鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2013年12月

ユダヤ人と否とを問わず、自国と自国通貨に確信を持てない人々はたくさんいる。日本も敗戦と同時に戦時国債は紙切れになった。軍が占領地で発行していた軍票も同じである。

こうなると、お金というのは資産であるという考えが強くなる。お金は同時に安全でもあり、尊厳の証でもある。

お金は富の代替として形成されているわけだから、富との互換性がなくては困る。キャッシュが信用できなければダイヤや貴金属に転換して置かなければならない。

進行しているのはフローからストックへの転換であり、日銀は統計操作上、ストックをマネー換算することで状況に適応している、とも言える。だからマネーイコールストックという考えが出てくる。

その中で相対的に流動性が高く、キャッシュへの確実なアクセスが可能なものは、すべてマネーと呼びうる。

自分の持ち家などのプロパティー資産はマネーとは言い難いが、投資用の「貸マンション」などいわゆるアセット資産は、限りなくマネーに近い。

日銀がマネーサプライからマネーストックへと名前を変えたのには、日本全体の資産形成志向の強化の傾向と関係しているのかもしれない。

ただ「資産家」の中にこの傾向が続くと、国民同士の間で、「同じ日本人じゃないか」という議論がますます出来にくくなっていくのではないか、と心配である。


「マネー」の問題を考えていくうちに感じたのだが、どうも最近日銀によって持ち込まれている「マネー」概念は、欧米の「マネー」概念の直輸入ではないかと思う。

ユダヤ人をめぐる与太話に関わりたくはないのだが、どうもネオリベラリズムというのは、ユダヤ人型の「重商主義」に重なるような気がする。

重商主義が産業資本主義を抑圧し押し潰す、というのはマルクスの重要な提起だ。マルクス自身がユダヤ系だという話もあるが、マルクスは何度かユダヤ人問題に触れている。

その際、ユダヤ人に対してかなり否定的な評価を下している。しかしそれはユダヤ人というより、ディアスポラでコスモポリタンの金貸し階級一般に対する否定であり、資本主義の興隆に対する桎梏としての重金主義、重商主義である。

うろ覚えで言うのも何なので、そのうち、調べた上で書いてみたいと思う。

のっけから話が飛んだが、現金通貨をマネタリー・ベースと呼んだり、マネー・サプライをマネーストックと言い換えたりするのは、キャッシュよりも資産(プロパティー)を重視する思想の表われのような気がする。

日銀は、用語の変換という形で欧米流の金銭観を導入し、そちらを是とする価値体系を構築しようとしているのではないか。

しかし資産を重視し、ひたすら貯めこむことを是とする文化は、これまでの日本にはあまりなかった。

それは日本が遅れていたからではなく、江戸時代の300年を通じて稲作を基礎とする産業構造と中央集権・官僚支配が完成し、産業資本の発展のためのあらゆる条件が整えられていたからであろう。

そこには「金は天下の回りもの」と称するに足るだけの「天下」、すなわち基本的に単一の文化、言語、司法、そして通貨が存在した。

他の国なら三段跳びしなければならなかったところ、徳川さんのお陰で二段跳び終えていたのである。

逆にいうと、幸か不幸か、そのまま資本主義国として発達してしまったために、「近代化」を置き去りにしてきたところがある。

その遅れの金融面における表れが、今まさに「金融ビッグバン」として問われているのかもしれない。

ただこの「近代化」が日本人にとって幸せなことなのか、それが不可避的な過程なのかはなんとも断定できない。

少し古いがジャパニーズインベスター 2002年04月号 

の「金銭感覚 vs マネー感覚  ─ 日本人と欧米人のお金感覚 ─という記事は、その辺の事情を軽やかに描いている。後半部分では、いくつか首肯できない見解もあるが、

日本人の金銭感覚は淡泊

お金は天下の回りもの…

職人的な日本人の金銭感覚

日本人の高値買い

などの記述は、おおむね共感しうるものだ。

マネー(通貨)という言葉の意味がわからない。これがわからないままでいると、先に行ってから話が見えなくなる。

おまけに一方この世界に飛び込むとカタカナ(英語)が飛び交うが、このカタカナも訳がわからない。ふつう日本語でわからないことでも英語で言われると「何だ、そういうことか」ということになるが、この世界では実感とかけ離れている。

「通貨」について勉強した。以下はその感想。

1.通貨(マネー)といってもいささか広うござんす

通貨というと、我々素人はお札(日銀券)と硬貨のことだと思う。これは現金通貨という。

しかし日銀統計では、これは通貨の一部にすぎない。通貨(マネー)には預金もふくまれるのである。預金というのにも二つあって、ひとつは一般人が市中銀行にあずけてある預金、もう一つが市中銀行が日銀に当座預金として預けているお金である。

つまり預金通帳は、それ自体がマネーなのだ。これに年金の積立金などが加わって通貨供給量(マネーサプライ)ということになる。

ずいぶん勝手な言い方だが、上のほうでそう決めたんだからしかたがない。ひょっとすると欧米の人のマネー観というのはそうなのかもしれない。

ということで、まず足元から固めていきたい。預金通帳まで、通貨(マネー)だと言うんなら、お札と硬貨、俗にいうキャッシュ、あるいはゲンナマのことはなんて言うのだろう。

2.現金通貨とハイパワードマネー

通貨に関する用語は日銀(中央銀行)が創りだしたものが多い。わかりにくい言葉は日銀の立場に立つと見えてくることがある。

日銀には3つの仕事がある。一つはお金(現金通貨)を作る仕事だ。これは分かりやすい。二つ目は市中銀行との貸し借りだ。このために市中銀行は日銀に当座預金の口座を開設し、何らかの預金をする。

三つ目が金融資産の売り買いだ。日銀券は最優秀の金融資産だからこれで劣後債を買い取ることで、市中に金が出まわるようになる。これが買いオペで、現在の異次元の金融緩和はもっぱらこの方法で行われている。

金は日銀内に市中銀行が持つ当座預金口座に振り込まれるから、そこには刷り上がったお札か、帳簿上の数字かは別として、金が積み上がっていく。

だから日銀の眼から見ると、お金(現金通貨)というのは、市中を流通する現金通貨、今年新たに刷り増ししたお札、当座預金の口座に積み上がったお札の三種からなるわけだ。

これらはいずれも本当のカネ(日銀券)であるから、強力通貨、高権貨幣などと呼ばれる。しかし実際にこれらの名で呼ばれることはほとんど無く、英語でハイパワード・マネーと呼ばれる。

このなかで、発行された日銀券や市中を流通するお金は実物だが、日銀の当座預金は、拝むことはできないし、本当にあるのかどうかもわからない。変な話だが「ヴァーチャルな現金」である。

したがって正確な意味で現金通貨とはいえないのだが、日銀にしてみれば帳簿上は立派な現金である。いざとなりゃぁ刷ればいいだけの話である。

3.ハイパワード・マネーとベース・マネー

ハイパワード・マネーという言葉には、マネーを生み出し駆動するマネーというニュアンスがある。これは金融主導(マネタリズム)的な価値観がふくまれているからだと思う。

日銀はこれを、ハイパワード・マネーと呼ばずに、ベース・マネーと呼ぶ。何のベースかというと通貨を中心とした金融全体のベースということだ。

たしかに正しいけど、それは考え方が正しいのであって、「カネはカネじゃんか」と思う。

ガチガチの通貨と言わずに「主食の通貨」と言っているみたいなもので、「日銀が偉いんだぞ」という素振りが感じられてしまう。

4.ベース・マネーとマネタリー・ベース

最近はベース・マネーと呼ぶことすらやめて、マネタリー・ベースと呼ぶようになっている。これは日銀が悪いのではなく、世界的にそういう言い方になっているのでしょうがないが。

中身はハイパワード・マネーと全く同じである。これはひどい造語だと思う。「みかんをビタミンCと呼ぶ」ようなものである。サプライサイド・エコノミーの匂いがプンプンする

さすがに「現金通貨+日銀預り金」では通りが悪いので、いささかの抵抗を持ちつつもハイパワード・マネーと読んでおきたい。

5.「非現金」通貨と「通貨もどき」

これが一番飲み込みづらい概念で、端的に言えば預金のことである。預金は現金(キャッシュ)ではないが通貨(マネー)なのである。そういう風に決められているんだからしかたがない。

最近はたしかにクレジットカードで支払いを済ませることも多い。これは預金通帳を現金の代用にしていることになる。私の預けたキャッシュはとうの昔に運用されてしまっているのだが、普通預金には「随時引き出し権」があるから現金と同じように利用できるのである。

このように、「非現金」通貨というのは、“端的に言えば”預金のことであるが、実はそれほど単純ではない。「預金」の枠がかなり広がっているからである。

海外旅行で使うトラベラーズチェック、バスや地下鉄に乗るときのプリペイドカードも仕掛けは同じだ。

我々素人からすれば、これらは「通貨もどき」なのだが、日銀の統計では立派な通貨の扱いを受けている。

6.二種類の「通貨もどき」

ところが、この「通貨もどき」に対するきっちりした名称がない。随時引き出し権があればほとんど問題がないが、それがなければ額面通りにはならない。

随時引き出し権があるのは、当座と普通口座だ。これを従来の日銀統計では「預金」(通貨もどき)としてきた。これが、M1と呼ばれるカテゴリーである。

定期預金は契約日時までには現金化できないから通貨もどきとは成り得ない。もし解約すれば解約料という名の割引をされてしまう。

しかし、日銀の新基準(M3)では定期預金も「準通貨」という括りで通貨の扱いを受けることになった。随時引き出し権ではなく譲渡性があるかどうかが判断の基準になったようだ。

買える地域とか、買える中身に制限があれば、これも「通貨もどき」とはいえない。何十枚とたまった電話カードやビールの引換券が良い例だ。むかしは商店街のチケットというのもあったよね。そうなると金券ショップのお出ましとなる。

このへんは今のところ通貨や「準通貨」にカウントされる可能性は低い。しかし日銀はM3よりさらに広範囲の「広義流動性」というカテゴリーを考えているようで、そこには

金銭の信託+投資信託+金融債+銀行発行普通社債+金融機関発行CP+国債+外債

がふくまれていくるから、まさに一網打尽だ。

7.マネーサプライとマネー・ストック

こうやって見てくると、話を複雑にしているのは一方的に日銀の側なんですね。

「マネー」という言葉の定義が果てしなく広がって、なんだか分からなくなっているというのが現状だろう。

日銀側の思いとしてはより広範に経済・金融活動を把握したいというのが狙いであろうし、そのこと自体は決して悪いことではない。

しかし、マネーという言葉を拡散することによって、「そこまで俺たちの縄張りだよ」と業務の拡大を狙っているかのようにも見える。日銀と言えども一銀行、あまり出しゃばらないほうが身のためと思うが、いかがであろうか。

最初のM1カテゴリーでは、貨幣もどきは当座預金と普通預金に局限されていた。それは随時引き出し権を貨幣もどきの根拠としていたからである。

それがM3への変更で定期預金までふくまれることになった。それは随時引き出し権ではなく譲渡性の有無を通貨の基準としたからである。さらに「広義の流動性」というまさに「広義」に拡大した。

我々が小さかった頃、お金は「お足」と呼ばれた。お金には足が生えていてすぐに飛んでいってしまうことから名付けられたようである。

そういう規定にはマネー・フローとかマネーサプライという言葉がふさわしかった。ところが「随時引き出し権もいりません。流動性も多少あればいいんじゃないですか」ということになると、どうも日銀、サプライ・サイドとしてはすっきりしない。「ストックにした方がいいんじゃないですか」ということになる。

私にすれば、「どうなりと勝手にせぇ」ということになる


とりあえずこんなところでしょうか。

久しぶりに「朝の風」のヒット作。

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


茨木のり子の詩「自分の感受性くらい」(77年)の結びだ。
10月に亡くなったコラムニストの天野祐吉さんは、これを読んで“頭をぶん殴られたような気がした”
これは茨木さんが亡くなった時、天野さんが「赤旗」日曜版に寄せた追悼で紹介している話。
たしかに効きますねぇ 

天野さんは茨木さんを偲ぶ講演会でこう語っている。

この作品について本人に話を聞いたことがある。最後の『ばかものよ』は他人では なく自分に対しての言葉。最後までこの言葉を入れることを悩んだという。…でも、私は『ばかものよ』の言葉がこの詩が持っ ている“命”だと思う。最後にあることで作品全体を素晴らしくさせる。


「自分の感受性くらい」の全文


jibunnnokanjusei


この時のり子は51歳、夫に先立たれた2年後の作品。

左翼の勢いが最高潮に達した頃、そして陰りが見え始めた頃、ものが世の中にあふれ始めた頃、だから物の考え方が安易に流れ始めた頃、アルコールが生活の一部となり始めた頃、長い小説を読まなくなった頃、仕事が面白くてしょうがなかった頃、そういえばピンクレディーのブレイクした頃でもあった。

赤旗の文芸欄で植竹団扇という人が鶴彬について書いていて、その中でエノケンの談話が紹介されている。
ほとんど本題と関係のない挿話だが、微妙に面白い。

あたしが、こう、縁側に腰を掛けていると、
ザザーッと焼夷弾が降って来やがって、
そこの池へ、バサバサーっと落っこって、
池はたちまちお湯になって、
中の鯉が、あっという間に煮えてしまった


実際にはそんな悠長な話ではなかったはずだが、
エノケンは音を使って、見事に、現実離れした「瞬間」をすくい取っている。

3月10日の東京大空襲だけでも10万人が死んでいる。エノケンは生き残った。
だから「池の鯉」というのは、実際は、さっきまで横にいた、身内の人間たちのことなのだ。「煮魚」になってしまった親戚の子や弟子や女中たちのことなのだ。

そう思うと、ザザーッとかバサバサーっという音が奇妙に生々しい。

ガッティ(Gatti) という指揮者がなかなかいいみたいだ。

マーラーの巨人を何気なくダウンロードして、そのままになっていたのを聞いてみた。
迫力があってメリハリがあって、眠くならない。

2005年のライブとある。ウィーンフィルにこれだけの音を引き出す業はクライバー以来ではないか。
声もでかい。棒でなくて声で指揮している。最終楽章のコーダではフル音量のオケに負けずに叫び続けている。

ネットで調べると、ミラノ生まれの52歳、アバド二世と言われているようだが、シノーポリ二世と呼ぶほうがふさわしい。

他にも音源あるかな。

同じウィーン・フィルとマーラーの9番

これはいい。いい。
とにかく音の分離がいい。強奏でも団子にならないからうるさくない。
ライプツィヒでのライブだが、このホールの音がいいのだろう。演奏が始まるまでは客席の雑音が気になったが、始まるとかき消されてしまう。

ガッティの指揮はとにかく粘っこい。この人暗譜で振っている。カンタービレ、カンタービレ、レガート、レガートだ。リズム感が良くないとこうは行かない。多分それがウィーン・フィルと合うのだろう。

これまでは「9番と言ったらバルビローリでしょう」ということだったが、これだけの演奏をこれだけの音質で聞かされると、迷いますね。

うーむ、聴けば聴くほどすごい演奏だ。画面を見るとかつての年金者楽団ではない。髪の毛の総量は以前の50倍を超えている。
女性も「いますよ」というレベルではない。ウィーンフィルを少しナメていたようだ。

結局最後まで聞いてしまった。
歴史的な演奏だ(と思う)

マーラーの生誕何年とかという記念の演奏会にガッティを選んだわけが分かる。

皆さんも是非ご一聴を。

ただし聴くだけでも相当疲れるぞ。



シンフォニア・オブ・ロンドンという紛らわしい名前の楽団がある。ロンドン交響楽団(The London Symphony Orcestra)ではない。Sinfonia of London である。

なんでこの名前の楽団が出てくるかというと、バルビローリが指揮してヴォーン・ウィリアムズの「グリーンスリーヴス幻想曲」を録音しているからだ。

youtubeで、アーサー・フィードラー指揮ボストンポップスのむかしからの演奏を聴いていたのだが、もう少し別の演奏がないかしらと思って探したら、この演奏が出てきた。いかにもバルビローリらしいドラマティックな演奏だ。

ただし音はフィードラー番とどっこいどっこいで、少し古めかしい。あの頃の録音らしく濃い目の化粧、小型の再生装置で聴くには向いている。

そこでウィキペディアディアで“Sinfonia of London を検索してみた。

以下は仮訳

「シンフォニア・オブ・ロンドン」は二つの異なった録音用楽団の名称。

最初の楽団は、1955年にゴードン・ウォーカーにより設立された映画音楽専門の楽団。ウォーカーは当時有名だったフルーティストだった。

この楽団名は1950年、60年代のイギリス、アメリカ映画にたくさん現れる。

この楽団の最も成功したクラシック音楽の録音は、1963年、サー・ジョン・バルビローリとのもので、曲目はエルガーの「弦楽のためのセレナーデ」、ヴォーン・ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」である(EMI制作)。

また1958年にはマーキュリー・レコードから、ヒッチコックの映画「めまい」のサウンドトラック・アルバムを発売している。(編曲バーナード・ハーマン、指揮ミュア・マチソン)

この最初の楽団は60年代に活動を停止した。

1982年、ウォーカー家が持つ「シンフォニア・オブ・ロンドン」の名称はピーター・ウィリソンとハワード・ブレイクに買い取られた。彼らは映画「スノーマン」の録音のためにこの名称のオーケストラを編成した。

1998年2月、ブレイクが音楽監督を退き、二代目音楽監督としてブルース・ブロートンが指名された。ピーター・ウィリソンのマネージの下、楽団は録音を続けている。

Batman, The Mummy Returns, Lara Croft: Tomb Raider, Lost in Space, The Lawnmower Man, Stargate, Tombstone, RoboCop and Young Sherlock Holmes.

など多くのハリウッド映画のサウンドトラックがこの楽団の演奏によるものである。


要するに、この楽団はこの演奏だけで、クラシック音楽の歴史に名を残しているということになる。



 鳥畑与一さんがまた赤旗に上下で掲載している。

「検証 異次元の金融緩和」という題名で、例によってファクトの詰め込みすぎで、恐ろしく消化が悪い。

まず最初に結論というか、作業仮説。

1.「異次元の金融緩和」は実体経済へのプラス効果がほとんどない。

2.それは日本経済と日銀にとって「異次元のリスク」を膨張させている。

 

A 「異次元の金融緩和」の実態

*日銀の発行通貨総額(マネタリーベース)の対GDP比は、08年に25%、13年末には40%、14年末には56%になる。

*金融機関の日銀当座預金は、バブル経済期に4兆円、現在は175兆円(対GDP比36%)。

*日銀は今後、長期国債を190兆円まで購入する予定。

*実体経済を流通している通貨量が、通貨供給量の何倍あるかを見ると、1998年には11倍、現在は4倍と低下している。

ということで4点があげられているが、これではさっぱり分からない。

まず第一点の、通貨発行総額だが、これは「異次元の増発」をしているのだから当然だ。なお記事では「マネタリーベース=日銀の供給する通貨の総額」となっているが、分かりにくいだけでなく不正確である。

マネタリーベースは日銀券の発行残高であり、流通現金と「日銀当座預金」の合計値である。流通現金というのは日銀の金庫以外にある現金で、通貨発行額+貨幣流通高ということになる。

素人的には、マネタリーベースという言葉は、日本語的に落ち着きの悪い言葉で、端的にハイパワードマネーと言ったほうがすっきりすると思う。

通貨発行額は年間実績であり(回収・廃棄分は差し引いてある)、貨幣流通高は瞬間速度として出てくる数字だ。ちょっと数字の意味が違ってくる。「日銀当座預金」は次項で解説する。

第二点が、日銀当座預金のべらぼうな増加である。これは日銀の商売相手である市中銀行の預金である。計算してみないとわからないが(記事には計算に必要な数字はない)、GDP比で見ると発行した日銀券のほとんどが、日銀の当座預金になっていると考えても良いくらいだ。

先程も述べたように、通貨発行残高(マネタリーベース)が一定だとすれば、日銀当座預金が激増すると流通現金は激減するという関係にある。したがって通貨発行額を増やさない限り市中は金欠に陥る。

第三点が、日銀の国債保有高の異常な増加だ。なぜそうなるかというと、政府が国債を大量に発行する。最大の引受先は市中銀行だ。なぜ市中銀行がこれを買うかというと、買った国債を日銀が買ってくれるからだ。パチンコ屋の裏手の両替所と同じで、カミソリを持って行くと1本いくらで買ってくれる仕掛けだ。ところで景品を金に変えても当座は使い道がないから、日銀に預けておく。

だから市中銀行の日銀当座預金が増えるのと日銀の国債買い入れ額が増えるのは、同じことを逆の面から眺めているだけのことになる。ただエコノミストはそういう言い方をするが、我々素人から見れば預金が増えるのと借金が増えるのとは決して同じではない。ここは正確に言うべきだろうと思う。

ここでは日銀の話をしているわけだから、日銀は市中銀行に対する借金が増えていることになる。その引当金を準備しておかなければならないから、これもマネタリーベースとして計上しなければならない。この辺り、どうも庶民の金銭感覚と話がずれてくる。

第四点が、実体経済の金欠だ。ここも言い方が不親切だ。ここでは実体経済を流通している通貨量=マネーストックと定義されている。

マネタリーベースと同様、マネーストック(通貨残高)についても正確な理解が必要だ。

聞きなれない言葉だが、2007年まではマネーサプライ(通貨供給量)と呼ばれていた。どこが違うかというと、マネーサプライが現金+預金であるのに対し、準通貨と呼ばれる定期積金、外貨預金などが加わったもので、中身はあまり変わらない。

マネタリーベースと同じで、素人には飲み込みにくい言葉なので、ここではマネーサプライとしておく。

この預金という項目が加わるのがミソだ。預金通帳にある100万円は、いわば銀行の借用証書だ。1万円札100枚ではない。その1万円札はどこかで使われている。だからその借用証書もお金として計算すれば、マネーサプライは2倍になる。

だから預金が多いほど、マネーサプライ(M)は増える。同じようにして手形や債券や証券が増えればマネーサプライは増える。

日銀券の発行残高(ハイパワードマネー:H)に比べどのくらい膨らむかという指数が貨幣乗数と呼ばれる。これは信用取引の発達度を示す指標であり、これが高いほど世の中の商いが活発だということになる。

貨幣乗数:M/Hは(C+D)/(C+R)となり、D(預金)が増えるほど高くなり、R(日銀当座預金)が増えるほど低くなる。

したがって、貨幣乗数の低下は実体経済の停滞とは一直線に結びつくものではない。むしろ日銀当座預金の激増の結果と見たほうが良いのかもしれない。それでもたしかに、結果としてはマネーサプライは減少するのだが…


ということで、これらの4つの数字が「異次元の金融緩和」の特徴を示している数字とは、必ずしも言えないような気がする。

その説明はあまりにも不親切で、これで話が分かる人は、そもそもこんな記事を読む必要はないだろう。

ニクソンインタビュー

ウォーターゲート事件について資料を収集しているうちに、面白いページを見つけました。

*プロジェクト杉田玄白* というサイトで、「リンクやコピーは黙ってどうぞ」となっているのでそうさせていただく。

大統領辞任後のニクソンに、ウオーターゲート事件などについて聞いたインタビューの抜粋。

1977年5月にテレビ放映されたもので、司会者デビッド・フロストが、ニクソンから「大統領がやることなら違法行為でも合法になる」というに等しい率直すぎる発言を引き出し、注目を集めた。
フロスト: 1970年に、米軍とベトナム軍によるカンボジア侵攻が始まったあと、ニクソン大統領は、自らに反対する人々への諜報活動を改善する必要に迫られました。
結果として、ホワイトハウスのトム・ヒューストン補佐官は、CIAやFBIその他の諜報機関の代表者たちと、いわゆる「ヒューストン計画」を作成しました。

盗聴や侵入盗、あるいは郵便物の開封や反戦団体への侵入といった、いわゆる汚れ仕事を組織的にやろうとする計画です。
こうした活動には明らかな違法行為が含まれていました。にもかかわ らず、大統領は計画を承認しました。

結局この計画は、フーバーFBI長官が反対し撤回されました。

フロスト: あなたがおっしゃっているのは、特定の状況では、大統領は、国その他の利益を最大化するべきで、違法行為をやると決定することができる、ということですか。

ニクソン
: そう、大統領がやることなら、それは違法ではないんです。

フロスト: 定義により。

ニクソン: まさに、まさにその通り。
もし国内平和への脅威があり、それも非常に重大な規模だったとします。
大統領が、国家の安全のために何かを承認したとします。
そのとき大統領の決定は、その任務を遂行する者に、法を犯さずに任務を遂行する ことを可能にするんです。
そうでなければ、任務は不可能になる。

フロスト: 違法か合法かを区別する一線は大統領の判断だ、ということですか?

ニクソン: ええ、それはこの国の選挙民に「大統領が逃げている」という印象を持たれないようにするためです。
我々はまた、議会から予算承認を得なければなりません。
また忘れてならないのは、CIAやFBIの秘密作戦は、議会の中でも信頼の厚い、極々一部の人にだけ開示されることになっていました。それが長年にわたるやり方だったのです。
今日でもそれが可能かどうかはわかりませんが…。

フロスト: 大統領職について、あなたはこうおっしゃいました。
「ある種の政府の活動は、国家の安全を守ろうとする元首によって行われるならば、根源的な意味で合法となります。私人による活動なら合法でない、としてもです。このことは明らかです」
そもそも、このとき何を念頭においていたんですか?

ニクソン: たぶん、南北戦争中にリンカーンが語ったことです。私よりずっとうまく表現していますが。
リンカーンはこう言ったんです。
「平時なら違憲になりうるような行動でも、憲法と国家を守るために行われるなら、それは合法になりうる」

私が言っているのは、そういう行動のことなんです。
もちろんリンカーンのケースでは、戦時における連邦の生き残りがかかっていました。国家の防衛、国家の生き残りに関わる問題でした。
誰がそのことを分かっていたでしょうか。

フロスト: でも、リンカーンが直面していたのと、あなたが直面していた状況は比較にならないでしょう?

ニクソン: この国はベトナム戦争によって、イデオロギー的に二つに引き裂かれていました。それはリンカーンが大統領だったとき、南北戦争で国が引き裂かれていたのと同様です。

フロスト: でもあなたは、ヒューストン計画についての話で、あなたはこう言いましたよね。
「もし大統領が命令すれば、それは合法になる」
憲法あるいは権利章典に、「大統領は国家元首以上の存在で、法を超越している」と読めるような記述があるんですか?

ニクソン: いや、ありません。憲法にはそうしたことは何も書いてありません。
私はすべての条文を隅々まで読んだわけではありませんが、それでもわかっていることがあります。
つまり戦時に、戦争にかかわる限りの範囲で、大統領は非常に大きな権力を持つものとされてきたんです。

それは、国家と憲法を守る目的のためになされるならば、平時なら違法になる行為でも、合法なものとする権力です。

国家と憲法は、私たちがずっと話しているような権利を守るためにこそ、必要なんですよ。

本日、嫁さんのお守りを人に頼み、久しぶりに学習会に参加しました。
講師は札幌生まれで、現在は日本とグアテマラの間を往復している新川志保子さんという方でした。
演題は「ジェノサイド裁判の加害者を裁く…リオス・モント裁判」でした。
グアテマラの司法関係者の勇敢さに感銘を受けました。
これに比べたら、機密保護法くらい屁の河童です。

(すみません。帰りに行きつけの店でいっぱいやってきたんで話が飛びます)

話は全てそのとおりなんですが、私は以前から「なぜリオス・モントが虐殺者の筆頭になってしまったのか」ということについて疑問を持っていて、結局今日もその回答は得られませんでした。

リオス・モントはどちらかと言えば進歩派でした。大統領選挙では野党の統一候補になったこともありました。

軍の中では少数派です。おまけにプロテスタントです。
彼が大統領になったのは自らのクーデターに拠ってではなく、革新派の将校に担がれたからです。

彼が史上空前の虐殺者になったのは、彼がよりぬきの保守派だったからではなく、彼が「革新派」だったからです。このパラドックスを解かないと、グアテマラの80年代は語れません。

19世紀の後半、グアテマラの近代化を進めた開明派軍人が居ました。フスト・バリオスといいます。彼のもとで国の近代化は進み、これにともなって近代的な人権感覚も普及しました。
しかしバリオス政権のもとで先住民の土地取り上げも進み、多くの先住民の生活がどん底まで突き落とされました。

ラテンアメリカのような二重底の社会にあっては、近代化は二面性を帯びたものとなるし、その影の部分も我々はしっかりと見据えなければなりません。

米国の西部開拓のロマンがインディアンの迫害と表裏一体であったように、ラテンアメリカの近代化は先住民の犠牲の上に成り立っていたと見なければなりません。

80年代、グアテマラの大状況はニカラグアに始まりエルサル、グアテマラと広がっていった民族解放のウェイヴと米政府・資本と結びついた封建勢力の対決でした。しかしそれは同時に国内の「近代化」と先住民の権利保護との対決でもありました。

グアテマラにおける先住民虐殺はそういう面からも見ておかなければならないと思います。

フラ・ナト・カナルの略歴

フラ・ナト・カナルはネパール統一共産党の議長であり最高指導者である。

1950年、ネパール南東部の生まれ。

トリブヴァン大学で政治科学の学位を取得している。

18歳でネパール共産党に入党。党の分裂後はML派に属し、12年にわたり地下活動・武装活動に参加している。この間、7年間を刑務所に暮らしている。

主にフロント組織に携わるようになり、全国的な共同戦線を構築した。

82年に古参幹部のマイナリを解任し、ML派の書記長に就任。その後、武装闘争を放棄し大衆運動を通じて政権を獲得する路線に大転換させた。

89年に大衆闘争が高揚すると、党組織の大同団結を呼びかけ、マルクス主義派との合同を成し遂げた。

当初は、古参幹部を立て、組織を下から支える側に回ったが、2009年からはネパールに代わり書記長に就任。最近は空席だった党議長となった。

「民主ネパールへの道筋」をはじめ10冊以上の著書を発表する理論家である。

党内ではマオイストとの共闘も推し進める左派の指導者であり、右派との対立は厳しさを増す可能性がある。


この年表で、ネパール共産党のあらましの流れが分かるでしょう。(かえって謎が深まるかもしれないが)

Nepal Communist Party: Division and Emergence of Maoist Line by Surendra K.C

という文献からのものです。訳文にはかなり誤りがあると思うので、原文にあたることをおすすめします。

1949年9月15日 カルカッタでネパール共産党(マルクス主義)が創設される。インド共産党(マルクス主義)の影響を受け、国王独裁制、封建制、帝国主義と闘う方針を打ち出す。書記長にはPushpa Lal Shresthaが就任。

CPN(ML)のホームページでは49年4月22日と記載されている。

1951年 ネパールで共産党の指導する民主化運動が盛り上がる。Rana体制が崩壊。

1952年1月24日 Raksha Dalの蜂起。共産党が非合法化される。

1952年 党政治局会議、プシュパラル書記長を追放しマンモハン・アディカリを書記長に選出。

1954年 最初の党大会がパタンで非合法下に開催。Manmohan Adhikariが書記長に選出される。

1956年4月 共産党が合法化される。共産党は「立憲君主制を受け入れ平和的手段で社会主義思想の宣伝を行う」との声明を発表。

1956年 アディカリ、中国共産党大会に出席。そのまま病気療養に入る。その間、ラヤマジが書記長代行を勤める。

1957年 カトマンズで第二回党大会が開かれる。共和制を目指す綱領を採択。Keshar Jung Rayamajhiが書記長に選出される。

1960年12月 王室のクーデター。共産党のRayamajhi書記長は、「進歩的ステップ」とこれを賞賛。インド共産党の指導者Ajoy GhoshはRayamajhiに路線を修正し君主制反対の闘いを再開するよう勧告。

1961年初め 全ての政党が禁止される。政府は共産党への弾圧を開始。Rayamajhiは君主制への支持を続けたため党内で孤立。

党内矛盾解決のためDarbhanga(インド)で中央委員会総会が開かれる。Rayamajhi派は立憲君主制の維持を主張。Pushpa Lal派は議会の再開に向けた大衆動員を主張、Mohan Bikram Singhは憲法制定議会の創設を主張する。

1962年4月 党内派閥の一つがVaranasi(インド)で「第3回党大会」を開催。民族民主革命の路線を採択。Rayamjhiの除名を決定。書記長にTulsi Lalを選出する。

中央委員会を掌握したRayamajhi派は、この大会を承認せず。党はTulsi Lal Amatya派と、Rayamjhi派に事実上の分裂。以後最大17派にまで分裂。

1,968年 ラヤマジ派が総会を開催。反対派はこれをボイコット。以後ラヤマジ派は四分五裂し力を失う。残党(NCPマナンダル派)は94年に統一共産党に合流。

1968年 プシュパラル(初代書記長)とTulsi Lal、インドのゴラフプールで別党の結成を宣言。インド・ビハール州との国境地帯で、インド共産党(ML)の支援を受け、独自の党組織の建設に着手する。

1971年5月 共産党トゥルシ・ライ派、ジャパ(Jhapa)地方で武装闘争を開始。

1971年 アディカリとビクラム・シンが8年の刑期を終え出獄。全共産主義者の結集と単一党の形成を呼びかける。

1974年 ビクラム・シン、みずからの同志を集め集会を開催。第4回党大会と呼称する。

1975年12月 アディカリとビクラム・シンらにより党再建のための「中核」が結成される。

1975年 ジャパの武装闘争に連帯する全ネパール共産主義者革命共同委員会が設立される。

1977年 「4大会」派、指導者のシンを女性問題で解任。Nirmal Lama を新たな指導者に据える。1年後にラマからシュレスタに交代。シンは78年にNCP(マシャル派)を結成。

1978年12月26日 ネパール共産党(マルクス・レーニン主義)が創設される。全ネパール共産主義者革命共同委員会を母体とする。書記長にC. P. Mainaliを選出。

1979年10月 マシャル派が第五回大会を開催。若手のキランを書記長に選出するが、これを不満とするシンらは新たにマサル派を結成。マサル派からはさらにバッタライらの「反乱グループ」が分離する。

1982年 ネパール共産党(マルクス・レーニン主義)が路線を大転換。武装闘争を放棄し、人民民主主義闘争路線をとる。武装闘争に固執するマイナリは書記長の座を追われ、ジャラ・ナト・カナルに交代。

1989年 統一左翼戦線が組織される。民主政治をもとめる運動の中で、党派を乗り越えた統一が進む。

1991年5月 議会選挙が行われ、統一左翼戦線が躍進。

1991年 ネパール共産党マルクス主義派とネパール共産党マルクス・レーニン主義派が合同して統一共産党を結成。

1991年 マシャル派、4大会派、マサル派、反乱マサル派などがネパール共産党「統一センター」を結成。

1991年 「統一センター」がまもなく分裂。マシャル派と反乱マサル派が共同しマオイスト党の結成に動く。他の党派は「統一センター」の名称を維持。

1993年 統一共産党の党大会が開かれる。議長にマン・モハン・アディカリ(旧マルクス主義派)、書記長にマダン・クマール・バンダリ(旧マルクス・レーニン主義派)が就任する。

バンダリ書記長が事故死。後任書記長には同じ旧マルクス・レーニン主義派のマダブ・クマル・ネパールが就任。

1994年 統一共産党が与党となりアディカリが首相に就任。王室と共産党の共存を目指す。まもなく野党の不信任により政権崩壊。

1998年 統一共産党がインドとの条約をめぐって分裂。サハナ・プラダンを党首とし、バムデヴ・ガウタムを書記長として「ネパール共産党マルクス・レーニン主義派」(第2期)が結成される。

2001年 王室内クーデター。ギャネンドラ国王が即位。

2002年 ネパール左派共産党が統一共産党に合流。

2002年 第二期マルクス・レーニン主義派が統一共産党に再合流する。残留派はマイナリを書記長に選出し党を維持。

2006年4月 4月革命。国王は主権を国民に返還。下院が復活し、制憲議会選挙の開催が決定される。

06年11月 政府とマオ イストが包括的和平協定。13,000人以上の死者を出した10年間におよぶ内戦が終結。国連がマオイストの武器と兵力を監視下におく。

2007年1月 暫定議会が発足し、マオイストもこれに加わる。

08年2月 南部平原地帯のマデシ人の武装闘争、政府との和解に達する。

2008年4月10日 制憲議会選挙。統一共産党はネパール書記長が落選するなど惨敗を喫し第3党に転落する。

4月 ネパール書記長、選挙での敗北の責任を取り辞任。ジャラ・ナト・カナルが新書記長に就任。

5月28日 制憲議会が招集される。圧倒的多数により共和制を宣言。ギャネンドラ国王は退位。

2008年8月15日 制憲議会での首班指名。統一共産党の支持によりプラチャンダ政権が誕生。

8月31日 連立与党となった統一共産党、副首相兼内相のバムデヴ・ガウタムを含む6人が入閣する。

2009年2月16日 統一共産党の第8回党総会が開催される。マオイストとの教頭、議長人事をめぐり激しい闘いが展開される。議長選挙ではマオイストとの連合維持を主張するカナル書記長が、ネパール元書記長の率いる反マオイスト連合を破る。書記長にはイシュワール・ポクレル副議長にはアショク・ライ、バムデヴ・ガウタム、ビディヤ・デヴィ・バンダリが選出される。

09年4月 カナル議長が中国を訪問。「いかなる外部勢力によるネパール国内での反中国活動に断固反対する」と発言。

2009年5月4日 統一共産党、国軍参謀総長の解任に反発し連立を離脱。プラチャンダは辞任に追い込まれる。

2009年5月23日 制憲議会において、統一共産党のマダブ・クマル・ネパール元書記長が22党の支持を受け首相に選出される。マオイストなど3党が投票をボイコットしたため無投票での選出となる。

ネパール制憲議会選挙の暫定結果
【制憲議会240議席】

・ネパール会議派(ネパーリコングレス党)=105議席
・ネパール統一共産党=92議席
・マオイスト=26議席
・その他少数政党=17議席

またややこしい結果になった。
会議派が比較多数を占めたが、過半数には届かず。
統一共産党とマオイストが連合すれば、政権確保も可能。あとは中間政党がどちらに転ぶかだ。
ただマオイストはこれだけ惨敗すると独自路線を強めざるをえなくなるだろう。
問題はむしろ統一共産党の内部にありそうだ。
マオイスト同様、共産党の中にもかなりダラ幹がいて、会議派にすり寄ろうとしている。いずれ割れるしかなさそうだ。その時どちらがどちらを追い出すかだが、まとも派の勝利を期待したい。

ニュルンベルク裁判の諸原則

Principles of the Nuremberg Tribunal, 1950

スノーデンの紹介の中で「ニュルンベルク宣言」というのが気になっていた。

医者の世界ではニュルンベルクの綱領というのが有名で、人体実験の禁止をうたった宣言だ。これが元になって「ヘルシンキ宣言」というのができ、これがインフォームド・コンセントなど「患者の権利宣言」へとつながっていく。(と、主張する人々がいる)

調べたところ、別にニュルンベルク宣言という文書が存在するわけではない。経過はやや複雑だが、

1.ニュルンベルクでナチ戦犯を裁く裁判が行われた。

2.このとき、平和に対する犯罪とか人道に対する犯罪という概念が立ち上げられた。

3.それまでこういう概念はなかったので、国連総会がこれらを国際法上の概念として承認した。

4.そして以下の7項目が、「ニュルンベルク(裁判)の諸原則」として国際的に承認された。

という形になる。

以下に正文テキストを紹介する。(どこにも日本語訳がないので仮訳しておきました)

ただこのテキストにはスノーデンが引用したくだりはない。

 

原則 Ⅰ

どのような人物でも、国際法に照らして犯罪を犯せば、有責であり、その故に罰を受けるに相当する。

 

原則 Ⅱ

たしかに、国際法の下で犯罪を構成するような行為を犯したからといって、それに対して罰を課すような国内法がないことがある。

しかし、その故に、国際法を犯したものが責任を免れるようなことにはならない。

 

原則 Ⅲ

国際法の下で犯罪を構成するような行為を犯した人物が国家元首であったり、責任ある政府当局者であったりする場合がある。

しかし、その故に、国際法を犯したものが責任を免れるようなことにはならない。

 

原則 Ⅳ

ある人物が彼の属する政府の命令に従って行動する場合がある。あるいは上級者の命令にしたがって行動する場合がある。

しかし、道徳的選択が実際に可能な状態での行動であれば、その人物は国際法の下での責任を免れえない。

 

原則 Ⅴ

国際法の下での罪に問われた人物は、すべからく事実と法に基づく公平な裁判を受ける権利を有する。

 

原則 Ⅵ

以下に提示される犯罪は、国際法の下での犯罪行為として処罰されうる。

a 平和に対する犯罪

(1) 侵略戦争、あるいは国際的な条約、協定、取決めに違反する戦争。それらの計画、準備、開始、実行。

(2) (1)に示されたいずれかを実施する計画あるいは陰謀への参加。

b 戦争犯罪

戦争に関する法律あるいは慣習に対する違反を戦争犯罪とする。これには以下がふくまれるが、これに限定されるものではない。

* 占領地での、殺人、虐待、奴隷労働その他の目的の民間人の強制移動

* 捕虜、海上要員(船員?)の殺害、虐待

* 人質の殺害

* 公的・私的資産の略奪

* 都市、町または村の理不尽な破壊

* 軍事的必要性によって正当化し得ない蹂躙。

c 人道に対する犯罪

民間人に対する殺人、排除、奴隷化、強制移住その他の非人道的な行為、

政治的、人種的、宗教的見地に基づく迫害、

このような行為、迫害が平和に対する犯罪、戦争犯罪と関連して実行された場合、これを人道に対する犯罪とする。

原則 VII

原則VIに掲げた 平和に対する犯罪、戦争犯罪、人道に対する犯罪に加担することは、国際法の下での犯罪となる。

 

 1950年7月

国際連合国際法委員会(Document A/1316)

 

中国が防空識別圏を設定したのには本当に驚きました。
このところの中国外交路線とは明らかに違う方向だからです。
軍部はおそらく、尖閣暴動の時の反日気分の高揚による起死回生を狙っていたのでしょう。
しかし期待したような反日気分は起こっていません。GDP減速という現実の前には、このようなあざとい戦術では勝てないでしょう。

むしろ韓国をも巻き込んだ反中国覇権主義の国際世論が強まっています。
石油資本・軍部・環球時報のトロイカ体制が機能しなくなっています。
不破さんの親中傾向にもかかわらず、共産党は中国(鄧小平路線)への批判を強めています。

振り上げた拳の下ろしどころが難しいところですが、とりあえずは米中二強論が後景に退き、アジア中心主義への回帰が強まるでしょう。

そしてポスト安倍論を基軸に据えた東アジア共同体への志向が強まっていくのではないでしょうか。

後は日本人民の決起次第です。それは来るべき東京都知事選という形で現れるでしょう。


一色さんのインタビューを読むと、ネットの威力がつくづく分かる。
一色さんがネットの威力を引き出したのが、ビデオ漏出事件だった。
今まで記者クラブ制度とナマクラメディアに支えられて存在し続けたナァナァ体質が、一発のカウンターパンチでKOを食らったことになる。
だとすれば、もう一回ででしまった情報の拡散は不可能になったということだ。
そこで蛇口を閉めてなんとか漏れないようにしようという戦略への転換が、今度の機密防衛法ということになる。

ネットがなかった時代では、二人の英雄が必要だった。内部告発する英雄と、それをメディアで公表する英雄だ。
たとえばウォーターゲートにおけるディープスロートとワシントン・ポストだ。

ディープスロートは二度危険を冒さなければならない。一度目は情報を“盗み出す”時点で、二度目はそれをメディアに託す場面で…

ネット時代では、一色さんがいれば十分だ。あとは近くに漫画喫茶があれば話は済む。
マス・メディアはその後追いをすることで、みずからの存在意義を確認しようとする受け身媒体となり下がる。

いずれにしても記者クラブ制度の黄昏だ。

尖閣ビデオを流出させた一色正春氏のインタビュー記事があった。要約して紹介する。

私自身そんなに大したことをしたつもりはありませんが、そもそもなぜ、ビデオを非公開にしたのかわからないんです。いまだにわからない。

ビデオを法的に出せないというのは詭弁です。秘密でもなんでもないし、刑事訴訟法上も公益性があれば構わない。

ビデオの公開を決意した後、一度失敗したら、その時点で捕まって二度とチャンスはないと考えていました。その中で、できる限り多くの人の目に触れることを 優先した結果、ネットでの公開という流れになりました。
出頭前には、読売テレビの記者に接触してインタビューを受け、私に何かあったら放映してくれるよう に頼みました。

私が漫画喫茶でビデオを投稿した翌朝、テレビをつけると、もうその映像が流れており、予想をはるかに超えていました。

私は、確かにテレビで映像が流されることを望んでいたのですが、マスコミ各社が、「国家機密」と言っているものをこぞってバンバン流し、一方で、これは犯罪行為であると報じている。本当に犯罪行為であれば、マスコミ自らが犯罪の被害を拡大していることに気が付かなかったのでしょうか。


本当かどうか知らないが、紹介はしておいたほうが良いだろう。
週刊朝日のコピペ。


 福島第一原発が全電源喪失で冷却機能を失った際、東京消防庁による注水によって破局的事故が回避された。

 このとき、作業実施までの間、東電と消防庁に“攻防”があった。

 東京消防庁は原発内部の図面を手に入れようとしたが、東電は「テロ対策に関わる最高機密」という理由で提出を渋った。

 予防部職員の機転で何とか図面が手に入り、消防庁の注水が成功した。これにより壊滅的事態が避けられた。

 もし秘密保護法が成立すれば、この職員は秘密漏示罪に問われるだろう。

週刊朝日 2013年11月22日号

いまブロムシュテット指揮NHK交響楽団のブラームス・シリーズ、2番と3番を、教育テレビで聴き終わったところ。
あまりひどいので一言書きたくなった。
まず録音がひどい。
音が痩せてバラけていて、とても2013年の録音とは思えない。おまけに強音部分では明らかに音が飛ぶ。突然音が聞こえなくなるのだ。
演奏もひどい。燕尾服まで着て特別な演奏会のはずだが、アインザッツは揃わないし、低音弦はグルーヴ感ゼロ、ホルンは音を出すだけでやっとという感じ。
ブロムシュテットときたら、ただ突っ立ってタクトを振り回しているだけだ。メリハリはまったく感じられない。第二番の第三楽章がわずかにブロムシュテットらしさを感じさせる。

ブロムシュテットもNHK交響楽団もこんなにひどい演奏の訳はないだろう。台風でガラガラのサントリーホールで演奏したブルックナーはすごかったし、前の来日の時のブラームスだって悪くなかった。

一体どうしたんだろう。NHKホールが悪いのだろうか。

いまは口直しにカラヤンとウィーン・フィルの3番を聞いている。
60年代に一世を風靡した演奏だ。
この曲は不思議に良い演奏が少なくて、未だにこれが一番だ。

次がフルトヴェングラーの49年ライブ盤だ。音がさすがに辛い。フルトヴェングラーの指揮も恣意的にすぎる。
しかしベルリン・フィルは唖然とするほどうまい。低音源の迫力、それに負けないバイオリンのシャープかつ柔軟な音色、ファゴットの朗々たる響き、そこにあのドロドロお化けのティンパニーがかぶさる。
どうして49年危機のまっただ中のベルリンにこんな楽団が存在し得たのか、まさしくミラクルである。

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