三谷先生の「敗者の戦争観」というのはかなりずっしり来る言葉だ。
敗戦直後、「戦争の性質は根本的に変更された。いまや戦争は一般に違法なものとされ、しかも犯罪とされるに至った」という主張が一般的だった。戦争を放棄した9条は素直に受け入れられた。
『敗者の戦争観』はこういうものだった。
それがいま、『勝者の戦争観』に近づいてきた。与野党を問わず、戦争観が大きく変わった。それは武力の行使を政策手段としてみるということだ。
ずっしり来るというのは、今まであまり考えたことのない切り口を提示されて、「そういえばそうだよなぁ。ウム、たしかにそう言えるなぁ」ということだ。
心の奥底には、ちょっと引っかかるものがある。それを「勝者の戦争観」と対比して世の中の移り変わりを説明されてしまうと、「まぁそうも言えるなぁ」ということになる。
大負けに負けて、日本中焼け野原になって、いっそスッキリした気分のところに、「もう戦争はしません。軍隊も持ちません。貧しくともカタギに生きていきます」という憲法が提示された時、それがどれだけ晴れ晴れと響いたことか!
日清戦争以来半世紀にわたって、一方では勝った勝ったと言いながら、絶えず戦争ばかりで、お国のためとは言いながら、向こう三軒両隣で若者の誰かは戦地に行ったまま帰って来なかった。最後は雨あられと焼夷弾を落とされて、一切合財丸焼けだ。これではかなわない。
それが、もう戦わなくてもいい、殺しあわなくてもいいということになったのだから、これ以上の喜びはない。
三谷先生はこういう気分のことを言っているのだろう。
もし安部首相が67年タイムスリップして、新憲法制定の場で熱弁を振るえばたちまち袋叩きにあっていただろう。
ただ「敗者の戦争観」はもうひとつの側面を持っているだろうと思う。それは敗戦国の民衆は敗戦の理由をすべて知りうるということである。そして軍部と支配層の悪行をすべて知りうるということである。
その基本となるのが東京裁判だ。東京裁判と憲法は直結している。だから彼らは懸命に東京裁判を否定しようと図るのだ。
「敗者の戦争観」は、敗戦によって炙りだされた、それらすべてのことを知ることによっても形成されるのである。敗戦前は何も知らされなかった、敗戦後にはすべてを知った。この落差が「敗者の戦争観」の中核だ。
焼け野原の上のぽっかり青空に戦後民主主義の出発点を置くのも、気分としては非常に分かるのであるが、それからは「平和への祈り」しか湧いてこない。闘いのエネルギーにはならない。
敗戦により知り得た政府や軍部の愚行への怒りが、二度と戦争は繰り返すまい、繰り返さすまい、二度と騙されまいという決意につながっていたのではないか。
それこそ「徴兵は命かけても阻むべし 母・祖母・おみな 牢に満つるとも」という裂帛の気合だ。