鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2013年04月

YouTube で聞けるジョージ・セルの高音質音源

高音質というのは最終的に我々の耳にどのくらいの音質で入ってくるかということで、うp主次第である。元の録音が悪ければそれ以前にペケである。とくに放送のライブ演奏をエアチェックしたものの中にはひどいものもある(バイエルンは比較的安心できるが、オランダ放送協会やフランクフルト放送の音源には要注意だ)。

録音が古くても音は悪い。しかしセルの場合、55年以降の録音であればまずまず聞ける。ただしクリーブランドを振った場合に限る。客演の場合は基本的にペケである。クリーブランド就任前のいわゆる「歴史的名盤」には目下のところ興味はない。

うp主が手持ちのビニール盤を再生してアップしてくれたものがある。一般にプチノイズ以外は高音質である。しかし高音部の頭打ちにはビニール盤としての限界がある。イコライザーで100~150サイクルあたりを少し持ち上げると、聴きやすくなることがある。

最近、60年代の音源がいくつかリマスタリングされて発売されているようだ。おそらくかなりやばいと思うが、いくつかそれらしい音源が聞ける。

 

①ベートーヴェンの交響曲第2番、第5番

第5番は55年録音だそうだが、おそらくリマスターしたのであろう、ギスギスはしているがかなりのハイファイである。Audacity で擬似ステレオ化するともう少し聴きやすくなると思う。2番は最近の録音と比べても遜色ないレベルだ。

②ブラームスの交響曲第4番

多分私の一番好きな交響曲。セルかクライバーかということになるだろう。音質も最高レベルだ。

③ハイドンの交響曲第93番、94番、97番、99番

ベートーヴェンのようなハイドンだ。新しくはないが良い録音で、クリーブランドの弦合奏の実力が堪能できる。

④マーラーの交響曲4番と9番、大地の歌(終楽章のみ)

ライブ録音で聞けるが、マイクのセッティングが悪いのか、ミキシングが悪いのか、弦合奏が聞こえない。これではクリーブランドの魅力が半減だ。おすすめはしない。

⑤メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」

絶品の演奏だが、第1,第4楽章しかアップされていない。音質も冴えない。しかし第4楽章は思わず息を呑む。おそらくセルはメンデルスゾーンなら地で勝負できる人だろうと思う。

⑥モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」

クゴモッた録音で爽やかではない。ほかに39番、40番、41番が聞けるが、いずれも音質は良好とはいえない。あれだけハイドンの音質がいいのに不思議だ。

⑦モーツァルトの協奏交響曲(2,3楽章のみ)、クラリネット協奏曲

いずれも楽団員が独奏者を務めており、セル指揮クリーブランド室内管弦楽団の演奏といってもよい。演奏は極上だが、きわめてデッドな環境で近接マイク。眼前に演奏者がいるような雰囲気。

⑧R.シュトラウスの「死と変容」と「メタモルフォーゼン」

いずれも演奏は絶品。録音は、とくにメタモルフォーゼンはライブ録音で戦前のSP並み。

⑨R.シュトラウスの4つの最後の歌(ニコニコ動画)

シュヴァルツコップの歌に伴奏をつけている。オケはベルリン放送。シュヴァルツコップのご指名だったのかしら。

いろいろと制約が多い中での演奏だが、とにかくセルはシュトラウスを得意としていることが分かる。

⑩シューベルトの未完成とザ・グレート

セルはシューベルトが苦手だろうと思う。シューベルトをベートーヴェンにしちゃってはまずいと思うよ。シューベルトというのは劣等生というか登校拒否というか、そういうめそめそした優しさがないと染みて来ないように思う。セルのピアノ、ブダペスト四重奏団との「鱒」は聞かないほうがいい。

⑪シューマンの交響曲第1番、第2番、第3番、第4番、ピアノ協奏曲(この5曲はニコニコ動画だったかもしれない)

全曲すべて最優秀音質。第4番はフルトベングラーで愛聴していたが、こちらのほうが音質ははるかに優れている。

ピアノはセルお気に入りのフライシャー。

⑫ワーグナーの管弦楽集

ジークフリート牧歌、夜明けとラインへの旅、ジークフリート葬送音楽が聞ける。1956年の録音ということだ。元音質がモノーラルでさすがに聞けない。「魔法の火の音楽」はステレオだがUP音質が壊れている。ライブの録音でタンホイザー序曲が聞けるが貧音質。これなら今まで通りクレンペラーを聞いていたほうが良い。これからのアップに期待。

⑬ドビュッシーの海(ニコニコ動画)

ヴィニール盤をアップしたもの。かなり盛大にプチ・ノイズが入るのと高音が堅くやせているため、美音を楽しむにはいまいちの感。

⑭ラヴェルのダフニスとクロエ第二組曲

意外と言っては失礼だが、これがいいんですね。音質も優秀。長ーいクレッシェンドが「おっ、おっ、おっ」と身を乗り出させるが、これはオケの実力か。

⑮チャイコフスキーの交響曲第5番、第6番

ヴィニール盤を再生してアップしてくれている。良いオーディオをお持ちのようで、プチ・ノイズを除けばヴィニール盤とは思えない音だ。第6番はライブ録音。近接マイクの音がでか過ぎで、クリーブランドの音は聞けない。

⑯ドヴォルザークの交響曲第7番、第8番、第9番

いずれも58年から59年にかけて録音されたステレオ初期の演奏で、定番中の定番。音も昔ながらのおなじみの、味も素っ気もない音だ。リマスターで化粧し直して欲しいと思う。

ロストロポービッチとのチェロ協奏曲はライブで低音質。ロストロポービッチはリヒテルとのブラームス二重協奏曲がいい演奏だったが、アップされていないようだ。

⑰コダーイのハーリ・ヤーノシュ組曲

高音質の名演奏。ただし曲そのものは大したものではない。

⑱シベリウスの第2番、第4番

2番の演奏を聴き始めた瞬間から鳥肌が立つ。セルの「白鳥の歌」がこんなに完全な録音で残されたのは奇跡としか言いようが無い。

変な話だが、東京文化会館でよかったと思う。サントリーホールではこれだけ生の音は聞けないだろう。生身の演奏者が目の前に血刀引っさげて突っ立っていて、それに取り囲まれているような錯覚さえいだかせる。全員が剣の達人だということが分かる。

とにかく腰が抜けてしまう。頭蓋骨の中でバチバチと火花が散って、終わったとも残響音が回っている。

また東京のコンサートでアンコールに上演されたラコッツィ行進曲もいいが、ガンで余命2ヶ月の人がこんなことまでしなくても良かったのにと思ってしまう。

4番もライブ盤には珍しく良い音である。フェラスのバイオリン協奏曲のライブ録音もあるが、音は悪い。フェラス=カラヤンBPO盤は当時のベストセラーだった。そのフェラスがクリーブランドまで来てセルと共演したのには、いろいろ裏があるのだろう。とくにセルのカラヤンに対する思いが気になる。

そういう話を抜きにすれば、それほど面白い演奏ではない。

⑲タルティーニのヴァイオリン協奏曲ニ長調

ヨーゼフ・シゲティのおはこの曲で、セルがコロンビア交響楽団を振って伴奏している。1954年の録音というがひどい音だ。SP以下だ。放送用のフィルムから起こしたのではないか。

しかし中身はいい。セルがしっかりと低音弦を響かせている。もともとレコード界ではオケ伴指揮者で名を上げた人だから、その気になればうまいものだ。

これはおまけということで…

ということでYouTubeのセルのベストファイブ

①シューマン交響曲第4番

②シベリウス交響曲第2番

③ハイドンの交響曲第94番

④モーツァルトの協奏交響曲

⑤ラベルのダフニスとクロエ第二組曲

ということになる。できればブラームスの4番も上げたいところだが、ライバルが多すぎる。

2013年

1.04 安倍首相、原発新設についても「腰を据えて検討していきたい」と表明。

1.30 安倍首相、民主党政権の「原発ゼロ」方針を「ゼロベースで見直す」と表明。

1.30 米国で天然ガス価格急落でコストが逆転したため原発の閉鎖が相次ぐ。

2.28 安倍首相が施政方針演説。日米首脳会談を受け「安全が確認された原発は再稼働する」と明言

3.22 福島第一原発で配電盤にネズミが入り、電源が落ちる。水温が6度上昇し緊急の外部注水を施行。

2.28 ブルガリア議会、原発新設の中止を決定

3.11 パリで「原発ノン」を叫ぶ人間の鎖に2万人が参加する。

4.03 ドイツで脱原発が進んだにもかかわらず、電力輸出が前年の4倍に。

4.02 各電力会社が、あいついで米国産LNGの非リンク購入契約を締結。

 

2012年

1月 森本氏(その後防衛大臣)、北海道で講演。「国の基本として、原子力を持つということは、たんにエネルギーの問題ではない。…非常に大事な抑止的機能を果たしている。…(原子力を)決して捨てるべきではない」と発言。

2.27 大阪・京都・神戸の三市長、連名で関西電力に意見書を提出。原子力発電に依存しない電力供給を求める。

3.12 保安院、ストレステストの妥当性を認定。安全評価を勝手に一次と二次に分け、その一次がクリアしたという話。

3.23 原子力安全委員会は、一次評価だけでは不十分と判断。福島事故をふまえた新たな安全基準による審査が必要とする。

3.23 京都府防災会議、SPEEDI による放射性ヨウ素の拡散予想を発表。大飯西方の高浜原発が3月にやられた際は死の灰が京都市内に振り注ぐことが明らかになる。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/4/a/4a8be2f9.jpg

3.28 原子力安全保安院は30項目の安全対策を取りまとめる。安全委員会はこれを妥当と判断。

4.08 政府、関西電力管内の夏の電力不足が需要に対し17%不足と発表。各界から多くの疑問が出され、4月13日に修正案を提示。

4.09 原子力安全委員会の久住静代委員(問題発言を繰り返してきた)が、「保安院は、防災指針見直しについて、財政負担増大が懸念されるといって反対してきた」と批判。

4.13 橋下市長、大飯の再稼働反対と倒閣運動を宣言。

4.13 関係閣僚会合、大飯原発の安全性を最終確認し、「再稼働することが妥当」と判断。

4.14 枝野幸男経済産業相が福井県を訪問し、再稼働を要請。

4.17 滋賀・京都知事が大飯原発再稼働への国民的理解のための7項目提言。

4.27 首相官邸前で 1100人が大飯原発再稼働に反対する行動。

5.05 泊原発3号機が定期検査に入る。国内50基の全原発が停止する。

5.11 三井物産の槍田会長、日本中の原発をすべて再稼働させないといけない、と発言。

5.24 毎日新聞、原子力委員会が事業者を含めた会議を開き、再処理に有利に報告書原案を書き換えたと報道。原子力委員会は「事業者を含めた会議」を開いたことは認めるが、「報告書を書き換えた」というのは事実無根と反論。(委員全員が原子力村の住民であり、書き換えの必要などなかった)

5.31 橋下市長、再稼働を容認。

5.31 ヨルダン議会、原発事業一時停止を議決 安全性など懸念

6.10 野田首相が記者会見で原発再稼働を宣言。「福島を襲ったような地震・津波が怒っても、自己を防止できる対策と体制は整った」と豪語する。

6.18 野田政権は、法的根拠も議事録もない四大臣会合で大飯原発再稼働を図る。

6月 「さようなら原発1000万人署名」運動が754万人分の署名を集め政府に提出。

7.01 関西電力の大飯原発が再稼働。代わりに燃料費が高い火力発電所を8基止める。

7.05 国会事故調査委員会が報告書を発表。「根源的な原因は、規制当局と東電が、意図的な先送り、不作為、自分に都合の良い判断により安全対策を怠ったことにある」とする。さらに、原子力を扱うものに許されない無知と慢心であり、世界の潮流を無視し、国民の安全を最優先とせず、組織の利益を最優先とする思い込み を糾弾。

7.17 「2030年の電源構成に占める原子力の割合」について国民から9万の意見が寄せられる。「原発ゼロ」が7割以上をしめる。15%を軸に検討していた政府は厳しい対応を迫られる。

7.23 政府の事故調査・検証委員会が最終報告書。「国と東電が安全神話にとらわれたことが「根源的問題」とする

7.24 野田首相、「脱原発依存」の立場は維持しながら、海外での原発売り込み推進という奇怪な態度を表明。

7.25 関西電力の八木社長、高浜原発の再稼働を求める。電力供給の安定性の回復など、一般的理由を強調。

7.27 米国での天然ガスの販売価格が100万BTU当たり3.07ドルまで低下。08年ピーク時の4分の1となる。

7.29 首都圏反原発連合が主催する「7.29脱原発国会大包囲」、主催者発表で約20万人が参加。

7.30 東京電力が、LNGを対米販売価格の8~9倍の高値で購入していることが共産党の質問で暴露される。

7.30 米GEのCEOが「原発の正当化は難しい」と発言。ガスと風力・ソーラーのコンビネーションに移行すると予測。

8.29 内閣府が、「南海トラフの連動型巨大地震」の被害想定を発表。神奈川から宮崎にかけて、20メートルから30メートルの津波が押し寄せ、静岡県だけで11万人の死者が予想される。

8月 西本願寺の大谷門主、「処理方法がない廃棄物を残していくのは、倫理的・宗教的に問題がある」と発言(非公式)。

9.13 政府の国家戦略会議、発電コストの試算上、原発とLNGに差がないことを明らかにする。これはシェールガスの本格開発以前のもの。

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9.10 野田内閣がエネルギー戦略策定。「2030年代に原発稼働ゼロ」とする。米側から懸念が強まる。米エネルギー省のポネマン副長官、前原政調会長に「このような措置を実際に取れば、意図せざる影響もありうる」と恫喝。

9.13 経団連の米倉会長が“緊急”記者会見。野田首相に電話で直接「原発ゼロは承服しかねる」と伝えたことを明らかにする。「日米同盟関係の維持も重要である」ことを強調。

9.19 保安院が廃止され、環境省の外局である原子力規制委員会へ移行。通産省は資源エネルギー庁内の日本原子力研究開発機構を中心に原発の海外売り込みに集中することとなる。


9.24 原子力規制委員会の田中俊一委員長、電力会社による安全評価(ストレステスト)について判断の根拠としない方針を明らかにした。既に30基の1次評価が提出されているが、手続きは白紙に戻ることになる。

9.25 枝野幸男経済産業相、未着工の原子力発電所の新設計画について、電力会社に計画の自主的な撤回を促す考えを明らかにする。また原発の再稼働については政府が関与しない考えを示した。敦賀市の河瀬市長は、「地域の実情を踏まえ、個別に判断していただきたい」とクレーム。

9.30 政府が「30年代原発ゼロ」を掲げた「革新的エネルギー・環境戦略」の閣議決定を断念。米政府に対して「安全が確認された原子力発電所は引き続き重要な電源として再稼働させていく」方針を伝える。

9月 武田製薬の長谷川社長(同友会代表幹事)、「原発をゼロにするのであれば企業は事業会計の見直しをしなくてはならない。政府は無責任と言わざるを得ない」と意味不明の発言。

10.01 Jパワー(電源開発)の大間原発、建設作業を再開。

10.01 リトアニアで、原発の建設をめぐる国民投票が行われ反対票が6割を超えた。この原発は日立製作所が受注したもの。

10.02 北海道の主要経済3団体の首脳が、自民党本部で安倍晋三総裁らと会談し、泊原子力発電所の再稼働を求める緊急要望書を手渡す。

10.02 世界の風力発電10年で6倍超 中国が4割、日本出遅れ

10.04 経団連の米倉会長が、浜岡原発を視察。視察後の会見で、「どうしても原発をゼロにするわけにはいかない。再稼動に持って行けたら、世界的な模範になる事例だ」と述べた。

10.04 福島第一原発事故に伴い、各市町村にごみの焼却灰がたまり続け「このままでは数年で満杯になる」ことが明らかになる。

10.13 全国で反原発集会。サッポロ反原発集会は70年安保以来の1万数千人が結集。

10.24 NHK道内ニュース、「この冬、最悪で7.7%の電力不足に陥る可能性がある」と報道。その後毎日「でんき予報」なる情報を流し始める。読売新聞は「北海道の停電は命にかかわる」と脅迫。泊原発を再稼働すれば電力不足を解消できると主張。

12.07 三菱重工と日立製作所が火力発電事業を統合することで合意(すでに水力発電事業は統合済み)。原発維持で統一戦線をはる一方、ポスト原発も視野に入れる。

12.08 衆院選前の世論調査(日経新聞)、「脱原発を目指すが、当面は必要」が61%、「今後も必要」が13%だった。日経は「原発の現実的必要性を認める声が4分の3を占めた」と評価。

12.19 13年から、原油価格とリンクしたLNG長期契約が更新を迎える。

12.25 安倍政権、「原発再稼働は原子力規制委員会の判断による」ことを確認。

12.29 安倍首相、民主党政権の「原発ゼロ」方針の見直しを示唆。

2011年

3月11日 福島第一原発、東北地方太平洋沖地震とその後の大津波で、外部からの電源と、何らかのトラブルにより稼動しなかったとされる非常用ディーゼル発電機を失い、「全交流電源喪失」状態に陥った。(その後の一連の経過については別途当たってください)

3.30 政府は全国の原発を対象に「緊急安全対策」を指示。津波による事故発生を防ぐ当面の手立てを整え、原発の安全性を確保する。

4.11 福島第一原発事故の評価をチェルノブイリ並みのレベル7に引き上げ

4.13 松本内閣官房参与「原発周辺には10~20年住めない」という首相発言を紹介。すぐに撤回。

5.06 菅直人首相が緊急記者会見。浜岡原発全原子炉の停止を中部電力に要求。

5.03 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の事故当時の予測値が公開される。公開された理由も、公開されなかった理由も不明。

5.09 中電、浜岡原発の停止要請を受諾。水野社長は「追加対策の実施後に速やかに再稼動する」と述べ、「原発は電力供給の基幹だ」と言い切る。

5.10 経団連の米倉会長、「政府は安全基準をもっと強化しておくべきだった。政府は何をしていたのか」と非難する。

5.12 福島第一原発1号機が、実はメルトダウンしていたと発表。

5.17 平田内閣官房参与、福島原発からの汚染水海洋放出について、「米国からの強い要請があった」と発言。

5.20 福島第一原発、1~4号機について廃止措置を進めること、及び建設計画を進めていた7、8号機について計画を中止。

5.27 菅直人首相がG8サミットで発言。自然エネルギーの増加と脱原発について言及する。

5.28 俳優の山本太郎さん、原発をめぐる発言のためにテレビドラマ出演ができなくなったことを明らかにする。

5月 スイス政府、福島第一原子力発電所における事故を受けて、2034年までに、「脱原発」を実現することを決定。

6.07 首相官邸で「新成長戦略実現会議」、「原発の早期稼働は国の責任」との声が相次ぐ。主な発言者は日商の岡村(東芝会長)、同友会の長谷川(武田薬品社長)

6.13 イタリア国民投票で脱原発へ。投票率は57%。原発再開反対が94%を占める。ベルルスコーニ首相が敗北宣言。

6.15 「さようなら原発1000万人アクション」が署名行動を開始する。

6.18 海江田経産相、「過酷事故対策は完了し、安全性が確認された。原発が稼働できなければ産業が停滞し国民生活への不安が生じる」と発言。

6.19 原発再稼働の動きが開始される。玄海原発がそのターゲットとなる。古川佐賀県知事や玄海町の岸本町長が暗躍する。

6.29 菅首相、経産相主導で進行する玄海原発の再稼働にストップを掛ける。

6.29 経団連会長の米倉会長、「企業の努力が否定されている。これでは海外移転がますます加速する」と脅迫発言。

6.30 独下院が脱原発法案を可決、2022年末までに全17基閉鎖

7.06 共産党が国会質問で九電やらせメール事件を暴露。

7.07 菅首相、定期点検中の原発について、ストレステスト抜きの再稼働はおこわないと答弁。

7.13 議会解散を狙う菅首相が、記者会見で「脱原発」を打ち出す。与野党から猛反発。自民党の谷垣総裁も「縮原発」を唱えたが腰砕けに終わる。

7.13 朝日新聞が一面に社説。「いまこそ 政策の大転換を」とし、原発ゼロ社会を提言。同社の世論調査(7.17)では、77%が原発を将来やめることに賛成。

7.16 大飯原発の冷却系統に事故が発生、緊急手動停止に至る。

9.11 小泉元首相が厚かましく「脱原発」講演。「政府は原発が最もコストが安いとして原発建設を進めてきたが、国民は原発 が安全だとは信用しなくなった」と述べる。

9.14 経済同友会の行った電力制限に関する経営者アンケートで、「生産量や売り上げへの影響はなし」とした回答が69.3%。

9.29 政府の原子力委員会が「国民の意見」の集計結果を発表。意見書約1万件のうち原子力発電を廃止すべきだという意見が98%を占める。

10.15 モンゴル政府、日本の核廃棄物の処分場建設計画を断念。

10.28 独シーメンス社が「原発ルネッサンス」計画を放棄。原子力発電からの完全撤退を決定。格付会社はこれをポジティブと評価。

10月 原子力安全委員会、廃炉を含め、福島原発事故によって発生した損害は5兆円に達すると発表(かなり内輪の数字だが)。

11.17 関西電力が大飯原発の ストレステストの結果を経産省に報告。原子力安全保安院は再稼働に向けて手順を積み重ねる。

11.21 地震予知連の島崎会長、「震災前に、福島での津波地震を予測していたが無視された。背景には、原子力業界の力が働いていた と感じている」と発言。

12.07 小林よしのりが、雑誌に「脱原発論」の連載を開始。 西尾幹二、竹田恒泰や勝谷誠彦らも「山河を守れ」「国土を汚すな」と呼号。

12.21 福島第一原発1〜4号機の廃炉に向けた工程表が発表される。

12.28 東レの榊原会長(エネルギー基本計画策定会議メンバー)、「原発の順次再開、原子力発電の推進、国家の研究・開発予算の思い切った傾斜配分」を主張。

赤旗が連載で「どう見る 安倍内閣の雇用改革」を掲載している。生熊さんという全労連の人が、インタビューに答える形で話が進んでいる。
その中で注目したのが、「限定正社員は労働契約法改正への対応」という一節だ。
もちろん、全体としてはそんなおとなしいものではなく、もっと労働者を安上がりにコンビニエントにこき使おうというのが本線だろう。
しかし労働者の闘いへの「対応」という側面も見ておかないと、本当の姿は見えてこないのではないかという指摘であり、鋭い見方だと思う。
労働契約法の改正は去年実現したが、実施は15年からということのようだ。(うろ覚えですみません)
これが実施されると、有期雇用でも5年間継続すれば、無期に転換できるようになる。もちろん、連中のことだから色々と抜け穴は考えだすだろうが、そこまで労働者の闘いが前進していることも間違いない。
マツダの判決はそういうところに位置づけられて来るのだろう。

勉強したおかげで、そういう感覚が多少身についたようだ。

赤旗が連載で「どう見る 安倍内閣の雇用改革」を掲載している。生熊さんという全労連の人が、インタビューに答える形で話が進んでいる。
その中で注目したのが、「限定正社員は労働契約法改正への対応」という一節だ。
もちろん、全体としてはそんなおとなしいものではなく、もっと労働者を安上がりにコンビニエントにこき使おうというのが本線だろう。
しかし労働者の闘いへの「対応」という側面も見ておかないと、本当の姿は見えてこないのではないかという指摘であり、鋭い見方だと思う。
労働契約法の改正は去年実現したが、実施は15年からということのようだ。(うろ覚えですみません)
これが実施されると、有期雇用でも5年間継続すれば、無期に転換できるようになる。もちろん、連中のことだから色々と抜け穴は考えだすだろうが、そこまで労働者の闘いが前進していることも間違いない。
マツダの判決はそういうところに位置づけられて来るのだろう。

勉強したおかげで、そういう感覚が多少身についたようだ。

誰かが書いていましたが、「セルっておしゃれ~」
ジョージ・セルを形容するのに、多分一番の形容詞かもしれません。
赤と黒の二色で鮮やかに流れを切り取る、その上に金粉をまぶして一枚の絵を完成させていくような気分がします。しかも赤はちょっとくすんだ臙脂色で、黒は死んだ黒(Dark)ではなく存在感のある黒繻子の黒なんですね。
赤のドレスの女性と黒いタキシードの紳士のデュエットといえばいいのでしょうか。ダンディーでなくては…という感じです。ハイドンの94番「びっくり交響曲」は典型ですね。
だから録音が悪くてくすんでしまうと、技術だけが浮いてしまうのです。腕はいいけど無味乾燥とかいわれてしまうんですね。

「太平洋を二分し米中2カ国で管理しよう」と中国軍首脳が呼びかけたとの報道があった気がする。
空耳だったかなと思っていたら、ネットでも聞いた人が大分いるようで、「けしからん」と怒っている。
ところがなかなかネタ元が見つからない。グーグルでも検索ページの見出しには載っているが、実際にそこのサイトに行くと抹消されている。

探して行ったら、あった!

「TVでた蔵(TV DATA ZOO)」というサイト。
「放送されたテレビ番組で紹介された情報をご紹介するサイトです」と書いてある。

2013年4月23日放送 21:00 - 22:00 NHK総合

ニュースウオッチ9 (ニュース)

アメリカのデンプシー統合参謀本部議長は、きょう習近平国家主席と会談。アジア太平洋地域の安定のため 協力していくことを確認した。
ところが人民解放軍高官との会談後の会見では中国側は太平洋を二分し米中2カ国で管理しようと提案、デンプシー氏は日米同盟 を尊重することを強調した。

うーん、このニュースを聞いたんだなと分かった。ファイターズがホークスにボロ負けして、チャンネルと切り替えた直後だった。

しかし、これは大誤報、大誤訳だった。不適切の枠を超えている。陳謝ものだ。

WSJの記事から引用する。

①太平洋は両国を収容するに十分な広さを持っている。(The Pacific Ocean is wide enough to accommodate us both.)

②どちらの国も相手の「中核的利益」を尊重すべきだ。

③この地域での悪意ある競争、摩擦、対立を回避することが両国にとって重要だ。

韓国中央日報(日本語版)では以下のとおり

房総参謀長は米国との軍事部門協力・交流の必要性を強調し、「太平洋は米国と中国をともに抱き込むほど広い。いかなる状況でも協調的なパートナーにならなければならない」と述べた。

これに対しデンプシー議長は、米軍の「アジア回帰」戦略は中国を封じ込むという意図ではないと説明した。

「NewSphere」では以下のとおり

軍事関係は、今や経済が深く絡み合う両国において、関係づくりが大きく出遅れている分野とされる。

最近はさらに、南シナ海、東シナ海の支配権を主張し、 「海洋強国化」を計る中国と、国家としての関心を再び太平洋にシフトしている米国とが互いに警戒心を募らせている。

会談後、房氏は、「太平洋は両国を収容するに十分な広さを持っている」と述べたという。

ニューヨーク・タイムズ紙はこの一見「鷹揚な」発言に、 「アメリカ一国による支配が永遠には続かないことの示唆」を聞き取っている。


ということで、きょうびこのご時世に、一歩間違えば大変な方向に行きかねない重大な誤報であろう。

NHKはどうフォローしているのだろうか。

マツダ争議団のホームページで次の記事を見つけた。

かなり分かりやすいので紹介しておく。記事そのものは、2013年4月7日付 山口民報よりの転載である。(山口民報は共産党山口県委員会の発行する新聞。中国盲従分子との闘いで懐かしさを感じる新聞だ)

マツダ派遣切り訴訟 山口地裁勝利判決の意義と今後の課題

Q.ずばり、本判決のポイントは?

A.本判決の判断の過程には、2つのポイントがあると思います。

1つは「特段の事情」の判断に関してです。

本判決は、松下PDP事件最高裁判決を前提にしているところに特徴があります。

その上で、

マツダは「常用雇用の代替防止という労働者派遣法の根幹を否定する施策を実施していた」

「形式的には労働者派遣の体裁を整えているが、実質はもはや労働者派遣と評価することはできない」

などとして、「特段の事情」があると判断しています。

私たちの主張していた「常用代替の防止」や「派遣労働者の保護」という労働者派遣法の趣旨・目的を、裁判所が正しく理解した上で判断していることがポイントです。

 もう1つは、(以下略)。

Q.本判決が踏み込んだ結論を出した実質的な理由はどこにあったのでしょうか。

A.そもそも弁護団の考えでは、「特段の事情」がなくとも「黙示の労働契約」が認められるが、やはり「特段の事情」が認められた方が認められやすいという判断です。

本判決は、「特段の事情」があると判断する過程で、

「労働者派遣法には罰則規定の適用がなく、…現実にサポート社員を経験した派遣労働者を保護することができない」

「組織的かつ大々的な違法状態の創出に積極的に関与した被告の責任を、事実上不問に付すことになる」

などと判示しています。


最高裁判決の「呪縛」を打ち破るもの

最高裁判決は、「違法派遣も派遣である」と判示しました。(これについては、私の前項を参照されたい)

しかし、平成24年改正前の労働者派遣法には、労働者を直接に救済する規定はありませんでした。

これに囚われていては違法派遣の犠 牲者を救済することは出来ません。

本判決が踏み込んだ結論を出した実質的な理由は、少なくとも平成24年改正前の労働者派遣法では、「違法派遣も派遣」という 最高裁判決の呪縛を解かない限り労働者を保護できない、という価値判断があったと考えられます。(以下略)


ようやくスッキリした。1週間ぶりの便秘解消、「話が見えてきた」。


「特段の事情」の中身は弁護団の提起したものらしい。

2011年9月22日の「赤旗」にに次のような記事が載った(仁比聡平さんのブログより転載)

マツダがクーリング期間悪用 「特段の事情」に該当

原告代理人の大賀一慶弁護士が、黙示の労働契約義務の「特段の事情」について陳述し、…
①派遺期間の制限が定められた労働者派遣法40条の2に反している
②大規模かつ組織的にサポート化が実施されている
③原告が過酷な生活を強いられている―この3点でマツダのクーリング期間の悪用が「特段の事情」に該当すると説明しました。


つまり、労働者派遣法に違反していること、大規模かつ組織的であること、労働者にきわめて深刻な不具合を生じていること、をもって「特段の事情」の規定としようという提起である。

判決を見る限り、この論理が大筋で認められているようだ。

24日付で共産党が「景気回復案」を発表した。
かなりの分量の論文だが、まずアベノミクスの5つの問題点を指摘し、「5本の毒矢」と非難している。
そしてこれに対応する形で4つの柱から成るプランを提起している。

これまでの議論の集大成という性格もあり、かなりの部分が既出に属するが、この内の「第4の柱: 内需主導の健全な成長をもたらす産業政策」という部分が新しい問題を提起している。

アベノミクスというのは頭の先から足の爪先まで、とんでもない計画だが、とくに三本目の矢が完全に逆向きだ。
ジャブジャブの金融緩和をやって、インフレを起こして、一方で大規模な財政出動をやる。それ自体が大変な博打だ。
そうやって景気を浮揚させた所で、成長戦略を発動するのだが、この成長戦略というのが実体としては労働規制の緩和というのだから、開いた口が塞がらないのである。
矢の向きが逆でしょ? 安倍さん。やるべきは雇用の流動化ではなく、安定化でしょう。

不完全雇用者というのは事実上は半失業者なんです。だから国民所得が下がっているじゃありませんか、非正規が増えたから社会保障の掛け金が入らなくなって、保険も年金も持たなくなっているじゃありませんか。

ということで、それでは「真の成長戦略」というのはいかに立てたら良いのか、その見本を共産党が示すことになった。

「第4の柱 内需主導の健全な成長をもたらす産業政策」
全体は5つのポイントから構成されている。「産業政策、5項目の提案」とも呼ぶべきものである

A.働く人間を大切にして、ものづくりと産業の力を伸ばす。

①コスト削減競争の停止: 人件費の削減と下請け叩きによるコスト削減は明らかに行き過ぎだ。産業の成長力を傷つけてしまった。これをやめる。
②働く人間の使い捨てをやめる: 労働者の使い捨ては、人的資源の浪費である。現場から人材が消えてしまう。大事に育て使って行くべきだ。
③規制緩和政策の停止: 上記を合法化し、可能にしたのは政治の力であり、規制緩和政策のためだ。ルールあるフェアーな社会を再建する。

B 「選択と集中」から転換し、中小企業全体を視野に入れた振興・支援策

①大企業偏重の産業政策の停止: この間、日本の産業を破壊してきたのは大企業だ。大企業に対する過度の保護をやめる。
②下請け叩きを規制する: 下請けいじめは産業の裾野を破壊し、空洞化をもたらした。ルールある商慣行の再建。
③中小企業への「選択と集中」政策を停止: 中小企業全体を視野におく技術力の集積。振興策と適切な規制を“車の両輪”とする政策。

C 自然エネルギーの開発と本格的普及



D 基礎研究を重視し、科学技術、学問研究の基盤を強化する

①大学や研究機関の予算削減をやめる
②目先の成果に振り回されない研究体制

E 農林漁業を、日本の基幹産業、地域経済の柱として振興する

①農業つぶし政策を停止: 近い将来、必ず食糧危機が到来し、基幹産業にならざるを得なくなる。
②食料安保の推進: 食料自給率50%を目指す戦略。
③農業の持つ環境保全性を重視。
④農業の持つ広い裾野を重視。地域経済活性化の柱として位置づける。

ということで、率直な所まだ荒削りだが、全体的な骨格は見えてくる。

当然ものづくりが基本となるわけで、そこは変わらないのだが、そのための方策としては

一つは人材立国という柱である
一つは中小企業立国という柱である。
一つは研究立国という柱である。
一つは自然資源立国という柱である
そして、農業にももっと積極的な位置づけを与えましょうという柱だ。

この柱の建て方は基本的には正しいと思う。欲を言うと、これらを実現するための金融政策が欲しい。
投機資本を中心とする寄生的、撹乱的な金融ではなく、正義と公正を旨とする金融システムのあり方の追求もふくめれば、「金融立国」(国家的信託ファンド)という柱を立てるくらいの政策課題であろう。それは日米摩擦に関して長期的視点を持つためにも必要である。



それでは、大企業はどうなるんだということになる。

大企業は約半分を海外生産に移転している。主観的にどうであれ、国内から見れば、体の半分は商社化していることになる。
それはそれで自己責任でやっていく問題だろう。商社には商社にふさわしい対応がある。
しかし日本国内においては日本の産業政策と社会ルールに従って、ものづくりに貢献してもらうしかない。大企業も、母国を失いたくなければ、受け入れざるをえないはずだ。
こういう社会合意をつくり上げるのが政府の勤めである。

未だ消化不良だが、これ以上突っ込むのも恐ろしい。とりあえず一度やめておく。

感想として、いくつか述べておきたい。
1.そもそも労働者派遣法が悪法である。と言うより派遣労働そのものが違法性の疑い濃厚な労働形態である。
法の基本精神として派遣労働を拡大する方向が見え見えであり、歯止め条項は申し訳程度にしかかかっていない。
しかし、この法律を使わずに派遣労働者の問題を解決することは不可能であり、司法の側としては最大限これを用いながら、労働者の権利侵害を食い止めるほかない。

2.そもそも労働者派遣法が欠陥法である。派遣労働者の権利(受け入れ先企業の責任もふくめて)が労働者派遣法によってではなく、労働基準法と職業安定法によってしか保護されないのは、法体系として著しく整合性を欠いている。原理的には派遣労働者は労働者派遣法によって保護されなければならないはずである。

3.「特段の事情」の論理構築は、そのための最大の課題となる。今回の判決の“画期性”はそのタスクを果たしたことにある。

4.ただ、その際に2012年に行われた労働者派遣法の改正が大きな力を発揮していることも、見落としてはならないのではないか。赤旗の記事でも弁護団のインタビューでも、この点についてはほとんど触れられていない。
いささか、奇異の念を抱かざるをえない。

労働者派遣法が改正されました|厚生労働省
のページをちょっとかじっただけなので、偉そうなことは言えないが…


松下プラズマディスプレイ社 偽装請負事件

というブログがあって、ここで丹念に裁判をフォローしてくれている。

その08年4月26日の記事(MBSニュース)

原告の吉岡力さん(33)は、人材供給会社であるパスコ社から派遣され、大阪の「松下プラズマディスプレイ」の工場で働いていました。

しかし実態は、松下の社員から直接指示を受ける「派遣」であり、違法な偽装請負でした。

吉岡さんは、会社に直接雇用するよう求めていました。
2005年には偽装請負の実態を告発し、直接雇用(契約雇用)に切り替わりました。

しかし1人だけ隔離された部屋で修理作業をさせられたうえ、半年間の契約が切れると解雇されてしまいました。

吉岡さんは不当解雇だとして、裁判を起こします。
一審は吉岡さんの訴えを退けました。

大阪高等裁判所の若林諒裁判長は、吉岡さんの訴えを全面的に認める判決を言い渡しました。

判決の骨子は

①松下とパスコ社との契約は「吉岡さんを労働者として供給する」ものであり、違法かつ無効。

②「実際の働かせ方などから」して、松下と吉岡さんとの間には当初から直接の雇用契約が成立していた。

③したがって松下には雇用責任が存する。

というものだ。

大阪高裁は、「告発の報復のために配置転換を命じた」と指摘しました。また、「解雇権も濫用している」としみとめました。
そして直接雇用による職場への復帰を命じました。(この項は朝日放送)

ここまではきわめてわかりやすい。

これが、最高裁でひっくり返されるのだが、どういう理屈で逆転するのかが分からないと、マツダ裁判が見えてこない。

同じブログの2010年01月01日付け

最高裁第2小法廷は、大阪高裁原判決を破棄し、松下PDPと吉岡力との雇用契約関係を認めなかった。ただし人権侵害行為と雇止めについて認め、慰謝料支払いを命じた。

文章は明らかに即座の判断を避け、逃げたものとなっている。だからわかりにくい。だからといって、松下側に立った“階級的”判決というわけではない。

例えば、最高裁は復職後の嫌がらせと雇い止めについて不法と認めている。

また、労働者派遣法が派遣会社と派遣先の契約を律する法規であることを強調し、①労働者派遣法が取締法規という性質を有すること、②しかしながら、他方では労働者を保護する必要性があること、を上げている。

最高裁判決を平ったく言うと

「内容的に言えばかなりやばいけど、片方には正式の雇用契約があって、松下とのあいだにはないのだから、契約が優先するのは当たり前であって、それをひっくり返すのには、それなりの根拠が必要でしょう」ということになるのではないか。

成文化された契約は二種類あって、企業間の契約と派遣会社対労働者の契約だ。大阪高裁判決は、企業間の契約に不正が存在すれば、もう一つの契約は自動的に無効となる。したがって松下と労働者のあいだの「黙示の契約」が有効となるというものだ。

最高裁は、この“自動性”を否定している。「企業間の契約が違法であっても、即、労働者との契約が無効とは限らないでしょう」、ということになる。

我々からみれば、“自動”であってもおかしくはないのだが、「やはり契約というのはそれなりの重みはあるのだ」ということだと思う。

この辺は同じ法律家同士の阿吽の呼吸みたいなものもあるのではないか。「もう一回論理を組み立てて出直して来い」ということも考えられなくはない。

もう一つは、この労働者派遣法が本来、労働者保護よりもっと前の段階、違法派遣を規制するための法律であって、もし違法があった場合に労働者をどう保護するかということは、あまり念頭に置かれていないということである。

これは法律そのものの限界とかかわる問題だ。

最高裁判決の問題点

最高裁は、松下=パスコの契約は労働者派遣法に対して明確に違法と判断した。それは2つの理由からである。

①製造業務への労働者の供給であるということ(ただしこれは、その後の法律の改正で合法化されてしまった)

②派遣の期間制限に違反していること

ただし、その違法契約によって労働者が保護を必要とされる場合、それは労働者派遣法ではなく職業安定法により規定されるということになるようだ。これは明らかに変な話で、派遣労働者が違法派遣で苦しんでいても、それを規制すべきすべき労働者派遣法に労働者保護の規定がないということになる。

最高裁はパスコ社対労働者の契約は、職業安定法に定める「労働者供給」には当たらないと判断した。(よく分からないが、きっと職業安定法というのは口入れ稼業とかタコ部屋労働の類の禁止をうたったものではないか)

であるからして、特段の事情のない限り、供給元・パスコと労働者との間の「雇用契約は有効に存在」すると判断したのである。これで黙示の雇用関係は無意味となる。

民主法律家協会の立場

民主法律家協会は、以下のごとく厳しく最高裁判決を批判している。

本判決は、派遣先・派遣元がどれだけの違法・無法を行っても、それは違法派遣として行政が取締まるかどうかの問題に過ぎないとした。

裁判所は、違法行為者の責任を追及もしないし、その違法行為によって不安定で劣悪な実態に晒される労働者を救済もしないというに等しい。

まことにもって正論である.

この他にも、民法協の声明は汲むべき示唆が多く、非常に勉強になる。とくに「黙示の労働契約論については、事例判断に過ぎないのであるから、今後も大いに主張されるべき」というあたりは、さすがという感じだ。

ただ、裁判の現場で会社側弁護人が形式論理でグイグイ押してきたら、それに打ち勝つだけの論理や心証を持ち得なかったというのが、ありていの所ではないだろうか。そんな気がしてならない。とにかく依拠すべき法律が根本的な弱点を抱えているのだから…

民法協の言葉を借りれば「言うに等しい」というのは、「同じだ」という意味ではない。「結論として同じ意味になってしまうではないか」という意味である。

確かに結論としてはそうなのだが、“違法行為者の責任の追及”と“労働者の救済”を否定しているわけではないということも見て置かなければならない。

そこで出てきたのが「特段の事情」というかぶせ方である。つまり特段の事情という「プラス・アルファの論理」を、企業間契約の違法性の上に乗っければ、「職業安定法など持ち出さずに派遣労働法1本でやれちゃうんじゃないですか」という示唆だ。

そうなると、最高裁判決は「下級審でその辺りをしっかり根拠付けてもう一度上げてこいよ」という呼びかけにも見て取れる。

とにかく時代遅れの職業安定法でやっっていたんでは間尺に合わないから、労働者派遣法をもう少し膨らませて、「派遣時代」に見合った法的整合性を形成しなければならない。

と言いつつも、「相手は企業弁護士だ。相当気合を入れないと勝てないよ」と釘を差すことも忘れない。マツダ裁判の弁護団長が「完璧だ」と豪語したのはそのへんも関係しているのではないだろうか。

こういう問題意識は感じ取れると思う。

中小企業の月次景況が、厳しいものとなっている。
円安の影響だ。
全国中小企業団体中央会の調査によると、「円安の進展による輸入原材料などの調達コストが上昇し、これを価格転嫁できない厳しい状況」が出現している。
また中小企業金融円滑法が期限切れとなることで、資金繰りの悪化が懸念されるとしている。
調査に寄せられた声として、
「中小企業金融円滑化法の期限切れで銀行への支払いが厳しくなった」、「重油代パルプ代など原材料の高騰が経営を圧迫し、見通しがたたなくなっている」
「輸入食肉が高騰、食用油やパン粉、包装資材も値上げ基調となっている」
等が挙げられている。
円安は盾の両面を持っている。円高・円安どっちに振れても、そのつけは弱者に回されることになる。

マツダ「派遣切り」裁判

山口地裁判決の意義

というのが今日から始まった。「国民運動」面トップの記事で紙面の1/4を使う大々的な扱いで、しかも連載らしい。

実は3月19日から23日にかけて私も三度ほど記事を書いた。そのなかで「やっぱりよくわからない」と繰り返した。その声が届いたのか、届かなかったのか、今度は内山弁護団長自らが解説をしてくれている。聞き手はあの酒井記者だ。

何故、画期的なのか

これはパナソニックPDPの大阪高裁判決、同じく最高裁判決、そしてこのたびの山口地裁判決と三つのセットで考えなければならない。

この三つで考えれば、画期的なのは大阪高裁判決であり、それが最高裁判決で押し戻されて、今回ふたたび前進的な判決に至ったという経過である。

だから山口地裁判決が画期的というからには、何か大阪高裁判決の“画期性”を上回るような“画期性”があったと見なければならない。これが素人の考えである。

それが何なのかが、やっぱりよく分からない。大きな流れの中で“画期性”を言うなら、大阪高裁判決とセットでの画期性ということになるのではないか。それとも、もっとショートレンジの話で、最高裁で逆転敗訴されたあとの、さまざまな判決の中で画期的ということかもしれない。

現に本日の記事のメイン見出しは「派遣先の雇用責任認める」になっているが、これを「黙示の労働契約」という論理で打ち出したのは、大阪高裁のPDP判決である。

黙示の労働契約の論理そのものは、最高裁判決でも否定されていないはずだ。最高裁は黙示の労働契約を否定はせず(肯定もしていないが)、ただそこに至るハードルを嵩上げ(特段の事情)しただけである。

ということで、かなり期待して記事を読んだのだが、さらに混迷を深める結果となった。
悪いがこの記事は読まないほうがいい。もつれがひどくなる。
自分で調べたほうがいい。
「判決文そのものに目を通せ」とすすめているから、そうしてみようか。

琉球新報がスッと胸に落ちる

琉球新報の4月19日付社説が良い。スッと胸に落ちる。

政府主催とはいえ、世論が分かれる式典に出席を求めたことは大いに疑問

というのが主張だ。

まず、昭和天皇のメッセージを紹介する。「米軍による沖縄の長期占領を望む」という占領軍あてのメッセージだ。天皇自らの意志がどのくらい関わっているかは抜きにして、これがあまりにむごい「裏切り」であることは、誰にでもわかる。

沖縄県民にとって「屈辱の日」とされるのもむべなるかな、である。

つぎに、昭和天皇と今上天皇を分けて考えている。

1 今の天皇陛下は「政治的な関与をされているとは思わない。非常にいい形で、象徴としての役割をされている」…との見方は、国民の多くもうなずける。

2 ことしの「歌会始の儀」でも万座毛、恩納岳を詠んだ。沖縄に意を用いていることは過去の会見からもうかがえる。

3 70歳の会見で天皇陛下は「沖縄の歴史をひもとくことは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした」「沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければと努めてきた」と振り返った。

4 昨年12月の会見でも「沖縄はいろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないかと思っています」と述べている。

と、これでもか、これでもかと実証を積み上げていく。

そして、

沖縄の「苦労」に理解を示す天皇陛下に、沖縄が反発する「主権回復の日」式典への出席を求めるのは、天皇陛下自身の意にも反するのではないか。

と、殺し文句。

見事に決まった背負投げという感じだ。ただ、昭和天皇悪い人、今上天皇良い人と截然と分ける論法は、沖縄の人の心なのだろうか? という思いは残る。


東京新聞「こちら特報部」4月5日でも、ほぼ同様の内容が更に詳しく記載されている。(かなり読みでがあるので直接あたってください。元記事はすでに消失していますが、こちらに転載されています)

「沖縄タイムス」も同じ論調だ。「北海道新聞」は千島列島が放棄されたことも、指摘している。


志位さんが声明を発表後、記者団の質問に答えて注目すべき発言を行なっている。
安倍政権にとって、ビビるような中身だ。

A.「国事行為」はすべて内閣の助言と承認によって行われるので、天皇はこれを拒否することはできません。

B.いっぽう、国民の間で明確に意見がわかれるような場合は、「国事行為」とはみなされないし、天皇の出席を求めることも認められません。

ということで、天皇の出席を二つの条件のもとで可能と考えるのである。
すなわちひとつは、国事行為、あるいはそれに準じる国民の一致して支持しうる公的行為。
そしてもうひとつの条件は、内閣が承認し、その助言のもとに行われる行為ということである。

この二つの条件が満たされない場合(今回の場合、国事行為としての要件を客観的には満たしていない可能性が高い)
こういう場合、天皇側としてはどういう立場をとるべきだろうか。というのが問題の一つ。

もう一つは、その応用問題となるのだが、どういう立場をとることが可能なのかという問題である。

2.26事件のように、「速やかに各所属部隊の隷下に復帰せしむべし」の奉勅はさすがに出せるものではないが、反乱軍に担がれるようなマネはしなくても済むはずだ。

ちょっと難しいが、志位さんの発言をそのまま引用する。

仮に天皇の側が、「式典に参加しない」という判断をした場合には、
1 憲法第4条の「国政に関する権能を有しない」、
2 憲法第1条の「国民主権にもとづく「国民統合の象徴」、
3 憲法99条に規定されている天皇の憲法遵守義務
にかなった判断として、当然の判断ということになります。


つまり、欠席することも(例えば体調不良を理由に)、あるは公然と出席を拒否することも憲法上可能であり、根拠がある、ということだ。

難しいのは、出席しないということも、それ自体が国政に係る判断だということである。「国事」ではないという判断が前提になるからである。

しかし、いかなる国事行為も常にそうなのだ。原理的にはそのつど、判断がなされていることになる。積み重ねが国事行為の枠組みを決めていく。
そしてその判断の積み重ねが「国民統合の象徴」としての天皇の権威を強めることになる。

以前、小沢一郎筋から習近平(当時副主席)との会談を強要されたことがあった。あの時は「天皇の政治利用だ」と自民党が猛反対した。今回の出席問題もその重要なスポットとなるだろう。

それにしても、このような党利党略がらみの問題で陛下にご迷惑をお掛けするのは、臣民として不徳の極みではないだろうか。
むかし議会で陛下に尻を見せてはいけないと、後ずさりで会談を降りるのだが、何分にも高齢の故、それができなかった参院議長が、それを理由に辞職した話があった。この伝でいけば、安倍首相は二度目の辞任を考えるべきだろう。

「主権回復の日」式典が天皇の出席をめぐり大変な問題になっている。

一つは、「天皇も出席するのだから」といって各県知事に列席を促しているようだ。
岩手県知事は、式典そのものに色々な思いはあるのだが、天皇陛下が出席される式典を、欠席するわけには行かないと言っている。たしかに保守は知事としてはもっともなことだ。
しかし、それにもかかわらず、全国の知事の半数以上が欠席ないし代理出席の意向を表明している。
これは大変な驚きだ。「そんなことしちゃっていいのか?」とオールド左翼としては老婆心ながら心配である。


もちろん内閣が決めたら、天皇は従うほかない。それが「現在」の憲法である。
しかし、これまでの言動から見て平成天皇がこれに賛同しているとは思えない。何よりも4月28日を「屈辱の日」とする沖縄の県民の意思は重いのである。

昭和天皇は、終戦の可能性も生じていた昭和20年はじめ、みずからの意志で沖縄決戦を決断した。終戦に至る過程と天皇の関与についてはまだ結論が定まったとはいえないところもあるが、沖縄開戦に天皇が大きな影響を与えたことは確実である。
これは昭和天皇にとっても、今生天皇にとってもトラウマとなっていることは間違いない。少なくとも「祝おう」という気分にはなれないだろう。

4月28日はサンフランシスコ条約の調印日でもあるが、沖縄決戦が熾烈化し、鉄の雨が降理注いだ時期でもある。我々の学生時代は「4.28」は沖縄デーだった。

沖縄県は48分の1ではない。ただ一つ、「醜の御楯」となり、日本を代表して苦難の道を歩んできた県である。

沖縄の心を無視し、あまつさえ「大御心」を慮ることなく、党派的野心で突っ走るのなら、それは昔の軍部と同じではないか。


自民党のゴリ押しにもかかわらず、多くの県知事が事実上のボイコットを決意するには、やはり、過ぐる大戦における「義」に背くことはできないという引っ掛かりがあるのではないだろうか。

それは安倍内閣の若造どもが、天皇を政治的に利用することへのルサンチマンもあると思う。
日本の伝統的保守層に深い亀裂が入りつつある。これはバリバリの活断層だ。

トービン税・金融取引税に関する年表

トービン税の提唱

1972年 ニクソン・ショックが発生。ブレトンウッズ体制が崩壊し、変動相場制に移行。為替相場に投機資金が参入。各国の経済政策が大混乱に陥る。

1972年 エール大学のジェームズ・トービン、「投機目的の短期的な取引を抑制するために、国際通貨取引に低率の課税をする」ことを提案。「トービン税」と呼ばれるようになる。 

1973年 ブリュッセルで国際銀行間金融通信協会(SWIFT)が設立される。世界各国の金融機関などに通信メッセージ・サービスを提供。このシステムの導入により、為替取引の特定とその課税に必要なすべての要素が技術的に捕捉可能となる。

1978年 トービン、①国際金融システムの不安定化の原因は、為替制度自体ではなく民間金融資本の過剰な流動性にあると強調。②短期の投機的金融取引は実体経済に苦痛を与えるものと非難。③解決策として世界共通通貨を提唱、それまでの次善の策としてトービン税を位置づける。

トービンは税収については特別の配慮はしなかった。税収は「副産物」であって、IMF や世界銀行と徴収した国とで分け合えばいいと考えていた。

(世界通貨=バンコールについては 2011.10.15 バンコールとITO 経済民主主義の復権に向けて を参照されたい)

1984年 スエーデン、株式・債券に課税。金融不安と株価暴落をもたらし、91年に課税を廃止する。課税対象が国内に限定されていたため、多くの金融機関が海外の仲介サービスを利用するなど、制度設計上の問題が指摘される。以後、トービン税は実行不可能として忘れ去られる。

国際連帯税としての復活

1992年 欧州通貨制度(EMS)への投機筋の攻撃。スペインは通貨投機に対抗しその固定為替レートを維持するため,中銀預託金規制を導入。外貨増加分相当額の自国通貨を1年間,中央銀行に無利子で預託させる.多くの迂回取引を生じたことから、効果は限定的だったとされる。

1994年 国連開発計画(UNDP)、人間開発のための財源として、国際為替取引税に注目。0.05%の課税で年間1500億ドルが調達できると主張。初めてトービン税を国際連帯税として位置づける。

1995年 フランクフルト大学のシュパーン(Spahn)、トービン税の問題点を指摘。税率の低下とデリバディブなどへの包括課税を骨子とする修正案を提示。さらに投機的な取引への課徴金をふくめることを主張。これにより数カ国単位でも租税回避をもたらすことなく実施可能と主張する。

1996年 国連のガリ事務総長、国連の財政基盤確立のため国際金融取引やグローバルな通貨取引税を提唱。

1996年 シュパーン、二段階課税方式を提唱。平時には0.1%とし、税収を貧困撲滅のための資金とする.通貨危機時には税率を80%まで引き上げ、取引で利益を上げられないようにするというもの。

1997年 アジア通貨危機に始まる国際通貨不安。為替相場安定策の一つとして、トービン税にふたたび注目が集まる。

1998年 フランスでATTAC(Association for the Taxation of financial Transactions for the Aid of Citizens) が結成される。

1999年 カナダ議会、「国際社会と協力して金融取引に課税すべき」との提案を採択。

1999年 日本で有価証券取引税、取引所税(先物とオプション取引)が廃止される。90年代はじめには8千億の税収となっていた。

2000年

1月 イギリス下院が、政府に金融取引税の検討をうながす決議。

4月 ヨーロッパ議会が、金融取引税導入の「具体的条件」を検討するが、決議案は僅差で否決される。

2001年 フランス議会、「EU域内のすべての加盟国が賛同する」ことを条件に、トービン税の導入を決議。

2001年 イギリスのNGO「欠乏との戦争」(War on Want)、「ロビン・フッド税」を提唱。通貨取引に0.1%の課税をもとめる。

2002年 世界主要銀行のための単一の国際決済機構としてCLS(Continuous Linked Settlement Bank)が設立される。オフショア金融センターもタックスヘイブンも参加せざるをえなくなる。これによりオフショア取引やデリバティブも補足可能となり、金融取引税の技術的困難はほぼ消失。

2004年 ベルギーの国会がトービン税法案を可決。通常時の税は0.02%、異常時は80%とする二段階税率を採用。

2005年 シラク大統領、世界経済フォーラムで演説。国際金融取引をふくむ国際連帯税を提案する。

リーマン・ショックと投機資本への懐疑

2008年

10月 リーマン・ショックが発生。欧州各国銀行が破綻の危機。EU加盟国は金融機関救済のため4.6兆ユーロの支援。この結果政府の公的債務が対GDP比80%以上に達する。また通貨取引以外にもデリバティブなど危険な金融市場が数多く存在していることが明らかになる。

2008年 日本で、国際連帯税の創設を求める超党派の議員連盟が発足。

国際連帯税: 投機抑制を目的とせず、市場活動の障害とならないようきわめて低い税率で課税する方式。通貨取引開発税とも呼ばれる。

2009年 日本で税制改正大綱に「国際連帯税の検討」が盛り込まれる。

2009年

8月 英国金融サービス機構のターナー会長、バブル再燃の懸念があるとし、肥大化した金融セクターの縮小と金融取引税の導入を提唱する。政府は火消しに躍起となる

9月 リーマン・ショック後の経済危機の中、ピッツバーグ・サミットが開催される。「銀行システムの修復のために各国政府が負担を負った。これに対し金融セクターがどう貢献するか」を検討することで合意。

10月 ブラジル、金融取引税を導入。外国人のレアルでの株式・債券投資に2%の取引税を課す。過度の外貨流入を制限することにより、レアル値下がり効果を期待したもの。

11月 イギリスでG20会議が開かれる。「強固で持続可能かつ均衡ある成長のための枠組み」を導入することで合意。ブラウン首相は、「好調時は少数の金融機関が利益を享受し、破綻時の損失は国民が負担するというのは許容できない」と述べ、国際金融機関の破綻に備えるために金融取引課税を提唱。フランスが支持するが、アメリカ、カナダ、ロシア、IMFが反対し流産。

12月 EU首脳会議でもトービン税が話題となる。フランスは途上国の環境問題に当てられるべきとし、イギリスは金融危機に備える基金として積み立てるべきと主張。

2010年

4月 BISが外国為替の取引額を発表(3年に一度)。一日あたりの取引総額は約5兆ドル。ロンドン市場が4割のシェアを占める。トービン税が提唱された頃は年間4兆ドル。

5月 米株式市場でフラッシュ・クラッシュが発生。わずか数分の間にダウ平均が1000ドル近く下落する。高速取引が原因とされる。

高速取引については、12年5月31日「高速取引とは何か?」、「高速取引と株式市場の荒廃」と6月7日「株式市場はいまや賭場」を参照されたい。

6月 トロント・サミット。金融システム修復に関する政府負担を金融セクターが補償する原則で合意。金融取引税についてはIMFの強硬な反対で流産。

10月 欧州委員会、金融セクターへの課税構想を発表する。金融取引税ではなく、金融機関の利益に課税する方式が望ましいとの見解を示す。

①リスクの高い取引を続けた結果、破綻に追い込まれ、公的救済を受けた金融機関に対し、公正な税負担をもとめる。②実体経済に資することのない金融取引へのインセイティブを抑制する。ことを柱とする。

金融取引税の現実化

2011年 

6月 欧州委員会、金融取引税方式に復帰。金融機関による景気回復の費用負担、高リスクで非生産的な金融取引の抑制を目指す。

9月 欧州委員会は加盟27カ国に対し、共通基準での金融取引税導入に向けての準備を指示。14年1月からの実施を目指す。イギリスなどはこの方針に強硬に反対。

EU全体で570億ユーロの税収をめざす。税収の2/3がデリバティブ、そのうち8割が金利スワップなど金利関連デリバティブ取引から見込まれる。同時に域外流出や課税回避によりデリバティブ取引が9割減少すると見込まれる。これによりEU域内GDPは0.5%減少すると試算。

11月 カンヌ・サミットが開催される。ビル・ゲーツ、金融取引税を提唱。株式へ0.1%、債券へ0.02%の課税を求める。英、米、カナダの反対で宣言には盛り込まれず。

2012年

1月 フランスのバロワン経済・財政・産業相が「金融取引税については、株式だけでなく、債券やデリバティブを含むあらゆる証券を対象としたい」との考えを示す。

3月 フランスで、金融取引税の導入をふくむ補正予算が成立。為替取引を対象から外し、株式の取得、国債CDS、高頻度取引に限定。

5月 欧州議会、欧州委員会の提案を採択。

7月 EU財務相会議。EU全27カ国の合意をとることに失敗。「強化された協力」(Enhanced Cooperation) グループ11カ国での見切り発車となる。(ベルギー、ドイツ、エストニア、ギリシャ、スペイン、フランス、イタリア、オーストリア、ポルトガル、スロベニア、スロバキア。 すべてユーロ圏)

8月 フランス、金融取引税制度による課税を開始。企業は株式の現物取引から手を引き、差額決済契約を利用する方法で課税逃れを狙う。

12月 グローバル金融危機以降、米国・日本・欧州連合(EU)の中央銀行が供給した通貨が5兆ドルに達する。

2013年

1.22 ヨーロッパ11か国の蔵相が金融取引税の導入で合意。すべての株、債権取引に0.1%、デリバティブ商品の契約に0.01%課税する。

域外逃避を防ぐために拠点主義をとり、11カ国金融機関と関係した域外国の金融機関も対象となる。(例えば、中国銀行のシンガポール支店が米国の機関にフランス国債を販売すれば、この銀行はフランスに税金を送金しなければならない)

1.30 韓国政府企画財政部の崔鍾球国際経済管理官、「短期海外投機資本を規制するために、できるだけ早く韓国型の金融取引税を導入しなければならない」と述べる。

2.14 欧州委員会、EU加盟国のうち11カ国による金融取引税の導入で合意。

9月末までに各国が法律を整備し、14年1月より実施することとなる。取引税の導入で傘下11カ国で年間300億ユーロ以上の税収を見込む。

2月 

トービン税をめぐる内外の動向 - 国立国会図書館デジタル化資料

を中心に各種資料を参考にして作成。

土日かけて、トービン税についてだいぶ勉強した。

トービン税については

(1)金融危機対策の費用を賄う(国際的な金融機関の破綻に備える)

(2)通貨に対する過剰な投機によって引き起こされる通貨危機を防ぐ

(3)発展途上国などの発展支援の財源を賄う

などの観点から導入が検討されている。

現在の感想としては、いろいろ手垢がついたが、原理としてはオリジナルのトービンの考えが一番すごいということだ。

来年のはじめから実施される11カ国の金融取引税も、迂余曲折の末ではあるが、当初のトービンの発想にかなり近いところがある。

一言でいえば、オリジナルのトービン税は「妖刀村正」だ。これがあるだけで投機資本家は夜も眠れないだろう。トービンは大変な時限爆弾を残していったと思う。ボンバーゲームの爆弾みたいに、時間とともにどんどん大きくなってくる。

それだけに投機資本家からの攻撃も凄まじいものがある。一番多いのは、トービン税をキワモノ扱いして、そんなもの出来っこないよと批判するやり口だ。ところが「出来っこない」と思っていたのが、金融グローバリズムが進行するに従って、妙に現実的可能性を帯びてきた。これが「妖刀村正」たる所以だ。

それに、そもそもトービン自身が決してキワモノではない。おなじノーベル賞受賞者でもスティグリッツなどは結構怪しいところがある。しかしジェームズ・トービンは一点の曇りもない正統派の経済学者だ。ハーバード大学を卒業した後、計量経済学者としてケインズの一般理論を数理的なモデルで構築した。アメリカ経済学会会長も勤めている。「q 理論」は素人にも分かる古典的セオリーだ。ノーベル賞の対象となったのは、いまや投資家のイロハとなっている「ポートフォリオ理論」だ。

だから、誰もトービンをキワモノ扱いはできない。

第二には、トービン税は税という形をとっているが、本質的には税ではなく投機資本の横暴を阻止するためのツールだということだ。だからトービン税を批判するときには、租税体型の中の位置づけとか、実行可能性の問題で批判するだけでは済まないのだ。投機資本の横暴を阻止すべきなのか、放置すべきなのか、もっとやれとけしかけるのか、という信条告白をしないと議論に参加できない仕掛けになっている。でないと切ったつもりが切られているという仕儀に相成る。

第三には、トービン税は世界通貨、ケインズのバンコールに直接つながっているということだ。トービンは究極的には世界通貨の実現=為替制度の廃止以外の解決策がないということを明確にしつつ、そこに至る過程での過渡的制度としてトービン税を位置づけている。投機資本家にとって地獄への道は敷き詰められているのだ。(すみません。ここのところは勉強不足でうまく説明出来ません)

トービン税は長いことお蔵に積まれてきた。ふたたびオリジナルな意味で注目を浴びたのはリーマンショック以来のことだ。それまでは国連の開発機関とかATTACというNGOあたりが「利益の分前を」という形でトービン税の枠組みを利用してきた。しかしトービンにとっては税収をどう使うかなどはどうでも良い問題だった。そんな形で投機資本と共存しようなどとは考えていなかった。

もっとも目に付く形で、思想としてのトービン税をふたたび押し出したのは、皮肉なことに、ロンドン市場のお膝元で、今や反対の急先鋒となっているイギリスの首相ブラウン(当時)だった。

彼は、「好調時は少数の金融機関が利益を享受し、破綻時の損失は国民が負担するというのは許容できない」と、投機的金融機関を糾弾した。そして金融機関のガバナビリティーを問い、その証として、国際金融機関が自己資本を許可するだけでなく、みずからの破綻を防ぐための準備をもとめた。そしてそのための積立財源として金融取引税の実施を提唱した。ブラウンの思想性は一連の各国首脳発言のなかで際立っている。もっと注目されるべきだろうと思う。

もう一つの皮肉は、トービンの提唱から40年を経て飛躍的な発展を遂げた情報化社会が、逆にトービン税の実現可能性を高めたことである。トービンの提唱の1年後、国際銀行間金融通信協会(SWIFT)が設立されて、為替取引のすべてが捕捉可能となった。2002年には常時接続型決済銀行(CLSB)が設立され、オフショア取引やデリバティブも補足可能となった。もはや投機資本は、ボストンの監視カメラの前に立つ爆弾犯人のように、その姿をコンピュータの前に晒さずには活動できなくなっている。トービン税を実施するための技術的障壁は消失した。

いま最後の難関が目前にある。はたして11カ国で「革命」を始められるかという問題だ。80年代にスエーデンは取引税を単独実施し、甚大な被害を被った。はたして11カ国はその轍を踏まないで済むのだろうか。

シュパーンは金融取引税の税制を二段階化することで、一部の国からでも実施可能だと論じている。欧州中央委員会は、拠点主義(取引が発生した所で徴税する)の採用と、すべての高速取引に包括的に網をかぶせることで、11カ国からのスタートは可能と判断している。

実施が予定される来年の1月1日を前に、全世界が固唾を飲んでいる。

結構手厳しい意見があって、どう反論したら良いのか悩んでいる。

意見の骨子

食料安全保障の立場から、関税率を1000%に引き上げて、国内産業を保護育成したとして、それが本当に自給率の向上と呼べるものなのか。
それは「自給幻想」にすぎないのではないか。

国土保全と環境維持(例えば里山とか、棚田とか)のためのコストとして負担を受容するのは良いが、はたしてコスト計算はされているのか。過剰投資はないのか。

栽培作物の見直しは必要だろう。食料安保と国土保全が二本柱だとすれば、それに見合った作物は保護されるべきだ。それ以外のたとえばビートやこんにゃくはそれなりの扱いとなるのではないか。

私の反論

要は既存農業の維持のための理屈でなく、食料安保や国土保全の基本線を明確にし、その中にあらためて農業を位置づけ直すべきではないか。それについては認識は共通していると思う。

率直に言えば、日本農業は高齢化と後継者不足により自壊しつつある。だから本来から言えば、自由化反対というより先に、これからの日本にふさわしい農業再生策を、全国民が支持する形で打ち出さなければいけない。

食料安保と国土保全は基本だが、食の安全確保が農業保護のもう一つの柱だ。これはいくら非関税障壁と言われようと、安全を守るために必要な基準を守るべきだ。かさ上げしてもよいと思う。

かつての公害とその後の対応技術の向上のように、それは日本の「国際競争力」となるはずだ。

真の農業「自由化」とは

真の農業「自由化」とは、市場原理も受け入れつつ、日本農業が自主的に自立することだ。

いま一番問題なのは、農業の自立政策ではなく農業の放棄だということ、それがアメリカの輸入自由化圧力に屈した形で行われようとしていることだ。「自由化」はアメリカにとっての自由化でしかない。

だから、自由化してもアメリカからの輸入が増えるだけというひどく歪んだ形で導入される危険か大きい。これはダメなのではないか。

翻って、アジア諸国との関係を今後緊密にして行きたいと考える発想からは、役割分担も必要になってくるだろうし、国として一定の妥協も必要になるだろうと思う。

そこには住み分けというか共存・共栄の道はあると思う。一つは食文化としてのユニット化や高級食料品への特化であり、ひとつは安全性の押し出しである。

日本農業をめぐる二つの道

農産物自由化については、原理主義的にイエスかノーかを突きつけるべきではない。

対米従属を深めるような自由化か、アジアの諸国に向かって開かれた「共存・共栄の道」かという二つの道の選択として捉えるべきではないだろうか。

そしてその際は、たんなる既存農業の保護ではなく、食料安保、国土保全、食の安全確保という三つのポイントを起点にして、知恵を絞るべきではないだろうか。

以上を前提にした上で、農業保護を「原理主義」と批判する側の「市場開放」至上主義については、きっぱりと拒否したい。


いつもは精神科の先生におまかせなのだが、今回よんどころない事情があり、精神科治療の勉強をするはめになった。

いくつかの文献を読んだのだが、読めば読むほどわからないというのが正直な所。
いわゆるさじ加減というやつで、何十種類もの薬を、認知症のタイプや症状にあわせて使い分けなさいということだ。しかも「この薬にはこういう副作用があるから、注意して使いなさい」とか、親切なのか脅しなのか。

要するに精神科の先生は、素人が手を出すなと言いたいのだろう。
ところが、老年精神医学会のアンケート調査を見たら、何のことはない、非定型抗精神病薬一本勝負なのだ。

だいたい高尚なお説を垂れる先生は、いうこととやることが大分違う。それは自分の専門領域でも同じだ。
人を見るときは、何を言っているかではなく、何をしているかで見なくてはならない。これが我が家の家訓だ。

ということでアンケート結果を転載する。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/7/8/7803f9e3.jpg

とにかくどんな症状でも、どんなタイプでも、まずは非定型抗精神病薬で行けということだ。(まぁ、パーキンソン合併していたら多少は変わってくるだろうけど)
そうだったらそういえばいいものを、人に教えるときは御大層に勿体つけるんだから。



民主主義の発展

カガメ政権は、経済成長を背景に民主主義的制度を拡充して行きました。99年には国民和解委員会と国民事件委員会が設置され、ツチとフツの和解に向けた制度づくりが前進しました。女性の権利が飛躍的に拡大されました。遺産相続制度が改革され、女性の遺産相続が認められるようになりました。2010年には女性議員が全体の過半数を占めるようになります。これは世界ではじめての経験でした。

03年には大統 領の直接選挙制を柱とする新憲法が制定され、8月の選挙でカガメが大統領に選出されました。政府の規律は高い水準で維持されており、世銀は「世界ガバナンス指標」の汚職対策分野で、ルワンダを中・東部アフリカでトップと評価しています。

社会開発も大きく前進しました。初等教育就学率は95%に達し、修了率も55%に伸びています。予防接種率は98%と、サブサハラ・アフリカで最高水準に達しています。

フランスとの確執

06年11月、フランスの裁判所は、ハバリャマナ元大統領らの殺害容疑でカガメ大統領に対する逮捕状を発行しました。これは世界の世論を憤激させました。逮捕したいのはフランス政府でしょう。ルワンダ政府はフランスと断交しただけでなく、これまで対外関係から配慮していたフランスへの積年の恨みを爆発させます。

ルアンダ政府の調査委員会、①フランス政府はジェノサイドの準備が行われていたのを察知していた、②フツ民兵組織の訓練を行ってジェノサイドに加担した、③フランス軍の兵士自身も暗殺に直接関与した、と非難する長文のレポートを発表しました。ルワンダを断罪するはずが、今やフランスが被告席に立たされる羽目になりました。

2010年2月にはサルコジ大統領がルワンダを訪問しました。彼は前政権への支持について「大きな判断の誤りがあった」ことを認めることになリました。

ルワンダ、最近の動向

いい数字もあれば悪い数字もあります。ただ全体としてすごい前向きなのは、大使館のホームページを見れば一目瞭然です。いろんな国の大使館のホームページを見ましたが、これだけ日本語で充実したページを作っているのはルワンダしかありません。

その大使館のホームページによれば、2012年はGDP8.6パーセントの成長を記録し64億ドルとなりました。ただし、輸入は輸出額の3倍となっており、経済の脆弱性は依然克服されたとはいえません。国家歳入の約5割が外国からの援助資金によって占められ、累積債務は10億ドル近くに達するなど、援助なしでは立ち行かない状況は続いています。

 

 

国際援助による経済の回復

私はよく知らないのですが、お茶も紅茶も原料は同じで、そのまま蒸せば緑茶になり、発酵させると紅茶(Black Tea)になるようです。放っとけば実がなるコーヒーに比べると、お茶は茶畑作りから始まって加工まで結構手間がかかるようで、ある程度の資本がないと経営できないようです。コーヒーは中小零細のフツ人が携わっていて、内戦前の4割程度まで減少してしまったのですが、それに代わって茶の大規模農園が発達しました。(ただしコーヒーも、高級豆生産の戦略が奏効し、10年にはふたたび最大輸出品目となっています)

98年は、経済回復が軌道に乗った年となりました。国際社会は大量虐殺を許した後ろめたさもあったのか、積極的な援助を行いました。3月にはクリントン大統領がルワンダを訪問。「ルワンダに対し適切な対応を行わなかった」と謝罪しています。

IMFは90年に続いて二度目の構造調整プログラムを組みますが、前回の破壊的プログラムに比べれば、はるかに成長重視型の姿勢をとるようになりました。とくに農村部の過剰人口を都市で吸収するための意欲的プログラムが組み込まれるようになりました。

これらが円滑に進行したのは亡命していたツチ系の知識人が帰国し、受け皿となったことが大いに力を発揮したためです。政府も彼らを歓迎しその力に依拠しました。こうして98年のGDP成長率は13%を記録し、内戦前の水準にまで回復しました。

治安の回復と経済再建の進行を見た人々は大挙して帰国するようになります。内戦時代に海外へ脱出したツチ族200万人近くが戻りました。その後も経済成長は7%前後を維持、09年には重債務貧困国の枠組みから脱出するに至ります。こうしてルワンダは「アフリカの奇跡」とまで呼ばれるようになります。

国内復興の開始

白を黒と言いくるめるような国際キャンペーンにもかかわらず、ゆっくりと、しかし着実にルワンダの復興は進んでいきます。ルワンダ政府は報復やリンチを禁止し、難民に帰還を呼びかけます。その一方で国際機関に対しジェノサイドの告発を行います。国連安全保障理事会は、ルワンダ新政府の要請を受けて、ジェノサイドや非人道行為を行った者を訴追・処罰するためのルワンダ国際戦犯法廷を設置しました。

大きく情勢が切り替わったのは96年のことです。3月にはUNAMIRが解散し、ルワンダ新政権に復興の課題が全面的に委ねられるようになりました。緊急人道支援から復興開発援助への切り替えが始まりました。

10月にはコンゴ内戦が始まりました。国際支援で食いつないでいた難民キャンプ=フツ過激派基地は、ルワンダ軍、ブルンジ軍、およびコンゴ反政府軍の攻撃対象となりました。同じ時期、タンザニアに逃れていた難民にも退去命令が出されました。これに呼応して、ルワンダ政権も戦争犯罪者であるかいなかの判断を保留して、難民の帰還を無制限に認めるようになりました。

これで一気に難民の帰還が加速されることになります。

フランス軍の出動

この頃になってフランス軍が「トルコ石作戦」と称して出動してきます。NAMIRの動員が遅れていた安保理の要請を受けたものでした。フランス軍の行動も不可解なものでした。虐殺を止めるよりも虐殺部隊のコンゴへの脱出を手助けすることに目標を置いているかのようにも見えます。

フランス軍の作った回廊を抜けて多くのフツ人が国外に逃れます。彼らはコンゴ領内のゴマに巨大難民キャンプを形成します。5千名に達したUNAMIRも、主として難民キャンプの治安維持を担うようになります。

国際ニュースにはあたかもRPFが虐殺を行い、それを逃れた人々がゴマに集まっているかのように報道されました。「国境なき医師団」が活躍し、国際支援の多くがルワンダ国内ではなくゴマの虐殺者集団に集中して行きました。

ポル・ポト派のタイ領内キャンプが難民キャンプとして国際支援を受けたカンボジアの事態の再現です。さぞかしRPFは歯ぎしりしていたことでしょう。

ルワンダ愛国戦線の全国制覇

4月7日、事態の容易ならざることを知ったRPFは、全軍に対してキガリへの進軍を命じました。すでに軍としての統制もモラルも失っていた政府軍は、RPFの前に崩壊していきます。7月4日には首都キガリがRPFの手に落ちます。そして16日には政府軍の最終拠点であったルヘンゲリが陥落。18日にはPRFカガメ司令官が戦争終結を宣言するに至ります。

ここまでに総人口約730万人中、100万人が殺害されました。さらに25万人から50万人の成人女性や少女が強姦されました。周辺国には約210万人が流出しました。国内では貧困層の比率が78%に達しました。

7月19日、新政府の樹立が宣言され、フツ穏健派のビジムングが大統領に就任します。カガメは副大統領兼国防相のポストに就きました。新政府はただちに出身部族を示す身分証明書を廃止しました。

政府軍と民兵はタンザニア方面とコンゴ方面に逃亡していきます。

国連の不思議な対応

大量虐殺に対する国連の対応はぶれまくりました。ぶれた理由を一概に非難はできません。とにかくそういう時代だったんだというほかないのかもしれません。何が正しくて何が間違っているのかを誰も言えない時代ではありました。

とくにソマリアでのアメリカ特殊部隊隊員の虐殺と、それに続くクリントンのソマリア撤退命令は、「世界の正義を誰が守るのか」という疑問を抱かせるものでした。

ベルギーは隊員10名の虐殺を受け国連軍からの撤退を決めました。安保理はベルギー軍の撤退を受け、軍事要員を270名に縮小しました。一番増強しなければならないときに撤退命令を出したのですから、現場は大混乱します。ある意味でそれが100万人大虐殺を招いた最大の原因とも言えます。

5月に入ると現地の状況が大変なことになっていることが分かってきました。安保理はUNAMIRを再増員することを決め、各国に計5,500名の軍事要員派遣を求めましたが、時すでに遅しです。もう殺されるべき人の殆どは殺されていました。

大虐殺作戦のあらまし

すでに3月から大虐殺事件が始まっていたにせよ、そのピークは4月6日の事件以後のことです。

4月5日、タンザニアで東アフリカ各国首脳の会談が行われました。会議を終えたルワンダの大統領は政府専用機でルワンダに戻りました。飛行機が着陸しようと高度を下げた時、突然地対空ミサイルが発射され、飛行機は撃墜されました。大統領は即死しました。あらゆる状況から見て、フツ人過激派組織による犯行であることは疑いの余地がありません。

過激派の放送局は、「ベルギーの平和維持軍が撃墜した」とのキャンペーンを開始しました。そして翌日には首相も殺害します。この時、首相の警護にあたっていた国連PKOのベルギー軍部隊の10名も襲われ、拷問の末虐殺されます。

それから先は無政府状態となり、過激派による政敵虐殺が相次ぎました。民兵部隊は大虐殺作戦を一気に展開しました。9日にはギコンド多数の児童が教会に集められ、国連監視団の面前で虐殺されました。15日には東部の町ニャルブイエでツチや穏健派フツ2万人が境界に集められた後、虐殺されました。虐殺にはカトリック教会司祭も関与したといわれます。

こうして政府軍、民兵組織(インテラハムウェ)と暴徒化したフツ民間人が、ツチと穏健派フツに対するジェノサイドを展開。4月だけで少なくとも20万人以上の犠牲者を出しました。国連の平和維持軍本部さえも攻撃の対象となります。

なお、「蒙昧無知な一般の住民がラジオの煽動によってマチェーテやクワなどで隣人のツチを虐殺した」というイメージは不適切です。「国家権力側による非常に周到な準備が行われ、前半6週間に犠牲者の80%が殺害されるという、極めて高い効率で虐殺が行われていることは明らかだ」と、ウィキペディアは主張しています。

大虐殺への序曲

フツ人の憎悪に火をつけたのはまたしてもブルンディでした。93年にツチ人の軍部が民族和解を打ち出し、フツ人を首班とする政権が誕生しました。しかし93年10月、その政府を軍内強硬派がぶち壊し、ふたたびツチ人支配体制を復活させたのです。

これに抗議するフツ人との間で凄惨な殺し合いが始まりました。約3万人のツチ、約2万人のフツが殺されました。30万人のフツが国境を越え、ルワンダへ逃げ出しました。逃げ出しただけならいいのですが、避難先のルワンダで、今度は反ツチ感情を煽る役を果たしたのです。

共和国防衛同盟は彼らを利用し、民兵組織「インテラハムウェ」を作り上げます。民兵の数は3万人に達しました。そして組織的なツチ抹殺のシナリオを実行に移し始めます。

彼らに武器を与えたのはフランスとベルギーでした。どのくらいそれぞれの政府の中枢部が事態を理解していたかは定かではありません。しかし4000万トンの小火器がベルギー経由でポーランドからルワンダへ流れ込んだこと、それを止めようとする動きがなかったことは間違いないようです。彼らはRPFをアメリカの尖兵と考えていました。そしてアメリカに対抗して旧植民地の既得権益を守ることを最優先に考えていました。

CIAはそれらのすべてを知っていました。そして94年はじめには「最悪のシナリオだと50万人が死ぬ」と予測しています。もちろんクリントン大統領も知っていたはずです。

94年3月、大虐殺作戦が始まりました。キガリ南方のブゲセラでラジオに扇動されたフツ人がツチ数百人を虐殺します。そして大統領殺害事件へとつながっていくのです。

ルワンダ内戦の始まり

80年代に入るとコーヒーの国際価格が暴落しました。従来のコーヒー輸出国に加え、新興国が争ってコーヒー生産に参加したための値崩れです。ネスレなどの多国籍企業はこれを見て徹底的に買い叩きました。「コーヒー飢餓」が世界中で出現し、農民がバタバタと倒れていきました。

ルワンダも例外ではありません。コーヒー栽培というのは零細農民でも気軽に手が出せる商売ですが、逆にダメになった時は悲惨です。当然政治に対する不満も募ります。政府も債務に追い立てられ、内部矛盾も深まります。そこへ持ってきてIMFが厳格な構造調整プログラムを押し付けたので、国内はめちゃくちゃになります。

90年10月、RPFが侵攻作戦を開始しました。ウガンダ国境地帯に橋頭堡を確保しますが、RPF側も後が続かず膠着状態に入ります。事態は最悪です。しかも人口は増え続け、92年には750万人に達しました。人口密度はアフリカで最高となります。

2年後の92年7月、ルワンダ政府とRPFの間で停戦協定が結ばれました。とにかく戦闘をやめないことには国が持たなくなってくたのです。そして翌93年8月にはタンザニアのアルーシャにおいて和平協定が結ばれました。これはRPF部隊の国軍への編入、ツチ人の政治的権利の保証などを織り込んだもので、周辺国や国連が後押しして成立したものでした。

国連はこの和平協定を実現するために安保理決議を採択しました。決議に基づき、国連ルワンダ支援団(UNAMIR)が派遣され、監視に当たることになりました。しかしこの協定はフツ人強硬派の怒りを呼び起こしました。彼らは共和国防衛同盟(CDR)を結成しツチへの憎悪を煽るようになります。

ルワンダ愛国戦線(RPF)の結成

ルワンダを逃れたツチ人が向かったのはウガンダでした。しかしそこでは難民キャンプに押し込められ、自由な活動はできなかったのです。

当時ウガンダを支配していたのは、イディ・アミンという将軍でした。アミンという人物は我々の世代にはちょっと名の通った「奇人・変人」でした。身長193cmの巨漢で、東アフリカのボクシング、ヘビー級チャンピオンという経歴の持ち主。イギリス軍のコックから成り上がり、クーデターで左派政権を打倒した後、国民30万人を虐殺したと言われます。「黒いヒトラー」、「アフリカで最も血にまみれた独裁者」、「人食い大統領」などの異名を頂いています。

79年になるとアミン独裁政権はムセベニの率いる「国民抵抗運動」により打倒されてしまいます。実はこのムセベニの部隊にかなり多くのツチ人が参加していました。ツチなくして勝利はなかったくらいの活躍でした。それは同じ時期に闘われたレバノン内戦でのパレスチナ人の活躍を思い起こさせます。

ポール・カガメもその一人で、彼は物心ついた頃からの難民キャンプ育ちです。ムセベニのウガンダ民族解放軍(UNLA)で頭角を現し、ムセベニの片腕と呼ばれるほどの地位まで上り詰めます。しかし所詮は外人部隊であり、アミン追放後はだんだん厄介者扱いされるようになります。

やはり祖国に帰るほかない、と思い始めるのも当然でしょう。彼らは80年に創設された国家統一ルワンダ人同盟を母体にゲリラ部隊「ルワンダ愛国戦線」 (RPF)を結成します。87年のことです。RPFは装備にあたりアメリカの援助を求めました。これは相当思い切った決断です。ルワンダは旧ベルギー領ですが、実質的な宗主国はフランスです。いっぽう亡命先のウガンダはイギリス領ということで、アメリカとは何の関係もありません。

カガメアメリカにわたり、陸軍指揮幕僚大学で軍事訓練を受けました。そして内戦が始まると、RPF最高司令官として戦闘の指揮をとるようになります。

厄介な隣人ブルンディ

ルワンダとブルンディは双子の兄弟みたいな関係です。同じ国であっても不思議はないほどです。ともにベルギーの支配のもとに少数派のツチ人がフツを抑えつける形で政権を維持していました。同時に独立しましたが、ルワンダにはフツの政権が、ブルンディにはツチの政権が誕生しました。ところがルワンダでフツがツチを抑圧した以上に、ブルンディではツチが暴力的支配を強めました。そこから逃れたフツはルワンダでツチいじめに回りました。

ところがルワンダを追い出されたツチはブルンディには行かずにウガンダやケニヤに亡命しました。ルワンダのツチ人にとってもブルンディは暮らしやすい所ではなかったようです。

ルワンダのフツ人政府にとっても事情は同じです。ブルンディで何か起こるたびに反ツチ的雰囲気が蔓延し、ルワンダの国内事情も悪化します。より融和的な政権は、より強硬な勢力に交代していきます。

73年にクーデターが起こり、カイバンダは放逐され、ハビャリマナが大統領に就任しました。ハビャリマナは反ツチ姿勢を強化し、ツチ人60万人が国外生活を強いられる事になりました。

ルアンダ・ウルンディ王国の時代

第一次世界大戦以前はいいでしょう。

第一次大戦後に宗主国が変わり、統治体制が新たに編成されたことが、94年内戦へと結びつく遠因となっているので、そこだけは押さえておいたほうが良いと思います。

ドイツ領東アフリカは、ウガンダとルワンダ+ブルンディに分割されました。東側のウガンダはケニアと接しているためにイギリス領になりました。西側は「ルアンダ・ウルンディ」国として一括され、コンゴを支配するベルギーの委任統治下に置かれました。

ベルギーはツチ人ムタラ・ルダヒグワ国王(ムワミ)にすえ、王制を敷くことになりました。ルダヒグワムタラ3世を名乗り、ベルギーのカイライとなりました。

ベルギーは国内における直接の目下としてツチを利用し、多数派のフツを支配させたのです。ここで2つの点を押さえておく必要があります。

ツチはエチオピア人やケニアのマサイと同じく鼻筋の通った顔で、フツは団子っ鼻です。しかし2つの人種は長いこと混血しているので程度問題です。より本質的な違いは、フツは定着農耕民で、ツチは遊牧民だということです。そしてツチはフツの社会に後から入り込んできた人々だということです。

もう一つ、2つの種族は長い間に混交して、一つの言語、ひとつの文化を形成しているということです。宗教的にもカトリックが多数を占めるということで相違はありません。これは欧州列強によって人為的に国境が引かれたアフリカ諸国の間では珍しいことであり、むしろ単民族国家と呼ぶべきだろうと思います。

ベルギーはそういう社会に身分制を引き込みました。士農工商のうち士族にツチを、農民にフツをあてたのです。これから話がややこしくなっていくわけです。

すごく単純化すると、会社の会長は外国人、現地会社の社長と役職員はツチ、労働者がフツというわけです。

ルワンダ共和国成立の経過

話は一気に下って1960年、「ゴールデン60’s」というわけでアフリカの植民地が一斉に独立し、民族主義の波がルワンダにも押し寄せてきます。こういう場合、普通はフツ人エリートのなかから反乱するものが現れて、フツ人を糾合しつつ独立闘争に立ち上がるとしたものですが、ルワンダではそうならなかった。カイライといえども我が君主、守らなくてはという意向が強く働いたようです。

しびれを切らせたフツがまず蜂起します。これが60年11月、「万霊節の騒乱」と呼ばれる暴動です。フツの指導者がツチに捕らえられ暴行を受けた、さらには殺されたという噂が広がるにつれ、大騒ぎになりました。フツ人の暴行が始まり、多くのツチ人が殺されました。多くのツチが暴行を恐れて国外に逃避しました。

この暴動には変なところがあります。支配者であるツチがどうして国外逃亡しなければならないのか、そのへんがどうも良く分かりません。例えば隣のブルンジもツチが少数支配していた国ですが、ここではフツ人が1人殺すと、10人殺すという形で支配を維持しました。

もちろんルワンダでも報復はかなり大規模にやられたようですが、それでもツチ人のかなりの数が亡命したという事実は残ります。

もう一つの変なところは、ベルギーがフツ人支持に回ったというところです。ベルギーから派遣された弁務官ロジスト大佐はフツを利するためにさまざまな行動をとったようです。そもそもルワンダ王国の機構はフツ人多数派を支配し制御するためのマシーンであるはずです。それを自ら壊しに回るというのは、どう考えても変です。

これから先は私の想像ですが、王国政府内のツチ人に反植民地主義と独立の動きがあり、その動きを阻止するためにフツ人をけしかけたのではないかという気がして仕方がありません。これは決して突拍子もないアイデアではなく、隣のコンゴでルムンバ政権を打倒するためにベルギー政府がとったさまざまな手練手管を知っているからです。

ところで、コンゴは正確に言うとベルギー領ではありませんでした。ベルギー政府ではなくベルギー王レオポルトと王室の私有財産でした。ベルギー王室はコンゴの最大の株主であり、地主であるに過ぎません。実際の経営はフランスに任されていました。

その後の動きはこうです。

暴動の陰にベルギーがあると見た国王キゲリ5世は、ベルギーに抗議し独立の動きをみせます。この動きを受けたベルギー当局は、クーデターにより王制を打倒します。そして国民投票により共和制を樹立します。つまりフツ族の反乱は当初からベルギーの差し金と見たほうがスッキリ理解出来ます。

事情を知らない西側諸国なら、民衆を弾圧する封建的な王制よりは民主的な共和制のほうが優れていると見るでしょう。それがベルギーのやり口なわけです。そもそも王制を押し付けたのはベルギー王室なんですけどね。

 

というわけで、今や目障りとなったツチを追い出して、フツに政権を与える。どうせフツになんか運営できっこないから、名目だけ独立を与えてもフランスやベルギーの思うままに操れるだろうと踏んだのでした。

割りを食ったツチ人は、多くの人が殺され、あるいは「ディアスポラ」として国外逃亡を余儀なくされました。服部正也さんの「ルワンダ銀行総裁日記」に出てくるグレゴワール・カイバンダ大統領は随分善人に描かれていますが、彼の治世のもとでも多くのツチが迫害されていたことは忘れてはいけないでしょう。

水俣病 最高裁判決の論理 つけたし その②

「特措法」は「公健法」の規定を変容するものではない。

これは「77年基準」の位置づけに係る判断です。

つまり、まず「特措法」、「公健法」、「77年基準」という三つの言葉を憶えなければなりません。憶えさえすれば、あとの話はそれほど難しくありません。

公健法(公害健康被害補償法): これが一番最初にできたらしい。先ほどの“魚を食べた”規定は、この法律によりさだめられている。

77年基準(1977年認定基準): 公健法に基づき水俣病を認定するために国が定めた基準。症状や徴候をな列挙した病態生理学的なクライテリア形式になっている。

特措法(水俣病特別措置法): 一番後にできた法律。水俣病が77年基準により認定されていることを“前提にして”、救済措置を定めている。

この表現は憎々しいくらい官僚的です。最初に公健法で定めた規定を、賛成も反対もせずに、認定基準を“前提”にすることで、みごと骨抜きにしてしまったのです。

この手口は、私も痛感させられました。被爆者医療を長年担当していて、健康管理手当の診断手続きで悩まされるのです。本来被爆者全員に出すべき管理手当を、医者の手で患者切りさせるのです。

「私どもとしても極力お出ししたいのですが、先生のほうが…」などと猫なで声出す役人の姿が目に浮かびます。

これに対して、裁判所は魚を食べたことが一番大事で、それで十分絞り込まれていると主張しています。

「肺に影がないから結核ではない」とか「肝機能が異常でないからアルコール症ではない」などというのは間違いだ、と指摘しているのです。

水俣病 最高裁判決の論理

難しい言葉が並ぶので、つい流してしまいがちだが、最高裁判決の論理立ては憶えておいたほうが良いだろうと思う。

私の感じでは

「公害は狭くとれ、被害者は広くとれ」ということではないかと思う。

言うまでもなく、水俣は現代公害闘争の原点だ。多くの人々が闘いに参加し、初めて企業の壁、政治の壁、司法の壁を打ち破った記念すべき闘いだ。

それは日本の資本主義のあり方にも大きな影響を与えた。産業の発達と市民の福祉との調和がもとめられるようになった。それをバネにして、日本の産業は真の近代化を遂げた。

それが今の日本の産業を支える大きな財産となっている。

一地方都市の問題が日本全体を揺るがせ、歴史を変える闘争となったのは、それが公害というものの典型であったからだ。そこには公害と公害闘争のすべての要素が含まれている。

論理的な積み上げとしては、原因の追及、責任の明確化、被害者の補償という段階を踏むことになるが、運動論としては病気の解明、被害者の救済、被害に対する補償、これらに関わる責任の追求という手立てを踏むことになる。

部外者にとっては、この論理の錯綜が闘争の意義をつかむことを難しくさせている。「モノトリ闘争」のように見られることさえある。

実は「救済・補償」要求は、いまなお、水俣病の原因を追及し、責任を明確にさせる闘いなのだし、むしろそちらこそが主戦場なのだ。

そういう観点から、判決を検討してみよう。

(ずいぶん長い前置きになってるのは、切り口に苦労している証拠です)

①「特措法」は「公健法」の規定を変容するものではない。

のっけから、わからない言葉の連発です。

説明すると長くなりますが、要は水俣病の診断基準は広く取りなさいということです。

②都道府県は認定にあたり“裁量”を以って判断してはならない。

これも持って回った表現ですが、要するに申請を勝手にハネてはいけません。そもそも、そういう権限はありません、ということです。

③申請者が水俣病かどうかは裁判所が個別に判断する

ここが驚きのポイントです。判断の権限を都道府県から召し上げたことになります。

それも原則的に ではなく、個別に というところまで踏み込みました。これで厚労省の策動の余地は奪われました。

④認定基準は手続き迅速化の手段にすぎない

これはいわば、ダメ押し条項とも呼ぶべきもので、認定基準を足切りに用いることを、理念まで遡って否認している。

この理念のところが、最高裁判決の論理の中核となる所で、「そもそも、責任のがれしようというあんたがたの料簡が間違ってるよ」ということだ。

(すみません。仕事の合間を見て書いているので、「である」と「ですます」がごっちゃです。短期記憶障害も来ているようです)

これはかなりのビッグニュースと思うが。
4月2日にドイツ連邦統計庁が発表したものによれば、

12年のドイツの電力輸出は大幅に増加し、11年の4倍に達した。

というもの。

同庁によると12年の輸出は666億KWで、輸入の438KWを差し引いた超過分は228億KW。これは11年の60億KWの約4倍。

事故直後の頃は、みんなが知らないのを良いことに、
欧州が地域ごとに電力を融通しあっていることを隠して、輸入額だけを取り出して、ドイツは電力輸入国だとデマを飛ばしていた人たちもいた。

もちろん、ドイツはまだ原発を使っている。やめることは決めたが、まだやめたわけではない。

しかしこの2年間で8基の原発が止まった。残りの11基もあと10年で稼働を止めるよていだ。つまり原発を減らしても電力生産は減らないどころか増えていることになる。

片岡記者は
①原発を廃止し再生可能エネルギーに切り替える政策の実効性が証明された。
②「原発をやめると電力輸入国になり、他国に電力を依存することになる」という議論の根拠の無さが証明された。
と書いています。
賛成です。ただ②についてはLNGの安定供給に見通しがつかないと、断言には至りません。

サンフランシスコ条約の調印は、さまざまな留保をつけたとしても、日本が占領状態から脱却した日であり、独立を実現した日である。
このことは間違いない。

その限りにおいて、それを祝うことには相応の理由がある。
しかし、恥じることなしにそれを祝うことはできないはずだ。
沖縄県は、国土が戦場になった唯一の県である(硫黄島を除いて)。
非戦闘員10万あまりが戦争によって殺された。

右翼に言わせれば、「日本の勝利を信じて、日本のために犠牲になった人たち」だ。

(南京虐殺と同じように犠牲者数を割引しようと精を出している連中がいる。もしまじめに正確な数を出したいのなら、日本政府に責任ある調査を要求すべきだろう。たんなるケチつけであるなら非礼だ)

それを独立のために「見棄て」た記念日が4月28日だ。
いろいろな事情があったのだろうし、一概に善悪は判断できない。
しかし沖縄を切り捨てたということだけは、繕いようもない紛れも無い歴史的事実だ。はしゃぐようなことではない。

保守派の人のブログに、「国旗国歌推進沖縄県民会議」の恵会長の言葉が載っている。

海軍司令官の大田実少将は、沖縄県民の献身的な協力について、
沖縄県民、斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
と書き残している。
日本兵が県民と和合一体となって戦い抜いたことは間違いない史実だ。
戦死された多くの将兵や県民の犠牲のおかげで、われわれは平和を享受できたのである(引用終わり)

日本の独立は、一心同体を誓った彼女を裏切って、代官様に差し出して得た「独立」である。

その沖縄の人が「屈辱の日」というとき、我々はただ頭を垂れるしかない。誰がそれに反論できるだろうか。

もしその声を無視して「独立できてよかったね」とはしゃぐのなら、「美しい日本の、美しい私たち」は、沖縄県民に三度目の屈辱を与えることになる。


アウトプレースメントについて知りもしないで偉そうに書いたが、もう少し調べておきたい。

最初は業界大手アカデミーコンサルInc.のページから。

アウトプレースメントのプレースメントとは「要員を配置する」「職に任ずる」という意味です。ではアウトプレースメントとは、そうです「配置からはずす」「職を免ずる」ということで、そこから「現職を離れた後の生き方を支援する」という意味に転じたものです。

ということで、言葉の意味は端的によく分かった。

現状に置き換えて説明しますと、入社以来長く企業の成長、日本経済の発展のために寝食を忘れ、人によっては家庭さえも犠牲にしてきた企業人の方々が、リストラという名目のもとにその会社を離れざるを得ない状況に置かれたとき、

その環境の中で、この機会をチャンスと認識し、今後の人生を充実した意欲的で満ち足りた人生を展開することができるように、カウンセリングやコンサルティングによってサポートをすることこそが本来のアウトプレースメントなのです。

ということで、前半は非常によく分かるが、後半がよく分からない。そこで読み進めると、「具体的なプロセス」が箇条書されている。

1.メンタル・カウンセリング
2.自己分析・スキル分析
3.アピールする履歴書と職務経歴書の指導
4.面接トレーニング
5.求職活動のための情報収集
6.企業研究と入社決断のポイント指導
7.各種セミナー、スキル研修の実施

つまり、「たんなる職業紹介ではなく就職指導もしますよ」というのが売り物のようだ。

ページの最後に【アウトプレースメント(再就職支援)事業実績】

というのがあって

 バイエル薬品
 ●日興コーディアル証券
 ●和泉電気
 ●ビクター

と並んでいる。


ちょっと古いが、10年前の富士通総研のレポート

「日本型アウトプレースメント」は定着するか

主任研究員 浜屋 敏/吉田 倫子

という文章があった。

数字については省略する。

欧米型サービスと日本型サービスの違い

アウトプレースメントとは、雇用の継続が困難になった社員に対して、離職に伴うさまざまな問題の解決を支援する民間企業のサービスである。

米国で一般的に行われているサービスはカウンセリング重視であり、再就職先の斡旋まですることはない。

これに対し、「日本型アウトプレースメント」は再就職先の紹介が一般的である。したがって、再就職の実績ばかりが注目され、サービスの内容が疎かになっている場合もある。

アウトプレースメントの位置付けにも、日本と欧米では違いがある。欧米では訴訟回避や福利厚生の一環としての常識とされているが、日本ではまだまだ「リストラ社員の行き着く先」のように認識されていることも否めない。

サービスの価格の面でも大きな違いがある。欧米では3~4ヵ月の短期サービスが$5,000以下で提供されているが、日本では1人当たり1年のサービスで100万円前後である。このためサービスを利用できるのは資金に余裕のある大企業が中心である。

定着のための課題

わが国のアウトプレースメント企業の中には、宣伝と実際のサービス内容とのギャップが大きい企業もあり、社会的な不信感を招きかねない状態になっている。

また、スキルスタンダードが見えて来ず、カウンセラーとしての明確なスタンダードの設置が求められる。

さらに大企業と中小企業のギャップが問題になっている。(というより中小企業では不可能)

ということで、前回書いた「リストラ屋」との批判は、当たらずとも遠からずということだろう。

とにかく大企業の自己都合で生まれた組織であり、その尻を持ち込むようなマネは許せない。「自己責任だァ!」と言いたい。

ハローワークなど公共のシステムの拡充と、再教育の機会の公的保障が大事であって、「リストラ屋」をさらに儲けさせることが目的ではない。

限定正社員制度が出発点とすれば、終点になるのがこの「アウトプレースメント会社」らしい。日本語でいえば民営の職業紹介所だ。
日本人には慎みの感情があって、直接言うと相手を傷つけるようなことは、英語で言ったりして曖昧にする美風がある。

赤旗によると、この会社の実態は「リストラ屋」である。首を切られた人たちの受け皿となって、再就職を支援する会社と称しているが、要するに波風立てないように鎮めることで、リストラのお手伝いをするというのがお仕事だ。

その分の費用は企業が負担するそうで、犠牲者一人につき100万円が相場となっているらしい。

知らなかったが、こういう会社が今すごい勢いで増えているようだ。厚労省統計によると全国で1万8千社。新規求職申込み件数は444万件、手数料収入は総計2200億円だ。赤旗は「すでに巨大産業になりつつあります」と書いているが、まさしくそのとおりだ。

①と②で書いてあることは、この企業が「リストラ屋」に払っている一人100万円の手数料を、国費で払えというものだ。そしてその財源は、雇用助成金を廃止して回せというものだ。

首を切った労働者の死体の後始末を、リストラ屋に押し付けて、それでも香典代位は払っていたものを、それも惜しいから国で払えというのだ。

「ゴミの無料化」じゃあるまいし、ヒデエもんだ。血も涙もないというのは、こういうことだろう。

経済記事も読みにくいが、労働記事はもっとわかりにくい。
そもそも改悪を改良のように描き出そうとするから、どこかに嘘が混じる、それを隠そうとするから難しくなる。もっと言えば、「分からないでくれたほうが良い」というたぐいのものだから、わかりにくいのは当たり前だ。
と言いつつ、赤旗の解説記事を読む。

安倍首相は6月に「成長戦略」を発表する予定だが、その中に雇用制度改革が含まれる。
雇用改革の柱は、
①円滑な労働移動、②人材紹介の民活導入、③正社員の多様化、
である。

①円滑な労働移動: 雇用維持から転職奨励に
②人材紹介の民活導入: 労働保険は失業対策でなく転職支援に
③正社員の多様化: 「限定正社員」制度の導入。

③がどうも味噌で、他は付け足しみたいだ。
限定正社員とは、赤旗によれば、「職種・地域・労働時間を限定した正社員」という意味のようだ。これは「その社員の担う業務や事業所がなくなれば合法的に整理解雇できる」という制度らしい。

この解釈が正しいとすれば、これは普通は「契約社員」と呼ぶものだ。

時と場合によっては臨時社員と呼んだり、地域社員と呼んだりする。昔学校の小遣いさんとか、役所の給仕さんなどは「雇員」と言っていた気がする。

なるほど多様だ! ただし多様なのは呼び方だけで、非正規であることは同じだ。「女中さん」と「お手伝いさん」の違いみたいなものだ。

一方限定のつかない正社員には、これまで懸案になっていた「ホワイトカラー・エグゼンプション」が適応されるという。
無限定正社員は、労働時間規制が外され、さらに残業代もなくなるそうだ。

そうなると、企業は二重に儲かることになる。
正社員の半分が事実上の臨時雇いにできる。残りの半分には残業代を払わなくても良いことになる。

だが、これは結局、企業にとって得する事になるのだろうか。

第一に、愛社精神度というのは死語になる。「愛さなくていいから給料減らして」というのだから、それは覚悟のうえだろう。
第二に、人材育成の継続性を放棄するのだから、人的資源は枯渇する。会社は縮小均衡の局面から抜け出せなくなる。
第三に、そうでなくても低下している国民所得はさらに低下し、消費志向はそれ以上に冷え込む。

そもそも「残業代」というのは、ボーナスと同様、歩合給に近い性格を持ち、労働者を低賃金で使うのにはきわめて有効な手段である。
残業代は実質的には生活給になっているから、これをやめるならその分を固定休に上乗せしなければならなくなる。そうでないと社員のモラルは維持できない。

あまり欲こかないほうがいいんじゃないの、米倉さん。

赤旗の小林記者が現地取材した中国の慰安所記事は出色のものとなった。

まずは慰安所がどんな所かのイメージがはっきりしてきた。
数の問題から行くと、南京市内で40ヶ所以上、上海で150以上と書かれている。
中支の二大都市だとこの位の数ということになるから、中支全体では1千ないし1万と推測される。北支、満州にもおそらく同程度の慰安所が存在したものと推測される。

南京の利済巷慰安所は50人以上の慰安婦を抱えていた。主に朝鮮人女性が連れて来られたという。3階には指示に従わない慰安婦を閉じ込め吊るし上げて殴る小部屋もあった。
上海の「大一サロン」は高級慰安所で、日本人慰安婦が約20人いたという。
http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/6/b/6bc4cbbd.jpg
           上海大一サロン

ただこれらの慰安所がどのくらい実像を反映しているかについては疑問が残る。もっと前線に近い危険な場所では、よりシビアーな状況があったのではないかと思われる。

映画でも、「独立愚連隊」、「人間の条件」、「兵隊やくざ」など私が見た戦争映画にはほとんど必ず慰安所が登場する。安倍首相はいいとこのお坊ちゃんだから、こういう映画は見なかったかもしれない。
それらはいずれも小便臭いチンケなものだった。今回紹介されたような大規模な施設があったということは知らなかった。

そして、上海の中国慰安婦問題研究センターの主任の談話が掲載されている。
これによると、
①慰安婦となることを強制された中国人は20万人。
②この内センターとして100人の証言を取り付けている。また元慰安婦20人を現在援助している。
③100人の証言によると、家事労働とだまされた、兵士として闘い捕らえられた、農村で強制連行された、というものが多い。(“兵士として闘い”というのは、多少誇張があるであろう。通敵者と疑われた場合が多いのではないか)

ということで、正直、20万という数字は浮いている。あまりこの数を独り歩きさせないほうが良い。「南京大虐殺」論争の二の舞になる。

先ほどの慰安所の数で割ると1千ヶ所として200人、1万ヶ所とすれば20人になる。もちろん慰安婦は“消耗”していくわけだから、約10年間の戦争の間に三回転したとすれば、さらにこの数は1/3になる。したがって慰安所の数がもう少し正確になると、慰安婦の数も確度を増すのではないか。

むしろ私には、子供の頃中支帰りの元兵士が、「火付け・強盗やり放題、チャンコロ・クーニャンやり放題」と言っていたほうが、よほど気にかかる。比較するような話ではないのだが…

ルワンダ問題のおさらい

(この文章は15年も前に書いたものです。道AALAの2000年総会で報告した文章の一部です。倉庫の隅に眠っていたのを掘り出しました。その後の15年の動きについてもそのうちフォローしてみたいと思います)

 ルワンダ内戦での死者はツチ族が100万人,人口800万の約半数が国外へ脱出しました.あらたに政権を握ったルワンダ愛国戦線(RPF)は,フツ族の帰順を呼びかけ,ツチ族兵士へ民間人に対する報復を禁じました.96年 にはフツ族民間人を殺害した兵士千名以上が逮捕されています.

 しかし,ツチ族虐殺は旧軍兵士のみがおこなったわけではありません.「民 間人」の多くも「隣人殺し」に参加しています.すでに50万人以上のフツ人が,大虐殺に加担したとして逮捕されています.虐殺にかかわった人間の数は,お そらく百万を下らないでしょう.ほんとうに恐ろしいのは,殺された人の数よりも殺した側の人間の多さです.この集団的狂気は,法や政治の枠をはるかに越えたものです.従って報復と処刑との境界はかなりあいまいなものにならざるを得ません.

 ここでルワンダの歴史を簡単におさらいしておきましょう.ビクトリア湖からタンガニーカ湖にかけての大地溝地帯は,人類発祥の地として知られています.もともと「ピグミー族」として知られるトゥワ人が住んでいましたが,11世紀頃,バンツー系農耕民のフツ人がこの地に入りました.その後15世紀には,ケニアのマサヤ族と類縁のツチ族がこの地に侵入し,王国を形成します.

 1890年,ウガンダに侵入したドイツは,ウガンダ・ルワンダ・ブルンジの三国を併せドイツ領東アフリカとして支配しました.第一次大戦でのドイツの敗北に伴い,ルワンダ・ブルンジはベルギーの委任統治領となります.こうして1961年の独立までに,白人・ツチ族カイライ政権・フツ族民衆という三層構造が形成されていきました.

 独立運動を担ったのはフツ族農民でした.独立と同時にツチ族政権は倒され,フツ族のカイバンダ大統領が選出されました.この際にもフツ族による大量虐殺があり,20万人のツチ族が国外に逃れています.

  余談になりますが,この頃の日本では「アフリカ・ブーム」でした.渥美清の映画でケニアの大草原が紹介されたり,伊谷純一郎氏の「ゴリラとピグミーの森 で」が出版されたりして,当時高校生の私は人類学者にあこがれたものでした.なかでも印象に残ったのが,中公新書で出された「ルワンダ中央銀行総裁日記」で,当時の新興アフリカ諸国の背伸びした急進的な政策に何となくそぐわないものを感じていた私には,すかっとした爽快感を残す名著でした.

  この本のなかで印象的だったのは,ルワンダの民衆の温和さです.カイバンダ大統領もどこの国とも敢えてことを構えず,平和に暮らしたいと考えていました. そしてツチ族が政権を握る隣のブルンジとも仲良くやっていきたいと述べていました.(30年も前の話しなので記憶は定かではありませんが)

 ルワンダが,というよりアフリカ大陸全体が長期の景気後退に入ったのは,70年代からです.この頃から,何もかにも悪くなりました.人々の気持ちも殺伐としてきました.

 72年に隣国ブルンジで,ツチ族政権が15万人のフツ人を虐殺するという事件が起こりました.これに伴いルワンダでも両民族の対立が激化します.そして軍隊がクーデターを起こし,フツ族のハビャリマナ将軍が大統領に就任します.

 ハビャリマナは94年に飛行機事故で死亡するまで,20年余りにわたって独裁を続け,ツチ族への抑圧を強めました.国外に逃れたツチ族はルワ ンダ愛国戦線(FRP)を結成しました。この組織はフツ族の反独裁派も加わりルワンダの反政府勢力を統合したものでした.ルワンダはもともと一つの王国と して統合されており,フツ系であろうとツチ系住民であろうとルワンダ人であったのです.ここは他のアフリカ諸国の内戦とは違うところです.

 愛国戦線は90年からルワンダ領内に進攻して武装闘争を開始しますが,フツ人穏健派も独裁体制を批判し,ハビャリマナと対立するようになります.そして93年には和平が成立し,民主化へ向けて一歩を踏み出そうとしていたのです.

 その時またも,隣のブルンジで,ツチ族によるフツ族への攻撃が始まりました.ルワンダの軍内外の極右派は,これを利用して独裁政権の維持を図りました.

そして大量虐殺

 94年4月,ハビャリマナ大統領を乗せた航空機が撃墜されました.軍部はこれを愛国戦線の仕業とし,ただちに攻撃を開始しました.真相は不明ですが,当時の愛国戦線側にはハビャリマナを殺すことで得するものは何もありませんでした.

 この闘いは,あっけないものでした.戦闘開始後,まもなく政府軍は総崩れに陥り,三ヶ月後には首都を逃げ出します.愛国戦線はなおも軍を追いつめ,国外に放逐してしまいます.

 問題はその後のことです.政府軍とともになんと200万人以上のフツ族が国外に脱出したのです.一体どうしたことかと,世界が注目しました.まもなく,逃げるには逃げるなりの理由があったことがはっきりしてきました.フツ族がツチ族百万人を虐殺していたのです.

 国際対応もおかしなものでした.ルワンダの国家再建に協力し,難民の帰還に努力すべきなのに,ひたすら難民キャンプの惨状ばかりを報道し,そこに援助を集中させたのです.

 カンボジアの時もそうでしたが,国外に亡命した人たちの救援に多くの国際団体が参加しました.援助総額は10億ドルを越えるといいます.しかし,結果としてこの「人道支援」はフツ族の旧軍兵士を力づけ,ふたたび内戦を始める手助けとなったことも間違いありません.

 もし人道支援をおこなうとすれば,難民キャンプよりはルワンダ本国の受け入れ体制強化に重点を置くべきではなかったでしょうか?

 難民キャンプへの援助が,結果として内戦を長引かせ,さらに犠牲者を増やしたのは,かつてのポルポトの教訓が生かされていないと言えます.

ブルンジの内戦

 ルワンダと瓜二つの人口構成で,なぜ別の国になったのかは分かりませんが,フツとツチの対立は,ルワンダよりはるかに強烈で,支配者であるツチの抑圧的姿勢も強烈です.

 62年の独立後わずか4年で、ブルンジは早くも軍事独裁政権に移行しました.72年にはフツ族が反乱を起こし,ツチ人1万人を殺害しました.ツチ族政権は,その報復として10万人虐殺で応えました.

 87年,ようやく民族和解を目指す政権が成立し,この政権の下に初の大統領選挙が行われました.ところが,選挙を実施したツチ族中心の政権が敗れてしまいます.代わりに大統領に就任したのはフツ族のヌダダイエでした.

 これを不服とするツチ族の一派は,ただちにクーデターを敢行.ヌダダイエを処刑してしまいます.その後はおさだまりの内戦です.この内戦でさらに25万人の人が殺されました.

 1996年,軍部はブヨヤをふたたび大統領に指名.和平への道を探ろうとしています.しかしツチ族が政権に固執し,多数派のフツ族を武力により支配する姿勢を続ける限り,真の和平への道は遠いといわざるを得ないでしょう.


最近ではルワンダの大量虐殺の陰で、フランスの果たした役割が明らかになっています。この頃私の感じた疑問がかなり解明されてきています。

今回、フランス軍のマリ侵攻を知ったとき、また第二のルアンダが起きるのではないかと心配しました。

ルワンダの歴史は、以下のページで包括的に述べてあります。

ルワンダ史 大虐殺を乗り越えて  大虐殺を挟んだルワンダの歴史。


この間の出来事を、世界史の流れの中に位置づけてみれば、我々は今大きな変革期の中にあることがわかる。

20世紀は、戦争の世紀だった。前半には二つの大戦があった。後半は冷戦の時代が続いた。人々は熱核戦争の恐怖に怯え続けた。

経済的には資本主義的帝国主義の支配の網の目が世界の隅々まで行き渡った。人々は労働も文化もふくめ、生活のすべてを資本の支配のもとに送らざるを得なくなった。

これが、20年前にアメリカが世界の覇者となり、10年前に西暦2千年という節目を迎えた時点での、人類の大状況だった。

それが今では、みんなが思い始めている。

平和、安全、生活第一、公正、公平、民主主義、資源。これらが人類の共通の価値観なのだと。

これらの価値観の変化は、十数年前にはなかったものだ。どうしてこのような変化が起きたのだろう。

1.原発なき社会への巨大な前進

2年前には夢だった「原発なき」社会が、いま目の前にあって、私たちはそのなかで暮らしている。「核への封印」が第一歩を踏み出した。しかもこの一歩は中途半端に後戻りできない重みを持つ歩みとなっている。

2.国民の福祉と経済成長

「国民の暮らしを豊かにすることなくして、経済成長はありえない」という主張が、国際的にも国内でも共通の認識となりつつある。

80年代、90年代に構造改革の旗振りしていたIMFも、労働問題の解決なしに経済再建はありえないことを認めるようになっている。

そうは言ってもまだまだ一般論レベルにとどまっているが、「国際競争力」を唱え人件費コストの切り下げに狂奔してきた人たちの論理が説得力を失ってきていることは間違いない。

3.投機資本に対する規制の強化

金持ちと投機資本の好きなようにさせておいては経済は駄目になる。しかも実体経済と遊離した投機マネーは、いまやアメリカとドイツ、日本の三大国以外は、単独で打ち勝つことができないほどの力を持っている。

しかも投機に失敗した場合の経済的影響も世界を破滅に追い込むほどに甚大なものとなっている。

これまで投機資本の推進役だったアメリカも、リーマン・ショック後はさすがに自体の深刻さに気づいてきた。

これまで野放図だった投機資本に規制をかけようという動きが広がっている。一つは欧州諸国における金融取引税の導入であり、もうひとつは自己勘定取引をターゲットとするアメリカのボルカー・ルールだ。

さらに連鎖倒産と金融恐慌を防ぐためのBIS規制も強化されているが、今のところ、その実効性には疑問符がつく。


4.富裕税の創設と税金逃れへの追及

金持ちに応分の負担をさせるべきだという声が、世界で主流になりつつある。

アメリカでは、富裕層から「私も応分の負担をしたい」という提案があり、その直後にオキュパイ運動が一気に広がった。オバマは富裕税を全面に押し出して選挙で勝利した。

ヨーロッパでも所得税率の引き上げや、富裕税の創設が検討され始めた。さらに経営者へのボーナス制限が広がっている。

またイギリスでのスターバックスやグーグルの税金逃れをきっかけにして、タックスヘイブンなどの抜け穴に対する規制も模索され始めた。

これらはいずれも端緒的なものだが、弱肉強食の論理を世界のルールとして認める訳にはいかないという国際世論が着実に高まっていることの反映としてみておく必要があるだろう。

5.途上国の経済成長が再開した

20世紀の後半、とくに最後の20年間に途上国はひどい目にあった。

一次産品中心の輸出志向型経済をとった国では、激しい競争の中で国際価格の下落が直撃した。

輸出促進のための設備投資はそのまま債務となり、国民生活を圧迫した。多国籍企業の餌食となった途上国は、今度は国際金融機関の餌食となった。

これが、「失われた10年」であり、「絶望の10年」であった。

今日、多くの途上国は債務奴隷の地位を脱却し、ふたたび成長を始めている。これには一次産品価格の高騰も関連しているが、各国政府の自制的な対応が大きく関与している。

これを反映して当初のG5はG8となり、G20へと拡大した。途上国の発言力は強化されつつある(その全てではないが)。

かつて独裁権力のように振舞ったIMFは、いまやその存続を危ぶまれる程に低迷している。

97年の消費税不況、ビッグバン不況のもとで、企業は一斉に人件費コストの削減に乗り出した。
正規社員を減らして、臨時やパートで穴埋めしながら、安売り競争とシェア確保に狂奔した。
この、「品質ではなく価格で勝負」という路線は短期には必要悪とみなされる可能性もあるが、長期に続けてはならない路線である。
何よりも企業の競争力そのものが弱体化する。

ところが、この「合理化」競争のあいだに企業の精神が変質したようだ。
円高の中で「国際競争力」の維持が、品質の競争力アップではなく、低コスト競争による価格競争力の維持という方向にネジ曲がってしまった。

労働集約型業種の海外移転はやむをえないとしても、研究開発の本丸まで海外移転させてしまった。日本全体のブランド力と、真の競争力を犠牲にすることも平然と行われるようになった。

人斬り合理化によるコスト削減が日本企業の風土となってしまった。まじめに働いている人の首筋に刃を突付けるようなことを長年続けてきた。
人件費削減が自己目的化され、労働ビッグバンの大波が荒れ狂った。

そして気がついてみれば、何も残っていなかった。「我が亡き後に洪水来たれ」というが、生きているうちに洪水が来てしまった。

いまや韓国に追いぬかれ、中国にすら追いつかれようとしている。

それなのに、指導者はこのジリ貧路線を反省しようとしない。それどころか、さらに凶暴な形で推し進めようとしている。

規制改革会議
の言わんとする所は、つまるところ“正社員なんてものはなくしてしまえ”ということだ。

安倍首相は言う。

世界で一番企業が活動しやすい国を目指す。そのために、正社員と非正規社員といった両極端な働き方のモデルを見直す。

言葉尻を捕らえるようだが、今後は正社員というのは“極端な”、例外的な存在になるということだ。それは赤旗も指摘するとおり、相当“極端な”考えだ。

この国の政財界の指導者たちは、もはや正気を失っている。社員のクビを切ることが苦しみではなく快感となっている。少なくとも、クビを切ることに何のためらいもなくなっている。

もしそうやって首切り自由、国民総非正規化を推進すれば、その先に何が待ち構えているか、それはこの15年の動きを振り返れば自ずから明らかではないだろうか。

10日の衆院予算委員会で
安倍首相が「靖国参拝は国際的に見ても当たり前のこと」と答弁した。
これ自体が大問題だが、変だなと思ったのは、
「国際的」の根拠にアーリントン墓地を引き合いに出したこと。
「アーリントンには奴隷制を掲げた南軍の兵士たちも眠っている。奴隷制を肯定して米大統領は行くわけではない」
と述べているが、靖国には西郷隆盛は祀られていないはずだ。もちろん近藤勇も土方も白虎隊も祀られていない。
反ファシズムの立場で戦った人々は、今でも国賊扱いだ。
アーリントンを理想と考えるなら、靖国には行くべきではない。

2013.4.1 安倍首相、メディアトップを総なめ

の続報が出た。

2月14日の産経会長との会食が抜けていた。これは芝のプリンス・パークタワーの中国料理店「陽明殿」

4月に入ってからは

4日に朝日、時事、読売の編集幹部と山王パークタワーの中国料理「溜池山王 聘珍楼」(やっと時事も呼ばれた。並びだけど、良かったね)

5日に日本テレビ社長と帝国ホテル内の宴会場「楠」という具合。相変わらず同じ店は一つもない、ここまで来ると何か執念を感じさせる。

TBSの社長は、さぞかしそわそわしていることだろう。「関口宏のサンデーモーニング」のコメンテーターの入れ替えでもやるんではないだろうか。


冗談はさておき

メディアは、最悪の場合でも憲法改正問題が出てきたとき、アベノミクスが破綻した時の対応は準備して置かなければならない。

両方ともまともな人間のあいだでは「狂気の沙汰」と見られているからだ。

①ドルは最終決済通貨だが、円はそうではない。②投機資本の側から見て、日本はきわめて美味しい。大勝負をかける価値はある。

例えば、円の売り浴びせと日本株の売り浴びせを今仕掛けたら、日本は持つだろうか。国債が下がったとき、日本政府は利払いの維持が可能だろうか。

この点の批判的ポジションだけは確保しておくべきだ。「安全神話」を振りまいていると、いざというときに世論が対応できなくなる。


自転車談義は流石に疲れました。
脳みそのスタミナの衰えを痛感します。
「好奇心」そのものはそう衰えてはいませんが、
そのために読まなければならない、
マニュアルの重圧は重くのしかかってきます。
自転車のマニュアルもさることながら、
本丸であるハイエクとシュンペーターとポラニーに行くまでの
出発点の確保のための学習ですから、
あまり深みにハマると五里霧中、
何をやっているのかわからなくなります。

とにかく何とか切り上げることにしましたが、
この世界は相当奥深いです。
とくに制御工学にハマると、脱出不可能かと思います。
階層化し、構築した我々の論理を、
工学的知識がやすやすと追い越していきます。
ミーゼスやハイエクをランゲが叩き伏せたように

1.市場は均衡のあり方の一つにすぎない

一般均衡理論といっても、私ごとき素人に分かるわけはない。ここで均衡理論というのは、需要と供給の二つの曲線が真ん中で交わるあの絵のことだ。

二つの関係は左右に振れても、最終的には交点付近で均衡を保つことになる。

注意しなければならないのは、「それは経済が持つ一般的傾向のことであり、それ自体が市場の機能ではない」ということだ。生産と消費の仕組み全体が、均衡を保とうとすることだ。

2.均衡モデルは「直進」モデルだ

もうひとつ付け加えておきたいことは、均衡論というのは静止局面での評価であり、時間軸を加えた動態的評価ではないということである。

もし時間軸上にこのモデルを置くとすれば、それは「直進性モデル」ということになる。

自転車の重大な発明は、前輪の車軸を僅かに前にずらすことにより、直進性を実現したことにある。

これにより多少のブレはあっても、それは自動的に復元され、高い直進能力を獲得した。(もちろんハンドルを用いる直進能力に比べればはるかに劣るのであるが)

3.市場機能の誤った評価

市場の機能はすべての商品に価格をもたせ、貨幣によって相対化することである。それ自体は需給関係を、素早く交点まで持っていく上できわめて有用な手段である。

しかし、経済の均衡=直進性を維持するものとして市場を位置づけ、絶対不可欠なものと主張することは、“市場原理主義”の主張でしかない。それどころか市場に対する誤ったイメージを押し付けるものだ。

第一に、市場がなくても需要と供給のバランスをとることは可能であり(非効率であるが)、第二に、市場に代わり、より有効なバランサーを発見することは“制御工学”的には可能である(ソ連型の“社会主義計画経済”はそうではなかったが)。

4.市場の本質は欲望の方向付け

ついで問題となるのが、市場というものの本当の働きだ。確かに市場はすべてのものを商品として相対化し、適正な値付けを行う働きもあって、現象的にはそう定義しても良いのだが、より本質的な定義としては「欲望の方向付け」にあるのではないか。

これは、自転車のハンドルからの類推になるのだが、何故人は市場に集まるのかということを考えて見れば、そういう見方が出てきても不思議はないだろう。

市場では売手と買手が相対するわけだが、彼らは物質的欲望を満たしたいという思いにおいて共通している。そういう意味ではベクトルは同じだ。

それが売り買いという行為を通じて、ひとつの流れとなって、経済のストリームの発信源となっていく。そういう結節点の位置に市場というものは置かれている。

欲望の組織化と方向付けというところに、市場の本質があるのではないだろうか。そして需要と供給は、その方向に追随しながらバランスを取っていくのではないだろうか。

5.需要と供給は本質的に非対称

私はどうも需給曲線が経済のダイナミックスを規定する根本原理とは思えない。理由は二つあって、一つは需要と供給は本質的に非対称ではないかということである。

需要は人間にとって本質的なものであり、供給は諸条件に規定された相対的なものである。もちろん需要も供給のための諸条件の一つではあるが、決定的な条件ではないと思う。したがってこの二つを同一平面上に乗せて、その関係を云々するのは適切ではないと思う。

付け加えるなら(あまり本質的ではないが)、貨幣を介在させる限り買い手は売り手に対して相対的に優位にあるのであり、対称性はない。ある意味でこの非対称性こそが競争を産み、市場を活気づけるのではないか。

さらに付け加えるなら、労働市場という商品市場と対極にある市場である。この市場は、ほとんど需要と供給の均衡関係が実現されたことがない。ほぼ一方的に買い手(雇用者)側が支配する市場である。

労働者の側は、雇用者に対抗するために市場を用いることは不可能であり、学歴・ライセンス、何もなければ労働闘争あるいは訴訟という経済外的手段に頼らざるをえない。

6.需要も供給もパラメーターにすぎない

もう一つの理由は、需要も供給も中間項であり、より本質的なもののパラメーターに過ぎないのではないかという疑問である。

ここで労働価値説を持ち出すつもりはない。労働価値説は古典経済学の真髄であり、これを否定するのは馬鹿げたことである。しかし価値論の出番はここではない。

私の言いたいのは、一方における物質の生産と消費、他方における欲望の充足と創出である。

7.文化の形成過程を挿入しなければならない

これは物質が生産され、それが消費者にわたり消費され、物質的消費は欲望の充足となり、欲望の充足が新たな欲望を生む、それが一つの“文化”として新たな生産を刺激する、というふうに連結してメビウスの環を形成する。

このメビウスの環は本質的に前進的である。というのは人間の欲望には限りがないからである。「豊かな人間は豊かな欠乏感を持っている」のである。

この連環が経済を前に進ませる駆動力となり、ひいては生産と消費の新たなバランスを生み出す。需要と供給というのはこの大きな均衡系の中の一部を表現するにすぎないのである。

これが自転車論から引き出した、私の当面の感想である。

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