鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

13年4月、ぷらら・Broachより移行しました。 中身が雑多なので、カテゴリー(サイドバー)から入ることをおすめします。 過去記事の一覧表はhttp://www10.plala.or.jp/shosuzki/blogtable001.htm ホームページは http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」です。

2013年01月

イポリット「ヘーゲル精神現象学の生成と構造」ノート

p4

ヘーゲルは意識のなかにあるままの「知」を考察している。これが現象知である。

みずからが絶対知に高まっていくのは、この現象知を出発点とするからである。そしてこの現象知が自らを批判するからである。

イポリットの解説

現象知と絶対知の対立はシェリングが生み出した。しかしシェリングはこの関係が引き起こす2つの矛盾について展開していない。

一つは絶対知が絶対者の知であるなら自己知(主観)との関係はどうなるのか、もうひとつは絶対知が一旦確立すれば、現象知は絶対的同一の中に消滅していくのかという問題である。

ヘーゲルは哲学の枠組みについてはシェリングの立場に立ち、カントやフィヒテの「反省の哲学」を批判する。

哲学は論理学ではない。知を扱う学問ではなく、認識すべき対象に直接肉薄しなくてはならない。

カントは範疇を演繹しているにもかかわらず、その原理においてたんに「批判的」でしかない。その主観主義は出発の時からの結論でしかないのである。

シェリングはこの「批判」の見地を乗り越えた。主観的なものと客観的なものとが、知の中において“絶対的に同一である”という事態から素直に出発しなければならないのだと。

ここでイポリットは言う。

序論において、ヘーゲルは「哲学は認識論ではない」とし、カントへの批判を繰り返した。しかし「現象学」は、まさしくカントやフィヒテへの復帰を示している。このことはどう理解すべきなのだろうか。

私は考える。

①主観も客観も過程であり流動する。それが知(主体)の中において統一される。そういった過程抜きに知(主体)はありえない。その故に、主観と客観は絶対に同一でなければならない。

②この過程が統一的に知となるためには、知が主体化されなければならない。客観的なものは主観化されなければならない。この過程抜きにはカント流の概念操作に終わってしまう。

虚弱高齢者シェルターとしての老健

美しい言葉でなく、リアルな有り様として見ると、老健は虚弱高齢者のシェルターとなっている。

低収入の階層においては、とりあえず、もっともアクセスの容易な施設となっている。4人収容のいわゆる大部屋であれば、介護付き有料老人ホームのほぼ半額の費用で入ることができる。

そこでは高齢者下宿では得られない介護ケアが受けられる。

ただ、こういう実態は老健を作った本来の政策的趣旨と著しく乖離している。

肝心なことは高齢者向けの施設体系の見直しであろう。これらの人々は政策的には特別養護老人ホームに括られるべき人々だ。

老健がシェルターであるとすれば、特養へのスムーズな移動が保障されなければならない。

一方では、療養型病床の政策的削減が続けられており、本来は医療メインのケアーが施されなければならない人が、老健にしわ寄せされつつある。時によっては事実上の看取りをも強要される場面がある。

老健は中間施設であり、終末施設ではない。老健には3つの出口がある。在宅か、特養か、医療施設かだ。タクシーか、送迎バスか、救急車かという三択でもある。霊柩車はお呼びではない。

出口がきっちりと確保されていれば、老健はシェルターとしての機能をもっと発揮できると思う。とりあえずは、施設長としては、療養型病院との連携を強化していこうと思う。

生活再構築施設としての老健

これまで、老健では在宅復帰に向けてのリハビリという観点から、リハビリ医学の用語で語られることが多かった。

リハビリ医学は生活再構築の面で先進的な歩みを続けてきたし、そこには学ぶべき多くのものがある。

ただリハビリ医学は基本的に右肩上がりの思考なので、老健の現場では必ずしも適合しているとは言いがたい。機械的にリハビリ医学を適用しようとすれば、むしろ現場のケアワーカーの反発すら招きかねない。

現場に必要なのは右肩下がりの思考ツールなのである。

①人間の生理機能が、どういう順番でどのように落ちていくかについての理解がなければならない。

②そのうえで、落ちた機能をどのように補うか、どのように支えるかの戦略を立てなければならない。

③そして、落ちた状態での新たな生活をどう再構築していくか、の目標を立てなければならない。

ほとの住む部屋がだんだん水で満たされてくる。ぎりぎりになった時に、背伸びをすれば、息ができる。それでも足りなくなったらつま先立ちする。それでもダメなら顔を上に向けて口だけは水面上に顔を出す…

これが適応であり、踏み台に乗せてやるのが支援である。

おそらくそのイメージをデザインするのはリハ技師の仕事になるのだろうが、現場では未だそこまでの進出は果たせていない。

ミニマムコアーは「笑顔」

私は、生活していく上でのミニマムコアーは「えがお」だと思う。気持ちいいという笑顔、楽しいなという笑顔、「お世話になりますね」という感謝の笑顔である。

これは以前、重度障害者施設「びわこ学園」で長年、療育に携わった先生の文章を読んで感じたことである。

生きていてこそ感じられる感覚であり、生活していてこそ湧き出てくる喜びであり、「笑顔」はその表出である。そしてその積み上げが「生きていてよかった」という実感をもたらすのだろうと思う。

人生は苦しみでもあり悩みでもある。とくに病を負い、障害を抱える人にとって悩みは深い。

現場のスタッフは苦しみをとることしかできない。生活援助と除苦・除痛が二本柱となる。その積み重ねの中で、「笑顔」の生まれる環境を整えることが任務の基本となる。

逆に言うと、現場の関わりがポジティブに進んでいるかどうかの指標として、「笑顔」は最も重要なポイントとなるだろう。

いわば、老健の職員の日々の目標は、入居者の「笑いをとる」ことにある。その点では「お笑い芸人」と通じるところがあるのかもしれない。

ついで、この事件を最も系統的に報道した赤旗から

チーフ・プロデューサーが証言した改変内容

1月29日 NHKの松尾放送総局長らが安倍、中川両氏を訪ね、番組への理解を求める。了解を得られず。番組を変更するので放送させてほしいと説明。幹部はスタジオへ取って返し、作り直しを指示。

編集作業は深夜に及び、44分ものだったのが43分になって完成した。

編集作業は

(1)日本軍による強姦や慰安婦制度は「人道に対する罪」であり、日本国と昭和天皇に責任があるとした「判決」の部分を全面的にカットする。

(2)スタジオ出演者の米山リサさんの話を数カ所でカットする。反対の立場をとる秦郁彦教授の話を大幅に追加する。

1月30日夕方 再度追加カットの指示。夜10時の放送まぎわまで編集が続く。(内容は略)


ということなので、中川経産相は嘘を付いている可能性がある。

安倍晋三の方はもっと変な言い訳をしている。

「NHK幹部が予算の説明で来た。NHK側が自主的に番組内容を説明」したというもの。

これでは「私は嘘を付いています」と告白したようなもの。予算の説明なら松尾放送総局長がしゃしゃり出るような話ではない。もし予算説明が主目的なら、明日の番組の説明を“自主的に”行うのはどう見ても理屈が立たない。そもそもNHKが予算案について根回しすることが正しいことなのか、という問題も残る。

この問題は集会を主催したNGOが誰なのかも、朝日新聞がどう絡んだのかも重要なポイントではない。

政治家が事実上の事前検閲を行い、介入し、それにNHKが従ったことにある。憲法21条「思想と言論の自由」にもろに絡む問題だ。

一方で政治家としての資質が、一方で日本を代表するジャーナリズムの中核としての基本姿勢が問われているのである。

それが、12年後の今もまったく同じ顔ぶれで再現されている。ここにNHKの異様な報道姿勢の根底的な危険性が示されているのである。

慰安婦報道問題がうまむやのまま幕引きとなったあと、今度は台湾報道でまた恫喝をかけている。09年4月の話しである。

ただしこれは野党時代の話で、しかも安倍晋三は首相を辞任して町村派に居候中の話だから、大した話題にもならなかった。


安倍、町村氏らがNHK番組を批判「偏っている」 

自民党町村派の23日の総会で、5日放送のNHK番組(NHKスペシャル シリーズ・JAPANデビュー 第1回『アジアの“一等国”』)について、批判が相次いだ。

番組は日本の台湾統治を取り上げたが、稲田朋美衆院議員は「台湾は李登輝元総統など親日家が多いのに番組は反日の部分だけを偏向して報じた」と批判。町村信孝前官房長官も「番組をみたが率直に言って首をかしげた」と同調した。

安倍晋三元首相は「週刊新潮も取り上げたが、番組はひどすぎる。関心を持ってこの シリーズを見てほしい」と呼びかけた。

中山成彬(なりあき)元文部科学相も記者団に、自らが会長を務める議連「日本の 前途と歴史教育を考える議員の会」としてNHKへ公開質問状を出す意向を示した。

しかしNHKはこの出来事を忘れていないだろう。
相当ビビっているはずだ。


従軍慰安婦問題で安倍晋三がNHKに圧力をかけた経過については、ウィキペディアのNHK番組改変問題が詳しい。まずはそこから紹介する。(ただしこの項目については「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です」というコメントがついている。)


(以下は私の文章であって、ウィッキペディアの記載を読んだ上での感想である)

改変された番組の名前は、ETV特集シリーズ「戦争をどう裁くか」の第2夜「問われる戦時性暴力」というもの。NHKはこの番組を2001年1月30日に放送した

番組の内容に、「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」という模擬法廷の紹介がふくまれていた。この集会は2000年12月12日に開催された。

この集会は、「“戦争と女性への暴力”日本ネットワーク」(VAWW-NETジャパン)というNGOが主催したものである。VAWW-NETジャパンは、「戦争と女性への暴力のない21世紀をめざして」活動している。(この団体の政治的背景についてはここでは省略する)

集会での「判決」は、「天皇裕仁及び日本国を、強姦及び性奴隷制度について、人道に対する罪で有罪」という、かなり過激な表現であった。

すでに放映前にいろいろあったようで、右翼団体が抗議行動を開始している。内部でも内容変更の指示があったと思われ、秦という人物の批判発言が挿入された。

番組そのものは、「肝心の判決内容が一切紹介されず、誹謗や批判が一方的に放送された」(VAWW-NETジャパン)ものとなり、時間も40分に短縮された(週刊新潮)。

と、ここまでが放映までの経過。

そして2月2日には中川昭一(経産相)が番組制作局長と会見した。伊藤局長は「実は内部で色々と番組を今検討している最中です」と述べている。

この情報の出所はフジテレビの報道番組とされている。おそらく中川サイドからの情報と思われるが、すでに放映終了後とすれば、内容がチグハグである。週刊新潮は「局長を呼び出し釘を刺した」と書いている。

おそらく中川の介入は放映前から始まっていると思われる。

この話はいったん収まるが、4年後の05年1月にNHKで内部告発があった。ほぼ同時に朝日新聞でも報道があり、おそらく同じソースと思われる。

これによると、

安倍晋三(官房副長官)と中川が番組内容を知り、「公正中立な立場でするべきだ」と求め、やりとりの中で「出来ないならやめてしまえ」という発言もあったという。

NHKは二人との会見の事実を認めた上で、安倍との会見が“放送前日あたり”、中川との会見は放送後だったと発表した。

ここは相当やばい橋を渡っていると思う。もし制作局長が“恐れながら”と喋りだせば、NHKの幹部は総辞職だ。逆に中川の方は“記憶違いかもしれない”と切り抜けられる。

ここから安倍晋三がはしゃぎ始める。

ウィキペディアによると、

各社の 報道番組に出演し、朝日新聞の報道を否定し、放送法に基づいていればいいという話 であったと述べた。

この放送法に基づいていればいい というのがクセモノで、そのあとに放送法に抵触しているかのようなほのめかし発言を行なっている.いわば内部告発を逆手に取った右翼のキャンペーンである。

①「法廷」の検事役として北朝鮮の代表者が2人入っている

②この2人は、日本政府により北朝鮮の工作員(=スパイ)と認定されている。そしてペルソナ・ノン・グラータとして査証の発行を止められている

②の話は重大で、査証の発行を止められている人物が、日本国内にいること自体が犯罪行為である。あちこちのテレビの特番で、官房副長官がペラペラ喋って良いことではない(05年時の肩書きは知らないが)。

ウィキペディアではこれについて、下記の如き<注>が添えられている。

但し、当該人物がどのような理由で工作員とされたのか、またどの官庁が認定したのかは明らかにされなかった。

つまり、自らの責任を問われた安倍晋三は、出所不明の情報を至る所で飛ばしまくることで、ウヤムヤにしてしまったのである。

「相手が悪いやつなら、どんな手を使ったっていいんだ」ということだ。しかも「悪いやつ」かどうかさえ定かではない。

「攻撃は最大の防御である」ということになるのだろうが、そこには安倍晋三という人間の狂気が透けて見える気がする。日本国を担う人間として、民主主義に関する感覚に根本的な欠落を感じる。

この「狂気」にNHK幹部は恐怖を感じたのではないか。

このあと、NHKは安倍とつるんで朝日新聞に逆襲をかける。NHKは安倍の共犯となる道を選んだ。

なおこれはひとつの憶測にすぎないが、次のような説がある。

NHKにとって一番の恐怖は、朝日が持っているとされたNHKトップ幹部のインタビューの録音記事だった。

しかしこのテープは当人の承諾を得ないまま録音された可能性が高かった。したがって朝日は証拠として提出できなかった。そこに権力が動いた可能性は否定出来ない。

あるいは他の要因かもしれない。しかしどうもこの事件でNHKは安倍晋三に借りを作った経過があるような雰囲気だ。


のちに安倍晋三は最高裁判決の後に以下のごとくコメントしている。

「最高裁判決は政治的圧力を加えたことを明確に否定した東京高裁判決を踏襲しており、(政治家介入があったとする)朝日新聞の報道が捏造であったことを再度確認できた」とコメントした。

要するに一片の反省もないということだ。

NHK自らが、会見の事実は認めている。それが放映の前だったことも、話の内容が番組の内容に及んだことも認めている。当時の安倍の肩書きは官房副長官だ。

なお、「政治的圧力を加えたことを明確に否定した」とされる東京高裁判決であるが、ウィキペディアによれば産経新聞さえ下記のごとく書いている。

高裁判決は「NHK幹部が政治家の意図を忖度した」と指摘している。最高裁判決では、これに関してまったく触れられなかった。

ところで高裁判決のこの部分は、「…忖度して改変を繰り返し、編集の自由を自ら放棄した」と続いていく。

さすがは産経らしい引用の仕方だと思うが、肝心なことはそれではない。高裁判決のこの部分については、最高裁判決は否定も肯定もせず、憲法判断をスルーしているだけだということである。


全くの勘だが、「NHKと安倍晋三は何かある」と思う。
前の首相就任の時もそうだったが、今回もひどい。ほとんどデマ宣伝に近いことを平気でやっている。
憲法改正、国債の日銀への無制限押し付けなど、とんでもないことをやろうとしている。
一方で、生保基準の切り下げなど弱者を崖から突き落とすような政策にも全く批判しない。

10年前の従軍慰安婦問題での放映中止が依然としてトラウマになっているようだ。

赤旗でこの異常な「安倍礼賛キャンペーン」の背景を探ってもらえないだろうか。

異常な内部留保の根っこにはお金に対する無理解がある。
お金というのには足が生えていて、世間を回るものなのだ。
回ることで増えるものなのだ。
これはもちろん、社会全体をトータルに見た時に初めて分かるものなので、
個人や個別企業にとっては貯められるだけ貯めたいものだ。
しかしみんながお金を貯めこんでしまったら。世の中に金がなくなってしまう。
そうすると、みんなお金の山に埋もれて死ななければならなくなってしまう。

お金はいろいろなことに使われるが、仕事にも使われる。
材料を仕入れて、物を作って、それが売れると儲かる。
だからお金は儲かるためにも使われる。

なぜ儲かるかというと、材料費より販売価格のほうが高いからだ。
この差額は仕入れたり、加工したり、販売したりした仕事が生み出したものだ。
つまりみんなが仕事をすると、その分お金の量は増えることになる。

と言っても、日銀が発行するお金の量が増えないと計算は合わない。
だから日銀は景気を見ながらお札を刷り足していくことになる。

これは、富の量が増えてそれに見あってお金の量が増えたことになるから、
インフレにもデフレにもならない。
これはみんながその分だけ豊かになったというだけのことである。

つまりお金が回ることは、お金が増えることにつながっていくということだ。
お金が回るということは社会にとって大事なことだ。
だから、個々人はできるだけお金を沢山持っていたいのはやまやまだが、
社会全体としてはお金が回ってくれないと困るのだ。

だから行き過ぎた内部留保は、社会にとっては大変困ることだ。
社会が窒息してしまう。


労働総研の牧野さんが赤旗に寄稿している。
この文章で大事なポイントは、大企業と対決しているのが誰なのかを明らかにしていることだ。

牧野さんは今年度版の「労働経済白書」をまず掲げる。白書冒頭の骨子の部分である。

「労働者の所得の増加が、消費の増加を通じて日本経済の活性化につながるという、日本経済のマクロの好循環を取り戻すことが必要である」

ついで牧野さんはこう書き継ぐ。

だが、このあたり前の主張も「経済や企業の実態を無視したものと言わざるを得ない」となってしまう。

財界には、当たり前のイロハが通じないのだ。


つまり、政府の一部まで含めた国民の大多数と大企業の対立という図式になっているということだ。

ここを抑える必要がある。

もう一つは当たり前の考えを「経済や企業の実態を無視したもの」と切り捨てる問答無用の姿勢だ。これを国民が切り返すとすれば、「経済や国民の実態を無視したもの」ということになる。

国民は大企業の実態を無視はしていない。だから「痛みを伴う改革」にも協力したではないか。
しかし大企業は自らが国民の実態を無視していることについては言及しない。「苦しい時にはお互いさま」という感覚が欠落しているとしか言いようがない。

今度はあんたの番だよ。

白川総裁が記者会見を行った。
以下が発言の要旨

金融緩和はやる。しかし国債をやみくもに買うような金融緩和はやらない。
それは実体経済に悪い影響を与えることになる。

2%のインフレ目標はめざす。しかしその手段として国債の購入を当てることは考えていない。

2%のインフレ目標は「アンカーとしての効果」にあり、物価の急変動を抑えるのが狙いだ。

そして質疑応答では、さらに具体的に述べている。

「日銀が2%を機械的に達成するために、国債をやみくもに買う政策レジームに転換した」
と人々が思えば、

「これは財政(のための)ファイナンスではないか」
ということになる。

そうなると、国債の長期金利は上昇し、国債価格は下落する。

そうなると困るのは、国債を大量に抱える金融機関だ。
それは「大きな影響をあたえる」ことになるだろう。

二度も“やみくも”という言葉を使っているところに、白河総裁の憤りがにじませられている。


リベルタード号歓迎集会での大統領演説

1月9日に、リベルタード号がアルゼンチンのマル・デル・プラタ港に帰還した時には、20万人が集まって歓迎集会を開きました。

そこでアルゼンチン大統領フェルナンデスが演説を行いました。赤旗はこの演説の内容をかなり詳しく紹介しています。

フェルナンデス大統領は、故キルチネル前大統領の未亡人。国会議員として、キルチネルとともにアルゼンチンの経済再建に尽力し、キルチネルの任期終了に伴い、後継大統領に就任した。




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我々は新自由主義路線と手を切った。そして自主的な経済発展と国民生活の向上を目指して頑張っている。

これに対し「ハゲタカ・ファンド」と呼ばれる国際投機資本は攻撃を仕掛けてきた。今その攻防は先鋭化している。

現在の国際状況は「無政府資本主義」だ。投機ファンドが国境を超えて国の主権と尊厳を踏みにじっている。これと闘うことが重要だと強調したい。

ガーナの司法当局は我が海軍の訓練用帆船リベルタード号を拘束した。これはアルゼンチンの国債を保有するヘッジファンド「NMLキャピタル」の仕業だった。彼らは債務の未払いを理由にガーナに差し押さえを要請した。この要請を受けたガーナ当局が行った措置であった。

アルゼンチンは2001年に債務不履行を宣言した。その後、新政府は国債を保有する債権者と交渉を開始した。そして価値を7割削減した新国債との交換を提案した。

債権者の93%はこの提案を受け入れたが、これに同意しないものも残っている。ヘッジファンドは元々の債権者ではない。彼らはこれら同意しない債権者の債権を二束三文で買い取った。そして100%の償還を求め、アルゼンチンの国有資産を差し押さえる動きを活発化させてきた。

投機ファンドはハゲタカだ。彼らは借金漬けや債務不履行になった国々の上を飛び回っている。そして降りてきて、額面の10%で債権を買い集め、それを100%で回収しようとしている。

我々は改めて宣言する。ハゲタカファンドへの支払いは一切拒否すると。

今回の闘いもその一つだ。リベルタード号の帰還は、その闘いの末に実現した。ロイター通信は「“無政府資本主義”に対する主権の勝利」と報じた。リベルタード号はアルゼンチンの主権と民族の尊厳を守る闘いの象徴となった。

故キルチネル前大統領が大統領に就任した、2003年以降の政府の活動を振り返ってみたい。政府は債務再編で合意した債権者に対して誠実に支払いを行なってきた。

それと同時に国内産業を立て直し、約530万人の雇用を生み出してきた。これは投機資本の横暴や新自由主義政策の破壊策動と闘いながら生み出した成果である。

いま投機資本は、アルゼンチンの政府専用機の差し押さえすら狙っている。それを防ぐため、1週間後の大統領のアジア各国歴訪に際して、専用機の使用を控えなくてはならなくなった。

投機資本との激しい攻防はこれからも続くだろう。それは他の国でも繰り返される可能性がある。だから諸国民の幸福を擁護するためには各国の共同した闘いが必要だ。

投機資本は世界を股にかけた略奪者である。そのことを念頭にいて、世界が堅固で真剣な立場をとることが必要になっている。

この闘いにおける国際的共同を心から呼びかける。

一体にラテンの人たちのこの手の演説は極めてレトリカルで読みづらい。これを読み通して記事にまとめた菅原記者には敬意を評したい。

今のうちにメモしておかないと忘れるので書いておく。

一番の問題は、どうして敗北後16年を経て、サンディニスタが政権に再び就いたかということだ。

大使のまとめは分かりやすかった。

まず客観的条件。

勝利のためには、まず何よりも国民の間の恐怖心を払しょくすることが必要だった。サンディニスタが勝利すれば、またアメリカが攻めてくるという恐怖心は、実体験に根ざしているだけに、極めて強かった。
しかしベネズエラが2002年に反革命に勝利し、2003年にブラジルでルーラが政権に就き、その後雪崩を打つようにラテンアメリカ諸国の多くで革新・左翼政党が勝利した。2006年までには南米諸国のほとんどが左翼政権となっていた。米国はこれに対してなんの手も打てなかった。
これを見た国民は、政権の維持を確信できるようになった。

もう一つの客観的条件は、保守政権と米国への幻滅だ。
ニカラグアで親米保守政権が誕生して以来16年間、ニカラグアが豊かになるという約束は守られず、援助するといった米国はひたすら収奪するばかりだった。ニカラグアはハイチにつぐ中南米第二の最貧国のままだった。
国民はもうネオリベラリズムにあきあきとした。そしてサンディニスタ政権の再登場への期待が広がった。

3つ目の客観的条件は、保守・支配層の分裂だ。元大統領と前大統領がもめた。原因は元大統領の汚職・腐敗だ。彼は麻薬取引にまで手を伸ばした。前大統領は元大統領の腐敗を厳しく摘発し、監獄へ送り込んだ。
しかし、前大統領は清廉潔白だからそうしたのではなく、米国に忠実だったからそうしただけだった。新自由主義をさらに推し進める上でも彼は米国に忠実だった。そのためにカトリック教会を中心に激しい反発が起きた。
このために保守層の分裂は修復不可能なものとなってしまった。

主体的な条件としては2つある。

まず第一に、90年の敗北後もFSLNが「人民の権力」を守り抜いてきたことにある。FSLNは野党となったが、80年代の統治システムを維持した。
それは懐の深い直接民主主義的な決定システムであり、決定に基づいてみずから統治する能力のことである。
「人民の権力」は、議員候補や党の役員も草の根選挙で選ぶなど、国民の声を結集することに努めてきた。
だから大統領選挙や国会議員選挙で過半数を獲得できなくても、地方議会や首長選挙ではつねに多数を維持してきた。
こうした下からの力がつねに中央政治に強い影響力を与え続けてきた。

第二に、こうした草の根の声に忠実であることによって、保守勢力の中の反動腐敗・勢力や、親米勢力を孤立化させてきた。
例えば前大統領が腐敗により弾劾されたときはこれを支持したが、現大統領が新自由主義経済をさらに推し進めようとしたときは、保守派内部の反主流派とも手をつないでこれに反対した。

これらの努力の積み重ねの結果、直接的には大統領選挙の決選投票制の変更により、オルテガは39%の得票率でありながら、大統領に選出されることが可能になったのである。

大統領になってしまえば、後は当然辿るべきコースを辿ることになる。
国民はもともとサンディニスタの政策を支持していたのであり、ただアメリカが怖いから、もう戦争はコリゴリだから、保守政権を支持していたに過ぎない。

オルテガ政権は、当初極めて慎重な政策をとった。節目節目でアメリカの反応を伺い、性急な政策は避けた。しかし貧困層への緊急対策や教育・医療への対策は着実に実践した。実践にあたってはカトリック教会との協同を重視した。

これらの結果が、5年目、二度目の大統領選挙で60%の得票率となって表されたのである。


これらの成果は、我々日本の革新勢力にとっても極めて貴重な経験を含んでいると思われる。

開かれた「人民権力」、地方政治の重視、保守層との積極的な共闘、が政治権力獲得のための3つのキイ概念である。

なかでもとりわけ、党と「人民権力」の関係が考察されるべき課題であろう。


「アトランティック」紙電子版が帆船乗っ取りの手口を説明したTim Fernholz記者の記事を載せている。以下に紹介する。


あなたがアルゼンチンに若干の債権を所有するとしよう。

国は、債務返済不能に陥る。

しかし、あなたはまだ全部支払われたいと望む。

解決法は?

彼らの船のうちの1台を抑えなさい。もちろん身代金目当てだ。

ウォール街はそういう考え方をするものだ。それはどんな政府よりはるかに重要である。

それが、ヘッジファンドが過去のローンを取り戻すためにアルゼンチンの海軍船を押収したしても驚かない理由である。

Elliott Capital Managementの子会社は、9月2日に地元の法廷から仮処分命令を得て、ガーナの港でリベルタード号と200人のクルー・メンバーを拘束した。

アルゼンチンは2001年に総額1000億ドルのデフォルトを起こした。その負債は再構成したとき、1ドルの債権に対する支払いを30セントまでカットされた。ファンドは、減額を納得せず、そのとき失ったお金を集金しようとしている。

リベルタード号は、全長100メートルの長い高い帆船である。1950年代に建造され、アルゼンチン海軍のトレーニング船として就航した。現在の評価額は1千ないし1千5百万ドルとされる。押収されたときは、海軍士官候補生の卒業航海中であった。

億万長者ポール・シンガーが創設したエリオット社は、アルゼンチンの債務リストラを拒絶した数社のうちの一つである。

エリオット社は債務の完全な支払いを要求して、米国内、国際的な法律の場を通して問題を追求してきた。法的手続きは、とてもフォーマルと呼べるものではなかったが。

2001年のアルゼンチンのように、財政的に問題を抱えた国から減価した債券を買い集める。そして国が経済的に回復した時に全額を額面通りに回収しようとする。

1990年代にペルーの政府債務支払で、エリオットが投資額の400%を回収するのに成功した時、この戦略はポピュラーなものになった。

明らかに、ファンドは慎重に船のコースを見守ってていた。そして、船を押さえて要求を突きつける機会を待っていた。

アルゼンチンが船を返して欲しければ、ガーナの法廷に債券に相当する現金を払わなければならない。伝えるところによると、それはエリオットの懐に入ったという。

いわゆる「ハゲタカ」ファンドは、すでにヨーロッパの金融危機がもたらした機会を利用している。

今回の行動は、遠くない将来を映す試写会であるかもしれない。融資者が政府資産を追いかけている。飛行機、船舶、そして不幸なケースにおいては国際援助資金さえもが狙われる。

世界中の、債務で鞭打たれた政府がついに倒れようとするのを、彼らは狙っている。


昨年10月に起きたリベルタード号事件は憶えておくべきニュースだ。
赤旗報道から概要を書きだしておく。
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リベルタード号はアルゼンチン海軍の保有する訓練用帆船。大西洋を横断する航海を終えて、ガーナの港に寄港した。

これを知ったヘッジファンド「NMLキャピタル」社は、債務の未払いを理由に同船の差し押さえをはかり、ガーナ司法当局に要請した。

要請を受けたガーナ司法当局はこの要請を受け、停泊中のリベルタード号を拘束した。

アルゼンチン政府はこの措置に抗議するとともに、船舶の解放を求め、国連国際海洋法裁判所に提訴した。

12月15日、裁判所はリベルタード号を解放せよとの判決を下した。判決の主要な根拠は、リベルタード号が「軍用船」であることとされた。(この根拠付けはよくわからない)

ガーナ側はこの判決を受け入れ、リベルタード号を解放した。リベルタード号は1月9日にアルゼンチンのマルデプラタ港に入港した。

現地での歓迎集会にはフェルナンデス大統領始め、20万人の市民が結集した。

フェルナンデス大統領は、「リベルタード号の帰還はアルゼンチンの主権と民族的尊厳の尊重を守る立場」の勝利と演説した。









紀元前4~5世紀の中国の矢尻が、岡山の遺跡から発見されたそうだ。
写真を見ると実に見事なもので感動を覚える。
http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/f/7/f7415173.jpg

少し記事を引用しておく。

この矢尻は「双翼式銅鏃」と呼ばれるもので、青銅製、重さ3.7グラム。
全体に平たく、先端から左右に分かれた「翼」部分が、末端に向かって長く伸びているのが特徴だそうである。

戦闘用ではなく、儀礼用だったようだ。道理で美しすぎる。

紀元前4,5世紀というのは中国の戦国時代。七カ国が覇を争っていた。同型の矢尻は燕と魏の遺跡から出土しているという。

矢尻が見つかったのは岡山の南方遺跡。弥生時代中期にあたる紀元前二世紀ころの集落とされている。

岡山は日本で最古の南方ジャポニカ米が発見されるなど、弥生時代の先進地だったようで、すでに部族間の戦闘もあったことになる。

燕と魏に由来する武器が見つかったということは、長江流域由来の弥生人に加えて、すでに北方系の武装渡来人も存在していた可能性がある。

政治というのは武力が決定するものだから、弥生人の上に北方系渡来人が君臨していたことになるのだろうか。

そういうロマンもふくめて、なかなかの見ものである。

 生活保護の基準切り下げに関する議論で、しばしば出てくるのが「自助・共助・公助」と言う言葉である。自助と公助はともかくとして、「共助」というのがわからない。

切り下げ派の論理としては、「公助の前に共助があるでしょう」ということになるようなのだが、その割に共助の内容がクリアーでない。

もし共助というのが家族のことを指すのであれば、これはもう時代遅れだ。事の良し悪しは別として、もはやそれは不可能になっているし、ますます不可能になっていくだろう。

情勢はそう甘いものじゃない、切り捨て派にはその覚悟が不足しているようだ。ピラミッド型人口構成は過去のものであり、それを根拠とする家族の支えあいはもはや幻想だ。

確かに自助も共助も大切だ。しかしこれからの共助のあり方について一定のモデルを持ち、育成する方針を作り、必要な財政措置をとらないと、これらの言葉は無責任な空語になる。

 

レセプションでの挨拶の原稿です。

お帰りなさい、サンディニスタ!
これが今の私の心境です。

90年に選挙で敗れた時、私は全然へこたれていませんでした。
セルヒオ・ラミレスが去った時も、ウィーロックやカルロス・チャモロが去った時も、カルロス・メヒア・ゴドイやエルネスト・カルディナーレが去った時もまだ頑張れると思いました。

しかしウーゴ・ティノコとモニカ・バルトダーノが去ったときは、さすがにがっくり来ました。
いろいろ噂も聞きました。ダニエルのソイラメリカ事件、ウンベルトが社長になって稼いでいるという話…
そのころからインターネットのニカラグア・ニュースも途切れました。週刊ラテンアメリカ・ニュースもストップしました。

ここにいるデュルセ・マリアもいつの間にかいなくなった一人でした。風のうわさで結婚して横浜にいるらしいと聞いていました。

それがどうでしょう。いまやサンディニスタは不死鳥のごとく復活しました。その代表をニカラグア政府特命全権大使として迎えることができるなんて夢のようです。

そしてデュルセマリアは、大使館に現われ、ふたたび私たちの前に姿を現わしたのです。彼女の心のなかでサンディニスタ革命の火は灯り続けていたのです。

今年は北海道のニカラグア連帯運動にとっても記念すべき年です。はじめてサンディニスタの代表を迎えてから30年になります。

あのころ連帯の相手はキューバとニカラグアだけでした。いま連帯の相手はベネズエラ、エクアドル、ボリビア、そして中南米のほとんどすべての国です。

サンディニスタ、万歳。中南米の革命の前進、万歳。日本とラテンアメリカ人民の連帯万歳。

知らなかったが、中国は12年間ジニ係数を発表して来なかった。
ためらったのも無理はない。たしかに社会主義国にあるまじき経済格差だ。しかも格差は広がっている。
今回発表に踏み切ったのには、12年度のジニ係数がピーク時に比べてやや減少したためだろう。

00年

0.412

03年

0.479

08年

0.491

12年

0.474


社会不安が生じる警戒ラインは0.4とされる(ちなみに日本は0.329)

赤旗によると、これは実際の格差を反映していない可能性もある。
先月、ある研究センターが実施した調査によると、2010年度のジニ係数は0.61に達したとされる。
この理由は高収入家庭の“灰色収入”を反映していないからだという。“灰色収入”とは“違法ではないが正規の賃金でもない収入”を指している。

ということは中国の社会不安は、過去十年にわたって続いており、ますます臨界状態に近づきつつあるということになる。

ただ、鄧小平路線というのは格差拡大を承知のうえでやってきたのであり、たとえ格差が広がっても、最貧層でもそれなりに生活が向上すれば、それで良いという路線だ。

これは右肩上がりの時には確かに通用する議論だ。しかしそのたまには絶えず高度成長を続けなければならない。これは経済の各分野に相当の歪みを生む。市場には、どこかで調整期、踊り場が必要だ。

しかしそれが許されないような状況は果てしなく危機的だ。

もしそれが中国国民の不満の空気抜きとして位置づけられているのなら、尖閣諸島問題は極めて危険である。
景気が減速傾向に入っている時に、中国の最大の経済基盤である日本との関係を悪化させれば、本格的なリセッションを招きかねない。

GDP二位といっても上げ底経済で、基盤は脆弱である。韓国の深刻なバブル後不況を見ているだけに、「第二の天安門」の可能性について、いささか恐怖感をもって見つめざるをえない。



生保の最も深刻な問題は質の問題ではなく量の問題にある。

生保のあり方について議論するのは、それ自体は否定しない。ただ生保が対象者の1/5しか捕捉していないという事実が最大の問題だ。捕捉していないというより、捕捉能力を超えて生保対象者が激増しているという方が正確だろう。

これは小泉時代に構造改革路線に大きな責任がある。当時、竹中は「セーフティ・ネットをしっかり張ってあるから大丈夫」と繰り返したが、結局そんなものはなかった。

だから失業すれば即生保ということになってしまった。母子家庭も、他に救う手段がないから生保になってしまう。生保は外堀を埋められてしまっているのだ。

ここが生保が急増した原因だ。そこをなんとかしようというのが本筋の議論ではないか。失業保険の延長、職業訓練の充実、教育・医療への個別援助の拡大等が必要だ。

もう一つ、これは派生的な議論になるが、生活保護への出費は決して冗費的なコストではないということだ。

受給者は受け取った生活費をほぼ100%使用する。したがってこれは日用品や必需品の生産・流通業者への財政支出と同じ意味を持つ。投資効果は単純計算でも2倍だ。実際にはG-W-G' で利潤がついてくるから、3倍にも4倍にもなる。内需拡大政策そのものだ。

生保財政への支出は地場産業の支えとなる。これが大企業への優遇処置なら、投資した金はそのまま内部留保として塩漬けにされてしまう。

政府が10兆円の財政出動をすると言っているが、内需拡大につなげようと思うなら、それを全部生保枠の拡大と、生保以外のセーフティー・ネットの拡充につぎ込むのが最も効率的だ。

「冗談でしょう」と思われるかもしれない。しかしブラジルの経済成長はルーラ政権の貧困層かさ上げ政策がもたらした。この事は世銀も米州開銀も確認している。

インフレがお望みなら、貧困層へのバラマキほど有効な手立てはない。貧困層のさらなる貧困化と、大企業へのバラマキ政策は、海外からの貿易外収支の大幅黒字化と“ドル余り”をもたらし、結局円高へと導くことになる。

経団連は認めたがらないが、事実が証明しているから仕方ない。

産業競争力会議の議論がすごい。
財界の要望を聞く会議だが、財界がいかに日本経済の行方に対して無責任かが浮き彫りにされている。史上最悪の会議だ。
彼らの描く明日の日本を列挙してみよう。

医療体制は根本的に見直します。医療機関に経営競争をさせ儲け主義へと転換させます。儲けの上がらない医療機関は淘汰を行います。
保険制度を見なおして、高額医療では自費部分を拡大し、公費負担部分を減らします。
法人税率をもっと下げ、企業の収める税金を減らします。それで財源が不足するなら消費税を上げます。
労働者の首切りを容易にして、会社都合でいつでも整理できるようにします。非正規などという言い方をやめて、すべて非正規にします。
貸金業の金利規制をやめ、サラ金をもう一度自由化します。
原発ゼロの方針を取り下げ、早期再稼働を実現させます。
TPPは予定通り推進して、この国の農業は基本的にやめます。アメリカから農産物を買い、その代わりに自動車を買ってもらいます。

彼らこそ究極の利己主義者だ。「自分だけが儲かり他の人は苦しめばいい」と心底思っている。自分の「国際競争力」さえ上がれば、日本の国力が落ちようとどうでもいいと思っている。

アルジェリア、なんとなく以前からノドにひっかかっている話題だ。

とにかくアルジェリアといえば「アルジェの戦い」だ。
白黒の映画で主人公の青年が、カスバの中のアジトで、迫り来るフランス軍を待ち受ける、凄まじい緊迫感だけが記憶に残っている。
それは確実な死であり、我が身が虫けらと化す一瞬である。

それしか憶えていない。

多分カミユと記憶が二重になっているのではないか。世界が遠くなっていくようなめまいと、吐き気を伴わない嘔吐、カスバの生活の臭いと硝煙の臭い、そして吐物と傷口から滲み出す血の匂い。それすらも感覚から遠ざかっていく。

その後図書館で、フランス軍に拷問されレイプされた少女の手記を読んだ覚えがある。

とにかくそれでアルジェリアのイメージが形成された。かなり特異な過程だろう。

ベンベラのイメージは、ニュース映画の一こましかない。

ついでアルジェリアが登場するのは、ブーメディエンの統治下に第三世界の旗手としてである。たしか流産しかけた非同盟首脳会議をひろって、なんとか開催にこぎつけた時、アルジェリアは輝いていた記憶がある。

(この後書いていた文章が、一瞬にして消えました。今夜はもうやめときます)

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