鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2013年05月

アーミテージが都内で講演し、慰安婦発言について批判した。

「韓国国民・国家の尊厳に対してどれだけ恥ずべき発言か、彼らがどんな気持ちになるかまず考えるべきだ」
「日本は70年間、人権の尊重について模範だった。慰安婦をめぐる発言はこの水準に達しておらず、この状況を一部の政治家がきちんと理解していないことを示している」
「これらの発言は“安倍政権は右翼のナショナリスト政権だ”と宣伝する中国外交を利することになり、さらにこの地域における中国の拡張主義から注意をそらすことになる。我々全員にとって有害な発言だ」
ここまではいいが、最後が振るっている。
「政治家はこの問題について発言しないことがベストだ」


以前にも触れたが、アーミテージはアメリカ軍産複合体の対日スポークスマンであり、かつてイラク戦争の時には戦争への参加を煽った張本人である。とても「平和の人士」とはいえない。
ただ、定期的に発表するアーミテージ・レポートでは、憲法改正の要求から解釈改憲で集団的自衛権を可能にしようとする方向へ軸足を移している。いわば憲法“安楽死論者”である。
背景にはアメリカの対中戦略の変化がある。

2012.9.15 第三アーミテージ報告

ことさらに慰安婦問題で、批判的な立場を明確にしたのにはウラがあるだろう。しかし、それがアメリカ世論を反映したものであることも、抑えておく必要がある。

そうすると、アメリカの意向を無視してまで、誰が、何故、暴走したのだろうか。このへんは日本の政治の深層に迫る分析がもとめられるところであろう。

経団連は一方では労働力流動化を訴えながら、他方では財政再建を強調するが、この二つは矛盾すると思う。
財政再建のためには、財政規律の強化と景気の回復が重要だ。財政規律の強化は支出減少を狙うものであり、景気の回復は収入増大を狙うものだ。
しかし財政規律の強化は不況局面では景気をさらに悪化させる可能性があり、慎重でなければならない。
とすれば、現在取りうる政策の主体は景気刺激策となるであろう。
ここまではごくごく常識の範囲内だろうと思うが、この常識が経団連には通じない。

TPPも同じで、日本の産業のかなりの部分に致命的なダメージを与える可能性があり、少なくとも現在の局面ではとるべき選択ではない。グローバル基準に見合った長期的な産業構造改革についての議論そのものは否定しないが、それは今、「バスに乗り遅れるから」とあせる話ではないだろう。

この常識も通じない。

景気回復と、それによる財政の再建という戦略は、アベノミックスですら掲げている。いまや日本の常識である。

その戦略の環となるのが内需の拡大であり、その前提となる雇用の拡大と雇用の質の確保である。

こういう流れから見ていくと、経団連の発想は日本を潰そうとしているとしか思えない。

今の時期に増税をやれば景気の底は抜け、財政危機はさらに深刻化する。労働力の流動性を高めれば、庶民の不安感はさらに高まり、支出は抑制される。

なぜそのような「やらずぶったくり」の愚かな主張をするのだろう。商売というのは相手があって、ウィンウィンの関係を築く中で成り立つものではないのだろうか。そうでなければ、それはビジネスではなく強盗だ。

しかし強盗というのは、相手に金があればこそ成り立つ。人を傷つけ、殺めても500円しか財布に入っていなければ、この商売成り立たなくなる。

こんな分かりきったことがどうして分からないのか。それが不思議だ。

さすがに、激烈なこの歌には、当時でも多少の抵抗があったことを思い出す。
毛沢東一派と手を切ってからは、この歌がうたわれることは少なくなった。だから永田洋子の京浜共闘と、イメージ的にだぶるところもある。

民族・民主統一戦線といっても、あの頃は「反米・愛国」の押し出しが強かった。あまりに強過ぎて4.17ゼネスト回避問題などが表面化した。

丹念に日本政府や財界の動向を分析しながら、アメリカの支配をあぶり出していくというより、安保破棄・平和中立のスローガンが観念的に突出していたような気がする。

過ぐる戦争の経験から、「反米」、「愛国」という言葉にアレルギーを持つ多くの民衆にも、後進国並みの「半植民地」規定に違和感を抱く庶民にも、これらの言葉は飲み込みにくいものだった。

しかし、奇妙なことに、世界第二の資本主義大国となり、それが没落していくのを目のあたりにしている我々にとって、この歌はかえって生々しいリアリティーをもって迫ってくるようだ。

うろ覚えだが

民族の独立勝ち取れ
決起せよ祖国の労働者
栄えある革命の伝統を守れ
血潮には正義の
血潮もて叩きだせ
民族の敵、国を売る犬どもを
進め、進め、団結固く
民族独立行動隊
前へ、前へ、進め

(二番もあったと思うが、さすがに思い出せない。たしか“ふるさと南部工業地帯”というのがあって、春日正一さんが活躍したんだと聞かされたことがある。あれは参議院選挙で、北大の総細胞集会だったかな)

流石にネットには山ほど解説がある。その中から下記を紹介する。
民族独立行動隊の歌/うたごえサークルおけら

1.民族の自由を守れ
  決起せよ南部(祖国)の労働者
  栄えある革命の伝統を守れ
   血潮には 正義の血潮もて 叩き出せ
   民族の敵 国を売る 犬どもを
   進め 進め 団結固く
   民族独立行動隊 前へ前へ 進め
2.民族独立勝ち取れ
  ふるさと南部工業地帯
  再び焼け土の原と化すな
   暴力(ちから)には 団結の実力(ちから)もて 叩き出せ
   民族の敵 国を売る 犬どもを
   進め 進め 団結固く
   民族独立行動隊 前へ前へ 進め

1950年創作の歌。同年6月、金日成「南朝鮮武カ解放政策」による朝鮮戦争が勃発し、アメリカが「国連軍」の建前で介入。占領下の日本は全土を前線基地として利用され、占領と戦争政策のためのレッドパージ(日本共産党員など闘う労働者約4万人を1949-50年に職場から追放)も進められた。
 11月、国鉄大井工場で作詞のきしあきらこと山岸一章(後に作家)を煙突に登らせ、平和と民主主義を訴える3000人集会。中央合唱団が当初「ラ・マルセイエーズ」で集会を盛り上げたが、山岸は「日本のマルセイエーズを」と煙突で詞を書き、これに直ちに団員・岡田和夫(後に作曲家)が作曲したもの。

本日の赤旗に三つの記事が並んでいる。
一つは、「日銀の当座預金が初の70兆円に」という記事。
日銀が量的緩和で多量の円を発行しているが、それが結局銀行から先には流れず、日銀の当座預金として積み上がっているという、笑い話のような話。
二つ目は、製造業の事業所数と従業員がさらに減少を続けているという記事。
事業所数が前年比3.2%減、従業員は3.8%減。従業員減は食品産業で8.3%減、情報通信機械器具(ケータイ)で8.9%減と高い。ただしデータは11年までのもので、やや古い。
三つ目は、経団連が提言を発表。消費税引き上げの断行、社会保障全般の給付削減をもとめたという記事。「さらなる消費税増税」も求めているという。

この3つを見れば、分かることは唯一つ。
お札をいくら刷っても無駄。景気を良くするには経団連と手を切るしかないということだ。
その裏にアメリカがいるとしても、経団連が旗を振っていることは間違いない。
この連中と付き合っている限り、日本は奈落の底に沈んでいくばかりだ。

むかし民族独立行動隊の歌というのがあって、
「民族の敵、国を売る犬どもを…」という一節があったが、まさにその通りの状況になってきた。

23日の暴落はヘッジファンドの売り浴びせだそうだ。
「危険を露呈した株暴落」というコラムで、山田記者が書いている。
根拠は書いてないが、間違いはないだろう。要するに、日本の証券市場は弄ばれているということだ。
それというのも、東証が自らまいた種で、ヘッジファンドさんいらっしゃい、投機資本さんいらっしゃい、高速取引さんいらっしゃいで、取引高のかさ上げを目的に、株式市場としての節度を失ったからだ。
素人の投資家はとてもじゃないが、怖くて手が出せない。
株の話になると、とたんに渋面になって話題を変えようとする人がたくさんいた。つい半年前の話だ。

一番心配しているのは安倍首相だろう。さらに荒っぽい市況が続くなら、アベノミックスは瓦解し、参院選ではイシツブテが飛ぶだろう。

いずれにせよ実体経済の根拠がないお祭騒ぎだ。早晩化けの皮は剥がれるだろう。それより心配なのは長期金利の上昇だ。

株であればすってんてんになって終わりだが、債券はそうはいかない。しっかり借金が残る。ムーディーズやS&Pなどの格付会社がいつ動くか、それを機にヘッジファンドがどう動くのか、夜も眠れない日が続くことにならなければ良いが。

山田記者によれば、
日銀が大量の長期国債を購入するため、市場に流通する国債が減少し、国債の利回りが不安定化している
という。
我々素人からすれば、国債の購入という形で日銀券がばらまかれ、それが日銀券に対する信頼を失わせ、円建て債のスプレッド幅を増大させていると見るのだが、金融筋からはそういう見方になるのか、と勉強になりました。


雇用流動化を押し付けているのがアメリカの財界であることが、しだいに明らかになってきた。
なぜアメリカはそれを押し付けるのか。
赤旗連載「米国従属経済」によると、
それは1980年からの20年の間にアメリカで実際にそれが行われ、企業側から見て大成功したからだ。
そこでアメリカの財界は日本で、柳の下のどじょうを狙っているというわけだ。
まぁ、話はそう単純なものではないが、そういう側面はある。

ということで、記事によると、

①機関投資家による企業株式の大口所有が増加し、株主による企業経営への影響力が高まった。
②機関投資家は、何よりも収益性を重視し、企業合併や買収(M&A)を猛烈に展開した。
③企業は収益性を確保するため、コスト削減と生産効率の上昇を最大のターゲットとするようになった。

という企業風土の激変がまずある。
この目的にそってリストラが行われ、企業のありようは様変わりした。
①ダウンサイジング(減量経営)と呼ばれる不採算部門からの撤退が一斉に行われた。
②そこではとくに人員コストの削減が重視され、黒字であっても人員削減をする企業も現れた。IBMで6万人、ボーイングで3万人の解雇が行われた。
③これと並行して正規労働者の非正規への置き換えが進められ、正規労働者も知識・技能に応じて細分化され、賃金格差が拡大した。
④さらにアウトソーシング(外注化)も強化された。従来は基幹部門とされた事務、販売、研究開発まで外部委託されるようになった。派遣サービスの雇用者数は20年間で54万人から372万人に増加した。

こうやって、アメリカの大企業は収益力を高めた。そのやり方を日本に持ち込めば、日本の市場を席巻できると考えたとしても不思議ではない。

したがって、「雇用の流動化」は日本の一般民衆にとってのみならず、大企業にとっても自殺行為となる可能性がある。

今回の連載は、けっこう内容があります。これまでも何回か対米従属に関する連載がありましたが、紋切り型で二番煎じの内容ばかりでした。
柳沢記者のがんばりを評価したいと思います。


昨日、橋下市長が外国特派員協会で講演を行った。
マスコミは大々的に報道した。しかし報道の姿勢は、これで幕引きしたいという橋下側の意向に沿ったものだった。安倍首相との会食の効果なのだろうか。
取材を受ける特派員が、みな好意的な発言しかしていない。これを見た聴取者は「ああ、謝罪は受け入れられたんだな」と印象を持つに違いない。
おそらく編集に相当苦労したのだろう。

こういう時は赤旗しか事実を報道しない。
赤旗の見出しは
橋下氏会見 ごまかし・すりかえの3時間
と厳しく見ている。

女性記者、「テリブル(ひどい)、テリブル。米国だけ謝罪して慰安婦にはしない。内容がひどい」

ニューヨーク・タイムズの記者の感想は、日本のメディア陣みんなが聞いていたはずだが、どこも記事にはしていない。

人身売買というのは、最初にだましたり拉致する組織、その女性を移送する組織、拘束する組織、意に反して働かせる組織、様々な組織があって成立する。国際的にはそのすべてを人身売買という。

ある欧州の記者

「うちも戦争をしたが、お前の国も戦争をしたじゃないか」というのと同じ。今回は、日本が過去に行った、他国とは明らかに違った行為について議論が起きているのに稚拙な論法だ。

といった所。

しかし特派員は日本のメディアに感想を述べるのが仕事ではない。記事を書いて本国に伝えるのが仕事だ。
このあと特派員たちは橋下発言にどういうふうに切り込んでいくのだろうか。

残念ながら赤旗記者は正直、記者としての仕事をしていない。聞こえた声を文章にしただけ。質疑応答でのやり取りも記載されていない。それでも黙殺した他のメディアよりはマシだが。
出来れば、会場での感想聴取に終わるのではなく、出席した外国人記者からもうすこし意見を集約してほしい。
フォローアップの記事を期待したいところである。

まずは言い訳がましいが、このところやる気がでない。
日本ハムにスランプがあるように、私にもスランプはある。
せっかくこれから反転攻勢というのに、カリソメにもエースと呼ばれた武田勝が初回に5点だ。
北海道のファンは優しいというが、そうでもない人間もいる。
重営倉送りだ! これからは武田敗と名乗れ。思わず全柔連の強化コーチの気持ちが乗り移る。

それで、写真を貼り付けて記事の代わりにする。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/9/8/98657b59.jpg

この写真は1973年、クーデターの直前に撮影されたものだ。

アジェンデ派の集会で、ジャンパー姿の労働者に混じってこんな女の子がいた。フランスのニュース映画に一瞬写った。カメラに気づいてちょっと表情が緩んだ。それがたまらなく良くって、ここに載せてしまった。

すでにフィルムはセピア色に変色しているが、あの頃としては、なかなかおしゃれだ。化粧こそ目立たないが髪もウェーブをかけてイヤリングもつけているようだ。ベージュの綿セーターに紺のカーディガンで決めている。あの頃の学生の典型的スタイルだ。

あちらの女性は20歳過ぎると老け顔になって、ケバくなって、肉がつき始めるから(あの頃の一般的傾向としては)、せいぜい20歳前後かと思う。もしクーデターを無事に生き延びることができていれば、いまは60歳くらいになっているだろう。
たくさんの人が殺された。逮捕され、拷問され、行方不明になった。そのあと20年近く、こんどは沈黙を強いられた。彼女の20年はどうだったのだろうか。

そうだ、今年はあれから40年だ。何かやらなくてはいけない。CIAは変わったのだろうか、アメリカと反動勢力は変わったのだろうか。人民・民主勢力は変わったのだろうか。クーデターを二度と許さない体制を、我々は構築し得たのだろうか。





去年の2月に、K.304 はタルティーニ作曲? という文章を書いた。ケッヘル304のバイオリンソナタが、タルティーニそっくりだということだった。

その時、この曲はパリ時代の作品であるから、パリでタルティーニを知って真似たのではないかと書いたのだが、たまたま交響曲第25番を聞いていて、第3楽章でまたドキッとした。またもタルティーニが顔を出したのだ。

25番はケッヘル183.出だしが映画やコマーシャルで有名なト短調で、そこばかり印象に残っていて、第3楽章なんてあったかしらというほどのものだが、これはまだパリに出る前の若書きだ。

とすると、モーツァルトはパリに行くずっと前からタルティーニを知っていたことになる。それとも、タルティーニが背後霊のごとくモーツァルトにつきまとっていたのか。

気になってネットを探してみた。日本語では、直接二人の関係について触れたものはなかったが、

ドミトリー・バディアロフさんというバイオリニストが書いたエッセイを見つけた。この人は水戸の室内管弦楽団のメンバーで、同じ楽団の鈴木秀美さんが翻訳している。

http://www.soum.co.jp/mito/music/mda3badiarov1j.html

 

以下、関係部分を転載する。

1777年10月6日にモーツァルトが父レーオポルトに宛てて書いた手紙に次の一節がある。

彼ら(タルティーニの弟子、デュブレイユと彼の一番年下の息子カール)がコンサート用とオーケストラ用のヴァイオリンについて討論し始めたとき、彼らの理由付けはとても明らかで、いつも私と同意であった…

バガテッラは、古い『バロック』から『クラシック』へと楽器を変化させた楽器作りである。1748年のクリスマスの夜、彼は規則を発見し、それが彼のメソードとなった。

…これはタルティーニとジェミニアーニがヴァイオリン奏法の教則本を出版する前であった 数年後、56年にレーオポルト・モーツァルトが教則本を出版し、同年モーツァルトが生まれた。

バガテッラはこのように書いている。

タルティーニは有名な、新しい“音のエステティック”(美学)の担い手であった。私はタルティーニの注文のために多くの楽器を変えた。およそ30年の長きに渡って、私はタルティーニと弟子たちの楽器を扱ってきた。 彼には、ヨーロッパ中のプリンスによって送られてきた数多くの弟子がいた。


これで分かることは、脱バロックの演奏法、そのための楽器の改良を行ったのはタルティーニであり、父レオポルドはその影響を強く受けていた可能性があるということである。

だから、アマデウスは出生直後よりタルティーニの音楽を刷り込まれていた可能性がある。

タルティーニの真価は緩徐楽章にあるのだから、モーツァルトにおいても短調のソナタの緩徐楽章を書くときには、思わずタルティーニ節が出てしまうことも考えられる。

ほかにもそんな曲が無いかと詮索しながら聞いていくのも、モーツァルトの一つの楽しみ方かもしれない。



「従属経済」の記事によると、「財界奥の院」は経団連ではなく在日米国商工会議所のようだ。

経団連の基本機能は、このアメリカの意向を忠実に伝えるメガフォンの役割をはたすことにある。(もちろん利害が一致しているからでもあるが)

この関係がとりわけ雇用・労働問題では際立っている。

赤旗の記載を時系列に並べると、

①06年「日米投資イニシアチブ報告」
初めて解雇の金銭解決と、ホワイトから・エグゼンプション制の導入を主張。その後この主張を繰り返す。

②10年「日米財界人会議」の共同声明
労働者派遣法の改正に反対する。理由は「労働コストを上昇させ、日本国内への投資や事業の拡大の意欲をそぐもの」であり、「雇用保護を目的とする政策は、かえって逆効果」というもの。

③13年「在日米国商工会議所」の声明
「(財界の要望が)政府の指示書では薄められているようにみえる」とし、安倍政権の「成長戦略」に「懸念」を表明した。
さらに同会議所が提案した「解雇の金銭解決」などの方向を「重点的に取り組むことを、再び強くもとめます」ときたもんだ。これは内政干渉というより一国の政府に対する脅迫ではないか。

ただこれは、経団連の発言がそのままでは通らなくなってることへの焦りとも見て取れる。
「原発ゼロ」方針の策定の際に、アメリカ政府が直接脅迫をかけてきたのと似た構図ではある。これもアメリカの日本支配構造の露頭なのであろう。


今日の赤旗「米国従属経済」を見て驚いた。
もう10年も前に、富士通の秋葉直之社長(当時)は、
「株主に対しては責任があるが、従業員に対して責任はない。経営とはそういうものだ」
と言い放ったそうだ。(週刊東洋経済01年10月)

これ自体、ひどい話だが、その後の10年間に日本の株式市場は様変わりしている。
①外人の株式保有が増えている
外国法人等の株式保有比率の変化

1990年

1995年

2000年

2006年

2011年

 4.7%

10.5%

18.8%

27.8%

26.3%


株式分布状況調査(東証など)より作成

②外国人持ち株比が極端に高い企業が増えている
「会社四季報」によれば、オリックスが52%、楽天が39%、中外製薬が76%など。

これと富士通社長の発言を重ねると、企業はアメリカの株主に責任を持つ経営を行なっているわけだ。こうなると会社は従業員のものではないどころか、日本のものでさえなくなっている事になる。

以前、三本の矢のうち一つが逆向きだ、と書いたが、安倍内閣の労働政策は相互矛盾している部分がある。
これは経団連との関係ではなく、アメリカからの圧力によりネジ曲がった可能性が高いようだ。


物事には表と裏があって、裏だけで物語を形成すると、まったく違って見えるものだ。リバーシブルのジャンパーみたいなもので、表は労務者風だが、裏返すと真っ赤な地にラメや金糸の縫い取りがあったりしてという事にもなる。

武田知弘さんの本もそのたぐいのようだ。

現在の感想としては、

①無謀な借金財政であり、最終的には「力」で以って踏み倒す以外にないやり方だったということ。

②シャハトは、4年間なら騙し続けられると考え、その間にヒトラーを手なづけて、軟着陸できると考えていたのかもしれないが、智恵者に似つかわしく浅はかであったこと。

③基本は、長く激しいリセッションを経た末の、景気循環上の上行期に一致したこと。すなわち、需要に対しサプライに余裕があり、新たなコストを発生することなく生産増大ができたこと。したがって政策的な需要喚起にも容易に対応できたこと。

ということだ。

そのことを前提にした上で、個別のアイデアとしてはいくつか着目すべきものがある。

③アウトバーン建設への集中的投資と自動車産業の育成。建設と自動車は裾野が広く、労働力の吸収性が高い。(現代ではアタリマエのことであるが)

④メフォ債という通貨代替性の信用の創造。悪く言えば“創造”と言うよりは“捏造”であるが、外貨も金も底をつく中でインフレなき成長を実現した、その「技法」(手口)は評価される。ただし、情報化時代の今なら、たちまちソブリン危機をもたらすことになるだろうが。

一方、失業対策はほとんど評価できない。私が疑ったことは、すべて事実であった。失業者を減らすのではなく、隠すための対策と言われても仕方ないだろう。
実際に失業者が減ったのは景気が回復したのと、とりわけ再軍備と軍事力強化のためである。

それで、ナチスの経験が今の日本の経済再生に何か役に立つかといわれると、基本的には役に立たない。それどころか一番やってはいけない手である。

おそらく武田さんは無理は承知のうえで、内需拡大とか職業の確保とか各種減免税のことを指して、「あのナチスだってやっていたじゃないか」と迫ろうというのが目論見だろうが、やはり政策の大本を見なくては危険だろうと思う。

どこをどうやっても、最後には「ヘンシーン!」と、戦争「ファイト、一発」に行き着くしかない政策であるが故に、部分的に見栄えが良いところがあっても、決して採用してはいけないオプションだろうと思う。

あとひとつ残るのはケインズのナチス評価だが、こちらはもう少し資料を集めてみなければならない。

ナチス・ドイツ「経済奇跡」年表

「経済奇跡」とは30年代のドイツが、ハイパーインフレを起こさずに景気の回復と失業の減少に成功したことを指す。もう一つの側面としては、この時期にドイツが再軍備を行い急速に軍備を拡張したことである。

1929年

10.24 世界恐慌が始まる。アメリカ資本によって支えられていたドイツ経済は破綻。

12月 ヒルファーディング蔵相が辞職。ヒルファーディングはアメリカの支援を当てにして外債の発行を計画するが、ライヒスバンク総裁シャハトの反対に会い挫折した。

1930年

3.07 中銀総裁のシャハト、ヤング案に反対の意向を表明。政府と対立し辞職。その後ナチに接近。

ヤング案: ドイツの賠償方式の改正案。29年2月にアメリカの銀行家オーウェン・ヤングが提案したもの。賠償金額は大幅に減額されたが、60年間にわたる返済を義務付けられる。シャハトはドイツ首席代表としてこれを受諾していた。

3月 恐慌のため財政破綻の危機に瀕したミュラー内閣が倒れ、ブリューニング内閣成立。厳しい緊縮政策で危機の乗り切りを図る。

ブリューニングは大統領緊急命令として、超法規的に公務員給与切り下げ,社会政策経費の削減,所得税・消費税の増徴などの緊縮策を打ち出した。これは租税収入の激減をもたらし、とくに自治体財政の崩壊が銀行の債権焦げ付きと金融危機をもたらした。

9月 国会選挙。ヤング案が争点となり、反ヤング案を掲げる共産党とナチス党が躍進。それを契機に外資引き揚げ,国内資本の逃亡が大量に生じる。

9月 社会民主党、「資本輸入の増大による資本形成の増大,これのみが現在唯一の標語であり,経済政策的に合理的なのである」とし、緊縮政策に対する「寛容路線」を本格化する。

寛容路線: ①ドイツ資本主義の危機を克服するためには「資本形成の促進」が不可欠である、②そのためには外資の継続受け入れが絶対条件である、③そのためにはヤング案にもとづく賠償支払いの継続が必要だという三段論法。社会民主党を含む「ワイマール保守派」の共通認識となった。

 

1931年

5月 オーストリア・クレジット・アンシュタルト銀行が支払停止。ドイツ信用恐慌の激化の引き金となる。

6月 ライヒ銀行、半月で金・外貨準備の半分以上を失う。英・米・仏中央銀行と国際決済銀行が1億ドルを緊急融資。

6.20 アメリカのフーバー大統領、戦債・賠償のモラトリアムを提案する。

7.13 ドイツ第二のダナート銀行が支払停止に陥る。政府は「銀行休業」を命令。事実上の「兌換停止」措置となる。

7.20 ロンドンで対独債権国会議開催。ドイツと債権者銀行との支払猶予に関する協議開始で合意。

7月 労働協約制度が停止される。政府は10~15%の賃下げを命令。実質賃金は恐慌前に比し30%以上の下落を示す。政府は一方で銀行救済のため中銀貸出金利を引き下げる。

9月 外積務据置協定の締結、賠償支払に関するフーヴァー・モラトザアムにより、ドイツの公・私対外貨務は「凍結」される。

10月 ナチスなどからなる「ハルツブルク戦線」が結成される。ブリューニングの緊縮路線に反対。シャハトが大企業とのパイプ役となる。

12月 物価・賃銀・利子の強制的引下げを骨子とする第四次緊急命令が公布される。

第4次緊急命令: イギリスの[金本位制離脱」=平価切下げに対抗して、ドイツの国際競争力を強化するために、賃銀・給与を削減。大衆の購買力の低下に対応するために消費者物価を「補正」するもの。これにより物価は7.2%の低下を示すが、輸出は著しく減少。

 

1932年

2月 大銀行の再編に関する緊急命令が公布される。「2月整理」といわれる。

2月 不況がピークに達する。

登録失業者が600万人。非登録者を加えた推計では778万人。失業率は40%を超える。金・外貨準備は10億ドルを割る。

5月 ブリューニング内閣が崩壊。パーペン内閣が成立。新規雇用を奨励する「租税証券」を開始、総額3億マルクの公共事業計画(パーペン計画)を実施する。

7月 ナチスが経済振興策を発表。党内左派といわれるシュトラッサーが起草したもの。政権獲得後は白紙に戻される。

11月 シャハト、ティッセンら財界人からなる「ケップラー・グループ」、ヒンデンブルク大統領に対しヒトラーを首相にするよう請願。

12月 シュライヒャー内閣が成立。雇用創出のため5億マルクの「緊急計画」を決定。

1933年

1月 シュライヒャー内閣が倒れる。しかしパーペン、シュライヒャー内閣の間に景気は反転ないし底入れした。

1.30 ヒンデンブルク大統領、ヒットラーを内閣首班に指名。失業者の削減と自動車産業の拡大を主眼とする。

2.01 ヒットラー、第一次4カ年計画の開始を発表。「失業に対する強力なかつ, 包括的な攻撃によるドイツ労働者の救済」を唱える。

2.08 ヒトラー、閣議において「あらゆる公的な雇用創出措置助成は, ドイツ民族の再武装化にとって必要か否かという観点から判断されるべき」と強調。

2月 国会議事堂放火事件をでっち上げ、全権委任法を押し通す。

2.20 ヒトラー首相、実業界首脳25名と会談。マルクス主義の根絶と再軍備を打ち出す。財界は300万マルクの献金を約束。

3月 ライヒスバンク総裁にシャハトが就任。

Horace Greeley Hjalmar Schacht: ドイツ生まれアメリカ育ち。母は男爵家の出身。父はアメリカかぶれで米市民権をとっている。銀行家としてキャリアを積み、ドイツ国家銀行の頭取を務める。第一次大戦後、ドイツ民主党の創立に参加。23年に政府の財務担当者となり、国内不動産を担保とするレンテンマルク(1兆マルクに相当)を創設。ハイパーインフレの抑えこみに成功。

5月 シャハトの発案により「冶金研究会社」(MEFO)設立。クルップ、シーメンスなど大企業への資金提供のための国策トンネル会社

大企業がMEFOあてに手形(メフォ手形)を発行し、中銀が唯一の引受人としてこれを割り引く。大企業の手形は中銀の裏付けを持つ擬似貨幣となる。現在の「量的緩和」に近い金融操作。

5月 すべての労働組合が解散され、労働戦線に一本化される。

5月 ヒトラー、雇用創出の2つの出発点として, 減税による個人の持ち家所有助成及び, 全国の道路網拡充を挙げる。

5月 ヒトラー、財界幹部と協議。このあと閣議で、企業の税負担の5年間据え置きを指示、社会政策支出削減をもって代替財源とする。

財界との協議に基づき、アウトバーン設立法(6月)、租税権限法(7月)、自動車税廃止(4月実施済み)などが決まる

7月 「農村補助労働」が始まる。16歳~21歳の青少年に「自発的」な農作業を促す。拒否した場合は失業手当を失う。年平均16万人が作業に従事する。失業者の減少に伴い、36年以降は事実上廃止。

7月 強制カルテル法が成立する。

新規企業の設立は禁止された。同業企業はカルテル設立を強制された。カルテルは国家による監視と規制のもとに置かれることになった。

8月 シャハト、ライヒスバンク総裁のまま経済相を兼任。経済政策を主導する。

9月 「帝国食糧団体暫定設立法」が成立。分野別の経済団体が設立され、国がその指導権を掌握する。

9月 失業対策法(ラインハルト計画)が実施される。週40時間労働の厳守がうたわれ、時間外労働は禁止される。

11月 価格停止令が布告される。商品の価格統制と現下の管理が国の手に委ねられる。

1934年

2月 経済有機的構成準備法が施行される。「産業報国会」と似たような組織。

5月 ヒットラー、財界首脳との会談で「道路網整備と住宅増加が雇用増大の出発点」と強調。財界は法人税の5年間据え置きと社会保障支出の削減を求める。

6月 ヒットラー政権、第一次失業減少法(ラインハルト計画)を策定。アウトバーンの建設を半奉仕活動的な雇用で賄うとし、「非正規雇用」により失業率の低下を狙う。

7月 経済措置法が成立。シャハトは2ヶ月間、既存の法律の枠を超えて権限行使する権限を手に入れる。政府はアウトバーンと自動車産業に投資を集中する一方、繊維・紙パルプ・ラジオなどの分野には投資禁止措置をとる。これを受け、企業数は大幅に減少し、資本集中が進む。

8月 シャハト、中銀総裁のまま経済相を兼任。経済措置法にもとづき商工会議所令を発する。経済大臣が会頭・副会頭の任免権を含む監督権を持つ。これにより全国の中小企業がナチ党体制に組み込まれる。

9月 アウトバーンの建設が開始される。1935年6月までに4億マルクが投資され、最大12万人の雇用が行われる。

アウトバーン関連労働者の実態: かなりの人々は“ボランティア”として雇用され、少額の手当と衣食住の支給が行われたのみであり、賃金と呼べるほどのものは受け取ってない。

9月 第二次失業減少法が実施される。住宅建設促進のため、住宅補修や改築が推進される。

12月 自動車生産額は過去最高の28年に比し1.5倍に達する。雇用者数も28年の水準を回復。一方原料不足により繊維など消費財分野の生産は停滞。

1935年

5月 シャハト、さらに戦争経済全権にも就任。経済政策の決定権を集中。再軍備の多面の国債の国債増大を隠蔽するためメフォ債を発行。

メフォ債は事実上の国債だが、メフォ(Metallurgische Forschungsgesellschaft)というトンネル会社を設立し、私債のように見せかけた。38年までに120億マルクの債券が発行された

3月 再軍備宣言。徴兵制が再開される。これにより国防軍に86万人の「雇用」が生まれる。その後の軍の拡大によりほぼ完全雇用が達成される。

12月 自立小農民を保護する「血と土」政策が失敗。農業生産は停滞し、食糧不足が顕在化する。

35年 19~25歳の青年を対象に、勤労奉仕を強制する法律が制定される。

勤労奉仕により年間約20万の青年が、結婚貸付により約数十万の女性が労働市場から遠ざけられる結果となる(川瀬)

1936年

8月 ヒットラー、「第二次四カ年計画」の秘密覚書を作成。自給自足体制の確立と「4年以内に戦争を可能ならしめるための国防経済体制」への移行を骨子とする。

9月 第二次4カ年計画が策定される。諸外国との協調を説くシャハトは計画から外され、ゲーリングらナチス主流派が主導権を握る。

11月 シャハト、新経済計画と対立し、経済相を辞任。

11月 「物価ストップ令」が発令される。過剰な通貨供給と軍需拡大によって、インフレの危機と外貨不足がいっそう深刻となる。

12月 景気が本格的に回復する。

GNPは32年に比し50%増、国民所得は42%増、工・商業生産指数が88%増、財・サービスへの公共支出が130%した。ただし賃金の増大はなく、民間消費指数は16%増にとどまった。国家債務が110億マルク増大し、外貨の不足はさらに深刻となり、資源不足が顕在化する。

1937年

37年 ほぼ完全雇用が達成される。

ドイツの登録失業者数の推移(単位 千人)


1929年

1932年

1934年

1937年

失業者数(年平均)

1899

5575

2713

912

11月 4カ年計画全権代表のゲーリングとシャハトが衝突。シャハトは経済相を解任される。

ゲーリングは「あらゆる大企業をアーリア化することが私の務めである」と公言。ユダヤ系企業の資産売却と国外退去を促す「自発的」アーリア化を推進。これに前後して水晶の夜事件が発生。

1938年

軍事費調達のためのメフォ手形が廃止される。残存債務は国債に移行。この時点での発行残高は120億マルクに達する。さらに国債も32年の102億マルクから190億マルクまで膨れ上がる。

1939年

1月 シャハト、インフレの進行を理由に軍事力増強と領土拡大政策の中止を求める。ヒトラーはこの提言を拒否し、シャハトを中銀総裁から更迭。

44年、シャハトはシュタウフェンブルクのヒトラー暗殺事件に連座したとして逮捕され、強制収容所送りとなる。

9月 ポーランド侵攻。第二次世界大戦が始まる。

 

ウィキペディア および 「ナチスドイツの経済回復」 川瀬泰史 他の資料より作成

 

5月13日付の三菱UFJのリサーチで分かりやすいQ&Aが載せられている。

企業の設備投資は増加するか

Q1.企業の設備投資がなかなか盛り上がってきませんね?

Q2.今後設備投資は持ち直してくるのでしょうか?

Q3.金融緩和に設備投資を促す効果はあるのでしょうか?

Q4.設備投資が国内に回帰することはありますか?

小林真一郎さんがこれに答えている。

Q1を別としてすべての質問に対する答えは「否」である。

Q1.については

①企業が需要見通しについて慎重な姿勢を崩していない

②企業は資金があれば海外に振り向けようとしている

という二つの理由で、国内投資は期待薄だとしている。

Q2.については

①企業は現時点でも設備過剰感を持っている

②設備の維持・更新といった最低限の投資、情報化・効率化のための投資、研究・開発投資については行われるが、増産のための設備投資は考えにくい

いわゆる「買い替え需要」レベルに留まる可能性が強く、景気回復の牽引車とはならない。

Q3.について

①企業のキャッシュフローは十分であり、借り入れの必要はない

②需要が見込めず、採算が取れないのならば、設備投資は実行されない。

小林さんは「むしろインフレでコストにかかわるリスクが上昇するようなら、企業はますます慎重になるだろう」と、マイナス効果を指摘しています。

Q4.について

①たしかに海外進出が進んだのは円高のためだった。しかし今は海外市場での需要を取り込むことに主要目的がある。

②いったん進められた海外進出の流れを短期間のうちに修正することは困難。

ということで、海外進出は益々強まり、国内回帰の可能性は薄いだろう。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/8/9/8997d46f.jpg

内閣府の「企業行動に関するアンケート調査」

(円高の修正が進んだ後に調査されたものだそうです)


そうなるとですよ、これは大変なことですよ。

アベノミックスは景気回復のためのものだったはずなのに、それにはまったく役立たずに金持ちを喜ばせただけのものということになりますね。

そして国には国債という膨大な借金が残されることになりますね。

違いますか、小林さん。

清水記者の署名入り記事で、輸入増の理由をレビューしている。

3月の貿易収支は3600億円の赤字。11年以降の赤字基調は変わらず。円安で輸出が促進されても輸入増をカバーできない構造となっている。

ということで、輸入増の内容を分析した。

その結果、原油やLNGの増加だけではない構造上の変化が起きていることが分かった。
清水記者はそれを次の三つに集約している。

食料輸入の増加
輸入総額の8.3%が食料品。食品原料は食品にふくまれていない。実際には10%前後とされる。

IT、自動車関連の輸入が急増
通信機(携帯、iPodなど)の輸入額は2兆円を超えている。(私のドコモの携帯もサムスンだ)
自動車部品は5500億円。国内調達を海外調達に切り替えたため。

海外現地法人からの逆輸入が急増
いわゆる逆輸入はおよそ10兆円、輸入総額の15%に達する。
産業空洞化が貿易収支の悪化をもたらしている。

このあと、三菱UFJのリポートを引用しているが、こちらは直接原文にあたったほうがよさそうだ。

誰がつけたか、その名はチンライ
どこから来たのか、その子はチンライ
…西、東
元気な少年、少年チンライ

鹿児島の、
城下に哀れ刃剣の
重き使命を顧みず、
ゆきて帰らぬ隠密の
埋もれし誉れ、鉄の意志
薩摩飛脚は今日も行く
密命帯びて、今日も行く


コラム「朝の風」に面白いエピソードがあった。
中易さんという哲学者が拓殖大学に就職する時の話で、恩師の紹介状をもって拓殖大学の総長室に中曽根康弘氏を訪ねたそうだ。

「君の専門は何かね」と聞く中曽根氏に「ヘーゲルです」と答えると、「ヘーゲルはいかん、カントまでにしておけ」と。

なかなかの慧眼である。

「ヒットラーの経済政策」という新書の読み物を買って、パラパラと読んでいたら、いつの間にか引き込まれて一気読みしてしまった。おかげで寝不足である。

祥伝社新書の一冊で、武田知弘さんという人が書いている。
ジャーナリストの方のようで、「経済政策」の解説にもかかわらず、ほとんど図表がない。文章だけで読ませるのだから相当の筆力の持ち主であろう。
そのかわり、数字がないので文章の客観性という点では問題が残るが、それはそれで別文献に当たればいいのだから、入門書としては出色といっていいのではないだろうか。

と、偉そうに書いたが、初めての事実が大変多く、非常に勉強になった。
思いつくままに列挙しておこうと思う。

1.ケインズはナチの経済政策を評価した。


ドイツの経済政策の多くの部分は、ドイツとか枢軸という言葉をイギリスという言葉に置き換えるならば、まったく優れたものになるでしょう。それはまさに我々自身がその実現に努力すべきものです。

これは1940年8月にドイツが発表した「欧州新経済秩序」という計画への評価であり、この計画の骨子は金本位制からの離脱と、マルクを共通通貨とした自由な市場の形成にある。

もちろん、ケインズはファシズムとは対極の立場にあった人であり、このコメントについても留保が付けられているとは思うが、そのあたりはこの本では触れられていない。

その辺りもふくめつつ、バンコールなどケインズの戦後世界構想の中に、どう批判的に摂取されているのかは、それなりに興味深いところである。

2.ナチスは失業者対策でもっとも成功した国である

1938年(世界恐慌から10年後)の各国の失業者数

アメリカ 783万人(最大時1200万人)
ドイツ   43万人(最大時 600万人)
日本    27万人(最大時 300万人)

ただその理由として、武田さんはナチをヨイショして、思い切った公共事業(アウトバーン)と自動車生産への傾斜配分を上げているが、控えめに書かれているいくつかの事実がある。
一つは熟年労働者の就業に力点をおいたことである。これにより若年失業者は被扶養者として潜在化する。一つは女性を家庭へ押し込めたことである。女性は家庭に入れば専業主婦となり失業者とはならない。もう一つは大都市への移住を法律で禁止したことである。これにより貧農が都市のルンプロとなることを抑えることができる。第三の方法は独裁政権ならではの手法である。

このどちらが失業者減少の主役となったかについては、別資料を当たる他ない。

3.ナチの減税政策

実は、ここがこの本を読んでの一番の驚きであった。
ナチは政権をとった33年に税収規模の1割に及ぶ大減税を行ったのだそうだ。詳細については不明だが、国家財政がもっとも厳しい時期にこれだけの減税をやるというのは驚異の選択である。
この減税により景気は刺激され、税収は33年の51億マルクから34年に59億マルク、さらに35年には75億マルクに増大した。同じ時期に、納税者は34%から57%まで増加した。

富裕層に対しては累進課税制が導入され、配当が剰余金の6%に制限された。さらに35年には法人税が引き上げられた。いっぽうで貧困層に対して家族に対する扶養控除制が開始された。
サラリーマンに対しては源泉徴収制が開始された。
これがどの程度の規模で行われ、どの程度影響を与えたかについては定かではないが、ナチが所得再配分機能を重視していたことは間違いないだろう。
扶養控除と源泉徴収は、戦時中の日本にも持ち込まれ、定着している。

4.ニュープランによる信用創造
これはナチというよりシャハトの功績に期するというのが武田さんの評価だ。
シャハトは、ヒットラー政権の前半において経済政策を担った人物であるが、ナチ党員ではなかった。ナチが軍事力強化と侵略の方針に傾いたとき、たもとを分かったとされる。(こういうことはあとから潤色されるので、話半分に聞いておいたほうが良いだろうが)
シャハトは、23年には有名な超インフレをレンテン・マルクの導入により封じ込めた。
33年に再登板すると、国債や各種公債を利用して信用を創出し、インフレを招くことなく公共投資を支えた。
金準備が底をつくと、債権国とやりあって、利払いのモラトリアムを実現した。英仏両国を利用して、主債権国アメリカの取り立てを封じたようだ.
これらを成功させると、ついでシャハトは「特別マルク」なるものを創出した。対外決済を中銀に集中させたうえで、支払いの半分を兌換マルクでなく「特別マルク」という貨幣もどきで支払うことにしたのである。
これは金の裏付けのない、半ば破産したドイツという国家の信用だけを裏付けとする、一種の「商品券」だ。しかしこれが実際には貨幣として機能したのだ。
最大の理由は、世界中の金のほとんどがアメリカに集中し、それが大恐慌の結果塩漬けになってしまったので、アメリカ以外のどの国も金本位制に固執する限り、経済は収縮せざるを得なくなってしまったからである。
ドイツが経済危機を脱すると、三大通貨圏に入らない国(東欧、南米、ソ連)との交易は急速に伸びていった。これが奇跡の復興をもたらした最大の要因となった。
ただこれが可能だったのは厳密な通貨管理を行ったからであり、それは独裁政権にして初めて可能だったという側面は見て置かなければならない。
シャハトの活動時期は36年半ばまでである。その後は事実上、政策決定過程から排除されている。


というわけで、とくにシャハトの経済政策についてはもう少し勉強してみる必要がありそうだ。

なお武田さんには、日本経済の現状と引き比べてナチの経済政策を称揚する傾向が見られるが、個別政策についてはともかく、マクロの経済運営においてはまったく状況が異なっており、現政権批判がナチ型計画へと結びつくようなものではないと思う。



我々が目指すのは「法の下での平等」であり、「契約の下での平等」ではない。契約の前提には法の下での平等は含まれていない。「人身売買」も、「ヤミ金融」も契約は契約なのである。

だから契約には、法的見地から規制が加えられなければならない。その契約が公的性格が強いものであればあるほど、規制も強力でなければならない。そうでなければ社会が崩壊してしまう。

すなわち共同体の論理は私契約の論理に対して優越的地位を持つのである。そのことを前提にして、両者が共存共栄できるようにするのが国家の政策であり、実体的には憲法を頂点とする法体系なのである。

これに対し、TPPの本質は「自由契約原理主義」にある。これはアメリカと多国籍企業の論理であり、シャイロックの「肉1ポンド」の論理そのものである。

それは、これまでのGATTやWTOの基本精神とも相容れない「強者の論理」である。(もちろん、GATTやWTOもそれなりの矛盾を抱えてはいるのだが)


貿易だけでなく法体系の包括的な国際化、とりわけ社会的生存権のグローバル化が進められなければならない。人権状況がバラバラのところに、経済や貿易だけがグローバル化すればどうなるかは火を見るより明らかだろう。

TPPはごく表面的なメリット・デメリットの議論でも有害無益なものだが、TPPを支える思想・原理の面から見ても人類社会の進むべき道を踏み外している。

池上さんという評論家のTV番組でTPP礼賛論を展開していた。

戦前のブロック経済化に対する反省からGATTが始まって、それがWTOにまで至ったのだが、それが行き詰まったのでFTAやTPPなどの構想が始まったのだということだ。

そこから得られる結論は、世界の経済が発展するためにはTPPが不可欠だということになる。
此処から先はほとんどフィクションの世界だから省略する。

しかし、「ブロック経済化に対する反省」との関連でいえば、池上さんの議論では国際通貨問題が完全に欠落している。結論から言えば、ブロック経済の復活はありえないということだ。

たしかに戦前のブロック経済は決済通貨がドルか、ポンドか、フランかという選択を含んでいた。ただこの場合、2つの前提があった。一つはポンドにせよフランにせよ、植民地体制を前提にしていた。この前提はすでにない。
もう一つは金本位制が仮想的ベースにあって、そのことを前提にした管理通貨制度であったということである。この前提もすでにない。

であるとすれば、結論は唯一つ。
帝国間の矛盾はすでに消滅した。現在のグローバリゼーションは、ドル経済ブロックへの包摂としてしか存在し得ないということである。

いっぽう、そのドルの基盤も明らかに弱体化しつつある。たしかに今もなお、ドルは決済通貨としての相対的有効性を持ち続けている。しかし誰もが分かるように、ドルはすでに基軸通貨としてのヴィンテージを失っている。「とりあえずの決済通貨」でしかないのである。

そのようなドルへの収斂は、つまるところ地獄に向かっての突進でしかない。

現実的な政策としての選択幅は限られており、ユーロへの乗り換え,SDRの活用などは当面の話題ではないのだが、原理的な部分でのこの覚めた目は、常に持ち続けなくてはならないと思う。


上記の文章は、大分酔いが回ってから書いているので、論旨が乱れている。

言いたいことは、こういうことである。
池上さんの論理には、二つのトリックが潜んでいる。

一つは、「GATTが正しく、ブレトンウッズ精神を追求するものであった」という前提から出発していることだ。これは歴史的事実とそぐわないものがあり、相当の議論を必要とするものではないか。
もう一つはWTOが進行しない原因が、「参加国が多すぎてまとまらないため」という、およそ非論理的な判断となっていることである。

それぞれについては、すでに過去のブログで触れているので、とりあえずリンクを張っておく。

2013/03/25 – ブレトンウッズ精神とTPP http://pub.ne.jp/shosuzki/?entry_id=4817938

2013/03/25 – 安倍首相TPP参加の論理 http://pub.ne.jp/shosuzki/?entry_id=4817618

2011/10/17  通貨問題は貿易問題だ バンコールと国際貿易機関ITOhttp://pub.ne.jp/shosuzki/?entry_id=3950437

2011/10/20 – ITO国際貿易機構)の遺したもの その1 http://pub.ne.jp/shosuzki/?entry_id=3955593

2011/10/27 – ITO国際貿易機構)の遺したもの その2 http://pub.ne.jp/shosuzki/?entry_id=3967810

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