鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2013年07月

慰安婦の給料については、誰かの妄想というブログが詳しい。そちらを直接あたってもらえば良いようなものだが、ちょっとややこしいので、要点を抜き出しておく。

ブログ主はビルマの例を取り上げている。理由は一つは、「なかった」派の最大の根拠となっているからであり、もう一つは正式な文書を元にしているからである。

文書の名前は、「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日」という。

ブログ主によると、文書の要点は以下のごとくだ。

これは、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。
多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。

「なかった」派はこの一節から次の結論を引き出している。

慰安婦の月収は平均750円で、当時の陸軍大将の月収500円~600円より多かった

これに対し、ブログ主は次のように反論する。

①1500円の給料は日銀券ではなく軍票で支払われていた。

②軍票は日銀券とは遮断されており、兌換不能であった。

③南方占領地の中心シンガポールでは、物資不足と軍票の乱発により、3年間で軍票円換算の物価は350倍になっている。前線であるビルマではさらに軍票の実質価値は下がっていた。

だから、慰安婦たちは陸軍大将を上回る給料をもらいながら、生活困難に陥っていたのである。


この「慰安婦高給説」の論拠が崩れると、「なかった」派の旗色はかなり悪くなる。慰安婦の契約は純粋に経済的な動機に裏付けられたものとは言いにくくなる。


★☆日本の未来へ☆★

というページがあって

従軍慰安婦は問題ではない

という記事を載せています。むかつくような揚げ足取り論法ではなく、割りとまともにその理由を提示しているので、少し整理してみました。

理由 1

従軍という言葉は軍属という正式な身分を表す言葉である。慰安婦たちは民間の売春業者が雇った民間人である。故に従軍慰安婦という存在はなかった。

コメント その通りです。従軍慰安婦という言葉は通称に過ぎません。しかしそう呼ばれる女性たちの実体はあったので、ただの民間の売春婦ではありません。

理由 2

フランスやドイツなどにも慰安所はあった。

コメント たしかにドイツにもそれらしきものはあったようです。フランスについては存じませんが、ヴィシー政権のことでしょうか? 事実を示していただきたいと思います。

理由 3

1958年まで戦後日本は売春が普通に行われていた。

コメント そのとおりですが、この際関係ないでしょう。

理由 4

慰安所設置でその強姦事件をなくすことができる。慰安所は必要悪である。

コメント 慰安所はいかなる観点から見ても必要悪とはいえません。問われているのは法的正当性です。この主張に固執する限り、議論の余地はありません。

理由 5

慰安婦は軍が強制的に連れて行ったものではない。

コメント 散々やった話なので、省略。

理由 6

吉見義明中央大学教授は1997年1月31日放送のテレビ朝日系列の「朝まで生テレビ」において「日本の植民地(朝鮮、台湾)については、強制連行を示す資料はない」と言い切った。

コメント 「吉見発言」なるものは、慰安婦擁護派の最大の武器になっているようですね。

理由 7

強制性が問題であるならば、社会人は社会に強制的に労働させられているから、奴隷なので、賠償が必要だ。

コメント 「強制労働」の定義をお伺いしたいものです。

理由 8

慰安婦たちの給料は300円から1500円であり、これは当時の日本陸軍の大尉の月給が110円であったことを考えれば法外に高い給料であり、当時の女工の級は50円にもみたなかった。

コメント これは相当の高給であり、自発的に応募した人がいたとしても不思議ではない。もう少し客観的なデータがほしいが。

理由 9

1944年にジャワ島セラマンで一人の陸軍少佐は、自分の部下が現地人を慰安婦に強制しようとしたことを黙認しただけで死刑になっている。他に軍・民で合計7人が7年から20年の禁固刑になっている。

コメント ジャワについてはかなり公判記録も残されており、全体像が明らかになっているので、その中で議論すべきでしょう。

理由 10

軍と同行し、戦場または準戦場に位置していることを考えれば外出時間や場所の制限は当然であり、まったく人権侵害にはあたらない。

コメント 逃亡防止のためでなければそのとおりですが、準戦場とも言えない上海や南京ではどうだったのでしょうか。

なお文中に下記のような引用があり、慰安婦が人道的に扱われた証拠として提示されているが、これは同時に慰安所が軍の全面的管理のもとに置かれていたことの証拠でもある。また往々にして「粗暴なる行動」や「ピンハネ」があったことを示唆した証拠でもある。

「森川部隊特殊慰安業務ニ関スル規定」(昭和14年11月14日)の中には「慰安婦ニ対シ粗暴ナル行動ヲナスベカラズ」、「慰安所ニ要スル経費ノ一切経営者の負担トス」、「常ニ慰安所内ヲ清潔ニシ飲食物及酒肴ノ販売ヲ禁ス」

石第三五九六部隊の「後方施設ニ関スル内規」(昭和20年1月8日)には、慰安経営者や従業員にたいして礼儀を重んじることを命令している。

「石兵団会報第 74号(後方施設ニ就キ)」には、雇用主は慰安婦にたいして「毎月稼高ノ百分ノ三」を「貯金」させ、慰安婦をやめるときに「本人ニ交付スル」とあり、なおかつ 「遊客其他ヨリ稼業婦ニ於テ直接収受シタル金品ハ、全テ稼業婦ノ所得トス」、「遊興費ノ不支ハ全テ営業主ノ負担トス」、「稼業婦廃業シタルトキハ雇主ハ稼業当日迄ノ稼高ヲ清算スベシ」とあり…

一般論でない経済/財政再建論を示さなければならない時が、意外に早くやってくるかもしれない。
スタグフレーションとソブリン危機がすぐそこまで来ている。

さらなる財政出動は避けられない。
ただ財政再建策が同時に提示されないと説得力はない。
最優先されるべきは雇用か、累進課税の強化か? それとも内部留保を潜在財源とする再建債の発行か。
資本の海外流出は止められるのか。中堅企業への集中投資は景気回復の特効薬となるのか?

期限を切った原発の再稼働抜きに貿易赤字の拡大は止められるのか。
外国資本の一斉逃避を迎えて、基幹産業は持ちこたえられるのか。
しかしはっきりしていることがある。このままではジリ貧だ。財界の主張に未来はない。

ここは一発賭けに出るしかない。
やることは大企業の行動にタガを嵌めることだ。そうなれば大企業は規制に従う企業と、アメリカの大企業と運命を共にする企業に分かれるだろう。日産とホンダはあちらに行くだろう。マツダとスバルは残るだろう。電機は根こそぎだろうが、アセンブリー系はニッチ産業として生き残る可能性がある。トヨタと新日鉄は悩むだろう。

後1,2年の勝負だ。日本は今やそういうところに差し掛かっている。


本日の「経済アングル」は柳沢記者の担当。
外国人持ち株比率の急増について触れている。

事実としては以下のとおり。
①主要18社の外国人持ち株比率は今年3月時点で30.0%。
②これら18社の03年3月での比率は17.7%だった。10年間で1.69倍となった。
③上場企業全体でも外国法人が28%を保有している。
*主要18社とは、経団連の現在の会長・副会長企業のこと。

外国人投資家には次のような傾向があり、彼らの持ち株比率が高まれば、その影響も強まる。(この部分は私の考え)

①会社の利益より株主の利益。
②会社の成長より短期の利益
③生産・労働過程への無関心と、資金運用への執着
④さまざまな忠誠心や企業倫理の完全な欠如

柳沢記者は外国人持ち株比率の急上昇の影響として、以下の項目をあげている。
①企業価値を高めるのではなく、より短期的な目先の利益を追求する
②人材の使い捨て、人件費コストの削減。
③海外進出と国内の空洞化
④日本経済に対する責任の放棄

一応のスケッチではあるが、何故そうなったのかの分析はここでは行われていない。このコラムでは当然書けるものではないが、あまり説得力のある議論に出会ったこともない。



友寄さんの書いた連載「多国籍企業と国民経済」の②に、注目すべき一節がある。

もちろん、多国籍企業化は必ず「空洞化」をもたらすというわけではありません。

対外直接投資の増大は、投資財や生産財の輸出の増大をもたらし、国内投資にも連動する。(すなわち国内産業にとってポジティブな効果もある)
しかし、日本の場合は、あまりにも急激に対外投資が増加してきたために、国内の経済成長が停滞しつつあります。

ドイツや米国などの主要国では対外直接投資と国内投資の両方が増加傾向にある。しかし日本においてのみ、国内投資が減少しているのはこのためである。


国内産業にとって、多国籍企業化が全体としてネガティブであることは論をまたないが、ただそのテンポによってはウィン・ウィンの関係を作り上げることも可能だという指摘である。

この一節は、ことのついでに書き加えたという感じで、それ以上の展開はなされていないが、重要な見解と思う。今後、こうした方面からの検討と提言も必要なのではないか。

先日、「穴隈鉱蔵の弁」というのを紹介した。

いやしくも国のためには、妻子を刺し殺して、戦争に出るというが、男児たるものの本分じゃ。かつ我が国の精神じゃ。人を救い、村を救うは、国家のために尽くすのじゃ。我が国のために尽くすのじゃ。

というセリフが、どうにもこうにも支離滅裂なのが気になって、原文を当たってみた。

青空文庫の 泉鏡花 戯曲「夜叉ケ池」である。

場所  越前国大野郡鹿見村琴弾谷
時   現代。――盛夏
人名  萩原晃(鐘楼守)
     百合(娘)

この二人が夫婦、萩原晃というのは実は伯爵家の息子で、この村にふらふらと彷徨い込んで、鐘つきになってしまったといういい加減な設定。

穴隈鉱蔵は県の代議士で、「美しい日本」の代表みたいな人物だ。

筋立ては田舎芝居そのものだが、芝居のツボはしっかり押さえられている。泉鏡花という人物、かなりの芝居好きと見える。

実は穴熊のセリフには伏線があって、百合とともに逃げようとする晃の前で、百合の叔父という人物が村の利益代表として訴える。

私(わし)が姪(めい)は、ただこの村のものばかりではない。一郡六ヶ村、八千の人の生命(いのち)じゃ。その犠牲の女を連れて行(ゆ)くのは、八千の人の生命を、お主(ぬし)が奪取って行(ゆ)くも同然。

これに対して、晃が激昂する。

ならん、生命(いのち)に掛けても女房は売らん、竜神が何だ、八千人がどうしたと! 神にも仏にも恋は売らん。お前が得心で、納得して、好んですると云っても留める

ここで加勢に入った晃の友人学円(これも京大教授)が反論する。

天を泣かせ、光を隠して、それで諸君は活(い)きらるるか。…六ヶ村八千と言わるるか、その多くの生命は、諸君が自ら失うのじゃ。

これなどは反原発の論理そのものだ。

そこに、「村の論理」を「国の論理」に包摂するものとして穴隈鉱蔵が登場する。「朝の風」ではそれが取り上げられているのだが、実は村の論理と串刺しになっているのだ。

そして晃は穴熊に対して怒り狂い、次のセリフを発する。

死ね、死ね、死ね、民のために汝(きさま)死ね。見事に死んだら、俺も死んで、それから百合を渡してやる。

ただ、本では代議士となっているが、実はただの県議だ。これに対して侯爵といえばスーパー大名格である。福井松平家50万石が侯爵である。加賀前田家ですら侯爵だ。眉がぴくっと動けば、たちどころに穴熊の首は飛ぶ。これでは話は終わっている。


私が演出家なら、穴隈鉱蔵は石破幹事長にお願いする。百合はキャンディーズのスーちゃんだ。その叔父には敦賀市長が適役だろう。

さぞかし、良い芝居になるだろう。

赤旗もさすがに音を上げたようだ。

先日小泉記者が、エジプト民衆の現場の声を色濃く反映したレポートを出した。
「いろいろあるが、運動の現場ではモルシを退陣に追い込んだのは民衆の力であり、軍事クーデターによる政権転覆とはいえない」
というのが現場の声であろう。

ただ、多少引いた所で眺めると、「モルシを退陣に追い込んだのは民衆の力であるが、問題もいろいろあるんじゃない?」と考えるのも、もっともである。

さはさりながら、このままの形で運動が収斂してしまえば、残るのはまごうことなきクーデターと、軍の権力回復という事態であり、民衆の運動は簒奪されたことになる。
それでは軍の権力掌握を否定して、もう一度モルシ体制を復活させようということになるのかというと、それでは民衆の方で黙ってはいないだろう。

ということで、25日の紙面は「激動エジプト 識者に聞く」という見出しで、完全イーブンの二つの談話。

一人は千葉大学教授の栗田さん。この談話の見出しは「国民の巨大な運動が政権崩壊に追い込んだ」

最初の段落を書き出すと、

モルシ政権の崩壊は若者グループの運動や、「救国戦線」に結集した諸政党など、国民的運動の成果です。
結果的に群が大統領を解任し、政権移行過程を管理する行動に出たので、欧米等のマスコミは「軍事クーデター」として描いていますが、国民の巨大な運動が政権を崩壊に追い込んだと見るべきです。


栗田さんの談話の特徴は、民衆が自らの手で勝ち取った立憲・民主制を一時サスペンドする道を選択した、それほどまでに強いモルシ政権への怒りをまず理解した上で発言すべきだ、という政治のダイナミクスの重視です。

もう一人は東大教授の長沢さん。こちらの見出しは「軍の思惑をはらんだ“性急なクーデター”

モルシ大統領を退陣させた軍の行動は、多くの国民が歓迎したとはいえ、“性急なクーデター”だったのではないかと考えます。モルシ退陣を求める2300万人の署名をテコに事態の収拾を図ることは可能でした。

ということで、両論をすりあわせながら今後を見て行かなければならないのであろう。

ことの是非は別として2つのことが確認される。まず、軍の行動は民衆の考えとは違う戦略に基づいているということを確認し、覚悟しておくべきだということ。
もう一つは、モルシの全面復権はありえないということだ。したがってそこには立憲制の断絶が生ぜざるをえないということだ。政権移行の合憲性は、何らかの形で担保されなければならないということだ。

長沢さんはそれが「憲法改正をめぐる闘争」になるだろうと予想している。
そして、その憲法に民主主義、人権、文民統制、地方自治の精神を盛り込むことにより、非平和的政権移行の可能性を封じ込めることが、軍事独裁の再現を許さず、非宗教支配(secularism)をつらぬくための保障となるだろうと見ている。

実践的には、たしかにこのへんが落とし所になるのではないだろうか。

私はメキシコ革命を思い起こしている。1912年に始まった革命は、反革命や、裏切りや妥協を織り交ぜながら6年間続いた。ありとあらゆる人々がありとあらゆる党派に属し、相互に「武器による批判」を繰り返した。

そして皆が疲れ果てたとき、1917年憲法が発せられ、革命は落ち着くところに落ち着いた。
そこが革命が始まる前より、はるかに進んだ地平であったことは間違いない。なぜなら殆どの人々が前進を欲していたからだ。


駒澤史学 10, 44-51, 1962

洞門禅僧と神人化度の説話

葉貫磨哉

洞門諸派の禅僧がようやく全国的発展への道を歩み始めるのは14世紀後半からである。これら発展にあたって各派の禅僧は有力外護者の庇護や、被支配者等の共同の外護によって法流の持続進展を計った。

しかしながら禅宗の宗旨は高尚深遠で、地方の比較的知識の低い階層には理解することは難しかったに相違ない。しかし素朴で原始的な信仰心は持っていたとみられる。

そこでコレレ素朴な住民に禅旨を説く方便として、最も簡単でそして人々の本来の信仰心を惹起させる因縁話を布教の手段として用いるようになった。

すなわち禅僧が神に戒を授けて弟子とし、神は夜中密かにそれら禅僧の室中に入室参禅し、果は大いに印可され、神はその礼を謝し、噺するに禅僧の住する山居を護持することを約束するのである。

これを聞いた山下の居民が如何ばかりか禅僧の高僧大徳なるを知り、競い来たって帰依者となり、大いに梵字を構えて法灯の持続発展する基をなしたといい、これら居民の信仰ぶりを聞いた支配者が、山林田地を寄進して住持・雲水の食輪にあてることなども現れ、……

このような説話は元来その土地に住む住民が、その土地の土俗神に対する純粋素朴な信仰心を持ち得ているところから、住民の神に対する信仰心をこのような説話を創りだして禅僧への信仰心にすり替えることを目的としたものにほかならない。

禅旨を理解できる程度の学問と余裕を持つ階層に、初めから帰依され庇護される諸派にはこのような説話は伝承されず、むしろ名も無き貧夫野人の帰依を促すため、またはこれら非支配者たちの共同の外護を期待するために作られたものということができる。


以上は50年も前の論文の書き出しである。実に簡潔にして要を得た名文である。私の想像は図星だったようだ。これで禅宗の分布地域が、何故そういう分布なのかも見事に説明できる。

禅宗というのは海苔を巻いた握り飯みたいなもので、皮一枚下はただの飯だ。上の海苔だけ見て、全部が海苔でできていると思ったら大間違いだ。

2日間の便秘がスッキリしたような気分だ。

宗派の全国分布を見ていて気になったのは、何故禅宗がこんなにも多いのかということである。

ところが、ネットを見ても満足の行く説明はない。

むしろ禅宗の教えがさも高尚で、武士道の精神に則ったものだという説明ばかりだ。そんな宗教が堂々の全国第二位になるわけがないのだが、シェア拡大の秘訣を語るページが見当たらない。

かろうじて、本の内容を紹介した一文を見つけた。

駒沢大学の広瀬先生のページ

廣瀬良弘『禅宗地方展開史の研究』(吉川弘文館、1988年)という本の紹介だ。

これによると、

①曹洞宗の室町・戦国時代の展開では、(1)在地領主連合関係、(2)一族関係、(3)主従関係に沿って展開した。

②時代が降ると壇越は小規模化し、禅僧たちは地域の神に戒を授け、自らの弟子とするという神人化度の説話を生み、地域の神を取り込み、温泉場開発など地域での祈祷・法要により、受容されていった。

③15世紀前半以降は、禅僧の語録の中で葬祭に関するものがほとんどを占めるようになった。

④15世紀後半には、すでに、盛んに授戒会が行われ、これも在地武士のみならず、農民・諸職人から下人まで、一度に50人、60人に戒を授けている。

⑤このような禅僧の問答・法要儀式などの活動を支えたのは、抄物・切紙の授受であった。

こうして曹洞禅宗は、浄土系宗派や真言宗などと競合しながら、上層農民等の民衆にも受容され、とくに東日本の後進農村地帯や、やや山間部に展開していった。


というわけで、戦国の世が終わるころは、食い詰めた末端の坊主が地方に入り込んで、詐欺まがいの手法で信者を駆り集めたようだ。

禅宗というのは良くも悪くもソフィストだから、相手をけむにまくのはお手のものだったのかもしれない。

たしかに静岡はだまされやすい県民性だ。


日本における仏教諸宗派の分布 ―仏教地域区分図作成の試み―

というページを見つけたので、少し調べてみた。ここでは日本の仏教各宗派を①天台・真言系、②浄土系、③禅系、④日蓮系の4つに大別しており、整理しやすい。

全国の寺院の宗派別集計で見ると、①浄土系42%、②禅宗系29%、③真言系21%、④日蓮系8%となっている。ただしこれは昭和34年のデータにもとづく数字であり、その後相当数が淘汰されている可能性はある。

まず天台・真言系が5割を越す県は茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉の関東地域。そしてなぜか岡山と徳島が多い。とくに徳島は68%と圧倒的な比重を占めている。

真宗をふくむ浄土系が5割を越すのは北海道、富山、石川、福井、岐阜、愛知、三重、滋賀、大阪、奈良、広島、山口、香川、福岡、熊本、鹿児島となっ ている。富山、石川、鹿児島では寺の3/4が浄土系となっている。北海度で高いのは石川・富山からの移民が多いのと、開拓期に本願寺が開拓の先頭に立った ためであろう。

禅宗系が5割を越すのは、岩手、宮城、秋田、山形の東北4県、山梨、静岡の中部2県であり、とくに静岡の69%が際立つ。大阪、奈良など近畿で1割に満たないというのもひとつの特徴である。

日蓮宗は千葉、東京、山梨で20%を超えるが、ほかはほとんどが10%以下であり、石川でも7%にとどまり静岡の16%を大きく下回る。

5割を越す宗派がない県は青森、福島、東京、神奈川、新潟、長野、京都、兵庫、和歌山、鳥取、島根、愛媛、高知、佐賀、長崎、大分、宮崎であり、浄土系と禅宗系が喰い合いしている場合が多い。

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私のような縁なき衆生にとっては寺の数だけで十分ごちそうさまだが、関係者にとっては、信徒数で比較しなければ意味がないと思うかもしれない。

この論文はご親切にも信徒数まで出してくれている。それも不肖の信徒までふくめた数とコアーな信徒である檀家数とに分けてだ。そこで檀家数で各宗派の分布を見てみる。

そうすると浄土系が俄然強くなる。新潟、京都、和歌山、島根、佐賀、長崎、大分、宮崎が加わる。西日本総なめである。ただしこれは大正11年のデータである。

この論文ではご親切にも明治12年のデータと比較をしてくれている。これで見ると、明治の初期には天台・真言系がかなり多かったのが、高野山の大火のあとで寺社を整理しているようである。

例えば和歌山県では明治初期には天台・真言宗系寺院が1千あまりを数えたが、10年後には750まで整理され、その後も漸減し明治末に浄土系を下回るようになった。そして昭和初期には二位の座も禅宗に明け渡すようになる。

それにしても、日本史の授業ではずいぶん一向宗や日蓮宗の階級性とか戦闘精神が強調されていたが、どうも「日本人にとって宗派がなんぼのものかいな?」という感じがしないでもない。

忍者寺の解説にも、一向一揆に対抗して日蓮宗を押し立てたと書いてあるが、数字を見れば何ほどのこともない。大体が前田家にしてからが、江戸の回向寺は禅宗だ。

あまり、中世の時代を見るのに宗教性は重視しないほうが良いのではないだろうか。

金沢に忍者寺というのがあって、そのへんの見世物小屋とはまったくレベルの違う仕掛けが満載のお寺なのだが、面白いというのか不思議だったのが、日蓮宗という宗旨だった。

私の日本史の知識は乏しいので、加賀といえば一向宗と決まったものだと思っていた。それと日蓮宗というのが割と縁遠い存在で、たしかに静岡ではドンツクドンドンツクツクという団扇太鼓は馴染みの音ではあるが、実際に回りのお寺さんで日蓮宗というのはお目にかかったことはない。

日蓮さんというのは、映画で見た覚えがあるが、何かえらく政治好きの闘争心旺盛なお坊さんのような印象がある。

お寺一覧というページで、静岡市のお寺を調べてみた。

真言宗 24, 浄土宗 22, 真宗14、 臨済宗 113, 曹洞宗 143, 日蓮宗 49, 

ということで、お寺といえば禅宗なのである。チンボンジャラーンと鳴り物入りの葬式で、頭が高く、葬式代も高いといわれている。

次が金沢市

真言宗 27, 浄土宗 26, 真宗 209, 臨済宗 8, 曹洞宗 59, 日蓮宗 38,

圧倒的に真宗だ。この他、静岡にはない天台宗が10, 法華宗が12と多彩になっている。前田家御用達のはずの日蓮宗が意外に少ない。

日頃仏教に関心をもつことは殆ど無いため、このような地域差については意外であった。換言すれば、日本の仏教はあまり権力との関係やイデオロギッシュな傾向はなく、各宗派とも互いに異端扱いせずに結構馴れ合っているのではないかと思う。


金沢シリーズ

実に2年ぶりに家を空けました。
嫁さんはショートステイに、私は命の洗濯に金沢まで。
夕方から片町一丁目の居酒屋で飲んだあと、ふらふらと横丁に入って、突き当りのお稲荷さんを曲がって、もいちど角を曲がったら、両側に、暮れなずむ夕陽をバックに立ち並ぶ2階建ての飲み屋さんの列。
瞬間、立ちすくみました。
映画のロケのセットなのか? 私の脳みそがプッツンしたのか?
デジャブーの世界に一歩づつ進んでいくと、この店ではのれんを張り出し、その向かいはのんびりと打ち水をし、粋な姉さんのおしろいの匂いが鼻先をかすめ、刻一刻と紅灯の巷が目前に現出していきます。
まるで宮崎駿の書割がそのままの世界です。
呆然と立ちすくんでいると、若い衆が向こうからやってきて、素知らぬふうにバーの扉を開けます。
「これから?」とかけた声に、こちらに気づいて、ちょっと驚いて「あぁ、はい」と言いながら、店の中から自転車を引っ張りだして、その代わりに氷の入った青と白のクーラー・ボックスを引きずり込みます。
向かいの店の姉さんが、「そんなとこよりこっちに来なさいよ」と言いたげな目で一部始終を眺めています。
その目線を感じた僕達は、ほんとうは一軒手前の目元涼しげな女性の店に入ろうと思ったのに、つい強気になってしまって、「よしここだ!」とばかりに若い衆の店に飛び込んでしまったのです。
今日の最高気温は33度。閉めっぱなしだった部屋には昼の熱気と昨日のタバコの匂いがこもっています。若い衆は部屋の電気を付けるとクーラーを入れ、グラムロックを流し始めると、アイスピックで氷をかき始めました。
「何にします?」
「それじゃぁラムのロックでもらおうか」
と言いつつ、ストゥールに一度は腰を下ろしたが、とても座っていられる陽気ではない。グラスを片手に外に出て、戸口の脇の地べたに腰を下ろし、自転車に寄りかかります。
タイルが昼の熱気を尻に伝えます。
じっと汗ばむ夕凪に、すっと立ち上る煙草の煙。その先を揺らす何処ともなくかそけき微風。グラスのアイスがころっと音を立てた。そろそろバーに戻るとするか。

金沢シリーズ


山形県南陽市に“めい”さんという人がいてブログを開設している。

何か想像を絶する人で、戦後2年目に生まれたというから、私より一つ若い計算だが、「なんとか戦争を避けること、それが陛下の大御心に叶うことだと、このごろ切に思わされます」という記事があって、レトリックだと思ったらかなり真面目なんですね。

(それが)安倍首相再登板評価に対しての率直な私の反応だった。

今から11年前、「新しい歴史教科 書をつくる会」山形県支部の会合を毎週水曜日開催し、語り合っていた時代、あの9.11が起こり、イラク戦争が始まった。そして自衛隊派遣へ。まわりのほとんどがその動きに同調した。「つくる会」に対して明確な異和を感じるはじまりだったと思う。

という文章は、かなり想像を絶するものがある。

その人の別の文章で、「徳洲会の正念場。「正しさ」につけ! 徳田虎雄」という記事がある。

書き出しにはこうある。

今から32年 前、われわれが徳田理事長に出会うちょうどその前ごろ、能宗さんがハワイの女性院長さんの紹介で理事長秘書になったのだった。理事長のすべてを理解した上で、理事長に欠けているところのすべてを補いながら、理事長の思いを現実化する上で最高の補佐役だったと思う。事務総長就任を知ったとき、徳田理念の継承 はこれで大丈夫と思ったものだった。

ということで、相当、徳洲会の奥の院にはまりこんでいるようだ。そして、徳洲会をめぐるスキャンダルでズタズタにされているようだ。

それで、どうしてこのブログを紹介するかというと、私の文章が全文引用されているのである。

2013.2.14 の記事 http://pub.ne.jp/shosuzki/?entry_id=4762196

徳洲会: 民医連との決定的な差は医師の位置づけ」である。

全文引用した上で、「医療現場がわかる方の考えのようです。最後の提言はなるほどと思いました」とコメントしている。

最後のコメントというのはおそらく下記の部分だろうと思う。

もし徳洲会が再生を試みるのであれば、まずは誤った社会変革の理論を再検討して、「本当に患者の立場にたった医療を実現するためにはどうしたら良いのだろう」ということを、ゼロベースで見直すことが必要だろう。

それと同時に重要なことは、残された医師たちが当面する困難に対して主体的かつ集団的に立ち向かっていく構えを形成することだろう。

もう一つ、これはちょっと生臭い話になるが、徳田一族から経営本体を取り上げることだ。そして全面的な集団所有に切り替えることだ。

誉められたのは嬉しいが、何かとても不思議な気分である。

阿修羅の6月24日投稿に 良寛 さんによる解説が載っている。

そもそも、4月3日に、イギリスのガーディアン紙(The guardian)がウィキリークス(wikileaks)によってBVI(イギリス領ヴァージン諸島)オフショアの顧客名や過去10年以上の取引記録を暴露されたことを報じました。

それにより、コンピュータに保存されている顧客との間との何百万の電子メールと文章が衆人に晒されてしまいました。漏洩した電子データが200Gバイトとあまりにも大きいので解析に時間がかかっているようです。

租税回避のために預けられた金額は3000兆円とも4000兆円とも言われています。 これは日本と米国のGDPを合算したものと等しいそうで、その巨額には驚かされます。

短い文章だが、その割には難解だ。

①イギリス領ヴァージン諸島というところはタックスヘイブンのひとつになっている。

②そこの金融機関のコンピューター記録が何者かによって盗まれた。(ハッキングか、リークか、ハードディスク泥棒かは不明)

③盗まれた記録データは200ギガに達している。中身は顧客とのあいだの電子メールの記録が中心のようだ。

④このデータがウィキリークスを介して、イギリスのガーディアン紙に持ち込まれた。

⑤ガーディアン紙は、「過去10年以上のオフショア(海外取引)の記録、顧客名が明らかになった」と報道した。


これが第一幕で、6月15日のICIJのサイト公開がメガトン級の大暴露になっている。

こちらはHashigozakura さんのページからの引用

租税回避地秘密ファイル きょうウェブで公開(朝日新聞)

英領バージン諸島やケイマン諸島など租税回避地(タックスヘイブン)にある企業やファンドの秘密ファイルを独自に入手して分析を進めていた非営利の報道機関「国際調査報道ジャーナリスト連合」(ICIJ、米ワシントン)は、ファイルの一部をデータベース化し、15日午前(米国時間14日夜)、インターネッ トのICIJのホームページを通じて公開する。

ICIJは「脱税や資金洗浄など不正の温床の元となっている秘密のベールを取り払うため」と公益目的での公開だと説明している。ICIJによると、データベース化したのは、10万以上の企業、ファンドなどの情報。

これらの「ペーパーカンパニー」の真の所有者などの把握につなげる狙いだ。「基本的な企業情報」に絞って公開し、メールのやりとりや銀行口座情報、旅券や 電話の番号などの個人情報は除く。▽ICIJと提携する朝日新聞の分析では、ファイルには日本関連の少なくとも40以上の法人や、450人以上の中小企業 経営者、医師らが含まれており、この一部も公開される見通し。

ICIJは、この秘密ファイルに基づき、故マルコス・フィリピン大統領の娘のほか、欧州な どの要人らのタックスヘイブンでの取引を4月に報道。大きな反響があった。

英国・北アイルランドで17、18両日に開かれる主要国首脳会議(G8サミッ ト)では、租税回避対策が主な議題として取り上げられる予定。ICIJは秘密ファイルを国税当局に提供することを拒否しているが、G8サミットなど国際世論の盛り上がりに合わせ、一般への一部公開に踏み切った。


こちらは難解な上に長い。

①ワシントンに「国際調査報道ジャーナリスト連合」(ICIJ)という非営利の報道機関がある。朝日新聞もICIJと連携している。ウィキリークスとの関連は不明である。

②この団体が租税回避地(タックスヘイブン)にある企業やファンドの秘密ファイルを独自に入手した。(ワシントン・ポストによると、ある人物からICIJにMailで送信されてきたという)

③そこには英領バージン諸島やケイマン諸島などに関わりのある10万以上の企業、ファンドなど(いわゆるペーパーカンパニー)の情報がふくまれていた。

④情報の内容としては、「基本的な企業情報」のほかに、メールのやりとりや銀行口座情報、旅券や 電話の番号などの個人情報もふくまれている。

⑤これらの情報のうち「基本的な企業情報」に限定してデータベース化し、インターネッ トのICIJのホームページを通じて公開した。

⑥公開の目的は、これらの「ペーパーカンパニー」の真の所有者などの把握につなげ、「脱税や資金洗浄など不正の温床の元となっている秘密のベールを取り払うため」である。

⑦朝日新聞の分析では、ファイルには日本関連の少なくとも40以上の法人や、450人以上の中小企業 経営者、医師らが含まれている。

というあたりが骨子であろう。


朝日新聞は4月4日付で予報記事を掲載している。

タックスヘイブンの秘密資料入手 世界の金持ちの名続々

骨子は以下のとおり

ベールに包まれてきた取引。その実態を明らかにする250万もの秘密の電子ファイルが報道機関の手に渡った。タックスヘイブンでの会社設立などを代行する専門業者の内部文書だ。

英領バージン諸島、ケイマン諸島などに登記された12万を超える数の企業やファンドのカネの動き、登記の日付、企業の株主や役員などが記載されている。そのほとんどはこれまで秘匿されていた情報だ。

その中には、フィリピンの故・マルコス大統領の娘や、ロシア副首相の妻、オリンパス粉飾決算の協力者らの取引記録がある。


Gigazine というネットマガジンでケイマンまで取材旅行してきた記録が掲載されている。これを見ると、現地の代行業者は自動車免許試験場の前の代書屋に毛が生えたレベルで、相当緩そうである。データをかっぱらうなど、プロなら朝飯前だろう。


率直に言えば、4月の小出し発表、6月の全面発表後も、あまり話題にはのぼらない。膨大なデータではあるが、それだけに若干持て余しているというのが現状ではないだろうか。プライバシーとの兼ね合いも微妙なところがある。

ところで日本のお金持ちの皆さん、金を隠すならやっぱりスイスがルクセンブルクでしょう。

こんなニュースもありました。

【7月16日 AFP】
メキシコ海兵隊は15日、麻薬密輸組織セタス(Zetas)のリーダー、ミゲル・アンヘル・トレビノ(Miguel Angel Trevino)
容疑者の身柄を、米国との国境に接する都市ヌエボラレド(Nuevo Laredo)で拘束した。複数の当局者が同日、AFPに明かした。
 
トレビノ容疑者(通称「Z-40」)は、エンリケ・ペニャニエト(Enrique Pena Nieto)大統領の政権下において、これまでに拘束された麻薬
組織幹部の中では最も重要な人物だ。セタスは同国で活動する犯罪組織の中でも最も強力かつ恐れられている組織の1つ。元兵士ら
により組織され、その残虐性は広く知られている。元々は麻薬組織「湾岸カルテル(Gulf Cartel)」に属していたが、近年に独立しており、
以降は北部地域で激しい縄張り争いを繰り広げている。

 メキシコ軍は2012年10月、トレビノ容疑者の前のリーダーだったエリベルト・ラスカノ(Heriberto Lazcano)容疑者を北部コアウイラ
(Coahuila)州での銃撃戦で射殺しているが、そのわずか数時間後に武装したグループが葬儀場を襲撃し、同容疑者の遺体を強奪した。
遺体は現在も見つかっていない。

セタスは練度の高さ、強力な情報収集能力、組織的行動で抜きん出た組織だったが、ラスカノの死をもってそれらは最終的に消失したと見て良いだろう。残るのは比類なき残虐性だけだ。それもセタスの専売特許ではなくなっている。

犬の力というのが分かった。グーグルで引いてみたら、アクション・ノヴェル「犬の力」というのが角川文庫から上下二巻になって出ていて、結構な売れ行きらしい。作者はウィンスロウというアメリカ人。
デカプリオの主演で映画化も決まったという。
日本での発行が2009年、原作は2006年の出版というから、情報としては少々古いかもしれない。
作者はこれで億万長者だろうが、わたしゃ持ち出しだ。
これがネオリベラリズムというものだ。

「メキシコ麻薬戦争 列伝」へのツイートがすごい。ちょっとした評判だとは聞いたが、“すごすぎる”

Google Plus で218投稿もある。

主な感想

すごすぎる


ところで「犬の力」ってなんですか?

日中歴史共同研究については、外務省のホームページに概要が載せられている。



(1)2005年4月の日中外相会談において、町村外務大臣(当時)より日中歴史共同研究を提案、翌5月の日中外相会談において、詳細は事務当局間で議論していくことで一致。

(2)2006年10月の安倍総理大臣(当時)訪中の際、日中首脳会談において、日中有識者による歴史共同研究を年内に立ち上げることで一致。同年11月、APEC閣僚会議の際の日中外相会談において、歴史共同研究の実施枠組みについて合意(別添参照)。

(3)2006年12月26-27日に北京で第1回全体会合、2007年3月19-20日に東京で第2回全体会合、2008年1月5-6日に北京で第3回全体会合を開催。研究成果をとりまとめる予定。

(4)2008年5月、胡錦濤国家主席訪日時に、首脳間で歴史共同研究の果たす役割を高く評価するとともに、今後も継続していくことで一致。

(5)2009年12月、第4回全体会合(最終会合)を実施し、今期の歴史共同研究は終了。会合では研究成果の発表方法(自国語論文を2010年1月中に、翻訳版をその後数ヶ月以内に発表)につき一致するとともに、その一部を発表した。

これを見ると、この研究発表はかなり公的な色彩の強いものであり、半ば政府間の覚書といっても良い性格を持っていることが分かる。
しかもこの共同研究は時の第一次安倍内閣の発議にて開始されたものであり、中国や民主党や鳩山のやったことではない。当事者としての責任は重いのだ。

こんな文書などなきがごとき安倍首相の発言は、政治家としての誠意を疑わせるものがある。

「北岡伸一氏の発言」と言っても、申し訳ないけど大日方さんの文章からの重複引用だ。原文は「外交フォーラム」という外務省の研究誌の261号に載っているようなので、興味のある方はそちらをあたっていただきたい。


日本の侵略は明確な事実だ。

日本が中国に対して侵略戦争をしたことを認めることについて、多くの批判が寄せられた。これは私にとってまったく受け入れられない批判である。

日本が侵略をしたのは明らかな事実だと考えている。これは、共同研究の成果でもなんでもなく、以前から考えていることである。

私だけではない。日本の歴史学者で、日本が中国に侵略をしていないという人は殆どいないと思う。

一部に,侵略の定義が決まったのは比較的近年のことであり、それまでは侵略の範囲というのは明白でなかったので、当時の日本の行為は侵略とはいえない、という人がいる。

しかし、侵略の定義の決定に時間がかかったのは,侵略と非侵略とのあいだに微妙な部分があり、その境界を決めるのに時間がかかったからである。

満州事変以後の日本の行動は、そのようなグレーゾーンの問題ではなく、いかなる定義によっても明らかに侵略と判断される事案である。

それに国際法の議論がどうであろうが、歴史学で見れば、これは明らかに侵略なのである。


以上が大日方さんの引用した部分である。

文化欄に面白い記事が載っていた。
大日方純夫さんという早稲田の先生が書いた文章である。
結構長い見出しで、

第一次安倍内閣の「日中歴史共同研究」は語る
日中戦争は日本の侵略戦争


というものだ。かなり苦し紛れの見出しだな。

見出しに劣らず、本文もファクトが詰め込まれすぎていて、いささかややこしいので、要点を箇条書きにしておく。

1.2006年、第一次安倍内閣は、「日中の歴史問題については専門家の判断に委ねたい」とし、日本・中国間の歴史共同研究をスタートさせた。

2.共同研究のスタートにあたっては、日中の首脳が決定し、国家レベルで公式の歴史対話として推進された。

3.この内、近現代史分科会の日本側委員には北岡伸一、小島朋之、波多野澄雄、坂本一哉、庄司潤一郎らが選任された。

4.2010年に、研究の成果として、「日中歴史共同研究第一期報告書」が発表された。

5.この報告書の各論文は、日本が侵略戦争を行ったということを、共通の前提にしてる。

という経過を踏まえて、最近の安倍首相の発言の無責任ぶりを指弾する、という論理構造になっている。

これが主筋なのだが、文章はこの論理を、北岡座長の発言で補強している。なぜ北岡座長の発言を重視するかが分からないと、何のことやらわからないだろう。

ウィキペディアで見ると、この北岡という人物、親米保守の論客で、その筋では知られた人なのだ。

たくさんの肩書きから、たとえば、日本の集団自衛権の保持の可能性について考える安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員、というのを持ちだしただけでも、大方の想像はつくだろう。

昭和42年の東大入学らしいが、あの頃こういう人物もいたのだ。

ということで、北岡座長の発言については稿を改める。

ついでにいうと小島朋之氏は中国研究の専門家で、台湾の李登輝元総裁とも太いパイプがあったようだ。波多野氏は外務省の『日本外交文書』編纂委員長を勤めた人物。坂本一哉氏は日米同盟推進の立場で、「論壇で積極的な発言を行なっている親米保守の一人」とされ、北岡の子分格で動いているようだ。庄司氏は防衛省の研究室用という肩書きである。

要するにそういうバイアスがかかった委員会なのだ、というところにミソがある。つまり、大日方さんのこの文章はオールスターのような直球勝負ではなく、ぐにゃりと曲がる変化球なのだ。


選挙の分析では、低投票率で、組織票を持つ共産党に有利に働いたという解説もある。
それは30年前のことだろう。今や共産党にあるのは三つのR、すなわち論理と倫理と老人力だけだ。それは赤旗のお悔やみ欄を毎日見ていれば、痛いほどよく分かる。

もう少しまともな解説で、民主に失望した層の一部が共産党に流れたという見方もある。
たしかに現象的にはそうだが、より大局的に見れば、本来共産党に来るべき層が、これまで民主党に雨宿りしていたにすぎないとも言える。(それこそが民主党の最大の役割だった)

そして今回、民族大移動の第二幕が始まった可能性もある。

虎は野に放たれた。実に30年ぶりだ。

南アフリカでアパルトヘイト反対運動が盛り上がったとき、人々はそこにネルソン・マンデラを見た。20数年もの間、人知れず小島の監獄にとらわれていたマンデラは、あっという間に闘いのシンボルとなった。老いたりとはいえ、虎は虎だ。

日本の民衆はいま、そのことに気づいた。
「そうだ、共産党があったのだ」

いろいろ各紙の論評をみてみる。
都議選の時は共産党の躍進をひたすら黙殺していたが、今度はさすがにそうはいかなかったようだ。またも擦り切れたレコードのように同じ台詞を繰り返すようではジャーナリストの名がすたる。
そこで、
*自公圧勝
*ねじれ解消
とここまでは良いのだが、
*民主惨敗
がもはや見出しにならない。民主はもはや政党の体をなしていないからだ。
代わりの3本めの見出しは
*みんな・維新の伸び悩み
ということになる。
すると、そこまで書いて共産党の躍進を見出しに入れないのは、あまりにも異様だ。
ということで、三本目の見出しをどうするかは、各紙とも苦労したと思う。

ただ、私が編集長ならこの3本見出しにするだろう
*自公圧勝
*民主惨敗
*2大政党制の終焉か
これなら、共産党という言葉を入れずに済むし、ある意味事柄の本質を衝いているからだ。

私は、二大政党体制の崩壊は米日支配層の大変な戦略的失敗だったと思う。
民主党を二大政党の一方の柱となるよう育成してきたのはほかならぬ米日支配層だったはずだ。そう簡単にはできるものではない。政権政党に育て上げるために10年以上の歳月を要したはずだ。

“安定”した政治支配のために、小選挙区制と二大政党制は車の両輪だ。2つでワンセットだ。この間の政局を見ても、小選挙区制がいかに諸刃の刃となり、いかに地滑り的な権力の移動をもたらすかは肝に銘じているはずだ。

それを考えれば、二大政党制(より望むらくは1.5大政党制)は安定的支配のための絶対条件なのだ。

それなのに、支配層は鳩山・小沢の二人を党中央から引き剥がし、連合の息のかかる菅、さらには隠れ右翼の野田にすげ替え、みずからの路線を押し付けた。気に入らなければ現職首相でも馬鹿呼ばわりし、マニフェストを根こそぎひっくり返した。

民主党は自壊したのでなく、生みの母である米日支配層によってぶっ壊されたのである。

共産党を先頭とする革新勢力は、最初は1980年の社公合意によって排除され、ついで小選挙区制により追い込まれた。そして二大政党制という檻の中に囲い込まれ、国民から遠ざけられた。

二大政党制の崩壊ということは、この檻が消滅したことを意味する。それは小選挙区制のもとで、民主党が地滑り的勝利を遂げたように、革新統一勢力が大勝利し支配勢力が惨敗する可能性を、理論的には生み出したことになる。

それは二大政党体制を作り上げた支配層主流と、それを破壊した経団連・経済同友会の過激派、今井敬氏の言う「国賊路線」との矛盾をも激化させる可能性がある。

東京都議選と参議院選挙を見るとき、ここを最大のポイントとして押さえるべきではないだろうか。


ドビュッシーを聴いていたが、どうも身が入らない。そこでテレビの前に一升瓶を抱えてどっかり、なんて経験は40年ぶりだ。
開票速報はあいも変わらず実につまらない。知りたいことは報道しないで知りたくもないような話が延々と続く。
しかも出口調査というのが始まって、ますます面白くない。開票が始まって開票率1%とか2%というあたりで議員の2/3は決まってしまう。それから先は12時過ぎまで、うんともすんとも動かない。当選者のバンザイと、やくたいもない抱負、したり顔の解説者の毒にも薬にもならないコメントが延々と続く。

以前は、どういうわけか後志から始まって田舎が開いていく。黒松内と当別の票の出方で大体分かった。
札幌が開くのは翌日だった。共産党は入るときはスレスレだから、翌日の昼過ぎにやっと当確が出る。午後の診療をやっていると、どこからともなく「わぁっ」という歓声が聞こえてくるから、聴診器を当てながら看護婦さんとアイ・コンタクトして、ウィンクの一つもしたくなる。そのうち誰かがやって来て祝勝会のカンパを徴収に来る、そういう時に限って細かいカネがないのだ。

そんな経験をついぞ忘れていた。


多分我々は今夜、歴史の潮目を感じているのだろうと思う。

もちろん引き潮の力も強大だ。2009年に民主党の歴史的勝利という大波が来て、それがアベノミクスという引き波で去っていった。しかし、それは「二大政党制」という緩衝も、ほんわか保守の偽装も流し去ってしまった。

その次にまた大波が来ようとしている。財界や米日支配層にとっては、今度こそ本当の大波かもしれない。


赤旗に大々的に報道され、国民にショックを与えている。
ここでは、ことの重大性に鑑みて、他の報道と付き合わせておく。


赤旗の記事が掲載されたのが本日、7月19日金曜日。

これは東京新聞の後追い報道だ。東京新聞は16日の火曜日、連休明けの紙面で報道している。これはテレビ番組「週刊BS-TBS編集部」で4月21日放映された石破幹事長のインタビューを紹介したものである。

見出しは「平和憲法に真っ向背反 石破幹事長の“軍法会議設置”発言」

本文は有料なので、リード部分だけ引用する。どうしてもただで読みたい人にこっそり教えるが、ここで本文が読める。薔薇、または陽だまりの猫

自民党は同党の改憲草案で、憲法九条を変更して自衛隊を「国防軍」にすることを掲げた。

それに伴い、国防軍に「審判所」という現行憲法では禁じられている 軍法会議(軍事法廷)の設置を盛り込んでいる。

防衛相の経験もある同党の石破茂幹事長は四月に出演したテレビ番組で、審判所設置に強い意気込みを見せた。

「死刑」「懲役三百年」など不穏な単語も飛び出した石破氏の発言とは-。 (小倉貞俊)

となっており、ことの内容からすれば、かなり慎重な書き方になっている。

趣旨としては、自衛隊が軍隊となろうが、軍法会議は憲法に定められた司法制度に違反するのではないか。(現行憲法も自民改憲草案も、76条2項で『特別裁判所』の設置を禁じている。軍法会議はこの特別裁判所にあたる 水島朝穂教授

ということだ。

そのうえで、「死刑」「懲役三百年」などという言葉は不穏であると批判しているのである。


この東京新聞の報道に対して、J-CASTニュース というサイトが石破擁護の論陣を這っている。

 「戦争に行かない人は、死刑にする」 石破幹事長はこんなバカな発言をしたのか

という見出しで、「こんなバカな発言」はしていないと主張する。

彼らは番組のビデオをあらためて再生し、文章を起こしたという。

その内容は、赤旗記事と寸分たがわぬものである。

だから「こんなバカな発言」をしたことは、事実上認めているのだ。その上で、「石破はバカではない」と主張することで、論点をすり替えようとするのだ。

こちらも「石破はバカだ」と主張しているわけではないから、これははぐらかしだ。

記事はまず東京新聞の記事を紹介するが、石破幹事長の“軍法会議設置”発言という見出しが石破自民幹事長もくろむ『軍法会議』と書き換えられているのが気になる。

どちらが正しいのか気になったが、ここのブログで記事の切り抜きが貼り付けられている。東京新聞が後から見出しを変えたようだ。書き換えたのは東京新聞だった。

記者はみずからビデオを閲覧した上で、

だからそのときに、それに『従え! それに従わなければその国における最高刑である』――死刑がある国は死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役300年なら300年(と決まっていれば)――『そんな目に遭うくらいだったらば、出動命令に従おう』という(ようになる)

 と引用している。この文章は赤旗の記事とほぼ一致している。ただこちらは!マークがついたり、変な『』がついたりして、記者の思いを映し込んでいるが。

これを読んで「こんなバカな発言」と思わない人はまずいないだろう。しかし記者はそれには答えずに、石破氏の思いを代弁する。

1.これは「兵役拒否=死刑」という話ではない。すでに自衛隊(国防軍)に入った人のみが対象だ。

2.大半の諸外国では、なんらかの形で軍法会議を設置している。罰として死刑など刑法上の最高刑を科している国は少なくない。

3.石破氏は、「玉石混交」の人材を集める徴兵制にははっきり反対を明言している。

ほとんど弁護にもなっていない。自衛隊は軍隊ではないのだ。少なくとも今の憲法で軍隊を持つことは禁止されているのだ。外国と比べても仕方ない。

3.など語るに落ちたというべきで、「玉石混交」でない徴兵制は否定していないことになる。そもそも軍隊が原理的に徴兵制を禁止することなどありえない。


ありました。happytreasurebox さんがしっかりビデオを取ってくれて、YouTubeにアップロードしてくれています。

2013.4.21「週刊BS-TBS報道部」自民党石破幹事長憲法9条改正を語る

自分の言葉に酔いしれて、完全に狂気の世界に入り込んでいます。


Twitter に面白い記事があった。

石破氏ご自身は、徴兵されることなく、キャンディーズを追っかけていられた、素晴らしい事です。これからの若者にも、石破氏のような青春を過ごしてほしい。

 https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/d/1/d1dc95dd.jpg

これはヒットラー姿の安倍首相より、はるかに強烈だ。
安倍首相のお好みの表現を使えば(笑い)(笑い)(笑い)(笑い)

「国債に詳しい山田博文さん(群馬大教授)の話」が、なんと文芸欄に載っている。きっと日頃金には縁のない文芸家にも分かる、やさしい話なのだろう。うん、たしかに分かりやすい。

これにならって、私も解説を書いて見ることにする。


国債は日銀ではなく政府が発行します。なぜなら国債は貨幣(日銀券)ではなく借金の証文のようなものだからです。国債の発行とは、国が借金して借金の証書を発行するようなものです。

国債の殆どは民間銀行が買います。民間銀行にとっては、国債を買うという形で政府にお金を貸すことになります。

たとえば私たちがトヨタ自動車の社債を買う場合、会社を信用して資金を貸すわけです。それは投資でもありますから、利子がついてくるわけですが、国債の場合は割引で買って、満期になると額面全額が償還されることになります。

ここまではあまり難しい話ではありません。後は満期になるのを待っていればよいのです。

それではこの話にどうして日銀が絡んでくるのか。

ここからが少々難しくなります。

銀行は国債買い入れという投資だけではなく、さまざまな投資を行なっていますが、普段は利率の低い国債よりも民間投資のほうが魅力があります。

しかし不景気になると、銀行にとって都合のいい貸し出し先は減ってきます、銀行も金利よりは安全を選ぶようになります。そうすると国債の人気が上がります。

民間銀行が貨幣を国債に変えて、じっと動かないでいると市中に貨幣がなくなってしまい、ますます景気が悪くなります。悪循環ですね。

そこで日銀はまず金利を引き下げて、民間銀行がお金が借りやすいようにします。そうするとその分市中金利も安くなって、企業や個人が金を借りやすくなります。

これは庶民にとっても住宅ローンなどでお馴染みのやり方です。これで需要が喚起されると景気が回復し、銀行は国債から民間投資へと軸足を移すことになります。

これが伝統的な金融刺激策です。

ここからがもう少し難しくなります。

97年以降の日本では、この伝統的な景気刺激策が通用しなくなりました。それまでの景気の波は需要と供給のバランスの崩れを調整する形で現れたのが、今度は構造不況と言って、そう簡単に動くものではなくなったのです。

金利はほとんどゼロになりました。さぁどんどん借りてくださいと日銀は掛け声をかけるのですが、民間銀行は借りてくれなくなったのです。

民間銀行もほとんどただで借りられるのですから、借りたいのはやまやまですが、借りてもそれを貸し出す先がないのです。

しかたがないので、日銀から借りた金で国債を買い集めるようになります。

つまり日銀がいくら金利を下げても、貸し出した金が国債購入に回ってしまうという構造は打破できなくなってしまったのです。

中央銀行が金利と貨幣の供給(サプライ)量で景気を調整するやり方を「サプライサイド・エコノミー」と言いますが、この理論が通用しなくなってしまったのです。

(このへんはものすごく荒っぽい説明であることにご注意ください)

ここから先は割と分かり易いです。

日銀が手を上げてしまったのですから、あとは政治の力で構造不況を打破しなければなりません。それには需要、とくに内需を喚起する他ありません。

日銀の歴代総裁もずっとそう言い続けてきました。自民党内閣もそれを試みたのですが、そのやり方は右肩上がりの時代の公共投資、土木・建設中心のもので、経済効果は上がりませんでした。

そこで再度何とかならないかと貨幣の供給側に話が持ちかけられました。それが量的緩和措置です。

とにかく市中にゲンナマを流せ、流し込めというわけです。今の米連邦銀行のバーナンキがその旗頭で、銀行が要らないといっても口から貨幣を突っ込めば、いずれは吐き出すだろう、という大変荒っぽい話です。

そのやり方ですが、民間銀行にただで日銀券をくれてやる訳にはいかない。そこで資産を買い取るという方法を取ります。

資産買い取りというのは、以前銀行救済の時にもお馴染みの手段ですが、これを買いオペレーションと言います。資産の中でも国債は優良な資産ですから、国債買いが先行することになります。

(これに対し金融商品や住宅ローンなどは貸し倒れのリスクが高い債券ですから劣後債、あるいはジャンク債と呼ばれます)

金融緩和で新自由主義の信奉者は景気が良くなるだろうと考えました。しかしお金漬けでジャブジャブにしても、金は市中には回りません。

銀行は麻薬の味を覚えてしまったのです。金が手に入れば国債を買う。そうすると日銀が買いオペレーションで、市中金利より高く買い取ってくれる。その金でまた国債を買う、という具合です。

ということで、ここから山田さんの話に戻ります。

現在、発行された国債の6割は銀行と生命保険、損害保険会社が持っています。

毎年政府予算の国債費は22兆円に達していますが、この内13兆円は銀行や生損保が受け取っていることになります。

さらに国債を金融商品として売買することでも利益が上がります。3メガバンクではこの国債の売買差益が業務純益の21%を占めます。

つまり、「異次元の金融緩和」で供給されたお金は設備投資や家計に回らず、もっぱら銀行の国債ビジネスに使われているのです。

こんなことを続けていって、その先がどうなるのか、その阿鼻叫喚の予想図については、また別な話としておきます。

片や米中首脳会談があり、片や防衛相の先制攻撃発言がある、これが現状です。
どちらがアメリカの本音か? 

言うまでもなく本音は対中関係です。
日米同盟はそのために役に立つ限りでの同盟なのです。
アメリカは対中関係を有利に進めるための手駒として日本を利用しているだけです。糟糠の妻・日本は、いまや「突き捨て歩」であり捨て駒です。

もう13年も前、アメリカのNMD構想について調べたことがあります。核弾頭ミサイルがアメリカ本土に飛んでくる時それをどう防ぐかという作戦であり、レーガン政権の打ち出したいわゆるスターウォーズの延長です。
やればやるほど、それが不可能であることが明らかになりました。
そこで打ちだされたのがTMDです。

(NMDはNational Missile Defense:国家ミサイル防衛。TMDはTheater Missile Defense:戦域ミサイル防衛の略)

ブッシュ戦略とNMD構想  北海道AALA2001年度総会のために
http://ha6.seikyou.ne.jp/home/AALA-HOKKAIDO/jousei/2001.htm

 NMD推進派の中でもっとも危険な主張は,元CIA長官ジェームス・ウールジーらのものです.NMDの最大の泣き所はおとりとの識別,弾頭分割型 ミサイルへの対処です.多弾頭ミサイルの場合,弾頭が八つに分かれるなら,それに対抗するためには8基の迎撃ミサイルが必要になります.さらにそれが多数 のおとり弾頭をばら撒けば,識別能力がない限り,それら一つ一つに1基の迎撃ミサイルが対応しなければなりません.

 これらの困難を解決する一番有効な方法は,攻撃ミサイルが発射された直後,未だブースト段階のミサイルを叩くことしかありません.ウールジーは北朝鮮の近くに迎撃ミサイルを配備せよと主張しています.こうなると果たして防衛なのか攻撃なのか分かりません.

 深刻なことに,ウールジーの主張はその技術的合理性とコスト上の利点が受けて,アメリカ政界に影響を広げつつあります.例えば,民主党軍縮派の理論家と言われるバイデン上院議員は,「北朝鮮のミサイルは,イージス艦搭載の迎撃ミサイルでブースト段階のあいだに打ち落とすのがいい」と発言してい ます.そしてまさにウールジーの主張の延長線上に,日本のTMD構想があるのです.

この時は日本は脇役でした。今度は日本に主役を演じさせようというのが米軍産複合体の思惑です。
中国とは今後仲良くやって行きましょう。しかし言うことを聞かない時は日本カードを切りますよ、というのがアメリカの本音だと思います。

こんなババ抜きカードでババを引いてはなりません。日本政府としては一刻も早くおさらばすべきです。身も心もグローバル化(無国籍化)した財界は、アメリカ・カードを握って離さないでしょうが…

ウォール・ストリート・ジャーナルがとんでもないニュースを発した。

小野寺五典防衛相がウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューでこたえたもの。

防衛計画の大綱の見直しで、北朝鮮のミサイルの脅威に関連して、敵基地に対する攻撃能力を持たせるなど自衛隊の役割を強化すると発言した。

攻撃が迫っていることが明らかになったりした場合には、日本が相手国を先制攻撃するのは自然なことで、国際的にも当たり前のこと であり、「憲法上も元々許されている と言われている」と強調した。

また、日本が防衛しなければならない海の面積が膨大であることを指摘し、米国の海兵隊に似た部隊を創設する必要性を訴えた。


どうも連中、鉄砲をぶっ放したくしくてしょうがないみたいだ。
中国はさすがに怖くて手が出せないが、北朝鮮ならやっつけてやろうと思っている。
そして北朝鮮への武力行使で、日本の本気度を示して中国を威嚇しょうと待ち構えている。
今私たちはとんでもない政権を抱いているのだ、ということを痛感せざるを得ない。
ドイツ国民は経済が良くなったといって、ナチスを歓迎した。実は良くなんかなっていなくて、莫大な負債を作り上げて、そのツケをチャラにするために戦争を始めたのだ。
今では、ナチスは最初から戦争で借金を踏み倒すつもりで政権についたのだということがはっきりしている。アベノミクスもどうもそれに近そうだ。

ヒットラーに似せた安倍首相の絵が、絵空事ではなくなっている。


横浜市が一気に保育所の待機児童をゼロにしたというので安倍首相が「横浜方式」だとはしゃいでいたが、どうも怪しいとは思っていた。

少しづつ数字が出てきている。

まず驚くのが人件費比率。保育所の人件費比率は全国平均で71%となっている。まずまず妥当な数字だ。
これが「横浜市内で株式会社が運営するある保育園」では約40%ということだ。我が目を疑う数字だ。
差額でもとらない限り、収入はどこも大差ないはず。ということは一人あたり給与が40÷71=56%に抑えられていることになる。
申し訳ないが、正直、保育所の保母さんの給料はお世辞にも高いとはいえない。ぎりぎり一人暮らしが可能な程度だ。
その半分ということになると、想像を絶する額だ。まさにブラック保育園だ。

そうやって浮かせた100-56=46%の金を、“利益”として計上することになる。なぜなら株式会社であり、営利企業であるからだ。
横浜市では株式会社の比率が25%に達している。全国平均は2%だから、この間の横浜市での保育所増設分の殆どを株式会社が占めることになる。

人件費比率40%は決して突出した数字ではないことが分かる。

さらに困るのは、このような給与でスタッフを確保するのは無理があるということだ。たぶん保母さんが7人やめたら、この保育園は潰れるだろう。現に2ヶ所がすでに潰れているという。

営利企業は逃げ足が早い。
ママさんパワーは強い。
舐めてはいけない。
「市が認可したのだから市が後始末しなければならない」、ということになる可能性がある。そうなれば、市は結局高いものを掴まされたことになる。


赤旗ではあるケースが報告されている。

この保育所では保育士7人が一斉退職した。給与は手取りで14万円、賞与は年2回1万円ちょっとだった。
給食も粗末で、から揚げなら子供は1個、保育士は3個だけ、子供も保育士もお腹をすかせていました。


これがブラックでなくて何なのか。
しかし、このくらいやらなければ利益を出すことは難しいかもしれない。そもそも営利で保育園をやるというのが無理なのだと思う。
「世界で一番、企業が活動しやすい国」というのは、こういうことを指すのだろうか。

「茶摘み歌」という曲があって、多分唱歌なのだろう。
「夏も近づく八十八夜」と始まるのだが、最後はこうなる。茶が主要輸出産業だったことがうかがえる一節だ。

摘めよ摘め摘め
摘まねばならぬ
摘まにゃ日本の茶にならぬ


ところが、今じゃ摘んでも日本の茶にならない。

摘まにゃ「我が社の茶」にならぬ

と言い換えるべきだろう。ワタミの会長が言いそうなセリフだ。

日本の茶は、いまや「我が社の茶」になって、内部留保を積み上げるだけだ。
そして勝手にグローバル。みんな海外に再投資されていく。
摘めば摘むほと、自分の首が締まる仕掛けになっている。

「大企業を敵視してはいけない」
たしかにそのとおりだ。
問題なのは97年以降に大企業がとっている路線だ。

6月7日の記事で、「舞浜会議」の模様を引用している。


「企業は,株主にどれだけ報いるかだ.雇用や国のあり方まで経営者が考える必要はない」
 「それはあなた,国賊だ.我々はそんな気持ちで経営をやってきたんじゃない」
  94年2月25日,千葉県浦安市舞浜の高級ホテル「ヒルトン東京ベイ」.大手企業のトップら14人が新しい日本型経営を提案するため,泊まり込みで激しい 議論を繰り広げた.論争の中心になったのが「雇用重視」を掲げる新日本製鉄社長の今井敬と,「株主重視」への転換を唱えるオリックス社長の宮内義彦だっ た.経済界で「今井・宮内論争」と言われる.

この文章は「結局,舞浜が,企業も国も漂流を始めた起点ということになった」という品川正治のセリフで締められている。


ということで、ほんとうは大企業のなかにも二つの考えがあるのだ。
そして今井氏の意見はまっとう(比較的にだが)であり、今井氏の立場に立てば、現在の経団連路線は「国賊路線」なのだ。
そこのところを、じっくり考えてほしいものだ。


連合参加の「電機連合」が昨年の総逝去直後に組合員アンケートを行い、定期大会でその結果が発表された。

執行部が認めるとおり、民主党への「失望感、怒り、憤り」が三つの特徴だ。

こんな声もあった。

マニフェストは守れず、決めるべき事柄は決定できず、加えて、決めたことは覆す。
(民主党の政府は)その繰り返しだった。

まさにその通りです。

ただ、憶えておくべきは、電機労連をふくむ連合がそうさせたということです。民衆の与望を担って船出した民主党を、大企業本位の政策に急展開させ、ぐしゃぐしゃにしたのは、第二財界ともいうべき連合です。

電気労働者はそのことに深く思いを致すべきです。

韓国の映画監督チョン・ユンチョルさんの「いま日本共産党」が話題を呼んでいる。
しかし、70年も前に日本の進歩勢力を高く評価した朝鮮人の革命家がいたことも忘れないでほしい。
ニム・ウェールズ著「アリランの歌」(岩波文庫)に登場する金山(キム・サン)だ。
以前書いた記事(ホームページの「更新記録」)を、以下に再掲する。

2008.02.03
 いまニム・ウェールズの「アリランの歌・ある朝鮮人革命家の生涯」を読み直しています。主人公というか、語り手の金山(キム・サン)の言葉で、うれしくなるようなフレーズがありました。

 私は東京で知り合ったたくさんの日本人が好きだ。1919年の日本では革命階級が育ちつつあった。日本人はよき同志である。日本の共産主義者は誠実で強く、犠牲を恐れず、彼らの大義に情熱的に献身する。
 これまで会った人が、私はみんな好きだ。中国では反植民地闘争が行われているために、共産主義運動です ら民族主義的傾向が非常に強いが、日本の共産主義運動にはこの傾向がまったくない。中国人がするように朝鮮人その他外国の同志を差別することがなくて、実 に国際的な気質を持っている。
 リベラルな日本人と朝鮮人は良い関係にあり、極東地域インターナショナルの精神は、これら日本人の指導の下に生まれつつあった。


この述懐と、中野重治の「雨の新橋駅」とを重ね合わせると、当時の日朝人民の関係がよく分かる。
そして、その日本人の人の良さが、軍国主義者や植民地主義社の跋扈を許し、過ぐる大戦争をもたらしてしまったという、痛切な反省となって染み渡る。

レダ・バジャダレスのレコードがとても良いので紹介します。
Folclore de rancho Leda Valladares

というアルバムですが、YouTubeで全曲が聞けます。下の写真のごとくかなりエキセントリックな雰囲気を漂わせています。アルゼンチンのビオレータ・パラといったところでしょうか。同じトゥクマン生まれのメルセデス・ソーサより10歳くらい年上のようです。

英語ではまったく紹介されていないので、スペイン語をそのまま載せます。私にはサッパリ分からないので、分かる方の翻訳を期待します。

Los temas y su origen son:
01. Chacarera (recogido por Isabel Aretz, Yerba Buena, Tucumán)
02. Yaraví (recogido por Silvia Einsenstein en Tilcara, Jujuy. Letra de Leda Valladares)
03. Tonada humahuaqueña (recogida en Tilcara, Jujuy, por Leda Valladares)
04. Tonada sanjuanina (recogida a Hugo Pérez de Sanctis, de San Juan, que la escuchó en Valle Fértil, por Leda Valladares)
05. Baguala de Tucumán (tomada en Tafí del Valle, por Leda Valladares)
06. Milonga con sauces (letra y música de Leda Valladares)
07. Carnavalito (recogido en Iruya, Salta, por Leda Valladares)
08. Vidala riojana (recogida en Malligasta, La Rioja, por Leda Valladares)
09. Yaraví (recogido en Tucumán a Luciano Irrazábal, por Leda Valladares)
10. Baguala salteña (recogida en Salta a Amador, del Valle de Lerma, por Leda Valladares)
11. Zamba “La yerbabuena” (recopilación de Manuel Gómez Carrillo)
12. Vidala “De lejas tierras” (tema santiagueño, recopilación de Manuel Gómez Carrillo)

1972年の録音ということなので、軍事独裁の始まる前、民衆の運動が高揚していた時代です。
この人は民謡の採取家でもあったようで、その音源がCD化されています。かなりネグロ系の曲も拾っています。
この人は元々ジャズシンガーだったのかもしれません。下の曲は明らかにジャズのノリです。
Leda Valladares - hoy es nunca
写真がまた良い。竹久夢二風。
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cancin de la mirada という歌は、ブラジルのサンバ・カンシオン風で、まるでシルビア・テリスの曲を聞いているようです。(要注意、音質は最悪です)

ということで、きわめて芸域の広い人です。

それにしても、もう少し注目されてもいい人ではないかしら。

これは初めて見るグラフ。相当苦労して作ったものと思う。海外店の貸出残高だけでは、タックスヘイブンへの資金移動の実体はつかめないので、これに特別国際金融勘定を載せた。これを各銀行の決算資料から合算している。
まあこれは氷山の一角であり、絶対額にはあまり意味が無い。ということで伸び率をグラフ化したわけだ。ご苦労さんでした。

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おそらく円換算の残高であると思われ、為替の動向をもろにかぶっているが、海外貸出残高はおそらく2倍程度には伸びてきていると思われる。
比較的慎重な態度をとっている印象ではあるが、国内貸出との比較で見るとやはり海外志向が強いことがうかがわれる。
それにしてもこの1年の伸びはものすごい。円安で凄まじい利益を上げたことが容易に予想される。

製造業の従業員というのは、昔でいう工員さんである。それに対して商業の従業員は店員さんだ。あるいは職人さんだ。店員さんも職人さんも、いつまでも店員さんではない。いつかは店を持って店主となるのがコースだった。

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それはどうでもいいのだが、この図で分かるのは日本から工員さんが消えていくということだ。
この20年で、ちょうど500万人が消えた。実に1/3だ。計算で行けば40年後には1人もいなくなる。それが店員さんや派遣や臨時やアルバイトや失業者になったわけだ。
500万人の働き口が消えたのは大企業が海外に行ってしまったり、中小企業が潰れてしまったからだ。

そのうちどれが主な原因か?
それを下の折れ線グラフが示している。これは海外現地法人の従業員で、同じ期間に300万人増えている。
つまり減った理由の3/5は大企業のせいだということだ。海外の子会社でなく、どこかに下請けに出している数が同じくらいいるだろうから、もっと比率は高くなる。

「不景気で会社が人を雇えなくなった」というのは、口実であることが分かる。

うちにお金を入れなくなったのは、よそに愛人ができたからで、大企業の実入りが減ったからではない。


都はるみのヒット曲で、「北の宿」という歌がある。

女心の未練でしょうか?
そうだ、そのとおりだ。

「仕方ない」という人もいるかもしれないが、時代劇の語りで言うなら「それは自分を棄てた男に対する未練であろうか」ということだ。

直視しなければならないのは、もはや彼は「私の彼」ではないということだ。カネを無心に来たらきっぱりと断ろう。

こんな曲もあった。
あの人は、行って行ってしまった。もう他所の人。

なんせ本人が、「おれっちはグローバルなマドロスさんだぜ」と言っているのだから間違いない。
ただそう言っておきながら、「居て貰いたいんなら、もっと金を出せ」というのは虫酸が走る。こういうのをやくざのヒモという。

「データで見る日本経済」という特集で5つの図表を作成・掲載している。
図4を除けば既出だが、これだけ並べられるとさすがに「放棄」ぶりが明らかだ。
そのうちの3つを転載する。
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97年が日本の転換点だというのは何回も強調してきたが、もうひとつの転換点が明らかになってきた。それが08年である。
国内生産はバブルの時期からすでに頭打ちとなっており、97年においても目立った変化はない。
これに対し海外生産は97年を期に急速に増加している。そして05年にはすでに国内生産を肩を並べるに至っている。
両者ともにリーマン・ショックで大幅減となるが、その後海外生産は直ちに回復し、さらに急激な増大を遂げているのに対し、国内生産はエコカー減税などにもかかわらず減少したままである。
おそらく13年には国内生産は海外生産の半分にまで落ち込むであろう。



東レの社長が、政府の経済審議会の委員になっている。
そいつが審議会の席上で、「俺の会社はグローバル企業だ。気に入らなきゃ出て行くまで」とほざいた。
もし「日本に籍は置いても、本体はグローバル企業だ」と認識しているなら、政府審議会の委員となる資格はない。日本の将来を語る資格はない。
「グローバルに展開していても、心は日本企業だ」というのなら、居ても良いが、偉そうにふんぞり返るほどのご身分ではないことを知るべきだ。

安倍首相はボーナスが7%上がると言っているが、これはウソ。

7%は5月末現在の数字で、好景気の企業が経団連の要請に合わせて出した数字だ。普通の大企業は6月に回答を出しており、まったく問題にならないほど低い。商業流通だけが2.8%を出しているが、製造業、交通運輸、その他はマイナスで、合計でマイナス0.9%というのが結果だ。

しかもこれは連合参加の大企業の話で、中小零細では「冗談でしょう!」という支給額だ。

スイスの首都はベルンです。私はチューリッヒだと思っていた。
その郊外にミューレベルクという原発がある。その排水は、厳しい基準をクリアした後、川に流されるが、その行く先がビール湖という湖。
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その湖底の堆積物を調べたらセシウム137が検出されたという話だ。
検出されたというのが、そもそも重大な問題だが、どうも原発側がこれを隠していた疑いが浮上してきた。

なぜかというと、この原発、72年の運転開始というロートル。
40年目の去年、連邦行政裁判所はNGOの訴えを受け運用停止を命じた。ところが今年3月、最高裁判所は行政裁の判断を覆し、稼働継続を認めた。

こういうドタバタのあいだ、原発側が垂れ流しを隠していたとすれば、これは一般的な隠蔽ではなく、司法を欺く行為と考えられる。

これはただでは済まない話だ。

この間、京都の民主党国会議員の驚くべき暴論を紹介したが、こういう人は昔からいるもんだということが分かった。
おなじみのコラム「朝の風」で、「夜叉ケ池の社会批判」という記事。

「夜叉ケ池」は泉鏡花の戯曲で、今から100年前の作品。

地主で代議士の穴隈鉱蔵なる人物が登場する。
こいつが、日照りの雨乞いのために、村の娘にイケニエとなるよう迫る。
その時のセリフ

いやしくも国のためには、妻子を刺し殺して、戦争に出るというが、男児たるものの本分じゃ。かつ我が国の精神じゃ。人を救い、村を救うは、国家のために尽くすのじゃ。我が国のために尽くすのじゃ。


村娘は要求を拒んで自害する。

おそらく穴熊も生来の狂信者ではないだろうが、社会の雰囲気が人格を歪め、崩壊させてしまうのだろう。
もって他山の石としなければならない。
権力に抵抗する勇気と、民衆への優しさはあい補うものであり、一人ひとりに植えつけて行かなければならない。

アベノミクスの罠

高田太久吉さんの寄稿で3日の連載囲み。12日分が本論。

アベノミクスには三つの罠があり成功の見込みはないというのが論旨。

そこで三つの罠とは、国債の罠、流動性の罠、「約束と期待の罠」ということだ。

これだけ見れば、「そうね」とやり過ごしてしまいそうだが、ちょっと切り口が違う。高田さん独特の論理が展開されていて面白そうだと読み始めた。

1.国債の罠

インフレ率2%になれば、国債の利率も2%以上に引き上げられる。

国債というのは、たとえば償還時に1万円の国債なら〇〇円x(1+利率)=1万円となるような額で売り出される。5%なら1万円÷1.05=9524円だ。国債利率が低いとき買った人は、その分が損になる。

大手銀行の保有する国債の目減り損は6兆円を超えると推定される。

それが国債の罠だというにはもう少し論証が必要と思うが…

高田さんは、もうひとつの国債の罠を提示している。

利子率が高くなれば、国債の新規発行は不可能になる。また国債の買い替えもできなくなる。

たしかにそのとおりだが、何故そうなるのかのメカニズムを明らかにし、それが必然的なジレンマであることを示さなければならない。

ということで、着想は新鮮だが展開は不十分。

一般的にはインフレによる国債価値の下落と、無制限発行による信用の低下の相乗効果によりスプレッドの拡大からソブリン危機へという流れを指摘しておけば十分であり、そこには罠というほどのパラドックスはない。

2.流動性の罠

金利ゼロの状態で金融緩和をしても資金は市場に回らず、いずれ金融バブルや不動産バブルを引き起こす。

これはそのまんまの話で、流動性の罠の説明にはなっていない。「流動性の罠」はクルーグマンの言い出した言葉で、クルーグマンについては以前、次のように書いた。(2013.1.16 クルーグマンの財政政策論

クルーグマンは財政出動論者と言えます。その限りでは安倍首相と同じです。

彼の財政出動論は、現下の不況がデレバレッジング・ショック(資金回収パニック)によってもたらされたものであるとの評価のもとに展開されています。

そして、貯蓄(節約)のパラドックス、精励のパラドックス、伸縮性のパラドックスという特徴づけを行います。

そして最大のパラドックスである財政政策、すなわち不況打開・雇用確保と財政再建の矛盾に切り込みます。

内需拡大という点では、我々とも一致しています。しかし財政出動は、その内容を問わなければ無意味でしょう。クルーグマンのアベノミクスへの「評価」は、彼自身の理論の危うさの反映かもしれません。

3.「約束と期待」の罠

「2年以内に物価上昇2%」という約束と、それに対する期待は、もしそれが達成されなければ市場の信頼を失うだろう。金融市場は方向性を失って大混乱になる。

というのが高田さんの「予言」だが、これのどこが「罠」なのか分からない。

90年代には日本のバブル崩壊が、アジア危機を引き起こし、さらにロシア、中南米、最後はニューヨークまで波及し世界経済に大混乱を与えたのです。

これだと日本のバブル崩壊が90年代後半の世界金融危機をもたらしたことになる。大胆な仮説ではあるが、一般的な評価といえるか。もう少し論証が必要だろう。


この間の、アベノミクスはマネタリズムとサプライサイド・エコノミーとケインズのごたまぜだという説といい、最近の経済学者の論理はちょっと荒っぽい。

このような短い紙面で、理非曲直を明らかにするのは難しい話だが、もう少し素人にも納得できるような展開を望みたい

2013.7.2に、オレンジ議員の洒落たセリフという記事を紹介したがそれがついに市議会を通過したそうだ。

市長は署名を渋っているようだ。「市の経済発展を促進し、雇用を増やす」のに有効か?と、疑問を呈し、拒否権を行使する可能性もあるという。

この法案に真っ向から対決しているのがウォルマートで、「市は雇用増の機会を失うな」と脅していた。市長はこれでビビっているらしい。

法案が成立したその日、ウォルマートは計画中の6店舗のうち3店舗の出店を撤回すると発表した。

「どうぞ出て行ってください。代わりは見つけますから」と言い返してやりたいものだが。


安倍首相の出口戦略は、蟹工船ではないが、「地獄さえぐ」出口だ。
「世界で一番、企業が活動しやすい国」というのは、ブラック企業の奨励策にほかならない。
ワタミは地獄行の水先案内人だ。今日のワタミは明日の日本のすべての企業だ。
それはすでに進行している。

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このままでは、日本中に「きつい、安い、追い詰める」の世界が蔓延する。右を見ても左を見ても、世の中真っ暗闇だ。
どうする、若者よ。

参議院選挙の民主党候補者で、京都の北神という候補。
第二次野田内閣で尖閣諸島を担当したという。

安全保障の基本は、国民自身が国土のために命をかけるのかどうかだ。

お母さん、あなたの息子やお孫さんが、あの小さな島のために死んでくれますか。人殺しをしてくれますか。

私が言う愛国心は、(略)小さな小さな島のために、命を要求する、峻烈な愛情なのです。


狂っているとしか言いようがない。漫画のセリフならともかく、まともな人間の言うことではない。

民主党は公認を取り消すべきだ。野田元首相はこのような人物を政府の要職につけたことについて、責任を明らかにすべきだ。

なお、発言の出処は「東洋経済オンライン」というサイトで、「尖閣問題で感じた、我ら日本人のビビリ根性」という文章だそうです。

エジプトによる権力交代をどう見るかは、形式的な面からだけでは判断できない。
形式論理から言えばクーデターそのものではあるが、その土台にあるものはモルシ独裁政権に対する民衆の激しい抗議であり、民意は一刻も早い政権交代にあった。
軍が介入しなかったとしてもモルシ政権は崩壊していただろう。

ここを基本として見るなら、この民衆の怒りを背景にした軍の介入といえるだろう。民衆が主役であり、軍は主役ではない。

小泉特派員は以下のように書いている。
①軍の超法規的措置が情勢を混乱させ、今後の国民的和解に向けて重大な否定的影響をもたらしていることは疑いない。
②しかし、少なくとも多くの国民は今回の事態を「クーデター」と呼ぶことを強く否定している。「国民の闘いが歴史を動かした」と感じている。

結局この②の評価が決め手になるのだろうし、権力の移行の形態をもってその本質の評価に変えてはならない。

その上で、軍が乗り出してきた目論見については、事実に即した分析がもとめられることになるだろう。

大統領選挙で見た範囲では、エジプトの力関係は三すくみ状態にある。軍、イスラム同胞団、そして民衆である。

革命を成功させたのは民衆であるが、統一勢力を未だ形成しえていない。軍は企業を巻き込み、旧ムバラク派も取り込みながら勢力拡大を狙っている。

アメリカはクーデターを激しく非難するかのようなポーズをとっているが、実は軍の最大のスポンサーである。

同胞団は、大統領選挙で民衆の代表であるかのようなマヌーバー作戦をとることにより、民衆の支持をとり込み勝利した。

今後、同胞団の出方により情勢はきわめて流動的なものとなるだろう。しかし彼らへの反感がこれほどまでに高まれば、シリアのような事態に発展する可能性は低いと考えて良いのではないだろうか。

「参院選 最前線」という記事で、面白い記事。
岡山市の女性後援会員が、無差別電話作戦をおこなった。

17人と対話して他党に決めていた人は3人、考え中が7人、共産党への投票を約束した人が7人でした。


これはかなり凄まじい成績だと思う。もちろんこの方が情熱と巧みな弁舌で勝ち取った成果であろうが。やはり情勢なのだろう。東京都議会選挙の影響は大きかったな。

志位さんの参院選初日演説で、「日本のブラック企業化阻止」のスローガンが良いといったが、今度はブラック企業の三大特徴なるものを打ち出した。
それが「きつい、安い、追い詰める」のトリアスだ。

きつい、安いは当然として、“追い詰める”というのが秀逸だ。ブラック企業の本質をえぐっている。これで若者のハートを鷲づかみだ。

大量に採用し大量に止めさせる。こんな企業に未来はない。それを容認する政党にも未来はない。

志位さんの主張は、青年の心にまっすぐ入っていくようだ。

7月4日に、国民生活基礎調査が発表された。
貧困層が増大している。そのスピードは著しく早い。
赤旗では所得中央値に焦点を合わせた報道をしている。
たとえば人口が1億人として、上からでも下からでも5千万人目の人の所得だ。
貧富の差が増すと平均所得との差が拡大する。
これまでも国民総所得や平均所得とジニ係数の二つを並べることでおおかたの傾向は分かる。しかしジニ係数は間接指標であり実感として掴みづらいうえに、いくつかの因子により修飾を受ける。
その点で行くと中央値はまじりっけのない実数であり、実感としても分かりやすい。

それで2011年度(最新)の平均所得は548万円。これに対し中央値は432万円となっている。116万円の開きがある。20年前の中央値はちょうど今の平均所得である549万円だった。

平均所得が20年前にどのくらいだったかは記事にはない。

赤旗はその要因を分析し、貧困層の激増が主たる要因だとしている。
ここで貧困層というのは年間所得200万円以下の世帯である。これが14%から20%に増えた。



これが6月16日に安倍首相がフェースブックに掲載した文章。

ネトウヨも真っ青、あまりの下品さに目を背けたくなる。この記事についてはどのメディアも詳細を報道していない。

小見出しは私がつけたもの。


昨夜ポーランドに到着し、これから首脳会談です。
そしてV4首脳会談に望みます。その後「ハンガリー」「チェコ」「スロバキア」と個別に会談予定。かなりタイトな日程です。

1.細野幹事長の的ハズレな批判

ところで報道によると先日の田中均氏に対する私の批判に対し細野豪志民主党幹事長が的外れな批判をしているようです。
よくあるパターンの攻撃です。

総理大臣が「一個人を批判すべきではない」と、中身ではなくその姿を批判するというスタイル。
私の批判は、田中均氏が局長としと関わった「国民の生命と主権に関わる判断」と「公務員としとの記録を残す」との義務についての批判です。

2.メディアに露出すれば「一個人」ではない

「外務省元幹部」としての肩書きで写真を大きく掲載する事も了解しての新聞でのコメントやテレビを活用した活動ですから「一個人」との認識は全く的外れです。

私の厳しく的確な(笑)反論を封じようとの意図でしょう。
外交官として田中均さんの判断と行動について細野さんは問題ないと思っているのでしょうか。

この部分は、それだけでも完全にアウト。しかもまたしても、薄気味悪い「(笑)」の文字。

3.意味不明の部分(なにやら怒っているのは分かるが…)

最初にそこはパス。
そこから逃げて、あの時の自身の政治家としての行動に対する自省はまったく無い。
…だからダメなんです。

4.またも過去の言動を持ち出す

かつて貴方はNHKで「自民党には戦争をやりたがっている人がいる」と言ってのけました。
自民党、ひいては日本の政治の信用を貶めた人物です。

5.またも「独自の情報網」

私はその発言を出演者から聞き、街頭で貴方にこう質しました。「戦争したがっている自民党の議員とは誰ですか?

6.ヤクザまがいの脅し文句

公共の電波で民主党を代表する立場でそう発言した以上もちろん事実なんでしょうね。

貴方が名前を上げたら私は直ちにその人物を除名します。もし名前も出せないいい加減な中傷で自民党を貶めようとし たのであれば責任をとるべきです」と。

7.「民主党は息を吐く様に嘘をつく」という揶揄

あれから細野さん随分時がたちましたが、頬被りですか?
「民主党は息を吐く様に嘘をつく」との批評が聞こえて来そうです。 


正直、論理は無茶苦茶で、まるでガキのケンカだ。細野氏の意見の格調と比較すべくもない。

それにしても、大事な首脳会談を前にこんなことをやっている首相なんて、馬鹿じゃないかと思う。


この間は毎日・TBSとの因縁で田中均インタビュー事件を扱ったが、どうもこれは一連の流れとは別扱いにすべき問題のようだ。

とりあえず、事件の経過を追ってみた。

これは安倍首相にとってかなり具合の悪い事態に発展しているようだ。

ただ、メディアはおそらく意識的に18日付の安倍フェースブック発言を隠しているようだ。しかし一連の文書の中でも、これは最悪のものだ。


2013.6.12 22:38

 安倍晋三首相は12日夜、自らの交流サイト「フェイスブック」で、かつて対北朝鮮外交を担っていた田中均元外務審議官を「外交を語る資格はない」と痛烈に批判した。

あの時田中均局長の判断が通っていたら5人の被害者や子供たちはいまだに北朝鮮に閉じ込められていた事でしょう。外交官として決定的判断ミスと言えるでしょう。それ以前の問題かもしれません。

そもそも彼は交渉記録を一部残していません。彼に外交を語る資格はありません。

文脈としては、北朝鮮に戻すという判断が「外交官として決定的判断ミス」であり、交渉記録を一部残していないのが「外交を語る資格」の欠如の論拠となっている。「マスコミの誤った報道」という言い方は通用しない。

 

6月14日、民主党の細野豪志幹事長(41)が、自身のFacebookで安倍首相を批判した。

「田中氏はかつて外務官僚でしたが、今は一民間人。当然、外交について語る『表現の自由』を有しています。最高権力者に『語る資格がない』と断じられた田中氏は語り続けることができるでしょうか。仮に、田中氏が最高権力者の言に逆らって語る勇気を持っていたとしても、メディアは彼 の見解をこれからも伝えることができるでしょうか。そのことも私は危惧します。」

「最高権力者が持つ強大な権力を考えたときに、あのような発信は自制すべきであったと私は考えます。」「今の自民党には安倍総理の発言 を諌める人すらいそうもありません。そのことも心配です」

細野さんという人、なかなかいうことがかっこいいですな。「総理は、〈民主党は息を吐く様に嘘をつく〉と過激な言葉で応酬している」との報道もありますが確認していません。

→ありました。これは全文掲載に値する文章です。かなり長いので、次の記事に別掲します。

 

朝日新聞の18日社説

この(安倍首相による)批判は筋違いだ。田中氏は外交官として、政治家が決断するための選択肢を示したのだ。

(ヘイトスピーチに関連して)「どんなときも礼儀正しく、寛容で謙虚でなければならないと考えるのが日本人だ」と語ったのは、安倍首相ではなかったか。

 

あの「週刊新潮」ですら懸念を示している。

「いま政界では“安倍のポチ現象”なる言葉が流行っています。中堅クラスの議員たちが、元審議官ごときを相手にしないよう諌(いさ)めるべきですが、秋の内閣改造を前に、何も言えなくなっているんです」とのコメントを肯定的に引用している。

 

田中均元外務審議官は、東京都内で講演し、安倍晋三首相の非難は「事実誤認だ」と反論

6月24日

安倍晋三首相は田中氏が対北朝鮮交渉の外交記録を保管していないと批判したが、このことについて「記録をつけないで交渉を北朝鮮でやるなんてことはあり得ない」 と反論した。

さらに、「最初は記録なんて何もないとおっしゃっていた。今は記録が一部ない(と言っている)。どっちなのか分からない」と反撃した。

「拉致被害者を北朝鮮に帰すべきだと(私が)主張したことになっているが、そ うではない。政府として一時帰国しかないと決めた」と指摘。「(首相が)ネガティブに捉えているとしたら、すごく残念だ」と述べた。

ちなみにこの講演会はアジア調査会(会長・栗山尚一元駐米大使)の主催したもの

ゲンダイの高野盂氏は、一時帰国問題そのものについて以下のごとくコメントしている。

付け加えれば、02年の安倍・田中論争では、田中のほうが正しかった。
安倍が後先を考えずに“一時帰国”の約束を破ったことで、その後10年以上にわたって日朝対話は断絶し、それが6カ国協議を停滞させる一因となった。そのことについては、米中韓も不快感を抱いている。

一聴に値する。

 

首相、田中均氏を再び批判 「2回の交渉記録ない」

2013/7/3

 安倍晋三首相は3日、日本記者クラブ主催の党首討論会で田中均元外務審議官をふたたび非難した。安倍首相が小泉内閣の官房長官だった当時、田中氏による北朝鮮との交渉記録を調べるように指示したが、田中氏の2回の交渉記録が残っていないというもの。首相は、「田中氏本人に確かめたら『私は知らない』と言った。

その上で、「(田中氏は)権力と闘う覚悟をして発信している。外交官の基本を踏み出すことをした人だ」と発言した。

これは明らかに、批判の論拠をすり替えている。12日のフェースブックでは、一時帰国者を北に戻せと主張したことが、外交官失格だということになっている。しかし3日の発言では30回の交渉のうち2回分が欠損していることが、外交官の基本を踏み外した行為だということになっている。

 

ずっとグーグルをたどっていたら

安倍首相 田中均氏 民主党細野氏 Facebookでの批判応酬 全文を読む

というページがあった。すでに削除されていたが、グーグルというのはすごいもので、キャッシュというものがあってそこで読めるのですな。▼をクリックすればいいのです。新聞記事などで都合が悪くて削除したようなものも読めるのでしょうか。

ただしページ主は親安倍・反田中のようです。

 

ウィキペディア

田中 均(たなか ひとし、1947年1月15日 - )は、日本の元外交官。父は総合商社日商岩井(のち双日)元会長の田中正一。

1969年京都大学法学部卒業後、外務省に入省。

1979年の米大使館赴任以降は対米関係の専門家として、日米半導体交渉、在日米軍普天間基地返還合意などに関わり、1996年の日米安保共同宣言の外務省における責任者を務めた。

東アジア外交との関わりは1987年の北東アジア課長就任以降であり、北朝鮮核危機(1993年)後、米朝枠組み合意からKEDO設立に至る日本側の実務責任者でもあった。

2002年の日朝首脳会談を巡って一躍有名となった。30回以上に及ぶ北朝鮮代表者「ミスターX」との水面下の交渉を担当。歴史的な首脳会談実現の立役者となった。交渉は極秘の形で進められたが、総理とはこの間80回に渡って面談している。

その後、日朝国交正常化を優先し、拉致被害者問題を 軽視したとの批判が強まった。 2003年9月には「建国義勇軍国賊征伐隊」を名乗る右翼団体によって、自宅ガレージに爆発物が仕掛けられる事件が発生。この事件に対し、石原慎太郎東京都都知事は「(売国的行為をしたのだから)当ったり前の話だと思う」とコメントした。

2005年、外務審議官(政治担当)を最後に退官。研究職に就いて執筆・評論活動を行っている。

 

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