鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2014年12月

December 17, 2014

Learning the Art of Coexistence  The New Opening With the USA

共存の技法を学ぶこと

USAとの新たな始まり

ラウル・カストロ

国交回復への基本的立場

私が国家評議会と内閣の議長に選ばれて以来、私は事あるごとに、アメリカ合衆国との対話を繰り返し希望してきた。アメリカとの間には相互に関係する多種多様な課題があるからだ。

我々の希望するのは、対等の立場での礼儀正しい対話である。それは我らが民族の独立と自決権を損なうものであってはならない。

すなわち、我々の立場の違いを議論して、解決したいということである。しかし我々はそのために自らの原則を決して捨てないということだ。

このスタンスは、公的に、あるいは私的に同志フィデルによって幾度も米国政府へ伝えられてきた。

我々は長年にわたり闘い続けてきたが、その間、このスタンスが崩れることはなかった。

英雄的キューバ人民は深刻な危険、攻撃、逆境と多くの犠牲に直面してきた。その間も独立と社会正義の理想に忠実であった。我々は忠実であり続けてきたし、これからも忠実であり続けるだろう。

我々はこの間の56年の革命の年月を固く団結して過ごしてきた。

我々は、1868年の独立戦争開始以来、我々の原則を守るために亡くなった多くの人々に、変わることのない忠誠を保ち続けてきた。

両国協議の交渉経過

今日、さまざまな困難にもかかわらず、我々は、 我々の経済モデルをアップデートする作業に乗り出した。それは実りある豊かな、そして持続可能な社会主義を打ち立てるための作業だ。

最高レベルでの対話が行われた。そこには昨日オバマ大統領と私が行った電話会談もふくまれる。

その結果、我々は、両国の相互利益に関するいくつかの議論で前進をすることができた。

3人の「囚われ人」の帰還

フィデルが2001年6月に語ったとき、彼は約束した。

「彼らは戻ってくる!」

そして彼らは戻ってきた。ヘラルド、ラモンとアントニオは、今日、我らが故国に到着した。

彼らの家族と、我々すべてが巨大な喜びを感じている。飽くことなくこの目的のために戦った人々、連帯委員会と何百ものグループ、政府、議会、組織、機関、個人が喜びをわかち合っている。

それらすべてが、これまで16年の間、彼らの解放を求めて絶えず努力を続けてきたからだ。我々は、彼らすべてに心からの感謝の言葉を捧げる。

オバマへの敬意、バチカンとカナダへの感謝

オバマ大統領の決定は、尊敬に値するものであり、我ら人民の歓迎すべきものである。

私は、バチカン宮殿の支持に心からの感謝の意を表したい。とくにフランシスコ法王はキューバと米国との関係改善のため多くの努力を払われた。

私はまた、カナダの政府に感謝したい。カナダはキューバと米国がハイレベルで協議するためにさまざまな便宜を図ってくれた。

米国のスパイの送還について

交換に、我々は米国のスパイの解放と送還を決めた。彼らはキューバの生まれだが、米国のために働いていた。

一方で、人道主義の立場から、今日我々は、アメリカの市民アラン・グロスを送還した。

一方的に、それは我々がいつもやってきたやり方だが、そして、我々の法体系の規定に厳密に適合している方法なのだが、問題の囚人たちは、法的な特典を受け取ることとなった。

アメリカ合衆国の政府が彼らの関心を伝えてきた人物の解放を含めてだ。

外交関係の復活に関して

我々はまた、外交関係を復活させることに同意した。これは決して、物事の核心が解決されたことを意味するものではない。

経済・通商・金融面での封鎖は、我が国への莫大な人的・経済的損害を引き起こしている。まずそれを終わらせなければならない。

封鎖は法律によって体系化されているが、アメリカ大統領は執行権を持っている。そしてその実施法を修正することができる。

我々は、アメリカ合衆国の政府に相互ステップの採用を提案する。

それは相互交流の機運を興隆させ、両国の間のさまざまな関係の正常化に向けて前進するためのステップだ。

それは国際法と国連憲章の原理に基づくものでなくてはならない。

もう一度繰り返す。キューバは、多国間システムの中で協調していきたいという気持ちを持っている。それは例えば国際連合である。

交流の発展を、交流の障害除去を

我々の間には深刻な相違がある。特に民族の主権、民主主義、人権と外交政策に関連した問題に関して見解の相違がある。それは認めるが、

私は我々の気持ちを再確認しておきたい。これらの問題のすべてに関して、我々は対話する意志がある、ということである。

私は、交流の障害を取り除くようアメリカ合衆国政府に呼びかける。とくに旅行の制限、直接郵便の制限、電話の制限である。それらは両国の国民、家族、市民の間の関係をじゃましたり制限している、

我々の交流が発展すれば、多くの問題についてその解答を見いだすことが可能だろう。そのことが証明されるだろう。

我々は技法を学ばなければならない

私は繰り返す。

我々は、技法を学ばなければならない。文化的なあり方についての考えの違いがあっても、その違いをふくめて共存する技法を学ばなければならない。

This is the text of Cuban President Raul Castro’s address to the nation this Wednesday broadcast on radio and television on the recent developments in the Cuba-US relations.

 

米・キューバ関係の前進について

1.諸手を上げて歓迎すべき事態である

2.歴史的観点から見てキューバの完全勝利である。キューバは原則を一歩も譲らずに国交を実現させた。

3.「冷戦時代」の最終的終局であるとともに、多国間主義(Multilateralism)時代の重要な一歩である

3.巨大な落差はキューバにとって一定の痛みをもたらすだろう

4.キューバ共産党の真価が試される

というのが第一印象。

まずはニュースを拾ってみることにしよう。

念のため98年のルーブル危機についても調べてみました。

あまり資料はないのですが、調べた限りでの感想としては、たぶん98年危機のようなレベルに達することはないだろうと思います。

経済、財政、金融のインフラが当時とは比較にならないほど整備されています。当時のロシアはふっと息を吹きかけただけでも倒れるほどの脆弱さでした。エリツィン大統領はアル中で執務能力ゼロでした。その後、ルーブルは90%減価したところで、平衡を取り戻したのです。今回はそこまでは行かないのではないでしょうか。


1997年

7月 炭鉱労働者がシベリア鉄道を封鎖。エリツィン辞任をもとめる。

97年 石油価格は40%以上下落し、15ドル近辺までさがる。これによりロシアの政府債(GKO)の価格は暴落。

1998年

3月 エリツィン大統領、チェルノムイルジン首相を罷免し、セルゲイ・キリエンコを首相代行に指名。キリエンコは150%の超高金利政策により外貨の引き止めを図る。

7月13日 ルービン財務長官、200億ドルの緊急支援を承認。ロシア救済ではなくLTCM倒産の波及を恐れたためとされる。

7月20日 IMF、ロシアに対して226億ドルの緊急支援を発表。IMF拠出分の112億ドルが即時発動。多くは金持ち(オリガルヒ)のドル換金と海外送金に用いられたという。

8月17日 ロシア政府、「民間対外債務の限定的モラトリアム」を宣言(90日間支払停止)。これによりルーブル建て短期国債が債務不履行に陥る。同時に対ドルで最大24.7%の下落容認。実質的なルーブル切下げ。この後ルーブルが急落。

8月26日 ルーブル急落により対ドル取引の不成立が宣言される。

8月27日 為替取引を全面的に停止。

9月07日 対ドルの取引を再度停止。このあと1ドル5ルーブルから20ルーブル台へ下落した。

98年末 米国債売り・ロシア国債買いの裁定取引が破綻。LTCMなど大手ヘッジファンドが危機に追い込まれる。

98年 ロシアの貧困層が24%に達する。ソ連時代は2%。

1999年

1月 ロシア政府は利払い停止とルーブルの切り下げを発表。ルーブル相場は98年夏の水準から75%も下落する。外貨準備高は110億ドルに落ち込み、公的債務額はGDPにほぼ匹敵する水準に上った。ドル建てで資金調達していた銀行のほとんどが倒産。投資家の「質への逃避」により、深刻な外貨不足に陥る。


2008年 10年間の調整により、一般政府債務はGDP比8%まで減少する一方、外貨準備高は約6500億ドルと、世界第3位の規模に達する。


とりあえず日本語のニュースだけをさらってみました。いつものことですが、これだけでは背景が読めません。

原油安と経済制裁が挙げられており、それだけでも十分説明可能なのですが、やはりウクライナ問題でロシア政府の軍事支出が膨大になっていると思われ、それが経済を圧迫しているのではないかと思います。しかしそのへんの資料はありません。

原油安の元になっている、サウジの減産拒否についても解説が必要ですが、これはまた別の、それ自体重大な問題なので、稿を改めたほうが良さそうです。

そして一番の関心は、それが世界の経済金融危機に発展する可能性はないか?ということですが、この点について触れたものはほとんど見当たりません。


クリミア編入でプーチンの支持率は85%に達する。

7月 マレーシア機撃墜事件。制裁に消極的だったEU諸国が一気に硬化。

ウクライナ関連の経済制裁。返済期限が1カ月以上の債券の取引が禁止される。黒海海底を経由して欧州中心部につなげる天然ガスのパイプライン「サウスストリーム」の敷設中止。さらに北極海大陸棚の共同探査計画やシェールオイルの共同開発も停止される。

8月 ルーブルの下落が始まる。最初は35ルーブル前後からゆるやかに降下。

10月末 外貨準備高は4286億ドルに減少。経常収支は大幅黒字を維持し、政府債務はGDP日13%にとどまる。

10月末 1ドル40ルーブルまで低下。中銀は10月だけで300億ドルの市場介入を実施。

10月 ロシア石油大手代表、投資が不十分ならロシアの石油生産量は日量100万バレル程度減少するだろうと述べる。

11.05 中銀、市場介入額の上限を1日当たり3億5000万ドルに設定。これまでは無制限だった。

11.10 中銀、為替介入を取りやめると発表。為替レートの自由化を前倒し実施して変動相場制に移行。

11.07 ルーブルの安値が更新。1ドル=48ルーブル。年初から見て50%の低下。食料品禁輸の影響でインフレ率は10%近くに上昇。

11月 OPEC会合、サウジの主導により減産見送りを決定。サウジはアメリカのシェールガスとの安値合戦を念頭に置いているとされるが、背景にロシアやベネズエラの弱体化を狙う米国の圧力があったともされる。

12.02 1ドル52ルーブルとなる。

12.04 プーチンが年次教書演説。投機資本の動きを厳しく批判する。(のみ)

12.15 中銀、原油価格が1バレル60ドル前後で推移すれば、GDPは4.5%縮小するおそれがあると発表。

12.16 中銀、政策金利を10.5%から17%に引き上げ。2ヶ月間に3度めの引き上げ。

12.16 ルーブル相場、市場明けから売りが殺到。10%以上の下落で1ドル80ルーブル台に突入。年初来では50%以上も下落。中銀の外貨準備高は年初頭の5090億ドルから4160億ドルに減少。

12.16 債券・株式相場も急落し、株価指標は2008年以来最大の下げを記録する。

ロシア外貨準備

12.16 ロシア国債のCDS保証料率は550%に上昇。

12.16 ナビウリナ中銀総裁、「しっかりしたレートに戻るには時間が必要だ」と説明し、主要政策金利引き上げの効果を待つ考えを示す。いっぽうシベツォフ第1副総裁は、より厳しい見方を示す。

ルーブル暴落は危機的な状況だ。6.5%引き上げは、「極めて悪い」か「極めて、極めて悪い」かという2つの選択肢の中間の選択だった。1年前でさえ、最悪の悪夢の状況を想像できなかった。近日中に2008年金融危機に匹敵する状況が訪れると思う。

12.16 この日の時点では、ロシア国内に換金、買いだめなどのパニック行動は見られず。

ruble vs dollar

12.16 米経済諮問委員会(CEA)、ロシアの経済政策は深刻だが、米国のエクスポージャーは限定的と述べる。

12.16 欧州株式市場、ルーブルが対ドルで下げ幅を圧縮し、原油価格もやや持ち直したとし反発。ただしロシアとの取引が多い企業は大きく値を下げる。

12.17 ロシアの社債・国債比率が高いPIMCOの新興市場債券ファンド、1カ月のリターンがマイナス7.9%にまで落ち込む。

12.17 アップル、ロシア国内でのオンライン販売を停止。

12.17 モスクワで買いだめの動きが始まる。肉類、鶏卵、牛乳、野菜などは一週間で約20%値上がりした。

東京新聞(大森準記者)による解説(18日)

東京新聞

これは裏話的なことだが、ロシア人は過去の経験から自国通貨を信用しておらず、事実上ユーロとの二重通貨になっている。このため影響は見かけより小さい、との情報もある。

原油暴落とルーブル危機

二つの不気味な妖怪がうごめきはじめている。原油は50ドルという信じられない安さだ。ふつうならOPECはここまで行かない内に生産調整を始めるのだが、歯止めが効かなくなっている。おそらく投機資本がそれ以上の売り浴びせを行っているのだろう。

ただ、長期に見ればバレル100ドル超というのがそもそもフィクションであり、だぶついたユーロダラーが回って高値を支えていたに過ぎない。

世界不況下のオイル高という状況がそもそも変なのだ。持ちこたえられなくなればこのバブルが一気に消滅する可能性はある。

まぁ、このへんは時の運だろう。大損する人間(例えば三菱商事)が出たとしても知ったことではない。ザマァミロだ。

ルーブル危機はそうは行かない。多分1997年の時ほどではないだろうが、欧米の投資家には相当な犠牲が生まれるだろう。

あの時はロシアの危機がプラジルに波及した。LTCMを始めとする投資家がブラジルの資金を引き出してロシアでの欠損補填に当てたからだ。

ところがロシア危機に比べればブラジル危機のほうがじつははるかに深刻だった。アメリカはあわててテコ入れに動いた。この辺りからIMFの動きは訳がわからなくなって、結局は政策的に崩壊してしまった。

これを機に、投機資本と一体化したIMF・世銀・米財務省のネオリベ政策は、ひとつの終焉を迎えたのである。

とは言うものの、アメリカの基本的スタイルは何ら変更されていない。したがってあの時の火種は依然として抱えたままである。

とくにあの時は比較的堅調だったEU圏の金融機関が、危機を脱したとはいえない状況にある下で、オイル安、ルーブル安がどう結びついていくか、それに市場がどう反応するかはまったく読めない。

最近の経済危機は大抵がソブリン危機の形をとって現れてくる。来年が2008年のリーマン・ショック、2010年のユーロ危機以来の激変の年にならないという保障はない。

苦しいのはウチだけではないのだ。厚労省による全国の調査(と言っても2年前だが)を見ると、老健が厳しい状況に置かれているのが分かる。

平成24年度介護老人保健施設の経営状況

利用者数の推移

介護老人保健施設の経営分析参考指標(H24)老健の集計対象1451施設の状況①平均入所定員数は97.9人。平均在所日数は100.6日。また平均要介護度は3.28だった。

平均通所定員数は41.3人、69.3%。平均介護度は2.08であった。

入所の利用率は95%で昨年より0.9%減っている。これに対し在院日数は1.8日増となっている。

収益の推移

入所定員1人あたりの年間収益は5596万円。入所者の一日あたり収益は、介護料収益が10576円、入所利用料が2151円であった。一人あたり収益は0.5~0.6%微増しているが、利用者の減によりトータルでは0.5%の減となっている。

従事者数

医師が1.2人、看護・介護職員が52.3人。利用者100人あたりで換算すると医師が1.0人、看護・介護職員が43.0人となる。

看護・介護職員数は0.6%減っているが、人件費は0.6%増加しており、経営を圧迫している。

収支の状況

事業収益に対する費用の割合では、人件費55.6%、医療材料費2.6%、給食材料費8.3%、経費が19.4%となった。

この中では人件費が0.6%増えているが、他は増減はない。

利益率は8.6%、経常収益に対する経常利益率は8.0%となっている。とくに後者は1.1%の激減(減少率は1.1÷9.1=12%)となっている。


つまり、利用者は減り、人件費は上がり、スタッフは減っている。収益は下がり、利益はもっと下がり、このままでは遠からずやって行けなくなる。

従来のやり方では行かなくなったとき、どうするか。「答えは現場に聞け」である。革新的な考えは現場からしか生まれない。

現場主義を貫くことだ。同時に現場に経営感覚を持ち込むことだ。経営感覚なしに幹部は育たない。



「国譲り」という言葉はそれだけで多くの含意がある。
1.おそらくは九州王朝と闘って敗れたということ
2.敗れたあと、その隷下には入らず、国を捨てたということ。
3.九州王朝も出雲王朝も、もともと日本に対しては外来勢力であり、日本(例えば九州、例えば出雲)をモノ(支配対象)として考えていること。
4.両者の間には“譲り、譲られる”という関係において共通性があること。
これは、状況は違うが、ゲルマン民族の大移動に似た関係である。
初めにバンダル人が、次いでゴート人、ゲルマン人、ノルマン人と、彼らは波のように押し寄せた。そして古い侵略者は追い払われ、新しい侵略者へと代わっていく。
この事情はおそらく朝鮮半島南部でも同じだったろう。まず縄文的な先住民がおり、そこに長江文明を持つ人が渡来した。そこにはいわゆる三韓地方が成立した。そこに北から漢が侵入し、山間の地を徐々に侵食していった。馬韓の地の多くは、満州由来の扶桑族が支配する百済となった。しかし後に百済も北からの新手に苦しめられることとなる。
日本でも最初に水稲耕作を行う弥生人が現れ、弥生式土器を持つ弥生人が現れ、最後に非常に武力的な天孫族が現れた。
天孫族の中でも非主流派の出雲族は九州王朝を離れ、東方に別の王朝を開いた。あるいは先行していた天孫族の一派が九州王朝に追いやられ、東へと移動したのかもしれない。
東への経路が日本海側が先行するのにはいくつか理由があるのだろうが、今日我々が考えるほど瀬戸内海というのは交通に適した経路ではなかったのかもしれない。


森浩一という先生がなんとなく気になって、他の文献も探してみた。

TOP>活動記録>講演会>第298回

というページがあって、第298回特別講演会「倭人伝と魏鏡」の記録が掲載されている。

そこで下記の講話が行われている。

魏鏡と倭人伝への認識をぼくが深めていった遍歴   森浩一先生

以下は抄録というよりつまみ食い。

1.「三角縁神獣鏡」に関して

「三角縁神獣鏡」は森さんのオハコらしく、詳しく述べられているが、省略。

ちょっと大事なポイントと思うのは以下の一節。

考古学で大事なのは、発掘の瞬間にどれだけ観察し記録を残すかである。発掘の状況をきちんと記録して、その状況から遺物に対する歴史的判断をすべきである。

これは京大アカデミズムとの論争を通じての教訓のようである。

事物を「過程の断面」と見る私から見れば、当然のこと思うが、考古学者の多くは、骨董屋さんの親類みたいなことをやっているようだ。

2.倭人は無文字社会だったのか

4世紀の倭人は無文字社会ではなかった。倭人は漢文を読めたのである。

私も同感である。倭人は漢文を読めたし、書けもしたと思う。ただし大和朝廷でもそうだったか、ここは疑問である。彼らにとって中国は九州王朝を介した伝聞であった。漢文を読めなくても暮らしていけたのである。

3.銅鐸が三角縁神獣鏡に

銅鏡は弥生時代に九州で大量生産されている。その技術が近畿に持ち込まれたのが三角縁神獣鏡だ。同じような技術は銅鐸生産にも共通しているが、分布はまったく異なる。

ところが三角縁神獣鏡の分布は銅鐸とほぼ一致する。しかも三角縁神獣鏡は銅鐸が社会から消失し古墳時代となるに及んで出現している。これは「ヤマトに移ってきた九州勢力が新たに作り出した」のではないのか。

これはつまり、銅鐸を鋳潰して三角縁神獣鏡を生産したということだ。あたかもスペインの征服者がインカの宝物を鋳潰してキリスト像を作ったのと同じことではないか。

話はこれで終わり、そのあとは安本美典さんとの対談に移行する。ひとこと、安本さんの神武東征4世紀初頭説は、私の古代史観のランドマークになっている。

対談での森さんの発言は相当過激で、テープ起こしした人も「(^^)」の絵文字を入れている。

* 纒向遺跡から日本各地の土器が出土していることで、纒向が都だといっているが、各地の土器が出るということは、纒向の特殊性を説明する材料としては通じない。それをまた持ち出しているから、これはあかん。

* 銅鐸の破壊に宗教的な意味は無い。熱く熱した銅鐸にバケツで水をかけるとばらばらに壊れることがわかっている。銅鐸の破片を材料にして何か作っていた可能性がある。


ということで、明示はされていないが、九州勢力の近畿銅鐸圏征服というストーリーについては安本さんとも共通しているようだ。

ただ私の言う出雲→九州の二段階征服説については論究がない。

といったら、ちゃんとそういう研究があった。

遺跡からみた大阪平野と人間の歴史 国府遺跡から古墳の終末まで」というレビューで、著者は同志社大学の森 浩一という先生。

以下は抜き書き

①はじめに 略

②旧石器の時代

ここではまず≪国府遺跡の研究史≫から始められている。

大正6年に発掘が始められた。幸運にもまたある意味では不幸にも縄文時代の大きな墓地にあたってしまった.そのため当初の目的であった旧石器時代の存在の証明は脇に追いやられてしまった。

戦後ふたたび発掘が行われ、縄文の墓地の層のすぐ下の洪積層の中から先土器時代のおびただしい数の石器が出土した.

見つかっている遺物が打製石器だけなので、それ以上の検討は難しい。しかし,その当時の人が狩猟に重点をおいていたことは,残されている石器群からも考えることができる.

この時代はウルム氷期にあり、海岸線はもっと沖合だったろう。

③繩文遺跡と土器の文化

おそらく大阪は,全国的にも最も縄文遺跡の少ない地帯の一つだろう.遺跡は圧倒的に東日本に偏在している。

つまり旧石器人と縄文人のあいだには断絶があるということだ。旧石器人も縄文人も樺太経由だとすれば、大阪でさえ旧石器人が絶滅したということは、日本中全滅ということだろう。縄文人は日本列島という無人の野に進出してきたことになる。

ただ大阪の縄文遺跡の多くは地中深く眠っている可能性がある。河内湖は大和川と淀川の氾濫原であり、湖岸の遺跡は沖積層の奥にしまわれているかもれない。

縄文は狩猟漁撈で,弥生は水稲栽培という方程式が先入観としてあるが,実は一般にいわれているほどにはわかっていない。

縄文文化は大量の土器を残している.これほど大量の土器が日常生活のなかで何に使われたかという問題は未解決である.

ふつう土器文化は,農耕社会の必要の中で生まれる。縄文時代は,本当に狩猟・漁撈の文化であったのかという問題と繋がる。

④弥生文化の諸相

本格的な弥生文化が北九州で始まるのは、紀元前3~2世紀頃である。北九州では弥生文化の最初の時期は,縄文土器の伝統を残した夜臼式土器と弥生的な板付式土器が共存している.

留意すべきはその時北九州には縄文文化が先住していたということである。

すなわち縄文文化は東北・北海道に始まって、数千年を経て日本全土に拡大していたということである。他に流入元がないとすれば、それは薩摩・沖縄にまで達していたと考えられる。

縄文人(夜臼式土器の使用者)は水田耕作を取り入れている。大阪の船橋遺跡、堺の四ツ池遺跡では低地の水田耕作を行っているが、縄文式土器を使用している。

ただ、これと並行して木のスキやクワ,石包丁などの弥生式生活のセットの受容も行われたのかどうかは不明である。

≪大集落の出現≫

弥生前期になると,大阪では縄文時代の遺跡とはちがってきわめて明確な遺跡が各地に出てくる.

西暦紀元前3~2世紀ごろになると,活動の活発さは,縄文時代とは比較にならないほど激しくなり,大集落がどんどん形成される.

おそらくこれが最大の問題であろう。「それを担ったのは縄文人なのか弥生人なのか」だ。後世との関係で言えば銅鐸人なのか天孫系なのかという問題でもある。

平面規模で南北・東西が300~400mにおよんでいるものもあり,室町時代に比べ遜色ない。発掘される土器の量もきわめて大量である.銅鐸をはじめ多くの銅製品も作られている。

我々は弥生の集落を過小評価していたかも知れない。

池上遺跡(泉大津)は弥生時代中期に属する環濠集落。東西・南北400mの集落で、幅8m程の堀がめぐらされている。

これは規模の大きさとともに、人間が争う社会に移行したことを示す。人は生産のためだけでなく防衛のためにも集合した可能性がある。

豊中市の勝部遺跡では,木棺の中に埋葬されていた人体の腰のあたりに石の槍がささったままであったが,これは戦闘の跡と考えられている。

果たして共同体同士の縄張り争いにこれほどの防衛が必要だろうか。私は、これは海賊に対する防衛だろうと考える。カリブの歴史を考えると、海岸都市の発達は結果として海賊がもたらしたといえる。彼らはめっぽう強く、残虐である。根こそぎに略奪し皆殺しもいとわない。

≪銅鐸をめぐって≫

銅鐸のほとんどは弥生時代の終る頃に地上から姿を消している.消滅ではなく破棄された可能性が高い。木っ端微塵に割られた銅鐸の破片も見つかっている。

⑤古墳前期の文化

≪前方後円墳の出現≫

高地性集落がなくなった(海賊の心配がなくなった。なぜなら海賊が今や支配者となったから)。銅鐸が木端微塵にされて消え去った(なぜなら旧支配層のシンボルだったから)。

そのころから大阪の各地に一人の人間のために大きな墓が造られてくる.それが古墳時代の始まりである。

大阪の前期古墳群は大和川の流入部と淀川の流入部に局在するので、建設費は通行料を当てにしていたことが分かる。

⑥古墳中期の文化

≪巨大古墳造築の背景≫

大阪に巨大古墳が作られた理由は、南朝鮮に軍事出兵をするために大阪の土地が重要になって,墓を大阪に造ったのだと言われてきたが、いまこの説を支持する人は誰も居ない。

河内湖の大規模灌漑事業が大規模政権を生んだことは間違いなさそうだが、それがどういう政権なのかは分からない。

河内湖と大阪湾を東西に結んだ上町堀江の開削は、大仙古墳を作るよりはるかに大規模な難工事であったと思われる。

古墳時代中期の大阪の巨大古墳が大和政権の墓地地帯であったというかつての考え方は,実体とはほど遠いものと思われる.

≪日本古代史と中期古墳群≫

古市・百舌鳥の古墳群は,普通,古市古墳群,百舌鳥古墳群の2つに分けられる。

東西が帯のように連らなっていて,その中央部には北限に謎の大古墳,河内大塚がある。東西が帯のように連らなっていて,その中央部には北限に謎の大古墳,河内大塚がある(古墳後期?)

南限に位置する古墳が黒姫山である.ここからは鉄製の甲冑が24組も出ている。

≪馬の文化≫

西暦500年を前後として、5~6世紀になると乗馬の風習が急激に普及してくる.これは須恵器の普及と軌を一にしているといわれ、北九州を介した朝鮮との交流が示唆される。

馬といえば騎馬民族を想像してしまう。巨大古墳の頃に,馬の文化をはじめ北方系の文化や武器類が出土する.それは江上波夫氏の「騎馬民族征服王朝説」の傍証ともなるかもしれない。


ということで、非常に示唆に富む文章であった。

もう眠いのでとりあえず終わり。

無知とは恐ろしいもの。この先生考古学の大御所らしい。大御所と言っても京大の某先生みたいなのいるが、この人の言うのはまともで、かつ柔軟だ。聞いたことなかったから左翼ではなさそうだ。

東アジアの人種は黄色人種とマレー系にわかれる。

渡来はマレー系のほうが早かった。おそらくタミル人と同根の人種が繰り返し渡来したものと思われる。アボリジニーやパプアの先住民はそれより先に渡来していたかもしれない。

黄色人種は全てイルクーツク経由である。旧石器時代(と言っても1万年ちょっと)に一斉に南下した。チベットからインドシナ半島北部でマレー系と接触し、いったん南下は止まる。

間宮海峡を渡った旧石器系人種は本州の少なくとも大阪まで進出する。(それより先については目下不明)

私はこの旧石器人と縄文人との間に連続性はあると思う。両者はともに北方系であり、国府遺跡で見ると、その生活場所は重畳している。

縄文人と同時期に長江まで南下した北方人は稲作を始め、長江文明を築きあげる。これが紀元前10世紀頃から、南朝鮮、九州経由で西日本に入り始める。

縄文人は一様には扱えない。例えば北海道のアイヌは明治まで基本的には狩猟・採集生活を送っていた。それは彼らが遅れていたからではなく、農耕ができなかったからである。

縄文時代には北海道でも農耕が営まれていたことを示す遺構が多くある。北方の縄文人が狩猟・採集生活を強いられていたのに対し、南方の縄文人は農耕が可能であり、農耕生活に入っていた。

考えるまでもなく、土器というのは保存用の容器であり、たいていは穀物のためのものである。農耕しなければ不要のものだ。同時に土器は壊れ物であり定住生活のためのものである。遊牧民には皮袋のほうが似合う。

だから縄文人を狩猟民族と考えるのがそもそも不合理なのである。

三内丸山を見て「縄文人の主食はクリ」と考えるのも不合理である。なるほど山にはクリがあるが、同じように湿原には粟やヒエが自生していたろうし、鳥はそれをついばんでいたろう。人間が食べない理由はない。栽培しない理由もない。

弥生人が持ち込んだのは農業ではなく、水田耕作という技術だったのだろうと思う。だから縄文人・弥生人というのではなく、畑作人、水田人と言ったほうが良いのではないか。

ことに西日本の縄文人は、農業そのものには精通していたから水田耕作も容易に受け入れ可能であったと思う。

稲作の拡大は弥生人が縄文人を駆逐しながら拡大していったのではなく、縄文人がそれを受け入れることによって拡大していったのではないか。

おそらく国府の遺跡を仔細に検討すれば、そのような過程が確認できるのではないかと思うがいかがであろうか。そしてそのような「同化縄文人」の痕跡がかなり後代に至るまで継続していたことも確認できるのではないだろうか。

そして最大の謎である天孫族の襲来と支配が、いつ頃、どのようにして起こったのかを解く鍵も見つけることが出来るのではないだろうか。

私は、それは倭国大乱より後、卑弥呼の時代より前であろうと思う。おそらくそれは銅鐸文面の消失する紀元200年前後ではないかと思う。

専門家の方にはぜひ、そのへんのことを念頭に置きながら資料の再検討をお願いしたいと思う。

国府遺跡と書いて“こういせき”と読む。河内・大和の成り立ちを知る鍵となる遺跡だ。(しかし保存状態は最悪のようだ)

大和川が生駒の南麓を抜けて大阪に出てきたところ。むかしはここから進路を北に変え河内湖に向かって注いでいた。背後は丘陵地帯で古市古墳群という古墳銀座。

この遺跡は約2万年前の旧石器時代から、縄文・弥生・古墳とまたがる重層遺跡である。これまでに各時代の人骨90体以上が出土している。
1916年(大正5年)、縄文時代より古い旧石器時代の可能性のある石器と人骨3体が発見された。
1958年の再調査で、「国府型ナイフ形石器」と呼ばれる特徴的な旧石器が確認された。これは付近の二上山という死火山の火成岩を材料としている。
また、縄文土器、鹿や猪の骨も発見されており、旧石器時代をになった集団と縄文人の連続性を示唆している。

070115joumonjidainojinkotstsu

縄文人の人骨だそうだ。土葬されたのであろう、その完璧さに驚かされる。女性でしょうな、いいケツしている。

なお国府の名は、河内国府が置かれたことに由来する。大和朝廷の「国」となるまでは、志貴県主という独自勢力が存在していたが雄略に滅ぼされた。


突然、国府遺跡を持ちだしたが、どうも古墳時代という言葉に引っかかるのであって、もっと生活遺跡を分析したほうが生産的ではないかと思うのだ。

例えばこんな時完全な骨格があるならDNAでもRNAでもゲノムでもなんでも出来るのではないか。

法人税引き下げを主張する財界の最大の言い分は、「法人税を下げなければ、企業は国を去っていくだろう」という脅しだ。
この脅しのずるいところは、自分は去りますとは言わないところだ。じゃあ誰が去るんだろう。
ここはひとつはっきりさせようではないか。
大企業にアンケートをとろうではないか。
質問はたったひとつ、「もし法人税を下げなければ、あなたは国を去りますか?」というものだ。
「国を去る」と答えた企業には外国企業並みの扱いを与えよう。「たまたま今はいる」だけの企業と心得よう。
「日本に残る」と答えた企業には、国内企業としての認定をし、連結決算、研究開発減税などそれなりの保護を与えよう。
言葉を濁す企業には、今後「法人税を下げなければ、企業は国を去っていくだろう」などという発言をさせないようにしよう。
回答を拒否した企業には、拒否したなりの覚悟はしてもらおう。



選挙関連の報道のために圧迫されているが、下記のニュースが報じられている。

ユニクロの敗訴が確定 -「過酷労働本」訴訟-

要旨は以下のとおり

1.文藝春秋が「ユニクロの店長らは過酷な労働環境にある」とする本を出版した。

2.ユニクロは出版差し止めや損害賠償をもとめ訴訟を起こした。

3.裁判では一審、二審でともにユニクロ側の訴えは退けられてが、ユニクロは最高裁に上告していた。

4.最高裁は「(本の)重要部分は真実と認められる」と判断した。

5.最高裁は上記判断から、上告を受理しなかった。これにより判決が確定した。

これだけでは事件の背景がさっぱりわからないので、ネットにあたってみた。

1.本の内容

週刊文春「ユニクロ中国『秘密工場』に潜入した!」(2010年4月)と単行本「ユニクロ帝国の光と影」(11年3月出版)

執筆者はいずれもジャーナリストの横田増生氏。出版されたのはユニクロが「ブラック企業ではないか」と世間から疑いをかけられる以前の話である。

国内店舗や中国工場で、店長や従業員が過酷な労働をさせられている。長時間労働が常態化している

現役店長らの話では、月300時間を超えるサービス残業をさせられている。タイムカードを押していったん退社したように装い、その後サービス残業をしている。それを会社側が黙認している

2.訴訟の内容

ユニクロを展開するファーストリテイリングなどが、文芸春秋に書籍の発行差し止めと回収、謝罪広告及び約2億2000万円の損害賠償を求めた。

ユニクロは「真摯に時間外長時間労働の防止に努めている。中国の生産委託工場においても、労働条件を恒常的に監視してきた」と主張した。

3.下級審判決の要旨

東京地裁および高裁判決は「記者の取材内容や経緯からみて、記事は真実か、真実と信じた相当の理由がある」と判断した。そして賠償請求を棄却した。

「真実か、真実と信じた相当の理由」と紛らわしい書き方になっているが、これは国内については真実、国外については“真実相当”と書いてあるのを短縮したものだ。こういう短縮の仕方は良くない。

* 『月300時間以上、働いている』と本で証言した店長の話の信用性は高く、国内店に関する重要な部分は真実。

* 中国工場についても現地取材などから真実と判断した理由がある

というのが地裁の判決文。

最高裁はこの判決を支持した。

『週刊東洋経済』によるレビュー

この記事はさらに生々しい。

* 店長から顔面に頭突きされるなど暴行を受けた。本部の管理部長からも「ぶち殺そうか、おまえ」と言われた。(これは08年に名古屋高裁で争われ、1000万円近い損害額が認められた)

* 社内資料によれば、昨年2月と3月にも部下への「辞めれば、死ねば」「バカ、死ね、使えない奴」といった暴言による懲戒処分が複数下されている

* とにかく業務量が半端じゃないんです。すごいスピード感。仕事がどんどん降ってきて、どんどん動いて、改善を日々繰り返さないといけない。


まぁ上辺だけ見れば、一昔前のモーレツ社員ですね。しかし、むかしは愛社精神という精神的バックボーンがあって、それを基盤にした社員同士の助け合いがあったが、それなしで成果主義だけではキツイでしょう。助け合いの代わりに罵り合いじゃ身がもたない。

多分こけたら一発アウトでしょうね。堅気の商売じゃない。


赤旗に内橋克人さんの発言が掲載されている。
そのなかで、「なるほど」と思ったことがある。
GPIF(公的年金の資金を運用する独立行政法人)が、国債による運用を減らして株式による運用比率を50%に増やすと発表しました。
GPIFが売る国債を日銀が買う。見え透いたことです。
「なるほど、そういうこともあるのだな」と思った。
現在日銀は異次元緩和で日銀券を垂れ流しているが、それは何かの「金融商品」と引き換えでなければならない。
当面買うのは国債なのだが、もう全部買い占めてしまって、市場に国債はない。仕方がないから投資信託や不動産証券などヤバいものにも手を出さざるを得なくなっている。これはさすがに評判が悪い。すると、日銀としては次に緩和策をとろうとしても、手立てがなくなってしまう。
担保がなければ、貸したくても貸せないわけだ。
そこで年金運用機構が持っている国債に目をつけた。
年金運用機構が持っている莫大な国債を吐き出させれば、ほとんど無尽蔵だ。そのためには年金運用機構にリスクを負わせれば良い、という寸法だ。
うーむ、知恵者がいる。日銀の第二次緩和と運用機構の株式運用比率引き上げが同日に発表されたというのもそういう意味だったのか。
ひとつ利口になりました。

これは安倍首相の言葉だ。思わず目を疑う。
12月5日の英「エコノミスト」誌のインタビューでの発言。
* TPP交渉の参加国のなかで、私がもっとも強力に交渉を推進している。
*今年の日米首脳会談でも、交渉担当者に柔軟になるよう強く支持をした。だからこそ、早期の妥結は実現するだろう。これは強い決断だ。
*いまの交渉は全体として容易であり、最終段階に達しようとしている。
「TPP反対、自民党ウソつかない」と語ったあの舌はどこに行ったのだろう。これだけ誇らしげに、国民に嘘をついたことを自慢するような人物は、人間としての資質を疑わざるをえない。CTとったら前頭葉空っぽなのではないか。

という記事を以前書いた。

これは財政欠陥の内容とその原因を明らかにしたものだったが、

今回は赤旗が法人税にかかわる税収マクロの表を5つまとめて出している。

こちらの方は以前から明らかになっていたものの焼き直しだが、5つまとめるとやはりわかりやすく説得的である。

以下転載する

houjinzei


もう一つ谷垣幹事長の話。これは関西プレスクラブでの発言。
1.経済成長と財政再建の両立。景気回復はこの道しかない。
2.そのためにアベノミクス続行と消費税増税の先送りが必要。
最初からボタンを掛け違えている。現下の状況で、経済成長と財政再建は両立し得ない。まず経済成長、経済成長により財政再建という道か、まず財政再建、しかるのちに経済成長という道か、2つに1つだ。
ブレーキとアクセルを一緒に踏み込むのは愚の骨頂だ。エンジンが壊れる。
経済成長と財政再建はともに成し遂げなければならない。しかし、財政再建(増税と緊縮財政)を前面に立てれば必ず景気は後退する。少なくとも一時的には後退する。それは小学生でも分かる。
景気回復は「この道」以外の道でなければならない。
伺いたいが、この道以外にないのだとしたら、なぜ増税を先送りするのか。それは結局、「経済成長と財政再建」が両立し得ないからではないのか。それが4月以来の景気実績で証明されたからではないのか。

リーマン風邪という悪性の風邪にやられて、寝込んでいて、やっと床離れしたばかりの子に、乾布摩擦をやらせるようなものではないのか。

不破さんが京都で街頭演説して、そのなかでこう言っている。
自民党候補への一票は、日本の戦争を礼賛し、ふたたび日本を戦争する国に変える「ネオナチ政治」を助ける一票になる。
たしかにそういう危険はあるし、そういう点では警鐘を乱打しなければならないだろう。
おそらく、京都は朝鮮人学校を標的にしたハラスメントが行われた「本場」であり、これに対し京都地裁で画期的な判決がくだされ、それがつい最近最高裁で確定した、という経過を踏まえての発言でろうと思う。
ただ、自民党あるいは安倍政権を「ネオナチ」と規定することには、現時点ではためらいを抱かざるをえない。
少し正確に規定しておく必要があるだろう。
ネオナチを連想させる事実は三つある。
ひとつは在特会などのヘイトスピーチや自治体などへの不当な圧力、それに対する自治体側の屈服。
ひとつは権力側の極右団体(ネオナチと呼んでも良い)泳がせ政策。NHK人事に見られる右翼的人物の登用。
そして、安部首相自らによる数々のネオナチばりの発言や右翼的人物の登用。
である。
ただこれらは、改憲・機密防衛法、集団自衛権の動きと軌はいつにしていても、やはり分けて考えて置かなければならないと思う。
彼らを孤立させることは可能であり、現にある程度孤立させつつあると思う。しかし権力の側が本格的にテコ入れを計れば、情勢はまた大きく変わっていく。そういう危険性を秘めていると思う。
もうひとつ、欧州のネオナチを見ても分かるように彼らはある意味で社会の歪みの象徴としての側面を持ている。社会から疎外された若者が、歪められた方向性と暴力性を与えられて組織化されている、というのが事の本質である。ここを何とかせんと根本的な解決はなかなか難しい。


HSイッセルシュテットのハンガリー舞曲は幻のレコードのようだ。
日本語版ウィキペディアの「イッセルシュテット」の項目にこのレコードは記載されていない。53年の放送録音が残っているだけのようだ。
isserstedt
これがレコードのジャケット。
みごとなほどに、「演奏者などどうでもいい」という二流扱いだ。
だからCDのカタログなどに載ってこないのは当然だ。
このレコードをアップロードしたのはdavidhertzberg という人。説明書きは以下のごとし。
Brahms / Hans Schmidt-Isserstedt, 1961: Ungarische Tänze (Complete) - NDR Symphony Orch.

The complete LP shown above, issued in 1967 on the Vanguard label, catalogue number SRV 236-SD.

これに対して12のコメントが送られている。
 *why this recording is not still available?? arghhhhh!!!! Thanks for the upload
 *I had not heard this selection before and found myself swept away in the emotion of the music. Well done, Hamburg!

ということで、日本はおろか欧米でも幻のレコードとなっているらしい。

失礼しました。HMV オンラインによると、この音源は2006年にリマスターCD化され日本でも販売になっていました。ただし今では販売されていないようです。Accord Festival というフランスの会社の発売で米英メジャーのルートには載っていなかったようです。

ユーザー評価が5件あり、

*他の方と同じくLP時代にそれこそすり切れるまで聴きました。

*私もLP時代からのこの演奏のファン。聞けば聞くほど味わいのある演奏です。米国でLPから復刻したCDが出ていましたが、今ひとつ音が冴えなかったので、このCDの登場を喜んでいます。

という評価があったから、当時日本でも発売されていたことが分かる。

なお、イッセルシュテットのブラームス全集の付録についていた抜粋は別売されているようである。


クイズをひとつ
民主党は相当弱っている。野党は国民のために何をしようとしているのか、良くわかりません。
どの政党が国民のためにしっかりと、自分たちのやりたいことを示せるか。
ひとつ示せる党があります。それは共産党です。
さて誰の発言でしょう。
答えは自民党の谷垣幹事長。京都市左京区での演説です。
もちろん、彼はこう付け加えている。
しかし、私たちが共産党と一緒にやるわけにまいりません。
沖縄の自民党も、ずっとそう考えてきた。しかし国民の立場に立つ限り、いつか一緒にやらざるを得なくなる日が来るかもしれない。野中、古賀氏をあげるまでもなく、自民党の中にもそう考えている人が少なからずいる。
あまりそのような日がこないことを祈るが…

↑このページのトップヘ