カール・ポラニーの話から話がズレてしまった。「あんみつ姫」の毒気に当てられたたのか。
つまり、ポラニーもハイエクも赤いウィーンの時代に行われた「経済計算論争」を勉強しないと、理解できないということだ。
しかし、この論争を理解するためには、その時代背景を知って、論者が論争に臨む心情を知って置かなければならない。
その一つとして「赤いウィーン」という状況がある。ハイエクもポラニーも赤いウィーンの中に生き、その空気を吸いながら生きていたのだ。
1920年という時点で、ヨーロッパ、とくに中央ヨーロッパはどうなっていたのか。
1. 第一次大戦の直後であり、多くが戦争の犠牲となり、経済は疲弊し、人々は急進化していた。民族国家が乱立し、伝統的な支配システムが危機に瀕していた。
2. かくも多大な犠牲を出した「帝国主義の戦争」への懐疑が広がり、それを生み出した資本主義(独占資本主義)への否定的見解が広がっていた。
3.戦争経済という特殊な統制経済体制が終わった後、どのような経済システムに移行するかが問われていた。
左右のいかんを問わず、とにかく何かを選択しなければならない、という認識では一致している。だから何の実務経験もないシュンペーターが、わずか36歳で大蔵大臣になるというとんでもない状況が生まれるわけだ。
一方政策的なカウンターパートたるべき社会民主党も、明確な代替案を持っているわけではなかった。ただ市場任せの無政府的な経済システムは、過剰生産と恐慌を招き、ひいては大戦争の再発に結びつかざるをえないという認識は持っていたから、政府による計画的な経済運営を導入すべきだと考えていた。
こうして、市場原理主義か計画経済かという、やや形而上学的な論争が始まることになる。
ただ、これがまったく議論のための議論でしかなかったか、というと、そうばかりでもない。ドイツやハンガリーでの蜂起、革命は失敗したが、ロシアでは1917年に成立した革命が依然として継続しており、白衛軍を相手に勝利しつつある、という状況があったからだ。
この革命ロシア政府は、本家の社会民主党よりはるかに過激で、生産手段をすべて国有化し、計画経済でやっている。(もっともこれは戦時経済においては当然の話しで、戦争中は程度の差こそあれどこの国でもやっていた)
問題は、絶対的・相対的過剰生産を生み出さざるをえない生産の仕組みにあるのであり、市場の混乱はその結果であるに過ぎないのだが、本線とは関係のない所で起きたこの論争が、あたかも資本主義と社会主義の分水嶺であるかのように扱われてきたところに、一つの不幸がある。
なかなか本論に入りませんね。