鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2014年09月

ベーム指揮 ウィーン交響楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団
  テレサ・シュティヒ=ランダル(ソプラノ)
  イーラ・マラニウク(アルト)
  ヴァルデマール・クメント(テノール)
  クルト・ベーメ(バス)
  録音:1956年11月 ウィーンでのライブ録音(モノラルだが擬似ステ化)

このモーツァルトのレクイエムには度肝を抜かれた。キリエは壮大にして悲劇的なフーガ。激しく咆哮するレクイエムなのだ。
モーツァルトの最晩年がシュトルム・ウント・ドランクと重なったとしてもなんの不思議もない。フランス革命の2年後であれば、こうあるべきかもしれない。ベートーヴェンの獅子吼とは違う。それはモーツァルトの獅子吼なのだ。
ベームの演奏は、古楽器の連中があれこれと解釈するよりは、はるかに説得力がある。
音は1956年らしく貧弱だ。高音はひしゃげ、強音は潰れている。ライブだというからさらに条件は悪い。しかしsれを乗り越えて迫ってくるデモーニッシュな迫力がある。
これまではコリン・デイヴィスとドレスデンのライブ盤を愛聴してきた。多分それは変わらないだろうが、なにか疲れた時に、がーんとこれで一発かましたい感じにさせる演奏である。

それにしても、久しぶりに聴くとデイヴィス盤はいいなぁ。小さな音で再生すると、音が遠くで鳴っているようなくぐもった感じだが、音量を上げると部屋中が音で満たされる。
大編成で、残響が多い環境での演奏なのに、リズムがしっかりしていて崩れがない。だから濁りが最小限に抑えられてクリアーである。

寡聞にして知らなかったのだが、南アルプスの真下をリニア新幹線が通ると、大井川の流量が毎秒2トン減るのだそうだ。
「まぁ、そういう計算もあるのかな?」くらいに思っていたのだが、この推計はほかならぬJR東海の発表したものなのだそうだ。だから、少なくとも政治的には争いようのない事実である。
大井川下流の島田市は猛反対してる。当然だろう。島田を含む下流7市の現在の水道利用量は毎秒約1.39トンなのだそうだ。
この記事には、元々の流量がどのくらいなのか、毎秒2トン減ってどのくらいになるのかは書かれていない。しかし由々しき事態であることは間違いない。
大体、リニア新幹線は東京都名古屋の人だけに役立つものであって、静岡には何のメリットもない。昔からJRは静岡の人を馬鹿にしている。時々ひかりもイヤイヤ停まるが、ほとんど素通りだ。東京からこだまに乗ってご覧。一つ置きに「通過列車待ち合わせ」だ。おまけに後から後から駅を作るものだから、今では昔の準急並だ。おかげで空いているといえば空いているのだが、今度は空いているからと本数を間引く。
結局これがJRの葛西社長のやることだ。いっそ静岡県は新幹線から通行料をとってやればいい。JRから水道料をとってただにするというのはどうか。

時節柄あまり良い例えではないので気が引けるが、「歴史を偽造するものは誰か」を読んだ感想。
可愛い女の子がいて、近所に変質者がいたとする。
この子をとっ捕まえて、嫌がるのを無理やり車に押し込んで連れ去る。これは立派な誘拐だ。
しかしキャンデーをあげて、「もっと欲しかったらついておいで」と騙して連れ去ったら、これは誘拐ではないのか?
確かに誘拐という行為は、強制を伴うわけで、連れ去る行為において誘拐行為であったか否かも問題にはなる。しかしそれは事の本質ではない。誘拐の本質は監禁にある。もっと言えば監禁して慰みものにしようという邪悪な意志にある。
もし少女誘拐事件で裁判になったらこういうことになるだろう。
暴力的に連れ去ったのではなく、自発的についてきたのだとしたら、それは情状酌量の余地を残すだろう。しかし誘拐罪という罪名はそれによって消え去ることはないだろう。

それでは下記のような事例はどのように判断されるだろうか。
「帰宅する途中、釜山駅近くの路地で日本人と朝鮮人の男性二人に呼び止められ、『倉敷の軍服工場にお金を稼ぎに行かないか。』と言われ、承諾もしないうちに、船に押し乗せられてラバウルに連行された」
「『日本人の紹介するいい働き口がある』と聞いて行ったところ、日本人と朝鮮人に、芙江から京城、天津を経て〈中国各地の慰安所に〉連れて行かれた」
「日本人と朝鮮人が来て、『日本の工場に働きに行けば、1年もすれば嫁入り支度もできる。』と持ちかけられ、断ったものの、強制的にラングーンに連れて行かれ、慰安所に入れられ〈た〉」
「日本人と朝鮮人の青年から『金儲(もう)けができる仕事があるからついてこないか。』と誘われて、これに応じたところ、釜山から船と汽車で上海まで連れ て行かれ、窓のない三〇ぐらいの小さな部屋に区切られた『陸軍部隊慰安所』という看板が掲げられた長屋の一室に入れられた」
これらはすべて強制連行と認定されている。  広島高裁判決(2001年3月29日)

ついでに下品な話。むかし学生時代、こういうヒソヒソ話があった。「強姦するとき、ハンカチ1枚下に敷いてあれば和姦で、強姦にはならない」
「まさか?」と言わせるための「都市伝説」だが、もし、まじめに考えている人がいるとすれば、それはほとんどキ印である。それが世間の常識ではないだろうか。

 「浮浪児」について調べたり語ったりするのは、気の重い仕事である。明白に差別する側にいた自分の記憶が浮かび上がるからである。

「浮浪児」、あるいは「浮浪者」は歴史的な言葉で、今では死語ないし差別用語に属するものであろう。

私が子供の頃、浮浪児はかわいそうな人達というよりは怖い人達と受け止めていた。「悪いことをすると橋の下に捨ててくるよ」とか「サーカスに売って しまうよ」というのが母親たちの最高の脅し言葉だった。

だから道端でコジキをしている子供を見たり、サーカスで子供の芸人を見ると、怖さが先に立って、な るべく見ないようにしたものだった。

さんざん子供を脅かすくせに、乞食や傷痍軍人がいると、親は私に10円玉を渡して「やって来い」と命じるのだった。私はうつむき加減に目を合わさないようにして、恐る恐るかごにお金を入れると、一目散に逃げ出したものだった。

いま考えると、あの頃の大人はずいぶん薄情だったが、情は濃かったかもしれない。


私たちは毎日、仕事の行き帰りにホームレスを見ながら生活している。「それと同じではないか」と思うかもしれないが、やはり違うのである。

金田茉莉さんは下表のように整理している。


ホームレスと浮浪児の違い

   現代のホームレス  戦後の浮浪児
年代   成人した大人
   働ける年代である
  15歳以下の子ども
   働けない。保護が必要
寝る所   公園などに空色のテントなど
  張って、その中で寝る
  地下道などコンクリートの上で
  ごろ寝する
食べ物   賞味期限のきれた残飯はある
   ゴミ箱には食べ物がある
  食べるものが何もない
  物乞いするか、盗む
衣類   棄ててある衣類がある
  衣類には困らない
  衣服はボロボロ、垢まみれ
  虫がゾロゾロいる
家族   どこかにいるだろう
  親から独立した年代
  両親がいない。誰にでもある
  家庭そのものがなかった
学歴   義務教育(小中学校)は終了   小中学校さえいけなかった
 
浮浪児というのは戦争という理不尽の、あまりにも理不尽な結末なのだ。(ホームレスが理不尽でないとは言わないが)

最後に、金田さんのホームページ「戦災孤児」は膨大な内容をふくんでいるが必ずお読みいただきたい。

 

前の記事で、戦災孤児というのがどのくらいいたかはわかった。しかしそのなかで浮浪児となったのがどのくらいいたのかは良くわからない。

戦災孤児の数字ですら、厚生省が正式に発表したものはないのだから、浮浪児の数など分かるはずはない。もっぱら警察の資料からうかがい知るのみだ。

敗戦直後の日本における浮浪児・戦争孤児の歴史」 教育学部の逸見 勝亮さんという方の書いた論文がある。

この論文は①「浮浪児」の数と実態、②浮浪児を収容した施設の実態、③浮浪児の立ち直りを描いた菊田一夫の「鐘の鳴る丘」に対する評価の三部に分かれている。

この内の①に関する記述の一部を概略紹介する。なお原文は西暦を用いているが、私としては昭和のほうが実感が沸くので、そちらで表記する。


浮浪児はどのくらいいたか 厚生省の調査

浮浪児・戦争孤児は、戦争未亡人・復員兵ともに、疲弊し混乱していた敗戦後の日本社会を象徴する社会現象であった。

昭和23年厚生省調査では、このような浮浪児・戦争孤児は12万3,500人とされる。

ただし、戦後の混乱期ということもあり、満足できる統計資料はほぼ皆無である。逸見さんは下記の諸資料より検討を行っている。

①厚生省児童局「浮浪児保護状況調」

この調査によれば、21年4月~22年4月の間に、施設に「保護(収容)」されたり、保護者などに引き取られた浮浪児は15,501人だった。性別では男12,662人、女2,839人である。

このうち3,510人は、複数回の再収容者であった。

(“保護”されていない浮浪者は当然数に含まれていない。彼らの多くは“保護”を恐れ逃げまわっていたことに留意しなければならない)

②厚生省児童局調査(21年6月15日付)

この調査によれば、要保護浮浪児は5,485人で、そのうち4,013人は養護施設に入所しており、1,472人は街頭にいた。

(“保護”率は73%ということになる)

③厚生省養護課(22年8月30日現在)

『朝日年鑑』(昭和23年版)からの引用である。この調査で、浮浪児は推定3万5,000人とされる。うち1万6,145人は施設に収容されていた。

(“保護”率は46%ということになる)

④厚生省児童局調査(昭和24年10月末)

調査の原本は所在不明である。この調査を引用した朝日新聞の記事が紹介されている。

「六大都市をはじめ全国各地にはまだヨモギ頭にボロの夏シャッツで震えている浮浪児が約三万近くいる」


浮浪児はどのくらいいたか 警察の調査

厚生省の調査が、調査とはとても言えないものであったのに比べ、現場で“対応”した警察の“実績”のほうが“正確さ”においては優っている。

ただ警察が対応した理由は、彼らが“目障り”だったからであり、対象は“体裁上目障りな浮浪児”に限定されていると見なければならない。

⑤国家警察本部の調査(23年4月末日現在)

23年4月末時点で、浮浪児の数は2,513人(男2,124人、女389人)であった。

3月末の浮浪児は767人であり、1ヶ月に1,745人増加したしたことになる。そのうち1,508人が「保護(又ハ収容)」下にあった。

⑥警視庁が「保護」した浮浪児

1950年中に4,358人が保護された。うち男が3,786人、女が572人であった。1951年中には2,472人が「保護」された。(警視庁の「保護」というのは浮浪者狩りという捕獲作戦である)

警察署毎「保護」数では、上野署が1,144人、浅草署が805人、丸の内署が437人で、ほぼ半数を占めた。要するに彼らがいると“目障りな”場所に集中している。


どうして浮浪児になったのか

厚生省にはこれに関する調査はないようである。逸見さんが見つけ出したのが第4回警視庁統計書という数字である。

これは終戦から6年を経た昭和26年の、東京都下に限られたデータである(!)

この調査では「保護」した2,472人の浮浪の原因《表-6》と浮浪中の「生活手段」《表-7》について分類されている。

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まず原因であるが、戦災に起因する孤児は669人(27.1%)、「外地引揚」すなわち引揚孤児は76人(3.1%)であった。家出は617人(24.9%)、「浮浪癖」が735人(29.7%)を占めた。

それでも、身寄りのない浮浪児が1,085人(43.9%)だったことは、控えめに告白されている。

一言で言えば、浮浪児とは「家出した戦災孤児」 ということだ。

こちらははるかに対象数が少ないデータであるが、終戦直後であること、浮浪者を犯罪者扱いはしていないことで貴重だ。

1945年11月の浅草東本願寺厚生会浮浪者収容所の浮浪者調査である。調査対象の浮浪者は205人で、19歳以上が132人なのに対し、18歳以下は73人(36%)だった。この73人について分類すると、戦災孤児が47人(64.4%)、両親のいずれかと浮浪していた子どもは8人(11.0%)だった。

浮浪児の多くが家出によるもので、食糧事情の逼迫、戦災による住居の狭隘、放任又は虐待などを理由としていた。

と、書いているだけで涙が出てくる。「家庭の不和」というのは、そもそもそこが「家庭」ではなかったからだ。「都会へのあこがれ」はふるさと東京への思い、「食糧事情の逼迫、戦災による住居の狭隘」というのは、要するに食べ物も与えられず、寝場所も与えられず、家を追い出されたということにほかならない。こういうのを「家出」とは言わない。言ってはいけない。


浮浪児の生活

「第4回警視庁統計書」に戻る。浮浪中の生活手段では、バタヤ・モク拾い・新聞売・靴磨などともかく働いていた浮浪児は849人(34.3%)であった。

いっぽう、窃盗(掻払い、スリ、その他)・売春など犯罪行為で糧を得ていたものが613人(24.8%)にも達した。浮浪児が忌み嫌われる所以である。

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浅草東本願寺厚生会の調査でも同様の傾向が窺われる。貰い・残飯あさり(乞食)が最も多く、靴磨きなどいわゆる街頭労働が続いている。注目すべきは「生活手段なし」と答えたグループで、このなかには常習的な掻払い4人、売淫6人がふくまれ、恐喝その他の犯罪行為を行つている者もいる。

調査者は以下のように総括している。

彼らは決して一人では生きてゐない。街頭児の大部分は純然たる戦災孤児であり、その街に生きてゐくためのグループとして、極めて自然発生的な、純情的なものであつた。

中には年長浮浪者の悪影響をうけて、単純な浮浪から、次第に反社会的な傾向を身につけてゆく者も認められる。その背後には成人の浮浪者や職業性犯罪者、組織的暴力団の暗躍が認められている。

ところが、その後、一年もすると街にすむかれらの結合状態が非常に変化して来た。グループの元締を街の兄貴や、闇商人、第三国人がにぎつてゐる。

東京都民政局(A)と中央児童相談所資料(B)によれば、

①貰い:Aでは70%、Bでは52%の浮浪児が、「切符売場で釣り銭をもらつたり、待合室で弁当を使う客に手を出して食を乞ふ」ことで腹を満たそうとしていた

農村で物乞いするのを「田舎まいり」と称した。留守の農家では忍び(コソドロ)に早変わりする。それは地下道生活の息抜きにもなり、狩込み逃れの手段でもある。

②闇屋手伝い:上野駅で「親分の手先になつて」働いた。

③掻っ払い:上野駅乗降客の所持品、売店の商品、焚屋(料金を取って焚き火に当たらせる業)客の所持品を盗み、闇市へ転売した

④新聞売り:1部1円(小売り)で購入し、1円80銭~4円で売りつけて、差額を得た

⑤煙草拾い・煙草巻:煙草の喫殻を拾い集め、1本分1円で売った。喫殻を買って巻いて売るのが煙草巻である。

⑥靴磨き:道具・靴墨に500円要るので「浮浪児は次第にこの商売から姿を消しつつある」という

⑦スリ: 数人が連携し安全剃刀を用いて、乗客の着衣・所持品を切り裂いて金品をすり取った。殆ど親分や兄貴分の支配下にあり、稼ぎは全部吸い取られた。稼ぎに応じて食費と外食券、宿泊費が分け与えられた

⑧その他: 急行列車の切符を買占めて売るダフ屋、列車を待つ列に並び場所を売るショバ売り、売春の手引き。


“歴史を偽造するものは誰か―「河野談話」否定論と日本軍「慰安婦」問題の核心”

という長大論文が出た。思わず身を引きかけるが、やはり読んだ上で中身を紹介しなければならないだろう。

要するに「吉田証言」問題と、これを利用した大キャンペーンへの反撃である。基本線は前の志位論文と変わりはない。

その前に、参考までに、これまでの歴史認識をめぐる原稿を表示しておく。

             

政池仁という人がいた。

戦前、キリスト教の立場から非戦論を唱えた人である。

松下芳男の「三代反戦運動史」の中で紹介されている。こういう読み方をしているから、読書がいつまでたっても進まない。

略歴を見ておこう。

1900年の生まれ。東大理学部科学科を卒業。在学中に内村鑑三の聖書研究会に参加。28年に静岡高校化学科教授に就任。

33年に「子どもたちに平和問題を語った」ことから職を失う。その後東京で独立伝道を開始。

33年に出版した「キリスト教平和論」は、まもなく発禁処分となり罰金刑を受ける。

44年6月には憲兵隊に連行され取り調べを受けたが、当日深夜に帰宅を許されている。

戦後の活動については省略する。


京大の雑誌で菊川美代子さんという方が「政池仁の非戦論」という論文を書いている。以下はその読書ノートである。

1.非戦論と反戦論

政池仁(1900-1985)は、無教会主義の創始者である内村鑑三の直接の弟子である。政池は、アジア・太平洋戦争に際して、信念に基づいた「信仰一本槍」の絶対非戦論を貫き通した。

政池は1935年に『愛国者の平和論』、36年に『基督教平和論』を発表し、非戦論を明らかにしている。

非戦論とは「戦争を道徳的又は宗教的又は経済的に否定するもの」で、国法を重んじ、たとえ自らの主張に反することであっても、国家の命令であればそれに服従して開戦の際には徴兵にも応召する

とする。だから実践的には応召を拒否する反戦論とは決定的に異なる。

安藤肇はこのような考えを

「開戦となれば、政府に協力するという含みを持った平和運動は、戦争を強行しようとするものには、何の脅威にもならない平和運動」であり、「賢明な軍国主義者たちであれば、かえってこうした平和運動の存在を喜ぶであろう」

と切り捨てている。(安藤肇『深き淵より―キリスト教の戦争経験』1959 長崎キ平)

つまりこのような非戦論は、強力な反戦運動の存在を前提として、いわば「折衷論」として成立したものといえる。しかしそれが反戦運動が消滅したあとどういう運命をたどるかは、理論ではなく論者の“誠実性”に関わっていくことになる。

2.十戒の現実への直接導入

政池の非戦論を貫く論理は、殺人は良心に反するから道徳的に悪であり、したがって殺人を必然的に伴う戦争もまた道徳的に悪である、という単純明快なものである。

戦争は先づ第一、人を殺す事を許します。「汝殺す勿れ」と聖書に書いてありますが、之は聖書に書いてあらうとなからうと・・・・・・何人の良心にも聴える天の声であります。

殺す事は何故悪いか、その理由は倫理学者の暇つぶしに考へて貰へばよい事であります。

…たとひ戦争が国家にとつて利益であつても、又世界の人類を幸福にするものであつても、してはならぬと言ふのであります。

政池はキリストの再臨によってのみ「永遠の平和」が到来すると考えていた。しかし再臨の時まで何もせず過ごすのではなく、「主の再臨を早める」ために全力を尽くして非戦論を唱えるべきだとした。

ここから先は、ちょっとスピリチュアルな話になるが、

神は「人間が自分で発達し、自分で神を発見する様に、ご自身は匿れてゐて教育」している。したがって、非戦論を唱えるのは、人間が神を発見することを助ける行為となるのである。

3.絶対無抵抗主義

絶対無抵抗主義は政池の思想の弱点を表している。

政池は、「『愛する者よ、自ら復讐すな、たゞ神の怒りに任せまつれ』(ロマ書)を根拠に絶対無抵抗主義を唱えるが、自分の責任の範囲内の不義に対する力の行使は除外される。

例えば子供に対するしつけなどに相当する。したがって支配者がふるう暴力は容認されることになる、という矛盾を持つ。

若し私が一国の治安をゆだねられた者であるならば、私はその国内の不義を許してはなりません。不義を討伐するためには剣をぬくもやむを得ません。

戦後の政池は、労働運動やストライキを、まさにこの「無抵抗主義」の論理から認めなかった。


ということで、理論的には弱点は見いだされるが、政池の存在意義はそんなところにあるわけではない。同時代を生きた人々には、「そんな程度で偉そうな顔をされても困る」くらいの気持ちであろうが、左翼運動が死に絶えた中で、かすかな平和の灯を守った勇気と信念には敬意を払うべきであろう。一時拘束が1回あったきりで、終戦まで逮捕されなかったという身のかわしの旨さも特筆モノだ。


政池の限界を厳しく指摘している安藤肇さんという方の文献を探したが、ネットでは見つからない。長年千葉で教会幹部を勤め、民主勢力の重鎮としても活躍、最近亡くなられたようだ。


消費税再引き上げ反対  5つの使えるグラフ

消費税引き上げに賛成する人は、

*社会保障が大事だから仕方がない。

*財政が大赤字だからしかたがない。

*国際競争力を守るために法人税の減税は仕方ない

と思っているのだろう。

それに対する有無をいわさないデータを示す必要がある。

1.引き上げやむなし論には根拠が無い その1

消費税増税は法人税減税へ。法人税を減らさなければ消費税を増やす必要なし

税収内訳推移

A) 平成元年の消費税導入後、税収は所得税に平行して下がっている。

B) 消費税導入、5%への引き上げはすべて法人税減税によって相殺されている。

C) 平成15~19年の税収増は、法人税増収によりもたらされている。

2.引き上げやむなし論には根拠が無い その2

財政バランス推移

プライマリー・バランス(対GDP比)の推移。97年の消費税導入後に、財政悪化が急速に進行した。03年7.2%が07年には2.1%まで改善している。リーマン・ショックがなければ2010年には財政赤字は解消されていたはず。

その間、消費税は上げられていない。景気の拡大があれば、財政赤字の克服は困難ではないということだ。しかし消費税は景気縮小にはたらく。

3.問題は歳入欠陥だ

世界の直接税

OECD諸国における租税負担率(2009年)において、日本は最下位。

4.所得税の減少に歯止めをかけなければならない

税率構造

税制について考えてみよう(財務省) より

5.事業主が責任を果たせば社会保障は維持できる

社会保障財源の推移

社会保障というものは、本来保険料によってすべて賄うのがたてまえ(国民保険・年金を別として)。しかし保険料が頭打ちとなる中、公費負担の割合がどんどん大きくなっている。

96年までの伸びが確保できていれば、公費負担はほぼゼロとなる。とくに事業主の負担が割合だけでなく実額でも減っていることは大問題だ。

今朝、NHKの「お茶の間フォーラム」みたいな番組で、「消費税増税実施すべきか否か」の話をしていた。増税推進論の代表として大和証券のアナリストが出てきた。
昨日大和総研を褒めたばかりなのに、とんでもないことをしゃべり散らしていて、かなり腹がたった。
司会者が「消費税、上げるべきと思いますか」という問いに、「上げざるをえないでしょう」と答える。しかもなぜ「上げざるを得ないのか」について満足な理由を上げられない。
問題なのは、その答えが答えになっておらず、はぐらかしでしかないということだ。議論に参加しているみんなは、必要かどうかという問題と、可能かどうかという問題を、それぞれに勘案した上で、「適切かどうか」という判断をしようとしているのだ。
結局、これは高村副総裁の「国際信用を失う」論につながっていく。
これは2つの点で間違っている。
まずこれは無責任な「撃ちてし止まん」論だということだ。日米開戦時の「やむを得ない」論と同じだ。
第二に、格付会社の幹部が言うように、「国の信用は経済のパフォーマンス次第だ」ということだ。消費税引き上げを実施すれば、破局に至るかどうかは別にしても、間違いなく経済は悪化する。そちらのほうが「国際的信用」にとってははるかに重大なのだ。アメリカの市場関係者や経済メディアは一致して、消費税引き上げ断行を憂慮している。


茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」にピート・シーガーがメロディーをつけている。その曲がyoutubeにアップされている。ピートのお弟子さんが歌っている。解説によると、ピートが67年に来日した時、ある雑誌でこの詩を識り、曲とコードを書いてコロンビア・レコードに録音したのだそうだ。

<茨木さんは84年にピートのコンサートに出演し、日本語でこの詩を朗読したそうだ。

茨木さんが2006年は亡くなった。それから4年後のある日、ピートはバンジョーの授業をやめて、こう言った。「こんな曲を聞いたことがあるかい?」

そして私に歌って聞かせた…

ただし大変失礼ながら、この人はうまくもないし、分かってもいない。演奏を聴くならこちらのほうが良い。


歌詞の一部を紹介すると

When I was most beautiful
Nobody gave me kind gifts.
Men knew only to salute
And went away.
When I was most beautiful
My country lost the war
I paraded the main street
With my blouse sleeves rolled high

となっていて、ちょっとぴんとこない。

「美しい」はbeautifulではなくbrilliant、kindはsincereのような気もするのだが

何よりも「卑屈な」がない。「美しさ」は「卑屈さ」に対比されている。のり子は手のひら返しの卑屈さに怒っている。だからあえて、卑屈でない自分を「美しい」と表現するのだ。ナルシズムではない。

確かにメロディーにはキラっと光るものがあるのだが…

なんとかこれを日本語の原詩で歌えないものだろうか。

大和の想定グラフはなかなか面白いので別掲する。

空洞化と原発停止


空洞化と原発停止が貿易収支に与える影響を見たものである。2013 年時点で 11.5兆円ある貿易赤字のうち、約 7 兆円が空洞化、約 4 兆円が原発停止に伴う輸入増の影響によるものである。


というのが説明。「原発停止による」というのはちょっと不正確で、「原発停止に伴う石油・液化ガスの輸入増による」である。

絵の作り方も若干意図的で、空洞化の影響を下線にすれば、空洞化に比べ影響は少ないことが分かる。

つまり原発再開を願って作ったグラフが、はからずも空洞化の影響をさらけ出したことになる。

さらに言えば「円安」の影響というのも、円安にもかかわらず輸出が伸びないがための“影響”であり、広義の空洞化である。

結論から言えば、財政赤字の原因の殆どは大企業の海外逃避に伴うものなのだ、といえる。


政府の経済見通しが発表され、金融系の各シンクタンクがコメントを発表している。

まずは「みずほ」(9月9日)の見解

7~9月期には駆け込み需要の反動が徐々に薄れる、公共事業の執行が進む、ということで前期比年率+4.7%と強気の読み。

さらに年度後半は個人消費の持ち直しや設備投資の増加が続く、とし、通年で実質GDP成長率は+0.5%と予測する。

要するに政府見通しそのままだ。率直にいって、「みずほ」はやばいと見るべきだろう。

三菱UFJも同じ日に見解を発表

基調は同じだが、もう少し慎重な読みとなっている。

4~6月期の特徴を設備投資の下方修正と、在庫の増加とし、マイナス要因を先送りしていると指摘する。

いっぽう7~9月期についてはかなり大胆に予想しており、景気が後退期に入ることは回避できる、消費税率の10%への引き上げを決定する障害にはならないと断言する。

通年の実質GDP成長率は+0.2%と予測。下振れ要因として夏場の天候不順の影響、在庫を急速に調整する動き、海外経済の悪化により輸出が低迷する場合を上げている。

ただ両者ともに7,8月の動向を織り込んでいない。消費税増税に伴う悪影響がおおむね一巡し設備投資が増加に転しる、在庫整理にメトがつく、という織り込みはかなり狂っているはず。

さらに、実質賃金の低下や、空洞化と輸出の停滞という構造要因も織り込まれていない。

大和総研はもう少し踏み込んで分析している。

1.設備投資の減少は前期比▲5.1%と想定以上である。政府見通しは大きく下方修正された。

2.在庫の増加は、駆け込み需要によって減少した在庫の復元ということになっているが、内需の低迷に起因した部分もあるとみられる。

3.個人消費の5.1%減がどこまで駆け込みの反動か、どこまで実質所得の目減りによるものか。実質所得減による消費減は回復することはない。4~6月期では判断がつかない。

4.貿易赤字の二大要因は続いている。円安効果を空洞化が相殺している。貿易赤字11.5兆円のうち、約7兆円が空洞化、約4兆円が原発停止に伴う輸入増によるとされる。

第一生命は7月以降の動向も読み込んで、より厳しく見ている。

7月の個人消費関連指標や鉱工業指数は低調さが目立つ。とくに個人消費については予想以上に回復が鈍い。

4-6月期に積みあがった在庫を抑制する動きも下振れ要素だ。

7~9月GDPは前期比年率+4.0%と予想されているが、9月初め時点での感触ではそれを下回る可能性が高い。

むかし、デートというのは歩くことだった。
思えばすさまじい距離を歩いたものだ。
とにかく行くところなどないから、ただひたすらに歩いたのだった。

新幹線で京都まで行った。彼女は同志社に行っていた。駅からバスに乗って、彼女が好きだという大徳寺に行った。
門を入ると広い砂利道がどこまでも続いていた。大徳寺というのはお寺の集合体らしい。道の両側は白壁がどこまでも続いていた。
1月末の境内に客の居ようわけがない。どこまでも二人だけだった。
手などつないだ憶えはない。なにか喋った記憶もない。ただ黙々と歩いたように思う。
時々、ちらっと彼女の横顔を覗いた気はする。彼女がこちらを見やる視線も感じた憶えもある。
寒かった。まだ昼下がりというのに、日差しは弱々しく、風が少し出始めた。その風にウエイブした髪が揺れて乱れて、時々掻き上げる指が眼に残っている。
来た道をもどって、停留所でバスを待った。「もう帰る時間だね」と言って、また無言になった。
バスは空いていた。彼女と並んで腰掛けた。そのときバスの暖気に乗って、彼女の耳元からかすかにジャスミンの香りがした。私は髪がかかるほどに耳元に鼻を寄せ、二度、三度と吸い込んだ。
彼女が石のように身をこわばらせているのを私は感じた。

なんちゃって、最後はウソ。昭和41年のこと。香水はホント。
ここだけにしておいてください。

倭国大乱から神武東征まで、私の古代史解釈を図にしてみた。神武東征から倭国大乱までではない。


1.倭国大乱

倭国大乱前

倭国大乱とは、九州連合による出雲の占領である。

出雲は九州連合を形成する天孫族(天照大御神)と同系である。私は神話に詳しくないが、スサノオはアマテラスの舎弟分であり、かなり古く(朝鮮半島時代?)に分離していると思われる。

出雲王国が滅びた頃、その他の各地は弥生人、ないし弥生化した縄文人が分布していた。生産様式は採集と稲の栽培の混淆であったが、水田の普及により、湿地帯が居住地帯となり生産力が大いに上がった。

彼らの居住地は銅鐸の出土地帯と一致するので、銅鐸人と呼ぶことにする。いっぽう、出雲族の地帯からは大量の銅剣が発掘されるが、その理由は不明である。

瀬戸内海側は島嶼が多く海路の確保が困難で、安全上の理由から東方進出は困難であったと思われる。神武東征神話にもあるように、豊前から尺取り虫のように支配関係を形成しながら東漸して行ったものと思われる。

2.邪馬台国と纏向王国

出雲を逐われた出雲族は東に進み但馬から若狭、越前にかけて新たなコロニーを建設した。

但馬の勢力はそこから内陸に進み、丹波・山城から淀川水系に達した。若狭から南下した勢力は、近江から大津、大和方面に進出し、また関ヶ原を越え尾張・伊勢に向かった。

卑弥呼の時代

彼らは在地の銅鐸人を制圧し、銅鐸を棄却し天孫信仰を強制した。当時、京都南部は氾濫原であり、大阪平野は巨大な湖の底であったから、奈良盆地が最大の穀倉地帯であった(この時点ではすでに奈良湖は消滅している)。

出雲から直接南下した出雲族は岡山に入り吉備王国に加わった。吉備王国は大和とともに前方後円墳の文化を共有している。

3.神武の東征と纏向王国の制圧

神武東征の時代

神武の出自は良く分からないが、九州王朝を代表しうる資格を持ってはいたと思う。東征の出発地が豊前であることは間違いないようだ。そこから徐々に東に進みながら各地の豪族を手勢に加えていく。そして難波津まで達する。武王の上奏文はこのことを記している可能性がある。

ここで河内湖を挟んで対岸の長脛彦とにらみ合い、やがて衝突するが甚大な被害を蒙り一時撤退を余儀なくされる。

正面突破は難しいと見た神武側は南下し、紀の川からの攻撃を試みるが、これもうまくいかない。最後には熊野川まで行き、大台ケ原を乗り越えて吉野にたどり着き、さらに宇陀まで回りこんだ末に、側面攻撃に成功する。とにかくとんでもない苦戦の末、大和盆地の占領に成功するのである。

これが西暦300年過ぎのことだ。

それはトロイ作戦や、ハンニバルのローマ攻撃を思わせる、強烈な意志を持った闘いであった。

AALAの機関紙に載せるために柳原白蓮の文章を一本化しました。

いくさは遠く根の国へゆけ 白蓮(柳原曄子)の戦後

1.下二句の力強さ

白蓮、やんごとない点では別枠だ。なにせ大正天皇の従兄弟という雲上人。

この犠牲が 世界平和の道しるべ わがをとめ等よ泣くのでないぞ

人の世にあるべきものか 原爆の いくさは遠く根の国へゆけ


いい歌だ。
ある意味スローガン的な上三句を、正面から受け止め、我がものとし、その思いを下2句で激しく表出している。それが浮いてこないのはなみなみならぬ技法であろうが、それ以上に、言葉をがっしりと受け止めるだけの内実が感じられる。
まさに気高さを感じさせる歌である。

日本の文壇では、ともすれば敬遠される資質であろう。

いくさは遠く根の国へゆけ

は、まことに素晴らしい。

戦後に出した歌集は昭和31年の「地平線」が唯一のものであるが、ここにその歌と実践が集約されている。  「地平線」は「万象」「悲母」「至上我」「人の世」「旅」「去来」などの小題をもつ317首からなる。

その内の「悲母」60首が戦死した吾が子、香織を偲ぶ歌群である。

その前に一首だけ

静かなり 遠き昔の思出を泣くによろしき 五月雨の音

これは昭和3年の歌。宮崎龍介との同棲生活が始まって、どうやら落ち着いて、まもなくのころの歌である。

この歌は“五月雨の音”が決め手だ。最初は“音”は硬いと思った。例えば“五月雨の軒”とか“五月雨の楠”とか情景を掬う方がいい。しかしその途端、歌は叙景になってしまう。ちょっと硬くても“音”でなくてはいけないのだ。音もなく降る五月雨、その音が聴覚を通じて心象と表象をつなげている。

白蓮の歌からは常に音が聞こえてくる。だからぜひ音読して欲しい。

「悲母」より

焼跡に芽吹く木のあり かくのごと吾子の命のかへらぬものか

蒼空に一片の雲動くなり 母よといひて吾をよぶごとし 

秋の日の窓のあかりに 亡き吾子がもの読む影す 淋しき日かな

夜をこめて板戸たたくは風ばかり おどろかしてよ吾子のかへると

英霊の生きてかへるがありといふ 子の骨壺よ 振れば音する

かへり来ば 吾子に食はする白き米 手握る指ゆこぼしては見つ

もしやまだ かえる吾子かと 脱ぎすてのほころびなほす 心うつろに

かたみなれば 男仕立をそのままに母は着るぞも 今は泣かねど

しみじみと泣く日来たらば 泣くことを楽しみとして生きむか吾は

戦ひはかくなりはてて なほ吾子は死なねばなりし命なりしか

身にかへて いとしきものを 泣きもせで  何しに吾子を立たせやりつる

白蓮研究者の中西洋子さんはこう書いている。

その悲しみははかりしれない。しかし一方、悲歎に暮れながらもそれに溺れることなく堪え忍び、じっと向きあっている目がある。

しかも表現は具体性をもって悲しみの情とひびきあい、また修辞的な技巧の入る余地なく、いずれも単純化された詠いぶりである。

2.平和運動の担い手への歩み

46年、NHKラジオを通じて訴えると、「悲母」への反響はものすごいものだった。彼女の主導で「万国悲母の会」が結成される。

個の悲しみを共有し、反戦に繋げようとする婦人たちの運動である。

宮本百合子との対話

49年4月の「婦人民主新聞」は白蓮と宮本百合子の紙上対談を掲載している。この中身は稿を改めて紹介する。

「誰故にこの嘆きを」 白蓮から百合子へ

あの日、日の丸の旗を肩にして「大君のへにこそ死なめといつて出て征つたあの子の姿は、胸に焼きつけられて今もなお痛む。

あのおとなしい子が人一倍子ぼんのうの両親の家を、不平一つ言わず勇ましく門出をした、あれは一体、誰故に誰に頼まれてああしたことになつたのか─と。

…思いかえせばあの戦争中の協力一致の精神…が世界平和のために湧き上らぬものかしら、この故にこそ天界…息子と地上において…同じ目的に協力したいと念じている。これが我子を犬死させない唯一の道だと思っているから。

百合子から白蓮(燁子)へ

…燁子さんににちりよつて、その手をとらせたい心にさせる。そうなのよ、燁子さん。

…あなたの愛がそんなに大きく、そんなに母として深い傷になほ疼いてゐるのに、もう一遍、その傷のいたみからかぐはしの香織 を生んで見よう、と思ふことはおできにならないかしら。

今度は戦争の兇□と非人間性に向かつて抗議し、行動する、けふといふ歴史の時代における香織を。

世界連邦平和運動の婦人部長

この宮本百合子の言葉がどう響いたかは分からないが、「悲母の会」は後に「国際悲母の会」となり、「世界連邦平和運動」に発展した。

白蓮は湯川秀樹夫人スミらとともに運動を担い、全国を行脚した。北海道だけでも後志、札幌、月寒、石狩、旭川、十勝平野、根室、狩勝、北見と連なっていく。

3.自分の運命の流れというものがある

白蓮はこんな文章も書いている。

悲母の会解消問題の起きた時、「だから先生は、歌の事さへすれば他の事は何もしなさるな」と、意見された。併し自分の運命の流れというものがある。

さらっと書いたが、泥もかぶる、まことに重い決意だ。

そして70歳を過ぎた体に鞭打って全国の講演旅行に駆け巡る。この時の歌は、芭蕉の「奥の細道」を思わせる。自然と我とが一体になった至高の歌どもとなっている。

『地平線』の作品に詠み込まれ、また注記された地名は全国津々浦々の40ヶ所におよぶ。

いくつかを紹介しておく

巡礼の心してゆく旅なれば 北のはてにも わがゆくものか

どこの国の誰が ぬれ居る雨ならむ とほくに見ゆる雨雲低し

ききほれて しづかに涙たるるなり 山河草木みな声放つ

遠つ祖の なみだに見たる秋の空 佐渡はけぶりて小雨となりぬ

4.われの命をわがうちに見つ 白蓮の最晩年

このような過酷とも見える無理の多い講演旅行は、やがて燁子の目を苛み緑内障(そこひ)に侵される結果となった。

1961年、76歳で白蓮は両眼を失明する。しかし作歌は永眠の前年まで続けられた。最後の歌は神々しいほどに響く。

眼を病めば 思い出をよぶ声のして 今を昔の中にのみ居り

なべて皆 物音たえし真夜中は 声ならぬ声のなにか聞こゆる

そこひなき 闇にかがやく星のごと われの命をわがうちに見つ

“そこひなき”は「底、比なき」であろう。彼女は視力を失ったのではなく、暗闇に落ち込んだのである。暗闇は限りなく虚空に近いが、その底に輝く星があった。そしてその星は、自らの命であった。

人間、このように一生を終わりたいものです。

(文章の作成にあたりを参考にしました)

道東地方の酪農経営について、赤旗によくまとまった記事がある。独断で編集して紹介する。

1.酪農家の離農が加速している。
「JA道東あさひ」という大規模農協があり、根室管内の別海町を中心に583戸の酪農家を組織している。この農協で昨年だけで22戸が離農した。
最近の特徴は、後継者の候補がいる農家、働き盛りの農家の脱落だ。「あさひ」の組合長は、「団塊の世代が高齢化する、これからの10年がヤマだ。109戸が離農する可能性がある」と語る。

2.牛乳生産が減少に向かいはじめた
離農者はこれまでもたくさんいた。それを周辺農家が吸収し大規模化することで生産は維持されてきた。つまりそれは酪農業の集積過程でもあった。しかし最近では離農者の生産を吸収できなくなっている。
「JA道東あさひ」の牛乳生産量は前年に比べ3.7%減少した。搾乳頭数は年間1千頭のペースで減少している。

3.離農を加速する3つの理由
ひとつはエサ代の高騰や燃油価格の上昇に伴う経営悪化、ひとつは過重労働、そしてもう一つが将来不安の深刻化だ。
*道東の酪農は巨額のインフラ整備を始め、いわば国策として展開してきた。酪農家には多額の補助金が投入されてきた。「借金も実力のうち」というが、さすがに、それは酪農家に重い負担としてのしかかっている。
*酪農家の長時間・重労働は以前から知られているが、かなり機械化により改善はされてきた。しかしそれを上回るテンポで大規模化が進んだということか。「朝夕の搾乳に10時間、家族3人で年間8千時間という長時間労働になっている」というのが組合長の話。
*酪農の施設整備には1億から1億5千万が必要だという。つまり酪農経営は拡大しなければアウト という世界だ。しかしTPPや日豪EPAなどの外圧は、新規投資をためらわせる に十分なものだ。

井上議員の質問で提示された自民党のポスター。質疑応答は下記のアドレスで閲覧可能である。
https://www.youtube.com/watch?v=7Ouad-t0KWU
ウソつかない TPP断固反対 自民党
若干字余りだが、みごとな川柳ともとれる。

TPP_イノウエ
このポスター、次の選挙ではそっくり共産党のポスターに拝借してもよいだろう。

赤旗に「若手弁護士の会」が急拡大しているニュースが載っていた。

略称を「あすわか」というのだそうだ。正式名称は「明日の自由を守る若手弁護士の会」だ。

まことに失礼ながら、「あすわか」と聞いて「明日がわからない若手弁護士の会」かと思った。若手弁護士による一種のユニオンが結成されたのかと、一瞬間違えてしまった。

さほどに若手弁護士をめぐる状況は過酷と聞いている。

とりあえず、ネット文献をあたってみることにする。

第66期司法修習生への修習実態アンケート資料 - 日本弁護士連合会

という文献がある。1年前の8/9月に実施されたものである。その一部を紹介する。

①就職活動の状況

93%の修習生が就職活動を行った。履歴書の送付件数の平均は12.3ヶ所で、ほとんどばらまき状態だ。訪問回数も平均9.2回に及んでいる。

②採用内定状況

この時点で採用内定を受けられなかったものが30%であった。就職状況の厳しさがうかがえる。

③修習辞退の意向

修習生の19%が修習辞退を考えたことがある。その多くは就職難、弁護士の経済的困難を理由としている。

④経済的状況について

不安がある/やや不安があるを合わせ69%。

コメントには以下のものがあった。

法科大学院時代(年間学費200万円)の奨学金だけで借金が1千万を越える。返済できるかどうか不安。

借金を返すために、カネになる仕事しかしなくなるのではないかと不安。

収入がないのに、健康保険が親の扶養から外される。

本人だけでは部屋が借りられない。クレジットカードも作れない。


消費税増税後の落ち込み

1.経済落ち込みの現況

A) GDPへの効果

日本のGDPはおよそ500兆円、その9割が内需になる。消費税を3%アップさせれば(増収分をすべて財政赤字補てんに回せば)、2.7%のGDP押し下げ効果になる。これをまず念頭に置こう。

4~6月期GDPは、実質で前期比1・7%減、年率換算では6・8%減。(駆け込みを織り込んだ予測では3.8%減と想定されていた。前期実績を二次速報値でとると7.5%減となる)

B) 民需御三家の総崩れ

内需は10.5%減で、そのうち民間需要は13.9%減。さらにそのうち、消費13.9%減、住宅投資35・3%減、企業設備投資9・7%減と全滅状態。

8月に入ってからも悪い数字が続く。新車販売台数は9・5%減。首都圏マンション発売戸数も49・1%減となった。

9月の政府月例経済報告で、消費税を増税したあとの落ち込みが、7月以降も長引いていることを認める。

C) 可処分所得の低下に拍車

円安物価高で、実質賃金は13カ月連続のマイナス。7月の家計調査で実質消費支出は5・9%の低下。

2.97年不況は再来するか

97年不況は生産過剰と金融危機の複合

金融を守ればものづくり産業が崩壊

外国資本の支配と外圧の強化

3.債務危機は来るのか

A) 歳入欠陥の拡大が最大のリスク、消費税の限界

7月に政府が20年までのプライマリー収支黒字化は不可能と宣言。

2013年度のプライマリー収支は約30兆円の赤字。これは名目GDPの6.2%にあたる。これは名目GDP成長2%を数年ほど続ければ、消費税増税なしに克服可能だ。

下図はプライマリー・バランス(対GDP比)の推移。97年の消費税導入後に、財政悪化が急速に進行した。03年7.2%が07年には2.1%まで改善している。リーマン・ショックがなければ2010年には財政赤字は解消されていたはず。

PB

B) 貿易赤字が続けば致命傷となる

年金・ゆうちょの不安定化

4.富の大移動と社会矛盾の激化

A) 円安はそれ自体が貧困化

雇用の危機の深刻化

社会保障システムの崩壊

あるブログにこういう記述がありました。

1000兆円を超える膨大な国債の残高や、少子高齢化に伴う社会保障財源増しを放置することは、対外的な国の信用の低下や国民の将来に対する不安感 を増幅するであろうことは想像に難くありません。消費税率を据え置いたがために、国債の暴落や金利上昇、将来への不安から生じる消費の落ち込みが企業の経済活動を停滞、もしくは悪化させるというシナリオも十分に考えられるのです。

景気の回復を待って税率を上げるという主張もありますが、引き伸ばしてきた結果が今日の財政悪化の原因でもあることは疑いようのない事実でもありま す。消費税率の引き上げの議論は、企業活動にとってのマイナスの側面がややもすると強調されがちですが、引き上げないことによるリスクや、将来に対する不安を回避するプラスの側面があることも考える必要があります。

何を言いたいのかよくわかりませんが、最近の消費税引き上げ論はここまで無茶苦茶になっているということを示す、ひとつの例といえるでしょう。

社会保障や“将来の不安”云々は付け足しです。消費税は社会保障財源ではありません。言っている本人も相当気恥ずかしく思っているでしょう。

そこを抜いて書き直すと、こうなります。

1.膨大な国債の残高を放置すると、対外的な国の信用の低下を招く。

2.消費税率を据え置くと、国債の暴落や金利上昇を来たし、企業の経済活動を停滞、もしくは悪化させる。

3.(消費税引き上げを)引き伸ばしてきた結果が、今日の財政悪化の原因でもあることは疑いない。

言っているのはこれだけです。

1,は当たり前の話です。だれも違うなどとは言っていません。

2.は「風が吹くと桶屋が儲かる」式の議論で、しかも「膨大な国債の残高を放置する」ことが、「消費税率を据え置くこと」にすり替えられています。

実は同じようなことを高村自民党副総裁が言っています。

増税しなければ市場の信認を失い、国債が暴落すれば打つ手がなくなる

まさに「撃ちてし止まん」、上げないと国が「ジェノバ化」し潰れてしまうかのごとき言い分です。ところがこれに対しては、ソブリン市場の格付けを行うS&P社の担当者が早速反論しています。

再増税がマクロ経済に悪影響を与える可能性があれば、必ずしもソブリン格付けにプラスではない

3.は明らかに事実と異なります。2000年代初頭にプライマリー赤字はGDP比6%近かったのが、リーマンショックの直前には1%ちょっとまで改善しています。その間に諸費税は引き上げられていません。そもそも膨大な財政赤字を作り出したのは、97年の「消費税ショック」によるものです。これは官庁筋もふくめ衆目の一致するところでしょう。

(ジェノバ化についてはをご参照ください)


エコノミストは口をつぐんでいますが、今回の消費税引き上げは、明らかに法人税を引き下げるための財源です。

誰が見たって、国家財政の歳入欄で、消費税の増収分が法人税の減税でチャラになっているのは一目瞭然でしょう。ここが見えないのは、「視野欠損」という病気です。視野欠損の患者がどう力説しても、それは病気の証明にしかなりません。

この記事を書き始めてからとてもつらい。
私にとっては戦災孤児という言葉で浮かぶイメージと、“浮浪児”という言葉で浮かぶイメージの間に乖離があるからだ。
それを客観視できるだけの座標軸を持てずに漂流してきたのがいままでの私だ。漠然と、いつかは整理しなければとは思いつつも、心の底で遠ざけてきたように思う。
今回勉強してわかったのは、“浮浪児”というのは間違いなく戦災孤児だということだ。あたりまえのことだが、浮浪児の殆どは戦災に遭わなければ浮浪児ではなかったはずだ。あらためてそれが確信させられた。
そしてもう一つ、浮浪児というのは戦災孤児の中核であり、その中で一番可哀想な人たちだということだ。それは、漠然と考えていたいくつかの可能性の中で、最も惨めな結論だ。

東京に絞って考えてみよう。
昭和20年の始め、すでに東京に空襲が来ることは誰の目にも明らかだった。気の利いた連中はどんどん田舎に移っていった。移っていかなくてもいざとなれば移れる準備をしていた。仕事のある旦那が残り、ほかは転居した。転居できなければそれなりの心当たりに子供を託した。これが縁故疎開である。
ふつうの稼ぎ人にはそんなことはできない。空襲が迫ろうと東京で一家で暮らすしかない。しかしそうも言っていられなくなった。
そこで集団学童疎開ということになる。学校単位で何処かの田舎に移り住むわけだ。そこには誰も親類縁者はいない。幾ばくかの金を親が出して「お願いします」ということになる。
たとえ子どもといえども、そんな涙金で暮らせるわけはないから、子どもたちはまことにつらい日々を送ることになる。
そうして親子が別れ別れになったところに東京大空襲がやってくる。3月11日の大空襲だけではない。来る日も来る日も空襲だ。みんな焼けてしまって、みんな炎に閉じ込められて死んでしまった。
だから、小学生の戦災孤児が異常に多いのだ。小学生が異常に多いだけではなく、ともばたらきで健気に働いていた貧乏人の子供、労働者の子供が異常に多いのだ。そこには明白な階級性があるのだ。
政府が何にもしてくれなければ親戚縁者に頼るしかない。しかし親戚縁者などいないような階層の子どもたちが狙い撃ちにされたのだから、どう考えてもそこには無理がある。
公共施設で何とかならなかったのか。公共施設の写真を見てみれば一目瞭然だが、それは犬小屋にも劣る監禁施設でしかない。
子どもたちの選択は奴隷になるか犬畜生になるかしかなかった。それが嫌なら野垂れ死にを待つしかなかった。その「野垂れ死に」の道を選択させられたのが“浮浪児”だった。全ての生きるチャンスから見放され、奴隷にも犬畜生にもなれなかった人々だ。数字は断固として示している。彼らは「狼となる」選択をしたのではない。「死ね!」という選択を迫られたにすぎないのだ。
同世代(と言っても私より10歳位上の世代だが)の人たちのこのような生き様に、ただただ私としては頭を垂れるしかない。
安倍晋三さん、石破茂さん、ありがとう!
あなた達がいなかったら、私はこんな辛いことまで突き詰めて考えることなど無かったろう。

 「戦争孤児」という膨大な個人のHPがある。「戦争孤児の会 金田茉莉」さんといいう方が作られている。

大変な労作である。ぜひご覧頂きたい。

この内、厚生省の「孤児調査」の紹介

厚生省が昭和22年末に「全国一斉孤児調査」を行っています。
 

 この報告書そのものは公表されなかった。国会図書館にもないそうだ。
全国戦災遺族会が作成した「全国戦災史実調査報告書 昭和57年度」という文書の中の「戦災孤児」という項目に、厚生省の「全国一斉孤児調査」が引用されているのが、唯一の現存資料ということのようだ。筆者は
当時大人であった戦災遺族は昭和22年末の「全国一斉孤児調査」を知っていたはずですから、収録できたのでしょう。
と記している。詳細は本文をお読みいただきたい。

 

調査は昭和23年2月1日現在の状況を知ろうとする断面調査である。対象は18歳以下の身寄りのないもの。
これを(イ)戦災孤児 (父母が戦死、空襲により死亡したもの) (ロ)引揚孤児 (ハ)一般孤児 (ニ)棄迷児(捨て子)に分類した。

養子縁組は、孤児が養子になった場合、親がいるとみなされ孤児でなくなる。
浮浪児は、住居がないので調査されなかった。
沖縄孤児は、まだ占領中でこの調査には入っていない

との著者の注釈がある。

下記が調査結果。


      孤児総数 123、511人

  年齢別(数え年)
         保護者別
   1歳~ 7歳  14、486人    親戚、知人に預けられた 107、108人
   8歳~14歳  57、731人    施設に収容された      12、202人
  15歳~20歳  51、294人    独立した生計を営む      4、201人

   孤児の種類  イ、 戦災孤児  28、247人
               ロ、 引揚孤児  11、351人
               ハ、 一般孤児  81、266人
               ニ、 棄迷児     2、647人
 

戦争孤児の多くは10歳前後の小学生年代でした。疎開している間に都市の親家族が空襲で死んでしまったために、大量の孤児が発生したのです。
 

金田茉莉さんはこう付け加えている。孤児数に算入されていない浮浪児が3、5万人(「朝日年鑑」)~4万人(朝日新聞)いたとされる。また養子に出された場合は孤児数に入っていない。
これらを勘案すると小学生の戦争孤児は10万人近くに上るとみられる。

 

昭和20年4月以降、小学1年以上は全員疎開となった。推測では全国で約90万人、東京だけで約50万人の子どもが疎開した。終戦後、東京に戻った孤児もいたし、地方に残留した孤児もいた。

東京空襲では300万人、全国の都市で1、300万人が家を焼かれ住む場所を失った。

親の死が確認されていない孤児は戦災孤児ではなく一般孤児に組み込まれている。終戦3年後の調査で行方不明であれば、そのほとんどが戦災死と考えて良いだろう。

 

 

CDデッキというのはほんとに壊れやすいもので、もう何台買い替えたか分からない。3万円だろうが5万円だろうが、結局読み取りが悪くなってイカれるのはおなじだ。一度壊れたものは修理してもダメで「どこを修理したのだ!」と気分が悪いだけ。壊れればただのクズだ。
もう高いデッキなど買わないと決意して、オーディオのフロアーには行かず、パソコンの外付けコーナーを探した。
一応ブルーレイも再・録可能というパイオニアの製品を1万円ちょっとで買った。これなら5台壊れても元はとれる。WABで吸い出してパソコン経由でDACに行けば、高級CD再生デッキなどいらなくなる。
それじゃDACも買い替えましょうということで、オーディオの方に行ったが、これがまた分からない。
パソコンの外付けならほとんど1万円以下だが、これがオーディオ・コーナーでは5,6万はする。店員のおすすめはケンウッドのヘッドフォン用アンプというもので、これだと3万円くらい。
一物二価というが、これでは三価だ。「いったい適正価格はどのくらいのものなのか?」、頭のなかが洗濯機状態になって、そのまま買わずじまいに終わった。
そのまま帰るのは癪なので、スピーカーを見ていく。1本十何万というのは私の趣味ではない。ブックシェルフで十分なのだが、十万足らずのプリメイン・アンプだから、せいぜい3,4万かと思ったら意外に高い。
店員のおすすめでZensor1というのにした。何でもデンマークの製品らしいが、作っているのは中国。3万円足らずなので、その場で即決し持ち帰った。DACがスピーカーに化けたという次第。
替えてみるとやっぱり違うもので、音の折り目がぴんと立つ。「ボヨーン」が「カキーン」になる。半年ぶりくらいにCDを聞いたが、Foobar 経由ですごい音がする。
うざったい音だと思っていたルビンステインのCDでショパンのマズルカ。変なキラキラがなく、目の前でピアノを弾いているように聞こえる。ないと思っていた音の芯がある。考えてみたら今までのスピーカーはもう30年近く経っているから(どういうわけか他のものは壊れてもスピーカーだけは壊れない)、骨軟化症なんでしょうね。
困ったのは、いままでそれなりに聞いてきたyoutubeの音が我慢できなくなること。音が良くなるということは欠点が目立ち始めることになる。メガネを掛けてよく見えるようになったら、嫁さんの顔のシワとクスミとタルミが予想以上に質量共に進んでいることに気がついたという感じか。まぁそのうち慣れる。
嫁さんの口癖、「ブスは慣れる。美人は飽きる」



dondokodokodon さんのサイトでトゥオネラの白鳥が見られる。
今年のNHK交響楽団の定期演奏会らしい。尾高忠明の指揮で、コールアングレエを吹く池田昭子さんの姿がたっぷり眺められる。熟女の風格が漂ってきた。最後の方は息が上がった表情だがだいじょうぶか。
しばらくテレビを見ていなかったので、オケのメンバーが入れ替わっているようだ。チェロの首席に向山さんが入ったようだ。コンサートマスターは白人だ。フランクフルトあたりから交換で来た人だろうか。
ikeda

Korg の AudioGate のニュー・エディションが出た。
早速試聴してみる。
結論は前のものと同じだ。
時間分解能の問題は解決されている。ぺったりした感じはなくなり、音はシャープになった。
高音の伸びと、唸るような低音は前と同じだが、さらに強調されている。
ベートーベンのエロイカの演奏をいくつか掛けてみる。
Foobar で聞いている時とは別物のようだ。
カラヤン・ベルリン・フィルの録音はなんとなくこもったような音だったのが、ベンジンで油汚れをぬぐい取ったように鮮やかな音になる。
イッセルシュテット・ウィーン・フィルの録音はもともと綺麗だったのが、さらに肉感的になる。コントラバスの音が飛び出してくるようだ。
ヴァントの録音も細部がくっきりして、細かなニュアンスがよく分かる。ヴァント・フアンの私としてはまことに嬉しい。
ヤンソンス・バイエルン放送はライブのビデオ音源だが、それなりに音がくっきりする。
問題は、演奏開始のボタンを押してから音が出るまでに7分かかることだ。1回全ておさらいして、それから始まるんですね。
これはさすがにたまらない。
どうせながら聞きだから、その間も仕事はしているわけで、別に困るわけではないが、「今処理しているので、しばらくお待ちください」てなコメントも出てこない。だから最初のうちは「変だな」と思って何度をスタートボタンを押すことになる。
その間にどういう処理をしているのかが気になるが、私の想像では、Audacity のエフェクトにある Clip Fix みたいなことをしているのではないかと思う。
Clip Fix というのは、うまく言えないが、山のてっぺんのひしゃげたところを山の形に復元する機能みたいなものらしい。ぼやけた音をシャープにするのに使うのだが、やりすぎれば金属的な人工的なわざとらしい音になってしまう。
Audacity ではデフォールトが95%になっていて、それ以下にしないようリコメンドされている。
それにおそらく低音域の強調もやっていると思う。最新版のAudacity には見当たらなくなってしまったが、むかしはあった。痩せた音源に+5から10くらいかけると低音が伸びて、音に艶が出る。ポップスなら+10かけても良いが、クラシックは+5以上にしては決してならない。
ということで、好みの方にはあえて反対はしないが、やめておいたほうが良いプレーヤーだということになる。
基本はあくまでFoobar の“モニター・サウンド”で、アンプの方のイコライザーで補正するのが一番だろう。
もしどうしてもというのなら、Audacity で自分好みのお化粧をして、それを別ファイルで保存するのがいいのではないだろうか。
私の以前のノートを参照していただきたい。

 ジェノバの利子率革命というのは、F・ブローデルの『地中海』という本からの引用らしい。注によると、藤原書店の〈普及版〉で1~5巻におよぶという。とても手が出るものではなさそうだから、とりあえずネットで分かる限りの情報で我慢しよう。

まずはこのページから ジェノバ国債の暴落 – 1620年代に利回りが1%から6%に急騰

15~16世紀のイタリア北部は、毛織物の製造とワイン製造が盛んな経済力のある地域でした。そこでは、都市国家ジェノバの国債金利(4~5年物)が指標になっていました。発行量が多く、徴税権で保証された国債であったからです。

しかしイタリア北部の繁栄は、永遠には続きませんでした。

1.ブドウの生産量が頭打ちになります。未開の可耕地が消失したからです。

2.地中海貿易が、オスマン・トルコ帝国の台頭によって遮断されてしまいます。

3.コロンブスが新大陸を発見し、新しい市場が発見されました。

こうしてイタリア北部は没落していくのだが、その過程でジェノバ国債の利率が乱高下したようだ。

1555年 国債金利が9%に跳ね上がる。

1619年 国債金利が1.125%まで低下する。

「これは、確認できる長期金利の歴史において、2003年に日本の国債が1%割れを記録するまで破られなかった最低の水準です」と注釈が付けられている。

1620年代 国債金利が6%に跳ね上がる。

「これはジェノバ国債の買い手がいなくなったためです。イタリアは超低金利の後の金利急騰を経て、衰退していったのです」との注釈。

記事はこれだけなので、事実だけを突きつけられても、なんとも理解のしようがない。

ただ、この記事を読むとジェノバ・北イタリアという地域が経済力を失って没落していく過程で、国債の利子率の乱高下が併発したということは分かる。

正直言えば「そりゃぁ乱高下するだろうなぁ」という程度。水野和夫さんのように「そこに資本主義の秘密がある」と振りかぶるほどのものかという思いはある。

平常時では国債と証券はトレード・オフの関係にある。景気が良ければ投資は証券に向かうから国債の人気は下がる、つまり利率は上がる。逆に景気が悪くなれば国債に投資が集中し、利率は下がる。

ただ不景気が構造的なものとなり、長期化し、やがて国家の屋台骨を揺るがすようになれば、国債からの逃避が起きる。そして最後にはジャンク化する。

この経過をジェノバも辿ったに相違ないということだ。そこには「革命」のカの字もない。それだけなら大騒ぎするほどのこともない。

それでは、なぜジェノバ、ジェノバと大騒ぎするのか?


次が水野さんを盛んに持ち上げている「アゴラ」の解説 400年ぶりに起きているデフレと長期不況(利子率革命) 藤井 まり子

まず冒頭に「利子率革命」の定義。

「利子率革命」とは、デフレと長期不況が異常に長く続く現象を指す。

これは言葉遊びだ。なぜなら世界中が長期不況の氷河期状況にあるからだ。まぁ先に進もう。

400年前の中世末期のイタリア・ジェノバでも、国債の金利が異常に低い時代が20年もの長きに渡って続いた。

この「利子率革命」の前後を丹念に調べてゆくと、明らかに、様々な点で「歴史的大転換」が起きていることが分かる。「中世が終わり、近代が始まった」のである。

と、以下近代の始まりが叙述されていくが省略。

最後が面白いところ、

中世イタリアのメディチ家は、低金利の国債を買い続けるのが馬鹿馬鹿しくなって、東インド株式会社の株式を購入し始めた。ジェノバ国債の金利も、ある日を境に、およそ6%近くまで急騰する。

そしてジェノバは経済史の表舞台から姿を消すことになる。


面白いが、所詮は「中世の没落」の一エピソードだろう。「革命」と言うほどのものではない。

はたしてジェノバの国債が、金融市場にどの程度の影響力を持っていたか分からないし、市中金利との関係も不明である。

近代資本主義の曙を語るのなら、他にもっと総合的な分析もある。中でも「資本主義」の名付け親であるマルクスが出色だろうと思う。


私は信じやすいというか騙されやすいタチだから、古事記や日本書紀に書かれたことはすべて本当のことと思っている。神武東征も、継体天皇の政権転覆も信じている。ただ年代については信じていない。
それは大和の方で決着つけてくれという話だ。「日本史」の本線とは関係ないローカルな話だ。
神功皇后の朝鮮遠征も、筑紫の君磐井の反乱も信じている。ただし主語は九州王朝の王である。
とくに磐井の反乱については、百済記を引用しているとみられるだけに、きわめて信用度の高い資料だと思う。
継体の後継者である欽明天皇のくだりには、百済記が多く引用されている。それらは三国史紀からはおそらく意図的に削除されている事実である。主語の扱いさえ気をつければ三国史紀を上回る資料的意味がある。
そこから分かることは、継体も欽明も九州や朝鮮の動きに関係ないということだ。注意深く隠されているにもかかわらず、百済・新羅との対応は大和王朝の行為ではないことが透けて見える。
したがってこの記載をもって大和政権の年代的ランドマークにはならないということだ。物部麁鹿火の名で記載されているいくつかの出来事は九州王朝内の人物の仕業だ。
では九州王朝はどこまで降るのか。それが見えない。
任那を滅亡させた当事者である新羅の本紀は、前後の状況について沈黙している。572年のことである。
その後600年には随に向け「日出処の天子」なる書簡が送付されている。こういう非礼な手紙を書いたのは、外交オンチの大和朝廷に違いない。そうかと思えば随の使者、裴世清に対しては思い切り卑屈な態度をとっている。田舎者丸出しである。
前後の事情から察するに、任那を守る戦争で九州王朝の多くの幹部が失われ、それが九州王朝の自壊を招いたのではないかと想像する。九州王朝が大和王朝と争った形跡がないからだ。

倭国大乱は九州王朝と出雲王朝の対決であったと思う。そこには二つの置き土産があったはずだ。
ひとつは内乱の間に著しく発達した武器である。とくにこの時期には鉄製武器が革命的でった。それ以前は弓と石礫と竹槍と棍棒くらいだったろう。青銅の剣なんてものは見かけは良くてもすぐ壊れる。刀1本で人一人がやっとではないか。矢にしても軽いから遠くまで飛ぶ、弓の戦闘なら100対ゼロだろう。
もう一つは終戦後に残される膨大な元兵士たちである。施政者は彼らを食わせるために必ず侵略戦争をしかける。スペインのレコンキスタ後、多くの兵士が海を渡り新大陸に殺到した。彼らはわずか数百の手勢でアステカ帝国を倒し、インカ帝国を倒した。ともに1千万の人口を擁する大帝国である。
豊臣秀吉は天下統一後、朝鮮に軍勢を送り侵略した。失業兵対策の第一は、なんでもいいから、とにかく闘わせておくことである。ナチだって第一次大戦を闘った兵士崩れの不満分子を結集したからこそ政権を獲得できたのだ。
倭国大乱を闘ったもの、とくに敗残兵も同様だったのではないか。
だらだらと書きましたが、

が一連です。(新しい順)

纒向遺跡の勉強をしていて気づいたことがいくつかある。

「石野博信によれば、「2世紀末に突然現れ、4世紀中頃に突然消滅した大集落遺跡」である」(ウィキペディア)

これは征服者により建てられ、さらに後続する征服者により消滅したことを示すのではないか。

纏向は人工的な遺跡である。遺跡の下層には弥生式の生活遺物が見られない。これは野っ原の真ん中に造営された集落であったことを示す。

巨大な規模の割に人々の生活跡が見られないのも特異であるが、征服者の砦とすれば分からなくもない。ただし発掘率5%段階ではなんとも言えない。

搬入土器の出身地割合(ウィキペディアより
伊勢・東海系 49% R30.pngR10.pngR05.pngR03.pngR01.png
北陸・山陰系 17% B10.pngB05.pngB01.pngB01.png
河内系 10% Y10.png
吉備系 7% G05.pngG01.pngG01.png
近江系 5% G05.png
関東系 5% G05.png
播磨系 3% G03.png
西部瀬戸内海系 3% G03.png
紀伊系 1% G01.png

遺物としては伊勢・尾張との関連が深いとされる。これは征服者が若狭・越前方面から入り、近江で二手に分かれたことを示唆する。但馬・丹後組とは別系統と目される。

むしろ注目すべきなのは、播磨・西瀬戸内からの搬入がきわめて少ないことであろう。九州からの搬入物も発見されたというが、その率は1%にも満たない。

以上から考えられることは、倭国大乱の時期に出雲を逐われた天孫族の一派が吉備、但馬、若狭、越前などに新地をもとめ、さらに若狭族の一部が近江に入り、ひとつは尾張に進出し、もう一つが木津川から大和に入り、征服王朝を開いたというストーリーである。(この説が弱いのは尾張に纏向に相当する遺跡がないこと。熱田近辺から出てもおかしくないと思うが)

そこには弥生化した縄文人(銅鐸人)が暮らしており、その中心が唐古・鍵遺跡だった。出雲系天孫族は、唐古・鍵から離れた高台(扇状地)の上に新たな都市を建設した。これは「依らしむべし、知らしむべからず」の原則に則った選択であった。

この「大和古王国」は、100年ほどで神武・葛城連合軍に制圧され、服従の道を取ることになる。その後の経過では葛城が追放され、両者は新旧の征服者として事実上の合体を遂げることになる。

纏向が衰退した理由は不明だが、今のところ火災の跡も洪水の後も見つかってはいないようだ。しかしそれがかなり突然の出来事であったことは間違いない。

それにしても、考古学屋さんって、根っこは宝探しなんですね。だからつい古墳に目が行ってしまう。

大学生の学力低下についてアゴラに説得力のあるグラフが載っている。

尾藤 克之 学生の学力低下はウソである

というもの。


singakuritu
いまの18歳人口は120万人で、1990年と比較して約6割に減少しています。しかし進学率は、58.7%(約70万人強)に増加してます。
18歳の受験生の学力レベルはそれほど変化はありません。学力が低下して見えるのは、少子化に連動して大学の数や定員が減っていないからです。

ということで、できる子とできない子との割合は変わっていない。つまり日本の若者の学力水準は下がっていないということだ。学生の平均学力水準は“水増し”で下がっているだけなのだ。
というのが論者の主張。“水増し”と言われると反感を覚えるが…

しかしそれが分かっても、あまり救われた気はしない。絶対数として、できる子の数が減っていることは間違いがない。結局少子化問題なのだ。

とりあえず大事なことは、それを教育の責任に押し付けてはいけないということだ。教育は子供を生み、増やす仕事ではない。それは国と政治の責任だ。



日本書紀の作者は魏志倭人伝を読んでいた。
当時からそのくらい有名で人口に膾炙していたのだ。
日本書紀の作者の右手には、神武以来の歴代の天皇の系図がある。ただし彼らが何年頃の人なのかは分からない。そこで魏志倭人伝を見ながら適当な名前を見繕ったのだ。それが神功皇后だ。これは間違いない。日本書紀の神功皇后紀に魏志倭人伝が重ねて引用されている。
ここから壮大なでまかせが始まって、少なくとも継体まで続く。割り算すると一人あたり100年位在位しなければならないことになる。挙句の果てが皇紀2600年ということになる。しかしそれは別の話だ。
神武東征はおそらく纏向遺跡の消滅とほぼ一致するはずだ。考古学者の話では、それはおそらく紀元300年前後のことだ。そこから継体まで並べ直すと、神功皇后は(もし実在したとすれば)紀元400年から450年頃の人だろうと思われる。


この本で一番説得力のある考古学データがこれだ。
「弥生時代後期および邪馬台国の時代における列島各地の鉄器出土数」というグラフ。
これを見ると、弥生時代というのがもし終末を迎えたとするのなら、それに代わったのは鉄器時代だということがしみじみ分かる。
鉄器というのは農耕にももちろん使われるし、平和な時代にはそれが主流になるだろう。しかし倭国大乱の時代、まだまだ鉄が貴重品であった時代、鉄はまず何よりも武器だったはずだ。
へなちょこの青銅器で大量の人は殺せない。殺傷力の強い鉄は、鏃としてあるいは槍の穂先として使われただろう。
余談が長くなった。とにかく、九州が圧倒的な出土数を誇ることが分かる。注目すべきは九州に次いで多いのが北陸・北近畿地方だということである。但馬・丹後・若狭・越前という辺であろう。このあたりは三韓地域ではなく、新羅経由で鉄製品が入ってきたかもしれない。あるいは出雲を追われた天孫族の新たな根拠地であったかもしれない。彼らが南下し大和盆地に入ってきた時、在来の銅鐸人(唐古・鍵)には為す術がなかっただろうと思う。
逆に言うと瀬戸内一帯から難波津にかけてのコリドールは、卑弥呼の時代まではメインではなかったということになる。おそらく海賊が横行し治安が悪かったのだろう。
出雲族が大和入りしてまもなく、九州では卑弥呼の時代が始まる。大和が九州と闘って勝てるだろうか。例えば小人になってこの図の中に飛び込んで近畿の目の高さから九州を仰ぎ見た時、その壁は絶望的なまでに高かったのではないだろうか。
卑弥呼の時代、大和が鉄製武器もなしに闘い続く九州を武力制圧して、倭国を代表する政権を樹立するなど到底考えられないのである。


前項の書物に
邪馬台国の時代とはいつか。考古学では弥生終末、古墳時代初頭と考えられてきました。
という文章があった。
まずこれに噛みつきたい。
“古墳時代初頭と考えられてきました”というのが気に食わない。誰が考えてきたのか、あんたでしょ。どう考えたって近畿でしか使えない物差しだ。どっちが 本家だと争っている時に、近畿でしか使えない物差しで争うといんだから、むちゃくちゃだ。トラキチだってここまで贔屓の引き倒しはしない。
弥生終末とはなんだ。もし弥生時代の特徴を水田・稲作文化だとすれば、我々の住む現代社会も弥生時代だろう。どこに終末があるのだ。

これは前方後円墳を至高のものとする「古墳主義」の過ちという他ない。大体、仁徳天皇の墓が世界最大とすれば、大和はその時世界最強だったのか。その後古墳は前方後円墳スタイルを脱し、どんどん小さく地味になっていくが、それは国力の衰退を表すのか。
世界史では、石器時代、青銅器時代、鉄器時代と区分される。たとえどのような土器を使おうと、金属が使用されていなければそれは石器時代だ。土器の種類の違いは「美術史」の世界だ。
弥生というのは土器だ。土器の形態で縄文との時空的境界をなしている。これは「美術史」としてはきわめて妥当だ。それが妥当であればあるほど、弥生時代と古墳時代に区分する発想のおかしさが際立つ。もし弥生時代のあとの時代を特徴づけるのなら、陶器・磁器の時代だろう。もし生産・生活手段というふうに広げるのなら、鉄の時代だろう。



連休の後の赤旗をまとめ読みする。
日曜日の読書欄には、食指をそそる言葉がいくつか登場する。
ひとつは「スノーデン・ファイル」という本の紹介。
NSAは世界中のデジタル通信のサーバーや光ファイバーに直接アクセスしてその大半を入手している。
これには米国の秘密裁判所FISAの許可まである。
技術の進歩で、アクセスの履歴から個人の性向を探り出し、大量の通信記録からマッピングという手法で、人的コネクションをあぶり出すことが可能になっている。
と書いてある。秘密裁判所FISAとは何だ。初めて聞く名だ。

次が、集英社新書「資本主義の終焉と歴史の危機」という肩のこりそうな題名の本。水野和夫さんという人が書いているそうだ。
ゼロ金利は、16世紀イタリアのジュノバにおける超低金利=利子率革命が、封建制から資本主義への転換のサインだったように、「資本主義の死」の兆候ではないか。
超低金利は、新しい投資先がないこと、成長のフロンティアがもはやないことをしめす。
電子・金融という空間に成長の新天地がもとめられたが、すでに破綻した。新興国の成長も遠からず終わるだろう。
人類は「成長」を不可欠とする資本主義から卒業しようとしているのではないか。
それでも無理に「成長」や「利潤」を追求すると、そのしわ寄せが格差や貧困という形をとって弱者に集中し、中間層が没落することになるだろう。
これからは「脱成長」戦略に切り替えなければならない。国際的な法人税増税と金融取引税、正社員を原則とする雇用システム、ゼロ成長でも維持可能な財政制度の設計がもとめられる。
まことに面白い提起だ。未来社会=社会主義の経済的基盤は、一面では「脱成長」にあるのかと思わせるものがある。ジュノバの利子率革命というのがよく分からない。利子率の歴史は資本論第三部にも述べられているが、そこにはなかったような気がするが。

次が積山洋さんという人の「東アジアに開かれた古代王宮 難波宮」という本。
とくに孝徳天皇により造営された最初期の難波宮の画期性が強調されている。
内裏の南に広大な朝堂院が配されていた。ここには14堂にもおよぶ多くの朝堂が建てられ、画期的な構造だった。
石井光太さんの「浮浪児1945-戦争が生んだ子どもたち」(新潮社)という本。本がどうこうというより、西村滋さんという人の書評がすごい。この書評は原書より西村さんの本の方を読みたい気にさせる、ルール違反の書評だ。

私は囲碁はまったく不得手でどうも上達しない。未だに井目風鈴付きでけちょんけちょんにやられる。
見るのは好きで、日曜の午後は囲碁番組を子守唄にうたた寝している。
新人王戦というのがあって「赤旗」が主催する棋戦だが、相当注目されているらしい。
今日の記事を見ると、今年で39回目。
北海道出身の棋士は、新人王戦と相性が良い。第1,第2期は若き日の小林光一名誉棋聖(現在62歳)が連勝、その後依田紀基九段(現在48歳)が通算5回優勝、山下敬吾九段(36歳)が4連覇している。そして前期が冨士田明彦新人王(22歳)ということで、38期のうち12期で北海道出身棋士が優勝という驚異的な成績だ。
宮沢吾朗九段は優勝していなかったんだ。

お盆で柄にもなく、というか、いやいやお付き合いでお墓に行くことがある。
市営の共同墓地に妻の実家の墓があるのだが、途中の一角にとんでもない墓があって、ひとつの墓で10区画分くらい使って、高さ5メートルはあろうかという立派な墓を立てている。それが1つ2つではない。
朝鮮系の名前だ。パチンコ王らしい。
妻の実家の墓でさえわずか1坪で数百万円くらいするらしいから、あの墓は間違いなく数億のものだ。

こんな話を、邪馬台国の大和派の主張を聞いていて思い出した。墓の大きさで人を判断するバカらしさに、考古学者たちは嵌っているのではないか。後世の考古学者は、この墓の主であるどこかのパチンコ屋が、札幌の支配者だったと主張するに違いない。
もちろん同一文化圏であれば、覇者は一番大きい物を作りたがるであろう。それは否定しない。ヤクザがベンツに乗りたがるのと同じだ。そういうことを行っているのではない。一番大きい墓の持ち主は一番力を持っていたと考える考古学者の発想を、バカにしているのだよ。

むしろ私は、こういう馬鹿でかい墓を作る動機は、彼らが外来の征服者だからだと思う。ニューカマーであった彼らには、みずからのうちに備わる威厳はない。だから外形的なもので威勢を張ること、三下に「うちの親分は強いんだぜ」と思わせることが支配の条件だったと思う。我々庶民にしてみればBMWやアウディのヤクザよりベンツ(Sクラス)のヤクザのほうが強いと思う。ヤクザのことなど知らないからだ。
「卑弥呼が中国の皇帝からもらった銅鏡」なるものをまじめに議論する学者については、ほとんどお笑い草である。ウルトラマンや仮面ライダーのお宝カードを何枚持っているかは、その人の強さの直接的表現ではない。

「仁義無き戦い」の世界で、強さを決めるものは二つある。ひとつは言うまでもなく武器である。鉄が世界を制するのである。たくさん鉄を持っているものが強者である。
もう一つは闘争心である。殺し殺され、殺しあうことをいとわない鈍感さと残虐さである。九州の墳墓からは殺されたあと埋葬されたものが多数発見されているという。部族同士の血を血で争う戦闘が繰り返されていた九州が一番の強国であったことは、このことだけでも分かろうというものだ。

大体が、前方後円墳なんてものはぼた山じゃないか。湿地帯を水田にするには排水口を掘らなくてはならない。残土をどこに捨てるか、いっそのこと墓にしてしまえば一石二鳥ではないか、なんてことはないだろうか。


前に、赤旗の記事を転載したが、詳細が不明だった(2014年09月08日)。本日の記事でグラフが載せられ一目瞭然なので再掲する。


FRBの「消費者の所得・資産・債務などに関する調査」の結果である。
beikakusa

真ん中のカラムの「階層」というのが所得階層別の人口分布だろう。
1.年間所得の推移
これが左の「所得」カラムだ。総所得の分け前別分布だ。
トップ3%の高所得世帯の年間所得は、13年度で30.5%(2.8%増)に達した。
2.「富」の推移
これが右側の「資産」カラムだ
トップ3%の保有する「富」は、54.4%(9.6%増)に達した。
これと逆に、低位90%の「富」は24.7%(9.5%減)に低下した。
図で示されると、あらためて90%の人々の没落ぶりが実感される。
3.平均所得と中央値の乖離
平均所得は4%増加したが、所得中央値は5%減少した。

アルゼンチン議会が「債務交換法」を可決したとの報道。一方、米地裁はこの計画を違法と裁定したそうだ。

まずは情報を収集してみる。

11日のロイター。

アルゼンチンの下院は11日、債務再編問題をめぐり、海外で保有されている同国国債をアルゼンチン法に基づく国債に交換したり、国内での利払いを可能にする法案を可決した。

この法案は上院では可決済みで、フェルナンデス大統領はこの日、法案に署名した。

今後、米バンク・オブ・ニューヨーク・メロンに代わって、ブラジル国有銀行のバンコ・ナシオンが国債の元利払い業務を受託する見通し。

一方、キシロフ経済財務相は、新国債への切り替えを望む債権者は少ないと認めている。


これで、元本の割引に応じて支払いを受けてきた債権者が、受け取りを継続することが可能になる。しかしそれに応じる債権者は少ないということだ。「ひょっとしたら元本を額面通りに受け取れるかもしれない」と思えば、当然、模様を眺めるだろう。

とにかく出口はひとつ作ったわけで、後は持久戦になる。

次は19日のロイター

法案成立を受けたキシロフ経済財務相は、米国法に準拠する再編した債券を自国法に準拠した債券と交換すると表明した。

これを受けた金融市場ではアルゼンチン国債価格が下落した。新たな債務交換の提案が嫌気されている。

2033年償還のドル建て割引債は2ポイント以上下落し71.33セントとなった。利回りは12.67%に上昇した。

とは言うものの、事実上のデフォルト(選択的デフォルト(SD))になってからすでに約1ヵ月が経つが、世界の金融市場にそれほど大きな影響は出ていない。アルゼンチン国債などハナから信用されていないからだ。


アメリカも早速反撃に出ている。

同じ19日付のロイター

米最高裁は、アルゼンチン国債の債務再編に応じなかった債権者への13億3000万ドルの支払いを命じた米連邦地裁の判決の見直し請求を退けた。

再編した債券の支払い期限までに解決策が打ち出されなければ、アルゼンチンは「テクニカル・デフォルト」に陥る。


8月22日 WSJ

違法判決を出したニューヨーク連邦地裁のトマス・グリーザ判事は「この債務交換計画の意図は司法判断を巧みに逃れようとするもので、実施が禁じられている」とし、「米国の銀行も含め、いかなる組織も協力が禁じられている」と強調した。

どうもこのグリーザ判事、自分の判断がアルゼンチン国民にどのような影響をもたらすかには、とんと興味が無いらしい。脳のブレーキのネヂが飛んでいるようだ。客観的に見ればハゲタカファンドとグルになっていると見られても仕方あるまい。


三菱UFJには以下のお知らせがある

保有する米ドル建てアルゼンチン国債はアルゼンチン国内法に準拠した債券であることから、今般の米国最高裁判所による利払い禁止命令の対象外であり、利払いは継続しております。

朝日出版「研究最前線 邪馬台国」というのを読んだ。

思いつくままに感想を書く。

「所在地論争は決着したのか?」というのが帯の見出し。

中身を見ると、九州でほぼ決着ということになる。ヤマト派の根拠は鏡くらいで、三角神獣鏡がダメなら別の鏡でという具合。ほとんどいちゃもんに類する。

纏向遺跡が卑弥呼の邪馬台国だとメディアでは騒いでいるが、むしろ邪馬台国ではないことを証明しているようだ。

むしろ注目するのは、在来の唐古・鍵遺跡との異質性・断絶性・孤立性だ。これは唐古・鍵に代表される銅鐸人(農業化した縄文人)に対して纏向が侵入者・征服者であったことを示している。

唐古遺跡は2世紀後半で縄文の色合いを強く残す遺跡、纏向は西暦200年前後に突如として出現した弥生式遺跡だ。

これは出雲族だ。彼らは瀬戸内海からではなく丹後→山城経由か、ひょっとすると若狭→大津経由で入ってきた。

出雲・纏向族は1世紀ほどで神武に滅ぼされる。纏向遺跡はそのまま消滅する。発掘されるものは紀元300年初頭を降らない。

しかし出雲族は渡来人同士の誼で神武系に臣属し、そのことで生き残る。だから古事記にはこれでもかというほど出雲神話が詰め込まれているのだ。

神武系は九州王朝の分派であり、その瀬戸内水軍の束ねである。難波津がその東の外れで、河内湖を挟んで生駒山麓まで出張った出雲族と睨み合っていた。

(魏志倭人伝で「次にシマ国あり、次にイホキ国、次に…」と並ぶのは瀬戸内海の国々であろう。最後が「次に奴国あり。これ女王の境界の尽くる所なり」でこれが難波津ではないか。巴利国は播磨、支惟国は紀伊かも知れない)

そして神武は熊野への迂回作戦を取ることにより、大和盆地と生駒山の東西山麓の制圧に成功する。

大事なことは難波津の後背地を確保し、基地としての安定性を実現したことである。これにより淀川水系の「まつろわぬ民」への圧力を強めることが可能になる。それは九州王朝が日本海沿いに出雲から東方へ進出することをも可能にする。

纏向遺跡の終わりの日が神武東征の完了した日であり。そこから大和王朝が始まる日となる。神武・綏靖…と続く皇統はこの日を起点としなければならない。

もう一つ、難波津は神武朝の原点であり、何かにつけて回帰すべき精神的故郷なのだと思う。何度かにわたり難波宮が設営されるのも、このためだろう。


このままでは、収まりがつかないので、私なりに議長権限で、強引にまとめさせていただく。
まずは、コリオリ力など地球の引力と回転スピードに比べれば微々たるものだ。
重力は赤道の空気がゼロになって、すべての空気が北極に溜まってしまうことなど許さない。コリオリ力には、多少コースがナチュラルシュートする程度の控えめな働きしかない。
これが第一点だ。
第二点は、地球の自転にともなって地表と空気のズレが生じるが、これも気象に影響を与えるほどのものではない。重力はそんなにやわなものではないということだ。したがって地球の自転が直接偏西風を生じるわけではないということだ。
とすれば、風は何によって生じるか。それは上下の問題だ。南の暖かい空気が北に向かい上昇する。北の冷たい風が南に向かって低下する。それが中間地点で衝突する。
南の空気は対流圏まで昇っていく。だから高空には上に向かう空気の流れができる。これは地球の自転速度に比べれば止まっているほどの流れだ。だからコリオリの力を受けて右にカーブする。すなわち北・上・東の方角だ。これが偏西風(西から吹くから偏西風で、行く先は東なのだ)。
しかしいつまでも上昇できるわけではない。重力という籠のなかの鳥の自由でしかない。その限界が対流圏、緯度で言えば北緯40度から50度ということだ。
それでは南に向かう冷たい風はどうなるか。これは地表近くに下がり、南・下・西方向に向かうはずだ。これが貿易風ということになるのか。ただし、今回貿易風については勉強しなかったので断言はしかねる。

それにしても気象屋さん、ずいぶん説明が下手だなと感心してしまう。物理の勉強したのかな。

偏西風シリーズ

別のアンサーではこう書いてある。
風は、北半球では、進行方向に対して、右向きの力(コリオリ力)を受けます。
赤道方向に向かって吹こうとする風は右に曲げられ東風(西へと吹く)になり、極方向に向かって吹こうとする風は右に曲げられると西風(東へと吹く)になります。
ずいぶん持って回ったいやらしい言い方だ。人を煙に巻くための議論だ。
走っている電車から道に石を投げれば、投げたところより前の方に当たるし、道から電車に石を投げれば投げたところよりも後ろに当たる。ただの相対関係だ。それだけの話だ。
それはそれだけの話で、問題はそこから先だ。
別の回答には
低緯度の空気は高緯度側に流れ角運動量収束により緯度30度でほぼ完全な西風になりそれ以上北上できなくなります
と書いてある。
さあ、分からない。第一、北緯30度なら赤道上とさほどのスピード差はないはずだ。
先ほどの渦の話は嘘っぱちか。
「角運動量収束により」と平然と既定の事実であるように書いているが、グーグル検索しても「角運動量収束」などという言葉は出てこない。どうも回答者の造語のようだ。
収束帯という概念があり、これは南北問題ではなく上下関係のようで、熱帯から外れると上昇気流が起きなくなり、したがって熱帯から空気を北に送り出すだけの元気がなくなってしまうという境界があるようだ。
おいおい、いい加減にせぇよ。
それじゃぁ、これまで話してきた地球の自転の話や「コリオリ」話は一体どうなるんだ。偏西風の下には偏東風が吹いているとでも言うのか。北風が吹いたら雨雲が西に流れるとでも言うのか。

偏西風の原因は「コリオリ」力と言うんだそうだ。
赤道のどこかに経っていると、地面ははすごいスピードで動いていることになる。
地球の直径は12,742 kmだそうだ。だから赤道の総延長はπD=40,010 kmになる。これが24時間で1周するわけだから、時速は ÷24=1,667 kmになる。いっぽう、北極点ではまったく空気は動かない。
風力は速度の自乗に比例して強くなるから、空気はどんどん北へ流れ込むことになる。これを北極点の上空から眺めると渦を巻いて空気が流れこむパターンになるのだそうだ。
しかしこの話には嘘がある。
しまいには赤道付近から空気がなくなって北極にすべての空気が溜まってしまうことになる。どうしてくれるんだということになる。
もう一つは、空気の流れは x sinθで、風速はその逆数のはずだから、北に行くほど風が強くなり北極点付近で最大になるはずだが、どうもそうはなっていない。
北極に向かう空気がどこかで、何らかの形で戻ってきているはずで、そこの説明もないと話としては収まらない。だいいち偏西風の説明はちっともしてないじゃないか。

考えているうちにわからなくなった。
偏西風というのは地球の自転の影響で発生する風だというのだが、これがどうしてなのかということだ。
我々が生活している日本では、太陽は東から上って西に沈む。
これはつまり地球が西から東に向かって回転しているからだろう。これは分かる。
地球が西から東に向かってしているのなら、その上の空気も同じように西から東に向かって動くだろう。これも分かる。
それはなぜかというと、地上の空気が地球に引っ張られて一緒に動くからだろう。地球が空気を引っ張ってるのであって、空気が地球を引っ張ってるわけではない。
そこでだ。引っ張られている空気が地球より早く進むことはない。長い目で見れば、遅れることはあっても早くはならない筈だ。つまり空気は遅れがちに従いてくることになる。
だから地上で我々が感じる空気の流れは無風か東風かになるのではないか。

カンデルは「あめふらし」の神経細胞の研究で、2000年のノーベル賞を受賞した人物。記憶がシナプスの接合という形で形成されることを明らかにした。

当時の新聞報道ではこうなっている。

ウミウシを用いて、シナプスにおける信号伝達の制御メカニズムを明らかにした。
そしてシナプス部位におけるタンパク質のリン酸化が学習や短期記憶で中心的な機能を果たしていることを証明した。
そして長期記憶の形成にもシナプス部位にあるタンパク質の変化が必要であると示唆した。

リン酸化の問題は、エピジェネティクスにおけるDNAヒストンのリン酸化にも関連して興味深い。

ところが、エリック・カンデル(Eric Richard Kandel)に関するウィキペディアの記載は相当辛辣である。

あめふらしについてウィキペディアは触れず、「CREB分子のブロックにより長期記憶の形成に関連する一連のイベントが起きない事実を発見した」という、かなり末梢的な事実のみを記載している。

CREBはcAMP応答配列結合タンパク(cAMP response element binding protein) の略。神経細胞ニューロン間の恒久的接続を確立するタンパク質を、転写・翻訳するのに必要な因子

さらに「還元主義者としても知られる」とかなり侮辱的な評価を浴びせている。あめふらしの観察を記憶一般のモデルとして提起しているからなのか、筆者の意図が不明である。

彼の行った一連の実験は現在様々な意味で話題を振りまいている。…カンデルは実際に(記憶の)抑圧を可能にする神経メカニズムも存在することを実験で証明し、フロイトの概念を神経学が補完できる可能性を示した。

こういった記憶の操作に関する実験により開発され始めた、記憶強化薬や忘れ薬といったものが議論の的になっている。

これだけ読むと、「何だ、こいつは」ということになる。

実はこれには理由があって、カンデル先生、アメフラシに飽きたらず臨床の場に首を突っ込み始めているのである。

この研究をNHKが取り上げたらしいが、それはもう閲覧不能で、その内容が散策とグルメの記録というブログで紹介されている。

米国コロンビア大学のグループが記憶力低下の原因物質がRbAp48であることを証明 認知症や物忘れに朗報  (2013-8-29放映)

カンデルとコロンビア大学の研究グループが、33歳から89歳までの男女18人の脳の“海馬”に注目、調査しました。その結果「記憶力低下の原因となる脳のたんぱく質を特定」しました。

それがRbAp48という物質で、老齢マウスにこの物質を投与すると記憶力が回復したというものだ。確かにキワモノ的な研究だ。

ほかのサイトではもう少し詳しく研究のプロシーデュアが紹介されている。

コロンビア大学のPavlopoulosらは、8名の脳(33歳~85歳)で遺伝子発現を比較した。その結果、17種類の遺伝子が老化に伴い変化していることを発見した。 

このなかでRbAp48が記憶力低下に関与していると推定された。RbAp48は別名NURF55とも呼ばれるヒストン結合タンパクで、脳内に大量に存在する。

RbAp48を作ることが出来ないマウスでは、若い時から記憶力が4分1しか無く、一方RbAp48を大量に生成するマウスでは、老化に伴う記憶力の低下が起こらなかった。

ということで、ウィキペディア氏は、RbAp48で人間の記憶をいじる可能性について警告しているものと思われる。

ただそれをカンデルの業績の評価と結びつけるのは、いささか短絡的ではないか、とも感じる。

アーサー・ピナードさんという人が、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を英訳したそうだ。

下記のページで、その出だしの部分が読める。

780万人の絵本ためしよみサイト | 絵本ナビ

雨ニモマケズ Rain Won’t

Rain won’t stop me.
Wind won’t stop me.
雨ニモマケズ 風ニモマケズ

Neither will driving snow.
雪ニモ

Sweltering summer heat will only
raise my determination.
夏ノ暑サニモマケヌ

With a body built for endurance,
a heart free of greed,
丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク

I’ll never lose my temper,
trying always to keep
a quiet smile on my face.
決シテ瞋ラズ イツモシヅカ二ワラッテヰル

この英語を直訳すると

雨は私を止めない、風は私を止めない。

吹きすさぶ雪もだ。

うだるような夏の暑さも、ただ私の確信を強めるだけだ。

辛抱できる体と欲張らない心を持って、

私は冷静さを失わない。いつも静かな笑みを顔に浮かべ続けようとする。

という感じで、宮沢賢治の原文に比べると、主体的、能動的、かなりごつい感じだ。むかし「うたごえ」で憶えた「雪や風、星も飛べば、我が心は彼方を目指す」という歌と重なる。

“determination”は「確信」よりもっと強く響く。“try to keep a quiet smile on my face” は、「真昼の決闘」のゲーリー・クーパーになったような気分だ。

宮沢の詩はもう少し“なよやか”で、一抹の道教的諦観を秘めたものではないだろうか。多分、宮沢が過去に会ったひとびとの中に、“頑丈な体をして物静かで、いつも笑っているような表情を浮かべている農民”がいて、“そういう人に私はなりたい”というイメージなんだろう。そこには仄かにトルストイ的エリート意識が香る。


なお、「瞋ラズ」については、Yahoo 知恵袋でこう書かれている

『イカらず』と読みます。
大修館書店刊の『大漢語林』などによると、「イカる」と読む字で、
「恚る」は「うらみいかる」、
「怒る」は「腹をたてる。外にあらわしていかる」、
「嗔る」は「目をむきだしていかる。はげしくいかる」、
「憤る」は「いきりたつ、いきどおる」
等々といった区別があるようです。
仏典に親しんでいた賢治はこれらの区別をかなり正確にわきまえていたと考えられます。

ということで、眦を決した修羅の怒りですかねぇ。あるいは「怒らず」に居ることで、「わたしは左翼じゃないよ」という立場にも取れる。

そう言えばこんなニュースがありました。
ソニーとパナ、有機EL事業売却へ コスト減難航
2014年5月25日 朝日新聞

一時は共同開発まで行っていたソニーとパナソニック両社が撤退することで、有機ELテレビが発売される可能性は事実上なくなりまし た。"売却"と言っていますが、買う企業があるかどうかは疑問。
有機ELの展開のためにこそ、パナソニックはプラズマテレビから撤退した、と固く信じていたのに。結局作りやすさと数字の出しやすい液晶以外やりたくないから、「お前ら一般人はこの汚い画面に慣れてほかの画面の画質を忘れろ」ってことなんでしょうね。
一応有機ELを展開している韓国 メーカーもありますが、日本が来なきゃ新たな展開はなく、自然消滅するしかないでしょう。近い将来"有機EL"の4文字は未来ではなく過去のものとなります。(録画人間の末路より

しばらく前、ヨドバシでソニーの有機のデモを見て、画面は絵葉書ほどでしたが、その美しさに息を呑んだ記憶があります
結局、MDが華だったんでしょうね。MDとパソコン・インターネットとの連携を拒否した時に、ソニーは終わったんでしょうね。


本日は、何年ぶりかに由緒正しい休日を送った。すなわち、ヨドバシ・カメラ、古本屋、食堂で豚肉生姜焼き定食、紀伊國屋、クラシックな喫茶店というコースである。
ヨドバシ・カメラでは1万5千円のしゃべる犬のおもちゃ、これは嫁さん用。孫に線路付きの機関車トーマス。次にPCフロアーの冷やかし。Core i7と50ギガのメモリー、500ギガのHD内臓で5万円が相場になっている。外付けHDは1テラで1万2千円。こういう勝負では日本製は絶対に勝てない。
それからAVのフロアに下がる。4Kテレビにしばらく見入る。4Kの威力が発揮されるのは80インチ以上で、ほとんどシアターだ。画面から1メートルのところに座って3Dメガネを掛けると視覚刺激は極限まで達する。
発光は従来液晶(正確にはCCFL)ではなくLEDの世界だ。多少欲望は刺激されるが、まぁ死ぬまでに買うかどうかの話だ。
奥のオーディオ・ルームで最新式のステレオを聴く。どういうわけかモダンジャズのトリオしかやらないのはなぜだろうか。スネークドラムのシャリシャリとウッドベースの音は本当にすごいが、肝腎の中音はこれでは分からない。
スピーカーの主流は省スペースの縦長だ。さすがに音は良いが値段もヒトケタ違う。
ソニーがエラく頑張っている。昔なら手を出さなかったようなアクティブ・スピーカーのような“ゲテモノ”も出していて、それなりの価格とクオリディーで納得させる。
当面の買い物はUSBデジタル・オーディオ・コンバーターだ。手持ちはONKYOのSE-U55でさすがに古い。10年は経っている。店員のおすすめはKORGだ。再生ソフト「オーディオゲート」の会社だ。しかし値段は高い。5万円くらいする。むむっとためらった末、そのまま帰ってきた。
その足で古本屋に向かう。オモテの均一本を眺めて、中に入るとそこはかとなく古本の匂い。右回りで法律、経済、哲学、歴史と進んでいく。しかし根気も体力も好奇心も薄れているのが痛感される。
一冊だけ買った。松下芳男という人の「三大反戦運動史」という本だ。昭和48年の発行で初版本だ。多分初版で終わりの本だろうが。パラパラと読んだ印象では、なかなか面白そうだ。
遅めの昼飯を食べてから、紀伊國屋に向かう。
このあいだ買った本も読んでいないというのに、性懲りもなくまた買ってしまう。
ブルーバックスで上下二冊の「脳研究の最前線」という本。最前線と行っても2007年の発行だから最新ではない。私にはこれで十分だ。だが、果たして読むだろうか。
経済学のコーナーに回る。品揃えに驚いた。フリードマンが一冊、ハイエクが一冊、ネオリベ系の解説書が数冊、それだけだ。ネグリなど影も形もない。
書棚の半分はケインズだ。「ケインズは復活するか」みたいな感じ、その他に厚生経済やセンやロールズなどが並ぶ。次に多いのが「資本論」関連本。いろんな立場の人がそれなりに「資本論」を読み解いている。資本論そのものも3種類置かれていた。第3巻に注目したものもいくつか並んでいた。
他にはクルーグマンやスティグリッツなど。ピケティは未登場である。中山さん好みのウォーラーステインやポラニーもしっかり並んでいた。
学問の世界ではもはやネオリベはガラパゴス化しているようだ。
哲学のコーナーもかなり様変わりしている。とにかくヘーゲル・ブームだ。ざっと数えて10冊はヘーゲル本が並んでいる。一世風靡のウィトゲンシュタインやフランスのポストモダンの有象無象はすっかり影がうすい。一応はデリダ、ドゥルーズあたりが並んでいるが、フーコーや構造主義は見当たらない。哲学界もなにか大きな流れが襲っているようだ。
それならワロンも復活しないだろうかと思って心理学のコーナーに行ったが、さすがにない。代わりに、と言ってはなんだがヴィゴツキーがブームになっているようだ。ピアジェの対抗馬と目されているようで、そういう意味ではかつてのワロンと同じ扱いなのかもしれない。
一応、精力的なヴィゴツキー紹介者の柴田義松さんという人の書いた「ヴィゴツキー入門」という解説書を買ってみた。大体この手の本は買うときには一種の高揚感にとらわれるのだが、家に着く頃にはすっかりしぼんでいてそのまま本棚の肥やしになるのが通例である。ワロンやアドラーのときもそうだった。
各国関連の書棚も行ってみた。中国の毛沢東以前の共産党を系統的に書いた本がないかどうか探したのだが、やはり今のところはないようだ。しばらくは私の年表が一番の情報源ではないかと思う。
というわけで、買ったおもちゃと本を抱えて行きつけの喫茶店でパラパラとページを捲り、たばこを2,3本吸って駐車場に向かったのがすでに3時を過ぎていた。もはや膝に力が入らない。これが68歳だ。

途上国の「開発」の失敗はケインズのせいではない。

前節ですでに、「開発」政策の評価をめぐり、中山さんとの食い違いが生じたのだが、それは次の節で拡大する。

中山さんはブレトンウッヅに始まり、先進国での戦後の復興・発展が60年代後半に壁に突き当たったこと、途上国で開発が貧困化と独裁の強化とをもたらしたこと、社会主義国における計画経済が失敗したことなどから、フリードマンの経済学が評価されるようになった、という流れで説明している。

そのうえで、ショックドクトリンが間違っているという主張を開始することになる。ただ先進国の問題と途上国問題が分離して論じられないために、議論ががぼやけてしまう。

これではネオリベ主義者と同じで、政府の介入・統治が引き起こす問題が大きくなりすぎたというのが結論になってしまう。

私は、ブレトン・ウッズ体制(GATT・世銀)はそれなりに機能したと思う。それは通貨(決済通貨)の統一と、貿易の自由だ。世界の経済は奇跡的な復興を遂げた。貧富の差は劇的に縮小し、曲がりなりにも「福祉国家」と呼ばれるものが登場した。また植民地という経済外的強制も無力化し、崩壊した。 

ただ、それ以上の発展のためには国際労働政策に依る所得の底上げが必須だったが、それがないままに物質的富の消費増大だけが発展の起動力となってしまった。これが「ブレトン・ウッヅ精神」を無視したことの報いであった。

途上国の開発問題は、60年のUNCTAD創設にさかのぼって議論しなければならない。「国連の開発の10年」計画は、結果的に見て大失敗だった。強調しておきたいのは、「途上国で開発が貧困化と独裁の強化とをもたらした」のは60年代に入ってからだということである。

なぜ「開発の10年」が失敗したのか、その総括抜きにチリの自由化も、80年代の「失われた10年」も語れないだろう。

逆に講和条約からオリンピックまで総額8億ドル以上の世銀借款を受けて、日本が超スピードの成長を遂げたのも、そのためだと思う。

東アジアの国は日本の進出を受けこの時期に「離陸」に成功した。またアフリカは旧宗主国と現地白人の強収奪により「暗黒大陸」に逆戻りしてしまった。これらも60年~70年代に秘密がある。

と言っても私にはその秘密は解き明かせていないが…


無駄な規制などない方が良い、というのが規制緩和論者の言い分である。

たしかにそのとおりだが、彼らは実際には無駄であろうと有効であろうと、とにかく規制イコール悪なのである。本音は規制緩和ではなく、規制撤廃、なんでもOKなのだ。

しかし冷静に考えてみよう。本来、規制というのは「悪いことをさせない」ための規制なのである。

元々、資本主義にルールなどなかった。みんな人の迷惑も考えずカネのためならやりたい放題だった。それがイロイロ弊害が出てきて、最後には二つの世界大戦にまで至ってしまったのだ。

だから、イロイロ禁じ手を作って、そのルールの中で競争することにしましょうということになったのだ。もちろんそのルールの中には勝手なものもあるし、官僚の身過ぎ世過ぎのために作られたとしか思えない規制もある。

ただ、規制そのものは本質的に善なのである。ここは絶対にはっきりさせて置かなければならない。

格闘技というのは元々は殺しあいである。それがイロイロ規制をかけたからスポーツとして成り立つのだ。

カニバサミという柔道の決め技があって、割と最近まで認められていたが、山下選手がこの技をかけられて骨折したことから禁じ手になった。

ウィキペディアより「蟹鋏捕」


余談だが、カニバサミで検索中に面白い記事があったので転載しておく。ただし面白いと思うか不快に思うかは、約束はできない。

「“カニばさみ”されないように気をつけろ」

 某メガバンクの独身寮には近年、先輩から後輩へ語り継がれるこんな“警告”があるという。「カニばさみ」とはいったい何か。入行6年目のAさん(28)が実体験を語る。

「一般職の女子行員(32)にはいまの部署に移ってから先輩としていろいろ教わっていて、部署の飲み会の後、酔いの勢いもあってラブホに入ったんですよ。いざ行為を始めようと避妊具をつけようとしたら、彼女が『今日は大丈夫だから』って」

 そのまま言葉に甘えてノーガードで始めたAさん。だが、もう限界だと思って腰を後ろに引こうとしたその時、信じられないことが起こる。

「彼女の両脚が僕の胴回りを挟み込み、ガッチリとホールドされてしまったんです。振りほどくのも変だし、『まあ大丈夫だって言っていたしな』と……」

 流れに任せたAさん。この時は、職場の上司に「出来ちゃった婚」を報告するはめになろうとは夢にも思っていなかった──。これが、いま独身のアラサー女性たちの間でにわかに急増する“カニばさみ”の実態である。

「独身のアラサー女性たちは、とにかく若い社員を捕まえたい。だから、避妊をさせない。しかも、男の側も上司や周囲から『早く身を固めろ』と圧力をかけられたりするから、結局従ってしまうことになりやすい」(ベテラン銀行員)

 先日、女性誌『an・an』は「プロポーズから出産まで一気に叶える! 授かり婚はこんなにスバラシイ!」との特集を組んだ。出来ちゃった結婚を「授かり婚」と言い換え、カニばさみ女たちは幸せをつかむ。

※週刊ポスト2013年11月1日号

水谷千秋「継体天皇と朝鮮半島の謎」(文春新書)を読んだ。
継体の闘いが詳しく着されていて非常に面白い。
その分、近畿でこれだけ必死の闘争をやっていて、筑紫の君磐井の乱を鎮圧する暇などあったのだろうかという思いがますます強くなる。
大伴や物部に加えて、近江の何某という人物まで登場するが、磐井はこの人物に「昔は同じ釜の飯を食った仲ではないか」と嘆いてみせる。あきらかに近江の何某は日本書紀の着せ替え人形である。
ただし、日本海沿いや瀬戸内の豪族がまったく蚊帳の外にいたかといえばそういうことでもないようだ。雄略紀の記載だから、おそらく倭王武の治世に、若狭の膳臣斑鳩、吉備の臣小梨、難波吉士の赤目子らが新羅を支援し高句麗と闘っている。
磐井の反乱とその鎮圧の件は、文章の体裁からして明らかに百済本紀からの移植である。したがって大和政権のあずかり知らぬ事件である。当時の大和朝廷には百済政権との間にそのような濃厚な関係はない。
戦いに敗れた磐井は豊前方面に逃走し、山中で消息を絶った。南方の肥後の勢力が反磐井に回ったからであろうが、それにしても大和政権の方向に向かって逃亡することは考えにくい。
磐井が筑紫野君である以上大君がいたに違いないが、大和政権の長は大君を名乗っていたのだろうか。そもそも大和政権に「君」という位階・官職が存在しただろうか。
天邪鬼なりに素直に考えれば、百済と筑紫を結ぶ線上に「大君」が存在していたと考えるべきだろう。それに対し磐井は筑紫から遠賀川流域の線を確保して新羅とつながっていたのではないか。
博多から太宰府にかけての地域を本拠とする「大君」が、肥後の君と連携して磐井を挟撃した。だから磐井は豊前方向に逃げたのではないか。



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