと困るので、表にして整理しておく

1億年前

霊長類

原猿類(ネズミの親戚)

7千万年前

霊長目

原猿類から分離

4千万年前

類人亜目

普通のサル

3千万年前

ヒト 上科

尾のないサル

2千万年前

ヒト 科

類人猿

500万年前

ヒト 亜科(猿人)

アウストラロピクテス

200万年前

ヒト 属

ホモ・ハビリス

150万年前

原人

アジアの4種類

50万年前

旧人類

ネアンデルタール人

10万年前

新人類

ホモ・サピエンス

*原猿類はネズミの親戚みたいなもの、現生種としてはツパイなど。

*尾のないサルの代表はテナガザル。

*アウストラロピクテスは常時二本足歩行だった。これ以降が猿人となる。しかしヒト属ではない。

*ホモ・ハビリス:道具(石器)を使った最初の種であることから名付けられた。ヒト属だが猿人に属する。原人にはつながらない孤立種のようだ。

*原人はホモ・エレクトゥスと呼ばれる。アウストラロピクテスより進化したとされる。アフリカを出てアジアまで到達した。

*ハイデルベルク人は原人とされるが、それより一歩進んでいるという旧人説もある。また、その一部が新人類に直接つながっているという説もある。

*ネアンデルタール人は中東から西、アジアの旧人はデニソワ人と呼ばれる。新人類と混交し、DNAの一部は新人類に引き継がれている。

ついでに国立科学博物館の図も拝借。

わかりやすいだけに議論を呼ぶ図でもある。(ハイデルベルゲンシス派のでっち上げ?)


下記の記事もご参照ください

推進派の言い分のなかで、気になる点が一つあった。
既得権益に守られた「岩盤規制」の見直しは、成長戦略の柱となる
金融情報サイト > 金融経済用語集 > 日本経済用語集 > 岩盤規制の項にある。グーグルで二番目に出てくるサイトである。
前の記事でも書いたように、規制の変更はシステムの実態、あるいは将来予測に合わないところを調整し、システムが力を発揮できるようにすることに意味がある。これをしたから成長できるという仕掛けのものではない。
システムの駆動・展開が第一義の命題であり、規制方法の調整はそれに合わせて行うものである。
むかし病院にOAを導入するとき、管理部のメンバーはみんなこういったものだ。
「それでどのくらいスピードアップするの」、「どのくらい労力の節約になるの」、「どのくらい経営効果があるの」
コンピュータ会社の人はそのたびにこう答えたものだ。
「みなさんが期待するほどにスピードアップはしませんし、労力の節約にもなりませんし、コスト改善にもつながりません」
「これは将来のための投資なんです」
それを成長戦略の柱にしてはいけない。それは成長する時のためのものなのだ。
揚げ足取りをするわけではないが、かなりベーシックな問題だ。こういう連中の言うことはまともに聞かないほうがいい。

岩盤規制 言葉を厳密に使わないと議論にならない

1.岩盤規制は下品な言葉だ

「岩盤規制」という言葉が突然流行り始めた。メディアがいっせいに流し始めているようだ。

これまでも進めてきた規制緩和をさらに進めようという狙いのようだ。

だったら、「異次元の規制緩和」と呼べばいいのだが、これを「岩盤規制の打破」と表現するところに、今までにない一種の「敵愾心」とか「憎悪感」を感じるのは私だけではないだろう。「規制緩和に反対するものは敵だ」という心理が、そこにはある。

それは一種の罵り言葉であり、一言で言って下品だ。

2.冷静に議論しよう

ここでは「岩盤規制の撤廃が国民に何をもたらすか」などの話は一切捨象して、「そもそも論」に集中する。

そもそも「規制」というのはシステムの維持のための装置だ。

これはまず確認しよう。

いわば、スポーツやゲームのルールだ。ルールがなくてはゲームは成り立たない。社会もそうだ。犯罪は法に基づいて罰せられる。

もう一つ確認しておきたいこと、ルールは基本的に善なのだ。

色々なルールを作ることによって、人間社会は発展してきた。そして人間社会が発展するにつれて新たなルールが必要になってくる。

ソクラテスは「悪法も法である」と毒を仰いだ。それは法がその根底において「善」であるという信念からである。

3.ルールを変更することはありうる

スポーツの世界でもルールのマイナーチェンジはしばしば行われている。国の政策においても規制改革は必要だ。それは否定しない。

規制を改革する必要は、以下の三つの場合に合わせて主張されうる。

A.規制を隠れ蓑にした特権の横行が目に余る場合、B.システムに照らし合わせて規制が不合理になった場合、C.システムそのものを改編する場合、

今回の場合、そのどれに属するのかを明らかにすべきだろう。

その際、言っておきたいが、B. を除けば、規制改革は目標に照らしてあまり有効な手段とはならないだろう。悪徳役人を懲らしめるために規制緩和がどう役に立つのか…

4.対案なき提案は建設的ではない

今の規制のやりかたが悪いと批判するのはひとつの見識だろう。決して行儀が良いとはいえないが。

しかし「どこがどう悪い」というのなら、そこを「どう直す」かが問われるはずだ。みんな今までこのやり方でやってきたのだから。

しかし彼らには対案がない。ただ壊して取っ払うだけだ。それで良くなるという保障はなにもない。

むかし小学校のホームルームでこういう発言をすると、「もっと建設的に発言しなさい」と叱られたものだ。

5.「規制」は法律だ

「規制撤廃!」というのはスローガンであって、具体的作業としては法律の改正である。

「規制」は法律として裏打ちされている。「規制」の体系は法律の体系なのだ。

法律というのは規制するものなのだ。

「規制一般が悪だといえば、それは法律一般が悪だ」というに等しい。これは無政府主義だ。

6.岩盤は岩盤だ

最後はちょっと左翼的な言い方になるが、「岩盤」は「岩盤」だろうと思う。

既得権層がうるさいからとか、役人が抵抗するから「岩盤」だというが、ルールの中には、たしかに「岩盤」的ルールがある。既得権層が主張しようとしまいと、それは「岩盤」だ。

サッカーで手を使ってはいけないとか、相撲で相手を殴ってはいけないとか、そういうルールは「岩盤」だ。

そういう意味での「岩盤」ではなく、たまたまうるさい人がいるから「岩盤」になってしまっているだけだというのなら、それを証明する責任はあなたがたにある。


そもそも何だということだ。

思い起こすと、中山智香子さんという人が赤旗に登場して、なかなか面白いことを言っていた。それでその人がポラニーというハンガリーの革命家上がりの理論家を取り上げて「面白い」というので、まずはその周辺から調べようということでハンガリー革命から、赤いウィーンへと見聞を広めていった。

そうすると、ポラニーが「社会主義計算論争」の一方の当事者だったということと、他方の当事者がハイエクだったということがわかり、「これは勉強してみないとアカンな」と勉強をはじめたが、これがえらく難しい。

ありていに言えば、途中で挫折した。

わからないのに偉そうなことを言うのもなんだが、この論争は突き詰めていくと「ワルラス均衡」という需要と均衡のバランスが市場なしに成立しうるのか、ということである。それはボリシェビキが主張した「計画経済」というものが成り立ちうるのかという現実社会の問題を下敷きにしていた。だから理論的対立であるのと同時に、優れてイデオロギー的な問題であった。

そこで頭の訓練として自転車の理論を持ちだして、平衡とは何かについてあれこれ考えてみた。

結論としては、平衡自身が目的ではないということだ。それが動的平衡であり、それは常に平衡を破りながら新たな平衡を実現していく過程であるということが分かった。そしてより根本的には、平衡を取りながらどこへ進んでいくのかということなのだ。

そこには意志が働く。かつて人類が長い歴史の中で自然を克服したように、社会の無政府性を克服しようという意志だ。まさに「フォイエルバッハに関するテーゼ」だ。

というわけで、「均衡」の基本的理解はできた。それができたからといって「ワルラス均衡」が分かるわけではない。

この議論は最終的にはランゲという人がサイバネティクスの論理を持ち出すことによって、「理論的には市場なしにワルラス平衡を実現しうる」ということで落ち着いたらしい。なおランゲはポーランド出身でイギリスで活動した経済学者らしい。

しかしその勝利は虚しいものだった。ボリシェビズムはスターリンにより汚染され奇形化されていた。逆にハイエクの議論はよりイデオロギッシュに収斂されていった。

それでは少しさかのぼって、レーニン=ブハーリンのネップはどうなのだろうか。というのが関心の一つ。もちろん、その過程で一種の「異端」として提出されたポラニーの社会主義論も引き続き関心の一つではあった。

というわけで、いっときは疲れてやめてしまったのだが、ウィーンの魅力は人を引きつけて離さない。また1900年代初頭のウィーンに舞い戻ってしまった。ブラームス、ブルックナー、ヨハン・シュトラウスがいなくなってしまったあとのウィーンである。

言うまでもなくNEPはレーニンの構想になるものであるが、その実施過程ではブハーリンが深く関わった。

NEPがボルシェビズムの本質として理解されていたかというと、どうもそうではないようだ。すくなくとも1920年代後半からはボリシェビズム=スターリニズムとして理解されている。

どうもこのへんの関係が分からないので、ロシア革命以前の状況に立ち戻る必要がありそうだ。これだけですでに十分状況は複雑だ。

多分、大本は1894年の資本論第三部発行にあるだろう。資本論はドイツ語で書かれているから、当然ドイツ語圏の人にプライオリティーがある。

中でも編集にあたったエンゲルスに解釈権があるのだが、外部からの批判についてはフリーハンドだ。そこでベーム・パヴェルクが噛み付いた。

この人は理論的には大したことはないのだが、批判は的をついていた。第一巻の論理との不整合性だ。エンゲルスが解釈を独占するのを快く思わない人々は、ここぞとばかりに論争に介入した。

これに対しエンゲルスは対応しきれない。家元たる後継者カウツキーには才覚はない、ということでまだ一介の学生に過ぎなかったヒルファーディングが論争を買って出た。彼は第三部の構想を発展させ、銀行資本が生産システム全般を支配する世界がやってくると主張した。

これはいまから考えると変なのだ。大谷さんの研究によれば、第三部は草稿に過ぎず、第一部が書かれた後に第一部の論理に相応するように書きなおすべきところを含んでいる。

現にマルクスは第三部を書いている途中に第二部に戻り、大幅に加筆補充している。第二部でさえ、第1部との関係では不十分なものを含んでいるのだ。

第三部の記述で不整合があれば、それは第一部(とくにフランス語版)の立場から再吟味しなければならない。これが基本的立場だ。

話は長くなったが、つまり資本論第3巻を読みこなしたというただそれだけで、20世紀初頭において、ヒルファーディングはマルクス主義陣営における最高の理論家だったということだ(しかもたかだか一介の少壮学者だ)。そのことを頭においておく必要がある。

ということで、ウィーンは若き社会民主主義者(マルクス主義者)のメッカとなった。やがてエンゲルスが亡くなると、若者はカウツキーの下に行くかヒルファーディングのもとに馳せ参じるかという二者選択になる。

ブハーリン、トロツキー、コロンタイはウィーンに赴き、レーニンはそれをスイスから眺めていた。

という構図を読み取れるのではないか、と思っている。

コンビニの凋落をどう読むか。
これがリーマン・ショック後の売り上げ推移である。
konbini
あまり実感はないのだが、いまから4年前にコンビニは急成長した。しかしそれはたった1年のこと、後はジリ貧で、スーパーと肩を並べてしまった。
一つは過剰出店から整理期に入っているのかな、という感じ。そういえばタバコの自販機がなくなったのもこの頃だったかな。
もう一つは、主要な顧客層である若者の購買力低下も考えられる。電池と漫画と缶酎ハイを買って、ついでにおつまみも買っていたのが、やめたという感じ。業態そのものに賞味期限が来た可能性もある。
百貨店はいまや富裕層の店だ。富裕層がますます富裕になったから、百貨店は景気が良い。私など何年と百貨店には行ったことがない。ジジイには無用のところだ。
そういえば、このあいだ、駅ビルの屋上展望台にコンサートを聞きに行ったら、65歳以上は1割引きと言われた。一瞬迷ったが、「ハイ」と言ってしまった。情けない、根性なし。
ということで、このグラフから若者の貧困化と、富裕層の富裕化が見て取れそうな気もする。

The Economist explains
Jan 4th 2015
Where Islamic State gets its money

という記事があった。下記がその全文である。


残忍な聖戦主義者、イスラム国家(IS)を打ち負かすのは容易ではない。アメリカに率いられた連合軍がそうしようとしているが。

ISは、世界のbest-financedされたテロリスト組織の1つである。国家に後援されたものを除いては。

この秘密グループの正味の財産については信用できる見積りがない。しかし、2014年10月に、アメリカの当局者は「かなり大きい札束」で富をためていると見ている。

イスラム国は月400ドルくらい戦士に給料を支払う。そして、それはシリアの反乱グループやイラク政府の給料より多い。彼らはトラブルなく武器類を購入している。買い入れ先は闇市場に顔を出す堕落した当局者、あるいは民兵である。

彼らは支配地域の政務をこなしている(常に成功しているとは限らないが)。学校教師に給料を払い、貧者や寡婦を養っている。

そこでだ。彼らはどこでそのカネを手に入れるのだ?

この富なしで、ISはそんなに速く広がることができなかった。

彼らは2013年3月に現在の形態での存在を宣言したばかりだ。それは彼らがイラクからシリアに進出した時だ。その後彼らはアルカイーダとたもとを分かった。

それから彼らは二つの国にまたがる帯状の地域を闘い取った。2013年6月までに、シリアの都市Raqqaを占領した。そして、2014年6月に、それはイラク第二の都市モスルを占拠した。そして600~800万人の住む地域を制圧した。そして6月の末に「カリフ国」を宣言した。

戦士は、グループに加わるために群がった。

2014年9月までに、3万人の男性、婦人警官隊の中の一部の女性がいた。そして、そこには1万5千人の外国人戦士を含んだ。

al-Qaedaを含む他のテロリストのグループと違って、ISは金持ちの支持者によってではなく、主に自らの力で資金を確保する。(アメリカ、イランまたはイスラエルがグループに資金を出しているとの情報も飛び交うが)

ISは湾岸諸国の支援者から寄付を受けているけれども、それらは財源の比較的微々たる要素である。

ISの資金の中心は、外部からの支援ではなく、西イラクと東部シリアの支配区から算出する石油の収益である。

アメリカの当局は、空襲の開始前、石油からの収入は1日あたり200万ドルと見積もっている。現地の情報ではそれ以上だと言われている。当局者は空爆により石油収益はかなり落ちたとしている。

(これは変な話で、石油施設くらい破壊しやすいものはない。その気になれば1日で壊滅させることができるはずだ)

それだけの土地を支配することは、ISが徴発と徴税によって資金を獲得することを可能にする。

それは、他のjihadistグループのように、誘拐が有益だということを学んだ。

ISは、去年1年で少なくとも2千万ドルの身代金を獲得した。フランスとスペインのジャーナリスト数人を含む人質であげた収入である。

このグループは、その資金源を切り離すことなしに破ることはできない。

だから連合国は、グループの軍備強化の抑制と同時に、収入源への攻撃を目標にしているという。アメリカとその同盟国は、シリアでISに支配された精油所に対する空襲を実行した。

アメリカと英国は身代金を人質の代金として払うことに対して厳しい政策を持つ。ヨーロッパの国に、身代金の支払いをやめるように圧力をかけている。

いくつかの国は、ISリーダーに対する制裁とおなじように、募金に応じる人々への制裁も適用している。

しかし、当局は長い戦いであると強調する。

今のところ、ISはまだ、必要とするもののすべての代金を払うことができるようである。


この記事を読んでも資金源は明らかでない。石油の売り上げ、“徴税”、身代金というのが収入の三本柱で、これに国外からの援助がくわわる、ということらしい。このうち石油の売り上げを除けば、他のテロリストもやっていることだ。

身代金の収入が年間2千万ドルというが、そんなもの石油の10日分にしかならない。だいいち誘拐にはそれなりのリスクが伴う。成功例の10倍は失敗例(カネが取れないというのもふくめ)があると考えたほうが良い。

資金源が石油だということはわかっている。問題はどのようにして石油が資金源になるのかということだ。石油と引き換えに金を渡している奴は誰なのか、トルコの仲買人だとしたら、その仲買人にカネを渡している奴は誰か、その石油を買って消費しているのは誰か。ここが明らかにされないと、記事の題名は誇大宣伝ということになる。

いずれにしても石油を何とかしなくてはならないのだ。しかも、そのやり方はきわめて簡単なのだ。生産を止めるには生産設備を破壊すればよい。1時間もあれば済んでしまう。販売を止めるには購入を禁止すればよい。石油には“色”がついているから、調べればどこでとれた石油かはすぐに分かる。

こんなことがどうしてできないのか、それが不思議だが、そのことについて答えた文章がない。これも不思議な話だ。

「転形問題」の安直な勉強

例によって、ウィキペディアですまそうという魂胆。

転形問題(Transformation problem)というのは、価値の規定と価格の規定の間には矛盾が存在するという主張とこれに対する批判。

価値規定と平均利潤の間には「外形上の矛盾」がある。この矛盾は「多くの中間項」を経て解決される。(資本論第一部)

エンゲルスはこの記述に関して何度か言及した。

平均利潤は価値法則に基づいて形成される。それは価値法則を損なうものではない。(資本論第3巻への補遺)

これにベーム・バヴェルクが噛み付いた。どう噛み付いたのかは、ウィキペディアでは言及されていないが、「価値と価格の同時的な成立」を主張したらしい。つまり価格の価値からの独立性ということだろうか。

ベーム・バヴェルクに対してはヒルファーディングが反批判を加えた。これも内容は不分明であるが、この価値と価格の乖離を認めた上で、資本主義の発展過程での「歴史的な変容」によってアジャストされるみたいなことを言ったようだ。

素人考えだと、「長い目で見りゃ、価値が価格を決定するんだよ」と言っているのだろうか。エンゲルスはこうも言ってるようだ。

(価値と価格の関係は)純粋な論理的過程のみではなく、歴史的に生じた過程を論理的に抽象したものである。

しかしこれだけでは「逃げ口上」と受け取られかねない。そこで「純粋に論理的」に説明しようとする人も多く現れたようだ。

とりあえず名前だけ列挙しておくと量的転化説、反復計算論、単純な価値形成過程説、転化不要説、標準体系転化説などである。

ウィキペディアによると、転形論争はむしろ第二次大戦後の出来事で、現在も様々な議論が展開されているようだが、さっぱり分からない。

私としては、櫻井毅の言う如く、

価値は価格としてしか現れ得ない以上、両者に矛盾はないはずだ

というのが一番説得力がある。

ただし、「価値=労働価値などというものはそもそも存在しないのだ」という考えに対しては説得力はない。


ということで、そもそも歴史的(ロング・スパン)に解決しなければならないと、言っているのに、論理的な解があると言って引っ掻き回す人がいるために「論争」になってしまったきらいがあるようだ。

なお桜井さんがこの問題で行った講演録があって、なんとなく取っ付きやすそうだ。いずれ読んで皆さんにも紹介したい。

不勉強で知らなかったが、社会主義計算論争の前に「転形問題論争」というもう一つの論争があったらしい。この論争は主としてベーム・バヴェルクとヒルファーディングの間で行われたらしい。

ヒルファーディングはベーム・バヴェルクに対抗して社会主義革命の必然性を擁護しつつ、カウツキーらドイツ社会民主党も批判したようだ。トロツキーもブハーリンもこの論争に関わっている可能性がある。さらにスイスのレーニンはその論争を引き継ぎつつ、「帝国主義論」を完成させていく、という構図のようだ。

私は前から思っているのだが、マルクスは経済学批判要綱から資本論へと論を進めていくにあたって、「消費=欲望の再生産」の過程を意識的に捨象しているのではないか。

資本に焦点を当てて分析するとき、たしかにこの観点を引きずったままだと、とてつもなく重いものになってしまうから。とりあえず労働力商品と単純化してしまったのではないか。

商品の生産過程と資本の増殖過程を描いていくには、人間は労働力商品として単純化してしまうほうが楽だし、そうやっても大きな間違いは出てこない。

しかし資本論は人間と社会の運動過程の一面である。マルクス自身が総論的には何度も強調しているように、富の生産は富の消費とそれによる欲望の再生産と合わさって一つの全体をなすのである。

富は欲望の裏付けを持って(欲望に措定されて)初めて富となるのであり、欲望の拡大再生産をもって初めて拡大再生産が可能となるのである。

「限界効用」論というのは不勉強で良く分からないが、“マルクスが意図的に切り落とした部分が、より現実的な場面では無視し得ないものである”ことを指摘しているという側面もあるのではないか。

生産の拡大に照応して欲望が拡大していく過程をスケッチ的にでも説明している記述はないものだろうか。

とりあえず年表形式で経過を追ってみる。


オーストリア学派とオーストリア社会民主党の関連年表

1871年 カール・メンガー、『国民経済学原理』を発表。(生存権を提起したアントン・メンガーは弟)

価格だけで均衡を実現するのではなく、不完全な市場に関心をもち、価格だけでなく商品の“売れやすさ”に着目した。貨幣は最大の“売れ安さ”を持つ商品とされた。

1879年 カール・メンガー、ウィーン大学の教授に就任。

1883年 カール・メンガー、『社会科学、とくに経済学の方法に関する研究』を発表。新歴史学派との「方法論争」が始まる。オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルクやフリードリヒ・フォン・ヴィーザーが陣営に加わる。

1884年 ベーム=バヴェルク、『資本および資本利子』の第1巻「資本利子論の歴史と批判」を発表。ついで89年には第2巻として「資本の積極理論」を発表。

労働価値説にもとづく搾取利子説に反論。資本家は収入の中から十分に、前もって所得を労働者に提供する、と主張。第2巻「資本の積極理論」において「利子の3原因」を説く。

1890年代 ウィーン大学の社会主義学生グループが学習サークルを形成。カール・レンナーが指導し、マックス・アドラー、ルドルフ・ヒルファーディング、遅れてバウアーらが参加。オーストリア・マルクス主義の拠点となる。

1894年 資本論第3巻が発行される。

1895年 ベーム=バヴェルク、オーストリア政府の大蔵大臣に就任。金本位制(財政均衡論)と近代的所得税システムを導入。その後三度にわたり大蔵大臣を務める。

1896年 ベーム=バヴェルク、『マルクス体系の終結』を発表。『資本論』には価値と生産価格の論理的矛盾があると指摘。労働価値説は成立し得ない、主観的価値論(限界効用)からのみ説明可能と主張。

1903年 メンガーが経済学教授を辞任(その後ウィーン大学学長となる)。後任教授にヴィーザーが就任。

1904年 ベーム=バヴェルク、ウィーン大学の教授に就任。限界効用理論の立場からマルクスの労働価値説を批判する。ベーム=バヴェルクの講義にはヒルファーディングも参加したと言われる。

1904年 ヒルファーディング、「ベェーム=バヴェルクのマルクス批判」を発表。労働価値説は資本主義社会の運動法則を発見するための武器と主張。限界効用学派との折衷をはかるベルンシュタイン派に対しても批判を加える。

1907年 バウアーらの編集により月刊の『闘争』(Der Kampf)が発行を開始。オーストリア社会民主党の理論機関誌となる。

1910年 ヒルファーディング、「金融資本論」を発表。

金融資本論の柱
1.資本の集中過程である独占資本と金融資本の形成という二つの現象形態を分析。金融資本の支配が資本集中の最高度の形態とする。
2.金融資本は生産の社会統制、経済の中央集権化・組織化・計画化をもたらす。3.そのことによって、「組織」の面で社会主義を準備する。
4.それは最終的に社会主義革命の必然性、および社会主義への平和的移行の可能性をもたらす。

1910年 ベーム・バヴェルクとヒルファーディングの間で「転形問題論争」が始まる。

ヒルファーディングの主張
1.帝国主義化は資本主義の発展の新局面である。カウツキーら「マルクス護教派」は、帝国主義を単なる過渡的混乱とみなすが、これは誤りだ。
2.しかしそれは資本主義の発展能力の証明ではなく、延命にすぎない。
3.資本主義の崩壊からプロレタリア革命へという道筋は依然として正しい。
4.議会を通じて漸進的改良を主張するベルンシュタインの修正主義は過ちである。

1914年 ヴィーザー、『社会経済の理論』を公刊。帰属価格の厚生経済学的意味を明らかにし、先駆的な社会主義経済理論を展開する。

1920年 社会主義計算論争が始まる。ベーム・パヴェルク派の論客ミーゼス、「社会主義コモンウェルスにおける経済的計算」を発表。「社会主義」理論への攻撃を開始する。社会主義者はワルラス的連立方程式を用いれは、価格形成は可能と反論。

 

いまや自分で外堀を埋めつつある。
「10月、キューバ」だ。
キューバはどうしようもなくすごい国だ。「優しさを国是に掲げる国」なのだ。
「そんな国ってあるの、それってまやかしでしょう」と言われるだろうが、あるのから仕方がない。
今度の旅は「キューバ、優しさ」をテーマにしたい。
私がキューバに行ったのは1995年、もう20年も前のことになる。今度は最後の旅になるだろう。
前回の旅で、アントニオ・マセオの闘いは大体見た。フィデルの闘いも見えた。
今回、もう一度確認しておくべきことがいくつかある。
しかし優しさを確認すべきポイントをいくつか付け加えなければならないだろう。
キューバは人を優しくする,人を強くする、そして人をアクティブにする。
皆さん、「10月、キューバ」ですよ。20人で締め切りますよ。



本日AALAの学習会でASEANについての講義があった。日本AALAの出したテキストを使っていろいろ説明がなされたが、かえって混迷を深めたようだ。
肝心なところは、ASEANの提唱したTACなどの平和枠組み構想にあるのであって、ASEANそのものにあるのではない。そこのところをわかってもらうとみんなスッキリしたようだ。
ASEANはあくまでも共同市場の枠組み構想なのだ。「コンセンサス方式で、一国でも反対があれば強制しない」というと、みんな「それは素晴らしい」というが、それは事柄が経済的な問題だからで、ビジネスの論理は基本的にそうなのだというと、目から鱗が落ちたように納得する。
こんな状況、前にも見たことがある。そうだコスタリカだ。
一時期、早乙女勝元さんというその筋では有名な物書きの影響で、コスタリカが民主主義の「天国」でもあるかのようにもてはやされたことがある。長年ラテンアメリカに携わってきた人間にとっては、かなり不愉快な経験だった。
正直のところコスタリカはどうでも良い。殆どの人はそんな国があることさえ知らないのだから、おとぎの世界だ。
しかしコスタリカを持ち上げる論理には危険がある。だから我々は警鐘を鳴らしたのだ。
ASEANについてはそうは行かない。変な幻想を持たれると実害が発生する。ましてそれを理想化して、日中韓三国がASEANのようになればいいなどと考えられると、正直困る。
とにかくレベルが違う。ASEANは全部足して1になるかどうかのレベルだ。日中韓は独立した大国関係なのだ。
我々はASEANやTACを大いに参考にすべきだと思う。しかしそんな生やさしい話ではないことも覚悟しておく必要がある。

をご参照ください

総選挙を総括する共産党の三中総が開かれた。
躍進の意義は二つにまとめられている。
一つは長きにわたる反共戦略と反共攻撃を打ち破った貴重な勝利だということである。これには気持ちがこもっている。
報告は、これまでに三回の勝利があったが、今回の勝利の意義はもっとも重要だとしている。色々意見もあろうとは思うが…
二つ目は、本格的な自共対決が始まったということである。

21世紀の行方と、共産党躍進の意義

ずいぶんと振りかぶったものだが、共産党の三中総を読んで、ふと気になった。

三中総報告は基本的には躍進バンザイ論に貫かれている。それは当然のことと思う。反共攻撃の長い歴史を突き破り、自共対決の本格的幕開けをもたらしたという点には躊躇なく賛成する。

ただ、なんとなく1950年前夜の「共産党35議席に躍進」という出来事を思い出してしまうのである。

だから、どこがどう違うのかということを、一生懸命分析しなければならないだろうと思う。

共産党にとって、「50年問題」は忌まわしい過去の体験である。これまでさんざん議論されてきたし、一定の総括も明らかになっている。

しかしそれはあくまでも党内の問題であって、世界史的に見た50年問題というのは、主体的には明らかになっていないのではないだろうか。

1950年とはどういう時代だったのか

第二次大戦の直後には進歩勢力の大きな前進があった。それは一種のバブルであったのかもしれない。

旧支配勢力は米ソを除けば弱体化し、存続の危機に立たされていた。だから進歩勢力の提起を受け入れざるを得なかった。それはとくに敗戦国・日本において顕著であった。

進歩勢力の主張は大きく2つに分かれる。一つは政治的民主主義の要求であり、もうひとつは労働運動と結びついた福祉・厚生の要求である。さらに国際関係では、開かれた公正な経済秩序への要求である。

私の印象としては、平和への要求は国際的には少し遅れて登場しているような気がする。これは戦勝国では戦争を指導した勢力が引き続き政権を担当したからである。

日本は例外的に平和への要求が当初から強かった。これは日本が敗戦国であることから、軍国主義勢力が断罪されたためだ。明治以来の軍国主義への嫌悪感もあっただろう。

民族自決への要求、社会保障、人権(市民的権利)への要求はさらに遅れて登場し、国際的に承認されるようになるのは60年代以降のことになる。

要するに人類・社会の進歩は意外に遅いのだ。戦後の変化は共和制の拡大、婦人参政権をふくむユニバーサルな選挙制度、労働法制の整備くらいではないか。

貴族制度は廃止されたのではなく、二度の大戦で貴族が没落し自然消滅した。貴族制度により支えられていた王制は廃止されるか名目化するかして共和制に移行した。

むしろ民主主義は冷戦期と「雪解け期」のなかで進行した。

だから、1950年前後は朝鮮戦争とレッドパージに象徴される「戦後民主主義バブルの崩壊」としてとらえられると同時に、民主主義のための苦闘の時代の起点として捉えておく必要があるのだろうと思う。

まったく異なる形態の闘争が求められ、団結と創意が要求された。その蓄積が60年代後半に始まる市民運動の時代に結びついていくのである。



パコ・イバニェスを紹介しておく。
パコはスペインのフォークシンガーで、多分私と同年代。フランコ体制に反抗した揚げ句に国を離れパリに移り住む。そこで68年の学生闘争にぶつかり、歌手として頭角を現す。
それからの十年、彼の歌はスペイン民主化闘争のシンボルとなった。
タバコの吸い過ぎなのか、最近の声はユパンキに同情されるほどひどい。もっとも若い頃は美声だったかというとそうでもない。歌手としては、よく言えば「味のある」という褒め言葉になる。
シンガーソングライターというと、普通は詩を書いて節をつけて演奏するのだが、彼自身は詩を書かず、他人の詩にメロディーをつけるのを専門にしている。したがって決め所ではかなりメロディーラインを動かす。したがって言葉がわからない他国人にはけっこう魅力的である。
カタロニア人らしいが、曲はかなりアンダルーシアの情緒にあふれている。ロルカやエルナンデスなどアンダルーシアの詩人の詩を好んで取り上げているからだろう。
代表作は下に記した通り。
EL LAGARTO ESTÁ LLORANDO_Lorca
PALABRAS PARA JULIA
A TI TE OCURRE ALGO
Canción del Jinete
Andaluces de Jaén
Mi niña se fue a la mar
SATURNO
こんなところか
当然、カヴァー曲が欲しくなるが、みんながカヴァーするのはPALABRAS PARA JULIAとAndaluces de Jaénくらい。
まぁとにかく聞いてみてください。YouTubeの穴にコピペすれば演奏が出てきます。



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