鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2014年07月

私なりに加藤さんの用意した資料を読み込んでみた。

無論これだけで「日本マルクス主義」の認識過程を網羅しているわけではないだろうが、武谷三男の見解の変化だけに絞れば、かなり説得力のある資料が収集されているものと思う。


「原子力」に対する認識の深化の過程

武谷三男の見解を中心に

A. 原爆も含めた原子力への野放図な賛美

1.原爆は反ファッショ科学者の協力の賜物(46年 武谷)

2.原子力の解放は科学史上の最大の出来事の一つ(47年 武谷)

3.世界の原子科学者は平和のために原子爆弾を造り上げた(48年 武谷)

4.(原子力が)人類絶滅の道具として使用することはあり得ない(48年 武谷)

5.原子爆弾は…平和のきっかけを作ってくれた(48年 武谷)

6.自然力がまちがってつかわれると人類はほろびるが、ただしく使われると人類の生活をどんどんたかめる(48年 武谷)

この頃、放射能問題はまったく触れられていないようだ。

B. 原爆と原子力の分離。一方で平和利用への賛美は続く

1.原子爆弾は最大の浪費である(49年 徳田)

2.われわれは原子力を、平和的建設の重要課題実現に役立てる(49年 ヴィシンスキー国連代表)

3.原子爆弾の犠牲になった唯ひとつの民族…広島と長崎をふたたびくりかえさない…戦争に生き残ったわれわれの任務(50年 ストックホルム・アピールの呼びかけ)

4.原子力の副産物の放射能も「化学変化の研究や医学に」(武谷 52年)

5.人を殺す原子力研究は、一切日本人の手では絶対行わない(武谷 52年)

平和利用には原爆=ダイナマイト論がふくまれる。

C. 水爆と原爆との評価の分離。「水爆は人類の敵」

1.原爆と違って水爆は戦争以外に全く役立たない。「水爆は人類の敵」(武谷 53年)

これは「ソ連の水爆実験を聞いて」という記事であり、ソ連製をふくめて水爆には反対という趣旨と解される

2.水爆のエネルギー、死の灰は予想以上(武谷 54年)

53,54年は核問題がらみの事件が集中して起きている。続けざまに事実を突きつけられるなかで、原子力観の根本的検討が迫られた時期だったのだろう。

この年表には出てこないが、講和条約後に広島・長崎の被爆の実相が次第に明らかになり始めた時代と、それは重なっている。

D. 原子力発電に慎重な立場

1.原子力の平和利用は重要であり、その時期がせまっていることもたしかである。(武谷 54年)

2.原子力発電は核兵器とは桁違いに困難であり、難問が未解決のまま山積している。「死の灰の処理」は容易ではない(武谷 54年)

2.のコメントはほとんど今日的である。気がつくのは認識の順序や過程が、実際にはかなりジグザグの経過をとっていることである。これらの認識が苦闘のなかで獲得されていったことに思いを致す必要がある。

E. 段階論(原水爆の克服→平和利用)の提起

1.原子兵器競争が続いている間は研究や平和利用の分野でのどんな試みもない。(世界平和評議会声明 55年)

2.現在の原水爆時代を克服しない限り、原子力時代は訪れない(武谷 55年)

議論としてはさらに一歩進んでいる。「核兵器ではなく平和利用」から原水爆禁止の先行へ。ただし、平和利用そのものは積極的に評価されていて、技術的困難性は議論の前面には出ていない。

F. 平和利用問題での揺り戻し

1.原子兵器が全面的に禁止され、鳩山政府が打倒されるまでは、わが国における原子力平和利用の問題は、実際に問題になりえないといった機械的な態度をとることは許されない。(前衛 56年)

2.原子力の…可能性を十分に福祉に奉仕させることは、人民民主主義、さらに社会主義、共産主義の社会においてのみ可能である。(共産党決議 61年)

世界平和評議会の2段階論は、「原水爆時代の克服」から「社会体制の変革」に置き換えられている。ただ2段階論がそれなりに引き継がれているとは言える。

武谷は共産党を離れ独自の動きを示すようになるが、物理学者をはじめとする科学者運動のなかでは依然大きな影響力を維持していた。


この後「あらゆる国」問題や原水協分裂→再統一の失敗問題が展開されるが省略する。

問題は日本における原研の創立と原発の操業開始に至るトバ口のところまでに、どのように原子力の平和利用に関する認識が変遷して行ったかということだ。

その点では、朝鮮戦争という隣国での大規模な戦争、明らかにされた被爆の実相、ビキニの放射能という3つの事件が大きく作用していたのだろうと思う。

現実を突きつけられることで、日本人の思考は大きく変化していくのであり、それが53年から55年にかけて集中的に現れたのだと思う。

この時期に共産党は事実上の壊滅状態にあった。その後6全協から8回大会を経て再建へと向かっていくのであるが、これらの変化をつかみとっていたとは言いがたく、核兵器についても原子力の平和利用についても時代に一歩遅れていたと言わざるをえない。


感想としてしか書けないが、
1.「仁風林」はただのサロンではなさそうだ。「接待所」の可能性が否定できない。栩内容疑者は、接待要員であった可能性が否定できない。
2.複数の現職閣僚をふくむ政界有力者が、「仁風林」に入り浸っていたという確度の高い情報がある。彼らが「接待」を受けていた可能性は否定できない。
3.栩内容疑者の住む高級マンションはパソナの所有である。ビデオの盗撮装置が設置されていたかもしれない。巷間、それらしき映像が流出しているようである。
4.パソナの南部代表が創価学会との深いつながりを持つことは、周知の事実である。
5.前原議員の結婚相手は創価短大卒で、栩内容疑者と同じく南部代表の元秘書を勤めた女性である。この妻は防衛庁関連の事業に積極的に参加しているとの情報がある。

これらの情報は以前から、“その世界”には知れ渡っていた話だろうと思う。
ではなぜいま、官憲が踏み込んだのか。
大体、官憲が突如動いて大物が捕まるのは、アメリカの意向である。アメリカの意向を受けた公安警察が、カネとか女とかクスリとか、マスコミの話題になりそうなスキャンダルで攻めてくる。
いま集団的自衛権や来るべき沖縄知事選など、創価学会にちょっかいを出す理由はたくさんあるから、そういう流れで「権力」(安倍晋三ごときのあずかり知らない権力)が動いた可能性は否定できない。
しかし創価学会は降参してしまったから、この問題がこれ以上明るみに出ることはないだろう。これ以上やれば権力の側も相当の返り血を浴びなければならない。南部氏もそれ相当の“保険”をかけているだろう。残されたのは生贄となったアスカの残骸のみということになるのだろうか。

面白半分に「仁風林」のうわさ話を集めてみた。

グーグルで記事を検索。主に日刊ゲンダイがネタ元のよう。

栃内香澄美 パソナ 「仁風林」に出入りしていた民主党の前原誠司

パソナの接待迎賓館「仁風林」。
政界で特に出入りしていたのは、政界では民主党の前原誠司だという。
しかも前原の妻・愛里さんはパソナグループ代表の南部氏の元秘書だったことが判明。
つまり栩内 香澄美容疑者と同じような立場だったのだ。
またミス・インターナショナル12年グランプリの吉松育美(26)も元秘書。
10年のミス・インターナショナル日本代表の金ケ江悦子(28)は、アーティストのマネジメント業務も行っているパソナのグループ会社「エコLOVE」に所属。
SEX接待迎賓館と呼ばれる「仁風林」。
政界、財界、芸能界を繋ぐこの肉欲にまみれた施設にはどんな闇が隠されて
首相が叱責…ASKAの女に異常接近していた小野寺防衛相

パソナグループの迎賓館「仁風林」のパーティーに、田村憲久厚労相ら現職閣僚5人が出席したことをこれまでに伝えたが、小野寺五典防衛相(54)も“メンバー”だったことが日刊ゲン ダイ本紙の調べで新たに分かった。覚醒剤使用でASKAが逮捕される直前まで通っていたようだ。

「小野寺大臣の目的はASKAの“愛人”栩内香澄美だったそうです。栩内は青森出身で、小野寺大臣は宮城県出身。“同じ東北出身”をアピールして接近しようとしたけど、うまくいかなかったようです」(事情通)


これなら強気になりますね。

竹中平蔵 猪瀬直樹  堺屋太一  永島敏行…栩内容疑者の関係者がやばすぎる…

関係者によるとセックス接待中のビデオの存在が判明…

竹中の平ちゃんがパソナグループの会長だそうです。

パソナ代表南部 靖之、芸能事務所幹部、そして自民党の圧力によりマスコミはだんまり。

栩内氏と関係のあった他の芸能人がさんざん取り沙汰されている一方で、パソナや南部氏に対する報道はあまりに少ない。それどころかマスコミは「パソナ」の 社名すら明記しないケースもある。

その理由については、大手スポンサーへの自主規制や、南部氏が政府の審議会委員を務めるなど自民党政権ときわめて近い関 係にあること、さらには親しい芸能事務所幹部の圧力説などが囁かれている。

栩内容疑者が出向していた医療系人材派遣会社「メディカル・アソシア」のグループ代表が、政財界のトップを接待するための迎賓館として設けた。

栩内香澄美メディカルアソシア

    メディカル・アソシアのポスター。モデルは栩内だとされる。

南部靖之代表は自社の美人社員や知り合いのモデルを接待要員に使っており、栩内容疑者もその一人だった。

YUCASEE より

「仁風林」、超富裕層だけが持つ夢のサロンの中身

有栖川公園、麻布中・高、西町インターナショナルスクール、各国大使館…。都内でも屈指の高級住宅街でもありながら、どこか異国情緒も漂わせる元麻布2丁 目。道幅の狭い入り組んだ道をたどっていくと、「仁風林」がある。歴史的には、江戸時代には旗本屋敷が並んでいた土地らしい。

仁風林

 

仁風林

約1000平方メートルという広い敷地内に、昭和39年に建築された鉄筋コンクリート造りの家屋がある。地上2階地下1階建てで、延べ床面積は250平方メートル。

古い料亭のような造りの門構えに、深々と生い茂る植栽から中の様子をまったくうかがい知ることはできない。近隣住民たちも何の施設かは詳しくは知らなかっ たようだが、近隣の男性は「入り組んでいて狭いので、とても、見ず知らずの車が入ってくるような場所ではないのですが、それでも、週末には大きな車が数台 並んでいたりします。

週刊新潮によると

40人ほどのパーティースペース、専門の料理人が料理をふるまい、セレブ夫人たちに人気の酵素風呂もある。そして、芸者やモデルたちで形成される接待女性 の軍団がいる。そこにASKA容疑者が夫人同伴で来るようになったという。そして、カスミちゃんと呼ばれていた栩内容疑者もいたという。

 

richardkoshimizu's blog には下の記事が貼り付けられていた。http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/008/181/20/N000/000/012/140225906563440181226_201405311054227e9.jpg

 

http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/008/181/20/N000/000/012/140225903834257568226_20140601-3.jpg

 

ウィキペディア旧版なる文書

ウィキペディアの南部靖之の項目は削除対象となっている。

削除前の原文には、「株式会社パソナ代表取締役グループ代表兼社長であると同時に創価学会の信者である」と記載されている。

また、

民主党の前原誠司前代表とは、夫人である前原愛里が創価短大卒業後に株式会社パソナで南部氏の個人秘書を務めていた関係にあり、同夫人は防衛庁の人材派遣を通した利権に関与しているとされる

怪文書のたぐいかもしれないが、前原妻の情報は間違いなさそうだ。。

 25年前のスキャンダル

実は今から25年ほど前、南部氏をめぐるスキャンダルが大きく報じられたことがあった。それも女性スキャンダルが--。

 まだパソナ・グループがテンポラリーセンターという社名だった1989年、「週刊テーミス」(8 月2日号/現在は会員月刊誌)が『テンポラリーセンターの醜聞 南部靖之専務をめぐる「女性関係」を衝く』という5ページもの特集記事を掲載したのである。

南部氏は当時37歳。関西大学時代に立ち上げたテンポラリーセンターの創業専務で、「ベンチャーの寵児」ともてはやされていた。

以下略


関連記事

2014年07月27日栩内被告が徹底抗戦するとどうなるか

これは の続きです。

宮本百合子との対話

49年4月の「婦人民主新聞」は白蓮と宮本百合子の紙上対談を掲載している。

「誰故にこの嘆きを」 白蓮から百合子へ

あの日、日の丸の旗を肩にして「大君のへにこそ死なめといつて出て征つたあの子の姿は、胸に焼きつけられて今もなお痛む。

あのおとなしい子が人一倍子ぼんのうの両親の家を、不平一つ言わず勇ましく門出をした、あれは一体、誰故に誰に頼まれてああしたことになつたのか─と。

…思いかえせばあの戦争中の協力一致の精神…が世界平和のために湧き上らぬものかしら、この故にこそ天界…息子と地上において…同じ目的に協力したいと念じている。これが我子を犬死させない唯一の道だと思っているから。

百合子から白蓮(燁子)へ

…燁子さんににちりよつて、その手をとらせたい心にさせる。そうなのよ、燁子さん。

…あなたの愛がそんなに大きく、そんなに母として深い傷になほ疼いてゐるのに、もう一遍、その傷のいたみからかぐはしの香織 を生んで見よう、と思ふことはおできにならないかしら。

今度は戦争の兇□と非人間性に向かつて抗議し、行動する、けふといふ歴史の時代における香織を。

世界連邦平和運動の婦人部長

この宮本百合子の言葉がどう響いたかは分からないが、「悲母の会」は後に「国際悲母の会」となり、「世界連邦平和運動」に発展した。

白蓮は湯川秀樹夫人スミらとともに運動を担い、全国を行脚した。北海道だけでも後志、札幌、月寒、石狩、旭川、十勝平野、根室、狩勝、北見と連なっていく。

運動家としてのど根性

白蓮はこんな文章も書いている。

悲母の会解消問題の起きた時、だから先生は、歌の事さへすれば他の事は何もしなさるなと、意見された。併し自分の運命の流れというものがある。

そして70を過ぎた体に鞭打って全国の講演旅行に駆け巡る。この時の歌は、芭蕉の「奥の細道」を思わせる。自然と我とが一体になった至高の歌どもとなっている。

『地平線』の作品に詠み込まれ、また注記された地名は全国津々浦々の40ヶ所におよぶ。

いくつかを紹介しておく

巡礼の心してゆく旅なれば 北のはてにも わがゆくものか

どこの国の誰が ぬれ居る雨ならむ とほくに見ゆる雨雲低し

ききほれて しづかに涙たるるなり 山河草木みな声放つ

遠つ祖の なみだに見たる秋の空 佐渡はけぶりて小雨となりぬ

白蓮の最晩年

このような過酷とも見える無理の多い講演旅行は、やがて燁子の目を苛み緑内障に侵される結果となった。

1961年、76歳で白蓮は両眼を失明する。しかし作歌は永眠の前年まで続けられた。最後の歌は神々しいほどに響く。

眼を病めば 思い出をよぶ声のして 今を昔の中にのみ居り

なべて皆 物音たえし真夜中は 声ならぬ声のなにか聞こゆる

そこひなき 闇にかがやく星のごと われの命をわがうちに見つ


この抜粋は中西洋子さんの労作のほんの一部しか伝えていません。ぜひ原文をご覧ください。

 

 

「潮流」によると、自衛隊のコマーシャルがあって、その決め台詞が「ここでしかできない仕事があります」というのだ。
simazaki

あまりテレビコマーシャルには縁がないが、かなり恐ろしいセリフだと思う。
自衛隊にしかできないこと、それは“人を殺すこと” だ。
飛行機に乗れます、船に乗れます、といったところで、それはただの飛行機や船ではない。“人を殺す”ための飛行機であり船なのだ。
自衛官は“人を殺す” ために、飛行機に乗り船に乗るのだ。
他のことなら、自衛隊でなくてもできるようなことばかりだ。
AKB48の女の子が「ここでしかできない仕事があります」とささやくとき、それは“人殺し” 稼業への誘惑なのだ。
本当は、自衛隊にしかできないもう一つの仕事がある。それは“殺される” ことだ。しかしそれは、自衛隊に戦争させたい連中の心の奥深く隠されている。
わかっているかい、島崎遥香さん。その指先の光の下で人が死ぬんだよ。何十人も、何百人も、何千人も…

パガニーニのこの曲が、正式名称不明

以前から好きで、ホーページのテーマ曲にも使っていた曲だが、youtubeでは正式名称が混乱している。

1.ギル・シャハム盤では“作品3の6”

まずは定番演奏とも言えるギル・シャハムの演奏。

うp主は

Sonata no.6 for violin & guitar - andante - Gil Shaham ( Paganini )
と名づけている。説明はない。

これは現役盤からの吸い出しだからうかつにコメントできないのであろう。
そこでCDのクレジットを探してみると、

Paganini: Sei sonate M.S. 27 (op.3) per violino e chitarra / Sonata n.6 - in E minor - Andante

となっている。ついでに絵も載せておく。

From the Album Paganini For Two
March 15, 1994

このCD収録曲の一覧をみると、

1.作品番号なし、MS.2 のソナタ イ長調

2.作品3、MS.27のソナタ集から1番、4番、6番、

3.作品番号なし、MS.3 のグランド・ソナタ

4.作品番号なし、MS.112のチェントーネ・ディ・ソナタ(ソナタ集)から2番、4番、

その他が収録されていることが分かる。

ということで、

この曲は、日本語でいうと

バイオリンとギターのためのソナタ ホ短調(作品3の6)の第一楽章 アンダンテ

ということになる。

しかし、バイオリンソナタの第何番かということは、これだけでは分からない。パガニーニの作品の散逸状況からすれば、第何番かなどということはむしろ言わないほうが良さそうにも思える。

ところが、うp主は“ソナタ第6番”と称しており、これはいろいろ問題をはらんでいる。

2.作品3の6は「バイオリンとギターのためのソナタ」の6番とはいえない

作品番号を付けるのは作曲者本人であるから、本人が6番といえば確かに6番である。

しかしパガニーニには、本人が作品番号を付けて発表した曲とは別に、かなりの未発表作品があり、それが発掘されている。

それらがマリア・ローザ・モレッティとアンナ・ソレントによって鑑定され、パガニーニの自作と判断されたものがMS番号を付けられて公開されている。

これ自体はきわめてありふれた話だ。バッハ(BWV)、ハイドン(Hob)、モーツァルト(Köchel)、ベートーヴェン、シューベルトなど上げればきりがないくらいだ。

それを差し置いても、作品番号をつけて公表された曲の中でも、この曲は第6番とはいえない。なぜなら作品2も同じ「ヴァイオリンとギターのための6つのソナタ」と題されているからだ。

だからこの作品を通し番号で言うならば、バイオリンソナタ第12番なのだ。ちなみに作品1が、かの有名な「24の奇想曲」である。

3.同じ時期に作られた「バイオリンとギターのためのソナタ」は、他に30曲ある

モレッティとソレントによって真作とされた「6つのソナタ集」がMS.9からMS.13まで5つもある。すべて作品2および作品3と同時期(1805~1808年)のものである。

さらにそれに加えてMS.2(協奏的ソナタ)とMS.3(グランド・ソナタ)などなどという同じ編成のソナタもある。だからバイオリンソナタ第何番という言い方は、かなりナンセンスに近い表現だ。

この時期、パガニーニはバイオリンソナタを書きまくっていた。ナポレオンが欧州を席巻し、ベートーヴェンが英雄交響曲を発表していた時代である。

とにかくバイオリンソナタ第何番という言い方はやめましょうということだ。

4.作品3の6の全曲を聞く必要はない

パガニーニのソナタは、緩徐楽章の第一楽章、アレグロの第二楽章からできているようだ。作品3の6といって演奏されるのは、通常は第一楽章のアンダンテだけである。

唯一、YouTubeで第2楽章を含めた全楽章が聞けるのが、下記の演奏である。

Eriko Sumi,Dario Ponissi : Paganini "Sonata for Violin and Guiter"
下記、追補しました。

民主党政権時代に、消費税引き上げを無理やり押し通したのだが、その時の最大のお題目が財政再建だった。
これは財務省サイドからの圧力だったようで、議論はある意味で消費税増税による歳入増加と、内需の冷え込みによる歳入減のどちらが効いてくるかというところに集中していたように思う。
一方で、財界の要求を飲んで法人税の減税をやるということの矛盾も、激しく衝かれたところだ。
ただ与謝野にしても、曲がりなりにも財政再建を錦の御旗に掲げていたから、それなりに真面目な政策論争ではあった。
それが、どういうことだ。
内閣府の試算は、「20年度にプライマリー・バランスを黒字化する」目標を投げ捨ててしまったようだ。
ということで、赤旗の主張が厳しく非難している。

とりあえずそこに示されたファクツをいくつかあげておく。

1.日本の財政の現状
歳入の4割が借入金。つまりプライマリーバランスはマイナス40%ということになる。
公債の発行残高は1千兆円。これはGDPの2倍。
2.中期財政計画
安倍政権発足時に策定されたもので、事実上の国際公約。
「20年度に国と地方の基礎的財政収支:プライマリー・バランスを黒字化する」ことを目標に掲げる。
3.内閣府の試算
今月、内閣府が経済財政諮問会議に示した中長期の経済財政試算。
20年度で財政赤字は11兆円残る。これはGDPの1.8%に相当。
4.さらなる消費税引き上げしかない
11兆円をすべて消費税で穴埋めし、かつ法人税をこれ以上引き下げない場合、税率アップは4%となる。

ということで、これ以上については勉強してみないとわからない。
ただ、論建ては多少おかしなところがある。
まず、現在の数字からどうやってマイナス11兆円のレベルまで持って行こうとするのか、そこが見えない。その際に公債の発行残高がどうなるのかもわからない。
いろんなレベルの数字がごっちゃになって提示されているため、どこがどうひどいのかが見えてこない。
私のような素人にも分かるよう、もう少し整理した提示をすべきだろう。

田上市長(長崎)の言葉が赤旗に掲載されている。なかなか良い言葉がある。

国連では、国益と国益、軍事バランスという議論になります。しかし、私たちはその議論に「核兵器は人間にとって必要ですか」と投げかける人間の論理を持ち込みます。
「原爆が投下された広島、長崎の惨状を知ってください。被爆者の訴えを聞いてください。これほど残酷な兵器が人間として必要ですか」との本質的な問いかけができます。
やや荒削りだが、まっとうな論理だ。

人間の論理と言ってしまえと、政治の論理も突き詰めれば人間の論理だ。この言葉はもう少し吟味しなければならない。核を使おうとする側の論理とその目標にされる側の論理になるのだろうが、今のところうまい言葉が見つからない。
核に賛成はしないが、使われてもとりあえず自分には関係ないと考える人々、つまり核に鈍感な人々が問題なのだろう。

ASKAとの“中出しSEX”までも反証材料にした栩内香澄美被告に、検察が激怒!

というから、かなりえげつない話になっているが、「私はシャブなどやっていない」という主張のために、そこまで告白しているようなのだ。

これは「私は高級コールガールです」と宣言しているようなものだ。ということは、「仁風林」がその手の施設であることも明るみに出ることになる。

ここまで開き直った女性が、この先何をしゃべり出すか分かったものではない。

しかもこの戦術、パソナグループの社長が主導している雰囲気のようだ。どうやらこの社長、本気で脅すつもりらしい。

こうなると命がいくつあっても足りない。さてどうなりますことやら…

はじめに~静電気とは?

まず最初に二つの実験が示されるが、後者の実験には驚いた。

実験2

まずは、水道の蛇口を少しだけひねって水を垂らしておいてください。それから塩化ビニル棒と紙をこすり合わせます。

次にこの塩化ビニル棒を水平にして、蛇口から垂らした水流に近づけてみてください。さて今度はどうなるでしょうか?

水流が塩化ビニル棒に引き寄せられて曲がりました!

皆さん、知ってました? どう考えても、これは磁力じゃないですね。でも考えてみると、下敷きに紙が吸い寄せられるのも、本当に磁力なのだろうか。

つぎに静電気の定義

電荷の空間的移動がわずかであって、それによる磁界の効果が電界の効果に比べて無視できるような電気 (静電気ハンドブック)

しかし、これではよくわかりません。
というかさっぱりなので、簡単に言いかえてみましょう。
静電気とは「物体に電気がたまる現象、もしくはその電気のこと」です。

ウィキペディアでお馴染みの定義だ。わからないことも同じだ。しかしこのページではしっかりフォローしてくれるようだ。

第一回~ふたつの電気

電気は大きく二種類に分かれるのです。
ひとつは私たちが普段使用している『動く電気』です。これがなくては今の私たちの生活は成り立ちません。
これを動電気と呼びます。
もうひとつの電気はその場にとどまって動きません。これが『とどまる電気』、つまり静電気です。

さあ混乱してきた。動かない電気って、一体何なんだ。

第二回~帯電

原子はみんなプラスとマイナスの電気を持っており、その量は同じです。原子はこのふたつの電気のバランスが保たれる事で安定しています。

しかし、物と物が触れ合ったりこすれ合ったりすると安定が弱いマイナスの電気が片方からもう片方に移動します。このことを帯電といい、この帯電状態を静電気状態といいます。

原子が帯電した時に持つ電気の量を電荷といいます。

こすり合わせたりすると・・片方の電子が飛び出してもう片方にくっつく

それぞれ正、負に帯電する

第三回~静電気力

帯電したもの同士が近づくと引き寄せられるか反発する。そこには力が発生するわけだ。これは磁力ではない。

この力の源は帯電した原子にある。

このようにして電荷どうしの間にはたらく力のことを静電気力(クーロン力)といいます。
静電気が原因となって働く力だから、静電気力。

それはいいとして、それは磁力とどう違うのだろうか。

第四回~電気を通すもの、通さないもの

物体は接触したりこすり合わせたりすると帯電する。

しかし、全ての物体が簡単に帯電する訳ではありません。物体には帯電しやすいものとしづらいもの、電気を流しやすいものと流しづらいものとがあるんです。

金属はよく電気を通すのに、プラスチックの多くは電気を通しません。

電気をよく通すものを"導体"といいます。導体は電気が流れやすいので、帯電してもすぐに電気を逃がしてしまいます。

逆に電気を通しにくいものを"絶縁体""不導体"と言います。絶縁体は帯電したら電荷を維持する力が強いのです。

少しわかってきたぞ。静電気というのは電気といっても流れる電気じゃないんだ。電子のポテンシャル・エネルギーみたいなものだ。だから電気が流れることによって生じる磁力とは違うんだ。核エネルギーに近いような概念だな。

そういえば素粒子の勉強した時にもクーロン力というのが出てきたな。

第五回~静電誘導

はい、いよいよ今回は静電誘導を学びます。
前回までは基礎の基礎です。
五回、六回でようやく実際に起こる静電気のしくみがぼちぼち理解できてくると思います。
ではがんばっていきましょう。

そう言われると、とたんに疲れてきた。ガッツがないな。

静電誘導の定義は以下のとおり

帯電していない導体に帯電している物体が近づくと、導体の帯電している物体に近い側に帯電している物体と違う種類の電気が、遠い側に帯電している物体と同じ種類の電気がそれぞれ現われる現象

長い文章なので、分解する。

帯電していない導体というのは、要するに金属のことだ。帯電している物体というのは例えばエボナイトみたいなものだ。

つまり最初の部分はこすって帯電させたエボナイトを金属に近づけるとどうなるかということだ。

先程は帯電した物同士をくっつけたんだが、今度は導体が相手だからクーロン力は働かない。

しかし金属の内部ではそれに似たような反応が起きる。それが静電誘導という現象だ。

静電誘導というのは、エボナイトがマイナス荷電されていれば近い方にプラス荷電された原子が集まり、逆側にマイナス荷電された原子が集まるという現象だ。

これは帯電体同士がくっつくとか弾くというのとは違う。片方は積極的だが、片方は受け身だ。最初は好きでも嫌いでもないのに、相手の情熱についほだされてという愛の形だ。

これがアルミ箔がエボナイトに引き寄せられる現象の説明だ。

では紙のような不導体がエボナイトに引き寄せられるのはどうなのか。

静電誘導で電気が移動できるのは導体が電気を流すためであり、不導体に帯電体を近づけても電気が移動できません。

つまり形は似ていてもその機序は違うものなのだ。もう一つの愛の形、それは誘電分極と呼ばれる。

実は不導体であっても帯電体を近づけると物体の中の電気の位置がほんの少しだけずれるんです。

帯電体を近づけた不導体の中では、帯電体に近い側に帯電体と同じ種類の電気が、遠い側に同じ種類の電気がそれぞれ生じるのです。

なぜ、どうやって分極が生じるのかは、この文章では触れられていない。しかし、もうそれはどうでもよい。疲れた。

まとめると、帯電体同士の関係はクーロン力、帯電体とそうでないものとの関係は、物の内部での電気分布の受身的な変化、そのものが導体であれば静電誘導、不導体であれば誘電分極、ということになる。

それで、最初の実験の蛇口から出ている水だが、これは静電誘導の方だそうだ。

第六回~放電

静電気によって火花が起こる理由は放電が起きるからです。

まず「放電」の意味

放電というのは 帯電して静電気状態になった物体がその物体と逆の電気を帯びた物体と接触する時に電気が飛び散ることです

「帯電して静電気状態になった物体」というのは我々の体のことだ。

プラスの電気を帯びた人間の手が金属に近づくと、静電誘導によってその金属の表面にマイナスの電気が集まります。

人間の手のプラス電気は、金属に集まったマイナス電気と結合しようとします。その瞬間に放電が生じます。

バチッとなった瞬間は放電している状態で、すでに静電気ではなく電流になっています。

プラスとマイナスが引かれ合う

放電が発生する

ここまでで静電気の発生のしくみに関しての説明は終わりました。
これで大体のことはわかったと思います。

わかりましたか?

突如、静電気という言葉が気になり始めた。

なんで、静かな電気なのだろう。あんなにバリバリと、ときには痛みも伴って、光さえ発して爆発的な姿で登場するのに…

ということで、まずはウィキペディアから。

静電気は、物体(主に誘電体)に電荷が蓄えられている(帯電する)状態や、蓄えられている電荷そのもののことを指す場合もある。

さあ分からない。日本語として分からない。

とりあえず文章を分解してみる。

静電気という言葉には二つの意味がある。

主要な意味は、物体に電荷が蓄えられている状態のことである。

ということで、電池のようなものだろうか。物体が帯電している状態ということだろうか。いずれにしても帯に短し、たすきに長しであり、率直に言えば説明になっていない。

もう一つの意味は、物体に蓄えられている電荷そのものである。

だから、電荷というのがわからないと、この説明は全くちんぷんかんぷんなのだ。わからないものを、もっとわからないもので説明するのは愚の骨頂だ。

ただ、電気というのは一般に流れることによって電気なのだから、静電気という言葉自体が矛盾していることは分かる。

おそらくは電流が何らかのバリアーによって閉じ込められている状態なのだろう。だから、何がどのようにしてバリアーになっているのかを説明することが肝要であろう。

次のセンテンスはもっと不親切だ。

電荷は常に電界による効果と磁界による効果を持つが、静電気と呼ばれるのは電界による効果が際立っている場合である。

電荷がわからないことを、知ってか知らずかさらに電界とか磁界という言葉をあびせかける。

こういう人に道を聞かないほうが良い。日本語で聞いたら英語で答える人だ。

とりあえず想像してみると、電流が流れるとマックスウェルだかの3本指の理屈で磁力が発生する。

ただ電流は一定のバリアーの中をぐるぐる周りしているから、磁力は相殺されてゼロになってしまう。

ということなのだろうかと、とりあえず思っておく。

これで説明は終わりである。

付け足し的に「静電気が起きた」という世間の言い方にチェックが入る。

日常生活で、静電気による放電に出会ったときに「静電気が起きた」という事があるが、これは「静電気によって火花放電が起きた」というほうがより正確である。

ということで、そこだけは分かる。

あとは本質とは関係のない話ばかり。誰か書きなおしてください。


次は「これで解決! 静電気」というサイト。

マイナスイオンとの関係

マイナスイオン不足(マイナス電気不足)を引き起こす事によって帯電体質、つまり自然放電できにくい、静電気を溜めやすい体質になってしまいます。

と書いてある。これもわかりにくい説明だ。マイナスイオンが不足すると自然放電しにくくなるというのだが、そのメカニズムが書いてない。

大体がまゆつばの説明が多く、マイナスイオン水の宣伝みたいだ。


次は「静電気の仕組み」というサイト。

静電気はとても身近で、私たちの周りのどこにでもあります。日本にも静電気学会というのがあって、研究もされています。しかし、今現在、静電気はまだ完全には解明されていません。

というのが書き出し、ウム、これは期待できそうだ。

次のページには目次がある。

 
はじめに~静電気とは?

そもそも静電気とは何者なのでしょうか。

第一回~ふたつの電気

静電気と家で使っている電気はどう違うの?~電気の種類について学びます。

第二回~帯電

ものが電気を持つってどういうこと?~帯電という現象を学びます。

第三回~静電気力

電気が持つ力って?~電気の性質を学びます。

第四回~電気を通すもの、通さないもの

電気を通さないものって?~物体と静電気との関わりについて学びます。

第五回~静電誘導

静電誘導ってなに?~どのようにして静電気力が作用するかを学びます。

第六回~放電

静電気の放電はなぜ起こるの?~静電気放電について学びます。

ちょっと難しい話~電気量保存の法則

電気のやり取りと電気量との間には関係があります。

第七回~帯電列

物体をこすり合わせると、プラスとマイナスのどちらに帯電するの?~帯電列の見方を学びます。

第八回~日常生活と静電気

何をすると静電気は起こるの?~日常生活の中のどのような場面で静電気が発生するのかを学びます。


なかなかの内容のようだ。

いったんブログを閉じて、あらためて読むことにする。

インド・スズキ自動車 「暴動」はでっち上げ

経済面の「変貌する経済」という連載で、かなりのスペースを使ってインド・スズキ自動車の「暴動」を告発している。

本来なら、独立した記事として取り上げるべきだが、まだしっかりとしたウラが取れていないのかもしれない。

とりあえず要旨を紹介しておく。

まず会社側の発表はこういう風になっている。

暴徒は鉄パイプをもって行動した。これは計画的だ。先頭に立って抑えようとした人事部長は足を折られ、そして(建物に)火をつけられた。誰がどう考えたって殺人だ。これは組合運動じゃなくて暴動だ。

(6月の株主総会での鈴木修会長の発言)

これに対して有力な反論が出されている。「労働者の権利を目指す国際委員会」(ICLR)の国際調査団報告だ。

「暴動」が起きたのは2012年7月18日。以下は報告書の抜粋。


午前8時半、ある現場監督が1人の労働者にカーストの差別的な言葉を投げつけた。

口答えをしたその労働者は停職処分を科された。

労働組合は、停職処分の撤回を求め経営側と数度にわたり話し合いを持った。

そのさなかに、経営側は警察に警官隊の配備を要求した。

午後2時、大量の警官が工場の門前に集結した。

この日、工場内には多くの見慣れない男たちの姿があった。作業服は着ているものの名札はなかった。彼らは「自分たちは新入りだ」と名乗った。

午後7時、組合と経営側は討議を再開した。

この頃から、「新入り」と名乗る男たちが労働者への挑発を始めた。それは次第にエスカレートし、ついには乱闘騒ぎとなり、完全な混乱状態に陥った。

交渉のテーブルについていた組合幹部は、騒ぎに気づき部屋を飛び出した。

その直後に、いままで交渉をしていた部屋から火の手が上がった。

工場内のプラントの労働者はプラントの外に飛び出した。

これを見た警官隊は、工場内に突入し、労働者を手当たり次第に捕まえ出した。

火災が起きた事務所内ではアバニッシュ・デヴ人事部副部長が死亡していた。死因は煙を吸い込んだことによる窒息死だったが、両足には鈍器による外傷が残されていた。

デヴ氏は経営側の人物であったが、労働組合設立に積極的に関与するなど、組合の強力な支援者と見られていた。

ついで労使紛争の背景説明

日本では1分に1台の割合で生産ラインに自動車が流れてくるのに対し、マネサールでは45秒に1台の割合で流れてくる。

勤務途中の休憩時間は日本が10分程度なのに対し、マネサールは7分間しかない。

1日の生産台数の目標が決められ、目標に達するまで時間外労働を強いられる。平均2時間のただばたらき残業になっている。

理由にかかわらず、1ヶ月に1日休むと「生産性」連動部分の賃金が削られ、3日休むと全てなくなる。(この賃金部分は賃金全体の半分に相当する)

工場労働者のうち75%が不安定雇用で、賃金は正規労働者の4分の1程度しかない。


ここまでが報告書の抜粋。

以下は地の文になっているが、おそらく調査団のメンバーからの聞き取りによるものと思われる。

スズキ自動車側は一貫して労働問題が背景にあると認めません。しかし事件は、労働者が様々な妨害をはねのけ、自主的な労働組合を結成した直後に起きました。

この労組が州の労働部に登録されたのが12年3月。その後、労組はすべての契約労働者の正規化などを求める「要求憲章」を発表した。

3ヶ月で10数回に及ぶ団交が行われたが、7月中旬、経営側は交渉打ち切りを一方的に宣言した。これに対し、労組は不払い残業拒否を表明した。

7月18日の事件の後、多くの労働組合幹部が逮捕され、労働者2300人が解雇された。


ということで、インド・トヨタのロックアウトも相当非常識な行動と思ったが、こちらはほとんどむちゃくちゃだ。

ただ、スズキはインドにとっては外国企業だということを忘れていないのだろうか。ナショナリズムに火をつけると、このての話は致命傷になる。


なお、この報告についての詳細は

静岡県労働研究所のホームページに掲載された

インド・マルチスズキ社の「組合つぶしの暴力事件」について
2014 年5 月6 日

というレポートに述べられているので、そちらを参照されたい。

インド・トヨタのロックアウトについては

を参照されたい。



大躍進運動 年表

1957年

7月 毛沢東、「8ないし10回の5力年計画を経てアメリカに追いつき,追い越す」目標を提示する。

10月 共産党の第8期3中全会、「農業発展綱要」を採択。毛沢東の主張を反映した12年計画で、農業生産力を飛躍的に発展させることを目指す。

10月 大躍進運動が始まる。河南省からはじまった大規模な水利建設運動が全国に拡大。

11月 毛沢東が訪ソし、フルシチョフと会談。フルシチョフは15年で米国を追い越す構想を述べる。これを受けた毛沢東は15年で英国を追い越す構想を打ち出す。

1958年

1月 共産党政治局の「南寧会議」、地方工業生産額が10年内に農業総生産額を上回るようもとめる。

2月 四害駆除作戦が開始される。四害とは伝染病を媒介する蝿、蚊、ネズミと、農作物を食い荒らす雀のこと。北京だけでも300万人が動員され、3日間で40万羽のスズメを駆除した。スズメの駆除は、かえって害虫の大量発生を招いた。

3月 共産党政治局の「成都会議」が開催。第二次五ヵ年計画が発表される。鉄鋼生産量を年間2億7千万トン(前年比26倍)、穀物生産5億トン(前年比2倍)とするもの。このため農業合作社の大型化を提起。

5月 共産党の8全大会。鉄鋼生産目標値が大躍進政策のシンボルに据えられる。

6月 陳伯達、「合作社を、農業合作もあれば工業合作もある基層組織単位,農業と工業とを結合した人民公社とする」ことを提起。なお公社とはコミューンの中国語訳である。

レジェンドとしては、毛沢東が農村を視察した際に大農業集団組織に注目し、「人民公社は素晴らしい」と語ったのがきっかけとされる。

7月 フルシチョフが中国を訪問。人民公社化の行き過ぎを警告。フルシチョフが提案した防衛構想を中国は内政干渉としてはねつける。

8月 党中央政治局拡大会議、「人民公社決議」を採択。農産物の水増し報告を元に、重工業への力の集中を決定。

8月 中国、金門島への砲撃を開始。

9月 決議採択から1ヶ月で、全国のすべての農村に人民公社が設立される。私有資産の集団化や自留地の撤廃,公共食堂に象徴される現物供給制の実施,無償労働などが導入される。

10月 鉄鋼の大増産を目指す運動が開始される。原始的な溶鉱炉(土法炉)を用いた製鉄が全国で展開されるが、技術的未熟さから失敗に終わる。

11月 第8期6中全会(武昌会議)、「人民公社のいくつかの問題にかんする決議」を採択.社員の家屋や衣服,家具など生活用品の個人所有を確認。家畜や家禽の所有,小副業の可能性を認める。

1959年

4月 第8期7中全会(上海会議)、毛沢東の発案になる「人民公社にかんする18の問題」が承認される。自留地を復活させ,家畜の個人飼養を促進するなどの指示。

6月 ソ連が「国防新技術協定」の破棄を通告。国防新技術とは核兵器のこと。

7月 江西省の廬山で政治局拡大会議が開かれる。彭徳懐は「プチブル的熱狂主義」と呼んで、大躍進政策の問題点を指摘する。

彭徳懐の批判: 
(1) 大躍進の成果を強調しすぎて、共産党幹部が大衆から遊離している
(2) 経済発展の法則を無視するべきではない
(3) 左派の誤りを是正しにくくなっている
(4) 人民公社の建設は性急過ぎた
(5) 毛沢東の個人決定が多く、集団指導体制がない

7月23日 毛沢東が廬山会議で彭徳懐を批判する演説。「大躍進およぴ人民公社政策には誤りもあったが(1本の指),全体としては正しく(9本の指),否定的な側面ぱかりを見て肯定的な側面を見ないのは間違い」と主張。

8月 共産党八中全回が開かれる。毛沢東は「野心家、陰謀家、右翼日和見主義」として彭徳懐を失脚に追い込む。その後、一連の調整措置は全面否定され、さらに急進的な路線が展開される。

8月 ダライ・ラマの亡命を巡り、中印国境での武力衝突が発生。ソ連は中立の立場をとる。

9月 フルシチョフが中国訪問。交渉は決裂し、毛沢東は彭徳懐の背後にはソ連日和見主義があると非難。

9月 飢饉が本格化。

1960年

1月 政治局拡大会議(上海)、再ぴ高い粗鋼生産目標が定められる。

6月 上海会議。毛沢東は「大躍進」運動の誤りを総括し,「実事求是」の原則 を忘れていたと指摘。

7月 ソ連は中国に派遣していた1390人の技術者の引き上げと機械部品および原油供与の中止を発表。

7月 都市においても人民公社が作られ、都市人口総数の77%が参加。

11月 党中央が、「農村人民公社の当面の政策問題にかんする緊急指示の手紙」を発表。12項目の改善策を提起。

大躍進運動が失敗。毛沢東は責任を取り国家主席を辞任する。これに代わり劉少奇、鄧小平が経済再建にあたる。

1962年

1月 中国共産党拡大工作会議(7千人大会)、毛沢東は大躍進の失敗に対する自己批判。同時に安徽省における「責任田」方式も「中央を封鎖し,民主を圧制する」作風だと批判。

6月 郵小平が「黒猫白猫論」を展開し,農民生活が困難な地域では各種の方法をとることができると主張。

9月 第8期3中全会(少なくとも9中全会のはずだが?)が開催される。社会主義=過渡期」論が確立し,社会主義の全ての期間において階級闘争が継続するという,継続革命論が公式に採択される。

バニスターの推計した死亡率にもとづけぱ,犠牲者の数は1959-61年の3年間で2,608万人とされる。

 

以下、大躍進運動とその悲劇(甲南大学 青木浩治 藤川清史)より引用

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食糧生産量と米生産量は1958年から大きく落ち込む。回復には20年を要している。食糧250キロが飢餓線、300キロ以下が栄養不足とされる。

大躍進期から1965年くらいまでは、中国国民は飢餓水準にあった。都市部の工業地域で餓死者を出すわけにはいかないので、農村部ではさらに食糧事情が逼迫していた。

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片対数グラフであることに注意。力を入れたはずの鉱工業さえも深刻な落ち込みを経験し、回復には10年以上を要している。

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アメリカにおける大恐慌後のGNPの推移、日本における太平洋戦争によるGNPの推移、中国における実質物的総生産(かつての社会主義国のGNPに相当します)の推移を示す。

「大躍進」の失敗は、日本の敗戦の影響と大差ないほどの経済的インパクトを与えた。


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上図は、別の文献からの引用

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左が安徽省、中が四川省、右が上海の出生率・死亡率推移。

農村部に被害が集中し、上海はほとんど被害を受けていない。出生率の低下は構造的な傾向と思われる。

 安徽省ではそれまでの死亡率が約10%なのに対し、60年には70%近くに達している。単純に計算すると死者7人のうち6人は餓死ないし栄養失調死ということになる。

四川省の場合は、この状況が58年から61年まで4年間にわたって続いたことになる。つまり同じ農村地帯でも奥地に行けば行くほど、状況は深刻だったと考えられる。

チベット問題は情報のバイアスがあるので、そのままには受け取れないが、四川省以上に深刻であったろうことは容易に予想される。


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この図は中兼和津次さんの論文からの引用

1.人民公社制度のもつ平均主義的分配や労働力,資材の無償調達などの否定的影響。

2.無理な工業化による労働力の移動,農業への低い投資配分,過剰な食糧調達

3.それらが生産意欲の停滞をもたらし,生産は一層低落する,というメカニズム

と説明されている。

ただ、政策というのは誤りはつきものなので、問題はそれを是正するフィードバック機構が働くかどうかである。

当時は毛沢東の独裁体制であり、その上で毛沢東が過ちを犯したのだから、フィードバックは効きようがないし、救い道がない。

廬山会議での毛沢東の発狂が全てである。


朝日新聞の中国総局が編集した中国共産党の実録物「紅の党」が文庫本で手に入る。
遅読の私としては珍しく一気に読んだ。「なるほど、そういうことだったのか」という知識が満載である。とくに12大会直前の習近平の雲隠れについては、胡錦濤派と江沢民派の争いに巻き込まれないための自衛処置だったと言われると、つい説得されてしまう。
ただ読み終えた後の感想としては、意外に印象に残らない。
結局「政治部」の感覚で、政局とその裏側を追っているにすぎないのではないか、という思いがしてならない。

もっと「路線」の問題として考えるべきだろうと思う。
私は江沢民と胡錦濤の闘いではないと思う。たしかに人事をめぐってはそういう印象はある。しかし基本的には胡錦濤の脱政治路線・プラグマティズム路線が否定されたのが12回大会ではないかと思う。
とくに、テクノクラート重視と裏腹の関係で軍の「近代化」が推し進められ、胡錦濤がその力を背景に党支配を強化しようとしたことに警戒感が高まったのではないかと思う。
単純化すると、
1.国家が社会主義国家でなくなってしまう。
2.共産党が人民の党でなくなってしまう。
3.テクノクラートと軍の支配する国になってしまう。
ことへの危機感が、胡錦濤を引きずり下ろしたのではないだろうか。
もちろん汚職の問題は深刻だ。これは徹底してやらなければならない。しかしそれ以上に深刻なのは「路線」のブレではないだろうか。

もちろん毛沢東路線との決別は、いずれの派にとっても自明の問題だ。いまさら毛沢東路線の復活などを考えるものはいない。問題は毛沢東路線と決別しどこに向かうかだ。
文革終結後の疲弊した状況にあって、鄧小平のプラグマチズムは有効だった。あれがあったからこそ天安門事件も乗り切れたのだろう。しかしそれは本来は、非常時における緊急避難的なものであった。それは党の高い倫理性と闘う姿勢を犠牲にしたものであった。それが平時にもそのまま持ち越されるなら、党の指導力は、その根元を掘り崩される危険性がある。
羅針盤なき改革・解放はもはや弊害をもたらすのみだ。それはおそらく共産党を指導的地位から脱落させることになるだろう。

ついに内閣府も、消費税増税の影響が予想以上であることを認めた。
どういうことかというと、本年度のGDP成長率を下方修正したという話だ。
これは22日に発表された内閣府の修正見通し。

元々の予想成長率は1.4%、これは1月に閣議決定されたものだ。このとき、消費税引き上げに伴う影響は織り込み済みで、それをふくめて今年度のGDP成長率を1.4%と見通していた。(これは実質成長率で、名目は3.3%)

これが22日の発表では1.2%に下方修正された。つまり0.2%の読み間違いということになる。
内閣府が予想を外した最大の理由は、消費税の反動減が想定以上に大きいことだ。逆に言えば、甘く見ていたということだ。
ほかに輸出の不振もあげられている。不振の理由は明らかで、輸出企業がシェア拡大に動かなかったからだ。同一企業の現地法人とシェア争いをしても仕方ないわけで、これも明らかな政策の失敗だ。

消費税増税のマイナス効果は終わったわけではない。始まったばかりだ。これがどこまで進むのか、非常に恐ろしい思いがする。
景気の底が抜けて、歳入の減少がさらに進むようであれば、日本の財政は深刻な事態に陥ることになる。

「戦争は政治の延長だ」というのは、有名なクラウゼヴィッツのドグマだ。それは戦争を政治のツールと見る考え方だ。
それは世界の歴史を見ていくと、あまりにも明白な経験的事実と思える。政治対立が戦争をもたらし、自らの主張をゴリ押しする手段として武力が用いられている。
そしていまもそれはシリアで、ガザで、ウクライナで実証されているようにみえる。
一方で我々も、「人民の抵抗権」という形で、クラウゼヴィッツの言葉を部分的には受け入れてきた。60年代から70年代にはアメリカ帝国主義と対決するベトナム人民の闘いを支持し、80年代にはニカラグア人民の闘いを支持し連帯してきた。これは決して間違いではない。正義の戦争というのはあってしかるべきだ。
支配者の理不尽な抑圧に対して人民が武器をとり闘うとき、とりわけ一民族が他民族の植民地支配に対し自由と独立を求めて闘うとき、我々はそれを支持してきた。

いま我々は、それと同時に次のような疑問を持っている。「それは未来永劫に真理であり続けるのだろうか」と。「人類の歴史が続く限り戦争は避けられないのであろうか」と。

私なりの結論としては、かつてそれは真実であったし、現在もかなりの点で事実である。しかし、それは事実でなくなりつつある。なぜなら日本が非戦国家の「現実」を作り上げてきたからである。

日本国憲法は、「人類は戦争の歴史を終わらせることができる」という確信に基づいて作られている。それは最初は「決意」に過ぎなかった。しかしその後の70年の過程は、それが可能であるだけでもなく、現実的なものであることを明らかにした。
我々が過去の二度にわたる世界戦争の経験を忘れることがなければ、戦争は「国際紛争を解決する手段」としての地位を失うことになるだろう。
戦争は「政治の延長」であることを止め、「愚劣な暴力の象徴的形態」となっていくはずだ。それはあたかも日本人が銃所持にしがみつくアメリカ人を見るように、あるいは二本差しの侍に接した明治の外国人のように、あるいは核兵器にしがみつく核大国のように、時代遅れの「奇異な習慣」となっていくであろう。

ちょっと待って、志位さん

日本共産党創立92周年記念講演での発言。

自民党の歴代元幹事長、改憲派といわれてきた憲法学者が、つぎつぎと「しんぶん赤旗」に登場し、反対の論陣を張っています。

「日経ビジネス」電子版コラム (5月16日)は、「行く手に翻るのは赤い旗のみか?」(笑い)と題して次のように書きました。

「安倍政権が発足して以来、日本共産党の機関紙である『赤 旗』のインタビュー欄に、保守系の論客や、自民党の元重鎮が登場するケースが目立つようになっている。

保守系の論客と見なされている人々が、次々と赤旗のインタビューに応じている背景には、 安倍政権に対して、真正面から反論する場を提供してくれる媒体が、もはや赤旗ぐらいしか残っていないことを示唆している」(拍手)。

かつての論争の相手 が、いまでは共同の相手に変わっています。そして、「しんぶん赤旗」が日本の理性と良心のよりどころになっているのは、ほんとうにうれしいことでありま す。(拍手) 


私には、この現象が嬉しいことには思えない。

この日経コラムは、保守派もふくめ、非戦と立憲主義を志向する勢力が社会から孤立し影響力を失いつつあることへの警鐘だ。

「これまで、各紙が様々な角度から切り込んできた集団的自衛権に関する記事は、新聞読者に注意を促して、国防や解釈改憲についての議論を喚起するこ とよりも、これからやってくる事態に驚かないように、あらかじめ因果を含めておく狙いで書かれたものであったように見えるということだ。」

その証拠に,自民党元重鎮や保守系論客が,大手メディアではなく「赤旗」で,次々と議論を始めた。その「背景には、安倍政権に対して、真正面から反論する場を提供してくれる媒体が、もはや赤旗ぐらいしか残っていないことを示唆している」。

「いずれにせよ、新聞各紙は、発足以来、安定して高い支持率を誇る安倍政権に対して、正面からコトを構える闘志を失っているように見える。」(谷川昌幸さんの要約紹介

しかもこのコラムにさえ、共感を寄せるコメントはほとんどない。立憲主義についてはいまだ幅はあるが、自衛隊の戦争参加については議論の余地は狭まってきているのだろうと思う。

このうえ共産党に一撃が加えられれば、たちまち日本は戦争する社会へと雪崩を打つことになりそうだ。

いろいろ経過はあるにせよ、今や日本は勝ち組であり、勝者には「勝者の戦争観」がふさわしいのかもしれない。たぶん、多くの中年層はそう思っているのだろう。彼らの議論に通底するアロガントな姿勢には辟易する。

その責任はたぶん我々世代にあるのだろう。

このところ多忙で、赤旗も貯まり加減だ。
記事への食いつきも悪くなっている。
これも軽めの記事で、ミレーの種まく人についてだ。
井出洋一郎さんが書いた「種をまく人 ミレー生誕200年」という記事。
この絵は5点あるそうだ。
1.1846年の小品 これは海が背景に描かれているらしい。府中市美術館にあるそうだ。
2.1847年の作品 これは畝を耕す牛も描き込まれているらしい。ウェールズ国立美術館蔵。
3.1850年の作品 これがもっとも有名なものだそうだ。ボストン美術館蔵。
4.1850年の作品 ボストンのものと瓜二つだそうだ。なぜ二つ作ったのかはわからない。山梨県立美術館蔵。
5.1850年代の作品 未完のままだが、もっともサイズが大きいものだ。カーネギー美術館蔵。
ということで、5つのうち二つも日本にあるということは、日本人がよほどこの絵を好きな証拠だろう。

この絵についての井出さんのコメントを紹介しておく。
ミレーの「農民画」で最初に画壇で問題視されたのが、「種をまく人」であった。パリの官展であるサロン展に1850年に出品されたこの絵は、、2年前に王党派を一掃し、農民と市民階級が勝利した二月革命の余波という背景を持っている。
しかし時はすでにルイ・ボナパルトのクーデターと帝政が準備され、民主共和制が崩壊する寸前であり、左右両陣営の対立が極まった時代であった。
若い農夫の孤独な農作業を描いた「種をまく人」は右からの厳しい批判と、左からの熱心な賞賛の嵐に見舞われる。


5,6年前に釧路の美術館でもミレー展(バルビゾン展だったかな?)をやったから、私は実物を見ているかもしれない。釧路の美術館はとても水準の高い展覧会をやってくれる。何よりも空いているのがありがたい。それだけでも釧路に住む意味があるくらいだ。

下記は岩波書店のホームページから
「種まく人」のマークについて

創業者岩波茂雄はミレーの種まきの絵をかりて岩波書店のマークとしました.茂雄は長野県諏訪の篤農家の出身で,「労働は神聖である」との考えを強く持ち, 晴耕雨読の田園生活を好み,詩人ワーズワースの「低く暮し,高く思う」を社の精神としたいとの理念から選びました.マークは高村光太郎(詩人・彫刻家)に よるメダル(左写真)をもとにしたエッチング.

ということで、ミレーの絵とは直接関係はないようだ。そういえばゴッホにも同じ絵柄の作品がある。どちらもミレーの絵にインスピレーションを受けている。
岩波書店の説明では、ワズワースと高村光太郎が挙げられているが、どういうわけか小牧近江と雑誌「種まく人」への言及はない。これは意識的に無視しているのか、なにか裏事情があるのか。

ミレーの作品は5枚あると書いたが、実はもうひとつある。それが1851年のエッチングだ。

ジャン=フランソワ・ミレーの「種まく人」 | ムッシューPの美の探究 より


ゴッホが題材としてのはこのエッチングだったようだ。また高村光太郎もこのエッチングからメタルを作成したらしい。ただし別のページでは「ミレーの原画に基づいてPaul-Edmé LeRat が制作したエッチングである」ときさいされている。

アルフレド・サンシエが1881年に著した『ミレーの生涯と作品』には、以下のように記されている。この記載をゴッホは熟読したそうだ。

白い種袋を托され、種まきを引き受けた時には、種を一杯に入れた袋のはしを左腕に巻きつけ、新しい年の期待を胸にふくらませ、いわば一種の聖職にたずさわるのである。
彼はもはや一言も発せず、しつかりと前を見て畝と畝の距離を測りながら、儀典歌のリズムに合わせるように規則的な動作で種をまく。大地に落ち た種は、すぐに耙で土をかけられ、おおわれる。
種をまく男の身ぶりと、抑揚のついたその歩みは、本当に堂々たるものがある。その動作は、真実、大きな意味を持っており、種をまく人はその責任の重さを実感している。


のページより引用。(ちなみに邦訳者は井出さん)

アメリカで、最低賃金の引き上げが雇用を増やしたという、注目すべき統計が出た。
アメリカでは政府の定める最低賃金の額は変わっていない。オバマは変えようとしているが議会の共和党が反対しているからだ。
しかし、州・市レベルでは独自の最低賃金を定めており、これが相次いで引き上げられつつある。州レベルで政府最賃を上回る額に設定した州が13ある。奇しくも独立時の州の数と同じで、フロリダを除いて南部の州は一つもない.

この13州と他の37州の雇用伸び率を比較してみたところ、なんと最賃引き上げ州の方が高いということがわかった。
平均値で引き上げ州0.99%に対し据え置き州は0.68%にとどまっている。つまり最賃引き上げは1.5倍の雇用効果を生み出したということだ。

ただし中身を見ると相当ばらつきがあって、上げ幅も違うし、絶対額も異なる。たくさんあげた州が雇用増が大きかったというわけでもない。なにせまだ半年だから、定量的な判断には時期尚早だ。
にも関わらず、少なくとも雇用減少をもたらすことはないという事実は明らかだ。

この記事でもう一つの注目は、全米企業評議会による経営者の意識調査だ。これによると企業経営者の多くが最賃の引き上げを支持している。とくに従業員数99人以下の零細企業主の61%が賃上げを支持している。

単純に考えると、賃金の引き上げは雇用を減らすはずだ。これは人件費の総枠が一定なら当然の結果だ。
それが逆に雇用を増やすというのは、どういうことなのだろうか。
それは低賃金労働者のほとんどが賃上げ分を直接消費に向けるからだ。だからそこにかけたお金は「回るお金」になるのである。
しかもそのお金で車を買うわけではなく、食品を購入し、家財道具を購入し、もろもろの雑貨を買うのであるから、そのカネは直接零細業者を潤すカネになる。

こういうお金の循環は大企業や輸出産業にとってはありがたくないかもしれない。それはコストアップとなり、国際競争力の低下となって跳ね返ってくるかもしれないからだ。

別に小津映画とかに興味はないから、頑張って観る気はない。しかしなんとはなしに夜中の衛星放送で、そんな種類の「名画」を見てしまうこともある。
戦前の日本、とくに都会はいまとちっとも変わらない、というか私の子供時代とそっくりそのままの風景だ。
しかしそこには身近に死がある。客間の鴨居には、死んだ若者たちの遺影がかかっているし、仏壇の線香の煙が絶えることはない。
庶民はそういう生活に慣れ、、それを受け入れることで、知らずのうちに戦争屋たちの策動を支えていたのだ.
きみ征きて 祖国安泰なり 君が征く 東亜の空に 栄光うまるる
という白蓮の歌も、そういう歴史の流れで読み解くしかない。
白蓮を戦争賛美者といっしょにすることはできない。この歌だって、出征兵士のために寄せ書きしたもので、公式に発表したものではない。ただ戦地に赴く若者に頼まれれば、こう書くしかなかったろう。もし居合わせれば私だって書くかもしれない。「武運長久」(ただし武の字はうんと小さく)

白蓮は学生の出征と息子の死と「祖国の喪失」を一緒くたにして受け止めたことになる。そこから生まれるのは一種の「罪悪感」に似た感覚だ。それらについて、本当に私には責任はないのか、ということだ。
息子の死を嘆き悲しむとき、そこには息子につながる多くの若者を送り出したことへの後ろめたさが伴わずにはいられない。
死んだ人に対し「済まない、申し訳ない」という気持ちは、戦争を生き延びた人々にとって、心の奥底の共通感覚だったように思える。
憲法9条は平和を守る条項ではなく、「戦争というものを放棄する」条項だ。「金輪際戦争なんかやらないし、“祖国”を騙る戦争屋には二度とだまされないぞ」という宣言なのだ。条項そのものがどう形成されたかではなく、庶民はそうやって9条を受け止めたのだ。





の続き

柳原白蓮の歌をネットで探すのはかなり難しい。とくに後期のものはほぼ皆無である。

柳原白蓮における歌の変容と到達

中西洋子さんという方の論文が参照できる。戦後に出した歌集は昭和31年の「地平線」が唯一のものであるが、ここにその歌がかなり掲載されている。 

その前に一首だけ

静かなり 遠き昔の思出を泣くによろしき 五月雨の音(『流転』昭和3年)

宮崎龍介との同棲生活が始まって、どうやら落ち着いて、まもなくのころの歌である。

この人の歌は、例外なく、下二句が抜群である。短歌はとんと素人だが、下二句がまず浮かんで、それに5・7・5がツケられているような趣を感じる。


「地平線」は「万象」「悲母」「至上我」「人の世」「旅」「去来」などの小題をもつ317首からなる。

その内の「悲母」60首が戦死した吾が子、香織を偲ぶ歌群である。


焼跡に芽吹く木のあり かくのごと吾子の命のかへらぬものか

蒼空に一片の雲動くなり 母よといひて吾をよぶごとし 

秋の日の窓のあかりに 亡き吾子がもの読む影す 淋しき日かな

夜をこめて板戸たたくは風ばかり おどろかしてよ吾子のかへると

英霊の生きてかへるがありといふ 子の骨壺よ 振れば音する

かへり来ば 吾子に食はする白き米 手握る指ゆこぼしては見つ

もしやまだ かえる吾子かと 脱ぎすてのほころびなほす 心うつろに

かたみなれば 男仕立をそのままに母は着るぞも 今は泣かねど

しみじみと泣く日来たらば 泣くことを楽しみとして生きむか吾は

戦ひはかくなりはてて なほ吾子は死なねばなりし命なりしか

身にかへて いとしきものを 泣きもせで  何しに吾子を立たせやりつる

最後の

身にかへていとしきものを泣きもせで 何しに吾子を立たせやりつる

という歌は、下記の記事と対照すると、いっそう痛切である

先日、柳原白蓮が寄せ書きした日章旗が発見されたという報道があった(西日本新聞)。

白蓮と宮崎龍介が住んでいた目白の居宅の離れには、東大の学生寮があった。そこに寄宿していた加藤という学生が出征することになった。

その日章旗は、海軍入営前に2人から贈られたものだそうだ。1942年のことだ

白蓮が 「きみ征きて 祖国安泰なり 君が征く 東亜の空に 栄光うまるる」 と筆で書き、宮崎も「武運長久 祝入営」などと書いていたという.

千葉県の戦争遺跡より


この後は中西洋子さんの文章から、抜粋紹介させていただく。

「悲母」60首の優れているところ

その悲しみははかりしれない。しかし一方、悲歎に暮れながらもそれに溺れることなく堪え忍び、じっと向きあっている目がある。

しかも表現は具体性をもって悲しみの情とひびきあい、また修辞的な技巧の入る余地なく、いずれも単純化された詠いぶりである。

平和運動の担い手への歩み

46年、NHKラジオを通じて訴えると、「悲母」への反響はものすごいものだった。彼女の主導で「万国悲母の会」が結成される。

個の悲しみを共有し、反戦に繋げようとする婦人たちの運動である。

宮本百合子との対話

49年4月の「婦人民主新聞」は白蓮と宮本百合子の紙上対談を掲載している。この中身は稿を改めて紹介する。


いつ載るか、いつ載るかと思っていたら、本日の赤旗文化面に載った。
柳原白蓮。
美女シリーズの何番目になるかな。
やんごとない点では別枠だ。なにせ大正天皇の従兄弟という雲上人。
この人の戦後まもなく作った歌が数種載せられている。

夜をこめて
板戸たたくは風ばかり
おどろかしてよ吾子のかへると

英霊の生きてかへるがありといふ
子の骨壷よ振れば音する

この犠牲が世界平和の道しるべ
わがをとめ等よ泣くのでないぞ

人の世にあるべきものか原爆の
いくさは遠く根の国へゆけ


いい歌だ。
スローガン的な言葉を、正面から受け止め、我がものとし、激しく表出している。それが浮いてこないのはなみなみならぬ技法であろうが、それ以上に、言葉をがっしりと受け止めるだけの内実が感じられる。
まさに気高さを感じさせる歌である。

日本の文壇では、ともすれば敬遠される資質であろう。
いくさは遠く根の国へゆけ
は、まことに素晴らしい。

YouTubeでは意外とセルのモーツァルトが聴けない。
良い音質で聞けるのは39番くらいだ。しかしこれが素晴らしい。
セルは終戦直後からクリーブランドの常任になって、それから死ぬまで常任を勤めた。
50年前後の演奏が今ではかなり聞ける。これもいいのだが相当硬い。ゴリゴリと鍛え上げたという感じがする。
いわば凄腕の軍楽隊だ。
それが50年代の末から明らかにメジャーになるにつれて、ほっこりとしてくる。

しかし本当にすごいのは65年以降、死ぬまでの5年間だろう。楽団の自発性が全く違ってくる。おそらく最後の5年間は棒振りしているだけで、コンマスがほとんど仕切っていたのではないだろうか。
39番を聞いていると、すべてのパートがまるで弦楽四重奏団のように、ブレスまで揃えて弾いているようだ。
僅かなルバートのところまで全く乱れがなく、しかもすべてのパートが乗っている。
前に紹介した協奏交響曲も素晴らしいが、もう少し前のものだろう。セルの意図がかなり前面に出ていて、それを一生懸命こなしている感じだ。
伸びやかさにおいては39番がはるかに上を行っている(と言いつつ、これがいつ頃の演奏なのか知らないのだが)。
もうひとつ40番のライブがUPされている。70年の定期演奏会のエアチェックのようだ。これは音がくぐもっていてひどいが、内容は素晴らしい(なんとなくフルベン・フリークみたいな言い方になってしまうが)。
この演奏をいい音で聞いてみたいものだ。さらに欲を言えば、41番の終楽章を聞けないものだろうかと思っている。

統合失調症にかかりやすい気質というのがあって、人間のおよそ3割がこれらの気質に関係する遺伝子を有しているという説もあります。(昔なつかしいクレッチマー分類でしょうか)

と書いた続き。

人間の3割が統合失調の素因を有しているという話だが、これはだいたい血液型の頻度に相当する。
人がA、B、O、ABのいずれかになる頻度は3割前後だ。
むかし、誰かが胃がん(スキルス)になるのはA型が多いと言い始め、しまいにはカルテを引っ張りだして調べたことがあった。当然のことながらそれは空振りに終わったが、彼はその後も持論を変えなかった。
若い女性で、A型で、「しかも美人が多い」というのが彼の持説であった。
そのうち誰かが統合失調と血液型について調査するかもしれない。

むかし、カッパ・ブックスで「心理学」について解説した本が出て、そのなかでクレッチマー分類について説明していた。
これによると、分裂病型性格というのは、クソ真面目で人付き合いが下手で、内にこもるみたいなことが書いてあったように思う。

これは能見正比古の「血液型人間学」のA型性格と類似している。と言うより能見はクレッチマーの分裂病性格の記載をA型に、てんかん気質をO型に、躁うつ気質をB型に援用したのではないかとも思われる。

ただ血液型がこのように比較的均等にバラけるのは日本の特徴であって、これは日本人が樺太から来た縄文人と、長江下流域から朝鮮半島を経由して渡来した弥生人の混血であることを反映している。

古畑種基らの研究によれば、Aは東北地方、Bは関西から西で卓越しているという。世界的に見ればA型というのは少なくて、これだけA型が多い民族は珍しいのだそうだ。

今ではゲノム分析とかでもっと精緻な研究が行われているのだが、この古畑らの結論は基本的には覆されていない。

ただ一方で、統合失調症の発症頻度については民族間の差を認めないという報告もあるから、両者は別の染色体の上に乗っかっているのかもしれない。おそらく統合失調に関わる遺伝子は、変異の少ない遺伝子の中でも人類の発生近くまで遡るような「古い層」にあるのではないだろうか。

縄文人も、少なくとも中石器時代にまでさかのぼって分化した人種ではないか。その後はA型優勢の血液型構成を持つ人種は駆逐されている。

それが日本列島という相対的に隔絶された状況のなかで生き残り、弥生人と混交したというストーリーが予想される。

したがって、その生き残りとしてのA型人間には、巨大な数で調べれば(明治以前にさかのぼって)、なにか特徴があるかもしれない。



すまいるナビゲーターというサイトに下記の講演が載っていた。非常にわかり易い文章なので、引用させていただく。

統合失調症の初期家族講座 統合失調症について知る

帝京大学医学部精神神経科学講座教授 池淵 恵美先生

統合失調症は親の育て方に原因があるわけではありません

統合失調症は一般的におよそ100人に1人がかかるといわれ、けっしてまれな病気ではありません。

現在考えられている統合失調症の原因としては、脳の生物学的な要因や、心理的な要因、環境的な要因などがあります。

脳の生物学的な要因としては、ドーパミンなどの神経伝達物質の失調が明らかにされています。


ここはもっと強調すべきだと思う。つまり統合失調は心の病気ではなく、脳の病気だということだ。パーキンソンやアルツハイマーと同じく脳の細胞に原因がある病気だということだ。

ストレスがかかればどんな病気だって悪化するに決まっている。言わずもがなのことを言うべきではない。


心理的な要因としては病気になりやすい本人の脆弱性が関係し、これは遺伝の問題などが関係しています。

そして、ストレスなどの環境的な要因が加わることで発症するとされています。


さすがに専門医だけあって、非常に的確な説明である。しかも微妙に核心を外している。このへんがプロのさじ加減ということだろう。

円グラフを見ると原因と誘因が混同されている。私がこの円グラフを見れば、統合失調はまごうことなき遺伝性疾患だと考える。

もう一つは人類の1%が統合失調という統計的事実だ。だいたい遺伝性疾患でも発症するのはその一部にすぎない。一卵性双生児の研究でも50%と言われている。

おそらく高血圧以上の頻度であろう(高血圧は日本ではきわめてポピュラーであるが、かなり民族差がある)。生きとし生けるもののほとんどすべてが、統合失調の素因を有していると考えなければならない。

とすれば、これは「遺伝」というより「業」(ごう)と考えたほうが良いのかもしれない。統合失調が人間の「業」だとすれば、その発症は抑制機構の破綻として捉えるべきということになる。これが論理的帰結である。


かつて統合失調症は親の育て方に原因があると考えられていました。精神科医ですら統合失調症の原因は家族にあると考えていた時期がありました。

また、養子の研究でも、どちらかというと家庭環境よりも本人の脆弱性が発症に強 い影響を与える可能性が示唆されています。


これらは、物言いは穏やかだが、過去の精神分析医の行いに対する厳しい非難だ。彼らは統合失調患者を哲学書や文学書を書くために利用しただけだ。


遺伝する病気ではなく、病気になりやすい体質が受け継がれる

一方、遺伝に関しても誤った考え方が幅をきかせていました。確かに統合失調症の原因には遺伝的なことが大きく関係していることは事実ですが、病気そのものが遺伝するのではありません。


ここが統合失調という病気の微妙なところだ。

私は高血圧患者の治療開始にあたって、「この病気は“業”みたいなもので、ご先祖様を恨むしかない」と言い渡している。

何とか逃れようと、病気であることを否認したり、服薬を拒否したり、要するにコンプライアンスの低い人が多いので、最初に宣告するのだ。

これから、社会の理解が深まり、偏見が解けていけば、統合失調でもそう言える日が来るかもしれない。


一卵性双生児の研究では、遺伝子がすべ て同じなのに、同時発症率は60~70%で、100%にはなりません。(これはあまり慰めにはならない数字だ)

両親のいずれかが統合失調症の場合、子どもが統合失調症になる可能性は10%程度です。健常な両親から生まれた子供だと1%程度です。(これもあまり慰めにはならない数字だ)

統合失調症は、病気になりやすい体質や気質が受け継がれるにすぎないのです。


私ならこう言う。

神代の昔から世界中どこの、どの人種でも、統合失調は1%と決まっている。統合失調の人の出産率は当然低いだろうから、統合失調でない親から生まれている人のほうがはるかに多いと考えられる。

「産んだらヒト様に迷惑かけるんじゃないか」と思い悩む必要はない。世の中それで釣り合いはとれている。遺伝病の人は産んじゃダメというのなら、高血圧の人も糖尿病の人も産めなくなる。


統合失調症はごく一部の人だけがかかる病気ではなく、多くの人がかかりうる病気なのだということを知ってお いてほしいと思います。

統合失調症にかかりやすい気質というのがあって、人間のおよそ3割がこれらの気質に関係する遺伝子を有しているという説もあります。(昔なつかしいクレッチマー分類でしょうか)


youtubeで聞ける Natan Brand

Natan Brand plays Schumann's Kreisleriana 'live'

前にもあげた演奏。83年のライブ録音だというが音は悪くない。うp主は、さまざまな言葉でもてはやしているが、expansive phrasing というのと、richly textured voicing と言うのは同意する。

Natan Brand plays Chopin Ballade No. 4 in F minor Op. 52

この動画には82年ライブとのみ書かれている。クライスレリアーナと同じ演奏会かもしれない。かなり低音質。

Natan Brand plays Schubert Impromptu, op. 90, no. 4

これもライブ録音で低音質。シューベルトをシューマンのように弾いている。

Natan Brand plays Chopin Sonata No 2 op.35

これはスタジオ録音のようだ。ショパンをシューマンのように弾いている。

Schumann - Symphonic Etudes, Op. 13 (Natan Brand)

これも先日とりあげた。85年のスタジオ録音。緊迫感がすごい。

Natan Brand performs Schubert Wanderer Fantasie live

というわけで、この人のシューベルトはあまりおすすめしない。前にも書いたがシューベルトはルビンシュテインが良い。

Natan Brand Chopin scherzo in Bm opus 20

Amherst, 1983 のライブ録音。うp主は“Eztraordinary Chopin” と書いているがまさにその通り。テンポ、デュナーミクともに少々うざい。流れは淀む。シューマンと思って聞け。

Natan Brand plays Bach fantasia in c minor

a live performance, 1980's, date unkown とある。アンコール曲のようだ。勢いでバッハを弾いている。客のノリも分かって楽しい。

Natan Brand plays Debussy prelude no. 7, book 2

LaTerasse des Audiences du Claire de Lune の一曲のみ。上のバッハと同じ演奏会らしい。(オンディーヌもあった)

Natan Brand plays Scriabin Prelude op. 11, no. 10 in C#m

これはいただけない。

Natan Brand plays Schumann's Blumenstück

「花の曲」という作品19の単品曲。Amherst, 1983 のライブ録音。少々退屈。

Natan Brand plays Chopin Nocturne in DbM, op. 27, no.2

ナタン・ブランドはただ1回のスタジオ録音しかしていないようだ。それがこの演奏をふくむ88年のパリ録音。気合を入れた超スローボール。

おもなところは以上の通り。

正直に言えば、かなりくせのあるピアニストである。ドビュッシーがちょっと良さげだが、ショパンと、とくにシューベルトはいただけない。ショーベルトには気弱さとはにかみが必要だ。

結局、youtubeで聞ける音源では、クライスレリアーナと交響的練習曲さえあれば、後はいいのかな。


1.チンパンジーにはA型とO型しかないそうだ。一方ゴリラはすべてB型だそうだ。
「血液型人間学」は類人猿には通じないことになる。

2.幼い動物は恐怖心や攻撃性を示さず、それは大脳辺縁系が前方に成長するときに現れる。とくに大脳辺縁系の中でも、あとから発生して恐怖心や攻撃性といった生体の情緒反応の抑制を解く役目をする、「13野」という部位が影響するようだ。

3.化石の記録によれば、ヒトの脳容積は過去1万5千年の間に急速に縮小している。5万年前の中石器時代の脳容積は1500ml。これに対して現代人は1200mlあまりにとどまる。

4.統合失調は双生児研究で50%の割合で遺伝することが確認されている。
統合失調は世界中のどの民族でも同じくらいの頻度で見つかる(ほぼ1%)。
つまり遺伝子のかなり古いレベルに刻印されていることが分かる。
にも拘らず、それは淘汰されなかった。リドレーはそれをクリフ・エフェクトで説明している。
つまり、人間の本質的な気質に属するものであり、程度の差こそあれ誰にでも素因はあるが、それが幻聴という形をとって発症する閾値があるのだろうという推定である。
ある意味では高血圧と似たパターンなのかもしれない。


肥田舜太郎先生はずいぶん頑張っていらっしゃるというか、この歳になってもとんがり続けているので、その分人さまの批判にもさらされることになる。

竹野内真理という反原発の世界では有名な人がいて、この人が「娘道成寺」よろしく、紅蓮の炎で肥田先生を焼き尽くしにかかっているようだ。

満員電車の中で「痴漢だ、痴漢だ」と騒がれるようなもので、非常に困ったことではあるが、ある意味有名税みたいなものかもしれない。

それと比べると、もう少し隠微な批判がある。

肥田さんの書かれた「内部被曝」(2012年3月)という本への批判である。

題名は「内部被曝」(肥田舜太郎)の読み方。批判しているのは安井至という東大教授。環境学者を名乗る「隠れ原発論者」からの変化球である。

書かれたのは2012年4月1日。本の初版発行日が3月19日だから、異様に早い書評である。

まずは東大教授らしからぬかなり毒々しいレッテル貼りから始まる。

それにしても、まだまだ奇妙な出版物が出る。これは一体何なのだ。…この新書は危険な要素を含んだ出版物である。

ついで安井氏は、この本が恣意的で非科学的だと述べたあと

フクシマに対する差別意識を日本中に広めることが本書の目的

と、途方も無いことを言い出す。肥田先生は「工作員」だと言っているに等しい。これでは竹野内さんも真っ青だ。さらに二の矢が飛び出す。

そしてこの差別意識を利用して、原発を止めようとしている…福島県民のことを思うと、とてもやりきれない。

と嘆息してみせるのである。(…と思う、…のように見える などの表現は削除してある)

ついでこう言及する。

(このような主張は)放射線に対する過度な心配をする人々を増加させ、ある種の心身症を引き起こす原因を作り出す。

まさに原発事故発生時に東大教授たちが、「事実を話せばパニックが生じる」と言って、メルトダウンを隠蔽したのと同じ論理だ。

安井氏は「内部被曝が重大な影響を与える可能性がある」ことは認める。そのうえで、自然放射線との境界が曖昧であるとして、肥田先生がアオリをしていると非難する。これもあの時の「東大教授たち」と同じである。

著者は推測にすぎないことを多数羅列することによって、意図的に過大な影響があることを主張している

本書は落第である。できるだけ多くの人を騙す目的で書かれている

ここで安井氏は完全な「審判者」の立場に身をおいている。なぜなら彼は東大教授であり、環境学者であるからだ。

困った人だ。今や東大教授というのは、それだけで疑われ、裁かれる立場なのだが、そこが分かっていない。

そして悪影響の典型として持ち出すのが、先ほどあげた竹野内真理さんだ。ただ竹野内さんは福島事故の20年も前から原発反対運動に関わっている。こういうデマは、知っていてやる公安筋の悪質な手口だ。

安井氏は、ついでに、「チェルノブイリのかけはし」の野呂美加さんにも触れる。野呂さんたちは核被害の特効薬として「EM菌」というのを売り込んでいるようだが、私は寡聞にして知らない。

どうしてそのようなマイナーな話題を、安井氏は知っていて、それにわざわざ言及するのかも分からない。


以上が序論で、ここから膨大な本論(コメンタール)が始まる。

私も原著を見ていないので、目次を見ただけの感想から言えば、いくつかおやっというところもある。

例えば、「セシウムは心筋梗塞を起こす」というのは風が吹けば桶屋が儲かる的な感がある。「ベトカウ効果」については不承知である。「エイズの発症も放射線の影響」とか、「放射線の影響で学業成績も低下し、粗暴になる?」については眉唾である。

また自分の臨床体験からは、「低線量被曝」は危険ではない、問題は「内部被曝」である。「原爆ぶらぶら病」はうつ病の可能性が高い、などの実感を持っている。

第6章に関しては、論争するつもりはない。

コメンタールと言っても漠然たる学習ノートで、系統的な批判ではない。ただし批判してやるぞという系統的な意志には貫かれている。

結局、ケチつけや揚げ足取り的批判を除くと、昔ながらの「低線量被曝」=無害論に落ち着く。

これではどうしようもない。

そもそも内部被曝論は低線量被曝論に対する反論として出されているのであり、低線量被曝群から放射能症が多数発症している事実を説明するための理論である。

目下のところ仮説にとどまってはいるが、現実の被曝障害をもっともよく説明できるモデルであることも間違いないし、これに対する有力な反論も登場していないのである。

一体安井氏は肥田先生の所説のどこを批判したいのであろうか。読み終えて、そこが一番気になるところである。

1904年(明治37年)

2月04日 日本、対露開戦を決定(緊急御前会議)

1月23日 韓国、日ロ開戦の際は中立の立場をとると声明。

04年2月

2月04日 緊急御前会議が開かれ、対露開戦を決定。

2月06日 小村外相が、ロシア公使に国交断絶を通告。栗野公使がロシア政府に国交断絶を通告。

2月06日 聯合艦隊(第一艦隊、第二艦隊)が佐世保を出港。旅順に向かう。

2月08日 陸軍第12師団(小倉)の一部が仁川港に上陸。

2月08日 第一艦隊の駆逐艦数隻が旅順口を夜襲攻撃。港外に停泊していたロシア艦艇数隻に損傷を与えた。

2月09日 仁川沖で上陸部隊の護衛にあたった第二艦隊第4戦隊が、仁川港停泊中のロシア艦を攻撃。巡洋艦ヴァリャーグほか1隻を自沈に追い込む。

2月09日 連合艦隊主力が旅順港外のロシア艦隊に砲撃。双方被弾を受け戦闘終了。その後連合艦隊は旅順港を離脱し、牙山湾に向かう。

2月10日 日本、ロシアに対し宣戦布告を行う 日露戦争勃発。清は中立の立場をとる。詔勅に曰く、「韓国の存亡は実に帝国安危の繋がるところ」と。

2月11日 日本軍上陸部隊がソウル市内に入る。一部はそのまま北上し、平壌の確保を目指す。

2月11日 日本、大本営を宮中に設置

2月17日 日本、ロンドン市場での英貨公債募集を閣議決定。当時の国家予算2億5千万円。その6倍の戦費が予想される。

2月23日  林公使、高宗に日韓議定書を強制。開戦前に「局外中立宣言」をした大韓帝国における軍事行動が可能となる。

第一条 …東洋の平和を確立するため、大韓帝国政府は大日本帝国を確信し、施設の改善に関しその忠告を容るること。
第四条 …大韓帝国の…領土の保全に危険ある場合は、日本はすみやかに臨機応変の措置をとるべし。而して大韓帝国政府は…十分便宜を与うること。日本は…軍略上必要な地点を使用するを得ること。

2月24日  ロシア旅順艦隊は正面決戦を避け旅順港に待機。日本軍は第1次旅順口閉塞作戦を展開。輸送船5隻を沈めようとするが、湾口に至る前に沈没。

04年3月

3月06日 日本艦隊、ウラジオストック港を砲撃

3月11日 日韓議定書を受け、韓国駐剳(ちゅうさつ)軍司令部が設置される。

3月11日 平壌の外港の鎮南浦に近衛師団と第2師団が上陸を開始。

3月27日 第2次旅順口閉塞作戦。いずれの船も目標到達前に撃沈される。この作戦で広瀬武夫少佐が戦死。

3月29日 鎮南浦の上陸作戦が完了。陸路北上した第12師団と合流し、第1軍(黒木司令官)を編制。

04年4月

4月13日 海軍、旅順港の機雷封鎖を試みる。旅順艦隊の戦艦ペトロパブロフスク、触雷により撃沈。ロシア太平洋艦隊のマカロフ司令官が戦死。

4月25日 ロシアのウラジオストク巡洋艦隊が元山を砲撃。さらに通商破壊戦を展開。輸送艦金州丸を撃沈。

4月26日 第一軍、鴨緑江渡河作戦を開始。

04年5月

5月01日 鴨緑江会戦。日本第1軍がソ連軍東部兵団の拠点の九連城を占領。

5月03日 第3次旅順口閉塞作戦。結局、閉塞作戦は失敗に終わる。

5月05日 第二軍(奥司令官)が遼東半島西岸の塩大墺に上陸。大連確保を目指し金州城・南山へ向かう。

5月15日 ロンドン・ニューヨークで外債募集開始。

日銀副総裁の高橋是清は、ロンドンで500万ポンドの外債発行に成功。さらにニューヨークの金融街からも500万ポンドの外債引き受けと追加融資を獲得。

5月15日 旅順攻撃に参加した戦艦「八島」と「初瀬」がロシアの機雷によって撃沈。巡洋艦「春日」が「吉野」に衝突。「吉野」が沈没する。

5月18日 韓露間のすべての協約が破棄される。

5月19日 独立第10師団、大狐山に上陸。後に第4軍として拡大再編される。

5月25日 第二軍、金州城への攻撃を開始。

5月26日 金州城を占領。引き続き南山陣地への攻撃を開始。塹壕戦で守るロシア軍により死傷者4,000の損害を受ける。ロシア軍は弾を撃ちつくし退却。

5月30日 第二軍、大連を占領。

5月31日 海軍の封鎖失敗を受け、旅順攻撃を主任務とする第3軍が編成される。乃木希典中将が司令官に任命される。

04年6月

6月08日 第3軍司令部が大連に到着。第2軍の第一、第十一師団を加え編成を完了。

6月13日 日本第2軍が北進を開始。ロシアも旅順救援のため4万の兵力を南下させる。

旅順孤立を受け、ロシア極東総督アレクセーエフと満州軍司令官クロパトキンとが対立。クロパトキンは全軍を遼陽付近に集中して日本軍を迎え撃つ方針だったが、アレクセーエフの旅順救援の主張に応じ、軍の一部を南下させた。

6月15日 南下したロシア軍と第二軍(3万3千)が得利寺で対決。陣地戦に入ろうとしたロシア軍に対し、日本軍が両翼からの回り込みに成功。ロシア軍はこれを見て撤退。

6月15日 ロシアのウラジオ艦隊が対馬海峡で輸送船常陸丸、和泉丸を撃沈する。

6月20日  日本の満州軍総司令部が編成される。総司令官は大山巌元帥、総参謀長は児玉源太郎大将。なお海軍をふくめた日本軍の参謀総長は山縣有朋。

6月23日  日本艦隊、第三軍と呼応して、ロシア艦隊と旅順港外で交戦

6月 明石元二郎大佐、大使館付武官として情報活動をはじめる。革命運動への支援工作を進める。

04年7月

7月26日  日本第3軍、旅順攻撃を開始

04年8月

8月07日 第3軍が旅順要塞の前面に広がる大狐山と小狐山のロシア軍陣地を砲撃。これに呼応して海軍陸戦重砲隊が旅順港内の艦船に向け砲撃を開始。

8月08日 日本軍が元山に上陸。ウラジオから派遣されたロシア軍陸軍部隊を駆逐。

8月10日 黄海海戦。補給路を絶たれたロシア旅順艦隊は旅順を出港。ウラジオストクに向かおうとする。港外の日本連合艦隊との間で砲撃戦が開始。ロシア艦隊は旗艦「ツエザレウィチ」が被弾するなど、大きな損害を受けて旅順へ引き返す。

8月12日 ウラジオストックのロシア艦隊が旅順救援のため出港。

8月14日 蔚山沖海戦。日本第2艦隊が蔚山沖でウラジオストック艦隊3隻の捕捉に成功。1隻が航行不能となり、2隻はウラジオ港に引き返す。

8月19日   第3軍が第1回旅順総攻撃を開始。死傷者1万5千人の大損害を受け失敗。

8月21日 旅順で歩兵部隊の突撃攻撃が繰り返されるが、いずれも大量の犠牲を出し敗退。

8月22日 第1次日韓協約の調印。韓国政府の主要部門に日本人顧問が置かれる。これにより外交権が事実上奪われる。

8月24日 第1,2,4軍からなる満州軍が遼陽に迫る。

8月24日 ロシア、バルチック艦隊の派遣を決定。

8月26日 遼陽会戦が始まる。日本軍13万、ロシア軍約22万が激突。第2軍、第4軍が正面、第1軍が右側面を攻撃。正面は首山堡でロシア軍の強力な反撃を受け停滞。

8月31日 第1軍が右側面からの進出に成功。遼陽東北の饅頭山を確保。ロシア軍の退路を絶つ構え。

04年9月

9月04日 ロシア軍(クロパトキン司令官)は無傷で奉天方面へ撤退。橘中佐の奮戦が大宣伝される。

9月15日 元山を出発した日本軍1個師団と1個旅団が咸興を占領。

9月19日  第2回旅順総攻撃。203高地以外の作戦目標をほぼ達成。

04年10月

10月09日 沙河会戦。クロパトキン軍が反撃したため沙河の線でにらみ合いとなる。

10月15日 バルチック艦隊(ロジェストヴェンスキー司令官)が日本に向け出港。

11月26日   第3回旅順総攻撃が開始される。203高地の攻略は児玉源太郎が指揮。

12月04日 203高地の占領を達成。その後も東北方面への攻撃を続行。

12月31日 第4回旅順総攻撃を開始。

 

1905年(明治38年)

05年1月

1月02日 東北方面の防衛線を突破して望台を占領。これを受けてロシア軍のステッセル司令官は降伏。ここまでで日本軍は6万の死者を出す。

1月05日 乃木、ステッセルの両将軍、水師営で会見

1月22日 血の日曜日事件が発生。生活苦の打開・立憲政治の実施・日露戦争の即時停止などを求めてデモ行進していた民衆に対して軍が発砲。第1次ロシア革命が勃発する。

1月25日 満州のロシア軍、援軍を受け反撃に出る。日本軍の最左翼に位置する黒溝台方面で激戦となるが、戦線突破できず。

1月28日 ロシア軍、黒溝台からの撤退を指示。

1月29日 平民新聞、廃刊に追い込まれる。

2月21日 奉天会戦が始まる。旅順の戦いを終えた第3軍が満州戦線に参加。奉天に向け進軍開始。ロシアは予備を投入し抵抗。左翼の第3軍に攻撃が集中。

05年3月

3月10日 クロパトキン司令官が奉天撤退。満州軍が奉天を占領。ロシア軍のヒットアンドアウェイ戦法の前に満州軍は満身創痍となる。

3月 ロシア軍は昌図・開原の線に新たな防御線を設定。バルチック艦隊の到着を待つ。

05年4月

4月21日 日本、講和条約大綱を閣議決定

05年5月

5月01日 日本、樺太上陸作戦を準備(第13師団担当)

5月27日 日本海海戦。バルチック艦隊は艦艇のほとんどを失い、司令長官が捕虜になる。日本の喪失艦は水雷艇3隻にとどまる。

05年6月

6月01日 日本の高平公使、ルーズヴェルト大統領に日露講和の斡旋を希望

6月09日 ルーズヴェルト大統領、正式に日露両国に講和を勧告

6月12日 ロシア、講和勧告を受諾。

6月14日 戦艦ポチョムキン号の反乱が発生。ロシア第一次革命が拡大。

05年7月

7月03日 小村寿太郎外相、高平小五郎駐米公使を講和全権委員に任命

7月07日 日本の第13師団、南樺太に上陸

7月24日 日本軍、北樺太に上陸を開始

7月29日 米陸軍のエドワード・タフト長官が訪日し桂首相と会談。極東における両国の勢力範囲を定めた桂-タフト覚書が成立。米国のフィリピン領有と朝鮮における日本の特殊権益を承認。

7月31日 樺太のロシア軍が降伏

05年8月

8月10日 アメリカのポーツマスで、日露講和会議がはじまる。日本は樺太の割譲、遼東半島の割譲、朝鮮の支配権、賠償金を要求。ロシア側はこれらを全面拒否。

8月12日 第2回日英同盟協約調印。

8月23日 日本、南樺太の割譲と12億円の賠償金をもとめる。ロシアは賠償金について全面拒否。

05年9月

9月01日 咸鏡道の日本軍、ロシア国境の豆満江河畔に達する。

9月05日 日露講和条約調印。日本は賠償金を断念。領土(南樺太)、権益(朝鮮)要求を認めさせる。

犠牲者の数字を見る限りはとても勝利とはいえない。ロシア側の被害は戦死者2万5331人、負傷者:6127人、病死:1万1170人。これに対し日本側は総動員数107万人。うち戦死者4万7152人、負傷者:1万1424人、病死:2万1802人であった(一説では死傷者21万人)。逆に言えば見事な外交上の勝利であったとも言える。

9月05日 日比谷焼打事件。3万人の講和反対集会。一部が暴徒化し警察、新聞社のほか米大使館にも襲撃。

9月06日 東京市、および東京府の5郡に戒厳令

05年10月

10月15日 日露講和条約の批准通告・発効

10月16日 日本、日露講和条約を公布、さらに平和回復の詔勅を下す

10月30日 ニコライ2世が、立憲政体の採用と国会の開設を約束。ロシア第一次革命は収束に向かう。

05年11月

11月17日 講和条約を背景に、第2次日韓協約(乙巳保護条約)が調印される。この条約に署名した韓国政府閣僚は乙巳五賊と呼ばれる。

第一条: 日本は…今後韓国の外交に関する関係を管理指揮する。第二条: 韓国は今後日本の仲介によらずして国際的条約もしくは約束をなさざることを約す。

05年12月

12月21日 第1次桂太郎内閣総辞職

12月22日 満州に関する日清条約調印

1907年 帝国国防方針が決定される。第二次日露戦争を想定し、平時25師団、戦時59師団の計画。朝鮮軍の増強が焦点となる。

この後の経過は韓国戦後史年表 0へと続く

 

 

一般にウィキペディアの朝鮮・韓国史に関する記載は嫌韓・右翼の色彩が強い。しかし「日韓併合条約」の項目はあまりにひどい。そこに書かれているのは併合合法論擁護の記載のみだ。条約の正文すら記載されていない。

2ちゃんねる風に言えば、「スレ違い」もいいところだ。どうしてクレームがつかないのか不思議だ。

とりあえず、他のページから転載しておく。中身を読めばいかにひどい条約であるかは一目瞭然だ。

韓国併合に関する条約

(1910.8.22調印、8.29公布)

1.日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下は、両国間の特殊にして親密なる関係を顧ひ、相互の幸福を増進し、東洋の平和を永久に確保せむことを欲し、

2.此の目的を達せむが為には、韓国を日本帝国に併合するに如かざることを確信し、

3.茲に両国間に併合条約を締結することに決し、

4.之が為、日本国皇帝陛下は統監子爵寺内正毅を、韓国皇帝陛下は内閣総理大臣李完用を、各其の全権委員に任命せり。

5.因て右全権委員は合同協議の上左の諸条を協定せり

ここまでが前文。「、。」と濁点、番号、段落は私が付けたもの。
肝心なことは、日本と韓国の合併ではなく、日本が韓国を吸収合併し、我がものとするということだ。

第1条 韓国皇帝陛下は、韓国全部に関する一切の統治権を、完全且永久に日本国皇帝陛下に譲与す

第2条 日本国皇帝陛下は、前条に掲けたる譲与を受諾し、且全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す

第3条 日本国皇帝陛下は、韓国皇帝陛下・太皇帝陛下・皇太子殿下並、其の后妃及後裔をして、各其の地位に応し相当なる尊称・威厳及名誉を享有せしめ、且之を保持するに十分なる歳費を供給すべきことを約す

第4条 日本国皇帝陛下は、前条以外の韓国皇族及其の後裔に対し、各相当の名誉及待遇を享有せしめ、且之を維持するに必要なる資金を供与することを約す

第5条 日本国皇帝陛下は、勲功ある韓人にして、特に表彰を為すを適当なりと認めたる者に対し、栄爵を授け、且恩金を与ふべし

第6条 日本国政府は、前記併合の結果として、全然韓国の施設を担任し、同地に施行する法規を遵守する韓人の身体及財産に対し、十分なる保護を与へ、且其の福利の増進を図るべし

第7条 日本国政府は、誠意忠実に新制度を尊重する韓人にして、相当の資格ある者を、事情の許す限り韓国に於ける帝国官吏に登用すべし

第8条 本条約は日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下の裁可を経たるものにして、公布の日より之を施行す

 右証拠として両全権委員は本条約に記名調印するものなり

明治43年8月22日 統監子爵    寺内正毅

隆煕4年8月22日 内閣総理大臣  李完用 


第1条だけあればほかはどうでもよい。

なぜなら、具体的な内容はすでに数次の日韓協定などですべて完了しているからだ。

その代わり、第一条は見るからに異様な条文だ。これでもかというくらい「全部、一切、完全、永久」と1行の中に詰め込んでいる。これだけでも異例さが際立つ。

企業の吸収合併と見れば話はわかりやすい。株式の取得も終了し、役員もすでに要所に送り込み、残るのは旧会社の看板を引き下ろすだけだ。

つまりこの条約は、旧会社の存続への動きや抵抗の可能性を完膚なきまでに押し潰すための条約だといえる。

あとは旧会社の役員・社員もおとなしく言うとおりにしていれば、それなりに処遇しますよということだ。

ただし、書かれていないが、それゆえに重要なことがある。それは韓人を日本人として平等に処遇するとは一言も書いていないことだ。

韓人であるということは、合併した親会社の正社員ではなく2級国民でしかないということだ。しかも例外もなく、永久的に2級国民だということだ。

有史以来の朝鮮民族の正統性、日朝の関係を見れば無礼という他ない。

なお、「合法・無効論」はまったくつまらない議論である。「悪法も法である」という意味では合法であったし、40年近く実効性を保ち続けたわけだから、有効であったことも間違いない。

それは治安維持法や「満州国」が「合法」で「有効」であったのと同じ意味でしかない。


平和憲法を守る3つの視点

1.平和憲法と、それを担ってきた日本の国民に誇りを持て

平和憲法は成立の当初から「理想論」と言われ続けてきた。しかし70年近くを経た今、それは「現実」となっている。

他国と戦火を交えず、平和を守りぬくことが可能であることを世界に先駆けて示した。それだけでなく平和のもとで繁栄を実現することで、それが理想ではなく現実に可能であることを実例として示した。

逆に、戦争不可避論にしがみつくことが、時代遅れの形式論理に過ぎないことを実証した。

日本国民は世界の先駆者として、このことに誇りを持っていいし、誇りを持つべきだ。

そして平和憲法擁護の運動において、まず何よりもこの視点を強調すべきだ。


2.一般民衆の戦争観を堅持せよ

戦争を見る目には二つある。それは勝者の戦争観と敗戦国の戦争観だ。勝者にあっては支配者は支配を継続するから、支配者の目から見た戦争観が民衆にも共有される。

敗戦国にあっては支配者が更迭され、支配者の戦争観は否定される。したがって民衆の戦争観が国民全体の戦争観となる。

戦争は懲り懲りだ、平和ほど素晴らしいものはない。それは命かけても守りぬく価値がある。

これが民衆の戦争観だ。

しかし勝者の戦争観は、戦争による犠牲と利得とを天秤にかける。戦争は支配者が目的を実現する手段のひとつとして考えられるようになる。そして政治ゲームの一場面のように考えられるよになる。

民衆からすれば、政治は平和の実現と維持のためにあるのであり、戦争は政治の自殺行為を意味するのだ。

私は絶対的平和主義者ではない。殴られたら殴り返すべきだと考えている。たとえ力及ばずともだ。しかしそれは政治ではない。政治は戦争という選択肢を破棄すべきだ。

それが民衆の戦争観ではないか。


3.過ぐる戦争の愚劣さを直視せよ

日本兵200万がアジア・太平洋各地で戦死した。彼らの死は客観的に見て明らかに無駄死であった。

日本の支配したアジア・太平洋各地で数百万の民衆が殺され、餓死に追い込まれた。それらの戦争のほぼすべては、究極的には日本により仕掛けられたものであった。

内地でも二つの原爆と度重なる空襲により、数十万の民衆が犠牲となった。これらの犠牲を生んだ背景には、必ずしも正当と言えない事情がある。しかしそれもふくめて、戦争という狂気が生み出したものであった。

日本軍は玉砕、特攻、集団自決など狂気の死を生み出した。また朝鮮人、中国人の強制連行、強制労働をはじめとする無数の人権侵害を生み出した。

民主主義が封殺され、正義が沈黙し、恐怖が支配するところでは、狂気が大手をふるう。狂気が突出し、愚劣さがニセの高貴さと交錯し、やがて自壊するというのが、過ぐる戦争の赴くところであった。

人々が刺激しあい高めあう代わりに、貶めあい傷つけあう倒錯した世界、それが戦争という誤った愚かな世界だ。

こんなことはもうたくさんではないか。

今度はカジノについてのウィキペディアの説明。

カジノは120ヶ国以上で合法化されており、国によって制限内容は大きく異なる。世界で2000軒以上のカジノが存在し、観光資源の1つとして競争が行われている。

スペインが1977年、デンマークは1991年、スイスは2000年から合法になった。

米国では、10の州では合法で、3つの州(アーカンソー州、ハワイ州、ユタ州)では禁止されている。ニュージャージー州では、1976年に保養地のアトランティック・シティー限定でカジノを合法化した。インディアン自治区におけるカジノは24以上の州に存在している。

アジアではマカオが有名だが、最近では新たにカジノが合法化されている国が増えている。韓国のカジノはほとんどが外国人専用で、客の9割が日本人である。

日本では、ギャンブル依存症の拡大、青少年への悪影響、治安悪化、暴力団などの犯罪組織の資金源になるなどの恐れがあることから、反対の動きが根強い。

ということでこの項目の著者はかなりカジノに前のめりな人のようだ。

まず第一に、現在行われている競輪、競馬など、また宝くじ等は賭博に該当するのか?

カジノはそれらと性質が異なるのか?

ということが問題になる。

次いで、競輪・競馬や宝くじで依存症になったり生活崩壊するケースがどのくらいあるのか。カジノはそれらに比べ毒性が強いものなのか。

あたりも、知っておく必要があるだろう。

まずはウィキペディアから

賭博は、金銭や品物などの財物を賭けて偶然性の要素が含まれる勝負を行い、その勝負の結果によって賭けた財物のやりとりを行なう行為の総称である。

ということで、どうも「偶然性の要素」というのが判断の基準になるようだ。

日本では、地方自治体などによって主催される「公営ギャンブル」およびパチンコなどのギャンブル的な要素を持つ各種遊技が行われている。

カジノが解禁されれば、ここに加わってくることになるのだろうか。

公営競技は長年にわたり地方自治体の貴重な財源となってきたが、近年では一般大衆の「ギャンブル離れ」の影響を強く受けて不採算化が著しい。

ということになると、カジノの是非以前に、そもそも営業が成り立つのかどうかという問題が浮上してきそうだ。

パチンコ、ゲームセンター、麻雀などは、「ギャンブル的な要素を持つ遊技」とされており、ギャンブルそのものとはみなされていない。しかし近年のパチンコのように射幸心を煽る傾向が強まれば、本格的な規制の対象となる可能性がある。

カジノバーはこれらのゲームとは明らかに区別されている。

カジノバーは「換金できないチップを用いて店内に設置したルーレットなどで遊ぶことでカジノ的な雰囲気を楽しむ」施設とされているが、合法的なカジノバーを隠れ蓑にヤミのカジノを開帳すれば、違法賭博として警察から摘発される。

業として行われるもの以外に花札、ポーカー、サイコロ、バカラなどもゲームと賭博との境界が曖昧である。地方によっては闘鶏、闘犬、闘牛もギャンブルの対象となる。

むかし勤めていた病院では、患者さんが大相撲の勝ち負けクイズをやって、大いに盛り上がっていたが、その筋のお達しにより止めになった。

厳密に言うと、「ジャンケンをして(一番)負けた人が(他の全員に)缶ジュースを奢る」等のレベルの行為も賭博にあたるそうだ。

と、ここまでがウィキペディアの解説だが、期待した質問への応えはない。

大門議員のいつもながら胸のすくようなセリフが炸裂する。
「国民の願いを胸に」という議員が交代で書くコラム。

賭博は犯罪を誘発するという理由により刑法で禁じられています。
…先月ある会合の席でカジノ推進派議員と議論になりました。
A議員「カジノは経済効果がある」
私「人のカネまきあげておいて、どこが経済対策か」
B議員「雇用は増える」
私「雇われた人の何倍もの人の人生が破壊される」
B議員「ギャンブル依存症対策は、カジノの収益金を使って行うことになっている」
私「依存症を作っていて、その対策をやりますなど、マッチポンプだ」
…民間企業の関係者も、家族もいれば子供もいるでしょう。お天道さまに恥ずかしくない堅気の商売に精を出してほしいものです。

ただ、残念ながら、私は賭博の実体を余り良く知らないので、当面はコメントできない。
賭博性の強いゲームはたくさんあるが、それらと賭博そのものとの質的差を少し勉強してみなければならない。

Dr. Woodbe の法学基礎用語集

というページで、「人権」についてひとつの考え方を説明している。少し抜書きしておこう。

人権は万能か?

人権に限界はあるのか、あるとすれば、どこまで認められるか。

自然権という虚構

「人間が生まれながらにして自然にもつ権利」として人権を考えることは困難である。人権は「自然に」は実現しない。

人権の根源を自然にもとめるのは、むしろ危険な側面を持つ。

幸福のためのルール

人権は、人々の幸福の増大に役立つ一定のルールと見ることもできる。「社会を破滅させず存続させるために、人権というルールが必要だ」という考えである。

そこからは二つの考えが派生する。

幸福追求を人権に優越させる考えと、人権をすべての規範として多少非効率であろうとも遵守する考えである。

人権の範囲を浅く広く考える

幸福追求を優越させるなら、幸福の増大を邪魔するような「絶対的な人権」というものは認められない。

その際は、どのような権利が認められるべきかを、具体的な状況に応じて判断しなければならない。

人権の範囲を深く狭く考える

いっぽう、「絶対的な人権」の考えは、人権を、法律によって変更できないルールとしてとらえる。

同時に、必然的に生じてくる非効率を抑える為にいわゆる「権利のインフレ」を回避しようとする。そのために人権を深く狭く設定し、「切り札としての権利」(ロナルド・ドゥウォーキン)に局限する。

たとえば思想・信条の自由などにおいては、その行使によって社会の幸福が悪化するとしても、最終的にはその存在自体が人々の幸福の増大をもたらすと想定される。

幸福追求というのは、いわゆる「公共の福祉」というやつだろう。

この人の人権論はかなり操作主義的な色彩が強いといえるだろう。普通は法律や社会慣習がルールであり、人権はその網の目の中で生活する個々人の有り様を示す概念と考えられている。

したがって、人権そのものをルールだという場合は、その根拠をもう少し明示すべきだろう。(いわば逆転の発想であり面白い見解ではあるが…)

本日の一面トップは「新規制基準1年」というもの

安部首相は、「独立した原子力規制委員会によって世界最高水準の新しい安全基準が策定されました」と言っている。

これが嘘だという一番の根拠が「コアキャッチャーがない」ということだ。

これはきわめて単純な話で、ヨーロッパの原発の多くはコアキャッチャーが付いている、ところが日本の規制基準にはコアキャッチャーが義務付けられていない。したがって世界最高の規制基準とはいえないというものだ。

あまりにも単純な話であるために、政府はまともな反論ができない。

メルトダウンが起きた時、日本の原発はどうなるのか。炉心溶融物を受け止めるコアキャッチャーがないので、炉心溶融物は圧力容器や格納容器を溶かして外に漏出します。炉心溶融物は建屋のコンクリートと反応します。ここで発熱ひどければ、コンクリートも溶かして建屋を抜け、外部へ漏れ出します。

(原発隣接地帯から: 脱原発を考えるブログ より)

こんな話がわかっているのに、なぜコアキャッチャーを義務付けないのか。

コアキャッチャーの設計図
日本原子力学会HP掲載資料から引用)

コアキャッチャー

なぜなら、上の図みたいなもの作ろうとしたら、原発、最初から建設しなおさなければならないからです。

(原発隣接地帯から: 脱原発を考えるブログ より)

(コアキャッチャーもどきのものは東芝が開発中だが、ポンプで冷却材を回して冷やす仕掛けであり、全電源喪失の際は機能しない、まがい物である)

(このブログにコメントがあって、コアキャッチャーを使うようになっちゃえば、所詮はもう終わっている、という話です。たしかにそうですね)

李克強首相が注目すべき発言をしている。

メルケル首相が訪中し、李克強と会談。その後の共同記者会見で、李克強が人権問題について発言した。

赤旗などによると、

1.我々の包括的な改革には政治、経済、環境などに加えて人権分野の改革も含まれる

2.我々は経済改革と同時に法治建設も強化する。

3.法治建設の責任は重大だが、前途は遠い。

4.相互尊重を前提に人権対話を行いたい。

これは【北京時事】の配信したもので、時事通信は独国際公共放送「ドイッチェ・ウェレ」(中国語版)から情報を得たようだ。

メルケルに対する多少のリップサービスもあるのだろうが、「前途は遠い」という言葉に真剣味を感じる。現在の人権政策のいちじるしい遅れを、率直に認めていると見て良いだろう。

この認識は非常に大事だろうと思う。


ただし中華網ではこの発言について触れていない。日本のメディアも盧溝橋事件へのコメントに言及するだけで、「相互尊重を前提とする人権対話」という提起には全く触れていない。

1896年(明治29年)

2月09日 朝鮮政府内の親露派が朝鮮皇帝の高宗を確保し、ロシア公使館に移す(露館播遷)。

2月11日 親露派のクーデターが成功。王室内の親日派が全滅し、日本は政治的に大きく後退。

3月 造船奨励法、航海奨励法公布。各種増税法公布。

3月31日台湾総督府条例公布により、軍政から再び民政に移行

4月1日 大本営の解散

4月20日 日本勧業銀行法・農工銀行法など公布

5月01日 小村外相がソウルでロシア公使と第一次日ロ議定書(小村・ウェーバー協定)を交換。日ロ両軍が“居留民保護のため”ソウル、釜山、元山に兵員を配置することで合意。

6月03日 李鴻章、ロシアと対日共同防衛の密約を結ぶ。ロシアは満州を縦断してウラジオに至る東清鉄道の敷設権を獲得。

6月09日 ニコライ二世の戴冠式に出席した山県特派大使、露外相ロバノフと朝鮮問題第二次議定書(山県ロバノフ協定)に調印。朝鮮への対等な権益、朝鮮警察・軍への不干渉で合意。

7月21日 日清通商航海条約(不平等条約)締結。

7月 李氏朝鮮でも英米露仏などに鉱山採掘権、鉄道敷設権などが供与される。

10月12日 李氏朝鮮の高宗、ロシア公使館から王宮に帰り、皇帝として即位。国号を大韓帝国と改称する。ロシアの要求により、イギリス人海関税務司を解任し、ロシア人アレクセーエフを登用。

11.14 ドイツ軍艦、膠州湾を占領

12月15日 ロシア軍艦、旅順入港 

 

1897年(明治30年)

10月12日 朝鮮国、国号を大韓帝国に改称。朝鮮国王も大韓皇帝となる。

 

1898年(明治31年)

3月27日 ロシアは清国から大連・旅順の租借権と、ハルビン-大連間の鉄道敷設権を獲得。ドイツが膠州湾の租借権、膠済鉄道敷設権、鉱山採掘権を獲得。

4月25日 西・ローゼン協定。朝鮮において日露が政治的に対等であることを確認。

9月21日 戊戌(ぼじゅつ)政変

98年 イギリスが九龍半島と威海衛(威海)を租借。

 

1899年(明治32年)

3月 中国山東省で義和団が蜂起。「扶清滅洋」を唱え、急速に勢力を拡大。

9月06日 米西戦争が終了。フィリピンを併合したアメリカは、ジョン・ヘイ国務長官が門戸開放宣言を発表。

99年 フランスが広州湾を租借。

1900年(明治33年)

6月20日 義和団、北京の各国領事館を包囲。北清事変と呼ばれる。清の西太后は義和団を支持し、各国に宣戦布告する。

7月 米・英・仏・ロ・日など8カ国が共同出兵。ロシアは混乱収拾のため満洲へ侵攻し、全土を占領下に置く。

1901年(明治34年)

9月07日 清国、義和団事件の最終議定書に調印。

10月08日 林董(はやし・ただす)駐英公使、イギリスと同盟交渉開始。イギリスは、ロシアの南下に危機感を持ち、「栄光ある孤立」外交を転換。

12月02日 伊藤博文、ロシア外相と日露協定について交渉を開始

12月06日 伊藤博文、日露協定を先決とし、日英同盟締結の延期を桂首相に勧告する。

政府内では小村寿太郎、桂太郎、山縣有朋らの対露主戦派と、伊藤博文、井上馨ら戦争回避派との論争が続いた。

12月23日 伊藤博文、ロシア外相に日露協定交渉打ち切りを通告

1902年(明治35年)

1月30日 第1回日英同盟協約が調印される。日本が二国以上と戦う時は、イギリスの参戦を義務づける。日露が戦った場合、清が参戦すれば英国も参戦するということになり、清は動けなくなる。

4月08日 ロシアと清の間で満州還付条約調印。3段階の撤兵計画が確認される。

4月21日 桂太郎首相・小村寿太郎外相・伊藤博文・山県有朋、京都で対ロシア方針を協議。

山縣の別荘・無鄰庵で伊藤・山縣・桂・小村による会談。記録類によればむしろ伊藤の慎重論が優勢であったとされる(ウィキペディア)

6月14日北京駐在の各国公使、義和団事件の賠償金についての配分議定書に調印

 

1903年(明治36年)

2月7日 ロシア、満州からの第2次撤兵を中止。実質的領土化を図る。

4月18日 ロシアは満州還付条約を履行せず。撤兵の交換条件として7項目要求を持ち出す。清は要求を拒否。

5月 ロシア軍、鴨緑江を越えて大韓帝国領内の龍嚴浦に、軍事根拠地の建設を開始。

6月30日 内村鑑三、万朝報で非戦論を展開。

内村の非戦論はちょっとピンぼけのところがある。内村は、日清戦争は結局「利欲のための戦争」であったとする。その結果、「朝鮮の独立は却て弱められ、支那分割の端緒は開かれ、日本国民の分担は非常に増加され、東洋全体を危殆の地位にまで持ち来つた」と非難している。結局何をもって戦争反対の理由としているかが分からない。

7月23日 林董駐イギリス公使、日露交渉開始についてイギリスの諒解を求める。

8月12日 ロシア、旅順に極東総督府を設置。

8月12日 栗野慎一郎駐ロシア公使、ロシア政府に、6ヵ条の日露協商基礎条項提出。中国東北部・朝鮮半島に関する交渉開始

日本側は朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置くという妥協案、いわゆる満韓交換論をロシア側へ提案した。しかしロシア側では主戦論が優勢であった(ウィキペディア)

8月29日 戦争回避論をとなえたウィッテが大蔵大臣を更迭される。

10月03日 ロシア、日本の提出した日露協商基礎条項を拒絶、対案を提出。小村外相とローゼン駐日ロシア公使との交渉開始

ロシアは日本側への返答として、朝鮮半島の北緯39度以北を中立地帯とし、軍事目的での利用を禁ずるという提案を行った。朝鮮の側から見ればじつに勝手なものである。

10月08日 日米が歩調をあわせ、清との追加通商条約。安東、大東溝の開港と奉天の開市を認めさせる。

10月28日 ロシアが奉天を武力占領。清の軍を城外に退去させる。

11月15日 万朝社を退社した幸徳秋水、堺利彦らが「平民新聞」を発刊。唯一の反戦派新聞となる。内村鑑三も退社するが、平民新聞には加わらず。

12月28日 聯合艦隊が編成される。東郷平八郎が司令長官に就任。

12月30日 日本、戦争が勃発した際の清国・大韓帝国に対する方針を閣議で決定

 

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

というブログでも杉山平一を紹介している。

は、東日本大震災を契機に書かれた「希望」という詩、谷内さんはその詩の後半の「我慢」という言葉に注目している。


我慢していればよいのだ
一点
小さな銀貨のような光が
みるみるぐんぐん
拡がって迎えにくる筈だ

負けるな

ここを谷内さんはこう読む。

何もできないときは、何もできないまま、できることをしていればいいのだ。それは「我慢する」というような消極的なことになってしまうかもしれないが、それでもそこには「する」という「自発」がある。
「自発」があるかぎり、それに答える何かがある。
 それが「希望」である。

たしかにそのほうが適当だ。
ぴっぽ さんの
その連鎖を、勇敢に断ち切るのです。
というのは、やはりちょっと言いすぎだなと思う。

多分杉山さんというのは業で読ませるタイプの詩人だと思う。乗っけられると、ドドドッと行く。
志しはいうほど濃くはないんじゃないかな。

ぴっぽ さんという方が、「心に太陽を、くちびるに詩を」という連載を書いている。本日は16回目で、杉山平一「わからない」という詩が紹介されていて、なかなかいい。

ぴっぽ さんはブログを持っていて、そこで全篇が読める。といっても短いものだ。


わからない

お父さんは
お母さんに怒鳴りました
こんなことわからんのか

お母さんは兄さんを叱りました
どうしてわからないの

お兄さんは妹につっかかりました
お前はバカだな

妹は犬の頭をなでて
よしよしといいました

犬の名はジョンといいます


   ―『希望』2011年11月刊 より

ついでに作者の紹介も転載する。

  杉山平一 (大正3―平成24 1914―2012)
福島県会津若松生まれ。詩人・映画評論家。
東京帝大在学時に、詩誌「四季」に投稿開始。
三好達治に見出され、同誌に作品掲載。
1943年、第一詩集『夜学生』刊行。
30代から40代にかけ、生活上では、辛酸を舐める。
1966年(52歳)帝塚山大学専任教授となる。
2003年『戦後関西詩壇回想』で小野十三郎賞特別賞受賞。
2012年、最後の刊行詩集『希望』にて、第30回現代詩人賞受賞。
2012年、5月肺炎にて死去。享年97。

詩集に『夜学生』(1943)、散文詩集『ミラボー橋』(1952)、
『声を限りに』(1967)、『ぜぴゅろす』(1977)、『木の間がくれ』(1987)
『杉山平一全詩集(上下)』(1997)、『青をめざして』(2004)
詩文集『巡航船』、『希望』(2011)等。他、映画評論・詩論集等多数。
ぴっぽ さんは、次のような感想を書いています。

「わからない(わかってくれない)者」に対する、苛立ち。
これは、ある意味、負の連鎖。攻撃の連鎖。

けれど。妹は。
その連鎖を、勇敢に断ち切るのです。
妹は、犬を「いじめない」ことを選びます。
「よしよし」とむしろ、ほめたりします。

悲しみ、苦しみや、憎しみが
この世界に、あることは、百も承知だけれど。
そして。
きみが傷ついていることも、しっているけれど。

ぼくは、きみは、せめて。
それを、連鎖させないで、おこうよ。

日清戦争と日露戦争 イデオロギーの違い
もちろん本質的にはどちらも侵略戦争であったことに変わりはない。
しかし日清戦争はわかりやすい。
日本政府は決して日清戦争が自衛戦争だとは言っていない。
明白に朝鮮に対する介入戦争であった。西郷隆盛と同じ論理である。
そのイデオロギーとは、アジアが清のように進むか、日本のように進むかという選択を朝鮮に迫るものであった。
ヨーロッパ列強の模倣を必然的なものとし、それを朝鮮に押し付けようとするものでもあった。
しかしそのために王室内派閥の中でもっとも保守的で頑迷固陋な派閥を持ち上げるというのは歴史の皮肉であったのかもしれない。
井上馨と大院君の会話はそういう文脈で読むと極めて面白い。井上馨にはミコヤンみたいなところがある。
清の路線を続ければ、アジアはやがて滅びるという強い危機感が、日本の側にはあった。それは確かだろう。



今日はシューマンの交響的練習曲。
これはしちめんどくさい曲でなく、景気良く鳴ってくれれば良い話で、したがって腕さえ良ければ、音質さえ良ければ誰でもいい話。
クライスレリアーナのときも書いたけど、シューマンという人は絶対にメロディーラインを切らない。必ず音がつながっている。
多分指使いはすごく難しいと思うけど、リストやブラームス(初期)とは違う。
リストなら盛大に羽目をはずしても決めどころさえ押さえておけばなんとかなる。つまりミスタッチを前提にして曲作りをしている。なぜならリストは作曲家である前に演奏家だからだ。そして大規模な演奏会を前提に音作りをしているからだ。
しかし、シューマンはミスタッチを許さない。間違えればその瞬間にすべての聴衆が間違えたと分かるように曲作りをしている。
もしあなたが疲れていて、曲に集中できないようなら、演奏者が何回間違えたかをカウントしながら聴けばよい。
そんなシューマンの中でも、この曲(と謝肉祭)はあまり間違いが気にならない曲である。
それほどアップされた演奏は多くはないが、ナタン・ブランドが頭抜けている。クライスレリアーナのときも書いたが、ナタン・ブランドを聴くことなくしてシューマンを語るなかれだ。恐るべき迫力だ。音質は最低だが…
キーシンが良いが、低音質で音割れしている。直接CD音源で聞いたらもっと良い音で聞けるだろう。ほかに、例によってブレンデルの漂白剤たっぷりの演奏がある。ギレリスのコンサート・ライブは聴き応えがある。ミスタッチは多いが、弾きこんだ上でのミスだと分かる。

いつもの酒飲み話なんですけどね。
トリニダーというむかし砂糖成金の街だったところから、かなりのがたごと道を抜けてサンタクララに出たんですよ。
manica_stclara

行けども行けども山道でいい加減おしりが痛くなった頃峠にさしかかりました。
エスカンブライ山地といって、むかしはここにゲリラがいたんですね。このゲリラはカストロとは別の系統で、半分ゲリラ半分山賊というたぐいの連中でした。
当時キューバの東の端にいたカストロはエスカンブライのゲリラとも共闘が必要だと考え、ゲバラの部隊を派遣したのです。2ヶ月余の苦しい行軍を終えエスカンブライに到着したゲバラですが、この連中のあまりの酷さに唖然とします。
いちおう義務としてひと通りの交渉は行いますが、その結果を待つことなく独自にエスカンブライでの行動を開始します。その手始めがこの街道沿いの街マニカラグアの攻撃作戦です。
その後ゲバラはマニカラグアを落とし、その足でフォメントに向かい、駐屯地を攻撃し陥落させます。ここからオリエンテに向かう国道1号線をぶったぎり、連続的にサンタクララの決戦へと向かっていくのです。
詳しくは私のキューバ革命史をお読みください。
manicaragua
   私の行った時(1995年)はガタガタ道だった。

ガイドの男性が車の右側の山を指さして言いました。
「あの山にゲバラがいたんだ。あそこから山の斜面を下っていってマニカラグアの街を襲撃したんだ」
のだそうです。
そして軽くこう言い添えました。
「ちょっと行ってみるかい?」
ご冗談でしょう!
ざっと見て、ここより数十メートルは高い。道があるわけじゃない。
きっと、我ながら相当焦った顔していたのだと思います。ガイドさんの顔が笑っています。「偉そうに革命談義したって、所詮はそんなもんかい」という表情です。
憎らしいこと。
しかし、何気なしに山の斜面に目をやった時、一瞬、そこに山を駆け下るゲリラの一群が見えたような気がしました。その先頭にいたのは確かゲバラだったのでしょうが、一瞬ですからそこまではわかりません。


赤旗で、ゲーリングの言葉を紹介している。
転載する。
もちろん、平凡な国民は、戦争を望まないだろう。ロシアでも英国でも米国でも、同様にドイツでもだ。
しかし最終的に政策を決定するのは一国の指導者である。
国民を一緒に参加させるように仕向けることはいつでも簡単だ。
国民はいつも指導者の命令に従うように仕向けられてしまう。
それはとても簡単なことだ。
国民が攻撃されると言い、平和主義者は愛国主義が不足し、国を危険にさらしていると非難すればいい。
ほかにやる必要なことはない。

これは本人が書いた文章ではない。
戦後に収容されていた刑務所で、被告人の心理観察をしていた心理学者の大尉に語ったものという。草葉の陰で「俺はそんなことは言っていない」というかもしれないが、だいたい似たような考えであろうし、好戦的な政治家ならだれでも考える手口であろう。そういう意味ではまさに典型である。
こういう論理を「安全保障化論」と呼ぶのだそうだ。
「イラクの大量破壊兵器脅威論も同じだ」というが、私としてはちょっと分けておいたほうが良いと思う。秘密防衛法や集団的自衛権は、一国の政治構造を一気に揺り動かすツールとしての系統的なデマ戦略であり、ナチズムの核心をなすものだからだ。

「東京裁判」でグーグル検索をかけると、ネット右翼の花盛りである。

東京裁判で何が明らかにされどんな罪が断罪されたのかはさっぱりわからない。

やっとひとつまともな論文を発見したので紹介する。

「東京裁判における日本の東南アジア占領問題: 検察側立証を中心に」という題名で、梶居佳広さんという方の書かれたものである。立命館の客員研究員という肩書になっている。

なにしろ、うかつなことは書けないからどうしても物言いが慎重になる。そのせいかどうか分からないが、かなり読みにくい文章である。

 

はじめに

東京裁判とは「真珠湾への道」を究明し,そこに至るまでの責任者を処罰した裁判といえる。

同時に侵攻した地域で日本軍が何をしたかについても,「BC 級戦争犯罪」ととして一定程度追及している。

本稿は東京裁判『速記録』を手掛かりに、東南アジアの人々に関わって発生した諸問題を整理・検討する。

Ⅰ.東京裁判における東南アジア問題の概観

⑴ 起訴状

46年5月3日、東京裁判で起訴状が朗読された。

起訴状は、

1.日本の利益のために被征服国民の人的経済的資源を搾取し,公私の財産を掠奪し,

2.都市村落に対し軍事上の必要以上濫りに破壊を加え,

3.無力な一般民衆に対し大量虐殺,掠奪,凌辱,拷問その他の野蛮なる残虐行為を加え、

と指摘している。

⑵ 審理

検察側立証で論及されたのは

第5部 「仏印に対する侵略」,

第8部 「太平洋戦争」中の「和蘭に対する侵略」,

第9部 「戦争法規違反,残虐行為(BC 級戦争犯罪)」

においてである。

なお中国大陸における中国人への残虐行為は第3部 「支那事変」段階で扱われている。

⑶ 判決

「BC 級戦争犯罪」で起訴された24被告の内,有罪の判定が下されたのは10被告(土肥原賢二,畑俊六,広田弘毅,板垣征四郎,木村兵太郎,小磯国昭,松井石根,武藤章,重光葵,東条英機)に止まり,他は証拠不十分で無罪となった。

海軍の岡敬純と嶋田繁太郎,元外相の東郷茂徳各被告らは嫌疑不十分で「BC 級戦争犯罪」については無罪判定を受けている。

一方で武藤,木村被告がフィリピン,ビルマにおける虐殺・虐待,東条被告が捕虜抑留への虐待全般,土肥原被告,板垣被告はマレー,ジャワ,スマトラ,ボルネオにおける捕虜・抑留者虐待により有罪と宣告され、死刑に処せられている。

南京虐殺事件の広田・松井両被告とあわせ,東京裁判で死刑を宣告された7 被告は全員「BC 級戦争犯罪」で有罪となっていた。

これは「平和に対する罪」が事後法であって罪刑法定主義の原則に逸脱するとの批判に配慮し,「BC 級戦争犯罪」を重視した結果である。

「日本無罪論」として著名なパル判事(インド)は,「(中央の)指導者はなんら刑事責任を負うものでなく」,個人の行為を国際法で裁くべきでないと主張して全被告無罪と判定した。

ただし日本がアジア各地で行った残虐行為そのものは否定していない。

またベルナール判事(フランス)も、閣僚或いは軍の指揮官という地位に就いていただけの理由によって現地で発生した戦争犯罪に関する刑事責任を機械的に課すのは不当と主張している。

 

ワルトシュタインはもうごちそうさまだ。
ピアニストは皆ワルトシュタインが大好きなようで、そうそうたるメンバーが揃っている。
ホロヴィッツ、バックハウス、ケンプ、ゼルキン、ブレンデル…なんとシュナーベルまで聴くことができる。
まずつまらないものから挙げる。当然、ポリーニとアルゲリッチ。
例えてみると、LP版を45回転でかけたらポリーニ、78回転でかけたらアルゲリッチになる。
DJ風に手回しするとホロヴィッツになる。ただしベートーヴェンというのは相当のイカレ野郎で、曲の構成など無視して前衛風に作っているから、案外それが正解かもしれない。
バックハウスとケンプは50年代のはじめの録音だから、元の音がかなり貧弱だ。バックハウスという人は夕映えの人で60年代のステレオの時期になって俄然良くなっている。それまでの演奏はけっこう荒っぽい。ステレオでの全集がアップされてないから、しかたなく聞いたが、みなさんが無理して聴くほどのものではない。
ルドルフ・ゼルキンはこの二人より腕は立つが、とにかく音が汚い。むかし、おそらく70年代なかばと思うがテレビで演奏会の放送を聞いたおぼえがある。多分この曲が大好きなのだろう。大いに乗せてくれた記憶がある。
改めて聞くと、たしかに熱演で、弾きこんでるなと思わせるものがある。しかし繰り返し聞くにはちょっとつかれる。
アラウとプレトニョフは予想通りの出来栄えだ。
どこかに「ワルトシュタインはベートーベンのソナタのなかでは女性的で…」と書いてあったが、それは違うでしょう。第三楽章の「どすこい、どすこい」など根性の入り過ぎで、むしろ一番男性的な曲ではないかと思うが。

というわけで、聴き比べの結論はエミール・ギレリスということになる。
バレンボイムの演奏の時にも触れたのだが、この曲の演奏スタイルには二通りあって、スタジオでピアノだけを相手に純粋に音楽の世界に浸りながら演奏するのと、大会場で大観衆を相手に交響曲を演奏するように演奏するのと二つである。
ずるいのは、バレンボイムとギレリスだけその2種類の演奏がアップされていることである。
両方とも容易にYouTubeで検索できるので、聴き比べて欲しい。
これでもうやめだ。

ベートーヴェンを聴くにあたり、壮年期と熟年期の曲のどちらが好きかでかなり違ってくるだろう。
とくにピアノソナタと弦楽四重奏曲でそれが言える。
弦楽四重奏だとその違いは際立っている。私の好みで言えば後期よりラズモフスキーのほうがはるかに良いと思う。
ピアノソナタの場合難しいのは、中期の代表作がひとによって違うからだろう。子供の頃ベートーベンの三大ソナタといえば悲愴、月光、熱情だった。これでLP1枚にちょうど収まる。
しかし中期の代表作はそうではないと思う。例えば運命、ラズモフスキーにあたるのはワルトシュタインとテンペストではないか。
とくにテンペストはピアノソナタとしてわかりやすい。しかしワルトシュタインはどうも後期につながるところもあってわかりにくい。いろいろな演奏の仕方があると思う。
YouTubeで聞けるのは、アシュケナージ、シフ、グリンバーグ、バレンボイム、ツィマーマン…Steven de Grooteというのもある。
どれを聞いても帯に短したすきに長しという具合だ。
とにかくモーツァルトの延長では弾けないから、その上に何を持ってくるかだ。さすがに一流の演奏は音が綺麗だ。汚く弾かれるとげんなりだ。
なかではバレンボイムの演奏が一番しっくり来る。バレンボイムは「ワルトシュタイン交響曲」のピアノエディションを演奏しているようだ。ピアニズムを無視して指揮者のように演奏する。当然のことながら終楽章のコーダは音としては汚くなるが、それも含めて管弦楽の響きだ。その辺は想像しながら聴くしかない。
ツィマーマンはあくまでピアノの響きをもとめているようだが、残念ながら音源が貧弱である。グリンバーグはモーツァルトの延長として捉えようとするが、捉えきれないところにロシア臭さが顔を覗かせる。
シフはいつもの通り無味乾燥な音を聞かせてくれる。意外とアシュケナージが小味にまとめてきれいなワルトシュタインを聞かせてくれる。それにしてもこの遠目のデッカ録音、懐かしいなぁ。
まだバックハウスとゼルキンがあるぞ。アラウは聞く前からごちそうさま、今日はもう限界だ。

白善燁の本が全然進まない。
まだ序文だ。
ちょっといいところを抜粋。
世界で分断国家は、ここ韓半島だけとなった。この異常な事態はどうすれば打開できるのであろうか。それには将来を見通す視点を持たなければならない。
…ではどうすればその視点が得られるのであろうか。それにはやはり1894年(明治27年)に勃発した日清戦争から100年、この1世紀は韓半島にとっていかなる時代だったのかを、歴史的に評価する必要があるだろう。

未来志向で歴史を学ぶ、この視点が必要だということだろう。
ただよそ者の私にとっては、どうしても南北統一の悲願というあたりが理解しきれない。
(白は平壌出身だから特別強い思いがあるかもしれないが)
むしろ朝鮮半島の平和と繁栄、そして朝鮮半島を取り囲んで日本と中国とを含めた東アジア共同体の構築、あえて言えば「大東亜」共同体を形成していくことを目標とせざるを得ない。その上で核心となるのが、朝鮮半島の安定であることは論をまたないが。

韓国および北朝鮮の戦後史年表 0 (戦後史といいながら戦前編です)   韓国および北朝鮮の戦後史年表 1    韓国および北朝鮮の戦後史年表 朝鮮戦争   

韓国の朝鮮戦争後史年表(53年以降)     北朝鮮の朝鮮戦争後史年表(53年以降)  日本の植民地支配と朝鮮人民の闘争

浜田・河合教授らが日中韓関係改善を提言、首相官邸は受け取らず
もうだいぶ前の報道で、ニュースというよりキュウスだが、面白い内容ではあるもののなんとも論評のしようがないので、そのままにしておいた。
事実として踏まえておくべきだと考え紹介する。
[東京 20日 ロイター]
安倍首相の経済ブレーンで、アベノミクスの発案者とされる浜田宏一(イェール大学名誉教授)ら18人が、日中韓の関係改善を求める報告書を、首相に提出しようとしたところ、受け取りを断られた。
提言は安倍首相の目指す方向性と異なるため、事実上、門前払いされたことになる。首相官邸はこの件でのコメントを拒否している。
次いでグループは、岸田外相宛てに提言を提出しようとしたが、こちらも直接の提出・面会を断られた。
外務省は「事務方から大臣に渡した」としている。グループは岸田外相への面会を求めているが、外務省では面会については「承知していない」としている。

というのが経過。
それでそのグループというのはどういう人達なのか、何を提言しようとしたのかということだが、
グループの名は「平和と安全を考えるエコノミストの会」、浜田氏や河合正弘・東京大学教授、著名エコノミスト、全国紙論説委員OBを含む18人よりなる。
つまり日本のエコノミストの主流を形成する人々だ。おそらく官庁エコノミストのかなりの層もここにふくまれると思われる。ロイターは「アベノミクスの発案者らによる外交面での提言」だとしている。
次にその中身だが、
まず基本として「アジア諸国との経済連携を日本の成長戦略の中心にとらえるべき」と主張する。
そのために
1)日中韓は東アジア地域包括協定(RCEP)協定の構築を目指す
2)中国による環太平洋連携協定(TPP)への参加とそれに必要な国内経済改革を歓迎・支援する
3)日中韓3カ国の自由貿易協定の早期締結を図る、
4)円・元・ウォンの通貨金融協力を活性化させる
の4つを経済外交の3つの柱とすべきだとする。TPPへの中国参加などピンぼけもいいところだが、全体の方向としては理解できる。
「東アジア地域包括協定」については、もう少し詳細に知っておく必要がありそうだ。
ということで、基本方向を設定したうえで、
日本と中国、韓国との外交関係の悪化が経済連携を妨げるおそれがあるとして、当面の政治分野への言及を行う。
内容としては、
1)日中の軍事衝突が起これば、日本のGDPを0.8%押し下げるだろう。
2)中国にとっても同様に0.9%のマイナス効果が生じる。
3)アジア全体の経済成長も損なわれ、アベノミクスが目指す日本経済の再生が行き詰まる
と、懸念を示した上で、
1)日本政府が「河野談話」「村山談話」を明確に踏襲する
2)首相・主要閣僚による靖国神社参拝を控え、国民全体が戦没者の慰霊を行える無宗教の慰霊施設を設置する
3)尖閣諸島や竹島の領有権問題解決に向け、日中韓は領有権に関して当面は事実上の棚上げを行い、実力・武力で問題解決を図らないことに合意する
の3点を上げている。

いくつかの裏話的な事実も明らかにされている。
1.今回の提言が、外交面も含めて踏み込んだ内容となっていることに関し、参加した学者メンバーの1人は「官邸の不興を買うことを承知でサインした」と明かす。
2.別の関係者は、官邸の対応姿勢について「安倍首相の周囲の人々の中には、かなり保守的な人もいるようだ」と漏らす。
3.さらに別の関係者は、安倍首相の周囲には、首相の意見と違う提案を拒絶する人々がいて情報が制約されているとし、首相の判断に影響が出かねないと懸念を示している。

ということで、かなり突っ込んだ取材にもとづくしっかりした記事だ。
記者の名を挙げておく。
中川泉 竹本能文 編集:田巻一彦
すみませんが、提案内容にスタンスをおいた紹介に再編集させてもらいました。

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