鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2014年02月

前回ウクライナの記事を書いていて、農業の姿がまったく見えないことが不思議だった。「鉄がダメなら農業があるさ」ということにならないのはなぜなのだろうか。

ネットで調べたところ、ウクライナの農業の状況について、農水省の平成24年末のレポートがあった。

「独立」後の経過概要

a.ウクライナは、旧ソ連地域の中でも肥沃な黒土地帯を有し農産物生産国として潜在力が最も高い国である。

b.計画経済から市場経済への移行に伴う混乱やインフレ等のため、穀物生産は半減した。

c.その後、穀物等生産及び輸出量は回復・増加傾向にある。

その背景として、農地改革と農業企業の民営化などの農業制度改革、肥料や農薬の普及、世界的な食料需要の高まり、があげられる。

d.農作物・食品輸出国としての地位を急速に獲得しつつある。

農業生産高

まず驚くべきことは、生産高の驚異的な伸びである。

10年間で、大豆の生産量は約5万トンから約220万トン(44倍)、とうもろこしの生産量は約400万トンから約2,300 万トン(5.75倍)に増大した。

しかもこの数字は過渡的なものとされている。

近代的な農業機械、高収量の種子・農薬及び肥料への投資は未だ不十分である。
現在の生産量は潜在的な生産能力の半分程度とされ、将来は倍加するとも言われている。

ということで、当面のハイリスクを補って余りある魅力となっている。

ただし社会主義時代には4700万トンを生産していたことに留意する必要がある。さらにとうもろこしの生産増大に対し小麦の生産量が減少していることも注意。

大豆の輸出は120万トン、トウモロコシは1400万トンで、トウモロコシの輸出高は世界2位である。

主な輸出先はギリシャ、トルコ、北アフリカ、中東諸国。

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貧弱なインフラ

豊かな可能性に対し、現実はきわめて貧弱である。

a.低い品質

大豆・トウモロコシともに、小粒でたんぱく含有量が低く、硬く、また不良大豆の混入がある。飼料用と油糧用であり食用としては課題が残る。

違法にGMO作物が栽培されている状況があるが、検査・管理は為されていない。

b.劣悪な物流インフラ

穀物エレベーターの保管能力は低く、老朽化も激しい。

内陸輸送の大部分を担う鉄道インフラは、深刻な貨車不足があり、輸出へのボトルネックとなっている。

パナマックス船が接岸できる港は4港に限られる。バースやエレベーターも不足している。

特異な農業生産構造

農業企業(旧コルホーズ・ソホーズ)は、農業経営体全体の0.3%だが、農地面積の78%を保有する。

90年代以降、多国籍企業が進出。主として大豆とトウモロコシを生産。最大のカーネル社は9万haの農地を保有し240万トンを生産する。

法的・政治的環境

問題だらけである。列挙すると、

a.農産物の品質などの情報が乏しい

b.法制度の不備と突然の変更、紛争メカニズムの欠如、土地リース契約の煩雑さなど

c.国内生産状況や国際価格の高騰等を理由に、突然行われる輸出規制

と、投資家にとってはほとんど最悪。


ということで、これまでウクライナ経済を支えてきた製鉄産業が見通し真っ暗、一方でアグリビジネスによる農業発展が今後の支えになるとすれば、企業にフレンドリーな国作りを目指さなければならない。

ただこの国の農業生産構造を考えれば、農地がほぼすべて多国籍企業のものになってしまう危険もある。

言わば「持てる国の悩み」なのだが、国の将来について厳しい選択を迫られているといえるだろう。


ウクライナを把握するのは相当手強い。

一筋縄ではいかない。

我々が学校で習ったのは豊かな穀倉地帯だということで、地理の試験問題風に言えば「ウクライナ=黒土地帯」だ。

これは現在もあながち誤りではなさそうで、ウクライナを「大いなる田舎」として把握すること自体は今でも誤りではなさそうだ。

小学校の頃、「ボルガ・ドン運河」というのが完成して、なにか世界最大とかというのでニュースになった。映画館でニュースで見た覚えがある。

あとはずっと降って、チェルノブイリだ。

一般人にはこのくらいだろう。

あとはムソルグスキーの「展覧会の絵」のフィナーレが「キエフの大門」、それから「屋根の上のバイオリン弾き」がウクライナが舞台だったかもしれないな、という程度。

左翼系の人だと、これに「戦艦ポチョムキン」の舞台となったオデッサの街、スターリンによる農業の強制集団化、いわゆる「祖国大戦争」の舞台としてのウクライナが加わる。

これでウクライナのイメージを持てと言われても、なかなか容易ではない。

スラブ人でギリシャ正教ということで、西側のポーランド、ルーマニアとは自然国境がありそうだ。しかしベラルーシ、ロシアとは区別がつかない。

結局言語と歴史ということになるか。しかしめまぐるしい歴史を見ると、ウクライナ民族としてのエンタイティをすくい取るのはなかなか難しい。これはベラルーシも同様だ。

私は、その国を見る場合、たいていその歴史から入るのだが、率直にいってこの国の歴史は七面倒くさい。しかもあまりポジティブではないから、やる気が湧いてこない。

まず一般地理から入るか。

面積は60万平方キロ、日本の2倍近い。ほとんどが農耕可能な平地だから、実感としては10倍位になるだろう。

人口はおよそ5千万人、日本の半分だから多いとはいえない。

同じ農業国のアルゼンチンと比較すると、アルゼンチンの面積300万平方キロの1/5、人口はアルゼンチンの4千万より一回り大きい。

アルゼンチンの可耕地は国土の半分程度だろうから、似たような国土構成だ。

GDPはアルゼンチンの6千億ドル、一人1万4千ドルに対し、3千億ドル、一人7千ドルだから経済規模は半分である。

ヨーロッパ市場に陸続きで隣接していることを考えれば、とくに農業の近代化という面で、かなり遅れをとっていることが分かる。

ウクライナの産業構成

農業の近代化の遅れと書いたが、じつは輸出品のトップは農産物ではなかった。ウクライナの輸出品トップは鉄鋼だ。

今回の政変も根っこは鉄鋼不況にある。ウクライナは製鉄に必要な鉄鉱山と石炭鉱を併せ持っている。すべて自まかない可能だから有利だが、技術が低いため国際競争力に乏しい。

それがリーマン・ショック後の国際不況のアオリをまともに食らった。輸出は激減し、財政は破綻し、対外債務は急増した。すでに事実上のデフォールト状態にある。

これは2001年12月のアルゼンチンと似たような状況だ。暴動が起きるのは時間の問題だった。しかし暴動で政府が転覆されても事態が好転する見込みはない。

ここが双方にとって辛いところだろう。

人口分布を見てみる

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北西部に高く南東部に低い傾向がある。

ウクライナそのものが一種の辺境だが、その中でも南東部が辺境となっているといえる。(ただし、ただの辺境ではない。ここに製鉄産業が集中している)

民族構成を見ると、意外に単独構成で、ロシア人の17%を除けば他民族は1%以下の存在である。旧ユーゴのような多民族のモザイク国家ではない。このことは抑えておく必要があるだろう。

ところが、民族構成と言語構成は必ずしも一致しない。

ウィキペディアには以下のように記載されている。

統計によれば、ウクライナ語を母語とする国民は5割強であり、多くの国民はウクライナ語とロシア語の2言語を理解する。実際に、ウクライナ語のみで日常生活を送る国民は西部を中心とした一部地域に限られ、大半の国民はウクライナ語とロシア語を併用している。

ただしこのくだりには、[要出典]のタグがバチバチ貼られている。

言語分布は人口分布と類似するパターンを取る。この読み方は難しい。

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ロシア語使用者の比率により色分けした図である。

数字から見てロシア語を使用するウクライナ人が相当の数に昇ることが分かる(首都キエフにおける高い使用率がそれを示唆する)。もう一つはこれらの地域からウクライナ人が排除された可能性があることである(オデッサの高使用率)。クリミア半島については、もともとウクライナの一部ではなかった可能性もある。

ただいずれにせよ、

1.ごく一部の地域を除けばウクライナ人でウクライナ語を話す人が過半数を占めており、

2.しかも人口分布ではウクライナ語圏である中西部に人口が集中している。

このことから、民族・言語の問題はウクライナにおいて決定的な問題ではないといえる。

ウクライナ人の立場に立って考えてみる

とりあえずの話だが、ウクライナは一つだ。割れることはない。

ソ連には頼らざるをえないが、そのままでは未来はない。投資が必要だが、あてはない。

製鉄産業は民営化と積極的誘致以外にはない。

農産物輸出はマーケットの開拓なしには望めない。

やはり長期的にはEUとの関係強化しか道はない。

ここまではウクライナ国民の共通認識だろう。

まずは債務の整理だ。もう一度国民には泣いてもらわなければならないし、その覚悟を促さなくてはならない。

EU諸国への過度の幻想が深刻な結果をもたらすことは、前の大統領の時に経験済みだ。

黒海周辺国の共同市場づくりなど、経済建設にはより自主的な目と構えが必要だろう。

貿易赤字「空洞化要因」7兆円という記事が載った。

大和総研の試算を紹介したもので、貿易赤字に対する空洞化の寄与度を数字で示した部分をピンポイントで記事にしている。

それだけに全体がわからない人には少々読みにくい記事だろうが、良い記事だと思う。

まず試算の方法だが、

1.逆輸入効果: 海外現地法人が生産したものを親会社が輸入すると、輸入額が増加する。

2.輸出誘発効果: 海外現地法人向けに部品を輸出すると、輸出額が増加する。

3.輸出代替効果: 海外現地法人が第3国への輸出を代替する。日本からの輸出は減少する。

4.輸入転換効果: 海外現地法人が原材料を購入するため、日本の原材料輸入が減少する。

それぞれについて試算した結果、

1 の増加が2兆円、2 の減少が5兆円と著明であり、3,4に大きな変動はなかった。貿易赤字増への寄与は 1、2を足して7兆円。

というのが結果。

つまり海外法人の原材料調達まで含めた「一貫化」が進行したことが輸出の減少につながり、これが貿易赤字増加の主因となっているということになる。


これから見えてくることは、たんに海外進出というだけでなく、海外生産の質的転換が進んだことが最大の原因ということになる。

アセンブリー型から一貫型への転換とも言えるだろう。日本の製造業最後の日が、いよいよ近づいてきたと感じざるをえない。

大和総研は産業空洞化問題に意欲的に取り組んできた。少し議論の全体像を学ぶ必要がありそうだ。

とりあえず原文のあり場所だけ紹介しておく。

日本経済見通し:「賃上げ」と「経常赤字」について検証する2014 年2 月24 日 

これがChapman & Solomonn の原典

North American-Eurasian Plate Boundary in northeast Asia

  1. Michael E. Chapman
  2. Sean C. Solomon
http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/5/8/58a4e26d.jpg

Abstract が閲覧可能

北アメリカ・ユーラシアのプレート境界は、地震の頻度、最近の構造地質学と地震焦点メカニズムに基づいて確認できる。

北アメリカ・ユーラシアの境界をおおまかに説明すると、こうなる。

それは、ナンセン峰に始まり、北東アジアの幅広い変形した地帯(broad zone of deformation)を通って、それから南方に進み、サハリンと北海道を通過する。
そして千島・日本海溝と交わる。ここが3つのプレートの交差点である。

そのような形態は、サハリン・北海道の地震がもたらすスリップ・ベクトルにより定量的に説明できる。

新しいスリップ・ベクトル・データに基づくと、北アメリカ-ユーラシア角速度ベクトル(angular velocity vector)は、以前のデータよりわずかに修正されるだけである。
大陸内のプレート境界線は拡散している。
古代のプレート結合の影響を受けているかもしれない。

境界線に非常に近いところでは、衝突による歪み(deformation)があるが、地表に対して10度以内にとどまる。
これは固定的なプレートテクトニクスによってモデル化されることができない。

この辺は訳していてさっぱり分かりません。「スリップ・ベクトル」というのを調べてみると、下記のごとく「説明」されています。

トランスフォーム断層に起こる大部分の地震のメカニズムは水平横ずれ断層型であって,二つのプレートがすれ違うことによって起こされたことを示している。
この三つの型の地震のメカニズムから断層のすべり方向(スリップ・ベクトルという)を推定することができるが,この水平成分を,二つのプレート間の 相対的回転運動の軸を極とするメルカトル図に投影すると,これらはすべて緯度線に平行になることがわかる。
この事実は,海嶺とトランスフォーム断層で境さ れた二つのプレートの相対運動が,地球の中心を通る一つの軸の周りの剛体的回転運動として表現できることを意味する。


大陸内のプレート境界のこれらの特徴は、大陸岩石圏がより厚く、より異質であることと関連している。
また諸大陸がプレート・テクトニクスの駆動力に与える影響とも関係している。

アブストラクトだけではなんとも言えないが、

日本の学会の趨勢を根底からくつがえすほどの迫力は感じない。どちらかと言えば大風呂敷論文のようにも思える。

シベリア大陸内部での境界線は“Difuse”と言いながらサハリン・北海道の線は異常に精密だ。




日本付近のプレートとその運動(サイスモ原稿)というPDFファイルがみつかった。先ほどと同じ瀬野徹三さんの文章だ。肩書は東京大学地震研究所教授となっているから、その後昇進されたようである。

その文章から、以下紹介する。


2.日本付近のプレート

日本列島はユーラシアプレートの一部と見なされていた。それは漠然としたものだった。

1976年にChapman and Solomon が、地質学的な分析に基づいて、北米プレートが北海道東部まで伸びているという考えをしめした。北米-ユーラシア境界は,北海道中部からサハリンを経て,北極海の中央海嶺に延びているとされた。

この提起はやがて“常識として受け入れられ”た。その際、北米-ユーラシアプレート境界は北海道中軸を通ると考えられた。

1983年頃中村一明と小林洋二が独立に,東北日本-北海道西部も北米プレートに含まれると主張した。ユーラシア・プレートとの境界は日本海東縁に移動された。

1983年の日本海中部地震を契機として、この認識は急速に受け入れられるようになった。

80年代のはじめころから、これとは別に、東アジアの陸域には大プレートとは異なる小プレートが存在するとの意見が、ロシアの研究者によって提唱された。それがオホーツク・プレートとアムール・プレートである。

引用終わり

ということで、正直かなりいい加減だと思う。

Chapman and Solomon の論文というが、76年の発表が、それ一発で決まってしまったんだろうか。
地質学的な分析に基づいて出した結論なら、少なくとも地質学的なデータの積み上げが必要だろう。
それにそもそも、これは地質屋さんの提起だ。地震屋が自分で出した学説ではない。それがわずか数年後には“常識”としてまかり通ってなってしまう学会というのは、一体どういう学会なのだろう。

第二に境界線の西への移動であるが、これも提唱してから1年後にはすでに“常識”化している。果たしてこのあまりにも早過ぎる“常識”化は、地質学的な吟味を経ているのだろうか。日本海の日本よりにはたしかに地震多発地帯があって、それが線状をなしていることは明らかだが、プレート境界線とそれとは明らかに異質の概念である。原著によれば、それは地質学的な差異をもって証明されるべきものであるはずだ。

第三に、これはプレート・テクトニクス理論の自己破産ではないか。そもそもプレート理論にそって議論すること自体が虚しいものとなる。

境界域でプレートの細分化をすることは決して悪いことではない。むしろ当然のことだろうと思う。ただプレートをその限界点での有り様として細分化することは、決して「大プレート」を解体することではないと思う。もっと丁寧な議論が必要だ。

それにしても、この学会には本当に学問の自由と民主主義があるのだろうかと気になってしまう。

アムール・プレートというのもある。

下の図はOKHOTSK PLATE MODELING というページから拾ったもの。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/7/9/79f2cc16.jpg

これで見ると日本はユーラシア・プレートとも北米プレートと縁がなくなることになる。ただし境界線については?につぐ?である。

むしろオホーツク・プレートこそユーラシア・プレートの張り出しでもあるかのように見える。

ウィキペディアでアムールプレートを調べると、

満州、朝鮮半島、西日本、沿海地方に位置する小規模なプレート。チャイナプレート(China Plate)とも呼ばれる。ユーラシアプレートの一部なのか、独立したプレートなのかはまだはっきりしていない。

似たような呼称で沖縄プレート、揚子江プレートなどもある。沖縄プレートには九州南部も含まれるようだ。

前記事を書いたのは、下記の文章が目に止まったため。

「なぜ北米プレートか」については触れていないが、ユーラシア・プレートとは異なる態度をとる一つのプレートであることが立証されている。

プレートテクトニクスと日本列島付近の地震

瀬野 徹三

という文章で、公開講座の講義録を起こしたものらしい。したがって分かりやすい(といっても程度問題だが)

北海道から東北日本の日本海側沖合では最近,新潟地震,日本海中部地震,北海道南西沖地震などの大地震が頻発しています。

ここは新たなプレート境界が出来つつ ある(というよりは最近出来てしまった)場所です。

いまでは地球科学者あるいは地震学者の定説となっていますが、そういうことが言われるよ うになったのは,まだこの10年くらいのことなのです.

それでは,それ以前はどう考えていたのでしょうか?

左の絵のように、北米プレートとユーラシアプ レートの境界が,シベリアから南下してきて北海道中央部を縦断する,と考えられていました。

しかし最近の地震の起こり方や海底の活断層などから、日本海東縁の方が境界だと考えられるようになりました(1983年)。

この説を,プレートセオリーで解釈しますと,「東北日本+北海道 = 北米プレートである」ということになります。

ここから先は面倒なので、要点のみ紹介する。

東日本プレートは北米プレートではない

日本海東縁での地震すべり方向はほぼ西→東である。北米プレートは西南西ー東北東であり、地震のすべり方向と有意な違いが見られる。

これは東日本が乗っているプレートが北米プレートでないことを示す。

さらに北方では,カムチャッカ半島の根元からシベリアにかけて地震活動の帯がある。

そこでこの帯をプレート境界として,オホーツクプレートを北米プレートから切り離すことができる。


正直言って、あまり確信の持てる論証ではない。

地震地図からオホーツク・プレートと北米プレートの境界を明示することはできない。演者は多少の言い訳をしているが、それほどの説得力はない

1996年9月の講演ですでに20年近く経っていることもあり、その後の研究を知りたいところだ。

以前、「北アメリカプレート説は少々怪しい」という偉そうな記事を書きました。

要は北アメリカがわざわざ日本まで出張ってくるということへの素朴な疑問ですが、文献を読んでいて、その疑問への答えがほとんど見つからなかったことへの反感もあります。

どうして学者というのはそう簡単に信じてしまうのだろう、ということで、挑発的な見出しで、議論をふっかけたわけです。

論拠の一番は、それぞれのプレートの向かう方向です。プレート・テクトニクスによれば、北米プレートとユーラシア・プレートは基本的には遠ざかる方向にあります。そこには事件は発生しないと思います。

論拠の第二は、もし二つのプレートが本気でぶつかれば、もう少し激しい変化があっても当然だと思います。フォッサマグナ程度では済まないと思います。多分北米プレートがユーラシアプレートの下に潜り込むことになると思いますが。その沈降の所見が見当たりません。

プレートの境界線はさらに樺太を縦断しシベリアへと抜けていくわけですが、それらの地域での地震活動も寡聞にして知りません。

カリフォルニアからメキシコにかけての海岸沿いでも太平洋プレートの潜り込みが起きています。その際、北米プレート側は境界線に平行していくつかの亀裂が走り、小プレートを形成しています。

いろいろな説があるらしくて、太平洋プレートよりさらに古いプレートが北米プレート下への潜り込みをほぼ完了していて、その僅かな残りが顔を出しているのだとも言われています。

ただいずれにしても、そこにユーラシアプレートがひょっこり顔を出すようなことはありません。

その違いを説明してくれないと、北米プレート説には合点がいきましセん。

古本屋に行くとけっこう「現代思想」という雑誌が並んでいたものだ。
たいていはなんだか訳の分からない講釈が垂れてあって、「どうだ難しいだろう」と上から目線で迫ってきた。
たしかに難しかったが、半分は紹介者の悪文の故であったろう。
危険なのは難解趣味がいつの間にか移ってしまうことだ。変に性格が柔軟だから、感化されやすい。
しかし思考を一塊のブロックとして処理する際には便利だからつい使ってしまうところがある。

閑話休題
その雑誌に佐藤純彌監督が連載でエッセイを書いていて、これが分かりやすく面白い。
ついそれが読みたくて「現代思想」を買ってしまう。といっても古本屋だから一山買っても2,3千円だ。映画より安い。
連載の題名は「映画の作り方」
これの83年3月号が「台本の論理 その3」というもので、日中合作映画「未完の対局」の台本作りに関わるエピソードだが、時代背景の研究にのめり込んでいる。

多分余程のことがないと原文を見るチャンスはないと思うので、少し紹介する。

…僕が北京に到着した1981年3月の時点の中国は、江青、張春橋、姚文元、王洪文の4人組に判決が下りた直後であり、プロレタリア文化大革命および毛沢東に対する統一評価を発表すべく、6中全会の準備作業の真っ最中であり、…軍と党の間に評価の対立が生まれ、文芸作家たちが軍の批判に抵抗しつつあった時期であり、やがてそれは「苦恋問題」として大きな呼びおこすことになる。
…中国映画界は、1949年の共和国成立以来…ソ連の指導のもとに発展した。映画学院の教科書はソ連のものであり、ロシア語は必修科目だった。そして、現在、指導的立場にいる映画人の相当多数がソ連留学経験者であった。
…「紅都女帝」と称された江青は、30年代上海で藍頻という芸名で女優をしていたことは確からしいが、本人は有望な新進女優だったと言い、多くの評伝では三流女優にしか過ぎなかったという。
…中国共産党員であったが、1935年に党を除名され、37年、上海を脱出、毛沢東がこもる延安に潜入した。

と、ここまでが書き出しである。
まことに見事なものである。というのも全く関係のない事柄を何の説明もなく書き連ねながら、どことなく差し迫った、容易ならない時代の気分を湛え、その中から江青という人物を鮮やかに登場させている。
叙述には無駄がなく、筋肉質の迫力がある
こういうのを筆力と言うんでしょうね。

ここから時代背景の説明に入るが、じつに息を継がせぬ面白さ…
しかしここまでやっていると、とても追いつかない。
別の文章にして自分なりに調べもして、いずれアップしたい。
そこで一気に最後の段落。

上海の江青はトロツキストとして除名される。
江青は、終生、この時のことを恨みに思い、1966年文化大革命以後権力を握ると、全映画界を粛清する。
北京撮影所はソ連修正主義の巣窟だと閉鎖させ、映画界の指導的幹部、著明俳優を誰かれの区別なく労働改造学校に放り込む。撮影所長は文革の10年映画を作らなかったが、豚の飼育と田植えではベテランになったと笑い、若き江青が片思いしてふられた趙丹も、その妻黄宗恵も、赤い帽子を被せられて街中を引き回されたと、涙を浮かべながら語った。
「革命という言葉を聞いて連想するのは文化大革命のこと」と話してくれた40歳の男に、「文化大革命とは何だったのか」と尋ねると、しばらく間があって、「内乱」と一言答えが返って来た。

あの頃のことを思い出してしまう。
こんな女がのさばったのが文化大革命という時代だった。そして彼女を偏愛し、勝手放題に振る舞わせたのが毛沢東だった。
それだけでも毛沢東など許せないと思うが、未だに中国は毛沢東に対して口をつぐんだままである。
昭和天皇に対して日本国民が口をつぐみ続けたのと同じような力が、そこには反映されているのだろうか。

シナロア・カルテルのボスで、麻薬王ホアキン・グスマン(エル・チャポ)が逮捕されたそうだ。
これでメキシコ麻薬戦争列伝に書いた「英雄」たちは誰もいなくなった。
PRI が政権に返り咲いた時から、この日は約束されていたのかもしれない。

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メキシコシティーに連行されたグスマン


http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/2/d/2d1f41dd.jpg

こちらはYouTube 逮捕直後らしい。

Momento Exacto de la CAPTURA del Chapo Guzman en Mazatlan Sinaloa 22 Febrero 2014

次は今回の事件とは関係ない流行歌の世界だが、
El Chapo de Sinaloa - Le hace falta un beso (Video Oficial)
というのはなかなかいい歌だ。トランペットがやたら上手い。

かと言って、ガルフ・カルテルが昔日の勢いを取り戻すこともあるまい。
とりあえずは第一幕は終了したのだろう。
第二幕がふたたび繰り広げられるのかどうかは分からない。米国のマーケット次第だろう。
ただ、メキシコの問題は麻薬だけではない。米国への密入国と彼らを使う使用者の問題が解決されなければ、米墨関係の火種は消えない。
密入国を促しているのは、国境の両側に横たわる圧倒的な経済格差だ。そのためにもNFTAの手直しと、メキシコ政治の抜本的な見直しが必要だ。

Foobar2000 の最新版がでたというのでダウンロードした。V1.3.1というのだそうだ。

どこが新しくなったのかは分からない。音はまったく変わっていない。

ブラブラと見ていたら、SOXというリサンプラーがあって、標準でついてくるPPHSより性能が良いそうだ。

とりあえずダンロードして使ってみた。ウーム、たしかに音は良くなった。要するにオーディオゲートとかフィデライザーに近い音だ。

19:00のニュース (北海道版) さんが、うまいことを言っていた。

くぐもった感じや音像のピントが合いきらない感じ、PCオーディオにしてから高域に感じていたシーシーといった安っぽい付帯音等が払拭され、艶のあるキレイな高域が出る。
つまり私が感じていたCDでの付帯音は、DACの性能上取りきれなかった折り返しノイズや量子化ノイズの音だったのだ。
それが非常に高性能で高負荷のアップサンプリング処理をされる事で、可聴帯域外にノイズが持ってかれ、聞こえなくなった訳だ。

そうことなんだな。

要は、フリーブオーディオも、オーディオゲートも、フィデライザーも要らなくなったということ、その時の気分でDSPマネージャーを開いて、SOXをかけるか、PPHSでいくか、リサンプラーなしで行くか決めればいいということだ。プレイリスト作りの煩雑さを考えれば、Foobar 一発でなんでも出来るというのは大変ありがたい話である。

Foobar の作者はそのへんはすごく厳密な人だから、PPHSのリサンプラーに固執していると思う。基本としてはモニター音声、せいぜいPPHSまでは許せるくらいの感じではないか。

タカーチ弦楽四重奏団のバルトークの5番を聞いてみた。大変高音の伸びが良くなって美音となる。しかしタカーチのササクレた軋むような鋭さは、その分消えてしまうようだ。

トリオ・ディ・バセットの演奏するモーツァルト「3つのバセットホルンのためのディヴェルティメント第3番」を聞く。これぞSOXの醍醐味だ。

ヴァレンティナ・リシツァのラフマニノフ「楽興の時」を聞く。じつに柔らかく美しい。1925年製ベーゼンドルファーなんだそうだ。ただ本音としては最新型のスタインウエイで弾いてほしいと思うが。

ハイポジションの倍音までしっかり出ている。聞いていて耳が詰まる感じがなく、目の前でピアノを聞いているようだ。

ところが、同じ演奏をリサンプラーなしで聞くと、音は平ったく、多少カサつくのだが、鍵盤押しこみ弦を打つ音が聞こえるのだ。本当の音がそこにあるという感じだ。

ホントの高音質の録音ならなにもしないで聞くのが一番良さそうだ。小じわやシミ隠しに使うのが一番効果があるのではないだろうか。

ただあまりひどい音源だと、むしろますます醜くなる。俗にババアの厚化粧というやつだ。朝起きてベッドの隣にいられるとあまり気持ちのいいものではない。(少々アルコールが過ぎたようだ)


いささか疲れたが、
作業してみて、
STAPというのはエピジェネティクスの解除だということが分かった。
ただ、エピジェネティクスと振りかぶる必要はないように思う。CpG結合のメチル化の解除ということだ。
DNAをいじらなくても、メチル化(その他)を解除することで先祖返りできるということだ。

“最悪”でも、そういう可能性が開けたということは間違いない。振り返って山中の幹細胞でも、DNA改変のみならずそれに付随してメチル化の変容が起きている可能性が示唆される。

そういう時にメチル化誘導酵素(複数)はどのように動くのだろう、というのも興味ある話だ。これは脳における記憶のメカニズムと似たところがある。
染色体のDNAの周囲にはメチル化誘導酵素を介在する一定のネットワークがあって、その中に個体発生とか“生物学的個性の発現”に関する記憶が蓄積されている可能性もある。

それにしても、エピジェネティクスというコトバは胡散臭い。イデオロギーの匂いが強すぎる。DNAとむやみに対立させずに、DNAの周辺の場を探究する学と整序すべきだろう。

あまりネオ・ラマルキスト的にしゃっちょこばらずに、Para(あるいは Peri 使いたければEpi でも良いが) DNA -ology 的な方向に進むのが良いのではないだろうか。

いずれにせよエピジェネ屋さんには大歓迎だろう。

「科学技術動向 2009年6月号」 に掲載された

 「生体の遺伝子発現制御機構である エピジェネティクス研究の最近の動向」(伊藤裕子) というレポートから写真を転載させていただく。

 

医学に関連した論及もあったのでついでに紹介させていただく。

エピジェネティクスと医学

 生物は発生・分化の各段階において、必要なゲノムの遺伝子を発現させ不要な遺伝子の発現を止めるという調節を行っている。

 この調節により、同じゲノムを持つ細胞が心臓や肺や脳神経など形も機能も異なる組織や臓器に分化する。そしてその状態で長く維持される。これもエピジェネティクスの例である。

 逆に病気にも関係している。エピジェネティクスには可塑性があり、一度決定された遺伝子発現の状態が外部刺激や老化などで変化してしまうことがある。これは“エピジェネティクスの破綻”と呼ばれ、病気の発症と関連している。

 一方、このような可塑性は、病気の治療に利用できるのではないかと考えられている。再生医学でもエピジェネティクス研究の発展が期待されている。全能性をもつ細胞から、目的の細胞や臓器をつくるには、エピジェネティクスの知識が不可欠だからである。

 遺伝子発現のメカニズムには、「ゲノムDNAのメチル化」以外にも様々なものがあるが、そのメカニズムにはまだ不明な部分も多い。

エピジェネティクス疾患研究

(1) がん発症の理解

 様々な種類のがんで、複数のがん関連遺伝子上にDNAメチル化の異常がみられる。これについては1990年代頃から多くの報告がなされており、がん発症とエピジェネティクスの関係に注目が集まっている。

 特に、胃がんはエピジェネティクスの関与が大きい。ピロリ菌の感染によって、胃粘膜にエピジェネティクスの異常が誘発される。

胃がんでは高頻度にDNAメチル化が生じる。7遺伝子8領域について、ピロリ菌感染陽性者と陰性者から採取した胃粘膜を解析したところ、感染者は5~303倍もの高いメチル化の状態をしめした。さらに、ピロリ菌の除菌後に特定の遺伝子ではメチル化の程度が下がる。胃がんの他に、大腸がん、乳がん、腎がんで類似の知見が得られている。

(2) 精神疾患の発症や行動異常との関連性

 近年、精神神経疾患においても、エピジェネティクスの破綻が発症に関わっているのではないかと考えられている。

双極性障害(躁うつ病)は父母のどちらから遺伝したのかによって症状や発症年齢が異なる。このためゲノムインプリンティングとの関連性が想定されている。

精神発達障害では、エピジェネティクスに関連する遺伝子の先天的な異常が原因で生じる疾患が、9疾患ほど知られている。

虐待により脳の精神ストレス耐性遺伝子であるグルココルチコロイド受容体遺伝子がメチル化されて、遺伝子発現が低下し、将来的に行動異常が出現する。

いずれにおいてもまだ推定の段階で、明確なエピジェネティクスとの関連性はわかっていない。

(3) 生活習慣病の発症との関連性

 近年、成人病胎児期発症説;FOAD説が提唱されている。胎児が臨界期に低栄養または過量栄養に暴露されることで、DNAメチル化などのエピジェネティクスの変化が誘導されるという。このエピジェネティクス変化は、その後の何世代にもわたり受け継がれるそうだ。

4-3 エピジェネティクス創薬

 エピジェネティクスを標的とした医薬品として、がんに対する治療薬の開発が進められている。特に、DNAメチル基転移酵素(DNMT)の阻害薬やヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)の阻害薬において成果が示されている。

2009年5月現在で、商品として市場に出ているエピジェネティクス医薬品は3品あり、いずれも米国で承認されている。

下記は「脳科学辞典」というサイトの  エピジェネティクス という項目

東大精神科の 村田唯さん という方が書いたようです。

定義: エピジェネティクスとは、DNAの配列変化によらない遺伝子発現を制御・伝達するシステムおよびその学術分野のことである。

うん、スッキリしています。

1.細胞分裂を通して娘細胞に受け継がれるという意味では遺伝学的な特徴を持

2.しかしDNA塩基配列の変化(突然変異)からは独立している。

3.エピジェネティクスによる制御は、化学的に安定した修飾であるが、環境要因によって動的に変化する。

4.エピジェネティクスは、遺伝子と環境要因の架け橋となる機構であると言える

5.エピジェネティクスの主なメカニズムとして、DNAメチル化とヒストン修飾がある。

うん、いいんじゃないですか

エピジェネティクス”提起の意味

発生に関してはかつて前成説と後成説があった。しかし遺伝子研究が盛んになるにつれ、遺伝子が全てを決定しているという前成説が支配するようになった。

ワディントンは、最終的な生物を形成する過程では遺伝要因と環境要因が相互作用していると主張した。

ワディントン説は前成説のモディファイで、後成説との控えめな折衷であったといえるでしょう。背景に前成説だけで押しきれない事象がいろいろ発見されたことがあると思います。
後成説はエピジェネーシスというので、そこから「エピジェネティクス」という名称を思いついたのだと思います。

その後、1958年にナンネーが、「遺伝子機能の多様性のうち、DNA配列の違いによって説明できないものについての研究」と再定義した。

最近では、エピジェネティクスをより幅広く捉えて研究する傾向が強まっている。

Birdは、「活動状態変化を記録し、伝え、永続させるような、染色体領域の構造的な順応」と定義している

かえって分かりにくくなったようですが、DNAの塩基連鎖のみならず、「染色体の構造」全体を遺伝の座として設定したのは画期的だと思います。いわば「ネオ・ジェネティクス」の提起です。

DNAメチル化

以下の説明はえらく難しいのですが、一応私なりに読み解いてみます。

DNAの構造は一本の紐の上に4種類の残基が連なっているが、このなかでシトシンとグアニンが連続する部分は信号の「結び目」になっている。

シトシンとグアニンのつながり方には2種類あって、ひとつは水素結合、もうひとつはホスホジエステル結合(p結合)である。対抗鎖とつながるのが水素結合で、p結合は隣同士のつながりである。後者を“CpG”と表記する。

CpG結合した残基のうちシトシンの方にメチル化が起こる。メチル化というのはシトシンのピリミジン環5位の炭素にメチル基が付加されることである。これによってシトシンは5-メチルシトシンとなる。このメチル化を行うのはDNAメチルトランスフェラーゼという酵素であり、いくつかの種類があるようだ。

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仕上げ屋メチラーゼ

DNAメチル化状態は細胞分裂後も受け継がれる。これは、DNAメチルトランスフェラーゼの一種で、メチル化の維持に関わる「DNMT1」の働きによる。

DNAが複製されると、親DNAと娘DNAが出来上がる。最初の段階(ヘミメチル化状態)ではメチル化された親DNAに対し娘DNAまだメチル化されていない。このときDNMT1が出動して、娘DNA鎖に相補的にメチル基を付加するのである。

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新規開店メチラーゼ

発生過程では、メチル化されてないDNAの最初のメチル化がおこなわれる。これは新規修飾DNAメチラーゼと呼ばれる。「DNMT3A」や「DNMT3B」がこの作業を担当する。

脱メチル化

受精直後の細胞では、維持メチラーゼ活性が抑制されたり脱メチル化が生じたりすることによって、ゲノム全体が脱メチル化されている。これに新規修飾DNAメチラーゼが刺さり込んで、新たにDNAメチル化状態のプロフィールが形成されていく

“CpG アイランド”

ゲノム中にはCpGが豊富に含まれる領域が残される。これをCpG islandと呼ぶ。CpG アイランドは遺伝子のプロモーター領域に多く認められる。

DNAのメチル化が終了した後、ゲノム中のCpG配列の約60~70%はメチル化される。しかし、CpG island中のCpGは一般的に低メチル化状態にある

メチル化がおよぼす影響

以上で、メチル化の機序は大体わかりました。次の問題はグアニンと隣り合ったシトシンのピリミジン環の5番目の炭素が、メチル化されることで、DNAにどんなことが起きるのかということになります。ここからが大変なところです。
 ここでは
ゲノム刷り込み、転移因子の抑制、X染色体の不活化があげられています。

ゲノム刷り込み(genomic imprinting

多くの場合、父親由来の染色体上の遺伝子と母親由来の遺伝子の発現量はほぼ等しいが、インプリンティング遺伝子の場合、一方の遺伝子は発現するもののもう一方からの発現は抑制される。これらを調整するのがメチル化である。

いきなり、何の説明もなしに「インプリンティング遺伝子」なるものが登場しました。ウィキペディアで調べると、以下のように記載されています。
哺乳類は父親と母親から同じ遺伝子を二つ受け継ぐが、いくつかの遺伝子については片方の親から受け継いだ遺伝子のみが発現する。これをゲノム刷り込みという。
ということで、さらに分からない。単為発生を防ぐためだと言われると、なんとなく納得してしまいますが。
こちらは
遺伝学電子博物館のサイト
(遺伝子は生殖過程に入るとき)、
配偶子を形成する過程で、精子由来か卵子由来かの「しる し」を刷り込まれる。この「しるし」は、受精を経て同一の核に入っても維持され、さらに複製・細胞分裂を繰り返 しても消失しない
とあって、この後さらに難しい話が続くが、これだけでも「
インプリンティング遺伝子」がどんなものなのかはつかめそうです。

転写の抑制

 一般的にプロモーター領域のDNAは、メチル化がすすむと遺伝子発現の程度が低くなる。これは次のような機序によると考えられる。

1.メチル化されたCpG配列にメチル化CpG結合に親和性のあるドメインタンパク質(MBD)が結合する。

2.メチル化CpGに結合したドメインタンパク質転写を抑制する蛋白質複合体を引き寄せる。

3.転写抑制因子により、遺伝子の発現が抑制される。

以上から、メチル化は転写の抑制の役割を果たしていると考えられる。ただし転写を活性化する蛋白が結合する場合もある(レット症候群

(著者が第3の役割としてあげたX染色体の不活化は、説明はされていないようです)

(このあと、DNAメチル化の解析方法が述べられているが、さっぱり分からない。とりあえず関係なさそうなので省略)

(ヒストン修飾については簡潔に触れられているだけで、しかも簡潔なだけに何を言っているのかわからない。ここも省略)

独立行政法人国立がん研究センターのサイトにある

「エピジェネティクスとは?」というページは、えらく単刀直入である。ほとんど乱暴と言っても良い。

哲学的なことも面倒なことも一切言わない。

(体細胞は)、どの細胞も基本的には同じ遺伝情報を持っているのに、別々の細胞になっている。これは、使う遺伝子と使わない遺伝子に目印をつけているからである。エピジェネティクスとは、これらの目印を解明する学問である。

そう、これでいいのだ。

エピジェネティックな目印は、一旦つくと、容易にははずれない。

いいねぇ、快調だ。

DNAは、ヒストンとよばれるタンパク質に巻きついてできている。エピジェネティックな目印には、DNAにつく目印(DNAメチル化)とヒストンにつく目印(ヒストン修飾)の2つが知られている

うーむ、簡潔すぎてよく分からない。

DNAというのは二重らせんだ。朝顔のツルみたいなもので何かに巻き付きながら伸びている。その“何か”というのがヒストンだ。下の絵でいうとホットケーキみたいな円盤がヒストンだ。

 

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 それでもって、ヒストンの方はなかなか手強そうだから、このメチル化の方を何とか外したりくっつけたり出来ないだろうか、と舌なめずりしている光景が浮かんでくる。

その「ギラギラぶり」が、我ら年寄りにはなつかしくも心地よい。


しかしこれでは癪に障る。もう少し他の文章も読んでみようとグーグルしたら、出てきたのがこれ。

ダイヤモンド社のサイトの福岡伸一教授が語る「エピジェネティクス入門」というインタビュー形式のお話。

第1回「エピジェネティクスとは何か? 多額の研究費をかけた実験の失敗が教えてくれた生命の謎」という、ちょっとキワモノっぽい題名だ。

前の文章で書いたのとだぶるところは省略してノートしておく。

申し訳ないが福岡さんの言葉も自分流に改変している。あくまでも自分が納得するための読書なので、ご容赦いただきたい。


エピジェネティクスは、従来考えられていた遺伝学の外側で働いている仕組みを研究するものです。
 

つまり遺伝子を研究する学ではないが、遺伝の仕組みを研究する学問ということでは、遺伝学の一分野ということになる。それは遺伝学=遺伝子学という従来の枠組みに対する挑戦であり、それに対する批判をふくんでいる


これまでの遺伝学は、遺伝子の上に起こった突然変異だけが生物を変える唯一の力だと説明してきました。

エピジェネティクスは、そのような従来の遺伝学を否定しているわけではありません。それを前提とした上で、もう一つの仕組みを考えます。

遺伝子A、B、Cがどういうふうに働くのかを決める仕組みがあるのではないか、そしてその仕組も遺伝するのではないかと考えるのです。

ここで福岡さんが言っているのはザ・ピーナッツ話の関連であろう。しかし科学がそれを実証するのはだいぶ先のことだと思う。変に騒ぐのは「優生学」の復活につながる危険もあるから慎重であるべきだ。
目下の差し迫った課題は幹細胞が体細胞に分化していく際に、遺伝子が部位別に異なった発現をすることの説明であろう。


遺伝子が働く=遺伝子のスイッチがオンになるというのは、DNAがRNAというものに変換されて、RNAがタンパク質に変換されることを言います。

RNAはDNAの全部をコピーするのではなく一部をコピーします。RNAがDNAのどの部分をどのくらいコピーするかは、必ずしもDNAが決めているわけではないようです。さらにそのタイミング、順番もDNAによって運命づけられているわけではありません。

それにもかかわらず、実際には運命づけられている。だから多能性細胞が増殖してそれぞれの体細胞にまで変化していくのだ。
それを運命づけているDNA以外の何者かがいることになる。面白いのはDNAと違って、「お前は何になれ」と命令するのではなく、多能性細胞の中で誰かが心筋になって誰かが脳神経になって、誰かが皮膚になれ骨になれと命令することだ。命令の仕方が違うようだ。


生物は遺伝子だけを受け継いでいるのではなくて、その遺伝子がどういうふうに働いていくかということも受け継いでいるのです。
 

福岡さんは「動的平衡」という言葉を使っているが、よく分からないところもある。
ただ、大事なことは遺伝というのが形質を「引き継ぐ」あるいは「受け継ぐ」というプロセスなんだということ、遺伝子・DNAはそのためのモーメントであり、ツールのひとつなのだということであろう。

考え方を整理する上では、非常に参考になる文章だ。

逆に、具体的に内容を知るという上では余り参考にはならない。「DNAのメチル化」も「ヒストンの化学的修飾」も出てこない。

これでは終わりそうにない。


エピジェネティクス という言葉が気になったが、そのままにしていた。しかしやはり気になるので、ウィキペディアから調べてみた。

最初の定義は、ひどく不親切である。

一般的には「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域」である。

これでは何も分からない。一生懸命、解読しようとすると

ただし、歴史的な用法や研究者による定義の違いもあり、その内容は必ずしも一致したものではない

とくる。人をおちょくっているのか。言語に関して無関心なのか。


文法的に解読すると。

まずは「学問領域である」ということが分かる。「サイバネティクス」とか「アベノミクス」と同じ“-ics”という接尾辞だ。

次にジェネティクスだが。これは遺伝学だ。これに“Epi-” という接頭辞がつくから遺伝学の親類筋の学問らしいということが分かる。

“Epi”というのは医学用語ではたいてい「上」とか「表面」をあらわす。そうすると「表面遺伝学」ということになるから分からない。

そこで最初の定義に戻ると、

遺伝子を研究するのが遺伝学であるのに対し、遺伝子によらない遺伝を研究する学問ということになるらしい。

そもそも言っていることが矛盾している。無理を承知で作った言葉だから晦渋になるのだろう。

そういう時は偉そうに開き直らずに、「そんな感じで使わせてください」と下手に出れば、こちらも分からないでもない、というものではないだろうか。

素人が考えると、古い話で恐縮だが、

ザ・ピーナッツは一卵性双生児で遺伝子型は同じだが、顔立ちは微妙に違っていて、テレビで見慣れているとある程度区別はつく。少なくともジュリーには見分けられただろう。

その違いをどう説明するかというのがエピジェネティクスの目標なのではないか。(間違っていたらごめんなさい)


ということで、概要の項に移る。

話は、ザ・ピーナッツの話ではなさそうで、むしろ細胞間の相違が問題のようだ。

つまり体細胞というのはすべて幹細胞から分化してできるのだが、その顔つきはまったく違っているのに、遺伝子情報は寸分違わず同じだ。その部位や働きによって変わるのだと説明しても、「なぜ?」と言われると答えに窮する。

それを研究しようというのが本来の「エピジェネティクス」の発想である。その言葉を作り出したのがウォディントンという人で、1942年のことであった。


これはとても良く分かる話だ。

つまり幹細胞が個別の体細胞になるには遺伝子、環境、そしてプラスアルファが必要だ。これはきわめて論理的に導き出される。「それじゃぁ、そのプラスアルファを研究しようじゃないか」ということだ。

ただ、42年という年には分子生物学もないし、DNAだって一般的な知識ではなかったはずだ。

では、その後の遺伝学や発生学の研究の進歩を通じて、どのように「プラスアルファ」の正体がわかってきたのか。


いま、真っ先に「容疑者」としてあげられているのが

DNAのメチル化およびヒストンの化学的修飾

というセオリーである(らしい。このウィキペディア氏の文章は本当に読みにくい)

「DNAのメチル化」というのは、遺伝子情報を発言させるか否かのオン・オフ・スイッチらしい。メチル化されると発現し、されなければ眠ったままとなる。

「ヒストンの化学的修飾」というのは“メチル化されると発現”というプロセスの話である。
DNAの特定部位がメチル化されると、ヌクレオソーム中のヒストンに物理化学的な変化がおきる。この変化が遺伝子発現を促すようである。

その他にもいろいろな機転があるようだが、とりあえず省略する。


ただここまでなら、あえてエピジェネティクスという御大層な名前を振りかざすまでもない。遺伝学の一分野と考えても何の支障もない。

それが論争になっているのは、どうもこの「ヒストンの修飾」というのが時期の長短は別に持続性を持つということで、これも一種の遺伝といえるのではないかという議論が出てきてからである。

ウィキペディア氏は下記のような主張を紹介している。

「エピジェネテックな形質とは、DNA塩基配列の変更を伴わない染色体の変化に起因する安定した遺伝性の表現型を示すもの」(Bergerら, 2009年)

ということで、DNAを介する遺伝系列と独立した「第二の遺伝系列」と主張している。

ウィキペディア氏は、だからエピジェネティクスはその存在自体がポレミックな学問領域だと総括しているのであるが、どうもこの説明には納得出来ない。

「プラスアルファ」は間違いなく存在するのであり、その探求は間違いなく実体的な研究の領域を形成する。それらの研究実践をエピジェネティクスと呼ぶことに何の躊躇も必要ないだろう(どう呼んでもいいが)。


ウィキペディア氏の説明はこの後も延々と続くが、まことに取り留めがなく難解かつ冗長で、読むに耐えない。脳細胞のヒストン修飾が足りないのか過剰なのか…

だれか、分かりやすいダイジェスト版を作ってくれ。

YouTubeでとんでもない演奏を見つけた。
クレジットをそのままコピーする。

Mendelssohn メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲変ホ長調Op20 
(Vn) 潮田益子 前橋汀子 久保陽子 宗倫匡 
(Va) 今井信子 江戸純子 
(Vc) 山崎伸子 安田謙一郎
シゲティ没後10年記念演奏会より 
1983年(昭和58年)10月7日 学習院創立100周年記念会館

少なくとも楽器の値段を合わせれば世界最高のアンサンブルだろう。
それだけの豪勢な音がする。
モノーラルだが音が唸りを上げて迫ってくる。
これだけ思い切り弾きながら、アンサンブルには寸分の狂いもない。

それぞれの演奏家にとって、技能的にはピークの時代だろう。
どうしてCD化しないのか、不思議である。

"Password" unseated by "123456" on SplashData's annual "Worst Passwords" list

という笑えない(身につまされるから)ランキングがある。

アメリカのセキュリティー会社「SplashData」の調査によるものだ。

見出しの意味は、パスワードに入れる暗号のワーストワンが「PASSWORD」から「123456」に入れ替わったというもの。これは明らかに人間から猿への退化のサインだ。

3位が「12345678」で、これは「123456」より利口とはいえない。8ケタ要求されたからだろう。その証拠に、6位には「123456789」、8位には「1234567」が入っている。この人はきっと10ケタ要求されたら…

4位が「QWERTY」だ。一見まともそうに見えるが、自分でキーボードを押してみれば、「123456」とひとし並みのズボラさであることが分かる。

5位は「abc123」で、これは分かる。「ローマ字と数字を必ず入れてください」と要求されることがあるからだ。

7位にはもっとずぼらな人が入っている。「111111」だ。ここまで来ると猿以下だ。というか、パスワードという通念に対する敵意というか、殺気さえ感じてしまう。「文句あるか?」

そんな中で9位は、ワーストといえども、ほっと心なぐさめられる。 「iloveyou」

ところで、あなたのパスワード大丈夫ですか?


Bug head green

という「音質改善ソフト」を見つけて早速使ってみた。
やたらとCPUを食うらしいのだが、なにせ私はCore i7、そんなことは気にならない。
ファイルを突っ込んでPlay ボタンを押す。待つこと5秒、その間に計算しているらしい。
これはきっと夢の様な音が出てくるとおもいきや、なんともひしゃげて潰れた音しか出てこない。
歪み増強・音質改悪ソフトだ。

ネットではヨイショの記事が散見されるが、だまされないぞ。



雇用状況を調べるためにグーグルしていたら、面白い記事にぶつかった。

BLOGOS というサイトで 竹中正治 さんの記事(2014年02月06日

竹中さんは 1979 年東京大学経済学部卒、同年東京銀行入行。現在は龍谷大学経済学部教授(米国経済論、国際金融論)という華々しい経歴の持ち主だ。

「非正規雇用は増えたけど、正規雇用は減っていない」

というもの。

論点は

1.日本の正規雇用者数(正規職員・従業員)は数でも比率でも1990年以降安定していて、決して減少していない

2.非正規雇用者増加の源泉は、自営業者と家族従業員の減少分である。

3.雇用者数における非正規比率の上昇は90年代から2000年代初頭の時期に主に起こっており、2000年代後半からは横ばいになっている。

以下に根拠となるデータを示す。

1392897785

「厚生労働省データで私が作成したものです(単位:万人)」と記されている。

ご苦労様でした。良いデータが出来ました。

竹中さんはこのグラフから上の3つの結論を導き出している。

一つはあたっている。この傾向が長期的で構造的なものだということだ。資本主義の高度化が進むなかで、個人営業や家内労働が減っているということだ。しかもそれが正規労働者化に結びつかず、非正規労働者となって社会の底辺に沈殿していかざるをえないというトレンドだ。

これはできればカラムの順序を変えて、黄色の上に赤色が来るようにすればよかったかもしれない。

当たっていない点は二つある。

一つは、非正規の増加と正規労働者の減少が98年を期に一気に進行したことだ。そして00年代の前半は比較的に安定して推移したことだ。

これは経済の動向を反映している。97年不況と大規模なリストラ、日米構造協議を受けた労働力流動化政策などで説明できる。

2002年以降は長期の好況局面が続いた。むしろこの間に正規比率の改善が進まなかったことが問題であろう。

もう一つは、リーマン・ショック後の201年以降にふたたび正規労働者の減少が加速していることだ。

この内容については、団塊世代の定年退職と再雇用という事情があり、少し詳しい分析が必要であろう。

この二つの特徴を読み取らないと、せっかくグラフを作った努力が無駄になる。

そしてもうひとつ追加しておきたいのが、他ならぬ2013年における空前の労働市場の変化だ。私の目下の問題意識だ。

この文章をアップロードした直後に厚労省統計が発表されているから、竹中さんも内心「しまった!」と思っているかもしれない。

エベーヌ四重奏団のブラームスのピアノ五重奏曲が面白い。

最初はどうって言うことない出だしだが、乗ってくるとみんなが勝手に踊りだす。従って最後はみんなが独奏者になってしまい収拾がつかなくなる。

普通は第一バイオリンの統率のもと、一糸乱れぬ演奏をやるのがたてまえで、弦楽四重奏をオーケストラに見立てたピアン協奏曲の趣なのだが、そんな雰囲気はどこにもない。

しかしこれはこれで面白いのである。

絵で見ていると、ビオラ(Mathieu Herzog)がふんぞり返ってビオラ協奏曲を演奏している雰囲気だ。

参考までに、ピアノは Nikita Mndoyants というひと。

普通、弦楽四重奏団といえばメンバーは血を分けた家族や夫婦のようなインティメートな雰囲気になるのだが、この連中にはそのような雰囲気はさらさらない。

こういう四重奏団があっても良いのだと思わず納得させられてしまう。

それにしてもこのビオラ、態度でかいな。

だいたい学会でケチョンケチョンにやられるのは、結果よりも「方法」のところです。

「このとおり結果が出ているじゃないか」と動画で示そうが、テクニックが少しでも怪しいとフロアーからチクチクといじめられ、壇上で立ち往生になりかねません。

我々、臨床のアバウトな人種には、正直そんなことはどうでもいいので、「いい加減にせぇ」と叫びたくなるのですが、ライバル同士にしてみれば、そうは行かないようです。

ということで、こちらも何やらチミモウリョウの跋扈する「基礎医学」の世界に飛び込むしかなさそうです。

前回の記事で、STAPの実験には5つの段階があると書きましたたが、追試はもっぱらその入口のところ、「多能性細胞の作成」実験に関心が集中しているようです。

ここに的を絞って「ネイチャー」の原文に当たるしかなさそうです。

幸いなことに、同業者の「一人抄読会」さんが日本語に翻訳してくれているので、それを頼りに実験方法を紹介してみたいと思います。

【まとめ】

本研究では、新生児マウスの脾臓からFACSでソートしたCD45陽性リンパ球を酸性溶液(低pH)に30分置いて、LIF含有培地で培養することによりSTAP細胞を作製した。

のっけから学術用語の連続パンチです。分かることは、実験が前処理(FACS)、本処理(酸性液暴露)、後処理(LIF培養)という3つのプロシーデュアからなるということです。

【論文内容】

低いpH刺激によって体細胞の運命転換を起こすことができる

CD45(白血球共通抗原)が陽性の造血幹細胞を「運命決定された分化した体細胞(committed somatic cell)」として用いた。

第一過程: 出生後1週齢のC57BL/6系統Oct4-gfp トランスジェニックマウスの脾臓を採取し、そのリンパ球分画をFACS(蛍光活性化セルソーター)にかけてCD45+細胞をソートした。

FACSというのは“fluorescence activated cell sorting”の頭文字をとったもの。FACS Core Labratory というサイトに説明が載っています。
「蛍光抗体で染色した細胞を液流に乗せて流し、レーザー光の焦点を通過させ、個々の細胞が発する蛍光を測定することによって細胞表面にある抗原量を定量的に測定することのできる機器です」と説明があるが、ますますわかりません。ともかく肝心なことは「特定の細胞だけを、生きたまま、無菌的に分取(sorting)する」ことができるということです。
脾臓をミンチしてその肉汁をぎゅっと押し込んで、装置の細い管を通過させます。どのくらい細いかというと、細胞が一度に一つだけ通過できるほど細いのです。細胞が順番に管の中を通過していく時、レーザーがパッと照射されて、蛍光に合わせて表面抗原の種類が認識されます。
この器械の偉いのは、ただ認識するだけではなく光源の種類にあわせて異なる電荷を与えるのです。それも瞬時にです。そうするとその電荷に合わせて細胞が振り分けられます。その結果表面抗原の種類ごとに細胞が振り分けられ、生きたまま取り出せることになります。

第二過程: 上記で得られたCD45+細胞を酸性の培地に30分おいた。そして5分間の遠沈をかけた。

第三過程: これらの細胞をLIF (leukaemia inhibitory factor)とB27(血清フリーサプリメント)を加えたDMEM/F12培地(LIF+B27培地と呼ぶ) に懸濁して7日培養した。

しかるのちに、GFPを検出することによってOct4の発現を調べた。その結果、Oct4-GFPを発現する球状凝集塊が多数出現した。Oct4-GFP発現細胞は細胞質が少なく細胞のサイズは小さく、核の詳細構造はもとのCD45+リンパ球に比べて明瞭 だった。

Oct4-GFP陽性細胞でT-cell receptor 遺伝子のゲノム再構成が認められたため、Oct4-GFP陽性細胞は分化したT細胞から生じたことが示された。
 

LIF: 和光純薬工業のサイトに説明がある。
LIFは白血病細胞の増殖を阻害し、マクロファージに分化誘導する因子として発見されました。マウスES細胞の分化抑制作用があるため、ES細胞の未分化状態を維持するために細胞培養時に用いられます。
和光純薬にはLIF入り製品が何種類かあり、その内の「D-MEM/Ham's F-12 with Phenol Red, HEPES and Sodium Pyruvate」というのが多分それに当たるのだろうと思う。
500ミリリットルで1650円というから意外と安いものだ。間違いなく久保田の万寿よりは安い。あれはぼり過ぎだ。


他の臓器由来のSTAP細胞

1週齢のOct4-gfpマウスの脳、皮膚、筋肉、脂肪、骨髄、肺、肝臓からの体細胞で同様の運命転換実験を行った。転換効率はさまざまであったが、確認した全部の組織で、低pH刺激後7日目にはOct4-GFP発現細胞が生成された。


【結論】

この多能性細胞へのリプログラミングが低pH刺激に特異的に起こるものなのか、それとも他のストレス(物理的な傷害、細胞膜の穿孔、浸透圧ショック、成長 因子の除去、ヒートショック、高Ca2+への曝露など)でも起こるものなのかは不明である。


ということで、追試を評価する場合、正規のトランスジェニックマウスが使われているかどうか、上の3つの Procedure をふくむ Protocol が守られてるかどうかが、まず問われることになりそうだ。

同じ経済面でもむしろ気になるのがこちらの記事だ。

2013年平均の労働力調査詳細集計という難しい名前の調査で、総務省の発表したもの。

これによると、

① 正規の職員・従業員数は3294万人。これは前年比46万人減で、減り幅は過去最大。
② 非正規は1906万人。これは前年比93万人増で、これも過去最大。

ということで、これまでの傾向を踏襲しているにしても、明らかに質的変化を予感させる変化だ。

2013年に労働市場でなにが起きたのか、なにがそれをもたらしたのか、について早急な分析が必要だろう。

46万人の正規労働者がどこで減ったのか、93万人の非正規がどこで増えたのか。
男女別、年齢別、学歴別、業種別、地方別ではどうなのか、そこに新たな質の違いはあるのか、調べて報道してほしい。


赤旗で「落日のアベノミクス」という刺激的な題名の連載が始まった。
一回目の本日は、「落日」と呼ぶ根拠を列挙する。

A. 景気回復は幻想

1.13年第4四半期のGDPは前期比0.3%で、予測を下回った。(前年同期ではない)
2.同じく第4四半期で、家計最終消費支出は名目0.9%増、実質では0.5%に留まった。
3.単身世帯を除く家計調査で消費支出は前年同期を下回る。

これらの数字は、日本全体では景気が好転していないことを示す。これは政府が示した景気回復の情報とは異なっている。

とくに駆け込み需要がまったく起きていないことは、巷の観測とはまったく逆であり、景気回復は幻想にすぎないことを示している。

B.所得はさらに落ち込んでいる

1.Aの3の家計調査(総務省)で、勤労者世帯の実収入は名目でプラス0.3%、実質では1.7%の減少。
2.厚労省の勤労統計で基本給+残業代は前年比0.2%の減少。

ただこれらの数字が、直接アベノミクスの「落日」を明示しているわけではない。ここに示されているのはアベノミクスが鳴り物入りで登場して1年を過ぎようとしているのに、景気はさっぱり良くならないという数字だ。
しかも多少つまみ食い的な数字の羅列であり、さほどの説得力は持たないように思える。

明日以降の記事で証拠が示されるものと期待しよう。


そろそろ解説文献がネット上に出始めて、勉強しようかという矢先に、追試がうまくいかないという情報が流れてきたので、どうしようかと悩みつつ、少し読んでみた。

最初は理化学研のホームページから、30日付の記事「細胞外からの強いストレスが多能性幹細胞を生み出す」というもの。

これは非常にわかりやすく、動画も添えられていて入門者にはありがたい記事だ。

1.これまでの定説

一度分化してしまった体細胞は多能性を回復できない。

多能性の回復のためには何らかの人為的な遺伝子操作が必要である。

しかし一部の生物では、分化した細胞に成長因子を作用させると未分化な状態に戻らせることができることが知られている。

2.小保方の研究

マウスの体細胞に、酸性処理などの強い外部ストレスを与えると、初期化を起こし、多能性を回復する。

初期化はGFPの発現で確認され、多能性はマウス胎盤内での培養で確認された。

3.方法

a. GFPは蛍光を発するマーカーである。

b. Oct4 遺伝子は多能性細胞にのみ出現する遺伝子の一つ。多能性を示す指標となる。

c. 遺伝子改変マウスで、Oct4 遺伝子とGFPが特異的に結合する系統がある。

という3つの条件のもとで実験を行った。

A) 多能性細胞の作成

遺伝子改変マウスのリンパ球を取り出し培養した。

これを酸性(pH5.4~5.8)の溶液で約30分処理すると、30~50%の細胞が死んでしまう。

しかし、生存細胞の約30%は2日後には細胞体が縮小してOct4 を発現し始めた。

7日後には、これらの細胞は、リンパ球に特異的なタンパク質の発現が失われていた。Oct4 だけでなく他の多能性マーカー遺伝子(SSEA1NanogSox2等)も発現していた。

B) 多能性細胞のDNA解析

DNAメチル化パターンの解析で、エピジェネティックな情報も多能性細胞型に変化していた。

C) 分化培養

多能性細胞は内・中・外の三胚葉すべてに分化した。

増殖因子(ACTH, LIF)を添加した培地で培養すると、増殖力は高まる。その増殖力はES細胞に匹敵する。

D) マウスへの移植

皮下への移植実験では、テラトーマを形成した。

STAP細胞を胚盤胞に移植すると、全身の細胞に分化した。STAP細胞由来の子マウスを得られた。

これは、STAP細胞が、ES細胞などの多能性細胞よりもさらに未分化な「全能性」を有していることを示す。

E) リンパ球以外の細胞での実験

マウス胎児由来の脳、皮膚、筋肉、脂肪など試みた全ての組織の細胞から誘導できた。

4.総括

笹井グループディレクター : 本研究は、細胞外部からの強烈な刺激に細胞を晒すことで、細胞の分化の記憶を消し去り、新たな多能性細胞を生み出せることを示した。
本研究は、決して誇張ではなく、発生生物学の歴史を塗り変える大きな革新をもたらすだろう

小保方 : 今回の成果は、再生医療だけでなく、細胞老化やがん研究にも結びついていくと考えられます。
まずは、このSTAPという驚くべき現象の詳細なメカニズムを解明することが、私の次の大きな目標です


一読して、かなり前のめりな研究であることが分かる。しかも後ろの方の実験系になるほど、「大言壮語」が目立つ。

ある意味で、きわめてプリミティブな発想に基づく実験であるために、なぜそれが今まで発見されなかったのか、そのピットフォールに迫ることが一番重要なのだと思う。

これは発明ではなく発見なのだ。

培養系の問題、培地の問題、刺激の方法、添加物質など、どこかに問題を解く鍵がありそうだ。
「多能性でなく全能性だ」などとはしゃぐ前にそこを探るのが「科学の目」ではないだろうか。

STAP細胞の雲行きが怪しいようだ。

追試により確認されれば(おそらく間違いないだろうが)、「世紀の大発見」となる筈のもの」だが予想外に難航している。

捏造とか、コピーだとかのスキャンダラスな報道はさておくとして、私も指摘したように追試の成績が決め手となるのだが、これがどうもあまり芳しくない。

Knoepfler Lab Stem Cell Blog

というサイトの

STAP NEW DATA

というページ。

2/17/14 付けでブログ主が下記のごとくメールを募集している。

This is a crowdsource page for people who want to post their findings on their attempts to validate the STAP stem cell ( STAP細胞) method.

Please if possible email me (knoepfler@ucdavis.edu) actual data (e.g. photomicrographs, etc) and I’ll include it.

これに対して、現在9つのレポートが寄せられている。

ブログ主はGFPが光ったら青で、光らなければ赤で表示するとしている。途中なら黄色だ

以下がその一覧

Dr. Pierre Debs wrote on 2/17/14 about a mixed bag of results

Update from Yoshiyuki on 2/13/14.

Andres wrote on 2/13/14 

Yoshiyuki Seki on 2/13/14 wrote

Hong wrote on 2/12/14

Sasha wrote on 2/12/14

Subhash Kulkarni wrote on 2/12/14

Elliott Schwartz wrote on 2/11/14:

Ruben Rodriguez wrote on 2/11/14:

Ethan said on 2/10/14:

なお唯一の青印だった Yoshiyuki Seki

(関吉行)さんは、update Mail で青から赤に変更した。2月15日付コメントは以下のとおり

残念なお知らせですが、今回の実験のGFP陽性は自家蛍光(死んだ細胞が蛍光強く発する)でした。期待させて大変申し訳ないです。

ブログ主はこれらのデータを、以下のごとき断り書きをつけて紹介している。

 posted here are not necessarily endorsed by me or reflective of my own views. I would suggest that blog readers not take any one result too seriously

しかしなかなかシリアスなようだ。

ゲノム解析の結果では、チンパンジーと人間のDNAの98.5%が一致しているという。
だからゲノム屋さんはヒトは猿だという。猿が人間になったのではなく、猿がヒトという猿に進化したのだということだ。まさに地球は「猿の惑星」なのだ。

それはそれでわかるが、ではなぜチンパンジーと人がこれほどまでに違うのか。

ボノボというチンパンジーの亜種がいて、生態的になかなか面白いらしい。
あれこれの事象を取り上げてチンパンジーより人間に近いとか主張する向きもあるようだ。しかしそれはあくまで解釈にすぎない。
この議論は本質を取り違えていると思う。

ヒトとチンパンジーの分化が400万年ころとすれば、時期的にはホモ・エレクトスの出現とかなりかぶる可能性がある。つまりDNAからはヒトとチンパンジーの差は説明がつかないということになる。

もちろん、最大の要因は気候であろう。度重なる氷河期は、そのたびにアフリカ以外のヒトモドキをすべて淘汰してしまった。一度はくぐり抜けたドマニ人にも、次はなかった。
逆に温暖期には、大地溝帯の東側で生物の過剰状態とサバンナの乾燥化が進み、人口圧が高まり、北の大地へと押し出される状況もあったのかもしれない。

霊長類、ホモ・エレクトス、ホモサピエンスの出自がいずれもアフリカであるという事実があって、それ以外の理由ではプッシュ&プル要因の全般的説明がつかないと思う。

しかしそれだけではゲノムにおける異常なまでの近縁性と、生態的な有り様の懸河の隔たりもまた説明がつかないのである。

私は、チンパンジーやボノボは退化してチンパンジーやボノボになったのではないかと想像する。
チンパンジーは森林に決別しようとしなかった霊長類であり、ボノボは一旦草原にでたにも関わらずジャングルに戻ってしまった霊長類なのではないか。

動物が水中から陸上にでた時、最初は両棲類であった。いわば逃げ道を確保しながらの陸上進出であった。ワニはふたたび水辺に戻った。哺乳類の世界でも、カバが鯨になって海に戻ったといわれている。

とすれば、同じように霊長類も草原に出てそのまま頑張ったのが人になり、戻っていったのがボノボであり、両生的な世界に留まったのがチンパンジーであり、ついに出ようとしなかったのがゴリラであるのかもしれない。
とすればゲノム解析における驚くべき相互の近似性も分かりやすく説明ができそうだ。

ジャングルを農村とすれば、専業農家で残ったのがゴリラで、兼業農家がチンパンジーで、Uターン組がボノボで、都会に住みついて労働者として生きる決意をしたのがヒト、という分類はいかがであろうか。


チンパンジー・ボノボにみる「徳」の起源

山本真也(京都大学霊長類研究所ヒト科3種比較研究プロジェクト特定助教)

以下は私の抜粋ノート

「徳」の進化的基盤

ヒト以外にも「徳」の進化的基盤がみられると考えられる。その典型が利他行動や協力行動である。このような「徳」につながる行動が霊長類をはじめ動物界に広くみられる。

チンパンジーの手助け

相手の要求に沿って、働きかけられたチンパンジーはそれぞれの状況に応じた反応を示した。

要求されれば手助けする。しかし、自発的に助けあうことは少々難しいようだ。

要求に応えるチンパンジー、自発的に助けるヒト

利他行動の発現には、相手の状況の理解と要求の理解がともに重要である。

ヒトでは、相手の困っている状況を見ただけで、相手が何を必要としているのかを理解し、要求されなくても相手を助けることがある。

状況の理解 要求の理解 の自動的な結びつき、つまりは利他行動の自発性がヒトとチンパンジーの大きな違いであろう。

「要求に応じた利他行動」は、認知的負荷が小さく効率的である。これが進化的な基盤となり、ヒトでは自発的な利他行動がみられるようになる。

それは、こころを読む能力が発達するにしたがって、高度化し多様化する

利他の文化

人間の観察では、大人からの明示的な要求に応じて手助けすることが多かった18カ月児に対し、30カ月児ではより自発的に手助けするようになった。

しかし、自分の欲求を多少なりとも放棄しなければならない利他的な手助けは30カ月児でも難しい。さらに社会的・道義的な規範の理解が進む必要がある。

集団での協力

集団での協力行動は、ボノボに比べてチンパンジーでより発達している。チンパンジーは競合的な社会を築いている。隣接群とは敵対的関係にあり、時には集団間で殺し合いの戦争に発展する。

このようなチンパンジーにとって、集団で協力する能力は必須である。

これに対し、ボノボにとって、集団で協力するという能力はチンパンジーほど発達していない。

この事実は、ヒトで顕著にみられる「協力」と「戦争」という2 つの側面が簡単に正と負に切り分けられないことを示している。

協力の未来に向けて

チンパンジーやボノボでも、利他や協力といった「徳」の基盤がみられる。

チンパンジーやボノボでみられる手助け行動や食物分配はあくまで2 者間の関係である。手助けしない個体や食物分配を拒否したからといって、第三者から非難されることはない。

人の大きな特徴は、利他や協力を「道徳的行動」として社会規範化したことにある。

このシステムは、利他・協力社会を発展させる上で重要であるが、「おせっかい」や、さらには「ありがた迷惑」という負の面もあわせ持つ。

この意味では、チンパンジーの「要求に応える手助け」は、もっともシンプルで的を射た利他行動だと言えるかもしれない。

相手本位の行動であること。それが、なによりも利他行動で大切なことなのではないだろうか。それはたんなる「基盤」ではなく「原点」であるのかもしれない。


ボノボの進化的位置づけに興味がありグーグルしてみたが、思いの外まともな文章が少ない。

ボノボ イコール 平和愛好という決めつけや、性行動の出歯亀的観察のはなしばかりだ。

上の文章は肩のこらないエッセエだが、自然集団としてのボノボの観察から説得力ある議論を導き出している。

とくに利他行動と集団協力を分けて考える発想は出色だと思う。

WSJの報道で、注目すべきものがあった(本日付赤旗が紹介)。

サウジアラビアがシリアの反体制派に対し、航空機を撃墜できる携帯型の地対空うミサイルをふくむ高性能兵器を供給することで、サウジや米国、反体制派側が合意した。

米国はSAMがイスラム過激派の手に落ち、米航空機へのテロに使われるのを警戒し、供与に反対してきました。

ジュネーヴ協議が不調なのを受け、容認したもの。


私は以前、北部戦線で反政府勢力がSAMで政府軍機を次々に撃墜し始めたとき、「これで勝負あったな」と思った。

2012.12.6 シリア: 戦況は反政府側優位に

地上軍だけなら政府軍は怖くない。歩兵がビビっていたら、戦車単独では勝てない。長距離砲だって歩兵に守ってもらえなければゲリラの夜襲の餌食だ。

緒戦の圧倒的優位にもかかわらず、反政府軍がその後劣勢に向かったのは、ひたすら航空機に対する防衛ができなかったからだ。

あの時のSAMはきっとトルコ軍やエジプト軍の横流しだったのだろうと思うが、その金を払ったのはサウジやカタールの金持ちだったのだろう。

それがある時期を境にぷっつりと止まってしまった。おそらく米国の圧力だったのだろう。

アメリカは反アサド派の武力闘争を支持していたはずだが、テロリストに武器が渡らない保障がとれなかった。

今回アルカイダが勢いを増してきて、このままでは反政府派が消えてしまう事態となったとき、ようやく重い腰を上げた。

反政府派に因果を含めて、アサド退陣要求を降ろさせた。そして一定の和らぎを背景に反政府派の勢力回復を狙った。

しかしアサド側はこれを反政府派の敗北宣言と見て、さらに高飛車な態度に出てきた。

アメリカにしてみれば、結局イスラエル情報部の情報操作に踊らされただけのことになる。

いまこそ、アメリカはみずからのスタンスを持たなくてはいけない。反政府側に必要な武器を供与し、軍事バランスを変えなくてはならない。
アルカイダやテロリストの心配はその後の話だ。そもそも反政府勢力とアルカイダとの関係については、すでに誰の目にも明白になっているではないか。

ただ、今回の事態で良かったのは、ネオコン=ユダヤ・ロビーのなすがままの中東政策が完全に破産したということである。米国が今後、独自の主体性を持って、もう少しマシな中東政策を展開することに期待したい。

本日は親父の生誕百年。

子供の頃、作文は苦手で、「家族のことを書きなさい」と言われても、「そんな恥しいことヨウ書けん」と抵抗していました。

母方の血統は県庁の吏員で、平凡な暮らしぶり。子供は全部出来がよくて、医者ばかり。

それに引き換え、親父の方は良く言えば波瀾万丈、ほとんどキ印に近い家系。

こういう夫婦がうまくいくわけがない。それが商売柄、24時間顔を突き合わせているわけだから大変な話。そこへ持ってきて終戦で京城の爺さん、弟、妹が転がり込んでくることになったから大変。

いま考えれば、そのとばっちりを一身に受けていたことになる。

火鉢があれば火箸、食事時なら菜箸、何もなければげんこつが飛んできた。今でいうDVの世界だ。それとは逆に母親は溺愛傾向で、両方とも煩わしいから遠ざかることに決めていた。

従って対応すべき対象としてしか親父に対する印象はない。

それが変わったのは、晩年の20年ほどだ。たまに帰省した私の前では反共をブチあげていたのが、いつの間にか「共産党」になってしまい、地域ではなかなかの活動ぶりだったらしい。

妹に聞く話では、近所に署名集めに回ったり活躍したようだ。大体が依怙地でブーたれの「共産党」だったようだ。一応は「歯医者の先生」だから、それなりの影響力は発揮したのかもしれない。

瞬発力というか切れの良さ、つかみのウマさと一気の行動力・組織力は父親譲りと思う。持続力に乏しいのが難点だが。

ぴったりした言葉がなかなか出てこない。

「思想」というにはあまりにもおぞましい論理である。虐殺を実行するに至る客観的に見た心理機転でもあり、虐殺するに当たっての主観的「口実」でもある。

本多勝一風に言えば「殺す側の論理」だが、「虐殺」というのは殺すのも殺されるのも集団であるから捨てがたい。

殺人は立派な犯罪だが、虐殺というのは社会事象であって必ずしも犯罪とはいえない。古くはジンギスカンだって、最近はピノチェトにしても、畳の上で大往生している。讃えるものすら少なくない。

「4つの段階」というのも、必ずしも段階ではなく単純に「種類」として横並びさせたほうが良いのかもしれない。

ただ「虐殺」というのは、虐殺犯が思っているのではなくて、大量殺害行為を見て評価する我々の側の主観である。だから、それなりに理解できるレベルから、まったく理解できないレベルまでスペクトルはできるので、「段階」をつけるのは無意味なことではないと思う。

てなことで、4つの段階を一応あげてみようと思う。
1.過剰防衛型虐殺
2.「自然の掟」型虐殺
3.「内発」型・能動的虐殺
4.趣味としての虐殺

多分、似たようなことを考えている人はいると思うので、ネットでもあたってみようかと思っている。



中央アフリカ年表ですが、その後だいぶ増補されたので、もうブログで見るのはしんどいと思います。
ホームページの方に移動したのでそちらをご覧ください。
と言いつつまだ上げてなかった。これから上げます。

http://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/africa/centralafrica.htm

です。
FFFTPのアップロードはサーバーに反映されるのに4,5分かかるようです。

録画しただけで見ていなかったマレイ・ペライアのコンサートをやっと見た。
バッハの演奏では音がなり終わらないうちからブラヴォの掛け声で、がっくり来た。一時だいぶマナーが良くなったが、またも逆戻りか。それにしてもフランス組曲ですよ。ブラヴォはないでしょ。

曲はバッハのフランス組曲と熱情ソナタ。
音がきれいな理由が分かった。寸止めで鍵を底板に撃ち付けていない。
熱情でも同じだ。弾き方は決して熱情的ではなく、曲の持つ「熱情」を冷静に伝えようとする。
演奏者というより演出者となって、両手指に演奏させている感がある。右手がバイオリン、左手がチェロの二重奏だ。両手にギニョールをつけて、会話と演技をさせているようだ。
もちろんこれでうまくいく曲もあれば、それだけではダメな曲もあるだろう。
腕を痛めたせいもあるのかもしれないが、それでうまくいく曲にレパートリーを絞っているのかもしれない。

しかしバッハが良いかというと、必ずしもそう思わない。モロに対位法の曲をモロに対位法的に弾くと、味も素っ気もなくなる。

バッハはもっとギャラントでなくてはいけないし、ロマンチックでなくてはいけないと思う。対位法を味わいたければチェンバロを聴いていたほうが良い。
口直しにソコロフ(パルティータ2番)を聞いているとそう思ってしまうのである。(ただしソコロフはほとんどライブ演奏のエアチェックなので、出来栄えや録音には差がある)


アナーキーになりついでに

この中央アフリカという国の歴史で、もっとも魅力的な人物はなんといってもボカサであろう。

こういう国では、「民主的」にやってもいいことはひとつもない。

唯一まともな組織は軍隊だけだ。軍は組織で動く。軍には目標がある。何よりも国家の中で唯一国家意識を持った組織だ。

ところが選挙をやると必ず負ける。そして勝ち上がってくるのは部族の代表だったりギャングのボスだったりする。だからこういう国で「民主主義」というのは汚職と腐敗の代名詞だ。

こういう連中が国の金庫を空っぽにするだけならまだ我慢できるが、外国とツルンで莫大な借金を残してドロンする。こうなると国中無茶苦茶だ。何よりも兵隊に給料が払えなくなるから、軍人は我慢ならずクーデターを起こす。

ところが軍人が登場して綱紀を粛清し、国の再建計画を作っても先立つモノがない。軍人はたいていナショナリストだから、多国籍企業にはとんと旨味がない。だから先進国は金を貸さない。

しかたがないから指導者は膝を屈し、「民主主義」を導入して、自らが「腐敗政治家」になったふりをして資金を仰ぐ。

ところが投入された資金は国庫には入らず、多国籍企業の儲けを増やすような事業にばかり投入されるから、貧富の差はますます広がり国民の不満は益々高まる。

ならば企業の国有化を、と画策した途端にCIAや外国情報機関に足をすくわれ、哀れ再クーデターで一巻の終わりという筋書きだ。

もう少し利口な指導者は、黙って多国籍企業のおこぼれに預かり、いのちを永らえる。トップがそうやって変節すれば、下は遠慮なくむさぼるようになる。そしてもっと露骨に権益を金儲けの手段に使おうとする民間政治家を好ましく思うようになる。

そして話はふりだしに戻る、というぐあいだ。

こういう話がいつまで続くか、いつになったら続けられなくなるのか、大変難しい話だ。

中央アフリカ年表を作成しての感想。

中央アフリカの内戦は「新型の戦争」である。難民が反乱を起こしそれが内戦となり、難民軍が勝ってしまったのである。

マリの戦闘は違う。ベルベル人はみずからの故地を守り、生活を守るために戦った。これが内戦の基本構図だ。ただしベルベル人はカダフィの傭兵として闘い、大量の武器を持ち帰った。だから戦闘が複雑になった。これにアルカイダが乗っかってきたから話が複雑になった。

中央アフリカの場合はそれとはまったく異なる。北部から流入した難民が野盗化し、それが反政府勢力に束ねられて政府に立ち向かう構図だ。

しかも難民軍が勝ってしまった。彼らは頭に据えた国内反政府派の指導者たちの首も切ってしまった。そして頭を持たない下半身だけの化け物となって、国中を荒らしまわっている。

これは21世紀が生み出したバケモノだ。




しばらく前に、マラウィの年表を作成したが、2012年までの感想はほとんど同じだ。
ただ、2012年からは突然マリの年表になる。サヘルの問題が前面に出てくる。砂漠の民の襲 来だ。それにムスリム原理派の影がちらつく。

サヘル問題はイナゴの襲来と同じだ。順番に押されて南下してくる。砂漠化の拡大に押されて 遊牧民が南下してくる。彼らの羊は草原を食いつくす。そして彼らは疾風のごとく襲い来たって 、農耕地の定住農民を襲い殺しつくし奪いつくす。
逃れた農民は南下するが、そこにはすでに農民がいて難民を受け入れる余地はない。食うに 困った難民たちはやがて野盗化し凶暴化する。
そこに片手にコーラン、片手にカラシニコフを 抱えた指導者がやってきて、反乱を呼びかける。 そしてやがて血で血を洗う内戦となる。

 短期的にはこのパターンなのだが、実はもう少し長いレンジで見ると逆の流れが見えてくる。
 土地の生産性は遊牧においてはきわめて低い。その中でも灌漑できれば農業ができるところ には定住民が侵食してくる。
 たいていそういうところは遊牧民にとってもだいじな放牧地だから争いが起きるのだが、定住 民の経済力には到底かなわない。おまけに法律がだんだん出来てきて、これも定住民に味方 するから、だんだん追い立てられていくことになる。

 遊牧民は基本的に無政府主義である。「空をとぶ鳥のように、自由に生きる」のだ。国境などク ソ食らえだ。そもそも国だとか所有権などという面倒なものがあるからいけないのだ。 「中央アフリカ」という国が今や存亡の危機に立たされていると大騒ぎしているが、天才バカボ ンじゃないが「それでいいのだ!」ということになる。 たしかに一理あるな。

とりあえず、ネットで日本語の資料をかき集めて、年表の形に整理しました。

申し訳ありませんが、出典は一切記載しておりません(大半はウィキペディア)。ご容赦の程よろしくおねがいします。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/6/8/688b18b3.jpg

1875年 ウバンギ・シャリ地方がエジプトの支配下に入る。

1883年 フランスがウバンギ・シャリ地方に進出。94年にフランス植民地に編入する。

1900年4月22日 フランス軍がウバンギ・シャリのエジプト軍を撃破。

1910年 フランスのウバンギ・シャリ植民地(現中央アフリカ共和国)とガボン植民地、中央コンゴ植民地(現コンゴ共和国・ブラザヴィル)が連邦制を敷き「フランス領赤道アフリカ」となる。

1911年 カメルーンを支配していたドイツが1911年から1914年にかけて西側半分を占領。

1920年代 天然ゴムや綿花のプランテーションが発達。フランス植民地主義者の激しい収奪により人口が減少。「地獄の10年」と呼ばれる。

1927年 ボカサの父が植民地政府により処刑される。彼はゴム採取会社の監視人だったが、徴発された強制労働の従事者を、会社に無断で解放したため罪に問われた。

1949年 バルテレミ・ボガンダが黒アフリカ社会進歩運動(MESAN)を結成。ボガンダはカトリック聖職者で、戦後ウバンギ・シャリを代表してフランス国民議会の議員に選出されていた。(一書に46年、また一書にブラックアフリカ社会労働党との記載)

1959年3月 独立運動の指導者ボガンダ、飛行機事故で死亡。

1958年9月 住民投票によりウバンギ・シャリはフランス共同体内の自治共和国となり、国名を中央アフリカ共和国と改称する。ボガンダは首相に就任。

1959年3月29日、ボガンダは西部のベルベラティの町から首都バンギへと飛行機で戻る途中、飛行機が墜落し、独立を目前にしてこの世を去る。

1960年8月15日 フランスより完全独立。ボガンダの甥ダヴィド・ダッコ (David Dacko) が初代大統領に就任する。ダッコはフランス軍の古参兵で従兄弟のジャン=ベデル・ボカサを招聘し、国軍の参謀総長とし、その編成を委ねる。

1965年12月31日 ジャン=ベデル・ボカサ中佐による軍事クーデター。カウディージョ気質から失政と腐敗を見かねたものとされる。ダッコはボカサの顧問として国内にとどまる。

ボカサは第二次世界大戦勃発の直前にフランス軍に入り、自由フランス軍に参加、41年には軍曹に昇進して各地に転戦、大戦終結後はインドシナ戦争にも従軍した。
 22年間フランス軍に勤務して勲章を15個もらい、最終階級は大尉であった。

1966年1月3日 革命委員会が発足。ボカサが大統領に就任、独裁政治をはじめる。南アフリカ、ソ連、リビアから援助を引き出すなど、独特の外交手腕を持っていたとされる。

1972年 ボカサ大統領、終身大統領を宣言。

1976年12月4日 ボカサ、「中央アフリカ帝国」を宣言。みずから皇帝に即位。「黒いナポレオン」の異名をとる。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/2/b/2b9fad77.jpg

1976年12月7日 パタセが帝国首相となる。北部の出身でボカサの妻の従兄弟にあたる。

1977年12月 国家予算の1/4に相当する約65億円(2000万ドル)をつぎ込んだ戴冠式が行われる。初代皇帝ボカサ一世を称する。

約65億円(2000万ドル)との記載はどう見てもおかしい。現在のレートなら20億円、1ドル360円の頃の話だろうか。(たしかに77年には360円だった)
 別のファイルでは「国家予算の2倍にあたる2500万ドル」との記載あり、これも国家予算12.5億円というのはあまりに安いようだ。

1978年 ボカサ、息子のジャン=ベデル・ジョルジュ皇太子を国外に追放。

1979年1月 ボカサ帝政に反対する小中学生らのデモが発生。ボカサは傭兵を用いて暴力的に鎮圧。100名の小学生をふくめ400人の死者を出す。

デモの引き金となったのは、制服着用を義務化しようとしたことだった。制服は一族の所有する工場や店の製品で、きわめて高価だったという。

1979年4月 フランス、独自の調査でボカサによる子供の殺害を確認。ボカサと断絶。帝政打倒を目指すようになる。

1979年9月 ボカサ、新たなる同盟者を求めリビアのカダフィを訪問。

9月20日 フランスの手引でクーデター。外遊中だったボカサを追放。共和制を復活する。初代大統領のダッコが政権に復帰。新憲法を制定し、複数政党制を導入する。

ボカサを追放するためにフランス軍特殊部隊が行った秘密作戦には、「バラクーダ 」作戦という暗号名がつけられていた。
作戦は夕方に開始された。まず潜入していたSDECE特殊部隊が空港を制圧した(SDECEは現在のDGSEに相当)。次いでC-160が着陸し、ブランシオン=ルージュ大佐の率いる第1海兵歩兵落下傘連隊が戦闘配置についた。さらに計300人以上の兵を乗せた2機の輸送機が到着した。SDECE司令官ベルナール・ドジェンヌ大佐は、待機していたチャドのジャメナ空港から飛び立ち、まもなくバンギに到着した。
それから政府と市内要所の制圧作戦が開始され、午前0時半にはダッコ元大統領が中央アフリカ帝国の崩壊と中央アフリカ共和国の復活を宣言した。
 バラクーダというのは、元々はチャドから出発したドジェンヌ大佐のユニットにつけられた暗号名で、ピューマ・ヘリコプター8機とトランザール輸送機から編成されていた。

1981年3月 複数政党制による大統領選挙が施行される。ダッコが勝利するが、アンジュ・フェリクス・パタセ率いる野党の猛追を受ける。パタセは38%の支持を獲得。バンギにおいてはダッコの得票を上回る。野党は選挙の無効を叫びストライキを繰り返す。

1981年9月1日 国軍参謀総長アンドレ・コリンバによるクーデター発生。コリンバが国家再建軍事委員会議長に就任する。ダッコはカメルーンに亡命。(一書では、「ダッコは社会秩序の回復のためにコリンバに政権を譲った」とされる)

1982年3月 パタセによるクーデター未遂事件が発生。これに連座したボジゼ情報文化相は国外へ逃亡。

1983年 ECCAS(Economic Community of Central African States)が結成される。10カ国から構成される。

1985年 コリンバ、政体を民政に移すと発表。これに備え配下の軍人に民政参加の準備を進める。

1986年11月 国民投票により新憲法採択。コリンバが大統領に選出される。

1986年 ボカサ、フランスの監視から脱出し帰国、捕らえられ死刑の宣告を受けるが、93年には釈放される。96年死亡。

1987年7月 新憲法にもとづく最初の国民議会選挙が実施される。

1989年7月 ボジゼ、ベナン共和国のコトヌーに滞在中、コリンバの要請を受けた官憲に捕らえられ拷問を受ける。

1991年7月 憲法改正により複数政党制が成文化される。これにもとづく政党法が成立。

1991年12月 ボジゼ、放免を受け出獄。政治活動を再開。

1992年10月 大統領・国民議会選挙が実施される。野党に敗れたコリンバは選挙の無効を宣言。

1993年5月15日 未払いの給与支払いを求め大統領警護隊がクーデター。交渉により鎮圧される。

1993年10月22日 再選挙が実施され、コリンバの落選が確定。アンジュ・フェリクス・パタセが大統領に就任する。ボジゼは軍参謀長に就任する.北部出身者の登用にコリンバ派は反発。国内の混乱は収まらず騒乱状態となる。

1996年4月18日 国軍の一部兵士が給与遅配に抗議して反乱を起こす。この後5月、11月にも反乱が発生。

12月1日 旧仏領アフリカ4ヶ国首脳が共同調停に入り停戦合意。停戦合意実施のため、アフリカ6ヶ国で構成されるアフリカ仲介軍(MISAB)が派遣される。

1997年6月 アフリカ仲介軍と反乱派兵士との間で戦闘となる。

1998年4月 国内治安安定のため、国連中央アフリカ共和国使節団(MINURCAT)が結成され、MISAB の活動を引き継ぐ。多国籍軍の駐留のもと行政機構が整備される。

1998年11月 MINURCATの支援のもと,国民議会選挙が平穏裡に実施される。

1999年9月 大統領選挙が施行され、パタセ大統領が再選される。

2000年2月 MINURCATが撤退。これに代わり国連平和構築事務所(BONUCA)が設立される。

2001年5月28日 コリンバ派の兵士によるクーデター未遂事件が発生。コリンバはウガンダへと逃亡した。

10月 ボジゼにも関与の疑いがかけられ、軍参謀長の職を解かれる。

2001年10月 フランソワ・ボジゼ(Francois Bozize)元参謀長を支持する部隊が、大統領親衛隊との武力衝突。

11.08 政府軍はリビア軍の支援を得てボジゼの拠点を攻撃。ボジゼは北のチャドに逃れた。

2002年10月25日 ボジゼの勢力が1週間にわたりバンギを攻めたが敗退。

2003年3月15日 ボジゼ、パタセ大統領の外遊中に権力を掌握。自ら「大統領」を宣言し,1995年憲法を停止。「国家暫定評議会」を設立する。チャドのイドリス・デビ大統領や MINURCAT がポジセを支援する。


ここはどうもよくわかりません。選挙で選ばれた大統領をクーデターで追放する行動がなぜ「国際的な支持」を得たのでしょう? ただ、その後の行動を見ると、ポジゼが比較的「民主的」な大統領であった可能性はあります。

2003年9月 ボジゼ暫定政権、「国民対話」を実施。(対話の中身や形式は不明)

2004年12月5日 国民投票で、複数政党制を保障する旧憲法の復活が承認される。


ボジゼ与党の国民集合クワ・ナ・クワ(KNK)、パタセ前大統領の中央アフリカ人民解放運動 (MLPC)、コリンバ元大統領が率いる中央アフリカ民主連合 (RDC) が主要3政党を構成。

2004年 北部オーハムペンド州とオーハム州で、反政府武装勢力「民主復興人民軍」(APRD) が活動を開始。

2005年5月 新憲法にもとづく大統領選挙,国民議会選挙を実施。決選投票では、得票率64.6%を獲得したポジゼが大統領に当選。

2006年 ムスリムのジョトディアが反政府勢力の統一民主勢力連合を結成。ジョトディアは10年間にわたりソ連で教育を受けた人物で、帰国後は外務省の中堅幹部を務めていた。

2006年1月 北東部で反乱勢力が政府軍を攻撃。アムネスティは反撃に出た政府軍、特に大統領警備隊が住民を虐殺したと非難。

2006年10月 反政府武装勢力の活動が活発化する。ビオラなどの街を占拠する事件が頻発し,多数の国内避難民が発生する。

11月 ベナン在留中のジョトディア、ボジゼ大統領の要請を受けたベナン軍により拘束される。

2007年 政府と反政府勢力の間で和平合意が結ばれる。反政府勢力の武装解除と引き換えに、政府は資金援助などを提供するという内容。

2007年 和平合意に基づき、北東部の治安・人道状況改善のため,EU部隊(EUFOR)が派遣される。

2008年2月 ジョトディアが解放される。解放にあたりボジセ政権との和平交渉への参加を約束する。

2009年3月 EU部隊(EUFOR)が任務を終了。国連の「中央アフリカ・チャドミッション」が引き継ぐ。

2010年12月 「中央アフリカ・チャドミッション」も期限切れで撤退となる。

2011年1月 大統領選挙が実施され、ポジゼが再選を果たす。

2012年

9月 ボジゼ大統領の退陣を求める武装勢力がセレカ連合(Seleka)を結成。CPSK、CPJP、UFDRなどの寄り合い所帯。

セレカはサンゴ語で連合・同盟を意味する。セレカ連合を構成する各団体はいずれもイスラム勢力で、指導者ジョトディアもイスラム教徒である。
イスラム教徒は人口の10%ほど。ほとんどは元々の住民ではなく、北方の国から戦火や飢餓を逃れ移り住んだ人々である。
 米下院外交委員会アフリカ問題小委員会での証言によれば、セレカ系民兵の数は推定2万5000人、そのうち9000人はチャド、スーダンなどからの民兵。指導者クラスの中には中東湾岸諸国などでビジネスを営んでいる者もいる。

12月 セレカがバンギに向けての行進を開始する。北部および東部の広域を掌握し、兵力は2万人に達する。

12月 北の隣国チャドは、ボジゼ大統領の要請を受け軍を派遣。セレカの進軍を止めようとはかる。

多分この記述は不正確だと思われる。チャドはイスラム教徒を主体とする国であるが、何よりも中部アフリカ諸国経済共同体(ECCAS)の輪番議長国であり、その立場から紛争を避けようと動いたと思われる。
ただ、現場でそれに類似したような動きがあったことは想像に難くない。

12.21 中部アフリカ諸国経済共同体の緊急首脳会議.セレカの武装襲撃を非難。

12月26日 首都バンギ(Bangui)でボジゼ大統領派のデモ。フランス大使館前で暴徒化。

これはよく理由の分からないデモだったらしい。ウィキペディアによれば
 デモ隊は米国大使館前で抗議の座り込みをしていた。そこでは平和を求めるシュプレヒコールのみだったが、フランス大使館前に移動すると、物を投げて建物の窓を壊したり仏国旗を引き下ろしたりした。
デモ隊は、フランスがセレカの勢力拡大を阻止しないことに不満を示した。
参加者の1人は「昔からフランスはすぐにわれわれを見捨ててきた。もうフランスなど必要ない。大使館をたたんで出て行っても構わない」と話した。

12月27日 国連安保理、「平和協定を破壊し、国の安定と国民の安全に脅威を与えた」とし、セレカによる武装襲撃を強く非難する声明を発表。占拠した都市からの撤退を求める。

12月28日 ガボンに駐屯中のフランス兵士180人と、チャドのフランス軍ヘリコプター2基がバンギに到着。

12月30日 中央アフリカ国内のフランス軍兵力は600人に達する。空港に隣接したフランス軍駐留基地に配備され、現地フランス人と外交機関の保護に当たる。

12月30日 アフリカ連合のボニ・ヤイ議長がバンギを訪問し、ポジゼと会談。ポジゼは「反政府武装勢力の連合体セレカと連立政権を樹立し、前提条件なしでセレカと交渉を行う」と言明する。

12月31日 セレカ、バンギから180キロの都市を襲撃し制圧。これまでに少なくとも10の都市を掌握し、ポジゼの辞任を求める。

12月31日 チャドのデビ大統領、中部アフリカ諸国経済共同体(ECCAS)の決議を尊重し、直ちに双方が敵対行為をやめることを求める。

声明の内容: バンギから70キロ離れたダマラがレッドラインである。中央アフリカに派遣されたECCASの多国籍部隊は、代価を惜しまずにレッドラインを越える行為を阻止する。

2013年

1月 ガボンのリーブルビルで、中央アフリカ諸国の仲介により、政府とセレカ連合との交渉が合意に達する。戦闘は一時小康状態となる。

リーブルビル合意: ボジゼ大統領のもと、挙国一致で和平プロセスを進めることで合意。大統領の2016年までの任期までの留任,1年以内の国民議会解散と総選挙の実施が定められた。また野党代表を首相とする挙国一致内閣の設立も合意された。

2.03 合意に基づき、野党からチャンガイ首相が選出され挙国一致内閣が成立。セレカからも閣僚が選出される。

3月 セレカ連動、ポジセ政権への攻撃を再開。3月20日を期限とする最後通牒を突き付け戦闘準備を整える。

3月22日 ポジゼ大統領、南アフリカ訪問を切り上げ帰国。

3.23 セレカ、首都バンギに向け進撃を開始。

3.23 フランス軍部隊150人は、バンギのムボコ国際空港を確保する。

3.24 セレカ連合の尖兵が大統領府付近に進出し銃撃戦を展開。ボジゼ大統領は隣国コンゴ民主共和国へと脱出(一説にカメルーン)。

3.24 セレカがバンギ市内を制圧。各所で略奪行為が続く。この間の戦闘で、現地に展開していた南アフリカ兵13人が死亡する。

3.24 アフリカ連合はセレカの首都制圧を非難し、中央アフリカ共和国の加盟資格を停止。加盟国に対し「結束した断固たる行動」を求める声明。

3.25 セレカはミシェル・ジョトディア(Michel Djotodia)を暫定大統領に指名。ジョトディアは議会と各政府機関の解散、憲法の停止を宣言し、3年以内に選挙を実施するまでは「法令」に基づき自身が統治すると発表。チャンガイ首相が政権を担うこととなる。

3.25 フランスの要請を受け国連安保理の緊急協議。クーデターを非難し「追加措置」も辞さないと警告する。

3.25 パン・ギムン国連事務総長、セレカを非難。「深刻な人権侵害の報告もあり深く憂慮する」と声明。

4.12 アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官がコンゴ民主共和国北部の難民キャンプを視察。「およそ3万7000人が中央アフリカから逃れてきた。これらは3月25日のバンギ制圧を機に避難した人々である」と述べる。

4.13 セレカ、バンギで武装解除作戦を展開。旧国軍兵士や市民の抗議に対して発砲。その後反セレカ派の摘発に乗り出す。

4月 ジョトディアはアフリカ連合の要求を受け入れ暫定評議会を設置。暫定評議会の支持を受けあらためて大統領に選出される。

5月2日 この日付の報道では、「コンゴ民主共和国に避難している難民は4万人となり、新たにカメルーンに1024人、チャドに6728人避難」とされる。

中央アフリカはそれまでむしろ難民受入国だった。コンゴ難民とスーダン難民あわせて1万7000人、ダルフール西部地区の内紛での難民が4000人など。これらの難民がセレカの中核を形成した可能性もある。

7月 ジョトディア政権が暫定憲法を公布する。

8月18日 宣誓式が行われ、正式にジョトディアが大統領に就任。

8月 国連安保理、「中央アフリカは完全な無秩序状態に陥りつつある」と警告。

9月13日 セレカ連合が統率力を失い自主解散。メンバーは武装解除を拒否。抗争はやまず、国内が無政府状態に陥る。

元々、反政府勢力の寄り合い所帯であるだけでなく、民兵には約束された賃金が支払われなかったことから、軍規の乱れや離脱が相次いだ。
これに対しジョトディアは正統性を確保のため、セレカの武装解除を打ち出した。これに戦士の多くが反発し、傍若無人の妄動を繰り返すようになった。
ジョトディア自身、もはや武装集団の行動をコントロールできないと認めている。

9月 キリスト教徒はアンチ・バラカと呼ばれる自警団を組織し、セレカ残党と対決。戦闘は宗教間の衝突の様相を呈し、多数の死者を出す。さらにボジゼ前大統領派も独自の武装攻勢を強める。

12月6日付UNHCR発表によれば、避難民は約47万人(国外7万人、国内40万人)に達した。また戦闘ごとに数百名の単位で犠牲者が発生している。

9月 北西部ウハム州でアンチ・バラカによるムスリム住民の虐殺が拡大。元セレカ部隊も反撃し大量虐殺を繰り返す。さらにナナ・マンベレ州、南西部のロバイエ州にも戦火が広がる。

バンギ北方300キロの州都ボッサンゴアには、ウハム州全域から避難民が集まる。カトリック教会には4万人、街の反対側にはムスリム住民4,000人が残留。にらみ合いを続ける。

11月 フランスとアフリカ連合が軍事介入。残存勢力との間で小規模な戦闘が行われる。

12.04 ルモンド紙がフランス軍の作戦計画の概要を報道。仏は安保理決議を待たず、本国からの動員を含め準備を開始する。(作戦名は'SANGRIS'(サングリ)、中央アフリカの森林に生息するエキゾチックな蝶の名を冠したとされる)

主要作戦は、
①首都バンギの防衛。セレカと、キリスト教徒自警団(Anti-Balaka)の間に割って入る。
②北西部のカメルーン、チャドと回廊を確保

12.05 バンギでキリスト教徒によるイスラム教徒の大虐殺。少なくとも300人が死亡(赤十字)する。

12.05 中央アフリカ共和国への軍事介入を認める国連安保理決議が全会一致で採択される。国連憲章第7章に基づき「中央アフリカ支援国際ミッション」(MISCA)が編成されることとなる。さらにMISCAの支援の名目でフランス軍にも権限が付与された。

第7章というのは「強制力による紛争解決」を定めた章。
具体的には、すでに中央アフリカに展開する「中央アフリカ展開多国籍軍」(FOMAC)を国連の下に移行させることとなる。FOMACは中部アフリカ諸国経済共同体(ECCAS)により構成され、管轄はアフリカ連合があたる。
作戦期間は12ヶ月。人員は原員の2500名から、3600名に増強される。

12.06 フランスのオランド大統領が記者会見。「事態は非常に恐ろしい状況になっている」とし、①7日夜までに当初の想定よりも400人多い兵士を派遣、②国連に権限を委任する兵員を1600人に増やすと発表。

会見での主な発言内容: 民兵組織が女性をレイプしたり、病院の患者を殺害したりするなど、まるでギャングのような行動をしている。
彼らを武装解除させることが仏軍とアフリカ部隊の任務になるだろう。現在行われている残虐行為や大量虐殺をすぐにやめさせることができると私は信じている。 
長期的には再び国を安定させ、適切な時期に自由で民主的な選挙を実施することが目標となる。

12.06 アフリカ連合(AU)、MISCAの兵員動員目標を当初予定の3600人から6000人に引き上げる。

12.22 バンギでセレカの支持者数千人が、戦闘員の武装解除を進めるフランス軍に抗議するデモ。

12.07 フランスとアフリカ連合が軍事介入。フランス軍200名が西部の都市ブワル(Bouar)に展開。

数か月にわたる暴力にうんざりした住民たちは、ダンスを踊り、警笛を鳴らし、鍋をたたいて大歓迎した。そして部隊に「ありがとう!」「私たちを助けて!」などと声をかけた

 

2014年

1月11日 中部アフリカ諸国経済共同体(ECCAS)が緊急首脳会談を開催。.事態打開能力を失ったジョトディア大統領・チャンガイ首相の辞任を勧告。

1.11 ECCASの勧告を受けたジョトディア大統領とチャンガイ首相、混乱の責任を取り辞任する。バンギ市内での暴動はむしろ激しさを増す。

辞任発表後数時間のうちに少なくとも5人が死亡。市内で群衆が店のドアを壊し略奪が相次ぐ。店の多くはイスラム教徒が経営していたもの。略奪を行った者の中には食人行為に及んだ者もいたという。

1.11 ジョトディア、ベナンに亡命。国家移行評議会(CNT)が、国民議会議員の間接投票による暫定大統領選挙を組織することとなる。

1.20 国家移行評議会、暫定大統領としてバンギ市長のカトリーヌ・サンバ・バンザ(現バンギ市長)を選出する。

1956年生まれ。父はカメルーン人、母は中央アフリカ人。バンギで育ち、フランスに留学。情報工学、保険関係法などを学び、1990年、バンギに戻る。アリアンツグループでのポストを経て、保険代理店業を起業する。
2003年、ボジゼによる政変ののち、「国民対話」の共同議長を努める。アムネスティにも加わり、紛争が続いたアフリカ中央部、大湖地方で人権活動に尽力した。
2013年1月にバンギ市長に就任。その2カ月後にセレカ勢力が政権を転覆した。
8歳、3児の母。夫のシリアーク・サンバ・パンザも政治家。コリンガ政権、ボジゼ政権など、複数政権で大臣を歴任している。

1.20 EU外相会議、500名規模のEUFOR部隊派遣を承認する。

1.22 国連安保理で事務総長の派遣した特別代表が中央アフリカの状況を報告。

子供と武力紛争担当のゼルーギは双方の武装勢力に18歳以下の少年兵6千人が加わっていると報告。
紛争下の性的暴力担当のバングーラは、昨年はじめからセレカの4530件以上の性暴力があったと報告。
 「国際人道法が順守されない状況が続けば、最悪の結果になる」と強調した。

1.23 サンバ・バンザの大統領就任式。両派に武装解除と和解を呼びかける。大統領選挙、国民議会選挙の実施を柱とする民主化プロセスの実施を目指す。

1.23 演説の直後にFACA(国軍)兵士が各国の報道陣の目の前でイスラム教徒の男性に襲いかかり惨殺する。(直前の大統領の演説では「国内の治安回復に貢献する兵士を誇りに思う」と語られていた)

1.24 UNOCHAが内戦による被害状況を報告。これまでの犠牲者は約931人、また避難民は約120万人に達する。

1.27 アンドレ・ンザパイェケ首相を首班とする暫定内閣が発足。閣僚には7名の女性、3名のセレカ派、1名のアンチ・バカラ派が含まれる。国防大臣にはテオフィル・ティマンゴア将軍を任命。

2.08 バンギで武装勢力間の衝突。9日までに少なくとも11人が死亡。

1.30 元セレカの武装集団が、バンギの北180キロのシブート(Sibut)を制圧。フランス軍が奪回作戦に乗り出す。

1.30 安全保障理事会、平和維持部隊の活動とEU派遣部隊に武力行使を認める決議を全会一致で採択。



なんとケツの穴の小さい男と言われるかもしれないが、それを覚悟の上であえて言えば、今度の都知事選は負けではない。
少なくとも細川候補には勝った。革新の向かうべき方向は定まった。

とにかく都庁マシーンの威力はすごい。こんな化け物みたいな組織は経験したことがない。
脳みそ空っぽで空威張りしか能のない男を「史上最高の得票数」で押し上げたかと思えば、まったく無名のイモ男をぶっちぎりで勝利させる。

それがダメと思えばあっさり切り捨てて、自民党を除名された人物を自民党推薦で当選させる。しかもダブルスコアだ。

こういう連中には、けたぐりとか猫騙しのような奇手では勝てない。成功法で積み上げるしかないのだ。

それしかないというだけではない。そうやって積み上げることでいつかは勝利できるという展望を、今回の選挙は示した。

逆に策を弄する者は、策に溺れるということも、今回の選挙は如実に示した。

細川・小泉陣営も相当のショックだったろうが、細川に走った連中にはコカインとヘロインと覚せい剤を一緒に打ったくらいのショックだっただろう。

とにかく、これで方向は決まった。いつまでもくよくよせずに戻って来い。そして共に闘おうではないか。

東京が変われば日本は変わる。それどころか、東京が変わらなくても日本は変わるくらい、機は熟しつつあるのだ。


チリの学生抗議運動

Ⅰ.はじめに

チリの学生抗議運動は2006年の高校生の運動に始まり、2011年に大きな盛り上がりを見せました。

残念ながら日本ではほとんど報道されず、たまのニュースでも覆面姿の学生が該当で暴れまわっている場面しか報道されません。

この記録も不十分なものですが、とりあえず皆さんに多少とも知っておいてもらいたいと思い作成しました。

チリの運動にはもちろん大きな前史があります。あの70年代のアジェンデ大統領と人民連合政府の闘いです。

合法的に権力を獲得し、民主主義の実現と社会体制の変革に向けて大きく踏み出したチリでしたが、その後1973年9月11日に悪名高いCIAとピノチェト将軍のクーデターで押しつぶされました。

何千もの人が軍により殺され、あるいは「行方不明」となりました。多くの人が捕らえられ拷問を受けました。国外亡命を余儀なくされた人たちもたくさん居ました。

その後、ピノチェトによる軍事独裁が長い間続くのですが、チリの人々は文字通り命をかけて不屈に戦い続けました。

そして1989年、ついにピノチェトを退陣に追い込み、民主政治を回復させたのです。

しかしその民主化は本当の民主化ではありませんでした。軍の実権はそのまま維持され、政府といえどもピノチェトにないし指一本触れることすら出来ませんでした。

軍は政府の言うことを聞かず、ときには政府をまったく無視して左翼勢力の弾圧を行いました。チリ共産党は国会の議席を失ったまま、孤立を余儀なくされました。

民主化を成し遂げた中道勢力は、ピノチェト時代の経済政策をそのまま踏襲し、むしろ新自由主義経済を推進していきました。

貧富の差はますます拡大し、経済成長とは裏腹に国民生活は困窮の度を増していきます。

きわめて雑駁ですが、ここまでが2006年、学生の抗議運動が爆発するまでの経過です。

Ⅱ.2006年、高校生の抗議運動 「ペンギン革命」

A) 闘いの始まり

4月24日、成立したばかりのバチェレ新政権が、学生の負担をさらにもとめる方針を発表しました。

そこには、大学共通入学試験の受験料を引き上げること、またバス料金の学生割引の対象を制限する内容がふくまれていました。

それは高校生の生活を脅かすだけではありませんでした。実はバチェレ新大統領は中道勢力の中でも左翼に属するとみなされ、新自由主義に苦しむ民衆の期待を集めていた人でした。だからこそ、その大統領に裏切られたという怒りが一気に爆発したのです。

26日、高校生のグループが行動を起こしました。サンティアゴのメインストリートであるアラメダ通りで、制服姿の高校生がデモを敢行したのです。

高校生の制服は白黒のツートンカラーで、ペンギンに似ていることから、高校生の抗議運動全体が「ペンギン革命」と呼ばれるようになります。

警察がたちまち襲いかかり、50人近くが逮捕されました。しかしこのデモは国民の共感と支持を呼びました。何よりも他の高校生たちの憤激を呼びました。

折しも5月1日のメーデーが各地で行われました。自らを組織するすべを持たない高校生たちは、メーデーの行進に参加することで抗議の意志を示しました。

警察はこれらの行動も容赦しませんでした。全国で高校生1千名を逮捕しています。このことからも、ピノチェト独裁政権時代の抑圧体質がそのまま残されていることが分かります。

バチェレ政権はこのような警察の横暴に対して情けないほど弱腰でした。「暴力は正しい手段ではなく、政府は警察の行動を支持する」との声明を出したのです。

血気にはやる高校生はこのような状況を我慢できませんでした。

5月19日、チリの中でも名門校とされるインスティトゥト・ナシオナルとリセオ・デ・アプリカチオンで、高校生たちが学校を占拠しストライキを開始しました。この衝撃はあっという間に国内に広がりました。わずか数日のあいだに、学園の占拠やストライキは14校に拡大しました。

占拠学生は高校生調整会議(ACES)を結成。学生用公共バスの無料化、大学統一試験受験の無料化、教育法の改正などを要求し、「5.30全国ストライキ」を呼びかけます。

ストライキ闘争の影響は高校生のみならず大学生、教員、労働者へと広がっていきます。各団体が相次いで支持声明を発表します。その広がりは底知れぬほど巨大なものとなりました。

5月30日、全国ストライキが打たれました。全国で320の学園が占拠されました。100校以上がストライキに参加しました。各地でのデモには、あわせて80万人が参加しました。

ほぼ根こそぎといっていいでしょう。

B) 政府の対応の変化

高校生の抗議運動が影響力を拡大するのを見た政府は、急遽、高校生との交渉に応じる構えを見せます。

バチェレ大統領はテレビ演説し、「高校生たちの要求を受け入れる。新たな教育政策を検討する。そのために大統領に直接つながる諮問委員会を設置する」と述べました。

30日の全国スト当日には、ジリッチ教育長官が現場に出て学生リーダーと第1回目の交渉を持ちました。この辺りの反応はさすがに素早いものがあります。

ところが警察はこの交渉そのものを潰しにかかりました。会談は国立図書館前で行われたのですが、図書館前に集まっていた高校生たちに、突然警察部隊が襲いかかったのです。

やることがめちゃめちゃです。公安部隊は催涙弾を撃ちまくり、700人余りを逮捕し怪我を負わせました。通りがかりの野次馬は言うに及ばず、個人宅にいた見物人も逮捕されました。報道関係者も襲われました。

警察の暴行はメデイアを通じて流されました。「クーデターの再現」すら思わせる光景に、世論は沸騰しました。警察は政府や世論をなめきっていたのだと思えます。

バチェレは怒りを爆発させました。「警察に治安の維持を期待しているが、昨日目撃したような出来事は到底受け入れることはできない」と発言します。そして特殊部隊の隊長と副隊長を含む10人の解雇を発表します。

警察は一気に孤立することになりますが、一向に平気です。「いざとなればバチェレもろとも捕まえてしまえ」くらいの勢いだったのでしょう。

この国の裁判所・司法機構は一貫して反人民・親ピノチェトの姿勢をとり続けていたからです。(一握りの良心的な判事もいましたが)

C) 力による抑え込み

学園占拠闘争をはじめてすでに3週間、ここいらが潮時とみたACESは、5日に打ち上げストを決行した後、7日にストの終了を宣言しました。

5日のストは国民的な抗議の高まりを象徴するものでした。高校生に加えて大学生、高校教師、トラック運転手、労働者の組合も連帯ストを打ちました。

警察は運動の拠点インスティトゥト・ナシオナルの封鎖に対し、催涙ガスや放水で挑発攻撃をかけました。反撃に出た高校生は次々と逮捕され、240人が拘留されます。

ここまでで逮捕者の異常な多さに驚かれるだろうと思います。4月26日に50名、5月1日に1千名、5月30日に700名、6月5日に240名という具合です。
我々もデモやピケで逮捕者を出しましたが、せいぜい逃げ遅れた2,3名が2泊3日の勾留となる程度でした。
これだけの人数を逮捕するのは、逃げるやつを追いかけるだけでは無理です。罠を書けて追い込んで一網打尽にしなければ不可能です。この逮捕劇は間違いなく流血を伴うでしょう。
このことだけ考えても、警察がきわめて攻撃的で暴力的であることが分かります。「愛される警察」などというモットーは考えも及ばないでしょう。

同じ日、バチェレ大統領が大統領諮問委員会のメンバーを発表。高校生にも6つの席が与えられました。バチェレはさらに、問題の責任を問う形で教育大臣と内務大臣(警察管轄)とを更迭しました。

高校生にとっては、とりあえず大成果といえるでしょう。

しかし約束された改革はなかなか進みませんでした。諮問委員会では「何を諮問するか」をめぐる入り口論議が果てしなく続きました。

2ヶ月が過ぎて学生のあいだに苛立ちが募り始めました。8月に入って相次いで高校生のデモが行われますが、相変わらず警察の対応は強硬でした。8月23日のデモでは2千人のデモ隊の1割、200人が逮捕されるにいたります。デモ自体が犯罪扱いされているのも同然です。

こうして高校生の闘争は徐々に沈黙を余儀なくされ、抑えこまれていくことになります。

それでG36が大変優れたライフルであることはわかったが、HK社がこれを各国にヤミ販売してるらしい、というのが次のテーマだ。

それらファクトの中で一番気になるのがメキシコのFX 05との関連だ。

これも同じくウィキペディアから

FX-05 シウコアトル(Xiuhcoatl

メキシコが開発したアサルトライフル。メキシコ軍に配備されている。名称は、ナワトル語で「炎の蛇」を意味する。

G36同様に基本型の他、カービン型、精密射撃型、軽機関銃型のバリエーションが用意されている。

H&K G36によく似たデザインをしており、違法コピーでないかとの疑いが取り沙汰された。

2007年2月1日、この問題について話し合うため、メキシコシティに てメキシコ国防省(SEDENA)の幹部とH&K社の代表者が会談を行った。

SEDENA側はFX-05がG36の違法なコピーかもしれないと考 えていたが、H&K側はあくまで異なる銃器であるという見解を示した。最終的にSEDENAとH&Kの間で起訴や賠償が発生することはなかった。

ということで、よく読むとまことに奇妙な会談である。

普通は違法コピーだと訴えるのがメーカーの側で、メキシコ側は防戦に回るのが常識的な感覚だ。当然そこにはウラの動きがあるのであろう。

ウィキペディアの著者はその辺りには触れず、似ているけど違うものだと主張している。

これはちょっと変なので、他の資料にも当たる必要がありそうだ。

[] メキシコ軍のアサルトライフルFX-05

というサイトには、以下の記載がある。

メキシコ軍では長らくH&K社のアサルトライフルを使っていたが(G3シリーズと一部G36)、2005年に自国独自のアサルトライフルの開発計画を決定。

2006年には特殊部隊の隊員が装備している姿が確認されている。

報道やイベントの写真が存在するにも関わらず公式写真が公開されていないのは保安上の理由だと書かれている。

これも変な話で、2005年に開発計画を決定して、その翌年には早くも実用に供されている。国軍の制式銃がそんな簡単に作れるものとは思えない。非公開というのも合点がいかない。

日本語の情報はここまでだ。


The Fireams Blog

というサイトに2011年1月付で

Germany suspends H&K exports to Mexico

という記事が掲載されている。元はAP電。

ドイツ政府は、H&K社にメキシコへの武器輸出を禁止した。

ドイツでは、メキシコ国内に武器が拡散しているとの懸念が広がっている。そこはベルリンが人権問題を理由に武器輸出を禁じたところだ。

AP通信が入手したレターによれば、1月4日付の経済省から武器メーカーへの手紙にはこう書かれている。

御社の“武器及びその他の防衛商品”のメキシコへの輸出申請は、ドイツ司法当局の調査の結果が明らかになるまで中止される。

H&K社はチアパス、チワワ、ゲレロ、ハリスコの各州で、G36攻撃ライフルをメキシコ警察に供給したとして検察庁により調査中である。

これらの地域では広範な人権侵害が行われていると考えられ、ドイツ政府は武器輸出を禁止している。

H&K社は、それらの4つの州には武器は輸出されていないと主張している。彼らが輸出したのはメキシコシティーを管轄する「中央武器購入部局」であり、それは国防相に監督されているという。

H&K社は、12月末の声明で、「メキシコ国内のいかなる州へも売却の予定はない」と声明した。


これでウラが読める。

つまりH&K社は、ドイツ政府により禁じられている麻薬・暴力・腐敗地域への武器輸出を迂回するために、“FX05”なる機種をでっち上げたわけだ。

そしてこれをメキシコの“純国産品”として売りだしたわけだ。

それだと、アメリカのライフルに似せたり、「うちとは関係ない立派な国産品です」と国防相に弁解する、怪しげな経過もすべて見事に説明がつく。

それにしてもえげつないものだ。


1.まずはアサルトライフルの説明から

いきなり未知の単語が炸裂する。

アサルトライフル、攻撃用ライフル、突撃銃、歩兵用自動小銃…

これに関連して

速連射、近接戦闘、給弾、弾倉、有効弾、製造ライセンス…

と並べられるとめまいがする。

とにかく川上から順番にたどってこう

A) 小銃 あるいはライフル銃

アサルトライフルというのは自動小銃の一種のようだ。自動小銃というのは“自動”的な小銃のことで、手動型ではないということだ。

ではそもそも「小銃」とはなにか、小銃とライフルとは同じなのか。

ウィキペディアであたってみる。

小銃とは、兵士が個人用に使うための軍用銃で、軍隊では最も一般的な小火器である

要するに我々が「鉄砲」と聞いてイメージする銃のことで、ピストルでも機関銃でもなく兵隊さんが肩にかけている銃だ。

現代の小銃はほとんどがライフリングを有するため、単にライフル(英:Rifle)と呼ぶこともある。

ライフリングというのは銃身の内側に、「旋条」を刻むことである。

旋条銃身から撃ち出される弾丸は、ライフリングに浅く食い込みながら進む事で回転運動を与えられ、ジャイロ効果により高い直進性・低伸性を得る事ができる。

ライフリングは、弾丸が球形から長形弾に変わったこと、さらに弾丸が前込めから後込め(ボルトアクション)に変わったために可能になった。

なぜ「小銃」と呼ぶかというと、これは日本だけの習慣のようで、外国には小銃に該当する呼称はないようだ。

日本では江戸時代の終わり頃まで銃砲(GUN)のうち、大きいもの(砲)を「大銃」とよび、小さいもの(銃)を「小銃」と呼んでいた。

ということなのだそうだ。

それが明治維新後もそのまま残り、日本軍に引き継がれたようだ。

防衛省では、Rifleの英単語に対応する語として「小銃」を当て、「個人携行の基本となる肩撃ち銃。使用目的によって,歩兵銃,騎銃,突撃銃,狙撃銃などがある」と定義している

非常にスッキリした定義で、長年のもやもやが一気に晴れた。

B) ボルト・アクションとレバー・アクション

手動だと装填(弾込め)、空薬莢の取り出しを手で行うことになる。

手動といっても、リモコンの電池交換のように蓋を手で開けて、指で空薬莢を取り出して、次の弾を込めるというわけではない。

ボルトアクションと言って脇に飛び出した金属棒を引いて空薬莢を飛び出させると、バネ仕掛けで次の弾丸がマガジンから持ち上がるという仕掛けだ。

レバーアクションというのは子供の頃真似した「ライフルマン」の連射だ。たしかあれは「ウィンチェスター73」といったね。

壊れやすいのと、立ったままの動作になるのでやられやすいということで、廃ってしまったようだ。

C) 自動小銃

次にウィキペディアで「自動小銃」を調べる。

自動小銃は、発射時の反動・ガス圧等を利用した機構により弾薬の装填・排莢が自動的に行われる小銃である。

自動だとどこがいいかというと、連射ができるということである。カメラでシャッターを押しっぱなしでカシャカシャと連続撮影ができるのと同じだ。

もうちょっとカメラの例えを続けると、むかしはシャッターを押して1枚目を取ると高速モーターが回って次のコマまで巻き取った。この巻取り機能が小銃の“自動”(オートマチック)機能に相当する。いまはフィルムレスのデジタル時代だから、オモチャみたいなデジカメにも連写はついている。

閑話休題。自動小銃のし掛けだが、これはボルトアクションのし掛けが発達したものらしい。

弾丸を装填するためのボルトの駆動を、手の力から発射にともなって発生するガス圧に切り替えたもの。遅動ブローバック方式というのもあるそうだ。

いまいち良く分からないが、ここは飛ばすことにする。

自動小銃というのは引き金を引き続ければ、ありったけの弾丸が撃ち尽くされる仕掛けで、何発撃てるかはマガジン(弾倉)の容量次第ということになる。

しかし機関銃並みの使い方をしていたら弾が持たないから、大抵はセミオートマチックで使う。これはボルトのないボルト式ライフルと思えばよい。一発づつ引き金を引くことになる。

この他に2,3発だけ連射できるバースト射撃(制限点射)という使用法もあるようだ。

自動車で言えばクラッチ操作がないオートマ車と同じだ。(いまやこの言葉も死語になってしまったが…)

フルオートマチックのライフルなら、セミオートへの切り替えが可能だが、最初からセミオートの機能しかないものもある。

多くの国ではフルオート射撃機能を持つ火器の民間人による所持を制限ないし禁止しているため、これを除いた製品が自動小銃として市販されている。

というから、むしろこれが主流と言っていいのかもしれない。

D) アサルトライフル 突撃銃

ということで、ようようアサルトライフルまで辿り着いた。

アサルトライフルは日本では突撃銃と呼ばれてきた。「一人で携行でき速連射可能の歩兵用の自動小銃」というのが定義だが良く分からない。

もう一つの特徴は、「近接戦闘用で多数の銃弾を給弾できる弾倉を有し」ているという点。

以上は赤旗記事からのもので、これでは雲をつかむような話だ。

そこでまたまたウィキペディア

アサルトライフルは、小銃の撃ちあう距離よりももっと短い距離での銃撃に用いられる。

自動小銃ほどの精度はもとめられず、殺傷力ももとめられない。銃身はより短く、弾丸の口径はより細い。射程は短く精度は低いが、その分、より多くの弾丸が傾向可能で軽量化が可能となる。

テレビゲームなどで敵が物陰から躍りだして、お互いの顔がわかるほどの距離で撃ってくる。それに瞬時に対応してこちらも撃ちまくる。この小回りの良さが突撃銃の持ち味だ。

最初に突撃銃を開発したのはドイツで、第二次大戦中のことだった。しかしそれが行き渡るまでに戦争は終わってしまった。戦後になってその技術を受け継いでソ連が開発したのがAK47、いわゆるカラシニコフだった。

だからドイツはいわば突撃銃の元祖・本家ということになる。

これに対しアメリカは自動小銃の伝統を守り、M1からM14へと発展させていたが、ベトナム戦争で、自動小銃が対ゲリラ戦にはまったく無力であることが分かり、突撃銃へと路線変更した。これがM16ライフルである。

つまり、現代の軍装備の標準となっているのはアサルトライフルであり、自動小銃は歴史的役割を終えたということになる。


カービン銃(短小銃): 本来のカービンとは、騎兵(Carabinier)向けに馬上での取り回しを考慮し、短縮軽量化した小銃のこと。現在ではおおむね「小型のライフル」を意味する。

サブマシンガン 短機関銃: 元は小型機関銃を意味したが、後に拳銃弾を使用するフルオート火器の総称となる。

トミーガン: 正式名称はトンプソン・サブマシンガン。第一次大戦直後から170万挺以上が生産され、今日でも製造が続けられている。
通信販売でも購入できたため、禁酒法時代のアメリカでギャングに用いられた。
第二次大戦で英軍が使用したため、英兵の通称トミーに由来する“トミーガン”の愛称が付いた。

ドイツのG36アサルトライフルが紛争国に輸出されているというニュースがあった。

以前からベンツを筆頭とするドイツの企業が「死の商人」となっていることは知られてきた。

ドイツは武器輸出を承認し、奨励さえしている。別に目新しいことではない。

今回G36が問題になったのは、あまりにも数が多いこと、実際に使用される可能性が極めて高いことである。


ということで記事に戻るが、これが厄介だ。

片岡さんという記者の調査レポートなのだが、情報てんこ盛りで、未消化だ。

短い記事に盛り込まれたFacts を列挙すると、

1.ドイツの武器メーカーが違法な武器輸出をしている。ドイツ国内メディアが暴露し、検察当局が調査に乗り出した。メーカー側は違法性を否定している。

2.会社の名前は「ヘックラ―&コッホ」社(以下HK社)、欧州最大の銃器メーカーである。問題となった武器は「G36攻撃用ライフル」と呼ばれる小銃だ。

3.この小銃はNATO軍の制式兵器らしい。各国軍が広く用いている。

4.問題となったのは、この銃がドイツ政府が輸出を認めていない国に違法輸出されていることだ。具体的にはリビア、グルジア、スーダンがあげられている。

5.HK社は海外生産も行っている。イラン、サウジアラビアの名が挙げられている。スーダンで出回っている銃はそちらで生産されたものらしい。

6.HK社はメキシコで製造ライセンスを違法に売却した。この方法で生産された銃はG36ではなく、FX_05と呼ばれる。FX_05は大量に出回り、メキシコ麻薬戦争に大いに貢献している。

7.HK社は米国にも子会社を持っている。12年度の売上は2億3千万ユーロ、収益は4千万ユーロとされている。(この数字が米子会社のものか、連結決算なのかは、記事からは不明)

8.ドイツの武器輸出は世界第3位である。SIPRIの調査では、世界の武器輸出の7%を占めている。政府は軍需産業に対し武器輸出を奨励している。

9.ドイツの法律は人権状況に問題のある国や、武力紛争の当事者への武器売却を禁止している。これは矛盾している。

10.ドイツの左翼党は、武器輸出の禁止を求めている。

これだけでも大変な情報量なのに、いくつかの違反の実例も挙げられているからメチャクチャな記事だ。

このあと少し自分で調べて書いてみようと思う。おそらく記事の10倍位の分量になるだろう。

ハーゲン四重奏団の動画が面白い。

ザルツブルクの大ホールでのライブ録画だ。

曲はベートーヴェンの作品135

フォトジェニックなビオラのお姉さんが仕切っている。普通と違いビオラが内側に座り、微笑みを浮かべながら第1,第2バイオリンとチェロにアイコンタクトしている。

第二バイオリンは第1バイオリンの方は見向きもせずにひたすらビオラを仰ぎ見ている。

こうやって見ていると、この曲の妙味は楽器の間の音の受け渡しにあるということがよく分かる。

4人がビールを飲みながらレントラーを踊っていて、ある時は第1バイオリン、ある時はチェロが主役になったり、ある時は二人が抱き合ってのダンスだったり、低音弦二人と高温弦二人の掛け合いだったり、そうやって進行しながら、時にはシリアスになったりと、けっこうハチャメチャのバラエティーなのだ。

ベートーヴェンの後期四重奏曲をそういう眼で見たことがなかったから(“眼で見る”というのがそもそもヘンですね)、ヨハン・ストラウスのように演奏しそれを聴くというのは、ひとつの体験だった。


このカルテットは変なカルテットだ。

ザルツブルクの生まれで、兄弟カルテットだ。親父はモーツァルテウム音楽院管弦楽団のビオラの首席だ。ガチガチの「本家・元祖」だ。

頭と技術と努力でのし上がったのではなく、無試験で東大合格したようなものだ。

4人兄弟でカルテットを組んだのが、第2バイオリンの長女が「あたしはダメ」と降りた時にプロのカルテットになった。

長女が第2ヴァイオリンを弾く「死と乙女」がYouTubeにある。4人が弾いているというより後ろにいる親父がやらせている感じがもろにある。

長女が辞めてから一気に次女のビオラが仕切るようになった。そしてプロの楽団になった。プロになった後も、最初は長男の第1バイオリンがバリバリと弾きまくって、他の3人はそこについていく感じだったのが、今は4人が独自の役割を持ちながら全体としてアンサンブルを形成する感じになっている。

それが作品135の四重奏だろう。

前に、ウィーン・フィルのコンサートマスターのバッハを聴いて、どうしようもないご当地の強みを痛感したが、このカルテットも技術の巧拙を超えた「こうでなくちゃ」という強い説得力を感じてしまう。

競馬と同じで、音楽も「毛並みが走る」ことになるのであろうか?

開発メディアganas 

http://dev-media.blogspot.jp/2013/03/14.html

というサイトに載っていたもの。元々は

「ガーディアン」紙の12104記事を転載したもの。



http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/a/1/a1f9ca18.jpg

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/9/e/9e7bd14d.jpg

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/0/b/0b4314db.jpg

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/6/1/61c4416d.jpg

文字にすれば以下のとおり。ポジティブな数字とネガティブな数字を分けて、列挙する。

ニュートラルな数字

【人口】
99年約2400万人(増加率は1.9%)→11年約2900万人(同1.5%)

ポジティブな数字

1人当たりGDP
994105ドル→111801ドル

【石油輸出による収入】
 99144億ドル→11年は600億ドル

【失業率】
99
14.5%→097.6

【極度の貧困層が国民に占める割合】

 9923.4%→118.5


【乳幼児死亡率(1000人当たり)】

 9920人→1113

ネガティブな数字

【インフレ率】

 9923.6%→1231.6


1ドル当たりの公式為替レート】

 990.56ボリーバル→124.29ボリーバル


【殺人率(10万人当たり)】

 9925人(殺害された人数は5968人)→1145.1人(同13080人)

この数字をどう読むかだが、公平に見てブログ主の見解は偏見に近いと思う。

上のインフォグラフィックは、ガーディアンが12104記事に掲載したもの。これによると、チャベス政権は14年間で、ドル換算で1人当たり国内総生産(GDP)を2.5倍に伸ばし、極度の貧困人口を半分以下に減らした一方、インフレ率は30%を超え、また殺害された人数は倍増するなど治安は極度に悪化している。

チャベス大統領は19992月 に大統領に就任。それ以降、貧困層のための改革を進めてきた。バラマキとの批判もかねて根強かったが、石油価格の高騰を背景にした石油輸出に支えられ、政 権を維持してきた。ただ近年は、とどまるところのないインフレ高進と深刻化する治安状況もあって、国民からの支持を大きく失いつつあった。12107日に実施された大統領選の苦戦は記憶に新しい。


昨日は
チリの学生運動の経過を年表に組み込む、
ネパールの年表を一本化する

ことに時間がとられました。

ホームページの方に掲載しましたので、よろしければご参照ください。

チリの学生運動の経過をレビューする作業は、まだ行われていないようです。英文でも、チリの闘いの歴史の中に位置づけて語るレビューはなさそうです。

ラテンアメリカ諸国の団結と平和路線は21世紀の新たな世界への駆動力の一つとして注目されていますが、チリに代表されるラテンアメリカの学生運動も、今後の大衆運動のあり方を示すものとして、もっと注目されて良いと思います。

一つ面白そうな題名の論文がありましたが、読んでいくうちに独特の臭みが鼻につきだして、「あぁ、例によってトロツキストだな」と分かり、途中で読むのをやめました。

トロツキストというのは、着想はいいのですが、最後は既成左翼の乗り越えと労農ソヴェートへの流し込みです。学ぶのではなく教えることに目的があるのでしょう。

過去の経験との突き合わせもアナリーゼもいいのですが、もっとリアルな現実から確実な果実を取り出し、学んでいくことで初めて「理論」というものは積み上がっていくのではないでしょうか。

話は飛びますが、

労働というのは生産活動の核心に座るものですが、生産活動そのものに取って代わるものではありません。

そして生産と消費(生産力の再生産)は対になって発展していく(べき)ものです。

「生産者が主人公」というスローガンの重みを感じてほしいものです。


本日の赤旗文化面には、たまたま二匹の狐がいる。
ひとつは竹内栖鳳の「狐」であり、もうひとつが木島櫻谷(このしま)という画家の「寒月」という絵でここにも狐が描かれている。
竹内栖鳳はお馴染みの絵で、見事なものであるが、もう一つの「寒月」の方に見入ってしまった。

アライ=ヒロユキさんの評によると、

「寒月」は狐を竹林の中心において主役にしつつ、半月が照らす夜景と雪煙で霞むさまの両方を連続した背景に収め、時間の流れを感じさせる、起伏のあるドラマを作り出し見事である。

ということだ。

写真として掲載されているのが部分像なので、構図の説明が今ひとつ納得出来ないが、率直に言ってこの写真でも良さそうだ。

新聞の写真で、小さい画面だからいろいろ限界がある。そのなかで読者に訴える力のある写真に仕上げるのもひとつの技かもしれない。

それはともかくとして、作者についての説明を引用させてもらおう。

木島は写実性を重んじた円山四条派の流れをくむ戦前の日本画家。

対象への徹底した観察眼から生まれる迫真性に特徴がある。それは平面における見栄え重視の描画の巧みさに偏らず、質感と存在感を持ち、見るものにずしりと重みを感じさせる。

彼の本領は動物や人間の描写にある。ぬくもりとやさしさが同居するその絵は、むしろ現代的な感性に思える。


率直に言って、“業界ルーチン”的な言葉が多すぎる印象を受ける評だが、感じは伝わってくる。

ということでお待たせ
これがその絵だ

これが左、

これが右

スエスエ201さんのページより

左右のふすま合わせて12面に描かれていて、赤旗の写真では左側のふすまの右三面だけを取り上げている。いわば1/4だけだ。(厳密には三面とちょっとで、その“ちょっと”のはみ出し具合が絶妙だ)
失敬といえば失敬だが、たしかにそれでもいいのかもしれないという気もしてくる。さらに白黒写真も、それでよかったようにも思える。



これより左の雪煙で霞むさま も不要だし、右上の半月が照らす夜景 はなくもがなである。
さらに言えば、狐の表情もどことなく人間みたいでウソっぽい。漱石の言うとおりである。

記者はこう切り取りたかったのだろう、と思う。トリミングの妙である。左奥の雪霞み、そこから点々と下り出る足跡、そしてその先の狐という3点セットに絞り込んで、奥行きを出し、時の感を出した。
しかし、結果として読者を騙している事にもなる。こういう「ダマシ」は決して嫌いではない。

桜谷という画家、他の絵も見たが、さほどの人ではないと思う。この絵も、実物を見たらそのまま通り過ぎるかもしれない。こういう切り方をした瞬間に、この絵に別のいのちが生まれたようにも思う。

佐々木憲昭さんの予算委員会での質問を読んだ。

内容そのものはまさにそのとおりだが、意外に説得力がない。
賃上げ問題に収斂させてしまっているからだろうと思う。

空前の利益を上げているのは大企業だ。その大企業が正社員の賃金を多少上げても、問題の抜本的解決になるとは思えない。

所得の再分配を問題にするなら、まずは税金だろう。本来なら円安差益分をゴッソリと財務省の金庫に入れなければならないはずだ。そこについては麻生財務大臣と問題意識を共有しなければならない。

次に、このモウケは本当のモウケではないことをはっきりさせた上で、円安の負の側面への対応を問わなければならない。

日本のような貿易立国の国では、為替変動は常に盾の両面を持つ。今日の為替差益は、明日の為替差損となって跳ね返ってくるのだ。

だから企業の今回のモウケは、日本という国がそれだけ借金を増やしたことと同じなのだ。だから、為替差益を賃金に還元すれば良いという話ではない。本来なら国庫に戻らなくてはならない金なのだ。

質問の矢はそこに向かって放たれなければならない。

もう一つは、円安が通貨の大量発行という方法でもたらされたことだ。それがいつまで続くのか、というよりいつまで続けられるかに将来がかかっている。

その間に財政を再建しない限り、日本国はたちまち破産だ。
いまの日本は、カードで現金を引き出して浮かれ遊んでているような状況だ。不健全この上ない。

政府は大企業を信じているようだが、トヨタを見てみろ。売り上げの半分以上は海外だ。日本が潰れても何ともないんだ。やばくなれば金をケイマンに移して逃げていく。

危機はいまそこにある。国家の一大事なのだ。そのことを抉りだす質問に期待したいと思う。


こういう話を聞いていると、鎌田さんたちが出て行ってくれて、良かったのかなとも思う。

鎌田さんたちが出て行って、実は一番心配なのが「宇都宮は共産党だ」といわれ、孤立することだった。しかしネットの世界で見るかぎり、若者はほとんど宇都宮支持にとどまったようだ。

当初は動揺していた連中も、「やはり宇都宮しかない」と腹を括ったようだ。

ここが、今度の選挙の一番重要なポイントだ。反共・嫌共産党意識を乗り越えて、「主体の構築」が始まったのだ。有名人頼みでなく、しっかり土地に足をつけた大衆が、拠点に結集し始めている。

争点が明確になりつつある。それは次の二つだ

1.政治的自由と政治的良識を守る

2.生活者・民衆の視点から日本を再構築する

この二つは、いずれも鎌田さんたちの視点からは欠落している。


鎌田さんたちは、共産党が堺で「反維新」で野合したと非難し、ダブルスタンダードだと批判しているようだ。

こんなことまで説明しなければならないとは情けないが、堺市長選と東京都知事選はまったく性格もレベルも違う。

肝心なことは、鎌田さんも言うがごとく「反ファシズム」の統一戦線を形成することだ。それに照らし合わせて判断しなければならない。

脱原発の課題は、誤解を恐れずに言えば、「反ファシズム」に従属する。根本的に従属するだけではなく、当面の情勢から見ても従属する。

細川候補は反動勢力内の小泉派が送り込んだ「刺客」にすぎない。ひょっとすると背後にアメリカ大使館がいるかもしれない。

共産党はけちなことは言わない。「党に結集せよ」とは言わない。独自の政治勢力を構築し共に闘おうと呼びかけるだろう。

東京都知事選挙 渋谷フェス 宇都宮けんじ応援演説 辛淑玉

というのがYouTubeで見られる。

宇都宮カーの演説で候補の到着が遅れたらしく、「時間つなぎ」で長目の演説を行っている。迫力満点、実に名演説だ。もっと宇都宮さんが遅れればよかったのにと思わせる。

正味一人の人間の中に、涙と怒りと愛が満ち溢れている。思わずウルッと来てしまう。


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