鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2013年02月

「働くみなさんへのアピール」への補強資料
で非正規労働者の分析を行ったが、はっきりしているのは
①非正規労働者の圧倒的多数はパートタイム労働者である
②パートタイム労働者の圧倒的多数は女性労働者である
ということだ。
この二点から、国際的に見た日本のパートタイム労働者の特徴を見てみたい。

パートタイマー: OECDの定義では、主たる労働が週30時間未満の就業者を指す。

パートタイマーは最底辺労働者と考えられる。とくに男性の場合は、失業者との中間のルンペン・プロレタリアートとも考えられる。

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1,もともとパートタイマーの比率は外国に比べ高いが、この20年間も2%ほど増加し、高位置を持続している。
2.2005年から07年にかけて一時期減少傾向を示したが、リーマン・ショック後は再び増勢に転じ、最近では就労者の1割を超えている。

オランダと「オランダ病」については別途触れる。ここでは、96年に世界ではじめて労働時間による差別が禁止されて、パートタイム労働の積極的魅力が増したことを指摘しておく。

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女性就労者に占めるパートタイマーの割合も男性の3倍の割で並行して増加している。

女性の場合、正規労働からの締め出しという面だけでなく、専業主婦の不完全な社会進出という側面もあり、読み方に注意が必要だ。

しかし日本では女性の職場進出は80年代にほぼ完了していること、リーマンショック前の谷間もふくめ男性パートタイマーの増加曲線と完全に平行していることから、主要には正規労働からの締め出しとみられる。



非正規労働者の圧倒的多数をしめるパートタイム労働者の所得を改善することは、賃上げを通じて内需を拡大するという観点からは、もっともコストパーフォーマンスの高い手段といえる。

また生活保護からの脱却を促し、社会コストを低減させるためにも有効と考えられる。

とくに女性の働く環境をめぐりさまざまな困難が指摘されているが、その解決に向けてももっとも有効な手段である。

より根本的には、「同一労働・同一賃金」の理念に向けての第一歩としても位置づけられる。

したがって最低賃金をあげることが賃上げの主要な柱とならなければならない。

パートタイム労働者の受け皿は多くが中小・零細企業であり、政令一本で済むという性格の問題ではない。一定の政府による支援策が必要である。同時に大企業に実施への協力を申し入れ、不当な商慣行の横行が無いよう、監督する必要があるだろう。

正しいマクロ指標と言ったって、そんなものはない。
結局は恣意的なものになる。
一つは、境界域の数値のうちのどれをとりどれを捨てるかということであり、もうひとつはガチガチの主要指標のうち、どれに重きを置きどれを軽視するかという選択である。

これを仮にAセット、Bセットとしよう。
Aセットは先進国、つまり勝ち組パターンである。これはGDP至上主義である。そして貿易収支と財政均衡を健全性の指標に組み合わせる。
このAセットは途上国の多くも基本的に採用している。しかしこれは勝ち組がさらに勝ち続けるための情報であり、途上国評価には必ずしも適当ではなく、ときには有害ですらある。
先進国マクロに示されないところに耐え難い矛盾が蓄積し、最終的には政治不安へと結びついてしまうのである。
これに対しBセットは国民生活重視のセットである。GDPを重視することは同じだ。
しかしGDPは国民搾取の指標でもある。したがってGDP成長と照応した、勤労者所得の成長、ジニ係数の低下が必須である。
もちろんインフレを招くようなバラマキはいけないが、最低賃金のかさ上げと、失業対策により、下位5分の1層に力を集中することで、それはかなり可能だ。
財政マクロはたんなる指標ではなく、政治課題そのものだ。そもそもまともな徴税システムなどないのだから、「調整」で済むようなレベルではない。
彼らはかなり強力に手を打っている。なかでも、徴税システムの変革により外国資本の徴税逃れを阻止しようとの動きが共通している。
貿易・資本取引は途上国にとってもっとも厄介な問題だ。途上国には発展のための資金が必要だ。しかし途上国への投資を金儲けの手段と考える自由主義経済が足を引っ張っている。
UNASURなどが、途上国同士の相互支援策を打ち出しているが、本来はUNCTADとかがもっと力を発揮して、国際的にWIN-WINの関係を作って行かないと解決しない。途上国への支援はもっと政治的な配慮が必要だ。
ということで、ちょっと話がそれたが、経済マクロといっても先進国セットで途上国を評価するのは大きな間違いにつながるということだ。
さらにいうなら、先進国と言えども、もはやAセットのみで経済を評価するような思考を止めなければならない時期に来ていると思う。



去年は、南米にとって選挙の年だった。
選挙を前に、随分南米の民族主義政権に対する批判が集中した。
「赤旗」さえ、ベネズエラのチャベス政権が誤った経済政策により危機に瀕しているかのような報道をしたくらいだ。
その根っこには日本のエコノミストによる歪んだマクロの評価があったと思う。
「亀は自分の甲羅に似せて穴を掘る」ということわざがまさにぴったりだった。
このマクロ経済観の歪みが結局、今の日本経済に対する“とんでも対処法”に表れている気がしてならない。
戦後の高度成長期においては、GDP至上主義だった。ほかのマクロの諸指標などまったく考えなかった。GDPの成長がすべてを解決してくれると信じていた。
それがオイルショックとプラザ合意を経るなかで、安定成長と自己資本の増強とに軸足が移っていった。ここから企業の「利己主義」が肥大し始める。企業は「日の丸」をおろし、代わりに自社の社旗を掲げ始めた。
不動産バブルが終焉し、大量の不良資産を抱え会社の存亡の危機に立たされると、この傾向は一気に加速された。不思議なものでみんなが「利己主義」に陥ると、それが日本全体の意志であるかのように考えられ始めた。
一国の経済マクロは、大企業の経営マクロの総和であるかのように考えられ始めた。今ではかつての日の丸船団の司令官であった通産省→経産省さえ大企業保護策=日本の経済政策であるかのように考えるようになっている。

お馬鹿さんの外務省は、それをそっくりそのまま日本の国策であるかのように捉らえ、海外で企業の旗振り政策を推進している。
彼らはベネズエラのチャベス勝利も、エクアドルのコレア大統領の圧勝もまったく読めなかった。完全に経済マクロを読み違えていたのである。
ただの反共宣伝だけだったら、負けても良いのだ。デマをまき散らして後は知らんぷりというのならそれで良い。しかし本当は国策がかかっている分析なのだから「間違えました。ごめんなさい」で済む話ではないはずだ。
大使館は週刊文春ではない、国の税金を使って少しでも正確な情報を集めることが任務なのだ。それが私の如きスペイン語も読めないような素人に負けるなどとは、恥ずかしいとは思わないのか。給料返せよ。


全労連のシンクタンクにあたる労働総研の労働者状態統計分析研究部会というところが論文を掲載している。
去年1月のものなので、ちょっと古いがその中に面白いシェーマがあった。

大変わかり易く流れを書いてくれているので、紹介させていただく。

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これは実体経済をめぐる「悪魔の循環」だが、金融や財政にも「悪魔の循環」が存在する。




雇用者報酬とGDPについて少し数字に異同があるようだ。
これは志位さんが国会での質問で用いた図表

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「働くみなさんへのアピール」に付けられた図表と少し数字が異なる。
GDPの方は名目GDPと実質GDPの違いなのだろうか。

私がネットで調べた数字は以下のようになっている。

 

GDP:97年との比較(単位: 10億 円)

 

1997年

2012年

2012/1997

実質GDP

474,802.70 519,211.59

1.09

名目GDP

523,198.30 474,558.64

0.91

 

 雇用者報酬については今のところ見つけられないでいる。

 








ブルームバーグのちょっと前(去年9月)の記事が面白いので紹介します。

全国の雇用者報酬(名目、季節調整後)は1991年以来の低水準となった…

東京電力 から輸出企業のパナソニックやシャープに至るまで、多くの日本企業が経費削減に取り組んでいる。

ということで、ブルームバーグ社の基本的な考えが述べられています。

日本経済にとってのリスクは、90年代の資産バブル崩壊以降、同国を悩ませてきたデフレが長期化することや、14年4月の消費税率引き上げで個人消費の低迷がさらに深まることだ

これが基本的な考えです。誰が見てもそうですよね。

ところが日本のエコノミストは、さらなる金融緩和しかないという考えです。

三井住友アセットマネジメントの武藤弘明シニアエコノミストは、「賃金デフレが続いている限り、引き続き緩和をしていかないといけないのは間違いない」と指摘する。

これではまるで見当違いの方向を持ち出しているとしか思えません。

日本経済に関しては、アメリカのエコノミストのほうが、よほど状況を素直に受け取っているようです。

米ゴールドマン・サックス・グループは、名目賃金の減少によってデフレからの脱却がさらに遠のくと指摘。JPモルガン証券は、個人消費が力強さを失っている一因は賃金抑制だ と説明する。

だんだん明らかになってきたのは、経団連や大手メディアの考えが世界中から呆れられ、馬鹿にされ始めたということです。

共産党がこのほど「働くみなさんへのアピール」を発表した。非常に説得力のある文章で、ぜひ広げていく必要があると思う。
そこで、当然発せられるであろう質問に対応すべく、データを補強しようと考えた。

補強になっているか、かえって足を引っ張っているか、分からないが…

まず第一節「世界でも異常な賃下げと雇用不安」というところから

1.世界でも異常な日本の現実

①賃金が長期にわたって、連続的に減り続けているのは日本だけ(OECDデータベース)

97年を100とした雇用者報酬はイギリス190、アメリカ178、フランス163、ドイツ129。これに対し日本は88

②最低賃金は最低水準である(2012年OECD購買力平価による比較)

時給円換算でイギリス928円、アメリカ753円、フランス1084円。これに対し日本は全国平均で749円。

③非正規雇用の比率が極めて高い(OECDデータベース)

イギリス5.7%、フランス13.5%、ドイツ14.5%。これに対し日本は35.5%。

(若者と女性では50%に広がった)

2.この異常は過去15年の間にもたらされた

①勤労者の平均賃金は97年のピーク時より年収で70万円、12%減少した。

②非正規雇用は15年前は労働者全体の1~2割程度だった。

③非正規雇用の増加が平均賃金の低下をもたらしている。

(労働者のうち1千万人以上が年収200万円以下)


というのが骨子。

Honkawa Data Tribune という奇特なサイトがあって、とても重宝しています。

とりあえずはそこから拾えるものをひろってみます。

非正規雇用の実態

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非正規比率が上昇したのは、非正規が増えたのと正規が減ったのがほぼ同じ数であることによる。総数が同じ中での上昇であるから、その影響は2倍になって効いてくる。

それは97年を境にして始まり、2005年まで継続して進行し、その後はそれが固定されている。

非正規の内容の劣悪化はこのグラフには示されない。09年にリーマン・ショックのあと大量の派遣切りがあったが、グラフ上の変化はない。

非正規雇用者の内訳

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圧倒的多数を占めるのは女性のパートタイマーである。女性パートタイマーが労働市場の最終的緩衝材となっていることが分かる。

男性の場合は契約社員・嘱託とアルバイトに二極分化している。


リーマン・ショック後の労働事情(08年と12年の比較)

①パート・アルバイトは男性が25万人増の268万人、女性が80万人増の969万人となった。

②派遣は男性が24万人減の35万人、女性が31万人減の54万人となった。


最低賃金の国際比較


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おなじみの絵である。最賃のみで低所得を説明することは難しい。ポルトガル、ギリシャ、アイルランドなどの国が高所得とはいえない。日本は以前から最賃の低さでは引けを取らなかったが、だからといって低所得であったわけではない。

最賃の低さが呼び水となって、非正規労働の増加をもたらしていることは間違いないから、両者の掛け算として低所得層の増加を見ておくべきであろう。

最賃をあげることは、勤労者の所得をあげるためのかなり有効な手段といえる。


加賀さんの本の中に“いじめ論”に関する物がありました。
一言でいえば
いじめは決してなくならない。いじめに負けない心の力を上げていくべき

というものです。
以下はその一部

いじめ絡みの悲劇が起こるたび、どうすればいじめをなくすことができるかという議論がしきりになされます。教師や親も子どもたちに注意する。しかし残念ながらいじめというのは人間性の本質に根ざしたものであり、決してなくならないものなのです。
何時の時代にも,どこの国に行ってもいじめはある。大人の世界にもいじめはあります。だから、いじめを悪として上から抑えこもうとしても、より陰湿さを増すだけで、何の解決にもなりません。


この加賀さんの見解は絶対に間違っています。陸軍幼年学校というスパルタ式のご本尊みたいなところを潜り抜けて来た人だけに、解釈としてはリアルで、とても良くわかります。けど、人間の態度としては、断固、「いじめを許してはいけない!」のです。これは「処世術」以前の「原則」の問題です。

いじめを無くすというのは、いじめが横行する世の中をなくすということであり、いじめっこが大手を振って歩くような社会をなくすことです。

論理をこうやってすり替えると、同じ手口で、体罰も強姦も殺人も戦争も核兵器も許される論理に繋がってしまいます。俗にいう「業の論理」です。

大津問題での委員会答申を見る、といじめを無くすための基本路線がかなり整理されて提示されています。

緊急性から言うと、①ハザード対策、②カウンセリング、③道徳・情操教育、④周辺環境の整備といったところでしょうか。そして何よりも教育にあたる者たちの民主主義が求められています。

ここから先は私見になりますが、いじめを無くすのは、基本としては「いじめをする子をなくす」ことです。それは教育そのものです。
もちろんその前に、差し迫る危険にたいする緊急対策としていくつかあり、さらにいじめを受けた側が自殺衝動に至らないようにするための「強靭化」対策がいくつかあります。

しかし核心はあくまでも、いじめをしないことの大事さを教えこむことです。なぜなら加賀さんが言う通り、誰でもいじめをする素質を持って生まれてくるのですから。

ここで大人が毅然とした構えを取らないと、他のすべての対策も及び腰になってしまいます。「悪いものは悪い」と態度で示すのが根本でしょう。


パソコンが壊れたついでに、溜まっていた本に手をつける。
加賀乙彦さんの集英社から出した新書本。
この人は未だにどういう人か分からない。昔「フランドルの冬」という小説を読んだが、かなりイラツイた。
知識は豊富、理路整然として、語り口はうまいのだが、本心が分からないところがある。

この本は、基本的には精神科医の書いた“幸せ本”である。医者目線が通底しているので、医者が読むにはつまらない。加賀さんも別に医者に読んでもらおうとは思っていないだろうが…

なかで面白かった所

①日本人の集団志向は事大主義に過ぎず、本質的には利己主義だ
社会心理学者の山岸俊男が、「心デッカチな日本人」という本で面白いデータを紹介しています。
日米の学生を対象に、集団の利益と個人の利益のどちらを優先するか、どちらが一匹狼的な行動を好むかを図る比較実験を行った所、アメリカの学生の方が集団の利益のため協力的に行動し、日本の学生の方が一匹狼的に行動する傾向が強いという結果が出ました。
つまり日本人本来の性向としては集団主義が好きでは決してないのに、日々の生活のなかでは無理をして集団主義的に振舞っているというのです。
ただ、ここで山岸氏がいう個人主義とは、「個人の利益を集団よりも重視する」という、個人主義の一側面に限っての話。ほかの側面ではアメリカ人のほうが日本人より個人主義的な傾向が強く出たそうです。

これを読み解けば、「日本人の集団志向は事大主義に過ぎず、本質的には利己主義だ」ということになりますが、加賀氏はそこまでは進みません。

②日本の自殺者統計には嘘がある。実態ははるかに深刻だ。
日本の自殺率はWHOがデータを収集している101カ国中ワースト8位。…主要先進国のなかでは突出しており、アメリカやカナダの倍、イギリスの3.5倍にものぼる。
さらに年間3万人どころか実際には10万人が自殺しているという説もある。…WHOは「変死者」のおよそ半数が自殺だと述べています。
そのため、変死者の半数を自殺者統計に加えている国が多いのですが、日本ではそうではありません。
日本の変死者数は急増しており、ここ数年は年間14~15万人で推移している。諸外国のようにその半分を自殺に含めれば、日本の自殺率は圧倒的に世界一位となる。

③財界・自民党は北欧批判の間違いを反省すべきだ

かつて日米の経済学者や政治家は、北欧型の高負担・高福祉国家は高い税金のために国際競争力が落ちて経済が停滞する、グローバル化する社会に取り残されると、しきりに言っていたものでした。
しかし日本は2003年の世界第三位をピークに、07年の23位まで下がり続けいます。一方、スエーデンはずっと8位をキープしています。
福祉も環境も犠牲にして経済成長を優先してきた国が、経済面でも遅れを取ってしまうとは、なんとも皮肉な話ではありませんか。

これはいい話です。使えます。
むかしから、民主勢力の一部には日本の現状と比較して北欧諸国が素晴らしいという無条件賛美論がありました。
それにに乗っかるつもりはありませんが、財界が「福祉が社会をダメにする」との北欧批判を展開してきたことも忘れてはなりません。
いま財界に対し、深刻な反省を求めてもおかしくはないと思います。


銅鐸文明ノート 余話

以下は酒飲み話になるが…


饒速日命の家系は、天孫族の異系である大国主の末裔で、出雲を追われて近畿に落ち延びてきた可能性がある。「倭国の大乱」が倭国と出雲王朝の対決をふくんでいるとすれば、時期は合う。
その後大和王朝の実権を握った物部氏は
、神武に寝返った饒速日命の末裔であった。その本拠地はかつての長脛彦の地盤だった生駒山西麓である。
日本書紀に出雲神話系の説話が異常に多いのもそれで説明がつく。
300年後の527年に物部麁鹿火が筑紫の君を討伐した時、出雲王朝は積年の恨みを果たしたことになる。「300年も?」と言われるが、それから200年後の古事記にも、国譲りの神話は語り伝えられていたのである。

と書いて、翌日に読み直しましたが、何のことやら分かりません。

ちょっと解説します。

饒速日命はニギハヤヒノミコトと読みます。この人物が登場するのは日本書紀の神武東征の物語です。

神武一族が大和を攻めた時、この地方は饒速日命が仕切っていました。この人は飛鳥のあたりに住んでいましたが、そこから大和川を下ると生駒山麓を向けて大阪湾岸に出ます。そこには長脛彦という豪族が住んでいて、この人が軍事全般を仕切っていたようです。

この関係は卑弥呼の時代に那の国(いまの博多)が半島からの玄関口として、政治・軍事を担っていたのに対し、そこから奥まったところに卑弥呼が住んで神事・祭事を担っていた関係と似たところがあります。

饒速日命は天孫族の大神を名乗っていました。これは九州王朝と同祖・同格の神です。神武は饒速日命を救い、支配体制の一角に組み込みました。饒速日命は長脛彦を殺し、神武に忠誠を誓いました。この一族がやがて物部氏となっていきます。

ところで饒速日命が住んでいた飛鳥のあたりでは三輪山伝説があり、大物主神が祀られています。大物主神は出雲伝説の大国主命と同一のルーツであると考えられています。

そうなると饒速日命の一族がどこからやってきたかということになります。そこで出雲の線が浮かび上がってきます。

同じ天孫民族であるにもかかわらず、神武は現地に来るまで饒速日命の存在を知らなかったというのも、饒速日命が九州王朝以外の天孫民族の出自であることを示唆します。

大国主命の一族は100年代の後半に九州王朝に攻撃され、“国を譲った”あと、東に向かい、生駒山麓に居を構えたのではないか、そういう可能性もあります。

これは神武東征が200年代末あたりに行われたということを前提とした話ですが…

もう一つ、彼らが出雲に王朝を開いたとすれば、そこでも銅鐸文明を破壊していたはずです。それは紀元前後のことでしょう。この頃にも一度、大量に銅鐸が破棄された時代がありました。ただそれが出雲地域に集中していたかどうかは、いまのところ確認できません。


勤務先で使っていたパソコンが壊れた。
原因ははっきりしている。しかし言えない。
言わずに修理に出したが、開ければすぐ分かるだろう。

これで久しぶりに読書だと張り切ったが、悲しいことに字が読めない。+2.0の老眼鏡では歯がたたない。+2.5を買ってきたが、このくらいになると安売りメガネでは歪みがきつくなってくる。レンズも悪いのだろうが、乱視もありそうで、しかも左右の度数が違うから、30分と持たない。
睡魔が襲ってくる。ほとんど「夢か現か幻か」という世界だ。

もっとも、読んでいる本もイポリットの「ヘーゲルの精神現象学」だから、視力が正常でも眠くなるだろう。

民医連は決して徳洲会のような崩れ方はしないだろう。
民医連は攻めには弱いが守りには強いのである。

民医連は中央集権制で独裁制で、テッペンがやられると瓦解するのではないかと思われている。
これは逆だ。なぜなら民医連は中央集権でも独裁でもないからだ。中央集権で独裁なのは、むしろ徳洲会の方だ。だから崩れるときにはあっという間に崩れる。

民医連は一人ひとりが民医連だ。誰かが「この指止まれ」と言われれば止まるが、それは一人ひとりの主体的な判断だ。
だから切り刻まれても死にはしない。iPS細胞ではないがトカゲの尻尾からでもトカゲになれるのだ。「尻尾と言えども民医連」なのだ。

しかし、一人ひとりが民医連というだけでは民医連ではない。それが集団となることによって民医連となる。
ヘーゲル風にいえば、「否定の否定」である。要は民医連は思想であり、鍛えに鍛えられて到達した結論ということだ。

昔はこれを民主集中制と言ってきた。これは不正確かつ不適切な表現である。とりあえずは主体的集団主義といっておこう。
そのベースになるのはフラタニティ(博愛)とソリダリティ(連帯)である。さらにその根っこには相互の生き方に対するオマァジュ(敬意)がある。

民医連の医者は、一人ひとりが訣別と回天の“物語”を背負って活動している。ダテに民医連をやっているわけではない。

ネットで漏れ伝わるところでは、
生え抜き派が主義・主張を貫こうとしたのに対して、経営現場が我が身大事と反旗を翻したところにあるようだ。
どちらが正しいかというのは難しい。

具体的・個別的には問題ははっきりしている。生え抜き派のかかげる「主義・主張」が間違っているからだ。「目的のためには手段を選ばず」で、やり口も相当やばい。とくにマスコミ関係が危ないだろう。

そこで徳田理事長と生え抜き派が突っ張る限り、勝ち目はない。
しかし歌を忘れたカナリアになった徳洲会に、今後なにか特別な存在意義があるのだろうか。ここは現場派にとってかなり重い課題だ。

太古の昔より、医療経営というのは医師確保と同義である。
事務長の最大の仕事は、大学病院の医局もうでをして、医師派遣をお願いすることだった。

院長の最大の仕事はバリバリ学会発表をして、病院の名声を上げることだった。

待遇で釣るか、研修の魅力で売るか、このへんが腕の見せ所である。

こういう状況に対して最初に反乱したのが民医連だった。出来上がった医者ではなくて医学生の中に飛び込み、医療の本質に関わって彼らの良心を呼び起こし、奮い立たせ、組織していったのである。

同時に医学生たちも自らを学生運動に組織し、主体的に生きる道を選択していった。この歯車が噛み合ったからこそ、民医連は大躍進を遂げたのである。

だがそれはイバラの道であり、世間に「アカ」と指弾され、孤立を余儀なくされる道でもあった。だから民医連の医師は集団として行動せざるを得なかったし、一人ひとりが主体として状況に関わらざるを得なかったのである。

これに対し徳田虎雄氏は「この指とまれ」方式を生み出した。擬似民医連的な路線を謳いつつ、医師に加入にあたっての決意を必要としないような巧妙な作戦をとったのである。

「キミらは良い医療をしてくれさえすればよい。あとは私に任せておきたまえ」ということだ。

当時私は率直にいって見込み違いをしていた。このような怪しげな路線がそんなにうまくいくわけ無いと思っていた。しかし今や徳洲会は全国各地に多くの病院を建て、それぞれ評判は悪くない。

かくいう私も、母を徳州会で看取ってもらった。

「言っていることと、やっていることは大違い」というのは徳洲会を批判するのによく使われる言葉だが、「言いもしないし、やりもしない」のよりははるかにいい、と思う。

問題はその矛盾がついに来るべき所まで来てしまったということだろう。

もし徳洲会が再生を試みるのであれば、まずは誤った社会変革の理論を再検討して、「本当に患者の立場にたった医療を実現するためにはどうしたら良いのだろう」ということを、ゼロベースで見直すことが必要だろう。

それと同時に重要なことは、残された医師たちが当面する困難に対して主体的かつ集団的に立ち向かっていく構えを形成することだろう。

もう一つ、これはちょっと生臭い話になるが、徳田一族から経営本体を取り上げることだ。そして全面的な集団所有に切り替えることだ。

出来れば徳田氏本人が生きているうちにやってしまえば、簡単なのだが…

もっとも、これが出来れば、徳洲会ではなく民医連になってしまう。


徳田毅って徳田虎雄の息子だったんだ
するってぇと、だいぶ風向きが変わってくる。
ちょっとネットを調べたら、徳洲会そのものが潰れるか潰れないかの大騒動になっていいて、
そこから魑魅魍魎が飛び出してきていて、
今回の問題も、そういうとばっちりの一つらしい。
そうなると、迂闊にどうこう言える話ではない。
女性議員が“超党派”で徳田を詰めているようだが、これも背景を見ておかないと、そんなに素直にうなずける話でも無さそうだ。

どっちにしてもいい機会だ。
徳州会を総括することは民医連を総括することにもなる。

一言でいえば、徳洲会は「ニセ民医連」だ。共産党でなくても、共産党の趣旨は実現できるというのが売りである。
学生時代、「全共闘」なるものがあった。共産党より左だというのが売り物だった。メットを被って角材をもって火炎瓶を投げれば革命的だと信じていた。
つまり共産党に入らなくても左翼のフリが出来るというのが「全共闘」とか「新左翼」とかの売りだった。
学生時代に一生懸命に説得しても共産党に入らなかった奴が、急に「左翼」になって「共産党は右翼だ」と攻撃し始めた。

さすがに徳洲会に行った連中はそこまでのぼせ上がらなかったが、メディアは彼らを医療変革の担い手として誉めそやした。その一方で、同じことを民医連がやれば、「票目当て」だとか「医療を活動資金集めのために利用している」とか言って攻撃したものである。

つまり共産党が強くて、民医連が強くて、これに対して反動の攻撃も強くて、という時代の象徴として徳洲会の存立基盤はあったのである。その徳州会が弱体化し、内部で混乱が起きたということは、共産党の力が弱まったことの反映でもある。

民医連の力が十分に弱まればもう徳洲会は必要ない、だから遠慮なしにやっつけられる状況になった。それが今回の「強姦事件」ではないのだろうか。

一つの時代の終わりの象徴でもある。

徳洲会がもっとうまく立ち回ろうとするなら、「自由連合」などという政治団体に固執せずに、創価学会のように露骨に自民党に擦り寄るべきだったのだろう。


メンデルスゾーンのイタリアが無性に聞きたくなる時がある。

YouTubeにはゴタゴタ取り混ぜて10種類くらいの音源がある。しかしどういうわけかまともな音質の演奏はほぼ皆無である。カラヤンもヤンソンスもぺけだ。

唯一、セルとクリーブランドの演奏だけが素晴らしい音質である。内声部の風通しの良さはただ者ではない。

町田高校吹奏楽部の皆さんがアップしてくれたらしい。
しかしまことに残念なことに第一楽章と第4楽章のみである。

セルのこの演奏は、音質だけでなく、演奏そのものも群を抜いている。すべてが完璧だ。第4楽章の出だしなどまるでダイアモンドだ。こんなうまいオーケストラ、今後も出ないのではないか。(これをうまさというのかという異論も出そうだが…)

録音も67年ころからセルがなくなるまでの数年間については文句なし素晴らしい。おそらくCBS廉価盤だったエピックのマイナー技師に代わって、CBSの本家が本気で取り組んだのだろう。

その3 銅鐸文化の変遷

①銅鐸の原基

すでに記したように、銅鐸の原基となるものは長江流域で生み出されたと考えられる。それが朝鮮にわたり、九州北部まで到達した。

この時点では、小型で無銘の実用的器物であり、「カウベル」類似のものであった。しかし実用的に必要とされる以上の銅鐸が作られていることから、祭祀用に用いられ始めていた可能性はある。吉野ヶ里遺跡でも九州初の銅鐸が発見されている。

紀元前2世紀の弥生時代中期初頭にさかのぼる。九州の銅鐸は朝鮮式で高さ20センチメートル位、吉野ケ里の銅鐸で28センチだが、紀元前100年ころには、早くも40センチを超す大型銅鐸が現れ、朝鮮の伝統から離れる。

銅鐸は大型化することによって、「銅鐸文化」となった。

ところで、考古学者はしばしば弥生時代/中期/中葉などの時代区分で表現するが、これが門外漢にはわかりにくい。以下若干解説しておく。外向けには西暦表記してほしいものだ。

弥生時代というのは、「稲作技術導入によって日本での水稲耕作が開始された時代」というのが規定である
一般には、紀元前250年ころから紀元250年ころまでの500年間を指す。ただし始まりはさらに遡る可能性が強くなっている。
弥生時代の時期区分は新たな知見が加わり大幅に変更されている。現在主流となっているのは、炭素同位体比を用いたもので、早期(紀元前1000年頃から)・前期・(紀元前800年頃から)中期(紀元前400年頃から)・後期(紀元100年頃から)の4期区分論が主流になりつつある。
さらにそれぞれの時期に亜区分があり、中期は紀元前230年までの前半、紀元前60年までの中葉、紀元100年までの後半に分けられている。
旧区分で表現された文献もあるので要注意。旧区分では
縄文晩期と弥生早期の境界は紀元前430年頃とされている。

③銅鐸の巨大化

銅鐸の大きさは、九州、出雲、山陰、畿内の順に大きくなっている。これが出雲では約50センチ、近畿では1メートルを超えるようになる。これが本来のベルとしての役割を果たしていたか否かについては議論があり、一節では紀元前後に聞く銅鐸から見る銅鐸への変化が起きたとしている。しかし最後まで鳴らす機能は失われなかったという説もある。国立民族博物館のホームページで実際に鳴らした音を聞くことができるが、絶対的音量は不明である。

巨大化を可能にしたのは土製鋳型の開発である。それまでの石製の鋳型は大きさに限りがあったが、土製鋳型によりその制限は大幅に緩和された。同時に肉厚の薄い銅鐸を作る技法も開発され、銅などの原料の節減が可能になった。1メートルをこす鋳造物を厚さ2、3ミリで鋳出すことは現代技術でも極めて困難なのだそうだ。

銅鐸の鋳造は同じ形の鋳型を合わせ、その内部に銅鐸の厚み分を削った土製の中子型を据え、青銅を流し込みます。鋳型には石製と土製鋳型の外枠があります。土製鋳型の外枠は、土器と同じように粘土を野焼きした丸瓦状のものです。(唐古・鍵考古学ミュージアムサイトより)

④銅鐸の装飾化

朝鮮半島では、朝鮮銅鐸と言われる文字も絵もない小型のものが出土する。これに対して、銅鐸文化を担った銅鐸には例外なく文様が施されている。銅鐸紋様はすべて弥生土器に共通する紋様である。

また文様の他に絵が描かれている銅鐸も数多く存在する。そこでは弓矢をもつ狩人、矢を負ったシカ、盾と戈をもつ武人、舟、高床式家、臼、脱穀や漁の様子が描かれる。またカラスが神聖な動物として描かれる。これらの絵柄は、農耕的性格を示しつつも、採集にも大きく依存していた生活を想像させる。水田耕作を主体とする弥生式のものとはやや異質な感を受ける。

文字または文字様の紋様は全く描かれない。

⑤青銅の原料は渡来物質?

弥生時代中期は朝鮮半島産、後期は中国華北産の鉛が用いられ、日本産の鉛はまったく認められない。原料は銅銭である可能性が高いようである。九州王朝(もしくは朝鮮との直接交易)に産物を売り、その対価として銅銭を受け取ったが、貨幣経済がなければ無用の長物である。

この渡来説には異論もある。国産でなければこのように長期にわたり製造し続けることは難しいという主張である。最近の研究では、化学分析の結果島根県の銅鐸の鉛は神岡のものだと言われています。(森浩一同大教授)

⑥銅鐸の分布

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全銅鐸の分布

北部九州からも出土しているが、実用品としての鈴であった。

大きな銅鐸は圧倒的に近畿周辺が多い。近畿地方で考案され、周辺地域へ波及していったと考えられる。

銅鐸の分布は時代とともに移り変わり、特に、弥生時代の中期までと後期ではその分布に大きな違いがある。最初は中国地方、四国、瀬戸内に集中するが、扁平鈕式新段階になると、各地に地域的な銅鐸群が生み出される。突線鈕式銅鐸の段階になると、その中心は畿内周辺部と東海地方へ移っていく。

同じように形態・文様も時期により変化している。

⑥銅鐸は大きくなって、突如として消えた

紀元前後、いったん銅鐸文化は衰えた可能性がある。この時代に埋められた銅鐸もかなりの数に上る。しかしこの時代に何が起きたのかを知る手がかりは全くない。

紀元100年頃から、銅鐸文化は再び隆盛を迎える。倭国内乱により九州政権が弱体化した可能性もある。畿内ではこれまでにもまして大きく装飾的な近畿式銅鐸が開発された。銅鐸時代の末期となる200年頃には、銅鐸の高さは1メートルを超えた。

紀元200年を過ぎると、畿内からの大形銅鐸の出土例が著減する。近畿式銅鐸の終焉には、故意に壊すような行為が行われている。新たに台頭した権力者にとっては邪魔だったのかもしれない。


と、とりあえずこの辺でやめておく。玉が少なくなって、石が多くなってきた文献読みがしんどくなってきた。


 

予想外に長くなってしまったので、少しポイントごとに分けて整理していく。

銅鐸を見る視点

まず、銅鐸に注目したきっかけだが、普通の人とちょっと変わっている。

この間、遺伝子から見た「日本人の起源」からずっとはまって調べているうちに、縄文人に二系統あって、樺太→北海道→東北の系列と、朝鮮半島東側を海岸伝いに降ってきた系統があって、後者は環日本海文化を形成したと考えるようになった。

この流れは縄文時代だけでなく、紀元300年ころまで何波にもわたって繰り返された。それは中国→朝鮮南部→北部九州という流れの文化と別個に、おそらく同時代的に進行していたのだろうと思う。

九州北部に集中的に入った弥生人系に比べると、環日本海人は山陰から福井あたりまで面で入っている。そして海岸から入れそうなところには食い込んで行った。それが岡山から香川、阿波にかけての流れ、但馬から播磨への流れ、山城から難波、大和への流れ、福井から近江、尾張への流れとして入ってきたのだろう と思う。

これらは生産技術的には九州北部に後れを取っていた。したがってある意味で従属関係にあったろうと思う。そして九州北部から技術を吸収した。これは朝鮮半島南部における馬韓・弁韓と辰韓との関係に比べられるべきものである。

この人達が後世に残した唯一の遺産が銅鐸である、と考えた。銅鐸そのものというより、銅鐸を“よるべ”とした、いわば「銅鐸教」社会がそこにはあったのではないか。これが銅鐸に着目するきっかけである。

だから銅鐸の様式や紋様などについてはあまり興味はない。銅鐸社会がどのように九州北部の権力から自立して成立したのか、そして、どうして地上から姿を消してしまったのか、それを知ることが、銅鐸と運命を共にした環日本海人を偲ぶ“よすが”になると思ったのである。


「女性問題」一般では辞任の理由にならない。徳田毅国土交通・復興政務官が辞職した理由がどうもよくわからない。

一般的にはへそから下の問題と不問に付されるのがオチである。それが良いか悪いかは別にして、辞任に至った理由は女性問題プラスアルファがあるのでは、と思っていた。

この手のネタは大好きな週刊文春が暴露するのではないかと思っていたが、まったく音無しの構えである。

気になるので、ネットをあたってみたら、やはりあった。

「泥酔状態で無理やり性的関係」と主張 当時19歳女性が提訴、1千万円で和解成立

報道によれば、

徳田氏は2004年、泥酔状態にあった当時19歳の女性をむりやり強姦した。

2007年に被害女性が2000万円の損害賠償請求を起こした。

徳田氏は訴えの一部を認め、提訴から3か月後に和解していた。

条件は、①謝罪と1千万円の慰謝料、②訴訟内容について口外しないこと

和解金のうち800万円は、父親の徳田虎雄元衆院議員が理事長を務める徳洲会グループが用立てた。

『週刊新潮』誌に記事が掲載されることが明らかになり、批判の広がりを避けるため辞任を決意した。

菅官房長官は、「身体検査」の甘さを認めた。民主党の細野豪志幹事長は、「どういう状況なのか全く分からない」と繰り返すのみ。超党派女性議員が、徳田氏および内閣府に責任ある対応を求めている。


このブログもだんだん品がなくなってきた。一応「?」をつけておく。


ところでこの「告発文書」なるもの、内容が明らかにされていない。

とりあえず、1月31日の「スポーツ報知」で“関係者からの取材”というかたちで内容がうかがわれる。(この読売・報知報道以外に暴行の内容に関する記事が探せなかった。これも不思議だ)

現場を目撃した複数の関係者が暴行の実態をスポーツ報知に証言した。

「死ね」「ブタ」など常軌を逸した暴言を受けるなど、日の丸を背負う選手がショッキングな扱いを受けていた。

園田監督らコーチ陣と女子選手しかいない密室の畳で横行したパワハラ・暴行指導の実態が明らかになった。

こうべを垂れ、泣きじゃくる選手を小突き、平手打ちし、どなりつける―。

園田監督らは背中や尻を竹刀で叩き、頭部にゲンコツ、顔面には平手打ちを浴びせていた。

「特にA選手に対してはひどかった。Aは実力はあるけど、何度、教えてもできないタイプ。腹を立てた監督に何度もひっぱたかれていた」

けがを抱えた五輪代表へのしごきも壮絶だった。

「1本6分の乱取りを10本ぶっ続けでやらされ、男性コーチに代わる代わる(乱取りで)まわされていた。グッタリしながら投げられて、見ていて、かわいそう。ひどかった」

言葉の暴力も目に付いた。

重量級の女子選手の髪の毛をわしづかみにし「お前なんか柔道やってなかったら、ただのブタだ」と人権無視の言葉で 小突きまわした。

JOCの平真事務局長は語る。「提出された文書には言葉の暴力について記載されていた。 『死ね』とか、そういった言葉が練習の中で出されていたということだ」


多少の誇張や脚色があるかもしれない。しかしこれらの内容を「ほぼ事実」と認めたうえでの全柔連の判断は、“終わっている”としか言いようがない。

監督を庇いたい気持ちはわかるが、これだけ事実を突きつけられたら「あぁ、こりゃもうダメだ」と観念しなければならない。これが普通の管理者だ。

ことは「わるぎ」の問題とかオリンピック精神とかの問題だとは思わない。刑法上の犯罪の要件を満たしているかどうかの判断だ。司直の手に委ねるべきか否かの判断である。

この監督は完全にストーカーの心境に入っている。明らかに精神に異常をきたしている。排除しなければ危険だ。


医療事故の対応にあたった私の経験からも、これは痛切な教訓だ。まずは自らを虚しくし、顧問弁護士か監査役にすべての情報を提供して意見を求める。

私なら、警察対応も選択肢に入れた上で、本人に詰め腹を切らせる。その上で、自らの処分については理事会に委ねる。もちろん辞表は懐に入れる。

これを31日ギリギリまでかばおうとした上村理事長は、確信を持った共同正犯と言われても仕方あるまい。百歩譲ったとしても、日本の柔道界を代表する全柔連理事長として、哀れなまでに愚昧で無能である。


多分まもなくニュースの世界から消えてしまうと思うので、少し情報を集めて経過上のポイントを整理しておきたい。

なお私はここではパワハラという言葉を使わない。そんな横文字は使わないほうが良い。これはただのハラスメントではなく、明白な暴行事件なのだから、被害届が出れば立派な刑事事件なのだから。


9月に全柔連は選手関係者の告発を受けた。全柔連は調査の上「厳重注意」処分。しかし園田監督は11月末まで謝罪をおこなっていない。

11月10日に処分が発表され、その翌日にトップ選手15人によるJOCあての「告発文書」が作成された。しかし実際に提出されたのは12月4日だった。

選手たちはまず暴行に怒り、ついで全柔連の甘い処分に怒り、最後に園田監督の「謝罪」でぶっちぎれたという三段階だ。

JOCは当初「告発文書」を重く受け止めなかった。しかし12月25日の女性スポーツ専門部会の要請を受けて、深刻さを感じ指導を強めた。

全柔連はJOCの指導を受けて再調査を施行。「告発文書」の内容が“事実に近い”と判断した。しかしその「著しい反倫理性」は認めなかった。

1月19日、二度目の「注意処分」が発表された。園田監督は続投となった。報告を受けたJOCは25日にこれを了承した。これは選手側にとって4回目のブチギレとなった。今度は園田-全柔連-JOCの串刺しである。

1月29日に「告発文書」がリークされた。事件はスポーツ界の外、一般常識の世界に飛び出した。まさにその時大阪のサッカー部主将の体罰・自殺問題が発生した。柔道メダリストの強姦事件の裁判が最終版を迎えた。

園田監督は辞任を発表し、全柔連はこれを受理した。園田監督は記者会見を開き、「辞任すりゃァいいんだろう」と開き直った。全柔連は頬っかぶりだ。JOCに至ってはまるで他人ごとだ。これも15人の怒りに火を注いだ。5回目の怒りである。

2月4日、強化選手たちは声明を出して、あらためて全日本柔道連盟の刷新を要求した。

スポーツ・ニッポンの経過表より)

マスコミの興味は誰が告発したのかという芸能番組感覚だが、告発文書の内容は意外に報じられない。それ以上に「著しい反倫理性・反社会性」と、「五輪ムラ」の良識の欠如への指弾の姿勢は感じられない。

メダル獲得を煽ってきたマスコミの共犯者意識がそうさせるのか、スポーツ担当部門の発言力に対する恐怖なのか…


彼女たちの怒りは、この経過の中に示されているといっていいと思う。つまり「民主主義の欠如」だ。

彼女たちがためらいながらも、次のステップに進んでいく原動力は、理不尽さへの怒りだ。

現場からの不信任の声をコケにして、ヒラメのように上ばかり見ている連中への義憤だ。これは「スパルタカスの反乱」だ。


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