鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2013年07月

慰安婦の給料については、誰かの妄想というブログが詳しい。そちらを直接あたってもらえば良いようなものだが、ちょっとややこしいので、要点を抜き出しておく。

ブログ主はビルマの例を取り上げている。理由は一つは、「なかった」派の最大の根拠となっているからであり、もう一つは正式な文書を元にしているからである。

文書の名前は、「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日」という。

ブログ主によると、文書の要点は以下のごとくだ。

これは、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。
多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。

「なかった」派はこの一節から次の結論を引き出している。

慰安婦の月収は平均750円で、当時の陸軍大将の月収500円~600円より多かった

これに対し、ブログ主は次のように反論する。

①1500円の給料は日銀券ではなく軍票で支払われていた。

②軍票は日銀券とは遮断されており、兌換不能であった。

③南方占領地の中心シンガポールでは、物資不足と軍票の乱発により、3年間で軍票円換算の物価は350倍になっている。前線であるビルマではさらに軍票の実質価値は下がっていた。

だから、慰安婦たちは陸軍大将を上回る給料をもらいながら、生活困難に陥っていたのである。


この「慰安婦高給説」の論拠が崩れると、「なかった」派の旗色はかなり悪くなる。慰安婦の契約は純粋に経済的な動機に裏付けられたものとは言いにくくなる。


★☆日本の未来へ☆★

というページがあって

従軍慰安婦は問題ではない

という記事を載せています。むかつくような揚げ足取り論法ではなく、割りとまともにその理由を提示しているので、少し整理してみました。

理由 1

従軍という言葉は軍属という正式な身分を表す言葉である。慰安婦たちは民間の売春業者が雇った民間人である。故に従軍慰安婦という存在はなかった。

コメント その通りです。従軍慰安婦という言葉は通称に過ぎません。しかしそう呼ばれる女性たちの実体はあったので、ただの民間の売春婦ではありません。

理由 2

フランスやドイツなどにも慰安所はあった。

コメント たしかにドイツにもそれらしきものはあったようです。フランスについては存じませんが、ヴィシー政権のことでしょうか? 事実を示していただきたいと思います。

理由 3

1958年まで戦後日本は売春が普通に行われていた。

コメント そのとおりですが、この際関係ないでしょう。

理由 4

慰安所設置でその強姦事件をなくすことができる。慰安所は必要悪である。

コメント 慰安所はいかなる観点から見ても必要悪とはいえません。問われているのは法的正当性です。この主張に固執する限り、議論の余地はありません。

理由 5

慰安婦は軍が強制的に連れて行ったものではない。

コメント 散々やった話なので、省略。

理由 6

吉見義明中央大学教授は1997年1月31日放送のテレビ朝日系列の「朝まで生テレビ」において「日本の植民地(朝鮮、台湾)については、強制連行を示す資料はない」と言い切った。

コメント 「吉見発言」なるものは、慰安婦擁護派の最大の武器になっているようですね。

理由 7

強制性が問題であるならば、社会人は社会に強制的に労働させられているから、奴隷なので、賠償が必要だ。

コメント 「強制労働」の定義をお伺いしたいものです。

理由 8

慰安婦たちの給料は300円から1500円であり、これは当時の日本陸軍の大尉の月給が110円であったことを考えれば法外に高い給料であり、当時の女工の級は50円にもみたなかった。

コメント これは相当の高給であり、自発的に応募した人がいたとしても不思議ではない。もう少し客観的なデータがほしいが。

理由 9

1944年にジャワ島セラマンで一人の陸軍少佐は、自分の部下が現地人を慰安婦に強制しようとしたことを黙認しただけで死刑になっている。他に軍・民で合計7人が7年から20年の禁固刑になっている。

コメント ジャワについてはかなり公判記録も残されており、全体像が明らかになっているので、その中で議論すべきでしょう。

理由 10

軍と同行し、戦場または準戦場に位置していることを考えれば外出時間や場所の制限は当然であり、まったく人権侵害にはあたらない。

コメント 逃亡防止のためでなければそのとおりですが、準戦場とも言えない上海や南京ではどうだったのでしょうか。

なお文中に下記のような引用があり、慰安婦が人道的に扱われた証拠として提示されているが、これは同時に慰安所が軍の全面的管理のもとに置かれていたことの証拠でもある。また往々にして「粗暴なる行動」や「ピンハネ」があったことを示唆した証拠でもある。

「森川部隊特殊慰安業務ニ関スル規定」(昭和14年11月14日)の中には「慰安婦ニ対シ粗暴ナル行動ヲナスベカラズ」、「慰安所ニ要スル経費ノ一切経営者の負担トス」、「常ニ慰安所内ヲ清潔ニシ飲食物及酒肴ノ販売ヲ禁ス」

石第三五九六部隊の「後方施設ニ関スル内規」(昭和20年1月8日)には、慰安経営者や従業員にたいして礼儀を重んじることを命令している。

「石兵団会報第 74号(後方施設ニ就キ)」には、雇用主は慰安婦にたいして「毎月稼高ノ百分ノ三」を「貯金」させ、慰安婦をやめるときに「本人ニ交付スル」とあり、なおかつ 「遊客其他ヨリ稼業婦ニ於テ直接収受シタル金品ハ、全テ稼業婦ノ所得トス」、「遊興費ノ不支ハ全テ営業主ノ負担トス」、「稼業婦廃業シタルトキハ雇主ハ稼業当日迄ノ稼高ヲ清算スベシ」とあり…

一般論でない経済/財政再建論を示さなければならない時が、意外に早くやってくるかもしれない。
スタグフレーションとソブリン危機がすぐそこまで来ている。

さらなる財政出動は避けられない。
ただ財政再建策が同時に提示されないと説得力はない。
最優先されるべきは雇用か、累進課税の強化か? それとも内部留保を潜在財源とする再建債の発行か。
資本の海外流出は止められるのか。中堅企業への集中投資は景気回復の特効薬となるのか?

期限を切った原発の再稼働抜きに貿易赤字の拡大は止められるのか。
外国資本の一斉逃避を迎えて、基幹産業は持ちこたえられるのか。
しかしはっきりしていることがある。このままではジリ貧だ。財界の主張に未来はない。

ここは一発賭けに出るしかない。
やることは大企業の行動にタガを嵌めることだ。そうなれば大企業は規制に従う企業と、アメリカの大企業と運命を共にする企業に分かれるだろう。日産とホンダはあちらに行くだろう。マツダとスバルは残るだろう。電機は根こそぎだろうが、アセンブリー系はニッチ産業として生き残る可能性がある。トヨタと新日鉄は悩むだろう。

後1,2年の勝負だ。日本は今やそういうところに差し掛かっている。


本日の「経済アングル」は柳沢記者の担当。
外国人持ち株比率の急増について触れている。

事実としては以下のとおり。
①主要18社の外国人持ち株比率は今年3月時点で30.0%。
②これら18社の03年3月での比率は17.7%だった。10年間で1.69倍となった。
③上場企業全体でも外国法人が28%を保有している。
*主要18社とは、経団連の現在の会長・副会長企業のこと。

外国人投資家には次のような傾向があり、彼らの持ち株比率が高まれば、その影響も強まる。(この部分は私の考え)

①会社の利益より株主の利益。
②会社の成長より短期の利益
③生産・労働過程への無関心と、資金運用への執着
④さまざまな忠誠心や企業倫理の完全な欠如

柳沢記者は外国人持ち株比率の急上昇の影響として、以下の項目をあげている。
①企業価値を高めるのではなく、より短期的な目先の利益を追求する
②人材の使い捨て、人件費コストの削減。
③海外進出と国内の空洞化
④日本経済に対する責任の放棄

一応のスケッチではあるが、何故そうなったのかの分析はここでは行われていない。このコラムでは当然書けるものではないが、あまり説得力のある議論に出会ったこともない。



友寄さんの書いた連載「多国籍企業と国民経済」の②に、注目すべき一節がある。

もちろん、多国籍企業化は必ず「空洞化」をもたらすというわけではありません。

対外直接投資の増大は、投資財や生産財の輸出の増大をもたらし、国内投資にも連動する。(すなわち国内産業にとってポジティブな効果もある)
しかし、日本の場合は、あまりにも急激に対外投資が増加してきたために、国内の経済成長が停滞しつつあります。

ドイツや米国などの主要国では対外直接投資と国内投資の両方が増加傾向にある。しかし日本においてのみ、国内投資が減少しているのはこのためである。


国内産業にとって、多国籍企業化が全体としてネガティブであることは論をまたないが、ただそのテンポによってはウィン・ウィンの関係を作り上げることも可能だという指摘である。

この一節は、ことのついでに書き加えたという感じで、それ以上の展開はなされていないが、重要な見解と思う。今後、こうした方面からの検討と提言も必要なのではないか。

先日、「穴隈鉱蔵の弁」というのを紹介した。

いやしくも国のためには、妻子を刺し殺して、戦争に出るというが、男児たるものの本分じゃ。かつ我が国の精神じゃ。人を救い、村を救うは、国家のために尽くすのじゃ。我が国のために尽くすのじゃ。

というセリフが、どうにもこうにも支離滅裂なのが気になって、原文を当たってみた。

青空文庫の 泉鏡花 戯曲「夜叉ケ池」である。

場所  越前国大野郡鹿見村琴弾谷
時   現代。――盛夏
人名  萩原晃(鐘楼守)
     百合(娘)

この二人が夫婦、萩原晃というのは実は伯爵家の息子で、この村にふらふらと彷徨い込んで、鐘つきになってしまったといういい加減な設定。

穴隈鉱蔵は県の代議士で、「美しい日本」の代表みたいな人物だ。

筋立ては田舎芝居そのものだが、芝居のツボはしっかり押さえられている。泉鏡花という人物、かなりの芝居好きと見える。

実は穴熊のセリフには伏線があって、百合とともに逃げようとする晃の前で、百合の叔父という人物が村の利益代表として訴える。

私(わし)が姪(めい)は、ただこの村のものばかりではない。一郡六ヶ村、八千の人の生命(いのち)じゃ。その犠牲の女を連れて行(ゆ)くのは、八千の人の生命を、お主(ぬし)が奪取って行(ゆ)くも同然。

これに対して、晃が激昂する。

ならん、生命(いのち)に掛けても女房は売らん、竜神が何だ、八千人がどうしたと! 神にも仏にも恋は売らん。お前が得心で、納得して、好んですると云っても留める

ここで加勢に入った晃の友人学円(これも京大教授)が反論する。

天を泣かせ、光を隠して、それで諸君は活(い)きらるるか。…六ヶ村八千と言わるるか、その多くの生命は、諸君が自ら失うのじゃ。

これなどは反原発の論理そのものだ。

そこに、「村の論理」を「国の論理」に包摂するものとして穴隈鉱蔵が登場する。「朝の風」ではそれが取り上げられているのだが、実は村の論理と串刺しになっているのだ。

そして晃は穴熊に対して怒り狂い、次のセリフを発する。

死ね、死ね、死ね、民のために汝(きさま)死ね。見事に死んだら、俺も死んで、それから百合を渡してやる。

ただ、本では代議士となっているが、実はただの県議だ。これに対して侯爵といえばスーパー大名格である。福井松平家50万石が侯爵である。加賀前田家ですら侯爵だ。眉がぴくっと動けば、たちどころに穴熊の首は飛ぶ。これでは話は終わっている。


私が演出家なら、穴隈鉱蔵は石破幹事長にお願いする。百合はキャンディーズのスーちゃんだ。その叔父には敦賀市長が適役だろう。

さぞかし、良い芝居になるだろう。

赤旗もさすがに音を上げたようだ。

先日小泉記者が、エジプト民衆の現場の声を色濃く反映したレポートを出した。
「いろいろあるが、運動の現場ではモルシを退陣に追い込んだのは民衆の力であり、軍事クーデターによる政権転覆とはいえない」
というのが現場の声であろう。

ただ、多少引いた所で眺めると、「モルシを退陣に追い込んだのは民衆の力であるが、問題もいろいろあるんじゃない?」と考えるのも、もっともである。

さはさりながら、このままの形で運動が収斂してしまえば、残るのはまごうことなきクーデターと、軍の権力回復という事態であり、民衆の運動は簒奪されたことになる。
それでは軍の権力掌握を否定して、もう一度モルシ体制を復活させようということになるのかというと、それでは民衆の方で黙ってはいないだろう。

ということで、25日の紙面は「激動エジプト 識者に聞く」という見出しで、完全イーブンの二つの談話。

一人は千葉大学教授の栗田さん。この談話の見出しは「国民の巨大な運動が政権崩壊に追い込んだ」

最初の段落を書き出すと、

モルシ政権の崩壊は若者グループの運動や、「救国戦線」に結集した諸政党など、国民的運動の成果です。
結果的に群が大統領を解任し、政権移行過程を管理する行動に出たので、欧米等のマスコミは「軍事クーデター」として描いていますが、国民の巨大な運動が政権を崩壊に追い込んだと見るべきです。


栗田さんの談話の特徴は、民衆が自らの手で勝ち取った立憲・民主制を一時サスペンドする道を選択した、それほどまでに強いモルシ政権への怒りをまず理解した上で発言すべきだ、という政治のダイナミクスの重視です。

もう一人は東大教授の長沢さん。こちらの見出しは「軍の思惑をはらんだ“性急なクーデター”

モルシ大統領を退陣させた軍の行動は、多くの国民が歓迎したとはいえ、“性急なクーデター”だったのではないかと考えます。モルシ退陣を求める2300万人の署名をテコに事態の収拾を図ることは可能でした。

ということで、両論をすりあわせながら今後を見て行かなければならないのであろう。

ことの是非は別として2つのことが確認される。まず、軍の行動は民衆の考えとは違う戦略に基づいているということを確認し、覚悟しておくべきだということ。
もう一つは、モルシの全面復権はありえないということだ。したがってそこには立憲制の断絶が生ぜざるをえないということだ。政権移行の合憲性は、何らかの形で担保されなければならないということだ。

長沢さんはそれが「憲法改正をめぐる闘争」になるだろうと予想している。
そして、その憲法に民主主義、人権、文民統制、地方自治の精神を盛り込むことにより、非平和的政権移行の可能性を封じ込めることが、軍事独裁の再現を許さず、非宗教支配(secularism)をつらぬくための保障となるだろうと見ている。

実践的には、たしかにこのへんが落とし所になるのではないだろうか。

私はメキシコ革命を思い起こしている。1912年に始まった革命は、反革命や、裏切りや妥協を織り交ぜながら6年間続いた。ありとあらゆる人々がありとあらゆる党派に属し、相互に「武器による批判」を繰り返した。

そして皆が疲れ果てたとき、1917年憲法が発せられ、革命は落ち着くところに落ち着いた。
そこが革命が始まる前より、はるかに進んだ地平であったことは間違いない。なぜなら殆どの人々が前進を欲していたからだ。


駒澤史学 10, 44-51, 1962

洞門禅僧と神人化度の説話

葉貫磨哉

洞門諸派の禅僧がようやく全国的発展への道を歩み始めるのは14世紀後半からである。これら発展にあたって各派の禅僧は有力外護者の庇護や、被支配者等の共同の外護によって法流の持続進展を計った。

しかしながら禅宗の宗旨は高尚深遠で、地方の比較的知識の低い階層には理解することは難しかったに相違ない。しかし素朴で原始的な信仰心は持っていたとみられる。

そこでコレレ素朴な住民に禅旨を説く方便として、最も簡単でそして人々の本来の信仰心を惹起させる因縁話を布教の手段として用いるようになった。

すなわち禅僧が神に戒を授けて弟子とし、神は夜中密かにそれら禅僧の室中に入室参禅し、果は大いに印可され、神はその礼を謝し、噺するに禅僧の住する山居を護持することを約束するのである。

これを聞いた山下の居民が如何ばかりか禅僧の高僧大徳なるを知り、競い来たって帰依者となり、大いに梵字を構えて法灯の持続発展する基をなしたといい、これら居民の信仰ぶりを聞いた支配者が、山林田地を寄進して住持・雲水の食輪にあてることなども現れ、……

このような説話は元来その土地に住む住民が、その土地の土俗神に対する純粋素朴な信仰心を持ち得ているところから、住民の神に対する信仰心をこのような説話を創りだして禅僧への信仰心にすり替えることを目的としたものにほかならない。

禅旨を理解できる程度の学問と余裕を持つ階層に、初めから帰依され庇護される諸派にはこのような説話は伝承されず、むしろ名も無き貧夫野人の帰依を促すため、またはこれら非支配者たちの共同の外護を期待するために作られたものということができる。


以上は50年も前の論文の書き出しである。実に簡潔にして要を得た名文である。私の想像は図星だったようだ。これで禅宗の分布地域が、何故そういう分布なのかも見事に説明できる。

禅宗というのは海苔を巻いた握り飯みたいなもので、皮一枚下はただの飯だ。上の海苔だけ見て、全部が海苔でできていると思ったら大間違いだ。

2日間の便秘がスッキリしたような気分だ。

宗派の全国分布を見ていて気になったのは、何故禅宗がこんなにも多いのかということである。

ところが、ネットを見ても満足の行く説明はない。

むしろ禅宗の教えがさも高尚で、武士道の精神に則ったものだという説明ばかりだ。そんな宗教が堂々の全国第二位になるわけがないのだが、シェア拡大の秘訣を語るページが見当たらない。

かろうじて、本の内容を紹介した一文を見つけた。

駒沢大学の広瀬先生のページ

廣瀬良弘『禅宗地方展開史の研究』(吉川弘文館、1988年)という本の紹介だ。

これによると、

①曹洞宗の室町・戦国時代の展開では、(1)在地領主連合関係、(2)一族関係、(3)主従関係に沿って展開した。

②時代が降ると壇越は小規模化し、禅僧たちは地域の神に戒を授け、自らの弟子とするという神人化度の説話を生み、地域の神を取り込み、温泉場開発など地域での祈祷・法要により、受容されていった。

③15世紀前半以降は、禅僧の語録の中で葬祭に関するものがほとんどを占めるようになった。

④15世紀後半には、すでに、盛んに授戒会が行われ、これも在地武士のみならず、農民・諸職人から下人まで、一度に50人、60人に戒を授けている。

⑤このような禅僧の問答・法要儀式などの活動を支えたのは、抄物・切紙の授受であった。

こうして曹洞禅宗は、浄土系宗派や真言宗などと競合しながら、上層農民等の民衆にも受容され、とくに東日本の後進農村地帯や、やや山間部に展開していった。


というわけで、戦国の世が終わるころは、食い詰めた末端の坊主が地方に入り込んで、詐欺まがいの手法で信者を駆り集めたようだ。

禅宗というのは良くも悪くもソフィストだから、相手をけむにまくのはお手のものだったのかもしれない。

たしかに静岡はだまされやすい県民性だ。


日本における仏教諸宗派の分布 ―仏教地域区分図作成の試み―

というページを見つけたので、少し調べてみた。ここでは日本の仏教各宗派を①天台・真言系、②浄土系、③禅系、④日蓮系の4つに大別しており、整理しやすい。

全国の寺院の宗派別集計で見ると、①浄土系42%、②禅宗系29%、③真言系21%、④日蓮系8%となっている。ただしこれは昭和34年のデータにもとづく数字であり、その後相当数が淘汰されている可能性はある。

まず天台・真言系が5割を越す県は茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉の関東地域。そしてなぜか岡山と徳島が多い。とくに徳島は68%と圧倒的な比重を占めている。

真宗をふくむ浄土系が5割を越すのは北海道、富山、石川、福井、岐阜、愛知、三重、滋賀、大阪、奈良、広島、山口、香川、福岡、熊本、鹿児島となっ ている。富山、石川、鹿児島では寺の3/4が浄土系となっている。北海度で高いのは石川・富山からの移民が多いのと、開拓期に本願寺が開拓の先頭に立った ためであろう。

禅宗系が5割を越すのは、岩手、宮城、秋田、山形の東北4県、山梨、静岡の中部2県であり、とくに静岡の69%が際立つ。大阪、奈良など近畿で1割に満たないというのもひとつの特徴である。

日蓮宗は千葉、東京、山梨で20%を超えるが、ほかはほとんどが10%以下であり、石川でも7%にとどまり静岡の16%を大きく下回る。

5割を越す宗派がない県は青森、福島、東京、神奈川、新潟、長野、京都、兵庫、和歌山、鳥取、島根、愛媛、高知、佐賀、長崎、大分、宮崎であり、浄土系と禅宗系が喰い合いしている場合が多い。

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私のような縁なき衆生にとっては寺の数だけで十分ごちそうさまだが、関係者にとっては、信徒数で比較しなければ意味がないと思うかもしれない。

この論文はご親切にも信徒数まで出してくれている。それも不肖の信徒までふくめた数とコアーな信徒である檀家数とに分けてだ。そこで檀家数で各宗派の分布を見てみる。

そうすると浄土系が俄然強くなる。新潟、京都、和歌山、島根、佐賀、長崎、大分、宮崎が加わる。西日本総なめである。ただしこれは大正11年のデータである。

この論文ではご親切にも明治12年のデータと比較をしてくれている。これで見ると、明治の初期には天台・真言系がかなり多かったのが、高野山の大火のあとで寺社を整理しているようである。

例えば和歌山県では明治初期には天台・真言宗系寺院が1千あまりを数えたが、10年後には750まで整理され、その後も漸減し明治末に浄土系を下回るようになった。そして昭和初期には二位の座も禅宗に明け渡すようになる。

それにしても、日本史の授業ではずいぶん一向宗や日蓮宗の階級性とか戦闘精神が強調されていたが、どうも「日本人にとって宗派がなんぼのものかいな?」という感じがしないでもない。

忍者寺の解説にも、一向一揆に対抗して日蓮宗を押し立てたと書いてあるが、数字を見れば何ほどのこともない。大体が前田家にしてからが、江戸の回向寺は禅宗だ。

あまり、中世の時代を見るのに宗教性は重視しないほうが良いのではないだろうか。

金沢に忍者寺というのがあって、そのへんの見世物小屋とはまったくレベルの違う仕掛けが満載のお寺なのだが、面白いというのか不思議だったのが、日蓮宗という宗旨だった。

私の日本史の知識は乏しいので、加賀といえば一向宗と決まったものだと思っていた。それと日蓮宗というのが割と縁遠い存在で、たしかに静岡ではドンツクドンドンツクツクという団扇太鼓は馴染みの音ではあるが、実際に回りのお寺さんで日蓮宗というのはお目にかかったことはない。

日蓮さんというのは、映画で見た覚えがあるが、何かえらく政治好きの闘争心旺盛なお坊さんのような印象がある。

お寺一覧というページで、静岡市のお寺を調べてみた。

真言宗 24, 浄土宗 22, 真宗14、 臨済宗 113, 曹洞宗 143, 日蓮宗 49, 

ということで、お寺といえば禅宗なのである。チンボンジャラーンと鳴り物入りの葬式で、頭が高く、葬式代も高いといわれている。

次が金沢市

真言宗 27, 浄土宗 26, 真宗 209, 臨済宗 8, 曹洞宗 59, 日蓮宗 38,

圧倒的に真宗だ。この他、静岡にはない天台宗が10, 法華宗が12と多彩になっている。前田家御用達のはずの日蓮宗が意外に少ない。

日頃仏教に関心をもつことは殆ど無いため、このような地域差については意外であった。換言すれば、日本の仏教はあまり権力との関係やイデオロギッシュな傾向はなく、各宗派とも互いに異端扱いせずに結構馴れ合っているのではないかと思う。


金沢シリーズ

実に2年ぶりに家を空けました。
嫁さんはショートステイに、私は命の洗濯に金沢まで。
夕方から片町一丁目の居酒屋で飲んだあと、ふらふらと横丁に入って、突き当りのお稲荷さんを曲がって、もいちど角を曲がったら、両側に、暮れなずむ夕陽をバックに立ち並ぶ2階建ての飲み屋さんの列。
瞬間、立ちすくみました。
映画のロケのセットなのか? 私の脳みそがプッツンしたのか?
デジャブーの世界に一歩づつ進んでいくと、この店ではのれんを張り出し、その向かいはのんびりと打ち水をし、粋な姉さんのおしろいの匂いが鼻先をかすめ、刻一刻と紅灯の巷が目前に現出していきます。
まるで宮崎駿の書割がそのままの世界です。
呆然と立ちすくんでいると、若い衆が向こうからやってきて、素知らぬふうにバーの扉を開けます。
「これから?」とかけた声に、こちらに気づいて、ちょっと驚いて「あぁ、はい」と言いながら、店の中から自転車を引っ張りだして、その代わりに氷の入った青と白のクーラー・ボックスを引きずり込みます。
向かいの店の姉さんが、「そんなとこよりこっちに来なさいよ」と言いたげな目で一部始終を眺めています。
その目線を感じた僕達は、ほんとうは一軒手前の目元涼しげな女性の店に入ろうと思ったのに、つい強気になってしまって、「よしここだ!」とばかりに若い衆の店に飛び込んでしまったのです。
今日の最高気温は33度。閉めっぱなしだった部屋には昼の熱気と昨日のタバコの匂いがこもっています。若い衆は部屋の電気を付けるとクーラーを入れ、グラムロックを流し始めると、アイスピックで氷をかき始めました。
「何にします?」
「それじゃぁラムのロックでもらおうか」
と言いつつ、ストゥールに一度は腰を下ろしたが、とても座っていられる陽気ではない。グラスを片手に外に出て、戸口の脇の地べたに腰を下ろし、自転車に寄りかかります。
タイルが昼の熱気を尻に伝えます。
じっと汗ばむ夕凪に、すっと立ち上る煙草の煙。その先を揺らす何処ともなくかそけき微風。グラスのアイスがころっと音を立てた。そろそろバーに戻るとするか。

金沢シリーズ


山形県南陽市に“めい”さんという人がいてブログを開設している。

何か想像を絶する人で、戦後2年目に生まれたというから、私より一つ若い計算だが、「なんとか戦争を避けること、それが陛下の大御心に叶うことだと、このごろ切に思わされます」という記事があって、レトリックだと思ったらかなり真面目なんですね。

(それが)安倍首相再登板評価に対しての率直な私の反応だった。

今から11年前、「新しい歴史教科 書をつくる会」山形県支部の会合を毎週水曜日開催し、語り合っていた時代、あの9.11が起こり、イラク戦争が始まった。そして自衛隊派遣へ。まわりのほとんどがその動きに同調した。「つくる会」に対して明確な異和を感じるはじまりだったと思う。

という文章は、かなり想像を絶するものがある。

その人の別の文章で、「徳洲会の正念場。「正しさ」につけ! 徳田虎雄」という記事がある。

書き出しにはこうある。

今から32年 前、われわれが徳田理事長に出会うちょうどその前ごろ、能宗さんがハワイの女性院長さんの紹介で理事長秘書になったのだった。理事長のすべてを理解した上で、理事長に欠けているところのすべてを補いながら、理事長の思いを現実化する上で最高の補佐役だったと思う。事務総長就任を知ったとき、徳田理念の継承 はこれで大丈夫と思ったものだった。

ということで、相当、徳洲会の奥の院にはまりこんでいるようだ。そして、徳洲会をめぐるスキャンダルでズタズタにされているようだ。

それで、どうしてこのブログを紹介するかというと、私の文章が全文引用されているのである。

2013.2.14 の記事 http://pub.ne.jp/shosuzki/?entry_id=4762196

徳洲会: 民医連との決定的な差は医師の位置づけ」である。

全文引用した上で、「医療現場がわかる方の考えのようです。最後の提言はなるほどと思いました」とコメントしている。

最後のコメントというのはおそらく下記の部分だろうと思う。

もし徳洲会が再生を試みるのであれば、まずは誤った社会変革の理論を再検討して、「本当に患者の立場にたった医療を実現するためにはどうしたら良いのだろう」ということを、ゼロベースで見直すことが必要だろう。

それと同時に重要なことは、残された医師たちが当面する困難に対して主体的かつ集団的に立ち向かっていく構えを形成することだろう。

もう一つ、これはちょっと生臭い話になるが、徳田一族から経営本体を取り上げることだ。そして全面的な集団所有に切り替えることだ。

誉められたのは嬉しいが、何かとても不思議な気分である。

阿修羅の6月24日投稿に 良寛 さんによる解説が載っている。

そもそも、4月3日に、イギリスのガーディアン紙(The guardian)がウィキリークス(wikileaks)によってBVI(イギリス領ヴァージン諸島)オフショアの顧客名や過去10年以上の取引記録を暴露されたことを報じました。

それにより、コンピュータに保存されている顧客との間との何百万の電子メールと文章が衆人に晒されてしまいました。漏洩した電子データが200Gバイトとあまりにも大きいので解析に時間がかかっているようです。

租税回避のために預けられた金額は3000兆円とも4000兆円とも言われています。 これは日本と米国のGDPを合算したものと等しいそうで、その巨額には驚かされます。

短い文章だが、その割には難解だ。

①イギリス領ヴァージン諸島というところはタックスヘイブンのひとつになっている。

②そこの金融機関のコンピューター記録が何者かによって盗まれた。(ハッキングか、リークか、ハードディスク泥棒かは不明)

③盗まれた記録データは200ギガに達している。中身は顧客とのあいだの電子メールの記録が中心のようだ。

④このデータがウィキリークスを介して、イギリスのガーディアン紙に持ち込まれた。

⑤ガーディアン紙は、「過去10年以上のオフショア(海外取引)の記録、顧客名が明らかになった」と報道した。


これが第一幕で、6月15日のICIJのサイト公開がメガトン級の大暴露になっている。

こちらはHashigozakura さんのページからの引用

租税回避地秘密ファイル きょうウェブで公開(朝日新聞)

英領バージン諸島やケイマン諸島など租税回避地(タックスヘイブン)にある企業やファンドの秘密ファイルを独自に入手して分析を進めていた非営利の報道機関「国際調査報道ジャーナリスト連合」(ICIJ、米ワシントン)は、ファイルの一部をデータベース化し、15日午前(米国時間14日夜)、インターネッ トのICIJのホームページを通じて公開する。

ICIJは「脱税や資金洗浄など不正の温床の元となっている秘密のベールを取り払うため」と公益目的での公開だと説明している。ICIJによると、データベース化したのは、10万以上の企業、ファンドなどの情報。

これらの「ペーパーカンパニー」の真の所有者などの把握につなげる狙いだ。「基本的な企業情報」に絞って公開し、メールのやりとりや銀行口座情報、旅券や 電話の番号などの個人情報は除く。▽ICIJと提携する朝日新聞の分析では、ファイルには日本関連の少なくとも40以上の法人や、450人以上の中小企業 経営者、医師らが含まれており、この一部も公開される見通し。

ICIJは、この秘密ファイルに基づき、故マルコス・フィリピン大統領の娘のほか、欧州な どの要人らのタックスヘイブンでの取引を4月に報道。大きな反響があった。

英国・北アイルランドで17、18両日に開かれる主要国首脳会議(G8サミッ ト)では、租税回避対策が主な議題として取り上げられる予定。ICIJは秘密ファイルを国税当局に提供することを拒否しているが、G8サミットなど国際世論の盛り上がりに合わせ、一般への一部公開に踏み切った。


こちらは難解な上に長い。

①ワシントンに「国際調査報道ジャーナリスト連合」(ICIJ)という非営利の報道機関がある。朝日新聞もICIJと連携している。ウィキリークスとの関連は不明である。

②この団体が租税回避地(タックスヘイブン)にある企業やファンドの秘密ファイルを独自に入手した。(ワシントン・ポストによると、ある人物からICIJにMailで送信されてきたという)

③そこには英領バージン諸島やケイマン諸島などに関わりのある10万以上の企業、ファンドなど(いわゆるペーパーカンパニー)の情報がふくまれていた。

④情報の内容としては、「基本的な企業情報」のほかに、メールのやりとりや銀行口座情報、旅券や 電話の番号などの個人情報もふくまれている。

⑤これらの情報のうち「基本的な企業情報」に限定してデータベース化し、インターネッ トのICIJのホームページを通じて公開した。

⑥公開の目的は、これらの「ペーパーカンパニー」の真の所有者などの把握につなげ、「脱税や資金洗浄など不正の温床の元となっている秘密のベールを取り払うため」である。

⑦朝日新聞の分析では、ファイルには日本関連の少なくとも40以上の法人や、450人以上の中小企業 経営者、医師らが含まれている。

というあたりが骨子であろう。


朝日新聞は4月4日付で予報記事を掲載している。

タックスヘイブンの秘密資料入手 世界の金持ちの名続々

骨子は以下のとおり

ベールに包まれてきた取引。その実態を明らかにする250万もの秘密の電子ファイルが報道機関の手に渡った。タックスヘイブンでの会社設立などを代行する専門業者の内部文書だ。

英領バージン諸島、ケイマン諸島などに登記された12万を超える数の企業やファンドのカネの動き、登記の日付、企業の株主や役員などが記載されている。そのほとんどはこれまで秘匿されていた情報だ。

その中には、フィリピンの故・マルコス大統領の娘や、ロシア副首相の妻、オリンパス粉飾決算の協力者らの取引記録がある。


Gigazine というネットマガジンでケイマンまで取材旅行してきた記録が掲載されている。これを見ると、現地の代行業者は自動車免許試験場の前の代書屋に毛が生えたレベルで、相当緩そうである。データをかっぱらうなど、プロなら朝飯前だろう。


率直に言えば、4月の小出し発表、6月の全面発表後も、あまり話題にはのぼらない。膨大なデータではあるが、それだけに若干持て余しているというのが現状ではないだろうか。プライバシーとの兼ね合いも微妙なところがある。

ところで日本のお金持ちの皆さん、金を隠すならやっぱりスイスがルクセンブルクでしょう。

こんなニュースもありました。

【7月16日 AFP】
メキシコ海兵隊は15日、麻薬密輸組織セタス(Zetas)のリーダー、ミゲル・アンヘル・トレビノ(Miguel Angel Trevino)
容疑者の身柄を、米国との国境に接する都市ヌエボラレド(Nuevo Laredo)で拘束した。複数の当局者が同日、AFPに明かした。
 
トレビノ容疑者(通称「Z-40」)は、エンリケ・ペニャニエト(Enrique Pena Nieto)大統領の政権下において、これまでに拘束された麻薬
組織幹部の中では最も重要な人物だ。セタスは同国で活動する犯罪組織の中でも最も強力かつ恐れられている組織の1つ。元兵士ら
により組織され、その残虐性は広く知られている。元々は麻薬組織「湾岸カルテル(Gulf Cartel)」に属していたが、近年に独立しており、
以降は北部地域で激しい縄張り争いを繰り広げている。

 メキシコ軍は2012年10月、トレビノ容疑者の前のリーダーだったエリベルト・ラスカノ(Heriberto Lazcano)容疑者を北部コアウイラ
(Coahuila)州での銃撃戦で射殺しているが、そのわずか数時間後に武装したグループが葬儀場を襲撃し、同容疑者の遺体を強奪した。
遺体は現在も見つかっていない。

セタスは練度の高さ、強力な情報収集能力、組織的行動で抜きん出た組織だったが、ラスカノの死をもってそれらは最終的に消失したと見て良いだろう。残るのは比類なき残虐性だけだ。それもセタスの専売特許ではなくなっている。

犬の力というのが分かった。グーグルで引いてみたら、アクション・ノヴェル「犬の力」というのが角川文庫から上下二巻になって出ていて、結構な売れ行きらしい。作者はウィンスロウというアメリカ人。
デカプリオの主演で映画化も決まったという。
日本での発行が2009年、原作は2006年の出版というから、情報としては少々古いかもしれない。
作者はこれで億万長者だろうが、わたしゃ持ち出しだ。
これがネオリベラリズムというものだ。

「メキシコ麻薬戦争 列伝」へのツイートがすごい。ちょっとした評判だとは聞いたが、“すごすぎる”

Google Plus で218投稿もある。

主な感想

すごすぎる


ところで「犬の力」ってなんですか?

日中歴史共同研究については、外務省のホームページに概要が載せられている。



(1)2005年4月の日中外相会談において、町村外務大臣(当時)より日中歴史共同研究を提案、翌5月の日中外相会談において、詳細は事務当局間で議論していくことで一致。

(2)2006年10月の安倍総理大臣(当時)訪中の際、日中首脳会談において、日中有識者による歴史共同研究を年内に立ち上げることで一致。同年11月、APEC閣僚会議の際の日中外相会談において、歴史共同研究の実施枠組みについて合意(別添参照)。

(3)2006年12月26-27日に北京で第1回全体会合、2007年3月19-20日に東京で第2回全体会合、2008年1月5-6日に北京で第3回全体会合を開催。研究成果をとりまとめる予定。

(4)2008年5月、胡錦濤国家主席訪日時に、首脳間で歴史共同研究の果たす役割を高く評価するとともに、今後も継続していくことで一致。

(5)2009年12月、第4回全体会合(最終会合)を実施し、今期の歴史共同研究は終了。会合では研究成果の発表方法(自国語論文を2010年1月中に、翻訳版をその後数ヶ月以内に発表)につき一致するとともに、その一部を発表した。

これを見ると、この研究発表はかなり公的な色彩の強いものであり、半ば政府間の覚書といっても良い性格を持っていることが分かる。
しかもこの共同研究は時の第一次安倍内閣の発議にて開始されたものであり、中国や民主党や鳩山のやったことではない。当事者としての責任は重いのだ。

こんな文書などなきがごとき安倍首相の発言は、政治家としての誠意を疑わせるものがある。

「北岡伸一氏の発言」と言っても、申し訳ないけど大日方さんの文章からの重複引用だ。原文は「外交フォーラム」という外務省の研究誌の261号に載っているようなので、興味のある方はそちらをあたっていただきたい。


日本の侵略は明確な事実だ。

日本が中国に対して侵略戦争をしたことを認めることについて、多くの批判が寄せられた。これは私にとってまったく受け入れられない批判である。

日本が侵略をしたのは明らかな事実だと考えている。これは、共同研究の成果でもなんでもなく、以前から考えていることである。

私だけではない。日本の歴史学者で、日本が中国に侵略をしていないという人は殆どいないと思う。

一部に,侵略の定義が決まったのは比較的近年のことであり、それまでは侵略の範囲というのは明白でなかったので、当時の日本の行為は侵略とはいえない、という人がいる。

しかし、侵略の定義の決定に時間がかかったのは,侵略と非侵略とのあいだに微妙な部分があり、その境界を決めるのに時間がかかったからである。

満州事変以後の日本の行動は、そのようなグレーゾーンの問題ではなく、いかなる定義によっても明らかに侵略と判断される事案である。

それに国際法の議論がどうであろうが、歴史学で見れば、これは明らかに侵略なのである。


以上が大日方さんの引用した部分である。

文化欄に面白い記事が載っていた。
大日方純夫さんという早稲田の先生が書いた文章である。
結構長い見出しで、

第一次安倍内閣の「日中歴史共同研究」は語る
日中戦争は日本の侵略戦争


というものだ。かなり苦し紛れの見出しだな。

見出しに劣らず、本文もファクトが詰め込まれすぎていて、いささかややこしいので、要点を箇条書きにしておく。

1.2006年、第一次安倍内閣は、「日中の歴史問題については専門家の判断に委ねたい」とし、日本・中国間の歴史共同研究をスタートさせた。

2.共同研究のスタートにあたっては、日中の首脳が決定し、国家レベルで公式の歴史対話として推進された。

3.この内、近現代史分科会の日本側委員には北岡伸一、小島朋之、波多野澄雄、坂本一哉、庄司潤一郎らが選任された。

4.2010年に、研究の成果として、「日中歴史共同研究第一期報告書」が発表された。

5.この報告書の各論文は、日本が侵略戦争を行ったということを、共通の前提にしてる。

という経過を踏まえて、最近の安倍首相の発言の無責任ぶりを指弾する、という論理構造になっている。

これが主筋なのだが、文章はこの論理を、北岡座長の発言で補強している。なぜ北岡座長の発言を重視するかが分からないと、何のことやらわからないだろう。

ウィキペディアで見ると、この北岡という人物、親米保守の論客で、その筋では知られた人なのだ。

たくさんの肩書きから、たとえば、日本の集団自衛権の保持の可能性について考える安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員、というのを持ちだしただけでも、大方の想像はつくだろう。

昭和42年の東大入学らしいが、あの頃こういう人物もいたのだ。

ということで、北岡座長の発言については稿を改める。

ついでにいうと小島朋之氏は中国研究の専門家で、台湾の李登輝元総裁とも太いパイプがあったようだ。波多野氏は外務省の『日本外交文書』編纂委員長を勤めた人物。坂本一哉氏は日米同盟推進の立場で、「論壇で積極的な発言を行なっている親米保守の一人」とされ、北岡の子分格で動いているようだ。庄司氏は防衛省の研究室用という肩書きである。

要するにそういうバイアスがかかった委員会なのだ、というところにミソがある。つまり、大日方さんのこの文章はオールスターのような直球勝負ではなく、ぐにゃりと曲がる変化球なのだ。


選挙の分析では、低投票率で、組織票を持つ共産党に有利に働いたという解説もある。
それは30年前のことだろう。今や共産党にあるのは三つのR、すなわち論理と倫理と老人力だけだ。それは赤旗のお悔やみ欄を毎日見ていれば、痛いほどよく分かる。

もう少しまともな解説で、民主に失望した層の一部が共産党に流れたという見方もある。
たしかに現象的にはそうだが、より大局的に見れば、本来共産党に来るべき層が、これまで民主党に雨宿りしていたにすぎないとも言える。(それこそが民主党の最大の役割だった)

そして今回、民族大移動の第二幕が始まった可能性もある。

虎は野に放たれた。実に30年ぶりだ。

南アフリカでアパルトヘイト反対運動が盛り上がったとき、人々はそこにネルソン・マンデラを見た。20数年もの間、人知れず小島の監獄にとらわれていたマンデラは、あっという間に闘いのシンボルとなった。老いたりとはいえ、虎は虎だ。

日本の民衆はいま、そのことに気づいた。
「そうだ、共産党があったのだ」

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