鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2014年01月

百田尚樹氏が「大方言」欄で〝大正論〟 首相の靖国参拝批判は、日本マスコミが騒ぐので中韓が外交カードに使うのだ。ベトナム人はアーリントン墓地に行く米大統領を批判しない。英霊の慰霊は国際的に認知。他国の抗議は許されない。 14日

東京都知事選は舛添か細川だと言われている。もう絶句するしかない。 どちらが知事になっても、ひどい…… 私は関西在住だが、舛添にも細川にも、東京都の知事にはなってほしくないと思っている。 もし私が東京都民だったなら、田母神俊雄氏に投票する。 17、18日

私は政治家に品格を求めない。金に汚なくても許す、女にだらしなくても許す。しかし、日本を愛していない政治家だけは許せない。ましてや中国と韓国の顔色を見ながら発言する政治家は論外! 23日

何も問題になんかなってない!あんたら共産党が問題にしたいだけやろうが。  26日

毎日新聞では、籾井氏の発言に対し、「経営委員側からは『外交問題に発展しかねない。選んだ側の責任も問われる』と失望の声がもれた」とあるが、少なくとも経営委員である私は何も言っていないぞ。誰が失望したんや!名前書けや。  26日

前にNHKの経営会議で決まった極秘事項が毎日新聞に書かれたことがあった。かなり細かいことまで一致していたので、憶測記事とは思えない。誰かが漏らしたとしか考えられない。NHKの事務方か経営委員に毎日新聞のスパイがいるのだろうか…。  26日

非難されたから言い返しただけ。それとも、黙って一方的に非難されとけってか→ 一瞬、目を疑いましたよ。特定の政党の名前を出して非難とは……。 27日

明日はしんどくてもNHKの経営会議に出席する!籾井会長を非難する経営委員が誰なのかを、この目でたしかめないとあかん。 27日

インフルエンザのお陰でほとんと食欲がない(涙) せめて、きれいなオネエチャンを食べたい! 27日

では、私のどの発言が次世代次次世代に責任を持たないものなのか、例に出してください。その理由も挙げてください。→ 百田さん 何で悪意を持たれてしまうのかを考えた方がいいです。次世代次々世代に責任をもった発言だとは思えない。 27日

また朝日新聞の記者か。今度は編集委員らしい。朝日の記者は「きれいなオネエチャンを食べたい!」という言葉に異様に反応するなあ。どんな軽口さえも攻撃の糸口にしようという執念はすごいとも言えるが。朝日新聞の編集委員なんかよりも、きれいなオネエチャンを釣り上げたい! 29日


開いた口が塞がらないというのはこういうことを言うのだろう。日本はここまで落ちぶれたかと慨嘆する他ない。

基本的にはヤクザだ。下品さが売りである。何をしてもよいが、NHKはお門違いだ。経営委員やるなら、最低限の公私はわきまえなさい。

問題はこの人物が安倍首相の強力なプッシュにより、NHK経営委員に就任したということだ。

日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ

こんな連中が「咲き誇る」ような世の中を見たいとは思わない。


「今の不況は円高が原因だから、円安に振れば輸出企業を先頭に景気は改善する」というのが円安誘導政策の目的だった。

円安にしても輸出が伸びないなら、これはえらいことだ。輸入額(円換算)は間違いなく増えるから、貿易赤字がますます拡大することははっきりしている。

今回の「実験」ではっきりしたのは、我々の直面する不況が「円高不況」ではないということである。それは「海外進出・空洞化不況」なのである。つまり事態はもっと構造的で深刻なのである。

それではどうするかという話だが、

だから円安誘導をやめろという話にはならない。事態はそれほど単純ではない。海外進出をむやみに制限せよという話にもならない。

もし政策を貫徹しようとするなら、

海外志向の強い大企業にこれ以上投資することは意味が無い。大企業中心の産業育成・優遇政策をやめて、中小のイノベイティブな輸出産業を育てる政策に集中せよということだ。

大企業への配慮にしても海外部門と国内部門を選別し、選択的に行うべきだ。そして海外からの収益に対して適切に課税すべきだ。

これに早急に着手しないと、円高で何とかしのいできた庶民の懐が一気にやせ細り、生活がめちゃめちゃになってしまう。そして恐るべきスタグフレーション(不景気+インフレ)の波が押し寄せてくることになる。


トヨタ自動車にダイハツ工業と日野自動車を加えたトヨタグループの2013年の世界生産が1011万7千台に達した。
年間生産台数が1千万台を超えるのは、世界の自動車メーカーで初めてだそうだ。
ご同慶の至りである。

しかし中身を見ると素直には喜べない。
国内生産は430万台で前年比3%の減少。これに対し海外生産は6%増の580万台。
そして輸出台数は前年比2.4%減少の200万台だ。

円安政策の効果はまったく及んでいないことになる。
日本の経済・貿易政策が根底から揺るがされる結果だ。



ビジネス・ジャーナル 2014.01.23

昨年12月23日。この日、天皇陛下は80歳の傘寿を迎え、天皇の「お言葉」がマスコミに配布された。「お言葉」は同日各メディアによっていっせいに報じられたが、重要部分を“意図的に”カットしたメディアがあった。それが“公共”放送局のNHKだ。

 「重要部分とは、ずばり天皇陛下が語った護憲とも取れる部分です。朝日新聞や毎日新聞はこの部分をしっかりと掲載しましたが、読売新聞はかなり意図的に端折って要約していた。問題はNHKが、この部分の一切を削除していたことです」(大手紙宮内庁記者)

 削除された天皇の「お言葉」の該当部分は以下のようなくだりだ。

戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。

戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。

また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います


おぉ、まさにそのとおりだ!
ではなぜNHKがこの部分を無視したか。
平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り 」 の一節が気に食わなかったからに相違ない。それが共産党の主張と似ているからなのだろう。
とすれば、「共産党の言うことは取り上げない」という編集方針に則って削除したのだろう。「坊主憎けりゃ、天皇まで憎し。平和・民主主義・憲法は思案の外」の心意気だ。

籾井会長は多分アウトだろう。あまりにもひどい。最初から最後まですべて暴投だ。死球や危険球もたくさんある。一発退場だ。

赤旗でも大々的に報道しているが、その割には片言隻句ばかりだ。

朝日新聞でかなり詳しく報道しているが、例によってカネを払わないと読めない。

とりあえず、ネットで拾えるだけ拾う。


 NHKの籾井勝人新会長の25日の記者会見での主なやり取りは次の通り。

 私の任務はボルトやナットを締め直すこと。放送法を順守しながらいろいろな課題に取り組んでいく。

 ――尖閣諸島などの領土問題について、国内番組で日本の立場を伝えたほうがいいという考えか。

 日本の明確な領土ですから、これを国民にきちっと理解してもらう必要がある。今までの放送で十分かどうかは検証したい。

 ――国際放送では日本の立場を政府見解そのままに伝えるつもりか。

 国際放送は(不偏不党の)国内(放送)とは違う。領土問題については、明確に日本の立場を主張するのは当然のこと。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない。

 ――靖国神社の参拝と合祀(ごうし)についての考えは。

 総理が信念で行かれたということで、それはそれでよろしい。いいの悪いのという立場にない。行かれたという事実だけ。

 ――NHKの報道姿勢としてはどうか。

 ただ、淡々と総理は靖国に参拝しましたでピリオドだろう。

 ――正月の番組で印象に残ったものは。

 どの局も一緒。NHKをできるだけ見た。他社の番組も見た。それほど、これがよかったというのは用意していない。

 ――慰安婦を巡る問題については。

 戦時中だからいいとか悪いとかいうつもりは毛頭無いが、この問題はどこの国にもあったこと。

 ――戦争していた国すべてに、慰安婦がいたということか。

 韓国だけにあったと思っているのか。戦争地域にはどこでもあったと思っている。ドイツやフランスにはなかったと言えるのか。ヨーロッパはどこでもあった。なぜオランダには今も飾り窓がある のか。

 ――証拠があっての発言か。

 慰安婦そのものは、今のモラルでは悪い。だが、従軍慰安婦はそのときの現実としてあったこと。会長の職はさておき、韓国は日本だけが強制連行をしたみたいなことを言うからややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っているわけだが、日韓条約ですべて解決していることをなぜ蒸し返すのか。おかしい。

 ――会長の職はさておきというが、公式の会見だ。
では全部取り消します。

 ――取り消せない。

会長としては答えられないが、それだとノーコメントばかりになるから「さておき」と言って答えた。

ここから先は有料だそうだ。
特定秘密保護法に関する報道を問われ、

「通ったので、言ってもしょうがないんじゃないか。必要があれば(番組を)やる。世間が心配しているようなことが政府の目的であれば大変だが、そういうこともないのでは」

という話もあったようだ。

慰安婦問題が一番の問題であることは言うまでもない。

しかし、NHKのあり方を考える上では
国際放送は(不偏不党の)国内(放送)とは違う。領土問題については、明確に日本の立場を主張するのは当然のこと。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない。
というクダリの方が、はるかに重大であるように思える。

「国際放送は違う」と、放送法の適用外にし、日本政府の広報機関とすることは完全な違法行為である。しかも、この論理は果てしなく拡大解釈されるおそれがある。

籾井会長は後日「陳謝」したというが、この点についても撤回したのだろうか。



本日の赤旗に山家悠紀夫さんのインタビューが掲載されている。聞き手は山田記者だ。

ところがこの話がよく分からない。

貿易赤字が過去最大になった。これは円安にもかかわらず輸出が増えないことが原因だ、となっている。

ここまではいい。その後の話が続かない。

輸出が増えない原因はパスして、輸入が減らない話になってしまう。

まあいいかと気を取り直して読み続けるが、日本が輸入品に依存する構造になってしまったから輸入が減らないという話になる。

そこから先はまったく論理がつながっていかない。

最終的には内需が長期にわたって冷え込んだため、貿易赤字が出る構造になったということだが、ほとんど意味が通じない。

解決策もほとんど支離滅裂。

「円安ではダメです」と書いてあるが円高なら良いのか。

「国内で物が売れる状況」が必要だ。「景気回復」政策が必要だ。それには「賃上げ」が基本だ。

ということで記事は終わってしまう。

山家さんが悪いのか、山田記者が悪いのか、とにかくひどい記事だ。


この貿易収支の問題は、少なくとも二つのフェーズに分けて考えなければならない。

まず第一の区切りは2011年3月11日だ。ここで原油・LNGの輸入が激増し、日本は一気に貿易赤字となる。赤字の原因はきわめてはっきりしている。

第二の区切りは2013年1月からの円安だ。(あえてアベノミクスとは呼ばない)

円安は輸入品価格の引き上げをもたらすから、短期的には赤字の増大になる。それがやがて輸出の増大で相殺されるようになり、いずれかの時点で黒字化する、というのが円安政策の目的だった。

一般的には13年3~5月でオーバーシュートは終わったとされている。

ところが輸出がまったく伸びてこない。ここに問題のすべてがあるのだ。

輸入構造とかは、この際あまり関係ない。為替レートが20%以上下落しているのだから、同じ輸入品が20%高くなってもあたりまえだ。15%増ならむしろ抑制されていると見るべきかもしれない。

引き換えて外国では、日本商品が20%も下がったのに買おうとしない。なぜかということだ。

それは間違いなく中国の買い控えだ。安部首相が跳ね上がるたびに中国の日本製品買い入れ率はがくんと下がっている。

ここに問題のすべてがあるのだ。

貿易外収支のことも、触れておく必要がある。企業の海外進出が進んでいるにもかかわらず、貿易外黒字が増えてこない。

理由は海外での商売がうまく行っていないか、どこか海外で溜め込んでいるかである。今のところこれについて分析した文献は見当たらない。

内需云々は金融緩和との関連で論じられることになるが、一応貿易の話とは切り離して考えるべきだろう。

いかにして一部反原発派は細川支持に至ったのか。

「脱原発都知事を実現する会」という組織が細川候補の支持を発表した。「統一」を呼号しながら「分裂」をもたらす結果となってしまったが、そのことの是非はここでは問わない。

深刻なのは、もっと奥深いところでの精神の崩れだ。「なんとしても勝たなければならない」論から「勝ちゃぁいんだろ」論ヘの思想的ズルムケである。マラソンで勝つために、途中の人がいないところで自転車に乗るみたいなものだ。

控えめに見ても「発狂」したとしか言いようが無い。本人たちにもその自覚はあるようだ。

論点を明らかにしよう。

「都政は都政」ということではない。日本を代表する首都の首長はたんなる一自治体の長ではない。国政問題であっても堂々と主張しなければならない。

原発を争点にすることも当然だ。そのようなことを問題にしているのではない。

原則上の問題は、細川氏を支持するのかどうかということだ。ことは選挙だ。

細川氏は支持しない、しかし反原発だから応援するというのは、有権者への愚弄ではないか。支持もしない候補を応援するのはみずからへの欺瞞でもある。県外移設と唱えたら仲井真候補を「勝てそうだから」といって支持するのか。

現実の問題としては、「細川氏が当選すれば“勝ったことになるのか」、ということに尽きる。たしかに安倍政権には痛撃にはなる。したがって我々にとっては痛快だ。しかしそれだけであろう。

たんなる腹いせだ。その後に深い失望が襲うだろう。民主党が国民に深い失望を与え、政治離れを生み、それが安倍極右政権を招いたのと同じ轍を踏むことになる。

シングル・イシュー選挙は民主主義の退廃だということも言っておきたい。選挙は短期決戦である以上、争点を絞り明確にしていくことがだいじだ。しかし、それは全般的戦略があって有権者の要求を受け止めての話だ。


会の主なメンバーを見ると、次のような人たちがあげられる。

鎌田慧(ルポライター)
河合弘之(弁護士、脱原発弁護団全国連絡会)
瀬戸内寂聴(作家)
広瀬隆(作家)
湯川れい子(音楽評論家)

多くの人が原発プロパーであり、「脱原発イノチ」の立場と思う。何人かは会の雰囲気に押し流された可能性もある。

すくなくとも、この人達の意向で日本の民主運動の全体が引き回されてはならないと思う。

主観的にどう思おうと、彼らはみずからの掲げるイシューを絶対化し、これまで地道な平和運動、労働運動、生活擁護などの努力の結果として作り上げられてきた「統一戦線」を離脱し、分裂させたのである。

「脱原発都知事を実現する会」の河合弘之弁護士は、「細川氏は我々と一定の距離を保っているが、話に耳は傾けてくれる。我々の間にホットラインはちゃんとある」と話したという。(IWJ 20日号)

「我々」って誰のことだい。あんたらのことだろう。

そういうのを「選挙ブローカーの闇取引」というのではないか。しかも、抜け駆けたその先に確たる展望を示すこともできない近視眼的な戦術にすぎない。

それは日本国民にとってもっとも中核的な課題、「反ファシズム」での統一を傷つける可能性がある。

鎌田氏はいみじくも反ファシズム統一戦線の結成を呼びかけたディミトロフを引き合いに出して、「統一」を呼びかけた(東京新聞 28日号)
その言葉はそのままお返しする以外にない。


民主党の躍進と崩壊という時代を経て、我々が学んだことは、お上任せの他力本願ではなく主体的な政治参加なのだと思う。

二度も授業料を払う必要はない。自分の脚を信じて走ることだ。それは国民、とくに若者を民主政治の実現に向けて動員することなのではないか。

率直に言って、そう簡単なことではない。積み上げが必要だ。チリのアジェンデも、ブラジルのルーラも大統領になるまでは何度も落選を繰り返した。

だが、日本ではすでにかなり国民の力が積み上げられてきていると思う。そう馬鹿にしたものでもない。自民党を大敗させた経験は忘れ去るほど過去のものではない。

その深部の力に確信を持ち、真の統一戦線の実現に向けて一歩を踏み出すことが、なによりももとめられているのではないだろうか。


『 満洲旅行の栞 』 東亜旅行社

チャムスは松花江岸にあり、ハルビンと撫遠との中間に位置し、十四万六千平方キロに及ぶ沃野を控えた東満の一大都市である。

明治末期までは戸数僅かに百余戸に過ぎなかった。大正五年ごろ、鶴立崗金鉱の開鉱山に倣って人口の増加を見た。それでも未だ三百余戸という状態で微々たる一部落であった。

しかし松花江岸に位置しながらも水害を蒙ったこともなく、この点では依蘭、富錦よりも恵まれていた。このことが今日の隆盛をつくる大きな素因となったのである。
 
図佳線の開通は、従来の物資輸送経路に一新機軸を促した。チャムスは朝鮮東北部の諸港とも緊密な関係を生じ、水陸兼備の貿易市場となった。

こうして松花江岸随一の良港として北東満州に於ける物資の集散輸出入、また貨物の荷卸地として、さらには全満屈指の商業都市として条件を完備した。そして、都市計画着手以来、僅々三年にして、近世都市の発達史上類の無い高速度の発展を示し ている。

また対岸には鶴立崗炭坑を控え、良質の水を有することとあいまって、工業都市としても将来を渇望されている。

昭和15年、人口は11万4300(内地人は1万1千)人を数えるにいたり、明日への大飛躍が期待されている。

有名な彌榮・千振の開拓地は南方十数里にある。

旅館:
 ・チャムス駅ホテル
  駅舎楼上
  室料 3,00 - 4,50
 ・伊勢屋旅館
  南崗大街
  二食付き 7,00 -12,00
  ・三光ホテル
  新興街
  二食付き 6,00 -12,00
佳木斯(チャムス)は、肥沃な土地が広がっていたとされます。一方、松花江の水運が主な交通手段だったため、陸の孤島といわれた時期もありました(ハルピンから船で一晩程度の時間がかかった)。

その後、鉄道網の発展に伴い、街は発展しました。

昭和12年には図佳線(佳木斯と朝鮮半島の東側の付け根の図們を結ぶ)、昭和15年に綏佳線(綏化~佳木斯間)、対岸の蓮江口からは浜北線(ハルピン~北安)と便利になったことによります。

特に大連を回って佳木斯へ着くよりも日本海を横切るほうが交通費を安く出来ることとなりました。


http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/9/0/90e72c55.jpg

ここまでが 「みに・ミーの部屋」からの引用です

http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/20131008/chamusu.html

満洲移民の最前線たる佳木斯を訪う

大阪毎日新聞 1933.8.1-1933.8.2(昭和8)

ハルピンから地広く人稀な見渡す限りの曠野をのたうって流れる大松花江に沿うて下ること約四日、地勢は次第に開けて山影も殆ど見らなくなって、一帯の低湿 地帯に移ろうとする松花江畔に佳木斯がある。

満洲全体から観れば東北隅の露国国境にほど近いところ、ここにわが国の満洲移民団の最前線が設定されている

一口に佳木斯というが、第一次移民団の永豊鎮(移民団ではこれを弥生村と命名している)は佳木斯から17邦里(64キロ)彼方にある。

佳木斯を出ると間 もなく丘陵重畳行手に横たわっている。なだらかな青い起伏、ボブラ、白樺などの並木。ここほど日本ら しい感じの濃いところは珍しい。

移民団が修築した「弥生街道」のところごろには「いやさか橋」「やまと橋」などの橋の名が目につく。

トラックに揺られつつ佳木斯を出てから五時間、私は遥かの山麓に日満両国旗がへんぼんとはためいている部落を発見した、目ざす永豊鎮だ

以下略

こんな学校があったことは知らなかった。

佳木斯と書いてジャムスと読む。濁らずにチャムスともいうようだ。旧満州に存在した医学専門学校である。

児玉健次さんの「15年戦争と佳木斯医科大学」という論文で、この学校のことが紹介されている。

 

1.チャムスの位置

まずは旧満州国の地図を広げてみよう。

 

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/4/4/444727e1.jpg

ウィキペディアには以下のように記載されている。

満州国が建国されると新設された三江省の省都となり、周辺の穀倉地帯の拠点として、また沿海地方のソ連軍に対する将来の戦争の際の防衛・侵攻の拠点として重要な都市とみなされ、輸送・軍事用の鉄道などが整備された。

1937年には図佳線(図們-佳木斯)、1940年には綏佳線(綏化-佳木斯)が開通し、東満州一帯の農産物集積地となった。1937年には市に昇格している。

満州国時代には初期の武装移民団はジャムス南方の広大な沃野に入植し、弥栄村がその代表としてしばしば日本に紹介された。

 

2.前線に建てられた大学

満州には5つの医科大学があった。

新京医科大学(国立): 1929年吉林医学校として創設され、1935年吉林国立医院附属医学校(修業年限四年)と改称。さらに1937年新京医学校と改められ、ついで1938年1月新京医科大学として国立大学に昇格した。

哈爾濱医科大学(国立): 1926年9月に浜江医科専門学校として設立され、「満州事変」後も認可され存続。1938年、「満洲国」政府の大学令によって国立哈爾濱医科大学に改編された。

佳木斯医科大学(国立): 日本の移民政策に伴い、1940年、佳木斯医科大学が新設された。教職員及び学生は全部日本人であり、他の民族の者はいなかった。(若干の非日本人学生がいたことは後述のとおり)

満州医科大学: 南満医学堂(医専)が1922年に、日本の大学令による満州医科大学として再編され、満鉄によって経営された。東北地方で規模が最も大きい学府であった。

盛京医科大学: 1911年私立奉天医科専門学校として創立され、1939年2月に盛京医科大学と改称。

こうして並べてみると、チャムス医科大学の特異性がよく分かるだろう。まさに前線の大学であり、医学を学ぶこと自体が、直接軍事目標の中に据えられていたと考えてよい。

ここに卒業生の談話があるので紹介させてもらう。

…北海道・東京・福岡で入学試験があって、合格した人が満州に行くのです。満州は遠かったですね。飛行機なんかありませんから、長野から列車で名古屋経由でまず門司港に行き、船で釜山をめざします。そこからまた列車でソウルに入り、大学のある佳木斯(じゃむす)まで延々5かかりました。

私はそこの3期生でしたが、3期生全80人のうち70人は日本人、残り5人ずつが韓国と中国の方でしたね。

 

3.佳木斯医大、なにが問題か

当然バリバリの軍国主義者が幅を利かせていたようだ。初代の学長は相当の大物で、陸軍軍医学校長、軍医総監を歴任した寺師という軍医中将である。

教務主任を務めたのが正路倫之助という生理学の教授で、この人物が731部隊と浅からぬ関係にあったとされる。

児玉さんの研究によると、京大生理学教授を兼任する正路は、京大の若手医学者を731部隊に送り込んだらしい。

これが悪役の一人。

もう一人が、こちらのほうが大物だが、北野政次という人物である。

この人は佳木斯医大ではなく満州医大の細菌学の教授だが、現役の軍医大佐でもあり、後に731部隊の隊長を勤めることになる。

この人が前線の佳木斯で“研究”を推進しようと考えた。そこで派遣されたのが岩田茂という人である。この人が41年4月に佳木斯医大に着任し、新設された細菌学教室の教授に就任した。

そこでどのような研究が行われたかは想像に難くないが、細菌戦の研究が行われたであろう状況証拠として、児玉さんは次の事実をあげている。

すなわち、関東軍司令部で731部隊の業務を担当した竹田宮参謀が繰り返し佳木斯医大を「査閲」していることである。

*「15年戦争と日本の医学医療研究会会誌」第8巻第1号(2007年10月)



滋賀医大の西山先生の論文が閲覧できる。題名は

「15年戦争」への日本の医学医療の荷担の解明について

というものである。(15年戦争 - 「戦争と医の倫理」の検証を進める会

このなかで、石井四郎の京大への影響力、正路教授の果たした役割が明らかにされている。

 もご参照ください。


その後児玉さんが情報を追加されているので、それも併せて紹介させてもらう。


佳木斯医科大学は1940年6月1日に開学した。

満州国の国立で、当初より医専ではなく単科の医科大学であった。

修学4年、全寮制、貸費制の下に日本全国から学生を募った。

建学の目的は「開拓民に対する医師を養成」し、「軍人医学を提唱、一朝ことある場合は全員こぞって参加国家に奉仕せしめる」ことであった。

1期生の入学者は82名、うち中国出身、朝鮮出身は各3名、ほかは日本国内出身で北海道、長野、鹿児島出身者が多かった。


ふじ子さんの記事を載せた落合道人さんのブログに、面白い記事があったので紹介する。

里中哲彦『黙つて働き笑つて納税―戦時国策スローガン傑作100選―』という本の紹介だ。

 黙って働き 笑って納税 1937年
 護る軍機は 妻子も他人 1938年
 日の丸持つ手に 金を持つな 1939年
 小さいお手々が 亜細亜を握る 1939年
 国のためなら 愛児も金も 1939年
 金は政府へ 身は大君(おおきみ)へ 1939年
 支那の子供も 日本の言葉 1939年
 笑顔で受取る 召集令 1939年
 飾る体に 汚れる心 1939年
 聖戦へ 贅沢抜きの 衣食住 1940年
 家庭は 小さな翼賛会 1940年
 男の操(みさお)だ 変るな職場 1940年
 美食装飾 銃後の恥辱 1940年
 りつぱな戦死とゑがほ(笑顔)の老母 1940年
 屑(くず)も俺等も七生報国 1940年
 翼賛は 戸毎に下る 動員令 1941年
 強く育てよ 召される子ども 1941年
 働いて 耐えて笑つて 御奉公 1941年

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/b/a/ba329310.jpg

 屠れ米英 われらの敵だ 1941年
 節米は 毎日できる 御奉公 1941年
 飾らぬわたし 飲まないあなた 1941年
 戦場より危ない酒場 1941年
 酒呑みは 瑞穂の国の 寄生虫 1941年
 子も馬も 捧げて次は 鉄と銅 1941年
 遊山ではないぞ 練磨のハイキング 1941年
 まだまだ足りない 辛抱努力 1941年
 国策に 理屈は抜きだ 実践だ 1941年
 国が第一 私は第二 1941年
 任務は重く 命は軽く 1941年
 一億が みな砲台と なる覚悟 1942年
 無職はお国の寄生虫 1942年
 科学戦にも 神を出せ 1942年
 デマはつきもの みな聞きながせ 1942年
 縁起担いで 国担げるか 1942年
 余暇も捧げて 銃後の務(つとめ)  1942年
 迷信は 一等国の 恥曝(さら)し 1942年
 米英を消して 明るい世界地図 1942年
 買溜(かいだめ)に 行くな行かすな 隣組 1942年

 二人して 五人育てて 一人前 1942年
 産んで殖やして 育てて皇楯(みたて)  1942年
 日の丸で 埋めよ倫敦(ロンドン) 紐育(ニューヨーク)  1942年
 米英を 消して明るい 世界地図 1942年
 飾る心が すでに敵 1942年
 買溜めは 米英の手先 1943年
 分ける配給 不平を言ふな 1943年
 初湯から 御楯と願う 国の母 1943年
 看板から 米英色を抹殺しよう 1943年
 嬉しいな 僕の貯金が 弾になる 1943年
 百年の うらみを晴らせ 日本刀 1943年
 理屈ぬき 贅沢抜きで 勝抜かう 1943年
 アメリカ人をぶち殺せ! 1944年
 米鬼を一匹も生かすな! 1945年

 

 

落合道人さんのブログに「目白通りを往来した伊藤ふじ子」という記事があって、とても詳しい。

伊藤ふじ子は1911年(明治44)、山梨県北巨摩郡清哲村(現・韮崎市)に生まれ甲府第一高女を卒業している。

1928年(昭和3)5月に東京へやってきて、知人のつてで石川三四郎・望月百合子の家へ下宿している。

伊藤ふじ子は、絵の勉強をつづけるかたわら、さまざまな職業に就いている。1929年(昭和4)には上野松坂屋の美術課に勤務していたが、すぐにそこを辞 めて明治大学事務局に転職している。

彼女は明治大学で働きながら、長崎町にあった「造形美術研究所」へ通いはじめた。

造形美術研究所は、三科がプロ芸派と造形(型)派に分裂したあと、造形(型)派の拠点になったところで、1929年4月に同所へ設立されている。伊藤ふじ子が絵を学びに通いだした翌年、1930年(昭和5)6月から「プロレタリア美術研究所」と改名されている。

東京へきてからわずか1年ほどで、共産主義運動に惹かれたと思われる。

伊藤ふじ子は、日本橋にあった銀座図案社にも非常勤で勤務し、グラフィックデザイナーとして働きはじめた。彼女が担当したク ライアントは、東京芝浦電気(現・東芝)の宣伝部だった。

ふじ子は演劇にも興味をもちはじめ、労農芸術家聯盟の「文戦劇場」で女優としても舞台に立っている。

1931年(昭和6)の春、ふじ子は新宿の果物屋の2階に下宿していたが、そのころ刑務所を出たばかりで保釈中の小林多喜二と親しくなった。

ここに例の角筈の伝単貼りとすき焼き屋のエピソードが挟まるんですね。

そして、多喜二が地下潜行中の1932年(昭和7)の春にふたりは結婚している。

翌 1933年(昭和8)2月20日、多喜二はスパイの手びきで赤坂区福吉町の喫茶店におびきだされて逮捕された。そしてその日の内に築地署で虐殺されてしまった。

ふじ子にとっては、わずか1年たらずの結婚生活にすぎなかった。

伊藤ふじ子は多喜二の死後、下落合に下宿し、「クララ洋裁学院」へと通いはじめた。

多喜二の死後、「手に職」をつけてひとりで生きていく決心をしたからだと思われる。

しばらくすると、伊藤ふじ子は帝大セツルメントで、近所の女子工員たちを集めて編み物や和裁、洋裁などの教室を開いている。

伊藤ふじ子がプロレタリア漫画家・森熊猛と知り合ったのは、このころだった。森熊猛は、1909年(明治42)生まれで小林多喜二よりも6歳年下だった。札幌の北海中学校で左翼美術運動に触れ、その後上京した。

彼女が風邪を引いて寝こんでいるとき、森熊猛が薬をもって見舞いに訪れプロポーズしたといわれている。

1934年(昭和9)3月、伊藤ふじ子は日本赤色救援会(モップル)に参加していたという理由で特高に逮捕された。

留置所から釈放されたあと、彼女は帰るところがなくなり、森熊猛の下宿を訪ね、そのままふたりはいっしょに暮らしはじめて結婚している。

伊藤ふじ子は、小林多喜二の分骨を終生大切に保管していたという。

多喜二の葬儀に立ち合っていない彼女が、なぜ分骨をもっていたのかは明らかでないが、1981年(昭和56)4月にふじ子が死去すると、森熊猛はふたりの遺骨を合葬して同一の墓所に納めている。

1390868851

1935年(昭和10)ごろの撮影とみられる森熊猛・(伊藤)ふじ子夫妻。

多喜二の通夜の席にいきなり伊藤ふじ子が飛び込んで来て泣いたら、参列者はいぶかしがったかもしれない。

しかし地下生活の中では、知られないのが当然だったと思う。知らない側の人間が知ったふりしてとやかくいうのは、まことに馬鹿げた話だ。

それやこれやで「ハウスキーパー」説が風靡したのかもしれないが、多喜二が本当に惚れたのは田口タキさんではなく、やはりふじ子だったと思う。

甲府第一高女出で、フランス帰りの望月百合子の薫陶を受けたパキパキのモダンガールだ。西洋かぶれの多喜二なら、おそらく有頂天だったろう。

ひょっとしたら、口説き文句に「党のためだ」くらいは言ったかもしれない。


他記事とふじ子の関連記事

数年前にNHKの深夜で「サラリーマン・ネオ」というコント番組があった。
最初は面白くてけっこう見ていたのだが、途中からだんだん嫌になってきた。弱者に対する笑いとか、はみ出し者に対する笑いとか、それを笑う立場に共感できなくなってきた。最後には、「この連中は俺のことも陰で笑いにしているだろうな」と疑い始めると、むしろその陰湿さに吐き気をもよおすほどになってきた。

こんなコントがあった。
ブラジルの奥地に駐在員として派遣される社員が、そのことを告げられるのだが、その社員は徹底したウスノロとして描かれ、転勤を告知する上司が汗だくになって説明するさまを、陰から見ていて笑い転げる社員たち。
これってコントだろうか。

非正規の職人と思しき夫婦が、サラリーマンになりたいと雨の中で懸命に正社員にすがりつくコントは、繰り返し放映された。製作者にとってよほど気に入ったモチーフらしい。

おそらくそれは今のNHKの社員の本音を象徴していたのだろう。
多分それは安倍晋三の心理と響きあっていたのではないだろうか。

与謝野晶子の詩ではないが、風の吹くままになびく草には、揺れているという意識がない。理由はいろいろあるが、根本的には草は人ではないからだ。

ところが草が自分を「人」だと思い始めると厄介だ。風の動きに従わないほんとうの人が、「人ではない」と思いこむようになる。


29位の A Noite Do Meu Bem はマリア・クレウーザで親しんできたと書いたが、どうも見当たらない。

代わりに出てきたのが、

A noite do meu bem - Nana Caymmi

Maysa A Noite Do Meu Bem

ELIS REGINA " A NOITE DO MEU BEM "

Lúcio Alves - A noite do meu bem

Nélson Gonçalves - A noite do meu bem

Maria Bethania e Quarteto em Cy - A noite do meu bem  どう考えてもこの組み合わせは合わない)

A Noite do Meu bem - Tom Zé (まさかトム・ゼーが歌うとは。予想に違わずひどいというか、すごいというか)

Maria Creuza - A noite do meu bem (やっと見つけました)

サムネイル

ZIZI POSSI canta A NOITE DO MEU BEM (私の好きなジジ・ポッシも歌っています。美声でもなく、声量があるわけでもなく、顔もバーブラ・ストレイザンド並みですが。コアジの聞かせ方がじつにうまい。ふっとイタリア風味が横切るところがよい)

Elizeth Cardoso - A Noite Do Meu Bem (エリゼッチの歌はないのだろうか、と思っていたら、見つかりました。残念ながらテレビのエアチェックで音の状態はかなり悪いですが。まるで祈りの歌のようで、立派なものでした)

結論としては、ドローリス・ドゥランのオリジナル歌唱をしのぐ演奏なしということ。


17-Viola Enluarada - Marcos Valle & Milton Nascimento(名曲です)

と書いたが、リンクが切れていた。 「この動画は再生できません。 申し訳ありません」と出てくる。

しかしグーグルからはしっかり行ける。さすがに名曲・名演だ。

Marcos Valle & Milton Nascimento - Viola Enluarada

このコンビではもう2曲聴ける。

Marcos Valle & Milton Nascimento - Diálogo

Marcos Valle & Milton Nascimento - Requiem

以前、「ブラジル 60年代ヒット曲100選」というリストを転載したことがあった。

その時、37位にリストアップされたのが、Fica Comigo Esta Noite - Nelson Gonçalves

という曲だった。「タンゴみたい」と思った。

ふと気になり、ネルソン・ゴンサルヴェスの曲をまとめて聞いてみた。といっても、youtubeで検索をかけると4万7千件もヒットする。

とりあえず上から順に聴けるだけ聴いてみることにする。

A Volta do Boêmio (ショーロ)

Naquela mesa (ご存知ジャコー・ド・バンドリンを偲ぶ歌である。エリゼッチ・カルドーゾの持ち歌と思っていたが)

Cara a Cara (バラード)

Quando eu me chamar saudade (サンバ・カンシオン)

A FLOR DO MEU BAIRRO (ショーロ)

DEUSA DO ASFALTO (ショーロ。心地よいサウダーヂ。Adelino Moreiraという人の曲らしい

FICA COMIGO ESTA NOITE (どう見てもタンゴ。しかし鋭い切り込みはない)

HOJE QUEM PAGA SOU EU (と思ったら、こちらはポルテーニョそのもの)

Doidivana (タンゴ)

Argumento (ショーロ。良い。この人は基本的にはショーロ歌いのようだ)

Vermelho 27 (タンゴ。アカの27番というのはルーレットの眼らしい。いかにもタンゴの題だ)

Meu dilema (ショーロ)

Queixas (ショーロだが、リズムは表でタンゴっぽい)

Revolta (ショーロ。良い。アルゼンチンのフォルクローレみたい)

A CAMISOLA DO DIA (ショーロ。良い)

少し疲れたのでこのくらいにする。

この人は最初はタンゴ歌いで、その後ショーロ歌手として売り出し、有名になってからはサンバとかバラード、ボレロにも手を広げたようだ。

50年代末から60年代はじめにかけてショーロを歌っていた頃がピークだと思う。年取ってからも歌っているが、ひどいから聞かないほうが良い。

サムネイル

アルバムとしてはNelson Gonçalves em Hi-Fi (1959) - Vitrola de Ouro ( LP COMPLETO ) が良いようだ。

突如、文学づいて、もう一編

今度は与謝野晶子


草と人

いかなれば 草よ、

風吹けば ひとかたに寄る。

人の身は 然らず、

己が心の 向き向きに寄る。

なにか善き、なにか悪しき、

知らず、唯だ人は 向き向き。

「草」というのは「世間」と読め、「人」というのは「われら」と読めというんでしょうね。晶子は「それで、あなたはどっちなの?」と問いかけている。


唯一の問い

唯だ ひとつ、あなたに

お尋ねします。

あなたは、今、

民衆の中に在るのか、

民衆の外に在るのか、

そのお答へ次第で、

あなたと私とは

永劫、天と地とに 別れてしまひます。


この人、どこかに狂気を隠し持っています。ラテンアメリカにはこういう人ゴロゴロいますが


緋目高(ひめだか)

鉢のなかの

活溌な緋目高よ、

赤く焼けた釘で

なぜ、そんなに無駄に

水に孔を開けるのか。

気の毒な先覚者よ、

革命は水の上に無い。


きついですね。水面を走り回る 赤い釘 ですか…


吉野弘さんがなくなったそうだ。まぁ亡くなっても良い年だ。

戦争に行かなくて済んだぎりぎりの人だ。

多くの死を背負って、がむしゃらに闘って、肺病病みになって、

仕方なしに詩人になった人だ。

あの頃、ありがちの人だった。

シャイで素直だから斜に構えて、

正味で生きる人に独特の優しさを醸しだす。


Taiwan Spa Lady WindyのBLOG

から転載させていただく。

話が飛んでしまった。

習近平の注意深いが鋭い毛沢東批判は、今日の赤旗国際面に載ったものだ。

この記事は

文革の「紅衛兵」 被害者へ相次ぎ謝罪

“同じこと起きないように”

という題名で、北京の小林卓也特派員が書いたものだ。

リード部分は

かつて中国を混乱に陥れた「文化大革命」(文革)で、毛沢東を崇拝し、知識人や教師に過激な攻撃を加えた「紅衛兵」が、50年近い時を経て被害者への謝罪を始めています。

というもの。明らかに一つのキャンペーンが始まったと見て良いだろう。

謝罪の中身そのものは、すでに我々にはおなじみのもの。しかし中国の若者にはあまり知られていないらしく、結構な衝撃を与えているようだ。

そしてそのキャンペーンの背景として、小林記者は先程の習近平演説をあげているわけだ。

一般紙が、「習近平は毛沢東路線を支持し、その復活を狙っている」と観測しているのとは、まったく逆の見方だ。

どちらが正しいか、それはもう少し経過を見ていく必要があるだろう。

どうでも良いニュースみたいだが、面白くなくもないので、紹介しておく。

ニューズウィークに去年10月に掲載された「中国 風見鶏だより」というコラムである。執筆者はふるまい よしこさんという方。

毛沢東生誕120周年の2ヶ月前に習仲勲生誕百年という記念式が行われたそうだ。

習近平の実父である。文革時代には迫害された。習近平自身も下放されている。後に復活し鄧小平に引き立てられて、深セン特区の発展に尽力したらしい。

ここでも習近平は演説を行っている。

毛沢東問題評価にはあまり触れなかったようだ。記事によると、

習近平ら兄弟も父が毛沢東一派の迫害を受けている最中に生まれたために子供の頃からつましい生活を迫られたこと、父に厳しく育てられ、「控えめに生きるよう」しつけられたと強調された。

そうである。

この式典に参加したメンバーが注目された。記事によると、

鄧小平、劉少奇、胡耀邦、彭真、王震、楊尚昆、陳雲、李維漢らの子女、つまり「太子党」が集まった。

そうだ。

習はこの新たな協力関係を築くことによって、鄧小平以降、つまり江沢民や胡錦濤らによる政治操作を離脱、「紅二代」と呼ばれる二代目共産党員による政治を確立しようとしているという。

問題は、もっと上ではないか。

劉少奇・彭真ら文革前の「良き時代」の復興ということではないか。とすれば、習政権成立以降の政策の骨格も見えてきそうな気がする。


中国通信 2013.12.27

中国共産党が毛沢東生誕120周年座談会 習近平氏が重要演説

26日午前、北京の人民大会堂で毛沢東生誕120周年記念座談会が開かれた。

党中央政治局常務委員が出席し、習近平党総書記・国家主席・中央軍事委主席が重要演説を行った。

習氏は次のように指摘した。

1.毛沢東同志ら先輩革命家はみな、近代以降の中国の歴史的発展の時勢の中で生まれた偉大な人物である。

2.毛沢東思想は独創的理論でマルクス主義を豊かにし、発展させた。われわれは永遠に毛沢東思想の旗印を掲げ 前進する。

3.歴史的人物の評価は、その時代と社会的歴史条件において分析すべきだ。今日の時代条件、発展水準、認識水準で前人をはかることはできない。

4.革命の指導者は神ではない。その偉大さから神のように崇めることはできない。ミスや誤りを指摘し、正すことも必要だ

5.われわれは平和的方法による国際紛争の解決を主張する。覇権主義、強権政治に反対し、永遠に覇権を求めず、永遠に拡張を行わない。

6.しかし、いかなる外国もわれわれが核心の利益を取引材料にすることを期待してはならない。


ということで、赤旗が引用したような踏み込んだ文言は出てこない。別な場所での演説かもしれない。

あるいは、中国通信が日本向けの配信で意図的にカットした可能性もある。


他にも時事通信、産経が演説内容を紹介しているが、同じ演説かと思うほど内容が異なる。

新華社通信で全文を配信しているということなので、その日本語訳を読みたいところだ。




初めて知ったが、重大なニュースだと思う。
囲み記事のなかで、付け足し的に書かれているが、詳報を聞きたい。
とりあえず、記事のその部分だけ抜粋する。

習近平国家主席は、昨年12月26日に行った毛沢東生誕120週年を記念する演説のなかで、
「毛沢東同士が晩年、とくに文革のなかで重大な誤りを犯したことは否定できないと指摘。
「この誤りは、全面的に、歴史的に、弁証法的に取り扱い、分析しなければならない」と述べています。



私は文革後に党が再建されたとき、中国共産党の中央委員会が悲痛な自己批判的分析を行った文章を思い出します。

たしか「世界政治資料」に掲載されたのですが、散逸したらしく、探しても見当たりません。

あれから30年を経て、毛沢東批判は全面化されないまま、人々の記憶の底に沈殿しています。

なぜなら鄧小平の思想が毛沢東思想の「漫画版」でしかないのに、鄧小平まで批判することが困難だからです。

2000年代初頭にかなり実質的な手直しが行われましたが、やはり付け焼き刃だったのでしょう。なにか最近は元の木阿弥に戻りそうな感じでした。

習近平の登場が、毛沢東思想(鄧小平も含めた)を社会主義の原則からの逸脱として、「全面的に、歴史的に、弁証法的に」総括する動きに結びついていくことを、心から期待します。


クラウディオ・アバドが共産党員であったことはありません。しかし親の代からの筋金入りの左翼ヒューマニストでした。

ムーティとの関係ですが、基本的にはムーティが変わったのだと思います。ムーティはこの10年間で見違えるように良くなりました。何があったのでしょう。

Langsamer Satz さんのページ

1973年、VPOとの初来日のベト7の演奏と、彼が広島の原爆資料館を訪れた時の映像が貴重。また、若者向けの演奏会でポリーニと一緒にノーノを演奏し、聴衆に語りかける姿も胸を打つ。

ポリーニと共に共産党員であったというアバドの「思想」を垣間見ることができる。

TOWER RECORDS ONLINE 2013年9月25日

アバドはミラノの名門音楽一家の出身にもかかわらず、いや、それだけに芸術家の社会的使命を自覚し、政治的立場を鮮明にすることも辞さなかった。

頭角を現 した1960年代後半から70年代初頭にかけて世界で学生運動の嵐が吹き荒れた。

イタリアでも貴族出身のエンリコ・ベルリングェル書記長率いる共産党が勢力を伸ばし、「ユーロ・コミュニズム」を開花させた。

アバドもベルリングェルに共鳴したのだろう。盟友のピアニスト、マウリツィオ・ポリーニとともに工場労働者のため に無料演奏会を開き、「マオイスト(毛沢東主義者)」呼ばわりされたこともあった。

…1984年。首席客演指揮者を務めていたシカゴ交響楽団とベルリオーズの「幻想交響曲」を録音した際、第5楽章に広島市の平和記念公園にある「平和の鐘」の音を採用した。

…2003年に高松宮記念世界文化賞を受賞した後の記者会見で、アバドの「気骨」を実感した。

…突然、「多様性を容認しない人間は、政治家になれない」と言いだした。

そして「メディアの8割を1つの資本が独占し、その経営者が首相を兼ねる我が国(イタリア)は、民主制には程遠い」と、ベルルスコーニ首相を名指しで批判した。

会見に居合わせたフィアットの総帥らはみな渋い顔だったが、語気は鋭さを増すばかり。会見後の懇親会でも、批判の手綱を緩めな かった。

アバドが最晩年にルツェルン音楽祭に心血を注いだのも、トスカニーニ以来の反ファシズムの伝統を守る思いがあったのかもしれない。

38年にオーストリアがナチス・ドイツとの併合に動いていると知ると、ザルツブルク音楽祭での指揮をキャンセル。ファシストやナチスの迫害を受けた音楽家 をルツェルンに集め、湖畔のワーグナー邸前でガラ・コンサートを開いた。

これがルツェルン音楽祭の始まり。トスカニーニからアバドへの太い線がつながっている。

Deceptive Cadence  January 21, 2014

アバドは「ラ・レプブリカ―ナ」紙に次のように語っている。

第二次世界大戦のとき、アバド家は、ムッソリーニへに対して強烈な反発を示した。そして反ユダヤ主義とファシズムに対しても反対した。

私の母はイタリアの反ファシズムのパルチザンに援助した。またユダヤ人がスイスに逃げこむのを助けた。

母はユダヤ人の子供をかくまい、そのために投獄された。

まだ子供の頃、アバドはそれらの話を繰り返し聞かされた。12歳のときアバドは役場の壁にこう書いた。“VIVA!”

ゲシュタポがとんできた。そして近所中でパルチザン・バルトークを探しまわった。

いま、大人として私の政治的懸念はただひとつ、ファシズムを許すなということだ。

WQXR January 21, 2014

60年代末、アバドはミラノ・スカラ座の音楽監督だった。彼は大衆のなかに音楽を持ち込んだ。

学生、労働者、失業者…すべてのものが演奏に接することができた。彼らはそれまでの生涯で経験したことのない音楽に身を晒した。

実際、アバドは楽団を引き連れて歌劇場から飛び出した。学校へ、そして工場へと出向いた。

そのころ彼の演奏したヴェルディとロッシーニは、私がこれまでに聞いたなかでもっともグレイトなものだ。いまでも私は彼の録音に戻ることがある。それは彼から学ぶためでもあり、そこからインスピレーションを得るためでもある。


それで、追悼の気分も込めて、マーラーの復活を聞いたが、やはりなんとも面白く無い。
脱脂粉乳みたいなマーラーである。1時間半もお経を聞かされてはかなわない。やはりバーンステインみたいなケレン味たっぷりの演奏がいいな。
確かにスカラ座時代が華で、偉くなってからはスカかも知れない。

消費税引き上げを直前にして、大企業が増税分の支払いを拒んでいる。

中小企業を対象とした「消費税の転嫁拒否に関する調査」(経産省・公取委)で、多くの事業者が転嫁拒否の動きを経験していることが明らかになった。

調査は去年11月実施され、全国から約1万件の回答が寄せられたというから、かなり大規模な調査と言ってよい。

その結果、「すでに転嫁拒否を受けている」と「今後転嫁拒否を受けることを懸念している」が750社にのぼっている。

犯人はだいたい分かっていて、すでに268社が実名で批判されているという。建設・製造・卸小売など、要するにほぼすべての業種にわたる(赤旗記事では省略されている)

そのやり口は、「買い叩き」が512件、「税額の減額」が494件、「本体価格での交渉拒否」344件、「利益提供の要請」273件など。

悪質な事例として、

1.4月以降の下請工事の代金について、消費税引き上げ分を支払わないと通知。
2.納品価格に8%を上乗せして生じた端数を切り捨てて支払うよう通知。

などが挙げられている。


シリアの和平会談が始まった。
最大の意義は「自由シリア」など反体制勢力が交渉のテーブルについたことであろう。
軍事的には反体制派は追い詰められている。2年前には考えにくかった構図だ。理由ははっきりしているので、補給線が絶たれたのだ。しかしその理由がはっきりしない。
反体制派が北部のアレッポを確保して、ミサイルで政府軍機を落とし始めたとき、私はこれで勝負あったな、と思った。しかしその後ミサイルの話しはとんと消えた。
誰かがミサイルを供与し、途中で供給を止めたのだ。

誰か? 直接には分からないが、イスラエルが関与していることは十分考えられる。

近代兵器を供給できるのはアメリカ・イスラエル・トルコの三国だ。
以前にも述べたが、アメリカの中東軍事政策は、ユダヤロビーを通じてイスラエルの意向を受けている。トルコは、政府がどうだろうとトルコ軍はアメリカの指揮の下にある.

イスラエルは最初は反対派を炊きつけて、アサド政権を解体することは利益になると思った。レバノン国境で一番の脅威はヒズボラであり、一度ならず痛い目にあっている。
イラン・シリア・ヒズボラとつながる線を何処かで断ち切りたいのはよく分かる。

しかし自由シリア軍にカタールあたりが肩入れするようになり、スンニ派の影響力が増してくると、これはこれで、また困ったことになる。

というふうに読んだのだが、どうだろう。

いずれにせよ、反体制派に勝ち目はない。しかもこのまま戦闘が続けば、反体制派が壊滅する代わりにアルカイダが北部・東部にミニ国家を形成することになる。

アサド政権が残り、イラン・シリア・ヒズボラ回廊が無傷のままで、さらにイラクを聖域とするアルカイダのミニ国家が登場するのでは最悪だ。

これが、アメリカ(イスラエル)が和平会談を強引に実現した背景ではないだろうか。

それでは落とし所はどうなるのか。

おそらく「自由シリア」と反体制派の聖域確保と自衛能力の維持ということになるだろう。その上で、アルカイダのシリアからの駆逐を図ることになるのではないだろうか。

今朝のNHK衛星放送に放送大学の高橋教授という人が出てきて、「和平の実現には時間がかかるだろう」と言っていたが、必ずしもそうとはいえない。

基本的には障壁は「自由シリア」にアサド政権の存続を認めさせるだけのことだ。これは所詮亡命政権だから、赤子の手を捻るようなものだ。
国内で闘っている連中には、アルカイダとの闘いに必要な武器に限定して供給すると約束すれば良い(もちろん裏約束だが)

まったく素人の観測に過ぎないが、ニュースや解説でこういう評価にはお目にかかったことがないから、一応旗はあげておくことにする。

此処から先、話があっちこっちに飛ぶのでご勘弁いただきたい。

以前から、マルクスの経済学批判序言の時代区分が気になっていた。

大ざっぱにいって経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生活様式をあげることができる。

…この社会構成(近代ブルジョア的生活様式)をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである。

アジア的生産様式をめぐっては、古来様々な議論があった。しかし古代(奴隷制)から封建制への移行は「進歩」であったとの認識はあまり問題にされていない。

しかしローマ帝国の偉大な到達段階を知るにつけ、果たしてそれが「進歩」であったのかという点で疑問が残る。

それがたまたまテレビで「ローマ帝国の終焉と西ヨーロッパ」というのをやっていて、ますます気になった。

そこで調べていく内に、「西ヨーロッパといっても先住ケルト人ではなく森のなかから出てきたゲルマン人の作った国」だということが分かりますます謎を深めた。

考えてみたら、学校ではローマ帝国とゲルマン人については教えていたけど、ケルト人はただやっつけられる存在として歯牙にもかけぬ扱いだったと思う。

しかしケルト人とケルト文化って今でもアクチュアルな存在だよね。

いちどケルト人の歴史というのを体系的に学んでおいた方がいいような気がする。

というのが、長~い前置き。


この図はウィキペディアから拾ったもの。この絵を見ただけで、みんな「すご~い」と叫ぶんじゃないだろうか。

ギリシャ文明華やかなりし頃、実はケルト人というのは「ヨーロッパ人」だったんだ。

ケルト人の分布
- 紀元前1500年から紀元前1000年
- 紀元前400年

ただしケルトという名称は自称ではなく、紀元前の時代のギリシア人がアルプスの北側に住む人々をさして、そう呼んだだけである。

ローマ帝国はケルトという総称は使わず、ガリア(今のフランス)、ブリタニア(イギリス)、ヒベルニア(アイルランド)という言いのが普通だった。

そして現在はアイルランドスコットランドウェールズコーンウォルブルターニュなどにその民族と言語が現存している。

ただしこの図についてはイギリスから強い批判が出ていて、ケルト以前に固有の先住文化があったとされる。

ウィキペディアでは次のように記載されている。

(イギリスでは)そもそもケルトという区分け自体を疑問視する声も挙がりつつある。
こうした批判は古代ブリテン史をいわば自国の歴史に書き換えようとする動きとして
フランスなどの学者からは批判に晒されている。
それに対して
イギリスの学者からは古代ケルトを統合欧州の象徴に据える作為だとする反駁がなされるなど、国家間の政治問題と化している感がある。

なかなか、生臭い話になっているようだ。

以下 年表

BC1500 ケルト人がドナウ川やライン川の沿岸の森林地帯に定着。

BC900 ケルト人、ヨーロッパの各地に拡散。ローマ帝国の勃興の直前には、北海から黒海までの広域にわたって分布するようになる。

BC700 鉄器文化を持つケルト人がブリテン諸島に渡来。先住民族を征服し、ブリテン諸島に定住する。

400BC ケルト人がヨーロッパ各地に拡散。Austria, Britain, France,Holland, Belgium, Switzerland, Western Germany, Northern Spain, Turkey, Hungaryなど。

400 BC Brennusの率いるケルト人集団がイタリアに侵入し、略奪行為を働く。

335 BC マケドニアのケルト人、アレクサンダー大王と協定を結ぶ。

323 BC アレクサンダー大王が死亡。ケルト人はギリシャ領内に侵入。

280 BC ケルト人が多くのギリシャの街を略奪。

275 BC ケルト人、トルコのガラティアに国家を建設。

230 BC ギリシャ軍、トルコのケルト人を撃破。

224 BC ローマ人、帝国の版図をケルト人の住むガリア地方に向け拡大。4年間の戦いのすえ、ケルト人は撤退。

191 BC ガウル地方がローマ人の支配下に入る。

58-51 BC ジュリアス・シーザー、ガリア征服戦争の指揮を執る。

55BC シーザー、ブリテン島に侵攻。

39 カラタクス(Caratacus)、ブリテン島のケルト人を率い、ローマ軍と対抗。

43 皇帝クラウディウス(Claudius)、ブリテン島の征服戦争を開始。その後50年ほどのあいだ、戦闘が続く。

45 ケルト人の将軍 Vercingetorix 、ローマ市内を引き回された上処刑される。

60 Boudicca 、ケルト人の反乱を組織するも敗北。この後「イングランド」地方のケルト人はローマ帝国の文明を受け入れるようになる。


資料が皆無に等しく、とりあえずこんなところ。

以下は、フランクフルト学派の創設者アドルノが文化について発言した時の一節だそうです。

「文化が悪臭を忌み嫌うのは、文化自身もまた臭いを放つからである。というのも、ブレヒトのすぐれた一節にあるように、文化の宮殿は犬の糞でできているからなのである。そしてこの一節が書かれて数年後、アウシュビッツは反論の余地がないほどに文化の失敗を証し立ててしまったのである」

アドルノは文化と芸術そのものを一つの矛盾としてとらえていました。

人間の社会は、いまなお諸国家へと引き裂かれた世界社会なのであり、実際には自由な社会として見なすことはできません。

アドルノにとって文化が正当化されるのは、ただ現在の支配者の許容条件次第なのです。

つまり、文化が非文化と、または労働との宥和のための余地をどのくらい空けておくのかで決まります。さらに、非文化との究極的・歴史的な止揚をいかに指し示すのかで決まります。

アドルノが体験したのは、労働者階級の一部がファシズムに身をゆだね、または文化産業によって操作されるという事実でした。

このエピソードを紹介したデミロビッチは、「今となっては古臭くなった考えだが、その危機感はアクチュアリティーを持っている」と評しています。


黒田航さんの文章を読んでの感想だが、一言で言えばソシュールの全面否定とシュライヤーへの全面回帰である。
シュライヤーの所説というのは、結局、言語を手がかりにした人類学である。
言ってみればミトコンドリアとかY染色体で、「あぁ一緒や」というふうに印欧系種族を束ねたのと一緒だ。印欧系という一つのケーススタディーにすぎない。それに「言語学」などと命名するなどもっての外だ。
もしシュライヤーを批判するなら、そうやって批判しなければならないのに、ソシュールはそれをもっと言語一般に拡張しなければダメだと主張する。そうしてフリーズドライの「言語学」を打ち立てるわけだ。
黒田さんの作業は、とりあえずソシュールの手から言語学を取り戻そうということで、それは正しい。そしてシュライアーのところに戻る。
戻るときに黒田さんは一工夫する。粉末にしたラーメンスープにお湯を注いでも粉末になる前のスープには戻らない、そこにはイキイキとした言語活動があったはずだ。言語というのは記号ではなくて「生きた活動」であったはずだ。
シュライヤーへの回帰はたんなる回帰ではない。それは言語活動の生活行動一般からの切り離しと再結合だ。そのために彼はウィトゲンシュタインを持ち出すが、じつは言語と言語活動との関連はヘーゲルで十分なのだ。なぜなら人間的活動は人間的ツール(記号・シンボル)を用いることにより初めて人間的活動となるからだ。

「言語学」はもっとフィールドワークに集中しなければならない、という黒田さんの意見にはまったく同感だ。「同一性と差異」の実例をもっと集めて、帰納的に共通性を抽出しなければならない。人類学だって社会学だってみんな学者はそうしている。それでこそ実証科学なのだ。

言語学とは何か? また何であるべきか?――異端的研究者の見解」という論文があった。

黒田航さんという方の「論争的な文章」である。

専門家同士の議論を前提にしているので、私のような素人にはきつい。しかし私の率直な疑問に答えてくれているので、分かる範囲で紹介する。

Ⅰ はじめに

私は言語の研究者だが,自分が「言語学者」なのかには自信がない.「言語学者」と呼ばれる人々がやっていることからはズレているように感じている.

私の言語の見方が違っているらしい。言語学という分野に何を期待するのかも違うらしい.

Ⅱ コトバという対象の実体化の是非

1.コトバの見方の大別

言語に関心をもつ人は少なくない.だが,関心のあり様は一様ではない.関心は二つに大別できる。

a)実体論指向 b)行為論指向

圧倒的多数は実体論指向だ。行為論指向は「正統」な言語学の範囲内にはない.言語学者からは言語学だと見なされない.

2.視点の統合

私は行為論指向である。従って正統的な言語学研究者ではない。しかし実体論指向を否定はしない。したがって統合論を指向する。

統合論指向とは、コトバがもつ使用価値とコトバの実体性との関係に関心を寄せる研究である。

コトバの実体性と利用価値の二つの側面は分離不可能だと考えている。

「行為」というのは言語の「はたらき」ということですね。そう言ってくれるとよく分かります。

私の関心の中心は,言語活動を生物種としてのヒトの行動の一部としての記述し,説明するような科学的知識の体系の確立である.

ヒトの活動の一部としての言語活動に関心があり、その産物としての言語実体の静的な記述には興味ない。

この後、ウィトゲンシュタインを引用して言語=ゲーム論が展開されるが略します。

言語学は,コトバというゲームのルールの説明なのか、それともプレーの体系の説明なのか。私は後者だと思う。ルールはゲームの内容から派生的に生じるものでしかない。

さらにコトバは言語活動というゲームのための技能(Skill)でもある。

3.コトバは自然選択の産物

コトバは慣習性に依拠した「流動的なシステム」である。ヒトの生活という「環境」に応じて自然選択されてきた.

コトバはシステムではあるが、多くの言語の研究者が思っているほどは体系的(systematic) ではない。

複雑系にも限定的な規則性はある.問題はその規則性が本質的なものかどうかだ。

4.生半可なコトバの構成論への拒絶

コトバというシステムが何によって,どのように構成されているかはわかっていない。

Ⅲ 私がコトバを研究している理由

省略

Ⅳ 言語理論の応用可能性

1.妥当性と有効性

理論なしで事実を「正しく」理解することは難しい.

数式や形式論理に乗っていない理論は妥当性を評価できないという主張があるが、形式化は明示化の一つの形態でしかない.

理論の妥当性とは別の基準として,理論の有効性も同時に考える必要がある。有効性を決めるものは理論ではない.それは応用である。

言語理論は言語学外部からの需要や期待に応えるべきであり,それができない理論は妥当でない理論だ。

なぜ,正しさとは別に有用性の評価軸を設定するのか?

第一の理由は,理論というのは常に理想化を行なうからである.その理想化か適切かどうかは,有効性=応用的価値を確認しない限り,わからない.

第二の理由は,理想化の妥当性を決めるのに十分な量の事実が存在しない場合である。そのときにとりあえず「最良」の理論を選ぶためには、正しさとは別の次元が基準となる。それが有効性の基準である.

2.どうやって言語理論の有効性を試すか?

省略

3.注意Ⅰ

記述的妥当性(妥当性のある前後経過)をもつ理論はすべて,事物を正しく分類するのに役に立つ。すなわち応用的価値をもつ.

私は言語学が、もう少し人の役に立つ研究分野になって欲しいと思う.言語学者は人々が何を知りたいのか考えるべきだ.それを知らないで有用な研究を行なうことは無理だ.

4.注意Ⅱ

いわゆる「言語学者」の大半は語学教師であり,かつ,その大半が英語教師である.これが日本の言語学の進歩と進化にとって非常によくない影響をもっている。

日本の言語学会で理論や学派の「自然淘汰」が起きていない根本的原因がそこにある.なぜなら,求められている人材は言語学の教育者として優秀な人材ではないからである。

いわゆる「生成言語学」がこれまで日本の大学の英語教官のポストを占有して来た本当の理由はここにある。

5. 言語学が言語科学になるには何が必要か?

言語学はせいぜい文系研究者の暇つぶしである.それは大学に在籍し主に英語を教えている教官の自己満足以外の何の役にも立っていない.

言語学の理論は元々誤った理論であるか,少なくとも説明力の不足した理論でしかない。

言語学の数学化の試みに関して言えば,もっとひどい影響しかない.

正直なところ,私は国際学会を含めて言語学系の学会に参加して,有意義だと感じたことはほとんどない。

私は経験科学としての言語(科) 学は,生物学のように,「地味」な研究が主役を演じるような分野であると思う.

ソシュール、ソシュールとうるさいから、少し気になって調べてみた。ネットの世界にもソシュールは氾濫しているが、こちらの知りたいことは殆どない。

とりあえず、年表形式で

1786年 ウィリアム・ジョーンズ、インド滞在中に「On the Hindu's」を発表。サンスクリット語が古典ギリシャ語やラテン語と共通の起源を有する可能性があると指摘する。

1822年 ヤコブ・グリム、印欧祖語からゲルマン語に至る子音推移に法則性があることを発表。「グリムの法則」と呼ばれる。
ヤーコプ・グリム を盟主とする「青年文法家」グループは、歴史的比較言語学を唱え、ドイツのライプツィヒ大学を中心に活動。

1850年 アウグスト・シュライヒャー(August Schleicher) 、「ヨーロッパ諸言語の体系的概観」を発表。ヘーゲルの影響のもとに、言語は段階的に発展・成熟・崩壊する有機体であるという「言語有機体説」を打ち出す。

1857年 Ferdinand de Saussure がジュネーヴで生まれる。

1861年 シュライヒャーが、「インド・ゲルマン諸語比較文法要綱」を発表。印欧歴史言語の「系統」を樹状図で表現した。

序文はドイツの進化論者エルンスト・ヘッケルによる。またシュライヒャー自身もダーウィンと書簡を交していた。

1875年 中等学校時代に処女作「諸言語に関する試論」を発表。「鳴鼻音」を発見する。

1876年 パリ言語学会に入会。10代にして数々の発表を行う。

1878年 ライプツィヒに留学。シュライヒャーの下で比較言語学を学ぶ。「欧語族における母音の原始的体系に関する覚え書き」を発表。「喉頭音仮説」を打ち出し、ヨーロッパ圏の諸語の祖となった印欧祖語の母音体系を明らかにする。

シュライヒャーは比較言語学の始祖。言語学は自然の有機体たる言語を扱う自然科学であると考え、猿が人間になるように、言語がヨーロッパ語に高度化する系統樹を発表した。

1880年 青年文法派と交わるなかで、「サンスクリットにおける絶対属格(与格)の用法について」をライプツィヒ大学に提出して博士号を得る。

青年文法派は、言語を有機体として見ることをやめて、人間集団の歴史的・精神的な所産であると考えた。ソシュールは青年文法派の主張を認めつつ、さらに言語を集団的なものと個人的なものへと二分し、集団言語に目標を集中した。

1881年 パリ大学の「ゴート語および古代高地ドイツ語」の講師となる。高等研究院講師、パリ言語學會幹事などを歴任。

1891年 パリ大学のポストを捨て、生地ジュネーヴに戻り、ジュネーヴ大學にて教鞭をとる。サンスクリット語・印歐諸語の比較文法、言語地理など。

1894年 言語学の先駆者ホイットニーの死去に際し、長文の追悼文を書く。文章は未完で放置され、その後論文の発表は終わりを告げる。

1906年 ジュネーヴ大学で「一般言語学についての講義」を行う。以後5年間で計三回の講義が行われる。

1913年 ソシュール、ジュネーヴで死去。

1916年 学生たちが持ち寄った、「一般言語学」の講義ノートが死後出版される。


この年表を見ても、ソシュールの理論がどう発展し体系化されたかはサッパリわからない。これがルソーなら、彼の年表を見ただけでも彼の思想がある程度察しがつくのだが。

ソシュールの解説はネット上にもあまたあるが、ソシュール理論の発展過程をあとづけたものはまったく見当たらない。

一番困るのは、ソシュールに直接先行した理論がどんなものだったのか、ソシュールは何を否定しつつ自らの議論を押し出したのか、ここが見えないことである。


語彙のことをシーニュというらしいが、これには二つの側面がある。ひとつはシニフィアンでもう一つがシニフィエだ。シニフィエは音でシニフィアンが意味ということらしい。

漢字を見れば分かりやすい。感じというのはヘンが意味で作りがオンになっている。すし屋の茶碗を見ればよく分かる。ヘンは全て魚だ。ただし多くが和製漢字だから、ツクリにも意味を持たせてしまっている。

ツクリは万葉仮名と同じで音だけの存在に成り下がっている。その漢字の保つ本来の意味は捨象されている。

このツクリがシニフィエだと言うなら「あぁ、そうですね」という話だ。御大層に御託を並べるほどのものではない。

言葉(ランガージュ)には二種類あって、社会的な言葉をラング、個人的会話をパロールというそうだ。当然ながらラングには言葉だけではなくしきたりもふくまれる。

フランス語に敬語とか丁寧語があまりないから、かえって分かりにいが、儒教社会では別に何の不思議もない。日本人なら書き言葉だけでも口語体と文語体があるし、しゃべるのも結婚式で挨拶するのと、飲み屋で語り合うのはそうとう違う。

そういう文化の中で暮らしていれば、当たり前じゃんか、ということになる。もっと細かく分けてもいいくらいだ。

亀井秀雄さんという人が

1960年代後半のキーワード:土俗・土着

という文章を書かれていて、なるほどと思い当たるところがあった。

6全協、ハンガリー事件、構造改革論争とつながる中で、一方ではソ連とつながる「正統国際派」の人たちが宮本指導部と覇権を争い、敗れ去った。

もう一方ではトロツキズムが学生運動の主流派と手を握り、かなりの影響力を保持した。

ここまではマルクス主義の枠内の論争だった。

そのうち変な連中が出てきて、典型的なのが吉本隆明で、左翼なのか右翼なのか文筆ヤクザなのか良く分からない。

こういう連中が、全共闘運動とつながって一世を風靡した。

その辺りを世代論から整理してくれている。

おそらく講演の起こしなのだろうと思う。わかりやすく格調もある。

少し抄出しておく。


1)近代主義批判としての土俗・土着

「土俗」または「土着」という言葉は、「近代」に対する対義語として使われ、近代以前から続いている日本人の習俗や心性を意味しました。

これらの言葉は民衆を意味し、合理的な知性に対する非合理的な情念を意味しました。

それらは、近代化の立ち遅れた部分で、改革をはばむ保守・反動勢力の温床と貶められて来ました。

「土俗」または「土着」という言葉を使った人たちの批判は戦後の改革をリードしてきた知識人に向けられていました。

彼らの批判は、戦後の政治過程と思想過程に対する不満において共通していました。

彼らの主張は。「土俗・土着」的なものの主体性を復権し、そこから変革のエネルギーを引き出すことだった、と言えるでしょう。

しかし、非合理で保守・反動的な情念は、歴史的事実として、天皇制を推進し、近代の日本国家が戦争にのめりこんでゆくエネルギーの根源でもありました。

その事実に対してどのようなスタンスを取るか。それによって思想的なポジションは、新左翼から新右翼まで別れました。

2)戦中派の世代論

彼等の戦後批判、あるいは近代批判は、いわゆる戦中派の世代的な自己主張でした。

戦中派とは、1920年代に生まれ、1940年前後に思想の形成期を迎えた世代を指します。

ちなみに、橋川文三は1922年生まれ、井上光晴は1926年生まれ、吉本隆明は1924年生まれでした。

彼らが思想形成期を迎えた1940年前後には、すでにマルクス主義の運動は壊滅してしまっており、反戦・平和思想に接する機会もありませんでした。

国家を運命共同体として理解し、国家の行なう戦争で死ぬことを、一種の運命愛として受け入れてきました。

「土俗・土着」論者の主張は、戦後の民主主義思想に対する、怨念とも言えるものでした。

戦後の価値観からみれば、罪悪でしかない戦争、間違った思想を信じていたことになるが、それでは、あの戦争の理念を信じて戦地に赴いた同世代の人たちの死は、全くの無駄死にでしかなかったのか。

日本の兵士のなかには、戦争を疑うことを知らず、精一杯の誠意と善意をもって戦地の人たちと接しようとした者もいるが、彼等の行為もまた罪悪でしかなかったのか。

3)小林よしのりの戦略

小林よしのりという劇画の作者が『戦争論』(1998)を出し、南京大虐殺などの信憑性が疑わしいことを指摘しました。

彼はいわゆる戦中派世代の人たちをお爺ちゃん、お婆ちゃんとして登場させ、その人たちに戦争体験、戦争下の青春体験を語らせます。

そして「この人たちは戦争の大義を「信じ」て、愛する者のために銃を取った」と受け止めます。

そして、「東京の軍事裁判」は戦勝国が敗戦国・日本の戦争犯罪を一方的に裁いた「集団リンチ」裁判だと断定するわけです。

私の見るところ、彼の『戦争論』を批判する歴史学者や市民運動家はその手口を解体できていません。

その理由は、1960年代後半に現われた戦中派世代の思想的な営為と「対決」して来なかった、きちんと対話をして来なかったからです。

4)北一輝と高見順

北一輝は、欧米列強に対する「土俗」の反感に初めて思想的な表現を与えた革命理論家だったと言えます。

彼は、「持てる国」の支配からアジアを自立させることを、「持たざる国」の日本の世界史的使命と考えました。

そして、そのために、まず日本の国家を改造しなければならない、と考えました。

そして、国家改造の中核的な主体を「在郷軍人」に求めました。

在郷軍人は「兵卒ノ素質ヲ有スル労働者」だからです。この 「労兵会」がロシア革命をモデルにしたものであることは、言うまでもありません。

その国家構想のなかには、私有財産の制限というプランも入っていました。

高見順は戦中派世代より一世代上で、マルクス主義の洗礼を受けています。

彼は『いやな感じ』という小説で北一輝を扱っています。その小説の主人公はかつて反権力のアナーキストだった男です。

彼は、陸軍の上層部の権力争いとかかわるうちに変貌してゆきます。彼は、中国大陸の戦場で、本当に中国兵だったかどうか疑わしい「捕虜」を、面白半分に斬り殺してしまいます。

反権力主義的な情念が隣邦に対する攻撃性に変質してしまう逆説は、「戦中派」に対する鋭い反撃となっています。

アルミ缶と苛性ソーダによる爆発

ケムステニュースというブログで詳しく解説してくれている。

まずはニュースから

20日午前0時15分頃、東京都文京区本郷の東京メトロ丸ノ内線本郷三丁目駅のホームに停車中の電車内で、都内に住む20歳代の飲食店アルバイト女性が持っていた業務用アルカリ性洗剤の入ったアルミ缶が突然、破裂した。

 警視庁や東京消防庁によると、缶を持っていた女性を含む乗客の20~40歳代の男女16人が手や顔にやけどのような症状を訴え、うち9人が病院に搬送されたが、いずれも軽傷だという。

 警視庁などによると、女性は「自分が飲み干したコーヒーの缶に、勤務先の店長からもらった強力な洗剤を入れていた」などと説明。洗剤は、蓋付きの アルミ缶(390ミリ・リットル)に蓋を閉めた状態で入れていた。同庁は、洗剤とアルミ缶が化学反応を起こして水素が発生し、破裂した可能性が高いとみて 調べている。

 女性は、千代田区内の飲食店での勤務を終え、御茶ノ水駅から荻窪発池袋行き電車(6両編成)の先頭から5両目に乗った。缶は、ビニール袋で包んだ うえで、紙袋に入れて持っていたという。負傷したのは男性6人、女性10人で、破裂した際に飛び散った液体がかかったという。終電間際で、5両目には約 150人の乗客がいて満員状態だった。

YOMIURI ONLINEより引用

再現実験の映像がこちら

これの機序について、下記のごとく説明されている。

2Al + 2NaOH + 6H2O→ 2Na[Al(OH)4] + 3H2

というなかなか複雑な過程をたどって、最終的に水素ガスが発生し、これが爆発したわけだ。

分子内に閉じ込められていた2gの水素がなんと22リットル以上の体積を持つのだそうだ。

この過程は、熱を発生し、しかも高温になると反応は加速されるそうだ。暴走した結果として、自然発火・自発燃焼もありうるのだろうか。

Gigazine に「水だけで発電しスパホを充電できる水素電池」という商品が載っていた。

商品名は myFC Power Charger という。

以下が前振り

どこでも発電可能なバッテリーとして、ハンドルを手回しすることで発電ができるモバイルバッテリーポータブルソーラー発電ユニット「Forty2」などを使いましたが、手回しが大変過ぎたり持ち運びが不便だったり。そんな中で、水を入れるだけで発電可能な水素燃料電池内蔵のポータブル充電器「myFC POWER CHARGER」を発見、実機を借りることができたので実際に発電してみることにしました。

EVERNEW Inc. という会社の製品。

基本はリチウム電池を内蔵したバッテリー・チャージャーで、どうということはないが、このリチウム電池を充電するのに「水素パック」という物を使うのがミソ。

形や大きさはアイスホッケーのパックを想像してもらえればよい。

このなかに、アルミ,プラ,Sodium Silicide(NaSi)粉末が素材として詰められている。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/d/3/d32c5219.jpg

この後上蓋を閉じると、粉末が加水分解して電気を発生するという仕組みらしい。

このパックが1個500円、使い捨てだがプリンターのカートリッジと同様使い回しはできそうだ。

多分実際の使い道はあまりないだろうが、この発想には大いに興味がある。

まさにカイロそのものだ。カイロは揉むと熱が出るが、このパックは水を入れると電気が出る。

この手軽さで電気が利用できるとなれば、蓄電池の展望は一気に広がる。

これまではNAS電池など大容量化・長期化に血道を上げていたのが、補充パックがあれば不必要になる。コストは大幅に削減されることになる。

24時間程度の蓄電池を数台設置し、交互に充電・発電を繰り返すなら、送電にかかる経費はほぼゼロとなる。

マンションやオフィスビル単位で設置すれば、非常に能率の良い電気設備となると思う。

素材はシリコンとナトリウムとアルミニウムだからほぼ無尽蔵だ。ただし、ナトリウムが爆発する問題はNAS電池でおなじみだ.移送や貯蔵には神経を使わなければならない。

爆発】約450gのナトリウムの塊を池に投げてみた - YouTube はかなり怖い

アルミ缶に苛性ソーダを入れて爆発したというニュースもあった。

風力や太陽光は供給が不安定という致命的な弱点がある。電気は使わなければ消えてしまうのだ。

これを安定したエネルギー源にするには大規模な蓄電装置が不可欠だ。これが粉末になって、いつでもどこでも使えるようになれば、送電装置も蓄電装置も不要になる。

水素をケイ素に結合させて閉じ込めるアイデアは以前にも紹介したが、現にここまで商品化され、1パック500円という数字が示されると、にわかに現実味を帯びてくる。

原発/代替エネルギー (37 items)をご参照ください。


面白いグラフがある

上は名目GDP、下は実質GDPである。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/6/5/65ff8d75.jpg

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/0/7/07aa8a45.jpg

名目GDPで見ると94年を気に上昇が加速しているように見えるが、実質GDPでは88年から一定のスピードを保っていることが分かる。メキシコはかつて人口爆発国だったため一人あたり実質GDPで見たが、これも同じ。購買力平価換算するとその傾向はより早く、86年ころから出現している。

NAFTAは経済成長に貢献しているとはいえないのである。

いつものごとく、世界経済のネタ帳からデータを頂く。

経済

項目 順位
名目GDP 1兆1770億ドル 14位
一人当たりの名目GDP 10,058ドル 66位
実質経済成長率 3.60 88位
インフレ率(年平均値) 4.11 90位

労働

失業率 4.95 84位

貿易

項目 順位
経常収支 -14.180億ドル 172位
貿易収支 3.5億ドル 18位

財政

項目 順位
財政収支(対GDP比) -3.72 115位
政府総債務残高(対GDP比) 43.51 81位
外貨準備高 1670億ドル 14位

現在(といっても2年前)の経済パフォーマンスである。

正直、GDPの割にはパッとしない数字が並ぶ。インフレが押さえられ、外貨準備が潤沢であることは、投資する側には喜ばしいかもしれない。もっとも特徴的なのは貿易外収支の膨大な赤字である。

莫大な投資が行われていることを示す。逆に言うと投資を呼びこむために、あらゆる経済・財政パフォーマンスが強力に調整されていることを示す。

安部首相風の言い方をすれば「もっとも企業にフレンドリーな国」となっていることになる。当然そのしわ寄せは民衆に及んでいると、容易に推測される。

NAFTA 20 周年を振り返る記事は日経も掲載している。(1月13日)

貿易額3倍に=メキシコ、最も恩恵=

というのだから、赤旗とは正反対の評価だ。

1.参加3ヵ国の貿易額はこの間に3倍以上に拡大した。94年3432億ドルに対し、12年には1兆1193億ドル(約117兆円)に達したのである。

2.最も恩恵を受けたのがメキシコである。輸出額は5.7倍となった。94年に532億ドルだったのが、12年には3031億ドルに達した。

3.成長はとくに自動車部門で顕著である。93年に105万台だった自動車生産は、13年には293万台に増加している。

4.メキシコで生産された自動車の6割は米国市場で販売されている。米国で売られている車の10台に1台はメキシコ製だ。

5.この成長は負の側面も含んでいる。競争力に劣る小規模農家が衰退したことなどにより、貧富の格差が拡大した。ジニ係数は0.466に達した。これはECD加盟国で下から2番目である。

この記事も、やや一面的である。世界は自動車で出来ているかのようだ。

だいたいが、自動車を生産する企業は全て外国籍で、メキシコは土地貸し、人貸し、利権貸ししているに過ぎない。

一応、国力評価はオーソドックスな経済マクロ指標で見るのが仁義というものだろう。

明治大学 平和教育登戸研究所 資料館館長

山田朗さんの講演から

登戸研究所は陸軍の施設で、終戦時に861名のスタッフを擁する大規模な機関であった。それはいわゆる「秘密戦」の研究にあたった。

「秘密戦」とは、防諜・重宝・謀略・宣伝の4種類の作戦を指す。登戸研究所では、そのための資材や兵器が開発された。

登戸にはもう一つの機関が併設された。それが「後方勤務要員養成所」であり、一般には陸軍中野学校と呼ばれている。

それは「秘密戦」の要員養成機関であり、登戸研究所とは表裏一体のものであった。戦局が悪化するに従いこの二つの機関は融合していく。

 

主な作戦

1.日中戦争期: 

上海や香港を舞台にした、英米仏ソに対する情報戦。

2.アジア・太平洋戦争期: 

海南島でのビルマ独立派の軍事訓練。

スパイを日系人に紛れ込ませて米国内に潜入。

3.戦争後期: 

対インド工作に最多の人員を投入。

日本軍撤退地域に残置工作員を配置し、後方撹乱と連絡に当たらせる。

4.戦争末期: 

沖縄で防諜作戦を展開。一般住民をスパイとし殺害。

松代大本営の建設。

太平洋横断型風船爆弾(牛疫ウィルスを搭載する計画もあった)

本土決戦用の粘土爆弾の製造

 

山田朗さんの結論

「戦争で科学技術が利用され、戦争の大義名分の前に、人間は良心や倫理を失いました。秘密戦が実は戦争の本質を示しています。

 

 

NAFTA発効20年

菅原記者によりいくつかの数字が提示されている。

政府側の宣伝では

1.米国との貿易総額が20年間で5.5倍に増えた。

2.米国への農産物輸出は3.3倍に増えた。

これに対する反論

1.農産物は輸出も増えたが輸入も増えたため、総計では年間25~40億ドルの赤字だ

2.食料の外国依存率は10%から43%に増大した。

3.メキシコの貧困人口は52%で、20年前と変わらない。


ちょっと反論に説得力がない。というか反論になっていない。

やはり94年以降大規模な金融危機が起きていないというのは、庶民にとってはかなり大きいのではないだろうか。

私がメキシコに行くときはいつもメキシコの景気が悪い時だった。84年にはハイパーインフレ、89年には大地震の直後、94年にはテキーラ危機だった。

「明日もまた、かくありなん」という確信は、何よりも心強いものである。

いずれにしても、一度まじめにデータと向き合う必要がありそうだ。

児童手当差し押さえは違法

児童手当というのがある。これは児童手当法という法律に基づいている。申し訳ないが、そんな法律があることも知らなかった。

第一条はこうなっている。

家庭等における生活の安定に寄与するとともに、次代の社会を担う児童の健やかな成長に資することを目的とする。

そのために児童を養育する人に支給されるそうだ。かなりざっくりした法律である。

この法律の良い所は第15条だ。

児童手当の支給を受ける権利は、差し押さえることができない

と具体的に禁止されている。

子供のために使わせなければならないという、使途限定付きの給付ということになる。

たとえば税金や保険料を滞納している家庭では、児童手当も収入のうちだから差し押さえたくなるのが役所の人情だが、それを先回りして禁止しているわけだ。

そこで役所は考えた。

児童手当は手を付けてはならないが、いったん銀行に振り込まれれば、それは児童手当ではなく、銀行預金となる。だからそれを差し押さえても違法とはならない。

これはいくらなんでもアコギな解釈である。

ところが、最高裁がこの解釈を容認した。その後、行政機関はあらゆる場面にこの解釈を適用するようになった。

ただ、弁護団によると、最高裁の判断は微妙なところで、「否定はしなかった」ということらしい。

したがって、下級審が「否定」しても問題はない。あとは判事の勇気次第ということになる。

それが今回の広島高裁松江支部の判断である。

実質的には児童手当を受ける権利自体を差し抑えたのと変わりがないから、児童手当法15条の趣旨に反するものとして違法である

そして児童手当を原告に返すように命じた。鳥取県(被告)は上告せず、この判決が確定した。総務省は高裁判決を受けて全国の自治体に通知を発した。

寄稿した勝俣弁護士によると、これで終わったわけではなく、行政はまた新手を考えだす可能性もあり、まだまだ闘いは続くと言っている。

ご健闘を祈る。

 

 

南シナ海に「九段線」

九段線といっても靖国神社のそばの地下鉄のことではない。

中国が南シナ海での行動を一段とエスカレートさせたというニュースである。

それが「九段線」という境界線。南シナ海の9つのポイントで境界を設定したもの。この9つのポイントを結んでいくと、南シナ海の6割が中国領ということになる。

もちろん西沙、南沙諸島も含まれる。

この九段線はもう1年前から中国が主張しているものだが、今度はその範囲内に入った船を拿捕するという条例が施行され、実際に発動されたというものだ。

実際に2日と3日には複数のベトナム漁船が中国の監視船により停船させられ、漁具を破壊された上、機材や魚を没収された。

おかしなことに、この漁業規制は海南省が施行した条例によるものだという(中国メディアによる)。この国では省に外国船を攻撃する権利が与えられているのだろうか。

人民網日本語版では連続して強硬論が発表されている。

見出しだけ列挙しておく。

南中国海問題:「多国間枠組みで解決」との日本の提案について

南中国海問題は多国間の場で議論すべきではない

南中国海問題:火に油を注ぐ日本

専門家:海・空軍を強化し、東・南中国海の新情勢に対応へ

海上摩擦:中国は交渉だけではだめだ

米国に南中国海で武力を行使する勇気はない

南中国海問題に手出しする日本に中国はどう対応すべきか

空母+開発こそ中国の領海主権を守る最も力強い方法

専門家:南中国海に公海は存在せず

外交部「サビナ礁は中国領、フィリピンはもめ事を起こすな」

南中国海での軍事的摩擦による損害を誇張するなかれ

中国は南中国海問題において確固たる意志を持つ

ただしこれらの記事はいずれも2011年後半のものであり、その後、多少態度を変更した可能性もある。

 

雲仙でバイナリー発電。

雲仙の小浜温泉で、バイナリー発電の実験が行われている。

この温泉は湯温が高く105度と煮えたぎっている。湧出量も一日1万5千トンという膨大なもの。その7割が海に流されているという。

ここで去年の4月からバイナリー発電の実用試験が行われている。

バイナリーというのは、このお湯で直接タービンを回すのではなく、沸点の低い「代替フロン」を沸騰させてタービンを回して沸騰させるというもの。

正確にはこの間に「真水」の加温という過程が挿入されるようだ。

なかなか良さそうに聞こえるが、実際の発電量は840~1680KW時程度、出力は低く、ばらつきは大きい。

さらにお湯を送るのに管を通すのだが、「湯の花」のせいですぐに詰まってしまう。このためにお湯の量は想定より少ないという。

おそらく発電計画が率直に言ってずさんだったと思う。いったん真水を沸騰させるのなら、真水を送るべきであったろう。

さらに、3つの泉源の湯を1箇所に集めているというが、金額によってはむしろ泉源に1つづつ発電機を備え付けたほうが良いかもしれない。

地熱発電が環境問題をはらんでいる以上、このような「廃物利用」的な利用もありと思うが、レベルからすれば節電程度であろう。

むしろ本格的な地熱発電をした時に、その効率をさらに上げる技術として組み合わせるべきかもしれない。

 

 

NHKが政府広報化する理由はイロイロあるだろう。
その一つかな、と思う報道があった。

昨年12月、NHK執行部は受信料は「支払い義務化」がふさわしく、放送法の改正が必要との意見を経営委員会に提出している。
視聴者との合意を得ず、財源確保を優先した受信料の支払い義務化は、徴収の強制としか受け止められないであろう。


いまいち良く分からないが、義務というのは罰則を伴うものであろうか。税金を払わないのと同じように犯罪になるのであろうか。

法改正というのは、政府の承認を得て、与党の支持を受けてということになる。
そのために、安倍政権の提灯持ちをしているのであれば、受信料を払っている国民はどのような対抗手段をとればよいのか。

たとえば、総合テレビは見ません。教育テレビと衛星放送の分だけお支払いしますというような対抗手段はとれるのだろうか。

あるいはNHKのニュースとニュース解説は見ませんから、その分割引してくださいという申請はできるのか。

考えてみれば、WOWOWやCSはチャンネルごとに視聴料を払うわけだから、NHKもチャンネルごとに分割すべきではないだろうか。そして御用番組はまとめて一つのチャンネルにしてもらおう。

「辺野古基地反対」声明に署名した「欧米29氏」という人たちの顔ぶれを調べた

1.Norman Birnbaum

88歳。米国・リベラル派の論客。オックスフォードの教授を務め、ヨーロッパでも高い評価を受けている。

He was on the founding editorial board of New Left Review and is a member of the editorial board of The Nation.

2.Herbert P. Bix

76歳。米国の現代史学者。一橋大でも教鞭をとっている。

著書「昭和天皇」でピューリッツァー賞を受賞。この本で、昭和天皇が戦争に積極的に関与した事実を明らかにする

3.Reiner Braun

ネットではゲームのキャラクターとして有名らしい。

個人ではなく団体代表。国際平和ビューロー共同議長、反核国際法律家協会執行委員長の肩書

4.Noam Chomsky

この人は紹介する必要はないだろう

5.John W. Dower

この人も説明不要。

6.Alexis Dudden

コネチカット大学の歴史学准教授。「日韓併合、1910年」の著者。写真を見ると女性で、先住民の混血のようだ。どうでもいいが美人だ。Dudden-image-June2013-v1

7.Daniel Ellsberg

ご存知、ウォーターゲートの主役の一人。まだ生きていたのだ。

8.John Feffer

政策研究所の「外交問題」誌コ・ディレクター。朝鮮政策の権威。著書「Crusade 2.0」でイスラム世界に対するブッシュのユニラテラリズムを批判。

独特の文体を持つ人で、膨大な量のホームページもあるので興味ある方は一見を。

9.Bruce Gagnon

61歳。フロリダ出身の平和活動家。Nuclear Policy Research Institute のシニアフェローを勤める。

Young Republican Club, he volunteered in Richard Nixon's 1968 presidential campaign  という変わった経歴の持ち主。ベトナム反戦運動に触れて回心した。

10.Joseph Gerson

この人もおなじみだ。

11.Richard Falk

83歳。国連の活動に携わりながら、プリンストンで40年国際法を教えていたという人。そのあとカリフォルニアに移住して、80近くなってから Board of the Nuclear Age Peace Foundation の議長になったそうだ。

偉いというか脂っこいというか…

12.Norma Field

この人もまぁいいか。多喜二の研究者として有名になった。東京で、日米混血の子として生まれた。私より一つ若い。しかしもっと若い頃の写真がほしい。


13.Kate Hudson

General Secretary, Campaign for Nuclear Disarmament という肩書。おそらくミリタントだろう。グーグルでは同姓同名の女優が引っかかるだけ。

14.Catherine Lutz


ブラウン大学教授でワトソン国際関係学研究所の「戦争のコスト」調査プロジェクトの共同代表。専門はアジアの文化人類学らしい。

15.Naomi Klein

若いころ、“Naomi, Come back to me” という歌が流行った。ナオミというのはユダヤ系の女の子の名前で、日本人とは関係ないということが分かった。

そのナオミである。

威勢の良さが売りの有名人で、まさかこの人の名が登場するとは思わなかった。どこで沖縄との接点があったのだろう。

16.Joy Kogawa

自伝的小説『Obasan』(1981年、邦題『失われた祖国』)が有名なんだそうだが、浅学にして知らない。

この小説を子供向けにしたのが『Naomi's Road』(1986年、邦題『ナオミの道―ある日系カナダ人少女の記録』)というのだそうだ。

この人もナオミ・クラインとおなじカナダ在住だから、ひょっとしたらナオミつながりかもしれない。

17.Peter Kuznick

アメリカ大学歴史学教授。オリヴァー・ストーンの連続ドキュメンタリーに登場してお茶の間でもおなじみ。

テレビで見た印象としては、相当の筋金入りリベラルのようだ。

18.Mairead Maguire

もう40年近くも前、北アイルランド紛争の最中に平和的解決を目指したとしてノーベル平和賞を受賞した人だ。

その後はパレスチナ支援運動に傾注しているようだが、東アジアとの接点は不明。

19.Kevin Martin

平和団体「ピース・アクション」の代表。バスケットの花形選手とは同名異人。

20.Gavan McCormack

オーストラリア国立大学の名誉教授。『侵略の舞台裏 朝鮮戦争の真実』(原題 Cold War Hot War)を発表している。

21.Kyo Maclear:

日英混血のカナダ人。作家・児童文学者。広島の原爆についての著作がある。

これだけのご面相、日本にいたら今頃「お・も・て・な・し」などとやっていたかもしれない。

22.Steve Rabson

70歳。ブラウン大学名誉教授。日本文学。1967-68米軍兵士として辺野古に駐留。

23.Mark Selden

75歳。コーネル大学東アジア・プログラム上級研究員。中国革命などを専門とする。

24.Oliver Stone


25.David Vine

アメリカン大学準教授。米国の外交政策と人権問題が専門。学生を沖縄に研修させ、そのときの講義でケビン・メア総領事が「沖縄は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人」と発言した。

26.Lois Wilson

世界教会評議会前議長。多分Lois Miriam Wilsonというカナダ人(85歳女性)と思う。

27.Lawrence Wittner

ニューヨーク州立大学歴史学名誉教授。「世界核廃絶運動小史」を著している。

28.Ann Wright

米陸軍退役大佐。元米外交官。矢臼別でお会いしました。


一人足りないな…


「マンスリー・トピックス」No024 H25.10.24

「輸出の増勢に一服感が見られる背景について」

2.貿易赤字増大の構造

レポートは、J カーブ効果を除外した貿易構造の推移を試算している。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/9/6/96769740.jpg

 J カーブ効果がピークに達した5月に、貿易構造は最も改善しており、J カーブ効果を打ち消した。逆に円安効果が現れ始めた9月に貿易構造は最悪の状態に陥っている。

5月の貿易構造改善の理由は、驚くことに石油の輸出であった。このとき在庫調整のため大量の備蓄石油を海外販売したのである。

悪化に寄与したのは輸出数量が減ったことと、輸入数量が増加したことだ。

レポートはやや姑息な説明を行っている。

輸出数量が2月から4月にかけて増加して赤字縮小に寄与したものの、その増勢が鈍化したことに加えて、国内景気の持ち直しに伴い輸入数量が増加したことによる。

輸出数量の寄与度は、「増勢が鈍化」したのではなく、激減している。輸入数量は著増しているものの、輸出数量の激減に比べればおとなしいものだ。「国内景気の持ち直しに伴い」云々は、言わずもがなのコメントだ。

3.輸出数量減少の要因

余計なコメントは入れたものの、やはり輸出数量の激減が気になることに変わりはない。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/e/2/e276565a.jpg

2010年を100としてわずか3年間で15%も低下している。とりわけ12年下半期の低下が著明であり、回復の兆しはない。

そこで地域別、品目別の輸出数量に関する分析を行っている。図はかなり煩雑なので省略する。

輸出数量指数の地域別寄与

日本の最大輸出先はアメリカ、中国、東南アジアである。

アメリカ向け輸出が5月以降、中国向け輸出が6月以降停滞している。アジア(除く中国)向け輸出は大幅なマイナス寄与となっているが、要因は国ごとに異なり単純ではない。

アメリカの輸入における日本のシェアは、多少の振れはあるものの、このところ横ばいで推移している。自動車においては現地生産が輸出を食い、総体としてのシェアはほぼ横ばい。

中国については、中国の成長鈍化や景気低迷では説明できない輸出の減退がある。(はっきり言えば安部首相の言動による悪感情)

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/b/7/b7c2dd43.jpg

奥歯に物の挟まった言い方だが、レポートのコメント。

日本の中国向け輸出は、2012年9月の尖閣問題発生以降、減少が続いた。2013 年の年初以降はその影響も薄れ、輸出数量は増加に転じたが、6月以降はふたたび伸び悩んでいる。

一方、中国経済は、景気の拡大テンポは安定化しつつある。

そのため、日本の中国向け輸出の鈍化は、中国の景気以外の要因が影響している可能性がある。

つまり、長期的・構造的な問題は問題として、短期的に輸出を停滞させているのは、安倍首相の中国を仮想敵とする軍国主義政策であるといえる。

輸出数量指数の品目別寄与

輸送用機器(自動車)は2012年1月にプラス寄与が大幅に拡大し、それ以降も一貫して増加に寄与している。それ以外は一般機械、電気機器ともプラス寄与はなく、電気機器はむしろマイナス寄与が大きくなっている。

電気機械は夏のスマートフォン輸入ブームはあったものの、全体としては必ずしも落ち込んでいるわけではない。

 

「マンスリー・トピックス」No024 H25.10.24

「輸出の増勢に一服感が見られる背景について」より


1.J カーブ効果は貿易収支の赤字を説明できない

 1389632200

これを見ると、いわゆる「Jカーブ効果」はすでに2013年5月に終了したことが分かる。当初の円安による輸入額の急上昇はいったん落ち着き、それに代わり輸出額が上昇した。しかしそれは大震災前の水準(約6兆円/月)に達したところでストップした。

1389632271

上の図は、J カーブの効果に関する試算である。面倒くさい図だが、「貿易収支への影響」という折れ線グラフだけ着目してほしい。

このレポートでは、下記の如き結論が導き出されている。

円安方向への動きは、2012年11月の水準から、当初は貿易収支の赤字拡大に寄与したものの、5月をピークに縮小し、9月以降は貿易収支の赤字縮小への寄与に転じたと見込まれる

つまり13年9月以降は、円安は貿易収支の赤字を減少する方向で働いているということだ。にも関わらず、貿易収支の赤字はむしろ増大しているということだ。

2012年11月にはすでに原発はほぼ全面停止しており、石油消費量に基本的な変化はないということを念頭に置いておこう。

日経で行っている輸出が伸びない三要素が、時間の経過とともにかなり怪しくなってきた。
それとともに、「やはり日本の輸出競争力が落ちていることが最大の原因ではないか」という声がだんだん強くなってきている。

もしそうだとすると、TPPに参加することはまったく意味がない。関税が下がるのはせいぜい数%である。円が2~3割低下しても、輸出が回復しないのに、この程度の関税引き下げで輸出が伸びるという根拠はなにもない。

むしろ輸入増と貿易赤字に拍車がかかるだけだ。

実は、「日本経済の再生のためには戦艦大和を掘り出して、新技術をつくり上げるしかない」と書こうと思っていた。つまり宇宙戦艦ヤマトの建設である。

ところがウィキペディアの「宇宙戦艦ヤマト」の記述が実に面白い。おかげで「宇宙戦艦ヤマト」論を書かねばならなくなってしまった。


私にとって「宇宙戦艦ヤマト」はべつに思い出ではない。ちょうど子供がそういう世代なのでお付き合いしただけである。

映画にも連れて行ったし、レコードも買って聞かせた。だから私自身の記憶としては銀河鉄道999とか機動戦士ガンダムとか科学忍者隊ガっチャマンとか全部ごっちゃになっている。

 

「宇宙戦艦ヤマト」論といっても、それほどのものではない。ウィキペディアを読んでわかったことを箇条書き風に書いて見ただけである。


1.「宇宙戦艦ヤマト」は虫プロ集団の創案である


最初の話は、放射能に汚染された地球を救うため宇宙船がイスカンダルに向かう話である。これは豊田有恒のアイデアらしい。SFの定番である未来終末論とスペース・オデッセイの組み合わせである。

これを虫プロダクションのスタッフがふくらませて、「宇宙戦艦コスモ」という企画に結実した。

私はいままで「宇宙戦艦ヤマト」はの松本零士作品の映画化だと思っていたが、そうではなくキャラ作りに雇われただけだったようだ。

2.「宇宙戦艦ヤマト」は西崎義展の作品である


プロデューサーとして参加した西崎は、各所を調整しながら連続TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の形にこぎつけた。

西崎は会議主義者であった。「宇宙戦艦ヤマト」の二つのアイテム、目的としての放射能除去装置と手段としての波動エンジンも企画会議から生まれた。

小説や漫画などの形で先行した、いわゆる原作(漫画、小説)は存在しない

キャラクター作りに虫プロの既存メンバーを使わず、松本零士を外部起用したのも西崎であったようだ。

3.メイン・ストーリーはスペース・オデッセイであった

豊田はストーリーの下敷きとして「西遊記」を想定していたという。

海は蒸発し地球は赤茶けた姿に変貌し、放射能汚染で地上の生物は死滅した。

人類は地下都市を建設し、抵抗を続けていたが、地下にも放射能汚染が進行していた。


そのとき、

宇宙の彼方イスカンダル星から、「放射能除去装置 コスモクリーナーDを受け取りに来るように」とのメッセージと、航海に必要な波動エンジンの設計図が送られてきた。

コスモクリーナーの受領のため宇宙戦艦「ヤマト」が旅立つ。

ヤマトはガミラス帝国と戦い、未知の宇宙空間における障害を乗り越えながら、イスカンダルを目指す。


4.「大和」に必然性はなかった

宇宙船のデザインはスタジオぬえの松崎健一が行い、戦艦「三笠」のイメージから「長門」らしくなり、最終的には「大和」となった。

西崎は戦艦大和を登場させることで悪乗りしたようだ。

出撃シーンと続く戦闘シーンで「軍艦マーチ」がBGMとして使用されている。戦争賛美アニメとレッテルが貼られるのを避けたい松本監督と石崎すすむら若手現場スタッフが西崎プロデューサーに猛反対した

そうだ。


勉強になった。

とくに、放射能除去装置「コスモクリーナー」はまったく現代的である。

 行きがかり上、アベノミクスのジャンルに入れておく。

 

輸出額は前年比で10%程度増えている。しかしこれは円安による見かけのものだ。輸出はほとんどが米ドル決済だから、80円が100円になれば、同じ輸出量なら20%増えなければならない。
当然、外国のバイヤーからは値引きを要求されるだろうから、20%まるまる懐へという訳にはいかないから、それなりに下がるだろうが、それにしても少ない。

日経新聞では内需の回復、海外生産の増加、アジア市況の低迷という3つの事情をあげている。
つまり円安は悪い選択ではなかった。しかしいろいろな事情が発生したために、所期の効果を発揮できなかったというのだ。ああ言えばこう言うものだ。

もう一度、時系列にそって問題を整理してみよう。

円安によって日本の製造業が回復し、設備投資が復活することが期待されてきた。安倍首相は、円安によっていずれ輸出が盛り返し、円安によるマイナスの影響はなくなると説明していた(Jカーブ効果)

だがその後の貿易統計からは、そのような兆候はまったく見られていない。例えば救世主たるべき自動車は、台数で見ると0.6%の減だ。生産財輸出も明らかに減少している。

これは、「産業力」の衰退が、もはや環境では説明できないほど鮮明になったということではないか。

Blogos はこう書いている。

日本の製造業はすっかり弱くなってしまい、値段が高くてもいいから買いたいという製品ではなくなってしまったのだ。

そんな製品を安くして売っても、もはや誰も見向きはしない。いずれ投げ売りになるのを待っている。

日本の大企業経営者はすっかり路を間違えたのだ。日本製品をもっと売り込むためにはもっと安くしなければならない。そのためには労働者をもっと搾取しなければならない。
そうやって日本の高度な消費水準を引き下げた。
肝心なことは、消費が需要を生むということ、消費が生産を支えるということだ。そこを見誤れば当然こういうことになる。

内部留保も確かに大切だが、消費とのバランスを超えて蓄積しても、それは死に金にしかならない。

貿易赤字は日本の命取りになるか?

すみません。毎度のごとく不勉強で、貿易赤字はLNGの大量輸入のせいだとばかり思っていました。

たしかにアベノミクスが始まるまではそれで説明出来ました。円高で輸出品がドル換算にすれば割高になるのから仕方ないんだろうと思っていました。

そこに持ってきて福島の事故で原発が止まって石油や天然ガスの輸入が急増したのだから、貿易赤字になるのは当然です。

だからLNGを国債価格に照らし合わせて適正な価格で輸入できるようにする、海底エネルギーの探査を進める、さらに自然エネルギーを水素に転換する技術を開発する、の三本柱で輸入量を減らすしかないと考えていました。

それでOKと考えたのは、80年代まで日本は原発なしで大幅な輸出超過を維持していたからです。

私としては大幅な輸出超過をいつまでも続けるのは好ましいことだとは思いません。むしろ理想はプラマイゼロではないかと思っています。

普通の国では貿易収支は赤字であるのが当たり前です。それを資本収支で補うのです。これは本来の意味では借金ではありません。国際決済通貨がドルである以上、GDPの伸びはドルで表示されるしかないのですから、貸借対照表としては赤字になるほかないのです。

東京オリンピックや新幹線だって世銀借款ができなかったら実現不可能だったでしょう。成長産業ほど資金需要は高いのです。借金出来るのも能力の内なのです。

話は戻りますが、それでいまの日本の場合は成長に伴う赤字なのかというとそんなことはありません。むしろ日本経済は収縮しています。収縮しつつ赤字を垂れ流しているのです。だから大問題なのです。

辺野古新基地反対 声明発表の欧米29人

という記事は、その重みから見てもっと詳しい紹介が行われるべきだろう。

まず最初は1月8日付の琉球新報から

米国やカナダ、オーストラリアほかヨーロッパの世界的に著名な有識者や文化人のグループが8日午前(米国時間7日)、「沖縄への新たな基地建設に反対し、平和と尊厳、人権、環境保護のために闘う県民を支持する」との声明を発表する。

米平和団体アメリカンフレンズ奉仕委員会のジョセフ・ガーソン氏は声明の目的について、「沖縄の約70年にもおよぶ軍事植民地化を終わらせ、自らの尊厳と人権を守り、平和と環境保護を確保するための非暴力運動への国際的支援を集める」と述べている。

と書いてあるので、どうも仕掛け人はガーソンさんではないかと思われる。

声明の原題は以下のとおり

We oppose construction of a new US military base within Okinawa, and support the people of Okinawa in their struggle for peace, dignity, human rights and protection of the environment

1.今回の事態について

安倍首相は経済振興をエサに、沖縄北東部の辺野古沿岸を埋め立てる承認を仲井真知事から引き出しました。

それは、軍港をともなう大型の海兵隊航空基地を作るためのものです。

2.知事は県民を裏切った

知事の埋め立て承認は沖縄県民の民意を反映したものではありません。沖縄県民の72.4%が知事の決定を「公約違反」と言っています。埋め立て承認は沖縄県民に対する裏切りだったのです。

3.普天間は無条件返還すべきだ

普天間基地はそもそも1945年の沖縄戦のさ中、米軍が本土決戦に備え、住民の土地を奪って作りました。したがって、終戦後返還されるべきであったのです。返還に条件がつくことは本来的に許されないことなのです。

4.沖縄駐留は「独立宣言」に背馳する

沖縄の人々は、犯罪、事件、航空機の騒音や、環境汚染による被害を受け続けています。

それは、米国独立宣言が糾弾する「権力の濫用や強奪」による苦しみです。

5.沖縄は沈黙してきたわけではない

沖縄の人々は、非暴力のたたかいを続けてきました。実弾砲撃訓練に対し演習場に突入して阻止したり、米軍基地を人間の鎖で囲んだりして抵抗しました。

県議会は辺野古基地反対を決議しました。全41市町村の首長が、県内移設を断念するよう政府に求めています。

6.私たちはたたかいを支持する

私たちは、沖縄の人々による平和と尊厳、人権と環境保護のための非暴力のたたかいを支持します。辺野古の海兵隊基地建設は中止すべきであり、普天間は沖縄の人々に直ちに返すべきです。


少し遅れ気味だが、2013年の十大ニュースというのを総まくりしてみた。


2013年経済10大ニュース : 経済ニュースゼミ - ライブドアブログ

というページは小笠原誠治さんという人の私選である。

なかなか鋭い。10項目にするために結構かぶっているが、順位は別として順当だ。とくに貿易赤字拡大の分析は出色だと思う。

1.「アベノミクス効果」

インフレにすることが景気回復に資するという考え方を支持できないが、アベノミクスの効果で経済の風景が一変したことは事実。

2.「世界的な株価の上昇」

主に米国と日本の株価だが、NYダウが最高値を更新していることは事実。しかし5月にバーナンキ議長がテーパリングの可能性に言及しただけで大暴落したことは、この株価上昇の意味を象徴。

3.「円安の進行」

その正負の波及効果はこれから現れるだろう。

4.「異次元緩和策の発表」

黒田総裁は、マネタリーベースの量を2年で2倍にすると断言し、実行している。しかし、所期の効果を発揮しているとは思えない。

5.「米国の財政を巡る政治のねじれ」

10月には連邦政府機関の一部閉鎖まで至ったが、案外経済に影響していない。なぜか?

6.「テーパリング決定」

量的緩和策の規模が縮小された、しかし5月のような事態は起きなかった。なぜか?

7.「消費税増税の決定」

消費税の増税を決定する一方で、5.5兆円の経済対策を実施する。何のための増税か?

8.「貿易赤字の拡大」

円安なのに輸出が増加しない。これが貿易赤字の拡大の原因だ。なぜ増えないのか?

このままだと、貿易赤字が円安に拍車をかけることになる。そうすると国債価格が低下することになる。

安易な財政出動がもたらす最悪のシナリオだ。

9.「日銀総裁の交替」

日銀総裁の交替人事が、アベノミクスの実施に当たって大きな役割を果たした。それは日銀の独立性の毀損をもたらした。

10.「キプロスの金融危機の発生」

このニュースが注目されるのは、預金元本の大幅なカットというドラスティックな解決策だ。


大和総研のサイトに調査本部の本部員の投票による「2013年の10大ニュース」が載っている。

正直のところ、株屋さんの相場である。品格はない。

1位 2020年夏季五輪・パラリンピックの開催地が東京に決定(9/8)
2位 日銀が異次元の量的・質的緩和を決定(4/4)
2位 消費税率8%への引き上げ決定(10/1)
4位 参院選で自民、公明両党が過半数獲得、ねじれ解消(7/21)
5位 富士山が世界文化遺産に決定(6/22)
6位 安倍首相、TPP交渉参加を表明(3/15)
7位 楽天の田中投手が連勝の新記録(8/9)
8位 米FRB、量的緩和の縮小を決定(12/18)
9位 中国が尖閣諸島を含む防空識別圏を設定(11/23)
10位 特定秘密保護法成立(12/6)

ただ、政治がらみの話題も取り上げているところはおもしろい。


ハフィントン・ポストは10本に絞らず、重大ニュースとしている。経済というよりビジネスだ。「解雇特区」の記載は面白かった。ガンホーショックというのは知らなかった。

1.日銀が「白から黒へ」アベノミクス・リフレ派への反対は何だった?

もともとリフレに反対していた日銀の審議委員らも「白から黒へ」態度を豹変。4月には「異次元緩和」が行われた。

2.TPP交渉参加決定に

「異常な秘密主義」のために、どのような交渉が行われているか分からない状態でもある。結果、交渉は難航。年内妥結は見送られた。

3.消費増税の決定で、いろいろ値上げも…

4.「軽自動車税」や「高額飲食税」、増税は消費税だけじゃない?

5.「賃金アップ」や「五輪開催」で「人材不足」の懸念も

6.「解雇特区ではないですから」硬い岩盤規制と規制緩和

雇用の流動化を促す特区については「解雇特区」と大批判を浴び、議論を行うことすらが先送りされた状態だ。

7.クールジャパンと原発売り込み

8.個人投資家を襲った「ガンホーショック」

人気スマホゲーム「パズル&ドラゴンズ(パズドラ)」を展開していたガンホー。7月にはパズドラ1700万ダウンロードを達成したが、四半期ベースでの減収減益に失望売りが殺到して下落。「ガンホー・ショック」と呼ばれた。

9.ドコモのiPhone参入 ソフトバンクの海外進出


「WSJ日本版が選ぶ2013年10大ニュース」

のランキングはどうもピンと来ない。

WSJ日本版読者の反響、記事本数が多かったトピックス、および米国・アジア版記者が取材したテーマの中から、WSJ編集部がランキング形式で選定したもの。

というが、ずれているだけでなく、ずれ方に法則性がない。編集部の姿勢が問われそうだ。

1 米政府一部閉鎖と債務不履行の危機
2 国内外から注目を集める「アベノミクス」
3 金融緩和から出口探る米FRB
4 米国NSA盗聴問題
5 シリア内戦
6 中国 薄熙来(はくきらい)失脚
7 相次ぐIT企業の大型再編
8 福島第1原発の汚染水問題
9 ボーイング機事故
10 世界各地の異常気象

「経済界」という雑誌の「2013年の10大ニュース」は見出ししか読めないが、十分です。

  • 其の1 アベノミクス始動
    中間地点に差し掛かかりいまだ着地点は見えず

  • 其の2 東京オリンピック招致決定
    日本が抱える課題を一気に解決し再成長へと舵を切る起爆剤に

  • 其の3 モバイル再編 ソフトバンクは世界戦略を本格展開
    日本の携帯機器メーカーは淘汰

  • 其の4 東証・大証が統合 新たに誕生したJPXの滑り出しは順調

  • 其の5 みずほ銀行反社取引問題
    対策を強化するも問題は金融業界全体へ波及

  • 其の6 カネボウ製品自主回収問題
    優良企業花王の顔に泥を塗ったカネボウ化粧品の隠蔽体質

  • 其の7 食品偽装表示問題 雪崩式の発覚で規制強化の方向へ

  • 其の8 東電処理問題 瀬戸際の東京電力、どうなる再建計画の見直し

  • 其の9 消費増税が決定
    2段階増税の不安を払しょくし成長を維持できるか

  • 其の10 富士山の世界遺産登録
    20年越しの悲願達成で観光立国への第一歩となるか

あの寺島実郎氏の選んだもののようです。

モバイル再編、みずほ、カネボウ、東電あたりはいい感覚だと思います。


案外無いもので、グーグル検索ではこんなものです。

つまるところ、2013年はアベノミクスに始まりアベノミクスに終わったということでしょう。

アベノミクスと言っても取り上げられるのは異次元緩和だけです。

ただこれが国際環境とマッチしたために、円安・株高という予想外の効果をもたらしました。

いわば棚ボタ効果を、アベノミクスの成果だと言って宣伝し、みんなも多少その気になっている、というだけの話です。

ただ、第二の矢についてあまり触れられていないのが気になります。大量の財政出動(公共投資)がどのようなものだったのか、それがどのような効果を生んでいるのか、(というより効果を産まなかったのはなぜか)、という分析があまり目に止まりません。

もう一つ、アベノミクスの対極として位置づけられていた「財政再建論」が見事に姿を消しました。その行方もしっかりフォローしないと、片手落ちになるでしょう。

↑このページのトップヘ