鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2013年04月

自転車運転ロボットの所で、小脳機能という話が出てきた。
たしかに自転車を持ちださなくとも、脳神経系による平衡維持機能について語れば済むのかもしれない。

一般的には平衡維持やバランス感覚は小脳が司っているといわれる。三半規管の情報が伝わるとともに、これを視覚により補正するという二重の調整機構が働いている。

しかしそれなりに機能が特定の器官に分化しているということは、それなりの能率の良さを追求した結果であり、それらの器官がなくなったからといって、平衡感覚がなくなるわけではない。

むしろそれらの感覚に頼りすぎると、異常事態にはかえって都合の悪い場合もある。そういう時には、脊髄以下のいわゆる体性感覚、体がみずから反応していく過程が重要になる。むかし錐体外路系と呼ばれたものである。

これには位置覚とか深部知覚とか、腱反射などがあるが、根本的には支持筋の引き延ばし感覚に由来すると思われる。

ロボットの歩行シミュレーションにあたっては、かなりこのフィードバック系が重視されているようだ。

1958年の録音だそうだ。モノなんだろう。聴き始めはいささか音質が物足りなかった。しかしグイグイ引きこまれていく。
(すみませんステレオ録音だそうです。いつも聞く「新世界」は、その3ヶ月後の録音だそうです)

第3楽章など気恥ずかしくなるほどのノリノリぶりだが、リズムがしっかりしているから下品にならない。
終楽章になると管楽器が吠えまくる。めっちゃやたらにうまい。とんでもないオケだ。
だいたいがセルのレコードは音が悪かった。痩せていて強音になるとささくれだってくる。それを我慢して聞いているうちにハマり込むというのが通常だった。
死ぬ直前になって急に演奏が柔らかくなって、「聴きやすくなったね」なんて思っていたのだが、実はそうではなかった。
録音技師が悪いのか、レコード会社が悪いのか、とにかく平気で劣悪レコードを出し続けていたのだ。
それがこのところのリマスタリングではっきりした。セルもクリーブランドも最初から変わらずに、良い音で良い演奏をやり続けていたのだ。
多少化粧を施しているのだろうが、音色はしっかり美しい。細部の明瞭さもしっかり残っている。
60年代の音さえひどかったから、50年代は聞くに堪えないだろうと思っていたら、この58年の音もしっかりしたものだ。

Music Szellar さんのディスコグラフィーによると、セルのドヴォルザーク交響曲第8番はこれだけあるそうだ。好きな曲だったらしい。






Dvorak 交響曲第8番 op.88 クリーブランド管 1970.4 EMI HS-2088
Dvorak 交響曲第8番 op.88 アムステルダム・コンセルトヘボウ管 1951.9 LONDON POCL-3907
Dvorak 交響曲第8番 op.88 クリーブランド管 1958.10.31-11.1 SONY SRCR9860






いまは口直しにカラヤン・WPOの演奏を聞いている。砂糖菓子のようだ。

今度はスロベニアだ。
ポスト・ユーゴスラビア連邦の優等生と言われてきた。
小さな国だ。ほとんどミニ国家といってもいい。
面積は四国と同じ2万平方キロ、人口200万人。
91年にユーゴから独立した。内戦はあったが小規模なものだった。
04年にはEUに加盟、07年にユーロを採用、
高い経済成長を維持してきたが、リーマンショックでやられた。

ただこの国は、わりとまじめにやってきた。
変な話だが、これほど有名人のいない国も珍しい。

タックス・ヘイヴン的な政策はとらなかった。
出稼ぎ・観光・金融という欧州途上国パターンではなく、
輸出志向型工業の比重が高い。
貿易収支はわずかに赤字だが、それを観光収入でカバーしている。

日本でも、ひと通り回った人たちの穴場的な観光スポットとなっている。
住民の素朴さと治安の良さが、引きつけているようだ。
要するに堅実・健全を絵に描いたようなマクロ構造なのだ。

ネットでは日本語の資料がほとんどなく、憶測の域を出ないが、こういう国でEU内大手金融の大量の貸込みがあったとは思えない。債務は主として民間金融機関の節度なき経営にあったのではないか。

もう一つ、EU型再建策の押し付けに反対する政権が登場したことだ。
ブラトシェク新政権はIMF、ECBなどに頼らない金融再建を目指している。
ただこれがきわめて厳しい道であることは言うまでもない。
政府の道筋はこうである。
まず市中銀行の不良債権を買い取る。そのために買取機構を創設する。ここで不良資産を塩漬けにする。
これは結局政府債務となるが、これを国債発行と市中消化でまかなう手はずだ。

しかし話がそんなにうまくいくわけはないので、当面上半期末までの債務償還20億ユーロがクリアできるかどうかが、最大の焦点になっている。

どうもヘッジファンドが面白がって仕掛けている面が否定しきれない。

最終的には度胸だ。アイルランド、ギリシャ、キプロスと来て、今更スロベニアは潰すという訳にはいかないだろう。償還はぎりぎり引き伸ばしてみせる。その間に金融立て直しが進んで、景気回復に見通しが出てくれば、債権者も新条件を飲まざるを得なくなる、という腹づもりだろう。

これは、ご存知キルチネル方式だ。アルゼンチンの金融破綻の際に、当時の大統領キルチネルがケツをまくって、「一文だって払うものか」と啖呵を切ったあれである。

EUで誰か一人くらいやってみないものかと思っていたが、やっと一人出てきた。条件は十分あると思う。期待したい。


YouTubeでは、たくさんのレクイエム(モーツァルト)が聞ける。
そのなかで一番の演奏はコリン・デイヴィスがドレスデン国立歌劇場管弦楽団を振ったライブ録音だろう。
いつも変な方向からの評価で申し訳ないのだが、まず音がいい。
これだけ明瞭でカサつかず、疲れのこない音が聞けることはめったにない。
演奏は実に堂々としたものだ。
ヘンデルのオラトリオを聞いているような気持ちになる。

またもむかし話で申し訳ないが、パンチ穴の空いた安売りレコードのセールで、メシアとユダス・マカベウスのカップリングされたレコードをかった。
エンジェルの赤色レコードでトマス指揮聖へドウィヒ教会合唱団の演奏、バックはベルリン交響楽団だったと思う。
ユダス・マカベウスといえば、野球の表彰式のバックミュージックが有名だが、「勝者の行進」は入っていない。これにはがっくり来たが、しかし演奏そのものは悪くはなかった。もちろんドイツ語で歌っている。
ところがその後、英国人の演奏するハレルヤコーラスなどを聞くと、ドイツ人の演奏とはまったく違う。ずっとギャラントで、ほとんどイギリス国歌の雰囲気だ。

私はいつも思うのだが、モーツァルトはどうしてイギリスに行かなかったのだろう。
このレクイエムなど、ロンドンで上演したらばかうけだったろう。おそらくモーツァルトもなにがしかの報酬を得て、大散財をやらかしていただろう。

モーツァルトというのは基本的にロココの人だ。ロココというのは基本的にギャラントでなくてはならない。ド派手であって初めて、モーツァルト独特の繊細さが生きてくるのである。

コリン・デーヴィスはさすがにその辺の勘所を外してない。やはりこの男、ただものではないという気がしてくる。

自転車のハンドルは自動車のハンドルと違い前輪と一体となっている。いわばハンドル=前輪系だ。

この二つを一体のものとして考えると、そこには二つの特徴がある。

一つは可動性だ。より正確に言うと車軸に対する角度の可変性だ。しかしその可変幅は静止時と走行時では大きく異る。静止時であれば、原理的には360度の可変性があるが、走行時には転倒しない範囲の可変性に制限される。

一つは運転者による角度変更の随意性だ。しかしこれは転ばない範囲での随意性であり、無制限のものではない。

ハンドルはこの二つの特徴を生かして運転に役立つのだが、ハンドルが用いられない場合がある。

それが手放し運転だ。

手放しでカーブする場合、手は離しているのだからバーハンドルは不要ということになる。しかし実際のハンドル=前輪系の動きは、バーハンドルを切った時と同様の動きをしており、車体がカーブする上での働きは変わりない。

ハンドル=前輪系がそのような動きをするからこそ、車体はカーブすることができるのである。そしてその能力はハンドル=前輪系に内蔵されているのである。

この能力は二つに分けられる。一つは傾いた方に曲がっていく性質であり、もう一つはそこから車軸方向に復元する能力である。

前者は当たり前みたいなところもあるので(難しく言えば難しくなるが)、省略する。後者は正確に言えば、復元力というより直進性である。

この直進性は、実は設計により創りだした能力らしい。

バーハンドルの付着する鉄柱は、前下方に伸びて前輪の車軸を支える鉄柱となっている。実は車軸にまっすぐつながっているのではなく、少しシャクレてくっついている。

これで前輪の重心は少し前方にずれていることになる。面倒なので詳細は省くが、これが自転車の直進性を良くしているということだそうだ。

実はこれがない車があって、例えばマウンテンバイクなどはふにゃふにゃに曲がってしまうらしい。そうなるとさすがの名人でも手放し運転はできないのだそうだ。

まとめると

①ハンドル=前輪系はハンドル(ソフト系)として用いられなくても、ハンドルの役割(ハード系)をはたすことができる。

②ただしその役割は不安定・不確実であり、安定した役割を発揮するためには手による操作が欠かせない。


手放しどころか、両手をしっかり掴んでも自転車を運転できない人がけっこういる。

宇多田ヒカルは乗れないそうだ。長崎は坂が多いから乗れない人が多いそうだ。


いや、まいりましたね。
こんなもんができてしまうんだ。
Dr. Guero さんの製作した【PRIMER-V2】というロボットなのだが、人間とまったく同じ乗り方で自転車を運転している。

「右足をペダルに乗せ、左足爪先を地面に着け発進待機」し、「左足を地面から離し即ペダルに乗せて発進する」というのは人間と同じ。
走り始めに大きくハンドルを動かすところなど、迫真の演技だ。


https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/b/c/bc198a34.jpg
こちらに動画と解説がある。

小型二足歩行ロボットを自転車に乗せてみました。実際に自身の足でペダルを漕ぎ、 ハンドル操作のみによってバランスを維持します。

村田製作所でも自転車に乗れるロボを開発しているが、こちらは“まがい物だ。
体内にジャイロを埋め込んである。ありていに言えば、ジャイロに人形の外装を被せてあるにすぎない。

PRIMER-V2に関する解説は、専門用語が並んでいてサッパリ分からないが、分からないなりに読み解く。

コンセプト
バランス制御は古典的なPID制御を基本とする。
(PID制御というのは比例項 P、微分項 D、積分項 I の三部からなっているようだ。各項にはそれぞれいくつのパラメーターがあり、それを入力することで、どっちにどれだけ体を傾けるか、どっちにどれだけハンドルを回すかの解が得られるようだ)

ただ制御にはスピードが要求されるので、早く安定点に収束 させるために、「各項のパラメーターも変数として関数化する必要がある」のだそうだ。さらに小脳をモデルとした製作者独自の【創発モデル】というバランス制御方式も、部分的に組み込んでいる。

以上は直線走行時のバランスの取り方だが、曲がるときには、さらにそれなりの制御モデルを上乗せする必要がある。

曲がり方にはいろいろな方式があるようだ。そのうちのどれが良いかをシミュレートするのは面倒なので、「今は勘に頼りいい加減に設定している」そうだ。

バランス制御で得たバランスを敢えて崩すことによりハンドルを切る 」というのがキモで、技術的に最も 難しくかなり苦心した部分だそうだ。

「ハンドルの切り始めを大きく取ると、一瞬逆ハンドルとなり、重心が目的の方向に移動する」という、ある種離れ業的な手法で、曲がる方向への体重の移動を実現しているようだ。

将来的には、合理的かつ柔軟な動作を自己組織的に実現したいが、今はその「前段階の実験機」という位置付けである。


なお「創発モデル」というのは、人間をモデルとした新歩行方式の物理シミュレーションだそうだ。歩行動作から、間接駆動から歩行動作への逆モデルの開発と、そのフィードバックもふくめての自己組織化。
神経系支配のシミュレーション。
自動歩行時の原始反射のシミュレーション、脊髄レベルでの統御、歩行を安定させるための小脳を模倣した上体の垂直制御モデルなどがあげられている。

ということで、工学的にはすでにここまで進んでいるのかと感慨うたた。





自転車の哲学と均衡経済

ここまで、長々と自転車の原理的仕掛けについて考察してきたのは、均衡論争を見ていく上での自分の視座を整理しておきたかったからである。

社会主義というのはスミス以来の労働価値説を根拠にしている。これに対して「新古典主義」は、効用があれば価格は決まるという主張になる。

そして価値の根源についての議論はあえて避けて、それを議論しなくても効用だけで経済は十分説明できるとして、その限りにおいて精緻な議論を展開している。

ワルラスは、各市場ごとの均衡でなく、経済全体に均衡が成立しうると説き、それを数学的に証明してみせた。

これに社会主義者(の一部)が飛びついて、市場機能の制限と政府の介入、さらには経済の計画化という青写真を描いた。

ワルラス自身も、「純粋経済学」は、正義を原理とする社会経済学と効用を原理とする応用経済学の基礎理論にすぎないと考えていた。ワルラスは、「純粋経済学」を根拠として、土地国有化論と労賃免税のシステムを主張し、経済における自由競争の組織化、国家の市場への介入を提言した(御崎加代子さんによる)

社会民主党の思惑

社会民主党は、「自由放任政策が独占資本主義を産み、帝国主義戦争を招いた。計画経済で市場の無政府性を統制しなければならない」と考えた。

だがそれは実現可能だろうか、実現できたとして存続可能だろうか。

そのとき新古典主義の主流から、ワルラスの均衡理論が浮かび上がってきた。これを使わない手はない、と飛びついた。

しかし飛びつき方が安易だった。

率直にいって、労働の現場での組織化と自主管理を伴わない国家主導の経済システムは社会主義とは異なる。せいぜいが「正義を原理とする社会経済学」でしかないのだが、その問題はとりあえず置いておこう。

資本主義には自己調整力がないから社会主義が必要だと言いながら、その社会主義が存続可能であることを証明するために、資本主義の均衡論をはめ込むというのは、どう考えてもご都合主義だ。

ミーゼスの主張は「市場=ハンドル」論

ミーゼスの主張は、社会主義への激しい嫌悪感を除けば、至極まっとうだと思う。ただ、言い過ぎたために揚げ足を取られた格好だ。

どこが言い過ぎかといえば、一般均衡モデルの“論理的”否定である。おそらく一般均衡モデルは複雑系の均衡を扱っており、コンドラチェフ・レベルのかなり長い周期で成立しうる均衡だと思う。

これだと反論する側は、花見劫みたいな気楽な気分である。「総需要と総供給が究極的に一致することは、資本主義とか社会主義とかの社会システムのいかんを問わない」、ということを証明しさえすればよいのだから。

ミーゼスの批判の本来の趣旨は、「生産手段の社会化」はできないということである。

「生産手段の社会化」ということは生産財の売買の廃止や、市場からの排除につながる。

市場がなくなれば生産財の価格が存在しなくなる。価格という客観的交換価値が存在しなければ,複雑な生産体系における合理的資源配分や技術選択はできなくなる。

つまり市場というのはハンドルであり、ハンドルなくして経済運営はできないということだ。

それは正しいのだが、そのことと同時に、「タイムスパンを長めにとった時には諸市場のトータルとしての均衡は成り立ちうるという、新古典主義モデルとは矛盾しない」と一言言うべきだったのである

なぜなら、自転車というのはハンドルがなくても立位保持可能な乗り物だからである。自転車はやや曲乗りに属するが、手放し運転も可能だし、一輪車のような使い方も可能なのである。

首を切り落としたカエルがジャンプ可能なように、市場のない経済も一般均衡を実現することは可能である。

ハンドル操作の二重の二重性

などとえらく衒学的な題名をつけたが、要するに自転車には二種類ハンドルがあるのではないかという話。

一つは眼の前にあるバー型のハンドル、そしてもうひとつは腰から上の上半身そのものである。

体がジョイスティック

むかし、鉄人28号という漫画があって、正直、手塚治虫よりは数等落ちるのだが、その分わかりやすいストーリーだった。その漫画で少年が弁当箱みたいな金属容器にアンテナが立った物を持って、それに今でいうジョイ・スティックがついていて、それで鉄人28号を操縦していた。

左にティルトすれば、鉄人が左へ移動し…という具合である。

参考までに、ジョイスティックの持ち方には以下の5種がある。ワイン持ち、ぶっさし、かぶせ持ち、つまみ持ち、ウメハラ持ち。この五番目のウメハラ持ちというのは、“有名ゲーマー”梅原大吾の持ち方なんだそうだ。(ウィキペディア)

それで、どういうわけか梅原大吾にリンクが張ってあって、行ってみると、すごい「世紀の偉人」なんだ。さすがにここまで来ると笑っちゃう。

話が飛ぶのはアルコールのせい。


ジョイスティックとバーハンドルの役割分担

そこで、自転車に乗る人の上半身がジョイスティックだと思うと、自転車の運転はかなり分かりやすくなってくる。

つまり「鉄人自転車号」の操縦席は二重になっていて、自転車の平衡を保つのはジョイスティック系、それで本来の移動目的の運転時には、ハンドルで方向を決め運転していくことになる。

自転車に乗って目的地を目指す際に、「そこの角を右に曲がって、次の横丁を左に」という指示を受けて、自転車を目的地に向かわせるのはハンドルをおいてない。

これは自動車の丸ハンドルと同じで、より大きな目的のために奉仕しているわけだ。これが自転車のハンドルの主たる役割である。


平衡を保つ2つの機転

ところがややこしいのは、自動車のハンドルと同じかというと、そうばかりは言えないところがある。

自転車のバランスを取るためにもバー・ハンドルは使われている。

なぜなら自転車の平衡を保つためには2つの機転が使われているからである。一つはサドルを中心とする重心移動によるバランス維持である。

ヨット競技などで選手が帆の傾きと逆方向に思いっきり体を乗り出しているのを見たことがあるが、あれと同じだ。

もう一つは、前にも述べたような時差型三角形の形成である。要するに「転ばぬ先の杖」だ。自転車にA1からA2への移動を行わせることで、転倒を予防する。バーハンドルはそれを指示する役割を果たしている。


2つの役割の関係

この2つの操縦系を比較すると、明らかにバーハンドルが高次系である。それは知的操作であり、能動的で意志的である。重心をとる操作は反応的で受身的である。

しかし、それはティルト系なくして機能し得ない。上半身による絶えざるバランス保持を前提としてその上に乗ってくる機能である。

これは少脳と脊髄の関係に類似している。両方共に運動系の中枢であるが、脊髄のほうがより原始的である。しかし小脳はそれに変わるのではなく、それを前提としてより高次の運動を組織していくのである。


自転車に乗れるようになることの発生学的理解

初心者はバーハンドルで自転車の均衡を取ろうとして失敗する。たしかに均衡をとるためにもバーハンドルは大きな役割を果たしてはいるが、その際の位置づけはむしろ抑制系の一部である。

車体がジョイスティックの動きに過剰に反応しないように押さえつけるのがバーハンドルの役割である。

ここで注目しておきたいのは、バーハンドルというよりもバーハンドル・前輪系の隠された働き、すなわち直進性の維持機能である。前輪には車軸の方向に前輪を向けようとする性質が備わっている。それは高速になるほどに顕著になってくる。

実は自転車の運転というのは、回転性の発揮ではなく直進性の引き出しが真骨頂なのではないかと思う。

そして、体の重心移動を手段とするジョイスティック系と、バーハンドル・前輪系を合わせた操縦のトータルシステムを確保することになる。


とりあえずここまでの結論としては、スピードに対する恐怖心の克服、主として重心移動を中心とするティルト系操作の習得、が訓練の二本柱になるだろうということだ。

初期にあっては、ハンドルはむしろ封印すべきだ。重心操作ができたのちに、ハンドル系操作の技能は自ずから身についてくるだろう。この戦略を基本として、さまざまなマニュアルがあっていいのだろうと思う。


自転車に乗れるということ

乗れる人は、そんなに難しくないというが、乗れない人にとっては絶望的に難しい。

自動車の運転のように練習しながら徐々にうまくなれるというものではない。「全てか無か」の世界である。

ある日、ある瞬間、ふと乗れるようになるのである。なぜなら、先にも書いたように自転車というのは科学技術の結晶なのではなく、「理念」の塊みたいなものだからである。

それは「悟り」のようなもので、その瞬間に「恐怖心」がすっと消えていくのである。

結局乗れるようになるギリギリのところまで、最後まで抵抗するのは恐怖心である。臆病なくせに頑固な奴が一番手に負えない。とくにそれを他人に責任転嫁するやつは最低だ。いるよね、こういうやつ。

立てるわけがないという経験的事実が、「立てる」という理念に敗北する。その瞬間、「客観的真理というものは存在するのだ」ということが、「スっ」と受け入れられる。人間はその瞬間、唯物論者になる。

練習法について、随分多くの人が書いている。なかには動画付きのものまである。しかし多くはテクニック論になっている。

私は2つのポイントがあると思う。

一つは、一定のスピードが絶対必要だということだ。それは自転車の原理に由来する。均衡の三角形を作るにはA1とA2の距離が長くなければならないからだ。

ところが人間の恐怖心は、最終的には転倒することにあり、それによってもたらされる痛みにあるのだが、直接的にはスピードに対する恐怖にある。スピードが出れば出るほど転倒した時の痛みは強くなる。しかも単純比例ではなく二乗(E=MV2)に比例することを経験則として知っている。

だからスピードが出れば、その2乗に比例して恐怖心も増していくのだ。これはスキーの時でも同じだ。

もう一つは、ハンドルというものの概念を把握することだ。

自転車操縦の困難さは“ハンドル操作の二重の二重性”に集中的に表現されていると思う。

これについては長くなりそうなので別項を起こすことにする。

今回の訴訟はノバルティス社対インド政府ということになっているが、最初からこの訴訟に深く関わってきたのが「国境なき医師団」だ。

だから裁判所内ではノバルティス社対インド政府だが、外では国境なき医師団対ノバルティス社の闘いという様相を呈している。

したがって、訴訟の模様は実に詳細に国境なき医師団のHPに記載されている。

少しその記事を紹介しておこう。ただし国境なき医師団というのは少々クセのある団体なので、一定の距離感は保っておく必要がある。

ノバルティス訴訟の年表

というのが載せられている。

まず06年1月、ノバルティス社が申請したメシル酸イマチニブ(グリベック)の特許をインド政府の特許庁が却下したことから、事件が始まった。

特許法の第3条(d)というのが却下の根拠とされた。第3条(d)というのは、実質的な新薬でない限り、投与法などを変えただけでは特許を認めないというものだ。

これを受けたノバルティス社は、ただちに却下処分の取消を求め提訴した。提訴理由は、この処分がTRIPS協定およびインド憲法に違反するというものだった。

TRIPS協定の正式名称は、「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」である。これはWTOの定めたもので、加盟国に医薬品の特許を認める義務を負わせる協定である。
前の記事にも書いたとおり、インドはWTOの加盟義務として06年に特許法を改定し、医薬品にも特許制度を適用した。その結果、インドで特許が認められた医薬品については、ジェネリック薬を製造・販売できなくなった。

この裁判はマドラス高裁での審理の結果、ノバルティス社側の敗訴に終わった。ノバルティス社はさらに控訴し、今回4月の最高裁での審理の結果最終的に棄却された。

どうも、赤旗の記事は国境なき医師団の主張のつまみ食いのようだ。

赤旗の記事で釈然としない処は国境なき医師団の記載でもはっきりしない。

①グリベックはいわゆるエバーグリーニング薬品なのか。

②グリベックは物質特許を目指しているのか、製法特許を目指しているのか。

③エバーグリーニング薬品に特許が降りれば、第三者によるプロトタイプ薬品の生産・販売も禁止されるのか。

そこでウィキペディアで調べてみると、

イマチニブ:Imatinib 商品名はグリベック:Glivec

まごうことなき新薬で、しかもかなり革命的な新薬だ。何か既存の新薬の一部を細工したというようなものではない。

慢性骨髄性白血病の治療薬として開発され、10年ほど前から臨床使用が開始されている。

日本におけるグリベックの問題点については、伊勢崎市・長沼内科クリニック 長沼誠一さんの「【診察室】抗がん剤グリベックの問題点」という文章が、実に痒いところに手の届くような解説を書いてくださっている。

すると

グリベックはエバーグリーニング薬品ではなく、プロトタイプの薬品もない。当然物質特許をめざしており、特許が取得されれば、ジェネリック薬品の製造・販売は禁止される、ということになる。

したがって、今回のインド最高裁の判決にはかなり無理があると言わざるをえない。


だからと言って、ノバルティス社の肩を持つわけではない。

製薬会社は過去にエイズに対するアバカビルの特許乱発による高薬価維持で、圧倒的な不評を買った。もし第三世界のジェネリック薬品が広がらなかったら、世界中で何十万という人が死んでいただろうと思われる。

まさにヒトラーなみのジェノサイドである。

以下は、下記のファイルの要約と感想である

2011 年 6 月
JETRO海外研究員(ニューデリー)
久保  研介
 
特許制度改革後のインド医薬品市場をめぐる政策動向
 

1. 医薬品特許承認後の変化

2005 年、インドは初めて医薬品関連発明の特許保護を承認した。
このあと、国内の医薬品市場は大きく変化した。

第一の変化は、特許薬の登場である。

13 品目前後の新薬が物質特許(有効成分を保護する強力な特許)の対象となった。
理論的には、特許権者である先進国の新薬メーカーが、模倣製品を排除したうえで価格を高めに設定し、利益をあげることができる事になった。
とはいえ、インドの医薬品市場に特許保護の概念が浸透してきたことは、注目すべき変化である。
それまでは、新薬がインドに導入されるや否や、地場メーカーの合法的コピー製品が市場に出回っていた。

二つ目の変化は、外資系企業の存在感が急速に高まっていることだ。

インド最大の製薬メーカー、ランバクシーが第一三共に買収された。米国のアボットが地場の有力メーカー、ピラマルの国内事業を買収した。
多国籍製薬企業の投資を促しているのは、新たに特許保護が導入されたためであろう。

2.特許制度への反発

これに対し、インド国内では製薬産業が外国企業に占められることに対する懸念が強まっている。

また、医薬品価格の規制のあり方についての議論も活発化している。これまでは製品市場における複数のメーカー間の競争によって価格が抑制されてきた。特許保護が本格的に導入されると、競争圧力が排除され、価格が上昇することが予想される。

国民の大多数が健康保険を持たないインドでは、価格の上昇はヘルス・アウトカムの悪化、ひいては医薬品利用の減少を意味する。

これに対し政府は、価格規制制度を強化し、特許薬を含む多くの医薬品を新たに規制下に置くことで対応しようとしている。(そんなことしたら、TPPに入れないぞ!)

3. 特許薬をめぐるせめぎあい

特許制度が導入されて最初の適用となったのが、ロシュ社のペガシス(インターフェロン)などであり、がん治療薬が目立つ。

新薬メーカーが問題なく特許権を行使できているわけではない。地場メーカーや NGO(例えば国境なき医師団) による異議申立制度が最初の障壁となる。たとえばロシェ社は、異議申立を受け、エイズ関連感染症治療のアシクロビルの特許出願を取り下げた。

インドの地場メーカーによる特許薬の模倣生産・無断販売は、むしろ活発化している。少なくとも三つの薬(タルセバ、ネクサバール、バラクルード)が販売されており、いずれも特許侵害訴訟に発展している。

インド政府は原則として、後発医薬品は新薬の特許ステータスとは無関係に承認できると主張している。

後発メーカーは、侵害訴訟で敗訴した場合、先発メーカーの遺失利益を遡及的に支払わなければならない。しかしインドの医薬品市場はさほど大きくないので、大手の地場企業ならば負担できる範囲に収まる。

インド最高裁が抗癌剤「グリベック」の特許申請を棄却した。
これは、知財権に対する国際的な扱いにとって、画期的な事件である。

ほとんど犯罪的な「特許」

今回の申請棄却は、そもそも「特許」の中身の理不尽ぶりにある。ほとんど“犯罪的”
といっていいほどだ。
一つには、現行のグリベックに関してはジェネリックがすでに流通しており、「特許」はその流通の禁止につながるからだ。

ジェネリック薬品の実勢価格は1ヶ月あたり1万3600円ですが、先発のグリベックは20万円に達することになる。

もう一つは、特許の内容がおよそ特許とはいえないものだということだ。

製造元のノバルティス社(スイス)はグリベックの成分の一部を変え、「体への吸収率が高まった」とし、新発明に当たるとして特許の申請をもとめました。

これを認めると、永遠に独占価格が維持されることになる。つまり、知財権が人の命を奪っている現状が永遠に改善されないことになる。

赤旗の情報をそのまま載せましたが、いくつか釈然としないところもあります。近いうちにもう少し詳しくフォローしてみたいと思います。

情報化社会が進むに連れ、知財権と社会発展とが衝突する場面がますます増えている。それはとくに米英系の知財権ビジネス化の動きに深く関わっている。

知財権については国際的問題だけに、日本だけでどうこう言っても仕方ないのだが、あまりにも強者中心に動きすぎている。

世界の発展と福祉に結びつくような知財権のあり方がもう少し地道に論議されてもいいのではないだろうか。

ここまで、論理を前に進めるために、あえて勉強をして来なかった。

勉強すると知識の山の中に埋もれてしまうからだ。「社会主義生産論争」が典型で、両者の間にたって、ただオロオロしてしまうだけだ。

しかしさすがに知識なしでは、論理が息切れしてくる。

すこしウィキペディアを囓ってみよう。

先ほど書いた自転車の4条件を満たすものとなると、本当に新しい乗り物なのだということが改めて分かる。

1879年 英国人ヘンリー・ジョン・ローソンが、後輪をチェーンで駆動し、サドルの高さが低い物が製作され、ビシクレット(Bicyclette)と名付けられた。これが英語の Bicycle の元となった

つまり、自転車という呼称よりバイシクルという呼称のほうが新しいのである。自転車という呼称ができたとき、実は自転車は存在していなかったということになる。

スーラの絵でお馴染みの前輪が極端に大きい自転車は、ペニー・ファージングというのだそうだ。歯車とチェーンがなく、前輪が駆動と操舵を担うという、自転車とは異なるものだ。姿かたちは似ていても、ネアンデルタール人みたいなものでホモサピエンスではない。これに乗るのは軽業のようなものだったようだ。

それより前は、足で蹴っていたようで、これは自転車でなくスクーターの前身で、原人というより類人猿の祖先だ。

というわけで、自転車が実用化されたのはきわめて新しいことなのだが、その普及もきわめて早かった。13年後にはミヤタ自転車が国産第一号を開発している。

もう一つの特徴は、1885年に自転車ローバー号が発売されて以来、その機能・形態にほとんど変化がないということである。19世紀末にゴムタイヤが空気タイヤに変わったことくらいだ。

普通、発明というと長い間の科学・技術の積み上げがあって、最初にプロトタイプが出来上がり、その後改良を積み上げて現在の自転車が出来上がりました、という物語があるものだが、自転車にはそれがない。前後の脈絡もなくいきなり世界に登場して、そのまま完成されてしまって、100年以上たった今もそのまんまなのだ。

これではまるでお化けではないか。吉永小百合だって、出てきたころは大根足のおかちめんこだった。岸恵子だって最初は大福餅みたいだった。

自転車が、技術ではなく「原理」によって動いているということがよく分かる。 自転車は“神様の落とし物”だといっても過言ではなかろう。

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/3/d/3d20c3e1.jpg

自転車文化センターのHPより転載

ローバー号
1885年
(明治18年)

スターレーが、スピードの追求で極限状態にあった競走用オーディナリーの性能を上回る、前後の車輪を同じサイズにした自転車を作った。サドル、ハンドル、ペタルのクランク軸の3点がバランスよく合理的に配置され、近代自転車の原型でもある。

この記述でわかるのは、Bi_Cyclette という名称が党派性を持っているということである。たんなる「二輪」という意味ではない。

オーディナリーは大きなCycle と小さなCyclette の組み合わせで構成されている。それ自体がひとつのイデオロギーだ。

それに対して、スターレーは小さなCyclette 二つの組み合わせによるマシーンを開発した。このマシーンはオーディナリーに比べ安全や利便性ではるかに優れていたが、オーディナリーの自慢であるスピードにおいても、それを凌駕した訳だ。

それはオーディナリーの“思想・原理”に対する、実に完璧な勝利だった。

それにしても美しい車だ。アントニー・パーキンスあたりが、ざっくりとしたセーターと細身のスラックスで乗るとぴったりだ。



自転車というのは不思議な言葉で、いわゆる自動車に対応した言葉なのかと思う。

しかし、自動車は自動、自ずから動く車なのに対し、自転車は自ずから動くものではない。乗った人間が動かさねくてはならないのである。自動で動く車が自動車であるとすれば、自転車は他動車でなくてはならない。マシーンとしてはかなり横着な存在である。

これは車を主体にした彼我の関係であり、乗った人間にとってはこの関係は逆になる。乗った人間がみずから動かす車こそ自動車であり、車の方にお任せするのは他動車である。

この主体をめぐる彼我の関係が、ここでは見事に混乱している。おそらく外国人には、「日本人は何を考えているんだ」と思われるのではないだろうか。

これについてはまた、別稿で触れたい。

外国語では自転車はBi_Cycle である。略してBike ともいう。直訳すれば二輪車だ。即物的である。三輪車もある。ところが四輪になるとAuto_Mobile になる。直訳すれば自動車だ。論理的整合性がないという点では、外国語も似たり寄ったりだ。

ネットで調べると、「自転車」という名称は、明治のはじめに自転車販売商の竹内寅次郎という人が命名したものらしい。いわばセロテープとかホッチキスのように一般名詞化した商標だ。この自転車は三輪車だったようだ。

自動車も自転車も移動手段であることには変わりない。それは目的論として規定するならば、人間が二本足で歩くという機能を補い、あるいは代替するものである。

自動車は、明確に馬車の代用として出現している。馬という生き物の代わりにエンジンという機械が装着されたから自動車なのである。それは明確に技術革新の賜であり、いわば科学技術の粋なのである。

しかしそれは同時に、エンジンと馬車のハイブリッドであり、そこに発想の転換はない。誰でも思いつくことが実現しただけのことだ。そこに行くと、自転車というのはまったくのブレイクスルーだ。単なる発明ではなく、“発見を伴う発明”だ。それは以下の点にまとめられると思う。

①車は2点でも動的均衡を保ちうるということの発見。しかも極めて簡単な訓練でそのスキルを獲得できる。

②前輪の可動化により均衡を保つ方法の発見。これは乗馬の手綱さばきと一見類似するが、本質的にはまったく異なるものだ。前輪と後輪の機能の分離・独立。それは直立歩行によって前足が手となった過程にも相似しうる大発見だ。

③バランスを保つための独自のエネルギー源を、自転車の駆動力そのものに求めた発想。というより、おそらくは「なんだ、前に進む力を利用すれば、それでいいじゃん」みたいな感じでたまたま見つかったんでしょうね。逆にそれが「自転車操業」、止まればコケるという宿命を担わされることになたんだけど。

④これに、足で踏む力を歯車やチェーンを使って回転力に変えて、伝達する装置を組み合わせる発明。

ただしこれは従来からあったので、むかし「苦い米」という映画で、回転式の足踏み揚水機を使って田に水を送るシーンがあって、そのムチムチとした太ももに、幼な心にソソられた憶えがある。たしかシルバーナ・マンガーノといった。ソフィ・ローレンの先代みたいな人で、同じお色気女優でもジーナ・ロロブリジータのような上品さはなかった。それにしても「お色気女優」とは古いこと。日本だと京マチ子か叶順子(叶姉妹ではないぞ)か。

この4点が揃った真の「自転車」というのは、実は竹内寅次郎の時代にはまだ登場していなかった。寅次郎の「自転車」は三輪車だった。上記の自転車の持つ4つの特徴から考えると、二輪車と三輪車の間はまったく断絶しているのである。

驚異なのは、この自転車の出現が自動車の歴史よりも新しいということである。見てくれはただの鉄とゴムの塊で、なんとなればローマ帝国時代でも製造は可能であったろう。自転車とは鉄の塊ではなく智恵の塊なのである。

こういう形の技術革新というのは極めて稀だろう。しかしスポーツの世界では良くあることだ。走り高跳びなどすごい。私が子供の頃は正面跳びというのが主流だった。あれも練習が必要で、我々はゴム飛びの要領でまたぎ跳びしかできなかった。それで152まで飛んだのだから我ながら大したものだと思う。

昭和30年頃にロールオーバーという飛び方が導入されて、杉岡邦吉選手が日本人で初めて2メートルを突破して、206を跳んだ。その記録はずっと破られなかった。三段跳びでは古掛選手が16メートル48を跳んで当時の世界最高記録を作った。あれはまぐれだったようで、それからベルリンで田島が出した16メートルにも満たない記録が続いた。

その間にも走り高跳びでは技術革新が続き、ベリーロール、蛙跳びとなり背面跳びへとたどり着いた。走り幅跳びでは回転跳びというのが一世を風靡したが、禁止された。水泳では古川選手の潜水泳法がすごかった。メルボルンのオリンピックで、とにかく飛び込んだあと浮かんでこない。50メートルを折り返してもまだ潜ったまま、70メートルを過ぎてやっと浮上したと思ったら、息を継ぐ間もなくまた潜水。これも禁止された。

 

 

M先生の思い出

私がM先生を知ったのは昭和41年、彼が北大に入学したときからだから、もう40年になる。といっても一緒に活動するようになったたのは医学部に入ってからで、とくに大学が全共闘系によって封鎖されて以来のことだ。

私はM先生の下宿にオルグにいったことがある。オルグというのは要するに「赤旗読んでみないか」とか「民青に入らないか」という勧誘のことであ る。北大教養前の北17条をずっと東に進んで、石狩街道を越えて角のパチンコ屋の向こうを左に入った中通りの下宿だったと思う。狭くて急な階段を上がった 取っ付きの4畳半が彼の住まいだった。何もなかったと思う。読み止しの本は、高橋和己の「憂鬱なる党派」で、心優しき文学青年と思われる。

この本はどちらかといえば、全共闘系の愛読書であり、心情的には全共闘と近いところもあったかも知れない。一方の私は、もっぱらレーニンばかりだっ たから、彼から見たらまさに「スタ幹」、気分的にはだいぶ違う。話はかみ合わず、もっぱら私一人でしゃべっていたような記憶がある。向こうは、だいぶ警戒 していたかもしれない。

M先生が私達に近づいたのは、それがきっかけではない。沖縄出身のH君という人が保医研に入って活動していたが、彼の勧誘で保医研に顔を出すよ うになってからである。M先生は入学当時はワンダーフォーゲル部で、野性派だった。それが文科系のサークルに入って、最初はなんだかむずがゆそうだった が、そのうちはまり込んでしまい、H君のあとの部長を務めるようになってしまった。

彼の所属した保医研は、それなりにアカデミックな医療研究サークルだった。N先生が長く部長を勤めたので、どうしてもN先生の雰囲気を漂わせたサー クルになってしまう。私のどんぐりセツルは、地域にどのように協同の基盤を作り上げるか、という結構勇ましいサークル。見た目にはそんなに違いがなくて も、中での議論は相当違っている。

二つのサークルは、旧医学部校舎の東控室というところに共存していたので、何かとライバル意識はあった。しかしM先生の女性へのモテモテ振りには 誰もかなう者がなかった。このあたりの話は、死んだF先生が詳しくて、微に入り細にわたってその模様を話してくれたものだ。しかし、こちらはそれほどま じめに聞く気もないから、話の大方は忘れてしまった。まぁ、覚えていたからといってここに書けるものでもなさそうだが。

私のクラスは、大学紛争が一番荒れ狂ったクラスで、かなり時を経ても、旧全共闘系とは口を利かない状態が続いた。だから、というか、民主化をともに たたかった仲間の団結は割と強かったといえる。そのクラスが卒業を迎えようとしたとき、大学に残るか、勤医協に行くかという選択が迫られた。

選択の基準は、大学に残るのは学問的に優秀で、大衆性があって、組織力があって、青年医師運動を指導できるもの、それ以外は、勤医協という基準だっ た。勤医協にいけば、どんなものでも、医者というだけでも民主運動に貢献できるだろうという判断である。この基準に従うと、留年組は、それだけで自動的に 勤医協行きが決定ということになる。

今となっては、この判断は甘かったというほかない。大学に残った連中は枕をならべて討ち死にしてしまったからである。ただしもしみんなで勤医協に来た場合、大学がもっと早くに反動化していた可能性もないとはいえないので、決め付けるわけにもいかないだろう。

そういうわけで、留年組を主体とする私の期(48世代)は、勤医協を形成する世代の中では、かなり特異的な期だったかもしれない。「学問的に優秀でなく、大衆性もなく、組織力も乏しい」ものが選択的・集中的に勤医協に入ったからである。わが世代は「グズの48」と呼ばれる。ただしこれは北大卒業生に 限った話で、札医大からは、「未来の教授」と評判のK先生も入っていた。(ほかの3人はたいしたことはなく、我々と似たり寄ったりだったが)

私のクラスは、仕上げに全員が半年卒業延期ということになった。出席カードの提出をボイコットしたためである。私たちは、札幌病院の医局に毎日通っ て国家試験の勉強をすることになった。私はそのまま下宿に残ったが、M先生と、J、I先生の三人は柏が丘のアパートの2DKを借りて共同生活をすることに なった。ただである。おまけに病院の事務員扱いということになったから、たしか月に3、4万円くらいの給料を貰っていた。

三人の共同生活では、M先生がヘゲモニーを握っていたように思われるが、三人いずれをとっても「テキパキ」という形容詞が最も似つかわしくない部類の人種だから(私も含めて)、そこに『生活』と呼べるほどの空間は存在しなかった。

国家試験は予想外に難しかった。確か合格率6割くらいではなかったろうか。私達が合格したとき、級友はひそかに「民青は、不正をしたのではないか」とささやいたほどである。

かくして私たちは、タフでイデオロギッシュな勤医協の医師生活へと飛び込んでいくことになったのだ。


M先生は、突然死された。それより少し前、噂好きのF先生も脳卒中で急死された。

私は生に関しては宗教に親和性を感じるが、死については断然唯物論者である。

自転車というのは不思議な乗り物で、理屈からすると立ってられないはずなのに立っている。
もっと不思議なのは立ち続けていられるということである。
自転車に乗れる人には別に不思議でもないだろうが、乗れない人には奇跡だ。自然科学的には許してはいけない事象だ。
自転車に乗れない人にとっても、歩くことは別になんでもないことだろうが、考えてみれば、歩く瞬間には片足だけで平衡をとっている。だから歩けるのだ。赤ん坊は歩けないから這っている。
自転車は実は二点で立っているのではない。三点目があるから立っているのだ。ただし第三のポイントには時差がある。
「あっ、倒れそう!」という時に、倒れそうな方向にかじを切って、三角錐の頂点が三角形の中に収まりそうな三角形を想定して、その第三のポイントに前輪を進める。そうすると倒れないで済むことになる。

前輪の今のポイント(A1)と、0.5秒後のポイント(A2)がダブルでカウントされて、それに後輪のポイント(P)と合わせて、めでたく三点となるから立てるのだ。

A2がA1とPに対してどういう相対位置関係になるのかは、諸般の事項によるが、肝腎なことはA1とA2に有意の相違がなければならないということだ。

つまり、三次元の平面上では成立し得ない平衡が、時間軸を導入することで成り立つということになる。

平衡というのは、一見静止を思わせるイメージだが、実はそれは変化の中にのみ存在し、変化の一形態であり、「変化無くして平衡を語れず」ということになる。


ところでカーブを曲がる自転車の絵で、外側に遠心力が働き、内側に重力が働いて釣り合いがとれているから、自転車は傾いても転ばないのだ、みたいな説明が書いてあるが、あれでは不十分だと思う。

遠心力がはたらくのは、まっすぐ進もうという駆動力が働いているからであり、駆動力が働いているにもかかわらず、カーブでスピードが落ちてしまった分が慣性エネルギーに転換するからである。
つまり平衡をもたらしているのは何よりも前に進もうとする駆動力であり、それがもたらす質量を持つ物体の位置の変化であり、それを時間で微分した「速度」である。

静的平衡というのもたしかに存在するのであるが、それは相対的なものである。
ひとつは時間軸が我々の感覚からして著しく長いためか、あるいは静的に見えても、水面下で絶えず微調整を繰り返しているために、あたかも止まっているように見えるかの何れかである。
それは死んだ静止ではなく、生きた静止、「動的静止」なのだ。そこにも駆動力が働いていることを看過してはならない。


自転車というのは不思議な乗り物で、同じ人間が同じカロリーを消費しているのに、歩くのよりはるかに早く移動できる。
場合によっては歩くのより疲れない。
どうしてエネルギーをこのように効率良く使えるのだろう。おそらく“歩く”という行為にふくまれる無駄な動きがかなり整理されているのだろう。
では、どこがどのように整理されているのだろうか。
まず、歩くのには立たなければならないが、自転車は座ったままであるから、立位を保持するためのエネルギーはかなり節約できる。下肢は自重だけを支えれば良いので、腰から上の体重を支える必要はない。回転運動に専念すれば良い。
二番目に、自転車というのは“その場足踏み”であり、前に進む力は必要としないことである。しかしこれは、ペタルというピストン仕掛けが上下運動を回転運動に変えているだけであるから、これはエネルギーの節約にはなっていないと思う。
三番目に、歩くのには重心の上下運動が伴うが、自転車にはそれがない。これはトータルすればかなりの節約になるだろう。
四番目に、歩くのは主として等張性運動であるのに対し、自転車にはかなり等尺性運動の要素が加わるということであるが、これがエネルギー消費量(酸素消費量ではなく)に何らかの影響を与えるか否かは不明である。


わたし的には以下の問題意識を持っています。

3.11は反核運動をどう変えたか

①反核運動と反原発運動
反原発運動との関係で、反核運動の見直しが迫られている
どこまで一緒で、どこから違うのか。
国民意識の変化をどう捉え、反核運動にどう結びつけていくのか

原発被災者と被爆者の違いを明確にすること
被爆者は原子炉のなかで暮らし続けてきた
悪意の塊である原爆と原発との違いを明確にすること
原発と原爆の差を明確にすることは、反原発運動参加者を反核運動に引き寄せること

②反核運動を変えた原発事故
我々はどう変わったか(医師・医学者として、Activist として)
「放射線治療」や「核医学」など、核に関する科学の発展を、あらためてどう見るか
我らが世代の課題としての放射性廃棄物の処理技術の開発


③「核兵器が廃絶されれば原発は不要になる」のか
平和の課題からみた原発廃止の課題

ちょっと古いが

2012年7月27日付 英フィナンシャル・タイムズ

米国での天然ガスの販売価格は1年前より52%低下した。価格は現在、100万BTU当たり3.07ドルで、08年ピーク時の4分の1にも満たない。

シェルは今年第2四半期の利益が1年前の66億ドルから13%減少した。エネルギー価格の下落が大きな減益要因とされる。

エクソンモービルも、石油の販売価格と米国での天然ガス販売価格の下落が、9億ドル近い減益をもたらした。


こちらはあたらしいところで
2013/04/02 電気新聞

関西電力が、住友商事との間で、米国産LNG購入に関する基本合意書を締結した。

米国メリーランド州でのガス田から住商子会社が購入することになる。2017年後半以降生産開始見通しで、約20年間にわたって年間約80万トンを調達する計画。

注目はヘンリーハブ価格指標での購入という点で、これまでの原油価格リンケージからは解放されることになる。


2012年12月19日付 英フィナンシャル・タイムズ紙

この背景は、フィナンシャル・タイムズ紙に詳しい。(何故だ!)

1970~80年代から続く現行のLNG契約の多くが今後10年で切れ、供給の条件を再交渉する時期に入っている。

日本のLNG業界は、原油と連動する契約から脱して米国のガス価格と連動する価格協定にシフトを始めている。(ヘンリーハブBTU:英国熱量単位)

ロシアのガス大手ガスプロムは、販売価格を原油市場から切り離すことを余儀なくされた。

これらの動きはLNGの輸入価格を30%下げる可能性がある(たった30%?)。

すでに東京ガスや大阪ガス、中部電力などの日本のガス・電力会社や三井物産、三菱商事、住友商事が先行している。

米国はシェールガスブームで供給に余裕が生じている。現在、政府は限定的なLNG輸出を認めるべきかどうかを検討している。(と書いているが、アメリカにそのような余裕はないはずだ)

要するに、LNGは深刻な生産能力過剰に陥っているのだ。当初、アメリカ政府はFTAやTTPなどの貿易交渉の切り札に使おうとしていた。しかし今やそのような余裕はなくなっている。

膨大な先行投資をして能力過剰になっているから、これを販売しなければ倒産が相次ぐことになる。

ただ、LNGはあくまでつなぎであり、最終的にはあらゆるエネルギーを液体水素に転換して蓄える方式の確立がもとめられていくのではないだろうか。


ネットを見ていると、そんなに見通しは甘くないぞと力説している人がいた。たしかにそうだなと思って読んでいたら、結局原発再開論につながっていた。

しかし、その人さえ最終的には5,6ドルに落ち着くと見ている。これで現在の1/3だ。ランニングコストとしても原発と同等である。

問題はここ4,5年の過渡期をどう凌ぐかであるが、それには無理にインフレターゲット政策をとるより円高で推移してもらったほうがありがたい。

 

米シェールガス会社が倒産…生産過剰で値崩れ

時事通信の配信ですごいニュースだ。

シェールガスなどを生産する米エネルギー会社のGMXリソーシズは、1日、オクラホマ州の連邦破産裁判所に対して破産法の適用を申請した。

「シェール革命」による生産過剰で、米国では天然ガス価格が08年のピーク時から3分の1程度に値崩れしており、GMXの経営も行き詰まりました。

同社の昨年12月時点の負債総額は4億6千万ドル。同社は最大5千万ドルのつなぎ融資を受けて事業を継続し、並行して資産売却を進める。

話はもうそこまで来ているのだ。電力各社がいまだに20ドルも出してLNGを買う理由が分からない。

三菱商事が間に入ってネコババしているのか。電力各社が原価高として国民に転嫁しようとしているのか。

それとも貿易赤字をふくらませて、原発再開のネタにしようとしているのか。あるいはアメリカが原発再開のために、シェールガスを売らないよう圧力をかけているのか。

もう2年も過ぎているから、いろいろな憶測が出てくるだろう。

ダウンロードして聞くのが癖になっている。
レコード会社と演奏者の敵だ。
だから、いい演奏かそうでもないかはあまり関係なくて、いい音かどうかが最大の関心だ。
アップロードの状態が悪ければ、「きっと元の音はいいんだろうなぁ」と想像しながら聞くしかない。
そんななかで、スメタナの「我が祖国」を聞いたのだが、とにかくいい音だ。
どこからダウンロードしたか憶えがないが、ファイル名が日本語で、MP3の256ビット、固定レートだからおそらくニコニコ動画からのダウンロードだろう。
カレル・アンチェル指揮のチェコ・フィルの演奏、録音そのものは固めの音でちょっと古いから70年前後かと思う。
クレジットを見たら、63年の録音だそうだ。ステレオ初期のものだが、多分リマスターしたのだろう。たしかこの演奏は昔聞いたことがあるはずだが、もっとぼんやりした音だった記憶がある。先日のマゼール指揮ベルリン・フィルのイタリアと同じだ。
水も滴るとは行かないが、そのかわり音のクリアーさは耳を疑うほどである。低音弦もそれなりに聞こえて音の定位もいい。
演奏は、一言でいえば、歯切れのよい演奏である。持って回ったところはなく、直截である。ほとんどブラスバンドの趣だが、さすがに弦が一流である。
ターリッヒ・アンチェル・ノイマンと並ぶ歴代常任のなかでは、一番メカニックを追求した人なのだろう。
どれをとるかは好みの分かれるところだろうが、思わず仕事の手を止めてしまう迫力は、この人に一番感じる。

第3章 試行錯誤法による一般均衡論的市場の模写

テイラーとランゲの機械的市場像と社会主義経済像

 

第1節 テイラーの試行錯誤法の意義と可能性

1920年代後半に、もはや社会主義ロシアの村立が揺るぎないものとなると、論争は社会主義一般ではなくソ連型社会主義を念頭に置きながら展開されることになる。

1930年代なかばに、英米学派がこの論争に関わるようになると、議論の性格やテーマもさらにニュアンスが変わってくる。

36年にランゲは論文「社会主義経済理論について」を発表した。この論文の目的は、ミーゼスおよびハイエクの「社会主義経済における合理的経済計算は不可能である」という主張に反駁することであった。

とはいうものの、ミーぜスの論理的不可能説はパレートやパローネらローザンヌ学派がすでにその論理的可能性を証明していた。そのため反論はハイエクの実行不可能説に対して集中した。

ランゲは、1929年のテイラーが“The Guidance of Production in aSocialist State”で提唱した理論を用いている。それは「試行錯誤の手続き」と呼ばれるものである。(おそらく後のサイバネティクスに相当する手法であろう)

それによって、「社会主義社会における合理的経済計算」(ハイエクも論理的な存立可能性は認めていた)が,机上の空論ではないことを示した。そして実際に運営することも可能であることを明示した

 

まず、テイラーの「試行錯誤の手続き」から見ていく。これは「成功するまで一連の仮説的解を試行的に解いていくという帰納的方法」だといわれる。以下西部さんの説明を聞く。

①試行錯誤の方法は、各本源財(土地、原料、労働など)の生産過程における有効的重要度を確定するための方法である。

②まずは「要素評価表」を経験によって作成する。この表に基づき消費財の生産に用いられた本源財の合計額を算出する。

③この「資源費用」を暫定価格として、需要と供給に合わせて価格を調整し、逐次改訂していく。

西部さんによれば、テイラーの方法の特徴は,「模索の過程が本源財価格のみを対象としており,生産費用原理(フルコスト原理)による価格形成を応用する点にある」そうだがよく分からん。

 

第2節 ランゲの試行錯誤法による市場の模写

ミーゼスやハイエクの考えの根っこには、「価格なくして価値なし」というドグマがあるように見える。そして「価値に価格を与えるのは市場のみ」という思い込みがあるようだ。ただそれを理論的には定義できないので、実現不可能性というところに逃げ込もうとする。

そこで、ランゲは,まず価格の定義を明らかにすることから議論をはじめる。

価格には、二つの意味がある。通常の意味における市場価格は、市場での二つの財の交換比率という意味だ。そしてより広い意味では、 「代替物が提供される条件」ということである。

資源配分の問題を解決するのに不可欠なのは、広義の一般的「価格」のみである。(消費者の“好み”は反映されない) 前者の狭義の「価格」は,後者の広義の「価格」の特殊ケースにすぎない。

ハイエクの言う「経済問題」とは、代替物間の選択の問題であるが、その解決には三つのデータが必要である。

①選択行為を誘導する選好表

②「代替物が提供される条件」に関するデータ

③資源の利用可能量に関するデータ

逆に言えば、これら3つのデータがあたえられると,選択の問題は解決できることになる。

この内、①と③に関しては、社会主義経済においても,すくなくとも資本主義社会と同程度に与えられていると考えられる。したがって残された問題は、②「代替物が提供される条件」に関するデータが入手可能かどうかである。

ミーゼスは②のデータの入手可能性を“論理的”に否定した。

資本財が交換される市場がない社会主義社会においては,交換比率としての資本財価格は存在しない。よって資本財に関する「代替物の指標」も存在しない、というのがミーゼスの主張である。

しかしこれを裏返すと、生産手段の私的所有なくしては代替物の指標が存在しないということになるから、それは特殊な制度的枠組にのみ適用可能ということになる。これは経済理論の根本原理が一般的妥当性を持つというミーゼスの主張と矛盾する。(荒っぽく言えば、資本主義体制のもとでしか、生産財の価格は存在しないという主張だ)

基本的に①と③のデータが与えられれば、②の「代替物が提供される条件」は、ある財を他の財へ変換する技術的可能性,すなわち「生産関数」により決定されることになるので、少なくとも“論理的”には算出可能である。(何やらよう分からんが…)

これでミーゼスを撃破したランゲは、ハイエクの「第二次防衛線に撤退した」より一層洗練された議論を批判の対象とすることになる。

ハイエクは社会主義経済における資源の合理的配分の理論的可能性を否定せず、問題の満足すべき実際的可能性を疑うという手法をとっている。

以下は試行錯誤法についての詳しい解説が載っているが、ほとんど理解不能。よって飛ばす。

第2節の結論部分

社会主義経済では,中央当局が,市場の諸機能を遂行していることになる。

すなわち、生産要素の結合,各産業における産出量、資源配分の決定機能である。

また計算上の価格のパラメータ機能が働くためのルールを決定する。

中央当局は経済運営において完全なリストを手に入れる必要はなく、またハイエクやロピンズが雷うように数十万あるいは数否万の連立方程式を解く必要もない。

試行錯誤法により市場の模索プロセスを模倣すれば,市場機能を計画で置き換えることは可能であり十分機能しうる。

 

第3節 ランゲの社会主義経済像

市場においては,価格調整者としてのせり人が,需要と供給のギャップを埋めるべく価格を動かしている。

ランゲは,競争的市場を次のように定義している。

①個別主体の数が非常に大きく,だれも価格に対し目に見えるような影響を与えることができない。このような場合は価格は各個人の行動から独立な不変のパラメータとなる。

②市場は出入り自由である。

このような、ワルラス的な「よく組織された」市場を想定することが、現実的に妥当かどうかがまず問われる。

ランゲは以下のように結論する。

①資本主義経済において、ワルラス的な競争市場が存在していること、

②そこにおいて合理的な資源配分が行われている

という二つの条件が仮定できるのなら、

社会主義経済においてもそれと同様のメカニズムを科用することができるはずである。

西部さんは、これは極めて巧妙な説明だと言っている。

存立や存続の可能性の問題をすべて資本主義市場の側に押し付け、みずから応えることを回避している。「あんたの人生がうまくやって行けてるんなら、俺だってうまくやって行けてもいいんじゃないか」という論理だ。

逆に言えば、「あんたの人生がうまくばかりは行かない程度に、俺の人生もそれなりの浮き沈みってものはあるさ」という開き直りでもある。

ランゲは、純粋な競争市場経済という概念的構築物が. 「理想的な社会主義社会」を描写していると論じている。

「むしろ一般均衡論の理念型は、社会主義社会においてこそ実現可能であると言わんばかりだ」と西部さんは指摘している。

このあと社会主義における分配の問題に移っていくが、論争の主題とはややはなれるので(本当は、少ししんどくなってきたので)省略する。

 

第4節 ランゲの道具的で機械的な市場像

この節は、ある意味で論争の後日談となるのかもしれない。

ランゲは、一種のサイバネティクスの方法で計画の適正化と、擬似市場の構築が可能と考えていたが、それはコンピュータ技術の発展で裏書された。

1967年の論文「コンピュータと市場」でランゲはこう語っている。

このような試行錯誤のプロセスはもはや必要ではなくなった。コンピュータを用いるシミュレーションにより直接的に解を得ることすら可能である。

論文を今書き直すならば,私の仕事はより容易になるだろう。私のハイエクやロピンズに対する答えは, 「それで何が問題か?」ということになるだろう。

それが実は大問題なのだ。ランゲの言うとおりの状況が目前に出現したにもかかわらず、社会主義経済の実態は悪くなる一方だ。

実際にはハイエクの指摘した通りの事実が次々と明らかになっていく。そして20年余り後に、音を立てて崩壊してしまうことになる。

この点について西田さんは、こう見ている。

ランゲは,市場を経済計算を解くサーボ・メカニズムと捉えて,市場とコンピュータの機能を類似的で代替可能なものとみなしている。

ランゲは,市場が社会制度であり社会的秩序でもあることの意味を,それほど探求しなかった。このような道具的で,機械的な市場像こそが問題なのである。

後年それを指摘したのは、ドッブやスウイージーであった。

経済計画の問題を技術工学的な問題へと還元してしまう考えは,ランゲだけでなく,市場を機械論的に把握する一般均衡論に顕著にみられる考え方である。

むしろランゲが批判したハイエクの方が、市場経済の社会的制度としての意味をより深く探求した。

ハイエクは,社会主義経済計算論争を経ることで,自分らの市場像をいわば知識の分業に基づく「非中心的で,分散的な情報システム」 として認識していくことになる。

ランゲ論文は,ミーゼスの問題設定に対する結論的解決を与えた。

しかし本論争の全体をミーゼスの主論にとらわれずより広く眺めてみると,多様な問題設定がさまざまな方向へと発展する、一つの分岐点になっていることがわかる。

 

とりあえず、ノート作りはここでいったん中止する。

なおこのあと、論文は第4章 ハイエク論、第5章 ポランニー論、第6章 ドップ、スウィージー、シュンペーター論と続いていくので、いずれ手は着けなければならないだろう。

 

第2章社会主義計画経済の論理的可能性から実行可能性へ

~ハイエクの「経済的」問題と人間知性の限界

 

第1節 パローネの数学的方法~集産主義的均衡解の存在

1908年,イタリアの経済学者パローネは、集産主義的経済が存在していることを前提に,社会主義社会に対する一般均衡価格の適用可能性を明かにしていた。

彼は,“市場における需給均衡に関する連立方程式系”を解けば均衡価格が得られるとし、それを数学的に証明した。用いた連立方程式は、数理学派(ローザンヌ学派)のワルラスやパレートの一般均衡論に基づくものであった。

そしてこの均衡価格に基づく経済計算により効率的な資源配分と所得分配を達成できることも示した。同時に「効用」などのウィーン学派の概念を用いる必要がないことを示した。

彼は、「需要,供給,生産費という古くて単純な概念だけで、経済的諸量の最も重要な相互関係を方程式体系の中に構成したり,社会福祉に関係する様々な動態的問題を扱うことが、十分に可能である」と述べている。

しかしパローネは言い過ぎている。

西部さんによれば、「.パローネの証明は,いわば集産主義的均衡解の存在証明に過ぎず,その達成のメカニズムは不聞に付されている」のである。この“言い過ぎ”にカチンと来たのが、ハイエクがこの論争に飛び込むきっかけになったようである。

 

第2節 ハイエクの「経済的」問題

ハイエクは, 1935年の編著「集産主義経済計画」で,それまでの議論に整理,検討を加えた。そして社会主義経済の実際の運営に伴う問題をいろいろな角度から追求した。

そして「問題の性質と歴史」と題する冒頭論文では自説を包括的に展開している。

ハイエクはまず問題を二点に分ける。一つは経済的問題であり、もうひとつは技術的問題である。しかしこれら二つの問題の区別は,必ずしも明確ではない。

 

第3節 計画経済の実行不可能性 人間知性の限界

論争開始後15年を経て、テイラー,ローパー,デイキンソンらが、商品の価値と生産量は経済学の理論用具により決定することができることを示した。ただしすべての関連データに関する“完全知識”を想定することによってではあるが。

ハイエクは、この頃すでにかなりイデオロギッシュになっている。「すべての関連データに関する完全知識を持つことは、人間にとって実行不可能である」として、この主張を拒否した。これは100%でなければゼロだというに等しい強弁だ。さらに「消費者の選択の自由と職業の選択の自由が保持されないような、全経済活動についての中央指令体制は,現代の生活の複雑な諸条件の下では非合理である」と強調している。

一方で、「最近の試案の大多数は代替的な社会主義体制の建設によってこの困難を回避しようとするものであり,伝統的な社会主義のもつ欠点を免れるものと思われる」として、部分的に計画経済に関する新しい流れを受容する方向に傾いている。

そろそろ論争としては潮時だ。

 

第4節 ハイエクのアンピパレンス 不明確な市場理論

ハイエクの論点は大きく次の三つに集約される。

第一に,社会主義中央計画経済は、単一の目的をいかに効率的に達成するかという、設計主義的な見方である。それは技術的問題に矮小化しており、「経済的問題」を見ていない。

第二に,テイラー,デイキンソンらの「数学的解決」に関しては,そこに論理的矛盾がないことを承認する。しかし、価格決定のために必要な情報の収集,およびその計算は莫大な仕事量であり,人間にとって実行不可能である。

第三に,市場経済の競争を部分的に導入しても,最終的な決定基準が定まらないがゆえに,危険な事業の回避や官僚制の問題を生むであろう。「擬似競争的解決」は真の解決とは成り得ない。

第一の主張については、ハイエクの言う経済的問題、“希少な資源の使用に際して異なる目的が競合するもとでの経済的決定”が、それほど質的に高い問題とはいえない。“そういう問題もあるよね”というレベルの話である。

第二の主張については、“経済学者”としては敗北宣言でしかない。「現実にはなかなか難しいんじゃない?」 というんじゃ反論にもなっていない。引かれ者の小唄に過ぎない。

第三の主張については、のちにランゲやデイキンソンが試行錯誤法(フィードバック回路の形成)を用いることで存立可能であることを立証することになる。

論理の尽きるところに情緒的言動が接木される。ハイエクは社会主義経済における自由の抑圧と独裁化という論点をますます前面に押し出すようになる。そして「隷従への道」では、社会主義社会を農奴制への回帰と批判するようになる。それはたしかにスターリニズム批判としてはあたっているのであるが、社会主義や計画経済への批判として用いるのはお門違いである。

 

 

このノートは、北大経済学部教授の西部忠さんの論文の抜き書きです。
論文の題名は

社会主義経済計算論争の市場像: 経済の調整と組織化

で、北大のサイトにPDFファイルがあります。西部さんの博士号論文のようです。

一冊の本になるくらいの長大な論文で、まだ半分までしか読めていません。

見出しはすべて原著のものです。私の感想は、小文字で途中にはさんでいます。

はじめに ヴィジョンとしての市場像

社会主義経済計算論争は,オーストリア学派,一般均衡論派,マルクス学派が絡む論争で、経済理論のいくつかの理論的パラダイムが準備された一つの分岐点であった。

論争に参加した主な論者: ミーゼス,ハイエク,パローネ,テイラー,ランゲ,カール・ボランニー, ドッブ,スウイージー,シュンベーターなど

本論争は現代においても議論される理論的な問題領域をふくみ、経済学の今後の課題を提示している。

主要な論点は、①中央集権的社会主義社会における合理的な資源配分の問題、②社会主義の存立可能性。

当初は付随的に提起された論題: 一般均衡論,経済計算の合理性,労働価値説の意義,価値の価格への転形論,経済における情報とインセンテイヴなど。

これらの論争を「市場」ヴィジョンをキーワードにあとづけていく。

 

第1章社会主義計画経済における合理的計算の論理的不可能性

論争の序曲,ミーゼスの主論と傍系論

 

第1節 「社会主義経済計算論争」の意味と範囲

「社会主義経済計算論争」と一般に呼んでいるのは,ミーゼスの1920年の論文「社会主義共同体における経済計算」である。そのタイトルの「経済計算」 (Wi「tscha「ts「echnung)に由来する。

ミーゼス論文自体が論争の書であるが、噛みあう形での最初の論争は、22年から24年にかけてのミーゼスとカール・ポランニーの論争である。ここから1939年のランゲ論文までを“論争史”と括って良いであろう。

1939年のランゲ論文をもって論争は終了するが、ランゲ論文に触発されてハイエク, ドッブ,スウイージー,シュンベーターらが論議を継続しており、ここまでをふくむ場合もある。

社会主義者は、一般均衡論的な市場経済の合理性を前提とし,そのもとに社会主義経済の可能性と合理性を分析していた。ミーゼスは社会主義経済(計画経済のこと)と一般均衡論(ローザンヌ学派)を串刺しにして批判しているので、議論がわかりにくくなっている。西部さんは「社会主義経済の論理的整合性(consistency) と存立可能性(「easibility) に関する論争」と呼んでいる。

のちにハイエクは、一般均衡論における市場像自身についての検討に力点を置くことになる。

 

第2節 マルクスの社会主義像

ミーゼスやハイエクが批判の対象とした社会主義像、当時における一般的な社会主義像はどのようなものであったか

 

 

第3節 ミーゼスの論理的不可能説

オランダの経済学者ピアソンが1902年の論文「社会主義社会における価値問題」を発表。ピアソンは,社会主義社会においても純所得を決定するための「価値の問題」は存続すると指摘した。

第一次大戦後、オーストリアの社会主義者ノイラートやパウエルは,「社会主義社会では,単一で共通の価値単位が存在しなくとも,すべての計算は実物で行い得る」と主張した。ミーゼスはこれを厳しく批判した。

ミーゼスの議論の大筋は次のようにまとめられる。

①実物や労働量は,経済活動を合理的に行う上での計算単位になりえない。

②貨幣により表現される価値のみが唯一の客観的な単位である。

③生産物の価格形成が競争的市場でなされるときのみ,諸資源の合理的使用が可能である

④社会主義社会においては,生産物や生産財の競争的市場が存在しない。したがってこれらの価値は決定できない。

⑤価値が決定できなければ、合理的経済計算は不可能である。

 

ミーゼスの議論をやや詳しく見てみよう.

彼の議論は,大きく分けて次の3つの論点から構成されている。

第一節 「社会主義共同体における消費財の分配」

生産手設が公有化されれば生産財の交換される市場がなく, したがって生産財の価格が存在しなくなる。

第二節 「経済計算の本質」

社会的分業が発達した社会においては,複雑な生産体系になるため、客観的交換価値が存在しなければ,合理的資源配分や技術選択は困難である。

第三節「社会主義共同体における経済計算」

静態的経済では経済計算は必要ないが,すべての経済的与件が変化する動態的経済において価格の評価システムに基づく経済計算が不可欠である。

 

第4節 ミーゼスの主論と傍系論

市場経済の重要な側面を指摘する点では、ミーゼスの意見は積極的だが、それを社会主義計算の不可能性の論拠にするのは間違っている。市場には否定的な側面もあることも否定出来ないからである。レッセ・フェールで市場任せにしてきた結果が第一次世界大戦にまで行き着いたわけだから、「市場バンザイ論」では済まないのである。

西部さんは、「客観的交換価値としての均衡価格が社会主義経済へも適用可能であることが証明されればこの論理の筋は論破される」と述べている。

 


スターリンとヒットラーが流血の20世紀を作り上げた二大巨悪だということは、いまや我々の目にも明らかになってきた。
そして、ヒットラーを敵とし、その背後にいる世界独占資本と帝国主義を敵とする闘いのなかで、結果的に我々はもう一人の巨悪を支持するという過ちを犯してきた。そのことも明確になってきた。
この巨大な過ちにもかかわらず、我々は相対的に正しかったと言わざるをえないアイロニーに直面している。
歴史の中の立ち位置に基本的なブレはなかった。さまざまな困難があったとしても、人民の立場(Pro Popolo)に立って帝国主義に立ち向かう(Anti Imprialism)という道を選んだことに間違いはない。
しかし特殊状況のなかで、世紀の巨悪を自らの指導者に据えたという“あほらしさ”は、ほかの全場面での頑張りを持ってしても合理化はできない。「アホだけど頑張った」というのと、「頑張ったけどアホだった」ということの違いをあげつらうのは、それ自体がアホらしい行為である。

少し内向きの議論になるが、我々は誠実な批判者に対して誠実に対応してきたとはいえない。スターリン信仰の残滓を多少なりとも引きずりながら、我々は歩んできた。

それは原発信仰とも似ている。
原子力は未来のエネルギーだろうか? 違う!
原発にもいいところはあるだろうか? ない!
原子力の平和的利用は推進すべきだろうか? だめ!

これは東日本大震災から2年で、急速に作り上げられた固められた私たちの信念である。

三菱自動車が電気自動車に社運をかけていることは言うまでもない。

その電気自動車で電池が発火した。なんでも隠す体質の三菱自動車も、今回は流石に隠せ仰せなかったようだ。もし隠してバレたら、それこそ一巻の終わりだからだろう。

それで話は終わらなくて、その発火した電池があのユアサのリチウム電池で、ボーイングの事故と同じということで、一気に国際化しそうな勢いだ。

ことの発端は、3月18日に三菱自動車水島製作所で電気自動車の組立後に、GSユアサ 子会社の製造したバッテリーパックが発火した事故。

アウトランダーは三菱の切り札

『アウトランダーPHEV』というのが三菱自動車の電気自動車の名称。PHEVというのはPlug_in Highbrid Electric Vehicleの頭文字をとったもの。外見上は、一世を風靡したHV、三菱パジェロの後継だ。

家村さんによるとこの車の総合完成度はかなり高く、お勧め車のようです。発売から約2カ月で、当初計画の2倍近くとなる約8000台の受注があり、三菱の救世主になるはずだったようです。

事故の概要

この組立試験のために一台を水島製作所に搬入、前日から充電をかけていた。

翌日朝、充電中にバッテリーパックが加熱し発煙、それから約1時間後には発火した。これにより電池セルと駆動用バッテリーパックが溶け、損傷を起こした。

電池サプライヤー側で調べたところ、電池製造ラインにおける不具合の可能性があルトのことで、接続がどうのこうのとか過負荷などの問題ではなさそう、これはかなり深刻だ。

実はこの前にも焦げ付き事故が発生している。

工場(メーカー)から販売店に送られたアウトランダーPHEVが、納車整備を行なうためにバッテリーに「フル充電」を行なった。その後、一晩おいた翌日 に、クルマを動かそうと、システムをオンにしても「READY」にならない?そのため車体をチェックしたところ、下回りから異臭がして、バッテリーを包ん でいるパックの一部が(熱で)溶けていた。

というものだ。(家村浩明さんの記事による)

PHEVばかりではなく、EV(i-MiEV)でも発煙・発火事故は一件起きている。

あの三菱にしては思い切った対応

三菱自動車では、PHEVの生産・出荷・登録はしない(停止する)ことを決定した。

そしてユーザーには、「原因究明が終わるまではプラグインによる外部充電も、チャージモードによる充電も控えるよう呼びかけている」とのことだが、それでは“乗るな”というに等しい。
(すみません、間違えました。PHEVは電気自動車ではなくハイブリッド車のためガソリンエンジン車としては使用可能のようです。しかし三つの走行モードの中にエンジン専用モードはないようだが…)

慌てたボーイング社

ボーイング社は早速会見を開き、問題のバッテリーは「787」のバッテリーとは根本的に異なっており、「787」の事故とは無関係だとの見解を示した。

でも同じ会社の同じリチウム電池で、同じように溶けて焦げて発火しているんですから、根本的に違うと言われてもねぇ。にわかには信じられませんよね。

報道管制が引かれたか?

この後の後続ニュースがない。いくつかの記事は強制消去されている。30日以降は見事に記事がなくなっている。

テレビ朝日

「前の日から充電をしていた車を移動させようとしたところ動かず、異臭がしたため調べると、リチウムイオン電池が一部、熱で溶けていました」

とだけ報道している。これはほとんどデマに近い。

 

どうでもよいといえば、どうでもよいのだが、

安倍首相がメディアのトップと会食を続けている。

単発的にはネットでも話題になっているが、これだけ揃えられるとやや背筋が冷たくなる。

「いずれ憲法改正に向けた大手マスコミトップの共同声明でも出るのではないか」とさえ思わせる。消費税も、TPPも、そうやって突破してきた。毒食わば皿まで、という思いがよぎらないとは限らない。

赤旗ならでの記事だろう。(ネットには「首相の晩餐」という奇特なページが有る)

1月7日 ナベツネ読売グループ会長と、パレスホテルの高級割烹「和田倉」。(6時半から3時間近くに渡る異例の長さ)

1月8日 産経新聞の会長・社長と、ANAインターコンチの日本料理店「雲海」。

2月7日 朝日新聞の社長と、帝国ホテルの中国料理店「北京」。(この会見はネットでも噂になっている)

2月15日 共同通信の社長と、白金台の高級割烹「壺中庵」。

3月8日 日経新聞の社長と、帝国ホテルのフランス料理店「ラ・ブラスリー」。(すみません、レ・セゾンの誤りでした)

3月15日 フジテレビの会長と、芝公園のフランス料理店「クレッセント」。

3月22日 テレビ朝日の社長と、首相公邸。(この時はダブルゲストで官房長官も列席という格下の扱い。テレビ朝日の方から“おねだり”した可能性もある)

3月28日 毎日新聞の社長と、椿山荘内の日本料理店「錦水」。(毎日新聞とはその2週ほど前に東京裁判をめぐり応酬があったばかり)

安倍首相は親父が毎日新聞の記者だったこともあって、マスコミ操縦には長けている。慰安婦問題でのNHK特集を潰した経歴も持っている。

今後共マスコミの動きには警戒していく必要がありそうだ。

それにしても毎日すごいですね。全て違う店というのがすごい。

そういえばこんな記事もあって、「韓国家庭料理の店 炭火焼肉 可禮亜」というのが首相就任前の行きつけだったそうで、相当の健啖家で鳴らしたようだ。

そのうち“クローン病”が再発するぞ。

 

↑このページのトップヘ