といっても自費出版みたいなもので、いささか懐にはこたえている。
すでにネット上では公開しているものなので、わざわざ買うほどのものではないのだが、連帯委員会の財政には寄与することになるので、そのへんのところも御賢察の上、おもとめいただければ幸甚である。
とりあえず2冊、400部売れるとトントン。300部売れれば3,4号と出していきたいと思っているが、どうなることやら。
①が20ページ、②が36ページで、それぞれワンコインでお願いしている。
発注は下記宛おねがいいたします。
AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。
秘密保護法案で問題になっているのは国民の知る権利だ。一方、ドイツのメルケル首相が携帯電話を盗聴されていたことで問題になっているのは、知られない権利だ。
一方において知る権利を守れと主張し、他方において知られない権利を守れというのは、一見矛盾しているようだ。
ここを解きほぐし、串刺しにする論理を我々は持たなければいけない。
A 言葉の錯綜を解く
1.権利の二つの意味
まず国民の権利だが、個別的な権利枠組みと集合的な権利枠組みとを分けて考えなければならない。
個別的な権利は、基本的人権を指す。知られない権利はここにふくまれる。思想・信条の自由とかプライバシー権も基本的人権の一部をなす。
個別的な権利は時代や環境に応じてかなり伸縮する。
集合的な権利というのは、国民主権ということだ。国家のあり方に係る問題については国民に決定権があり、それは無限の権利だ。
国民の知る権利というのは、基本的人権ではなくこの国民主権という集合的権利に由来する。
国民は国家の主人公であり、無限の力を持っているわけだから、知る権利というのは論理的にはおかしいのであり、むしろ知る義務というべきものかもしれない。
2.企業における権利
この二重性は、企業の論理と比べてみるとよく分かる。
企業の論理は国家の論理とは異なる。社員には働く権利(基本的人権)はあるが、知る権利(主権に由来する権利)はない。会社は社員のものではないからである。
資本家にとっては、知る権利はある。というか、知る責任がある。会社は自分のものだからであり、会社には社会的責任がともなうからである。この際、知る権利は組織のガバナンスと直結する。
プロ野球の「飛ぶボール」問題は、「知る権利」をめぐる問題の一つの典型である。プロ野球連盟を仕切る立場のコミッショナーが、ボールの仕様変更を知らなかった。知らなかったにもかかわらず、ボールの一つ一つに自分のサインを刻印していた。
結果としてコミッショナーは選手やフアンを裏切ったことになる。当然その責任をとるべきだが、むしろ主要な責任は、ボールに自分の名を刻印することの重みを自覚していなかったことにあり、その結果、知る義務を果たさなかったことにある。
B 国家主権を考える
1.国家主権は存在する
国民の権利と同様に国家の権利も存在する。それは国際社会における諸条約に定められた権利であり、他国からの干渉を許さない国家主権である。
人権と同様、前者の権利は伸縮するが、後者は死活的である。「知られない権利」は自衛権と並び、国家主権の核心をなす。
しかし国家は国民に対して権利を持たない。主権者たる国民の意志を代行する事務局にすぎない。どちらが優越するかという議論は無意味である。
2.企業主権を考える
企業を所有する資本家は企業に対し主権を持つと同時に、一般社会に対して「法人格」をもって臨む。
法人には関係法を通じてさまざまな義務と権利が与えられている。しかし、市場経済の中では熾烈な競争が繰り広げられるわけで、みずからの身はみずからで守るしかない。
その中では企業秘密を守ることも当然視野に入ってくるわけで、その限りでは厳しい守秘義務が課せられる可能性もある。それは企業の「知られない権利」とも言える。
しかしそれは外部に対する守秘であり、法人格主体に対して秘密保持が行われるならば、それは陰謀にほかならない。
先ほどのプロ野球協会の話に戻る。
ボールの仕様を独断で変更し、それをコミッショナーに伝えなかった事務局長は、極めて重いペナルティーを科せられるべきだ。
事務局長の犯した陰謀行為は、法人主体に対する裏切り・破壊行為であり、コミッショナーの犯した知る義務に対する不作為とは、レベルの違う問題なのである。
C 国会の権限制限は最悪
いずれにせよ、権利主体としての国民には一切の秘密はあってはならない。これが基本である。しかし国家主体には国家機密というものはありうるわけである。
ただし国家機密は限定的・一時的なものであり、主体者たる国民への公開は絶対的な義務であり、主体者たる国民には公開を迫る責務がる。
これをどう折り合いを付けるかということになるが、現実には国民主体の意思代行者としての国会というものがあるのであって、ここが一切の情報を管理した上で、振り分けを行っていく以外にない。
少なくとも行政機能が機密を独占するのは原理的に許されないことであり、国権の最高機関たる国会にすべてが公開されるべきである。
企業と株主の関係については語るだけの知識を持ち合わせていない。かつてのいわゆる「日本型経営」においては、労働者もふくめた会社が法人の実質的主体と考えられてきた。少なくともかつての経営者はそのように唱えてきた。
D 一応の“結論”
「知られない権利」は個別的な権利であり、他者とのあいだに成立する権利枠組みである。それは個人間だけでなく、企業間、国家間においても成立しうる。
「知る権利」は権利主体の本源的権利と目され、それは主体が主体であり続けるための不可欠の要素となっている。
知る権利は、同時に知る義務でもある。それは情報提供者を保護し情報秘匿者にペナルティーを与えるような努力なしには保障し得ないだろう。
少なくとも行政府ではなく、国民主権の代行者である国会に情報が集中されるべきだろう。
バックはモスクワ生まれ。モスクワ音楽院を卒業し73年のモンテビデオ音楽祭で優勝している。
しかし76年にアメリカ人女性と結婚した時、その前途はくじかれた。その女性はUPIモスクワ支局長の娘であった。
彼は繰り返し検挙された。アメリカのスパイの容疑だったりホモの容疑だったり、あるいはその両方だったりした。
彼が二度目の結婚をすると、事態は更にひどくなった。結婚相手の父親がKGBの高官だったのだ。
彼は二度にわたり獄に繋がれ、そのたびにひどく打たれた。鼻と頬を骨折し前歯が折れた。
1980年以降、コンサートはほとんど行えなくなった。彼は白タクの運転手となり、早朝から闇のガソリンを求めてさまよう生活をおくることとなった。
こういう災難は、半分は彼の性格がもたらしたものだった。彼は当局への不満を隠そうとしなかった。
1990年、彼は耐えられなくなりイスラエルへわたった。
しかしイスラエルに仕事はなかった。そこでユダヤ人組織の招きに応じて92年アメリカに渡った。
フェルツマンは「私が聞いた中で最も優れた技巧の持ち主であり、ホロヴィッツ、レヴァイン、ホフマンと続くロシア楽派の最後の名手だ」という。
「しかし彼はまったく無名で、コンサートの予定も金も持ち合わせていない」
フロリダで数回コンサートを行ったあと、仕事があるかもしてないと誘われてボルティモアに来た。しかしボルティモアでコンサートを開くことはできず、借りたアパートにはピアノさえなかった。
篤志家から無料で借りていたそのアパートも追い出され、彼はボストンの友人の家を目指してバン・トラックでボルティモアを後にした。
彼の非迎合的姿勢はアメリカでも変わらなかった。気に入らない聴衆には皮肉を浴びせた。
彼のショパン演奏は乱暴といえるほどに激情的である。傲慢といえるほどに奔放である。
故ホロビッツやマルタ・アルゲリッチが彼の卓越した技能を賞賛している。
発信元はYouTubeで、とにかくこの演奏でびっくりした。
調べると、5年前に Ingrid Fliter さんという人が動画をアップしている。
Ingrid Fliter さんは以下のコメントを添えている。
A tribute to one of the greatest but unfortunately not widely known pianists of all times. Those who had the privilege to know him and to listen to his performances will forever love and admire this hidden genius. Vladimir Bakk was born in Moscow in 1944 and died in 2007 in West Palm Beach at the age of 63.いずれも音質は良くない。なにせ5年前のアップだから、元の音ではなく、アップロード時に音質が損なわれたと思われる。しかしショパンは絶対聞いてほしい。ラフマニノフには度肝を抜かれる。ぜひ再アップしてほしいものだ。
その後、最近になって margo998899 さんと、gullivior さんが別の音源をアップしている。
以上が目下のyoutuboguraphy である。
探してみたら
という free のサイトで下記の演奏が聞ける。ダウンロードも出来る。音はYouTubeよりはるかに良好である。
Scarlatti- Sonata in A Major
Mozart- 12 Variations in C Major
Schubert- Sonata op. 120 in A major
Chopin- Ballade Op.23 No.1 1:39
Brahms- Intermezzo Op.117 No.1
Brahms- Capriccio Op.116 No.3
Brahms- Rhapsody Op.79 No.1
Moshkovski: Caprice Espagnole
Scriabin- Sonata #9
Scriabin- Poeme op.59 #1
Rachmaninov- sonata #2 op.36
Frank- Prelude, Chorale et Fugue
というページから下記がダウンロード可能である。
Googleの脱税手口として有名になった言葉だ。
喫茶店のモーニング・サービスのセット・メニューみたいだが、飲めもしないし、食えもしない。強烈な腐臭を放っている。
出処は本庄さんの「導管」論文の最後の部分だ。
グーグルのタックス・スキームは、“ダブル・アイリッシュ&ダッチ・サンドイッチ”と呼ばれる。
それは下記の記事によれば、以下のように要約することができる。
(Jesse Drucker: “The Tax Haven That's Saving Google Billions” Bloomberg Business week 2010 年10 月21 日号)
1. 米国親会社はアイルランド子会社とライセンス契約を結ぶ。この子会社は「グーグル・アイルランド・ホールディング」と呼ばれる。
2. この子会社は、アイルランドで設立された法人であるが、バミューダで支配管理されている。このためアイルランドでは非居住法人となる。
3. 米国親会社は、もう一つのアイルランド子会社を持っている。この子会社は「グーグル・アイルランド」と呼ばれる。
4. 「グーグル・アイルランド」社は、ダブリンの中心に本店を持ち、約2000 人の従業員を雇用している。「グーグル・アイルランド」社は、グーグルの海外営業の88%を担っている。
5. 「グーグル・アイルランド」社は、バミューダにある「グーグル・アイルランド・ホールディング」社に5.4億ドルの使用料を支払っている。このため税引前利益の額は、売上高の1%未満しかない。
6. アイルランド法人税の課税標準税率は12.5%であるが、この「支払使用料」という名目の利益移転により、租税を回避している。
7. アイルランドは、バミューダなどのタックスヘイブンに支払使用料を払うのに際し、源泉徴収税を課している。これを回避するため、使用料はオランダを経由して支払われる。
8. 米国親会社は、上記の目的のためオランダにも子会社を設立している。この子会社は「グーグル・オランダ・ホールディングスBV」と呼ばれる。オランダ子会社には従業員はいない。
9. 「グーグル・オランダ・ホールディングスBV」社は、アイルランド子会社の「グーグル・アイルランド」社から、使用料5.4億ドルを無税で受け取る。そしてその99.8%をバミューダの「グーグル・アイルランド・ホールディング」社に支払っている。
2006 年にグーグルは課税問題で米国内国歳入庁(IRS)と交渉し、ひとつの合意に達した。これはグーグル社の知的財産をめぐる問題であった。知的財産を外国にある子会社に供与することになり、その対価をどう扱うかに焦点が当てられた。
グーグル社が編み出したスキームとは、以下のとおりである。
グーグル社は、自社で開発したオンライン検索の技術、および広告に関する技術のライセンスを保有している。このライセンスを外国子会社に供与する。外国子会社はこのライセンスを用いてサービスを行い使用料を得る。この使用料を開発国(米国)に還流させれば35%の課税対象となるが、実際に入ってくるのはライセンスの供与料のみとなる。
これを「移転価格」(transfer pricing)操作と呼ぶ。
このタックス・スキームは、関係国(アイルランド、オランダ、バミューダ、米国)の税制の規定には抵触しないように仕組まれている。法的にはぎりぎりのところであるが、倫理的には真っ黒である。
グーグルの企業モットーは、“Don’t be evil” であるだけに、“Is Google’s tax strategy evil ?” という疑問や “Google’s evil tax dodge” という批判が出ている。また企米国内国歳入庁(IRS)の合意を獲得したことに対しては、“Google eats the IRS for lunch” と皮肉が囁かれている。
グーグルの広報筋は、「グーグルと似たスキームを多くのグローバル企業が行っている」と主張している。つまり企業努力の一環と言いたいようだ。たしかに「多くのグローバル企業が行っている」ことは間違いない。
開示された企業情報からも、アップル、マイクロソフト、アイビーエムなどテクノロジー関連企業が、似たようなスキームで、海外所得に対する実効税率を4.5%~25.8%に引き下げている。マイクロソフトはグーグルと同様にアイルランドからバミューダへの移転価格操作を行っている。フェイスブックは、アイルランドからケイマン諸島だ。
2009年、財務省は外国子会社に対して課税する提案を行った。内容は、外国収益の海外における移転を許容するループホールを塞ぐこと、外国子会社間の一定の支払に対して課税することである。この提案はジェネラルエレクトリック、ヒューレットパッカードおよびスターバックスなどの企業によるロビー活動によって押しつぶされた。
2010年2月にオバマ政権は多国籍企業に課税する提案を行った。今度の提案は、企業のオフショア所得移転と、外国子会社とタックス・ヘイブンとの移転操作に対する課税を打ち出した。ロビーストがキャピタル・ヒルに群がり、この提案も押しつぶされた。
巨大な多国籍企業の見解として「税負担が5%程度に引き下げられるならば、タックス・ヘイブンの資金を米国に戻してもよい」という言葉が報道されている。
赤旗の一面トップは原子力規制委員会の第28回定例会(23日)の報道。
いくつかの発言を取り上げている。
「柏崎の刈羽原発が(再稼働を申請するくらい)万全だというなら、その(スタッフを含めた)リソースを福島原発に投入できないのか」という意見が3人の委員から出されている。
原文を見てみようと思ったら、まだ文書化はされておらず、会議映像がそのままYouTubeにアップされている。
全1時間45分、とても長くて付き合いきれない。と言いつつ流していたら、1時間10分過ぎにやっと報告が終わって、議論が始まった。
先ほどの発言は、まぁもののついでみたいな発言だが、全体の議論は極めて悲観的なムードで展開されている。
その理由はいくつかある。
まず第一が、現場の消耗だ。委員が一様に強調するのがここ。
現場は疲弊しているだけでなく、線量が限界に達するスタッフが続出し、人的に現在の力量を維持できなくなっている。
第二に、次から次へと難題が出てきて、今後も止まりそうにないこと、しかも対応能力が落ちていく危険性が高いことだ。
「人は石垣、人は城」というが、予期せぬ事態が続出する状況にあって、最大の防壁は技能・経験も含めた人の力だ。その防壁が脆弱になっていることに最大の危機がある。
第三に、東電トップの誠実さに疑問があり、抜本的な対策が確立されないままになっていること(ケチっている可能性がある)
第四に、東電が誠実であったとしても、そこには限界があり、政府の関与が不可欠だということ。しかし安倍首相は政府が責任を持つといったのに、いまだに具体的な動きが見られないことだ。
会議の最後は、委員長が東電社長と会って、きちっと話し合いを持ち、とりわけ現場スタッフの確保と配慮について対策を促すことになったが、「きっとのらりくらりと逃げまわるだろうな」という表情が田中委員長の顔には浮かんでいる。
これは実写ならではの情報だ。
御用とお急ぎの方も、最後の5分だけでも良いから、見てやってください(とくに1:14頃からの中村委員の発言)
この会議がいいのは現場主義を強く押し出していることだ。現場主義の視点から問題を捉え直していることだ。
現場には答えがある
この点についてはルネサス山形工場の関連記事でも触れた。
ウンザリさせられるありきたりの案から離れて、現場レベルの深い情報を賢く活用し、現場の士気を鼓舞するような、力強い産業政策を打ち出すならば、日本国内にも、まだまだ収益化できる半導体の工場と設計部隊がある。(DIAMOND online より引用)
ふと思った。与謝野はトロイの木馬だ。
脇さんの演説を読んで、先日の藤井・与謝野の座談会を思い出した。
座談会の記事を読んだ感想で、藤井と与謝野の違いをメモしておいたが、いま考えるとこの違いには重要な意味があったのではないかと思うようになった。
民主党政権の後半期は間違いなく「連合」党であった。ということは限りなく「経団連」党であった。
そして経団連の意を体した切り札として送り込まれたのが与謝野ではなかったかと思う。
菅直人は、民主党御三家の一人ではあったが、だいぶ見劣りのするタレント幹部にしか過ぎなかった。
彼が首相になる時は「連合」の意向を最大限受け入れるしかなかった。もちろんその背後には経団連がいる。
菅は経団連会長の傀儡となることによってのみ首相になれたのである。その際、「お目付け役」として送り込まれたのが与謝野という構図なのだろう。
与謝野はどう間違っても民主党ではないし、リベラルでもない。それに経済理論家でもなければテクノクラートでもない。東電出身の叩き上げ政治家でしかない。たしかに毛並みは良いかも知れないが、尊敬されるほどの人格者でもない。
ただオシの強さだけで政界を生き抜いてきた人物だ。
もちろん、財政の改革も、社会保障の再確立も重要な課題だし、ともに金が絡む以上一体的にやってゆかざるをえないことも自明だ。
しかし普通に考えるなら三方一両損で行くのが政治の世界だ。これを全部国民負担としておっかぶせて、大企業がぬくぬくと儲けを貯めこんでいくような政策は、長期的に維持不可能だ。
何よりも国民が許さない。
その国民が許さないような政策を民主党は受け入れてしまった。文句をいうような幹部は潰された。だから民主党は潰れたのである。
そして与謝野はトロイの木馬となった。
1.雇用問題に関して
下請け企業など、多くの中小零細企業の労働環境は大変厳しい状況です。また、若者の低賃金・長時間労働は、「ブラック企業」などと呼ばれて問題になっています。これまでとは「次元の違う対策」を謳うのであれば、こうした部分にも光を当てて、対策を取るべきだと思います。
政府は国家戦略特区で、解雇や非正規雇用に関する規制緩和を検討しています。雇用環境を多様化・流動化しようという目的のようですが、本当 にそれが、企業と労働者の双方が望んでいることなのでしょうか。若者の多くは、安定した雇用環境のもとでキャリアを積みたいと思っているのではないでしょ うか。
2.汚染水問題について次に、福島第一原発の汚染水問題について伺います。…これはもはや東電の能力を超 えた問題であり、本来的に政府の役割なのではないでしょうか。…原発事故に関して政府の責任を認めるのであれば、税金を投入して対応するほかはありません。そのために復興増税も行ったのです。
…また、原発事故の収束は、総理が世界に対して約束したことでもあります。国際的な責任として、政府が先頭に立って事故に対処するという具体的な方策を、一日も早く国民の前に明らかにして頂きたいと思います。
という記事を以前書いた。(2012/07/12)
幸いなことにかなり多くのアクセスをいただいたようである。
いくつかのHPでリンクもされている。
http://nueq.exblog.jp/18597231
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=272313
その中で毎日新聞に載った図表をリンクして転載していたが、今日見たらリンク切れになってしまっている。これだと話の半分が切れてしまってわからない。
どうしたものかと思っていたら。nueqさんのページに残っていたので、コピペさせてもらいました。
LIBORについては他にも記事があり、併読していただければ幸甚です。
すでに1年以上を経過しており、そろそろフォローしなければならないと思っています。
藤井裕久氏の三つの思い込み
1.金融緩和=インフレという思い込み
はっきりしないが、どうもバブル期の記憶が強いようだ。問題は財政出動なのであり、その方向性なのだと思う。その政策がない緩和は有害無益だというべきではないか。
2.“成熟社会”と間接税中心主義の一体化
成熟社会論はそれなりに説得力があるが、消費税25%と無前提に結びつくものではない。
欧州のVATと日本の消費税は同列には論じられない。消費税25%論は高福祉・高負担というのではなく、直接税中心主義の放棄なのだ。
3.貿易障壁の撤廃とTPPの一体化
TPPについては、驚くほどナイーヴである。とても政権の中枢にいた人とは思えない。
この座談会の時点では、まだまだ政治に色気があり、本音のところを語っていないようだ。赤旗での談話とのあいだには落差がある。
逆に言えば、この年でまだ自己変革をやっていこうとする態度には敬服せざるを得ない。
BSフジの座談会では与謝野馨氏と交互に発言しているので、両者の違いがよくわかる。ひとつは庶民目線と財界・株屋たちへの不信感だ。与謝野氏にはまったくこれが感じられない。もう一つは歴史に学ぶという態度だ。それは過ぐる戦争への拒否を内に秘めたものだ。これも与謝野氏には感じられない。
藤井氏がみずからの経済観をある程度体系的に語ったのが次の記事
今年3月にBSフジ プライムニュースに与謝野馨と一緒に出演した時の発言。
アベノミクスの危うさ現在経済の一番の問題が何かということですよ。これは需給ギャップなんですよ。実体的な具体的な需給ギャップです。
需給ギャップをちゃんと改善しない限りは、お金をいくら出しても、それはどこへ行っちゃう。私は投機資金にいくと思います。それは浮き草で、根無し草なんです。
物価上昇率2%目標 大胆な金融政策をどう見る?浜田さん(浜田宏一内閣官房参与)の話は「やはり需給ギャップだと思う」。私がいつも言っていることです。
次に「物価が2%上がらなくたっていいんだ。責任を負う必要はないんだ」と。そのことの裏は、物価目標なんて無理だよと言うことを言っておられると私は思います。目先を変えたというのは事実です。しかし、目先を変えた先には、大きな落し穴があります。そこにインフレがあることは明らかなんですね。
ちょっと目先を変えるということに対し共鳴している人もいますよ。しかし、それは目先を変える次には大きな落し穴があるということを知るべきです
リフレーションという言葉を使っていますが、統制あるインフレなんですね。しかし統制なんてできないんですよ。インフレということはどれだけの人が苦労するか、戦後3回あったわけでしょ。
バブルをやった時の三重野さんとはゆっくりと話をしましたが、それ(インフレ統制)は無理だ。
自民党の偉い人が、「三重野を死刑にしろ」言っている。その背後にはまず証券界及び不動産界がいるわけです。成長戦略について
現在、国境の壁を低くするってことはものすごく大事なんですよ。新興国は高度成長をします。もう先進国はしないんですよ。だけど、成熟社会にしなきゃいけない。衰退社会は絶対にいけない。成熟社会になる。
その時には、そういう新興国と手を結んで、新興国との間でコネクションを結びながら成長をしていく。それは高度成長じゃありません。1~2%でいいんです。ヨーロッパだって消費税は25%。要するにそういう社会が成熟社会なんです。成熟社会というものは、是としなければならない。
高度成長の時、僕らはわっしょい、わっしょい、夜中まで働くのは平気でしたよね。そのうえに1ドル=360円はなくなりました、バレル=2ドルもなくなりました。
現実の問題として客観情勢が変わっていると見ざるを得ないと思います。
日本経済の行方は新興国の高度成長と結びつけなければいけない。結びつくことによって成長をしなければいけない。もう1つは、日本の科学技術をもっともっと進めなければいけない。日本にある格差社会の根っこになっているいろいろな規制を緩和していかなくてはいけない、等々ですよ。
成長戦略の1つは、新興国とともに発展するということですね。TPPはやる必要がある。日本の成長戦略として、外国との壁を低くするということはすごく大事だと思いますから、私は必要だと思います。
以下は引退会見の時の言葉
官邸で仕えた田中角栄元首相は、『戦争を知っているやつが中心である限り日本は安全だが、戦争を知らないやつが中核になったとき怖い』と言っていた。若い 人に戦争を知れといっても無理だから、勉強するしかない」「殴ったやつはすぐ忘れるが、殴られた方は一生覚えている。韓国や中国の人は殴られた人。それを、日本人は忘れてはならない藤井裕久氏(元財務相)が赤旗に登場した。
これは私にとってはかなりの衝撃だ。しかしこの間の言動から見ると、そろそろ次は藤井氏かと思われていたかもしれない。
政党こそコロコロと変わっているが、本籍は財務省。エリート中のエリートだ。
藤井氏の意見はある意味で財務省の本流に近い部分の意見だろうと思う。
赤旗での発言の要旨は下記の通り。
1.復興法人税の前倒し廃止は論外だ。被災地の方に対して失礼だ。
2.大企業減税で増えるのは内部留保だけで、給与には回らない。それはこの10年間共産党が言ってきたことだ。
3.経団連会長の言っていることは「経済が良くならない限り給与は上げません」ということだ。たとえ政府が監視しても上がらない。
4.安倍首相は経済が分かっていない。トリクルダウンなどない。
5.アベノミクスの柱である「異常な金融緩和」は経済を良くしない。増えるのは投機マネーだけ。
ただ、1年前まで現場で指揮をとっていた人間のセリフとしては、いささか腑に落ちない点がいくつかある。
1.現在の円高+不況はデフレではない。したがってリフレ政策は筋違い。
2.金融緩和に円安効果があるのは事実だが、金融政策で実体経済を押し上げることはできない。
3.円高+不況を金融政策で調整しようとした「バブル経済」の愚を繰り返してはならない。
4.円を安定させるには財政を安定させることがいちばんだ。そのために消費税は必要だ。
5.デフレではないから、(デフレ加速論は)消費税引き上げに反対する根拠にはならない。
6.消費税上げは、低成長・マイナス成長のときの方がやりやすい。物価上昇に導入すればインフレに拍車をかけるだけだ。
旧 東ドイツの崩壊以降の旧東独領の経済状況については、あまり把握していなかった。この際少し調べてみた。
で、マクロ指標を中心に手堅く紹介されている。
A) まずGDP
一人あたりGDPを見ると、東独崩壊時には43%に過ぎなかった。それが4年後には67%まで伸びた(ただしこの時西ドイツは併合不況でGDPは停滞していた時期ではある)。その後の15年の伸びは累積4%あまりで事実上停滞している。
就業者一人あたりのGDPはそれを上回り80%まで接近しているが、これも2005年以降は停滞している。人口あたりのGDPより高めに推移しているのは、就業者の減少を示している。
就業者の1時間あたりのGDPも同じ傾向を示すが、同時に労働生産性の低さと、長時間労働の傾向も示している。
これから言えることは、
1.体制間の壁は突き破られたが、産業構造上の壁が立ちはだかっている。
2.旧東独は低生産性の、労働集約型産業構造に縛り付けられ、長時間労働を強いられている。
3.就業率は低下し、人材は旧東独地域から流出している。
(B) GDPを部門別に見たものである。
建設部門は94年にピークを迎え、その後は急速に低下し2001年からは崩壊の年を下回り経過している。
この低下が失業者の爆発的増加をもたらした直接の要因となっている。
旧東ドイツの就業者数は,95年の768万人から,2000年までに715万人に,50万人以上も減少している。この後2008年までに30万人ほど就業者は増加した。しかしリーマン・ショックのあと、さらに20万人程減少した。
製造業は着実に伸びているが、製造部門の余剰人員を吸収すべきサービス部門の停滞が目立つ。これが2000年以降のGDP停滞を規定している。
製造部門とサービス部門の「逆シェーレ」については、別途分析を要する。
(C) 人口は急速に減少し過疎化しつつある
このグラフには示されていないが、実は91年以前に大規模な人口流出があった。その上で、人口は着実に減少を続けている。自然増分を合わせれば20年で百数十万人が流出したことになる。2000年まではこれに対応して西独人口が増えているが、その後は頭打ちになっており、おなじ程度で人口が減っていることになる。
東西ドイツがおなじテンポで人口減少を迎えているとしても、西側では非生産人口が減っているのに対し、東側では生産人口が減っていることになる。
逆にいうと、“にも関わらず”旧東独のGDPは下がっていないことに注目すべきなのかもしれない。
(D) 低い所得を公的援助が補っている
旧東ドイツの粗所得は,旧西ドイツの68%程にとどまっている。
相対的に低い所得水準のもとで,社会的給付が追加されることで社会的な需要が充足されている。
このためには西の諸州からの財政的な移転が不可欠なものとして続いているのである。この額は年間700億ユーロから800億ユーロに達し,旧東ドイツ域内需要の約5分の1をまかなっている。
(E) 失業率
東ドイツの失業率は,2006年まで17%を超える非常に高い水準で推移しただけではなく,常に旧西ドイツのほぼ2倍の高さで推移している。
ここで佐々木さんは次のように言う。
旧東ドイツの賃金水準は,雇用を維持するには高すぎる一方で,人的資源の流出を食い止めるには安すぎる のである。
たしかに言い得て妙だが、それでどうするのかという話になると、言いっぱなしでは済まないのである。
所得再分配機能だけでは東独のサルベージはできない、産業政策が必要なのである。問題は東独に投資さるべき資金が東独の頭を越えポーランド、チェコ、スロバキア等へ流出していることにある。
佐々木さんは続けて
東西間の経済格差問題を,統一にともなうドイツの特殊な問題として捉えるよりも,むしろ地域的な格差問題として捉えようとする方向に議論がシフトしてきている。
と書いている。これもまさにそのとおりである。しかしこれも地域格差を生み出している多国籍企業の問題にまで踏み込まない限り、現実的な政策とはなりえない。たかだか新たな地域バラマキ政策が展開されるにとどまるだろう。
ということで、東独経済をざっと眺めてみた。どうやら欧州統合、とりわけ独占資本本位の統合の前に片付けておくべき問題がかなり山積しているようである。
どうでもいいことなんだけど、昨日の宝くじの話。
ネタ元はただひとつ、AFPのベルリン支局が発信したニュースを時事通信が配信したもの。しかし微妙に異なる二つの記事がある。
これが一番目
【10月18日 AFP】結婚中に当せんした宝くじの賞金は、当時別居中で後に離婚した後も等しく分けるべし――ドイツの裁判所は16日、別れた元妻にも夫婦だった期間に元夫が当てた宝くじの賞金の取り分の半額を得る権利があるとの判断を下した。
元夫が宝くじを購入したのは2008年。元夫は当時既に別の女性と暮らしていたが、現在失業手当で生活している元妻とは正式には離婚していなかっ た。元夫は賞金95万6000ユーロ(約1億2800万円)を当時一緒に暮らしていた女性と分け合った。当せんから2か月後、元夫は当時の妻と離婚した。
裁判所は、元夫が宝くじを購入した時点で2人はまだ法律的には夫婦だったとして、元妻には、元夫の賞金取り分の半分に当たる約25万ユーロ(約3300万円)を受け取る権利があると判断した。
裁判所は、夫婦が結婚していた期間に生じた財産は、離婚の際には2人の間で等しく分割せねばならず、宝くじの賞金も例外ではないと説明している。(c)AFP
これがもう一つの記事
邪馬台国の謎を解き明かすようなもので、元ネタは魏志倭人伝しかない。ところがこれに異本があるというところだ。想像するところ、AFPの元原稿はもう少し長くて、それを2人のエディターが別個に編集したと思われる。したがって、両者を足しあわせて考えてもあまり問題はないと思う。
これをタイムテーブル化すると下記の通り
1971年 結婚
その後三人の子供をもうける。三人の子供を産むためには、常識的に見て5~10年を要していると思われ、80年代なかばまでは正常な夫婦関係が維持されていたものと推測する。
この夫婦は旧東ドイツ市民だったと思われ、戦後のベビーブーマーに属する世代と考えられる。旧東独の結婚・離婚に対する一般的な通念が検討されなければならない。
1989年 ベルリンの壁崩壊
この夫婦は、40~50歳でベルリンの壁崩壊に伴う社会的激変を体験したものと思われる。別居に至る経過についてはこの社会的背景を念頭に置く必要がある。
この時点で子どもたちは10歳ないし20歳くらいと想像される。子どもたちにとっては進学・就職など人生の岐路に立たされる年月を激動の中に迎えることになる。
2000年 別居。夫は別の女性と同棲。妻はその後失業手当で生活をつないできたというから、貧困の中での別居であることが想像される。
しかし離婚手続きは双方とも申し立てず。この曖昧さが、この案件の最大の問題である。
一般的には別の女性と関係が出来て、最終的に別居に至ったと見るのが常識的であるが、まず別居、その後別の女性と知り合ったという経過もありうる。この辺は記事からは分からない。
旦那の方の理由は想像がつく。離婚に伴う費用を払いたくなかったからである。そういう状況であれば、子供の養育費なども払っていなかったと見るのが自然であろう。妻のほうからの申し立てがなかったことについては不明である。まず別居、しかるのちに同棲という経過であれば、それも納得しうるが…
この時点で夫婦は50~60歳に達し、すでに黄昏の時期に入っている。人生のやり直しが出来る時期は過ぎており、別居に積極的意義を見出すのは困難である。
。3人の子どもたちはすでに成人を迎えており、長子は20歳台後半に達しており、独立していた可能性が高い。
2008年11月 宝くじを買う
2009年1月 離婚手続きの開始
となっているが、おそらく宝くじは年末ジャンボみたいなもので、2008年12月に1億円の当選が明らかとなったと思われる。
そしてそれを同棲中の女性と分け合った。等分に分けあい、夫が5千万、女性が5千万円を受け取った。
しかるのちに1月に離婚申し立てを行ったということになるのだろう。
2009年10月 離婚が成立。
調停中、宝くじ当選の事実は伏せられていた可能性が高い。なぜなら夫婦間の財産は基本的には1対1の分割となるからである。
10年近い別居という事実は、信頼関係の破綻を意味するわけで、財産分割の原則を適用しない十分な理由になると思うが、失業手当で生活している妻が、そのことについて論及しないわけがないだろう。
そして
2013年
元妻は元夫が宝くじに当選したことを知った。そしてそれが離婚成立前のことだったと知った。そして元夫がそれを隠して離婚申し立てをしたことを知った。
元妻は自分の権利を裁判所に申し立て、
2013年10月 裁判所は元妻の申し立てを全面的に認める審判を下した。
というのが経過だ。
この判決には無理がある。だから、「2人が別居まで29年間 連れ添い、子供が3人いることを考慮すれば、理不尽な決定ではない」と述べているのである。逆に言えば、これまでの生活歴を考慮しなければ、これはまさに“理不尽な決定”なのである。いわば「大岡裁き」として見ておかなければならない。
判事としては、できれば示談ですませたかったのではなかろうか。
小山:
そして共有財産に対して、その反対の言葉というのも、きっとありますよね。
鳴海先生:
そうですね。簡単に言えば奥さんなら奥さんのもの、旦那さんなら旦那さんのもの。そういうのは「特有財産」と言います。たとえば結婚する時の嫁入り道具は奥さんの方の特有財産です。ご自分のお父さんお母さんから相続した財産も、特有財産です。それは結婚生活の中でお互いに協力して得た財産じゃ、ないですよね。
鳴海先生:
そういうのが特有財産、ということなんですね。
小山:
で、話は戻りますと、その宝くじは共有財産…にはならないのでしょうか?
鳴海先生:
なりませんね。結婚生活の中で夫婦が互いに協力して得た財産じゃない、ということですよね。
小山:
そうですよね。別に共同で働いたから…というわけでもないですもんね。ということは、これは夫婦で分けなくてもいい、ということになりますよね。
鳴海先生:
そういうことですよね。ここでどういう点について違いが出てくるかというと、例えば離婚した場合に財産分与と言う事がありますよね。共有財産ということであればその財産分与の対象になるんですね。お互いに半分づつ分けましょうと。一方特有財産であれば、それは共有財産じゃありませんから、分ける必要が無いと。そこが大きく違ってくるんですね。
小山:
なるほど。では、宝くじが当たった場合は夫婦の共有財産にはならない、ということに。
鳴海先生:
奥さんだけのものということですね、簡単に言えばね。
ということで、今度の判決は二重に厳しいものがある。もちろんドイツの法律はまた違ったものがあるのだろうが、日本ではいくら大岡裁きといえども実現不可能だ。
ただ判決の本質は慰謝料と過去の養育費に対する償いという側面を持っており、それが離婚がすでに成立という経過から再算定が不可能という事態に対応するものといえる。宝くじがあたったことを夫が隠していたからといって、それが不作為にあたるものとも考えにくい。
法と実態の間で裁判所としてもぎりぎりの判断を打ち出したのだろうと思う。裁判費用のことを考えれば、元夫も上訴するかどうかは思案のしどころだろうが、もし断念すれば、これが判例として確定することになる。
「別れた妻にも宝くじ賞金を」という見出しの外信記事があった。
なんとなく納得出来ない。
記事の概要はこういうもの。
ドイツである男性が1億円の宝くじを当てた。
すると13年前から別居中の前妻が、「私にももらう権利がある」と主張。裁判所はこの訴えを認め、1/4を分け与えるよう命じた。
理由は離婚が成立したのが4年前。宝くじを買ったのが5年前で、買った時点ではまだ婚姻関係が成立していたというもの。
男性はすでに別の女性と同棲しており、実体的には完全に離婚状態だ。
ということで、外信記事は「これは変ではないか」と匂わせている。
しかし、私はこの記事のほうが変だと思う。
あくまでも推測だが、おそらく男性は、慰謝料・養育費など離婚に伴う義務を果たしていなかったのではないか。だから正式に離婚もできず、だらだらと婚姻関係を長引かせていたのではないだろうか。
鍵となるのは離婚の手続き開始が09年1月ということ。宝くじを買ったのが08年11月。つまり、宝くじがあたったのを知った男性が、それまで放置していた婚姻関係の決着をもとめたということだ。
つまり、宝くじの賞金を独占したいために、慌てて離婚手続きをとったものと考えられる。
これなら間違いなく前妻は怒るだろう。
男性は勝手に浮気して家を出て行き、別居状態のままだ。しかも慰謝料惜しさに離婚手続きもしないで8年も放置していた。
それが宝くじがあたった途端に、突然離婚手続きだ。しかも今頃になって訴訟沙汰になったということは、それを隠していた可能性がある。
こうなれば絶対、意地でも賞金の一部を分捕ってやると考えたとして、何の問題があろうか。
岡本末三さんについて
党員訃報欄に岡本末三さんの名があった。87歳。49年入党。北多摩東部地区。元支部長とある。
何やら聞いたような名前で、気になって調べた。
87歳だから1926年生まれ。
「岡本末三 1926年」でグーグル検索すると
というページがヒットする。
同一人物かどうかわからないが紹介しておく。
岡本末三氏. (おかもと・まつみ)1926年、徳島県生まれ。愛媛県庁、徳島県庁勤務を経て1962年農業協同組合新聞(社団法人農協協会)記者、同新聞編集部長、農政ジャーナリストの会事務局長、同副会長を経て現在農業・農協問題研究所常任理事。ということで、農協のシンクタンクに潜り込んでいたらしい。一方で農林水産九条の会の役員を勤めるなど旗も掲げている。
代表作は1984年に発行された 日本農業変革の時代 という本で、いろいろな論文で引用されている。
あとで、農経の人に確かめてみよう。
使用料導管と金融導管 導管脱税の二つの手口
かつて「入鉄砲と出女」というシステムがあった。江戸時代の話である。五街道と呼ばれる主要道にはそれぞれ関所があり、江戸に向かうものに対しては鉄砲を持ち込まないか、江戸を離れるものに対しては女(幕府の人質)を連れ出さないかをとくに厳しく吟味したそうだ。(うろ覚えだが…)
この関所を何とかかいくぐろうというのが租税回避であり、導管国というのは、そのための裏街道にあたる。
導管国を使った関所破りのうち「出女」にあたる手口が使用料導管であり、入鉄砲にあたるのが金融導管である。
以下は本庄さんの論文から
親会社はオランダにペーパーカンパニーを立ち上げる。このペーペーカンパニーは法的主体ではあるが、経済的実質はない。
この法的主体が行うのが、トリーティ・ショッピングと呼ばれる「条約」を利用した合法的脱税である。(既述)
これは具体的には、(i) 使用料導管スキームと (ii) ファイナンス導管スキームに分けられる。
オランダ自身はゼロ税率または低税率の管轄でない。各国のタックス・ヘイブン対策税制においても必ずしもタックス・ヘイブンとされていない。
多国籍企業はこの点に着目した。
まず、利子や使用料の導管としてオランダ子会社を使用する。親会社は他国の子会社の所得をオランダ子会社に移転する。そこからオランダ経由でバミューダ等のピュア・タックス・ヘイブンの子会社に移転する。
これによりオランダ子会社の利益は限りなくゼロに近づくから、親会社は課税を免れることができる。
次に、ピュア・タックス・ヘイブンから所得を持ち出すために、金融導管(financing conduits)が用いられる。これを使うと、ピュア・タックスヘイブンに持ちだされた資金が、無税または低税率で手元に入ることになる。
そのからくりを簡単に説明すると、
タックス・ヘイブンに蓄積された利益はそのまま還流させたのではダメだ。たとえば親会社に配当の形で支払われる場合、受取配当は親会社の居住地国で課税されてしまう。それではタックス・ヘイブンに所得移転したメリットがない。
そこで登場するのが再投資というスキームだ。すなわちタックス・ヘイブン子会社に蓄積した利益を、親会社や他国の子会社への出資もしくはローンの形で再投資するというスキームを用いる。
一般にどの国でも投資は歓迎され、優遇される。ほとんどが無税だ。したがって、このスキームにより、タックス・ヘイブンから無税で資金が他国に移転される。
さらに、これがオランダ導管を通じるローンの形をとる場合は、投資や融資に係る利子分が配慮され、当該親会社や他国の子会社等の法人税を減らすことになる。
さらに当該利子に対する源泉徴収税をオランダ租税条約により減免することができる。
「一粒で二度美味しい」というのはグリコの宣伝だが、この再投資スキームは三度美味しいということになる。
(文章がえらく難しいので、誤解があるかもしれません)
トリーティ・ショッピング(既述)と書いたが、このページから入ってくる人も多いと思うので、簡単に解説しておく。
たとえば日本の法人がタックスヘイブンのトンネル会社に、貸付の形で利益を貯めるとします。当然、日本の法人はその利子を受け取ることになります。
日本とタックスヘイブンとの間には租税条約(トリーティ)が存在しないので、トンネル会社が払う利子に対しては、ほぼ無税となります。
しかし利子を受け取る側にも税金が課せられるので、日本で使おうとする限り、あまり意味はありません。
ここまでは当たり前の話です。
そこで、日本の法人がタックスヘイブンと租税条約を締結している第三国(この場合はオランダ)に子会社を作るのです。
この租税条約は、タックスヘイブンから振り込まれた利息への課税について、軽減税率を適用しています。
日本の法人はオランダの子会社あてに利子を振り込ませます。これで日本での税率との差額を手に入れることができます。
このように各国の条約の差を利用した租税回避策を「トリーティ・ショッピング」と呼びます。
第三国は利益を吸い上げるパイプ(導管:Condue)の役割をしているので導管国と呼ばれます。
「循環型社会基本法下の廃棄物問題の背景と解決への展望」という北大の吉田教授の論文が面白いので紹介する。
ただしかなり以前の論文なので、数字は10年以上のものである。
1.1日7万台の携帯電話が廃棄されている
携帯電話業界の激しい競争の結果、1日7万台の携帯電話が廃棄されている。これは携帯電話が壊れるとか使えなくなるというのではなく、社会的に陳腐化さるためである。政府の環境保全計画でも何とかしなくてはと言われているが、この経済システムがどのように成り立っているかは、本格的に分析されていない
2.大量流通消費は大量廃棄なしにありえない
これまで、現代社会は大量生産・大量消費社会と呼ばれていたが、実は大量生産・大量廃棄社会である。例えば、パッケージは重要な販売手段だが、それは消費されるのではなく、最初から廃棄される事が前提である。
3.働きすぎと浪費の悪循環
消費社会では、「所得を増やすか、余暇を増やすか」の選択において、所得を増やすことが選択された。電化製品は骨の折れる、また体力を要する家事労働を解消し、利便性を増した。それでいて人々の幸福感は満たされない。広告と製品差別化、計画的陳腐化、「機能の過剰化」よって、たえず欲望が刺激されるからだ。
消費のための所得を得るために労働時間が延長する、という悪循環をどこかで断ち切らなければ問題は解決されない。すなわち社会的解決(social fix)が必要である。4.焼却依存の問題
日本の一般廃棄物焼却率は7割に及ぶ。これは廃棄物問題への一種の技術的対応であり、廃棄物抑制への社会的な取り組みを遅らせた。さらにダイオキシン類発生という対価を伴った。
5.「リサイクル至上主義」の問題点
「3R」、すなわち①reduction:削減、②reuse:再利用、③recycle:リサイクルが、この順位にしたがって重要な方法である。循環型社会形成推進基本法では、その後に④熱回収(焼却) ⑤適正処分を付け加えている。
しかし現実には①、②は軽視され、③か④かという不毛の選択が迫られている。
廃棄物処理の全体系から見れば、リサイクルの本来の目的は、廃棄物の減量化、資源の節約、エネルギーの節約である。リサイクルのみを進めても、リサイクルにともなう汚染や、かえって資源利用が増大する等の問題が生じる。
さらに重要なことは、リサイクルシステムが大量生産・大量消費を抑えることにはつながらず、「大量リサイクル」になりかねないということである。
リサイクル至上主義におちいらず、あくまでも廃棄物削減の一環として位置づける必要がある。6.プラごみ、自治体に重い負担
1997年に施行された「容器包装リサイクル」法は、一般廃棄物の約半分を占める容器包装廃棄物のリサイクルを目指すものであった。しかしこの法律はさまざまな問題を抱えている。一番の問題は、自治体の費用負担が予想以上に大きいことである。
PETボトルの1本当たり約25-30円の収集経費は税金から支払われる。いっぽう容器メーカー等に義務付けられるリサイクル費用は1トン10万円で1本(10グラム)当たり1円にしかならない。また分別収集量と再商品化量が乖離し、保管に係る市町村の負担が増大しているドイツではガラスに比べプラスチックは、約20倍のコストを事業者が支払うことになっている。
容器包装リサイクル法は循環型社会をささえる基本法にはならない。本当の意味での「拡大生産者責任」の貫徹が求められる。後略
近隣に住んでいるので2度取材を受け、同様のことを感じました。狭い島では行政対住民と切り分けることはできないし、誰かが苦しむのでなくみんなで先に向かっていく大事なときです。
共産党のブラック企業規制法案
正直いって、この手の文章は苦手で、つい飛ばしてしまうことも多い。一応目を通しておく。
まず提案理由であるが、
1.若者を使い潰すことは「許せない!」という至極単純なもの
2.放置すれば日本事態に深刻な影響を及ぼす。これは「悪貨が良貨を駆逐する」の論理かな
と、まぁ“雇用のヨーコ”レベルの単純明快なもの。
法案の柱は三つある。
1.長時間労働を制限するための仕組み
2.ブラック企業がブラックであることを周知させる仕組み
3.職場でのパワハラの防止策
同時にブラック企業の根っこにある「非正規」枠の拡大政策をやめさせることを訴えている。
と、ここまでは特に目新しい物はない。
しかし具体策に入ると、その新鮮さは眼を見張るものがある。現場の若者の創意があちこちに散りばめられている。
1.まず長時間労働を制限するための仕組み
A) 労働時間台帳づくり
勤務時間の一覧表を作り公開する。これはタイムカード記録をエクセルで表にすれば、明日からでもできる。
このために労働基準法の第108条を改正する。
B) サービス残業がバレたら残業代を2倍にする
これはそもそも違法行為だが、有効な罰則規定がないために野放しになっている。
もちろんきちっとした罰則規定を設けることが主眼ではあるが、通常1.3倍の残業代を2倍にして払わせる、ということだ。
このために労働時間等の設定の改善に関する特別措置法を改正する。
C) 労働時間は総量だけでなく連続勤務も制限する
年間総残業時間を360時間にする(これはなかなか難しい)、同時に7日ごとに1日の法定休日を保障する。
現場では総残業時間よりも連続勤務のほうが問題視されていることの反映でしょう。
D) 連続11時間の休息時間を保障する
これは勤務明け以後に最低11時間の「休息時間」を保障するということだ。家に帰って一眠りするのに、これだけは最低限必要だということだ。
2.ブラック企業がブラックであることを周知させる仕組み
これはまったくユニークな政策だ。「ブラック企業ににお仕置きよ」の世界だ。
そもそもブラック企業なる考えが最近のものであるし、ましてやその規制は手つかずの状態にある。それを現場目線で規制していこうというものだ。
A) 離職者数を公表する
意表をつくブラック企業の“定義”だが、これが有効らしい。
ブラック企業は若者を「正社員」として雇う。いまどき「正社員」の肩書はまばゆいばかりの光を放っている。
「提案」ではこう書いている。
ブラック企業の特徴の一つは大量採用・大量離職です。…ブラック企業が成り立つのは、「正社員で募集すれば、いくらでも人は集まる」という労働市場になっているからです。
働いている人は「やめたら正社員での再就職はできない」という恐怖感から、連日、深夜になるまでの長時間労働にも、パワハラやイジメにも耐え、しがみつかざるをえない状況に追い込まれていきます。
にもかかわらず、肉体的・精神的に耐えかねて離職するものが後を絶たないというのが、ブラック企業たる所以だ。
したがって、就活時の会社案内に「ブラック企業」と書く必要はない。新規採用者数と退職者数を公表させれば良いということになる。現場ならではの発想だ。
B) ハローワークに求職者の問い合わせに対応するシステムをつくる
就職を検討している会社がブラック企業に該当するかどうかをハローワークに問い合わせたら、それに応える仕組みだそうだ。これは正直どうだろう。また厚労省がブラック企業の手口を周知・啓蒙するとしているが、「おれおれ詐欺」と違って明白な犯罪行為ではないから、なかなか限界がありそうだ。
C) 誇大広告・虚偽記載をやめさせる
これは求人広告のフォーマットを規格化する、ということだろうが、罰則規定がないと有効なツールとはなりにくいのではないか。
3.パワハラをやめさせる
これはなかなか法律に馴染みにくいところがあって、実際にはいじめている方も一種の被害者であることが多い。
提案は「やめさせます、取り締まります、指導します」の努力目標のオンパレードだ。最終的には企業名の公表という手段が残されているが、実効性には乏しい。
まぁ、ここは本丸ではないということだろう。
共産党はすべての会派に賛同を呼びかけ、国民的な議論を起こすという。
法案そのものが通る見通しは薄いが、「新規採用者数と退職者数を公表させる」という一点はかなり頑張って押し込んでみたいところだ。
ここから先は酒飲み話と思って聞いてください。(実際に入ってもいるのですが)
チェンジアップが外角から沈み込んできて、ボールと思った強打者が一瞬見逃してそれがズバッと決まってストライクアウト!
これが京都地裁の判決ではないでしょうか。裁判官としてはこたえられない瞬間でしょう。
右翼の街宣といえば、権力の支配手段としては必須のアイテム。しかし今回の問題では安倍首相、読売、産経、はてはやまと新聞に至るまで判決を支持、という前代未聞の光景が出現しました。
法曹界の常識から言うと多少無理筋のところはあるが、政治的に考えるとここしか落とし所はない、そのギリギリのところをピンポイントで狙ったものでしょう。
その上で、人種差別禁止条約をゴシゴシと押し付けるわけですが、ここは政府も泣き所、受け入れるしかありません。後は上級審で砂糖をまぶして飲み込みやすくしてくれるでしょう。
反動的か進歩的かを問わず、人種差別撤廃条約の第4条はなかなか受け入れにくいものです。
ヨーロッパは小国が乱立し、その中で支配・非支配の関係をめぐって千年以上もギスギスした国家関係を続けてきました。その中で国際関係を律するルール作りも行われてきたのです。
さらにアジア・アフリカから大量の移民を受け入れてきました。これは移民に寛容だからではなく、彼らを植民地のくびきのもとに支配してきたからです。
これらの精神的風土は日本とはまったく異質のものです。
ヨーロッパ社会における民族差別には現実的土台があります。ロンドンでもパリでも、ちょっと中心街を外れると、歩いているのは黒人やアラブ人、インド人ばかりです。
選挙では排外主義政党がかなりの地位を占めています。そこには少なからず肉体的暴力も絡んでいます。
したがって条文上の厳しさは、移民を取り巻く環境の厳しさの反映として捕らえておく必要があると思います。
法治に対して文治という言葉があります。まずは文化の力で国を治めていこう。足らざる部分は法で、ということになるでしょうか。
逆に、法の足らざるところは民衆の叡智でということもあります。法には二面性があり、国内法についてはみんなそのことを理解していますが、国際法となるとすべて進歩的であるかのような事大主義が幅を利かせています。
ユダヤ人問題はこうした移民問題とは少し分けて捉えておいたほうが良いと思います。これは現実問題というよりは優れてイデオロギッシュな問題です(在日朝鮮人問題も同じです)
イデオロギー的差別はしばしば政治環境と裏表の関係となるため、おそらく刑法的な対応はなじまないと思います。
ところで、以前「スラップ訴訟という言論弾圧」という記事を書きました。企業、経営者が裁判という手段を用いて言論弾圧に乗り出す傾向を警告したものです。
この時は明治大学の野中先生が企業批判の論文を発表したところ、それがけしからんというので5500万円を請求しました。
野中先生は、こうした不当な訴えを許せば、研究も社会貢献活動もできなくなります と語っています。
民事でバンバンやればこういう弊害も出てくるので、逆の歯止めも必要になるかも知れません。
と、ここまでは梁さんの意見はまったく適切で何らの疑問の余地なく正しいのですが、以下のところがちょっと飲み込みにくくなります。
ところで、判決の要旨がネットで入手できなくなっています。京都新聞にかなり詳しい「要旨」が掲載されて、梁さんはそれを下敷きにして記事を書いているようなのですが、京都新聞のサイトではすでに日切れ抹消となっています。
朝日の要旨は簡略に過ぎて、問題の箇所が飛ばされています。全文のPDF(一部黒塗り)がアップされていますが、私の目にはちょっと長くてつらい。洪水のように関連記事はあるのに、日本のネット社会は底が薄いと思わざるを得ません。
梁さんによると、判決には以下のような記載があるようです。
(今回のケースは)個人に具体的な損害が生じていないにもかかわらず、人種差別行為がされたというだけ(のケースである可能性がある)
(今回のケースは)裁判所が、当該行為を民法709条の不法行為に該当するものと解釈し、行為者に対し、一定の集団に属する者への賠償金の支払を命じる(ケースである可能性がある)
このようなことは、不法行為に関する民法の解釈を逸脱しているといわざるを得ない。
(このようなことは)新たな立法なしには行うことはできないものと解される。
条約は憲法に優位にするものではない。(したがって)憲法が定める三権分立原則に照らしても許されないものといわざるを得ない。
これは判決の趣旨と真っ向から対立する記載です。もしこれが判決文の一部とすれば、これは自己反問ということになります。
これについて梁さんは下記のように説明しています。
と一見余事記載と思えるようなことをまるで司法試験の優秀答案かのように丁寧に噛み砕いて書いているあたりは、人種差別撤廃条約締約国としての義務履行に消極的な立法や行政に対する皮肉とも読めます。
この説明は合点がいきません。
とりあえず前に進みましょう。梁さんによれば日本は人種差別撤廃条約を全面受け入れしているわけではありません。むしろ肝心なところを骨抜きにした上で部分受け入れしているのです。ここがいろいろな問題の根っこにあります。
もちろん、日本は人種差別撤廃条約の締結時に4条(a)及び(b)を留保することで人種差別の犯罪化を避けているわけです。
人種差別撤廃条約第4条: |
この留保は表現の自由(憲法21条)との整合性を理由にされることが多いようですが、ここは21条原理主義で思考停止に陥っているのではないかと思います。
ということで、判決の“自己反問”の部分はある意味では正しい判断とも言えるのです。すくなくとも“21条原理主義”とヤユして済む話ではないと思います。ある意味ではこの対立をスルーしながら人種差別を実効的に縛っていく道として、今回の判決が位置づけられるのではないでしょうか。
ただそうなると、いわば“姑息な手段”として思いついたのではないかという、別の悩ましい議論も出てきそうです。
ヨーロッパの多くの国では、ファシズムという思想そのものが禁止されています。それを前提として憲法が成り立っています。「思想の自由を認めないような思想」は認められないのです。人種差別禁止の考えも、その延長線上に位置づけられています。これに対して日本の憲法は原理的には一切の思想について寛容なのではないでしょうか。
この点に関して、対レイシスト行動集団 C.R.A.C.(Counter-Racist Action Collective)のページには下記の記載があり参考になります。
今回の民事判決が重要なのは、人種差別撤廃条約を直接の根拠として被告らの不法行為を「人種差別」と認定したことである。つまりこれは、刑事立法なしに、現状でヘイト・スピーチに対して、ヘイト・スピーチとして法的措置をとりうるということを示した画期的な判決だ。
日本でのヘイトスピーチの法規制に関しては、①ヨーロッパのように刑事罰を科す法律を制定するか、②アメリカのように犯罪がヘイト・クライムであっ た場合に刑事罰を加重するか、あるいは③刑事立法を行わず、現行法のままで民事による救済措置で対応するかという、おおまかにわけて3つの方向性が論じら れていた。
言うまでもなく、今回の京都地裁判決は③の可能性を大きく広げるものだ。ここで示された原則は当然ながら街頭デモやネット上の差別書き込みにも適用しうるのであり、今後のヘイト・スピーチ抑制に重要な役割を果たすことになるだろう。
朝鮮学校に対する在特会のヘイトスピーチに対する京都地裁判決
人種差別撤廃条約の国内法的効力に関して
前の記事に「わかりにくい」と書いてあるのは、梁さんのもう一つの記事のことを指しています。それがこの記事です。
差別発言の方が名誉毀損よりも、より不快で、より相手を傷付けます。しかし刑法上は侮辱罪の方がはるかに罪が軽いのです。名誉毀損罪は懲役刑もありますが、侮辱罪は拘留と科料のみで刑法典の中では最も軽い罪です。
名誉毀損も侮辱も不法行為(民法709条)にあたる民事上の賠償責任を負わせられますが、実際の賠償額を認定するにあたって、刑法上の罪の軽重を無視するわけにはいきません。
この事件では計3回の街宣とネット上での動画公開について1226万3140円の賠償が命じられました。名誉毀損に関する事件としては比較的高額な認定ですが、この高額認定にあたって人種差別撤廃条約の解釈適用を行っています。
判決理由では「第3: 人種差別撤廃条約下での裁判所の判断について」と独立した章が立てられています。
ここで、
人種差別撤廃条約2条1項は、締約国に対し、人種差別を禁止し終了させる措置を求めている。
また人種差別撤廃条約6条は、締約国に対して、裁判所を通じて、人種差別に対する効果的な救済措置を確保するよう求めている。
これらは、締約国に対し、国家として国際法上の義務を負わせるというにとどまらず、締約国の裁判所に対し、その名宛人として直接に義務を負わせる規定であると解される。
このことから、わが国の裁判所は、人種差別撤廃条約上、法律を同条約の定めに適合するように解釈する責務を負うものというべきである。
人種差別行為による無形損害が発生した場合、人種差別撤廃条約2条1項及び6条により、加害者に対し支払を命ずる賠償額は、人種差別行為に対する効果的な保護及び救済措置となるような額を定めなければならないと解される。
としています。
つまり、
1.人種差別撤廃条約が直接裁判所に義務を負わせること、
そしてその結果、
2.人種差別行為により損害を発生させた場合は、人種差別行為を伴わない場合よりも高額な賠償を認定する義務が裁判所にある
としたわけです。
と、ここまでが「判決理由」の紹介。次いで梁さんによる「判決理由」の解釈。
1.正面から法解釈を展開した画期的な判決
京都地裁判決が条約の解釈論を展開したことは、人種差別撤廃条約の解釈と適用無くしては、人種差別(ヘイトスピーチ)にこの事件の本質があるということに迫れないと考えた上でのものです。
本判決はヘイトスピーチ問題について自由裁量に逃げ込まずに、条約の解釈適用を含めて正面から法解釈を展開したという意味で画期的なものだと思います。
この裁判が今後どういう展開になるのかわかりませんが、仮に高裁や最高裁でもこの部分の解釈論が維持されれば、その傾向はより強固なものになると思います。
2.条約上の義務は裁判所だけではない
判決は普遍的な内容を含んでいます。
裁判所に人種差別撤廃条約の締約国としての義務ががあるということは、当然、行政府と立法府にも条約上の義務があることになります。
この判決は人種差別行為に関する立法や行政の不作為について露骨な言及はしていません。
ヘイトスピーチに対して全く法規制をしないという不作為自体によって失われる社会の利益があるということについて、この判決を通じて改めて考えさせられました。
ということで、分かりにくいどころかきわめて格調高く説得力のある文章です。
しかし、このあとにちょっと分かりにくいところがあるのです。そこは項をあらためて書きます。
「在特会訴訟、京都地裁判決の要旨」(京都新聞)に載った、「下品で侮辱的な差別発言」の一覧
「朝鮮やくざ」
「日本からたたき出せ」
「ぶっ壊せ」
「端のほう歩いとったらええんや」
「キムチ臭いで」
「約束というのはね、人間同士がするもんなんです。人間と朝鮮人では約束は成立しません」
「保健所で処分しろ、犬の方が賢い」
「ゴキブリ、ウジ虫、朝鮮半島へ帰れ」
「朝鮮部落、出ろ」
「チョメチョメするぞ」
「ゴミはゴミ箱に、朝鮮人は朝鮮半島にとっとと帰れー」
「朝鮮人を保健所で処分しろー」
「糞を落としたらね、朝鮮人のえさになるからね、糞を落とさないでくださいね」
「朝鮮メス豚」「朝鮮うじ虫」
「日本の疫病神、蛾、うじ虫、ゴキブリは朝鮮半島に帰れ-」
「ぶち殺せ-」
これを2時間にわたり大音量で喚き散らしたのだから、「言論の自由」のレベルではないことは間違いない。
ただ大音量なことが問題ではなく、つまりその型式においてではなく、やはりその中身においてであろう。
嫌悪感は怒りではない。「迷惑防止条例」などで臭いものに蓋をするような対応は、逆に「言論の自由」にとっては自殺行為となりかねない。
Hyekyung Lee について調べた。あまり文献がない。Hyekyung Leeという女性音楽家がもうひとりいて、こちらはテキサス在住の作曲家である。ロンドンにももう一人Hyekyung Leeという学者がいるようだ。
以下は、Korean Concert Society のページからの引用である。
1959年、原州(Wonju)の生まれ。6才でピアノを学び始めた。
国内のコンクールで賞を獲得した後、1970年にソウル・シンフォニエッタ楽団と共演し、最初の公開演奏会をもった。その4年後には韓国ジュネス・ミュージカル楽団のソロイストとなった。
1976年、ドイツにわたりエッセンのFolkwang音楽大学に入学。その後ドイツの政府DAAD奨学金を得て、Folkwang賞コンクールと全独音楽大学連合コンクールに優勝した。
その後、ミュンヘン音楽大学に転校し、1981年に首席で卒業した。
大学院在籍中の2年間に、リサイタルを行い、多くのラジオ番組に出演し、リスボンのVianna da Motta 国際コンクールではバッハ賞を獲得した。
1984年に、リーは韓国中央大学(Chung-Ang)の教授となり国に戻った。現在、Hyekyung Lee は韓国の傑出した音楽家のうちの1人として認められている。レパートリーはバロックから現代音楽まで多岐にわたる。
1984年に、彼女は韓国音楽ペンクラブから「批評家賞」を受けた。
1988年に、彼女は音楽誌「ドン・ア」の「ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。
1998年に、彼女は韓国音楽協会から「韓国音楽賞」を受賞した。
2004年に、彼女は韓国音楽批評家協会から「ソウル音楽賞」を受賞した。
2005年に、彼女はルイジアナ国際ピアノコンクールの審査員を務めた。
2006年に、彼女はザールブリュッケンの音楽大学の客員教授となった。
2009年から11年までの間、彼女は韓国ピアノ協会の副会長を務めた。
Hyekyung Leeの音楽は、4つの大陸に彼女を連れ出した。彼女はケネディ・センターとリンカーン・センターで演奏した。シドニー、ウィーン、モスクワ、東京、マニラでも演奏した。
北アイルランドのアルスター管弦楽団、大阪新フィフハーモニー管弦楽団、ルーマニアのオルタヒア管弦楽団、モルドヴァ国立管弦楽団、ロシアのウーファ交響楽団と共演した。
韓国では、彼女は韓国フィルハーモニー管弦楽団、ソウルフィルハーモニー管弦楽団と定期的に共演している。
彼女はまた、コロラド弦楽四重奏団、新ブダペスト四重奏団、フルート奏者パトリック・ギャロイ、マクサンス・ラリュー、トランペット奏者スティーブン・バーンズ、韓国最高のバイオリン奏者 Dong-Suk Kang、韓国の伝統的な打楽器音楽「サムルノリ」などなどと共演している。
彼女の経歴には多くの指揮者との交流もある。ヴァークタン・ジョルダニア、ベルンハルト・ゲラー、バリー・ワーズワース、サンドロ・ストゥレーロ、ヤン・パスカル・トルトゥリエなどである。
リーは、モスクワの「クラシック・レコード」のために10枚以上のCDを録音した。
彼女は、ピアノ・アンサンブル・グループ「ピアノ・オン」の音楽監督であり、室内楽グループ「CAUカメラータ」のメンバーである。
細く吊り上がった一重まぶたの目、あくまで張ったエラ、太く短い首、もはや若いとはいえない年齢…
これらは演奏には何の関係もないのだが…
현우 정 さんが多くの演奏をアップロードしてくれている。いずれも素晴らしい出来ばえである。
Hyekyung Lee について調べた。あまり文献がない。Hyekyung Leeという女性音楽家がもうひとりいて、こちらはテキサス在住の作曲家である。ロンドンにももう一人Hyekyung Leeという学者がいるようだ。
以下は、Korean Concert Society のページからの引用である。
1959年、原州(Wonju)の生まれ。6才でピアノを学び始めた。
国内のコンクールで賞を獲得した後、1970年にソウル・シンフォニエッタ楽団と共演し、最初の公開演奏会をもった。その4年後には韓国ジュネス・ミュージカル楽団のソロイストとなった。
1976年、ドイツにわたりエッセンのFolkwang音楽大学に入学。その後ドイツの政府DAAD奨学金を得て、Folkwang賞コンクールと全独音楽大学連合コンクールに優勝した。
その後、ミュンヘン音楽大学に転校し、1981年に首席で卒業した。
大学院在籍中の2年間に、リサイタルを行い、多くのラジオ番組に出演し、リスボンのVianna da Motta 国際コンクールではバッハ賞を獲得した。
1984年に、リーは韓国中央大学(Chung-Ang)の教授となり国に戻った。現在、Hyekyung Lee は韓国の傑出した音楽家のうちの1人として認められている。レパートリーはバロックから現代音楽まで多岐にわたる。
1984年に、彼女は韓国音楽ペンクラブから「批評家賞」を受けた。
1988年に、彼女は音楽誌「ドン・ア」の「ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。
1998年に、彼女は韓国音楽協会から「韓国音楽賞」を受賞した。
2004年に、彼女は韓国音楽批評家協会から「ソウル音楽賞」を受賞した。
2005年に、彼女はルイジアナ国際ピアノコンクールの審査員を務めた。
2006年に、彼女はザールブリュッケンの音楽大学の客員教授となった。
2009年から11年までの間、彼女は韓国ピアノ協会の副会長を務めた。
Hyekyung Leeの音楽は、4つの大陸に彼女を連れ出した。彼女はケネディ・センターとリンカーン・センターで演奏した。シドニー、ウィーン、モスクワ、東京、マニラでも演奏した。
北アイルランドのアルスター管弦楽団、大阪新フィフハーモニー管弦楽団、ルーマニアのオルタヒア管弦楽団、モルドヴァ国立管弦楽団、ロシアのウーファ交響楽団と共演した。
韓国では、彼女は韓国フィルハーモニー管弦楽団、ソウルフィルハーモニー管弦楽団と定期的に共演している。
彼女はまた、コロラド弦楽四重奏団、新ブダペスト四重奏団、フルート奏者パトリック・ギャロイ、マクサンス・ラリュー、トランペット奏者スティーブン・バーンズ、韓国最高のバイオリン奏者 Dong-Suk Kang、韓国の伝統的な打楽器音楽「サムルノリ」などなどと共演している。
彼女の経歴には多くの指揮者との交流もある。ヴァークタン・ジョルダニア、ベルンハルト・ゲラー、バリー・ワーズワース、サンドロ・ストゥレーロ、ヤン・パスカル・トルトゥリエなどである。
リーは、モスクワの「クラシック・レコード」のために10枚以上のCDを録音した。
彼女は、ピアノ・アンサンブル・グループ「ピアノ・オン」の音楽監督であり、室内楽グループ「CAUカメラータ」のメンバーである。
細く吊り上がった一重まぶたの目、あくまで張ったエラ、太く短い首、もはや若いとはいえない年齢…
これらは演奏には何の関係もないのだが…
현우 정 さんが多くの演奏をアップロードしてくれている。いずれも素晴らしい出来ばえである。
という訳で、お勧め盤を並べると、
1.ホロヴィッツ
ただしHorowitz - Schumann Kreisleriana Op.16 No.1 に限る。
物好きな人は live in 1968, recorded from the audience もどうぞ
2.ソコロフ
とりあえず、ヘルシンキ盤をあげておく。ただし音質は良くない。
3.ゲザ・アンダ
Schumann - Geza Anda (DG rec.) - Kreisleriana op 16
Natan Brand plays Schumann's Kreisleriana 'live'
5.エンリカ・シッカレッリ
Schumann Kreisleriana op.16 - Phantasien für das Pianoforte - Enrica Ciccarelli
6.セドマラ・ザカリアン・ルトステイン
Sedmara Zakarian Rutstein performs R. Schumann - Kreisleriana
7.アリシア・デ・ラローチャ
Alicia de Larrocha - Schumann : Kreisleriana, Op.16: I.
8.李ヒぇキュン
Schumann Kreisleriana op.16 (pf: Hyekyung Lee)
9.ニクラス・シヴェーロフ
Sivelov plays Kreisleriana by Schumann
10.マルク・シュヴァルツェントルーバー
という訳で、お勧め盤を並べると、
1.ホロヴィッツ
ただしHorowitz - Schumann Kreisleriana Op.16 No.1 に限る。
物好きな人は live in 1968, recorded from the audience もどうぞ
2.ソコロフ
とりあえず、ヘルシンキ盤をあげておく。ただし音質は良くない。
3.ゲザ・アンダ
Schumann - Geza Anda (DG rec.) - Kreisleriana op 16
Natan Brand plays Schumann's Kreisleriana 'live'
5.エンリカ・シッカレッリ
Schumann Kreisleriana op.16 - Phantasien für das Pianoforte - Enrica Ciccarelli
6.セドマラ・ザカリアン・ルトステイン
Sedmara Zakarian Rutstein performs R. Schumann - Kreisleriana
7.アリシア・デ・ラローチャ
Alicia de Larrocha - Schumann : Kreisleriana, Op.16: I.
8.李ヒぇキュン
Schumann Kreisleriana op.16 (pf: Hyekyung Lee)
9.ニクラス・シヴェーロフ
Sivelov plays Kreisleriana by Schumann
10.マルク・シュヴァルツェントルーバー
Sidney Foster (1917- 1977) という忘れ去られたピアニスト。アメリカ人でヨゼフ・ホフマンの後継者と目されていたようだ。ホフマンよりずっと正統派で、評価されてもいい人だと思う。
ちょっと厳しいかな。
最高の録音。しかし音は濁る。
ちょっと厳しいかな。
「伝説のピアニスト」の一人。キプロス生まれで、40歳で交通事故死した。演奏は勢いでやっている。
アルゼンチンの人。ほとんど素人。
台湾を代表するピアニストのようだが、正直、やっとという感じ。
ニュアンスに乏しい強情な演奏。
王致仁。香港の生まれ。売り出し中の若手。当然、技巧の乱れはない。しかし弾き飛ばし気味。
よく弾ききっているが、それだけ。中間部はただ弾いているだけ。
イーヴ・ナットも聴ける。それだけ
分かっとらんね
これはすごい。べらぼうにうまい。録音も最高。今のところトップ。
この人のケージのPrepared Piano のソナタは良い。シューマンもお箱にしているようだ。
これを見る(聴く)と如何に複雑な音が要求されているかが分かる。聴き比べをするときには必携のアイテムだ。
こういう掘り出し物があると、なんとも嬉しい。見たところ田舎のおばさんが弾く、優しさあふれるクライスレリアーナだ。
Biography によるとソ連生まれ、レニングラードの音楽院を卒業。ニューヨークでのリサイタルでは高い評価を受けたという。
この人も「伝説のピアニスト」の一人。45歳で死亡。シューマンのスペシャリストとして、知る人ぞ知る存在である。華やかな音色に注目。
ラッザビゼといえば、売り出し中というより今や売れっ子の一人。しかしどうもぱっとしない。
1952年の歴史的録音のようだが、そうまでして聴くほどの演奏ではない
出だしはとちっているが、その後は優しい音を出している
ブルガリアの人だそうだ。演奏は悪くないが、音は悪い。
ロシアのピアニスト。華麗な音色だ。ヤマハで弾いている。録音がいまいち。
うまくもなんともない。ゲテモノ。
見事だ。音に濁りがなく透き通っている。華麗さはないが。
こちらにはその華麗さがある。その代わり左手の音は鳴りきっていない。
この演奏もすごい。もう何がなんだかわからなくなってきた。疲れた、まだかよ。
この演奏もすごい。「売り込み」サイトだが、馬力全開のスエーデン人で、<O>にはウムラウトがつくようだ。これで299曲目だ。
最速記録。1分35秒で弾ききっている。このタチアナ・リュミナなるピアニスト、まったく謎の人物。グーグルではまったく引っかかってこない。アルバム写真で見る限り美女風だが、もう40年も前の話。
もうやめようと思ったら、これが出てきた。
意外につまらない。これで締めにしよう。
Sidney Foster (1917- 1977) という忘れ去られたピアニスト。アメリカ人でヨゼフ・ホフマンの後継者と目されていたようだ。ホフマンよりずっと正統派で、評価されてもいい人だと思う。
ちょっと厳しいかな。
最高の録音。しかし音は濁る。
ちょっと厳しいかな。
「伝説のピアニスト」の一人。キプロス生まれで、40歳で交通事故死した。演奏は勢いでやっている。
アルゼンチンの人。ほとんど素人。
台湾を代表するピアニストのようだが、正直、やっとという感じ。
ニュアンスに乏しい強情な演奏。
王致仁。香港の生まれ。売り出し中の若手。当然、技巧の乱れはない。しかし弾き飛ばし気味。
よく弾ききっているが、それだけ。中間部はただ弾いているだけ。
イーヴ・ナットも聴ける。それだけ
分かっとらんね
これはすごい。べらぼうにうまい。録音も最高。今のところトップ。
この人のケージのPrepared Piano のソナタは良い。シューマンもお箱にしているようだ。
これを見る(聴く)と如何に複雑な音が要求されているかが分かる。聴き比べをするときには必携のアイテムだ。
こういう掘り出し物があると、なんとも嬉しい。見たところ田舎のおばさんが弾く、優しさあふれるクライスレリアーナだ。
Biography によるとソ連生まれ、レニングラードの音楽院を卒業。ニューヨークでのリサイタルでは高い評価を受けたという。
この人も「伝説のピアニスト」の一人。45歳で死亡。シューマンのスペシャリストとして、知る人ぞ知る存在である。華やかな音色に注目。
ラッザビゼといえば、売り出し中というより今や売れっ子の一人。しかしどうもぱっとしない。
1952年の歴史的録音のようだが、そうまでして聴くほどの演奏ではない
出だしはとちっているが、その後は優しい音を出している
ブルガリアの人だそうだ。演奏は悪くないが、音は悪い。
ロシアのピアニスト。華麗な音色だ。ヤマハで弾いている。録音がいまいち。
うまくもなんともない。ゲテモノ。
見事だ。音に濁りがなく透き通っている。華麗さはないが。
こちらにはその華麗さがある。その代わり左手の音は鳴りきっていない。
この演奏もすごい。もう何がなんだかわからなくなってきた。疲れた、まだかよ。
この演奏もすごい。「売り込み」サイトだが、馬力全開のスエーデン人で、<O>にはウムラウトがつくようだ。これで299曲目だ。
最速記録。1分35秒で弾ききっている。このタチアナ・リュミナなるピアニスト、まったく謎の人物。グーグルではまったく引っかかってこない。アルバム写真で見る限り美女風だが、もう40年も前の話。
もうやめようと思ったら、これが出てきた。
意外につまらない。これで締めにしよう。
以前、クライスレリアーナの第一曲の聴き比べをしたことがある。
その時の書き出し
最近のYouTubeはすごい。1年前はクライスレリアーナはケンプとキーシンしかなかった。ケンプの演奏はかわいそうなくらいよれよれで、どうして録音したの? と聞きたいくらい。シューマンの曲は下手うまでも味が出るというような中身ではない。しかし、あの時(2012年2月)から見るとYoutube の音源は凄まじい勢いで増えている。検索すると15600件もヒットする。もちろん後の方は誤検索だが、おそらく2、300はあるのだろう。
そう思うと、聞きたくなるのが人情。秋の夜は結構長い。
以前紹介したのはtoshishunさんという方がLPから起こした音源で、音は我慢の限界に近かったが、別の方がきれいな音でアップしてくれている。ただし第1曲のみ。
これは同じホロヴィッツでも別どり。1969年のスタジオ録音らしく、ずいぶんおとなしい。ホロヴィッツには他にも音源があって、レニングラードの
Winter Palace でのライブ April 27, 1986 とある。85年のスカラ座ライブは「入場料返せ!」のレベル。衰えぶりを聞きたい人はどうぞ。同じ85年のパリのリサイタルも隠しどり音源がアップされている。
まだあった!live in 1968, recorded from the audience
これも隠しどりだ。これはすごい。どうやってとったのか音もHQだ。ひょっとしてオープンリールを持ち込んだのだろうか。残響音から考えるとホールの特等席だ。
これは以前聞いたものと同じ。印象も同じ。好きになれないのも同じ。
グリモーは嫌いではないが、この演奏はのりが悪い。
例によって、良く言えばケレン味のない演奏。教科書通りに弾けばこうなりますよ。あぁそうですか。
この人はシューマンには向いていない。
なんと1986年の録音。まだ現役だったんだ。
1935年といえばこんなものなもんなんでしょうかねぇ。
引き締まって、ポリーニ風に良い演奏だが、音は最悪。live London 2008. とあるが、盗み撮りだろうか。しかも安い席の。
テクニックだけで言えば最高。書いてある音が全部聞こえる。テンポにゆらぎはない。ただ昔の録音だろう。今ならこういう演奏はしない。
同じ曲かと思うほど音が隙間だらけだ。録音のせいばかりではないと思う。下の新録音を聞くとさらに良く分かる
なんとなく、いまどきアシュケナージというとせせら笑われそうだけど、でもいいですよ。でもこの残響何とかならんかねぇ。
聞いたこともない人だがうまい。STUDIO RECORDING 1989. だそうだ。
見事だ。Bravo! ただし音はやや古めかしい。
ゲザ・アンダには放送録画の演奏もある。美しいクライスレリアーナだ。テレビリサイタル用のライブ音源のようだが、さすが。2曲目以降尻上がりに良くなる。
多分、私にはアラウに対するプリジャディスがあるのだろうと思うが、それが裏切られた経験もない。
ケンプのシューマンをえらく持ち上げている向きもあるので、気になって再聴したが、私の感想は間違っていなかったと分かり安心している。
参った! これほど軽やかに、飛翔するように演奏されると、「これぞシューマン」と言いたくなる。どんな人だろう、このロンキッチという人は。
この人の曲の“つかみ”は間違っていると思う。
素人が言うのも何だが、この人はうまい。1985年ベルロシアの生まれだそうだ。そこそこの賞はとって、今はアメリカで活動しているようだ。日本にも来ているらしい。http://alexandrabeliakovich.com/
そういう人も居ましたね。
何故かこの人もうまい。今はこのくらいのレベルはゴロゴロしているのだろうか。
十分良い演奏。少し疲れてきた。
ユーリ・エゴロフの超人的猛スピードの演奏が聞ける。
モイセイヴィッチに恥をかかせるためにアップロードしたみたい。
以前、クライスレリアーナの第一曲の聴き比べをしたことがある。
その時の書き出し
最近のYouTubeはすごい。1年前はクライスレリアーナはケンプとキーシンしかなかった。ケンプの演奏はかわいそうなくらいよれよれで、どうして録音したの? と聞きたいくらい。シューマンの曲は下手うまでも味が出るというような中身ではない。しかし、あの時(2012年2月)から見るとYoutube の音源は凄まじい勢いで増えている。検索すると15600件もヒットする。もちろん後の方は誤検索だが、おそらく2、300はあるのだろう。
そう思うと、聞きたくなるのが人情。秋の夜は結構長い。
以前紹介したのはtoshishunさんという方がLPから起こした音源で、音は我慢の限界に近かったが、別の方がきれいな音でアップしてくれている。ただし第1曲のみ。
これは同じホロヴィッツでも別どり。1969年のスタジオ録音らしく、ずいぶんおとなしい。ホロヴィッツには他にも音源があって、レニングラードの
Winter Palace でのライブ April 27, 1986 とある。85年のスカラ座ライブは「入場料返せ!」のレベル。衰えぶりを聞きたい人はどうぞ。同じ85年のパリのリサイタルも隠しどり音源がアップされている。
まだあった!live in 1968, recorded from the audience
これも隠しどりだ。これはすごい。どうやってとったのか音もHQだ。ひょっとしてオープンリールを持ち込んだのだろうか。残響音から考えるとホールの特等席だ。
これは以前聞いたものと同じ。印象も同じ。好きになれないのも同じ。
グリモーは嫌いではないが、この演奏はのりが悪い。
例によって、良く言えばケレン味のない演奏。教科書通りに弾けばこうなりますよ。あぁそうですか。
この人はシューマンには向いていない。
なんと1986年の録音。まだ現役だったんだ。
1935年といえばこんなものなもんなんでしょうかねぇ。
引き締まって、ポリーニ風に良い演奏だが、音は最悪。live London 2008. とあるが、盗み撮りだろうか。しかも安い席の。
テクニックだけで言えば最高。書いてある音が全部聞こえる。テンポにゆらぎはない。ただ昔の録音だろう。今ならこういう演奏はしない。
同じ曲かと思うほど音が隙間だらけだ。録音のせいばかりではないと思う。下の新録音を聞くとさらに良く分かる
なんとなく、いまどきアシュケナージというとせせら笑われそうだけど、でもいいですよ。でもこの残響何とかならんかねぇ。
聞いたこともない人だがうまい。STUDIO RECORDING 1989. だそうだ。
見事だ。Bravo! ただし音はやや古めかしい。
ゲザ・アンダには放送録画の演奏もある。美しいクライスレリアーナだ。テレビリサイタル用のライブ音源のようだが、さすが。2曲目以降尻上がりに良くなる。
多分、私にはアラウに対するプリジャディスがあるのだろうと思うが、それが裏切られた経験もない。
ケンプのシューマンをえらく持ち上げている向きもあるので、気になって再聴したが、私の感想は間違っていなかったと分かり安心している。
参った! これほど軽やかに、飛翔するように演奏されると、「これぞシューマン」と言いたくなる。どんな人だろう、このロンキッチという人は。
この人の曲の“つかみ”は間違っていると思う。
素人が言うのも何だが、この人はうまい。1985年ベルロシアの生まれだそうだ。そこそこの賞はとって、今はアメリカで活動しているようだ。日本にも来ているらしい。http://alexandrabeliakovich.com/
そういう人も居ましたね。
何故かこの人もうまい。今はこのくらいのレベルはゴロゴロしているのだろうか。
十分良い演奏。少し疲れてきた。
ユーリ・エゴロフの超人的猛スピードの演奏が聞ける。
モイセイヴィッチに恥をかかせるためにアップロードしたみたい。
経済政策を考える上で悩ましい問題が三つある。
まず第一に、国際経済との整合性だ。世界は新自由主義経済の真っただ中にある。日本が抱える景気の悪化、労働環境の悪化、国民の貧困化などの諸問題は、世界の殆どの国に共通している。
しかも状況は日毎に悪化しており、有効な対策は立てられず、将来の見通しはますます暗い。
日本の政府がどのように変わろうとも、この修羅世界を生きていくしかない。その現実は紛れもなくある。一国だけを見れば革新的な政策を立てられても、それが世界に通用するという保障はない。
長期の確信は堅持するにしても、当面この新自由主義の支配する世界にアダプトしていくことがもとめられる。それは必然的だ。ぎりぎりどこまで対外的な事情に押しつぶされずにやれるのか、その限界を探さなければならない。
第二は人口減少社会だ。「高齢化社会」は生産年齢の上限が高齢化していけば解決される。長生きすれば元気で働ける年齢限界も高くなるのである。ただ雇用モデルがそれに適応していないから矛盾が生じるのだ。
問題は高齢化ではなく人口の絶対的減少だ。人口の減少はGDPの減少と直結する。資源をその中で重点配分していかなければならない。これまでの政府は怠慢にも「大変だ、我慢せぇ」というだけで、我慢した先に目指すべき経済・社会モデルを提示してこなかった。
積極財政主義者を「無責任」と非難するが、あなた方こそ無責任だ。
第三は債務問題だ。これは国内債務と対外債務に分けて考えなければならない。さらに政府債務と民間債務に分けて考えなければならない。今問題にされているのは政府の対外債務だ。しかしこれは実は大した問題はない。
政府は米国債という形で膨大なドルを抱えているからだ。国内債務はいざとなれば政策インフレによる減価という手段がある。最後はモラトリアムで銀行にかぶせればよい。
今の三大銀行は贅肉だけの組織だから潰れても社会に実害はない。地銀・信金だけで十分やっていける。多少ノンバンク規制をゆるめてもよい。
問題は企業に流入して来ている大量の外資だ。これが一気に流出した場合の資金不足は、一時的には深刻なものとなるだろう。
したがって、民間資本と政府会計、そして日銀会計とのあいだには厳格なけじめを作っておく必要がある。今まで「潰すには大きすぎる」と救済してきたが、これからは「救うには大きすぎる」を原則としなければならない。
日本人は我慢強い、年寄りはなおのこと我慢強い。末代に借金を残さないためには、多少の金融恐慌には耐えてみせる。
正直、みずほ銀行の不正融資の話は良く分からない。
230件、総額約2億円だそうだ。1件あたりに直すと20000÷230=87万円だ。わたしだって一時は数千万の住宅ローンを組んでいた。自動車ローンだというが87万円で買える自動車などたかが知れている。間違いなく新車は買えない。しかも総会屋対策と違い、貸しただけでくれてやったわけじゃない(だいぶ焦げ付いてはいたようだが)
借りる方だって、「やくざです」と言って借りるわけじゃない。この程度は審査をスルーしたってどうしようもないんじゃないか。(ただ230件も似たような融資が行われていることに作為を感じるが)
今回の事件では、見事にトップがはめられている。まさに半沢直樹の世界だ。どこかに人物“x”がいる。
前日に副頭取に記者会見で「知らなかった」と言わせて、その後に「知っていた」動かぬ証拠を突きつける。しかもこの経緯はすべて闇の中だ。
つまり副頭取に「知らなかった」発言をさせるための筋書きが用意されていたというわけだ。たぶんこの「知らなかった」発言がなければ、いくら子会社とはいえ、別会社の不祥事を以って頭取を辞任に追い込むことはできなかったはずだ。
副頭取の「知らなかった」発言で逃げ切ろうという、銀行側の前日の判断の根拠は何だったのか。
推理するとすれば、「記者会見はしなければならない、しかし『知らなかった』で逃げ切れるだろう」、と判断される程度の情報を、人物“x”が突きつけたのではないだろうか。
しかしその情報は、最後のトドメの一撃を隠した囮情報だったわけだ。陰謀を仕掛けた人物“x”は、そのへんの人情の機微を心にくいほどに捉えていたということになる。
まさに「陰謀」としか言いようがない。
その後のメディア、官庁、警察や検察の対応はきわめて素早い。監督官庁である金融庁は佐藤頭取に全てを押し付けてさっと逃げた。
国民がまず知りたいのは、現場でどのように不正融資が行われたのかということだが、オリコも融資先のやくざも報道にはまったく登場しない。何か一つの筋書きの上をドドドーっと駆け抜けているようにみえる。
そのうち、真相がチラホラと出てくるだろう。それまでは高みの見物だ。
鮮やか 中国外交
APEC首脳会議では、久しぶりに胸のすくような中国外交を見せてもらった。
* 習主席と肅(前副総統)の会談で中台関係の持続的発展を確認。双方の実務最高責任者が同席。
* 習主席と朴大統領の会談。北朝鮮核問題で6カ国協議再開の前提条件で議論。
方向は鮮明である。中韓を東アジアの基軸とし、台湾とも友好の実績を積み上げる。東南アジアとは懸案の南シナ海問題で多国間協議に踏み切る、そして北朝鮮については国連重視の姿勢を鮮明にすることで、6カ国協議の再活性化を図る。
おそらく軍部とこれにつながる勢力の押さえに成功したのであろう、打つ手が自信にあふれている。囲碁で言えば「指がしなって」いる。国営石油トップの摘発が効いているのか。
最大の課題は日本政府だ。米国のプレゼンスそのものはあまり気にする必要はない。日米同盟そのものより日米同盟の能動化、機動化が東アジア全体にとって最大の脅威だ。
この認識で、東アジア全体が一致することが現段階での獲得目標となる。その認識を声高に叫ぶ必要はない。アジアに平和をもたらす諸策を一つ一つ解決していけば、おのずから日本の「右翼の軍国主義者」たちは自然と活動の場を失っていく。
それはシリアでの外交活動の経過から得た教訓でもあろう。米国の手を外交活動により抑えた。そのことで唯一米国への変わらぬ忠誠を誓った日本の好戦性のみが人々の記憶に残った。
この経過に一番焦りを感じているのが米国に軍産複合体であろう。そしてオバマがAPECを欠席し、日本の安倍首相が完全に孤立した。だから軍産複合体はオバマを叱り、オバマは「欠席したのはまずかった」と自己批判させられたのである。
グーグルで検索中に面白い記事を見つけた。
産経新聞の関西版。衝撃事件の核心 west という連載ものらしい。
見出しは
「朝鮮人は呼吸するな」暴走する右派系市民グループ、ヘイトスピーチ(憎悪表現)という“鬱憤晴らし”
という産経らしからぬもの。
かいつまんで内容を紹介する。
「朝鮮人は呼吸するなーっ!」。在日韓国・朝鮮人らに悪罵(あくば)を投げつけ、排外主義的な主張を繰り返していた関西の右派系市民グループが、幹部らの相次ぐ逮捕により解散に追い込まれた。「神鷲皇国会(しんしゅうみくにかい)」だ。
事件1: 電気代踏み倒し
滞納料金の徴収に訪れた関西電力の係員は、応答が無いため送電をストップさせた。
飛び出してきたのが住人の少年(18)だった。「何するんや。俺は、右翼やっとんねん!」とまくし立て、神鷲皇国会のステッカーが張られた拡声器を持ちだした。
こうして料金約1万2千円の請求を断念させ、送電も再開させた。
事件2: 82歳への暴行
難波の地下街「なんなんタウン」の一角の公衆トイレ。拡声器を肩にかけたその姿を奇異に思い男性(82)がのぞき込むしぐさを見せた。用を足していた事務局長(41)はいきり立った。
「何見とんねん、オモテ出ろ!」
事務局長は男性を連れ出し、胸ぐらをつかんだ上、眼鏡を取ってその場で踏みつけた。男性はほおに切り傷を負った。
事務局長はそのまま立ち去ったが、一連の行動は近くの防犯カメラに克明に記録されていた。
事件3: 博物館脅迫
神戸市立博物館で特別展「中国王朝の至宝」が開かれた。博物館に約1時間半にわたり電話をかけ、脅迫の文言を並べたのが桂田智司被告(52)だ。神鷲皇国会の最高顧問で、政治団体「愛国播磨雄(はりまお)会」元代表を名乗っていた。
「特別展の無期限延期を要望する。不特定多数の右翼の同志に呼びかけを行うこともあり得る。けが人が出ても、わしに止めることはできへん」同博物館は要求に応じず至宝展を開いた。開催期間中に街宣車による抗議活動も繰り広げられた。
ヘイトスピーチで注目
そもそも、神鷲皇国会とはいかなる組織なのか。10人程度のメンバーで構成され政治団体の届け出はない。
公安関係者によると、一部のメンバーが「在特会」の活動に感化され、グループを立ち上げた。昨年9月に行われた「日韓国交断絶国民大行進」に参加。以後、大阪で毎月のように行われた街宣で、「ゴキブリ」「ウジ虫」「死ね」「殺す」といったヘイトスピーチを連呼し、その様子を動画投稿サイトにアップすることで注目を集めた。
3月31日に鶴橋で実施された「特亜殲滅カーニバル」では、旗振り役を勤めるまでになった。
思想なき、鬱憤晴らし
街宣やネットで知り合った“緩い”つながりが、同会の基底を成している。少年と事務局長は同会に参加するまで、活動家としてはまったく無名の存在だった。少年は高校中退後に働いたが長続きせず、街宣にのめり込んでいったとみられる。
「バカ、ボケとひたすら悪口雑言を繰り返すだけで思想は皆無といっていい。つまりは単なる鬱憤晴らしだ」(公安関係者)
ストレスのはけ口を求めるためならば、それが在日韓国・朝鮮人でも、集金係やお年寄りでも良い。彼らの内にあったのは他人への敵意だけなのかもしれない。
この記事の最後、公安関係者の発言からは、公安がチンピラ・愚連隊を泳がせていることがはっきり見て取れる。
おそらく公安は刑事警察にもおなじセリフを履いていることだろう。
「いつかは役に立つ日が来るよ」と。