思うに「アキレスと亀」のパラドックスは、人間の持つ時間感覚の不確かさを、とくに未来予測に関する時間感覚のゆらぎを巧妙に利用したお話だろうと思う。
普通に考えれば、時間軸が徐々に間隔を詰めて最後に止まってしまうようなグラフを見て、こんなものありうるわけがないと思うが、ちょっとトリビアルな具象を介在させるだけで、ころりとだまされてしまうのである。
我々の住む世界は4つの次元から構成されている。このうちで絶対的なものは時間軸しかない。時間軸を絶対軸としてとれば、他の縦・横・高さの三つの次元は相対的・確率的なものにならざるをえない。これは当たり前だ。
この関係を踏み外すとおかしなことが始まってしまうのだが、人間が簡単に踏み外してしまうのにはわけがある。人間には空間認知能力は備わっているのだが、時間認知能力はきわめて弱いのだ。
時間感覚というのは、瞬時的には運動神経として表現され、中期的には段取り能力として示され、長期的には構想能力として発揮されることになる。
これらの多くは学習と記憶能力の助けを借りて獲得していく能力であり、生得的なものとはいえない。
私は運動神経ゼロ、行き当たりバッタりで遅刻の常習犯、「備えなくして憂いなし」をモットーに70年近くを暮らしてきたから、時間感覚にはきわめて乏しい部類だろうと思う。
逆説になるが、それだからこそ時間感覚の大切さ、歪まない時間軸の中に身をおいて考えることの大切さをしみじみと感じることができるのではないかと思う。
煙草の害も、そして多少の益も、タバコのみにしか分からない。(…と、これは関係ないか)