赤旗の訃報欄は、何故か目が行ってしまう。
ひとつには、それが自分にとって最高の墓碑銘だからだ。
訃報欄で知った名前はたくさんある。
一つ一つ読むたびに、しばしの感慨に耽る。
そして、自分の順番が近づいてくるのを感じざるをえない。
親の代はあらかた死んだ。野坂・徳球の時代だ。
いまや戦後第二世代が続々と死につつある。
いろいろな意味で、もっとも倫理的な世代だ。
僕らは彼らにもっとも負うている。
僕らにとって、マルクス主義は、まず何よりも哲学だった。
だから訃報欄を読むのは時代の精神を読むことであり、それ自体が哲学の学習なのだ。ただし「時代」は周回遅れかもしれない。