鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2014年09月

先進国のネオリベと途上国のネオリベ

7年前に書いた文章を再掲しておく。洞爺湖サミットの対抗サミットにおいて、北大の橋本教授との議論を通じて考えたものである。

その時私は、ネオリベラリズムというのはチリのピノチェト政権下で推進されたシカゴ・ボーイズの諸政策をさして用いられ始めたた言葉であり、そこからワシントン・コンセンサスへとつながる流れをネオリベとして限定的に扱うほうが良いのではないかと提起した。そしてポストケインズ、ポスト福祉国家論としてのレーガノミクス、サッチャリズムなどに繋がる流れとは混同しないほうがいいと主張したのだが、それを聞いた橋本教授が一瞬「キッ」となったのを覚えている。


2008.05.27

 整理すればこういうことだと思います。

1.ネオリベラリズムは三段重ね

まず具体的な政策論としては、ドメスティックには日本でもおなじみの「構造改革」論があり、グローバルには「ワシントン・コンセンサス」(米財務省・IMF)としてまとめられた10か条の御誓文がある。

  これを補強する経済理論として「マネタリズム」(フリードマン)がある。マネタリズムというのはマネー・サプライ(通貨発行)が経済規模と成長を規定するという考えで、有効需要が成長を規定するというケインズ経済学に対抗する理論である。

 さらにポスト・モダン理論として、ケインズ経済学とマルクス経済学を串刺しにして「福祉国家」の終焉を打ち出し、市場原理のワイルドな世界の復活を説くネオリベラリズムの思想(ハイエク)がある。

 という三段重ねの構造です。

2.「構造改革」は先進国におけるネオリベ政策の総称

 グローバリゼーションという歴史のトレンドがあり、この大波のなかで「福祉国家」を中心とするこれまでの政策体系が崩壊した。これに対し、先進国経済と社会を守るための枠組みが模索されているのが現状である。

 その中で、保守層の打ち出した延命策として「構造改革」という枠組みが提示されている。

 うんと上品に言えば、こういうことになるでしょう。しかしそれは本当の延命にはなりません。

3.ワシントン・コンセンサスは途上国におけるネオリベ政策

 字面はほとんど同じですが、その目的は債務関連に限定される一方、破壊的影響力はすさまじい。先進国では福祉国家が曲がりなりにも実現しており、そこからの出発だが、途上国にはそもそも福祉国家など存在しない。

 実際の手法としても、ワシントン・コンセンサスを形成した連中は正統派マネタリズムではなく、マネタリズムもどきでしかない。だから両者は分けて考えなければならない。

3.「世界帝国」とネオリベ

グローバリゼーションが歴史のトレンドとして必然だとすれば、その先に見えてくる一つの可能性として 「世界資本主義」あるいは「超帝国主義」というものが浮かび上がってきます。アントニオ・ネグリの世界です。

そこでは少数のワールド・チャンピオン資本がユニバーサルに支配を及ぼし、その下で先進国であろうと途上国 人民であろうと、ひとし並の搾取・収奪を受けることになります。

そのとき構造改革はワシントン・コンセンサスと一体化し、「各国版」としてその一部となり、ネオリベラリズムは本願を成就することになるでしょう。

土曜の夜はなんとなく、撮りためた映画を見て夜更かししてしまう。
この間は終戦前夜に物資の秘匿作戦にあたった秘密グループが、作業にあたった女学生たちを毒殺してしまうという話だった。「倍返し」で有名になった俳優が主役だった。
どうでもよいといえばどうでもよいのだが、女学生が整列し号令をかけるときに、「イチ、ニ、サン、ヨン…」というのが気になった。
「イチ、ニ、サン、シ…」だろう。9は「キュー」ではなく「ク」なのだ。
私は昭和20年代の後半に小学校に入ったが、秋の運動会の練習というのが半月ほど続いた、白い帽子に紐付きで、ひたすら行進だった。
「せいれつ!」と言われると、両手を真っ直ぐ前にあげて、前の生徒の肩に指先が触れるのが前後の間隔で、「右に倣え」と言われると、右手を腰に当てて曲がった肘の先が隣の生徒に触れるのが左右の間隔だった。
「気をつけ!」で直立不動、この時は顎が引けてないと先生に顎を掴まれた。「休め」は足を肩幅に広げ、手を後ろに組むことになっていた。
行進はその場足踏みからで、そのうちにレコードの行進曲がかかり始め、「全体―前へ―、進め!」で行進が始まった。さすがに軍歌ではなくスーザだったと思うが、君が代行進曲はしっかり覚えている。止まるときは「全たーい―、止まれ!」で、その後左、右と踏んで止まる。止まった時は直立不動だ。「休め」の号令がかかるまではそのままだ。
その後校長先生の式辞があって、そのあとは「まわれ、右」、右足を後ろに半歩、その足を軸にして180度回転、右足をもどす。それから君が代と国旗掲揚である。
静岡の田舎ではこれが常識だったのである。一種のマスゲームなんだろうね。
それで、少人数の整列は一列横隊で、並び終えると「番号」と声がかかり、1,2,3,…となるのだが、これがヨンとでも言おうなら、たちまち「元い!」と叫ばれる。これが何度か繰り返されると、先生が出てきてビンタが飛ぶという具合だ。ひどい時は連帯責任だと言って全員にビンタが飛ぶ。
この先生、休憩時間には銃剣術を披露するのが得意だった。
こういう世界で育つと、おなじ民主主義者でも、街場育ちの人とは若干肌色が違うかもしれない。
最近の戦争もの映画を見ると、なんとなし、だらしなさにイラつくこの頃である。

運動会の歌
城山高く、秋深し
田の面をみなぎる黄金色、
今日ぞ迎ゆる運動会
日頃鍛えしこの体、日頃磨きしこの業を
振るえや振るえよいざともに




記紀を使わない日本史年表というのを以前作ったことがあるが、所詮分らないことはわからない。

思うのだが、日本書紀の中の百済本記を、文体分析などの方法を用いて抽出できないものだろうか。なおかつ、日本書紀の作者が付け加えた部分をクレンジングできないものだろうか。

まずは、ウィキペディアの「百済三書」の項目

百済三書は、『百済記』・『百済新撰』・『百済本記』の3書の総称。いずれも逸書であるが、一部(逸文)が『日本書紀』に引用されて残されている。

『三国史記』に収められた「百済本紀」は、これとは異なる。

『百済記』は物語風の叙述が主で、『百済新撰』は史書、『百済本記』は純然たる編年体史であったと推定される。

成立過程は判然としないが、『三国史記』の375年の出来事として、「百済は開国以来文字で記録を残していなかったが、博士高興によってはじめて記録を始めた」との記載がある。


コトバンクには以下の記載がある

《百済記》は346‐475年を扱う。これは近肖古王~蓋鹵王の時代に相当する。日本書紀では神功~雄略紀で引用される。

《百済新撰》は455‐523年を扱う。蓋鹵王~武寧王の時代に相当する。日本書紀では雄略~武烈紀で引用される。

《百済本記》は501‐554年を扱う。日付に干支まで添えられている。武寧~威徳王即位の時代に相当する。日本書紀では継体~欽明紀で引用される。


『日本書紀』で三書が明示的に引用されている個所は、『百済記』が5か所、『百済新撰』が3か所、『百済本記』が18か所である。ただしその際、『日本書紀』編者による潤色・改竄が行われている。

改ざんが破綻した例として、継体天皇の崩年(崩御の年、527年?)問題がある。『百済本記』の記録を採用したために、『日本書紀』の体裁がおかしくなっているとされる。

これは日本書紀の作者が、三書に記述された実年代とは干支の2周分(120年)ずれて記載しているためとされる。その継ぎ目に当たるのが継体天皇だということになる。

日本書紀の作者が120年も皇統を前倒しにしたのは、少しでも天皇家の発祥を遡らせたい。せめて百済王朝より古いものに見せかけたいとの思惑が働いたのではないか。

だが、ヤマト王朝の皇統など本来関係無いものであり、何年に倭国で何が起きたのか、より端的に言えば九州北部がどうなったのかさえ分かればよいのである。大和の片田舎の小政権がしゃしゃり出る幕ではない。



中山智香子「経済ジェノサイド」を読み始めたが、なかなか進まない。冒頭からかなり挑戦的な主張が並んでいるからだ。

本の副題は「フリードマンと世界経済の半世紀」となっており、こちらのほうが「学術的」にはすんなり収まる。

そこをあえて荒波かき立てようという気構えが、恐ろしげな題名に示されている。

文脈はこうなる。

1.ナオミ・クラインが「ショック・ドクトリン」という書を著して、世界のネガティブな諸事象を列挙し、これをフリードマンらの理論に則った経済政策に依るものだと断罪した。

2.これをかのスティグリッツが、「経済学としては荒っぽい」と批判した。彼はモデル対モデルの対抗の枠で考えようとした。

3.そこで中山さんは、スティグリッツに噛み付く。モデルの問題か。いまや経済学にはあれこれのモデルを超えた「思想」が必要なのではないか、というのである。

私としては、「両方必要だろう」というしかない。そのうえで、スティグリッツのような政策現場にいる人には、往々にして木を見て森を見ない弱点が露呈されるので、労働現場や生活現場との間断なき突き合わせが求められるのだろうと思う。

中山さんの主張は、私が学生だった頃の話を思い出せる。あの頃はケインズ派の最盛期で、大学でも主流は近代経済学だった。それに対して新古典派がいちゃもんを付けるという雰囲気だった。

学生たちは聞きかじりのマルクス経済で、「あれかこれかの方程式やモデルではない。資本主義には根本的な矛盾があり、生産力の発展とともにその矛盾は深化し、ついには高次元の経済システムに揚棄される他ないのだ」と主張した。それは「経済学批判」ではなく、「経済学」そのものの批判だった。

ただ、その先にソ連や中国モデルがなかったといえば嘘になる。慙愧に耐えないところではある。

中山さんも多分似たような気分で書いているのだろうと思う。そしてその先にポラニーあたりを念じているのだろう。

とりあえず、このくらいでヨタ話は止めて、本を読み進めることにしよう、

 

 

次いで中山さんは、経済学の流派を「市場の自由」を中心に図式化する。

単純化すると、次の3つである。

1.アダム・スミス以来の経済学は、すべて市場の自由を前提としている。

2.これを市場以外の社会的関係と適合するようにしたのがニュー・リベラリズムである。

3.逆に「市場の自由」のために社会的関係を適合させようというのがネオ・リベラリズムである。

いわば足に靴を合わせるか、靴に足を合わせるかの違いだ。

文章が少し難しいので、噛み砕いて、さらに私流の解釈を加えると以下のようになる。

1.アダム・スミスにはじまる「経済学」は、「市場の自由」を前提したものであり、市場に任せれば市場のメカニズム(神の手)が自動的に働いて均衡が成り立つというものだった。

2.しかし「市場」は絶対的な前提ではなく、相対的なものである(マルクス流に言えば歴史的な産物)。しかも生産・交換・消費という「広義の経済活動」の一つの局面にすぎない。

3.したがって「市場」を絶対的な前提とする「経済学」も、その限りでは相対的なもの(いわば「市場学」)にならざるを得ない。しかもそれは、さまざまな社会関係の原則と背馳することがある。

4.このため「市場の自由」に一定の制限を加えて、社会の原則と合わせるようにしようとした。これがニュー・リベラリズムである。昔よく使っていた「修正資本主義」である。

5.いっぽうで、「市場の自由」を守るために、それを損なうものはできるだけ排除しようというのがネオ・リベラリズムである。いわば姫を守る騎士たちを正統づける論理だ。

6.したがってそれは、結果的に「市場」の相対化をもたらす。それは本質的に政治的な「学」であり、「経済学=市場学」の対極にあるものである。

と、噛み砕いたつもりが返ってややこしくなったきらいがある。なお4.には様々な流派があるので、一括りにしてしまうと、また別の議論を呼ぶ可能性がある。

ここまでの議論には概ね同意する。ただし「資本論」を経済学ではないと仮定した上での話である。

 この項には続きがあり、ネオリベの登場する4つの歴史的背景が書かれている。

ヨーロッパが潰れて、アメリカとソ連が生き残り、アジア・アフリカの新興国が独立し、冷戦構造が出来上がったというものだ。

そこでアメリカは自陣営を強化するために「開発」政策を打ち出した。そのため

新自由主義は、市場そのものの理論というより、むしろ市場形成の理論として考案された。

と展開される。

ちょっと待ってほしい。「開発理論」はたしかに議論となった。しかしレーガノミクスやサッチャリズムと、ロストウや世銀・UNCTADの議論は同一視できない。やはり時空的ベースが違うだろう。

この混乱は、以前にも論議した。先進国におけるリストラ・自由化と、発展途上国にIMF・世銀が押し付けた開放経済の押し付けは、少なくとも「政治的」意義はまったく異なるものである。この二つのネオリベはきっちりと分けて議論すべきだろうと思う。

むかし、世界の共産党会議で「81カ国声明」というのが発表されて、必読文献だった。これには世界の三大矛盾というのがあって、先進国における資本家と労働者の矛盾、植民地主義と途上国の矛盾、資本主義国間の不均等発展というのだった。

その内のどの矛盾の表現としてネオリベを捉えるかで位相はまるっきり異なったものとなってくる。

しかしこの調子じゃ、終わりそうにないな。

内閣が改造になり、小野寺防衛相が更迭された。
離任挨拶で泣き出した小野寺防衛相に怪訝な思いを持たれた人も多いのではないか。
今度の内閣改造は小幅であり主要閣僚は留任している。
集団自衛権関連法案を控えて、最重要ポストの防衛相が更迭された理由は不明である。しかも後任はまったくの無名で、行政手腕は未知数だ。武田良太副長官でなかったのがせめてもの救い。
直前の差し替えでない限り、こんな人事は普通はありえない。
そこで下衆の勘繰りだが、「仁風林」問題が影をさしている可能性はないだろうか。
「仁風林」のうわさ話で紹介した以下の文章が気になる。あまり書きたい記事ではないが、メディアも、2ちゃんさえも沈黙しているようなので、発信しておく。

首相が叱責…ASKAの女に異常接近していた小野寺防衛相

パソナグループの迎賓館「仁風林」のパーティーに、田村憲久厚労相ら現職閣僚5人が出席したことをこれまでに伝えたが、小野寺五典防衛相(54)も“メンバー”だったことが日刊ゲン ダイ本紙の調べで新たに分かった。覚醒剤使用でASKAが逮捕される直前まで通っていたようだ。

「小野寺大臣の目的はASKAの“愛人”栩内香澄美だったそうです。栩内は青森出身で、小野寺大臣は宮城県出身。“同じ東北出身”をアピールして接近しようとしたけど、うまくいかなかったようです」(事情通)

重要法案の審議中に、下半身がらみのスキャンダルが明らかになれば、法案もろとも轟沈だ。

「仁風林」スキャンダルは、米日軍産複合体が公明党・創価学会を脅すための作戦だった。それが自ら火の粉をかぶってしまったら元も子もない。そこで芽を摘んでおこうというのが内閣改造の真意だった。


とすると、小野寺防衛相の悔し涙も理解できるような気がするのだが…

これは経済面ではなく、外信面の記事。
FRBの「消費者の所得・資産・債務などに関する調査」の結果である。
きじをそのまま書くと、
1.年間所得の推移
トップ3%の高所得世帯の年間所得は、13年度で30.5%(2.8%増)に達した。
2.「富」の推移
トップ3%の保有する「富」は、54.4%(9.6%増)に達した。
これと逆に、低位90%の「富」は24.7%(9.5%減)に低下した。
3.平均所得と中央値の乖離
平均所得は4%増加したが、所得中央値は5%減少した。
ただし
1.2.3.はそれぞれ比較対象が異なっている。
1.と3.は3年前との比較、2.は14年前との比較となっている。
「富」の中身が分からないが、おそらく「資産」をベースとした数字であろう。

ただし、この「富」というのは、そのほとんどが商品流通や生産的投資に回されないデッド・ストックであろう。大幅金融緩和で発行されたマネーが、そのままデッドストックとなって積み上がっていく構造は、いかなる観点から見ても健全とはいえない。
ここまで行くと、直接税の捕捉もさることながら、資産課税の議論が避けて通れなくなるのではないだろうか。

かなりビックリ、赤旗一面に御年95歳の俳人・金子兜太が登場した。
俳句を詠み続けて75年になります。なぜ、続いているのか。
無謀な戦争の体験者として、無残に死んでいった人たちに代わって伝えたい。
戦後恥ずかしくないよう発言しなければならないという思い、それが私の俳句精神です。
さすがに、冒頭から引き締まった文章だ。「記者の文章に手入れしたに違いない」と感じる。
引用を続ける。
人間が死ぬことの怖さ、その詩を力づくでもたらす戦争は「悪」だと身を持って知りました。
戦後、飢餓のトラック島から引き揚げるときに、駆逐艦の最後尾で、去りゆく島影を見つめて読んだ句
水脈(みお)の果て 炎天の墓碑を 置きて去る
このあとは、ちょっとべらんめえ調になる。
安倍さんにはあきれたね。南方の離れ島で、砲弾で殺され、食料がなくなり餓死していった兵士や民間人の「死の現場」を知らない、知ろうともしない。
そんな連中が、戦争に首を突っ込みたがるんだ。

縄文と古代文明を探求しよう!というページから

「奈良湖の推定図」という図を転載させてもらった。

narako

非常に説得力のある図である。

標高から、青は古墳時代でも池であったと思われる部分です。
(その真ん中に「島の山」という古墳があります)
濃い青は飛鳥時代あたりでも湖であったと思われる部分です。
黒い家マークは縄文集落、白は弥生集落、 黄色の円マークは古墳類、逆Uマークは銅鐸出土地。
大和川への出口部分の1kmほどの河底が現在よりわずかに高かったとすれば、周辺から流れ込む小河川の水は奈良盆地に貯まって湖(水色部分)となります。

という説明が付けられている。

1.弥生の陸進

古墳はきっと小高いところに建てると思うので、水陸の境界を直接表すものではないと思う。したがって縄文集落と弥生集落の分布を見るのが一番確からしい。

サンプル数が少ないので確実なことは言えないが、畝傍山北方の平野部に弥生集落が進出しているのは明らかだろう。

「奈良湖」があったという地質学的証明はなされていないという。湖面ではなく沼沢地帯であったのかもしれない。たとえば静岡の登呂遺跡は弥生時代の代表的遺跡だが、おそらくは沼沢地帯のど真ん中に形成された集落であった。

釧路湿原を小高い丘の上から見遥かした時のような気分かもしれない。縄文人には海と同じに見えた沼沢地帯が、弥生人の目には肥沃な水田地帯に映ったのだろうか。

2.銅鐸人の分布

銅鐸人が大和盆地(奈良湖畔)の全域にわたって住んでいたことは明らかである。人為的に埋められ放棄されたのであれば、古墳と同じく山沿いに分布することは自然である。しかし縄文の生活スタイルを守っていた人々であった可能性も否定出来ない。

3.陸進は一様ではない

東南からの陸進は明らかであるが、南西部からの進出はほとんど見られない。畝傍山西麓と葛城山東麓のあいだには、遅くまで、深い入江が残されていた可能性がある。

いわゆる「葛城」独立王国説にとっては興味深い所見である。

4.出雲系天孫族の本拠は纏向にあった

出雲系天孫族は宇治・木津方面から南下し、奈良湖の東岸の纏向あたりに本拠を構え、左右にウイングを広げた。しかし畝傍山西麓で入江に阻まれた。その対岸には葛城山麓の葛城族が残された。


ここから先は推論だが、熊野から北上した神武は迂回を繰り返しつつ、畝傍山麓に拠点を形成し、葛城族と組んで纏向の出雲族を打ち破ることになったのではないか。

コルテスのメキシコ征服記を見ると、当時メキシコを支配していたアステカ王国そのものが、北方からやってきてメキシコを征服した民族だった。コルテスはアステカ王国に抵抗する在地種族と連合してアステカを滅ぼした。

あるいは、葛城族は銅鐸人の生き残りであったのかもしれない。


誰かと思ったら、ワイセンベルクの「クープランの墓」だった。
なかなかいいね、と聞いていた、少しまとめてワイセンベルクを聞いてみようと思った。
やはり私には合わない人である。
和音のコード進行はこうなっていますよという演奏だ。それにはこのくらいのスピードでないとダメなのかもしれない。しかし指回りだけなら中国雑技団にもすごいのがいるだろう。
“ペシャペシャ”と鍵盤を叩くから、音が平べったい。綺麗だが深みはない。どこかのタレントではないが、「綺麗だね、お化粧が…」という感じ。
シューマンの演奏がいくつかある。シューマンは旋律がくっきりと聞こえないと、音が濁ってくる。濁りが一種の迫力なのだが、メロディーがないと濁りだけだ。
ラフマニノフはオハコらしくいくつも音源があるが、地鳴りするようなラフマニノフは聞こえてこない。

スカルラッティのソナタのセットはよい。スクリアビンの左手の夜想曲も良い。まぁ誰が弾いてもいい曲ではあるが。

画像の再貼付けが一応完了しました。
10日くらいかかったでしょうか。
もちろん、まだ貼り忘れているところもあると思いますので、気が付いたらご連絡ください。
これからブログ保存ソフトで落とします。

3日に翁長さんが名護にやってきて応援演説をしている。
次の一節に説得力がある。
沖縄の課題でひとつ上げるとしたら、米軍基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因だということです.
終戦直後の総生産に占める基地依存は50%で、復帰時は15%に減りました。いまは5%の200億円ちょっとで総生産は4兆円です。
那覇の新都心地区は25年前まで米軍の住宅地域でした。返還時、軍用地料の52億円がなくなったら沖縄経済はだめになるのじゃないかとの話がありました。しかしいま52億円に代わって600億円の商売繁盛ができております。
雇用は180人でしたが、いま1万8千人で100倍。税収は6億円だったのが97億円、15倍です。いま沖縄は未来に向かって進んでいます。
…私達は心を一つに「オール沖縄」、「イデオロギーよりはアイデンティティー」で団結しなければなりません。そうしなければ日米両政府に勝てるものではありません。
自民党員でもその気になればこのくらいの計算はできるのです。普段はできるのにできないふりをしているのでしょう。

なお、赤旗ではアイデンティティーに“主体性”とルビを振っているが、これはちょっとおかしい。沖縄人としての共通性ということだろうと思う。10万県民を失った沖縄戦、その後の祖国との分断と軍事支配、復帰後も続く本土との格差、これらの体験を共通して持っているがゆえの共通性…
これがアイデンティティーだ。そこから出発しなければならないということだ。
それは日本全体として言えば、無謀な戦争と侵略、多くの生命の無駄死に、それらをもって購った戦後の平和、これらの共通体験を元に団結すべきだということになる。
非常に重要な指摘だと思う。

「連合」と組まないという選択

これは昨日の酒飲み話の続きだ。

小選挙区制と二大政党制を柱とする支配システムが、民主党の凋落により崩れ去った。現在の右翼片肺政権に対しては保守派もふくめ多くの人たちが危機感を持っている。

そのなかで大阪が反維新の立場で思い切って戦術をシフトして成功した。基本的には維新つぶしに成功したと言っていいだろう。

じゃぁ東京の敗北をどう見るかだ。「情勢は勝てる選挙だった。なのにどうして敗けたのか」あたりから話は始まったんだが、それはそれですぐ収まった。あの時の東京ではあれ以外の戦い方は出来なかったし、よくやったと見る以外にない。悔しいが。

ただこの一勝一敗を三試合目にどう活かすかだ。それが沖縄だろう。

もうひとつは、共闘の形態ではなく、どんなスローガンで共闘するかだということだ。東京では小泉に原発で鼻面引き回された。あれは小泉の独特の感性だろうが、「郵政」で大勝したおごりがあったのではないか。

東京都知事選では、見逃せないもう一つの動きがあった。連合東京が舛添支持に回ったのだ。民主党都連も直前まで舛添支持の方向で動いていたが、最後には細川支持を打ち出した。つまり民主党・連合は細川の登場により股裂き状況に立たされたのだ。

とにかく「連合」は悪の権化だ。経団連の手先であるばかりでなく、みずからが反動の主柱となっている。現実は明らかだ。

民主党が変質に変質を重ねた揚げ句自壊していったのは、「連合」のためである。国民が民主党を見限ったのは、「連合」を見限ったのである。

我々は二つの呪縛に囚われていた。ひとつは労働者階級こそが歴史変革の担い手であり、右翼のダラ幹に仕切られていたとしても、「連合」も労働者の一員だという呪縛である。

もう一つは、60年安保を闘った総評の末裔だという神話である。もはやとうの昔にそのような神話は潰えていたにせよ、「連合」を明確に敵だと言うまでには至らなかった。(原発に対する認識と似ていますね。加藤さんなら労働者=原発論まで行くかもしれません)

それでは連合を無視して新たな共闘を組む際に、「革新三目標」ではダメなのか、自主・民主・平和は旧来の「革新」勢力しか担えないのか、まったくそんなことはないんですね。

それは「革新三目標」ではなく、「国民三目標」なんですよね。革新だから三目標を掲げるんじゃなくて、国民三目標を実現するために国政を「革新」しなければならないのであって、それを「刷新」と言おうと「維新」と言おうと、それはどうでもいいんです。

例えば保守の立場でいうと、「戦争をするな、法治国家を守れ、国家をハイエナの餌食にするな」ということです。

「連合」はどの点を見ても落第です。大企業のためになることなら武器輸出も原発再開も大賛成です。

話が飛んで飛んで、まるっきり見えなくなってきました。

とにかく今度の沖縄選挙は辺野古じゃないんです。大阪の闘いがあって、東京の闘いがあって、その中から教訓を学び取って、これでやって行こうという闘いなのです。

県立「群馬の森」公園にある朝鮮人強制連行犠牲者の追悼碑が撤去される可能性がある。
経過はきわめて醜悪だ。「はだしのゲン」事件と同じで、ヘイトスピーチを繰り返している団体が撤去せよとねじ込んだ。これに対して県の側が折れてしまった。
細かい経過はいろいろあるが、事態の本質は変わらない。今後色々右翼が難癖をつけてきたら、全部飲んでしまおうということだ。それは脅迫への屈服であり、最悪の「事なかれ」主義である。
埼玉では「憲法守れ」という叫びを読み込んだ俳句が掲載不許可になった。
「いろいろ議論のある政治的課題については慎重を期したい」ということだそうだが、撤去や掲載不許可をもとめる動きは明らかに政治的キャンペーンである。それに屈するというのは、民主主義からの逸脱であり、それ自体がまごうことなきネガティブな政治行動なのだ。これでは法治国家の体をなさない。
依るべき民主主義の原則はどこにあるのか、役人としての矜持が問われるのではないだろうか。
それとも「民主主義」そのものさえも「政治的課題」になってしまうのか。「民主主義」と言ったら「御用!」なのか

「憲法を守れ!」はたんなるシュプレヒコールではない。役人に対する命令でもあるのだ。役人の行動規範の原点なのだ。その命令を受けて立つ気がないのなら、役人をやめるべきだろう。

「イスラム国」を調べる。

かなりの大仕事になりそうなのを覚悟で、「イスラム国」について調べてみる。

グーグル検索の上から順に行く。

最初はハフィントン・ポストの8月22日付記事 「イスラム国」が警戒すべきイスラム過激派だとわかる「驚愕のデータ」

「イスラム国」(IS)は、アルカイーダの分派で、以前はISISと称していた。3万から5万の戦闘員を擁していると推定される。その多くが元イラク陸軍兵だが、海外から来た者も多い。ある報道では1500人はイギリス国籍だという。

彼らはシリア陸軍を奇襲し、大量の物資や武器弾薬を奪った。ついでモスルを占領して、複数の銀行から数億ドルの現金を強奪した。またイラク陸軍からも数億ドル相当の軍事物資を手に入れた。

「イスラム国」は複数の油田やガス田を支配下に置き、闇市場で石油とガス資源を売り、1日あたり300万ドルの収入を得ている。

次もハフィントン・ポストで8月30日付の記事 イスラム国の恐怖支配が終わりそうにないことがわかる「仰天データ」

8月19日、「イスラム国」はアメリカ人ジャーナリストを処刑し、その動画を公開した。首を切り落とした男はロンドン出身者とされる。

難民の数は相当ばらつきがあり、国連(人権理事会)が120万、UNHCR が50万人と推計している。

次が8月29日付の記事 「イスラム国」とはどんな過激派組織か? 宮田律氏「日本も無関係ではない」

「イラクの聖戦アルカイダ組織」(懐かしのザルカーウィ)出身者らで構成される。最高指導者はアブ・バクル・バグダディ。

かつては「イラク・イスラム国」を名乗ったが、11年以降、シリア内戦に介入して「イラク・シリアのイスラム国」に改名。

2014年2月、シリアからの撤退命令を拒絶しアルカイダとの関係を断絶。シリア東部を制圧した後、同年6月、イラク西部や北部へ一気に侵攻した。

イラク第2の都市モスルを制圧後、イスラム国家の樹立を宣言して、名称を「イスラム国」とした。

8月に入って、クルド人自治区の主要都市アルビルに迫った。これに対しアメリカ軍が介入し、空爆を開始した。

これでハフィントンポストを終わり、次はウィキペディア

歴史がかなり詳しい。

2000年にザルカーウィがヨルダンで結成したのが「タウヒードとジハード集団」で、2003年にイラク戦争が始まるとイラクに潜入し、「イラクの聖戦アルカイダ組織」を名乗った。

2006年にイラク人民兵の主流派と対立し、他組織と統合。「イラク・スラム国」を名乗る。これは組織の主体が外国人義勇兵であったためとされる。

以降、イラク各地で爆弾テロを繰り返してきた。

2013年にシリアのアル・ヌスラ戦線と合併し「イラクとシャームのイスラーム国」に改称、シリア内戦への関与(とくに自由シリア軍への攻撃)を強める。

アルカイダのザワヒリは、シリア干渉を認めず解散を命令したが、「イスラム国」はこれを無視して活動を続けている。

2014年2月、アルカイダは「イスラム国」とは無関係であるとの声明を発表している。シリア反体制活動家は、「アサド大統領よりも酷い悪事を働いている」と語っている。


とりあえず、このくらい分かればよいか。

いま、イラクのアメルリ(Amerli)での戦闘が焦点となっている。

*この事件が起きるまで、この街はまったく無名の街だった。今でも、Amerli なのかAmirli なのか分からない。ただ、こういう時はアルジャジーラかBBCにしたがうものと相場が決まっている。両方ともAmerliなのでそちらに統一する。

アメルリは6月以来「イスラム国」軍の包囲下にあり、住民虐殺が憂慮されていた。昨日8月31日にイラク政府軍が包囲網を突破し、市内に突入した。これに前後してアメリカ軍が空から援護を行った。

ところが、アミルリのニュースはゴマンとあるのにアメルリについて解説した記事はひとつもない。

英語版Wikipediaですら、ニュースの後追いだけだ(WikipediaはAmirli派)。

一応拾っておくと下記の通り。

人口1万5千人 シーア派少数民族トゥルクメン人(Shia Turkmen)の街, 6月以来 イスラム国家」軍に包囲されている.

国連代表者は、「状況は絶望的だ。市民の虐殺を防ぐため緊急行動が必要だ」と述べている。

8月31日に、イラク軍が市内に入り市民の歓迎を受けた。

amrirumap

グーグルマップに加えましたが、アメルリを間違えました。もっともメディアに比べれば可愛い。


アミルリ全景

アメルリの街の全景です。山際のオアシスの町だということが分かる。


アミリル

6月、「イスラム国」軍の包囲


アミリル防衛

A small town Amirli has a Turkmen majority, 400 locals men & women are defending themselves

この町が有名になったのは、住民が自衛団を組織し、2ヶ月にわたり籠城戦を戦い抜いたことだ。政府軍やアメリカ軍の援助は市民たちの闘いの後に始まった。なにか「7人の侍」を思い起こす。

それにしてもおばさんたちにカラシニコフは似合わない。


一応、不十分ながら包囲戦の経過を記しておく。

2月 アルカイダ内の超過激派が、ISISを結成。

6月 ISISがモスルを占領。イスラム国家の樹立を宣言。

アメルリはバグダッドから北に150キロ、サラハディン州の町。人口は約1万7400人。うち約1万人が女性と子ども。シーア派が多いがスンニ派も混住する。(5千人との記事があるが、5千世帯の間違い)

6月 ISがアメルリを攻撃。包囲戦に入る。イスラム国はトルクメン人を異教徒とみなし、シーア派を背教者とみなす。

電気や水道が遮断され、医薬品が底をつき、食料も不足(24日CNN)

国連のニコライ・ムラデノフ特別代表、「アメルリの住民は絶望的状況に追い込まれている。虐殺が起きないよう直ちに行動すべきだ」とする声明を発表

8月26日 イラク政府、軍のアメルリ派遣を決定。

8月27日 米政府当局者が、空爆と人道支援物質の投下を検討していると語る。アルビル、センジャール、モスル・ダムに続き4地域目。

8月30日 米政府、イラク政府の要請を受け人道支援物資を投下したと発表。活動を援護するため過激派組織への空爆を実施。

8月31日未明、米軍がイラク北部アメルリでイスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国」に包囲されている住民に人道支援物資を投下するとともに、アメルリ周辺のイスラム国の戦闘部隊に対して、3波にわたる空爆を実施。物資投下には、英仏豪3か国も参加。

31日、イラク軍がアメルリに進撃。シーア派民兵も加わる。クルド人の民兵組織も

09月01日 イラク軍は地上作戦を展開し、アメルリをイスラム国から奪還。周辺の町村も解放し、軍の制圧下に置く。


感想としては、アメリカの決断は容認しうるものだということ。ただ、イラク政府の要請に基づくものであること、ISの蛮行を阻止する目的であること、救援を主目標とする限定されたものであること、イラクに混乱をもたらした過去の行動について深く配慮したものであることが要求される。



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