鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2014年08月

リンク切れの修復がなかなか進まない。

何故かと言うと、記事そのものの修復が必要になって来たからだ。とくに震災直後の記事は、今読み返してみると非常に説明不足で、まったくのメモも多い。

小見出しを付けて、注釈も入れてやり始めると、最初に書いた時よりも時間を食う。

なかには「こんな記事もあったのか」と感心するものもある。

その一つが、

災害対応の5本柱
発言の中で印象的だったのは石巻の避難所本部長(共産党市議)の発言。
「最低限必要なのは水・食料・生活用品・医療・介護の五つであり、平常時に準備が必要だ。とくに介護の緊急体制が大事と実感する」
これは今後各地で教訓化し、実行に移さなければならないだろう。

と書いてある。

このなかで他の4つはそれなりに整備されているが、一番遅れているのが「介護の緊急体制」だろう。


緊急時には在宅介護は無力化する。収容が唯一の手段となる。各種の介護施設、とくに田舎の介護施設の緊急収容枠拡大の能力を拡大しなくてはならない。昔は何かといえば学校だったが、今や地域に子供はなく、学校もなくなった。

「むかし学校 いま施設」だ。

もうひとつ、老健施設で働いてみて一番痛切に感じるのは、介護=保清ということだ。これにはそれなりの資源もいるが、一番必要なのはプロとして保清にあたるという意識だ。

プロ意識を持つケアワーカーをどう組織できるかが、介護の体制づくりのポイントである。経験者の組織化と、定期的なスキルアップが必要だ。

介護の有資格者が山ほど必要だ

より長期的には、介護職が誇りを持って仕事できるような待遇を保障すべきであろう。


「我れ思う、故に我れあり」という言葉がある。
思考は人間の至高の機能と思われている。
それでは思考の座はどこにあるのか。
それは言語や記号の機能と不可欠だから言語中枢や書字・計算中枢の近傍ではないだろうか、
とだれでも思うだろう。
たとえばブローカ中枢がやられて思いを言葉にして表出できなくなる場合がある。
運動性失語だ。
しかし運動性失語の患者さんはたくさんいるが、実際には思いはしっかり残っているし、別な表出形態があればそれなりに表出可能である。
ウェルニッケ中枢だとどうなるか。実はこれはよくわからない。コンタクトできないからだ。エントランスがブロックされているだけなのか、Exit もブロックされているのかの判別は難しい。
聾唖の方は、多くは聴力障害者だ。しかし聴力障害が後天性のものなら発声はできる。ベートーベンが耳が聞こえなくなってからも名曲を作り続けたのと同じだ。
言語というのはシンボル操作だ。記号化・シンボル化という過程なくしてはできない。それはなんとか中枢というより過去の民族の遺産だ。それを学習により身につけハード化する。いわばOSだ。多分それは一定の空間を持つ網目として形成されているのだろう。
書字というのはシンボルとしてのしゃべり言語をさらに記号に置き換え、視覚化する作業だ。口を使って表出する思いを、手を使って目に見えるものにするということになる。口と耳の作業が手と目の作業に置換されなければならない。
おそらく二つの異なる認識・作業系をインテグレートしていく中枢が頭頂葉にあるのだろう。だからそれは感覚・運動野に接してあるのだと考えられる。
だとすれば頭頂葉の感覚野の後方にあると推定される書字・計算中枢は、認識の結合と統合を主として司ることにあり、運動野の前方(前頭葉)にはこれと対応した統合運動野があるのかもしれない。そういう症例がないかどうか探してみる手はありそうだ。

頭頂葉症候群の症例報告があったので紹介しておく。

慈泉会相澤病院総合リハビリテーションセンターの発表した「頭頂葉皮質下出血による認知機能障害」患者の社会復帰の試みのケースレポートである。

nouct

白いところが出血巣。まさにゲルストマン野そのものである。

神経生理学的特性

・計算時の困難

桁の繰り上げ・繰り下げができない。このため、二桁以上の計算が困難である。

・時間把握の困難

時計を見て時刻を読むことができない。

また作業において時間配分の理解ができない。

・言語課題での、とりわけ順序に関する困難50音の順番を想起できない。このため辞書が使用できない。

・文章題の読解力の低下

とりわけ文章の並び替え課題の困難

・断片的な口頭表出

話に筋道がなくなる。

漢字が書けない。

とくに漢字の構成(偏と旁とか、冠のことか)の課題における困難

など、総じて言えば、順番や配置・相互関係の理解の低下が顕著に見られた。

後期の症状

これらの症状は日を追うごとに改善し、配置転換の上で職場に復帰した。

職場では、比較的単純な作業にもかかわらず、以下の問題点が見られた。


主たる作業である「関連記事のスクラップ作業」にも時間を要する,

縮小・拡大のサイズ変更など、コピー機の複雑な使用方法で混乱,

郵送作業において金額計算の誤りや記入誤り,

作業の手順が異なると混乱を生じる


論文では心的イメージの想起障害というもう一つの障害が挙げられていたが、論文を見る限り実証されているとは言いがたい。

感想としては、失認が時間認識との関係で出現しているところに、この疾患の特徴があるということである。引っ詰めて言えば「時空間」の認識障害だ。

これは記銘力の障害とはちょっと異なるようだ。海馬を通して行う記銘ではなく、おそらく認識装置に内蔵された“メモリー”の不具合のように思われる。

機能のゲルストマン症候群の話は、途中から何やらわからぬ次第になっている。人の悪口言い始めたら、もうヤバイ。

要するに、頭頂葉に障害が発生するとどのような症状が出るのかということで、それは負の形で頭頂葉の機能を示していることになる。

ただしその分野にフィードされた神経線維の損傷(離断症候群)も同じ症状を呈する。また脳の高次機能は、連合機能であり、他の失調とカブるところがあるため、過大評価にならないよう評価しなければならない。

「失書・失算」症候群はおそらく頭頂葉障害の中核をなす概念だろうと思うが、「失書・失算」そのものは、他の疾患の部分症状として出てくる可能性もある。

と、ここまででトメておくべきだったのだ。

昨日は「失書・失算」症候群がどういう機序で起きるのかを推察してみたが、その前に頭頂葉の働きについて現在の研究水準をレビューしなければならない。

…などと偉そうに言うが、結局ネットの文章を読むだけの話だ。


頭頂葉の働きは階層性があって、元々は体の感覚を認識したり,いろいろな複雑な動作を司る。この辺りは小脳と似たところがある。

さらに頭頂連合野といわれ計算など高次の脳機能も司っている、というのが大脳生理学的理解。

なぜそうなったのかという発生学的理解はとりあえずおいておく。

次に、欠損ないし障害症状。ここでは失書・失算は除外し、失認に焦点を合わせる。「失認」と書いたが、正確には失認・失行である。

1.空間失認: 左側半分に見えているものを無視するという症状です。見えていないわけではありません。

2.身体失行: 自分の体の半分を無視する結果、たとえば衣服を着ることがうまくできなくなります。

3.構成失行: 立体的な図柄を描いたり,積み木がつめないなど、空間の構成ができなくなる。1.2.が優位脳側の障害で起きるのに対し、これは逆側の障害によるとされる。

5.観念失行: 料理や工作など、複雑な一連の動作ができない。時間軸の概念が失われるということでしょうか。

これを解剖学的に局在しようとすると、ほとんど言葉のジャングルの世界に入りそうなので、ここはスルーしてホムンクルスだけ触れておく。

homunclus

この内、感覚野が頭頂葉の主要な働きとされてきた。その後ろには視覚空間関係を生み出す分野があり、体性感覚と統合される。

ゲルストマンは、そのあたりに計算,書字,左右見当識,手指の認識を司る分野があると主張し、ゲルストマン野と名づけているのだ。これはうかつには首肯できない。


ということで、失書・失算がなぜ頭頂葉の損傷で起きるかの説明は、とりあえずは不可能。

ゲルストマン症候群

ゲルストマン症候群という脳神経障害がある。オーストリア出身のアメリカの神経学者ヨーゼフ・ゲルストマン(Gerstmann)が提唱したものである。

優位側の頭頂葉の角回および縁上回という部分の病変と関係しているとされる。ここは側頭葉境界に近く、同時に後頭葉との移行部でもある。

ゲルストマン症候群は次の4つの主な症候で定義される。

   1. 失書 : 文字が書けず、錯書もみられる。写字は比較的良好である。しかし、自分の名前や住所など自ら考えて書字することに困難を示す。重症例では字を書くことも書き取りもできない。

   2. 失算 : 暗算も筆算もできない。演算自体ができないという障害のほかに、数字が読めない、書けないという障害も出現する。

   3. 手指失認 : 指の操作に困難を示す。手指とその名称が結びつかない。

   4. 左右失認 : 自己及び他人の身体の左右の区別ができない。右手で左耳を指すというような左右の理解ができなくなる。

脳内の場所柄、失語症と併存する確率が高いといわれる。

提唱者であるゲルストマンは4点セットではじめて疾患エンタイティーを持つと強調しているようだが、失書・失算と失認は明らかにレベルが違う。

失書・失算は高次脳障害の中核概念に属する。一方、「失認」はより低位の、もしくはより広範な障害の表現である。臨床的にも4点を満たさない不全型が多く存在しているという。

ゲルストマンが重視しているのは失認の方だが、私としては「失書・失算」のほうが気になる。この不全型ゲルストマンと括られている「失書・失算」症候群を一つのエンタイティーとして抜き出す必要があるのではないだろうか。

失語症と「失書・失算」症候群の比較

面白いのは高次脳機能のうち言語に係る機能とは、「近いが違う」機能だということだ。ここで言う言語機能とは聞き取りしゃべる機能である。それがブローカ失語であり、ウェルニッケ失語だ。

言語にはもうひとつの形態がある。読み、書く機能である。これは側頭葉ではなく頭頂葉に属する機能の可能性がある。ゲルストマン徴候の意味するものは、実は、読む機能と書く機能はどうも別物のようだということである。

つまり、失書・失算にも書く機能だけが脱落するブローカ型と、読む機能もやられるウェルニッケ型があるかもしれないということだ。ただシンプルな言語機能に比べてより高次の機能であるがゆえに、クリアカットには違いが浮かび上がってこないかもしれない。

失書・失算の患者には書字は苦手だが、キーボード入力なら造作なくやってしまう人がいる。失書にもレベルがあるのかもしれない。

「失書・失算」症候群は知識人固有の疾患

率直に言えば、文章も書けず、計算も出来ないような人には無縁の病気である。さらに率直に言えば、芸術系の文化人なら「失書・失算」でもけっこうやっていけるかもしれない。

「失書・失算」というのは、突き詰めると情報のデジタル化・デジタル情報の処理・デジタル情報のアナログ化の能力の障害である。

文科系で言うなら、概念形成・概念操作による演繹・論理展開の過程である。一言で言えば科学的過程である。

したがって「失書・失算」はなんら基礎疾患がなくても、どんな人にも出現しうる疾患である。あえて言えば創作的疾患である可能性が否定出来ない。

科学と空想の境界にあるこのような状態は、相当広範に世の中に存在する。その原因は脳血管障害ではない。圧倒的に多いのは廃用症候群、つまり“ぐうたら”のためではないだろうか。

とはいえ、「失書・失算」を中心症状とする高次機能障害の一群は明らかに存在する。それは「喪失症候群」である。それは高次の連合機能であるがゆえに代替可能であり、維持回復は訓練しだいともいえよう。

小児の「失書・失算」症候群

小児でもこの症候群の報告があるという。発達性ゲルストマン症候群と呼ばれる。ウィキペディアではこう書かれている。

書字やつづりがうまくいかない、四則演算ができないという症状を示す。左右の違いがわからなかったり、個々の指を識別できなかったりというゲルストマン徴候が明らかにわかる例もある。

以前にも書いたが、小児科の医者の書いた文章は、相当バイアスがかかっていると見たほうが良い。大学時代に言っていたが、精神科の医者は半分精神科、小児科の医者は半分小児科だ。とかく教祖になりたがる。
主治医を作るのなら循環器(ただしカテ屋は別)か、呼吸器か、代謝内分泌の内科にかかるのが一番良いと思う。




最近の特徴的な動きは、赤嶺議員のインタビューによると、
1.26日付琉球新報の世論調査で新基地建設中止をもとめる声がこれまでの7割台から80%を突破したということ。独裁国の大統領選挙ではあるまいし、政治的イシューでこんな数字が出てくるのが仰天だ。しかも中央政府のやろうとする方向と逆の選択だ。
2.23日にキャンプ・シュワブゲートに3600人が集まったこと。
「一度は辺野古へ行こう」、「みんなで行こう、辺野古へ」が県民の合言葉になっているそうだ。例えは悪いがお祭り状態だ。

これについては赤嶺議員の語るエピドードが面白い。
…貸切バスに乗りきれなかった人は、満員の路線バスの席を譲り合いながら片道3時間かけてきた。
…タクシーを乗り合わせてきた人には、運転手が「私も参加したいから」と言って半額に負けてくれた。
…那覇市栄町商店街の肉屋や居酒屋、その利用者など家族連れをふくむ60人がバスで乗り込んだ。乗りきれずに断った人も数十人いた。呼びかけ人の石川医師は、「関心が高いし、一回辺野古を見てみたいという人が多い」という。
…宜野座村松田区からは、子ども会をふくむ70人が区のバスで参加した。区長は「くぐるみで反対する」と語っている。
現地発行の“No Base”には、
…島ぐるみ会議がバスを仕立てたら2台で足りず急遽3台に。それでも乗れない人がいた。先頭には元自民党県連顧問の仲里さん。

昨晩は辺野古の現地レポートをいやというほど見せられた。「森の映画」社がろくに編集もせずに、ドンドコ作った映画を4,5本続けざまに見せられると、年寄りには相当応える。
とにかく体当たり撮影だから、目の前に警察官や機動隊、海保の隊員がいて、にらんだり、ニヤ笑いしたり、聞こえぬふりしたりしながら体を押し付けてくる。その背後に目付きの悪い指揮官がいて、ケータイで対応を問い合わせている。
こちらも状況を見てピケラインを敷いたり、引っ込んだりしながら、シュプレヒコールというか怒号を繰り返す。
納得させられたのは一つ、日本は辺野古を回転軸にして転回しているのだということ。辺野古からの視点で見ると見えてくることがたくさんあるということだ.

休みなしに第二部。こんどは「沖縄で散った北海道の若者たち」と「沖縄戦の少女たち」というインタビュー記録だ。
私はひめゆり部隊の映画とか、米軍の撮影した記録でしか沖縄戦を知らなかったから、10万人の死者の実相を掴んでいたとはいえない。そのことを痛感した。

沖縄県平和祈念資料館

Q2 沖縄戦による死亡者数は?
A2 200,656人〔沖縄県援護課発表 1976年(昭和51)年3月〕
   日本 188,136人(沖縄県出身者122,228人(一般人94,000人、軍人・軍属28,228人)

             (他都道府県出身兵 65,908人)
   米 12,520人


とくに一般人9万4千人の死に様については、もっと情報を収集すべきだと思う。
原爆の被害についてはずいぶん学習してきたが、それはある意味でいきなりの死であった。終わりとしての死でもあったが、始まりとしての死でもあった。
沖縄の死は、筆舌に尽くしがたい恐怖と、苦しみと、悲しみとの末にやってきた死であった。それは広島で一瞬にして殺したのと同じ数の人間を2ヶ月でなぶり殺しにしていった死であった。

お問い合せは「森の映画」社へ
http://america-banzai.blogspot.jp/



いまや海外進出が当たり前となった日本企業だが、通信関連はダメなようだ。

NTTドコモがインド進出を断念し、推定1300億円の損失を計上することになった。一番の打撃はインド政府の政策変更。2012年に時の政府が122件の周波数免許を取り消したことから、経営困難をきたした。

10年前にはアメリカ、ヨーロッパへの進出が失敗し1兆円規模の損失を計上している。

docomo

通信は安全保障と密接に関わっており、各国政府の意向に左右される。インドでも「政府の壁」に阻まれたのは想像に難くない。

米国制覇を狙うソフトバンクは、米携帯3位のスプリントを買収し、同4位のTモバイルとの統合を目指しているが、米司法省幹部が現行4社体制の変更に否定的な見方を示すなど、早くも「壁」に直面しているようだ。

(以上、日経新聞からの転載)

25日の赤旗第3面で1ページを使った原発関連のインタビューが組まれている。

題名は「原発の経済性を問う」で、話者は立命館教授で環境経済学の大島堅一さんという人。岩波新書から「原発のコスト」という本を出しているので、そのダイジェストといったところ。

記事は率直に言えば肩に力が入りすぎていて、ゴタゴタとして読みにくい。さらに質問と回答がすれ違っているところが多く、結構イラつく。

質問を無視して回答の中から要点を拾っていくことにする。

1.損害賠償責任はどうなったか

賠償と除染費用など事故対策費は国の責任となった。大島さんの計算では、総額は11兆円と推定される。これにより東電の破産はなくなった。

それ以外の費用は電気料金への転嫁を認められた。一番大きいのは原発の維持費で、年間1兆円以上になるが、これが電気料金に上乗せされている。

2.東電のモラルハザード

政府は「原子力損害賠償支援機構」を設立した。政府が「機構」に国債を交付し、「機構」がそれを現金化し東電に交付して、東電はそれを賠償に当てている。

政府は他にも金融機関の東電貸し付けに保証を与えている。これにより金融機関の連帯責任は回避されている。

この辺りは、当初から「破綻処理」論として明らかにされている。当ブログでも何回かにわたり触れてきた。

ということで、最後の再生エネルギー問題での見解が目新しいところ。

…制度運用の失敗やほころびがある。太陽光に偏っている。しかし大枠では成功に向かっている。

…ドイツ問題(原発廃止したドイツが電気料金高騰を来している)には直接答えず、「悩みのレベルが違う」ということで済ましている。


私としては

1.当面は原油とリンクさせないLNGの独自供給ルートの確保。

2.長期的には、電気という形にこだわらずに、総合的エネルギー問題として方向を出す。

3.再生可能エネルギー問題は、本質的には環境問題の中に位置づけるべき課題。

4.自然エネルギーや地産地消は、本質的には地域開発の問題として位置づける。

5.水素ネットワークや蓄電システムは、本質的には次世代技術構築の課題として位置づける。

ということで、少し問題を整理すべきだと思う。

もちろん、大前提となるのは地球の有限性であり、原子力発電システムの廃棄であるが…

スマホの何がいいんだ?

私のケータイはいわゆるガラケイで、ただの電話だ。しかし写真は撮れる(とっても見たことはない、見方がよくわからない、しかしいつかは見られるだろうと思って撮っている)。ネットにもつながる。電話帳の登録もできる。マナーモードもできる。立派なものだ。

メールも出来る。ただし不要メールの撃退法がわからないから、クズの山になっている。ときどき「メール送ったのにどうして見ないのか」と怒られる。これならない方がマシだ。

というわけで、どこがガラパゴスだ。

3年前までは二つに折れない、文字盤むき出しで、ポケットのなかで誤作動して、いつも話し中だったんだぞ。使うときはアンテナを伸ばしたんだぞ。バッテリーは使わなくても3日で上がってしまうんだぞ。こういうのをガラパゴスと言うんだ。

それでは、従来型ケータイをガラパゴスと豪語するほどの新機能がスマホにはあるのだろうか。

ウィキペディアで拾ってみる

パーソナルコンピュータ的な利用

インターネットへの接続と閲覧
メールの送受信

PDFやWord・Excelファイルなどの閲覧

メモ・文章の作成

第三者が開発したソフトウェアの追加

個人情報管理機能

スケジュール管理

住所録

マルチメディアプレーヤー

MP3などの音楽ファイルの再生(Bluetooth搭載なら無線音楽プレーヤ)

自動車運転中のハンズフリー通話

静止画、動画の閲覧

サウンドレコーダー

カメラ

デジタルカメラ ムービーカメラ

ゲーム

その他のユーティリティ

電子辞書

電子書籍

電卓

時計(目覚まし時計)

位置情報サービス(GPS)

車やバイクに固定したり持ち歩いたりして、実際カーナビゲーションアプリも配信されている

Wi-Fi


テザリング


と並べてみると、そのほとんどはさほど目新しい物ではない。グリコのおまけだ。オールインワンにする必要があるかとも思わせる。とくにオーディオ系は、私なら音質を考えて別系統にする。

ケータイGPSは必要な人には絶対のアイテムだろうが、それならタブレットがほしいだろう。

そうすると、私が一番難渋する「アプリの追加搭載」機能なるものがスマホの独壇場になるのであろう。

その代表がLINEということだろうか。

若いころ電卓が大流行した。カシオとシャープが先を争って新製品を開発した。みんな4,5台は持っていたものだった。しかし使うのは加減乗除くらいだった。

ザウルスが出た時はさすがに飛びついた。プログラムが作れるのだ。これに標準偏差の式を入れて完成した時はしばらく達成感に浸ったものだ。

これに数値を入れて、「御破算では?」とボタンを押すとn、平均値、標準偏差、t値が出てくるのだ。(相関係数は挫折した)

学会シーズンになると、みんな私のところにザウルスを借りに来たものだ。

少しLINEについて聞きかじったので、昼飯のとき食堂で看護婦さんに「あなたはスマートフォン?」と聞いてみた。

「いいえ、タブレットしかありません」との答えにたじろいだ。

タブレットといえばセールスの人がプレゼンに使うやつでしょう? キーボードのないラップトップ・パソコンじゃないの?

そこで、ネットで調べたら、「知ってますか?タブレットとスマホの違い」というページを見付けた。

タブレットとスマホが当たり前の存在になってくると「いまさら聞けない」こともあるはずです。傍目に見ると大きさ くらいしか違いの無いタブレットとスマホは「どこか違うのか?」

いまのタブレットは、誤解を承知で言えば、画面が大きく通話ができないスマホです。

そうでしょう。だからスマホとタブレットを同じ選択範囲に置く発想が理解できないんです。

ところがタブレットの小さいものはファブレットと呼ばれてスマホにかなり近いのだそうだ。製品名は「SONY Xperia Z Ultra」で画面は6.44インチ、なんとか片手で持てる大きさだ。通話もできるから、感覚から言うと大型スマホに近いのかもしれない。

しかしどう考えても、スマホより安いとか古いとかいうシロモノではない。きっと看護婦さん、なにか誤解していたのではないかと思う。

どうも報道を見てもはっきりしない。そもそもLINEなどというものと無縁の人だから、まず事件そのものが飲み込めない。
1.事件の主人公は山本景という大阪府議会議員で、「大阪維新の会」に所属する34歳の若者。
2.LINEというのは…

と書いたが、なんとも説明のしようがない。

とりあえずウィキペディアへ。

LINE(ライン)とは、韓国のIT企業ネイバーの日本法人、「LINE株式会社」が提供するインスタントメッセンジャーである。スマートフォンやフィーチャーフォンなど携帯電話やパソコンに対応したインターネット電話やテキストチャットなどの機能を有する。

さあ分からない。

スマートフォンだけは知っている。なにか人差し指をシャッシャとやっているやつだ。

もう少し読み進める。

LINEはスマートフォン、フィーチャーフォン、タブレット、パソコンで利用できるアプリケーションである。

…利用者が相互に本アプリケーションをインストールしておけば、通信キャリアや端末を問わずに複数人のグループ通話を含む音声通話やチャットが可能である。

要するにメールソフトみたいな通信用のアプリケーション・ソフトのことか?

…通話サービスは通常の音声電話と異なりパケット通信を利用するインターネット電話で、…本アプリケーションは無料提供されており「無料通話」などと宣伝されている。

そういえば、「インターネットを使うとただで電話がかけられる」などという話をいつか聞いたことがあるが、そういう機能のことか。

利用開始に当たり必要な登録内容は電話番号だけ、1対1の閉鎖空間でのコミュニケーションとなることが受けて、登録者は3億人を突破したそうだ。

…利用開始登録時には電話認証で電話番号が確認される。本アプリケーションは利用開始時に端末電話帳を読み込み、電話帳登録済みの人々と意思疎通する。

というあたりが怖いところ。

「元々電話帳に登録していた人なら、友だちになってもいいと思うんです」と、NHN Japan社長森川亮は語っている…そうだが。

つぎにLINE犯罪の紹介がある。

1.出会いや援助交際など性犯罪

少女の性被害は9割スマホ経由であり大半が「LINE」を使っている。

「出会い系」に類じた機能は有していないが、LINEサービス外の掲示板、サイト、アプリを通じてIDを交換すれば、相互に連絡先を知ることができる。たてまえとしては別なので、出会い系サイト規制法による規制や有害サイト規制法によるフィルタリングの対象外となっている。

2.恐喝やいじめ

生徒らがLINEで暴言を吐いたり、仲間外れしたりする。いじめ動画や写真を拡散するなど新たないじめも発生している。

3.情報の漏洩や不正アクセス

クレディセゾン「永久不滅プラス」のツールバーをインストールすると、事前のユーザ承諾無しでユーザインターネット行動履歴情報がNHNコーポレーションへ提供される。

LINEアカウントを何者かに乗っ取られる事件が続出。どこからか流出したパスワードで不正にログインしアカウントの友人が電子マネーを騙し取られたりしている。

と、聞いただけでも恐ろしい事案が並べられている。


なんとなく感じが分かってきたが、要するにネットを利用した無料電話や無料メールへの入り口となっているサイトのようだ。

そこで電話番号を登録すると電話がかけ放題となる。ただし、その時にスマートフォンに登録された電話帳は抜き取られてしまう。この情報が会社側には最大のメリットとなることになる。しかし考えて見れば、それは犯罪に類した行為ではないだろうか。

たとえば私の電話番号が契約者たる“彼女”の電話帳に登録されていれば、私の電話番号は教えたわけでもなく彼らの知るところとなる。ひょっとすると通話日時・回数まで知られることになる。

3億台が契約しているのなら、クラウド・データで、私の電話に関する日々の行動はすべて筒抜けだ。まぁ電話嫌いメール嫌いの私にはあまり実害はないだろうが…





消された画像の復旧は絶望的に困難だ。
すでに2週間になろうとしているが、ライブドアからはなんの連絡もない。
みずから修復を試みているが、状況はきわめて芳しくない。
1.FTPで画像をアップロードする
まずはFTPを使って、こちらの保存画像を一括アップロードした。しかしここにはリンクされない。FTPではルートのディレクトリーにしかアップロード出来ない。画像を格納するフォルダがどこかにあるのだろうが、それは分からない。編集画面で画像一覧を見てみると、まったくアップロードは反映されていないので、ルートに入れる方法はダメだということがわかった。
2.編集画面の画像一覧からアップロードする。
ついで、編集画面で、消えた画像のうち当方に保管してあったものをすべてアップロードした。サーバーの都合なのだろうか、一度にアップロードできる画像は40枚位、それ以上はどうやっても受け付けない。ところが翌日になるとまた受け入れ可能になる。
銀行のキャッシュカードと同じで、1日100万円までと限度が決まっているらしい。
そうやって3,4日がかりで画像をすべてアップロードすることに成功した。
しかし、画像が嵌めこんであった該当ページはそれを読み込まない。
つまり単純なリンク切れではなく、リンクが無効化されているのだ。
3.個別にリンク切れを探して、再アップロードする
こうして、残された手段は個別にリンク切れを探して、再アップロードするという絶望的な手作業によるしかなくなった。
まずは、リンク切れした記事を探しだして、その画面のところに、該当する保存画像を再アップロードして、再リンクさせなければならない。
これが二重三重に困難になっている。
ひとつは編集画面で画像を貼り付けるのは外部からのアップロードに限られているからだ。したがって予めアップロードさせた画像は利用できない。
何日がかりかでアップロードした画像は、記事のリンク先と一致しているにもかかわらずリンクされない。無駄にスペースをとっているだけで、何の役にも立たないことがわかった。
もう一つは、リンク切れの画像を載せた記事の検索が不可能になっていることだ。「記事一覧」というページがあって、画像を載せた記事が分かるようになっている。しかしこの一覧では、リンク切れした記事は「リンク画像ゼロ」としか記載されない。
4.3千の記事と数百の画像を一つ一つ照合する
こうして、3年数ヶ月をかけて書き溜めた3千の記事と、数百の画像を一つ一つ照合する作業が提起された。ぼちぼちやっていくにしても、数ヶ月は覚悟しなければならないだろう。
読者の方でリンク切れがあったら、是非コメントを頂きたい。気がついたものから直すということしかないだろうと思っている。

何よりも心配なのは、そうやって直したとしても、いつまた壊されるかわからないということである。一つのサイトを立ち上げて、多くのアクセスを頂いて多少とも自慢できるになるまでには、それ相当の時間もかかるし、なるべくなら続けたいと思うのだが、ブローチは勝手に閉鎖するし、ライブドアに移ったらこういう有り様だ。
どこか終の棲家に出来るようなブログはないものだろうか。

フランクの交響変奏曲なんてつまらない曲だ、と思っていた。

ところが何気なくアリシア・デ・ラローチャの演奏を聞いて、俄然感想が変わった。

強情に最後まで遅めのテンポと弱音で通す。そして一つひとつの音にゆたかなニュアンスと陰影を施す。「なんじゃぁ?」と一瞬のけぞる感じだ。

もともとピアノ独奏と伴奏がまるで合わない音楽だが、この演奏ではそれがさらに際立つ。ほとんど管弦楽はいらない感じだ。

だいたいが変なCDで、ラフマニノフの3番の埋め合わせに使われている。ラフマニノフがプレヴィン指揮LSOなのに、こちらはフリューベク・デ・ブルゴス指揮ロンドンフィルで一段格下だ。とくにこの時期のロンドン・フィルならやる気ないし…


調べたら、この演奏は元々1972年の録音で、ハチャトリアンのピアノ協奏曲とセットになっている。

たしかにこの組み合わせでレコードを買おうという人はそういないだろう。渋いといえば渋いのだろうが、売れ線ではない。「誰の趣味でこういうレコードが出来たのだろう?」と思う。しかし、このハチャトリアンも存外良いのである。

私の読みとしては、アリシアのプッシュでレコード化されたのではないか。


「今井家の10年」を考える

AALAの例会で「ファルージャ」という映画の上映会を行った。映画の題名はそれ自体がメタファーだ。

つまりイラクのファルージャを描いた映画ではなく、2004年4月にファルージャで人質となった若者の、その後の10年を描いたものだ。

例会には今井くんのお母さんが来てくれて、今井家の家族の歩みを物語ってくれた。それは圧巻だった。誰かが録音したようなので、いずれ起こせたらと思っている。

事柄の性格上、あまり細部にわたって語ることは出来ないが、私の着目したのは家族の一人ひとりの立ち直りの心的経過だった。

今井くん本人の自立への経過は、映画を見ればわかるので省略する。ただお母さんの話では、在日コリアンの青年との交流がとても大きな影響を与えたそうだ。なんとなく分かる気がする。

お母さんの場合は、NHKの番組作成にあたって、長時間・数次にわたるインタビューがあり、そこで徹底して過去を振り返ることで、気持ちが整理できてスッキリしたのだそうだ。

(こういうスタッフも居るのだから、簡単に「受信料拒否」などと言ってはいけないだろう)

他のご家族の話も伺い、それぞれの立ち直り方に非常に感銘をうけたのだが、今ここでは語れない。

結論として、今井家のすべてのメンバーは、それぞれのやり方で立ち直り、今井家は立派に一つの家族として弥栄である。


ここから先は私の感想だが、想像を絶するな災難が飛び込んできた時、それが邪悪な意思の塊としてぶつけられた時、人間はどう対応すべきものなのかということだ。

短期的には、気を失う、逆に無きもののように振る舞う、ウツになって閉じこもるなどの対応が考えられる。

しかし中長期には、それだけでは済まない。忘れること、状況からトンズラすること、慣れることの3つの選択肢しかない。みずからの存在を物理的に否定する選択はあってはならない。

忘れることはいかなる状況においても有効な心理的機転だ。しかしフラッシュバックという厄介な現象を伴う不完全な機転だ。しかも歪められた人間関係や信頼関係がそのまま固定されてしまう危険をはらむ。

状況を離脱するのは、それが可能であれば根治療法となる。しかし完全な形での離脱はほとんどの場合不可能だし、そこには異邦人として新たな葛藤が生まれる危険もある。また、歪められた人間関係や信頼関係は、そのままの形で凍りついてしまう。

したがって、対応の基本としては“慣れる”ことしかない。では、“慣れる”とはどういうことなのか。

1.状況を把握すること

2.状況に順応し行動と生活のスタイルを変えること

3.新しい生き方を確立すること

これに“正しく”という副詞をつけなくてはならない。そうしないと誤作動してしまう。1.の過程抜きでも2.は可能だが、それでは3.は達成できない。

1.の作業には、状況がどう変化したかということと、変化により生まれた新たな状況とはどういうものかの、二つの認識過程がふくまれる。それには、苦しいことだが「振り返り」の作業が不可欠である。

変化が不条理なものであればあるほど、気分に流されない把握が必要になる。多分それは“行きつ戻りつ”の過程になるのだろうが。

時間(忘却作用)の助けを借りながら、時によっては長短の小離脱をはさみながら、それを生活化することと、それをも織り込みながら新たな生活を作り上げていく…、これが慣れるということの一般的な意味である。


ただし、今回のような憎しみと、恨みの応酬という関係はこれだけでは収まらない。

私には、「人類愛の獲得」という過程が不可欠であるように思う。“人間への信頼感”と言っても良いのだが、もう少し強い感情だ。「人間ていいものだ、人生ってなかなかのものだ」という感慨である。

ききかじりで申し訳ないのだが、昔トマス・アキナスという神学者がこう言ったそうだ。

神の愛(アガペー)とは、「事物」に対する「存在」の無償の付与にある。愛のもとでは、存在すること自体が「善」であり、事物における「存在の欠如」は「無」である。最悪の悪は「無」である。

トマスが言う「存在」というのは意味、あるいは意義ということだろう。

トマスは善と邪悪なるものの対立という図式を退けている。

私が思うには、時間軸上のゼロ点を災難の発生時に持って来なさいということだろう。そこからの出発だ。そうすると災難は邪悪なものではなく、生活を構築していく上でじゃまになる事物にしかならない。

それらの事物には「意味」は無いのだから、避けて通るか、邪魔なところだけ取り除ければいいということになる。私たちの目標は私たちの生活に意味を持たせることであり、それは人々との間に見晴らしのいい、生き生きとした関係を結ぶことにあるのだから。

「言うはやすく、行うは難い」ことではあるが、そういう人との交わりをどう形成していくかが問われていくのであろう。

*映画鑑賞をご希望の方は北海道AALAへ(Tel 011 747 0977)


古田足日を脇においてこう言うのもなんだが…

小川未明の“暗さ”というのは、いわゆる「浪漫主義」に通底しているものではないのか。非合理を容認し、逆に美化さえしてしまう発想が、戦後第二世代として登場した古田には内心忸怩たるものがあったのではないか。

小川未明の児童文学における功績を否定したり、児童文学の枠から除外してみたり、というのではなく、それを事実として受け入れた上で、「内なる伝統」に潜む非合理主義を批判しているのではないだろうか。


実はこんなことを思ったのは、「十五夜お月さん」という童謡を聞いたからである。を書いた時、「花かげ」の隣に「十五夜お月さん」という曲があった。

こちらのほうが有名かもしれない。

歌詞を見ると、状況は芳しくない。それも崩壊的危機だ。

うp主のコメント: 母親は病死。父は倒産。そしてお手伝いの婆やはお暇をとりました。
妹は田舎にもらわれて行き、とうとう私は一人ぼっちになってしまいました。
十五夜お月さん!!!もう一度母さんに会いたいな・・・・もう一度母さんに会いたいな­・・・・
悲惨なこの姉妹の行く末を考えると可愛そうでなりません。

ということで、たんに悲しいのではなく、悲惨=悲しく、惨めなのだ。社会のルールからは合理的でも、当事者には非合理そのものだ。

それが非合理そのままに美化されていく。それも積極的にではなく、ただなんとなく受け止められ、砂糖をまぶされる。「母さん」を「あなた」に入れ替えれば、演歌そのままの世界だ。

これがまさに古田の言う「いびつな児童文学」であり、いびつな心を持った人の「児童心性」のなせる技だということだ。ということなのかな?


この曲は「金の船」という雑誌の創刊号に掲載された曲だそうだ。「金の星」ホームページにはこう書かれている。

大正8年11月に設立された、業界で最も長い歴史を持つ子どもの本の専門出版社です。
童謡童話雑誌『金の船』(のちに改題『金の星』)は創業と同時に刊行され、初代編集長の野口雨情をはじめ、島崎藤村・有島生馬・若山牧水・中山晋平・本居 長世・沖野岩三郎・岡本歸一・寺内萬治郎といった児童文化のそうそうたる先人達と共に、日本の近代的児童文化の成立をリードしました。

初代編集長の野口雨情がみずからものした曲だから、相当力が入っていると思う。

金の船表紙

ただ、この金の船、「赤い鳥」(北原白秋、山田耕筰、西条八十)の山の手風のメンバーに比べると、よりコマーシャルな感がある。「赤い鳥」の成功に刺激され、在来メジャー系が乗り出してきたという感じだ。

結局は両方とも軍国主義に収斂されてしまうのだから、その違いをとやかく言っても仕方ないのかもしれないのだが。


手塚英孝「小林多喜二 文学とその生涯」という本が出てきた。
本棚の一番上に平積みにしてあった。ホコリまみれでタバコのヤニで変色している。
これは伝記ではなく写真集だった。1977年の発行で定価3千円というからかなりのものだ。青木文庫の「全集」はどこに潜ったか、おそらく発掘不能だろう。
伊藤ふじ子の名は年譜に一度だけ登場する。
1932年4月中旬、伊藤ふじ子と結婚。
これだけだ。
最近明らかになった各種情報から見て、手塚はもっと多くを知っていた。本人や旦那とも接触があった可能性がある。
印象としては、かなりの確度で、手塚はふじ子とふじ子に関わる事実を隠そうとしていたと見て良いと思う。
1981年にふじ子は死んでいる。だからこの本が出たときふじ子は生きていた。だから江口の意見はもっともだと思う。
しかしふじ子が亡くなり旦那も亡くなって、不名誉な噂だけが残されるのはやはり困るのである。やはり、どこかもうう少し早い時点で積極的に事実を明らかにすべきではなかったか。
さらに言えば、事実を明らかにしなかった事実とその理由を述べるべきではなかったか、そういう思いはどうしても残ってしまうのである。

まだブログを始める前、私のホームページに「更新記録」というコーナーを設けて、そこで今のブログに相当する記事を書いていました。その頃に伊藤ふじ子のことを初めて本格的に知りました。

それより10年以上も前に小樽に住んでいて、多喜二の権威とも接する機会がありましたが、ついぞそのような話は聞いたことはありませんでした。もっぱらお母さんの話題とか三吾さんの話ばかりでした。タキさんが横浜からこっそりと現れたことがあって、墓参りやらにお付き合いしたなどという話も聞きました。

だから、ふじ子の存在がにわかにクローズアップされたのはこの数年のことと言えます。それまでは「隠されていた」と言っても間違いではないと思います。

今ではもう「更新記録」を訪れる人もいないと思いますので、ここに再掲しておきます。


2009.07.07

 テレビの話ばかりで、いかに怠惰な生活を送っているかということでしょうが、北海道放送の製作した「小林多喜二」という番組を見ました。
  10年ちょっと前に小樽で二年間暮らしました。そのときは周りに多喜二を知っている人もいましたし、お母さんや三吾さんのほうはみんな知っているという環境でした。タキさんが横浜から多喜二忌に来たという話も聞いています。「療養権の考察」のあとがきに「多喜二のイメージは私の中で不思議に伸び縮みする」 と書いたのはそういう事情があったからです。
 ただ東京で同棲したという女性については、「党生活者」に出てくるいわゆるハウスキーパーの関連が あって、あまり触れたくないエピソードとして見ていました。たしか平野謙はこのことを取り上げて多喜二を切り捨てていたと憶えています。その背景には党分 裂の時期に武闘派が多喜二を天まで持ち上げたことに対する「新日本文学」派の反発があったと思いますが、6全協から8大会を経ても、なんとなくよそよそし い雰囲気は残っていました。宮本百合子の立派な全集は出ても、多喜二は相変わらず青木文庫のみという感じです。
 番組は製作者の独特な思い入れが 強く、いささか胃もたれのする内容でしたが、「妻」の伊藤ふじ子が写真とともに紹介されたのは驚きました。なかなかの美人だったのにも驚きました。ふじ子 の書いた未完の覚え書きというのがあって、何でも都内での伝単貼り行動で知り合ったということで、そのあと多喜二が新宿角筈のすき焼き屋に連れて行って 「食べれ、食べれ」とせかしたそうです。字も書けないような女性ばかり見てきた多喜二にとって、さぞかし目のくらむ思いだったことでしょう。
 こ のふじ子の覚え書きの文章がとても知的で快活で魅力的なのに驚きました。情景の掬い方がとてもうまいのです。この2、3行だけで、多喜二がふじ子に一目ぼ れして、金もないのに気前良くおごった上に、方言丸出しで押しまくっていった情景が目に浮かびます。ふじ子が「あら、この人、気があるのかしら」と腹の中 でクスクス笑いしている思いも、そこはかとなく伝わってきます。美彌子から見た三四郎でしょうか。とにかくこちらのほうがよほど小説らしい。澤地久恵がこ の女性のことを詳しく書いているとのこと、読んでみたいものです。

ブログ画像が見えない件について
私のほうが悪いのかと思って、せっせと再登録していたが、ナンノコッチャない。ライブドアが悪かったようだ。全部画像を落としてしまったらしい。
まったく連絡なしで、サーバーをいじったらしいが、何の予告もなしにいきなり壊したようだ。しかも壊れたことの連絡もなしで、こちらで調べて初めて分かった。
いまでもライブドアブログのトップページにはただの一言も掲示されていない。

グーグルで「ライブドア ブログ 画像が消えた」で検索すると。

画像が閲覧できない不具合について - ライブドアブログ - Livedoor

というページが出てくる。これは
livedoor Blog 開発日誌 
http://blog.livedoor.jp/staff/archives/51038705.html
 

というページにつながっているが、トップページから行くのは不可能だ。

2008年08月14日付けの記事で、
昨日より、一部のブログで画像が閲覧できない不具合が発生しております。
これは、ブログの画像を別サーバーに移行しているときに発生する症状で、移行が完了すれば閲覧できるようになります。
対象のお客様には、大変ご心配をおかけし申し訳ありません。
移行が完了するまでに時間を要する場合があります。
2~3日経過しても画像が見れないままになっている場合は、大変お手数ですがお問い合わせ窓口までお問い合わせいただいますようお願い申し上げます。
本日は23日、すでに10日を経過している。閲覧不能どころか、4月にライブドアに移行してから8月13日までの画像が完全に失われた可能性がある。(4月以降のバックアップをしてなかった)
ちょっとこの対応は酷いですよね。ま、自分は無料ですからまだ我慢しますが、仮に有料の方にも同様な対応であったなら、それは企業として有りえないでしょう。
というコメントがあった。まったく同感。私は有料会員だから損害賠償を要求する権利がありそうだ。



メディカルウェアのサイトに「ZMapp」の項目がある。

ここがとりあえず日本語では一番詳しそうだ。

生産

1.マウスでの抗体作成

   マウスにエボラウイルスの抗原を注射して抗体を作り、脾臓から抗体の製造元であるB細胞を採取する。

2.マウスのB細胞の蛋白をヒトのタンパク質に置き換える

    マウス抗体をそのままヒトに使うとアレルギー反応が出る恐れがある。このため、ヒト抗体にする。

  これは採取したマウスのB細胞の大部分を、ヒトのタンパク質に置き換える(ヒト化)ことで可能となる。

ヒト化抗体: 抗原に結合する先端の部分だけマウスの抗体を残して、残りはヒトの抗体に変えた抗体。66%を人の抗体に置き換えたものを「キメラ抗体」、90%を人の抗体に置き換えたものを「ヒト化抗体」という。

3.ヒト化B細胞を骨髄腫(ミエローマ)細胞に融合させる

    B細胞は寿命が短く、数日で消費期限が切れる。このため、無限増殖する能力を持つ細胞と融合して長命化させる。

  これはB細胞と骨髄腫細胞(ミエローマ)を融合させたもの(ハイブリドーマ)を作ることで可能となる。

4.ハイブリドーマを煙草の葉を使って大量生産する

    一般的な遺伝子組み換えによるモノクローナル抗体作成と同じである。Zマップの場合は、煙草の葉が利用される(理由は不明)。

  ハイブリドーマをNicotiana benthamianaと呼ばれるタバコの一種に移植する。葉の細胞の遺伝子に組み込み、抗体のクローンを育成する。この手法はファーミング(農耕)と呼ばれる


たしかに難しそうだ。4段階のどれをとっても一筋縄ではいかないだろう。

それと患者数が少ないから、ビジネスとしては成り立ちにくい。

エボラ迎撃薬「ZMapp」

というページにはその辺りの背景が述べられている。

なぜ治療薬の開発が遅れたか。

エボラ出血熱の患者数は、マラリアやガンなどの患者数に比べればごく僅かであり、治療薬を売ろうとする製薬会社などない。

Mapp Biopharmaceutical社は従業員が10人にも満たない中小企業である。マ社での開発が進んだのは軍の援助があったからだ。

そこには国家安全保障上の理由がある。バイオテロリストがウィルスや細菌を利用して混乱を引き起こすことへの懸念である。

そこで、エボラ出血熱や天然痘などの治療薬を備蓄する必要性に迫られたからである。


slashdot より

ZMappは、現時点ではサル8匹を使った実験しか行われておらず、臨床試験はまだ行われていない。

実験では4匹のサルに感染から24時間後に実験薬を投与、ほかの4匹には感染から48時間後に投与したところ、8匹の生存率は100%だったとのこと。


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