鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2013年11月

都議会で共産党が百条委員会の立ち上げをもとめた。
あまりにも当然だ。これで百条やらなければ議会の名がすたる。

ところが自民党は難色を示しているそうだ。
「個人の金の話は百条委員会になじまない」のだそうだ。

金にまつわる話こそ百条委員会の仕事だろう。
おまけに個人ではない、都知事という公人だ。しかも5千万だ。
これでやらないと、あなた方の品性や常識まで疑われることになる。

流行語大賞はとれないようだが
「いつやる? いまでしょ!」

それにしても、面白くなってきた。
「都政奪還」の目が出てきた。
タマさえ良ければ勝てる。
むかし言ったよな「日本の夜明けは東京から!」
そうなると、今は「夜明け前の闇」の中か…
友よ、夜明けは近い、夜明けは近い

まだちょっと気が早いかな。


スノーデンからみなさんへの挨拶」を紹介しておく

これはちょっと古いが、7月12日、モスクワのシュレメチェボ空港でのもの。

「機密」とは何なのか、我々はそれにどう向き合うべきなのか、スノーデンはそれを教えてくれます。そして彼は、みなさんがスノーデンになるべきだと訴えています。


どうも。私の名前はエド・スノーデンです。

ひと月少し前までは、私には家族があり、とても快適な天国のような家庭がありました。
おまけに、誰の許可を得る必要もなく、他人の通信を読むことができました。それはその人の運命を変えることもできる力でした。

それは、まぎれもなくわが国の憲法修正条項第4条と5条に違反し、世界人権宣言第12条を侵すものでした。
にもかかわらず、私の政府は、これらの違法行為はある種の方法によって合法化されていると主張しています。

しかしこの判断は、基本的な正義の概念を損なうだけでしょう。不道徳が何かの法律を使って、道徳的なものに変わるということはできないので す。

1945年にニュルンベルクで宣言が発表されました。

人類にたいする国際的な義務は、その国のなかで強いられる義務を超越する。なぜなら、平和や人道にたいする犯罪を防ぐことには、より高い価値があるからである。人類に対する義務を果たすためには、人はその国の法律を侵す義務がある

私はニュルンベルク宣言に従って、正しいと考える決定をおこない、悪を正すキャンペーンを始めたのです。

私はいかなるときも、米国の秘密を売って利益を得ようとしたことはありません。
私の身の安全をはかるために、いかなる国と密約を結んだこともありません。
私がしようとしたのはそれとは反対のことです。私の知っていること、私たちに有害な事実を明らかにすることです。
それによって、すべての有害な事実を白日のもとで議論しようとしたのです。
それによって、世界中に向かって、正義を実現するように求めたのです。

わたしたち人類に害を与えているスパイ行為を明らかにすることは、ひとつの道徳的な決定であり決意でした。それは私に犠牲を強いるものでした。
しかし私は正しいことをしたと確信しており、後悔はしていません。

私はある「政治的な態度表明」を行いました。

そのときから米国政府と情報機関は、私を見せしめにしようと考えました。私がやったのと同じことをしようとするものにたいする見せしめです。

その結果として、私は追い回されるようになりました。そして沈黙することを強いられました。

米国政府は私を旅行させてはならないもののリストに載せました。香港では、香港政府に対し私を送還させるようもとめました。それは明らかに強制連行を禁止する国際原則にもとるものであり、諸国家の法律に反したものであり、香港政府の法律にも反するものでした。

米国政府の暴挙はさらに続きました。

米国政府は政治亡命についての国連の原則を侵そうとしました。私の人権を守ろうとした国々は制裁の脅迫を受けました。

そして、NATOの軍事同盟国に要求して、政治亡命者である私を捜索するために、ラテンアメリカの大統領(ボリビアのエボ・モラレス大統領)の乗った飛行機を強制着陸させるという、前代未聞の行動が起きたのです。

この事件の危険性は、ラテンアメリカの尊厳にたいする危険だけではありません。それはすべての人が持っている普遍的な権利、すなわちすべての迫害から自由に生きる権利、亡命を申請しそれを享受する権利にたいする危険でもあるのです。

このような理不尽で歴史的な攻撃に反対して、世界中のいくつもの国が、私にたいして支援と亡命を申し出てくれまし た。これらのなかには、最初から変わることなく、大国の人権侵害に反対した 国々、ロシア、ベネズエラ、ボリビア、ニカラグア、エクアドルがふくまれています。私はありったけの感謝と、これらの国民への尊敬の念を表明したい思います。

これらの国は、脅しをまえにしても自らの原則を曲げることがありませんでした。そのゆえに、これらの国は世界から称賛を獲得しました。

私はすべての国を訪れたいです。そしてそれぞれの国で、国民と指導者のみささんに私の個人的な感謝の気持ちを表明したいと思っています。

今日、私は、私に提供された亡命許可、これから提供されるであろう亡命許可を、正式に受け入れることを表明します。

ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領の亡命受け入れの提案をいただいて、私は亡命を申請することにしました。私の立場はすでに正式なものです。

私がラテンアメリカに到着することを保障するためには、通過国の通過許可が必要です。それらの国の「トランジット許可証」が取得できるよう、みなさんの支援を求めます。

そして私がベネズエラまで無事に旅行できるようになるまで、ロシアに一時的な亡命を求めるものです。今日私はロシアへの亡命申請を提出し、これが好意的に受け入れられることを期待します。

大国の法に反した行動はすべてのものへの脅威となっています。私たちはこれが成功することを許しはしないでしょう。

もし何か質問があれば、喜んでお答えします。

ありがとうございました。


ウォール・ストリート・ジャーナルの「…が語りたがらない10の事実」シリーズは、面白いといえば面白いが、笑った後の後味はあまりいいものではない。

ことに最近の「億万長者がが語りたがらない10の事実」がそうだ。

出だしはこうだ。

1.「われわれの資産はますます増えている」

2013年、世界の億万長者の資産は過去最高を記録した。

フォーブスのリストには1426人の名前があり、その純資産の総額は5兆4000億ドル、昨年比で17%増となった。このリストには王族や独裁者は含まれない。

うち442人は米国に居住し、その平均純資産は108億ドルで、昨年の91億ドルから増加している。

その一方で、その他の米国民の純資産は08年の大不況以来減少しており、まだ回復していない。

FRBのデータでは、純資産が8万3000ドル以下の一般世帯が約半数に上ることがわかった。


何やら天文学的な数字が並ぶが、はっきり分かるのは米国民の所得中央値(平均値ではない)が8万3千ドルだということだ。
平均購買力指数で補正しないとわからないが、日本人の平均が400万円としてざっと2倍の所得があるということになる。(中央値はもっと低いだろう)
いつの間にかこれだけの差がついた。日本国全体では別として平均的日本国民はもはや決して金持ち国民ではないのである。





http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/d/8/d815c75d.jpg

むかしテレビ漫画で「ヒミツのアッコちゃん」という番組があった。
中身を見たおぼえはないが、主題歌だけは耳にタコが出来るほど聞かされた。

それはヒミツ、ヒミツ、ヒミツ、
ヒミツのアッコちゃん


だったと思う。

ひみつのアッコちゃん

で聞けます。


ある日警察が突然やってきて逮捕される。
一体何をやったんだと聞くと、

それはヒミツ、ヒミツ、ヒミツ、
ヒミツのアッコちゃん

となる。
裁判になって、検事が論告するが、機密保護法違反で有罪というだけ。
裁判官が、何がどう違反しているのか聞いても

それはヒミツ、ヒミツ、ヒミツ、
ヒミツのアッコちゃん


となる。
罪状がわからないと、弁護士は弁護のしようがない
罪刑法定主義の立場に立つ限り、裁判官は判決を下せない。
検事が起訴を取り下げない限り、被告人はずっと被告人のままということになる。

ところで検事には罪状教えてくれるのだろうか?


マオイスト党幹部 人名解説

マオイストの多くは二つの名前を持っています。本名とゲリラ名です。彼らが政治の表舞台に登場するまではゲリラ名で呼ばれていたので、今回、文章を書くときはかなり混乱しました。

マオイストというのは通称で、正式名はネパール共産党毛沢東主義派です。ただ現在は統一毛沢東主義派と変わっています。これは2009年1月に小さなセクトと合同したからです。

マオイスト党は95年に結成されています。この時の書記長がプスパ・カマル・ダハルです。ダハルはその時以来プラチャンダ というゲリラ名で有名になりましたが、合法闘争に復活してからは本名のダハルで活動しています。

(マオイスト党の前にも多くの共産主義者のセクトがあったが、とても追い切れないので省略)

マオイスト党のもう一人の看板バタライにはゲリラ名はありません。なぜなら彼はマオイスト党の公然組織「統一人民戦線ネパール」の代表だったからです。

バブラム・バタライはインド共産党(CPIM)ともつながりのある知識人です。武装闘争を指導したわけではなく、一時は平党員に格下げされるなど党内での地位は必ずしも高くありません。

マオイストを割ったのが、モハン・バイディア。ゲリラ名はキラン。この人は実はダハルの先輩に当たる人で、マオイスト党の前身組織で総書記を務めていました。武装作戦の失敗の責任を取り、いったん退き、後任にダハルが就いたという経過になっているようです(カトマンズ・ジャーナル)。

ダハルが首相になった後、ダハルは議長となり、書記長にバイディアが就任しました。

4人目の幹部がラム・バハドゥール・タパです。ゲリラ名はバーダル。ロシアに留学し原子工学を学んだという知識人です。

最初のダハル内閣では国防相を務め、軍とゲリラとの統合を進めました。今回の分裂劇では、バイディアと行動を共にしました。

ウィキペディアでは、「全党的に人気があり、プラチャンダ(ダハル)の最大のライバルであるという見方も存在する」と書かれています。

他の有力者としては

チャンドラ・プラサト・ガジュレル。ゲリラ名はガウラブ。ダハルの腹心と言われ、党のスポークスマンとして国際的にも知名度が高いそうです。

クリシュナ・バハドゥル・マハラは教育者として合法面で活動してきた人物で、多くの活動家を育てたことでも知られているようです。

この間、ネパールは史上かつてない激変を経験しました。その中で二つの巨大な前進を成し遂げました。

一つは、封建的な王制を廃止し、共和制へと移行したことです。

そしてもうひとつは、事実上の内戦と言われたマオイストの武装闘争を停止し、平和を実現したことです。

これらの前進の意義はいくら強調してもし過ぎることはありません。ここをまず踏まえておかないと、目の前の困難にとらわれて議論が後ろ向きになってしまいます。

同時に、この巨大な変革をもたらしたのは、直接的にはネパールの抱える深刻な経済的・社会的困難であったことも見て置かなければなりません。

それは、旧支配層がもはやこれまでの形態では統治を続けていけなくなるほどの厳しい困難でした。

それは新自由主義経済の浸透によってもたらされています。王制を支え、封建的な社会関係を構築してきた地主層が、新自由主義の前に没落しつつあることが、そこには反映されています。

それに代わる社会をバラ色に描き出すほどには、状況は改善されていません。インドをバックとする資本家が新たな支配者になるのか、それとも人民みずからが主人公となる自主独立の国家として自立していくのかの2つの道が、選択を迫られているといえます。

ちょっと古いですが、以下の文章をご参照ください。

 ネパール:国王独裁の崩壊  ネパール:毛沢東主義者をどう見るか


赤旗が日経新聞の「やさしい経済学」という記事に噛み付いている。

7日付の日経では、「非正規雇用の約8割という大多数が、みずから選択した本意型であることも事実 」と書いたそうだ。

これは記事を読まなくてもデマ、ないし欺瞞的手法により抽出した数字だということが分かる。記事を書いた記者の心根の卑しさがモロに現れている。

と言いつつ、どんな“事実”を元にこのような「意見」をでっち上げたのかは気になる。

赤旗によると、このネタは総務省の「労働力調査詳細集計」という資料に基づいているようだ。

そのなかに非正規雇用労働者へのアンケート調査があって、非正規雇用に衝いた理由を尋ねている。

この調査項目は7つの理由の中から、一つを「主な理由」として選択する方式になっている。その7つの「理由」の中の一つが「正規の職員・従業員の仕事がないから」というもので、これを主な理由としたものが、18.5%しかいなかったというものだ。


私の考えでは、

アンケートというのは意識調査であり、客観的に示された数字との関連で考えなければならない。正規雇用の口が求職者に比べ圧倒的に少ないのは間違いない事実だ。「正規の職員・従業員の仕事がない」のは、意識調査のそもそもの大前提だ。有効求人倍率が0.5という数字にも、我々は驚かなくなっている。(これ自体が大問題だが)

だから、非正規雇用労働者の18.5%しかみずからの境遇を不満に思っていないことこそが大問題なのだ。「いじけ」なのか「あきらめ」なのか、どっちにしても健全な社会心理ではない。日経新聞の正社員であるこの記者は、「勝ち組」のひとりとして、この数字が当然だと思っているようだが、それも想像力の鈍麻であろう。


ということで、記事に戻る。

この記事を書いた清水記者は、この質問のもう一つの内容に注目する。

この質問は多少複雑な型式になっている。まず7項目から複数回答させる。そしてそのなかの「主な理由」に二重丸を付けさせるようになっている。

そこで「主な理由」以外のすべての丸印をチェックしてみた。

すると次のことが分かった。

1.「正規の職員・従業員の仕事がないから」に丸をつけたのは25.1%となった。

2.男性のみで限ると38.1%となった。

3.さらに男性群を年齢別ににると、25~35歳で58.9%、35~45歳で61.5%、45~55歳で59.6%となった。


此処から先は清水記者ではなく私の感想

ジェンダーの人にはあまり聞かれたくないが、主婦でちょっとパートという人たちを混ぜることで、ことの深刻さを覆い隠そうとしているとしか思えない。

日経の記者の方へお願いしたいが、あなたと同年代の、かつては同級生だった人たちが、正規の職につけなかったら、あるいは正規の職を失ったらどういう気分になるのか、ちょっとは想像力を働かせてほしいと思う。

そうすれば「非正規雇用の約8割という大多数が、みずから選択した本意型であることも事実 」などというセリフはとても吐けないはずだ。

このほどネパールで制憲議会選挙が行われました。予想された大混乱もなく無事完了したようです。

結果はこれからのようですが、途中経過の限りでは、マオイストの惨敗のようです。まぁ一つの時代の終わりというふうにも見えます。

フランス革命のように、まず王政が倒され、ついで革命を推進したジャコバンが凋落する、という過程にも見えます。

もちろん、インドと中国という大国が干渉しまくっていますから、事態はもう少し薄汚れたものになっていますが…


2008年

4月10日 制憲議会選挙。マオイストが第一党となるが過半数に達せず。
ネパール共産党毛沢東主義派 229  ネパール会議派115, ネパール統一共産党 108, 以下54 - マデシ人権フォーラム、21 - タライ・マデシ民主党、8 - 国民民主党、9 - ネパール共産党マルクス・レーニン主義派、9 - 友愛党、8 - 人民戦線ネパール、5 - ネパール共産党ユナイテッド派

5月28日、制憲議会で連邦共和制採択。王制は廃止される。
7月22日 マオイスト党中央書記局会議が開かれる。他党の抵抗が強いことから、政府の組織を断念し、野党に留まることを決定。
8.15 マオイストが統一共産党、マデシ人権フォーラムと連立政権を組む。プラチャンダが首相となる。財務大臣にバブラム・バッタライ、国防大臣にバーダル(ラム・バハドゥール・タパ)などが就任。他党との関係をめぐりキラン(モハン・バイディヤ)、バーダルら党内原理派と激論が戦わされる。
11.16 制憲議会、新憲法制定に向けた作業日程を可決。
12月 マオイスト活動派がヒマール・メディア紙を襲撃。プラチャンダ首相は、「毛派のふりをして党に汚名を着せる行為」と非難。


2009年

1.12 マオイストと「ネパール共産党統一センター・マサル派」が合同。
2.11 マオイスト党のマトリカ・プラサド・ヤーダブ政治局員がマサル派との合同に反対し離党。ネパール共産党毛沢東主義派の再建を宣言。
5.03 ダハル首相は軍トップのカトワル参謀総長を一方的に解任。
5.03 統一共産党、友愛党が連立を離脱。ヤーダブ大統領もカトワルの参謀総長続投を支持する。
5.04 連立内閣が崩壊しダハル首相は辞任。
5.23 統一共産党と会議派を中心とする連立政権が成立。統一共産党のマダブ・クマール・ネパールが首相に就任。マオイストは首相選出過程をボイコット。

2010年

1月 マオイストを含む主要政党の幹部からなる「枠組み」が構築される。

5.02 マオイストは憲法の早期制定をもとめる大規模集会を開催し、無期限バンダ(強制ゼネスト)を宣言。

5.08 マオイストのバンダが多くの批判を受け中止される。

5月28日 制憲議会が期限を迎える。制憲議会の1年間延長とネパール首相の早期退陣が決定される。

6.30 ネパール首相が辞任。このあと半年以上にわたり首相不在の期間が続く。

11.21 マオイストの第6回中央委員会拡大会議。約6000 人の党員が集まる。ダハル議長とバイデャヤ副議長、バッタライ副議長がそれぞれの方針案を提出。

会議はインド主敵論をめぐり紛糾。これを否定するバッタライ副議長が離党を図ったが、ダハール議長派がバッタライ副議長に同調する。これに抗議するヴァイデイア副議長派がマオイスト党から分離した。
バイデャヤはバッタライ副議長よりダハル議長のほうが危険だと指摘。議長の贅沢を非難し、汚職や密輸に関わっていると糾弾する。

2011年

2.03 マオイストがネパール退陣を条件に統一共産党への支持を表明。カナル委員長が首相に選出される。

5月28日、ネパールの制憲議会が開催され、主要3政党の合意に基づき、議会がさらに3カ月延長される。

8.28 カナル連立政権が崩壊。バブラム・バッタライ(マオイスト党副書記長)が、統一マデシ人民戦線(UDMF)などの支持を得て新首相に選ばれる。制憲議会の任期が3ヶ月間延長された。

10月 インドとネパールが「相互投資振興に関する協定」を締結。

11.01 主要3政党の間で軍の統合問題に関する7項目合意。元マオイスト兵2万名は、国軍編入を希望する者、社会復帰プログラムを希望する者、退職金の支払いによる自主除隊を選ぶ者の3つのグループに分けられる。

11.29 制憲議会の任期が6ヶ月間延長される。

2012年

1月 マオイスト最高幹部の力関係。7人の本部書記のうちダハール派3名、バイデイア派3名、バッタライ派1名で勢力は拮抗。ただしタパ書記長はバイデイア派。

2月8日 非認証兵士(末端ゲリラ)約7500人の除隊作業が完了。28ヶ所のキャンプ中13ヶ所が閉鎖される。

3.28 マオイスト派中央委員会の開催。149名の委員のうちバイディア派50名が欠席。

3.31 国軍統合組の人選に不満を持つマオイスト兵士が反乱の動き。

4.10 バッタライ首相(マオイスト党)が「軍統合に関する特別委員会」を招集。全てのマオイスト・キャンプをネパール軍の管理下に置き武装解除。

4.11 マオイスト党のバイディア派は武装解除を降伏行為と非難。抗議行動を開始する。

4月 ダハール議長、党内の集会において12項目協定の役割はPLAの国軍編入により終わった。再び武器をとって戦う事は自殺行為であると述べる。

5月1日 全政党による連合政権への合意を受けてバッタライ内閣は解散。引き続きバッタライ前首相による新しい内閣が誕生した。大臣は主要4党に概ね均等に割り振られる

5月27日 延長を重ねてきた制憲議会が最終的に解散。バッタライ(マオイスト派副議長)による管理内閣が発足。601人の議員は特権を失う。

6.16 マオイストが3日間にわたる全国幹部会議を開催。バイデイア副議長が独立を表明。ダハルはバイディア派との合意なしに何もしないと演説し、バッタライは「党の結束のためにはいつでも首相を辞める用意がある」と演説し慰留する。

6.19 副議長モハン・バイディア、新党(ネパール統一共産党革命的毛沢東主義)の幹部会議を招集。バイディアが議長、タパ書記長とガジュレル書記が副議長となる。

6月 バイディア派のガジュレル副議長、テライ地方のビジネス・グループと会合。「バイディア派は資本主義に賛成であり、個人の財産所有を支持する」と述べた

7月15日 バイデイア議長が中国共産党の招待により訪中する。

7月17日 マオイスト派拡大評議会、ダハール議長の提案を承認して閉幕。地方グループがバッタライ副議長の失政を攻撃。机、イス等の投げ合いとなる。

9月5日 アメリカは新大使が着任。マオイスト派をテロリスト・ストから外すと発表

9月 バイデイア派、インドの車のネパール国内での通行を妨害すると発表。ネパール・インド友好条約(1950)の廃棄をもとめる。全政党や各団体からの猛烈な反対にあう。

10月 バイデイア派は、ダハル派幹部が短期間に不正蓄財で大金持ちになったと抗議。マオイスト派の兵士の社会復帰等に費やした金額は15Billionルピーに達する。

11月 バイデイア派、主要な敵はインドの覇権主義者とし、さらにマオイスト党(ダハール派)、コングレス党、共産党、主要なマデシ・グループ、政府官僚、財界のリーダー等を含めて攻撃の対象とする。

2012年12月1日 国勢調査の結果ネパールの人口は2650万人。10年間で約330万人増えた。人口の55%が25歳以下

2013年

13年1月

1月9日 バイデイア派の第1回全体集会がカトマンズで開かれる。バイデイア議長、タパ書記長らが一万人の参加者を前に中国を賛美する演説。

集会には中国大使、北朝鮮大使も出席。

13年2月

2.02 第7回マオイスト(プラチャンダ、バッタライ派)拡大代表者会議が開かれる。

(小倉清子氏は「マオイスト党が21年ぶりの党大会を開催。武装闘争を放棄し、議会政党となることを正式に決議」と記載している)

2.11 第7回マオイスト拡大代表者会議が閉幕。25年間議長を務めたプスパ・カマル・ダハール(プラチャンダ)が再任される。副議長にバプラム・バッタライとシュレスタ、書記長にポガティ。

2.27 最高裁長官が首相就任。

13年3月

3月 暫定管理内閣のバッタライ首相が辞任。キル・ラジ・レグミ最高裁判所長官を首相とする選挙管理内閣がスタート。

3月 食品検査局。通称「ミネラル・ウオーター」のうち三分の一が飲料に適してないと発表。約300社の飲料水の製造会社があるが約半数は無許可。

3月 主要4党による合意が成立。制憲議会選挙を6月21日に行うこととし、選挙管理内閣がその間の政務をとることとなる。主要4党とはマオイスト派(ダカール、バッタライ派)、共産党、コングレス党、UDMF(連合マデシ戦線)のこと。バイデイア派はこの合意はインドによる謀略だと反発

4月マオイスト派のダハール議長が、中国・インドをあいついで訪問。

5.30 政党の選挙管理委員会への登録が終了。134の政党が登録するが、バイディア派は登録を拒否。

13年7月

7.01 バイデア派がポカラで中央委員会を開催。選挙をボイコットすることを決定。最強硬派のチャン副議長は、再び武装闘争も辞さないと述べる。

7月 マオイスト内部でバッタライ副議長とダハール議長の主導権争いが激化する。バッタライ副議長は辞任を示唆。

7月 共産党統一派のマダブ・クマール・ネパール議長(元首相)、要職を辞し最高顧問に退く。

8.26 マオイスト軍を国軍に統合する作業が正式に終了。70人の元マオイストに「中尉」の階級が与えられた。ネパール軍へ統合されたマオイスト兵は1400人にとどまり、残りの約15000人は支給金を受け取って除隊。

8月 ネパール・ルピーがインド・ルピーに連動して急落。インフレに拍車をかける。

13年9月

9月 カタール駐在シャルマ大使、”カタールはオープン・ジェイル”と発言。ネパール政府は大使を召喚。

カタールでは数万人にのぼるネパール人労働者が働いているが、今年の6月から8月までに44人の死者がでている。

13年10月

10.01 バイデイア派が国連に書簡を送り、制憲議会選挙に反対の立場を強調。

10.18 IMFの現地調査団、ネパールのインフレ率が7.5%、経済成長率が4.5%、年間個人所得は721ドルと発表。(実際のインフレ率は30%以上と言われる)

13年11月

11月11日 マオイスト派など33の政党がバンダ(ストライキ)を開始する。当初は投票日までストを続けるとしたが、各方面からの圧力が強く1日のみで中止。

16日夜 インド国境が20日まで完全に閉鎖される。カトマンズは警察、軍隊が要所を警備する。

11月19日 制憲議会選挙。選挙当日の車両の使用が禁止される。 


Ⅴ 治癒することの意味

①治癒の徴: 甘い涙

「魂は悲しみを通して、あるいは理解することを通して悟る。自分は本来、天に属するものであるのに、この世をさまよっているのだということを」

これロスのいう「受容」の段階です。抵抗、否定、反逆という抗いを捨て、自然の摂理をあるがままに受け入れる時、自分は生命として存在する自然の一部でしかないことを悟るわけです。

「(それを)悟った時、魂は目に穏やかな涙を送るようになる。…(そこに)あるのは歓喜と幸福に満ちた吐息だけである」

後ろ半分はうそ臭いけど、まぁいいでしょう。

実際に病が治るかどうかは、神に属する事柄であり、自分には属するものではない。それは病に限らず、生死ともにそうである。

しかし、ところがどっこい、人間はそこからまた生命の過程を始めるのです。なぜなら、人間は自然の一部であると同時に、生命として、絶えず欲求しつつ存在しているからです。そして自然との間に新たな折り合いを形成しようと努力するのです。それが意識的か無意識的かは別にして。

②治癒とは世界とふたたび向き合うこと

「病とはひとたび自分を死ぬこと、治癒とはひとたび死に、浄化された感受性とその五感において深々と世界と向き合うことである」

いい言葉です。死ぬというのは、即自的な自己意識を否定するということでしょう。演者は「自我としての“わたし”から、“わたしという魂”へ」の回帰と表現していますが、なかなかうまい表現だと思います。

③魂と肉体が再合体する

それは覆い隠すもののない敏感な魂がのびのびと発現することであり、理性を含めた魂の全感覚領域の解放として表れる。治癒とは「旧に復する」ことを意味しない。自然的本性の恢復と救済は、命の原初的姿体としての「真我」の獲得である。真我は自然の力により自我を脱ぎ払ったものである。

④「治癒」とは、関係性(共同性)の回復

これについては説明がないが、今日の我々が「社会復帰」と捉えているものでしょう。

Ⅵ ホモ・コンパティエンス(共苦する存在) 

ジグヴィツァが快癒した後、ヒルデガルトは病に襲われる。

これが共に苦しむということの中身で、ヒルデガルトはこれをキリストの秘儀になぞらえる。その限りにおいては一種の神秘主義にすぎない。

イエスは病者の魂の低みへと降りて行く。それは命の底の低みである。魂は魂の共感において出会う。この一点が「共苦する」ということの根拠である。

ということで、平ったく言えば病者の苦しみに同情するのである。

ヒルデガルトは、ジグヴィツァが癒されたと同じ過程を経て恢復する。「胎児を産み終えた妊婦のような」疲労とともに、歓びに満ちていたという。

補遺

①肉体をまとったがゆえの苦悩

病の原因を観想するヒルデガルトの精神は、宇宙誕生の瞬間にまで遡る。「なぜ神は人間に肉体を―すなわち物質をまとわせたのか」という疑問である。肉体をまとったがゆえに、その滅びの死があり、病がある。この原罪こそが病の根拠なのである。

②人間は自然への盲従者ではない

「人間は、どこまでも世界の構造に依存せざるをえない他のすべての被造物よりも意義深い存在である。魂が内包する諸力において強力な存在である。その頭を上に向け、足を堅い大地に下ろし、彼は高いものも低いものも動かすことができる。彼はただ世界の網にかかっているのではない。彼は世界を網のように手の内にかかえ、これを動かす男のように立っている。神は…人間に創造の武具を着せたのである」

すごいですね。マルクスみたいですね。

明神先生には大変申し訳無いが、「戦後史の汚点・レッドパージ」を読んでいて感動したのは、高見順日記の引用だった。

45年10月6日
特高警察の廃止、-胸がスーッとした。暗雲が晴れた思い。しかし、これをどうして聯合軍司令部の指令を俟たずしてみずからの手でやれなかったのか、-恥しい。これが自らの手でなされたものだったら、喜びはもっと深く、喜びの底にモダモダしているこんな恥辱感はなかったろうに。


特高警察の廃止を日本憲法の制定と置き換えても良い。
1.特高警察の廃止は歓迎すべきことである。
2.それは聯合軍司令部により押し付けられたものだ。
3.それは日本人に恥辱感を与えた。
 
つまり、日本人は右翼も左翼も戦後改革を押し付けと考え、それを恥辱と受け取ったのだ。
ただ左翼の恥辱感は右翼と異なり、メラメラと燃え上がるような恥辱感ではなく、モダモダしている恥辱感だった。
この「恥辱感」を、未だに引きずっているこのモダモダ感をきちっと整理しなければならない。
それこそが右翼と対決するための我々の倫理的拠り所となるだろう。


実は昨日勉強してアップするつもりだったが、勉強している内に訳が分からなくなって綺麗さっぱり消してしまった。
ピアノには間違いなく音色があって、例えばワルター・クリーンやマレー・ペライアのモーツァルトを聞くと、なんてきれいな音なんだろうと思う。逆にリヒテルやポリーニ、アルゲリッチなどを聞くと、音色をだいじにしない人たちだなと思ってしまう。
ところが、音色について書かれた文章を読むと、ピアノに音色なんかないのだと力説されている。
これは非常に困ったことになった、と戸惑っている内にアルコールが回ってきて、これは睡眠によって情報を整理する以外にないなと、思い至ったのである。
そして約24時間を経てふたたびパソコンに向かっているのであるが、ダメなものはダメだということが改めて分かった。

ダメだと分かりつつ文章を書くのは非常に辛いのであるが、やはり「ピアノの音色は骨が出す」というアイデアは書き留めておかずにはいられない。

音色=雑音説というのが現在有力になっている。
誰が言い出したかは忘れた。なにせ、昨日かっとして、書きかけの材料を全部消してしまったからだ。
外国の人だ。いろいろ実験もしていて説得力はある。
ピアノが音を出すには二つの異なった過程がある。
ひとつは人間が指で鍵盤を押してハンマーを振り下ろすに至る過程である。
もう一つは振り下ろされたハンマーがピアノ線を叩き音を発生する過程である。
第二過程において演奏者の情や業が入り込む余地はない。
とすれば、音色の秘密は第一過程にあるはずだ。

ここで、同じ鍵盤楽器であるパイプオルガン、チェンバロ、エレクトーンと比較しながら考えてみよう。
パイプオルガンの場合はキーボード操作から生じる音に比してパイプから出てくる音量はきわめて大きい。エレクトーンの鍵盤はまさにキーボードであって、携帯のボタンを押すのに近い。ピアノのような叩きこむ操作とは程遠い。ハープシコードの演奏技術は良く分からないが、ダイナミックレンジが狭く、音色で勝負というものではないようだ。


ということで、同じ鍵盤楽器でもピアノだけが、演奏者による音色の違いを問題にされていることになる。
これはピアノだけが、第一過程において生じる“雑音”を無視し得ないほどの相対的音量を持っていることを示している。
つまりピアノの音色というのはハンマーの衝撃によって発生した本来の音と、第一過程によって発生した“雑音”の合成音ということになる。

ここまでが、かなり長い前置き。
次に第一過程の分析に入る。
これは次の4つの小過程からなる。
1.指が鍵盤に当たる。これは下手くそな人が弾けば相当大きな音になる。しかしプロは鍵に触れてから力を入れるからほとんど音は出ない。時相的にも、よほど早いパッセージでない限り、音が出るまでの間隔があるので、音色の一部とは成り得ない。
2.鍵を押しこむ時にも支点の回転に伴う摩擦音と、それなりの風切り音は出ていると思うが、これは無視して構わないだろう。
3.鍵盤の下には板があって、それ以上鍵が下がらないようになっている。これを底板という。したがってある鍵を押して音を出した場合、ほぼ100%底板にぶつかっている。
この音が音色の本体である。これについては後述する。
4.指を鍵盤から離せば鍵は元に戻る。この時、鍵がひっくり返らないよに止めがついているから、鍵はそこにぶつかり音を出す。
ピアノという楽器の特殊性として鍵が元に戻ると同時にダンパーが鍵にあたり、響きを強引に抑える。ハープシコードなら相当盛大な音である。
しかし時相が遅れるから、これは雑音として聴取され、音色を形成することはない。
以上、鍵盤操作過程からは4つの音が発生する。そこで、どの程度の音量の音が、どの時相に出現するかが問題となる。
音量としては1、3、4が深刻だが、時相的に見ると3が決定的であろう。

先程からパソコンのキーを叩き続けているが、1と4についてはマシーン依存性であり、ほとんど変更不可能である。
しかし3はかなり変更が可能である。
そこには3つの選択がある。

ひとつは寸止めである。音を出すためにはハンマーがキーから離れる瞬間まで力を加え続ければいいのである。
ピッチャーは指からボールが離れる瞬間まで一生懸命投げればいいのであって、その後どうなったっていい。バッターはバットに珠が当たった瞬間振るのをやめてもいいのだ。
ピアニストは底板を打ちつけるためにピアノを弾いているのではなくて、ハンマーに鋭い初速を与えればいいのだ。
二つ目は寸止めをしないで底板まで指を打ちつけた場合だ。この場合指のどこを打ちつけるかで音が違ってくる。
指を立てて打ち付けると鋭い衝撃音が発生する。指の腹で打つと、腹の肉が衝撃を吸収する。
自分でやってみればわかるが。驚くほど音量が変わってくる。
考えて見れば当たり前の話だが、2つのものがぶつかって衝撃音を出す場合、音の高さは二つの物質の硬度の掛け算だ。
しかるに底板の硬度は一定だ。とすれば指の硬さが音の強度と周波数を規定することになる。
では指の硬さを規定するものは何か。それはポジティブには骨の硬さであり、ネガティブには皮下脂肪(軟部組織)の柔らかさである。付け加えれば皮膚の硬さである。これはコンガを叩くのと同じ原理だ。
とすれば、底板とぶつかって衝撃音を発しているのは指の骨ということになる。逆に衝撃音を弱めるのが皮下脂肪ということだ。

ティンパニーを考えてみよう。
ティンパニーは皮が振動することで音が出る。しかし最初の音は皮とバチが当たった時の衝撃音だ。
バチを変えてみれば音色の違いは明確だ。裸の木の棒ならパンパンとなるし、分厚いフェルトを巻きつけたバチであれば、遠雷のようにドロドロとした音色となる。
人間の指においては骨が木の心棒であり、皮下脂肪がフェルトの役割を果たす。
そうは考えられないだろうか。


時相的に、底板を打つ音は弦が最初の衝撃音を発する音と一致する。鍵とと別れたハンマーが弦にぶつかる時間とほとんど一致して指が底板にぶつかるからだ。9時5分前に駅で別れた友達が電車に乗って、9時に出発するのと同じに、パーキングの車に乗ってイグニッションを入れたのが9時だった、ということだ。

 このピアノの持つからくりが創りだす時相の一致という現象があり、その故に、二つの別の場所で発生された音が一つの合成音となる
そして、あたかも弦を木バチで叩いたり、フェルト巻き棒で叩いたりするかのような印象をあたえるのではないだろうか。

ピアノという楽器は二つの意味で打楽器である。ひとつはハンマーで弦を叩くということだ。そしてもうひとつは10本の指で底盤を叩くという意味においてだ。
弦を叩いた時の音は寺の鐘を叩いた時と同じで、まず衝撃音、ついでグワーンという唸りをともなう正弦波である。
50メートルも離れたら最初の衝撃波は弱まってしまう。しかしその鐘の音色を規定するのはその衝撃音である。
その衝撃音の中にピアノという木の箱を叩く音が混じっていたら、やはりピアノの音色を規定するのではないか。

たしかにピアノにはこの3つの奏法があるような気がする。
鍵盤を猫の手が掻きむしるように弾いたり、押した指を跳ね上げたりするのは一種の寸止め奏法で、底板の音は最小となる。そのかわり音は止まってしまう。ペダルを踏みっぱなしにすると次の音と混ざって聞きにくくなる。
指を伸ばしたまま指の腹で鍵盤を抑えこむと、弦の音量に比べ底板の発する音量は小さくなるから音としては柔らかくなる。指を立てて突き刺すように鍵盤を押しこめば、かなり盛大に底板は鳴り、音が粒立ってくる。


純粋にピアノの音色というのは弦の振動する音である。しかしこれに木の箱が共鳴するからピアノ独特の音色が生まれる。
エレキギターはギターではない。そこには共鳴りする木箱はない。同じ意味で電子ピアノはピアノではない。
鍵盤の底板を叩く音は、そういう意味から言って、「雑音」とは呼べないのと思う。

すみません。底板と書いてきましたが、ヤマハのサイトを見ると、棚板と呼ぶようです。でもたしか昨日の解説には底板と書いてあったような気がするが…



占領開始まで

1.終戦記念日などというから良く分からない。無条件降伏を受諾したのが8月14日で、これを受けて連合軍、日本軍は戦闘行為を停止した。降伏したのは9月2日で終戦記念日というなら、こちらのほうが正しいだろう。

2.9月2日をもって日本は連合軍の占領下に入り、占領軍総司令部(以下GHQ)の支配下に入った。GHQというのは正確には占領軍司令官総司令部であり、司令官たるマッカーサーの権限の範囲で行政にあたる組織である。したがって連合国の直接の管理のもとに置かれているわけではない。

3.米国の初期政策の柱は二つである。一つは「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成」という決定であり、もうひとつは「降伏後における米国の初期対日方針」である。どちらもアメリカ政府のトップの指令という形で発表されており、ポツダム宣言に匹敵する重みを持つ。「国家的構成」は、ポツダム宣言で局限された「4島」(付属諸島として沖縄・小笠原をふくむ)の占領を米国が独占的に行うというもの。「初期対日方針」は直接軍政を敷かず、日本政府の統治に委ねるというもの。これは直接統治に移行した朝鮮とは大きく異なる。

4.間接統治のシステムは、結果的にはアメリカにとって非常に有効な方法であった。直接統治であれば、本来準軍事的な目的に限定される占領軍司令官の権限の範囲が問題にされるであろう。とくにポツダム宣言の10条2項については占領軍の権限を逸脱するおそれがある。

 

GHQの起動

1.当初は純軍事的な目標に絞られる

9月2日に出されたGHQ指令の第1号は、軍隊の敵対行為禁止・武装解除・軍需生産全面停止など純軍事的なものであった。これに続いて「言論および新聞の自由に関する覚書」が発表され、プレス・コード、ラジオ・コードが相次いで発令された。24日の「報道の政府からの分離に関する覚書」公布もおなじ流れのものとして理解される。11日からは戦犯39人の逮捕が始まった。これもポツダム宣言に規定された行動が実施にうつされただけのものである。これに続いて29日の戦時諸法令の廃止が命令された。「大日本産業報国会」を解散させ、29の特定金融機関を即時営業停止に追い込んだ。これで戦争・戦時組織の解体は一段落する。

2.初期対日方針による改革の動き

GHQは起動後3週目から民政に踏み込むようになる。「初期対日方針」を法的根拠とする指令が次々と打ち出される。内容は生活必需品確保や公衆衛生対策に及んでおり、終戦以前からの準備の上で実施に移されたものである。つまり「初期対日方針」は間接統治のみを内容としたものではなく、かねてより一定期間、日本を統制のもとに置くことを念頭としていたことが分かる。このことは24日のトルーマンからマッカーサー司令官あての指令で、あらためてマッカーサーの権限に関して確認されていることからも示唆される。

3.ポツダム勅令と間接統治の組み合わせ

マッカーサーは10日に「日本管理方針」を声明.「間接統治方針」を明らかにしたが、どこまでが間接の中身なのかはわからなかった。「政治には口を出さない」と考えた政治家もいたのではないか。しかし、マッカーサーは日本政府をして「ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件」を公布させた。これがいわゆる「ポツダム勅令」の法的根拠となり、ポツダム宣言に規定された改革については無条件に受け入れざるを得なくした。これで「間接統治」と民主化の指令は矛盾しなくなった。
その10日後からはGHQ指令が洪水のように流れ出してくるから、これはマッカーサーの知恵ではなく、アメリカ政府の当初からの戦略だったと思われる。

 

GHQへの一大衝撃

1.占領業務が開始されて1ヶ月、滑り出しは順調で予想されたような抵抗もなく、不思議なほどに治安も保たれていた。おそらく占領軍はひと安心したことだろう。ところが仰天するようなことが相次いで起きた。まず最初は26日に豊多摩刑務所で三木清が獄死したことである。彼自身は共産主義者でもないし、陰謀に関わる危険人物でもない。ただ共産主義者をかくまったというだけである。
それが終戦から1ヶ月を経た今も獄に繋がれ、劣悪な環境のもとに置かれていた。それを連合軍は見過ごしていた。調べてみると似たような人物がゴロゴロといる。そこでGHQは日本政府に対して激しい不信感を抱いたと思う。

2.そこへ持ってきて、山崎巌内務相の「治安維持法にもとづく共産主義者の検挙を継続する」という発言が飛び出した。要するにポツダム宣言を受諾しておきながら、なんらその中身が分かっていないということだ。これでは間接統治にもならない。ポツダム宣言の実効化は不可能だ。

3.さらにマッカーサーと天皇の会見報道があった。いま我々が見てもたしかにマッカーサーは失敬だと思う。戦犯として扱うなら肩を並べて写真を撮るべきではないし、元首として扱うならしかるべき服装で、然るべき姿勢で臨むべきだ。しかしマッカーサーがそのことを気にしなかったように、米国政府もさほど気にはしなかったろうと思う。GHQにとって衝撃というなら、むしろその写真を新聞報道しようとしたとき、内務省情報局が不敬として発禁処分を発表したことだ。
実は会見の直前、GHQはプレス(報道)および言論の自由への追加措置に関する覚書を公布し、日本政府による検閲を廃止している。だから、内務省の措置は占領軍とポツダム宣言へのあからさまな挑戦と映ったかもしれない。

 

「平和・安全保障研究所」というサイトがあって、そこに下記の文章が載せられている。

宝珠山 昇  GSOMIAとは

著者の名は“ほうしゅやま”と読む。元防衛施設庁長官で日米防衛協力等関係に参画した経歴を持つ。

かなり前の報告(2006年)だが、GSOMIA(ジーソミアと読む)の大体の性格は分かる。かなり素人には読みにくい文章なので、私なりに要約して紹介したい。

 

はじめに GSOMIAの4つの原則

 GSOMIAは、「General Security of Military Information Agreement」を短縮したもの。(「軍事情報の総合的保安に関する協定」ということになろうか)

これは、米国と他国との一般協定であり、米国と同水準で軍事秘密を保護するという合意である。これにより米国と他国との間の情報の交流・共有を円滑に実施しようというものだ。

現在、NATO諸国、イスラエル、エジプト、インド、オーストラリア、シンガポール、タ イ、韓国など63か国が締結している。

著者は、「内容の詳細は明らかではない」とした上で、四つの規定がふくまれているようだとしている。それは

①情報の受領国政府は提供国政府が行っているのと同程度の秘密保護をする こと、

②受領国が提供国から受けた秘密の情報は提供国政府の承認なしに第三国に開被しないこと、

③提供された目的以外に使用しないこと、

④受領国政府は当該情報に含まれる特許、著作権、商業上の秘密等の私的権利を尊重すること

となっているが、要するに①対象国の一般的守秘義務と、②第三国への漏洩の禁止の2つだ。

法制上、軍隊を持たない日本にとっては、無縁の協定だ。

 

「保護される情報の定義・対象は、口頭、文書、写真、録音、手紙、メモ・スケッチ、模型、装置、製品などあらゆる物理的形態をふくむ」というから事実上無限定だ。

次が秘密事項を取扱う人物の適格性に関する証明だ。これは「セキュリティー・クリアランス」と呼ばれる。政府の関係職員ならだれでもいいという訳にはいかない。情報・資料を利用するためには、その個人の秘密保全に対するサーティフィケイトがもとめられる。

また、秘密情報を下請け契約者へ移転するときに、その契約者に対しても適性を確認することが義務づけられる。

ということで、問題は情報の対象、適格性評価などで包括性がもとめられることにありそうだ。

 

現代における機密情報

A. 情報テクノロジーの進歩に伴う機密分野の拡大

C4ISRの急速な発達の成果を速やかに活用することがもとめられるようになった。

C4ISR: Command, Control, Communication, Computer, Intelligence, Surveillance and Reconnaissance

の略。日本語では「指揮、統制、通信、コンピューター、情報、監視及び偵察」ということになる。
ウィキペディアによると、軍隊における情報処理システム。指揮官の意思決定を支援して、作戦を計画・指揮・統制するための情報資料を提供し、またこれによって決定された命令を隷下の部隊に伝達する。すなわち、動物における神経系に相当するものであり、部隊の統制や火力の効率的な発揮に必要不可欠である。

このため、同盟国間で短時間に緊要な情報を交流し、とくに秒単位での対応となる共同作戦に必要な戦略・戦術情報の共有が、任務の成否を決するようになった。

GSOMIAは、研究、開発、調達、訓練、運用、計画、情報などを含む広範な分野を対象としており、今後重要性を増していくだろう。

B.  テロの脅威に対抗する多層のネットワーク構築

大量破壊兵器(核・生物・化学兵器やミサイル)の拡散等によって、無差別で突発性な脅威がもたらされている。このような脅威への対応措置は複雑・困難さを抱えている。

これに対処するには、研究、開発、 生産、運用、修理、備蓄、補給、訓練などにおいて、先進諸国及び官民が緊密に協力することが必要である。

多層のネットワークによる対応体制を構築するためには、民間企業を含めた機密情報の交流・共有体制がもとめられている。

C. 兵器・装備の技術導入の効率化

例えば、現在米国まで運んで行っている「ブラックボックス」の修理を日本で行えるようにすれば、整備や補給を効率化し、共同の訓練や作戦の効率も高まる。そのためには日本企業がセキュリティー・クリアランスを取得し得るよう日本国政府が努力(即ち GSOMIAを締結)しなければならない。

GSOMIAが締結されれば、現行では長期間を費やしている個別事案毎の協議も大幅に短縮され、効率化する。

(ということで、C のライセンス欲しさの取引というのが本音のようです)


日本の対応

 これまでの日本政府は、GSOMIA締結に対して否定的な立場をとってきた。それは以下の答弁(1988年の衆議院内閣委員会における外務省答弁)に総括される。

「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法」がすでにあり、これを根拠に、事案毎に個別の協定を結ぶことで対応できる。したがって「このような包括的な秘密保全のための取り決めを米国と結ぶことは全く考えていない」 

 

今なぜGSOMIAを急ぐ必要があるのか

しかしながら、ということで著者はGSOMIAの必要性と“緊急性”を強調する。

(持って回った言い方のところは、私の判断で簡略化してある。誤読はしていないと思う)

① GSOMIAが締結されていないと、米国は日本の機密情報保護体制が弱いものと受け取り、日本への機密情報の提供にあたって懸念を持つだろう。

② 機密情報の質、量、迅速さが飛躍的に増大した今日では、従来の個別方式による「情報共有及び情報協力の向上」は困難である。

③ GSOMIAの締結は、先進諸国の民間企業間の先端技術の円滑な交流・共有 のインフラを拡大し、日本企業の技術交流基盤を強化し、科学技術立国の国策の促進に寄与する。

④ 更に、GSOMIAは、秘密保護のための盗聴やそのシステムに関する重要な制度上の情報 を含むともいわれ、これはスパイ天国とも言われる日本の情報体制の改革・向上に有用である。

(これは逆でしょう。NSAやCIAがやった盗聴内容のおすそ分けにあずかりたいということでしょう)

最大の課題は何か

最大の課題は、日本企業において機密業務に携わる従業員に与えるセキュリティー・クリアランスを米国のものと同水準であると米国政府が認定できる仕組みを開発することである。

現在は、秘密の保全業務に携わる日本の従業員のセキュリティー・クリアランスも、そのつど個別事案毎に評価されている。これを日本国政府と民間企業の契約によって担保・保障する。そして米国政府が同意するようもとめる必要がある。

GSOMIAは、すべての事案に共通に適用され、セキュリティー・クリアランスを締約国政府が一般的に保証することを義務付けている。米国政府は、現在の日本の枠組みを、GSOMIAのセキュリティー・クリアランスには適合しないと判断している。

日本の機密情報保護体制の充実にも寄与 

機密情報の保護態勢の向上は、広範な分野での国民保護に欠かせない重要インフラの充実につながるものである。

国際テロ・凶悪組織犯罪の捜査・検挙能力を強化する上でも、感染症の予防や対処の薬剤の研究・開発の分野でも、機密情報の交流・共有態勢の日本の弱さが障害となっており、この強化が大きな課題である。(この部分は口からでまかせの無責任な言動としかとれません。アホらしくて突っ込む気にもなりませんが、言い出すそばから言葉が矛盾してくることに気づかないのでしょうか)

GSOMIAの締結を契機に、日本の機密情報保護体制が充実し、 情報能力が向上して行くことを期待する。 


ということで感想が二つ

1.GSOMIA は日本の軍産複合体が米国の軍事技術をほしいために、秘密保護の包括的な統制をシビリアンにまで及ぼそうという憲法違反の協定です。ただそれだけつまみ食いするのでは済まない包括的なものも含んでいます。逆説的になりますが米国に対して一切秘密を持たないという誓いの強制です。

2.日本がスパイ天国ならアメリカはスパイ帝国です。その米国の前で大股広げて、ケツの穴までさらけ出しましょうというのが秘密保護法の本態です。防諜機能の強化どころか、防諜活動そのものの放棄です。それが国民に知られるのが嫌だから、秘密にしましょうということになります。

3.確かに秘密保護法案はGSOMIAを中核としているようですが、誰かが悪乗りして、とんでもないものにまでふくらませているようです。そのため目的・範囲その他において、法律の体をなさなくなってしまっています。悪法というより愚法です。


カミラ・バジェホが国会議員(共産党)に

Reuters in Santiago

18 November 2013


2011年のチリ学生蜂起を率いた女性が下院議員に当選した。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/9/4/94a2422d.jpg
サンチアゴ市内で選挙演説中のカミラ  Photograph: Martin Bernetti/AFP/Getty Images



カミラは2011年にチリ学生運動の先頭に立った。他にも3人の学生運動出身者が下院に当選した。これはチリの政治の世代交代を強く印象づけた。

カミラ・バジェホ、25歳の共産主義者は国際的な名声を得ている。彼女はOECD加盟34カ国中、最悪の所得格差を誇るこの国で、無料の良質の教育をもとめる運動の顔となった。

カミラの勝利はミシェル・バチェレと「新多数派」(Nueva Mayoria)が議会に強い基盤を作るための鍵となった。

「ラ・フロリダ街(学生デモの定番地区)で勝利を祝おう」とかミラはツィッターで呼びかけた。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/9/7/976b997d.jpg

この日、最も明らかな勝者は大統領選挙で一位となったバチェレであった。彼女は06年から10年までの間大統領を務めている。

しかし彼女は勝利を確実なものとするためには来月の決選投票を闘わなければならない。

11年の巨大な学生の抗議行動は、現職の保守派大統領(セバスチャン・ピニェラ)の政府を動揺させた。

そして

2013年のバチェレの大統領選挙キャンペーンを助けた。バチェレは教育の全面的見直しに必要な資金を税制の改正により獲得すると公約した。

カミラとともに3人の学生運動指導者も当選した。ジョルジョ・ジャクソンとガブリエル・ボリクは独立派として、カロル・カリオラは共産党に所属した。

このパワーは、しかし来年も続くとは限らない。学生運動の新しい世代の何人かは、彼らを“sellouts”と見ている。

かつてカミラもその席にあったチリ大学学生連合の新議長メリッサ・セプルベダは、「私は、カミラにもジョルジョ・ジャクソンにも投票しないだろう」という。

「変化の可能性は議会にはないのだから」

 スペイン共産党の大会が開かれた。

the 19 th congress of the Communist Party of Spain, held from 15 to 17 November in Madrid.

赤旗の報道では、

1.新自由主義への対案を構築する

2.統一左翼の拡大強化に全力を上げる。

3.5月15日運動(スペイン版オキュパイ運動)との連携を探る

という簡単なもの。

私の記事は下記

スペイン統一左翼の歴史 その1

スペイン統一左翼の歴史 その2

スペイン統一左翼の歴史 その3

センテージャは前大会で書記長に就任。新自由主義との対決を明確に打ち出し、前書記長期の社会労働党との行きがかりを断ち、党の立て直しにあたった。

統一左翼との関係も、前大会で再確立された。共産党は統一左翼と心中するハラを固めた。

09年11月には党大会が開かれ、フランシスコ・フルトスに代わりホセ・ルイス・センテリャが書記長に就任。対立候補はなく85%の信任を受けた。統一左翼からの撤退動議は13%の支持にとどまった。つまり共産党は統一左翼と心中する覚悟を決めたことになる。

5月15日運動は、基本的には無党派青年の闘争であり、「連携」という表現には注意深い解釈が必要。

というのが当面の感想

我々のこれまでの常識からすると、会社は企業家のものであり、企業家は社員をふくめての会社だと思っていた。
大きな企業ではマネージメントを行うシニア・スタッフの独自性が高まり、オーナーと経営責任者、社員の三層構造になってきたが、経営責任者は機能資本家と見られ、オーナーの意思との乖離は目立たなかった。とくに輸出関連の企業では、外貨割り当てを通じたMITIの強力な統制もあった。
これがバブル期以降は様相が変わった。
第一に自己資本の蓄積が進み、金融機関の支援を必要としなくなった。
第二に為替の自由化により、外貨の制限はなくなった。
第三に海外進出により、モノ作り現場が多様化し発言力が弱まった。
第四に証券市場の自由化により、株の持ち合い制の意義が薄まった。
この結果、マネージメント部門のオーナー離れと、証券・債券市場を通しての投資家との関係強化が進んだ。
とくにメガバンクに見られる大型合併はオーナーを駆逐し、持株会社の解禁は会社は株主(投資家)のものとする風潮を広げた。

というふうな流れの中で、(えらく長い前置きになってしまったが)、衆議院経済産業委員会での塩川議員の質問を紹介する。

塩川議員はAPFの昭和ゴム乗っ取り事件について質問した。

記事はえらく端折ってあるが、質問の全文を探すのが面倒なので、補強しながら紹介する。
この事件の概要は以前詳しく報告した。
塩川議員は
1,APFが会社資産の約3割を持ち逃げした問題
2.労働組合への不当労働行為が続いている
と追及した。
そのうえで、
97年に純粋持株会社が解禁された(独禁法改定)あと、労働者保護の措置が放置されていることに問題がある。
1。持株会社やファンドに団交応諾義務を課すべきだ。
2.企業の持続性維持を義務とするようなファンド規制に踏み出せ。
と主張した。
オーナー資本家が企業経営者でもあった時代、労使一体論は「日本型経営」と言われ、先進資本主義のモデルだった。
いまそこに戻せというのは無理な話だが、「会社は社員のものだ。社員あっての会社だ」という観点を、ギリギリのところで問いなおしてみる必要があるのではないだろうか。
少なくとも、経営者が「会社は会社のものだ」と考え、企業そのものの存続を最大の目標に置くことを義務づける必要がある。
そうでないと、「会社は出資者のものだ。潰そうが生かそうが関係ない」と考えるハイエナ・ファンドに社会が食い荒らされることになる。
これは労働者だけではなく、真面目な企業家・資本家にとっても深刻な問題だ。

記事の一覧表を作成するために、過去記事をさらったら約2千本の記事があることが分かりました。
2011年5月からブログを開始して2年半、1千日とすると、1日あたり2本の記事を書き続けたことになります。
我ながらすごいものだと感心します。
小学校の時は夏休みの絵日記を最後の3日間ででっち上げました。天気は全て晴れでした。
年末になると日記帳を買ったり、日記帳用の万年筆を買ったりしたこともありましたが、つけた記憶はありません。
やはりインターネットの存在が大きいのだろうと思います。もちろん赤旗がなければ、書くことに困ったでしょう。
やはり自己満足だけでは続かない、今の私なりの闘いの形態だと考えるようにしています。それも自己満足と言われればその通りですが…

なお記事の一覧表は、ブログの表紙にも書いてありますが、
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/blogtable001.htm
です。

このところ大量の迷惑コメントが送られ、困っています。
中身はエルメスやグッチなどを買えとすすめるもの。
いろいろ調べたところ、分かったのは、迷惑コメントを弾くのは不可能だということ。
理由は向こうのほうがはるかに頭がいいからだということです。
「掲示板」の意見に従い、下記のごとく設定しました。
1.まず、迷惑コメントを綺麗に削除する。
2.「ブログの設定」から「コメントの設定」画面に入る
3.コメントの公開を「一時保留」にする
4.「コメントの編集・削除」画面で、これまでのコメントに一括してチェックを入れる。
5.画面一番下の「自動公開リストに追加」をクリックする。
6.あとは定期的にたまった一時保留のコメントを、「コメントの編集・削除」画面で一括削除する。

これでうまくいくだろうか。
閲覧のパスワードを設定するという方法もあるようだ。横に「SHOと入れてください」とか答えを書いておけば、人間には何の苦もないこと。
根本的には、Broachさんの方でコメント投稿に画像認証を入れてもらうのだろうが。

それにしても、エルメスやグッチなど、私にも、そしておそらくは私のブログの愛読者にも無縁の存在だろうが…

三中全会声明文 9つの新しい表現とその解説_中国網_日本語

環球時報(電子版)に載った、三中全会の声明文の解説で、国務院発展研究センターマクロ経済部 張立群研究員 という人の書いたもの。

1.国家ガバナンスシステムとガバナンス能力の近代化の推進

近代的なガバナンス(を導入し)、これまでの柔軟性に欠け、…強硬な伝統的方法(を改める)

「ガバナンス」というのは企業の組織把握力のことで、先進国では一定のルーチンが形成されている。これを国家の運営手法として積極的に取り入れようということであろう。

2.「経済体制改革は改革の全面的な深化の重点で、その中核は政府と市場の関係を正しく処理し、市場の資源配置における決定的役割を発揮し、政府の役割をより発揮することにある」

張立群さんの解説は、何を言いたいのかよくわからない。元の文章はよほど分かりやすい。
つまり経済発展における市場の役割はきわめて大きい。しかし中国のような国家においては、市場の資源配置については、政府が政策的介入を行ってきた。

ここにおいて、政府は資源配置における役割を放棄する、というものだ。ここを踏まえておけば市場か国家かという論争は必要なくなる。

政府はすべてを管理しようという考えを捨て、市場の円滑な機能発揮に努力を集中しようということになる。

3.トップダウン設計の強化と慎重な行動を互いに結合

慎重な行動とトップダウン設計の強化は弁証法的統一なものである。上と下が呼応し、改革のプラスのエネルギーを最大限集める。

これもよくわからない話だが、要するにボトムアップという言葉を使いたくないのであろう。そのために「慎重な行動」という表現でわざわざわかりにくくしているという印象だ。

4.公有制経済・非公有制経済は、ともに社会主義市場経済の重要な構成部分

市場メカニズムは公平で、各主体の競争に政策的な差別があってはならない。

これは公的セクターといえども政策的支持を行わず、欠損への補填を行わないというのを原則にしようという事だ。
これだけではいささか乱暴な議論で、非営利部門や公益性が強い部門は予め別扱いとしてもらわないと困るだろう。

5.科学的な財政・税制は、資源配置を最適化し、市場の統一を維持し、社会の公平を促し、国が長期にわたって安定する制度を保障する

税制の政治的職能、社会的職能、経済的職能を明確にし、改革の目標をはっきりと指し示した。

まぁ元々税金なんてなかった国だから、あらためて財政の基礎として位置づけ直したということだろう。

6.税制改革、税負担安定

営業税から増値税への全面的変更を一応完了し、税制構造の最適化、増値税改革の完成、個人所得税の改革、不動産税の改革・強化などに進む。

7.仕事の権限に見合った支出責任の制度を構築

政府職能の転換にあわせ、中央と地方に見合った支出責任を強調する。かつての「自由にすれば混乱し、強化すれば行き詰まる」という簡単な二元管理法を繰り返さない。

結局、汚職の原因はここにあったということだろう。権限を明確化し、権限以上の財政運用を許さないことが、汚職を防ぐ上でのポイントになる。

8.農民により多くの財産権を付与

自宅用土地、農民の自作用小土地、農民の請負土地を何らかの形で市場で流通させ、それが一種の収益となれば、農民の生活を保障できる。

どこまで踏み込むのかは不明だが、個人用の保留地の財産権を保護し、転売を可能にすることで、農民の生活向上を図るということになる

9.より公平で持続可能な社会保障制度を構築

おそらく誤訳なのだろう。意味が通じない。


ということで、どうもそれほど核心的な方針が出されているとはいえない。

資本主義の進んだところをもっと積極的に導入し、市場原理を前提にして不合理な部分を見直し改革しようということのようだ。

その際政府の役割を、市場の円滑な機能というところに限定し、そこに能動性を発揮していけば、政府の行動はより合理的になり、社会主義を目指す主体的立場は維持可能だと判断している。



中全会というのは下記の略称である。

中国共産党 第18期中央委員会 第三回全体会議

第18期というのは党大会と党大会の間の期間で、大会で選ばれた中央委員会が党務全体を仕切ることになる。もちろんのべつ幕なしに中央委員会を開いている訳にはいかないから、定期的に中央委員会の全体会議を開く。日本では中央委員会総会というので、三中全会は18大会3中総ということになる。

国家行政学院の竹立家教授によれば、これまで重大な転換的意義を持つ改革の決定は、三中全会で行われてきた。
一中全会と二中全会は主に人事面の決定を行う会議、三中全会は重要な改革政策を打ち出し、新指導部の姿勢 綱領を具体的に示す会議となっている。

昔は外電の仲介した記事しか読めなかったが、最近はネットで日本語で人民日報が読める。

少し紹介していこう。

三中全会人民日報、3中総会に関する社説を発表 - 中国国際放送局

これは、「改革の旗を中国の発展の道ではためかせよう」という論文で、第三回全体会議の閉幕に当たって掲載されたもの。

1.中国の改革は歴史の新しいスタート地点に立った。会議は『中国共産党中央の改革の全面深化に関する若干の重要問題の決定』を採択した。

2.経済体制の改革の核心は政府と市場の関係をうまく取り扱うことだ。市場に資源 配置の中で決定的な役割を発揮させるとともに、政府の役割をよりよく発揮させなければならない。

3.中国は必ず新しい変化が起き、中国の特色を持つ社会主義事業は必ずより明るい未来を見せるに違いない

ということで、党中央の改革に関する決定と、政府と市場の関係をめぐる理論的展開が二つの柱になってるようだ。

たしかにこの二つが、焦眉の課題であることは間違いない。

「中核的利益」突出路線の黒幕であった中国国営石油の周永康・蒋潔敏の粛清が、外交路線にどのような結果をもたらすのか、

周永康が実権を握っていた内務・警察機能をどう再編するのか、

1月の中央政治局集団学習における習近平の「平和発展」路線が、より明確にされるのか、

大変気になるところだ。

政府と市場の関係については、この間、国営企業がその優位性を活かして民間企業に伍していくこと。市場での優位性を確保していくことが、一つのモデルとして打ち出されている。

これが「未来社会論」と連動してどのように理論的に進化していくのか、

ここも大変興味があるところだ。

これまでいわゆる社会主義国は遅れた資本主義から出発しており、日本のモデルには成り得ないとされていたが、中国は今や、ある意味で立派な資本主義大国だ。

したがって、中国の目指す経済改革が、市場と政府の関係を変革していく世界史的な試みとなることは間違いがない。

第9節は、「国際経済秩序」の問題だ。この言葉はこれまで先進国と途上国との関係で用いられてきた。

秩序ある貿易、開発、投資の課題、民衆の生活の向上、持続的に発展しうる諸国間の関係などが内容である。ただその内容は漠然としており、どちらかと言うと掛け声みたいなところがあった。

(私としてはITOの理念の復活を主張したい。たしかにこれは植民地が相次いで独立する以前のものではあるが、二つの大戦を経て平和と発展と生活向上の課題が一体のものとして力強く宣言されたものである)

今回の決議案は、従来の「国産経済秩序」という基本線は踏まえつつ、それとは別に、先進国における経済秩序の問題を取り上げている。「多国籍企業栄えて国滅ぶ」という事態に対し、「多国籍化した大企業への規制」を緊急の課題としてあげたのがそれだ。

①投機マネーへの規制(金融取引税)、②租税回避への規制(タックスヘイブン)、③法人税の引き下げ競争の規制(導管国)、④人件費引き下げ競争の規制 である。

これ自体は共産党としては大変斬新な、踏み込んだ提起だ。

かつて80年代、90年代はIMF・世銀による世界支配が最大の問題とされていた。いわゆる南北問題である。

これが、わずか20年後の現在では先進国の内部分裂(国家対超巨大企業、国際投機資本)の問題に転化しつつある。いわば資本主義が自壊現象の兆候を示しているともいえる。この変化をしっかり捉える必要がある。

変化の理由の一つは、先進国の「金余り」現象である。日本における大企業の巨大な内部留保もそうだが、既存の資本主義システムで金が回らなくなっている、あるいは金が回せなくなっている。

生産に消費が追いつかないために、お金が設備投資や再生産に回らない。お金が世の中に回らずに死蔵されれば、フローが減少する。

人々は宝の山の上でお金をもとめて奔走する。だから各国中銀はフローを維持するために量的緩和に走らざるを得なくなる。

この資金は生活に費消される資金ではない。資本として自己増殖を運命づけられた資金である。だから紆余曲折はあっても、いずれ途上国に流出してゆかざるをえない。

(途上国の人を自国内に呼び寄せるという手段もあるが、政治的にはきわめて危険な手法である)

20世紀初頭に出現した「不均等発展」の現象が形を変えてふたたび現れている。加害者であった先進国が内部から壊死状態に陥りつつある。これを救うためには上記の4点を実行するほかない。だが、出来るのだろうか。

その鍵は日本が握っているかもしれない。


国際情勢の分析は正直、ちょっともの足りないところがある。底流を流れる歴史の力との関連が浮きだしてこないので、叙述が平板で羅列的になってしまう。

たとえば第6節、軍事的覇権主義への固執と、外交交渉による国際問題の解決の二つの側面を持っているという記述がある。それ自体は正しいのだが、なぜ二つの側面を持つのかが分析されない。

外交が話し合いと武力という2つの側面を持つのは当たり前の話である。

今日的な「二つの側面」を持つにはそれなりの経過があっだはずで、その今日的特徴、いわば「アメリカ帝国主義論 2013年版」が語られないと文章が生きてこない。

アーミテージという謎の人物がいる。共和党政権では羽振りを利かせたが、今はただのロビイストだという評価になっている。ところが彼の名の冠せられたリポートは、未だに日本では聖書のごとく崇め奉られている。安倍政権が96条改憲に前のめりになった時に、これに歯止めをかけ「解釈改憲で集団的自衛権の実現を目指せ」と意見したのもアーミテージだった。

在日・在韓米軍を統括するハワイの太平洋軍司令官は、明確に安倍首相の好戦姿勢を批判した。軍の現場は参謀本部レベルまでふくめ、太平洋で波風を立てたくないのである。とくに対中国関係でそうだ。しかしプレゼンスは維持したい。そこて一番の波風が日本の集団的自衛権問題ということになる。

「二つの側面」という時には、その矛盾はいかにもたらされ、いかに解決されるのか言及されるべきだろうと思う。


もう一つ、今回の決議案で語られなかった大きな問題がある。中国の評価である。
胡錦濤から習近平体制への変化があり、それがどのような方向性を打ち出すのかがわからないと、軽々に評価はできない。
ただいずれこの問題は態度表明がもとめられる。それをしないでアセアンばかりを重視していると、中国包囲網を形成しようとしているとすら受け止められかねない。

それなりに中国をウォッチしてきて、私は習近平体制に非常に注目してる。日本の財界が胡錦濤体制の終焉を非常に残念がって、習近平に警戒心をあらわにしているのと正反対である。

とくに石油産業トップへの粛清は衝撃だった。彼らこそが軍部と結びついた膨張主義の最大の震源地だと考えていたからである。

まだ最近の中央委員会の関連記事は読んでいないが、ウォール・ストリート・ジャーナルがさんざんこき下ろしているという話を聞いて、これは結構いい会議になったのではないかと期待している。

本日の赤旗に第26回党大会へ向けての決議案が掲載された。

実は、私なりの情勢認識とどう一致しどこが違っているのかを、チェックしようと期待していた。

第1章 自共対決論 については予想したとおりであった。この政治構造把握の問題は、情勢一般より優先する課題であり、「自共対決」という主張が「誇大妄想]と侮られずに、国民の賛同を得るためには、独自の特別の検討を必要とするからだ。

一つは70年代の「保革対決」との違いである。もう一つは正直共産党の地力が落ちているのに、ふたたび自共対決になってしまった理由である。これは「安倍内閣論」と表裏一体である。そして三つ目は統一戦線の課題との有機的関連である。

情勢は第2章の国際情勢と、第3章の国内情勢に分かれる。

私は世界の支配層の三つの深刻な行き詰まりを考えていた。ユーロ諸国で明らかになった新自由主義的な経済・金融システムの行き詰まり、アメリカを唯一の超大国とするシステムの、とりわけイラク、アフガンでの軍事的な行き詰まり、原発問題を典型とする環境問題での行き詰まりである。

そしてとりわけ、オバマ登場後のアメリカ国内での特徴的な動きを注意深く分析する必要があると考えていた。

もう一つは、中国を先頭とするBRICS諸国が、はたして世界の民衆と手を結びながら、現在の行き詰まったシステムを変革していくのか、それとも既存の大国の利害関係の中に取り込まれていくのかという見通しである。他力本願になるわけではないが、これらの諸国の動きが21世紀をかなり規定していくのではないかと考えている。

第三は、東アジアの平和の課題である。カギを握るのは多国間主義であり、中国がその方向にふたたび歩み始めるか否かが当面重要な関心を呼んでいる。志位訪問団が最近ベトナム・インドネシアを訪れたこともあり、これは大きく取り上げられるだろうと予想した。

国内情勢は課題がありすぎて整理がつかなくなっている。

政治的には、闘争の課題も踏まえて大づかみに言えば、憲法、原発、TPPということになるだろう。これに加えて沖縄、消費税、震災復興、直近かつ緊急の問題として秘密保護法が加わってくる。

経済的には、経済の空洞化、大企業の租税回避、雇用、財政・金融システムの破壊、社会保障制度の改悪がますます深刻になっており、警鐘を乱打しなければならない。

党大会ということであれば、これを数年のスパンで構造化しなければならない。そして自共対決と一点共闘の必然性にまで集約させなければならない。そして選挙闘争での勝利こそが情勢打開の鍵だというところまで意思統一を促さなければならない。

環境の問題では、この間起こった世界史的な事件である原発問題に関連して、どうしても「核の平和的利用」についてコメントしなければならないだろう。どこにどう書くのかもふくめて難しい問題だが、当事国の党としては何らかの形で発信しなければならないだろう。

書記局の皆さんにはご苦労と思うが、こんなに課題が多くて複雑な大会決議はなかったのではないだろうか。

フィリピンの台風は未曾有の被害となりそうだ。
まださらに犠牲者は増えるようだ。
ところで大島町長バッシングのTBSはこの台風をどう報道するのか注目だ。
レイテ島の知事を呼びつけて、「台風が来るのは2日も前からわかっていた。島民を避難させなかったのはお前の責任だ」とやっつけるのだろうか。
まず大島報道について自己批判しないと、あなた方の行動は不信の目で見られることになる。

第三章に入る前に、ちょっと長めの解説を入れておく。
いきなり「黒色胆汁」という言葉が出てきて面食らうだろう。

1.「黒色胆汁」はメランコリー

黒色胆汁はヒルデガルトの文章の中で一番違和感を覚える言葉だ。

黒色胆汁というのは現代医学用語の中になはい。黒色胆石というのは存在する。ビリルビン結石の一種で、鉄分が多いと黒くなる、普通のコレステロール結石は白色だが、これは黒く砂粒状であることが多い。

しかしこれを英語に直すとメラノ・コリアだ。メランコリーならだれでも知っている。口ずさみさえする。

メラノはメラニン色素のメラノであり、ギリシャ語で黒を意味する。コリアは胆汁のことだ。

だから、メラノコリアは黒色胆汁などと下手に訳さないほうが良い。メランコリーとそのまま使ったほうが良い。

何れにしても、黒色胆汁は死語どころか現代社会でも大手を振って歩いている言葉なのだ。

2.メランコリーの語源

元々ヒポクラテスが抑うつ傾向を観察・記述し、その原因としてメランコリーの過剰によるとしたのが始まりである。

きわめて観念的な物質であり、想像上の産物と言ってよい。胆汁というのは肝臓で作られ、胆のうで濃縮・貯蔵され、摂食にともなって消化管中に排出される。

しかしガレノスはメランコリーが脾臓と精巣で作られるとしているから、そもそも矛盾している。

だから抑うつ状態を惹起する液性物質(Substance X)と考えたほうが良い。

大事なことは、病者の観察から始まり、その原因を何らかの物質にもとめたという態度であり、その意味では科学的に正しいのである。

ということで、これからあとは「うつ物質」と書いていくことにする。

3.メランコリーの位置づけ

今日人間にうつ状態をもたらす物質はいくつか指摘されている。しかしそれにより惹起されたうつ状態は、うつ病の本態ではなく、一種の亜型と考えられている。

ほとんどのうつ病は内因性うつ病と言われ、その本態は未解明である。(DSMでは大うつ病と言われているが、どうも納得出来ない)

つまりわかっちゃいないという点では、ヒルデガルトと現代の我々は五十歩百歩なのである。

4.明朗快活と悲哀抑圧とは一直線上にはない

今では黒雲が意識を襲いうつになるというよりは、気分を高揚させる物質が枯渇した状態として抑うつを捉える傾向が強い。

この見方からは躁状態もうつ状態も一直線の座標軸上の一点に過ぎなくなる。その見方が妥当するような一連の疾患も確かに存在する。しかしはたしてそうだろうか。

たとえば意識状態を示すのに「3-3-9度方式」が使われる。若手のお医者さんや看護婦さんはもっぱらこれで来る。

たしかに便利なスケールなのだが、どうも私は違和感を覚えてしまう。我々の学生時代はゾムノレンツ、ステュポール、セミコーマ、ディープ・コーマみたいなごたまぜだった。

どうも意識状態の変化は単線的ではないような気がする。たとえば傾眠というが、眠くなるのと意識レベルが落ちていくのとは生物学的な意味合いが違ってくる。

睡眠は疲れたから眠くなるというような消極的なものではなく、ある意味で能動的な反応であり、「睡眠物質」(GABAなど)が関与しているのではないかというのが最近の考えである

もちろん睡眠というのは基本的には動物的な反応である。これに体しうつというのは人間的な反応であるから、単一の液性因子で規定される事は決してない。

うつ病は躁病と合併することがある。これは双極性障害と言って、単一の直線に乗っている可能性がある。しかし多くのうつ病(メジャー・タイプ)は双極性を示さない。

またうつの精神症状が活動性の低下とは限らない。初発症状は不眠であり、自殺企図はしばしば激烈であり、統合失調(分裂病)と近接する。

どうも普通の人が気分が落ち込んだり、メランコリーになったりするのとは訳が違い、何か「うつ物質」が過剰に分泌されているのではとも思える。

意外と、私達がバカにしていた昔の人のほうが正しかったりする可能性もある。


Ⅱ 感情・肉体・魂の相関と病の根源

 

A) 怒りの奥にある悲しみ―症状と病理

病理学的診断とは、病者に症状・徴候をもたらしている病態生理学的変化が、身体各所における変化とどのように結びついているのかを明らかにする過程のことです。犯罪捜査で言えば容疑者を特定し、犯人を突き止める作業に当たるでしょうか。

ジグヴィツァの症状には「怒り」と「錯乱」がある。「怒りは悲しみから生まれる。」

この洞察はすごいですね。

①怒りと錯乱が発生する身体的メカニズムと魂の働き

人の魂は自分や自分の体に逆らうものを感じ取ると、心臓や肝臓そして血管を収縮させる。そして心臓の周りには霧のようなものが立ち昇り、心臓を曇ら せ、こうして人は悲しくなる。心臓を覆っていた悲しみの霧は、すべての体液の中や胆嚢のまわりに温かい蒸気を生み出す。この蒸気が胆汁をかき立てる。こう して胆汁の苦みから静かに怒りが生まれる。

②悲しみから転化した怒りが治まらずに継続した場合、どのように精神を錯乱させるのか。

怒りが治まらないままでいると、蒸気は黒色胆汁にまで達して黒色胆汁をかき立てる。すると黒色胆汁はひどく黒い霧を送り出すようになる。

この霧は胆汁にまで達し、胆汁からは非常に苦い蒸気が吐き出される。さらにこの霧は蒸気とともに脳まで達して、有害な体液をかき立て頭を患わせる。

ついでこの霧は胃にまで下りてゆき、胃の血管と胃の内部を襲い、その人を錯乱状態に陥れる。こうしてその人は無自覚なうちに怒り出すのである。

「魂の注入」が川の流れのように描写されたように、体液の反応も川の流れのように見ている。川に岩礁があれば波立つように、体液も変化を通して「逆らうもの」を伝える働きをする。

黒色胆汁とか黒い霧とか荒唐無稽なものが出てきますが、それを除けば、現代の医学でも証明されているものです。むしろセリエのストレス学説から神経内分泌系へと発展してきた筋道を振り返ると、かなり先見の明を持っていたとさえ言えるでしょう。胆のうを副腎に置き換え、胆汁をアドレナリンに置き換えれ ばそのまま通用するかもしれません。
現在はアドレナリンばかりではなく、その前駆物質であるノルアドレナリンやドパミンが独自の働きを持つこと、さらに セロトニン系もあることまではわかっていますが、それらが総合的・体系的に解明されたとはいえない状況です。ただし「霧」については説明がつきません。感 覚機能の全般的低下かもしれないし、大脳の抑制系の過剰反応かもしれません。

B) 「甘い-苦い」―魂(あるいは身体)の内的感覚

① 甘い―苦い

「思い」が心臓に留まっているとき、その思いは甘いか苦いか、そのどちらかを持っている。甘さは脳を豊かにし、苦さは脳を虚ろにする。甘さがあると、その人の目や耳や口は喜びを表す。苦さがあると目は涙を流し、話しぶりや聞き方にさえ怒りや悲しみが表れる。

思いは魂の感覚であり、したがってこの「思い」は非言語的であり、アリストテレスのいう植物的・動物的生魂の感覚を含んでいる。脳はこの心臓の思いの反映である。

この思考構造の重層性と、それら重層構造全体の脳内アミンによる被規定性は、現代でもほぼそのまま通用します。心臓 を大脳の古層や海馬、辺縁系等に置き換え、甘さ、苦さを拮抗する脳内アミンの相互作用に置き換えれば良いだけの話です。つまりヒルデガルトにとっては、 「心臓」=古脳と、脳=大脳皮質が精神疾患の主座であり、脳内アミンのバランスの乱れがその引き金を引いて、身体各所の連鎖反応を引き起こしたと見ている ことになります。

ヒルデガルトの「甘い」「苦い」は、肉体を含む生命の感覚に近い。目や耳や口が喜びを表すとは、「甘い」という感覚が「自然的・全的」であることを示している。

C) 怒りの奥にある悲しみについて―原罪と黒色胆汁

アダムがリンゴを食べ、善を知りながら悪を行った時、アダムのこの自己矛盾により、彼の中に黒色胆汁が生まれた。アダムが抱く悲しみと絶望とは、この黒色胆汁から生まれたものである。

この黒色胆汁はすべての人間のすべての病を引き起こす源となった。黒色胆汁は、原罪の記憶の体への刻印であり、その「遺伝的」継承である。それは原罪を想起するために埋め込まれた記憶である。

悲しみとは罪(原罪)の責め苦である。怒りは悲しみから生まれる。「怒り」とは、罪の責め苦から逃れるための屈折である。悲しみから逃れようとする誤った抗いが、怒りとなって現れる。悲しみと怒りは何層にもなっている。

おそらくヒルデガルトは「悲しみ」という言葉をもう少し多義的に用いていると思います。原文にあたっているわけでは ないので確信はありませんが、「受苦」に近い言葉ではないでしょうか。そこから「怒り」の感情が湧いてくる心理的機転については、キューブラー・ロスの 「死ぬ瞬間」で実証されています。死の宣告を受けた人の心理変化には4つの段階があるといわれます(ロスは5つと言っていますが、第3の段階は抜くことが 多い)。すなわち否認-怒り-抑うつ-受容です。本人の否認は病気の側からの“再否認”となって戻ってきます。この再否認が“神からの拒絶”の内容だと思 います。一般的に言う“悲しみ”は抑うつに相当しますが、ヒルデガルトの叙述からは「否認へのリプライ」と見たほうが良いようです

D)ヒルデガルト体液論について

体液には四つの種類がある。二つの優位な体液は粘液と呼ばれ、それに次ぐ二つの体液はリヴォルと呼ばれる。

これについてはさすがに評価できません。かのシッパーゲス先生も、「病気の有機体に生ずる変化のうち何に該当するかを正確にいうことは不可能である」とさじを投げています。

思うに時代背景としては、ローマ時代の医学(ガレノスを代表とする)がサラセン帝国を通じて再導入され、最新医学として一世を風靡していたという事情があったのではないでしょうか。ヒルデガルトは当時の最先端を行く知識人ですから、当然ガレノスの影響を受けたと思います。

この後演者は多田富雄の「免疫の意味論」から、「身体的に“自己”を規定しているのは免疫系であって脳ではない」と断言し、同じく多田の「超システムとしての免疫論」を長々と引用し、以下の結論を引き出している。
多田の「超システム」の中心にある自己形成の主体とその働きこそ、ヒルデガルトの人間観の核心“孕みの総体としての人間”を示しており、統合する主体であろう。
そしてマルクスへの面当てか、
「わたし」は「関係の総和」ではないことに注意、と書き添えている。
反 論1 多田氏の「免疫の意味論」については私も以前、一度コメントしたことがある。生物学的にはそれらの主張は正しいのだが、生物学的自己と人間的自己は 峻別しなければならないということである。その筋の専門家というのは往々にして自分の背中に似せて甲羅を作ることがある。そうすると、文系の人はコンプ レックスがあるものだから、やすやすと受け入れてしまう。すると専門家の方もいい気分になって、専門家同士の間では口が裂けてもいわないような野放図な酒 飲み話を、ごたいそうな御託宣のように語るようになっていく。いわく「免疫で全てがわかる」、「遺伝子で全てがわかる」、「脳内アミンで全てがわかる」と いうふうである。
反論2 演者は「免疫という生命反応を司る分子は、実はさまざまな作用をもった曖昧な分子である。・・・「自己」は本質的に「冗 長性」と「曖昧さ」の上に成立する混沌の世界である」という、多田氏の発言を引用して哲学的な大発見であるかのように持ち上げている。しかし、冗長であ り、曖昧であり、混沌としているように見えるのは、我々の認識の現段階での到達が反映されているにすぎないのである。それはいずれは整理され、組織だった 認識になっていく可能性がある。これまでの科学の認識というのはつねにそうだった。
反論3 「人間は社会的関係の総体」といったのはマルクスであ る。これは人間(諸個人)を過程の中に位置づけていることから引き出されたカテゴリーであり、生命過程・社会過程の中に析出された諸個人に人間の本質を見 ようとするものである。それは同時に、人間を生命の発生以来の諸関係の発展の歴史的総体としても見ることを求めている。

 

D) ヒルデガルトにおける悪魔と悪霊

実は悪魔に対する知識がなくて、ネットで検索したのですが、民間信仰を習俗しており宗派によっていろいろで、「さま ざまな作用をもった曖昧な分子である」ようです。親分がルチフェルという名で、こいつは元天使で天国を追放され(堕天使という)、悪仲間を募って悪魔の世 界を形成したようです。メキシコの麻薬戦争における「セタス」がそれにあたります。

悪魔・悪霊とも人間の魂を眠りこませ、魂の働きを覆い隠す。悪霊の取りついたものの身体からは「黒い霧のようなもの」が発せられる。この黒い霧とは黒色胆汁の発するものである。

 

Ⅲ 具体的な治療

 

A) 生活法にとって重要な6つの要素(以下『戒律』)

①光・空気・静寂などの環境 ②飲み物と食べ物 ヒルデガルトはワイン・ビール・薬用酒には寛容であった、そうだ。いい人だ。 ③運動と安静 ④適度の睡眠(通常は6時間) ⑤体液の排泄または保持 ⑥感情の中庸=怒り・恐れ・不安など心の激情から節度を守る

B)食事療法

食物の摂取において人間は日々新たにすべての被造物との、きわめて具体的な肉体的な交わりを結ぶ。胃は世界の素材を交換する中心であり、したがって胃は宇宙の受容力と呼ぶことができる。

胃は宇宙の受容力 というのはいい言葉です。いつか使おう。

以下省略

C)ハーブの処方

省略

C)その他の療法

D) 共同の祈り

1)祈り・ミサ・最高の薬としての聖体拝領

2)伐魔式―最後の仕上げ

 

Ⅰ 一精神疾患者の治療経過

ここは症例報告だ。『聖女ヒルデガルトの生涯』第20章~24章の要約となっている。

A) ジグヴィツァの症状と治癒までの経過

①ライン川下流域に住むジグヴィツァという名の高貴なる若い女性が悪魔に取り憑かれた。

②ジグヴィツァを収容したある修道院では、3ヶ月にわたって治療を試みたがその効果はなく、ヒルデガルトに救援の手紙を送ってきた。

③ヒルデガルトは手紙を返し、断食・苦行・布施の後、ミサを執り行い、7人の司祭による伐魔式を行わせた。すると邪悪な霊は力の限りわめき、周囲の 者を恐怖におとしめるほどに悲しく恐ろしい叫び声を上げ、半時間も狂乱状態が続いたあと、ついに悪霊は憑依していた器から去っていった。

ジグヴェツァは自ら祭壇の前にひれ伏して神に感謝のことばを捧げた。会衆から歓喜の声が上がったのも束の間、彼女は全身を震わせて叫び、咆哮を上 げ、以前にも増して荒れ狂い始めた。そして、空になった器に再び舞い戻った悪霊が叫んだ。「あの年老いた女の前でのみ自分は去るだろう」。悪霊はヒルデガ ルトを指名したのである。

映画「エクソシスト」そのままですね。

④こうしてジグヴィツァはヒルデガルトのもとに送られてきた。…修道院に移って以降、悪霊はジグヴィツァに混乱や恐怖を沸き起こし、嘲笑や下品な言 葉を吐かせ、忌まわしい蒸気を吐いた。だがこの悪霊が聖堂から聖堂に移る際、あるいは女のために施しをした時や聖職者の祈りを聞いたときなどに、一瞬ひる むことがあるのを、ヒルデガルトは見逃さなかった。

⑤(ヒルデガルトは)50日を越える期間、ジグヴィツァのために断食し、祈りと喜捨を奉げ、苦行に励んだ。

⑥1170年(ヒルデガルト72歳)の復活徹夜祭を直前にした聖土曜日の夜、抜魔式が行なわれた。司祭が洗礼盤の聖別した水に息を吹き込むと、ジグヴィツアは恐れおののき、その足をばたつかせて震え始め、口からは靄のようなものを何度も吐いた。

⑦司祭が命じる。「サタンよ、この女の体から立ち去れ。」
するとおぞましい霊はおりものとなって排出され、出て行った。こうしてジグヴィツァは解放され、その魂と身体の感覚は健康に保たれることになった。

ここまでは怪奇譚みたいなものですが、「人間に振りかかる災厄が、悪霊という半物質的なものをとって体に棲みつく」というストーリーは、現在でも病因論として十分成り立ちます。それさえ取り出せばたとえ精神病患者であろうと常人に戻るという信念は、むしろ唯物論的です。

現代医学も細菌やガンを取り出して、聖水ならぬ抗生剤や抗癌剤をふりかけて、後は病人の体力次第と見守るというのが基本的なストラテジーですから、ヒルデガルトとは五十歩百歩でしょう。

病人そのものを化物扱いしたり、危険だからといって隔離したり、活動を抑制したり、社会的にハンディを負わせたり、あまつさえ劣等種族という口実で物理的に抹消しようというのは、中世の人々にも劣る医学観です。

 

B)ヒルデガルトの診立て

診断というのは病態生理学的診断、病理学的診断、病因的診断の三段階にわかれます。臨床的にはこれに症候学的分類と 機能分類(重症度分類)が加わります。症候学的分類というのは徴候・症状を観察して、疾病の全体像を把握することです。病態生理学的診断というのは、それ が如何なる機転によってもたらされているかを診断することです。

①「私はヴィジョンの中で、ジグヴィツァの症状は悪魔が黒い影と煙を集め球にし、その娘を覆ったものとみた。これが彼女の魂を圧迫し、彼女の理性を許さなかった」

②「わたしは悪魔がどのような形で人間の中に侵入するのか知りたいと考えていた。

たいていの人は、発狂した人を悪魔に取り憑かれていると考えがちだが、そうではない。悪魔はその本来の姿で人間に入ることは許されないので、黒い影 と煙とをもって人間の正気を失わせ、下品な振舞いをし、叫ぶのである。・・・その間、人間の魂は眠ったようになっており、その間、肉の体が何をしているか を知らない」

彼女は「憑依」現象を「二重人格」(解離性同一性障害)として説明していることになる。ハイド氏が悪さをしている間ジキル博士は眠っているのである。

 

C) ヒルデガルトには魂がどのように見えていたか―5種類の状態

 

第4回ヒルデガルト連続セミナー 「病とは何か」

(2013・6・15)

もう29年以上も前、私はヒルデガルト・フォン・ビンゲンという修道女が存在していたことを知った。彼女の言動はシッパーゲス著「中世の医学」とい小難しい本で紹介されていた。普通ならこんな本は敬遠するところであるが、「患者の権利」と共同の営みという論文を書くためにしょうがなく読み始めた本だった。

その中で彼女の言葉のいくばくかに触れ、感動した憶えがある。その後書店の本棚に彼女に関する本が並んでいるのは見たが、手にとってパラパラとめくるだけで「あぁ、これはとても歯がたたない」と断念してきた。

なにせどれも分厚い。しかも内容の8割方はしょうもないことばかりで、きっと肝心のところに行き着くまでに睡魔が襲ってくるだろう。それにけちなことを言うわけではないが、腹が立つほどに高価である。

ということで、何度かトバグチまで立って、そのたびに踵を返すということが続いた。そのうちに忘れていた。

今回、上記題名のファイルを見つけて小躍りした次第である。臼田夜半さんという人の講義レジメ。なんと「ハーブ研究会」という団体のセミナーのようで、聴講者はハーブで商売しようと思っている女性たち。ほとんど馬の耳に念仏の世界だろう。まぁそれはともかくとして、なんとか読み通してみよう。

 

まずは目次から

 Ⅰ 一精神疾患者の治療経過
Ⅱ 感情・肉体・魂の相関と病の根源
Ⅲ ヒルデガルトの全体性医療
Ⅳ 病とは何か
Ⅴ 治癒することの意味
Ⅵ ホモ・コンパティエンス(共苦する存在)

 

ホモ・コンパティエンス(共苦する存在)というのがなんとも言えず魅力的だ。たしかに人間は「協働」する存在であるとともに、「共苦」する存在でもある。「協働」や「共苦」をふくんで共存する存在である。

なにはともあれ内容に入っていこう。


名護市の財政

名護市の財政についてかなり衝撃の数字が出ている。

下の図だ。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/8/0/80dc3916.jpg

2000年前後は歳入は年310億、これが2005年までには約50億減った。

基地関連収入は310x19.8=61億から266x24.4=65億と微増している。

これがすべて基地のマイナス効果とは言わないが、街全体にとって決して基地がプラスの経済効果を持っているとはいえないことが分かる。

基地関連収入を除いた5年間の歳入低下率は[(310-61)-(266-65)]÷(310-61)=19%に上る。歳入は市民の収入を反映しているから、経済活動が5年間で2割前後落ち込んだことになる。

これだけ経済が落ち込めば失業率も増える。05年度の若者の失業率は19.4%に達していた。これは明らかに社会不安の起こる危険ラインを突破している。

これが稲嶺市政になって11年の予算を見ると、歳入総額が330億円になっている。しかも注目すべきは基地関連収入の激減だ。327x11.3%=37円に激減している。(65-37)÷65=43%の減少となっている。

非基地関連の歳入は[(327-37)-(266-65)]÷(266-65)=44%の著増だ。市の歳入が5,6年の間に1.5倍になれば、街の景気は絶好調と言わざるを得ない。

若者の失業率は14.3%にまで低下した。市外に出ていくものも多いだろうが、街中に職もなくぶらぶらしている若者が減ったのは間違いない。

正直言ってなにか数字のトリックがあるのではないかと気になる。11年度予算というのが怪しい。少なくとも12年度決算は使えるはずだ。そこで勝負してほしい。

なお記事には以下のように書かれている。

新基地反対を貫く稲嶺市長就任直後の2010年、国は米軍再編交付金を停止する露骨な“嫌がらせ”に出ました。
当初は[予算が組めなくなる][建設業は仕事がなくなる]等不安の声も聞かれました。

しかし基地収入に頼らない財政運営を進め、予算も増やしてきたのが稲嶺市政の3年半です。

振興費によるハコモノ作りではなく、市民に密着した事業で中小業者の仕事を作ってきた。
沖縄はこれまでの基地に依存した経済から脱却すべきだ。名護市はその先進的なモデルになる。(与党選出の市議会議長談)


ネットを見ても、その手の記事は殆ど見当たらない。

琉球新報 2011年2月8日 にこんな記事があった。

名護市長「再編交付金なくても大丈夫」 良好な財政状況アピール

沖縄防衛局が名護市への米軍再編交付金の支給を停止したことに関連して、稲嶺進名護市長は広報誌「市民の広場」2月号で、「再編交付金がなくても市は大丈夫」とのメッセージを掲載した。記事では、同交付金を活用する予定だった事業を別財源に組み替えていることや、市の財政状況が良好であることなどをアピールしている。

実際に市の単年度の黒字額を示す「実質単年度収支」は、05年の約1億9800万円から09年には約5億4860万円に上昇。借金の程度の基準となる「実質公債費比率」も同期間に15・3%から11・8%へと低下している。市の貯金となる「積立金」は05年の約15億9450万円から11年1月現在で52億6970万円まで増えている。


ということで、赤旗のあげた11年度予算案というのは、この時に急きょ差し替えなどして作り上げた予算、ということになる。

問題はその結果だ。


アンデルシェフスキーというピアニストがいる。最近売り出し中である。
ポーランド人で、英語表記では Piotr Anderszewski と綴る。
YouTubeではバッハのパルティータの1番と2番、モーツァルトの17番のコンチェルト、シューマンの「暁」を聞くことが出来る。

一応ひと通り聞いてみたが、どうも趣味ではない。リズム感が不足しているような気がする。

バッハはとにかくソコロフのソフトな音色とグルーブ感あふれる演奏がある。パルティータなのだからノリがなければならない。それにバッハってもっとギャラントではない?

17番は、ルビンステインを聞いてしまうと「これでいいじゃん」という気分になってしまう。ペライアならもっと音がいい。ゼルキン=セルは、襟を正して聴くモーツァルトで、いささかも手を抜かない演奏で、ちょっとした転調などがズキッと来るが、いささか肩がこる。音もやせている。
もっとも、この頃のセルの録音はリマスターしてもらうと、見違えるような音になるのだが(協奏交響曲が好例)。

シューマンの「暁」(Gesänge der Frühe)は、作品133というから最晩年の作。ブラームスは枯れても味があるが、シューマンは産卵を終えた鮭みたいで、これを北海道では「ホッチャレ」という。

ということで、私とは縁遠いピアニストということになりそうだ。

幸福について

1.忘れられた「幸福」

今日の人間(昭和10年代の日本人)は幸福について殆ど考へないやうである。我が國で書かれた倫理の本を開いて見たまへ。只の一個所も幸福 の問題を取扱つてゐない。

(そういう時代があったのだと想像することすら辛い時代だ。わずか70年前、それがまさしく現実としてあったのだ。その時代のただ中においてこの文章が書かれたことに、まず思いを致さなければならない)

疑ひなく確かなことだが、過去のすべての時代においてつねに、幸福は倫理の中心問題であつた。

ギリ シアの倫理學、ストアの嚴肅主義は幸福のために節欲を説いた。キリスト教においても、アウグスティヌスやパスカルなどは、人間はどこまでも幸福を求めるといふ事實を根本として彼等の宗教論や倫理學を出立した。

 

2.幸福だから幸福について考えないのか?

幸福について考へることは、すでに一つの不幸の兆しである、といはれるかも知れない。

(これは分かったようで分からない話である。おそらく前号の出だしの部分を引きずっているのだろう。人は健康なときは体のことを気にかけない。病気になった時はじめて健康のありがたさを感じる、という話の類推である。ただその話と幸福の話は各々の範疇が微妙にずれていて、1対1の対応にはなっていない。しかし、それはとりあえず措いておこう)

しかしながら今日の人間は、果して幸福であるために幸福について考へないのであろうか。

むしろ我々の時代は、人々に幸福について考へる氣力をさへ失はせてしまつたほど不幸なのではあるまいか。

幸福を語ることが、すでに何か不道徳なことであるかのやうに感じられるほど、今の世の中は不幸に充ちてゐるのではあるまいか。

(「死について」にせよ、「幸福について」にせよ、出だしはきわめて快調である。「羊頭を掲げ狗肉を売る」のか「竜頭蛇尾」というべきか)

 

3.今日の良心とは幸福の要求である

今日の人間もあらゆる場合にいはば本能的に幸福を求めてゐるに相違ない。(それなのに)幸福については 殆ど考へないのである。これが現代の精神的状況であり、現代人の不幸を特徴附けてゐる。

良心の義務と幸福の要求とを對立的に考へるのは近代的リゴリズムである。これに反して私は考へる。“今日の良心とは幸福の要求である”と。

社會、階級、人類など、あらゆるものの名において人間的な幸福の要求が抹殺されようとしてゐる場合、幸福の要求ほど良心的なものがあるであらうか。幸福の要求と結び附かない限り、(それらは)なんら倫理的な意味を有し得ない。

(ここまで言っていいのか。真珠湾の半年前だ。発禁か、下手をすれば投獄ものだ)

倫理の問題が幸福の問題から分離されたために、あらゆる任意のものを倫理の概念として流用することが可能になつた。(なってしまった)

(私見ですが、倫理“学”とは Sollen の体系ではない。それは人間の「さが」と能動性への洞察でなくてはならないでしょう)

幸福の要求が今日の良心として復權されねばならぬ。ひとがヒューマニストであるかどうかは、主としてこの點に懸つてゐる。

(鋭い。今回は冴えているぞ)

昭和15年(1940年)
6月1日:6大都市で砂糖、マッチの切符制実施。
6月22日:「とんとん、とんからりの隣組」の歌(大政翼賛会推薦)の放送が始まる。
7月23日:近衛首相が「大御心を仰いで一億一心、真実の御奉公を」と檄を飛ばす。
7月26日:基本国策要綱を閣議決定、大東亜新秩序・国防国家の建設。
8月1日:東京の食堂・料理店、米食使用禁止、販売時間も制限。
8月1日:国民精神総動員本部が「ぜいたくは敵だ!」の立て看板1500枚を東京市内に設置した。そのほか「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」や「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ」などの標語。
10月31日:東京のダンスホールが閉鎖。「パーマネントはやめませう」運動。 国民服が奨励される。

 

4.倫理的空語 例えば“主体的”

幸福の問題が倫理の問題から抹殺されるに從つて多くの倫理的空語を生じた。例へば、主體的といふ言葉である。

倫理的といふことと主體的といふこととが一緒に語られるのは正しい。 けれども主體的といふ言葉は、幸福の要求から抽象されてしまった。それによって今日では一つの倫理的空語となつてゐる。

 

5.動機論を排除すれば心理的リアリティが消え去る

また現代の倫理學から抹殺されようとしてゐるのは動機論である。

幸福の要求がすべての行爲の動機であるといふことは、以前の倫理學の共通の出發點であつた。現代の哲學はかやうな考へ方を心理主義と名附けて排斥した。そのとき現代人の心理の無秩序 が始まつたのである。

(“心理主義”の排除によって)自分の行爲の動機が幸福の要求であるのかどうかが分らなくなつた。「心理のリアリティ」が疑はしくなり、人間解釋についてあらゆる種類の觀念主義が生じた。

「心理のリアリティ」は、心理のうちに秩序が存在する場合にあかしされる。幸福の要求はその秩序の基底をなしている。だから、「心理のリアリティ」は幸福の要求(を示すことがら)のうちに與へられてゐるのである。

だから、幸福論を抹殺した倫理は、一見いかに論理的であるにしても、その内實において虚無主義(空虚な虚仮威しの主張)にほかならぬ。

 

6.それは心理学の破壊から始まった

以前の心理學は心理批評の學であつた。それは藝術批評などといふ批評の意味における心理批評を目的としてゐた。

人間精神のもろもろの活動、もろもろの側面を評價することによつてこれを秩序附けるといふのが心理學の仕事であつた。この仕事において哲學者は文學者と同じであつた。

かやうな價値批評としての心理學が自然科學的方法に基く心理學によつて破壞されてしまった。これに反抗して現はれたのが人間學といふものである。

(気持ちとしては大変良くわかるが、やはりそれは言いすぎであろう。哲学が文学ではなく「総合の学」として自己規定する以上、自然科学的心理学の成果は吸収され総合されなければならない。問題は、それで人間の心理がわかると考える“心理学主義者”と取り巻きたちの浅はかさである)

 しかるにこの人間學も 今日では最初の動機から逸脱してしまった。(“人間学者”も、心理学主義者と同様に)人間心理の批評といふ固有の意味を抛棄した。

(いまや)あらゆる任意のものが人間學と稱せられるやうになつてゐる。

哲學における藝術家的なものが失はれてしまひ、心理批評の仕事はただ文學者にのみ委ねられている。そこに心理學をもたないこと(総合性の放棄)が一般的になつた今日の哲學の抽象性が ある。

(これは一種のパテント争いのようなもので、“心理学”者たちが心理学の専門家でもないのに「心理学」のパテントを取ってしまい、ついで今度は“人間学”者や論理実証主義者が「哲学」のパテントさえもとってしまったようなものだ。大学の講座は全部そういう連中に占領されちまったから、こちらは在野でやっていくしかない)

 

7.現代哲学の特徴は幸福論の抹殺

その際見逃してならぬことは、この現代哲學の一つの特徴が幸福論の抹殺と關聯してゐるといふことである。

幸福を單に感性的なものと考へることは間違つてゐる。むしろ主知主義が倫理上の幸福説と結び附くのがつねであることを思想の歴史は示してゐる。幸福の問題は主知主義にとつて最大の支柱であるとさへいふことができる。

(主知論という言葉は唯物論と置き換えても良いだろう。幸福(あるいは不幸)は諸個人にとってまごうことなき現実的な所与であるから、唯物論者の拠って立つべきものである)

もし幸福論を抹殺してかかるなら、主知主義を扼殺することは容易である。實際、今日の反主知主義の思想の殆どすべては、幸福論を抹殺することから出發してゐる。そこに今日の反主知主義の祕密がある。

 

8.「愛する者のために死ぬ」ことと幸福との関係

幸福は徳に反するものでなく、むしろ幸福そのものが徳である。

もちろん、他人の幸福について考へねばならぬといふのは正しい。しかし我々は我々の愛する者に對して、自分が幸福であることよりなほ以上の善いことを爲し得るであらうか。

(と、見得を切った後、三木はのっぴきならないところへ突っ込んでいく)

日常の小さな 仕事から、喜んで自分を犧牲にするといふに至るまで、あらゆる事柄において、幸福は力である。(なぜなら、幸福は徳であり、徳は力であるからだ)

(愛するもののために死んだ多くの人々がいる)愛するもののために死んだ故に彼等は幸福であつたのか。

(問を発した途端に、三木は教誨師の立場に戻る。まるでサーカスだ。あるいは最後は見せないストリップ嬢だ)

そうではなく、反對に、彼等は幸福であつた故に愛するもののために死ぬる力を有したのである。

(ここで読者や学生は一斉に赤鉛筆を取り出して傍線を引いたことであろう。ただ、これは自問に対する自答にはなっていない。論理には曖昧さと飛躍がある。なぜなら「幸福」を極限まで個人化してしまっているからである。これでは実存へのもう一つの実存の対置にしかなっていない。もっと人間の類的本質に関わった押し出しをしなければならないだろう。最もそんなこと書けるはずもないが…)

 

9.生とは想像である

(この人の話はよく飛ぶ、他人をけむにまく趣味があったようだ。小見出しをつけていても分からなくなるほどである。これをベタの平文で読んでいた当時の読者はえらいと思う。わかったような気分になりたかったんだろうねぇ)

死は觀念である、と私は書いた。これに對して生は何であるか。生とは想像である、と私はいはうと思ふ。

これは註釈で済む話ではない。日本の知識人は「想像」あるいは「想像力」という言葉を安易に使いすぎる。明治のご一新以来、西洋の知識や物の考え方を導入する人々は、言葉の使い方がえらく乱暴でぞんざいである。日本で古来使われてきた言葉を、まったく違った意味で使いまわして平気でいる。こういうのを夜郎自大という。
世間で「想像」といえば「空想」と同じ意味である。「キリンは想像上の動物である」とか、非現実的でひとりよがりなネガティブな行為である。
ジョン・レノンの「イマジン」はそういう日本の伝統的な考えでなく、「想像」にポジティブな意味があることを知らしめた。だからと言って Imagine という言葉が100%ポジティブなものかというとそうでもない。価値中立的なもののようだ。
なにか「想像」に代わる、ぴったりした訳語はないのだろうかと考えている。ちょっと狭いけど「想起」、長くなるけど、「イメージをかき立てる」とか、「思いを形にする」とか、小難しく「心象を形成する」とか、要するに企画・立案までをふくむもっと具体的な現実的な行動なのだ。

飜つてこれを死 と比較するとき、生がいかに想像的なものであるか。

想像的なものは非現實的であるのでなく、却つて現實的なものは想像的なものであるのである。

(これも不親切な言い方で、日本語でいえばまさしく「想像的なものは非現實的」なのだ。それとは全く関係なく、現実的なものはイマジナティブであり、人間の思考を刺激するのである)

現實は私のいふ構想力(想像力)の論理に從つてゐる。

(これは無茶だ。私の構想力に現実が従っているなら、どうしてあんたは現実の前に殺されたんだ、ということになる)

 

10.今一度、死について

人間を一般的なものとして理解するには、死から理解することが必要である。

死はもとより全く具體的なものである。各人がみな別々に死んでゆく。しかしこの全く具體的な死はそれにも拘 らず一般的なものである。

(死に方はそれぞれ違うが、人間必ず一度は死ぬんだ、ということだろう)

死の有するこの不思議な一般性こそ我々を困惑させるものである。

ひとびとは唯ひとり死ぬる故に孤獨であるのではなく、死が一般的なものである故にひとびとは死に會つて孤獨であるのである。

(どうせ死ぬときは一人なんだから、それが孤独というわけではない。死ぬ人を送る側の人が孤独なのだ、ということであろうか。あるいは「次は俺の番か」と感じることなのか)

私が生き殘り、汝が唯ひとり死んでゆくとしても、もし汝の死が一般的なものでないならば、私は汝の死において孤獨を感じないであらう。

(自殺とか事故死とか特殊な死に方をした人に会っても、「次はおれの番か」とは感じないだろう)

11.死は一般的であり生は特殊的である

死が一般的であるのに比し、生は特殊的である。特殊的であるがゆえに想像的である。

(三木さん、それはあまりに言葉足らずだ。例えば文学的に「死はグラデーションはあっても白黒の墨絵で、生は多彩で、そのゆえにイマジナティブである」と言えば、もう少し理解できる)

もとより人間は單に特殊的なものでなく同時に一般的なものである。しかし生の有する一般性(一般的性格というべき)は死の有する一般性とは異つてゐる。死の一般性が觀念に類するとすれば、生の一般性は想像力に關はる。

三木は一般性と特殊性の概念が整理できていない。そのために言葉の混用が生じている。彼の言う一般性には普遍性がふくまれている。彼の言う特殊性には個別性がふくまれている。
生も死も、普遍的であるとともに個別的である。死の特殊性は個別性を普遍性が貫いているところにあり、生の特殊性は個別性が普遍性に抗っているところにある。
だから死は受動的で観念的であり、生は想像的(イマジナティブ)で創造的(クリエイティブ)なのである。

個性とは別にタイプがあるのでなく、タイプは個性である。死そのものにはタイプがない。死のタイプを考へるのは死をなほ生から考へるからである。

12.「構想力」なるもの

個性は多樣の統一であるが、相矛盾する多樣なものを統一して 一つの形に形成するものが構想力にほかならない。

個性は感性からも知性からも考へられない。それは構想力から考へられねばならぬ。

自然はその發展の段階を昇るに從つて益々多くの個性に分化する。そのことは闇から光を求めて創造する自然の根源的な欲求が如何なるものであるかを語つてゐる。

うろ覚えで書くのも気が引けるが、たしかこの頃エンゲルスのノート「自然弁証法」が発見され、唯研を通じて紹介されたのではなかったろうか。
この数行は、どうもエンゲルスを下敷きにしているような気がする。そのうえで、おそらくは彼独自の思いつきたるべき「構想力」を密かに挿入するという手の込んだ仕掛けだ。
しかしこの作業はおそらく見当違いだろう。「多様なものの相矛盾する」過程こそが個性を形成する原動力であり、個性はその過程から析出してくるのである。そして個性が自然や社会と葛藤する中から、個性的かつ普遍的な人格としての「アイデンティティー」が獲得されていくのである。
そのうえで、「構想力」を一刀両断に切り捨てるのではなく、その言葉で三木が何を言おうとしたのかを考えてみなければならない。おそらくそれは内発的な欲望なのではないか。動物的な条件反射的な欲望ではなく、欲望を満たすことでさらに拡大する自己発展的な欲望なのではないか。

13.幸福とは成長することである

生と同じく幸福が想像であるといふことは、個性が幸福であることを意味してゐる。

どうも三木という人の言葉に対する無神経さ、言葉遣いのぞんざいさが気になる。コンピューターのマニュアルを読んでいるようだ。理数系の人なのだろうか。
「生と同じく幸福が想像である」という命題はどこにも展開されていないし、論証もしていない。「生が想像である」ということすら十分に展開されているとは言いがたい。「個性が想像である」ことと「個性が幸福である」ことの論理的関係もサッパリ飲み込めない。
頑張って解釈すると、生というのはイマジナティブなものであるから、「個性」を形成するための構想を生成する。構想を生成する過程も幸福の過程であり、その構想を実現するための努力も幸福の過程である。そして努力の結果実現した「個性」を発揮することも幸福の過程である、ということになるのだろう。

「幸福は肉體的快樂にあるか精神的快樂にあるか、活動にあるか存在にあるか」と問われる。答えはそのいづれでもある。

なぜなら、(人間にとって幸福とは人格形成にあるのであり)、人格は肉體であると共に精神であり、活動であると共に存在であるからだ。

14.幸福は人格である

今日ひとが幸福について考へないのは、(かくあるべしという頭と、かくありたいという体に)人格が分解してしまっているからである。それは現代(という時代)の特徴に相應してゐる。この事實は逆に幸福が(あるべき人格の本質)であることを示している。

眞の幸福は、捨て去ることはできない。彼の幸福は彼の生命と同じやうに彼自身と一つのものである。この幸福をもつて彼はあらゆる困難と鬪ふのであ る。幸福を武器として鬪ふ者のみが斃れてもなほ幸福である。

歌はぬ詩人といふものは眞の詩人でない如く、單に内面的である といふやうな幸福は眞の幸福ではないであらう。幸福は表現的なものである。鳥の歌ふが如くおのづから外に現はれて他の人を幸福にするものが眞の幸福であ る。


これだけ付き合っておけば、もういいでしょう。

三木清という人はお経を覚えて帰ってきたばかりでいきなり古刹の管長になったみたいな人で、本当の勉強をしていません。それでも一生懸命やっていることは分かるのですが、出だしの割に最後の方になると何を言っているのか分からなくなるのが玉に瑕です。

それが有難いと言って、一生懸命持ち上げる人もいたり、弾圧下に生き延びる智恵だけは人一倍持っていたりして、なんか今では偉い人になってしまったようで、地下で恐縮しているのではないでしょうか。


赤字続きの経営には共通した特徴がある。職員・社員の赤字慣れである。

日本航空の再建の時、日航に乗り込んだ京セラの社長は「経営第一」と呼号した。労働者は一斉に反発した。しかし私は密かに頷いた。経営第一というの は決して安全第二とか安全軽視というのではない。一つには経営がなくなれば安全など吹っ飛んでしまうことだ。会社があるからこそ安全が必要になるのだ。

もう一つは、安全を守るという課題も、経営を守るためということで一本ピーンと筋が入るからだ。「経営を守る」ということで労使が共通の価値観に立 ち、職場のモラルが向上することだ。研究開発の問題も安全の問題も労働条件の問題も顧客サービスの問題も、いろんな切り口で考えうる。それ自体は短期的に は利益を生まないからだ。それを経営を守るという価値観で一致させることで整序していくことは、きわめて大事なことだと思う。

以前、あるリハビリ専門病院があって、当時の診療報酬体系もあって赤字続きだった。毎年赤字が膨らんでいくので、調べてみたら、交通費が異常に高 かった。病院に来られない患者のためにリハ技師が往診診療していた。技師は往復タクシーを利用してタクシー代は病院の持ち出しだった。

リハ技師は「これこそが患者の立場に立った良い医療だ」と胸を張っていたという。

あえていう。経営を守ることなくして安全を守ることはできない。だからこそ、今回の事故を招いた主犯として、国を断罪せざるをえないのだ。


JR北海道は三つの重みを背負っている。

最大のものは基金からの支援のやせ細りである。毎年の援助金は発足当初の1/3まで減った。その分がそっくり経営赤字に上乗せされている。

第二は旅客数の減少に歯止めが掛からないことである。とくにローカル線の衰退が顕著である。

第三は高速道路との競合である。稼げるはずのところが稼げなくなっている。高速道路を建設するのは基本的には国である。道路建設費を削ってJRに回せば、大量高速輸送にははるかに効率的であるが、道路族がそれを許さない。

要するに国と政府がJR北海道の首を絞め、ボディーブロウを連打しているのである。

そのことを考えれば、「JR北海道、良くやった」とまではとても言えないが、ファイティングポーズを崩さずに頑張ったのだろうと思う。

秋月さんのブログより転載

この表は明らかに変だ。赤字309億円から安定化基金収益254億円を差し引いてもなお赤字だ。なのに純利益が13億円ほど計上されている。
これについては
アゴラ2013年10月04日の記事「JR北海道の経営の真相」(森本紀行氏)が明らかにしている。

経営安定基金は、1987年4月1日のJR分割時に、構造的な事業赤字を補填するため作られた。
合計で1兆2781億円、北海道には6822億円が割り当てられた。当時の国債利回りは5%くらいであり、年間で350億円程度の収益が見込まれ、事業の構造赤字を穴埋めすることとなった。
しかし国債金利はほとんどゼロとなり、基金が生む運用収益はほとんど期待できなくなった。
このため、JR北海道は「鉄道・運用機構」にみずからの資金を貸し付けるという運用(実質的な利子補填)で、収益をあげているようである。
さらに2011年からは鉄道建設・運用施設整備支援機構特別債券という新たな支援スキームが立ち上げられた。この特殊な仕組みを通じて、55億円の補助金が投入されている。
254億円の経営安定基金の運用収益に、この55億円の補助金を合わせた309億円で、全く同金額の309億円の営業赤字を相殺していることになる。

千歳空港乗り入れで、バスから乗客を奪った。複線・電化で小樽、岩見沢、千歳までを支配下に収めた。千歳・帯広間の飛行機を廃線に追い込んだ。函館や釧路でも飛行機との戦いに勝利しつつあった。

基金からの支援が当初見込み通り続いていれば、黒字への転化も夢ではなかったのである(偽りの黒字ではあるが)。

安全の問題はつまるところ経営の問題である。国が姑息なファイナンスの手法に頼らずに、北海道における交通体系の将来構想を打ち出さなければならない。

そうしない限り、この問題な解決されないままに終わり、JR北関道の野垂れ死にをもって終焉する他ないだろう。



 このあいだ、JR北海道の事故問題についての学習会があった。

講師の話を実際に聞いてみて、まことにひどいということがよく分かった。経営の柱から安全という心柱がすっぽり抜けていた。

原因は国の北海道切り捨て、地方切り捨て、国民生活切り捨ての政策にあることもよくわかった。

問題は展望だ。

じゃあどうするのか。

講演が終わってからの飲み会で、私は「もう頑張らなくてもいいんじゃないの」といって、それが大問題になった。

「あなたともあろう人が、そんなこと言うとは何ごとか」と血相を変える人まで現れる始末だ。

そもそも経営が成り立つような話ではないのだ。

まず第一、鉄道というのは大量輸送機関である。運ぶ量が大量であればあるほどその威力を発揮する。

私は4年間釧路で暮らしたが、根室まで行く線路も網走まで行く線路も利用しなかった。一度だけ「どんなもんじゃろ」と思って根室からの帰り道汽車に乗ったことがある。厚岸まではほとんど客は居なかった。釧網本線も似たようなもので、せいぜい標茶までだ。バスもガラガラなのに変わりはない。

要するに人なんか居ないのだ。いても、高齢で動けないか、動ければ車でという人ばかりなのだ。

こういうところでは、大量輸送機関ではなく少量輸送機関が主役とならなければならない。

第二に、鉄道というのは動脈なのだ。脈を打ちながら酸素と栄養を送り込む装置なのだ。そういう時代にあっては鉄道事業の採算性は別の角度から検討される。最初は赤字でもいつか必ずそれは大地の恵みと結合して果実をもたらすのだ。

鉄道というのはたんなる道ではない。それは未来へつながる路であり夢なのだ。もしそうでなくなったのなら、事業としての鉄道は経営の論理に従って裁断されるべきだ。夢の重みをいつまでも背負わされる必要はないと思う。

国鉄の分割・民営化のとき、北海道や九州が一番の貧乏くじを引かされた。交通というのは行き来だ。端の部分は当然めぐりが悪く、真ん中ほどめぐりのいいのは、小学生でも分かる。

しかし端があってこそ、中も維持されるのであるから、相応の援助は当然必要なはずだ。
これはもちろん程度問題で、この論理は野放図には拡大できない。あくまで基本は自助努力だ。

では援助の量的基準は何によって決まるか、それは最低限としてユニバーサルな保安基準に規定されるだろう。

ユニバーサルな保安基準を満たすため、経営上これだけ足が出ると言われたら、その分は最低、援助しなければならない。



どうもみずほの組織が、良く分からない。それがわからないと今回の問題も見えないようだ。

すこし、資料をあたってみる。以下

みずほファイナンシャルグループ FG
旧みずほ銀行 BK
みずほコーポレート銀行 CB

と略する

この他にみずほの母体となった

第一勧業銀行

富士銀行

日本興業銀行

の三行がある。

また

みずほホールディングスという組織もある。よくわからないが合併途中で作られた組織らしい

下の図が系統図



みずほFGのサイトの「沿革」というページに99年8月以降の年表があるので、そっくりいただくことにする(イタリック)。これに各種情報を乗せていく。

 

 1999年8月 第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の全面的統合を発表

3行が共同で持株会社を設立し、顧客セグメントと機能で分けた全く新たな法的分社経営を行う」とする。

1999年12月 第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行による、全面的統合に関する契約の締結

個人部門の勘定系システムを第一勧銀システム(富士通)に一本化(片寄せ)することとなる。もともと富士銀行は日本IBM、興銀は日立製作所製であった。

2000年5月 「みずほフィナンシャルグループ(MHFG)」の創設についてを発表

2000年9月 みずほホールディングス設立

三行の株式移転により株式会社を設立し、3行はその完全子会社となる。

2000年10月 みずほ証券 みずほ信託銀行発足

富士銀行が巻き返 しをはかり、勘定系システムの一本化がズレこむ。二つのシステムを併存することとなる。当面中継コンピュータで3行のシステムを接続することとなる。これがプログラムの不具合を起こした。(合併の失敗から学べ

2001年11月 三銀行の頭取が一斉退陣。この時、西之原副社長(第一勧銀)ら幹部6人も一緒に退陣したため、首脳9人が一斉退陣する事態となる。これに代わり当時無名の前田、斉藤、工藤がトップに就任。

2002年4月 会社分割および合併により、3行をみずほ銀行(BK)、みずほコーポレート銀行(CB)に統合・再編。

(この前に3ヶ月間、興銀系の受け皿会社として「株式会社みずほ統合準備銀行」が存在していた)

BK頭取は工藤氏(第一勧銀出身)、CB頭取は斎藤氏(興銀出身)がそれぞれ就任。

2002年4月 みずほ証券とみずほ信託銀行、みずほホールディングスの直接子会社に

2002年4月 営業初日からシステム障害のトラブル発生。収束するまでに数ヵ月を要した。
 

 直後から旧富士銀の勘定系が孤立した。対外接続系システム(富士通)の修正ミスが原因とされる。そもそも4月1日、しかも月曜日という日を選んだ判断の甘さもある(杉野隆氏論文

2003年1月 みずほフィナンシャルグループ設立 みずほホールディングスは、銀行・証券持株会社として、中間持株会社に

FG社長は前田氏(富士銀出身)が就任。

2003年1月 2兆円規模の不良債権処理を実施。これに伴う損失が拡大し、2兆円を超える赤字決算となる。FGは財務上の課題を一掃するため、「1兆円増資」を発表する。

前田社長記者会見風景図の写真

1兆円規模の増資などについて
記者会見をする前田社長


2003年3月 みずほインベスターズ証券、みずほ銀行の子会社に。みずほ証券、みずほコーポレート銀行の子会社に。

2003年3月 みずほ信託銀行、みずほアセット信託銀行が合併、みずほ信託銀行に、

2003年3月 みずほホールディングス、みずほ信託銀行を、みずほフィナンシャルグループの直接の子会社または関連会社に

2004年7月 みずほ銀行、オリエントコーポレーションとリテール分野における包括的業務提携の基本合意書を締結

オリコ(第一勧銀系)は不良債権処理、経営再建の最終場面にあった。当 時、余力が乏しかったみずほは、自身は引き受け先とならず、伊藤忠グループによるオリコの優先株式引き受けを要請した。伊藤忠は引き受けの条件として「み ずほグループがオリコを支援し続ける証し」をもとめた。その結果打ち出されたのが「包括業務提携」というスキームだった。(東洋経済 浪川記者

2004年10月 第一勧銀情報システム、富士総合研究所、興銀システム開発が統合し、みずほ情報総研に

2004年 工藤BK頭取が辞任。FGの前田社長は後任頭取に第一勧銀出身で親前田派の杉山氏を送り込む。

2005年10月 みずほフィナンシャルストラテジー(旧みずほホールディングス)が保有するみずほ銀行およびみずほコーポレート銀行の株式の全てをみずほフィナンシャルグループが取得

2006年7月 みずほフィナンシャルグループ、約3兆円の公的資金を全額完済。

2007年2月 オリコがみずほFGに支援要請。貸金業規制法改正に伴う過払い利息返還請求により4613億円の赤字を出す。

みずほFGの最高首脳会議で、斎藤宏CB頭取(興銀)は、FGの前田FG社長(富士)、杉山BK頭取(第一勧銀)を前にして、「(オリコを)もう切ってしまえ」と発言したという (ビジネス・ジャーナル

2008年3月 CB、サブプライム問題の影響で6450億円の損失を計上して、最終赤字に転落。

2008年7月 斎藤CB頭取(興銀)の不倫が「フライデー」ですっぱ抜かれる。

相手の女性は、齋藤頭取が社外監査役を務めていたテレビ東京の女性記者です。麻布の寿司屋から出てきた二人が、路上でキスをしていたところを写真に撮られてしまいました。その後は、タクシーでとあるマンションに向かって、2時間半ほど密会していたようです。(ビジネスジャーナル

2009年 前田、斉藤、杉山が頭取・社長を辞任し会長に座る。実権はそのまま掌握したため6トップ体制と呼ばれる。金融庁は3人に会長辞任を迫る。

2010年3月 金融庁、年収1億円超を受け取っている高額取得者名の公表。前田FG会長や斎藤CB会長の名が明らかになる。

2010年6月 前田FG会長(富士)や斎藤CB会長が一斉に退陣し、特別顧問に退く。その後、BKの杉山会長(第一勧銀)も独別顧問に就任。金融庁の圧力人事と言われる。

2010年9月 みずほフィナンシャルグループ、オリエントコーポレーションを持分法適用関連子会社に

累積する巨額赤字に加え、他の地銀が問題融資に気づき、買戻しを請求したことからオリコが再び危機に陥った。
このため、みずほFGは事実上の筆頭株主となり、「持ち分法適用会社」という新たなスキームを持ち出し、業務提携を強化することでオリコ支援に回った。(東洋経済
浪川記者

2011年2月 みずほ(BK)がオリコとの提携ローンの調査。230件強の反社会的勢力との取引の存在が明らかになる。(直後のシステム障害と頭取の辞任でウヤムヤにされた可能性あり)

2011年3月 BKで二度目の大規模なシステム障害が発生。東日本大震災直後、義援金の振り込みが集中したためとされる。

2011年5月 塚本FG社長、「信頼回復」に向けた取り組みについて: ~ワンバンクへの実質的移行と合併等の統合の将来的検討~ を発表。①グループガバナンスの強化、②人事の完全一本化、③業務インフラの一元化、を打ち出す。

2011年6月 BKの西堀頭取(富士)がシステム障害で引責辞任する。後任のBK頭取には、塚本FG社長(第一勧銀)が降格の形で就任。後任のFG社長は、斎藤顧問の腹心の佐藤CB頭取(興銀)が兼務することとなる。
(火付け役の塚本FG社長(元第一勧銀、現みずほ会長)がBKのトップになれは、どうなるかは火を見るより明らか)

2011年6月 “大規模なシステム障害の反省を踏まえ、再発防止に向けた中核銀行の一本化”の方針を発表。

実体としては、「金融庁がシステム障害を口実に介入し、2バンク体制にトドメを刺した」とされる。

2011年9月 FG、みずほ信託銀行、みずほ証券、みずほインベスターズ証券を完全子会社化。

2011年11月 「みずほ銀行とみずほコーポレート銀行の合併に関する基本合意について」を発表

佐藤社長記者会見風景図の写真

佐藤社長記者会見風景図


2012年4月 実質ワンバンク体制をスタート

2112年12月 金融庁検査で、オリコの反社会勢力への融資が指摘される。内部通報がきっかけと言われる。

2013年1月 みずほ証券とみずほインベスターズ証券が合併し、みずほ証券となる。

2013年4月 幹部人事が発令される。副社長、副頭取7人が一気に退任。富士銀行出身者全員が外される。

2013年6月 FGが、BKとCBを合併すると発表。「システム障害の再発防止に向けた中核銀行の一本化」を理由とする。

2013年7月1日 みずほ銀行とみずほコーポレート銀行が合併。新社名を「みずほ銀行」(NM)とする。

CBがBKを合併した上で、みずほ銀行と解消する形を取る。NM頭取にFG社長兼CB頭取の佐藤氏が就任。三つの組織のトップを独占。



年表作成中に気づいたのだが、合併の時点で三つの銀行が各々どれほどの不良資産を抱えていたのか、それが合併後どのように償却されたのかがはっきりしない。

これ以上はかなり専門的になってしまうので、素人にはなかなか手が出せないところだが、誰かわかりやすく説明してくれないだろうか。


 ダイヤモンド・オンライン

に、江上 剛 [作家] さんの書かれた

みずほ銀行、暴力団融資問題に想う 繰り返される事件の背後に潜むものという記事が載っていた。結構知らないこと満載の記事なので紹介しておく。

その後、読んだみずほ激震「ヤクザと銀行」元暴力団担当行員の告白という記事もすごいので「枠」に入れて補足する


バブル時代に闇勢力が銀行を浸食

暴力団組織に融資をしたわけではないし、「提携ローンなの?大した問題じゃないんじゃない?」と言った声が聞こえなくもない。

銀行と闇勢力と言われる暴力団との関係を振り返ってみよう。

1980年代後半から90年代前半にかけて、銀行は株や不動産に金を貸しこみ始めた。

バブル崩壊。彼らに融資をした資金は、不良債権となった。銀行は、なんとか回収しようとした。

その時、住友銀行名古屋支店長が自宅マンションで銃殺された。犯人は未だに捕まっていない。

それを境に多くの銀行で不良債権の回収がストップした。

銀行は不良債権を次々と無税償却した。不良債権を十把一絡げにしてサービサーという回収専門業者にタダ同然で売却した。

提携ローンの問題

銀行という組織は、今回のような直接融資ではないことでは、何度も問題を起こしている。

小渕内閣のとき、中小企業の貸し渋り対策のために保証協会の保証枠を数十兆円規模に拡大した。

銀行は、「保証協会が保証してくれる」ということで、多くの企業に保証協会付き融資を実行した。

その額は数兆円、せっかくの経済対策が、暴力団の資金源になってしまった。

住宅ローンも保証会社が最終的に返済してくれるから銀行の不良債権になることはない。銀行は、1000万円以下の住宅ローンは、保証会社に丸投げし、担保実査を省略した。

暴力団による架空の住宅ローンの申し込みが殺到し、銀行は数十億円も損失をだした。


オリコの自動車提携ローン事件

オリコが返済してくれるから、自分の銀行の不良債権にならないと考えるのは間違い。

保証協会の不良債権も最後は銀行が償却しなければならないし、住宅ローン保証会社の不良債権も、最後は銀行につけが回ってくる。

銀行が暴力団が怖いなら、オリコも同じだ。オリコは怖い思いをして回収するより、サービサーにタダ同然で売却する方を選ぶだろう。

「私の場合、問題が発生すると、担当役員から『岡野、処理できるか』と指示を 受け、対処してきました。他の役員も事実は知っているけど、関係したくないし、知らんふりです。こういう取引は、誰かが身体を張って止めなければならない。
簡単にいえば、みずほにはそういう人間がいなかったいうことですやろ」(
元三菱東京UFJ銀行支店長の岡野義市さんの談 出処森功氏の記事

これこそが暴力団の思うつぼだ。どうせ銀行もオリコも回収になんかこない。暴力団員はそう考えているだろう


自動車ローンは暴力団の資金源

暴力団員は車も買えないのか、と怒る人がいるかもしれない。しかし彼らは本当に車を買っているわけではない。

「ポイントは価格査定の難しい中古車ローンだという点。ディー ラーとヤクザが組めば、簡単です。たとえば仕入れ値10万円のクラウンを組員が100万円で買い、ローンを組んだとす る。すると、現金100万円が銀行からディーラーに振り込まれ、ディーラーは差し引き90万円の儲けになる。
その儲けを仕分けするんが、ヤクザの元締 めなのです。90万円の利益のうち30万~40万円を上納させ、残りを組員とディーラーで分けるという仕組み。まあ残り50万円として、ざっと組員が30 万円、ディーラー20万円という感じでしょうか」(岡野氏談 出処同)

そして上納を受けた元締めは、その資金を資金繰りに困っている中小零細企業に転貸するのだ。

結果として提携ローンが暴力団の資金源になり、中小零細企業に転貸され、暴力団は法外な金利や手数料を取る。

「あれは銀行の無担保融資といっしょ。本来は車が担保になるはずやけ ど、中古車だから価値はわからへんし、たぶん車自体二束三文でしょう。相手は計算した上で、自動車ローンという形の借金をしとる。オリコの融資保証がついとるから、銀行の腹は痛まん、いう説明もあるけど、そうやない。みずほは、ローンが焦げ付いて信販会社のオリコが傾いた ら、その損失を穴埋めせなアカン。いわばみずほグループが一体となった無担保融資ですわ」(岡野氏談 出処同)



暴力団の情報と個人情報保護

今回の事件の報道を見ると、オリコには暴力団の情報がなかったようだ。

「信販会社の審査対象は、融資先の人物です。過去に返済が滞ってブラックリストに載っていなければ、書類上、収入があるように整っていたらOK。審査の中で勤め先に電話をかけることもあるけど、ヤクザの息のかかった会社に雇ってもらっているかのように頼んどいたら、それでクリアーできます。…ノンバンクや信販会社の審査なんかそんなもんです」(岡野氏談 出処同)

暴力団員が「私は暴力団です」と言ってカネを借りに来るわけではない。しかしその手の情報は警察にしかない。

警察から、この人物は暴力団員だという情報を提供してもらわなければならない。

しかしその範疇をめぐってはさまざまな議論がある。暴力団員だった人も更生して、まともな社会人になることだってある。逆にまともな社会人がいろんな事情で名義貸することもある。

「信販会社のブラックリストに載っていたらアウトだから、車の購入者が組員ばかりでは限界があります。で、友だちや知り合いに名義を借りるわけです。10万円くらい払えばいくらでもいる。だから230件の大半が組員やないんでしょ」(岡野氏談 出処同)

ひょっとしたら銀行の問題を厳しく追及するジャーナリストも、反社会的人物に登録されているんじゃないのか。

赤旗が秘密保護法で連日の大キャンペーン。

これまでは、国会と国会議員の「主権侵害」が最大の問題と考えていたが、2日の一面報道では、司法の仕組みとの激しいバッティングが浮かび上がっている。

大きく言って問題は三つある。
一つは、証拠に基づいて審理が進められなければならないのに、証拠が提出できないという矛盾。
二つ目は、裁判官が心証を形成するのに必要な情報が提出できないという矛盾。裁判官が知ることそのものが法律違反となる。
三つ目は、特定秘密が漏洩された時の、漏洩者側の意図性の問題。とくに境界的な秘密では、線引の基準そのものが秘密であるから、過失すら問えない。

罪刑法定主義では検察側によって罪状が認定され、それが法のどこに違反しているかと論告されるのだが、罪状が明らかにされないと裁判が成り立たない。

公務員たる検察官が罪状を明らかにすることは、それ自体が秘密保護法違反となる。さらに裁判官が罪状を法律に照らして審判することも違法となる。

そもそも、裁判官に「特定秘密」を明らかにすることが不可能となる。これでは裁判官は、「秘密保護法」に違反しているか否かの判断をできず、裁判は成立しない。

かくして「犯人」は野放しとなる。

もう一つは量刑に関係してくるが、意図性の問題である。何が特定秘密に関するか政府側にしか分からないのだから、それが過失なのか意図的なリークなのかの判断は不可能である。

超党派の勉強会で、警察庁は「特定秘密であるという認識がない場合は処罰対象にならない」としている。
これは逆におかしいのであって、すべてが主観的意図の有無により左右されてしまうことになる。被告人が「特定秘密との認識はなかった」と主張する限り、この法律は無意味になってしまう。

要するに、この法案は根本的な二律背反を内包しており、このままでは法律の体をなしていないということである。


1.現代人における病気と健康の関係

私はあまり病氣をしないのであるが、病床に横になつた時には、不思議に心の落着きを覺える。

(逆に言うと)

病氣の場合のほか眞實に心の落着きを感じることができない(のかもしれない)

(これは)現代人の一つの顯著な特徴、すでに現代人に極めて特徴的な病氣の一つである。

書き出しはやや衒学的だ。「現代人」というのがどういう人なのか良く分からないが、広い意味での現代というばかりではなく、昭和15年という「狂気の時代」を暗示しているのかもしれない。病気は世間からの脱落であるが、同時に脱出でもある。
例えばうちの親父は肺病で片肺切除していた。だから戦争には行かず生き延びた。おそらく非国民扱いされただろうが。
検閲だらけで真実の言葉は語れない。「現代人」というモヤッとしたその辺には、読者との間に隠語めいた阿吽の呼吸があったのかもしれない。

2.健康とは恢復過程である

人間の多くは「病氣の恢復」としてしか健康を感じることができない。

恢復期の健康感は自覺的であり、不安定である。健康といふこともできぬやうなものである。青年の健康感とは違つてゐる。

このクダリはとてもいい。その後のルネサンス論はどうでもいい。

3.加齢と死の恐怖

親しい者の死ぬることが多くなるに從つて、死の恐怖は反對に薄らいでゆく。生れてくる者よりも死んでいつた者に一層近く自分を感じる(ようになる)

(加齢は)單に身體の老衰を意味するのでなく、むしろ精神の老熟を意味してゐる。死は慰めとしてさへ感じられる。

死の恐怖はつねに病的に、誇張して語られてゐる。死の恐怖は浪漫的・病的であり、死の平和は古典的である

4.孔子とモンテーニュとパスカル

孔子の言葉に「われ未だ生を知らず、いづくんぞ 死を知らん」というのがあるが、(孔子は)リアリストであると考へられる。

(戦前、リアリストという表現は“唯物論”の隠語だった)

「最上の死は豫め考へられなかつた死である」とモンテーニュは書いてゐる。これは孔子の考えと似ている。

パスカルはモンテーニュが死に對して無關心であるといつて非難したが、(それは当たらない)

5.死に意味はあるが内容はない

死について考へることが無意味であるなどと私はいはうとしてゐるのではない。死は觀念である。

現實或ひは生に對立して、思想といはれるやうな思想は死の立場から出てくる。觀念らしい觀念は死の立場から生れる。

ここは論理が飛躍している。おそらくキリスト教の死生観を指しているのだろう。
人間の生は苦しみと悩みの連続である。
なぜか、人間は神に反逆し楽園を逐われた存在であり、反逆者としてその生を送らなくてはならない。その故に彼は受苦的存在なのである。
だから、人間は苦しむために世に生まれ、死により救われるのである。
ただしそれは信仰と善行によってもたらされる。
ということで、いわば“死が生を規定する”、あるいは“観念が実在を規定する”構造になっている。
これに対して、死をもっと無機的なものとして、“生の中断”と見ることがリアリストのとるべき態度だと、三木はいいたいのだろうと思う。

5.西洋思想と東洋思想

生と死とを鋭い對立において見たヨーロッパ文化の地盤にはキリスト教の深い影響がある。

東洋には思想がないのではない。ただ その思想といふものの意味が違つてゐる。

西洋思想に對して東洋思想を主張しようとする場合、思想とは何かといふ認識論的問題から吟味してかかることが必要 である。

(意味不明だが、“東洋主義者”への皮肉とも読める)

6.虚榮心は死をも對象とする

假に誰も死なないものとする。さうすれば、俺だけは死んでみせるぞといつて死を企てる者がきつと出てくるに違ひない。人間の虚榮心は死をも對象とすることができる。

そのやうな人間が虚榮的であることは何人も直ちに理解して嘲笑するであらう。

(“尊厳死”の虚構をバッサリ)

7.生への執着と死

執着する何ものもないといつた虚無の心では人間はなかなか死ねない。執着するものがあるから死に切れないといふことは、執着するものがあるから死ねるといふことである。

深く執着するものがある者は、死後自分の歸つてゆくべきところをもつてゐる。それだから死に對する準備といふのは、どこまで も執着するものを作るといふことである。私に眞に愛するものがあるなら、そのことが私の永生を約束する。

(と、突如論調が変わる。この後、無造作に生の哲学や親鸞が接ぎ木される。時代が強いたこの論理的退廃は痛ましい)

8.伝統というのは死者の生命

伝統が過去から次第に生長してきたと考へるのは自然哲學的な見方である。シェリングやヘーゲルの如き ドイツの最大の哲學者でさへも、通俗の傳統主義の誤謬に陥っている。

それは生きてゐる者の生長の問題ではない。(伝統の意味を)自分自身の中から生成するもののうちに求められる限り、それは相對的なものに過ぎない。

絶對的な傳統主義は、生けるものの生長の論理でなくて「死せるものの生命」の論理を基礎とするのである。

死者の生命は絶對的な生命である。この絶對的な生命は眞理にほかならない。

それは我々の中へ自然的に流れ込み、生命の一部分になつてゐるやうな「過去」を問題にしてゐるのではない。

過去は眞理であるか、それとも無であるか。傳統主義はまさにこの二者擇一に對する我々の決意を要求してゐる。

(“絶対”の大安売りだ。最後は絶対的伝統のために安んじて死ねということになる)

9.近代主義の終焉

ペトラルカの如きルネサンスのヒューマニストは、原罪を罪としてでなくむしろ病氣(罰)として體驗した。

ニーチェ はもちろん、ジイドの如き今日のヒューマニストにおいて見出されるのも、同樣の意味における病氣の體驗である。ヒューマニズムは罪の觀念でなくて病氣の觀念から出發する。

罪と病氣との差異は何處にあるか。死は觀念であり、病氣は經驗である。病氣の體驗が原罪の體驗に代つた(矮小化されたということか?)ところに近代主義の始と終がある。

ともかく病氣の觀念から傳統主義を導き出すことは不可能である。

正直言って、何を言いたいのかよくわからない文章である。
読者として想定しているのは青年知識層であろう。もはやマルクス主義は全滅した。軍国主義が闊歩し、その思想的基盤として伝統主義と浪漫主義が風靡していた。そういう時代に声を上げ続けること自体が困難であったことは認める。
三木は伝統主義を支持することで浪漫主義を攻撃しようとしたのか、それにしても私には、三木が若者たちに「死ぬ意味」を与えようとしている
教誨師の役どころを演じているようにしか見えない。(鼓舞はしていないが、結果的には似たよなものだ)



まず、三木清という人がどういう人か、ウィキペディアからチェックしておこう。

生まれは1897年、明治30年ということになる。私の祖父が明治23年生まれ、親父が大正3年だったから、その間の世代ということになる。

兵庫の田舎の生まれ、京大の西田幾多郎の門下。大正11年(1922年)に第一次大戦直後のドイツに留学しハイデッガーに学ぶ。同時に非合理的実存主義の洗礼を受ける。

2年後にフランスに移り、1年ほど独学でパスカルを学んだ。25年に帰国しパスカル研究者として売りだした。これらはすべて岩波茂雄の援助のもとで行われた。

昭和5年に共産党シンパとして逮捕され転向。その後抜群の語学力を生かして、岩波ジャーナリストとして活躍する。

軍国主義化の流れの中で、マルクス主義をより大きな理論的枠組みのなかで理解しなおす「構想力の論理」を企てたが挫折。最後には親鸞の思想に流れる。

昭和20年に共産党員をかくまったとして逮捕され。9月26日に獄死する。享年55歳。

といったところ。この流れからはどうも実体のところは見えてこない。実存主義やパスカルは表向きの話で、当時圧倒的な影響力を持っていたマルクス主義(とりわけ唯物論哲学)にかぶれたのではないだろうか。そしてその世間的な“寄る辺”としてパスカルを選んだのではないか。

私見だが、パスカルという人は自然科学の土台に弁証法が通底していることを初めて示唆した人だと思う。保守派であろうとして、革命的になってしまった人だ。ヒルデガルト・フォン・ビンゲンと似たところがある。

「人生論ノート」は昭和13年から「文學界」に連載されたエッセイである。この時三木は48歳。昭和16年の6月に単行本として出版された。このとき二つのエッセイが加えられている。

雑誌の色物であるから、表現は平易である。普通なら書き飛ばすほどのものだが、時節柄、「これが最後か」という思いもこもっているかと思う。三木にとっての「パンセ」かも知れない。

戦後改革をやっているうちに、三木清と出会って、文献探しをやっているうちに「人生論ノート」と出会ってしまった。
たしかに三木は私にとって歴史上の先輩ではあるが、本を通して向き合う際には私のほうが先輩である。
老化や死について語るにはまだ若い年で書いた文章である。
さぁイーブンだ。さしで勝負と行こうじゃないか。といっても12時を過ぎた。アルコールもだいぶ回っている(だからこんな大言壮語をするのだが)
明日やろうか。

2016年3月 増補

昭和22年

47年1月

1.04 第二次公職追放。公職追放令(公職に関する就業禁止、退官、退職等に関する勅令)が改正され、さらに追放対象が拡大される。公職追放は経済界、言論界、公的団体へ及び、町村長レベルに至る21万人が排除される。

1.15 婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令が公布される。

1.18 ストライク調査団、GHQに対日賠償報告書を提出。ポーレー案とは異なり、1935年ころの日本人の全般的生活水準を考慮。

1.19 GHQ、ソ連支配下の日本人引揚に関しソ連と協定成立と発表。

1.20 学校給食実施.

1.21 マーシャル元帥が国務長官に就任。

1.23 極東委員会、日本国民の生活水準を1930~34年程度に制限すべきと決定。マッカーサー元帥に指令する。

1.31 GHQ、2.1ゼネスト中止を指令。

47年2月

47年3月

3.03 米国、対日独通商統制緩和を発表。

3.06 アチソン大使が東京に帰任。「米国民は日本国民が自立せねbならないと考えている」と声明。

3.12 トルーマン、議会演説で「トルーマン・ドクトリン」を宣言。世界を自由主義対全体主義の対立と捉え、自由な諸国民への支援を強調。

3.17 マッカーサー元帥、「占領を早期に終わらせ、講和条約を結び、総司令部を解消すべきだ」とし、1年以内に講和交渉を開始すると言明。また産業能力の削減についても消極的な考えを明らかにする。

3.17 GHQ 結核対策強化に関する覚書を発表。また国庫補助率の引き上げ、届出義務化など伝染病対策を強化する。

3.18 アチソン国務次官、マッカーサー声明について「日本との講和交渉には欧州の平和処理の進行が必要」と語り、マッカーサーを牽制。

3.22 トルーマン、公務員の「忠誠テスト」を命令。破壊分子の摘発に乗り出す。

3.22 GHQ、マッカーサー声明の具体化として、①国内食糧の最大限活用と食糧輸入による救済、②賃金と物価の統制強化、③急速強力な総合経済統制、による経済破局の克服を勧告。

3.31 教育基本法・学校教育法(男女共学、義務教育6・3制)公布.4月から新制度に移行。

3月 米国が第一次講和条約草案を作成。日本軍国主義復活を阻止するために、日本は無期限に連合国の統制のもとにとどまるべきとする。

3月 財閥家族56名を指定し、所有有価証券の持株会社整理委員会への譲渡を命じる。

47年4月

4.01 町内会・部落会・隣組廃止.

4.02 国連安全保障理事会、旧日本委任統治領の米単独信託統治案を可決。

4.07 8時間労働・男女同一労働・同一賃金をうたう労働基準法が公布される(9.1施行).

4.07 GHQ 保健所拡充強化に関する指令

4.09 労災補償保険法が公布される。

4.14 独占禁止法公布(7.20施行).財閥解体後の日本経済の民主化を恒久的なものとするためとされる。

4.29 SWNCC、「日本の過度な経済力集中に関する米国の政策について」(FEC230文書)を承認。

FEC230の骨子(金融政策): ①大銀行を分割し競争を促す。② 預金保険制度などにより中小銀行を保護し、公正な競争を維持する。③大蔵省の権限を縮小し、銀行検査を強化する。④銀行とそれ以外の産業を分離する。⑤特殊銀行の業務・権限を縮小する。

4月 地方自治法を公布

4月 日本証券取引所の解散を命じる。

47年5月

5.08 アチソン国務次官、トルーマン・ドクトリンの具体策を発表。4大国の協定を待たず、単独で日独両国の復興に当たるとする。

5月 日本生命が相互会社化。他社も相次いで追随、生保相互会社は16 社となる。

47年6月

6.05 マーシャル国務長官、欧州復興計画(マーシャル・プラン)を明らかにする

6.09 GHQ、対日賠償緩和に関する国務省の指令を発表。原則として工場を存置させることを明らかにする。

6.10 GHQ,8月15日から制限付き民間貿易再開を許可.

6.17 GHQ、日本の食糧事情が7月以降危機に陥ると指摘。

6.24 極東委員会、マッカーサー声明を承認。対日貿易16原則を日本政府に提示。

47年7月

7.01 公正取引委員会発足.

7.03 独禁法の第二次適用。GHQ,三井物産・三菱商事の解体を指令.

7.03 GHQは三井物産、三菱商事の解散を指令。

7.16 米政府、極東委員会参加11カ国の多数決制による対日講和予備会議を申し入れ。ソ連は4大国の事前承認制を無視したものだと非難。

7.26 ケナン国務省政策企画部長、「フォーリ・アフェアーズ」に封じ込め政策を発表。「X論文」と呼ばれる。

47年8月

8.04 最高裁判所発足.

8.14 GHQ、輸出入回転基金として5億ドルの対日借款を許可。

47年9月

47年10月

10.13 秩父・高松・三笠の3直宮家を除く11宮家51人の皇籍離脱を決定.

10.05 トルーマン米大統領、対日援助のためパン1切れ等食糧節約をテレビを通じて全米に訴える。これを契機にガリオア物資の救援始まる。

10.26 改正刑法公布(不敬罪、姦通罪の廃止).

47年11月

11.21 財閥同族支配力排除法案が成立。

47年12月

12.01 失業保険法が公布される。

12.12 児童福祉法公布.母子手帳の配布が開始される。

12.22 改正民法が公布(家・戸主制度廃止、結婚・離婚の自由、財産の均分相続など).封建的家族制度の一掃、民主主義と自由平等主義が実現する。

12.27 GHQ、新年の国旗掲揚を許可。

12.31 内務省解体.

12月 アメリカ社会保障制度調査団が現地調査。GHQに報告書を提出。

 

昭和23年

48年1月

1.01 マッカーサー、年頭の辞「日本国民に与う」で自由経済を強調。

1.06 ロイヤル陸軍長官、新対日政策について演説。「日本を極東における全体主義の防壁へ」と語る。これを機に米国の占領政策は転換。マッカーサーはコケにされた格好となる。

48年2月

2.06 持株委員会、鉱工業部門の古河鉱業以下275社に対し集中排除法の第一次指定。ついで配給業およびサ-ビス部門の淺野物産以下68社に対し集中排除法の第2次指定。

2.12 極東委員会、日本非武装化の早期完了を要求する「日本における軍事活動の禁止と日本軍装備品の処理」の指令を採択。

2.18 マッカーサー、集排法に関する書簡を送り、集中排除の必要を力説。

48年3月

3.05 GHQの反トラスト・カルテル課、FEC230を受けて大銀行分割の方針を打ち出す。これに対し金融財政課は「包括的金融業法案」を提出。反トラスト措置の骨抜きを図る。

3.09 米陸軍省、ストライク調査団の報告を発表。日本経済復興には外部の援助が必要とする。

3.09 マッカーサー、大統領選に出馬する意思を表明。

3.25 ドレーパー陸軍次官をトップとする調査団が来日。ドレーパーは日本の財政の均衡と物価の安定および生産の増強の必要を強調。このために対日クレジットを準備すると発言。

48年4月

4.06 ドレーパー対日賠償調査団、日本再建4カ年計画を発表。対日賠償の暖和。対日経済援助の勧告を行う。復興条必要な工場は残置、過剰生産力のみ除去すると述べる。

4.30 GHQ、東邦亜鉛ほか3社の制限会社指定を解除。この後常磐炭鉱以下50社の集中排除法指定を解除。残り275社のうち175社も機構上の分割を必要とせず再編可能と認定。

48年5月

5.10 公職追放審査委員会、同訴願委員会が廃止される。

48年6月

6月 GHQのホイットニー、公職追放は永久的なものであり、講和後も持続すると声明。

48年7月

7月 GHQ 社会保障制度の勧告(ワンデル勧告書)を日本政府に手交。

48年8月

8.17 GHQ経済科学局、日本政府に対して非公式覚書「新法律の制定による金融機構の全面的改編に関する件」(ケーグル案)を発出する。金融財政課の包括的金融業法案をもとにしたもの。多くは占領終結とともに流産。

ケーゲル案の骨子: ①通貨信用政策、銀行の規制・監督を大蔵省から独立させる。②日本銀行を連邦準備銀行型に改編する (民間銀行が出資)。③金融機関を規制する新金融業法。④特殊金融機関を見直し、当面の復興に必要なものに絞る。⑤銀行の他企業との資本・人的関係を断ち 切る。⑥証券業務を禁止し、資金の自己運用を制限。⑦銀行の自己資本を充実させ、預金者を保護する。

48年9月

48年10月

10月 アメリカの国家安全保障会議、「対日占領政策に関する勧告」を作成。対日政策がトップレベルで転換される。

48年11月

11月 国家公務員の団体交渉・ストライキを禁止。

48年12月

12月 アメリカが日本経済の発展に関する九原則を発表。その後1ドル360円の単一為替レートへ移行。

12月 岸信介らA級戦犯16人を釈放。

48年 6大都市の保育所300カ所にてララ物資給食開始・CARE物資による救援始まる。

 

昭和21年

昭和21年1月

1.01 天皇が新年の詔書を発表。みずからの神格を否定したことから「人間宣言」と呼ばれる。実際には、「朕と汝ら国民」とは「たんなる神話と伝説」ではなく、「相互の信頼と敬愛によりて結ばれ」ていると強弁する内容。

1.03 米陸軍省、日本の食糧が3000万トン不足していると報告。

1.03 マッカーサーの日本管理に関する報告が発表される。(日本の民主化と日本人再教育を主題とする)

1.04 GHQ、「好ましくない人物の公職よりの除去に関する覚書」(公職追放令)。

公職追放令: 軍国主義的国家主義と侵略の活発な主唱者、一切の極端な国家主義的団体、暴力主義的団体または秘密愛国団体、大政翼賛会、翼賛政治会、大日本政治会などの有力分子」などを公職から追放し、公共性のある職業につくことを禁止。
右翼27団体が解散され、21万人が公職を追放される。うち16万人は軍人。政治家が3万5千人。

1.07 米国内の三省調整委員会、憲法の骨子となる「日本の統治体制の改革」を採択する。これに基づきGHQ民政局でも具体的なチェックリストの作成に着手。

1.10 国連が第一回総会をロンドンで開催。

1.11 極東委員会の日本調査団が東京で1回目の会合。

1.13 GHQ、王子製紙関係38社を制限会社に指定。

1.18 米政府賠償委員会の日本における現地調査が終了。

1.18 警視庁、初めて婦人警官を採用する。

1.19 マッカーサー、極東軍事裁判所の設置を命令。

1.20 GHQ、対日賠償の最優先施設として航空機工場、兵器廠など約400の軍需工場の接収を命令。

1.21 GHQ,公娼制度廃止を命令.これを受け娼妓取締規則が廃止、1万400人の娼婦が解放される。

1.26 輸入食糧の第1船、フィリピンより入港。

昭和21年2月

2.01 第一次農地改革実施.実効性はほとんどなし。

2.01 一部報道で松本試案がリークされる。これを見たマッカーサーは、民政局に草案起草を指示.

マッカーサーの指示は1.天皇を元首とする、2.戦争を放棄する、3.封建制度の廃止を骨子とするGHQ三原則。民政局は三省調整委員会の文書を元に憲法草案の起草に着手。民間の「憲法研究会」の草案要綱も参考にされる。

2.02 GHQ、繊維産業の再建のため原綿30万トンの輸入が必要と発表。

2.06 GHQ、下村定大将(最後の陸相)ら18名の逮捕を命令。

2.08 政府の憲法調査委員会、憲法改正要綱(松本私案)をGHQに提出。マッカーサー、政府の憲法改正案を拒否,

松本案の骨子: 1.天皇は至尊にして侵すべからず。2.天皇は軍を統帥する。3.日本臣民は法によらずして自由と権利を侵さるべからず。4.貴族院を参議院に改む

2.13 GHQ、日本政府に対しGHQ草案を手渡す。マッカーサーとGHQが草案作成を急いだのは、極東委員会が天皇制廃止を主張していたためとされる。

この頃、国務省内のバーンズ長官周辺では「日本非武装化・非軍事化条約」が検討されていた。これによれば武装解除された日本の安全は連合国→国連によって保障されることになっていた。

2.17 日本政府、経済危機緊急対策を発表。あわせて金融緊急措置令を発令.新円への切り替えのため預金が封鎖される。

2.18 GHQ、文部省の教科書認定権を廃止すると発表。

2.19 天皇の全国巡幸が始まる。(天皇は必死だったろう)

2.23 GHQ、昭和21年度輸出計画を発表。戦前平均の25%に抑えられる。

2.26 連合国各国代表による極東委員会が発足する。ワシントンで第1回会議を開催。ソ・豪・英、天皇制廃止を主張。

極東委員会(FEC): 連合国11ヵ国で構成され、GHQの上部機関として位置づけられる。本部をワシントンに置き、東京に出先機関として対日理事会を置く。形式上は対日政策の決定機関とされる

2.25 新旧円の交換を開始する。3.03までの1周間で交換を完了し、旧円の流通が禁止される。

2.27 GHQ、社会救済に関する覚書(Public Assistance なので「公的扶助」に近い)。無差別平等・公私分離・国家責任・最低生活保障を指示する。

2.28 公職追放令公布実施.

昭和21年3月

3.01 労働組合法が施行される。この後労働組合結成が相次ぐ。

3.01 米国務省、日本からの輸出は対米関係に限り許される。

3.02 GHQ案に沿った憲法草案が発表される。

3.04 米教育使節団が来日。

使節団はストダートを団長とする27名。1ヶ月の滞在中に関係各方面と接触

3.05 チャーチル(この時点ですでに首相ではない)、アメリカの大学で講演。「ヨーロッパ大陸に鉄のカーテンが降ろされた」と発言。

3月5日 第一次教育使節団が調査を開始。大和魂八紘一宇などの教化のための日本史、修身、地理などの教科を廃止し、教育委員会やPTAなど民主制教育を提案。

3.06 日本政府、憲法改正草案要綱を発表。マッカーサーは要綱に対する支持を表明。

3.09 都会地転入抑制緊急措置令公布.

3.11 GHQ、第一次農地改革は不完全と指摘する。

3.15 政府の農地改革案が不徹底だと判断したGHQ、農地改革案への評価を極東委員会対日理事会に委ねる。イギリスやソ連はさらに強固な改革を求める。

3.16 GHQ、日本製鉄など7大持株会社、139の子会社を制限会社に指定。

3.20 極東委員会、「日本憲法に関する政策」を採択。憲法制定に関して世論尊重を厳命する。

昭和21年4月

4.01 住友関係3社を資産処分制限会社に指定。

4.03 GHQ、、貿易庁設置に関する覚書を発表。貿易庁を対外貿易の専管政府機関に指定。

4.04 GHQ、持株会社整理委員会令を承認し、即日実行を指令。

4.05 連合国対日理事会(AJC)の第1回会合。最高司令官の諮問機関と位置づけられるが、マッカーサーはみずからが連合国の最高責任者であることを強調、対日理事会の権限が「助言」に限定されるべきと主張し関与を拒否。

4.10 新選挙法による総選挙.GHQは米占領軍に総選挙の監視を命令

4.17 政府,新憲法草案発表.実際にはGHQ草案を翻訳しただけのもの。

4.22 沖縄に琉球列島米民政府が創設される。

4.25 GHQ、三井系48社を宣言会社に追加指定。

昭和21年5月

5.03 A級戦犯28人に対する極東国際軍事裁判が開廷.48年11月12日結審。

5.04 GHQ、鳩山一郎(与党自由党の総裁)を公職追放。

5.06 フーバー特使が来日。食料輸入は日本再建の前提と声明。対日賠償問題に関わるポーレー特使は「食糧問題が先決」と声明。

5.07 「教職員の除去、就職禁止及復職等の件」 がポツダム勅令として公布され、軍国主義教師が排除される。

5.11 GHQ、保健及び厚生行政機構改正に関する指令。各都道府県に民生部・衛生部が設置される。

5.12 深刻化する食糧不足を背景に、皇居に米よこせデモが押し寄せる.マッカーサーは「暴民デモ」と非難.

5.15 第4回対日理事会か開かれる。米代表ショージ・アチソン、「共産主義を歓迎しない」と表明。

昭和21年6月

6.14 GHQ、米国からの穀類7万トン余りを日本政府に引渡。7月には小麦3万トンが追加される。

6.17 極東軍事裁判を担当するキーナン首席検事、ワシントンで記者会見。「政治的判断により、天皇を戦争犯罪人として裁判しない」と言明する。

6.17 極東委員会対日理事会、農地解放の一層の徹底化をGHQに勧告。GHQはこれを受け直ちに「第二次農地改革」案を政府に指示する。

保有限度以上の農地は政府が強制的に買収し、45年11月現在の小作人に優先的に売り渡される。また改革完了までの起源が2年に短縮された。在村地主の保有限度も1ヘクタールに縮小された。これにより自作農は28%から70%に増大するものと期待された。

6.21 ポーレー特使、「平和産業施設は残すが、日本を1928年の工業水準に戻す」と語る。

6.21 アメリカ、日本非武装化条約案を英ソ中に配布。

6.24 米国、ビキニで原爆実験を行う。

6.25 国際復興開発銀行(IBRD)が業務を開始。後の世銀。

6.28 IBRD、日本の綿業再開に向け11億円プラス運転資金6億円の融資を決定。

6.30 中国で国共会談が決裂し、全面内戦へ移行。

7月 パリで外相会議。日本非武装化条約案はソ連の反対で立ち消え。ソ連はドイツの非武装化にも反対した。

昭和21年8月

8.01 闇市の全国一斉取り締まり.

8.06 米英両国、対日講和条約共同草案の大綱を決定。単独講和の動きが始まる。

8.12 経済安定本部・物価庁発足.傾斜生産方式を導入。

8.14 GHQ、農地調整法再改正案・自作農創設特別措置法案(第二次農地改革法案)の政府案を了承。

8.30 GHQ、ララ救済物資の受領ならびに配分に関する覚書を発表。ララ物資による救援を開始。

8月 持株会社整理委員会が活動を開始。83社の持株会社を指定し、株式・社債を処分するよう指令。

9.30 GHQ、三井本社・三菱本社・安田保全社の三大財閥に解散命令。

昭和21年10月

10.01 生活保護法、民生委員令が成立。

10.08 文部省,教育勅語の奉読を廃止するよう指示.

10.21 農地改革諸法令(農地調整法改正・自作農創設特別措置法)などが公布される。第二次農地改革が実施される。

昭和21年11月

11.03 日本国憲法発布。(22.5.3施行)

11.06 GHQ、「隣組による神道の保証、支援に関する覚書」公布。「隣組」を利用した神社の寄付金集めを厳禁した。

11.16 「ポーレー最終報告」が発表される。日本国民の生活水準を、日本の侵略を受けたアジア諸国以下に留め、それを上回る設備・資産を賠償に振り向けるというもの。

11.26 会社証券保有制限令が発令。持株処分、企業間の役員兼任が禁止される。三井・岩崎など10大財閥の全資産を持株会社整理委員会に移管。10財閥の家族の資産が凍結される。

11.30 ミルク・衣類など「ララ物資」第1便450トンが横浜港に到着。

昭和21年12月

12.16 GHQ、国家予算の編成、実行、修正はGHQの許可を要すると指令。

12.17 生活権確保・吉田内閣打倒国民大会開催.50万人が参加。

12.18 ワシントンの極東委員会、日本の労働運動16原則を決定(占領目的を阻害する労働運動の禁止)

12.24 労働基準法が成立。



5大改革前後の動きを調べてみました。


戦後史年表はたくさんありますが、たいていが日本ないし日本政府の側に立っています。「…された」という記述が多いのです。

肝心なことはGHQが何をしたのか、また何をしようとしたのか。それを後押しした要因は何か、それを妨げた要因は何なのかを浮き彫りにしていくことです。

この視点がブレるとたちまち年表は冗漫なものになってしまいます。



 

昭和20年(1945)

昭和20年8月

8.14 日本、ポツダム宣言を受諾。

8.14 マッカーサー元帥、「連合国軍最高司令官(SCAP)」に就任。

8.16 トルーマン、「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成」を承認。「日本は分割統治せず」との声明。

8.21 三省調整委員会、「降伏後における米国の初期の対日方針」を策定。間接統治の方針を打ち出す。

三省調整委員会(SWNCC): 米国の国務・陸軍・海軍三省による作業グループ。44年暮れから占領方針を作成していた。

8.21 三省調整委員会(SWNCC)、アメリカ単独で極東諮問委員会を設置すると決定。

この委員会(Far Eastern Advisory Commission)は本部をワシントンに置き、「軍事作戦や領土問題を除く、ポツダム宣言の履行に関する政策に関して勧告を行う」諮問機関とされる。10月23日の発足を目指すが、ソ連は不参加を表明。

8.26 大東亜省・軍需省・農商務省廃止.

8.28 連合軍総司令部(以下GHQ),横浜に設置

8.30 マッカーサー、マニラから厚木に到着。同じ日、4200人の占領部隊が厚木に到着。

昭和20年9月

9.02 降伏文書の調印。GHQはこれに合わせ指令第1号を発する。無条件降伏の実施にともない日本全土を軍政のもとに置くとともに、日本軍部隊の敵対行為の即時停止と完全な武装解除、軍事工業の解体を柱とする。(この時点では日本軍の解体は含まれていない)

9.03 米国日本全土での軍政施行計画を中止。重光外相の要請を受けたマッカーサーが判断したとされる。

9.03 GHQ、指令第2号発令。在外日本軍の迅速な秩序ある復員を行うようもとめる。(軍事方針として発せられたことに注意。おそらく政府軍部筋が在外日本軍を放置しようとしていたことに気づいたためであろう)

9.06 トルーマン米大統領、「降伏後における米国の初期対日方針」を承認し、マッカーサーに指令。直接軍政を敷かないこととする。(マッカーサーも日本政府の要請を受け、間接統治に動いたとされる)

9.08 米兵約8000名、横浜から東京にジープで移動し、進駐を開始。

9.10 マッカーサー,「日本管理方針」を声明.「間接統治方針」を明らかにする。また声明の中で自由主義の助長を促す。

9.10 GHQ、大本営の廃止に関するメモ。(まだ軍そのものの廃止には言及していない)

9.10 GHQ、「言論および新聞の自由に関する覚書」を発表。報道可能な範囲を規定しGHQに関する事項の報道制限を実施する。この後、連合軍による検閲が開始される。

9.16 GHQ、新聞及び通信社に対する統制を廃止する。

9.11 GHQ、A級戦犯容疑者39人について逮捕の方針を発表。東條元首相自殺未遂。翌日には杉山元帥が自殺

9.17 GHQ、横浜から日比谷の第一生命ビルに移転。

9.19 プレス・コード(新聞準束に関する覚書)が発せられる。22日にはラジオ・コードが出される。翌年1月には映画の検閲も開始する。

9.20 「ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件」と題する勅令が公布される。いわゆる「ポツダム勅令」の法的根拠となる。

たへん分かりにくい概念だが、連合軍は間接統治を行ったため、直接法令を発することはできなかった。このため、議会を飛び越して「勅令」(天皇の命令)という形で改革を押し付けた。なぜ勅令かというと、ポツダム宣言を詔勅により受諾したのが天皇だからである。

9.20 文部省、中等学校以下の教科書から戦時教材を削除を指示。教科書の墨塗り作業が始まる。(おそらく庶民にとって最初の戦後変化。ただしこれはGHQの直接指示ではない)

9.20 連合軍倍賞委員会のポーレー米代表、日本が現物での賠償を行うよう主張。

9.20 GHQ、朝鮮向け石炭輸出を指令。戦後最初の対外輸出となる。

9.21 米政府、マッカーサーに対し財閥の解体方針を指令。

9.21 GHQ、プレスコードを指令。

9.22 「降伏後における米国の初期対日方針」がトルーマンの承認を受け、「ホワイトハウス指令」として公表される。

①政治形態の変更(を求める動き)は…許容されかつ支持せられる、②基本的人権の保障: 宗教・集会・討論の自由と民主的政党の奨励、政治犯の釈放、③商工業・金融上の独占の解体、など

9.22 GHQ、「ホワイトハウス指令」を法的根拠とする指令第3号を公布。民政に関わる最初の基本的指令となる。この後民政局がバリバリと動き始める。

①日本政府に必需品の公正な分配を確保するため厳重な割当制度を実施するよう指示。②一切の必需品生産、その生産に必要な商品を最大限生産する。③武器・弾薬・航空機などの生産禁止。④GHQの認めたものを除く輸出入を禁止。

9.22 GHQ、公衆衛生対策に関する指令。これを受け厚生省内に社会局(保護課・福利課・住宅課)、健民局に母子課が設置される。

9.22 GHQ、財政金融情報の全面的提出を指令。GHQによる全面的把握を図る。

9.24 GHQ、指令第3号に基づき賃金統制の維持、物資の公正配給、輸出入許可制を指示。

9.24 トルーマン米大統領、マッカーサー司令官の権限に関して指令。(詳細不明)

9.24 「報道の政府からの分離に関する覚書」公布。日本政府の統制支配が廃止され、GHQの統制に移行する。

9.25 GHQ、「製造工業の運営に関する覚書」発令。日本に存続を許す工業の規模を規定。

9.26 GHQ、経済統制の必要を強調。日本政府はこれを受け軍需工場の民需転換処理を開始。

9.26 哲学者三木清が獄死。GHQにショックを与える。この件を契機として治安維持法の急遽撤廃が決められたとされる。

9.27 マッカーサー、連合軍総司令部で天皇と会談する。

その後、両者の会談は11回行われた。天皇は冷戦対立における共産主義の脅威に言及し、アメリカの積極関与を求める。

9.29 マッカーサー・天皇会談の写真を各紙が報道したが、内務省情報局はこれを「不敬」として発禁処分とする。

9.29 GHQ、「報道および言論の自由への追加措置に関する覚書」を9月27日付で公布。これを受け訪問写真が新聞に掲載される。

9.29 GHQ、戦時諸法令の廃止を指令。これを受け「大日本産業報国会」などが解散。満鉄・戦時金融公庫など29の特定金融機関が即時営業停止となる。

昭和20年10月

10.01 人口調査実施。樺太・沖縄を除く内地総人口は7200万人であった。

10.03 GHQ、外国向け金融・産業・商業上の通信を禁止。

10.03 GHQ、生活必需品のうち緊急物資以外のものの価格統制・配給の撤廃方針を表明。

10.03 岩田宙造法相は「政治犯人の釈放の如きは考慮していない」と発言。

10.03 山崎巌内相、「治安維持法にもとづく共産主義者の検挙を継続する」と発言。

思想取り締まりの秘密警察は現在なほ活動を続けていおり、反皇室的宣伝をおこなふ共産主義 者は容赦なく逮捕する。また政府転覆を企むものの逮捕も続ける。共産党員である者は拘禁を続ける。政府形体の変革とくに天皇制廃止を主張するものはすべて 共産主義者であると考へ、治安維持法によって逮捕される。

10.04 GHQ、「星条旗」紙に掲載された山崎談話を受け、即座に「指令」の作成に入る。「直接の動機は三木獄死にある」と説明。

10.04 GHQ、「政治的・公民的及び宗教的自由の制限の除去に関する覚書(いわゆる.........公民権指令)」を発表.国務省の派遣したGHQ政治顧問アチソンらが、マッカーサーの同意を得て作成したとされる。

①天皇に関する議論をふくむ思想、言論の自由を抑圧する一切の法令の廃止。②治安維持法関連の一切の法令の廃止。③政治犯の即時釈放。④治安維持法にもとづく特高など弾圧機構の解体、⑤弾圧を担ってきた内務大臣、警保局長、警視総監のほかすべての特高警察官の罷免。

10.04 マッカーサー、近衛文麿国務相(副総理格)を呼び憲法改正の作業を要請。会談にはアチソン大使も同席。マッカーサーの行動に対し、米国内世論は「近衛はゲーリングだ」と一斉に反発。(マッカーサーは日本軍国主義に対する怒りを一般米市民と全面的に共有していたわけではないようだ)

10.04 厚生省、推計失業者477万人と発表。

10.05 GHQの公民権指令に対し、東久邇内閣は実施不可能として総辞職。日本旧支配層の最初の公然たる組織的反抗。

10.06 全国の特別高等検察(特高)を廃止する。内務省警保局も廃止される。

10.09 東久邇内閣に代わり幣原元外相が内閣を組織。

10.09 GHQ、必需物資の輸入に関する覚書を発表。

10.10 共産党員をふくむ政治犯約2500人がGHQの指示を受け順次釈放される.

10.11 政府閣議、公民権指令発令後7日目に治安維持法の廃止を決定。

10.12 マッカーサーが幣原首相と会見。「憲法の自由主義化」を求めるとともに「人権確保の五大改革」を口頭で突きつける。

①選挙権付与による婦人の解放、②労働組合の結成奨励、幼年労働の弊害の矯正、③より自由 な教育を行うための諸学校の開設、④秘密警察及びその乱用により国民を不断の恐怖に晒し来たりたるがごとき諸制度の廃止、人民を圧制から保護する司法制度 の確立、⑤独占的産業支配が改善せらるるよう日本の経済機構を民主主義化すること。

10.13 幣原首相、マッカーサーとの会見を受け憲法改正のための研究開始を閣議決定。松本国務相が担当者となる。

10.15 勅令にて治安維持法を廃止.11月には治安警察法も廃止。全国で公安関係者約4千人が罷免解雇される。

罷免対象: 内相、内務省警保局長、警視総監、大阪府警察局長、道府県警察部長、大都市の警察部長、都道府県警察特高課の全課員など

10.15 参謀本部・軍令部を廃止する.

10.15 GHQ、クレーマー経済科学局長が財閥解体の目的に関する見解を発表。

全体主義的独占力を持つ経済勢力の破砕により、日本の軍国主義的再建の基礎を喪失させ、財閥が戦時中に得た巨額の不当利得を吐出させて、戦争が何人にとっても有利な事業ではないことを感銘させる。
実施にあたっては日本政府に拠る自発的改組を期待する。

10.17 米国務省、GHQ政治顧問アチソンに訓令。憲法改正の基本的事項のアウトラインを示す。(これは本国政府がマッカーサーの対応に不満を持ち、頭越しに民主化方針を指示したものとも考えられる)

10.18 GHQ、輸出入品の全面的許可制を指令。

10.20(22日説もある) GHQ、主要金融機関または企業の解体・清算に関する覚書。

財閥資産の恣意的処分を防止し、解体・清算を統制する。
このため、三井・三菱など15財閥に、その事業内容・資産構成などの報告書を提出するよう指令。

10.24 GHQ、「信教の自由に関する覚書」公布。

10.25 GHQ、外交及び領事機関の財産及び文書の移管方に関する覚書を発す。外交機能を全面的に停止し、全外交機関の財産引き渡しを指令する。

10.26 日本政府、GHQに7食糧450万トンの輸入を要請。

10.27 トルーマン大統領が外交政策12項目を発表。①米国の安全保障体制の確立、②国際平和機構の必要、③西欧民主主義の擁護と育成、④民主主義の脅威の排除、5自由通商主義の回復を柱とする。

10.22 GHQ、日本教育制度に対する覚書(日本の教育制度の管理についての指令)を公布。終戦連絡中央事務局を経由して日本帝国政府に送付する。(内容については別掲)

10.30 ワシントンで極東諮問委員会開催。ソ連代表は不参加。

10.30 GHQ、「教師と教職者の調査、精選、資格決定に関する覚書」 を公布。半年間にわたり調査を行う。(21年5月に教職追放令)

昭和20年11月

11.01 GHQ、近衛の憲法草案作成について関知しないとの声明を発表。

11.01 「日本占領及び管理のための連合国軍最高司令官」(すなわちマッカーサー)に対する降伏後における初期の基本的指令。

「初期対日方針」 (9月)の民主化措置の再確認。また最高司令官は日本の経済的復興・強化、生活水準の維持に対して何らの責任も負わないことが明示される。(要するにマッカーサーは民政局=国務省のやることに口出しするなということ)

 11.02 GHQ、15財閥の資産凍結を指令。財閥解体の処理方針決定までに資本構成をいじられることを防ぐ措置。

11.03 三菱財閥の首脳が総退陣。

11.06 GHQ、持株会社の解体に関する覚書を発表。日本政府の立案した三井、三菱、住友、安田の4大財閥の解体計画を承認。即日実行を指示する。

11.04 政府、三井・三菱・住友・安田の4大財閥の自発的解体計画をGHQに提出。

11.06 GHQ、自発的解体計画に追加する形で、「持株会社の解体に関する覚書」を発布。持株会社整理委員会を設立し財閥の解体に乗り出す。15財閥の資産凍結・解体を指令.

11.08 ポーレーを議長とする米賠償委員会、日本国内の資産調査を開始。日本の平和的経済に必要な物を確保しつつ、経済の非軍事化を急ぐ。

11.08 米政府、マッカーサーに「日本占領および管理のための連合国最高司令官に対する初期の基本的指令」を通知。

11.10 GHQ渉外局、「日本の労働統制法規の撤廃」を発表。国民動員令、工場法戦時特令、労務調整令など8法令を廃止する。

11.10 GHQ、文部省に対して全教科書の英訳版提出を命令。

11.14 ソ連、日本管理機構問題に拒否権を主張。

11.17 閣議、生鮮食品の配給統制撤廃を決定。36年ぶりの凶作で供給米価が6割高になる。

11.17 連合国最高司令官、「帝国政府二返還セラレタル物品」を生活困窮者および引揚者の応急救助に用いるよう指示。

11.17 GHQ、荒木貞夫、白鳥敏夫ら10名の逮捕を命じる覚書。

11.18 GHQ、商業航空及び民間航空の廃止に関する覚書。

11.19 GHQ、陸海軍病院に関する指令。陸海軍病院・療養所を厚生省に移管し一般国民に開放する。

11.18 GHQ,皇室財産凍結の覚書.

11.20 天皇が政治的動きを開始。伊勢神宮と靖国神社に相次いで参拝。近衛文麿の「帝国憲法改正要綱」、佐々木惣一内大臣府御用掛の『憲法改正案』上奏を受ける。

11.22 松村農相、農地改革要綱を閣議に提出。農林省官僚による独自の農地改革構想を示す。

11.24 GHQ、食糧・綿花・石油、塩の政府輸入を許可。

11.25 GHQ、「国家財政の再編成に関する覚書」を公布。戦時利得を没収し国家財政にあてるよう指示。

11.27 閣議、石炭・鉄鋼・非鉄金属など重要基礎物資の価格調整を撤廃。石炭は約4倍の価格になる。

11.30 GHQ、日銀券発行に許可制を導入。

11.30 GHQ、「教職員の調査、精選および資格決定に関する覚書」を公布。 軍国主義的教員の追放を指令。

昭和20年12月

12.01 陸軍省・海軍省を廃止。復員省を設置し残務に当たらせる。

12.02 GHQ、広田弘毅ほか8名に戦争犯罪人容疑で逮捕命令。

12.02 GHQ、賃金・物価の統制を維持するよう指令。

12.02 臨時国民登録を施行。失業者数は319万人と発表。

12.03 大学での男女共学制度が実施される。

12.04 幣原内閣、改正農地調整法を議会に提出。第一次農地改革と呼ばれる。

第一次農地改革: 不在地主が小作人に貸し付けている農地の全部と、在村地主の5ヘクタール以上の農地を、小作人の希望により譲渡できるとするもの。価格は小作料の40倍とされ、交渉は地主・小作間に委ねられた。

12.06 さらに近衛文麿ら9人がA級戦犯容疑者に指名。

12.06 GHQ、石炭増産に関する覚書を発表。石炭危機に対し警告を発す。

12.08 GHQ、救済ならびに福祉計画に関する覚書を発表。

12.07 米賠償委員会、トルーマンあての勧告。工業施設の撤去、移動案を答申。

12.08 松本烝治国務相、憲法改正について①天皇統治権の維持、②議会の権限拡大、国務大臣の責任強化、国民の自由・権利強化の4原則を発表。

12.08 GHQ、制限会社の規制に関する覚書を発表。GHQの指定した制限会社において一切の資産処分を禁止する。(制限会社とは18財閥の本社及び300以上の子会社を指す)

12.09 GHQ,農地改革に関する覚書.第一次農地改革の内容を不満とし、農民解放を目指すより徹底した改革を作るよう指示。今後の農地改革の方向を明示する。新改革案の提出期限を46年3月とする。一方で独自の農地改革案の準備を開始する。

12.09 GHQ、NHKに戦時日本軍部・農業協同組合の奨励など政府の内幕暴露のドキュメント『真相はかうだ』の放送を指示。

各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に対する罪、現在及び将来の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」を目的とする。(これに関するウィキペディアの記事は、内容を紹介することなく感情的な文言を並べただけである。中立性の編集原則を著しく踏み外した不愉快なもの)

12.12 GHQが芝居の仇討ちものや心中ものの上演を禁止する。

12.13 GHQ、失業者援護計画の立案を指令。

12.16 GHQ、政府に予算編成を指令。GHQの許可を得たうえで国会に回すよう指示。

12.15 GHQ,「国家神道に対する政府の保証・支援・保全・監督および弘布の廃止に関する覚書」(神道指令)を発する。国家と神道の分離.

12.16 モスクワで米英ソ三国外相会議。極東委員会(FEC)、対日理事会(ACJ)の設置を決定。

12.16 逮捕を間近に控えた近衛文麿が服毒自殺を遂げる。

12.17 衆議院議員選拳法改正が議会で成立、公布される。婦人参政権が認められる.幣原内閣はこれに基づき総選挙の実施を計画。

12.17 B、C級戦犯裁判,横浜で開廷.(捕虜・住民の虐待容疑)

12.18 農地調整法改正法案が成立。日本政府が独自に作成したもので、第一次農地改革法と呼ばれる。自作農の創設、小作料の金納化、農地委員会の刷新などをふくむ。地主制度の根幹には触れず。

12.19 マッカーサーが管下部隊に訓令。連合軍の日本占領の基本目的を再確認したもの。①天皇と日本政府は国民統御の一手段、②日本の過去の誤謬を是正し、「世界において尊敬される地位を回復する」ためにその機会を付与する。

12.20 GHQ、総選挙の延期を指示。翼賛議員の再選を防ぐため公職追放の準備を進めていたことが理由とされる。

12.21 GHQ、占領政策に関し声明。日本民主化指令は一段落した。今後は教育と指導を主たる業務となすと表明。

12.21 米商務省、対日民間貿易の禁止期間をさらに6ヶ月延長すると発表。

12.22 労働組合法が公布される。(施行は翌年3月)

12.22 労働組合法公布。団結権と団体交渉権が保障される。(21.3.1施行).

12.27 モスクワで米英ソ三国外相会議。極東諮問委員会に代わり極東委員会対日理事会を設置することが決まる。これは連合国最高司令官の諮問機関とされる。

12.28 宗教団体法を廃止する。

12.31 GHQ,特定授業の停止を指示。修身・日本歴史・地理の授業停止と教科書の回収を指令.


マッカーサーは連合軍司令官でもあり、米占領軍司令官でもあります。

その力の源は米国大統領にあります。まずはトルーマンの信任を受け、軍人として、占領軍の司令官として、日本の治安維持と、戦争の後始末にあたりました。これらは基本的には軍事的任務であり、マッカーサーには専断権があったと言えます。

日本を占領した米軍は連合軍としての性格も持っていました。したがってポツダム宣言を日本に適用させる任務も持っていました。ただこれは米政府が連合国から負わされた任務であり、マッカーサーにとっては間接的なものです。

マッカーサーにはポツダム宣言を実施する権限が与えられてはいましたが、それは事後の点検と承認を要する事項でした。

三番目が、これはかなり怪しいのですが、日本国家の再建の任務です。国家の崩壊を食い止め、再建を軌道に乗せ、国際社会に復帰させることですが、これはかなり越権行為となる可能性がありました。

形式的には、ポツダム宣言の実施という枠を拡大解釈すれば、成り立たないわけではありません。現に戦後の日本経済は音を立てて崩れ始めていました。民主化をはじめとする戦後改革を実施するまもなく、その対応に追われざるを得なかったという事情があります。

極東委員会など連合国を代表する機構は、民主化・天皇制の課題や、賠償という「公正の実現」には熱心でしたが、日本経済の崩壊に対しては無関心でした。

GHQの経済政策については、膨大で複雑なイシューがあり、私の手に負えるものではありませんが、そういう性格もあったのだということは踏まえておくべきだと考えます。

四つめは、これは明らかに権限の逸脱であり、間違った行いですが、日本を「反共の防波堤」として育成したことです。少なくとも連合軍司令官としては完全にアウトです。

それではなぜそのような権限の逸脱が可能になったのか。それは米国の軍・政府の権限の付与があったからです。そしてマッカーサーがそれに乗ったからです。この時点ではマッカーサーはすでに軍人ではなく政治家として行動しています。

そして最終的には、講和条約と日本の独立を待たず、ワシントンによって更迭され「老兵」として消え去っていきます。

これらの権限の違いは、そのまま時代区分となっています。したがってマッカーサーを評価するには、その時代と権原をもって評価していかなければなりません。

もちろん、一貫して、マッカーサーはアメリカ政府の出先機関の代表に過ぎませんでした。しかし初期であればあるほどその相対的な独自性が発揮されていることも見ておく必要があるでしょう。

 「キューバ・ミサイル危機年表」の増補と校訂に思わぬ時間を食ってしまいました。全部で4万6千字です。

とにかく難しいのです。年表を作るのでさえこの有り様ですから、文章にしようとすればはるかに難しくなるでしょう。

空間的な構造もきわめて複雑なのですが、歴史家にとって一番の難物は、後から後から新資料が出てくることです。

それも事実関係が補強されるだけならともかく、これまでの見方を一変しなければならないような資料が出てくるのです。

少なくとも、1990年以前の資料にもとづく記述は、現在は無力です。ソ連側の資料が続々と出てきているからです。さらにキューバ側の資料も入手できるようになりました。

すると、これまでに利用してきた資料の信頼性が再吟味されなければならなくなります。この新旧資料の突き合わせがえらく骨が折れるのです。

なぜかというと、どんなに各場所から新資料が出てこようと、ミサイル危機をどう解決するかという点で、唯一の決定権を握っていたのはエクスコムしかなかったからです。

だから話はいつもエクスコムにおける力関係の変化に集約していくのです。


エクスコムの議論をえらく難しいものにした最大の元凶は軍部です。軍部の強さも弱さもその情報力に由来していました。

軍はエクスコムでの議論にあたって必要な情報を一手に握っていましたから、議論の方向をからりコントロールできる立場にありました。だからこそ議論を、今考えればキチガイじみた方向にまで誘導できたのです。

しかし彼らはキューバの核・ミサイル戦力をつねに過小評価していました。強く押せばソ連は引っ込むだろうという楽観論がつねに通底しています。中国に進出していった時の日本軍とよく似ています。

↑このページのトップヘ