鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2014年09月

ベーム指揮 ウィーン交響楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団
  テレサ・シュティヒ=ランダル(ソプラノ)
  イーラ・マラニウク(アルト)
  ヴァルデマール・クメント(テノール)
  クルト・ベーメ(バス)
  録音:1956年11月 ウィーンでのライブ録音(モノラルだが擬似ステ化)

このモーツァルトのレクイエムには度肝を抜かれた。キリエは壮大にして悲劇的なフーガ。激しく咆哮するレクイエムなのだ。
モーツァルトの最晩年がシュトルム・ウント・ドランクと重なったとしてもなんの不思議もない。フランス革命の2年後であれば、こうあるべきかもしれない。ベートーヴェンの獅子吼とは違う。それはモーツァルトの獅子吼なのだ。
ベームの演奏は、古楽器の連中があれこれと解釈するよりは、はるかに説得力がある。
音は1956年らしく貧弱だ。高音はひしゃげ、強音は潰れている。ライブだというからさらに条件は悪い。しかしsれを乗り越えて迫ってくるデモーニッシュな迫力がある。
これまではコリン・デイヴィスとドレスデンのライブ盤を愛聴してきた。多分それは変わらないだろうが、なにか疲れた時に、がーんとこれで一発かましたい感じにさせる演奏である。

それにしても、久しぶりに聴くとデイヴィス盤はいいなぁ。小さな音で再生すると、音が遠くで鳴っているようなくぐもった感じだが、音量を上げると部屋中が音で満たされる。
大編成で、残響が多い環境での演奏なのに、リズムがしっかりしていて崩れがない。だから濁りが最小限に抑えられてクリアーである。

寡聞にして知らなかったのだが、南アルプスの真下をリニア新幹線が通ると、大井川の流量が毎秒2トン減るのだそうだ。
「まぁ、そういう計算もあるのかな?」くらいに思っていたのだが、この推計はほかならぬJR東海の発表したものなのだそうだ。だから、少なくとも政治的には争いようのない事実である。
大井川下流の島田市は猛反対してる。当然だろう。島田を含む下流7市の現在の水道利用量は毎秒約1.39トンなのだそうだ。
この記事には、元々の流量がどのくらいなのか、毎秒2トン減ってどのくらいになるのかは書かれていない。しかし由々しき事態であることは間違いない。
大体、リニア新幹線は東京都名古屋の人だけに役立つものであって、静岡には何のメリットもない。昔からJRは静岡の人を馬鹿にしている。時々ひかりもイヤイヤ停まるが、ほとんど素通りだ。東京からこだまに乗ってご覧。一つ置きに「通過列車待ち合わせ」だ。おまけに後から後から駅を作るものだから、今では昔の準急並だ。おかげで空いているといえば空いているのだが、今度は空いているからと本数を間引く。
結局これがJRの葛西社長のやることだ。いっそ静岡県は新幹線から通行料をとってやればいい。JRから水道料をとってただにするというのはどうか。

時節柄あまり良い例えではないので気が引けるが、「歴史を偽造するものは誰か」を読んだ感想。
可愛い女の子がいて、近所に変質者がいたとする。
この子をとっ捕まえて、嫌がるのを無理やり車に押し込んで連れ去る。これは立派な誘拐だ。
しかしキャンデーをあげて、「もっと欲しかったらついておいで」と騙して連れ去ったら、これは誘拐ではないのか?
確かに誘拐という行為は、強制を伴うわけで、連れ去る行為において誘拐行為であったか否かも問題にはなる。しかしそれは事の本質ではない。誘拐の本質は監禁にある。もっと言えば監禁して慰みものにしようという邪悪な意志にある。
もし少女誘拐事件で裁判になったらこういうことになるだろう。
暴力的に連れ去ったのではなく、自発的についてきたのだとしたら、それは情状酌量の余地を残すだろう。しかし誘拐罪という罪名はそれによって消え去ることはないだろう。

それでは下記のような事例はどのように判断されるだろうか。
「帰宅する途中、釜山駅近くの路地で日本人と朝鮮人の男性二人に呼び止められ、『倉敷の軍服工場にお金を稼ぎに行かないか。』と言われ、承諾もしないうちに、船に押し乗せられてラバウルに連行された」
「『日本人の紹介するいい働き口がある』と聞いて行ったところ、日本人と朝鮮人に、芙江から京城、天津を経て〈中国各地の慰安所に〉連れて行かれた」
「日本人と朝鮮人が来て、『日本の工場に働きに行けば、1年もすれば嫁入り支度もできる。』と持ちかけられ、断ったものの、強制的にラングーンに連れて行かれ、慰安所に入れられ〈た〉」
「日本人と朝鮮人の青年から『金儲(もう)けができる仕事があるからついてこないか。』と誘われて、これに応じたところ、釜山から船と汽車で上海まで連れ て行かれ、窓のない三〇ぐらいの小さな部屋に区切られた『陸軍部隊慰安所』という看板が掲げられた長屋の一室に入れられた」
これらはすべて強制連行と認定されている。  広島高裁判決(2001年3月29日)

ついでに下品な話。むかし学生時代、こういうヒソヒソ話があった。「強姦するとき、ハンカチ1枚下に敷いてあれば和姦で、強姦にはならない」
「まさか?」と言わせるための「都市伝説」だが、もし、まじめに考えている人がいるとすれば、それはほとんどキ印である。それが世間の常識ではないだろうか。

 「浮浪児」について調べたり語ったりするのは、気の重い仕事である。明白に差別する側にいた自分の記憶が浮かび上がるからである。

「浮浪児」、あるいは「浮浪者」は歴史的な言葉で、今では死語ないし差別用語に属するものであろう。

私が子供の頃、浮浪児はかわいそうな人達というよりは怖い人達と受け止めていた。「悪いことをすると橋の下に捨ててくるよ」とか「サーカスに売って しまうよ」というのが母親たちの最高の脅し言葉だった。

だから道端でコジキをしている子供を見たり、サーカスで子供の芸人を見ると、怖さが先に立って、な るべく見ないようにしたものだった。

さんざん子供を脅かすくせに、乞食や傷痍軍人がいると、親は私に10円玉を渡して「やって来い」と命じるのだった。私はうつむき加減に目を合わさないようにして、恐る恐るかごにお金を入れると、一目散に逃げ出したものだった。

いま考えると、あの頃の大人はずいぶん薄情だったが、情は濃かったかもしれない。


私たちは毎日、仕事の行き帰りにホームレスを見ながら生活している。「それと同じではないか」と思うかもしれないが、やはり違うのである。

金田茉莉さんは下表のように整理している。


ホームレスと浮浪児の違い

   現代のホームレス  戦後の浮浪児
年代   成人した大人
   働ける年代である
  15歳以下の子ども
   働けない。保護が必要
寝る所   公園などに空色のテントなど
  張って、その中で寝る
  地下道などコンクリートの上で
  ごろ寝する
食べ物   賞味期限のきれた残飯はある
   ゴミ箱には食べ物がある
  食べるものが何もない
  物乞いするか、盗む
衣類   棄ててある衣類がある
  衣類には困らない
  衣服はボロボロ、垢まみれ
  虫がゾロゾロいる
家族   どこかにいるだろう
  親から独立した年代
  両親がいない。誰にでもある
  家庭そのものがなかった
学歴   義務教育(小中学校)は終了   小中学校さえいけなかった
 
浮浪児というのは戦争という理不尽の、あまりにも理不尽な結末なのだ。(ホームレスが理不尽でないとは言わないが)

最後に、金田さんのホームページ「戦災孤児」は膨大な内容をふくんでいるが必ずお読みいただきたい。

 

前の記事で、戦災孤児というのがどのくらいいたかはわかった。しかしそのなかで浮浪児となったのがどのくらいいたのかは良くわからない。

戦災孤児の数字ですら、厚生省が正式に発表したものはないのだから、浮浪児の数など分かるはずはない。もっぱら警察の資料からうかがい知るのみだ。

敗戦直後の日本における浮浪児・戦争孤児の歴史」 教育学部の逸見 勝亮さんという方の書いた論文がある。

この論文は①「浮浪児」の数と実態、②浮浪児を収容した施設の実態、③浮浪児の立ち直りを描いた菊田一夫の「鐘の鳴る丘」に対する評価の三部に分かれている。

この内の①に関する記述の一部を概略紹介する。なお原文は西暦を用いているが、私としては昭和のほうが実感が沸くので、そちらで表記する。


浮浪児はどのくらいいたか 厚生省の調査

浮浪児・戦争孤児は、戦争未亡人・復員兵ともに、疲弊し混乱していた敗戦後の日本社会を象徴する社会現象であった。

昭和23年厚生省調査では、このような浮浪児・戦争孤児は12万3,500人とされる。

ただし、戦後の混乱期ということもあり、満足できる統計資料はほぼ皆無である。逸見さんは下記の諸資料より検討を行っている。

①厚生省児童局「浮浪児保護状況調」

この調査によれば、21年4月~22年4月の間に、施設に「保護(収容)」されたり、保護者などに引き取られた浮浪児は15,501人だった。性別では男12,662人、女2,839人である。

このうち3,510人は、複数回の再収容者であった。

(“保護”されていない浮浪者は当然数に含まれていない。彼らの多くは“保護”を恐れ逃げまわっていたことに留意しなければならない)

②厚生省児童局調査(21年6月15日付)

この調査によれば、要保護浮浪児は5,485人で、そのうち4,013人は養護施設に入所しており、1,472人は街頭にいた。

(“保護”率は73%ということになる)

③厚生省養護課(22年8月30日現在)

『朝日年鑑』(昭和23年版)からの引用である。この調査で、浮浪児は推定3万5,000人とされる。うち1万6,145人は施設に収容されていた。

(“保護”率は46%ということになる)

④厚生省児童局調査(昭和24年10月末)

調査の原本は所在不明である。この調査を引用した朝日新聞の記事が紹介されている。

「六大都市をはじめ全国各地にはまだヨモギ頭にボロの夏シャッツで震えている浮浪児が約三万近くいる」


浮浪児はどのくらいいたか 警察の調査

厚生省の調査が、調査とはとても言えないものであったのに比べ、現場で“対応”した警察の“実績”のほうが“正確さ”においては優っている。

ただ警察が対応した理由は、彼らが“目障り”だったからであり、対象は“体裁上目障りな浮浪児”に限定されていると見なければならない。

⑤国家警察本部の調査(23年4月末日現在)

23年4月末時点で、浮浪児の数は2,513人(男2,124人、女389人)であった。

3月末の浮浪児は767人であり、1ヶ月に1,745人増加したしたことになる。そのうち1,508人が「保護(又ハ収容)」下にあった。

⑥警視庁が「保護」した浮浪児

1950年中に4,358人が保護された。うち男が3,786人、女が572人であった。1951年中には2,472人が「保護」された。(警視庁の「保護」というのは浮浪者狩りという捕獲作戦である)

警察署毎「保護」数では、上野署が1,144人、浅草署が805人、丸の内署が437人で、ほぼ半数を占めた。要するに彼らがいると“目障りな”場所に集中している。


どうして浮浪児になったのか

厚生省にはこれに関する調査はないようである。逸見さんが見つけ出したのが第4回警視庁統計書という数字である。

これは終戦から6年を経た昭和26年の、東京都下に限られたデータである(!)

この調査では「保護」した2,472人の浮浪の原因《表-6》と浮浪中の「生活手段」《表-7》について分類されている。

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まず原因であるが、戦災に起因する孤児は669人(27.1%)、「外地引揚」すなわち引揚孤児は76人(3.1%)であった。家出は617人(24.9%)、「浮浪癖」が735人(29.7%)を占めた。

それでも、身寄りのない浮浪児が1,085人(43.9%)だったことは、控えめに告白されている。

一言で言えば、浮浪児とは「家出した戦災孤児」 ということだ。

こちらははるかに対象数が少ないデータであるが、終戦直後であること、浮浪者を犯罪者扱いはしていないことで貴重だ。

1945年11月の浅草東本願寺厚生会浮浪者収容所の浮浪者調査である。調査対象の浮浪者は205人で、19歳以上が132人なのに対し、18歳以下は73人(36%)だった。この73人について分類すると、戦災孤児が47人(64.4%)、両親のいずれかと浮浪していた子どもは8人(11.0%)だった。

浮浪児の多くが家出によるもので、食糧事情の逼迫、戦災による住居の狭隘、放任又は虐待などを理由としていた。

と、書いているだけで涙が出てくる。「家庭の不和」というのは、そもそもそこが「家庭」ではなかったからだ。「都会へのあこがれ」はふるさと東京への思い、「食糧事情の逼迫、戦災による住居の狭隘」というのは、要するに食べ物も与えられず、寝場所も与えられず、家を追い出されたということにほかならない。こういうのを「家出」とは言わない。言ってはいけない。


浮浪児の生活

「第4回警視庁統計書」に戻る。浮浪中の生活手段では、バタヤ・モク拾い・新聞売・靴磨などともかく働いていた浮浪児は849人(34.3%)であった。

いっぽう、窃盗(掻払い、スリ、その他)・売春など犯罪行為で糧を得ていたものが613人(24.8%)にも達した。浮浪児が忌み嫌われる所以である。

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浅草東本願寺厚生会の調査でも同様の傾向が窺われる。貰い・残飯あさり(乞食)が最も多く、靴磨きなどいわゆる街頭労働が続いている。注目すべきは「生活手段なし」と答えたグループで、このなかには常習的な掻払い4人、売淫6人がふくまれ、恐喝その他の犯罪行為を行つている者もいる。

調査者は以下のように総括している。

彼らは決して一人では生きてゐない。街頭児の大部分は純然たる戦災孤児であり、その街に生きてゐくためのグループとして、極めて自然発生的な、純情的なものであつた。

中には年長浮浪者の悪影響をうけて、単純な浮浪から、次第に反社会的な傾向を身につけてゆく者も認められる。その背後には成人の浮浪者や職業性犯罪者、組織的暴力団の暗躍が認められている。

ところが、その後、一年もすると街にすむかれらの結合状態が非常に変化して来た。グループの元締を街の兄貴や、闇商人、第三国人がにぎつてゐる。

東京都民政局(A)と中央児童相談所資料(B)によれば、

①貰い:Aでは70%、Bでは52%の浮浪児が、「切符売場で釣り銭をもらつたり、待合室で弁当を使う客に手を出して食を乞ふ」ことで腹を満たそうとしていた

農村で物乞いするのを「田舎まいり」と称した。留守の農家では忍び(コソドロ)に早変わりする。それは地下道生活の息抜きにもなり、狩込み逃れの手段でもある。

②闇屋手伝い:上野駅で「親分の手先になつて」働いた。

③掻っ払い:上野駅乗降客の所持品、売店の商品、焚屋(料金を取って焚き火に当たらせる業)客の所持品を盗み、闇市へ転売した

④新聞売り:1部1円(小売り)で購入し、1円80銭~4円で売りつけて、差額を得た

⑤煙草拾い・煙草巻:煙草の喫殻を拾い集め、1本分1円で売った。喫殻を買って巻いて売るのが煙草巻である。

⑥靴磨き:道具・靴墨に500円要るので「浮浪児は次第にこの商売から姿を消しつつある」という

⑦スリ: 数人が連携し安全剃刀を用いて、乗客の着衣・所持品を切り裂いて金品をすり取った。殆ど親分や兄貴分の支配下にあり、稼ぎは全部吸い取られた。稼ぎに応じて食費と外食券、宿泊費が分け与えられた

⑧その他: 急行列車の切符を買占めて売るダフ屋、列車を待つ列に並び場所を売るショバ売り、売春の手引き。


“歴史を偽造するものは誰か―「河野談話」否定論と日本軍「慰安婦」問題の核心”

という長大論文が出た。思わず身を引きかけるが、やはり読んだ上で中身を紹介しなければならないだろう。

要するに「吉田証言」問題と、これを利用した大キャンペーンへの反撃である。基本線は前の志位論文と変わりはない。

その前に、参考までに、これまでの歴史認識をめぐる原稿を表示しておく。

             

政池仁という人がいた。

戦前、キリスト教の立場から非戦論を唱えた人である。

松下芳男の「三代反戦運動史」の中で紹介されている。こういう読み方をしているから、読書がいつまでたっても進まない。

略歴を見ておこう。

1900年の生まれ。東大理学部科学科を卒業。在学中に内村鑑三の聖書研究会に参加。28年に静岡高校化学科教授に就任。

33年に「子どもたちに平和問題を語った」ことから職を失う。その後東京で独立伝道を開始。

33年に出版した「キリスト教平和論」は、まもなく発禁処分となり罰金刑を受ける。

44年6月には憲兵隊に連行され取り調べを受けたが、当日深夜に帰宅を許されている。

戦後の活動については省略する。


京大の雑誌で菊川美代子さんという方が「政池仁の非戦論」という論文を書いている。以下はその読書ノートである。

1.非戦論と反戦論

政池仁(1900-1985)は、無教会主義の創始者である内村鑑三の直接の弟子である。政池は、アジア・太平洋戦争に際して、信念に基づいた「信仰一本槍」の絶対非戦論を貫き通した。

政池は1935年に『愛国者の平和論』、36年に『基督教平和論』を発表し、非戦論を明らかにしている。

非戦論とは「戦争を道徳的又は宗教的又は経済的に否定するもの」で、国法を重んじ、たとえ自らの主張に反することであっても、国家の命令であればそれに服従して開戦の際には徴兵にも応召する

とする。だから実践的には応召を拒否する反戦論とは決定的に異なる。

安藤肇はこのような考えを

「開戦となれば、政府に協力するという含みを持った平和運動は、戦争を強行しようとするものには、何の脅威にもならない平和運動」であり、「賢明な軍国主義者たちであれば、かえってこうした平和運動の存在を喜ぶであろう」

と切り捨てている。(安藤肇『深き淵より―キリスト教の戦争経験』1959 長崎キ平)

つまりこのような非戦論は、強力な反戦運動の存在を前提として、いわば「折衷論」として成立したものといえる。しかしそれが反戦運動が消滅したあとどういう運命をたどるかは、理論ではなく論者の“誠実性”に関わっていくことになる。

2.十戒の現実への直接導入

政池の非戦論を貫く論理は、殺人は良心に反するから道徳的に悪であり、したがって殺人を必然的に伴う戦争もまた道徳的に悪である、という単純明快なものである。

戦争は先づ第一、人を殺す事を許します。「汝殺す勿れ」と聖書に書いてありますが、之は聖書に書いてあらうとなからうと・・・・・・何人の良心にも聴える天の声であります。

殺す事は何故悪いか、その理由は倫理学者の暇つぶしに考へて貰へばよい事であります。

…たとひ戦争が国家にとつて利益であつても、又世界の人類を幸福にするものであつても、してはならぬと言ふのであります。

政池はキリストの再臨によってのみ「永遠の平和」が到来すると考えていた。しかし再臨の時まで何もせず過ごすのではなく、「主の再臨を早める」ために全力を尽くして非戦論を唱えるべきだとした。

ここから先は、ちょっとスピリチュアルな話になるが、

神は「人間が自分で発達し、自分で神を発見する様に、ご自身は匿れてゐて教育」している。したがって、非戦論を唱えるのは、人間が神を発見することを助ける行為となるのである。

3.絶対無抵抗主義

絶対無抵抗主義は政池の思想の弱点を表している。

政池は、「『愛する者よ、自ら復讐すな、たゞ神の怒りに任せまつれ』(ロマ書)を根拠に絶対無抵抗主義を唱えるが、自分の責任の範囲内の不義に対する力の行使は除外される。

例えば子供に対するしつけなどに相当する。したがって支配者がふるう暴力は容認されることになる、という矛盾を持つ。

若し私が一国の治安をゆだねられた者であるならば、私はその国内の不義を許してはなりません。不義を討伐するためには剣をぬくもやむを得ません。

戦後の政池は、労働運動やストライキを、まさにこの「無抵抗主義」の論理から認めなかった。


ということで、理論的には弱点は見いだされるが、政池の存在意義はそんなところにあるわけではない。同時代を生きた人々には、「そんな程度で偉そうな顔をされても困る」くらいの気持ちであろうが、左翼運動が死に絶えた中で、かすかな平和の灯を守った勇気と信念には敬意を払うべきであろう。一時拘束が1回あったきりで、終戦まで逮捕されなかったという身のかわしの旨さも特筆モノだ。


政池の限界を厳しく指摘している安藤肇さんという方の文献を探したが、ネットでは見つからない。長年千葉で教会幹部を勤め、民主勢力の重鎮としても活躍、最近亡くなられたようだ。


消費税再引き上げ反対  5つの使えるグラフ

消費税引き上げに賛成する人は、

*社会保障が大事だから仕方がない。

*財政が大赤字だからしかたがない。

*国際競争力を守るために法人税の減税は仕方ない

と思っているのだろう。

それに対する有無をいわさないデータを示す必要がある。

1.引き上げやむなし論には根拠が無い その1

消費税増税は法人税減税へ。法人税を減らさなければ消費税を増やす必要なし

税収内訳推移

A) 平成元年の消費税導入後、税収は所得税に平行して下がっている。

B) 消費税導入、5%への引き上げはすべて法人税減税によって相殺されている。

C) 平成15~19年の税収増は、法人税増収によりもたらされている。

2.引き上げやむなし論には根拠が無い その2

財政バランス推移

プライマリー・バランス(対GDP比)の推移。97年の消費税導入後に、財政悪化が急速に進行した。03年7.2%が07年には2.1%まで改善している。リーマン・ショックがなければ2010年には財政赤字は解消されていたはず。

その間、消費税は上げられていない。景気の拡大があれば、財政赤字の克服は困難ではないということだ。しかし消費税は景気縮小にはたらく。

3.問題は歳入欠陥だ

世界の直接税

OECD諸国における租税負担率(2009年)において、日本は最下位。

4.所得税の減少に歯止めをかけなければならない

税率構造

税制について考えてみよう(財務省) より

5.事業主が責任を果たせば社会保障は維持できる

社会保障財源の推移

社会保障というものは、本来保険料によってすべて賄うのがたてまえ(国民保険・年金を別として)。しかし保険料が頭打ちとなる中、公費負担の割合がどんどん大きくなっている。

96年までの伸びが確保できていれば、公費負担はほぼゼロとなる。とくに事業主の負担が割合だけでなく実額でも減っていることは大問題だ。

今朝、NHKの「お茶の間フォーラム」みたいな番組で、「消費税増税実施すべきか否か」の話をしていた。増税推進論の代表として大和証券のアナリストが出てきた。
昨日大和総研を褒めたばかりなのに、とんでもないことをしゃべり散らしていて、かなり腹がたった。
司会者が「消費税、上げるべきと思いますか」という問いに、「上げざるをえないでしょう」と答える。しかもなぜ「上げざるを得ないのか」について満足な理由を上げられない。
問題なのは、その答えが答えになっておらず、はぐらかしでしかないということだ。議論に参加しているみんなは、必要かどうかという問題と、可能かどうかという問題を、それぞれに勘案した上で、「適切かどうか」という判断をしようとしているのだ。
結局、これは高村副総裁の「国際信用を失う」論につながっていく。
これは2つの点で間違っている。
まずこれは無責任な「撃ちてし止まん」論だということだ。日米開戦時の「やむを得ない」論と同じだ。
第二に、格付会社の幹部が言うように、「国の信用は経済のパフォーマンス次第だ」ということだ。消費税引き上げを実施すれば、破局に至るかどうかは別にしても、間違いなく経済は悪化する。そちらのほうが「国際的信用」にとってははるかに重大なのだ。アメリカの市場関係者や経済メディアは一致して、消費税引き上げ断行を憂慮している。


茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」にピート・シーガーがメロディーをつけている。その曲がyoutubeにアップされている。ピートのお弟子さんが歌っている。解説によると、ピートが67年に来日した時、ある雑誌でこの詩を識り、曲とコードを書いてコロンビア・レコードに録音したのだそうだ。

<茨木さんは84年にピートのコンサートに出演し、日本語でこの詩を朗読したそうだ。

茨木さんが2006年は亡くなった。それから4年後のある日、ピートはバンジョーの授業をやめて、こう言った。「こんな曲を聞いたことがあるかい?」

そして私に歌って聞かせた…

ただし大変失礼ながら、この人はうまくもないし、分かってもいない。演奏を聴くならこちらのほうが良い。


歌詞の一部を紹介すると

When I was most beautiful
Nobody gave me kind gifts.
Men knew only to salute
And went away.
When I was most beautiful
My country lost the war
I paraded the main street
With my blouse sleeves rolled high

となっていて、ちょっとぴんとこない。

「美しい」はbeautifulではなくbrilliant、kindはsincereのような気もするのだが

何よりも「卑屈な」がない。「美しさ」は「卑屈さ」に対比されている。のり子は手のひら返しの卑屈さに怒っている。だからあえて、卑屈でない自分を「美しい」と表現するのだ。ナルシズムではない。

確かにメロディーにはキラっと光るものがあるのだが…

なんとかこれを日本語の原詩で歌えないものだろうか。

大和の想定グラフはなかなか面白いので別掲する。

空洞化と原発停止


空洞化と原発停止が貿易収支に与える影響を見たものである。2013 年時点で 11.5兆円ある貿易赤字のうち、約 7 兆円が空洞化、約 4 兆円が原発停止に伴う輸入増の影響によるものである。


というのが説明。「原発停止による」というのはちょっと不正確で、「原発停止に伴う石油・液化ガスの輸入増による」である。

絵の作り方も若干意図的で、空洞化の影響を下線にすれば、空洞化に比べ影響は少ないことが分かる。

つまり原発再開を願って作ったグラフが、はからずも空洞化の影響をさらけ出したことになる。

さらに言えば「円安」の影響というのも、円安にもかかわらず輸出が伸びないがための“影響”であり、広義の空洞化である。

結論から言えば、財政赤字の原因の殆どは大企業の海外逃避に伴うものなのだ、といえる。


政府の経済見通しが発表され、金融系の各シンクタンクがコメントを発表している。

まずは「みずほ」(9月9日)の見解

7~9月期には駆け込み需要の反動が徐々に薄れる、公共事業の執行が進む、ということで前期比年率+4.7%と強気の読み。

さらに年度後半は個人消費の持ち直しや設備投資の増加が続く、とし、通年で実質GDP成長率は+0.5%と予測する。

要するに政府見通しそのままだ。率直にいって、「みずほ」はやばいと見るべきだろう。

三菱UFJも同じ日に見解を発表

基調は同じだが、もう少し慎重な読みとなっている。

4~6月期の特徴を設備投資の下方修正と、在庫の増加とし、マイナス要因を先送りしていると指摘する。

いっぽう7~9月期についてはかなり大胆に予想しており、景気が後退期に入ることは回避できる、消費税率の10%への引き上げを決定する障害にはならないと断言する。

通年の実質GDP成長率は+0.2%と予測。下振れ要因として夏場の天候不順の影響、在庫を急速に調整する動き、海外経済の悪化により輸出が低迷する場合を上げている。

ただ両者ともに7,8月の動向を織り込んでいない。消費税増税に伴う悪影響がおおむね一巡し設備投資が増加に転しる、在庫整理にメトがつく、という織り込みはかなり狂っているはず。

さらに、実質賃金の低下や、空洞化と輸出の停滞という構造要因も織り込まれていない。

大和総研はもう少し踏み込んで分析している。

1.設備投資の減少は前期比▲5.1%と想定以上である。政府見通しは大きく下方修正された。

2.在庫の増加は、駆け込み需要によって減少した在庫の復元ということになっているが、内需の低迷に起因した部分もあるとみられる。

3.個人消費の5.1%減がどこまで駆け込みの反動か、どこまで実質所得の目減りによるものか。実質所得減による消費減は回復することはない。4~6月期では判断がつかない。

4.貿易赤字の二大要因は続いている。円安効果を空洞化が相殺している。貿易赤字11.5兆円のうち、約7兆円が空洞化、約4兆円が原発停止に伴う輸入増によるとされる。

第一生命は7月以降の動向も読み込んで、より厳しく見ている。

7月の個人消費関連指標や鉱工業指数は低調さが目立つ。とくに個人消費については予想以上に回復が鈍い。

4-6月期に積みあがった在庫を抑制する動きも下振れ要素だ。

7~9月GDPは前期比年率+4.0%と予想されているが、9月初め時点での感触ではそれを下回る可能性が高い。

むかし、デートというのは歩くことだった。
思えばすさまじい距離を歩いたものだ。
とにかく行くところなどないから、ただひたすらに歩いたのだった。

新幹線で京都まで行った。彼女は同志社に行っていた。駅からバスに乗って、彼女が好きだという大徳寺に行った。
門を入ると広い砂利道がどこまでも続いていた。大徳寺というのはお寺の集合体らしい。道の両側は白壁がどこまでも続いていた。
1月末の境内に客の居ようわけがない。どこまでも二人だけだった。
手などつないだ憶えはない。なにか喋った記憶もない。ただ黙々と歩いたように思う。
時々、ちらっと彼女の横顔を覗いた気はする。彼女がこちらを見やる視線も感じた憶えもある。
寒かった。まだ昼下がりというのに、日差しは弱々しく、風が少し出始めた。その風にウエイブした髪が揺れて乱れて、時々掻き上げる指が眼に残っている。
来た道をもどって、停留所でバスを待った。「もう帰る時間だね」と言って、また無言になった。
バスは空いていた。彼女と並んで腰掛けた。そのときバスの暖気に乗って、彼女の耳元からかすかにジャスミンの香りがした。私は髪がかかるほどに耳元に鼻を寄せ、二度、三度と吸い込んだ。
彼女が石のように身をこわばらせているのを私は感じた。

なんちゃって、最後はウソ。昭和41年のこと。香水はホント。
ここだけにしておいてください。

倭国大乱から神武東征まで、私の古代史解釈を図にしてみた。神武東征から倭国大乱までではない。


1.倭国大乱

倭国大乱前

倭国大乱とは、九州連合による出雲の占領である。

出雲は九州連合を形成する天孫族(天照大御神)と同系である。私は神話に詳しくないが、スサノオはアマテラスの舎弟分であり、かなり古く(朝鮮半島時代?)に分離していると思われる。

出雲王国が滅びた頃、その他の各地は弥生人、ないし弥生化した縄文人が分布していた。生産様式は採集と稲の栽培の混淆であったが、水田の普及により、湿地帯が居住地帯となり生産力が大いに上がった。

彼らの居住地は銅鐸の出土地帯と一致するので、銅鐸人と呼ぶことにする。いっぽう、出雲族の地帯からは大量の銅剣が発掘されるが、その理由は不明である。

瀬戸内海側は島嶼が多く海路の確保が困難で、安全上の理由から東方進出は困難であったと思われる。神武東征神話にもあるように、豊前から尺取り虫のように支配関係を形成しながら東漸して行ったものと思われる。

2.邪馬台国と纏向王国

出雲を逐われた出雲族は東に進み但馬から若狭、越前にかけて新たなコロニーを建設した。

但馬の勢力はそこから内陸に進み、丹波・山城から淀川水系に達した。若狭から南下した勢力は、近江から大津、大和方面に進出し、また関ヶ原を越え尾張・伊勢に向かった。

卑弥呼の時代

彼らは在地の銅鐸人を制圧し、銅鐸を棄却し天孫信仰を強制した。当時、京都南部は氾濫原であり、大阪平野は巨大な湖の底であったから、奈良盆地が最大の穀倉地帯であった(この時点ではすでに奈良湖は消滅している)。

出雲から直接南下した出雲族は岡山に入り吉備王国に加わった。吉備王国は大和とともに前方後円墳の文化を共有している。

3.神武の東征と纏向王国の制圧

神武東征の時代

神武の出自は良く分からないが、九州王朝を代表しうる資格を持ってはいたと思う。東征の出発地が豊前であることは間違いないようだ。そこから徐々に東に進みながら各地の豪族を手勢に加えていく。そして難波津まで達する。武王の上奏文はこのことを記している可能性がある。

ここで河内湖を挟んで対岸の長脛彦とにらみ合い、やがて衝突するが甚大な被害を蒙り一時撤退を余儀なくされる。

正面突破は難しいと見た神武側は南下し、紀の川からの攻撃を試みるが、これもうまくいかない。最後には熊野川まで行き、大台ケ原を乗り越えて吉野にたどり着き、さらに宇陀まで回りこんだ末に、側面攻撃に成功する。とにかくとんでもない苦戦の末、大和盆地の占領に成功するのである。

これが西暦300年過ぎのことだ。

それはトロイ作戦や、ハンニバルのローマ攻撃を思わせる、強烈な意志を持った闘いであった。

AALAの機関紙に載せるために柳原白蓮の文章を一本化しました。

いくさは遠く根の国へゆけ 白蓮(柳原曄子)の戦後

1.下二句の力強さ

白蓮、やんごとない点では別枠だ。なにせ大正天皇の従兄弟という雲上人。

この犠牲が 世界平和の道しるべ わがをとめ等よ泣くのでないぞ

人の世にあるべきものか 原爆の いくさは遠く根の国へゆけ


いい歌だ。
ある意味スローガン的な上三句を、正面から受け止め、我がものとし、その思いを下2句で激しく表出している。それが浮いてこないのはなみなみならぬ技法であろうが、それ以上に、言葉をがっしりと受け止めるだけの内実が感じられる。
まさに気高さを感じさせる歌である。

日本の文壇では、ともすれば敬遠される資質であろう。

いくさは遠く根の国へゆけ

は、まことに素晴らしい。

戦後に出した歌集は昭和31年の「地平線」が唯一のものであるが、ここにその歌と実践が集約されている。  「地平線」は「万象」「悲母」「至上我」「人の世」「旅」「去来」などの小題をもつ317首からなる。

その内の「悲母」60首が戦死した吾が子、香織を偲ぶ歌群である。

その前に一首だけ

静かなり 遠き昔の思出を泣くによろしき 五月雨の音

これは昭和3年の歌。宮崎龍介との同棲生活が始まって、どうやら落ち着いて、まもなくのころの歌である。

この歌は“五月雨の音”が決め手だ。最初は“音”は硬いと思った。例えば“五月雨の軒”とか“五月雨の楠”とか情景を掬う方がいい。しかしその途端、歌は叙景になってしまう。ちょっと硬くても“音”でなくてはいけないのだ。音もなく降る五月雨、その音が聴覚を通じて心象と表象をつなげている。

白蓮の歌からは常に音が聞こえてくる。だからぜひ音読して欲しい。

「悲母」より

焼跡に芽吹く木のあり かくのごと吾子の命のかへらぬものか

蒼空に一片の雲動くなり 母よといひて吾をよぶごとし 

秋の日の窓のあかりに 亡き吾子がもの読む影す 淋しき日かな

夜をこめて板戸たたくは風ばかり おどろかしてよ吾子のかへると

英霊の生きてかへるがありといふ 子の骨壺よ 振れば音する

かへり来ば 吾子に食はする白き米 手握る指ゆこぼしては見つ

もしやまだ かえる吾子かと 脱ぎすてのほころびなほす 心うつろに

かたみなれば 男仕立をそのままに母は着るぞも 今は泣かねど

しみじみと泣く日来たらば 泣くことを楽しみとして生きむか吾は

戦ひはかくなりはてて なほ吾子は死なねばなりし命なりしか

身にかへて いとしきものを 泣きもせで  何しに吾子を立たせやりつる

白蓮研究者の中西洋子さんはこう書いている。

その悲しみははかりしれない。しかし一方、悲歎に暮れながらもそれに溺れることなく堪え忍び、じっと向きあっている目がある。

しかも表現は具体性をもって悲しみの情とひびきあい、また修辞的な技巧の入る余地なく、いずれも単純化された詠いぶりである。

2.平和運動の担い手への歩み

46年、NHKラジオを通じて訴えると、「悲母」への反響はものすごいものだった。彼女の主導で「万国悲母の会」が結成される。

個の悲しみを共有し、反戦に繋げようとする婦人たちの運動である。

宮本百合子との対話

49年4月の「婦人民主新聞」は白蓮と宮本百合子の紙上対談を掲載している。この中身は稿を改めて紹介する。

「誰故にこの嘆きを」 白蓮から百合子へ

あの日、日の丸の旗を肩にして「大君のへにこそ死なめといつて出て征つたあの子の姿は、胸に焼きつけられて今もなお痛む。

あのおとなしい子が人一倍子ぼんのうの両親の家を、不平一つ言わず勇ましく門出をした、あれは一体、誰故に誰に頼まれてああしたことになつたのか─と。

…思いかえせばあの戦争中の協力一致の精神…が世界平和のために湧き上らぬものかしら、この故にこそ天界…息子と地上において…同じ目的に協力したいと念じている。これが我子を犬死させない唯一の道だと思っているから。

百合子から白蓮(燁子)へ

…燁子さんににちりよつて、その手をとらせたい心にさせる。そうなのよ、燁子さん。

…あなたの愛がそんなに大きく、そんなに母として深い傷になほ疼いてゐるのに、もう一遍、その傷のいたみからかぐはしの香織 を生んで見よう、と思ふことはおできにならないかしら。

今度は戦争の兇□と非人間性に向かつて抗議し、行動する、けふといふ歴史の時代における香織を。

世界連邦平和運動の婦人部長

この宮本百合子の言葉がどう響いたかは分からないが、「悲母の会」は後に「国際悲母の会」となり、「世界連邦平和運動」に発展した。

白蓮は湯川秀樹夫人スミらとともに運動を担い、全国を行脚した。北海道だけでも後志、札幌、月寒、石狩、旭川、十勝平野、根室、狩勝、北見と連なっていく。

3.自分の運命の流れというものがある

白蓮はこんな文章も書いている。

悲母の会解消問題の起きた時、「だから先生は、歌の事さへすれば他の事は何もしなさるな」と、意見された。併し自分の運命の流れというものがある。

さらっと書いたが、泥もかぶる、まことに重い決意だ。

そして70歳を過ぎた体に鞭打って全国の講演旅行に駆け巡る。この時の歌は、芭蕉の「奥の細道」を思わせる。自然と我とが一体になった至高の歌どもとなっている。

『地平線』の作品に詠み込まれ、また注記された地名は全国津々浦々の40ヶ所におよぶ。

いくつかを紹介しておく

巡礼の心してゆく旅なれば 北のはてにも わがゆくものか

どこの国の誰が ぬれ居る雨ならむ とほくに見ゆる雨雲低し

ききほれて しづかに涙たるるなり 山河草木みな声放つ

遠つ祖の なみだに見たる秋の空 佐渡はけぶりて小雨となりぬ

4.われの命をわがうちに見つ 白蓮の最晩年

このような過酷とも見える無理の多い講演旅行は、やがて燁子の目を苛み緑内障(そこひ)に侵される結果となった。

1961年、76歳で白蓮は両眼を失明する。しかし作歌は永眠の前年まで続けられた。最後の歌は神々しいほどに響く。

眼を病めば 思い出をよぶ声のして 今を昔の中にのみ居り

なべて皆 物音たえし真夜中は 声ならぬ声のなにか聞こゆる

そこひなき 闇にかがやく星のごと われの命をわがうちに見つ

“そこひなき”は「底、比なき」であろう。彼女は視力を失ったのではなく、暗闇に落ち込んだのである。暗闇は限りなく虚空に近いが、その底に輝く星があった。そしてその星は、自らの命であった。

人間、このように一生を終わりたいものです。

(文章の作成にあたりを参考にしました)

道東地方の酪農経営について、赤旗によくまとまった記事がある。独断で編集して紹介する。

1.酪農家の離農が加速している。
「JA道東あさひ」という大規模農協があり、根室管内の別海町を中心に583戸の酪農家を組織している。この農協で昨年だけで22戸が離農した。
最近の特徴は、後継者の候補がいる農家、働き盛りの農家の脱落だ。「あさひ」の組合長は、「団塊の世代が高齢化する、これからの10年がヤマだ。109戸が離農する可能性がある」と語る。

2.牛乳生産が減少に向かいはじめた
離農者はこれまでもたくさんいた。それを周辺農家が吸収し大規模化することで生産は維持されてきた。つまりそれは酪農業の集積過程でもあった。しかし最近では離農者の生産を吸収できなくなっている。
「JA道東あさひ」の牛乳生産量は前年に比べ3.7%減少した。搾乳頭数は年間1千頭のペースで減少している。

3.離農を加速する3つの理由
ひとつはエサ代の高騰や燃油価格の上昇に伴う経営悪化、ひとつは過重労働、そしてもう一つが将来不安の深刻化だ。
*道東の酪農は巨額のインフラ整備を始め、いわば国策として展開してきた。酪農家には多額の補助金が投入されてきた。「借金も実力のうち」というが、さすがに、それは酪農家に重い負担としてのしかかっている。
*酪農家の長時間・重労働は以前から知られているが、かなり機械化により改善はされてきた。しかしそれを上回るテンポで大規模化が進んだということか。「朝夕の搾乳に10時間、家族3人で年間8千時間という長時間労働になっている」というのが組合長の話。
*酪農の施設整備には1億から1億5千万が必要だという。つまり酪農経営は拡大しなければアウト という世界だ。しかしTPPや日豪EPAなどの外圧は、新規投資をためらわせる に十分なものだ。

井上議員の質問で提示された自民党のポスター。質疑応答は下記のアドレスで閲覧可能である。
https://www.youtube.com/watch?v=7Ouad-t0KWU
ウソつかない TPP断固反対 自民党
若干字余りだが、みごとな川柳ともとれる。

TPP_イノウエ
このポスター、次の選挙ではそっくり共産党のポスターに拝借してもよいだろう。

赤旗に「若手弁護士の会」が急拡大しているニュースが載っていた。

略称を「あすわか」というのだそうだ。正式名称は「明日の自由を守る若手弁護士の会」だ。

まことに失礼ながら、「あすわか」と聞いて「明日がわからない若手弁護士の会」かと思った。若手弁護士による一種のユニオンが結成されたのかと、一瞬間違えてしまった。

さほどに若手弁護士をめぐる状況は過酷と聞いている。

とりあえず、ネット文献をあたってみることにする。

第66期司法修習生への修習実態アンケート資料 - 日本弁護士連合会

という文献がある。1年前の8/9月に実施されたものである。その一部を紹介する。

①就職活動の状況

93%の修習生が就職活動を行った。履歴書の送付件数の平均は12.3ヶ所で、ほとんどばらまき状態だ。訪問回数も平均9.2回に及んでいる。

②採用内定状況

この時点で採用内定を受けられなかったものが30%であった。就職状況の厳しさがうかがえる。

③修習辞退の意向

修習生の19%が修習辞退を考えたことがある。その多くは就職難、弁護士の経済的困難を理由としている。

④経済的状況について

不安がある/やや不安があるを合わせ69%。

コメントには以下のものがあった。

法科大学院時代(年間学費200万円)の奨学金だけで借金が1千万を越える。返済できるかどうか不安。

借金を返すために、カネになる仕事しかしなくなるのではないかと不安。

収入がないのに、健康保険が親の扶養から外される。

本人だけでは部屋が借りられない。クレジットカードも作れない。


消費税増税後の落ち込み

1.経済落ち込みの現況

A) GDPへの効果

日本のGDPはおよそ500兆円、その9割が内需になる。消費税を3%アップさせれば(増収分をすべて財政赤字補てんに回せば)、2.7%のGDP押し下げ効果になる。これをまず念頭に置こう。

4~6月期GDPは、実質で前期比1・7%減、年率換算では6・8%減。(駆け込みを織り込んだ予測では3.8%減と想定されていた。前期実績を二次速報値でとると7.5%減となる)

B) 民需御三家の総崩れ

内需は10.5%減で、そのうち民間需要は13.9%減。さらにそのうち、消費13.9%減、住宅投資35・3%減、企業設備投資9・7%減と全滅状態。

8月に入ってからも悪い数字が続く。新車販売台数は9・5%減。首都圏マンション発売戸数も49・1%減となった。

9月の政府月例経済報告で、消費税を増税したあとの落ち込みが、7月以降も長引いていることを認める。

C) 可処分所得の低下に拍車

円安物価高で、実質賃金は13カ月連続のマイナス。7月の家計調査で実質消費支出は5・9%の低下。

2.97年不況は再来するか

97年不況は生産過剰と金融危機の複合

金融を守ればものづくり産業が崩壊

外国資本の支配と外圧の強化

3.債務危機は来るのか

A) 歳入欠陥の拡大が最大のリスク、消費税の限界

7月に政府が20年までのプライマリー収支黒字化は不可能と宣言。

2013年度のプライマリー収支は約30兆円の赤字。これは名目GDPの6.2%にあたる。これは名目GDP成長2%を数年ほど続ければ、消費税増税なしに克服可能だ。

下図はプライマリー・バランス(対GDP比)の推移。97年の消費税導入後に、財政悪化が急速に進行した。03年7.2%が07年には2.1%まで改善している。リーマン・ショックがなければ2010年には財政赤字は解消されていたはず。

PB

B) 貿易赤字が続けば致命傷となる

年金・ゆうちょの不安定化

4.富の大移動と社会矛盾の激化

A) 円安はそれ自体が貧困化

雇用の危機の深刻化

社会保障システムの崩壊

あるブログにこういう記述がありました。

1000兆円を超える膨大な国債の残高や、少子高齢化に伴う社会保障財源増しを放置することは、対外的な国の信用の低下や国民の将来に対する不安感 を増幅するであろうことは想像に難くありません。消費税率を据え置いたがために、国債の暴落や金利上昇、将来への不安から生じる消費の落ち込みが企業の経済活動を停滞、もしくは悪化させるというシナリオも十分に考えられるのです。

景気の回復を待って税率を上げるという主張もありますが、引き伸ばしてきた結果が今日の財政悪化の原因でもあることは疑いようのない事実でもありま す。消費税率の引き上げの議論は、企業活動にとってのマイナスの側面がややもすると強調されがちですが、引き上げないことによるリスクや、将来に対する不安を回避するプラスの側面があることも考える必要があります。

何を言いたいのかよくわかりませんが、最近の消費税引き上げ論はここまで無茶苦茶になっているということを示す、ひとつの例といえるでしょう。

社会保障や“将来の不安”云々は付け足しです。消費税は社会保障財源ではありません。言っている本人も相当気恥ずかしく思っているでしょう。

そこを抜いて書き直すと、こうなります。

1.膨大な国債の残高を放置すると、対外的な国の信用の低下を招く。

2.消費税率を据え置くと、国債の暴落や金利上昇を来たし、企業の経済活動を停滞、もしくは悪化させる。

3.(消費税引き上げを)引き伸ばしてきた結果が、今日の財政悪化の原因でもあることは疑いない。

言っているのはこれだけです。

1,は当たり前の話です。だれも違うなどとは言っていません。

2.は「風が吹くと桶屋が儲かる」式の議論で、しかも「膨大な国債の残高を放置する」ことが、「消費税率を据え置くこと」にすり替えられています。

実は同じようなことを高村自民党副総裁が言っています。

増税しなければ市場の信認を失い、国債が暴落すれば打つ手がなくなる

まさに「撃ちてし止まん」、上げないと国が「ジェノバ化」し潰れてしまうかのごとき言い分です。ところがこれに対しては、ソブリン市場の格付けを行うS&P社の担当者が早速反論しています。

再増税がマクロ経済に悪影響を与える可能性があれば、必ずしもソブリン格付けにプラスではない

3.は明らかに事実と異なります。2000年代初頭にプライマリー赤字はGDP比6%近かったのが、リーマンショックの直前には1%ちょっとまで改善しています。その間に諸費税は引き上げられていません。そもそも膨大な財政赤字を作り出したのは、97年の「消費税ショック」によるものです。これは官庁筋もふくめ衆目の一致するところでしょう。

(ジェノバ化についてはをご参照ください)


エコノミストは口をつぐんでいますが、今回の消費税引き上げは、明らかに法人税を引き下げるための財源です。

誰が見たって、国家財政の歳入欄で、消費税の増収分が法人税の減税でチャラになっているのは一目瞭然でしょう。ここが見えないのは、「視野欠損」という病気です。視野欠損の患者がどう力説しても、それは病気の証明にしかなりません。

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