鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

13年4月、ぷらら・Broachより移行しました。 中身が雑多なので、カテゴリー(サイドバー)から入ることをおすめします。 過去記事の一覧表はhttp://www10.plala.or.jp/shosuzki/blogtable001.htm ホームページは http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」です。

2013年11月

都議会で共産党が百条委員会の立ち上げをもとめた。
あまりにも当然だ。これで百条やらなければ議会の名がすたる。

ところが自民党は難色を示しているそうだ。
「個人の金の話は百条委員会になじまない」のだそうだ。

金にまつわる話こそ百条委員会の仕事だろう。
おまけに個人ではない、都知事という公人だ。しかも5千万だ。
これでやらないと、あなた方の品性や常識まで疑われることになる。

流行語大賞はとれないようだが
「いつやる? いまでしょ!」

それにしても、面白くなってきた。
「都政奪還」の目が出てきた。
タマさえ良ければ勝てる。
むかし言ったよな「日本の夜明けは東京から!」
そうなると、今は「夜明け前の闇」の中か…
友よ、夜明けは近い、夜明けは近い

まだちょっと気が早いかな。


スノーデンからみなさんへの挨拶」を紹介しておく

これはちょっと古いが、7月12日、モスクワのシュレメチェボ空港でのもの。

「機密」とは何なのか、我々はそれにどう向き合うべきなのか、スノーデンはそれを教えてくれます。そして彼は、みなさんがスノーデンになるべきだと訴えています。


どうも。私の名前はエド・スノーデンです。

ひと月少し前までは、私には家族があり、とても快適な天国のような家庭がありました。
おまけに、誰の許可を得る必要もなく、他人の通信を読むことができました。それはその人の運命を変えることもできる力でした。

それは、まぎれもなくわが国の憲法修正条項第4条と5条に違反し、世界人権宣言第12条を侵すものでした。
にもかかわらず、私の政府は、これらの違法行為はある種の方法によって合法化されていると主張しています。

しかしこの判断は、基本的な正義の概念を損なうだけでしょう。不道徳が何かの法律を使って、道徳的なものに変わるということはできないので す。

1945年にニュルンベルクで宣言が発表されました。

人類にたいする国際的な義務は、その国のなかで強いられる義務を超越する。なぜなら、平和や人道にたいする犯罪を防ぐことには、より高い価値があるからである。人類に対する義務を果たすためには、人はその国の法律を侵す義務がある

私はニュルンベルク宣言に従って、正しいと考える決定をおこない、悪を正すキャンペーンを始めたのです。

私はいかなるときも、米国の秘密を売って利益を得ようとしたことはありません。
私の身の安全をはかるために、いかなる国と密約を結んだこともありません。
私がしようとしたのはそれとは反対のことです。私の知っていること、私たちに有害な事実を明らかにすることです。
それによって、すべての有害な事実を白日のもとで議論しようとしたのです。
それによって、世界中に向かって、正義を実現するように求めたのです。

わたしたち人類に害を与えているスパイ行為を明らかにすることは、ひとつの道徳的な決定であり決意でした。それは私に犠牲を強いるものでした。
しかし私は正しいことをしたと確信しており、後悔はしていません。

私はある「政治的な態度表明」を行いました。

そのときから米国政府と情報機関は、私を見せしめにしようと考えました。私がやったのと同じことをしようとするものにたいする見せしめです。

その結果として、私は追い回されるようになりました。そして沈黙することを強いられました。

米国政府は私を旅行させてはならないもののリストに載せました。香港では、香港政府に対し私を送還させるようもとめました。それは明らかに強制連行を禁止する国際原則にもとるものであり、諸国家の法律に反したものであり、香港政府の法律にも反するものでした。

米国政府の暴挙はさらに続きました。

米国政府は政治亡命についての国連の原則を侵そうとしました。私の人権を守ろうとした国々は制裁の脅迫を受けました。

そして、NATOの軍事同盟国に要求して、政治亡命者である私を捜索するために、ラテンアメリカの大統領(ボリビアのエボ・モラレス大統領)の乗った飛行機を強制着陸させるという、前代未聞の行動が起きたのです。

この事件の危険性は、ラテンアメリカの尊厳にたいする危険だけではありません。それはすべての人が持っている普遍的な権利、すなわちすべての迫害から自由に生きる権利、亡命を申請しそれを享受する権利にたいする危険でもあるのです。

このような理不尽で歴史的な攻撃に反対して、世界中のいくつもの国が、私にたいして支援と亡命を申し出てくれまし た。これらのなかには、最初から変わることなく、大国の人権侵害に反対した 国々、ロシア、ベネズエラ、ボリビア、ニカラグア、エクアドルがふくまれています。私はありったけの感謝と、これらの国民への尊敬の念を表明したい思います。

これらの国は、脅しをまえにしても自らの原則を曲げることがありませんでした。そのゆえに、これらの国は世界から称賛を獲得しました。

私はすべての国を訪れたいです。そしてそれぞれの国で、国民と指導者のみささんに私の個人的な感謝の気持ちを表明したいと思っています。

今日、私は、私に提供された亡命許可、これから提供されるであろう亡命許可を、正式に受け入れることを表明します。

ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領の亡命受け入れの提案をいただいて、私は亡命を申請することにしました。私の立場はすでに正式なものです。

私がラテンアメリカに到着することを保障するためには、通過国の通過許可が必要です。それらの国の「トランジット許可証」が取得できるよう、みなさんの支援を求めます。

そして私がベネズエラまで無事に旅行できるようになるまで、ロシアに一時的な亡命を求めるものです。今日私はロシアへの亡命申請を提出し、これが好意的に受け入れられることを期待します。

大国の法に反した行動はすべてのものへの脅威となっています。私たちはこれが成功することを許しはしないでしょう。

もし何か質問があれば、喜んでお答えします。

ありがとうございました。


ウォール・ストリート・ジャーナルの「…が語りたがらない10の事実」シリーズは、面白いといえば面白いが、笑った後の後味はあまりいいものではない。

ことに最近の「億万長者がが語りたがらない10の事実」がそうだ。

出だしはこうだ。

1.「われわれの資産はますます増えている」

2013年、世界の億万長者の資産は過去最高を記録した。

フォーブスのリストには1426人の名前があり、その純資産の総額は5兆4000億ドル、昨年比で17%増となった。このリストには王族や独裁者は含まれない。

うち442人は米国に居住し、その平均純資産は108億ドルで、昨年の91億ドルから増加している。

その一方で、その他の米国民の純資産は08年の大不況以来減少しており、まだ回復していない。

FRBのデータでは、純資産が8万3000ドル以下の一般世帯が約半数に上ることがわかった。


何やら天文学的な数字が並ぶが、はっきり分かるのは米国民の所得中央値(平均値ではない)が8万3千ドルだということだ。
平均購買力指数で補正しないとわからないが、日本人の平均が400万円としてざっと2倍の所得があるということになる。(中央値はもっと低いだろう)
いつの間にかこれだけの差がついた。日本国全体では別として平均的日本国民はもはや決して金持ち国民ではないのである。





http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/d/8/d815c75d.jpg

むかしテレビ漫画で「ヒミツのアッコちゃん」という番組があった。
中身を見たおぼえはないが、主題歌だけは耳にタコが出来るほど聞かされた。

それはヒミツ、ヒミツ、ヒミツ、
ヒミツのアッコちゃん


だったと思う。

ひみつのアッコちゃん

で聞けます。


ある日警察が突然やってきて逮捕される。
一体何をやったんだと聞くと、

それはヒミツ、ヒミツ、ヒミツ、
ヒミツのアッコちゃん

となる。
裁判になって、検事が論告するが、機密保護法違反で有罪というだけ。
裁判官が、何がどう違反しているのか聞いても

それはヒミツ、ヒミツ、ヒミツ、
ヒミツのアッコちゃん


となる。
罪状がわからないと、弁護士は弁護のしようがない
罪刑法定主義の立場に立つ限り、裁判官は判決を下せない。
検事が起訴を取り下げない限り、被告人はずっと被告人のままということになる。

ところで検事には罪状教えてくれるのだろうか?


マオイスト党幹部 人名解説

マオイストの多くは二つの名前を持っています。本名とゲリラ名です。彼らが政治の表舞台に登場するまではゲリラ名で呼ばれていたので、今回、文章を書くときはかなり混乱しました。

マオイストというのは通称で、正式名はネパール共産党毛沢東主義派です。ただ現在は統一毛沢東主義派と変わっています。これは2009年1月に小さなセクトと合同したからです。

マオイスト党は95年に結成されています。この時の書記長がプスパ・カマル・ダハルです。ダハルはその時以来プラチャンダ というゲリラ名で有名になりましたが、合法闘争に復活してからは本名のダハルで活動しています。

(マオイスト党の前にも多くの共産主義者のセクトがあったが、とても追い切れないので省略)

マオイスト党のもう一人の看板バタライにはゲリラ名はありません。なぜなら彼はマオイスト党の公然組織「統一人民戦線ネパール」の代表だったからです。

バブラム・バタライはインド共産党(CPIM)ともつながりのある知識人です。武装闘争を指導したわけではなく、一時は平党員に格下げされるなど党内での地位は必ずしも高くありません。

マオイストを割ったのが、モハン・バイディア。ゲリラ名はキラン。この人は実はダハルの先輩に当たる人で、マオイスト党の前身組織で総書記を務めていました。武装作戦の失敗の責任を取り、いったん退き、後任にダハルが就いたという経過になっているようです(カトマンズ・ジャーナル)。

ダハルが首相になった後、ダハルは議長となり、書記長にバイディアが就任しました。

4人目の幹部がラム・バハドゥール・タパです。ゲリラ名はバーダル。ロシアに留学し原子工学を学んだという知識人です。

最初のダハル内閣では国防相を務め、軍とゲリラとの統合を進めました。今回の分裂劇では、バイディアと行動を共にしました。

ウィキペディアでは、「全党的に人気があり、プラチャンダ(ダハル)の最大のライバルであるという見方も存在する」と書かれています。

他の有力者としては

チャンドラ・プラサト・ガジュレル。ゲリラ名はガウラブ。ダハルの腹心と言われ、党のスポークスマンとして国際的にも知名度が高いそうです。

クリシュナ・バハドゥル・マハラは教育者として合法面で活動してきた人物で、多くの活動家を育てたことでも知られているようです。

この間、ネパールは史上かつてない激変を経験しました。その中で二つの巨大な前進を成し遂げました。

一つは、封建的な王制を廃止し、共和制へと移行したことです。

そしてもうひとつは、事実上の内戦と言われたマオイストの武装闘争を停止し、平和を実現したことです。

これらの前進の意義はいくら強調してもし過ぎることはありません。ここをまず踏まえておかないと、目の前の困難にとらわれて議論が後ろ向きになってしまいます。

同時に、この巨大な変革をもたらしたのは、直接的にはネパールの抱える深刻な経済的・社会的困難であったことも見て置かなければなりません。

それは、旧支配層がもはやこれまでの形態では統治を続けていけなくなるほどの厳しい困難でした。

それは新自由主義経済の浸透によってもたらされています。王制を支え、封建的な社会関係を構築してきた地主層が、新自由主義の前に没落しつつあることが、そこには反映されています。

それに代わる社会をバラ色に描き出すほどには、状況は改善されていません。インドをバックとする資本家が新たな支配者になるのか、それとも人民みずからが主人公となる自主独立の国家として自立していくのかの2つの道が、選択を迫られているといえます。

ちょっと古いですが、以下の文章をご参照ください。

 ネパール:国王独裁の崩壊  ネパール:毛沢東主義者をどう見るか


赤旗が日経新聞の「やさしい経済学」という記事に噛み付いている。

7日付の日経では、「非正規雇用の約8割という大多数が、みずから選択した本意型であることも事実 」と書いたそうだ。

これは記事を読まなくてもデマ、ないし欺瞞的手法により抽出した数字だということが分かる。記事を書いた記者の心根の卑しさがモロに現れている。

と言いつつ、どんな“事実”を元にこのような「意見」をでっち上げたのかは気になる。

赤旗によると、このネタは総務省の「労働力調査詳細集計」という資料に基づいているようだ。

そのなかに非正規雇用労働者へのアンケート調査があって、非正規雇用に衝いた理由を尋ねている。

この調査項目は7つの理由の中から、一つを「主な理由」として選択する方式になっている。その7つの「理由」の中の一つが「正規の職員・従業員の仕事がないから」というもので、これを主な理由としたものが、18.5%しかいなかったというものだ。


私の考えでは、

アンケートというのは意識調査であり、客観的に示された数字との関連で考えなければならない。正規雇用の口が求職者に比べ圧倒的に少ないのは間違いない事実だ。「正規の職員・従業員の仕事がない」のは、意識調査のそもそもの大前提だ。有効求人倍率が0.5という数字にも、我々は驚かなくなっている。(これ自体が大問題だが)

だから、非正規雇用労働者の18.5%しかみずからの境遇を不満に思っていないことこそが大問題なのだ。「いじけ」なのか「あきらめ」なのか、どっちにしても健全な社会心理ではない。日経新聞の正社員であるこの記者は、「勝ち組」のひとりとして、この数字が当然だと思っているようだが、それも想像力の鈍麻であろう。


ということで、記事に戻る。

この記事を書いた清水記者は、この質問のもう一つの内容に注目する。

この質問は多少複雑な型式になっている。まず7項目から複数回答させる。そしてそのなかの「主な理由」に二重丸を付けさせるようになっている。

そこで「主な理由」以外のすべての丸印をチェックしてみた。

すると次のことが分かった。

1.「正規の職員・従業員の仕事がないから」に丸をつけたのは25.1%となった。

2.男性のみで限ると38.1%となった。

3.さらに男性群を年齢別ににると、25~35歳で58.9%、35~45歳で61.5%、45~55歳で59.6%となった。


此処から先は清水記者ではなく私の感想

ジェンダーの人にはあまり聞かれたくないが、主婦でちょっとパートという人たちを混ぜることで、ことの深刻さを覆い隠そうとしているとしか思えない。

日経の記者の方へお願いしたいが、あなたと同年代の、かつては同級生だった人たちが、正規の職につけなかったら、あるいは正規の職を失ったらどういう気分になるのか、ちょっとは想像力を働かせてほしいと思う。

そうすれば「非正規雇用の約8割という大多数が、みずから選択した本意型であることも事実 」などというセリフはとても吐けないはずだ。

このほどネパールで制憲議会選挙が行われました。予想された大混乱もなく無事完了したようです。

結果はこれからのようですが、途中経過の限りでは、マオイストの惨敗のようです。まぁ一つの時代の終わりというふうにも見えます。

フランス革命のように、まず王政が倒され、ついで革命を推進したジャコバンが凋落する、という過程にも見えます。

もちろん、インドと中国という大国が干渉しまくっていますから、事態はもう少し薄汚れたものになっていますが…


2008年

4月10日 制憲議会選挙。マオイストが第一党となるが過半数に達せず。
ネパール共産党毛沢東主義派 229  ネパール会議派115, ネパール統一共産党 108, 以下54 - マデシ人権フォーラム、21 - タライ・マデシ民主党、8 - 国民民主党、9 - ネパール共産党マルクス・レーニン主義派、9 - 友愛党、8 - 人民戦線ネパール、5 - ネパール共産党ユナイテッド派

5月28日、制憲議会で連邦共和制採択。王制は廃止される。
7月22日 マオイスト党中央書記局会議が開かれる。他党の抵抗が強いことから、政府の組織を断念し、野党に留まることを決定。
8.15 マオイストが統一共産党、マデシ人権フォーラムと連立政権を組む。プラチャンダが首相となる。財務大臣にバブラム・バッタライ、国防大臣にバーダル(ラム・バハドゥール・タパ)などが就任。他党との関係をめぐりキラン(モハン・バイディヤ)、バーダルら党内原理派と激論が戦わされる。
11.16 制憲議会、新憲法制定に向けた作業日程を可決。
12月 マオイスト活動派がヒマール・メディア紙を襲撃。プラチャンダ首相は、「毛派のふりをして党に汚名を着せる行為」と非難。


2009年

1.12 マオイストと「ネパール共産党統一センター・マサル派」が合同。
2.11 マオイスト党のマトリカ・プラサド・ヤーダブ政治局員がマサル派との合同に反対し離党。ネパール共産党毛沢東主義派の再建を宣言。
5.03 ダハル首相は軍トップのカトワル参謀総長を一方的に解任。
5.03 統一共産党、友愛党が連立を離脱。ヤーダブ大統領もカトワルの参謀総長続投を支持する。
5.04 連立内閣が崩壊しダハル首相は辞任。
5.23 統一共産党と会議派を中心とする連立政権が成立。統一共産党のマダブ・クマール・ネパールが首相に就任。マオイストは首相選出過程をボイコット。

2010年

1月 マオイストを含む主要政党の幹部からなる「枠組み」が構築される。

5.02 マオイストは憲法の早期制定をもとめる大規模集会を開催し、無期限バンダ(強制ゼネスト)を宣言。

5.08 マオイストのバンダが多くの批判を受け中止される。

5月28日 制憲議会が期限を迎える。制憲議会の1年間延長とネパール首相の早期退陣が決定される。

6.30 ネパール首相が辞任。このあと半年以上にわたり首相不在の期間が続く。

11.21 マオイストの第6回中央委員会拡大会議。約6000 人の党員が集まる。ダハル議長とバイデャヤ副議長、バッタライ副議長がそれぞれの方針案を提出。

会議はインド主敵論をめぐり紛糾。これを否定するバッタライ副議長が離党を図ったが、ダハール議長派がバッタライ副議長に同調する。これに抗議するヴァイデイア副議長派がマオイスト党から分離した。
バイデャヤはバッタライ副議長よりダハル議長のほうが危険だと指摘。議長の贅沢を非難し、汚職や密輸に関わっていると糾弾する。

2011年

2.03 マオイストがネパール退陣を条件に統一共産党への支持を表明。カナル委員長が首相に選出される。

5月28日、ネパールの制憲議会が開催され、主要3政党の合意に基づき、議会がさらに3カ月延長される。

8.28 カナル連立政権が崩壊。バブラム・バッタライ(マオイスト党副書記長)が、統一マデシ人民戦線(UDMF)などの支持を得て新首相に選ばれる。制憲議会の任期が3ヶ月間延長された。

10月 インドとネパールが「相互投資振興に関する協定」を締結。

11.01 主要3政党の間で軍の統合問題に関する7項目合意。元マオイスト兵2万名は、国軍編入を希望する者、社会復帰プログラムを希望する者、退職金の支払いによる自主除隊を選ぶ者の3つのグループに分けられる。

11.29 制憲議会の任期が6ヶ月間延長される。

2012年

1月 マオイスト最高幹部の力関係。7人の本部書記のうちダハール派3名、バイデイア派3名、バッタライ派1名で勢力は拮抗。ただしタパ書記長はバイデイア派。

2月8日 非認証兵士(末端ゲリラ)約7500人の除隊作業が完了。28ヶ所のキャンプ中13ヶ所が閉鎖される。

3.28 マオイスト派中央委員会の開催。149名の委員のうちバイディア派50名が欠席。

3.31 国軍統合組の人選に不満を持つマオイスト兵士が反乱の動き。

4.10 バッタライ首相(マオイスト党)が「軍統合に関する特別委員会」を招集。全てのマオイスト・キャンプをネパール軍の管理下に置き武装解除。

4.11 マオイスト党のバイディア派は武装解除を降伏行為と非難。抗議行動を開始する。

4月 ダハール議長、党内の集会において12項目協定の役割はPLAの国軍編入により終わった。再び武器をとって戦う事は自殺行為であると述べる。

5月1日 全政党による連合政権への合意を受けてバッタライ内閣は解散。引き続きバッタライ前首相による新しい内閣が誕生した。大臣は主要4党に概ね均等に割り振られる

5月27日 延長を重ねてきた制憲議会が最終的に解散。バッタライ(マオイスト派副議長)による管理内閣が発足。601人の議員は特権を失う。

6.16 マオイストが3日間にわたる全国幹部会議を開催。バイデイア副議長が独立を表明。ダハルはバイディア派との合意なしに何もしないと演説し、バッタライは「党の結束のためにはいつでも首相を辞める用意がある」と演説し慰留する。

6.19 副議長モハン・バイディア、新党(ネパール統一共産党革命的毛沢東主義)の幹部会議を招集。バイディアが議長、タパ書記長とガジュレル書記が副議長となる。

6月 バイディア派のガジュレル副議長、テライ地方のビジネス・グループと会合。「バイディア派は資本主義に賛成であり、個人の財産所有を支持する」と述べた

7月15日 バイデイア議長が中国共産党の招待により訪中する。

7月17日 マオイスト派拡大評議会、ダハール議長の提案を承認して閉幕。地方グループがバッタライ副議長の失政を攻撃。机、イス等の投げ合いとなる。

9月5日 アメリカは新大使が着任。マオイスト派をテロリスト・ストから外すと発表

9月 バイデイア派、インドの車のネパール国内での通行を妨害すると発表。ネパール・インド友好条約(1950)の廃棄をもとめる。全政党や各団体からの猛烈な反対にあう。

10月 バイデイア派は、ダハル派幹部が短期間に不正蓄財で大金持ちになったと抗議。マオイスト派の兵士の社会復帰等に費やした金額は15Billionルピーに達する。

11月 バイデイア派、主要な敵はインドの覇権主義者とし、さらにマオイスト党(ダハール派)、コングレス党、共産党、主要なマデシ・グループ、政府官僚、財界のリーダー等を含めて攻撃の対象とする。

2012年12月1日 国勢調査の結果ネパールの人口は2650万人。10年間で約330万人増えた。人口の55%が25歳以下

2013年

13年1月

1月9日 バイデイア派の第1回全体集会がカトマンズで開かれる。バイデイア議長、タパ書記長らが一万人の参加者を前に中国を賛美する演説。

集会には中国大使、北朝鮮大使も出席。

13年2月

2.02 第7回マオイスト(プラチャンダ、バッタライ派)拡大代表者会議が開かれる。

(小倉清子氏は「マオイスト党が21年ぶりの党大会を開催。武装闘争を放棄し、議会政党となることを正式に決議」と記載している)

2.11 第7回マオイスト拡大代表者会議が閉幕。25年間議長を務めたプスパ・カマル・ダハール(プラチャンダ)が再任される。副議長にバプラム・バッタライとシュレスタ、書記長にポガティ。

2.27 最高裁長官が首相就任。

13年3月

3月 暫定管理内閣のバッタライ首相が辞任。キル・ラジ・レグミ最高裁判所長官を首相とする選挙管理内閣がスタート。

3月 食品検査局。通称「ミネラル・ウオーター」のうち三分の一が飲料に適してないと発表。約300社の飲料水の製造会社があるが約半数は無許可。

3月 主要4党による合意が成立。制憲議会選挙を6月21日に行うこととし、選挙管理内閣がその間の政務をとることとなる。主要4党とはマオイスト派(ダカール、バッタライ派)、共産党、コングレス党、UDMF(連合マデシ戦線)のこと。バイデイア派はこの合意はインドによる謀略だと反発

4月マオイスト派のダハール議長が、中国・インドをあいついで訪問。

5.30 政党の選挙管理委員会への登録が終了。134の政党が登録するが、バイディア派は登録を拒否。

13年7月

7.01 バイデア派がポカラで中央委員会を開催。選挙をボイコットすることを決定。最強硬派のチャン副議長は、再び武装闘争も辞さないと述べる。

7月 マオイスト内部でバッタライ副議長とダハール議長の主導権争いが激化する。バッタライ副議長は辞任を示唆。

7月 共産党統一派のマダブ・クマール・ネパール議長(元首相)、要職を辞し最高顧問に退く。

8.26 マオイスト軍を国軍に統合する作業が正式に終了。70人の元マオイストに「中尉」の階級が与えられた。ネパール軍へ統合されたマオイスト兵は1400人にとどまり、残りの約15000人は支給金を受け取って除隊。

8月 ネパール・ルピーがインド・ルピーに連動して急落。インフレに拍車をかける。

13年9月

9月 カタール駐在シャルマ大使、”カタールはオープン・ジェイル”と発言。ネパール政府は大使を召喚。

カタールでは数万人にのぼるネパール人労働者が働いているが、今年の6月から8月までに44人の死者がでている。

13年10月

10.01 バイデイア派が国連に書簡を送り、制憲議会選挙に反対の立場を強調。

10.18 IMFの現地調査団、ネパールのインフレ率が7.5%、経済成長率が4.5%、年間個人所得は721ドルと発表。(実際のインフレ率は30%以上と言われる)

13年11月

11月11日 マオイスト派など33の政党がバンダ(ストライキ)を開始する。当初は投票日までストを続けるとしたが、各方面からの圧力が強く1日のみで中止。

16日夜 インド国境が20日まで完全に閉鎖される。カトマンズは警察、軍隊が要所を警備する。

11月19日 制憲議会選挙。選挙当日の車両の使用が禁止される。 


Ⅴ 治癒することの意味

①治癒の徴: 甘い涙

「魂は悲しみを通して、あるいは理解することを通して悟る。自分は本来、天に属するものであるのに、この世をさまよっているのだということを」

これロスのいう「受容」の段階です。抵抗、否定、反逆という抗いを捨て、自然の摂理をあるがままに受け入れる時、自分は生命として存在する自然の一部でしかないことを悟るわけです。

「(それを)悟った時、魂は目に穏やかな涙を送るようになる。…(そこに)あるのは歓喜と幸福に満ちた吐息だけである」

後ろ半分はうそ臭いけど、まぁいいでしょう。

実際に病が治るかどうかは、神に属する事柄であり、自分には属するものではない。それは病に限らず、生死ともにそうである。

しかし、ところがどっこい、人間はそこからまた生命の過程を始めるのです。なぜなら、人間は自然の一部であると同時に、生命として、絶えず欲求しつつ存在しているからです。そして自然との間に新たな折り合いを形成しようと努力するのです。それが意識的か無意識的かは別にして。

②治癒とは世界とふたたび向き合うこと

「病とはひとたび自分を死ぬこと、治癒とはひとたび死に、浄化された感受性とその五感において深々と世界と向き合うことである」

いい言葉です。死ぬというのは、即自的な自己意識を否定するということでしょう。演者は「自我としての“わたし”から、“わたしという魂”へ」の回帰と表現していますが、なかなかうまい表現だと思います。

③魂と肉体が再合体する

それは覆い隠すもののない敏感な魂がのびのびと発現することであり、理性を含めた魂の全感覚領域の解放として表れる。治癒とは「旧に復する」ことを意味しない。自然的本性の恢復と救済は、命の原初的姿体としての「真我」の獲得である。真我は自然の力により自我を脱ぎ払ったものである。

④「治癒」とは、関係性(共同性)の回復

これについては説明がないが、今日の我々が「社会復帰」と捉えているものでしょう。

Ⅵ ホモ・コンパティエンス(共苦する存在) 

ジグヴィツァが快癒した後、ヒルデガルトは病に襲われる。

これが共に苦しむということの中身で、ヒルデガルトはこれをキリストの秘儀になぞらえる。その限りにおいては一種の神秘主義にすぎない。

イエスは病者の魂の低みへと降りて行く。それは命の底の低みである。魂は魂の共感において出会う。この一点が「共苦する」ということの根拠である。

ということで、平ったく言えば病者の苦しみに同情するのである。

ヒルデガルトは、ジグヴィツァが癒されたと同じ過程を経て恢復する。「胎児を産み終えた妊婦のような」疲労とともに、歓びに満ちていたという。

補遺

①肉体をまとったがゆえの苦悩

病の原因を観想するヒルデガルトの精神は、宇宙誕生の瞬間にまで遡る。「なぜ神は人間に肉体を―すなわち物質をまとわせたのか」という疑問である。肉体をまとったがゆえに、その滅びの死があり、病がある。この原罪こそが病の根拠なのである。

②人間は自然への盲従者ではない

「人間は、どこまでも世界の構造に依存せざるをえない他のすべての被造物よりも意義深い存在である。魂が内包する諸力において強力な存在である。その頭を上に向け、足を堅い大地に下ろし、彼は高いものも低いものも動かすことができる。彼はただ世界の網にかかっているのではない。彼は世界を網のように手の内にかかえ、これを動かす男のように立っている。神は…人間に創造の武具を着せたのである」

すごいですね。マルクスみたいですね。

明神先生には大変申し訳無いが、「戦後史の汚点・レッドパージ」を読んでいて感動したのは、高見順日記の引用だった。

45年10月6日
特高警察の廃止、-胸がスーッとした。暗雲が晴れた思い。しかし、これをどうして聯合軍司令部の指令を俟たずしてみずからの手でやれなかったのか、-恥しい。これが自らの手でなされたものだったら、喜びはもっと深く、喜びの底にモダモダしているこんな恥辱感はなかったろうに。


特高警察の廃止を日本憲法の制定と置き換えても良い。
1.特高警察の廃止は歓迎すべきことである。
2.それは聯合軍司令部により押し付けられたものだ。
3.それは日本人に恥辱感を与えた。
 
つまり、日本人は右翼も左翼も戦後改革を押し付けと考え、それを恥辱と受け取ったのだ。
ただ左翼の恥辱感は右翼と異なり、メラメラと燃え上がるような恥辱感ではなく、モダモダしている恥辱感だった。
この「恥辱感」を、未だに引きずっているこのモダモダ感をきちっと整理しなければならない。
それこそが右翼と対決するための我々の倫理的拠り所となるだろう。


実は昨日勉強してアップするつもりだったが、勉強している内に訳が分からなくなって綺麗さっぱり消してしまった。
ピアノには間違いなく音色があって、例えばワルター・クリーンやマレー・ペライアのモーツァルトを聞くと、なんてきれいな音なんだろうと思う。逆にリヒテルやポリーニ、アルゲリッチなどを聞くと、音色をだいじにしない人たちだなと思ってしまう。
ところが、音色について書かれた文章を読むと、ピアノに音色なんかないのだと力説されている。
これは非常に困ったことになった、と戸惑っている内にアルコールが回ってきて、これは睡眠によって情報を整理する以外にないなと、思い至ったのである。
そして約24時間を経てふたたびパソコンに向かっているのであるが、ダメなものはダメだということが改めて分かった。

ダメだと分かりつつ文章を書くのは非常に辛いのであるが、やはり「ピアノの音色は骨が出す」というアイデアは書き留めておかずにはいられない。

音色=雑音説というのが現在有力になっている。
誰が言い出したかは忘れた。なにせ、昨日かっとして、書きかけの材料を全部消してしまったからだ。
外国の人だ。いろいろ実験もしていて説得力はある。
ピアノが音を出すには二つの異なった過程がある。
ひとつは人間が指で鍵盤を押してハンマーを振り下ろすに至る過程である。
もう一つは振り下ろされたハンマーがピアノ線を叩き音を発生する過程である。
第二過程において演奏者の情や業が入り込む余地はない。
とすれば、音色の秘密は第一過程にあるはずだ。

ここで、同じ鍵盤楽器であるパイプオルガン、チェンバロ、エレクトーンと比較しながら考えてみよう。
パイプオルガンの場合はキーボード操作から生じる音に比してパイプから出てくる音量はきわめて大きい。エレクトーンの鍵盤はまさにキーボードであって、携帯のボタンを押すのに近い。ピアノのような叩きこむ操作とは程遠い。ハープシコードの演奏技術は良く分からないが、ダイナミックレンジが狭く、音色で勝負というものではないようだ。


ということで、同じ鍵盤楽器でもピアノだけが、演奏者による音色の違いを問題にされていることになる。
これはピアノだけが、第一過程において生じる“雑音”を無視し得ないほどの相対的音量を持っていることを示している。
つまりピアノの音色というのはハンマーの衝撃によって発生した本来の音と、第一過程によって発生した“雑音”の合成音ということになる。

ここまでが、かなり長い前置き。
次に第一過程の分析に入る。
これは次の4つの小過程からなる。
1.指が鍵盤に当たる。これは下手くそな人が弾けば相当大きな音になる。しかしプロは鍵に触れてから力を入れるからほとんど音は出ない。時相的にも、よほど早いパッセージでない限り、音が出るまでの間隔があるので、音色の一部とは成り得ない。
2.鍵を押しこむ時にも支点の回転に伴う摩擦音と、それなりの風切り音は出ていると思うが、これは無視して構わないだろう。
3.鍵盤の下には板があって、それ以上鍵が下がらないようになっている。これを底板という。したがってある鍵を押して音を出した場合、ほぼ100%底板にぶつかっている。
この音が音色の本体である。これについては後述する。
4.指を鍵盤から離せば鍵は元に戻る。この時、鍵がひっくり返らないよに止めがついているから、鍵はそこにぶつかり音を出す。
ピアノという楽器の特殊性として鍵が元に戻ると同時にダンパーが鍵にあたり、響きを強引に抑える。ハープシコードなら相当盛大な音である。
しかし時相が遅れるから、これは雑音として聴取され、音色を形成することはない。
以上、鍵盤操作過程からは4つの音が発生する。そこで、どの程度の音量の音が、どの時相に出現するかが問題となる。
音量としては1、3、4が深刻だが、時相的に見ると3が決定的であろう。

先程からパソコンのキーを叩き続けているが、1と4についてはマシーン依存性であり、ほとんど変更不可能である。
しかし3はかなり変更が可能である。
そこには3つの選択がある。

ひとつは寸止めである。音を出すためにはハンマーがキーから離れる瞬間まで力を加え続ければいいのである。
ピッチャーは指からボールが離れる瞬間まで一生懸命投げればいいのであって、その後どうなったっていい。バッターはバットに珠が当たった瞬間振るのをやめてもいいのだ。
ピアニストは底板を打ちつけるためにピアノを弾いているのではなくて、ハンマーに鋭い初速を与えればいいのだ。
二つ目は寸止めをしないで底板まで指を打ちつけた場合だ。この場合指のどこを打ちつけるかで音が違ってくる。
指を立てて打ち付けると鋭い衝撃音が発生する。指の腹で打つと、腹の肉が衝撃を吸収する。
自分でやってみればわかるが。驚くほど音量が変わってくる。
考えて見れば当たり前の話だが、2つのものがぶつかって衝撃音を出す場合、音の高さは二つの物質の硬度の掛け算だ。
しかるに底板の硬度は一定だ。とすれば指の硬さが音の強度と周波数を規定することになる。
では指の硬さを規定するものは何か。それはポジティブには骨の硬さであり、ネガティブには皮下脂肪(軟部組織)の柔らかさである。付け加えれば皮膚の硬さである。これはコンガを叩くのと同じ原理だ。
とすれば、底板とぶつかって衝撃音を発しているのは指の骨ということになる。逆に衝撃音を弱めるのが皮下脂肪ということだ。

ティンパニーを考えてみよう。
ティンパニーは皮が振動することで音が出る。しかし最初の音は皮とバチが当たった時の衝撃音だ。
バチを変えてみれば音色の違いは明確だ。裸の木の棒ならパンパンとなるし、分厚いフェルトを巻きつけたバチであれば、遠雷のようにドロドロとした音色となる。
人間の指においては骨が木の心棒であり、皮下脂肪がフェルトの役割を果たす。
そうは考えられないだろうか。


時相的に、底板を打つ音は弦が最初の衝撃音を発する音と一致する。鍵とと別れたハンマーが弦にぶつかる時間とほとんど一致して指が底板にぶつかるからだ。9時5分前に駅で別れた友達が電車に乗って、9時に出発するのと同じに、パーキングの車に乗ってイグニッションを入れたのが9時だった、ということだ。

 このピアノの持つからくりが創りだす時相の一致という現象があり、その故に、二つの別の場所で発生された音が一つの合成音となる
そして、あたかも弦を木バチで叩いたり、フェルト巻き棒で叩いたりするかのような印象をあたえるのではないだろうか。

ピアノという楽器は二つの意味で打楽器である。ひとつはハンマーで弦を叩くということだ。そしてもうひとつは10本の指で底盤を叩くという意味においてだ。
弦を叩いた時の音は寺の鐘を叩いた時と同じで、まず衝撃音、ついでグワーンという唸りをともなう正弦波である。
50メートルも離れたら最初の衝撃波は弱まってしまう。しかしその鐘の音色を規定するのはその衝撃音である。
その衝撃音の中にピアノという木の箱を叩く音が混じっていたら、やはりピアノの音色を規定するのではないか。

たしかにピアノにはこの3つの奏法があるような気がする。
鍵盤を猫の手が掻きむしるように弾いたり、押した指を跳ね上げたりするのは一種の寸止め奏法で、底板の音は最小となる。そのかわり音は止まってしまう。ペダルを踏みっぱなしにすると次の音と混ざって聞きにくくなる。
指を伸ばしたまま指の腹で鍵盤を抑えこむと、弦の音量に比べ底板の発する音量は小さくなるから音としては柔らかくなる。指を立てて突き刺すように鍵盤を押しこめば、かなり盛大に底板は鳴り、音が粒立ってくる。


純粋にピアノの音色というのは弦の振動する音である。しかしこれに木の箱が共鳴するからピアノ独特の音色が生まれる。
エレキギターはギターではない。そこには共鳴りする木箱はない。同じ意味で電子ピアノはピアノではない。
鍵盤の底板を叩く音は、そういう意味から言って、「雑音」とは呼べないのと思う。

すみません。底板と書いてきましたが、ヤマハのサイトを見ると、棚板と呼ぶようです。でもたしか昨日の解説には底板と書いてあったような気がするが…



占領開始まで

1.終戦記念日などというから良く分からない。無条件降伏を受諾したのが8月14日で、これを受けて連合軍、日本軍は戦闘行為を停止した。降伏したのは9月2日で終戦記念日というなら、こちらのほうが正しいだろう。

2.9月2日をもって日本は連合軍の占領下に入り、占領軍総司令部(以下GHQ)の支配下に入った。GHQというのは正確には占領軍司令官総司令部であり、司令官たるマッカーサーの権限の範囲で行政にあたる組織である。したがって連合国の直接の管理のもとに置かれているわけではない。

3.米国の初期政策の柱は二つである。一つは「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成」という決定であり、もうひとつは「降伏後における米国の初期対日方針」である。どちらもアメリカ政府のトップの指令という形で発表されており、ポツダム宣言に匹敵する重みを持つ。「国家的構成」は、ポツダム宣言で局限された「4島」(付属諸島として沖縄・小笠原をふくむ)の占領を米国が独占的に行うというもの。「初期対日方針」は直接軍政を敷かず、日本政府の統治に委ねるというもの。これは直接統治に移行した朝鮮とは大きく異なる。

4.間接統治のシステムは、結果的にはアメリカにとって非常に有効な方法であった。直接統治であれば、本来準軍事的な目的に限定される占領軍司令官の権限の範囲が問題にされるであろう。とくにポツダム宣言の10条2項については占領軍の権限を逸脱するおそれがある。

 

GHQの起動

1.当初は純軍事的な目標に絞られる

9月2日に出されたGHQ指令の第1号は、軍隊の敵対行為禁止・武装解除・軍需生産全面停止など純軍事的なものであった。これに続いて「言論および新聞の自由に関する覚書」が発表され、プレス・コード、ラジオ・コードが相次いで発令された。24日の「報道の政府からの分離に関する覚書」公布もおなじ流れのものとして理解される。11日からは戦犯39人の逮捕が始まった。これもポツダム宣言に規定された行動が実施にうつされただけのものである。これに続いて29日の戦時諸法令の廃止が命令された。「大日本産業報国会」を解散させ、29の特定金融機関を即時営業停止に追い込んだ。これで戦争・戦時組織の解体は一段落する。

2.初期対日方針による改革の動き

GHQは起動後3週目から民政に踏み込むようになる。「初期対日方針」を法的根拠とする指令が次々と打ち出される。内容は生活必需品確保や公衆衛生対策に及んでおり、終戦以前からの準備の上で実施に移されたものである。つまり「初期対日方針」は間接統治のみを内容としたものではなく、かねてより一定期間、日本を統制のもとに置くことを念頭としていたことが分かる。このことは24日のトルーマンからマッカーサー司令官あての指令で、あらためてマッカーサーの権限に関して確認されていることからも示唆される。

3.ポツダム勅令と間接統治の組み合わせ

マッカーサーは10日に「日本管理方針」を声明.「間接統治方針」を明らかにしたが、どこまでが間接の中身なのかはわからなかった。「政治には口を出さない」と考えた政治家もいたのではないか。しかし、マッカーサーは日本政府をして「ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件」を公布させた。これがいわゆる「ポツダム勅令」の法的根拠となり、ポツダム宣言に規定された改革については無条件に受け入れざるを得なくした。これで「間接統治」と民主化の指令は矛盾しなくなった。
その10日後からはGHQ指令が洪水のように流れ出してくるから、これはマッカーサーの知恵ではなく、アメリカ政府の当初からの戦略だったと思われる。

 

GHQへの一大衝撃

1.占領業務が開始されて1ヶ月、滑り出しは順調で予想されたような抵抗もなく、不思議なほどに治安も保たれていた。おそらく占領軍はひと安心したことだろう。ところが仰天するようなことが相次いで起きた。まず最初は26日に豊多摩刑務所で三木清が獄死したことである。彼自身は共産主義者でもないし、陰謀に関わる危険人物でもない。ただ共産主義者をかくまったというだけである。
それが終戦から1ヶ月を経た今も獄に繋がれ、劣悪な環境のもとに置かれていた。それを連合軍は見過ごしていた。調べてみると似たような人物がゴロゴロといる。そこでGHQは日本政府に対して激しい不信感を抱いたと思う。

2.そこへ持ってきて、山崎巌内務相の「治安維持法にもとづく共産主義者の検挙を継続する」という発言が飛び出した。要するにポツダム宣言を受諾しておきながら、なんらその中身が分かっていないということだ。これでは間接統治にもならない。ポツダム宣言の実効化は不可能だ。

3.さらにマッカーサーと天皇の会見報道があった。いま我々が見てもたしかにマッカーサーは失敬だと思う。戦犯として扱うなら肩を並べて写真を撮るべきではないし、元首として扱うならしかるべき服装で、然るべき姿勢で臨むべきだ。しかしマッカーサーがそのことを気にしなかったように、米国政府もさほど気にはしなかったろうと思う。GHQにとって衝撃というなら、むしろその写真を新聞報道しようとしたとき、内務省情報局が不敬として発禁処分を発表したことだ。
実は会見の直前、GHQはプレス(報道)および言論の自由への追加措置に関する覚書を公布し、日本政府による検閲を廃止している。だから、内務省の措置は占領軍とポツダム宣言へのあからさまな挑戦と映ったかもしれない。

 

「平和・安全保障研究所」というサイトがあって、そこに下記の文章が載せられている。

宝珠山 昇  GSOMIAとは

著者の名は“ほうしゅやま”と読む。元防衛施設庁長官で日米防衛協力等関係に参画した経歴を持つ。

かなり前の報告(2006年)だが、GSOMIA(ジーソミアと読む)の大体の性格は分かる。かなり素人には読みにくい文章なので、私なりに要約して紹介したい。

 

はじめに GSOMIAの4つの原則

 GSOMIAは、「General Security of Military Information Agreement」を短縮したもの。(「軍事情報の総合的保安に関する協定」ということになろうか)

これは、米国と他国との一般協定であり、米国と同水準で軍事秘密を保護するという合意である。これにより米国と他国との間の情報の交流・共有を円滑に実施しようというものだ。

現在、NATO諸国、イスラエル、エジプト、インド、オーストラリア、シンガポール、タ イ、韓国など63か国が締結している。

著者は、「内容の詳細は明らかではない」とした上で、四つの規定がふくまれているようだとしている。それは

①情報の受領国政府は提供国政府が行っているのと同程度の秘密保護をする こと、

②受領国が提供国から受けた秘密の情報は提供国政府の承認なしに第三国に開被しないこと、

③提供された目的以外に使用しないこと、

④受領国政府は当該情報に含まれる特許、著作権、商業上の秘密等の私的権利を尊重すること

となっているが、要するに①対象国の一般的守秘義務と、②第三国への漏洩の禁止の2つだ。

法制上、軍隊を持たない日本にとっては、無縁の協定だ。

 

「保護される情報の定義・対象は、口頭、文書、写真、録音、手紙、メモ・スケッチ、模型、装置、製品などあらゆる物理的形態をふくむ」というから事実上無限定だ。

次が秘密事項を取扱う人物の適格性に関する証明だ。これは「セキュリティー・クリアランス」と呼ばれる。政府の関係職員ならだれでもいいという訳にはいかない。情報・資料を利用するためには、その個人の秘密保全に対するサーティフィケイトがもとめられる。

また、秘密情報を下請け契約者へ移転するときに、その契約者に対しても適性を確認することが義務づけられる。

ということで、問題は情報の対象、適格性評価などで包括性がもとめられることにありそうだ。

 

現代における機密情報

A. 情報テクノロジーの進歩に伴う機密分野の拡大

C4ISRの急速な発達の成果を速やかに活用することがもとめられるようになった。

C4ISR: Command, Control, Communication, Computer, Intelligence, Surveillance and Reconnaissance

の略。日本語では「指揮、統制、通信、コンピューター、情報、監視及び偵察」ということになる。
ウィキペディアによると、軍隊における情報処理システム。指揮官の意思決定を支援して、作戦を計画・指揮・統制するための情報資料を提供し、またこれによって決定された命令を隷下の部隊に伝達する。すなわち、動物における神経系に相当するものであり、部隊の統制や火力の効率的な発揮に必要不可欠である。

このため、同盟国間で短時間に緊要な情報を交流し、とくに秒単位での対応となる共同作戦に必要な戦略・戦術情報の共有が、任務の成否を決するようになった。

GSOMIAは、研究、開発、調達、訓練、運用、計画、情報などを含む広範な分野を対象としており、今後重要性を増していくだろう。

B.  テロの脅威に対抗する多層のネットワーク構築

大量破壊兵器(核・生物・化学兵器やミサイル)の拡散等によって、無差別で突発性な脅威がもたらされている。このような脅威への対応措置は複雑・困難さを抱えている。

これに対処するには、研究、開発、 生産、運用、修理、備蓄、補給、訓練などにおいて、先進諸国及び官民が緊密に協力することが必要である。

多層のネットワークによる対応体制を構築するためには、民間企業を含めた機密情報の交流・共有体制がもとめられている。

C. 兵器・装備の技術導入の効率化

例えば、現在米国まで運んで行っている「ブラックボックス」の修理を日本で行えるようにすれば、整備や補給を効率化し、共同の訓練や作戦の効率も高まる。そのためには日本企業がセキュリティー・クリアランスを取得し得るよう日本国政府が努力(即ち GSOMIAを締結)しなければならない。

GSOMIAが締結されれば、現行では長期間を費やしている個別事案毎の協議も大幅に短縮され、効率化する。

(ということで、C のライセンス欲しさの取引というのが本音のようです)


日本の対応

 これまでの日本政府は、GSOMIA締結に対して否定的な立場をとってきた。それは以下の答弁(1988年の衆議院内閣委員会における外務省答弁)に総括される。

「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法」がすでにあり、これを根拠に、事案毎に個別の協定を結ぶことで対応できる。したがって「このような包括的な秘密保全のための取り決めを米国と結ぶことは全く考えていない」 

 

今なぜGSOMIAを急ぐ必要があるのか

しかしながら、ということで著者はGSOMIAの必要性と“緊急性”を強調する。

(持って回った言い方のところは、私の判断で簡略化してある。誤読はしていないと思う)

① GSOMIAが締結されていないと、米国は日本の機密情報保護体制が弱いものと受け取り、日本への機密情報の提供にあたって懸念を持つだろう。

② 機密情報の質、量、迅速さが飛躍的に増大した今日では、従来の個別方式による「情報共有及び情報協力の向上」は困難である。

③ GSOMIAの締結は、先進諸国の民間企業間の先端技術の円滑な交流・共有 のインフラを拡大し、日本企業の技術交流基盤を強化し、科学技術立国の国策の促進に寄与する。

④ 更に、GSOMIAは、秘密保護のための盗聴やそのシステムに関する重要な制度上の情報 を含むともいわれ、これはスパイ天国とも言われる日本の情報体制の改革・向上に有用である。

(これは逆でしょう。NSAやCIAがやった盗聴内容のおすそ分けにあずかりたいということでしょう)

最大の課題は何か

最大の課題は、日本企業において機密業務に携わる従業員に与えるセキュリティー・クリアランスを米国のものと同水準であると米国政府が認定できる仕組みを開発することである。

現在は、秘密の保全業務に携わる日本の従業員のセキュリティー・クリアランスも、そのつど個別事案毎に評価されている。これを日本国政府と民間企業の契約によって担保・保障する。そして米国政府が同意するようもとめる必要がある。

GSOMIAは、すべての事案に共通に適用され、セキュリティー・クリアランスを締約国政府が一般的に保証することを義務付けている。米国政府は、現在の日本の枠組みを、GSOMIAのセキュリティー・クリアランスには適合しないと判断している。

日本の機密情報保護体制の充実にも寄与 

機密情報の保護態勢の向上は、広範な分野での国民保護に欠かせない重要インフラの充実につながるものである。

国際テロ・凶悪組織犯罪の捜査・検挙能力を強化する上でも、感染症の予防や対処の薬剤の研究・開発の分野でも、機密情報の交流・共有態勢の日本の弱さが障害となっており、この強化が大きな課題である。(この部分は口からでまかせの無責任な言動としかとれません。アホらしくて突っ込む気にもなりませんが、言い出すそばから言葉が矛盾してくることに気づかないのでしょうか)

GSOMIAの締結を契機に、日本の機密情報保護体制が充実し、 情報能力が向上して行くことを期待する。 


ということで感想が二つ

1.GSOMIA は日本の軍産複合体が米国の軍事技術をほしいために、秘密保護の包括的な統制をシビリアンにまで及ぼそうという憲法違反の協定です。ただそれだけつまみ食いするのでは済まない包括的なものも含んでいます。逆説的になりますが米国に対して一切秘密を持たないという誓いの強制です。

2.日本がスパイ天国ならアメリカはスパイ帝国です。その米国の前で大股広げて、ケツの穴までさらけ出しましょうというのが秘密保護法の本態です。防諜機能の強化どころか、防諜活動そのものの放棄です。それが国民に知られるのが嫌だから、秘密にしましょうということになります。

3.確かに秘密保護法案はGSOMIAを中核としているようですが、誰かが悪乗りして、とんでもないものにまでふくらませているようです。そのため目的・範囲その他において、法律の体をなさなくなってしまっています。悪法というより愚法です。


カミラ・バジェホが国会議員(共産党)に

Reuters in Santiago

18 November 2013


2011年のチリ学生蜂起を率いた女性が下院議員に当選した。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/9/4/94a2422d.jpg
サンチアゴ市内で選挙演説中のカミラ  Photograph: Martin Bernetti/AFP/Getty Images



カミラは2011年にチリ学生運動の先頭に立った。他にも3人の学生運動出身者が下院に当選した。これはチリの政治の世代交代を強く印象づけた。

カミラ・バジェホ、25歳の共産主義者は国際的な名声を得ている。彼女はOECD加盟34カ国中、最悪の所得格差を誇るこの国で、無料の良質の教育をもとめる運動の顔となった。

カミラの勝利はミシェル・バチェレと「新多数派」(Nueva Mayoria)が議会に強い基盤を作るための鍵となった。

「ラ・フロリダ街(学生デモの定番地区)で勝利を祝おう」とかミラはツィッターで呼びかけた。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/9/7/976b997d.jpg

この日、最も明らかな勝者は大統領選挙で一位となったバチェレであった。彼女は06年から10年までの間大統領を務めている。

しかし彼女は勝利を確実なものとするためには来月の決選投票を闘わなければならない。

11年の巨大な学生の抗議行動は、現職の保守派大統領(セバスチャン・ピニェラ)の政府を動揺させた。

そして

2013年のバチェレの大統領選挙キャンペーンを助けた。バチェレは教育の全面的見直しに必要な資金を税制の改正により獲得すると公約した。

カミラとともに3人の学生運動指導者も当選した。ジョルジョ・ジャクソンとガブリエル・ボリクは独立派として、カロル・カリオラは共産党に所属した。

このパワーは、しかし来年も続くとは限らない。学生運動の新しい世代の何人かは、彼らを“sellouts”と見ている。

かつてカミラもその席にあったチリ大学学生連合の新議長メリッサ・セプルベダは、「私は、カミラにもジョルジョ・ジャクソンにも投票しないだろう」という。

「変化の可能性は議会にはないのだから」

 スペイン共産党の大会が開かれた。

the 19 th congress of the Communist Party of Spain, held from 15 to 17 November in Madrid.

赤旗の報道では、

1.新自由主義への対案を構築する

2.統一左翼の拡大強化に全力を上げる。

3.5月15日運動(スペイン版オキュパイ運動)との連携を探る

という簡単なもの。

私の記事は下記

スペイン統一左翼の歴史 その1

スペイン統一左翼の歴史 その2

スペイン統一左翼の歴史 その3

センテージャは前大会で書記長に就任。新自由主義との対決を明確に打ち出し、前書記長期の社会労働党との行きがかりを断ち、党の立て直しにあたった。

統一左翼との関係も、前大会で再確立された。共産党は統一左翼と心中するハラを固めた。

09年11月には党大会が開かれ、フランシスコ・フルトスに代わりホセ・ルイス・センテリャが書記長に就任。対立候補はなく85%の信任を受けた。統一左翼からの撤退動議は13%の支持にとどまった。つまり共産党は統一左翼と心中する覚悟を決めたことになる。

5月15日運動は、基本的には無党派青年の闘争であり、「連携」という表現には注意深い解釈が必要。

というのが当面の感想

我々のこれまでの常識からすると、会社は企業家のものであり、企業家は社員をふくめての会社だと思っていた。
大きな企業ではマネージメントを行うシニア・スタッフの独自性が高まり、オーナーと経営責任者、社員の三層構造になってきたが、経営責任者は機能資本家と見られ、オーナーの意思との乖離は目立たなかった。とくに輸出関連の企業では、外貨割り当てを通じたMITIの強力な統制もあった。
これがバブル期以降は様相が変わった。
第一に自己資本の蓄積が進み、金融機関の支援を必要としなくなった。
第二に為替の自由化により、外貨の制限はなくなった。
第三に海外進出により、モノ作り現場が多様化し発言力が弱まった。
第四に証券市場の自由化により、株の持ち合い制の意義が薄まった。
この結果、マネージメント部門のオーナー離れと、証券・債券市場を通しての投資家との関係強化が進んだ。
とくにメガバンクに見られる大型合併はオーナーを駆逐し、持株会社の解禁は会社は株主(投資家)のものとする風潮を広げた。

というふうな流れの中で、(えらく長い前置きになってしまったが)、衆議院経済産業委員会での塩川議員の質問を紹介する。

塩川議員はAPFの昭和ゴム乗っ取り事件について質問した。

記事はえらく端折ってあるが、質問の全文を探すのが面倒なので、補強しながら紹介する。
この事件の概要は以前詳しく報告した。
塩川議員は
1,APFが会社資産の約3割を持ち逃げした問題
2.労働組合への不当労働行為が続いている
と追及した。
そのうえで、
97年に純粋持株会社が解禁された(独禁法改定)あと、労働者保護の措置が放置されていることに問題がある。
1。持株会社やファンドに団交応諾義務を課すべきだ。
2.企業の持続性維持を義務とするようなファンド規制に踏み出せ。
と主張した。
オーナー資本家が企業経営者でもあった時代、労使一体論は「日本型経営」と言われ、先進資本主義のモデルだった。
いまそこに戻せというのは無理な話だが、「会社は社員のものだ。社員あっての会社だ」という観点を、ギリギリのところで問いなおしてみる必要があるのではないだろうか。
少なくとも、経営者が「会社は会社のものだ」と考え、企業そのものの存続を最大の目標に置くことを義務づける必要がある。
そうでないと、「会社は出資者のものだ。潰そうが生かそうが関係ない」と考えるハイエナ・ファンドに社会が食い荒らされることになる。
これは労働者だけではなく、真面目な企業家・資本家にとっても深刻な問題だ。

記事の一覧表を作成するために、過去記事をさらったら約2千本の記事があることが分かりました。
2011年5月からブログを開始して2年半、1千日とすると、1日あたり2本の記事を書き続けたことになります。
我ながらすごいものだと感心します。
小学校の時は夏休みの絵日記を最後の3日間ででっち上げました。天気は全て晴れでした。
年末になると日記帳を買ったり、日記帳用の万年筆を買ったりしたこともありましたが、つけた記憶はありません。
やはりインターネットの存在が大きいのだろうと思います。もちろん赤旗がなければ、書くことに困ったでしょう。
やはり自己満足だけでは続かない、今の私なりの闘いの形態だと考えるようにしています。それも自己満足と言われればその通りですが…

なお記事の一覧表は、ブログの表紙にも書いてありますが、
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/blogtable001.htm
です。

このところ大量の迷惑コメントが送られ、困っています。
いろいろ調べたところ、分かったのは、迷惑コメントを弾くのは不可能だということ。
理由は向こうのほうがはるかに頭がいいからだということです。
「掲示板」の意見に従い、下記のごとく設定しました。
1.まず、迷惑コメントを綺麗に削除する。
2.「ブログの設定」から「コメントの設定」画面に入る
3.コメントの公開を「一時保留」にする
4.「コメントの編集・削除」画面で、これまでのコメントに一括してチェックを入れる。
5.画面一番下の「自動公開リストに追加」をクリックする。
6.あとは定期的にたまった一時保留のコメントを、「コメントの編集・削除」画面で一括削除する。

これでうまくいくだろうか。
閲覧のパスワードを設定するという方法もあるようだ。横に「SHOと入れてください」とか答えを書いておけば、人間には何の苦もないこと。
根本的には、Broachさんの方でコメント投稿に画像認証を入れてもらうのだろうが。

それにしても、エルメスやグッチなど、私にも、そしておそらくは私のブログの愛読者にも無縁の存在だろうが…

三中全会声明文 9つの新しい表現とその解説_中国網_日本語

環球時報(電子版)に載った、三中全会の声明文の解説で、国務院発展研究センターマクロ経済部 張立群研究員 という人の書いたもの。

1.国家ガバナンスシステムとガバナンス能力の近代化の推進

近代的なガバナンス(を導入し)、これまでの柔軟性に欠け、…強硬な伝統的方法(を改める)

「ガバナンス」というのは企業の組織把握力のことで、先進国では一定のルーチンが形成されている。これを国家の運営手法として積極的に取り入れようということであろう。

2.「経済体制改革は改革の全面的な深化の重点で、その中核は政府と市場の関係を正しく処理し、市場の資源配置における決定的役割を発揮し、政府の役割をより発揮することにある」

張立群さんの解説は、何を言いたいのかよくわからない。元の文章はよほど分かりやすい。
つまり経済発展における市場の役割はきわめて大きい。しかし中国のような国家においては、市場の資源配置については、政府が政策的介入を行ってきた。

ここにおいて、政府は資源配置における役割を放棄する、というものだ。ここを踏まえておけば市場か国家かという論争は必要なくなる。

政府はすべてを管理しようという考えを捨て、市場の円滑な機能発揮に努力を集中しようということになる。

3.トップダウン設計の強化と慎重な行動を互いに結合

慎重な行動とトップダウン設計の強化は弁証法的統一なものである。上と下が呼応し、改革のプラスのエネルギーを最大限集める。

これもよくわからない話だが、要するにボトムアップという言葉を使いたくないのであろう。そのために「慎重な行動」という表現でわざわざわかりにくくしているという印象だ。

4.公有制経済・非公有制経済は、ともに社会主義市場経済の重要な構成部分

市場メカニズムは公平で、各主体の競争に政策的な差別があってはならない。

これは公的セクターといえども政策的支持を行わず、欠損への補填を行わないというのを原則にしようという事だ。
これだけではいささか乱暴な議論で、非営利部門や公益性が強い部門は予め別扱いとしてもらわないと困るだろう。

5.科学的な財政・税制は、資源配置を最適化し、市場の統一を維持し、社会の公平を促し、国が長期にわたって安定する制度を保障する

税制の政治的職能、社会的職能、経済的職能を明確にし、改革の目標をはっきりと指し示した。

まぁ元々税金なんてなかった国だから、あらためて財政の基礎として位置づけ直したということだろう。

6.税制改革、税負担安定

営業税から増値税への全面的変更を一応完了し、税制構造の最適化、増値税改革の完成、個人所得税の改革、不動産税の改革・強化などに進む。

7.仕事の権限に見合った支出責任の制度を構築

政府職能の転換にあわせ、中央と地方に見合った支出責任を強調する。かつての「自由にすれば混乱し、強化すれば行き詰まる」という簡単な二元管理法を繰り返さない。

結局、汚職の原因はここにあったということだろう。権限を明確化し、権限以上の財政運用を許さないことが、汚職を防ぐ上でのポイントになる。

8.農民により多くの財産権を付与

自宅用土地、農民の自作用小土地、農民の請負土地を何らかの形で市場で流通させ、それが一種の収益となれば、農民の生活を保障できる。

どこまで踏み込むのかは不明だが、個人用の保留地の財産権を保護し、転売を可能にすることで、農民の生活向上を図るということになる

9.より公平で持続可能な社会保障制度を構築

おそらく誤訳なのだろう。意味が通じない。


ということで、どうもそれほど核心的な方針が出されているとはいえない。

資本主義の進んだところをもっと積極的に導入し、市場原理を前提にして不合理な部分を見直し改革しようということのようだ。

その際政府の役割を、市場の円滑な機能というところに限定し、そこに能動性を発揮していけば、政府の行動はより合理的になり、社会主義を目指す主体的立場は維持可能だと判断している。



中全会というのは下記の略称である。

中国共産党 第18期中央委員会 第三回全体会議

第18期というのは党大会と党大会の間の期間で、大会で選ばれた中央委員会が党務全体を仕切ることになる。もちろんのべつ幕なしに中央委員会を開いている訳にはいかないから、定期的に中央委員会の全体会議を開く。日本では中央委員会総会というので、三中全会は18大会3中総ということになる。

国家行政学院の竹立家教授によれば、これまで重大な転換的意義を持つ改革の決定は、三中全会で行われてきた。
一中全会と二中全会は主に人事面の決定を行う会議、三中全会は重要な改革政策を打ち出し、新指導部の姿勢 綱領を具体的に示す会議となっている。

昔は外電の仲介した記事しか読めなかったが、最近はネットで日本語で人民日報が読める。

少し紹介していこう。

三中全会人民日報、3中総会に関する社説を発表 - 中国国際放送局

これは、「改革の旗を中国の発展の道ではためかせよう」という論文で、第三回全体会議の閉幕に当たって掲載されたもの。

1.中国の改革は歴史の新しいスタート地点に立った。会議は『中国共産党中央の改革の全面深化に関する若干の重要問題の決定』を採択した。

2.経済体制の改革の核心は政府と市場の関係をうまく取り扱うことだ。市場に資源 配置の中で決定的な役割を発揮させるとともに、政府の役割をよりよく発揮させなければならない。

3.中国は必ず新しい変化が起き、中国の特色を持つ社会主義事業は必ずより明るい未来を見せるに違いない

ということで、党中央の改革に関する決定と、政府と市場の関係をめぐる理論的展開が二つの柱になってるようだ。

たしかにこの二つが、焦眉の課題であることは間違いない。

「中核的利益」突出路線の黒幕であった中国国営石油の周永康・蒋潔敏の粛清が、外交路線にどのような結果をもたらすのか、

周永康が実権を握っていた内務・警察機能をどう再編するのか、

1月の中央政治局集団学習における習近平の「平和発展」路線が、より明確にされるのか、

大変気になるところだ。

政府と市場の関係については、この間、国営企業がその優位性を活かして民間企業に伍していくこと。市場での優位性を確保していくことが、一つのモデルとして打ち出されている。

これが「未来社会論」と連動してどのように理論的に進化していくのか、

ここも大変興味があるところだ。

これまでいわゆる社会主義国は遅れた資本主義から出発しており、日本のモデルには成り得ないとされていたが、中国は今や、ある意味で立派な資本主義大国だ。

したがって、中国の目指す経済改革が、市場と政府の関係を変革していく世界史的な試みとなることは間違いがない。

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