鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2014年07月

私なりに加藤さんの用意した資料を読み込んでみた。

無論これだけで「日本マルクス主義」の認識過程を網羅しているわけではないだろうが、武谷三男の見解の変化だけに絞れば、かなり説得力のある資料が収集されているものと思う。


「原子力」に対する認識の深化の過程

武谷三男の見解を中心に

A. 原爆も含めた原子力への野放図な賛美

1.原爆は反ファッショ科学者の協力の賜物(46年 武谷)

2.原子力の解放は科学史上の最大の出来事の一つ(47年 武谷)

3.世界の原子科学者は平和のために原子爆弾を造り上げた(48年 武谷)

4.(原子力が)人類絶滅の道具として使用することはあり得ない(48年 武谷)

5.原子爆弾は…平和のきっかけを作ってくれた(48年 武谷)

6.自然力がまちがってつかわれると人類はほろびるが、ただしく使われると人類の生活をどんどんたかめる(48年 武谷)

この頃、放射能問題はまったく触れられていないようだ。

B. 原爆と原子力の分離。一方で平和利用への賛美は続く

1.原子爆弾は最大の浪費である(49年 徳田)

2.われわれは原子力を、平和的建設の重要課題実現に役立てる(49年 ヴィシンスキー国連代表)

3.原子爆弾の犠牲になった唯ひとつの民族…広島と長崎をふたたびくりかえさない…戦争に生き残ったわれわれの任務(50年 ストックホルム・アピールの呼びかけ)

4.原子力の副産物の放射能も「化学変化の研究や医学に」(武谷 52年)

5.人を殺す原子力研究は、一切日本人の手では絶対行わない(武谷 52年)

平和利用には原爆=ダイナマイト論がふくまれる。

C. 水爆と原爆との評価の分離。「水爆は人類の敵」

1.原爆と違って水爆は戦争以外に全く役立たない。「水爆は人類の敵」(武谷 53年)

これは「ソ連の水爆実験を聞いて」という記事であり、ソ連製をふくめて水爆には反対という趣旨と解される

2.水爆のエネルギー、死の灰は予想以上(武谷 54年)

53,54年は核問題がらみの事件が集中して起きている。続けざまに事実を突きつけられるなかで、原子力観の根本的検討が迫られた時期だったのだろう。

この年表には出てこないが、講和条約後に広島・長崎の被爆の実相が次第に明らかになり始めた時代と、それは重なっている。

D. 原子力発電に慎重な立場

1.原子力の平和利用は重要であり、その時期がせまっていることもたしかである。(武谷 54年)

2.原子力発電は核兵器とは桁違いに困難であり、難問が未解決のまま山積している。「死の灰の処理」は容易ではない(武谷 54年)

2.のコメントはほとんど今日的である。気がつくのは認識の順序や過程が、実際にはかなりジグザグの経過をとっていることである。これらの認識が苦闘のなかで獲得されていったことに思いを致す必要がある。

E. 段階論(原水爆の克服→平和利用)の提起

1.原子兵器競争が続いている間は研究や平和利用の分野でのどんな試みもない。(世界平和評議会声明 55年)

2.現在の原水爆時代を克服しない限り、原子力時代は訪れない(武谷 55年)

議論としてはさらに一歩進んでいる。「核兵器ではなく平和利用」から原水爆禁止の先行へ。ただし、平和利用そのものは積極的に評価されていて、技術的困難性は議論の前面には出ていない。

F. 平和利用問題での揺り戻し

1.原子兵器が全面的に禁止され、鳩山政府が打倒されるまでは、わが国における原子力平和利用の問題は、実際に問題になりえないといった機械的な態度をとることは許されない。(前衛 56年)

2.原子力の…可能性を十分に福祉に奉仕させることは、人民民主主義、さらに社会主義、共産主義の社会においてのみ可能である。(共産党決議 61年)

世界平和評議会の2段階論は、「原水爆時代の克服」から「社会体制の変革」に置き換えられている。ただ2段階論がそれなりに引き継がれているとは言える。

武谷は共産党を離れ独自の動きを示すようになるが、物理学者をはじめとする科学者運動のなかでは依然大きな影響力を維持していた。


この後「あらゆる国」問題や原水協分裂→再統一の失敗問題が展開されるが省略する。

問題は日本における原研の創立と原発の操業開始に至るトバ口のところまでに、どのように原子力の平和利用に関する認識が変遷して行ったかということだ。

その点では、朝鮮戦争という隣国での大規模な戦争、明らかにされた被爆の実相、ビキニの放射能という3つの事件が大きく作用していたのだろうと思う。

現実を突きつけられることで、日本人の思考は大きく変化していくのであり、それが53年から55年にかけて集中的に現れたのだと思う。

この時期に共産党は事実上の壊滅状態にあった。その後6全協から8回大会を経て再建へと向かっていくのであるが、これらの変化をつかみとっていたとは言いがたく、核兵器についても原子力の平和利用についても時代に一歩遅れていたと言わざるをえない。


感想としてしか書けないが、
1.「仁風林」はただのサロンではなさそうだ。「接待所」の可能性が否定できない。栩内容疑者は、接待要員であった可能性が否定できない。
2.複数の現職閣僚をふくむ政界有力者が、「仁風林」に入り浸っていたという確度の高い情報がある。彼らが「接待」を受けていた可能性は否定できない。
3.栩内容疑者の住む高級マンションはパソナの所有である。ビデオの盗撮装置が設置されていたかもしれない。巷間、それらしき映像が流出しているようである。
4.パソナの南部代表が創価学会との深いつながりを持つことは、周知の事実である。
5.前原議員の結婚相手は創価短大卒で、栩内容疑者と同じく南部代表の元秘書を勤めた女性である。この妻は防衛庁関連の事業に積極的に参加しているとの情報がある。

これらの情報は以前から、“その世界”には知れ渡っていた話だろうと思う。
ではなぜいま、官憲が踏み込んだのか。
大体、官憲が突如動いて大物が捕まるのは、アメリカの意向である。アメリカの意向を受けた公安警察が、カネとか女とかクスリとか、マスコミの話題になりそうなスキャンダルで攻めてくる。
いま集団的自衛権や来るべき沖縄知事選など、創価学会にちょっかいを出す理由はたくさんあるから、そういう流れで「権力」(安倍晋三ごときのあずかり知らない権力)が動いた可能性は否定できない。
しかし創価学会は降参してしまったから、この問題がこれ以上明るみに出ることはないだろう。これ以上やれば権力の側も相当の返り血を浴びなければならない。南部氏もそれ相当の“保険”をかけているだろう。残されたのは生贄となったアスカの残骸のみということになるのだろうか。

面白半分に「仁風林」のうわさ話を集めてみた。

グーグルで記事を検索。主に日刊ゲンダイがネタ元のよう。

栃内香澄美 パソナ 「仁風林」に出入りしていた民主党の前原誠司

パソナの接待迎賓館「仁風林」。
政界で特に出入りしていたのは、政界では民主党の前原誠司だという。
しかも前原の妻・愛里さんはパソナグループ代表の南部氏の元秘書だったことが判明。
つまり栩内 香澄美容疑者と同じような立場だったのだ。
またミス・インターナショナル12年グランプリの吉松育美(26)も元秘書。
10年のミス・インターナショナル日本代表の金ケ江悦子(28)は、アーティストのマネジメント業務も行っているパソナのグループ会社「エコLOVE」に所属。
SEX接待迎賓館と呼ばれる「仁風林」。
政界、財界、芸能界を繋ぐこの肉欲にまみれた施設にはどんな闇が隠されて
首相が叱責…ASKAの女に異常接近していた小野寺防衛相

パソナグループの迎賓館「仁風林」のパーティーに、田村憲久厚労相ら現職閣僚5人が出席したことをこれまでに伝えたが、小野寺五典防衛相(54)も“メンバー”だったことが日刊ゲン ダイ本紙の調べで新たに分かった。覚醒剤使用でASKAが逮捕される直前まで通っていたようだ。

「小野寺大臣の目的はASKAの“愛人”栩内香澄美だったそうです。栩内は青森出身で、小野寺大臣は宮城県出身。“同じ東北出身”をアピールして接近しようとしたけど、うまくいかなかったようです」(事情通)


これなら強気になりますね。

竹中平蔵 猪瀬直樹  堺屋太一  永島敏行…栩内容疑者の関係者がやばすぎる…

関係者によるとセックス接待中のビデオの存在が判明…

竹中の平ちゃんがパソナグループの会長だそうです。

パソナ代表南部 靖之、芸能事務所幹部、そして自民党の圧力によりマスコミはだんまり。

栩内氏と関係のあった他の芸能人がさんざん取り沙汰されている一方で、パソナや南部氏に対する報道はあまりに少ない。それどころかマスコミは「パソナ」の 社名すら明記しないケースもある。

その理由については、大手スポンサーへの自主規制や、南部氏が政府の審議会委員を務めるなど自民党政権ときわめて近い関 係にあること、さらには親しい芸能事務所幹部の圧力説などが囁かれている。

栩内容疑者が出向していた医療系人材派遣会社「メディカル・アソシア」のグループ代表が、政財界のトップを接待するための迎賓館として設けた。

栩内香澄美メディカルアソシア

    メディカル・アソシアのポスター。モデルは栩内だとされる。

南部靖之代表は自社の美人社員や知り合いのモデルを接待要員に使っており、栩内容疑者もその一人だった。

YUCASEE より

「仁風林」、超富裕層だけが持つ夢のサロンの中身

有栖川公園、麻布中・高、西町インターナショナルスクール、各国大使館…。都内でも屈指の高級住宅街でもありながら、どこか異国情緒も漂わせる元麻布2丁 目。道幅の狭い入り組んだ道をたどっていくと、「仁風林」がある。歴史的には、江戸時代には旗本屋敷が並んでいた土地らしい。

仁風林

 

仁風林

約1000平方メートルという広い敷地内に、昭和39年に建築された鉄筋コンクリート造りの家屋がある。地上2階地下1階建てで、延べ床面積は250平方メートル。

古い料亭のような造りの門構えに、深々と生い茂る植栽から中の様子をまったくうかがい知ることはできない。近隣住民たちも何の施設かは詳しくは知らなかっ たようだが、近隣の男性は「入り組んでいて狭いので、とても、見ず知らずの車が入ってくるような場所ではないのですが、それでも、週末には大きな車が数台 並んでいたりします。

週刊新潮によると

40人ほどのパーティースペース、専門の料理人が料理をふるまい、セレブ夫人たちに人気の酵素風呂もある。そして、芸者やモデルたちで形成される接待女性 の軍団がいる。そこにASKA容疑者が夫人同伴で来るようになったという。そして、カスミちゃんと呼ばれていた栩内容疑者もいたという。

 

richardkoshimizu's blog には下の記事が貼り付けられていた。http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/008/181/20/N000/000/012/140225906563440181226_201405311054227e9.jpg

 

http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/008/181/20/N000/000/012/140225903834257568226_20140601-3.jpg

 

ウィキペディア旧版なる文書

ウィキペディアの南部靖之の項目は削除対象となっている。

削除前の原文には、「株式会社パソナ代表取締役グループ代表兼社長であると同時に創価学会の信者である」と記載されている。

また、

民主党の前原誠司前代表とは、夫人である前原愛里が創価短大卒業後に株式会社パソナで南部氏の個人秘書を務めていた関係にあり、同夫人は防衛庁の人材派遣を通した利権に関与しているとされる

怪文書のたぐいかもしれないが、前原妻の情報は間違いなさそうだ。。

 25年前のスキャンダル

実は今から25年ほど前、南部氏をめぐるスキャンダルが大きく報じられたことがあった。それも女性スキャンダルが--。

 まだパソナ・グループがテンポラリーセンターという社名だった1989年、「週刊テーミス」(8 月2日号/現在は会員月刊誌)が『テンポラリーセンターの醜聞 南部靖之専務をめぐる「女性関係」を衝く』という5ページもの特集記事を掲載したのである。

南部氏は当時37歳。関西大学時代に立ち上げたテンポラリーセンターの創業専務で、「ベンチャーの寵児」ともてはやされていた。

以下略


関連記事

2014年07月27日栩内被告が徹底抗戦するとどうなるか

これは の続きです。

宮本百合子との対話

49年4月の「婦人民主新聞」は白蓮と宮本百合子の紙上対談を掲載している。

「誰故にこの嘆きを」 白蓮から百合子へ

あの日、日の丸の旗を肩にして「大君のへにこそ死なめといつて出て征つたあの子の姿は、胸に焼きつけられて今もなお痛む。

あのおとなしい子が人一倍子ぼんのうの両親の家を、不平一つ言わず勇ましく門出をした、あれは一体、誰故に誰に頼まれてああしたことになつたのか─と。

…思いかえせばあの戦争中の協力一致の精神…が世界平和のために湧き上らぬものかしら、この故にこそ天界…息子と地上において…同じ目的に協力したいと念じている。これが我子を犬死させない唯一の道だと思っているから。

百合子から白蓮(燁子)へ

…燁子さんににちりよつて、その手をとらせたい心にさせる。そうなのよ、燁子さん。

…あなたの愛がそんなに大きく、そんなに母として深い傷になほ疼いてゐるのに、もう一遍、その傷のいたみからかぐはしの香織 を生んで見よう、と思ふことはおできにならないかしら。

今度は戦争の兇□と非人間性に向かつて抗議し、行動する、けふといふ歴史の時代における香織を。

世界連邦平和運動の婦人部長

この宮本百合子の言葉がどう響いたかは分からないが、「悲母の会」は後に「国際悲母の会」となり、「世界連邦平和運動」に発展した。

白蓮は湯川秀樹夫人スミらとともに運動を担い、全国を行脚した。北海道だけでも後志、札幌、月寒、石狩、旭川、十勝平野、根室、狩勝、北見と連なっていく。

運動家としてのど根性

白蓮はこんな文章も書いている。

悲母の会解消問題の起きた時、だから先生は、歌の事さへすれば他の事は何もしなさるなと、意見された。併し自分の運命の流れというものがある。

そして70を過ぎた体に鞭打って全国の講演旅行に駆け巡る。この時の歌は、芭蕉の「奥の細道」を思わせる。自然と我とが一体になった至高の歌どもとなっている。

『地平線』の作品に詠み込まれ、また注記された地名は全国津々浦々の40ヶ所におよぶ。

いくつかを紹介しておく

巡礼の心してゆく旅なれば 北のはてにも わがゆくものか

どこの国の誰が ぬれ居る雨ならむ とほくに見ゆる雨雲低し

ききほれて しづかに涙たるるなり 山河草木みな声放つ

遠つ祖の なみだに見たる秋の空 佐渡はけぶりて小雨となりぬ

白蓮の最晩年

このような過酷とも見える無理の多い講演旅行は、やがて燁子の目を苛み緑内障に侵される結果となった。

1961年、76歳で白蓮は両眼を失明する。しかし作歌は永眠の前年まで続けられた。最後の歌は神々しいほどに響く。

眼を病めば 思い出をよぶ声のして 今を昔の中にのみ居り

なべて皆 物音たえし真夜中は 声ならぬ声のなにか聞こゆる

そこひなき 闇にかがやく星のごと われの命をわがうちに見つ


この抜粋は中西洋子さんの労作のほんの一部しか伝えていません。ぜひ原文をご覧ください。

 

 

「潮流」によると、自衛隊のコマーシャルがあって、その決め台詞が「ここでしかできない仕事があります」というのだ。
simazaki

あまりテレビコマーシャルには縁がないが、かなり恐ろしいセリフだと思う。
自衛隊にしかできないこと、それは“人を殺すこと” だ。
飛行機に乗れます、船に乗れます、といったところで、それはただの飛行機や船ではない。“人を殺す”ための飛行機であり船なのだ。
自衛官は“人を殺す” ために、飛行機に乗り船に乗るのだ。
他のことなら、自衛隊でなくてもできるようなことばかりだ。
AKB48の女の子が「ここでしかできない仕事があります」とささやくとき、それは“人殺し” 稼業への誘惑なのだ。
本当は、自衛隊にしかできないもう一つの仕事がある。それは“殺される” ことだ。しかしそれは、自衛隊に戦争させたい連中の心の奥深く隠されている。
わかっているかい、島崎遥香さん。その指先の光の下で人が死ぬんだよ。何十人も、何百人も、何千人も…

パガニーニのこの曲が、正式名称不明

以前から好きで、ホーページのテーマ曲にも使っていた曲だが、youtubeでは正式名称が混乱している。

1.ギル・シャハム盤では“作品3の6”

まずは定番演奏とも言えるギル・シャハムの演奏。

うp主は

Sonata no.6 for violin & guitar - andante - Gil Shaham ( Paganini )

と名づけている。説明はない。

これは現役盤からの吸い出しだからうかつにコメントできないのであろう。

そこでCDのクレジットを探してみると、

Paganini: Sei sonate M.S. 27 (op.3) per violino e chitarra / Sonata n.6 - in E minor - Andante

となっている。ついでに絵も載せておく。

From the Album Paganini For Two
March 15, 1994

このCD収録曲の一覧をみると、

1.作品番号なし、MS.2 のソナタ イ長調

2.作品3、MS.27のソナタ集から1番、4番、6番、

3.作品番号なし、MS.3 のグランド・ソナタ

4.作品番号なし、MS.112のチェントーネ・ディ・ソナタ(ソナタ集)から2番、4番、

その他が収録されていることが分かる。

ということで、

この曲は、日本語でいうと

バイオリンとギターのためのソナタ ホ短調(作品3の6)の第一楽章 アンダンテ

ということになる。

しかし、バイオリンソナタの第何番かということは、これだけでは分からない。パガニーニの作品の散逸状況からすれば、第何番かなどということはむしろ言わないほうが良さそうにも思える。

ところが、うp主は“ソナタ第6番”と称しており、これはいろいろ問題をはらんでいる。

2.作品3の6は「バイオリンとギターのためのソナタ」の6番とはいえない

作品番号を付けるのは作曲者本人であるから、本人が6番といえば確かに6番である。

しかしパガニーニには、本人が作品番号を付けて発表した曲とは別に、かなりの未発表作品があり、それが発掘されている。

それらがマリア・ローザ・モレッティとアンナ・ソレントによって鑑定され、パガニーニの自作と判断されたものがMS番号を付けられて公開されている。

これ自体はきわめてありふれた話だ。バッハ(BWV)、ハイドン(Hob)、モーツァルト(Köchel)、ベートーヴェン、シューベルトなど上げればきりがないくらいだ。

それを差し置いても、作品番号をつけて公表された曲の中でも、この曲は第6番とはいえない。なぜなら作品2も同じ「ヴァイオリンとギターのための6つのソナタ」と題されているからだ。

だからこの作品を通し番号で言うならば、バイオリンソナタ第12番なのだ。ちなみに作品1が、かの有名な「24の奇想曲」である。

3.同じ時期に作られた「バイオリンとギターのためのソナタ」は、他に30曲ある

モレッティとソレントによって真作とされた「6つのソナタ集」がMS.9からMS.13まで5つもある。すべて作品2および作品3と同時期(1805~1808年)のものである。

さらにそれに加えてMS.2(協奏的ソナタ)とMS.3(グランド・ソナタ)などなどという同じ編成のソナタもある。だからバイオリンソナタ第何番という言い方は、かなりナンセンスに近い表現だ。

この時期、パガニーニはバイオリンソナタを書きまくっていた。ナポレオンが欧州を席巻し、ベートーヴェンが英雄交響曲を発表していた時代である。

とにかくバイオリンソナタ第何番という言い方はやめましょうということだ。

4.作品3の6の全曲を聞く必要はない

パガニーニのソナタは、緩徐楽章の第一楽章、アレグロの第二楽章からできているようだ。作品3の6といって演奏されるのは、通常は第一楽章のアンダンテだけである。

唯一、YouTubeで第2楽章を含めた全楽章が聞けるのが、下記の演奏である。

Eriko Sumi,Dario Ponissi : Paganini "Sonata for Violin and Guiter"

正直、面白くもない曲だ。演奏もかなりアップアップだし、ギターの分散和音ものっけから耳障りだ(楽譜のせいかもしれないが)

民主党政権時代に、消費税引き上げを無理やり押し通したのだが、その時の最大のお題目が財政再建だった。
これは財務省サイドからの圧力だったようで、議論はある意味で消費税増税による歳入増加と、内需の冷え込みによる歳入減のどちらが効いてくるかというところに集中していたように思う。
一方で、財界の要求を飲んで法人税の減税をやるということの矛盾も、激しく衝かれたところだ。
ただ与謝野にしても、曲がりなりにも財政再建を錦の御旗に掲げていたから、それなりに真面目な政策論争ではあった。
それが、どういうことだ。
内閣府の試算は、「20年度にプライマリー・バランスを黒字化する」目標を投げ捨ててしまったようだ。
ということで、赤旗の主張が厳しく非難している。

とりあえずそこに示されたファクツをいくつかあげておく。

1.日本の財政の現状
歳入の4割が借入金。つまりプライマリーバランスはマイナス40%ということになる。
公債の発行残高は1千兆円。これはGDPの2倍。
2.中期財政計画
安倍政権発足時に策定されたもので、事実上の国際公約。
「20年度に国と地方の基礎的財政収支:プライマリー・バランスを黒字化する」ことを目標に掲げる。
3.内閣府の試算
今月、内閣府が経済財政諮問会議に示した中長期の経済財政試算。
20年度で財政赤字は11兆円残る。これはGDPの1.8%に相当。
4.さらなる消費税引き上げしかない
11兆円をすべて消費税で穴埋めし、かつ法人税をこれ以上引き下げない場合、税率アップは4%となる。

ということで、これ以上については勉強してみないとわからない。
ただ、論建ては多少おかしなところがある。
まず、現在の数字からどうやってマイナス11兆円のレベルまで持って行こうとするのか、そこが見えない。その際に公債の発行残高がどうなるのかもわからない。
いろんなレベルの数字がごっちゃになって提示されているため、どこがどうひどいのかが見えてこない。
私のような素人にも分かるよう、もう少し整理した提示をすべきだろう。

田上市長(長崎)の言葉が赤旗に掲載されている。なかなか良い言葉がある。

国連では、国益と国益、軍事バランスという議論になります。しかし、私たちはその議論に「核兵器は人間にとって必要ですか」と投げかける人間の論理を持ち込みます。
「原爆が投下された広島、長崎の惨状を知ってください。被爆者の訴えを聞いてください。これほど残酷な兵器が人間として必要ですか」との本質的な問いかけができます。
やや荒削りだが、まっとうな論理だ。

人間の論理と言ってしまえと、政治の論理も突き詰めれば人間の論理だ。この言葉はもう少し吟味しなければならない。核を使おうとする側の論理とその目標にされる側の論理になるのだろうが、今のところうまい言葉が見つからない。
核に賛成はしないが、使われてもとりあえず自分には関係ないと考える人々、つまり核に鈍感な人々が問題なのだろう。

ASKAとの“中出しSEX”までも反証材料にした栩内香澄美被告に、検察が激怒!

というから、かなりえげつない話になっているが、「私はシャブなどやっていない」という主張のために、そこまで告白しているようなのだ。

これは「私は高級コールガールです」と宣言しているようなものだ。ということは、「仁風林」がその手の施設であることも明るみに出ることになる。

ここまで開き直った女性が、この先何をしゃべり出すか分かったものではない。

しかもこの戦術、パソナグループの社長が主導している雰囲気のようだ。どうやらこの社長、本気で脅すつもりらしい。

こうなると命がいくつあっても足りない。さてどうなりますことやら…

はじめに~静電気とは?

まず最初に二つの実験が示されるが、後者の実験には驚いた。

実験2

まずは、水道の蛇口を少しだけひねって水を垂らしておいてください。それから塩化ビニル棒と紙をこすり合わせます。

次にこの塩化ビニル棒を水平にして、蛇口から垂らした水流に近づけてみてください。さて今度はどうなるでしょうか?

水流が塩化ビニル棒に引き寄せられて曲がりました!

皆さん、知ってました? どう考えても、これは磁力じゃないですね。でも考えてみると、下敷きに紙が吸い寄せられるのも、本当に磁力なのだろうか。

つぎに静電気の定義

電荷の空間的移動がわずかであって、それによる磁界の効果が電界の効果に比べて無視できるような電気 (静電気ハンドブック)

しかし、これではよくわかりません。
というかさっぱりなので、簡単に言いかえてみましょう。
静電気とは「物体に電気がたまる現象、もしくはその電気のこと」です。

ウィキペディアでお馴染みの定義だ。わからないことも同じだ。しかしこのページではしっかりフォローしてくれるようだ。

第一回~ふたつの電気

電気は大きく二種類に分かれるのです。
ひとつは私たちが普段使用している『動く電気』です。これがなくては今の私たちの生活は成り立ちません。
これを動電気と呼びます。
もうひとつの電気はその場にとどまって動きません。これが『とどまる電気』、つまり静電気です。

さあ混乱してきた。動かない電気って、一体何なんだ。

第二回~帯電

原子はみんなプラスとマイナスの電気を持っており、その量は同じです。原子はこのふたつの電気のバランスが保たれる事で安定しています。

しかし、物と物が触れ合ったりこすれ合ったりすると安定が弱いマイナスの電気が片方からもう片方に移動します。このことを帯電といい、この帯電状態を静電気状態といいます。

原子が帯電した時に持つ電気の量を電荷といいます。

こすり合わせたりすると・・片方の電子が飛び出してもう片方にくっつく

それぞれ正、負に帯電する

第三回~静電気力

帯電したもの同士が近づくと引き寄せられるか反発する。そこには力が発生するわけだ。これは磁力ではない。

この力の源は帯電した原子にある。

このようにして電荷どうしの間にはたらく力のことを静電気力(クーロン力)といいます。
静電気が原因となって働く力だから、静電気力。

それはいいとして、それは磁力とどう違うのだろうか。

第四回~電気を通すもの、通さないもの

物体は接触したりこすり合わせたりすると帯電する。

しかし、全ての物体が簡単に帯電する訳ではありません。物体には帯電しやすいものとしづらいもの、電気を流しやすいものと流しづらいものとがあるんです。

金属はよく電気を通すのに、プラスチックの多くは電気を通しません。

電気をよく通すものを"導体"といいます。導体は電気が流れやすいので、帯電してもすぐに電気を逃がしてしまいます。

逆に電気を通しにくいものを"絶縁体""不導体"と言います。絶縁体は帯電したら電荷を維持する力が強いのです。

少しわかってきたぞ。静電気というのは電気といっても流れる電気じゃないんだ。電子のポテンシャル・エネルギーみたいなものだ。だから電気が流れることによって生じる磁力とは違うんだ。核エネルギーに近いような概念だな。

そういえば素粒子の勉強した時にもクーロン力というのが出てきたな。

第五回~静電誘導

はい、いよいよ今回は静電誘導を学びます。
前回までは基礎の基礎です。
五回、六回でようやく実際に起こる静電気のしくみがぼちぼち理解できてくると思います。
ではがんばっていきましょう。

そう言われると、とたんに疲れてきた。ガッツがないな。

静電誘導の定義は以下のとおり

帯電していない導体に帯電している物体が近づくと、導体の帯電している物体に近い側に帯電している物体と違う種類の電気が、遠い側に帯電している物体と同じ種類の電気がそれぞれ現われる現象

長い文章なので、分解する。

帯電していない導体というのは、要するに金属のことだ。帯電している物体というのは例えばエボナイトみたいなものだ。

つまり最初の部分はこすって帯電させたエボナイトを金属に近づけるとどうなるかということだ。

先程は帯電した物同士をくっつけたんだが、今度は導体が相手だからクーロン力は働かない。

しかし金属の内部ではそれに似たような反応が起きる。それが静電誘導という現象だ。

静電誘導というのは、エボナイトがマイナス荷電されていれば近い方にプラス荷電された原子が集まり、逆側にマイナス荷電された原子が集まるという現象だ。

これは帯電体同士がくっつくとか弾くというのとは違う。片方は積極的だが、片方は受け身だ。最初は好きでも嫌いでもないのに、相手の情熱についほだされてという愛の形だ。

これがアルミ箔がエボナイトに引き寄せられる現象の説明だ。

では紙のような不導体がエボナイトに引き寄せられるのはどうなのか。

静電誘導で電気が移動できるのは導体が電気を流すためであり、不導体に帯電体を近づけても電気が移動できません。

つまり形は似ていてもその機序は違うものなのだ。もう一つの愛の形、それは誘電分極と呼ばれる。

実は不導体であっても帯電体を近づけると物体の中の電気の位置がほんの少しだけずれるんです。

帯電体を近づけた不導体の中では、帯電体に近い側に帯電体と同じ種類の電気が、遠い側に同じ種類の電気がそれぞれ生じるのです。

なぜ、どうやって分極が生じるのかは、この文章では触れられていない。しかし、もうそれはどうでもよい。疲れた。

まとめると、帯電体同士の関係はクーロン力、帯電体とそうでないものとの関係は、物の内部での電気分布の受身的な変化、そのものが導体であれば静電誘導、不導体であれば誘電分極、ということになる。

それで、最初の実験の蛇口から出ている水だが、これは静電誘導の方だそうだ。

第六回~放電

静電気によって火花が起こる理由は放電が起きるからです。

まず「放電」の意味

放電というのは 帯電して静電気状態になった物体がその物体と逆の電気を帯びた物体と接触する時に電気が飛び散ることです

「帯電して静電気状態になった物体」というのは我々の体のことだ。

プラスの電気を帯びた人間の手が金属に近づくと、静電誘導によってその金属の表面にマイナスの電気が集まります。

人間の手のプラス電気は、金属に集まったマイナス電気と結合しようとします。その瞬間に放電が生じます。

バチッとなった瞬間は放電している状態で、すでに静電気ではなく電流になっています。

プラスとマイナスが引かれ合う

放電が発生する

ここまでで静電気の発生のしくみに関しての説明は終わりました。
これで大体のことはわかったと思います。

わかりましたか?

突如、静電気という言葉が気になり始めた。

なんで、静かな電気なのだろう。あんなにバリバリと、ときには痛みも伴って、光さえ発して爆発的な姿で登場するのに…

ということで、まずはウィキペディアから。

静電気は、物体(主に誘電体)に電荷が蓄えられている(帯電する)状態や、蓄えられている電荷そのもののことを指す場合もある。

さあ分からない。日本語として分からない。

とりあえず文章を分解してみる。

静電気という言葉には二つの意味がある。

主要な意味は、物体に電荷が蓄えられている状態のことである。

ということで、電池のようなものだろうか。物体が帯電している状態ということだろうか。いずれにしても帯に短し、たすきに長しであり、率直に言えば説明になっていない。

もう一つの意味は、物体に蓄えられている電荷そのものである。

だから、電荷というのがわからないと、この説明は全くちんぷんかんぷんなのだ。わからないものを、もっとわからないもので説明するのは愚の骨頂だ。

ただ、電気というのは一般に流れることによって電気なのだから、静電気という言葉自体が矛盾していることは分かる。

おそらくは電流が何らかのバリアーによって閉じ込められている状態なのだろう。だから、何がどのようにしてバリアーになっているのかを説明することが肝要であろう。

次のセンテンスはもっと不親切だ。

電荷は常に電界による効果と磁界による効果を持つが、静電気と呼ばれるのは電界による効果が際立っている場合である。

電荷がわからないことを、知ってか知らずかさらに電界とか磁界という言葉をあびせかける。

こういう人に道を聞かないほうが良い。日本語で聞いたら英語で答える人だ。

とりあえず想像してみると、電流が流れるとマックスウェルだかの3本指の理屈で磁力が発生する。

ただ電流は一定のバリアーの中をぐるぐる周りしているから、磁力は相殺されてゼロになってしまう。

ということなのだろうかと、とりあえず思っておく。

これで説明は終わりである。

付け足し的に「静電気が起きた」という世間の言い方にチェックが入る。

日常生活で、静電気による放電に出会ったときに「静電気が起きた」という事があるが、これは「静電気によって火花放電が起きた」というほうがより正確である。

ということで、そこだけは分かる。

あとは本質とは関係のない話ばかり。誰か書きなおしてください。


次は「これで解決! 静電気」というサイト。

マイナスイオンとの関係

マイナスイオン不足(マイナス電気不足)を引き起こす事によって帯電体質、つまり自然放電できにくい、静電気を溜めやすい体質になってしまいます。

と書いてある。これもわかりにくい説明だ。マイナスイオンが不足すると自然放電しにくくなるというのだが、そのメカニズムが書いてない。

大体がまゆつばの説明が多く、マイナスイオン水の宣伝みたいだ。


次は「静電気の仕組み」というサイト。

静電気はとても身近で、私たちの周りのどこにでもあります。日本にも静電気学会というのがあって、研究もされています。しかし、今現在、静電気はまだ完全には解明されていません。

というのが書き出し、ウム、これは期待できそうだ。

次のページには目次がある。

 
はじめに~静電気とは?

そもそも静電気とは何者なのでしょうか。

第一回~ふたつの電気

静電気と家で使っている電気はどう違うの?~電気の種類について学びます。

第二回~帯電

ものが電気を持つってどういうこと?~帯電という現象を学びます。

第三回~静電気力

電気が持つ力って?~電気の性質を学びます。

第四回~電気を通すもの、通さないもの

電気を通さないものって?~物体と静電気との関わりについて学びます。

第五回~静電誘導

静電誘導ってなに?~どのようにして静電気力が作用するかを学びます。

第六回~放電

静電気の放電はなぜ起こるの?~静電気放電について学びます。

ちょっと難しい話~電気量保存の法則

電気のやり取りと電気量との間には関係があります。

第七回~帯電列

物体をこすり合わせると、プラスとマイナスのどちらに帯電するの?~帯電列の見方を学びます。

第八回~日常生活と静電気

何をすると静電気は起こるの?~日常生活の中のどのような場面で静電気が発生するのかを学びます。


なかなかの内容のようだ。

いったんブログを閉じて、あらためて読むことにする。

インド・スズキ自動車 「暴動」はでっち上げ

経済面の「変貌する経済」という連載で、かなりのスペースを使ってインド・スズキ自動車の「暴動」を告発している。

本来なら、独立した記事として取り上げるべきだが、まだしっかりとしたウラが取れていないのかもしれない。

とりあえず要旨を紹介しておく。

まず会社側の発表はこういう風になっている。

暴徒は鉄パイプをもって行動した。これは計画的だ。先頭に立って抑えようとした人事部長は足を折られ、そして(建物に)火をつけられた。誰がどう考えたって殺人だ。これは組合運動じゃなくて暴動だ。

(6月の株主総会での鈴木修会長の発言)

これに対して有力な反論が出されている。「労働者の権利を目指す国際委員会」(ICLR)の国際調査団報告だ。

「暴動」が起きたのは2012年7月18日。以下は報告書の抜粋。


午前8時半、ある現場監督が1人の労働者にカーストの差別的な言葉を投げつけた。

口答えをしたその労働者は停職処分を科された。

労働組合は、停職処分の撤回を求め経営側と数度にわたり話し合いを持った。

そのさなかに、経営側は警察に警官隊の配備を要求した。

午後2時、大量の警官が工場の門前に集結した。

この日、工場内には多くの見慣れない男たちの姿があった。作業服は着ているものの名札はなかった。彼らは「自分たちは新入りだ」と名乗った。

午後7時、組合と経営側は討議を再開した。

この頃から、「新入り」と名乗る男たちが労働者への挑発を始めた。それは次第にエスカレートし、ついには乱闘騒ぎとなり、完全な混乱状態に陥った。

交渉のテーブルについていた組合幹部は、騒ぎに気づき部屋を飛び出した。

その直後に、いままで交渉をしていた部屋から火の手が上がった。

工場内のプラントの労働者はプラントの外に飛び出した。

これを見た警官隊は、工場内に突入し、労働者を手当たり次第に捕まえ出した。

火災が起きた事務所内ではアバニッシュ・デヴ人事部副部長が死亡していた。死因は煙を吸い込んだことによる窒息死だったが、両足には鈍器による外傷が残されていた。

デヴ氏は経営側の人物であったが、労働組合設立に積極的に関与するなど、組合の強力な支援者と見られていた。

ついで労使紛争の背景説明

日本では1分に1台の割合で生産ラインに自動車が流れてくるのに対し、マネサールでは45秒に1台の割合で流れてくる。

勤務途中の休憩時間は日本が10分程度なのに対し、マネサールは7分間しかない。

1日の生産台数の目標が決められ、目標に達するまで時間外労働を強いられる。平均2時間のただばたらき残業になっている。

理由にかかわらず、1ヶ月に1日休むと「生産性」連動部分の賃金が削られ、3日休むと全てなくなる。(この賃金部分は賃金全体の半分に相当する)

工場労働者のうち75%が不安定雇用で、賃金は正規労働者の4分の1程度しかない。


ここまでが報告書の抜粋。

以下は地の文になっているが、おそらく調査団のメンバーからの聞き取りによるものと思われる。

スズキ自動車側は一貫して労働問題が背景にあると認めません。しかし事件は、労働者が様々な妨害をはねのけ、自主的な労働組合を結成した直後に起きました。

この労組が州の労働部に登録されたのが12年3月。その後、労組はすべての契約労働者の正規化などを求める「要求憲章」を発表した。

3ヶ月で10数回に及ぶ団交が行われたが、7月中旬、経営側は交渉打ち切りを一方的に宣言した。これに対し、労組は不払い残業拒否を表明した。

7月18日の事件の後、多くの労働組合幹部が逮捕され、労働者2300人が解雇された。


ということで、インド・トヨタのロックアウトも相当非常識な行動と思ったが、こちらはほとんどむちゃくちゃだ。

ただ、スズキはインドにとっては外国企業だということを忘れていないのだろうか。ナショナリズムに火をつけると、このての話は致命傷になる。


なお、この報告についての詳細は

静岡県労働研究所のホームページに掲載された

インド・マルチスズキ社の「組合つぶしの暴力事件」について
2014 年5 月6 日

というレポートに述べられているので、そちらを参照されたい。

インド・トヨタのロックアウトについては

を参照されたい。



大躍進運動 年表

1957年

7月 毛沢東、「8ないし10回の5力年計画を経てアメリカに追いつき,追い越す」目標を提示する。

10月 共産党の第8期3中全会、「農業発展綱要」を採択。毛沢東の主張を反映した12年計画で、農業生産力を飛躍的に発展させることを目指す。

10月 大躍進運動が始まる。河南省からはじまった大規模な水利建設運動が全国に拡大。

11月 毛沢東が訪ソし、フルシチョフと会談。フルシチョフは15年で米国を追い越す構想を述べる。これを受けた毛沢東は15年で英国を追い越す構想を打ち出す。

1958年

1月 共産党政治局の「南寧会議」、地方工業生産額が10年内に農業総生産額を上回るようもとめる。

2月 四害駆除作戦が開始される。四害とは伝染病を媒介する蝿、蚊、ネズミと、農作物を食い荒らす雀のこと。北京だけでも300万人が動員され、3日間で40万羽のスズメを駆除した。スズメの駆除は、かえって害虫の大量発生を招いた。

3月 共産党政治局の「成都会議」が開催。第二次五ヵ年計画が発表される。鉄鋼生産量を年間2億7千万トン(前年比26倍)、穀物生産5億トン(前年比2倍)とするもの。このため農業合作社の大型化を提起。

5月 共産党の8全大会。鉄鋼生産目標値が大躍進政策のシンボルに据えられる。

6月 陳伯達、「合作社を、農業合作もあれば工業合作もある基層組織単位,農業と工業とを結合した人民公社とする」ことを提起。なお公社とはコミューンの中国語訳である。

レジェンドとしては、毛沢東が農村を視察した際に大農業集団組織に注目し、「人民公社は素晴らしい」と語ったのがきっかけとされる。

7月 フルシチョフが中国を訪問。人民公社化の行き過ぎを警告。フルシチョフが提案した防衛構想を中国は内政干渉としてはねつける。

8月 党中央政治局拡大会議、「人民公社決議」を採択。農産物の水増し報告を元に、重工業への力の集中を決定。

8月 中国、金門島への砲撃を開始。

9月 決議採択から1ヶ月で、全国のすべての農村に人民公社が設立される。私有資産の集団化や自留地の撤廃,公共食堂に象徴される現物供給制の実施,無償労働などが導入される。

10月 鉄鋼の大増産を目指す運動が開始される。原始的な溶鉱炉(土法炉)を用いた製鉄が全国で展開されるが、技術的未熟さから失敗に終わる。

11月 第8期6中全会(武昌会議)、「人民公社のいくつかの問題にかんする決議」を採択.社員の家屋や衣服,家具など生活用品の個人所有を確認。家畜や家禽の所有,小副業の可能性を認める。

1959年

4月 第8期7中全会(上海会議)、毛沢東の発案になる「人民公社にかんする18の問題」が承認される。自留地を復活させ,家畜の個人飼養を促進するなどの指示。

6月 ソ連が「国防新技術協定」の破棄を通告。国防新技術とは核兵器のこと。

7月 江西省の廬山で政治局拡大会議が開かれる。彭徳懐は「プチブル的熱狂主義」と呼んで、大躍進政策の問題点を指摘する。

彭徳懐の批判: 
(1) 大躍進の成果を強調しすぎて、共産党幹部が大衆から遊離している
(2) 経済発展の法則を無視するべきではない
(3) 左派の誤りを是正しにくくなっている
(4) 人民公社の建設は性急過ぎた
(5) 毛沢東の個人決定が多く、集団指導体制がない

7月23日 毛沢東が廬山会議で彭徳懐を批判する演説。「大躍進およぴ人民公社政策には誤りもあったが(1本の指),全体としては正しく(9本の指),否定的な側面ぱかりを見て肯定的な側面を見ないのは間違い」と主張。

8月 共産党八中全回が開かれる。毛沢東は「野心家、陰謀家、右翼日和見主義」として彭徳懐を失脚に追い込む。その後、一連の調整措置は全面否定され、さらに急進的な路線が展開される。

8月 ダライ・ラマの亡命を巡り、中印国境での武力衝突が発生。ソ連は中立の立場をとる。

9月 フルシチョフが中国訪問。交渉は決裂し、毛沢東は彭徳懐の背後にはソ連日和見主義があると非難。

9月 飢饉が本格化。

1960年

1月 政治局拡大会議(上海)、再ぴ高い粗鋼生産目標が定められる。

6月 上海会議。毛沢東は「大躍進」運動の誤りを総括し,「実事求是」の原則 を忘れていたと指摘。

7月 ソ連は中国に派遣していた1390人の技術者の引き上げと機械部品および原油供与の中止を発表。

7月 都市においても人民公社が作られ、都市人口総数の77%が参加。

11月 党中央が、「農村人民公社の当面の政策問題にかんする緊急指示の手紙」を発表。12項目の改善策を提起。

大躍進運動が失敗。毛沢東は責任を取り国家主席を辞任する。これに代わり劉少奇、鄧小平が経済再建にあたる。

1962年

1月 中国共産党拡大工作会議(7千人大会)、毛沢東は大躍進の失敗に対する自己批判。同時に安徽省における「責任田」方式も「中央を封鎖し,民主を圧制する」作風だと批判。

6月 郵小平が「黒猫白猫論」を展開し,農民生活が困難な地域では各種の方法をとることができると主張。

9月 第8期3中全会(少なくとも9中全会のはずだが?)が開催される。社会主義=過渡期」論が確立し,社会主義の全ての期間において階級闘争が継続するという,継続革命論が公式に採択される。

バニスターの推計した死亡率にもとづけぱ,犠牲者の数は1959-61年の3年間で2,608万人とされる。

 

以下、大躍進運動とその悲劇(甲南大学 青木浩治 藤川清史)より引用

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食糧生産量と米生産量は1958年から大きく落ち込む。回復には20年を要している。食糧250キロが飢餓線、300キロ以下が栄養不足とされる。

大躍進期から1965年くらいまでは、中国国民は飢餓水準にあった。都市部の工業地域で餓死者を出すわけにはいかないので、農村部ではさらに食糧事情が逼迫していた。

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片対数グラフであることに注意。力を入れたはずの鉱工業さえも深刻な落ち込みを経験し、回復には10年以上を要している。

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アメリカにおける大恐慌後のGNPの推移、日本における太平洋戦争によるGNPの推移、中国における実質物的総生産(かつての社会主義国のGNPに相当します)の推移を示す。

「大躍進」の失敗は、日本の敗戦の影響と大差ないほどの経済的インパクトを与えた。


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上図は、別の文献からの引用

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左が安徽省、中が四川省、右が上海の出生率・死亡率推移。

農村部に被害が集中し、上海はほとんど被害を受けていない。出生率の低下は構造的な傾向と思われる。

 安徽省ではそれまでの死亡率が約10%なのに対し、60年には70%近くに達している。単純に計算すると死者7人のうち6人は餓死ないし栄養失調死ということになる。

四川省の場合は、この状況が58年から61年まで4年間にわたって続いたことになる。つまり同じ農村地帯でも奥地に行けば行くほど、状況は深刻だったと考えられる。

チベット問題は情報のバイアスがあるので、そのままには受け取れないが、四川省以上に深刻であったろうことは容易に予想される。


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この図は中兼和津次さんの論文からの引用

1.人民公社制度のもつ平均主義的分配や労働力,資材の無償調達などの否定的影響。

2.無理な工業化による労働力の移動,農業への低い投資配分,過剰な食糧調達

3.それらが生産意欲の停滞をもたらし,生産は一層低落する,というメカニズム

と説明されている。

ただ、政策というのは誤りはつきものなので、問題はそれを是正するフィードバック機構が働くかどうかである。

当時は毛沢東の独裁体制であり、その上で毛沢東が過ちを犯したのだから、フィードバックは効きようがないし、救い道がない。

廬山会議での毛沢東の発狂が全てである。


朝日新聞の中国総局が編集した中国共産党の実録物「紅の党」が文庫本で手に入る。
遅読の私としては珍しく一気に読んだ。「なるほど、そういうことだったのか」という知識が満載である。とくに12大会直前の習近平の雲隠れについては、胡錦濤派と江沢民派の争いに巻き込まれないための自衛処置だったと言われると、つい説得されてしまう。
ただ読み終えた後の感想としては、意外に印象に残らない。
結局「政治部」の感覚で、政局とその裏側を追っているにすぎないのではないか、という思いがしてならない。

もっと「路線」の問題として考えるべきだろうと思う。
私は江沢民と胡錦濤の闘いではないと思う。たしかに人事をめぐってはそういう印象はある。しかし基本的には胡錦濤の脱政治路線・プラグマティズム路線が否定されたのが12回大会ではないかと思う。
とくに、テクノクラート重視と裏腹の関係で軍の「近代化」が推し進められ、胡錦濤がその力を背景に党支配を強化しようとしたことに警戒感が高まったのではないかと思う。
単純化すると、
1.国家が社会主義国家でなくなってしまう。
2.共産党が人民の党でなくなってしまう。
3.テクノクラートと軍の支配する国になってしまう。
ことへの危機感が、胡錦濤を引きずり下ろしたのではないだろうか。
もちろん汚職の問題は深刻だ。これは徹底してやらなければならない。しかしそれ以上に深刻なのは「路線」のブレではないだろうか。

もちろん毛沢東路線との決別は、いずれの派にとっても自明の問題だ。いまさら毛沢東路線の復活などを考えるものはいない。問題は毛沢東路線と決別しどこに向かうかだ。
文革終結後の疲弊した状況にあって、鄧小平のプラグマチズムは有効だった。あれがあったからこそ天安門事件も乗り切れたのだろう。しかしそれは本来は、非常時における緊急避難的なものであった。それは党の高い倫理性と闘う姿勢を犠牲にしたものであった。それが平時にもそのまま持ち越されるなら、党の指導力は、その根元を掘り崩される危険性がある。
羅針盤なき改革・解放はもはや弊害をもたらすのみだ。それはおそらく共産党を指導的地位から脱落させることになるだろう。

ついに内閣府も、消費税増税の影響が予想以上であることを認めた。
どういうことかというと、本年度のGDP成長率を下方修正したという話だ。
これは22日に発表された内閣府の修正見通し。

元々の予想成長率は1.4%、これは1月に閣議決定されたものだ。このとき、消費税引き上げに伴う影響は織り込み済みで、それをふくめて今年度のGDP成長率を1.4%と見通していた。(これは実質成長率で、名目は3.3%)

これが22日の発表では1.2%に下方修正された。つまり0.2%の読み間違いということになる。
内閣府が予想を外した最大の理由は、消費税の反動減が想定以上に大きいことだ。逆に言えば、甘く見ていたということだ。
ほかに輸出の不振もあげられている。不振の理由は明らかで、輸出企業がシェア拡大に動かなかったからだ。同一企業の現地法人とシェア争いをしても仕方ないわけで、これも明らかな政策の失敗だ。

消費税増税のマイナス効果は終わったわけではない。始まったばかりだ。これがどこまで進むのか、非常に恐ろしい思いがする。
景気の底が抜けて、歳入の減少がさらに進むようであれば、日本の財政は深刻な事態に陥ることになる。

「戦争は政治の延長だ」というのは、有名なクラウゼヴィッツのドグマだ。それは戦争を政治のツールと見る考え方だ。
それは世界の歴史を見ていくと、あまりにも明白な経験的事実と思える。政治対立が戦争をもたらし、自らの主張をゴリ押しする手段として武力が用いられている。
そしていまもそれはシリアで、ガザで、ウクライナで実証されているようにみえる。
一方で我々も、「人民の抵抗権」という形で、クラウゼヴィッツの言葉を部分的には受け入れてきた。60年代から70年代にはアメリカ帝国主義と対決するベトナム人民の闘いを支持し、80年代にはニカラグア人民の闘いを支持し連帯してきた。これは決して間違いではない。正義の戦争というのはあってしかるべきだ。
支配者の理不尽な抑圧に対して人民が武器をとり闘うとき、とりわけ一民族が他民族の植民地支配に対し自由と独立を求めて闘うとき、我々はそれを支持してきた。

いま我々は、それと同時に次のような疑問を持っている。「それは未来永劫に真理であり続けるのだろうか」と。「人類の歴史が続く限り戦争は避けられないのであろうか」と。

私なりの結論としては、かつてそれは真実であったし、現在もかなりの点で事実である。しかし、それは事実でなくなりつつある。なぜなら日本が非戦国家の「現実」を作り上げてきたからである。

日本国憲法は、「人類は戦争の歴史を終わらせることができる」という確信に基づいて作られている。それは最初は「決意」に過ぎなかった。しかしその後の70年の過程は、それが可能であるだけでもなく、現実的なものであることを明らかにした。
我々が過去の二度にわたる世界戦争の経験を忘れることがなければ、戦争は「国際紛争を解決する手段」としての地位を失うことになるだろう。
戦争は「政治の延長」であることを止め、「愚劣な暴力の象徴的形態」となっていくはずだ。それはあたかも日本人が銃所持にしがみつくアメリカ人を見るように、あるいは二本差しの侍に接した明治の外国人のように、あるいは核兵器にしがみつく核大国のように、時代遅れの「奇異な習慣」となっていくであろう。

ちょっと待って、志位さん

日本共産党創立92周年記念講演での発言。

自民党の歴代元幹事長、改憲派といわれてきた憲法学者が、つぎつぎと「しんぶん赤旗」に登場し、反対の論陣を張っています。

「日経ビジネス」電子版コラム (5月16日)は、「行く手に翻るのは赤い旗のみか?」(笑い)と題して次のように書きました。

「安倍政権が発足して以来、日本共産党の機関紙である『赤 旗』のインタビュー欄に、保守系の論客や、自民党の元重鎮が登場するケースが目立つようになっている。

保守系の論客と見なされている人々が、次々と赤旗のインタビューに応じている背景には、 安倍政権に対して、真正面から反論する場を提供してくれる媒体が、もはや赤旗ぐらいしか残っていないことを示唆している」(拍手)。

かつての論争の相手 が、いまでは共同の相手に変わっています。そして、「しんぶん赤旗」が日本の理性と良心のよりどころになっているのは、ほんとうにうれしいことでありま す。(拍手) 


私には、この現象が嬉しいことには思えない。

この日経コラムは、保守派もふくめ、非戦と立憲主義を志向する勢力が社会から孤立し影響力を失いつつあることへの警鐘だ。

「これまで、各紙が様々な角度から切り込んできた集団的自衛権に関する記事は、新聞読者に注意を促して、国防や解釈改憲についての議論を喚起するこ とよりも、これからやってくる事態に驚かないように、あらかじめ因果を含めておく狙いで書かれたものであったように見えるということだ。」

その証拠に,自民党元重鎮や保守系論客が,大手メディアではなく「赤旗」で,次々と議論を始めた。その「背景には、安倍政権に対して、真正面から反論する場を提供してくれる媒体が、もはや赤旗ぐらいしか残っていないことを示唆している」。

「いずれにせよ、新聞各紙は、発足以来、安定して高い支持率を誇る安倍政権に対して、正面からコトを構える闘志を失っているように見える。」(谷川昌幸さんの要約紹介

しかもこのコラムにさえ、共感を寄せるコメントはほとんどない。立憲主義についてはいまだ幅はあるが、自衛隊の戦争参加については議論の余地は狭まってきているのだろうと思う。

このうえ共産党に一撃が加えられれば、たちまち日本は戦争する社会へと雪崩を打つことになりそうだ。

いろいろ経過はあるにせよ、今や日本は勝ち組であり、勝者には「勝者の戦争観」がふさわしいのかもしれない。たぶん、多くの中年層はそう思っているのだろう。彼らの議論に通底するアロガントな姿勢には辟易する。

その責任はたぶん我々世代にあるのだろう。

このところ多忙で、赤旗も貯まり加減だ。
記事への食いつきも悪くなっている。
これも軽めの記事で、ミレーの種まく人についてだ。
井出洋一郎さんが書いた「種をまく人 ミレー生誕200年」という記事。
この絵は5点あるそうだ。
1.1846年の小品 これは海が背景に描かれているらしい。府中市美術館にあるそうだ。
2.1847年の作品 これは畝を耕す牛も描き込まれているらしい。ウェールズ国立美術館蔵。
3.1850年の作品 これがもっとも有名なものだそうだ。ボストン美術館蔵。
4.1850年の作品 ボストンのものと瓜二つだそうだ。なぜ二つ作ったのかはわからない。山梨県立美術館蔵。
5.1850年代の作品 未完のままだが、もっともサイズが大きいものだ。カーネギー美術館蔵。
ということで、5つのうち二つも日本にあるということは、日本人がよほどこの絵を好きな証拠だろう。

この絵についての井出さんのコメントを紹介しておく。
ミレーの「農民画」で最初に画壇で問題視されたのが、「種をまく人」であった。パリの官展であるサロン展に1850年に出品されたこの絵は、、2年前に王党派を一掃し、農民と市民階級が勝利した二月革命の余波という背景を持っている。
しかし時はすでにルイ・ボナパルトのクーデターと帝政が準備され、民主共和制が崩壊する寸前であり、左右両陣営の対立が極まった時代であった。
若い農夫の孤独な農作業を描いた「種をまく人」は右からの厳しい批判と、左からの熱心な賞賛の嵐に見舞われる。


5,6年前に釧路の美術館でもミレー展(バルビゾン展だったかな?)をやったから、私は実物を見ているかもしれない。釧路の美術館はとても水準の高い展覧会をやってくれる。何よりも空いているのがありがたい。それだけでも釧路に住む意味があるくらいだ。

下記は岩波書店のホームページから
「種まく人」のマークについて

創業者岩波茂雄はミレーの種まきの絵をかりて岩波書店のマークとしました.茂雄は長野県諏訪の篤農家の出身で,「労働は神聖である」との考えを強く持ち, 晴耕雨読の田園生活を好み,詩人ワーズワースの「低く暮し,高く思う」を社の精神としたいとの理念から選びました.マークは高村光太郎(詩人・彫刻家)に よるメダル(左写真)をもとにしたエッチング.

ということで、ミレーの絵とは直接関係はないようだ。そういえばゴッホにも同じ絵柄の作品がある。どちらもミレーの絵にインスピレーションを受けている。
岩波書店の説明では、ワズワースと高村光太郎が挙げられているが、どういうわけか小牧近江と雑誌「種まく人」への言及はない。これは意識的に無視しているのか、なにか裏事情があるのか。

ミレーの作品は5枚あると書いたが、実はもうひとつある。それが1851年のエッチングだ。

ジャン=フランソワ・ミレーの「種まく人」 | ムッシューPの美の探究 より


ゴッホが題材としてのはこのエッチングだったようだ。また高村光太郎もこのエッチングからメタルを作成したらしい。ただし別のページでは「ミレーの原画に基づいてPaul-Edmé LeRat が制作したエッチングである」ときさいされている。

アルフレド・サンシエが1881年に著した『ミレーの生涯と作品』には、以下のように記されている。この記載をゴッホは熟読したそうだ。

白い種袋を托され、種まきを引き受けた時には、種を一杯に入れた袋のはしを左腕に巻きつけ、新しい年の期待を胸にふくらませ、いわば一種の聖職にたずさわるのである。
彼はもはや一言も発せず、しつかりと前を見て畝と畝の距離を測りながら、儀典歌のリズムに合わせるように規則的な動作で種をまく。大地に落ち た種は、すぐに耙で土をかけられ、おおわれる。
種をまく男の身ぶりと、抑揚のついたその歩みは、本当に堂々たるものがある。その動作は、真実、大きな意味を持っており、種をまく人はその責任の重さを実感している。


のページより引用。(ちなみに邦訳者は井出さん)

アメリカで、最低賃金の引き上げが雇用を増やしたという、注目すべき統計が出た。
アメリカでは政府の定める最低賃金の額は変わっていない。オバマは変えようとしているが議会の共和党が反対しているからだ。
しかし、州・市レベルでは独自の最低賃金を定めており、これが相次いで引き上げられつつある。州レベルで政府最賃を上回る額に設定した州が13ある。奇しくも独立時の州の数と同じで、フロリダを除いて南部の州は一つもない.

この13州と他の37州の雇用伸び率を比較してみたところ、なんと最賃引き上げ州の方が高いということがわかった。
平均値で引き上げ州0.99%に対し据え置き州は0.68%にとどまっている。つまり最賃引き上げは1.5倍の雇用効果を生み出したということだ。

ただし中身を見ると相当ばらつきがあって、上げ幅も違うし、絶対額も異なる。たくさんあげた州が雇用増が大きかったというわけでもない。なにせまだ半年だから、定量的な判断には時期尚早だ。
にも関わらず、少なくとも雇用減少をもたらすことはないという事実は明らかだ。

この記事でもう一つの注目は、全米企業評議会による経営者の意識調査だ。これによると企業経営者の多くが最賃の引き上げを支持している。とくに従業員数99人以下の零細企業主の61%が賃上げを支持している。

単純に考えると、賃金の引き上げは雇用を減らすはずだ。これは人件費の総枠が一定なら当然の結果だ。
それが逆に雇用を増やすというのは、どういうことなのだろうか。
それは低賃金労働者のほとんどが賃上げ分を直接消費に向けるからだ。だからそこにかけたお金は「回るお金」になるのである。
しかもそのお金で車を買うわけではなく、食品を購入し、家財道具を購入し、もろもろの雑貨を買うのであるから、そのカネは直接零細業者を潤すカネになる。

こういうお金の循環は大企業や輸出産業にとってはありがたくないかもしれない。それはコストアップとなり、国際競争力の低下となって跳ね返ってくるかもしれないからだ。

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