鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2014年05月

D) 米国におけるリーマン・ショックへの対応

08年9月以前 財務省や連邦準備制度理事会(FRB)が仲介し、HSBCホールディングスなどと売却交渉。アメリカ政府が公的資金の注入を拒否したこと、あまりに巨額で不透明な損失が見込まれるため交渉不成立に終わる。

9.29 米下院が緊急経済安定化法案を否決(4日後に可決)。法案否決を受けてダウ平均株価が史上最大の777ドル安となる。

10.03 緊急経済安定化法が成立。不良資産救済計画(買い取り)に7,000億ドルの資金を拠出。シティグループとJPモルガン・チェースへ250億ドル、モルガン・スタンレーが100億ドルなど。

10.03 カリフォルニア州財政危機表面化。シュワルツェネッガー知事が連邦政府に資金援助を要請。

10.06 FRB、9千億ドルの資金供給を決定。11月には8千億ドルの追加対策。AIGにはさらに総計1228億ドルの追加融資。

10.06 ダウ、さらに続落し1万ドル割れとなる。10日には8,500ドルを割り込む。その後は乱高下を繰り返す。

10.07 G7とG20財相・中銀会合(ワシントン)が開催される。合意に基づき日米欧5中銀はドル資金を無制限供給すると発表。

10.15 米政府、財政赤字が過去最大の4550億ドルに達したと発表。

11.04 大統領選挙で民主党のバラク・オバマが当選。

11.18 GM、フォード・モーター、クライスラーの各首脳が公的支援を求める。自家用ジェット機で来たことに対して議員から非難が集中。救済法案は事実上廃案となる。

11.25 FRB は、消費者金融と住宅ローン市場に向けて、8000 億ドル(約77 兆円)の金融支援策。

11月 米政府の財政出動は総額7兆ドルに達する。金融資産の買い入れで麻痺した市場の流動性を回復させようとする。

12月 証券取引委員会が信用格付け機関への監督強化策をうちだす。利益相反を含む「格付け過程の明らかな弱点」を指摘。

2009年

2.17 米国、史上最大規模の8千億ドルの景気対策。2 年間で350 万人の雇用創出を目指す。同時に4千億ドルの住宅ローン借り手救済策も出す。

3月 連邦公開市場委員会 (FOMC) は政府支援機関 (GSE) が所有する不動産担保証券1兆2,500億ドルを買い取り。

4.30 クライスラーが破産を申請。6月にはGMも破産申請。再建手続きに入る。

5.07 米財務省とFRB、バンク・オブ・アメリカやシティグループなど10社で総額746億ドルの資本不足と公表。

 

 

EU諸国の金融危機→債務危機


ネットにはかなり詳細なタイムテーブルがある。しかし記載事項の殆どは、政府がどう対応したかということである。

我々が最も知りたいのは、「何が起こったのか」である。同時に「なぜそれが起こったのか」ということだ。つまり、何でもリーマンのせいにするのではなくて、EU内部に元々存在したはずの脆弱性(€・バブル)を明らかにすることである。

第二に我々が知りたいのは、このEU金融危機が債務危機にどう結びついていったのかという具体的な動きである。いわば「政府が何を対処しなかったのか」ということになる。

そして第三に、金融危機に対する域内大国の身勝手な対処が、弱小国にしわ寄せされていく過程を明らかにすることである。いわば「政府がどんな“成すべきでなかった”対処をしたか」である。

これらについて明快に分析した文献はあまり見当たらない。ほとんどの文献は、2009年10月のギリシャの政権交代と、財政の不正処理の発覚からである。これでは原因の究明はできず、抜本的な対策には結びつかない。

ソブリン危機は金融危機のツケを国家が背負わされたということ、それが弱小国にしわ寄せされたという結果生じた二次的現象にすぎない。

金融界の利己主義と身勝手が暴走し自爆したことが事態の本質であるとすれば、それがいまどうなっているのか、彼らは反省しているのかいないのか、を知ることが一番肝心のところであろう。


以下の記事は、北海道AALAの「2000年版 これが世界だ」の文章の一部です。ジャンク債を使った利殖法の一つです。

投機資本の一つの典型:LTCM


 グローバリゼーションの中身を以上のように整理した上で,国際金融をめぐる問題についてもう少し分析したいと思います.投機資本がどういうものかを知る上で,LTCM破産事件は参考になります.

 LTCMは1994年創設されました.ロングターム・キャピタル・マネジメントというのが正式の名称です.この会社の商売はジャンク債と連邦債の利率変動を利用して,わずかな値動きを膨大な量で掻き集め,利益に結び付けようとする方法です.

 細かいやり方は省きますが(興味のある方は脚注を参照してください),これまでのヘッジファンドと違う特徴が二つあります.ひとつは,乗っ取りを図ったり仕手戦を挑んだりというまねはしないこと,もうひとつは「絶対に勝つ計算式」を持っていという点です.この「勝利の方程式」を生み出した人物はノーベル賞を獲得したそうです.

  この会社は株などを公開せず,ほんの一握りの大金持ちから預かった金を運用しました.そうすれば,大衆資金を扱う証券銀行とは違って,政府機関の監督を免れることができます.

 この密やかな金融機関は,創業以来2年続きで年利50%近い驚異的な運用配当を生み出しました.俄然この機関に注目が集まりました.多くの金融機関が資金の預託を行いました.資本金50億ドルのLTCMに,その20倍の資金が流れ込んだといわれます.

  しかしその栄華は長くは続きませんでした.投機が投機を呼んだ結果,98年には世界多発金融危機が発生しました.考えてみれば当たり前の話で,債券が売買 されるたびにお金が吸い取られ,一つ一つの額は小さくても年間5兆円も吸い取られてしまうのですから,経済が貧血症状を起こしてもおかしくありません.

 これに伴いアメリカの市場では,二つの事態が進行しました.一つは国際金融危機に伴い,世界中のお金がアメリカに集まり始めたことです.もう一つは,ジャンク債が値下がりを続けたことです.安全をもとめてアメリカに還流してきたドルは,ジャンク債や住宅ローン債など、比較的リスクの高い債券には見向きもしませんでした.

 LTCMが自明の前提としていた,国債とジャンク債の市場における均衡関係など,どこかに吹っ飛んでしまいました.その結果,LTCMは1千億ドルという巨額の負債を抱え破綻しました.

  はっきりしているのは,投機資本はその「最良の形態」においても,世界経済の寄生虫でしかないということです.もっとたちの悪いソロスのような寄生虫は, 宿主を食いちぎって殺してしまっても利益を求めます.LTCMのような運用会社は,見たところは大人しいものですが,静かに血を吸いつづけ,やがては宿主 を死に至らしめるという点では,何ら変わりありません.

 アメリカで盛んに開発されている金融商品は,いずれを見ても,このようなヘッジファンドと似たり寄ったりです.このような投機資本に大手を振って歩かせるような「金融自由化」は許すわけには行きません.

マスコミ各社が血眼になって調べていたのが、栩内容疑者の素性だ。高級住宅地である南青山にある、家賃が13万円とも20万円ともいわれるマンションに住み…
栩内容疑者は、人材派遣大手パソナグループのグループ会社に勤務後、…パソナグループが政財界の要人や芸能人を接 待するために東京・元麻布に設けた「仁風林」で行われていたパーティーでは、同社の女性社員が要人たちを接待していた。
…この仁風林には、安倍晋三首相をはじめ、森喜朗元首相や民主党の前原誠 司元国土交通大臣も訪れたことがあるという。

こういううわさ話、嫌いではない。「仁風林」と聞くと、根がいやしい私としては「酒池肉林」などと想像をたくましくしてしまう。

欧州議会選挙では極右が伸びたことが大きく取り上げられているが、もう少し注意深い分析が必要だ。

極右は全体としてはバラバラで、一定の潮流ではない。基本はあくまで移民反対と自国エゴ優先だ。一つのムードにすぎないから、その先に何があるというものではない。

欧州議会の主流はあくまでも伝統的な保守勢力だ。これらの勢力が激減したことが、今回の選挙の最大の特徴だ。

保守派は欧州人民党と欧州自由民主同盟、欧州保守改革グループなどから形成されている。これらの勢力を合わせ407議席持っていたのが今回は77議席を失って330議席となった。議席定数は751(前回より15議席減)だから、これまで保守が過半数を握っていたのが、その座を失ったことになる。

その代わりに増えたのが無所属・新加盟で72議席を増やした。ここに極右がふくまれている。

社会民主主義勢力は191議席と微減したが、議席定数の減を考えればほぼ現状維持で、最大会派の欧州人民党と肩を並べることになった。

統一左翼は7議席増やして42となったが、まだまだ影響力は低い。ただギリシャ、イタリア、スペインでは躍進しており、PIIGS諸国の不満をすくい取ったといえる。


個人的な感想だが、欧州議会にそれ程の力があるとは思っていないし、それぞれの会派がそれほどの集中力を保持しているかも疑問である。

いわば各種のイデオロギーに対する人気投票と見ておいたほうが良いのかもしれない。ただ保守に対する不満がズルッと極右に流れてしまう風潮には、我が国の動向とも合わせ危険なものを感じる。

極右の最大の特徴は不寛容、とくに弱者に対する不寛容にある。弱者に対する「擬似的強者」となることによって、つかの間のカタルシスをえようというのが極右の心情的本質だ。この不寛容を招いた最大の犯人は新自由主義だ。
EUは、依然「希望の虹」というフィクションにとどまっている。そしていま、それを根底から破壊しようとしているのが新自由主義=大企業・富裕層エゴイズムだ。
だから、当面する極右との闘いの先に、我々は新自由主義を見据えておかなければならないのである。



劇的変化だろうと思う。
震災直後は、まだまだ「それでも原発必要」という人がかなり多かった。
それが今では、公に原発維持を呼号する人はほとんどいなくなった。
なによりも、3年間原発なしで過ごしてきたという事実が大きい。
この事実が、原発推進論者のウソと下心を容赦なく暴き出している。
genpatuyoron
今や推進論者は、貿易赤字を口実にするしかない。
しかし、それは「いのちよりもカネのほうが大事か」、「子孫の未来よりもいまのカネか」という鋭い批判にさらされている。
第一、円安にすれば輸出が拡大して景気が良くなると言っていたのは誰だ。
円安で苦しむのは庶民、消費者、中小・零細業者だ。貿易赤字と原発をリンクさせれば、火の粉はお前たちに振りかかるだろう。

  B) EU諸国の金融危機→債務危機

2007年

8.09 フランスBNPパリバ傘下のファンドが、サブプライムローンの焦げ付きで破綻。欧州でもサブプライムローン問題が注目され始める。

2008年

08年9月

9.15 リーマンブラザースが倒産。ダウは504 ドル安をつける。

9.16 FRB、保険大手AIGに850 億ドルの融資を決める。3週後には400億ドルの追加支援。

AIG救済の理由: 1.潰すには大きすぎる。取引金融機関が膨大で、破綻すれば世界的な金融恐慌に繋がる。2.とくにAIGの保証するCDSが価値を失えば、CDS市場そのものが崩壊する。

9.18 英国ロイズTSBが、HBOSを救済合併。その後、ドイツ不動産金融大手のHRE、ベルギーの金融大手フォルティス、デクシアが相次いで破綻。

9.18 民間ドル資金が市場から姿を消す。日米欧の6中央銀行が通貨スワップ協定による大量のドル供給を開始。白川日本銀行総裁、「ドルの短期流動性は枯渇した」と発言。

9.25 米貯蓄金融機関監督局(OTS)、ワシントン・ミューチュアルに業務停止を命じる。WMは米貯蓄貸付組合最大手で、総資産は3千億ドル。米史上最大の銀行破綻となる。

9月 米連銀、欧州中央銀行などが金融機関に支援開始。年末までに2兆5千億ドルが供給される。さらに主要な銀行の新規発行優先株式 1兆5千億ドルを買い取り。

9.29 米下院が緊急経済安定化法案を否決(4日後に可決)。ダウ平均株価は史上最大の777ドルの暴落を記録。金融危機はヨーロッパを中心に各国に連鎖的に拡大。

08年10月

10.03 ドイツ、HREに500億ユーロの公的資金投入。ベネルクス3国、フォルティスに対し公的資金300億ユーロを投入。

10.04 フランス政府が3000億ユーロの銀行救済基金創設を提唱。ドイツはこれを一蹴。

10.07  「€バブル」破綻。ロシアで株価ストップ安、アイスランドで通貨暴落。ハンガリーの金融危機。IMFが200億ユーロの支援を実施。

10.07 オペル、BMW、ダイムラーが生産の一時停止を発表。GM、フォードの格付けはジャンク級まで低下。

10.12 ユーロ圏首脳会議、緊急の金融救済策に合意。英国も加わり、包括的対応策を次々と実施。

10.17 ロイター集計による、世界中の公的資金注入状況。米国25兆円、英国9兆円、ドイツ11兆円、フランス6兆円、欧米で総額60兆円。

10.16 UBS経営危機に対し、スイス政府が60億スイスフラン(5220億円)投入。

08年11月

11.15 G20 金融サミット、①金融システムの安定に必要なあらゆる追加的措置をとると宣言。金融支援、財政確立、金融の透明化、格付会社への監督強化などを盛り込む。

12月 アイルランドの三大銀行が経営危機に陥る。政府は総額55億ユーロの公的資金を注入。さらに1千億ユーロに上る不良資産買取を実施。

年末時点で、世界中の金融機関が計上した評価損失額は約 7,500億ドル。国際通貨基金は、評価損は最終的に 1兆5千億ドルに達すると予測。

2009年

3.14 G20財相・中銀総裁会議。ゼロ金利、量的緩和など非伝統的手法を含むあらゆる金融政策をとると声明。

4月 IMF、 金融機関の被害総額を上方修正。累計で 4兆ドルを超えると推計。

6月 欧州委員会、金融機関への資本注入が3千億ユーロ、政府保証などを含め総額3兆7億ユーロに達したと発表。

EU加盟国の救済資金は最終的に4.6兆ユーロに達した。この結果政府の公的債務が対GDP比80%以上に達する。また通貨取引以外にもデリバティブなど危険な金融市場が数多く存在していることが明らかになる。

9月 リーマン・ショック後の経済危機の中、ピッツバーグ・サミットが開催される。「銀行システムの修復のために各国政府が負担を負った。これに対し金融セクターがどう貢献するか」を検討することで合意。

11月 イギリスでG20会議が開かれる。「強固で持続可能かつ均衡 ある成長のための枠組み」を導入することで合意。ブラウン首相は、「好調時は少数の金融機関が利益を享受し、破綻時の損失は国民が負担するというのは許容 できない」と述べ、国際金融機関の破綻に備えるために金融取引課税を提唱。

C)欧州債務危機

2009年

10月 ギリシャでパパンドレウ政権が発足。この時、前政府による財政赤字の隠蔽が発覚。財政赤字額は対GDP比3.7%とされていたが、実際には13.6%にのぼっていた。ギリシャの赤字隠し発覚を機にユーロ通貨が売られ、EU全体に経済的な影響が及ぶ。

12月 ギリシャの財政危機が表面化。欧州委員会、ギリシャに対する制裁手続を強化、さらに財政赤字の4%削減を目標とし、財政引き締めの強化をもとめる。

PIGS: 「豚ども」ときわめて侮蔑的に表現されたのがPポルトガル、Iアイルランド、Gギリシャ、Sスペインの4カ国であり、のちにイタリアも加えてPIIGS とも呼ばれるようになった。実際にはユーロ圏内の「弱者」として矛盾をシワよせされたにすぎないのだが。

2010年

4月 スタンダード&プアーズ、ギリシャ国債をBBB+からCCCへ3段階の大幅引き下げ。ムーディーズは4段階の引き下げ。

5月 、EUとIMF、ギリシャに対して総額1,100 億ユーロの金融支援を決定。さらに「欧州安定化メカニズム」の創設など包括的な対策を打ち出す。これにもとづき欧州中銀がギリシャ国債の直接買い取りを開始する。

11月 アイルランドが金融支援を要請。EUとIMFが総額850億ユーロのアイルランド支援を決定。

11月 イタリア国債の利回りが7%台を付ける。

2011年

3月 ギリシャの2010年12月失業率は過去最悪の14.8%へ。GDPは前期比-6.6%まで悪化。追加の財政再建策撤回を求めてギリシャ労働総同盟・ギリシャ公務員連合がゼネスト。275万人が参加する。

5月 ポルトガル総選挙で中道右派の野党が勝利し、IMF の融資条件履行を確認。

6月 ギリシャでいっそうの緊縮を強いる財政法案が可決。法案反対のゼネストがおこなわれる。

7月 スペイン、イタリアの国債の利回りが上昇する。イタリア議会は総額480億ユーロの緊縮財政法案を可決。

8月 S&P、米国債を「AAA」から「AA+」に1段階引き下げ。

10月 フランスとベルギー合弁の金融機関デクシア、ギリシャ向けに多額の債権を持つことから株価が急落。フランスとベルギー両政府の管理下に入る。

10月 ユーロ圏首脳会議、民間保有分を含め、ギリシャの債務を50%削減することで合意。

11月 ベルルスコーニ首相、予算関連法案成立にともない辞任。これに代わり、元欧州委員会委員のモンティを首班とする超然内閣が成立。緊縮財政法案を暫定的に施行。

11月 スペインの総選挙。保守派の国民党が過半数を獲得。

12月 ハンガリー国債が投資不適格に。

3月 EU首脳会議。ユーロ圏各国の退職年齢や年金制度の統合等、幅広い分野の協調を目指す「ユーロ・プラス協定」が採択される。

4月 ポルトガルが金融支援を要請。

9月 IMF、「世界経済は大きなダウンサイドリスクを伴う危険な局面に入った」と指摘。

10.09 フランス・ベルギーの両政府、デクシア(Dexia)を解体・再編成することで合意。デクシアはヨーロッパを代表する金融大手で、ギリシアの国債を大量に保有。不良債権の総額は800億ユーロに達していた。

2012年

1月 S&P、トリプルAを保持してきたフランスの格下げ。フランスの金融機関はギリシャ国債約757億ユーロを保有しているとされ、波及が懸念された。

3月 ギリシャGDP、4年連続のマイナスとなる。しかも下げ幅は0.1から6.8%に拡大。にもかかわらず財政、経常収支は改善せず。

4月 スペインの財政が一段と悪化。主要銀行16行の経営危機が表面化する。

5月 JPモルガン銀行が過去1カ月半で計20億ドルの損失を計上したと発表。「ロンドンのクジラ」と呼ばれる投機ファンドが、ギリシャのクレジット・デフォルト・スワップで失敗したことが原因とされる。

5月 スペインの大手銀行バンキアが経営破たん。政府は190億ユーロを投じて救済。国債利回りは7%を超える。

7.06 ユーロの政策金利が0.75%に切り下げ。このあと1ユーロ100円を割り込む。

9月 ドイツ憲法裁判所、欧州安定メカニズム(ESM)の批准を認める。この後ユーロ安は止まる。

日本がEUだとしたら、北海道はさしづめギリシャみたいなものだ。
ユーロ圏というのは、たてまえとしては単一経済圏だから、どこに住んでいようと経済的には「ユーロ人」なはずだ。
それが苦しくなったら、お前は日本人じゃなくて北海道人だと言われても困る。
もう20年位前になるが、北海道を代表する都銀の拓殖銀行が潰れた。カブトデコムとか色々乱脈経営もあったようだが、それはどこも同じ。バブル全盛期にはどこの銀行も似たようなことをやって、バブルが弾けると同時にひどい目にあった。
それは拓殖銀行の責任であって俺の責任ではない。現に俺のメーンバンクは拓銀じゃなくて札幌銀行だった。
ところが、もし、北海道拓殖銀行の破産の責任は北海道庁の責任であり、北海道庁の責任は北海道民一人ひとりが負うべきだと言われたらどうします?
「そんな馬鹿な話ないでしょ」といいます。
ギリシャいじめはそれと同じことです。
たしかに拓銀破綻は北海道庁にも責任ないとはいえません。横路知事の時代にバブルに踊って、苫小牧東部開発などという馬鹿なことをやって、何代かけても払いきれないような借金を残したのは事実です。
だからといって北海道民が死んでお詫びしなければならないわけではありません。北海道民は北海道民である前に日本国民であり、日本国憲法のもとで日本中の人と平等なはずだからです。
福島原発の地元の町だって、「お前ら原発に賛成したんだから、自己責任で苦しめ」という話にはなりません。「お前ら自民党に投票したんだから、安部首相の言うとおりに戦争に行って、人殺しをして、殺されれば良い」とも言えません。
だから、ギリシャの話はどこかが狂っているのです。

本日の「戦争する国 許さない」の登場者は元外交官の小池さんという人。

いくつかの説得力あるポイントが提示されている。

まず、「日本人を乗せて避難する米輸送艦」などありえないということ。

米軍の行動原則は、まず自国民を救い、次に英国など「アングロサクソン」同盟国という順番です

日本人の救出など期待するほうが間違いということだ。「おじいちゃん、おばあさん、お孫さん」などお呼びでない。我が皇軍でさえ、満州の野に多くの日本人を置き去りにして逃げ帰った。まして米軍に期待することなど愚の骨頂だ。

ダメ押しに、

日米安保条約に「文民保護」は明記しておらず、日本人救出は条約上の義務ではありません。

これでは条約上のバランスがとれず、片務になってしまう。

もう一つ、

集団的自衛権は強度の違いはあるにしても通常戦争だ。しかし現在の戦闘はテロの形で発生する。対テロ対策上は、集団自衛権=参戦はテロのリスクに対して有害無益である。

英国が典型的な例ですが、イラクやアフガンで米軍に協力したことで、地下鉄やバスの爆弾テロが発生しました

最後の言葉も印象的です。

日本は戦後70年地殻、自分たちの軍事力で外国人を殺していません。そのことで尊敬を勝ち得ているのです。

決して日本人は卑怯だとは思われていませんよ、安倍さん。むしろ勇気ある選択をし、それを守ってきたことで尊敬されているのです。

この点は、これから韓国や中国とタフな交渉を行っていく上でも、堂々と主張すべきことではないのだろうか。

「リーマン・ブラザーズ」という会社

もう潰れた会社だし、悪いことばかりした会社だから、別に憶えておかなくてもいいのだが、メモ程度に説明しておこう。と言っても、ウィキペディアの抜き書きみたいなものだが。

1.この企業かなりデカイ

ウィキペディアによれば

資本金 224億9000万ドル
売上高 590億0300万ドル
総資産 6910億6300万ドル

倒産時の負債総額

6,130億ドル

円に換算すると、総資産70兆円ということになる。

銀行の信用というと総資産勝負みたいなところがある。日本の銀行は無理やり3つに統合したが、リーマンはその三大銀行に次ぐ位置に来る。

三菱UFJフィナンシャル・グループ 218.8兆円
みずほフィナンシャルグループ 160.8兆円
三井住友フィナンシャルグループ 143兆円
りそなホールディングス 42.7兆円
三井住友トラスト・ホールディングス 34.3兆円
ふくおかフィナンシャルグループ 12.9兆円
横浜銀行 12.8兆円
千葉銀行 10.9兆円
ほくほくフィナンシャルグループ 10.5兆円
静岡銀行 9.6兆円

ちなみに日本の大企業の総資産は、トップのトヨタ自動車で35兆円だから半分にすぎない。

会社名 総資産額
(百万円)
業種
1 トヨタ 35,483,317 自動車
2 NTT 19,653,689 通信
3 東電 14,989,130 電力
4 三菱商 14,410,665 商社
5 ソニー 14,206,292 電気機器
6 ホンダ 13,635,357 自動車
7 日産自 12,805,170 自動車
8 三井物 10,324,581 商社
9 日立 9,809,230 電気機器
10 オリックス 8,439,710

一企業の倒産にすぎないと書いたが、。それだけでも相当の余波があって当然なくらいの巨大さではある。

創業からの経過

1850年、ドイツ南部からアラバマ州モンゴメリーに移住したヘンリー、エマニュエル、マイヤーのリーマン3兄弟が店を開いたのが始まりだ。リーマン3兄弟は“Lehman”という名の通りユダヤ系だ。

2月革命の直後だから、ドイツでは住みにくかったのだろう。マルクスもこの頃亡命し、パリ、ベルギー、ロンドンと転々としている。その後ドイツには帰っていない。

その頃のアラバマといったらど田舎だ。北部では工業が発展し、黒船に乗って日本まで出向いていたが、南部は辺境地帯で、インディアン刈りで名を馳せた「将軍」たちが綿花農場主とグルになってボス支配していた時代だ。

彼らの開いた日用品店「H.リーマン商店」は農場主たちの御用達となった。彼らは現金で払う代わりに綿花を持ち込んだ。リーマン兄弟は綿花取引に経営の重点を移し大成功した。南北戦争を経て、1870年にはニューヨーク綿花取引所が開設された。リーマンもニューヨークに拠点を移した。何かと人種差別のある南部よりユダヤ人の一大集積地であるニューヨークのほうがはるかに商売はしやすかっただろう。

リーマン兄弟社はゴールドマン・サックスの支援を受けてニューヨーク証券取引所の会員にまで上りつめる。ここまでが成功のレジェンドだ。

リーマン兄弟社は綿花取引ばかりしていたわけではない。第一次大戦後のブームに乗って信用取引や投資コンサルティングにも進出していった。そして29年、大恐慌のさなかに投資業務を分社化し、リーマン・コーポレーションを設立した。後にこれが斜陽の綿花取引に代わりリーマン・ブラザーズ本体を担うようになる。

1984年になって、リーマン・ブラザーズに試練の時が訪れる。会社の内紛から営業不振に陥り、アメリカン・エキスプレスに吸収合併されてしまった。その後の10年間、アメリカン・エキスプレスの一部として存続したが、94年にふたたびリーマン・ブラザーズ・ホールディングスとして独立をはたした。

サブプライムローンの大ヒット

とはいうものの営業基盤は脆弱で、放置すればいずれふたたびM&Aの荒波に飲み込まれてしまう。そこで社運をかけたのがサブプライム・ローンの証券化だ。

ここがミソなので少し詳しく説明する。少し面倒くさいので、順番に説明していく。

アメリカでの住宅ローンは住宅ローン会社が行う。住宅ローン会社には二種類あって、ひとつは純民間、もう一つは政府が援助するローン会社だ。民間会社には違いないが住宅金融公庫と多少似ているところもある。

民間の住宅ローン会社は、日本のように銀行ローンを又貸しするだけの存在ではない。独自に融資資金を集めてくる。それが「モーゲージ証券」というものだ。住宅ローン会社が優良なローンから怪しげなローンまで多数のローンを束ねて、「証券」という形で商品化する。投資家は一定のリスクを取る形でその証券を購入することになる。もちろんその「投資家」の中に銀行もふくまれる。

 「モーゲージ証券」を組織したのは住宅ローン会社だが、機関投資家やヘッジファンドなども、その高い利回りを求めて、その「モーゲージ証券市場」に参加してきた。ここまではわかりやすい話で、リーマンに限らずどの銀行もやっていたことだ。

リーマンのすごいところは2つある。一つは一般の投資信託の中に 「モーゲージ証券」を混ぜあわせた金融商品を開発したことだ。「モーゲージ証券」は別名「ジャンク(屑)債」といって素人は決して手を出さない仕掛けのものだ。それを混ぜた上で「多少リスクが高い投資信託」のような装いを凝らして発売したわけで、これだけでも立派な詐欺だ。

(ジャンク債を利用したもう一つの利殖手段が、97年にLMTCの編み出した方法だ。これは高度な知的技術を駆使した本格派だが、リーマンの方は知性などおよそ感じられないチンピラ詐欺師の手法である。案外そちらのほうが騙しやすいのかもしれない)

もう一つ、さらにすごいのは、「モーゲージ証券」でもとびっきり危険なサブプライム層へのローンまでも組み込んだことだ。「サブプライム」という言葉自体が詐欺的な用語である。サブというのは、ふつうは“副”とか“準じる”とかいう意味だ。プライムというのは“優良”ということだから、すごく優良ではなないが、まずまずという意味にしか採れない。

ところがサブプライムの定義を具体的に見てみると

①所得に対する借り入れが50パーセント以上、

②過去1年間に30日間の延滞が2回以上、

③過去5年以内に破産経験

となっている。「準優良」どころではない、「最悪」だ。日本なら間違いなく自己破産だ。まさにJunkyとしか言いようがない。これならサラ金会社に投資したほうがまだましだ。

こんな連中にカネを貸したらどうなるか。それが下の表だ。

サブプライムローンの延滞率

04年第4Q

05年第4Q

06年第4Q

07年第1Q

08年第2Q

9.83%

11.61%

14.44%

15.75%

18.67%

そんなもの要らないという人の口にドル札を突っ込めば、結果はこうなる。

リーマンはこのような毒饅頭を混ぜ込んだ金融商品をハイリターン商品として売りだしたわけだ。それをスタンダード&プアーズやムーディーズが優良商品として保証したから、全世界で売れまくった。

破産の道へまっしぐら

起死回生を狙った詐欺まがいの戦略は大成功。リーマンは全米屈指の大銀行へと成長をとげる。しかしそれもつかの間、住宅需要がしぼむとあっという間に坂道を転げ落ちていく。

08年の第二Qには純損失が39億ドルに上った。株価は4ドル台にまで急落した。最後は韓国政府系の韓国産業銀行に身売りしようとしたがそれもかなわず、15日の破産・解体へと突き進んでいく。誰もそれを止めることは出来なかった。

最後にファルドCEOは個人のリーマン株をすべて売り抜けて逃げ去った。160年の歴史を持つ巨大金融機関がこの世から姿を消した。

トレーディング部門というのがわからない。投資銀行というのがそもそもわからない。

これはアメリカ独特の制度で、日本の証券会社に当たるのかと思ったが、どうも違うところもあるようだ。

アンテロープキャリアコンサルティング 

というサイトに投資銀行について説明がある。読んでもちんぷんかんぷんだが、一応分かる範囲で紹介する。(部分的にウィキペディアで補足してある)

投資銀行(Investment Bank)の定義

投資銀行は米国で生まれた金融業態です。

預金を受け入れ貸付を行う一般的な「銀行」ではありません。
日本の金融機関になぞらえるなら「リテール分野をそぎ落とした証券会社」と捉えると分かりやすいでしょう。
(分り易くない! 他の辞書で調べると、リテールと言うのは小売のことで、これに対する卸売はホールセールと呼ぶ。だから一般投資家を扱わない卸売専門の証券会社ということになる。)

極々単純化して言えばプロ向けの金融機関です。

業務は大きく2つに分かれる(らしい)

プライマリー業務: 資金を調達したい事業法人や政府機関が、株式市場や債券市場といった 資本市場にアクセスするのをサポートする。

セカンダリー業務: 機関投資家が発行済みの有価証券を売買するのを仲介する。

(ここも良く分からないが、とりあえず飛ばす)

投資銀行の歴史

1.発端

世界大恐慌後、商業銀行と投資銀行(証券)の兼業を禁止するグラス・スティーガル法が成立しました。

そこで、金融機関は銀行と証券に分かれ(銀証分離)、それぞれ独立することになりました。
J.P.モルガンの投資銀行部門はモルガン・スタンレーになり、ゴールドマン・サックスやリーマン・ブラザーズは投資銀行業務に特化しました。

2.業務拡大

初期の投資銀行はM&Aアドバイザリー、株式や債券の引受などを行っていたが、次第に証券流通市場におけるトレーディング業務やファンド運用、自己資本投資などビジネスの多角化を計った。

(これがプライマリー業務とセカンダリー業務の由来かな? それにしてもいちいち言葉が分からない)

3.コングロマリット化

1999年に、銀証分離が事実上廃止されました。その後、バンク・オブ・アメリカやJPモルガンが証券子会社を設立して投資銀行業務に進出するなど、金融機関の再編が行われました。

現在の投資銀行は、非常に多様なサービスを提供する金融プロフェッショナル集団となっています。

(そして大恐慌を引き起こしました!)

投資銀行の二つの部門

1.投資銀行部門

投資銀行部門は、株式や債券の発行による資金調などのサービスを、事業法人や金融機関に対して提供しています。

(良く分からないが、要は顧客サービスということらしい。とりあえず分かったことにしよう)

2.トレーディング部門

流通市場における有価証券の売買を取り扱います。
流通市場とは英語ではセカンダリーマーケットと呼ばれ、既に発行されている株式や債券などを取引する市場です。

自ら売り買いするということは、売り手・買い手の立場に立つことを意味する。これを“ポジションをとる”という。

伝統的な株式や債券の他にも、デリバティブを駆使した仕組債や、オプション、外国為替、コモディティなども扱います。

(つまり一言で言えば“投機”だ。サイコロ、花札、トランプ、何でもやります)

投資銀行内における大きな収益源の一つとなる部門です。

(実際には“大きな収益源の一つ”どころか、投資銀行の業務そのものになっている。本来の投資銀行部門は“いちじくの葉”に過ぎない)


ということで、機能的にはファンドと殆ど変わらない。日本の証券会社よりはるかにアグレッシブである。ただ日本の証券会社もリテールは“いちじくの葉”で、実質的には、もっと深く踏み込んでいるのかもしれない。

 

 

 

「ポジションをとる」ってどういう意味?

むかしは株屋とか相場師なんて言うものは、縁なき衆生であった。もちろん主要な理由はこちらにカネがないからであるが、証券市場などというものは鉄火場の如きものであり、そこで金の遣り取りをするのは命の遣り取りをするようなもので、素人が手を出してはいけないものと考えられていた。

まぁヤクザの親戚筋みたいなものである。堅気のお金持ちは信託銀行で国債とか社債を買うか、貯蓄型の生命保険を積み増すかという具合だった。

あとは飛行機の優待券が欲しくてJALの株をもったり、映画の優待券が欲しくて映画会社の株をもったりという話はあった。

おやじが死んだときに、製鉄会社や自動車会社の株が出てきて驚いた憶えがある。多少は上がっていたようだ。

しかし最近ではそうも行かなくなってきた。株屋が世界を動かすような時勢になってきたからである。

リーマンが良い例で、大げさに言えば株屋が一つ倒産しただけで、世界がひっくり返って、ギリシャやスペインでは若者の半分が失業という状態になってしまった。

だから自分で株をやらなくても、経済学の一分野として、イロイロと勉強しなければならない。


前置きが長くなったが、リーマン・ブラザーズという会社を調べるうちに、「ポジションをとる」という言葉が頻出する。これが良くわからない。

[i Finance」というサイトに「金融用語集」というページがあって、そこではこう書いてある。

ポジションは、マーケット取引において、投資家やディーラーなどがどのような「買い建て(買い越し)」または「売り建て(売り越し)」を行っているかという持ち高状況のことをいう。

さて分からない。

ポジションには3つあるそうで

・買い越し状態:買いポジション(ロングポジション)
・売り越し状態:売りポジション(ショートポジション)
・ポジションを取っていない状態:スクエア

なのだそうだ。

つまり、これは相場師にしか意味のない言葉だと分かる。普通の人は空売りなどに手を出さないからである。

それで、“ポジションをとる”というのは、新しく売り買いをすることなのだそうだ。つまり鉄火場に足を踏み入れて、どこに座るかという話だ。

大体が証券市場なんていうものは鉄火場みたいなものだから、博打に比べてみると分かりやすいのかもしれない。

脳が老朽化してくると、色んな所でショートするのか、突然ロッサナ・ポデスタという名が浮かんできた。

なんだっけと、ウィキペディアで探してみる。

往年のイタリアの美人女優だ。代表作はトロイのヘレンと黄金の7人。どちらで憶えたか、黄金の7人はもう学生時代だから、あまり俳優の名前を覚えることには興味なかったはずだし、やはりトロイのヘレンか。

あの頃のイタリア映画といえば、ソフィア・ローレンとジーナ・ロロブリジータが双璧。それにシルヴァーノ・マンガーノがいて、ロッサナ・ポデスタとはあまり言わなかったような気もするが。

トロイのヘレンはイタリア映画には珍しく、上品で良い映画だった。ロッサナ・ポデスタは気高く、眩しいばかりに美しかったように覚えている。しかしそれがロッサナ・ポデスタという名前とは結びついていなかった。

だからふっと記憶の奥底から湧いてきたのかもしれない。

ちょっと写真を集めてみる。

HELEN OF TROY (1956)

という予告編の映像がyoutubeにアップされていた。4分近い長い予告編だ。イタリア映画ではなくハリウッド(ワーナー)だ。

Helen of troy 1956

こちらでは本編の出だしの部分6分あまりが見れる。

Helen of Troy (1956) - Suite - Max Steiner

全11分で「組曲」が聞ける。1993 re-recording ということで音質は良好。

London "Helen Of Troy" Premiere (1956)

これは試写会のニュース。Princess Margaret ご臨席という物々しいものだ。

Helen of Troy

ついでだが、この動画はひどい。ユニバーサルの製作のベツものだが、なんの恥ずかしげもなく全編がアップされている。なんと2時間47分の大作だ。

この他にブラピの主演した「トロイ」という映画もあるようだ。こちらはワーナー。パラマウントの作った映画もあるようだが、こちらは削除されている。

他にもイロイロあるが、まぁ見るほどのものはない。

Addio a Rossana Podestà

という追悼番組が見られる。スペイン語で1分しかない。

Ⅰ. リーマン・ショックとは何だったのか

A) リーマン・ブラザーズの破綻

2001年 同時多発テロを受けて、世界的な株価の下落。FRBは4回にわたる緊急利下げを実行。これにより世界的な金余り現象発生。

2004年初め アメリカの住宅価格は新興国外資の流入を背景に124%上昇。消費者の貯蓄率は減少し、借り入れと消費は共に増大する。

ウォーレン・バフェットの証言、「あれは私が生涯見てきた中で最大のバブルだった。…アメリカ市民全体が、住宅価格が劇的に下がることは有り得ないという信仰に囚われていた」

6月 FRB、政策金利を4年ぶりに引き上げ、1.25%とする。金融が引き締め局面に入ったことで、住宅価格の上昇には歯止めがかかる。

2006年

この年、ウォール街の経営幹部が家に持ち帰ったボーナスは239億ドルに達した(ニューヨーク州会計監査官事務所)

7月 住宅価格が急速に値崩れを起こす。サブプライムローンの金利が引き上げられ、延滞率が13パーセントに達する。クレジット会社は貸し倒れと延滞により経営破綻。クレジット会社に貸し込んでいた大手銀行も貸し倒れ引当金が膨らむ。 

サブプライムローン: 住宅ローンの一種。一種の債権であるが、債権をあたかも資本と思い込ませ転売していた。
元々の意味は優良(プライム)貸付に対する“チョイやば”あるいは“ワケあり”貸し付けという意味。しかしその基準は“チョイやば”どころではない。①所得に対する借り入れが50パーセント以上、②過去1年間に30日間の延滞が2回以上、③過去5年以内に破産経験というもので、「ナニワ金融道」でさえ怖気をふるう“激やば”である。
そもそも大銀行が扱うような“債権”ではないのだが、住宅価格の上昇を背景に、格付け企業が高い評価を与えたことから、他の金融商品などと組み合わされ世界中に販売されるようになった。

2007年

2月 HSBCホールディングス(世界最大の銀行)が、所有していたサブプライム関連証券の評価額を105億ドル切り下げ。住宅金融専門会社への新規融資は事実上ストップ。

4月 サブプライムローン業界2位のニュー・センチュリー・ファイナンシャルが破綻。これに端を発し、サブプライム危機が発生。

サブプライムローンの延滞率

04年第4Q

05年第4Q

06年第4Q

07年第1Q

08年第2Q

9.83%

11.61%

14.44%

15.75%

18.67%

6月 大手証券ベアスターンズ傘下のヘッジファンドが、サブプライムローン関連証券の運用に失敗し倒産。多額の融資を行っていた大手金融機関に影響が波及する。

7月 格付け機関が住宅ローン担保証券を一気に格下げ。証券化商品そのものへの不信が広がる。これにより金融機関は資産価値が大幅に下落。株価下落を前提に新株発行。

7月 サブプライム関連証券、買い手不在のため値付け不能に陥る。

8月 フランス最大手の銀行BNPパリバが傘下の3ファンドを凍結。ドイツ中堅銀行のIKB産業銀行がサブプライム関連損失により破綻。サブプライム・ローンが、欧州をふくめた国際金融市場全体に広がっていることが明らかとなった。政府は流動性確保のため資金供給。

10月 投資銀行大手のメリルリンチで、CEOが経営悪化の責任を取り辞任。

10.09 NYダウが史上最高の14,164.53ドルに達する。

2008年

5月 ベアスターズが経営危機に陥り、JPモルガンが救済合併する。

5月 サブプライムローンの延滞率が25%に達する。

9.07 半公的な住宅購入支援機関(GSE)のファニーメイとフレディマック、担保証券の評価が急落。納税者負担によって国有化される。

両者のサブムライム証券の年間購入額は1,750億ドル、この時点での債務残高は5兆ドル。これに対し純資産は僅か1,140億ドルだった。

9月15日 投資銀行大手のリーマン・ブラザーズが破綻。連邦破産法第11章の適用を連邦裁判所に申請する。負債総額、約6000億ドルは史上最大であった。

5大投資銀行の負債の合計は4兆ドルに達した。そのうち、ベアー・スターンズとメリルリンチは他の銀行に捨値で売られた。残る2つ(モルガン・スタンレーとゴールドマン・サックス)は政府による資本注入をうけ、商業銀行に転換した。

9.16 アメリカ政府とFRBが全米最大の保険会社AIGに850億ドルの融資を決定。事実上の国有化。

9.17 2日間で米国のMMFから1,690億ドルが引き出される。普段は50億ドル程度。

9月 連鎖倒産の恐れなどからアメリカ経済に対する不安が広がり、世界的な金融危機へと連鎖する。

リーマン・ショックの前後に、アメリカ人は純資産の1/4超を失った。米国の平均株価は45%下落した。住宅価格は20%下落し、先物市場は35%低下した。
家計資産である退職金基金の合計は、22%目減りした。貯蓄と投資資産は1.2兆ドル、年金基金は1.3兆ドルを失った。損失合計は8兆3千億ドルということになる。(Wikipedia)

2008年10月以降はこちらへ


時系列で並べてみると、リーマン・ショックそのものはたんなる不動産バブルの一つに過ぎなかったことが分かる。

ただその規模があまりに大きかったことと、アメリカという一極への、富の過度の集中が、世界恐慌をもたらしたということに特徴がある。

このあと、欧米諸国を中心とする金融危機が展開され、さらにその後始末としてのソブリン危機が続いていく。そして現在始まっているのは、その第4幕としての右翼の台頭と政治対立の先鋭化なのかもしれない。


今度の日曜日は北海道AALAの総会。高齢で、私が国際情勢をしゃべることになる。

最近世の中がギスギスしてきている。

その歴史的背景にあるのは、言うまでもなくリーマン・ショック後の世界経済だ。

なにかマルクスが資本論を書いた頃の、野蛮な資本家集団が復活しつつあるような気がする。

それに抗して、人倫的な、理性にもとづく社会をもう一度構築しなおさなければならない。

少なくとも、第三次世界大戦はまっぴらだ。

そんなことを背景にしながら、以下の如き内容をしゃべろうかと思う。


リーマン・ショックで世界はどう変わったか。

1.リーマン・ショックはグローバル資本主義が登場して以来、最初の激震だ。

2.「冷戦」期を支えた2つの社会構造が根本から揺らいでいる: 国家独占資本主義と軍事費を中心とする浪費体制

3.スーパーパワーのもとでの、グローバリゼーションと極私的ミーイズムの同時進行。人間社会の極大化と砂粒か。

4.リーマンショックの巨大さを知る

5.リーマン・ショックが生んだ経済システムの歪み 財政規律の消失で国家システムが奈落の底に、共通の価値観と連帯感の消失でむき出しの衝突へ、

6.世界のギリシャ化と「全般的危機」をいかに打開するか。博愛精神にもとづく新たな所得再分配システムの構築を求めて。

 日曜日の「ラジオ・テレビ」面に「波動」というコラムがある。

そのなかで、遠藤乾さんという北大教授の発言が紹介されている。

日本は憲法9条のもとで村山談話や河野談話など謝罪を重ね、和解のメッセージを出してきた。自分たちの歩みに誇りを持つべきだ。

これは大事な視点だ。

平和憲法を受け継ぐ我々の世代が成し遂げたことは大きい。そのことにより憲法は鍛えられたのだ。

憲法前文の「国際社会の中に名誉ある地位を占めたいと思う」の精神が脈々と生きているのだという確信を持つことは、それに対して襲いかかる人々との闘いの上で欠かせない観点なのだろう。

それにしてもこれだけではあまりに短い。次の世代に引き継ぐためには、もう少しイメージを膨らませなければならない。

赤旗の一面に「戦争する国、ゆるさない」というシリーズがあって、各界有名人がインタビューに応じている。
本日は同志社の浜矩子さん、あの印象滝な顔立ちの方である。
文章は実に小気味良い。渡辺記者の筆力も預かっているのかもしれない。
とくに強調しているのがグローバリゼーションの目指す基本方向との齟齬。
人間を軽んじ、原発や武器を輸出し、平和を破壊する行為を経済活動(…ノミクス)と呼んではいけない。
…「アホノミクス」はグローバル時代と非常に相性が悪い。
…支えあい、共生の生態系として機能しているグローバル・ジャングルに「ボクちゃんだけ、世界一になるんだもん」というやつが出てくることがいかにはた迷惑なことか。

しかし、安倍政権をアホと一絡げにするのは、たしかにそうだけれども、ちょと弱い。
穏やかなアホもいるし、人畜無害なアホもいる、安倍政権の本質は凶暴さにある。それが景気さえよくなれば、と全て認めてしまう大企業や官僚などの権力層に受け入れられてしまう怖さにある。
かつてルーズベルト大統領はニカラグアの独裁者ソモサを指してこういったことがある。
ソモサは売女の子(Son of a Bitch)だ。しかし売女たる我々の子だ

と言いつつ、手のつけやすそうなやつから読み始める。

『資本論』第3部第1稿について-オリジナルの調査にもとづいて-


これが論文シリーズの第1号のようだ。1982年9月とある

81~82年の調査旅行。モスクワのML研で第3部の「主要原稿」の解読文の検討を行い、その後,IISGで『資本論』第3部の草稿を調べた。

成果は以下のとおり

(1)現行版の「第1章」の「第2稿」および「第3稿」,それに,この両稿のあとに書かれたとふられる断稿,この3つの草稿を検討し、現行版との関係を明らかにし得た。

(2)現行版「第5篇」のための草稿のほとんど全文を掌握することができた。「第19章」にあたる部分の全文も把握できた。

(3)現行版「第7篇」のための草稿を,ほぼすべて掌握することができた。

現在残されている第3部の草稿は,まったくの準備稿を含めると、11項目12点にのぼる。

そのうち,第3部のテキストとして書き始められたしのは4つで,そのうち現行版の編集に使用された3つの草稿には、エンゲルスによって「第1稿」,「第2稿」,「第3稿」と書き込まれており,残りの1つには「不使用」と書かれている。この4つの草稿はすべてIISGに所蔵されている。

第1稿は4束に分けられている。第4束がもっとも厚く、第4章、第5章、第6章がふくまれる。

中略

マルクス,第3部の第4章を書き始めた時点では,この章で商業資本と利子生み資本との両者を論じるつもりでいた。第4章を書いている途中に、両者を2つに分けて商業資本を第4章、利子生み資本を第5章(現行版第5篇)で取扱うことに変更した。

この分離の過程は、第三部の中断を伴うものであった。

『資本論』第2部の「第1稿」が書かれたのは,『資本論』第3部第2章の執筆の過程で、第3部の第4章が第4章と第5章とに分割される前のことであった。

(前か後かについては議論があるようである)

マルクスは第2部「第1稿」のなかで,金銀のもつ貨幣資本としての機能能力という問題の考察は第3部第4章に属すると述べている。これは第3部第4章が構想されていたことの傍証ではあるが、すでに書かれていたことの証明ではない。

(第2部問題はとりあえず省略)

第4章の最後は第5)節であるが、「5)商人資本の貨幣蓄積の特殊的形態は次章ではじめて考察される」と書かれ、内容は欠如している。

つまり、第4章の5)節として構想されていたものが、新たに章立てされたことになる。

(それだけではない。一つの節に過ぎなかった内容が、やや未整理なまま、膨大な論究となって膨らんでゆく。
しかも、そこからふたたび第2部の草稿に戻っていく訳だから、マルクスとしては第5章の中に本来もっと展開すべきものを内包していたと考えるべきであろう。
もしマルクスが元気だったら、第5章は「資本論第4部」になっていたかもしれない)

後略

マルクスが死ぬときに心残りだったことがあると思う。

ひとつは、信用制度論と金融資本論のことである.世界資本主義を論じるには金融資本の分析・評価が必須であり、すでに当時から世界はそれを求めていた。

マルクスは最初、そこまで踏み込むことをためらっていたが、実際にはその作業抜きに資本論を語ることは不可能になってきていた。

ただそこに踏み込むためには、流通過程論をもっと研ぎ澄まさないとならないということで、焦る心をこらえて第2部の構築に全力を集中した。

当初は第二部は第一部の流通過程版であり、さほどの困難はないと考えられていた。しかし途中から第二部は第一部の延長ではなく、第3部の根拠を導き出す導入部と意識されるようになった。それが貨幣資本の析出である。

しかし結果的に第2部が充実すればするほど、その上に乗るべき第3部も、金融資本論のとば口のところで肥大化していく。

大谷さんの論文を読むと、マルクスは草稿第5章ではまだ、利子生み資本論のレベルに留まっており、本格的な信用制度論とは言えないようだ。

商業資本を父とし、高利貸し資本を母として貨幣資本・利子生み資本が生まれ、信用市場が生まれてくるところまでで、論証は終わっており、その後の展開は示唆的なものにとどまっている、というのが大谷さんの主張だ。

ということで、そろそろお開きにしようかと思っていたが、法政大学学術機関リポジトリ というサイトで、大谷さんの論文があらかた読めることを「発見」してしまった。

大変なことで、愕然としている。

とりあえず一覧表をあげておく。

発行日タイトル著者
1981-10-25「蓄積と拡大再生産」(『資本論』第2部第21章)の草稿について(下) : 『資本論』第2部第8稿から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1981-7-25「蓄積と拡大再生産」(『資本論』第2部21章)の草稿について(上) : 『資本論』第2部第8稿から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1983-3-15「貨幣取扱資本」(『資本論』第3部第19章)の草稿について : 『資本論』第3部第1稿から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1982-10-25『資本論』第3部第1稿について : オリジナルの調査にもとづいて大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1983-12-25「信用と架空資本」(『資本論』第3部第25章)の草稿について(中) : 第3部第1稿第5章から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1983-10-25「信用と架空資本」(『資本論』第3部第25章)の草稿について(上) : 第3部第1稿第5章から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1990-2-20「貨幣資本の蓄積」(『資本論』第3部第26章)の草稿について : 第3部第1稿の第5章から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1989-6-15「資本関係の外面化」(『資本論』第3部第24章)の草稿について : 第3部第1稿の第5章から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1988-9-15「利子生み資本」(『資本論』第3部第21章)の草稿について : 第3部第1稿の第5章から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1989-6-15「利子と企業者利得」(『資本論』第3部第23章)の草稿について : 第3部第1稿の第5章から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1984-3-10「信用と架空資本」(『資本論』第3部第25章)の草稿について(下) : 第3部第1稿第5章から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1993-12-25「流通手段と資本」(『資本論』第3部第28章)の草稿について : 第3部第1稿の第5章から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1989-2-15「利潤の分割」(『資本論』第3部第22章)の草稿について : 第3部第1稿の第5章から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1994-9-30『資本論』第3部第1稿のMEGA版について : MEGA第2部第4巻第2分冊の付属資料を中心に大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1995-7-30「銀行資本の構成部分」(『資本論』第3部第29章)の草稿について : 第3部第1稿の第5章から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1989-11-30『資本論』第2部および第3部の執筆時期の関連についての再論 : 第2部第1稿についてのMEGA付属資料を読んで大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1997-3-25「貨幣資本と現実資本」(『資本論』第3部第30-32章)の草稿について : 第3部第1稿の第5章から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
2000-7-10『資本論』の著述プランと利子・信用論大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
2005-3-7マルクスの利子生み資本論 : 『資本論』の草稿によって大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1998-3-30『資本論』第2部第8稿の執筆時期について : MEGA第2部第11巻の「付属資料」の作成のために大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
2002-3-28「資本主義以前」 (『資本論』第3部第36章)の草稿について(上) : 『資本論』第3部第1稿の第5章から 大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
2011-9-15マルクスは〝monied capital”という語をどこからとったのか : 『資本論』第3部第5篇のキーワードの出どころを探る大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
2001-12-29「貴金属と為替相場」(『資本論』第3部第35章)の草稿について : 『資本論』第3第1稿の第5章から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
2002-12-5「betrachtenすべき」は「再生産過程の攪乱」か「第3部第7章」か : 富塚良三氏の拙訳批判に反論する大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
1999-11-30「信用制度下の流通手段」および「通貨原理と銀行立法」(『資本論』第3部第33章および第34章)の草稿について : 『資本論』第3部第1稿の第5章から大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
2002-12-5「資本主義以前」 (『資本論』第3部第36章)の草稿について(下) : 『資本論』第3部第1稿の第5章から (完) 大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
2004-3-5「ではけっしてない (nie)」 か 「でしかない (nur)」か : マルクスの筆跡の解析と使用例の調査とによって大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke
2005-7-30「結合された労働者」から「アソシエートした諸個人」へ : マルクスにおけるassoziiertとkombiniertの意味について大谷, 禎之介; Otani, Teinosuke

大谷さんの論文の他に資本論の草稿がらみの論文もいくつかある。

2006-8-28『資本論』の熟練解体論を考える萩原, 進; Hagiwara, Susumu
2007-7-25『資本論』第3部 綱要小澤, 光利; Ozawa, Mitsutoshi
2006-8-28マルクス価値形態論のさらなる発展永谷, 清; Nagatani, Kiyoshi
2006-12-25理論経済学 : マルクス経済学入門小澤, 光利; Ozawa, Mitsutoshi
2009-9-15資本主義発展段階におけるグローバリゼーションの歴史的位置小澤, 光利; Ozawa, Mitsutoshi
2006-3-3西欧マルクス学におけるマルクス : D.マクレランによる小澤, 光利; Ozawa, Mitsutoshi

いったい、「どうせぇ」というのだ。

たまたま大谷さんの論文を見つけて読み始めたのだが、なにせ長くて難しい。こちらには資本論の知識もないし、ドイツ語も完全に錆び付いている。

もともとは、金融問題や財政問題に首を突っ込み、こちらもさっぱりわからないものだから、少し基本を抑えておこうということで始めただけの話である。

ところが、パソコンのマニュアルみたいなもので、わかりやすい解説のはずが、何のことやらちんぷんかんぷん。またまた難問の山ということになってしまった。

脳みそのスタミナが著しく落ちてきている。視力も連続1時間が限界だ。まぁ、大谷ゼミの聴講生になったつもりでぼちぼち行こうか。

とりあえず、今まで読んだ大谷論文を列挙しておく。

ブログ掲載日

ブログ題名

元文献名

『資本論』第3巻第4及び第5篇はなぜ分かりにくいか(tabtabさん)

『資本論』3巻28章の“怪”(「海つばめ」さん)

「資本主義以前」(『資本論」第3部第36章)の草稿について-『資本論』第3部第1稿の第5章から-

「貨幣資本と現実資本」(「資本論」第3部第30-32章)の草稿について…第3部第1稿の第5章から…

「資本論」第3部第1稿のMEGA版について 

「貨幣資本と現実資本」(「資本論」第3部第30-32章)の草稿について…第3部第1稿の第5章から…

マルクスの利子生み資本論―「資本論」の草稿によって―」

「貨幣資本と現実資本」(「資本論」第3部第30-32章)の草稿について




「貨幣資本と現実資本(「資本論」第3部第30-32章)の草稿について」という論文が相当手こずった。ノートにしたのを読んでみても、なおごちゃごちゃだ。もう一度整理しないとならないみたいだ。

ディノラ・ヴァルシというピアニストがいたようだ。そんなに昔の人ではない。

1939年ウルグアイ生まれ。ゲザ・アンダに師事、1967年にクララ・ハスキル・コンクール第1位に輝き、エーリヒ・クライバー、ケンペ、クレツキ、ロヴィツキといった巨匠とも共演した彼女。1970年代の終りにコンサート活動から引退した。
というのが経歴。
この人のブラームスの作品76の小曲集がアップされている。とてもチャーミングだ。ゲザ・アンダの弟子というがいかにもそういう音だ。
作品76というのは半端な存在だ。晩年のピアノ曲に比べると影は薄い。8曲通しで聞こうと思ったら、今でもケンプの演奏しかない。さすがにためらう。そんなエアポケットにすっぽり嵌り込む演奏だ。
生きていれば75歳、アルゲリッチよりちょっと年上か。何故引退したのかは不明だが、コンクールで入選して10年頑張ったがダメだったということなんだろうか。そういう人は掃いて捨てるほどいる。
写真を見るとさすがにアルゲリッチほどの華はない。

「貨幣資本と現実資本」(「資本論」第3部第30-32章)の草稿について

の続き

【補論】三宅義夫氏の大谷批判の一部について

~小野朝男氏による「大谷氏の泣き所」

この文章は、かなりややこしい。まず大谷さんの「草稿研究」があって、これに対して三宅さんという人が批判した。この批判の内容を小野さんが紹介しつつ、「大谷氏の泣き所をついたもの」と評価している経過がある。

したがって大谷さんは三宅さんの批判に答えつつ、小野さんの批判にも答えなければならないという形になる。

1.25章、27章はそれ以降の論述に対する「序論」部分なのか

小野さんによる「三宅さんの大谷批判」の要約: 大谷さんは第3巻第5篇が信用論ではなく、「利子生み資本が信用制度のもとでとる諸姿態の分析」であると主張する。
第25章と第27章で「信用制度の分析」はあるにしても,それは「利子生み資本が信用制度のもとでとる諸姿態の分析」をする本論のための「準備過程」にすぎないと主張する。

三宅さんの原文(三宅さんの文章はいささか下品であるため修正): 大谷氏は、現行版第25~第35章の部分の本論を,第21~第24章につづく『利子生み資本論」と見るべきであるとして,これを「信用制度論」だと見る見解に反対する。
しかし、「利子生み資本が信用制度のもとでとる諸姿態の分析」なるもの自体が信用制度論そのものではないか。

ここから大谷さんの反論が始まる。

信用制度にかかわる論究をすべて「信用制度論」だと呼ぶのら,「利子生み資本が信用制度のもとでとる諸姿態の分析」はまさに「信用制度論」である。

三宅さんはかねてから3部第5篇の2部分構成説を掲げてきた。それは①「利子生み資本論」(第21-24章)と②「信用制度論」(第25-36章)の2部分からなるというものである。

私は、(草稿を研究してきたものとして)この2部分説に反対である。草稿第5章の全体は,①第21-24章部分(草稿の「l)」-「4)」),②第25-35章部分(草稿の「5)」),③第36章部分(草稿の「6)」)の3部分から成っている。

それぞれは,①利子生み資本の概念的把握,②信用制度下での利子生み資本すなわち貨幣資本(moniedcapital)の分析,③利子生み資本の歴史的生成の考察,という内容から成っている。

3つの部分が,「資本の一般的分析」である「資本論〔DasKapital〕』のなかで「利子生み資本」という独自の資本を分析の対象としている「利子生み資本論」を構成している。(他の種類の資本についても同様の方法をとっているか?)

以下は略

2.信用制度論は貨幣資本の議論より先に来てはいけないのか

小野さんによる「三宅さんの大谷批判」の要約: 三宅氏にしてみれば,「信用制度について述べるには,そこで貨幣資本がどう動くのかを抜きにして述べることはできない」のである。

三宅さんの原文: 信用制度を「信用制度」として述べ,そのあとで「貨幣資本」について述べるといったことは,そもそもできる事柄ではない

ここでは大谷さんの反論はきわめて論旨明快だ。「マルクスがそうやっているんだからしょうがないじゃん」ということだ。

まず「信用制度」について述べ,次に「貨幣資本」を論じることは「そもそもできる事柄ではない」というが、それならば,第25章部分でのマルクスの叙述は「信用制度」を論じたものではないということになる。
それを積極的に示すべきだ。

以下略

3.第5篇は「信用制度論」ではなく「利子生み資本論」である。

マルクスは第5章の内容を,「利子と企業利得とへの利潤の分裂。利子生み資本。信用制度」と要約している。

三宅氏は,「大谷氏の二つの発言は支離滅裂である」と書いている。それは大谷さんが、「第25章以降を「信用制度論」とすることに批判的にならざるをえない」と主張するからである。

大谷さんはこう説明している。

「5)信用。架空資本」〕は端的に「貨幣資本〔moniedcapital〕論」と呼ぶことができるであろう。かって拙稿で,この部分では「信用制度と信用制度下の利子生み資本の諸形態」が考察されていると述べたが、さらに明確に表現すればそうなる。

タイのこの10年間を見ていると痛感することが2つある。
ひとつは、腐敗した民主主義は「清潔な」独裁よりはるかにマシだということだ。「清潔な」民主主義は腐敗した民主主義の中から生じてくるが、清潔な独裁からは生まれてこない。
もうひとつは、民主主義が成熟して清潔な民主主義に向かうには時間がかかるということだ。腐敗した民主主義を糾弾することは清潔な独裁を支持することではない。なぜなら清潔な独裁は腐敗した民主主義からは生まれてこないからだ。清潔な独裁は腐敗した民主主義を利用して民主主義を否定するからだ。
まずは腐敗した民主主義を支持しなければならない。腐敗した民主主義は清潔な独裁が否定されたところから生まれてくる。清潔な独裁主義者が独裁を続けられなくなった時、彼らの一部は腐敗した民主主義者に生まれ変わる。
支配者が腐敗した民主主義者と清潔な独裁主義者に分裂した時は、清潔な民主主義者にとってチャンスなのだ。その裂け目をどれだけ深く、修復不可能なところまで持っていくかが大事なのだ。
時間がかかるのだ。一喜一憂していても始まらない。とりわけ労働者階級をどれだけ力強く組織できるかが決定的だ。農民・小作農・農村労働者を支配層からどれだけ切り離せるかが勝負だ。合法活動と非合法活動を組み合わせて、不抜の組織を構築していかなければならない。
度重なるクーデターがもはや時代遅れであるのと同様に、都市での赤色テロも農山村でのゲリラ活動も時代遅れだ。自警団や準軍事組織との闘いは厳しいものとなるに違いないが、生産点を握って離さない活動が必要だ。今はぎりぎりそれが可能な時代に入っている。
誤解を恐れずに言うなら、「民主化は韓国に学べ!」だ。
書くのが面倒くさくなったので、
韓国の朝鮮戦争後史年表(53年以降)紹介:韓国の民主運動を参照されたい。

シルビオ・ロドリゲス Silvio Rodriguez

 

シルビオ・ロドリゲス

1946年11月キューバ生まれ。

キューバを代表する歌手として知られ、「キューバのジョン・レノン」に例えられている。シルビオ・ロドリゲスはラテンアメリカの左翼のシンボル的存在となっている

彼の歌のいくつかは、ラテンアメリカ音楽の古典と称せられ、大陸のあらゆる場所で歌われている。代表曲はオハラ、プラヤ・ヒロン、一角獣、小鎚など。

その歌詞はきわめて象徴的であるにも拘らず強い説得力を持つ。ロマンチシズム、エロチシズム、革命・政治と理想主義を語っているにもかかわらず、それらは心の内と向き合う。

60年代後半からヌエバ・トローバ(新しい歌)運動の担い手として頭角を現した。

69年に、漁船「プラヤヒロン」号の乗組員として従事し、この間に「海の歌」、全62曲を制作した。その中に「オハラ」や「プラヤヒロン」という代表作がふくまれる。

彼の歌はラテンアメリカの民衆を鼓舞し、当時の独裁政権は彼の歌を放送禁止とした。民主化が実現した後、アルゼンチンやチリでは10万人の観客を集めた大コンサートが行われている。米国は長い間ビザを発給しなかったが2010年についにコンサートが実現し、各地で大きな人気を博した。



シルビオ・ロドリゲスはラテンアメリカで今もっとも評価の高い歌手と言っていいだろう。しかしもっとも理解し難い歌手の一人である。理由は歌詞が難しいからだ。

歌のほとんどは詞の抑揚に節を付けたようなもので、詞がわからない限りはその良さはわからない。

そもそもヌエバ・トローバというのは、「今風の祭文語り」という意味だ。

我々としてはその中から耳辺りの良さそうなものを選んで聞くだけである。したがってスペイン語のネイティブとは好みが相当分かれるだろうと思う。

もう一つ、シルビオのコンサートといえば10万人の大スタジアムで観衆が熱狂して聞くというスタイルが多いが、本来のシルビオはこじんまりとしたサロンで静かにじっくり聴き込む類の歌手である。

それが、こうなってしまったのには、ラテンアメリカ独特の政治的・歴史的経過がある。その辺の経過も飲み込まないと、門外漢が入っていくには相当抵抗があるだろうと思う。

以上、歌詞がわからなくても楽しめる曲を中心に選んだ。本場のランキングとはだいぶ違うがご勘弁を。

 それにしても、この人誰かに似ていると思ったら、プーチンだ。あれほど人相は悪くないが…

1.Playa Giron プラヤ・ヒロン

日本人なら、シルビオといえばこの曲だろう。

私には思い出がある。93年最悪の年、真っ暗なサンチアゴ・デ・クーバのプラサでそこだけ明るいソンの観光酒場。この曲をリクエストしたら、年寄り連中は首を横に振る。すると伴奏の若い衆が脇からそっと出てきて、「何とか歌えると思う」と言ってくれた。

歌い出したら、「何とか」どころではない。そのままハバナに行っても通用するほどの腕前だ。指力が強いのか、ギターの音が耳も割れんばかりに響き渡る。(あの頃は自動車など走っていなかったから、静寂に慣れてしまっていたのだ)

開け放たれた窓の外には光と音を求める黒山の人だかりだ。

2.Unicornio ウニコルニオ

シルビオの代名詞みたいな歌だ。文字通りには「一角獣」だが、飼っていた犬の名前だそうだ。正式題名はMi unicornio azul

3.La Maza 小槌

「もし信じないなら」という台詞が延々と続く、訳の分からない歌詞だ。

この3つがシルビオの御三家だろう(もう30年前の話だが)

最近の御三家はどうなるだろう。とりあえず3つ挙げてみたが、これでよいのか定かではない。

4.Angel Para Un Final

天使が終わりを告げる。二人の間には沈黙が、そしてやがて忘却が…

5.Quédate 

「行かないで、泣かないで」みたいな歌だ。シンプルで、およそシルビオらしくない。そこが良い。

6.Ojala のぞみ

えらく人気のある恋歌らしいが、どうもピンと来ない。

その他、やはり古いところが中心になる。

7.蛇の夢(Sueño con serpientes)

あまり気持ちのいい夢ではない。蛇が次々に現れて襲いかかる、しかもどんどん大きくなって最後には飲み込まれてしまう。胃袋を切り裂いて飛び出すが、そこにはもっと大きな蛇が…

8.Companera 同志の女性

9.Canción del elegido 選ばれた者の歌

ある男の話だ。彼は銀河の彼方、夜の太陽の中、嵐から生まれた。彼は天体から天体へとさすらった。新鮮な水と生を求めて、あるいは見知らぬ死を求めて…

彼はソロモン王の秘宝を発見した。それはアフリカではなく他の天体にあった。しかし宝石は冷たく魂を持たなかった。

最後に彼は戦争を探して地球に行った。それは衝撃だった。彼を最後に見たのは硝煙漂う戦場だった.彼は未来からの銃でならず者を殺していた、幸せで裸で…

以下は流し聞きしたなかでよさげの曲。

10.Eva

11.Yo fui una vez

12.Quien Fera

13.Te amare

 

以前、クライスレリアーナの演奏で紹介していたロベルト・コミナーティのリンクが、著作権がらみで切れていた。

それは仕方ないので、コミナーティの素晴らしさを伝えるいくつかの演奏を紹介する。

ラベルのピアノ曲集1

1. Menuet antique. 2. Pavane pour une infante défunte.

ラベルのピアノ曲集2

夜のガスパール

ラベルのピアノ曲集3

1. Menuet sur le nom de Haydn. 2. Prélude. 3. A la manière de Borodine. 4. A la manière de Couperin.

ラベルのピアノ曲集4

クープランの墓

Live recording, Naples 17th november 2011.とある。音質的にはこれが最高。いつか消される可能性が高いのでお早めに。

ショパンのバラード1番

シューマンのダビド同盟舞曲

コメントによると、Lesitchitsky methodという特殊な運指らしい。

シューマンのピアノソナタ1番

5年前のアップで、コンサートの録音音源なので、音質は良くない。この曲ならキーシンベルマングリモー など音源はたくさんある。それにあまり好きな曲でもない。

大谷禎之介さんが2004年に行った最終講義の記録が読める。

マルクスの利子生み資本論―「資本論」の草稿によって―

と題されている

学生向けだから多少分かりやすいと思って読み始めたが、簡単なのは最初のあいだだけ、どんどん難しくなる。本日の部分は読みやすいところ。

はじめに

マルクスの『資本論』第3部の草稿のうちの,利子生み資本を取り扱った第5章の内容を分析し,紹介する。

これは1980年から1982年にかけて,アムステルダムとモスクワで行なった,「資本論』草稿の調査・研究の成果である。

1.エンゲルスによる編集作業の問題点

(1) エンゲルスの編集作業とそれを困難にしたもの

エンゲルスは,約2年で第2部を仕上げて刊行しました。それからただちに第3部の編集にかかったが,こちらの方には,なんと9年もの年月がかかった。

最大の原因は,マルクスの草稿のなかの,利子生み資本を取り扱っている第5章を編集する作業が困難をきわめたためである。

アムステルダムで『資本論』の草稿に接することができ,第3部草稿を集中的に調べた。そのなかではっきりと分かったのは、エンゲルスが,自分によるものであることを明記しないで行なった実質的な手入れがいたるところにあること、それらがしばしば,きわめて重要な,内容上の変更をもたらしていることだった。

エンゲルスによる編集作業の問題点は,最後まで手こずった,利子生み資本を取り扱っているに集中している。

それは草稿の第5章,エンゲルス版資本論の第三部では第5篇の第25章から第35章にかけての部分である。

背景として,二つの事情に注目しなければならない。

一つは,エンゲルスはまず,マルクスの草稿を読んで、人に書き取らせて,いったん読みやすい筆写稿をつくり,この筆写稿を使って本格的な編集作業を行なった,という事情である。

いま一つは,エンゲルスはマルクスから,第3部の内容をあまり知らされていなかったため,第5章について一種の先入見を持っていたという事情である。

エンゲルスは,この篇は「銀行と信用の篇」なのだと思い込んでいて,そのようなものに仕上げなければならないと考え,それに合うように草稿にいろいろな手入れを行なったのではないかと考えられる。

(2)マルクスの篇別構成とエンゲルス版の篇別構成との違い

(3)エンゲルス版の篇別構成にかかわる重要な問題点

1.

草稿の第5章第5節は、全体に「信用。架空資本」というタイトルがつけられている。エンゲルスは,このタイトルを,この第5節のうちの最初のごくわずかの部分につけられたタイトルだと勘違いをした。

エンゲルスは第5節を第25章から第35章までの11の章に分けた。そしてその冒頭の第25章に「信用。架空資本」というタイトルをつけてしまった。ここから誤りが拡大していく。

エンゲルスは,第25章をこのタイトルに見あうものにしようとして,草稿のあとの方から,架空取引にかんする抜華をここにもってきたり,自分が書いたことを明記した,架空取引にかかわる二つの書き込みを挿入したりしました。

2.

エンゲルスは,マルクスが本文用のテキストと材料集めの部分を,区別できなかった。

25章の初めのほぼ4分の1に続く本文は、エンゲルス版の第27章に使われた。26章は材料集めのノートから作った章であり、25章の後ろ3/4と26章は飛ばして読まないと、流れがわからない。

(4)キーとなるマルクスの文章へのエンゲルスの手入れ

1.

草稿の第5節「信用。架空資本」の冒頭で,マノレクスは「信用制度の分析」が『資本論』の範囲外だと言っている。

しかしエンゲルスは、「詳しい」という一語を付け加えることで,「信用制度の分析」もふくまれるように文意を変えてしまった。

2.

エンゲルス版で第27章の末尾近くのところで,マルクスは,「いまわれわれは,利子生み資本そのものの考察に移る」と書いている。

この部分をエンゲルスは,「以下の諸章でわれわれは,信用を利子生み資本そのものとの関連のなかで考察する」と書き換えた。

つまり,マルクスが考察の対象を「利子生み資本」としていたのに,エンゲルスはそれを「信用」に変えたのです。

これらの操作は,エンゲルスが,第25章以下は信用制度を対象としているのだ,と思い込んでいて,これに合うように手を加えたからです。

 

2.利子生み資本論の課題と方法

(1)利子生み資本論にいたるまでの理論的展開

この利子生み資本の考察(草稿の第5章)というのは,「資本論』全体のなかでどのような位置にあるのか,マルクスはこの章でなにをしようとしたのか,また,どのような方法によって叙述を進めようとしていたのかを概説する。

①第1部・第2部と第3部の関係

『資本論』の第1部は「資本の生産過程」,第2部は「資本の流通過程」です。第3部は,マルクスの草稿では「総過程の諸姿容」というタイトルがつけられています。

エンゲルスはマルクスのこのタイトルを「資本主義的生産の総過程」に変更しています。

②第3部の展開形式

まず第1篇では,資本と剰余価値が,元本としての資本とそれが生む利潤という姿をとることが明らかにされます。

第2篇では,資本が利潤率のより高い部門をめざして移動するために,どの部門の商品の市場価格も,平均的な利潤をもたらす価格が生じます。これが平均利潤率への均等化と生産価格の成立です。

第3篇では,資本の蓄積による生産力の発展は,同じ労働量が取り扱う物的生産量を増大させていくので,平均利潤率は低下していくと説明されます。

ここまでは,第1部の産業資本と利潤についてのおさらい的叙述です。

次の第4篇では,この産業資本から商業資本が分離し,自立化する過程です。これによって,剰余価値の一部が商業利潤という形態を取るようになることを明らかにします。

商業資本は自分では剰余価値を生産しませんが,産業資本がしなければならない売買の仕事を引き受けることで、産業資本から剰余価値を分けてもらいます。

ですから,資本の再生産過程のなかで機能し,増殖する資本だという点から見ると,産業資本と同じです。

そこでマルクスは,産業資本と商業資本を合わせて,機能資本,あるいは生産的資本,あるいはまた,再生産的資本と呼んでいます。

ここまでは,第2部の流通過程についてのおさらい的叙述です。

そこでいよいよ問題の第5篇,草稿の第5章ですが,ここでは,生産的資本から,利子生み資本が派生し,自立化することによって,剰余価値の一部分が利子の形態をとること,この利子生み資本と利子とが論じられます。

第6篇では,土地所有があるかぎり、剰余価値の一部分が地代という形態に転化することが解明されます。

そして最後に第7篇で,剰余価値は利潤,利子,および,地代という形態で,労賃とともに,独立した収入として現われること,それに対応して,資本,土地,労働がそれぞれの収入の源泉として現われる,ということが明らかにされます。

こうして,社会の表面に見えている経済活動の現象が,その深部にある本質,諸法則からすべて展開され,説明され終えました。

③第5章の流れ

こうして第三部の全体の流れを見たあと、第5章の分析に戻ります。

どの章でも分析の対象がつねに資本でした。この第5章も分析の対象は資本ですが,ここではそれが利子生み資本という形態の資本です。

発展した資本主義的生産様式のもとでは,この利子生み資本の典型的な形態は,さまざまの源泉から銀行に集まってきて,そこで運用を待っている資本です。

マルクスは,資本が循環のなかで取る形態としての「貨幣資本」とはっきり区別して,銀行制度のなかで運動している利子生み資本を捉えている。そしてその特殊性を表わすのに“Monied capital”という英語をわざわざ用いている。

エンゲルスは,マルクスが英語で書いている語句をすべてドイツ語に置き換えました。moniedcapitalも「貨幣資本」に置き換えました。そのためマルクスの用語法はすっかり見えなくなっています。

(2)利子生み資本論の課題と方法

第5章でのマルクスの叙述の過程は,彼自身が対象についての研究を深めていく過程でもありました。

①第5章の課題と展開の方法

②貨幣取扱資本と利子生み資本

信用制度・銀行制度のもとでの独自な資本は,利子生み資本であるだけでなく,貨幣を取り扱う業務を行なって手数料を受けとる貨幣取扱資本という資本でもあるのです。

これは流通の仕事に専門的に従事する利潤を手に入れる商業資本のうちの特殊な種類です。(第4章)

第5章では,信用制度・銀行制度のもとで運動している資本の具体的な姿から,貨幣取扱資本の側面を度外視することによって、純粋な形態での利子生み資本を取り出します。

こうして信用・銀行資本の具体的姿態から貨幣取扱資本と利子生み資本という二つの資本形態を純粋なかたちでつかむむことに成功しました。


前頭葉が数学上達を邪魔する。

大谷さんの資本論草稿を勉強していて、ふと、Begreifen という言葉が気になった。

「概念として把握する」ということだそうだ。これはその存在理由もふくめて理解するということであり、前頭葉の作業だ。

理工系秀才によく見かけるが、方程式をさっさっと導き出して、これで分かったということで次に進んでいく。

たしかにそれでうまくいくのだ。高いビルも高速の自動車も、宇宙ロケットだって作れるし、何も問題はないのだ。

しかし、なにか気持ちとしては落ちていかない。

その「意味」をもとめる前頭葉が、納得していないのである。「なぜそうなるんだ?」と…

小学校4年で早くも算数がわからなくなってきた。たしか二桁の割り算だった。鶴亀算になるともうお手上げだった。しかし問題はその前からあったと思う。

1X1=1 さらに1÷1=1

というのが、納得行っていなかったのかもしれない。

1X0=0 というのはわかるが、それが 0X1=0 と同じだというのがわからない。たんなるトートロジーのようにも思える。

結局擬人化の範疇を越えて、現実世界とは切り離されたところで数学の世界を自分の頭に作り上げなければならないところで、それができずに挫折するのだろう。

数学の世界に前頭葉は不要なのだ。「なぜ?」は不要だ。むしろそれは邪魔なのだ。それを遮断する能力が求められるのだ。

「専門バカ」とはよく言われる言葉だが、専門を究めるためには馬鹿にならなければならないということなのだろう。

と、この辺りは負け犬の遠吠えだが、

子供が指を出して「1本、2本、3本」とやるとき、それは全て自分の右手の指である。

ところが、1+1 をやるときは右手の人差指の隣に左手の人差し指を寄せて、「ほら、2でしょう」とやることになる。

このとき、右手の指でやっていた時とは全く別のシーンが登場する。足される方の1だけがオリジナルの1であり、足す方の1は突然外挿された異種の1なのである。

子供の側からすると、まずこの外挿された指が1であることを認識しなければならない。右手の人差指が1であることは体得しているが、左手の人差し指は左手の人差し指であって1ではない。

むしろ右手の人差指=1という固定概念があれば、左手の人差し指は右手の人差指ではないが故に、排他律に従えば 1ではないのである。

ここでは違うものの中に共通性を見出すこと、同種の概念としてまとめうるものであるという認識が必要となる。

共通性というのは、「同じもの」ではないが「違っているが同じ」ということである。

では「違っているが同じ」と矛盾した表現はどういうことをさすのか、一つは類似性である、「同じ」と感じられるほどに似通っているから、近似的に同じ、大同小異ということになる。

象が一匹、蚊が一匹、さぁ何匹?と言われても、そもそも足すことに無理がある。

つまり、差異性と同質性の認識における統一である。それは「共通するところがある」という発見なしには成立しない。

もう一つは数えられるということである。数えられないものは足し算できない。「気が一つ、水が一つ、全部でいくつ?」と聞かれても「いっぱい」と答えるしかない。

というわけで、足される1と足す1がそれぞれ抽象化できた。それでは足してみる。答えは2となる。

ここで出てきた2という数字はなんだろうか。それは2本の指ではない。1という表象と2という表象の和である。それは全く抽象的な世界で行われたゲームである。その結果はふたたび現実世界に翻訳されなければならない。

たとえば、右手の人指指を描いたカードと左手の人差し指を描いたカードを作って、それを足すと二枚になる。だから指が2本ということなのだ。

ちょっと蛇足になるが、「…足す…は…」という言い方も悪い。最後の「である」が省略された言い方だろうが。英語ではそうは言わない。厳密には 1+1 is 2 ではなく 1+1 equals 2 なのである。もしくは is equal as 2 である。is same as ではない。

イコールというのは等価ということであり、「値」において等しいのである。そこには、足される数と足す数のディスクリート性、異質性の認識がふくまれている。違っているから足せるのである。

指という実体にこだわる限り、1+1は1+1である。指が2本あっても、それを並べただけでは「2本指」という概念は生まれてこない。


あぁ、前頭葉が果てしなき妄想をもたらす。それにのめり込んでいくうちに、授業はどんどん進む。気がついてみると、もうわからないところに行ってしまった。こうして落ちこぼれは生まれていく。


福井地裁判決 要旨の要旨

1.はじめに

組織の責務: 一度深刻な事故が起きれば多くの人の声明、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業には、その程度に応じた行動の信頼性がもとめられる。これは当然の社会的要請である。

生存を基礎とする人格権: 生存を基礎とする人格権は公法、私法を問わず、すべての法分野において、最高の価値を持っている。
それは裁判においても依拠すべき解釈上の指針である。

人格権と憲法: 人格権は憲法上の権利であり、13条、25条に規定されている。それは我が国の法制下において唯一、最高の価値を有している。

人格権そのものにもとづく訴訟の妥当性: とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて差止めを請求できる。
なぜなら、
人格権は各個人に由来するものであるが、それが多数の人格権を同時に侵害するときは、差し止めの要請が強く働くのは理の当然
だからである。

2.福島原発事故について

3.原発に求められる安全性

原発に「万が一」は許されない

「組織の責務」に鑑み、原発に求められるべき信頼性はきわめて高度なものでなければならない。

大きな自然災害や戦争以外で、憲法の人格権がきわめて広範に奪われる可能性は、原発事故のほかは想定しがたい。

かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差し止めが認められるのは当然である。

安全性判断は裁判所の最重要な責務

福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しい。

原発の新規性基準があったとしても、その事項について裁判所の判断が及ぼされるべきである。

原子力規制委員会は「錦の御旗」ではない

原子力規制委員会が新規制基準への適合性の審査を行っているが、適合性という観点からではなく、安全性にもとづく裁判所の判断が及ぼされるべきである。

4.原発の特性

5.冷却機能の欠陥

6.閉じ込め構造の欠陥

世論の動きから見て、いずれこういう形の判決が出てくるだろうとは思っていたが、ここまで踏み込んで思いっきり腰を入れた判決が出るとは予想外であった。

1.人格権擁護の視点

判決は、人格権が侵害される恐れがあるときは、その侵害行為の差し止めを請求できる としている。これは憲法解釈をふくむ判断だ。

「国民の生存を基礎とする人格権」という考えは、私にとって斬新なものだ。少し勉強しなければならない。

この考えを基本に据えると、次のようなセリフが吐けることになる。

極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題等を並べて論じることは…法的には許されない

2.裁判所の責務の提起

もう一つは、裁判所の責務にかかわる提起である。

「原発の危険性およびそのもたらす被害の大きさ」を認識したいま、司法が逡巡することは許されないという強い意思表示である。

判決は、こうした具体的な危険性が万が一でもあるかどうかの判断を避ける事は「裁判所に課されたもっとも重要な責務を放棄するに等しいもの」と言い切っています

この判断は、これからの各地で起こされるであろう裁判に与える、もっとも深刻な提起となっているであろう


2.MEGA版での扱い

省略

3.若干の基本的なタームについて

 

(2) 貨幣資本と利子生み資本は同義か?

マルクスは,一見すると,「利子生み資本」と「貨幣資本」とを同義としているかのように見える。

資本家や実務家や経済学者が「貨幣資本」と呼んでいたものが何なのかという疑問から、マルクスは出発する。そして、その本質から見て利子生み資本(高利資本)に他ならないと判断する。

彼らは信用制度のもとでの貨幣市場に大量の供給として現われ,大量の需要に相対する資本として、貨幣資本を捉えていた。

それは信用制度の下での「利子生み資本」の具体的形態にほかならない、とマルクスは見た。

貨幣資本(貨幣市場での利子生み資本)は、現実に次のような姿態をとる。

まず、貨幣資本は共同的な要素として現れる。貨幣資本はそれぞれの部面の生産上の要求に応じて,資本家階級のあいだに配分されるのである。

それは大工業の発展につれて、社会的資本を代表する銀行業者の統制のもとに集中され、組織されるようになる。

そして貸付・可能な資本の大量のマスとなるのである。

したがって「貨幣資本」という言葉は、信用制度のもとでの貨幣市場での利子生み資本を意味していることになる。

以下、大谷さんは草稿とエンゲルス版の関係について整理する。

草稿第5章の「5)信用。架空資本」では,「利子生み資本」の概念はすでに与えられており,利子生み資本は信用制度のもとでの利子生み資本として現われる。

それを本格的に論じるのは,マルクスが I),Ⅱ),Ⅲ) という項目番号をつけた部分である。

その前段として信用制度の仕組みとその意義とを明らかにしているが、その部分が、エンゲルス版第25章の最初の部分と第27章とに利用されている。

それは信用制度の本格的な分析ではなくて,信用制度下の利子生み資本を論じるための準備的考察である。

1)~4)節で利子生み資本の概念的把握を終えたあと、5)で信用制度下の利子生み資本を論じようとするのであるが、その前に信用制度を準備的に考察して置こうというのが、 I),Ⅱ),Ⅲ) 項に入る前の前段の意義である。

しかし I) 項は実際には利子生み資本には入っていない。ここは「なお若干のとくに経済学的な論評を行なわなければならない」ということで書き加えられた部分である。したがって、もう一つの前段ということになる。

信用制度下の利子生み資本を論じるのはⅡ),Ⅲ) 項ということになる。

 

(3)貨幣資本(monied capital)と貨幣資本(Geld capital)

マルクスの草稿では,信用制度下の利子生み資本としての貨幣資本には圧倒的にmonied capitalという英語表現のタームが使われ,それにたいして資本の循環形態としての貨幣資本にはほとんどGeldcapitalというドイツ語のタームが使われている。

貨幣資本には架空の(名目的な)貨幣資本がふくまれる。すなわち、有価証券のように確実な収益にたいする支払指図のばあい、株式のように現実の資本にたいする所有権原のばあいである。

同一の資本や同一の債権が,さまざまな手のなかで,さまざまな形態をとって現われる。そうすると,すべての資本が2倍、3倍になるように見える。

 

(4) 貸付可能な資本あるいは貸付可能な貨幣資本

貸付可能な資本〔loanableCapital)も貸付可能な貨幣資本〔loanable monied Capital)も頻出する用語である。

貸付可能な資本〔loanable Capital〕の蓄積こそは,われわれがここで取り扱わなければならないものである。そこには国債、株式その他の各種の有価証券がふくまれる。

信用システム〔Creditsystem〕の発展している諸国では,貨幣資本は,すべて銀行業者および貨幣貸付業者〔money lenders〕のもとに預金の形態で存在する。

貸付可能な資本の大きさは通貨〔Circulation〕の量とはまったく異なるものである。

貸付可能な資本の蓄積が,現実の資本蓄積を示すわけではないことは明らかである。

生産規模が同じままであるかぎり,それはただ,生産的資本に比べての貸付可能な貨幣資本の過剰をもたらすだけである。

全体として見れば,貨幣資本の運動(利子率に表現されるそれ)は生産的資本の運動とは逆なのである。

貸付可能な貨幣資本への貨幣の転化は,生産的資本への貨幣の転化よりもはるかに簡単である。

貨幣資本の蓄積は現実の蓄積にはまったくかかわりなく,たんなる銀行制度の拡張や通貨準備〔currencyReserve〕の動員によっても行なわれる。

支払手段の準備ファンドも、短期間ならいつでも貸付可能な資本〔loanablecapital〕に転化されうる。

こうして貸付可能な貨幣資本は現実の蓄積からはまったく独立に増大する。

利子はただ平均利潤の一部分でしかない。同じ資本が二重の規定で現われるのである。すなわち,貸し手の手のなかで貸付可能な資本として現われ、機能資本家の手のなかでは産業資本または商業資本として現われるのである。

貨幣市場〔moneymarket〕では、すべての貸付可能な資本がつねに総量として機能資本に対立している。貸付可能な資本の供給と需要がそのつどの利子率の市場価格を決定する。

従って、利子の市場率はたえず動揺する。それは,商品の市場価格と同様に,各瞬間に固定的な大きさとしてつねに与えられている。

信用制度の発展は、貸付可能な資本に一般的社会的な性格を与えるようになる。

貨幣資本(貨幣市場での資本)は現実に次のような姿態をもっている。

* 貨幣資本は共同的な要素として,個別部面の生産上の諸要求に応じて,資本家階級のあいだに配分される

* 貨幣資本は、大工業の発展につれてますます集中され組織される。そして社会的資本を代表する銀行業者の統制のもとに、現実の生産とはまったく違った仕方で現われる。

* 貨幣資本は、貸付可能な資本の大量のマスとして貨幣市場に登場する。それには一階級(産業資本家と商業資本家)全体の需要という重みが相対している。

 

マルクスは当初、「貸付可能な貨幣資本」という言葉を重要な概念とは考えていなかった。

① 最初にこの言葉を使ったのは、ラムジからの引用である。このときは銀行業者らのつかう「月並みな文句」と考えられていた。

② ところが貨幣資本を論じる内,貨幣資本が貸し手のなかでは「貸付可能な資本」として現われていることが認められる。

③ そのうち、「利子率はloanableCapitalの需給によって決まる」ということが積極的に述べられるようになる。

④ さらに「貨幣市場にある資本すなわち貸付可能な資本は需給関係を決める一方の要素であることが確認される。

⑤ 最後に,「貸付可能な資本」こそ,「貨幣市場での資本」である貨幣資本が現われるときの姿態であることが示される。

ただしこの過程は、すでに「1861-1863年草稿」のなかで確立されている。

「1861-1863年草稿」ではこう書かれている。

蓄蔵貨幣は,鋳貨の準備ファンドとして機能しないかぎり,蓄蔵貨幣そのものに過ぎない。それは凝固し自立化し保存された商品であった。

しかし,資本にとっては遊休資本…自己自身で価値増殖できずに貨幣の形態で遊休している資本である。

貨幣蓄蔵者と妄想をともにしない資本家にとっては,資本のこの遊休形態は不生産的資本である。

利潤をもたらす資本として使う必要がなければ,少なくとも利子生み資本に転化されるべき資本である。つまり貨幣資本として市場にある貨幣なのである。

 

貸付可能は貨幣資本は、広義の「貨幣資本」のうち,貨幣市場で需要に対する供給として現われる。

貸付可能貨幣資本のかなりの部分は架空なものである。それは価値ではなく、価値への権原である(それは価値商標たる紙幣と同様である)。

 

(5) 現実資本,実物資本,再生産的資本,再生産過程

エンゲルス版では「貨幣資本と現実資本〔wirkliches Kapital〕」という表題がつけられているが、実はマルクスは「現実資本」という言葉をほとんど使っていない。

草稿での「現実資本」の出現箇所

事業,鉄道などにたいする所有権原は,たしかに現実資本にたいする権原ではある。とはいえ、この資本にたいする処分権を与えられたものではない。この現実資本が生産した剰余価値の分前にたいする権原にすぎないのである。

それは積荷証券が,積荷とは別個に,あたかもある価値を与えるかのようである。

現実資本はそれらとは別個に存在している。これらの複製が持ち主を換えても、現実資本の持ち主は変わらない。

「現実資本」は,「架空資本である利子生み証券」に対置するために用いられている(だけである)。

それでは、貨幣資本との関連が問われる場合はどのような言葉が使われるか。それは「実物資本」(reales Capital)である。しかし実際には「生産的資本」および「商品資本」が用いられることが圧倒的に多い。

同じようにエンゲルス版に頻出する産業資本という言葉もエンゲルスの造語であって、マルクスは「生産的資本」と表現している。

マルクスは冒頭で,貨幣資本(moniedcapital)と貨幣量との関連について問題を立てながら,それについて未解答のままこの「Ⅲ)」を終えている。

エンゲルスは,彼の第30-32章では残されたままになっている貨幣資本と貨幣量との関連の問題についても論じられなければならないと考えた。

そして「混乱」および「[混乱。続き]」のなかから、彼がそれに関わると判断した部分を集め,「第33章信用システムのもとでの流通手段」および「第34章通貨主義と1844年のイギリスの銀行立法」の二つの章をまとめた。

一口に「貨幣の量」と言っても,さまざまの貨幣量が考えられる。

広義の流通手段(フロー)として民間に存在している貨幣の量がある。それは,具体的には鋳貨の準備ファンドおよび支払手段の準備ファンドとして存在している。

もう少し狭く採れば、蓄蔵貨幣(ストック)として生産者や商人の手もとに,あるいは銀行の金庫に遊休している貨幣の量がある。

草稿では、通貨の量はすべての銀行券と地金のことだとしている。現在では地金の量は相対的に無視できるので、日銀券の発行残高(マネタリー・ベース)と考えて良いだろう。

貨幣資本〔monied capital〕の量は通貨〔Circulation〕の量とは異なる。貨幣資本の量は通貨の量からは独立して変動するものである。

 

(7) 商業信用と貨幣信用

Ⅲ) での考察の対象は「信用制度」そのものなのか,それとも「信用制度のもとでの利子生み資本である貨幣資本」なのか。

Ⅲ)では,「信用」はすべて「商業信用」を意味している。銀行業者の信用はふくまれていない。銀行業者の信用は「貨幣信用」という言葉が用いられている。

現行版25章冒頭では、「われわれはただ商業・銀行業者信用だけを取り扱う」となっているが、草稿では「われわれはただ商業信用だけを取り扱う」となっており、銀行業者信用が付け加えられている。

商業信用についても、Ⅲ)までのどこかで,「再生産で仕事をしている資本家が互いに与え合う信用」についてさまざまに説明した後、これを「商業信用」と呼ぶことにし,そこではじめて実際に,この語をその意味で使うのである。

商業信用とは「再生産的資本家たちが互いに与え合う信用」のことであり、徹頭徹尾,再生産過程の内部での現実資本相互の関わりである。

「純粋に商業的な」という語は,けっして「生産的」または「産業的」にたいするものではなく,「貨幣的」ではないという意味である。

商業信用と結びついた還流の順調さは,貸付可能な資本〔loanableCapital〕の供給を,それへの需要の増大にもかかわらず,確実にして,それをその水準に維持する。

低い利子率は,商業信用がわずかな度合いでしか貨幣信用〔moneyedCredit〕を必要とせず,まだ曰立していることを表現している。

他方では,準備資本なしに事業をやる騎乗者(相場師)たちが,目につく程度に入ってくる。

バブルの説明

生産的な蓄積とは関連しない貨幣資本の蓄積(過剰)が生じることがありうる。

生産的資本が収縮している局面では、以前は稼ぎのある事業〔active business〕で充用されていた貨幣資本が、遊休した貨幣資本〔unemployed monied Capital〕として現れる。それは生産的資本の停滞を表現している。

もう一つは景気の回復局面である。好転は始まってはいるが、まだ商業信用が貨幣信用〔moniedcredit〕をほとんど必要としない。生産的資本家は貨幣資本家に条件を指定するため、利子率は低くなる。

「銀行信用」はけっして銀行業者の信用すなわち銀行業者が与える信用ではなくて,預金という銀行業者が受ける信用のことである。

 銀行業者が与える信用はさまざまな形態で,たとえば,銀行業者手形,銀行信用〔Bankcredits〕,小切手,等々 と、二義性を持っているので使わない。

 「商業信用」は徹頭徹尾,再生産過の内部での現実資本ホM:の関わりであり,貨幣資本(mon118iedcapital)|こたいする現実資本の運動に属するものであること,「純粋に商業的な」という語は,けっして「生産的」または「産業的」にたいするものではなく,「貨幣的〔monied〕」にたいするものである,ということである。

この場合の「前貸」は,それ自体としてはけっして利子生み資本の運動形態としての「貸付」を意味するものではないのである。

 

 (8)信用システムと信用制度

a.信用システム(Kreditsystem))

 債務の蓄積が資本の蓄積として現われうるというこの事実こそは,信用システムにおいて生じる歪曲の完成を示す

 商業信用は,信用システムの土台をなしている。この信用システムは,現金支払をする必要をなくしてしまうものではない。

信用システムの発展している諸国では,貨幣資本は〕は,すべて銀行業者および貨幣貸付業者のもとに預金の形態で存在するものと想定することができる。

実体的富の増大につれて,貨幣資本家のI偕級が増大する。というのは,利子で生活する引退したgreengrocerの数が増加し、,それとともにまた銀行業者などが増加する。

信用システムは,貨幣システム(Geldsystem)の上に築かれて,それが十全に機能しているときには貨幣システムに対立して貨幣システムにとって代わるようにさえ見えるが,しかし結局のところ,それは発展した貨幣システムにほかならないのであって,けっして貨幣システムから自らを解き離すことができない。

生産者や商人のあいだで行なわれる相互の前貸は信用制度の本来の基礎をなしている。

それと同じように,彼らの流通用具である手形は、本来の信用貨幣(銀行券)の基礎をなしている。

すなわち,これらのものの土台は貨幣流通(金属貨幣であろうと国家紙幣であろうと)ではなくて,手形流通なのである。

これに対し信用システムは近代的銀行制度であり信用・銀行制度である。

銀行業者が与える信用はさまざまの形態で,たとえば,銀行業者手形,銀行信用〔Bankcredits〕,小切手,等々で,最後に銀行券で,与えられることができる。銀行券は,持参人払いの,また銀行業者が個人手形と置き換える,その銀行業者あての手形にほかならない

銀行券を発行する主要銀行は,国立銀行と私立銀行との奇妙な混合物として事実上その背後に国家信用をもっていて,その銀行券は多かれ少なかれ法貨でもあるからである。

銀行業者にとって,預金の形態にある貸付可能な資本は,それが現金で預金されることによって形成されたものであろうとも,他人から受けた信用なのである。

このような「信用での取引」の外部にあって,その基礎となるものが,信用制度の理論的前提であり,歴史的先行者であって,それ自身は信用制度を前提しない,実物資本相互間の商業信用なのである。

b. 信用制度〔Kreditwesen〕

 ここまで、信用システムと信用制度との区別と関連を見た。

こんどは「信用制度〔Creditwesen〕」というタームを使っている箇所を見よう。

①「利子率の長期にわたる変動は一般的利潤率の変動によって制約される。国の相違による利子率の相違は、利潤率と信用制度の発展とにおける相違によって制約される。

②生産的資本家が行なう蓄積は実体的なものである。それは再生産に向けられる資本の諸要素について行なわれる。
これにたいして,貨幣資本家が行なう蓄積は、直接にはつねに貨幣形態でイテなわれている。
だから,信用制度の発展や貨幣業務の巨大な集積(すなわち貨幣資本家による蓄積)は,現実の蓄積とは異なった形態として促進される。

③(貨幣)資本の蓄積は,現実の蓄積の所産であるにもかかわらず,それとは区別される特殊な形で現れる。
この特殊的部類の資本家の蓄積は,現実の再生産過程の拡大に伴って信用制度が拡張されるごとに増大する。

④(当座預金は)だんだんと(再投資のために)消費されて行くが,そのあいだは預金として銀行業者のもとで貨幣資本を形成する。
だから,信用制度とそれの組織との発展につれて,消費の増大さえも貨幣資本の蓄積として表現される。

⑤貨幣資本の蓄積は現実の蓄積からは独立しているが、それに随伴する。様々な理由でそれは現実の蓄積を超えて膨張する。
だから循環の局面ではつねに貨幣資本のプレトラが生じる。信用制度の発展につれて,このプレトラは発展し、生産過程をそれの資本主義的諸制限を乗り越えて駆り立てる。
それが過剰取引,過剰生厳,過剰信用を発展させることになる。

⑥同じ額の貨幣が、何度貨幣資本として役立ちうるかは,諸支払の節約に,すなわち信用制度の発展および組織化にかかっている。

⑦信用制度の発展につれて,ロンドンのような集中された貨幣市場が創造され,それが同時に,これらの証券の取引の中心地にもなる。

以上の用例のように、この「Ⅲ)」では信用制度そのものが論じられているのではなく、信用制度のもとでの利子生み資本すなわち貨幣資本が論じられていることがわかる。

(9)残された問題

以上,「Ⅲ)」に登場する基本的なタームを見ることで、内容を解題してきた。

「残された問題」はこの草稿の完成度の評価であろう。

マルクスは次のように問題を提起している。

「さて,二つの問題に答えなければならない。第1に,貨幣資本の蓄積は,生産的資本の蓄積とどのような関係にあるのか?
第2に,それは,なんらかの形態で国内にある貨幣量とはどのような関係にあるのか?」

ここまでのところでは、まだこの二つの問題に答え切っていない。その意味では,この「Ⅲ)」(第30-32章:貨幣資本と現実資本)では,最終的な解答が出され・ていないと見るべきであろう。

このように,提起した問題に総括的なまとめも与えずに終わっているということは,「資本論』の第三部がきわめて未完成のものであることを意味している!

われわれは,マルクスが成し遂げた貴重な分析の成果を読み取るだけでなく,マルクスが残した問題をも読み取って,それを解決する努力をすべきであろう。

マルクスは,「資本論」第2部の全体を書き直す努力を続け,第8稿にいたるまでの膨大な草稿を書き続けた。
第3部第1稿の第5章は,これらの仕事のまえに終えられたものであり,その成果を反映していない。

第3部第1稿の第5章の到達点と限界を知るためには,マルクスが第2部第1稿を完成して以降,第8鎬までの間に、どのような問題をどのように解決したかを知らなければならない。

それによって「Ⅲ)」の部分で残された問題をどのように展開すべきかについて手がかりを得ることができるであろう。

とりわけ再生産過程における貨幣の規定'性(流通手段および蓄蔵貨幣)の転換の問題,蓄積ファンドの積立と投下,固定資本の償却と更新,可変資本前貸における貨幣還流の独自性などが問題になるだろう。

また産業循環との関連では,蓄積率の変動に伴う実物資本の需給の変動が貨幣資本の需要に及ぼす影響の問題などもある。

マルクスは「信用論」を資本論の対象の枠外と考えていた。
『資本論』での「利子生み資本論」を理論的前提にして,「信用」についての「特殊研究」が行われるべきだということである。
それでこそ,「貨幣資本論」を含む信用・銀行制度そのものの立ち入った研究が行なわれうる。(ヒルファーディングの仕事を指すのか?)

とりあえず、以上

継体天皇

wikipedhia より

1.生没に関して

生年は485年となっている。即位507年も信用出来ない。没年は531年とされておりこれはかなり信用できる。没年がはっきりしている天皇の初代は継体であり、それ以前の25人は存在すらも不明確。

上記は生没とも日本書紀によるもので、古事記では485年の生まれ、527年の没とあり、妥当な数字と思われる。42歳の生涯だった。

名は「をほど」という。

5代前に天皇家から分かれたというが、ほぼ平民と見て良いだろう。しかも幼い時に父を亡くし、福井の母の実家で育てられたというから、冷や飯食い豪族の一人だ。

天皇となる経緯についてはるる述べられている(日本書紀)が、それだけ無理筋の即位だったということが示唆される。(日本書紀は、一方で大伴・物部史観、他方で百済史観が貫かれている。古事記との違いはそこから生まれると思うが、継体記についてはとくに不自然な創話が目立つ)

それらはいずれもどうでもよいことで、すべての焦点は、「をほど」が磐井の君を打倒した当事者だということにある。

この磐井の乱が526年、そして継体が大倭(後の大和国)に都を定めたのが526年。そして翌527年には没していることになる。

2.磐井の乱と「をほど」

日本書紀によれば、「をほど」は百済から請われて救援の軍を九州北部に送った。

そのとき、新羅と結んだ磐井よって反乱が勃発した。「をほど」は反乱の平定に苦心した。

ここで変だと思うのは、「磐井を殺し反乱を平定したのは、「をほど」自身ではなく大伴金村、物部麁鹿火の率いる軍勢だった」という記載である。

どこかの馬の骨を拾ってきて、天皇にでっち上げたのはこの二人であり、「をほど」は二人より年下で、パシリで使われる立場だったと思う。

とすれば、ヤマトに腰を落ち着けているのが二人の大連であり、前線に飛び出して鉄砲玉となるのが「をほど」ではないか。

3.日本書紀の百済史観

もう一つ不自然な話がある。百済から「をほど」に直接支援要請は来ないだろうと思う。むしろ磐井の率いる九州王朝から動員がかかったと見るほうが自然ではないか。

文面通りに読めば、百済と新羅が戦争を始めて、百済が劣勢に陥ったということになるが、これは後の世の白村江の戦闘を下敷きにした筋書きではないか。

むしろ逆に、九州王朝が百済と不和に陥り、新羅と連携を図った可能性もある。そして「をほど」は百済派と手を結んで寝返ったというのが分かりやすい構図ではないか。

磐井の乱の数十年前、倭王武は安東大将軍の地位にあった。たとえ名目上といえども、百済も新羅も統括すべき立場にあったのである。飛鳥期以降のように百済一辺倒ではないはずだ。

4.譲位と死

日本書紀によれば、531年、皇子の勾大兄(安閑天皇)に譲位(記録上最初の譲位例)し、その即位と同日に崩御した。

これには2つの反論がある。一つは日本書紀の生年が嘘だから、没年も信用出来ないということだ。

古事記に従って527年に死んだということなら、磐井の乱の闘いのさなかに死んだことになる。それを嫌った創話ではないか。日本書紀ならやりかねない。

もう一つの謎は、日本書紀が引用している百済本記だ。

おそらくその後の天皇について、年数が確定出来たのは百済本記があったからであろう。自虐史観ではないが、この頃の大和王朝にそのような素養があったとは思えない。

ウィキペディアによれば、百済本記は天皇及び太子と皇子が同時に亡くなったとし、政変で継体以下が殺害された可能性(辛亥の変説)を示唆している。

古事記に比べなるべくことを穏便に取り計らおうとする日本書紀が、なぜこのような一文を引用したのかはわからない。

あるとすれば、百済人の大量亡命とともに百済本記が持ち込まれ、そこに「をほど」に関する記載があるのを発見して、つい飛びついてしまったのかもしれない。

なお百済本記で531年に天皇が死んだことは明らかだが、それが「をほど」だったとは書かれていない。


古事記に従えば、福井の田舎の成り上がりの豪族が、5代前の天皇の血筋を引いているとか言って、現人神にまで上り詰めたわけだ。

それができたのは世が麻のごとく乱れていたからに違いない。

何がどう乱れていたのか。

少なくとも40年位前までは倭王朝があり、武を含む五王が君臨し、朝鮮半島南部をふくめ安東大将軍を名乗り、それを中国の朝廷も認めていたわけだ。

それが継体天皇以降は霧のごとく消滅している。乱れといえばこれ以上の乱れはない。

その乱れは徹底的なものであったに相違ない。文書も記録もそれを作成し使用していた人々も全くいなくなってしまったのだから。

殺しつくし焼きつくすジェノサイドが存在したと考えるほかない。まさに倭国大乱である。しかしその割には天皇の死亡記事まで記録している百済本記に、大乱の記録がないのもおかしい。もっとも原本はないのだから、記録がなかったとも言い切れないが。



むかし、大野晋さんの本を読んで、日本語とタミール語が同根だという説を知った。
彼らの顔はどう考えても日本人と共通点はない。およそ親近感を感じない民族である。
ただ、長江文明を知ってから考えが変わった。
タミールは荒唐無稽としても、チベットからシッキム、ブータン、アッサム、インドシナ北部から中国南部の山岳地帯に住む民族は長江文明の流れをくむのではないだろうか。
その帯は一旦途切れて、日本へとつながっているのではないだろうか。
上山春平のように照葉樹林帯として風土から生活習慣の共通性を説明しようとするのがオーソドックスではあろうが、文化の近似性はそれだけでは説明しきれないような気がする。
山の斜面に棚田を切り、それでもダメなら陸稲で、という稲作への執念にも似たこだわりは、一つの文明といえるような気がする。
お絵かきが下手で、うまく描けないが、こんな感じはどうだろう。

china_2
紀元前5千年ころ

china_river
紀元前3千年ころ

china_4
紀元前1千年ころ

日本には樺太から南進してきた縄文人が先住しており、紀元前千年ころから長江文明の流れをくむ弥生人が入り始めた。そして紀元前500年ころには大阪と敦賀を結ぶ線くらいまで、紀元前後には海岸沿いに沼津、富山あたりまで前進した。縄文人は狩猟採集民族であるから、稲作農民との葛藤なく共存し得たが、人口密度から言えば、稲作農民の比ではなかった。一部は稲作農業を受け入れたものと思う。
朝鮮では三韓地方が長江文明の流れであり、紀元前300年ころには漢の影響を受け、その代理人である扶餘(天孫)族が馬韓の地に百済を起こした。弁韓も程なく同様の体制に入ったものと思われる。これらの地の弥生人は相当数が九州に移住した可能性がある。
やがて辰韓には新羅、弁韓の地には任那が建ち、海峡を超えて九州北部も支配した。任那はやがて本拠を九州に移し倭国を起こす。出雲は同じ天孫族でも新羅由来かもしれない。神功皇后は越前の生まれで新羅の出自ではなかったか。
天孫族は基本的にはノルマン人と同じ傭兵集団であり、弥生人を駆逐することなく、その上に君臨した。しかし弥生人の文化(銅鐸に代表される)は拒否し、破壊し天孫信仰を強制した。

「輸出価格が下がらない」というのは、「エコノミスト」の受け売りのようだ。

週刊「エコノミスト」の4月1日号「特集:景気大失速 輸出」で日鉄住金総研チーフエコノミストの北井さんという人が、「景気の牽引役はもはや無理 円安が進んでも輸出は増えない」というレポートを書いている。

そのなかで、

円安が進んだわりになぜ輸出が増えていないのか。その理由は三つ指摘できる。①輸出価格の設定方法の変化、②製造業の海外生産シフト、③新興国を中心とした外需の低迷──だ。

と書いてある。(以下お読みになりたい方はご購読を)ということで、中身はわからない。阿修羅あたりでコピペしてくれないかな。

これは、日銀の石田審議委員も指摘している。

輸出物価の変動幅が円相場の変動幅に比べ、小さい。円安に振れた割には価格が下がっていない。…一部の企業においてマージンを第1で、数量を第2にしている

内閣府が発表した「日本の活力の発揮に向けて」というレポートでは、

(3)企業の価格設定行動(輸出品を例に)

付加価値生産性を高めるには、販売価格の設定も重要である。

我が国企業の輸出については、これまで、為替が円安方向に変化した際に、現地販売価格(ドル建価格)を引き下げて、販売数量を拡大しようとする価格設定行動がみられた。

しかし、2012年11月以降の輸出価格の動きをみると、現地価格の引下げは抑え(円建輸出価格を引き上げて)、収益を拡大する傾向が出てきている。

下の図は財務省「貿易統計」、内閣府「景気動向指数」「企業行動に関するアンケート調査」、日本銀行、IMF、OECDにより作成したもの

kakakusettei

以前であれば5%程度を戻しても、残りは価格引き下げに回し、シェア拡大を計った。しかし今回は15%を利益確定してしまっている。

kakakutosuuryou

しかし実績の輸出数量は、価格設定要因だけでは説明出来ない伸び悩みを示している。これは海外需要の弱さ等を示唆している。


といったあたりが、輸出価格の高止まりをしめすデータ。ただこういった企業行動の背景に踏み込んで、データで示した資料はなく、ブログ主の推量のみ。

私が想像するには、たとえば自動車だったら、現地生産の自社製品とのバッティングを恐れているのではないだろうかということだ。念頭にあるのは日本のことより我が社のことだ。だとすればずいぶんケツの穴の小さい話ということになるが…

明治大学の野中先生に対する昭和ホールディングスの「スラップ訴訟」の判決が出た。
「名誉毀損」とされた雑誌「経済」の記事について、「重要な部分について真実だ」として訴えを退けた。
民事であるから、負ければ裁判費用の負担が原告側にかぶさることになる。
いい気味だ。
反訴については棄却されたが、「事実」ではなく「真実」という認定に司法側の思いは感じられる。「スラップ訴訟がいつまでも黙認されると思うなよ」という気迫だ。
昭和ゴム乗っとり関連については以下をご参照ください。


赤旗で「なるほどけいざい」というシリーズが始まったが、出だしから不調だ。
今回は貿易赤字についてだが、雑然としていて、締りがない。
とにかく貿易赤字をバフラっと考えてもしかたがないわけで、原油問題、円安問題、構造問題と最低でも3つに分けて考えなければならない。さらに中国問題は特別に章立てして論じなければならない。
とりわけ問題となるのが構造問題であろう。円安でも輸出が伸びない問題と、国内産業の空洞化をもっと有機的に関連付けなければならない。それでないと説得力をもって政策転換を迫る材料とはならない。

本日の記事では、工藤昌宏さんという経済学者が「輸出の弱まり」の4つの要因を上げている。
1.大企業による生産拠点の海外移転。
2.大企業の利益優先体質で円安でも輸出価格が下がらないこと。
3.日本企業の技術競争力・コスト競争力の低下
4.海外市場の停滞
を上げている。
このなかで2.項が初耳だが、具体的にわからない。少し根拠になる数字を上げてもらいたい。
ドル表示価格が下がっていないということだろうが、どの産業分野で、なぜ下げないのか、下げないでもやっていけるのか、なぜそれが利益優先体質に基づいているといえるのか、などがわからない。



AFPの配信で、パタゴニアで世界最大の恐竜の化石が発掘された。
1億年前の白亜紀に生息していたチタノサウルスという草食恐竜だという。
重さはアフリカゾウの14倍に相当するそうだ。
赤旗はかなり端折っている。もう少し詳しく紹介する。
【AFP=時事】アルゼンチンのパタゴニア(Patagonia)地方でこれまでに見つかった中で世界最大とみられる恐竜の化石が見つかった。
  地元アルゼンチンとスペインの合同調査チームによると、この恐竜は約9000万年前の白亜紀に生息していた竜脚類の恐竜チタノサウルス (Titanosaur)の新種とみられている。四足歩行をする草食恐竜で、首と尾が長く、体重は約100トンとアフリカゾウ14頭余りに相当。体長は 40メートルとされ、大腿(だいたい)骨の化石は調査に携わった古生物学者より大きかった。
 従来最大の恐竜とされていたのは、同じくアルゼンチンで発掘されたアルゼンチノサウルス(Argentinosaurus)で、体長は推計36.6メートルだった。
  このほか発掘現場からは、年齢が若いものを含めて少なくとも7頭の恐竜の化石が個別に見つかった。調査に加わった8人の研究者のうちの1人であるホセ・ル イス・カルバリド(Jose Luis Carballido)氏は、「この種類の大型恐竜の発見としては世界で最も完全な形であり、科学的に極めて重要な発見」だとコメントした。
  2011年に首都ブエノスアイレス(Buenos Aires)から約1300キロ南のチュブト(Chubut)州で農業作業員が長さ約2.4メートルの脚の骨を偶然見つけ、この化石の発見につながった。 13年1月に発掘調査が始まり、尾と胴体、首の部分の化石が揃ったことで、生息当時の恐竜の全体像が明らかになった。
 カルバリド氏によると、調査チームが発見した骨は、胴体の脊椎骨10個と尾の骨40個、首の一部と脚全体。現場にある骨のうちこれまでに発掘されたのは20%程度とみられており、今後さらに見つかりそうだという。
以上全文

くじらのように海中で生活するならともかく。陸上でこのような生命が存在し得たことが奇跡だ。ちなみにシロナガスクジラは体長 20~30m 体重 100~160t で1日の補食量は約4t とのこと。
1.それは力学的に可能だろうか。
2.それを支える循環系、栄養・代謝は維持可能だろうか。
3.このような一個体への過度の集中は、個体の維持・種の保存という観点からは非効率ではないだろうか
4.にもかかわらず、大型化を促す進化論的インセンティブがあったとすれば、それはなにか

1.それは力学的に可能だろうか。
大腿骨の写真が掲載されているが、直径は50センチほどだ。この脚4本で、100トンを支えることはできるのだろうか。関節は可動性を保てるのだろうか。
恐竜絶滅の謎
というサイトに次のような記述があった。
筋肉・骨について考えてみよう。 筋肉は筋繊維が独立して力を生み出しており、 その力の合成の結果が、筋力と考えられる(計算は平面として考えられる)。 つまり、体積(必要なエネルギー)は3乗に比例するのに対し、 筋肉・骨は2乗で比例する。
ということは、体を2倍にしようとすれば筋肉の量は4倍にならなければならないということだ(なにか騙されているような気もするが)。

2.それを支える循環系、栄養・代謝は維持可能だろうか。
循環血液は体重の8%前後として、8トンだ。これを循環させて酸素と栄養を送るためには、毎分あたり1トンの血液を拍出しなければならない。血液の粘性抵抗(Viscocity)を考えれば、渦流を作らない心拍数はどうやっても50/分止まりだろう。とすると一回の拍出量が200リットル、駆出率80%と仮定しても心臓の拡張期容量は250リットルということになる。小錦がすっぽり入る大きさだ。そのような大型ポンプが心筋の収縮だけで動かせるのであろうか。大型の弁膜が果たして十分な強度をもって、そのスピードに追随できるだろうか。
これは恒温動物の場合だから変温動物では変わってくるかと思ったが、次のような記事が見つかった。
恐竜の心臓化石をCT検査、温血動物説の確証
「コンピューター分析で鮮明に写し出された胸部画像によって、単にこの標本が心臓を残していたというだけでなく、それが4つに区分され2つのポンプを持つ心臓で、大動脈を1本だけ持つものである可能性が高いことがわかった。(恐竜は)爬虫類よりも哺乳類や鳥類の心臓に近いということだ」

3.このような一個体への過度の集中は、種の維持という観点からは非効率ではないだろうか
1頭の恐竜が生きていくための草場は広大なものが要求される。象の14倍ということは、象の14倍の草場が必要ということだ。くじらのオキアミ40トンは、葉っぱの数百トンに相当するだろう。
首の長いのはキリンと同じで、高所の葉を取ることに適応したものであろうが、そのような熱帯の密林が移動に適したものである可能性は低い。疎林であればたちまち生存の危機に瀕するであろう。
生殖のためには隣接する群れが必要だが、群れ同士の間隔はますます遠ざかる。もし群れ内部での生殖を繰り返すようになれば、その群れは必ず滅びることになる。
ところで下世話な話だが、どうやって性交するのだろうか。
たとえば恐竜に近いと言われる鳥の交尾については、下記の解説が簡潔明瞭
先日、鳩の交尾を見ていて思ったのですが


Bn3VGNBIEAAehUv
00c93576-s
c405d6c3-s
http://www.bbc.com/news/science-environment-27441156




今朝の「潮流」がとても良いので、引用させてもらう。

NHKIの朝のドラマ「花子とアン」のタイトルバックに出てくるアンと緑の美しい風景は、モンゴメリの小説「赤毛のアン」の舞台、カナダの東海岸の湾に浮かぶ平和な島です。
カナダは100年前の1914年、第一次大戦が始まると、自動的に参戦しました。イギリスから戦争の遂行について相談がなく、首相ですら新聞記事以上のことを殆ど知らなかったという、大英帝国の自治植民地でした。
人口800万人の国で、18歳以上の男性63万人を遠くヨーロッパの西部戦線に送り、塹壕のなかで6万人余りを戦死させました。
…戦争が終わり、みずから志願しながら負傷して帰ってきたアンの長男は「僕は戦争というものを十分見てきたから、戦争など起こりえない世界を作らなければ」と語ります。(一部改編。詳しくは日刊「赤旗」をご購読ください)

集団的自衛権は、このような自動参戦の可能性を秘めているということだ。アメリカが出動を要請すれば、閣議決定で自動参戦しなければならない。命令を受けた軍隊は見知らぬところに行って、見知らぬ人を殺さなければならないのだ。

安部首相ら狂気の集団は、人を殺すことはためらっても、人に殺させることについてはなんのためらいもない。いまの我々の闘いは、こういう狂気との闘いだということを肝に銘じておこう。

「STAP細胞の発見」に舞い上がったものの一人として、一応自分なりにもけりをつけるべきだと思い、「研究論文の疑義に関する調査委員会」の最終報告書を読んだ。

要約を紹介する。

結論は、STAP細胞は捏造であり、小保方氏は悪意を以って誤った情報を流したということになる。あり得べき最悪の結論である。

公式報告書という性格上、かなり抑えられた書き方ではあるが、小保方氏は明確に断罪され、笹井氏は監督責任以上の関与も示唆されている。

今後は理研全体のあり方が追及されると同時に、小保方氏個人の捏造に至る心的機転の問題も問われていくことになろう。

「DNAの脱メチル化」などとはしゃいだ私のけじめはどうしたら良いのか、前向きに思案中である。


平成 26 年 3 月 31 日

研究論文の疑義に関する調査報告書

研究論文の疑義に関する調査委員会

1 経緯

 平成 26 年 2 月 13 日、監査・コンプライアンス室長は、「科学研究上の不正行為の防止等に関する規程」に基づき、当該相談を通報に準じ予備調査を実施した。

予備調査の結果の報告を受け、平成 26 年 2 月 17 日、本調査委員会が本調査を行うこととなった。

2 調査の内容

2-1 調査目的

以下の論文に関して「研究不正」が認められるかどうか調査した。

(1)Obokata et al., Nature 505:641-647(2014) 論文

(2)Obokata et al., Nature 505:676-680(2014) 論文

指摘された問題点は以下のごとくである。

(1-1)Figure 1f の d2 及び d3 : 矢印で示された色付きの細胞部分が不自然に見える点

(1-2)Figure 1i: 電気泳動像においてレーン 3 が挿入されているように見える点

(1-3)Methods の核型解析に関する記載部分: 他の論文からの盗用であるとの疑い

(1-4)Methods の核型解析の記述: 実際の実験手順と異なっている

(1-5)Figure 2d, 2e: 画像が小保方氏の学位論文に掲載された画像と酷似する

(2-1)Figure 1b(右端パネル)の胎盤の蛍光画像と Fig. 2g(下パネル): 両者が極めて類似している

2-3 調査方法

平成 26 年 2 月 20 日から同年 3 月 31 日までの間、関係資料の収集・精査及び関係者のヒアリングを行った。

資料は、論文に掲載された実験のオリジナルデータ・ラボノート、論文作成過程を示すファイル、調査対象者らから提出された書面、調査対象者の間の電子メール、実験に使用された機器類等に関するものである。

委員会は、これらの資料・ヒアリング結果を基に審議をした。

2-4 調査結果及び評価(見解)

(1-1)矢印で示された色付きの細胞部分が不自然に見える点

調査結果

 論文に掲載された画像は、提出されたライブイメージング画像の1コマと考えてよい。

評価(見解)

動画からこの図を作成する過程には、改ざんの範疇にある不正行為はなかったと判断される。

(1-2)電気泳動像においてレーン 3 が挿入されているように見える

調査結果

図は 2 つの電気泳動ゲルを撮影した2枚の写真に由来する加工画像であることを確認した。

画像加工時には、標準 DNA サイズマーカーではなく、隣接するレーン 4 のそれらに合わせて図の挿入が行われた。

ゲル 2 のレーン 1 の写真が単純に挿入されたものではなく、縦方向に約 1.6 倍に引き伸ばす加工をし、コントラストの調整も行われていた。

評価(見解)

論文に掲載された画像が、2枚の別々に電気泳動されたゲルの写真から作成された合成画像であることは、画像の詳細な解析から間違いない。

科学的な考察と手順を踏まないで、2枚の異なるゲルのデータをあたかも1枚のゲルで流したかのように錯覚させている。これはデータの誤った解釈を誘導する危険性を生じさせる行為である。

よって、改ざんに当たる研究不正と判断した。この改ざんは容易に見抜くことができるものではなく、小保方氏の単独責任である。三氏については、研究不正はなかったと判断される。

(1-3)、(1-4)について

(1-5)Figure 2d, 2e: 画像が小保方氏の学位論文に掲載された画像と酷似する

調査結果

2 月 20 日に笹井氏と小保方氏より、STAP 細胞(脾臓の造血系細胞から作製したとされる)からの分化細胞とされる画像に関して申し出があり、これに関する資料の提出を受けた。

申し出の内容は、この画像が実際には骨髄の造血系細胞から作製した STAP 細胞の画像だったということだった。またテラトーマの免疫染色データ画像の一部も脾臓由来ではなかった。

小保方氏から、画像の取り違えをしてしまったとの説明を受けた。

その後、この画像は、小保方氏の学位論文に掲載された画像と酷似することが判明した。これについて小保方氏の事前の言及はなかった。事後に、学位論文のデータは、学術雑誌への投稿論文に転用しても問題ないと理解していたとの説明を受けた。このため小保方氏は転用について言及する必要はないと考えていた。

しかし、学位論文では骨髄由来細胞を、機械的ストレスをかける(細いピペットを通過させる)ことにより得られた球状細胞塊形成細胞が用いられているが、論文では生後1週齢のマウス脾臓由来細胞を酸処理することにより得られた細胞(わゆるSTAP細胞)が用いられている。従って実験条件が異なる。

小保方氏は、単純に間違えて使用してしまったと説明したが、そのことは2つの細胞の条件の違いを十分に認識していなかったことを示唆する。

委員会では、実験ノートの記述や電子記録等から、上記各画像データの由来の追跡を試みた。しかし3年間の実験ノートとしては2冊しか存在しておらず、その詳細とは言いがたい記述や実験条件とリンクし難い電子記録等から、これらの画像データの由来を科学的に追跡することは不可能であった。

評価(見解)

データの管理が極めてずさんに行われていたことがうかがえる。由来の不確実なデータを、科学的な検証と追跡ができないまま投稿論文に使用した可能性もある。

酸処理という極めて汎用性の高い方法を開発したという主張がこの論文1の中核的なメッセージであり、図の作成にあたり、この実験条件の違いを小保方氏が認識していなかったとは考えがたい。

小保方氏によってなされた行為はデータの信頼性を根本から壊すものであり、その危険性を認識しながらなされたものであると言わざるを得ない。よって、捏造に当たる研究不正と判断した。

両氏は、捏造に関与したものではないが、データの正当性等について注意を払わなかったという過失によりこのような捏造を許すこととなった。両氏の置かれた立場からすれば、研究不正という事態を招いたことの責任は重大であると考える。

なお、画像の取り違えに関する笹井氏の当初の説明には、不十分なものがあった。このような行為は委員会の調査に支障をきたす恐れがあり、真摯な対応が求められる。

(2-1)論文2:Figure 1bの胎盤の蛍光画像と Figure 2gの胎盤の蛍光画像が極めて類似している

調査結果

 この2つの画像は、いずれも若山氏 STAP 細胞から作製したキメラマウス胎児のひとつを、異なる角度から同氏が撮影したものである。

小保方氏は2つの画像を若山氏から受取り、笹井氏と共に論文用の図を作成した。下の画像は STAP 細胞と FI-SC との比較のためのコントロールとして使用した。その後、笹井氏の執筆の過程で構想が変わり、この画像は不要になった。しかし、そのことに気付かず、削除することを失念した。笹井氏は、校正の過程でも看過したと追加説明した。

評価(見解)

悪意があったことを直接示す資料等は存在していない。規程に定める改ざんの範疇にはあるが、その行為について悪意があったと認定することはできず、研究不正であるとは認められない。

3 まとめ

2つの点について小保方氏に研究不正行為があったという結論に達した。

小保方氏は、科学的に許容しがたいプロセスによる2枚の異なるゲルのデータの切り貼りや条件が異なる実験データの使用など、到底容認できない行為を重ねて行っている。これは研究者としての未熟さだけに帰することのできるものではない。

一方、実験ノートの記述があまりにも不足しているなど、第三者が小保方氏の実験内容を正確に追跡し理解することが困難な状況が明らかとなり、この点も健全な情報交換を阻害していると判断される。

このような行為やずさんなデータ管理の背景には、研究者倫理とともに科学に対する誠実さ・謙虚さの欠如が存在すると判断せざるを得ない。

小保方氏以外の調査対象者について、研究不正は認められなかったが、データの正当性と正確性等について自ら確認することなく論文投稿に至っており、研究不正という結果を招いた。その立場や経験などからしても、その責任は重大である。


日本と双璧をなす、お馬鹿首相のベルルスコーニが、「ドイツ人によれば『カチンの森事件』(ソ連によるポーランド人捕虜の銃殺)はあっ たが、強制収容所はなかったということだ」と発言し、物議をかもしている。
首相といっても現在は犯罪人で、5月から労働奉仕が義務付けられているが、なにせ世界有数のお金持ちだから、政治的影響力は衰えていない。
それで、ミラノ で開いた政治集会で上記のごとく発言したことになっている。
もちろん日本のネトウヨのように本気で「収容所などなかった」と信じているわけではない。「ドイツ人にはそう信じている奴がいる」という強烈な当てこすりだ。
イタリア国民の一部には「ドイツから財政緊縮策を押し付けられた」との不満があり、元首相はそうした世論に便乗して、このような下品な攻撃をかけたわけだ。
ドイツ政府報道官は28日、「愚かすぎる発言で、政府は特にコメントしない」と説明したそうだ。

しかし日本では「愚かすぎる」人物が、愚かさを売りにして、過去を反省することを拒否し、堂々と首相をつとめている。なんとも嘆かわしくやりきれない。

昨日の安倍首相の記者会見をめぐって、天地をひっくり返すほどの議論が沸騰しつつある。

集団的自衛権そのものも重要な争点だが、やはり主要な問題は憲法解釈を閣議で決定してよいかどうかだろう。

内閣の閣僚を選ぶ権限は総理大臣にあるから、閣議と言っても総理大臣の意思一つということになる。時の総理大臣の意思一つで憲法をいかようにでも運用できるというのは、「独裁」と言わずして何なのか。

議論も手立ても尽くすと言っているが、そんなセリフはなんの慰めにもならない。第一、まじめにそう考えている人物なら、こんなことをするはずがないだろう。


それはそれとして、議論の舞台に上がっていない話題を提起しておきたい。

グレーゾーンをめぐるケース・スタディーで提示されている事例は、実のところほとんどが中国を仮想敵国としていることである。

アメリカ艦船が攻撃されるという。「誰に?」、中国以外にない。仮にそれが北朝鮮だったら、アメリカは日本を呼ぶことなく独力で対処するだろう。場合によっては韓国軍を動員するかもしれないが、日本に声をかけることはないだろう。

より面倒になるに決まっているからである。

だから、日本が集団的自衛権を発動するということは、中国と戦争を始めるということにほかならない。

それは中国に対するもっとも危険な挑発行為にほかならない。

問題はそれにとどまらない。より深刻なのは、「中国がそう捉える事になるだろう」ということである。

米中が戦う場面は近い将来においてきわめて想像しにくい。

しかし尖閣で日本と中国が衝突する可能性はきわめて高い。現に中国の軍艦がミサイルの照準を日本の巡視艇にあてるという「偶発事件」が発生している。

ことがどこまで発展するかは、中国側が日本にどのくらい敵意を持つかによって規定される。

このような瀬戸際的挑発は、日本国民に安全を保証するどころか、偶発戦争の危険を押し付けるものにほかならない。

さらに、それは冷えきった両国関係をさらに悪化させ、経済・貿易面でも深刻な影響をおよぼすことになるだろう。

中国新聞の社説はなかなか立派なものである。このまま消えてしまうのももったいないので要約を紹介しておく。

「憲法の解釈変更 砂川判決 論拠にならぬ」

憲法改正ではなく解釈見直しで乗り切ろうとするのは「一強政治」のおごりにしか映らない。

(砂川判決についての見解部分は省略)

我が国ではこれまで、内閣法制局の見解に沿って歴代政権が積み重ね、定着してきた憲法判断がある。憲法9条と自衛権に関して言えば、「集団的自衛権は自衛のための必要最小限度の実力行使の範囲を超える」というのが見解である。

だがいま、法制局を意に沿うものに変え、時の政権の判断で憲法解釈を変える前例が作られようとしている。

憲法とは何か、あらためて問い直さざるをえない。

「信頼はいつも専制の親である。自由な政府は、信頼ではなく猜疑に基づいて建設せられる」

独立宣言を起草した米大統領ジェファソンの演説だ。疑いの眼差しこそが権力を縛る。それを成文化したのが憲法であろう。

だがいま起きているのは、権力の手を縛る道具を権力がいじる矛盾だ。

今日は憲法記念日。憲法を守るのは国民よりもまず権力の側である、という立憲主義の基本を私たちは思い起こしたい。



「慰安婦問題」で「証拠」が出てきた。(本日赤旗「旧日本軍の残虐性で新資料/慰安婦を集める送金記録」)

たしかにジャワなどでの数少ない証拠の他には文書が乏しかった。それをよいことに「証拠があるなら出してみろ」と開き直ってきたのが、安倍首相を先頭とする右翼集団の論法だった。

ところが、その「動かぬ証拠」が掘り出された、というのが記事の内容だ。


1.中国の吉林省公文書館が旧日本軍の発掘資料の一部を公表した。

2.これは53年に長春(旧新京)の日本軍憲兵隊司令部跡から発掘されたもの。

3.数年前から資料の整理と研究が進められてきて、全10万点のうち89点について今回発表された。


資料

1.南京方面の憲兵隊司令官・大木繁の報告書

1938年2月時点で、南京には2万5千の兵が駐屯し、慰安婦は141人を数えた。南京周辺の鎮江にも109人の慰安婦が配置されていた。

2月最初の10日間で、5700人の日本兵が慰安所を利用した。次の10日では8900人が利用した。

2.満州中央銀行の電話記録(1944年11月~45年3月) 

「慰安婦」を集めるために53万円を送金したという記載あり。

吉林省公文書館は、この記録を、「慰安婦制度が日本の国家的行為だという重要な証拠」とのべている。


資料1.を元に計算すると、

全員のフル稼働を前提として、1日4人、6.3人となる。生理中あるいは体調不良者、性病罹患者もいたであろうから、“就労者”にとってはほとんど流れ作業であろう。このような奴隷的酷使を“ビジネス”と強弁するのはさすがに困難だ。

資料2.についてはいまいち素性がわからない。憲兵隊本部跡から出土したものなのかも明らかでない。

おそらく決定的な重要文書は焼却済みであろう。二次的なものが埋められたのだろう。

すでに発掘後60年を経過しており、残念ながら、どうも大したものはなさそうだ。


追加

永井和の日記 というブログに、下記の表がありました。

表1

年末娼妓数:P遊客数:CC/P
192650,800 22,587,440 444.6
192750,056 22,273,849 445.0
192849,058 22,794,221 464.6
192949,477 22,360,170 451.9
193052,117 21,827,730 418.8
193152,064 22,393,870 430.1
193251,557 22,736,341 441.0
193349,302 24,922,504 505.5
193445,705 25,838,776 565.3
193545,837 27,278,106 595.1
193647,078 28,063,451 596.1
193747,217 30,818,981 652.7
193845,289 33,486,192 739.4
193939,984 33,029,826 826.1
194035,120 30,483,731 868.0
194132,294 27,516,747 852.1

平均A:581.0(1926年から1941年のC/Pの平均値)

平均B:821.4(1938年から1941年のC/Pの平均値)

日本国勢総覧』第3巻、p.389、19-57「興業場と遊郭(2)」より作成


ということで、昭和はじめには1日1.2人。それが日米開戦の年には2.3人に増えていることが分かります。

これが国内での“ビジネス”としての相場です。


久しぶりに楽しいニュース
12日赤旗3面
世論激変 「戦争への道」に危機感


1.憲法9条について
9jou

東京新聞の読者は共産党並のようだ。

2.集団的自衛権について
jieikenn


3.地方紙の憲法記念日社説


tihousi

これは赤旗編集部の横着で、どこかのブログの引用というか丸写しだ。しかも地方紙・ブロック紙のうちの28社しか調べていない。ここまで出したのなら、独自に他の地方紙も調査すべきだろう。
首都圏の各県には地方紙はないのか、大阪には地方紙はないのか、被曝圏である広島・長崎が入っていないのはどういうことか。

不肖私が調べたところでは、デーリー東北というのは八戸のローカル紙、山形新聞は「施行から67年、揺らぐ憲法 集団的自衛権に批判も」という一面トップ記事。いささか頼りない。

千葉日報の社説は憲法記念日は素通り、埼玉新聞も同様、下野新聞(栃木)は社説は掲げないが、識者二人の談話(ともに護憲派)を掲載している。上毛新聞は完全中立で他人ごと感。
富山の北日本新聞は「天地人」というコラムで憲法擁護を示した。

中国新聞がどうして抜けているのか分からないが、砂川判決の悪用に絡めて改憲策動をしっかり批判している。

ついでに一度アンケート項目に、「安倍首相をひとりよがりで極右で危険な人物と思うか」という項目も入れてみてほしい。


4月1日の政府閣議で武器輸出三原則に代わる新たな「防衛装備移転三原則」が決定されたそうだ。

不勉強で知らなかった。

どこが違うか、

①紛争当事国でなく国連決議に違反しない、②日本の安全保障に資する、③移転先での適正な管理が確保される

となっている。

これを従来の武器輸出三原則と比較するとこうなる。

①共産国、②国連安保理決議で禁止されている国、③紛争当事国やその恐れのある国、への輸出を禁じる。

ということで、①共産国 がなくなった。ただこれはココムがまだ生きているから、なくてもよい。②と③がひとつになった。「移転先での適正な管理の確保」が付け加えられた。これは良いことだ。問題は3つある。

一つは「紛争当事国となる恐れのある国」への輸出禁止が外されたことだ。

もう一つは「日本の安全保障に資する」というところで、日米安保体制への貢献がそっくり承認されたことだ。

もう一つが、これが一番肝心なことだが、「禁止」という言葉が完全に脱落したことである。原則禁止から原則促進(言葉としては促進とは言っていないが)への転換である。

これは法律ではなく閣議決定であったから、これを変更するのにも閣議決定でOKだ。形式的にはなんの問題もない。

ただ「武器輸出の原則禁止」は、平和主義という日本の国是にかかわる政府方針であるから、物事はそう簡単には行かないと思う。もっと大掛かりな議論があってしかるべきだったのではないか。

「武器」というのは、即物的には人を殺すための道具である。たとえば銃の保持が認められている国であっても、それは変わらない。

たとえ銃が護身用であったとしても、それは「銃器」であり「武器」ではない。武器というのは個人の命を守るためのものではなく、国家あるいはそれに準じる集団を守るためのものである。

即物的に規定するのではなく、目的論的に規定するなら、銃器一般と武器とは明確に分けるべきである。

ウィキペディアによると、

日本は猟銃、弾薬など民間向けの小型武器をアメリカ、ベルギー、フランスに輸出しており、その規模は世界第9位となっている。輸出額の合計は2億4900万ドルになる。

これすらも、あまり認めたくない事実ではあるが、かろうじてパスはするかもしれない。目的論的には「武器」とはいえないからである。

ピケティの名をアメリカで有名にしたのはこのグラフらしい。

アメリカ合衆国における所得上位1%の所得が国民総所得に占める比率の推移を示すグラフである。

ウィキペディアによると、このグラフは「2011年のウォール街を占拠せよ運動に、大きな影響を与えた」そうだ。

Top1percentUSA

ウィキペディアの記述を見ると、なかなか面白い着想がある。

1.不公平拡大過程の分析

アメリカでは上図のようだが、フランスでは60年代に一度拡大したあと80年にかけて下がり、その後は比較的低い水準で推移している。

したがって、資本主義一般の傾向ではなく、国家の再分配政策がかなり左右する政策課題であることが分かる。

しかしより長期的にはグローバリゼーションの規定を受けるだろう。とすれば、短期と中長期に分けて不公平拡大の規定要因を探ることが必要になる。(短期と言っても戦後70年をそれ以前の1世紀と比較するというスパンだが)

2.クズネッツ理論への批判

クズネッツは、不平等の拡大は、長期的には逆U字の曲線を成すもので、生産性の低い部門から高い部門へと労働力が移動することによって、産業革命の開始とともに拡大が進み、やがて縮小していくと主張した。

理論としてはきわめて飲み込みやすい仮説であり、長期の理論としての有効性は否定されてはいないと(私は)思う。

ただクズネッツの前提とした戦後の復興期は特殊な時期であり、全面的に受け入れられるものではない。という、ピケティの批判ももっともだ。

ようするにケインジアンが描いたバラ色の世界はなかったということだ。

ピケティは、より短期の要因である所得の再分配システムが圧倒的な規定要因であることを主張する。

3.租税の基本構造の解析

ピケティは不公平拡大の短期的要因として税制をあげる。

なかでも強調されるのが資産および資産から生じる所得である。第二次大戦後に先進諸国で共通して格差が縮小したのは、①戦争により資産が喪失したからであり、②その後の高度累進課税により資産蓄積が難しくなったためとする。

ただし、①はアメリカには当てはまらないという弱点を抱えている。事実、上の図でも、大恐慌後の落ち込み、大戦中の耐乏生活をエピソード的にはさみつつも、全体としてはなだらかに70年代にいたるまで下降し続けている。

アメリカの強収奪・強蓄積は明らかにレーガノミクスの導入を通じて開始され、その後の歴代政権により加速されている。

4.直接税民主主義と資産課税

ピケティはこの資産に対する課税を何とかせにゃアカンと言っている。それはまさにそのとおりで、別に「21世紀の資本論」を引き合いに出すほどのものではない。

ただ、資産課税はある意味で直接税民主主義の根幹を侵すものであり、(法人税もふくめ)話はそう簡単ではない。

我々は所得税原理主義者であるべきだ。資産への関与は、基本的には行政的・誘導的手段を用いるべきだ。(農業問題・中小企業問題を考える際にはこの視点は不可欠だ)

私が思うには、問題は、資産から発生する所得の捕捉の困難さにある。だから各国税務当局が苦労しているのだ。

5.もっとダイナミックな格差指標を

ウィキペディアではおおよそ以上のように説明されている。

感想的に言うなら、ピケティの問題意識に賛成である。

ピケティが問題にしているのは貧困ではなく、格差である。格差が問題なのは、不正義であるからだ。それに対し貧困が問題なのは、可哀相だからだ。かたやユニバーサルであり、かたや個別的であり、倫理基準が異なっている。

両者の関係はよりダイナミックに捉えなければならない。このことはジニ係数を巡る議論のなかで痛感される。

「ジニ係数無用論」との議論は非常に疲れる。もっと根本的なところで、時代のトレンドを踏まえた、「過程としての貧困、過程としての格差」の指標を見出す必要があるだろう。


ウィキペディアさん、わかりやすくまとめてくれてありがとう。

でも「21世紀のマルクス」(英エコノミスト)じゃないな。

インターネットが出た時、出版業界は大きな痛手を受けたことと思う。
テレビが映画を駆逐したように、インターネットは書籍を駆逐した。
私は、今ほとんど本を読まない。眼が悪くなったのも理由の一つではあるが、最大の理由はただだからである。
コンテンツが爆発的に増えたこの10年ほどは、よほどでないかぎり本を読む必要に駆られたことはない。
それと同じように今YouTubeがCD業界を駆逐しようとしている。
いまだにCDを買い集めている人がいるが、コンテンツのほとんどがYouTubeで間に合うようになっている。
何回か書いたことがあるが、2008年から2011年にかけてYouTubeの音質は劇的に改善した。その前、光通信が一般化して動画の閲覧、ダウンロードはほとんど即時に行えるようになった。ハードの容量もテラの時代に入って、パソコンが図書館クラスの情報量を持てるようになった。最近ではクラウドにより、ただで無尽蔵の情報が所有できるようになっている。
おそらく歴史上稀有の時代であろうが、欲望をサプライが追い越してしまった時代を、我々は今生きているのである。
むかし、日曜日というのは買い物のためにあった。男が行くのは本屋かレコード屋か電気屋か、それしかなかった。あとは買った本の目次を読むための喫茶店があればよかった。
人間の社会は「買う」という行為によって成り立っている。今後、ありとあらゆるサプライを食い尽くした後、人間はさらに高度な欲望を生み出し、それは「買う」という行為をふたたび生み出すだろう。
それまでのあいだ、我々はひたすらむさぼるしかあるまい。

MP3とAACに毒された私の耳の欲するのは、YouTubeでもっと良い音質の音源であり、それをもっと忠実に再生するソフト/ハードであり、その先にはそれなりのオーディオがあるだろうと思う。いまだにCD,MD,カセット、レコードを聞いてからYouTubeを聞くと、音の抜けが悪くがっかりするほど低音質である。
とりあえず音量上げても耳の疲れないスピーカーがほしいな。場所をとらないで欲しいけど…



というわけで、ニューズウィークに載った池田信夫さんのコラム「21世紀にマルクスはよみがえるか」を眺める。池田さんという人は独立派のエコノミストらしい。

クルーグマンが「ピケティは不平等の統一場理論を発見した」と絶賛したそうだ。統一場理論とは、いかにもクルーグマン好みの表現だ。

ピゲティは戦後の数十年こそ特殊な時期で、基本的には格差は一貫して拡大してきたと主張しているらしい。

それはそれで良いのだが、それを前提に、ピケティは「なぜ資本主義で格差が拡大するのか」を説明しようとしているようだ。

池田さんによると、

gを成長率、rを資本/所得比率とすると、r>gとなると資本収益のシェアが高まる。それを投資することで資本蓄積が増えて資本分配率が上がり、さらに不平等化が進む。

のだそうで、これが資本主義の根本的矛盾なのだそうだ。

それで、なぜこの「投資比率」論が根本原理なのかというと、「労働生産性の差が所得格差になる」というこれまでの議論は、単純労働にしか当てはまらないからだそうだ。

いうなれば、「相対的剰余価値論」の否定だ。池田さんの話を前提にすると、これは「21世紀論による資本論の否定」であり、マルクスをよみがえらせるどころか、葬る作業でしかない。

富裕層が多額の報酬を得るのは、彼が自分の所得を自分で決めることができるからで、その子の所得が高いのは親の財産を相続できるからだ

と池田氏は紹介しているが、こんなヨタ話をクルーグマンが“絶賛”するとは思えない。

もっともアベノミクスを“絶賛”したあたりから、クルーグマンもクルい始めているのかもしれないが…

まぁ、もうちょっと待ちましょう。

 

 

フランスの経済学者、トマ・ピケティの『21世紀の資本論』が欧米で話題を呼んでいるそうだ。

「21世紀には小さな経済エリート集団に富が集中し貧富の格差が拡大する」のが論旨というから、別に目新しいものではない。

日本では富裕層が富を拡大させている。

現在、日本の高所得層の上位1%が占める国民所得シェアは約9%に上り、1980年代の7%から2ポイント拡大した。上位0.1%のシェアは2.5%となっている。

フラ ンスやドイツ、スウェーデンは日本とほぼ同じペースだが、米国では10-15ポイント上昇した。

今後は日本も安穏としていられない。

日本と欧州が持つ軌道は米国と似通っており、10年から20年遅れている。この現象が、米国のようなマクロ経済の重大事となって表面化するまで待つべきではない。

ここまでが内容紹介だ。

経済学者でブロガーの池田信夫氏は、企業がキャッシュをため込んで賃上げを抑制しており、これから日本でも、普通の労働者と企業との間で階層間の格差が広がってくるかもしれないと話した。 

この記事からは、何のことやらさっぱり分からない。

フランスで『21世紀の資本論』という本が発行されて、人気を読んでいるということだけだ。

いずれもう少し詳しい記事が出てくるだろう。それまで気長に待つとするか。

中国軍事戦略の趨勢と海軍

石油公社問題はいよいよ本丸、周永康に迫ってきた感があるが、これだけの騒動の渦中に南シナ海での石油掘削を強行したことは、南シナ海問題がどうも石油公社だけの話では無いようだと感じさせる。

そこでもう一方の旗頭である海軍の事情についても知って置かなければならないと考えた。しかし軍事問題は非常に専門用語が多くなかなか理解できない。

ここでは阿部純一さんという人の書いた上記のレポート(2011年)を抄読する。

1.毛沢東の軍事戦略

2.鄧小平の軍事戦略と海軍

3.江沢民の軍事戦略とハイテク化

4.胡錦濤の軍事戦略と情報化

アメリカの中東での戦闘では、衛星やインターネット、無人偵察機等、情報通信分野における技術革新が戦争の遂行形態を革命的に進化させた。中国にとってはそのキャッチアップが課題となった。

「国防整備と経済建設の調和のとれた発展」よりも踏み込み、まさに「富国強兵」に舵を切った。

5.海軍近代化の意図するもの

大陸国家である中国は、伝統的に沿海防御中心の考え方を採ってきた。

宿願である台湾との統一をめざし、「独立」を阻止するため、台湾海峡を中心とした海域における制海権、制空権の確保も人民解放軍に課せられた。

第一列島線は、(中国が主張する)排他的経済水域をカバーするものであり、絶対的な制海権を確保する対象である。

第二列島線は、中国の対米「接近阻止」戦略である。

6.南シナ海の「聖域」化がもたらす摩擦

中国が南シナ海を「核心的利益」とすることは、戦略的には異なった見方ができる。中国は南シナ海をミサイル原潜のための「聖域」にしたいのである。

これまで地上発射の戦略核ミサイルにのみ依存してきた核抑止力に、新たな核抑止力としてミサイル原潜を展開しようとしている。

しかし、この海域は日本や韓国にとっても重要な海上輸送ルートに当たり、中国がこの海域で海軍力を強めようとすれば、国際的な摩擦を生じることは避けられない。


ということで、中国海軍の狙いがおぼろげながら浮かび上がって来る。

中国は当然アメリカを仮想敵国として戦略を組み立てている。そこで一方では「太平洋を分割しましょう。そこまでは自由にやってください。そこからはこちらも反応しますから」という線を提案することになる。これが第二列島線だ。

とは言うものの、具体的な抑止力がなければ相手はそんな提案には目もくれない。そこでミサイル原潜による抑止網が必須のアイテムとなる。

ところが中国の沖合には広大な大陸棚が横たわっていて、原潜の活動にはきわめて不向きだ。おまけに東シナ海には沖縄列島があって、米軍の強大な基地もある。

となれば、南シナ海を舞台とし、バシー海峡を太平洋への出口として確保するしかない。これによって初めて第二列島線が実効性を持つことになるわけだ。

むしろ南シナ海の石油資源を巡る争いは、中国海軍にとって奇貨であり、利用しない手はない。

というのが海軍の本音だとすれば、ことはそう容易に形のつく問題ではなさそうだ。

フィリピンへの米軍基地再建も、むしろ海軍増強のチャンスなのかもしれない。ただしこの賭けは凶と出る可能性も十分ある。

根本的には第二列島線(対米防衛線)の考えを破棄することが一番なのだろうが、それはかなり長期的なものになりそうだ。

とすれば、これを自国の権益線と混同しないことがもっとも求められるのではないだろうか。

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