鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2013年09月

小河(おごう)一敏は 幕末の豊後岡藩(竹田藩)重役で尊攘派の志士。竹田藩勤王党を組織し、京都の田中河内介と尊王を談じ、真木和泉ら九州有志と結ぶ。

文久2(1862)年、島津久光の上洛を機に挙兵を図るが、寺田屋の変で挫折。その後京都・摂津にあって、岩倉具視らに意見を具申。

維新後は内国事務局権判事、堺県知事、宮内省御用掛などを歴任。明治19年(1886)没。著書に「王政復古義録」(没後発表)がある。


維新人名辞典では

島津久光率兵のとき藩士16名と大坂薩邸入りするが、寺田屋事件で崩壊。その直後一書を献じて天皇より感状。

明治元年堺県知事となる。その専断を咎められ、明治3年免官謹慎。のち宮内大丞に任じられるが、翌明治4年、嫌疑をもって鳥取に幽閉される。明治6年に許されて出仕


国会図書館のリサーチ・ナビでは

文化10(1813).1.21大分生まれ。尊攘派志士として活躍、維新後は新政府に出仕。慶応4(1868).3徴士内国事務局権判事、慶応4.5大阪 府判事、

明治2(1869).7堺県知事、

明治3(1870).9宮内大丞、明治4(1871).3鳥取藩御預、

1873.3肥後国阿蘇神社宮司兼大講義、1873.11補七等出仕、1874.2徳川昭武所蔵古記類取調のため水戸表派遣、1875.8 3等修撰、1877.1 2等修撰、1877.1  4等編修官、1877.9戊辰役意向戦亡人姓名履歴取調御用被仰付、1877.10宮内権少書記官(御系譜掛御仰付)、1881.7宮内省御用掛、 1886.1.31死去。

最後は典型的な窓際族だ。叙勲も行われていない。持て余された様子がありありと伺える。


少々変わっていると思うのは、ペリー来航時ですでに40歳、維新の時点で55歳という高齢だということだ。相当血の気の多い人であったと推測される。

小河の伝記は息子の著書を始め山ほどある。そのひとつ

草莽の思想家たち

を要約紹介する。

小河一敏〉
 一敏は、文化10年(1813)に城下に生まれ通称を弥右衛門と呼んだ。はじめ朱子学 を学び、のち、 陽明学 から知行合一の思想を身につけた。

その才を認められて、24歳の若さで藩の元締役に 抜擢(ばってき)された。

天保11年(1840)、藩主が急死し。新藩主となると、一敏らは藩政の中枢から追放された。

下野した一敏はペリー来航を機に、「黙止すべき時勢にあらず」との考えをいだく。

文久2年、薩摩に入った一敏は、岡藩の勤王運動に対する支援を取り付けて帰国。その後京都に出る。

薩摩藩士らと京都郊外の寺田屋に集合する予定だったが、到着が遅れたことから、「寺田屋事件」の難を危くのがれた。

一敏は、藩主及び朝廷に「建白書」を提出し勤王の大義を訴えた。朝廷は一敏らの行動を賞し、感状を与えた。

帰国した一敏は幽閉された。一敏の幽囚を知った朝廷は藩主を叱咤した。藩はこれを受け勤皇派に統一された

堺県の歴史を年表にしてみた。

堺市の概要

おそらく堺市あるいはその外郭団体が立ち上げているものと思われる。

そこに堺県の歴史というページがあってかなり詳しく記載されている。直接ご覧になっていただければよいのだが、ここでは年表風にまとめておく。

ウィキペディアの記載もここに加える。

合併の経緯については福山昭「大阪府の成立と地方自治の原型」が詳しい。


慶応3年 堺奉行が廃止され、大坂町奉行が堺を管轄。

明治元年(1868年)2月15日 「堺事件」が発生。(慶応4年との記載もある)

大阪湾内測量中に上無断陸したフランス軍艦デュプレー号の乗員に向かって、堺警備中の土佐藩藩兵が発砲する。十数名の死傷者が出たとされる。

フランス公使ロッシュは関係者の処刑と賠償金など五箇条の要求を突きつける。。

日本側は、発砲責任者8番隊長西村左平次をはじめ10人の処刑で決着を図る。(一説では警備隊長箕浦猪之吉以下二十名の土佐藩士の切腹)

市内妙国寺本堂前庭で刑が執行される。11人が切腹をし終えた時点で、立ち会いのフランス側士官が処刑の中止を申し出る。

明治元年5月 摂津・河内・和泉の三国が大阪府として発足

明治元年6月22日 政府は大阪府から和泉国を分離して、堺県を設置。初代知事は官選の小河一敏。

堺事件を機に政府内に堺の地勢上の重要性への認識が高まったためとされる。堺は県都として近代化に着手。

明治元年8月 市民の要請を受け郷学所が再興される。堺県の郷学校、県学の先駆けとなる。

明治元年 近畿地方を大凶作が襲う。さらに大和川が氾濫。小河知事は“公平至誠”の精神で、困民救済政策を遂行。土木事業を起こし、県内でのみ通用する小礼を発行。

明治2年(1869年) 河内県、紀伊の国の高野山領などを堺県に編入。

明治3年(1870年) 工部省が、日本で最初の煉瓦工場となる鉄道寮堺煉瓦製造所を設立。同じ年、日本の近代紡績工場第1号となる戎島紡績所も開設される。

明治3年8月19日 小河知事が明治政府と対立し専断の罪で謹慎、免官となる。税所篤が第二代県令となる。

明治4年7月 廃藩置県がおこなわれこれまでの県と藩の混在が解消される。 3府302県が成立。

明治4年(1871年)11月22日 第1次府県廃合。3府72県に統合される。堺県、伯太県、岸和田県、吉見県、丹南県が統合され、改めて堺県が発足。

明治5年(1872年) 堺市街に区制が引かれる(堺区)。

明治5年4月 堺県市郡制法が公布される。29の学区に郷学校と出張所を設立し就学をうながす。

学校を建てるは教化を盛し人材を教育するためである。
早く旧慣を一洗し、将来の有益を察して、各々その子を学校にいれて教育を加え、文明開化の域に進歩するべきこと

明治6年(1873年) 日本初の公立公園となる浜寺公園が開園。港に続く白砂青松の海辺を生かした近代的なアーバンリゾート地として発展する。

富裕層の別荘が松林の中に建ち並んだ。与謝野(鳳)晶子と鉄幹がそこでの歌会で恋に落ちたとされる。

明治6年4月 学制発布を受け、郷学校を小学に再編。この年だけで64の小学が開校、さらに50校増設を布達する。

当時の就学率は男子6割、女子3割。一学校あたりの生徒数は150人前後、教員数は3,4人だった。

明治7年(1874年) 堺県に和泉国が併合される。堺市は堺県和泉国第一大区に統合される。

明治七年(1874年)5月、堺県により、子女教育の場として女紅場が設置される。与謝野晶子も学んだ。

下等小学を卒業した13歳以上の女子生徒を対象とする。紅業とは裁縫、機織り、養蚕、製糸の業を指す。他に読書、算術、作文を教えた。堺区内だけで5校を数えた。

明治9年(1876年) 第2次府県統合。府県は38にまで整理される。奈良県が堺県に合併される。各地で復活・分県運動が盛んとなる。

明治9年(1876年) 南宗寺境内で堺博覧会が開かれる。

明治10年 日本人の設計した洋式灯台(木造六角)が点灯される。

明治12年 境県、陸軍省の砲台跡を借り受け、大浜公園を開設。

木造3~4階建てのりっぱな料理旅館が軒をならべ、おいしい活魚料理に舌鼓をうち、三味線の音が響いた

明治13年(1880年) 堺市(第一大区)、郡区町村編成にともない堺区と改称される。

明治14年(1881年)2月7日 第2次府県統合。に伴い堺県が廃止され、大阪府に合併される。

当時大阪府は府域が極めて狭い上、銀目廃止令による両替商の相次ぐ倒産や大名貸の不良債権化による経済の地盤沈下に直面していた。これを救済し「府」にふさわしい規模にするために行われたと考えられている。(Wikipediaによる)

大阪府が堺県を合併した理由 1.府域が狭いため堺県を併し、京都・兵庫との均衡を保つ。2.府への国庫補助がなくなり、地方税に一本化されたため、府域の狭い大阪が財政難になる。

ちなみに、合併当時の人口は大阪55万人、堺県が94万人。地租は大阪が58万円、堺県が150万円だった。(福山昭書による)

明治14年(1881年) 大阪府知事は堺県の廃県に伴い、ただちに堺区の廃区と郡部への編入を内務卿に建議する。

内務卿の判断で廃区は免れたが、大阪四区(東区・西区・南区・北区)より格下の扱いとなり郡部に編入される。

堺県廃止後、堺区は発展の基盤を失い、堺港築港計画は流産し、松方デフレの影響もあって衰退。

明治19年 正木林作、養蚕伝習場を開設。養蚕製糸業の振興に尽くす。

明治20年(1887年)3月 大阪府知事に対して堺区の区部編入を要求する。

明治20年11月 奈良県が大阪府より分離される。

明治21年(1888年)4月25日 全国で市制が施行される。堺は府下唯一の市制施行地域となる。(実施は翌22年4月)

堺区の段階よりはるかに独立性の高い「住民自治の単位」になったことで、堺市民の富が、堺市民のために使われる条件が格段に整備された。

以下略

以下は落穂ひろい

かつて堺県があり、奈良県がなかった

というページがあり、ここでは奈良の人が堺を恨んでいます。

明治4年に堺県は、さらに河内国14郡つまり淀川の南を取り込み大阪府よりも大きな県になりました。その上、明治9年には奈良県全部を統合してしまう事になります。(地図参照)。
この時点で、名誉ある 誇り高き奈良県という名前がなくなるのです。奈良の皆さんに限らず、何んとも理不尽な事だと思いませんか。(堺の人は別かな)。

大阪歴史教育者協議会のサイトに堺の近現代史を歩こうというページがあり面白い記述がありました。

堺では、妻子ある鉄幹のもとに走った晶子の評判が悪く、生家跡の歌碑が初めてで、1961年だったそうです。母校泉陽高校への歌碑建立も大変な苦労がありました。

現在は、ベルマージュ堺弐番館(JR堺市駅前)に与謝野晶子文芸館があり、与謝野晶子倶楽部の活動など晶子の顕彰や研究が盛りあがりつつあります。

1868(慶応4)年の「堺事件」ゆかりの「土佐はらきりの寺」の石碑が建っているのが妙國寺(材木町東4丁)です。
向かいの宝珠院(宿屋町東3丁)に、「土佐11烈士」墓が並んでいます。見学は、幼稚園が開いている平日のみ可能です。

堺県の知事と住民 ー地爽分権と自治の視点からー」

フォーラム堺学が主催した講演記録があって、そこにも大阪大学名誉教授の山中さんという方の講演が記載されていた。国の講禁止令に抗して堺県が策を弄して講による土地所有を温存したことが示され、それが住民自治の気風によるものだったと記されている。

タニア・マリアはUSで活躍するブラジル人歌手である。
もとはジャズ・ピアニストでいつの間にか歌のほうが有名になったという感じである。
差別ではないがすごい迫力顔をしたおばさんで、淡谷のり子も真っ青だ。
全曲ほとんどスキャットで通す。歌うときはポルトガル語である。
かなりのフアンがいるようだが、ジャズ畑の延長で聞かれているようである。
私のようなボサノバ畑の人間にとっては、ジャズもやるブラジル人だ。ただミルトン・ナシメントとかジャヴァンとかがアメリカに渡って荒れてしまっとのは違い、この人はジャズとサンバのバイリンガルのようだ。スイッチヒッターのように両方ともしっかり打てている。
(この際面倒なので、ブラジルポップスをボサノバと言ってしまう)

YouTubeにはかなりの曲がアップロードされているが、良い音質の演奏は意外に少ない。

1.Abre Las Allas
 http://www.youtube.com/watch?v=HLHc5_vOno0

ブラジル語で歌っている。カエターノ・ヴェローゾを思わせる。ロマンチックな趣もたたえた佳曲だ。

2.2AM  http://www.youtube.com/watch?v=vm4M5SGjLDI

ブラジル高地の風を思わせる爽やかなメロディーが、ジャズっぽく転調されて展開されていく。スキャットが見事である。

3.Bom Bom Bom Chi Chi Chi
  http://www.youtube.com/watch?v=cvrjTCYU3B4

ジャズ・サンバで、シンコペートしたリズムが強烈に打ち込まれる。最初はベッチ・カルバーリョを彷彿とさせる歌いぶりであるが、途中からジャズのリズムに変わり、エラ・フィッツジェラルドも真っ青のスキャットとなる。
リサイタルのつかみの曲。これで客を一気に乗せていく、すごい腕前だ。

4.Cry Me A River

完全な(と言ってもブラジル臭は残るが)ジャズのイディオムによる演奏である。子音、とくにvとθがはっきしりないスペイン風英語だ。
どうもホントのジャズにはならない。

5.Funky Tamborim
 http://www.youtube.com/watch?v=Bx4F_iChqNk

私はブラジル人の演奏する「ファンキー」というジャンルが大好きで、ジルベルト・ジルもやっているが実にノリが良い。USファンキーと違って騒々しくない。
もちろんブラスが大活躍するのだが、とりわけブラジル音楽では必ずトロンボーンが一節やる。これがいいのだ。

6.Intimidade

ほぼ正調のボサノバ。低音で迫るタニアの歌には、なんとも言えぬ色気がある。この人にはボサノバが一番なようだ。

7.Lemon Cuca
 http://www.youtube.com/watch?v=uQqt1_DhEmE

もう一人の女性歌手が加わってデュエットとなるのだが、この掛け合いがなんともかっこいい。

8.Olha quem Chega http://www.youtube.com/watch?v=_7cztLf7zwM

思わずクレジットを見直してしまう。ほんとうにタニア・マリア?
まるでマリア・クレウーザ。
と思ったら、これはあのエドゥアルド・グディンの曲だった。
(わたしのホームページのテーマ曲の作者)

9.Que vengan los toros 

滑り出しはまったく歌なし。見事にジャズ・ピアニストとしての腕前を発揮している。中間部でスキャットが入るが実に快調。疾走している。
たまたま曲名のアルファベット順に並べただけだが、コンサートの終曲にふさわしい。

10.Sangria


コンサートでいえば団員の紹介みたいな曲。バックのウマさにびっくりする演奏。

11.Yatra Ta
 

9.が終曲とすれば、これはアンコール曲。ノリを最後まで持ってくる。

実に見事な演奏。恐れいりました。


ジャズと言ってもいわゆるダンモはカラッきしダメだ。
とくにトランペット系はひたすらうるさい。押し付けがましく、暑苦しい。
そんなもんジャズじゃなくてポップスだと言われるかもしれないが、メル・トーメあたりでちょうどいい。
さすがにガードが堅くて、YouTubeではなかなか聞けない。
音質的にまずまず聴けるのは以下の12曲。

Autumn Leaves - 1992 TOKYO LIVE
Blue Moon
Isnt It Romantic - with Al Pellegrini Orchestra 1955
Lullaby of Birdland from Songs Of New York 1963
New York State Of Mind - alto sax Phil Woods
Pick Yourself Up 1994
Thats All 1965
The Christmas Song - 1992 LIVE IN 東京
The Folks Who Live On The Hill
The Goodbye Look 1992 LIVE IN TOKYO
Too Close For Comfort 1960
Walk Between Raindrops

Jo Stafford もいいのだが、こちらはYouTubeではほとんど聞けない。

ここから話は飛んで、有島の心情吐露に入る。有島は農場を手放すべきだと判断した倫理的な理由を次のように述べる。端的に言えば、もう元はとった。これ以上とるのはもはや犯罪だという判断である。ここは彼独特のダンディズムが前面に出る。

私の父がこの土地に投入した資金は、毎年諸君から徴集していた小作料金に比べればまことにわずかなものです。

それから地価も開墾当時と比べれば大幅に上昇しています。その理由は、私の父の勤労や投入資金の利子やが計上された結果であります。しかしそればかりが唯一の原因ではありません。地価というものは、いわば社会が生み出してくれたもので、私の功績でな いばかりでなく、諸君の功績だともいえません。

このことを考えてみれば、土地を私有する理窟はますます立たないわけになるのです。

もう一つの理由、ここでは有島は愚直というほどに率直である。同時に自己の心情世界の強迫的な拡大を感じ取れる。

もし私がほかに何の仕事もできない人間で、諸君に依頼しなければ今日を食っていけないようでしたら、非を知りながらも諸君に依頼して生きようとしたかもしれません。

しかしながら、私には一つの仕事があって、とにかく親子四人が食っていくだけの収入は得られています。

かかる保証を有ちながら、私が所有地解放を断行しなかったのは、私としてはなはだ怠慢であったので、諸君に対しことさら面目ない次第です。

共有制への移行という大枠はすでに示したが、最後に具体的な形態についていくつかポイントをあげてある。

だいたい以上の理由のもとに、私はこの土地の全体を諸君全体に無償で譲り渡します。

いったんこの土地を共有した以上は、ともに平等の立場に立つのだということを覚悟してもらわねばなりません。

ただし、永く住んでいる人、きわめて短い人、勤勉であった人、勤勉であることのできなかった人等の差別があるので、それらを斟酌して、この際私からお礼をするつもりでいます。

また私に対して負債をしておられる向きもあって、その高は相当の額に達しています。これは適当の方法をもって必ず皆済していただかねばなりません。私はそれを諸君全体に寄付して、向後の費途に充てるよう取り計らうつもりでいます。

今後の管理のあり方についても、有島は一定の構想を作り上げた。

今後の諸君の生活は、諸君が組織する自由な組合というような形になると思います。その運用には相当の習練が必要です。それには、永年この農場を差配 していた監督の吉川氏が、幾年かの間実務に当たってもらうのがいちばんいいかと私は思っています。もとより一組合員の資格をもってです。

巨細にわたった施設に関しては、札幌農科大学経済部に依頼し、具体案を作製してもらうことになっています。案ができ上がったら、私は全然この農場から手を引くことにします。

最後に有島は、この組合が農民運動の拠点として、また革命の拠点として成長することを希望している。

諸君の将来が、協力一致と相互扶助との観念によって導かれ、現代の悪制度の中にあっても、それに動かされないだけの堅固な基礎を作り、諸君の精神と生活とが、自然に周囲に働いて、周囲の状況をも変化する結果になるようにと祈ります。

この言葉は、北海道の民医連運動に対する有島のエールとも受け止められる。


農繁の時節にわざわざ集まってくださってありがたく思います。しかし今日はぜひ諸君に聞いていただかねばならぬ用事があったことですから悪しからず許してください。

 

いかにも小説家らしく、いい書き出しだ。

有島はまず、農場創設以来の経過を回顧して、現在の到達点を明らかにする。

この農場は第一、第二の農場を合して約四百五十町歩の地積、小作人七十戸を数えます。開墾当初の明治三十三年ごろ、一面の土地は丈け高い熊笹と雑草の生い茂った密林でした。それが、私の父がこの土地を北海道庁から借り受けた当時のありさまだったのです。

食料品はもとよりすべての物資は東倶知安から馬の背で運んで来ねばならぬ交通不便のところでした。小作人は農場を貫通する川の沿岸に堀立小屋を営み、あらゆる艱難と戦って、この土地を開拓し、ついに今日のような美しい農作地を見るに至りました。

 

次は、開拓を率いた父親の功績を評価する。短いがだいじな部分である。

この土地の開墾については資金を必要としたことに疑いはありません。父は道庁への交渉と資金の供給とに当たりました。父はその老躯をたびたびここに運んで、成墾に尽力しました。

 

そして父と自分をふくむ子どもたちとのつながりを以下のように解釈する。

1.父は、私が農学を研究していたものだから、私の発展させていくべき仕事の緒口をここに定めておくつもりでありました。

2.私たち兄弟の中に、不幸に遭遇して身動きのできなくなったものができたら、この農場にころがり込むことによって、とに かく餓死だけは免れることができようとの、親の慈悲心

などの理由から、この農場の経営を決心したらしく見えます。親心としてこれはありがたい親心だと私は今でも考え ています。

 

と書くあたりから、こちらとしてはシラーっとしてくる。「とにかく餓死だけは免れる」などというセリフを小作人の前 でしゃべる鈍感さ、所詮は身内に向けられたものでしかない「ありがたい親心」をとくとくと語るが鈍感さ、その鈍感さが根っからの真面目さと背中合わせに同 居することへの戸惑いが首をもたげてくる。

 

次に進もう。ここから有島は重大な告白に入る。

私は親から譲られたこの農場を持ち続けていく気持ちがなくなってしまったのです。

で、私は母や弟妹に私の心持ちを打ち明けた上、その了解を得て、この土地全部を無償で諸君の所有に移すことになったのです。

 

ではどうやって譲渡するのか

誤解をしてもらいたくないのは、この土地を諸君の頭数に分割して、諸君の私有にするという意味ではないのです。諸君が合同してこの土地全体を共有するようにお願いするのです。

 

ウム、協同組合方式だな

生産の大本となる自然物、すなわち空気、 水、土のごとき類のものは、人間全体で使用すべきものです。その使用の結果は人間全体に役立つよう仕向けられなければならないものです。一個人の利益ばかりのために、個人によって私有さるべきものではありません。

一般論としてはたしかにそうだが

しかるに今の世の中では、土地は役に立つようなところは大部分個人によって私有されているありさまです。そこから人類に大害をなすような事柄が数えきれないほど生まれています。

結論としてはそうかもしれないが、そんなに一直線の論理で結びつくものではないと思うが。

それゆえこの農場も、諸君全体の共有にして、諸君全体がこの土地に責任を感じ、助け合って、その生産を計るよう仕向けていってもらいたいと願うのです。

 

◇堺の歴史

5世紀    仁徳天皇陵が造られる

1045   藤原定頼の歌集に地名「さか井」現れる

1522   千利休、堺の商家に生まれる

1550   宣教師ザビエルが訪れる。

16世紀半ば 自治・自由都市として繁栄極める。宣教師フロイスは「東洋のベニス」と書き残す。

1569   織田信長が直轄地に

1615   大坂夏の陣で焦土に

1868   「堺県」が創設される。奈良県全域を含む広さに。

1878   与謝野晶子、堺の菓子屋に生まれる

1881(明治14年)  堺県、第2次府県統合に伴い大阪府に合併される

大阪府への合併について、ウィキペディアは以下のように書いている。

(当時、大阪府は)府域が極めて狭い上、銀目廃止令による両替商の相次ぐ倒産や大名貸の不良債権化による経済の地盤沈下に直面していた。

その大阪府を、「府」にふさわしい規模にするために行われた合併と考えられている。

実のところ、合併には“乗っとり”と言っていいほどの巨大なメリットがあった。

わずか13年の歴史しかない堺県だが、二人の傑出した知事により全国に先駆けて近代化を推進した。

初代の小河知事は、その儒教精神から、自分や幹部の年俸を拠出して治水工事をすすめた。県札を発行して経済流通の活性化を図った。全国の小学校開設に先立って郷学校を再興し、県学として近代教育をスタートさせた。

二代目の税所知事は師範学校・医学校・病院・女紅場(女学校)・堺版教科書の発行など教育行政をすすめた。港湾改修、紡績所・レンガ工場の建設、堺博覧会など商工業を振興した。浜寺公園、大浜公園を開設した。

これをそっくりいただくのだから、これほど美味しい合併はない。


堺には三度ほど行ったことがある。これだけの歴史的な由緒ある街でありながら、現代の堺は、これほど街として芯がない街も珍しい。

「堺ってどんな街ですか」と言われて即座に答えられる人はいないんじゃないだろうか。

おそらくは130年前、そのエスプリを大阪に吸い取られたのであろう。

堺はこの130年前の恨みを今にふくんでいるのかもしれない。

 小作人への告別

有島武郎

1922(大正11)年

有島といえば、子供の頃に「一房のぶどう」というお話を読んで感動した憶えがあるが、高校に入った頃に有島の小説を読んだときは、つくづく「なんてつまらない小説を書く人だろう」と思った。結構読んだんですよ、ひととおりは。

北大に入ると、なにせ校歌の作者が有島武郎で、有島ゆかりの寮があったり、暇つぶしに入った道立美術館が「生れ出づる悩み」でお馴染みの木田金次郎の常設展だったり、勤医協の病院近くに有島の旧居があったりと、なかなか縁が深い存在だった。思い直していくつか読んだが、「つまらない」という印象が変わることはなかった。

一つには感情の起伏の位相がまるっきりずれているというのがあるのだろうが、彼が世の中に真剣に向き合っている時、私にはその世界がリアル・ワールドとして感じられないからだろうと思う。たしかに彼は世の中と真剣に向き合っているのだろうが、その世の中というのは彼の頭脳を一度通過して彼なりに組み立てられた世界であり、その世界の切り取り方がずいぶんと自分勝手に思えてしまうのである。

分裂病の人は、世界が二つある。人格は分裂していない。しかし二つの世界が人格の分裂を迫る。ヒステリーの人は世界はひとつだが、対応する人格が二つに割れている。だから葛藤はない。「ちょっとは葛藤せえよ」と言いたくなるくらい屈託ない。

世界の分裂は、自己の心象内の世界が異常に肥大化するから起こる。その肥大化は、自己の心象内の世界が客観的世界からの逸脱を固定化し完成するまでに至る。

なぜそこまで至るか、その人が真面目だからである。なぜ私は有島を理解できないか、それは私が不真面目だからである。そしてそれでよかったと思う。

私は有島を読んでそう結論づけた。

 

と、例によって長い前置き。

今回読んだのは、「小作人への告別」という文章。モロに現実と向かい合っている有島を見ることができる。

 自分の農場の小作人に集会所に集まってもらい、農場の譲渡を発表した時の文章だ。小作人相手の話だから表現は難しくない。表現が難しくないだけでなく、話の中身も現実世界のことだから分かりやすい。

それだけに有島の内的世界が内包する客観世界との乖離があからさまになっている。平場に座った群衆の上の方に蜃気楼のように有島が作りだした「群衆」がいて、彼はその「群衆」に向かってしゃべっているような感じがする。


 堺市長選(十五日告示、二十九日投開票)をめぐる動向

2月22日 竹山市長、都構想反対の立場から続投の意欲を表明。「堺市長選は、堺をなくそうという維新との大きな戦いになる。考えを同じくする人と一緒に歩む」と語る。

竹山氏は、橋下氏の大阪府知事時代に政策企画部長として側近に位置づけられた。前回市長選では、橋下氏に担がれて民主、自民、公明、社民4党の相乗り現職を破り初当選した。

7月05日 大阪維新の会が読売テレビアナウンサーの清水健氏に立候補を要請した。清水氏は同日午後、要請を断る意向を伝え、維新の候補者選定は白紙に戻った。

7月12日 堺市長選に西林克敏氏が「大阪維新の会」の公認を受け、立候補表明。西林氏は元堺市議。堺市も加わって都構想を推進していくことを公約。「大阪府、大阪市、堺市の三つがエネルギーを束ねることで街づくりを前進させることができる」と語る。

7月12日 竹山市長、参院候補の応援演説で都構想を激しく非難。

「堺市に暗雲がある。都構想は大阪市をなくし、堺市をなくし、特別区に分割する。政令指定市の権限を新大阪都に吸収する。これは、分権に反することで百害あって一利なし」と切り捨てた。

7月 参院選。維新の会は獲得議席が8議席と伸び悩んだ。

8月 竹山市長、続投の意思を表明。同時に大阪都構想への反対の立場を明らかにする。

高校同窓の川淵三郎サッカー協会最高顧問と笑顔で握手し、「堺はひとつ! 堺を無くすな!」と書かれたポスターが市内のいたるところに張り出される。
夏祭りの会場を回って自治会役員らをねぎらい、都構想を批判する集会を100回以上開催した。
「生まれ育った堺市を大阪府や大阪市の属国・植民地にしません」。ツイッターも連日書き込み、堺市の“ナショナリズム”に訴えながら支持浸透を図っている。

8月 自民党大阪府連、竹山現市長への支持を表明。党本部に推薦を要請する。

8月 民主党大阪府連も「大阪都構想による堺市の廃止、分割を許さない」とし、竹山支持を表明する。背景に維新の自治体労組批判(批判されて当然だが)への反感。

8月 共産党、独自候補の擁立を見送り、「住みよい堺市をつくる会」が竹山氏の支援に乗り出す。

8月26日 松井府知事、大阪市内で公明党副代表の北側一雄衆院議員と会談。支援の要請を受けた北側氏は「しばらく時間がほしい」と述べる。公明党は衆院選で維新と候補者調整をしたが、今回は維新との距離を置き、自主投票とする方向。

8月26日 橋下市長、松井府知事、西林候補が南海堺東駅前で街頭演説。「僕は4年前、改革を本気でやってくれると思って竹山市長を応援したんです が、間違っていました。本当にすみません」と述べる。馬場伸幸衆院議員は、近くにそびえる21階建ての市役所庁舎を指さし、「あの市役所には税金をむしゃ むしゃ食べまくった太ったブタがいます。この太ったブタを追い出し、自分たちのことは自分で考える堺を、みなさまの手で作っていただきたい」と誹謗発言。

8月26日夜 堺市内のホテルで維新の選対会議。国会議員、府議、大阪市議、堺市議やスタッフら約100人が集結。堺市内の全7区に担当を振り分け、戸別 訪問は「1事務所あたり2千軒」を目標に設定した。選挙期間中は知名度の高い東国原英夫衆院議員、アントニオ猪木参院議員らの応援も検討

8月27日 竹山市長、ツイッターに「維新の街頭演説の様子をお聞かせ頂きました。聴衆は4年前に比べ随分少なかったようですね」と書き込み、維新を挑発する。

8月27日 菅官房長官が記者会見。「(都構想)実現に向け、(関連法案を)党で正式に決定した経緯もある。 (竹山氏を)共産党も応援していることも含め、党本部で判断するだろう」と述べる。

8月30日 橋下市長、大阪市内のホテルで政治資金パーティーを非公開で開催。「大阪都構想実現のために堺市長選は負けられない。負けたら『橋下は終わった』と言われる」と発言。

9月02日 共産党の市田書記局長、「都構想は堺市を壊す。政治的立場の違いはあっても力を合わせたい」とし、自民とともに現職市長を支援する「一点共闘」に踏み出す。

9月03日 竹山市長が自民党本部を訪れ、石破茂幹事長と会談。党本部の推薦を直接要請。石破氏は回答を留保した。

9月03日 石破幹事長、会談後の記者会見で回答を保留したことを明らかにする。

記者会見での発言: 4年前、自民党は現職市長を推し、橋下氏らの支援を得た竹山氏に敗れた。昨年8月に成立した大阪都構想を可能にする議員立法「大都市地域特別区設置法」は、わが党も提案者になっている。主張は矛盾しないのか。
総裁の意向も聞かないといけない。来週前半には結論を出したい(その後に首相と会った際には話題にならなかった)

9月03日 竹山市長が民主党本部を訪れ、大畠幹事長と会談。「堺市をしっかり守る」と再選への決意を伝え、民主党本部の推薦を直接要請。

9月03日 民主党は常任幹事会で竹山氏の推薦を決める。民主党は大都市地域特別区設置法に賛成したが、今回は都構想に反対する大阪府連の意向に党本部が合わせるかたちとなった。設置法に賛成したことには「改めてよく吟味したい」と述べて対応の見直しを示唆した。

9月03日 みんなの党の浅尾幹事長、党内の西林支援の動きについて「党方針が決まってから対応してもらいたい」とクギを刺す。渡辺喜美代表が橋下氏を敵視していることは周知の事実。

9月03日 橋下代表、大阪市役所で記者会見。「共産党の応援を得るなら役所改革はできない」と訴える。9月8日まで市内7カ所で開かれる「大阪維新の会」のタウンミーティングにすべて参加すると発表。

9月07日(予定) 竹山氏が南難波駅前で「反大阪都構想」の演説会。矢田立郎・神戸市長や大阪府の約20自治体の首長が参加予定。


 堺市長選挙がめちゃくちゃオモロイ。

「お前、どっちやねん?」の話になっている。

こういう話は「赤旗」見てもよう分からん。


基本は竹山現市長VS橋下・維新の対決だ。

ところが竹山氏は元維新というから、これだけで十分にややこしい。

最大というより唯一の争点は大阪都構想だ。

なぜか、これで維新が戦いを仕掛け、竹山氏が真っ向から反対したからだ。

それでどっちが勝ちそうかというと、けっこう互角なのだ。というより維新の支持がどのくらいのものかサッパリ見当がつかない。

維新がすでに落ち目であることは言うまでもない。ただ府庁と、大阪市を握っているから締め付けは効く。まだ任期をだいぶ残しているからだ。

さて両者の布陣であるが、各党とも府連レベルと全国レベルで股裂きになっている。二つの選択肢があって、そのどちらを重視するかというのがいろいろ違っているからだ。

一つは親橋本・維新か反橋本・維新かという選択である。府連レベルでは自民・民主・みんなが反橋本・反維新である。公明は親橋本・親維新であるがあいまいである。中央レベルでは、ライバル関係のみんな以外は親橋本・親維新である。

もう一つは大阪都構想に賛成するか反対するかという選択肢である。府連レベルではこの選択は無意味である。橋下・維新と大阪都構想は一体のものだからである。むしろ大阪都構想に反対だから橋下・維新に反対することになる。

これに対して中央では、「そんなことどうだっていい」という反応だ。むしろ竹山に共産党が乗ったということのほうが重大だ。「容共候補なら、落としたほうがいい」という考えだってありということになる。

全国レベルで最もイデオロギッシュな部分を代表する自民党の石破茂幹事長は、明らかに自民党大阪府連よりも維新の方をだいじだと考えている。維新が思想的に近いからだし、共産党との対決の尖兵の役割を果たしているからだ。

そうなると、竹山か橋下かという構図は、政党レベルでは全国対オール大阪という対決ともなってくる。事実、竹山氏は前回の大阪市長選より一歩進んで共産党の支援を積極的に受けるところまで踏み込んでいる。

だれだって勝ち馬に乗りたいし、負馬を担いで4年間冷や飯も食いたくないしということになると各人の思惑も微妙に絡んでくる。

そんなこんなでみんな縮こまってあたりを見渡している状況で、元気なのは共産党だけというなんとも不思議な選挙だ。

しかしこれが日本の近未来の政治配置を占う選挙となるのかもしれない。

5日付で
「4月からの消費税中止」の一点での共同を呼びかけます
という文章が発表された。
論点を三つに整理したわかり易い文章だ。
1.増税中止は国民多数の声
2.暮らしと経済が破壊される
3.消費税を上げても財政は良くならない
とくに議論となる3.の点では
景気と財政の関係をスッキリと整理している。

そして対案として
1.応能負担の原則の徹底
2.財政の前に景気対策
を訴えている。

一点共闘なので、踏み込んだ議論にはなっていないが、これで必要で十分だろうと思う。

ただ、「直接税か、間接税か」という、根本的な税制のあり方にも、一言コメントがあればよかったと思う。
わたしとしては、「戦後税制の基本に立ち帰れ」という主張を入れれば良いと思うが。

あと細かいところだが、「ヨーロッパでは付加価値税20%」とかいう連中がいるので、実効税率の比較も上げておいたほうが良いだろう。

ついでに、社会保障の財源問題では、非正規労働の拡大で社会保険料収入が減少していることが、最大の問題だと指摘しておいたほうが良いだろう。

そろそろ一度勉強しておこう。
この法案は「防衛」「外交」「安全脅威活動」「テロ」の4分野について「特定機密」とし、漏洩した職員への罰則を最高で懲役10年に引き上げるとするものである。

これまでは国家公務員法で1年位か、自衛隊法で5年以下となっているので格段の厳罰化となる。民間企業の従業員にも5年以下の罰則が設けられる。

まぁ、キャンディーズ・ファンクラブ会長としてはみんな死刑にしたいところだろうが。

問題はこの4分野の範囲があいまいで、行政側の判断で拡大しうることにある。

すでに日本は情報公開では最も後れを取った国となっているが、それをさらに強化しようとするのには理由がある。

2007年の日米「軍事情報包括保護協定」である。アメリカの「防諜法」は違反者に懲役10年を科しており、アメリカは同一の基準を日本に押し付けようとしている。

事実問題としては、だいたいこんなところみたいだ。

政府はこの秋の臨時国会での成立を目指し、パブリック・コメントの公募を開始した。

あまり時間的な余裕はない。メディアの反応は今のところ鈍い。

阿満利麿さんの講演が載っている(すみません。リンクが効きません。題名でグーグル検索してください)

「仏教と非戦  今、念仏者として」

講演全体が非常に面白いものだが、とくにドゥオホボール教についての逸話が面白いので要約して紹介する。

当初、阿満さんにしたがて、ドゥオホボールと記載したが、ドゥホボールのほうが一般的なようなので、そちらに変更する。

ウィキペディアではドゥホボール派(またはドゥホボル、ドゥホボールィ、ドゥホボールツィ、聖霊否定派とも、ロシア語: Духоборы, ラテン文字化: Doukhobor) と記載されている。

 

1.トルストイが感動したドゥホボール教

ドゥホボール教は、18 世紀頃、ロシアのカフカス地方に起こった。原始キリスト教を思わせるような素朴な信仰であり、教会も聖書も儀式も一切認めない。ただ、汝殺すなかれ、己を愛するように隣人を愛せよ、暴力に対するに暴力でもって抵抗するな、この三か条だけ伝えてきた。

ロシアで徴兵制がひかれ、あらゆる階層の人たちが徴兵された。ところが、ドゥホボール教徒たちだけは徴兵を拒否した。徴兵の内容と自分達の教えとは異なっていることに気がついたからだ。

「人間は全て精霊を宿している。平等であって、同胞であって、本来は平和のうちに暮らす存在である。それを殺しあうことは認められない」というのが彼らの信条であった。

彼らは自分達の暮らしの中で、食事のときに使うナイフとフォークを残して、およそ武器になるもの一切を焼却してしまった。それによって自分達の意思を伝えた。

2.ドゥホボール教徒とロシアの官憲との問答

当時のドゥホボール教徒とロシアの官憲との問答が残っている。

監獄に留置されているドゥホボール教徒の親戚が「救ってほしい」と嘆願した。

官憲は「法律に服従さえすれば釈放する」と促した。

親戚たちは「人間はただ一人のご主人以外に従ってはいけない」と答える。

「誰のことだ?」と官憲

「それは神様です。自分達は神にのみに従う。ロシア皇帝の命令が間違っているなら、それには従わない」

官憲は聞いた。「なぜお前達は銃を持つのを拒否するのか?」

「同じ兄弟である人間を殺すことはできないからだ」

「それでは敵でも殺してはいけないのか?」

「敵だからといって殺せば、今度はこちらが敵になる。神様は一切の人間を同じ形に作ってくださったのに、どうして敵同士になることができますか」

官憲は質問を変えてみた。

「もし馬を盗まれたらどうするのか?」

「盗まないでくださいと丁寧に頼みます。それでも聞かなければ盗ませる以外に仕方がない。実は途中で既に荷物を追いはぎにもっていかれた。返してくれと言ったけど、聞いてくれなかった。しかし、私はその人を憎いとは思わない。今頃はきっと後悔しているはずです」

「よく腹が立たないな」と官憲が訊く。

「キリストは汝の隣人を愛せよと教えている。それぐらいのことで腹を立ててどうするのか」

もう官憲のほうがたじたじになってしまった。

3.ドゥホボール教徒のその後

この話に感動したトルストイは現地調査した上で「ロンドン・タイムス」に紹介した。

いっぽう、ロシア政府は処分に困る。弾圧をしても懲りない。

その悲惨な姿を見て、トルストイは、彼らを徴兵令のない国に脱出させる運動を起こす。

そのためには莫大なお金がいる。彼は『復活』という小説を書いて、その印税で数千人の信者たちをカナダへ移住させた。


アメリカのクェーカーと似たところがありますね。

このカナダ移住には後日談があって、城山さんが書いています。

http://ww7.enjoy.ne.jp/~houshouji/E4.htm

ところがドゥホボール教徒は、『せっかくの好意はありがたいが、実はトル ストイさんの恩恵も受けたくなかったのだ。 『復活』は趣旨は結構としても、読者は、本の中の、カチューシャ誘惑のところに興味をひかれて読むものが多い だろう。 今は移住もすんでひと落ち着きしたのだから。』 といってその翻訳印税を英訳者にそっくり送り返してきたというのです。

不思議なことに菅官房長官の発言の報道は山ほどあるが、風岡宮内庁長官の発言を報じたものがほとんどない。

以下は毎日新聞の報道から

風岡典之宮内庁長官の記者会見(9月2日)

高円宮妃が国際オリンピック委員会総会に出席し、スピーチをおこなう。

東日本大震災の被災地支援への謝意を伝えるが、招致に関する発言は行わない。

オリンピックの東京への招致活動は政治的な活動である。(日経新聞によれば、“他国の都市と競い合う活動に皇室がかかわることに慎重な立場”とされる)

宮内庁は招致活動へ関与しない。

高円宮妃の出席は「苦渋の決断」であるとし、政治的圧力があったことをを示唆。

「過去の皇室の対応に鑑みると、天皇、皇后両陛下も案じられていると推察した」と述べる。


共同通信記事によると、

8月26日に下村博文文部科学相が宮内庁を訪れ風岡長官に「招致活動とは切り離してIOC委員にお礼を述べてほしい」と久子さまの総会出席を要請。さらに杉田和博官房副長官からも同様の要望があった。

このとき両陛下は長野県軽井沢町で静養中。風岡長官は両陛下が31日に帰京するのを待って報告した。

「案じられている」というのはこの報告の時の印象であろう。「案じられている」から苦渋の決断になったわけで、「推察」の妥当性は検証されている。

毎日新聞によると「案じられている」発言は質疑応答の中で出されたようだ。

風岡長官は下村文科相に対し懸念を伝えた。

下村文科相は、

①総会の席では委員全員がいる場で謝意を伝えられる、②プレゼンテーションとは区分する−−と説明した。

重ねての要請を受けた風岡長官は、

「総会 まで時間も迫っており、内閣の一員としてぎりぎりの判断をした」

招致活動への関与に当たるかについては「正直微妙だと思う」

「前例とはし ない」と述べた。

風岡長官は両陛下との対応について説明。

両陛下には先月末に報告した。

「昭和からの皇室の対応にかんがみて(今回の決定を)案じられていると拝察した」


記者会見(9月3日)での菅義偉官房長官の発言。

官邸から文部科学省を通じて宮内庁側に久子さまのIOC総会出席を要請したことは事実である。

「皇室の政治利用、官邸からの圧力であるという批判は当たらない」

「現に、スペインの皇太子は現地に入っている。また、ロンドンオリンピックでは、エリザベス女王が大きな役割を果たしている。宮内庁長官が、両陛下の思いを推測して言及したことには、非常に違和感を感じている」

どういう文脈のもとで「違和感」という言葉が出てきたか、ここを押さえておく必要がある。菅官房長官はあきらかに、そもそも招致活動が政治活動にあたらないと思っている。だから「非常な違和感」を感じているのである。

まさに政治感覚、憲法に対する感覚が問われているのである。

下村文科相もまったくわかっていないのは同様だ。「IOC委員の1割以上はヨーロッパの王室関係の方々であり、久子さまは、個人的に親しくされているという経緯もある。招致のプレゼンテーションでなく、ごあいさつなので、政治利用には全くあたらない」(NHK)

共同通信の記事では

安倍政権は「五輪のプレゼンテーションの直前に震災復興支援への謝意を示していただくのであれば、ぎりぎりで『政治利用』には当たらない」(政府筋)との理屈だ。

こういうのを屁理屈という。


毎日新聞がこの記事をしっかりフォローしている。

記者の目:皇族と五輪招致  真鍋光之(東京社会部)

でかなり詳しい解説。眞鍋さんは社会部と言っても宮内庁詰めの記者らしい。

1.5月ごろ「東京招致には皇族の力が必要だ」との官邸の意向が文部科学省に伝えられた

ということで、言い出しっぺはなんと安倍首相だったというわけだ。

2.その後、スペインの国王夫妻と皇太子夫妻がIOC総会に出席するとの情報を得た官邸サイドが、「さらに皇族を」と久子さまの訪問を求めた

ここでも主役は官邸サイド。

3.宮内庁は「皇室は招致活動ができない」と難色を示したが押し切られ、7月末に準備が始まった

これが苦渋の判断の中身だ。

次が、宮内庁が招致活動にかかわらないのかという理由

1.多くの犠牲者を出した太平洋戦争などの教訓から戦後は皇室と政治の「距離」に注意が払われてきた。

2.「天皇は国政に関する権能を有しない」という憲法第4条の規定を固持することが、その基本とされてきた。

まさに宮内庁版「戦後レジウム」である

3.五輪招致活動は、政治的な駆け引きもつきまとう国際競争という側面があり、それに天皇や皇族が参加したり、巻き込まれたりするのはよくない。

つまり、3.だけ取り上げればいろいろな意見もあるだろうが、1.、2.とつながる文脈の中で捉えておくべきという認識だ。これは見識であり尊重すべきだ。

眞鍋記者はこのコラムを次のように結んでいる。

皇室の政治利用を避けてきた戦後の歴史は軽視すべきではない。皇室を支える宮内庁も時には政権に抵抗する毅然(きぜん)とした態度を貫いてほしい。

「五輪 招致活動ならば問題ない」というならば、どこまで関与してもらうのか、などの議論が必要だ。

安倍政権は五輪招致を国家戦略と位置づけている。ならばなおさ ら、安易なやり方は慎むべきだ。

同感だ。

これも安倍晋三という人物の“配慮の浅さ、身の軽さ”のあらわれだろう。


以下は余談。

風岡長官は国土交通省事務次官を経て宮内庁長官となった、こちこちの霞ヶ関族。わたしと同じ年で、昭和44年に今はなき東京教育大学の文学部を卒業・入省した。

えっと思う学歴で、ネット上には噂もちらほらある。

4月にはオランダ国王即位式に皇太子夫妻の出欠がなかなか決まらず、マスコミ向けに「一刻も早くお決めいただく必要があり、そのことをお願いしてきているという状況」などと発言し物議を醸したという経歴の持ち主。

しかし宮内庁に入ってからの周囲の評は「手堅い」で一致する。週1回の次長会見を約300回行ったが、宮内庁職員は「失言を聞いたことがない」と口をそろえる。(毎日新聞)

昨年6月長官に就任した時の抱負は、「天皇、皇后両陛下のお気持ち、お考えを十分に理解し、今、何が必要かということを考えて仕事をしていきたい」ということ。


もう一つ余談

右翼の諸君は皇室の扱いをめぐって混乱しているようだ。

困るのは、天皇への批判と皇室への敬意を分けて論理を立てなければならないということで、「正当な批判」と「無礼・非礼」との境目でウロウロしている。

天皇批判をしても、「天皇陛下バンザイ」と声がかかれば誰よりも先に、誰よりも大きな声で「天皇陛下バンザイ」と叫ばなければならない。

そういう矛盾の中で身悶えしている姿は、それなりに同情に値する。

天皇には拒否権があるか?

ということで、前置きが長くなってしまったのだが、4月28日の式典前に、志位委員長が言った言葉が気になる。

「天皇は出席しなくてよい」との発言である。
この問題が一気に現実味を帯びてきた。

わたしは、天皇にはこのような拒否権はないと考える。

このように政府が好き勝手に皇室を利用するようになってきたら、どう歯止めをかけていくのかということなのだが、それを皇室自身の判断に委ねるのは危険だし、その判断そのものが政治的行動になりかねない。「天皇元首化」への一歩となる恐れもないとはいえない。

おそらくこれほどの問題になる前に、宮内庁からはクレームが行っていただろうが、安倍政権はこれを無視して押し切った。
彼らはこれからもやるだろう。三度目があるだろう。彼らは実に軽い。今度の要請も下村文科相の発議で、そのまますっと閣議を通過している。憲法の根幹に係る可能性があるとか、首相が最終的判断をしなければならないという発想はない。

私は、少なくとも宮内庁が難色を示すようなイシューに関しては、裁判所の憲法判断を仰ぐべきであろうと思う。少なくとも内閣法制局が判断する。そういうルールを作るべきだと思う。

より原則的には憲法と“国体”のあり方に影響を及ぼす可能性を鑑みて、国権の最高機関たる国会の議決を経るべきかもしれないが…

 

菅官房長官の「違和感」連発には「違和感」を感じるが、そもそも安倍現政府の皇室利用は、「尊王派」からは逆臣とさえ見て取れる。天皇への畏怖など一欠片も感じられない。

宮内庁長官も、相当思い切った発言をしている。
「両陛下も案じられていると察する」とまで言った。
わざわざ「両陛下」と言ったのが意味がある。これが4月28日の「万歳事件」を下敷きにしたものであることは、誰でも分かる。
天皇は国民統合の象徴であり、分裂を招くようであってはならないし、とりわけ戦前の天皇制復活を示唆するような行動への関与は、絶対にあってはならない。
そのことを「両陛下は案じられている」のである。

菅官房長官を問い詰めておきたいことがある。あなたは全国民が見るテレビの記者会見で、宮内庁長官の発言を、鼻先でせせら笑った。

「あなたは何に違和感を感じたのか。宮内庁長官が政府批判をしたことか、それとも両陛下が案じられていることなのか」

もし万が一後者であるとすれば、「たかが天皇めが何をほざくか」ということならば、不敬きわまりない、腹切ってお詫び申し上げるべきだ。みずからの名を“菅”ではなく“奸”と改称すべきだ。

むかし議会開会にあたり天皇が臨席するということで、高齢のため会談を後ずさりして下がることができないと言って、参議院議長が辞職した。

天皇陛下を冒涜するかの如き発言を行った菅官房長官は、どう身を処すべきだろうか? 

そのアメリカの原発賠償だが、3日付の「ビジネス・ジャーナル」に続報が出た。
事態はますます深刻化している。

6月の時点でSCEの親会社は、三菱重工に1億3900万ドルを請求している。さらに7月18日、SCEのロン・リッチンガー社長は「全面的な損害賠償 を求める」という声明を出した。

「全面的な損害賠償」の中身だが、米メディアによると、

原発の停止に伴う代替燃料費や、発電できないままになっている原発の維持費用などは数十億ドルに上る。
さらに廃炉に伴う経費の賠償を求めるとすると、天文学的な数字になる。
日本の原子力プラントメーカーの技術者は「請求額がどこまで膨らむか想像もつかない」と語る。
廃炉の経費の中には不要となったウラン燃料のコストも含まれることになりそうだ。

と、とんでもない話。
そもそも三菱重工は原子炉を作ったわけではない。蒸気発生器に関わっただけだ。
アメリカは日本をなめている。どんな無理難題をふっかけても、かならずイエスと答えてきたからだ。

原発の売り込みは、とりあえずこの紛争の行く末を見てからにしてはどうだろう、安倍さん。

それでも原子力の海外進出を目指す三菱重工

2012年度の三菱重工の原子力関係受注額は1700億円。
前年度の2500億円から800億円も減少した。
それでもめげることなく、今年4月には中長期で受注額5千億円を目指す計画を立てた。
狂気の沙汰という他ない。

国内での増収見込みは限りなくゼロに近い。とすれば海外進出しかないということになるが、正直、海外進出のリスクははるかに高い。はたしてリスクを肩代わりしてくれる保険会社があるだろうか。

アメリカでの賠償騒ぎのようなことが容易に予想される。しかしさすがにそこまで日本政府におねだりする訳にはいかない。

安倍首相は原発売り込みにやっきのようだが、はたして三菱の「5千億円受注計画」を知っているのだろうか。知っていれば、その無謀さに恐怖を覚えるはずだ。

売却先のほとんどは途上国だ。メジャーアクシデントの可能性は高い。人材、周辺のインフラは脆弱であり、資材の欠乏、停電など日常茶飯事だ。軽微な事故でも重大化する危険がある。

これらの国は日本と日本の首相を信用するから導入することになる。そうでなければ韓国製のほうがはるかに安い。

事故発生時、彼らは当然のように、売り込みの先頭に立った日本政府に賠償をもとめるだろう。それをいいコトに三菱重工は頬っかぶりするだろう。

途方に暮れる日本政府関係者の顔が目に浮かぶようだ。

それにしても、東電は東芝とGEに損害賠償をもとめないのだろうか?

政府はみずから汚染水対策に乗り出すのなら、その費用負担をもとめないのだろうか?

消費税に関する世論調査が変だ。
8月末、各紙が一斉に世論調査を行った。
行ったのはいいが、結果の評価がまるっきり逆だ。

日本報道検証機構の記事より

《注意報1》

日本経済新聞は、自社の世論調査の結果について、「消費増税7割超容認」との見出しををつけ、記事本文で「税率引き上げを容認する声が7割を超えた」と伝えました。

実際は、世論調査で設けられた 質問は、消費増税自体の賛否ではなく、予定通り引き上げるべきだと思うかどうかを問うたもので、「引き上げるべきだ」は17%、「引き上げるべきだが、時期や引き上げ幅は柔軟に考えるべきだ」が55%でした。

ということで、17+55=72% なのだ。
これは詐欺的手法ではないか?

調査結果を見る限り、見出しは
「予定通り引き上げるべき」は17%にとどまる
 とすべきものだ。

テレ朝(ANN)

予定通り引き上げることでよいと思いますか
思う37%
思わない53%

産経新聞社とFNN

産経新聞社とFNNの合同世論調査で、来年4月の消費税率8%への引き上げについて反対(55・8%)が賛成(39・5%)を上回り、1年前と比べて反対と賛成の差が広がった。

朝日新聞

引き上げ賛成が43%、反対が49%。

共同通信

「予定通りの増税」「現行税率5%の維持」「引き上げ時期の先送り」「引き上げ幅の縮小」と細かく聞いている。
予定通り引き上げは22%だった。

東京新聞

予定通り実施すべきだとの回答は22.5%
現行維持が最多の29%


ニコニコ動画

12万5千688人からアンケート。
予定通り来年4月に8%に引き上げる:19.2%
現行の5%のまま据え置く:44.2%

TBS(JNN)

賛成 36%
反対 58%


「シリーズ 現代の視点」というシリーズを学芸面でやっていて、今回は横浜市大の上村さんという経済学者のインタビュー。
いくつかの数字が載っているので紹介する。

1.2006年のデータで、金融取引が実体経済の13倍に膨れ上がっている。

2.世界のたった1%の人が、すべての富の40%を握っている。

3.タックスヘイブンなどの「影の経済」に秘匿されているおかねは、08年のデータで、世界全体で1150兆円となっている。それにきちんと課税すれば65兆円の税収になる。

4.EUの金融取引税は、株式や債券取引に0.1%、デリバティブ取引に0.01%を課そうとしている。これにより4兆円前後の税収が見込まれる。

これらの数字のいくつかは、これまでもブログで取り上げてきたし、金融取引税についても触れてきた。

ただ、こうやって4つの数字にまとめることで話がわかりやすくなるかもしれない。




性別の谷
  ――ある男性的な夫人に――
 

    5

男と女といふ二つの性別の谷は

今後ますます社会的矛盾の現はれとして
深くへだてられるでせう、

僅か許りのパン粉より現実からは
与へられてゐません、

ましてや忙がしい男の生活にとつて
女を抱擁する時間は僅かよりないのです、

私はそれを悲しみます。

     7

私は理性的な男ではありません

私はすべてに対して
一般的な理解といふことに対して
絶望し憎む

感情こそあらゆるものを
本質へより迅速に到達することを
信じて疑ひません。

新しい時代の新しい感情と
新しい理智、


小熊秀雄の昭和11年の詩で、全集未収録の作品。7連から成る詩の、非本質的な部分である。5連はそれだけでも良い。
情景はよく分かる。理論家の某女史の家を訪れて、けちょんけちょんにやられて、「まぁ頑張んなさいよと」送り出されて、家に帰ってから怒りに任せて書いた詩だ。
酒は入っていない。…だろう。だからとりとめもなく悶々としている。
私なら翌日になって読みなおして、恥ずかしくなって破り捨てるだろう。こういう粘着ぶりが小熊の持ち味だ。ほとんど分裂病の世界だ。
ただ若い時の粘着には辟易するが、この頃から多少枯れてくる。ちょうどいいくらいに枯れて読みやすくなってくる。そしてその中からキラリと光る砂金の粒を生み出していく。
私は小熊の最後の5年間が好きだ。ヤミクモに抵抗するのではなく、斜に構えてやり過ごす技術を身につけてくる。そうやって1940年までの5年間を闘い抜くのである。

汚染水発覚の直後に「柏崎原発再開を急げ」と呼号した同友会の長谷川代表だが、直後に福島原発の見学に入った彼がマイクロバスのなかで示した表情は、テレビの画面を通してだが、「さすがに参った」というふうに見えた。
それから1ヶ月を置いて本日の記者会見になるのだが、多少は変化が現れたようだ。こちらの欲目かも知れないが…

経済同友会の長谷川閑史代表幹事は汚染水漏れ対策での国費投入について「この段階に至れば当然」と述べた。
その上で「原発廃炉や除染についても国の全面関与をもう一度真剣に検討する時期に来ている」とし、政府がさらに一歩踏み込んで原発対策に乗り出すべき だとの認識を示した。
一連の汚染水問題に関し長谷川氏は「こういう状況が起きたことは極めて遺憾。監視や(漏水の)早期発見など、より慎重にしていただくべきではなかったか」と東電の対応を批判した。


まぁずいぶん控えめな表現ではあるが、7月初めの記者会見と比べれば同じ人とは思えぬほどの変化である。

東京電力が柏崎刈羽原発の再稼働に向けた安全審査を申請することについは、「至極当然だ。選択の余地はない」と理解を示した。

そして再稼働を審査する原子力規制委員会に対し「粛々と迅速に調査をして回答してほし い」と要望した。

これを聞いたJR東海や東レの社長さん方はどう思うだろうか。「裏切り者め」と舌打ちしているかも知れない。

赤旗の記事は時事通信の受け売りで、独自情報ではない。

少しネットで調べなければならない。

まずはウィキペディアで周永康の項を読む。

現在の肩書はない。少なくとも表面的には完全リタイアーだ。

前期(胡錦濤時代)の党中央政治局常務委員。序列は最下位の9位であったが、中国共産党中央政法委員会書記、中国共産党中央治安綜合治理委員会主任という権力機構のトップを占めていた。

経歴は

1996年に中国石油ガス総公司の総経理となる。

1998年、朱鎔基内閣で国土資源部長(大臣格)に就任。

2000年、四川省党委書記に転出。

2002年に党中央政治局委員に選出。中央書記処書記に就任。公朱鎔基内閣で公安部長に就任。

2003年 温家宝内閣の下で警視総監、武装警察部隊第一政治委員、国務委員(政法担当)などを兼任。

2007年 第17期の中央政治局常務委員に昇進し、中央政法委員会書記に就任。

2012年 第17期中央政治局の退陣に伴い、公職を辞任。

ということで、金と権力の両方を兼ね備えた恐ろしい人物だったようである。

ウィキペディアによると、胡錦濤の政敵とされる。また薄熙来と緊密で、彼の処分には消極的だった、とされる。


『サウスチャイナ・モーニングポスト』

8月30日の香港英字紙『サウスチャイナ・モーニングポスト』が、8月の北戴河会議の内容をスクープした。

指導部が周永康を調査する方針で合意したとの内容。すでに昨年11月の党大会で引退してから、周辺の関係者の拘束が相次いでいたという。

記事は比較的冷静で、調査開始決定の背景には、腐敗問題の規模や周一家および手下連中の蓄財に対する党内の怒りが高まっていることがあるとしている。

そして脇筋として、「周氏は…薄熙来被告と密接な関係にあった」と述べている。

これは消息筋の話

周に対する捜査が党内の派閥闘争を引き起こす可能性はあまりないとされる。周をバックアップしていた江沢民前党書記は習の決定を全面的に支持したらしい。


中国通のブログを読むと、

18回大会前に薄煕来と周永康の四川省チームがタッグを組んで、胡錦濤と習近平の連合チームと対抗したとされている。

そのため薄熙来が失脚したのと同様にその背後にいた周永康も粛清されたのだという。

ただどうも二人の扱いは違うようだ。

その筋の情報によると、薄煕来の粛清を主張したのは胡錦濤・温家宝であり、習近平は当初は慎重だったようだ。(ただしその筋の情報なので正確さは保証しない)

一方で周永康は「真っ黒けのケ」で、誰もまともに取り合おうとはしていない。大体、独占石油会社の社長に警察・公安を任すというのが間違いだろう。

結論から言えば、今回の事件は権力構造とはあまり関係ない、没イデオロギーのスキャンダルということだ。

薄煕来は悪いやつとタッグを組んだことになる。


中国ですごい大捕り物が始まったようだ。

しかも今度は、政府・警察ではなく共産党の中央規律検査委員会だ。

拘束されたのは蒋潔敏という人物で、

国務院国有資産管理委員会の主任という肩書。この委員会は国有企業を統括する重要なポストで、その主任は閣僚級の扱いとなる。

蒋潔敏の前任ポストは「中国石油・天然ガス集団」(CNPC)の会長。いわば産業界の代表から政府閣僚に登ったという存在だ。

蒋潔敏への容疑は「重大な規律違反」である。内容は不明だが、党の規律委員会が直接乗り出すのだから、一般人の犯罪とはケタ違いに重大な容疑となるだろう。

しかもこの捜査、蒋潔敏だけの話ではない。

赤旗によると、

8月末にはCNPC高官4人が取り調べを受けている。こちらは「党・政府」となっているが、中央規律検査委員会が直接出張っているわけではない。「委員会」が指揮してやらせたか、「党・政府」の連絡を受けた「委員会」が査問に乗り出したものかは不明だ。

ということで、CNPCそのものが疑惑の対象となっていることは間違いない。

さらにその背後には超大物がいる。政治局常務委員の周永康だ。

周永康は90年代後半に「中国石油・天然ガス総公司」(CNPCの前身)の社長を勤めた。その後、党中央に上がり、政法委員会書記となり、今度の党大会で習近平をふくむ9人の政治局常務委員の一人に選ばれている。(これは間違い。胡錦濤体制時の常務委員で現在は無冠)

今回の中央規律検査委員会の発表では、CNPCの前副社長2人と、子会社「ペトロチャイナ」の高官2人も取り調べを受けていることが明らかにされている。これらの人物は蒋潔敏ではなく周永康につながる人脈だ。


これはとてつもなく大きな事件となりそうだ。この間の鉄道相の訴追など子供に見えてしまう。

ド・ゴール派の論客ドビルパン(シラク政権時の外相)がフィガロ紙で武力介入を批判している。

少し長いが、独特の雰囲気を伝えるために、そのまま引用する。

罰する?

それは軍ではなく、国際法廷が果たすべきことだ。

我々の良心を安堵させる?

市民の状況がさらに悪化する危険があるのに、そのような危険を顧みずに介入するのは破廉恥であろう。

体制の変革か?

それはシリア自身が決めることであって、我々が決めることではない。信頼できる代替勢力が存在していないならなおさらのことだ。

我が西側の中東戦略は、武力の有効性という幻想に基づいているが、それはいまや袋小路にはまっている。

この発言の二番目のポイントが多分一番重要なことだろう。「破廉恥」という表現には、たぶん強烈な反論もあるだろうが、やはりここを落としてはならないと痛感する。

我々には苛立ちがある。民主化をもとめて立ち上がった人々が大量に殺され、シリアが内戦状態に入り、100万人もの人が難民となってさまよい続けている。

それに対して国際社会は拱手傍観してきた。そしてその挙句に化学兵器だ、ということになると、何かをしなければならないという気になる。

ドビルパンはその「良心 」の甘さを鋭く衝いているのだ。

赤旗のパリ特派員、浅田記者がシリアへの武力介入問題について詳しく報告している。

まずは「パリジャン」紙が8月31日に発表した世論調査。

フランスのシリア介入に対し、反対64% 賛成34%となっている。浅田さんは「圧倒的多数の国民が軍事介入に反対」と評価しているが、私にはむしろ34%が賛成していることのほうが衝撃だ。

「軍事介入」なのか「介入」一般なのか、質問の内容が不明だが、介入についてかなり広範の支持があるということだ。こ

れはイラクのときとは大分雰囲気が違う。

介入反対の理由(複数回答)も、最多は「シリアをイスラム過激派の政権に変える危険」で、これが37%だ。次いで、「中東地域を混乱させる危険」が35%だ。

つまり介入そのものへの原理的な反対ではない。条件付き反対だ。

「あれこれの国ではなく、国際社会全体で決定すべき」という反対理由は29%にとどまっている。

浅田記者は、この世論調査が「英国政府が軍事介入を断念」の報道後に行われており、少し熱が冷めた状況での調査であったとしている。その前の世論調査では、「介入反対」は59%にとどまっていた。


背景としては二つ考えられる。一つはリビア介入の「成功」、そしてマリへの介入の「成功」という二つのサクセスが、世論を後押ししている可能性だ。

もう一つはシリアが旧植民地であったという理由。フランスの宗主国意識というのはかなり強烈なものがある。ベトナムでもアルジェリアでも保守と革新とを問わず、植民地の維持については一致して支持してきた。

皮肉なことにこういう宗主国意識から最も自由なのがド・ゴール派だ。第二次大戦後、シリアをふたたび占領下においたのはドゴールである。しかしアルジェリア紛争においては、ド・ゴールは植民地支配に幕を下ろす役割を演じた。

彼らは「どちらが得か」という発想から出発するから、その政策に倫理性はない。しかし「得にならない」と判断すれば手を引くという発想の自由は保持している。





ブルックナーを聴き始めたのは遅い。
ベームとウィーン・フィルが何度もやってきて、ブルックナーをやって、そのうち「何だいいじゃん」ということになったのだから、80年代のことだろう。
最初が7番、ついで4番、8番、9番という具合だろうと思う。
8番はいささかかったるいのだが、演奏機会も多いので聞く機会も多くなってしまう。
これまでこのブログでも、ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団、ヴァント指揮のベルリン・フィル、ミュンヘン・フィル、フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団、バルビローリ指揮ハレ管弦楽団の演奏を取り上げてきた。
今日はシューリヒト指揮ウィーンフィルの演奏を聞いた。極めつけの演奏ということになっているが、意外に面白くない。なぜなのか考えてみたら、録音が悪い。
YouTube音源だからアップロードの問題かもしれないが、それにしても63年の録音とは思えない。EMIだから音は悪いのだろうがそれにしてもひどい。と思ったら、どうもこれはライブ盤のようだ。レコードに録音する直前にコンサートでも演奏したようでその放送用のテープが残っていて、それをアップロードしたようだ。すでに削除されているから今ではYouTubeでも聞けない。
それを探しているうちにフルトヴェングラーの演奏が見つかった。ひとつは49年のベルリン・フィルとの演奏、もう一つが54年のウィーン・フィルとの演奏である。
世界中にフルトヴェングラーの信者がいて、その熱狂的な賛辞を聞かされると、いささか引いてしまうのだが、最晩年のブラームス2番、4番とシューマンの4番、シューベルトの9番はやはりすごい。
どういうわけかフルトヴェングラーはあまりブルックナーをやらないみたいだが、54年のブルックナー8番はいい。ブルックナー8番のベスト盤みたいなブログにはこの演奏が全然出てこないがどうしたわけだろう。
ウィーン・フィルがベルリン・フィルみたいな音を出している。

医者という人種は労働者意識が希薄で、とりわけ民医連の医者などは自分を殉教者くらいに思っているから、労働基準法などとんと知らない。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO049.html

に全文が載っているので目を通してみた。

この法律の制定は昭和22年4月。ということは憲法・教育基本法と並ぶ基本的人権の三本柱ということになる。

ずいぶん改正を重ねているようだが、基本的柱は揺らいではいないようだ。

第一条は「労働条件の原則」というタイトルがついている。

第一項 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない

第二条は「労働条件の決定」というタイトルだ

第一項 労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。

第三条は「均等待遇」、第四条は「男女同一賃金の原則」である。(省略)

第五条は「強制労働の禁止」、

「強制労働」の定義は、慰安婦問題と照らしあわせて面白い。

使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。

第六条は「中間搾取の排除

派遣労働がそもそも労基法違反であることが分かる。

何人も、法律に基いて許される場合の外、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない。

第七条は「公民権行使の保障

政治活動の制限が法律違反であることが分かる。法律違反をしているものが捕まらずに、権利を正当に行使しているものが捕まるのは、天地がひっくり返っている。

使用者は、労働者が労働時間中に、選挙権その他公民としての権利を行使し、又は公の職務を執行するために必要な時間を請求した場合においては、拒んではならない。

まして、休みの日のビラまきまで捕まえるなどもっての外である。

ここまでが第一章 総則 となる。以下13章まであるのでとりあえずサラサラと行く。

第二章 労働契約

第14条 「契約期間等

労働契約は、…三年を超える期間について締結してはならない。

これについては後からいろいろな除外規定が設けられている。

第20条 「解雇の予告

使用者は、労働者を解雇しようとする場合においては、少くとも三十日前にその予告をしなければならない。

IBMのロックアウト解雇など問題外だ。しかし次の21条でずいぶんいろいろな例外規定が設けられている。

第四章 労働時間その他

第32条 (労働時間)

使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。 …休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。

これほど有名無実の条文もない。この後長々と但し書きや附則が加えられ、ほとんど無制限となっている。

第37条 (時間外賃金

…通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の二割五分以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。

…一箇月について六十時間を超えた場合においては、その超えた時間の労働については、通常の労働時間の賃金の計算額の五割以上の割増賃金を支払わなければならない。

これにも但し書きや附則がついて、抜け穴が用意されている。しかし元々の条文の精神は知っておく必要があるだろう。

第七章 技能者の養成

使用者は、徒弟、見習、養成工その他名称の如何を問わず、技能の習得を目的とする者であることを理由として、労働者を酷使してはならない

この条文から言えば、一時はやった中国人「研修生」の酷使は明らかに違法となる。

第87条 (請負事業に関する例外)

事業が数次の請負によつて行われる場合においては、災害補償については、その元請負人を使用者とみなす。

こんなことまで労働基準法に定められているのだ。しかしまったく無視されているなぁ


労働基準法は労働者の憲法だということがおぼろげながら見えてきた。

さまざまな労使紛争や労働争議を見るときに、労働基準法を押さえておくべきだということがよくわかった。

8月26日、ネバダ州でオスプレイが基地外に不時着した。
米海兵隊は、「ハードランディング」(硬い着陸)と発表した。
乗員4人は無事脱出に成功した。
このニュースは数日前に流されたが、日本国内で続報はなかった。
しかし実は続報はあったのである。
29日に第三海兵航空団が明らかにしたところでは、オスプレイはその後炎上したのである。
確かにハードランディングだ。事実上の墜落である。
滑空する飛行機ならハードランディングはありうるが、真下に降りるだけのヘリコプターにハードランディングは原理的にありえない。
オスプレイは1機6700万ドル(70億円)と言われており、隠しおおすことはできなかったようだ。
沖縄のオスプレイがいつかは墜落することは100%確実だ。問題はそれがいつかということだけだ。
「言い訳のメッセージ」だけは、いつでも発表できるように準備しておかなくてはならないだろう。

金曜日の赤旗「俳壇」欄。
第44回原爆忌東京俳句大会というのがあって、そこで現代俳句協会賞を受賞した句
作者は吉次薫さんという方。
山口県から参加されたそうだ。
山口でも毎年「山口の広島デー」(山口原爆忌)という会が行われており、吉次さんも参加されているようだ。

68年を経て、さやかには見えぬが、誰かがいる。いるのだが見えない。それが誰かでないことは影がないから分かる。
しかしその気配を感じずにはいられないのだ。なぜなら原爆忌だからだ。

気持ちとしては、ふと浮かぶ心象をたくし込みながら、「見えない…見えぬものには影がない…原爆忌」という流れなのだろう。

影といえば、わたしは銀行の玄関前の座ったまま焼きつくされた人の人影を思い浮かべる。その人は、影を置き去りにしてみまかってしまったのだ。

その人は、身もなく影もない。しかし私たちの心象の中に沈潜する。そして原爆忌になると記憶の底から漂い出るのだ。

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