鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2013年09月

戦慄! 政党支持率 共産2位 (日本経済新聞  9月29日)

世論調査の政党支持率で、共産党が前月に比べて2ポイント増の6%と自民党の55%に次いで2位に浮上した。2001年2月以来の高支持率だ。民主 党は同2ポイント減の5%で、1997年9月と並ぶ結党以来最低を記録。日本維新の会も同1ポイント減の3%に落ち込み、両党の低迷が共産党を浮かび上が らせた格好だ。


 自民党と連立を組む公明党は同1ポイント低い3%。渡辺喜美代表が江田憲司氏を幹事長から更迭するなど党内対立が目立つみんなの党が3ポイント減の2%と落ち込み、生活の党と社民党はそれぞれ1%だった。支持政党がない無党派は3ポイント増え19%になった。

阿修羅 から転載

これは凄い数字なのである。共産党が39議席を確保していた時代でさえ、支持率は4.2%にすぎない。(NHKの調査「現代日本人の意識構造」による)

ただ、あの頃の共産党は足腰が強かったから、選挙の時は世論調査の2~3倍の得票率を叩きだした。

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/d/e/debe0f71.jpg

実はこの傾向は参院選前から出ている。

「わっしょい!ネット選挙」共同企画の「政治意識に関するアンケート調査」
https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/3/e/3e9fcbab.jpg

今回の日経世論調査は、ネット世代から始まって共産党への支持が広がっていることを示唆している。

これから一斉に反共攻撃が始まるだろう。これはある意味で日経新聞の共産党に対する宣戦布告と読むべきかもしれない。

堺市長選の確定得票

当 198431 竹山 修身 63 無現 (2)

140569 西林 克敏 43 維新

で、決して楽勝ではなかった。終盤での「オール堺」の必死の運動がなければ負けていた可能性もある。

自民党府連が前面に立って闘ったにもかかわらず、業界筋は維新に肩入れいたことがうかがえる。

維新の支持層のうち、業界の隠れ維新、創価学会、無党派の橋下フアンがどの程度の割合を構成していただろうか。ねぐらを構えるだけの「埼玉都民」的な層がどのような投票行動を示したのだろうか。いずれ出てくる分析を待ちたい。

読売Online

堺市長選の出口調査によると、大阪都構想への堺市の参加に反対する人は56%と、賛成の38%を大きく上回った。投票率は50・69%(前回43・93%)と大幅に上回った。
反対する人の9割強が、再選を果たした竹山修身氏に投票しており、都構想への堺市民の拒否感の強さが竹山氏を押し上げたことがわかる。

朝日新聞デジタル

投票1週間前の世論調査。

大阪都構想について賛成は19%、反対の44%、「その他・答えない」は37%だった。

出口調査との比較で注目されるのは、賛成が世論調査で19%にとどまっていたのに、出口調査では38%と2倍に跳ね上がっていることである。

隠れ維新が凄まじい動員をかけたことがうかがわれる。これが投票率を押し上げた原因であろう。

(これに対しては異論もある。投票率が上がったから、隠れ維新の大動員を乗り越えて勝利できたのだという説だ。これについては詳細な分析を待ちたい)


石破茂自民党幹事長の談話


自公連立
捨てて、それでは維新と組みましょうということは全く想定していない。憲法の問題では公明党との理解をうるべく最大限の努力をするし、公明党がだめなら維新というようなことは、少なくとも私自身は全く考えていない。

裏読みをすれば、自公から自維へという路線転換を考えていたが、その構想は破綻したということだ。自民党の中央が維新候補の勝利にひそかに期待し、隠れ維新を動員していたとも考えられる。

赤旗

市田書記局長の談話で、市長選の意義は

1.堺市民の勝利

2.大阪都構想の破綻

3.「維新」への審判

ということだ。

堺市ホームページ

市議会補欠選挙中区


1 タマナハ 国子 日本共産党   7,002    
  2 青谷 ゆきひろ 大阪維新の会   18,101    
3 西川 良平 自由民主党   18,753   

市議会補欠選挙西区


1 ふだば 泰司 大阪維新の会   19,887    
2 平田 ひろし 自由民主党   20,340    
  3 森田 こういち 日本共産党   11,824 

市議会補欠選挙南区


1 しぎ 良太 自由民主党   17,280    
  2 堀内 まさお 日本共産党   11,777    
3 まとば 慎一 大阪維新の会   28,738    
  4 中村 勝 無所属   5,466 

各党の基礎票が分かる。共産党の支持がなければ市長選勝利は不可能であったことが読み取れる。

候補者名 堺区 中区 東区 西区 南区 北区 美原区 合計
竹山 おさみ 37,454     26,657     22,276     32,388     31,678     39,103     8,875     198,431    
西林 克敏 21,764     18,614     14,988     21,097     33,557     24,190     6,359     140,569   

最大の区である南区では維新が勝利した。補選では自民党と共産党が束になってもかなわないほどの圧倒的勝利である。

南区の中心は泉北ニュータウンを中心とした計画的市街地である。

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/9/5/95e5e2cb.jpg

地下鉄御堂筋線の終点の中百舌鳥から泉北高速に乗って直接泉ヶ丘に到達するため、堺市というより大阪のビジネス街に直結するベッドタウンとしての色彩が濃い。気持ちとしては大阪市民であろう。


つまり、南区での大量得票の背景は、「大阪市部・大阪府全体では依然として橋下が圧倒的な人気を維持している」ということの反映である。
大阪の橋下人気は、全国の人間が考えるほど凋落しているわけではない。西川きよしを国会に送り、横山ノックを二期連続知事に押し出した大阪人のおチャラカぶりは未だ衰えていない。

南区の投票動向を見ると、「堺市長選挙というのは橋下・維新に外堀を埋められた中での大変厳しい戦いであった」ということが改めて分かる。

橋下の最終演説は泉北ニュータウンであった。「南区の皆さんは立派だが、堺区や北区ではデマがまかり通っている」と切り出し、最後には「ゴルァァ!共産党!出てこい!」、「自民共産、辻元、俺の前に出て来い!」と絶叫した。


落穂ひろい

2ちゃんに面白いのがあった。

■橋下が答えに窮した時に言うセリフ

+僕の政治家としての感覚だ
+嫌なら選挙で落とせばいい ←注目!
+対案を示せ
+今のままでいいんですか
+やったことがない人は黙ってくれ
+一度僕にやらせてくれればいい
+それじゃあ共産党と一緒だ
+僕は民意に支えられている
+そこは役人が制度設計する

■堺市長選支持
竹山:毎日放送
西林:読売テレビ
関西テレビ・朝日放送はどこの支持だろ?

さらっとネトウヨ系の発言見たが、「共産党にやられた」というのが少ない。ちょっとなめられている。


教育テレビで、5回シリーズで「古事記」をやった。残念ながら4,5回めしか見ていない。
不思議に思ったのは、依然として倭イコール大和王朝で、弥生人イコール天孫族で、などなどという見解が未だにまかり通っていることだ。

私は、以下のことは常識としてよいのではないかと思う。

1.縄文人は樺太からやってきて、東日本中心に生息した。
2.弥生人は紀元前10世紀ころから朝鮮半島南部を経由して日本に渡り始め、西日本各地に広がった。彼らは長江文明の系統を引き継ぎ、稲作文明をもたらした。
3.中国で北方系の秦・漢が成立して朝鮮半島にも進出した。実際に進出したのは扶餘など南満州の人々で、彼らが南朝鮮を支配下に置き、日本にも進出してきた。これが天孫族である。
4.縄文系の人々は黒部川と箱根を結ぶ線の東側に後退した。
5.天孫系は支配者として、弥生系は被支配者として混交した。天孫族は初め九州王朝、後に出雲王朝を起こした。それより東側の弥生人は天孫文化を一部受容する形で銅鐸文明を起こした。
6.出雲王朝は九州王朝に逐われ、大和に拠点を移した。その際、銅鐸文明を徹底的に破壊した。
7.紀元300年ころ神武東征が行われ、九州王朝の編成した神武軍が大和の出雲族を併呑した。神武王朝は天孫族系の先住者である出雲族を尊重し、その伝統を受け入れる形で大和王朝を創設した。
8.6世紀のはじめに、大和王朝は朝鮮半島志向の強い九州王朝を滅ぼし、その文化を徹底的に抹殺した。

と、この辺あたりまでは学会の合意が形成されてもよさそうな気がするのだが。

ユーラシア大陸の西の果てイギリスと東の果て日本には、非常によく似た歴史的経過がある。比較しながら検討するのも面白いと思う。


日々雑感のカテゴリーに入れていいのかどうかわからない。
けっこう重いテーマだ。

ジニ指数がどうとか貧富の格差がどうとか言うが、それは数字の問題だ。マインドとして重要なのは“成り上がれる”可能性の問題だろう。

明治維新以来,日本にはつねに成り上がれる可能性があった。貧乏人の小倅であっても、勉学に励めば、いずれは総理大臣か陸軍大将という道はあった。

キャッチアップできる時代を、松本清張や山崎豊子は裏側から描いた。どん底から這い上がろうとする人間がそのためにどんなアコギなことをしなければならないかを描いた。

いま、そういう世界はありえない。せいぜい「やられたらやり返す、倍返しだ!」の世界である。

もはやキャッチアップはありえない。いま落ちるか、明日落ちるかの世界しかない。世の中のあらゆるものが、エスタブリッシュメントとして突き出される。選択肢は「契約で頑張りますか、臨時でもいいですか」という選択でしかない。

一方でトップは世襲制が花盛りだ。成城出のボンクラや漫画しか読まないドラ息子が、さも勇ましそうなふりをして世の中を仕切っている。
世の中に楯突く人間は金、女のスキャンダルでやられる。

社会が脆弱化している。ボンクラの三代目と、金勘定しか頭にない番頭が世の中を仕切る時代だ。

こういう時代は、陽に当たった安物の化繊の生地がピリピリと裂けるように、あっという間に割れる。そこから音を立てて崩れていく。

消費税引き上げ阻止集会での市田書記局長の挨拶から

安倍政権は消費税を上げると景気が悪くなると恐れている。
だからその代わりに、5兆円規模の「景気対策」を実施するといいます。
消費税を増税すると景気が落ち込む。だから、景気を支えるために消費税を充てる、これほど馬鹿げた話はありません。


いつもながら、市田さんの名演説だ。

 東北アジアの新たな枠組み

ベトナム共産党、ベトナム議会、そしてインドネシアのASEAN対しとの会談を重ねてきた。

だんだん志位訪問団の狙いが見えてきた。

それは東北アジアの新たな枠組み概念の模索だ。

それは、これまで掲げてきた「6カ国協議」という多国間枠組みの放棄とつながっている。

(「放棄」は間違いでした。インドネシアでは「6カ国協議を成功させるための努力を進めつつTACのような取り決めを作るという日本共産党の政策的な展望を説明」している。ただ、ここが唯一の言及であることも確かです)

それは第一に、「6カ国協議」の枠組みを超えた、より包括的な課題を取り扱う枠組みの創設だ。「6カ国協議」は北朝鮮核問題については有効なツールであるにせよ、これを東北アジアの平和と発展の枠組みとすることはできない。

第二に、それは日中韓に北朝鮮を加えた当事4国が主体となり、それに周辺国が加わるという枠組みとなるだろう、ということだ。それはASEANを基軸にTACを成立させた教訓を踏まえている。

それを志位さんは「TAC型」枠組みと称している。

志位さんが念頭に置いているのは尖閣問題だと思う。

だから、ベトナム共産党とは相当突っ込んだ話し合いをした。それが政治局員との会談である。

そこで紛争の平和的解決という道を確認した。それは中越両国・両党間の交渉の道を一方に残しつつ、全体としては多国間主義を貫くということである。あえて言えば、ベトナムの個別利益を優先させないということである。

そして、ASEANと中国との交渉の中で南シナ海行動規範(COC)の実現を目指すことを確認した。

この平和主義の原則と多国間主義の原則は、原理的には、中国外交当局にとっても受け入れ可能なものである。

片や領土・領海問題、片や北朝鮮核問題を念頭に置いて、北東アジアの平和の枠組みを語るとすれば、たしかに「TAC型」あるいはそれに類する枠組みの創設は避けて通れない。

率直に言って、北東アジアはASEANとは比較できないほど複雑だ。そこにはGDP2位と3位の大国がふくまれる。しかも朝鮮も中国も分裂国家であり、冷戦時代の傷をいまも背負い続けている。

そこで志位さんは、インドネシア政府の考えを引用する形で、

1.動的均衡: 大国の関与を否定せず、それを平和共存と共同繁栄につながるパワーとして捉える。

2.包括性(Inclusiveness): 関わりのある全ての国との対話と信頼醸成。

の二点を押し出している。ただ、それほど詰めた検討を行っているわけではなく、志位さんみずから述べているように「ASEANの経験と教訓を学びたい」というのが今回の訪問の目標となっている。

昨日の記事でも書いたが、おそらく中国は志位訪問団の一挙手一投足に注目していると思う。

率直に言って中国外交は行き詰まっている感がある。「二つの大国論」にかなり毒されている。ただ中国の権力構造は多層・多重であり、政策の決定は積み上げ方式によるものだ。

今回、石油政策のトップまで汚職摘発の手が伸びたことは、膨張政策を推進してきた軍産複合体への反撃とも見て取れる。

「TAC型」枠組みへのアプローチを開始するとなれば、当然中国との議論が必要となる。今回の訪問は、それに向けての瀬踏みでもあろう。幕は開いていないが、序曲は始まったのである。

それはある意味で中国自身の期待でもあろう。

オランダの話を勉強しているうちに思った。
人はみな、カネのために狂乱している。あたかもカネが支配者であるかのように欲に眩んだ人々を駆り立てている。
カネのためには人殺しもすれば戦争もする。寝ている病人の布団を引き剥がすようなことも平気でやってのける。カネのためなら心も体も、命さえ売る。
しかしカネは支配者ではない。ただの交換のための道具だ。昔なら同量の金と交換できたが、いまではただの紙切れにすぎない。
「イワシの頭も信心から」というが、世界中のみんなが、キリストを信じようと、アラーの教えを信じようと、とにかくまずもって敬虔な拝金教徒なのだ。
こういうのをマルクスは物神崇拝(フェティシズム)と呼んだ。

今の世界はそうやって成り立っている。

ではカネが支配者ではなく、支配の道具にすぎないとすれば、この世を支配しているものは何なのだろう。

現象的には、はっきりしているのは物質的富である。お金は物の代用として、物と物の交換を仲立ちしている。

世の中には、少なくともカネの量と同等以上の交換可能な物質的富がある。

カネの量と富の量の関係は複雑で、いろいろ錯綜するが、長期的にはバランスがとれている。

しかし、それはカネを通して物と物の交換がぐるぐる回っている間の話であって、最終的にはそれらは消費される。

富はいずれは消えてなくなるのである。

だとすれば富が支配者ということはありえない。富も消費するための道具にすぎない。

考えてみれば、カネも、元々は金であり。生産物である。それがいろいろな約束事で小判になり、硬貨になり、紙幣になったのだから、カネの魂は金であり、それ自体が富である。

しからば富というものは何なのだろうか。それは人間の欲望を満たすためのものである。マルクス風に言えば「使用価値」である。

だから、カネにしても、その実態たる物質的富にしても、その本体は人間の欲望なのだ、といえるのではないだろうか。

人間の欲望が富という形をとって物質化される。そして富の代替物としてのカネという形で世の中を駆動していく、ここに世の中の本体があるのではなかろうか。

つまり世の中を支配し、駆動するのはさまざまな個人のさまざまな欲望の集合体であり、それがカネ、あるいは「交換可能な物質的富」という形をとっているのであろう。

では欲望とは何か。

 「導管国」って?
「導管国」をめぐる問題 その1
「導管国」をめぐる問題 その2
「導管国」をめぐる問題 その3
「導管国」をめぐる問題 その4

第5章 オランダの隙間戦略

オランダの導管戦略の経過

オランダはみずから資本フロー導管国となる道を選択した国である。歴史的に国際貿易・外国投資が重要な役割を占め、最大の産業は金融・流通を中心とするサービス産業である。

「持株会社」を誘致するための税制により、世界市場における隙間戦略を展開し、多国籍企業の租税回避の「導管国」としての評価を確立した。

1970年代に多国籍企業のグループ金融会社の為替規制の自由化を行い、いわゆるmailbox companies を作ることを認めた。

1983 年にはオランダ中央銀行が「特別金融機関」(脱税のためのトンネル会社)の登録を開始した。

カリブ海の旧オランダ領アンティルスを利用した「オランダ領アンティルス・ルート」が盛んに売り込まれた。アンティルス法人のオランダ源泉徴収税はほぼゼロまで軽減された。

もちろんアンティルスはゼロ税率のピュア・タックス・ヘイブンである。(2010 年10 月10 日に解消)

これを利用した租税回避スキームは「ダッチ・サンドイッチ」あるいは「アンティルス・ルート」と呼ばれた。

このルートは欧米からの出口ルートとして広く利用されるようになった。多数の大企業がオランダにヨーロッパ統括会社やグローバル統括会社その他の持株会社を設立するようになった。

第6章 オランダの法人税制の特色

この節は面倒なので省略する。まとめのところだけ。

・利子および使用料については源泉徴収税を課さない

・オランダに籍をおく親会社が外国子会社から受け取るすべての利益は、オランダでは免税となる。

・オランダにおいて短期的に雇用される外国人には免税報酬制度が適用される。

第7章 オランダを導管国とする仕組み

オランダは居住法人に25.5%の税率で全世界所得課税を課している。これでは何の面白みもない。しかし多国籍企業のグループ内部取引にオランダ籍の会社を設立すると、俄然話が変わってくる。

多国籍企業は外国子会社の所得を無税でオランダに持ち込み、これをピュア・タックス・ヘイブンの子会社に無税でチャンネルすることが可能になる。

この「ゼロタックス・スキーム」を可能にするのが、税法体系上の (i)グループ税制、(ii)参加免税、(iii)利子・使用料の非課税、(iv)投資所得に対する源泉徴収税の不適用、(v)租税条約網などの免税・非課税措置群である。

統括会社はペーパー・カンパニーっでなく企業活動の実体を持つことがもとめられる。それなりのテラ銭は払えというわけである。

とはいっても、統括事業の8割は信託事務所が代理している。主たる機能は、オランダの法的主体にこれに「住所」を与え、法的な実体を与え、「経営管理」機能を果たしている。

オランダが導管国となるメリットとデメリット

メリット

(i) 約2万のmailbox companiesにより金融専門家、会計士および法務・税務助言者の専門職が増え、雇用機会の創出に役立つ。

(ii) mailbox companiesからの税収の確保につながる。「利子」の一部がオランダに残る。2001 年統計では12億ユーロが税収として、5 億ユーロが会社の管理費としてオランダに落ちている。

(iii) アムステルダムの「金融センター」としての地位を高める。アムステルダム証券取引所は世界最古の証券取引所である。

(iv) 主たるグループ活動(生産、研究開発および貿易)のオランダへの誘致を刺激する。

デメリット

(i) mailbox companiesの設立を促進することは、多数のダーティ・ビジネスを引き付ける

(ii) 多国籍企業の公害、破産または詐欺に係る訴訟はオランダで行われ、司法コストとなる。

(iii) 利益隠しのシステムは、あらゆる種類の違法活動収益の洗浄を隠す。

第8章 オランダが人気のある理由

第7章で挙げた(i)グループ税制、(ii)参加免税、(iii)利子・使用料の非課税、(iv)投資所得に対する源泉徴収税の不適用、(v)租税条約網などの免税・非課税措置群のうち、参加免税と租税条約網について詳説している。

省略する。

上記の囲み記事
獨協大の右崎先生の談話
日本国憲法は
1.国民主権
2.平和主義
3.人権保障
を基本原理としている。
秘密保護法はそのいずれにも抵触し、憲法違反である。
1.知る権利は国民主権の中核概念
2.そもそも自衛隊は憲法違反
3.プライバシー(13条)、思想の自由(19条)、表現の自由(21条)と衝突
ということで、整理されている。
憶えやすい定義なので重宝しそう。

一昨日は「委員長・書記長会談」をやらないのかと不安だったが、25日の新聞で安心した。

共同声明は出なかったが、それほどの論点はなかったから、それでいいのかもしれない。

一つ注文がある。日本とベトナムの共産党が会談すれば、その背後で中国共産党が聞き耳を立てている。それを承知の会談だ。

尖閣問題も言っちまったんだ。こちらとしてはいいけど、合意の積み上げが進んでいるベトナム側としては答えにくい話だ。
話のやりとりが記者のブリーフィングとして出るだけでも中国側はイラッとするだろう。

韓国の大統領が竹島に上陸しただけで、日韓関係は10年後戻りした。慰安婦問題も、韓国側が意図的に政争化している側面は否めないが、安倍政権も右翼化のバネとして利用していることは間違いない。
日本政府側の前向きな発言がない限り、両国とも動きがとれない。その中で憎悪心のみが高まっていく。


「TACのような多国間の対話の枠組みを北東アジアにも作ることを展望したい」と言いながら、「6カ国交渉」について一言も言及しないのもおかしいと思う。王毅外相のライフワークだ。顔を立ててほしい。

シェーンベルクの弦楽四重奏曲、全4曲がYouTubeで聴ける。
ラ・サール四重奏団の演奏で音質もよい。決定版なのかもしれない。
しかし面白くない。
2番で女声独唱が入っているのには驚いた。そういう奇をてらうところがあるのかもしれない。
それだけだ。
4番がまだマシだが、繰り返し聴こうとは思わない。
結局理論の人ではないか。

口直しにバルトークの3番を聴く。ジュリアードのステレオの方で、おそらくニコニコ動画だろうと思う。LP盤からの起こしのようだがすごい高音質だ。YouTubeでは1949年盤が聴けるが、落ちる。
ジュリアードは60年代が最高のようだ。
ついでに4番も聴いてしまった。やっぱり4番がいいね。
ジュリアードとラ・サールの格の違いもあるのかな。
5番は? 明日にしよう。

「導管国」って?
「導管国」をめぐる問題 その1
「導管国」をめぐる問題 その2
「導管国」をめぐる問題 その3
「導管国」をめぐる問題 その4

第4章 最近の多国籍企業のグローバル実効税率引下げスキーム

大変長い題名だが、要は多国籍企業の“脱税”の最近の手口ということだ。面倒なので「」をつけないで脱税と書くことにする。

1. 脱税への欲望

多国籍企業の本籍地は先進国だ。先進国は一般に税が高い。途上国が企業を誘致するために税金を安くするからだ。

最近、先進国では国外所得免除でなく全世界所得課税原則を採用している。外国税については控除により救済されるが、国外所得に対して自国の高税率を適用される。

したがって多国籍企業は税負担を最小化するために、税法の抜け穴を探し求めることになる。これをタックス・スキームという。(税の裏ワザというべきだろう)

A 高税率の国内源泉所得に該当すべき所得をタックス・ヘイブンに隠す  「領土主義課税原則」の抜け穴

前の章でも述べたように、「領土主義課税原則」においては、税金の安い国に支店でなく子会社を作れば税金はかからない。海外利益を集中するだけではなく、国内利益もさまざまな方法により移転可能である。

「税金の安い国」と言っても税金はかかる。タックス・ヘイヴンならほとんどただである。どうせならそちらにカネを集中したほうが良い。

しかし外国子会社をタックス・ヘイブンに設立する場合、タックス・ヘイブン対策税制が適用される可能性がある。そうすると合算課税が行われ、かえって高く付く。これを避けるためには、タックス・ヘイブン以外の国に子会社Aを設立し、そこからタックス・ヘイブンに設立した別法人Bへ所得移転を行えばよい。

B ステップ国を経由することで、外国子会社の高税率の適用を避ける

「税金の安い国」と言っても税金はかかる。できれば下げたい。そこで「課税ベース」の縮小を図ったり、種々の租税優遇措置の減免を受ける。名目は支払利子・支払使用料・支払リース料・支払報酬などなんでも良い。

これらの便宜を積極的に提供してくれる国がある。損金控除を容易に認容してくれるので、タックス・ヘイブンへの所得移転のためのステッピング・ストーンとして役立つ。このためこれらの国に、持株会社Cを設立することになる。

利益は進出先の国の事業会社A社から、便宜国の持株会社C社に移り、そこからタックス・ヘイヴンのB社へと移転することになる。これで多国籍企業の本社のある国は手も足も出ない状況に陥る。

C ステップ国の手口

ステップ国の税制上の特徴は、受け取る所得に課税しないこと(ストップ・オーバー)、その所得をピュア・タックス・ヘイブンへ無税で移転できることである。

この二つが可能な国がアイルランド、ストップ・オーバーが可能な国としてオランダが上げられ、この2カ国を利用する手口を「ダブル・アイリッシュ&ダッチ・サンドイッチ・スキーム」と呼ぶ。最近では持株会社の立地条件を整備している英国の法人税改革の動きが目立っている。

このうち、国際的タックス・プランニングの一典型であるオランダに焦点を当て、わが国のタックス・ヘイブン対策税制で挑戦することができるかどうかについて考察する。

「導管国」って?
「導管国」をめぐる問題 その1
「導管国」をめぐる問題 その2
「導管国」をめぐる問題 その3
「導管国」をめぐる問題 その4

ということで、ここまでが長い「はじめに」だ。ここから本文に入る。

第1章 タックス・ヘイブン対策税制の変遷

(はじめの部分省略)

A 1978年特別法と外国法人への課税

わが国の税法では、内国法人については海外支店もふくめ課税している。しかし外国法人(子会社)については国内所得のみに課税している。

したがって外国子会社がタックス・ヘブンに所得を移転しても、それに課税することはできない。

これに対し特別法が導入された。

この特別法は外国法人の収入を、形式的には特定外国会社の所得であるが、実質的には親会社の収入とみなして課税するという論理になる。

この法律の有効性は最高裁で確認された。

これによりタックス・ヘイブン子会社(特定外国子会社)の課税対象金額を、株主である内国法人の擬制収益・擬制配当として課税できるようになった。

B 外国子会社配当益金の不算入制度

2009年の税制改正で、「外国子会社の配当益金不算入制度」が導入された。これは日本企業の国外所得を日本に還流させるための環境整備の一環である。

名前からしてえらく面倒くさい制度だが、中身はそれ以上に面倒だ。原文をそのまま書き写す。

内国法人が外国子会社から受ける剰余金の配当等の額からその剰余金等の配当等の額に相当する額(剰余金の配当等の5%相当額)を控除した金額を益金不算入とすることができる

分かりますか?

結論からいうと、

この税制改正により外国子会社からの配当は実質非課税となった。特定外国子会社にも制度が適用されることになった。

ということだそうだ。

要するに、「タックス・ヘイヴンに貯めておいたら税金とるけど、国内に戻すなら税金ただにしますよ」、ということだ。

企業にとっては実に至れり尽くせりだが、変な話だ。タックス・ヘイヴンの隠し金への課税をもっと厳しくすれば済む話ではないか。

著者も、この「不算入制度」を婉曲に批判している。

外国子会社配当を非課税とした結果、外国子会社の利益留保も課税繰延に該当しなくなった。(1978年の)タックス・ヘイブン対策税制は、課税繰延を利用した租税回避の防止で (あったはずなのに、非課税にしてしまったら)説明することができなくなる のではないか。

タックス・ヘイブン対策税制の趣旨が変質したと解する説もみられる

それで税務当局の目下の苦し紛れの言い分はこういうことだ。

わが国企業が国際競争力を維持するため実効税率の引下げのためにタックス・ヘイブンを利用する健全な企業活動を阻害せず、租税回避のみのためにタックス・ヘイブンを利用する行為計算を否認する

そう言っている本人の苦虫を噛み潰したような顔が思い浮かばれる。


第2章、第3章は技術的な問題についての説明なので、省略し、第4章 「最近の多国籍企業のグローバル実効税率引下げスキーム」に移る。

「導管国」って?
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「導管国」をめぐる問題 その2
「導管国」をめぐる問題 その3
「導管国」をめぐる問題 その4

オフショア事業・投資拠点とオフショア・タックス・ヘイブンとの間に介在する「導管国(a conduit country)」をめぐる国際課税

-実効税率引下げ競争に利用されるサンドイッチ・スキーム-

名古屋経済大学大学院教授

本 庄 資

税大ジャーナル 17 2011. 10

という長い題名の論文があって、文章も相当長い。44頁もある。多分素人で読む人は殆どいないだろう。

なんとか抄読を作ってみようと思う。

◆SUMMARY◆

1.先進諸国では2000年以降、法人税の減税を中心とする「有害な税の競争」(a harmful tax competition)が行われた。

2.欧州ではさらに、多国籍企業の租税対策に対応して「税金ゼロ」をオファーする競争が始まっている。

3.持株会社誘致を目的とする「魅力ある税制」の典型がオランダである。オランダはいまや事業拠点とタックス・ヘイヴンを結ぶ「導管国」(a conduit country)となっている。イギリスもその後を追っている。

4.このような「導管国」を利用した実効税率引下げ法はダッチ・サンドイッチ・スキームと呼ばれる。(ダッチはダッチワイフのダッチ)

はじめに

1.日本のタックス・ヘイブン対策

1978年の税制改革: 海外会社を通じて稼得する国外所得は二つある。このうち外国支店の利益には日本で課税される。いっぽう外国子会社の利益は日本に配当として還流されない限り、日本では課税されない。後者を「課税繰延」(tax deferral)と呼ぶ。

この時の政府税調答申では「近年、いわゆるタックス・ヘイブンに子会社等を設立し、税負担の不当な軽減を図る事例が見受けられる。このような事例は、税負担の公平の見地から問題のあるところであり、…所要の立法措置を講ずることが適当である」とされる。

2.米国のタックス・ヘイブン対策 「サブパート F」

進出形態にかかわらず、課税は国内投資と同様に行うべきである。国外所得の課税繰延は原則として認められない。

これはケネディ大統領の時代に確立したものである。ケネディは「世界中のタックス・ヘイブンに設立した外国子会社に課税繰り延べの特典を与える必要はない」と主張した。

これを受けた議会は、タックス・ヘイブンにおける外国子会社の国外所得を「汚れた所得」(tainted income)とし、合算課税を行う「サブパートF所得」制度を創設した。

これが世界初のタックス・ヘイブン対策税制といわれる。

サブパートF は、ブラック・リスト等による地域限定方式を採らず、「議決権または株式の50%以上を米国人が所有する外国法人」と定義された。

そして所得限定方式により「汚れた所得」(tainted income)を算出し、該当米国人の総所得に算入する。

3.租税回避の定義

その後、多くの国がタックス・ヘイブン対策税制を導入したが、制度の趣旨・目的、内容はさまざまである

外国子会社がその所得を親会社に配当するか否かは各企業に委ねられている。配当しなければ、租税効果としては親会社に対する課税は繰り延べられることになる。そのすべてを「租税回避」だとはいえない。

私的自治の原則から世界のどの国・地域に子会社を設立することも合法的に認められている。そこでの税負担が日本に比して著しく低い国・地域に子会社を設立したという理由だけで、懲罰的税制を課すこともできない

では、タックス・ヘイブンに設立した外国子会社に所得を移転し留保するにあたって、どのような場合に租税回避となるのか。

日本の税制(旧措法66の6④)は、①子会社が独立企業としての実体を備えていない場合、②該当国において事業を展開する経済的合理性が認められない場合、など5つの場合について合算課税を行うこととなっている。


ということで、ここまでが長い「はじめに」だ。ここから本文に入る。

一言で言って、中国の南シナ海での態度は本当にひどい。
ベトナム、ブルネイ、フィリピン、全部の国の海岸線のヘリまで中国領だと言っている。
そして石油をバンバン掘っている。日本の企業も噛んでいる。なにせ軍事的に制圧しているから強い。
反対すれば殺す。
スプラトリー諸島のジョンソン礁(赤瓜礁)ではベトナム兵約80人を殺した。しかも殺すさまをビデオで撮って放映した。

関東軍と同じじゃないか。

アメリカは出てこないと踏んでいる。「太平洋は広いんだ。アメリカと分けあったって、お釣りが来る」と、習近平は豪語した。

尖閣諸島もアメリカは手を出さないと踏んでいる。ただまだ日本の出方がわからないから挑発をかけながら瀬踏みしている。

尖閣諸島は小さな島だが、沖縄は小さくない。彼らは沖縄も中国領だと思っている。なにせ中国三千年の歴史だから、探せばそれらしき文献はいくらでも出てくるだろう。

浅井基文さんは「ポツダム宣言を受け入れたのだから、日本は北海道、本州、四国、九州以外は放棄した」のだというが、沖縄も中国が自分の領土だといえば、ポツダム宣言に則って放棄するのか。

そろそろ正気に戻らねばなるまい。
南シナ海を平和の海にしなければならない。利権の海にしてはならない。中国の海にもアメリカの海にしてもならない。

どうも良く分からない。
志位委員長がハノイを訪問して、ベトナム共産党の書記局常務と会談したというニュースが一面に掲載されている。
普通は、共産党の委員長が訪れれば書記長が会見するものだ。
書記局常務が対応したということは、それなりの扱いということになる。
ベトナム共産党の日本共産党に対する評価が変わったということなのだろうか。
しかもそれを赤旗の一面に取り上げるというのは、そのことについて読者の関心を喚起したかったということなのか。

とすると、以下のコメントが気になる。
日本国民にとって緊急の課題として日本共産党が「即時原発ゼロ」の政策を掲げて原発輸出に反対していること、21世紀の新しい国際経済秩序と相容れないTPPへの日本の参加に反対していることを、率直に述べました。
これにたいし、
アイン氏は、志位氏の原発とTPPに関する説明に感謝すると語りました。
となっている。何やらきな臭い。
志位氏の訪問の目的は「率直に」物を言いに行くことだったのかもしれない。
それに対し書記長が対応しなかったのは、ベトナム側の不快感の表明かもしれない。
発表を見る限りでは、両党とも南シナ海問題への言及はなかったようだ。

以下はベトナム共産党側の報道

Politburo member and Standing member of the CPV Central Committee’s Secretariat Le Hong Anh held talks with Chairman Shii Kazuo.

The two sides discussed orientations and concrete measures to promote their friendship and traditional cooperation, thus enhancing Vietnamese and Japanese peoples’ ties.

一応トップ記事ではある。記事によればベトナム共産党書記長が志位氏を歓迎し、写真に写っている。しかしその後の話は現場に落としてしまったのである。

これでは共同声明は発出されないだろう。どうも訪問の目的がはっきりしない。


「導管国」って?
という解説が載っていた。
初耳だ。
赤旗「けいざいQ&A」によると
多国籍企業が所得をタックスヘイブンに移転させる際、資金を経由させる国のことです。
とある。
具体的には、スターバックスの“節税”で有名になったオランダがそれに該当するらしい。
1.オランダに「親会社」を作る。
2.他国の子会社の利益を集約する。
ここまでは分かるが、
3.オランダの「親会社」は、さらにタックスヘイブンに資金を移動する。
という。
つまり抜け穴の奥にもう一つの抜け穴があるという寸法だ。金沢の忍者寺並みの、手の込んだ手法だ。

この場合、オランダは“節税”の最終地ではなく、“脱税”の出発地なのだ。闇の世界へとつながる「導管」なのだ。

たしかに、スターバックスの脱税事件のとき、オランダは低税率だからとは思ったが、最終的にその利益をどうするのだろうと思ってはいた。

その奥にもう一つのからくりがあったのだ。

しかしいかんせん、このコラムの説明は簡略に過ぎて良くわからないところもある。

もう少し、そのからくりを洗ってみるとするか。
また宿題が増えた。
「導管国」って?
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ありがとうヴァシリ・アルヒポフ、核戦争を止めてくれた人

エドワード・ウィルソン

「ガーディアン」 2012年10月27日

もしあなたが1962年10月27日前に生まれているならば、ヴァシリ・アルヒポフはあなたの命の恩人です。50年前、アルヒポフは、ソ連の潜水艦B-59の先任将校でした。そして搭載された核魚雷の発射を拒否したのです。

1962年10月27日は歴史上もっとも危険な日でした。この日、アメリカの偵察機U-2がキューバの上に撃ち落とされました。もう一機のU-2機はソビエトの領空内に迷い込んでいました。これらのドラマが極限を越えて、人類を危険な方向へと送り込んでいました。

そのさなか、アメリカの駆逐艦ビール号は水中のソ連のB-59号に向けて水雷を投下し始めました。このB-59号は核搭載潜水艦だったのです。

B-59号の艦長バレンティン・サヴィツキーは、水雷が非破壊性の訓練弾であることなど知る由もありませんでした。それはB-59に浮上を促す警告発射だったのです。ビール号は米駆逐艦隊に加わっていました。この艦隊は水中のB-59をより多くの爆薬で連打するために集まってきました。

追い詰められたサヴィツキー艦長は、彼の潜水艦の命運が尽きた。そして、第三次世界大戦が始まったと思いつめてしまいました。

彼は搭載した10キロトン相当の核魚雷の発射準備を命じました。目標は空母ランドルフ号でした。この巨大な航空母艦は機動部隊の旗艦でもありました。

もしB-59の魚雷がランドルフを蒸発させたら、核の雲はたちまちのうちに海から陸地へと広がっていたでしょう。最初の目標は、モスクワ、ロンドン、イーストアングリアの空軍基地とドイツの軍事基地群でした。

そして次の爆弾のウェーブは世界の「経済的目標」(一般市民の婉曲な表現)を一掃していたでしょう。イギリスの住民の優に半分は死んでいたでしょう。

その間に、ペンタゴンではSIOP(一方向性統合行動計画)が発動し、ストレンジラブ博士のハチャメチャな「神々の黄昏」の音楽に合わせて「最後の審判」のシナリオが始まったでしょう。

5,500の核兵器が発射され、アルバニアや中国のような非交戦国(非友好国ではあるが)をふくむ1千の目標に向かってミサイルが飛び始めたでしょう。

ではアメリカ自身に何が起きることになったのか、それは不確実です。

フルシチョフがキューバにミサイルを送り込んだ真の理由は、ソ連に信頼に足る長距離ICBMが不足していたからです。予想しうるアメリカの攻撃に対抗するにはソ連は力不足でした。

したがってアメリカの犠牲者の数がヨーロッパの同盟国よりはるかに少なかった可能性は高いと思います。

事実はこういうことです。つまり、英国と西ヨーロッパは、ペンタゴンの住人にとって消費されるべき犠牲者として計算されていたということです。これが、口にはできない冷戦の本質だったのです。

あれから50年が経ちました。いまキューバのミサイル危機からどのような教訓が導かれるのでしょうか?

そのひとつは、政府は危機において統制を失ってしまうということです。

ロバート・マクナマラ国防長官にとって最悪の夢は許可無き核攻撃の開始でした。マクナマラはすべてのICBMに行動許可リンク(PAL)の着装を命じました。しかしPALがインストールされたとき、戦略空軍司令部は全てのコードを00000000にセットしました。危機において速やかな発射を妨げないようにするためです。

これは笑い話ではありません。核兵器のセキュリティーというのは、どんな時にも、どんなレベルでも、結局は人間の問題(human issue)だということです。

ある時、歴代もっとも正気の大統領であるジミー・カーターは核の発射コードを入れ忘れたまま、スーツをドライクリーニング屋に出してしまいました。

冷戦は終わりました。しかし、米国とロシアの熱核戦争の基盤は依然として残されたままです。そして超大国の間の核による交戦の危険は、いまもまさに現実そのものです。

1995年にロシアの早期警戒レーダーは、ノルウェーの天気ロケットを発見しました。彼らはそれをアメリカの潜水艦から発射される弾道ミサイルと見間違えました。レーダーサイトから送られた非常事態信号は、エリツィン大統領の「Cheget」(発射コードにの入った核のスーツケース)に送られました。

エリツィンは、おそらくウォッカのグラスを手元に置いていたに違いありませんが、彼が報復的な攻撃をするかどうかを決定する時間は5分足らずしかありませんでした。

ノーム・チョムスキーはこう言っています。「核兵器が存在する限り、人類の生き残りのチャンスは殆どない」

長期の危険分析に関する研究のすべてが、このチョムスキーの主張を支持しています。

プラフシェアーズは19,000発の弾頭が今日世界にある、そして、内18,000発は米国とロシアの手中にあると推計しています。正確な数がどうであれ、米・ロの核兵器のみが全人類の生命をトータルに破壊できる能力を保持していることは間違いありません。

軍事評論家キャンベル・クレイグとジャン・ルジツカは次のように指摘しています。

「なぜ、イランか北朝鮮は核不拡散(non-proliferation)を尊重しなければならないのか? 彼らにそうせよと教え諭している超大国が、このような巨大核兵器を所有しているというのに。それは不可解だ」

とりわけ、キューバのミサイル危機は、核という兵器そのものが問題のタネであることを示した。

イギリスは、現在「核軍縮レース」をリードすべきポールポジションにある。

2009年、タイムズへの手紙の中で、ブラモール陸軍元帥、ラムスボサム将軍、ヒュー・ビーチ卿はトライデント計画を「まったく無益な計画」と非難した。

ある戦略システムを放棄することは将軍たちにとっては造作も無いことかもしれない。しかし政治家にとってはそうは行かない。世間では核兵器を「強者」の漠然とした証として同等視している。政治家はその“世論”を恐れている。

トライデント計画を取りやめることは、財政危機に悩む財務省に250億ポンドもの予期せぬボーナスを授けることになるのだ。それだけ住宅融資に回せば、まずまずの家を100万戸も建てるための融資ができるのだ。

アルヒポフの話に戻リましょう。

「第三次世界大戦を開始しない」という決定は、クレムリンで行われたのでもなく、ホワイトハウスで行われたのでもなく、潜水艦のうだるように暑い制御室で行われました。

B-59号の核魚雷の発射は、乗り組んだ先任将校3人の同意を必要としていました。艦長をふくむ2人は艦長の判断を認めました。アルヒポフはただ一人同意を拒否しました。にもかかわらず、どうして核魚雷は発射されなかったのか。

制御室の議論においてアルヒポフへの評価が高かったことが、重要な要因であったことは確かです。

その前の年、この若い士官は、過熱した原子炉から潜水艦を守るため自らの身体を晒しました。そして大量の放射能を浴びました。その被曝が結局、1998年の彼の早すぎる死に関与したと思われます。

ということで、私たちは本日10月27日、私たちのグラスを掲げます。そしてアルヒポフの思い出に乾杯するのみです。

ありがとう、ヴァーシャ…


たまたま知った記事です。

そんなに難しい英語ではないので、大きな誤訳はないと思います。

平井俊顕 (ひらい・としあきToshiaki Hirai)ブログ

というところで紹介されていました。

ガーディアンの該当ページは下記で、まだ生きています

http://www.theguardian.com/commentisfree/2012/oct/27/vasili-arkhipov-stopped-nuclear-war

殆どの人が知らないのではないでしょうか。

英「ガーディアン」紙の記事で、裏もしっかりとれていません。目下のところは「ガーディアンを信用しますか?」という条件付きです。


すみません。英語版ウィキペディアにかなり詳しい紹介がありました。

Soviet submarine B-59, in the Caribbean near Cuba.

ここではもうちょっと辛口の評価になっている。そろそろエリツィン状態なのでまた明日。

Vasili Arkhipovでグーグル検索したら6万件近くヒットします。もはや英語圏では有名人の一人です。(ちなみに鈴木頌は8千件)

The Man who Saved the World - WWIII (Vasili Arkhipov)

というかっこいい動画もありました。MerschProduction の製作のようです。映画化されたのでしょうか?

調べたら、これは予告編で、本編は下記にありました。

Watch the Full Episode

全53分で、再現シーンもふくめたドラマ仕立てのセミドキュメンタリーです。おそらくテレビ番組として製作されたのではないでしょうか。

NHKスペシャルあたりで放映してくれればいいのですが。

1946年 米国のイランに対する原爆使用計画

原爆資料館の年表の真っ先にこの事項があり、これが広島・長崎後の最初の原爆使用計画ということになる。しかしその割には資料が少ない。

まずは、当時のイランの状況を知っておくこととする。

凍結されたイラン民族主義と冷戦   -現代イラン通史の試み-  その3」という富田健次さんの論文が詳しい。ただし核兵器使用計画には触れられていない

1941年

8月 イギリスとソ連邦によるカウンタナンス作戦(Operation Countenance)が実施される。イギリスのアングロ・イラニアン石油会社の安全確保とソ連邦に対する補給線の確保を目的とし、イラン政府の転覆を計ったもの。8月25日から9月17日にかけて展開された。当時のイラン皇帝レザー・シャー (Reza Shah Pahlavi) は英国からの自立を目指し、アメリカ合衆国に接近。その後ナチス・ドイツに接近していた。

9月 レザー・シャーは退位し南アフリカに亡命。新首相モハンマド・アリー・フォルギーは、ドイツとイタリアとハンガリーとルーマニアの大使館を閉鎖。ドイツ国民はイギリスとソ連の当局に引き渡される。

1943年

11月 テヘラン会談。ルーズベルト、チャーチル、スターリンがイランの独立を確認。戦争終結から6 カ月以内に撤兵することで合意。

1944年

アメリカ、イランが持つ経済的・戦略的な重要性を認識。経済使節団を派遣し在イランの公使館を大使館に格上げする。米国石油会社はイラン政府と石油利権について交渉を開始。

1945年

4月 第二次世界大戦が終了。ソ連軍はイラン北西部に3万人が残留し、撤兵を拒む。

9月 イラン領アゼルバイジャンの民衆指導者ジャアファル・ピーシャヴァリー、中心都市タブリーズで旧共産党員やヒヤバニ蜂起の残党と共にアゼルバイジャン民主党を樹立。アゼルバイジャン語の公用語化、州議会の開設と自治、地域開発への援助を求める。

ヒヤバニ蜂起: 第一次大戦後の1919年、アゼルバイジャン人の住むイラン領ギーラーン州で民衆蜂起があり、「ギーラーン社会主義ソヴィエト共和国」を樹立した。翌年には崩壊しイラン領に復する。
レーニンは「ペルシアの一部で革命をおこせば、ペルシアを英国の手中に追いやることになる」と判断し、ギーラーンへの支援を見送ったとされる。

10月 アゼルバイジャン民主党が蜂起。ソ連軍はイラン政府軍のタブリーズ進軍を阻止。

12.10 民主党軍、タブリーズなど所要都市を押さえ、国民会議を開き、アーゼルバイジャン自治政府の樹立を宣言する。

12.15 アゼルバイジャンの成功に刺激されたクルド人組織KJK(クルド建国グループ)が、イラン・クルド民主党(KDP-I)を結成。

1946年

1月 オルミーエ湖西部のマハバドでクルディスタン人民共和国の樹立を宣言。ガジ・モハマドが大統領に就任する。イラクでゲリラ戦を続けてきたムスタファ・バルザニが、3000人の仲間を引き連れて合流。バルザニは国防相に就任する。

1月 イランが国連にソ連軍残留問題を提訴。ソ連による内政干渉が続いているとし、安保理に調査・解決策提示を求める。

1月 提訴を受けたトルーマンは、「ロシアの活動は世界平和を脅かすものであり、西側世界の経済に深刻な打撃を与える」と警告。

3月 ソ連軍、撤退期日を過ぎ、さらに残留。イラン政府に対して石油利権を要求する。

3月 イランのカヴァーム首相がモスクワを訪れ、ソ連軍撤退を求める。ソ連軍の撤退と引き換えに北部の石油利権を与え、自治問題を平和解決するとの条件を提示。

4月 テヘランでの両国交渉。ソ連は北部石油合弁会社の設立を条件としてソ連軍撤退に合意。

5月 ソ連軍、撤退を完了。

6月 イラン中央政府とアゼルバイジャン自治共和国とのあいだで、自治権を大幅に拡大する協定が結ばれる。カヴァーム首相は新組閣で共産党員(ツデー党)を入閣させ、親ソ政策をとる

10月 全国各地の遊牧部族民が共産党の排除を要求して蜂起。軍部は蜂起を支持し、反乱の規模を誇張して政府に報告し、彼らの要求を飲むように迫る。英国も部族民の自治運動を支援し、アバダン沖合に英艦船を待機させる。

10月 カヴァーム首相、米国大使の助言を受け社会改革政策を撤回。共産党員を政府から排除、弾圧を開始する。

12.12 国王を最高司令官とするイラン政府軍がタブリスに進駐。

12.15 クルディスタンのマハバードも制圧。ムハンマド大統領はマハバドの広場で絞首刑にされた。

1947年

3月 トルーマン・ドクトリンが発表される。冷戦時代の幕開け。

10月 新議会、ソ連への石油利権譲渡案を否決。

10月 イラン・米国軍事協定締結。

ということで、トルーマン・ドクトリンが発表される前のことでもあり、原爆資料館の記載は少々眉唾もの。

核兵器が使用されようとした危機がいくつかある。それをまとめた資料があまりない。

私の知る限りでは、朝鮮戦争の際に1回、第一次インドシナ戦争で1回、キューバ危機、ベトナム戦争の時に少なくとも2回あった。この5回については、かなりの確率で核兵器を使用する瀬戸際まで行っている。

ネットで探してみると、広島平和記念館のサイトに次のページがあった。ほとんどが知らないことばかりだ。

それぞれの事件についての説明はないので、自分で調べてみることにする。

広島平和記念資料館

核兵器使用の危機~アメリカが核兵器使用を検討した事件

1946年 3月 イラン国内に駐留するソ連軍に対して

        11月 ユーゴスラヴィアの米国機撃墜事件に対して

1948年 4月~6月 ソ連による西ベルリン封鎖に際して

1950年 6月 朝鮮戦争の勃発に際して

1953年 8月 朝鮮戦争の戦況悪化に対して

1954年 4月 インドシナ戦争。フランス軍への原爆提供申し入れ

        8月 中国の台湾解放の意図に関連して

1956年 10月 第2次中東戦争(スエズ危機)に際して

1958年 7月 イラク軍事クーデターと台湾海峡危機に際して

1959年 5月 ベルリン問題に関連して

1961年 6月 同上

1962年 10月 キューバ危機に際して

1968年 1月 米艦船プエブロ号の北朝鮮だ捕に際して

        2月 ベトナム戦争(ケサン攻防戦)に際して

1969年 11月 ベトナム戦争の激化に際して

1970年 9月 シリアのヨルダン領内への侵攻に対して

1973年 10月 第4次中東戦争の戦局打開のために

1980年 1月 イラン危機の打開に関連して

1991年 1月 湾岸戦争でのイラクの化学兵器使用を想定して


とりあえず予告まで。

 

中国の外交路線を勉強している最中に、浅井基文さんの講演があるというので聞きに行った。
講演といっても、反核医師の会のシンポジウムでシンポジストの一員として30分しゃべるだけという制約のもとでの講演。
かなりの分量のレジメの1/3も喋っていないと思う。
それでもかなり刺激的、快刀乱麻というか斬りまくる。

元外務省高官がいろいろしゃべっていることについても、「私は喧嘩別れしたんだけど、あの人達は所詮退職後の人でしょう。安保肯定派じゃないかな」とバッサリ。

その辺りまでは良かったが、ポツダム宣言を受け入れたのだから、領土問題は消失しているのだというあたりは、さすがに言いすぎ。
この論理で行くと、沖縄も中国が主張すれば中国領ということになる。

ポツダム宣言が日本国憲法のバックボーンというのは、たしかに一面を衝いている
が、
だから憲法を改正することはポツダム宣言を破棄することになる。
だから、国際法上不可能だ、というのは受け入れがたい。

ポツダム宣言は、世界の反ファシズム運動の一つの到達点であり、民主主義の秩序を世界に「押し付ける」宣言である。
その限りにおいて、それは「国際正義の宣言」なのだ。

とは言え、それはカイロ、テヘラン、ヤルタと続く交渉で明らかにされているように、戦後世界の再分割という側面も持つ。連合国を構成する各国の野心や復讐心もないまぜになっている。

連合国と日本政府という関係で見れば、ポツダム宣言の受諾=無条件降伏という事実は厳然としてある。しかし日本の民衆をして主権を行使し、平和の国を作らしむるべく発せられたこの宣言の精神は、たんなる戦後処理に終わるものではない。

ポツダム宣言は正義の発揚であると同時に、日本国民に対し正義を促す勧告でもある。

ここにポツダム宣言の本質があると思う。天皇と大日本帝国政府には一切の発言権はないが、国民主権の下国土の再建に乗り出した日本国民(人民というべきか)には、ポツダム宣言の本質的精神に則っている限り、大いに発言権がある。

領土問題についても、そこはしっかりと押さえておくべきだろう。

中国外交の人脈

大して知っているわけでもないのに、ほら話をかまします。酒の肴と思って聞いてください。

1.鄧小平人脈

文化大革命の後、いろいろありましたが、結局鄧小平が実権を握りました。

彼は国内の立て直しのために、まず経済から入りました。そのために外交活動はストップします。というかビジネスのために必要な範囲に絞ったのです。

その際、とにかく隠忍自重の低姿勢を徹底しました。「でしゃばるな!」路線です。

現在でも内政派には根強い理論です。温家宝がその代表です。

2.江沢民人脈

92年に江沢民が国家主席に就任し、7,8年経って、世紀の変わり目あたりから、路線に変化が見られました。

理由はいろいろあると思いますが、直接的にはユーゴ内戦で中国大使館が爆撃の標的とされたことでした。

おとなしくしているだけでは身は守れない。ではどうするか。でしゃばるのではないがほかの有力国と共同のネットワークを作って、アメリカをけん制する以外にない、ということになりました。

この「多極化」路線は、イラク戦争をめぐって大いに力を発揮したと思います。ロシアとは部分的共闘を結び、ドイツ、フランスを戦争から引き離すことに成功しました。結果としてNATOは動けなくなりました。

イラク戦争は世界的な反戦運動を呼び起こしました。その盛り上がりがあったからこそ、多極化論は有効性を発揮したのです。そこで中国は多極化論をさらに進め、その枠を新興国に広げました。

BRICS の結成、G20首脳会議の実現などがそれです。またASEAN にも積極的に接近を図りました。02年の南シナ海をめぐる協定もその流れで読むことが必要です。

北朝鮮の核開発をめぐる6カ国協議もその一つです。現在のところ頓挫していますが、中国外交の力が遺憾なく発揮された動きでした。

ここまでを「多極化論から多国間主義へ……中国外交の変遷」で書きました。

この時中国外交をになったのが国務院の外務官僚です。具体的には唐家璇 戴秉国楊潔篪、王毅とつながる流れです。

もちろん、彼らを支えたのが江沢民であり曽慶紅であったことも忘れてはなりません。汚職や腐敗、権力への執着などとかくの噂のある江沢民ですが、首脳外交は水際立っていました。

3.胡錦濤人脈

胡錦濤人脈というのがはっきりあるのかどうか分かりません。彼はさまざまな人脈のバランスの上に乗っていただけの人物なのかもしれません。

一期目は政治局常務委員の過半数が江沢民派という状況のもとで、その路線を踏襲せざるを得ませんでした。05年の国連演説は江沢民路線そのままです。

ただ鄧小平の直系ということもあって、経済外交に重心を戻し、平和外交の方は「変わらず歩む」にとどめたことが一定の傾向といえるかもしれません。

07年、二期目に入ると胡錦濤の独自戦略がはっきりしてきます。06年に上海の党書記が汚職で摘発され、江沢民の力が落ちたことも関係しているといわれますが…

そして09年に入って、一気に外交の前面に胡錦濤が登場するようになります。

そして、経済の好調を背景に「世界経済の枠組みには新たな変化が生じ、政治的な文脈からもパワー・バランスが変化する兆し」が出現したと主張するようになります。

これまでの多極化論や多国間主義とはまったく異なった論調です。この発言をめぐって胡錦濤人脈は二つに割れます。

ひとつは鄧小平以来の「でしゃばるな!」路線を堅持せよという温家宝首相ら国内経済派、ひとつは「核心的利益」を強力に押し出す馬暁天らの軍部人脈です。

おそらく胡錦濤の真意は、経済発展にふさわしい国際政治上の地位を、ということでしょうが、実際には「核心的利益」論を受容することで、軍部に擦り寄る結果になったのではないでしょうか。

4.習近平人脈

これはまだどんなものやらさっぱり分かりませんが、胡錦濤以来の人脈はかなりうすくなっています。地方の党書記出身のロートルがしっかり脇を抱えています。

おそらく軍内タカ派と結びついた胡錦濤派内「核心的利益」派の動きをけん制すると見られます。

そのうえで、米中関係を基軸にした「二つの大国論」は継続・強化するようです。

「でしゃばるな!」路線と「二つの大国論」の奇怪なアマルガムが出来上がりつつあります。これがどういう方向に進んでいくのか。目が離せない状況がしばらく続きそうです。

以下の文章は「日本国際問題研究所」のサイトに掲載された

増田雅之さんの論文

第四章 胡錦濤政権期の中国外交

―「韜光養晦、有所作為」をめぐる議論の再燃―

の読書ノートです。

 

はじめに

中国共産党の外交政策は胡錦濤総書記の10年間に大きな変貌を遂げます。胡錦濤は2002年の第16回党大会で総書記に選出され、以来2期10年にわたり総書記と中国政府主席の座を維持しました。第1期目では江沢民路線をプラグマティックな鄧小平路線に引き戻し、第2期目ではこれに大国主義的な「核心的利益」の主張を付け加えました。

習近平も胡錦濤を踏襲し、いわゆる“G2路線”をさらに推し進めようとしています。しかし党内には、外交畑を中心に、平和と連帯を基礎とする国際路線の潮流も根強く残っています。

 

1.江沢民から胡錦濤へ……中国外交の重点移行

(1)江沢民が提起した「戦略的チャンス期」

 今世紀の最初の20年は「戦略的チャンス期」である。力を集中して、経済がさらに発展をとげ、民主がさらに健全なものとなり、科学、教育がさらに進歩をとげ、文化がさらに繁栄し、社会がさらに調和がとれ、人民の生活がさらに豊かになるようにしなければならない。

…この段階の建設を経て、さらに数10年奮闘しつづければ、今世紀中葉には、現代化を基本的に実現し、わが国を富み栄えた強大な民主、文明の社会主義国に築き上げることになる。

(2)胡錦濤の就任と内政重視路線への転換

2003年11月 党中央政治局第9回「集団学習」における胡錦濤の報告。

しっかりとチャンスを掴むことによって、時代発展の寵児となれるチャンスである。

一方、(行動が失敗に終われば)戦略的チャンス期を喪失する可能性もあると、そのリスクを強調した。

04年8月の第10回在外使節会議 では、戦略的チャンス論を擁護するとともに、「四つの環境」(平和で安定した国際環境、善隣友好の周辺環境、平等互恵の協力環境、客観的に親しい輿論環境)の実現を外交の任務と位置付けた。

わかりやすくいうと、主要大国との関係を安定的に発展させ、周辺国との二国間の友好を結合させる、ということらしい。発展途上国との団結と協力を強化することや、各問題領域での多国間協力を強化していくとの文言も盛り込まれているが、実際は後景に退けられている。

同じ時期、温家宝総理は、「小康社会を全面的に建設することに外交工作はさらに服す」よう求めた。

華々しい外交を展開しつつある担当者に対し、「そんなキレイ事言っている場合かよ」と強烈な一発をかましたことになります。そこには外交の大義はなく、内政をすすめるうえでどちらが得かという判断しかありません。これは「黒猫も白猫も」という鄧小平路線への完全な後戻りです。こういう路線変更を知ると、次の胡錦濤演説がかなり白々しく聞こえてきます。

胡錦濤の国連創設60周年特別首脳会議での演説(05年9月)

チャンスと挑戦が併存する重要な歴史的時期にあって、世界のすべての国が固く団結することで、はじめて永続的平和と共同繁栄の和諧世界を真に建設することができる。そのために

第一に「多国間主義を堅持して、共通の安全を実現」し、

第二に互恵協力を堅持して、共同繁栄を実現し、

第三に包容精神を堅持し、共に和諧世界を構築し、

第4に積極妥当の方針を堅持し、国連改革を推進する。安保理改革は発展途上国とくにアフリカ諸国の比重を高める。

言っていることは素晴らしいのですが、いまみると、肝心のやる気がなくなっていたことが分かります。

 

国連演説の1年後、2006年8月に党中央レベルで重要な会議が持たれた。

中央外事工作会議 であり、胡錦濤政権で初めて開かれたものである

この会議では外交工作の「指導理念、基本原則、全般的な要求、主要任務」が提示された。外交の主要任務は「改革開放と社会主義現代化建設のための良好な国際環境と有利な外部条件

をつくり出すこと」とされた。

会議では「経済建設を中心とすることを外事工作は堅持」しなければならないと強調された。

温家宝発言そのままです。経済外交以外の余計なことはするな、ということでしょう。完全に内向き外交です。6カ国協議を担当していた王毅外務次官が日本大使に回されたのもこの頃のことでしょうか。

「平和発展の道を変わらず歩む」ことも確認された、というが軸足ははっきりと移ったのである。

 

2.転換期の外交方針

(1)パワー獲得をめざす外交への変化

外交姿勢の変化の最大の要因は08年秋のリーマン・ショックであった。世界金融危機を中国に有利なパワー・バランスの変化と捉える傾向が中国では顕著になった。

2009年4月の第2回G20金融サミット が最初の具体的な意思表示となった。胡錦濤国家主席は発展途上国を含む「幅広い代表性」を有するG20を国際金融危機への共同対応の「重要かつ有効なプラットホーム」と位置づけ、国際金融秩序の再構築に向けた改革を強く訴えた。

おなじ09年4月、オバマ大統領との初めての首脳会談が持たれた。胡錦濤は、「米中は、国際的・地域的な問題の処理でも、世界の平和と安全の維持の面でも、よりいっそう広範な共通の利益を有している。中米関係は現在新たな起点に立ち、重要な発展のチャンスを迎えている」と「2つの大国論」につながる提案を示している。

米国側にも、メディアを中心に、米中両国が世界経済の回復に決定的な役割を果たすとする「G2論」が活発化した。

「G2論」をめぐり、中国国内では二つの潮流が生まれた。

09年5月 温家宝総理は

1.一国や二国あるいは大国グループで世界の問題を解決することは不可能であり、多極化や多国間主義が大きな趨勢である

2.世界には中・米による共同統治の枠組みが形成されるという人もいるが、まったく根拠のない誤ったものだ

3.中国は発展途上国であり、現代化への道程は遠い

とのべ、「G2論」に真っ向から反対した。

いっぽう、「G2論の背景」という形で、軍など一部では「G2論」の実質的受容が拡大した。その典型が2009年初めに『解放軍報』紙が主催した米中関係についての座談会で

1.中国の経済発展や総合国力(軍事力と読め)の向上、積極的な外交の結果、米中の差は縮小している。米中の「平衡化」の趨勢は不可逆だ。

2.金融危機などグローバルな問題について、米国はすでに独自で掌握できなくなった。国際社会における米国の覇権は低下した。

と述べられている。

のぼせ上がりもいいとこです。ただこの時点では、パワー外交の主張は一部に留まっていたということに注意する必要があるでしょう。

2009年9月の党中央委員会第4回総会 では、これらの論争は「世界経済の枠組みには新たな変化が生じ、政治的な文脈からもパワー・バランスが変化する兆し」が出現したと表現された。

温家宝の主張は退けられたことになります。1年足らずの間にパワー外交派が主流を占めたことになります。ただパワー外交派は一色ではありません。

 

(2)第11回在外使節会議の意義  「核心的利益」論の国策化

中国外交の決定的転換点となるのが09年7月の第11回在外使節会議 である。

ここで胡錦濤の行った講話は以下のような内容だ。

1.「世界の多極化の見通しはいっそう明るい」として多極化外交をさらに推進

2.「四つの力」(政治面での影響力、経済面での競争力、イメージ面での親和力、道義面での感化力)を高める。

3.主権だけではなく、より幅広い文脈で「核心的利益」の尊重を求める。

この内、核心となるのが「核心的利益」(すなわち国益主義)の主張である。

国益の主張は「4つの力」のうち前の二つを強めるが、後の二つは弱まります。これにより自主・平和・連帯を旨とする中国外交の伝統的価値観は逆転します。

 

(3)「核心的利益」論の展開――対米関係を中心に

現実の中国外交の展開は、金融危機後の早い時点、「核心的利益」との表現が出現した頃から自己主張的なものになっていた。

「核心的利益」とは、「国家主権と領土保全を維持すること」とされている。この用語は「中国が武力解決をふくむあらゆる政策上の選択肢を有している」ことを意味する。

外交の場でこの用語が使用されば、当該イシューでの譲歩はほとんど想定されなくなる。

ところが「核心的利益」の概念は次々に拡大解釈されてきた。

2011年9月に国務院が発表した白書『中国の平和発展 』は

①国家主権、

②国家の安全、

③領土保全、

④国家の統一、

⑤中国の憲法に定められた国家制度と社会の大局の安定、

⑥経済社会の持続可能な発展の基本的保障

の6つまで中国の「核心的利益」を拡張した。

むかしの日本軍の言う「生命線」を連想させますね。

 

(4)中国外交の強硬化をめぐる議論

「韜光養晦」という言葉があります。「能力を磨け、ただし出すぎた真似をするな」という意味で、文化大革命の痛切な教訓を踏まえた鄧小平の遺言であり、中国外交の基本となっています。先ほど紹介した温家宝前首相の考えがその典型です。

江沢民政権時代にはイラク問題などをめぐって積極外交が展開されました。それは“出すぎない”ということを、西欧諸国や新興国と肩を並べて進もうというふうに解釈したものでした。しかし経済畑ではそれを好ましく思わない潮流もありました。

胡錦濤時代に入ると、積極外交の方向は弱まり、ふたたび経済外交に終始するようになりました。それが「韜光養晦、有所作為」という路線です。「何かあれば大いにやろう」ということで、両派の妥協を測ったというか、一応積極派の顔も立てたということでしょう。

それが、リーマン・ショック後に強硬派が台頭してくると、「有所作為」がその論拠として利用されるようになります。以下、本文に戻ります。

こうした中国外交の強硬化は、これまでの戦略方針をめぐる議論を惹起した。

強硬派の中からは、南シナ海を守るために韜光養晦を放棄すべしという意見も出現した。

逆に(江沢民時代の積極外交派からは)、「中国の周辺重視の度合いが下降した」ため、「中国の主体的条件は良くなっのに、外交条件は却って悪化している」との意見も出た。

(この論争を見た)中央党校国際戦略研究所の宮力所長は、中国の台頭に対する国際社会の不安感の打ち消すために「韜光養晦」を堅持すること、「更に大いになす(更大作為)」と組み合わせることを提案した。

これが胡錦濤の「堅持韜光養晦、積極有所作為」に結びついていく。

片方が“堅持”で、片方が“積極”なら、どちらが重点かは誰が見ても分かります。胡錦濤政権は両者をこういう形で並べることで、事実上強硬派にスタンスを移したことになります。

実際には、韜光養晦の対語である積極有所作為が前面で論じられるようになった。

2010年10月の共産党第5回中央委員会総会(5中全会)では、中国が「大有作為」の戦略的チャンス期にあるとの判断を示した。

さらに跳ね上がったのが解放軍だった。馬暁天・副総参謀長は、5中全会を受け、軍の使命に関する論文を発表した

「戦略的チャンス期には、強烈な発展の意思とするどい戦略的な洞察力が必要とされる」とし「穏当さを求めることは、何もしないと同じことではない」と強調した。

多少持って回った言い方ですが、「強烈な発展の意思」というのは武力脅迫ということで、「鋭い戦略的な洞察力」というのは破壊力のある軍事力と読みかえればよく分かります。「何もしない」というのは武力脅迫をしないという意味です。武力行使をしなければそれは“穏当なのです。

 一方、外交畑は慎重論を維持した。

戴秉国(たいへいこく)は「平和発展の道を歩むことを堅持せよ」と題する論文を表した。

「平和・発展・協力の旗印を高く掲げよう。①独立自主の平和外交政策を実行し、平和発展の道を歩み、②互恵でウィン・ウィンの開放戦略を堅持し、③わが国の主権・全・発展の利益を擁護し、④世界各国と共に恒久平和と共同繁栄の和諧世界を構築すべ推進していこう」

「21世紀初頭の20年間に、国際情勢全体としての平和、大国関係の相対的安定や新科学技術革命の迅速な成長が、我々にチャンスをもたらした。しかし外部との関係をうまく処理できなければ、このチャンスを失いかねない」 

中国の戦略的意図は「平和発展の四文字に尽きる」

この論文は大変重要だと思います。機会があればもう少し詳しく読んでみたいと思います。

かくして、「堅持韜光養晦」を重視する外交当局と、「積極有所作為」を強調する人民解放軍との間で異なる解釈が生じたのであった。

こうした状況からみれば、胡錦濤による「堅持韜光養晦、積極有所作為」の提起は、具体的な方針提示というわけではなかったように思われる。それは、「韜光養晦、有所作為」をめぐる異なる論点の折衷として提示されたものであり、必ずしも具体性を有するものではなかったと言ってよかろう。

確かに気持ちとしてはそうだったかもしれませんが、それがもたらす結果が見通せる情勢のもとでそういう判断を下したのですから、その判断は「決断」として重く受け取らなければならないでしょう。

習近平は2012年11月の党18期1中全会で総書記となり、2013年3月の第12期全人代第1回全体会議で国家主席に就任した。

習近平政権の外交も、全般的には「積極有所作為」のあり方を模索していく方向性にある

13年1月中央政治局「集団学習」 

習近平総書記は「平和発展の道を歩む」ことを「党の戦略的な選択」とした。

一方で、それによって「決してわれわれの正当な権益を放棄することはできず、決して国家の核心的利益を犠牲にすることもできない。いかなる外国もわれわれが自己の核心的利益を取引することを期待すべきではない」とも強調した

 

昨日、スービック元米軍基地の再軍港化の動きが報道されたが、今度は米比両軍の合同演習だ。「フィブレックス」と名付けられたこの作戦、2300人が参加する大規模なものだ。
いまやフィリピンは米国と同盟を結び、中国と武力対決する方向に切り変えたようにも見える。
私の南沙諸島年表は11年5月分までしかないが、それ以降の展開は著しいようだ。
いま、少し文献をあさっているが、事態は中国海軍のかなりの独走ぶりが明らかになりつつある。米中二大国論がその背景にある。

彼らの興味は米中間の軍事バランスの変化にしかない。いま多少おとなしくしているのは、オバマの「アジア重視戦略」の瀬踏みを行っているにすぎない。

中国が「二国間交渉」の枠組みに固執する限り、事態打開のカギを握るのは中越交渉しかないだろう。

中越で何らかの合意を生み出し、次いで中比にも同様の合意を踏襲し、それによりASEAN全体との合意に持っていうという道をとらざるをえないと思う。

18日にイランのロウハニ大統領がCNNとのインタビューで注目すべき発言を行った。
1.イランはいかなる場合でも、決して核兵器開発を行わない
2.核疑惑問題では、ハメネイから交渉の全権を委任されている。
3.「核開発が疑問の余地なく平和目的であることが実証できれば、問題解決の用意がある」とのオバマ発言を評価する。
4.シリアに関しては、「シリア国民が選択する指導者」を支持する(アサドには固執しない)。

中東諸国の最終的な戦略目標は、イスラエルの押さえ込みにある。そのためのアジェンダで、今一度、内部矛盾を克服して質の高い統一を成し遂げることにある。
とくに核問題で、イスラエルをふくむ中東非核地帯を実現することがカギを握っていると思う。

イランの核疑惑も、そのために避けて通れない課題の一つだ。


フィリピンの米軍基地が復活しつつあるとの面川記者のレポート。
フィリピンは1991年に米軍基地撤廃を決め、翌年にはすべての米軍基地が撤去された。
しかしいまやスービック元海軍基地は事実上再基地化されつつある。

スービックはマニラの西方にあり、いわば東京に対する横須賀の位置にある。南シナ海を睨む絶好の位置にあり、湾の深さは大型艦船の停泊が可能で、国際空港も整備されている。旧米軍の設備もほぼ手つかずに残っている。

92年の返還後、スービックは経済特別区に指定された。
「観光、工業、商業、金融、投資のセンター」として位置づけられ、現在は1500の企業が進出し、9万人の労働者が働くまでに至っている。
スービック行政長官は「軍事施設から経済特区に転換した成功例」と胸を張っている。

ところがそのおなじ行政長官が再基地化を奨励しているという。
「米軍艦船の寄港はあるが、経済特区は順調に発展している」
「米国の支援で道路、電気、水道などのインフラが整った」
「米軍の寄港が増えれば経済活性化につながると期待している」

まぁ、地元としてはそういう志向になるのは致し方ないことだが、本筋としては米国のアジア重視政策と兵力配置のりバランスの一環である。中国向け軍事力の最前線に位置づけられるのは間違いない。

「南シナ海を平和の海に」というのは沿岸諸国の共通の願いのはずだが、中国の無謀な軍事進出が、南シナ海を「相互不信の海」に変えようとしている。

なんとか早く手をうってほしいものだ。

共産党の第8回中央委員会総会

参議院選挙が「第三の躍進」の始まりだと規定。

そのうえで、下記のように述べている。

党員、赤旗読者、対話・支持拡大など、どの指標をとっても前回参院選に及ばなかった。
したがって、
今回の躍進は私たちの実力以上の結果であることを直視する必要がある。

たしかに勝っておごらず、謙虚な姿勢を保ち続けるのは良いことだが、政治戦を見る場合には正確な判断も必要だろう。

日本全体の高齢化と、人口の減少傾向の中で、政治的にアクティブあるいはアラートな層自体が著しく減っている。

毎日、一般新聞を読むという若者がどのくらいいるのかしらないが、私の職場や身の回りでは数えるほどしかいない。

せいぜい東京スポーツくらいだ。

私がブログをせっせとやっているのも、非活字媒体でのカクサンを願っているという面もある。

おそらく数字に現れないレベルで、共産党の影響力は確実に広がっていると思う。今のところそれを数字として、組織力として反映させるすべがない。

ネット読者とか、ネット支部会議とか、ネット献金とか、ネット動員とか、そういうスタイルも考えていかなければならないかもしれない。党員には党員証の代わりにID番号が与えられるなんて時代になるかもしれない。

課題はそれらをヒト、モノ、カネの集中力にどうやって高めるかであろう。

17日付の共産党の提案

1.放射能で海を汚さない
汚染水を希釈して海に流せというのは、決して国内外から理解されない
2.非常事態の認識
現状把握、危険性に関する情報の遅滞なき公開、国際協力
3.人的・物的資源の集中
再稼働・原発輸出は問題外
5.東電の破綻処理
国が事故収束と賠償・除染に全面的責任を持つ

4点目については、破産処理自体は当然だが、緊急かどうかは分からない。国が全面責任を負うことについてはそのとおり。


間抜けた話で、いまだにJTBがコンコルディア号の宣伝を載せている。

コスタ・コンコルディア

「健康と癒し」をコンセプトに2006年7月に就航した、11万2,000トンの大型客船。
フィットネスセンター、ジム、エステ、サウナ、スチームルームを擁する2階建て、延べ1,900m2の巨大な「サムサラスパ」、さまざまなヘルシーメニューを提供する「サムサラレストラン」が設置され、ほかにもレストラン5ヵ所、バーが13ヵ所、スイミングプール3ヵ所、ジャグジー5ヵ所、さらに3階建ての大型シアターなど豊富な設備を備えている。


全長290m 乗客定員3,800名 船籍イタリア
全幅36m 乗組員数1,100名 デッキ14層
総ドン数112,000トン 就航年2006年 巡航速力20ノット
喫水- 最終改装- 客室数1,430室

コスタ・コンコルディアの“引き起こし”

まさに引き起こしという言葉がピッタリだ。英語ではRecovery。 CNN 日本語版では引き上げと言っているが、これはタイタニックや戦艦「大和」を海底から引き上げるイメージだ。

一番の興味は、“どうやって”ということだ。もう一つ“なぜ”ということもある。

各紙報道をまとめてみる。

コスタ・コンコルディア号

総トン数11万4000トン、全長約290メートル。昨年1月に座礁・転覆し32人の死者。2人の遺体が今も船内に閉じ込められている。船体は半分海に浸かった状態で沿岸の岩の上に横倒し(約80度)になっている。

引き起こし作業

AFPで素晴らしい絵入り解説がある。

①座礁した船体の乗る斜面の下方、深さ30メートルに、引き上げ台を設置した。船の全長290メトルに対し40メートル平方の広さだからかなりピンポイントである。

②船腹につけたタンク・バラストの重みと引き上げ台と船体の間に張ったケーブルの引張りにより、船体を引き起こしつつ沈ませる。

③船腹の体側(座礁面)にもタンクを装着し、水で満たす。

④両側のタンクの水を同時に抜いていくと船体は浮上する。

という具合だ。ちょっとやばいけど転載する。

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/1/2/12c49993.jpg

同様の解説図は下記にもある。こちらのほうが大きくて分かりやすい。

http://edition.cnn.com/2013/08/22/world/europe/costa-concordia-salvage-interactive/index.html



船体の海側に特別の装置(引き上げ台)が設置された。建設に3万トンの鋼鉄と1万8千トンのコンクリートが使用された。作業には約500名が参加した。

船体の完全引き起こしの前には65度まで引き起こす必要があった。そのために16日朝より作業が始まった。船体は夕刻までに約15度引き起こされた。

夕方から上向きになった側の船腹に取り付けた金属製の容器への海水の注入が始まった。船体は海水の重みによりずり下がり、作業台の上に着地した。

17日午前4時、深さ30メートルの海底に設置した土台の上に船体を載せる作業が無事完了。ここまで作業開始から19時間。

17日朝までに、船体は完全に作業台に乗り、岩から離れた。ただし海上に顔を出しているのは3,4回あたりのデッキより上の部分。

ヴィデオは下記

http://www.cnn.co.jp/video/11640.html

なぜ引き起こしを選択したか

引き揚げ作業は過去最大規模の約8億ドルをかけて実施された。これは建造費(約6億ドル)より高い。通常は船体を爆破したり解体したりする方がコストも安く上がるが、船内に有害物質が残っていることと、まだ2人が見つかっていないため引き起こしとなった。

今後、来年春までジリオ島近くに置かれ、その後、ピオンビノに曳航され、5年後までに解体される予定。

著作権がよく分からなくて、ネットで少し調べてみた。

ウィキペディアはさっぱり分からない。知的財産権とか知的所有権の一部だということになっているが、言われりゃそうかもしれないが、小説や音楽の世界と、製品特許やノウハウの世界とは別物だと思う。きちっと住み分けしないと、かえって問題を混乱させるのではないだろうか。

疑問は二つある。

一つは、本人に属する権利なのになぜ子や孫まで権利を享受するのかということ。

二つ目は、著作権というのはそもそも所有権なのかということ。

たしかに著作権を持っていれば、打出の小槌みたいなもので、何の苦労もせずに金が転がりこんでくる。一種の錬金術のマシーンみたいなものだ。しかしそれは本質的に属人的なもので、売り買いできないのではないのか? 子孫は相続税を払っているのか?

などと、それに付随していろいろな疑問が湧いてくる。

とにかく70年に延長せよという人の論理がよくわからない。ネットで探してみたが、それらしい文献はほとんどない。

著作権保護期間延長を擁護してみる 白田 秀彰とロージナ茶会

というページがあったので、とりあえず読んでみた。白田さんという人は法政大学の先生で、著作権保護期間の延長には反対の人のようだ。しかし推進派の言い分を紹介してくれているので、以下にノートする。


(社)日本音楽著作権協会
 文化芸術の担い手である創作者の権利を保護し、新たな創造を促進すべきである。
 「知的財産戦略の推進」を国策としている我が国は、著作権保護のあり方について国際間の調和を図るべきである。
 我が国のコンテンツ創造サイクルの活性化と国際競争力の向上を図るべきである。
 以上の点から、著作権の保護期間を欧米と同等の「死後70年」に延長すべきである。

ということで、インセンティブの保障と、国際間の調和の二つであり、3点目は白田さんもいう通り、「そうなったらどうしよう」という不安へのコメントであり、論拠にはなっていない。

TPPで農業が崩壊するという不安に対して、「創造的に努力して国際競争力を強化すべきである」というのと似ていなくもない。

ただ子孫まで70年にわたって生活を保証してやることが、芸術家にとってどれほどのインセンティブになるのかが、この文章からは分からない。子孫まで生活を保証しようというくらい堅気の人が芸術家になるわけはないし、立派な芸術を創造できるとも思えない。

結局、保護期間延長のポジティブな根拠はなにもないのである。いわば「世界の趨勢がそうなっているから仕方ないだろう」というのが唯一の根拠だ。これもTPPの論理とそっくりだ。

それで、世界の趨勢だが、たしかに保護期間延長の方向に議論は進んでいる。では世界ではJASRACとは別の論理で議論されているのだろうか。

白田さんの文章にはそこのところは言論的にしか触れられていない。

ただオモシロイと思ったのは、著作権というのは所有権ではなくて、排他的な独占権だという指摘だ。まぁこれは著作権にかぎらず特許とか知財権一般について言えることだが。

他の人に出版・販売させないよという権利であり、階級性があるということになる。芸術家が弱者である限り大手の出版社に対する防壁となる。しかし創作者が同時に強者(たとえばディズニー)である場合は、“不当な”利益をむさぼる根拠となる。

その辺の線引は難しいが、やはりその人の死をもって著作権を消滅させるのが一番妥当なような気がする。

実際には出版は事業として営まれており、出版社ないしエージェントの利害が絡んでくるのだが、それはカラスの勝手という以外にない。もし必要なら、再販禁止法とか別途考えるべきだ。

後半戦で何とか持ち直すかと思ったが、結局ダメだったようだ。
投手陣はそこそこ立て直した。吉川もさほど悪くはない。
しかし田中に糸井が抜けて、稲葉が絶不調では致し方無い。
カネがないチームだから田中と糸井の放出はやむを得ない。
しかし賭けではあった。
中田と陽の成長があって、稲葉が昨年並みの活躍をしてくれれば
こんなことにはならなかったはずだ。
前半戦不調でも夏男の稲葉が復調すれば、打線に芯はできる、
すべては稲葉3割を前提に組み立てられていたはずだ。
稲葉が打ってくれれば、中田も負担が減る、
アブレーユも気楽に40ホーマーくらい打っていたはずだ。
とにかくすべてが悪循環になってしまったのは稲葉の計算違いだ。
金子も二岡も賞味期限は切れた。小谷野もそろそろ怪しい。
それが一気に来たのであって、その兆しはもう2年前からあった。
それを春先の快進撃と投手陣の頑張りで、去年優勝してしまったから
今頃になって話がこじれているだけの話だ。
多分、来年はもっと難しいことになる。
金が必要だ。
幸なことに優勝年俸は払わなくて済むから、
金を積んで三塁を守れる外人を獲得する以外にないだろう。
その間に大谷を打者に専念させ5番に定着させることになるだろう。
アブレーユはバッターボックスの位置を前にして
内角を払い打ちする技法を身につけない限り
来季の末にはお払い箱だろう。


マルクスは社会主義革命を目指す労働者と連帯することによって、

1.労働者階級が資本家階級を打倒し資本家階級の支配の道具である国家を握り、
2.そのことによって、社会の構造を変換し、
3.ついには国家そのものを死に至らしめる

という道筋を描いたのだろうと思います。

そして革命が不可避であることを、経済学批判を通じて証明しようとしたのだろうと思います。

ここがマルクスの本線であり、社会主義のイメージについては、とりあえずパリ・コミューンの経験を通じて描き出すしかなかったのだろうと思います。

ただその前に、マルクスはプルードンやグリュンとの論争を通じて社会主義についての一定のイメージをつかんでいました。オーウェンの社会実験にかなり学んでいたようです。また労働者が自主運営する工場などについても知識を持っていたようです。

したがって、労働者階級が権力を握った後の統治のありようについては三つのイメージがあったと思います。

1.議会・政府のコミューン型、直接民主型統治
2.工場の労働者支配。労働の結合を基礎とした生産評議会
3.地域・コミュニティーにおけるアソシエーション型結合

ただこれら三つがいかに絡みあうか、そのからみ合いの中で経済がいかに均衡を保ち、発展していくか、などについてはまったく未知数でした。
「経済学批判要綱」レベルでは2.だけが念頭にあったのではないでしょうか。

しかも「オーウェン型結合労働」で良いところだけ並べています。しかし内部でいかに民主主義が実現しようと、ゲゼルシャフトとしての論理はそこに貫徹しているのではないでしょうか。

わたしは、一定の段階までは地域共同体との矛盾は避けて通れないと思います。
また地域共同体はどうしても遅れた面を背負わざるをえないし、つねに相対的には足引っ張りの役目を果たすことになるだろうと思います。
むしろその矛盾を契機として人間社会全体が発展していくのではないでしょうか。

両者の対立は止揚されるのではなく、おそらくは労働時間の短縮により、消滅していくんだろうと思います。


ところで、話は変わるのですが、

資本論の第三部では商品の価格実現と剰余価値創造の過程が二重の過程として描かれており、市場による一般利潤率の措定が不可欠の前提となっています。

ただこれは市場機能の一面であり、経済の向かうべき方向を決めていく過程での役割に比べれば、非本質的な機能です。

不勉強ですが、マルクスはそこまで書き込んでいないのではないかと思います。(マルクスのことですから、どこかに思いつき的に書き込んでいる可能性はあると思いますが)

おそらく究極的には生産の支配が流通の支配をもたらすメカニズムがあるのでしょうが、当面は統治のイメージとして

4.流通と交換の場面における生産者間の結合、生産者と消費者の関係の統制(いわゆる規律ある資本主義)

というもうひとつの統治イメージが必要になるだろうと思います。これは相対する人間がいずれも“玄人”というか“プロ”同士の関係になるので、統治のあり方は前三者に比べると、どうしても間接的にならざるをえないところがあります。


金子記者の署名入りコラムで、サンクトペテルブルクG20の首脳宣言を紹介してくれた。

1.厳しい財政や社会的困難の中で、すべての納税者が応分の税を払うことはかつてないほどの優先課題となっている。(応能負担の原則)
2.経済活動が行われ、価値が創出される場所で、利益が課税されるべきである。(発生源主義)
3.多国籍企業は、低税率の国に利益を移転することによって税額を削減している。これを国際的課税ルールは許容もしないし奨励もしない。(租税回避への不寛容)
4.足の早い所得への効果的な課税は主要な課題の一つである。(金融取引税など)

()内はわたしのつけた見出し


このG20宣言を踏まえるならば、「世界で一番企業が活動しやすい国を目指す」という安倍首相の言葉は、一種の世界に向けた「抜け駆け宣言」ではないかと疑われる。

記事の本筋は、経団連がG20宣言にクレームをつけたことに話を持って行くが、これだけ調べたのなら、そのまえにG20宣言の方向性をきちっと確認したほうが良いと思う。

まだ実物には当たっていないが、赤旗の紹介の紹介。
ブルームバーグの9月9日付電子版。

8月の米国内失業率は7.3%となり、前月よりわずかに下がった。
しかし失業率が下がっても実際の就労者は増えていない。就労率はさらに低下し、63.2%となっている。これは1978年以来の水準である。

就労率は正確にいうと、“実際の就労者+求職中の人” の “就労可能人口” に占める比率。

「失業率の低下は、労働人口の収縮の結果であり、より多くの人が職を得たからではない」

「重要問題は、就労率の低下の原因が構造的で長期にわたるものなのか、循環的あるいは一時的なものなのかを見極めることだ」


数字というのはどんどん変わっていくものなので、適宜修正していかなければならない。
16日付の赤旗8面より

1.4月に地下貯水槽からの汚染水漏れが明らかになる。6月に建屋海側の地下水が汚染されていることが明らかになる。7月汚染水の海水内流出が明らかになる。

2.8月に汚染水貯蔵タンクからの漏洩が多発していることが明らかになる。漏洩タンク近くの地下水で汚染が明らかになる。

3.現在の汚染水の量は、地下貯水槽で9万トン、汚染水貯蔵タンクで34万トン。

4.汚染水は、現在なお一日あたり400トン増えている。これはメルトダウンした核燃料を隔離できるまで続く。

5.現在貯蔵タンクは80万トンまで増設する計画だが、これは3年しか持たない。(80万-34万)÷400÷365日=3.15









メキシコの教育労働者の闘争が高揚しているようだ。

新政権が打ち出した教育改革3法のうち、最後まで残っていた教員職務法(LSPD)が9月4日議会で成立した。この法律は一言っで言えば「勤評」の現代版で、もっとキツイやつである。

教員の採用、罷免、昇任を行政の専決事項化し、「勤務評価・職務試験をおこない3回失敗すると職を失う」ことになるらしい。

これに反対する闘争が全国で盛り上がった。以下はラテンアメリカの政治経済

9月4日早朝からCNTEの労働者数千人はメキシコシティー各地で道路封鎖、デモ行進をおこなった。アウディトリ オ・ナシオナルから内務省本部、証券取引所から上院議会へ、またテレビ局テレビサ前などへと抗議行動がおこなわれ、道路は各所でマヒ状態となった。
抗議行 動は首都以外でも22の州でおこなわれた。バハカリフォルニアスル州ではロスカボス国際空港への道路が2時間にわたり、千5百人の組合員によって封鎖 された。

チワワ州シウダフアレスでは、約千人の教師が、米国への国際橋“リブレ”を無期限に封鎖した。
ベラクルス州 では10の都市でデモ行進がおこなわれたが州都ハラパでは1万人規模となった。約2千人の労働者はフォルティンの料金所を占拠し、高速道路は無料となった。
チアパス州のトィクストラグティエレスではSNTE第7セクション、保護者、先住民、農民など5万人がデモをおこなった。
ハリスコ州グアダラハラでは少なくとも5千人がデモをおこなった。キンタナオロのチェトゥマルでは9千人、ミチョアカンのモレリアでは5千人、ストとデモはヌエボレオン、モレロス、トゥラクスカラ、オアハカ、コアウイラなど各地でおこなわれた。


しかしなんといっても人目を引くのはメキシコシティーの中心部ソカロ広場の“オキュパイ闘争”である。
多分そのまま行けば今日明日中にも強制撤去作戦が発動されるだろうが、直前に自主撤去する可能性も伝えられている。

今回の闘争の中心を担うのは教育労働者全国協議会(CNTE)である。これは既存の労組である全国教育労働組合(SNTE)の反対派の組織である。
SNTEは、かつてラテンアメリカ最大の労働組合であり、その委員長は与党最高幹部の一人であった。
選挙のときには最強の集票マシンとなった。

したがって、その与党が教育改革を打ち出した時、まともに反撃できなかった。
反撃できないのにはもうひとつ理由があった。幹部が堕落していたからである。
今年3月SNTEの委員長が汚職の疑いで逮捕された。すっかり怯えてしまった残りの幹部たちは、政府の言うがままに改革案を飲もうとしていた。

そこで「たたかう全教」が闘争の主役に躍り出たというわけだ。
そして多くの教育労働者が、所属の違いを乗り越えて闘争に結集してきている。

何か、いかにもどこかで聞いたような話だ。

制度革命党というのは日本の民主党のような政党で、労働組合をバックにしながら一緒になって右傾化し、94年にはアメリカと自由貿易協定を結ぶ。これがきっかけとなって国内産業や農業は破滅する。食い詰めた連中が麻薬に手を出して、国内はとんでもないことになる。
そこで左翼に政権が移行しようとした時、「維新」みたいな右翼が突然PANと現われて、政権をさらっていく。
政権につけなかった左翼は、そこから頑張って、また政権を取ろうというところまでいくが、今度は制度革命党に雨宿りしてしまうという具合だ。
傍から見ていてもけっこイラつくが、それはメキシコの地政学的位置から見てしかたのないことだ。一歩一歩行くしかない。

これは決定的な発言だ。
当事者(技術トップ)が、首相の全世界に向けての発言を「全面否定」したに等しい。
世論調査でも、日本人の半分以上が「安倍首相は嘘をついた」と認識しているとの結果が出ている。
それでも安倍首相を嘘つきと非難する声がサッパリ聞こえてこないのも不思議な話だが、これでは「日本人は目的のためには嘘をつくことに平気だ」と思われても仕方ない。

慰安婦問題がまじめに受け止められないことも含めて、当節、かなり日本人であることが恥ずかしくなる。

ところで東電本社の対応が面白い。

1.安倍首相の「コントロール発言」は正しい。なぜなら放射性物質は発電所の港湾内にとどまっているからだ。

2.しかし、タンクからの漏洩・汚染水の港湾内流出はコントロール出来ていない。山下フェローの発言はこのことを指している。

と、なんとかギリギリ安倍首相の顔を立てた。

しかし、1.そのものもきわめて怪しい。もしこれも嘘だということになると、恥の上塗りになる。刺を抜こうとして、かえって深く差し込んでしまった可能性がある。

15日の赤旗主張が格調高い。
リーマンから5年--危機産んだ新自由主義の復活
という見出しで、アベノミクスを破産した新自由主義の焼き直しと規定している。
以下要約
1.15日はリーマン・ブラザースの破綻から5周年である。
2.リーマン・ショックは肥大化し投機化した金融の自爆であった。
3.金融危機が実体経済に打撃を与え、世界経済の不均衡が露呈した。
4.大手金融機関の救済に世界中で税金が投入された。
5.国家財政が深刻化し、増税と歳出削減が強いられた。格差の拡大と貧困化が激烈なものとなった。
6.この中で、規制緩和が危機を準備したとの認識が広がっている。そして規制強化の方向で歩みが開始されている。

アベノミクスの中核となる「成長戦略」は、破綻した新自由主義の全面復活である。
それは「カジノ資本主義」に日本という国を差し出す戦略であり、時代の流れ・世界の流れに逆行するものである。


以前、マゼール指揮ベルリン・フィルの「イタリア」交響曲の紹介をした。その時、フルートの音がやたらすごいと感心して、ゴールウェイだろうかと書いた記憶がある。

その後、ディスクの紹介を見たら次のように書いてあった。
  • 録音年:1960年4月
  • 録音場所:ベルリン、イエス・キリスト教会
  • 指揮者:ロリン・マゼール
  • 楽団:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
そこでウィキペディアのベルリン・フィルの項目を見たら、歴代のフルート奏者があげられている。
    オーレル・ニコレ(1950年 - 1959年 首席フルート奏者)
    カールハインツ・ツェラー(1960年 - 1969年、1975年 - 1993年 首席フルート奏者)
    ジェームズ・ゴールウェイ(1969年 - 1975年 首席フルート奏者)
    エマニュエル・パユ(1993年 - 2000年、2002年 - 首席フルート奏者)
よって、この演奏でフルートを吹いているのはカールハインツ・ツェラーということになる。
zoeller

この流れを見ると結構辛いところがあって、カラヤン時代に一度降ろされてゴールウェイに首席を奪われている。そして75年に首席に復帰して、カラヤンの死後に至るまで首席の座を維持している。その間33年に及ぶ。
どうゆう経過なのだろうか。

ウィキペディアのツェラーの項目
1967年、ベルリン・フィルの南アメリカ演奏旅行中に交通事故に遭い、肋骨を折る重傷を負うが、教育・演奏活動に復帰した。
何のことはない、ゴールウェイはある意味代役だったわけである。

ついでウィキペディアのゴールウェイの項目
ロンドン交響楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の首席フルート奏者を経て、1969年、ヘルベルト・フォン・カラヤン率いるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の入団試験を受け合格し、1969年から1975年まで首席フルート奏者を務めた。一時期の不和の末に、退団しソリストとして活動することを決断し、カラヤンを驚かせ戸惑わせた。
galway

ここで注目すべきは67年の事故からゴールウェイの入団まで2年の開きがあることだ。つまりツェラーが2年間の療養を終え、首席に復帰しようという矢先に、ゴールウェイが入ってきたことになる。
となれば、ツェラーとその仲間はカラヤンも知らぬ間にゴールウェイをイビって追い出したことになる。

その流れでザビーネ・マイヤー事件を見ると、怪しげな雰囲気が漂ってくる。
ザビーネ・マイヤーは1981年に首席クラリネット奏者のオーディションを受け、カラヤンに高く評価される。BPO北米ツアーで客演首席クラリネット奏者を務めるが、1982年の楽員投票で入団を否決された。
となっている。
Sabine Meyer

このとき首席はカール・ライスターである。彼も事件を“乗り越え”、93年まで首席を努めた。
leister

顔で判断してはいけないが、どうもこいつが一番悪そうだ。

もう一人がオーボエのローター・コッホである。
1979年10月、演奏旅行中で到着後の北京空港でタラップからの転落事故に遭い重傷を負うが、闘病生活の後に復活し、ベルリン・フィルに復帰。1991年9月に退任。
彼には代わりの“悪役”は立たなかった。
f:id:franztvontutu:20060713201213j:image
(この写真をアップしてくれたfranztvontutu さんによると、これは57年ベルリン・フィル初来日の演奏だそうで、コッホはまだ首席ではなく、フルートはニコレ。ツェラーとライスターはまだ入団していなかったようだ。“若き小心者のオーボエの神”と書かれているから、ライスターの驥尾に付していたのではないか)
つまりツェラー、コッホ、ライスターは首席就任も59年前後のほぼ同時で、退任も93年前後のほぼ同時。カラヤン時代をしぶとく生きにて、35年近くも同じポストを占め続けたことになる。
ひねた見方をすれば、団員の自主投票制度のもとで、一種のボス支配が35年にわたって続いたとも言える。

どんなにうまい人でも35年は長すぎると思う。これが個人のプレーヤーなら、腕は衰えても“味”で勝負できる。しかし楽団というのは楽器だ。メカニックな能力が問われなければならない。これでは楽団自体が衰弱していくのではないだろうか。


世界にはかなり熱烈なチェリビダッケ・フアンがいるらしく、YouTubeにはたくさんの音源がアップされている。
しかしそのほとんどが演奏会のテレビ放送をアップしたもので、音質はほぼ例外なく劣悪だ。
したがって、これまではチェリビダッケの演奏は名前を聞いただけで避けてきた。
今回たまたまモーツァルトの40番を聴いてみて、まず音質の良さにびっくりした。楽章の合間に咳払いが入るので、ライブであろうが、音は十分にシャープで、細かいところまでよく聞こえる。
この人ががっちりした音を構築していく人であることが分かった。音の塗り重ね具合がとてもいい。一音一音がだいじにされていると思う。オケもうまい。
「疾走する悲しみ」はとても味わえないし、いささか間が抜けていて、細かいところでつける味付けもあまりいい趣味とは思えないが…

むかし聞いたワルター指揮コロンビア交響楽団の演奏が、驚異的な高音質で聴ける。ファゴットの音がこんなに聞こえるなんて。
残念なことにに音が良くなっただけ楽団の水準も見えてしまう。いい演奏なんですよ、それは間違いなく…

50年にワルターがベルリン・フィルを振った音源があって、まったく別人だ。第2楽章が出色で、モノーラルなのに音がよほど立体的だ。第4楽章はまさに疾走する。
ワルターというより、ベルリン・フィルがすごいというべきかも。ワルターが結構脂っこい指揮者であったことも分かる。

セルのセヴェランス・ホールでの定期演奏会がエアチェックされていて、その一部がYouTubeで聴ける。残念ながら音質はひどい。しかしそのなかで40番(1970年)は比較的良い音質だ。演奏は最晩年のセルらしく圧倒的だ。いつもながら木管のカクテル・サウンドがすごい。

そうだ、今年はあれから40年だ。何かやらなくてはいけない」と書きましたが。結局何もせずに9月11日が通り過ぎて行きました。

「チリ人民連合の軌跡」と仮題をつけて書き始めましたが、とりあえず頓挫しています。

とりあえず、このページの検索欄に「チリ」と入れてください。40本ほど記事が引っかかってきます。

主なものを上げておきます。

“フォルクローレ”の流れ

ビクトル・ハラの虐殺犯が逮捕


チリ・クーデター 佐藤さんの証言 その2

アジェンデ最後の演説


チリ・クーデター 佐藤さんの証言

チリ大統領が大企業増税を宣言

チリ学生闘争年表 その3


チリ学生闘争年表 その2


チリ学生闘争年表 その1


チリ学生は何をもとめているか


チリ学生運動のジャンヌ・ダーク

私のHPに行ってもらうと、膨大なチリ年表がご覧いただけます。また評論のページには、いくつかの文章を掲載しています。

チリ年表

ピノチェト事件の行方   

ビリャ・グリマルディ(政治犯収容所、多くの人が拷問され殺された)  

グラディス・マリンの死を悼む



Havana.  April 26, 2012

チリ共産党、100年の闘い

ホアキン・リベリ

 

チリ共産党100年の歴史は、南米諸国における自由と社会正義の願いを実践に移すための鍵を示している。

右派セバスチャン・ピニェラ大統領の政府に挑戦した大きい学生デモンストレーションの起こった昨年、その名声はさらに高まった。

その運動の先頭に立ったのは共産青年同盟の書記長カロル・カリオラ、そして共産青年同盟の執行委員で、全学連の副委員長でもあるカミラ・バジェホである。

(カミラ・バジェホとチリ学生の闘いについてはこのブログでも以前紹介している)

何千もの学生は、無償で質の高い教育を要求し、野蛮な弾圧にも退かなかった。

共産党はまた、労働者の要求を支持し、政府のネオリベラリズム政策への大衆抗議を支持した。そして憲法の改正を呼びかけている。

 

1912年6月12日、社会主義労働者党として創立されてから100週年となる日が近づいてきた。そしていま共産党は好位置につけている。

 

その党は印刷工ルイス・エミリオ・レカバレンによって組織された。そして北チリの都市イキケの30人の鉱夫と労働者とが加わった。その党は新聞“El Despertar de los Trabajadores”(労働者の目覚め)のオフィスで結成された。

1922年1月2日、第二回目の大会でその名は変更された。党員たちが共産主義インタナショナルに加わることを決議したからだ。

20世紀の初頭にチリを襲った危機に直面して、できたばかりの共産党は革命にたちあがれ、権力を奪取せよとプロレタリアートに呼びかけた。闘いは始められ、直ちにブルジョア支配階級の強烈な弾圧で応えられた。

数十年にわたる闘いで、チリの共産主義者は何度も激しい迫害の期間を経験した。そして地下での活動を強いられた。そして何度も何度も組織の再建を余儀なくされた。共産党員は襲撃され拘束され殺された。

有名なシンガーソングライターでマルクス主義者のビクトル・ハラもその一人だった。彼の拷問と死は、17年のアウグスト・ピノチェト独裁のなかでも最悪の犯罪の一つである。

しかしピノチェト独裁は、その残忍性にもかかわらず、チリの共産主義思想を除去することはできなかった。

 

1933年に、チリ共産党は社会党、急進民主党と労働者総同盟と人民戦線を結成した。このことはチリの政治における共産党の比重を強めた。

第二次大戦後にチリ共産党は地下活動を強いられた。地下の共産党は1952年の大統領選挙で初めてサルバドル・アジェンデを支持し闘った。そのために社会党との間で民族解放戦線、別称人民戦線が結成された。 

この統一戦線はまだ勝利を得るにはあまりに早かったが、アメリカとチリの反動勢力の厳しい反響宣伝を促すには十分だった。

共産党はふたたび戦線に復帰し、帝国主義反対、寡占層支配反対の綱領を掲げ、社会・経済の変化を訴えた。そして1958年に合法活動を認められると、人民行動戦線(FRAP)を結成しアジェンデを支持した。58年の選挙ではアジェンデと左翼に対する支持は大幅に増加した。しかし右翼の大規模な宣伝キャンペーンの前に敗れた。

64年の選挙ではアジェンデはこれまでになく有望だった。しかしこのままでは敗北すると見た右翼は、自らの候補を辞退させキリスト教民主党のエドゥアルド・フレイ候補の支持に回った。フレイは扇動的なスピーチと改革の公約を乱発することで、アジェンデから投票をもぎとった。

1969年に、再び、もう一つの連立がつくられるまで、階級闘争は強くなり続けた。1970年大統領選挙のため、共産党をふくむ人民連合が結成された。その綱領は民衆を引きつけた。人々はブルジョア政党の約束違反に飽き飽きしていた。

アジェンデは勝利した。しかし銅山の国有化など貧しい民衆の利益を図るための手段は、アメリカにとって受け入れがたいものだった。それはまた寡頭支配層とピノチェトの率いるファシスト軍にとっても認めがたいものだった。

そしてピノチェトらは1973年9月11日に、CIAの組織した流血のクーデターをひきおこした。クーデターは何千人もの死者と行方不明者と拷問の被害者を残した。共産党書記長ルイス・コルバランも捕らえられた。中央委員のほとんどが亡命を強いられた。

それは組織の真空状態と崩壊をもたらした。そして組織の再建を余儀なくされた。ほとんどが無名の党員からなる指導部が、地下で組織を再結集するために活動した。はやくも1974年、国内指導部は機能し始めた。

1990年代の初めに、ピノチェト退陣にともなって、党の指導部は国内での闘争の再開を決定した。法的にはピノチェト時代の残滓やさまざまな制限があったが、それを乗り越えるべく挑戦を始めたのである。

とくに憲法は共産党の政治的な影響を制限し、議会への参加を防ぐように作られていた。それにもかかわらずチリ共産党はすべてのレベルの選挙に参加することを決定した。

1999年、党書記長の闘士グラディス・マリンが大統領に立候補して、困難な状況のなかで3.19% を獲得した。

2005年、彼女は病に倒れ、もう一人の傑出した革命家、ギジェルモ・テイジェルが党の指導部を引き継いだ。

その年に行われた議会選挙で共産党は民主連合との協定を結び、三人の下院議員の当選を実現した。ウーゴ・グティエレス、ラウタロ・カルモナ、そしてテイジェルである。

共産党はまた、わずか3人の議員団でピノチェト独裁の制定した法律に果敢な闘いを挑んだことで威信を高めた。それらの法律はネオリベラリズムの立場に立ち、国家の天然資源を略奪する多国籍企業と国内寡占層を保護するものであった。

党の現在の任務の一つはいわゆる“binominal elections”の排除である。これは一種の法的トリックで、独裁政権時代に左翼が議会に代表を送り込むのを防ぐために創りだされたものだ。

Wikipedia には長々と説明が書かれているが、読んでもさっぱりわからない。最後の「共産党はこのために1議席も取れなかった」というところだけは分かる。

that rewards coalition slates. Each coalition can present two candidates for the two Senate and two lower-chamber seats apportioned to each chamber's electoral districts. Typically, the two largest coalitions split the seats in a district. Only if the leading coalition ticket outpolls the second-place coalition by a margin of more than 2-to-1 does the winning coalition gain both seats. The political parties with the largest representation in the current Chilean Congress are the centrist Christian Democrat Party and the conservative Independent Democratic Union (Unión Demócrata Independiente). The Communist Party and the small Humanist Party failed to gain any seats

先住民であるマプーチェの人々はつねに党を無条件に支持してきた。

党は学生の弾圧に反対している。そして生活水準の改善を求める労働者のストライキを支持している。

それらすべての活動は無産者の解放とチリにおける社会正義の実現に捧げられている。

チリ共産党は勝利を確信し、この路を歩み続けるだろう。


チリとクーデターについての知識が行き渡っているラテンアメリカで、チリ共産党の100年の歴史をこれだけのスペースにまとめるとは、グランマもいい度胸だと思います。

すでに見てきたように、この社会主義計画経済論争はミーゼスの社会主義計画経済への批判から始まった。

ミーゼスの批判は、言い出しっぺだから仕方ないのだが、かなり粗雑だった。そのため結局彼の「批判」は論破されてしまうのだが、より大きな範囲、歴史的なスパンで考えると、この問題はそう簡単に決着がつく問題ではない。

「市場か計画か」という二分法的な思考は、「市場なき計画経済など破綻するに決まっている」、という素朴な感情から出発している。そしてそれは実際に数十年を経て破綻した。したがっていまや二者択一的な議論は無意味となっている。

この論争を論争そのものとして読むことは無意味となっているが、この論争からいくつかのことを読み取ることは必要だろう。

1.経済の計画化は可能である。

2.市場なき経済は可能である。

3.市場なき計画経済は不可能である。

4.市場には経済の均衡を果たす役割はあるが、経済をかく乱する面もある。

5.市場には経済の均衡を保つ以外の働きがある。(欲望の創出と推進? 市場支配の拡大?)

この内

1.については両派の合意が得られた。これはサイバネティクスの手法を取り入れたランゲの主張に沿ったものである。

2.についてはポランニーが主張したが、前資本主義の時代の話が社会主義にも通用するかについては、論争の主題からは外れる。

3.については現実の問題として結論はついている。しかしなぜ不可能なのか、それが未来永劫不可能なのかは、必ずしも十分に解明されていない。

4.についてもある程度合意はあるのではないか。つまり経済の均衡は市場の本質的役割ではないということである。

5.についてはハイエクとシュンペーターが違った側面から主張し、3.とのからみで大方の合意があると思われる。

先立つ時代に比し、資本主義社会は爆発的と言っていいほどの生産力の進歩をもたらしたし、今ももたらしている。それは人類の欲望が爆発的に創出されたからである。では資本主義のどこが人間の欲望を生み出しているのか、「欲望の生産過程」それも単純な生産過程ではなく拡大再生産される過程、それは市場の中にあるのではないか。

老健にいると、「ご家族様への説明」というのがもとめられる。まぁそのために雇われているみたいなものだから、仕方ないのだが。

それで、話の半分以上は「胃ろう」の話になる。私には当然のお勧めの方法なのだが、世間では逆だから困る。

「自分の家族だったら薦めますか」

「はい、薦めます」

「自分でもしようと思いますか」

「はい、自分もしてもらおうと思います」

この後どう続けようかと、毎日工夫している。

人間、生きるというのは、けっこう辛いことだ。

年をとるとなんでも面倒だが、食べるのも面倒だ。

食べなくてもいいなら、断然楽できる。

献立を考える必要はないし、スーパーに買物に行かなくても済むし、煮炊きする必要もないし、食器を洗って棚に入れる必要もないし、ゴミ出しもしなくてすむ。

食べたくないのに、「頑張って」と急かされて、無理して食べる必要はない。むせないかとヒヤヒヤしながら食べる必要もない。飲めずに口に広がる苦い薬も飲まなくて済む。

食べたきゃ食べりゃいいんだし、第一点滴に縛られなくていいというのは、それだけで極楽でしょ。

60で性欲はなくなって、80で食欲はなくなって、煩悩の種が減っていくというのはありがたい話じゃないか。

後は好きな事をして、あるいは何もしないで、静かにお迎えを待ちましょう。


早川幸子 [フリーライター]さんが良いこと言っている。最後の部分だけ引用させてもらう。

尊厳死、自然死ブームの裏側にあるもの
胃ろうは本当にムダな医療なのか?

 尊厳死が法制化されれば、適切な治療を行えば助かる命も、医療行為を何もしないことが良いことのように思われ、患者は次々と死の淵に立たされるかもしれない。

 かつての過剰医療に対する反動なのか、自ら尊厳死、平穏死、自然死を求める人も増えているようだ。しかし、そのブームの裏側にある国の医療費削減策といった仕掛けを知っても、人々は素直に死を選ぶのだろうか。

 多くの人が本当に求めているのは、「最後まで自分を大切にしてほしい」「自分らしく生きたい」という尊厳ある生を全うすることだと思う。それをさせずに、尊厳死を選べば解決するかのような喧伝は、問題のすり替えでしかない。


「ネイチャー」誌といえば、泣く子も黙る自然科学分野の最高権威だ。

ノーベル賞の登竜門とも言われる。

その「ネーチャー」が、このところ福島原発への関与を強めている。

8月13日号ではFukushima: 'Ecolab' branding insensitive

8月29日号ではFukushima leaks 18 times worse than first thought

そして9月3日号では Nuclear error

とまで書いた。副題は

Japan should bring in international help to study and mitigate the Fukushima crisis.

となっている。福島の「危機」と、それをもたらした「エラー」は科学界のお墨付きをもらったことになる。その直後に、安倍首相の発言が飛び出したわけだ。


@yoko71さんによる日本語訳が読める
http://yokofurukawa.tumblr.com/post/60466011377/9-5-nuclear-error

1.原子力事故から2年半、TEPCO(東電)は、三機の破壊された原子炉での核燃料の貯蔵タンクで起こる問題の原因とその深刻さを、認識できていない

2.今回の漏洩で、この貯蔵システムは、管理の行き届いていない時限爆弾のようなものだ、ということがわかってきた。

3.日本政府の今までの対応や情報公開(のお粗末さ)の前例から考えると、日本政府がこの事態の収拾を、TEPCOよりも上手くやっていけるのか、疑問として残る。

4.漏洩しているタンクの周囲の放射線量は、当初の報告よりも18倍高かった。単なる「異常事態」として始まったはずの漏洩が、結果的には本物の危機となってしまった。

5.日本は、ここで海外の専門家に助けを求めるべきだ。世界中からの研究者がデータを集め、解析し、シェアできるように、サポート体制をととのえるべきだ。

少なくとも福島では、まだ遅くはありません。

韓国の中央日報日本語版が、抑制された、しかし真相をしっかりと衝いた良い記事を掲載している。  (2013年09月10日)


安倍晋三首相の“放射能汚染水完全統制”発言はオリンピックの東京招致に決定的な役割をはたした。

しかし一部の報道機関と専門家からは「果たしてそう断 定できる状況か」という疑問の声が出ている。

毎日新聞は「こうした無責任な発言をしてもよいのか」「閉炉までこれから数十年かかるはずだが、安倍首相の発言には違和 感を感じる」という福島原発勤労者の反応を紹介している。

共同通信も、京都大学の小出裕章氏の「何を根拠にコントロールされているというのか分からない。あきれる」という発言を紹介した。

最も大きな問題は「汚染水は0.3平方キロメートルの港湾内部で完全に遮断され ている」という発言だ。

1.8月8日 東京大学と日本海上技術安全研究所は「福島原発20キロ内の海底で40カ所にのぼるセシウム ホットスポットが発見された」と発表した。

2.8月末 東京電力は汚染水タンクから300トンの高濃度汚染水が流出したと明らかにした。汚染水は0.3平方キロメートルの広さの港湾ではなく、太平洋と直結する排水口を通じて外洋に流れた。
日本国内のすべての主要新聞もこれを1面に大々的に報じた。

法政大の水島宏氏は「港湾外20キロのアイナメから、基準値の258倍のセシウムが検出されている。それでも笑顔を浮かべて『私が安全を保証する』と断言した安倍首相の厚顔はなかなかのものだ」と述べている。

以下は中央日報独自の鋭い視点。

  安倍首相が8日、IOC委員の質問を受けて発言した内容も注目される。安倍首相は「新聞のヘッドラインではなく“事実”を見てほしい」と述べた。日本メディアの報道は事実でない、という論調だった。

自国の首相によって“国際的な恥”をかかされた日本メディアが今後どのような“真実” を暴き出すかも注目される。

メディアの皆さん、注目されていますよ!

安倍首相のディナー攻勢がこれほど霊験あらたかなものとは知らなかった。
グーグル検索したら、12時の時点で国内大手メディアの報道はこれだけだ。

1.安倍首相:汚染水「完全にブロック」発言、東電と食い違い
毎日新聞 - 1 日前

2.原発の汚染水 “完全ブロック”発言の真相
テレビ東京 - 4 時間前


テレビ東京のニュースはビデオで見ることができる。いい内容だ。

朝日、読売、日経、産経 一切報道していない。

ウォールストリート・ジャーナルとニューズウィークはしっかりと報道している。

要は、安倍首相と晩飯を食ったか食わなかったかが勝負の分かれ目だ。


これは相当深刻な問題だ。

本日の赤旗二面の囲み記事。菅官房長官の10日の記者会見

安倍首相の「汚染水は港湾内0.3キロの範囲で完全にブロックされている」発言について質問された。

菅官房長官は「水は当然、行き来している」と答えた。どことどこを? 当然0.3キロ以遠の外洋と汚染水だ。

これは単純な三段論法だ。

A 港湾内外の水の放射性物質濃度は国際基準を下回っている。(菅長官の言明)

B 港湾内に流れ出た汚染水は、ストロンチウムで10兆ベクレル、セシウムで20兆ベクレルにのぼる。(東電発表)

C ゆえに流出した汚染水の殆どは港湾外に拡散したと考えられる。

これで「完全にブロックされている」というのが嘘だということがはっきりした。

もう一つ、完全にブロックされているというのは、誰かが何らかの方法で完全にブロックしている からこそブロックされているということだろうが、誰がどんな方法でブロックしているのかが分らない。

菅長官の話だと「水は当然、行き来している」とうことだから、実のところ何もブロックしていないのではないか。

記者会見では東電の張った「水中カーテン」(シルトフェンス)完全ブロックの手段だと示唆されているようだが、その有効性の評価はさておくとしても、すくなくとも原理的には「完全なブロッケード」とは言えない。

言ってみれば、網戸で雨風を遮るようなものだ。

もし安倍首相が水中カーテンをさして「完全ブロッケード」と言っているのなら、怒りを通り越して、「完全な物笑い」の種だ。安倍首相は「お笑い」も輸出しようとしているのだろうか。

安倍首相の「コントロール発言」は憶えておいた方がいい

9月7日に安倍首相が IOC総会で行った原発発言は、思わず耳を疑うものだった。

お互い健忘症の気味があるので、しっかりメモしておいたほうが良い。この言葉にウソがあったら、我々はオリンピックを返上しなければならなくなる。

1.状況はコントロールされている。

2.健康問題については、今も将来もまったく問題ない。

3.すでに、わたしが責任をもって抜本的解決のプログラムを決定した。

とし、「コントロール」の技術的内容として、

汚染水は港湾内0.3平方キロの範囲内で完全にブロックされている

と断言した。


この3つとも、控えめに見て不正確、きつく言えば嘘っぱちだ。

1.水素爆発やメルトダウンの可能性は今のところ低いが、ゼロとはいえない。汚染水はまったくコントロールされていない。

2.A 健康問題は、住民が避難生活を続ける限り、今のところ深刻な問題ではない。しかし内部被曝による遅発性障害の危険は除去されたとはいえない。

B 事故処理に当たる作業員の被曝の可能性は依然高いままである。

C 汚染地域に将来とも人間が住む可能性が否定されている。

3.たしかに政府は責任を持つと言明したが、その内容は明らかではない

A これまで東電任せにしてきたのが、やっと政府が出てきたに過ぎず、それは事態の深刻さの表現でしかない。

とくに最後のIOC委員の質問に対する答え「0.3平方キロ」の数字は、かぎりなく虚偽に近い。一国の首相としてこのような数字を示すのは致命的となる可能性がある。

実際に汚染水はブロックはされていないし、そもそもブロックしていない。完全もヘチマもない。

外国のメディアは甘くはない。ディナーにお呼ばれもしていない。

汚染水が0.3キロを越えて確認されれば、「完全なブロック」が事実でないことがはっきりすれば(いずれはっきりするだろうが)、安倍首相と日本政府は世界中から嘘つき呼ばわりされることになる。東京五輪は「嘘つき五輪」と呼ばれるようになる。

共産党は書記局長談話を発表している。

国際的な場で述べた以上、それは国際公約になる。

“問題ない”というなら、その根拠を国際的にも、国民と国会の前にも明らかにして、責任を果たす必要がある。

たしかにそれが明らかにされるなら、オリンピックが決まったことよりもはるかに嬉しいニュースだ。


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