鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2013年10月

北海道アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会から、創立50週年を期してブックレットを発売した。
といっても自費出版みたいなもので、いささか懐にはこたえている。
すでにネット上では公開しているものなので、わざわざ買うほどのものではないのだが、連帯委員会の財政には寄与することになるので、そのへんのところも御賢察の上、おもとめいただければ幸甚である。
とりあえず2冊、400部売れるとトントン。300部売れれば3,4号と出していきたいと思っているが、どうなることやら。

①が20ページ、②が36ページで、それぞれワンコインでお願いしている。






発注は下記宛おねがいいたします。




フランツ・リストの曲名一覧がなかなか良いものがない。
ウィキペディアでは相当深い入れ子構造になっていて、サッパリわからない。
表題も日本語、英語、ドイツ語、フランス語と入り交じっている。
いろいろ調べて、とりあえず現在は下記のように整理している。
1383088305

リストは好きではないから、こんなものでいいかと思っている。


これがシャノアールの求人サイト



「鮮度」云々は問題外だが、契約社員問題で戦々恐々としている企業は、我が陣営をふくめて、相当数に上るだろう。

一度食べると、その美味しさのあまりに病みつきになってしまう。これは契約社員依存症だ。
そろそろ、けじめをつけるべき時ではないか。

素直に考えて、これは差別という他ない。幹部社員を優遇するのも差別という人がいるが、形は似ていてもまったく違う。

雇用機会が何とかというのは後智恵にすぎない。
タバコのみや酒飲みが、タバコにもいいところはあるとか何とか言うのと同じだ。

しかも差別というのはモロに相手に迷惑かけるから、まことにもって非道徳的である。

これは「風土」ではない。しかしその内「風土」になってしまかもしれない。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というが、赤信号では止まるという勇気もだいじだ。

だれだって、いつだって、年取ったって、輝いていたいのだ。

秘密保護法案で問題になっているのは国民の知る権利だ。一方、ドイツのメルケル首相が携帯電話を盗聴されていたことで問題になっているのは、知られない権利だ。

一方において知る権利を守れと主張し、他方において知られない権利を守れというのは、一見矛盾しているようだ。

ここを解きほぐし、串刺しにする論理を我々は持たなければいけない。

A 言葉の錯綜を解く

1.権利の二つの意味

まず国民の権利だが、個別的な権利枠組みと集合的な権利枠組みとを分けて考えなければならない。

個別的な権利は、基本的人権を指す。知られない権利はここにふくまれる。思想・信条の自由とかプライバシー権も基本的人権の一部をなす。

個別的な権利は時代や環境に応じてかなり伸縮する。

集合的な権利というのは、国民主権ということだ。国家のあり方に係る問題については国民に決定権があり、それは無限の権利だ。

国民の知る権利というのは、基本的人権ではなくこの国民主権という集合的権利に由来する。

国民は国家の主人公であり、無限の力を持っているわけだから、知る権利というのは論理的にはおかしいのであり、むしろ知る義務というべきものかもしれない。

2.企業における権利

この二重性は、企業の論理と比べてみるとよく分かる。

企業の論理は国家の論理とは異なる。社員には働く権利(基本的人権)はあるが、知る権利(主権に由来する権利)はない。会社は社員のものではないからである。

資本家にとっては、知る権利はある。というか、知る責任がある。会社は自分のものだからであり、会社には社会的責任がともなうからである。この際、知る権利は組織のガバナンスと直結する。

プロ野球の「飛ぶボール」問題は、「知る権利」をめぐる問題の一つの典型である。プロ野球連盟を仕切る立場のコミッショナーが、ボールの仕様変更を知らなかった。知らなかったにもかかわらず、ボールの一つ一つに自分のサインを刻印していた。

結果としてコミッショナーは選手やフアンを裏切ったことになる。当然その責任をとるべきだが、むしろ主要な責任は、ボールに自分の名を刻印することの重みを自覚していなかったことにあり、その結果、知る義務を果たさなかったことにある。

B 国家主権を考える

1.国家主権は存在する

国民の権利と同様に国家の権利も存在する。それは国際社会における諸条約に定められた権利であり、他国からの干渉を許さない国家主権である。

人権と同様、前者の権利は伸縮するが、後者は死活的である。「知られない権利」は自衛権と並び、国家主権の核心をなす。

しかし国家は国民に対して権利を持たない。主権者たる国民の意志を代行する事務局にすぎない。どちらが優越するかという議論は無意味である。

2.企業主権を考える

企業を所有する資本家は企業に対し主権を持つと同時に、一般社会に対して「法人格」をもって臨む。

法人には関係法を通じてさまざまな義務と権利が与えられている。しかし、市場経済の中では熾烈な競争が繰り広げられるわけで、みずからの身はみずからで守るしかない。

その中では企業秘密を守ることも当然視野に入ってくるわけで、その限りでは厳しい守秘義務が課せられる可能性もある。それは企業の「知られない権利」とも言える。

しかしそれは外部に対する守秘であり、法人格主体に対して秘密保持が行われるならば、それは陰謀にほかならない。

先ほどのプロ野球協会の話に戻る。

ボールの仕様を独断で変更し、それをコミッショナーに伝えなかった事務局長は、極めて重いペナルティーを科せられるべきだ。

事務局長の犯した陰謀行為は、法人主体に対する裏切り・破壊行為であり、コミッショナーの犯した知る義務に対する不作為とは、レベルの違う問題なのである。

C 国会の権限制限は最悪

いずれにせよ、権利主体としての国民には一切の秘密はあってはならない。これが基本である。しかし国家主体には国家機密というものはありうるわけである。

ただし国家機密は限定的・一時的なものであり、主体者たる国民への公開は絶対的な義務であり、主体者たる国民には公開を迫る責務がる。

これをどう折り合いを付けるかということになるが、現実には国民主体の意思代行者としての国会というものがあるのであって、ここが一切の情報を管理した上で、振り分けを行っていく以外にない。

少なくとも行政機能が機密を独占するのは原理的に許されないことであり、国権の最高機関たる国会にすべてが公開されるべきである。

企業と株主の関係については語るだけの知識を持ち合わせていない。かつてのいわゆる「日本型経営」においては、労働者もふくめた会社が法人の実質的主体と考えられてきた。少なくともかつての経営者はそのように唱えてきた。

D 一応の“結論

「知られない権利」は個別的な権利であり、他者とのあいだに成立する権利枠組みである。それは個人間だけでなく、企業間、国家間においても成立しうる。

「知る権利」は権利主体の本源的権利と目され、それは主体が主体であり続けるための不可欠の要素となっている。

知る権利は、同時に知る義務でもある。それは情報提供者を保護し情報秘匿者にペナルティーを与えるような努力なしには保障し得ないだろう。

少なくとも行政府ではなく、国民主権の代行者である国会に情報が集中されるべきだろう。


以下は、「ボルティモア・サン」紙の94年5月号に載った記事の抄訳

バックはモスクワ生まれ。モスクワ音楽院を卒業し73年のモンテビデオ音楽祭で優勝している。

しかし76年にアメリカ人女性と結婚した時、その前途はくじかれた。その女性はUPIモスクワ支局長の娘であった。

彼は繰り返し検挙された。アメリカのスパイの容疑だったりホモの容疑だったり、あるいはその両方だったりした。

彼が二度目の結婚をすると、事態は更にひどくなった。結婚相手の父親がKGBの高官だったのだ。

彼は二度にわたり獄に繋がれ、そのたびにひどく打たれた。鼻と頬を骨折し前歯が折れた。

1980年以降、コンサートはほとんど行えなくなった。彼は白タクの運転手となり、早朝から闇のガソリンを求めてさまよう生活をおくることとなった。

こういう災難は、半分は彼の性格がもたらしたものだった。彼は当局への不満を隠そうとしなかった。

1990年、彼は耐えられなくなりイスラエルへわたった。

しかしイスラエルに仕事はなかった。そこでユダヤ人組織の招きに応じて92年アメリカに渡った。

フェルツマンは「私が聞いた中で最も優れた技巧の持ち主であり、ホロヴィッツ、レヴァイン、ホフマンと続くロシア楽派の最後の名手だ」という。

「しかし彼はまったく無名で、コンサートの予定も金も持ち合わせていない」

フロリダで数回コンサートを行ったあと、仕事があるかもしてないと誘われてボルティモアに来た。しかしボルティモアでコンサートを開くことはできず、借りたアパートにはピアノさえなかった。

篤志家から無料で借りていたそのアパートも追い出され、彼はボストンの友人の家を目指してバン・トラックでボルティモアを後にした。

彼の非迎合的姿勢はアメリカでも変わらなかった。気に入らない聴衆には皮肉を浴びせた。

彼のショパン演奏は乱暴といえるほどに激情的である。傲慢といえるほどに奔放である。

故ホロビッツやマルタ・アルゲリッチが彼の卓越した技能を賞賛している。


この後バックは十数年をアメリカで暮らし、最後はロスアンゼルスで亡くなったようである。



 Vladimir Bakk を紹介しておきたい。

日本語で表記するとどうなるのか、とりあえずウラディミル・バックと書いておく。

しかしグーグルで“ウラディミル・バック”を検索しても、ひとつもヒットしない。

Vladimir Bakk でも、Wikipedia はもとよりオフィシャルな文献は見当たらず、個人のブログがいくつか取り上げているだけだ。

発信元はYouTubeで、とにかくこの演奏でびっくりした。

Vladimir Bakk plays Brahms

Op. 117 No. 2、Op. 118 No. 2、Op. 116 No. 3 という渋いところで、まるでスクリアビンを聞いているようだ。恣意的と言えばまことに Arbitary かつ Willfulで、ブラームスが聞いたら顔をしかめるに違いない。しかしブラームスの若書きは結構ケレン味たっぷりだから、ある意味底意をえぐった演奏かもしれない。

調べると、5年前に Ingrid Fliter さんという人が動画をアップしている。

Vladimir Bakk - Chopin, Ballade n.3

Vladimir Bakk - Liszt Hungarian Rhapsody n. 6

Vladimir Bakk - Skriabin Sonata n.9

Vladimir Bakk - Rachmaninov Sonata n. 2

Vladimir Bakk - Prokofiev Sonata n. 7

Vladimir Bakk - Haydn Sonata in C Major (第3楽章のみ)

Vladimir Bakk - Scarlatti, Sonata in D minor - K1 L366

 

Ingrid Fliter さんは以下のコメントを添えている。

A tribute to one of the greatest but unfortunately not widely known pianists of all times. Those who had the privilege to know him and to listen to his performances will forever love and admire this hidden genius. Vladimir Bakk was born in Moscow in 1944 and died in 2007 in West Palm Beach at the age of 63.

いずれも音質は良くない。なにせ5年前のアップだから、元の音ではなく、アップロード時に音質が損なわれたと思われる。しかしショパンは絶対聞いてほしい。ラフマニノフには度肝を抜かれる。ぜひ再アップしてほしいものだ。

その後、最近になって margo998899 さんと、gullivior さんが別の音源をアップしている。

Vladimir Bakk plays Moszkowski "Caprice Espagnol" Op. 37

Vladimir Bakk plays Saint-Saens Introduction et Rondo Capriccioso, op 28

Vladimir Bakk plays Caprice on Airs from the Ballet in Gluck's Aliceste

以上が目下のyoutuboguraphy である。

探してみたら

myfreemp3.eu

という free のサイトで下記の演奏が聞ける。ダウンロードも出来る。音はYouTubeよりはるかに良好である。

Scarlatti- Sonata in D Minor

Scarlatti- Sonata in A Major

Mozart- 12 Variations in C Major

Schubert- Sonata op. 120 in A major

Chopin- sonata #2

Chopin- Ballade Op.23 No.1 1:39

Brahms- Intermezzo Op.117 No.1

Brahms- Intermezzo Op.118 No.1
Brahms- Intermezzo Op.118 No.2

Brahms- Capriccio Op.116 No.3
Brahms- Rhapsody Op.79 No.1

Moshkovski: Caprice Espagnole

Scriabin- Poeme op.71 #2

Scriabin- Sonata #9

Scriabin- Poeme op.59 #1

Rachmaninov- sonata #2 op.36

Prokofiev- Sonata #7

Frank- Prelude, Chorale et Fugue

Constantine Finehouse - SoundCloud

というページから下記がダウンロード可能である。

Vladimir Bakk, piano//F. Liszt: Sonnetto 104 del Petrarca

Vladimir Bakk, piano//F. Chopin: Fantasie in F Minor, Op.49


Googleの脱税手口として有名になった言葉だ。

喫茶店のモーニング・サービスのセット・メニューみたいだが、飲めもしないし、食えもしない。強烈な腐臭を放っている。

出処は本庄さんの「導管」論文の最後の部分だ。


グーグルのタックス・スキームは、“ダブル・アイリッシュ&ダッチ・サンドイッチ”と呼ばれる。

それは下記の記事によれば、以下のように要約することができる。

(Jesse Drucker: “The Tax Haven That's Saving Google Billions” Bloomberg Business week 2010 年10 月21 日号)

1. 米国親会社はアイルランド子会社とライセンス契約を結ぶ。この子会社は「グーグル・アイルランド・ホールディング」と呼ばれる。

2. この子会社は、アイルランドで設立された法人であるが、バミューダで支配管理されている。このためアイルランドでは非居住法人となる。

3. 米国親会社は、もう一つのアイルランド子会社を持っている。この子会社は「グーグル・アイルランド」と呼ばれる。

4. 「グーグル・アイルランド」社は、ダブリンの中心に本店を持ち、約2000 人の従業員を雇用している。「グーグル・アイルランド」社は、グーグルの海外営業の88%を担っている。

5. 「グーグル・アイルランド」社は、バミューダにある「グーグル・アイルランド・ホールディング」社に5.4億ドルの使用料を支払っている。このため税引前利益の額は、売上高の1%未満しかない。

6. アイルランド法人税の課税標準税率は12.5%であるが、この「支払使用料」という名目の利益移転により、租税を回避している。

7. アイルランドは、バミューダなどのタックスヘイブンに支払使用料を払うのに際し、源泉徴収税を課している。これを回避するため、使用料はオランダを経由して支払われる。

8. 米国親会社は、上記の目的のためオランダにも子会社を設立している。この子会社は「グーグル・オランダ・ホールディングスBV」と呼ばれる。オランダ子会社には従業員はいない。

9. 「グーグル・オランダ・ホールディングスBV」社は、アイルランド子会社の「グーグル・アイルランド」社から、使用料5.4億ドルを無税で受け取る。そしてその99.8%をバミューダの「グーグル・アイルランド・ホールディング」社に支払っている。

2006 年にグーグルは課税問題で米国内国歳入庁(IRS)と交渉し、ひとつの合意に達した。これはグーグル社の知的財産をめぐる問題であった。知的財産を外国にある子会社に供与することになり、その対価をどう扱うかに焦点が当てられた。

グーグル社が編み出したスキームとは、以下のとおりである。

グーグル社は、自社で開発したオンライン検索の技術、および広告に関する技術のライセンスを保有している。このライセンスを外国子会社に供与する。外国子会社はこのライセンスを用いてサービスを行い使用料を得る。この使用料を開発国(米国)に還流させれば35%の課税対象となるが、実際に入ってくるのはライセンスの供与料のみとなる。

これを「移転価格」(transfer pricing)操作と呼ぶ。

このタックス・スキームは、関係国(アイルランド、オランダ、バミューダ、米国)の税制の規定には抵触しないように仕組まれている。法的にはぎりぎりのところであるが、倫理的には真っ黒である。

グーグルの企業モットーは、“Don’t be evil” であるだけに、“Is Google’s tax strategy evil ?” という疑問や “Google’s evil tax dodge” という批判が出ている。また企米国内国歳入庁(IRS)の合意を獲得したことに対しては、“Google eats the IRS for lunch” と皮肉が囁かれている。

グーグルの広報筋は、「グーグルと似たスキームを多くのグローバル企業が行っている」と主張している。つまり企業努力の一環と言いたいようだ。たしかに「多くのグローバル企業が行っている」ことは間違いない。

開示された企業情報からも、アップル、マイクロソフト、アイビーエムなどテクノロジー関連企業が、似たようなスキームで、海外所得に対する実効税率を4.5%~25.8%に引き下げている。マイクロソフトはグーグルと同様にアイルランドからバミューダへの移転価格操作を行っている。フェイスブックは、アイルランドからケイマン諸島だ。

2009年、財務省は外国子会社に対して課税する提案を行った。内容は、外国収益の海外における移転を許容するループホールを塞ぐこと、外国子会社間の一定の支払に対して課税することである。この提案はジェネラルエレクトリック、ヒューレットパッカードおよびスターバックスなどの企業によるロビー活動によって押しつぶされた。

2010年2月にオバマ政権は多国籍企業に課税する提案を行った。今度の提案は、企業のオフショア所得移転と、外国子会社とタックス・ヘイブンとの移転操作に対する課税を打ち出した。ロビーストがキャピタル・ヒルに群がり、この提案も押しつぶされた。

巨大な多国籍企業の見解として「税負担が5%程度に引き下げられるならば、タックス・ヘイブンの資金を米国に戻してもよい」という言葉が報道されている。

 

「発掘された宮本百合子の新聞論稿」という記事が文化面に掲載されている。
1947年6月4日に新潟日報に掲載予定だったもので、GHQによる事前検閲にまわされたことから、資料として残ったものとされる。
その1ヶ月前の5月3日に施行された新憲法について書かれた「新憲法と婦人の現実」という原稿である。
部分的に紹介されているのだが、なかで下記のくだりが目に止まった。

自分たちの手で、生活上の恐ろしい矛盾を持ち越している社会的な原因を取り除いて良い…
そのことを、憲法は、
「すべての国民は働く権利がある」という言葉で
「すべての人は教育を受けることができる」という言葉で、
「最低限の生活を確保する権利がある」という言葉で、
言い表しているのである。


この三つの権利を一体のものとして捉えなければならない、というのは私のかねてからの持論である。拙著「療養権の考察」の背骨となっている思想である。
朝日裁判以来(それ自体の意義を否定するものではないが)、ともすれば生存権が切り離されて、弱者の権利であるがごとく論じられる傾向が強まった。場合によっては、それが「患者の権利」と混用され、矮小化されてしまった。
学ぶ権利、働く権利、その中に自己を発展させる権利と結びつかなければ、「生きる権利」は意味を持たない。

生存権は、他ならぬ私たちみずからの主体的な権利であり、文化を享受し担う権利であり、キラキラと輝いている権利なのである。貧しい人やかわいそうな人がそれなりに生きていく権利ではない。

1947年に、宮本百合子がそうやって語っていること、さらにそこに社会を発展させていく権利を付け加えていることに、駆け寄って握手をしたいほどの強い共感を覚える。

赤旗の一面トップは原子力規制委員会の第28回定例会(23日)の報道。

いくつかの発言を取り上げている。

「柏崎の刈羽原発が(再稼働を申請するくらい)万全だというなら、その(スタッフを含めた)リソースを福島原発に投入できないのか」という意見が3人の委員から出されている。

原文を見てみようと思ったら、まだ文書化はされておらず、会議映像がそのままYouTubeにアップされている。

全1時間45分、とても長くて付き合いきれない。と言いつつ流していたら、1時間10分過ぎにやっと報告が終わって、議論が始まった。

先ほどの発言は、まぁもののついでみたいな発言だが、全体の議論は極めて悲観的なムードで展開されている。

その理由はいくつかある。

まず第一が、現場の消耗だ。委員が一様に強調するのがここ。

現場は疲弊しているだけでなく、線量が限界に達するスタッフが続出し、人的に現在の力量を維持できなくなっている。

第二に、次から次へと難題が出てきて、今後も止まりそうにないこと、しかも対応能力が落ちていく危険性が高いことだ。

「人は石垣、人は城」というが、予期せぬ事態が続出する状況にあって、最大の防壁は技能・経験も含めた人の力だ。その防壁が脆弱になっていることに最大の危機がある。

第三に、東電トップの誠実さに疑問があり、抜本的な対策が確立されないままになっていること(ケチっている可能性がある)

第四に、東電が誠実であったとしても、そこには限界があり、政府の関与が不可欠だということ。しかし安倍首相は政府が責任を持つといったのに、いまだに具体的な動きが見られないことだ。

会議の最後は、委員長が東電社長と会って、きちっと話し合いを持ち、とりわけ現場スタッフの確保と配慮について対策を促すことになったが、「きっとのらりくらりと逃げまわるだろうな」という表情が田中委員長の顔には浮かんでいる。

これは実写ならではの情報だ。

御用とお急ぎの方も、最後の5分だけでも良いから、見てやってください(とくに1:14頃からの中村委員の発言)


この会議がいいのは現場主義を強く押し出していることだ。現場主義の視点から問題を捉え直していることだ。

現場には答えがある

この点についてはルネサス山形工場の関連記事でも触れた。

ウンザリさせられるありきたりの案から離れて、現場レベルの深い情報を賢く活用し、現場の士気を鼓舞するような、力強い産業政策を打ち出すならば、日本国内にも、まだまだ収益化できる半導体の工場と設計部隊がある。(DIAMOND online より引用)


ふと思った。与謝野はトロイの木馬だ。

脇さんの演説を読んで、先日の藤井・与謝野の座談会を思い出した。

座談会の記事を読んだ感想で、藤井と与謝野の違いをメモしておいたが、いま考えるとこの違いには重要な意味があったのではないかと思うようになった。

民主党政権の後半期は間違いなく「連合」党であった。ということは限りなく「経団連」党であった。

そして経団連の意を体した切り札として送り込まれたのが与謝野ではなかったかと思う。

菅直人は、民主党御三家の一人ではあったが、だいぶ見劣りのするタレント幹部にしか過ぎなかった。

彼が首相になる時は「連合」の意向を最大限受け入れるしかなかった。もちろんその背後には経団連がいる。

菅は経団連会長の傀儡となることによってのみ首相になれたのである。その際、「お目付け役」として送り込まれたのが与謝野という構図なのだろう。

与謝野はどう間違っても民主党ではないし、リベラルでもない。それに経済理論家でもなければテクノクラートでもない。東電出身の叩き上げ政治家でしかない。たしかに毛並みは良いかも知れないが、尊敬されるほどの人格者でもない。

ただオシの強さだけで政界を生き抜いてきた人物だ。

もちろん、財政の改革も、社会保障の再確立も重要な課題だし、ともに金が絡む以上一体的にやってゆかざるをえないことも自明だ。

しかし普通に考えるなら三方一両損で行くのが政治の世界だ。これを全部国民負担としておっかぶせて、大企業がぬくぬくと儲けを貯めこんでいくような政策は、長期的に維持不可能だ。

何よりも国民が許さない。

その国民が許さないような政策を民主党は受け入れてしまった。文句をいうような幹部は潰された。だから民主党は潰れたのである。

そして与謝野はトロイの木馬となった。

赤旗の一面コラム「潮流」で自民党の代表質問を褒めていた。
何事かと思い、自民党のホームページを探してみた。
これは17日の参議院での代表質問。質問者は自民党参議院の幹事長、脇雅史という人である。

かなり長い演説であるが、基本としてはヨイショ質問である。
二つほど、目新しいところがある。

1.雇用問題に関して

下請け企業など、多くの中小零細企業の労働環境は大変厳しい状況です。また、若者の低賃金・長時間労働は、「ブラック企業」などと呼ばれて問題になっています。これまでとは「次元の違う対策」を謳うのであれば、こうした部分にも光を当てて、対策を取るべきだと思います。

政府は国家戦略特区で、解雇や非正規雇用に関する規制緩和を検討しています。雇用環境を多様化・流動化しようという目的のようですが、本当 にそれが、企業と労働者の双方が望んでいることなのでしょうか。若者の多くは、安定した雇用環境のもとでキャリアを積みたいと思っているのではないでしょ うか。

2.汚染水問題について

次に、福島第一原発の汚染水問題について伺います。…これはもはや東電の能力を超 えた問題であり、本来的に政府の役割なのではないでしょうか。…原発事故に関して政府の責任を認めるのであれば、税金を投入して対応するほかはありません。そのために復興増税も行ったのです。

…また、原発事故の収束は、総理が世界に対して約束したことでもあります。国際的な責任として、政府が先頭に立って事故に対処するという具体的な方策を、一日も早く国民の前に明らかにして頂きたいと思います。


TPPについては支援団体との関係上、言ってみたまで、という程度だ。他は自民党そのものだ。

これから分かることは、相当保守的な層まで巻き込んで、大企業の独善・横暴と儲け主義への反感が広がっているということだろう。
そして、大企業への反感がある意味で自民党の復活をもたらしたバネとなっているということだ。

火曜日の「学問・文化」欄に二人の人物の名が載っている。
一人がハンナ・アーレント、もう一人が松岡二十世である。
どちらも初耳の人だ。
ハンナ・アーレントはドイツ系ユダヤ人で著名な哲学者、政治学者だそうだ。「著名」と言われると恐れ入ってしまう。
松岡二十世は多喜二の「転形期の人々」に出てくる松岡幡也という「東京から来た帝大生」のモデルだそうだ。憶えがない。
いずれ勉強しなければならないだろう。

LIBOR不正操作 5つの手口

という記事を以前書いた。(2012/07/12)

幸いなことにかなり多くのアクセスをいただいたようである。

いくつかのHPでリンクもされている。

http://nueq.exblog.jp/18597231

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=272313

その中で毎日新聞に載った図表をリンクして転載していたが、今日見たらリンク切れになってしまっている。これだと話の半分が切れてしまってわからない。

どうしたものかと思っていたら。nueqさんのページに残っていたので、コピペさせてもらいました。

LIBORについては他にも記事があり、併読していただければ幸甚です。

またもロンドンの金融スキャンダル 2012/07/04

LIBOR不正操作の続報 2012/07/11

主役はアメリカ司法省?

LIBOR問題の根源はユーロダラー

LIBOR不正操作:5つの手口」に関する二つのコメントについて 2012/08/11

すでに1年以上を経過しており、そろそろフォローしなければならないと思っています。


藤井裕久氏の三つの思い込み

1.金融緩和=インフレという思い込み

はっきりしないが、どうもバブル期の記憶が強いようだ。問題は財政出動なのであり、その方向性なのだと思う。その政策がない緩和は有害無益だというべきではないか。

2.“成熟社会”と間接税中心主義の一体化

成熟社会論はそれなりに説得力があるが、消費税25%と無前提に結びつくものではない。

欧州のVATと日本の消費税は同列には論じられない。消費税25%論は高福祉・高負担というのではなく、直接税中心主義の放棄なのだ。

3.貿易障壁の撤廃とTPPの一体化

TPPについては、驚くほどナイーヴである。とても政権の中枢にいた人とは思えない。

この座談会の時点では、まだまだ政治に色気があり、本音のところを語っていないようだ。赤旗での談話とのあいだには落差がある。

逆に言えば、この年でまだ自己変革をやっていこうとする態度には敬服せざるを得ない。

BSフジの座談会では与謝野馨氏と交互に発言しているので、両者の違いがよくわかる。ひとつは庶民目線と財界・株屋たちへの不信感だ。与謝野氏にはまったくこれが感じられない。もう一つは歴史に学ぶという態度だ。それは過ぐる戦争への拒否を内に秘めたものだ。これも与謝野氏には感じられない。


藤井氏がみずからの経済観をある程度体系的に語ったのが次の記事

今年3月にBSフジ プライムニュースに与謝野馨と一緒に出演した時の発言。

アベノミクスの危うさ

現在経済の一番の問題が何かということですよ。これは需給ギャップなんですよ。実体的な具体的な需給ギャップです。

需給ギャップをちゃんと改善しない限りは、お金をいくら出しても、それはどこへ行っちゃう。私は投機資金にいくと思います。それは浮き草で、根無し草なんです。

物価上昇率2%目標 大胆な金融政策をどう見る?

浜田さん浜田宏一内閣官房参与)の話は「やはり需給ギャップだと思う」。私がいつも言っていることです。

次に「物価が2%上がらなくたっていいんだ。責任を負う必要はないんだ」と。そのことの裏は、物価目標なんて無理だよと言うことを言っておられると私は思います。

目先を変えたというのは事実です。しかし、目先を変えた先には、大きな落し穴があります。そこにインフレがあることは明らかなんですね。

ちょっと目先を変えるということに対し共鳴している人もいますよ。しかし、それは目先を変える次には大きな落し穴があるということを知るべきです

リフレーションという言葉を使っていますが、統制あるインフレなんですね。しかし統制なんてできないんですよ。インフレということはどれだけの人が苦労するか、戦後3回あったわけでしょ。

バブルをやった時の三重野さんとはゆっくりと話をしましたが、それ(インフレ統制)は無理だ。

自民党の偉い人が、「三重野を死刑にしろ」言っている。その背後にはまず証券界及び不動産界がいるわけです。

成長戦略について

現在、国境の壁を低くするってことはものすごく大事なんですよ。

新興国は高度成長をします。もう先進国はしないんですよ。だけど、成熟社会にしなきゃいけない。衰退社会は絶対にいけない。成熟社会になる。

その時には、そういう新興国と手を結んで、新興国との間でコネクションを結びながら成長をしていく。それは高度成長じゃありません。1~2%でいいんです。

ヨーロッパだって消費税は25%。要するにそういう社会が成熟社会なんです。成熟社会というものは、是としなければならない。

高度成長の時、僕らはわっしょい、わっしょい、夜中まで働くのは平気でしたよね。そのうえに1ドル=360円はなくなりました、バレル=2ドルもなくなりました。

現実の問題として客観情勢が変わっていると見ざるを得ないと思います。

日本経済の行方は

新興国の高度成長と結びつけなければいけない。結びつくことによって成長をしなければいけない。もう1つは、日本の科学技術をもっともっと進めなければいけない。日本にある格差社会の根っこになっているいろいろな規制を緩和していかなくてはいけない、等々ですよ。

成長戦略の1つは、新興国とともに発展するということですね。TPPはやる必要がある。日本の成長戦略として、外国との壁を低くするということはすごく大事だと思いますから、私は必要だと思います。


以下は引退会見の時の言葉

官邸で仕えた田中角栄元首相は、『戦争を知っているやつが中心である限り日本は安全だが、戦争を知らないやつが中核になったとき怖い』と言っていた。若い 人に戦争を知れといっても無理だから、勉強するしかない」「殴ったやつはすぐ忘れるが、殴られた方は一生覚えている。韓国や中国の人は殴られた人。それを、日本人は忘れてはならない

藤井裕久氏(元財務相)が赤旗に登場した。

これは私にとってはかなりの衝撃だ。しかしこの間の言動から見ると、そろそろ次は藤井氏かと思われていたかもしれない。

政党こそコロコロと変わっているが、本籍は財務省。エリート中のエリートだ。

藤井氏の意見はある意味で財務省の本流に近い部分の意見だろうと思う。

赤旗での発言の要旨は下記の通り。

1.復興法人税の前倒し廃止は論外だ。被災地の方に対して失礼だ。

2.大企業減税で増えるのは内部留保だけで、給与には回らない。それはこの10年間共産党が言ってきたことだ。

3.経団連会長の言っていることは「経済が良くならない限り給与は上げません」ということだ。たとえ政府が監視しても上がらない。

4.安倍首相は経済が分かっていない。トリクルダウンなどない。

5.アベノミクスの柱である「異常な金融緩和」は経済を良くしない。増えるのは投機マネーだけ。

ただ、1年前まで現場で指揮をとっていた人間のセリフとしては、いささか腑に落ちない点がいくつかある。


2012年 03月に都内でおこなった講演の要旨が残されている。

1.現在の円高+不況はデフレではない。したがってリフレ政策は筋違い。

2.金融緩和に円安効果があるのは事実だが、金融政策で実体経済を押し上げることはできない。

3.円高+不況を金融政策で調整しようとした「バブル経済」の愚を繰り返してはならない。

4.円を安定させるには財政を安定させることがいちばんだ。そのために消費税は必要だ。

5.デフレではないから、(デフレ加速論は)消費税引き上げに反対する根拠にはならない。

6.消費税上げは、低成長・マイナス成長のときの方がやりやすい。物価上昇に導入すればインフレに拍車をかけるだけだ。

今の世の中を支配するのは何なのか。
物欲なのか? それはたしかにそうらしい。
致富欲なのか? それも正しそうに見える。
自由への欲望なのか? 原理的にはそうだが、戦争・ファシズム・スターリニズムのもとで暮らすという特殊状況にない限り、それは総論として抽象化している。
平和、もしくは平穏であること、これも重要な欲望だ。しかし消極的な欲望でもある。
より動物的な欲望もある、「バーンと行こうぜ!」みたいな、叫びに似た欲望である。
北大の吉田さんが環境問題からの解放の条件として主張しているのは、物欲=所有欲からの解放である。
世の中を歪めているのは致富欲であり、その基盤には物欲がある。

かなり宗教的になっているが、かろうじて人間社会そのものにと止まっていられるのは、欲望そのものに対しては肯定的であるからだ。

世界を動的に支配するのは欲望であり、それが歴史の駆動力となって人類を発展させている。

欲望が物に対象化されれば、物欲・物質欲となる。それは共同体関係の中で所有欲となり独占欲となる。さらにそれは競争社会の下では致富欲へと変貌する。

その欲望の展開(変質?)をどう捉えるかでさまざまなイデオロギー(倫理学)が生まれてくる。

さまざまな自然哲学や論理学は、結局のところ、この倫理学に帰着せざるを得ない。

ルソーもカントもヘーゲルも、ここに心棒があるから、枯れて痩せこけた哲学にならないで済んだのだろうと思う。

旧 東ドイツの崩壊以降の旧東独領の経済状況については、あまり把握していなかった。この際少し調べてみた。

「ドイツ統一20年後の旧東ドイツ経済」 佐々木昇

で、マクロ指標を中心に手堅く紹介されている。

A) まずGDP

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一人あたりGDPを見ると、東独崩壊時には43%に過ぎなかった。それが4年後には67%まで伸びた(ただしこの時西ドイツは併合不況でGDPは停滞していた時期ではある)。その後の15年の伸びは累積4%あまりで事実上停滞している。

就業者一人あたりのGDPはそれを上回り80%まで接近しているが、これも2005年以降は停滞している。人口あたりのGDPより高めに推移しているのは、就業者の減少を示している。

就業者の1時間あたりのGDPも同じ傾向を示すが、同時に労働生産性の低さと、長時間労働の傾向も示している。

これから言えることは、

1.体制間の壁は突き破られたが、産業構造上の壁が立ちはだかっている。

2.旧東独は低生産性の、労働集約型産業構造に縛り付けられ、長時間労働を強いられている。

3.就業率は低下し、人材は旧東独地域から流出している。


(B) GDPを部門別に見たものである。

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建設部門は94年にピークを迎え、その後は急速に低下し2001年からは崩壊の年を下回り経過している。

この低下が失業者の爆発的増加をもたらした直接の要因となっている。

旧東ドイツの就業者数は,95年の768万人から,2000年までに715万人に,50万人以上も減少している。この後2008年までに30万人ほど就業者は増加した。しかしリーマン・ショックのあと、さらに20万人程減少した。

製造業は着実に伸びているが、製造部門の余剰人員を吸収すべきサービス部門の停滞が目立つ。これが2000年以降のGDP停滞を規定している。

製造部門とサービス部門の「逆シェーレ」については、別途分析を要する。

(C) 人口は急速に減少し過疎化しつつある

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このグラフには示されていないが、実は91年以前に大規模な人口流出があった。その上で、人口は着実に減少を続けている。自然増分を合わせれば20年で百数十万人が流出したことになる。2000年まではこれに対応して西独人口が増えているが、その後は頭打ちになっており、おなじ程度で人口が減っていることになる。

東西ドイツがおなじテンポで人口減少を迎えているとしても、西側では非生産人口が減っているのに対し、東側では生産人口が減っていることになる。

逆にいうと、“にも関わらず”旧東独のGDPは下がっていないことに注目すべきなのかもしれない。


(D) 低い所得を公的援助が補っている

旧東ドイツの粗所得は,旧西ドイツの68%程にとどまっている。

相対的に低い所得水準のもとで,社会的給付が追加されることで社会的な需要が充足されている。

このためには西の諸州からの財政的な移転が不可欠なものとして続いているのである。この額は年間700億ユーロから800億ユーロに達し,旧東ドイツ域内需要の約5分の1をまかなっている。

(E) 失業率

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東ドイツの失業率は,2006年まで17%を超える非常に高い水準で推移しただけではなく,常に旧西ドイツのほぼ2倍の高さで推移している。

ここで佐々木さんは次のように言う。

旧東ドイツの賃金水準は,雇用を維持するには高すぎる一方で,人的資源の流出を食い止めるには安すぎる のである。

たしかに言い得て妙だが、それでどうするのかという話になると、言いっぱなしでは済まないのである。

所得再分配機能だけでは東独のサルベージはできない、産業政策が必要なのである。問題は東独に投資さるべき資金が東独の頭を越えポーランド、チェコ、スロバキア等へ流出していることにある。

佐々木さんは続けて

東西間の経済格差問題を,統一にともなうドイツの特殊な問題として捉えるよりも,むしろ地域的な格差問題として捉えようとする方向に議論がシフトしてきている。

 と書いている。これもまさにそのとおりである。しかしこれも地域格差を生み出している多国籍企業の問題にまで踏み込まない限り、現実的な政策とはなりえない。たかだか新たな地域バラマキ政策が展開されるにとどまるだろう。

 

ということで、東独経済をざっと眺めてみた。どうやら欧州統合、とりわけ独占資本本位の統合の前に片付けておくべき問題がかなり山積しているようである。


どうでもいいことなんだけど、昨日の宝くじの話。

ネタ元はただひとつ、AFPのベルリン支局が発信したニュースを時事通信が配信したもの。しかし微妙に異なる二つの記事がある。

これが一番目

【10月18日 AFP】結婚中に当せんした宝くじの賞金は、当時別居中で後に離婚した後も等しく分けるべし――ドイツの裁判所は16日、別れた元妻にも夫婦だった期間に元夫が当てた宝くじの賞金の取り分の半額を得る権利があるとの判断を下した。

元夫が宝くじを購入したのは2008年。元夫は当時既に別の女性と暮らしていたが、現在失業手当で生活している元妻とは正式には離婚していなかっ た。元夫は賞金95万6000ユーロ(約1億2800万円)を当時一緒に暮らしていた女性と分け合った。当せんから2か月後、元夫は当時の妻と離婚した。

裁判所は、元夫が宝くじを購入した時点で2人はまだ法律的には夫婦だったとして、元妻には、元夫の賞金取り分の半分に当たる約25万ユーロ(約3300万円)を受け取る権利があると判断した。

裁判所は、夫婦が結婚していた期間に生じた財産は、離婚の際には2人の間で等しく分割せねばならず、宝くじの賞金も例外ではないと説明している。(c)AFP

これがもう一つの記事

2013/10/19
【ベルリン時事】ドイツ連邦裁判所は18日までに、95万6300ユーロ(約1億2800万円)の宝くじを当てた男性に対し、宝くじの購入時には離婚が成立していなかった前妻にも賞金の一部を渡すよう命じる判決を言い渡した。

男性は2008年11月に宝くじを買い、賞金を同居女性と分け合った。前妻とは00年から別居していたが、離婚は手続き開始が09年1月で成立は同年10月。このため、前妻はまだ婚姻関係にあった自分にも受け取る権利があるとして提訴した。

裁判所は前妻の主張を認め、男性に24万2500ユーロ(約3250万円)の支払いを命じた上で、「2人が別居まで29年間 連れ添い、子供が3人いることを考慮すれば、理不尽な決定ではない」と指摘した。

邪馬台国の謎を解き明かすようなもので、元ネタは魏志倭人伝しかない。ところがこれに異本があるというところだ。想像するところ、AFPの元原稿はもう少し長くて、それを2人のエディターが別個に編集したと思われる。したがって、両者を足しあわせて考えてもあまり問題はないと思う。

これをタイムテーブル化すると下記の通り

1971年 結婚

その後三人の子供をもうける。三人の子供を産むためには、常識的に見て5~10年を要していると思われ、80年代なかばまでは正常な夫婦関係が維持されていたものと推測する。

この夫婦は旧東ドイツ市民だったと思われ、戦後のベビーブーマーに属する世代と考えられる。旧東独の結婚・離婚に対する一般的な通念が検討されなければならない。

1989年 ベルリンの壁崩壊

この夫婦は、40~50歳でベルリンの壁崩壊に伴う社会的激変を体験したものと思われる。別居に至る経過についてはこの社会的背景を念頭に置く必要がある。

この時点で子どもたちは10歳ないし20歳くらいと想像される。子どもたちにとっては進学・就職など人生の岐路に立たされる年月を激動の中に迎えることになる。

2000年 別居。夫は別の女性と同棲。妻はその後失業手当で生活をつないできたというから、貧困の中での別居であることが想像される。

しかし離婚手続きは双方とも申し立てず。この曖昧さが、この案件の最大の問題である。

一般的には別の女性と関係が出来て、最終的に別居に至ったと見るのが常識的であるが、まず別居、その後別の女性と知り合ったという経過もありうる。この辺は記事からは分からない。

旦那の方の理由は想像がつく。離婚に伴う費用を払いたくなかったからである。そういう状況であれば、子供の養育費なども払っていなかったと見るのが自然であろう。妻のほうからの申し立てがなかったことについては不明である。まず別居、しかるのちに同棲という経過であれば、それも納得しうるが…

この時点で夫婦は50~60歳に達し、すでに黄昏の時期に入っている。人生のやり直しが出来る時期は過ぎており、別居に積極的意義を見出すのは困難である。

。3人の子どもたちはすでに成人を迎えており、長子は20歳台後半に達しており、独立していた可能性が高い。

    2008年11月 宝くじを買う

    2009年1月 離婚手続きの開始

    となっているが、おそらく宝くじは年末ジャンボみたいなもので、2008年12月に1億円の当選が明らかとなったと思われる。

    そしてそれを同棲中の女性と分け合った。等分に分けあい、夫が5千万、女性が5千万円を受け取った。

    しかるのちに1月に離婚申し立てを行ったということになるのだろう。

    2009年10月 離婚が成立。

    調停中、宝くじ当選の事実は伏せられていた可能性が高い。なぜなら夫婦間の財産は基本的には1対1の分割となるからである。

    10年近い別居という事実は、信頼関係の破綻を意味するわけで、財産分割の原則を適用しない十分な理由になると思うが、失業手当で生活している妻が、そのことについて論及しないわけがないだろう。

    そして

    2013年

    元妻は元夫が宝くじに当選したことを知った。そしてそれが離婚成立前のことだったと知った。そして元夫がそれを隠して離婚申し立てをしたことを知った。

    元妻は自分の権利を裁判所に申し立て、

    2013年10月 裁判所は元妻の申し立てを全面的に認める審判を下した。

    というのが経過だ。

この判決には無理がある。だから、「2人が別居まで29年間 連れ添い、子供が3人いることを考慮すれば、理不尽な決定ではない」と述べているのである。逆に言えば、これまでの生活歴を考慮しなければ、これはまさに“理不尽な決定”なのである。いわば「大岡裁き」として見ておかなければならない。

判事としては、できれば示談ですませたかったのではなかろうか。


「みどり法務・司法書士事務所」の運営するサイトがあって、宝くじに関するトラブルを取り上げている。

小山:
そして共有財産に対して、その反対の言葉というのも、きっとありますよね。

鳴海先生:
そうですね。簡単に言えば奥さんなら奥さんのもの、旦那さんなら旦那さんのもの。そういうのは「特有財産」と言います。たとえば結婚する時の嫁入り道具は奥さんの方の特有財産です。ご自分のお父さんお母さんから相続した財産も、特有財産です。それは結婚生活の中でお互いに協力して得た財産じゃ、ないですよね。

鳴海先生:
そういうのが特有財産、ということなんですね。

小山:
で、話は戻りますと、その宝くじは共有財産…にはならないのでしょうか?

鳴海先生:
なりませんね。結婚生活の中で夫婦が互いに協力して得た財産じゃない、ということですよね。

小山:
そうですよね。別に共同で働いたから…というわけでもないですもんね。ということは、これは夫婦で分けなくてもいい、ということになりますよね。

鳴海先生:
そういうことですよね。ここでどういう点について違いが出てくるかというと、例えば離婚した場合に財産分与と言う事がありますよね。共有財産ということであればその財産分与の対象になるんですね。お互いに半分づつ分けましょうと。一方特有財産であれば、それは共有財産じゃありませんから、分ける必要が無いと。そこが大きく違ってくるんですね。

小山:
なるほど。では、宝くじが当たった場合は夫婦の共有財産にはならない、ということに。

鳴海先生:
奥さんだけのものということですね、簡単に言えばね。


ということで、今度の判決は二重に厳しいものがある。もちろんドイツの法律はまた違ったものがあるのだろうが、日本ではいくら大岡裁きといえども実現不可能だ。

ただ判決の本質は慰謝料と過去の養育費に対する償いという側面を持っており、それが離婚がすでに成立という経過から再算定が不可能という事態に対応するものといえる。宝くじがあたったことを夫が隠していたからといって、それが不作為にあたるものとも考えにくい。

法と実態の間で裁判所としてもぎりぎりの判断を打ち出したのだろうと思う。裁判費用のことを考えれば、元夫も上訴するかどうかは思案のしどころだろうが、もし断念すれば、これが判例として確定することになる。

Murray Perahia recital at the Concertgebouw 2003
というのがYouTubeで聴ける。
こいつが素晴らしい。
バッハのパルティータ6番がまるで歌っているようだ。終曲ジーグは思わず息を呑む。
ベートーヴェンの30番のソナタさえも歌わせる。ベートーヴェンをボールルームに連れ出して無理やりワルツを踊らせている雰囲気だ。
あの長ったらしい第2楽章が、右手(淑女)と左手(紳士)のステップのように聞こえる。必ず、女性の踏み出す足の先に男性が回りこんで、しっかり受け止める。このやりとりが音にしたくてベートーヴェンはこの曲を書いたのだと得心する。
アンコールのショパン(作品10の4のエチュード)は、ジャイブを踊っているカップルのようだ。
さすがにシューベルトのソナタまでこれでやられると、多少せつない。
ブラームスのラプソディーは方向違いだと思う。若書きのブラームスのようだ。ルビンステインはもっと情緒を前面に出していた。

とはいえ素晴らしいコンサートでした。


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